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a day

2023. 5. 28

☆☆☆わけもなくリーさん☆☆☆
 あの外人バンドの髭のベーシストLeland SklarのYouTubeチャンネルで吉田拓郎のことを語っている回(1348 吉田拓郎)をVientoさんのVつぶで教えて貰った。ありがとうございます。
 リーさんは律儀に吉田拓郎のプロフィールと「Long time no see」のクレジットを英語で紹介している。…そうか。それにしても吉田拓郎は日本のジェイムス・テイラーなのか。よくわかんないけど、いいのかそれで。また日本でのツアーの思い出も語っている。俺の拙い英語力なので怪しいが、鎌田由美子さんはちっちゃくてキュートなのに大食漢で、ホットドッグ大食いコンテストに出したいし、ワディ・ワクテルは日本のホテルの初めてのシャワートイレで水浸しの惨事に遭ったらしい。彼らにも印象的で楽しいツアーだったことがわかり嬉しい。
 りーさんのセレクト
 @オー・ボーイ
 Aとんとご無沙汰
 B君のスピードで
 C淋しき街
 これらを聴き入るリーさん。目を閉じて、しみじみと揺れている。魂に響いているその聴きざまが素敵すぎる。涙ぐむ。ああ、こんなふうにしみいるように拓郎の音楽を聴きたいものだ。言葉と文化を超えて、なんか通じた、音楽で通じたぞ〜と思える。

2023. 5. 26

☆☆☆ネットを開けたらいつもの笑顔☆☆☆
 久々の吉田拓郎の近影は嬉しい。お元気そうな笑顔を眺めながらあれこれとひとり想えば時は行く。
 吉田拓郎のリタイアで俺の心にあいた穴は深くマントルまで到達しそうだ。しかしその反面で、最近はしみじみとした「自由」も感じるようになってきた。例えばユーミンのツアー開始のニュースで武部が変テコな衣装でプレイしていても,もう心は揺れない。俺はもう虎の穴の覆面ワールドリーグ戦(>知らねぇよ)にひとり挑むようなチケット争奪の戦いに身を削らなくてもいい。アレを歌ってくれよと悶絶したり、残念な選曲に居酒屋で荒らくれたりすることもない。新曲が微妙だった時に夜空を仰いで祈るようなあの気持ちも不要だ。何より忖度なくこんな無礼な好き勝手を言っても、ラジオやブログやライナーノーツで怒られたりすることもない。ああ自由をこの身で感じたい。
 そして当たり前だが吉田拓郎は亡くなってしまったのではなく、何よりあの写真のとおり、清々しく元気で生きておられることがあらためてわかる。だから追悼、追慕のような悲しい故人美化モードに縛られることもない。僕らは今も自由のままだ。

 それにもし拓郎が今も現役だったら、あんなふうに長渕の曲をしみじみ聴き直したり、THE ALFEEのペンライトが楽しかったりもしなかったろう。自由な気分で聴き直すときっと拓郎の聴き慣れた曲たちもまた違った様相と輝きを教えてくれそうだ。そう自由の風に酔え、すべてを解き放て。

 もちろんファンはどこまでもファンのままだが、個人的に昨日までのつづきではなく、まったく異質のファンとしての第二章が始まっているのではないかと思う。もう皇帝のいない第二章である。どう過ごすのかはわからない。前例のない道を行くアーティストの場合そのファンにもまた前例がないのだ。
 …「思えば第二章はまだ序章に過ぎなかった」とあとからほのぼの思うような、やがて僕達は不思議な夢を思い出すに日に向かってすすむのだ…ってこの歌を思い出した↓。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「渚にて」(作詞/作曲:吉田拓郎 「detente」所収)
 この地味な歌もなんか妙に象徴的で心に響いてくるよ。それとこのとても丁寧なイントロが好きだな。

 渚にて  

 波がひいて行く 別れの時だ
 君は今日から きれいになれる
 短い夢を 急いだけれど
 このまま居ては 沈んでしまう

 偶然なのに 淋しいからと
 若い命を燃やした事が
 互いの道を せつなく しばる
 本当の事が 言えなくなった

 恋人達は どこへ行くんだろう
 3年前なら僕等も同じ
 男と女が 友達ならば
 愛し合うより 道徳的だね

 二人で歩く事は もうないから
 今 自分の足音は
 早過ぎはしない 遅過ぎはしない
 ふり返る 道もない

 僕のあやまちは 一人のひとに
 ひとつの愛を つらぬけぬ事
 君の悲しみは 愛があふれて
 とまどう男を 読みとれぬ事

 嘘をつくたび 言葉が消える
 許し合うから 心は痛む
 罪と知りつつ 抱きしめ合った
 傷つく夜が またひとつ増える

 二人で歩く事は もうないから
 今 自分の足音は
 早過ぎはしない 遅過ぎはしない
 ふり返る 道もない

 波がよせてくる 別れの時だ
 君は今日から 悩ましくなる
 やがて僕たちは 不思議な夢を
 思い出す日に 向かって進む

……んー魂だ

2023. 5. 25

☆☆☆推し帝劇にあらわる☆☆☆
 堂本光一くんの「Endless SHOCK」をご夫妻で観に行かれたという目撃情報が届いた。拓郎さんはどこから観ても拓郎さんで、背が高くシュッとしていたそうだ。これだけで私の胸は十分すぎるほどに震える。…そのニュースを聴いた時の私↓
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               (水島新司「ドカベン」第31巻・少年チャンピオンコミックス 秋田書店刊より引用)

2023. 5. 20

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☆☆☆東京ドームなう☆☆☆
 久々の野球観戦だあ。岡本以外の選手は殆ど知らないし、ドレッドヘアーの選手がいることに驚き、千円札振ってビールのおねーちゃん呼んだら現金が一切使えなくて恥かいたし、もう浦島太郎状態だ。ここで一首。
【心の俳句】

  試合より想うは彼(か)の事ばかりなり

【解題】
 ああ東京ドームは吉田拓郎がコンサートをしないときは野球場として使っているのだなぁという感慨を歌ったものである。>野球に失礼だろ

2023. 5. 19

☆☆☆カンゲキ☆☆☆
 「うたコン」の西城秀樹特集で、ゲストのTHE ALFEEを観ながら思い出していた。思い出したけど口にするとまた言っていることがうるせぇよと思われるので黙っていた(爆)。
 昔、アルフィーの三人が拓郎の横浜の家に遊びに行った時、拓郎が自慢げに「これから西城秀樹に作った曲(デモテープ)を聴かせてやる」といって自宅スタジオに連れていかれて機械をいじりだしたら…あれ音が出ない…というエピを思い出していた。いわずとしれた「聖少女/夕陽よ俺を照らせ」である。デモテープ、めっちゃ聴きてぇ。「聖少女」…これはなかなかイケていたのではないかと思う。メロディ、テンポ、カッコ良さどれも秀逸だ。なんといっても真骨頂は、詞では「Say it 少女」なのだが、メロディーと溶け合うと♪セイエイエイエイ少女…となるこの部分である。ああリンゴとハチミツとろーり溶けてる。「やさしい悪魔」の♪やがてひとつのォウオウオウオウくらい天才だと思う。なんともいえない心地良さを感じる。そこがひときわ輝いてみえるから拓郎ファンなのだ。
 この「聖少女」は身の程を省みず当時、大学生のころのカラオケの俺の持ち歌だった。よく恥ずかしげもなく他人様の前で歌ったものだ。でも俺にも若いころはあったのだ。爺になった今では「女神が微笑む時」のゆったりテンポがしみじみとあっている。いいじゃないか、きっと女神は微笑む。

2023. 5. 16

☆☆☆女神が微笑む時☆☆☆
 NHKの「うたコン」の観覧に行ってきた。5月16日は西城秀樹の命日だそうだ。前説でいきなり「YMCA」を練習させられて、もちろん俺は思いきり踊った。ああ、夕陽よ俺を照らせ。次に「THE ALFEE」が登場すると、会場に散在していたファンの方々が思いきりファン専用のペンライトを振り始めた。すげえ。俺も彼女らの振りをまねてNHKから支給されたペンライトを振った。いやあ、楽しかったんである。THE ALFEE…いいじゃないか。こんな高揚感は久しくなかった。ALFEEとそのファンが心底羨ましくて俺もライブに行ってみたいと思った。こんな俺を嗤えるのは、これから再び歌い始めた時の吉田拓郎だけだ。
 高揚した気分で原宿駅前の「さくら水産」に行くと、折しも代々木体育館のももいろクローバーZのライブがはねたあとのファンたちでいっぱいだった。このろくでなし感満載の盛り上がり。かつて俺達拓郎ファンとともにあった熱気だ。イイ。推しってイイ。たぶんいい。その熱気を孕んだ飲み会がたまらなく眩しく見えた。

 かくして推し去りし後、死んだも同じの今になり、俺ははからずも長渕剛や浜田省吾やALFEEや篠原ともえらに救ってもらった気がする…こんな感じで(写真はイメージです>あったりめぇだろ)。
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2023. 5. 15

☆☆☆どうでもいいっていえばいいのだが☆☆☆
 WOWOWは3月で退会しちまったぜ。もともと2014年のライブのために加入したが、もはや推し去りし後に用はない。それでU-NEXTに加入して小津安二郎三昧の日々を送っていたところだ。それに6月の特集放送は、もちろんソフトは全部持っていて繰り返し観たものだ。だから別にいいやと思うがどこか後ろ髪ひかれるものがある。頭が小津映画になっているので俳優たちが勝手に脳内で会議を始める。

 杉村春子「ちょいと兄さん、全部持ってるのにわざわざまた金払って観るなんて、どうかしているよ。およしよ。」
 有馬稲子「そうやって叔母様みたいに損得のそろばんばかりはじいているのってナンセンスだわ。拓郎さんが観たけりゃ観るしかないわ。」
 佐分利信「そうはいってもこないだ辞めたものを、失敬、また入ります…というのは何ともバツが悪いものだ。」
 中村伸郎「そうだよ、ボクなんか細君に何と言われるか。」
 加東大介「こういうときは未公開映像とか、せめて別アングルとかなんとかちょいとした工夫が欲しいわなぁ」
 原節子「ごめんなさい…あの私、思うんですの。観たことがあるかないかじゃなく、この星空のずっと上の衛星から拓郎さんの歌う姿が送られてくるのかと思うと(涙)…私、そのときそこにいてしっかり受け止めて差し上げたい、それだけで幸せだと思いますの。」
 笠智衆「…そうじゃなぁ。ほんに節子さんの言う通りじゃなあ。わざわざ拓郎さんを届けてくれる衛星が気の毒でならん。」
 杉村春子「また兄さんたら。衛星のことなんか知りもしないで。だいたい兄さんが衛星のことどんなに思おうが、衛星の方は兄さんのことこれっぽちも思っちゃいませんからね。」
 
……ということで悩んでいるのだ。

2023. 5. 12

☆☆☆ドライブ・マイ・カー☆☆☆
 長渕剛の「JEEP」を聴いていたら「車を降りた瞬間から」が聴きたくなった。まるで武部聡志が車窓から楽譜を投げ捨てるように(爆)、悲喜こもごも思い出を惜しげもなくふり捨てながら走る吉田拓郎が浮かぶ。そうなると浜田省吾の「夏の終わり」も久々に聴きたい。なんか免許を返納する前に、もう一度だけ車を運転してみたくなってきた。疎んじていた長渕が今さら心にしみたりするのは、推し去りし今、長渕とそのファンが羨ましいんだろう。推しが去った後は、てんではっぴいになれないんだよ。 映画「ドライブ・マイ・カー」の「僕は正しく傷つくべきだった。本当をやり過ごしてしまった。見ないふりを続けた」という西島班長のセリフが胸にしむ。

 拓郎も一時期JEEPに乗ってたよね。JEEPといえば、かまやつひろしさんも愛乗していたらしい。昔「ミエと良子のおしゃべり泥棒」にムッシュがゲスト出演した時に「荒れた道をジープでガタガタしながら飛ばすのが楽しい…」みたいな発言のあとで、森山良子が小さな声で「…ズレちゃったりして…」と呟いたのが忘れられへん。  

2023. 5. 11

☆☆☆本当の距離☆☆☆
 「JEEP」は良い曲だなぁ。長渕は珍しく情念をあまり表に出さずに、淡々と景色を描写してゆくその行間ですべてを表現する。少し投げやりな歌いっぷりがまた絶妙に素晴らしい。

 ところで、いつも思う。拓郎ファンである俺の陥りやすい悪弊というか勘違い。つい吉田拓郎本人のスタンスですべてを捉えてしまうところがある。長渕剛、浜田省吾をまるで自分がお世話した後輩のような感覚で観てしまう。あの桑田佳祐を「オー桑田君、相変わらず頑張ってるな〜」という気分で観ていたりする。坂崎幸之助なんかは殆どダチみたいな感覚でいる。松山千春よ「拓郎」じゃない「拓郎さん」と言え…んな勘違いは俺だけだな。いずれも俺なんぞは影をも踏めない超絶なスーパースターであることは言うまでもない。この身の程知らずの倒錯した距離感は心の底から戒めなくてはならないと思う。
 それは何よりたぶん吉田拓郎ご本人にしてからが、彼ら後輩に対してそんな尊大な距離感では生きていないと思われるからだ。そこだ。そこなんだよ。吉田拓郎の他者への畏れある距離感こそ学ばなくてはならない…と俺は思うのだがぁぁあぁぁ。

2023. 5. 10

☆☆☆拓郎ではない歌手☆☆☆
 このサイトのポリシーは簡単だ。この世界には「吉田拓郎」と「その他の歌手」の2種類の歌手しか存在しない。…偏愛を超えて,そもそも人としてどうかと自分でも思う。そんな人としてどうなのかな拓バカと二人で新しい行きつけの居酒屋で飲む。
 二人とも長渕剛は苦手なのだが、相方は先日NHKラジオで9時間にわたる「長渕剛」三昧を聴いてしまったという。僕はと言えば、篠島もあり、長渕剛は遠いようで近く、近いようで遠く、やっぱり遠くでいいやと思ってきた。この心情は、むかし子どもの頃遊んでくれた近所の優しい兄ちゃんが、しばらく見ないうちにイカツイ極〇になって現れた時の気分に近い(爆)。なので触らぬ神に祟りなし。すまんな。

 そんな門外漢二人でベスト50曲のランキングを眺め、放送内容をリフレインしていると意外にも妙にしみじみとした気分になっていった。俺たちを基準にしても何の意味もないが、そういえば大好きだった曲を見つけるたびに胸が疼いた。そしてそういう俺らでも知っているような有名スタンダード曲よりも上位には、俺らが知らない曲も多かった。それは長渕も長渕のファンもたぶん過去と苦闘しながらも新しい歌の旅を続けてきたことの証のように思えた。その知らない曲をその場でスマホで検索すると心に響く曲が結構あった。かつてのNHK出禁事件の顛末のくだりも、そりゃあ、あまりに長渕が気の毒だよな…となんか知らんが意気投合してしまった。
  
 ということでspotifyで「JEEP」と「素顔」と「何の矛盾もない」を聴きながらひとり夜道を帰った。長渕や長渕的なものを疎んじてきたことに後悔はないが、なんだろうか、寛解してゆくような,それでいてちょっと切ないこの気持ちは。気が付くと僕はいま何をしてるんだろう、夜空を見上げると、多くの夢が、星になり風になり踊って見える…最後はやっぱり拓郎か。ああ、なんかはかないぜ。

2023. 5. 8

☆☆☆色褪せなかったのは4人の若者だけ☆☆☆
 サイトでお世話になっているNinjin design officeの画伯から「ずうとるび」が再結成したことを教えてもらった。同時に1975年〜6年のアイドル雑誌「近代映画」のファン投票で「ずうとるび」は西城秀樹、郷ひろみ、沢田研二らをおさえて、女子部門の山口百恵、桜田淳子と並んで第一位に輝いている資料を見せていただいた。俺と同じ年齢の画伯から「当時、ずうとるびは新御三家を凌ぐ人気があったのだろうか?」という真摯な問いかけをいただいた。うん確かに「ベイシティローラーズ」は流行していたよな。そのころ俺は蒲田の日本電子工学院で収録していた「学校・そば屋・テレビ局」は観ていた記憶があるが、75年といえばフォーライフにつま恋にと拓郎ファンにとっては吉田拓郎しか見えないめくるめく日々だったため、そのあたりの記憶がない。
 2020年、もともと4人組だったずうとるびは再結成して5人組になっていた。山田隆夫が脱退して交代した池田喜彦メンバー(すまん知らなかった)も一緒に再結成に参加しているためだ。2013年のローリングストーンズの公演で、ロン・ウッドとミック・テイラーが一緒のステージに立っているみたいな贅沢さだ>ホントにそう思っているか? いや、それでも「ずうとるび」と聞くだけでどこか心はみかん色になってくるんじゃよ。それも自由だとずうとるびは教えてくれた。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「ビートルズが教えてくれた」(歌:LISA 作詞/作曲:吉田拓郎「吉田拓郎トリビュート〜結婚しようよ」所収)
 LISAのこのカバーはすげえ魅力的だ。LISAといってもたぶん若者に今人気のLiSAとは違うらしいが、もう爺ちゃんにはLISAもLiSAも、な〜んもわがんね。とにかくピアノでの清冽な弾き語りの「ビートルズが教えてくれた」がたまらない。

2023. 5. 7

☆☆☆思い出になんかしないよ☆☆☆
 ウチの方は久々の雨だ。車の中でバラバラという雨音の中、遠くでかすかなクラクションが聴こえると♪た,え,こ,MY LOVEと歌い出したくなりませんか?>ならねぇよ。…そうですか。私は歌いたくて仕方なくなります。
 そういえばステージで「たえこ MY LOVE」を聴いたのは1981年の体育館ツアーが最後だったっけ?と考えていたら、そうだ1999年の20世紀打ち上げパーティーのメドレーでフルサイズではないものの結構ちゃんと歌っていたことを思い出した。2021年からの最後のオールナイトニッポンで、「もうこの歌は歌えないだろうな」と弱気な様子を見せた拓郎だったが、果たしてそうだろうか。試してみてもいいじゃないか,はさらばのB面。恥ずかしかったら、俺の前でそっと歌ってみなよ>知り合いかよ
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「たえこMY LOVE」(作詞/作曲:吉田拓郎 「セイ!ヤングでオンエアした1979篠島バージョン」) 
 出だしを2回間違えるところは伝説級の面白さだ。しかし、この時の最後のボーカルの岩石落とし=「のぉぉぉ〜なぁぁぁ〜ないやぁぁぁぁ〜おおぉぉぉぉぉ 」という絶唱の終わり方にも度肝を抜かれた。魂だ。最初だけでなく、最後もいろいろ凄い1979の「たえこMYLOVE」である。ココ大事。

2023. 5. 6

☆☆☆♪あなたに逢いたい、あなたの声が聴きたい☆☆☆
 石川県、能登半島の地震、知り合いは無事でしたが、被害はかなり大きかったようで御見舞申し上げます。いちはやく収束しますように祈るしかない。こんなときにいつも短くも心のこもった言葉を送る御大であった。表白しないだけで、今も変わらずおられることと思う。あなたもどうしておいでだろうか。

☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「ここに幸あり」(歌:大津美子/作詞:高橋掬太郎/作曲:飯田三郎 ) 
 先日、同窓会の手伝いでつきあわされた飲み会で、私よりさらに爺な大先輩が歌うのを聴いて胸に響いた。ああ、これは拓郎推しの歌ではないかと。「女」を「推し」に変えたらぴったりだ。

 嵐も吹けば 雨も降る
 推しの道よ なぜ険し
 君を頼りに 私は生きる
 ここに幸あり 青い空

 命の限り呼びかける
 こだまの果てに 待つは誰
 君によりそい 明るくあおぐ
 ここに幸あり  白い雲

…いいじゃないか,いいじゃないかはさらばのB面。とにかくこの困難で理不尽な世の中、この歌を胸に推し無き日々を元気にまいりましょう>おまえひとりでいけよ

2023. 5. 5

☆☆☆私はありふれた恥ずかしい人間だから☆☆☆
 …気になることを話してみます。いつも考えるのだが「女たちときたら("FromT"のデモテープ所収)」と「東京の長く暑い夜(1990年男達の詩ツアーでのみ演奏)」との先後関係はどうなのだろうか。どっちもほぼおんなじ詞で、結局どっちもアウトテイクとなってしまっている。なのでどっちが先でも大きな違いはないので、まぁどっちでもいいかといつも考えるのをやめてしまう。
 どちらも1990年の夏が舞台だ。イラクがクウェートに侵攻したのは、90年8月2日だ、…なんて日に戦争しやがる。絶望的な世紀末のような悲しみに、拓郎は「東京の長く暑い夜」で苛立ちをぶちまけるようにステージでシャウトする。そしてツアーが終わって、たぶん「detente」の曲作りに向けて、かの歌を少しクールダウンして日常の景色に落とし込んで音楽的にまとめてみたのが「女たちときたら」になったものか。
 逆にあの夏と自分の暮しを最初に「女たちときたら」でデモテープにまとめたが、こりゃあ、なんかアウトテイクだなと判断して、ぶち壊すように換骨奪胎で弾き語りでシャウトしたのか。それにしてもこのデモテープのアレンジは秀逸だしな…
 というわけでどんなに考えたところで本人しかわからないし、どっちでもいいじゃねぇかというご意見こそごもっともだ。しかし、どっちでもいいじゃねぇかなこと、ここに幸あり白い雲。知らねぇよ。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「東京の長く暑い夜」(作詞/作曲:吉田拓郎 ) メインロードには乗せなくとも、どこかでこういう魂の唄が聴けるような環境はできないものか、なんかとならないか。♪東京の長く暑い夜は 私に消えちまえと言うのでしょうか〜このフレーズがあまりに魂すぎる。

2023. 5. 4

☆☆☆箱根の山は天下の剣☆☆☆
 ♪箱根に行きたいと思っているよ、心が洗えれば幸せだから(「女たちときたら」)…ということで箱根に行ってみたが、連休の激込みでそそくさと退散してきた。芦ノ湖でボートも漕がず、大涌谷の黒いゆで卵も食べず、温泉も入らず…ロープウェイは最初から乗るつもりなく撤収した。あ、断じて高所恐怖症なのではなく、子どもの頃「ウルトラQ」(第2話「ゴローと五郎」)の冒頭で、ロープウェイに乗ってると、巨大猿のゴローがロープにぶら下がって近づいてくるというすげー怖いシーンがあってトラウマになっていまだに怖いのだ。>高所恐怖よりそっちが恥ずかしいだろ(爆)
 とにかく、どこもかしこも75年8月2日の多目的広場状態である…参加していないけど。よほどのこと=吉田拓郎が歌うのでもない限りもう人混みはなるべく避けたい。よほどの吉田はあるのだろうか。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「Baby」(作詞:松本隆/作曲:吉田拓郎 「ローリング30」所収) やはり箱根といえばロックウェルスタジオだ。聖なる場所に祝福を。最近好きなのが「Baby」。まるで映画を観ているような叙景とPOPなサウンドに気分が弾む佳曲だ。昔は埋め草のようなテキトーな曲だと思っていたが、すまん。すまんといってもそもそも松本隆にしてからが「ローリング30」の殆どが捨て曲だと言っていた(ミュージックマガジン2015年7月号インタビュー)。当時の音楽雑誌のレビューでも一枚のアルバムに取捨選択しろと批判されたりして、当時はそうかもなと思ったりもした。しかしどうだ、今となっては、このアルバムに捨て曲が一曲もありゃあせん。どれを削っても成り立たないとさえ思う。ロックウェルの魔術は永遠なのだ。

2023. 5. 3

☆☆☆何十回目かの記念日☆☆☆
 「これは、どれだけ圧倒的な多数決でも絶対に奪えない個人の自由のセットリストみたいなものだ」だからこそ「少数者のための最後の防波堤なんだ」と熱弁していた恩師の授業を思い出す日。
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…もっと真面目に聴いておきゃよかった。多数派の政治家には鬱陶しく邪魔なものであることは当然だ。だから彼らの喧伝する改正の機運や大義など知ったことか。ささやかな個人の生命、自由及び幸福追求と並んだ平和があればこそ、それがすべてだ。
 …ということで若者よ、世界の果てで愛する人のために自転車をこげ! どこまでもひたすらにこぐべし!、こぐべし!。いみふ。
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☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「Life」(作詞/作曲:吉田拓郎 「FOREVER YOUNG」所収) 
 しくみがあるから生きるわけじゃない
 勝手なルールを押し付けないでくれ
 こちらを向けと言われて背いても
 人が人として 息づいているんだ
くぅぅぅ、何度聴いても名作ばい。拓郎さんご本人の意図はわからないけど、自分の思い込みとしては、どこまでも個人の尊厳を体現した歌に聴こえ、ひたすら胸にしみる空のかがやき。先生の授業はあまり真面目に聴かなかったけれど、大切なことはすべて吉田拓郎から教わってきたのだ。

2023. 5. 2

☆☆☆女優系☆☆☆
 ということで俺一人で盛り上がっていた小津安二郎映画祭も昨日の「浮草」をもってほぼ終了した。「東京暮色」の陰のある有馬稲子も実に素敵だったが、この映画では若尾文子が素晴らしい。もうオーラが違う。
 仔細あって旅芸人一座の先輩である京マチ子から、真面目でカタブツな好青年の川口浩のことを誘惑しろと命じられて、ホントはそんなことしたくない若尾文子がしぶしぶ彼に接触する。もう川口浩がイチコロだ。たぶん観ている男性もみんな川口浩だ。まるでアマゾンの秘境でアナコンダに呑み込まれてしまう探検隊の隊長のようである。
 ということで吉田拓郎がなぜ若尾文子に惹かれたかがわかる気がする一作だった。共演できたときの拓郎の喜びはいかばかりか。…なのに怒らせちゃったんだよね(涙)
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「おはよう」(作詞/作曲:吉田拓郎 「今はまだ人生を語らず」所収) いいねぇ、爽快。
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2023. 5. 1

☆☆☆ウェルカムの心意気☆☆☆
 小津映画に出てくる言葉遣いで次に気になったのが「おいで」だ。笠智衆が娘や家族に朴訥だがやさしい口調で言う「こちらにおいで」「お父さんのところにおいで」。これは別に今でも一般的に使われる言葉だけど、ちょっとアレって思ったのは、笠智衆の職場に杉村春子演ずる妹が不意に訪ねてくるシーン。「兄さん,こんちは」、兄さんは笑顔で「あ〜、おいで」…この「おいで」はcome onではなくwelcome=歓待の意味になっている。「おいでやす」に近いのか。そもそも言葉というより笠智衆の言い方の温かみも大きい。
 ということで、ここまで書くとこの爺めが何の歌を聴きたくなってくるかがおわかりでしょう。そうだ。「おいでよ」(作詞/作曲:吉田拓郎/編曲:鈴木茂 「大いなる人」所収)。77年秋、毎日のようにラジオ番組にこの当時のニューアルバムのプロモーションに出演していた拓郎はこのアルバムで一番好きな曲だと宣っておられた。…正直、高校生の俺はそれほどの曲か?と当時は思った。
 当時拓郎は、かまやつひろしのレギュラーラジオ番組にも出演したが、ムッシュが「この『おいでよ』って拓郎の口癖だよね。『ムッシュ〜、これやってるから、おいでよ』ってよく言うよね」と話していたことを思い出した。笠智衆のしみじみとした歓待、吉田拓郎のウェルカムな思い、それをちゃんとわかっているムッシュ…ということで、たったいま、この曲はそれほどの曲に昇格(爆)>怒られるぞ
☆☆☆ソウルメイトな曲☆☆☆
「おいでよ」(作詞/作曲:吉田拓郎/編曲:鈴木茂 「COMPLETE TAKURO TOUR 1979」所収)
 Uramadoにも書いたが、"帰ればもとままさ 時計もあの時のまま"のあとの中華なメロディーで気が散ってしまうので、今日はTOUR79のライブバージョンを聴く…が,同じじゃん!…"すいません、サンラータンメンと春巻きお願いします!"と叫びたくなる。とはいえTOUR79には拓郎の「おいでよ」の肉声紹介が入っているところがおトクです。
"僕の部屋には小さいけれど 君が旅立つ何かがあるよ"…御意。

2023. 4. 30

☆☆☆ちょいとしたマイブーム☆☆☆
 ジャケ買いした「東京暮色」以来、小津安二郎の映画に超ハマりして10本くらいたてつづけに一気に観てしまった。ゆったりとしたセリフとその間あい、美しい構図、土間、縁側からの画角、そして昭和の街…ああ蒲田に多摩川に五反田だ、この雑司ヶ谷の坂は知っている…今さら俺ごときが言うまでもなく、いろいろ素晴らしい小津映画の世界。しかし人を見れば、君はいくつだ、嫁にはいかんのか、男なら身を固めて、申し分のない家柄…などなど70%くらいがセクハラと差別で出来上がっている気がする(爆)。武田鉄矢ではないが確かに昭和は輝いていたけれど、ひどいこともいっぱいあったもんだ。だからこそ笠智衆の孤独がいっそう胸にしみる。
 
 映画の中で、気になった言葉がいくつかあった。拓郎はかつてラジオで古い日本映画の「細君」という言い方に反応していたことがあった。そのひとつは「ちょいと」だ。映画のセリフに実によく出てくる。老若男女問わず、セレブたると否とを問わず、公式の場であっても、みなさん「ちょいと待って」「ちょいと考えさせて」「ちょいと時間が」「ちょいとさ」…当時はかなり広く深く浸透していたことが窺えて面白い。今は死後ではないもののあまり使わない。あの頃の人々は「ちょいと」の間合いにその時の気持ちをこめて暮らしていたのかもしれない。そして、あのお方の歌にはそこそこ登場する。ちょいと思いつくだけで…「吉田拓郎"ちょいと"ベスト3」

   第3位 ちょいと地球へ遊びにやってきた(たくろうチャン)
       遠い星から地球にちょいとだけ(together)

   第2位 気取って見せよう、ちょいとした気分さ(悲しい気持ちで)

   第1位 オイラお先にちょいとゴメン、オイラとにかくちょいとゴメン(この指とまれ)
 
 >「ちょいと」ベスト3に何か意味があるのか…ねぇよ。あっても、なくてもやるんだよっ(怒)     
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「悲しい気持ちで」(作詞/作曲:吉田拓郎/編曲:鈴木茂 「大いなる人」所収)
  地味ながら、いい歌です。幸福と不幸の紙一重の谷間。何を探してる魔法の杖かい? 足元の石ころでも拾え。結構元気づけられたものです。鈴木茂のアレンジの品格が素晴らしい逸作でもある。

2023. 4. 29

☆☆☆ゆうづうのきかぬ自由に乾杯☆☆☆
 拓郎の泉谷への手紙をどう思うかは個人の自由だ。しかしそこから音叉が共振するように「泉谷しげるの見た吉田拓郎」があちこちで浮かび上がってくる。それらは俺にはとても大切で必要なものなのだ。泉谷から見える吉田拓郎は、笑いの中にも、どうしようもない切なさとやさしさが満ちている。そんな泉谷の貴重なつぶやきを教えてくださった同志の方ありがとうございました。…なんとなく思い出すのが何回も引用したあの一節だ。

「ほんものを見る、ってのもな、むろん大切なことだよ」泣き男はつづけた。「でも、それ以上に大切なのは、それがほんものの星かどうかより、たった今誰かが自分のとなりにいて、自分とおなじものを見て喜んでいると、こころから信じられることだ、そんな相手が、この世にいてくれるってことだよ」(いしいしんじ 「プラネタリウムのふたご」より)

