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a day

2019. 4. 22

 訃報や病気の話や事件・事故といった悲痛事のニュースがこうも溢れかえっているとさすがに怖くなる。昔は、チケットを手にすればそのままライブへの王道が通じているものと疑いもしなかった。しかし、今は違う。それは道ではなく、落っこちそうな塀の上を、時にへっぴり腰になりながら歩いてようやくたどり着くもの・・・そんな感じすらする。

 悲痛事といえばこの時期は毎年、亡くなってしまった拓友のことを思う。いまだにこの時期は墓参に行かないと歳が越えられない気分になる。

 先日、石山恵三のライブで久々に会った別の拓友が、雨畑に出したメールに「もう9年か、早いね」と彼のことが書いてあったという。あたりまえだが、私らだけでなく、彼を好きだった拓バカみんなが彼のことを思っているんだな。

 そんな彼の命日、なんとはなしに御大の薦めていた「怒りの葡萄」を観返していた。「女は川なんだよ」も素晴らしいセリフだったが、最後近くに家族のもとから旅立って行くヘンリー・フォンダのセリフもまた感動的だ。

「ケイシーが言っていた。
一人の魂は、大きな魂の一部なんだと。   
その魂は、万人のものだ。
だからおれは、暗闇の中にもいるってことさ。
母さんが目を向ければね。
飢えた人が騒ぐ時もそこにいる。
警官がおれの仲間を殴っている時も。
仲間が怒りで叫ぶ時も。
腹をすかせた子どもが 食事を見て喜ぶ時も。
人が自分で育てた作物を食い、自分で建てた家に住む時も、おれはそこにいる。」

 若いヘンリー・フォンダ。目が美しい。

 このセリフをあらためて聴いてその拓友のことを思った。というか彼には申し訳ないが、勝手に妄想した。彼ならどう言うだろうか。

 「一人の魂は、大きな魂の一部なんだと。   
 その魂は、万人のものだ。

 だから僕はどこにでもいます。
 拓郎さんがいるところならね。

 ライブや新曲を待ち焦がれるときも
 困難なチケットに一喜一憂するときも
 拓郎さんがシャウトするときも
 スタンディングして客席が燃える時も
 しみじみと涙する時も
 拓郎さんが深々とお辞儀する時も
 辛抱強く、入待ち,出待ちするときも
 帰り道に酔っぱらって空を見上げるときも
 拓郎さんのライブが終わって、ああこれから何を待てばいいのだと
 途方にくれるときも
 僕はそこにいます」

 そういう天の声が聴こえた。勝手な妄想だが、でもそう間違ってはいるまいと、やはり勝手に思う。

2019. 4. 21

You tube Rehearsal-01 公開。

 動いている吉田拓郎を観たのは久しぶり…なんてものじゃないか。LOVE2復活以来かな。感激と安堵が入り乱れる。ちょっと心配していたが、そのルックスも立ち居振る舞いの姿も、決してよくそこらにいる70歳overの爺ちゃんとは根本的に違っていた。あったりめぇよと怒られるだろうが、良かった。立てば拓郎、座れば拓郎、歩く姿は吉田拓郎である。サプライズに照れながら、ジャケットを脱ぐサービスショット。ナチュラルなままで美しく、カッコよく、気品があり、その一挙手一投足から湧き出るオーラは変わらない。
 せっかくのプレゼントに小さい、袋が安っぽい、「おまえら大人だろう」とツッコむ相変わらずの失礼さにも現役感が漲る(爆)。

 一人ひとり握手するミュージシャンに、一般Pの自分もホントに頼むぞと手を握りたくなる。願わくばドラムの村石との握手のとき、透明アクリル遮音板にぶつかってボケてくれたらもっと面白かったのに(爆)>志村けんかよっ、いや高田純次か。

 公開してくれて心の底からありがとう。頼む、カメラを止めるなと叫びたい。

2019. 4. 20

 帰りの電車は、嵐の東京ドーム帰りの人々で混みあっていた。グッズの大きなバッグとテープやらタオルやらにまみれて、みんなどこか蒸気した感じで興奮のあとが観られる。ああ、いいライブを観たんだなと思う。そういうオーラに包まれた人々を観て、自分もお相伴のように御大のライブの来し方行く先のことを思い、少し胸が熱くなる。混雑して鬱陶しいものの、こうしていいライブは車内を明るくし、おじさんを元気づけ、そして世の中悪い事ばかりではない気分にしてくれる。「帰路」ってあったな。

  最後の唄を覚えていますか
  僕らは子供のようになれました
  あなたのためにギターを弾いて
  哀しみのピアノも届いたでしょう

  こんな小さな僕達はきっと
  いつか夜空の星になるのだから

  覚えたメロディーを唇で確かめて
  そう君が歌うなら誰もが微笑んでるよ

 あ、この曲も東京ドームだったわい。
アップテンポの新曲はどうだったのだろうか。いまひとつだったという2曲は、サバイブしたのだろうか。私らもいい帰路が迎えられますように。

2019. 4. 19

ドラマー拓郎は伝説では聞いているが、実際にドラム叩く姿はなかなか観られない。貴重なのは、DVD「歩道橋の上で」のバックステージシーン。リハで戯れにちょっとだけドラム叩く吉田拓郎が観られる。これがまたカッコイイんだ。どうだい今度のライブでドラムソロは。

ドラマーの写真を観ると浜田省吾のこの話が思い出される(浜田省吾事典p.60より)

浜田
 最初のツアーのときは、借り物のドラム。当時、俺はドラムを持ってないの。…だから拓郎さんの仕事が決定したっていうんで、ドラムがない、困ったって、広島の友達にドラム借りて持っていったら、なんと拓ちゃん本人がアマチュア時代に叩いていた、そのドラムだったの(笑)。広島には、ドラムはそんなになかったんだ(笑)

 もう古―いドラムでね。…今だとベードラのところから支えが出ていて、それにひとつひとつタイコとかをつけるでしょ。そうじゃなくて全部バラバラにつける。それがグラグラになる(笑)。
―それで倒しちゃうんですね(笑)

  アマチュアバンド時代の拓郎のドラムが、浜田省吾を通じて、1974年のコンサートツアーで、拓郎と再び邂逅する。あら、でもこの写真のバンド、ダウンタウンズじゃなくてバチェラーズだわ。
 でも、凄くない? 。拓郎、浜省、ドラムセットが、縄のようによりあって音楽の歴史がつくられているんだよ。凄い話だと心震えるのは自分だけか。なんか、もうそれだけで幸せ。

2019. 4. 18

“「この曲を歌う日が来るなんて」というスイートで楽しい涙が出るあの曲”

 あぁぁぁ何の曲なのだぁと身もだえしながら、仕事場で、街角で、地下鉄の中で思案している。町や電車の中で1人でブツブツ言ってるオジサンが時々居るが、たぶんそれが私だ。
 今日の結果としては、となりの町のお嬢さん、チークを踊ろう、恋の歌が暫定候補だが、ここはひとつに絞って”となりの町のお嬢さん”ではないか。この曲はかつてステージでの再現性が難しいと御大が言っておられたが、現代テクノロジーの進歩とダブルキーボードと渡辺格のスチールギターあたりの威力で乗り越えたということなのではないか。

 わからん。どうせハズレるだろう。しかし、欲しいのは答えじゃないんだ。この身もだえするような”問い”の中に生き続ける。それこそが今しか味わえない幸せなのだと思う。

2019. 4. 17

 「スイートで楽しい涙が出るあの曲」…ああ何なのだぁぁぁ、朝からオッサンを見悶えさせるに十分な、なんと罪作りな謎を投げかけやがる。ともかく最後の「元気です」のフレーズが心強い。おかげで僕も元気です。

 フレーズといえば、東大の入学式の上野千鶴子先生の祝辞が話題を呼んでいる。確かにいろいろ素晴らしいと思うが。私が最も胸を打たれたのはイチバン最後の「ようこそ東京大学へ」である。>そこかよっ!
 別に東京大学でなくてもどこでもいい、学校でなくてもいい。「ようこそ」という言葉は、そこにたどり着いた人々を両手広げて迎えいれてくれる、そこまでの自分を温かく全肯定してくれるような抱擁力を私は感じる。
 1979年篠島オープニングの「ああ青春」を歌い終わった拓郎が開口一番叫んだ「篠島へようこそ!!」。
 篠島まで行く道行は物理的にも大変だったし、紆余曲折を経て、そこまでの溢れる思いを抱えてたどり着いたのは私だけではあるまい。というか全員がそうだろう。そんな"いろんなことがあったでしょう 人に隠れて泣いたでしょう"状態の観客に、拓郎が投げかけた「ようこそ」に思わず涙ぐんだものだった。
 ああ、YOKOSOってあったな。…ライブが終わったら、テレビもいいんでないですか。
そういう先の話でないか。とにかく日々のリハーサルのご健勝をお祈りしてるっす。

2019. 4. 16

 国際フォーラムにコンサートグッズを買いに行った。吉田拓郎ではない「嵐」だ。東京ドーム公演のグッズの事前販売をフォーラムで大々的にやるのというので、ライブに行く家人に頼まれたからだ。なんで私がと思ったが、私にも始まるこれからのことを忖度して応じた。
 溢れかえる女子の集団の中、右も左もわからないおっさんが分け入ってゆく。試練でしかない。

 それにしても、すげーな、ペンライト(2500円)は必需品だし、その他にもみんなへーきで1〜2万円は軽く買っていた。なぜ、たかがマスキングテープに命をかけるのだ乙女たちよ。ハイハイ、おじさん邪魔ね、どきますね。
 一回の公演が5万人だからもう社会科で習う巨大な第二次産業である。

 グッズといえば、先日の石山恵三氏の茶色いキャップは、2016年のTYグッズだった。私とお揃いだった。私たちは黙ってお互いを見つめあい一緒に写真を撮った(爆)。キャップのせいで会場で石山さんと間違えられて誇りに思う。
 今回もTYグッズが発売である。今年は何を買うか。がんばれTYISコンサートグッズ部門。但しチケット部門は猛省しやがれ。

2019. 4. 15

 先週、いつもの居酒屋で、モノ凄い博識の青年と一緒になった。私より20歳くらい若い。kinkiの光一君くらいの歳だな。
 彼の生まれる前の事にもかかわらず、ありとあらゆる音楽やラジオ番組について膨大な知識があり、びっくらこいた。昭和歌謡もJPOPもROCKもアメリカンポップスも無敵で、参加ミュージシャンから発表年度とその背景までたちどころに答える。また永六輔のラジオをマニアックに語り、ちあきなおみが紅白に出た時の山川静男アナのリアクションまで覚えていた。最近は鈴木茂のライブにも足を運んでおり、エイプリルフール、はっぴいえんど、キャラメルママあたりも造詣深く饒舌に語る。
 聞けば東京大学のご出身ということでやっぱりそういう天才的頭脳の持ち主なのか。ただその青年が、決して嫌味でなかったのは、博識さをひけらかすのではなく、その知識のひとつひとつに愛しい自分の気持ちがこもっているのがアリアリとわかったからだ。好きで好きでたまらない、たまらないから、もっともっと知りたいという欲求が彼を突き動かしているのを感じた。
 大瀧詠一の話で松任谷正隆、鈴木茂、島村英二らのバックメンバーの事を熱く語っていた時だった。われらが居酒屋のマスターが静かに尋ねた。「そのメンバーだと、もう1人男性ボーカリストが浮かぶよね?」
 するとそれまで何を訊いても饒舌に答えていた青年は、一瞬言葉に詰まってからこう答えた・・・
    「さあ?」
 その時それまで黙って飲んでいたNinjin designの雨畑の声が聴こえた。
「どんなにクソ知識があろうとオマエはアウト!
・・・心の声だったのか、空耳だったのか。いずれにしても青年のリアクションは私達の心にハガネを入れた。青年には気の毒だったが、これも上野千鶴子先生のおっしゃる「努力が報われない社会の一断面」と思ってくれ。吉田拓郎に出会ってからまた飲もう。

 それにしても、なぜこうもスッポリと吉田拓郎だけが抜けてしまうのだろうか。わかっている。青年のせいではない。青年はたぶんこの世界の「学習指導要領」のようなものを正しく学んだに違いない。しかし、その指導要領には、そのことがスッポリと抜け落ちていたのだ。私達は検定外教科書のようなものなのだ。そういう国に私達は生きているのだ。…残された私たちの酒も苦かった。

2019. 4. 14

 昨夜は、石山恵三バースデイライブ“石山、慕情歌うってよ2019”に行った(※正式なタイトルではありません)。恒例のライブながら私は今回が初めての新参者だ。
 ロックウェル1978の「うるせバカ」以来、私をとらえて離さない絶妙の話芸に笑いころげながら、でも音楽の神様はしっかりと曙橋に降りてきていた。さよなら僕は気まぐれ、いけない子供(爆)、見上げてごらん夜の星を、君と歩いた青春…懐かしさだけでは収まらない気持ちの高揚をいただけた。

 何度でも書くが「慕情」は圧巻だ。島村英二、エルトン永田らのソリッドな演奏に支えられた”石山歌うってよ”バージョンは聴かせていただくたびにどんどん心の深奥に入ってゆくような熟成感がある。もちろんオリジナルの拓郎の本人歌唱こそが唯一無二の絶品だが、「あなた=吉田拓郎」としか考えられないファンにとっては、この石山バージョンにも魂を感ずる。この一ファンのささやかな思いまでもがそこ代弁されているような、託されているような気分になる。勝手な思い込みで石山さんにはご迷惑だろうが。これはカバーというより原曲とは独立して対峙する何かなのだと思う。

 言うまでもなく「地下鉄にのって」は神曲だが、「各駅停車」こそは猫の中のベストであると私は思う。ああ内山さんボーカル最高っす。涙ぐむ。自然と立ち上がって拍手してしまう。
 47年間で1曲と石山さんは言うが、いいじゃないすかこの1曲があれば。願わくばこの1曲だけで一生遊んで暮らせるくらい報われるような日本であってほしい。

 個人的に感激したのは、元カーニバルの西木栄二さんにお会いできたことだ。カーニバルといえば私には「さよならロッキー」(竜真知子作詞 吉田拓郎作曲)である。私は、終演後の片づけに忙しく迷惑に違いないだろう西木さんに、無理矢理ipodを見せ「こうして毎日、さよならロッキー、さよならエイドリアンを聴いているんです」と、ハナシを少し盛ったが(爆)、偽りのない気持ちを告げて写真を撮っていただいた。ありがとうございます。

 生意気だが、懐かしさというのとも少し違う、このメンバーのこのサウンドこそが自分にとっての”ホームカミング”なのだと気が付いた。だから元気が出るのだ。

 石山さんお誕生日おめでとうございます。ありがとうございました。お体大切にこれからもご活躍をお祈りしています。

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 ※写真はなるさんのものを許可なく勝手にパクらせていただきました。

2019. 4. 13

 「俺たちの旅」に引き続いて、テレビ神奈川で始まった「ゆうひが丘の総理大臣」の再放送を観ている。リアルタイムだった高校生の頃はちゃんと観ていなかったので、こうして今あらためて観るといろいろ発見と再見がある。例えば、中村雅俊の下宿のおばさんが、樹木希林で、その娘が岡田奈々という、未亡人下宿とめぞん一刻が一体となったような夢のような下宿である。おい。

 長らくこの番組の主題歌が「青春試考」だったと勘違いしていたが違った。「ゆうひが丘の総理大臣」の前の「青春ド真ん中」というドラマの主題歌だった。不覚。といっても同じ中村雅俊が教師役で共演陣もかなり重なっている同工異曲のドラマだったので情状酌量の余地があるか。

 「草川祐馬」という当時のアイドルが不良生徒役で出演している。♪死んだ兄貴がオレを殴った若者時代。懐かしい。
 最近になって知ったのだが、彼は、白鳥哲の「ひとりだち」(松本隆作詞 吉田拓郎作曲)をカバーしていたのだ。この事実は、私にはかなりの重大事なのだが、この感動を誰も共感してくれない。人々は「知らない人が歌った知らない曲を知らない人がカバーしている」という学食のハムより薄い反応である。けっ。この国を見限ってやるのはオレの方だ。 草川祐馬は歌も結構うまかった記憶がある。白鳥哲の歌唱力がかなりショボかったので、草川祐馬バージョンには期待が募る。今、その中古レコードを買うかどうか思案中だ。アルバム「何をためらう若い日に」…なんてぇタイトルだ。タイトルだけなら「今はまだ人生を語らず」にも負けていない。

 気の毒だったのはリアル草川祐馬御本人は重い病気になってしまって、このドラマを途中降板してしまったことだ。何年間か休業し闘病のすえに芸能界に復帰した時は、アイドルではなく役者専門になっていた。今も確か「相棒」にも出演しているらしいが、すまん、観ていなかった。でも名脇役としていろんなドラマで活躍されているのは観ている。
 
 で、話はここからだ。急遽、草川祐馬が降板したので不良生徒役が空席となった。その代役として転校してくるのが、かの「松原秀樹」なんだよ。今や当代随一のベーシストとして既に12年以上も拓郎のベースを支え続けてきてくださったその人だ。調べたら第17回から登場だ。たぶん再来週くらいの放送か。これからとてもお世話になる人だ。40年前のご尊顔も観ておきたい。

 今は笑顔の印象的な可愛いおじさんという印象の松原秀樹だが、当時のドラマでは喧嘩のめっぽう強い、危ない不良役だった。リハーサル中に拓郎が「起立!!」と言ったら「うるせーな先公」とか言わないだろうか。心配だ。中村雅俊を常駐させておいたらどうだろうか。

 そして、もうひとり、このドラマには私にとって切ない人が出ているのだが、たぶん明日につづく。

2019. 4. 12

 連日の拓つぶ更新。ファンサービスの思いやりもあるのだろうが、それにしても書かずにいられない、そういう、たぎる思い、魂の躍動を感ずる。それだけのことが、吉田拓郎とあのスタジオに日々起きているのだろう。

 Youtubeは楽しみだが、リハの様子は記録用のカメラで録画されているのだろうか。NHK SONGSの時みたいに。
 73歳がスタジオでコンサートに向けた音楽を作っているのだ。凄いじゃないか。どんな番組か未定でも、まずは録っとくべきだろ。サプライズバースディの様子、これは想像だが、昨日のつぶやきのとおり、「イマイ、オレを誰だと思ってるんだ!!」と啖呵を切っている微笑ましい様子。そんな拓郎の一挙手一投足のすべてを観たい。それは私たちにとってあらゆる意味に満ちているに違いないのだ。今は無理でもいつか観たいし、未来の人に観てほしい。拓郎やミュージシャンはウザいと思うかもしれないが、それだけで一篇の記録映画になる。未来に残すべ遺産だと思う。
 ピエールやカルロスを追いかけるカメラたちよ、無駄なことはやめて、御大に密着してこのスタジオの様子を映像記録として残してくれと願う。
 なんなら私が撮ってやってもいいぞ(笑)。いや、カメラの腕利きで、毎日スタジオに貼りついて撮るのは全全OKというファンは私が知ってるだけでも確実にいる。きっとこの世の中にもあまたいるに違いない。

 それにしてもコーラス隊の若者よ、FromTのデモテープを聴けば、あんなメールは出すまい。甘く見おったな。むふふふ。

 さて金曜日の朝か。今週は居酒屋に行っていない。ああ行きたい。※写真は件の居酒屋ではありません。

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2019. 4. 11

 リハーサル2日目の詳報も嬉しい。順調のようで何よりだ。きっと番組を続けていたら、リスト曲を喋っちゃっていただろうな。それはそれで楽しかったろうが。せめてボツになった曲だけでも教えてはくれないだろうか。そしたらこのサイトでねんごろに供養させていただきたい。なんだそりゃ。

 “音楽が海なら私は魚”とでもいう感じの生き生きとした拓郎の様子が伝わってくる。あらゆる鎖を身をよじってほどいて、もっともっと存分に自由に泳いでくだされ。

 途方にくれ、世界を呪い、道なき道に迷っていたツアー参戦にも、ようやく道がつき始めた。”孤高”といいながら、結局は周囲の方々のあたたかい励まし、お心使いまたご協力によって生かされている自分であった。感謝しかない。ありがとうございました。不肖星、全力で見届けさせていただきます。拓郎おまえもがんぱれよ(爆)。
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えっ、2日で9曲(驚)…おそれいりました。

2019. 4. 10

 いよいよリハーサル開始の初日詳報にどうしたって身体はウキウキと弾んでくる。ずいぶん早い始動なんだねぇ。そして私の魂は「30曲」「ステージで演奏したことのない曲」あたりに浮遊霊のようにウロウロ飛んでゆく。良かった。キーボードバトルかぁ楽しみだ。会ったことないけれど、頑張れ村田、村石。ああ、観たい。スタジオでの拓郎の一挙手一投足を切に観たい。本当に身体を大切にしつつ思い切り飛ばしてください。そして30曲全部がボツなく聴けますように。

 ケーシー高峰さん逝く。今夜は、居酒屋で”たえなる時に”aroundを聴こう。そう思った人は会ったことなくても友達だ。幻のPV、これもぜひ観たいなといいながらエア献杯をしましょう。ご冥福をお祈りします。

 あった。ありがとうございます。

2019. 4. 9

 BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」を観た。おお、この曲か。吉田拓郎だったらこの曲というフォーミュラや定番などではないこの選曲。勝手な推測だが、夥しい数の拓郎の曲が脳内に押し合いへし合いしている、その中から押し出されるように出てきた感じがして嬉しいのだ。
 おお馬場だ。最近ご無沙汰している原宿の地下の店や、ちょっと遠いが塩山の駅前などなど、深夜の帰り道にこの曲を思い浮かべるためだけに町中華に行きたくなるってもんだ。あらためてなんとチャーミングなやさしいボーカルであることよ。

2019. 4. 8

 気づいておられた方は気づいておられて既に話題になっていたのかもしれないが、不肖私は昨日、日記を書きながら初めて気づいた。
 Live73yearsをご提供くださる「ブルボン」と拓郎が昔日にペニーレインで飲んでおられた「バーボン」。横文字で書くと「BOURBON」と綴りが一緒である。
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 あらら。どちらも語源というか淵源は、フランスのブルボン王朝にあるらしい。

 吉田拓郎がペニーレインでバーボンを飲んでしたたかって酔っていても、そうではなくてペニーレインでブルボンのルマンドをポリポリと食べていても、どちらも、英語で書くと“BOURBON in PENNY LANE”となるのだ。
 かつては飲んだくれで今や甘党になった吉田拓郎。そういえば話はそれるが、ラジオでナイトの最終回でパティシエさんの「甘いケーキが食べたい」とか言っていて、私は軽いめまいがしたものだ。だって、かつて”甘いケーキは食えないよ”(この指とまれ)と歌った人だ。かくして人生はいくつもの形に変わってゆく雲のようなものなのだ。
 その辛党から甘党への変化をも大きく包み込むBOURBONというフレーズの深さを思う。

 ともかく今日の吉田拓郎があり、私たちがあるのはルイ14世のおかげであることを知った。さすがすべての道は拓郎に通ずるのだ。よくわからないけど起立!!

2019. 4. 7

 日曜日ではあるが深夜になっても、もう「ラジオでナイト」は無い。「滝良子のミュージックスカイホリデー」も「五木寛之の夜」すらもやっていない。起きてても何にもイイ事ないみたい…とはこの事だ。いくら外が快晴で桜が咲き誇ろうとも楽しいはずがない(爆)

 楽しくないと言えば、これまで一般発売の電話がつながった事はないし、つながったという人も身近には皆無だ。抽選もほぼ同様である。「神田共立講堂で会いましょう」と御大は言ったけれど、まことにキビシイ。特に、どのくらいのキビシイ競争なのか、そのレベルがまったくわからないことがさらに不安を倍加させる。

 経験的にアタリものでは、”名糖ホームランバー”のアタリもう一本と”フィリックスのガム”のアタリもう一個”が浮かぶ。これは子供のころ結構アタリがあった。同級生のUくんはホームランバーが3回連続アタリでアイスの食い過ぎでお腹をこわしていたほどである。これらのアタリよりもキビシイ事は確かだ。
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 するってぇと、もっと上のレベルか。となると”嬉しい白ですブルーダイヤの金銀パールプレゼント”と”森永チョコボールの金のエンゼル”が考えられる。
 ブルーダイヤで当選したことなどないし、当選した人の話も聞いたことがない。あれは洗剤の中に金銀パールが入っているのか。
 しかし、森永チョコボールの金のエンゼルは、自分には全く経験がないが、小学校の同じクラスのHさんが金のエンゼルを出したことがあった。また義姉も小学生の時、金のエンゼルを出したことがあるらしい。ブルーダイヤよりはやや緩そうだ。

 なので、神田共立の競争レベルは、”ブルーダイヤ”と”森永チョコボール”の中間あたりではないかというのが論理的結論だ。>どこが論理的なんだよ

 そもそもTYISやニッポン放送が抽選するのであれば、仕方ないとも思うが、全部「ぴあ」に委託して「ぴあ」が抽選するのもなんだかな。ぴあカードも持っていない私にそもそも勝ち目はあるのか。
 たとえば、好きな人に思いをこめてプロポーズしたら、その返事が本人からではなく、オーネットから厳正なコンピュータ相性診断結果に基づいて当落通知が届くというようなものだ。※オーネットさんはそのようなサービスをしていません。

 ともかく厳正な抽選を前に私たち人類にはもうなすすべがない。というわけでブルボンさんが、ルマンドの中に「金のルマンド=神田共立当選引換券」を混ぜて神田神保町バージョンで売ってはくれまいか。かつてカップスターを36個食べた私たちである。アイツの神田共立に行けるのなら、もう一度困難に立ち向かおう。この心が老いない限り、抽選に生殺与奪のすべてを任してしまうのでなく、どこかまっとうな努力が報われるの余地も欲しい。…それはそれで大変なことになるか。
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2019. 4. 6

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 うどん屋のおばさんがくれた領収書。彼女は4月1日から新元号がスタートした思っているに違いない。”おばさん、まったくもう”と笑ってしまったが、よく考えると彼女こそが”一歩でも半歩でも未来に進む”という御拓宣を体現している気がする。”勝手に元号が決められたけれど、アタシの都合でとっとと始めるよ”というロックな精神の発露なのではないか。

 記憶違いの可能性も少しあるが、1979年の篠島の時、19:00開演なのに、18:50には「ローリング30」が流れ、18:55には、拓郎は、もう「ああ青春」を歌っていた。開演時間を過ぎて始まるライブはたくさん観たが、開演時間前に歌ってしまうライブはこれが初めてだった。
 
 そういわれると2009年の開場と同時に歌っていたのも忘れられない。それも「無題」と「たえなる時に」という珠玉の豪華日替わり定食だ。もう前代未聞だったわな。

 これらを私は勝手に「贔屓の前倒し」と呼んでいる。もう万感の思いを募らせて、心は先へ先へと走りだすのである。美しいじゃないか。

 今回も、開場後の客入れのビリー・ヴォーン楽団の「星に願いを」を味わうところから、これまた前倒しで始まるということだ。いいなぁ。今年も素晴らしい贔屓の前倒しを星は願う。

2019. 4. 5

 お誕生日おめでとうございます。いよいよ73yearsの船出。あらためて御大、長寿と繁栄を。

 我が家の日めくりにも、ファイティング原田に次ぎ、鳥山明、野村萬斎を下に吉田拓郎が堂々と記されている。おお、長嶋茂雄がデビューした日か。金田が長嶋の三振に大器を感じたというあの日なのか。まさにいろんな大器伝説が生誕する日である。ちなみに私の「拓郎さんの音楽会」行きに同行して四国、京都に一緒に旅行した亡義父の誕生日でもある。
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  それにしても「朝令暮改」とは(爆)。むはははは。解説には「セットリストの”朝陽がサン”を”暮らし”に改めること」と書いてある>書いてねぇよ。

 音楽を愛することにブレがない御大にとっては、常に変化し成長を続けるという意味に違いない。願わくば、エンディングを弾いているといいながら、しれっと次の曲のイントロを弾き始め、最終章といいながら次の新章が清々しく始まる、そういう朝令暮改をひそかに待っております。

2019. 4. 4

 ミック・ジャガーの心臓弁手術と全米ツアー延期は結構ショックだった。幸い復帰が可能ということと現在のマイアミでの元気な様子が報道された。しかし無敵のミック・ジャガーも人間だったのだ、という事実の衝撃は大きかった。以前、キースリチャーズが椰子の木から落ちてツアー延期という時とは異質なショックがある。
 人間はみな脆弱だと思い知らされる。吉田拓郎もミック・ジャガーもキース・リチャーズも然り。絶対永遠に生きているだろうと思っていた、かまやつひろしも内田裕也も天に召されてしまった。
 脆弱な人間がステージにあがり、脆弱な人間たちがそこに集う。コンサートなんてチケットを入手すればあたりまえに観られるもの思っていたが、尾根伝いの細道を手探りで行く様な危ういものなのだとあらためて思う。一日一日、一歩一歩という言葉が心にしみる。私が言う事ではないし、言われたくもないだろうが、今年のハレの日に向って自愛に次ぐ自愛で大切に大切に歩んでまいりましょう。

2019. 4. 3

 高知から徳島に向う。目指すは大塚美術館。

 入館するといきなりシスティーナ礼拝堂の壁天井画が広がり、レプリカとはいえ感無量だった。現地バチカンで観た時の感動は唯一無二ものだが、立錐の余地なく落ち着かずに眺めたあの時と違ってベンチに背をもたれて好きなだけ荘厳な天井を観ていられる。それはそれで至福の時だ。

 昨年の大晦日の紅白で米津玄師が、ここで“Lemmon”を歌ったんだよな。悔しいな。私の脳内計画では、ここで吉田拓郎が、“約束〜永遠の地にて”“神は必ず旅を許される”“ノアの方舟が笑って消えた”を歌うはずだったんだ。やむを得ない。ここはひとつ本家バチカンでどうだろう。怒られるか、すまん。

2019. 4. 2

 坂本龍馬熱愛の人に連れられて四国に行ってきた。御大の2006年の四国・九州シリーズで松山に行ったのも同じ頃だった。亡義父と食べた労研饅頭、ああ何もかもが懐かしい。

 龍馬の生誕の地から桂浜まで、あちこち聖地を着れ廻されながら「アンタは武田鉄矢か」と心の中で思い切りツッコミを入れていた。しかし、誰かにとことん惚れこんでいる人にはどうしても共感してしまうし、実際に坂本龍馬という人の素晴らしさも間接的ではあるが、しみじみと伝わってきた。

 桂浜の坂本龍馬記念館には、高杉晋作が龍馬に贈った6連発の拳銃と同型のものが展示されていた。本物は、寺田屋で本人が実戦で実施して以来行方不明らしい。

 吉田拓郎は武田鉄矢に拳銃を贈ったりしていない。あったりめぇだろ。
 武田鉄矢が語っていた拓郎の言葉「ギター持つ手で銃は持てない」が思い出された。吉田拓郎が武田鉄矢に贈ったのは、拳銃ではなく“唇をかみしめて”と“RONIN”に代表される超絶な名曲たちだ。だから吉田拓郎だって素晴らしいのである。・・・とこちらはこちらの妄想に入る。未だ僕の旅も終わっていません。
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2019. 4. 1

ラジオでナイト 第100回 2019.3.31
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。いよいよ今週で打ち切り(笑)。さっきスタジオにユーミンが来て、久しぶりに話しをした。君の足がきれいでコンサートを観にいったとか、いろいろあったこととかワケのわからない昔話をした。ユーミンと石川セリのパックインミュージックに井上陽水とおしかけたこともあった。当時、一人暮らしの家に遊びに来たりもした。久しぶりだったな。

 この番組はひとりでやってきた。最初にゲストはいらないからと言った。聴取率のためにゲストを読んだりしなくてもいい。なんもかんもひとりでやりたいと言った。
 これが良かったな。音楽を色々と紹介した。音楽が永遠の友達と伝わったという気がした。音楽と人間関係。人間関係はいろいろあってうまくやれなかったこともあったが、音楽とはうまくやって来られた。人生だからいろいろ出会い別れがあった。でも音楽は傍らにいて助けてくれた。

 音楽は素晴らしい、ずっと音楽と一緒にいたことを誇りに思うし、音楽は永遠の友達だ。その友達をより多くの人に紹介したい。だから新しい曲をつくりたい。

 最終回ということでいろいろ考えたけれど、能力のないスタッフでいい案がなかったので(笑)。普通どおりメールを読んでお茶を濁そう。

<最後のコンサートの予想、難病で戦っているが 楽しみにしているという投書>
 思いっ切り楽しんで欲しい、そういう中身だ。しんみりする曲もあるけれど全体としてハッピーで幸せで明るいステージだ。

<こんなにも素敵な放送ありがとうございました、いろんな音楽という投書>
<このためラジオ買った、夫が、拓郎さんが教えてくれたコードを練習するためにギターを抱えている、君のスピード、慕情などをリクエストするとを歌ってくれる、65歳の夫婦だが会話が増えたという投書>
 いい旦那だね。ウチでもないよ(笑)。夫婦は会話がないのはダメ。夫のことを話さない妻、妻のことを話さない夫はダメだな。お酒とか飲んだ時はにもウチはこうだとか話すのがいい。

<ひらがなの”よしだたくろう”の頃からのファンという投書つづき>
 若い人からメールがたくさん来ている。これなら続ければよかったなと思ったりして(笑)

<19歳、拓郎には打倒米津という投書>
<米津、あいみょんも拓郎さんから教わりましたという投書のつづき>
 いろいろな音楽を教えてもらって勉強になったな。
<名古屋在住で息子夫婦の嫁が実家に帰ってしまい、そこで私が かーちゃんが帰って来た時は一発やったものだと言って顰蹙を買ったという投書>
 バカだね(笑)。面白いな。
<「何もないのです」をこきおろして済みませんでした、歪んだネット社会の警告とは気づかなかったという投書>
 私も気づかなかった(笑)。聴いてみようか。

M-1 何もないのです   吉田拓郎

 これは鋭い、 歪んだネット社会を予感していた(笑)
井口ハーモニーだめじゃん、音程はずれてる。こういうのを出してしまうレコード会社が信じられない。

<寂しいのは拓郎さんの笑いが聞けないこと、その大笑いを聴くと元気が出るという投書>
 国際フォーラムでいきなり「ハハハハ」と笑うのか。そんなステージがあるのか。

<母がライブに行くのよとビキニを出しているが、何の集会があるのですかという投書>

<リスナーからオープニング、メンバー紹介、ラストに聴きたい曲を募集しながら、結局は参考にする、しないはオレの勝手だ、期待には応えられないと言ってしまう拓郎さん、という投書>
 ははは(笑) でもね、そんなこともない。参考にしているところもあるよ。これいいかなと番組で言ったのが、入っているよ。重要な部分に入っているのが2曲くらいあるよ。意外と期待できるよ。

<夫婦ともにファンで金婚式、45年前から支えられて、コンサートもハワイツアーもいったという投書>
 ハワイ行きたいな、みんなどうだい?最終回なのにどうだい(笑)

 チケット転売はダメだよ。
<チケットはないけれど、自分は拓郎さんが嫌っているファンで弾き語り大好きな昔からのファンという投書>
 ダメだよ。過去は時々昔話するのは健康にもいい。僕も昔の歌も歌うけれど、心のありようとし は、そこにこだわっていけない。過去は変えられない。一歩でも半歩でも明日のことを考えよう。年齢も関係ないよ。

 この人は車が好きなので歴代の車を教えてもらって嬉しいということだが、今乗っている車種は何かと聞かれた。言うまいと思ったが言ってしまう。今は天国に召されたかまやつひろしさんと直前までよくメールをしていた。若いバンドが好きだった。最後まで若者とつながって居ようとしていた。ムッシュに「最後に乗り納めの車を探している」と相談した。ポルシェ、ベンツでなくて4WDが いいなと言ったら、「拓郎には乗ってもらいたい車がある」と言われたのが白のミニクーパーのカントリーワゴン、森山良子も載っていたかな、木枠の窓なんだ。「拓郎は小さい車には乗らないかな?」と訊かれて、ジムニーに乗っていたことがあった。光一に勧められて乗っていた。色は塗り替えてハイライトブルー。珍しかったけれど。あまりに派手なので短かった。
「ジムニーに乗ってたんだったらミニはいいよ」と言ってくれた。この色が今はもう発売中止なので貴重らしい。あんまり乗っていないんだ。駐車場に飾ってあって、毎日ごみ捨ての時に、「よしよし」と撫でている(笑)。
 バッテリーが上がってしまうので一か月一回、事務所のMくんが運転して神奈川の家に乗って行ってもらっている(笑)。

<おじさんの海パンはダメか、トランクスでなく競泳用水着で行くことを許可してくれないかという投書>
 客席が40、50、60歳のビキニと海パン水着。そんなの絶対に許可しない。歌いたくないよ。歌える曲は一曲もない。あるとしたら、最初にステージに出て行ってハハハハと笑って、♪あの山の向こうに何がある…それ以外はいやだ。

<3歳の娘がファン、シンシアを歌う、自分も父から拓郎を教わった、娘とライブに行きたいのでそれまで歌ってほしいという投書>
 娘が歌えるまで10年というと80歳か。よし、そこまで歌うかな。

M⁻2 シンシア  よしだたくろう& かまやつひろし

タイトルを言ってなかったことに今気が付いた吉田拓郎のラジオでナイト

■オープニング
 ライブ73のジャケットのテレキャスターを今も大切に持っているという人の写真をいただいた。懐かしい。ギターを抱いているお嬢さんが可愛い。大事にされている。でもライブ73というと昔話だな。そういう感じだ。大事なのは今なんだよ。今度のコンサートの内容もいいたい、一曲目・・・

■CM明け
 みなさんに毎週マイフェイバリットで聴いてもらってきた。音楽はいいもんだ。それで人生観が変わったりすることがある。今週はもうひとつ聴いてほしい。
 オールディーズから最近のヒット曲までいろいろな音楽を紹介したけれど、いわゆるスタンダードも永遠だし、こういう曲も聴いてほしい。永遠のスタンダードは心も和む。
スタンダードといえば、フランク・シナトラ、トニー・ベネット、アンディ・ウイリアムズ、女性では、ペギー・リー、ジュリー・ロンドン、ドリス・デイといろいろいる。

 これらのスタンダードは、本当にボーカルによって心が和み、解放される。今日は、。黒人歌手のナットキング・コール。ビロードの声とはよく言ったものだ。

M-3 モナリサ ナットキング・コール

■CM明け
公演名:神保町ミュージック フェスティバル 
    ニッポン放送開局65周年記念
     吉田拓郎 ライブでナイト 2019 in 神田共立講堂
公演日:2019年07月10日(水) 17時30分開場 18時30分開演
会 場:神田共立講堂
チケットは20000円
オリジナルグッズとチャリティがある。

 公演の内容はコンサートツアーの本編とは少し違う。リハーサルで曲をたくさんやって何曲か差し替える。インストルメンタルでやってみたい。名うてのミュージシャンがいるし、 僕もギターを弾く。そういうのもいいんじゃないかと思う。

 チケット先行予約  ニッポン放送とこの番組のページで。

 神田共立講堂でお会いしましょう

■CM明け
<21歳パティシエ キビシイ修行に挫けそうに ガンバラナイけどいいでしょうに励まされたという投書>
 先日もパティシエのコンテストを観たけど、おいしそうなチョコケーキ、食べたいな。なんで好きになったんだろう。甘いケーキを作ってほしいな。

<横浜に行く、2009年にガンバラナイけどいいでしょうが良かった、78年のガナリ声もいいという投書>

M-4 ガンバラナイけどいいでしょう

<22才、名古屋に行くが、4月から社会人なので間に合うか、開演時間を遅くしてという投書>
 ダメ。6時に入らないと。今回は客入れの時から客出しまで重要。客入れはビリーボーン楽団に決めてある。「星に願いを」とかも流れる。そこから聴きながら本番を待つ。だから6時には会場に入ってろ。コンサートが終わって「夏の日の恋」を聴いてからゆっくりと席を立て。一気に帰るな(笑)

<21歳、幼少期ドライブ中に父が聴く拓郎さんを知った、初の帰省、車中で聴いた拓郎さんの歌がピッタリで涙が出たが、父に観られないように頑張ったという投書>
呪われたって感じかな(笑)。人生も学校でもこれからからいろいろあるでしょうが、いい人生を送ってください。

<20歳、前回の放送でいよいよリハーサル始まるのかと楽しみだという投書>
 楽しもう。泣かせる、しんみりした曲もあるけれど、全体はロックンロール。広島のアマチュアのロックバンドの気分でセットリストもリハーサルもしようと思っている。
 小冊子に書こうかな。広島のバンドそこから始まっているという話を書こうかなと思っている。

<18歳、初めて読まれたのが洋楽のリクエストが忘れられない、アネット・バニセロのパイナップルプリンセスをお願いしたら、田代みどりだろと言われ、17歳も嘘だろと信じて貰えず、田代みどりのをかけられてリクエストが半分かなえられたという投書>
聴いてみようか。

M-5 パイナップルプリンセス   アネット・バニセロ

■エンディング

 コンサートは一曲目はあれで、3、4曲続けて、4、5、6と3曲、7、8曲が繋がって、10、11、12、13と4曲続けてもいいかな、14、15、16曲あたりでメンバー紹介、武部のぶっとび、そのあとに感動のこの曲、そのあと軽くかわいい曲、全曲吉田拓郎の作詞だから。春だったねも落陽もない。一部の最後はこの曲。アンコールはこれ、名古屋では変えてこっちにしようと、久しぶりなんで。関東ではこうしようと… 

 この放送は100回、休まずにひとりでやった。ライブが終わって落ち着いたら、またMさんから話があるかもしれませんが、今のところその気はありません。

 番組のアドレスは開いておくのでコンサートの感想とか送ってください。それではみなさんコンサート会場でお会いしましょう。

 吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆何もかもひとりで100回。お疲れ様でした。

☆先週は驚天動地の放送だったが、今日はとてもナチュラルに流れていった。音楽の素晴らしさ、大切なご拓宣も、これまでの放送の中に十分にあったのであって、格別に最終回だから、どうのということではないのかもしれない。とおい昔、某記者会見で「やさしさというものは最後の時に出てくるものではなく、これまでの生活の中にあるものでしょ」と言った御大を髣髴とさせる。

☆第一回の放送は、かまやつさんが天国に召されたという話だった。まだ日の浅い哀しみの中、思い出話で笑わせてくれながら“シンシア”を流した。そして今回、かまやつさんの置き土産のような愛車の話とともに“シンシア”を聴けた。観たい。いつか写真をUPして欲しい。

☆「ずっと音楽と一緒にいたことを誇りに思うし、音楽は永遠の友達だ。その友達をより多くの人に紹介したい。だから新しい曲をつくりたい。」 御意。待っているぞ。
☆「思いっ切り楽しんで欲しい、ハッピーで幸せで明るいステージだ。」望むところだ。どっからでもかかってこい(爆)
「神田共立講堂でお会いしましょう」。「わかった、わかったからチケット送ってくれ」と誰もがラジオの前で身もだえしながら叫んだことだろう。

☆パイナップルプリンセスをリクエストした18歳の方に、今度は田代みどりではなく、アネットバニセロでさりげなく応える。やさしいな。

☆本当に若い人のメールが多かったな。LOVE2の頃は、女子中高生ファンのバブル現象に困惑したものだが、この歳になると「頼むぞ若者」と心の底から伏してお願いしたくなる。君らは未来に向って蒔かれた種なのだ。

☆ライブがあり、新曲もある。一歩でも半歩でも前へ。「・・・娘さんが歌えるまでというと10年・・・80歳か。よしそこまで歌うかな。 」とつぶやいたが、もちろん言質をとるのではなく、これからの“よすが”として大切にしまっておこう。

☆☆☆  星紀行今日の学び ☆☆☆

吉田拓郎こそが心を解放してくれる永遠のスタンダードである。
果てしない冒険に充ちた最終章でありますように。
”No termination date. I didn't know how long we had together... Who does?”

