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シンシア

1974年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル「シンシア」/アルバム「今はまだ人生を語らず」/アルバム「ひまわり」/DVD「89 TAKURO YOSHIDA in BIG EGG」/DVD「Forever Young 吉田拓郎・かぐや姫 Concert in つま恋 2006」/ DVD/CD「TAKURO YOSHIDA LIVE 2014」

いい故郷はここにある

 1973年12月発売の名盤「ライブ73」のライナーノーツで、拓郎はその月に生まれくる娘に対して「1974年初夏、父は娘に新しい歌を聴いてもらうことになるだろう」と語りかけていた。その言葉どおり翌74年7月1日発売のシングルとして「シンシア」が発表された。娘が初めて出会う新曲。またこっちはどうでもいいことだが、私が初めて買った拓郎のレコードでもある。だから、ついつい肩入れしてしまうが、間違いなく吉田拓郎の最高傑作のひとつだ。
 拓郎が当時ゾッコンだったというシンシア=南沙織。彼女の「早春の港」への返歌として作られたことは本人も明言している。「故郷持たないあの人のいい故郷になりたい」と歌う女性に対して帰る場所がない男は「君の腕で眠りたい」と歌いかける。「よそのおねぇちゃんの腕で眠りたい」という歌を娘に捧げるのはどうかという気もちょっとするが。
 とにかく制作事情の話を越えて、この作品は、ひとつの楽曲として、吉田拓郎の才能をあますことなく証明する格好のエビデンスだ。当時のこの曲のプロモーションは精力的で「愛奴」をバックにテレビも積極的に出演していた。しかし翌75年の春、ムッシュのラジオ番組に拓郎が登場した時、この作品についてこう振り返った。
    拓郎「『シンシア、ウ、ウ』って大袈裟なフォークだと文句も言われたよ。」ここに拓郎が今もフォークと言われるのを嫌う原因が窺える。
    ムッシュ「でもレコーディングから楽しかったよ。美味しいお芋は焼くときから楽しいじゃん」
    拓郎「これ芋かぁ??でもおいしいお芋の割にはみんな食べてくれなかったなぁ」
 とこの名曲の不遇を語っていた。
 しかし、名曲であることは少しも揺らがない。穏やかに美しく、心のひだにはいりこむようなメロディー。特に「よぉ・ぞぉ・らぁは~町に落ち人々が笑いながら通り過ぎるあの日と同じところを」ここあたりの詞の素晴らしさとバラードチックな展開も素晴らしい。もはやフォークというジャンルに押込められるものではなく、ポップス、ブルース、バラードどっからでもかかってこい、というか、どのジャンルにもOKなスタンダードたりうる。だから、もっともっといろんなジャンルの歌手にカバーされていい、それに耐える作品だと思う。ムッシュは、後年、ジャズ調のアレンジでカバーしたがなかなか味があった。さすがショットガン・チャーリーだ。原曲でもムッシュのあの脱力系でだらしないボーカルが味わい深い。おかげで、拓郎のボーカルが実に引き締まって聴こえる。すまんな。
 で、聴き手としてのツボは「シンシア、フっ!フっ!」だ。実際に、75年のつま恋の音を聴くと拓郎が「シンシア~」と歌うと実に6万人が、そんなにチカラ入れてどうするというくらいの渾身で「フっ!フっ!」と絶唱していて鳥肌ものだ。昔の人は凄かったなぁ。
 明石家さんまもこの「シンシア」のハモリ合いの手をするのが夢だったという。31年後のつま恋で私もようやく夢がかなって「ウっ!ウっ!」を唱和している姿がチラリとDVDに映った。もう思い残すことはない。娘よ、これが父だ。ちょっと情けない気もするが。
あと基本的にアレンジが同じで単独歌唱しているアルバム「ひまわり」収録の「シンシア'89」は意味が分からない。東京ドームで南沙織の前で歌いたかったのか。そうか。悪かったな「こんな連中で」(笑)

2015.10/10