 それにしてもわかったようでわからない…と言いつつ、わかりかけたような気がしたけれど、やっぱり永遠にわからないのが吉田拓郎だ。だからファンはやめられないし終わらない。終わりようがないのだ。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「街を片手に散歩する」(作詞/作曲:泉谷しげる 「クリスマス」所収) 作品もいいけれど、それにこたえるようなボーカルが実に素晴らしいっす。これが共振ってやつっす。

2023. 4. 28

☆☆☆ホームにて☆☆☆
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 中野駅のホームからサンプラザと並んだ中野区役所の垂れ幕を眺める。区役所もエールを贈っている。
 「最後の中野サンプラザはじまる」
 「さよならNAKANO SUNPLAZA」
 ああ、いよいよ終わってゆくのか。ありがとう中野サンプラザ。
 その下にある「憲法を生かそう くらしに まちに」…このエールも一緒に胸にしみる。そうだ、先生諸兄含めたすべての公務員の仕事は渾身で尊重し擁護することであって、改正に血道をあげることではない。なんだかんだで、ひとり胸が熱くなり、ああこのまま駅を降りて「第二力酒蔵」で昼呑みしたいと思った。聖なる場所に祝福を。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「望みを捨てろ」(作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎 「よしだたくろうLive'73」所収)
 さよならNAKANO SUNPLAZA、この最高のシャウトと最高のサウンドを残してくれた聖地よ。

2023. 4. 26

☆☆☆あなたと私は子どものように☆☆☆
 拓郎の「好きだよ」で終わる手紙を読み上げられると、泉谷は一瞬の間のあと「…よく喧嘩したなぁ」とつぶやいた。そのしみじみとした感じがまた胸をうった。俺もしみじみと思う。
「吉田拓郎と泉谷しげるが喧嘩した」というニュースを聴くと原因も経緯もわからないが「…きっと拓郎が悪いんだろうな」と思う。そういうのない? 俺はある。きっと拓郎が何か言って怒らせたんだろうな…という(爆)。すまんな。なぜだろう。それもこれも、いいじゃないかと思わせてくれる素敵な手紙だった。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「ああ青春」(作詞:作曲:吉田拓郎  「吉田拓郎ライブ コンサート・イン・つま恋'75」所収)
 何度でも書くぞ。かつて地球ZIGZAGにゲスト出演したとき、ロックミュージシャンを目指す若者のドキュメンタリーを観た泉谷が「ロックってこんなもんじゃねぇよ」と悪態をついた。高橋リナさんが「それでは泉谷さんにとってロックとは何ですか?」と尋ねたところ泉谷はキッパリと言った。
「吉田拓郎がよ、つま恋に6万人だか集めちゃってよ、本人は大観衆を目の前に緊張してビビっちゃってよ、目はうつろ、声はヘロヘロでうわずっちゃってボロボロなのよ。それでも、こうやってギター抱えて『歌うぞ』ってググッ、ググッて身体を前に出してゆく、俺に言わせれば、そういうところに本当のロックがあるんだよ」 泉谷、好きだよ。今日はこれを聴こう。

2023. 4. 24

☆☆☆二人の本当の距離☆☆☆
 昨夜は久々にtくんとサシ飲みしてご機嫌で帰って、ねーさんから教えて貰っていた「篠原ともえの東京プラネタリー☆カフェ TOKYO FM 2023/4/23(日) 」をradikoで聴いた。まだ聴けるぞい。吉田拓郎の泉谷しげる宛ての手紙が、昨夜のことだったので特に胸にしみた。

泉谷しげるさん
大変ご無沙汰しています。
私はずっと昔、あなたとはじめてお会いしたころから
この人は自分にとってきっと長い人生においても本当に数少ない
心を開いて話し合える存在となる人だと確信していました。
そしてそれはやはり現実になりました。
私は振り返るとその時々に数多くの仲間たちに囲まれて、それこそその時々に親しくお付き合いした人々が存在しましたが、結局はその時だけのビジネスライクな存在でしかなかったと断言できます。
今この瞬間につくづく思うことは、泉谷さんと私の説明不要の距離感こそが人生において実に大切なものだったということです。
お互いもう少人生を味わいたいですよね。
これからもこの距離感のままでもう少し楽しみましょう。

好きだよ。
                  吉田拓郎


「愛情が三倍か四倍になって返ってくる、ここまでも返さなくてもというくらい、愛情のかたまり」という泉谷の返しの言葉も良かった。

 説明不要の距離感。最後はそれしかない。そうそうセブンスターショーでこの二人は距離について話し合っていたよな。二人の姿を説明不要の距離感をもって眺めていたファンも勝手ながら一緒に祝福されているかのごとく嬉しい。
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☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「寒い国から来た手紙」(作詞:作曲:泉谷しげる) オリジナルと吉田拓郎のカバー、両方聴くよろし。

2023. 4. 22

☆☆☆何もかも求めすぎずおだやかに☆☆☆
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 昨日、献杯のために初めて入ったお店で出てきた「フキとタケノコ」。これだけでどんだけ元気になるか、どんだけ嬉しかったか、おそらく料理を出したお店の人でもわかるまい。ありがとう。献杯。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「フキの唄」(作詞:作曲:吉田拓郎 「午前中に…」所収)「何よりも平和が大切でありました」…この歌詞が尖ってきこえてしまうほど今の世の中はささくれだっている。ただの拓バカのヘタレおじさんだが、この多数派の流れにはのれない。ちょいとゴメン。

2023. 4. 21

☆☆☆何度でもアゲイン☆☆☆ 
 文字通り生涯をささげた真摯な拓郎ファンだったK君の命日がまたやってくる。昨年は拓バカが集まって盛り上がって楽しかった。ああやっていろんな話を聞くと、毎年殊勝なことを書いているこの俺も、いろいろ彼に気を遣わせたりして迷惑をかけていたこともあったようだ。すまなかったな…でもそういう話を聞くと後悔というより、いっそう彼のことを好きになる。これこそが彼の人徳だ。

 彼と二人きりでどこかに行ったのはたぶん一度きりだ。渋谷のライブハウスに甲斐よしひろを観に行った>拓郎じゃねぇし。会場で二人で開演まで缶ビールを飲んでいると館内にBGMで流れていたアグネスの歌。K君が「これ!これ!松本隆の作詞家デビュー作で、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆…キャラメルママの演奏なんですよね。」…彼が嬉しそうに言うとなんか俺も嬉しくなって周囲に客がいなかったことも手伝って酔っ払いの俺たちは小さく歌いながら揺れた。
 いつもはビッグバンドの「どうしてこんなに悲しいんだろう」を聴くのだが、今日はなんかこっちだ。よければみなさんご一緒に。
☆☆☆ソウルメイトのソウルメイトな歌☆☆☆
「ポケットいっぱいの秘密」(歌:アグネス・チャン/作詞:松本隆/作曲:穂口雄右/編曲 キャラメルママ、東海林修)

2023. 4. 19

☆☆☆ディラン暮色☆☆☆
 先達のブログに書かれていたが、ボブ・ディランの来日公演の絶賛記事があちこちに溢れている。「あぁ行けばよかったかな…」とちょっと後悔したがもう遅い。運命みたいに僕にも悲しみが湧いてきた。
 運命といえば今はすっかり呆けてしまった叔母が、当時高校生だった俺に「絶対に本人をこの目で観ておくべきよ」とディランの初来日のチケットを買ってくれた。初めての武道館に舞い上がり、ひょっとしたら吉田拓郎が来ているかもしれないと待ち時間の客席でも落ち着かなかったが、そもそも拓郎はこの時あえて観には行かなかったのだと後で知った。しかしその次のトム・ペティとの来日公演は堪能したらしい。そもそも拓郎は「血の轍」あたりからディランがわかんなくなったと言っていたが、むしろ自分は「血の轍」あたりからすげーカッコいいなと思い始めたので、拓郎の影響で聴き始めたとはいえ拓郎の思いとは俺はズレている。

 最後にディランのライブを観たのは2001年のパシフィコ横浜だった。ずいぶんライブのインパクトが変わっていた。偶然同じ公演に行っていた拓郎ファンの同志だった亡K君も「…ヘリウムガスを吸って歌ってたのかと思いましたよ」とちょっと悲しそうだった。ディランはステージで終始、笑顔もなくMCもなし、ご挨拶すらもしなかった。当時の大好きな逸話で、ディランが孫の幼稚園に行って園児らの前で歌ったことがあって、園児たちが「怖いおじいさんがやって来て、怖い歌を歌って帰って行った」と震えていたらしい(爆)。それと近いものがあった。
 ディランはとにかく音楽だけをキッチリ提供するつもりなのか、サービスとか客のグルーヴとかはとにかく完無視しているかのごとくだった。これが例えばストーンズのライブだといつだって熱狂してしまうのは、やはりそこにはあくなきサービス魂が漲っているからではないかと思う。…怒られるかもしんないけど。吉田拓郎もまたライブではサービスとグルーヴの人だ。というわけでなんとなくライブのディランは敬遠してしまうのだが、今年はどうだったんだろうか…と気になるが、拓郎がリタイアしてしまった今、あきらめられないものもない、現在の現在。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「Sara」(歌/作詞/作曲:BOB DYLAN  アルバム「欲望」所収)
 叔母は昔から吉田拓郎のことが大嫌いで、当時高校生の俺を必死で更生させようと頑張っていた(爆)。"となりの町のお嬢さん"を「気の抜けたビールみたい」、"明日の前に"を「…ですぅ〜、…ますぅ〜しか耳に残らない空虚な歌」等と悪態をついては俺をいつも怒らせていた。しかし俺の部屋にあったディランのアルバム「欲望」を勝手に持ち去って「夕暮れ時にひとりで"Sara"を聴いているととめどもなく涙が流れてくるわ」としみじみと語っていた。だからチケットを買ってくれたのかもしれん。

2023. 4. 17

☆☆☆ジャケ買い☆☆☆
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 この女優さんがどなたで,誰が監督するどんな内容の映画なのかも全く知らずに、この写真にイチコロになって「ジャケ買い」してしまった。まだこの写真にドキドキする自分でいられて良かった>知らねぇよ。買ってからこの女優が若き日の有馬稲子さんであり、小津安二郎監督、原節子主演の「東京暮色」という映画であると知った。人は哀しみで出来ているという我がソウルメイトの口癖が思い出されるような映画だった。しかしこれを観ることができて良かったと心の底から何かに感謝したい。吉田拓郎がリタイヤし人生のお手本を失ってしまった今、笠智衆をあらたな目標に飄々と生きてゆこうと誓った(爆)。いみふ。

 ジャケ買いといえば、吉田拓郎ファンになってしまうとレコード・CDを買うことと呼吸することは同じ当たり前のことなので、ジャケットにつられて「ジャケ買い」をしたことはない。とはいえ最近ご無沙汰の居酒屋で、拓郎ファンのマスターは、中学生の時にアナログの豪華箱盤の「TAKURO TOUR 1979」のジャケットがあまりがカッコよすぎて思わずジャケ買いしたことがファンになるキッカケだったと語っておられた。また小中学校の同級生で南こうせつのファンになっていたHさんから「もう可愛くて可愛くてたまらなくて」ということでアルバム「ONLY YOU」を衝動買いしてしまったという話を聞いたこともある。
 しかし拓郎の場合、まるでジャケ買いを拒否するかのような残念なジャケットも多い(※個人の感想です)。アルバム「無人島で」をジャケ買いする人がいるだろうか。いたとしたらどんなヤツだ。「王様達のハイキング」もあのモデルの方にはすまんがジャケ買い拒否案件としか思えない。シングル盤でも「流星」,「春を待つ手紙」,「心の破片」あたりをジャケ買いする人はおるまい。…「気持ちだよ」に至ってはもうこりゃ試供品か何かかと思ったぜ。 あくまで吉田拓郎は元祖ビジュアル系の人だと思うので、本人のいないジャケットはかねてから認めたくない。
 しかし、しかしだ。本人がいないのに、それでも胸熱くなってジャケ買してしまった一枚があることを書きながら気が付いた。最後の最後のこれがあった。
☆☆☆どうしたってソウルメイトなアルバム☆☆☆
「ah-面白かった」[アナログ盤]
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これがなかなかどうして、最後がジャケ買いだったとはオツなものですな(笠智衆のフシで)

2023. 4. 15

☆☆☆ひとりよがり☆☆☆
 またマニアな話ですまんな。スタートレックピカードseason3の第9回「声」には泣けた。"All makes me cry!"ということで,どうやら世界中のオタクたちもみんな滂沱の涙を流したようだ。米国では今回と最終回の来週回はIMAXで劇場上映するらしい。さすが米帝、やるもんだ。うらやましい。…と言っても殆どの人がなんのことかおわかりにならないだろう。例えれば、今年、フジロック2023に行ったら、吉田拓郎がサプライズで登場し、しかもバックバンドで松任谷正隆、鈴木茂、高中正義、島村英二、エルトン永田、岡沢章という面々が揃って、拓郎の「さぁ新しいのを演ろう!」という一声のもと島ちゃんのカウントでバンドが鳴り出す瞬間…そんな感じだ。

 これもひとりよがりだが、昨日から個人的脳内ヒットチャート独走中の「海の底でうたう唄」。どうしたってモコ=高橋基子さんを思い出す。「マクセルユアポップス」とか「ニューサウンズスペシャル」とか…高橋基子と話す拓郎はよかったなぁ。話が弾んで面白かった。まるでおねえさんと話しているみたいに心を許しあう信頼感を感じた。それでいて結構、真剣な話もきかせてくれたりもした。安井かずみ、コシノジュンコ、落合恵子…母性ならぬ姉性愛の通底みたいなものを感じるのだ。モコさんお元気だろうか。

☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「無人島で」(作詞:松本隆/作曲:吉田拓郎  「無人島で」所収)
「無人島で君を抱きたい」というけれどそれじゃ無人島じゃなくなるじゃないか(「俺だけダルセーニョ」P.204)というツッコミを拓郎に入れたのは「ニューサウンズスペシャル」でのモコさんだ。それじゃ矛盾していると。慌てた拓郎の「ムジュン島で」という切り返しも笑った。すべて幸福な日々よ。

2023. 4. 14

☆☆☆私たちが逢ったのは☆☆☆
 とはいえ私の身体もガタがきていて鍼灸の先生に定期的にお世話になっている。前にも書いたが銘医だ。毎回、待合室にある棋士の先崎学の「うつ病九段」(まんが版)を少しずつ読んでいる。それはまた。時間が来て施術台にあがると院長先生は必ず「拓郎さん」の話をふってくれる。だいたいが、「私も高校生の頃、初期の吉田拓郎さんを聴いていました」というお話からなので、思い切って「初期ってどの辺までお聴きですか」と尋ねてみた。すると「ペニーレインあたりまでは聴きました」「あ、ずいぶんお聴きになったんですね。お好きな曲は?」「…前にも言いましたけど『わしらのフォーク村』ですかね」…まだ言うか(爆)。「元気です」から「今はまだ人生を語らず」のソニー黄金期を聴きながら『わしらのフォーク村』をベストに挙げる。どれだけお好きなのか。やはり神は細部に宿るのだ。
 昨日は施術台に寝るといきなり「まにあうかもしれない」が流れていて、音楽をフォークチャンネルにしてくれていたとのこと。ありがとうございます。フォークチャンネル、拓郎はフォークが嫌いというものの,やはりすげーなフォークソングのめくるめく世界。例えば、何故このタイミングで山崎ハコの「呪い」なんだ。♪コン、コン、コン、コン釘を刺す、藁人形の釘を刺す…ただでさえ凄い歌だが、鍼灸の施術台で聴くとこりゃまた格別だ(爆)。君も経験するといい。
 あれこれフォークな世界の曲が流れたが、昨日一番胸にしみたのはモコ・ビーバー・オリーブの「海の底でうたう唄」。

 私達が逢ったのは静かな海の底
 私の長い髪を愛してくれた人

 私達のゆくえは誰も知らない

 釘…ちゃう鍼を打っていただいて陶然となったあと夢心地で聴いた。なつかしくて、幻想的で、コーラスがなんといってもうつくしい。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「海の底でうたう唄」(詞:尾崎きよみ、曲:関口直人、編曲:青木望)。…ねぇ貝殻になりたいね、海の深くで眠りたい…そんな気分になる。

2023. 4. 13

☆☆☆一枚の写真☆☆☆
 奈緒さんがインスタに挙げたという拓郎の写真をネットニュースで観た。たぶん昨年のつま恋のものか。いい写真だ。当たり前だが俺が庵野監督がなんだとかダラダラ綴ったところで、すべてはこの一枚の写真でキレイに吹っ飛ぶ。この僕とつま恋と青い空なショットがたまらない。…青い空といえば、御腰の方は大丈夫だろうか。俺も腰痛持ちだが、俺なんぞよりはるかに重そうだ。どうかお大事になさってください。
 「腰」と言えば吉田拓郎も1993年ころからしばらくひどい腰痛に苛まれていたようだ。93〜96年は、ステージでは基本ずっと座って歌っていたはずだ。しかしその後、98年のツアーからはstand upに復帰する。ステージであの重量のギターを抱えて3時間くらいずっと立って運動をするくらいだから盤石で強靭なはずである。どうやって腰痛を克服したのか、昔から切実に関心がある。教えて拓郎。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「ショルダーバッグの秘密」(作詞/作曲:吉田拓郎 「ah-面白かった」所収)…なんかこれかな、あの清々しいつま恋の写真のイメージは。

2023. 4. 11

☆☆☆Contrast☆☆☆
 そのNHKの庵野秀明のドキュメンタリーの中で庵野監督は俳優やスタッフらに敢えて詳細な指示は出さずに、現場で実際に作り出されるものから着想を得ようとする。庵野監督はアニメ出身だから詳細で秀逸な絵コンテを多々作り上げてきたはずだが、それでは自分を超える面白いものは出来ないということで新しい刺激の種を現場に投げかける。

 これを観ながらイカレている私は例によってついつい吉田拓郎のことを思ってしまう。拓郎も精緻なデモテープを作りあげる一方で、レコーディングやリハーサルではミュージシャンたちが現場で出す音を探りながら作品を作り上げてゆくシーンがしばしばみられる。
 例えば1990年4月の新曲「男達の詩」のレコーディングのドキュメントでスタジオに入ってミュージシャンたちに初めて譜面を渡す。「俺が描いたのは…」とギターを抱えて歌おうとして「あ、いいや、描かない(笑)」と思いとどまるシーンがあった。その後に現場のミュージシャンたちと「これは違う」「やっぱ戻そう」と右往左往しながらまさに心血注ぐようにサウンドを作り上げていたのが忘れられない。

 庵野監督と吉田拓郎はジャンルこそ違え現場のスタッフやミュージシャンのことを信じて現場に託す…という意味で同じことを考えていたのだと思う。

 しかし現場に委ねるということは、現場が四苦八苦して作ったものに監督が非情なダメ出しをする可能性も当然に含んでいる。実際に庵野監督は現場の作るものに「段取りにしか見えない」「必死さが伝わらない」と.とりつく島もなくことごとくNGを出しまくり多くのシーンが没テイクとなった。その結果として現場に大きな軋轢を生んでしまう。ドキュメンタリーの視聴者の中にはこれは庵野監督のパワハラだと非難している人も多い。このドキュメントだけでパワハラと断ずることはできないと思うが、重く沈痛な現場の空気であることは確かで、観ている自分も苦しくなってくる。

 単純な比較はできないが、これを観ているとテレビのドキュメンタリー番組やDVDで垣間見てきた吉田拓郎のスタジオワークでの魅力をあらためて思わずにいられない。すまん、庵野監督の現場が悪いという意味では断じてない。空気の明暗と陰陽がくっきり分かれているというそのことだ。拓郎にも時に厳しいダメ出しをしたり不機嫌でおっかなそうだったりするシーンが多々あった。しかしそれでも最後は拓郎の差配によってある種の明るい活気をもってスタジオの空気が収斂されていくように見えた。それは吉田拓郎という人の陽性な人柄とともに、彼がいかに人知れずに気配りとていねいなコミュニケーションを張り巡らせているかということを示している。そういう拓郎の人柄の威力なのか、それともそれが「音楽」というものの持つチカラなのか…たぶん両方だ。

 こうして天才たちの二つの異なる現場を勝手に比べながら、同じモチベーションであってもアプローチはずいぶん違うものなのだなと感じ入る。そうだcontrastだよ。
 昨日も書いたが庵野監督が舞台挨拶で「いろいろ言われるのは正直辛かった」とこぼしながら、それでも観客に心救われたことを素直に感謝し、あの長く深いお辞儀したところが深く刺さった。異なるアプローチの到着点が同じだったことがえらく感慨深い。

 そうそうこれが大事なのだが、庵野監督のこの映画は門外漢の私にも超絶面白かった。なんといってもヒーローである1号の池松壮亮がコミュ障で内省的なところが良かったし、対する柄本佑の陽気で明るいところも魅力的だった。まさにここでも明暗・陰陽のコントラストの魅力というべきか。

☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「男達の詩」(作詞:作曲:吉田拓郎 )
 短髪の拓郎の初露出ということもあってあのドキュメンタリーは印象深い。そうはいってもデビュー20周年のシングルなのに目玉カップリングの「イメージの詩」をリハの途中で「これ止めよう、やる気がまったくしない」と放り投げるように却下して、宇田川さんが「弱ったな、このシングル」とショックを受けるところ…かなり好きです(爆)。

2023. 4. 10

☆☆☆シン・reverence☆☆☆
 週末に一番胸に刺さったのは、ニュース動画で観た庵野秀明の映画「シン仮面ライダー」の舞台挨拶(4月9日)だった。映画も観たし特に先週のNHKのメイキングのドキュメンタリーがかなり衝撃的だった。映画は賛否両論で、ドキュメンタリーでは庵野監督の所為についてパワハラではないかと騒がれていた。私は私でいろいろ思うところはあったが、なにせ庵野秀明も仮面ライダーも門外漢だ。今度詳しい友人と居酒屋でいろいろ教えてもらったり、とことん語り合ってからと思っていたが、昨日のニュースにはやられてしまった。
 ちょっと沈痛な様子も湛えた庵野監督は、胸いっぱいという感じで観客にていねいに感謝を述べ、退場の際にひとり残って、頭を深々と下げ、長い事その頭をあげようとしなかった。こういうお辞儀をする人をよく知っている。ああ、あの方のお辞儀だ。カタチだけではなく、あの方のお辞儀と同じ魂のふるえのようなものが伝わってきた。たとえ毀誉褒貶あろうともこの人を信じようと思った。 
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「S」(作詞/作曲:吉田拓郎 「王様達のハイキングin Budokan」所収)
 人を信じるってことは泳げない僕が船に乗るみたいに 誰にもわからない勇気のいることだから…んまぁ俺が信じたところで何の役にも立たないし、ヘのようなものだけどさ。
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2023. 4. 9

☆☆☆それでも誕生日☆☆☆
 昨日は森下愛子さんの誕生日だけではなくお釈迦様の誕生日でもあられた。あちこちの仏教のお寺では降誕会=花祭りがおこなわれていた。さすが阿弥陀如来の森下愛子さんである。
 99年のシングル「心の破片」がリリースされたときこのアレンジは花祭りをイメージしているという武部聡志だかの解説があった。当時の俺はなんでこの歌とお釈迦様の誕生が関係あるのかよく理解できなかった。そしたら仏教ではなくて、アンデスのフォルクローレの名曲「花祭り」のことだったのだな。随分あとになって知った。恥ずかしい。この音楽の「花祭り」を聴くと、むしろKinkiのあの曲「ボクの背中には羽根がある」が先に浮かぶ。とりあえず吉田拓郎と松本隆との最後の共作「心の破片」…これもいい曲だと思う。…ちっ。どっちも松本隆か。「花祭り」は「春の祭り」ということだ。今の季節にはぴったりではないか。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
 「心の破片」(作詞:松本隆/作曲:吉田拓郎  編曲 武部聡志)〜「ボクの背中には羽根がある」(作詞:松本隆/作曲:織田哲郎  編曲 家原正樹)
 つなげてループで聴くと結構いい感じだ。松本隆と吉田拓郎の最後の共作ということでしみじみとした殊勝な気分になるが、その後に確か二人で2004年に布施明のために作って何故かお蔵入りしてしまった幻の作品があったはずだ、ああ、どんな曲だったんだ聴きてぇ、そもそもなんでお蔵入りしたのか、どこまで続くワンハーフの呪い…というプラチナゴールデンな邪念が入ってくる。そんなことばかり考えている俺には羽根も生えやしない。

2023. 4. 8

☆☆☆誕生日はつづくよどこまでも☆☆☆
 今日は森下愛子さんの誕生日だ。おめでとうございます。
 何度も書いたが、学生時代、山手線の高田馬場駅のホームで赤いワンピース姿の森下愛子さんとすれ違ったことがある。バレエをされていたからか背筋が美しく伸びて姿勢がよく尋常ではないオーラがあった。生で女優さんを観た初めての経験だった。俺は茫然として立ち尽くし、振り返ったまま、階段を降りてゆく可憐な後姿をみつめていた。テレビ版「ああ野麦峠」に主演されていたころだ。そうそう「ああ野麦峠」は映画版の大竹しのぶも名演だが、森下愛子のドラマも傑作である。吉田拓郎ファンであれば両作おさえておきたい。

 それにしてもこれほどの女優でありながら、なぜか佳代さんという本名でも違和感なく親しまれている。こういうのって他に
ないよね。浅丘ルリ子のこと信子さん、松田聖子のこと法子さんて言わないもんね。

 ちなみに生で初めて観て握手してもらった歌手が小室等(爆)、生で初めて観た男優は、財津一郎だった、ギビシィィィィ。なので森下愛子で良かったと心の底から思う。すまん。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「I'm In Love」(作詞/作曲:吉田拓郎 ビデオ「1996年 秋」所収」
 若いころ反発したこの歌に、今は聴いているこちらも見守られている気持ちになる。「96年秋」のバックステージでのご夫婦の姿が素敵すぎる。とくに最後の二人の後ろ姿がフラッシュアウトするところは涙ぐむような名ショットだと思う。久々に観てあらためて感動した。どうかお二人いつまでもお元気でお過ごしくださいと魂の底から思わずにいられない。

2023. 4. 6

☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「いくつになってもhappybirthday」(作詞:作曲:吉田拓郎  「こんにちわ」所収)
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 昨日の誕生日はあちこちと賑やかだった。昔から拓郎ファンにとって4月5日はお祝いを表明するしないにかかわらず、ひとしく大切な日である。しかし今年はそれだけではなく、音楽関係者やライターやラジオ番組などで吉田拓郎の誕生日を寿ぐ人がことのほか多かった気がする。いいぞ、いいぞ、忘れるなよ、その気持ち(爆)。

 で何万回でも同じことを言うがこの誕生日ソングは超絶名作だ。拓郎ファンはきっと、4月5日のみならず、それぞれの大切な人の生誕の日が来るたびに心にこの曲が流れるはずだ。
 この歌が祝うのは、ただ君が君になったことそれだけだ。出自はもちろん、性別も才能も実績もルックスもチカラや資産の有無もなんにも関係ない。人に隠れて泣いたり、くじけないで生きてきたことそれだけをひたすらに讃えてくれる。嬉しいじゃないか。人生というのは本来そういうものであるべきじゃないか。
 そんなこの歌を拓郎ファンだけのものにしておくのはもったいない。拓郎に関係なく、広く世界の子どもたちからジジババに至るまで人類みんながこの歌を愛で、お互いの日に歌い合うようになれば、少しはこの世の中も風通しがよくなりそうな気がする。
 とはいえ私ら一般Pのファンには限界がある。こんなとこを読んじゃいないだろうが、音楽関係者のみなさん、なんとかこの歌をあまねくに広げていく試みをお願いします。あなたがたが、おべんちゃらじゃなくて本当に吉田拓郎をリスペクトしているならば>それが人にものを頼む言い方か!…すまん。とにかくお願いします、はあと
この歌はLOVELOVEの最終回で一度だけ歌われた。ああ、LOVELOVEがもう少し続いてくれたならなぁ…と詮無いことを思ったりもする。
 

2023. 4. 5

☆☆☆SUNRISE77☆☆☆
お誕生日おめでとうございます
 「77」ということは喜寿。ここまで来たらもう喜びしかありません。77…なんかいい数字です。77というと拓郎さんが昔のラジオでさらに昔のアメリカドラマ「サンセット77」が好きだったという話をされていたのを思い出します。ここは縁起ものなのでサンライズ77でまいりましょう。まだ見ぬ朝が来る、それぞれの日が昇る。
 それにしても今頃どうしておいでだろうか。どこかで逢おう生きていてくれ。どうかお元気でお過ごしください。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「Contrast」(作詞:吉田拓郎 /作曲:吉田拓郎 「Live at WANGAN STUDIO 2022 -AL “ah-面白かった” Live Session-」所収)
 よくわかないままだが、ストリーミングというやつを購入してみた。これを聴きながら通勤する。ああ、花粉も胸もしみてくるぜ。まさにこの世に出でたあなたがこの一本の道を歩いてくれたからこそすべてがあります。あらためて吉田拓郎さんと吉田拓郎さんにつながるすべての皆様に心の底から感謝とともにおめでとうございます。
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       …いやそれ逆でしょう(爆)

2023. 4. 4

☆☆☆ラストエンペラー☆☆☆
 坂本龍一で思い出した。35年くらい昔のこと私が資格試験に立て続けに惨敗しどん底のとき、師匠の伊藤先生(知らんよね)が励ましてくれた。「先日、アカデミー賞を受賞した坂本龍一さんが受賞の感想を訊ねられて『賞とは終わった仕事に与えられるもので、私には次の仕事しか頭にない』と言っていた。さすがだ。合格も不合格も終わった過去のことだ、これから次に向って頑張ろうじゃないか」…確かに勇気づけられた。
 しかし坂本龍一に勇気づけられるというのも拓郎ファンとしてどうなのよと思って、直近の吉田拓郎のインタビューを読んだら「向上心が旺盛なヤツは才能がないんじゃないか?天才には向上心が要らないんだよ」と豪語していて、こりゃ役に立たねぇよと思った(爆)。
 勇気づけられるからファンになるわけではなく、勇気づけられるためにファンになるものでもない。そういう普遍の真理がただそこにあるだけだ。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「人生キャラバン」(作詞:安井かずみ/作曲:吉田拓郎/編曲:加藤和彦 「Samarkand Blue」所収)
 あのインタビューを読むと紐づけられた当時のアルバム「Samarkand Blue」を思い出しその中で最高に好きなこの曲が聴きたくなる。慰められたり、勇気を貰ったりする実利・功利はなくとも例えばこの歌は生涯、俺のことを見守ってくれている気がする。目指す泉は枯れ、砂の嵐に、日照りは容赦なく、そして推しはリタイアしようとも(涙)、人生キャラバン道なき道を行く。

2023. 4. 3

☆☆☆♪過ぎ去るものたちよ、そんなに急ぐな☆☆☆
 坂本龍一氏の訃報。俺なんぞは思い切り外様なのでおこがましいとは思うが、忘れられない言葉がある。
 「彼とは一度会った。暴力的だと聴いていたが、そうは感じなかった。むしろ自分でもコントロールできないくらいのシャイネスを持っているように見えた。彼とはそれっきりだが、妙に記憶にあるのはよく通るダミ声。」(坂本龍一・ブックレット「"TAKURO"」FORLIFEより)
 「自分でもコントロールできないくらいのシャイネス」…素敵な言葉をありがとうございました。悲しいのは、音楽を始め、いなくなられてしまったことすべてにおいてだが、特にこのウサン臭くキナ臭い時代に「平和の大切さ」をきちんと発信し続けてくれた人がいなくなってしまったことだ。年齢もよく知らなかったが1952年生まれということは浜田省吾と同年なのだな。まだまだ若かったのだな。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「ALL TOGETHER NOW」(作詞:吉田拓郎  作曲:小田和正とか)
 坂本龍一はあの日の「お前が欲しいだけ」のことを言っているのかもしれないが、坂本龍一と同じステージで歌われたというそのダミ声…あ、俺はダミ声でなく透明感あるボーカルと思っているのだが。
   でも君の瞳は美しい そう 君の命は永遠なのだ
 お疲れ様でした。心の底からご冥福をお祈りします。

