アルバムの岸辺
ローリング30

SIDE 0

「ローリング30」とは何だったのか

☆2LP+1
 発売日前日の夕方、もう納品されているはずだと高校の帰り道に蒲田のレコード店に押しかけて、お店の人が段ボール箱から出しているところを奪い取るように買った。帰り道にアルバムはずっしりと重かった。あの重さが忘れられない。前代未聞の「2LP+1」帯には「先着10万名様にポスタープレゼント」。って、そのポスター六つ折に畳んで入れやがったことも忘れないぜ(爆)。くっきり六分割、パネルクイズみたいになっていて、児玉清かよ。 
2枚組オリジナルアルバムというと、ビートルズの「ホワイトアルバム」、ボブ・ディランの「ブロンド・オン・ブロンド」、ローリングストーンズの「メインストリートのならずもの」、スティービーワンダーの「キー・オブ・ライフ」という数々の栄光の名盤たちの系譜に連なる。しかも、一枚シングル盤がついてるわけで、そうすると……あらら御大、アンタ世界一だよ。

☆砂かぶりで眺めたmaking
 セイヤングでは製作過程が報告されていた。アルバムの完成プロセスを間近で眺めるという機会はあまりない。まぐろの解体ショーくらいか。なんという雑な喩。

 1978年6月ころに松本隆と常冨喜雄とサイパンに珍道中。「松本隆と吉田拓郎がお互いの人間性を確かめ合うミーティング」だったらしい。たぶんこの時に、ジャケット撮影か。葵海の底はナマコでいっぱいだったらしい。砂浜に寝そべって「海岸○○運動」のちに「地中海遊び」に名称変更。
 確か、まだこのころはオリジナルの2枚組アルバムになるとは決まっておらず、一枚はオリジナルもう一枚は秋のライブ(弾き語り)の2枚組みにするとか言っていた気がする。

 8月に箱根ロックウェルスタジオからの生中継。ハイペースで曲を作ってはレコーディングするという怒涛の進行状況が盛り上がっていた。生歌やインタビューや石山恵三の「うるせぇバカ」が箱根の山を越えて届けられた。作品が揃いはじめ、これは2枚組はいけるぞという空気が番組にも漲っていた。

 9月、東京メディアスタジオのレコーディングも快調な様子だった。結局LP二枚組にも入りきらずシングル盤をプラスするという驚きの発表。
From Tと同じだ、早くこのアルバムを届けたい、ローリング30を感じて欲しいと御大は毎週盛り上がる。

 そしてついに11月21日発売となる。その日は「小室等23区東京旅行 目黒区民センター」の日で吉田拓郎がゲスト。私と後に知り合ったK氏は、そこで初めて弾き語りの「外は白い雪の夜」を感激の中で聴いたのだった。

☆どんな時代だったのか、それは寂しい時代だったのよ
 そもそもなんでこのアルバムにこだわるのか。やはり時代背景とは切り離せない。フォーライフの経営危機のため、社長として再建業務に奔走し人員整理までさせられて忙殺される吉田拓郎。そのアーティストとしての不在はファンにも超絶淋しいものだった。その間に、若手世代ミュージシャンが台頭、たちまち吉田拓郎は過去の遺物扱いとなった。
フォーライフも、泉谷抜ける、陽水捕まる、拓郎中小企業のおやじになる、小室等は(略)…ということで、見渡すとニューミュージック、ロック、アリス、めぐる季節、ハンド・イン・ハンド、拓郎はもうダメになった@富澤一誠、などなど周りは敵ばかりになってしまった。吉田拓郎ファンは肩身の狭いツライ日々を生きていたのだった。

 その中にズシリと登場したこのアルバムがどれほど私たち、いや、もういい私を感動させ勇気付けてくれたことか。心の底から誇らしかった。ため息をつきながら何度も聴いた。聴いても、聴いても新曲が続くアルバムというものを経験したことがあるだろうか。それは拓郎ファンだけに与えられた僥倖である。あ、「吉田拓郎の唄」の入った某アルバムを思い出しかけたが、思い出さないことにする。
そしてこのアルバムは、まさに吉田拓郎の現役復帰の礎となったことは間違いなかろう。

☆どうして凄いのか
 このアルバムの凄さの所在は、人によってそれぞれ違うかもしれない。個人的には、私がひとりで喜んで使っている、異質なものが撚りあって一本の縄になるという「向田邦子理論」が、このアルバムでも発揮されているところだ。
 「吉田拓郎」と「松本隆」という異質な才能がまさに撚りあって出来上がった作品群。そして「箱根ロックウェルチーム(石川鷹彦・島村英二・徳武弘文・エルトン永田・石山恵三)」と「東京ほぼティンパンアレイチーム(松任谷正隆・林立夫・鈴木茂・後藤次利)」らの競作のように拠られているサウンド。

そうして出来上がった強靭な縄は、40年経っても色あせていない。

 松本隆は、「MUSIC MAGAGINE 2016.7」でこう述懐する。
「『ローリング30』は、3,4曲を除いて後は捨て曲だと思っていた、はっきり言って。そしたら彼は何十年も引きずってライブやるたびに必ず歌うわけ。作ったのを忘れたようなものまで、スポットライトをあてるから、全部生きちゃったわけよ。あんなアルバムないって。ボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』だってあんなにていねいにやっていないよ。あいつのしぶとさを僕は尊敬する。

 えっ、捨て曲ってか。言いおったな松本隆。しぶとくて悪かったな。吉田拓郎、そしてロックウェルとほぼティンパンのミュージシャン全員が音楽の一線で40年間転がり続け、そして時代の中を転がりながらひたすらこの曲たちを愛でてきた私たちファンによって、このアルバムのすべてに命脈が与えられたのだ。松本隆よ、ねぇ眼をそらさずに、この捨て曲たちを好きって言えるか@三木聖子。くそー、これも松本隆だ。

2018.10/27

SIDE A

01 ローリング30
 早い話がこの1曲目のタイトルチューンでこのアルバムはすべてがキマリだ。重たい砲撃のようなビートに荒くれた無骨なボーカルでシャウトする拓郎。
「動けない花になるな転がる石になれ」
 当時のセイヤングで、このフレーズを聴いて進学をやめデザイナーの道に進む決意をしたというリスナーの投稿があった。その心意気に共感したものだ。自分はそこまで勇敢な決断はしなかったが、それでも大きく背中を押してくれた。翌年のライブのオープニング曲だったが、それだけでなく、それぞれの極北を行く私たちの人生の前哨曲だった。

 発売当時FMの森永博志の特番があって「なんでこのタイトルにしたんですか」という質問に拓郎は「意味なんかないよ、これがアルバムのタイトルに勝ってるかなと思っただけ、ちゃらんぽらんだよ。」と例によってうそぶくのであった。 セイヤングでは当初アルバムタイトルは「渚にて」とか「自由人」とか候補を語っていたが、それを思うと「ローリング30」でホントに良かったと思わないかい。

 当時、ニューサーティという世代論ブームとも結びついてそのテーマとして話題にもなった。
 戸井十月がプレイボーイ誌に「ふざけるなニューサーティ」と題して「吉田拓郎の唄なんかに代表されたくない」と硬派なエッセイを書いたこともあった。戸井十月や彼が信奉する中上健次ラインに憧れてもいた私は、この人たちが拓郎が大嫌いということが辛かった。拓郎も「中上健次とか、よくわかんないよ」と言っていたことがあった。
 先の特番で森永博志は最後に語った。
 「港に繋がれている船は嵐がきても安全だけれど港を海と思っていなきゃならない。でも纜を切って海に出ていくと沈没の危険はあるけれど新しい世界をみることができる。吉田拓郎は海に出て行って、時に沈没しそうになりながら航海を続けてゆく」
 をを、さすがハードでならす森永、もっと言ってぇと身悶えした。

 40年経つと、三叉路は五叉路にも六叉路にもなって自分を迷わすし、石ころにつまづくと痛みがなかなか治らない、身体と心どっちが老けたかもわからないくらい両方老けた。それでも転石の旗のもとに集いたい。
 何年か前に「置かれた場所で咲きなさい」という本がベストセラーになって他人から薦められたが、内容はよく存じませぬが申し訳ありません「動けない花になるな」というのが私の宗派の教えなのでと手を合わせたものだ。

2018.10/28

02 爪
 一曲目で拳を振り上げ闘志が漲ったところで、突然、静かな夜の帳に放り出される。まさに電気時計のように刻まれるたぶん石川鷹彦のアコギに、泣きこぼれるようなギターがかぶる。これが徳武さんとの初めての出会いだった。って、別になんのつながりもない、ただの聴衆のひとりだが。こういうギターは誰がアレンジしたのだろうか。例によってヘッドアレンジだけで、スタジオで作り上げられていたとしたら、私には想像を絶する世界だ。ロックウェルの魔術といってしまいたい。

