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a day

2018. 8. 18

 提供曲のことをあれこれ考えている。たとえば、アグネス・チャンのファンではないが、ちょうど40年まえの1978年の夏に「アゲイン」が発売された。作詞松本隆、作曲吉田拓郎、編曲松任谷正隆・・・「揃った」感がみなぎる。海外留学で休業していた彼女の復帰第一作ということで天下のナベプロが思い切り全力で大キャンペーンを打って彼女の姿をテレビで観ない日はなかった。

 そんな中で御大はラジオでボソっとつぶやいた。「僕は曲を作った人間だけれど、大袈裟じゃないか。アグネスチャンの曲ということで松本くんと面白そうだねと言って作ったけど、こんなに大事になるのなら僕らじゃなかった方が良かったんじゃないか。」
 こういう発言を聴くと、当時の松本隆は、普通の作詞家だったんだな。もちろん,はっぴいえんどを経て太田裕美、原田真二などで作詞家としては十分名をなしていたけれど、今みたいな、なにかの殿堂入りでもしたかのような状態ではなかったんだね。「ローリング30」もちょうど制作中でまだ発表されていなかったし、自分も松本隆にそんなにしっかりとした認識はなかった。
 しかしこの詞は高校生にはかなり衝撃だった。

 「革張りの旅行鞄は青春のスーベニールよ」

 なんと美しい。美しいけれど、スーベニールって何だ(爆)。「赤尾の豆単」にも「出る単」にも載っていない。この時点で松本隆は受験界を完全に制圧したのだ。いや、別に闘っていなかったんだろうけどさ。

 「点になる蒸気機関車、霧晴れてあなたが見えた」

 誰の脳裏にも映画のような情景が像を結ぶに違いない。僅かの言葉だけで、なんと見事な表現をすねるのだろうか。もう松尾芭蕉と肩を並べている(個人の感想です)。

 「時の河に愛の舟を浮かべて」

 今となっては松本隆の十八番だが、こういう表現にもびっくらこいたものだ。

 そういう40年前の夏の新鮮な驚きを思い出した。その驚きのまま秋に「ローリング30」がやって来た。そして80年代になると、松本隆の言葉は「赤尾の豆単」や「出る単」どころか、世の中全体を制圧してしまうのだった。

 一方この名曲「アゲイン」が辿った切ない運命は、Uramadoに書いた通りだ。
http://tylife.jp/uramado/againteikyou.html

 「アゲイン」に「アゲイン」を捧げたくなる。おかえり、ただいま。僕らは今も自由のままだ。

2018. 8. 17

 カッコイイな、1968年のダウンタウンズ。とんがっててシャープだぜ。渋谷公会堂だったのか。フォーラムが一日しかとれないなら、あとは是非、渋公で演ってくだせぇ。少なくとも二日公演で。

 「半分、青い」の中村雅俊演ずるセンキチじいさんが亡くなった。じいさんにしては無敵すぎるぜ、とツッコミを入れながら観ていたが、亡くなってしまうとまるで中村さん本人が亡くなってしまったかのようでメチャ悲しくなった。そもそも演技とはいえ、老衰で亡くなる中村雅俊を観るほど私たちも歳をとったのである。もうドラマと現実がミンチになり、追悼に近い気分になって、仕事の行き帰りのipodで中村雅俊を聴きながら、この人が好きだったんだと気が付いた。
 センキチじいさんには、最後に「いつか街で会ったなら」か「さすらい時代」を弾き語って欲しかったな。サザンじゃなくてさ。
 それにしても中村さんへの提供曲はどれも名曲ばい。「愛の言葉」は、文句なしにかっけー。「青春試考」も昔は汗臭くてダセーなと思っていたが、今は心に沁みる。「注文の多い恋人よ」は、なんか身に詰まされるような詞だが、小川のせせらぎのように流れてゆくテンポのメロディーと歌唱が心地よい。
 これだけでも、提供曲を一曲選ぶというのは実に難しい注文だ。

2018. 8. 16

 RONINといえば武田鉄矢だ。彼は、1985年のつま恋の直後に自身のラジオでこんなことを語っていた。
 「組み上げられたつま恋のステージの大きさを観て驚いた。吉田さん怖くないんでしょうか。これだけの巨大なステージが、たったひとり自分が歌うためだけに設置されているんですよ。自分が歌うことで、ひとりでこの巨大なステージを引っ張らなきゃいけないんですよ。」

 引っ張るといえば、昔大好きだった医療ドラマ「ER」の中で、医療現場がパニックになった時、ERの部長が、チーフ・レジデントの若い医師グリーン先生に「君がこの現場を、仲間たちを引っ張ってゆけ」と激励するシーンがあった。英語でなんて言うのかと思ったら「You set the tone.」だった。「トーン(tone)を君が設定しなさい」と言うのだな。音楽みたいだ。set the tone…いい言葉だと思った。

 で、武田鉄矢の話に戻るが、「もし自分だったらこんな巨大なステージを自分ひとりの歌で引っ張るなんて怖くできません。ゲーム形式でお客さんをステージに上げたり遊び場みたいにして、とにかく責任を分散させようとするでしょう((笑))」

 なので国立競技場でラジオ体操をやってしまったのだろうか。それはそれで見事なset the toneだと思うし、それに引っ張ることにかけては武田鉄矢も大天才だと思うけれど。
 ラジオ体操といえばあの武田氏のラジオ体操のピアノ弾いていた(弾かされた、かもしれないけれど)のはあのエルトン永田だ。で、エルトンさんの英語表記を観ると「L-tone Nagata」になっている。"tone"だ。ちなみに武部聡志の音楽事務所は、Half Tone Musicといって、ここも"tone"だ。なんか今日はイカレた連想が程よく飛んでイイ感じだ。でもこれ以上書くと何か余計なこと書いてしまいそうだ。
 とにかく合言葉は"tone"だ。

  御大が「set the tone」するステージが近いことを信じてまいりましょう。

2018. 8. 15

 いつもこの時期、家族と身内から、朝鮮で突然終戦を迎えて、地獄のような中を命からがら日本に引き揚げてきた話を聞かされてきた。勇ましかった国も軍隊も、とっとと撤収してしまい、残された民間同胞がいかに助け合ったか、また恨み骨髄の日本人狩りのような状態で盛り上がっていた中にも脱出を助けてくれた現地の人たちがいた話とか、結局、人は人でしか救えないという結論に繋がる長い話だった。「またその話かよ」とろくに聞いちゃいなかった自分だが、その話をしてくれた家族・身内の人々も殆どいなくなってしまったいま、ちゃんと聞いときゃよかったと後悔することしきりだ。

 ともかく、彼我すべての戦争犠牲者の方々の御冥福をお祈りします。

 名曲「RONIN」を初めて聴いたとき「もう争わないで、もう闘わないで」というフレーズを聴いて若造だった自分は、ちょっと萎えた。当時、吉田拓郎は闘う男の象徴だった。「闘えるだけでいい、すべてを燃やせ」(証明)とあんなにかっこよくシャウトしていた御本人が「もう闘わないで」とは何事か。
 もちろんも今はわかる。薄っぺらな自分の心だがその奥底からわかる。いかに大切なことを歌った詞であるか、また珠玉のようなメロディーであり、歌唱であるか。

   安らぎのない旅を終えた見知らぬ若者よ
   愛に飢えた獣のように牙をむかないで
   今日からおまえの心はおまえ自身のものだ
   今日からおまえの心はおまえの身体に戻るさ
   もう争わないで、もう戦わないで
   そう自由の風に酔え そうすべてを解き放て

 もう聖歌といっていい。私には聖歌選定権限はないが >あったりめぇだろ
 以前のラジオで歌うかも知れないと口走ったが、ホントに是非、歌ってほしいよ、次のライブで。涙ぐみながらお願いしたい。

2018. 8. 13

ラジオでナイト  第66回   2018.8.12

■オープニング
 こんばんは吉田拓郎です。コンサート企画中です。だいたいの本数が決まって東京近郊で泊りがけのところは行けない。
 ところで広島フォーク村が何周年ということでメッセージを頼まれた。でも想い出は、そんなにだいそれたものは無く、当時は女の子の事しか考えていなかったというメッセージを送った((笑)) それが本音だ。僕のギター教室は、男子の弟子は少しいたけれど、あとは女子高生だったし、そういうことばっか考えていた。

 吉田拓郎ギター教室、M(的場)ギター教室、I(伊藤)ギター教室と三派があって、それらが統合して広島フォーク村ができた。他の教室は、フォークの理論とかを教えていたが、僕は、はなからフォークなんてどうでもよくて、こうやって、ピッキングを手取り足取り、教えてあげて、絶好の機会だった(笑)こうして吉田拓郎の人間像に触れたい人が集まっていた((笑))
 コンサートの広島公演を待ってますと言われたが、「泊りがけはいけません」とつれない返事をした。