2019. 3. 31

 小田和正の「風のようにうたが流れていた」を観た。やっぱり「春だったね」が嬉しい。いい曲だよなぁとあらためて思う。リフレインも良かった。
 それにしても、いつ見ても満面の笑顔と楽しそうなノリと美しさ、すべてにおいて観客はかくあるべしというお手本のような客席。…ああなんか言ってしまいそうだ(爆)。…見習おう。

 矢野顕子と小田和正のスタジオリハの会話シーンで、「リット(リタルダンド)」とテロップが出た。音楽音痴の私にはわからん音楽用語だったが。「リット」は「リタルダンド」のことで、調べるとテンポを次第にゆっくりと落としていくことのようだ。

 思い当たったのは、昔「すばらしき仲間U」のSATETOツアーの密着ドキュメントで、スタジオで拓郎が言っていたことだ。
 拓郎が、「制服」のリハでバンドに指示を出す。

「…リット前からそちらでワーっと包み込んでくれると、この”ゆく年くる年”(ハーモニカホルダーを示す)が涙が、出るんだよな」

 「リット」と言っていたのか、そういうことか。「制服」の最後の♪振り返りながら僕は〜〜ところあたりでテンポをゆっくり落として歌い上げる、その直前ありたからバンドが全体で包んでくれると、最後のハーモニカの「故郷の廃屋」が涙が出るほど際立つ…そういうことか。わかるのが遅すぎたが。"ゆく年くる年"はスーパージャム79の年末のことか。

 バンドで「制服」。ああ聴きてぇ。これこそが真のブルースなのではないかと思う。

さて、今夜はいよいよ最終回だ。

2019. 3. 30

 朝ドラ 「まんぷく」最終回。昭和46年。新発売というより新発明といっていいカップヌードルを歩行者天国で売り出すシーンを観て個人的に感動した。まさにこの時だ。小学生だった私は父親と一緒にホコ天を歩きながら、人々がみんな得体の知れないカップをすすりながら歩いているのを見て「アレは何だ??」と父子して驚いたことを鮮明に覚えている。まさに誕生の瞬間だったのか。

 それから25年経って、大人になった私は、違う会社の商品であるが、カップ麺を一時的に大量購入、大量消費しなくてはならなくなった。ある道を行く、ある種の人々は、ある目的のために、どうしてもあるカップ麺をある個数だけ食べなくてはならなかったのだ。本人もガチでCM出てたし、今思うと凄い時代だったよね。
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 何かというと「昭和」だ「平成」だと元号に結び付けるのは好きではない。でも、昭和から平成の切り替わりの時、世間的には吉田拓郎は昭和の時代に既に功成り名を遂げた過去の人になりつつあった。今でいう「オワコン」というのか。拓郎を愛し続けるファンにとっては、"今もこんなにいい歌を作っているのに、なんでだよ"と悶絶しながら、そういう自分も世界から置き去りにされてしまうような寂寥感に満ちた時代だった。このサイトでは、勝手に、「氷河期」、「冬の時代」、「極北の時」などと呼称している。それが平成の幕開けの頃だった。

 しかし、その後の想像もしなかった大展開。私は吉田拓郎の数々の名曲と名演とドラマと冒険とを胸に刻むことになる。今はその胸を張って言える。
 平成の吉田拓郎も面白かったねぇ。面白いなんて、不謹慎か。いや面白かった。ずっとファンでいて幸せだったと心の底から叫びたいくらい面白かった。

 私は宇宙歴(stardate)で生きているので元号はもちろん西暦すら関係ない(爆)。その宇宙歴で流れるスタートレックの名セリフを借りてしまう。
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私はこれまでも、そしてこれからも常にあなたのファンです。御大、長寿と繁栄を。

2019. 3. 29

 仕事で千鳥ヶ淵付近を通りかかると桜も人もいよいよ満開のようだ。

 しかし桜がどんなに美しかろうと千鳥ヶ淵の主役は、桜を周りにはべらし、タマネギをおつむりに戴く「日本武道館」であると私は思う。
 もうずいぶん昔、桜の頃に、今は震災で閉館してしまった九段会館の屋上ビヤガーデンに拓バカたちと行ったのを思い出した。九段会館から桜に包まれた聖地・日本武道館を眺めながら、拓郎のことを思うて飲んだくれた。よく考えると、あれ以上の千鳥ヶ淵の花見はないかもしれない。♪そうさ、あの日がすべてぇぇぇ〜ってそれは布施明だ。


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「武道館大ホール」って武道館に小ホールはないだろ。でも聖地武道館だからこそなのだろう。
 その武道館大ホールだが、もう吉田拓郎はここでは歌わないのだろうな。
 さらば武道館…それでも武道館よ屋根の梁を高く上げよ。

2019. 3. 28

 ちょうど1年前。2018.4.1の第50回放送だ。

☆☆☆☆☆
<私は若い頃はいろいろ挑戦し達成感があったが、最近はその達成感ないという投書>に対してこうに答える。

 それは君の勘違い。一日を大切に生きる。やさしい気持ち、おだやかな気持ちで一日を過ごすこと、そのことだけで見事なる達成感を味わえるようにならなくてはいけないし、それは見事な達成なんだと僕は思っている。
 だから一日一日、日常を大切に生きることは、口で言う達成ではないかもしれないけれど、心にある達成だと思う。僕は、今、日一日と達成…達成というのは言葉が違うかもしれないが、充実していて、寝るときに、今日も一日元気で良かった、明日もこの調子で行こうかな、そういえる日常を目指して生きている。そんなに達成感を大袈裟なものに求めなくていい。  
☆☆☆☆☆

 このときも感動して書きとめていたが、第99回を聴いてからあらためて読むと心のもっと奥深くに刺さってこないかい。

 ラベンダーか。NHK「タイムトラベラー」を思い出す。「季節の花」。ライブで聴きてーなー。このリクエストを番組で読んではくれたけれどスルーだったから歌わないかな。ケンソゴルのお願い。いみふ。

2019. 3. 27

 夜中にLIVE2016を観直す。案の定、観え方が全く違う。これまでは2012年から続く武部・鳥山とのルーティーンワークとしか思っていなかった。しかし不遜な言い方だが、これは想像もつかない苦闘を経て拓郎が再び掴み取ったボーカルでありステージだったのか。そう思うとあらためて拓郎の一挙手一投足の意味合いが全然違って見えてくる。そしてあの流星だ。・・・いかに私の観方がうすっぺらだったかということもあるが、それは置いておく(爆)。

 ”ぼくのあたらしい歌”はメロディーは弾むようなポップでイイ感じだけれど、詞がスイートホームみたいで気恥ずかしいと思っていた。今は違う。”いろんな季節を君と旅してわかったこと”、”愛してるってなんてテレ臭いんだ”、・・・この時こそ歌う歌、というか"捧げる歌"だったのかもしれない。

 とにかくいつも以上に思い込みと思い入れがミキサー状態なってしまい、そこに、知らぬこととはいえ"拓郎すまなかったな"という忸怩たる思いも交錯する。観ていると"…地球か、何もかも皆懐かしい・・・”という万感モードになってしまうのである。いみふ。なんかいたたまれない気分に陥ってしまうのだ。
 だからこそ、これからのあたらしい歌、あたらしいステージを観たい聴きたい。すべてはそこからゼロの気分で仕切り直しだ。今度は、耳をかっぽじって、目を皿のようにして、全身をアンテナにして、一片の音も言葉も逃さずに、満喫したるわい。

 と思うていたら拓つぶでのバンドメンバーひとりひとりの紹介というよりエール。昔からバンドメンバーにこういう温かな愛の注ぎ方をする人だった。アタシに言われたくないだろうが、どうかこの愛に応えて今度のステージは渾身のバンドとして拓郎と一丸になってくれ。数少ない先輩のためだからとユーミンに手をあわせてこっちの方に命がけの全力投球をしてくれ。頼む。

2019. 3. 26

 ニュースになってしまったので仕事場の人々や友人知人から「拓郎さん大変ねぇ」とあちこちで声をかけられる。そのたびに「あれはもう完治していて、本人はもうライブに向かって至って元気ですから」と答えなくてはならない。親戚かよ。…いや親戚より大切だけど(爆)

 「心配よねぇ」と言ってくださるも、確かにショックだったが、御大がお元気ならば、いまの心配はそこではない。

 「厳正な抽選の結果、お席をご用意できませんでした」というメールを何回もらったことだろう。
 「いや大丈夫だよ、立って観るから」と返信したくならないかい。

 また「厳正なる抽選」てワザワザ書いているのも面白くない。裁判所が判決で「厳正な審理の結果、あなたは懲役〇年に処す」、入試で「厳正な採点の結果あなたは不合格」とは言わない。
 昔、女子からよく言われた「いいお友達でいたいから、恋人は無理です」。でも、いい友達になってくれた人は経験的に皆無である。そういう話も聞いたことない。つまり「いいお友達」と「厳正なる抽選」は、同じ機能を果たしているのではないか。

 結論、チケットの落選通知と失恋は似ている。 
 …悲しい話をもっと悲しくしてどうすんだよ。

2019. 3. 25

ラジオでナイト 第99回 2019.3.24
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

吉田拓郎です。
<年間一億円とも言われるラジオのギャラ無くしてしてどうやって生活するという投書>
はははは。誰かに聞かせたい。モニタールームの人に聞かせてやりたいね。そんな馬鹿な。

<2年前の菅田将暉との2ショット以来ずっと聴いている、コンサートが終わったら、やっぱりラジオでナイトで復帰してくださいという投書>
コンサート終わったらまたやってくれという投書をたくさんいただきました。とりあえずそれは置いといて、終わろう。始まりあれば終わりあり、終わりあればまた始まるものもある。とりあえずスッキリ終わろうよ。

<残すところあと数回、夜行列車を津軽弁で歌ったのが忘れられないという投書>
(歌う)いろんなことがあったね。

<カミオカベロいいですね、番組終了してもブログ更新の頻度をあげて、あいみょんとかおすすめるアーティストを教えてほしいという投書>
 バハマいいね。アレンジをパクりたい。グラミー賞でも流れたね。
 You tubeでリハーサルの様子の中継とか何らかのアプローチを考えている。新しく前へすすむ、一ミリでも前へ。

<サンデーフォークさんに、名古屋であいみょんは天むすのキャラブキが大好物と言っていたという投書>
 キャラブキ、あれは好きだよ。天むす、ひつまぶしは用意するように電話しとけよ(笑)。そのほか新しい名古屋名物もね。キャラブキうまいよね。あいみょんはいいセンスだね。

<マウイに住んでいる、帰国して横浜のコンサートにいきますという投書>
 いいね。天国に住んでいるんだ。ワイレアのケアラニに、妻と妻の母と毎年よく行った。瀬尾も一緒に時々い行った。真っ白なホテルで三つのプールがあって、天国。近くのワイレアショッピングセンターでTシャツやキャップやジーンズを買い込んで瀬尾と買い物おじさんになっていたこともあった。いいところに住んでんなぁ。

<月曜は眠い、拓郎さんは、やんちゃ坊主、奥様限定の甘えん坊、あまのじゃく、 起立といったっきり着席させないという投書>
 はははは、一度も着席させない。
<映画紹介が好きだった、”15時17分パリ行き”が特に良かったし、シェリル・クロウ も好き、夫婦の寝室の話も楽しかった、おしゃれは大切、拓郎さんファンの男性、おしゃれしてくれ自分磨きしてくれという投書>
 シェリル・クロウはウチの人から教わった。男性たち、吉田拓郎のコンサートだからいいやという気持ちでおしゃれに気を使わず来ているけれど、女性が観ている、おばさんたち(笑)がおっさんたちを観ているぞ。女性にもいえるけれど、男たちがダッセーという感じだと女性たちだって自分もどうでもよくなると思う。西野カナのトリセツ以来2年間言い続けたよ。

<浜松一人、大宮は夫と行く、パスポートの身分証明を使えるという投書>
 ああパスポートはハワイ企画のためだったんだ、それが今回コンサートの確認に役立つということか。浜松はなぜ一人、両方夫と来てくれよ。

イベント詳細の発表
吉田拓郎ライブでナイト in 神田共立講堂
7月10日午後5時30分開場、6時30分開演。チケットは2万円で、観覧者の方には全員にオリジナル記念グッズを差し上げて、売上はチャリティの基金に使われる。
内容はコンサート本編とは少し違う。「君のスピードで」は本編ではやらないけれど  こっちでは歌う。インストで演る。コーラスにカバーさせて「やさしい悪魔」とか、

詳しい注意はアナウンサーの方から。
当日身分証明書本人確認、転売はダメ
同行される方と一緒に入場・・・。

※詳しくは番組ホームページ等でご確認ください。

アナウンサーの声はほっとするね。チケット転売よくないねと思うよ。  
といってアナウンサーに安心してしまった吉田拓郎のラジオでナイト

■オープニング
 いろんなことで決まった。転売とかの話はネットで怒りも心頭だ。

 さて、コンサートについては全曲「吉田拓郎作詞作曲」で通したい。だから、落陽、春だったね、今日までそして明日からのないセットリストだ。
 新鮮な気分で新人の頃みたい。様変わりしたセットリスト。リハで実際に演奏してみて外すかもしれないけれど、かなりびっくりすると思う。
 昔から好きなレゲエ、ロック、長年演ってきて一度も歌ったことない曲も入っている。
ボイトレをコーラスの今井くんについてやっている。
 
 一曲目は絶対当たらない。これはびっくりだろうな。なんだろうと思うかもしれない。誰も予想しないだろう。これでいくと武部・鳥山にも言った。

 あとメンバー紹介の曲。これまでの「全部抱きしめて」は、作詞が康珍化だし、使わない。かわいい曲があって、これをアレンジしてくれよと武部に頼んだら、武部がこれよりこっちの方がいいと言ってきた。そのアイデア、おーそうくるか、カッコイイなということで決まった。武部がアレンジしてくる。かなりエキサイティングでドキドキしてる。

 コンサートツアーもいつまでもできるわけでもない。しめくくりという感じもする。そういう気持ちがどっかにある。
 コンサートの最後のこの曲が流れると家路につく。やっぱりこの曲。長年の客出し、これも聴きおさめか、吉田拓郎のライブとともに忘れないでほしいと思う。

M-1  夏の日の恋   パーシー・フェイスオーケストラ

■CM明け

 吉田拓郎には5つの顔があるとかつてラジオで言った。ラジオの顔は、明るく多弁、テレビの顔はシャイな顔、ステージの顔は音楽に集中している、家庭ではやさしくて、雑誌のインタビューは、口からでくまかせ嘘つき、レコーディングでは頑固に音楽で譲らない、日常生活では、穏便・・・・
 もうひとつ住んでいるマンションの理事会での顔がある。本当はよくわからない議題でも、なるほどという顔している。世間から浮いていませんよという顔(笑)

さて、嫌いな曲   

<意を決して言うが 「マスターの独り言」が嫌い、軟弱、雨だから閉めて彼女のところに行くなんて、CMのために作ったんでしょうけれどライブでも歌わないでくださいという投書>
 CMのために作ったんじゃないよ。歌わんでください…ははは。おまえは歌の世界がわかってないね。このマスターほど男のロマンのある男の中の男はいない。そういうのが伝わってこないとは、ダメな男がいたもんだ。こういう曲のロマンチシズムがわからないとは、頭が固い。愛する女のところに駆けつけていきたい、これを軟弱とは君はカッキンコッキンだ。

M-2 マスターの独り言   吉田拓郎

■CM明け
 この番組は、ラジオの最終章とすると言ってきたし、本当のことを話してきた。ネットの嘘や都市伝説の違うものを否定もしてきた。"From T"でもこのことを説明してきた。

 残り少なくなったので、今までどこのメディアにも話さなかったことを最後に話ておこうと思う。これまでいろいろな病と闘ってきた。

 2003年に肺の三分の一を切除した。肺癌ということだった。偶然、かかりつけのお医者さんが発見してくれた。風邪気味で行ったところ、開業医のお医者さんが胸のレントゲンをとってCT等から見つけてくれた。
 大手術で、肺活量は落ちたけれどボイストレーニングとかいろいろなトレーニングをして、昼は公園でキャッチボールしたりして、カムバックすることができた。
 瀬尾一三との壮大なビッグバンドセッションで、かつてライブ73とか、つま恋とか野外イベントでは時々ビッグバンドでやっていたけれど、そういうビッグバンドでツアーをやりたいと企画していことがこの病気で中止になってしまった。しかし完治したので、肺活量が落ちてもやりたいということで、みんなの協力で感無量のツアーが出来て嬉しかった。
 この時の病については公には語りたくなくて、特に癌の取材は今も来るけれど受けないことにした。

 2007年ころから体調が原因不明で不調で波がある、そんな日常が始まった。2009年は最後の全国ツアーと銘打ったが、これも途中で中止となった。とにかく体調が不安定だった。
 原因不明の体調不良が続いたが、2011年ころに体調が徐々に改善され、2012年にはステージに立つことができるようになった。そのまま元気で行けるのかと、関東近郊でコンサートができると思っていたら、2014年になると、実は声帯に白板症という異物が発見され、これはこのままでは声の質が変わってしまうということで、専門医から手術した方がいいといわれ全身麻酔…怖いんだけれども、手術を受けた。手術の結果、取り除いた異物から癌が発見された。ダブルパンチを受けてしまった。
 そのために喉に放射線治療を2か月間、毎日病院で10分くらい放射線を当てた。治療自体はそんなに辛くはなかったが、治療が終わってからが苦痛の日々だった。数か月間、後遺症で大変な苦痛を味わう。その苦闘は言葉では言えない。非常に苦しい。食べ物は喉をとおらないし、喉が非常に痛いし、声も出ない。半年くらい苦痛が続いた。もう歌えないと何度も思った。カミさんが黙々とそういう日常を静かに支えてくれた。必ず完治するから、一日一日一歩一歩だから大丈夫だから・・・、ということで…痛みで喉を通らないのでおかゆを作ってくれて毎日苦闘の日々が続いていた。

 そんな中でも、音楽の夢は忘れることはなくて、素晴らしいミュージシャンとスタッフが支えてくれて蘇えることができた。今は次なるコンサートに向かって日常を過ごしている。苦しい体験のその都度に思ったけれど、心と身体が健康でないと幸せな気分というか チカラが湧いてこない。
 健康はどうでもいいと若いころ思っていたけれど、それはとんでもないことで、愛のある日常でなければ人生が味気ない。この番組を通じて、みなさんに言いたい。心でずっと思っているのは、みなさんの健康を心から願っている。愛情あふれた日常生活を永遠に送ってほしいと思っている。・・・アゲイン。

M-3 アゲイン  吉田拓郎

■エンディング
・人生はいろいろあるんだよ、みなさんもあるでしょう、一歩一歩。
またお会いすることはあるのかないのか。
・みなさんが覚えている名シーン
送ってください。

吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆思いつきも感想も何もあったもんじゃない。99回であと1回まで来て突然の疾風怒濤に見舞われて、もう言葉がない。どうしていいかもわからない。

☆今にして思えば2016年のコンサートに至る道のり、そしてこのラジオと、どれほど身の置き所のない極北を歩いておられたのか、想像すらもできない。

☆なのに私は、2016年のライブに、また今日までのラジオにも日々好き勝手言いたい放題を続けて申し訳なかった・・・と一瞬思ったが、でもそれは違うか。それはそのときの精一杯だから。
 ただひとつこれだけは言えるだろう、2016年のライブもこの毎週のラジオの言葉も曲たちも、今までとはまた違った深みのものになっていることは間違いない。この3年間についての「充分な資料の咀嚼、おちついた思索、心おきない反芻」が、きっとまた違うものを教えてくれるんじゃないか。

☆・・・というわけで、ああもうアゲインがたまらないじゃないか。

☆そしてついに全貌を現した神田共立講堂。御大とそして私たちの思いの果てにあるライブ。最後の最後に神田共立講堂という聖なる場所を選んだ吉田拓郎のカッコよさに心が震えると同時に、そんな私たちの前に、”一、厳正なる抽選”、”一、残念ながら御席がご用意できません””一、クレジット付で当選確率上がります”が、社訓になっているとしか思えない株式会社「チケットぴあ」が立ちはだかり失意の無力感にさいなまれる。まさにオレは上と下に引き裂かれそうだ。・・・それは浜田省吾の歌だった。

 そうだよな、それが講堂の中だろうと外だろうと、この道をついていくしかないよな、友よ。

☆☆☆ 星紀行 今日の学び☆☆☆
「みなさんの健康を心から願っている。愛情あふれた日常生活を永遠に送ってほしいと思っている。」
 これが、2年間のラジオで、あるいは今まで、そしてこれからのライブで私たちに投げかけてくれた吉田拓郎の究極のメッセージなのだな。しかも「永遠に」とまで言葉を添えてくれた。拓郎、本当にあなたも。最終章の冒険と挑戦にどこまでもついてまいりましょう。

2019. 3. 24

 昨日は軽く書いてしまったけれど、いろいろ調べながら”犬童球渓”という人の深さを思い知りつつある。本当に身の置きどころのないような失意の中で、音楽と詩に誠実に生きた繊細な才人の姿が垣間見えてくる。

 “吉田スピリチュアル”を感じるのは、いろいろあるが、例えば「元気です」の一節“微かに聴こえたやさしさの歌声は友や家族の手招きほど懐かしく”。 自分は ここがものすごく好きなのだが、「旅愁」や「故郷の廃屋」のあの詩と通底するものを感じる。こんな詩が書ける人々はどれだけ切ない思いをくぐりけてきたのか、想像してしまう。勝手に結び付けて両方から怒られるかもしれないが。

 イチローの引退会見を観ての田家さんのブログ。

"「どうやって終わるか」というのは、どんな人にとっても大きなテーマじゃないでしょうか。拓郎さんの今回のツアーもそんなドラマの一つなのかもしれません。"

うむ。でも田家さんはイチローに対する聞き手たちにキビシイ。

"質問者の腰が座ってないなあという感じもしたんです。そこで終わるか、その質問という感じとか。人の質問を聞いてないのかと思ったり。"

御意。こっちも神田共立のことも含めて気もそぞろで腰が座っていない。ひとりのファンとして、腰をすえてこの最終章のドラマをどう過ごすのか。どうすりゃいいんだろうね。前例のない、道なき道をゆくアーティスト。そのファンの過ごし方にもまた前例がないのである。 "遥けき彼方に心迷う"。あらためて美しい詩だな。おめーごときのために書いてんじゃねーよ怒られるだろうが。

2019. 3. 23

 拓郎のボーカルにかつて何があったのだろうか。おっかない話でありませんように。

 先回の「勝手に選ぶ日本の歌50選」にあった「旅愁」。このサイトでは「西崎みどり」と書いてしまったが、公式ブログでは「テレサ・テン」であった。謹んで訂正させていただくものの、オリジナルの「旅愁」は西崎みどりなので、少し釈然としない。当時14歳だった西崎みどりの大人びた名歌唱は中学生の私の心に今も深く刻まれている。
 とはいえカバーした相手は天下のテレサ・テンだ。拓郎が歌いづらいカラオケでも私の持ち歌がテレサ・テンの「空港」であることとは関係なく、実に手強い。どれくらい手強いかというと「されど私の人生」の斉藤哲夫のオリジナルと吉田拓郎のカバーのガチの対決くらい手強いと思われる。

 そうこうしているうちに学校で習った唱歌の「旅愁」があったことも思い出す。ジョン・オードウェイの曲に「犬童球渓」と言う方が訳詩をつけたと知った。この旅愁の日本語詞が実に素晴らしい。日本語の美しさ、情感、豊かさの結晶体のようだ。だから私は、すっかり詞先で作られた日本の歌だと思っていた。人生の第1外国語が日本語であることを誇りに思いたくなるような歌詞だ。
 あらら、この犬童さんは、吉田拓郎の「制服」の後奏で有名な「故郷の廃屋」の作詞もされていたのか。いいのか、そういう紹介で。


     旅 愁

1 更け行く秋の夜(よ) 旅の空の
 わびしき思いに 一人悩む
 恋しや故郷(ふるさと) 懐かし父母(ちちはは)
 夢路にたどるは 故郷(さと)の家路
 更け行く秋の夜 旅の空の
 わびしき思いに 一人悩む

2. 窓うつ嵐に 夢も破れ
 遥(はる)けき彼方に 心迷う
 恋しや故郷 懐かし父母
 思いに浮かぶは 杜(もり)の梢(こずえ)
 窓うつ嵐に 夢も破れ
 遥けき彼方に 心迷う


 それではせっかくだ「制服」…違う、「故郷の廃屋」も見てみよう。

  故郷の廃屋

1 幾年(いくとせ)ふるさと 来てみれば
  咲く花 鳴く鳥 そよぐ風
  門辺(かどべ)の小川の ささやきも
  なれにし昔に 変わらねど
  あれたる 我家(わがいえ)に
  住む人 絶えてなく

2 昔を語るか そよぐ風
  昔をうつすか 澄める水
  朝夕かたみに 手をとりて
  遊びし友人(ともびと) いまいずこ
  さびしき 故郷(ふるさと)や
  さびしき 我家(わがいえ)や


 素晴らしい。身の置きどころのない哀しさとだからこそしみ出る温かさ。これだけの詩作をなされる方のことを知らなかった自分の不明を思う。そしてここにも吉田スピリチュアルが生きている気がしてならない。時空を超えた魂の通底である。

 ということで、西崎みどりVSテレサテンの旅愁対決は、熊本県の犬童球渓さんの圧倒的勝利となりました。意味がわかんねーよ。

                             <三大旅愁 地球最大の決戦(終)>

2019. 3. 22

 BSで映画「天国と地獄」をたまたま観てシビれた。昭和38年の映画なので今さら遅すぎるにも程がある。しかし、黒澤明ってやっぱりいいな。凄いな。この感動をとことん誰かと語り合いたいが、そう都合よくはいかず、ひとり観返して悶絶する。例えば…

 靴職人からのたたきあげで大手靴会社の重役にのしあがった三船敏郎。自分の子どもと取り違えられた誘拐事件の身代金ために全財産をはたき、靴の品質に妥協しない職人気質ゆえに社内の多数派閥からもスポイルされ、すべてを失う。
 彼を裏切った奸悪な部下が、お情けのポストを用意してやると恩着せがましく三船を訪ねてくる。しかし、三船はキッパリと言うのだ。

「出てけ! 俺はまだこれからがいよいよ俺なんだ。お前はまだガキだ。お前という人間になっておらん!」

 早口で聴き取りにくかった意味不明のセリフが、今はボディブロウのように効いてくる。これはリベンジとか返り咲きとかいう野心的なものとは少し違う。すべてを失っても彼の人生はモノつくりとともにある。だから靴を作り続ける限り、彼は彼として成長をつづけるという意味ではないか。彼は敗れざる者なのだ。それがラストに死刑囚となった誘拐犯の山崎務をも打ちのめす。

 「俺はまだこれからがいよいよ俺なんだ!!」

 これは吉田拓郎のスピリットそのものなのではないかと思った。

 「吉田拓郎はまだこれからがいよいよ吉田拓郎なんだ」

 こう書くといかにも80年代にありがちなコピーみたいだけれど、闘争心が燃えたぎるような熱血英雄系の意味あいではなく、ひたすら淡々と音楽を愛する職人の静かな気骨を思わせる。
 ま、私も、ガキだし、ウソばっかりというネット世界にいるが、ここから「お前という人間」になってみようじゃないの。

 というわけで黒澤明はきっと吉田拓郎をモデルにしたに違いない。時系列が合わないがそんなのは小さなことに過ぎない。>小さくねぇだろ、決定的だろ(爆)。

 ラジオ収録終了とのこと心の底からお疲れさまでした。

2019. 3. 21

 映画のラストシーンの前奏とかぶって、ピアフへの晩年ころのインタビューが挿入される。「女性に対してアドバイスは?」と問われて「愛しなさい(Aime)」、「若い娘には?」「愛しなさい(Aime)」「子供たちには?」「愛しなさい(Aime)」。
 Aimeが"エイミー"と聴こえる。拓郎が教えてくれたAMY=エイミー・ワインハウスを連想させる。どちらも天賦のシンガーでありながら、なぜか破滅に向って一直線に進んでしまうかのような凄絶な歌姫だった。「一体どうしてなんだろう」とエイミーの話の時に拓郎は呻吟していた。御大がそうじゃなくて良かった。

 と思っていたら拓郎と日本の歌姫との嬉しくなるツーショット。素敵じゃないか。お元気そうでよかった。

 もしかして二人で何か共演するのだろうか。そういえば2016年のコンサートの前哨に谷村との…いや谷村さんとの共演があったように、ユーミンと何かあるのだろうか。知りてー。

 「萩の鶴」、美味いしラベルがかわいい。春を待つ酒を飲みながら思いをめぐらす。

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2019. 3. 20

 そうそう目黒の例会では、ANO YOKOさんがエディット・ピアフの” Non, je ne regrette rien”を歌ってくれてトテモ感激した。ありがとう。映画「ピアフ」のラストシーン。最愛の人を失った失意と病と薬物の佃煮のようになってボロボロのピアフが、この歌を歌いあげるところは涙なしでは観られない。何回も何回も観直して反芻した。満身創痍でありながら彼女のボーカルは力強く気高い。「水に流して」という邦題で「愛の賛歌」同様、日本でもいろいろな歌手がカバーしておられるが、この凄絶な本人歌唱の迫力はとうてい及ばない。


  いいえ、私は何も後悔してない
  私に起きた良い事も
  悪い事も
  私には同じこと
  いいえ、私は何ひとつ後悔していない
  代償を払って過去は清算した、
  もう忘れ去ったわ
  私には過去なんてどうでもいい

  いろいろな思い出も
  火をつけて燃やした
  哀しみも喜びも
  今となっては必要ない
  過去の恋も清算した
  震える思いとともに
  永遠に清算してしまった
  ゼロからやり直そう

  いいえ、私は何ひとつ後悔してない
  私に起きた良い事も
  悪い事も
  私には同じこと
  いいえ、私はひとつも後悔してない
  私の人生も、私の喜びも
  今は、あなたといっしょに始まるのよ

 …ということでこの日記がココで終わるはずがない。ある道をゆくある種の人々にはある曲が頭に浮かびましょう。もちろんこの曲とは関係もない、たぶん影響もない別個独立の作品である吉田拓郎の幻の名曲「後悔してない」。
 “後悔してない”という文字面という表層だけではなく、胸の奥で、ずっと奥で、その深奥に同じ魂を感じる。
 ピアフと同じ魂を宿しているから拓郎の歌が素晴らしいのか、拓郎のスピリットを宿しているからピアフの歌が素晴らしく聞こえるのか、どちらであっても、私には同じこと。思い込み、ひとりよがり上等。それがなきゃ生きてて何の意味があろう。私は後悔だらけで、代償も払わず、思い出にこだわるけれど、この二人のこの二曲に逢えて良かったとしみじみとひとり想えば時はゆく。

2019. 3. 19

 いくつになってもhappy birthdayをskypeを通じてみんなで合唱したら海の向こうで踊る彼女は涙ぐんでいた。異国の地でプロとしてひとり頑張る彼女へのエールのような詞だ。やっぱりどうしたって名曲ばい。自分が感謝するのも変だけれど、例会の皆様ありがとうございました。


 内田裕也という人を初めて知ったのは、1976年秋だった。当時「フォーライフ・フォー・ユー」というラジオ番組があった。司会は大野真澄と川村ゆうこ。その回は、内田裕也がゲストで一般リスナー代表者数人と座談会をやっていた。なぜに座談会。
 中学生からみればずいぶん大人のおにいさんおねぇさんたちだった。そのおにいさんおねぇさんたちは、座談会で何を語っていたか、要約すると「最近の吉田拓郎は堕落している」「最近の吉田拓郎についてゆけない」ということだったと記憶している。つまり吉田拓郎への不満を内田裕也に陳情する座談会だった。すげー企画だな、おい。
 内田裕也は、今のイメージとは違って、区役所の苦情処理係のように、静かにひとりひとりの話をよく聞いていた。そして、最後に「君たちの言いたいことはわかった。オレこんど吉田拓郎に会ったら聞いてみるよ」と締めくくった。そのあとどうなったかは知らない。

 そのずいぶん後のラジオで拓郎が内田裕也と店で一緒になった話をしていて「裕也さん今日はオレにやさしかったなぁ」とつぶやいていたことがあった。

 それから13年、たぶん1989年頃だ。内田裕也が村上龍の「Ryu’s Bar」にゲストで出た時の話の中で「オレ別にヒット曲があるわけじゃないし、そういう気持ちは、吉田拓郎とかに訊いてくれよ」と話した。1989年といえば、もう拓郎もマーケットのセンターにはいなかった。それでも、そんなときに内田裕也の口から「吉田拓郎」という言葉が出てきたのがちょっと驚きだった。頭の中に「吉田拓郎」をちゃんと置いておいてくれたのだなあと思った。

 内田裕也のことをなんかタイヘンな人だなとか思っていたが、亡くなってしまうと妙に切なく何もかもが甘美になってしまう。
 やっぱり生きていなけりゃだな。「生きてこそあれ歌一筋の道」(美空ひばり)。

2019. 3. 18

ラジオでナイト 第98回 2019.3.17
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

吉田拓郎です。
 あと3回。どんな気分かというと、スッキリした、いよいよ終わり。肩の荷が降りた。いろいろやりたいこともあるし。

<京都放送で聴いているが、コンサートで深々とお辞儀するとき、おじ様お辞儀しているという投書>
 不気味。やめた方がいい(笑)。それはコンサートじゃないよ。目線はステージに。おれは見えないからさ、お辞儀はよくないよ。目に焼き付けておこうという感じで。

<女性はお辞儀はひとりもいないという、私は心をこめて手を振るという投書のつづき>
いい。僕はありがとうだけど、君たちがお辞儀は変だ。

<60歳浜松・名古屋、初めてコンサート行く。今の拓郎さんが聴けるのが楽しみ、乾いた拍手しないキャピキャビという投書>
 最近知ったのでしょうか。それは貴重だね。ハッピーなことだと思う。ずっと昔からのファン、あそこ行った、ここも行ったと自慢するよりいい。
 武部・鳥山打ち合わせあった。アレンジは相当変わる。大好きなドラムの村石がいるし、ダブルキーボード、武部、村田の二人でそれぞれオルガンとピアノを交代するし、鳥山と格にもっとギターも白玉・・・食べ物をじゃないよ・・・多くしてと指示している。おれもギターで入るからといっておいた。

 目がマッチ棒化している、メヂカラがないということだが、・・・これは言えない。コンサートで話す。

<全部抱きしめてトロピカルを結婚式で使ったという投書>
 いいよね、富山の結婚式で9年前か、いい曲だなと思った。結婚式とかにあう冨山の結婚式でね、あってるなと思ったね。どんどん使ってね。

<拓郎ファンではないがラジオDJとして好き、初めて買ったアルバムは”From T”バランスいいデモテープ、グルーウ感が素敵だったという投書>
 オレはDJか。 ”From T”コレはもってないと。いいね、君も述べるね。音楽のことでアレンジやグルーヴ感、ミックスのこととかを言ってくる奴はいなかったな、ちょっと寂しかったかな。
 今回もDVDとかのためのレコーディング・エンジニアを変えたい。挑戦だ。音を変えてみたい。音のことで、番組でも洋楽邦楽といろんな音楽をかけたが、それぞれ音質音色が違う。エンジニアによって音が違うし、アレンジによってサウンドも変わる。

<自分は立教大学だが、拓郎さんが入学してくれればどんなによかったか、文学部は一クラス殆ど女子だから、今日の拓郎は存在しなかったかもしれないという投書>
 確かに受験した時、男子は少なかった。だから狙ったというのもなきにしもあらず。3時限目で途中で頭が混乱して、そのままパチンコに行った(笑)
 すべっているのに、発表は兄貴に行かせた。「途中パチンコ行ったんだろ」「それでも通っているかも」「甘く見るな」と怒られて、ダメでした。

<男はダメだという話に共感。2月にラジオで重大発表というときも、ウチの人はピンとこない、仮に離婚したくても気づかない、30年間ありがとうといいそうという投書>
 2017年5月7日に西野カナのトリセツをよく聴けと発言して以来、"男はダメ"の始まり。ね、おっさんは飲み込み悪いよね。鈍感なんだろうね、頭が固いね。
 特に理事長とかは固い。エライ人は、どうして現実をわかっていないのか、自分だけの世界に生きている。

<そういう私もお互い様、拓郎さん夫妻をみならって仲良く生きたいという投書のつづき>
 持ちつ持たれつだね。

 ツアーのリハーサル風景をネットでUPしようかな。幸いツアースタッフに詳しい人がいるので、毎回リハの様子をUPしようかなと思っている。僕やバンドメンバーののメッセージとかも送れる。
 時代はネットかな。ネットを信用するなと言ったのに 最後に時代はネットかな。  微妙かな。ただネットはすべてではない。信じるのはよくない。特に吉田拓郎のニュースは嘘八百でたらめ。ひとりよがり自分勝手に書いている。そいつは自分をアピールしたくて書いているだけ、ほかに生き方はないのか。ま、でもネットから始まる新しいこともあるし、振り回されっぱなしの吉田拓郎のラジオでナイト。

■オープニング
 「FromT」は、いろんな関係で、もれてしまった曲がある。ベストテイクがある。本当は入れたかったがある。
 この何週間か、そういう曲をかけているが今週が最後かな。僕の年齢になると、先に天国に召された友人が多い。哀しいし寂しい。70年代の人たちは、なんか不器用でぎこちない人が多かった。そういう人たちとたくさんお別れをしてしまった。
 ある人物がいて彼も不器用な人だった。作詞家喜多条忠が葬儀で送る言葉を述べた「 あなたの素敵なスポーツカーに乗せてほしかった。カッコいいなと思ってて、いざ乗ったらアンパンのかけら、コーラのあきびんと散らかっていて、すぐに降ろしてくれと言いたくなった。」そのごあいさつで葬儀の会場が笑いに包まれた。
 この人の青いセリカは車内がきったない(笑)。もっと洗えよと言いたかった。
 僕の事務所のSくんは、レコーディングで行ったロスでレンタカー借りたら、アメ車じゃなくてカローラを借りた。普通、ムスタングとかアメ車借りるだろうに。そして毎日洗車している。アメリカまで来て毎日洗車する人を初めて見た。そういう人ばかりだからダメになったんたせろうな。
 多くの友人知人が天に召された。みんな向こうで楽しくやっているんだろう。

M-1 あなたを送る日

■CM明け

大いに嫌われた曲のコーナーもそろそろいいんじゃないか。

今週嫌われたのは、
<昨年還暦 「黄昏に乾杯」がうまく歌えなくて嫌い 早口は江戸っ子の得意技なのだが、という投書>
おかしいよ君。引き出し、しきだし、「ひ」と「し」が江戸っ子とかは大変らしい。
「溶かしたコーヒー」が「とかひたコーシー」になったりする。