※ブックレット「TAKURO」とは、アルバム「サマルカンドブルー」発売の時にフォーライフから出版されたブックレットというかパンフレットのことです。
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2023. 4. 2

☆☆☆腕から時計を…☆☆☆
 4月1日というといろいろ思い出すことがある。なにをなんで思い出すかは略す(爆)。
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 この時計は「ah-面白かった」の特典映像の中で拓郎が奈緒に贈った腕時計と同一モデルの時計とのことだ。持主の方がコロナに倒れたときの療養給付金で買ったらしい。倒れても何かをつかんで立ち上がるあくなきファン魂に頭が下がる。見せていただいて感謝です。写真を見ているだけでなんか胸ときめく時計だね。
 はずしたままの腕時計…というと浮かぶのはこの曲だ。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「ソファーのくぼみ」(歌:テレサ野田/作詞:白石ありす/作曲:吉田拓郎  アルバム「彼が殺した驢馬」所収)&(歌:増田けい子 アルバム「戯れる魚達」所収)
 これは隠れた名作だよね。吉田拓郎のソングライティングの才がみなぎっている。そしてテレサ野田と増田けい子(以下「ケイちゃん」という)、この二人のねーさんの歌唱が放つ色香がこれまた甲乙つけがたくたまらないのだ。別に甲乙つけなくていいのだが、個人的には大事なワンポイントがある。
 テレサ野田は「♪あなたがつけたソファーのくぼみ〜」と歌うのに対して、ケイちゃんは「♪あなたがつけたソファーのくぼぉぉみぃ〜」という譜割りで転がすように歌うのだ。昔ラジオで流した吉田拓郎のデモテープではやはり「♪あなたがつけたソファーのくぼぉぉみぃ〜」とタメを入れて歌っていた。かくして拓郎のデモテープを聴きこんで歌いあげているのがケイちゃんというところで、優劣ではないが甲乙はつく。
 腕時計の写真を眺めながらながら「ソファーのくぼみ」を聴き比べる…だからどうしたと言われそうな日曜日の午後です。

2023. 4. 1

☆☆☆永遠に嘘をついてくれ☆☆☆
 某なるさんのつぶやき「高度なAI技術によって、AI拓郎と自然な会話ができるチャットサービス=膨大な歌詞やエッセイ等から拓郎の言葉を学習した[拓チャットGPT]…」ってマジで一瞬信じちゃったよ。あ〜もうこれが実現してしまったら、こんなサイトはおしまいだ、もうやめよう…とまで思いは飛んだ。やられたよ。うそがおじょうず@松本伊代。ということで今日から愛と哀しみの4月だ。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「4月になれば彼女は(April Come She Will)」(歌:Simon & Garfunkel 作詞:/作曲:Paul Simon)
 TBSの「お喋り道楽」でゲストの細川直美が、拓郎に「ギター弾いてほしいですぅ」っとおねだりダレダレしたら、デレデレの拓郎が「いいですよ」と言ってこの歌を弾き語ったというシーンがあった。「けっ。」と思った(爆)。いろいろご意見はあろうが。それでも弾いたあとの拓郎の「…これが何にもならないと思うと悲しい」という言葉に救われた。それ以来4月になると「4月になれば彼女は(April Come She Will)」を歌う拓郎を思い出す。

2023. 3. 31

☆☆☆僕の好きな場所☆☆☆
 今日で八重洲ブックセンターが閉店だ。開店したのは僕が高校2年の秋、深秋のアルバム「ローリング30」の発売を楽しみにしていた頃だ。大型巨大書店のハシリで当時はすげー時代になったものだなと驚いたのを憶えている。あれから読書家ではない俺でもいろいろお世話になった。ブックセンターでサイン会をした作家たちのパネルコーナーに庄司薫さんの笑顔の写真が長い事飾ってあって行く度に眺めていた。たぶん同じ場所で、昨年の岡本おさみ「旅に唄あり」の写真展を観たのが最後の思い出だ。…そうだ永井みみの「ミシンと金魚」もこのブックセンターでやっと見つけたのだった。最後の砦みたいなものでもあった。
 町からどんどん書店が消えゆくのは寂しい。興味にあるなしにかかわらず書店に行くとたくさんの本と否応なく出会う。本屋に行かなければ、いしいしんじにも吉田篤弘にも会えなかった…俺が見つけたんじゃないけどさ。
 あたりまえだが本にはどれも「装丁」というものがある。いまごろになって思うのだが「装丁」はそれ自身がひとつの芸術作品だ。たくさんの背表紙や表紙やポップが思い切り語りかけてくる。そして「手触り」と「質感」がある。こうして書店が少なくなってみるといかに幸福な場所であるか心にしみてきた。遅い。とはいえAMAZONの利便性からはもはや逃れられない。やっぱり、すげー時代になったなと思うしかないのである。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「ひらひら」(作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎  アルバム「よしだたくろうLIVE'73」所収)
 ブックセンターのあの写真を思い出したら、やはり無性に聴きたくなった。縦書きだったのですね。「用心しろよ、用心しろよ、ああ〜そのうち君も狙われる」…誰も彼も炎上し血祭にされる現代の世界を予知していたかのごとくの作品だ。
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2023. 3. 28

☆☆☆このオタク世界の片隅に☆☆☆
 殆どの方々には心の底からどうでもいいことだろうが、AMAZON PRIMEで配信中の「スタートレック ピカード season3 (final)」が毎週、圧巻すぎる。こちらもある意味でスタートレック・サーガの壮大なアウトロ=エンディングである。老いたピカード艦長をはじめ一緒に歳をとってきたクルーら関係者が再集結する。それは視聴者も同じだ。こちとらも一緒に歳をとってしまった共感、哀しみ、だからこそ感じるささやかな希望が混線する。さすがトレッキーといわれるマニアが全世界規模で佃煮のようになっている世界なので、庵野秀明どころではないレスペクトとオマージュのテンコ盛りに悶絶するしかない。
 これは譬えて言うのなら、拓郎が「ah-面白かった」で呼びたかったという歴代ミュージシャンたち全員をつま恋あたりに集めて、レコード未収録曲とライブ未演奏曲ばかりのマニアな曲のセッションを見せられているのとたぶん近い。>よくわかんねぇよ
 
 30年前のテレビシリーズでピカード艦長が可愛がってきたひとりの異星人の女性の部下が、いわば反政府ゲリラに転向して出奔してしまうという小さなエピがあった。今回、その彼女が役者もそのままに再登場する。かつての裏切りを責めるピカードとそれが自分の信念だったことをわかって欲しかったと超絶すれ違う二人。しかしやがて彼女の命を賭した恩返しを目の当たりにしてピカード爺さんは涙ながらに語りかける。「今はすべてを理解した。許してほしい、それが今で。(I do see you. Everything. Forgive me. It's only now)」このシーンは切な過ぎてもう涙も追いつかない。
 ちょっと待ってプレイバック、今の言葉プレイバック。「今はすべてを理解した。許してほしい。それが今で。」…ああ、そういう後悔を帯びた思いが何回もあったものだ。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「今夜も君をこの胸に」(作詞:作曲:吉田拓郎  「Live 73 years- in NAGOYA」所収)
 今はすべてを理解した。許してほしい、それが今で。…2019年のライブの帰り道で心の底からそう思った。特にオーラスのこの曲。

 とはいえそのことを今僕は後悔していない。いや正直いえば後悔もしているが、このサイトで5万回は引用したとおり「後悔とはかつてそこに愛があった証拠である」(是枝裕和「ゴーイングマイホーム」より)。なので反省も悪びれもせず、そういうもんだということで歩いてまいりましょう。
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2023. 3. 24

☆☆☆一番が消えていたころ☆☆☆
 「今日までそして明日から」を聴いていると時々思い出す。といってもあくまで私の記憶なので、もし勘違いだったらごめんな。1983年の秋の「情熱」ツアーでバンドサウンドの「今日までそして明日から」が歌われたとき、拓郎はなぜか1番をカットしていきなり2番から歌い始めた…と記憶している。横浜も武道館もそうだったと思うのでミスではないと思う。あれは何だったんだろうなと今でも時折考える。どんなに考えても本人しかわかんないけどさ。

 つまりは1番の歌詞「時には誰かの力を借りて」「時には誰かにしがみついて」を歌いたくなかったのだと考えるほかない。あのツアーにはそこはかとない深い悲しみが満ちていたと思う。当時、スキャンダルの渦中にあり、自堕落がイイとうそぶく拓郎に俺はかなり不満だったし、拓郎もそういう口うるさいファンに相当に苛立っていたはずだ。ささくれだった日々だった。…これも俺の印象に過ぎない。そう思い込むと、1番のカットには「俺は誰の世話にもなっていない」「俺はひとりなんだ」という当時の拓郎の孤高な心の叫びが聞こえてくるような気がしてならんのだ。

 次にこの歌が歌われたのは…たぶん89年の人間なんてツアーの弾き語りだったが、ちゃんと1番から歌われていて安心したものだ。拓郎もスキャンダラスな香りが消えて、マイルドなおじさまになっていた。
 こうして1番がもしなかったらと考えながらこの歌を味わうとあらためて感じる。力を借りる、しがみつく、あざ笑う、脅かされる、裏切られる、そして手を取り合う、これらひとつひとつの人の営みのチョイスが絶妙であり、それらがすべて散りばめられているところでこの歌は世界の深奥を描き出している。ひとつでも欠いたらそれは違うものになってしまう。何を今さら当たり前のことをと思われる人もいるだろうが、ホントに今さらだ。そもそも超絶有名なスタンダードになったし、もう飽きたなと思っていても、それでもこの歌からは逃げられないゆえんだ。

☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「今日までそして明日から」(作詞:作曲:吉田拓郎 『Forever Young Concert in つま恋 2006』所収 )
 個人的にはいろいろあって気分も体力も落ち気味だ。そういうときつま恋2006のオーラスバージョンを聴くのは体力がいるな…と敬遠していたが、聴きながら蘇えってくる気力と体力があるとわかった。この歌のシンプルだがマントルに届きそうな深みを感じる。

2023. 3. 23

☆☆☆いま生きてるということ☆☆☆
 ♪生きているということ いま生きているということ
  書店で思わず手に取ってしまうこと
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  1ミリも関係ないとわかること
  そそくさと書棚に戻すということ
  いくら凄い詩人でも一言くらい断ってくれないかとイジイジと思うこと
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「今日までそして明日から」(作詞:作曲:吉田拓郎  DVD「NHK101」所収)
 これを聴くと次の「流星」までつい聴いてしまう。イントロのエルトン永田のピアノで思わず拍手がわくところが好き。

2023. 3. 21

☆☆☆聖なる酔っ払いな夜☆☆☆
 吉川忠英、島村英二、中村哲、河合徹三・・・人呼んで「ドランカーズ」のライブを楽しむ。
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 伝説のギタリストとその名を聞く吉川忠英をはじめて目の前で観た。このお方か…と感慨深い。アコースティックギターもすばらしかったが、ボーカルもしみじみとよかった。なんという深い含蓄のある存在感。曲中で中村哲さんがサックスのソロをプレイせんと立ち上がっているのに、忠英さんがそれを忘れてすっ飛ばして歌ってしまい、戸惑った哲さんが…およびでない…とそのまま着席するシーンがあり(笑)、おちゃめな人でもあった。…惜しむらくは勇気がなく持ってったCD「岡本おさみアコースティックパーティ」にサインが貰えなかったことだ。
 門外漢の私なので申し訳ないが、それでもお世話になっている作品が数限りなくあることをあらためて知る。
 吉田拓郎のサポート作品で一番鮮烈なのは「英雄」。松任谷正隆の鎮魂のピアノのあとで狼煙のようにかき鳴らされるあのギター。この緊迫した煽情的な音色は初めて聴いた時から虜になった音だ。
 そして今回知ったのは、中島みゆきのあの「悪女」のイントロでなっているギター、ユーミンの「やさしさに包まれたなら」のオープニングの美しいギターも忠英さんの手になるものだった。やさしかったり、時にささくれ立っていたり、なんて表情豊かで素敵なプレイたちなのだろうか。この三曲をアコースティックギターの観点から今、ヘビロテで聴き直している。なんかこういう時って幸せだ。
 そういえば昨日のゲストのカントリーシンガー坂本愛江という方は、エレックで吉田拓郎と同期だったフォーク歌手、朱由美子さんの娘さんということだった。そうなのかあ。人類はみな親戚である>どういう結論だよ。いや親戚だから滅ぼし合ってはいけないのだ。
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2023. 3. 18

☆☆☆空よりも青い群青☆☆☆
 久しぶりに「卒業式」というものを見た。個人的に卒業式にはあまり良い思い出がない。小学校は別にして後はスゴスゴと逃げ出すような気分のものばかりで最後には出席もしなかった。
 だから卒業ソングの定番名曲たちにも,なんだかな〜といまひとつ燃えなかったのだが、昨日聴いた「群青」(作詞:福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生/作曲:福島県南相馬市立小高中学校音楽教諭 小田美樹)の合唱は心にしみた。ひとりの先生が、毎年決まっていた定番の卒業ソングの代わりにこの歌をどうしても歌いたいとさんざん頑張ったあげく、とりあえず今年だけ採用されたとのことだった。
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 東日本大震災で被災し、仲間の命も失い、全国に散り散りになっていった福島県南相馬市小高中学校の生徒たちの声を紡いで、同校の音楽の先生が曲として完成させたという。言葉に尽くせない出来事から作られている。そのため定番の卒業ソングにもありそうな言葉だけれど、ひとつひとつが背負う切実な思いが伝わってくる。
 これはあの悲痛事を経験した生徒たちの切実な言葉であると同時に、ひとしくこのコロナ禍での日常を生きた目の前の子どもたちの歌でもあると思う。すべてはつながっている。
 この歌を卒業式にと必死に格闘した若い男の先生は、合唱の時ボロボロと泣いていて、こっちもうっかり…でなく、しっかりともらい泣きしてしまった。話したこともない先生だが、アンタすげえよ、よくやったよ、と心の中でエールを飛ばした。卒業式で涙したのは初めてだった。
 群青とはどんな色だったかと思ったが、空よりも青いサマルカンドブルーの色のことらしい。空の青より青い青だ。

☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「僕の一番好きな歌は」(作詞:作曲:吉田拓郎  未収録)
 「群青」に感動しながらもその歌詞の「あれから2年」というフレーズについ反応してしまう。すまん。1978年の3月18日にこの歌を神奈川県民ホールで初めて聴いた。「自分の叫びをいつでも持ったヤツ、自分のアワレを慰めたりしないヤツ」…座右の銘。「群青」を選曲したその若い先生に捧げたい。

 そして今日は、海の向こうで踊る若い友人の誕生日だ。おめでとうございます。震災の年に向こうに渡ったんだからもう13年目だ。よく頑張ったねぇ。ここでもエールを送りながら爺も頑張ります。
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2023. 3. 17

☆☆☆あいつの部屋は散らかっている☆☆☆
 これまでのいろんな発言や写真・映像から察すると吉田拓郎という人はかなりキレイ好きで整理整頓、片付け上手な人だと思われる。断捨離ブームのずっと前から引越しのたびに断捨離を繰り返し、家財や衣類などをラジオでリスナーに気前よくプレゼントしたりしていた。ああ、吉田家のヒューズを貰った方、お元気でしょうか。
 したがって拓郎は、松本隆の文字並びが整序されている、キレイに片付けられた部屋のような詞が本能的に大好きなのだと思う。きちんとリズムに裏打ちされて整序されているからメロディーがとてもつけやすいと絶賛しているゆえんだ。

 さて、これとは正反対に、字余り字足らずでメロディーがつけにくいと拓郎が不満をたれるあの作詞家のことを思わずにいられない。一番と二番で余裕でサイズが違う混沌とした吐き捨ての詞。松本隆の詞が片付けられた部屋ならば、岡本おさみの詞はさしずめ散らかり放題の部屋なのではないか。すまん。散らかってはいるがそこに光る原石がゴロゴロしている。その混沌とした詞にメロディーをつける拓郎は、あたかも子どもの散らかった汚部屋を「…ったく仕方ねぇな」と怒りながら必死で片付けるお母さんの気分に近いのではないか(爆)。

 松本隆が「外は白い雪の夜」の詞に拓郎が3分で曲をつけてたのを驚いたというが、それは松本の詞がリズム感をもって整序されていたことも大きいのではないかと思う。要するに、この世の部屋はいつも二通りさ、片付けが楽なキレイな部屋と片付け難い散らかった部屋と、君は両方扱ってるんだよね。
 
 しかし散らかっている部屋に住む、断捨離嫌いの私は切に思うのだ。拓郎のその片付けこそ絶妙なワザだと思う。思い切り散らかっている言葉たちを時にねじ伏せ、時に磨き上げるように愛でることで、言葉が躍動し、卓抜したメロディーとして整序されてゆく。そこにこそ吉田拓郎の真骨頂があると思う。この拓郎の片付けのワザは、もう、音楽界の「こんまり」と言ってもいい>いや、よくねぇだろ。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「君去りし後」(作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎  「よしだたくろうLIVE'73」所収)
…かなり散らかり放題の部屋を見事にFUNKなブルースに昇華させた片付けワザの典型かもしれない。

2023. 3. 16

☆☆☆文字で描かれる絵☆☆☆
 昔、大江健三郎が小学校を訪れて子どもらに文章の書き方を教えるドキュメント番組を観たことがあった。ウロ覚えで残念なのだが「たくさんある言いたいことを、ひとつひとつ小さなカタマリにして…(と黒板に大小の〇を書いて)、それを接続の言葉でていねいにつなげて、大きなカタマリにして相手とどけるんだよ」と語りながら黒板にはシンプルでわかりやすい絵が出来上がていった。まだフローチャートもマインドツリーも一般的ではない時代に図・絵で文章の美しさを理解させようという説明は新鮮だった。

 で、一昨年のことだか、関ジャムの松本隆の特集の中で、武部聡志が「吉田拓郎さんは松本隆さんから詞が届くと『読む前から良い詞だとわかる』と言っていた」と語った。要するに「文字の並び方からしてキレイなんだって。それだけで良い詞だとわかると。」
 別の機会に拓郎も「松本隆の詞は、きちんとリズムに裏打ちされて並んでいる」とも語っていた。
 言いたいことのカタマリがきちんと切り分けられて整序された言葉の並びはそれ自体が美しいということだろうか。そう思うと松本隆の詞を言葉の並んだ絵として、眺め直してみるのというのも面白そうだ。そのうち酒でも飲みながら鑑賞会、品評会でもしましょうや。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「恋唄」(作詞:松本隆/作曲:吉田拓郎  「ローリング30」所収)
…ということで、まず思いついたのがこの唄。字並びがとてもキレイだ。繰り返されてゆく「あなた」に途中で「面影」「この愛」「永遠」がインサートされてゆくこの見事さ。あ〜なんてあざとい美しい言葉の並び方なのだろうとしみじみ思う。

  恋唄  

あなたのくちびるの風と雨
あなたのまなざしの絹の糸
あなたのゆびさきの花の色
あなたのみみたぶの銀の夢
面影を描くのに筆はいらないよ
あなたが暗闇から呼びかけてくれれば
面影を描くのに筆はいらないよ

あなたのかなしみの青い海
あなたのさびしさの暗い夜
あなたのぬくもりのハンカチ−フ
あなたのよろこびの星の渦
この愛を告げるのに言葉はいらないよ
あなたがぼくの腕によりかかってくれれば
この愛を告げるのに言葉はいらないよ

あなたの細い手の逆さ時計
あなたの肩までの夏の服
あなたのせつなげな眉の線
あなたの舌足らずな言葉たち
永遠のまごころをあなたに贈りたい
あなたが伏せ目がちに微笑んでくれれば
永遠のまごころをあなたに贈りたい

2023. 3. 15

☆☆☆わが心のバックスクリーン☆☆☆
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☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「チェック・イン・ブルース」(作詞:作曲:吉田拓郎 「情熱」所収)
 毎年、何度でも言う。この日のハイライトは「ロンリーストリートキャフェ」だという意見もあろう。確かに圧巻の弾き語り&シャウトであった。しかしこの大舞台のオープニングによりによってこの歌を持ってきたのにはびっくらいこいたものだ。よほど深い考えあってのことか、あるいは何も考えていなかったか(爆)、どっちかだ。それにしても今にして思えば圧倒的にカッコよすぎるオープニングである。吉田拓郎の本能だ…というのが自説。

2023. 3. 13

☆☆☆われらの時代☆☆☆
「ライブ作品を順次ストリーミング&アラカルトDL配信させていただきます♪」。ありがたい。ありがたいけれど意味がよくわからない(爆)。やっぱり「キミのスマホに拓郎がやってくる」とか「いつでもどこでも一曲でもライブ会場」とかダサイけれども,わかりやすい表現で説明してくんないと俺なんかはわからない。面目ない。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「いつも見ていたヒロシマ」(作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎/編曲:青山徹  「アジアの片隅で」所収)
 作家の大江健三郎が亡くなられた。正直言って、小説は難しくてよくわからなかったし,その世界設定もなじめなかった。でもノンフィクションの「ヒロシマ・ノート」だけは別だ。いつも見ていたヒロシマ・ノート。徹底して平和を希求されていた姿はまさに仰ぎみる世代の代表のように見えた。ご冥福をお祈りしつつも、これから世の中どうなっちまうんだろという不安も大きい。安らかに笑う家はいつまであるか。俺の歌ではないけれど>あったりめぇだろ、この歌をお捧げします。どうか安らかに伊丹十三さんとゆっくりお酒を酌み交わしてください。

2023. 3. 12

☆☆☆僕達の大好きな場所☆☆☆
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 幻の1号車。その乗員予定だった人とは毎年のように話す。12年前の震災は身の置きどころのない悲痛事だったが、私達みんながハワイに行っているときではなかったこと,また拓郎が震災のほぼその日のうちにハワイツアーを決然と中止としたことが、せめてもの救いだった。不謹慎な言い方だが、それらは不幸の嵐の荒れ狂う世の中でのささやかなLuckのひとつだったと今でも思う。もしそうでなかったらと考えると暗然とするしかない。
 ウクレレもバウリニューアルも幻になったり、思い切り遠のいたりしてしまったけれど、おかけでハワイは今も変わらずにまぶしい憧れの場所としてありつづけている。だからこそ切に思うのだ。拓郎にはハワイに行ってほしい。もともと俺は自分のことをさておいて他人様のことを願うような殊勝な人間ではない(爆)。だけど俺は行けなくとも、拓郎、あなたはハワイに行ってくれよと思う,というより願う。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「憧れのハワイ航路」(歌・陣山俊一 作詞:石本美由起作曲:江口夜詩  「セイ!ヤング 渋谷エピキュラス 公開録音」より)
「僕の大好きな場所」(作詞:篠原ともえ/作曲:吉田拓郎  「AGAIN」所収)
…この歌を聴きながら翻意した。やっばり万万が一にも機会があったら、そんときゃ万難を排してでも頑張ってみよう。推しを求めて三千里。その気概だけは持っていたい。そんときゃ、幻の一号車で逢ひませう。
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2023. 3. 11

☆☆☆今日の特別にソウルメイトな歌☆☆☆
「春を待つ手紙」(作詞・作曲 吉田拓郎 「FromT」所収)
 その出自とは関係なく,この歌は3月11日のための祈りの歌だ。何の権限もないが私は勝手にそう思う。震災の復興支援のオールナイトニッポンの特別放送で、吉田拓郎は人前で初めてこの歌を歌ってくれた。忘れられない。もともと吉田拓郎という人はこういう生放送の特別番組で、初めての歌を披露してくれるような殊勝な人ではない(爆)。たいがい歌い慣れ,聴き慣れた歌をチョロっと歌い済ますのが常だ(※個人の感想です)。しかしこの日の拓郎は違った。静かな決意を感じた。CMが入るたびに客席に背を向けてコードとフレーズを何度もそっと確認していた。緊張がヒシヒシと伝わってきた。かくしてあの魂の初演に至る。
 大した被害もなくのうのうと生き延びてきた私だが、たくさんのみなさんがそれぞれにかけがえのない大切なものを失われたに違いない。私とても遠いつながりだけれど,ひとつのご家族のことをずっと祈らせていただいてきた。そして、そのことと一緒に数えるのは不謹慎かもしれないが、わしらのハワイツアーもこの日消えたんだよな。
 泣きたい気持ちで冬を超えてきた人、心の底からお祈り申し上げます。
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2023. 3. 10

☆☆☆吉田拓郎「日本ゴールドディスク大賞」受賞☆☆☆
 受賞おめでとうございます。どういう賞なのかよくわからないけれど,くれるものはもらってしまえ、そして祝ってしまえ。ブラボ!!
 受賞のコメントがいつもながらまたいい。
「笑顔が困難な世界情勢は心が痛みますよね。音楽が少しでも人の心をやわらげる事ができれば・・小さな応援を続けたいと思います。」
 どこにもチカラが入っていない。飾り気もないささやかな言葉だが、魂がある。実は昨今テレビはいったい誰のためのものかとメチャクチャ腹を立てたり怒ったりしていて「ペニーレインでバーボン」をヘビロテしようと思っていたのだが、この受賞の言葉「小さな応援を続けたい」というくだりを読んですこし我に返った。自分はさらにこのうえなく微少だが、そんなこの一般Pにも続けられる応援があるに違いない。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「ひとりgo to」(作詞・作曲 吉田拓郎 DVD「Live at WANGAN STUDIO 2022 -AL “ah-面白かった” Live Session-」所収)
 思ってた世界じゃない、傷つく夜もまだつづくけど、終わりなき夢の中、黄昏の中にあっても旅を続けてまいりましょう…という歌だと勝手な解釈をしながら愛でる。

2023. 3. 9

☆☆☆倶に☆☆☆
 「体温」のクレジットで「吉田拓郎」と「島村英二」が並んでいるとそれだけで心の底から嬉しくなる。理屈抜きで胸が熱くなるのだ。大谷とダルビッシュが並んでいるオーダーみたいなものである。ジャン・リュック・ピカードとウイリアム・ライカーが揃ったUSSタイタンのブリッジみたいものでもある>それは知らねぇよ。とにかく何も背負う必要はない、みなさんそれぞれ存分にご活躍を。
 こちらも、あと10年間は存分に活動できるような肉体改造というテーマで,とある鍼灸の先生にお世話になっている。久々に名師に逢えたという感じだ。施術の最中に先生が「ワタシも世代的に拓郎さんはよく聴きました」と言うので「どんな曲がお好きですか?」と尋ねたら「うーん」とさんざん考えたうえで答えられた。 
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「わしらのフォーク村」(作詞・作曲 吉田拓郎 「人間なんて」「AGAIN」所収)
 まさか予想外の選曲…ピンポイントで鍼がツボに入った感じだ。効く。もっと名曲はたくさんあるぞと拓郎さんは怒るかもしれない。イヤイヤ、2014年にrefitしたバージョンをぬかりなく出している拓郎さんアナタも凄いですからと思う。

2023. 3. 8

☆☆☆今は黙って風の音を聴け☆☆☆
 田家さんのラジオに出演した瀬尾一三さんは中島みゆきのレコーディングの参加について「拓郎さんが自分でバラしちゃいましたね。あの人ホントに黙ってらんない人で(笑)」と苦笑していた。確かに。こと音楽に関しては「ホントに黙ってらんない人」だと思う。
 しかし「黙ってらんない人」であるところに私の幸福があったのだ。曲ができるとデモテープの段階から聴かせちゃうアーティストってあんまり知らない。コンサートも決まるとリハの段階から自ら全力でレポートして何か月も前から私たちを燃え上がらせてくれた。79年の篠島のセットリストを事前にラジオで片っ端から読み上げていったのには驚いたものだ。そして、ゆっくりと時間を取って予告してくれたおかげでアウトロの旅路も私らは目に耳に焼き付けることができた。なにもかも「黙ってらんない人」のあくなきサービス精神のおかげである。

 なので密かに思う。「やってみなければわからないという今の幸せ」も深くなればなるほど黙っていられなくなるのではないか。それからサイトやSNSで私たちが奔放に語れば語るほど、ネットに真実はないと怒って黙ってらんなくなるのではないか。このまま悪態をつきつづけよう(爆)。「味方のいない世界なら将来だけが非常口(中島みゆき・体温)」とはそういう意味だっんだな、すげーな、みゆきねーさん>いや全然違うと思うぞ。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「アウトロ」(作詞・作曲 吉田拓郎 DVD「Live at WANGAN STUDIO 2022 -AL “ah-面白かった” Live Session-」所収)
 そんなこんなの思いで聴くとあらためていい曲やね。拓友が、WANGANが出てからはこっちばかり聴いてしまうと言っていたが…御意。

2023. 3. 7

☆☆☆with Seo☆☆☆
 瀬尾一三といえば忘れられない言葉がある。2003年の拓郎の病=手術でビッグバンドのツアーが延期になった時だった。手術を終えリハビリをかねてラジオに復帰した吉田拓郎に瀬尾一三がメッセージを寄せた。「すべてがあなたが休まれる直前の状態に戻っていますのでどうか安心してください」と呼びかけた。前代未聞のビッグバンドのコンサートツアー、しかもそれを急遽リスケすることは大変な作業だろうと想像がつく。それでも全部処理したから大丈夫、安心して戻って来いと両手を広げるような瀬尾一三の言葉に涙した。俺もこの人に一生ついてゆこうと誓った>おめぇはただの一般人だろ.
☆☆☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡
「今日までそして明日から」
(作詞・作曲 吉田拓郎 アルバム「豊かなる一日」所収)
 弾き語りからビッグバンドになだれ込むこの劇的な展開。その刹那、拓郎がサッと両手を広げる。病からの帰還でありビッグバンドwith Seoの船出の瞬間だ。ここを聴く度、観るたびに、俺はモーゼの「十戒」でモーゼが海を真っ二つに割るシーンを思い出す。真っ二つに割られた海の道をゆく御大のうしろから俺も着いていくようなそんな晴れがましい気分…妄想も大概にしろ言われるだろうが。
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2023. 3. 6

☆☆☆瀬尾爺の味わい☆☆☆
 大阪のラジオで瀬尾一三が、中島みゆきの「体温」のレコーディングの様子を話す部分を聴かせていただいた。すでに拓郎のラジオで、中島みゆきのレコーディングに参加して、中島みゆきにハグして、瀬尾にギターの譜面を書きかえさせて、思いついてウー、アーのコーラスを瀬尾一三とともに急遽付け加えた顛末は知っていた。同じ事実を瀬尾サイドから聴くとまた面白い。「俺ギター弾いてもいいよ」というメールに始まって、どうせまた来ないだろうと思っていたら本当に来ちゃって驚いたし、難しい曲だと文句言われるだろうから「悪女」とコード進行が似ている「体温」を選んだ。ご本人はハグするわ、譜面のコード変えさせるわ、コーラスまで一緒にやらされて、とにかくかき回すだけかき回して嵐のように去っていったとのことだ。引退なんて半分くらい信じていないとも言う。こういう肝胆相照らす愛のツッコミをしてくれる側近が数少ないので妙に嬉しかった。

 たぶん吉田拓郎にはツッコミが必要だ。拓郎という人はどこまでも孤高の人でOKなのだが、時々しかるべきツッコミがないと、まるで田中のいない爆笑問題の太田のように、行くあてのない才気だけが暴走して辛くなりすぎてしまう気がする。そこでは側近やファンという見えない相方のツッコミがあって初めてバランスよく建つ構築物みたいなものではないか。
 とはいえファンのツッコミをフトコロ深く受け止めてくれるような人ではない(爆)。みゆきねぇさん、拓郎に何もかも愛ゆえのことだと言ってくれ。

☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「悪女」(歌・作詞・作曲 中島みゆき 「ラストツアー 結果オーライ」所収 ) ここに吉田拓郎のギターが入っていたのかと妄想し悶絶しながら聴くよろし。

2023. 3. 5

☆☆☆ソウルメイトの体温☆☆☆
 ということでムッシュかまやつモードから中島みゆきモードにゆっくりシフトしてゆく日々。中島みゆき&そのファンの方々には誠に失礼千万だが、中島みゆきの歌を聴く時、どの曲も吉田拓郎へのラブレターに思えてしまうし聴こえてしまう。いや思えなくとも無理矢理強引に読み込んでしまうのだ(爆)。その人のひそやかな恋心に気づいてしまった疼くような気持ち。ああ、そうだよ、それを「下種」というのだな。すまん。ただその思いは確実に推しにリタイアされてしまったファンの思いとどこか通底しているのだ。    

          「体温」
    あなたは確かに他人でも あたしはあなたが懐かしい
    生者必滅 さとってみても さみしさは羅針盤
    味方のいない世界なら 将来だけが非常口

  あ〜、みゆきねぇさん、またなんて珠玉の言葉を紡ぐのでしょうか。ただれるような淋しさとかすかな希望でしっかりと拠られていらっしゃる。

     体温だけが 頼りなの
     体温だけが すべてなの

 そうなのだ、リタイアしたけれど吉田拓郎は生きている。どこかでポジティブに体温を持って生きている。以前にも引用したファンの方の言葉が思い出される。

私たちが何といおうと拓郎は今生きているのだ。そのことにさえ私は感動する、と言ったら私の思い入れは強すぎるというべきなのだろうか…
           「吉田拓郎大いなる人」(P.89 八曜社 小久保明子さん )

 この方の言葉はこの道を行く私に>どんな道だよ、とにかく大切な言葉としていつも心の底にある。こんなふうにありたいと思う。この言葉を左とすれば、「体温だけが すべてなの」とこのフレーズは右ということでもしっかりと結びついている。

2023. 3. 4

☆☆☆春よ来い☆☆☆
 森山直太朗の「さくら(独唱)」が心にしみる。拓郎がリタイアしてしまった俺に、さくらは咲くのだろうか、春は来るのだろうか? んまぁ…とりあえず花粉だけはしっかり届いている。それにしても今年の花粉は凄くないか? どこかでマンモスフラワーが咲いて毒花粉を撒いているとしか思えない>知らねぇよ。官民学の総力をあげて阻止して欲しい。
 この「さくら」のタイトルには必ず「(独唱)」がついて「さくら(独唱)」と表記されている。このタイトル表記をみると「アゲイン(未完)」を思い出しませんか? そうですか、思いませんか。
 ☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「アゲイン」(作詞・作曲 吉田拓郎  「From T」所収)
 思い出したんで聴く。2014年のアンコールでオール・スタンディングした客席にしみわたるように歌われたあの光景が忘れられん。スタンディングしつつ、みんな拓郎の「完」の歌詞を耳をそばだてて聴き入った。名場面のひとつと思う。"僕らは今も自由のままだ"…このフレーズの素晴らしきこと。

2023. 3. 3

☆☆☆直太朗胎教理論☆☆☆
 昨年のラジオで、拓郎は松任谷正隆に「これからもボーカリストが必要だったら声をかけてくれ」と言っていた。今回のムッシュかまやつの七回忌ライブは、松任谷正隆の演出で武部聡志の主宰だったから登場してもおかしくないと思っていたが…ココではなかったか。ムッシュかまやつ編の最後にこれだけは言っておきたい。ハーモニカホルダーまで下げて「シンシア」を歌った森山直太朗を観ながら万感の思いがあった。
 Uramadoにも書いたと思うが、1975年12月31日大晦日のNHK紅白歌合戦で、森山良子は「歌ってよ夕陽の歌を」を歌った。そしてマチャアキは「明日の前に」を歌った。森山直太朗は1976年4月生まれだから、この時に良子さんのお腹の中にいたことになる。これを胎教といわずして何という。その直太朗が「シンシア(独唱)」を歌う。拓郎ファンとしては感慨深かった。森山良子がわたしたちのねぇさんだったら、直太朗はわたしたちの甥っ子である。他人ではない>いや思いっきり他人だろ。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「さくら(独唱)」(歌・森山直太朗/作詞・森山直太朗・御徒町凧/作曲 森山直太朗)
 もともと涙が出るほど感動的な歌であり熱唱であるのだが「吉田拓郎胎教理論」を意識してあらためて聴くとまた世界が違って見える>だから勝手な思い込みで言うなよ

2023. 3. 2

☆☆☆やつらの足音が聴こえてくるんだ☆☆☆
 ムッシュかまやつ七回忌ライブに行ってきた。渋谷公会堂はすっかり様変わりして現代的で素敵なホールになっていた。「ココは渋谷区役所があった場所で、渋公はもっと向こうにあって…」と頼まれもしないのに語る俺は「昔この辺はみんな畑だった」とか繰り返す爺ちゃんと同じだ。
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 こんな素敵な七回忌は観たことがない。老若男女それぞれのミュージシャンやリスナーの中に生きている"わが心のかまやつひろし"が自由に行き交う宴のようだ。特に,そんなにも大切な人だったのか、武部聡志。武部の言葉にうっかりもらい泣きしそうにもなった。
 それでも楽しい一夜だった。マスクこそしていたけれど、歓声、唱和も制約がなく、森山直太朗の♪シンシア〜に「Hu!Hu!」の合いの手も気兼ねなくできた(客席で自分もいれて4名ほど確認)。それだけで気分はアがる。ラストの「バン・バン・バン」「フリフリ」あたりでの久々のスタンディングは、ああ〜ライブに帰ってこられたのだと思えた。
 FUNKな「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」…そうかこの歌はこうしてソウルが歌い継がれてゆくのか。ああ、マチャアキと井上順。損得を考えない魂のサービス精神。期待していたことを全部やってくれた。「なんとなくなんとなく」も素敵だったよ。
 そして不在の吉田拓郎の歌は森山家で処理してくれた。なんでこの歌をといいつつ「我が良き友よ」を熱唱してくれた良子ねーさん。やはり今日吉田拓郎と私達があるのは森山良子のおかげである。
 音楽って自由なものなんだという拓郎の言葉が何度も身にしみた。君と会ったその日からなんとなく幸せ。もっともっとライブに行きてぇと叫ばずにいられない。
 ☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「どうにかなるさ」(歌・かまやつひろし/作詞・山上路夫/作曲 かまやつひろし」所収)
 昨日のマチャアキの話。「これハンク・ウィリアムスの曲に似てない?」「いい曲はみんな似てくるものなんだよ(笑)」このやりとりも含めていっそういとおしくなるこの歌、このボーカル。

 WOWOWで放送するらしいけれど去年で退会しちゃったよ。
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2023. 3. 1

☆☆☆体温だけがたよりなの☆☆☆
 ということで今日はムッシュ=かまやつひろしさんの命日。七回忌だ。あなたは確かに他人でも あたしはあなたが懐かしい。すっかり中島みゆきとシンクロしてしまっている。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「体温」(歌・作詞・作曲 中島みゆき アルバム「世界が違って見える日」所収)〜「なんとなくなんとなく」(歌・作詞・作曲 かまやつひろし アルバム「Classics」所収)
 行方知らずの願いのカケラ…ああ、聴こえた、聴こえたよ。なんとなくなんとなくしあわせ。

2023. 2. 28

☆☆☆らしい心で生きて☆☆☆
 セブンスターショーでユーミンが見守る中、ティン・パン・アレーをバックに「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を歌うムッシュ。カッコイイったらありゃしない。「我が良き友よ」は自分らしくないと悩んだムッシュが、B面は自分の好きにやらせてくれということでこの歌が完成したという。確かに男臭いバンカラの世界とムッシュは対極のようだ。
 しかしムッシュはいいのだがこの言説がひとり歩きすると「吉田拓郎=バンカラ=下駄野郎」というイメージが根深く定着してしまう危険がある。せっかくのサイトなので強く言いたい。バンカラの世界がムッシュらしくないように、吉田拓郎もまたバンカラらしい人ではない…と俺は思う。この歌のおかげで吉田拓郎は下駄を履いて歌い、昨年末に下駄を履いたまま引退したと信じている国民がかなりいるという悲しい現実がある。
 そんな歌を自分で作ったから自業自得だと言う意見もあろう。しかし「宮本武蔵」を書いた吉川英治先生が剣豪だとは誰も思わないだろうし、石ノ森章太郎先生が改造人間かサイボーグだと信じている人もおるまい。たぶん拓郎が広島商大の応援団の時の一瞬の経験を膨らませたストーリーテリングがあまりに見事だっただけだと思う。
 なので吉田拓郎=バンカラというイメージはたぶん拓郎も不本意だろう。いや正直にいうとそれは吉田拓郎のためというより、俺自身が下駄と手ぬぐいの世界を愛してファンサイトまでやっている輩と思われるのが我慢ならんのだ(爆)。俺は、もっと耽美で洗練された世界を応援しつづけてきた、結構イケてる人のつもりなのだ(爆爆)。そうだろう君たちだって。

 この歌はバンカラの世界を描きながら実はその種の世界観とは違う。それは松任谷正隆や高中正義を配したサウンドも含めて。そしてやはりその種の世界にありがちなものとは違うムッシュのやわらかくて品のある個性的なボーカルが妙味を出している。事実「我が良き友よ」は演歌系の方々が競ってカバーしているがあきらかに別の曲になってしまっている。「らしくない」人が作って「らしくない」人たちが演奏して「らしくない」人が歌う。その結果できあがる歌にはバンカラの世界とは違う「煌めき」が宿っていると思うのだ。そのあたりはまたいつか。

 と、ここまで書いてUramadoを読んだら、随分昔におんなじことを書いていることに気づいた。http://tylife.jp/uramado/wagayoki.html ああ爺ちゃんは何度も同じ話を繰り返す。ちょっと悲しくなったが、大事なことは何度も指差し確認するように繰り返すのだ。昨日、戸締り確認したから今日は確認しないという人はおるまい。これでいいのだ。

 そうそう1999年の20世紀打ち上げツアーのメンバー紹介では、武部、鳥山、それこそ「らしくない人たち」が、それぞれ独唱させられていて面白かったな。

☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「我が良き友よ」(歌・吉田拓郎&かまやつひろし/作詞・作曲 吉田拓郎  DVD「Forever Young 吉田拓郎・かぐや姫 Concert in つま恋2006」所収)
 つま恋2006のリハでムッシュが「拓郎、"我が良き友よ"の歌い方ヘタだよね」「ヘタだよ、でもアンタに言われたくないよ(笑)」という二人のかけあい、そして本番で歌うムッシュに寄り添う拓郎。…すべてがイイ。そして今となっては泣かせる。

2023. 2. 27

☆☆☆その狭き門☆☆☆
 そろそろムッシュかまやつモードに入ってゆく。このモードの入り口は、勝手知ったる勝手口から入ると意外と入りにくい。
 中学1年の春に聞き始めた「かまやつひろしのライオンフォークビレッジ」がきっかけで初めて買ったEPの「シンシア」は俺にとっては登竜門で、すぐに「我が良き友よ」という晴れがましい凱旋門が開いたし、「水無し川」は教育学部の裏の西門みたいなものだ>知らねぇよ。そんな門から入ったつもりが、気が付くと門外漢になっていたりするのだ。
 それよりもあのときは、うわ〜こりゃ難しい歌だな〜となかなか理解できなかった「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」。こっちこそが彼の深奥に向かってまっすぐに開かれた正門だったことに気が付く。裏門こそが正門だったのだ。ああ〜誰か私をパリに連れてって。フランス人になりたい(爆)。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」(歌・かまやつひろし/作詞・作曲  かまやつひろし  シングル「我が良き友よ」所収)
 ♪君はたとえそれが小さなことでも 何かに凝ったり狂ったりしたことがあるかい?  そうだ何かに凝らなくてはダメだ。くるったように凝れば凝るほど、君は独りの人間として幸せな道を歩んでいるだろう。…かまやつさん、そのとおりでした。

2023. 2. 26

☆☆☆アイツのマシンは☆☆☆
 愛のスカイラインといえば、ケンとメリーのスカイライン。その名を聴くと、とある拓郎ファンの方を思い出す。リアル狼のブルースよろしく深夜放送帰りの拓郎の車を溢れる愛で追いかけて東名をカーチェイスしたという彼の武勇伝は、拓郎もラジオで忘れじの思い出として語っていた。追っかけと言えば、コンサートの入り待ち出待ちしか浮かばないワシらとはギアの入り方が違うな〜と感心したものだった。お元気だろうか。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「狼のブルース」(作詞・松本隆/作曲 吉田拓郎 DVD「吉田拓郎アイランドコンサート」所収)
 これは個人的には、数あるバージョンの中で、篠島のバージョンがスピード、スリル、サスペンス揃い踏みで格別にイイんだわ。島村英二のドラム炸裂。ああ青春に続いてぐいぐい行きまっせ感が最高。

2023. 2. 25

☆☆☆それでもついてくわ手を離さないで☆☆☆
 ラビさんの「愛のスカイライン」は本当にすんばらしくて、YouTubeでも聴けるので、ゆかりの人たちとわかちあい聴きながら泣いている。うーん、もろもろ後悔あとをたたず。でも言いたい。「ありがとう、ラビ」って、それは昔の国語の教科書の「一切れのパン」だ。
 当然のことながら、だからといってBUZZが良くないというのではない。そうだ、BUZZといえば「あなたを愛して」を忘れちゃいけない。あの歌はさ、♪唇まどろむシーサイドホテル〜…このメロディーと詞と譜割りの快感。歌ってみてよし、聴いてみてよし、小気味よさ。この歌はココ一択だね。あくまで個人の感想です。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「こんなに抱きしめても」(作詞・岡本おさみ/作曲 吉田拓郎 「COMPLETE TAKURO TOUR 1979」所収)
 BUZZは篠島でもお世話になりました。この歌はビッグバンドによる篠島バージョンがもう圧倒的にカッコイイよ。BUZZのコーラスが思いきりbuzzってる…ってしつこいぞ俺。

2023. 2. 24

☆☆☆今が通り過ぎてゆくまえに☆☆☆
 昨日にかけて身体のあちこちをメンテしていただいて、帰りに中山ラビさんの店「ほんやら洞」に立ち寄った。物静かな息子さんがあのままの状態で店を続けておられる。カウンターには常連さんが並んで談笑し、テーブルには若いお客さんがくつろいでいる。不在のラビさんは小さな写真で鎮座しておられる。不在は不在であの人の不在は埋めようがないが、みんなが折り合いをつけて、それぞれの日常を生きているようなそんな空気が素敵だった。ラビさんの思い出話の中に、たまに登場する若くてやんちゃでちょっとシャイな吉田拓郎を思い出しながらチョイ飲んだ。息子さんがなんかのインタビューで「おのが仏の三回忌」と語っていたが、あ〜今年はもう三回忌かな?
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
 「愛のスカイライン」(歌・中山ラビ/作詞・山中弘光、高橋信之(補作)/作曲・高橋信之)ケンとメリーのスカイラインのCMでBUZZが歌ってbuzzったw名作だが、中山ラビバージョンもあるのだ。高中正義、小原礼、高橋幸宏という、おまえの足音が聞こえてきそうなサウンドだ。とにかくラビさんの歌いっぷりが素晴らしいです。こっちの方がいいと思います(当サイト比)。

2023. 2. 23

☆☆☆一人だけの流行語☆☆☆
 昨日の「天衣無縫」は、吉田拓郎の本質のひとつではないかと思っている。 「天人や天女の着物には縫い目がないことから、文章や詩歌がわざとらしくなく自然に作られていて巧みなこと」…この言葉が、ひとり自分の中だけで大流行している。

 この言葉が最初に浮かんだのは初めて"いくつになってもhappy birthday"を聴いた時だった。このメロディーには、こしらえたり、ツギハギしたりした縫い目がまったくない。そこから湧いてくる心地良い幸福感。吉田拓郎まもなく55歳の時だ。その歳でよくこんなにも素朴で屈託のない自然なメロディーが出てくるものだという衝撃があった。いや、歳を重ねたからこそ可能になる巧みなのか。もちろんこれより完成度が高かったり名曲だと胸を打つ拓郎のメロディーはたくさんある。ただこの「天衣無縫」というインパクトはまた別ものだ。

 二度目に「天衣無縫」を感じたのは"ぼくのあたらしい歌"を聴いた時だった。70歳を超えてもこんなのびやかなメロディ―が出てくることに今度は安堵したものだ。康珍化の詞は、まるで拓郎夫妻のラブリーな日常を描いているようで、拓郎はインタビュアーの桑子真帆さんに「歌っててとても恥ずかしい」と語っていた。大丈夫だ拓郎、聴いてる俺ももっと恥ずかしい(爆)。しかしこの縫い目のない自然なメロディーだけで十分に心をウキウキとホップさせてくれる。

 そしてアルバム「ah-面白かった」だ。これより凄いアルバムや凄い名曲はいくらでもある。ぶっちゃけどの曲も既存の名曲を超えるものではない。すまん。それでもなぜ妙に心に刺さってくるのか。ラストアルバムとかジャケットとかそういうバイアスを除くとやはり「天衣無縫」感が全体に満ちているからではないかと思う。自然に作られていて巧みがある。それが心を静かに弾ませてくれる。だからどの曲もいとしい。拓郎が、曲がどっからか降りてきたというのは本当ではないか、まさに天女が降りてきたんだと思う。

☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「ぼくのあたらしい歌」(作詞 康珍化・作曲 吉田拓郎 DVD「LIVE2016」所収)
 映像しかないのでアクセスしにくいったらありゃしない。いちいち武部の顔から入らなきゃならない(爆)なんかのCDに入れとくれよ。
 そうか〜"いくつになってもhappy birthday"と"ぼくのあたらしい歌"は曲相もよく似ている。"岸井ゆきの"と"古川琴音"くらい似ている(爆)。この二人すっかり混同していたわ。…ああ老いを感じるわい。爺ちゃん、目を澄まして。

2023. 2. 21

☆☆☆合言葉は天衣無縫☆☆☆
 「たっちん」「ともりん」「なーたん」…いつもだったらオイラをナメちゃいけねぇよという荒んだ気分になるところだが今回は違った。ふっ切れたような拓郎の元気さがとても眩しかった。自由だ。歌で言えば
  ♪今、君は解き放たれて 自由へと翼広げる 
   英雄の名に縛られずに 閉じこもる館さえもいらない
 こんな感じだ。元気で生存している人に,この歌でなぞらえるのは失礼かもしれないが、アナタが自分で作って,さんざん歌ったんだからいいじゃないの。

 高齢化してからの吉田拓郎を観ながら「天衣無縫」という言葉がときどき浮かぶ。今回のラジオでもそうだった。「天衣無縫」とは、辞書によれば、 天人や天女の着物には縫い目がないことから、文章や詩歌がわざとらしくなく自然に作られていて巧みなこと 。人柄が飾り気がなく純真で無邪気なさま。天真爛漫なこと。

 そして自由で天衣無縫な吉田拓郎は「もう俺の後ろ影を追うな」そう言っているような気がした。たぶん言ってないだろうけど(爆)。でも、ひとつ言えるのは、こっちはこっちで解放されたのだと思う。こっちも自由だ。…解き放たれた歌手と解き放たれたファン。これからが面白いんでねぇの。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「夕映え」(作詞:石原信一/作曲:吉田拓郎 「吉田町の唄」所収)
 けれど自分の後ろ影を責めるなよ、笑うなよ、僕は誰にも奪われない、愛する君のそばにいる…亡くなった大森一樹監督にはすまないが、あんな映画にゃもったいない珠玉の名曲だ。個人の感想です。

2023. 2. 19

☆☆☆そして誰もいなくなった役員室午後3時☆☆☆
 これは俺の勝手な思い込みというか妄想だ。これに限らずこのサイトはみんなそうだけどさ。
 これまで吉田拓郎がさまざまなインタビューでフォーライフの社長時代のことを語ってきたが、もっとも凄絶さが伝わってきたのは、経営危機のときにスタッフを整理=切らなくてはならなかったというくだりだ。
     「応援できない人には辞めてもらう」と言ったよ。地獄だったね、本当に。
      …全員辞めてもらった。それが大変だった。
             (吉田拓郎「もういらない」祥伝社・P.110〜111)

      切った。それはもう今でもほんとに悲しいくらい切った。
      その人は恨んでるでしょう、その家族もみんな。
             (「月刊PLAYBOY」第137号」"吉田拓郎インタビュー"集英社P.43)

 読んでいるだけで辛くなる。一緒にフォーライフに夢をかけて参加してくれた人たちを自ら切る。切られた人々が一番大変だったろうが、切る方も平気でいられるわけがない…赤い血が見えないか。その人たちの家族にまで思いを致す拓郎。どれほど辛かったのか、俺なんかには想像もつかない。そう思うと昨日のラジオで「こんなことをするために東京に出て来たんじゃない」という言葉も悲痛な叫びのように響いてくる。

 たとえ今、すべてが昔話になったとしても、偉業だったとか、革命だったとか、青春の思い出だったとか「吉田拓郎」が賛美されるような歴史には絶対しない、してはならないという、吉田拓郎本人の固い決意を感じるのだ。だからこそ完膚なきまでフォーライフへの参加を間違いだったとキッパリ断言するのではないか。…あくまで根拠なんてない勝手な邪推だけどさ。

 ともかく吉田拓郎はフォーライフについてはもうすべてを語り終えたに違いない。吉田拓郎が残酷なまでにキッパリと総括する背中を見つめながら、いや,それでもフォーライフの描いた夢も数々の素敵な音楽もそして何よりフォーライフのために苦闘した吉田拓郎の素晴らしさも、こっちにはちゃんと届いているぜ、と静かに心に把持しつづけたい。

☆☆☆今日のソウルメイトな曲☆☆☆
「流れる」
(作詞・作曲 吉田拓郎/編曲 松任谷正隆 Sg「となりの町のお嬢さん」所収)
これがはじまりの唄。思い出すな荒野の朝を、今は黙って静けさを愛せばいい。
「気持ちだよ」(作詞 康珍化/作曲 吉田拓郎/編曲 瀬尾一三)
 そして最後の唄。気持だよ、気持ちだよ、君から貰ったものは。

2023. 2. 18

☆☆☆オールナイトニッポン55周年記念吉田拓郎のオールナイトニッポン☆☆☆

 前番組の最後に山下達郎の「拓郎さんお身体お大事に、なかなかお目にかかれませんが」とのお言葉があった。そして始まった、たっちん、ともりん、なーたんのまとまらない三人のオールナイトニッポン。通りすがりのおじさんとおねーさんたちの井戸端会議みたいである。
 とにかく何事もなかったかのように極めて自然に始まった。相変わらず声がいい、滑舌もいい、そして何より自由闊達な感じがまたいい。まったく衰えていない。むしろ衰えたのは俺の方だ。書き起こしをしようと思ったらもうこの爺は手も頭もついていかない。もともとこの声の質感やゲストとの自由軽妙なやりとりは文章に起こせるものではない。なのであきらめた。

☆篠原がバラした色分けした台本を丹念に作っている吉田拓郎。どうしても昔の天衣無縫キャラの印象が強い篠原だが、実はかなりクレバーで、目ざとくて、それで結構しつこい(爆)。油断がならないタイプである。いい意味で、だ。

☆スポーツ、学業万能の好漢A君、C君。写真部、帰宅部、悶々として日々を送る今でいうと陰キャのB君とD君。映画「桐島、部活やめるってよ」が思い出される。若き日の残酷なヒエラルキーだ。やっぱり若いころのこういう鬱屈した気持ちって大人になっても引きずるし影響するのはとてもよくわかる。それでも吉田君は吉田拓郎になったからいいじゃないか。吉田拓郎になれなかった私も含めてたくさんのB君、D君が吉田拓郎に超絶あこがれてしまうのかもしれない。蜘蛛の糸を独り登るカンダタを追いかけて登ろうとする地獄の人の群れ、私もそのひとりだ…って陰惨な例えだな。

☆病弱な少年が立浪部屋の時津山にファンレターを出したら「大きくなったら訪ねてきなさい」…初めて聴いた話でちょっと胸が熱くなる。

☆「私が不健康だとお酒の印象を悪くしてしまう」,「ウコンのチカラを借りればどこまでもいける」…拓郎は奈緒さんとは酒を飲みたくないというが、特に半沢直樹とメフィラスが出てくるビールのCMの奈緒の飲みっぷりがいい。俺はかなり好きになってしまった。 

☆フォーライフへの参加を深く後悔する吉田拓郎。社長になるために東京に出てきたんじゃない。そこまで後悔しているのか。確かにあのままソニーの環境にいたら音楽もまた違っていたのだろうか。それはファンとしても気になるところだ。しかし、それでもフォーライフの設立そして再建に粉骨砕身取り組んだ吉田拓郎を誇らしく思う。もうそんな拓郎のことを喧伝したりはしないが、密かにあの素晴らしさは心の中で思い続ける。

☆「自分は何かを頑張った気がしない、ラックは持っていたが、なんとなくレールに乗っていた。ホメてやりたいような決断や努力はない。運が良かった、自分から飛び込んだ気もしない」
 私から見れば自分から荒海に飛び込んで抜き手をきって泳ぎ、身を削りながら頑張って、大いなる成果を成し遂げた立志伝中の人にしか見えない。たぶん世の人々もそう見ているはずだ。拓郎の主観と傍目の客観の大いなるズレ。そこで出てくるのがあの「天才に向上心はいらない」というかの名言なのだ。それは吉田拓郎が本当に骨の髄まで音楽家であり、魂の底から音楽を愛しているからなのだとあらためて思う。

☆「これからのことは佳代と二人で決めるのでここでは言わない。毎日楽しい、以前とは違う楽しみ方があるということをお伝えしておきたい。生きてみないとわからない。今は凄い楽しい」
 去年のadayに書いたけど映画「コーダ・あいのうた」は実にいい映画だった。確かに、主人公は、あいみょんに似ている。そしてあの父親は高田渡に似ていると思う。
 あいみょんの2018年がもう古いというこの感覚は確かにショックだ。LOVE2の開始も2006年のつま恋もつい最近のことだというのが肌感覚だ。だからリタイアして正解だったのか、本当にそうなのか、これは深めてみるに値する問題だ。

☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡
 「僕の一番好きな歌は」(作詞・作曲・歌 吉田拓郎 1979年ラジオ音源)
 「僕の大好きな場所」を「僕の一番好きな」と言ってしまうから、久々に聴きたくなった。遠い昔の合戦を観ているような、いや今だからこそしみるものなのか、それはこれから生きてみなきゃわからない。しかしこのソウルは永遠のものだ。

 リタイア後これからどうなっていくのかわからないなかで、こんなふうに通りすがりのように突然あらわれる吉田拓郎がいる。推しがリタイアしてしまったファンの明日はどっちだ。さしづめ「吉田拓郎ファン」もやりつづけてみなきゃわからないということだろう。ということで、また通りすがってくれんさいや。

2023. 2. 16

☆☆☆原宿は今日も雨だった☆☆☆
 「たえこMY LOVE」といえば、あの雨音の効果音だ。クラクションが小さく鳴ると雨音を切り裂いて♪た・え・こ・MY LOVE 雨のぉ中をぉ踊るようにぃひぃ〜消えてい〜〜った…何度聴いてもこのドラマチックな導入がたまらんぜ。うまい。うますぎるぜボーカルが。
 「雨の中で歌った」のおかげで、たえこMY LOVEの舞台が原宿・表参道であることがわかった。そうするとどうしても思い出すのが、

 どしゃぶりの雨の中、タクシーを降りて僕は一人
 想い出のたくさんしみこんだ 表参道を歩いている
 あれはそうもう何年も前 やるせない思いを友として
 都会に自分を馴染ませようと 原宿あたりへやってきた
 その日も雨模様で かすかに山手線を走る電車の音は心地よく

 ああ〜町中華見逃しちゃったよ残念。それにしても名曲ばい。最初はたぶん山手線で西も東もわからず来た街に、数年後にはタクシーで乗り付けてやったぜという出世の歌だ>まったく違うだろ
 そう吉田拓郎の原宿は「雨」なのだな。雨の原宿…「雨の西麻布」は、とんねるずだった。あれもいい歌だった。♪双子のリリーズ〜 ザ・リリーズといえば10年くらいの前に原宿ラドンナで二人揃ったお姿をお見掛けした。ああ、サインをいただきたかった。ご冥福をお祈りします。ちゃんと原宿に帰って来た。  

☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「街へ」(作詞・作曲・歌 吉田拓郎 編曲 ブッカー・T・ジョーンズ「Shangri-la」所収だが、セイヤングで流したデモテープを)
 「街へ」はデモテープがメチャ好きだ。キーもあっていないラフなデモテープなのだが、街も自分も雨の中にとろけてしまうような抒情的な感じがなんともいえずにたまらない奇跡のバージョン(※個人の感想です)。あと何万回でも言うが1980年の武道館のゴージャスな松任谷アレンジバージョンを公式音源化して欲しい。
 「好きよキャプテン」(歌・ザ・リリーズ/作詞・松本隆/作曲・森田公一)
…松本、おまえだったのか。中学の時、テニス部のキャプテンもちだ君が女子たちにこの歌を歌ってもらっていてすげー羨ましかったのを覚えている。拓郎の言うとおりスポーツできなきゃ女子にはモテないよな。…いちおう水泳をやっていたのだが、そんなんじゃダメ、やっぱり、やれ野球やれ、サッカーやれじゃないと。

2023. 2. 15

☆☆☆雨の中で俺も歌った☆☆☆
 冬の雨の中を仕事でトボトボ歩いていると切なくなるくらい寒い。切なさは孤独感というよりもう自分が用済みのようなやさぐれた気分に近い。”冬の雨”って歌(アルバム「ひまわり」所収)はカッコイイけれど、実際に歩いていると芯から凍えて気持ちも荒んでくる。しかし歩きながら「雨の中で歌った」が脳髄の奥底から湧いてきて、ずっと小声で口ずさんでいた。なんだろう、このメロディーの気持よさというか心地良さ。ちょっと温かな気分になってウキウキしてくる。いつまでもこのメロディーにずっと浸っていたいと心の底から思った。

 「ah-面白かった」の中で一番最初にデモテープを聴かせてくれたのがこの作品だ。その時の俺の印象は正直に言うと「こりゃ凡作ばい」だった。可もなく不可もないとても平凡な拓郎節。すまんな、こういうときは拓郎ファンとしては「どこか懐かしい感じ」とか「拓郎らしさを感じる」と表現すべきかもしれないがそれでは拓郎に失礼である。>凡作の方が失礼だろ。

 でもこうしてレコーディングされた完成品を聴くと音楽からしみじみと湧いてくる幸福感を感ずる。そしてWANGANの実写版になってくるとまたライブだからこその演奏と歌いっぷりのラフさにまたあらたな命が弾んでくる。名作じゃん。この平凡を心から愛している自分に気づくのだ。そしてそこにはささやかな幸せがある。
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これだ。…怒られるぞ。あくまで個人の感想です。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
 「たえこMY LOVE」 (作詞・作曲・歌 吉田拓郎 「ONLY YOU」所収)〜「雨の中で歌った」 (作詞・作曲・歌 吉田拓郎 (作詞・作曲・歌 吉田拓郎 「ah-面白かった」所収)
「たえこMY LOVE」の後日譚ソングということなのでループしながら聴く。たぶんONLY YOUバージョンの方が組曲的一体感でしっくりとつながるような気がする。…と思いつつ石川鷹彦アレンジのシングル盤のあとに聴くと映画でいえば回想シーンからの劇的な場面転換みたいな感じがしてこれもまたいい。どっちがいいかじゃなくて、どっちもいい。

2023. 2. 14

☆☆☆東京駅地下道のひとごみの中、ああ〜☆☆☆
 東京駅地下のムーミン・ショップが今日で閉店ということで驚いた。かなしい。壁のソフィア・ヤンソンのサインはどうなるんだろう。一昨年に吉田拓郎のファンクラブであるTYISが終了した。昨年末にムーミン公式ファンクラブも閉じて、ついに私はどのファンクラブにも属さないこととなった。その矢先のこの愛用ショップの閉店である。これがホントの推仕舞(おしまい)である。
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 最後の品出し福袋を買って、おねぇさんたちに長い事ありがとうございましたと礼を言った。正直、福袋の中は要らないものばかりだったが(爆)、そこは気持ちだよ、気持ちだよ、君にあげたいものは。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
 「まるで孤児のように」(作詞岡本おさみ/作曲吉田拓郎/編曲青山徹「アジアの片隅で」所収)
 なんだか俺たち荒れ果てた土地に取り残された、行く場所のない孤児みたいだな…なぁ今こそ静かなるファンクラブが必要なんじゃね? 