 昔、70年代初期、一日のうち都内をかけもちで出演していたことがあった。4、5本掛け持ちしていたこともある。たくさんの歌手が出るので出演時間は、10分くらいだったからそれもできた。吉田拓郎という客が集まるので重宝がられて、例えば神田共立講堂のあとは、目黒公会堂というようにかけもちをしていた。とある日「吉田拓郎の出ないコンサート」と銘打ったコンサートもあって、チケットがバカ売れしたらしい(笑)
 あまりにたくさん吉田拓郎が出ていたんで、吉田拓郎を観ない日を作ろうという企画。吉田拓郎が嫌だった人もいたのだ。

 ま、コンサートツアーは、7,8,9本のどれかだよ。北は、あのへん、南はあのへん、東京は一回。

 企画として
<好きな歌謡曲はルームライト、大人のオンナという感じ、 タクシーに彼女の家を説明できるくらい親しいのに根性のない男という投書>
 細かいね。ロマンチックだね。 ダメな男か。そこまで考えたことなかった。  
 これ難しい歌なんだよ(歌う)

 先週は事情がありコーナが飛んだ。今週は歌わなきゃならない事情がある。ところで吉田拓郎が他人に作った提供曲の特集をしたい。売れなかったかどうか関係なくリクエスト募集。ルームライトも売れそうになったとたん捕まってしまった。なんという人生だ。

 提供曲のベスト5をやってみたい。個人的に好きな曲は、小柳ルミ子の赤い燈台♪かもめ群がる防波堤の先には、あしながふとっちょの赤燈台、…今、歌ひどかったね。そういうヒットしなかった曲、例えば森進一のブームと思われた夜行列車とか。リクエスト募集する。

 夏の甲子園が真っ盛りだが、あなたにとってのスポーツヒーロー。

10代女  羽生結弦
40代会社員 羽生結弦  不屈の精神が魅力。名言が多い。
「努力は嘘をつくでも無駄にはならない」
>なるほど   
「壁の向こうにはまた壁がある」
>そうだね  ヒーローだね

10代男  池井理香子 同じ高校生とは信じられない

>渡辺香生子が かわいかった

20代男  大谷翔平  笑顔

40代男  松井秀喜
>最初から大人のようだったね

サッカーは、ガンバの宮本監督 宮本の立居振舞が気になる
50代男  アン・シネ  ゴルフ
>イボンミそんなにいいとは思わなかった

>塩谷育代とか、ウンと思った、樋口久子は思ったけど岡本綾子はなかった

60代女  ハルクホーガン
60代男  中山律子
>古いな

女子ゴルファーと言うと樋口久子を想い出してしまう吉田拓郎のラジオでナイト

■タイトル
 コンサートツアー全盛の頃、80年代に極悪バンドでやっているころ。僕等は悪ガキバンドと言っていた。ギター青山徹、ドラム島村英二、キーボード 中西康晴、エルトン永田、ベース武部秀明。コンサートの打ち上げが凄いので有名だった。あそこだけはやめようというくらい九州のBEAの代表と一週間バーめぐりをした。コンサートで、博多、熊本、大分最後はボークラフトで。別れるとき「もっと遊びたかった」と言っていた。泣いていた。あんなイベンター初めて(笑)。

 青山徹は、当時売れっ子で、いろんな曲のイントロを弾いてくれということでお呼びがかかった。その青山が打ち上げで必ず歌う歌があった。

<大利根無情がかかったが、花山大吉の主題歌 北島三郎の「浪人まかりとおる」をリクエストするという投書 >
 かけません。同じ北島三郎の唄で、青山が歌っていた「ギター仁義」というのがある。
 青山徹の人生にぴったり。島ちゃんやエルトンと聴きながらジーンとくる。抜群。

M1 ギター仁義   北島三郎

 思い出すなぁ、青山徹。ipodに入れよう。

■CM明け

<若者と年寄りは、体臭が違う>
 僕は昔、脇汗が良く出て、大学か高校かBAN for menを塗っていた。「おめー、くせーな」   からまれたことあった。
 安井かずみと六本木で、あんたたちはフォークは汚くて嫌いでも、髪のにおいを褒められた。シャンプーはウエラを使っていた。「何のシャンプー使ってんの?」とZUZUが、ほめてくれた。安井かずみに教えたのはそのくらい。

<おっちょこちょい。ポイントカードとsuicaや免許証を間違えてしまうという投書>

 先日ハイクアウトの社長からsuicaをプレゼントされた。使い方がわかんないでいたら、From Tのリミックスの時、清涼飲料水の飲み物を買いたい時、買い方を教えて貰った。そんなに簡単なの? 最近あちこち病院によくいくのでタクシーに乗るのだか、 suicaでお願いと言えない。「スイカでお願いします」言えないで現金で支払ってしまう。
<フロムT 楽しみという投書>
 そういえば、先週のにっぽん放送の上の人とミーティングしたというその人が今来ている  「編集できないよ。先週言っちゃったからね」(笑)あなたといろいろ話したこと言っちゃったよ。
一曲目は♪僕を忘れたころに…「春だったね」じゃないよ♪追いかけましたあなたの姿だけ。似てるね。同じ春だし。
 爆弾発言  最後の曲は、(ギター弾き語る)マークUのライブ73バージョン

 岡沢章のベースと高中ギターの凄いかけあい。これが最後の曲。どうだ。 この話をするとき、自分でも楽しそうだね。速く届けたいな。発売日を速めて20日あたりでどうだ
■ベストテイク
 2014年アルバム「AGAIN」の「僕の大好きな場所」。もともとは高木ブーさんの依頼で作った。篠原ともえの詞。いろいろ字数とか詞のサイズがあってなかったので、そこはアドバイスしてやり直した。

 ハワイに番組(LOVE2)で初めてロケに行こうと僕が提案した。それまで、僕とkinkiや篠原との間に壁があった。まだ彼らは子供だったし、なんかもうひとつ打ち解けない中でのハワイロケだった。この初めてのハワイでスタッフ全員がひとつになれて、これでこの番組がうまくいくなと思った。

 白い貴婦人といわれるモアナサーフライダーホテルのバニヤンバー。その前の砂浜の波打ち際で観ながら「幸せだよな」という気持ちを語り合った。剛も光一もシノハラもそういう気持ちで、そこで初めてキンキと篠原はひとつになったなと思えた。そこから僕等は家族のような関係、信頼しあい、愛し合い、敬いあい互いを尊重する関係になった。

 その波打ち際でのわずか30分だけれど、そのときの思い出を篠原は詞にしたんだと思う。

M2 僕の大好きな場所  吉田拓郎

■マイフェイバリット

 今週は渋いよ。 ハッピーな感じのグレンミラーオーケストラ。「イン・ザ・ムード」。
 グレンミラー物語という映画もあったね。ジェームス・スチュアートがグレンミラーを好演した心温まる映画だった。グレンミラーはいわゆるジュークボックス全盛期によくチャートでNo.1を獲得した。ムーンライトセレナーデとか茶色の小瓶とか聴けばきっとわかると思う。
 スイングジャズというジャンルに分類される。カウントベーシー・オーケストラ ベニー・グッドマン・オーケストラとかデュークエリントン・オーケストラとかいろいろあった。
 映画は、慰問に演奏に行ったときに事故に遭う悲しい結末だったが、心のあたたまる映画だった。インザムードを聴くとウキウキしてくる。
 僕は子供の頃から管楽器の音が好きだった。ペレスプラード楽団のマンボを観に行っていた。よくチケット取れたな、子供だったのに。ああいうサウンドが好きだったので、ライブ73での管楽器、そして、後の瀬尾とのビックバンドのサウンドで歌うと夢心地になる。

M3 イン・ザ・ムード  グレンミラー・オーケストラ

■エンディング
 吉田拓郎  提供曲
 お故郷じまん
 あなたのスポーツヒーロー&ヒロイン
 お酒を呑みたい有名人。

 吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆

☆ 「あしながふとっちょ」って、どういう燈台なんだよぉ。ラジオの前で発せられた叫び声があまた夜空にこだましたに違いない。こだまさせながら、さて提供曲をたった一曲だけ選ぶとすると、どうしたものだろうか。たくさんの人が頭を抱えたに違いない。

☆ 青山徹の歌う「ギター仁義」にジーンとして聴き入る拓郎、エルトン、島ちゃんたち。ああ、いいなぁバンドって、とあらためて思った。このエピソードはもちろん知らなかったが、でもそういうエッセンスは、あのバンドの音から溢れ出していた。だからいつまでも心をとらえて離さないのだ。

