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a day

2018. 10. 16

(昨日までのあらすじ)
 ラジオでナイトの第76回の日本歌の50選で吉田拓郎が自ら選んだ「禁じられた恋」を聴いた私は突然過去の思い出にトリップする。まだ小学校2年の時、川崎のプールに遊びに行ったとき、そこで(たぶん)お昼のゴールデンショーの収録で「禁じられた恋」を歌う森山良子を目撃したことがあった。ボートに揺られながら♪きーんじられてもーと歌っていた。しかし、森山良子は明らかに口パクであり、私はオトナの世界を覗きみてしまったかのようなショックを覚えたのであった。

(本文)
 昨日「口パク女」と書いたが間違いなのでお詫びして訂正する。当時しかも小2で「口パク」なんて言葉は知らない。正しくは「ウソ歌女」だったと思う。>その方がお詫びが必要だろ。

 それから幾年。小2だった自分も大学生になった1980年10月4日、新宿西口のまだ都庁が建っていない広場にいた。ニューヨーク姉妹都市記念イベントの一環で吉田拓郎・渡辺貞夫・森山良子のジョイントライブを観にいったのだ。もちろん私のお目当ては世界のナベサダだ。ああ、もちろん嘘だ。
 そこのファーストステージで、私はほぼ最前列の間近で「ウソ歌女」と再会したのだ。バンドは原信夫とシャープ&フラッツだった。
 客席にはニューヨーク関係の人々も多かった。だからだろうか、彼女はMCの時に、曲名は思い出せないけれど、アドリブでアカペラのままゴスペルを歌ってみせたのだった。口パクのウソ歌ではない。生粋の生歌だ。まーそれはそれは、すんばらしいを超えて、そのふるえるような美しい歌声が、そのまま新宿の空に突き刺さるかと思った。横にいた見ず知らずの黒人青年が拍手しながらハラハラと涙を流していた。私も泣きそうだった。
 そして、そのまんま突き通るような美声で「歌ってよ夕陽の歌を」をこれまた見事に歌い上げてくれたのだった。たまらん。落ちた。
 もちろん私はずっと「ウソ歌女」と思ってきたことを心の底から恥じた。ごめんなさい。なのでそれ以来、森山良子さんには失礼のないように生きようと心掛けている。なーんの接点もないけどさ。最近とんねるずが森山良子さんのことを「ザワワ」とか言うたびに、おめーら失礼なんだよ!と怒りを禁じえない。もちろん「ウソ歌女」のほうが格段に失礼なのだが。自分の事は棚に上げて。

2018. 10. 15

ラジオでナイト 第76回 2018.10.14
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

吉田拓郎です。

<名古屋ライブありがとうございます、サンデーフォークにも感謝、ひつまぶしの差し入れのおかげかという投書>
天むすだよ(笑) 食い物で動く吉田拓郎か。サンデーフォークは関係ない。イベンターの忖度ではない。今回は名古屋に行ってみようと吉田拓郎が思ったからだ。  
<名古屋当確、センチュリーは自転車で行けるという投書>
自転車で来るな。燃えるものがない。徒歩で来るとかもダメだな。何かを乗り越えて来てくれよ。
たとえば沖縄だと沖縄時間があって、時間にルーズ。6時30分開演だと6時40分くらいに集まってくる。15分前には、いや30分1時間前にワーッとなっていて欲しい。

<宇都宮は楽しみにしている、夫にそれなりに退職金が出てそれでゆくという投書>
是非来て。
<全公演について日程を教えてほしい。そこに向けて調整が必要という投書>
今は言えないが、そのうち言います。イベンターがドーンと発表したいのを差し置いて小出しなので。もうすぐ言うから。この番組を聴いていれば大丈夫。
さて三か所目、宇都宮、名古屋。どうだろう東名高速をつま恋方向に向って走る。
よくコンサートのリハとかつま恋に走ったものだ。そこからもうちょい東名高速走ったらどうなる?でも名古屋じゃないんだ。わからん男だな。わからんだろうか。浜松だよ諸君。「アクトシティ浜松」日時はまだ言えない。

 今日はスタジオに黄色のテレキャスターが置いてある。小さなアンプも持ってきた。  こんな音がするんだ(実演)。♪"WAS There a House in New Orleans They Called The Rising Sun朝日のあたる家"を弾く。いいねぇ  
 来週当選発表のテレキャスター、これ一度しか使っていないから新品同様。ネックにTAKURO YOSHIDAと刻印してある。知らなかったよ、特注なのに。

 テレキャスターとは何なんだという人のために。フェンダーとギブソンという二大ギターメーカー。どちらも今大変らしいけれど。フェンダー社のギターにテレキャスターというのがある。桑田圭祐とか小田和正とかが遣っているが、小田は弾いてんのかな?持ってるだけじゃないか(笑)。海外ではブルース・スプリングディーンが使っている。これに対しギブソンでは、ストラトキャスターというのがあり、こっちはエリック・クラプトン、ディランも使っている。
 僕はもともとはギブソン系だったけれど、東京に来てエレックの人が、カントリー出身の人なのでテレキャスターをすすめられ、ライブ73とか、そこからテレキャスター党になってしまった。今は、白のストラトもあるけれど。しかし、見ていると惜しいなぁ、いやだな、あげたくないな(笑)。来週発表だ。

 長いラジオ生活で、そこから曲が何曲か生まれた。春だったね(弾く)、せんこう花火(歌う)、詞を書いて送ってくれる女の子がたくさんいた。どうでしょう。詞を書いてみないか。僕が曲をつけて、次のライブやアルバムで歌ってみる、そんな詞を書いてみないか。おっさん、おばさんは鋭い発想が鈍っているかもしれないけれど。
 先日、とある食事会があって、上海カニを食べた。某作詞家の話になって、もう一度その作詞家にも詞を書いてみないかといって今度作ってみようかと思う。

で、みなさんもどうですか、詞を書いて、そしたらいい曲つけてあげるからさ。

テレキャスターが大好きな吉田拓郎のラジオでナイト

■テーマ
 ライブの話しているけど 宇都宮 浜松 名古屋と発表したけれど、コンサートの曲も何十曲か…40曲くらい候補があって、武部・鳥山と食事をするので話てみようと思う。
ステージでやっていない曲も何曲か考えている。

 一番目の曲目は何かというのも面白い。僕は決めている。今度こそこれだという曲がある。この番組のベストテイクのなかでこれだなという曲がある。そして最後の曲は何がいいんだ。みなさんのリクエスト、一曲目とオーラスの曲を募集します。「落陽」「人生を語らず」でも。いつも演奏してるけれど、これはストーンズで言えば「サティスファクション」はどうしたって聴きたいのと同じ。それから「春だったね」もやりたい、というかこの曲から離れられない。

 今週のリクエストは、後のコーナー「勝手に選ぶ日本の歌50選」の「き」の五位原田真二のキャンディー。こういう身近な歌を忘れていた。

 原田真二をフォーライフに入れて、僕と陽水と原田真二がライムライトで原田真二を前に音楽談義をしていた。「どういう音楽を目指すんだ」とかプロデューサーとして先輩風を吹かせて。少し酔ってきて、たぶん陽水も、二人して「かわいいなぁ」と思った。男が男を好きになるかわいらしさ。そのとおりだった。

M-1 キャンディー   原田真二

■勝手に選ぶ50選
「き」
・北の宿から  都はるみ
・君いつまでも 加山雄三
・傷だらけのローラ 西城秀樹 (♪ローラ歌う)
・昨日今日明日  井上順
  >阿久悠と都倉俊一の名曲
・霧にむせぶ夜  黒木憲
  >子どものころよく聴いた

M-2 霧にむせぶ夜
  >好きだっな 
・京都の恋  渚ゆうこ
 >あったね京都関係(笑)
・君こそわが命  水原弘
>ああ、あったね。「三人ひろし」、守谷浩、井上ひろし、かまやつひろしだったのが、
水原弘が出てきてとってかわられたと、かまやつさんがよく話していた(笑)
・君は天然色  大瀧詠一
・CAN YOU CELEBRATE?  安室奈美恵
>これはみんな知ってるよね
・きつね狩りの歌  中島みゆき
>申し訳ないが知らない。このタイトル((笑))

M-3 キツネ狩りの歌
>へぇ、ファンに申し訳ない。すげータイトルだけでまいった

5位 キャンディー  原田真二
4位 キラキラ    小田和正
3位 キミは天然色  大瀧詠一
2位 危険なふたり
1位 今日までそして明日から
 これが嘘っぽい。せめて「金曜日の朝」だろ。そこんところのセンスが駄目だな(笑)もう怒ってるが。マイフェイバリットでさんざんいろんな曲きかせただろ。みんな、いい大人になれないぞって、もうオトナか。

 今日は、「 禁じられた恋」森山良子。広島時代、楽器屋でレコードコンサートのDJをやっていた。その時に、この曲があった。他には、中山千夏 あなたの心に。♪水洗トイレなら ひとりで座っていたいないつまでも と替え歌を歌っていた。

 森山良子、いい声してるな。東京ではカレッジフォークの女王といわれていたけれど、カレッジフォークが好きじゃなかった。なんだよと思っていた。
後に東京に出てラジオ関東の森山良子の番組にゲスト出て、あんときに恋をしなくてよかったと思った(笑)

それでは

M-4 禁じられた恋   森山良子


■提供曲

今週は、また、僕がこう思うよといったらもう忖度した。よしだそんたくろう。もう言うがままだな。

5位 六本木レイン  研ナオコ
4位 君住む街    杉田二郎
3位 いつか街で会ったなら 中村雅俊   
2位 メランコリー  梓みちよ
1位 風になりたい  川村ゆうこ
 しつこいね。
 もう一度僕のキモチを言うぞ。 僕は1位はメランコリー、2位 襟裳岬、3位やさしい悪魔そして4位に六本木レイン5位たどり着いたらいつも雨降り6位いつか街で会ったなら7位は”ドンファン”、8位がルームライト、9位が我が良き友よ、10位が「君住む街」 選ぶ気持ちも考えろ。

■マイフェイバリット
 フランスのアランドロンの話をした。かつてフレンチポップス、イタリアのカンツォーネが日本でヒットした時代があった。シャンソンとかがロックの影響で消えていった。 
ジャンニ・モランティとかつい最近亡くなったシャルル・アズナブルとか。広島時代、放送局RCCのアナウンサーがいて、その人がシャルル・アズナブルに惹かれていたので、アルバムを買って届けたことがあった。イキなことしますね(笑)

M-5 夢みるシャンソン人間    フランス・ギャル

M-6   甘い暴力 ジョニー・アリディ
 大学でフランス語選択したのにわからない。この映画は、エルケ・ソマーが色っぽかったんだ。

M-7   雪が降る    アダモ
 雪が降るは、訳詞はZUZUだったんだね。アダモを聴いて森進一だと思った。逆か。
M-8   アイドルを探せ シルビー・バルタン
 彼女を観に映画館に通ったものだ。♪ドセ〜の意味がわからない(笑)。
かわいらしさがあった。
M-9 オー・シャンゼリゼ   ジョー・ダッサン

 どうしてこんなにフランスの曲がなくなってしまったのか。カトリーヌ・ドヌーブは時々見るけれどジャポール・ベルモンドとかは見ないね。

M-10  愛の休日   ミッシェル・ポルナレフ

 好きな人は多かったが、僕はだめだった

■エンディング

・提供曲 来週発表
・日本の歌50選 「ヤ」「す」「た」

吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆浜松か。ハラショ。いいぞ、いいぞ。浜松→名古屋のこの感じ。ロード感がみなぎる。浜名湖のウナギが、名古屋でキザまれて、ひつまぶしになるようなこの進捗感。なんだそりゃ。いよいよだ。みんなCARAVANの始まりだぜ。

☆個人的にも浜松は思い出の地。2年間を過ごした青春の故郷、エイジツアーとアローンツアーに行ったが、あの頃は、まだアクトシティ浜松はなくて、浜松市民会館であった。それこそバネの軋む椅子だった。

☆しかし、いいのか、沖縄時間のことをそんなに言って。自分はどうだったんだ@沖縄

☆しょせん当たらないし、オレには関係ないよと思っていた「黄色いテレキャスター」だが。実際に音をああやって聴かされて、TAKURO YOSHIDAの刻印ときたら、魂の底から欲しい、すげー欲しいって、今ごろかよ。

☆それにしても本当に順位が拓郎の言うがままになっている。これじゃ投票というより、拓郎が自分で決めているのと変わりない。はっ、もしや当選者は吉田拓郎さんですといってギターを持って帰るのかっ(爆)

☆詞か。詞にしても、一曲目とラストにしても、送ってもきっと御大にさんざんセンスないと罵倒されるのが目に見えているので(T_T)

☆森山良子「禁じられた恋」。小学校2年の時、遊びに行った川崎のプールで、歌番組の収録で彼女かこの歌を歌うのを聴いた。「今日吉田拓郎があるのは」と思うと感慨深い。しかし、その時森山良子は思い切り口パクだった(爆)。生まれて初めて、ちょっと大人の事情を覗いてしまった気がしてショックだった。だから私は小中学生のころ、森山良子のことをずーっと口パク女と心の中で呼んでいた。つづく。

☆シルビー・バルタン。この名前を聞いて、ある世代は歌手とはまったく違うものを思い浮かべる。「話ハ終ワッタ。我々ハ地球ヲモラウ」。いみふ。


☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆

「"今日までそして明日から"より"金曜日の朝"を選ぶセンスを持て」
                御意。御大あなたのライブ選曲もな(爆)。頼むぞ(涙)。

2018. 10. 14

 社長時代について語った一昨日の報知のインタビューのくだり…
「ザ芸能プロダクションの社長さんたちにも日参する生活を決断した」「渡辺晋さんや田邉昭知さんにはかわいがってもらい勉強もさせてもらいました。このお二方には足を向けて寝られません。」

 これまでなんとなく自分は、そういう拓郎に不満で泉谷しげるは「言ってることとやってることが違うじゃねぇか」と啖呵を切ってフォーライフを脱退したのだと思っていた。

 しかし、2017年の7月NHK「ごごナマ」に出演した泉谷しげるはこんなことを言った。

「(四人で設立したフォーライフについて)本当は吉田拓郎という天才の作ったものですね。彼のものですね。」
「彼のすごいところは先輩たちに対する尊敬の念があるという。割と無軌道に体制に逆らってとか歌謡界に逆らってやってるように見えるんだけどそれはあくまで表向きで、先輩やミュージシャンに対する尊敬が凄い。」

 このことから次のようなことがわかる。

 ・吉田拓郎は芸能界の先達たちに心から尊敬と敬意を抱いていた
 ・泉谷しげるはそんな拓郎を「凄い」と評価していた

 泉谷しげるは、芸能界と礼節をもって接する拓郎が不満だったのではなかった。

 しかし、続けて泉谷はこんなことも言った。

 「彼が社長になっちゃう。ミュージシャンが”会社ごっこ”…だったらいいんだけど本当の会社になるにはミュージシャンもやって会社をやるというのはいかがなもんかという感覚があった。社長になるんだったら辞めろと、歌手を。」

 ここから思うのは、

 ・拓郎は「会社ごっこ」と言われるのが辛かったと報知のインタビューでも語っていたが、泉谷は吉田拓郎の社長業が「会社ごっこ」なんかではない必死なものだとわかっていた
 ・でもそんなことしたらミュージシャン吉田拓郎が終わってしまうと思っていた

ということではないか。

 世間的には拓郎と泉谷の大喧嘩のように取り沙汰されたが、そこには泉谷の拓郎への愛がある。

 また泉谷は別のインタビューで何度か述懐する。

「フォーライフを脱退する時、吉田拓郎一人だけが辞めるなと言ってくれた」

 拓郎には拓郎の泉谷への愛があった。

 もちろん、こんなのはシロウトの憶測で実相などは結局わからないが、この二人は、そういうお互いの愛を言葉ではなく、言葉の行間でしか語れないのかもしれない。

…などと例によってイカレタことを考えながら、1996年9月のスーパーバンドのオープニングを観た。小田和正・泉谷しげる・吉田拓郎、三人並んでのアカペラ「君に会えてよかった」。カメラが後ろに回ると拓郎は泉谷の腰に手を回しており、泉谷は拓郎の背中に手をそえる。何度見ても胸が熱くなる。

 音楽で語るというのはこうことなのかもしれない。

2018. 10. 13

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 新聞を床に思い切り広げて眺めるこの幸福感。欄外には著名な提供曲が取り囲んでいる。さすが報知だから原辰徳のあの曲もある。吉田拓郎の歴史的なエピと今の心境が散りばめられている。カーテンレールの10万円は青春映画のようだし、社長時代の”社長ごっこ”と揶揄されつつの苦悩の逸話は何度聞いても胸が痛くなり、だからこそファンはそんな吉田拓郎を心の底から誇りに思うのだ。
 そして何よりチカラが漲る大見出し

「コンサートやる自信、体力、精神力持ってる」 俺もだ(爆)。

 で、床に広げられた新聞をみてに妄想は飛ぶ。この紙幅と大きさ「すごろく=双六」みたいだ。

「LIVE73実現すごろく」をやれというメッセージに違いない(爆)。
 「エレックの極貧生活」が「ふりだし」で、歴史的な数々のドラマを経て、来年の「LIVE73」を「あがり」とする大河双六だ。各自付箋を貼ったりしてアレンジしてみよう。前号とつなげるとさらに壮大だぞ。
 例えば
 ・史上初コンサートツアー実現、怒涛のように3つすすむ
 ・襟裳岬のレコード大賞、ジーンズに履き替えて2つすすむ
 ・社長になって音楽から遠ざかり2回休む 
 ・社長ゴッコといわれて凹んで2つもどるがメゲずにすすむ
 ・キャンディーズ「やさしい悪魔」大ヒットで2つすすむ
 ・原辰徳「季節の風の中で」提供、松〇千春みたいなタイトルに1つもどる
 ・森下愛子と夫婦手をとりあって4コマすすむ
などなど
 もちろんサイコロは2つ使用するのが鉄則だ。普通の双六と違って、ふりだしに戻るたびに全員で狂喜するアブノーマルな双六である。これなら、お子様も遊びながら自然に吉田拓郎が身につき、また気まずい雰囲気の親戚の法事のひとときも笑顔で盛り上がることでありましょう>ありえねーだろ
 
 そもそもご本人は「人の人生をゲームにしてんじゃねぇぞ」とものすげー怒るに違いないし、実際失礼なことでもある。しかし、この双六の道のりに、私らも多かれ少なかれ、自分の希望と人生を賭けたのだ。ファンとしては自分の人生とも重ね合わせ、これほど涙ぐみ胸に迫る双六はありますまい。
 それに私らファンと拓郎の生きざま双六にあがりはない。果てしなく続き、倒れたところがあがりなのだ。>富澤一誠かっ。

2018. 10. 12

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 打合せに遅れそうになって神田一橋界隈を急いでいると目の前に看板が。おお、魔の神田共立講堂だ。ああ、この矢印を曲がってみたい。わかっている。打ち合わせ先とは反対方向だし、時間もないし、曲がっても中に入れるわけもない。ああ、それでもどうしても曲がってみたい。いやファンとして曲がらなくてはいけない時がある。曲がった。…結局、遅れた(爆)。
 この看板は看板でありながら、上手く言えないが拓バカ発見機として機能している。この街は油断がならない。>それはアンタ自身の問題だろ

 それにしても来年の公開ラジオ。神田なのか、渋谷なのか。講堂なのか公会堂なのか。どっちだろうか。案外、しれっとNHKホールでやったりしそうだ。でもそれじゃ歌謡グランドショーだよ。

 心の底からどうでもいいことに迷い悩む人と書いてファンと読む。なんだそりゃ。

追記

あ゛〜、それどころじゃない、今日は「スポーツ報知」の発売日だ!


2018. 10. 11

 日本酒と牛筋煮込みをいただきながら、昔のラジオの貴重な録音を聴かせていただいた。すんばらしいが、大丈夫なのか、素敵なお店のコンセプトが変わってまうのではないか。
それにしても昔のテレビドラマの音とかもラジオで流していたのだな。ドラマ「おはよう」といえば若尾文子と天地真理だが、研ナオコも出演していたのか。この出会いが、やがて名曲「六本木レイン」につながるのか。って、つながってねーよ、たぶん。しかし、研ナオコは、のちに「明日の前に」もカバーしていて、これもすんげー上手い。マチャアキと双璧だね。というわけで「六本木レインcw 明日の前に」でシングル発売して欲しい。

 研ナオコといえば桃井かおりと出たドラマ「ちょっとマイウェイ」も好きだった。荒木一郎が作った主題歌「夜明けのマイウェイ」も超絶名曲ばい。あと、志村けんとの夫婦のコントも忘れちゃならない。なぜか研ナオコに飛ぶ気持ちが自分でもわからん。実は好きなのか。だからシャッターを押さない。いみふ。

2018. 10. 10

 横綱輪島というと、現役時代の雄姿はもちろんだが、御大のディスコ仲間と"まわしをかじりたい事件"を思い出す。その場面を観たわけではないが、長髪カーリーの吉田拓郎とディスコでブイブイ踊りまくっている姿を勝手に思い浮かべてしまう。ものすげー絵だったろうな。輪島さん御冥福をお祈りします。

 中島みゆきの「怜子」って、オープニングのポエムのあとのいきなりの絶唱が当時高校生には怖いくらい衝撃だった。しかし、聴くうちに、ああメロディーがすんげ―拓郎節だ、カッチヨエエと思ったものだ。

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2018. 10. 9

 ラジオでナイト第75回で聴いた「太陽がいっぱい」をもう一度聴きたくてネットで検索したら「森昌子が日本語歌詞で歌う太陽がいっぱい」「大正琴で聴く太陽がいっぱい」とかいろいろ出てきて驚いた。歌詞がついていたのだな。名曲は、歌詞をつけて歌おうと、大正琴で弾こうと大丈夫だという耐力試験を見せられているみたいだ。昔、同世代の人ならわかるだろうが「象が踏んでも壊れないアーム筆入れ」というCMで象で踏まれてもほーら大丈夫って、あれみたいだ。失礼すぎるか。すまん。

 同じニーノ・ロータの「ゴッドファーザーのテーマ」も歌詞をつけて尾崎紀世彦が歌っていたが、子供だったので気にしなかった。しかし、後年、映画「ゴッドファーザーV」の劇中でマイケルの息子がコルレーオネ家に伝わる歌ですといって、いきなり「ゴッドファーザーのテーマ」を歌い始めたシーンはちょっと引いてしまった。感動的なシーンに違いないのにすまん。しかし、私には例えばオバケのQ太郎の劇中でオバQが自分の主題歌を歌うみたいでとても微妙だったのだ。

 最近では「渡る世間は鬼ばかり」のおなじみのインストテーマに詞がつけられ天童よしみが歌うのを観てショックを受けた。しかもギターは山本コータローだ(爆)。もしそのうえコータローが歌詞先導でもしたら私は確実に失神していたと思う。

 不肖私はインストゥルメンタルの曲に詞がつくということがダメらしい。あくまで個人的な感想なので許して欲しい。

 但し、例外はある。これも前回ラジオで話に出た「ああ青春」。リアルタイムでは最初は「俺たちの勲章のテーマ」としてインストで聴いていて、後に歌詞がついた「ああ青春」という歌だと知った。「なんじゃこの詞は」とはじめは思った。松本隆によればメロ先で、数え歌のような詞をつけてくれと後藤由多加に頼まれたとライナーに書いてあった。木綿のハンカチーフのヒットのちょっと前だし、松本隆もこの頃はまだ大変だったのだろうか。
 しかし、つま恋、篠島というメモリアルな大舞台で歌われたことで、メロ先の違和感など見事に吹き飛んでいる。そのライナーで松本は続ける「拓郎はよくそういうことをするのね。なんでもない曲を凄い場面で歌って忘れられない曲にしてしまう。この歌(ああ青春)もそう」。
 それをまさに「入魂」というのだと思う。魂こめた拓郎の歌唱が歌に命脈を与えたのだ。

 なので、森昌子も天童よしみも歌うのなら入魂で歌い続けて欲しい。ゴッドファーザーのテーマも歌詞付きでCDにして、1番をアル・パチーノ、2番をロバート・デ・ニーロで、シンシア/竜飛崎のように歌い上げて欲しい。いかん、ひとつもそうして欲しいと思っていないのに流れで書いてしまった。

2018. 10. 8

ラジオでナイト 第75回 2018.10.7
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 吉田拓郎です。今年のように苦しく怖い夏ならいらない。冬も嫌だが、コートを着て温かくすればいいが、夏は逃れようがない。
 若い頃は、夏が好きで必ず日焼けしていたし、夕方はビアガーデン。そんな大好きな夏が、こんな命にかかわることになってしまうともう冬になってほしい。大雪は困るけれど、若いころはあんなに夏が好きだったのに、こんな猛暑、豪雨、台風となると。日本には四季、春夏秋冬の変化があるが、それはもう過去のことだ。
 先日も小田和正と「地球が変だ」とメールでやりとりをした。みなさんは、どの季節が好きでしたか?僕は夏が好きだったという過去形でしか言えない。麦わら帽子もねえさん先生も今の夏ではない。想い出過去形の夏。

 テレビでアラン・ドロンの特別インタビューを観た。80歳を過ぎでも、心はハンサムで二枚目でモテ男。自分で、世界の恋人という自負を言っていた。とても言えませんね。歳をとってから。モテてたよ言い切れる。さすがアラン・ドロン。フランスでも人気だが、日本での人気が凄かった。ジャンポール・ベルモンド、ジャン・ギャバン 、カトリーヌ・ドヌーブと、フランス映画の流行した時代があった。
 ルネ・クレマンの「太陽がいっぱい」でのアラン・ドロンは、野心的で悪魔的で、それでいて孤独感があった。あの表情、あの着こなし、上下左右どこから観ても、女性はもちろん男である僕もいい男だな、こんなになりたいなと思った。こんな俳優は、他に見かけない。
 今でもライアン・ゴズリング、ライアン・レイノルズとかハンサムな俳優はいるが、彼らとは違う。アラン・ドロンは、80歳になって、あごの下にはぜい肉タルタル、おなかも出ていた。それを観ながらアラン・ドロンの人生はどんな人生だったのかと思った。あの映画の中の魅力。そしてサントラのニーノ・ロータの曲がまたいい。

M-1 太陽がいっぱい

 アラン・ドロンにはどこも似ていなかった吉田拓郎のラジオでナイト。

■オープニング
 アラン・ドロンは俳優業を引退したらしいね。ロバートレッドフォードも。監獄の映画があって、今度それを話したい。

 今日のリクエストは、僕も青春がうずく

<シャボン玉ホリデー、ザ・ピーナッツが歌うスターダストにのせて最後ハナ肇に肘鉄というシーンが忘れられず、ピーナッツをリクエストするという投書>

 当時、僕は、どっちかわからないが妹が好きだった(笑)うずく感じ(笑)
リクエストに応えて。

M-2  恋のバカンス  ザ・ピーナッツ

■CM明け

 ひとりっこ・兄弟のテーマ。小さい頃、兄貴からよく、〜兄貴とは14歳違うんだけど〜、兄が名門鹿児島ラ・サールに行ってた頃だから、3、4歳だったのかな、「拓ちゃんは、声が高くてうるさいんだよ」とよく言われていた
 広島に移住して、間借り暮らし、兄は東京で、母、祖母、姉と四人で、いわゆる大家さんと暮らしていた。大家さんから、おたくのお子さんは声が大きくてうるさいから出て行ってくれと言われたのを覚えている。

<淋しかったり、兄弟ほしかったりと思ったことがない、ひとりっこ、相手が必要なゲームが買えないくらいで、ひとりでいいんだ、共同生活がかえって苦痛だという投書>
 孤独なやつだな。そうか、全部自分のものだしね。すき焼きでもゆっくり食える。そういう人はいるかも、お気楽でいいかもしれない。

<FromT で初めて拓郎さんのCDを買った、殆ど初めて聴く、歩こうね、朝陽がサンとか元気が出るし 温かい詞がいいという投書>
 今回はじめてということは、他には一枚ももっていないのね。気が付くのが遅かったね。そんなことはないか、他のアルバムも買いましょう

<名古屋での実現してくれというという投書のつづき>
 宇都宮に行くぞと一と先週言ったが、今週は、名古屋は行くぞ(拍手)、名古屋起立。
名古屋センチュリーホールがとれた(笑)。宇都宮と名古屋。主催者は泣いている。こんな小出しにして、どっと行きましょうって言ってたのに。でも小出しだよ。
 名古屋なんてあなたどうする。日帰りじゃなきゃ行かないと言ってたが、自動車で往復  その日のうちに家に帰ってご飯たべて寝たい。でも一泊になるかな。夜遅く走るか。とにかく待っててね。


提供曲

今週は、とんでもない選曲
5位 僕のエピローグ
>詞も曲もなんにも浮かんでこない。「地下鉄にのって」じゃないのか。最終的には入らない。
4位 ああ青春  トランザム
>こういうのは毎週出てきていいのに、つま恋のオープニングだったし
このトランザムのビアので始まるバージョンが好きだ
3位 我が良き友よ  かまやつひろし
2位 やさしい悪魔   キャンディーズ
1位 たどり着いたらいつも雨降り  モップス

 吉田拓郎の順位を繰返すと、僕は1位はメランコリー、2位 襟裳岬、3位やさしい悪魔そして4位に六本木レインいいか、六本木レインだぞ。5位たどり着いたらいつも雨降り6位いつか街で会ったなら7位は意外なところで”ドンファン”、8位がルームライト、9位が我が良き友よ、10位が「君住む街」意外や意外、今でも聴きながら寝ると気もよく寝れる。

 今週までの累計。殆ど変わっていない。

5位我が良き友よ
4位ああグッと
3位たどり着いたらいつも雨降り
2位やさしい悪魔
1位風になりたい

 そうかな、みんな。演奏の仕上がりとかアレンジが素晴らしいとかボーカルが歌にはまっているかとかそういうところで選んでほしい。これなんか、レコーディングも「せーの」だし、ボーカルも、もうちょっとだったんじゃないの。


■勝手に選ぶ日本の歌50選

「れ」
意外とあるけれど、みんな無理がある。

「怜子」中島みゆき
 >僕は陽子が好き(笑)
「レイニー・ブルー」  徳永英明
 >有名だよね
「れんげ草」  ビリー・バンバン
 >弟の菅原進とよく六本木で柳田ヒロと飲んだことがあった
面白い人で、車運転してて信号で止まるとわざわざウィンドウを開けて、♪きみはおぼえているかしら〜と白いブランコを歌う。
「レッツゴー・ライダーキック」
 >全然しらない。仮面ライダーって観たことがない。
「レールが鳴ると僕らは旅がしたくなる」吉田拓郎
>ほっといてくれ

5位  れんげ草  ビリーバンバン
4位  「レールが鳴ると僕らは旅がしたくなる」吉田拓郎
3位  怜子   中島みゆき
2位  レイニーブルー  徳永英明
1位   レノン症候群  吉田拓郎

Mー3   レイニー・ブルー 徳永英明

■マイフェイバリット
 広島でロックバンドをやっていて、R&Bとかを中心にの四人編成で演奏していた。そこに突然(ボブディラン  風に吹かれて)。
心の中にポッとこの曲が入って来た。友人の神庭君が聴かせてくれて。ガッツンと来たというより、なんなんだこりゃと思った。
 東京に行くきっかけもディランの風に吹かれてだった。とにかくギター一本で、フォーク何てどうでもよかったら、なんだこりゃ野暮ったい、ロックを演っていたところになんだろうと思ったものだが、結果的にズルズルとひきこまれていった。

 そして、アルバムの訳詞を読むほどにそのオリジナリティにノックアウトされた。それまでのアメリカンポッスは、wohwoh yeahとノー天気な愛しているを繰り返すラブソング
ばかりだった。そういう歌詞と全然違う。答えは風の中にある。なんだこの新しさはと思った。
 そのディランがエレキを手にしてステージに立って、「やったね」と思った。
風に吹かれてとか(「くよくよするなよ」歌う)こんなのとかでなくて、ライクアローリングストーンをエレキで歌った日には、万歳だった。イギリスでもどこでも、ザ・バンドを連れてツアーをして、「あれはフォークじゃない」とブーイングを浴びるわけ。それがカッコイイ。ブーイング浴びても平然と歌っているところに痺れた。これこそロックンローラーだと思った。

 形からはいった一ファンだけれど、スタイルのみならずメロディーが素晴らしく、稀有の稀代のメロディメーカーだと思う。

M-4 風に吹かれ   ボブディラン
 これコピーしたよねハーモニカも。ディランの変化があって、「血の轍」か「ウォッチングタワー」とか宗教的で、神とか出てきてわかんなくなった。一途には追いかけられなくなった。

 スリーフィンガー(パフ)ってあったけれど、広島のギター教室で僕はスリーフィンガーをうまく弾けなかった。ピックでこうやって弾いていた(実演)。でも生徒は誰も弾けなくて、上達しなかったけどいい稼ぎになった(笑)。おかげでパンチという隣のパブで飲んでナンパしていた。

M-5 風に吹かれて   ピーター・ポール&マリー
こたえは風の中にある。MCでベイサイドバーにあるカウンターで三人組と会話してバーを出ていく吉田拓郎の話をしたけれど、出て行って風に吹かれてどうなったか、そのつづきを今度のライブで話したい
 次はスティービーワンダーのカバー、これが一番好き。

M-6 風に吹かれて  スティービー・ワンダー


■エンディング
・青春の歌謡曲
・提供曲
・兄弟ひとりっこ
・嫁姑
・似ているといわれて  
・日本  「キ」「ヤ」
吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆本当に地球はどうなってしまうんだろうと私なんかでも思う。そのどさくさにまぎれて日本もどうなってしまうんだろうとさらに切なく思う。80年のヤンタンで拓郎が口癖のように言っていた「日本がヤバい、世界がヤバい」は、今まさにこの時のことではないだろうか。

☆ニーノ・ロータのメロディーは、聴いているだけで胸がしめつけられて泣きたくなってくる。ゴッドファーザー然り。「ロミオとジュリエット」も耳から離れない。ああ美しかったオリビア・ハッセ―→布施明→バカヤローなにやってんだ→やっぱり許さん、とあふるる思いが止まらない。メロディーから離れてしまってどうする。

☆お兄さんの「拓ちゃん声が高くてうるさい」という話は微笑ましかったけれど、間借りで大家さんから声が大きいと言われた話は、ちょっと切なかったね。子どもながらに覚えているっていうことは、子どもも子どもなりに傷ついていたということだと思う。

☆そして名古屋。予測はされていたが、正式発表である。めでたい。そうか一泊の御宿泊の可能性もあるのだな。もし一泊がOKだったら、相当にエリアは広がるはずだ。ていうかほぼ全域行けるに違いない。とはいえ、はやる気持ちで先走りすまい。拓郎のいうとおり、宇都宮から名古屋までの一歩を大切に見守ろう。それに拓郎が開発した全国ツアーは2009年で終わったのだ。仮にライブが全国に広がろうともそれはかつての全国ツアーとは別の何かだ。なんだかわからないが、別の何かだ(爆)。コンサートツアーの先に御大が作り上げる何かだと思いたい。

☆提供曲の順位、御大は不満そうだ。だって「六本木レイン」だって、そう簡単には聴けないぞ。だからこそすべての提供曲をすぐに手に届くところでアクセスできるよう集大成盤にまとめておくことが大切だと思うのだ。って、しつこいが。

☆とりわけ「風になりたい」の首位が不満そうだ。先週も書いたが、2006年のインタビューで「提供曲の中で一番好きなのが『風になりたい』だ」と宣言していたではないか。
 それにアレンジも、一発録りの演奏もいいじゃないか。間奏のメロディーもそれだけで心にしみる。ボーカルだってそうだ。確かに、素晴らしいシンガーが何人もこの曲をカバーしている。しかし、最近もライブで何度か聴いた経験から言うと、やっぱり川村ゆうこ本人の歌唱はピカイチだよ。川村ゆうこは、昔から”フテクサレたねーちゃん”というイメージがあるが、それでも思い切り魂が入っていて、聴くたびに涙が出そうになる。むしろ、打ち込みのいまいちな演奏、淡々としたボーカル、一番決まってないのが御大あなたのバージョンだ(爆)。断じてディスっているのではない、拙者、殿のために涙浮かべてご注進申し上げているのだ。どうかライブで吉田拓郎バージョンを歌い直してくだされ。