2023. 2. 12

☆☆☆どこで自由を手にすればいい☆☆☆
 なんだか世間が息苦しい。例えば同性婚制度は、現行憲法では「想定されていない」というのが政府見解だという。確かに想定はしていなかったにせよ、断じて禁止はしていない。
 憲法24条「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立する」…この規定は「愛し合う二人の思いが全てです。それ以外は「家」だろうが「しきたり」だろうが、誰にも何にも邪魔はさせません」という愛し合う二人へのエールだ。だから、愛し合う同性婚を禁止するだなんて言うはずがない。音楽に魂=ソウルがあるように法にも魂=ソウルがある。愛でないものはあるはずがない。…これから社会的な議論を深めたいと薄っぺらな口上を耳にするが、その議論に愛とソウルはあるんかい。
 この問題に限らず、総じて少数者をこの経済社会のために少しずつ粛清していくような流れが感じられて息苦しいし、怖い。ジョン・レノンが亡くなった時、アブレ者は抹殺されると泣いていた拓郎の言葉を思い出す。もちろん拓郎さんが今この問題をどう考えるかは知らないし、わからない。それでも私は、拓郎の歌はすべての愛し合う二人を応援する歌だと勝手に思い勝手に理解している。そしてこれまた勝手にこういうときの応援歌だと思う。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「Life」(歌・作詞・作曲 吉田拓郎「FOREVER YOUNG」所収)
 しくみがあるから生きるわけじゃない、勝手なルールを押し付けないでくれ、わかったな愛を巧みに操る者たちよ。いいわぁ。原曲はもちろん85つま恋の凄絶なバージョンもいい。惜しむらくは2000年代の深みのある歌声でのバージョンも欲しかったと…これも勝手に思う。

2023. 2. 11

☆☆☆ラジオはハッピーな友達です☆☆☆
 あらためてラジオと吉田拓郎の絆の強さ、やっぱり吉田拓郎にとってのラジオってすげぇものなんだなぁと思った。もちろん説得にご尽力いただいた皆様方に深謝申し上げます。貴重な近況確認であり、また引退してしまったわけではない状況証拠でもある。なーんてことを超えて、ただひたすらに楽しみである。とにかく18日までは、死んだふりしてまだ生きられる、おまえだけが命あるものよ〜
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「oldies」※バイタリスフォークビレッジのテーマ(作詞・作曲・吉田拓郎「Oldies」所収)
 ラジオといえばコレだ、神田共立でのサプライズも記憶に新しい、♪ここに一人でいる僕を 夜空のどこかに記しておきたい 愛する人に 届けと〜ココがいいんだよな。

2023. 2. 10

☆☆☆祝・2/18 am11:00 オールナイトニッポン出演☆☆☆

「もう帰って来やがって」と涙ぐむ
              天邪鬼推すもまた天邪鬼
                        星超空
…俺も長山短歌賞に応募しようかな>短歌じゃねぇし

☆彡☆彡今日のソウルメイトな曲☆彡☆彡☆彡
  「誕生」(歌・作詞・作曲 中島みゆき/編曲 瀬尾一三)
    ♪私いつでもあなたに言う、戻ってくれてWelcome\(^o^)/
       ※原詞は「生まれてくれて」です。

2023. 2. 8

☆☆☆挟まれる吉田拓郎縁起☆☆☆
 昨日はアグネス・チャンの「アゲイン」を聴きながら、ああ〜こりゃあ名曲ばい…とあらためて感じ入った。僕らは今も自由のままだ>だからそっちじゃない。そっちも名作だが。
「作詞・松本隆/作曲・吉田拓郎/編曲・松任谷正隆」…このクレジットが醸し出すなんとも言えない盤石感。そして神々しさ。字面的に「作曲吉田拓郎」が「作詞松本隆」と「編曲松任谷正隆」に両脇を挟まれると名曲率は100%である。以下に表にして検証してみた(爆)。
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…ほ〜ら無敵だ。「吉」の字が両側の「松」に挟まれて名曲出来。こいつぁ縁起がいい。これを吉田拓郎=門松理論と名付けたい。意味わかんねぇよ。
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 引退したわけではなく曲はこれからも作り続けると拓郎はラジオでも言っていた。いつかまた気分が乗ったら「門松」で作ってみてくださいな。
☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡
「英雄」(作詞・松本隆/作曲・吉田拓郎/編曲・松任谷正隆 「ローリング30」所収)
  門松はしみじみとした名作が多い中でのハード路線のこの歌。詞もメロディも歌もそしてこの素晴らしきアレンジも、すべて魂が燃え立つ感じがすげーいいぞ。聴いているこの爺もこのままじゃダメだ、俺も決起して何かをせねばといてもたってもいられなくなる。何もしないけどさ。

2023. 2. 7

☆☆☆愛と哀しみのオメダ☆☆☆
 「カンパリソーダとフライドポテト」はなんといってもあのケーナのイントロがすばらしい。美しくて悲しい音色とメロディーの寂寥感があの歌を象徴している。ケーナという楽器だというのは当時のフォトブック「大いなる人」(八曜社)に書いてあった。しかし当時はネットもない高校生だったのでどんな楽器かはわからずじまいだった。後年、俳優の田中健がテレビに出てあちこちでケーナを吹き始めたおかげで初めて本物のケーナを観ることができた。ご存じのとおり田中健のケーナは趣味などではなくプロのレベルということだ。
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 なにせ田中健は家でケーナを吹き過ぎでウルサイということで家族から追い出され多摩川の川原で吹いていたと芸能ニュースでも報じられていたほどだ。こんなふうにケーナの音はどこまでも悲しみでできているのだ。※念のため田中健がカンパリのケーナを吹いているわけではないから(爆)、小出道也という笛奏者の方である。

 いやいや歌に話を戻そう。あのケーナのイントロのメロディ―が、今度は間奏では鈴木茂の見事なギターでトレースされる。このギターはがまた美しく東海林太郎の国境の町とのブリッジが胸を打つ。あ〜鈴木茂、天才と思わず叫びたくなるゆえんだ。

 この名作が1978年の春のツアーでは最初の数本で歌われただけで、セットリストから外されてしまったのが残念だ。チリチリパーマとともに幻のテイクになっている。

 同じくケーナ(だと思うけど違ったらごめんね)が印象的なイントロの名曲がもう一曲ある。こっちは松任谷正隆先生のアレンジだ。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
 「アゲイン」(歌・アグネス・チャン/作詞・松本隆/作曲・吉田拓郎/編曲・松任谷正隆)
 この(たぶん)ケーナのイントロも切なく疼くようで、悲しみのブレンドされた拓郎のメロディーとリンクとしている。そして松本隆が見事に描く映画のような情景…最初の機関車を降りるところ、これって赤毛のアンのプリンス・エドワード島がモデルではないかと思っているのだが。

2023. 2. 6

☆☆☆t.yを愛する諸国民☆☆☆
 昨夜はtくんらと目黒の坂の途中の店に集まり禁酒の誓いを思い切り破った。禁酒の誓いなんて破られるから美しい。
 当然の如く一線を退いた吉田拓郎の話になった。tくん曰く「これが逆だったらどうだろう。先にこっちが聴けない身になってしまったら、それはそれで心残りなんてもんじゃない。」…切ない話だが十分にありうることだ。我なき後にごっつすげー新作出したり、ごっすげーライブやったりしたらと思うと超絶悔しいわな。今は亡きk君の顔が浮かんだ。その無念たるやいかばかりか。「拓郎がココまでだよという線を自分で引いてくれたことは、こちらにとってもありがたいことかもしれないと思う」…酔ってたんでtくんの言葉の主旨をちゃんと捉えていないかもしれないし、もっと他のことも言おうとしていたのかもしれないが、ああ〜そういう考え方もアリだなと思った。

 一線を引いたことで、正しい表現なのかはわからないが吉田拓郎は肉身ではなく法身となった。あるいは我が幻の兄弟の言葉を借りれば「文化」そのものになったのかもしれない。
 例えばtくんはまだ買っていないアルバム、買ったけど聴いていないアルバムをこれから辿るとのことだ。ミッツ・マングローブが2022年は拓郎元年でこれから一枚ずつアルバムを聴き始めるというのとスピリットは一緒だ。それは楽しいだろうな。
 文化のいいところは、永遠でしかも自由なところだ。忖度もキマリもなく、それぞれがそれぞれに自由に文化を味うだけだ。文化になった吉田拓郎を前に、健康で文化的な最低限度の生活を営み、平和のうちに個人として生命、自由及び幸福追求に生きる。それは保障しますって、ちゃんと憲法にも書いてある(爆)。

 それにしてもtくんは心の底からカンパリソーダにハマっていて飲みっぷりが見事だった。最初から最後まで食前酒を飲みつづけるもんじゃないと注意されたそうだが(爆)。そんなにカンパリが好きになったのか、tくん。ということで。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「カンパリソーダとフライドポテト」(歌・詞・曲 吉田拓郎 アルバム「大いなる人」所収)
 思い切り逆風の吹く中を木の葉のように舞いながら進む二人、切なくも力強いラブソングだ、拓郎の素晴らしさと共に、鈴木茂…アナタは天才!!

2023. 2. 5

☆☆☆君の欲しかったものはなんですか☆☆☆
 タイトで骨太なドラムに導かれたLIVE2016「僕達はそうやって生きてきた」が終わって余韻に浸っていると「流星」が始まる。ついついそのまま聴いてしまう。CDで聴くと正直こんなに良かったのかとあらためて思う。ほぼピアノだけの下支えで拓郎のボーカルを思いっきり真ん中にフィーチャーして始まる。心にしみいる拓郎のボーカルの威力が胸を打つ。やがてバンドサウンドにつつまれてもそのまま拓郎のボーカルだけが強く刺さってくる。いいぜ。だから、あの最後の最後が、際立つ。これだけの演奏なのに惜しい、残念という気持ちと、これはこれで拓郎の魂の発露で、これを含めて凄いじゃないかという気持ちが交錯する。どちらにしても絶品のひとつであることは間違いない。

 それにしてもよくまあこれだけの曲が、1979年のTOUR79/篠島から1999年の20世紀打ち上げパーティまでの20年間も放置されライブで歌われなかったものだ。それって凄くないかい。それよりもそれでも人々の心にこの歌が静かに生き続けて広がっていったことの方がすごいかもしれない。それだけでもこの歌のチカラを思わざるを得ない。

 歌われなかったといえば、先日久々にお会いした拓バカ同志の「なぜつま恋2006で『流星』は歌われなかったのか?」という問いを思い出した。世界で一番「流星」を聴いていると自負する彼にしてみれば問いというより心の叫びのようなものだ。確かに追及に値する疑問点だ。1999年以降ライブの定番スタンダードになった「流星」にもかかわらず、なぜあの大舞台で歌わなかったのか。「落陽の花火のあとは"a day"じゃなくて、そこで"流星"だろ」という彼の言説はもっともだ。
 …なぜかはわからん。もともとよくわからないのが吉田拓郎だ。…ただあのつま恋のラストステージの圧巻で流星が歌われた日にゃ、それこそ2016年のようなことになってしまうことを懸念したのではないか…と2016を聴いていて思う。袖にみゆきねーさんもいるしそうなったらちょっとな…と思ったか…すまんただの下種勘繰りでしかないが。
 
 そして反動のように2019年の「流星」はチカラ強く攻めていた。センチメンタルなモードを打ち消すような気概をハーモニカにこめて、最後はハモニカごと放り投げた。あれはあれでまたカッコ良か〜。
 幾多の流星たち、もう生の流星は見られないのか。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
 「流星」(歌・作詞・作曲 吉田拓郎 DVD「吉田拓郎 LIVE 2016」附属CD所収)〜「流星」(DVD「吉田拓郎 LIVE 2019 -Live 73 years- in NAGOYA 」)
  名古屋もこんなにうまかったっけと思うが、とにもかくにも70歳を過ぎても進化する「流星」にしびれる。

2023. 2. 4

☆☆☆俺だって風の中に立ってる☆☆☆
 WANGANで久しぶりに河村"カースケ"智康のドラムを観た。どことなく青山徹系の顔立ちには親しみを覚えるのだが、カースケ氏の全身から放たれるヨガの修行中みたいな雰囲気が気になって仕方がない。2014年の拓郎のツアーでは、メンバー紹介の時にスティックを宙高く舞わせていたが、もう何か術を使っているようにしか見えなかった。
 ということで先入観のカタマリになってちゃんと音を聴いていなかったが、最近になって、なんとタイトなドラムなのだろうかと深く感じ入る。遅いな、すまん。特に2016年のライブDVDに附属しているCDを聴いているとビシビシとリズムが響いてくる。大して好きじゃなかった作品でもこのサウンドで聴いていると有無を言わさず説得されてしまう。2016年のライブはこのサイトではそこそこの酷評をした気がするけど、このドラムの凄さを気づかなかったのは不覚の至りだ。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
 「僕達はそうやって生きてきた」(歌・作詞・作曲 吉田拓郎 DVD「吉田拓郎 LIVE 2016」附属CD所収)
 なんとなく Kinki・シノハラ世代を意識した優しいおじさんからのメッセージ的な歌詞(小爆)、なんか展開の凡庸なメロディー(中爆)、まるで好々爺のロックンロールじゃねーか(大爆)、とさんざん悪態をついたものだが、カースケのドラムがビシバシくるこのライブ・バージョンを聴いていて思わず「おお、すげぇ」と声が漏れてしまった。こちとらは、ははーっとひれ伏さんばかりだ。勝手ながらこれこそがベストテイクではないか。魂の律動を感じる。

2023. 2. 3

☆☆☆三番目に大事なもの☆☆☆
 いやなニュースが続いていて、三日に一度くらい「ああ、忌野清志郎が生きていてくれたらな」と思ってきた。すまん、ファンでもないくせに何かおこがましい。そもそも昔、清志郎は吉田拓郎が大嫌いだと公言していた拓敵だった。俺にとっては敵ということで、拓郎はずっと彼のことが大好きだったようだ。でも清志郎の方にも後年から晩年にかけて静かな変化があったように見えた。いずれにしても敵であっても味方であってもいい。「忌野清志郎が生きて歌っていてくれたらな」とただ切に思うのだ。

☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイト☆な歌☆彡☆彡☆彡
 「心のボーナス」 吉田拓郎 (作詞・作曲 忌野清志郎 「Hawaiian Rhapsody」所収)
     ♪大人のクセに自分のことで精一杯だったから…恥ずかしながら御意。 

2023. 2. 2

☆☆☆素敵なintermission☆☆☆
 そういえば2005年の瀬尾ビッグバンドのツアーだったな、途中の「夏休み」で会場が大合唱の中、拓郎だけ一時退場して小休止するという構成があった。ここぞとトイレ休憩に立っていた人もいた。しかし後で拓郎が出てきて「おまえら、歌わないで席を立った奴ら、モニターで全部チェックしているからな!」と怒っていらっしゃった(爆)。見てやがんな〜。そういう大きくて小さい拓郎さんが好きです(笑)…あぁなんもかんも楽しかったなぁ。

 そもそも休憩が悪いというのではない。2000年代によく足を運んだ浜田省吾のライブは必ず休憩があったが、これがあるがゆえになんか前後編たっぷりと見せてもらった充足感が凄くあった。そもそも「休憩」という言葉がなんかアレだな。バレエとか演劇とか映画でいうところの「intermission=幕間」というのが適切だしオサレかもしれない。
 今度ライブやるときは途中intermissionでフォーラムのスパークリングワイン飲んだりしてゆったり過ごせるのもいいかもしれない。ゲストには女性シンガーを呼んで、女性歌手提供曲たとえば「ステラ」「風の中で」「ラブ・カンバセーション」とかを歌ってもらったり。
 デスマッチ型をとことん極めたので、今度は回帰して、より豊かなゲスト・休憩ちゃうintermission型ライブを…やってくれてもいいよ(爆)

2023. 2. 1

☆☆☆気分はデスマッチ☆☆☆
 そういえば大野真澄は1976年のコンサートツアーのゲストだった…行ってないけど。私が初めて参加した78年のツアーでは小林倫博、是非とも行ってみたかった憧れの74年はバックバンドもつとめた愛奴がゲストだった。かつてのコンサートツアーにはゲストがつきものだったようだ。
 拓郎が登場して歌い、ゲストと交代し、休憩を挟んで拓郎の演奏が再開して全長2時間前後というのが70年代中期のパターンだったようだ。たぶんそれ以前には前座型とでもいうべきものがあったと推察されるが私は体験していないのでわからない。
 今思えば、拓郎とともに浜田省吾や大野真澄が聴けるというのは贅沢な話だが、当時はゲスト・休憩の中入りは微妙なところもあった。ゲストの小林倫博が「次が僕の最後の曲です…って言うと凄い拍手がくるんです」と言ったらホントに盛大な拍手が起こって…すまなかったなと今はちょっと思う。しかしどうしても中入りで熱が醒めてしまうことは否めない。

 しかしこれが翌79年からは大転換する。ゲストなし休憩なしで「2時間半ぶっ続けで行きまっせ!」(79年7月2日)と拓郎が言ったように自ら「デスマッチツアー」と冠する新しいパターンが披露された。時間も2時間30分と延長されている。79年はそれでも途中で3〜4分程度の島村英二のドラムソロが入り(「君が好き」の間奏)、その間に拓郎たちは一時退場するという給水ポイントが作られていた。島ちゃんのすげえドラムソロはブラボ!!
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 78年から79年のこの転換と変化は正直びっくりしたものだ。わざわざ図にすることか(爆)。いいじゃないか。やがてはソロプレイのワンポイント時間も無くなり、ホントにぶっ続けの公演になる。かくして、このゲストなし、休憩なしの完全デスマッチ型が末永くその後の拓郎のライブのデフォルトとなるのはご存じのとおりだ。

 私ごときが偉そうに言うことではないが、それでも何度でも言いたい。今まで普通に観ていた吉田拓郎が登場して最初から最後までずっと歌うというコンサートを当たり前だと思ったらバチがあたる(爆)。それは拓郎の並々ならぬ覚悟と心血注いで作り上げられたフォーマットなのだ。
 そしてこのデスマッチ型のコンサート総時間は途中に増減はあったものの2004年の瀬尾一三ビッグバンドとのPrecious-storyでは総時間が3時間にも及ぶことがあった。齢60歳を目前にしてのことである。こうして自分も同じ年代になってみてつくづくその凄さに感嘆せざるを得ない。そんな拓郎さんに対して何がどうだとかグチグチ悪態つくのはやめようぜ>それは、おめぇだろ(爆)はい。

☆彡☆彡☆彡今日のベスト☆彡☆彡☆彡
  君が好き    吉田拓郎(豊かなる一日より)
      若き日の島村英二のあの超絶なドラムソロを湛えて。

 何を言いたいのかというと、私も年齢とともに日々疲れやすくなって、つい他人に任せたり、休憩したくなることも多いが、そこはそれ、わが師が身をもって示してくれた、気分はデスマッチの気概でまいりましょう…ってこと。

2023. 1. 31

☆☆☆悲しみを口ずさむ時☆☆☆
 それにしても訃報が多い。なぜか悲しい夜だから、昨日の余勢をかって大野真澄の「空に星があるように」を聴く。しみる。今頃になって心の底から申し訳ないが、素晴らしいボーカルだ。ちょっとロックっぽいアレンジもいい。これってフォーライフ時代の吉田拓郎のプロデュースだった。軽井沢に合宿した拓郎が奮闘していた記事が今は無き雑誌「フォーライフ」にあった。
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 そういえば荒木一郎は金沢事件の時にマスコミで拓郎を擁護してくれた数少ない一人だったんだよな…とか余計なことも思い出す。とにかくとにかくみなさんお元気でいらしてください。
☆彡☆彡今日のベスト☆彡☆彡☆彡
 大野真澄「空に星があるように」からの同じ大野真澄のカバーする「ああ青春」
  このボーカルだともっともっとカバー映えする拓郎の曲がありそうな気がするんだが、なんだろうか。

2023. 1. 30

☆☆☆今夜は酒で酔えない☆☆☆
 これは俺の勝手な思い入れなのだが「ドン・ファン」ときたら「ダンディー」(大野真澄)なのだ。前にも書いた気がするが、どちらも松本隆&吉田拓郎のタッグの手になる同じ1978年の提供曲だ。あえて対称的に作られた作品のような気がしてならない。それくらい見事な対極だ。
 勝ち組、負け組という言葉は嫌いだが「ドン・ファン」が勝ち組のモテ男なら「ダンディー」を負け組のフラれ男の歌だ。松本隆はドン・ファンは吉田拓郎をイメージして書いたと言うが、ダンディーはさしづめ自ら「ふられ虫」と宣言していた「武田鉄矢」あたりではないか(※松本隆はそこまで言ってません)。
 まず詞のcontrastが見事だ。♪レミーマルタン水で薄めてはプレイガール達の輪の中で踊るドン・ファンに対して、♪ジンの瓶、逆さに一滴飲み干す、みみっちいダンディー。特に♪貧しい俺でも背広はホワイト…ここらがとても切ない。とはいっても自分を省みると部類としては後者に共感せざるを得ない。
 このcontrastは詞だけでなくメロディーにも表れている。ドン・ファンのどこか攻めている感じのメロディーとサウンドに対して、ダンディーのメロディーは、やさぐれた悲しみを湛えていて、どこまでも心優しい。よくできたメロディーだ。
 間奏に♪酔いどれ酔いどれ〜というブリッジのメロディ―がかかっているところが素晴らしいと当時の知り合いの方が熱弁していた。御意。
 そして末筆ながらボーカルこと大野真澄の懐の深いボーカルが実にいい。これは仮に拓郎が本人歌唱したとしても、よしんば武田鉄矢が歌うよりも、この大野真澄のボーカルの「粋」な感じに一択だ。永らく幻のシングル盤だったのだが、わりと最近FORLIFE CLASSICS」というフォーライフレコードの記念盤に収録された。ということで崖落ちを逃れた。良かった。
 
☆彡☆彡☆彡今日のベスト☆彡☆彡
  ダンディー  大野真澄
   1978年の溢れるような拓郎の数々の名曲群に乾杯だ。

2023. 1. 29

☆☆☆なんだかんだのドンファン☆☆☆
 昨年末のミッツ・マングローブのラジオの「吉田拓郎提供曲特集」で、EVEのカバーした「ドン・ファン」を初めて聴いた。ダンサブルでイイ感じだった。そういえば昔、男性ばかりの広島出身のバンドがカバーしていたよな〜と思って調べたら…「ザ・ベアーズ」というグループが1978年12月にシングル盤でカバーしていた。神田広美がリリースしたのが1978年7月だから僅か半年後のカバーだ。ちなみにEVEの発表は1980年。この短い期間に3組のシンガーが競作するのって凄くないか?でもってどれもヒットしなかったというのも、もっと凄くないかい?(爆) すまん。売れなかったものの、どのバージョンもなかなか聴かせるのはやはり楽曲のチカラが大きいからだと思う。よくできた曲だとあらためて思う。

 やはり本家は神田広美のオリジナルだ。77年から78年は社長業に忙殺されて音楽の第一線から離れていた…と自分もよく言ったり書いたりするが、フロントに出たり、ライブをしなかっただけで、実にたくさんの本人歌唱と提供曲を作っていることは刮目すべきだ。音楽から離れていたと言ってしまうのは雑かなと我ながら思う。社長時代にも名曲をたくさん残しているのだ。http://tylife.jp/sideways.html#NINENKAN

 話がそれたが、当時のセイ!ヤングで、拓郎は、神田広美の「ドン・ファン」のレコーディングに立ち合った話をしていた。彼女が歌い方で損をしていると思った拓郎は、もっと口角を広げてイーって感じで歌うようにと熱心に歌唱指導したと語っていた。
 そして少し経って別の音楽番組に出演した神田広美は「吉田拓郎さんの歌唱指導のおかげです」と感謝を語っていて、ああとても誠実な人だなと感心したものだ。普通は「うるせぇよ」とか思うじゃん>それ普通じゃないから

 神田広美は、その後作詞家に転身し、あのキャンディーズの「春一番」「年下の男の子」などで有名な作曲家穂口雄右と結婚しアメリカに渡った。最近はジャズシンガーとして復活しておられる。復活と書いたが、過去は切り離した「転生」かもしれないので、安直に"「ドン・ファン」の神田広美さん"とか言うのは失礼かもしれない。

 ということでなんとなく、行き場のない名曲という感じだったが、わりと最近松本隆がコンピレーションアルバム「新風街図鑑」に自選したりしてくれて、崖っぷちには立たずに今も生き続けている。

 ☆彡☆彡☆彡今日のベスト☆彡☆彡
 ドン・ファン  神田広美
   油断して口ずさんでいると♪プレイガール達の輪の中で踊る〜のところで口が回らなくなるので注意が必要>知らねぇよ

2023. 1. 28

☆☆☆ダダダで生きる☆☆☆
 ダダダといっても人間標本5・6ではない>知らねぇよ。
 武道館の「知識」はいつ聴いても熱い。それは人それぞれによって思い入れはあるだろうが、俺にとっては何といってもこのミュージシャン陣が好き過ぎるからだ。
     吉田拓郎
     松任谷正隆
     鈴木茂
     島村英二
     石山恵三
     エルトン永田
     青山徹
     常富喜雄
     ジェイク・H・コンセプション
 この9人が永遠のベストナインとして脳裏に刻まれている。

 「知識」の2番の♪語り尽くしてぇみるがいいさぁ〜 のあとにバンドサウンドがカタマリになってダ・ダ・ダッダァ〜と合いの手みたいなのが入る。これは音楽用語でなんかあるのかもしれない…オブリガートっていうのか?俺にはわからん。とにかくココが超絶燃えるのよ。理屈抜きに気分がアがる。

 同じような合いの手が篠島の「ああ青春」にもある。1番の最後♪ああ青春は燃える陽炎かぁ〜ダ・ダ・ダッダダァ〜と合いの手が入り間奏になだれ込んでいく。これもメチャ燃える。荘厳な世界に入ってゆく感じがたまらない。
 これらのダ・ダ・ダッダァ〜とダ・ダ・ダッダダァ〜のアレンジは、やはり松任谷正隆先生の手になるものであろうか。

 それから篠島の「ああ青春」では最後のしめくくりの♪ああ青春は〜のリフレインのところにドゥルルルルルルという島村英二のドラムロールが入るところがもう胸にしみる空のかがやき。これから繰り広げられるバトルの狼煙のような感じだ。

 ということで人生の節目、節目はこのダ・ダ・ダッダダァ〜とドゥルルルルルルに背中を押されながら生きていきたい。どういう人生だ。

☆彡今日のベスト☆彡☆彡
 「知識」(TOUR1979)からの「ああ青春」(TOUR1979)
    ダ・ダ・ダッダダァ〜とドゥルルルルルルで気分上げよ。

2023. 1. 27

☆☆☆推しが武道館いってくれたら俺だって死ぬ☆☆☆
 「推し」といえば、作者も内容も全く違う漫画で「推しが武道館いってくれたら死ぬ」という作品があることを知った。地下アイドルを応援する若者を描き、アニメ、ドラマ化そして今度は映画化にもなるらしい。知らなかったが有名なんだな。こっちは内容は殆ど知らないが、もうこのタイトルだ。魂すぎる。このタイトルを唱えるだけでチカラが湧いてくる。…この心意気、この気骨こそ「推し活」の真骨頂だ。

 俺の場合は、どうしたって1979年の初ソロ武道館に向かって魂が飛ぶ。吉田拓郎が武道館をやる…と知ったのはその年の春先のセイヤングでのことだ。結構驚いた。正直云うと、え、武道館?できんの?と不遜にも不安が走った。フォーライフの社長として音楽の現場から離れている間にニューミュージックは若手ミュージシャンの百花繚乱状態になり、既に「吉田拓郎」はもう過去の遺物というイメージだった。
 武道館直後の当時の週刊明星の記事がある。「今、拓郎で武道館、もつかいな」…という空気は確かにあった。当の拓郎本人までもがその不安を口にしている。
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 当日、俺はワクワクしながらも、もしかしたら悲惨な光景を観るかもしれないという不安にもさいなまれていた。しかし「俺が行かなきゃ誰が行く」と生意気をカマしつつ、討ち入りでもするような気分で九段下のお堀を渡って門をくぐった。
 いざ蓋をあけてみるともう武道館は超絶満員の客席、開演前から燃え立つ熱気、つま恋の映像でしか見たことのなかった怒号と拓郎コール、大音響で響き渡るローリング30、そして縦横に走り回り「拓郎」と描くレザー光線…そんな狂乱の中に始まった松任谷グループの「知識」にいきなりぶちのめされた。ぶちのめされながら…勝った!と俺は心の中で叫んでいた。たかがガキの一観客にすぎないのに。
 「推しが武道館いってくれたら死ぬ」…俺にはこの武道館のすべてが凝縮したフレーズに思えてしまう。んまぁ俺は死なずにそれからも恥を晒しながら生き続けているが。そして「推し」は「いってくれたら死ぬ」…ようなかけがえのない体験を何度も何度も、60歳、70歳を超えてからも味あわせてくれた。それを思えば時々来なかったり中止になったりしてもまぁいいじゃないか(爆)。とにかく感謝しかない。誰がどう言おうとも、推し有りて我ありと1ミリの後悔もなくいえる。

☆彡本日のベスト☆彡
 「知識」(TOUR1979)
   一曲目にして圧巻のクライマックス。推し武道の魂が凝縮された一曲。

2023. 1. 26

☆☆☆人がそこにおるんよね☆☆☆
 「推し、燃ゆ」を推す昨日の続き。推しの解散・引退ライブが終わると彼女はトイレにこもって「冷や汗のような」涙を流す。

「終わるのだ、と思う。こんなにもかわいくて凄まじくて愛おしいのに、終わる。」「やめてくれ、あたしから背骨を奪わないでくれ。推しがいなくなったらあたしは本当に、生きていけなくなる。」「この先どうやって過ごしていけばいいのかわからない。推しを推さないあたしは、あたしじゃなかった。推しのいない人生は余生だった。」(宇佐美りん「推し、燃ゆ」P.111〜112)


 この17歳の叫びは、そのままこの爺の心の叫びだ。
 深夜にライブの映像を観てブログを途中まで綴った彼女は、呆然自失で明け方の街を彷徨う。これまではそういうことは禁忌としていた、推しの住むマンションにたどり着く。すると推しの妻となる女性がベランダで洗濯ものを干している。