 そして一曲目とは別人のような穏やかで、よく伸びた,しなやかなボーカルが切々と響く。あぁ、これはこれでいい声だなと思う。なんと悲しくも美しい作品世界。一編のドラマを観ているようでもある。
 ともかくこの作品はこれがベストテイクでしょう。雑に勝手な感想を言えば、79年のライブは論外、王様バンドのライブは力みすぎ、AGAINは凝りすぎ。やっぱりオリジナルばい。
 「愛が滑って自業自得」「君はだんだんつまらなくなる」。毒の効いたフレーズが、別れを切り出す準備をしている。本当は怖い松本隆だ。これだけ毒に通暁しているからこそ、愛の歌が描けるのかもしれない。だから、「ローリング30」の殆どを捨て曲と言ってしまえるのかも‥‥‥いーや、それだけは許せん(笑)

2018.10/29

03 まるで大理石のように
 この歌が好きになったのは、たぶん40歳を過ぎてからだ。蒲田あたりのたかが高校生に大理石なんて理解できるわけがない。せいぜい想像してもヘルスセンターとかの大理石風ローマ風呂ぐらいがやっとだ。
 というわけで、40年前は、殆ど聴かずに飛ばしていた。もっというと「ローリング30」→「英雄」→「裏街のマリア」→ときどき「外は白い雪の夜」で一枚目は終了していた。そんな私に「ローリング30は捨て曲ばかりだった」という松本隆を非難する資格はあるのだろうか。それは置く>置いとくのかよ

 不惑も超えたあるとき「紫の空星座はめぐり夢は西へと船を漕ぎ出す」という詞をかみしめて唸った。なんという詞の世界だろうか。作品全体が、耽美的でありながらソフィスティケートされた世界であることに遅ればせながら気がついた。語り合うようなバイオリンと松任谷のキーボードの妙味。
 そして「ローリング30」の荒くれたシャウトの声とも、「爪」の情感溢れる声とも違う、淡々と乾いていながら色香ただよう第三の声。まったくこのアルバムはのっけから異質な三種のボーカルが展開する。演奏も「爪」が和風建築なら、こちらはヨーロッパのレンガ造りのようだ。
 一曲目でガツンときたあと、二曲目と三曲目で、これらの異質なボーカルが拠り合い、またロックウェルとほぼティンパンの異なる演奏が拠り合い、このアルバムの広さと深さを見せ付けている。
 大理石のように美しく気品があり、そして冷たい女性かぁ。

2018.10/31

04 英雄
 発売当時、私は圧倒的にこの曲が好きだった。ああ、もうたまんねぇぇぇという感じだった。アルバムに封入されていたフォーライフのアンケートハガキにも、この曲がとにかく素晴らしい、シングルカットしてくださいと書いた。
 あの時はこういう曲を熱望していたのか‥‥‥と、今は遠い目で見る。鎮魂のピアノ、扇情的なギターに続く、あのタイトなロック、最高のアレンジだぜ松任谷。そこに、あのペニーレインのような畳みかけるボーカル。これぞ拓郎、こんな歌はもうないのだろうと、当時ですら、どこか諦めていた。だからこそ狂喜したのだった。
 発売からしばらくして目蒲線の中で小学校からの友人で拓友のTくんと会って、この「英雄」を讃えあった。このアルバムを語り合えるのはお互いしかいなかったので盛り上がった。「今回は頑張ったよな」「なんで拓郎はこういう歌ばかり作らないんだろうな」。セイヤングの人気投票でもこの曲は3位だった。「意外だな」と御大は口走ったが「意外」と思うその心がけが間違っていると二人で悪態をついた。
 今はなき目蒲線だが、その目蒲線の車中でもっとも「ローリング30」を熱く語った人間は私たちより他にいないに違いない。凄いのか凄くないのかわからねえよ。

 あとこの曲は闘うサックスだよ。こんなに疾走するサックスというのを生まれて初めて聴いた。なにもかもが臨戦的な感じだった。まだこれがジェイク・コンセプションだとは知らなかった。
 この時の拓郎のボーカルは、荒くれながらも、のびやかで重厚な質感、書いててわけわかんないけど、もうすんばらしい。以後のライブでまだこれ以上のボーカルは再現できていない。

 最後の「僕達は青い空に駆けてゆく」がたまらない。空を見上げて背筋を正したくなる。
 ところで「青い空『に』駆けてゆく」が原曲だ。しかし、ライブでは拓郎は、「青い空『へ』駆けてゆく」と歌うことが多い。国語的には、「に」は特定の場所。「へ」はそちらの方向にということらしい。深い意味がありそうななさそうな。どっちがどうなのよ。

2018.11/1

05 君が欲しいよ
 目蒲線の中で話しこみながらT君は言った。「これって二枚組じゃなくて一枚にしたら最強のアルバムになるのにな」。そういえば音楽雑誌で「明らかにツマラナイ曲もあり取捨選択して一枚にして欲しかった」という失敬なレコード評を立ち読みしたばかりだった。で、Tくんに「例えばどの曲を削るの?」と尋ねたら真っ先にこの「君が欲しいよ」を挙げたのだった。二枚組は譲れないが、この曲は認めざるを得なかった。

 それから7年後、僕らは85年のつま恋にいた。ここのファーストステージで「君が欲しいよ」が初演で演奏された。もっともっとワイルドでダンサブルなノリになっていて、コーラスの女性が踊りながら「ワンラストナイト!ワンモアナイト!」と連呼するのもたまらなかった。私もTも二人ともハイになって思い切り身体を揺らした。「こうして聴くといい歌だなぁ」とTくんも言った。ああ、吉田拓郎はこれがやりたかったのかと気が付いた。
 出たっ。イマイチな曲をライブで強引に名曲だと説得してしまう御大の荒ワザ。

 しかし、ここでふと気づく。私が怒りをこめて最初に引用した、「殆どが捨て曲」という松本隆の言葉をもう一度振り返ってみる。
「『ローリング30』は、3,4曲を除いて後は捨て曲だと思っていた~そしたら彼は何十年も引きずってライブやるたびに必ず歌うわけ~スポットライトをあてるから、全部生きちゃったわけよ」
あれ?松本隆の言ってることすげー正しいじゃん。ピンチだ自分。うーん。

 この作品は、つま恋で実証されたとおり、ポップでダンサブルなイケてるメロディーであることは間違いない。ロックウェルチームの小気味よい演奏も素晴らしい。特に最初のイントロのピアノがいい。ウキウキした気分に一気に引きこんでくれる。

 というわけで、詞だ。真っ赤な消防自動車、君の一生を僕のものにしたい、みるべきフレーズはあるけれど、この主人公のおじさんは、未成年の少女と一体何をしているのだ。ラジオでナイトで、「夜行列車」で喜多條忠に言った御大の言葉を勝手に借りて、「松本、もう少しいい詞を書けよ」と言うが言葉が浮かぶ。これは捨て曲ではなく、捨て詞だっただけなのではないか。言っちまったよ。

2018.11/2

SIDE B

01 ハートブレイクマンション
 「ローリング30」の全21曲の中で一番最初に世界に向けて公開されたのがこの曲だ。レコーディング中のロックウェルスタジオからの放送で、出来立ての新曲として一曲目に流された。
 しかも、これがいきなりアウトテイクだよ(爆)。「日照良好に『ひでり』と松本隆のフリガナがあってそのまま歌ってしまいました」「後奏で石川鷹彦さんがドジって、ギターが入ってないんですね」で「なので明日やり直します」。すごい。マンションでいえば内覧会でいきなり施工ミスがあったので次はちゃんと作りますと宣言するみたいだ。それを貴重なテイクだとありがたがる私らファン。ミスがあっても、誰一人として不幸にならない、ここはどこのユートピアなのだ。

 しかし、こういう物件は、一旦ミソがつくといろいろなものが出てくる。「303の若い少女」って、少女はみんな若いだろ。いや、日野日出志先生のホラー漫画に「老婆少女」というのがあり、それと区別しているのだろう。んなワケねぇだろ。と一人であれこれツッコンで生きてきた。
 つい今週のこと、「地方の親のスネをかじって」を「痴呆の親のスネ」と思って怒っていたというお話を伺った(爆)。おお、なんという素晴らしい脳内深宇宙なのか。私は、一人ぼっちではないんだと心の底から嬉しかった。確かに、それはとんでもねぇ少女ですばい。
 そして「40の坂を上った妻は」ってまだ若いじゃないかっ!とも。御意。さすがに40年も経つと、私らは303にも505にもとうに超えて707に近づいている。でも「老婆の夢は身体を離れ」…ってそれもうダメでしょ。そうだよね、松本隆は10代20代は神の如き技で描くが、高齢になるとかなり雑だ。中高年はやはり岡本、石原、喜多條の三羽カラスの技が冴える。