☆レッドフォードの映画は「ブルーベイカー」だろうか。さすれば私の青春だ。御大の映画紹介は、いつも結末までしっかり喋ってしまうが(爆)、それでも観たいなと思わせてくれる。楽しみだ。

☆「あいつはフォークじゃない」「帰れのブーイング」そんなところまでディランと御大は重なっている。ザ・バンドは、ブーイングで荒れる客のボディガードとしての意味があったとされる。拓郎でいえばさしづめ愛奴だ。

☆奥ゆかしい御大はおくびにも出さなかったが、「風に吹かれて」のベストテイクは、1982年の王様たちのハイキングツアーのアンコール、極悪バンドとの演奏ではないか。魂が蒸気したような会場で、御大は笑顔でゆとりかましながらロックの風に吹かれてを聴かせてくれた。素敵だったぜ。もう一度聴きたいよ。

☆46歳にしてはじめて吉田拓郎のCD=From Tを買ったというリスナーのメールが良かった。まさに「これからはじめて吉田拓郎を聴く幸せな人へ」という感じだ。そういう幸せな人が、このヤバい地球に少しでも増えますように。柄にもなく祈りたい。

☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆☆
    吉田拓郎はスリーフィンガーが苦手なのか。
        だからあんなに高田渡のスリーフィンガーを美しいと絶賛したのかもしれない。

2018. 10. 7

 昔、えのきどいちろうが新聞のコラムに桑田佳祐の発言のことを書いていた。
「日本人はカンが悪い。吉田拓郎はアメリカだったらもっともっと尊敬されている」
あっぱれ桑田佳祐、よくぞ拾った,えのきどいちろう。銘言に感謝。

 これがアメリカだったら”From T”は、もっともっと愛され、グラミー賞の最優秀アルバム賞を余裕で受賞するに違いない。授賞式でマーティン・スコセッシとかがプレゼンターで、
「かつて砂漠だった町が世界のラスベガスになったように、彼は砂地にホースで水を撒きつづけ、やがてこの世界を豊かな音楽で満たしました。こうして彼を紹介できることを大変名誉に思います。グレイテスト、タクロウ・ヨシダァァァ」(翻訳・額田やえ子)
 授賞式のステージにジェニファー・ローレンスにエスコートされて登壇した御大に、割れんばかりのスタンディングオベーション。
 そして御大は声高らかに叫ぶのだ「T.Y,T.Y,T.Y ファースト!」…ってそれ思い切り違うだろぉ。申し訳ない。
 もっともっとたくさんの人に聴いてほしいぜ。

 今日も十分にイカレているぜ。

※お詫び
 額田やえ子さんの訳というのは事実ではありません。>あったりめぇだろ

2018. 10. 6

 昨夜は、原田芳雄に聴き入ったお店へ再び。マスターとのいろいろなご縁に驚いた。若い頃に椎名誠に憧れて弟子になりたかったという雨畑はさぞ感慨深かったろう。しかしそれだけではなかった。マスターの好きな曲を流してくださいとお願いしたら、突然何の関連もなく”吉田拓郎”の名前が出てきて、それでもって「あの娘に逢えたら」〜「乱行」〜「ファミリー」〜「知識」〜とマスターのツウな選曲が怒涛のように続いたのには心の底からびっくらこいた。毎週月曜は仕込みをしながらラジコで「ラジオでナイト」を聴くのが日課だそうだ。思い出も熱かった。
 吉田拓郎に遭遇したという人の話は例外なしに聴いているこっちも胸が熱くなってくるしドキドキする。どの人が体験した吉田拓郎も、素敵でカッコよくてタメ息が出る。そうか、振り返ってくれたのか、声をかけてくれたのか、分厚い手だったのか、御大のオーラが見えるようだ。今読んでいる村上龍の本には、すべてオーラなんてものは思い込みと錯覚だと書いてあったが、それはそのとおりだと思う。吉田拓郎以外はな(爆)
 本当はその店で、運命のひとひねりのような今週の出来事をかみしめて静かに落ち着くつもりだったのが、さらに気分が燃え立ってしまった。いろんなことに感謝したい1週間だったが、この店に出会えたこともそのひとつだ。

 そういう今週の日記で書き忘れていたのはラジオでナイトで拓郎が選んだ提供曲に「君住む街」が入っていたことだ。この曲を10位に入れてくれた。ホントだ3連だ。

 81年ころだと思う。杉田二郎が自分のラジオで「吉田拓郎が作ってくれまして」と言って、ギターでコレを歌ってくれたのだった。軽井沢で拓郎と作った時の様子も話してくれて、初めて聴く歌に涙が出そうだった。御大、なんでもない詞だなんてオレは思わないよ。確かに杉田二郎の声と歌唱は素晴らしくて、行間まできちんと歌い込んでくれている感じだ。

 かつて無謀にも自分の持ち歌にしようと歌ってみたら無残なことになった。Tシャツ短パンサンダル履きでマッターホルンに登ろうとしたようなものだった。重装備にしたから登れるもんでもないが。名曲は静かに聴き入るべし。
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2018. 10. 5


ユーミン全曲配信のTVCMを観た。


  これからはじめて
  ユーミンを聴ける
  幸せな人たちへ。



なんとすばらしいコピーなんだよ。あぁヤられたと思った。
置き換えるとふるえる。


  これからはじめて
  拓郎を聴ける
  幸せな人たちへ。



 配信がどうかはわからないが「全曲」というところがいい。
なので、本曲はもちろん提供曲も全曲公開でゆこうではないか。
未来に向けるとき、王道から崖っぷちまで広く散在する提供曲。
セレクトしたり制限するべきでなくすべてを投げ出すべきだ

 彼らは未来に向かって蒔かれた種なのだ(「漂流教室」楳図かずお)

なぜユーミンで始まったのに、楳図かずおで終わる(爆)

2018. 10. 4

 飛び込みで入った居酒屋。ご主人1人で切り盛りし、日本酒がうまくて器が美しい。常連さんとご主人とのやりとりでシャルル・アズナブールが流れ、つづいてどういう経緯だか原田芳雄のライブ音源をフルで聴かせてくれた。まったく詳しくはないが、原田芳雄→「赤い鳥逃げた?」→たどり着いたらいつも雨降りを歌って警官に撃たれちゃう”たくろう”→助監督長谷川和彦→広島の先輩→はっ、天敵だったよな、と夢想の連鎖が転がった。
 しかし、そんなこざかしい事はどうでもいいくらい、原田芳雄さんのボーカルがすんばらしかった。恥ずかしいが、こんなにも声がのびやかで歌が上手い人だとは知らなかった。聴き惚れた。御大と同じ天性の歌い人だ。ああ、詮無き事だが「制服」とか「おきざりにした悲しみは」とか「七つの夜と七つの酒」あたりを歌われたらどんなに凄かっただろうと妄想しながら聴いた。その他にもいろいろあって、小さな冒険が始まりそうな予感のする店だった。

2018. 10. 3

 79年のセイヤングで倉敷のコンサートの話の際に「バンドの連中に『右に見えるのが大原美術館だ、よく覚えておけ!!』と説教してやりました」と語っていた。この御拓宣が忘れられずに、私も後に「大原美術館」に向った。御大、その自分が名前を忘れるなよ、ナントカ美術館じゃないだろ@ラジオでナイト第74回。

 また2006年3月、吉田拓郎・九州四国シリーズの愛媛に、こっちはライブ観戦、向こうは道後温泉ということで、今は亡き義父を連れて行った。
 松山の商店街で義父は「労研饅頭(ろうけんまんとう)」という看板の前で足を止めた。いわゆる「蒸しパン」みたいなものだ。これは、義父が幼少の頃、満州つまりは中国・朝鮮に家族で赴任していた頃に現地で食べていたものがルーツらしい。その懐かしい味に涙ぐんで食べていた。ということは、吉田家のみなさんも当時、これを食されていたのだろうな。
 調べると、この中国・朝鮮の食べ物を日本の労働者の栄養補給にということで大原美術館の創設者大原孫三郎氏の主催する大原労働研究所が、日本に持ち込んで「労研饅頭」として普及させ、松山に根付いたらしい。
 義父は亡くなるまで何度も「吉田拓郎さんの音楽会のおかげで松山で温泉に入って労研饅頭を食べられた」と喜んでくれた。来年は宇都宮で音楽会をするらしいですよ、お義父さん。
吉田拓郎の音楽会の素晴らしさがこういうところにもある。
 倉敷、大原美術館、愛媛、朝鮮、労研饅頭。すべて吉田拓郎が結んでくれているではないか。かくしてすべての道は拓郎に通じる…といういつものイカレた結論に落ち着くのだが。
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2018. 10. 2

 ちょっと昔の本を読んでいたら奥付に「検印」が押してあって妙に感動した。昔は気にもしなかったけど、印鑑と切手みたいな検印って、本の末尾によく貼ってあったよね。今は、ほとんどの本は著者検印が省略されているけれど。シロウトが考えても、きっと出版社の手間とかコストが大変なんだろうねと察しがつく。しかし、検印をよく見て考えると、著者と読者との個別の繋りのようなものを感じさせてくれる。

 作り手さんの手間を考えろと!怒られたら謝るしかないけれど、無責任に言ってしまいたい。検印復活。それにCDにも検印導入でどうだ。
 だって考えてみ、"From T"のライナノーツの最後に


吉田
って検印が押してあったらどうよ。ものすげ嬉しいじゃない。レンタルで済ませたり、ダビングしちまえという気にはならないでしょ。本当にTからの贈り物になっちゃうじゃないか。

 思いっきり思いつきだが、おかげで本もCDも売れ行きが増えたりしないかな。

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追記

「のらくろ武勇談」の著者検印が可愛かった件
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2018. 10. 1

ラジオでナイト 第74回 2018.9.30
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 吉田拓郎です。この番組のネット局が増える。第二の故郷で青春の広島の中国放送が復活。ベースボールのせいでしょう。今年は、やきもきさせられjました。どちらかというと2、3位争いが気になっていた。奥田民生には怒られるかもしれないが。メールで鈴木誠也と丸はイイ選手だと書いたら、そうなんですよと返事が来た。でもカープ好きなのは内緒な、と書いたら「ああ内緒ですか」(笑)と返事が来た。   
 もうひとつが岡山の山陽放送。はじめまして。広島、岡山・倉敷はよくコンサートで行った。倉敷は素敵な環境だった。なんとか美術館(大原美術館)も近くの非常にいい環境にある。ひとつ覚えているのは、夜8時40分ころにコンサートが終わって、どれだけ急いでも追いつかない客足の引きの速さ。お客さんが、余韻を楽しんだりしないのか、あっという間にいなくなる。はけてしまう。

 広島、岡山、それから鹿児島。ここいらで放送が流れてないから自由な発言ができていたんだが、これからはここでも流れるとなると口ごもる場面も多くなるのではないか。東京単でもいい(笑)

 最近の新聞のラテ欄にあれ?と思っている人がいるかもしれない。今までは番組の予告があったが、やめてくれと言った。週刊誌の見出しみたいなのはいらないと。週刊誌の見出しみたいに「黄色いテレキャスターが当る」とかいうのはやめよう。
 そうしてラテ欄の記載が何も無くなってみて、本音を言うと寂しい(笑)。何もここまで消さなくても。一言くらい「今週もやります」とか。・・・イヤ、イイです。慣れましょうラテ欄に。ラテ欄に何も書かなくてもこの番組は毎週何かをやるんだから。

 ライブのスケジューが出来上がって来た。内容について、来年の何月にどーんと発表しましょうと事務所のMくんが言うんだけれど、オレは毎週小出しに言うよと言った。
7か所。
 ひとつだけいう。宇都宮。宇都宮市文化会館。最近行っていない、行くよ。いつ行くかは今度いうね。宇都宮に行くよ。

 新聞読んでいて、この番組にたくさん応援してもらって、メール、ハガキ読むのが大変だけれど全部読むよ。みんなラジオの面白かった時代を理解している。こうやってやりとりしてキャッチボールするというのが、浸透している。僕も投げるので、投げ返してほしい。

 ことわざで「秋ナスは嫁に食べさせるな」というのがある。嫁姑のことわざで、秋ナスはとてもおいしいので嫁なんかにたべせるなという姑の意地悪という説と
 夏野菜のナスは身体を冷やす、それを秋になって出産を控えている嫁に食べさせるとよくない、冷えすぎないようにという説がある。どっちだと思いますか。

 僕もウチの兄貴の結婚で、母は兄を溺愛していた。お嫁さんについては姑を発揮していた。まー悪口言うんだ、よくそんなこと言えるなというくらい。いびってました(笑)。息子には甘いんだよね。これはみんなと話してみたい。

 幸い嫁姑を関係しないですんだ吉田拓郎のラジオてナイト。

■タイトル

 青春時代のリクエスト。これは聴いたな(きみにはきみの夢がある〜若い二人のことだもの)。
 北原謙二の鼻にかかった声が好きだった。この人がカバーしたカントリーのノースウィンド、これが好きだったんだな。よく聴いたものだ。

M-1 若い二人   北原謙二

※台風24号の報道  唄が聴こえない

■CM明け

<運動会で栗ご飯のおにぎりが思い出という投書>
 貧乏な鹿児島ではもっぱらサツマイモで栗ご飯は贅沢。サツマイモばかりでサツマイモが怖くて当分イモは食いたくなくなった。
 最近になってサツマイモの味噌汁を作ってもらったんだけれど、うまいなぁぁぁ(笑)甘味が出るんだな。日本も貧乏な時あったんだな、そういうことをいう年齢になってしまった。

<高校の母のお弁当、おかずとふりかけごはん半々という投書>
 ウチなんか前の晩の残り物。絵的に貧しいんだよ。こんなの嫌だと残して帰ったら、母が怒ったね。母の愛情がわからんのかと母が泣いたが僕も泣いた。裕福な子は、弁当にウィンナー、目玉焼きと色がキレイだが、こっちは残り物の魚とか。
<運動会の時おにぎりという投書のつづき>
 家にいるときは必ずおにぎりだね。梅干しだけのシンプルなものだけど、お米を茶碗で梅干しと食べるのとおにぎりにすると違う。なぜおにぎりは美味しいんだ。手から味がでるのか。

<「最後のラジオ」というのはやめてという投書>
 僕はいいなりにならない。これが最終章ときめている 若い頃から嘘をついていたので今正直に話している。
 音楽についても倒れるまでやる。アルバムとステージをつづける。ステージはいつまでやるんだ、結論がでない。とにかく一歩ずつだ。
<武部さんが来年ツアーだと公言していたという投書>
 次のステージについて武部が喋ったらしいな。武部、俺がせっかく小出しにしているのに、言うなよ。

<山登り乗馬が好きという投書>
 山登りは嫌い。広島時代にナンパしてデートに山に誘ったことがある。山だよ。そんなことしかないんだよ。一週間前にも自分で登って、このへんでチュー、このあたりで押し倒して、って犯罪だよ。駅で待っていたら当日来なかったという。  

 映画「幕末青春グラフィティ」で馬に乗るシーンがあった。馬って乗ってみると高いんだ。景色が変わる。そして怖いんだ。高杉晋作ですから、馬に乗って「すすめー」とデカイ声を出したら、馬がオドロイて立ち上がろうとする。怖くて、
 落ちないように馬の首に抱き着いた。監督から「拓郎さん高杉晋作が馬を怖がってはダメですよ」といわれて、本番では、馬をおさえる人が二人いる。

<FromT にご尽力いただいた方々、もうひとふんばりして、今、拓郎さんが企画している提供曲の投票、あれをCD化してくれれば、 お宝になるし、またライナーノーツを書いてくださればお宝になるという投書>
 みんなが、FromTを喜んでくれて、僕が聴いているi-podを聴いて、イイと思ってくれているというのが嬉しい。(提供曲のCD)飯田さん勘弁してくれという顔しているかな、今度は一曲一曲違うからね。あ、でもエイベックスの飯田さん、真剣に考えているね。

 さて提供曲。黄色いテレキャスターをプレゼントすると今日の放送から聴いた岡山の人とか太っ腹な番組と思うだろうね。勢いで言っちゃったんだ。
 
 ベスト5を選ぶには、好き嫌いはもちろん、アレンジがよくできているな、とか歌手がうまいなとか、詞と曲マッチしているな、特に乗って歌っているなというところを見抜いてほしい。

 9月30日の一週間のベスト5から。

今週は、

5位 狼なんか怖くない 石野真子
>僕は「私の首領」の方が好き。
同率5位は 我が良き友よ 
>詞と曲マッチしている、ボーカルがどうよ(笑)
3位 歌ってよ夕陽の歌を 森山良子  
同率 ああグッと  近藤真彦
2位 風になりたい  川村ゆうこ
>しつこいね
1位 やさしい悪魔  キャンディーズ
>拓郎さん納得。 詞、曲、アレンジ、ハーモニーすべてがいい。


ここまでの累計

5位  メランコリー   梓みちよ
>いい曲だよ。「拓郎どう歌うのぉ?」って聞かれて、怖いんだよあの人。「緑のインクでぇぇぇぇぇとうまく歌わず、緑のインクでぇと軽くサラっと歌ったお願いした。かなりヘタクソに歌って凄くいい。
4位   ああグッと
>トータルで4位。言った甲斐があった。コレはアレンジもいい。

3位 たどり着いたらいつも雨降り  モップス
>アレンジも演奏も鈴木ヒロミツのボーカルもいい
2位  やさしい悪魔
1位  風になりたい   川村ゆうこ
>うーん、そうかな。

吉田拓郎が自分なりに考えた結果

アレンジとかボーカルのノリとかで考えて

1位 メランコリー    梓みちよ
>アレンジ、ボーカル、詞と曲とマッチングが一番好きなのはこの曲でよくできているし梓みちよがうまい
2位 やさしい悪魔    キャンディーズ
3位  襟裳岬    森進一
 >最初このイントロのトランペットにひっくり返ったが、それは僕の演歌に対する認識不足だった。後日、これしかない、これが襟裳岬だと思うようになった。この岡本おさみの歌詞をよく歌いこなした。キャロルキングみたいな原曲だったんだけど、見事に違った出来上がりになっている。
4  六本木レイン  研ナオコ
>♪六本木レイン、レイン、レインが頭から消えない。アレンジも詞もメロディもいい。
5 たどり着いたらいつも雨降り  モップス
6 いつか街で会ったなら  中村雅俊
>好きな作品。喜多條の詞が、たぶん原宿だろうけれどもそこを書いたものが多い。
7 ドンファン  神田ひろみ
>松本隆が原宿で飲んでいる吉田拓郎をイメージしたというが、馬飼野康二のアレンジもいい。若い神田ひろみが、むつかしい歌を歌いこなしている。
8  ルームライト   由紀さおり
>木田高介のブラスアレンジがいい。岡本おさみのこの詞をよく歌いこなした。♪ルームライトにぃぃぃのところが好きだ。
9  我が良き友よ   かまやつひろし
10  君住む街   杉田二郎
>アレンジがいい、三連だけど、二郎がうまいんだな。歌謡曲一歩手前でうまーく歌ってくれている。詞は僕が書いてなんでもない詞なんだけれど、メロディーとばちっとハマっていい。


■勝手にえらぶ日本の唄50選
黄色いテレキャスター
テレキャスターの「て」と「れ」

♪てれてジンジン 竹本孝之
>知らない ごめん
♪天使のウィンク  松田聖子
♪手紙  由紀さおり
♪手紙  拝啓15のキミへ   アンジェラアキ
♪テネシーワルツ  江利チエミ
>古いな(歌う)
♪天使の誘惑  黛ジュン
>ああ、あったな、好きだったな。夕月とかも良かった。
♪てんとう虫のサンバ   チェリッシュ
♪天までとどけ  さだまさし

5位 天使ウインク
4位 天使の誘惑
4位 てんとう虫のサンバ
2位 てのひらを太陽に
>知らない 童謡?
1位 手紙
>一位は圧倒的多数
台風情報

M2 手紙  由紀さおり

来週は「れ」
その次は「き」と「や」

■エンディング
・提供曲
・おにぎりと手作りの弁当
・嫁としゅうとめ
・似ているといわれた芸能人
・れ   き   や
吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆台風の中の大放送。おかげで「若い二人」と「手紙」は、緊急速報で殆ど聴けなかった。
☆嵐と突風で家が吹き飛ばされるかと思ったが、そんな時でも私の魂は身体を離脱して宇都宮を彷徨っていた。

☆そうか小出しにするのか。アカデミー賞かグラミー賞みたいに、毎週森野さんが持ってきた封筒を開封して一箇所一箇所会館を発表すればよい。

☆それにしても宇都宮か。頑張ったな御大。少しずつ陣地を拡大するように遠征が伸びてきている。一歩ずつ、そして結果として全国ツアーに近づかんことを。

☆提供曲のCD化はとてもいい提案だと思う。しかし、なんと言われてもいい、私は涙ぐみながら駄々っ子のように叫びたい。

 提供曲は、一曲残らず集めて「提供曲大全」として全曲入りBOXとして出してくれ。頼む。
 セレクトされたベスト提供曲CDを作ったところで森進一、梓みちよ、キャンディーズ、モップス、中村雅俊、研ナオコ、放っておいてもこれらの作品は後世に残るだろう。
 しかし、まさに消えなんとし、崖っぷちから落ちようとしているマイナーな名曲たちの数々があるのだ。吉田拓郎の渾身の子供たち、全部出してくれ。デキのいい子、人気のある子だけを助けようなんてしないでくれ。投網をかけて全員を救おう。一人残らず助けよう。今が最後、これを逃したら本当に消えてゆくだけである。いいのか。
 一曲ごとにあらゆる垣根を超えなくてはならず大変なのはわかる。しかし、それがなんだ。文化財の保護の尊さの前に知ったことか(爆)。いや、私が手伝ってもいい。
 例えば、いにしえの人々が、ピラミッドや故宮博物院や正倉院に入れる財物を"全部入れるの面倒くさくて大変だから、大事なヤツだけみつくろって入れとこうぜ"といったら、今の歴史はなかったのである。それくらい大変なことである。
 順位つけてセレクトしている場合ではない。マンボウだって3億のたまごを産むのである。‥‥‥これは関係ないか。

 とりあえず全曲をBOX全集で拾って、あらためてそれらを聴き込んでから、本当のベスト5を作ろうではないか。

☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆

提供曲で「風になりたい」が一番好きだと本人が明言していた2006年
      好きもベストも変わりゆくなら、とりあえず全部残そう 話はそれからだ

2018. 9. 30

 縦断台風の被害が少ないことを祈るばかりだ。そういえば昔の音楽界・歌謡界は、コンサートツアーのことを全国縦断ツアーとか言っておったな。全国ツアーというものがいかに凄いものかという意識があったのだろう。かえすがえすもコンサートツアーの始祖・吉田拓郎の功績は大きい。起立!!! そんなことを言ってる場合ではないか。
 そんなこと言ってる場合ではないと言いつつ「森永チョコフレーク」が製造を終了するとのニュースに衝撃を受けた。

 ここ何十年間食べていないものの、子供の頃、大好きなお菓子だった。美味しかったし、確かミニスカートのツイギーみたいなおねーさんが踊るCMがあって、微妙な欧米感、おしゃれ感があった。遠足に持ってゆくとリュックの中で背中の体温とお弁当の熱で、溶岩のような固まりになってしまったが、それもまた好きだった。
 ただひとつだけ残念だったのは、パッケージの大きさ割に、中味が超絶ちょびっとしか入っていない少量感だ。美味しさとともに、食べ始めるとアレもう残っていないの?という残念感と常にセットだった気がする。

 これとよく似た感じが後にあった。

 1995年の外人バンドとの”Long time no see”コンサートツアーだ。緞帳があがると拓郎の周りを欧米人のミュージシャンがズラリと取り囲んでいて感動した。もはや戦後ではないと思ったものだ。>いくつだよ。その素晴らしいサウンドに言う事なかったのだが、いかんせん、アンコールも入れてコンサートが僅か90分間弱で終了してしまったのには驚いた。えっ、もうこれで終わりな?のというすげー短かいコンサートだった。夜の7時前にNHKホールを放り出された。
 美味くてオシャレだけれどすぐに終わってしまう。チョコフレークとこのツアーは、私の中では、しっかりと通底していたのである。

 翌96年の外人バンドとのツアー「感度良好ナイト」は、演奏時間も2時間と長くなり、一方、チョコフレークにも徳用袋入りができて、問題は解決したと思っていた。

 なのに、そのチョコフレークがなくなってしまうなんて。上原ゆかりのマーブルチョコレートはまだあるのだろうか。そういえば春日井シトロンソーダはどうなんだ。あれで酎ハイ作ってみたかった。消えていくんだね。

 私が言っても何の説得力もないが、ともかく台風一過までご用心ください。

2018. 9. 29

 「From T」について書いているとあるサイトを読んでいて妙に感動してしまった。勝手に引用してすまんな。


 テレビで「つま恋'75」を観て興味を持ちレンタルレコード屋さんで「元気です。」と「人間なんて」を借りてきました。「人間なんて」はフォーライフからの復刻版でした。何も知らないので、今いるフォーライフよりCBSソニーの方が古いよねって事で、カセットのA面に「元気です。」B面に「人間なんて」をダビングすることにしました。カセットはSONY。「王様たちのピクニック」http://blog.o-picnic.net/2018/09/post_1792.html

「あ、コレいいな」と思った感動を頼りに、自分で考え、間違えたり、初めて知って驚いたり、あれこれ手探りしながら吉田拓郎の世界に入ってゆく。ああ、そんな日々があったよね。拓郎はネットに真実はないというが、ひとりのファンのまぎれもない真実がそこにある。きっとそれはすべてのファンそれぞれにあるはずだ。
 自分の頭の中にも、当然のように「人間なんて(1971)→元気です(1972)→人間なんて復刻版(フォーライフ1979)」という時系列しか残っていない。
 しかし吉田拓郎という巨大な世界を前に、自分で順番を考えて、TDKではなくSONYのカセットA面とB面に分けて入れてみたという真実を前にして、正しい時系列や知識になんの意味があろうか。いや、あるだろうけど(笑)、正しい情報や音源などと並んで、その人の人生と拓郎とを結び付けるこういう事実だって大事じゃないか。そういう人生の事実とともに吉田拓郎の唄は生きるのだと思う。
 この管理人さんは、いうまでもなく老舗サイトを主催し、バハマのコンパスポイントに行ってしまうくらいのスーパー超絶拓バカだ。コンパスポイントに行ったというより運命に導かれてそこに呼ばれたというのが正しいと思う。
 しかし、それだけのスーパーファンになっても、初めてファンになったばかりの時のこんな些細な出来事や気持ちを今でも大切に持ち続けている。そのことこそが尊い。
 ラジオを聴いていると吉田拓郎も子ども時代の話、アマチュア時代のささやかな想い出をちゃんと大切に今にとっておいていることがわかる。以前「ER」で書いたと思うが、すべては愛と哀しみの“part of it”なのだ。そういうひとりひとりに眠っている話を聞きたいと最近とみに思う。

 そうこうしている間に、Ninjin design officeの雨畑からも「From T 聴きました」というメールが来た。発売一か月だぞ。遅い。山で芝刈りでもしていたのか。川で洗濯でもしていたのか。


 「一曲目『春待つ』で号泣。『落陽』も『外白』も『人生を語らず』も『今日までそして明日から』も、定番曲が入っていない。それなのに、これだけ素晴らしい拓ぼんワールドを魅せてしまう。すごい。でかした」
「ラジオでナイトがなかったら、このデモテープはこんな風にCDにならなかったよね。こんなすげーデモテープ、アタシだったらすぐに世界に自慢しまくるけど、拓ぼんは、何十年間もしまっておいて、たぶんこんなことにならなかったら、ひっそりお墓までもってっちゃうつもりだったのね。そういうところ本当に拓ぼんってすごいよね。」

 ホントだ。奥ゆかしいにもほどがある。それにしても「拓ぼん」てなんだ。

 アルバムについての評価や考えはそれぞれにあろうが、さすが吉田拓郎のアルバムは必ず、それぞれの人生にいろんな波風を立ててくださる。波風。感度良好波高し。ああ喜びも悲しみも幾年月。

2018. 9. 28

■Tからの贈り物  15 夕陽と少年

 「Long time no see」と同じ「夕陽と少年」でしめくくられる"Tからの贈り物"。
どちらも、とおーくバハマの海を見つめるながら終わる。

 結局、Long time no seeは@バハマで録音した作品Aバハマの勢いのままロスで完成した作品Bバハマを胸に帰国した東京で完成した作品の3種類があるのだな。この曲は、Bのようだ。

 完成品では、ドラム・ベースのリズムの自己主張がズシズシと強く、ボーカルも演奏もいまひとつしっくりなじんでいない感じがしていた。デモテープだとボーカルを含むすべての音がお互いになじんだひとつのやわらかいカタマリになって聴こえる気がする。デモテープの方がこの曲の姿がよくわかる。

 間奏のギターがここでも胸に響く。いいねぇ。本当にステージでももっとギターを弾いてくれよ。この作品に限らず、本編とは別のイントロ・間奏・アウトロのメロディーや演奏が頭から離れないことが多い。それは、松任谷正隆、瀬尾一三、高中正義らのアレンジャー&ミュージシャンの仕事なのかと思ってきた。実際そういう仕事も多いだろう。
 でも、こうしてデモテープを聴くと、御大自身が作曲し自ら演奏して描いて見せたものもたくさんあること知る。あれもこれもそう。ますますもって吉田拓郎のファンとしての歓びと誇らしさが深まる。

 行ったことのない遠いバハマの海を妄想していると、ふっと作品が終わり、このTからの贈り物も閉じられてしまう。ああ終わりなのかよ。18曲だったら、まだあと3曲も味わえるのにと詮無いことを思う。いつまでも浸っていたい。

 これも何度も言うが、私は当時コンピューターの打ち込みが大嫌いだった。こんな素晴らしいバンドがいるのに何だよと怒りをもて眺めていた。
 しかしライナーノーツでは、コンピューターがあることで、思いもよらなかったトランペットのソロを思いついたり、自由な発想とアプローチが得られたと語っている。そして、実際に御大の見事なデモテープ設計能力と表現能力に驚く。さらに異国のミュージシャンたちをも唸らせた。コンピューターで見事な設計図を引いていたのだ。
 吉田拓郎は機械音楽を目指したわけではなく、もちろんコンピュータのドレイになんかにもならず、その先にビッグバンドを始めとした素晴らしい生音の音楽の世界を見せてくれた。
 
  大学時代の退屈な先生の退屈な講義の一節を思い出した。
 「ローマ法によりてローマ法の上へ」というのが先生の口癖だった。法は守るべし、されど法のドレイになってはならない、法を使って法を超えた理想を目指そうという諺である……と思うよ、たぶん。ちゃんと聴いてなかったんで自信ない。
 「コンピューターによりてコンピューターの上へ」とあてはめてみると今になってよくわかった。コンピューターを敬遠せず、かといって服従もせず、これを自由な駆使して、よりクオリティの高い音楽を作り続けた吉田拓郎。ハラショ。おいらは何にもわかっちゃいなかったよ。ごめんね、御大と名前忘れちゃったけど大学のローマ法の先生。
 すべての道はローマへ通ず。かくして、すべての道は吉田拓郎へ通じるのである。なんか話が大きくなりすぎた。ここは居酒屋じゃないんだから。それにしても この道をゆくことを選んだ、すべての人々と乾杯したい気分だ。料理長にもとなりの知らないおっさんにも聴かせてやりたい。

 なんでご本人のライナーノーツを前に、素人のおまえがエラそーに解説してんだ、しかも長くてしつこくて超うぜーという空耳がたくさん聴こえる。すまん。しかし"From T"の感激と感慨を私はこういうイカレた形でしか表現できないのだ。

 あいかわらずまったく吉田拓郎とはわかったようでわからない謎だ。その背中を見失わないように、しっかりとついてゆこうではないかとひとり想えば時はゆく。

2018. 9. 27

■Tからの贈り物  14 いつもチンチンに冷えたコーラがそこにあった
 この作品は独特の世界がある。真夏の陽射し、海辺の叙景、もの憂くて、エロティックな空気、それらが淡くセピア色でコーティングされた別世界というイメージがある。まさに映画の中の世界のようだ。拓郎のエコーがかかった、やるせない歌いっぷりがまた夢うつつの雰囲気を醸し出している。
 ミュージシャン達とレコーディング技術の成果物かと思っていたが、このデモテープを聴いたら、全部を御大がひとりで描いていたのだな。監督・脚本・撮影・音楽・出演の全部が吉田拓郎制作の映画みたいなものだ。
特にデモテープは、独特の世界感が思い切り色濃い。デモの歌唱のほうが、全力歌唱でない分、けだるくアンニュイな感じが際立つ。
 哀愁あるイントロはこの独特の世界にトリップするための合図みたいなものだ。ライナーノーツで書かれた、サンプリングで発見したというトランペットの間奏。この世界を一気に凝縮したような美しいメロディーだね。何度聴いても聴き惚れる。これもみんな御大が作っていたのだな。あらためて感心する。

 ライブでも演奏されたけれどビッグバンドの演奏はソリッドなのがかえって災いして迫力と元気がみなぎってしまい、原曲のアンニュイな世界からは遠くなってしまった気がする。やはりこのデモテープと吉田町の完成品の間を行きつ戻りつ、この独特の世界にトリップしながら味わいたい。

 拓郎はMCで「この歌は猥褻な歌です。こんな歌を歌っていいのかと思います。」と語った。そうなの?でも作った本人がそういうのだから、そうなのだろう。こんだけコカ・コーラを連呼しながら、本家コカ・コーラが感謝している様子が伝わってこないのとはそういうことなのか。

 遇えてよかったデモテープのひとつであることに間違いない。

2018. 9. 26

■ Tからの贈り物  13 夢見る時を過ぎ 
 歌ってみよう。♪ ゆめみーるとぉきぃをぉすぎぃ めぐりぃあえたぁから〜コトバとメロディーが絶妙に絡みあっている。メロディーが一語一語を弾ませて、メロディーの海の中でコトバが泳ぐ。かぁぁぁ、ウマく言えないが、なんとも心地よい。ご飯と具が見事なバランスで炒められた日高屋のチャーハンみたいだ。御大はやっぱり不世出のメロディーメーカーだ。
 Uramadoで名曲なのだが「ワッチュワレワレ」のコーラスが頭から離れないと、ちょっと申し訳ない気持ちで書いた。でも、今回ライナーノーツを読んだら「ワッチュワレワレ」のことしか書いていないぞ。うむ、コレが肝だったのか。
 そして詞が違う。完成版の「白い鳥」は、原詩では「水鳥」、「疲れた体」は「疲れた旅人」だったことがわかる。
 結構大きいのは、「わがままにうつろう愛は育てない」が原詩では「砂の城みたいな愛は育てない」となっていた。へぇー。どっちがどうというわけでもないが「砂の城」か。「砂の城」は「崩れかけた砂の家」(カンパリソーダとフライドポテト)とかぶると思って削ったのだろうか。それはないか、松本隆だって、何度もボートでオールを失くしているし。おい。
 岡本おさみワールドでも松本隆ワールドでもない石原ワールドというものが確実にある。それは夢見る頃を過ぎて歳をとってこそ効き目が出てくる世界だ。夢見る時を過ぎ、ワッチュワレワレを買っておうちに帰ろう。なぜかタイトルを聞くと林真理子が浮かんでくる。

2018. 9. 25

☆☆☆アルバム大ヒット御礼苦笑漫画「父からの贈り物」☆☆☆

娘「ねぇお父さん、お願い、寝るときくらい"From T"をかけるのやめて」
父「だまらっしゃい、拓郎さんは、毎晩これで寝ておられるのじゃ」
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                    「父からの贈り物・・・アタシはいらねーよの巻(終)」



■ Tからの贈り物  12 紅葉

 「Tからの贈り物」は、どれも正面にひざまづき、あぁよくぞお出でくださいましたと迎えたいものばかりだ。しかし、中でも個人的にこの曲だけは、しっかりと抱きしめて頬ずりしてやりたい。キモイぞ。
 崖っぷちから落ちなんとしていたこの作品の拓郎本人歌唱が聴けるとは。何回も書いたが、この話は何度でもする。この曲を教えてくれた拓郎ファンのJさんとMさん。Jさんは広島のライブ後のファンの打ち上げで、この曲を弾き語りで披露して、うまく歌えなくて失敗した。恥ずかしそうに笑いながら、「これ聴けばいい曲だってわかるよ」と島倉さんのCDをくれた。いい曲だった。どんだけイイ曲かも、何度でも書きたいが、さすがにuramadoに。年中行事として毎年、紅葉の時期に、日比谷公園あたりを横切りながら聴く。