M-2 黄昏に乾杯

 いい歌だね。吉田君もボーカルがいいね。来週話すけど、事情があって、いい声の時とそうでないと時があった。もう最後だから話しとく。これは絶好調だ、いいね。

<横浜当選して夫婦でゆく「全部抱きしめて」で、「パン」と 手を叩くタイミングが合わないという投書>
 奥さんと持ちつ持たれつで男は柔らかい柔軟な心でね。
 あれはステージから見てて、あってない人が多い。「リズム感ねーなー」と思ったりする。名古屋はリズム感いいね。
 全般におっさんはリズム感ない。今回はこの曲ありません。 今回は驚きのメンバー紹介。武部からの提案。「え、この曲でかよ」。言うのやめよう。素晴らしい武部のアイデアだ。
 今度は客席は体験したことない曲やリズム感にあえる。無理して立たなくていいよ。 楽しんでくれればいい。

<爪、君が磨いた床、愛が滑って自業自得さ・・・家事につとめた女を捨てるのはヒドイという投書>
 僕も同感(笑)。松本隆だからな。松本くんにもあるよ男目線が。掘り下げずに歌った僕も僕だけど、正しいね、松本くんに言っておく。

M-2   爪   吉田拓郎

■CM明け
■勝手に選ぶニッポンの歌50選
「り」
・林檎殺人事件  郷ひろみ&樹木希林
・リバーサイドホテル  井上陽水
・リンダリンダ  ブルーハーツ
・リップステック 桜田淳子
・旅愁  西崎みどり
・りんごのうた  椎名林檎

これやらせて

<「流星」ライブに彼女と行きますという投書>

 彼女と一緒においで。おいで。

<普段は泣かないけれど「流星」を聴くと泣いてしまいそうですという投書>
確かに前回のステージで胸がいっぱいなってしまった。リハーサルにはいっているが 本番のセットリストではやらないんだ。ひとつ踏み出す感じ。
 最後におまけに神田共立ではやるかな。練習だけはやる。
<ツイッターではビキニで盛り上がっていた、観たくないといわれれば、余計ビキニで行ってやろうと思う、「流星」なんていいんだろうという投書>
 流星はイイのでかけたいが、でも僕のではなくて。

M-3 流星 ミセスグリーンアップル

■エンディング
・あと2回  福井とはおわかれ
・嫌いな曲
・ラジオでナイトの名シーン
・7月10日ライブでナイト神田共立講堂については、いよいよ来週詳しい情報。
 吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆ いよいよ残すところ僅かの放送だ。寂しさもあるが、いよいよライブの現実化に向って、全体的に大いなる上昇気流を感じる。こういう感じがたまらない。
☆特に、音からアレンジからサウンドから、「変わろう」という意思が漲っているところがすんぱらしい。 流星すらもセットリストから外れているところに、なみなみならぬ決意を感じる。
☆リハーサルを動画公開するとは、ご英断だ。バックステージの拓郎の魅力については何度も何度も書いたし、書くまでもなく当然に感じ入るところだろう。
特別なステージなんだから、そのステージが、どんなふうに出来上がってゆくのか、そのプロセスも大切な財産だと思う。快哉を叫びたい。

☆ 「あなたを送る日」。久々に聴いて胸にしみる。ただの一ファンですら、渋谷さん、陣山さん、常冨さんと名前を聞くと万感の熱い思いが溢れる。陣山さん、もう10年以上も前になるのか。

☆恋愛の教祖といわれながら、ホントは怖い松本隆。

☆拓郎は今日も苦言を呈する「ひとりよがり、自分勝手、ほかに生き方はないのか。」
          ない。

☆☆☆星紀行今日の学び☆☆☆☆
 このコーナーでつくづくわかった。誰かの大好きな曲は必ず誰かの大嫌いな曲である。
   セットリストの一喜一憂はもはや虚しい。その先に脈打つ音楽を味わうべし。

2019. 3. 17

 海の向こうで踊る知り合いのお嬢様が明日は誕生日だ。ちょうど歌の例会なので”いくつになってもhappybirthday”を歌って差し上げようと思い、聴き直した。素人のおっさんが何を勘違いしていやがる、向こうも聴きたくなんかねーよという動議はこっちに置いておく。

 つくづくこれは名曲だと唸らずにいられない。その思いはUramadoで渾身で書いたが、何度書いても書き足りない。この歌こそが吉田拓郎の最高傑作ではないかと思う。じゃ、あの曲やこの曲はどうなんだ…と、あまり理詰めで人を責めるもんじゃない。とにかく最高傑作と叫びたい。

 ラブソングであり、メッセージソングであり、生きとし生けるものへのエールでもある。
“いろんなことがあったでしょう 人に隠れて泣いたでしょう”。圧巻。なぜにこんなに心優しいフレーズが出てくるのだ。正直いえば、これまで拓郎のことを「この〇〇〇〇!!」(※好きな言葉を入れて読んでください)とムカつく瞬間も多々あったが、深い深い愛に満ちた人間でなければこんなフレーズは作れまい。
 シンプルでそれでいて明るく身体がウキウキ弾むようなメロディー。無理してこしらえた感がゼロ、身体から自然にあふれてきたようなこの天衣無縫なメロディーがたまらない。凄いキャリアを経て50歳を超えたからできたのか、あるいは50歳を超えてもこういう曲が出てくるから凄いのか。70歳を超えての「ぼくのあたらしい歌」のメロディーにも同じ粋を感じる。「この街」しかり。だからこそ、新曲が待たれるのだ。

 とにかく吉田拓郎のすべてがここに集い、綺麗な結晶となっているかのようだ。少なくともこの曲を聴いている時は最高傑作といわねば失礼にあたる。

 これも何度でもいうが、この歌は本当に老若男女たくさんの人に知ってほしいし歌い継がれてほしい。学校の教科書に載っても驚かない。というか教科書に載らないこの国に驚くばかりだ。

 と全力で感動していたら、海の向こうのお方は、「ともだち」が聴きたいということらしい。えーーー。いや、これを聴きなさい。年寄りの言うことは聞くもんだぞ。

2019. 3. 16

 いい歳になったのに、仕事業界の集まりや学校の同窓会で、偉い長老の方々に延々とお説教されることが多くなり辟易している。いろいろなことを憂うお気持ちはわかるが、私は説教が超絶苦手だ。好きな人はいないよな。
 でもこの世の中には、何かというとお説教をするのが好きな人と何かというとお説教されてしまう人という、いつでも二通りさ。
 昨日も書いたとおり演説を聴くのは普通に好きなのだが、説教が嫌いなのは、説教する人は必ず「あなたのために言いたくないけど言ってあげるのよ」という独特のノリとネチネチしたストーリーで責めてくるからだ。言いたくないなら言わなきゃいいのに。それか端的にダメ出ししてくれればいいのに。
 お説教されるたびに、村上龍の過激な名言「説教などする奴は、偉大な宗教家を除いて、全部クズだ。」を心の中で思い出して耐えることにしている。

 拓郎のニューヨークのレコーディングの際のインタビューにこんなくだりがあった(ブックレットTAKURO)。高中正義に「あいつやる気あんなのかなぁって思って」「1回説教したら・・・飽きちゃってやめたんだけど」。自分で説教始めておいて途中で飽きちゃうって、なんて素敵なんだ。で、高中イイネぇ!!という結論になる。そうだ、たぶんボブ・ディランもキース・リチャーズもきっと説教なんかしない。というか考えもしないのだろう。音楽という最強ツールがあるんだから。
 あ、でも、フォークとかは説教が好きかもしれない。ロックとフォークを分かつのは、説教好きかどうかかもしれないと勝手に考えたりしたが、すまん。

 というわけで、説教からできるだけ遠く離れて生きたいと思う。それがこの”へ”のようなサイトのささやかな気概みたいなものでありやす。

2019. 3. 15

 菅田将暉。もちろん会ったことないし雲の上の大スターだが、なんか知り合いの息子さんみたいな親近感を抱いてしまう。拓郎ファンの陥りがちな悪癖か。

 ドラマ「3年A組」は、なんか荒唐無稽な感じがしていたが、それでも最終回の菅田将暉の世界に向けての独演は実に素晴らしかった。まるでアル・パチーノみたいだった。
 映画の演説王といえばアル・パチーノであると私は確信する。数あるパチーノの名演説の中で私のベスト演説3は、「ジャスティス」の最終弁論、「セント・オブ・ウーマン」の高校の査問委員会の意見陳述、「訣別の時」の葬儀の市長挨拶がベストかな。思い切りアウェーな逆境を粉砕する名演説に胸がすく。
 いつもの居酒屋の隠れ拓郎ファンのマスターが、実はアル・パチーノファンの同志でもあることを知って嬉しかった。追々話を深めよう。

 それにしても、眉目秀麗だったアル・パチーノ、80歳近くになっても元気で現役なのは嬉しいが、無精髭に酒焼けにボサボサ頭で、なんか汚いジイサンになってしまったのは残念だ。その点、吉田拓郎は、清らかな風貌のまま今に至っている。そうそう、御大のライバルのアラン・ドロンも引退してしまった。

 なので私も世界に向かって叫びたい。

アル・パチーノ+アラン・ドロンよりあなた

 なんか言ってる自分がキモイな(爆)。ともかくすでに半世紀近く、私は人質です。

 もうすぐ美しい立ち姿を見せておくれ。

2019. 3. 14

 昨夜は、いつも目黒でお世話になり、「愛の賛歌」のガチな翻訳歌詞と熱唱でエディット・ピアフの魅力を教えてくださったANO YOKOさんのライブに行った。

 ライブ…どんだけ久しぶりなんだ。確か最後に行ったライブは…林部智史が「この街」、八代亜紀が「舟唄」を歌っていた。いつだよ。

 フランスのオペラ座でも歌ったというYOKOさんの歌心はいつも凄い。ユーミンの名づけ孫(笑)。手風琴もいいっす。今回は数曲あったのでYOKOさんの世界観が覗けた。シャンソンの名曲の中にあって、オリジナル曲「パリの地図」「パリのエッフェル塔」もいいね。ここで「パリの絵ハガキ」が浮かんだ人は…友達になろう、セブンイレブン(爆)。それは置いといて。「ああパリだぁ、パリなのよぉ はあと」というウキウキな気分に満ちていて共感してしまった。

 対バンの方々も初めてだったが素敵なミュージシャンの方々だった。舞戸亜美さん、美しい声とあまりにシュールすぎる歌詞…惚れました。ちゃんと聴こう。みほりょうすけさんの3月13日に連絡のとれない友達を思って書きなぐったという歌、そして二本松から届く「秋の便り」が特に心にしみた。ああ、ライブはいいなと思う。
 こんな赤坂の猥雑な町の片隅に、私の知らないこんなピュアな音楽がある。不覚。やっぱり音楽とステージは、聴いてなんぼ、観てなんぼ、だなぁ、と思う。できるだけライブを観なきゃと思い直す。そうしないと手拍子はヘタになるし、私の観客力も下がる。待っててくれ、御大>待ってねぇよ

 ステージの大小に関係なく、ステージの時間は、そのミュージシャンだけのものだ。音楽って自由なんだな、だからすごいのだとあらためて思った。こんなサイトやっといてなんだが、ネットなんかどうでもいいから、御大、あなたもどうか自由に、存分に自由にやってくれよ、そんな殊勝な気持になった夜だった。

2019. 3. 13

 少年少女に対して本の朗読・読み聞かせをする小さな集まりで、リストの中に重松清の「きみの町で」という本があった。「子ども哲学」という子どもが日々直面する難問題を子どもと一緒に考える本がベースになっているとのことだ。
 その中で「あの町で」という東日本大震災を舞台にした連作がある。「これは朗読してる方が泣いちゃうわ」と、おっさん&おばさんは皆で頭を抱えた。まったくだ。

 その中の「秋」という短編。震災によって妻であり母を亡くした父と小さな娘が、毒を浴びてしまった川を、鮭が怒るように傷つきながら登り命絶える様子をみつめる。そこから大切な人の死に静かに向き合う決意をするまで…こりゃもう泣くしかない銘編である。

 そして、この話を聞くだけで、ある道をゆく、ある人々には、ある曲が頭にしっかりと浮かぶことでありましょう。もちろん私の思い込みですが、あの曲はエッセンスとして作品にしっかりと生きている気がしてならない。

 例によっていつもの居酒屋で、この話を前にみんなでタメ息をついた。「いいなぁ、重松・・・」。作品がいいということと、もうひとつ別の感慨。
 重松清は、被災地に何度も足を運んだらしい。前回のラジオで拓郎は「何もないのです」のハナシで「山のむこうに実際に行かないで、こっち側で憶測・妄想していちゃダメだ」と厳しくご拓宣をした。御意。
 しかし彼・・・なんてプロの作家に失礼だが、彼は、あの曲を聴いて身に体して、実際に山の向こうに行って、この作品を書いた。大袈裟にいえば、名曲が名作を生み、この曲にまた新しい命を吹き込む。
 現実に私の周囲のおっさん、おばさんは、きっとあの曲を聴けば(どうやって聴かせよう)、心深く感じ入るに違いない。たぶんこの作品は、あの曲にもあらたな豊かさを添えたのだ。

 こうして身をもって吉田拓郎を味わえる、そういうところを、いいなぁ・・・と嘆息しつつ心の底から思うのだ。

2019. 3. 12

 「検印」がついていたので、先月古書店で衝動買いしてしまった小川未明「小さい針の音」。検印は「未明」なのだな。暮れてゆく「黄昏」より明けゆく「未明」がいいという命名らしい。どちらもあの方の歌にあったな。しかも昭和21年発行だ。同歳だ。

 私なんぞが言うのもおこがましいが、さまざまな悲痛事が溢れている。時間が過ぎてようやく語れるようになった方々もいるらしい。
 宮城のとあるバレエ娘さんとそのご家族をいつも思う。その小川未明の「月とあざらし」という切ない短編を思い出す。童話でありながら、そこにはわかりやすい救いも癒しもない。それこそが救いなのだろうか。

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 毎年書いているが、あのとき東京も夜は真っ暗になり沈痛だった。そんな3月後半、とある場所で聴いたエルトン永田が奏でる「時代」に観客みんなで思い切り涙したことが思い出される。そして4月、初めて人前で歌われた御大の「春を待つ手紙」。女川出身の中村雅俊に、ありきたりのお見舞いの言葉ではなく「僕はさ、時々、君の笑顔が恋しくなるんだよ」と言葉をかけた御大とともに忘れられないのである。

 

2019. 3. 11

ラジオでナイト 第97回 2019.3.10
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。映画の話。ジョン・スタインベックの名作「怒りの葡萄」。若き日のヘンリー・フォンダが主演し、監督が有名なジョン・フォード。1940年にアメリカで制作されて日本公開は1963年と随分時間が経って公開されたんだね。
 この映画は何度も観たけれどラストシーンがいい。ずっと言っているように、男たちはいかに情けないか、それに対して女性はいかに柔軟に生きられるか。

 子どもの頃から父母を観て、近所の大人たちを観て、先生を観て、そういう男女から学ぶものだが、自分の時代は男性優位が自然に身に着いてしまう。
 ニュースで観たが世界のアンケートで、男女格差は日本は、下の方である。100何位かな。そんなに格差がある国だ。それなのに先進国ぶって。遅れている国だなぁとがっかりした。自分の反省もこめて、あらためなきゃいかん。男たちはなんでそうなんだ。

 映画のラストシーンの年老いた夫婦の会話がいい。

 苦労のすえに放浪する老夫婦が車中で語り合う。夫が、「おまえは強いな。最近俺は疲れたよ、昔の事や故郷のことを考えるよ。」すると妻が「女はね、変わり身が早いんだよ。男は不器用で、生死や仕事やいろんなことで、いちいち立ち止まる。女というのは流れる川なんだよ。渦もあるし滝もあるし止まらずに流れる、それが女の生き方なんだ。」
 この時代に既にこういうことを言っていたんだ。今の時代に言われても名言だ。

 ここなんだな。男はいろんなことですぐ立ち止まってしまう。みなさん、胸に手をあてて考えなきゃ。
 まだまだ人生は続くんだよ。夫婦しかないとするとここの心構えは大切だ。男は頑固一徹でいいのか、それで人生は楽しく生きられるのか。
 オープニングから説教になった。まだ最後までにもう一度大説教したいことがある。

<25歳、もう終わってしまうのか、同世代とは話があわないが、共有したくない密かな楽しみ、コンサートについて行けるか心配という投書>
 ははは。共有したくないのか。おじいちゃんは共有されたいな(笑)。コンサートは何歳だろうと150歳だろうとついていける。

 今の吉田拓郎を聴きたい。新しい曲とかいうのではなく、今の吉田拓郎のボーカル、今の演奏を聴きたい人は、今度のコンサートは必ず満足いくと思う。
 セットリストも95%固まった。そのセットリストをもってリハーサルに臨む。昨日バンドメンバーにメールをしたら、その日のうちに全員から一斉に返事が来た。コーラスなんか、DAPUMPもオッケーという返事が来た。みんな楽しみにしているとのこと、嬉しいじゃないか。

 今の拓郎を聴きたい人は必ず満足させる。

 70年代の弾き語りが好きだったという人がたくさんいる。こういう過去形の方々にとってはつまらないステージかもしれない。そういうステージではないし、やりたくない。
 Kinkikidsと番組を始めたとき、ブーイングした方がいた。覚えている。Kくんが番組宛にブーイングしている拓郎ファンの方々の意見が届いているとのことだった。すげーなコイツらと思った。そういう人は去っていったと思っている。何度かそういう分岐点があった。
 いいじゃないか、去ってゆけ。ズルズルと続くのが嫌いだ。そういうことでフォーライフやみなさんとの御縁も絶った。来るも自由、去るも自由。

 今度のコンサートは、2012年からのライブの完結編である。それと同時に挑戦編、冒険編でもある。アレンジも挑戦と冒険がある。
 まだまだ一歩でも先にすすむ。そういうのにがっくりしそうな人は来なくていい。転売はだめだよ。あらかじめ親切に云っておく。

<ステージの赤い水は何かという投書>
 スポーツドリンクらしい。夢中だからわかんない。そこに置いてあればお抹茶だって飲む。

<大腿骨骨折、良くなったら吉田拓郎のコンサートに行きたいと言って主治医を驚かせた、当たり前に生きることはありがたいという投書>
 そうだね。健康と愛情、そして妙な男の依怙地がないことが大切だ。

<東京横浜はファンクラブだったのに外れたが名古屋が当選したとという投書>
 ファンクラブはないよな。この人は鹿児島から来るんだ。ありがたいな。その頑張りに頭がさがる。一生懸命歌うから期待してほしい。

<落陽89が嫌いと皆いうが自分は好き、89年宇都宮のライブで佐野サービスエリアで楽しんだというMCがあったという投書>
 ああ宇都宮この時に行っていたんだな。今回も車なのでSEでお茶とかアイスクリーム…好きなんで、あれが結構楽しい。さきいか食べようとか…セコイな。

<50代のビキニをやめろというが人生100年の時代、50代はまだ若い、時代遅れという投書>
 着てくるのか、怖いな。一番前の席がビキニだったらどうしよう。ビキニのおばさんだったら…中止にしたいな、でも何処に来るかわからないので。入口で「ビキニ厳禁」と書いておくかな。
<若い頃コンサートにはおしゃれしたけれど、拓郎さんが観てくれるわけでもないし、 でもおしゃれして横浜に行きたいという投書>
 大切なポイントだ。どれを着ていこうかと普段とは違う装いでおしゃれするって大切だ。男性も普段着ではなくてコンサートに来るという意気込みが欲しい。
 おしゃれは気分が清々しく楽しい。先日も久々に銀座にウチの人と行って大変な買い物をさせられて「ひぇぇぇ」と泣きそう。

 あれ着ていこうと考えて行った銀座で「ひぇぇぇ」といった吉田拓郎のラジオでナイト。

■オープニング
 みなさんの嫌いな曲の反面で僕の好きな曲をかける。

 話は長いがニッポン放送の元ディレクターでオールナイトニッポンゴールドを担当していたTくんが、同じニッポン放送の女性社員と結婚した、その結婚式で大変な体験をした。まず式で主賓の挨拶ということでニッポン放送のMさんという偉い人が、主賓として挨拶を指名された。
 ところがMさんは、ニッポン放送の中で離婚歴ある社員のエピソードを話はじめた。いきなり離婚の話だよ。大いに顰蹙を買って式場はシーンとなって、花嫁親族からはブーイングも出た。マズイなと坂崎と話していた。

 次いで乾杯の御発声ということで吉田拓郎が指名された。乾杯の役は人生で多いな。
なんでだろう。雰囲気がしんみりしてしまっているので盛り上げようと、今日出がけに、
スーツ、ネクタイをああでもないこうでもないと妻と話しながら、妻はネクタイを結べないんだけど、あーもういいやと飛び出してきた…そのエピで笑わせてやっと笑顔が戻った。
 乾杯のBGMが「 全部抱きしめて」のトロピカルバージョンで新妻が選曲したらしい。この時、新郎は「流星」。流星で乾杯はあまりにしんみりしてしまう。
 Mさんの主賓の挨拶がコケたのが、やっと穏やかになった。このトロピカルちゃんと聴いていなかった。すごい新鮮で、この時、なんだろこの曲と思って自分の曲だと気づかなかった。いい曲だな家に帰って調べたいと思っていたら、歌が出たら、ああ俺だ(笑)。
我ながら感動した。冨山くん…言っちゃった(笑)。彼も今や二児の父。キンキも40歳。
こうして時は流れて行くのでした。

(伊豆諸島に竜巻)
(辰巳琢郎 自民党の推薦の出馬を断る)

M-1 全部抱きしめて tropical 吉田拓郎

■CM明け
 大嫌いな曲のコーナー。今や人気のコーナー。こんだけ嫌われると嬉しいな。
<29歳、無意識に避けているのは、「青春の詩」共感できない、ジュリーもショーケンも欽ちゃんも世代が違うという投書>
 これはそうだろ、君らそういう年代とは違うんだから聴いちゃダメ。こんな古いのが合うわけがない。70年代、少なくともフォーライフを辞めたあとから買いなさい。こんなの楽しくもなんともないよ。最近の曲を聴きなさい。こんな「青春の詩」なんて歌わないよ。「青春の詩」でワーッという人は来なくていい。

<「ぷらいべえと」が全曲鼻声ではないかという投書>
 君は58歳にしては何にもわかってないな。風邪をひいてたって前から言ってたよ。会社が危ない時に必死で深夜にレコーディングした。深夜だと使用料安いで、銀座の音響スタジオで、本格的なプロといったら青山とエルトンくらいかな。あとは安いミュージシャンを集めた。そういう深夜レコーディングをしているうちに風邪をひいてしまった。スケジュールが決まっており体調崩してもボーカルを入れなきゃならなかった。
 このアルバムめちゃくちゃ売れちゃったんだな。風邪ひいてレコーディングしたのは オレくらいだよ。

<逆切れ説教コーナー楽しみです。オンステージともだちの「何もないです」が嫌いという投書>
 エレックとか捨てちゃえ。そういう人のためにコンサートはないから。
(歌う)
 嫌いといったってどうしようもないよ。だから、あの山の向こうに何があるというところに、若者の好奇心がある。こっちからでは見えないものがある向こうにあるのではいなか、実際に行ってみようという作品だ。ここにいて、グズグスああでもないこうでもない、いまのネットの社会みたいに、俺に会ったこともないくせに、あーだ、こーだとオタッキーなヤツが多いじゃないか。
 純粋な若者の好奇心があって、今でも俺たちは、憶測・空想でなく実際に行ってみよう
見事なメッセージなんだよ。よくこんなデタラメが思いつくな(笑)

<「せんこう花火」が嫌いという投書>
 いい曲じゃないの(ほぼ8割近く歌う)もういいか。いい詩だな。こういう詞は、送ってこなかったな。「春だったね」みたいなものも期待したんだけれど。なぜか詞に日本酒が多い。かつては20代のリスナーだったからかな。

<22才、大好きだけど大嫌いな曲は「俺を許してくれ」、そんなに謝らなくてもいいのではという投書>
 謝ってないよ。自分が沈んで、いろいろあるけれど、ここから一歩ゆくぞ、前へ進むぞというそういう歌なんだよ。またもや口から出まかせ(笑)。

M-2 俺を許してくれ (18時開演)

■勝手に選ぶニッポンの歌50選
「み」
・Mr.サマータイム   サーカス
・見上げてごらん夜の星を 坂本九
>いい歌だね
・港町ブルース  森進一
・港のヨーコヨコハマヨコスカ ダウンタウンブギウギバンド  
・岬めぐり   山本コータローとウィークエンド
・水色の雨   八神純子
・水色の手紙  あべ静江
・未来予想図U ドリカム
>47歳のリクエスト「皆の衆」村田英雄
今日かけるのはコレ。
M-3 「皆の衆」村田英雄

■エンディング
・「皆の衆」村田英雄 i-podに入れようか。
・嫌いな歌
・ラジオでナイトの名シーン

・「り」「う」
料理は苦手だよ  今夜はチン

神田共立講堂の詳しいこともう少し待ちなさい、今夜決まるそうだ

吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆「怒りの葡萄」御意。学生時代、ミニシアターで涙ぐみながら観た。忘れていたが、そうだった。暗い悲惨な映画だったがトラックの中での母ちゃんの胆力に満ちた様子に、希望の光が刺すように終わった。そうか「流れゆく」のか。まさしく自分も、すぐやめる、もうできない、消すと止まっては全力で弱気を発揮することが何度あったことか。そのたびに胆力ある女性たちの助けによって、私は辛うじて生きてきた気がする。最近もそんなことがあった気がするな。

☆「今の吉田拓郎を聴きたい人は必ず満足させる」。望むところだ。どっからでもかかってこい(爆)。いえ、楽しみにしています。

☆私に言われたくないところだろうが、2012年あたりは、武部・鳥山というスターミュージシャンがフィーチャーされているだけの平板なバックという印象だったが、〜2014〜2016とミュージシャンの一体感、カタマリ感、バンド力が少しずつ高まってきているかのようで、いまや全員即レスとは2019年がえらく楽しみだ。御大の魅力による統率なのではないか。
 ビッグバンドも最初は2003年のデカイオーケストラ感から始まったが、最後の2009年のときは、スケールメリットをそのままに、すごく細やかなところまでゆきとどいたバンドサウンドになっていた気がする。それと同じかもしれない。
 それにしても「挑戦編」「冒険編」とはワクワクするぜ。

☆アルバム「ぷらいべえと」は、愛と哀しみの拠り合った、しかし圧倒的な名盤だと思う。

☆それにしても引続きネットがお嫌いなんですね。「会った事もないくせに」・・・御意。そんならお会いしましょう(爆)。いつでもどうぞ。
 御大がネットやたぶんココのようなサイトがお嫌いというのはよくわかる。なので申し訳ない気持ちを抱きつつ、ひっそりと"永遠の片思い"を続けるしかない。しかし、"へ"のような私も映画「怒りの葡萄」のお母さんの最後のシーンの別のセリフをお借りすると「打ちのめされてもしぶとく生きる。私たちは死なないよ。永遠に生きて行く。民衆(ファン)なんだから。」

☆☆☆☆星紀行今日の学び☆☆☆
 村田英雄「皆の衆」。神曲。すばらしい。この歌、ボブ・ディランより凄いぞ。
    どうせこの世はそんなとこ、そうじゃないかえ、皆の衆。

2019. 3. 10

 ラジオでナイトの公式の構成作家Kさんの話をしみじみと読む。そこに垣間見える吉田拓郎があらためて素敵だ。真実はステージであり、CDであり、またラジオ放送の中にあるのだろうが、こういうバックステージの吉田拓郎にも悶絶する。リハーサルのスタジオで真剣に楽譜にペンを入れていたり、ミュージシャン達と交わす喜怒哀楽のコミュニケーションの様子。それらと同様に、リスナーのすべてのメールを読んで、自分の話の構成を丹念に組み立てて行く拓郎の姿が浮かぶ。こういう普段は知ることのできない拓郎の姿。こういう姿にこそ宿る真実もある。そこがまた、たまらなかったりする。
 これでラジオが終わってしまうはずがない。確かにそんな確信が伝わってくる。吉田拓郎が弾いているというエンディングがいつまでもどこまでも続きますように。

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2019. 3. 9

 随分昔、一人暮らしをしていたワンルームの部屋には有線放送が敷かれていた。深夜によく聴いていたが、そのうち拓郎の曲を電話でリクエストするようになった。
 Youtubeもない頃だ。ある晩、試しにしれっと幻の「僕の旅は小さな叫び」をリクエストしてみた。…いつもだったらすぐにリクエスト曲がかかるのに、なかなかかからない。ま、かかったら凄いのだが。こりゃかからないと思っていたら1時間位経ってから突然「レールが鳴ると僕等は旅がしたくなる」が流れた。おおーと思って、今度は「僕らの旅」をリクエストしてみたら「放浪の唄」がかかった。
 これはもう思い込みの域だが、有線の人が必死に探し、無いので、より近いエッセンスの曲を届けようという苦闘のあとが垣間見えないかい。「僕の旅は小さな叫び」→「レールが鳴ると僕等は旅がしたくなる」、「僕らの旅」→「放浪の唄」決してエッセンスは無関係ではあるまい。いい仕事をしている人がいるなぁと深夜ひとりでしみじみと感動したのを思い出した。
                 (「深夜の友は真の友、そりゃ五木寛之だろ」・終)

2019. 3. 8

 ギターのことはさっぱりわからないが、”白のストラトキャスター、サンバーストのテレキャスター・スペシャルエディション、オレンジ色のテレキャスター、シンラインスペシャルエディション”とツアー用ギターを御大が読み上げるだけで、萌える。サンダーバードでいえば”Thunderbird are go!”、スタートレックでいえば”Take us out!”、いかりや長介でいえば"8時だよ!"みたいに燃える。
 この貴重なひと時を僕たちは何かをせずにはいられない。この時期、何をしていたんだろうと10年前(2009年)の同じ時期の日記を観ると、ツアーの抽選に落選しつづけて悶絶していた(爆)。JALカードの先行予約にも落選し、どうせJALで取った席にはお座席ベルトがついていて盛り上がってもスタンディングできないので落選して良かった…と書いてあった。小学生か。
 10年間相変わらずだが、10年後も同じ事をしていられるのは幸せなことだと思うべきか。いやいや、たとえ"ヘ"のようなことでも今年だからできるあたらしいことをはじめよう。

2019. 3. 7

…救われた。"ものを作る人への永遠の片思い"。心の底からありがとう。刻む。

 花粉症が辛いので春はもうすぐなんだろう。なかなかサクラが咲かない甥っ子の大学受験の問題集の文章にあった一節。

「ところがそのコブシ。タウチザクラと呼ばれても、サクラのようになれなれしく人家の庭にやってこない。人煙少しはなれた山で俗をきらって花をつける。いささか淋しげに、そして清らかにさき誇るのである」(「大和慕情」榊莫山)

ああ、これは吉田拓郎ではないか。こんな時なので特にしみるぜ。

甥っ子は言う「知らねーよ」。はい。

2019. 3. 6

 一昨日の居酒屋で、"正義は我にアリ"と文献抱えて怒れる私に、Ninjinの雨畑はこう呟いた。「でも過去の発言が全部残っていて、こうして今もネットで突きつけられる拓ぼんが本当に可哀そう。」「例えば嫌いだった人と時を経て仲良くなった時でも、昔言った”アイツが嫌いだ”という言葉がへーきで突きつけられる。忘れたり、水に流す自由すらないワケよ。」

 うーむ。 居酒屋は静かなる白熱教室のようになった。

 確かに拓郎は20代の若気の至りから今日の老気に至るまで(爆)のあらゆる発言が残されてしまっている。覚悟して語った珠玉の言葉もあれば、薄っぺらな質問にムカっ腹立てて投げつけた言葉、人間だからボロボロになって吐き出した言葉もあろう。年代によって、居場所も、見えている景色も違うだろう。そんなことおかまいなしに、あらゆる言葉が「拓郎さんの発言」としてひとくくりに冷酷なデータベースのように蓄積されている。

 とにかく手に入る拓郎のすべての言葉をありがたく読む自分でありこのサイトだが、ひるがえって、もし自分の過去の発言が、まるで昨日のことのように「あの時こういったよな、ホレ!!」と突きつけられる事を考えるとそれだけで震撼させられる。裁判じゃないんだから、いや裁判の証拠だって、いつ、どんな状況で、どんな気持ちで放たれた言葉なのかを慎重に斟酌するはずだ。
 最近テレビでよく観る嫌な光景である、犯罪容疑者のはるか昔の小学校の卒業文集とかを探し出して、昔からコイツこんなこと言ってましたぜ、とみんなでコメントしあう。極論するとアレと同じだ。

 もちろん仕事なのだから当然ということも一理あるが、それでも人は変わってゆくものだ。友人の医者が口癖で言う「老化も立派な成長過程」と言う言葉のとおり、常に人間は成長し変化してゆく。

 昔の言葉は真実の歴史だ。だから、それを一切拾わない、捨て切るというのも違うと思う。しかし、「すべての歴史は現代史である」という格言のとおり、歴史は、現代と未来の平和に役立ってこそ意味がある。
 なので昔の言葉は、その後の成長と変化という変数を含んだうえで、読んだり、取り扱ったりしなければならないと・・・あらためて自戒する。ましてや「拓郎、アンタこう言ったよね」と追い詰める具に堕してはならない…そんなことをと教えられた気がする。

 だったら、こんなサイトなんてやるなよ、というのが一番の正論だ。まったく申し訳ない。
 映画監督の是枝裕和が谷川俊太郎の言葉を引いてこう書いていた。「詩とは自己表現ではなく、世の中の豊かさを記録してゆくものである」。アタシは是枝監督でも谷川詩人でもないただのヘナチョコだが、せめて自分の体験した吉田拓郎の豊かさを世界のかたすみに記述しておきたいと身の程知らずに思うのよ。
 例えば81年の武道館のオープニングで「オイラとにかく大っ嫌いだね」という叫びを聴いた時の胸のすくような興奮。それから始まってその歌も歌手も何十年間、紆余曲折、百戦錬磨の中でもっともっと深い意味をもって成長し変わってゆく。たまたま自分もファンの端くれとしてご一緒できた、そんな今に向けてのひとつながりの幸福な時間の流れがある。私なんかよりはるかに凄い、かけがえのない時間の流れがみなさんにもおありでしょう。 過去の一点だけでなく、過去から今に繋がるひとつながりの時間を愛でたいのよ。

 だからといって、というか、だからこそこのサイトは、ウシロメタさを忘れずに、ひっそりとコソコソと孤高でいよう…とあらためて思うのであった。

 別に、ネットに苦言する拓郎に対して卑屈に反省したり弁明しているわけではない。孤高のサイトなので自分で誉めるしかないが、毎日、魂こめて元気に更新している優良サイトだ(笑)、拓郎、よかったなぁこんなファンサイトがあって・・・と思うのだが・・・って、ウシロメタさゼロじゃん。

 とにかくライブがある。アルバムも遠そうだけど、必ずある。成長し変わってゆく吉田拓郎の歴史は明日もまだまだ続いてくれる。

2019. 3. 5

 そうはいっても昨夜は居酒屋で「オレもオマエが嫌いだよ」と苦い酒を飲んだ。いや、すまん。酒に罪はないな。
 私たちだけだったのでマスターが「拓郎か何かかけます?」と言ってくれたが、今夜はストーンズのShe’s A Rainbowにしてもらった。泣きたくなるようなピアノとまだ若くて可愛らしいミックのボーカルが♪she comes in color everwhere…とシンクロするところがなんともいい。心洗われながら悪態をついた。
 店内は禁煙で喫煙家はマスター自らもお客さんもこの”愛煙キット”を手にオイラ、チョイト御免と店外に吸いに行く。
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 煙草を吸わない私はこのブレイクが羨ましい。なんというかミュージシャンや役者が舞台袖にちょっと引っ込むような感じがいい。マスターとツレは、外は寒いね、今年は雪がないね、雪になったら雪景色をみながら外で煙草吸いたいねと話している。話を聞きながら”ありふれた街に雪が降る”をすごく聴きたくなったが聴いてやるもんかと我慢してやった。

2019. 3. 4

ラジオでナイト 第96回 2019.3.3
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

吉田拓郎です

<ラジオ終了というが新しいアルバムが楽しみ 新しい吉田拓郎に期待、今の言葉を聴きたいという投書>
 今の言葉、これからの吉田拓郎に期待すると心にしみる。どうすりゃいいというのもある。昔のことばかり言ってても、70歳過ぎてのアルバムを考えなきゃ。既に、途中まで書けたものも含めて詞は、5,6曲できた。来週には、コンサートのアレンジの打ち合わせがある。
 今回はアレンジをヒネリたい。武部、鳥山にはこんな感じでと伝えてある。イントロだけでは何の曲かわからないものも考えている。楽しみだな
 ラジオが終わるのは寂しいが、そのあとにやることある。コンサートもアルバムもあると楽しみ。日常が「よし、やろうぜ」という気分になる。

<士気が落ちないように、ハンドクリームでカサカサの拍手にならないようにしているし、なんだったらビキニ水着ていきますという投書>
 いくつなんだろう。50代以上だったらやめてください(笑)。客席50,60代のビキニだったら歌えないし、隣近所の席のおっさんも困る。

<セットリストを知りたい、予習できるし、その方が味わい深いという投書>
 アレンジを変えたいのでイントロでもわからないという曲がある。

<セットリスト公表してほしい、どうせすぐバレる、ネットに載ってしまうという投書>
 みんなお喋りでさ、ネットってさ、いろいろあるからさ。だいたいそういうのは男が多いね。

<浜松で手を抜くと言っていたけれどやめてほしい、今回はどんなギターを弾くのかという投書>
 口から出まかせ手抜きなんか絶対しません、全力投球です。黄色いテレキャスターはあげたし、往年ギブソンJ45は持ってかない。古いし、壊れちゃうよ。ムーンのATテリーとっくに持っていない、確か、鈴木茂にあげた。
 白のストラトキャスター、サンバーストのテレキャスター・スペシャルエディション、オレンジ色のテレキャスター、シンラインスペシャルエディション。

<ステージ衣装は何着あるのか、自宅で洗濯しているのかという投書>
 何種類か用意して、一回くらいステージ着替える。ミュージシャンで自分で洗濯するヤツなんていないよ。スタイリストがまとめてクリーニングして(笑)

<マウイに行った、「教えてハワイ」、「ワイハーへ行こう」を熟読して大満足、カーナパリという投書>
 いいねぇ行きたい。本当はワイレアの方がケアラニホテルとかアジア人が少なくていいところ。正月に菅野美穂と堺雅人に紹介したら良かったというメールが来た。

<RCC入社時に君は貴公子のようだねと褒められた門田(もんでん)氏からの投書>
 貴公子なんて言ったかな。門田、覚えているよ。ダウンタウンズ、ミニバンドの復活ドキュメント番組のディレクターだ。懐かしいな。同業者なのにこうやって番組にメール゛か来るのか。一松(ひとつまつ)アナウンサー、ちょっと付き合ったよ…亡くなったのか。当時、アナウンサーの何人かと付き合った。かわいい素敵な人だったよ。

<番組終了は寂しいけれど大学生時代、山にハイキングに誘って予行演習した話が好きという投書>
 そう計画してここで押し倒そうとしたりと考えた。もう一人思い出した。大学時代に付き合った女子大生がいてこの人が困ったんだ。ある女子大生と付き合ったけど、夏に波打ち際で、彼女がおなかを指さして、産毛が生えている場所あり、「ココから将来赤ちゃんが生まれてくるのよね」と言って、絶句した、「ええ?、そこから生まれるの?」、それ以来交際をやめた。怖くなっちゃった。凄い話。すごい事が広島時代にいっぱいあった吉田拓郎のラジオでナイト。

■オープニング
 いろんなことがあったよ、青春していた頃は。広島のダウンタウンズとかバンド時代が楽しかったな。いまだに話すと女の子のことだね。実は、あの娘と付き合ってたとかいう、今になってバラした話とか盛り上がる。

 若いミュージシャンと少しアレンジを変えようと打ち合わせをしている。彼らのスタイルで聞くべきことは聞こう。ココを取り入れようとか、ココまでやるとは客席がわからないとか。それこそ米津玄師も聴いたりしている。その米津玄師、ツアータイトルが「脊椎がオパールになるころ」という。こんなツアータイトル考え付かない。夏とたぬきうどんとか言っていた自分とは違う。ココで脊椎。時代だな。脊椎が問題なんだ。
 次回がやるとしたら、今回が最後だと言っているけれど、もし次回コンサートがあったら、脊椎に異常があるので「脊椎で整形外科に通ってます」というタイトルにしようと思った。
脊椎に反応した米ちゃんファンが来るかもしれない(笑)。このセンスが大事なんだよね。脊椎なんだよね。

 嫌いな曲の募集の前に好きな曲をかける。

 次のコンサートで歌おうか悩んでいる。広島時代、世界にはばたきたいと思っていたが、バンドでうまくいかず、一人上京して人生にかけようとしていた。しかし、東京は両手を広げて迎えてはくれなかった。
 デパートの屋上、みかん箱の上、グループサウンズの前座そういう環境で歌った。いろいろ苦労していた。
 丸の内線の新高円寺から朝出て、四谷に行って、夜帰ってくるサラリーマンのような生活だった。
 数少ないがコンサートを観たことある女子高生がエレックレコードに訪ねてくるようになった。せっかく来てくれたので、喫茶店であったり、近くの新宿御苑で聴いてもらった
 ♪どうしてこんなに悲しいんだろう
 新宿御苑で、こんな曲ができたけれど聴いてもらった。
ブームや流行を生み出すのは男子じゃなくて女子だね。ディランしかりビートルズしかり、  ちょっと前のルーズソックスとか、ガングロ…は最近いないけれども女子だ。女子が最初に見出して男は、あとからファンづらしてデカいことを言ってくる。女子の感性。それをエレックの専務の人が見ていて、吉田拓郎に可能性感じてチカラを入れた。