 すまん、この作品をディスっているのではない、このアルバムの愛着の一曲であることを言いたいのだ。

 アウトテイクをやり直したとき、拓郎のセリフも、ボソボソだったものからいい感じのトーンに変わっている。聴き手がいつも手に汗握ってしまう拓郎のセリフ力。「深い青空、ギラついた太陽、僕は一息背伸びを」。これはとてもいい。
 そしてうっかり入れ忘れていたという後奏の石川鷹彦のギターは、本当にうっかりすると落涙するくらい本当に美しい。またエルトン永田の間奏の一緒に口ずさみたくなるような心躍るキーボード。静かなる繊細さがいたるとこに宿っているこのロックウェルチームがたまらないのだ。

 最後に言わせて欲しい。このマンションは賃貸なのか分譲なのか。今日で「空き部屋」というと賃貸物件のようだし、「豪華な部屋」で中年夫婦や高齢者がお住まいだと分譲のような気もする。よくわからないので、四階までが賃貸で、そこから上が分譲だということにしておきたい。それがどうした。ハートブレイクマンションよ永遠に。。

2018.11/3

02 裏街のマリア
 これでもかというくらいの後藤次利のアレンジがもの凄い。さすがに40年も経つと、何もそこまでとちょっと思ったりもするが、ほぼティンパンアレイもこの後藤次利の設計図をしっかりと血肉化した演奏を展開し、豪勢で血沸き肉躍るカッコ良さだ。当時の高校生は、これまでの拓郎サウンドとは少し違ったこの迫力あるカッコ良さに大いに痺れたものだ。後奏に至ってもギターとサックスがバトルするような展開があって、最後までしっかりとアレンジしてあり、まるで尻尾までアンコが入ったタイ焼きのようである。
 「昔が良かった」というつもりはないし、2014年の「AGAIN」バージョンのアレンジと演奏も成熟したクオリティの高さを感じるが、この後藤次利の拓郎のボーカルに挑むような、思い切り体当たりしてくるようなスピリットは唯一無比のものだ。

 当時、嫌がる同級生の迷惑も省みず、どうだ、拓郎は、おめーらの思ってるようなフォークじゃないんだ、どうだこの後藤次利のアレンジと演奏のナウさは、おめーらが大好きな、めぐる季節やハンドインハンドなんかとは格が違うんだよ、という情宣活動に精力を注いだ。しかし、運悪くちょうどこの時、後藤次利は大変なスキャンダルで、多くの高校生男子を敵に回していたので…そういう話ではなかったか。

 このドラマチックな詞の主役の不良少女は、ネタではなく、私の中ではバッチリ森下愛子だった。サード、十八歳海へ、もっとしなやかに、もっとしたたかに…ああ、眩しくも輝けるイケないないおねーさんだった。当時、私は、このおねーさんは、やたら共演している永島敏行と結婚するんじゃないかと根拠もなく思っていたので、まさか吉田拓郎と結婚するとはびっくらこいた。

 不良少女更生型ソング(爆)は世に結構多いが、拓郎ではこの「裏街のマリア」の他に、月夜のカヌーに収録された「少女よ、眠れ」がある。この二曲は、松本隆と岡本さみのコントラストが出ている。
 ♪今夜は朝まで僕の手でお泣き(松本)vs♪親はいるんだろぉ、家もぉ(岡本)。
どっちがどうなのよ。でも、たぶん実際に私なんかが言ったら、どっちにしても、スケベジジイか説教シジイと軽く撃退されるに違いない。そういう話でもなかった。

 SIDE Aに「英雄」あり、SIDE Bに「裏街のマリア」あり、という感じで、ヘタレなりにも血気盛んだった当時の私には、誇らしき2曲であった。

2018.11/4

03 恋唄
 2005年のライプの開演前のアナウンスで吉田拓郎は「今年の一曲目は絶対に当らないでしょう」と不敵に言い放った。
  「恋唄」
 カスリもしなかった。すげぇ。完敗する幸せ。拓郎は素敵だった。一曲目を募集して順位つけたりするなんてあざといことはしなかった(爆)。いや、大丈夫だ。あらゆるリクエストを集めておいて、結局ぜーんぶ、ひっくり返して、なんだ、こりゃあという一曲目を持ってくるはずだ。吉田拓郎は老いず。

 40年前、私にとって、この曲はもちろん捨て曲だった。「裏街のマリア」と「外は白い雪の夜」の間の埋め草のように、海苔巻きといなりずしの間に入っている緑のギザギザくらいに思っていた。すまない。本当にすまない。

 もちろん私とて変わっていった。そうしてあらためて原曲に耳を澄ます。なんという繊細な演奏。ギター、シンセ、締めくくりに鳴りだすドラム。そーっと、そーっと丹精こめてひとつひとつの音が鳴らされる。静けさ漂うこの演奏では、私なんかでも一音一音を確認することができる。そしてその中の繊細な楽器のひとつとして吉田拓郎の唄声がある。この演奏の素晴らしさをすっ飛ばしといて、ロックウェルチームの音が素晴らしいとか言っていた自分の薄っぺらさを思う。石川鷹彦、エルトン永田、島村英二、徳武弘文、石山恵三、ひとりひとりの名前をあらためて刻みたくなるほどのプレイがそこにある。神は細部に宿るとはこのことだ。

 「裏街のマリア」のサウンドが力強ければ強いほど、終わった直後の静けさの闇は深い。その深い静けさを得てこそ、この演奏は際立つ。そしてこの恋唄が美しければ美しいほど、このあとの外は白い雪の夜が切ないのである。なんという組み立てなのか。助六寿司を描いていた私なんか銀河系まで飛んでゆけばいい、朽ち果てて野に倒れればいい。

 吉田拓郎とロックウェルの仲間たちは、きっと、すべての恋する人たちの味方である。恋心をやさしくやさしくラッピングする術を身に着けた職人たちに違いない。

2018.11/5

04 外は白い雪の夜
 このアルバムの代表曲にして、吉田拓郎の大人気スタンダード曲でもある。でも私の思いはメンドクサイ。相反する二つの思いが入り混じって佃煮のようになっている。
 いい曲だと思うし、アルバム発売日に拓郎の弾き語り初絶唱を聴いた感動が忘れられないし、深い愛着を感ずる。その反面で、コレってそこまでの作品なのだろうか、それにライブではもう聴き飽きたし、というブラックな思い。白と黒二本の糸で拠られている、出ました向田邦子理論。

 ロックウェルからの中継でのスタジオ演奏の時、「そして誰もいなくなった」と紹介されたこの歌は、三番の間奏の途中で機械のミスでプッツリと切れた。拓郎は、「このままなだれこんでゆく唄です」と解説をつけて終わった。なので、この唄の歌詞は三番までで、間奏のあとはBye-Bye Loveのリフでなだれこんで終わるものだと思った。そういうサイズの曲として1か月間くらいこのときのテープを繰り返し聴きこんで身体にしみこませた。
 だから10月になってセイヤングで、実は「外は白い雪の夜」というタイトルに変わりましたというアナウンスとともに完成版を聴いたときにはものすげぇ驚いた。

 バイオリンなのかフィドルなのか(両説アリ)が、基幹の演奏に美しくからみつき、アコーディオンが静かにアシストする。その美しいアンサンブルに陶然となった。
 そして、あの間奏で終わりと思いきや突然「♪あなたの瞳に私が映る」という4番が始まってびっくりした。例えるなら平屋だと思ってずーっと住んでた自分の家に突然二階があったことを知ったみたいな驚き。例えがわかんねーよ。
 ラジオの「そして誰もいなくなった」を聴き込んでいたがゆえに、この完成版の威容に打ちのめされた。音楽家ってすごいな、いい基礎と躯体があれば素晴らしい建物ができるものだと、さすがに高校生の時には思わなかったが、似たような感動はあった。

 しかし、それだけでは終わらない。なんとなく聴くたびに詞への違和感が拭えない。
「傷つけあって生きるより慰めあって別れよう」という言葉に潜むこの男の奸悪さ。自分もそうだからよくわかるのだ(爆)。それに「女はいつでも二通りさ」といきなり最後に分類してどうする。AパターンとBパターンがあって、君は折衷型のCパターンですって、何かのシンポジュームかよ。

 また女性も女性である。目の前でタバコ並べながらあたしシャワー浴びてきたの…ってどうなんだ。いつもあなたの後ろから影踏んで歩くって・・・・・・特に男がゴルゴ13だったら危険じゃないか。
 というわけで詞に乗り切れない。松本隆は、二時間でこの詞を書いて、拓郎は目の前で三分で曲をつけたと述懐している。松本は拓郎に「本当にそれでいいのかよ、もう少し考えろよ」と思ったというが、それはあなたのほうではないのか。また言っちまった。