 「デモテープは男っぽい紅葉」と御大はいつかラジオで言っていたが、男性コーラスが薄くつけれているからなのだな。シンプルだけど繊細なギターにささえられて、拓郎がていねいに、ていねいに”ホロホロと”歌う。島倉さんから投げられた詞に、「いいですか島倉さんこんな感じですよ」とやさしく投げ返す大人の男と女のキャッチボールのようだ。そんなキャッチボール観たことないけどさ。

 JさんとMさんも生きていれば、これが聴けたのに。「そうそう、オレ、こんなふうに拓郎みたいに歌えばよかったんだよな」「それが一番無理なことでしょう」という会話がどこかの居酒屋であったはずだ。生きていなけりゃ。今年からは御大の紅葉でいくぜ。

2018. 9. 24

■Tからの贈り物 11 オーボーイ
 ライナーノーツには、バハマでは完成せずに、ロスで「ディーン・バークスが僕の作ったエレキのアルペジオをコピーして入れてくれた」とある。確かにリードギターの無いデモを聴くと、あのギターの情感の大切さがよくわかる。
 「Long time no see」のレコーディングが語られる時、バハマのミュージシャンとの素晴らしいスタジオワークとその絆がほのぼのと語られる反面、バハマで終結せずにロス、東京と苦闘が続き、その様子を常富さんが「ボロボロなりながら蘇生しようとしている」と評したのも忘れられない。「永遠の嘘」の苦闘が語られてきたが、この作品も苦闘サイドだったのだろうか。
 「音楽の永遠の素晴らしさ」と「ボロボロになっての蘇生」。対極的ではあるが、これは矛盾するものではないのだろう。バハマでの日々があればこそ、妥協しない音楽を作るために徹底した音作りにこだわったのだろうし、そういう御大だからこそバハマで異国のミュージシャンたちの胸を打ったに違いない。幸福と苦闘の二本の糸がよりあって、あざなえるひとつの縄となる、これはこのサイトお得意の「向田邦子フォーミュラ」だ。

 個人的には「おまえで歴史がかわりはしない」が一番インプレッシブなフレーズだ。他の人が歌えば”そりゃそうだ”というフレーズだが、歴史を変えた吉田拓郎が歌うのはショッキングなことでもある。しかし、あきらめでも後退でも隠居でもない、永遠なる蘇生、それを素晴らしいサウンドで決然と歌う。そこだ。んまぁ自分でも何がそこかわからないけれど、そこなのだ。たぶん、

 ※向田邦子フォーミュラとは
若き日の黒柳徹子が向田邦子の脚本にあった「禍福はあざなえる縄の如し」について「幸せだけでよってある縄はないの?」と尋ねると向田邦子は一瞬の間の後にキッパリ「ないの」と答える。すべて美しいものは幸せと切ないものがよりあってできている。これを向田邦子理論ないしは向田邦子フォーミュラという。>なに勝手に言ってんだよ






ラジオでナイト 第73回 2018.9.23
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。メールが凄い。ギターが欲しいというので、手の平返しで凄い量、全部読むので疲れちゃったよ。  

<FromTは、曲を聴いていた当時を思い出すという投書>
<素晴らしいアルバムありがとうございます、特に奥様にありがとうございます、これからも拓郎さんをよろしくと言いたいという投書>
 買ってもらって、ありがとうと言われるのは嬉しい。こちらもありがとうを返したい。よく言っているとおり、これはラジオの最終章。毎週、話ていることは今の本当のことを話している。今後のアルバムもステージもそういう姿勢でいきたい。
 若い頃、レコード会社作った話をしたが、若気の至りで、いきがって、天狗になっていて自分らしくない言動をしていた。それは若かったから許されることではないにしても、昔のアルバム、ステージを観るになれない。そこにいる吉田拓郎が無理をして気取っているのがありありとわかる。それは自分だからわかる。そういうことを体験し勉強してここに至っている。
 今は正直に話している。やっぱり、曲を作り続けたい。新曲を出したいし、秋から冬にかけてレコーディングしたい。それも前から言っているとおり一発撮りでやりたい。先週も言ったが、もっとシャウトするロック色強い曲を作ってトライしてみたい。

 そういう気持ちにさせてくれていることとか、ステージに立つレコーディングするその気にさせている人がいることは間違いない。ライナーノーツにも少し書いたけど肺がんの手術とそれ以外にも二つ大きな大病している。こういう話はあまりしたくないけど。そんなときに、笑顔で支えてくれたことに対し、人間として感謝している。
 今の元気とパワーの源になっている。もう一歩前に進むことの確かな力になってくれている。このFromTを作るにあたっても、また次のアルバムやステージとかもその気にさせてくれる。言ってみれば働く気にさせてくれている(笑)。お礼をいいたいのは僕の方だ。

<音がいい、アドレナリンが出る曲でなくお休み前の曲という選曲がいい、ところで拓郎さんは  コーヒーが苦手なのにコーヒーの出ている曲が結構あるという投書>
 そうなんだよ、岡本おさみの詞にはコーヒーが多いね。気にしないで歌っていたが、コーヒー、コーヒーカップ、やたら喫茶店が出てくる。僕は、喫茶店には全然入らないし、コーヒーはだめだし。でも歌のおかげて、コーヒー好きでよく喫茶店に行っているかのように思われている。アイスコーヒーは飲めるけど、ブラックとか飲んでいるのを見るだけで倒れそう。

<「永遠の嘘をついてくれ」を聴いて主人と目を見合わせた二回つづけて聴いた、傍らで歌っているみたいという投書>
 あのテープにいきつくまでの苦労は、ホントにみんなに見せてあげたい。エルトンのピアノ一本で歌っている中島みゆきのデモテープ、これをバハマでミュージシャンに聴かせて、アレンジしてやろうとしたけど、これが全然うまく行かないのよ。日本人の情緒みたいものが伝わらないの。
 それでバハマではできずに、ロスに持って行った、ハーモニカホルダー下げて、ギター一本で弾き語りでやってみたら、クサくなっちゃってさ、フォークの弾き語りという一番嫌な世界になっちゃった。
 それで日本で自宅でデモテープを、こういうベースパターンがあうぞ、ギターリフがいいと作り上げた。これが完璧だ自負している。

<ライナーノーツに感動 安井さん、岡本さん、木田さんの息遣いが伝わる、 国語力が高いという投書>
 文章力といってほしい。昔からエッセイは得意。

 黄色いテレキャスターが欲しくてメールがたくさんきている。
<ガチャピンが歌う「たべちゃうぞ」があったという投書>
 あったな。みんな忘れてるぞ。
<いいんですか、黄色いテレキャスターあげて。夫婦で聴いている、ギター小僧の旦那が、いろめきたつ、これ以上増えたらどうするの?大丈夫だともう当選したかのように話しているが、私は、テレキャスターより二万円の日傘がいいという投書>
 ははははは、あったね。二千円と思ったら二万円てあったよね。

<春だったね  黄色いギターがあっていた 次も楽しみだったのにという投書>
 次のライブの衣装を考えた。今回は、スーツで行こうかと、最近はジーンズばかりだったので。ガンバ大阪の宮本監督のファッションが刻まれている。スタイリストに言っている。

 30年来の美容院を卒業して変えた。違うアプローチ、七三は変かな。ギターも二本買ったし、衣装とかいろいろ考えると楽しいね。

<エイベックスの社食が豪華という投書>
 移籍の時、最初に社長と会いに行って、若い女子社員が素晴らしかった、どなたが安室さんでどなたが社員なのか区別化つかない。その中ではたらく、むさい佐藤、たけばやしは幸せだ。


<食事できるならイタリアのトスカーナに行きたい という投書>
 「トスカーナの休日」 。 ダイアンレイン好きだな。エミリー・ブラントという女優がいい「プラダを来た悪魔」。アンハサウェイと誰だっけ  ハリウッド有名なアカデミー女優・・・メリルストリープ  でハリウッドに進出した。「ボーダーライン」とかにも出ている。いいな。


<東京追加公演という投書>
 追加公演ではない。ラジオでナイトスペシャルステージという感じでできないか。
サンプラザではないし…壊すらしいね。新宿厚生年金はないし、渋谷公会堂、神田共立講堂かな、神田共立講堂 ははは どうなんだろうね。なんともいえないし、なんともいえない吉田拓郎のラジオでナイト。

■テーマ曲

 リクエスト高橋真梨子さんの桃色吐息。高橋真梨子とは時々メール、旦那さんともしている。2016年のライブにもご夫妻来ていた、そこのMCで「目がマッチ棒」と嘆いたら、真梨子さん、「拓郎さんはマッチ棒ではないですよ」と慰めのメールをくれた。「年下の私がいうのもなんですけど、かわいいんです」と言ってくれた。
 高橋真梨子さんもコンサートたくさんやっているね。ちょっと瘠せたりして心配でメールしたりするけれど、声はバンとしているね。

M1 桃色吐息  高橋真梨子

■CM明け

<兄弟の話。自分はひとりっこ。メリットは親から大切にされる、欲しいゲームも全部買ってもらった、デメリットは人付き合い恋愛苦手という投書>
 僕も子どもの頃、足で踏む自動車が欲しくて、父親に言ったら、今度デパートごと買ってやると言っていた(笑)。スケーターというのもあったな。
<かわいい妹にお兄ちゃんと呼ばれてみたいという投書のつづき>
 しかし、おまえ甘ったれんじゃないぞ。欲しいゲーム買ってもらって、おにいちゃんと呼ばれたいって。

 高校の頃一度、妹がほしいと思ったこともあった。ウチには、小さい頃に亡くなってしまった長女、恭子という名前の姉がいた。だからホントは4人兄弟の末っ子だった。長男から姉から自分と七つずつ離れている。だから、長男とは14歳離れている。だからもう、僕にとってはおやじで、頭がツルン、ツルンだったし(笑)。ウチは歳が離れすぎていて、兄弟という実感が薄い。 

<10歳離れていた姉は、子供のように可愛がってくれたが、三歳上の姉は子分のように扱われたという投書>
 僕も、広島では、おばあちゃん、母、姉と女系家族だったが、大学に入るくらいから、このまんま女系家族にいてはダメになるのではないか。もっと世間に出ていなければと思った。

<中学生の頃、兄の影響で、ウォーカーブラザーズ”ダンス天国” オーティス・レディング”   ドックオブザベイ”平山みき”真夏の出来事”、番組テーマのフォートップスも懐かしい、音楽を教えてくれたのが兄貴という投書>

 兄は、有名なラサール高校から立教大学に行って、そこで初めてピアノを始めた。当時ジャズがはやっていたので、中村八大さんとかジャズピアニストが出ていた。でも大学からじゃ無理だろと思う。で、兄貴のピアノはうまくなかった、下手だった。一枚だけアルバムを出したけれど、うまくねーよ、という感じだった。
 結局、音楽はあきらめて会社を起こして生きてゆくんだけれど。その兄貴が広島に帰ってくるたびに、キレイなおねーさんを連れてくる。それが刺激的だった。音楽ってこういう感じなのかな、そこがきっかけで、音楽に目覚めていった。


それから提供曲。


 様子がガラッと変わった。そろそろ中間発表が欲しいかな。

今週は、

5位 明日の前に   (唄う) 
カントリーの3拍子だな  
4位  歌ってよ夕陽の歌を
  岡本さんだな
3位  地下鉄にのって
>きたね
2位  危険な関係
>とってつけたような(笑)
1位 たどり着いたらいつも雨降り

■ベストテイク
 たくさんメールを読んだので今週はおやすみ

■マイフェイバリット
 スタジオの話。アメリカには、いくつかあるバハマのコンパスポイントスタジオ、ここは  ボブ・マーリィーが使った。
 ニューヨークの「パワーステーション」。ここで「サマルカンドブルー」をレコーディングしたがここはドラムの音がいい。エンジニアにいい。
 「シャングリラ」は、ここでザ・バンドが「ラストワルツ」を録音して、ディランにつながるような気がした。

 日本には、こういう場所が、なかなかない。いわゆるそのスタジオのサウンドというものはない。どこで録音しても、結局は、エンジニアの力量ということになる。
 そういう中で「観音崎マリンスタジオ」というのがあって、高中正義がよく使っている。「マリン」ということで夏を思わせるので、高中にもあっている。
 この隣のホテル、京急ホテルだったか、このスタジオからホテルのプールが見える。夏とかは、若い女の子の水着姿で溢れていて、みんなレコーディングどころじゃなくて、「おおお」とか言って、スタジオの窓にすずなりになって点数つけたりしている(笑)。サウンドよりそういう想い出がある。なので夏場は目の保養になる。「吉田町の唄」「デタント」はここでレコーディングした。

  アメリカのテネシーには、「マッスルショールズサウンドスタジオ」というスタジオがあって、このスタジオのサウンドが有名だ。1962年のスタジオ開設以来、名盤を産んでいる。スタジオ専属ミュージシャンの音が独特でマッスルショールズサウンドといわれている。

M4 男が女を愛する時   パーシー・スレッジ  

(地震)

 モータウンスタジオも、専属アーティストがいてサウンドが固定化している。そのサウンドを希望するミュージシャンがそこに行く。こういうのは日本にはないな。例えば島村英二、エルトン永田、中西が観音崎スタジオに住んでいたりとか。そこのスタジオでは、どんなミュージシャンでも、彼らが迎えてくれるという。そうなると観音崎マリンスタジオの音というのが歴史残っただろう。どうして居座らなかったんだよ、自分じゃないから言うけれど(笑)、島村、エルトン、おまえら観音崎に住めよ。

M5 ブラウンシュガー   ローリング・ストーンズ

 これは明らかに キースリチャーズのギターで、チャーリーワッツのドラムだな。たとえば、そのスタジオ付の固定ミュージシャンたちとレコーディングというのをやってみたかった。マッスルショールズ、そのスタジオにはまっているが、俺の曲なんかここにあっている。ブラウン・シュガーを聴きながら、「ようしオレもこういう曲つくるか」という気になる。ストーンズは偉大だ。

M6 僕のコダクローム  ポールサイモン

 独特のサウンドのELOのサウンド、トムペティ、覆面バンド(トラヴェリング・ウィルベリーズ)など、そういう独特のサウンドと一緒にやりたかったな夢だったな。惜しかったな。

M7 セイリング   ロッドスチュアート

 そのほかにも、ボズ・スキャッグス、ステイプル・シンガーズ、ソニー&シェールのシェールとか、いいアルバムをここで作っている   

 憧れていたプロデューサーに、ELOのジェフ・リンという人がいて、ついに会えなかった、彼の作った覆面バンド  トラヴェリング・ウィルベリーズに憧れていた。ジョージハリスン、ボブディラン、トムペティと凄いメンバーだった。特にドラムの音が好きだった。
 「吉田町の唄」の時、観音崎でエンジニアの人にどうやってんだろうな探っているうちに「夕映え」にいきついた。

■エンディング

・リクエストは、テレキャスターの「て」「れ」
・提供曲
・兄弟について、ひとりっこについて

吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆ ギタープレゼントのおかけでメールが増えたような印象があるけれど、読むのに大変だったりとか、また番組でメールの内容を聴く限り、単なるギター欲しさではなく、それぞれにファンとしてリスナーとして拓郎に伝えたい思いがあるのだな。

☆ それにしても、例えは、キンキの「危険な関係」がイイのに、と不満を言っといて、リクエストが上位にくると「とってつけたような」と言うのはどうよ(爆)。きっとキンキのファンが、ああ拓郎さんが推奨してくれたと張りきってリクエストくれたんだと思うぞ。

☆ シャウトのロックを含んだアルバム、ライブも着実に進んでいる。「新曲を書きたい」これ以上に勇気づけられる言葉はあるだろうか。

☆ 上のおねえさんが恭子さんという話は、すばるの重松清氏のインタビューに載っている。このインタビューは、「吉田拓郎ファミリーヒストリー」として白眉の一編である、この道をゆくものにとっての必読文献である。なんだよ、この道って。

☆ 拓郎が「シャングリラ」を出したとき、名前は忘れたが、吉田拓郎は、シャングリラではなく「モータウンに行くべきだった」と辛口で書いていた評論家がいたが、その意味が今わかった。

☆「トラヴェリング・ウィルベリーズ」。拓郎にとって、大切なサウントだったのだな。しかもあのサウンドありて大好きな名曲「夕映え」があるのか。凄いメンツだけれど、全員ウイルベリーという名前の兄弟という設定で、なんか「おそ松くん」みたいだ、くらいの認識しかなかったので恥ずかしい。

☆島村英二さんとエルトン永田さんが、観音崎スタジオに住むのなら、私は迷うことなく今の職を辞して、スタジオの管理人になりたいと思う。

☆「トスカーナの休日」、♪二人で旅に出よう、トスカーナに行こう という歌もあったな。それは浜省だ。真面目な話、武蔵小山の駅前にパスタ専門店「トスカーナ総本店」というのがある(爆)。たぶん御大のご自宅からそんなに遠くないだろうから、いつでもご招待するぞ。

☆何日か前のaday。「なぜ拓郎はデモテープをみゆきさんに贈呈したか」という問題。本人の解答が出たみたい。


☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆

 ローリングストーンズは偉大だ。しかし、ブラウン・シュガーを聴いて、よーし、こういう新曲つくるぞと小さな声で叫ぶ、拓郎、あなたも偉大だと思う。

2018. 9. 23

■ Tからの贈り物  10 心のままに

 “ラジオでナイト”の中で拓郎は「幸せになりたくて」という曲名を口走っていて、なんだそりゃと思っていたら、この「心のままに」だったんだな。「幸せになりたくて」が原題なのか。同じくラジオで「石原信一の詞には一か所くらい”違うぞ”と思うところがある」と語っていたが、この曲はタイトルからして違っていたのか。あいかわらず松本隆と異なり、喜多條忠、石原信一には容赦がない御大だ。

 ちょっと気恥ずかしい気もするが、「この世には君がいる そしてすべてが始まる」というエンディングがとても素敵で、てらいのないのびやかな詞だ。それにあてがわれた御大の刻むリズムとメロディーも、清々しい気分で闊歩するようでウキウキとしてくる。晴れた青空を仰ぐような御大のギターのフレーズがまたカッチョエエ。通勤電車で聴きながら、となりでずっとスマホゲームをしている見知らぬおっさんに、”いいっすよ、このギター”と教えてあけたくなった。おい。
 Uramadoにも書いたが、最後にかけてのメロディーが変わるところが特に好きだった。ライナーノーツによると、そここそがこの曲のツボだったようで、なんか御大の作り手としてのキモチをキャッチできたみたいで嬉しい。音楽家である御大の表現によると「ベースのパターンが気持ちよく動く」ということだ。御意。この最後の「アドリブっぽい」部分になると、ウキウキとした曲が、最後には、音符の縛りからも自由になって心のままに跳ね回る感じがする。だから心のままになのかと勝手に得心する。

 このベースパターンへのこだわりは「アマチュアバンドバンド時代の財産」とある。へぇそうなんだ。「アマチュア時代」と「プロフェッショナルを極めた今」が自然につながっているところに妙に感動してしまう。前の日記で書いたが、ドラマ「ER」であった「医者になる前のキモチを持ち続ける医者と切り捨ててしまう医者の2つがある」というセリフと通底している。ああ、音楽って自由なんだなぁと思う。プロ・アマという境目はさほど意味がなく、音楽に目覚めたころから音楽活動はずっとつながっているのだろうな。プロだろうとアマだろうとすべては音楽の"part of it"なのかもしれない。
 だから、デビュー何周年とかそういう区切りに興味がないのかもなと思ったりもする。また余計な事だけどさ。

2018. 9. 22

■Tからの贈り物 09 女たちときたら

 昔、マハロで聴かせてもらった記憶があるが、いずれにしてもベストアルバムにあって、唯一の新曲のポジションに鎮座まします。「女たちときたら」…この危ういタイトル。「男どもときたら」と返りうちに斬られそうである。
 これが拓郎の弾くギターなんだなぁと感慨のバイアスがかかっているにしても、とても印象的なイントロに心がくすぐられる。満員電車の中で聴いているとつい身体が揺れてしまう。イラクの侵攻、地球の終わりとショッキングな出来事までもが、どこか朝の倦怠につつまれている。部屋に差し込む朝日すら感じさせてくれる曲と演奏だ。
 ライナーに「歌詞もメロディーも弱いかな」とある。強い弱いを言うのなら、どうしたって名曲「東京の長く熱い夜」を思ってしまう。違うといえば違う曲ではあるが、詞の主要部がほとんど同じである。わかりやすく言うと、花山大吉と月影兵庫、ドクターペッパーとミスターピブくらい同じで違う。>全然わかんねぇよ。
 しかし、その強さと迫力において「東京」は超絶素晴らしい。こちらもライブだけの消えもの曲となっている。弾き語りだからではなく、きっとバンドでやったらもっと凄いぞと思える客観的な力作だと私は思う。いつか世に出る事を待っていた。
 今回「女たち」が公式音源に昇格したことで、同工異曲のこの「東京」は無かったことになってしまうのか、不安である。あぁ、「女たちときたら」は「東京の長く熱い夜に」消えちまえというのでしょうか。

 詞はかぶっているが、「女たち」は、物憂く眩しい朝の空気の歌であり、「東京」は、やさぐれた夜の雄叫びである。同じプロットを音楽のチカラでここまで対極なかたちで描き得た吉田拓郎はやっぱりすごいなと思うのである。

 私は両作とも、世に生き残り続けてほしいと切に思う。「泣いてたまるか」に渥美清の回と青島幸男の回があったように、「特別機動捜査隊」に立石班と藤島班があったように>だからわかんねぇよ。…ああそうだ、そして「灰色の世界」にTとUがあるように…>最初にその例えだろ。
 朝と夜、両論併記で頼む。

2018. 9. 21

■Tからの贈り物 08 永遠の嘘をついてくれ

 間違いなくこのCDの”肝”のひとつだ。まさか、このデモテープが聴けるとは思わなかった。とにかく、よくぞこんな歌を作り、こんなサウンドを組み立て、こんなふうに歌い、そして公式音源にしてくれたものだ。もう感謝しかない、御大もさることながら音楽の神様に対してだ。Nakedな声がいい。ビブラートする間奏のギターもいい。理由などなく涙が出てくるデモテープだ。

 このライナーのさりげない結び「このテープは中島みゆきさんにも贈呈したよ」。これが試験だとしたら、こんな問題を出された感じがした。

[問題]筆者は、中島みゆきさんに、なぜ完成品とは別にデモテープを贈呈したのでしょうか。筆者の気持ちを説明しなさい。

 どうだ、たとえ駿台予備校だろうと四谷大塚だろうと正解は出せまい。もちろん私もわからん(爆)。

 そんな中、昨夜の居酒屋で、とあるファンから出されたひとつの解答例。

「魂のデモテープには魂のデモテープで返さなくてはならないと考えたから」

 をを、いい答えだ。きっとファンそれぞれいろんな答えがあるはずだし、もちろん正解はわからない。

 しかし、正解を出すことにとらわれるのではなく、この問いの中に生きつづけようではないか。>大きなお世話だよ。

2018. 9. 20

■Tからの贈り物  07 マンボウ

 御大のお気に入りのナンバーとして「マンボウ」がFrom Tに収録された。「虹マス」はライブでも重用されたいわば”出世魚”だが、「マンボウ」はうち捨てられた、という趣旨のことをUramadoに書いたが、そうではなかった。先日のラジオで、御大はネットは嘘ばかりなので信用するなと言っていたが、まさにウチのことだ。
 ともかく長く沈潜していた秘曲「マンボウ」は、モンテクリスト伯の復讐のように、突如、2018年に再浮上しおった。つまり御大は、自宅の水槽で、このマンボウをずっと大切に愛でていたのだ。

 デモテープのコンピュータ・データをそのまま本番に使っているというが、デモテープの演奏の音の方が、輪郭が甘く、ほんわりとしている感じがする。原曲よりさらに心地よく、抱擁されているかのようだ。イントロ、間奏のメロディーものどかで愛おしい。
 なーんて、今頃言っても、さんざん”変な曲”と悪態をついてきた自分が、どのツラさげて…だ。

 なので、すべてのマンボウに懺悔するつもりでマンボウ研究者の澤井悦郎さんの著書「マンボウのひみつ」を読みはじめた。著者の澤井先生は、1985年、まさにワンラストナイト・イン・つま恋の年に生まれて、広島大学初のマンボウ研究者となったというご経歴だ。しかも先生ご自身が出演したラジオ番組で吉田拓郎の「マンボウ」をかけたこともあるらしい。深い拓縁を感じずにいられない。先生は多分ご迷惑だろうが。
 この本は、マンボウに魅せられた先生のわかりやすい学術的解説とマンボウへの愛情とさらに研究者としての苦闘が三位一体になっている。もうちょっと言うと、好きでたまらないことを仕事にする幸せと哀しみと覚悟に満ちていて感動する。
 各テーマごとに川柳で総括してあるのもいい。「マンボウとペンギン同じ泳ぎ方」「マンボウの遊泳時速約2キロ」。脆弱と思われるマンボウだが「マンボウは傷を負っても生き残る」おおお、虹マスと同じやん。ともかく愛と謎に満ちたマンボウの深い世界だ。

 マンボウなんて…と侮っていた私は、「吉田拓郎?あのゲタ履いたフォーク歌手だろ」と吐き捨てる人と変わらなかったことをあらためて恥じる。

 そしてこの澤井先生のグループは最近「カクレマンボウ」という新種を発見してニュースになった。カクレマンボウ。まさに、このデモテープみたいなものじゃないか。
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2018. 9. 19

■Tからの贈り物  06 いつでも

 そうか。これが御大のルーツ、R&Bなのか。私ごときには、そう具体的に教えていただくとよくわかる。
 このデモテープも、すげーな。ただ、この曲は、やはりライブこそが完成版だと思う。オブリガートっていうんですか、あれが何回も刻まれて、ズンズンズンと高まっていって、♪胸に沁みる空の青さのリフレインが畳み掛けてくる。あのどうしようもなく、気持ちが高まってゆく感じこそ究極だ。
 このデモテープが、あの本番のソウルの高まりをしっかりと牽引している気がする。骨太の設計図という感じだ。「生きていなけりゃ」のデモテープのようにそれ自身、自己完結した濃密な完成品とはまた違って、凄いけれど、ソウルのための余白がある。ここも妙味だぜ。

2018. 9. 18

■ Tからの贈り物 05 生きていなけりゃ

 ご本人もこのデモテープがベストテイクだと宣っていたが、確かにこのデモを聴いたときはブッ飛んだ。吉田拓郎の"ギターソロ"って、話には聴いていたけれど、本物をちゃんと聴いたことがなかった。これか。これなのか。語りかけてくるような、ちょっと泣くような繊細な音色だ。シロウトにも良さがわかる。繰り返し聴いてしまう。特にラストのギター、いつまでも浸っていたい気分になる。
 でさ、このボーカルがまたいいんだ。デモだから本気全開歌唱でもなく、なんの装飾もないけれど、だからこそ声質の美しさが際立つ。ちょっと語尾をふるわすような機微までが伝わってきて、ああもうたまらんばい。
 
 私は、こんな演歌みたいな曲、と長い間敬遠してきたが、このテープを聴いてそんな気持ちがいともたやすく上書きされた。
 90年代中盤、隠居生活に入ってまったのか、ああ、なんか最近パッとしないなとヤキモキしている時に、拓郎は、かくも丁寧な作り込みをし、こんなにも高いクオリティの逸品を作っていたのか。根っからの「音楽家」という言葉しか思いつかない。
 それに今のラジオでご本人が語ってくれる90年代の話を垣間見ると「生きていなけりゃ 生きて行かなけりゃ」というフレーズには、外からはわからない、もっと切実な意味があるのかもしれない。
 しかし、曲自体、提供先からは断られ、私のようなファンにも不評を買う。私だけかもしれないが。
 そしてデモテープゆえに、こんな見事なギターもボーカルも世間には存在すら知られずに眠っていたのだ。

 ああ、吉田拓郎、どんだけ孤独だったのだろうか。

 スタジオで一緒になるギタリストを通じてさまざまなテクニックを勉強したとライナーノーツにある。また、ギターの師匠が高中正義だったとも語っていた。バックメンバーを自分の師匠として学んでいたというのも吉田拓郎ならではの素敵さである。

2018. 9. 17

 樹木希林さん、すごい人だったな。御冥福というより、あの方の残された仕事をこれから少しずつでもちゃんと見返していこうと思った。それでも「きたねーな、ばーちゃん」言われた方も言った方もこの世にいないというのは切ない。


ラジオでナイト 第72回 2018.9.16
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。大変な数のメールとハガキが来て読みきれない。黄色いテレキャスターをプレゼントするということから大変だ。普段参加しないような人まで応募してくる。この中から、ひとりにプレゼントが決まる。こうなったら腹をくくる。先週までは、やっぱやめておこうかなと思ってもいた(笑)。もう後に引けない。

 「From T」の反応もたくさんいただいて、僕の思いが届いて心からから嬉しい。幸せだな。加山雄三さんか。

<すばらしい企画、レコード会社関係者各位に感謝という投書>
 Iさん、Sさん、Tさんに感謝です。選曲も、なんとなく伝わったかな。
<最初にTからの贈り物を聴いたという投書>
 あれはね、よく考えるとひとりきりでやっている。孤独な作業。スタジオでマッキントッシュが主流になっていたが、NECPC98がメインで、当時のステップ入力という方法でおこなっている。鳥山から、あれどうやっているんですか?と尋ねられたので、「PC98のステップ入力」だよと言ったら、「懐かしいです僕も使っていました」。ステップ入力の凄いところまで極めた。

<父が他界し、清流に涙した、ガンバラナイけどいいでしょうに勇気づけられたという投書>
 こういうのは嬉しい。

<いい声だと思っていたけれど初めて拓郎さんのCDを買った、ガンバラナイけどいいでしょう、君のスピードで、マンボウが良かったという投書>
 最初は、食いつきよくなかったけど「マンボウ」は好きな曲だ。
<となりのお兄ちゃんが作っていると思いたいという投書>
<嬉しかった「生きていなけりゃ」をつま恋で初めて聴いて以来、心にしみるという投書>
 ライナーには書かなかったけれど、ある俳優に頼まれて作ったんだけど気に入ってくれなくて、「僕にはまだ歌えません」ということだったので、自分で歌った。これはデモテープが一番いい。

 さて、テレビで、テニス、野球、いろいろと話題になっている。まだ出てきそうだ。人間は、ずーっと一か所で輪をつくって組織だっていると”よどみ”が出てくる。時代は変わっている。自然災害をみても、例えば麦わら帽子の夏はやってこない。おそるおそるむかえる夏がある。
 人間は長いこと、よどんでいると、気づかないし、変化を受け止めたくない。大坂なおみさん、1946年生まれの僕には、彼女のようなピュアな心は僕にはありません  。すばらしい。大谷翔平選手、右ひじ痛めながら、MVPを掴んだ。インタビューを聴いていると、優等生だけれど時代は変わっている。
 ちゃんと認めろといいたい。50歳で、17歳とつきあってホントに嫌だったんだから。でもだんだんと俺、間違っているなというのがわかってきた。

 サッカーでもドーアンいいね。ウチの人も目をつけている。この人たちがワールドカップに向うのは素直に楽しみに思う。変化を素直に受け止めて、全部は無理だけど。若者の爪の垢でも煎じて飲みなさい。それにしても、ずーっと喋っている吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル
 時の流れに身をまかせ(歌う)、名曲だ。”あなたの色に染められ”大谷翔平、大坂なおみ、  ドーアンに染められている。

 テレキャスターで絶対に欲しいものがあって、次のライブで使いたい、これでギターソロもやりたいということで、二台買っちゃった。清水の舞台から飛び降りるつもりで(笑)。だから黄色はあげる。ギターは嬉しい、抱いて寝たい、眺めていたい、ガキだなぁ。

 この話は、次のリクエストため。

<団伊久磨さんは、歌謡曲はキライだったが、襟裳岬やユーミンは激賞していた、1969年の「真夜中のギター」という投書>

M−1 真夜中のギター  千賀かおる

■CM

 ベストテイクもFromTが出来たので今度は、 少し違う企画を考えた。拓郎、小谷、橋口、南条が考えた新企画「勝手に選ぶ日本の歌50選」。五十音順で決めてゆく。
「あ」  赤いハンカチ、アカシヤの雨、アンドゥトロワ、ああグッと(笑)
かけさせろよ   「い」  潮来笠、あ、アンコ椿は恋の花があった。イムジン河、
「う」ウナセラデ東京(笑)

「か」「喝采」

お題にあわせて、募集する。今週はテレキャスターの「テ」

天狗、とんとんとんまの天狗さん、大村崑

「て」と「れ」でお願いします。

今週の提供曲。

5位  襟裳岬
4位  我が良き友よ
3位  たどり着いたらいつも雨降り
2位  ああグッと    はははは、忖度  「よしだそんたくろう」にしようかな
1位  風になりたい

「メランコリー」あたりが、好きなんだけど…って言っとくよ。

■つま恋のコマーシャル 彩の里

■今週のベストテイク
 今週は1974年「今はまだ人生を語らず」。時代と当時の若い情熱、勢いがすべてが爆発している。このボーカル。今でも、リハーサルとかで、原曲を聴くとボーカルがすっげぇ若いなとみんなが言う。当り前だ。エネルギッシュなロックだな。
 こういう歌い方は、正直いうと 最終章なんで 本当のことを言っている。ネットとか巷のエピソードとは違って、このラジオは真実を語っている。
 最近は、明らかにこういう歌い方をする歌を作っていない。次のアルバムの一発撮りでは、こういうロック色入れたい。最近は、シャウトが減っている。年齢とともに歌い込むという感じが多くなっている。そういうシャウトする曲も欲しい。是非期待していただきたい。

 このレコーディングは、松任谷正隆と彼が連れてきたドラムとベースは平野兄弟がプレイしている。島村英二とはまだ付き合いない。ギターは矢島賢、キーボードは松任谷正隆。これは一発録りだったと思う。そういう荒々しさがある。これと「ペニーレインでバーボン」。事情があって削除されるけれど、自分にとっての不滅のロック。この二曲はすごい。
 瀬尾一三のアレンジで演奏した時、♪目覚める時だから旅をするのところG、F♯マイナーAB。悪くない。
 これで長い間演奏してきたが、武部達もこま譜面とコードでやってきた。2012年のリハの時だったか、まってくれ、GDAD。こうじゃないかなと気づいた。今ごろ遅いと言われて。原曲聴いてみよう。GDADだ。
 瀬尾ちゃんがアレンジしたのを、鵜呑みにしていた武部おまえはどうなんだ、原曲作っていながら気づかなかった俺も(笑)。今は オリジナルで演奏している。

わー、すげーなという

M2 人生を語らず    吉田拓郎

 
■今週のマイ・フェイバリットソング

 不滅のバラードというものがある

 プレスリー ♪(CAN'T HELP FALLING IN LOVE歌う)
 オーティスレディング(ドックオブザベイ 歌う)


 今夜はアンチェインドメロディー。1965年最初はB面だったけれど、こっちの方が素晴らしいということで有名になった。そういうのはよくあって、ガロの「学生街の喫茶店」もそうだった。

 1990年映画「ゴースト」、デミー・ムーア主演で使われて再び大ヒットした。暴漢に殺された恋人が、幽霊になって、彼女を助けるという映画の中で、素敵なラブソングとして使われた。こういう映画は、得意じゃないけど  好きだったな。これでヒットした。

 実は広島のバンドの頃、リードボーカルの睦月くんは、声が高かった。このアンチェインドメロディが抜群だった。僕は後ろでギターを弾きながら「いい声で歌うな、このバンドは世界にゆくべきだと思っていた」。一気に世界ね。

 特に後半は感情がゆさぶられ涙がでる。

M3 アンチェインドメロディ  ライチャス・ブラザース

■エンディング

・というわけで、リクエストは、テレキャスターの「て」と「れ」
・提供曲
・ディナーはどこにするか、ウオッカ・マティーニにオリーブを浮かべてとか。そういうのが欲しいな。先週の「やりイカ」差し上げては、最高だったな。
・兄弟について、ひとりっこについて

吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆今日の放送で何が一番感動したって、それは「シャウト」だ。シャウトする新曲をレコーディングするという宣言に震えた。期待していてくださいとまで言ってたぞ。72歳のシャウトだ。期待するなと言っても期待する。「シャウト」する気概こそがまず何より尊い。
☆人生を語らずのコードの違いに気が付いたのは、確か2016年だよね。
☆「ペニ―レインでバーボン」と「人生を語らず」。やっぱり不滅のロックと自分でも思っていることが、当たり前だが嬉しかった。このオープニング2曲を超えるアルバムは、世界にない。と思う。
☆平野兄弟の述懐は、あまりに素晴らしかったので「ペニーレインでバーボン」のuramadoで長々引用させていただいた。

「僕の音楽物語1972~2011」平野肇より

 「予想を超えるパワフルな歌声が耳に飛び込んできた。字余りぎみの歌詞を投げつけるようにリズムに乗せていく。乗せていくというより、その歌詞にドラムとベースが引っぱられていく。」

 「いろいろなタイプのボーカリストともやってきたけれど、段違いのパワーを感じた。しかも日本語がこれほど突き刺さってくるという驚き。」
 
「完璧にロックであり、ロックースピリッツに満ちた歌だった。」

 「歌詞のコピーは非常に効果的だったと思う。そこにちりばめられた言葉と、それを吐きだすボーカルにシンクロしながらドラムを叩くことができた。」

 「洋楽ばかり聴いていて、日本のアーティストを知らない自分を反省する機会でもあった。」

 時々、この平野さんの言葉を思い出して涙を流す。

☆ギターをプレゼントしてしまうというのも嬉しいが、新しいギターを抱いて寝たくなる、眺めているで幸せ、ギターソロが弾きたくなるという話が、心の底から嬉しい。
☆新しいギターで、シャウトする新曲、そしてギターソロ。をを、漲るさあ始まった感。生きててよかったと涙する日も近い。

☆私も仕事で若い人々や学生と接することが多くなった。そのたびに、50歳の拓郎が17歳の少年たちから真摯に学んだことを思い出す。…しかし、私の結論は、それでも若い奴らが間違っているということに至ることが多い(笑)。吉田拓郎と私の器の違いである。


☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆
  吉田拓郎の歴史は、常に”よどみ”を断ち切り続けた歴史である。
                  だから拓郎は孤高で、だから拓郎は美しいのだ。

2018. 9. 16

■Tからの贈り物  04  憂鬱な夜の殺し方

  このデモは、万全の制作環境であった逗子に転居する以前のもので、逗子の音とは微妙に違うらしい。そう言われれば、ドラムがプレハブ住宅みたいな質感がするが、まあ、私にはよくはわからん。
 聴きなれていたあのイントロも、物憂いエフェクトも、遅れるコーラスも、全部デモテープに仕組まれていたのだな。特にギターのフレーズがメチャ心地いい。んー上手ばい、吉田拓郎。

 それにしても、詞が違う。もう殆ど違う。

 今まで聴いてきた本曲は、もの憂くて、けだるくて、それでいてエロティックな印象だった。

デモテープでは、突然に

  遠い町が炎に焼ける
  ニュース・ショーの光浴びて

 なんてフレーズが出てきてドキっとした。リアル過ぎる詞だ。かつて「君が欲しいよ」で松本隆が"真っ赤な消防自動車が炎の夜空を駆け抜けた"と巧みに描いてみせたが、こっちの詞は、露骨でショッキングだ。マズイという判断があって差し替えたのだろうか。

 しかも、このデモテープの歌詞では、「憂鬱な夜」というフレーズが全く出てこない。

 代わりに

  自分を壊す勇気と革命

という言葉が繰り返されている。

 もしかするとデモテープの時は、そのタイトルも「憂鬱な夜の殺し方」ではなくて、
「革命の夜」とか「少女革命」という感じだったのではないか。♪おおインターナショナルって違うだろ。

 さーすが、森雪之丞、まったく雪之丞七変化だ。

 ともかく完成品とは全く違った、おもしろい曲だ。なんか双子の別曲に出会ったような気分である。これもデモテープの妙味だぜ。

 ああ、幸せだ。誰がなんと言おうと。よくぞ出してくれた。28年間、私らと会うためにひっそりと待っていてくれたんだぜ。


  ☆憂鬱な夜の殺し方(デモ音源)☆

となりになぜ 君がいて  微笑むのか思い出せずに
理由などなく怒らせたい白く華奢な肩
君の素敵、映し出すのは
メイク褒める鏡じゃなく
自分をひとつ壊せる勇気さ


隠した胸 大人びても
脱がせた夢 妙に無邪気で
抱き合うより 君を尖らせ 夜を殺したい
遠い町が 炎に焼ける
ニュース・ショーの光浴びて
君にも始まってる 今夜が革命だから

君の素敵、映し出すのは
メイク褒める鏡じゃなく
自分を壊す勇気さ
今夜が革命だから

となりになぜ君がいて 泣いてるのか 思い出せずに
ジンに浮かぶ痩せた月が夢に落ちてゆく 


  ☆憂鬱な夜の殺し方 (正式完成版)☆

愛されたと なぜわかる?
ベッドの舟 揺れたせいかい
この身体は 君と同じで
ちょっと 嘘つきさ

なぜか君を 泣かせてみたい
ニュース・ショーが はねた後の
光が 肌を突き刺す夜だね

隠した胸 大人びて
脱がせた夢 妙に無邪気で
抱きあうより 君を尖らせて
夜を 殺したい

その涙を 飲ませておくれ
ジョークじゃない 君がいなきゃ
自分の影を踏んでつまずく
・・・憂鬱な夜さ

なぜか君を 泣かせてみたい
ニュース・ショーがはねた後は
小さな悲劇マネて愉しむ
・・・憂鬱な夜さ

嫌われたと なぜわかる?
傷つくのは 信じたいから
欠けて見える 月と同じで
ちょっと嘘つきさ

2018. 9. 15

 ハイクアウトによれば、わたしたちは、いよいよとコンサートツアーに向けて進んでいるらしい。おっしゃるとおり一歩一歩、歩けるかい、歩こうね、進めるかい、進もうよ、の世界でいい。頼むぞ。「それは世界でひとつだけの道だから」。

 それにしても東京は本当にたった一日公演なのだろうか。そんなに会場が混んでるのか。誰か「拓郎さんの歌う姿が観たいのでこの日のフォーラムをお譲りします」という心あるミュージシャンはいないのか、それこそが本当のレスペクトだと思うぞ(爆) あのな。


■Tからの贈り物 03 黒い瞳
 「そりゃもうシンシアのためならと頑張ったね」。御意。私も、そりゃもうシンシアのためなんだからと楽しみにして、シンシアのバージョンをリアルタイムで聴いた。”心に空を持ちなさい”ということで聴いて思わず空を仰いでつぶやいた「…残念…」(個人の感想です)。 いや、ディスっているのではない。涙ながらの自分の心の叫びなのだ。

…というわけでしばらく忘れていた「黒い瞳」。しかしこの拓郎のデモテープはまた印象が全く違う。いいぞ。シンシアのバージョンは、メロディーがどこかツギハギなぎこちない感じで、どこに向って行くのかのわからず、最後に妙に沈んだ印象しか残らない。
 でも、このデモテープでは、心地よいテンポで、メロディーが起伏に上下しながらもすんなりとつながって自然に流れてゆく。流しそうめんのようだく。もちろん南沙織のせいではないと思う。シンシアの歌唱は素敵なのに、なんであんなに冴えないことになるんだろう。いずれにしても、空を仰いで「デモテープがベストテイクだ」と小さな声で叫んだよ。

2018. 9. 14

Tからの贈り物 02 ロンサムトラベリンマン

 仰せのとおりコーラスやサックスまでバッチリ入っており、私なんぞには完成品との違いがわからない。本番では、思い切りやさぐれた感じでブルースとして歌っていて、それがたまらなくセクスィーだ。しかし、デモテープでは、正調でキチンとメロディーに沿って歌われている。
 どちらがいいというより2つとも聴けるのがメチャ嬉しい。

♪この心が老いない限り押し寄せる波風も友として…

 ええなあ、ブルージィな本番も、なめらかなデモも、それぞれに味がある。ただ「星降る街」。こっちの方がタイトルとしては好きだ。
 それにしても、コーラスマシーンて凄いんだなあ。これなら自宅でひとりで「人間なんて」のデモテープも出来るじゃないですか。んなもの、作ってどうする、と怒られるだけか。

2018. 9. 13

■Tからの贈り物 01 淋しき街

 ぶっちゃけ、この曲や「生きていなけりゃ」といった90年代のデモテープを聴いた時には、心底びっくらこいた。かつてのデモテープとは全く違う。居酒屋で飲んだくれながら「拓郎ぉ、超絶ギターうめーなぁぁぁ」「こりゃあ完成品だよな」「え、こんなの誰も作れないでしょ」と涙ながらに盛り上がった。
 「こんなに精巧なデモテープを作るアーティストを知らない」という音楽プロデューサーの発言やデビット・リンドレイの「こんなにギターが上手いんだから、もっと自分で弾けばいいのに」というプロの評価も嬉しいが、私らのようなシロウトをココまで奮えさせた事こそが尊い。吉田拓郎はスターだから、ルックス、キャラ、パフォーマンスがどうしても目立つが、すげぇ音楽家でもあったのだ。あたり前か。

 それにしてもこの「淋しき街」は切ない。歌うようなリリカルなギター、傍でつぶやくような歌唱とあいまって哀惜がひとしおだ。
 「キミが求めているのは僕じゃない」「僕についてもう話さないで」・・・御大をさんざん苦しめたであろう、私のようなイカれたファンのことか。ごめんよ。
 そんな御大の孤独のうめきに、もし、安井かずみが生きいてくれたら・・・というただれるような思いを感じてしまう。

 「理由もなく東京」。この意味深きフレーズ。「普通の詞じゃないよね、わけもなく東京とか・・・ZUZUのフレーズが独特よね」とコシノジュンコもしみじみと語ったフレーズ(「お喋り道楽」より)。私なんぞにはわかない拓郎と安井かずみの二人だけの紐帯のようなものなのか。

 Uramadoで書いたが、幻となった名曲「理由もなく東京」を聴いてみたいとずーっと思っていたが、このライナーを読むと「もうそれは追うな」と言われているような気がした。すべてが、この淋しき街の中に、託されてひっそりと息づいているような気がする。

2018. 9. 12

 ライナーノーツには2ページにわたって、デモテープの歴史が綴られている。この感想文も書かずにいられない。長いしつこい知ったことか。


 70〜80年代の深夜放送、といっても私は後発世代だから、オールナイトニッポンT期U期とセイヤングがメインだが、拓郎が時々聴かせてくれた「デモテープ」が楽しみだった。FromTのライナーによれば、4チャンネルで、目黒たぶん碑文谷のご自宅で作っているころのヤツだ。主に提供曲、キャンディーズ、石野真子、神田ひろみ、太田裕美とかの曲だった。くぐもった音で、御大はささやくように歌っていたが、温かい音色とオマエだけに聴かせるんだぜという秘密の打ち明け感があってワクワクもしたもんだ。まるでシェフに特別につくってもらった"まかない飯"のようだった。
 シャングリラに行く前には、録音予定の「いつか夜の雨が」「街へ」「帰らざる日々」のデモテープを聴かせてくれた。なんか聴かせ過ぎだわな。


 でもって、80年代から始まったコンピューター打ち込み録音。これが大嫌いだった。アルバム「俺が愛した馬鹿」のタイトル曲や「風になりたい」、その作為的な音にムカついていた。バンドサウンドを叩き込まれた自分には厳しかったのだ。
 「マッチベター」あたりのピコピコ、ピュンピュンというゲームマニアの小学生が電車で隣に座ったみたいなサウンドにも不満だった。

 そんなこんなで時間は過ぎて、80年代後半から90年代の中盤までの吉田拓郎は長い氷河期に入る。氷河と言っても作品のクオリティに遜色があったわけではない。逆に、「90年代に駄作なし」というのが、かねてからの私の持論だ。あくまでも外から見える活動の頻閑、音楽界や世間における拓郎の輝きが見えなくなっていったことである。
 スターとしての吉田拓郎が静かにフェイドアウトとしゆくような、そこはかとない寂しい時期だった。提供のつかない深夜のFMラジオ(CLUB25)で、ご隠居様のような日常を語りながら、宇田川オフィスも辞めて、仕事は自宅のファックスで直受けしているという話は結構辛かった。この隠居臭に満ちた日々の寂しさ、みなさんはどう過ごしていましたか。後に知り合った拓郎ファンのねーさんもこの頃のことを語ってくれた。「こうやって拓郎は世間の表面から消えてゆき、時々どっかのライブハウスみたいなところでひっそり歌うの。でもその時がアタシの出番なの(泣笑)。」

 しかし、吉田拓郎はほどなくバハマに旅立ち、音楽の新境地を開き、次いでLOVE2に出演し見事世間返り咲く。拓郎はテレビの人気モノになっても、よくあるタレントやテレビの奴隷にはならずに、音楽家としてビッグバンドツアーにつま恋にとまい進したことは私なんぞが言うまでもない。

 寂しかった90年の外見的な隠居時代、今回のデモテープは、そのときのものが殆どだ。枯れてしまっていたように見えた吉田拓郎は、実はこんなにも精巧なデモテープを作っていた。打ち込みが嫌いだという私の声を無視して(聞こえてねーし)、コンピュータ打ち込みに打ち込んで、熟練し、ギターの腕とも相俟って、かつて大好きだったあの「デモテープ」をこんなにも表情豊かな、こんなにも超絶なものに進化させてくれていたのだ。
 そして、それは、バハマでのミュージシャンとのコミュニケーションを橋渡しとなり、の新たな音楽世界の構築の橋渡しにもなった。すげえ。

 失われた・・・と勝手に思っていた90年代、吉田拓郎は、隠居でも枯れ木でもなく、真摯に音楽家としての孤高に取り組みを続けていたのだ。御大、あんたはやっぱり最高ばい。

 20年を経ていま出会う、まさにTからの贈り物だ。

2018. 9. 11

note 12 慕情

 かつて同性愛がテーマだと吉田拓郎御本人のご拓宣があって驚いたことがあったが、このライナーの記載のとおり、あらゆる「あこがれ」を形にした作品なのだと解題している。御意。吉田拓郎ファンがこの作品を聴くとき、この一言一句すべてに吉田拓郎そのものを感じとるに違いない。
 吉田拓郎は誰を思ってこの詞を書いたのだろうかとあらためて思う。例によって空想が入っているにせよ、ここまで繊細な思いはなかなか描けまい。
参照するほどでもないが、uramadoに石山恵三氏がライブで歌われた「慕情」がすんばらしかった話を書いた。あれとても吉田拓郎への深い深い慕情だ。最近では、曲こそ違うが、中島みゆきの「慕情」まで発表され、御大周辺は、慕情が行きかっている。
 ライナーには、武部聡志にアレンジを頼んだら「スケール感のある大きなノリにします」と返事があってこの完成形になったとある。 私は武部シンパではないが、この曲にはこのアレンジしかない。名アレンジだ。この作品は、私たちファンの拓郎への思い載せて運ぶ船のようなものである。それは、ボートや小型船舶ではなく、あくまでゴージャスで豪華な巨大客船であってほしい。それに比肩するようなこの壮大なアレンジがまさしくふさわしいと思うのだ。

 あなたを見失えば世界の終わり
 あなたがそこにいる ただそれだけでいい

 なんという切ないまでの充足感。それだけでいいわけないのだが、この曲を聴くときには本当にそれだけでいいと心の底から思える。
 このFrom Tのさまざまな名曲の間を行きかった末のDiskUの終盤という場所での落ち着きがいい。「午後の天気」よりも壮大な存在感を感じる。


note13 マークU’73

 1曲前の「慕情」について、From TのDiskUの終盤という場所を得てより一層の集大成感を感じると書いた。さまざまな名曲を旅したあとに、ファンの思いを集大成したようなフィナーレとして、私だったら「慕情」をDiskUの最後に配置しようと考えたかもしれない。しかし、そこが私ごときの薄っぺらなセンス、浅知恵の限界である。
 吉田拓郎は、この大団円のようなフィナーレで終わりにはせずに、そこに、なんと「マークU73」を持ってきおった。
 ちょっとウルウルするような「慕情」の充足の余韻を突き破るかのように、突然あの先鋭で攻撃的なビッグバンドの演奏がズガンと始まるのだ。おおお。
 そして容赦なくタイトなハリのあるボーカルで吉田拓郎が叫び、ビッグバンドが炸裂する。ライナーにあるとおりやがて、日本の音楽を担う天才たちのバンドである。フォークからはあまり遠い極北。吉田拓郎にとっての原点にして頂点。
 何度でも書くが、彼らはみんなまだ若造である。年齢にして御大27歳、瀬尾26歳、松任谷正隆22歳、高中正義20歳、田中清司25歳、岡沢章22歳、石川鷹彦30歳、後藤由多加24歳、恐るべき若造たち。
 この若造たちの有無を言わせぬ一撃で、私たちジジイ、ババアたちの宴は、余韻など残させずに、ガツンと終わる。ああ、カッチョエエな。さすが吉田拓郎。予想できるところからはやって来ない。

 この後に、「夏の日の恋」か「メロディー拓郎の今日までそして明日から」が欲しい気さえする。

 それにしてもこのFromTを聴きながら眠れる人、寝てしまう人は本当にいるのだろうか。切なる疑問が胸に残る名盤となった。
まだまだ聴きこんだとはいえない。たぶん選曲と曲順にこめられた意図、曲順の描くものがあるに違いない。そこに思いを馳せながら何度でも聴くよ。

 さあて、Tからの贈り物 行くよぉぉ。


ラジオでナイト 第71回 2018.9.9
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

吉田拓郎です。

♪君を抱いていいの? 好きになってもいいの〜
♪あぁ、時は〜 国立で歌わされた  間奏エレキでミストーンしてしまった。


<小田さんによると「君がいいと言ったからそうなった」言い逃れの歌らしいという投書>

 好きな人がいるの?答えたくないなら 言わなくていい。でも抱いていいかな?君がいいのならいいよ、という言い逃れ。どうすりゃいいのよ(笑)

 オフコースの清水仁と松尾をメンバーにしてツアーをしていたことがあった。北海道あたりに行ったとき、カラオケでYes.Noやオフコースのメドレーをあいつらが歌うと女たちはみんなヤンヤ。俺なんかほったらかし。とんでもないやつをメンバーにしてしまったと思った。小田からは、やはり年齢層あがるというメールも来ていた。

 家庭の事だが、奥さんにたまには僕が栄養のないものを食べてみたいと思う。昔、不良バンドの時代、ベースのチー坊が、毎日晩御飯を作ってくれる奥さんがありがたい、幸せだけど夫婦して酒が好きで、毎晩おかずが酒のつまみ系になる。たまには普通の晩御飯が食べてみたいと泣いていた。

先日、奥さんが今夜の献立どうしよう、もー毎日だからわかんないよ拓郎
我が家はちゃんと栄養のあるモノ食べているよね?
「間違いなく栄養たっぷり、いいんです。たまには身体に悪そうなものを食べてみたい

 時には栄養のないものを食べてみたい吉田拓郎のラジオでナイト。
■ タイトル
 スタジオで、レコーディングとかしているとジャンク・フードが出てくることが多いが、こんときとばかりがっつく。栄養たっぷりの料理に、奥さんに感謝感激なんだけれど、たまに栄養のないものを身体にわるそうなものたべてみたい。

 <ジミ・ヘンドリックス、よく知らなかったけれどカッコよかった、おかげで音楽の視野が広がったという投書>
 やっと甲斐が出てきた。みんないろんな音楽を聴いた方がいい。

<みゆきのバックのギターの話はまだ生きていますかという投書>
 瀬尾とメールでやりとりほしていて、年に一回、中島みゆきのアルバム作りの話が出た。暑中お見舞いを兼ねながら、この件については忘れていないよねと確認しあった。お互い年齢を重ねてきたので、そろそろやっとかなきゃいかんなと思っている。

(♪悪女)

 中路のみゆきのバックでギターを弾く日が近づいているような気がした

<カープの試合を観ながらマツダスタジアムで拓郎さんと語り合いたいという投書>

 奥田民生くんがカープひとすじ。年頭メールで「昨年はスワローズを応援していたけども 今年はベイスターズを応援して打倒カープ」と書いたら、「あらあら」と返事が来た。毎年応援チームが変わる人なのねということか。でも最近、広島の4番鈴木誠也にしびれるね。大物、スターだ。でも、こうあちこち変わっている自分としては、そのことを奥田くんにルメールしにくい。

<鹿児島の旅にラサール石井と牧瀬里穂と来た時で、谷山小学校の隣の市子さんと再会下駄屋の娘と投げ飛ばされてという話があったが、ご実家が取り壊され焼鳥屋ですという投書  >
よく知ってるね。僕の実家は、焼鳥屋か。変わってゆくんだね。

おっちょこちょい
<授業参観で娘のとなりのクラスで話し込んでいたら、気が付くと先生も違うし娘もいなかったという投書>
滅茶苦茶な。

 さて吉田拓郎と酒を呑むとしたら…吉田拓郎は、最近はビールワイン一杯くらいで殆ど飲まない
<寿司屋のカウンターで偶然に同じネタで通じ合い、最後は「大将あの人にヤリイカ」といわれ、こっちは拓郎さん気づくが気づかないふりして、二人でチャンチキおけさを話し合う、気が付くと支払いが終わっていたという投書>
そんな都合のいい妄想あるか。面白いな。三波春夫さんのチャンチキおけさを話し合う(笑)。

 リクエスト。今日は、聴きたいのでかける。結局、俺に忖度が必要だ。

<14歳年下ですが、拓郎さんではなく郷ひろみのよろしく哀愁をリクエスト>
14歳くらいなんだよ。俺もハッキリ言うけど、君もハッキリ言うね。拓郎さんではない(笑)

M-1 よろしく哀愁  郷ひろみ


■CM明け
 どんな動物が好きかというアンケート。僕は子供の頃、ロビーという名前の犬を飼っていた。秋田犬の雑種だったけれど、2年で死んでしまって、すごく悲しくて、それ以降は犬とか飼えなくなっている。

・56歳  馬が好き
  > 確かに馬はセクシーな感じ。馬はセクシーだと思っていた。馬っていう人は人って(笑)。 お尻とか、昔よく西部劇で観ていたけれど、セックスアピールを感じる。ついお尻に目が行ってしまう。
・グーグー  ライオンが最強と思ってたがカバが最強。カバが好き。
>知らんけど(笑) カバが好きって、どうすんのよ。

・のまのま  象か好き。眺めているだけでいい。芸とか仕込まれていない象が特にいい。
(笑)昔、上野動物園にラジオの収録で行ったが、動物っていうのは、ぼーっと観ていると、いやされる。キリンが好きだったな。鹿児島に「かもいけ動物園」ってあった。長い首見ながらキリンの背中に乗ってみたいって思わなかった。俺だけか。ハイヨー!シルバー!とやってみたい
・まさし  文鳥を飼っていて言葉を話す
> 広島で小学六年のとき、アパートに住んでいた頃、文鳥を飼っていた。「たくろうちゃん」「おかえり」と喋らせた。嬉しかったな。手乗り文鳥。1年くらいで死んでしまった。 
生き物は、別れガあるから切ない。

今週も提供曲が来ている。だいぶ順位が変わった。
2016年の黄色いテレキャスターが届くんだよ。みんなもっと欲しいって言えよ。

「ああグッと」をもっと応援してくれよ。
<ダントツ1位が「我が良き友よ」と思っていたけれどそうでもないんですねという投書>
かまやつひろしであれば、僕は、「水無し川」かよくできていると思う。今度のアルバムにも入れた。松本隆の詞が呼び出したメロディーだと思う。
<皆さんベタな選曲はしたくないのではないかという投書>
5位 あなたのイエスディ  
  ミキちゃんが
4位 我が良き友よ
3位 ドンファン
 松本隆が原宿での吉田拓郎イメージで書いたというが、夜な夜な女を自由に渡り歩く、  拓郎さんはそんな人じゃなかった。男同志で飲むのが好きだったな。基本的には、おノボリさんだったんだから、そんな夜な夜なレミーマルタンを飲んで、そんなカッコイイ人ではなく、広島のサータレだった。かまやつさんとかZUZUと出会って、都会での在り方を教わった。松本隆にどう見えていたかはわからないが、ドンファンは僕ではない。

2位 やさしい悪魔
 これは自信作だね。
1位 梓みちよ メランコリー

 このあたりは妥当だね。ただし、「あなたのイエスタデイ」は、どうかな。あとやっぱり「あゝグッと」かな(笑)。

■ベストテイク
 「大いなる」。フォーライフの社長をしていたときのことだ。まだ31歳くらいなので大変なことだった。自分に言い聞かせて、たぶん僕はひとりぼっちになるけど、決して尻込みせず、胸を張って、シロウトだけど負けませんという自分を勇気づけるために作った。

 社長業は僕にとってはイヤだな。何回も落ち込んで、いろんなことあるとヤケ酒を飲んでいた。ただ、もともとネアカなので一人で苦しむよりも、業界の社長諸先輩に相談しにいった。先輩たちは、いろいろ教えてくれたものだ。

 社長になったとき時、50人の社員がいた。彼らを支えて、その社員たちにも家族がいる。それを背負って生きるプレッシャーは大変だった。

 最初にやったのは 社長以下の幹部の給料を下げることだった。嫌だった幹部もいただろう。例えば年末のボーナスの査定とかもキツかった。ある時はもこの社員は仲間として
認められないということで退社させなくてはならなかつたり。そんなときは、六本木の行きつけのバーにいって「マスター独り言」のモデルのマスターのところでヤケ酒を飲んだ。

 会社ゴッコは楽しいかと、ナベシンさんに言われたが、もうとにかくレコードを出して売るしかない。夢は十分だ、現実的になろうとした。ミュージシャンとしては、夢のない毎日だった。それでも、31歳の若造が社長なんだから、野望、野心に満ちていた。否定はできない。結果論としては、若気の至りかな。井上陽水と話した時に「魔が差したんだよ」と言われた。マトを得ている。


M2 大いなる   吉田拓郎

■マイフェイバリット
 ブルース・スプリングスティーン。通称ボス。魅力的で何の飾りもないロック。

彼は若い頃、ボブ・ディランのような詞を書こうと思っていた

M3 ライク・ア・ローリングストーン   ボブ・ディラン

そしてサウンドは、フィルスペクターのようなサウンドを目指していた

M4 ビー・マイ・ベイビー   ロネッツ

ギターはデュアン・エデイのように弾きたいと言っていた

M5  Twistin' & Twangin'  デュアン・エディ

そして、ロイ・オビソンのように歌おうと言っていた。

M6 プリティウーマン  ロイ・オビソン

 この人の「明日なき暴走(Born to run)」には、狙っていたものがはっきりと現れている。
 70年代前半ころ、60年代のロックが飽きられて、プログレ、ヘビメタとか楽器の長いソロを聴かせる曲が流行って来た。いわゆるアメリカの伝統的ロックが受けなくなっていた。そこに彼が出てきた。 

 80年の「ダンシング・イン・ザ・ダーク」。このプロモで、ブルースが観客の一人の女性をステージに上げて踊る。似つかわしくなく、ステージでボス、踊らないでよと思ってしまう。これは、映画監督ブライアン・でパルマの演出だったらしいが、今見ると恥ずかしい。
 吉田拓郎の厚化粧みたいなもの。コーラスの女の子からメイクが濃すぎますよ。愛されるロックンローラーだったんだな。この曲が一番好きだ。

M7 ハングリーハート   ブルース・スプリングスティーン


■エンディング
歌謡曲
提供曲
ディナー
From Tの感想
吉田拓郎への素朴な疑問


*吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆


☆ご健康を気遣われての日々の奥様のご配慮はそのとおりだと思います。
つま恋2006のリハーサルの時、拓郎さんが「ぺヤングソース焼きソバ」を売店で買っていたという目撃情報がごく一部のファンの間を駆け巡りました。んなもの拓郎が食べるわけないだろ、と議論になりましたが、なんとなく合点がいきました。

☆みゆきさんのギター。ええーマジですかい。気が抜けません。
☆「たくろうさん」と喋る文鳥は私も飼いたい。

☆「たぶん僕はひとりぼっちになるけど、決して尻込みせず、胸を張って、シロウトだけど負けません」という自分を勇気づけるために作った。ああ、泣けるぜ。

☆人員整理、給与引き下げ、会社再建。身を削りすべてを背負っていた吉田拓郎に敬意を表したい。少なくとも「社長ゴッコ」などとは言うまい。それがファンの矜持だと思う。

☆「いろんな音楽を聴こう」と御大は語りかける。私は、拓郎は自分の曲とボブディランしか聴かないんじゃないかと長いこと思っていた。音楽の幅の広さと深さについて思い知ったのが、このラジオだ。御意。

☆というかFromTが出てから毎日拓郎漬けである。

☆☆☆星紀行の今日の学び☆☆☆

 やぁ、みんな。拓郎ばかり聴いていると、ばかになるぞ。広い視野で音楽を聴こう。

           「おまえに言われたくねぇよ」という声ガ聴こえたが空耳か。

2018. 9. 10

ひとりよがりの読書感想文もそろそろ大詰めだ。

曲順にこめられた意味はわからないが、少しずつこの順番に馴染んできた気がする。


note 09 歩こうね

 歩くといえば意気軒高な「歩け歩け/私の足音」が浮かぶが、それとは真逆の「歩けるかい、歩こうね、歩こうよ」…不謹慎ながら、この介護士のささやきのような歌に最初は驚いた。しかし、この一言一言に魂を落とし込むようにステージで歌う拓郎を何度も観てきた。

 ライナーで綴られた病室での思い。御大のポンは衝撃だったが、その他にもご夫婦とも幾多の闘病があった様子が、ラジオでの言葉の端々に覗く。吉田家の危機と言っていただろうか。
 セットリストや活動予定については、トテモ口の軽い御大だが、こういうプライバシーのことについては、当たり前だが、決して口を開かない。どんなことがあったのか、どれだけ大変だったのかは、想像すらできない。
 但し、このライナーだけでなく、ラジオでも、毎日の一歩一歩の大切さ、夫婦が話し合い、気にしあうことの大切さを語る機会が増えてきた気がする。
 明日と同じ一歩があるか、もう私たちだってわからない。御大のギターにあわせて、寄り添うコーラスとピアノがとてもいい。ピッチがずれようともそれこそが魅力だと思いたい。

note 10 朝陽がサン

 正直、この曲を始めて聴いた時は、なんじゃこりゃあと頭を抱えた。ピンポンパンか何かか。今も基本は変わらないが。
 このFrom Tで「歩こうね」の後に、この曲か始まると、とたんに迷妄晴れたりみたいに爽快な気分になる。身体が揺れるようにウキウキしてくる。まぁいいじゃないか、元気で行こうじゃないのという気になる。この曲順の妙味か。ともかくこんなふうに晴れ晴れと歩きたいものだと想う。「歩こうね」と「朝陽がサン」のふり幅こそ御大の魅力の幅の広さだ。

 サンサンおはようサンに頭を抱える私でも、思わず身体がスウィングするような卓抜したメロディー、久々の鈴木茂のギターに奮い立つサウンド、実にカッコイイ器だ。

  「歩け歩け/私の足音」が「正」なら「歩こうね」が「反」、そしてこの曲が「合」になるのではないか。と無理矢理、弁証法にしてどうする。

 このアルバムを聞き直し、ライナーノーツを読んで少し改心したが、別に無理して今度のステージでやらなくていいぞ。それはこの作品を愛していないこととは別の話だ。

note 11 夏休み

 そして、新たな一歩を歩みながら、思いは「夏休み」に飛ぶ。 経済問題から、ミニバンド形式での出自をみたという「夏休み」。もう心の襞にしっかりと刻み込まれている。
 そして名手石川鷹彦のギターが超絶すんばらしい「元気です」バージョン。甲乙つけがたい。というかクオリティとしては圧倒的に甲乙ついているのだが、どちらのバージョンも互角に泣けてくる。双璧とはこのことか。そうかこの両者を結ぶのが井口さんと田辺さんのコーラスなのか。
 もう、こんな夏は消えつつあることに暗然とする。この歌とともにこの夏の叙景を壊れ物のように大切大切にしておくれ、この国。

2018. 9. 9

note7  元気です

「澄みきった青空のような青山徹のギターのイントロ」…とuramadoに書いたら、なんとアレンジは青山徹だが、ギターは徳武弘文だとライナーでご解説くださっている。そうだったのか。もっとも音楽音痴の私だ。拓郎が「実はギターはキダ・タローでした」といわれても気づかずに感動しただろう。
謹んで訂正するが、ずっと間違えていたことも大切な財産なので、元の記載は、そのまんまにしておく。

 宮崎美子主演「元気です」の主題歌だが、ドラマのストーリーとか約束事からは一切自由に、自分なりに、主人公が生きていく道のりを自由に作り上げたとある。でも、このドラマの健気な宮崎美子と十分に親和性のあるテーマ曲だと思う。
 また、自由に作ると物語が長くなりすぎてアレンジャー泣かせだったと書いてある。しかし泣いたのはアレンジャーばかりではないようだ。拓郎が武田鉄矢と出た86年の「すばらしき仲間」で、武田が「知り合いのディレクターが、『まいったよ、拓郎に主題歌頼んだら途中で投げてやんの』と嘆いてましたよ」とチクると「ああ、そう、スタジオに女優が挨拶に来るとか言うんで作ってたら、来ないっていうんでオレもうやらないよって言ってやった」「それがあの名曲『元気です』ですもんね」。
 ドラマの台本や設定からは自由に作らせてくれといって、主演女優が来ないといって投げ出す。おい、なんてぇやつだ。

 ということで出自は、大変だったようだが、かくして出来上がった名曲は不滅だ。武田鉄矢も流星に次ぐイチ押し曲だった。お父様の訃報を知らされた直後のライブで、この歌を歌い「かすかに聴こえた優しさの唄声は、友や家族の手招きほどなつかしく」で胸がこみあげて「父ちゃんゴメン」と叫んだと述懐していた。私も、この部分が一番好きだ。って、いつの間にかなぜ武田鉄矢を語っているんだ。っていうか、この名曲にしてライブバージョンが武田鉄矢のものしかなくていいのか。ライブで聴きたいよ。無理を承知で頼みたい。

note8  歩道橋の上で

 つま恋に燃えた2006年から一転、2007年はかなりツライ年だった。何度も言うまい。しかし2007年にはこの曲があった。この曲を筆頭にした美しい新曲たちがあった。

 ライナーで、御大は、旅の宿等の大ヒット後は、「原稿用紙に彼流の社会観を走り書いた何遍かの詞が届く」、フォークソングに嫌気がさして、「距離を置くことにした」とある。
 他方、岡本おさみは、かつて新譜ジャーナルで、「アジアの片隅で」のあとに書いたたくさんの詞がボツになり「さらば吉田拓郎」と訣別の文章を書いていた。長い空白期の始まりである。それが仕方なかったことなのか、あるいは残念なことだったのか、私ごときにはわからない。いずれにしても作品本位でしか出会えない二人なのだろうか。

 旅の宿・落陽・襟裳岬に代表される70年代黄金期のあと、80年シャングリラ・アジア期、ずっと経って、96年感度良好期そして、2003年の月夜のカヌー期を経て「歩道橋」に至る。70年代、80年代、90年代そして2000年代と各年代で思い出したようにコンビが組まれている。これは私の研究によると天才バカボン、ゲゲゲの鬼太郎のリメイクのペースと似ている。それがどうした。

 「歩道橋の上で」は、やはり「旅の宿」との時空感がハンパない。雑にいうと俳句と携帯と石川鷹彦で、蔦温泉と東京、過去である70年代と現代2007年を結んでいる。結ばれた真ん中に私らそれぞれのかけがえのない人生も詰まっている。楽曲の美しさとともに、その間に詰まった時間を思わざるを得ない。ファンとして歳をとった時間を悪くないなと思ったりもする。そんな作品のチカラがあると思う。

 石川鷹彦、島村英二、エルトン永田、徳武弘文、松原秀樹、スタジオの映像もいいよね。ご本人こそいないが岡本おさみを囲んでの最後の宴という感じがする。あらためて「花の店」のライナーの「不揃いな言葉たちを愛して曲をつけた」という言葉が胸にしみる。