 毎月一回、マンスリーコンサートというのを行った。紀伊国屋ホール、安田生命ホール、新宿厚生年金会館小ホール。最初一回目なんて殆どサクラだ。新宿界隈でチケット配っていた。このコンサートをアルバムとして商品化するなんて思ってもいなかった。マイク一本だけだし、そんな音を後にアルバムにしてしまうというゲリラ手法、これにはまいったし、夢も砕かれる。ある種の挫折と不信感を感じた。
 そのころ、鹿児島の谷山小学校の同級生の前田君が訪ねてくる。出来たばかりのCBSソニーでにしきのあきらのディレクターをしていた。いろんな話を聞いて、今の僕の現状では飛躍は望めないと教えてくれた。このままじゃダメだ、このあたりがエレックとの限界だと考えた。人生は出会いと別れだ。東京の青春の混乱の終わりとはじまりだった。

M-1 ともだち   吉田拓郎  (みんな大好きVer)

■CM明け

<61歳、オンステージともだちの「老人の詩」が嫌いという投書>
認める。俺も嫌いだよ、捨てちゃえよあんなアルバムと思うけれど、そのおかげというのもあって、そうもいかない。

<大阪行きは何番ホーム、ガンバラナイけどいいでしょうが嫌いとは、アンタは何を聴いてのだと 思うが、言わせていただければ「あの娘といい気分」が嫌い、ムチムチムチ夢中に「ハズしたわ」と思ったという投書>
 (歌う)、いいじゃないか陽気なロックンロールじゃないか。ライムライトでよく飲んでいるころ、そこで働いてた若い娘がモデル。可愛いんだ。結構、ナンパだね、吉田拓郎は。青山徹が「拓郎はん、あの子モデル歌にしんさい」「書いてみようかの」ということで作った。

<ロンサムトラベリンマンが嫌いという投書>
 失礼だな。一番好きな何曲かなのに。(歌う)ああ、わからないくらい動揺しているのに
話にならない

このコーナー始まってから僕も君たちのこと嫌いになってきたよ、好きになれない。

<こうき心が嫌い、10年近く連れ添った彼女が「好きな人が出来たので家を出ていきます」と言って出て行った「拓郎も街をでてみよう〜恋をしてみよう」と歌っているじゃないのと言われたという投書>
 悪かったな。はははは (笑)。この歌のせいじゃないな。この歌も候補だ。ライブ73のアレンジで考えている。今候補曲が40曲近くあるけど絞り切れない。
<43年ファン、好きな歌はその年代で変わる、旦那様は拓郎に興味がないが、この曲だけは聴きたくないというのが「気持ちだよ」、家で流していたら「気持ちだよ」が「仕事だよ」と聞こえてプレッシャーになるから嫌いだという投書>
 辛いよね。曲がどうこうじゃないね。

<ファンためもの嫌いな曲は胸にしまっておくべき、それでも、ひとつ言わせてもらうとその存在を知らなかったのが落陽89、聴いてみるとイケてないですねという投書>
 胸にしまっておけといいながら、おまえも言うな。おまえ知らなかったとは何事か。もっと悪いぞ。今週もかけるんだ

M-2 落陽’89  吉田拓郎

■勝手に選ぶニッポンの歌50選
「ひ」
・人にやさしく  ブルーハーツ
・ひとりじゃないの  天地真理
・氷雨   日野美歌
・ヒーロー 甲斐バンド
>たくさんリクエストが来ていた
・ピースサイン  米津玄師
・HERO  安室奈美恵
・瞳を閉じて  平井堅
・ひこうき雲  荒井由実
>なつかしいな。EMIのディレクターに連れられて、小さなホールに行って、「ひこうき雲」って、いい曲だなって
・ひまわり娘   伊藤咲子
・瞳はダイアモンド  松田聖子
・ひと夏の経験  山口百恵
・ひだまり  村下孝蔵

 家では米津と双璧で聴いている。

M-3  ひかりもの   あいみょん

■エンディング
 ネットは信用しない。使い方は便利だけれど。「夏休み」という曲を反戦歌といっているところがある。ありえない。先週かけた「この指とまれ」をハンドインハンド谷村新司さんのシアターフレンズに対して作ったというのを読んだことがあるが、違う。そんなセコイ歌を作らないし、そんな歌はその後も延々と誰が歌うか。
 真実はネットにない、ライブにしかない。もっというと真実は僕にしかわからない。何を書いてもひとりよがりでしかない。なんでそういう思い込みを書くかな。

吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆いよいよ放送も最終月に入った。100回が最終回とな。キリが良すぎる。

☆コンサートの準備に向けた空気がたちこめている。この感じがいい。このまま続いてくれれば、そのままコンサートのメイキングを同時中継でリアルタイムに眺めることができるのに…と思うと残念でならない。

☆40曲。ああ40曲、全部聴きたいと身悶えする。

☆新宿御苑で♪どうしてこんなに悲しいんだろう〜を聴かせてもらった女子高生の方々は、いまごろどうしておいでだろうか。究極の原始会員みたいなものだ。彼女たちの糸がすべての今に繋がっているのだ。
 確かに自分に省みても男は保守的だし、新しいものをキャッチするのは女性の方かもしれない。それにこれも自分に省みて、男の方がすぐにオタオタする確率が高いとも思う。

☆それにしても、最初は鷹揚な雰囲気で始まった嫌いな唄のコーナーだったが、星一徹か丹下段平主催の矯正道場と化している。しかし負けずに、「拓郎の何を聴いているのか」「嫌いな曲は胸にしまっておけ」などと言いながらも「せっかくの機会だから」というリスナーの投書センスがまた抜群で笑った。

☆真実は吉田拓郎にある。吉田拓郎しかわからない。全くだ。自分のサイトも独りよがりな思い込みと思い入れしかない。だから吉田拓郎という真実を求めて、妄想と誤読とそしてたまにこっち側にも落っこちている小さな真実とが混沌としている森を旅するのだ。吉田拓郎という真実が素晴らしいからこそ出来る幸福な旅である。この命ただ一度この心ただひとつオレも許してくれ。

☆☆☆星紀行今日の学び☆☆☆

 大切なのは作った時の気持ち、初めて聴いたとき時の気持ち、そこから旅立って変化し成長してゆくことだと思う。一個の曲がそうやって広がっていって、ああいい曲だなぁと魂の底から思えることだよ。だから吉田拓郎は素晴らしいんだよ。

2019. 3. 3

 ストーンズの”She’s A Rainbow”がCMで流れている。美しい。あらためて聴く。もうつくづく美しい。なんといっても心の襞にうちこまれてゆくようなピアノ音色がたまらない。

 ピアノというと、ユーミンのステージで、アンコールだったと思うが、ステージ中央にグランドピアノが二大向かい合って置かれ、松任谷正隆と武部聡志のピアノ伴奏だけで「卒業写真」を歌ったシーンが蘇える。
 松任谷、武部、こんなに拓郎の側にいながら、なんでこれを拓郎にやらせない。そこに愛はあるのか。歴代のキーボーディスト、アレンジャー全員にも言いたい。それとも提案したけれど「オレはバンドじゃなきゃヤだ」と却下されたのだろうか。

 ギター一本であそこまでの極上の音楽表現ができる拓郎だ。ピアノだけの伴奏で拓郎のボーカルがつくりあげる世界を妄想すると胸がふるえる。そこでシャウトなんぞされた日には、私は失禁するかもしれない。

 「流星」なんてピアノだけで歌うのを聴いてみたいとかねてより思っていた。「言葉」「マラソン」「どうしてこんなに悲しいんだろう」「Life」なんてどうだろう、「清流」「アゲイン」もいい。ああ「人生キャラバン」を忘れていたぜ。もっともっとありそうだ。

 ということで、今週の居酒屋飲んだくれ案件は、これ。ピアノで聴きたい吉田拓郎。今週も妄想をつないで生きていきまっしょい。

2019. 3. 2

 拓郎が社長に就任した1977年にはコンサートは一本もなかった…と昨日書いて、そのとおりなのだが、コンサートの予定はあったことを思い出した。
 77年4月ラジオ「フォーライフ・フォー・ユー」の最終回に出演した吉田拓郎は近日発売のアルバム「ぷらいべえと」を紹介し、今年のコンサートの予定を質問されて、こう答えた「秋に沖縄で"10万人コンサート"というのを計画しています。沖縄でドーンとやりたいです。」。沖縄・10万人・どっかーん。今ならば「御大、またまた何言っちゃってるの」と余裕かまして聞いてられるけれど、当時は子供だし、もう120%信じてしまってそれからは沖縄のことばかり考えて暮らさなくてはならなかった。我ながら健気だった。しかし秋には、その大反動で「拓郎の嘘つき」と恨めしく思いながら生きていた。

 吉田拓郎の沖縄のライブに行ったのは、それから30年近く経ってからだ。2004年、私もすっかりおじさんになっていた。10万人はいなかったけれど、30年越しで拓郎が約束を守ってくれたみたいで、あの時はオレも子供で嘘つきとか言って申し訳なかったなというしみじみとした殊勝な気持ちになった。
 そんな万感の思いで会場に臨んだのだった……けど、開演時間過ぎても出てこないし(爆)…泡盛の飲みすぎだとぉ、やっぱ、とんでもねぇヤツだ…たちまち気持ちが逆戻りしたのだった(涙)

2019. 3. 1

 フォーライフ時代の話で、よく拓郎は「社長時代は何年間も音楽活動をしていなかった」と述懐するが、その期間については、話すたびに違い、3年間、6年間、最高で8年間というものまであった。いずれにしてもそんなに長くはない。せいぜい社長就任の年の1977年は1年間コンサートをしていないくらいだ。その77年だって「ぷらいべえと」「大いなる人」という2枚のアルバムを出し、キャンディーズの一連の曲を提供している。翌78年春にはコンサートツアー、秋には超大作「ローリング30」を発表している。79年は篠島で復活。割と間断なくし仕事をしておられる気もする。なので昔は、御大の述懐を耳にするたびに御大は大袈裟だなぁ、あるいは時間軸がユルイなぁと思っていた。

 すまん。でも違うよね。東京の一夜はこの街で過ごす一年のよう・・・あっ、歌が違うよ。御大の人生は早送りのビデオのよう。物理的時間ではなく、その心理的時間は何年にも匹敵する重たいものだったのかもしれない。どれだけ厳しい経験だったのか。ミュージシャンでなく経営者でいなければならないことがどれだけ消耗する時間だったのか、私には下種に勘繰ることしかできない。

 逆にそんな大変な時にもかかわらず、その隙間を縫うようにあれだけの名曲を作り音楽の仕事をしていたということは、どんだけこの人は音楽を愛していたのだろうか。

 そしてまた、その時間をフルにミュージシャンでいられたら、さらにどれだけのことができたか・・・という悔恨みたいなものもあるのかもしれない。

 もちろんすべては私の妄想である。しかし、愛は妄想にすぎないというではないか。今夜はこのあたりの妄想で涙ぐみながらいつもの場所で飲む予定。Have a nice weekend.

2019. 2. 28

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 パシフィコ横浜は設備も立地も素晴らしい会場だが、ひとつだけ超絶個人的な難がある。
 「国立大ホール」これがいつも「国立大」に見えてしまう。この威圧感。

 拓郎の弾き語りの名曲「僕の一番好きな歌は」に「♪オヤジの暴力で一流大学へ・・・」という一節があるが、初公開時の78年のステージでは「♪オヤジの暴力で国立大学へ・・・」と歌っていた。

 つまりご尊父吉田正廣氏は「拓郎、国立大学に行け!」と暴れておられたのだな。私の亡父も似たところがあって国立大学を異様に崇拝していた。世代的なものもあるのか。
 しかし怒られようとも暴力を振るわれようとも、行けないものは行けないのである。

 重松清の「すばる」のインタビューで拓郎が「兄(哲朗)の長男は現役で京都大学に合格しました。正廣の夢はここに実現しつつあります(笑)」とあった。こういうドラマチックな話を自然に引き出すところ、さすが重松清と思う。

 ともかく「国立大」に反応してしまう切ない思い。

 まさかこの歳になって「国立大」がまた自分の前に立ちはだかるとは思ってもみなかった。日々是決戦、第一志望は譲れない、気分は受験生である。

2019. 2. 27

 前回のラジオでの「泉谷が辞めた時からこの会社をやる意味はなくなっていた」という言葉が刺さった。

 吉田拓郎は一匹オオカミだ。あらゆるシガラミを振り捨てて孤影悄然とひとりゆく姿が魅力だった。

 なのに、あの時孤影悄然とカッコよく去っていったのは泉谷で、吉田拓郎は体制側に残る人になってしまった。残された拓郎はカッコ悪かった。♪恋の終わりはいつもいつも立ち去るものだけが美しい、残されてとまどう者たちは…と中島みゆきの唄を思い出す。

 しかし、カッコ悪いからカッコイイのである。カッコ悪さという重責を引き受けた吉田拓郎のカッコよさがそこにある。

 泉谷は一昨年のテレビ出演の時に言った。「フォーライフというのは吉田拓郎という天才の仕事」「彼は音楽界の先輩たちに対してものすごい敬意をもっていた」「拓郎だけが俺のことを真剣に止めてくれた」

 誰よりもわかっていたのが泉谷だったのかもしれない。この二人は一緒にいたかったのだとあらためて思った。重責を背負わんとする拓郎に、泉谷は脱退することで身をもって語りかけたのではないか。

 この二人はともだちなのだと思った。

 たとえ殴り合いの乱闘をしようとも、お互いにムカついても、日々疎遠になろうとも、仲違いしたままま一生を終えようとも、そんなことは些末な事と言ってしまえるくらい彼らは、ともだちなのだと思った。

 他人様のことを何でおまえがわかると言われようと、ともだちとは、そういうものなのだとこの二人が全身で教えてくれているような気がしてならない。

2019. 2. 26

ラジオでナイト 第95回 2019.2.24
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。今日は何の曲かなと思っていた人もいるでしょうが、そうはいかない(笑)

<森下愛子のCM、受験生の母を観たという投書>
<佳代さんだと思った、米さんを歌う佳代さんも観てみたいみという投書>
 人の奥さんつかまえて気安く「佳代さん」はどうなんだ。LOVE2でキンキが「佳代さん」を連呼していたのがいけなかったな。

 あのCFは面白い。手前みそだけど本人を知っているから笑ってしまう。
息子がスマホで受験勉強しなくて困った母親だけど最後にドアで泣き崩れる。あそこで笑う。およよよが笑う。またあの父親の犬が面白い。

<横浜公演では中華街に行かないのかという投書>
 中華街は店じまいが早い。コンサート終わって、夜の10時30分に開いている店は少ない。なので東京に帰っちゃう。日帰りなんで終わったら帰ってしまうようになった。全国ツアーの頃は終わると必ず飲みに行ったね。

<あいみょん、マリーゴールドが好きで特訓しているが、70年代の頃の曲と違って難しいという投書>
 70年代でも吉田拓郎は難しいと言われたそれよりも言葉数が多いし、畳み込む感じなのでもっと難しいと思う。  

<これ以上セットリスト公表はやめて、埼玉だけで奥さんと一緒にステージでダンスご披露願いたいという投書>
 そんなにセットリストの公表は知りたくないのか。じゃう、これから発表すると言ったら  ラジオ切るのかな。そんなに嫌かな。僕は、会場で、例えばブルース・スプリングスティーンだったら、次の曲は何かがわかったら楽しみだけどね。次は、何の曲だろうという方がいいのかな。ちょっと依怙地になるな。来週セットリスト発表するといったら、聴取率下がるのかな。

(米津について)すごいね、相変わらず熱に浮かされているよ。

<最後のコンサートならば松田聖子ファンの妻を連れて行くという投書>
 これはどうかな、松田聖子のファンなら寝ちゃうんじゃないか。

<拓郎さんのカバーでお気に入りは何かという投書>
 文句ナシにミセスグリーンアップルの流星。こんな気に行ったことはない。若い人がカバーしてくれたことが嬉しい、その歌いっぷりが好き。カバーしてくれた他の人のを悪いとは言えない

<名古屋では、錦のスナックで楽しんで帰るのか、ファンは馬車道で飲むという投書>
 名古屋に女子大通りというのがあって、カラオケで♪生きてる限りはどこまでも〜これを延々と歌って青山たちと帰ってきた。翌年、同じスナックに行ったら、その時の映像が残っていた。消してくれよ。あれ以来歌うのをやめた。ずっと全国で骨まで愛してうたっていた吉田拓郎のラジオでナイト

■オープニング

 堂安選手のドキュメントを観た。フィジカルトレーナーが、20歳の堂安に話かけている。トレーナーは、君は自分の身の丈を勘違い。日本ではスター扱いしているけれど、高い下駄を履いているだけで実際の身の丈を見誤っている、そんなに背は高くないんだと諭していた。それを聴きながらジーンとしてしまった。
 僕も自分はもともとは一匹オオカミだったんじゃないか。僕に限らず、あの頃は音楽やっているヤツはみんな一匹オオカミだった。それを見誤っていた。
4人でレコード会社を作って、めぐりあわせで社長までやった。1982年頃に辞めるのだが、そこが会社ごっこの限界と終焉の時だった。会社としては、僕が退任したあとはアーティストではない本来的なスタッフが社長になった。
 これも一匹オオカミが無謀にも徒党を組んでしまって、何をするのか、わからなくなっていたのではないかと思う。僕が社長を辞めた時、既に泉谷はフォーライフを去っていた。それだけでもうこの会社の存在の意味はなかったと思う。会社の設立イベントに参加した自分は、明らかに道を間違えていたのではないか。これはやるべきじゃなかったと退任の時に思った。社長を辞めたと同時に僕もこの会社を去るべきだと思った。
 「この指とまれ」というのは、会社を作って徒党を組んでいた自分の自己否定だと思う。その後、50歳から今日までフォーライフ設立の時のみなさんとは陽水以外は会っていない。いろいろ事情もあったし、食い違いも感じたし、言葉が先行しているつきあい、変な友情でずるずると続けているのが嫌だった。音楽やるに本音で嘘をつきたくなかった。自分は、一匹オオカミだったじゃないかと決意した。
 人生に失敗はつきもの。若かったということだ。僕の性格中に欠点があるとすると、僕は  キビシイ観察眼が欠如している、いわゆるお人よしである。そのことが時として災いしていることが何度かあった。
 魔が差したと陽水が言ったがそのとおり。一匹オオカミが徒党を組んだりしたらダメだ。
そういう自己批判も含めた歌

M-1 この指のとまれ    吉田拓郎

■CM明け
 好きじゃない曲の前に好きな曲を押し付ける。今日押し付けるのは「裏街のマリア」。ベースラインかR&B独特。この時アレンジャーがとある事情でスタジオに来なかったんで譜面をみながらブラスのセクションに頼んでみたりした。

 「ローリング30」は、10日間で曲を作ったアルバム。短時間で仕上げたが露イバンだと思っている。傑作だと思っている。松本くんと箱根ダイアランドホテルのプールサイドのコテージに泊まって、隣の部屋で松本隆が詞を書いて、出来たらそれに僕がギターで曲を作るという流れ作業で作った。

 プールには女の子たちがいて、気になるなと言いながら作業をしていた。あの頃、松本隆はポルシェ、僕はBMWに乗っていた。
 サイパンに、撮影のために、松本隆と亡くなった写真家の大川さんと行ったりもした。日本の二人連れの女の子とかナンパしていた。よく松本隆と一緒にナンパしていた。「有名なカメラマンが写真撮ってくれるよ」ということで、僕と松本は、アシスタントと嘘をついて、女の子にいろいろポーズをつけて楽しんだ。大川さんもいいね〜と言いながら写真撮って   何やってんだか。当時は松本隆とはよく遊んだ。楽しかったな。

 松本隆から学んだのは、爪、恋唄、無題、舞姫、外は白い雪の夜とか、例えば影を踏んで歩く女性とか僕は描けないような世界、実体のないことを空想連想しながら物語を作り上げている。ああなるほどな。そうすると歌が楽しい。歌の世界も広がってゆく。そんなふうに10日間で松本隆が詞をつくるのは勉強になった。
 松本隆とは大ヒット曲はなかったけれど「外は白い雪の夜」などの佳作、素敵な愛の歌をたくさん作ったなと思う。

M-2 裏街のマリア

 なるほどな、実体験だけでなく妄想で書けるんだな。

■CM明け
 さて大嫌いな曲に対して考え直せと怒りまくり苦言を呈するコーナー。

<番組が終わるのは寂しい限り、外は白い雪の夜が嫌い、あんなドラマティックな歌、拓郎さんには似合わないという投書>
 寂しい限りと言ってて、そんなことを書いてくるか。君がコンサートに来ると思うと
いい曲じゃないか。ドラマチックなら吉田拓郎にあうんしゃないのか。君は僕を何だと思っている。

<紅白歌合戦で、ショックでしたという投書のつづき>
 失礼だな。浜松に来るのか、浜松もう手抜きしようかな。もうドラマチックな歌なんて歌わないよ。
<新しい朝、王達のハイキングが嫌い、メロディー好きだし、シャウトは最高だけど、♪僕らの足音だけを今は信じて生きよう ♪遊びに行きませんかとこの歌詞に疑問符いという投書>
 ♪王様達のハイキング…歌う。覚えているな、ずっと歌っていないのに。いいじゃないか。
自分の足音信じることがどうしてダメなんだ。王様達のハイキングが気に入らないって頭固すぎるよ。
 
 人生は時に踏み外すのも許される。遊んでみないとわからないことが転がっているんだ。  このヤロー。固い事言って正義の味方みたいなことだけでなくて遊んでみないとわからないことがあるんだ。

 ♪ Woh、Wohこの 半音進行、レゲエ…実は大好きなんだけど、母親がある日「拓郎あたしは、あなたが東京に行って自由な音楽活動をすることはいいけど、王様達のハイキングは、  高い下駄を履いているんではないかというようなことをまさに言われた。自分を見誤っているといわれた。わかったよ、歌わんよという約束をした。ところが今回ツアーで・・・言わない。

< アレンジが嫌いな落陽89、打ち込みが好きでない、やはりライブ73の高中のイントロだという投書>
 あの落陽、評判よくないね、あれは評判が悪いのを知ってる。でも、僕はすっげー好きなの、僕が自分で打ち込みしたの、このバージョンでやりたくてしょうがない。村石だったらやってくれそう。ガンバラナイけどいでしょうのドラムソロもあいつだし。もうやらない。ステージでやりたかった。嫌いだろうが、知ってるよ。これはおれの打ち込みだよ、悪かったよ。

M-3 落陽’89    吉田拓郎

■勝手に選ぶニッポンの歌50選

「に」
にいちゃんが 〜米津、あいみょんのファンは知らないだろうから、何の歌だと思うよね
・22歳の別れ  風
・ニンジャリバンバン   きゃりーぱみゅぱみゅ
>言えない
・人形の家 弘田三枝子
・虹色の湖 中村晃子
>古いね
・虹とスニーカーの頃  チューリップ
・虹を渡って   天地真理
<あの頃の真理さん可愛かったですね、時間は残酷ですねという投書>
オレはさ、共演してるけど、んーんー時間は残酷だね。

M-4 虹とスニーカーの頃  チューリップ
■エンディング
あと5回
だんだん寂しくなってきた
・大嫌い
・「ひ」
吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆いよいよ、Numberedな放送になってきてしまった。ああ、なんか書く気がおこらない。力が湧かない。

☆確かに人の奥様を「佳代さん」というのは失礼かもしれない。しかし、正直に言って、私の青春の中にいた鮮烈なおねーさんの「森下愛子」が、吉田拓郎の配偶者であるという事実にいまだに慣れない。なので吉田拓郎のご家族=「佳代さん」という人格のクッションが入るとなんとなくしっくりくる気もするのだ。ものすげー勝手で申し訳ないが。

☆一番グっと来たのは、身の丈とフォーライフのくだりだ。フォーライフについての回想は何度も聞いたが、いつにも増して哀しかった。「僕が社長を辞めた時、既に泉谷はフォーライフを去っていた。それだけでもうこの会社の存在の意味はなかった」…泣く。

☆フォーライフ設立は道を誤ったと拓郎は言う。拓郎自身が何を経験して、何を失ったのか、そして何を感じるのか、私なんかにはわからない。きっとそれだけの切実な思いがあるに違いない。
でも何にも知らないたかがファンの私は、今でも偉業だったと思うし、会社の社長として身を削って奮闘した拓郎を”会社ごっこ”とは絶対に言わないし、むしろ尊敬し誇りに思う。拓郎の思いとは別に、拓郎あなたは素晴らしかったと心の底から叫びたい。吹けば飛ぶような私ではあるが、それがせめてもの矜持である。

☆後藤次利のあの時は衝撃だったな。一瞬にしてクラスの男子ほぼ全員が彼の敵になったあの日。あのアレンジには、現場での拓郎のテイストが入れられているのか。

☆ 突然弾き語る「王様達のハイキング」すげぇ良かった。いい声だし、なんかギターも扇情的だった。もしかして演るのか。演るということなのか。
☆落陽’89 気に入っていたのか。無かったことにしようとしていると思っていたけれど、もしかすると評判が悪かったので、黙っていたのか。すまん。
☆ あの落陽はステージで演奏したよね、90年の「人間なんてツアー」で。

☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆
 松本隆が空想で描く物語の詞はドラマティックだが、吉田拓郎の詞は、自分の身を削って書くところに真骨頂がある…と思う。もうそんなに削らなくていいけれど。

2019. 2. 24

 1975年愛奴を脱退した浜田省吾が、ソロシンガーとしてデビューするためにフォーライフを設立したばかりの吉田拓郎の自宅にお願いに行って断られたという逸話は、浜省のインタビューやコンサートのMCでたびたび登場する。
 田家さんの著書によれば、なんとあの衝撃のオールナイトニッポン最終回の翌日、まさに御大も世間も嵐のような状態の時に、浜省はそれを知らずに拓郎の家に行ったと書いてある。
 すげ。稀代のロックスターに対して心の底から申し訳ないが、あまりに間が悪すぎないか。

 「路地裏の少年」を聴いた拓郎は「今時こんな歌誰も聞かない、なぜ「二人の夏」とか「恋の西武新宿線」みたいなポップな歌をやらないのだ。」と言ったらしい。「オレはフォーキーな曲は好きじゃない、オレはあくまでポップスとR&Bだ」という現在と全くブレていない吉田拓郎。他方、浜田省吾も頑として揺るがず、結局違うルートであくまで「路地裏の少年」を掲げてデビューを果たす。

 「天才はブレない、そして天才は人の話を聞かない」という鉄則を学ぶことができる。ただ私は凡人なので実生活の参考にならない。したら大変だ。

 そして、5年後のオールナイトニッポンへの復帰の第一回、中村雅俊の泥酔乱入事件のあった放送の回、拓郎は番組冒頭の方でいきなり浜田省吾にキビシイ苦言を呈し、ちょっと緊張が走るシーンがあった。

 しかし、それが大事には至らなかったことは、85年のつま恋のあの和気あいあいとした愛奴の再結成、そして、雲仙普賢岳のスーパーバンドでの共演に、浜省による「イメージの詩」のカバーという経緯をみると明らかだ。

  何度でも書くが、長崎のスーパーバンドの楽屋で、浜省が拓郎に握手を求める一瞬のシーンが私の個人的なベストシーンである。力強くシェイクする浜省に、シャイな感じで頭をチョコンと下げる拓郎。
 We are the worldで、元気いっぱいのブルース・スプリングスティーンが、ちょっと困った感じのボブ・ディランに握手を求めるシーンとシンクロする。東西二大シェイクハンドと名付けたい(爆)。

  そうそう、浜省と拓郎とバハマミュージシャンたちが共演している「イメージの詩」のPV、あれはもう文化財といえるくらいすんばらしいものなんだからちゃんと世間に出してほしいぞ。

 ということで、ラジオもあと6回。コンサートも初夏に終わる。居酒屋のマスターから「星さん、あんた夏が終わっちゃったらどうすんの?」と切ない質問をされた。
 ・・・・・・・何もない秋ですぅ

2019. 2. 23

 昨夜は、子どもの頃からお世話になった恩師であり友人の父親でもある方の葬儀に出た。ひとりで帰るのも寂しく、遅くにいつもの居酒屋に寄った。ちょうど持っていた檀ふみの「父の縁側、私の書斎」に、亡くなった父の残した家について「ここで夜景を眺めながらゆっくり飲んでみたいと私はしびれるように思った。たぶんその時父もそこにいる。」という一節があり心にしみた。檀ふみの文章はいいなぁと冷酒を飲んだ。

 その檀ふみと中村雅俊はかなりの数の共演をしている。だから中学生の誤解は情状酌量の余地もある。
 で、ハナシは、1975年春の2本立映画なんだよ。もう個人的にはひたすら悶絶してしまう。でーん。

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 中村雅俊と檀ふみの主演する映画「想い出のかたすみに」。共演しているのが、この2年後にフォーライフからデビューすることになり、そして43年後、ヘアサロンで拓郎と抱き合うことになる相棒水谷豊。 そして浅丘ルリ子。TBS「お喋り道楽」で、中村雅俊が最初のベッドシーンは浅丘ルリ子だったと言った途端、拓郎が、うわーーーーいいなーーーーと雄叫びをあげたのは、この「想い出のかたすみに」のことだと思うのだがぁぁああぁぁ。

 お察しのとおり私は檀ふみのことがかなり好きだった。しかし、当時、その好きを超えてすべての煩悩を捧げていたのが桜田淳子である。
 同時上映「スプーン一杯の幸せ」。桜田淳子第一回主演作品だ。ラブの世界、恋するレモンちゃんだぜ。ああ眩暈がする。拓郎とグループ交際していたという落合恵子原作。また共演の佐藤”ボク食べる人”祐介は、かねがね拓郎ファンだと公言していた青春スターだった。時には黒沢年男のように、浜もめん子さんと脇も固い。

 私はなぜこの運命の二本立てを観に行かなかったのだろうか。これが蒲田あたりの情弱かつ貧弱な中学生坊主の限界だったのだ。ああ、中学2年生に戻ってこの二本立を観にゆくところから人生をやり直したい。そしたら春にこの二本立て映画を観て、もちろんその夏の8月2日には、つま恋に向かうのだ。きっともっとイカレた大人になれたはずだ。

 さて拓郎ファンの桜田淳子ファン占有率はかなり高い(星紀行調べ)。あの方もあいつもあの人もみんな桜田淳子の熱いファンだったという。当時ですら山口百恵の人気とシェアが圧倒的な中、桜田淳子に愛を注いだ拓郎ファンがいたことは感慨深い。
 確か吉田拓郎も桜田淳子のことが好きだと公言していたことがあったように思う。それに山口百恵のファンでいるということはどこかで谷村新司やさだまさしに魂を売らなきゃならないというのも消極的理由かもしれない。おい。

 あちこち飛ぶ”ねずみ花火”は、明日は、75年のオールナイトニッポン最終回の頃に戻る予定。ただの日記なのに予告している意味がわからない。調子にのってんじゃねぇよというTくんの声がする。

 えーと曲ですね。御大と巨匠のメロディ合戦にも思いを馳せながら、桜田淳子「ひとり歩き」と山口百恵「私は小鳥」。

2019. 2. 22

 「いつか街で会ったなら」。1975年9月吉田拓郎のオールナイトニッポン衝撃の最終回の一曲目だった。中村雅俊ではなく吉田拓郎の本人歌唱Ver.だったことにも驚いた。まだ「ぷらいべえと」が制作されるずっと前よ。デモテープなんてものを知らなかったので、Tくんといろんなレコードやカセットを目を皿のようにして無いぞ、無いぞ、と探したものだ。この放送の内容と相俟って心の奥底に染み入るような本人歌唱だった。満身創痍の吉田拓郎はこの日をもって孤影悄然とオールナイトニッポンを去ったのだった。

 それからほぼキッチリ5年後、拓郎はオールナイトニッポンに復帰した。その復帰第一回に、突然、中村雅俊が奥様の五十嵐淳子さんを連れて乱入してきてびっくらこいた。草刈正雄もいた。泥酔した中村雅俊は「オレは吉田拓郎を尊敬しているんですよ、武道館良かったっすよ、オレ、"言葉"とか"外は白い雪の夜"とか今ステージで歌わせてもらってるんですよ、吉田拓郎っていいヤツだなぁ、ガハハハ」、もう"俺たちの旅"のカースケのまんまでベロベロだった。
 "いつか街で会ったなら"のレコーディングの時に既に奥様との深い恋に落ちていたことが明かされた。「そーいうワケで妻まで連れてきました」・・・って、檀ふみ、違ったじゃん。
 同じ歌が、ある時は哀しみとともに、ある時は幸福とともにある。これが名曲の深さというものかもしれない。というわけでオールナイトニッポン第一期と第二期を結んだ”いつか街で会ったなら”という、ちょっと無理矢理なお話でした。
 というか、向田邦子が言うように、思い出は"ねずみ花火"のようにあちこちと飛んで行くものなのである。明日はもうちょっと飛ぶ予定。

2019. 2. 21

 つい観てしまう「俺たちの旅」の再放送。今観ても中村雅俊はカッコイイな。丁度、三回にわたって檀ふみがゲストだった。”あなたなんか大嫌い”と言っていた高慢な檀ふみが、中村雅俊に心惹かれ、どうしようもなく好きになってしまいボロボロになってゆく切ない展開。自分がおじさんであることを忘れて涙ぐみながらあらためて観た。
 この少し前のスター千一夜において、司会の檀ふみの前で、中村雅俊が当時の新曲「いつか街で会ったなら」を歌う回があった。真剣に聴き入る檀ふみの姿が印象的だった。
 この二人はきっと結婚するに違いないと確信していた。…まぁ、中学生の確信なんてそんなものだ。
それから10年以上経って檀ふみが書いたエッセイに中村雅俊のことを「愛し合うがゆえに傷つけあう」と冗談まじりに書いていて、まんざらでもなかったのかなと少し思う。
 いつか街で会ったなら・・・・・・あらためて名曲ばい。

2019. 2. 20

 世間一般では2,3歳の年齢差は同世代として括られて、実際にも殆ど変わりがない。しかし、ことこの世界では僅か1年の差で見えている世界が全く違ってくることがある。ことに70年代前半。74年あたりに加入した私にとっては、僅か2年差であれ70〜73年に加入した方々が眩しい。きっと私とは全く違う景色を見て、めくるめく体験をしているはずだ。それは、まさに拓郎の人生が早送りのビデオという言葉のとおり、1年間が他人の何倍もの濃密度だからこそだと思う。

 そういう時間軸を体験されている方の話は貴重だ。もちろん同世代、若い世代の方でも私の観られなかった景色は膨大である。その方々の数だけ必ず素晴らしい吉田拓郎がいる。その人が体験した、かけがえのない吉田拓郎を知りたいと思う。残念だが、そういう話を広く募り、まとめるだけの力量が自分にはない。

 昨日も書いたとおり吉田拓郎を「偏愛」する人が、拓郎に関する情報だけでなく、その時その人がどんな生活をしていて、どんな思いで、どんな状況で、どこにレコードを買いに行ったのか、どうやってチケットを買ったのか、ライブの後にどこで飲んだのか、そういうさりげないリアルと結びついた吉田拓郎をことさらに知りたい。
 例えば、一般Pの私が高校生の頃、同じく一般PのTくんとライブの後で、つけ麺大王で祝杯をあげた話なんて、他の人には心の底からどうでもいい話なのはわかっている。しかしそういう日常の些事よりもさらに小さいミジンコのような事実と吉田拓郎が結びついて、その膨大な集積によって歴史は出来上がっていると思うのだ。

 そして、そういう些事未満の事実は、やがて雨の中の涙のように時間とともに消え去ってしまう。
 しかし、やがて何十年か後、私らの殆どがいなくなった時に、リアルの拓郎を知らない人々が、富澤一誠あたりの文献を読んで、「つまり吉田拓郎は人生の応援歌を歌ったフォーク歌手である」などとしたり顔で論じるのである。ムカつかない?考えただけでアタシはもう死ねないよ。とても頑張ってくれ田家秀樹、重松清…と真剣に願うが、拓郎を偏愛する私たち一般Pのそれぞれの日常の中の吉田拓郎も大切な財産だと思う。

 「過去は変えられないから未来を考えろ」、「昔の歴史にこだわらず先に進め」とのご拓宣もいただいた。御意。
 しかし、高校時代に予備校で教わって心酔していた日本史のA師は、有名な歴史学者の言葉を引用してこうおっしゃった。どんなに古い時代のことであれ、「すべての歴史は現代史である」。
 過去の歴史だけが、現代と明日を変えて行くことができるツールになるのだということだ。たぶん。
 だからSNS、ブログ等の個人の記録ツールは大切だと思う。拓郎はネットには真実はないといったが、それはそのとおりかもれない。しかしネットにしかない真実というものもあるように思う。確かにステージにこそ真実はある。しかし、人々がどうやって日常をかきわけてそのステージに向かい、どう思い、どう過ごしたかは、自分たちのセルフの記録と記憶のなかにしかない。
 ともかく、何より自分が知らないたくさんのカッコイイ拓郎を知り自分が楽しむため、そして、ついでに、そういう些細な事実こそ未来に投げるべきだと思うのだ。遠い将来もしかしたら、万が一、誰かが拾ってくれるかもしれない。”果てしない空にただ石を投げるため ”…これは拓郎の詞じゃなかった(爆)。

 とある拓郎ファンの先輩の方のいい話を読んだのでつい熱くなってしまった。だからといって、イカレタ自分が、ここ最近何を偉そうに仰々しく語っているのか。ここいらで静かな日常日記に戻ろうと思うのだがぁぁぁぁ。

2019. 2. 19

 音楽の素晴らしさを教えてくれるラジオだけれど、幅広く音楽を愛するのは、もう自分には無理なのかもしれない。村上龍のこんな文章(「偏愛が消えてしまった」すべての男は消耗品である 最終巻より)をたまたま読んだ。

 50代の編集者には〜 文芸作品に対する正統な「偏愛」を持つ人も多い。小説が好き、エッセイが好き、出版が好きというだけではなく、無自覚で無制限の愛情とシンパシーを持っていることが多い。
 「偏愛」というのは「マニアックな愛情」とは少し違うし、文学が大好き文学を読むことが大好きというのとも違う。
 文学によって他では得られない刺激と充実を得てきて、それが刷り込まれているということだ。


これは、「吉田拓郎」に置き換えると切実によくわかる。というかそのままである。

 〜若い編集者はそういった体験が少ない。担当作家から「人生が変わってしまうような」作品を提供されるみたいなことが非常に少なくなっている。
 〜「広く小説を読むのが好き」というタイプは、「偏愛」を抱くのがむずかしい。世界中の誰もが嫌悪しても、自分はこの作品にシンパシーを覚える、それが偏愛だ。
「誰が何と言おうと、自分はこの商品が心から好きで、他に代わるものがないとわかっているのであきらめずに売り込む」という営業はたいてい成功する。


 営業の成功はどうでもいいけれど、ねーさん(誰だよ)、こういう「偏愛」しかないと自分も思います。まぁ極論すれば、米津玄師もあいみょんも、吉田拓郎の音楽のエキスとなったものを通して味わうもの。バカじゃねぇのとか、寂しい人生とか何といわれようと、深く深く掘り下げ、高く高く持ち上げる「偏愛」こそが残されたわが人生。

2019. 2. 18


ラジオでナイト 第94回 2019.2.17
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

♪ 永遠の嘘をついてくれ 2006  吉田拓郎&中島みゆき

 吉田拓郎です。いきなりびっくりでした。ふと思いついて今日の一曲目としてどうかと考えた。2006年のつま恋での中島みゆきとのステージ。昔から、古くは浅川マキ、♪夜が明けたら〜黒装束の不気味なおねーさんだったけれど、結構可愛がられてジョイントのステージもやったし、最近では、小田和正の恒例のクリスマスの約束で小田と共演した。いろいろな人と一緒に好きステージをやったけれど、この中島みゆきとの「永遠の嘘をついてくれ」は歴史に残る名ステージだ。お互いにアガって動揺しているけれどいいステージだった。だけど永遠の嘘というのはあり得ないこと。
 今年の4月からコンサートのリハーサルが始まる。今回は、かなりタイトものが予想される。体力的・精神的にも相当疲れる。
 この番組は2年間、毎週全部のメールに目を通してきた。なんだこりゃというメールに、感動的なメール、凄い時間をかけて全部読んでいる。これから予想されるタイトなリハーサルと同時進行はキツイので悩んで検討した結果、3月いっぱいでコンサートに専念することにした。
 今回は、名古屋とかも行くし、行ったり来たりが激しい。最初は、東京近郊で4か所くらいと言っていたのに、8本とずいぶん増えてしまって、これじゃいずれ全国ツアーに舞い戻る。何のために止めたんだということになってしまう。

 とにかく10年20年と番組を続けるタイプのパーソナルでない。短期集中全力型。何度も言うように、過去のことは変えられない。未来を観た方がいいよ。
 僕は、残り少ない時間、曲で言えばエンディングの演奏している。過去にこだわっているより、過去は変えられないから、これからの人生の旅行、Voyageを楽しみたい。
 このラジオはやって良かった。特に、最後の1年、ベストテイクとマイフェイバリットが定着した。メールの応援もすごかったし、「やった」感がある。自分は満足。後悔は微塵もない。この番組で出た結論、音楽は奥が深くてイイなぁということが伝えられたと思う。

 広島からロックバンドに始まってずっとそういう音楽をやってきた話も伝えられた。ありがたかったな。「ラジオでナイト」というタイトルもぴったりだった。途中から、ラテ欄が「吉田拓郎のナイト」になっていた。なんだそりゃ、省略しすぎ。