 しかし自分は吉田拓郎の作品となるとなぜここまで前のめりになって詩に偏執してしまうのだろうかと後悔もする。イカレテいる。すまん、It's my natureだ。

 そういうことで白と黒の糸を寄り合いながら、あーだこーだと自分でも自分が面倒くさい。拓郎も言うとおりしょせん音楽は好き嫌いだ。しかし私にとっての大切なものは好きと嫌いの間に落っこちているような気がしてならないのだ。

 こうして、このSIDE B-4に住む原曲を耳にすると、美しいメロディーとロックウェルチームの演奏には、胸を締め付けられるかのようだ。ライブは重厚なバラードとして歌い上げられていったが、もうとっくに完成を極めていて毎回聴かなくてもいいやというのが私の勝手な意見だ。だからSIDE B-4の原曲のアレンジままで、フィドルやアコーディオンも加えた編成によってライブで再現してほしい。このローリング30の純正品バージョンの再演。こぢんまりとした、雪の日の切ない叙景の音楽として味わってみたい。きっと泣く。そこで手打ちにしたい。なんだそりゃ。

2018.11/6

SIDE C

01 狼のブルース
 アルバムの二枚目はご機嫌なロックンロールで始まるとどこかのレコード評にあった。この時の吉田拓郎の合言葉は「歌は暴力だ!」だった。綺麗で美しい歌声の花園のようなニューミュージック界に吉田拓郎が再び打って出るときの御旗だった。またこのアルバムのインタビューでは、「スピードだよ。オレ今スピードにこっているんだよ。『明日なき暴走』ってやつ」とも語っていた。ということで、歌う暴力、スピードそしてロックということで、この狼のブルースが出来上がったのだと想像する。

 暴力、スピード、ロックはいいが、この暴走族チックな舞台は、個人的には感情移入がしにくかった。出身経歴と詞の内容は無関係のものだと思うが、さすがに東京青山出身で生粋の慶応ボーイの松本隆が描く暴走族的世界には少し無理があるんでないかい。「欲望という名の車」って、いきなりダサくないか。「下町にあるバーガーイン」「娘を隠しておけよ」「寄るな触るな」いちいち微妙に古い。当時の私の地元のバリバリの同級生の連中あたりにリサーチしてくれれば、もっとリアルになったと思うが。

 しかし、サウンドはさすがスゴ技のミュージシャンたちである。今聴いても、ブルース・ロックの演奏が、ソリッドだ。島村英二の確かなビート、村岡健とジェイク・コンセプションのサックスバトルのカッコ良さ、エルトン永田の魂のグリッサンド、それぞれが弾けながらもガッツリと塊になって見事に作り上げられている。
 拓郎の荒くれたボーカル、イェェェェェのシャウトもサービスされているが、すまん、「歌は暴力だ」を意識し過ぎてやや作為的な感じもする。

 というわけで、超個人的には、名演ながらも、ノれない主題に少し窮屈さも感じるというのが「ローリング30」を聴いた結論だ。んまぁ当時は飛ばし聴きだったかな。

 しかし話はそこで終わらない。これが翌年のライブになると打って変わって、すんごいんだよ。音源ならば「TAKURO TOUR 1979」、映像なら「吉田拓郎アイランドコンサート」。私は映像がお薦めだ。ピッチが原曲より俄然速くなって曲全体がまさにガンガン疾走を始めるのだ。パラララパラララのような効果音フレーズも燃える。
 レコードではドシっとしたドラムを叩いていた島村英二がもう走る走る、競馬のジョッキーが、馬のお尻を叩きまくるかのように、演奏全体を全力疾走させるのだ。まさに奴のマシンに負けないスピード感がある。詞やテーマの些細な違和感など軽く吹き飛ばしてくれる。 
 そして我らが拓郎は、レコードのような荒くれボーカルではなく、ナチュラルな感じだが、それこそがとてもタイトで暴力的で最高なのだ。興奮して篠島で踊っていたら、なんかホント地球を抱きしめられるような気がしたものだ。

 「ローリング30」の原曲は、車で言えば、ショールームに飾られた展示車である。それを外に出して全速力で暴走させてみましたというのがライブ。レコードとライブの理想的な関係がここにある。

 そういえば、当時は知らなかったが、後に同じ地元出身のしかも同年の拓郎ファンの方を知った。彼は暴走族ではない真面目な人だが、拓郎のことが好きすぎて愛車ケンメリを爆走させて、東名で深夜放送帰り拓郎の車を追走しデッドヒートを展開したそうだ。究極の「追っかけ」。拓郎もそのときの息詰まるレースをラジオで話していた。あんたは蒲田の誇りだよ。もちろん、よいこはマネしちゃダメだぞ。この歌は彼のためにあるのではないかと今は思う。

2018.11/7

02 旅立てJACK
 これもロックウェルの生演奏で聴かせてもらった。実際にアルバムに入るとこれもまた「狼のブルース」の喧騒のあとだけに、徳武弘文の静かに泣くようなギターがいっそう切ない。
 Jackの悲しい青春が淡々と語られる。"虐げられた子供時代がアイツの心に鋼を入れた"、なんと見事な表現。しかし三番の最後で静かに沸点に達した語り手は、吐き捨てるような怒りを見せる。これは松本隆版「日本人になりたい」か。
 83年の武道館のアンコール、87年海の中道と結構大舞台での思い切った抜擢が多い。小品なれどドラマの詰め込まれたブルースとして拓郎は評価しているのかもしれない。しかし個人的にはアルバムのこじんまり感がいちばん好きだ。
 全く関係ないが、後に沢木耕太郎のドキュメントでボクサーのカシアス内藤を描いた「一瞬の夏」を読んだ時、なんとなくこのJackが浮かんだ。関係ないといいつつ「一瞬の夏」でつながっている。やはりすべての道は拓郎に通ずるのだ。
 ちなみに「一瞬の夏」は熱くなって読んだが、沢木耕太郎自身は、かつて拓郎を熱く語る武田鉄矢のことをせせら笑っていたことがあり、私の「拓敵デスノート」に登録されている。なんだそりゃ。このノートに記載されたら最後、このサイトが続く限りネチネチとディスられることになる。>ひとつも怖くねぇだろ。

「一億人が見せかけだけの豊かさの中、沈みゆく島」という怒りに満ちたフレーズが印象的だ。でも、あれから40年、見せかけの豊かさすらも危うくなっているこの島。
 Hey、Jack、心の道はどこにつながっているんだい(森山周一郎の声で)。

2018.11/8

03 白夜
 40年前、子供ながらにも、この曲に終わりゆくものの淋しさが胸にしみて寂寥感を感じた。そして今聴くとまたさらに身に詰まされる。まるでこういう何十年か後のために布石を打っておいたみたいな静かなる名曲である。

 「70年代の自分との決別の歌」だと松本隆は述懐する。そういえばこのアルバム発売時の森永博志のラジオのインタビューで松本隆はこんなことを言った。
 「僕とか拓郎って橋のないところに橋を架けたと思うね。でも、最近の人たちは、それを橋だなんて思わないんだよね、軽いんだよね(笑)」寂しげだった。
 御意。松本隆も吉田拓郎も橋を架けた。しかしそれは大きな偉業にもかかわらず、その報償は、「商業主義音楽に身を売った」という謗りで、拓郎は「帰れコール」を浴び、松本隆は「細野さんは口もきいてくれなくなっちゃった」くらい孤立したという。

  橋を架ける人はいつも孤独なのかもしれない。

  2010年にNHKで観たユーミンと松本隆の対談でユーミンは「松本さんたちが向こうの世界に行っててくれたから怖くなかった」と語った。ああ、ユーミンて優しくてクレバーな人なんだなと思った。ついでに松本さんたちではなく「松本さんや拓郎さん」と言ってくれればもっと良かったのに。
 わかる人はわかっているのだ。終わってゆくものに背を向けて白夜の中の橋を渡ってゆく、そんな歌ではないかと夢想した。

 サウンドは、松任谷正隆と拓郎とハーモニカの常富喜雄の三人だけで作られている。拓郎のギターにピッチをあわせて、せーので演奏しているスタジオの絵が浮かんでくるようだ。いいねぇ、松任谷正隆のゆるやかな、たゆとうようなキーボード。万感の想いがこめられたような拓郎のちよっと荒れた太い唄声。
  私の超絶ポイントは、「世代なんか嘘さ 夢と笑えホロ苦い若さ」。この「若さぁ」のところでちょっとむせる様に掠れる。その語尾の歌いまわしが、とにかくメチャかっこいいんである。寂しさと疲労感みたいなものがミックスされた色香を感じる。