 このサイトで「この歌にあう歩道橋はどこだ選手権」を企画していたのだが、なかなか実現しない。私は、飯田橋五又路か環八砧の歩道橋に一票入れたい。

2018. 9. 8

note05 消えていくもの

 見慣れていたのに消えてしまって、ちょっと寂しくなるもの。拓郎さん、そりゃあ、あります。たくさんありますよ。
 例えば、コンサート会場前に必ず出ていたグッズ屋台。微妙に会場敷地の外にありました。Tシャツ、タオル、写真から、団扇、定期入れ、本人のサインまで売ってました。ホンモノですか?」と尋ねるには、ちょっと怖いお兄さんが売ってらっしゃいました。最近とんと観ません。
 あとコンサートの紙テープ。人はいつからステージに紙テープを投げなくなったのでしょうか。ま、危ないですもんね。「舞姫」のジャケットで確認できますので1978年あたりが最後と思われます。
 そして、ライブ中に「朝までやれ!!」という人もいなくなりました。私たちファンも朝までやられたらこっちも困るという歳になってしまったのだと思います。

 切なく懐かしいけれど、この曲の陽気さ、かつて拓郎さんのおっしゃっていた小室等の「ぼくのおねぇちゃん」みたいな明るいノリがいいです。これは鈴木茂さんのチカラだったのですね。

 それにしても、つま恋2006の前日のゲネを丘の上で聴いた時、ちょっとおどけて歌っていたバージョンかステキでした。つま恋の風に吹かれたあの日の景色ってやつです。

note06  春だったね

 この歌が、吉田拓郎と常にともにあるということは、ファンとも常にともにあるということだ。ライブの定番曲に飽きたと悪態を付きまくる私だが、「春だったね」だけは別だ。身体に刷り込まれた「さぁ始まった感」。これはSF映画で言えば、知らない間に私たちの人体に埋め込まれたスターティング・スイッチに違いない。
 ライナーにあるように田口叔子さんがラジオ番組に書いてきたハガキを採用したものだったという。また天地真理の提供曲「さよならだけ残して」の詞も田口さんだが、御大の「ラジオでナイト」によれば、月刊明星の詞の募集に応募して採用されたとのことだ。
 投稿マニアなのか、ハガキ職人なのか、あるいは流しの作詞家なのか。思い切り謎が謎呼ぶ田口淑子さんである。今頃どうしておいでだろうか。「春だったね御殿」とかに住んでおられるのだろうか。
 今回は「元気です」バージョンだ。松任谷正隆のオルガンがポップに跳ねる。甲乙つけがたい「元気です」と「ライブ73」バージョンだ。私が中学の時に買った二枚組みベストCBSソニーの「よしだたくろう71〜75」は、「吉田拓郎自身の選曲による」と謳っていた。その春だったね はライブ73のものだった。今回こっちを選んだのはなぜだろう。

 御大は「言葉が飛び跳ねている」とおっしゃる。まさしく。言葉もメロディーも飛び跳ねている。 反面で、この歌は「字余りソング」の典型のようにいわれる。口惜しい思いを何度もした。
 なので、私は私なりに渾身でUramadoに泣きながら書いた。「歌詞の言葉がホップするようなときめき感あるメロディー。フライパンの上のポップコーンが弾けていっぱいになり、フライパンの外にぴょんぴょん飛び出していくような躍動感。音符♪から溢れ出た言葉も、本体のメロディーとともに跳ね回る。ただ溢れ落ちたのではなく、溢れた言葉たちにも音楽の魂がみずみずしく宿っているのである。」
 このイカれた文を書きながら「春だったね」を字余りソングと揶揄するヤツとはぜったい遊ぶもんかと胸に刻んだ。小学生かよ。んまぁ、こんなイカれた私とは誰も遊んじゃくれまいが。

2018. 9. 7

note 03 おきざりにした悲しみは

 もちろん稀代の名曲だとは中学生の時から思っていた。しかし、この曲がより一層、胸に刺さってくるのは年齢を重ねてからだ。何十年かオトナをやって、人を裏切り、罪人の1人になって、政ごとみたいなものにも疲弊し、ボロボロのおっさんになった今になってようやくこの作品の真価がわかったみたいなところがある。
 心の底から驚くのは、当時、この詞を書いた岡本おさみは29歳、吉田拓郎は26歳、そして魂のギターを弾いた高中正義は19歳の未成年である。今は19歳は成年か。えぇ!!?、こんな若造たちが、なんでこんな深遠で老成した音楽が作れるんだよ。
 しかも、ライナーノーツには、コード譜だけを頼りにスタジオでアドリブで作り上げたとある。今もってこの隙のない彫琢された磐石な演奏。中学生の時からステレオの左スピーカーのみボリュームをアップして聴き惚れたギターソロ。これらを、アドリブで作ってしまうんかい。
 若造たちの神業は驚きや感動を通り越す。文字通り音楽の神様が降りていたに違いない。1972年に何十年か後に向って、神様が蒔かれたもう種のようなものだ。

note 4 君のスピードで
 今やスタンダードとなったこの作品は、吉田拓郎にとって80年代後期から90年前期のさまよえる氷河期からの突破口となった。って、なんでおまえが言う。いや、ファンだって同じ氷河の中に閉じ込められていたのだ。
 いつも海外録音の時、文句ばっかり言っていた吉田拓郎が、このレコーディングでは違っていた。言葉を超えて相手を唸らせる精巧なデモテープと和食料理人を連れて、バハマのコンパスポイントスタジオに臨み、外国人ミュージシャンと合宿してアルバムを作り上げる。もう、カリブ海の箱根ロックウェルスタジオみたいなものか・・・ココが私の想像力の限界である。死ぬまでに一度は行ってみたい、聖地バハマとコンパスポイントである。
 ミュージシャンからの「音楽は永遠である」という言葉が自分ごときの胸にもしみる。ここから冬の氷河をカチわって、何度目かの吉田拓郎の快進撃が始まる記念すべき、まさにコンパスポイントだ。
 この作品は、人と人との距離感を歌い続けてきた吉田拓郎の集大成だと思う。クラブ25で、初めて聴いた時、深夜の静寂の中カから、零れ落ちてきたような歌と演奏に感動したものだ。静けさの中に棲む至上のラブソングだ。同じくクラブ25で、夫婦で空をみあげながら、思いを共有する、いいLuckを引いた…という話とともにセットになっていて忘れられない。

2018. 9. 6

 関空を浸水させた台風にも、北海道の大地震にも言葉がない。地球はもうすぐ終わりなのか。職場のスタッフのご実家の様子を通じて札幌の大変な状況を知り、あれこれ思案するも厳しい。ともかく心からお舞申し上げます。

 なのに、今日もイカレタ日記が続く。

 昨夜、御大ご推奨の映画「ドリーム」を観た。黒人入学の前例がないという試験官との対決のシーンは本当に痛快だった。きっと吉田拓郎は、こんなふうに前例がないからと拒否られる屈辱的な思いを何度も経験したのに違いないと思った。

 ライナーノーツのDisk2の感想文


note 01 風の街

 風の街が一曲目というのもオツな選曲だ。ラジオのベストテイクの一曲目もそうだったし。とにかくクリアな音であのハーモニカの前奏が始まるとウキウキしてくる。

「毎晩のように僕達はこの街に集まっては共に若さを発散させ自由を謳歌していた」

 聖地というより、遠い異国の地でおきているドラマのようだった。自分がそこ行ってみるなんて思いもしなかった。
 「あこがれ共同隊」とはよく言ったものだ。ドラマで幻の地原宿ペニーレイン周辺の様子を覗くしかなかった。ホントに棲んでるかのような山田パンダと最近亡くなられた常田富士男のホームレス父子も忘れ難い。

 流星も原宿が舞台の端緒だったとライナーノーツで知った。
ペニーレインでバーボン(74)→風の街(75)→流星(79)→街へ(80)→ペニーレインは行かない(84)
 原宿と吉田拓郎の関係が、まるでマイルストーンみたいに残されている。この歌のライナーノーツでは「そこではない場所を求め始めていた」とある。既に別れの予感がしているのか。しかし、松任谷や島ちゃんとのせーの、の一発録りのサウンドがメチャいい。原宿という舞台の活気とエネルギーとあこがれがまさに佃煮のようになって漲っている。

 街が人を育て、人が街を作る、そして人はまた新しい街を探して放浪する。・・・なんか不動産会社のCMみたいだ。


note 02 ガンバラナイけどいいでしょう

 ライナーに書かれた「ガンバレ」をめぐる御大の苦闘の話には申し訳ないが、吉田拓郎を支えに頑張ろうと思いつづけてきた私には「ガンバラナイけどいいでしょう」というタイトルは、残念を通り越してショックだった。「頭が重い」「胸がスッキリしない」「動きたくない」という患者の主訴のような出だしに頭を抱えた。

 でも曲が進むと次第に変化してくる。「もっともっとステキに いられるはずさ」、「きっとこの頃何かを皆 気にしてるんだね 誰かの顔の色も気にかかるんだね」、「そこよりもっともっと それよりももっと心が痛くならない つらくない所」 ああこの歌は撤退や隠居の歌ではなく、「頑張る」という人間にとっての最大のしがらみから自由になっていくための歌だ。中島みゆきの「ファイト!」流にいえば「頑張るという名の鎖を身をよじってほどいていく」歌だ。曲がつつむにつれて不思議に身が軽く元気になってくる。いつの間にかライブでノリノリになっていたのも忘れられない。
 ライナーノーツのとおり、詞だけでなく、そういう詞に寄り添った演奏の展開がまたすんばらしい。さすが音楽家たちのワザのデパート。今回は、ライナーでご指摘の古川望さんのギターのアドリブが奔放に跳ねる最後に聴き入った。メチャカッコイイ。軽やかに先に先にと誘って連れて行ってくれる、そんな歌だ。
 ちょっと前にCMで、ローラが歌った、のどかな感じ。あれがとても正鵠を得ている気がする。

2018. 9. 5

 そういえば33年前の今日、アルバム「サマルカンドブルー」と浜田省吾の2枚組「J.BOY」が発売されたんだよな。このコントラストが当時の私にはコタエた。しかし、こうして今"From T"を聴ける今がある。

 読書感想文はつづく。


note11 清流(父へ)

 ゆったりと、たゆとうような「名前のない川ver」が好きだが、あらためて聴く「午後の天気ver」のちょっとタイトでアップテンポな感じもいいな。いずれにしても、やっぱり名曲だぜ。

 ライナーノーツの
 
 僕が父を慕っていたのは事実だ〜月日が流れ僕の心変化が生まれる〜「僕の知らない父の本当の姿」があるのではないか
 
 という言葉を読みながら本曲を聴き、本曲を聴きながらその言葉を思う。

 御大とご尊父様の心のつながりに、私ごときが立ち入ることはもちろん、推察すらできようもない。しかし、御大の「心の声」は、どうしたって聴くものに音叉のように響いてくる。

 力が永遠のものならば 僕は後悔をしないまま
              若くて選んだ激流を今でも泳いでいただろう

  この部分を、かつては軽く聴き流していた。もともと自分に力はないが、こうして老いて、いろんなことが衰えてゆくにつれ、それが父であれ、誰であれ、大切なことを何にも聞いていなかったことに気付く。もっと話しておけば、聞いておけば良かったと悔やむ。「力が永遠のものならば」とはなんと詩情あふれる表現だろう、さすが御大は詩人だ。

  関係ないが俳優の田村正和がインタビューで「子どもの頃や若い頃は父(阪東妻三郎)がいないことを淋しいとも何とも思わなかった。でも、この歳になるとね、迷うたびに『ああ、おやじがいてくれたらなぁ』と思うね」
 
 人により程度の差こそあれ、誰もがこれも近いものががあるのかもしれない。もしかすると、おやじはすべてなのかもしれない。なーんて思ったりする。

 あなたの家族でいたことを誇りに思える今だから。

 御大は嫌かもしれないが、ファンの多くは思うだろう、NHKのファミリーヒストリー吉田拓郎編が心の底から観たい。

Note 12 花の店

 「花の店は坂の途中」というフレーズを聴くたびに心の底から「それがどうした」と叫びたくなる俺を許してくれ。しかし、岡本おさみさんこそは、不世出の作詞家であると私は確信している。
 岡本おさみさんとの関係が綴られているこの曲のライナーノーツ。
 「自由過ぎて」メロディーに乗せにくい言葉たち。「自分は歌いこなしてみせたが、他の歌手に提供した我々コンビの作品は、それはそれは歌手の方が苦労したはずだ。」 なるほど。歌いこなした方は、由紀さおり、森進一、小柳ルミ子、森山良子・・・いずれも超絶歌唱力の持ち主ばかりだ。なるほど御大は相当大変だったのだなとその苦闘が偲ばれる(笑)。

 最後近くにこんな言葉がある。

 まさに不揃いの言葉を紡ぎ続けた彼だが、僕はその言葉たちを愛して曲にしてきた。

 この淡々とした言葉の奥深くにこめられたものを思うと泣けて泣けて仕方ない。

 せっかくの個人サイトだ。明言する。

 松本隆☆筒美恭平など作詞・作曲の名コンビは数々ある。
しかし、岡本おさみ☆吉田拓郎コンビこそが至高でありその頂上にいる。あとは、みんな坂の途中だ。

note 13 戻ってきた恋人

 六本木でZUZUやコシノジュンコや加賀まりこと夜な夜な遊ぶ華麗な青年。もう、その時点で、この人はフォークソングなんかではないと、なぜ世間は気付いてあげなかったのだろうか。

 たぶん、歌手であり作曲家でありアイドルでもあり、ついでにかくも傍若無人である前代未聞のこんな人間は過去に類例がなかったから、みんなどう取り扱えばいいのかわからなかったのだろうと思う。類例がない煌きがあったから、ZUZU初め、センスある人々にはそれが見えて、注目したのだろう。しかし、大多数の人はそういう煌きをキャッチするセンスがないから、取扱い困難なままフォーク歌手ということにしておいといて、やがて、わかりやすい別のものに飛びついてゆく。吉田拓郎の孤高はそういうところに原因があるのではないかと思う。
 つまり安井かずみさんやこのアルバムを買った私たちファンは、みんな類例のないこの煌きをキャッチしえたセンスある種族なのである。んーなんか盛り上がってきたばい。

 御大のヘッドアレンジで松任谷正隆が、かくもポップに仕上げてくれる、2つ音楽の才能同志の蜜月がまた眩しい。

note 14 アゲイン

 Uramadoにも書いたが、未完成の楽曲を発表するのは、シューベルトと吉田拓郎だけである。シューベルトは途中で投げ出し放棄したので曲が未完成らしいが、吉田拓郎は、未完成で出したCDを、ライブでキチンと完結させたので、この時点で吉田拓郎はシューベルトを超えたというべきだ。どんだけ凄いんだ吉田拓郎。なぜ教科書に載らない。なぜ小学校の音楽室に写真が飾られない。

 ライブで聴いた「アゲイン」は実に不思議だった。セットリストの中の1曲でありながら、一段高いところから他のセットリストのすべての曲を照らすような。そしてすべてのセットリストの曲がアゲインに向って収斂されてゆくような。そのコアにある「僕らは今も自由のままだ」。私には謎でよくわからない。
 そして、「次のコンサートからは少し違う意味を持った曲になる」という。なんだ。なんなのだそれは。謎を孕みつつ、アゲインは未完→完成→さらなる変化に向って進むのか。ともかく次のライブが楽しみである。



 DISK1が終わった。この曲順の意図はまだ私にはわからないが、とても考え抜かれていて、おおおと唸ってしまう曲順であることは確かだ。それは何なのか、いろいろな意味で深いアルバムだ。

2018. 9. 4

note 09 ウィンブルドンの夢

 この歌がどれだけ素晴らしいかは、uramadoで書いたとおりだ。「歩道橋の上で」の映像のほぼロックウェルバンドによる「ぁぁぁ君の夢を」バージョンも秀逸だ。

 ライナーノーツに記された「あまり夢を見すぎるな」とおっしゃった学校の先生、そして外交官になれなかった吉田拓郎くん。

 それで思い出すのは、1980年ころラジオ関東で放送していた「吉田拓郎の世界」という超絶地味な番組だ。志賀ナントカさんがパーソナリティをやっていた番組。そこに拓郎の中学時代の先生がインタビューで出てきた。「吉田君は外交官(外国に行きたいだっけか?)という夢を持っていたが、それにしちゃ英語の成績はそんなによくなかった」とミもフタもない証言をされていた。
 もし、その先生が「あまり夢を見すぎるな」とおっしゃったのだとすると、それは決して否定的な意味ではなく「だったらもっと英語勉強しろよ」ということだったのではないかと拝察する。

 でも外交官なんかにならなくて良かった。そしたらミュージシャン吉田拓郎は誕生しない。私はきっと吉田拓郎ではない他のツマラナイ歌手を応援するツマラナイファンになって、ツマラナイ人生を送っていたに違いない。

 ウィンブルドンよりもワールドカップよりも感動する魂のライブをいつも夢見ている。この夢ひとつだけで、私の薄っぺらな人生はツマラナイものでなく、めくるめくものになるのだ。

note 10  水無し川

水無し川のメロディーをライナーノーツで御大はこう評する。
   のびのびとしている
   柔らかである
   そして力強い
   おおらかである
   そして繊細でもある
 まったくそのとおりの名曲だ。異議などない。特に、かまやつひろしwith瀬尾一三の「水無し川」を聴く時、確信をもってそう思う。でも、この吉田拓郎with松任谷正隆バージョンは、それだけじゃない。これらに「すみずみまでやるせない悲しみに満ちている」を加えたい。だってそう感じるんだもん。たぶんこの歌の出自の頃の状況などがイメージに影響しているのかもしれない
 駒沢裕城のスティールギターの音色は、美しすぎてあまりに悲しい。「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。」という小林秀雄のコトバを思い出す。この水無し川のボーカルとスチールギターのかなしさは、疾走する。涙はおいつけない。
   「吹雪のあとに 春の陽ざしが 花に酔ったらその時泣こう」
このあたりでようやく涙が追い付いてくるのだ。




ラジオでナイト 第70回 2018.9.2
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

吉田拓郎です。

 とりあえず(♪ファンファーレ)。4回続けてチャンピオン。メールもハガキもたくさんいただいて、皆さんがいかに愛してくれているか。ニッポン放送にも表彰していただいて、もっと美味しいこともしてほしい(笑)

 さてアルバムが出たでしょう。たくさんのメールをいただいて、皆さんが喜んでいることを確認できた。みんなと共有できているなという気がして良かった。

 今日は一大イベント
<SUICA/PASMOは楽です、デビューを待っていますという投書>
 ついに使ったぞ。起立っ。いゃあ、SUICAをタクシーに乗って言い出せなくて現金払いでSUICAっていいじゃん。運転手もこっちも実にスピーディ  これは明らかに使わない手はない。くれた森野君に感謝したい。でもチャージは君に任せるから。吉田拓郎が駅でチャージする姿は見せたくない。
 こうしてキャッシュレスの時代に入っている。「アップルウォッチって時計で何から何まで、支払いまで済ませることが出来て楽ですよ。」といわれて驚いた。僕の時計は、時刻しか表示しないぞ。
 吉田拓郎は、コンピューターでデモテープ作りまくって同年代では先端を行っているつもりだったのが、ここ数年で変わった。キャッシュレスの時代が進んだ。
 割り勘もスマホで一発とか、えーっと思っていた。

 最初タクシーで「SUICAでいいですか」と聞いたとき、乗りながら、SUICAをどこに指すんだろうと思って、穴を探していた。お金を払うところのあそこがガラっと開くとはは思わなかった。

 このことに反論もるあが、それはいずれ。思うこともある。なんでもかんでも共有もするな、一人にしといてくれという気持ちもある。  

 やっとSUICAを仕えた吉田拓郎のラジオでナイト

■タイトル
 便利の反面消えてゆくものもある。今度のアルバムにも入っていたでしょ、君らはあんまりかもしれないけれど、僕は好きなんだ。  

 たくさんのメールありがとうごさいました
<前日購入、ライブの初日のように期待したという投書>
 ニッポン放送と話して、東京公演が一か所しかないので東京でラジオでナイトの公開放送ができないかと、あんまり言っちゃいけないのか。  
場所は言えないけれど僕と縁の有る場所、サンプラザじゃないよ。二度目のサンプラザで倒れた。あそこじゃない。想い出深い場所で公開放送をかねてと言う話がある。
ん、じゃひとり50万円くらいで(笑)。冗談だけど。   
ニッポン放送でどうか

<最初にディスク3を聴いた天性のボーカルの素晴らしさと曲順のストーリー性があって素敵なアルバムをありがとうという投書>
 耳元でささやくような感じだろ。
 アルバム買った人からありがとうといわれたのは初めてだ。

<開封して涙、ライナーノーツを読んだ、拓郎さんが話かけてくれているようだという投書>
 アルバム買ってもらってお礼を言われているのってある?
<拓郎さんが番組に飽きてしまわないか心配ですという投書>
 確かに、一年半くらいで飽きるけど4回続けて一位だからね、もっと10回とか続けたい気もしている。
 歌謡曲のリクエストで多かったのが、女性でちあきなおみ、男性ではジュリーだった。
沢田研二さんとは、時々メールをする仲だ。昔、月刊明星の対談以来、遠い人ではない。
ご存知のとおり僕はバンドでナベプロに売り込みにいった。タイガースを意識していて、タイガースよりはウデは良かったと思っていた。ルックスはゼンゼン駄目だけど。でもナベプロは入れてくれなかった。
ということで、沢田研二は意識していた。
 今年の初夏のころ「おでん屋で旅の宿を歌ってます」というメール貰ったこともあった。「時の過ぎ行くままに」をリクエストくれた人もいるけど、今回は「勝手にしやがれ」。

M−1 勝手にしやがれ   沢田研二

■CM

 吉田拓郎が他のアーティストに提供した楽曲投票。この結果は、10月のスペシャルウィークで発表します。って、今考えていることがあるわけよ、5回、10回と記録を伸ばすため、提供曲ベスト5に応募いただいた方のうちからひとりに2016年で遣った黄色いテレキャスターをプレゼントしようかなと思っている。
今、次のコンサートのために欲しい楽器があって、それをあたっている。なので黄色いのギターは使わないので。どう?これが届くというのはどう?
 橋内が手を叩いて「それだ!!」と言っているが(笑)
 というわけで黄色いテレキャスターをプレゼントしようと思う。吉田拓郎って本当に気前がいいなと思わない。

 さて、今週はリクエストが増えた。予想とは違うけど。

5位 Kinkiの「危険な関係」
  >言うがままだな  
4位  テレサ野田「ソファーのくぼみ」
  三連だ、これはマイナーだよ
3位  風の街
  山田パンダの提供曲だって忘れていた(笑)。自分の歌だと思っていた。あげなくても良かったな(笑)
2位 モップスの「たどり着いたらいつも雨降り」
1位 川村ゆうこの「風になりたい」

他には、
 メランコリー、いつか街で会ったなら、やさしい悪魔、ドンファン、ルームライト
あなたのイエスタディ・・・キャンディーズのミキちゃんが歌っているのかな、  思い出せないのが「恋のバイオリズム」。松本伊代ちゃん、この人は唄が・・・だったね。

 僕の方で個人的に好きなのは、マッチの「ああグッと」来ないね。一通もないね。結構好きなのに。猫の「地下鉄にのって」もない。売れなかったけれど加藤紀子の「ふゆがきた」も好きだ、♪お豆腐いいね、はんぺんいいね、可愛くて好きなんだけどな。

 太田裕美のアルバムの「鍵」これが鈴木茂がいいアレンジしているんだけど。    
なんだかホント・・・・という感じ


■CM つま恋のコマーシャル 彩の里

■今週のベストテイク  

 今週はアルバム「AGAIN」のアキラ。

 みなさんの心にも、それぞれアキラがいるのではないか
   ♪棕櫚の木の下で陽炎がゆれている
 このメロディが好きなんだ

 鹿児島だったので、通学路に棕櫚の木があった。小学校にはアキラはいなかった。小学校の時、宮崎先生を慕っていた。アキラにあたるのは、中学、高校の頃に藤井君という親友がいた。彼は水泳部だった。
 僕が、音楽の楽しさFENの岩国放送とかを教えてあげて彼が音楽が好きになって、彼の自宅のピアノでセッションしたり、女の子を呼んでヘイポーラを歌ったりもした。

 彼は、後にダウンタウンズにゲストで出演してレイチャールズを歌ったりしていた。

 高校の頃、いわゆるワルにカラまれて危なくなっているといつも藤井君が助けてくれた。お互い勉強は中の上だけど、喧嘩が強かった。ワルが一目置いているそういうヤツ。強い奴に寄らば大樹の陰で一緒にいた(笑)。まさにアキラだった。

「AGAIN」をチェックしていたら気分が昂揚してしまった。特に最後のアドリブのところ。今日はみんなでアキラを聴いて泣きましょう。

M−2  アキラ    吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング

 亡くなって悲しい。バンド時代から尊敬していたアレサ・フランクリン。ソウル、ゴスペルの女王で素晴らしいワン・エンド・オンリーのシンガーだった。グラミー賞も20回くらい獲ったのかな。女性としては初めてロックンロールの殿堂入りを果たした。

 今日、選んだ曲は、あまり知られていない曲で、アルバムの1曲なんだけれど、僕が好きな曲。

まずはこういう曲を聴いてみよう。

M−2  チェンイン・オブ・ザ・フール  アレサ・フランクリン
 これは ♪チェチェチェン、ワンコードでアドリブで歌う。シャウトだよな。こういうシャウトができるのは、ジョン・レノンとアレサ・フランクリンだけだな。
大学2年の頃、チェイン・オブ・ザ・フールは、難しくてバンドでは無理だった。沢田研二でも無理だったかも(笑)。

 小さな願いというバートバカラックのカバー。

M−3 小さな願い  アレサ・フランクリン

どの曲をカバーしても凄い、やはり不世出のシンガーだ。
ゴスペルが原点でブルース、R&Bへと繋がっている。
映画「ブルースブラサーズ」で、バーのママで歌うシーンが素晴らしかった。   

 ベン・E・キング が歌っていたドント・プレイ・ザット・ソング
これで御冥福を祈りたい

M−4 ドント・プレイ・ザット・ソング  アレサ・フランクリン

■エンディング
イニエスタ、トーレスと活躍が目覚ましい。

毎週ポロっと喋ってる。

東京でもう一本
黄色いギターをプレゼント

ありゃりゃりゃ

歌謡曲
提供曲

お相手は吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆おめでうございます。
 ・聴取率連続4回首位
 ・SUICA初使用
 ・ニューアルバム発売
 ・ラジオでナイト放送70回
なんとめでたい放送なのか。

☆もしかすると勝手にかましていた渋谷公会堂がライブ&公開放送が実現するということだろうか。期待するしかない。
☆てか、"つま恋"が提供になってて、びっくらこいた。ニッポン放送とつま恋の協賛で、つま恋で公開放送をやってくれよ。わかってる。駄目だよな(涙)

☆From T 大好評何よりだ。

☆ガラリと変わった提供曲のランキング、忖度の嵐が吹いている。おい、信念をもって投票せよ。
 それにしてもギターあげちゃうの。すげー。昔から、思い切ったプレゼントするよね、御大は。もちろん当選したことないけれど。何に投票すれば当たりやすいんだろうか(爆)。

☆「あなたのイエスタデイ」。ミキちゃんうまかったよねぇ。

☆ アキラは、あの最後のアドリブの部分から一気になだれこんでいって泣けるのだ。

☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆

アキラは藤井さん 藤井さんは歯医者
  冷たいものが沁みる時 奥歯が疼いて困った時  アキラがついているさ

2018. 9. 3

 たまらんぞ”From T”。どのように、たまらないのか、私には、ライナーノーツの読書感想文を書くことでしか表現できない。小学生か。


note 05 恋の歌

よかった。作詞・作曲所ジョージとクレジットされていなくて。
よかった。アルバム「ぷらいべえと」からもセレクトされていて。
よかった。あの間奏のメロディーまで御大が作曲していて。
よかった。深夜スタジオで、社長仕様短髪の拓郎とアフロの若きエルトンさんの姿が目に浮かぶ。
よかった。あのオルガンとエレピを御大がベストテイクと思っていて。
よかった。クリアな音でオイルズの陣山さんの声が聴きとれて。
よかった。「恋の歌」がこうしてクリアになって未来に向かって残されて。

note 06  金曜日の朝

 この歌に漂うヨーロッパの暮らしのような香りに、当時、蒲田在住の中学生は、胸を焦がして憧れた。レンガの街並みをワインと薔薇を抱えて背中丸めて歩くのだ。もちろんこの歳になっても、そんな暮らしに1ミリも近づいてはいない。そんなことはイイ。

 報知新聞のインタビューをあわせ読むと、極論すれば、安井かずみさんの話をどこかにキチンと残す、ただそのためだけに、今回のライナーノーツを作ったような気さえしてくる。
「フォークなんて大嫌い」と面罵されながらも深い寵愛を受けるという、私なんかにはわかりようがない深い天才どうしの関係。何度もこういう安井かずみとの話は聞いたが、何度も話すにはワケがあるのではないか。
 加藤和彦を尊敬し、また友人であり恩人でもあるだろう御大は、もしかするとハッキリと言いにくいのかもしれない。ならば私が思い切り行間を邪推してくれる。
 もし、安井かずみが加藤和彦と結婚して専業主婦ならぬ加藤和彦の専業作詞家にならなければ、きっと安井かずみ・吉田拓郎コンビのドラマチックな作品のもっともっと大いなる展開があったはずだという悔恨のようなものではないか。
 「彼女的なエッセンスいっぱいの詞に僕はポップなメロディをつける自信があった」というライナーノーツの御大のキッパリとした言葉を私はそう読む。アルバム「サマルカンドブルー」は超絶大好きな名盤だが、どこか老境の香りも感じる。その前に、もっと自由奔放で旬な二人による大人のポップスたちがありえたはずだ。「金曜日の朝」「戻って来た恋人」から展開してゆく珠玉の作品群をものにすることができたはずだ。そういう後悔のような思いではないか。さすればこの音楽界すらも変わったかもしれない。
 後悔とはかつてそこに愛があった証なのである(是枝裕和「ゴーイングマイホーム」より)。

note 07 oldies

 あの耳に残る♪共鳴レックス〜のコーラスは、無断で後からつけられたのか。それは悔しかろう、だから、お詫びにスバルレックスをくれたのだろうか。 この小さなロードソングこそは吉田拓郎のエッセンスだと思う。コンソメの素のように溶かせば、果てしなくいろんな歌に広がってゆく。
 バイタリス・フォークビレッジの番組本体は直接聴いていない。だけど木田高介さんのこのテーマ曲は何度も聴いていた。木田さんとのコラボは、この曲と「川の流れの如く」が、メチャメチャ、カッコよかった。「フォークビレッジのテーマ」と言いながら、全然フォークじゃないじゃん、という気がしたものだ。

 確かに、この「僕らの旅」と「フォークビレッジのテーマ」の2曲のジョイントは見事だった。ツギハギのメドレー感を感じさせずに、曲としてのなめらかな一体感がある。そうか鳥山雄司のアレンジの技なのか。ただそれだけではないと思う。それは2つの詞の親和性だ。
“果てしなくつづく旅の歌”と”ひとりぼっちの夜”の二つの作品が見事に連動しあって、”旅路のせつない孤独の美しさ”を描き出している。
 Uramadoで、今まで聴けなかったフォークビレッジのテーマの三番の歌詞が聴けて感動したと書いたが、この三番は、oldiesのジョイントの時に付加されたとライナーノーツは教えてくれた(二番は確かオールナイトニッポンの弾き語りで聴いた気がする)。そうか。
「ここに一人でいる僕を 夜空のどこかに記しておきたい 愛する人に届けと」というなんともプリティなフレーズ。なるほど、このフレーズは、2曲をジョイントする大切なフレーズに思えてくる。奥ゆかしい御大は、鳥山さんの技のみを賞揚するけれど、御大のこの詞こそが結びつけているのではないか。
 とにもかくにもステージで聴ける日が楽しみだ。

note 08 シンシア

 ぐわー、ここでシンシアだ。この曲を知ったのは、フォークビレッジ、といってもかまやつさんがパーソナリティの時だった。「今度、拓郎とレコードを出すよ」と何度も番組内で流してくれた。自分の番組だもんね。そこには、これまでの歌謡曲とも違う、大人の歌で、こういう曲を聴けばきっと大人になれてモテるのではないかと中学生は思った。ライナーノーツは「大人のラブソング」というオーダーがあったということだが、ドンピシャじゃないか。いや全然違うか。
 また当時の歌謡番組で南沙織に福留アナが「最近、シンシアなんて歌までできたのって知ってる?」「ええ」なんて会話があった。なぜ買わない、なぜ大人にならないと世界から責められている気がした。
 初めて買った吉田拓郎のレコードを、ひと夏、死ぬほど聴いた。初めて買ったレコードが「今でも目がしらが熱くなる青春の一曲だ」そうライナーノーツで言ってくれる拓郎に目がしらが熱くなる。「早春の港」の故郷持たないあの人のいい故郷になりたいの…って、それは自分にはこの曲こそが故郷のようなものだ。あれから45年。今も色褪せない。
 あと最近のライブで、なぜ客席は♪シンシア―のあとに”フッフ”をやらないのだ。一人でやってるとかなり恥ずかしい。

2018. 9. 2

 来た。何がどう来たかよくわからないけど、とにかく来た。
 3枚のdiskに添えられた一綴のnote。歴史と仲間たちへの愛とねぎらいが静かに綴られている。あ、これは、吉田拓郎の” The Notebook(君に読む物語)”なのかもしれない。
 聴き込むまで書くまいとも思ったが、ただの端くれファンの自分が、そんなへのつっぱりみたいなこと言っても仕方ない。だって、本人のライナーノーツだぜ。

note 01  春を待つ手紙

 この曲が一曲目とは驚いたし、思わずヤられたと唸った。クリアな音質でベース音がずんと響く。最高のオープニングだ。ハラショ。
陣山さんのリアルストーリーと思いきや、フィクションのドラマだったのか。え、でも当時ラジオで「これは本当にあった話のようです」って言ってたじゃないかよ。やられたよ。
 病気がちで家で雑誌や本を読む日々に育まれた空想癖が作らせた物語のひとつということだ。別のエッセイでお父様が雑誌の発売日の前日に本屋で一足早く買ってきてくれるのが嬉しかったという話が、涙ぐむくらい大好きだ。拓郎は、インドアつまりは家が好きな”おうちっこ”の総帥であると思う。
 このドラマは長らく封印されていて、2011年の4月に本格的にベールを脱いだ。悲痛事を経て、冬を越えんとする祈りの歌になっていた。静かに沈み込む祈りではなく、心が湧き立ちズンズンと進むような軽やかな祈りだ。
 波しぶきをたて、両手を突き上げて篠島に向かうあの船のシーンを思い出す。あのシーンのバック音楽だが、逆にあの映像は、この曲のプロモーション映像だと思って観るとまた面白い。
 吉見佑子さんは、この歌をどう聴いているのだろうかとふと思った。

note 02  僕の道

 そして2曲目で幾星霜をひとっ飛び。おうちっこ、つながりではないかと邪推してみるが違うな。それにしても、音楽道でも茶道でも、ましてや人生道でもない家路。”家が好きな、おうちっこ”の本領発揮ではないのか。なにかというとこの国は、勇ましかったり、哲学的だったりする意味をこめて「〜道」といってカッコつける傾向がある。しかし、何のてらいもなく家路、家につながる道、誰にでもある道を、大好きだからと心を込めて歌う。そこが吉田拓郎の魅力の周辺だ。小倉さんのアイデアとされるスライドギターなのか。このとろけてしまいそうな、泣いているような、しかし温かいイントロ、これはすんばらしいっす。コーラスが随分、前に出ている気がする。

note 03  流星

 その時、原宿ですれ違った女子高生たちは、時期的に間違いなく自分と同時代の高校生たちである。自分だけではない、一日に何十回も流星を聴くと豪語していた彼とか若くして亡くなって熱いTファンの彼らとか、みんな同年だ。自分達の年代が、この詞のキャストだったとは思ってもみなかった。
 そして、2016年のあの絶句は、「果たして僕たちは欲しかったものを見つけることができたか」という万感の思いの問いかけゆえということだった。まさに、おじさんおばさんになってしまった、かつての高校生だった私たちへの問いかけだったのか。もっと先に教えてくれよ。流星もそろそろ飽きたぜとか悪態ついてしまったじゃないか。もし知っていたら、心の底から泣いたのに。
 鈴木茂の達意のギター、御意。不滅。茂さんのキャリアには、はっぴいえんどの前にこの曲を記すべきだと思う…って怒られるか。
 それにしても「なんですかぁぁぁぁぁぁぁ」。星屑が消え入るようなこの見事な魂の歌唱。無形文化財指定。超絶歌上手い。何度聴いてもすんばらしい。

note4 いくつになってもhappybirthday

 なるほど新進のミュージシャンたちだったのか。当時、思ってもみなかった清々しい感じで天衣無縫な曲がスコーンとやってきて驚いたものだ。そうなんだよ、記録や成績や成果や性格や人柄も関係ない、「生きてきたこと」「生きていること」ただそれだけをやさしく讃えてくれる御大のこの歌詞が何より嬉しかった。
 全国いや世界中の学校の朝の町会で、毎回、誕生日の子たちを朝礼台にあげて、先生、生徒、全員でこの歌を歌って踊ろう。そうすれば戦争は無くなるに違いない。私は真面目だ。
 プロモーションビデオも良かった。最後に赤じゅうたんを横切るかわいらしい幼児。もう20才近くになっていると思うと愕然としたりする。