「あたしを明確に傷つけたのは、彼女が抱えていた洗濯物だった。あたしの部屋にある大量のファイルや、写真や、CDや、必死になって集めてきた大量の物よりも、たった一枚のシャツが、一足の靴下が一人の人間の現在を感じさせる。引退した推しの現在をこれからも近くで見続ける人がいるという現実があった。
 もう追えない。アイドルでなくなった彼をいつまでも見て、解釈し続けることはできない。推しは人になった。」(同P.121)


 「推しは人になった」…このくだりに心が痛い、心がつらい。どうしたってこっちの推しのことを思わずにいられない。ラジオの最終章を謳う「ラジオでナイト」あたりから佳代さんの話が増えていった。佳代さんのことを語る拓郎。その話は面白かったし、感動もしたし、平穏な日常を送る拓郎を祝福したい気持ちも湧く。湧くのだが、そのたびに心の奥底に走る何かがあって、この文章はそれを表現してくれている。佳代さんのことを語ること、それは拓郎が意識するとしないとにかかわらず、「俺はもう人になるんだよ」というメッセージを発し続けていたのだと思った。それが佳代さんの話のたびにこっちの心に走る何かの正体なのかもしれない。

 ここからの小説の最後までが切なく深く、なかなか平常心では読めない。この作品のいろんな書評や感想を拾い読んだが、最後に「彼女が推しから自立した」「彼女が自分の人生を歩き始めた」というものが散見された。つまんねぇ、正しいのかもしれないけど心の底からつまんねぇ。あんたらイカれるほど本気で推しのファンになったことのない人たちだろうと心の中で悪態をついた。…んまぁイカれてるからといってひとつも偉くない、むしろその逆なのである。

2023. 1. 25

☆☆☆君たちはどう推すか☆☆☆
 私は恥ずかしい人間だから気になることを話してみます。つま恋のことを"夏フェス"と言われると腹が立ち、拓郎ファンの営みを"推し活"と言われると目まいがして「一緒にすんじゃねぇよ!」と叫びたくなる。こういう症状に長いこと苦しんできたが、最近になって宇佐美りんの芥川受賞作「推し、燃ゆ」を読みはじめたらどうやら治りはじめた。これが山を下山する寛解か。

 ベストセラーなので今さら言うまでもないかもしれないが「推し、燃ゆ」はアイドル推しにすべてを賭けた女子高生の物語で作者自身も当時21歳だ。主人公には自分の人生の背骨であると断じ全てを賭けて推す「推し」がいる。その生きる支えの推しがスキャンダルで炎上し引退してゆく。彼女はどうあがき、何を苦しみ、どうなってしまうのか? 文章も行間もすべてが瑞々しくだからこそ詠んでて苦しくもある。
 最初は、自分がモデルかと思うほど(爆)"あるある"の共感、しかし読み進むうちに彼女の身を切るような「推し命」を仰ぎ見て、いかに自分はヘタレで中途半端でズルかったかということに気づかされた。そして最後には主人公の女子高生と作者の女子大生に、この哀れな爺はこれからどこへ行ったらいいんでしょうかと問いかけている自分がいた。これは俺にとっての「君たちはどう生きるか」だ(爆)。ということで…そうよ、私ゃ"推し活"で結構、年寄りの"推し活"で構いませんよ。

 「病める時も健やかなる時も推しを推す」…文中のフレーズに触発されて通勤車中で「ファミリー」を聴く。ひとつになれないお互いの愛を残して旅にでろ。推しよあなたは何処へ。

2023. 1. 22

☆☆☆マックイーン慕情☆☆☆
 「タワーリング・インフェルノ」はとにかく消防隊長のスティーブ・マックイーンが超絶カッコイイ。スティーブ・マックイーンとポール・ニューマンの共演というだけで当時の大事件で、言ってみれば矢沢永吉と吉田拓郎が共演するくらいの出来事だった。俺はどちらかといえばポール・ニューマン派だったのだが、それでもこのマックイーンの隊長にはふるえた。マックイーンのファンの方にすれば他の代表作の方がもっと素晴らしいというご意見かもしれない。しかし門外漢の俺には、孤高のアウトロ―というイメージと違って、消防隊長というカタギの地方公務員のちょっとくたびれたところもあるおっさんという設定で、それでいて隊員を率いてあの大活躍をするところにいたくシビレるのだ。最後に設計士のボールニューマンにニヤっと笑って「今度は建てる前に俺に聞きに来い。あばよ建築屋!!」と声をかけて去る。ああ、なんてカッコイイの。あなたはどうしてそんなに美しく微笑むのだろう。

 マックイーンといえば、86年ころ古舘伊知郎と影山民夫がホストを務めるアメリカテレビ映画特集の深夜番組に吉田拓郎がゲストで登場して「スティーブ・マックイーンが大好きだ」ということでドラマ「拳銃無宿」を推していた。昔から、マックイーンに憧れて主人公ジョッシュ・ランドルのランドル銃の模型を買った拓郎少年は、自分でガンベルトを作って銃を差して広島の町を歩き回って笑われたという。心温まる危ない話だ(爆)。ボブ・ディランのハーモニカホルダーが日本にはまだ売っていなかったので、自分で見よう見まねで針金を曲げてこしらえていた話は有名だ。
 このように吉田拓郎は音楽だけではなく、実に器用なモノ創りの人だということも忘れてはなりますまい。

2023. 1. 21

☆☆☆愛する全てのものを二人でわかちあおう☆☆☆
 ネットで尾崎紀世彦がカバーする映画「慕情」の主題歌を聴いた。あまりにすんばらしくて、俺には「おめぇごときが歌える曲じゃねぇよ」というメッセージを感じた。もちろんだ。拓郎とみゆきの「慕情」も含めて俺のゼロ歌唱力ではおぼつくものじゃない。
 この映画「慕情」のテーマは、たぶん世界中が知っているスタンダードの中のスタンダードで超絶美しい曲だが、映画本編の方はそれはそれは悲しすぎる話だった。そして主演のウィリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズの二人が、その20年後に「タワーリング・インフェルノ」で共演していたことを最近知った。最近といってもつい昨日だけど。ああ不覚。
 「タワーリングインフェルノ」は多分俺ら世代にとっては忘れじの衝撃的パニック映画だ。渋谷の東急文化会館で立ち見の苦痛も忘れて悶絶しながら観たものだ。今でも「タワマンに住みたい」という人々の夢をきっとこなごな打ち砕いてくれる傑作だと思う。俺なんかおかげで「星の鈴」は大好きだが10階のテラスでも暮らせない自信がある。
 その映画の中でフレッド・アステア演ずる詐欺師の老人と富豪の未亡人との小さな切ないロマンスが描かれる。最後に小さな子を救ってエレベーターから転落しショッキングな最期をとげてしまうその未亡人が、あの「慕情」のジェニファー・ジョーンズだとは気づきもしなかった。もう俺の中では「タワーリングインフェルノ」は「慕情」の続編といっていい(爆)。慕情の最後に香港のビクトリアピークに立ち尽くした彼女は、20年後に高僧タワーの開館式に招待される。…悲しすぎる話か。得意の思い込みでもう「慕情」はこの映画をも包み込むテーマ曲だ。
 ジェニファー・ジョーンズといっても殆ど名前だけでよく知らなかったが、調べるとこの「タワーリングインフェルノ」が最後の映画出演となり、2009年にカリフォルニア州のマリブの自宅で90歳で亡くなったということだ。…マリブ。マリブといえばシャングリラだ。「慕情」のお返しに吉田拓郎がマリブで歌った「愛の絆を」をお捧げします。なんで俺が捧げるのかわかんないけど。
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2023. 1. 20


☆☆☆言うだけ野暮だよ飲めぬヤツ☆☆☆
 病気ではないのだがしばらく禁酒することにした。飲まないと決めると途端に心が叫び出す。あ〜俺も限定「ペニーレイン」に行ってバーボンが飲みてぇ〜、したたか酔って帰りに原宿のカラオケ館でコスプレ衣装借りてタンバリン打ちながら拓郎の「慕情」とみゆきの「慕情」を泣きながら歌いてぇよぉ〜。いっそのことコレも練習して慕情三部作を歌えるようマスターしておきたい。いみふ。
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2023. 1. 19

☆☆☆それぞれの慕情☆☆☆
 昨日は元猫のベーシスト石山恵三さんの命日だったのか。石山さんというと個人的には「慕情」が浮かぶ。2014年に原宿ラドンナで突然にこの拓郎の「慕情」を歌い出したときの印象は鮮烈だった。俺には伝説の「石山、『慕情』歌うってよ」事件として刻まれている。その選曲に驚いたし、声も素敵で、ちょっとルーズな歌いっぷりまでが胸を打った。
 吉田拓郎の本家本人歌唱の方はボーカルにピカピカな艶があり、壮大なアレンジも素晴らしく文句がない。傑作だ。それでも石山さんのカバーが胸を打ったのは、この歌は「拓郎が歌う」というより「拓郎に向けて歌う」とよりしっくりくるからだろう。作者の拓郎の真実の思いがどこにあろうとも、俺には「あなた」は「吉田拓郎」としか聴こえない。永遠の一択だ。
 
 その拓郎の本人歌唱は2019年のセットリストから途中で姿を消した。その前の歌唱がキツそうだっので、もう歌わないのかと思っていた。しかしWANGANの最後の最後になって、その姿を現した。サラリとした歌いっぷりが余計に圧巻だった。機を待つように現れるべくして現れた感じだ。

  あなたがいなくなることはありえない
  あなたを見失えば 世界の終り

 ああ、この因業な歌詞(爆)…あまりに刺さり過ぎて「拓郎おめぇが自分で歌うなよ」と言いたくもなる。そんなとき別の方角から歌声が聞こえる。

  甘えてはいけない
  時に情けはない
  手放してならぬはずの 何かを間違えるな
               (中島みゆき「慕情」)

  もういちどはじめから あなたと歩き出せるのなら
  もういちどはじめから ただあなたに尽くしたい

 もいちどはじめから、があるのなら、そりゃもっともっと尽くすってば。…たまんねぇ。みゆきねーさん、ちょっと怖いけど、あなたの胸で泣かせてください(爆) 

 吉田拓郎の「慕情」、石山恵三の「慕情」、WANGANの「慕情」、そして中島みゆきの「慕情」。俺の中では無理なく自然に繋がっている。というかしっかりと因果の縛で結ばれている。向田邦子さんの言う「糾える一本の縄」みたいなものだ。
 …ということでも今日も元気でイカレているぜ。

2023. 1. 18

☆☆☆そうか君はいないのか☆☆☆
 日程的にぺ二ーレインへは行けない。昨日のライブハウスで、ああ〜やっぱりアーリータイムズはもう無いのだな。島ちゃんのドラム、松田幸一さんのハーモニカで聴く「この素晴らしき世界」にいろいろ黄昏れる。
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2023. 1. 17

☆☆☆フィルムは生きている☆☆☆
 WANGANのリハーサルで、拓郎が"雪さよなら"の後奏のアイデアを出すシーンがある。俺には専門的過ぎてサッパリわからない。先日の拓バカ集団鑑賞の時に誰かが「アレで(ミュージシャンは)わかるのかな?」とつぶやき俺も大いに共感した。
 鳥山と武部は戸惑いながらも拓郎のアイデアの真意を真剣に追い詰めてゆく。こういう光景にシビレる。

 同じようなシーンを思い出した。TAKURO & his BIG GROUP with SEO 2005の「 RARE Films」のつま恋エキシビションホールの舞台裏のシーン。楽屋にいる島村英二に拓郎がカウントのリズムについて相談する。島村英二はすぐに「それじゃ叩いてみよう」と楽屋を出てフットワークも軽く歩き出す。ステージに向って通路を抜けて並んで歩く二人の背中がとてもいい。ドラムセットに座った島村は、ここでも拓郎の真意を探るように何回か叩いてみせる。拓郎が「それ決定で!」とアイコンタクトした一瞬の二人のバディ感がまた素敵なのだ。それが「ハートブレイクマンション」のイントロに結実する。

 「上司は思いつきでものを言う」という橋本治の本があったが、俺も仕事では上司の思いつきに振り回され、反対に俺の薄っぺらな思いつきでスタッフに迷惑をかけてきた。おそらくどこの職場にも似たようなことが多々あって、だからさこうして裏町の酒場はいつも正直者の男女でいっぱい。
 しかし彼らミュージシャンたちは、拓郎の閃きの一言を1ミリも疑わず、何とかそこに近づこうと真摯に挑んでいることがわかる。そしてそれが音楽に結実されてゆく。そこには魂しかない。そういう信頼の世界があることが、ささやかな希望だ。自分もそうありたいと思うがうまくいかない(爆)。だからこそこれらのシーンが胸にしみるのだ。

2023. 1. 16

☆☆☆推し燃ゆ☆☆☆
 高橋幸宏氏が昔「東京イエローページ」で竹中直人と組んで流しのドラマーという不条理なシリーズコントをやってたことを思い出してネットを探した。するとあれだけのミュージシャンでありながら、音楽だけではなく、結構いろんな番組におちゃめな出演をされているものがたくさんあった。どれも真剣に体当たりでやっておられた。今頃になって申し訳ないが、素敵だな〜、カッコいいな〜と魅入ってしまった。
 その中に昔の番組タモリの「今夜は最高」の中で、高橋幸宏、森下愛子、タモリのお三方で「フライデーチャイナタウン」を歌っている動画がすこぶる良かった。ダンディなユキヒロ氏と一緒に歌っている森下愛子さんの二人は素敵な雰囲気だった。そもそも歌を歌っている森下愛子さんを観るのは初めてだ。キラキラしておられた。
 それ以来ずっと頭の中で「フライデーチャイナタウン」が鳴っているが、この曲を懐かしいと感ずるのは、間違いなく拓郎のヤンタン=サタデーナイトカーニバルを聴いていたからだ。今月の歌とかゲストの歌とかで番組推しだったはずだ。
 番組推しと言えば、岩崎良美がよく出ていた。岩崎良美といえば「タッチ」なのだろうが、ヤンタンの頃の「涼風」がとても好きだった。♪優しい人、心に涼風そよきだす〜 いかん。完全に懐かしモードに落ちている。

 えーい、ここまで来たらアレだ。ヤンタンで吉田拓郎が松田敏江になって岩崎良美に歌唱指導していた迷作「青いくちなしの花のワルツ」だ。ⓐ青い山脈ⓚくちなしの花ⓗ星影のワルツ

  ⓐ若く明るい
  ⓚまわるほど〜
  ⓚ痩せて やつれた
  ⓐ花も咲く〜
  ⓚくちなしの花の〜
  ⓐ雪割桜〜
  ⓐ空の果て〜
  ⓚ白い花〜
  ⓐ今日もわれらの
  ⓗワルツを歌おう〜

 …まだ覚えていたぞ。それにしても見事なつながりだ。良美ちゃんに「ワルツを歌おう」の前に一拍おいてはイケませんという拓郎の歌唱指導まで思い出した。…高橋幸宏さん、こんなときになんか不謹慎かもしれず申し訳ありません。高橋幸宏さんというと吉田拓郎関連で個人的にどうしても忘れられない光景があるのだが、それはまたいつの日にか。

2023. 1. 15

☆☆おまえの足音は自由の足音☆☆
 高橋幸宏氏の訃報。ご病気が大部回復されてきたというニュースを聞いていただけに驚いた。心からご冥福をお祈りします。
 俺が言うことではないが、YMOにあっては細野晴臣と坂本龍一というトテモとっつきにくそうな二人の中にあって唯一「親拓な人」というイメージがある。"はっぴいえんど"の鈴木茂みたいな感じだ。拓郎本人のエッセイの中にもパーティーで久々に顔を合わせた高橋幸宏が嬉しそうに人懐っこく拓郎に寄り添ってくるというシーンがあった。それを読んで、ああ〜いい人なんだなと思った。
 なんにしても高橋幸宏氏といえば「わたしの足音」の"走るドラム"だ。お蔵入りしていることを少し悔やみつつも、それでも何とか手に届く形で残っているこの名演をドラムのリズムを愛でながら聴く。遠くにいた俺ごときが生意気ですが、お疲れ様でした。どうか安らかにお休みください。

2023. 1. 13

☆☆☆拓郎の背中を見つめた男☆☆☆
 日課のビデオ鑑賞だが、今夜は「ON THE ROAD "FILMS"」で渚園の野外ライブを観た…ってそれは浜省だろ!(爆)。
 つま恋PARTUで一瞬だけ映る浜田省吾を観ていたら、折しも1988年8月20日、静岡県浜名湖畔の「渚園」で行われた野外ライブ『A PLACE IN THE SUN』が劇場公開されるとのニュースが重なりつい観たくなってしまった。

 超絶個人的な話だが、かつて俺の親爺が亡くなって一か月も経たないとあるクソ暑い夏の日に、友人のFくんがふらりと家にやってきた。当時たぶん発売して日の浅かった「ON THE ROAD "FILMS"」のVHSビデオを持ってきて一緒に観ようと言う。浜省は「路地裏の少年」くらいしか知らないままお相伴した。Fくんとはもともと近所のうえ高校、大学と一緒で、ついでに今は同じ業界の同業者という腐れ縁だ。
 浜省は予想以上にスピーディでパワフルな歌いっぷりなことに驚いた。既に篠島、つま恋もはるか遠く野外イベントにご無沙汰していた俺にはこの渚園に満ち溢れた躍動感とグルーヴがとても眩しかった。
 観終わって、彼の好物だった出前の天津飯を食べ、二人で何も言うことなく二巡目の鑑賞に入った。オープニング直前の「A PLACE IN THE SUN」が流れる中で、緞帳の後ろで膝をついて必死に祈っている浜省が印象的だった。今度は「AMERICA」とか「丘の上の愛」などの静かな曲のメロディーの美しさがたまらなかった。かつて拓郎が「浜省のナイーブなメロディ」と言った意味が胸にしみて二巡目も終わった。

 二巡目が終わるとFくんは言葉少なに、先週終わった二次試験の最中に「おまえの親爺が夢枕みたい立ってミスを教えてくれた」と話し、そして今日のビデオの中の「DARKNESS IN THE HEART」という曲は闘病しつつ亡くなった父親を思いながら浜省がツアーを続ける歌だと言い残して帰って行った。
 俺はその年に勝負を賭けていたが一次試験で門前払いになってしまい彼のように二次試験は受けられなかった。そんな苦渋の中に父親が死んでしまい、弟もまだ学生ということでもうあきらめようと考えていたところだった。
 Fくんの励ましであったことは当時もよくわかっていたが、今思い出すと余計に胸にしみてくる。最近ヤツとはご無沙汰してしまって申し訳ない。

 その年の夏から浜田省吾をレンタル店で借りてきて繰り返し聴き始めた。「DARKNESS IN THE HEART」の「思い出す病室で痩せてゆく父の姿を」というくだりが心に痛かった。そして「走り始めた1974年」というフレーズが刺さった。拓郎のコンサートツアーを浜省のツアーキャリアのスタートとしているところにふるえる。俺の拓郎ファン歴も1974年からなのだ>おまえはどうでもいいよ。「…Carry on  覗かないで 勝利もなく敗北もなく横たわっている心の奥の暗闇」…御意。よく意味はわからないけれど不思議に勇気づけられた。最後にもうちょっとだけ続けてみようと思えた。
 それからはわりと欠かさずCDを聴き、ライブにもたまに足を運んだ。ライブに行くとそこはそれこそ命を懸けたファンの方々の熱き世界なので、俺ごときが浜省ファンですとは言えない。それは今も同じだ。しかしこんなふうに渚園の話が出てくると、あらためてあの夏の日を思い出してあの時はお世話になりました…とちょっと背筋を正してしまうものなのだ。

2023. 1. 12

☆☆☆誰がオスカーやねん☆☆☆
 深夜の映像鑑賞が日課になりつつある。そうだ!本場アカデミー賞授賞式も近いので、優れた吉田拓郎の映像作品を対象にしたt.yアカデミー賞をやろうか…と思ってみたが、何があっても主演男優賞はたった一人しかいないことに気づき無理があるのでやめた。徒然なるままにひとり静かに観るしかないっす。ひとつの時代ばかりではなく、いろんな時空を行ったり来たりさすらって観たいと思うが、85年といえば「PartU」を避けては通れない。いきなり「サマーピープル」のコーラスを歌う島村英二、なんじゃこりゃ(爆)
 なんつっても高中正義と後藤次利がアシストする「落陽」は屈指の名場面だ。歌が終わってアウトロに入ると拓郎は静かに後ろに下がり、高中と次利が中央に残りバトルのようなプレイが始まる。水戸黄門でいえばご老公が「助さん、格さん、存分にこらしめてやりなさい」というシーンと重なる>…ホントかよ。ということで俺は二人にさんざん打ちのめされて恐れ入りましたとなるしかない。その様子をご覧になっているご老公…ちゃう拓郎の笑顔がまた素敵なのだ。
 よし!高中と次利に助演男優賞だ!。いや、しかし加藤和彦と石川鷹彦の「ガラスの言葉」の熟成アシストはどうなんだ。これはこれでたまらん。パイプ椅子に片足をのっけてギターを弾くトノバンのシルエットが美しい。今観ると万感あふれて涙が出そうなシーンだ。ということで、あちこちいろいろ素晴らしくて、やっぱりアカデミー賞は選考不能だ。
 あ、エキシビションホールで暴れる御大にアカデミー・ウィル・スミス賞は決定。ねぇだろそんな賞。(写真はイメージで実物とは関係ありません)。
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2023. 1. 11

☆☆☆in 1985☆☆☆
 「サマーピープル」につられて85年のつま恋の映像とラジオの音源を久々に少し味わった。つま恋は75年や2006年の映像や音源は時々観直したり聴き直したりするが、85年はとんとご無沙汰だ。個人的に85年はどんよりと鬱な気分になるからだ。どんなにアレンジが秀逸で、どれほど演奏のクオリティが高かろうが、どんだけ豪華メンバーが揃おうが、あのときの「吉田拓郎が撤退する」という終末感に満ちた重たい空気を思い出してちょっと気が引けるのだ。それにあの頃は自分の私生活も結構悲惨だったからかもしれん。
 しかしさすがに今のリタイアの現実の方が切実に淋しいので、なんとか85年の映像も平気で観られるようになった。するとこれがいいんだわぁ。吉田拓郎はしなやかで軽やかでカッコ良い。色香が吹きこぼれるように溢れている。今頃すまんな。撤退という衰えの影がどこにも射していない。そのまま秋のツアーに出ろよという気がしてくる。
 それは程度の差こそあれWANGANを観た今もそうなのだが。
 
 つま恋のゲストの武田鉄矢のMCで活動停止するという拓郎のことを捉えて
「大丈夫です。これだけのファンを放っておいて独りでいられるほど吉田拓郎という人は強い人ではありません」と語っていた。…どうか強い人でありませんようにと祈るしかない。

2023. 1. 10

☆☆☆思い出はモノクローム☆☆☆
 自主上映会で「サマーピープル」のプロモが流れた時、誰からともなく「ああ、これはヒットすると思ったのになぁ〜」というため息がもれた。たちまちほぼ全員がそのため息を共有した。なんでもかんでも共有するのって好きじゃない…と拓郎は年末のラジオで苦言を呈したが、このため息は共有せずにおられようか。いい曲だしCMソングだったし、なんでヒットしなかったんだろう…と無念の空気をわかちあう。ファンにはファンのささやかな夢というものがあったのだ。

 この「サマーピープル」はフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを意識して作り上げた自信のサウンドだと拓郎は一昨年のANNGで語ってくれた。御意。同じウォール・オブ・サウンド系の曲としてその時一緒に拓郎がとりあげたのが大瀧詠一の「君は天然色」だった。ほぼ同時期の作品なのだが、あちらの曲はなんか輝ける王道を歩いている気がする。
 で俺は勝手に思うのだ。「君は天然色」にあって「サマーピープル」にないもの…それはズバリ「松本隆」だ。すまん。俺はかなり徹底した岡本おさみシンパのつもりだが、若い女性をターゲットにした夏の資生堂の化粧品のキャンペーンであるのならばココは万難を排して松本隆だったんではないか。岡本おさみの詞をクサするつもりは1ミリもないが(あ、この詞については5.6ミリくらいあるかな)、時はバブル全盛期、ドレスアップした女性を誘ってバネのきしむ喫茶店に案内するみたいな危うさがある。

 さすがに40年前の思い出の原因をいろいろ考えても詮無いことだ。こういう時は、85年のつま恋の「サマーピープル」の映像を観ることにしている。そんな切ない歴史などに関係なく、実にチャーミングで楽しそうにこの歌を歌う拓郎がいる。拓郎が笑顔で手を振るシーンがあるのだが俺もテレビに向ってつい手を振ってしまう。>ロンパールームかっ。
ヒットも勝ち負けもいいじゃないか、とにかくファンに生まれてきたんだ〜愛してるぜウォウウォウオオという気分になるというものだ。

2023. 1. 9

☆☆☆WANGAN上映会の夕べ☆☆☆
 コンシェルジュのいるカラオケVIPルームでの熱血自主上映会に参加させてもらった。拓郎オンリーで5時間。おそるべし拓バカたち。WANGAN、サンタクの落陽、2019、あいみょんにしか見えない70年代、万感のつま恋2006、ジジババの魂は身体を離れ時空を自由にさまようのだ。ええなぁ。映像は観るたびに尽きせぬ何かを必ず語ってくれる。
 外から見ると引退した歌手の映像を老人たちが集まって懐かしんでいるように見えるかもしれない。んまぁ実際それもあるもしんないけれど、実はあのライブの感触を忘れないように、万が一これからいつ御大が決起したとしてもすぐライブ人として対応できるように、ファンとして心と身体とを作り込んでいるのだと思っていただきたい。
 参加させていただいてありがとうございました。心の底からうれしゅうございました。

2023. 1. 8

☆☆☆Hold on me☆☆☆
 昨日は妄想が過ぎた。すまん。といっても俺の人生は日々妄想しかない。年末も紅白歌合戦の「時代遅れのRock’n’Roll Band」を観てやっぱり世代だし胸が熱くなった。桑田佳祐と佐野元春の二人の姿を観て別の意味で感慨深く妄想の世界に入った。

 79年か80年の初め、ニューミュージックのシンガーたちが所属事務所の垣根を超えて集うJAM系のイベントが結構あった。もちろん拓郎は出ない。ただ拓郎が当時のラジオで、その種のイベントで誰がトリを歌うかで事務所相互で大モメしたというニュースについて語っていたことがあった。拓郎は、怒るのでも、冷笑するのでもなく「そんなことになっちゃってるの?」とひたすら悲しそうだったのが忘れられなかった。ユイ音楽工房も当事者のひとつだったしね。

 その数年後、拓郎も肝入りで参加した85年のIYY ALL TOGETHER NOWでは、オフコース、ユーミン、サディスティックス、はっぴいえんど、財津和夫、坂本龍一、さだまさし…錚々たるビッグネームのミュージシャンが総出演するなかで、グランドフィナーレの前の本編のトリは当時の若き桑田佳祐と佐野元春の二人の共演だった。トリ=重鎮というとらわれを退け、生きのいい若手ミュージシャンにラストを〆てもらう。拓郎もオフコースもオープニングでとっとと歌ってしまい拓郎は司会という裏方役に徹していた。
 ああ、これがいつかラジオで嘆いていた吉田拓郎の出した答えなんだとしみじみと思った。別に拓郎の発案・指示という証拠はない。本人に尋ねたところでこないだの広告ではないが拓郎本人も「俺は知らないよ、みんなで決めたんだよ」というに違いない。しかし証拠はないが確信はある。そういう人でしょう。そこが好きなわけであります。

 てな妄想に誘われた紅白でありました。

2023. 1. 7

☆☆☆They shall be released☆☆☆
 1980年の武道館の音を聴きながらあまりにもったいないと五万回くらい悶絶する。シロウトの俺が勝手にアレを出せ、コレ出せをと言うのはさもしい気もするが、オイラは元来さもしい人間だ。そんなの出るわけねぇじゃんというあきらめもチラつくが、あきらめなんてずっと先でいい。
 もういいじゃないか。素晴らしい音源たちの大解放を願いたい。お蔵の中にしまっておいて誰かが幸せになるというのか。それなら解放したら誰かが幸せになるのかと問い返されれば自信をもって言える。俺だ(爆)。俺が間違いなく救われる。J-POPや音楽文化のためとかファンの総意だとかそんなことは言わない。ファンにもこれまで公表しなかった拓郎さんの意思を慮るべきだという心根の方もいるに違いない。しかしそういう心根を1ミリも持ち合わせていない自分は、ひたすら「俺に幸せあれ!」 と傲岸に叫びたい。

 えーい妄想ついでに、とりあえずこんな妄想企画はどうだ。

 武道館ライブ全曲収録 CD11枚組 

   吉田拓郎武道館BOX「武道館よ屋根の梁を高くあげよ(仮)」

   帰れの怒号に消え入りそうな「帰らなくていいのよ」の声に導かれて武道館伝説は走り出した

Disc 1: 1979 初ソロ武道館デスマッチ 恩讐の彼方に(※「僕の一番好きな歌は」初音源化)
Disc 2: 1980 ブッカー・Tシフト=「アジアの片隅で」完成披露レゲエの夜
Disc 3: 1981 体育館ツアー 新曲発表大会&松任谷正隆最後の大仕事
Disc 4: 1982 王様達のハイキング 極悪バンドがゆく!(※「風に吹かれて」収録)
Disc 5: 1983 マラソンツアー 風になった拓郎と今夜も君をこの胸に
Disc 6: 1984 情熱ツアー  I'm In Loveの誰も知らない旅立ちだから
Disc 7: 1985 FOREVER YOUNG くり返し旅に出る男(※スペシャルアンコール「人間なんて」収録)
Disc 8: 1990 89-90ツアー”人間なんて” さらば80's、さらばカーリー
Disc 9: 1990 男達の詩 俺の居場所を探してる(「東京の長く暑い夜」「中の上」初音源化)
Disc10:1996 感度良好ナイト 50歳から始まる音楽の至福と挑戦 
Disc11:2006 ミノルホドコウベヲタレルイナホカナツアー そして聖なる場所に祝福を

[特典CD]
1972 フォーク・オールスター夢の競演 音溺大歌合より「祭りのあと」(モノラル会場録音)
1994 日本をすくえより 「ファイト」
1997  高中正義 虹伝説Uより 「春だったね」「落陽」

 ああ聴きてぇ、誰か出しちくり〜
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          ※ジャケットの装丁は変わることがあります…自分で書いててくだらねーな(T_T)
  

2023. 1. 6

☆☆☆だから断捨離は終わらない☆☆☆
 1980年の武道館は、冠だったFM東京を中心にNHK-FMの拓郎105分やヤングタウン東京でもオンオアされた。ブッカー・T・ジョーンズ・シフトの敷かれたバンドだけあって、この音源から「アジアの片隅で」「証明」「ファミリー」がレコード化された。「アジアの片隅で」の間奏はレコードではあれでも多少短く編集されている。CDの時代になったのだからオリジナル全長版でもいいのではないか。それよりなにより昔から不満なのは「ファミリー」の最初の松任谷のピアノがフェイド・インということで事実上カットされているところだ。FM東京ではちゃんと入っている。短いピアノソロだが大事じゃね?と思う。
 オープニングだったんだよな。満場の武道館に前哨曲「ローリング30」のテープが流れ終わって燃え立つ観客の大歓声の中をぬって流れる松任谷のピアノ。歓声がそのピアノの音色に、なんだ、なんだ〜と吸い寄せられて行ったところで、あのイントロがガツンと始まるのだ。怒涛のように波打つ大歓声。あれは「おわ〜すげ〜1曲目から『ファミリー』かよぉ!」という驚きのどよめきでもある。
 さぁ今日は「ファミリー」(アルバム「無人島で」所収)聴く。あれぇあの日女性コーラスいたっけ?とかツマラナイことを気にしている場合ではない。静かに眠れるこの大作にいまいちど魂を。愛を残して旅に出ろ。