 2009年のビッグバンドで演奏されたのも記憶に新たらしい。ラジオで松本隆が「白夜を演奏したって聞いて、そのためだけでもチケット貰っていけばよかった」と悔しそうに語っていた。しかし、これだけ自分の詞を大切に歌っている御大なんだから、毎回来ればいいんでないかい。

 オリジナルの三人編成もビッグバンドもどちらも見事なアプローチで白夜の寂寥感を描きあげていた。とくに2009年の拓郎の歌声はとても繊細でさらに幾星霜を経た説得力に満ちていた。
 ついでに音楽は好き嫌いということで勝手に言わせてもらえば、2012,2016年のサンプリングの白夜はダメだと思う。誰も弾いていないのに音が鳴ってるって私にはわからない。生音で聴かせてちょうだい。

 「みんなどこへ消えた古い親しい友よ」。ミュージシャン、身近な人、友人、確かにたくさんの人がいなくなってしまった。これは結構キツイっすよね。しみじみしたり、文句を行ったりしながら、この橋を架けてくれた人のことを忘れずに、白夜の橋をわたろうではないか。

2018.11/9

04 わけわからず
 松本隆ワールド大展開の中にあって貴重な吉田拓郎の詩作である。同年春のシングル「舞姫/隠恋慕」も松本隆だったし、77年後半から78年の社長空白期の拓郎の詞は殆ど残されていない。今の拓郎の詞を読みたい、その思いを聴きたいという私にとって、この作品は大切だった。
 直近のアルバム77年の「大いなる人」の拓郎の詞は、本人曰く「テーマを刹那的なものから一日くらいの時間に伸ばしてみた」とあったように、刹那、刹那のトンガった言葉ではなく、ゆったりしたオトナの成熟を匂わせるもので、メッセージ性が薄かった。
 しかも「ローリング30」発売時の平凡パンチでの宿敵・富澤一誠のインタビューで「オレの詞なんか必要とされていない」と弱気発言をしていたのも気になっていた。

 しかし、この「わけわからず」はタイトルこそ投げやりだが、陽性のパワーと気迫が漲っている。刹那、刹那の気持ちの高まりを脈絡なくぶつけてゆく、扇情的で時に戦闘的な言葉たちが嬉しい。やっぱこうでなきゃあ。一個一個の詞が大学のタテ看板やアジビラの檄文のように私を追いかけてくるのである。

 「旅に出ろ出ろ、若いんだ君らは操り人形じゃあるまいし」
 「人が迷えばあとには道ができる そこには夢などかけるな追うじゃない」
 「まぶしい程の朝陽の中に立てば心の病に気が付くさ」
 「他人の言葉こそしがらみだらけ ましてや友など家族など」
 「時代は変われど 流れ出る汗も無くして 夢は無い」
 「嵐の中でも焚き火を燃やせ 自分の命を愛しているのなら」

 今でも反芻すると心の底から力が湧く珠玉の言葉たちである。
 特に「月日は流れたと口うるさいよ 流れてきたのはどこのどいつだい」
このフレーズを聴くと「ローリング30」の広告に載っていた拓郎自身の言葉を思い出す。

「世の中は変わったんだ そうだ、誰もが時の流れを気にしはじめた
 自分の中の何かを変えろ! と叫ぶ奴に出会った 
 そして俺は、首を横に振った そんな自分が嬉しかったよ」

 世の中にも時の流れにも俺は迎合しないし忖度もしないよ。そういう宣言であった。しびれる。松本隆に委ねた世界であるが、この拓郎のスピリットはこのアルバムの背骨として確かに生きていることを忘れてはならない。

 40年前、この唄を聴きながら、オトナは、20代でバーボンを抱いたら次の30代はレミーマルタンを抱きしめるものなのかと漠然と思っていた。その後、バーボンとレミーマルタンの間にはもの凄く高い壁があることを知った。というわけで今も壁のこっち側でバーボンを引続き飲んでいる。子どもの頃もいまもまた壁にしがみつくだけだった。

2018.11/10

05 冷たい雨が降っている
 81年ころ、武田鉄矢と伊藤蘭共演の「俺とあいつの物語」という映画があった。B級だったが、この蘭ちゃんはものすげー可愛かった。武田鉄矢によれば、撮影の時に蘭ちゃんがずーっと拓郎のテープを聴いていたそうだ。どの曲が好き?と尋ねると蘭ちゃんは「冷たい雨が降っている」と答えた。「大きくて怖そうな人なのに貝殻になりたいって安心するから」「でもあんな大きな貝ってないわよね、バカ貝ね」。私はずっとこの話が好きだった。
 提供曲のトップグループに鎮座する「やさしい悪魔」を歌った蘭ちゃんが「冷たい雨が降っている」が好きだという。キャンディーズ解散後、どうやって蘭ちゃんはこの曲にたどり着いたのだろうか。想像するだけで勝手に涙ぐむ。現役時代はミキちゃん押しだった私もすっかり蘭ちゃんに宗旨替えしたことは言うまでもない。

 美しいアコギの弾き語りで一番を切々と歌ってからズガーンとバンドが鳴るライブバージョンが印象に残る。これがコンサートの一曲目に来た時は驚いたねぇ。驚いたと同時にあらためてこの曲の素晴らしさを再認識した。こういう前代未聞の一曲目がたまらないね、頑張ってくれ御大。

 ということで、割とライブ音源ばかり聴きなれたところで、このローリング30の原曲を聴く。あらためてすんばらしいことに気づく。
 鈴木茂のイントロのギターはもう秀逸としか言いようがない。美しくも、どこか不穏な暗さを感じさせるギターの音色。多くの人が指摘するように、つげ義春の漫画「海辺の叙景」にインスパイアされたのではないかと言われている。薄暗い海を泳ぐ青年、「あなた素敵よ、いい感じよ」というラスト。確かに、あの漫画の暗い海辺の景色を見事に描いている気がする。
 その光景に若い男女の悲恋を絡ませる。松本作品頻出の9月の海、9月の雨。終わってしまった夏の寂しさと鬱々とした肌寒さ。もう松本隆の独壇場である。
 鈴木茂のギターとともに、間奏のジェイクのドラマチックなサックス。灰色の海が揺れながら、波と雨とが入れ替わる叙景を表現している。ああ、すんばらしい。
 それと伊集加代子さんらのコーラス。寂寞とした空気を静かに表現している。気づかなかったが、この曲に大切な陰影を加えている。編み物をしながらよくこれだけ歌えるものだ。歌ってるときはしてねぇよ。たぶん。
 そして末筆ながら、吉田拓郎のボーカル。特にツボは、「・・・・・・素敵よって声をかけてよ」の「かけてぇよ」の一瞬の歌いまわしのカッコ良さ。たまらん。

 松任谷正隆のアレンジの凄さとともに丹念に作り上げられたほぼティンパンとジェイクの技に感嘆するしかない。つま恋2006で、原曲のアレンジに戻したのもわかる気がする。すべてはこの原曲から始まっているのだ。「ローリング30」の中の珠玉の一編であることに疑いはない。

 「ハイネの詩集」が拓郎に似合わないということで「男の詩集」に変更されたと聞く。でも、「男の詩集」って何だよ、と心の底から思うが、「吉田拓郎詩集 BANKARA(角川文庫)」に脳内変換することにした。そういえば、あの詩集は「マラソン」で止まっている。追加増補してくれよ、あのあと吉田拓郎は、どんだけ素晴らしい詩をたくさん書いていると思ってるんだ。って、絶版かよ。
 書店に吉田拓郎の詩集すらも置いていない、そういう国に私たちは住んでいるのだ。当然だがハイネの詩集は置いてある。けっ。あろうことかミスチルの詩集まであるのに。けっ。けっ。
 そもそも出版くださった角川文庫には悪いが、いきなり文庫で出すというのも失礼な話ではある。吉田拓郎の詩だ。箱本で、あのメンドクサイ、パラフィン紙とかでカバーされた「吉田拓郎詩集」としてうやうやしく上梓すべきなのではないのか。 ああ、もう、我慢が出来ぬ、もう我慢が出来ぬ、冷たい雨を降らしてくれる。あ、ハマったよ。

2018.11/11

SIDE D

01 虹の魚
 今はライブでもご機嫌でノリノリになるフェイバリットなこの曲だが、正直言うと私は、最初に聴いた時は「ニジマス」がすげー恥ずかしくて仕方なかった。級友は"チャンピオン"とか"めぐる季節"とか"時間よとまれ"を絶賛している時に「ウチはニジマスを歌ってます」とはトテモ言えなかった。「ローリング30」のアルバムをダビングして渡す時に、この曲ともう一曲を抜いたカセットを友達に渡した記憶がある。すまない。こうしてエラソーにファンサイトとかをやっていながら、私はヘタレの裏切り者だ。

