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おはよう

1974年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「今はまだ人生を語らず」

すべての働く人に射す優しい朝陽

 シングル盤でもなくタイアップ曲でもなく、ライブの定番でもなく、アルバムの片隅にある小品。そんな小品にも、というかそんな小品にこそ煌めきが宿る。そこが吉田拓郎の魅力だと思う。一見目立たないけれど、音楽の神様が降りてきたような作品と歌声を発見するときの喜びは無上のものだ。そういう意味で、この「おはよう」が好きだというファンは多いに違いない。名曲の豪華幕の内弁当と評される1974年12月発売の「今はまだ人生を語らず」におさめられている。
 駅のベンチでゴロ寝する酔っ払いのサラリーマンの男。それは他ならぬ、かつての岡本さん自身の姿であるに違いない。西荻窪から「薄茶色」の中央線に乗って有楽町の放送局まで通勤していたという放送作家時代。岡本さんは「デモでよれよれになった躰を深夜のスナックで仮眠させ」仕事に向かう朝の電車のホームに眩暈と吐き気で倒れ込む。「心は読み捨てられた新聞紙みたいだった」と当時の荒涼とした心情を述懐していた。
 多くの人々が状況こそ違え、やるせなく、疲労と倦怠に満ちる中、刻苦して働きつづけなくてはならない。そんな働く人々に対して、岡本さんの視線はシニカルでも絶望的でもなくとても優しい。「働きすぎる優しい人たち」すべてに「おはよう」と呼びかけ爽快な風を送る。まさに、身の置き所の無いその場所で苦悶していた岡本さんだからこそ描けた世界に違いない。
 何度も言うように、吉田拓郎の天性の才能は、そういう岡本おさみのエッセンスをキチンと読み取っていて、実に的確なメロディーと歌声でラッピングしてくれている。地を這うような暗い夜明けから、光が射して、清々しい朝を告げてくれる、悲しみの淵にもひとしく朝陽が注がれる。そんな展開がきちんとメロディーにも表現されている。丹念に組み合わされている詞とメロディーと歌唱が聴く者を元気づけてくれる。
 もともとは提供曲で、1973年、ユイ音楽工房の新人女性アーティストだった桜井久美さんのデビューシングルとなった。B面も岡本おさみと拓郎のコンビで「大晦日」。これはこれでコアなファンが多い名曲で、後に川村ゆうこがカバーして広く知られるに至った。しかし、桜井久美さんの「おはよう」は残念ながら不発だった。五輪真弓似の少し陰がある風貌、暗くくぐもったボーカルがかえって憂鬱な感じになってしまったのが災いしたのではないかと思う。そういえば、桜井久美と川村ゆうこは似てるなぁ。フテクサレ系のところも。あのな。
 この拓郎本人歌唱になってから、本来の歌の煌めきが発揮されて転生した感じがする。ライブでは1975年のつま恋で一度だけ歌われた。本人は忘れちゃいないか。それとも朝の定番は「朝陽がサン」で十分と考えたのか。思い起こしてほしい一曲だ。

2015.10/3