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僕の一番好きな歌は

1978年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
  公式音源・映像未収録

嵐が丘の果ての戦争と平和

 

 ライブで演奏されただけで公式の音源・映像は存在しないが、おそらく70年代後半をリアルタイムで体験したファンを中心に相当な支持がある作品だと思う。

  あれから2年唄は世につれ 世は唄につれ変わってゆくが
  心の底をえぐられる 激しい鋭い刃を持った 歌との出会いは消えました

 まさに抜身の刀を振りかざすように始まるこの作品は、弾き語りの威力において、そのシャウトの凄絶さにおいて、その魂=スピリットの気高さにおいて、御大の最高傑作のひとつであると断言する。もはや神曲の域である。

 出自は78年3月「大いなる人」コンサートツアーの弾き語りコーナーの一曲目での初披露に遡るが、当時の御大の置かれた時代背景と不可分の関係にある。75年のつま恋の大成功とフォーライフの設立で栄誉栄華の頂点に立った御大。その陰で、アーティストとしてすべてをやり尽くしたという燃え尽き症候群に陥る。その気持ちはそのままフォーライフレコードの「裏方」としての活動へとシフトする。ほどなくしてフォーライフの経営危機に直面した御大は会社を再建すべく、音楽の第一線を退き社長として本格的に会社経営に沈潜してしまう。その不在の2年の間に、音楽界は、アリス、さだまさし、松山千春などのニューミュージック新世代が席捲し、逆に世間的なイメージでは。吉田拓郎は過去の遺物として陳腐化していった。当時、私も周囲から「拓郎?古いな、もう落ち目じゃん、いま歌手ヤメテ経営者なんでしょ?」と冷たく揶揄されたものだ。ああ、ファンにとっても辛い時代だった。「大いなる人」ツアーは、そんな御大が、突然2年ぶりに音楽の現場であるステージへに姿をみせた「春の椿事」であった。

「あれから2年」というのは、前回最後にステージに立った76年ツアーを起算点としているのであり、吉田拓郎が不在だった時間、それがゆえに世の中も歌たちも変わってしまった時間を指している。その時間を御大はこう切り捨てる。

  いいかげんな言葉を勝手に作りあげ いいかげんヤワな歌 どこまで続く

 自分が音楽の一線を離れていた間に世の中の唄の趨勢は変わってしまった。いいかげんで軟弱な歌たちが世に溢れかえっている。そのことに対する御大の悔恨と苛立ちが覗く。しかし激しい鋭い刃のような歌とともに「吉田拓郎」はここにいる。そんな叫びであり挑戦の唄だった。

 その異様なまでの迫力に、ツアー終了後、ラジオ番組「セイヤング」で「あの歌はなんという歌だ」、「番組で歌ってくれ」とリスクエストがあった。御大は当初タイトルを「僕の本当に好きな歌は」と説明していた記憶があるが、定かではない。しかしそれきり作品は長らく封印されてしまった。

 それから1年。78年後半に名盤「ローリング30」を創り上げた御大は、いよいよ本格的に決起し、翌79年6月、前哨戦たるデスマッチコンサートツアーとそれにつづく7月の篠島オールナイトイベントで劇的に音楽シーンに躍り出る。まさに御大の「偉大なる復活」である。
 それに先立つツアーリハの直前である79年5月、渋谷エピキュラスでの「セイヤング公開放送」の時、この会場で執拗にこの歌をリクエストした若者がいて、御大がそれに応えるようにこの作品の封印を解き歌って見せた。このラジオを聴いた多くのファンにも戦慄が走ったはずだ。この時、御大は既にツアーのセットリストにこの作品を予定していたのか、それともこの番組がキッカケで思い立ったのかは不明だが、この歌の重要さを世界に向かって知らしめたこの当時の若者に心から敬意を表したい。

 かくして79年のデスマッチツアー・篠島のイベントの弾き語りの〆のナンバーとしてこの作品は再び君臨した。今でこそ「偉大なる復活」というが、当時は成功の保証はどこにもなくむしろ不安の方が大きかった。79年夏、つま恋では、アリスやツイストやこうせつといったメジャーどころが華やかなイベントが世間の耳目を集めていた。それとほぼ同時期、離れ小島でひとり歌う御大。それはそれでえらく寂しかった。相変わらず「イマドキ拓郎なんて」「拓郎一人で武道館なんてできるの?」「夢よもう一度でいまさら離れ孤島でイベントなんて…」と冷ややかな逆風も吹いていた。あの時の気分を的確に伝えるのは困難だが、若造の私は、世間はもちろん「小室等」以外のすべての歌手が敵に思えた。平気でアリスとつま恋をやる南こうせつですら敵と思っていた。

 そんな世の中と音楽界に敢然と挑むライブであり、その戦いの「狼煙(のろし)」のような作品だった。今に残っている音源は、79年の初武道館公演の録音で、FM東京とセイヤングでオンエアされたものが流通している。やはり、FM東京の「お元気ですか小林克也です」バージョンの方が音がいい。しかし、セイヤングでは、「落陽」の会場唱和に胸を熱くした御大が感極まり「ずっと歌う決心が今ハッキリついた」と宣言し、武道館を揺るがす観客の大歓声(TAKURO TOUR 79 vol.ⅡにMCのみ所収)。その中で御大が「これは最高だ」と万感の思いでこの作品を歌い始める…という凄絶なドラマ展開がそのまま放送された。このドラマチックな流れもこの作品と不可分のものである。今でもあの光景を思い出すたびに涙が出そうになる。

