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我が良き友よ

1975年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
かまやつひろし・シングル「我が良き友よ」/吉田拓郎・アルバム「みんな大好き」/DVD「Forever Young Concert in つま恋 2006」

「らしくないこと」のチカラと美しさ

 1975年初頭、御大にとって先輩なのか師匠なのか盟友なのか、その全部なのか、とにかく御大ファンにとっても大いなる偉人“かまやつひろし”に提供され大ヒットとなった。当時、毎日、毎日、僕らは鉄板の…ではなく、テレビでもラジオでも街でもガンガン流れていた記憶がある。
 古き良き旧制高校的な男臭い世界が描かれたこの作品は、御大より年長の世代を始め世代を超えて愛されるスタンダートとなった。前年レコード大賞を受賞した「襟裳岬」とあわせて、吉田拓郎という才能があまねく世に知れわたった。実際に自分の身近でも、まさに旧制高校ドンピシャの世代だった亡父は、フォークもロックも国賊の音楽だと憂いていたが、この作品だけはとても気に入っていたようだった。また友人の弟さんは、この作品の世界に憧れてバンカラな全寮制の高校に行き、卒業後、男のロマンの勢い止まらず制服を着て巡洋艦に乗りこんでいった。まさに硬派な男たちの応援歌の様相を呈している。
 ウェラの香りの長髪をひるがえし安井かずみらにも愛されたファッショナブルな自由の旗手である御大…にもかかわらず、押忍硬派男気系の人々からも尊敬されるのはこの作品の影響だと思う。反対に軟弱ヘナチョコファンの自分にはこの歌は少し肩身が狭かったものだ。

 ただ御大より上の世代はこの作品に共感しつつも、何故に若造の吉田拓郎がこんな「らしくない」作品を作れるんだ?、あざとい作り物のニオイがするぞ!との批判も浴びせた。マトはずれもいいところである。
 もともと広島商科大学の応援団に属していた御大が、かつての先輩・友人たちの姿をベースに描いた作品である。そんな実体験をベースとした、いわば実写版である。
 それに、ただの古色蒼然としたバンカラの唄だったらこんなにヒットはしなかっただろう。ベタな寮歌・青春賛歌とは、ひと味もふた味も違う音楽センスが生きているからこその名曲である。例えば”オレとおんなじあの星見つめて何思う”、”暑中見舞いが帰ってきたのは秋だった””男らしいは優しいことだと言ってくれ”、”夢を抱えて旅でもしないかあの頃へ”…単なる男臭さだけではなく、愛と悲しみと切なさの混じったテイストは、旧制高校等寮歌の世界にはない御大ならではセンスだ。この隠し味のような御大のセンスによって、前時代的な世界が実にうまく現代にカスタマイズされている。時代がどうあろうと友達は友達であるという爽やかな詩情。まさに「らしくない」御大だからこそ成しえたワザである。
 サウンドもよく練られていて、古き世界を今にきちんとつなげる陽気なブルース・ロックに仕上がっている。高中正義のリードギター、キーボードのみならず松任谷正隆のバンジョー、ついでに御大のコーラス。こういう歌には「らしくない」当代きっての若手ロックミュージシャンたちが演奏を支えている。おかげで元気が湧くような爽快が漲る。

 かまやつひろし本人も自分のテイストに合わないこの作品に内心悩んだという。なんつってもムッシュ=パリ=シャンゼリゼにひとっ飛びである。この作品は、パリのカフェでいきなり鍋焼きうどんを食べるような「らしくなさ」があるのかもしれない。でも、だったらエリマキトカゲ音頭はどうなんだ…ということは忘れよう。
 悩んだ末に、ゆるくゆるく歌ったそうだが、そこを評価される。美空ひばりは、かまやつひろしに「あの歌は、あなたがちっとも感情移入してないからいいのよね。私がもしあの歌を歌っていたら、きっと感情が入りすぎてしまって失敗していたでしょうね」(TAPtheSONG 2016.4.1 佐藤剛より)と声をかけた。御意。美空ひばりが希代の天才歌手であることがこのエピソードからも窺える。例えば、水前寺清子がこの歌を持ち歌にしていて、歌うのを聴いたことがある。いや、チータも超絶素晴らしいシンガーである。が、ストレートな熱唱は、どっぷりと演歌・寮歌の世界に行ってしまう気がした。やはり、バンカラや男気の対極にいるかまやつひろしのボーカルだから良かったのかもしれない。

 こんなふうにいろんな「らしくなさ」が重なって、この歌が時空を超えたスタンダードとなったのだと思う。

 テイクについてはいろいろ議論があろうが、やはりかまやつひろしの原曲が一番だと思う。御大自身は、75年のつま恋のラストステージの興奮の坩堝の中で歌った。現場におらず録音を聴いただけだが、とても熱いシビレるバージョンだ。だがもう声が潰れてしまっていて、しかも公式音源ではない。
 御大の本人歌唱が公式音源となるのは、なんと20年後のアルバム「みんな大好き」だ。遅い。高中のギターも再見しているしドラムは森高千里だったり面白いのだが、いかんせん全体にホンワカし過ぎていてどこか緊張感が足りない。

 ということでセカンド・ベストは、2006年つま恋ではなかろうか。メイキングDVDでは、リハの時、かまやつさんが御大に「拓郎、…歌ヘタだよね」とツッコむと「うん、下手だよ、アンタに言われたくないけど(笑)」と返す。その空気がいい。そしてステージでは「かまやつさんといえばこれしかない…」と悪態をついて始まる共演。後ろでニコニコ笑っているドラムの島村さんの笑顔もまたいい。そして何より、歌っているかまやつさんに、珍しく御大が体を近づけて、やさしく寄り添いながら唱和している姿。そんな「らしくなさ」がたまらない。ステージにも会場にもそして映像を観ているものも、幸福感に満たされてゆく気がする。まさに会場全体がそれぞれに「夢を抱え旅でもしないかあの頃へ」という気分を明るく共有していた瞬間だと思う。男気もバンカラも超えて、私たちがかけがえのないない何かを抱きしめる作品に昇華していることがわかる。

 さて、この作品の唯一の不幸は「らしくなさ」が魅力のポイントでありながら、「ゲタを履いて手ぬぐいを下げている」=「吉田拓郎らしさ」という御大にとっては思い切り迷惑なイメージが世間にしっかりと刷り込まれてしまったことだと思うが、どうか。
 ちなみに”オレとおんなじあの星見つめて何思う”は、喜多條忠によれば「マキシーのために」の歌詞からインスパイアされたものだと御大が告白したらしい。おんなじ星を見つめる二つの歌と思ってみるのも面白いかもしれない。

2017.1/28