☆ モアナサーフライダーの波うちぎわの30分の話は、今日一番の胸にしみる空の輝き。
その情景が浮かぶかのようだ。
 その当時、吉田拓郎は、とうに50歳を超えていたし、言うまでもなく功成り名を遂げた超絶スーパースターである。10代の子供らと、波打ち際で、しみじみと何かを思い、それを共有し、真摯に心を通わせる。そんなにたやすいことではない。そしてそのことを70歳を超えた今も大切に心に灯し続けている。世間で言う「ピュアな心」とか「少年の心」とかそんな薄っぺらな表現では言いあらわせないくらいの御大の魅力の一端がそこにある。
 50歳をとうにすぎ功も名も無い自分でも、いや、だからこそ、身に沁みて御大の柔らかな凄さみたいなものがわかる気がする。

☆ ついに最初の曲と最後の曲を公開してしまう。映画でいえば、出だしとラストをバラしてしまうようなものではないか(爆)。ラ・ラ・ランドの話もストーリー全開だったし、吉田拓郎に「ネタバレ」の文字はない。あったとしても限りなく透明に近い。
☆ コンサートツアー、7か所か8か所か9か所。こういう時は、8か所ではないかと思う。
☆ 昔のことに行きつ戻りつしスピリットのありかを確認しながら着実に前に進んでいる。いろんなことが先に進んでいる気がする。そんないい感じの放送だった。

☆星紀行の今日の学び
 グレンミラーのイン・ザ・ムードは、確かにウキウキする。まるでビッグバンドの「虹の魚」みたいだ。逆か。いや、それでいいのだ。

2018. 8. 12

 眠れぬ夜中にテレビで知らない映画をしかも途中から観るのが癖だ。さっぱりわからない中で、敵味方、愛憎という人間関係や彼らの事情を理解しようと頑張ってみる。やっぱりわからない(爆)。ただひとつ言えるのは途中から観ても名画は名画だ。あまりに感動すると最初から全編観てみることにする。「君に読む物語」もそうやって知った。全体がわかったときの感動はひとしおだった。もうネタバレ禁止の方々からは噴飯ものの鑑賞方法か。

 最近では映画「光をくれた人」。灯台守の夫婦の切羽詰まった話がたまらなかった。わからないなりに涙を流し、あらためて最初から通して全体を観てさらに悶絶した。ああ、そういうご事情と歴史がおありでしたか、と打ちのめされた。誰かと語りあいたくなったが誰も観ていない。仕事関係の人と映画の話になって、「孤島の燈台守?あゝ『喜びも悲しみも幾年月』でしょ」といわれてあきらめた。

 一部だけを観て反芻し、後に全貌を知ってあらためて感動するというこのパターンは、吉田拓郎の世界でも何度かあった。

 先に話したセイヤングの中継で、レコーディング中の「そして誰もいなくなった(外は白い雪の夜)」の生演奏が披露された。当時箱根を超える電波の音は非常に聴こえづらく、しかもスタジオのミキサーのミステイクで3番の後の間奏で音が途絶えてしまい「こういう感じでなだれこんてゆく歌です」と御大が口頭で解説して終わった。その録音を何度も何度も聴いて、曲を夢想したものだった。
 で、後に完成品の全曲を聴いたときは衝撃だった。3番までの切ない小曲と思っていたら、まさに最後になだれこんでゆくような展開の4番があったこと、そしてバイオリンかフィドルがロックウェルのあの演奏の豪華なラッピングみたいに美しく絡みついていて、曲全体が、なんか星空から降って来たかのような煌きを感じたものだ。

 同じようなことは、ラジオのフォーエバーヤングで「俺が愛した馬鹿」を初披露したときもそうだった。番組ではあの長いシンセのドラムソロのところでフェイドアウトしてしまった。そういう曲なんだと思って、なんだかなぁと思っていた。
 そして完成品を聴く。あのちょっと困ったドラムソロの果てに、もう一群のパートがあり、♪都会は今日も霧の中〜の最後の歌詞の展開に衝撃を受けた。あの最後の歌詞パートで、歌全体が別の生き物のように蘇生するかのように感じたものだった。

 最近では、「アゲイン」だ。「未完成」。Uramadoにも書いた通り、未完成で世に出すのは、世界広しといえど、吉田拓郎とシューベルトだけだ。CDで聴き込んだあと、ライブで全貌が見えた。「僕等は今も自由のままだ」というあの最後のフレーズに向う全容を見せられた時の感動は、記憶に新しい。

 見えないもの隠れたものが、形を現す、そうい感動というものがあるのだ。一部しか見えないときのそれゆえの楽しみと全貌が見えたときのまたあらたな楽しみ。これは名作だけにゆるされた至福ではないかと思うのだ。

2018. 8. 11

 定期健康診断とかでお医者さんは異口同音に「適度な運動を心がけましょう」というアドバイスをくださる。そのたびに私は心のなかで「うるせバカ」(Ⓒ石山恵三氏)と叫び続けてきた。

 80年代初頭、私が若かった頃、吉田拓郎の言葉にシビレたからだ。

「オレは自堕落に生きる。私生活だけは"キース・リチャーズ"で行くぜ!」

 しかし、わりと最近BOOK-OFFで買った松本隆のエッセイ集「成層圏紳士」をつらつらと読んでいると1982年の11月の日記として松本隆はこんなことを書いていたのを発見した。

「吉田拓郎に誘われて郊外の会員制ヘルス・クラブに入会した。彼の言によるとそこのトレーニング・マシンは、NASAと同じものらしい。(略) 吉田氏の名言『これからは才能より体力だ』というフレーズに全面賛成する。」

‥‥‥‥なんてヤツなんだ。いや、オレ自身もなんてヤツなんだ。

 ということで、すべての医療関係者に心から懺悔して、適度な運動に生きることにする。とりあえず私もゴミ捨てのスクワットから。

2018. 8. 10

 夏の風物として思い出すのは、行ったことはないけれど「箱根ロックウェルスタジオ」だ。レコーディング中に中継されたラジオ放送が忘れられない。そのまんまmaking of 「ローリング30」であり「アジアの片隅で」の貴重なドキュメンタリーだった。

 爆笑シーンも多々あった。

 陣山さん「いかがですか、今回のレコーディングは」
 石川鷹彦氏「非常にいいですね、イキフンが」
 陣山さん「あ、あ、あのラジオ聴いているシロウトの方”イキフン”なんてわかりませんよ」
 石川鷹彦氏「ああ、イキフンというのは雰囲気。アトモスフェアーです。」


 陣山さん「次はベースの石山君です。どうだったですか今回のレコーディングは?」

石山恵三氏「うるせぇバカ!」
吉田拓郎氏「ねぇ、なんで石山怒ってんの? 聞いてみてよ」
陣山さん「なんで怒ってるんですか?」
石山恵三氏「なめんじゃねぇよ」
(一同大爆笑)

 私と同じように、多感な時期にこの放送に出会ってカセットに録音して何度も聴き直した人がいたはずだと信じる。
 おかげで今でも日常生活で「とてもいいイキフンだよね」とかつい口走ってしまうイタイ同志はいないだろうか。それに「アトモスフェア(atmosphere)」は、それなりに難しい英単語なので、試験の時におかげで助かったという人はいないだろうか。

 はたまた、人生で辛いことや理不尽なことに出会うたびにあの石山節で「うるせぇバカ!」と心の中で小さな声で叫んでしまう人はいないだろうか。いつの間にか心の支えのように多用してきた自分に気付く。言わずもがなだが、石山さんの暴言はネタであり、とても心優しい方で、あの方が御大を思われて歌う「慕情」は、とにかくすんばらしいのである。

 そんなこんなで夏=箱根=ロックウェルである。

 ♪箱根に行きたいと思っています。人間の夢はそんなもんでしょう♪ ああ、本当に東京の長く暑い夜はたまらん。

2018. 8. 9

  広島の陰に隠れてしまいがちだが、いつも見ていたナガサキの日だ。

その昔、暮らしの手帖が発刊した「戦争中の暮らしの記憶」という市井の方々の寄稿文集がある。その迫真の一文一文が重い。そして花森安治のまえがきは何度読んでも圧倒される。

「この戦争のあいだ、ただ黙々と歯をくいしばって生きてきた人達が、何を苦しみ、なにを食べ、なにを着て、どんなふうに暮してきたか、どんなふうに死んでいったか、その数少ない記録がここにある。これが戦争なのだ。」
「しかも、こうした思い出は、一片の灰のように、人たちの心の底ふかくに沈んでしまって、どこにも残らない。いつでも、戦争の記憶というものは、そうなのだ。」

 こうして日々イカレた駄文を書いているだけの自分も、この花森安治の言葉を時々思い出しては背筋を正す。吉田拓郎を愛し、愛してきた人々の記憶もやがて一片の灰のように消えてしまうのだ。それはまた別の話か、いや一緒か、わからん。