 実に楽しい2年間だった。まだ番組はつづく吉田拓郎のラジオでナイト。

<26歳のファン、まだ6年くらいだが毎日聴いている、地響きのよう拓郎さんの音楽が好きという投書>
 遅いね。もっと早く気づいて。「毎日聴いても飽きない」というけれど実は、我が家も米ちゃん台風が吹き荒れている。
 映画とか観ていると、リビングから女の人歌声が聴こえる、ウチのヤツは歌わないのにと思って、そーっと覗くと米津くんに合わせて歌っている。あっていないけれど(笑い)。
字余りとか早口が拓郎どころではないので難しいけれど、一生懸命合わそうとしている。毎日午後1時から4時間くらい歌っているので、僕は家で居場所がない。
 今日も歌うのかなと朝言った。歌うのは心身に良い行為だよ
 言うと「そうね、振り付けもつけたい」「ええー踊るんですか」ということで我が家は季節外れの盆踊りになってしまう。しかもなんか米津君とは違う振付になっている。
 しばらくこの台風はやまない。対抗して僕も「あいみょん」でいこうかな。

<自分の漫画がアニメ化するならエンディングで流星をお願いしたいという投書>
 いいね。がんばれ。その時は是非いいよというから。

<宇都宮当選、餃子が美味しいよという投書>
 当たって良かったね。何万円とかでチケット売っているバカがいるけど買っちゃだめだよ。
なんで宇都宮が餃子になったのかね。とにかく楽屋にいれておけよと言いたい。

<投げキッスお願いという投書>
 凄い企画というかアイデアを考え付いている。それを僕の音楽人生の最後を飾るステージにしたい。セットリストを作っていると、作詞も全部吉田拓郎が揃ってきたな。落陽、  春だったねをやらないと自分の詞でいけるなと思えてきた。落陽とかがないのは心苦しいけれど自分で作った言葉とメロディで押し切るかなと思う。有終の美かな。だいぶセットリストが変わりそうだな。そうやってあれこれ考えているのが楽しい。

<前回コーラスの加藤いずみさんが動物スリッパを履いていたという投書>
 映像を観て、あれこいつ何を履いてるんだと思った。 


 ライブの曲目、曲順も出来てきてラストも決まってきた。いずれ公表しちゃうかな、もう我慢できない、黙っていられないんだよ(笑)

 さて、嫌いな曲の前に僕が好きだという曲をかける。
 1983年、僕が作ったフレーズを青山に弾いてもらっている。2016年でも演奏した「Woo Baby」。こういう感じで(弾く)間奏とリフ。これを聴かせて「かっこいいですね、拓郎はん、わかりました」ということで青山が演奏してくれた。

 1982年、4チャンネルのテレコであるローランドTR808、通称「八百屋」を使っている。 これでデモテープを作った。これが名器だった。

 シャッフルというとアメリカのレコーディングたど、チャック・ベリーの曲を例にすると跳ねるような演奏と跳ねていないような演奏の中間をうまく演奏してくれる。デビットリンドレーなんて、「シャッフル」と言いつつあまり跳ねていない。これが日本人だと思い切り跳ねてしまう。アメリカはその中間の感じがうまい。跳ねているような跳ねていないような感じを出してくれる。(グッド・ゴーリー・ミス・モーリー)
 アルバム「FromT」に入れようと思ったけれど、フォーライフの曲ばかりが増えてしまったので残念ながらカットした。

M-2  Woo Baby デモテープ 吉田拓郎

 よくできているな。これをギター青山、ドラム島ちゃん、ベースは亡くなったチー坊、キーボードは中西とエルトンに演奏してもらった。

M-3  Woo Baby 吉田拓郎

■CM明け

 嫌われた曲(笑)

<オールディーズが嫌い、僕らの旅とフォークビレッジのテーマを合体したので、いつまでもたってもサビがこないという投書>
 君は音楽がわかっていないな。募っておきながらお叱りのコーナーになっている。それにしてもわかっていないな。
 多少僕もムキになってるのか。こうして嫌われたら、逆にステージで歌ってやりたい。セットリストに何曲か入れてある。オールディーズは歌いたいよ。嫌いで悪かったね(笑)。

<大阪行きは何番ホームが嫌い、御大の人生を彷彿させて止められないという投書>
 君は顰蹙を買うよ。これは大好きだよ。良くできた曲じゃないか。あまりに良すぎて聞かせてあげたくなくなった。もう歌わないけれど。瀬尾の時に、最後だといって演奏した。

<ひとつまえが嫌い、人妻へ、に聞こえるという投書>
 記憶が定かない。人妻に捧げる歌なんかつくるワケない(笑)

<ガンバラナイけどいいでしょうが嫌い、旦那は気に入っているが何を軟弱なことを、永遠の嘘をついてという投書>
 軟弱じゃないよ。そうじゃないんだってば。これは一生懸命に日常を生きている人への愛情あふれるラブソング。これは歌います。どんどんバレてゆく(笑)。オールディーズとこれは入ったな。泣かずにいられないアレンジにするから。

<おいでよが嫌い、聞き流していたけれどとてもセクシーなことに最近気が付いたから嫌いという投書>
 文章力ゼロだな(笑)。
 あのアルバムに入ってる「あの娘に逢えたら」(歌う)。オーギュメントが入っているんだよ、歌いたいな。

M-4  あの娘に逢えたら  吉田拓郎

 いいな。エレックの頃、新宿二丁目のガンバルニャンという店によく行った。そこに北海道から来た双子の女の子、デラとチャコという子が働いていた。そこのバーテンの木寺というのが僕の初代マネージャーだった。
 彼女らからいろんなことを教わったな。妄想したのは、当時は売れていないから、彼女らのボディガードになりたいなと考えたりしていた。そのころのことを歌いたいなと思った。
■CM明け
■勝手に選ぶニッポンの歌50選
「ち」
<米津、あいみょん に続くブレイクはAimer(エメ)さんの「蝶々結び」がオススメという投書>
聴いてみるよ。みんなも心を広げて 聞きな。
・チャンピオン
・小さなスナック  パープルシャドウズ
 >ギターがキレイだった
・地下鉄にのって
>猫 オデッセイというレーベル  雪、地下鉄にのって
 東北のたぶん秋田あたりから上野までの帰りの電車の中で、岡本おさみの詞の丸の内線の詞が手元にあって、もともと自分で歌うつもりだった。六本木の一スタで、チト河内を呼んで、せーので演奏した。ガットギター弾いているのもオレ。もうやっつけで上野までの帰りの電車の中でまさに作った。良い出来で、コーラスも現場で指図してつけた。

M-5  地下鉄にのって 猫

■エンディング
・嫌いな曲・「に」
♪兄ちゃんと〜♪人間なんて
吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆今回が番組終了の明確な意思表示と考えていいのだろうか。

☆どの番組もそうだったが、本当にやっていただいて良かった、素晴らしい番組だったよ。「音楽家吉田拓郎」とあらためて結縁できたような素敵な番組だった。いろいろ悪口雑言った気もするが、こちらこそ感謝しかない。

☆ま、確かにずっと続けていたら、きっとコンサート前に全部セットリストをバラしちゃうもんね(爆)。ぜったいリハサール始まったら、リハの様子とか流しちゃうもんね。嗚呼。

☆番組ブログに「日曜の夜、11時30分という時間は、 あなたにとって、どんな時間だったでしょうか?」という問いかけがあったが「人生のすべてだよ」

☆最終章と言ったことは忘れるので、コンサートが終わったらまたフツーに帰ってきてはくれまいか。待ってる。

☆なーんて、しみじみしていたら「Woo Baby」のデモテープにガツンとやられたよ。いやぁぁぁぁぁ、いいなぁぁぁぁぁぁ。こんな逸品たるデモテープ。

☆それにしても全曲流さんかい!!

☆このデモテープが、血肉化された完成バージョンもあらためて素晴らしい。極悪バンドの名手・名演奏ぶりがくっきりと浮かび上がる。吉田拓郎⇔バンド。スピリットとテクニックの応酬。いやあ、音楽っていいなぁとこの二つのWoo Babyを聴きながらしみじみと感じいる。

☆「あの娘に逢えたら」新宿の双子の女の子がモデルだったんだな。なんで原宿でなくて新宿なんだろうと当時疑問でもあった。そういうことか。82年のツアーのMCで、双子の子から店に変な客がいると電話があると、拓郎が中野坂上から自転車で駆け付けてぶっ飛ばすという話があった。大好きな話だった。あれは妄想だったのだろうか。

☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆
 808八百屋さんには、ものすげーカッコイイ、デモテープがまだまだすげーたくさん眠っているんだな。ああ、あらゆる意味で最終章にはまだ早い。

2019. 2. 17

昨夜は小学校の友人達と地元飲み。このサイトにたびたび登場する昔からの拓郎ファン仲間のTくんもいた。私の顔を見るなり深刻な顔で言った「知ってる? 拓郎コンサートやるらしいぜ、チケットは4月発売らしい」(爆)。おい。
 私は現在のハードな状況を諄々と説明しなければならなかった。「なんだ早く教えてくれよ」。おいおい、ちゃんと言ったぜ。しかもTYISに加入してくれと何度も言ったはずだ。そのたびにTくんは「あんなヤツのファンクラブに入るのはシャクだ」と入らなかった(爆)。ファンだろ。
 心配する私をヨソにTくんは吠えていた。「大丈夫。行ける。オレたちは行ける。神田共立講堂? 大丈夫。定員100名の渋谷エピキュラスにだって行けたんだし(※それはオマエだけでオレは落選したぞ)。オレたちが行かなくて誰が行くんだ。ふざけんな、調子のってんじゃねーぞ、拓郎ぉ」(本人言ママ)
 根拠ゼロ、論理も破綻しているが、元気と勇気は、理屈があって湧いてくるものではないと思った。
 ♪昔の友より、明日の二人…と拓郎は歌ったが、♪昔の友より、もっと昔の友…というのもアリか。

2019. 2. 16

 「アポリア」とは解決できない哲学的難題のことをいう・・・と昔、学校で教わった。卵が先か鶏が先か、邪馬台国はどこにあったか、幽霊はいるか、ともかく世界は様々なアポリアに溢れている。その中で「誰もが満足する吉田拓郎のセッリトリストは何か」と言う問題も、まさに永遠のアポリアである。
 セットリスト問題は常に古くて新しい難題だった。「落陽」を歌うかどうかもその一部といえましょう。
 2016年のライブについて自分が書いたこのサイト記事を読み返すとまず「セットリストの凡庸さ」に最も怒っている。ちなみにその次に武部・鳥山が気に入らないと書いてある。・・・我ながら、こんなヤツは落選させられて当然かもしれん。

 しかし、今回拓郎は、オープニング、メンバー紹介の曲をラジオで広く募集し、またその後には「嫌いな曲」までも堂々と募集している。前代未聞のことである。
「オレが何を歌おうとオレの勝手だろ、客だからってデカイツラするんじゃねぇ」というのが吉田拓郎の黄金のデフォルトであった。それが突然に「実は僕は結構みなさんのことを気にしていたんです」と告白し、今回はファンの意見を広く募集するという親切な、・・・親切すぎて気持ち悪い展開になった。
 そうなると勝手なもんで、市場調査やリサーチなんかしてるんじゃねーよ、とまた文句が言いたくなる。ああ、勝手だな、ファンて。いや、私だけか。

 ご存知の通りラジオではリスナーから寄せられたいろんな曲が百花繚乱で、また拓郎の好みも少しわかってきた。特に嫌いな曲における番組の盛り上がり方はすさまじい。落陽、流星に至るまで嫌いな人は大嫌いなのだ。

 自分の意見は違えど、何だろうかこの胸のすくような思い、清々しい気持ちは。

 今まで、この曲は好きじゃないけど拓郎もみんなも好きなんだろうな、だからノらなきゃと萎縮し忖度する思い、逆に、この曲は好きだけれど、そんなのは自分くらいなんだろうなという屈折した思い。そういう長らく胸に秘めていた鬱屈が、この番組で一気に大解放されたのではないか。
 名曲であろうとスタンダードであろうと嫌いなものは嫌い、好きなものは、どんな場末に置かれていても、たまらなく好き。
 拓郎の言う「音楽は好き嫌いだ」という言葉をそのまま実感することができた。そしてその好き嫌いを忖度せず自由に外に放出していいいのだという、この自由なる感情解放が、私たちを身軽にしてくれたのではないだろうか。

 突然だが、高校時代、予備校で出逢った古典の師の教えを思い出す。「人間は好き嫌いや善悪にこだわっている時は成長が止まっている。いろんな経験を経て自分を成長させてみなさい。そうすれば見方はまた変わる。」・・・ああ恩師よ。

 好き嫌いはそう簡単に変わらないが、こうして好き嫌いの呪縛から自由になってみると、嫌いな曲にもまた別の思いと感慨が湧いてくるような気がする。

 そして、さらに、さらに、とってもすげーのは、吉田拓郎は、好き嫌いの対立軸とは全く違う、全部自分の詞でセットリストを組んだらどうだろうと言う思ってもみなかったアプローチを打ち出してきおった。岡本、松本、安井、石原、だれのチカラも借りないセットリスト。やっぱり吉田拓郎は想定外のところからやってくる。その心意気だけでも感動するよ。

 こうなるとたとえセットリストの曲が嫌いな曲ばかりであったとしても、2016年までとはまったく違う感慨を持つに違いない。どうなってしまうのだろうか、これはもう行かなきゃわからないことだ。
 
 もしかすると、吉田拓郎とそのご一行様は、こうしてセットリストという永遠のアポリアを今まさに超えようとしているのかもしれない。それは拓郎のいう半歩でも一歩でも先に進むことであり、私の恩師がかつて言っていた好き嫌いを超えた向こう側にある成長というものかもしれないと思ったりもする。

 これがすべて拓郎の意図した術中だとしたら…そんなに凄い人だったろうか(爆)

2019. 2. 15

 2月になるといつもアルバム「ひまわり」を思い出す。2月発売のアルバムはたぶんこれだけだよね。凍えるような極北感が半端ない。いまだに解けない難解なアルバムだ。それももう今年で30年だとよ。8曲しか入っていないので、購入当時は不良品だと思ってレコード屋に交換してもらいに行ったのも懐かしい思い出だ。嘘だ。「夕陽は逃げ足が速いんだ」はカットしてよかったのかどうかそんな詮無い話もいつかしましょう。
 時々、凍てついた駅のホームで”雪の空を見上げれば、俺は白い風になる 静けさが扉を開けて振り返るなと囁いた”と心の中で歌ってみる。気分は、「駅 STATION」の高倉健、「冬の旅」の田村正和なのだが、客観的には、ホームに立ち尽くす邪魔なおじさんがいるだけだ。

2019. 2. 14

 ♪チョコレートをちょうだいっ!チョコレートはTBS…などと歌っている場合ではない。

 神田共立講堂。今、私の心のかなりの部分を占拠している。国会議事堂、国立能楽堂、中尊寺金色堂、亀屋万年堂、堂本光一、堂本剛、どんな堂も神田共立講堂にはかなうまい。まさしくホームラン王である。

 こんな小さいキャパで行けっこねぇよと例によって昨夜も居酒屋でやさぐれていたのだが、そんなことを言うものではないと周囲の心ある人から諭された。

 吉田拓郎が最後の公演という覚悟で選んだ場所である。華やかなハコは他にもたくさんある。つま恋だってある。しかし、吉田拓郎は、最後の最後にこの伝説のたくさんしみこんだ魔の神田共立講堂という聖なる器を選んだのである。その場所で最後に歌いたいと心に決めたのである。ああカッコイイ。涙ぐむほどカッコイイじゃないか。もうこの人は生き方の神髄までロックだよ。居酒屋は静かに熱かった。

 確かに難所ではある。しかし、こんだけのキャパじゃ自分は無理だろう、行けるのは特別な選ばれた人々さ等など落選した時のショック緩和を慮って自分を慰めているときではない。御大も「一番偉いヤツ=自分のアワレを慰めたりしないヤツ」と歌っているではないか。
 吉田拓郎が神田共立講堂を最後の場所に選んだ心意気に対して、率直に行きたい、魂の底から行きたい、地球の底から、ブラックホールの底から行きたい、どんなに遠くてもたどり着いてみせる、石のような孤独を道連れに>それ浜省だろ…とこっちも一途な心を投げるしかない。至心に念ずるしかないのである。
 つかこうへいのエッセイにこんなくだりがあった。「飛行機なんて鉄の塊が空を飛ぶなどということは本来あり得ない。あれは乗ってる人間たちの念力と執念で飛んでいるのだ。落ちたらどうしようなど思うヤツが多いほどその飛行機は危ない」。
 念じよう。とにかく行きたい気持ちだけをまっすぐに募らせよう。

2019. 2. 13

 田家さんのブログで、TYIS最新号の重松清の寄稿「時からの贈り物」を絶賛している。自分も以前の日記で書いたが激同だ。80年代前後に吉田拓郎に抱いていた暑苦しく狂おしい思い。それに対する共感とウシロメタさを見事に描いた達意の文章だと思う。

 田家さんの”自己批判”という言葉遣いに全共闘的な"届かない世代"を感じる。田家さんは拓郎と同年だから、重松清とは15年以上の差がある。でも田家さんは、稀代の作家とはいえ"ついてくる世代"の重松清の文章に深く共感し、わが身を振り返りながら温かな感動のエールを送っている。この二人のプロフェッショナルの音叉のように共振する関係が、読んでいる一般Pにもなんだか嬉しい。
 二人とも長年拓郎のことを深く愛しつづけ、拓郎とのあるべき距離を常に見返りながら寄り添おうとしている。自分が偉そうに言えることではないが、二人の文章には拓郎の音楽を味わい、切なさや悔恨を抱えながらも少しでも先に進もうという「成長」がある。
 こすぎじゅんいち、大家順平は亡くなってしまったし、石原信一も最近は挽歌を撃ってくれない。そんな中、この二人の作家であり音楽ライターが拓郎の周辺にいてくれて良かったと思うのである。(終)


・・・・・・ということで終えたかったが、音楽ライターの話になった以上、このイカレた日記がココで終われるはずがない。大好きなライターがいれば、大嫌いなライターもいるわけである。

 彼も、一見、拓郎の生きザマを自分の人生や世代に結び付けて語っているのだが、結局、吉田拓郎に何かを一方的に求めているだけのようにしか思えない。拓郎に求めるものがあれば絶賛し、求めるものがないと拓郎はダメになったと論難する。スーパーで総菜の品定めをして、やっぱりここはダメだ「ライフ」か「イトヨー」に行こうと言ってるのと変わらない。>誰のことだよ。とにかくただの消費行動である。それは間違いではない。しかし、そこには愛も切なさも悔恨もない。正しいことだけ話してくれるな息が詰まりそう…と思うのだ。拓郎を聴きながら、今までの自分を見返ったり、時に後悔したり悶絶しつつも音楽を味わい、先に進むというような成長がない。・・・言っちまった。ま、たかが一般Pの感想だよ

 で、それって自分も同じじゃんとも思うのである。特に若いころの自分はその拓郎に求めるだけのカタマリだった。今も身体にしみついて色濃く残っているかもしれない。なので、もって他山の石としたい・・・なんて、そろそろ怒られるか。
 だからこそ田家、重松のようなスタンスのプロの文章に胸を打たれる。ま、この二人は、浜省のところでも思い切り渾身で健筆をふるっていそうだが(爆)、いろいろあってもそれはそれ・・・心身は浜田に行っても、魂は吉田に置いていってくださいな。はあと。あ、あなたの魂は松山あたりにしっかりしまっといて(爆)。

 なーんて、悪態ついてる間に、「さーて」だよ。そうか、次に進むのだな。全曲が作詞・作曲というセットリストとは、おもしれぇぇぇ。歌手であり、作曲家であり、アイドルであり、そして詩人である吉田拓郎の世界にどっぷりと浸ってみたいよ。

2019. 2. 12

 ディミニッシュとオーギュメントを音楽オンチの自分にもわかるように実演してみせてくれる御大。なるほど。例えば時計職人さんが、アンティーク時計の精巧な部品を子どもにホラと見せてくれるかのようだ。
 小澤征爾が、音楽をわからない偉いおじさんたちに対し、曲の美しさを説明するときに「あのさ、白い大理石のうえに光る小豆の粒が、等間隔で並んでいるような感じなんだよ」とタメ口で嬉々として話していたシーンを思い出す。観たわけじゃない読んだだけだが、音楽への愛が溢れんばかりに伝わってきた。
 ああ拓郎も本当に音楽のことを心底愛しているのだな。松本隆が「筒美京平と吉田拓郎は音楽の魂みたいなものだ」と述懐した意味もわかる。

 そして。先回のラジオの言うとおり、なるほど音楽以外にこの人には何の意図もなかったというのは本当なのかもしれない。時代が吉田拓郎をして早送りのビデオの濃密の時間を突っ走らせた。例えばデビューから僅か4年間で、たぶん人が一生かけてやるような作業をしでかす。
 吉田拓郎がこの超絶濃密な時間を走り抜けたからこそ、日本の音楽界は救われたのだ。

 せっかく個人のイカレたサイトなのでもっと言ってしまえば、さいたまスーパーアリーナで連続公演したり、東京ドームで歌ったりしようとも、すべてのミュージシャンはこの早送りのビデオの土台の上で踊っているに過ぎない。しかし、世は華やか踊る人々をレスペクトし、讃え、勲章や褒章を与えるものの、この土台への感謝は殆ど省みない。良くも悪くもそういう国に私たちは住んでいるのだ。だから私は歯がゆく悶絶する。
 しかし、吉田拓郎は、決してその手柄や功績を声高に喧伝したりしない。静かな日々をまさに彼のスピードとテンポで生きる。つまるところ拓郎が求めているのは「俺に好きな音楽を自由にさせてくれ」ということだけのように見える。その意味で、本当に音楽が好きなだけで、他には何も大それた意図はなかったのだとあらためて確信する。

 そう思うと、いてもたってもいられなくなり、拓郎、オレたちがついているぞ!!と叫びたくなるのだが、拓郎本人には、それこそがトテモもウザく迷惑になってしまうに違いない。居酒屋あたりで小さな声で叫ぶことにする。

2019. 2. 11

ラジオでナイト 第93回 2019.2.10
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

M-1 早送りのビデオ  吉田拓郎

吉田拓郎です。

 僕の半生を振り返ってみると、人の100年分を半分の50年で走ってきたような気分だった。
 せわしなかったな。特に20〜50代の30年間。こんなに突っ走ってゆく大人になるとは少年時代には考えられなかった。小児喘息で学校も行けなかった。つま恋75で朝まで歌ったとき、同級生があの貧弱な吉田が信じられないと驚いていた。

 僕の意図とは関係なく、時代とか若者たちの考え方とか、そして置かれた環境や状況が作らせたものだ。吉田拓郎をしてそうさせた。決して自分が突っ走ろうと意図して走ったわけではない。結果的にこういうことになっていた。

 間違いなく、あの頃の都会、東京に対しての反発があった。強引に東京から常識を押し付けられるという状況に僕からすると反発したくなる。押し付けに反発し、その結果、ついつい突っ走ってしまう。
 いずれにしても「たかが歌」「たかが音楽」だけれども、僕は負けたくなかったんだ。都会にも大人のつくった線路にも乗りたくはなかった。それが僕を走らせたのだ。
とにかく忙しい何十年かだった。
 ここのところ、妻とゆったりと人生を味わいながら一歩ずつ落ち着いて生活ができていて、やっとこういう時が来たかというニュアンスでいる。
 こういう歌が出てきたのは、そういう自分の半生をやっと振り返るようになったからで、とにかくずっと突っ走っていたような気がする吉田拓郎のラジオでナイト。

■ オープニング

 かねてから言っていたラジオでナイト特別版がついに決定した。

 ニッポン放送65周年
  吉田拓郎ライブでナイト2019 in神田共立講堂
       2019年7月10日水曜日

 中身は決めてないが、ツアーバンド全員出るので、コンサートが東京で、もう一本増えたと思ってくれていい。リハーサルで余裕ができたら違う曲も歌ってみようかな。フォートップスとか、うまくいったら演奏してみる。
 コンサートの件で、ずっとMCで2014、2016年とあるバーでの話をしているが、もう聴きたくないというメールが来ていて、失礼なやつだな。おまえは、もう来るな(笑)。せっかく続きの話の中身を練っているのに。この特別ライブでは、いろいろMCも増やそうと思う。

 好きじゃない曲というか嫌いな曲の募集は、盛り上がってきているが、無理矢理っぽい、ウケを狙ったものも増えてきた。
 で、みんなが嫌いという前に、僕はこれが好きだというのを押し付けておこう。僕の自由にしたいんだという感じで。

 僕は若いころからギターのコードについて、C- Amが一般的なところ、Am-Cと順番を変えていた。
 ディミニッシュ、オーギュメントという和音を多用していた。   

 今日の曲は「風邪」だけど、
 ディミニッシュ〜(実演)♪こんなに
   (実演)♪ああ ああ これも  オーギュメント

  「ガラスの言葉」だと♪ミルクウェイに花が〜これがディミニッシュ

 こういうようにフォーキーなメロディとは違っている。吉田拓郎流でつくっていたつもりなだ。ライブの名盤ライブ73もロックやソウルテイストに溢れている。フォークなんかではない。しかし、時代がフォークブームの真っ只中だったんだな。
 かぐや姫の神田川が大ヒットし、和製フォークの時代だった。そういう曲がいっぱい出てきた。「どうでもいい、つまんねーよ、和製フォークなんて思っていた。「なんだこれ」というヒット曲がいっぱいあった。

 僕の曲はポップスだったから、他のシンガーにも提供し歌ってもらえた。純粋に、あらゆるジャンルの音楽が大好きだった。例えば、ビートの聴いたオーケストラの演奏なんか好きだしビリーボーンやパーシーフェイスも大好きだった。

 ディミニッシュとオーギュメントを多用したりして、ちょっと周りの人とは違っていたのだ。

M-2 風邪


■CM明け

< 偉大な人として憧れ、カーリーヘアーに憧れて母のかつらをかぶった、どこまでも好きですという投書>
愛情あふれるメール。たくさんのものを代表して読んだ。読んでると歯が痛くなる(笑)

<ハワイ企画はどうなった、自分も初めての海外楽しみにしていたのにという投書>
 無言。起立一同礼。…10年後くらいにやるかも。ごめんな。

<夫70歳69歳、転勤族で今は大阪、今度は名古屋のライブに行きたいが、主人は、ウザおじさんさんすべてがあてはまるので「もっと未来のことを考えて」というと「墓のことか」と言われたという投書>
 ダメだな君の夫。同情するよ。過去は変えようがない。だからこそ未来を考えて一歩でも半歩でも進むべきなんだわ。

<夫にも米津を聞かせて若い人のすばらしさを教えたいという投書のつづき>
 そう。男は頭が固い。俺は結構柔らかいというヤツほど固い。人の話を聞かないし、自分がわかっていない。女性の方が柔軟だな。もっと自分を知って、他人から学ぼう。素直に学べって…なんの番組だ。

 DAPUMPの振付で米津の唄を歌うなという投書があったが、妻に言わせると、ダバンプの振り付けでもないらしい。どうやら大人計画のステージに近いらしい。宮藤官九郎ドラマに必ず踊るシーンがある。こないだのドラマでも菅野美穂が踊っていた。
 クドカンドラマの観過ぎでどうも振付の八反田さんの影響が出ているらしい。今年のライブは、八反田さんに頼もうかと一瞬思ったが、やっぱり違うかなと思ってやめた。今年のツアーは僕は踊らないけれど、コーラスは踊るよ、一番若い吉岡祐歩が「DA PUMP得意っすよ」というメールを送ってきた。  

 さて嫌いな曲
<マラソン嫌いな人にびっくり、一番好きな歌で素晴らしい完成度、亡き母もいい曲だと泣いていたし、いまだに最後の方になると泣くという投書>
 全編暗いよな。家で聴いてみた途中でやめた(笑)

<「いつもチンチンに冷えたコーラがそこにあった」が嫌い、当時の彼女チンチンに冷えたコーラといって振られたという投書>
<コーラが飲めない、炭酸ダメ、たくあんと思ったらパイナップルだった、カルピスが好きという投書>
 音楽というのはそういうもんじゃない。コーラの存在がいかに青春時代に重要な存在だったか、そういうのを理解できないとダメだな。

M-3 いつもチンチンに冷えたコーラがそこにあった

 これはコーラじゃなくてはダメなんだ。カルピスがチンチンじゃダメなんだ。カルピスは好きな味だけれど。

<「あいつの部屋には男がいる」チャラい男を連れ込んで、不純なので嫌いだという投書   >
 君は音楽をわかってない。どうして映画を観るように聴けないんだ。ストーリーを受け止めろ。彼女の部屋に男がいるというストーリー、楽しいじゃない。

M-4 あいつの部屋には男がいる

■勝手に選ぶニッポンの歌50選
 「し」

・人生の扉  竹内まりや
・思秋期  岩崎宏美
・巡恋歌  長渕剛
・時代遅れ 河島英五
・自動車ショー歌  小林旭

5位 人生いろいろ  島倉千代子
4位 シェリー 尾崎豊
3位 少年時代 井上陽水

M-6 少年時代   井上陽水

2位 少女A
M-7 少女A 中森明菜

>圧倒的な一位は・・・
1位 時間よとまれ
M-8 時間よとまれ 矢沢永吉

 僕が久々に聴きたいのは、泉谷しげるの春夏秋冬
M-9 春夏秋冬

■エンディング

・特別公演は今後の番組で発表するので、問い合わせは禁止。
・嫌いな曲…というか「なんか気にいらねーな」という曲募集。
・ニッポンの歌50選「ち」「に」「ひ」

吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆オープニングの一曲シリーズ、これが毎回毎回、心の深奥までストレートに入り込んでくる。やっぱりいい曲書いて、いい曲歌っているね、拓郎さんは。今さら思う。

☆「早送りのビデオ」。この誰よりも濃密な時間を疾走するように生きた吉田拓郎。今やっと得られたという静かな時間の話をきくと、今なおあまりに吉田拓郎に求めすぎていることの申し訳なさみたいなものも感じる。
 たとえば高い声で歌う人のように70歳にしてアリーナーツアーをガンガンやってほしい、ああ羨ましいな、と思ったりもするが、吉田拓郎だけが過ごした、というか、過ごしえたこの濃密な時間のことを思うと他人様と安直に比べるものではないと思う。拓郎と違って、みんなスカスカの時間をスカスカに生きてきたから、今も元気が余っているだけだ…と鬼畜なことを書いているサイトがあったが>それ、オマエだろ。…申し訳ありません、個人の見解です。

☆「いずれにしても「たかが歌」「たかが音楽」だけれども、僕は負けたくなかったんだ。都会にも大人のつくった線路にも乗りたくはなかった。それが僕を走らせたのだ。」
…泣けるぜ。

 2009年のライブの「早送りのビデオ」の途中「こんなヤツになんか負けてなるものかと」の熱唱のところで、会場から湧き立つように拍手の波が起きたのが忘れられない。鳥肌が立った。ああ、曲もすんばらしいが、この観客もまたすばらしいと感動したものだ。

☆ついに全容を現した「ラジオでナイト」特別ライブ。おおそうか、神田共立講堂か。音楽ライブにも再び貸してくれるようになったのか。それとも神保町まつりということも関係しているのだろうか、ともかく私にとっては、魔の神田共立講堂とは憧れの聖地である。しかし、落選が得意技の自分には新たな試練が増えたことをも意味する。願わくば、全部をガッツリ中継放送してほしいものだ。それでこそ初めてニッポン放送が65年も続いた意味があるというものだ。おい。

☆どんだけあなたが音楽を愛していて、フォークからはるかに遠い人であるかは、この番組で身に染みてわかった。それこそが、この番組の功績のひとつである。おそらく世間が全力で認識している「フォーク歌手吉田拓郎」という呼称がいかにNGワードであるか。この鎖を身をよじってほどいてゆく拓郎。ファイト。せめて私も続こう。

☆☆☆星紀行今日の学び☆☆☆☆
 「映画を観るようにストーリーを楽しみながら音楽を聴け。」そうか。アタシは、神のお告げと思って真剣に聴いてきたから、こんなにもイカレて生きづらいのだと今さらながら気が付いたのであった。

2019. 2. 10

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[今日の一句]

夏二人どうしてもまっすぐに歩けない
               (星紀行)

[解説]
あなたへの焦がれる思いから、つい曲がりたくなる人生の曲がり角のような看板。「この先」がどれほど遠い道のりであることかという悶絶する心情を詠んだ盗作である。

2019. 2. 7

 あらためてアニメのフレディが観たくて名作「クロマティ高校」を観直している。やっぱり主題歌「純」はええなぁ。iPodで聴いているのは、昔、拓郎がレコーディング中の仮歌をマハロにupしたバージョンだ。完成版もいいがこの仮歌がまたすんばらしい。

♪どけ、どけ、どけ、ウシロメタイ奴はどけぇ!
♪どけ、どけ、どけ、真実のお通りだぁ!

 完成版と違って仮歌では思い切りシャウトしておられる。やっぱりシャウトだよ人生は。君よ歌詞の語尾を高く叫んでくれ。

 今回のステージや次回レコーディングは「シャウトしたい」との御拓宣があった。思い切り頼むぞ。

 今回、何気にチケット料金が値上げしているとの声を聴く。値上げなんて言ってはいけない。今回は、シャウト料…シャウト・チャージが加算されているだけだ。そう思う。

 そうそう「クロマティ高校」は外国字幕だと「純」も英訳字幕で出てくる。

 ♪まっすぐ歩きましょう
 ♪風は向かい風
  Let’s walk straight.
  The wind is against us.

 御意。そのとおり、向上心がいらないのは天才だけ。
 私はライブ73歳に向けて、まっすぐ向かい風の中を進むしかないのである。

 ちなみに
 ♪どけ、どけ、どけ、ウシロメタイ奴はどけ
 Move,move,move,those with guilty conscience,move aside.
 ♪有象無象の町に灯りをともせ。
 Let’s light up the town of riffraff.

 なんかカッコいいな。画伯にデザインしてもらって私製Tシャツ作りたくなる。

2019. 2. 6

 私のただれるような不安をよそに記念写真とかを撮っている「ラジオでナイト」であるが、この番組はCMも何気に凄い。
  "今日までそして明日から"が流れるあのCMに、聖地つま恋のCM。インパクトがある。昔の拓郎・坂崎のオールナイトニッポンゴールドの"オットピンS"のCMくらい強力だ(爆)。
 つま恋を維持してくださったことは心の底から感謝しているが、あれは「音楽の聖地」ではなく「吉田拓郎の聖地」とアナウンスしてくれるともっと嬉しいぞ、私は(爆)。

 そして、それよりぶっ飛んだのは、先週のブルボンの高杉真宙のCM。「向上心って素敵ですね」
 ひゃー。もちろんなにひとつ間違っていないし、高杉君は美青年だし、何よりかけがえのないスポンサー様だ。しかし「向上心って素敵ですね」って。理由はかつてCaravanに載せたとおりだが。こんなんで悶絶しているのは世界で他にはたぶん重松清くらいのものか。

 ツアーが大変なのは重々お察しするが、その間は、垣花さんか、米津玄師か、山本コータローに代役してもらって、末永く番組を続けてほしいぞ。>代役の並べ方が思い切り雑だろ

2019. 2. 5

 “たそがれ”というと映画「めがね」(2007年)を思い出す。与論島の青い海を舞台にした、最後まで何も起きない超絶ゆるい映画。携帯の電波も届かずメディアもないその場所で、人々はそれぞれひたすらに”たそがれる”。そこでは”たそがれる”ことはひとつ才能であり、また身に着ける技のようなものでもある。これを観ると吉田拓郎が何でああいうハワイが好きなのか、少しだけわかるような気もする。ああ、ハワイ企画もあったよな。
 映画の終盤で、みんなで海を眺めてビールを飲みながら青年がドイツ語の詩をつぶやく。和訳テロップも解説もない。あとでいろいろ調べたらこういう詩だった。


 何が自由か知っている
 道は真っすぐ歩きなさい
 深い海には近づかないで
 そんなあなたの言葉を置いてきた
 月はどんな道にも光をそそぐ
 暗闇に泳ぐ魚たちは宝石のよう
 ぐうぜんニンゲンと呼ばれてここにいる私
 何を恐れていたのか
 何と戦ってきたのか
 そろそろ持ちきれなくなった荷物をおろす頃
 もっとチカラを
 やさしくなるためのチカラを
 何が自由か知っている
 何が自由か知っている


 なんか”吉田”のいる詩だ…と思い、また、たそがれるのである。

2019. 2. 4

ラジオでナイト 第92回 2019.2.3
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

M-1  黄昏に乾杯 吉田拓郎

 吉田拓郎です。まさに少し黄昏の心境、でも会えてよかった、そういう心境。僕も諸君も黄昏てきたが、こうしてラジオで逢えて幸せだ。
 この番組はずっと成績がよくて一位をキープしている。みなさんのメールが大いに助けてくれた。そして楽しい番組に仕上がった。

 70年代に深夜放送が始まるパック・イン・ミュージックから始まるセイヤング、オールナイトニッポンすべてやらせてもらった

 当時は世界的に若者が既存の体制に反発していた。ビートルズ、ボブ・ディランもそう。大人の作った規則を受け入れたくないという反発する、そういう時代の真っ只中だった。自分の言葉で表現できる生放送、このラジオというものを心から信じて番組をやっていた。これは信じることができると思って深夜放送というものを信じていた。

 テレビの歌番組の一曲だけでは、自分の音楽世界を理解してもらえるわけがないということで、いわゆるテレビ拒否ということになった。最低20分、5、6曲は歌わせてもらわないと自分の世界は表現できないというつもりだった。   
 同時に雑誌とかのインタビューも、音楽のことについての熱弁が一行で済まされて、余談のプライベートばかりが大きく取り上げられるのに嫌気がさして、マスコミにも拒否反応が生まれた。
 そういう中で吉田拓郎はマスコミ嫌いのレッテルを貼られることになった。当時としては深夜放送以外では、もう戦うしかない。テレビやマスコミ取材とは敵対関係のポジションになったところ、後に一斉に叩かれた。

 そんな中でもラジオとは、仲良くやってこれた。ラジオが好きだったんだな。こうやってマイクに向かって話す瞬間が根っから好きだった。ラジオは永遠だと思う。

 始まれば終わるし、終わればまた始まる。

 いずれにしても黄昏の気分で楽しくやってこれた。

 いま少し黄昏の吉田拓郎のラジオでナイト。

■オープニング
 大嫌いな曲が大反響。こんな企画をする人はいないよ。自分でも後悔している。
とにかくたくさん送ってくるけど、そんなにあるのかよ。

 先手を打って、こっちからも好きな曲を押し付けるぞ。先週は夏休みだったが、今週は、この曲聴けこのヤロー。嫌いな曲の隙を狙って流すぞ。「昨日の雲じゃない」これが大好きなんだ。鈴木茂のギターがもう素晴らしい。
 フェンダーストラトキャスターのデラックスレバーブを使っているんだが、これが涙なしに聞けない。プレイのあと思わずスタジオに飛び込んでチューしたくなるくらい、鈴木茂を抱きしめた。

 この歌の内容は、時には、かみあわない二人にもなるけど、雲だって昨日とは違う雲だ。常に変化してゆく関係を抱きしめあっていこう、そういう ラブソングなんだ。

 ラブソングを書けないミュージシャンはミュージシャンじゃないと以前にも言った。いくつになろうとラブソングを書く。時にはすれ違う心を、時は心寄せるよろこびを。基本は人と人とのふれあいを歌いたい。
 自画自賛だけどこのボーカルとボーカルにからみつくギターが素晴らしい。

M-2 昨日の雲じゃない

■CM明け

<嫌いな曲のコーナーは突出して面白い、好きな曲はたくさん出てくるが嫌いな曲は出てこないという投書>

涙ながらに発表している、みんな言いたい放題だな。


<たえこマイラブは二度と聞きたくない、僕の昔の彼女の名前、しかも出だしが難しいという投書>
(歌う)つい歌っちゃうな。いいじゃん。
たえこマイラブは篠島で出だしを何回も失敗した。この歌は作り話。よくいった原宿のプレイバッハ。  小坂一也なんかと待ち合わせした。バジリコパスタとブランデーの水割りが美味しかった。雨の中を走る女の子を見て、ああいうドラマを作った。

<キャンディーズ提供曲が嫌いなキャンディーズファン、やさしい悪魔は詩曲ともにいいけどアンドゥトロワは、いかんせのらりくらりしてて嫌いという投書>
 失礼なやつだ。心をこめて書いているんだぞ。やさしい悪魔・・・あんないいメロディを日本人がつくれるか。アメリカンポップスの世界だ。アンドゥトロワの方が好きだ、よくできた曲だ。バージョンがいくつかあって、シングルはサンタクロースが舞うようなキラキラしているが、アルバムは俺のデモテープをきっちりコピーしていてイイんだ。聴いてみるか?

M-3 アンドゥトロワpart2 キャンディーズ

どうだい!すばらしいだろう。好きになったか?

