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ひまわり

1988年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
 アルバム「ひまわり」/DVD「89 TAKURO YOSHIDA in BIG EGG」/DVD「90 日本武道館コンサート」

天使のいない迷路からの出口

 楽曲としてもアルバム全体としても「ひまわり」は、よくわからない。難解だ。ひまな時に作ったデモに「ひま1」「ひま2」と符合をふり、その中の一曲で「ひまあり」→「ひまわり」となったという御大の説明からして、何か煙にまかれたような気がする。
 85年のつま恋で、第一線を退いた拓郎が、長い沈黙の末に、やっと活動を再開した時期。すべてに飽きてしまい、何か新しい方法論はないのかと迷っていたという・・・拓郎が後から述懐する「彷徨っている」という時期の真っ只中の作品だ。
 それでも、当時、拓郎はこの作品が生まれたことで「いい歳して、一皮むけた」「上昇志向にある」とポジティブな手ごたえを語っていた。彷徨いの中にあっても、前へと進んだ一歩だったようだ。
 詞はとても難解だが、ひとつ思うのは、拓郎のこれまでの作品のように「青春」「若さ」を引きずっていないことだ。成熟した大人の視点で作られている。青春の尻尾を断ちきれず、かといって歳を重ね、身動きがとれなくなってしまている男たち。それは自分自身のことも含むのかもしれない。そんな男たちに「大人」からの目線で、「抜け殻」「毒のない花」と鉄槌をくだす。そして「女なればいい 愛されるまで待てばいい」と厳しい捨てゼリフをくれる。「女になればいい」というのは表現としてどうよという気がして感情移入できないが、この詞の最大の魅力は、「そこに天使なんかいるはずがない」という見事なキメ・フレーズに集約される。これは拓郎屈指の名フレーズである。映画、ドラマなどに盗用されないように監視していよう。
 このアルバムでの拓郎は、神、天使などの言葉が多用され、ホントに「天の世界」と対話していたよう気がしてならない(爆)。もしかすると、聴き手にストレートに詞が入ってこないという難解さは、そこに原因があるのかもしれない。ともかく吉田拓郎がこの作品で得た自信というのは、迷路の中で、大人としての出口を歌うことができたからではないかと推測する。ついでに勝手ながら、「ひまわり」とは、陽の光射す方向を求めて彷徨うこと・・・彷徨える大人の出口に向かうこと、そんな意味ではないかと・・と解釈する。

 いわゆる饒舌な字余りだが、これまでのようなアップテンポでせき急ぐ感じはなく、落ち着いた重厚な感じの中に落とし込まれ生かされている。音符の舟にたくさんの言葉たちが超満員で乗せられているが、船は気持ちよくメロディーの河を右に左に下っていくような心地よさがある。そして、コンピューター打ち込みの熟練により、前作「マッチベター」よりもよく練られ進歩したサウンドを感じる。全体的に余裕がある。
 原曲のサウンドとしての完成度は高いが、ライブもイイ。この「ひまわり」を中心曲とした東京ドームのライブよりも、その次のツアーである89-90年の「人間なんて」ツアーの演奏の方が心に沁みる。特に、たっぷりと時間をとった後奏で海原を漂うような情感たっぷりに、これでもか、これでもかと言う感じのリリカルなサックスが美しい。そして沈思黙考するように佇む拓郎の姿も魅力的な一幅の絵になっている。

2015.10/13