 そして先月、幾星霜を経て、続巻「戦中戦後の暮らしの記憶」が出版された。まさに消えなんとするものへの必至の抵抗だ。その序文もまた胸を打つ。

 きのう、戦争があったのだ。昔むかしの物語ではない。
 その大きな戦(いくさ)は、昭和という時代、二十世紀にあった。
 君がきょう歩いているかもしれない美しい町は、
 かつて亡きがらが転がり、いたるところが墓地となった焼け野原。
 空から日夜恐怖が降ってくる、地獄の土地だった。
 そんなところで、それでも人は……君の父や母の父や母、祖父や祖母は、
 生き続けた。生き続けたから、君がいる。
 君という美しい命は、未曽有の戦災をかろうじてくぐり抜けた人、
 その人を守った誰かの先に偶然のように灯された一閃の光だ。

 「吉田町の唄」や「いつも見ていたヒロシマ」を聴くようにこの前書きを読む。もちろん勝手な思い込みだ。吉田拓郎さんご本人のお考えと全く関係ないし、そういうことに拓郎を利用するなというむきもあろう。しかし、私は個人として同じスピリットを超絶感じるのだ。吉田拓郎の唄とはそういうものだと思う。

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2018. 8. 8

 第65回のベストテイクで語られた1975年つま恋開演前の異常な緊張と恐怖の話。何度聞いても、こっちも胸が高鳴る。バーボンを口にしたのですね。

 この話も何度も何度も書いたが、やはり泉谷のことを思い出さずにいられない。

 かつて「地球ZIGZAG」にゲスト出演したとき、ロックミュージシャンを目指す若者のドキュメントを観た泉谷が「ロックってこんなもんじゃねぇよ」と吐き捨てるように言った。たぶん高橋リナさんが「それではロックとは何ですか?」と尋ねた。
 泉谷はキッパリと言った。

「拓郎がよ、つま恋に6万人だか集めちゃってよ、本人は大観衆を目の前に緊張してビビっちゃってよ、目はうつろ、声はうわずっちゃってボロボロなのよ。それでも、こうやってギター抱えて『歌うぞ』ってググッて前に出てゆく、俺に言わせれば、そういうところに本当ロックがあるんだよ」



 この話を思い出すたびに泣きそうになる。

 ちなみに85年の開演前の映像を観ると、御大は袖から客席を覗いて「男ばっか」と苦笑いをしている。余裕がある。男ばかりで 悪かったな(爆)。

2018. 8. 7

 ロバート・レッドフォードが俳優引退を宣言したというニュースを読んだ。しかし、80年ころ、レッドフォードが映画「普通の人々」の監督をした際に、役者は廃業だと宣言してニュースになったのを覚えている。でも、何年かしたら普通に映画に出演して今日に至る。
 天下の名優に申し訳ないが、今回も心の中で思い切り叫んだ。
「おまえはハリウッドの吉田拓郎かよっ!!」

2018. 8. 6

ラジオでナイト  第65回  2018.8.5
 吉田拓郎です。今週はスペシャルウィーク。ラテ欄は既に書かれている。すごい話をしようとしているが、この収録の様子を聴いてラテ欄を書き替えたら許さない(笑)。

 先週、50歳のハワイの話をしたらたくさんメール、写真、が送られてきた。みんな元気そうで良かった。ハレクラニのディナーのメニューのコピーまである。フィレミニヨンのビーフ、ロブスター、ピノノワールのワイン。

 ウクレレをもってベストを着ている写真。ダイヤモンド・ヘッドの見えるハレクラニのラナイでの合同写真。みんなも若いけど僕も若い(笑)。50歳だったんだから、あー懐かしい若かった。観ていると泣けてくる。

<新婚旅行だった二人には、一生の宝物という。長女にカハラとなづけたが来年大学卒業で、あの時のファンともいまだに仲良く、毎年4月にバースディを祝うという仲良し、ウクレレはどうなっているか投書>
 カハラモールを歩いていたら、当時はひざたけのショートパンツが流行していたのに、やけに短いボルグみたいな短パンを穿いたカップルがいたので、カハラモールで短すぎると注意したら、これからすぐ買いますと言っていたのを覚えている。  

 1000組の中から20組かな最初に昼食会をカハラヒルトンホテルでやって、その後4月5日のハレクラニで貸し切りパーティをした。カハラちゃんいい名前だ。
 そのみんなで回したウクレレがどうなっているかこっちが知りたい。

<ビーチとプール、黄昏時に始まる素敵な企画、ワイン、フラダンス、鯨との遭遇、拓郎さんのガイド、ゆったりした時間、そしてウクレレは行方不明とだという投書>
 ははは(笑) 行方不明か。誰かとっちゃったかな。

<夫婦での忘れられない思い出、義母様と同じ年で亡くなった、同居の母がランチバイキングで(奥様の)義母様とお話したことを忘れません、会社も大変だが頑張っている、中学の時からの人生の師の拓郎さん、いい仲間と知り合えたことにも感謝、という投書>
 義母はよく話す、気さくな人だったからね。

<まだ気にしてもらったんですね、孫ふたり、仲間と今も交流していますという投書>
 気にしていたよ。僕のことを言うと、50歳である決心のもとに行ったハワイだった。後にフォーライフやめたりすることにつながる。東京から行った人間も、僕が敢えてチョイスした地方のイベンターがメイン。
 新しい始まりがハワイだった。それまでの友人たちとの関係を断ち切ってしまおう、生まれ変わろう、考えをシンプルにしようと考えた。なので想い出深い。それ以来22年間会っていない友人もたくさんいる。
 フォーライフという夢のチームとも訣別すねことになる。いろんなお付き合いお断りしすることになる。だから
 交流している最近の写真送ってくれたけど、まだみんな写真観ると若いね。当時いくつだったんだろう。その時妊娠していたという娘さんも映っている。今度のコンサートに娘さんだけは来るように、君たち夫婦は来なくていいから(笑)

 ハワイといえば、今日、ニッポン放送の偉い人と打ち合わせ。爆弾発言をするといったが、「好調なので、いまひとつ上のステップで、番組としての企画。リスナーを呼んでコンサートとか座談会…座談会してどうするんだ、相撲大会とか、一人10万円でイマジンスタジオに呼んで金儲けしようかとか(笑)、今度のコンサートは、東京一本だけなのでここに呼ぼうかとか。言ってはいかんのかな。

<もっと寡黙な人だったと思うが、そんなキャラでしたっけという投書>
 がっくり。寡黙と思っていたのか。ライブの会場ではオーディエンスいると音楽に集中してしまう。バンドと一体化してしまうので寡黙かもしれない
 ラジオでは黙っているのもなんだなということで喋ってしまう。サッカーの解説の木村さんみたいにんんんん…といってるだけなのもどうか思うので、マイクの前に座るとあることないこと喋ってしまう吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル
 この番組のキー局は8局だ。北海道、仙台、長野、山梨。富山、福井、愛媛、各地の自慢を聴いてみた。

北海道STB放送  50代  ジンギスカン  国産
>平凡だな  コンサートツアーでよく食べた  おいしいね  魚もうまい
すすきの男たちが繰り出すのは昔から。本州の男は北海道の女性に夢中になる。

仙台東北放送   主婦。都会なのに緑多い。厚い牛タン。
>よく行ったが、綺麗な街だ。焼肉とか冷麺とかが有名で不思議。

長野信越放送。避暑地たくさんある。
>軽井沢よく合宿したね。原田真二、手塚さとみ、杉田二郎。たいがい松本隆と一緒で、コテージのあるホテルで。ある日、蕎麦でも食いに行こうといわれても信州そばの店に行って、鴨南蛮うどんを頼んで松本隆が驚いた。信州蕎麦って知らなかったし、うどんの方が好きだったんだもん。

山梨放送  勝沼ワイナリーとか冷やしほうとう。

>いいね。国産ワインもおいしい。カベルネソービニオン、ソービニオンブランとかもできるのかな。

富山北日本放送    白エビとほたるイカと岩ガキ

>苦手なんだよね、牡蠣は。フライが限界  生はダメ  あのムニュって感じがダメ
黒部峡谷トロッコ列車が有名と書いてある。

福井放送    幸福度一位になっている。恐竜博物館。
>恐竜には関心がない。

京都放送   自慢は舞子さんの「どすえ」世界遺産  海外旅行者も多い
>中西康晴の奥さんが、京都の舞妓さんの関係でいらっしゃったので、祇園になんどか足を運んだ。舞妓さんの背中の首筋が真っ白。その白いとこをペロって舐めた。何しに行ってるんだ、バカだった(笑)
 盆地で夏暑い。京都会館が懐かしい。エレックの頃だったかな。幕が上がったところで、モニターが一緒に引っかかって持ち上がってしまったことがあった。ああ危ないって(笑)