<武田鉄矢が歌う拓郎さんの歌がツラい、つま恋85のアンケートで唇をかみしめてと書いたが、その直後に武田に熱唱されるとは、人の気持ちを考えろと説教したかったという投書>
 僕もツラい。あいつが歌っているを聴きたくないよ。あいつ勝手に歌詞かえて、大嫌い(笑)。しかもレコードにしちゃうの、いいのか。嫌いだな。あいつは明らかにフォーク。あいつは蒸し暑いよな。それに坂本竜馬が好きすぎるよね。呪われている。

<レコードCD全部、書籍もよむほどのファンだが、ハートブレイクマンションが嫌い、語りで、マンションを見守っているという主人公の立ち位置がわからないという投書>
 書籍関係にはいい加減なものあるからな。語りね。「真理かおまえ、大人になったな」というのを前から言っているけれど、みんな笑うな。そうか、この詞、管理人だと思ったか(笑)

M-4 ハートブレイクマンション

 みんな笑っていたけれど、セリフ笑うね。これ主人公は不動産屋だな。空き部屋にいい部屋あるよって、不動産さんだ。松本隆  ひっくり返っているだろうな(笑)。
 いや、かわいいな吉田拓郎のセリフ。

<「人間なんて」がよくわかりません、映像にひいてしまいました、確かANNGの時に陽水が「人間なんて」が嫌いと言っていた事もあるという投書>
難しいな・・・人間なんてとは何か。わかんないよ(笑)。勢いだな。
(歌う)
 何かが足りない、今の自分もおかしいと思っていたんだよ。この頃は、東京に出てきて苦悩している。いろいろ当時も大変な事があったんだよ。そこで悩んでいた。22.3歳の悩みがあった。で、人間なんてになったんだ。そんなものだった。
 これで2時間はやっていないけれど長時間中津川でよくもったな。みんな酒飲んでいたんだ。

<嫌いな歌が殺到しているけれど、みんな根本は拓ちゃんが大好きでそういう機会がうれしい、そんななかで「夜が来た」は、はてな?なんでヨーデルなんだ?という投書>
ヨーデルがいかんかね。いいじゃない。僕の勝手でしょ。逆にいいアイデアだと思っていたのにミもフタもない。

M-5 夜が来た    吉田拓郎

 いいじゃない。もうこうなったら嫌いな歌ライブで全部やっちゃおうかな


■勝手に選ぶニッポンの歌50選

「い」
・糸   中島みゆき
・いちご白書  ばんばひろふみ
・いい湯だな  ドリフターズ
・いい日旅立ち  山口百恵
>新幹線でよく聴いた
・イミテーションゴールド  山口百恵
・いまの君はピカピカに光って
>斎藤哲夫  こいつの唄歌ってたな
(されど私の人生)
>人の唄は歌える 
フォークの時代だったな。加川良、高田渡、みんな一緒にコンサート回ったけれど、吉田拓郎だけ浮いていた。どっちかという女子たちが「拓郎さーん」と叫んでいた。
ダウンタウンズでは「吉田さーん」だった。誰か呼んでるよと思った(笑)
・一本刀土俵入り  三波春夫
・いつでも夢を
>カバーしたけれど評判良くなかった。あわないんだな。
5位  いい日旅立ち 山口百恵
4位 いちご白書をもう一度 バンバン
3位 いつでも夢を 吉永小百合  橋幸夫  
2位 YesNo 小田和正
>抱いちゃいかん年齢だろ
1位 いとしのエリー  サザンオールスターズ

拓郎さんは、またかと思われるかもしれないけれど
M-6  色づく街  南沙織
■エンディング
・番組のイベントと日程と会場次回発表
・嫌いな曲
・言っておきたいこと
・「し」「ち」「み」
吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆ 「黄昏に乾杯」。いい声、いい詞、いいメロディー、そしてほぼロックウェルチームのいい演奏。ああ胸にしみわたる空の輝き。

☆ で、長いラジオとの旅を経て、こうして黄昏てきた拓郎と私たちはどうなるのだ。
@つまりは番組終了の黙示のフラグだったのか。A「始まれば終わる 終わればまた始まる」とは、番組の休止後また再開するということなのか、Bはたまた番組終了後、ツアー、レコーディングという新たな音楽活動が始まるということなのか。Cはっきり終了を宣しない以上、2年間のけじめの後に普通にまだまだ続いてくれるのか。・・・わからん。

☆私は・・・って私の意見なんかヘにもならないが、番組は続けるべきだ、続けて欲しいと心の底から思う。「六輔七転八倒」や「小沢昭一的こころ」を超えて続いて欲しい。吉田拓郎の一人語りはそれだけ素晴らしい無形文化財であることを、後になってから気づいても遅いと思うのだ。

☆かつてこの番組を最終章・・・「遺言」とまで拓郎は言いおった。前にも書いたが、遺言は湿っぽいものではない。遺言は何度でも破棄して自由に書き直すことができる。一番最新の新しい遺言だけが唯一有効になる。遺言=Living Willとは良く言ったもので、まさに今生きている自分の意思に従って、時に書き変えながら新しいものに向って進むものが遺言なのである。どんなカタチであれ前に進む新しい吉田拓郎を観ていたいのだ。

☆ 「昨日の雲じゃない」、このサイトでも静に推してきた名曲である。鈴木茂のリリカルなギターが大好きだった。弾き終わった鈴木茂をスタジオまで入っていって思わず抱きしめたという話は泣けるぜ。そういう話をもっと聞きたい。鈴木茂のギターは、しみじみとしつつどこかに品があった。すれ違うのは、拓郎とファンのことかと思っていた。
☆ 「ラブソングを書けないミュージシャンはミュージシャンじゃない」。かつての自分にちょっと負い目を感じるも、御意と叫びたい。

☆ 「たえこMYLOVE」をサワリとはいえ生歌で聴けるとは思わなかったよ。これに限らず、ボーカルがいいねぇ。以前は、大丈夫かなというくらい声が出ていなかったこともあったが、実に声がいい。ライブが楽しみである。

☆「アンドゥトロワpart2」。拓郎のデモ忠実バージョンが地味なので録音し直して差し替えられたというミもフタもない解説が当時キャンディーズの文献にあった。私も圧倒的にこのデモ忠実バージョンの支持者だ。こっちの方が先に出来たのに、「アンドゥトロワpart2」とは、何度でも言うが、弟の方が先に出来たクロマティ高校の「メカ沢くん」だ。
☆ 最近、そのクロ高を見直したら、なんとフレディ大活躍だ(爆)。フレディが「人間なんて」まで歌っていたぞ。時代を先取しすぎているのに驚いた。

☆ 結局嫌いな曲で盛り上がるのは、拓ちゃんへの愛の発露だという北海道の方の投書は正鵠を得ている。まったくだ。嫌いな曲を自由に論ずることで、なんとなく拓郎と胸襟を開いて心通じ合っているような気がしてくる。拓郎は大変だろうが、この曲が嫌いだといいながらファンの愛はどんどん深まってゆくような気がしてならない。
 あ、おいらも「夜が来た」、ヨーデルが変だと投書したよ。ますます、この方と同感である。しかし、これを「いいアイデア」と言われてしまうと・・・・

☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆
 「やさしい悪魔・・・あんないいメロディを日本人が作れるか」
     それを理解できるから、私たちはこの日本で生きづらいのだ
                    

2019. 2. 3

 ということで激しくやさぐれていた自分だが、苦闘しているのは自分だけじゃない。大変だろう、みんな同じさ。1973年から参戦されているという先達の方も、これまで電話は繋がったためしがない、抽選も容赦なく落ちるという極北の中、あらゆる苦闘を経て、仲間と助け合いながら今日まで毎回繋いできたという。そこには僕達はそうやって生きてきたという先達の方たちの壮大なドラマがあったに違いない。
 全くだ。隣に住む吉田繁三さん(仮名・元町会副会長)の詩吟の発表会のチケットではない、”天下の吉田拓郎”のチケットなのだ、毎回、苦悶・悶絶して当然なのかもしれない。それにコンサートが最後だとしたら、こんな風にチケット獲得に悶絶するのも愛おしい時間である…なーんてところまでは達観できないが。
 こんな見ず知らずのイカレた私ごときに「チケットの獲得を祈っています」という温かな言葉をいただき涙ぐむ。元気をだそう。
 暗い海をひとり心細く漂っていたら、遠くの船がライトで合図をくれたみたいだ。二隻の船か。いやいや、違う、気が付けばたくさんの僚船の灯りが一面に見える……これは”崖の上のポニョ”のシーンだったっけ。
 そういえば”崖の上のポニョ”ってエルトン永田のキーボードって知ってます?彼のプロフィールに選んだ代表作品が、”崖の上のポニョ”と”ガンバラナイけどいいでしょうと”地上の星”になっているのを観て、この人には絶対ついてゆこうと思った。
 また二隻の船と言えば中島みゆきの「夜会」が始まっているのだな。拓郎は、みゆきと俺はなんでもないといったが、中島みゆきはどう思っているかわかんないじゃないか。
 そして今年も夜会のドラムは島村英二だ。村石雅行のソリッドなドラムも大好きだが、ああ、やっぱり島村英二と笑顔でアイコンタクトしている吉田拓郎が観たい。あのステージに立ち込めたバンドな空気感が死ぬほど観たい。それこそを最後に観たい。観たいって言ってんだよォ。…落ち着け。ともかくあらゆる思いが自分を悶絶させてしまう。なので、どうか今夜の発表はお手柔らかにと願いたい。

2019. 2. 2

 TYIS会員先行。第一希望、第二希望ともに落選。もぬけのから状態。日曜日を待たずして自分にとっての重大発表が来たれり。創設以来ずっと入会しているが初めてのことだ。友人・知人は順当に当選しておられる。転売サイトでは買うなというご丁寧なご注意をしといて一か所も当選させずに「ご理解ください」って理解できるわけがない。私はチケットぴあになんか失礼なことを言っただろうか…言った。吉田拓郎に何か無礼なことを言っただろうか…毎日言った。はっ、これーがぁ出禁というものかしら(爆)。今までチケットが取れていたことの幸せと憂き目の辛さというものが今さら身に染みてわかる。

 居酒屋にゆくと、慰めるどころか、よくぞそこまでキレイに落ちたものだと笑われてしまった。そんな昨日の居酒屋での私を写した写真を送ってくれた。
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 しかしまだまだ負けるもんか。ずっと頭の中でなっているのは、♪どんなに遠くても たどり着いてみせる〜って、あ、これ浜省の唄だった。青春とは終わりまでキビシイものなのだな。

2019. 2. 1

 昨夜は、エルトン永田さんのピアノと石山恵三さんのベースというロックウェルな音につつまれて至福の瞬間をいただく。さすがに敬称略ができん。心の底から感謝。最近の吉田拓郎がしみじみ言うとおり、いやぁ音楽っていいもんだ…って私が言うと水野晴朗になってしまう。
 こんな気持ちのままいられますように、今夜、荒れませんように。どっちにしても居酒屋の席を予約しておいた方がいいかもしれない。

 確かに電車が混んでいる。がんばれ中学受験生…誰も知り合いはいないが、とにかくご無事で。

2019. 1. 31

 奇しくも我が家では、吉田拓郎のチケット獲得戦と重なり、家人の”嵐”のチケット争奪戦への参戦が燃え上がり、そこにオリンピック観賞チケットなどという戦争情報も入り乱れ、僕の村は戦場だった状態となっている。
 ジャニーズ事務所vsハイクアウト(TYIS)。比べてみるとなかなか興味深い。もう帝国重工と佃製作所くらい違う。さすがジャニーズ帝国と感心することしきりである。もっとも興味深いと楽しんでいる余裕はない。それに例えば切実な問題としてガラ携しか持っていない私は早晩コンサートにも行けなくなるに違いない。帝国重工等はスマホを持たずんば人にあらずと言う感じである。

 ともかくこの世界はチケットを売る側と買う側という二つの階級に峻厳と分かたれた階級闘争であることを教えてくれる。人生というキャンパスをご通行中のすべての学生のみなさん、私たちのこの手にチケットを勝ち取ろうではありませんか。おおインターナショナル。・・・怒られるか。


 作家橋本治が亡くなった。あまりに頭と感性がキレ過ぎている方なので彼の意図を理解しきれておらず、愛読していたなんていうのも憚られる。ただ”明日に向って老いろ”は、人生のエンディングを奏でているという拓郎に対して、たかがファンである私はどのように向き合うべきなのか・・・この困難な状況を考えるのに大切な一冊のような気がしている。ご冥福をお祈りします
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 とめてくれるなおっかさん 背中のt.yが泣いているのだ

2019. 1. 30

 最後かもしれないライブ、最終回が近いのかもしれないラジオ、そして近づくチケット抽選。そんな状況にNinjin design officeの方々が「大丈夫ですか?」と心配してくれた。
 ありがとう。でも大丈夫なワケがありません。
 やさしくされるとまさに堰を切った状態になってしまう。
 こういう"これで最後"宣言は昔から何度もあったじゃないか、あるいは、年齢的にも仕方がないじゃないか、あるいは、だからこそ貴重なライブを楽しみに満喫しよう
…いろいろ自分で書いてきたが、嘘をつけ!嘘をつけ! 嘘をつけ! @坂口安吾

 人生のエンディングを弾いているという拓郎に対して、どうして、「なるほど素敵なエンディングですね」としみじみと聴き入っていられようか。
 昔、拓郎の深夜放送の最終回で
「拓郎の声が聴けなくなって、俺に何が残る。なんにも残りゃしねぇよ。
 という酔っぱらったリスナーの方からのハガキがあって、拓郎も、ラジオ聴いている自分も大爆笑したものだが、まさに何十年か後の今の本音がまさにこれだった。

 孤高のサイトを気取っているが、特に気候までが冷え込んできた昨今、泣きたい気持ちで冬を超えている同志の方々に勝手ながら、心の底からお見舞い申し上げます。

2019. 1. 29

 今さらながら是枝裕和監督のアカデミー賞ノミネートがめでたい。そういえば谷山小学校の砂場の相撲で拓郎を投げとばした女の子を下駄屋の娘の是枝さんと言ってなかったか。九州に多いのだろうか是枝姓。

 是枝監督は「地球ZIGZAG」のディレクターとしてデビューしたことをわりと最近に知った。もっとも拓郎の時には既に降板している。

 ドキュメンタリーにおける演出とやらせの境界という古くて新しい問題に悩む若き日の是枝裕和。ZIGZAGの収録で、超大手企業に内定している一流大学の若者が、中国の料理店で餃子作りの修行に挑む企画があった。しかしその若者はそこで働く人々をバカにして見下した不遜な態度をとり続けたらしい。ついに受入れ先の料理長は、この若者があまりに失礼で不愉快なので申し訳ないがこれ以上撮影に協力できないと是枝に告げる。是枝はそれをカメラの前で料理長から直接本人に通告して貰う。しかし若者は、テレビの演出で、誰かがとりなしてくれると思って反省する様子もない。是枝は「本当に追い出されたんだ、今後は自分で考えろ」と怒ったが、その甲斐なく、結局企画は途中のままで終わる。
 是枝はこの顛末をそのまま番組化し「すべての若者が一生懸命で、ホストに温かく受け入れられて感動して帰ってくるわけではない」というメッセージをこめた。しかし上層部からは大目玉でボツ。結局、彼自身この番組からもホされてしまう(以上は「映画を撮りながら考えたこと」是枝裕和より)。

 なんとなく思うのだ。この番組で、是枝裕和と吉田拓郎が、出会っていたらどうなっていたのだろうか。あれこれ妄想は膨らむ。もちろんイカレた妄想だ。

2019. 1. 28

ラジオでナイト 第91回 2019.1.27
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

♪もぬけのからでもいいじゃない 

M-1 そうしなさい    吉田拓郎

吉田拓郎です。
<24歳、リスナーにはことごとく反対しておいて奥さんには従う拓郎さん、「そうしなさい」をリクエストしたい、"新しいことを始めよう"というフレーズに勇気つけられるという投書>
 奥さんには従うって、若造に言われたくない。でも、この曲は考えていなかった、いいじゃないか。24歳に教えられた。アレンジしていいかもしれない、リストにいれよう。
最近20代ひいては10代の若者が大活躍している

大坂なおみは、国際感覚豊かなMCで、とにかくかわいいな。
卓球の10代の張本智和、伊藤美誠…すごいな。美誠パンチ、憶えたよ。
スキージャンプの  小林陵侑くん9連勝とは凄い。
バドミントンの桃田、ウチの人が夢中、ウチの人はいろんな若い男性に
フィギアの紀平さんも素晴らしい。
サッカーの南野拓実、「拓」だよ。堂安は二十歳だよ、そして富安。

とにかく若者が大活躍している。そういう時期が来ているんだな。

つくづく俺は昭和の人間だな。あの頃は、パソコンもスマホもなかった。
 母親の頑張りで、貧しかったけれど、それなりに幸せな日々だった。そこから音楽を目指して東京のサクセスを求めて上京した。いろいろあって今度ゆっくり話すけれど、エレックやその前の上智の連中とマンションに同居したりといろんなことがあった。
よくここまで生きてこられたな(笑)。70歳までよく来たものだ。

 こんなに東京にずっといるとも思わなかった。おふくろが元気な頃は、時々手紙を書いた。東京でどうもダメみたいだから広島に帰るかも、あなたと言う通り、お茶の先生になるよと書いたりしていた。よくここまで50年間生きてきたものだ。

 昭和は遠くなり、平成も終わる。今、人生のエンディングを演奏していると思うとしんみりする。
 僕の場合、あちこち不具合はあるけれど、肉体と精神は大変な元気者だ。頭の中は新曲の構想、特に若者の刺激にヒントをもらったりしている。洋服もネットの通販サイトが好きで流行のものをつい買ってしまう。気分が若造なんだ。老け込んだ空気はない。

 とはいえ平成は終わってゆく、その感慨は深くなる。人間の一生とはあっけないような、でもいろいろあったような、僕のエンディングはなかなか終わりそうにない。

 嫌いな曲を募集したら、メールがたくさん来てて、読んでて気分が悪くなった。悩み多き吉田拓郎のラジオでナイト
■オープニング
<いろいろコンサートの準備があるので質問コーナーを作ってほしい、団扇とかはOKですかという投書>
 そうか考えてみなかった。嵐とかは、ウチワ持ってるんだな。時期的にはあってもいい いいかな。

<高校からのファン、拓郎さんのことが大好きで今回も当たりますようにと祈っているが、新しい企画の「大嫌いな曲」と考えるだけで涙が出てくる、嫌いな曲はないという投書>
 ありがとう。君の気持とは、うらはらにメールがいっぱい来ている(笑)。びっくりするくらい来ている。堂々と来たもんだ。
<今夜も君をこの胸にが最後、号泣しそうだ、これで終わろうものなら、パーシーフェイスもいらないという投書>
♪今夜も君をこの胸に(歌とギター) 
 このギターを弾いたら、深々とお辞儀して投げキッスでステージを去る「もう会えないかもしれないな」なんて感じでどうだ。嫌いな曲なんてリクエストを送っている場合かっ?
「今夜も君をこの胸に」は、アリだね。今回、嫌いな曲に入っていないのでよかった。アリだね

 で、こっちも送ってくる嫌いな曲先手を打ちたいな。吉田拓郎が大好きな曲を無理やり押し付けてみたい 。この曲が好きと先に言っておきたい。含みがあるね。好きで好きでたまらない、この曲は本当に好きな曲の一位だ。

 その一番好きな曲は「夏休み」。詞もメロディーも好きだ。谷山小学校の谷山駅に「夏休み」のメロディーが流れるらしい。許可のお願いが来たので、どうぞ使ってくださいと言った。
 当時小学校の宮崎静子先生の思い出。当時僕は身体が弱くて学校も休みがちだったんだけれど、そんな僕を心配してくれてかわいがってくれた。砂場で下駄屋の娘の是枝さんに投げ飛ばされて、その娘のこと好きだったんだけれど、相撲が強くて、打ちどころ悪くて胸を打ったところ、宮崎先生が、おんぶして保健室に連れて行ってくれたのが忘れられない。その背中に感じた…って想像しているようなものじゃないよ(笑)少年として感じた。ずっとへばりついていたいなという思い。あの先生を歌にしてみようと思った。
 東京に出てきてから、新高円寺の妙法寺の近くに住んで、広島の後輩のミニバンドのエレキ  とベースを合わせて部屋でこの曲を練習した。コーラスをつけて深夜まで練習したのが忘れられない。大好きな曲なので先手を打っておきたい。

M-2 夏休み    よしだたくろう (「元気です」)

■CM明け

 しかし、嫌いな曲の募集に対してこんなにメールがくるってどうよ。こういうときには、無口になって無言を貫くものでしょ。
<「パーフェクトブルー」が嫌い、陰湿、嫌な気分になるので「無人島で」では飛ばしている、白い部屋も陰湿、暗い、でも松本隆さんなんですよねという投書>
そう松本隆が書いている。読みづらいな。
<待ってました嫌いな歌のコーナー、「永遠の嘘をついてくれ」が大嫌い、中島みゆきの告白ソング、よくもまあ大胆に告白したもんだという投書>
違うよ。これは中島みゆきの作り話で、作られたストーリーだよ。「春を待つ手紙」のように作り話。中島みゆきと俺は関係ないよ。おまえの勘違い。
<「マラソン」が嫌いです、長く暗い歌詞とメロディー、救いのない歌という投書>
余計なお世話だ。確かに隣の金持ちの家を覗いている歌だけど。こうやって嫌われたら選曲できないな。
<「流星」が嫌いです、人を惑わして最悪 、人生をおかしくする歌だという投書>
ガクッ。あれだけ感情こめて絶唱したのに。
大変な番組になってきたな。「流星」が嫌いか。
<ラジオを一度も欠かさず聴いているが「落陽」が嫌いです、やさぐれた男も人生も大嫌いです、拓郎さんはそういう人じゃないのにずっと歌うのやはりリスナーへのサービス精神ですかという投書>
(♪歌う)
 ラジオを一度も欠かさず聴いていて、それで嫌いな曲送ってくるな。落陽、俺は嫌いじゃなかったよ。人間はいろんな心とアプローチの違いがあるんだな。AとBがあって、こっちはやさぐれているから嫌いという人もいるんだな。
 俺はショックだな。「落陽」「流星」が嫌いだとショックだな。
<「馬」が嫌いという投書>
♪歌う。これは嫌われてもいい、ショックは受けない。
<「純情」最後が長すぎる、半分以上ずっとまだ足りないとずっと歌っているいという投書>
これは、加藤和彦の曲だし、阿久悠の作詞だから。長いのか。
<たくさんあるんだけど「aday」。ライブでもトイレにいってました、歌詞も曲も大嫌いという投書>
俺、好きなんだけどな。かなり好きだな。今度かけよう。
<「シンシア」拓郎さんが南沙織にぞっこんだったから、この間のアルバムにも入っていて最近はそんなに悪くもないかと思います>
 あんないい曲。ああ、ヤキモチか、昔ペニーレインとかに姉妹で来てくれて猫の連中と一緒に飲んで、親しくしてくれた

M-3 シンシア    よしだたくろう&かまやつひろし

■勝手に選ぶニッポンの歌50選
 嫌いな曲募集  送ってくれよバカやろ
さらなる企画「吉田拓郎に言っておきたいこと」
なんか空気が漂ってきたな。今まで我慢して付き合ってましたが、もう我慢ならんということがあれば送ってください。
来週の放送で言うが、番組も2年、僕が一人でやった歴史では、殆どない。だいだい1年半くらいか。そこで少し重要なお話をさせていただこうかな。なんとなく雰囲気ができている。来週は耳かっぽじってよく聞け

■■勝手に選ぶニッポンの歌50選

「わ」
・若葉のささやき  天地真理
・笑って許して   和田アキ子
・別れの予感 テレサテン  
・若い広場    桑田佳祐
・私はピアノ   高田みづえ
・YMCA     西城秀樹
・若者たち  ブロードサイドフォー
・私の城下町  小柳ルミ子
・私の彼は左利き 麻丘めぐみ
・別れても好きな人 
・ワンラブ  嵐
・別れの朝 ペドロ&カプリシャス
・・・・・(略)
5位 わかれうた  中島みゆき
4位 我が良き友よ
さっき「シンシア」は、吉田拓郎とかまやつひろしのデュエットだったけれど、どうしてかと聞かれて、これは現代の米津玄師と菅田将暉なんだと説明した(笑)
3位 私の城下町  小柳ルミ子
2位 YMCA  西城秀樹
1 位 別れの朝 ペドロ&カプリシャス

僕が聴きたいのは
M-4 私の彼は左きき  麻丘めぐみ

■エンディング
・今週は嫌いな曲  結構きたな
どんどん送ってくれ

・「い」「し」「ち」

吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆


☆ 夜の静寂に突然響く「そうしなさい」。なんだ、なんだ、この荘厳なオープニングは。もしかすると現在の拓郎の心境と意味深な御拓宣がこめられているような気もする。しかし、あらためていい曲だな。アルバム「吉田町の唄」に駄作なし。アローンツアーでの演奏が最初で最後だったはずだ。そうだ、CMソングにも起用されたんだったけな。よろしいんじゃないでしょうか。

☆ 確かに番組終了のような空気が漂う。そうなのか。ラジオの最終章といっていただけに切実だ。かつて文化放送のセイヤングは2年間続いたから、今回はそれを超えてみてはくれまいか。
 せめて「終了」ではなく、どっかのグループみたいに「活動休止」でどうだろう。それにしても、嵐は嫌いじゃないし、ライブも行って楽しんだが(>行ったのかよ)、ニュース速報まで流してマスコミを席捲するようなことか。この国はどうかしている。「吉田拓郎最後のライブか!?」というニュースをなぜ流さないのか>そこかよ

☆ 最後だと思っているからかどうか、「嫌いな曲」募集なんて前代未聞の企画をよくぞやったもんだ。
  いやーーしかし良かった、面白かった。何と言っても自由だったねぇ。もちろんそれぞれ好き嫌いの意見は自分とはかなり違うけれど、神曲といわれる「落陽」「流星」を大嫌いと言ってのけてしまう心の底からの自由さ、それにぴりぴりしながらも、結局、鷹揚に受け入れている吉田拓郎。こんなことは考えられなかった。
 「落陽のような、やさぐれた男と人生の唄なんて大嫌いだ」と啖呵を切られた日には、ここのところの日記で「落陽」についてあれこれウダウダと書き、意味不明に怒っていた自分が、まるでバカみたいである。どうかしているのは自分か。それくらいに痛快だった。なんともいえない清涼感。♪そう自由の風に酔え、そうすべてを解き放て…とはこういうことかもしれない。
 こうして快活に好き嫌いの呪縛を超えると、ライブが別の気持ちで楽しめそうな気がしてくるから不思議だ。

☆ 最後のライブ、最後のラジオと考えだすと、負のスパイラルに落ちて、そこはかとなく寂しくなるが、拓郎が言うように、心と身体が若造であるならば、拓郎が奏でるエンディングはまだまだ長いと信じてまいりましょう。

 新しい事を始めよう
 元気を出せば見えてくる
 勇気がそこに湧いてくる

なるほどタイムリーにいい曲かもしれない。

☆"よしだたくろう&かまやつひろし"は今の"米津玄師&菅田将暉"みたいなもの、そういうの好きだよ(笑)。

☆ ☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆

「母親の頑張りのおかげで貧しいけれど幸せな日々だった」
     サラリと言う。こういうところが御大の何気に素敵な魅力の周辺である。

2019. 1. 27

 居酒屋のマスターが「実は”イメージの詩”が苦手なんですよ」と言うので、なにかとタイムリーな「嫌いな曲」の話になった。”マラソン”,”Life”もダメだという。あらら、それがダメだとこのサイトは成り立たないってば。何なら好きなんですかということで、とりあえず、その晩は”二十才のワルツ”で手打ちになった(笑)。好き嫌いがずれるというのは拓郎ファンの世界ではよくあることだ。それで大喧嘩になってなんて話もよく聞いた。
 他の歌手はどうなんだろうか。浜田省吾のファン同士で「”JBOY”いらねー」とか言って喧嘩しているようには見えない。やっぱり吉田拓郎においてのみ顕著な事なのだろうか。

 ひとえに吉田拓郎という人のふり幅の大きさか。フォーク、ロック、ボサノバを歌いまくる曲相の多彩さ、そしてアイドルであり、魂のボーカリストであり、スーパースターであり、作曲家であり、詩人であり、音楽界を切り開いた革命の人、ついでに裏千家の茶道家でもある。
 つまりは吉田拓郎という巨大な山には、夥しい数の登山ルートがある。どのルートを上るかによって、山道の勾配もそこから見える景色も全く違ってしまう。例えばアイドルルートで登った人と詩人ルートで登る人は、まったく違ってくる可能性がある。

 たぶん他所様の歌手は、登山ルートは、ほぼひとつで、ファンは皆そこを手を携えて一緒に登り、一緒の景色を満喫しているのではないかと思う。

 当たり前だが、自分は自分のルートの景色しか見ていない。”俺は生まれてこの日まで俺の道しか見ていない” なので自分のルートが最高だと思うし、そう思うしかない。それはそれで悔いはない。でも、この歳になって、もしかするともっとすごい景色を見ている人がいるに違いないともしみじみと思う。もっとカッコイイ、もっとすんばらしい吉田拓郎がたくさん、ひっそりと息づいているのかもしれない。

 例によって映画「ブレードランナー」のセリフを思う。

I’ve seen things you people wouldn’t believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched C-beams glitter in the dark near the Tannh・user Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain.

 「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙船。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。」


 それにしても、てんでんバラバラに、いろんな山道から登ってくる私らファンにお応えする吉田拓郎はたった一人。大変だろうなぁと他人事のように思う。他人だよ。

2019. 1. 26

 「ロッドスチュワートやっぱりいいな。”トゥナイ・トゥナイ”って歌うところさ、泣けるよ。黒人のフィーリングなんだな」(「吉田拓郎・大いなる人」p.40)…東京キッドブラザースの劇場でのインタビューで吉田拓郎が語っている。当時すぐに高校の同級生のロッド好きのジョージくん(日本人だ)にアルバム「ナイト・オン・ザタウン」を借りて聴いたものだ。やさぐれていながら実に美しいボーカルなのに驚いた。この"Tonight's the Night"にインスパイアされ、それが後に「今夜も君をこの胸に」につながるとは、音楽オンチの自分は気づかなかったよ。

このインタビューの翌年の1978年にロッドの来日公演を観た拓郎。「セイリング」が圧巻だったことを讃えながら「僕が来年ステージで『落陽』を歌えばこれくらいの陶酔感は出せる」と自信をみせた。…たぶん本当にそうなった。それ以上だったかもしれない。

 ここ数日、自分の中でめぐっていた「今夜も君をこの胸に」と「落陽」。微妙な隠し味というか触媒としてロッドスチュワートで繋がっているのも面白い。

 昨夜は居酒屋で、他のお客さんごめんなさい、という感じで、マスターに、今夜も君をこの胸に〜愛は誰かのとなりに〜すぅいーとるーむばらっど〜マラソン、つまりはアルバム「マラソン」のB面をかけてもらった。すんばらしい。これまで収録曲では”マラソン”以外の曲は殆ど省みなかったが、最強だ。この曲たちの曲想といい、つながりといい絶品でねぇの。とても遅いか。アルバムB面ゴールドディスク大賞があったら受賞間違いなしだ。
 特にこのボーカル=声がたまらない。ロッドスチュワートのボーカルより格段にいい(※個人の感想です)。
 このアルバム発売直前の田家さんのラジオのインタビューで「自分声がすごくいいと思う。歌いこんだ十何年で、ものすごくいい声になっている。保険かけてもいい(笑)」
 本当にそのとおりだ。称賛するのに時間がかかってすまなかった。だから御大は、他人が褒める前に、自分で自分を褒めてしまうんだな(爆)

 ということなので、今の時点で心に響かない曲を「嫌いな曲」と断じてしまうのは、少なくとも私にとっては危険なことだと思っている。

 かくして「今夜も君をこの胸に」は上等至極である。昔の曲を聴いて、昔のことを反省悔悟したりするのは、健全な姿ではない、というか、元気を奪われるものだが、すべてはいかに悔いなく今年を味わうか、そのためのウォームアップ=鍛錬と考えれば、大いに元気も出てこようというものだ。より一層イカレた日々を送らなければと思う。

2019. 1. 25

 「落陽」の話で忘れていたのは、2011年4月の東日本大震災チャリティの公開放送のときのことだ。CM明に、吉田拓郎がライブ初の「春を待つ手紙」を歌ったあの公開生放送。

 その直前のCM中のことだ。拓郎は、椅子をステージ中央から隅っこの方に持っていって、そこにスタンバイした。坂崎幸之助が「拓郎さん、そんな端っこで」と話しかけたが、拓郎は、チューニングしながら完無視。その緊張の様子が音叉のように伝わってきた。そういう拓郎が、とてもプリティで素敵だった。
 そして発声練習なのか、おむむろに「骨まで愛して」を歌いだす。自然に唱和する会場に「お、歌えるね」。するとすかさず次に「落陽」。おーっといきなりキターーー。数十人の拍手と唱和が続く、サビのところで拓郎は「ハイ、みなさんどうぞ!!」、思わぬ79年の武道館の再来にうろたえながらも、不肖私、数十年の愛憎をこめて、あなたに向い全力で唱和させていただきます。♪土産に貰ったぁサイコロ二つ手の中で振ればまた振り出しに戻る旅に陽が沈んでゆく〜
「なかなかいいねぇ」と拓郎は破顔一笑してくれた。やった!!と思うまもなく、CMが明けて、あの「春を待つ手紙」が全世界に向って放たれたのだった。震災からまだ一ヵ月、東京の街ですらまだ薄暗かった。

 今さらだが落陽は楽曲というよりもう魂のスイッチみたいなものになっているのかもしれない。いろいろ文句も言ったが、心をこめてこの曲を大漁旗のように掲げてゆくしかないと思えてきた。

 それにしても、先週の放送でやっていた、ウザイおっさんのバロメータ、昔話、自慢話、同じ話・・・この毎日の文句たれを1人説教の類に含めれば、余裕の4つ星☆☆☆☆だわなと自分でも思う。

2019. 1. 24

「落陽を私たちが歌う」というメールに対して「南こうせつや山本コータローみたいで、そういうのは嫌いだ」と言っていたが、わかっていないにもほどがある。あるいは今流に言えばボーっと生きてんじゃねーよ(爆)か。すまん。しかし"岬めぐり"みたいに歌詞を先導してもらって落陽をみんなで唱和したいファンなんてただの一人もいないよ。
 思い出してくれ魂のステージの数々を。

 79年の武道館の「落陽」で、地の底から湧き上がるように始まった客席の歌声が一万人の大合唱に糾合されたとき。おいらも端くれで必死で歌っていたが、武道館という巨大な器が思い切り共鳴・響音したのが忘れられない。「すげえ。ずっと歌う決心が今ハッキリついた」と叫んでくれたじゃないか。

 82年の極悪バンドのガチの「落陽」で、客席に「どうだ?」と投げかけるかのように拓郎がマイクから離れると、そらもう待ってましたと一万人の怒号の歌声が波動砲のようにステージに発射された。拓郎は、それを余裕の笑顔で受け止めると、思いっきり迫力のボーカルで打ち返す。でも観客も負けちゃいない…武道館の屋根がぶっ飛ぶんじゃないかと思うような熱唱の応酬。

 そして記憶に新しい2006年のつま恋、観客は自分のパートのようにサビをしっかりと歌い、私たちも花火になったかのように落陽を荘厳した夜・・・ああ枚挙に暇がないぜ。

 ラジオで拓郎が言っていた「客席で一緒に歌うのは禁止」とのご拓宣はトテモ正しい。御意。しかし、あの観客を巻き込んだ「落陽」たちは、一緒に歌うという類のものじゃない。あの時、もはや観客も「落陽」のそのものになっていた。魂のpart of itだ。"善の研究"にいう主観も客観もない主客未分離の"純粋経験"とはこのことか。はたまたステージ側と観客側という対局にあるものが、拠りあって"落陽"という一本のあざなえる縄になっている状態とでもいうものか。こうなれば西田幾多郎から向田邦子まで総動員だ。

例えば、最近見た映像で、クイーンの"Love Of My Life"を7万人がスタジアムで大絶唱し、それを迎え撃つように歌い上げてみせるフレディ・マーキュリーの姿がすんばらしかった。ただ彼らは、きっと、このすばらしい観客とのグルーヴが、世界でココにしかないと思っているだろうが、日本の吉田とその周辺にも歴然とあることを私たちは経験によって知っているのだ。

 「落陽を私たちが歌う」というのはフォーク集会でも歌声喫茶でもない。拓郎、もしあなたが「落陽」を歌いたいけれど、あれこれ躊躇しているというのなら、あなたの最高のボーカルを私たちがどこまでも高く高く持ち上げてやるぜ!というファンサイドの魂のエールではないか。あなたが長年の魂のステージで育てあげた客席をもう少し信頼してくれてもいいのではないか。

 ああ、7つのホールよ、屋根の梁を高く上げよ、丈高き男の子にまさりて高き歌手来たる。何卒、何卒、何卒しあわせなツアーに。ああ、わけがわからん。とにかく大丈夫だ、拓郎、私たちがついているぞ。

2019. 1. 23

 久々に「今夜も君をこの胸に」を聴いた。聴けば聴くほど美しい。まさに星空をスケッチするようなギターの音色に、なんともいえぬセクスィーな色香のボーカル。こういうのを本当に”セクシーなボーカル”と言うのだと思うぞ。
 ロッド・スチュワートの「今夜きめよう(Tonight's the Night) 」を意識しているとラジオでナイトで教えてくれて感激した(曲名は明言しなかったけどコレだよな)。ロッドも名曲だが、こちらも遜色がない。かの曲を思ってこの曲を聴くとまた味わい深くなる。

 そう言いながらミもフタもないが、1983年当時はこの曲が大嫌いだった。熱いメッセージと闘うアジテーションをひたすら拓郎に求めていた鬱陶しい若造だった自分には、こんな恋愛に溺れた甘ったるいラブソングには我慢がならかった。その頃、拓郎も自分で”自堕落”って言葉をよく使っていたが,まさしく堕落しやがってと思っていた。
 しかも、この曲が当時のコンサートの最後の定番だったことも超絶気に入らなかった。やはり”人間なんて〜ファミリー〜アジアの片隅で”という「ガッツリ燃焼発散型」の系譜の曲がラストナンバーでないとライブを観た気がしない。

  この頃の自分は、良く言えば”若くて生硬”、悪く言うと”依存心の強い偏執”だったワケで、ともかく拓郎に対する過剰な思い入れの佃煮状態で始末が悪かった。

 やがて何十年も経ってから、とある拓郎ファンと飲んだとき、彼がしみじみとつぶやいた。
「ラブソングを歌うと怒られる歌手って、世界に吉田とディランしかいないよな。可哀そうだよな。」。まったくだ・・・と自戒をこめて賛同した。
 2016年のNHKのSONGSで、拓郎は「いくつになってもラブソングを歌う」とキッパリと語った。穿った見方すれば、そこまでラブソングを意識しなくてはならないほど、過剰な思い入れの嵐に迷惑していたのかもしれない。
 そのあたりの申し訳ない思いをUramadoに「今夜も君に懺悔して」として書いた。しかし、そういう自分の心癖はなかなか抜けないものだ。

 そうやって悶絶するたびに、昔から大好きで、時々読み返している文章がある。この文章に漲るスピリットにはいつも胸が熱くなり、身を正される思いがする。

「大いなる人」八曜社1977年刊 P.89より

 私は24歳、主婦、一児の母。
 昔から拓郎を愛し続けて今に至る。そして「たえこMY LOVE」を歌謡曲だ、堕落だとわかったように話している連中を横目で見る。彼らにケチをつけたりするつもりはない。ただ気の毒だなぁと思っている。
 私にとって「たえこ」は「イメージの詩」と同じ拓郎の”声”で、拓郎の”唄”であることに変わりない。そればかりか「たえこ」をはじめて聞いた時の感動は、今までの拓郎作品のそれとは比べられないほど強いものだったのだ。今はこの作品を私のお守りにしようとさえ思っている。なぜならば「たえこ」は拓郎のこころの集大成のような気がするからだ。
 昔から拓郎のことを”反骨歌手”などとよく言う人がいたが、拓郎の唄はいつもロマンだった、と私は思える。昔の拓郎は良かったなどという諸君、もう一度君たちの好きな”ムカシ”の拓郎を聞き直して欲しい。
 そこにはいつも男と女の悲しさが、愛する淋しさが、そして人間に生まれたことのとまどいと誇りが感じられるはずだ。単に詩の問題だけではない。拓郎のメロディには、あの殺伐とした反戦歌のような冷淡な単調さはない。拓郎の唄はすべて愛なのだと!!
と今さら拓郎論をぶったところではじまらないけれど。とにかくいいものを楽しむ目と耳を持たない人たちは本当に気の毒だなぁと思うのである。私たちが何と言おうと、拓郎は今生きているのだ。そのことにさえ感動する、と言ったら、私の思い入れは強すぎるというべきなのだろうか・・・。

 あえてお名前までは書かないが、このK.Aさんの文章を読むたびに胸が熱くなる。全文引用して申し訳ないが私には恩人というか師匠のような文章なのでお許しください。「たえこMY LOVE」を「今夜も君をこの胸に」や「I’m In Love」やその他の曲に置き換えても同じだ。こんなふうにファンとしてありたい、こういうサイトを目指したいと思うのだが道はまだ遠いのだ。

 実現するかどうか未定にしても拓郎は「今夜も君をこの胸に」でコンサートをしめくくろうとしている。もしそうだったら、懺悔の気持ちもこめ、この曲が海なら私は魚という感じで歓待したい。なんで魚なんだ。

2019. 1. 22

   いつかは別れる時がくる
   いつかは寂しい時がくる
   僕等は冗談ぽく話すけれど
   いずれは訪れる最後の瞬間
   そんなことを忘れたくて
   今日もこうして会っている