 しみじみと、そしてあっちへ、こっちへと御大Tの思うがままに、心身ともに運ばれてしまう。そういう至福がつづく。
                            たぶん、つづく。

2018. 9. 1

ラジオでナイト 第68回 2018.8.26

 吉田拓郎です。“From T””Tからの贈り物”は、8月29日発売だけれど、ニッポン放送は、来週だけど、キー局でこの放送をお聞きの方は、もうすでに発売になっているというお知らせでした。

 NHKのニュースで、多くの人が学校の「理科」は好きだけど役に立たないと考えているとうのがあった。僕も実験とかあって理科は面白かったけれど、その後の人生や実社会で役に立っているかといわれると、そうでもないかな、と僕も感じることはある。国語、社会、数学とかは、総合的に役に立つものだとは思うけれど。
 とはいえ理科はないと淋しい。実験、動植物の観察とか楽しかった。しかし、多くの人が実社会で役に立っていないと感じているらしい

<スイカは、悪いことではないので堂々と使えますかといったほうがいいという投書>
 悪いとは思っていないけど、タクシーで使うという勇気がないんだよ。

<かつて拓郎さんの発言「Kinkiと僕との意見が分かれたらKinkiの方が正しい、だって僕らが十代だったころ、50代のジジイたちのいうことは全部間違いだった」をカッコイイと思ったが、最近放送を聴いていて、そのようにいったことを本人は絶対に覚えていないだろうという投書>
 (笑)がっくりくるね。

 「私の出会った外国人」ということでいろいろな意見を聴いた。
13歳  サッカーコーチがイタリア人。
 >最近僕もサッカー熱が再燃している。なんといってもイニエスタとトーレス、それにルックスのいい宮本監督。今日も、でかけるときにジーンズの裾を折って、どうだとカミさんに言ったら「あなたは折らない方がいい」って言われた。
 そのコーチがトマト缶とニンニクのパスタを作ってくれた。そうだよ、ホールトマトの缶を使うんだよ、これでソービニオンブラン。たまらんマルチェロマストロヤンニ。いろいろな俳優が出てくるね、ジェームスディーン、アランドロン、そしてマルチェロマストロヤンニ。

14歳  ジャマイカ人の足の速い転校生。ボルト君と呼ばれていたがすぐ転校してしまった。
25歳  韓国人と草野球   9人中、6人がキムサン
 >沖縄には「比嘉さん」とか特有の多い苗字があるよね。

44歳、夫婦で   イタリア人が、中田、中田といってミサンガを売りつけられた。
> 中田もそうだが、多くのジャパンのA代表は海外経験組である。遠藤だけが、海外経験のない唯一のビックスター。僕は、遠藤を尊敬しているけど、外国行くのが嫌だったのかな、ヤットちゃんと言われて愛されているしね。
それはそれで素敵な生き方だと思う。

55歳  フランス人に英語で話しかけて無視された
>そうだね、フランス人はプライドが高いからね。むこうのデパートでも、並んでいるところで、ちょっと割り込んで「これください」とか言えない。順番を待たないと、何も言えない感じがフランス人にはある。

 僕が出会った外国人で印象的なのは、ザ・バンドのガースハドソン。初の海外レコーディングの時に、ブッカー・Tから、ガースハドソンを呼んでいいかと尋ねられてそれはもう大好きなザ・バンドのキーボードなので、喜んでOKした。 アコーディオンを弾いてもらうことになった。

 ガースハドソンが演奏にあたって、詞の意味を訪ねるのだが、作詞の岡本おさみさんは英語がまったくできない。通訳を通じて岡本さんがガースに説明した。
 その間、んんんんー、ずっと、んんんんと言っている。そして説明聴いてOKということでスタジオに入る。そして、出てきてまた質問。二番はどういう歌詞かということでまた岡本さんが説明して、んんんんんん。OK。そして、また演奏して出てきて、今度三番は?
 その様子をずーっと観ていて、この男は何にも理解していないと確信をもった()笑)
凄い体験だったな。
 もの凄いレコーディングを体験した吉田拓郎のラジオでナイト。

■CM明け
 歌謡曲のリクエスト
<ゴールデンハーフの黄色い草ランボ、エバちゃんが好きだったが、子供にはイケない歌詞だったという投書>
♪黄色いさくらんぼ   んんんんんんん(笑)、ちがう、うっふんか。
でも、ゴールデンハーフの曲はかけない。オリジナルのスリーキャッツ。このおねえさんたちがいいなと思っていた。

Mー1 黄色いさくらんぼ/スリーキャッツ

■CM明け
 映画「ラ・ラ・ランド」の話をしたが、これには反響が多かった。今日はもう一本、比較的最近の映画で、「ドリーム」というのを是非見てほしい。これは、実話。アメリカとソ連の宇宙開発競争で、ソ連に先を越されて焦っているころのアメリカのNASAが舞台。類まれなる頭脳の黒人女性たちが、トイレも別、コーヒーカップも別という差別の中で、それを乗り越えて素晴らしいチカラを発揮してゆく物語だ。
 とあるワンシーンで僕は、胸が痛いというか、ヤンヤで喝采したくなった。
黒人女性が、白人至上主義の学校の担当官に「あなたは歴史上の一人になりたいとは思わないのか。この400年 白人中心の中では、あなたは一生歴史に名を残さないだろうが、黒人を入れることで歴史に永遠に刻むことはできるんですよ。よく考えてください。」と言う。すると担当官はうーんと悩む、バカだね。夜学ならと許す。
 そのシーンが素晴らしかった。胸のすく思いがした。

  さて吉田拓郎の提供曲のベスト・ファイブを決めてみようというコーナー。いろいろなのが来ている。襟裳岬、中之森バンドの風になりたい、神田ひろみのドンファンとか。「風になりたい」が多かった。
 曲はよく覚えていないけど小出正則の「新しい空」。「あさひが丘の大統領」の主題歌。思い出せない。「小出なんとか」とか書いている、あなたもいい加減だけど、曲を忘れてる  私も相当いい加減だ。新しい空が2位につけている。
DUO「放課後」。これは作ったね。田辺エージェンシーとかわいい二人組を売り出そうということだったけどダメでした。 
 キャンディーズ「アンドゥトロワ」がいい、「やさしい悪魔」好きという投書も。

 ランク外で注目なのは、沢口靖子「潮騒の詩」。武田鉄矢の映画でデビューして詞も武田。武田鉄矢の詞って、どうなのよと思った。

M-2 潮騒の詩    

ヘタだな。歌うまくねーな、沢口靖子さん(笑)

 カーニバルの「さよならロッキー」。これは覚えている。「両国橋」松平純子は、結構うまかった。ブラス・ロックで、のちに由紀さおりが歌った。
 「銀河系まで飛んでゆけ」はキャンディーズ、梓みちよ、中原理恵とカバーしたけれど梓みちよはうまいな。   
 アンドゥトロワも2テイクあって、別テイクはアルバムに入っていて、僕のデモテープに近い。ランちゃんのボーカルものびのびしている。

M-3 さよならだけ残して 天地真理

  アレンジは瀬尾一三だ。確か月刊明星で歌詞募集して作ったのではなかったか。
「あ、真理か、おまえ」ってセリフつい出てしまう((笑))

  暫定的なランキングを発表

5位  アグネスチャン「アゲイン」、中村雅俊「いつか街で会ったなら」
>「いつか街で会ったなら」はそんなものかなぁ。
4位 「ルームライト」
3位  「アンドゥトロワ」  DUOの「放課後」
>「放課後」って奇をてらっているんじゃないのか。そんなにいい曲か。
2位 「新しい空」「襟裳岬」
1位 「風になりたい」

 「ドンファン」、「ああグッと」は好きなんだけどないな。弾き語る ♪風がバタバタ吹いている♪ああグッと マッチもパンチ効かせて歌ってくれたけど。
 「我が良き友よ」ないな。いい歌なんだけどな。アルバムだと「赤い燈台」とかKinkiの「危険な関係」もいいけど…ないね。
 思いが全く違うね。
◆ベストテイク

 思い出したけれど、モップスの「たどり着いたらいつも雨降り」とか好きじゃないかね。   (生歌)。
  今日は「この指とまれ」。よく話す「悪ガキバンド」の頃。島村、武部、青山、中西、エルトン。みんな暴れん坊で酒のみで、演奏もエネルギッシュだった。
 また、個性強くてリハーサルでは、メンバー同志よくぶつかりあった。あのバンドの核になっていたのは中西康晴だったと思う。天才的なキーボーディストだった。
 ただ残念なのは、このバンドは、レコーディングするとステージほどエネルギッシュな持ち味が出ない。特に、ベースが弱かった。あれこれ注文だしていたが、うまくいかないので、違うベーシストを呼んだりしていた。ライブではエネルギッシュな持ち味が出なかったのが残念だ。
 コンサートツアーが終わっても帰らずに一緒にいたい、昼間に時間つぶして、夜になると六本木の「北の誉」という寿司屋で、ツアー中、ずっといた不良バンドだった。
詞は、自分のいた世界とかそういうものに別れを告げたくなっている。さよなら70年代ということで、訣別する用意ができてきた時の詞だ。 
 この曲が、やがてその後のハワイの50歳誕生日に、ぐすぐすした友人関係やフォーライフのしがらみとの訣別を予感させている
 35歳にして、さよならという感じ。ぐすぐずした70年代やフォーライフも重すぎる。そういう人たちと話をするのが面倒くさくなっている。そういう将来を見据えた歌だった。

M-3 この指とまれ  吉田拓郎

■マイフェイバリット
 今日はエルビス・プレスリー。
 「恋の大穴」が一番好きだった。ハウンド・ドックとか、ロックンロールをアマ中時代に よくやっていた。しかしその反面でこういうのも…‥‥

M-4 ラブ・ミー・テンダー   エルビス・プレスリー

耳元で歌うバラードがたまらない

M-5 好きにならずにいられない  エルビス・プレスリー

 映画の「ブルーハワイ」で有名、その後のエルビスのステージのラストの定番だった。

M-6 ブルー・ハワイ  エルビス・プレスリー

 兵役にとられたこともあった。退役後、ベガスでステージに立つ時代、など三つの時代を生きた。のちに映画「ブルーハワイ」の共演者に「兵役中に自分を超えてゆくスターが登場するんじゃないかが不安だった」と語ったそうだ。人間エルピスは、神経質で心優しい人だった。
こういうバラードと同時に、シャウトする素晴らしさ
「恋の大穴」が一番好きだ。
すべてのはじまりはプレスリーだった。

M-7 恋の大穴  エルビス・プレスリー

■エンディング

M-8新しい空

 これが「新しい空」
 そんな大した曲でない。いかにも吉田拓郎がつくりそうな。この辺はいかにも鼻歌って感じで、小林君にもすまないけれど手抜きかな。

・提供曲
・映画
 など募集。
吉田拓郎でした。


☆☆☆思いつきと感想☆☆☆

☆理科離れか。自分は、理科オンチだったので何も言えないが、映画「ドリーム」のNASA研究所の彼女たちのことを考えれば、やはりできるだけ裾野を広く、理科教育をしてゆくことがいかに大切かがわかる気がする。

☆提供曲投票は面白いね。
 DUOの「放課後」が2位とな。私も信念をもって「放課後」に投票した。そして同じ79年の小出正則の「新しい空」が3位とは、これまたすんばらしい。奇をてらったりしたワケじゃないですよ、御大。
 襟裳岬、我が良き友よ、やさしい悪魔とかは不動のスタンダードじゃないですか。そこまでいかなくとも、胸に疼く名曲がある。しかも、それらは世間からは消えかかっていて、リスナーの自分たちが忘れたら、本当に消えてしまう。いわゆる「崖っぷちのメロディー」なわけですよ。消えてしまうにはあまりに惜しい曲たち。こうして光があたる機会があるのであれば、その曲を是非、光の下へと思う心情からなのですよ。「放課後」も「新しい空」も心の底から真剣に投票したんだと思いますよ。
 それにしても、79年前後にドンピシャで青春時代を送った私と同世代のコアなファンの方がたくさんいるものと推察される。心強い。原田真二、小林倫博、小出正則は、フォーライフ新人の御三家と言われたものだ。「オホーツク」という名曲があった。お元気だろうか。ドラマは観ていなかったけれど、小出正則×吉田拓郎というのは、それなりに耳目を集めたよね。聴くと気分が高揚する。

☆そうなんだよ。アンドゥトロワの御大デモテープ忠実バージョンは、地味すぎるということで、後のアルバムに「アン・ドゥ・トロワpartU」として収録されたんだけれど、こっちの方が圧倒的にいいね。確かに蘭ちゃんのボーカルがしっとりといい味を出しているんだよ。地味→却下→partUというのは悲しすぎる。いつも言うが、part2の方が最初に出来たのだ。メカ沢くんの弟βが先に出来たのと、アトムの兄さんのコバルトがアトムの後に出来たのと同じだ・・・ってわかんねーよ。

☆この「潮騒の詩」が、沢口靖子のデビュー曲なのだが、このあと朝ドラで人気が出て、再びレコードを出したとき、ワイドショーが「沢口靖子が歌手デビュー」と騒いでいて、私は大いに面白くなかった。いいメロディーなのに。問題は歌詞か歌唱にあるというのが持論だ。

 ☆風がバタバタ「吹いている」ではなくて「鳴っている」である。これで思い出すのは、東京ドーム。ステージがガーっと開いて、雰囲気が一変して、タテノリへとなだれ込んで行った転換点になったことだ。

☆「さよならだけ残して」の作詞の応募者が「春だったね」の作詞の田口叔子さんですよね。この人も謎の人だ。

☆中西康晴がショルダーキーボードで青山とバトルのカッコ良かったな。当たり前のように観ていたけれど、中西とエルトンがステージの両側にダブルキーボードで鎮座しているって、すげー贅沢なことだったんだよね。


☆私はエルビス世代ではないけれど、意識しない自分にも彼の影響は及んできていることを知る。今日の一連を聴いて、あらためて「英雄」を聴くと本当に切なくも力強い名作だといいたくなる。

☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆

「いかにも吉田拓郎が作りそうなメロディー、鼻歌、手抜き」と拓郎は言うが、そこにこそ宿る愛がある。

2018. 8. 31

 この国を見限ってやるのは俺の方だと…所用で海外に旅立ったが、数日で帰国した(爆)。まったく大事な時に不在にしてしまったものだ。帰ってみたら突然、吉田拓郎の豪華三枚組のアルバムが出ているし(それは知ってただろぉ)、いままで観たこともない新聞二面ぶち抜きの全面記事に、びっくらこいた。僅か数日の間に、日本はここまで良い国になっていたのか。というか、自分がかなり浦島太郎状態で淋しくもある。

 たった今、やっと手にした「From T」。ありがとう。大切に、というかこっちも渾身で聴きますばい。
 それにしても、なんだ、この選曲・曲順は。震えるね。ライブのセットリストみたいにワクワクする。実際に、こんなライブだったらどうなんだろうね。至福だね。
 選曲と曲順というものの持つ力をあらためて思う。これはどうしたって一曲目から通しで聴かざるをえまい。まずは髭を剃って、斎戒沐浴して心身を整えねば。

 新聞は「遺言」の文字がバカに大きくて一瞬ギョッとしたけれど。一般に「遺言書」を書いた人の多くが、そこから再び元気になって長生きするというデータがある。だから、遺言書はその先何回も書き換えられることが多い。それでいろいろ困ったことになるのが世の常だが、吉田拓郎の遺言は別だ。これから先、何度でも、何通でも新しい遺言を書いてほしい。遺言というと暗いが、英語で言えば"Living will"。なんか前向きだ。御大の意思を未来に投げかけながら、進んで行ってほしい。…何様だ自分は(汗)。

2018. 8. 26

 たまたま観た映画「チキンとプラム」は、ヘンテコな映画で、あのバイオリニストの主人公には、なかなか感情移入ができなかった。しかし、彼のバイオリンの師匠の言葉が忘れられない。

 「失くしたものは全て君の弾く音の中にある」

 例によってイカれた自分には

 「失くしたもの、得られなかったものは、すべて吉田拓郎の音の中にある」

と聞こえる。

 しょせんベストアルバムじゃねぇか、デモテープなら「マラソン」とかを聴かせてくれよ、アイドルなんだからジャケットはイラストじゃなくて本人の御真影じゃなきゃツマランとか、いろいろ思う。しかし、それでも私は「From T」を待ち焦がれる。

 「春を待つ手紙」で始まる選曲と曲順で何を語ろうとしているのか、何を感じるのか。また、曲が蘇生するかのようなリミックスのワザは名盤「LIFE」で体験した。今度はどうなるんだろうか。
 そして夢には見たが実現するなど思ってもみなかったデモテープ集。LOVELOVEブレイクまでの90年代、私は静かに拓郎は消えてゆくのだと涙ぐみながら思っていた。パッとしない活動、世間からの忘却。提供のない深夜のラジオ番組で語られた、宇田川オフィスも辞めてしまい自宅のファックスで仕事依頼を受けているという、逗子での静かな暮らし。このままフェイドアウトしてゆくのだなと思っていた。
 同じ思いだった方もいらして、後日になって「ああ、こうやってやがて拓郎は小さなライブハウスで歌うようになって…でもね、でも私はそこには必ずいるの」と語っていたのを思い出す。そうならなくて良かったが。

 しかし、最近垣間見せてくれた90年代のデモテープのクオリティの高さには驚いた。消えかかっているように見えた90年代の吉田拓郎は、こんなにも真摯なすげぇ音楽制作をしていたのか。そこには、どんな音楽世界があったのか。不明だった私は、この失われた90年代の行間を心底知りたい。

 というわけで、他人様のことはよくわからないが、とにかく孤高に待ち焦がれるのである。「失くしたもの、得られなかったものがそこにある。」という映画のセリフが私には妙に心に疼くのである。

2018. 8. 25

 菅井きんさんが亡くなった。先日の日記で「黒澤明を励ます会」の話つながりで映画「生きる」のことを書いた。あの映画に市役所に陳情に押し掛ける地元のおかみさんたちの一人として菅井きんさんは出演している。大勢の一人だが、あ、菅井さんだと一目でわかる。昭和27年から、菅井さんは菅井さんだったのだ。
 余命いくばくもない志村喬が、大雨で水が溢れかえっている陳情対象の現場に、ずぶ濡れで入ってゆくと、泣きそうな顔で追っかけてきて傘をかざす。またある時、志村喬が現場で倒れると、周りでボーっと立っている市役所員たちを思い切り突き飛ばして駆け寄る。そして葬儀ではやはり無言でひたすら涙を流す。おそらく役名すらなかったと思うが、その思いが身体から溢れて観客にしっかりと伝わって来た。御大をめぐるあの日のことがふと思い起こされもした。先生、お元気だろうか。菅井さんやK先生のことを考えると、ちょっと元気が出る。
 名優菅井きんさんの御冥福をお祈りします。
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2018. 8. 23

 “From T”の発売日まであと一週間を切った。待ち焦がれる日々。思えばファンの人生は、微妙なテンションの上下はあるにしても、基本的に発売日を待ち焦がれる日々で出来上がっている。

 待ち焦がれて、どうしようもなくなって、一週間も前にレコード店に行ってしまったりしたことはなかっただろうか。当然、まだ入荷していない店内で立ち尽くして、もうすぐ吉田拓郎のレコードがうず高く積まれる様子を妄想してニマニマしたりしなかっただろうか。それ危ねぇ人だよ。

 いや、でも一度だけあった。忘れもしないシングル「流星」の発売の時だ。79年5月5日発売だったのだが、4月29日にレコード屋に偵察に行ったら。もう既に売ってたのだ。”凄いなぁぁぁ吉田拓郎って”と感嘆したものだ。今思えば、連休の配送の関係だろうと思うが。

 今回も早く届けたいという御大の御託宣、ちゃう御拓宣があったし、待ち焦がれ度が高い。
 いい歳してという説もあるが、この歳になって、こうして待ち焦がれるものがあることはとても幸せなことだ。クラス会にゆくと、周りはみんな年金と退職金しか待ち焦がれているものがなかった。私には、もっと崇高なる"待つもの"があるのだと心の中で叫んだ。ま、年金と退職金の方でも私を待ってくれていないが(爆)。

 “From T”に”Tからの贈り物”とあるが、こうして待ち焦がれる日々の幸せこそが、本当のTからの贈り物ではないかと思うのだ。をを、今日はキレイ決まった。>決まってねぇよ。

 大きなお世話ですが、皆様、どうか良い待ち焦がれの日々を。

2018. 8. 22

 昨日の日記で「夜行列車」をディスってしまい申し訳なかったと悔いている。吉田拓郎に対してではなく、森進一に対してでもない。何より「夜行列車」という楽曲自体に対してである。
 楽曲は、曲そのものとともに、自分がどういう状況で聴き、そこで何を感じたかという個人的事情と不即不離なものだ。

 1977年、不肖私高校一年の夏だった。吉田拓郎は社長業に忙しくなり姿が見えなくなった。置手紙のような「もうすぐ帰るよ/Voice」のシングルと森進一の「夜行列車」とBUZZの「あなたを愛して」。拓郎不在の長い夏をこの三曲のヘビーローテーションで生きなくてはならなかった。確か雨の多い、冷夏だった。

 ヒマな夏休み。例によって日曜の文化放送「小川哲哉の電リク決定全日本歌謡選抜」にもせっせとリクエストもしたはずだ。「もうすぐ帰るよ」は、15位、「夜行列車」は18位くらいだったかな。あの夏の成果物である。「夏ミカン」を観ると「夜行列車」を思い出すようになった。

 というわけで切ないひと夏をともに過ごした「夜行列車」だった。文句を言って申し訳なかったな。だいだい楽曲同志が競い合うということに私はついてゆけない>自分が言ったんだろぉぉぉ(爆)

 とにかく夜行列車もゆけ、風を切ってすすめ。
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2018. 8. 21

 昨夜の「たいむとんねる」の森山直太朗の話は面白かった。直太朗くんが小さい頃、耳に入ってきて印象に残った楽曲たちの話。森進一「冬のリビエラ」がその1曲。演歌の森進一がこんなポップな曲を歌いこなすところに感じ入ったという。74年の襟裳の時も、えっ吉田拓郎と森進一?と同じようなことが世の話題になったが、直太朗くんはまだ生まれていないもんな。

 「冬のリビエラ」久々に聴いたが、超絶名曲である。出演者もみんな聴き惚れていた。しかし、この曲が名曲であればあるほどある種の感情が湧き上がってくるのを押さえきれない。そうではないか?どこかにいる同志よ。
 「松本隆×大瀧詠一=リビエラ」という御旗が掲げられると、どうしたって「岡本おさみ×吉田拓郎=襟裳岬」という旗を振りたくなる。燃え立つ闘争心と対抗心。「別に襟裳岬ってオマエが作ったわけでもなんでもじゃないじゃん」というごもっともな忠告も聴こえやしない。どっかにも書いたが、リビエラは、襟裳に差し向けられた刺客なのである。なんの負けてたまるか。リビエラが名曲であればあるほど好敵手として燃えるのだ。上杉謙信と武田信玄、矢吹丈と力石徹、星飛雄馬と花形満、桂歌丸と小円遊みたいなものだ。当陣営の圧勝を確信しつつもこのライバル心は消えることはない。

 では同じ森進一のリングにある「夜行列車」はどうか。好きな楽曲ではあるが、「喜多條忠×吉田拓郎=夜行列車」の旗を掲げて「リビエラ」と合戦するのはためらう(爆)。襟裳岬は演歌じゃないと中学生の頃から信じ、宣言してきた私も、「夜行列車は演歌ではない」と断言するのはためらわれる。すまん。「喜多條もっといい詞を書けよ」と言った御大だが、自分はどうなんだ?と涙ながらに問いたい。「ごめんなさい、これは演歌じゃありませんでした」と思わず謝罪したくなるようなセルフカバーを是非聴かせておくれ。


 さて、「たいむとんねる」で面白かったのが、新幹線で偶然に石橋貴明の前の席が松本隆で、その前の席がホリエモンだったとのことだ。ホリエモンが前のシート倒すのを断るかどうかでツイッターで暴言かましたのは、その時らしい。きっと後ろの席が松本隆だったのでびびってしまったのが背景にあるのではないかと思いたい、違うだろうけど。

2018. 8. 20

ラジオでナイト 第67回 2018.8.19
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。ローマにトレビの泉という観光名所があって、後ろ向きになって噴水に硬貨を入れると願いが叶うといわれている。
 硬貨一枚だと、再びここに来られる、二枚だと大切な人と永遠に一緒にいられる、そして
三枚だと、…ここが面白いイタリア特有だ…恋人と別れたり、離婚できる(笑)。三枚投げた人が結構いたんじゃないか。

 そして投げ込まれた硬貨は年間一億円だそうだ。日本でもお賽銭をいれるところがあるけれど、一億円とは凄いな。

<リクエスト 荒木一郎の愛しのマックスという投書>
 ひねくれているので、荒木一郎は「空に星があるように」だろうと思う。ニッポン放送のMさんに、昔、大野真澄さんが「空に星があるように」を歌ったでしょうと言われた。そうだ、ガロを解散したボーカルこと大野真澄さんに、荒木一郎さんのこの曲のカバーを薦めたことがあった。アレンジもリンゴ・スターのカバーした「オンリー・ユー」みたいにするからとプロデュースをした。
 これが記憶としては、いいアレンジだったのに何で売れなかったのかと思っていた。今、聴いてみたら、これが良くなかった(笑)。「売れないわ、コレ」。だから「愛しのマックス」もかけないし、大野真澄の「空に星があるように」もかけない。 


<アルバム予約しました、デモ音源が気になるという投書>
 「Tからの贈り物」という三枚目のディスクがデモテープ集だ。今日、サンプル盤が来ている。ジャケットもいい。1曲目はあれで、15曲目はこうで…とある中で、今日は、8曲目に入っている曲をちょっとだけ聴かせてやるかな。コチョコチョくすぐる感じで(笑)

M-1 永遠の嘘をついてくれ    吉田拓郎 デモ
 はい、ここまで!! こんな番組最高(笑)。わがまま言いたい放題、わがままというか気分がいい。
 ジャケットもいい。ライナーノーツも全曲書いたし、メッセージも書いた。楽しんでほしい。春を待つ手紙からマークU’73まで、
このディスク3は、いい。デモテープがまたよくできてるんだ。90年代だけでコレだよ。 コンピュータを使うという技術、ソフトの充実、逗子にいたころだったんだけどピークにあったとカミさんとも話した。打ち込みで曲をつくるコツを掴んで上達していた。それまでは、打ち込みが拙かったけれど、このあたりは、もう聴いていても打ち込みとは思えない。

 今週のテーマは、ヤキモチ。嫉妬。井上陽水に「ジェラシー」って歌があって好きだったけど。

16歳高校生   サッカー部が羨ましい。野球部には女子マネがいない。サッカー部にはかわいいマネージャーがいるので嫉妬した。
>そうだね。人気は運動部だね。写真部なんてダメだし、郵便友の会もダメ。演劇部にも顔を出したりしていたんだけれど、これもダメ。バスケットボールが人気だったね。一級上のバスケの先輩がもてて、同級生のKさんをものにしてしまった。Kさんは、ビブラホンを習っていて、一度友達二人のギターとセッションしようと彼女の家に行ったら、奥の部屋からバスケのその先輩が顔を出した。なんでKさんの家の奥の部屋から出てくるのか当時はわからなかった。今思うと、これは男と女の関係だった。

先週から火がついているね、オレ。勢いがあるね。少し落ち着こう。

31歳会社員女性  10代20代の女性が羨ましい。最近は、コンパの反応も鈍いし誘いも減った。結局、男は若い女性が好き。

40歳主婦   夫婦仲いい人に嫉妬する。
>夫婦は仲良く。いいことあるから、笑顔でよく話すこと。
54歳主婦   昔演劇の舞台に立っていた。いまだに現役の同世代の女優には嫉妬してしまう。
>うちの奥さんも家の中でキラキラしています。

65歳男   カミさんに嫉妬する。定年以来ヒマだが、妻は近所に知り合いが多くて忙しい。

 吉田拓郎は何にジェラシーを感じるか。

 若い頃、知り合いの仲立ちで井上陽水に初めて逢った。原宿ペニーレインだった。陽水VS拓郎といわれて仲良くないイメージがあった。お酒飲めない陽水に対して、僕は、お酒を呑むとすぐ喧嘩したり、虐めたくなったりする癖があった(笑)。陽水に、どっちが演歌を大きな声で歌えるか競うことを挑んだ。陽水は「アンコツ爆は恋の花」を大きな声で歌ったけれど、その陽水の声がデカイのなんの。顔も体も頭も大きい、特に髪型はカーリーで松ぼっくりのようデカイ頭だった。それがもの凄い大きな声で歌うので、私は負けたと思った。競う僕も僕なら歌う陽水も陽水だ。そんな陽水にヤキモチを焼いたことがあった。

 オフコース。小田と鈴木と二人で演っているとき、三人の時もあったけれど、人気がなかった。そんなとき、僕のパックでよくオフコースをかけていた。そういえば大野真澄のいたガロの学生街の喫茶店もパックで日がついたような気がしている。
 で、オフコースがバンド解散して、小田、鈴木、松尾、清水、大間のロックバンドの編成を替えてから大ヒットした。武道館10日間公演の時だったか、観に行ったら女子でいっぱい。うわぁー女だらけだ。当時の吉田拓郎は7:3か6:4で男が多かった。入れ替えたい。 2000人くらいファンをくれないかと思った。嫉妬していたね。

 小田和正と井上陽水にヤキモチを焼いていた吉田拓郎のラジオでナイト。


■タイトル
リクエストたくさん来ている。聴きたい曲もあれば、なんでこんなの好きなのというのもある。

<公開放送やってください、グッドナイトベイビーをリクエストという投書>
この曲は、高音のボーカルで、R&B ソウルの世界。この番組の主題歌であるフォートップスとかとも通じる。

M−1 グッドナイトベイビー   ザ・キングトーンズ


■CM
 人々は、ステージの僕たちを観てイメージを作り上げてゆく。いろんなイメージが
僕に対してもあるのを知っている。しかし、明らかに作られたもので。本当の自分とは違うものだ。いわゆる吉田拓郎というイメージにはウンザリで、いつまでも吉田拓郎をやっていりゃいいのか、吉田拓郎を辞めたいと思っていた。しかし、最近年齢とともに、もうどうでもいいやと思うようになった(笑)。
<小田和正さんとホテルの最上階のレストランで夜景を見ながらワインにフランス料理 淡々と知的な会話を楽しみたいという投書>
 そういうイメージかな。小田は良く知っているけど男くさいヤツだよ。今だったら俺もあまりお酒飲まないのでつきあえるけど、あいつはビール一杯で顔が真っ赤になるし、10分間話しているとウンザリ、おもしろくもなんともない(笑)

 でも小田のイメージはそうなんだよね。では、吉田拓郎とお酒を飲むとしたら何がいいでしょうか。
<From T自分なりのリストを作って頼みにしているという投書>
 絶対あたりません。この選曲は思いつかない。びっくりするような曲。思い出深い曲、愛している曲。今、手元にあるんですよーだ(笑)

<ラジオは、いつも楽しそう、いつまでも続けてほしいです、という投書>
 好調です。どうやら東京一か所になりそうなので、イマジンスタジオで公開放送とかのプランを考えたりしていたけれど、今日ニッポン放送から「吉田拓郎で公開イベントライブのお願い」という依頼状が来た。老若男女に人気のこのラジオの公開収録をお願いします。
 スペシャルイベントということで吉田拓郎ほか出演者、場所は・・・言えないな。僕もこうしたらいいんじゃないかとリクエストや提案をしているところ。東京がどうやら一本だから、大変なことだね。何が言いたいかわからない。

<8.16日の誕生日にアホな主人からもう誕生日のプレゼントはいらないだろ言われたという投書>
 女心がわからないご主人だね。さっきも言ったように夫婦は仲良く。こないだも奥さんから日傘を買いたいけれどどう思うと聞かれて、いいねと言った。日傘雨傘兼用ということで、値段を見たら2000円か。と思ったら実際には2万円。え、2万? プレゼントしないのをけしからんとか言っているけれど、え?とか言ってる、そういう男もどうか。大変なんだよ。よく夫婦で会話して。そうしないと2万円の日傘を買ってこられてしまうから。

■今週のベストテイク  
 先日メールをくれたんだけど、今メールをするのって、小田和正、中村雅俊、井上陽水、奥田民生かな、あとは武部とかミュージシャン。

 中村雅俊は、昔、「俺たちの勲章」のときに、レコーディングで会ったのが初めてだった。初々しくて、ぶっきらぼうな若者だった。一時期、吉田拓郎は六本木を下駄を履いて歩いているという噂がたったけれども、下駄なんか履いていないよ。雅俊はゲタをはいている感じだった。
 そのレコーディングの時、今の奥様と恋に落ちていた。後日、テレビの旅番組で、四国や 広島を回った。懐かしいねというと、僕には宝物でしたと言っていた。拓郎さんは、僕たち夫婦の愛のキューピットですとも言っていた。
 実は俺とカミさんのキューピットも中村雅俊なんだよ。音響スタジオで仕事していたところ、雅俊から電話があって、森下愛子さんとかと飲んでいるから来ませんかと。僕は、作業を放ったらかして、飲みに行った。朝まで飲んだと思う。
 そこにやはり出演している女優さんもいて、とてもセクシーな宮下順子さんという女優さんで、かなり酔っぱらっていて「どうしてココには吉田拓郎しかいないの?アタシは井上陽水に逢いたいのよ」と、しつこく迫ってくる。「すみませんね、吉田拓郎で」ということで(笑)。 
 ともかく雅俊が恋のキューピット。その時、責められ続けたときの吉田拓郎の気持ち。井上陽水に対するジェラシーのようなものがあった。

M−2  いつか街で会ったなら  中村雅俊


■今週のマイ・フェイバリットソング
 ジミ・ヘンドリックス。彼の不世出のギターの登場によってロックギターの世界かわった。みんなが打ちのめされた。短い人生だったけれど凄いギタリストだった。イーのシャープナイン(E7#9th) 5フレで・・・(実演)
この不協和音にディストーションを効かせるとすごい気持ちいい。ジャスの世界ではあったらしいが。

 彼はボーカリストとしても素晴らしい。ディランの名曲のカバーを聴いてみたい。

M−2  見張り塔からずっと  ボブ・ディラン
M−3  見張り塔からずっと  ジミ・ヘンドリックス 

 これもチャートインしたりして認められたスーパーボーカリストでもあった。亡くなる前の晩に、ロンドンのクラブに飛び入りして、そこのバンドで一緒に即興で演奏して、その後、ガールフレンドと部屋に帰って、寝付かれないということで睡眠薬を服用し、翌朝もう意識がなかった。27歳。

 世界にとっての大きな損失だった。世界を変えたイーのシャープナインス(E7#9th)

M−4  パープル・ヘイズ   ジミ・ヘンドリックス


■エンディング

 提供曲。いろいろ来ている。僕は 神田広美「ドンファン」とマッチに提供した「ああグッと」が好き。アルバムの中の曲で、KinkiKidsに提供した「危険な間系」も忘れないで欲しい。南沙織「黒い瞳」とか、忘れ去られている。「いつか街で会ったなら」も結構来ていた。