愛媛南海放送   やはり温泉 。サメの切り身を酢味噌で食べる  ふかの湯ざらし   鯛そうめん…とか。  
>コンサートでよく行った。四国一周するのに便が良くなくて、バスで移動した。峠の釜めしがあって、そこにいるサンショウウオに挨拶していた。なじみになっていたんだ。


 歌謡曲のリクエスト。よく聴いたな。これは、かけざるを得ない
<暑いですね。歌謡リクエスト小さなスナックという投書>

M1  小さなスナック  パープルシャドウズ

■CM明け

<「わが青春のアイドル」という特集で、ビートルズ、かぐや姫をおさえたという投書>
20位だったらしい。
 1位 西城秀樹 2位 沢田研二 3位郷ひろみ4位  田原俊彦 5位SMAP6位チェッカーズ7位近藤真彦… 17位にKinkikids 19位に森田健作で 20位に吉田拓郎。森田健作には勝てなかった。残念、森田健作に勝てなかったか。県知事だもんね。でもキンキとそうかわらないな(笑)「なんで拓郎はんと一緒なんですか」と怒るだろうな。30位がオフコース。そう考えると吉田拓郎という存在が何だったのかがわかるでしょ。 
 アランドロンと言ってのもわかるでしょ。それは勘違い違い。たけど言い過ぎた。ジェームスディーンにする。
<よもやま話大好きですという投書>
 サッカーは、イニエスタやトーレスに観入ってしまう。ガンバの宮本監督。このウェア黒のポロシャツにグレーのパンツ。すぐにネットを探した。

<楽しみ 春だったね、マスターの独り言、 一曲目は何でしょうという投書>
 「マスターの独り言」は入らない。「春だったね」は入っている。一曲目をばらそう。ラテ欄に書いたら怒るよ。
 ファンファーレ。
 「春を待つ手紙」(歌う)これが一曲目だ、この野郎。
 それでどうなんだ2曲目は…。
<コンサート企画 名古屋までゆくのなら大阪や神戸はどうかという投書>
 ディッセル神戸、ガンバ大阪というとイニエスタ対遠藤。関西に観に行かざるを得ない
ウチのヤツと話している。コンサートで行けないのに、サッカーで言ったらプロモーターの上田が怒るよ。いつも東京で僕の車に相乗りして帰るヤツ。大阪フェスティバルホールも綺麗になったのでと頼まれている。

 NHKとにかくサッカー放送やってくれよ。神戸とサガン鳥栖とガンバ大阪の宮本のファッションを意識している(笑)

<せんこう花火、作詞者はどんな方ですかという投書>
作詞者は僕もよく知らない。

 せんこう花火(全曲歌唱)

 いやあいいね。

■ベストテイク

 夏が来ると思い出すのは75年のつま恋。日本初の夜通し歌うイベントだった。
ちょうどこの時期でしたね。とにかくオーディエンス主催も異常事態だった。ちょっと前にウッドストックがあったが、あれに影響を受けて、前代未聞何十万人も集まった。
とにかく翌日の朝まで歌うなんて前代未聞だし、とにかく、どうなるのか、行ってみなきゃわからん。
 僕もかぐや姫も、たくさんのミュージシャンもとにかく本音は怖がっていた
怖かった。何が起こるか、5、6万人の観客を観たこともなったし、歌ったこともなかった。みんな震えていた。
 当日のステージに向かう時、宿舎を出たときの地響きというか、歓声が背中に凍りついた。
 こんだけの人が攻めてきたらどうしよう、ステージ裏で、出番を待つ30分間。トランザムの連中と怖いよねと言っていた。チトやんが一杯飲もうか?もう何かのチカラを借りたい
 そんな感じだった。チトやんがバーボンをくれて小さいカップで貰ったが、とても呑み込めないで、すぐに吐いた。それくらい緊張の極致。足はすくむ 手は震える。

 ステージで、ない勇気をふりしぼって「朝までやるよ  朝まで歌うよ」
 なんかセンスないね、自分を奮い立たせるための雄たけびだった。

 後で映像を観て、出演者の南こうせつの顔がひきつっていて、笑ってないのにつくり笑顔をしていて、それがわかって大笑いした。
 山本コータローのやつがシャツの脇の下が破れている。これもまた凄いつくり笑顔。

 とにかく大パニック。落ち着いたのは最後のステージになってからかな。それまでは全然覚えていない。


M2  ああ青春 (一瞬の夏) 吉田拓郎


■エンディング

 喋り過ぎて  マイフェイバリットなし。
 吉田拓郎でした。


☆☆☆ 思いつきと感想☆☆☆☆


☆ 活気付くRe:第一回のバースデイ・ハワイ。当時は、一緒に行ってくれるパートナーもいなかったし、そもそもおよそ自分には超絶無縁なことと応募すらしなかった。
 御大にとって年齢の節目だけではない、とても大きな転換点だったのだな。そう思うとつくづく、ああ行きたかったし、行かれた皆さんが羨ましい。
 参加者のメールで「気にかけていただいてたんですね」というのがあって笑ったが、こんなふうにファンにやわらかな気持ちを運ぶ吉田拓郎というのは、なかなか観られないかもしれない。「みんな元気でよかった」と繰り返す言葉に旧友の消息を尋ねるような温かさがあった。羨ましいという気持ちを超えて、なんか妙に嬉しい気持ちにもなる。

☆ 御大にとってあのハワイは一大決心の一端であったことが伺えたし、参加者の方もその思い出を大切にしながら、時を刻んでいることがわかった。仲間同士でいまも誕生日を過ごしているって、なんかとても素敵な時間の重ね方に心が洗われる。
 そうか、あの時にお子さんが生まれたりすると、もう22,3歳だったりするわけなんだね。普通に驚く。LOVE2が始まった年でしょ。こちとら、つい昨日のことのような気がする。着実に時を刻むものさしが身近にあるのとないのでは違うのかな。ともかく行かなかったこちとらにも妙な感慨が湧いてくる。

☆「From T」。すまんが、ベストアルバムの選曲と曲順で何ヶ月も番組を引っ張りおって、という黒い気持ちが湧いてきたところだった。
 そこになんと

「春を待つ手紙」が一曲目。えっ一曲目なの? すげぇ。


 これだけでこのアルバムは名盤必至である。これだけで何もいらない。いやそれは嘘だが。でも「春を待つ手紙」が一曲目を飾るアルバムに出会えるとは思ってもみなかった。長生きはするものたと心底思った。 まぁ、選曲と曲順で、私なんかはイチコロだと身に沁みてわかった。

☆ベストテイクが底をついたのなら、毎回弾き語りでいいじゃないか。いい声だった。


■星紀行の今日の学び
 つま恋もハワイも神は第一回目に宿る。
  前例がない不安に果敢に突っ込んで行った人々に女神は微笑む。

2018. 8. 5

 昨日「女神が微笑む時」を聴き直したが、すまん、大変良かったんである(爆)。特に西城秀樹の歌い上げが胸にしみた。こういう時だからというのも少しはあるのかもしれないが、ああ、いい声だなぁ、いいバラードだなぁと聴き惚れた。カラオケでの酷評は、それとは比ぶべくもない私の歌唱力が原因だったのだ。どうか是非、原曲を聴き直しておくれといいたい。「広島」ということで西城秀樹と吉田拓郎に白羽の矢を立ててくれたサンフレッチェにも感謝。

 広島といえば、明日6日は、その日で「夕凪の街 桜の国」がNHKでドラマ化されて放映されるらしい。「この世界の片隅に」も実写化放映中だが、これに限らず、あらゆる実写化というのは鬼門である。何か文句を言いたくなる、偉そうに評論したくなってしまう。
 ちょうど吉田拓郎の原曲をどんなに上手い歌手がカバーしようと、ファンとして一言垂れたくなるのと同じかもしれない。

 http://tylife.jp/sideways.html#KONO

 このサイトでも何度か書いた。ドラマの番宣で「皆実ちゃん」と耳にするたびにドキっとする。霞ねぇさんも、翠ちゃんも出るのだろうか。

 実写化だからどうのこうのでなく、ここは是非、片渕直監督によって映画化してほしいと切に思う。

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2018. 8. 4

 レコード店の「From T」の曲当てクイズ。一曲くらい「大利根無情」とか「東京ドドンパ娘」とかボケてみたくなりませんか。ならねーよ。

 夏をゆくツアーというとCountryもそうなのか。でもお盆過ぎてから始まったしな。
 昨日カラオケで「ウィンブルドンの夢」を歌った。あらためて名曲だ。 結局、countryツアーは、潰えてしまったけれど、また歌うよ、また会えるよ、その日はきっと来るよと一歩も引かず、ひとつもあきらめていない拓郎が、私たちに語りかけているような気がした。そう思いながら歌うと、最後の「大きく息を吸って両手で風を抱いて思いを空に届けよう」の部分で泣きそうになる。
 満身創痍であっても、いつでもどこでも清々しい明日はあるんだという御大の声が聞こえる。感動のあまり2回歌った。だから私は嫌われる。でも聴衆はいい歌だと言ってくれた。

