知識
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「今はまだ人生を語らず」/アルバム「TAKURO TOUR 1979」
その男、抜き身の天才につき
名盤「今はまだ人生を語らず」。まさに破竹の勢いとはこのアルバムのことを言うのだろう。その中で小品ながらピリリと辛い山椒のような逸品。世の知識人たちに一太刀浴びせる戦闘的な作品だ。「自由を語るな不自由な顔で」「一人になるのに理由がいるか」「理屈ばかりをブラさげて」などのフレーズを振り上げる立ち回りは痛快このうえない。
「知識人」とは学者・評論家・作家・ジャーナリスト等、今でいうとワイドショーやニュースショーのコメンテーターみたいな人種のことだろう。 昔から拓郎はこういう知識人たちとは、折り合いがトテモ悪い。こういう知識人たちからは攻撃されるか、バカにされることが多かった。それとは逆に井上陽水は、昔から知識人たちから評価され持ち上げられてきた。拓郎本人も陽水とのこの違いを面白くないと語っていたことがあった。
この違いはどこにあるのか。総じて拓郎と折り合いが悪い「知識人」の方々は、世間の風向きを敏感に察し、人々の顔色を観ながら無難なことをシタリ顏で語る人々が殆どである。そういう知識人が自分を飾り、ハクをつける「小道具」として使うには、陽水と違って拓郎は厄介すぎたのだ。もっというと思い通りにならない抜き身の刀のような拓郎の才能と行動が怖かったのだ。拓郎をきちんと評価する審美眼も勇気もなかっただけのことである。
かつて筒美京平が「吉田拓郎くんが出てきた時は怖かった。井上陽水くんはそうでもなかった。」と述懐していたが、知識人たちが認めたくなかったことを、天才である筒美京平は淡々と認める。
また拓郎もそういう知識人らに媚びを売ったり妥協したりせずにキッチリと線を引いてきた。勲章や褒章をいただくミュージシャンと違って、拓郎がいまひとつ世間と折り合えないのはそこに原因があるのだと思う。勲章も褒章もいらないけどさ。
この作品は、ライブでも圧倒的なチカラを発揮してきた。まずは松任谷正隆の分厚くてロックなアレンジが浮かぶ。「TAKURO TOUR 1979」のオープニングとして記録に残っている。個人的には武道館のカミナリに打たれたようなオープニングが忘れられない。原曲より一層扇情的で、まるで戦闘の狼煙のように聴くだけで血がたぎるようだ。まさに知識人いうか世間と一戦まみえるような闘争心に溢れている。よく練られたアレンジも含め無敵のロックである。
そして2006年のつま恋で披露されたエルトン永田のアレンジの清々しく美しいバージョンも忘れられない。イントロを聴いていると、え?コレはなんの曲だと戸惑うことしきり。歌い始めると、ああ「知識」だとわかる。あの穏やか風合いが、あの日のつま恋の青い空に誘ってくれる。そこには知識人との戦闘色はない。しかし、この世の虚飾を鋭く深く見つめ、インチキな知識人たちはどうぞ勝手にお生きなさいという覚悟が覗く。どちらがどうということではなく、二つの「知識」を得られたことを喜ぼうではないか。
2006年のステージで拓郎は「鼻持ちならない傲慢な若者の歌」と紹介したが、謙遜だ。少々青臭かった自分にテレながらも、この歌を作り歌った自分に静かな誇りを持っているに違いない。もちろんファンも同じだ。
2015.11/9