 吉田拓郎と飲むんだったら募集。
 居酒屋でもつ鍋とかダメだよ。もつ系は苦手だ。イタリア料理がいいな。

 お相手は吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆確かに、語り口に火がついている。勢いがある。行間に絶好調が詰まっている感じだ。おそらくはアルバム発売が迫り、コンサートツアーに、公開イベントにと企画が具体化しつつあるその昂揚感みたいなものが溢れているのではないか。こっちも期待が膨らんでしまう。

☆でも東京は本当に一本だけなのか。そのために公開放送ということだが、東京公演に行けなくて、公開放送のライブで救われる人の人数というのは超絶少ないと見て間違いない。やっぱり渋谷公会堂でも武道館でもいい、とにかく東京公演の増設を願いたい。

☆荒木一郎。「愛しのマックス」を飛ばすのは、気の毒だが、御大のキャラに免じてやむを得ないとしよう。で、大野真澄さんの「空に星があるように」をかけないのは・・・かなり、どうかと思うが仕方ないとしても、荒木一郎さんの本人歌唱まで飛ばしでしまうのはどうなんだ(笑)。荒木一郎さんの「空に星があるように」は御大おっしゃるとおり名曲だ。それに荒木一郎さんは、73年の例の事件の時、世間とマスコミが御大総叩きの中で、御大支持の論陣を張ってくださった偉人だ。いいのか。
 荒木一郎といえば岸本加世子の「北風よ」、桃井かおりのドラマ「ちょっとマイウェイ」の主題歌「夜明けのマイウェイ」、このあたりの荒木さんの本人歌唱もシビれる。


☆御大の提供曲つながりでいえば、大野真澄「ダンディー」もいい曲だ。でもこれは崖メロ探検隊(正式名称「崖っぷちのメロディーの探索と保存のための探検隊」)の隊長候補だったあの人が投票してくれるに違いない。ちなみに現在、構成員は、副隊長兼書記の私一人で、隊長と隊員を募集している(爆)。

☆というわけでタイムリーにセンキチじいさん=中村雅俊登場だ。お互いのキューピットか。宮下順子さんの話には笑った、笑った。宮下順子さん、少年時代、団地には宮下順子さんと白川和子さんが住んでいるものと信じていた。懐かしい。どう懐かしいかは(略)

☆グッドナイトベイビーは子どもの頃家にシングル盤があった。あの不可思議な高音のボーカルと曲の展開が面白くて、わけがわからんままに子どもながらによく聴いたものだ。だから超絶懐かしかった。あれが、R&Bにつながっていたというのは、なんか嬉しい。甲斐よしひろもカバーしてたよね。

☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆

次のライブでは ステージに背を向けてコインを投げよう
                        コインは絶対2枚まで(厳守)

2018. 8. 19

 巨人が宮崎キャンプで常宿にしていた「青島グランドホテル」が倒産したとのニュース。ホテルとは無縁だし、巨人ファンでもない自分が嘆くのも失礼かもしれないが、個人的にはショックだ。


 名作漫画「巨人の星」には「新巨人の星」という地味な続編がある。
 左腕を壊して退団し、5年間失踪していた星飛雄馬が、長嶋巨人のピンチを救うために右腕投手として復帰するという話だ。ダメな続編の代表のように言われるが、私にとっては思い出深い名作だ。

 ボロボロの長嶋巨人に、やさぐれた星飛雄馬。どちらも必死に蘇生しようとする苦闘のドラマが胸に響く。ちょうど時期的に、フォーライフの会社再建のために苦闘する御大が、音楽の第一線を去り世間から消えかかっているなかで、再びミュージシャンとして立ち上がろうとする姿と重なった。

 宮崎キャンプにテスト生として参加した飛雄馬は、巨人軍の宿舎である「青島グランドホテル」にも泊まらせてらえず、球拾いと焚火の当番としてコキ使われる。長嶋監督らは冷酷な態度を取り続ける。かつてのエースの落ちぶれた姿をマスコミは面白がって書き立て世間の笑いものになる。苛酷な日々が続く。
 そして紅白戦での働きを認められて、なんとか入団許可をもらって、ようやく「青島グランドホテル」に部屋を用意してもらう。
 その部屋にゆくと「背番号3」の巨人のユニフォームがそっと置いてある。「願わくば、永久欠番3を譲った私を世間から阿呆呼ばわりさせないでほしい 長嶋茂雄」と言う書置きが添えてあった。
 どれだけ長嶋監督は、自分のことを大切に思っていたかを知り、絶句して泣き崩れる星飛雄馬。いいシーンである。いつ読んでも胸が熱くなる。

 何度も書いたが、79年に社長室から出て、アーティストとして華々しく復帰した御大の姿とも重なるのである。

 なので「青島グランドホテル」よ永遠なれと片隅から祈りたいのだ。

2018. 8. 18

 提供曲のことをあれこれ考えている。たとえば、アグネス・チャンのファンではないが、ちょうど40年まえの1978年の夏に「アゲイン」が発売された。作詞松本隆、作曲吉田拓郎、編曲松任谷正隆・・・「揃った」感がみなぎる。海外留学で休業していた彼女の復帰第一作ということで、当時、天下のナベプロが思い切り全力で大キャンペーンを打っていて、彼女の姿をテレビで観ない日はなかった。

 そんな中で御大はラジオでボソっとつぶやいた。「僕は曲を作った人間だけれど、大袈裟じゃないか。アグネスチャンの曲ということで松本くんと面白そうだねと言って作ったけど、こんなに大事になるのなら僕らじゃなかった方が良かったんじゃないか。」
 こういう発言を聴くと、当時の松本隆は、普通の作詞家だったんだな。もちろん,はっぴいえんどを経て太田裕美、原田真二などで作詞家としては十分名をなしていたけれど、今みたいな、なにかの殿堂入りでもしたかのような状態ではなかったんだね。「ローリング30」もちょうど制作中でまだ発表されていなかったし、自分も松本隆にそんなにしっかりとした認識はなかった。
 しかしこの詞は高校生にはかなり衝撃だった。

 「革張りの旅行鞄は青春のスーベニールよ」

 なんと美しい。美しいけれど、スーベニールって何だ(爆)。「赤尾の豆単」にも「出る単」にも載っていない。この時点で松本隆は受験界を完全に制圧したのだ。いや、別に闘っていなかったんだろうけどさ。

 「点になる蒸気機関車、霧晴れてあなたが見えた」

 誰の脳裏にも映画のような情景が像を結ぶに違いない。僅かの言葉だけで、なんと見事な表現をするのだろうか。もう松尾芭蕉と肩を並べている(個人の感想です)。

 「時の河に愛の舟を浮かべて」

 今となっては松本隆の十八番だが、こういう表現にもびっくらこいたものだ。

 そういう40年前の夏の新鮮な驚きを思い出した。その驚きのまま秋に「ローリング30」がやって来た。そして80年代になると、松本隆の言葉は「赤尾の豆単」や「出る単」どころか、世の中全体を制圧してしまうのだった。

 一方この名曲「アゲイン」が辿った切ない運命は、Uramadoに書いた通りだ。
http://tylife.jp/uramado/againteikyou.html

 「アゲイン」に「アゲイン」を捧げたくなる。おかえり、ただいま。僕らは今も自由のままだ。

2018. 8. 17

 カッコイイな、1968年のダウンタウンズ。とんがっててシャープだぜ。渋谷公会堂だったのか。フォーラムが一日しかとれないなら、あとは是非、渋公で演ってくだせぇ。少なくとも二日公演で。

 「半分、青い」の中村雅俊演ずるセンキチじいさんが亡くなった。じいさんにしては無敵すぎるぜ、とツッコミを入れながら観ていたが、亡くなってしまうとまるで中村さん本人が亡くなってしまったかのようでメチャ悲しくなった。そもそも演技とはいえ、老衰で亡くなる中村雅俊を観るほど私たちも歳をとったのである。もうドラマと現実がミンチになり、追悼に近い気分になって、仕事の行き帰りのipodで中村雅俊を聴きながら、この人が好きだったんだと気が付いた。
 センキチじいさんには、最後に「いつか街で会ったなら」か「さすらい時代」を弾き語って欲しかったな。サザンじゃなくてさ。
 それにしても中村さんへの提供曲はどれも名曲ばい。「愛の言葉」は、文句なしにかっけー。「青春試考」も昔は汗臭くてダセーなと思っていたが、今は心に沁みる。「注文の多い恋人よ」は、なんか身に詰まされるような詞だが、小川のせせらぎのように流れてゆくテンポのメロディーと歌唱が心地よい。
 これだけでも、提供曲を一曲選ぶというのは実に難しい注文だ。

2018. 8. 16

 RONINといえば武田鉄矢だ。彼は、1985年のつま恋の直後に自身のラジオでこんなことを語っていた。
 「組み上げられたつま恋のステージの大きさを観て驚いた。吉田さん怖くないんでしょうか。これだけの巨大なステージが、たったひとり自分が歌うためだけに設置されているんですよ。自分が歌うことで、ひとりでこの巨大なステージを引っ張らなきゃいけないんですよ。」

 引っ張るといえば、昔大好きだった医療ドラマ「ER」の中で、医療現場がパニックになった時、ERの部長が、チーフ・レジデントの若い医師グリーン先生に「君がこの現場を、仲間たちを引っ張ってゆけ」と激励するシーンがあった。英語でなんて言うのかと思ったら「You set the tone.」だった。「トーン(tone)を君が設定しなさい」と言うのだな。音楽みたいだ。set the tone…いい言葉だと思った。

 で、武田鉄矢の話に戻るが、「もし自分だったらこんな巨大なステージを自分ひとりの歌で引っ張るなんて怖くできません。ゲーム形式でお客さんをステージに上げたり遊び場みたいにして、とにかく責任を分散させようとするでしょう((笑))」

 なので国立競技場でラジオ体操をやってしまったのだろうか。それはそれで見事なset the toneだと思うし、それに引っ張ることにかけては武田鉄矢も大天才だと思うけれど。
 ラジオ体操といえばあの武田氏のラジオ体操のピアノ弾いていた(弾かされた、かもしれないけれど)のはあのエルトン永田だ。で、エルトンさんの英語表記を観ると「L-tone Nagata」になっている。"tone"だ。ちなみに武部聡志の音楽事務所は、Half Tone Musicといって、ここも"tone"だ。なんか今日はイカレた連想が程よく飛んでイイ感じだ。でもこれ以上書くと何か余計なこと書いてしまいそうだ。
 とにかく合言葉は"tone"だ。

  御大が「set the tone」するステージが近いことを信じてまいりましょう。

2018. 8. 15

 いつもこの時期、家族と身内から、朝鮮で突然終戦を迎えて、地獄のような中を命からがら日本に引き揚げてきた話を聞かされてきた。勇ましかった国も軍隊も、とっとと撤収してしまい、残された民間同胞がいかに助け合ったか、また恨み骨髄の日本人狩りのような状態で盛り上がっていた中にも脱出を助けてくれた現地の人たちがいた話とか、結局、人は人でしか救えないという結論に繋がる長い話だった。「またその話かよ」とろくに聞いちゃいなかった自分だが、その話をしてくれた家族・身内の人々も殆どいなくなってしまったいま、ちゃんと聞いときゃよかったと後悔することしきりだ。

 ともかく、彼我すべての戦争犠牲者の方々の御冥福をお祈りします。

 名曲「RONIN」を初めて聴いたとき「もう争わないで、もう闘わないで」というフレーズを聴いて若造だった自分は、ちょっと萎えた。当時、吉田拓郎は闘う男の象徴だった。「闘えるだけでいい、すべてを燃やせ」(証明)とあんなにかっこよくシャウトしていた御本人が「もう闘わないで」とは何事か。
 もちろんも今はわかる。薄っぺらな自分の心だがその奥底からわかる。いかに大切なことを歌った詞であるか、また珠玉のようなメロディーであり、歌唱であるか。

   安らぎのない旅を終えた見知らぬ若者よ
   愛に飢えた獣のように牙をむかないで
   今日からおまえの心はおまえ自身のものだ
   今日からおまえの心はおまえの身体に戻るさ
   もう争わないで、もう戦わないで
   そう自由の風に酔え そうすべてを解き放て

 もう聖歌といっていい。私には聖歌選定権限はないが >あったりめぇだろ
 以前のラジオで歌うかも知れないと口走ったが、ホントに是非、歌ってほしいよ、次のライブで。涙ぐみながらお願いしたい。

2018. 8. 13

ラジオでナイト  第66回   2018.8.12

■オープニング
 こんばんは吉田拓郎です。コンサート企画中です。だいたいの本数が決まって東京近郊で泊りがけのところは行けない。
 ところで広島フォーク村が何周年ということでメッセージを頼まれた。でも想い出は、そんなにだいそれたものは無く、当時は女の子の事しか考えていなかったというメッセージを送った((笑)) それが本音だ。僕のギター教室は、男子の弟子は少しいたけれど、あとは女子高生だったし、そういうことばっか考えていた。

 吉田拓郎ギター教室、M(的場)ギター教室、I(伊藤)ギター教室と三派があって、それらが統合して広島フォーク村ができた。他の教室は、フォークの理論とかを教えていたが、僕は、はなからフォークなんてどうでもよくて、こうやって、ピッキングを手取り足取り、教えてあげて、絶好の機会だった(笑)こうして吉田拓郎の人間像に触れたい人が集まっていた((笑))
 コンサートの広島公演を待ってますと言われたが、「泊りがけはいけません」とつれない返事をした。

 昔、70年代初期、一日のうち都内をかけもちで出演していたことがあった。4、5本掛け持ちしていたこともある。たくさんの歌手が出るので出演時間は、10分くらいだったからそれもできた。吉田拓郎という客が集まるので重宝がられて、例えば神田共立講堂のあとは、目黒公会堂というようにかけもちをしていた。とある日「吉田拓郎の出ないコンサート」と銘打ったコンサートもあって、チケットがバカ売れしたらしい(笑)
 あまりにたくさん吉田拓郎が出ていたんで、吉田拓郎を観ない日を作ろうという企画。吉田拓郎が嫌だった人もいたのだ。

 ま、コンサートツアーは、7,8,9本のどれかだよ。北は、あのへん、南はあのへん、東京は一回。

 企画として
<好きな歌謡曲はルームライト、大人のオンナという感じ、 タクシーに彼女の家を説明できるくらい親しいのに根性のない男という投書>
 細かいね。ロマンチックだね。 ダメな男か。そこまで考えたことなかった。  
 これ難しい歌なんだよ(歌う)

 先週は事情がありコーナが飛んだ。今週は歌わなきゃならない事情がある。ところで吉田拓郎が他人に作った提供曲の特集をしたい。売れなかったかどうか関係なくリクエスト募集。ルームライトも売れそうになったとたん捕まってしまった。なんという人生だ。

 提供曲のベスト5をやってみたい。個人的に好きな曲は、小柳ルミ子の赤い燈台♪かもめ群がる防波堤の先には、あしながふとっちょの赤燈台、…今、歌ひどかったね。そういうヒットしなかった曲、例えば森進一のブームと思われた夜行列車とか。リクエスト募集する。

 夏の甲子園が真っ盛りだが、あなたにとってのスポーツヒーロー。

10代女  羽生結弦
40代会社員 羽生結弦  不屈の精神が魅力。名言が多い。
「努力は嘘をつくでも無駄にはならない」
>なるほど   
「壁の向こうにはまた壁がある」
>そうだね  ヒーローだね

10代男  池井理香子 同じ高校生とは信じられない

>渡辺香生子が かわいかった

20代男  大谷翔平  笑顔

40代男  松井秀喜
>最初から大人のようだったね

サッカーは、ガンバの宮本監督 宮本の立居振舞が気になる
50代男  アン・シネ  ゴルフ
>イボンミそんなにいいとは思わなかった

>塩谷育代とか、ウンと思った、樋口久子は思ったけど岡本綾子はなかった

60代女  ハルクホーガン
60代男  中山律子
>古いな

女子ゴルファーと言うと樋口久子を想い出してしまう吉田拓郎のラジオでナイト

■タイトル
 コンサートツアー全盛の頃、80年代に極悪バンドでやっているころ。僕等は悪ガキバンドと言っていた。ギター青山徹、ドラム島村英二、キーボード 中西康晴、エルトン永田、ベース武部秀明。コンサートの打ち上げが凄いので有名だった。あそこだけはやめようというくらい九州のBEAの代表と一週間バーめぐりをした。コンサートで、博多、熊本、大分最後はボークラフトで。別れるとき「もっと遊びたかった」と言っていた。泣いていた。あんなイベンター初めて(笑)。

 青山徹は、当時売れっ子で、いろんな曲のイントロを弾いてくれということでお呼びがかかった。その青山が打ち上げで必ず歌う歌があった。

<大利根無情がかかったが、花山大吉の主題歌 北島三郎の「浪人まかりとおる」をリクエストするという投書 >
 かけません。同じ北島三郎の唄で、青山が歌っていた「ギター仁義」というのがある。
 青山徹の人生にぴったり。島ちゃんやエルトンと聴きながらジーンとくる。抜群。

M1 ギター仁義   北島三郎

 思い出すなぁ、青山徹。ipodに入れよう。

■CM明け

<若者と年寄りは、体臭が違う>
 僕は昔、脇汗が良く出て、大学か高校かBAN for menを塗っていた。「おめー、くせーな」   からまれたことあった。
 安井かずみと六本木で、あんたたちはフォークは汚くて嫌いでも、髪のにおいを褒められた。シャンプーはウエラを使っていた。「何のシャンプー使ってんの?」とZUZUが、ほめてくれた。安井かずみに教えたのはそのくらい。

<おっちょこちょい。ポイントカードとsuicaや免許証を間違えてしまうという投書>

 先日ハイクアウトの社長からsuicaをプレゼントされた。使い方がわかんないでいたら、From Tのリミックスの時、清涼飲料水の飲み物を買いたい時、買い方を教えて貰った。そんなに簡単なの? 最近あちこち病院によくいくのでタクシーに乗るのだか、 suicaでお願いと言えない。「スイカでお願いします」言えないで現金で支払ってしまう。
<フロムT 楽しみという投書>
 そういえば、先週のにっぽん放送の上の人とミーティングしたというその人が今来ている  「編集できないよ。先週言っちゃったからね」(笑)あなたといろいろ話したこと言っちゃったよ。
一曲目は♪僕を忘れたころに…「春だったね」じゃないよ♪追いかけましたあなたの姿だけ。似てるね。同じ春だし。
 爆弾発言  最後の曲は、(ギター弾き語る)マークUのライブ73バージョン

 岡沢章のベースと高中ギターの凄いかけあい。これが最後の曲。どうだ。 この話をするとき、自分でも楽しそうだね。速く届けたいな。発売日を速めて20日あたりでどうだ
■ベストテイク
 2014年アルバム「AGAIN」の「僕の大好きな場所」。もともとは高木ブーさんの依頼で作った。篠原ともえの詞。いろいろ字数とか詞のサイズがあってなかったので、そこはアドバイスしてやり直した。

 ハワイに番組(LOVE2)で初めてロケに行こうと僕が提案した。それまで、僕とkinkiや篠原との間に壁があった。まだ彼らは子供だったし、なんかもうひとつ打ち解けない中でのハワイロケだった。この初めてのハワイでスタッフ全員がひとつになれて、これでこの番組がうまくいくなと思った。

 白い貴婦人といわれるモアナサーフライダーホテルのバニヤンバー。その前の砂浜の波打ち際で観ながら「幸せだよな」という気持ちを語り合った。剛も光一もシノハラもそういう気持ちで、そこで初めてキンキと篠原はひとつになったなと思えた。そこから僕等は家族のような関係、信頼しあい、愛し合い、敬いあい互いを尊重する関係になった。

 その波打ち際でのわずか30分だけれど、そのときの思い出を篠原は詞にしたんだと思う。

M2 僕の大好きな場所  吉田拓郎

■マイフェイバリット

 今週は渋いよ。 ハッピーな感じのグレンミラーオーケストラ。「イン・ザ・ムード」。
 グレンミラー物語という映画もあったね。ジェームス・スチュアートがグレンミラーを好演した心温まる映画だった。グレンミラーはいわゆるジュークボックス全盛期によくチャートでNo.1を獲得した。ムーンライトセレナーデとか茶色の小瓶とか聴けばきっとわかると思う。
 スイングジャズというジャンルに分類される。カウントベーシー・オーケストラ ベニー・グッドマン・オーケストラとかデュークエリントン・オーケストラとかいろいろあった。
 映画は、慰問に演奏に行ったときに事故に遭う悲しい結末だったが、心のあたたまる映画だった。インザムードを聴くとウキウキしてくる。
 僕は子供の頃から管楽器の音が好きだった。ペレスプラード楽団のマンボを観に行っていた。よくチケット取れたな、子供だったのに。ああいうサウンドが好きだったので、ライブ73での管楽器、そして、後の瀬尾とのビックバンドのサウンドで歌うと夢心地になる。

M3 イン・ザ・ムード  グレンミラー・オーケストラ

■エンディング
 吉田拓郎  提供曲
 お故郷じまん
 あなたのスポーツヒーロー&ヒロイン
 お酒を呑みたい有名人。

 吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆

☆ 「あしながふとっちょ」って、どういう燈台なんだよぉ。ラジオの前で発せられた叫び声があまた夜空にこだましたに違いない。こだまさせながら、さて提供曲をたった一曲だけ選ぶとすると、どうしたものだろうか。たくさんの人が頭を抱えたに違いない。

☆ 青山徹の歌う「ギター仁義」にジーンとして聴き入る拓郎、エルトン、島ちゃんたち。ああ、いいなぁバンドって、とあらためて思った。このエピソードはもちろん知らなかったが、でもそういうエッセンスは、あのバンドの音から溢れ出していた。だからいつまでも心をとらえて離さないのだ。

☆ モアナサーフライダーの波うちぎわの30分の話は、今日一番の胸にしみる空の輝き。
その情景が浮かぶかのようだ。
 その当時、吉田拓郎は、とうに50歳を超えていたし、言うまでもなく功成り名を遂げた超絶スーパースターである。10代の子供らと、波打ち際で、しみじみと何かを思い、それを共有し、真摯に心を通わせる。そんなにたやすいことではない。そしてそのことを70歳を超えた今も大切に心に灯し続けている。世間で言う「ピュアな心」とか「少年の心」とかそんな薄っぺらな表現では言いあらわせないくらいの御大の魅力の一端がそこにある。
 50歳をとうにすぎ功も名も無い自分でも、いや、だからこそ、身に沁みて御大の柔らかな凄さみたいなものがわかる気がする。

☆ ついに最初の曲と最後の曲を公開してしまう。映画でいえば、出だしとラストをバラしてしまうようなものではないか(爆)。ラ・ラ・ランドの話もストーリー全開だったし、吉田拓郎に「ネタバレ」の文字はない。あったとしても限りなく透明に近い。
☆ コンサートツアー、7か所か8か所か9か所。こういう時は、8か所ではないかと思う。
☆ 昔のことに行きつ戻りつしスピリットのありかを確認しながら着実に前に進んでいる。いろんなことが先に進んでいる気がする。そんないい感じの放送だった。

☆星紀行の今日の学び
 グレンミラーのイン・ザ・ムードは、確かにウキウキする。まるでビッグバンドの「虹の魚」みたいだ。逆か。いや、それでいいのだ。

2018. 8. 12

 眠れぬ夜中にテレビで知らない映画をしかも途中から観るのが癖だ。さっぱりわからない中で、敵味方、愛憎という人間関係や彼らの事情を理解しようと頑張ってみる。やっぱりわからない(爆)。ただひとつ言えるのは途中から観ても名画は名画だ。あまりに感動すると最初から全編観てみることにする。「君に読む物語」もそうやって知った。全体がわかったときの感動はひとしおだった。もうネタバレ禁止の方々からは噴飯ものの鑑賞方法か。

 最近では映画「光をくれた人」。灯台守の夫婦の切羽詰まった話がたまらなかった。わからないなりに涙を流し、あらためて最初から通して全体を観てさらに悶絶した。ああ、そういうご事情と歴史がおありでしたか、と打ちのめされた。誰かと語りあいたくなったが誰も観ていない。仕事関係の人と映画の話になって、「孤島の燈台守?あゝ『喜びも悲しみも幾年月』でしょ」といわれてあきらめた。

 一部だけを観て反芻し、後に全貌を知ってあらためて感動するというこのパターンは、吉田拓郎の世界でも何度かあった。

 先に話したセイヤングの中継で、レコーディング中の「そして誰もいなくなった(外は白い雪の夜)」の生演奏が披露された。当時箱根を超える電波の音は非常に聴こえづらく、しかもスタジオのミキサーのミステイクで3番の後の間奏で音が途絶えてしまい「こういう感じでなだれこんてゆく歌です」と御大が口頭で解説して終わった。その録音を何度も何度も聴いて、曲を夢想したものだった。
 で、後に完成品の全曲を聴いたときは衝撃だった。3番までの切ない小曲と思っていたら、まさに最後になだれこんでゆくような展開の4番があったこと、そしてバイオリンかフィドルがロックウェルのあの演奏の豪華なラッピングみたいに美しく絡みついていて、曲全体が、なんか星空から降って来たかのような煌きを感じたものだ。

 同じようなことは、ラジオのフォーエバーヤングで「俺が愛した馬鹿」を初披露したときもそうだった。番組ではあの長いシンセのドラムソロのところでフェイドアウトしてしまった。そういう曲なんだと思って、なんだかなぁと思っていた。
 そして完成品を聴く。あのちょっと困ったドラムソロの果てに、もう一群のパートがあり、♪都会は今日も霧の中〜の最後の歌詞の展開に衝撃を受けた。あの最後の歌詞パートで、歌全体が別の生き物のように蘇生するかのように感じたものだった。

 最近では、「アゲイン」だ。「未完成」。Uramadoにも書いた通り、未完成で世に出すのは、世界広しといえど、吉田拓郎とシューベルトだけだ。CDで聴き込んだあと、ライブで全貌が見えた。「僕等は今も自由のままだ」というあの最後のフレーズに向う全容を見せられた時の感動は、記憶に新しい。

 見えないもの隠れたものが、形を現す、そうい感動というものがあるのだ。一部しか見えないときのそれゆえの楽しみと全貌が見えたときのまたあらたな楽しみ。これは名作だけにゆるされた至福ではないかと思うのだ。

2018. 8. 11

 定期健康診断とかでお医者さんは異口同音に「適度な運動を心がけましょう」というアドバイスをくださる。そのたびに私は心のなかで「うるせバカ」(Ⓒ石山恵三氏)と叫び続けてきた。

 80年代初頭、私が若かった頃、吉田拓郎の言葉にシビレたからだ。

「オレは自堕落に生きる。私生活だけは"キース・リチャーズ"で行くぜ!」

 しかし、わりと最近BOOK-OFFで買った松本隆のエッセイ集「成層圏紳士」をつらつらと読んでいると1982年の11月の日記として松本隆はこんなことを書いていたのを発見した。

「吉田拓郎に誘われて郊外の会員制ヘルス・クラブに入会した。彼の言によるとそこのトレーニング・マシンは、NASAと同じものらしい。(略) 吉田氏の名言『これからは才能より体力だ』というフレーズに全面賛成する。」

‥‥‥‥なんてヤツなんだ。いや、オレ自身もなんてヤツなんだ。

 ということで、すべての医療関係者に心から懺悔して、適度な運動に生きることにする。とりあえず私もゴミ捨てのスクワットから。

2018. 8. 10

 夏の風物として思い出すのは、行ったことはないけれど「箱根ロックウェルスタジオ」だ。レコーディング中に中継されたラジオ放送が忘れられない。そのまんまmaking of 「ローリング30」であり「アジアの片隅で」の貴重なドキュメンタリーだった。

 爆笑シーンも多々あった。

 陣山さん「いかがですか、今回のレコーディングは」
 石川鷹彦氏「非常にいいですね、イキフンが」
 陣山さん「あ、あ、あのラジオ聴いているシロウトの方”イキフン”なんてわかりませんよ」
 石川鷹彦氏「ああ、イキフンというのは雰囲気。アトモスフェアーです。」


 陣山さん「次はベースの石山君です。どうだったですか今回のレコーディングは?」

石山恵三氏「うるせぇバカ!」
吉田拓郎氏「ねぇ、なんで石山怒ってんの? 聞いてみてよ」
陣山さん「なんで怒ってるんですか?」
石山恵三氏「なめんじゃねぇよ」
(一同大爆笑)

 私と同じように、多感な時期にこの放送に出会ってカセットに録音して何度も聴き直した人がいたはずだと信じる。
 おかげで今でも日常生活で「とてもいいイキフンだよね」とかつい口走ってしまうイタイ同志はいないだろうか。それに「アトモスフェア(atmosphere)」は、それなりに難しい英単語なので、試験の時におかげで助かったという人はいないだろうか。

 はたまた、人生で辛いことや理不尽なことに出会うたびにあの石山節で「うるせぇバカ!」と心の中で小さな声で叫んでしまう人はいないだろうか。いつの間にか心の支えのように多用してきた自分に気付く。言わずもがなだが、石山さんの暴言はネタであり、とても心優しい方で、あの方が御大を思われて歌う「慕情」は、とにかくすんばらしいのである。

 そんなこんなで夏=箱根=ロックウェルである。

 ♪箱根に行きたいと思っています。人間の夢はそんなもんでしょう♪ ああ、本当に東京の長く暑い夜はたまらん。

2018. 8. 9

  広島の陰に隠れてしまいがちだが、いつも見ていたナガサキの日だ。

その昔、暮らしの手帖が発刊した「戦争中の暮らしの記憶」という市井の方々の寄稿文集がある。その迫真の一文一文が重い。そして花森安治のまえがきは何度読んでも圧倒される。

「この戦争のあいだ、ただ黙々と歯をくいしばって生きてきた人達が、何を苦しみ、なにを食べ、なにを着て、どんなふうに暮してきたか、どんなふうに死んでいったか、その数少ない記録がここにある。これが戦争なのだ。」
「しかも、こうした思い出は、一片の灰のように、人たちの心の底ふかくに沈んでしまって、どこにも残らない。いつでも、戦争の記憶というものは、そうなのだ。」

 こうして日々イカレた駄文を書いているだけの自分も、この花森安治の言葉を時々思い出しては背筋を正す。吉田拓郎を愛し、愛してきた人々の記憶もやがて一片の灰のように消えてしまうのだ。それはまた別の話か、いや一緒か、わからん。

 そして先月、幾星霜を経て、続巻「戦中戦後の暮らしの記憶」が出版された。まさに消えなんとするものへの必至の抵抗だ。その序文もまた胸を打つ。

 きのう、戦争があったのだ。昔むかしの物語ではない。
 その大きな戦(いくさ)は、昭和という時代、二十世紀にあった。
 君がきょう歩いているかもしれない美しい町は、
 かつて亡きがらが転がり、いたるところが墓地となった焼け野原。
 空から日夜恐怖が降ってくる、地獄の土地だった。
 そんなところで、それでも人は……君の父や母の父や母、祖父や祖母は、
 生き続けた。生き続けたから、君がいる。
 君という美しい命は、未曽有の戦災をかろうじてくぐり抜けた人、
 その人を守った誰かの先に偶然のように灯された一閃の光だ。

 「吉田町の唄」や「いつも見ていたヒロシマ」を聴くようにこの前書きを読む。もちろん勝手な思い込みだ。吉田拓郎さんご本人のお考えと全く関係ないし、そういうことに拓郎を利用するなというむきもあろう。しかし、私は個人として同じスピリットを超絶感じるのだ。吉田拓郎の唄とはそういうものだと思う。

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2018. 8. 8

 第65回のベストテイクで語られた1975年つま恋開演前の異常な緊張と恐怖の話。何度聞いても、こっちも胸が高鳴る。バーボンを口にしたのですね。

 この話も何度も何度も書いたが、やはり泉谷のことを思い出さずにいられない。

 かつて「地球ZIGZAG」にゲスト出演したとき、ロックミュージシャンを目指す若者のドキュメントを観た泉谷が「ロックってこんなもんじゃねぇよ」と吐き捨てるように言った。たぶん高橋リナさんが「それではロックとは何ですか?」と尋ねた。
 泉谷はキッパリと言った。

「拓郎がよ、つま恋に6万人だか集めちゃってよ、本人は大観衆を目の前に緊張してビビっちゃってよ、目はうつろ、声はうわずっちゃってボロボロなのよ。それでも、こうやってギター抱えて『歌うぞ』ってググッて前に出てゆく、俺に言わせれば、そういうところに本当ロックがあるんだよ」



 この話を思い出すたびに泣きそうになる。

 ちなみに85年の開演前の映像を観ると、御大は袖から客席を覗いて「男ばっか」と苦笑いをしている。余裕がある。男ばかりで 悪かったな(爆)。

2018. 8. 7

 ロバート・レッドフォードが俳優引退を宣言したというニュースを読んだ。しかし、80年ころ、レッドフォードが映画「普通の人々」の監督をした際に、役者は廃業だと宣言してニュースになったのを覚えている。でも、何年かしたら普通に映画に出演して今日に至る。
 天下の名優に申し訳ないが、今回も心の中で思い切り叫んだ。
「おまえはハリウッドの吉田拓郎かよっ!!」

2018. 8. 6

ラジオでナイト  第65回  2018.8.5
 吉田拓郎です。今週はスペシャルウィーク。ラテ欄は既に書かれている。すごい話をしようとしているが、この収録の様子を聴いてラテ欄を書き替えたら許さない(笑)。

 先週、50歳のハワイの話をしたらたくさんメール、写真、が送られてきた。みんな元気そうで良かった。ハレクラニのディナーのメニューのコピーまである。フィレミニヨンのビーフ、ロブスター、ピノノワールのワイン。

 ウクレレをもってベストを着ている写真。ダイヤモンド・ヘッドの見えるハレクラニのラナイでの合同写真。みんなも若いけど僕も若い(笑)。50歳だったんだから、あー懐かしい若かった。観ていると泣けてくる。

<新婚旅行だった二人には、一生の宝物という。長女にカハラとなづけたが来年大学卒業で、あの時のファンともいまだに仲良く、毎年4月にバースディを祝うという仲良し、ウクレレはどうなっているか投書>
 カハラモールを歩いていたら、当時はひざたけのショートパンツが流行していたのに、やけに短いボルグみたいな短パンを穿いたカップルがいたので、カハラモールで短すぎると注意したら、これからすぐ買いますと言っていたのを覚えている。  

 1000組の中から20組かな最初に昼食会をカハラヒルトンホテルでやって、その後4月5日のハレクラニで貸し切りパーティをした。カハラちゃんいい名前だ。
 そのみんなで回したウクレレがどうなっているかこっちが知りたい。

<ビーチとプール、黄昏時に始まる素敵な企画、ワイン、フラダンス、鯨との遭遇、拓郎さんのガイド、ゆったりした時間、そしてウクレレは行方不明とだという投書>
 ははは(笑) 行方不明か。誰かとっちゃったかな。

<夫婦での忘れられない思い出、義母様と同じ年で亡くなった、同居の母がランチバイキングで(奥様の)義母様とお話したことを忘れません、会社も大変だが頑張っている、中学の時からの人生の師の拓郎さん、いい仲間と知り合えたことにも感謝、という投書>
 義母はよく話す、気さくな人だったからね。

<まだ気にしてもらったんですね、孫ふたり、仲間と今も交流していますという投書>
 気にしていたよ。僕のことを言うと、50歳である決心のもとに行ったハワイだった。後にフォーライフやめたりすることにつながる。東京から行った人間も、僕が敢えてチョイスした地方のイベンターがメイン。
 新しい始まりがハワイだった。それまでの友人たちとの関係を断ち切ってしまおう、生まれ変わろう、考えをシンプルにしようと考えた。なので想い出深い。それ以来22年間会っていない友人もたくさんいる。
 フォーライフという夢のチームとも訣別すねことになる。いろんなお付き合いお断りしすることになる。だから
 交流している最近の写真送ってくれたけど、まだみんな写真観ると若いね。当時いくつだったんだろう。その時妊娠していたという娘さんも映っている。今度のコンサートに娘さんだけは来るように、君たち夫婦は来なくていいから(笑)

 ハワイといえば、今日、ニッポン放送の偉い人と打ち合わせ。爆弾発言をするといったが、「好調なので、いまひとつ上のステップで、番組としての企画。リスナーを呼んでコンサートとか座談会…座談会してどうするんだ、相撲大会とか、一人10万円でイマジンスタジオに呼んで金儲けしようかとか(笑)、今度のコンサートは、東京一本だけなのでここに呼ぼうかとか。言ってはいかんのかな。

