アルバムの岸辺
よしだたくろう71~75
 初めて買ったシングルは「シンシア」だった。初めて買ったアルバムはこの「よしだたくろう71~75」だった。なので「アルバムの岸辺」のアイコンにした。
 1975年の7月発売ということはフォーライフ設立の翌月。CBSソニーへの置き土産。その後、果てしなく続くソニーベスト盤の嚆矢だ。中学生にしたら清水の舞台だった、4000円。ジャケットが、もう胸ワシづかみで買ってしまった。当時、このアルバムとエレックからの二枚組「たくろうベストコレクション」を買うと、吉田拓郎の入門キットとしては盤石だった。75年夏、つま恋のニュースに驚きながら、この二枚組を繰り返し繰り返し聴いた。これがレッスンの始まりだった。

「よしだたくろう自身の選曲による」と帯に書いてある。そうだとすると1975年のFrom Tみたいなものか。

旅の宿(シングル)
春だったね(ライブ73)
こっちを向いてくれ
親切
祭りのあと
たどり着いたらいつも雨降り
伽草子
夏休み
暑中見舞い
せんこう花火
金曜日の朝
ガラスの言葉 ビートルズが教えてくれた
おきざりにした悲しみは
落陽
ひらひら
野の仏
君去りし後
風邪
シンシア
ペニーレインでバーボン
人生を語らず
知識
暮らし
戻って来た恋人
襟裳岬


「酔醒」という初回特典のブックレットがついており、その巻頭に拓郎の文章が載っていた。

“何がロマンチックなんだ”

 何で、そうなっちまったんだろう。もう、イヤ気さえ、さしてくる。皆々、優しくなっちまったものだ。本当のやさしさがどんな状況から生まれるものかも知らず。やたら、やさしい唄が町に流れて、皆、ロマンチックな気分にひたりたがる。安易ではないか。今の唄の詩といえば、手紙をビンセンと言い代える様な、言葉の使い方にしか目が行っていない。しかも、聴き手がそれを好む。手紙をビンセンというから、ロマンチストだなんて、バカバカしい。闘いや、争いの中に、ポツンと見いだされるロマンなど、形もカケラも無くなってしまった。
 日本の古き良き物を語るなら、頭の古ぼけた大人達と同じような語り方はやめてもらいたい。若者には、彼等でなければ出せない、1つのロマンがあるんだ。文学から借用してきた様な言葉は借り物にしか過ぎない。自分の言葉で唄わなければ。怒りやさけびの中にもロマンがあることを忘れてしまった10代20代の若者が”はやり”と言う事だけで、今の若い連中の作る唄を、全部、許せるのであれば、吉田拓郎は、おはらい箱であろう。ギターを持って唄うから、弾き語りをやるから、それだけで、変な仲間意識など持たないでもらいたい。仲良くやって行く気など僕にはないのだから、今さら、フォークだなんてと言うかもしれない。しかし、これだけは言える。僕は、フォークシンガーなんて呼ばれたくない!と言い続けてきた。誰もが、そうやり始めた。それも安易だ。僕は、こう思っている”日本に、やっぱりフォークはある。日本のフォークはあるんだ”と。

さあ皆どうスル?

                        吉田拓郎(サイン)



 たぶん吉田拓郎ご本人は、若気の至りの絶頂の鼻持ちならぬ文章は思い出したくも無いだろう。しかし、今読んでも、この文章にはエネルギーに充ちたとてつもない美しさがある。かくして吉田拓郎は、フォーライフへと船出する。

2018.12/23