 この曲は、ライブでどんどんゴージャス化してゆく出世魚である。苦しくても息切れても泳ぐしかない。難局を明るく元気に雄々しく超えてゆくロックナンバーとして重用されてきた。79-81の鈴木茂をフィーチャーしたバージョンも凄かったが、2005年のビッグバンドあたりで頂点極まれりという感じかな。すんばらしい演奏だった。
 そんな中で、この原曲に立ち戻ってみると、うってかわった小品としてのシンプルな美しさをしみじみと感ずる。温かなギターと快活なバンジョーの中を泳いでいるような、ぬくもりのある演奏だ。
 それに、この原曲の方が情景がしみじみと伝わる気がする。
 「枯葉ごしに山の道を辿ってゆけば 水の音が涼しそうと背伸びする」「底の石が透ける水に右手浸せば」「虹のように魚の影君が指さす」…‥なんという見事な情景描写だろうか。山道の香り、手を浸したくなるような冷たい透明な川底のきらめき、自分もそこにいるかのような感じがしてくる。そして、ライブが連想させる豪快な出世魚ではなく、小さなニジマスが健気に跳ねている様子が浮かぶ。ささやかな小さきものへと重ね合わせる自分の青春。原曲には原曲のいいサイズ感と手触りがある。これはこれで大切なバージョンだと再認識する。

 それにしても何でニジマスが恥ずかしいものか。「鱒」は、シューベルトも作品にしているではないか。そうそう、そもそもシューベルトと拓郎とは「未完成」仲間じゃないか。
 シューベルトの曲は聴いたことがあったが、ドイツ語の訳詞はこんなんらしい。

  澄んだ小川で泳ぎゆぐ鱒(ます)
  力強く矢のように過ぎていく
  私は岸辺でくつろぎながら
  元気な魚を眺めてた

  釣竿かついだ漁師が一人
  魚の動きをじっくり見てる
  こんなに澄んでる川の中では
  針に魚はかかるまい

  罠にかかった哀れな鱒は
  釣られて陸で跳ね回る

 思わず「人はなんてひどい仕打ちするのだろうか」「魚たちはここで長い旅終えるのか」と歌いかけたくならないだろうか。シューベルトがもし生きていてこの作品を知ったら、きっと拓郎と松本隆と肩を組んで
♪打ちのめされ、傷ついても生きるしかない
と一緒に歌ってくれそうな気さえする。

 "チャンピオン"や"めぐる季節"が好きだった級友どもには、恥ずかしがることなく「すまん、君らの好きな日本の大衆歌謡と拓郎は住む世界が違うから」と言ってやればよかったのだ。
 ニジマス、マンボウ、中島みゆきの作った海の国境を越えてゆく魚、拓郎が関わるすべての魚類に懺悔しなければならない。空だし、哺乳類だけど、クジラのスーさんにもお詫びしよう。

[追記]
 生き別れになった幻の弟が、電脳ハート通信で教えてくれた。メールともいう。
「兄貴、『野の仏』のフナはどうなるんだい」。そのとおりだ。フナにも祈り運ばせていただこう。ここに感謝申し上げる。
「都万の秋」のイカはどうなんだろうか。あれは魚類ではなく甲殻類ということで許していただこう。じゃ「一匹の蟹」はどうなんだ・・・って、それは小室等だ。

2018.11/12

02 言葉
 「友だち」と「恋人」という罪作りな悩ましい境界線をめぐって人は苦しむ。「ローリング30」も終盤のSIDE-Dに差し掛かって、「言葉」と「無題」という、まさに友達と恋人の切ない境界をめぐる珠玉の名作が登場する。
 「ビートルズのアルバム『アビーロード』のB面みたいな気分」という表現があるようだが、私はこの2曲が交錯する「ローリング30のD面のような気分」という言葉があっていいと思う。あと「『TAKURO TOUR 1979』の人間なんてのシングルをひっくり返す気分」というのもあっていい(※大事なところで非常にもどかしく興醒めする気持ちのこと)。その話はいい。
 やっぱりローリング30が二枚組であることののスケールメリットというのは確実にあるのだとこのD面に思う。

 「愛してる」が繰り返される、普通だったら気恥ずかしい歌のはずが、なぜこんなにも胸をわしづかみにするのか。それは友だちと恋人の境界を越えようとする青年の逡巡し胸張り裂けそうな気分が、音叉のように私たちの中の経験や思い出を揺らすからだと思う。 詞だけでなく、メロディー、歌、演奏がひとつになって私たちの琴線を揺さぶる。
 ♪電話の声は~囁きまじり・・・・・・夜の静寂の中に単刀直入に切り込んでくる拓郎のボーカルに息をのむ。ああ、今さらだけどいい声だなぁ。
 大学の時の退屈な講義の先生の口癖に予測の不可能な混沌の世界に入ってしまうことを「それは暗闇への跳躍です」というものがあった。まさに暗闇へ跳躍せんと、緊張し高鳴る心音のように、ヒタヒタと刻む美しいピアノ。この歌で拓郎のボーカルの代わりがないように、誰がなんと言おうとこのエルトン永田のピアノこそがベストである。コードを弾くだけでなく、ボーカルに静かに寄り添うピアノとはこのことではないか。

 そして境界線に向って思い切って跳躍した青年を祝福し、また抱きかかえるかのように間奏の演奏が全力展開する。このドラマチックな演奏がまたすばらしい。ソリッドな演奏であるが、決して力まかせのものではなく、音のひとつひとつがやわらかで温かい。こうなるとロックウェルのミュージシャンたちの独壇場だ。

 そして何度でも言う。最後の「そうさ君の部屋の硝子箱に入れてぇぇぇぇぇぇ」迷いなく空に向かって一気に突き抜けてゆく極上のシャウト。この世にこれ以上のシャウトはない。いや、あるかもしれないが、これを聴いている時には浮かばない。
 お願いだ。ライブにおいて、ここの部分で、声を下げたり、余裕かまして変化をつけたり、シャウトを避けてウヨウヨ節回しをしたりせずに、この音符のとおりにまっすぐ唄い切ってほしい。空に向ってボーカルを放って欲しい。これは文句や注文ではなく、涙ながらに伏してお願いしたいのだ。

  この青年は、この後、どうなったのだろうか。「預かっておきます」ってちゃんと預かり証は貰ったのだろうか。そういう話じゃねーだろ。作品は、幾多のライブで歌われて、2007年越谷でだけ一曲目を飾った。あの時の美しい立ち姿。この原曲とともに永遠だ。

2018.11/13

03 Baby
 このアルバムの中では印象の薄い作品でそれほど渾身で作られた気もしない。すまん、失礼か。しかし、だからこそ二人の天賦の才能を感じる。なんともいえぬ心地よさがあり、気持ちよく身体を揺らしていたくなる。たぶん二人の天才から、意図せずとも自然にこぼれ落ちた才能の雫のようものが宿っているからではないか。
 まるで映画を観ているような気分にさせてくれる。”君の心が石になる朝、僕は探せぬ場所に消えてる”‥‥‥鉄橋を渡りながら進む寝台列車の中で、回想シーンのように、きみとぼくのことが語られる。みかんの香りに君の洗った髪を思い、枕を抱いて泣く僕。”そして、僕たちはもう違う線路で、違う明日の駅を待ってる”という切なくもシャレたしめくくり。
 メロディーによっては重くなってしまうかもしれない設定を拓郎は見事にポップな感じに生かす。たぶん拓郎の身体にしみこんでいるR&Bとかアメリカンポップスの音感が、こういうライトで弾むような、それでいて味わいあるメロディーが自然に押し出してくるのだろう。
 こういう作品は、フォーラムやパシフィコの大ステージで演奏するというより、ほどよいサイズのライブスポットのような場所で、等身大の演奏で聴きたいよ。そんな場所でこそこの作品は輝きだすのではないかと思う。

 「鉄橋」「別れ」「列車」というと「猫」の名曲「各駅停車」を思い出す。喜多條忠作詞で石山”慕情”恵三作曲。拓郎ファンの私が言ってはイケないのかもしれないが「猫」の作品中で圧倒的にこの曲がイイ。
 勝手な思い込みだが「各駅停車」は北陸・東北の山間をゆく列車の景色が浮かぶが、「Baby」は「世界の車窓から」のようなヨーロッパの森と町を抜けてゆく列車が浮かぶ。勝手ついでに個人的な意見だが、映画でいえばBaby は、綾野剛主演、各駅停車は、遠藤憲一主演という気がする。どっちがどうということではない。それぞれに行間からただよう個性があるように思うのだ。
 ということで「松本隆・喜多條忠の鉄道の旅対決」、明日は「死闘!! シベリア鉄道VS夜行列車」をお送りします。そんなものお送りすんじゃねーよ。