 

2023. 1. 5

☆☆☆わが心のマークU'80☆☆☆
 年末からiTunesの整理をしていたのだが、もともと整理が苦手なうえにあれこれ気が散る性質なのでかえって混沌と混乱を深めてしまった。え〜い、くたばれ断捨離!
 昨年のラジオの「吉田拓郎は『マークU』なんだ」といういきなりの御拓宣がひっかかっていた。整理といつつひっくり返しながら久々に1980年武道館の「マークU」を聴く。数あるバージョンのうえに様々なお好みとご意見があろうが、俺はこのマークUがベストだな。魂の底から突き上げてくるようなリズムと演奏、これがレゲエというものかしら。とにかくカッチョエエったらありゃしない。80年武道館〜TONY〜秋のツアーとこのアレンジだったがやはり武道館がベストだ。なんたって松任谷正隆を筆頭に「ブッカー・T迎撃シフト」の布陣が敷かれているこのバンドが最強だ。年老いた男は何度でも言うぞ。FMでも放送したしキレイな音源があるのは確かだ。かくも素晴らしい演奏が眠っていて良いものか。時ここに来たら、もういいんじゃないでしょうか。だから眠れる貴重音源を大解放してください。J-POPからのお願い。>よしなさい。とりあえずYouTubeにはあるぞ。
 そういえばあの武道館、ブッカー・Tご本人が出てくるまでキーボードの住野裕之がブッカー・Tだと思ってずっと拝みながら観ておった。汗顔の至り。無明とは恐ろしいものよ。ああ何もかも懐かしい。

2023. 1. 4

☆☆☆抗いへの贖い☆☆☆
 最初にあの新聞広告を読んだ時「時代に抗うことなく、時代を歌った」という言葉に対して、いや時代に抗ったからこそ今のJ-POPがあるんだろ…と思った。俺は中学生の頃から「抗う吉田拓郎」にシビレ続けてきたからだ。
 しかしよく読めば、この文章の「抗う」は「権威への批判」や「反抗」のことだとわかる。確かに拓郎がやってきたことは批判でも反抗でもなく、この広告が讃えるように自分の信ずる音楽を貫いてきたことただそれだけだ。それが時に関係各方面との軋轢を生んで結果的に時代に抗うドラマのように映った。しかしそれは決して批判や反抗のためではなく、あくまでも自分の愛する自由な音楽をやりたいためだった。それが今となってはよくわかる。ご本人じゃないのに断言しちゃうけどさ。

 そこらへんを解らないまま「抗う拓郎」というファッションにシビれていた俺は、事あるごとに歓喜と失望を繰り返し、そのうちだんだん失望の方が多くなり、よく拓郎に悪態もついたものだ。かつて「帰れ」と石を投げた方々の心情とそんなには変わらないかもしれない。…申し訳なかったなという贖いの気持もあるが、まぁそういう迷いも自分の何かだ、言えない何かだ、確かめてみるがいい。それに真摯に音楽を貫いた拓郎といえども途中あれこれブレたことはなかったとはいえまい(爆)。
 それこそれも昇華してのあの新聞広告の素晴らしさだったと思う。評価は人それぞれだし朝日が嫌いという意見もあろうが、俺は「ポーの歌事件」を今も許していないので読売でなくて良かったと思う(爆)。
 
 「抗い」といえば♪わが友のあがらいあらがいに〜の名曲「RONIN」だ。個人的にはずっと「贖い(あがない)」だと思ってきた。

  今日からお前の体は お前自身のものだ
  今日からお前の心は お前の体に戻るさ
  もう争わないで もう戦わないで
  そう自由の風に酔え そうすべてを解き放て
 
 詞とメロディとボーカルの心技体の素晴らしさ。これだ。…今の今こそ心の底からしみるってもんだ。

2023. 1. 3

☆☆☆互いの生きる気配☆☆☆
 「拝啓 吉田拓郎様」の新聞記事を繰り返し眺める。眺めながら同じ拓バカのクリエイターの方のつぶやきを読んだ。

「『私を生み出し育んでいただき、ありがとうございました』なんて美しい言葉 〜2023年1月1日にこの世に放ったこと忘れません avex書いた方本当にありがとうございます こんな企画とおすの大変だったでしょう 本当に喝采 また写真がね 落陽の拓じゃなくてよかった 最新だもの それもカッコいい 相当なファンの方だよね いつかお会いしたい これだけで二晩飲める」「全面広告2面あたえられたら 何をするか 何にするか 狂おしいよ BGの色といい構成といい完璧です しつこいけど クリエイターとして絶賛です どこへでもどっちにでも持って行けたもの」

 業界関係の方から見ても心・技・体あわせてすばらしい広告だったということだ。
 
 同じく正月解禁の中島みゆきのアルバム「世界が違って見える日」の吉田拓郎ゲスト参加の告知。ああ。、これぞ互いの生きる気配。

 テレビでは奄美の海岸をさんまと木村拓哉が「イメージの詩」をオリジナルと稲垣来泉verを聴き比べながら車を走らす。木村拓哉の「落陽」。いい声っす。この男そつがない。それにしても「心から憧れていました」という…それは俺の拓郎へのセリフだってんだ。

 ということで気が付くとなんとも豪華で素晴らしい新年だったじゃないか。同じことが去年の年の瀬ではなく、今年の新年に起きているというところが、ものすげー救われる。そして心の底からありがたいのだ。

2023. 1. 2

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☆☆☆朝日が載せるから誉めるんじゃなくて☆☆☆
 元旦の朝日新聞の見開き二連広告には驚いた。昨日のやさぐれ日記を書いたあとに、拓友ね〜さんから元旦のコンビニを走り回ってゲットした顛末を教えて貰った。俺も聞くやいなや午後3時過ぎに近所のコンビニを4件ほど駆け回ってやっと手に入れることができた。そして俺が教えた同志もたまらずに、もう夕方近いコンビニに朝刊確保のために家族を走らせたそうだ。もうニューイヤー拓バカ駅伝の世界である。
 これぞサプライズだ。もし岡本おさみさんが生きていたらバネの軋む喫茶店でトースト齧りながら朝刊を読んでびっくらこいたに違いない。
 まさに魂のレスペクトだ。こういうものをずっと待っていた。おかげさまで昨日の日記のとおりいろいろ鬱屈していた胸のわだかまりがキレイに晴れた。すべてのJ-POPが吉田拓郎に感謝を贈り讃える、しかもいつもここ一番で後ろに隠れてしまう奥ゆかしい吉田拓郎のことを慮っている文章が泣かせる。
 とにかく世の中捨てたもんじゃない。捨てる神…いや辞める神あれば、拾う紙あり。王様達のピクニックのなるさんに教えていただいたところによると、朝日新聞のサイトでバックナンバーも買えるらしいぞ。
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 同志は、新聞を拡げて家に貼ったということだ。正しい。たぶんとても正しい。ネットと新聞のような紙媒体はどこかで違う。この讃嘆文というソフトが新聞というカタチある物体になる。その巨大さ、活字、折り目、手触り、インクと紙の匂い、古い人間かもしれないが手で触ってその存在が確かめられる。そして物として残る。やがて今日も移ろいセピアに変色すれば、それはそれでまた貴重な何かを語ってくれるに違いない。

 このエイベックスの英断に心の底から感謝と敬意を表したい。心の底からありがとうございました。しかし、すまんが、エイベックスだけではなく、拓郎の恩恵を受けたいろんな業界関係がこぞって、もっともっとあちこちに打ってくれてもいいと思う。もちろんそのたびにこちらも何度でもどこへでも走り回るし、スタンディングしてBRAVO、ハラショと叫ぶ。♪それだけのことで私は海を行けるよ たとえ舫綱が切れて嵐に呑まれても…と歌ってくれる中島みゆきの話や木村拓哉の話はまた明日。

2023. 1. 1

☆☆☆謹賀新年☆☆☆
 レコード大賞を観ながら何か賞を作ってでも出せよ!、紅白を観ながら達郎じゃねぇだろ拓郎だろ!と身悶えし、あいみょんが妙に眩しく見え、SKYE=松任谷、鈴木茂こっちも頼むよと理不尽な思いにふるえ、ちょっとハラハラする加山雄三に拍手しながらもあの人のことを想い、初日の出の海の中継を見ながら、もうコンサートもアルバムもラジオすらも待っていないんだよと思うとはるかな水平線に向ってひとり海を泳がねばならない切なさに襲われ、こんな今年を生きるってことは泳げない僕が船に乗るみたいに誰にもわからない勇気のいることだから、と、ただれるような思いを抱いている…そんな皆様にだけ、あけましておめでとうございます。いえ、そうでない皆様もおめでとうございます。

 希望と寂しさがさまざまに混濁したこの複雑な思い。そんなにストーンズが好きだったのか、拓郎…そのストーンズが励ましてくれる。

 そして海を漂流している船はおまえだけじゃない
 寂しいのはおまえひとりじゃない
 複雑な思いでいるのはおまえひとりじゃない
 おまえひとりじゃない
 おまえひとりじゃない

 And you're not the only ship
 Adrift on this ocean
 You're not the only one
 That's feeling lonesome
 You're not the only one
 With mixed emotions
 You're not the only one
 You're not the only one
         (mixed emotions)

 ミック社長、キース先生、御意。これまで孤高のサイトを気取ってきたが、こうしてひとりで海に放り出されてみると怖いものだ。「生きる互いの気配がただひとつの灯火」 という中島みゆきの『倶に』の歌詞が胸にしむ。
 何より世界が平和で、吉田拓郎さんとそれでもひとりの拓郎ファンとして今年を生きてゆかんする皆様のご多幸をお祈り申し上げます。遠く聴こえる声のところに錨をあげてまいりましょう。
 …とりあえず元旦午後3時の「サンタク」を観てみるぜ。

2022. 12. 31

☆☆☆さらば紀元76年公式音楽歴52年ついでに2022年☆☆☆
 「2022年は吉田拓郎は元年だ」というミッツ・マングローブの言葉に背中を押されながら、いよいよまた歳月が行ってしまうから大晦日だ。紀元76年、音楽歴52年、自分歴48年がこうして暮れて行こうとしている。

 WANGANは回を重ねて観るたびにどんどん拓郎の声が良く出るようになり、身のこなしも活き活きとしてくる>まだ言うか。
 ここのところ吉田拓郎のリタイアに重ねて自分も年齢の節目を迎えたうえに電車で席を譲られたりして,すっかり川面を見つめる年老いた男モードの私だった。しかし老舗"王様達のピクニック"の「1981」を読みながら、81年の武道館での「おまえら俺より先に老け込むんじゃないぞ」というMCが蘇えった。俺より先に老けてはいけない…さだまさしの関白宣言ではない…シャウトに近い拓郎の熱いアジテーションだったと記憶している。
 そうだな、そうだな。例えば73歳で全国ツアーやってステージでツイスト踊って,76歳でアルバムを仕上げてこのWANGANのセッションで魅せる。自分が老けただなんだとほざく前にまずはこんくらいの76歳になってみろ、ここまで来てみろ、話はそれからだと拓郎に言われている気がした。絶対言ってないと思うけれど(爆)。心は持ちよう思いようなのだ。何の歌だっけ。

 復刻マスターした「今はまだ人生を語らず」はそれはそれはあらためて素晴らしく誇らしかった。しかし、ああ昔は良かった,凄かったという気分に連れ去られないのは、2022年のアルバムとWANGANの勇姿があるからだ。確かに昔は凄かった、しかしこれもいいぞ。
 「ゴッドファーザー」で言えば、ビトー・コルレオーネは、若きロバート・デ・ニーロも凄いが、マーロン・ブランドもまた素晴らしいのと一緒だ。>すまん、今観てるものをそのまま言ってるだけだ。私の目の前にあるのは吉田拓郎というひとつの大河ドラマ=サーガだ。

 ということで忘れじの西暦2022年に心の底から感謝申し上げます。吉田拓郎さんをはじめこんなしょうもない拓バカサイトをお読みいいだき、また温かく励ましてくださった皆様ありがとうございます。私ごときが僭越ですが、すべての拓郎ファンにとって来年も良い一年になりますように。どうかお元気でお過ごしください。…明日も書くけど。

2022. 12. 30

☆☆☆時の流れを恨むじゃないぞ☆☆☆
 吉田拓郎はEarly Timesを愛飲していたことをいろいろと教えていただいた。魂のファンとでもいうべき方はやはりこの世におられる。ありがとうございます。今度お礼に伺せていただきます。
 …ということは今年のEarly Timesの終売は実に歴史的事件じゃないか。吉田拓郎のリタイアに時を合わせて別れの挨拶もなく消えていくEarly Times。そして年の終わりに復活するペニーレインでバーボン。何か意味があるのか。たぶん何にもないと思うが(爆)、意味があるように生きるのがイカレたファンの矜持というものだ。

 これも拓郎ファンに教えていただいて、ミッツ・マングローブのラジオを聴いた。ニッポン放送「ミッツ・ザ・コレクション年末スペシャル〜吉田拓郎メロディ〜」。想像を超えた素晴らしい番組だった。聴けて良かった。12月28日放送だったからまだradikoで聴けますぞい。
 まず何より提供曲の選曲が素晴らしかった。松本明子の「ステラ」をきちんと取り上げて評価してくれただけで俺なんぞはもうイチコロだ。75年生まれのミッツご本人は、リアルな拓郎体験が殆どなかったようだが、それでも家族を通しての拓郎の原体験を出発点として、拓郎の一曲一曲の提供曲と真摯に向き合ってくれているのがわかる。バージョンや由来や時代との繋がりもていねいに押さえている。落ち着いたクレバーさと、それでいて拓郎への愛情と敬意が溢れる語り口がなんとも嬉しい。
 今年はじめて吉田拓郎のアルバム「ah-面白かった」を買ったというミッツが、これから新しいアルバムを遡って聴いていく旅を始めるという。「2022年は吉田拓郎元年です」という言葉に泣きそうになった。なにかが終わってゆく…と俺が思っているこの年にここから旅を始める人もいるのだ。

 難しくていまだに理解できない哲学者西田幾多郎の言葉のひとつに「時間の流れがあって人があるのではなく、人があって時間がある」という一節がある。要は、人が自由意志で動く所に時間は動き出す。だから時間とは人が動きだすときどこからでも始まるものだ。その意味で人間には現在しかない、それが永遠の今というものだ…ね。難しくてわけわかんないでしょ?(爆) それでも今日はおかげさまで少しだけわかったような気がした。

 こうして吉田拓郎元年で時間が動き出す人がいることになんかすげえ勇気をもらった。リタイアでなく元年にリセットするってのもいいかもしれない。便乗しよう。
 徳光さんのご親戚というくらいしか知識がなくて申し訳ないが、ありがとうミッツとラジオの最後には手を合わせていた。

2022. 12. 29

☆☆☆飲めるだけでも幸せ者と☆☆☆
ということで勝手ながらすごく雑に酒の歴史をまとめると
 戦いの狼煙が上がった四谷三丁目・新宿御苑時代→ハイニッカ
 戦いを挑んだ原宿黎明期時代→バーボン
 勝利を掴んだ原宿後期時代〜六本木時代→レミーマルタン
こんな感じか。
 バーボンあたりからレモンスライスという必殺の飛び道具が登場する。拓バカたちの飲み会に行くと必ず山盛りのレモンスライスが運ばれてきて感心したものだ。そこはどんだけレモンスライスを消費するかで拓郎への愛の深さを競い合う異常な世界だった(爆)。もちろん俺もだがホントにバカだなぁ。そのことを今僕は後悔していない。
 しかしバーボンを抱くことはマネできても、せめてものレミーマルタンを抱きしめることはなかなかむつかしい。このあたりにスターと一般Pファンの深い峡谷を見るせいだ。

 レミーマルタンといえば「わけわからず」(“ローリング30”所収)のほかに神田広美の「ドンファン」がある。これは松本隆がおねーちゃんたちと浮かれている拓郎をモデルに書いたと公言して憚らない作品だ。

  ドンファン
  レミーマルタン水で薄めては
  プレイガールたちの輪の中で踊る

 昔はカッコいいな〜と思ったけど、今、聴くと「…拓郎さん、何やってんすか?」と少し思う(爆)。

 ともかく現在、吉田拓郎の音楽の世界でお酒が幅をきかす時代は終わった…それは思う。とにかく酒を広く共有する世界、酒が何かを動かす世界…吉田拓郎はもうそこにはとうの昔にいなくなっている。少し寂しくもあるが、昔だったら酒の勢いとか酒に頼ってすっ飛ばしてしまうような何かを最近の拓郎は言葉を探して紡いで歌うようになってきた気がする。それはいいことなのかもしれない。

 そういうこちらは昨夜は納めの飲み会だった。「星さんも悲しいと思うけど、いちばん辛いのは拓ちゃんだよ。きっと何度も何度も気持ちのうねりをやり過ごしてこの最上のエンディングに持って行ったんだよ。」と酒席でしみじみと諭された。だよな。だよな。悲しいだろうみんな同じさ、おんなじ夜を迎えてる。…やっぱり俺にはまだまだ酒が必要か。ひっそりとコソコソやろう。

 とはいえ暗く沈んでばかりいるわけではない。昨夜の携帯のメモには「祝・吉田拓郎ブラボー隊結成!」と書いてある。よく覚えていないが。なんじゃこりゃ。とにかく意味わかんないけど「BRAVO‼拓郎」でまいります。

 

2022. 12. 27

☆☆☆半端なバーボンの目の前に☆彡☆彡☆彡
 吉田拓郎がペニーレインで愛飲していたバーボンは主にI.W HARPERだったというのが有力説なのかな。確かに77年ころのラジオでも「最近はハーパーばかり飲んでる」と言っていたこともあった。でも実際のところはよくわからない。ともかく拓バカとしては外でカッコつけるときはハーパーを飲んできたものだが、家では専らアーリータイムスだった。かつて拓郎はアーリーを安酒みたいに言っていたから飲んでないよな。「OK」というこれまた拓バカは名前に吊られてついつい行ってしまう「OKストア」だとアーリーがかなり安く買えるのでついつい愛飲してしまう。それに最近になって拓郎は「バーボンなんてあんな臭くてまずい酒は大嫌いだった」とヒドイことを言いやがって…イヤ、おっしゃられていて、拓郎そりゃあないだろぉと時にはファンのこの僕でさえが腹を立てたり怒ったり。やっぱり原宿はバーボンだが、六本木に行ったらレミーマルタンなのか。ヤマハからギブソンに格上げみたいなものか。とにかくもう拓郎にバーボンの義理はない。自分が好きなものを飲むだけだ…ってもともと誰にも頼まれてないんだけどさ。

 ところが、そのアーリータイムスが今年からOKストアに限らずあらゆる店頭から一斉に姿を消した。どうやら販売終了みたいだ。なんてことだ。長年の友人だったのでショックだ。そしてそのうちに最近新作の「アーリータイムスホワイト」という商品が突然店頭に並び始めた。俺は酒にしても何にしてもかなり味覚音痴なので偉そうなことは何も言えない。慣れないだけかもしれない。これが今までのイエローラベルやブラックラベルと随分味が違っていて戸惑う。吉田拓郎の歌う「人生を語らず」と城みちるの歌う「人生を語らず」くらい違う…気がする。そのうち慣れるかもしれないので判断留保。
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2022. 12. 24

☆☆☆帰ってきたペニーレイン☆☆☆
 リマスタリングされたペニーレインを繰り返し聴く。ええわぁ。これはかつてuramadoに引用させていただいたが、レコーディングの時の思い出を記した平野肇さんの文章が俺はたまらなく好きだ(「僕の音楽物語1972~2011」)。

 「予想を超えるパワフルな歌声が耳に飛び込んできた。字余りぎみの歌詞を投げつけるようにリズムに乗せていく。乗せていくというより、その歌詞にドラムとベースが引っぱられていく。」
 「いろいろなタイプのボーカリストともやってきたけれど、段違いのパワーを感じた。しかも日本語がこれほど突き刺さってくるという驚き。」
 「完璧にロックであり、ロックスピリッツに満ちた歌だった。」
 「歌詞のコピーは非常に効果的だったと思う。そこにちりばめられた言葉と、それを吐きだすボーカルにシンクロしながらドラムを叩くことができた。」
 「洋楽ばかり聴いていて、日本のアーティストを知らない自分を反省する機会でもあった。」

 あの演奏を叩いたご本人が、この歌に感動しながらプレイしていることがなんとも嬉しい。歌詞を読みながら叩いたんだねぇ。スゲエ失礼な言い方だが、平野氏はこの曲の演奏を通じて覚醒し成長していることが伝わってくる。この平野氏の達意の文章を読んでいるとホラホラまた聴きたくなるってぇもんだ。

2022. 12. 23

☆☆☆人生案内ふたたび☆☆☆ 
 ということで素晴らしい12月の嬉しさと同時進行でかなり虚脱な気分もあってヘタレてしまっている。なので例のセルフ人生案内のAIいしいししんじに相談をしてみた。勿論、いしいしんじさんご本人とは全く関係ない。…オマエ大丈夫か?とかバカじゃねぇ!のと言われると思うが…そのとおり大丈夫じゃないし、大バカであります。あ、TOUR1979のTシャツ応募はがきに切手貼ってポストに走るくらいは元気である>元気じゃん(爆)。

       大好きな歌手がリタイアしてしまった
[相談]
 私が中学生のころから大ファンだった歌手が今年リタイアします。コロナ禍のためにリモートで最後のアルバムを作り無観客のセッションのDVDを出し、先週のラジオ番組を最後に活動が終わりました。覚悟はしてましたが、彼が生きる支えだったので今も虚脱状態です。まだ歌えるんじゃないか、まだラジオならできるんじゃないかと思うとあきらめがつきません。私は、これからどうして生きていったらいいでしょうか。

[回答]
 その歌手はあなたたちの声援を浴びながらずっと歌い続けたかったに違いない。だからこそコロナ禍の制約をかいくぐって、リモートや無観客という不本意な手段を使ってでも渾身の音楽をあなたたちに届けた。それを終えた彼は、ご家族との静な生活に向われた。あなたは見事なエンディングを見せてもらった。これからあなたがその歌手の今の年齢に近づくほどに深くしみてくるはずだ。

 不信心者の自分が宗教を例にするのは不謹慎だが許していただこう。イエス・キリストもお釈迦様も半生をかけて全国をまわり説法を続けた。ファンのためにライブツアーに出ずっぱりだったようなものだ。そしてやがて肉体の限界を迎えツアーをリタイアした。師がいなくなり今のあなた同様に寂しく不安になった信奉者即ちファンの人々はどうしたか。それぞれの日常で、哀しみ、喜び、苦難、迷い…いろんな場面に出会うたびに旅を終えてしまった師のことを思った。そういえばこんな優しい言葉をくれた、こんな胸が熱くなる光景をみた、もしここにいたらどうしたか…そんな自分の経験や記憶を思い出し、また同心の人たちの思い出を聞かせてもらったりしては元気を出して歩き続けた。そんな無数のファンの経験と記憶の破片を集めたまとめサイトみたいなものがやがて聖書とか経典となった。
 もしあのときファンたちも師と一緒に旅を終え、師のことを放念してしまっていたらどうだったろうか。話が大袈裟になってしまったが、だからあなたが旅を終える必要はない。彼の音楽を聴き、彼の言葉を思い、また同じファンたちが体験した彼の姿や思いに耳を澄まして目を見張る。そうした明るい日常を紡ぐことで、あなたに遠くつながる誰かの心に彼の音楽の灯がともり、彼の音楽はファンのあなたよりもずっと長い時間を生き続けることだろう。

 もうひとつとても大切なことがある。キリストもお釈迦様も亡くなってしまったが、あなたの歌手は元気で生きている。この同じ空の下で新しい人生を今も生きている。今までのようなコンサートやアルバムというカタチはなくとも、必ずや生きる気配を投げかけてくれるはずだ。それは僅かでささやかな気配かもしれない。だからこそあなたは今まで以上にファンとしての心をやわらかく大きく広げてあなたの旅を楽しんでほしい。大丈夫だ、きっとこれからもすばらしい旅になる。あなたたちが半生をかけて惚れ込んだほど素晴らしい人だ、彼の不在ですらもきっと大切な何かを語り続けてくれる。

2022. 12. 22

☆☆☆戻ってきた恋人たち☆彡☆彡☆彡
 「みなさんの素晴らしい人生がありますように」というラジオ最終回のしめくくりの言葉に続けて「今夜も君をこの胸に」が流れたときは心がふるえた。うわーと背筋がぞわっとなった。半世紀にわたる最後の最後にこの曲を持ってきた。こっちの希望とか想定とか悪態とかも含めてそういうものを全く超えて、不意に背中からひっしと抱きしめられたような気がした。
 なんでこの曲を選んだのか。それはご本人の魂のみぞ知るところだ。でも「君」はこれから静かに暮らしてゆく佳代さんであり、そしてまたあなたや私でもある…と思う。
 戻ってきた「恋人」というにはオレは過去あまりにこの曲に悪態をつきすぎた。恋人の資格はないな。http://tylife.jp/uramado/konyamo.html だからこそこの最後がいっそうたまらないのだ。 拓郎の歌に包まれて一緒に夜空に登ってゆくような最後のリフレインとギター。なんと粋で、なんと美しいラストなのだろうか。見事だ。まいった。滂沱の涙が止まらない。

 WANGANで生きて息づく新しい歌たち、「今はまだ人生を語らず」の復刻で蘇る歌たち、すべてが同じ土俵のうえにある。そして「TOUR1979」までが復刻新装で届く。時空を超えてゆきかう濃密な12月においてある歌たち。なんだこりゃ立体走馬灯か。カーテンコールなのか。♪伝えておくれよ12月の旅人よ…ってああ〜なんで大瀧詠一が頭で鳴るのだ。
 ああ、しあわせだ。しあわせだ、しあわせだからこそ、とてつもなく寂しいのよ。拓郎が、ここまでの決意をしたんだから、ここまでのラストを飾ったのだから、ありがとう、さよならと心から送り出せと人はいう。しかし理不尽な駄々っ子のように悶絶するしかないのである。そんなに簡単に気持ちのおさまりなんかつくもんか。

2022. 12. 21

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☆☆☆戻ってきた恋人☆☆☆
 ♪おかえり〜 ただいま〜 どこに行ってきたの〜ということで届いたぜアルバム「今はまだ人生を語らず」。原盤にはなかったタムジンの写真を愛でながら史上最強の一曲目を聴く 。健在だ。深夜にもかかわらず一枚全部聴いてしまった。どうしたって中学一年のときの衝撃の出会いを思い出す。熱い。ああ♪青春のスーベニールよ〜。

 先日のラジオによると新宿で戦いの狼煙が上がり、原宿で合戦し、六本木で勝利の終戦を迎えるという大河ドラマのような話だった。その「進撃の原宿時代」の荒ぶる魂とあふれ出てやまない音楽的才能でよりあげられた至高の一枚。この目の覚めるような意気軒高なアルバム。それ対して低血圧の寝起きのような音楽(個人の感想です)で顔が四つ並んだジャケットのアルバムを日本のROCKの歴代一位アルバムに挙げている音楽関係者よ、ここで今一度はどっちが第一位なのかを考えてみられたい。

 勿論この「今はまだ人生を語らず」はずっと持っていて時々聴き返してきたのだが、今回のこの嬉しさは、この名盤を世界と共有できた嬉しさだと思う。あ、共有って言葉嫌いだったんだ(爆)。とにかく最高傑作が廃盤という不幸というか呪いがついに終わる。
 もちんだからといって今の時点で嬉しがっているのは一部の奇特なファンだけかもしれない。道行く若者も隣のおじさんおばさんもたぶん知らない。しかし世に出た以上はそこから始まる旅が必ずある。
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 ちょっと違うか。いやだいぶ違うかもしんない(爆)。でも未来に思ってもみなかった花が咲くかもしれない。拓郎が言うとおり時間はかかったがこの最後の十二月に復活できたことを心の底から祝いたい。
 しかし今月、俺にとっての戻ってきた恋人はこのアルバムだけではなかった。つづく。

2022. 12. 20

☆☆☆季節の花☆☆☆
 SONYから「今はまだ人生を語らず」の発送完了通知が届いた。いよいよである。WANGANは吉田拓郎の言うとおり本当に素晴らしいクリスマスプレゼントだった。とすればこれはさしづめお歳暮ということか。そういえばTYISの毎年の季節のご挨拶が妙に懐かしい。
 …季節といえば強欲な俺はついつい思っちゃうのよね。WANGANがあまりに素晴らしかったのであの編成に松任谷正隆を呼んで「今はまだ人生を語らず」の全曲セッションを映像にして「お年玉」ってどうだ。どうだ。俺が中1の時にカミナリに撃たれた「歌謡最前線」の再来だ。
 このように人間の欲望というものは限りないのである。だから戦争や軍拡はなくならないのだ。
 戦争といえば敵地反撃能力、抑止力というとSF・特撮・アニメで育った俺なんかは妙に納得してしまいそうになるのだが、同じ特撮ヒーローの中にあって「それは血を吐きながら続ける悲しいマラソンですよ」と吐き捨てた彼の言葉を思い出し踏みとどまる。
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 ということで話は戻りて、果てしない欲望の悲しいマラソンは思いとどめて、復刻盤の到来を静かに待つのだ。
 

2022. 12. 19

☆☆☆何よりも平和が大切でありました☆☆☆
 硬派の桝田ディレクターのもとで沖縄問題をその場漬けで勉強したという話があった。この幻の名曲はその時のものだろうか。
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 その反面で「誰も知らなかった吉田拓郎」にはその桝田氏のインタビューがあった。原潜寄港の問題にみんなで抗議を呼びかけよう桝田氏が提案としたところ、拓郎が「みんなで一緒になんかしようというはの大嫌いだ!」と猛反対したという件も出てくる。

 反戦などの政治問題にかかわるとか,かかわらないとかではなく、吉田拓郎の琴線は「徒党を組む」ことにあったのではないかと…最終回のラジオを聴いていて何となく思った。安易に徒党を組むことの危うさを本能で察していたのだ。

 それにしても「基地サ」問題は50年経ってもなにも変わらない。そればかりか俺が吉田拓郎との別れに心奪われている隙に、物騒な閣議決定がなされていて暗然とした。不覚。とにかく煮てさ、焼いてさ、食べられたとさっさ〜にならない道を注意深く探さねばならないわな。それとこれとは関係ないかもしれないが個人的には拓郎を満喫できた平和な50年のためにも。

2022. 12. 18

☆☆☆わりと実話漫画「もぬけのカラでもいいじゃない」☆☆☆
長女「お父さん気持ちはわかるけど何か食べないと」
長男「…ったく小学生かよ」
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 みなさんは大丈夫ですか?