 調子にのって西城秀樹への提供曲「女神が微笑む時」も歌ったのだが、「つまんねー歌だな」と不評だった。そこがいいんじゃないか。うなぎ屋さんで、うな重の松、竹、梅でなく「うな丼」を食べるようなそういう味わいがわからないかな((爆))。私が一番失礼だ。

2018. 8. 3

 夏といえば、どうしてもオールナイトイベントの数々を思い出すが、サマーツアー=夏をまたぐコンサートツアーというのも忘れられましょか。特に私の記憶に鮮烈にあるのは、2000年の「冷やしたぬき」と2004年の「precious story」だ。どっちも怒涛の夏の行軍のようなコンサートツアーだった。本数だけではなく、演奏曲もやたら多かった気がする。まさに充足の夏だった。特に2004年の時の御大は大変なんてもんじゃなかったろうけれど。夏を縦断し越えてゆくコンサートツアーというのも今にして思えばなんと幸せなことだったのかと思う。

  唐突だが、「夏二人で」(六文銭)と「二人の夏」(愛奴)、タイトルを英語にすると同じになってしまう。この微妙な違いを表現できる日本語の繊細さに乾杯。

2018. 8. 2


「拓郎に惚れた太陽が燃えてくれた」と岡本おさみが言ったから
                    8月2日はつま恋記念日。


 我ながら素晴らしい短歌だ。って、思い切りパクリだろぉ。私は行けなかったが、つま恋75を経験した人の話を聞くたびに感動がある。ひとりとして同じような話が無い。本当に行った人の数だけの切実なつま恋があるのだということを教えてくれる。すべての人の話を聞きたいと思う。


 さて、黒澤明の会と落陽の話が依然として引っかかっているので、私の妄言・妄想は続く。
 「落陽」は、いわずと知れたライブ73で初披露されて以来の大人気曲だが、ある意味それが狂信的なまでに加速したのは78〜79年あたりからではないかというのが私見だ。

 フォーライフの再建のために社長業に専念しステージから離れた苦悩の2年間。それは拓郎の苦悩だったろうし、ファンの苦悩でもあった。拓郎が社長業に専心したとたんに、若手ミュージシャン世代が大挙して君臨し、音楽シーンが塗り替えられて、たちまち吉田拓郎は過去の遺物となった。何度か書いたけど「吉田拓郎ファン」とか言ったら学校ではダサイと笑いものだった。

 そんな真っ只中の時期の例の黒澤明の会だった。例えば今、ギターを弾く人で「落陽」を知らなかったらそれはその人が問題だと思うが、あの頃は、シングルヒット曲でもないし、知らないのが当たり前だった。拓郎ファン以外、周囲で誰も「落陽」なんて知らなかった。昔のフォーク歌手の知らない歌に過ぎなかった。
 音楽の一線を退いて社長として業界人のあつまりの片隅に座っていた拓郎は、きっとこのまま世の中から風化してゆく「吉田拓郎」というものを直に感じ取っていたのかもしれない。

 おそらく吉田拓郎もそして吉田拓郎のファンも、こういう氷河期のような苦悩の状況で、いつの日かやってくるだろうライブを遠く見つめて生きながらえていたのだ。

 「落陽」はそんな時の”灯”だった。その空白の2年間の間、ライブを待つファンは、ライブを思ってライブ73をひたすら繰り返し聴くしかなかった。何度聴いても「落陽」を始めライブ73は痺れた。
 そして、御大も来るべきライブで、どれだけ魂をこめて「落陽」を歌うか何度も想を練っていたはずだ。78年ロッドスチュワートの来日コンサートを見た拓郎は、「ロッドがセイリングを歌う時の恍惚感、やがて俺がステージで『落陽』を歌う時は、それ以上のものが出せる」と意気込みを示した。ものすげー「落陽」を歌ってやるぞという気迫が満ちはじめていた。

 そして明けて79年に訪れたハレの日の日本武道館。2年間の空白を背負った拓郎は落陽のイントロを静かに弾きながら「知ってる? 歌いなよ」とおそるおそるといった感じで客席に声を掛けた。同じ2年間、鬱屈していた私らファンは、それはもう「知ってるに決まってんだろう」と歌い始める。そのうちなんか堰を切ったようにあれこれと思いが溢れ出てきて、やがて会場を揺るがすような大合唱になった。辛かった2年間が終わろうとしていた。「幸せだな、俺は」と拓郎つぶやいた。私もおそらくすべての観客が幸せだった。ああ書いていて泣きそうだ。そして「吉田拓郎はずっと歌うという決心が今ハッキリついた」と宣言した。
 こうして79年は、長い氷河期の中で風化しつつあった吉田拓郎が「落陽」を御旗に掲げて果敢に巻き返していった逆襲の一年でもあった。そういう歴史的意味合いが加わり、「落陽」は燃えに燃える曲となったのだ。

・・・・ああ、こう書いていると、まるで「落陽」が好きな人みたいだ。このサイトでは「落陽」に否定的なことばかり書いてしまっている。否定しているわけではなく超絶名曲であり大切な曲だけれど、今はそんなに毎回歌わなくても平気、他にもっと愛でて欲しい曲がたくさんあるという一個人の勝手な思いに過ぎない。

 ああ、まだ書き足りねぇ(爆)。

 で、話は戻って、田家さんは、あの夜、ギター弾きが曲を知らないというのに、なぜ無理矢理に「落陽」を歌ったのだろうか。ギター弾きの人は、たぶん落陽は知らなくても、「旅の宿」や「襟裳岬」なら知っていただろう。なのになぜ、しかも拓郎本人の前で、アカペラで歌うというある意味リスキーなことをしたのだろうか。田家秀樹は富澤一誠ではない。拓郎への畏愛と細やかな心遣いに満ちた人だ。知らないけれど文章を読めばそのくらいわかる。ついでに富澤一誠も文章を読めばわかる。
 あの時、世間は忘却しつつあるが、「フォーライフの社長として今ここにいる吉田拓郎とは本当はこうなんだ、こんなに凄いんだ」ということを宣揚するために「落陽」を歌いたい、歌わずにいられなかったのだと思う。きっと田家さんは、評論家であると同時に、苦悩の空白の期間に悶絶するファンのひとりでもあり代表でもあった。そして御大は、そんな田家さんの苦悩の叫びにたまらなくなって立ち上がったのだ。
 「黒澤明を励ます100人の会」の二次会だが、田家さんにとっては「吉田拓郎を励ますたった一人の会」だったに違いない。なんと深い愛と気骨の人なのか。三日前はひどいことを言ってすまなかった。

 星紀行今日の学び 番外編

 今日、吉田拓郎があるのは、黒澤明と黒澤久雄のおかげである。

          いみふ?いいんだ、いみふで。誰もわかってくれなくていい(爆)

2018. 8. 1

 黒澤明といえば自分が一番好きな映画は「生きる」だ。その映画の中で、志村喬がキャバレーのピアノ弾きに♪命短し恋せよ少女(おとめ)〜というあの「ゴンドラの唄」をリクエストする。するとピアノ弾きが「あぁ〜大正時代のラブソングね」とちょっと小バカにしたリアクションをして周囲もつられて嘲うシーンがある。

 調べてみると「ゴンドラの唄」は、1915年(大正4年)の作品。この映画の舞台は1952年(昭和27年)だ。とすれば当時にして37年前の古い唄ということになる。今から37年前は1981年だ。ちょうどシングルで言えば「サマータイムブルースが聴こえる/Y」の頃だ。この曲を誰かが「ああ、昭和時代のラブソングね」と小バカにしやがったら‥‥‥そういう話ではない。

 昨日書いた「黒澤明の会」の二次会で、店のギター弾きが「落陽」を知らずに、田家さんがアカペラで歌ったという話。その映画のキャバレーのシーンに近い空気があったのではないかと思い切り邪推する。「なに?この歌、フォーク? しらねー。」みたいな薄い空気。しかも自分自身も社長業に忙殺され、ステージや歌の第一線から離れてしまっていた吉田拓郎にとっては、たぶん本当にたまらなかったのではないか。あくまで憶測ね。そんなたまらない気持ちから、自らギターを取って歌ってしまうという、普段なら絶対ありえない異例の行動に出たのではないかと思う。
 その時の空気と御大の気持ちがわかりすぎるほどわかったから、田家さんは、「その時の顔を忘れない」とだけ書いて、すべての言葉を呑み込んだのだ。さすが田家さんだ。って、昨日はメチャクチャ失礼な事を書いてたろぉ、星紀行っ。