2018.11/14

04 無題
 友だちと恋人の境界線をめぐるもうひとつの名曲。「言葉」がロックウェルチームの至高なら、この「無題」はほぼティンパンアレイチームの珠玉だ。どっちがどうなのかわからないが、ともかくこの二大名曲がアルバムのD面で対峙しているのが、このアルバムの凄さのひとつである。
 両チームとも、サウンドやアプローチは大きく違うが、それぞれに素晴らしい音楽力を誇る。この異種の二つの糸がよりあって「ローリング30」という一本の強靭な糸となっている。次作の一発録りアルバムは、是非、このロックウェルVSティンパンの対バンでやってはくれまいか。

 境界を飛び越えた「言葉」に対して「無題」はその境界の周りで煩悶する。その意味で「恋唄」と背中合わせのランデブーである。
 松任谷正隆と駒沢裕城による悲しみを湛えたイントロからもう絶品だ。私はこのイントロだけで泣いてしまう。もう、パトカーのサイレンとかで遠吠えで鳴く犬みたいなものだ。この哀愁の海を漂うようなメロディと歌詞に涙腺が刺激されまくる。
 「ついさっき沈む夕日がぁ~」、「男にも泣く時があるぅ~」のあたりのメロディー展開と拓郎の哀しみに満ちた切ないボーカルのうまさ。なんと繊細で情感溢れる歌いっぷりなのだろうか。
 先日あらゆる意味で超絶な拓郎ファンの方と話をしていて思い出させていただいた。1978~79年頃、甲斐よしひろのNHKサウンドストリートで、よく拓郎の曲を流していた。当時の彼の著書「荒馬のように」では「ハッキリ言って俺が日本の音楽界で刺激を受けるのは吉田拓郎と矢沢永吉の二人だけだ」とある。ハラショ。その番組で「無題」がよくかかったので、甲斐のお気に入りだったに違いない。ここからは全くの憶測だ。1980年の甲斐バンドのアルバム「地下室のメロディー」に「街灯」という名曲がある。これは甲斐よしひろの「無題」なのではないかと思っている。もちろんパクリとかでは全くない。詞のプロットもメロディーも違う。ただ「ついさっき沈む夕陽が」(無題)と「今夜報われない」(街灯)、ここのメロディーの泣きたくなるような切なさのツボにおいて通底するものがあると思うのだ。だから個人の思い込みね。
 何度でも言うが「オールをどこかさらわれちまった」は、松本隆の必殺技だ。「ああ時を渡る船にオールはない、流されてく(WOMAN)」「オールさえ無くしたまま二人(哀しみのボート)」ということで、これを松本隆のオールなき船の三大名曲と名付ける。オールを失くしたら、水に入って抜き手をきるしかない。なんだそりゃ。

 この曲を2009年のサプライズで歌ったときはビックリしたな。予想だにしなかった。「やればできるじゃん」と思わず口走ったものだ。このライブで「白夜」を聴き逃した事をあれだけ悔しがっていた松本隆だ。この曲もさぞや聴きたかっただろう。もしも開場と同時にファンと一緒に全力で駆け込んできて会場整理の人ともみくちゃになる松本隆を観たら、それは感動なんてものじゃないだろう。

2018.11/15

05 海へ帰る
 「虹の魚」の項で「ニジマス」が恥ずかしくて級友にダビングできなかったと書いたが、その時にもう1曲ダビングできなかった曲がこれだ。やはり恥ずかしかった。理由はただひとつ、最後のサビの「泳げないけどぉ」。拓郎が泳げないというのは有名だし愛すべきエピソードだと思う。しかし、このアルバムの最後のしかも一番最後にワザワザ歌い上げる意味があるのか。冷笑する級友の顔が浮かんだ。最後の最後にきてのブチ壊し感がハンパ無い。それさえなければ。

 拓郎は最初「自殺の詩パートⅡ」にするつもりだったと物騒なことを語っていた。だから「海に帰る」なのか。しかし「自然の中でこそ生きることに触れるよ」というフレーズからも、自然のフトコロに帰って生きるというポジティブな歌なのだと思い安堵した。
 もともとジャケット写真のとおり、サイパンの海から始まったアルバムであるし、アルバムタイトル案も「海へ」「渚にて」等が候補だったというから、拓郎の中では「海」がひとつの大きな隠しテーマだったのかもしれない。

 さらに40年経つと、またあらためての思いもある。例によって全くの勝手な思い込みだ。この当時はわからなかったが、フォーライフの社長として忙殺されていた苦悩の日々を御大が少しずつ語り始めていた。
 会社ゴッコは面白いかと揶揄され、業界人やレコード店主らに頭を下げたり、イヤミを言われたりする日々。そうだよな、拓郎は反骨的若者の代表だったワケだし。それでも屈しなかった拓郎は、やがて諸先輩らから可愛がられ、業界にくらいついてゆく。
 「人がイイとか話せるヤツだとか慰められる気分も悪くないものさ」・・・このフレーズを軽く聴き逃していたが、そんな業界オヤジたちとの接待のキビシイ日々が覗くような気がしてくる。まったくの想像だが「アンタ生意気だと思ってたら意外とイイヤツだね、話わかるね、ガハハハハ」と業界人から上から目線で言われている様子とか。今年の報知のインタビューでも、業界に取り込まれてゆく当時の敗北感のようなものを語っていた。そして、やっぱり音楽をやりたいと切に思ったという。
 そうなると「僕はもともと1人きりのはずじゃないか。風の中に心を委ねたはずじゃないか」という歌詞が胸に迫ってくる。「俺はこんなところで何をやっているんだろう。歌いたい。歌うぞ。」という覚醒の叫びに聴こえる。黒澤明を応援する会での熱唱事件ともシンクロする。そういう、がんじがらめの業界から離れる、そのための象徴が大自然の青い海だったのではないか。「海へ帰る」というのは、まさに"しがらみ"という鎖を身をよじって解いてゆくことなのかもしれない。

 それがこの唄に宿るとじみじみとした清清しさのゆえんか。村岡建のちょっとムード歌謡のようなサックスもいいし、このゆったりとして、しかしタイトな島村英二のドラムがたまらない。"歌ものの島ちゃん"と業界では言われているらしいが、拓郎の言葉をひとつひとつ頷かのくように受け止めてリズムを刻んでゆく。聴いている自分も、この40年はそんな島村英二のドラムに打たれながら生きてきたのだとあらためて思う。

 40年経って、そんなふうにあらためてこの作品を聴きなおしてみると、あんなにイヤだった「泳げないけど」というフレーズが・・・…余計に要らないと思えてくる。
  ワカラナイ。
 文字にするとエラソウに文句つけているように読めてしまうかもしれないが、違う。羊飼いがイエスに「主よ、これにいかなる意味があるのでしょうか?」と尋ねるように、門前の小僧が釈迦に「世尊よ、ここにいかなる悟りがあるのでしょうか?」と教えを乞うように、真摯に問いかけているのだ。わかってくれ。

 ともかく、ひとりきりになって海へ帰ろう。そこから、たかが歌手にもどって出発だ。そういう決意が潜んでいることに間違いなかろう。11月に観ると少し冷たそうなジャケットの海を心に浮かべ、吉田拓郎の新たなミュージシャンとしての胎動を感じさせながら、この2枚組の本編は終わるのだ。

 そしてこの2枚組のLPを聴いても、まだこのアルバムは終わらない。それこそが私たちの至福なのだ。

2018.11/16

SIDE E

君の街に行くよ
 SIDE Eって何気に書いているけど、レコードのE面だよ。「ローリング30」をアナログで買ったすべての方々よ、この地球上に私たち以外にSIDE Eなんてものを観たことがある人が何人くらいいるだろうか。間違いなく私たちは希少生物であり、それゆえに絶滅危惧種でもある。とにかく、みんなで助け合って、生きていなけりゃ、そう生きていかなけりゃ。
 この作品の詞を冷静に読むと、本編で天才的技をふるった松本隆にしては、あまりに凡庸でヒネリがなさすぎる。テキトーな流し運転のように感じなくも無い。しかし、いいのだ。あの2枚組の大作を聴いたあとには、気持ちよく味わえる。ウイニングランのようなさわやかな気分で迎えられるというものだ。
 しかし例えば、これが「ひまわり」みたいな8曲しか入ってないアルバムの1曲だったらそうは言ってられないかもしれないけれど。

 詞は凡庸と書いたが、凡庸な言葉をある種の明るさとノー天気さをもって歌い上げられるのが、拓郎の才能である。「歳をとるのを待つ人がいる そんな群れには入りたくない」「君の街に行くよ 君の街に行くよ 芝生や緑横切りながら 君を抱きしめに行くよ」という無防備な言葉を、スカっ晴れの青空のように弾ませるメロディーと歌声と演奏。心に涼風が吹いてくる。歌詞にもある「恋をしている気分」をホップさせているような清々しい明るさ。いつの間にかウキウキとした気分で馴染んでしまうマジックだ。
 