<もっと寡黙な人だったと思うが、そんなキャラでしたっけという投書>
 がっくり。寡黙と思っていたのか。ライブの会場ではオーディエンスいると音楽に集中してしまう。バンドと一体化してしまうので寡黙かもしれない
 ラジオでは黙っているのもなんだなということで喋ってしまう。サッカーの解説の木村さんみたいにんんんん…といってるだけなのもどうか思うので、マイクの前に座るとあることないこと喋ってしまう吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル
 この番組のキー局は8局だ。北海道、仙台、長野、山梨。富山、福井、愛媛、各地の自慢を聴いてみた。

北海道STB放送  50代  ジンギスカン  国産
>平凡だな  コンサートツアーでよく食べた  おいしいね  魚もうまい
すすきの男たちが繰り出すのは昔から。本州の男は北海道の女性に夢中になる。

仙台東北放送   主婦。都会なのに緑多い。厚い牛タン。
>よく行ったが、綺麗な街だ。焼肉とか冷麺とかが有名で不思議。

長野信越放送。避暑地たくさんある。
>軽井沢よく合宿したね。原田真二、手塚さとみ、杉田二郎。たいがい松本隆と一緒で、コテージのあるホテルで。ある日、蕎麦でも食いに行こうといわれても信州そばの店に行って、鴨南蛮うどんを頼んで松本隆が驚いた。信州蕎麦って知らなかったし、うどんの方が好きだったんだもん。

山梨放送  勝沼ワイナリーとか冷やしほうとう。

>いいね。国産ワインもおいしい。カベルネソービニオン、ソービニオンブランとかもできるのかな。

富山北日本放送    白エビとほたるイカと岩ガキ

>苦手なんだよね、牡蠣は。フライが限界  生はダメ  あのムニュって感じがダメ
黒部峡谷トロッコ列車が有名と書いてある。

福井放送    幸福度一位になっている。恐竜博物館。
>恐竜には関心がない。

京都放送   自慢は舞子さんの「どすえ」世界遺産  海外旅行者も多い
>中西康晴の奥さんが、京都の舞妓さんの関係でいらっしゃったので、祇園になんどか足を運んだ。舞妓さんの背中の首筋が真っ白。その白いとこをペロって舐めた。何しに行ってるんだ、バカだった(笑)
 盆地で夏暑い。京都会館が懐かしい。エレックの頃だったかな。幕が上がったところで、モニターが一緒に引っかかって持ち上がってしまったことがあった。ああ危ないって(笑)

愛媛南海放送   やはり温泉 。サメの切り身を酢味噌で食べる  ふかの湯ざらし   鯛そうめん…とか。  
>コンサートでよく行った。四国一周するのに便が良くなくて、バスで移動した。峠の釜めしがあって、そこにいるサンショウウオに挨拶していた。なじみになっていたんだ。


 歌謡曲のリクエスト。よく聴いたな。これは、かけざるを得ない
<暑いですね。歌謡リクエスト小さなスナックという投書>

M1  小さなスナック  パープルシャドウズ

■CM明け

<「わが青春のアイドル」という特集で、ビートルズ、かぐや姫をおさえたという投書>
20位だったらしい。
 1位 西城秀樹 2位 沢田研二 3位郷ひろみ4位  田原俊彦 5位SMAP6位チェッカーズ7位近藤真彦… 17位にKinkikids 19位に森田健作で 20位に吉田拓郎。森田健作には勝てなかった。残念、森田健作に勝てなかったか。県知事だもんね。でもキンキとそうかわらないな(笑)「なんで拓郎はんと一緒なんですか」と怒るだろうな。30位がオフコース。そう考えると吉田拓郎という存在が何だったのかがわかるでしょ。 
 アランドロンと言ってのもわかるでしょ。それは勘違い違い。たけど言い過ぎた。ジェームスディーンにする。
<よもやま話大好きですという投書>
 サッカーは、イニエスタやトーレスに観入ってしまう。ガンバの宮本監督。このウェア黒のポロシャツにグレーのパンツ。すぐにネットを探した。

<楽しみ 春だったね、マスターの独り言、 一曲目は何でしょうという投書>
 「マスターの独り言」は入らない。「春だったね」は入っている。一曲目をばらそう。ラテ欄に書いたら怒るよ。
 ファンファーレ。
 「春を待つ手紙」(歌う)これが一曲目だ、この野郎。
 それでどうなんだ2曲目は…。
<コンサート企画 名古屋までゆくのなら大阪や神戸はどうかという投書>
 ディッセル神戸、ガンバ大阪というとイニエスタ対遠藤。関西に観に行かざるを得ない
ウチのヤツと話している。コンサートで行けないのに、サッカーで言ったらプロモーターの上田が怒るよ。いつも東京で僕の車に相乗りして帰るヤツ。大阪フェスティバルホールも綺麗になったのでと頼まれている。

 NHKとにかくサッカー放送やってくれよ。神戸とサガン鳥栖とガンバ大阪の宮本のファッションを意識している(笑)

<せんこう花火、作詞者はどんな方ですかという投書>
作詞者は僕もよく知らない。

 せんこう花火(全曲歌唱)

 いやあいいね。

■ベストテイク

 夏が来ると思い出すのは75年のつま恋。日本初の夜通し歌うイベントだった。
ちょうどこの時期でしたね。とにかくオーディエンス主催も異常事態だった。ちょっと前にウッドストックがあったが、あれに影響を受けて、前代未聞何十万人も集まった。
とにかく翌日の朝まで歌うなんて前代未聞だし、とにかく、どうなるのか、行ってみなきゃわからん。
 僕もかぐや姫も、たくさんのミュージシャンもとにかく本音は怖がっていた
怖かった。何が起こるか、5、6万人の観客を観たこともなったし、歌ったこともなかった。みんな震えていた。
 当日のステージに向かう時、宿舎を出たときの地響きというか、歓声が背中に凍りついた。
 こんだけの人が攻めてきたらどうしよう、ステージ裏で、出番を待つ30分間。トランザムの連中と怖いよねと言っていた。チトやんが一杯飲もうか?もう何かのチカラを借りたい
 そんな感じだった。チトやんがバーボンをくれて小さいカップで貰ったが、とても呑み込めないで、すぐに吐いた。それくらい緊張の極致。足はすくむ 手は震える。

 ステージで、ない勇気をふりしぼって「朝までやるよ  朝まで歌うよ」
 なんかセンスないね、自分を奮い立たせるための雄たけびだった。

 後で映像を観て、出演者の南こうせつの顔がひきつっていて、笑ってないのにつくり笑顔をしていて、それがわかって大笑いした。
 山本コータローのやつがシャツの脇の下が破れている。これもまた凄いつくり笑顔。

 とにかく大パニック。落ち着いたのは最後のステージになってからかな。それまでは全然覚えていない。


M2  ああ青春 (一瞬の夏) 吉田拓郎


■エンディング

 喋り過ぎて  マイフェイバリットなし。
 吉田拓郎でした。


☆☆☆ 思いつきと感想☆☆☆☆


☆ 活気付くRe:第一回のバースデイ・ハワイ。当時は、一緒に行ってくれるパートナーもいなかったし、そもそもおよそ自分には超絶無縁なことと応募すらしなかった。
 御大にとって年齢の節目だけではない、とても大きな転換点だったのだな。そう思うとつくづく、ああ行きたかったし、行かれた皆さんが羨ましい。
 参加者のメールで「気にかけていただいてたんですね」というのがあって笑ったが、こんなふうにファンにやわらかな気持ちを運ぶ吉田拓郎というのは、なかなか観られないかもしれない。「みんな元気でよかった」と繰り返す言葉に旧友の消息を尋ねるような温かさがあった。羨ましいという気持ちを超えて、なんか妙に嬉しい気持ちにもなる。

☆ 御大にとってあのハワイは一大決心の一端であったことが伺えたし、参加者の方もその思い出を大切にしながら、時を刻んでいることがわかった。仲間同士でいまも誕生日を過ごしているって、なんかとても素敵な時間の重ね方に心が洗われる。
 そうか、あの時にお子さんが生まれたりすると、もう22,3歳だったりするわけなんだね。普通に驚く。LOVE2が始まった年でしょ。こちとら、つい昨日のことのような気がする。着実に時を刻むものさしが身近にあるのとないのでは違うのかな。ともかく行かなかったこちとらにも妙な感慨が湧いてくる。

☆「From T」。すまんが、ベストアルバムの選曲と曲順で何ヶ月も番組を引っ張りおって、という黒い気持ちが湧いてきたところだった。
 そこになんと

「春を待つ手紙」が一曲目。えっ一曲目なの? すげぇ。


 これだけでこのアルバムは名盤必至である。これだけで何もいらない。いやそれは嘘だが。でも「春を待つ手紙」が一曲目を飾るアルバムに出会えるとは思ってもみなかった。長生きはするものたと心底思った。 まぁ、選曲と曲順で、私なんかはイチコロだと身に沁みてわかった。

☆ベストテイクが底をついたのなら、毎回弾き語りでいいじゃないか。いい声だった。


■星紀行の今日の学び
 つま恋もハワイも神は第一回目に宿る。
  前例がない不安に果敢に突っ込んで行った人々に女神は微笑む。

2018. 8. 5

 昨日「女神が微笑む時」を聴き直したが、すまん、大変良かったんである(爆)。特に西城秀樹の歌い上げが胸にしみた。こういう時だからというのも少しはあるのかもしれないが、ああ、いい声だなぁ、いいバラードだなぁと聴き惚れた。カラオケでの酷評は、それとは比ぶべくもない私の歌唱力が原因だったのだ。どうか是非、原曲を聴き直しておくれといいたい。「広島」ということで西城秀樹と吉田拓郎に白羽の矢を立ててくれたサンフレッチェにも感謝。

 広島といえば、明日6日は、その日で「夕凪の街 桜の国」がNHKでドラマ化されて放映されるらしい。「この世界の片隅に」も実写化放映中だが、これに限らず、あらゆる実写化というのは鬼門である。何か文句を言いたくなる、偉そうに評論したくなってしまう。
 ちょうど吉田拓郎の原曲をどんなに上手い歌手がカバーしようと、ファンとして一言垂れたくなるのと同じかもしれない。

 http://tylife.jp/sideways.html#KONO

 このサイトでも何度か書いた。ドラマの番宣で「皆実ちゃん」と耳にするたびにドキっとする。霞ねぇさんも、翠ちゃんも出るのだろうか。

 実写化だからどうのこうのでなく、ここは是非、片渕直監督によって映画化してほしいと切に思う。

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2018. 8. 4

 レコード店の「From T」の曲当てクイズ。一曲くらい「大利根無情」とか「東京ドドンパ娘」とかボケてみたくなりませんか。ならねーよ。

 夏をゆくツアーというとCountryもそうなのか。でもお盆過ぎてから始まったしな。
 昨日カラオケで「ウィンブルドンの夢」を歌った。あらためて名曲だ。 結局、countryツアーは、潰えてしまったけれど、また歌うよ、また会えるよ、その日はきっと来るよと一歩も引かず、ひとつもあきらめていない拓郎が、私たちに語りかけているような気がした。そう思いながら歌うと、最後の「大きく息を吸って両手で風を抱いて思いを空に届けよう」の部分で泣きそうになる。
 満身創痍であっても、いつでもどこでも清々しい明日はあるんだという御大の声が聞こえる。感動のあまり2回歌った。だから私は嫌われる。でも聴衆はいい歌だと言ってくれた。

 調子にのって西城秀樹への提供曲「女神が微笑む時」も歌ったのだが、「つまんねー歌だな」と不評だった。そこがいいんじゃないか。うなぎ屋さんで、うな重の松、竹、梅でなく「うな丼」を食べるようなそういう味わいがわからないかな((爆))。私が一番失礼だ。

2018. 8. 3

 夏といえば、どうしてもオールナイトイベントの数々を思い出すが、サマーツアー=夏をまたぐコンサートツアーというのも忘れられましょか。特に私の記憶に鮮烈にあるのは、2000年の「冷やしたぬき」と2004年の「precious story」だ。どっちも怒涛の夏の行軍のようなコンサートツアーだった。本数だけではなく、演奏曲もやたら多かった気がする。まさに充足の夏だった。特に2004年の時の御大は大変なんてもんじゃなかったろうけれど。夏を縦断し越えてゆくコンサートツアーというのも今にして思えばなんと幸せなことだったのかと思う。

  唐突だが、「夏二人で」(六文銭)と「二人の夏」(愛奴)、タイトルを英語にすると同じになってしまう。この微妙な違いを表現できる日本語の繊細さに乾杯。

2018. 8. 2


「拓郎に惚れた太陽が燃えてくれた」と岡本おさみが言ったから
                    8月2日はつま恋記念日。


 我ながら素晴らしい短歌だ。って、思い切りパクリだろぉ。私は行けなかったが、つま恋75を経験した人の話を聞くたびに感動がある。ひとりとして同じような話が無い。本当に行った人の数だけの切実なつま恋があるのだということを教えてくれる。すべての人の話を聞きたいと思う。


 さて、黒澤明の会と落陽の話が依然として引っかかっているので、私の妄言・妄想は続く。
 「落陽」は、いわずと知れたライブ73で初披露されて以来の大人気曲だが、ある意味それが狂信的なまでに加速したのは78〜79年あたりからではないかというのが私見だ。

 フォーライフの再建のために社長業に専念しステージから離れた苦悩の2年間。それは拓郎の苦悩だったろうし、ファンの苦悩でもあった。拓郎が社長業に専心したとたんに、若手ミュージシャン世代が大挙して君臨し、音楽シーンが塗り替えられて、たちまち吉田拓郎は過去の遺物となった。何度か書いたけど「吉田拓郎ファン」とか言ったら学校ではダサイと笑いものだった。

 そんな真っ只中の時期の例の黒澤明の会だった。例えば今、ギターを弾く人で「落陽」を知らなかったらそれはその人が問題だと思うが、あの頃は、シングルヒット曲でもないし、知らないのが当たり前だった。拓郎ファン以外、周囲で誰も「落陽」なんて知らなかった。昔のフォーク歌手の知らない歌に過ぎなかった。
 音楽の一線を退いて社長として業界人のあつまりの片隅に座っていた拓郎は、きっとこのまま世の中から風化してゆく「吉田拓郎」というものを直に感じ取っていたのかもしれない。

 おそらく吉田拓郎もそして吉田拓郎のファンも、こういう氷河期のような苦悩の状況で、いつの日かやってくるだろうライブを遠く見つめて生きながらえていたのだ。

 「落陽」はそんな時の”灯”だった。その空白の2年間の間、ライブを待つファンは、ライブを思ってライブ73をひたすら繰り返し聴くしかなかった。何度聴いても「落陽」を始めライブ73は痺れた。
 そして、御大も来るべきライブで、どれだけ魂をこめて「落陽」を歌うか何度も想を練っていたはずだ。78年ロッドスチュワートの来日コンサートを見た拓郎は、「ロッドがセイリングを歌う時の恍惚感、やがて俺がステージで『落陽』を歌う時は、それ以上のものが出せる」と意気込みを示した。ものすげー「落陽」を歌ってやるぞという気迫が満ちはじめていた。

 そして明けて79年に訪れたハレの日の日本武道館。2年間の空白を背負った拓郎は落陽のイントロを静かに弾きながら「知ってる? 歌いなよ」とおそるおそるといった感じで客席に声を掛けた。同じ2年間、鬱屈していた私らファンは、それはもう「知ってるに決まってんだろう」と歌い始める。そのうちなんか堰を切ったようにあれこれと思いが溢れ出てきて、やがて会場を揺るがすような大合唱になった。辛かった2年間が終わろうとしていた。「幸せだな、俺は」と拓郎つぶやいた。私もおそらくすべての観客が幸せだった。ああ書いていて泣きそうだ。そして「吉田拓郎はずっと歌うという決心が今ハッキリついた」と宣言した。
 こうして79年は、長い氷河期の中で風化しつつあった吉田拓郎が「落陽」を御旗に掲げて果敢に巻き返していった逆襲の一年でもあった。そういう歴史的意味合いが加わり、「落陽」は燃えに燃える曲となったのだ。

・・・・ああ、こう書いていると、まるで「落陽」が好きな人みたいだ。このサイトでは「落陽」に否定的なことばかり書いてしまっている。否定しているわけではなく超絶名曲であり大切な曲だけれど、今はそんなに毎回歌わなくても平気、他にもっと愛でて欲しい曲がたくさんあるという一個人の勝手な思いに過ぎない。

 ああ、まだ書き足りねぇ(爆)。

 で、話は戻って、田家さんは、あの夜、ギター弾きが曲を知らないというのに、なぜ無理矢理に「落陽」を歌ったのだろうか。ギター弾きの人は、たぶん落陽は知らなくても、「旅の宿」や「襟裳岬」なら知っていただろう。なのになぜ、しかも拓郎本人の前で、アカペラで歌うというある意味リスキーなことをしたのだろうか。田家秀樹は富澤一誠ではない。拓郎への畏愛と細やかな心遣いに満ちた人だ。知らないけれど文章を読めばそのくらいわかる。ついでに富澤一誠も文章を読めばわかる。
 あの時、世間は忘却しつつあるが、「フォーライフの社長として今ここにいる吉田拓郎とは本当はこうなんだ、こんなに凄いんだ」ということを宣揚するために「落陽」を歌いたい、歌わずにいられなかったのだと思う。きっと田家さんは、評論家であると同時に、苦悩の空白の期間に悶絶するファンのひとりでもあり代表でもあった。そして御大は、そんな田家さんの苦悩の叫びにたまらなくなって立ち上がったのだ。
 「黒澤明を励ます100人の会」の二次会だが、田家さんにとっては「吉田拓郎を励ますたった一人の会」だったに違いない。なんと深い愛と気骨の人なのか。三日前はひどいことを言ってすまなかった。

 星紀行今日の学び 番外編

 今日、吉田拓郎があるのは、黒澤明と黒澤久雄のおかげである。

          いみふ?いいんだ、いみふで。誰もわかってくれなくていい(爆)

2018. 8. 1

 黒澤明といえば自分が一番好きな映画は「生きる」だ。その映画の中で、志村喬がキャバレーのピアノ弾きに♪命短し恋せよ少女(おとめ)〜というあの「ゴンドラの唄」をリクエストする。するとピアノ弾きが「あぁ〜大正時代のラブソングね」とちょっと小バカにしたリアクションをして周囲もつられて嘲うシーンがある。

 調べてみると「ゴンドラの唄」は、1915年(大正4年)の作品。この映画の舞台は1952年(昭和27年)だ。とすれば当時にして37年前の古い唄ということになる。今から37年前は1981年だ。ちょうどシングルで言えば「サマータイムブルースが聴こえる/Y」の頃だ。この曲を誰かが「ああ、昭和時代のラブソングね」と小バカにしやがったら‥‥‥そういう話ではない。

 昨日書いた「黒澤明の会」の二次会で、店のギター弾きが「落陽」を知らずに、田家さんがアカペラで歌ったという話。その映画のキャバレーのシーンに近い空気があったのではないかと思い切り邪推する。「なに?この歌、フォーク? しらねー。」みたいな薄い空気。しかも自分自身も社長業に忙殺され、ステージや歌の第一線から離れてしまっていた吉田拓郎にとっては、たぶん本当にたまらなかったのではないか。あくまで憶測ね。そんなたまらない気持ちから、自らギターを取って歌ってしまうという、普段なら絶対ありえない異例の行動に出たのではないかと思う。
 その時の空気と御大の気持ちがわかりすぎるほどわかったから、田家さんは、「その時の顔を忘れない」とだけ書いて、すべての言葉を呑み込んだのだ。さすが田家さんだ。って、昨日はメチャクチャ失礼な事を書いてたろぉ、星紀行っ。

 映画のシーンを思い返しながら、今に残る名曲だからといって、ずーっと神曲として全国民から絶賛されてきたわけではなく、そこそこ冷たい扱いをも受けてきたのだなと知った。実際に、大正時代、リアルタイムでヒットはしたものの、それほど評価は高くなかったと記録にもある。
 吉田拓郎の名曲だってリアルタイムでは売れなかったり評価されなかったりした、あるいは今もって評価されない作品がやたら多い。

 しかし「ゴンドラの唄」は、文字通り人の命はとても短いが、風雪に耐えて残る曲は、100年経っても余裕で残るということを言外に教えてくれている。
 私たちは年齢差こそあれ、みんな老境一直線で、60年後は殆ど誰もいないだろう。だが、御大が歌い、私たちが愛した唄は、ずっと残り続けるかもしれない。私たちがとうに死に絶えた後で誰かが「ウィンブルドンの夢」で元気づけられているかもしれないし「Life」や「マラソン」を聴きながら人生に立ち向かっているかもしれない。そのために、私たちは、いや私は何をしたらよいのか。「コペル君、自分の頭と心でよく考えてみたまえ」と問いかける声が聞こえてくるかのようだ。空耳か。

2018. 7. 31

 第65回(7.29)の放送で「黒澤明を応援する100人の会」という話が出た。詳しい内容はわからない。78年頃と思われる。フォーライフが映画に関わるプロジェクトが進んでいたようだった。確か「ロッキーを探せ」「ウエストコーストウインド」というテーマではなかったかと記憶している。御大がガチ社長業でコンサートも久しくやっていなかった時だ。

 後にRyu's barに拓郎が出たとき、村上龍が「黒澤明を励ます会」で初めて拓郎と会った話をしていた。その二次会のお店で、拓郎がお店のギター弾きのギターを奪って延々と歌い始めてびっくりしたという話を披瀝していた。「いつもああやって歌うんですか?」との村上龍の質問に拓郎は苦笑していた。吉田拓郎とは、そういう場面では、頑なに歌わない人であることは、広辞苑にも書いてある。

 それでは、なぜ歌ったのか? 疑問を解くカギは、田家さんの文章にある。この場に同席していた田家さんは、その店のギター弾きの伴奏で「落陽」を歌おうとするが、そのギター弾きの人が曲を知らなくて、田家さんはアカペラで歌い出すが、うまく歌えなかったそうだ。
 すると拓郎がいきなり立ち上がってステージに上ってきて、ギターを奪い、もうたまらない様子で「俺が歌う」と自分で落陽を歌い始めたそうだ。その時の拓郎の顔が忘れられないと田家さんは書いている。どんな顔だったのかは書かれていない。書いてくれ。私にとってはかなり大事なことだ。”明日はミスチルです おやすみなさい”とか書いてる時間があったら、そのことを書いてくれ。それとも書くのが憚られるような切ないものだったのだろうか。

 この映画プロジェクトはどうなったのか、わかんないけど、数年後フォーライフ・東宝の提携で、市川昆監督、水谷豊(当時フォーライフ)主演、音楽ロブバード(当時フォーライフ)の「幸福」という映画になった。当時映画館で観たが、たいして面白くなかった記憶がある。主題歌の歌詞が松本隆で「9月になれば、9月になれば」というサビだけが強く頭に残っている。

 それにしても黒澤明に映画音楽の大切さを進言したことは初めて知った。若気の至りと本人は言うが、カッチヨエエぞ。ハラショ、吉田拓郎。

2018. 7. 30

ラジオでナイト 第65回 2018.7.29

 吉田拓郎です。20年以上前、ハワイのハレクラニホテルで50歳のバースデイパーティをした。たくさんのファンのカップル、50人くらいかな、一緒に楽しい時間を過ごした感激のパーティだった。

 あの夜の料理は、ホノルルのホテルとファックスでやりとりしてメニューからワインの銘柄、シャンパンに至るまで僕が決めた。あれから22年、あの時の カップルの人たちはどういう人生を送っていのだろうかと思う。
 彼ら彼女らは、お互い連絡とりあって、ウクレレが日本中を回っているという話を聞いた。そんなことをふと思い出した。僕たち夫婦は元気だ。妻のお母さんは亡くなってしまった。あの時は楽しく参加していたが。でも僕たちは元気だ。本当はあちこち痛い重いで大変だ(笑)。助け合って一歩一歩だなと思っている。みなさん毎日どうしているんだろうな。

 さて、みなさんが一緒に呑んでみたい歌手、ミュージシャン、俳優さんを聞いてみた。   

20代男 プールのバーで水着の広瀬すずとカクテルを飲みたい
 >不潔だわ(笑)
20代女  菅田将暉くんとオッケーな店で
 >人気があるね。吉田拓郎も26歳の頃そういう対象に一瞬なっていた時期があったと思う。夢か。
30代男  深キョンとバーベキュー
>バーベキューって今でもやってんの? 深田さんはそういうイメージなのかな。
30代女 左に剛くん、右に光一くんでキンキの真ん中
 >キンキの二人は、話は弾まないよ。番組の後で、毎回焼肉によく行ったけれどゼンゼン話は弾まない(笑)
40代男 ローソクの灯りでテントの中で綾瀬はるかと小声で話しながら缶ビールを飲みたい。
 >缶ビールとはセコイな。なんで小声なんだ。
40代女  安室さんと本音で話しをしたい
 >キツイこと言われそうだぞ。
60代男  五月みどりさんと飲みたい  話きいてくれる
60代女   井上順
 >紳士で楽しい人。でもなんで順さんなんだ。

 吉田拓郎は、誰とも飲みたくない。飲みたい人はひとりもいない。酒飲んで楽しい歌手何ていないし、なんの興味もない。
 業界の人と飲みたくなんかない吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル
 歌謡曲は、良いリクエストが増えていて楽しみだ。
<西郷輝彦の「初恋によろしく」をリクエスト、星のフラメンコよりもこっちがいいという投書>
 今日はかけないよ。ははは。   
(♪いつでもいつでも君だけ〜ワンコーラス歌う)

M-1 いつでも君だけを     西郷輝彦

■CM明
 おっちょこちょい。
<いかつい肩だと思ったらハンガー入れたままだったり、ゴルフ場で子どものパンツだったのでノーパンで帰ったり、「おじさんはくたくただマリちゃんに逢いたいよ」というメールをマリちゃんじゃない私にメールを書いてきたりする、おっちょこちょいおじさんという投書>

<拓郎さんと同じで泳げないけれど、ビーチリゾートでの出会いを求めているが、どうやって泳げもしないのにビーチでオーラだすか教えて欲しいという投書>
僕は、泳げないわけではない、25メートルくらいならノーブレスで泳げる。そういえば、最近の若者は、海に行きたがらないらしいね。
 そういうのは任せて。ハワイのプールで、さも泳ぎは飽きたみたいな顔をする。火照った身体を冷やしているかのように歩き回る。海では、波打ち際に立って  遥か沖を眺めて口笛を吹く(ビリーボーンオーケストラ「星をもとめて」)。そして軽やかにスキップしながら立ち去ってゆく。こういう吉田拓郎は参考になったかい。

 さて、映画ね。
<「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」が気に入っているという投書>
もちろん観ましたよ。
「ラ・ラ・ランド」はいい映画だった。ミュージカルが苦手だという人もいるかもしれない。「シェルブールの雨傘」なんてずっと歌だもんね。
「ラ・ラ・ランド」はセリフと歌という感じだが、もう文句なしに素晴らしい。  演奏と歌とダンス。ジャズピアニストのライアン・ゴズリング、女優を目指すエマ・ストーン。やがて彼本来の志向とは違うバンドから誘われて多忙な日々を送るライアン・ゴズリング。エマ・ストーンは売れずに田舎に帰ってしまい、疎遠になって別れる。しかし、その後、ひょんなことからエマ・ストーンの女優の仕事が大成功し、やがて結婚して子どももできる。その後、エマストーンがたまたま立ち寄った場末のジャズバーで、ライアンがいて、初めて出会ったときの曲を弾いてくれる。彼は、かねてからのジャズ音楽に戻って店を開いていた。お互いのかつての日々のフラッシュバック。しかし、彼女は、無言のまま家路へ急ぐ。
 なんて素敵なんだ。映画ってなんてステキなんでしょう。クリントイーストウッド、きっと黒澤明もツボがある。映画っていいもんだな。

■ベストテイク

 「ウィンブルドンの夢」。ワールドカップは燃えたね。終わってからもイニエスタ、トーレス、ヤットさんとサッカーに夢中だ。
 素晴らしいテクニックだったのは、優勝したフランスの19歳のエムバベ。彼には釘付けだった。6歳の頃から100年に一度の天才と言われていたらしい。ジャパンも面白い試合で、考えるところがある試合だった。

 テニスもウィンブルドン。ドイツのケルバーが優勝したね。シモナ・ハレブとかが早々に敗れてしまった。
 そしてジョコビッチの復活。ナダルとの準決勝は、歴史に残る。ジョコビッチには勝てないな。

 僕の夢、君の夢って、橋幸夫みたいだな。夢はオトナになってかなえられたのだろうか。あるいはまだ夢の途中の人、そして夢をあきらめた人いろいろいると思う。
 広島の頃は、ビートルズのようにバンドで世界に出て行けるのではないかと自信はあった。ビートルズになるんだと夢があった。その夢は、東京にナベプロに売り込みに行って消えた。その日、当日のうちに消えた(笑)
 この曲の音がリミックスされている。音が、古いバージョンと比べてみるといい。ということはわかるでしょ。

M2 ウィンブルドンの夢


■マイフェイバリット

 男性のみなさんは、女性を好きになる時、どういうポイントがあるか。

 例えば、女優でいえばオードリー・ヘップバーン。痩せて、キュートでコケティッシュな感じ。それと、マリリン・モンローは、バーン、バーン、バーンという感じ。お尻を振りながら・・・・・・

 みなさんは、どちらでしょうか。オードリー・ヘップバーンかマリリン・モンローか。吉田拓郎はマリリン・モンローです(笑)

 ジャクリーン・ビセットが好きでした。「ディープ」とか、あと「スティーブ・マクイーン」とも共演したし、ジャクリーンケネディ・オナシスの役を演じたこともあった。

 そういう僕を許してください

 今日の曲は、「ムーンリバー」いい曲だね。「ティファニーで朝食を」。ヘンリー・マンシーニの素晴らしくムーディな演奏。ピンクパンサーとかグレートレースなどの映画音楽もそう。
 昔は、映画音楽がヒットしていた。「S盤アワー」とかもあったよね。

 1953年の映画「シェーン」の「遥かなる山の呼び声」。高倉健の映画だけれど、こっちがオリジナル。

M3 遥かなる山の呼び声   ビクターヤングオーケストラ

 映画音楽は心に残る。

 「黒澤を励ます100人の会」というのがあって、フォーライフの社長の頃に出たことがあった。淀川さんもいたりして。その時、黒澤さんに「なんで日本の映画音楽はチャートに出ないんだろう、音楽にお金をかけてほしい」と若気の至りで言ったことがあった。

 次は、戦場にかける橋。こういう映画音楽もヒットした。

M4 クワイ河マーチ 

 皆さん身体にしみこむようにご存知でしょう。

 次は僕が主演している映画、アランドロン(笑)が素敵だった。スニーカーに素足でコットンパンツ、シャツを出して、なんてカッコイイんだと憧れた。「太陽がいっぱい」謎な女優マリー・ラフォレ。この映画以外では観ない。この曲を聴くとどうしても吉田拓郎の顔が浮かんでくる(笑)。どっかで勘違いしているな。

M5 太陽がいっぱい   

 ということで、「ムーンリバー」。先週の「大利根無情」その前は「We are the world」そして「ムーンリバー」ということで(笑)。なんといったらいいのか、無節操(笑)

M6 ムーンリバー

■エンディング
マイフェイバリットの予想がつかなくなった。幅が広がりすぎている。
ベストテイクは、底をついている(笑)。アルバムの話になってしまうし。
むつかしい立場にたっている。

恥ずかしいファッション、髪型。高校受験で一度だけ丸坊主にしたことがあったが、似合わなかった。

一緒に呑めるんだったらどんな芸能人がいいか。

吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆

☆今日は個人的なことだ。もともといつも個人的だけれど。特に他人様には超絶どうでもいい個人的なことだ。

 ちょうど母校の高校野球の地方予選の決勝戦があった。いわゆる野球強豪校ではない地味なフツーの公立高校だったので、降って湧いたような大騒ぎであった。ホントに僅かの時間だったが、私のように、普段は母校のことなんか顧みもしない薄情な卒業生たちも、準決勝あたりから、みな興奮し色めきたった。

 自分には、昔も今も、まったくの無縁だと思っていた「甲子園」が、急に目の前に迫ってきたのだった。新聞もテレビもネットも無名な母校の名前を連呼しておる。あらぁぁ人生ってこんなこともあるのね。

 決勝戦の試合は惜敗であった。うーむ、ここまで甲子園に近づきながら。みなが悶絶した。

 でも、選手たちは、逆転されても、チャンスに凡打でも、みんな笑顔だった。最初、笑ってんじゃねーよと思ったが、失策した選手を迎えるベンチもまた全員さわやかな笑顔だった。これは彼らの夢の宴なのかもしれない。真夏で、地獄の炎天下だけれど、そこだけ”春の風が吹いていたら”みたいな感じだった。

 そんな夜のベストテイクは偶然にも「ウィンブルドンの夢」だった。ワールドカップもウィンブルドンも、ああ、そして甲子園にも出たかったよね。ぴったしじゃないか。

 御大は言った。キミの夢、僕の夢、夢をあきらめた人、途中の人。そして夢なんか見ようともしなかったおじさんにも、真剣に夢を見る人の夢は、おこぼれのように降り注ぎ、音叉のように波及してくるものかもしれない。

 ちょうど、ハレクラニの御大50歳のパーティの素晴らしさはその現場にいらした方々でなくてはわからないものだろうけれど、その果実は、その場にいけなかった私たちにもいろんなかたちで届いてくるのと同じようなものだ。

 リミックスは、たぶんエルトン永田さんのピアノがクリアになり、御大のボーカルがくっきりと出て、ストリングスが、スタンドバイミーのように美しくフィーチャーされていたような気がする。違ったらごめんな。

 そんな「ウィンブルドンの夢」を聴きながら、今日残念な思いをした、すべての卒業生たちに、この曲を聞かせてやりたいと心の底から思った。そして選手たち・・・彼らが、おじさんになった時、この曲を聴いて欲しいと切に願った。

☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆

    夢を見ている人を大切にしよう。少なくとも邪魔はしないようにしよう。

2018. 7. 29

 「生産性がない」と「これまでの経験が通用しない」という二語が呪いの言葉のように頭を回っている。こういう鬱屈した気分の時こそ吉田拓郎だ。
 時節柄、つま恋か篠島を観ようかと思ったが、最新のLIVE2016にする。これを観ていると、このまま明日、歌ってくれそうな勢いがある。二巡目は、バックスステージとぼくのあたらしい歌のメイキングを繰り返した。
 いい。いろいろ文句は言ったが、それはSorry,It’s my natureだ。スタジオに、あるいはゲネのステージにミュージシャンと一緒にいて、歌い、インストラクションを出し、談笑する吉田拓郎はやっぱり素敵だ。現場が海なら私は魚という感じだ。レゲエのリフを楽しそうに弾く御大を観ながら、ああ、こういう音楽の現場に早く帰ってきてくれよと切に思った。
 なんか詞はかなり気恥ずかしいけれど「ぼくのあたらしい歌」の天衣無縫な気持ちいいメロディーをあらためてかみしめる。この歌と「この街」が70歳を超えて出てきたことで、吉田拓郎の無敵を確信する。ふつー70歳といえば「古稀記念論文集」みたいな、いかめしいものだが、古稀にしてこの自由さ、のびやかさは誰にマネできまい。
 FromT→一発レコーディング→コンサートツアー。順不同、順不定期は、覚悟の上だが、どうかそれぞれがつながってゆきますように。

2018. 7. 28

 「収録楽曲については わずかな情報しか漏らしていない拓郎さん。」「そんな厳重に情報管理された、ベールに包まれたアルバムについて」
 …大丈夫なのか、そんなにハードルを上げて。御大、辛くはないですか。身体に良くないっすよ。
 どうせならラジオで大々的に「発売直前企画From T収録曲大予想」と銘打ってメール・ハガキを募集してはどうか。きっと御大、読みながら身悶え、悶絶すること必至だ。おい。

 映画「この世界の片隅に」の拡張版が完成したようだ。30分追加することで主題も変わる。新しいタイトルは「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」。イカレタ私の脳みそでは、「アジアの片隅で」と「いくつもの朝がまた」が勝手に鳴りだす。12月が待たれる。
 それにしても台風は、なんという不可思議な進路をとるのだ。まるで星一徹の魔送球のようだ。どうか呉はじめ西日本を直撃しませんよう。