 この作品の圧巻は何と言っても4番である。

   会社の社長さんなど偉いと思うなよ
     ましてや歌い手さんなど 先生諸兄など
   一番エラいやつ そいつはこんなやつ
   自分の叫びをいつでも持ったやつ
     自分の哀れをなぐさめたりしないやつ
   戦いに負けたと嘆くじゃないぞ
     つわものに立ち向かえば逃げるじゃないぞ
   僕の好きな歌を歌いましょう 天下を取ったやつまともににらみつけ
   いま いま 歌える歌は  人間なんてララララララララ…

 漲る気骨と鬼気迫る気迫。怒りも孤独も悲しみもすべてを抱え込んだシャウト。それは例えば幕末の動乱、荒野に見渡す限りの敵の陣。そこへ果敢に1人で先陣を切って突撃していく高杉御大の姿と重なるかのようだった。そして自分もヘナチョコな騎兵の一人として、その御大の後ろからワーーとか叫んで走っているそんな気分だった。そのときに掲げられた錦の御旗がこの作品だったように思える。

 そして御大は多勢の敵を蹴散らして見事に音楽シーンに返り咲きその後、この作品は封印され幻となった。しかし私達聴き手の心には御大の素晴らしさとともに永遠に刻まれることになった。その後、若き日々、ヘナチョコの私もヘナチョコなりにいろんな厳しい場面に遭遇した時、この歌がいつも心の支えとなってくれた。
 但し、この作品の弊害もあった。この作品にシビレてしまうと、80年代になってラブソングを歌う御大がなんだか堕落しているようにしか見えず私なんぞは不満と苦悶の佃煮のようになってしまった。  今はわかる。世間がどんな歌を好もうとも、誰が何を歌おうと心の底からどうでもいい、御大が真摯に歌ってくれることこそが大切である。そして御大の音楽はラブソングにこそ真骨頂があることも。ともかく新曲を作って歌う御大のすべてが穏やかにいとおしい。いつまでもこの作品にこだわっていてはいけないのか、だから御大はレコードにしなかったのか…そんなことも考えた。
 しかし、世界を敵に回してもひるまぬような気迫に満ちたボーカル、果敢に戦おうとするスピリットは、永遠のものだ。同時代性を超えて、この凄さを感じ取ることができる人々は常に存在しているはずだ。後世に残そう。というより、この作品は未来に向かって捲かれた種なのではなかろうか。この吉田拓郎の凄絶な歌をきちんと正史の中に楔を打ち、公式のものとして記録・公表すべきではないかと思う。


        僕の一番好きな歌は

      ※[]は78年の初出の歌詞

  あれから2年唄は世につれ 世は唄につれ変わってゆくが
  心の底をえぐられる 激しい鋭い刃を持った
  歌との出会いは消えました
  子供達は大人になつきすぎ 大人達は子供に優しすぎ
  僕の好きな唄を歌いましょう 時代の流れを横目でにらみつけ
  今 今 歌える歌は そうです 君の大好きな あの~

   78年 雨やどり(さだまさし)
   79年エピキュラス HERO(甲斐バンド)
   79年コンサートツアー HERO(甲斐バンド)

  流行り歌がもしも 力を持つならば
    今僕たちの生活の一部までも
  [今僕たちの毎日の生活の一部まで]
  変えてしまう時です 風俗までも
  例えばビートルズ 例えばボブ・ディラン 例えば岡林 例えばピンクレディ
  [例えばビートルズ 例えばボブ・ディラン 例えば井上陽水 例えばピンクレディ]
  いいかげんな言葉を勝手に作りあげ
    いいかげんヤワな歌 どこまで続く
  [いいかげんなメロディー どこまで続く]
  僕の好きな歌を歌いましょう 売れっこの先生方を 横目でにらみつけ
  いま いま 歌える歌は そうです 君の大好きな あの~

   78年 ウォンテッド(ピンクレディー)
   79年エピキュラス ヤングマン(西城秀樹)
   79年コンサートツアー ヤングマン(西城秀樹)

  元はといえば 僕の将来は ピアノのセールスマンになるはずでした
  おふくろに勧められ 見合いもしたでしょう
  おやじの暴力で 一流大学へ
  [おやじの暴力で 国立大学へ]
  そんな男が 今はこうです
  だからこそ世の中は明日が見えません 隣のモモエちゃんにも明日が見えません
  僕の好きな歌を歌いましょう スターになりたい人 横目でにらみつけ
  いま いま 歌える歌は そうです 君の大好きな あの~
   78年 アンドゥトロワ(キャンディーズ)
   79年エピキュラス カサブランカダンディー(沢田研二)
   79年コンサートツアー 季節の中で(松山千春)
 
  会社の社長さんなど偉いと思うなよ ましてや歌い手さんなど 先生諸兄など
  一番エラいやつ そいつはこんなやつ
  自分の叫びをいつでも持ったやつ 自分のアワレをなぐさめたりしないやつ
  戦いに負けたと嘆くじゃないぞ ツワモノに立ち向かえば逃げるじゃないぞ
  僕の好きな歌を歌いましょう 天下を取ったやつまともに睨みつけ
  いま いま 歌える歌は そうです僕一人大好きな あの~

   人間なんてララララララララ 人間なんてララララララララ

 

2017.1/10