 映画のシーンを思い返しながら、今に残る名曲だからといって、ずーっと神曲として全国民から絶賛されてきたわけではなく、そこそこ冷たい扱いをも受けてきたのだなと知った。実際に、大正時代、リアルタイムでヒットはしたものの、それほど評価は高くなかったと記録にもある。
 吉田拓郎の名曲だってリアルタイムでは売れなかったり評価されなかったりした、あるいは今もって評価されない作品がやたら多い。

 しかし「ゴンドラの唄」は、文字通り人の命はとても短いが、風雪に耐えて残る曲は、100年経っても余裕で残るということを言外に教えてくれている。
 私たちは年齢差こそあれ、みんな老境一直線で、60年後は殆ど誰もいないだろう。だが、御大が歌い、私たちが愛した唄は、ずっと残り続けるかもしれない。私たちがとうに死に絶えた後で誰かが「ウィンブルドンの夢」で元気づけられているかもしれないし「Life」や「マラソン」を聴きながら人生に立ち向かっているかもしれない。そのために、私たちは、いや私は何をしたらよいのか。「コペル君、自分の頭と心でよく考えてみたまえ」と問いかける声が聞こえてくるかのようだ。空耳か。

2018. 7. 31

 第65回(7.29)の放送で「黒澤明を応援する100人の会」という話が出た。詳しい内容はわからない。78年頃と思われる。フォーライフが映画に関わるプロジェクトが進んでいたようだった。確か「ロッキーを探せ」「ウエストコーストウインド」というテーマではなかったかと記憶している。御大がガチ社長業でコンサートも久しくやっていなかった時だ。

 後にRyu's barに拓郎が出たとき、村上龍が「黒澤明を励ます会」で初めて拓郎と会った話をしていた。その二次会のお店で、拓郎がお店のギター弾きのギターを奪って延々と歌い始めてびっくりしたという話を披瀝していた。「いつもああやって歌うんですか?」との村上龍の質問に拓郎は苦笑していた。吉田拓郎とは、そういう場面では、頑なに歌わない人であることは、広辞苑にも書いてある。

 それでは、なぜ歌ったのか? 疑問を解くカギは、田家さんの文章にある。この場に同席していた田家さんは、その店のギター弾きの伴奏で「落陽」を歌おうとするが、そのギター弾きの人が曲を知らなくて、田家さんはアカペラで歌い出すが、うまく歌えなかったそうだ。
 すると拓郎がいきなり立ち上がってステージに上ってきて、ギターを奪い、もうたまらない様子で「俺が歌う」と自分で落陽を歌い始めたそうだ。その時の拓郎の顔が忘れられないと田家さんは書いている。どんな顔だったのかは書かれていない。書いてくれ。私にとってはかなり大事なことだ。”明日はミスチルです おやすみなさい”とか書いてる時間があったら、そのことを書いてくれ。それとも書くのが憚られるような切ないものだったのだろうか。

 この映画プロジェクトはどうなったのか、わかんないけど、数年後フォーライフ・東宝の提携で、市川昆監督、水谷豊(当時フォーライフ)主演、音楽ロブバード(当時フォーライフ)の「幸福」という映画になった。当時映画館で観たが、たいして面白くなかった記憶がある。主題歌の歌詞が松本隆で「9月になれば、9月になれば」というサビだけが強く頭に残っている。

 それにしても黒澤明に映画音楽の大切さを進言したことは初めて知った。若気の至りと本人は言うが、カッチヨエエぞ。ハラショ、吉田拓郎。

2018. 7. 30

ラジオでナイト 第65回 2018.7.29

 吉田拓郎です。20年以上前、ハワイのハレクラニホテルで50歳のバースデイパーティをした。たくさんのファンのカップル、50人くらいかな、一緒に楽しい時間を過ごした感激のパーティだった。

 あの夜の料理は、ホノルルのホテルとファックスでやりとりしてメニューからワインの銘柄、シャンパンに至るまで僕が決めた。あれから22年、あの時の カップルの人たちはどういう人生を送っていのだろうかと思う。
 彼ら彼女らは、お互い連絡とりあって、ウクレレが日本中を回っているという話を聞いた。そんなことをふと思い出した。僕たち夫婦は元気だ。妻のお母さんは亡くなってしまった。あの時は楽しく参加していたが。でも僕たちは元気だ。本当はあちこち痛い重いで大変だ(笑)。助け合って一歩一歩だなと思っている。みなさん毎日どうしているんだろうな。

 さて、みなさんが一緒に呑んでみたい歌手、ミュージシャン、俳優さんを聞いてみた。   

20代男 プールのバーで水着の広瀬すずとカクテルを飲みたい
 >不潔だわ(笑)
20代女  菅田将暉くんとオッケーな店で
 >人気があるね。吉田拓郎も26歳の頃そういう対象に一瞬なっていた時期があったと思う。夢か。
30代男  深キョンとバーベキュー
>バーベキューって今でもやってんの? 深田さんはそういうイメージなのかな。
30代女 左に剛くん、右に光一くんでキンキの真ん中
 >キンキの二人は、話は弾まないよ。番組の後で、毎回焼肉によく行ったけれどゼンゼン話は弾まない(笑)
40代男 ローソクの灯りでテントの中で綾瀬はるかと小声で話しながら缶ビールを飲みたい。
 >缶ビールとはセコイな。なんで小声なんだ。
40代女  安室さんと本音で話しをしたい
 >キツイこと言われそうだぞ。
60代男  五月みどりさんと飲みたい  話きいてくれる
60代女   井上順
 >紳士で楽しい人。でもなんで順さんなんだ。

 吉田拓郎は、誰とも飲みたくない。飲みたい人はひとりもいない。酒飲んで楽しい歌手何ていないし、なんの興味もない。
 業界の人と飲みたくなんかない吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル
 歌謡曲は、良いリクエストが増えていて楽しみだ。
<西郷輝彦の「初恋によろしく」をリクエスト、星のフラメンコよりもこっちがいいという投書>
 今日はかけないよ。ははは。   
(♪いつでもいつでも君だけ〜ワンコーラス歌う)

M-1 いつでも君だけを     西郷輝彦

■CM明
 おっちょこちょい。
<いかつい肩だと思ったらハンガー入れたままだったり、ゴルフ場で子どものパンツだったのでノーパンで帰ったり、「おじさんはくたくただマリちゃんに逢いたいよ」というメールをマリちゃんじゃない私にメールを書いてきたりする、おっちょこちょいおじさんという投書>

<拓郎さんと同じで泳げないけれど、ビーチリゾートでの出会いを求めているが、どうやって泳げもしないのにビーチでオーラだすか教えて欲しいという投書>
僕は、泳げないわけではない、25メートルくらいならノーブレスで泳げる。そういえば、最近の若者は、海に行きたがらないらしいね。
 そういうのは任せて。ハワイのプールで、さも泳ぎは飽きたみたいな顔をする。火照った身体を冷やしているかのように歩き回る。海では、波打ち際に立って  遥か沖を眺めて口笛を吹く(ビリーボーンオーケストラ「星をもとめて」)。そして軽やかにスキップしながら立ち去ってゆく。こういう吉田拓郎は参考になったかい。

 さて、映画ね。
<「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」が気に入っているという投書>
もちろん観ましたよ。
「ラ・ラ・ランド」はいい映画だった。ミュージカルが苦手だという人もいるかもしれない。「シェルブールの雨傘」なんてずっと歌だもんね。
「ラ・ラ・ランド」はセリフと歌という感じだが、もう文句なしに素晴らしい。  演奏と歌とダンス。ジャズピアニストのライアン・ゴズリング、女優を目指すエマ・ストーン。やがて彼本来の志向とは違うバンドから誘われて多忙な日々を送るライアン・ゴズリング。エマ・ストーンは売れずに田舎に帰ってしまい、疎遠になって別れる。しかし、その後、ひょんなことからエマ・ストーンの女優の仕事が大成功し、やがて結婚して子どももできる。その後、エマストーンがたまたま立ち寄った場末のジャズバーで、ライアンがいて、初めて出会ったときの曲を弾いてくれる。彼は、かねてからのジャズ音楽に戻って店を開いていた。お互いのかつての日々のフラッシュバック。しかし、彼女は、無言のまま家路へ急ぐ。
 なんて素敵なんだ。映画ってなんてステキなんでしょう。クリントイーストウッド、きっと黒澤明もツボがある。映画っていいもんだな。

