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人生を語らず

1974年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル「シンシア」/アルバム「今はまだ人生を語らず」/アルバム「TAKURO TOUR 1979」アルバム「みんな大好き」/アルバム「豊かなる一日」DVD「吉田拓郎 101st Live 02.10.30」/DVD「TAKURO & his BIG GROUP with SEO 2005」/ DVD/CD「TAKURO YOSHIDA LIVE 2014」

叫びが照らす、ゆくてに向かって

 「この曲は70年代に僕がものすごい血気盛んでエネルギッシュで『誰にも音楽で負けやしない!』って自信に満ち溢れて肩で風切って歩いてる頃に吹き込んだ歌」と拓郎は語った(2013年5月20日ANNG)。押しも押されもせぬ大いなるスタンダードである。
 まさに、この作品は作ったというより、よく振った缶ビールの栓を開けた時のように音楽がシュバアと!勢いよく吹き出てきた、そんな躍動を感じる。今はまだ・・違う、今はもう発売されていない名盤アルバム「今はまだ人生を語らず」。一曲目が「ペニーレインでバーボン」、二曲目がこの「人生を語らず」。この超重量感。例えれば結婚披露宴の料理で、飲み物も前菜も無しにいきなり「オマール海老の姿焼き」と「牛フィレステーキ」食べさせられるようものだ。聴き手もイージーリスニング気分じゃ聴いていられない。そんなアルバムは空前絶後だ。ネットでアルバムの中の曲をチマチマ選んでダウンロードしていてはこの醍醐味はわかるまい。
 ビートたけしは、行きつけの飲み屋にこのレコードを置いてこの作品を繰り返し聴いていたという。この壮大な前奏からして鳥肌ものだと熱く語っていた。南こうせつによれば、この前奏は松任谷正隆のソリーナという楽器とのことだ。まるで教会のパイプオルガンのような荘厳さと壮大さがある。
 何より全編のシャウトに漲る生命感。このシャウトをダミ声で怒鳴っているだけじゃないかと言う人々もあろう。しかしこのシャウトには、ピーンと張りつめて澄み切った透明感がある。たぶんここをキャッチできた人が拓郎ファンになっているのだと思う。
 しかもダイナミックにシャウトしているが、歌詞は単純な応援歌のような檄文ではない。「嵐の中で人の姿を観たら消え入るような叫びを聞こう」小さな叫びにも耳を傾け「空を飛ぶよりは地を這うために」「口を閉ざすんだぁ臆病者として」、猛々しくあることはない、臆病者でいいんだ、と心の中を見つめるような詞も拓郎の真骨頂だ。
 ステージ映えする名曲でありながら85年のつま恋を最後に2000年までの15年間はライブでは長らく封印されていた。再び脚光を浴びたのは、2002年の瀬尾一三とビッグバンドとのステージだろう。ビッグバンドの迫力とスケールメリットを生かしたうってつけの作品として蘇生した。この作品の第二の人生が始まった感じだ。幾星霜を経た拓郎や私たちにとって、この詞の意味の深さが染み渡る年齢になったからに他ならない。かくして今も古くて新しいスタンダードとして生き続けている。
 そうそう「越えてゆけ そこを 超えてゆけそれを」 カラオケで歌うときには「え 超えて行ゆけ」と「え」を必ず付けたい。あなたの歌唱がより完璧なものになりましょう。いみふ。
齢70が現実のものとなった今、ファンの不安を蹴散らすように2014年のオープニングは、この作品でガツンと来た。「『超えてゆけ』と叫ぶ声が行く手を照らす」照らされた行く手を恐れず行こうではないか。

2015.10/10