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贈り物

1974年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「今はまだ人生を語らず」

深すぎる悲しみという名のギフト

 名盤「今はまだ人生を語らず」の最後に収められたこの曲はどう評したらいいのか。作品の事をあれこれ考える前に、とにかくこの歌はひたすらどうしようもなく切ない。こんな切ない歌があっていいものか?と思うくらい、詞、曲、演奏そしてすべての行間までもが切ない。
 拓郎にも別れの歌や離婚を歌った歌は数々あるが、この歌には特別に身を切るような生々しさを感じるのはなぜだろう。この作品がおケイさんとの別れを暗示するものであることは間違いない。通勤電車を乗り継ぐように軽やかに離婚・結婚を繰り返してきたかにも見える吉田拓郎だが、何回かとりあげたとおり、2009年の田家秀樹の「大いなる明日」のインタビューで、自分の人生の最大の挫折は「離婚」だと悔恨をもって語った。そして、この歌は、その初めての挫折に繋がることになる。
 これはまったくの邪推だが、最初の離婚の時には、妻だけでなく愛娘との別れも重なったから、厳しさひとしおだったのではないかとも思う。 「俺は娘を溺愛していたからね。離婚の時、身体の一部を持っていかれるみたいだった。」と石原信一「挽歌を撃て」のインタビューで語っていたことを思い出す。
 この歌が一度だけライブで歌われたのは1975年8月のつま恋の第一ステージでトランザムのバックによってだった。正式な離婚のひと月前だ。聴き逃せないのは、「だからとどまるよって言わさなかった。そんな君にも罪などありゃしない。」のところを「そんな君に未練などありゃしない」と変えて歌ったところだ。
 「未練」。拓郎は、意図的に変えたのか、炎天下の興奮でつい間違えて歌ってしまったのか。しかも吐き捨てるように歌うのだ。当時の週刊誌のつま恋特集記事で、つま恋でのリハ中に、拓郎を訪れたおケイさんと彩ちゃんのショットがあった。覗き見趣味と怒られるかもしれないが気にかかる。そういえば、この、つま恋の第1ステージとラスト・ステージの衣装の時に拓郎の頭に巻かれたヘアバンドは、愛娘彩ちゃんの洋服の端切れで出来ている。娘の端切れを頭に巻いて決死のステージに臨む・・・感慨深いし、妄想もかきたてられるが、一ファンが憶測と思い込みであれこれ言うことではないか。

2015.10/4