 歌の設定とは全く違うけれど、まさに今の心境にピッタリなこのフレーズが胸にしみる空の輝き。誰の歌だろう・・・あっ吉田拓郎さんの歌だ。>何がしたいんだよ
 春のツアーが終われば、秋のツアー、秋のツアーが終われば来年のツアーと永遠に続いてゆくことを疑いもしなかった若い頃にはわかんなかった。

 大嫌いな曲と言ってもずっと後で、その曲に助けられたりすることも多いので、なかなかムツカシイのだ。それに今はそういう気分じゃないので、とりあえず10曲程度送ってみる(爆)。

2019. 1. 21

ラジオでナイト 第90回 2019.1.20
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。

 ウザイおっさんとは、どんな"おっさん"か。
1位 すぐ説教する
2位 自慢話する
3位 無理やり飲ます
4位 同じ話をループする
5位 昔話ばかりする   >クラス会でいた
6位 プライベートに踏み込んだり   >打ち解けようとするんだろうけど
7位 下ネタばかり
8位 今夜は無礼講でも無礼講でない  >でも言うと怒る人ね
9位 お酌をさせる
10位 ボディタッチが多い

 こういう人は嫌われるという事。

 前回、米ちゃんの話したけれど、米ちゃん・・・ご近所さんみたい。たくさんのメッセージをいただいた。

<32歳女性 米津んさのリンクから来たが、実家の母が拓郎ファンで、先日の放送で 過去の曲を求めるファンに前に進もうと言った拓郎が印象に残っているという投書>
<ツイッターで知ってきた46歳だけど米津ファンですという投書>
<マリーゴールド、Lemonが紅白で歌われたが、拓郎ファンもなかなか見る目があるという投書>
 ファンが、あいみょんとか米津玄師とかをリクエストしていたけれど、結局、吉田拓郎がソッポ向いていたんだな。
 昨日、家で米津玄師の振りをマネしていたら、ウチのひとが「あら米津さんよりDA PUMPよ」と言われてしまった(笑)。吉田拓郎は、なんもわかってない。ISSAだったか。しょうがない。

<25歳で前回のツアーのテレキャスターのパーカーを買ったがよれよれになったので、今度も新しいパーカーを売ってくれという投書>
 グッズの売れ上げはアーティストはどこも凄いらしい。昔は売ってなかった。会場に屋台があって、誰だか知らない人が、Tシャツを「拓郎」とか漢字で書いたのを売っていた。
 デザイン的にもひどかった。そういう時代もあった。なので、主催者が売るようになった。真っ黒なシャツに真っ赤な文字で「拓郎」って、誰も着ないよ。最近は、デザインとかも専門の人に頼んでいるので、イイよね。

<コンサートの落陽問題は、私たちが歌わせていただくということでどうかという投書>
 そういうのは苦手だな(笑)。南こうせつとか山本コータローが会場と一緒になって歌うのは、おれは嫌いだった。

<名古屋は久しぶりなので落陽、人生を語らず、春だったねとかが聴きたい>
 こういう声もあるんだよね。セットリストはほぼ固まってるけど、落陽、春だったね、 人生を語らず、このあたりの曲をどうするか。名古屋とか浜松だけセットリストを変えるか。やれなくはない。今日はAパターン、今日はBパターンでって、アイツら凄いミュージシャンだからできるけれど、練習量が大変ただな。

 今日は、コンサートについての"ただならぬ発言"をしたい。なぜかはわからないが、なぜかはわからない吉田拓郎のラジオでナイト

■  タイトル
 サッカーは、中島と大迫。ケガとかすると心配だね。南の顔がいいよね。こないだ髭はやしていたけれど、南はこれが似合わない。長友とかは髭もいいけど、南はやめた方がいいよと思った。でも次は剃っていたね。あれはいろいろ言われたんだと思う。いいなぁ若い人は。おれんところ何も言ってこない。髭は生えないけどさ。

 代々木ゼミナールの地理の宮地先生から最近の受験生について。

・滑り止め  
>僕は立教文学部志望だったけれど「無理だった時のために滑り止め」と言われて、広島の大学を受けた。
「最近は何年もかかっても入りたいというこだわりは医学部以外はあまりない。」
>どこでもいいということか
・「文科理科の分岐点「お医者さんになるのは小中の時に決めた人が多いが、一般は高校二年くらい」
 俺は文科系。高校二年というのは昔と変わらないかな。小田は理科系だよな、建築とかだもんね。だから、設計図とか緻密だよね。おれは設計図なんてないもんね。
・中央か地方か
 「最近は東京志向でもない」
>学費上昇しているらしいからね。俺も大学行くなら東京がいいなと思った記憶がある。
・「最近は浪人が減っている現役志向が強い」
  昔は4,5,6浪 7、8浪もいたかもしれない。今では入ったところに行こうと思うようだ。
・カタカナの学部
 「法政大学キャリアデザイン学部、東洋大学ライフデザイン学部、駒沢大学グローバルメディア学部、立教大学異文化コミュケーション学部、広島修道大学国際コミュニティ学部」>昔は文学部、工学部とかだったのにね。
 大学生の思い出としては、目標は何もなかった、滑り止めだったのでどうでもいいやと思っていた、早く就職して河合楽器でピアノ売って店長になりたかった。あと大学でば遊ぼうと思っていた。女の子や音楽。学ぼうという気持ちはなかった。僕は一留で5年行って、母には迷惑をかけたが。大学いいところだよ。

■CM明け
 今年コンサートあるけれど7か所とラジオの公開をか兼ねたのを1本。今年のステージについてはバンドアレンジ、セットリストを準備しているが、
このラジオでは正直に嘘つかないと言ってきた。そういうと他の番組は嘘だったのかということになるが(笑)。

 今年のステージは特別なものになる。
 それはいろんな意味で、自分の人生を振り返って、この時代の若い音楽、AI、ITなどを観ながらつくづく思う。自分なりの吉田拓郎の締めくくりということに尽きる。けじめをつけたくなっている。 今年はいつもとは違う思いで挑む。
 長く応援してくださった方、最近知ってくださった方もみんなわかっていると思うが、吉田拓郎という人は歌番組に出てって一曲歌って帰るシンガーではなかった。50年以上、コンサートツアーというスタイルは変わることはなかった。

 いつの時代であっても全力投球でステージに向かう。これは絶対だった。売れなかったころも全力投球していた。そういう現実にも限界というものもある。今年は73歳なので、これがステージかもしれないそういう限界を感じるなというのが無理なことだ。
 そういう気持ちを抱きながらこれからリハーサルに向かうことは否定できない。今年のコンサートを企画したときから今回はもしかしたら断言しないけれど最後の可能性がある。心して臨んでもらいたいといった。何かがが始まるとき、何かが終わる。時代はそうやって引き継がれてゆく。
 今回オーブニング、メンバー紹介、ラストと曲を募集したけれど、僕はわがままでとおってきたけれど、実はそうではなくて、みなさんのことを大いに気にして生きてきたという意思表示だった。本気だったんだよ。参考にするしないは決今後めるけれど。
 可能性としては最後かもしれない。ぜひともみんなと楽しめたらいいな。
そう思うと 毎日熟慮に熟慮を重ねていて、48曲くらいあって全部歌うのは大変だから、絞るのが大変。今歌いたくないい歌は避けようと思っている。そうすると「落陽」「春だったね」「人生を語らず」をどうするかということにもなる。

 4月バンドとリハーサルは、意義のあるリハーサルで特別なものになるスペシャルなものになる。心、体力、意識と特別なものになる。

 最後の曲で今一番やりたいのが

♪今夜も君をこの胸に
 このギターソロを僕と鳥山と渡辺格のトリプルのギターソロそれでお別れしようかと思う。そして最後にバシーフェイス夏の日の恋を流したい。

 とりあえずそう思っているが、まだまだわからない。

M-1 今夜も君をこの胸に

■勝手に選ぶニッポンの歌50選
ずっと休んでたけどさ「ら」
・ラブレター  ブルーハーツ
・ラプソディー RCサクセション
・ラブイズオーバー 

3位  ライドオンタイム  山下達郎
 年賀メールの返事来なかったのが瀬尾一三と山下達郎。瀬尾はハワイだったらしい  山下達郎からは1/11に来た。元旦に出したのに。 

2位 ラブユー東京  黒沢明とロスプリモス   
 本来こういう番組だった。最近様変わりした。新しいければいいものではなく、古くてもいいものはある。音楽は、楽しきゃいい。楽しいものなんだよ。

ライドオンタイムからラブユー東京に行くところが素晴らしい。

1位 ラブストーリーは突然に  小田和正

メールが来て「いつもより多めのコンサートと聞いています・・・」と来ている。
圧倒的に多かった。

 僕が思いついたのは、かつて興味深く聴いていた。ドゥーワップのグループとして注目していたこの曲。

M-2 ランナウェイ   シャネルズ

■マイフェイバリット

♪あの人寝顔がかわいいね

「二月の電車」という詞だ。加藤さん。

 あの人寝顔かわいいね
 ポカポカ電車 夢の中
 うっかり冬を乗り過ごし >いいじゃん
 春を探しているみたい

 日差しが窓で遊びます
 マフラーふわり揺れてます
 各駅停車午後3時
 僕もつられて夢の中
         >三番がまたいい
 
 魔法の眠り 覚めぬまま
 二月の電車走ります
 今度の駅はどこかしら
 春の駅までまだかしら

 いい詞だね。
 景色、アプローチともにいい。

 >今度の駅はどこかしら
 >春の駅までまだかしら

ここもいい。 ちょっと短いんだけどね。
この詞はいいんだけれど、詞の募集はもうやめます。もういいから。

来週からすごい企画。ない頭で考えた

「私が大嫌いな吉田拓郎の歌」

 本当のことは言って下さい。私はこの曲嫌いだったというのを送ってください。
大企画だな。

■エンディング
・大企画だな。提供曲も含めて
  勇気あるな
・「わ」
私の城下町  古いな
「い」「し」
吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆この放送の感想は「コンサートについての"ただならぬ発言"」に尽きる。

☆どうしたってショッキングな話なので、こちらも正直に言うと、他の話は殆どどうでもいい状態だ。
 ウザイおじさんランキングも、滑り止めも異文化コミュニケーション学部も、「ら」のつく歌もどうでもいい。山下達郎はRIDE ON TIMEを歌うんだから、ON TIMEに返事出したらどうだ、ってか相手は吉田拓郎なんだから、自分から年賀メールを書かないのかよとも思ったがそれもどうでもいい。小田和正「ラブストーリーは突然に」を何でこんな夜に聴かされなきゃならない。どうぞ高い声で歌って、好きなだけ全国ツアーやって、広いアリーナを自転車で走り回ればいい。ということで上の空だ。さんざん募集して、もう送ってくるなという詞のコーナーももうどうでもいいが、ただし、私たちの膨大な言の葉の骸の中から、最後の最後に生き残ってくれた「二月の電車」は素敵な小品として完成させてほしい。

☆特別なコンサートか。
 吉田拓郎のファンの歴史は何十年も昔から「これが最後」という言葉に、ウロタエ、心そぞめきたって右往左往し続けてきた歴史であると言っても過言ではない。
 しかし、拓郎は断言しないまでも、何かを切実に実感しているのだろう。たぶん私たちも程度の差こそあれ、身に染みてわかっている。公私共にあまりにたくさんの愛しい人々が雪崩を打ってこの世を去り、自分たちの身体にもいろんな形でいろんなサインが出始めている。吉田拓郎だけではなく、いろんなことが最終章モードに静かに向かっているのを実感せざるを得ない。
 「終わりを宣するのは簡単なの〜終わるときは終わるさ」という拓郎の言葉を思い出す(「訣別はまだ早い(俺たちが愛した拓郎)」)
 道なき道を行くというのはこういうことなのか。道なき道の只中で、引き際を含めて方向を見極めんとする御大。心身で今何を感じているのか、もうそれはその人の遥か後ろをくっついて歩いているだけの自分にはわかりっこない。

 「最後か」どうかということがポイントではなく、いよいよNumberedの日々の中で結実する、誰も観たことのない渾身のライブに向っているということだろうか。

☆そういう意味で「落陽」を私たちが歌うというリスナーのメールは、南こうせつでも山本コータローでもなく、時節柄、例えばLove Of My lifeのフレディマーキュリーのことだったのではないか。怒涛の魂と魂の怒涛みたいなライブ絵図、ステージと観客が、波動砲を打ち合うような魂の「落陽」のことを言いたかったのではないか。

 まさにそういう魂のライブが待っているというのが今日の拓郎の「ただならぬ話」の核心だと思いたい。「音楽っていいもんだよ」という御大を信じてまいりましょう。

☆ 今回のコンサートは選曲に一切文句を言わず、好き嫌いを超えて御大の渾身のセットリストと演奏と絶唱を、区民プールのやたら勢いのいいシャワーのように全身に浴びようと思っていた。客入りから客だしのすべての音楽まで全部味わい尽くしてやろううと思っていた。思っていたのに「大嫌いな曲」を募集とは(爆)。また変なスイッチが入っちゃうぞ。

☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆☆

 なぜか映画「ブレードランナー」のラストシーン(昔映画館で観たver.)が思い出された。デッカードとレイチェルが二人で出奔する。もうレイチェルにはそんなに時間がないかもしれない。デッカードは呟く。

Deckard: I didn't know how long we had together. Who does?
「あとどれぐらい連れ添えるかはわからないが、そんなこと誰が知るだろうか、知ったことか!」

2019. 1. 20

 林部智史の「この街」。聴き直しているけれど、これがいい。現時点で吉田拓郎の最新の作品にして最新の提供曲。

 別に何かに忖度して、無理くり新しい曲を褒めているのではない。これより素晴らしい拓郎のメロディーはたくさんあるし、阿久悠の詞はオクラいりしていただけあって微妙に地味で凡打っぽい。女性の皆様泣かせて差し上げましょうというオーラ全開の林部智史も個人的にはちょっと苦手だ。

 しかし、作品となるとどうだろう。これが実に気持ちいい。阿久悠の縦書の無骨な詞が、自由に泳ぎだすようなメロディーののびやかさがやはり特筆だ。ヨットに乗ったことはないが、おだやかな晴天の海をゆらゆらと進むような心地よさがある。気持ちいいメロディーだよ。おかげで凡庸な詞の行間もいきいきと輝いてみえる。70歳を超えて、こういうメロディーが溢れてくることの感動というか誇らしさ。

 提供曲の魅力は、吉田拓郎のボーカルに心を奪われない分、集中してメロディーを堪能できることだ。
 ただそれは歌手の歌唱力が素晴らしい場合に限る。悪口言っといてなんだが、林部智史は超絶うまい。歌い方に機微があって、それでいて美しく安定している。やはり提供曲は、歌のうまい人に限る。崖っぷちにいるあの提供曲もこの提供曲もその提供曲も、そのボーカルで歌ってと懇願したくなる。

 林部智史の昨年のツアーのセットリストを観たら、この曲は入っていなかった。小田和正の曲はカバーしているのに…いかん、なんか言ってしまいそうだ。無記。
 すべては2017年の阿久悠の追悼のためという、その年だけのスポット要員だったのだろうか。ということは、この曲は生まれながらにして、静かに崖っぷちに向かうのか。
 なんで昨年の提供曲グランプリに応募しなかったかと自分の不明を恥じる。御大、歌ってよ。しみじみとこのメロディーに浸って心身ともに揺れたい。人間は夢見て生きるもの。

2019. 1. 19

 甥っ子の大学センター試験だ。ちゃんと電車が動いているか、それに乗って無事に会場にたどり着けたか、外野にはその辺が一番気になる。試験内容や結果はもとより本人次第だろうし。…どうやら無事着いたようだ。なにせ「15時17分パリ行き」を観たばっかりだ。
 あの映画は、クライマックスのテロリストとの勇気ある闘いが素晴らしいのだが、その前に、何も知らぬ主人公の若者たちがダラダラと電車に乗車するとき、困っているお爺さんをさりげなく手伝ってあげるところからしてたまらない。おじいさんに「よい旅を」って声をかける。私はそこだけで既に泣きそうになる。まったく”バカはサイレンで泣く”ってあったけど、それだ。

 昔「素晴らしき仲間U」だったか、ちょうどSATETOツアーを追ったドキュメントがあった。タイトルバックのところで、拓郎が駅で新幹線に乗ろうとするときに、乳飲み子を抱いた女性乗客をさりげなく先に乗せてさしあげるシーンが一瞬あった。女性は、拓郎にちょっと会釈して乗り込む。とても目立たないシーンだが、私はまるで宝物を見つけたかのように涙ぐみ、酔うとその話を書いたり喋ったりしたが”拓バカはサイレンでもっと泣く”と思われていたに違いない。

 武田鉄矢がラジオで(多分”セイヤング”)、昔、アマチュア時代に学園祭だかに出演する拓郎を福岡空港まで迎えに行った話があった。超絶不機嫌な拓郎にビビる武田鉄矢。タクシーの列に並んでいるときにも口も聞いてくれない。でも、ようやくタクシーの順番が来ると、歩くのが不自由そうな見知らぬお爺さんに拓郎は「どうぞ」と順番を譲ってあげた。武田はその時「あぁカッコいいなぁ」と心の底から思ったと述懐していた。この話も私のツボだった。
 武田鉄矢、すまんが思い切りイヤな奴そうなイメージもあるのだが、こういうところを拾ってくれるから私は嫌いにはなれない。

 スターであっても、普通のやさしさを持ち続けてる吉田拓郎。いろいろあってもいい人だ。なんだ、いろいろって。

 今日ってユーミンの誕生日だ。ユーミン、おめでとうございます。

2019. 1. 18

 TYISではなくいつの間にか相手は「チケットぴあ」になっている。
 若い頃、隔週刊で発売される雑誌「ぴあ」は無くてはならない必需品で、いつも心身ともに私たちの傍らにあった。いちはやく吉田拓郎を初めとするアーティスト公演を探し、また主に名画座系の映画を探し、ツイッターの元祖みたいな"はみだしま"で丁寧に読み込んだものだ。
 思い出すのは、拓郎が社長業のため世間の表舞台から殆ど消えていた1977から78年。もう吉田拓郎は過去の人と思われていた雌伏の時期だったが、雑誌「ぴあ」の78年度もう一度観たいアーティスト投票=もあテンの第三位に「吉田拓郎」が輝いたときは心の底から嬉しかった。ああ、この世には、自分とおんなじで吉田拓郎を待っている人々がこんなにいるのだ!!と勇気を得たものだ。そして見事復活した79年度は、ぴあテン&もあテンの堂々1位に輝く。"ぴあ"のおかげだと感謝したものだ。私の青春は確実に「ぴあ」とともにあった。
 しかし、今の「チケットぴあ」・・・私には「落選。お席をご用意できませんでした」というメールを全力で送りつけてくる「冷酷なチケット抽選結社」のイメージしかない。ああ、友よ、おまえはいつからダークサイドに落ちてしまったのだ(爆)。どうか、すべての拓郎ファンに愛をこめてチケットを配券してほしい。愛しても愛しても愛しすぎることはない。なんだそりゃ。

 78年度(79年たぶん1月)もあテン3位のときに"ぴあ"に使われた御大の御尊影に祈りをこめる。
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2019. 1. 17

 ラジオがシンドイと口走っていたけれど、確かにコンサートのリハーサルとかが始まると本当に大変だろうな。新曲も書き下ろすと言っていたし、何より遠出を含む殆ど毎週のコンサートだ。
 ラジオと同時並行するツアーは、ファンにはリハやバックステージの様子も聴けて大いに楽しみだ。しかし先日の真夜中の叫びの話を聞いてしまうと、さすがに御大には無理はしないでほしいと思う。とはいってもココで番組が終わってしまうのは心の底から困る。最終章って言ってるくらいだしさ。
 先日の居酒屋での妥協案は、5月から7月、番組は続くけれどパーソナリティは代役を米津玄師にお願いして「米津玄師です。毎週吉田拓郎のことを1人で喋ってます」という番組をやってもらう。で、吉田拓郎ご本人はツアー終了後の公開放送ライブで華々しく復帰する。どうだ。大嫌いな言葉だが"Win-Win"だと思う。
 ふざけるなと各方面から怒られそうだが、若者よ、私たちを含め年寄りは大事にしておくものだぞ。文にするとエラそうだが、涙ぐみながら書いているのをわかっておくれ。

2019. 1. 16

 「それは結構すごい事実なのではないか」と居酒屋で言われて、それ以来“サマルカンドブルー”の時にニューヨークのスタジオに森下愛子が来ていたという事実が、まるでボディブロウのように私に効いてきた。この事実を私は今回のラジオで初めて知った。あのデカいブックレット”TAKURO”をこれまで何度も眼光紙背に徹して読んできたつもりだがわからなかった。確かにそうなると「歴史」の意味合いが大きく違ってくる。ちょうど吉村作治先生がエジプトのピラミッドに発掘に行ったらネフェルタの像の横に阿弥陀如来像があったみたいな大発見である。あり得ねぇよ。

 いや、森下愛子が来たことに別に不思議はない。しかし歴史の背景は変わる。

 安井かずみが“サマルカンドブルー”をナチュラルに歌う拓郎に対して「フォークソングじゃないんだから、そんな歌い方しないで」「あなたはライオンよ」とさんざん叱咤激励のダメ出しの結果、拓郎がそれに応えてガラリと歌い方を変え、加藤和彦が「まったく違う作品になった」と驚いたというあの荒くれた歌唱が生まれたのだと認識していた。そこにZUZUと拓郎の間の愛にみちた応酬を思い、感動的な逸話として長らく胸に刻んできた。

 しかし横に森下愛子がいたのであれば話は違う。吉田拓郎はその時、間違いなく200%全力で森下愛子のために歌っていたに違いない。きっと拓郎さんはそういう人よ。
 たぶん安井かずみは、それを聴いていて心の底から面白くなくて「アタシがアナタのために家にまで説明に行って書いてあげた渾身の”ブルー”の詞をチャラチャラ歌うんじゃないわよ」とばかりに、ボーカルにダメ出しを繰り返していたのではないか。
 で、拓郎は、あーもう、せっかく来てくれた森下愛子と早く一緒にニューヨークで遊びたいのに。ああもうメンドクサイ、とっとと済ませちゃおう、じゃあ、こんなんでどうよ…ということだったんではないか。

 ひゃー、すまん、憶測と下種の勘繰りのスパイラルが止まらない。歴史は思い込みと都合によって作られるという格言を思い出した。

 で、昔から切に思うのだ。今のバージョンになる前の“サマルカンドブルー”を是非聴いてみたい。きっと、なかなか良かったんじゃないかと思う。どうだろう、そんなこと言わないで、そのナチュラルに歌っているバージョンを次のステージで再現しちゃくれまいか。
 きっと安井かずみが怒って天国の階段を駆け降りてきそうだが。

2019. 1. 15

 拓郎御推奨の映画「15時17分パリ行き」。全編列車テロの緊迫した映画かと思いきや少し違い、事件に至るまでの三人の若者たちの少年時代からの人生と日常が細やかに描かれる。拓郎の言うとおり、子供の頃から切ないアブレ者で、特に何かに秀でた天分があるわけでもない。軍隊に入るも出世ルートからは思い切り外れている。そんなフツーの青年同志のさりげなくも長い友情やその母親たちから変わらずに注がれる愛情の描写がまたいい。初めてのヨーロッパ旅行にウキウキしアムステルダムに心そぞめく、英雄とは程遠い、どこにでもいそうなフツーの青年たち。そんな彼らの果敢な行動だからこそクライマックスの展開が胸を打つ。
 外国に行くと、見るからに不良そうなヤンキーな兄ちゃんでも、公共の場で当然のようにお年寄りや女性の荷物の手助けをする姿に日常的に出くわす。普通の人々に普通に宿るやさしさ。今回の彼らの勇敢な行動はもちろんマネできない偉業だけれど、それでもそういう普通の人のやさしさにしっかり根差しているところで観る者も勇気をもらえる。

 拓郎もきっとそこをキャッチしてこの映画を拾ったに違いない。なぜなら、間違いなく吉田拓郎はそういうフツーの人のやさしさを大事にする人だから。なんで会ったこともない人のことがわかるのかって、そんくらい歌とラジオ聴いていれば、わかるんだよ!!
 1月13日のラジオについて、吉田拓郎はスターなんだから美容室の女性に年齢差を気遣う必要はないと書いている日記をネットで読んだが、それは違うと思う(おい、それは思い切り自分の日記だろ)。そういう身近な人にオドオドしながらついつい気を使ってしまう、横柄でゾンザイな振る舞いができないフツーの人の優しい感性を持ち続けているところが、吉田拓郎のひとつの魅力なのだ。すまん。吉田拓郎という人がややこしい分、ファンもいろいろとややこしいのだ。いい映画だった。観て良かった。

2019. 1. 14

ラジオでナイト 第89回 2019.1.14
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 年の瀬、外食が続いてアルコールを飲む機会が増えた。飲むと言ってもビール1杯、日本酒は御猪口だと2、3杯、ワイングラス1杯くらいだけれど、それでも年末は毎日続いて、正月もステーキを食べたらワインということになって、結局毎日お酒を飲んでしまった。ウチの人から「気をつけた方がいいんじゃない」と言われたけれど、家にいるオヤジというのは、みんなこういう時「大丈夫だよ」と言うけれど僕もそうだった(笑)。
 「無理しない方がいいよ」と言われたけれど、2日はお寿司天ぷら、3日は中華ということで、ウチは家で料理しないのでそういうシステムで、外食に行ってそこでまたお酒を飲んだ。結局の毎日飲んでしまった。

 胃がヘタったし、寒かったので風邪気味〜今日は鼻声ですが、アルコールが続いて、風邪薬、胃薬ものんで、夜中に体調が悪くなって「佳代ぉぉぉぉ 助けてくれぇぇぇ」と叫んでしまった。「水をくれ、歩けない 気分が悪い」ということで彼女に迷惑をかけてさんざんの正月だった。
  
 なんのキッカケか、ウチの人と紅白歌合戦の話になって「米津玄師を観とけばよかった」という話になった。ネットで彼女が検索していろんな情報を得て、だんだん彼女が米津玄師に集中するようになった。
 ある種の悪夢(笑)。我が家は正月は米津玄師と友に過ごした。ずっと米津玄師漬け。ウチの人がamazonでどんどん注文する。俺も業界の端くれだからソニーとかから貰ってやるからと言っても「待てない、今すぐ聴きたい」。
 ということで、武道館ライブを観たり、CDを最初のものから全部聴いたりした。こんなこと他のアーティストではなかった。とにかく一日中、米津玄師だった。
 すげーいい正月になった。こういうものだね。いいものに出会うと。体調は崩したけれど そこからキッカケみたいに、いいものを観たな、聴いたなという気がしている。米津玄師の音楽の研究もしたよ

 とりあえず「佳代ぉぉぉ」と叫んだ時は死ぬかと思った、大変なお正月を過ごした吉田拓郎のラジオでナイト

■テーマ
 いいものを観たり、絵とか映画も含めて、聴いたりすると人間の心が豊かになるし、幸せになる。そういうアーティストに会えた。正月は奥さんが買い漁った米津玄師のDVDを観てCDを聴いた。

 米津君の特徴はこう思う。
 
 ボーカリストとして、男の僕が言うのもなんだけれど彼はセクシィーだ。なかなかセクシィーな歌手っていない。
そしてボーカルは明暗の明だと思う。彼の詞が淋しくても、彼のボーカルが明なので、聴く側が救われる。どんよりした詞でも彼の唄声が救ってくれるんだな。
とにかく大事なのは「セクシー」ということだ。
 ♪声がセクシーな男って好き、なぜってフフなんて君笑う 、セクシィーな声ってのはチョコレートみたいな声で
 〜あったじゃない。吉田拓郎が歌っているんだけど。声のセクシーな男。これだよ。こういうシンガーの登場を待っていた。

 次に音楽性は、多種多様いろんなジャンル和洋問わずに入っている。和風エキスも混在している。個人的には古い日本の歌謡曲的なノスタルジーを感じる。どっかで聴いた聴き覚えがある。この懐かしい感じ、ノスタルジックな感じ。
 日本人が老若男女、誰もがいいなと思える。彼がどういう音楽聴いて育ってきたかは知らないけれど。

 率直に感じたのは、これまでいろんな新人が出てヒットしたり、またライバルがどんなに人気が出ようとも、羨ましいとは思ったことはなかった。ジェラシーは感じなかった。自分は自分の音楽をやるだけだと思ってきた。
 しかし、米津くんには、ちょっとヤキモチとジェラシーを感じる。他の歌手を観て、コイツ、オイシイところ掴んだな、ヤラレタとか、そういう手があったかとかたまに感じることはあっても、ヤキモチを感じることはなかった。ジェラシーを感じるな。若さは素晴らしい。

 ついでに菅田将暉とコラボした「灰色と青」、番組にリクエストが来たけれどスルーしていたが、じっくり聴いて涙が浮かんだ。風景画の印象。この曲が大好きになった

 ボブ・ディランがThe times they are changin’と歌ったけれどこれなんだな。あの時のディランの言葉が身に沁みる。
 今、心をいっぱいに開かなきゃな。新しい波を全身で浴びて、素直にならなきゃと思っている。

 ふと思うのはキッカケをくれた奥さん。この人は時々こうしてめっけてくる。ガンバの遠藤選手を急に見つけてきた。ヤットちゃんの本を買って全試合ビデオ撮ってストップモーションで見て見てとか騒いでいる。そのヤットさん以来ウチの人が熱狂しているのが米津玄師。
 ひとつの密かな楽しみは、いつまで続くかな、ウチの人の米津君ブーム。とにかく正月は一色だった。

M 1 灰色と青    米津玄師と菅田将暉

■CM明け

 コンサートのお知らせ


 詳しくは番組のHPで。どうやったらチケット買えるかとか書いてある。

今日はベストテイク。ここのところ選曲もかなり絞られてきた。新曲をかなり歌いたい。
ライブ73は新曲ばかりだったし、今回新曲を書きおろそうと思っている。

 この曲は歌わないけれど、思い出話がある。「サマルカンドブルー」

 先日、サマルカンドの街の様子を「ふれあい歩き」とうテレビ番組で初めて観た。サマルカンドブルーという歌をどういう町か知らないで歌っていた(笑)

 サマルカンドブルーという作品は、安井かずみさんがどうしても歌ってよと迫って来た。あの頃、僕のマンションに来てウズベキスタンの青い景色の説明をしんただろうけれど僕は聴いていなかった(笑)もともと人の話を聞くタイプではないし「あーそう」と流していた。

 昔、彼女にシルクロードを旅して欲しいという企画のテレビ番組があった。彼女は、そのついでに付き合っていたパリジャン、パリの男性とついでにデートしようという計画だったらしい。しかしこのテレビの企画が取りやめになった。彼女は、凄い怒った。サマルカンドも観たかったのに、彼にも会えないし、そういう口惜しい思いを詞にしたらしい。

 サマルカンドという町は、ブルーのタイルを基調としていて、空も青い。一生に一度行きたい町だったそうだ。
 ウズベキスタンにあって、紀元前10世紀だから今ら3000年前、シルクロードの中間点として東西の交易が盛んだったが、チンギスハンに滅ぼされて、住民の4分3が死んで、廃墟となったが14世紀にティムール朝の王様が復興させた。この王様が青が大好きだったのでこの街の色に繋がった。客人を友と同様にレスペクトをもって付き合うやさしい民族性があるらしい。

 ニューヨークのレコーディングの時には、ZUZUに「ブルージーンのブルー?」と尋ねたら 「違うのよ」と否定された。当時、彼女にはモノ言えなかった。プロデューサーだしね。
 ボーカル入れの時にスタジオに来ていた森下愛子。彼女によればモニターでZUZUは「まったく拓郎はなんにもこの歌よーわかっていない。このブルーを理解していない」とギンギンに怒っていたそうだ。
 ボーカル仮入れが終わると「何よ。今のは、サマルカンドブルーを全然わかってない」「だって行ったことないし」「行ったことなくても、詞を読めばイメージできる、あなたはライオンでしょう」と怒られた。
 よし、デモテープ作るときの歌い方(クセのある歌いかた)これを一発カマしてみるかとやってみた。そしたら、ZUZUがえらい気に入ってくれた「それなのよ、それ、あなたはライオンよ」と感激していて、僕はちんぷんかんぷんで、どこが良かったんだろうなと思っていた。

M-2   サマルカンドブルー    吉田拓郎

■CM明け
 美容院を変えて、大野さんという方が名手。仕事がとても早い。ババババと切ってたちまちいなくなる。あまりに作業早すぎる。もうちょっとさわってくれと思う。そして、うーん自分で触ってみてくださいと頭を自分で触らされて、またすっと出てゆく。もうちょっとじっくり落ち着こうよと思う。

 近藤、平山さんという若い女性が担当でいる。白い毛の染めてくれたりする。20台の女性と70代のおじいちゃんの井戸端会議。これだけの年の差で会話は無理がある。
 平山さんは23歳、洗髪してもらうだけで心が苦しい。「痒いとこございませんか」「ございません」
水谷豊も同じ気持ちかもしれない。

 この幸せは、ネイルサロンでもそう。正直、申し訳ない、23歳の女性に対して話かける言葉がない。篠原ともえも来るらしい。なのでLOVELOVEの話しもしたけれど、彼女生まれていないんだよ。Kinkikidsでは、 伝わらない。米津玄師は知っているけど、キンキはわかんない(笑)
そういう女の子に「ライブのヘアメイクとかやってくれる」「いいですよ」と言ってくれたけれど、よく考えたらLOVELOVEの時に生まれてない人に、頼んでいいのか、歳相応に50歳くらいにすべきか、真剣に考えた。今度「無理してない」と聞いてみようかな。

 50歳の歳の差があったら通じないよ、The times they are changin’。70歳、過ぎて色々正月、米津玄師とか美容院とかいろいろ考えて頭グラグラだよ。


 田中洋一郎さんの今年の運勢の占い。田中さんは去年の占いで批判されたので、また依頼くるとは思ってなかったそうだ。

<今年は、昨年の準備を実行する年>
これ知ってるだけじゃないの。

<実行すると良い年ですが、無理して勢いにまかせてはいけないので節制してください。
バランスを取りながら行くべき>そうだね、正月から肝に銘じようと思う。
<自分に苛立ちがおこりやすい余裕をもってとりくむといい>
当たっている美容室のこととか。
<しかし苦労と手間は良いものにつながる>
<今年は後半になるにつれて運いい>
コンサート前半だよな変更する?

<奥さんとはほどよい距離で現状が維持 >
 なんも考えていないだろ。夫婦は現状いい関係だ。そろそろヤットちゃんに帰ってくれよ。  
<ラッキーアイテム  白と黒>

<ラジオにしんどさを感じるかもしれないけれど(拍手)>
しんどいです。
<続けられる状況ならやったほうがいい>
占いになっていない。やろうと思えばやれるけど、"しんどさ"は当たっている。このことについて次回深い話をする。

とにかく後半にいいことがあるんだな。

■エンディング
今週は米津に集中
聴いてみてください、よねちゃん。

・ラジオイベントの希望
・「ら」「わ」

吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆お酒の話を聞くたびにもう別人のお話を聞いているかのようだ。ビール1杯、御猪口2,3杯の吉田拓郎なんて私には考えられない。酒豪=吉田拓郎のファンだから、さして強くもないのに酒好きになってしまったというのは私だけではあるまい。今は気のおけない居酒屋でしみじみ飲むのが一番の人生の楽しみである。もちろんそれこそ、The times they are changin’、人間の変化という成長なのだから、いつか自分にもそういう時が来るのだと思って心したい。

☆しかし、真夜中に死ぬかと思ったって、どうなんだ。大丈夫なのか。くれぐれもご自愛ください。

☆そうか吉田家は米津ブーム到来なのか。日記に書いた通り紅白の米津くんはすんばらしかったし、自分ですら今少しずつ聴いてはいる。
 しかし、私にとって一番大事なことは、吉田拓郎が、ここまで米津玄師に刺激を受けて、心を開いたという事実である。
 すまんが美容室のねーちゃんなんかどうでもいい。だって、拓郎、あなたは歳をとったとはいえ今もビジュアル系のスーパースターなんだから。それは私たちファンが保証する。そんな美容室の方に気なんか遣う必要はない。だったらファンのことでも考えてくれよ(爆)。
 それよりも、米津玄師にセクシーさを感じ、ジェラシーまで抱いたということを堂々と語ってしまうことこそが尊い。齢73歳を迎えんとする男が20代の若者の音楽を聴いて「今、心をいっぱいに開かなきゃな。新しい波を全身で浴びて、素直にならなきゃと思っている」と言えてしまうところがすごいのだ。こんな72歳はいまい。そこにこそ価値がある。
 例えば紅白の桑田とユーミンのアドリブが絶賛されているが、あれよりも、もしあれを観た拓郎が、じゃ俺もああいうの中島みゆきとやってみるかと思ったら、そっちの方がはるかに尊いのとおんなじだ。>思わねーよ。
 米津効果は、絶対に吉田拓郎のブラッシュアップにつながっている。その意味で、その限りにおいて米津玄師はすばらしいのだ、私には。

☆それが証拠に、コンサートのセットリストだが、今週はライブで新曲をたくさん書きおろすと言いおった。ここのところ、さんざん続いた古い曲とは何か論争を、こういう形で新曲で超えてやるぞという吉田拓郎の心意気は、米津効果とは無関係ではあるまい。ま、関係あろうとなかろうと、新曲の気概に満ちたライブは、ひたすらうれしいが。

☆サマルカンドブルーのZUZUとの話は楽しい。もう映画かドラマを観ているみたいなんだよな。あのアルバム制作のドラマを含めてZUZUと拓郎のストーリーはどれもこれもたまらなく好きなのだ。愛に満ちている。個人的な感想にすぎないが、私には、そのドラマの結晶としてあの隠れた名曲「人生キャラバン」という歌があるのだ。
 それにしてもあのデモテープの歌い方、あれはどういうつもりで、しかもどういう歌い方だったんだ。教えてほしい。

☆LOVELOVEを知らないとさすがに私もショックだ。Kinkikidsにシンパシーを持っているのが自分の最後の若さだと思っていたのに。もう通用しないのか。

☆仕事が超早い美容室の大野さん。「もう少しゆっくりさわってよ。」。私は、「外は白い雪の夜」に3分で曲をつけた拓郎に松本隆が「もう少し考えたらどうだよ」と思った話を思い出した。

☆来週以降の「深い話」とは何だ。明るい話でありますように。


☆☆☆星紀行今日の学び☆☆☆
森下愛子の本能と直感と集中力のすごさを思う。
ヤットさんや米津以前に吉田拓郎を選んで集中している
そりゃすごいもんだ。

2019. 1. 13

 昨夜は、小学校からの地元の友人たちと新年会。都心や世田谷あたりでは雪が舞ったらしいが、蒲田は雪も降ってくれないぜ。
 あの頃の小学生は、なぜかみんな「画板(がばん)」を持っていたという話になった。これが世代が違う人々には全く理解されない。確かに皆なんであんな画板を持って登校していたのだろうか。

 もうひとつの話題は、74年頃の沢田研二の帯で放送していたラジオ番組「愛をもとめて」。ボソボソと喋るジュリーの声が良かったし、詞の朗読も味わい深かった。あの時はついでに聴いていたけれど今にして思うといい番組だったと意見が一致した。
 あの番組の♪ルルルルとジュリーが歌うテーマ曲「ラヴ・ソング」がCD化されてはいなくて、そのアナログ・レコードを友人が蒲田の中古レコード店でゲットしてきた。いいな今度聴かせてくれ。
 このテーマ曲のメロディーは沢田研二が作曲し、詞を書いたのはこの番組の構成も担当していた藤公之介。例のショーケンのために吉田拓郎が曲をつけて、お蔵入りして幻となった「うるわしのかんばせ」の作詞がこの人だとわかった。ああ、つながった。

 さて、カラオケには、タイムリーに「この街」が入っていて、よっしゃあと意気込んで歌ったのだが無残なことになった。林部智史、超絶歌うまいな。あったりめぇだろ。でも、いい曲だよ。

2019. 1. 12

 「ワシら崖メロ探検隊」で「ドンファン」を書きながら、これってどのくらい売れたのだろうと思ってオリコンを調べた。失礼だが神田広美はアイドルとしては大成せず早くに引退し、むしろその後の作詞家としての活躍の方が目覚ましい。その神田広美の「ドンファン」はオリコンTOP100に10週登場し、売上3.1万枚となっていた。
 ついでにその翌年の御大を記録を調べてあらためて驚いた。「流星」は、2.8万枚「春を待つ手紙/外は白い雪の夜」は2.6万枚。ショック。崖っぷちはこっちだったんじゃないか。
 例えば、「流星/アイランド」がリアルタイムだった篠島で、自分が話しただけでも「最近の拓郎の曲は聴かない」「"流星"は買ってないよ」という観客が結構いたのを思い出した。イヤ、自分だけが良い子になろうとしているのではない、自分もレコードこそ買ったけど、なんか地味な曲だよなと打ち捨てていたし「春を待つ手紙」に至ってはダセーなと思っていた。
 どちらも今や押しも押されもせぬ名曲でありスタンダードである。こういう例が拓郎にはあまりに多い。リアルタイムでの評価の弱さに自分も悔恨のようなものを感じる。なんか思うわけよ、例としては不適切かもしれないけれど、戦争が終わってから、実は私もあの戦争に反対だったんですよと言い出すみたいで、自分に対して忸怩たるものがある。
 先日のラジオで「キミらは最近の歌を聴かないんだね」というちょっと悲しげな御拓宣がまた思い出される。「んなこたぁねえよ」とラジオに向って言い返したが、リアルタイムに極端に弱い自分というものもいることは歴史が証明している。
 というわけで、本当にそんなことはないのか、念のため最新曲から、もう一度遡って噛みしめながら聴き直してみようと思った。ということで、この連休の課題曲は「ぼくのあらたしい歌」と「この街」に決めた。
 題して「ワシらは新メロ探検隊」。なんだそりゃ。どうでもいいが、そもそもどうでもいいことしかこのサイトは書いてないし。