 役員室午後3時に閉じこもっていた吉田拓郎が、扉を開けて、君の街に唄いにゆくのだ。待ってたぞ。

2018.11/17

SIDE F

素敵なのは夜
 SIDE Fって何気なく書いているが、レコードのF面である。もうわかったよ。
 この名盤のオーラスの曲としては少し意外だった。松本隆でもなく吉田拓郎でもなく、白石ありすでクローズするとは。前年に東京キッドブラザースに提供していたこの曲をもってくるとは。しかし、本編の作品と比べて決して遜色はない。「伽草子」の作詞家白石ありすの繊細な詞とこの詞に相応した独特の陰影あるムーディなメロディーは、メジャーなポップスとしても、前衛的なミュージカルの主題曲としてでも、どこに出しても恥ずかしくない逸品だ。こういう作品を聴くとあらためて拓郎のメロディメーカーとしての才脳を感ずる。
 このアルバムを小さくまとめて閉じようとせず、あえて異質な世界を最後に持ってくることで、Never endingな余韻を残そうというのだろうか。わからん。わからんがカッコいい最後であることは間違いない。

 東京キッドブラザースのリハーサル現場に乗り込んで行って、劇団員の金井美椎子たちにハリキッて歌唱+演技指導までしていた拓郎。この歌で「抱きしめてる」のところが大事なんだと拓郎は力説していた。その時に既にレコーディングされていたと思われる金井さんのレコードを聴くと「少し眺めていたいけどぉぉぉ抱きしめてる」と、つながっているのに対して、拓郎のバージョンだと「少し眺めていたいけどぉぉVV抱きしめてる」と継ぎ目を入れて「抱きしめてる」を引き立たせている。

 ジェイクのクラリネットが醸し出す雰囲気は独特だ。ちょうど2018年11月11日の放送で、拓郎は次回のコンサートのメンバー紹介の曲を何にするか募集するといった。この「素敵なのは夜」は、1991年のdetenteツアーの時のメンバー紹介だったと思う。いい感じだった。ということでこれを聴きながら、最後に、この素晴らしいアルバムのメンバー紹介を思い浮かべてみよう。

ドラムス         島村英二
ベース         石山恵三
E.ギター       徳武弘文
A.ギター       石川鷹彦
キーボード     エルトン永田

ドラムス         林立夫
Eギター         鈴木茂
キーボード     松任谷正隆
ベース           後藤次利

Aギター         吉川忠英
スチールギター       駒沢裕城
パーカッション       斉藤ノブ
サックス         ジェイク・H・コンセプション
                    村岡建
                    砂原俊三
トロンボーン    新井英治
トランペット       数原晋
                      岸義和
バイオリン        日色純一
                      武川雅寛
ストリングス       トマトグループ
ハーモニカ       常富善雄
コーラス         伊集加代子
                    尾形道子
                    鈴木宏子

作詞       松本隆 白石ありす
ボーカル・ギター・作詞・作曲       吉田拓郎

 あと申し訳ありません、私が知らない、または思い至らなかった、このアルバムに関わられたすべての皆さん。盛大な拍手を贈らせていただきます。ありがとうございました。

「ローリング30」発売40周年記念
転石40年苔むさず
a rolling stone gathers no moss for 40years

 翌日読んでもらいたいささやかなあとがき
 ただのシロウトの日記になんであとがきがあるんだ。でもこれだけは書いておきたい。

 2010年ころにあった松本隆の「風街茶房」という公式ページに松本隆のインタビューが載った。「ローリング30」とは関係ない、筒美京平についての話だった。

「京平さんのことを考えると、あれは音楽の魂だと思うんだ。(吉田)拓郎とかもそうだよね。年取ったなんて何も関係ない。確実なのは40年持ったものは100年持つってことだよね。」
40年持ったものは100年持つ
私はこの松本隆の言葉を灯に、この言葉に向って書いた。
シロウトのジャリ書きだが、書かずにいられなかった。

 40年続いた、この道は100年先まで続くのだ。どこまで行けるかはわからないが、現世に忖度せず、100年先の人々に話しかけてみようと思った。

 音楽の魂が敷いたこの導線につながるものを信じてまいりましょう。

2018.11/17

帰って来た転石40年苔むさず
あとがきまで書いといて何だが、どうせ誰も気にしちゃおるまい。まだ書き足りない。

 「ローリング30」が制作された1978年。ついつい「音楽から離れていた社長時代」と書いてしまうが、吉田拓郎は、私が思いつくだけで、これだけの曲をこの年に書いていた。どこが音楽から離れとるねん。
 ここだけで23曲。クオリティも高い。量は質に転化するとはこのことだろうか。これらの怒涛の創作のうえに「ローリング30」という全21曲のアルバムを作ったという事実は忘れてはならない。凄くない? 私は思い返すたびに感動する。音楽の現場から離れていた渇望がこれだけのメロディーを作らせたのだろうか。えらかったね。4枚組とか平気でイケたね。そういうことではないか。

舞姫    本人
隠恋慕   同

狼なんか怖くない  石野真子
詩生活       同
いたずら      同
ジーパン三銃士   同
ひとり娘      同
ポロポロと     同
私の首領      同

ドンファン     神田広美
アゲイン      アグネス・チャン
ダンディー     大野真澄
マリア       同

ラブカンバセーション  テレサ野田
フワリフワフワ     同
さよならロッキー    カーニバル
いいじゃなかいか    清水健太郎

青春試考     中村雅俊
注文の多い恋人よ 同

友達になろう    伊藤咲子
十九の夏に     竹下景子

セイヤングのテーマ  滝ともはる
君に会ってからというもの僕は 小室等と共作

2018.11/18

SIDE END

追憶の目黒区民センターから観る明日
 というわけで本日は「ローリング30」の発売日1978年11月21日から40周年記念日だ。おめでとう。誰に何がおめでとうなのか、よくわからないが、とにかくおめでとうございます。

 発売前夜、店から奪うように買い込んだ重たいアルバムを深夜まで聴き込み感激し、その感激のまま翌日高校からの帰り道に学生服で目黒区民センターの「小室等の23区コンサート」に向った。
 たまらずに40年後の今日、早起きして目黒区民センターに行ってみた。バカじゃねぇの、ヒマ人だな、とのお叱りはもう今朝から5人くらいにいただいたのでわかっている。

あった。入り口の前に独り佇んで、すっかり白髪のじいさんになった私は懐旧の思いに浸った。

 この今は古びたドアから、ストレートの長髪(少しカールしていたか)をひるがえして、サングラスに焦げ茶のブルゾンに白シャツ、黒のパンツのポッケに手を入れて楽屋入りする吉田拓郎本人を間近で観てぶっ飛んだのだ。ああ、オーラの泉噴出で、スラリと背が高くて、とんでもなくカッコエエと失禁しそうになった。その晩”外は白い雪の夜”の絶唱と”君に会ってからというもの僕は”の爆笑に感動した。ああ幸せだった。
 
 その時小室等は言ったのだ。

やっぱ拓郎はステージにいるときが一番カッコいい

 そのとおりだ。短い時間だったが、歌って、ギターを弾く姿だけでなく、立ち姿、談笑している様子、さりげない一挙手一等足、水を飲む姿まで、なにもかもが美しくカッコよかった。

 帰り道、万感の思いとともに目黒権之助坂を昇った。こんなに権之助坂に深い思いがあるのは、私とビートきよしくらいだろう。坂を登りながら「来年は絶対ライブに行くぞ、行くと言ったら行くぞ。」と呪文のように繰り返していた。

 あれから40年。40年経っても吉田拓郎は、あの時のように毎週ラジオをやり、新曲を作り、ヘアサロンを変えながら依然としてカッコよくそこにいる。そして何より40年前と変わらずに私たちは来年のライブを待っているのだ。凄い。次が待っている幸せ。おめでとうは自分に言うべきか。

「やっぱ拓郎はステージにいるときが一番カッコいいなぁ」・・・・・・そういう悶絶するステージを魅せておくれ。そうだ、カッコよければ何でもいい。それがすべてだと私は思った。カッコよくないことをしなければ、拓郎は普通にカッコイイのだ。すべてがカッコよさ目がけて収斂していって欲しいと願った。

 今さらだが風雪に耐え極北を超えて40年後もこうして歌ってくれてありがとう。ありがとうを歌ってくれと言う事では決してないが、私のちっぽけな魂の奥底からありがとうを言いたい。
 たかが私に言われたくないかもしれないが、私たちは吉田拓郎という最高のラックを引いたのだ。そう思わないか同志よ、ソウルメイトよ、そして幻の兄弟よ。それぞれのかけがえのない40周年をお祝い申し上げます。

2018.11/21