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祭りのあと

1972年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「元気です」/アルバム「TAKURO TOUR 1979」/アルバム「176.5」/アルバム「Oldies」/アルバム「王様達のハイキング IN BUDOKAN」/アルバム「豊かなる一日」/DVD「 79 篠島アイランドコンサート」/DVD「82 日本武道館コンサート 王様達のハイキング」/「DVD 90 日本武道館コンサート」/シングル「落陽」

祭りという魂の灯をつないで

 吉田拓郎の不朽のスタンダードであるこの作品の出自について、岡本おさみはドキュメントブック「大いなる人」の拓郎との対談で語っている。
 ほぼ同時期に、拓郎は父親を、岡本氏は母親を亡くし、二人とも悲嘆の中にいた。岡本氏は母を亡くした悲しみを詞にしようとしたが、既に「おやじの唄」を歌う拓郎に、重ねて自分の母の死の悲しみを歌わせることを躊躇する。そこで、それとはわからない表現で、自分の母の死を悼む詞を書こうと、象徴的な言葉でいろいろな思いをこめられる器になるように書き上げ、拓郎に提供した。
 この話からすると岡本氏にとって「祭り」とは、弔いであり、もしかすると御母堂の人生そのもののことを指すのかもしれない。
 おかげで、この作品は、さまざまな人々のよすがとなる。拓郎の詩集「BANKARA」巻末の小池真理子の解説で、拓郎に思想がないと非難していた元学生運動の闘士が、挫折し失恋したときこの歌を聴いて涙した話が出てくる。懐を広げたこの詞は、人生の挫折の悲しみ、身の置き所のない寂しさを抱えた人々、文字通り今年の盆踊大会が終わって寂しい人、それぞれの思いを「祭り」に託しても、この作品は温かく受け入れてくれる。かくして経験的にも拓郎ファンではない人々で、この「祭りあと」という作品を高く評価している人が結構いることを知った。
 歌詞カードには「慰安が吹き荒れる」というフレーズは詩人の吉野弘から借用したということわりがあった。借用があっても、人の心とその営みの深奥の悲しみを描くこの詞は、現代詩としても少しも遜色はない。そしてその詞世界を奏でる拓郎のメロディーの秀逸さ。まさに後世に残るクオリティーの高さの作品だと思う。

 忘れられないのは、1991年のコンサートツアー中に、元猫の田口清さんが逝去された。その時に、拓郎は、ステージで、田口清に捧げると断って、セットリストにないこの作品を声を震わせて歌った。まさにこの作品の出自にかなった深奥さが見えた瞬間だった。

 ご存知この作品は、拓郎の神のごとき弾き語り力によって、弾き語りの定番となった。特に、ハーモニカの赤トンボから、いつの間にか本編に導入されていく必殺技には何度でもヤられてしまう。幾多のライブで、ここぞという場面での数々の名演を魅せてくれた。
 その本質は人間の悲しみを湛えた深いブルースであるから、バンド演奏でも映える。「176.5」、「Oldies」でもカバーされたが微妙に軽い気がする。
 バンドバージョンでは何と言っても「王様達のハイキング」のライブが素晴らしい。最初はアコギで静かに歌いながら、ピアノとドラムがビシッとインサートされてバンド全体が鳴り出す。パワフルだが決して歌より前に出ないこのバンドのサウンドが塊となって、拓郎のボーカルを包み込む。そして最後のエンディングの青山徹のギターが超絶である。泣いているようなギターは美しく、もらい泣きのように涙腺を刺激される。

 それしてもオンステージ第二集の「ゆうべの夢」と同曲だが、岡本さんはメロ先で書いたのか、それとも詞先でたまたまメロディーがバッチリ適合したので転用したのだろうか。この名作の前にはどうでもいいことだが少し気になる。
 気になるといえば、後に、桑田佳祐が「祭りのあと」という同タイトルの作品を発表し、今やネットで検索すると桑田の「祭りのあと」ばかりが出てくる。桑田佳祐が拓郎へのレスペクトも公言しているだけに、敢えて言いたい。「元祖祭りのあとに懺悔しな」。なんて言うと・・・人を恨むも恥ずかしく・・と御大と岡本さんに諌められてしまうかもしれない。

 さて、詩人吉野弘氏に借りた「慰安」だが、後に浜田省吾が「愛の世代の前に」の歌詞で「慰安」と言う言葉を使っていたのがずっと気になっていた。「慰安」は、岡本おさみが吉野弘氏に借りた「慰安」を借りましたって(ややこしいよ)、歌詞カードに書かないのか、浜省。
 しかしそれは誤解で、浜省は、詩人吉野弘を深く敬愛していて、きちんとご本人にごあいさつをした。そればかりか吉野弘さんの承諾を得て、吉野弘氏の詩「雪の日」をアルバムに掲載し、そこからインスパイアされたあの名曲「悲しみは雪のように」を書き起こしたのだった。

 
                         雪の日に   吉野弘

                   雪がはげしく ふりつづける
                   雪の白さを こらえながら

                   欺き(あざむき)やすい 雪の白さ
                   誰もが信じる 雪の白さ
                   信じられている雪は せつない

                   どこに 純白な心など あろう
                   どこに 汚れぬ雪など あろう

                   雪がはげしく ふりつづける
                   うわべの白さで 輝きながら
                   うわべの白さを こらえながら
                   雪は 汚れぬものとして
                   いつまでも白いものとして
                   空の高みに生まれたのだ
                   その悲しみを どうふらそう

                   雪はひとたび ふりはじめると
                   あとからあとから ふりつづく
                   雪の汚れを かくすため

                   純白を 花びらのように かさねていって
                   あとからあとから かさねていって
                   雪の汚れを かくすのだ

                   雪がはげしく ふりつづける
                   雪はおのれを どうしたら
                   欺かないで 生きられるだろう
                   それが もはや
                   みずからの手に負えなくなってしまったかの
                   ように
                   雪ははげしく ふりつづける

                   雪の上に 雪が
                   その上から 雪が
                   たとえようのない 重さで
                   音もなく かさなってゆく
                   かさねられてゆく
                   かさなってゆく かさねられてゆく


せっかくです。



                       日々を慰安が   吉野弘

                   さみしい心の人に風が吹く
                   さみしい心の人が枯れる W.B.イエーツ

                   日々を慰安が
                   吹き荒れる。

                   慰安が
                   さみしい心の人に吹く。
                   さみしい心の人が枯れる。

                   明るい
                   機知に富んだ
                   クイズを
                   さみしい心の人が作る。
                   明るい
                   機知に富んだ
                   クイズを
                   さみしい心の人が解く。

                   慰安が笑い
                   ささやき
                   うたうとき
                   さみしい心の人が枯れる。

                   枯れる。

                   なやみが枯れる。

                   ねがいが枯れる。

                   言葉が枯れる。




 吉野弘という詩人の素晴らしい詩世界がある。借用・承諾・インスパイアという手続の言葉ばかりに目が行っていたが、この素晴らしい言葉の魂が「祭りのあと」に「悲しみは雪のように」に、ローソクの灯をわかちあうように確実に受け継がれ広がっているのがわかる。同じ魂の灯をわけあっているからこそ、いっそうこの歌たちは素晴らしいものになっている気がしてならない。
 吉野弘氏は、2014年にお亡くなりになった。間接的ではあるが、その言葉の魂に救われた一人の末裔として、ご冥福をお祈りさせていただきたい。

2015.10/17