■ベストテイク

 「ウィンブルドンの夢」。ワールドカップは燃えたね。終わってからもイニエスタ、トーレス、ヤットさんとサッカーに夢中だ。
 素晴らしいテクニックだったのは、優勝したフランスの19歳のエムバベ。彼には釘付けだった。6歳の頃から100年に一度の天才と言われていたらしい。ジャパンも面白い試合で、考えるところがある試合だった。

 テニスもウィンブルドン。ドイツのケルバーが優勝したね。シモナ・ハレブとかが早々に敗れてしまった。
 そしてジョコビッチの復活。ナダルとの準決勝は、歴史に残る。ジョコビッチには勝てないな。

 僕の夢、君の夢って、橋幸夫みたいだな。夢はオトナになってかなえられたのだろうか。あるいはまだ夢の途中の人、そして夢をあきらめた人いろいろいると思う。
 広島の頃は、ビートルズのようにバンドで世界に出て行けるのではないかと自信はあった。ビートルズになるんだと夢があった。その夢は、東京にナベプロに売り込みに行って消えた。その日、当日のうちに消えた(笑)
 この曲の音がリミックスされている。音が、古いバージョンと比べてみるといい。ということはわかるでしょ。

M2 ウィンブルドンの夢


■マイフェイバリット

 男性のみなさんは、女性を好きになる時、どういうポイントがあるか。

 例えば、女優でいえばオードリー・ヘップバーン。痩せて、キュートでコケティッシュな感じ。それと、マリリン・モンローは、バーン、バーン、バーンという感じ。お尻を振りながら・・・・・・

 みなさんは、どちらでしょうか。オードリー・ヘップバーンかマリリン・モンローか。吉田拓郎はマリリン・モンローです(笑)

 ジャクリーン・ビセットが好きでした。「ディープ」とか、あと「スティーブ・マクイーン」とも共演したし、ジャクリーンケネディ・オナシスの役を演じたこともあった。

 そういう僕を許してください

 今日の曲は、「ムーンリバー」いい曲だね。「ティファニーで朝食を」。ヘンリー・マンシーニの素晴らしくムーディな演奏。ピンクパンサーとかグレートレースなどの映画音楽もそう。
 昔は、映画音楽がヒットしていた。「S盤アワー」とかもあったよね。

 1953年の映画「シェーン」の「遥かなる山の呼び声」。高倉健の映画だけれど、こっちがオリジナル。

M3 遥かなる山の呼び声   ビクターヤングオーケストラ

 映画音楽は心に残る。

 「黒澤を励ます100人の会」というのがあって、フォーライフの社長の頃に出たことがあった。淀川さんもいたりして。その時、黒澤さんに「なんで日本の映画音楽はチャートに出ないんだろう、音楽にお金をかけてほしい」と若気の至りで言ったことがあった。

 次は、戦場にかける橋。こういう映画音楽もヒットした。

M4 クワイ河マーチ 

 皆さん身体にしみこむようにご存知でしょう。

 次は僕が主演している映画、アランドロン(笑)が素敵だった。スニーカーに素足でコットンパンツ、シャツを出して、なんてカッコイイんだと憧れた。「太陽がいっぱい」謎な女優マリー・ラフォレ。この映画以外では観ない。この曲を聴くとどうしても吉田拓郎の顔が浮かんでくる(笑)。どっかで勘違いしているな。

M5 太陽がいっぱい   

 ということで、「ムーンリバー」。先週の「大利根無情」その前は「We are the world」そして「ムーンリバー」ということで(笑)。なんといったらいいのか、無節操(笑)

M6 ムーンリバー

■エンディング
マイフェイバリットの予想がつかなくなった。幅が広がりすぎている。
ベストテイクは、底をついている(笑)。アルバムの話になってしまうし。
むつかしい立場にたっている。

恥ずかしいファッション、髪型。高校受験で一度だけ丸坊主にしたことがあったが、似合わなかった。

一緒に呑めるんだったらどんな芸能人がいいか。

吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆

☆今日は個人的なことだ。もともといつも個人的だけれど。特に他人様には超絶どうでもいい個人的なことだ。

 ちょうど母校の高校野球の地方予選の決勝戦があった。いわゆる野球強豪校ではない地味なフツーの公立高校だったので、降って湧いたような大騒ぎであった。ホントに僅かの時間だったが、私のように、普段は母校のことなんか顧みもしない薄情な卒業生たちも、準決勝あたりから、みな興奮し色めきたった。

 自分には、昔も今も、まったくの無縁だと思っていた「甲子園」が、急に目の前に迫ってきたのだった。新聞もテレビもネットも無名な母校の名前を連呼しておる。あらぁぁ人生ってこんなこともあるのね。

 決勝戦の試合は惜敗であった。うーむ、ここまで甲子園に近づきながら。みなが悶絶した。

 でも、選手たちは、逆転されても、チャンスに凡打でも、みんな笑顔だった。最初、笑ってんじゃねーよと思ったが、失策した選手を迎えるベンチもまた全員さわやかな笑顔だった。これは彼らの夢の宴なのかもしれない。真夏で、地獄の炎天下だけれど、そこだけ”春の風が吹いていたら”みたいな感じだった。

 そんな夜のベストテイクは偶然にも「ウィンブルドンの夢」だった。ワールドカップもウィンブルドンも、ああ、そして甲子園にも出たかったよね。ぴったしじゃないか。

 御大は言った。キミの夢、僕の夢、夢をあきらめた人、途中の人。そして夢なんか見ようともしなかったおじさんにも、真剣に夢を見る人の夢は、おこぼれのように降り注ぎ、音叉のように波及してくるものかもしれない。

 ちょうど、ハレクラニの御大50歳のパーティの素晴らしさはその現場にいらした方々でなくてはわからないものだろうけれど、その果実は、その場にいけなかった私たちにもいろんなかたちで届いてくるのと同じようなものだ。

 リミックスは、たぶんエルトン永田さんのピアノがクリアになり、御大のボーカルがくっきりと出て、ストリングスが、スタンドバイミーのように美しくフィーチャーされていたような気がする。違ったらごめんな。

 そんな「ウィンブルドンの夢」を聴きながら、今日残念な思いをした、すべての卒業生たちに、この曲を聞かせてやりたいと心の底から思った。そして選手たち・・・彼らが、おじさんになった時、この曲を聴いて欲しいと切に願った。

☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆

    夢を見ている人を大切にしよう。少なくとも邪魔はしないようにしよう。

2018. 7. 29

 「生産性がない」と「これまでの経験が通用しない」という二語が呪いの言葉のように頭を回っている。こういう鬱屈した気分の時こそ吉田拓郎だ。
 時節柄、つま恋か篠島を観ようかと思ったが、最新のLIVE2016にする。これを観ていると、このまま明日、歌ってくれそうな勢いがある。二巡目は、バックスステージとぼくのあたらしい歌のメイキングを繰り返した。
 いい。いろいろ文句は言ったが、それはSorry,It’s my natureだ。スタジオに、あるいはゲネのステージにミュージシャンと一緒にいて、歌い、インストラクションを出し、談笑する吉田拓郎はやっぱり素敵だ。現場が海なら私は魚という感じだ。レゲエのリフを楽しそうに弾く御大を観ながら、ああ、こういう音楽の現場に早く帰ってきてくれよと切に思った。
 なんか詞はかなり気恥ずかしいけれど「ぼくのあたらしい歌」の天衣無縫な気持ちいいメロディーをあらためてかみしめる。この歌と「この街」が70歳を超えて出てきたことで、吉田拓郎の無敵を確信する。ふつー70歳といえば「古稀記念論文集」みたいな、いかめしいものだが、古稀にしてこの自由さ、のびやかさは誰にマネできまい。
 FromT→一発レコーディング→コンサートツアー。順不同、順不定期は、覚悟の上だが、どうかそれぞれがつながってゆきますように。

2018. 7. 28

 「収録楽曲については わずかな情報しか漏らしていない拓郎さん。」「そんな厳重に情報管理された、ベールに包まれたアルバムについて」
 …大丈夫なのか、そんなにハードルを上げて。御大、辛くはないですか。身体に良くないっすよ。
 どうせならラジオで大々的に「発売直前企画From T収録曲大予想」と銘打ってメール・ハガキを募集してはどうか。きっと御大、読みながら身悶え、悶絶すること必至だ。おい。

 映画「この世界の片隅に」の拡張版が完成したようだ。30分追加することで主題も変わる。新しいタイトルは「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」。イカレタ私の脳みそでは、「アジアの片隅で」と「いくつもの朝がまた」が勝手に鳴りだす。12月が待たれる。
 それにしても台風は、なんという不可思議な進路をとるのだ。まるで星一徹の魔送球のようだ。どうか呉はじめ西日本を直撃しませんよう。