2019. 1. 11

 ブルボンには心の底から感謝している。いろいろ大変だった2009年から10年間、変わらずに温かくライブをサポートしてくださる。本当にありがとうございます。しかし残念ながら感謝しつつも商品に甘系が多くあまり十分な恩返しができない自分が心苦しい。
 酒飲みの友みたいなものは御社のイメージに反してしまうだろうか。例えば、エイヒレをカラリと揚げた「ブルボン エイヒレーヌ」、ポテトサラダをフィーチャーした「ブルボン ポテサラード」とか、もし出してくださったら一生食べ続けることをお誓い申し上げます。

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2019. 1. 10

 来たぞ我らのタブロイド。お、表紙のステージのイラストもダブルキーボードになっておる。時節柄どうしても手続書類に目が行きがちだが、重松清のエッセイというか寄稿文が載っている。なのでページが少なくても今回は許してやろう。

 今回は休載のようだが、いつも今村和夫さんのコラムが楽しみだ。小さなコラムだが、時代や世代論と絡めて吉田拓郎のスパイスがにピリリと効いた硬派な文章。ただ今村さんは拓郎と同世代で私よりかなり上だ。だからこその憧れもある。
 これに対して重松清はまさに世代がドンピシャリだ。いうまでもなく直木賞作家であり大学教授という異能のSPだが、1980年前後の頃に吉田拓郎にどうしようもなく耽溺していたであろう拓バカ感が漲っている。もう共感するしかない。
 この寄稿文でも、今の日常生活の中にも"極悪バンド"等の基準が生きていたり、学生街を歩けば、"街へ"が浮かんだり、「胸の奥、ずっと奥」って、それは"ホントの俺が泣いている"だろって、もう生きる事が、そのまま拓郎ファン活になっているのがわかる。きっと、私と違いイカレた拓郎ファンであると確信する(爆)。だからこそ、あの「すばる」の出色のインタビューをなしえたのだろう。

 というわけで、読みながらどうしても文章の中に読み手自身のファン履歴を読み込んでしまう。というか、そういう隙間をキチンと用意していてくれているかのようだ。
 「時」だね。そうか「いる」と「いた」だね。僕達はそうやって生きてきた、と心の底から共感し、恥ずべきイカレた過去も、悪くない悪くない月日の数も悪くないと思わせてくれる。イカン、なんで好きじゃない曲ばかり浮かんでくるんだ、オーマイガー。

 そして「真実のステージ」という結びと「ステージには真実がある」と先日ラジオで口走った拓郎との通底を思う。なるほど。
 チケットや日程の折り合いなどライブにたどり着くまでの試練、もしかしたら思わず天を仰いでしまうかもしれないセットリストの葛藤など、あれやこれやの障碍があるかもしれない。しかし、吉田拓郎ご本人はもちろん、ここまで一緒に時を重ねてずっと吉田拓郎好きで生きてきた私らファンも結構素敵な人々じゃないか。だから生きていなけりゃ、真実のステージ向かわなけりゃ、という静かで熱いエールだと勝手に読みこんだ。

2019. 1. 9

 昨夜も居酒屋に立ち寄った。エディット・ピアフにハマっている事を告白すると”愛の賛歌”を軽く10人は超えるバージョンで聴かせてくれた。越路吹雪からフランク永井から淡谷のり子から筋肉少女帯まで。日本の歌手は”愛の賛歌”が好きなんだな。"吉田拓郎の愛の賛歌"があってもおかしくない。ないだろうけど。僭越至極ながら昨夜聴いた”愛の賛歌”ベスト3は、美空ひばり、大竹しのぶ、美輪明宏の3人が圧倒的だった。天才的歌唱力と深い情念。結局、魂だよ。

 魂といえば、米津玄師のファンの方から教えて貰った。米津玄師が「吉田拓郎さんに評価していただいて嬉しい」とコメントしたらしい。だからということでもないが、深夜にまた紅白の出演場面を観なおす。この舞台となった徳島の美術館は、あのシスティナ礼拝堂の天空図を再現しているんだな。昔一度だけ観ることができた、まるでこの世のあの世のような礼拝堂を思い出しながら、その景色と違和感なく溶け合うような唄声。常日頃この世には吉田拓郎とそれ以外のその他大勢の歌手しかいないと考える偏狭な私でも「なんなのだ、これは」と心の底から思い、繰返し観て聴いた。

 もう僭越ついでに、米津玄師、吉田拓郎をカバーしちゃくれまいか。それも、吉田拓郎本人がもう歌詞が古いから歌いたくないと言っているような歌たちだとありがたい。例えば「制服」とかどうだろうか。真剣に思うた。

2019. 1. 8

 "「猪」はありませんがお猪口はあります"という粋な年賀状をいただいたいつもの居酒屋さんへ今年初めてのごあいさつ。お屠蘇を出していただいた。鳥羽の答志島のレシピというか配合らしい。うまい。"おきざりにした悲しみは"のデザインを見せていただきながら飲む。
 マスターも先日"15時17分パリ行き"を観たそうだ。拓郎の言っていた予備知識なく観ていたので、三人の元ワルのうち誰かが真犯人だと思っていたそうだ。それくらい演技がうまいということだ。
 ということで新年のいい気分でいたら、おーっと、もう、いよいよだよ。私たちは知っている「プレリザーブ」などという言葉がいかに虚しいものであるかを。がんばりまっしょい。
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2019. 1. 7

ラジオでナイト 第88回 2019.1.6
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

♪年のはじめの ためしとて。
終りなき世よの めでたさを。
松竹たてゝ 門ごとに。
祝う今日こそたのしけれ♪

 新年あけましておめでとうございます。吉田拓郎です。

<年末のwowow の1人紅白で桑田が「落陽」をレゲエで歌っていたという投書>
 聴いてみたかった。レゲエで落陽とは面白いね。(歌う)面白いね。「落陽」は岡本おさみの詞だけれど、あと「人生も語らず」とか、これについて言うのも今日で最後ね。
<カバーズ OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDが人生を語らずのカバーをしていたという投書>
「人生を語らず」「落陽」とかは今でもカバーされている。これは、今、カバーしても合致するものがあったりするからだ。そういう曲は60年代70年代だろうとある。しかし、そうでないものもたくさんある。そういう曲を今歌う気持ちにならない、そこには行けないということを言っている。

<以前、谷村新司が落陽をカバーして「あれは拓郎しか歌えない」と言っていたという投書>
 だったら歌うな(笑)。谷村新司に文句をいい、桑田にはいいねという、この差(笑)、自分では納得している。

<ロストフの14秒について民放もこういうのを作れと言っていたが、民放でも吉田類の酒場放浪記はいい番組だと思うという投書>
 観てるよ。吉田類、「よう酒飲むおっさんじゃのう」。よく身体がつづくよね。また日本酒をウマそうに飲むんだ。ビール、ハイボール、レモンサワー、ワインまで。番組のシメのところで結構酔いが回っていることがある。それがまた楽しくて。あの人〆鯖が好きなんだよね、僕は苦手だけど、面白い番組で好きだ。

<G-SHOCKの当選者の名前がほぼ同じで同じ歳、自分と思った、前後賞が欲しいという投書>一字違いなのね(笑)
<当選しました、ポストに投函されてました無事届き、いっぱい太陽に光をあてて大切にしますという当選者の投書>
 ポストなの?書留とかじゃないの?

<ひょんなことでラジオを聴く、こんなに明るくて面白い人がいる、楽のことも日常のことも教えてくれる、奥田民生の大ファンだが皆実の卒業生は笑顔が素敵ですという投書>
ラジオはこういう顔で、テレビはテレて・・・だからテレビって、つまんねーな。皆実の卒業生みんながそうではない。なんでもない人がいっぱいいる。民生くんと僕は別格なの。

<コンサートに45年前に行ったけれど、当時のマーチンD35は イルカにあげたのですかという投書>
 あげるわけがない。そういう付き合いはない。引っ越しをたくさんしてきはたが、そのたびに断舎利している。引っ越し屋さんに ギターが好きという人がいたのであげた。僕は、ギターをあげる癖がある。番組でもそうだったでしょ。引っ越しを繰り返すうちにギターが減っていった。うちにはJ-45 かつて加藤和彦が、デビュー直後に持ってきてくれたのだけが一本だけ残っているが、その他には昔のギターは一本もない。

 去年番組で運勢を見てもらった。
僕は80-95歳にいい運勢が来るという事で、えーそんなに待つのといった。これまでやってきたことが評価される、80歳過ぎてクリエイティブなことも展開するということだ。

 去年は一年を振り返って、充電になったのかな。2018年は、余裕をもって心落ち着けて、打って出るより備える年ということだった。

 交際が広がり出費も大きくなるということだったが、交際は増えなかった、出費も同じくらいだから、当たってないな。

 11月頃に良い人脈がつながるとあったけれど、これは当っている。 今年のコンサートのバンドメンバーの河村カースケがダメになったなとき、村石(雅行)とやりたいと言ったら、村石がOK、 やれるという返事を貰った。
無理して考えれば、良い人脈だ。
 もう1人、ダブルキーボード奏者が武部・鳥山ご推薦のメンバー、名前は知らないけど(笑)、最高のキーボード走者が加わるという人脈がつながった。 それが決まったのが、ちょうど11月ころだから。

 7月頃は行動を控えろ、体調不良、人間関係のストレスに注意ということだった。健康は害していないけれど、歯とかで病院には行ったな。
 人間関係でギスギスしたのは番組のスタッフとだな。「ない頭で考えろ」といったら「ない頭で考えました」といってきたので「さすがにない頭だな」と答えた。

 パートナ―との運勢では、自分を押し通してしまいがち、ケンカに注意とあった。そんなことは一度もなかった。自分を押し通していない。静かな一年だったという確信がある。むしろ自分を押し殺していた。怖くて喧嘩していない(笑)

 準備期間の年というのは当たっていた。昨年は打って出なかった。で、こうして今年コンサートが決まったので、当っていた。

 今年も占ってほしいな。去年一年静かに自分を押し殺してきた吉田拓郎のラジオでナイト

■オープニングテーマ
 この頃時代か、20代の頃は化粧品に気をつけなかったし、そこにあるものをつけていた。しかし、昨今、男性化粧品市場も伸びてきた。

 番組関係者に問い合わせた結果。

女性  
・20代はピチピチ保湿不要でブランド中心
・30代ナチュラルにこだわり、日焼に注意。
>オレなんか、40過ぎまでハワイとかで焼いていてシミだらけだよ。
・40代皺やシミ、保湿効果
・50代は肌乾いてくる 化粧品の質にこだわる
>乾いた拍手ね。値段が高いからいいものではない。ハンドクリーム
はよく使う。指は大事だから。年齢の割にはキレイかな。ネイルサロンで、ハンドクリームを塗ってもらって、この気持ちってわかんないだろうな。

男性
・20代 ニキビ洗顔
>顔なんて洗わなかったよ、若い頃
・30代 加齢臭を意識して香水
>30代で加齢臭? それ体臭でしょ、加齢臭ではないでしょう。30代そんなこと気にしないでブイブイだよ。俺の臭いが嫌か、こうせつをオレの脇の下に顔をすりつけてやったら「やめてよ拓ちゃん」 って(笑)
・40代 あぶらとり  肌のテカリ
>あぶらとり紙って、九州のイベンターが取り扱っていたので。貰って使っていた。つか
ずいぶんあぶらがとれたんで、最近アブラが出てこない、カサンカサン。
・50代  髪の毛が淋しくなり、白髪が増えてヘアケア
>シャンプーとリンスが手間なので、シャンプーインリンスを使うようになった。
何十年もリンスしていない。シャンプーは、いくつも試した結果いきついたものがある。

 いろんな化粧品って、ホントにシミやシワがとれるのかは疑わしい。若返りましたとかいうCMで、嘘つけ、若返ってないよという感じがする。いろいろな化粧品やらいろいろと売れているんだろうな。

 この歌を聴きながらメイクする。無人島にもってゆくとしたらというテーマで、血圧の薬というのがあって笑ったな。そうだよな。僕も血圧が高めだからわかる。ギターなんていらないよ。薬だよ。
 次のライブで楽しめるといいなということでこの曲を考えている。

M-1   無人島で   吉田拓郎

■CM  (今日までそして明日から  あの頃は若かった  悔いはなく戦ったか 介護用品のCM)

 ライブの最後の曲、いろいろ参考にさせていただきました。その期待には応えられないと思います。わからないわけではない。そういう気持ちになれない。

・まだ見ぬ朝 <あの場所でもう一度逢いたいねをリフレイン 投げキッスという投書)
>投げキッスね、この曲はライブで歌ったことない。
・僕達はそうやって生きてきた
>いいこと言ってくれる奴いるね。ギター、セブンス。こういうのがロックバンドでずっと演奏してきて好きだった。70年代のフォークブームではとても受け入れなかった。セブンスのロックンロール。みんな歌詞に入っていないんだな。ステージから見ていて、バレバレよ。僕は、大好きで歌っているとひとりで最高な気分なんだけれど。
・パラレル 
>安井かずみの歌詞。(歌う) いいね。曲相がいい。
・僕達のラプソディー
>僕は曲を作らないで、武部聡志と吉田建に任せた。自分が曲を作ってないのでなんかいまいち。詞は気に入ってるんで、メロディを作り変えるかな。怒るかな
・季節の花
>また雨が降り、また風が吹き

 みんなのメール見ていると、せいぜいフォーライフまでなんだよ。現代の曲はいまひとつ入っていない。ガンバラナイけどいいでしょう、これは入ってる。ウィンブルドンの夢とか僕は大好きなんだけれど、ないな。最近の曲については薄いというみんなの心のありようがわかる。昔の曲でとまっている。70年代にしがみつくのは勘弁しろと言いたい。あまりにも昔をひきずりすぎる。

 曲には、イントロ、間奏、アウトロがあって、僕は、アウトロ=エンディングを弾いているという感じだ。なのにイントロを気にしているのは我慢できない。エンディングを大事にしたい。みなさんの印象がどうもフォーライフで止まっているようで、新しい曲を聴いていない。

・たえなる時に
 歌う) いい曲だな。AGAINというアルバムに入ってます。考えても良いかな。
・今夜も君をこの胸に  これ最後のギターを鳥山、渡辺、オレのトリプルのギターで弾きたいという希望が大きく膨らんでいる。
・淋しき街   <ベタですが、わけもなくここはTOKYO、横浜、名古屋という投書>
>それだとみんな笑わないかな
・清流
>父ちゃん思い出して「流星」もーみたいに、グッときて泣きそう。あなたの家族でいたことを誇りに思える今だから〜なんて歌ってて泣いてしまう。   

父ちゃんといえば、家に父ちゃんみたいな妻がいる。彼女のことを「おーい父ちゃん」と呼ぶ。理由は言えないけれど、僕も「ばあちゃん」と呼ばれる。

・歩こうね <闘病生活を経て支えになっているという投書> 
>しっとりした地味ではあるがいい曲だね。自分でいうけど。歌いたい歌ではあるんだ。

5位  アゲイン
>古館伊知郎が泣いたという

4位 人生を語らず
>堂本剛もカバーした

3位 ガンバラナイけどいいでしょう

2位 人生キャラバン
>憶えていないよこの曲

1位 家に帰ろう

 参考にするしないは私の勝手だ。思い通りにはならないでしょう。

■CM
 クリントイーストウッド監督はいい映画を作る。ツボを押さえている。「15時17分パリ行き」という映画を観た。本当の事件の当事者であめシロウトが演じている。俳優ではないんだけれど、これが上手い。2015年の列車無差別殺人テロを描いている。子どもの頃からの仲間三人が身体を張って阻止した実話という実話。三人は学校では、どちらかというとはみ出し者で、仲良しだった。オトナになって三人でヨーロッパの旅行に行くことになって、アムステルダム、いろいろ楽しいぞということでパリ行きの列車に乗り、そこで事件が起きる。
 大変な重症者も出たが、この件で彼らは勲章を貰う。撃たれた人も、実際にその事件で銃で撃たれた人が演じている。すげー臨場感がある。名も泣きヒーローが熱演する映画だった。
■エンディング
・一曲しか、かけなかったが、弾き語りもあったし、いいでしょうということで。よく喋ったな。
・「ら」出てこない「わ」「い」
吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆新年おめでとうございます。新春の竹田企画のご挨拶が妙に切実な感じだったので、心配したが、お元気そうで安心した。

☆化粧品なんてとは言っても、昔、ウェラのシャンプーの香りで、安井かずみのハートをゲットした吉田拓郎。

☆例えば、谷村新司とファンの間で「昴」を歌うかどうか、こうせつとファンの間で「神田川」を歌うかどうか、マイク真木とファンの間で「バラが咲いた」を歌うかどうか、こんな葛藤が起きているとはとても思えない。こういう葛藤をしているのは、吉田拓郎とたぶん沢田研二くらいだけではないか。なんかそれはそれで誇らしいぞ。Formulaに頼らないで、常に新しい道を探すからこその葛藤である。
 しかし「落陽」、「人生を語らず」を誰がカバーしようが、誰が待っていようが、サティスファクションもホテルカリフォルニアも関係なく、拓郎に歌う内的な必然があるなら存分に歌っておくんなさい。ちなみに桑田の落陽を聴いたけれど、1人紅白という催しは、超絶すんばらしいと思うけれど、落陽はとくに普通だったと思う。やっぱり魂の落陽は、拓郎あなたしか歌えまい。それを誰よりも熱く歓待できるオーディエンスも私たちファンより他におるまい。

☆80歳〜95歳で絶頂を迎えるという占い。なんだそりゃと聞き流していたけれど、こうしてあらためて考えるとなんという心強い占いだろうか。これが当たってくれれば、私の余生もたぶんバラ色だ。ああ、当たってくれ。

☆コンサートの曲募集が終わる。この何週間か、私は戦場にいるかのような気分であった(爆)。
 拓郎がコンサートの曲を募集するなんて、全く前代未聞のことだ。毎回コンサートのたびに演奏曲目に対して消費者国民生活センターに負けないくらいのクレームを投げかけ続けてきた私でも驚いた。

☆滅多にない格好の機会である。もちろん私は撃てるシュートはすべて撃った。しかし相手は吉田拓郎である。拓郎はそういうファンの切実な思いのつまったシュートを容赦なく撃破しまくった。自分でも、いいパスも少しはあったと思うが、殆どはブロックされるという憂き目を見た。「又逢おうぜあばよ」なんて、私は投票こそしなかったが、味方の絶好のシュートがハジキ返されたようで痛恨の極みだった。「季節の花」はどうなのよ。「人生キャラバン」思い出すつもりないだろ。くぅぅぅ。
 一方、拓郎は、何でこんな曲が・・・という思わぬ曲で反撃してきた。なんでこんなヘナチョコ球がと思うシュートが次々と決められ、私は天を仰いだ。
 というわけで、ここのところの番組は、毎週、絶望と希望が入り乱れるロストフ・アリーナと化した。
 拓郎は「あまりにも昔をひきずりすぎる。 参考にする、しないは私の勝手だ。思い通りにはならないでしょう。」という言葉を残し、私は私で「いちいちファンの希望を順位までつけて忖度してんじゃねぇよ」という理不尽な思いを吐き捨て(それじゃ本当のクレーマーだぞ@自分)試合は終了した。これでノーサイドである。ラグビーなのかよ。

☆ この試合を通じて吉田拓郎の今の音楽に対する考えとその嗜好がトテモよくわかった気がする。反対に拓郎もそうなのではないか。コンセンサスには達しなかったものの、この試合のおかげで、私もセットリストに過剰な幻想と期待を抱かずにライブに行ける自信がついた。例えば"朝陽がサン"で始まって"ヨールレイホー"で終わるセットリストがあったとしても、昔の自分だったら発狂していただろうが、今は、しかと受け止められる気がする。たぶん(爆)。

 こんな状況でも、なんで、あなたは歌うのか、そしておまえはなぜライブを観たいのか、こうしている今もなぜ死ぬほどライブが待ち遠しいのか、という透き通った結晶のような問いかけだけが残るのである。答えは明白だ。

☆今はエンディングを弾いていると拓郎は言った。このラジオも最終章であると言う。切ないことを言ってくれるなよと思う。しかし、占いによれば、80歳〜95歳で絶頂ということだ。
 それにちょうど10年前2009年に最後のコンサートツアーがあった。あのときは最後のツアーだとホンキで思った。というよりそれしか考えられない客観的状況でもあった。しかしあれから10年経って、こうして全8本ものコンサートツアーが私たちを待っているのだ。ああ生きていて生きてて良かったとこなごなの心の破片が泣いている。

 きっと拓郎がエンディングを弾き終わったら、次の曲のイントロが始まり、ラジオの最終章が終われば、第2部序章が始まるに違いない。そう胸に秘めて、いきまっしょい。

☆☆☆ 星紀行  今日の学び☆☆☆☆
  私たちは、日に日に高齢化し、あれこれ思いもすれ違うれど
   今も成長している 前代未聞の老いてなお成長に向う歌手とファンであると信じることにした

2019. 1. 6

[ワシらは崖メロ探検隊B]
[テーマ] ステラ (1999)
   作詞 松本明子 作曲 吉田拓郎 唄  松本明子

 浅田次郎原作のドラマ「プリズンホテル」の主題歌。武田鉄矢が主演だった。ということは武田鉄矢、もしかするとおまえ、イヤあなたが拓郎にオーダーしてくださったのですか。関係ないかな。

 この作品について簡潔に言えば一言で足りる。「完璧」。

 詞・曲・アレンジ・演奏・歌唱。すべて10点、10点、10点、10点、10点とすべてにおいてパーフェクトの旗をあげたい。
 時は1999年。LOVELOVE全盛時代である。同年アルバム「ハワイアン・ラプソディー」が発表された。しかしオリジナルアルバムにもかかわらず前代未聞、殆どの詞と曲を他人に任せたクレジットを見たとき、「才能枯渇」という不吉な文字が頭をよぎるところだった。しかし、ちょっと前にこの名曲「ステラ」を聴いていたので、これだけのすんばらしいメロディーが書けるなら大丈夫、単に曲を書くのがメンドクサかっただけなのだと安心していられた。

 ついつい軽んじてしまいそうになる松本明子。しかし彼女の詞は、プロの域である。ラッシュアワー、コンビニの帰り道、放課後の校庭の逆上がり、飾り気のない日常の風景に軸足を置いて、純粋な乙女心が描かれている。いや乙女心なんて差別かもしれない。老若男女だれもがしっかり共感してしまうような心根がそこにある。
 そして、そこに優しく、優しくあてがわれた吉田拓郎のメロディーが実に美しいんだよ。
 ♪眠れないこんな夜〜 この導入からして心くすぐられるようなメロディーだ。そして静かなれどドラマティックに展開してゆくメロディー構成が素晴らしい。Bメロからの展開が心に響く。

  何にも良い事ないねと
  見上げた星がまぶしい
  見えない明日を探した
  あの日は既に遠い
  欲張りになるほど 悲しいね
  幸せはいつでも微笑みかけてるのに
        ※
  これから何処へ行くのかまだわからないけれど
  退屈な毎日 あせらなくても
  取り戻せるいつかは あの頃の夢を
         ※
  いつか来る幸せ 見逃さないように
  輝き続けよう 夢を抱きしてめて

 詞も曲も互いに絶妙に拠りあっている。特に、この詞の純粋さをきちんとキャッチさせて輝かせている繊細でハートフルなメロディー。吉田拓郎はやっぱり天才だと私はこの一曲だけで確信する。一緒に小さな星空を見上げたような気分でうっかりするとおっさんもウルウルとくる。これは、90年代の「流星」である。もう勝手に認定する。そのくらい吉田拓郎の煌く音楽センスがここに結集しているといっても過言ではない。

 なのに、なぜだ。なぜ売れなかったのだ。なぜ、最近のラジオでの提供曲投票にすら登場しない。なにより、なぜ吉田拓郎本人までが無かったことのようにスルーしているのか。悲しいかなこの名曲は捨て置き状態で崖っぷちにいる。
 その理由がわからない。例えば
 @松本明子がバラドルだからか
  →それこそは無意識の偏見だ
 A吉田拓郎作品の居並ぶ名作詞家陣に松本隆と並んで松本明子が名を連ねるのが嫌だ、しかも50音順だと松本明子の方が先だし、という不満による松本隆からの圧力か
  →んなこと1ミリも考えないだろ、てか意味わかんないし
 B吉田建がアレンジしているからか
  →(略)

 いずれにしても松本明子がもう一度、渾身で歌うか、拓郎、あなたがカバーするしかない。
 この崖っぷちの片隅から「吉田拓郎の天才の仕事がココに落そうになっています」と世界に向って叫びたい。
 カラオケに入っていると必ず歌っていたが、あまりのキモさに周囲に迷惑なのでさすがにそういう普及活動は控えることにした。しかし、もし居合わせた居酒屋で「ステラって名曲ですよね」と声をかけてくださる人がいたら、必ずビール一杯をサービスさせていただきます。そのくらいの覚悟がある。どのくらいの覚悟かよくわかんないけど。崖から落っことしてなるものか。

2019. 1. 5

 ライブで何を聴きたいか番組にメールもしたが、結局何を歌うか、どんな風に歌うか、すべては御大の手中にあり、もはや待つしかない。それになんとなく予感がする。たぶん私が好きな曲、待っているような曲はやらない。何でここまで来てこんな〇〇な曲を歌うんだ、オーマイガーと天を仰ぎたくなるようなセットリストになる気がする。それが人生であり、吉田拓郎のライブというものだ。それも含めての妙味である。…と、ここまで覚悟してもまだ密かに期待してしまうスパイラル、ああ。

 ただ待っていても仕方がないので、ライブで絶対に唄われない、というか崖っぷちから落ちそうな提供曲たちを愛でながら待ちたい。

[ワシらは崖メロ探検隊A]
[テーマ] ひとりだち (1975)
    作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎 唄  白鳥哲


 ドラマ「寺内貫太郎一家2」の劇中歌。「時間ですよ」に始まる「水曜劇場」の天地真理、浅田美代子ら屋根の上のギター弾きアイドルの流れをくむ15歳の少年、白鳥哲が歌う。中学卒業後上京して石工の修行をしている少年として登場する。
 当時15歳ということで自分と同じ歳だったので印象が強い。つま恋75が特集されていた週刊明星の別のページに載っていた「白鳥哲ストーリー」を覚えている。芸能界入りに反対する母親を、おばあさんが説得し背中を押してくれ、ついに吉田拓郎作曲の歌でデビューが決まるという栄光のサクセスストーリーだった。
 寺貫ワールドの中では珍しくフランス系の美形だった。まず蒲田あたりにはこんな美少年は歩いていなかった。向田邦子さんのチョイスだったのだろうか。
 しかし、トテモ残念なことに歌はかなりヘタだった。あらららというボーカルに、♪押し花ひとつぅ〜ぅぅうという拓郎特有の節まわしのあたりで、聴くものをトホホの海に思い切り突き落としてくれる。というわけで松本隆・吉田拓郎というゴールデンコンビにもかかわらず残念な崖っぷち曲となった。
 というわけで、レコードも買ってないし、歌番組に出ていたわけでもないので、しっかり作品として聴き込んではいなかった。10年くらい前に「水曜劇場」のコンピレーションアルバムに収録されたのを機会にゆっくりと聴くことができたが、やはりトホホだった。しかし作品としてのクオリティはまた別の問題だ。

 10代の少年がひとり上京し、故郷の彼女を思いながら孤独な生活を送る。1975年の松本隆は、この白鳥哲「ひとりだち」の他、かまやつひろしの「水無し川」、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」などの詞を発表したが、どれも故郷からの旅立ち=上京がテーマになっている。
 「ひとりだち」は年端も行かない少年が、「木綿のハンカチーフ」は夢を追う青年が、「水無し川」で夢を食い詰めたやさぐれが、それぞれ大切な人を故郷に残して旅立つ。私は、これを1975年の松本隆の「上京シリーズ」と呼びたい。って森繁の社長シリーズか。
 「木綿のハンカチーフ」については、東京生まれの松本の都会の詞は地方の人にはウケないとディレクターに言われたことがキッカケになっているらしい。しかし、行きつ戻りつする微妙な心情を描くことにかけては、まさに松本隆の独壇場だと思う。
 この「ひとりだち」は無名であるが、これとても傑作である。上京して淋しくて故郷のあの娘のことを思う。「ああ戻りたいけど戻れない 生きてれば泣くこともたまにはあるさ」〜この若さが初々しい。「カセットテープに声吹き込んで一人二役さみしいね」〜旺文社のカセットLL英会話か。何だそりゃ。青臭く、だからたまない思春期の心情。
 「もう少しこの街で頑張るよ」→「気がつけば温かい人ばかり」→「もう僕はひとりだちできるはず」と少年がオトナになるステップが綴られる。
 たぶんフォーライフ設立、つま恋リハーサルと超忙しい時期に作られたであろうこの曲は、拓郎の思いつくままに身体からあふれたメロディーをえーいとそのまま曲にしている感じもする。そのテキトーさに天才の魂は宿る。
 上京の孤独をテーマにしているが、拓郎のメロディーは、テンポよく小気味よい。若さの躍動を感じる。「ああ、戻りたいけど戻れない」で盛り上がるメロディーが、最後の「もう僕はひとりだちできるはず」のところでは少年が自分の心にしっかりと言い聞かせている様なダメ押し感がしめくくられているところがまたイイ。

 大切なことは、10代の少年の孤独な旅立ちに寄り添う作品が松本隆吉田拓郎によって残されていたという事実だ。この曲が崖っぷちに消えてゆくというのは、やはり寂しい。それに個人的には、大好きな向田邦子ドラマと吉田拓郎の数少ない紐帯なのである。
 しかし、残って欲しいと思うのだが、申し訳ないが原曲のボーカルはヘナチョコなので、やはりここは崖メロ探検隊でいうところの「堂本案件」である。
 「堂本案件」とは、オリジナルの歌唱がイマイチの場合、あるいは復刻が難しい場合、KinkiKidsにカバーしてもらいたいという処理案の方針である。彼らの超絶アイドル性、オーラ、歌唱力、音楽力をもってすれば、かなりの楽曲の蘇生=崖っぷちからの救済が期待できるというものである。しかし、この隊で堂本案件とされても、KinkiKidsに対してなんのコネもパイプもないことにご注意いただきたい>あったりめぇだろ
 気がつくと堂本くんらもかなり歳がいってしまったので、もっと若手でもいい。だれかカバーしてはくれまいか。ちゃんとした歌唱で聴いてみたい一曲である。

 隊の主な「堂本案件」としては、ひとりだち、俺とおまえとあいつ、放課後、さよならロッキー、夜を横切る君には…などが挙げられている。

2019. 1. 4

[ワシらは崖メロ探検隊@」
[テーマ]  俺とおまえとあいつ(1993)

        作詞 田口俊 作曲 吉田拓郎 歌 片山誠史

   シングル「俺とおまえとあいつ/おやじが嫌いだった」
        アルバム「Back from the Music city」

 1993年、かまやつひろしプロデュースでデビューした片山 誠史という若手のカントリーシンガーへの提供曲だった。ビックコミックの連載「自分の事は棚に上げて」の欄外の拓郎ニュースで告知された。当時は、提供曲はかなり久しぶりだったのでレコード店に買いに走った。しかしヒットには至らず、作品自体が崖っぷちに向って静かに走り出した。崖メロの切ない宿命がここにある。

 作詞は当時ユーミンが絶賛していた気鋭の作詞家で、松任谷正隆コネクションの田口俊。詞、曲すべてにおいて、かまやつさんの差配が窺える。プロデューサーだからあたりまえか。

♪俺とおまえとあいつ いつも3人で放課後の海岸であてもなく話した

 男子二人女子一人の切ない青春ストーリーが綴られている。今だったら、福士蒼汰、山崎賢人、有村架純あたりでよくありそうな青春映画、おじさんたちの頃だと、中村雅俊、田中健、金沢碧、もっとおじさんだと浜田光夫、高橋英樹、吉永小百合だろうか。

勝気なおまえを可愛くないと 
いつでもからかった いつまでも笑ってた
好きだよと言い出せば壊れそうな日々

みんな遠い夢

踏みつけたカカト、色褪せたブルージーン
真っ白な地図に書き込んだ明日は別々と知らずに

いくつ目の夏に背中を押されて歩きだす
街を包んだざわめき潮騒に似ていた

あの頃の俺とおまえとあいつが 手のひらをかざして
太陽の中観ていた 陽炎の明日


 少し端折ったが、胸が少し疼くような詞世界が展開する。それをしみじみとしたミディアムテンポの拓郎のメロディーが優しくラッピングする。いい作品だ。
 少し難があるとすれば、ボーカルがヘナチョコなところだけだ。それが決定的なのかもしれないが。すまんな。まだ10代のデビュー作だもんね。確か後に幸拓のオールナイトニッポンゴールドのコーナーに応募かなんかしてきたことがあったはずだ。

 片山誠史本人の思い出によれば、レコーディングの時に届けられた吉田拓郎のデモテープのカセットには、拓郎の手書きによる「ガンバッテネ」という付箋が貼ってあったということだ。新人の若者へのささやかな心遣いがなんとも素敵な御大である。

 さて、事件なのは、その拓郎のデモテープが、2018年のラジオでナイトで公開されたことだ。まさかこの崖っぷちというか既に崖から落ちた感も強いこの作品のデモテープが公開されるとは思わなかった。

 さらに事件なのは、そうして喜んだのもつかの間、「Tからの贈り物」は当初18曲の収録が予定されていたのが、15曲に絞られて、この曲が落選の憂き目を見たことだ。オーマイガーっ!なんてことしやがる!と怒りかけたが…やめた。これはあくまでもTからの「贈り物」なのだ。たとえば、毎年お歳暮でいただく「亀屋万年堂 ナボナと森の詩ゴールデンセット18個入」が、ある年急に「15個入り」になった時、もし贈り主に何で3個減らしたんだよ!!と文句を言ったりすれば、間違いなく世間からは、アンタどんだけ卑しい人なんだ!!!!と非難されるはずである。どういう例なんだよ。

 それよりなにより一番の事件だったのは、なんとデモテープの詞が、完成版と全く違っていたことだ。愛と青春の旅立ちのような歌詞が、もとのデモテープでは次のような詞だったのだ。

 君の家の前で  壊れた車
 離れたくないよと 僕の心のよう
 灯り消えた窓  もう遅いから
 歩いて帰らなきゃ 海沿いカーブの道を
 どこまでも どこまでも
 こんな最後 blue so blue
 My heart  all blue こんな最後 blue  oh blue
 ヨレヨレの気持ち ヨレヨレのblue jeans
 ヨロヨロの僕の一歩はどこに どこに向かうんだろう

 遠く海を観れば  飛行機雲
 白い鳥 くぐって空の中に消える
 自由と孤独が胸に迫るよ
 歩いて行くんだぜ
 せめて砂浜には 足あとを残したくて
 こんな僕は blue so blue
 My heart all blue
 こんな僕は blue
 ヨレヨレの気持ち ヨレヨレのblue jeans
 ヨロヨロの僕の一歩はどこに
 ヨレヨレの気持ち ヨレヨレのblue jeans
 ヨロヨロの僕の一歩はどこに
 どこに向かうんだろう


 この原詞では、俺もおまえもあいつも出てこないのでたぶんタイトルも別のものだったはずだ。換骨奪胎ともいえるこの変更には、どういう事情があったのだろうか。
 普通に考えれば、田口俊がこの原詞を書いたが→地味・暗いな→御意。ならば思い切り青春ドラマに変更します、ということでリライトしたものと思われる。
 しかし、どうなんだろうか探検隊の隊員諸君。あまりにリライトの前後で詞の世界観が違いすぎはしないだろうか。
 もっと言うと、この原詩は、あのお方の手になる香りがしないだろうか。好きな女性の部屋の窓を外から切なく見つめるという"あいつの部屋には"的なプロット、「自由と孤独」「ヨレヨレのブルージーン」「歩いて行くんだぜ」という言葉遣い。なんとなく当時の御近所の鎌倉逗子を思わせる海。もちろんまったくの憶測である。わからない。でも、だから、公式音源にはしにくかったのかもしれない。

それは別にして、誰の詞であろうとも、御大のボーカルが哀愁を帯びるこのデモバージョンがひとつの作品として心にひっかかる。
ひたすら、ひとり傷心で深夜に延々と歩いて帰る帰り道。そんな経験が若い頃になかっただろうか。また、何度も試験に落ちたり、挫折したりして、ああ自分はどうなってしまうんだろうと、やけに青い空を眺めながらあちこちをあてもなく彷徨った経験はないだろうか。
その時の心象と重なって仕方がない。地味な詞だが、泣けて泣けて仕方がない。今でも深夜の帰り道に、♪ヨレヨレの心 ヨロヨロの僕の一歩はどこに どこに向かうんだろうと歌っていることがある。さすがにこの歳になるともはや彷徨とはいえず怪しい徘徊に近いが。

このデモテープはデモテープで貴重な独立した一作であると思うし、それがラジオとはいえ世に出たことに心の底から感謝したい。やっぱり15曲入りでも拓郎さんは音楽のホームラン王です。亀屋万年堂。なんて雑な結論なんだ。

[具申]
本曲とともにデモテープも救う必要あり。

2019. 1. 3

 〜星君は年末に愛の賛歌にハマってエディット・ピアフの映画を観たので正月は中止です。星君は泣いた〜
 その貫禄からかなりの年齢と思っていたが、享年は僅か47歳だったんだな。ラストの”後悔していない”の胸に刺さる迫力、歌声は本物のピアフのものらしい。
 これを観ると、どうしても拓郎がご推奨だった”エイミー”を思い出してしまう。こうやって、どうしようもなく命を削るようして輝くアーティストが、この世には繰り返し生まれるものなのかと思う。
 一緒にするのはあまりに雑かもしれないが、昨年たまたまご縁いただいて観た、エイミー・ワインハウス〜フレディ・マーキュリー〜エディット・ピアフ。みんな同じもので繋がっているような気がしてならない。

 “エイミー”を観直そうとしながら、家族に占領されたテレビで「下町ロケット」をつい観てしまう。そこはまたえらいカオスで、ピアフに続けて観るものではなかった。ドラマとしては、もう全力でどうかしている。またそれでも観てしまう。なんで稲刈り機がすれ違うのに手に汗握ってしまうのか。サンダーバードか。
 「味方以外は、全部敵で悪人」という身もフタもない世界。ただ個人的には、佃航平=吉田拓郎に置き換えると、私が日頃考えている紅白歌合戦、FNS歌謡祭などの音楽界は、まさにこんな感じであることに気が付いた。私は勝手に、吉田拓郎以外は殆どすべて敵ばかりと思っている(爆)。誰が誰とはさすがに書くのが憚られるが、富澤一誠までちゃんといる。おい。今年は、もうこういういイカレタ偏狭な考え方はやめなければと思うのだが治らない。
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2019. 1. 2

 岡本おさみや70年代の多くの歌に宿る「怨念」や「時代性」を忌避する拓郎の話は、とてもよくわかる気もするが、これらの歌で育ってきた身としては平然と受け入れるのもまた難しいもんだ。

 昨日から「Longtime no see」と「午前中に…」をローテで聴きながら、このアルバムは似ているとあらためて思った。
 どちらも極北を彷徨った果てに、”ああ迷妄晴れたり,スカっ晴れ”みたいなしみじみとした爽快さが共通している気がする。青くて清々しい風が吹いているようなアルバムだ。これはこれですんばらしい。

 ふと詩集BANKALAの小池真理子のあとがきを思い出す。

 誰かが酔っ払って「拓郎には思想性がなさすぎる」と、ムズカシイことを言い始めた。別の1人が、苦労して買って来た"剣菱“の冷やを紙コップでグイッと飲みほし、「バカヤロー」と静かに言った。「だからいいんじゃネェかよ」

 この時の具体的状況やシチュエーションとはまったく違うが、それでも根っこは同じようなことかなとも思う。

  「人間の”い”」、「はからずも”あ”」、「”F”の気持ち」。”い”と”あ”と”F”。これだけで作品にしちゃうんだから、時代性も思想のカケラもない。よく考えると、いや考えなくても、いろんな意味ですげーな。このポップな無敵感。極論すれば言葉や思想などではなく「音楽して音楽を語らしめよ」そういうことなのかもしれない。

 コンサート会場で迷いなく”Fの気持ち”でスタンディングして、「A♭B♭CC」のところで、西城秀樹のYMCAのようなフリつきで踊れる自由な軽やかさがあるか、それが今自分に問われている気がしてきた。>いや誰も問うていないし、この歌、演るって誰も言ってねーだろ

 それもこれも含めて大きなうねりなってゆく、私らはどこへ行き、どこへ連れてゆかれるのか、いよいよライブイヤーだよ。

2019. 1. 1

紅白のユーミン登場で号泣するaikoを観て心の底から思った。
このバンドのまま、あの人が現われたら、私はaikoの軽く500倍は泣ける自信があったのに。

いよいよ今年だ。待ってろ米津玄師、あいみょん、勲章貰った海の家バンドほかすべての吉田拓郎じゃないミュージシャンたち。5月には霊長類最高の魂のライブが降りてくる。
この世のすべての方々の平穏で健康な日常と、その中でもとりわけ吉田拓郎と自分も含めたすべてのファンに幸あれ。

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