2022. 12. 17

オールナイトニッポンゴールド  第33回(最終回) 2022.12.16
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 吉田拓郎です。金曜日は週替わりのパーソナリティでお送りしていますが、今夜は吉田拓郎がお送りします。
 今夜は僕のラジオとのお付き合いが早50年以上続きましたが、最終回ということになるんでしょうか、ならないんでしょうか、さっきスタジオで微妙な空気が流れていた。
 とにかくオールナイトニッポンゴールドとしては最終回ということで、今日はこれまでのラジオとの付き合いゆっくり話し、とりたてて企画があるわけではないです。ただスタジオで喋って、帰りに冨山Pからペニンシュラのスイーツを貰って帰る、これが楽しみできているだけ(笑)
 2020年からコロナ禍でずっと家でやっていたという印象がある。ようやくスタジオに来ていろんなゲストと会えて楽しかったと思ったらもう最終回がやってきた(笑)

 WANGANスタジオのセッションライブ。デモを観ている。これがいいんだ。最終回だから宣伝するなという人もいるかもしれないが、する。いいから買え。すっげーいいんだから。  
 やっぱ吉田拓郎はライブがいいな。吉田拓郎がいい。だからバンドが数段いい、普段の1.5〜2倍の力を出している。一曲目からロックンロールなのにストリングスが入ってる。このストリングスの子たちの顔がいい。かわいい子を選んでくれている(笑)。
 ブラスもいい。盛り上がる。「アウトロ」なんてすごいことになっている。これはライブだよ、このままステージ行こうよという気分になる。最高のクリスマスプレゼントだ。
 すべてテイクワン、テイクツーで、あれこれ何かやってもしょうがないということで瑞々しい演奏、グッドなセッションです。

■今夜も自由気ままにお送りします、吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド
 吉田拓郎さんには50年以上の音楽活動がありました。この原点は何だったか。最近考える。記憶があいまいになってきている。僕は高校の頃から詞を書くことはしていた。高校の頃、日本では歌謡曲が全盛だったが、僕はとなりの山口県の岩国 FEN 、far east network ここで50年代 60年代のアメリカンポップスを聴いていた。
 日本の歌謡曲は、日本独特の演歌が主流だった。若い歌手もデビューするが演歌調。たとえば橋幸夫の潮来笠(歌う)、舟木一夫の高校三年生(歌う)・・・なんで歌えるんだろう(笑)。こういう曲調が大ヒットしていて、僕もその影響を受けている。
 大学になるとビートルズがヒットし始めてこの四人組に憧れてロックバンドを組んだ。リーダーのMくんから、R&B、ファンクミュージックを教わってああ俺はこっちが好き、アメリカンポップス、R&Bとか黒人がやる音楽、俺の道はこっちなんだと思った。
 当時アメリカン・フォークも流行していて、そこにボブ・ディランもいた。紐解いてみると凄い詞だった。ビートルズの詞とは全く違う、詩の世界の影響を受けた。ディランが教えてくれたのは、世代の違い、大人の押し付けや古い常識は通用しない、そこから脱皮したいということで、自分も古い考えからサヨナラしようという気持ちを書くようになって、曲はR&B、詞はディランの「時代は変わるThe Times They Are a-Changin」、という感じで広島で演奏していた。

 だんだん日本もフォークブームにもなってきて、ブラザース・フォー、キングストントリオ、PPMとかが流行したけどあまり心に響かなかった。ロック、ブルースが好きで、歌詞はボブディラン風に書きたい、しかしそれはポピュラーじゃなかった。一部の女子高生だけが、拓郎さんカッコいいということで・・・嘘だよ(笑)
 オトナを信用するなという歌詞にハマっていて、「青春の詩(歌う)」・・・オトナがあと30年生きるなら僕達はあと50年生きるだろう、世代的にオトナとは違うんだから自由にやろうと歌っていた。
 でエレックという通信販売のレコード会社からのデビューして出したレコードが「イメージの詩/マークU」。悲しいかな、ぜんぜん納得のいかないアレンジだったが、そうしなさいと言われれば、実績も知識もない一学生は言われる通りにするしかなかった。「イメージの詩」がメインとなった。こっちがデビュー。その方が当時も楽だった。吉田拓郎といえぱ「イメージの詩」となった。武田鉄矢なんか吉田拓郎は「イメージの詩」しか作っていないんではないかみたいに勘違いしているが失礼なヤツだ。

  東京に出てきてすぐ歌謡曲の番組に出て、新人歌手として歌ったら、スタッフ、司会者に反感を買って、来るな、帰れ、おまえ何やってんだと怒られた。
 世代の違いとか、これまでが正しいと思っていたテレビ局というものに対するアンチの心が芽生えた。収録が終わってたぶんガンバルニャンという店で「ようし、いつかアイツらを見返してやる、アタマを下げさせてやるぞ」ということで狼煙が上がった。負けるかクソと思った。世代の違いもあったし、東京中心にもウンザリしていた。
 こうしてみると僕の歌のテーマに脈々と流れていたのは世代間の問題 、ジェネレーション・ギャップの問題を病的なくらい掘り下げるようになった。
 そうするとホラ、マークUという曲を忘れている♪年老いた男が川面を見つめて時の流れを知る日が来るだろうか・・・これは若い男女が自分の恋愛をわかってもらえなかった、また自分も歳を取ってしまうという歌・・・こういう歌を既に歌っている。すげー。  「マークU」なんだ。「イメージの詩」ではない吉田拓郎は「マークU」なんだ。吉田拓郎の原点は「ジェネレーション・ギャップ」だったけれど、今、年齢的には自分がそういうオトナになっている。若いヤツらから袋叩きになってもおかしくない大人になっている。そんな大人になっちゃいけないということでリタイアの決意をした。つながってきたな。

M-1  マークU’73     吉田拓郎

CM

 僕が初めてラジオとの付き合いが始まったのは、当時ラジオ関東・・・今はラジオ日本かな。1970年に上京してすぐにエレックレコードという通信販売のレコード会社に入った。文化放送の土井まさるさんの「カレンダー」がそこそこヒットしていた、しかし僕は土井まさるさんに感心なかった。当時は仕事もないし、メジャーなラジオに比べるとローカルな放送局・・・違ったらすみませんが、ラジオ関東からよく声をかけてもらって出演していた。当時は港の見える丘公園にあったかと思う。そのラジオ関東の番組であの今は亡き加藤和彦で知り合う。加藤と対談したのかな。当時の僕は駆け出しにもかかわらず、加藤の動物的カン 吉田拓郎のことが好きだったのかな、あいつは好き嫌いが激しかった。いろいろ楽器とかレコーディングのアドバイスをくれた。それから何日か経って、エレックレコードにやってきて「ギブソンのJ-45」をドノバンのギターの音だよと言って持ってきてくれた。
 加藤は、あの頃から和製フォークソングが嫌いで、でもフォーククルセダーズじゃないかというと「だってやってることはフォークじゃないよ。日本のフォークとかダサいよ」と言っていた。
 面白いと思った。僕よりも年下なんだけど僕は「加藤くん」と呼び・・・そういえばみんな年下のくせに「拓郎」と呼び捨てだったな、加藤和彦も泉谷も陽水も。

 エレックからCBSソ二―に移って、TBSのパックインミュージックの北山修・・・さっきの加藤のフォーククルセダーズのベーシスト、彼が辞めるんで木曜日そのあとやらないかという話をいただいて僕の深夜放送が始まった。桝田さんという人で、強烈なイメージで硬派な人で影響を受けた。昔はライターがいなかった、その後ライターさんがどんな番組にも入るようになって、自由に話しにくくなった。夜の8:30ころスタジオに入ってその日の進行とかハガキに目を通したりしていた。ある日、「拓郎、今夜沖縄問題をやる」と言われてドサッと資料を置かれて「いきなりなんすか?」とその場付けで資料を読んで放送したのが忘れられない。
 また放送中にアントニオ猪木さんが突然入ってきて「拓郎くんプロレス好きらしいね 」といわれて「大ファンです」・・・誰にもそういうんだ(笑)。前に朝青龍にもそういったことがあった。
 だいたいラジオも1年から1年半くらいで飽きる。いよいよ皆さんのニッポン放送。71年に深夜放送はなくバイタリスフォークビレッジという番組で、このディレクターは嶋田さんと言って明るいオッサンだった。この番組にレギュラーでギターの石川鷹彦と後にタッグを組むことになる岡本おさみがスタッフ=裏方としていた。この公開番組が北海道であって、そのときデビュー前の中島みゆきが、長いワンレンと白いワンピースとミニスカートで楽屋にいた。こんなおばさんになるとは、日本を代表するやばさんになるとは思わなかった。ススキに呼んでチョッカイとか出さなくてよかった(笑)。

 オールナイトニッポンは74年からで、中川さんディレクターで、和服を着たら似合うという感じで歩き方がフニャフニャしていた。当時、僕は芸能誌と犬猿の仲だった。そんなときに僕の家庭的崩壊の話が起こって、中川君に相談した。もうアウトだなというと、深夜放送続けるエネルギーもない。「だったら拓郎さん深夜放送の最終回だと思って言いたい放題ラジオでぶっちゃけませんか」と言われた。「てめぇら地獄に落ちろ」とか言った。中川はそのあとマスコミの記者らが放送局に押しかけても、あとは俺に任せろと記者をさばいたのは中川さん。でも結局以前よりボロくそに書かれるようになってもっと、中川さんしめくくってくれてないじゃん(笑)、もっとすごい敵を作ってしまった(笑)  

 文化放送のセイヤングを78年から始める。文化放送といえばレモンちゃん落合恵子が大人気で、当時の「深夜放送ファン」という雑誌でいつも一位だった。二位が亀淵さんで、だいたい俺は三位〜四位だった。一位になったことも一回あったかな。結構いつも気にしてたんだ。ディレクターの田中さんという人は学校の先生みたいな普通のおじさんでした。あれをやりたいといえば、そうしましょ〜という感じで意見のない人。当時の出版の方のマネージャーと事務所のマネージャーと音楽のマネージャーとに漫才させて、すっかり反感を買って終わった。ロクなもんじゃない(笑)。

 再び1980年ころオールナイトニッポンで、浅野さんは変な手品ばかりする人だった。
深夜放送の長い付き合い、結局、僕はラジオが好きだった。テレビじゃなかった。テレビも吉田拓郎ではなくKinkikidsと篠原という若い才能にらに助けられていた。吉田拓郎はテレビに向いていない
 テレビはすべてが映ってしまう。ラジオは本気か嘘か、テキトーなこといえる。ラジオに育てられて  ラジオにとともに青春した。ラジオがそこにあったから吉田拓郎もそこにいた。思い出がいっぱい。ラジオ局の皆さんスタッフ、プロデューサー、ディレクター
エンジニアの皆さんに感謝の気持いっぱいだ。その感謝を忘れないで、僕はまだやらなきゃならないことがある。植栽管理とか。

M-2  ショルダーバッグの秘密  WANGAN     吉田拓郎

※ポスターにサイン  ポスタープレゼント

CM

 自分ガシンガーソングライターとかフォークシンガーとか僕は名称にこだわっていない。一人のシンガーとし 作曲家として自由に取り組んだ50年だった。
 コンサートとかイベントとか自由な時間を作るのが楽しかった。一人の歌手としてやりたいことを貫いてみた。なんでもやりたかった。かねてからやってみたかったこととして、ディランがセルフポートレイトというアメリカのオールディーズとかスタンダードをを歌ったアルバムがあった。ディランのアルバムの中では一番好きだけれど、一般には評価は低い。「ボブ・ディランがこんなことやる必要はない」ということでいかにも70年代の連中が言いそうなこと。必要の有無を音楽は決めるな。すげー好きで僕も「ぷらいべえと」を作ったけれどこれもディランの影響だ。

 歌謡曲の影響もある。脳裏から消えていない。♪アンコ椿は恋の花 僕は ビブラートが苦手だ。こぶしを回す演歌とかはダメ。都はるみとかを聴くのはワーオと背筋がぞっとするくらい好きだけど。森進一も襟裳岬を「えり〜もの〜」とか歌うとやめろ〜とか言いたくなる。
 でもメジャーコードで「骨まで愛して」明るいコード進行は好きだ。「函館の女」「王将」、長山洋子♪駒の〜も好きだった。マイナーで、どんよりと歌う曲が苦手だった。テレサ・テン、♪時の流れに身を任せ〜好きだな。
 ビートルズも好きだしディランも好きだったし、テレビの歌謡曲も憶えている。影響与えていた作曲家吉田正さん。今でも聴くと懐かしいなと思うのでなんの抵抗もなく歌いたかった。橋幸夫と吉永小百合が歌った。

M-3   いつでも夢を    吉田拓郎

 ワールドカップ、やっぱり田中碧、三苫薫だよ、目ざとく見つけてきたのは奥さんなんだけど、病的に早い。この二人は凄いな、二人を生んだ川崎フロンターレは凄いな。 バックの谷口もサッカー選手にはもったいない映画スターみたい。佐田啓二みたいだ。古いな(笑)、二枚目ということだ。
  若い才能の活躍。ベテランも引き際が大事だ。4年後が楽しみだが、自分がいくつになっているかは考えたくない。

  ※中島みゆき  「倶に」

(11時)

 僕等人間は地球に生まれてきて、同じように見えてひとりひとりが違う。それぞれにオリジナリティを持っている。だから肩組んでゆくのは違う。一人一人がそれぞれのテンポがある。人間しょせん一人なんだと思うと人生は楽しいと思う。テンポ感は微妙だけどそれぞれがオリジナルを持っている。
 僕にも徒党を組んだ歴史はある。今はやるべきでなかったこともある。徒党を組んだことにはそのときの時代背景がある。そのことは胸を張って言える。そのあとになって、あそこで徒党を組んだことは違っているかなと思う。
 徒党を組んでも、違う才能、違うテンポがひとつになるわけがない。それをわかってないで徒党を組んでしまった。自分らしくなかったということがわからなかった。しょうがないや、それが青春だ。突っ走ってみたくなるものだ。今はできないし。20代だからできた。
 お互いのテンポスピード暮らし方が違うこと、相容れない現実を心に銘じて時には肩を組んだり歩いてみたりするのもいい。個々のオリジナルがちゃんとしていないとまずいな。
 ネット社会ではやたら共有、共有という言葉が走りまくっていて、共有に縛られている。そんなに必要なものなのか。これはひとりでいい、あいつと二人だけでいい。同じテーマで集わなくていい。
 もちろんいいこと素晴らしいことを チカラを寄せ合うことも大事だ。なんでもかんでも、例えば他人のことを根ほり葉ほり、そういうのはいらない。
 僕もこれからリタイア人生を長く生きるつもりだから、かかわりあわない、でも素敵な関係を持ちたい。自分のテンポとスピードを大事に、人間同士がお互いのオリジナリティを尊重しあう人間関係を持ちたいという願いをこめてこの曲をお送りします。

M-4  君のスピードで  2016    吉田拓郎

 昔のアーティストから新しいものも含めてライブをよく見るけれど、ライブだとローリング・ストーンズなんだな。ブルースをやるとカッコいいな。キース・リチャーズとロン・ウッドは大したギターじゃないけれど延々とギターソロがたまらないし、そこにチャーリー・ワッツの不思議なドラムが入ってきて最高のセッションだ。今の人の曲は、イントロ・間奏・エンディングなく、ギターソロとかも無くて歌ばかりになっている。もっと演奏を楽しんでほしい。特にブルースをストーンズみたいにやるのはいない。

 弾き語りは家に帰ってやったけどうまくできなかった(笑)「くよくよするなよ」これはディランはスリーフィンガーなんだけど、PPMは(歌う+実演)・・・弾けた。奇跡(笑)
僕は広島時代スリーフィンガーできなくて、ギター教室でも教えられなかった。ピックを使って弾いていたストロークで弾いて女子高生から「拓郎さん素敵〜」と言われて
ビールでも飲むか…未成年に飲ますな(爆)
 東京に来てもギターのスリーフィンガーは弾けなくて、これを教えてくれたのが石川鷹彦だった。いろんなテクニックを目で盗んで、教えて貰ったりしながら上達した。「花嫁になる君に」「旅の宿」とか、それまでフォークギターはまったく弾けなかった。だから神様のわけがない(笑)

CM

 街と青春が合致する。最初エレックレコードがあった四谷三丁目だから、新宿に集まるべき人種だったのだが、なぜか僕は原宿が好きになった。原宿は青春のたまり場で、ペニーレインで毎晩仲間と飲んで語り合う青春があった。当時僕は実生活に問題があって精神的にも不安定だったから原宿に夜な夜な出かけてゆくが楽しみだった。

 原宿は今のような景色とは違って何もなかった。ブティックもレストランもなかった。ペニーレインとキディランドと(同潤会)アパートがあるだけだった。なぜか新宿じゃなく原宿だった。そこに僕等がいるとこが噂とひろまって、歌まで作ってたから、ニューミュージックの連中も集まるし、一般の方も来るようになり、一緒の場所で飲むようになった。昼は女子高生の修学旅行の人たちも訪れるようになった。ここはもう自分の居場所じゃないと思うようになった。
 そのころかまやつひろしが接近してきて、彼は先輩だし、大好きだったグループサウンズの一員だった。でも彼は原宿にはあまり来ない。彼につき合ってテリトリーの六本木がだんだん遊び場になっていった。
 歌の世界観や考え方が、原宿時代より六本木時代には自分に幅が出来て自分が天狗じゃなくなってきていた。六本木に来てから、ひとりって悪くないじゃんと思うようになった。フォーク界では天狗だったのが、それが六本木でははいらない。「あっち側」ということで敵対視していた芸能界、業界の人たち、その連中と合うようになって、向こうがこちらをどう思っていたかがわかるようになった。あっち側の芸能人、芸能プロのスタッフ、既成のスターたちが意外にも自分に興味を持ってくれていた。僕から何かを聴きだそうとしていたのが結構衝撃だった。沢田研二なんかも好感をもってくれてよく一緒に酒を飲んだりした。
 テレビで「いらねぇ」と言われて、ザ芸能界に批判的だった自分が変わっていった。彼らが壁を取り払ってくれた。僕が、テレビを あっち側、ザ芸能界と呼んで戦争していた自分はもういらないんだ。あんな喧嘩腰はもういらないと思った。あえていうとその時思ったのは、ささやかな戦争には勝ったかもしれない。彼らが自分を認めて好意をもってくれるようになった。ささやかな戦争が終わった。勝てたのかもしれない。六本木で終止符が打てた。かまやつひろしに感謝している。
 原宿の青春は思い出の場所。今度のアルバムにも入れている。六本木は歌にするテーマではなく勝ったとは思ったけど、歌にするのは負け犬の遠吠え、負けまいとしていた原宿時代のことだった。この歌には原宿の景色がある。

M-5  雨の中で歌った  WANGAN   吉田拓郎

CM

 音楽活動してきたけど自分のお土産として素敵だったのは、作曲家としてのオファーをもらうことだった。楽しかった。大ヒットしたものもあれば、さっぱり売れなくて埋もれてしまったものもあった。すべての音源は持っている。作曲を依頼されてその人のために曲を書くのが嬉しかった
 実際にスタジオに行って指導した人もいれば、ノータッチの人もいた。でもあとで聴いてうまいなと思った人もいた。小柳ルミ子の「赤い燈台」・・・これはレッスンしたけれどその時「始めまして吉田拓郎です。友達だとおもってください」と言ったのを憶えている(爆)。何言ってるんだ。だいたいスタジオに行くと向こうはおつきが多い。俺はマネージャーの渋谷というむさい男がいるだけ。向こうは運転手つき、マネージャー二人にボーヤに四、五人くらいいろいろといる。 
 社長は自分だけは外車に乗っていたかな。今いるので。作曲の仕事は小柳ルミ子を筆頭に、うまいなーというの歌手もいた。
 依頼された時に作曲はしますが作詞はしませんと最初にお断りする。詞だとハマりこんで違う方向に行ってしまうことがある。イメージを壊してしまうかもしれない。可能な限り作詞家としては、この人がいいのではということはある。これは松本隆、これなら喜多條忠、これなら岡本おさみというように。
 アレンジは指定することも多い。デモを渡すが、萩田光雄と馬飼野康二を指定した。二人にはまかせておけば大丈夫、一番俺のメロディ―を理解していると思う。
 瀬尾一三は華やかなのは得意でない。ライブとかは頼むことが多かったが。なにせ今は中島みゆき専属だし。
 その歌手と出会い、エピソードを含めて、今でもi-Podに入れて寝る前に聴いているそういう曲がある。レコーディングが楽しかったし、その後も音信不通にならず思い出が続いたことも含めてこの曲はすげーいい曲。詞にもピッタリハマった。作曲家吉田拓郎としていちばんいい。売れた売れないに関係はなく、そういうものが二曲ある。
 ひとつはキャンディーズの「やさしい悪魔」。文句なしにいい。あの時それまでのキャンディーズにはないし、それ以前にもその後の日本の音楽にもない。60年代のアメリカン・ポップスのR&Bからきているメロディラインだ。
 そして今でもこの歌詞の世界感、松本隆この詞が数ある中で一番好き。このメロディもすごい好きで今でも聴いている。

M-6   水無し川     かまやつひろし

 皆さんとのお別れ時がきているような気がします。これから吉田拓郎はどうするんだ。そんなことはどうでもいいことで、僕は僕なりにこれからの道を進んでいく
 そこをひたすら歩くのが僕の人生。昨日とは違う新しい道が始まる・・・もう始まっていると思っている。今来た道ではない新しい道を歩くんだろうな。
その結論はまた数年後に出るだろう。今日話したのは、今来た道の結論だ。ウチは老々人生だ。
 現実として、ぐあいいが悪くなったときは、どうするかは夫婦で話し合っている。なるべく二人で一緒にいられる方法を考えている。どちらかが病気になったとき片方が片方の面倒をみることも大変で、それは自分たちの母親で経験している。これからは佳代と二人で新しい道を歩いていきます。そこにが待っている。生きてみなきゃわからない。
長いことありがとうありございました

M-7  歩こうね    吉田拓郎

CM

 吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド2020年4月から2年9か月やりました。ありがとうございました。これからみなさんのいつまでもお元気でいて欲しい気持ち。みなさんの素晴らしい人生がありますように心から願っております。今夜吉田拓郎から最後にお送りする曲はこの曲です。今夜も君をこの胸に。

M-8  今夜も君をこの胸に   吉田拓郎

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆最終回。終わった。終わっちゃったよ。それにしても魂のエンディングだった。「今夜も君をこの胸に」を聴きながら滂沱の涙だった。止まんねぇ。最後をこの曲でしめくくる、しかも2019年のLIVE Verだ。最後にやられた。悲しいとか寂しいとかいうより、なんて粋なエンディングなのかと泣けて泣けて仕方なかった。

☆冒頭の話で何か次があるかもしれないという微妙なニュアンスも気になったし、WANGANの生きのいい歌声を聴くと、本当にこれで最後なのかとも思うが、それは昨日の道に未練でとどまることかもしれん。とにかく今は全力で今こそ別れめ、いざさらば。

☆これまで聞いた話や自分も経験した同時代の話も多かったが、そのすべてが最後にしみいるように心奥に入ってきた。ファンにとっても楽しく至高の時間だった。楽しいとかいうレベルじゃなかったな俺の場合は。もっと切実な時間だった。
☆新宿で火がつき原宿で燃え盛った戦争が六本木で終わった。万感胸に迫るような話だった。
☆それにしても戦争を語るとき必ず出てくる布施明。よりによってマークUにも弓を引いてしまっていた布施明。だからか六本木で戦争が終わっても許してもらっていなさそうな布施明。でもその罵倒こそが吉田拓郎を今日の吉田拓郎たらしめた功績の人ではないのか布施明。

☆武田鉄矢を庇う義理はないが、彼はテレビ、ラジオという公共の電波で、当時世間が見向きもしないか忘れ去っていた「流星」「元気です」「暮らし」がいかに優れた名曲であるかを事あるごとに力説しつづけた初めての芸能人であることは忘れないでいたい。そうだ、水無し川は武田鉄矢にも歌わせたよな。ということは。

☆くよくよするなよ  良かった。

☆心の底からありがとうございました。吉田拓郎さん、どうかお元気でお過ごしください。奇しくも番組の合間で流れた中島みゆきの歌のとおり、あなたの生きる気配だけが ただひとつの灯です。

☆昨日とは違う新しい道が始まる…という。それはファンも同じだ。リタイアしちゃった歌手のファンという前代未聞の新しい道が始まる。倶に走り出そう、倶に走り継ごう。
 でもネットやサイトで好き勝手を書いていたら、きっと怒って黙っていられなくなって帰ってくるんじゃないかという気もちょっとしたりする。

2022. 12. 16

☆☆☆今夜すべてのラジオの前で☆☆☆
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長女「お父さん始まれば終わるのよ」
父「そうは言ってもな,50年じゃぞ…ぐっ」

2022. 12. 15

☆☆☆実写版”ah-面白かった”の道すがら☆☆☆
 なぜかDVDは二回目、三回目と観るたびにより泣けてくる。回を重ねて拓郎もよりよく声が出るようになり、立姿もより美しくなってくる(爆)。こちらの思い込みもあるが、それでもこの映像が語り掛けてくるものはあまりに多い。豊穣の海である。

 そうだよね。この”Contrast”は出色だと俺も思う。近いといえば”マラソン”をライブで初めて聴いた時みたいな気分に近いかもしれない。

 “アウトロ”は以前にライブで演奏したら熱くなるだろうといっていたが、むしろ熱かったのは”together”の方だったと思う。このブルースにガッツリ魂を入れ込んで歌う拓郎が熱い。
 “雨の中で歌った”…いいわあ。拓郎節を歌う拓郎は誰よりも拓郎っぽくてカッコイイ。ずっとこういう拓郎が好きだった。

 配置のせいか、ミュージシャンが拓郎をしっかりと囲いこんでアシストしている感じがまた妙に嬉しい。コンサートで観たらなんじゃと思うようなコーラスの振りも拓郎をしっかり支えて鼓舞しているみたいで観ていてなんか胸が熱くなった。

 後になって「あの名古屋が最後の映像でした」といわれるより、今のこれこそが最後ですとリアルタイムで差し出される方がいい。
 あ、でも別にこれを最後にしなくてもいいっすよ。そんときゃ気兼ねなくまた更新して歌っとくれ。アナタと俺の仲じゃないの、気にしないよ(爆)。

 ふたご座流星群観ましたか?普段なら“流星”が浮かぶんだろうけれど、こういう時なので
   ”雲のスキマから君みたいな星が 夜空の向こうで手を振った〜”
 がリフレインする。
 世の中も自分の生活や仕事回りもあれこれガタついているが、でもおかげで気分はちょっと自由な感じだ。いつも拓郎が音楽を通じてくれるあの気分だ。

 明日はもうラジオかぁ。過ぎ去る者たちよ、そんなに急ぐな。

2022. 12. 14

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☆☆☆WANGANが家にやって来た☆☆☆
 政治はとてもひどいことになっているが、いやあ〜WANGANはいいぞ。あのアルバム「ah-面白かった」が生きて動いている。ライブとは命脈なのだとあらためて思った。アルバム実写化大成功だ。すんばらしい。
 心配していたボーカルだったが、いいぞ、すげーいいぞ。曲後の小さなガッツ・サインもいい。もちろん経年変化や何やらと意見もあろうが俺は知らん。ここに今いる自分だけがハッピーならばいい。ミュージシャンは…あの人もこの人もいてほしかったが、それでも活き活きと生きた演奏がいい、いつもはなんかうるさいと思っていたコーラス隊のアシストまでがまたすごくいいぞ。

 とにかくWANGANには観客以外のすべてのものがあった。2022年の吉田拓郎がしっかりとそこにいる。

 観ていて本当に泣けてきた。涙ぐみながら、ああこれは高校の時に古典で習った「潸然(さんぜん)として涙下った」(「弟子」中島敦)というやつだと思った。いみふ。
 「Contrast」泣けとばかりの美しいストリングス。
 「ひとりgo to」はオープニングからして胸わしづかみ。
 「雨の中で歌った」…ラフなところがまたカッコイイじゃないか。
  ただのチャラけた歌だと思っていた「Together」が映像だとどうしようもなくタイトでどこまでも熱い。
 「慕情」。いいぞ。これでいい。これがいい。こんなライトな感じで風に吹き上げられた埃の中に眠っている名曲たちをかたっぱしから軽くカマしていってほしい。

 ということで、まだまだほんの第一印象だ。第一印象と言っても小林倫博のアルバムじゃないよ。>知らねぇよ! それにしてもやっぱり大きい画面で観たいよ。

2022. 12. 13

☆☆☆雨の中で届いた☆☆☆
 いろいろカッコつけてみたが,結局は行くあてもなく街角にたたずむ。やはりアウェーの自宅で観るしかない。その家から「置配で箱が濡れてて、間違って開けちゃったけど、なんだ拓郎か。あれ?辞めたんじゃなかったの?」という心無いメールが届いていて気が気ではない。とにかく家へ帰ろう、この道まっすぐ家へ帰ろう。

2022. 12. 12

☆☆☆はじめての夜、永遠の夜☆☆☆
 いよいよWANGANが近づいてきた。13日お届の予定らしい。明日じゃん。ところでご購入するみなさんはどこで観ますか?…そりゃ大きなお世話だな、すんません。
 しかし,なんたって初めて味わう未見のライブ映像である。誰に憚ることなく深く味わい、泣いて、歌って、叫んで、そして踊れる場所。残念ながら我が家は最早、極北のアウェーでしかない。カラオケボックスも検討しているが、なにせ忘年会シーズンだ。阿鼻叫喚の酔っ払い連中の怨念が飛び交う場所でこんな聖なるものを観てよいものか。
 あれこれ考えているうちに、最後なんだから全国でライブビューイングくらい企画してくれよエイベックスっ!と悪態のひとつもつきたくなる。…んーそうかコロナがあるもんな。俺ももうラゲブリオを飲みたくないし。
 さぁ、そんなことグダグダ考えているうちに届いちゃうぞ。日は沈む,日は沈む、時は急ぐ。愛しておやり、愛しておやり、愛しても、愛しても、愛しすぎることはない。

2022. 12. 11

☆☆☆いよいよクライマックスシリーズ☆☆☆
 今週からWANGANに最終回に復刻リリースとクライマックスの純粋経験が続くので、それに備えてあれこれ片付けながら静かにしている。冬と君とナマコと冷やし日本酒。ナマコを食べると「ローリング30」のあのジャケットが浮かび,拓郎の足元がナマコだらけだったという話を思い出す。「海へ帰る」が頭に流れ出す。雲の切れ間に明かりを探すみたいだ。
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2022. 12. 8

☆☆☆他にはなにひとつできなくていい☆☆☆
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 ここのところ毎朝毎夜の行き帰りこのユーミンにご挨拶している。拓郎がユーミンのベストにあげていた「守ってあげたい」。もちろん詞・曲・歌・演奏と何から何まで名曲だ。また島村英二先生のドラムがいいのだ。島ちゃん元気だろうけど、元気かなぁ。
 それにしても80年代前半、破竹の勢いで進撃していた吉田拓郎が「悩まなくていいのよ」とささやきかけるこの歌に救われていたというのは意外なハナシだった。「ミュージシャンは誰もみんなひとりぼっちなんです」と拓郎は話していたな。ひとりぼっちのうえにネットを開けばあーだ、こーだと口うるさいファンが…>おまえが言うか。いやファンはファンで孤独なものなのよ(爆)

2022. 12. 7

☆☆☆流れる☆☆☆
 「100分de名著」の「最終講義」の回は冒頭から寺田農による「下山」のくだりの朗読から始まり、また解説の斎藤環という先生がメチャ中井久夫に惚れこんでいるのがにじみ出ていて何だか嬉しくなった。

 例えば患者が速すぎる就職を希望した場合など、止めるかわりに「実験」としてやってもらう。それで失敗したらどうするか。

 かりに就職がうまくいかなくてすぐ辞めても「まだ早いか、君に合わないことがわかったから”実験は成功”だ」というわけです。


 現実はそう生易しいものではないのだろうが、そのように病気を「状態」ではなく寛解の可能性を含んだ「過程(プロセス)」だと捉える。過程という流れの中で心の自由を回復してゆくことだと記す。それは現場にいる人々には灯のようなものだったと解説の先生も語っておられた。これってさ、

  もぬけのカラでもいいじゃない
  人は流れるものだから
         (そうしなさい)
  流れてゆけ とどまらずに
  …流れて 流れて 遥かに流れて
          (車を降りた瞬間から)

 ほーら、もう吉田拓郎の歌のエッセンスそのものではないか(爆)。例によって勝手に読み込む不孝をお許しください。吉田拓郎も「状態」ではなく自由を求めて流れゆく「過程」なのである。
 結局、吉田拓郎がやってきたことは実験なのかもしれない。その大いなる実験たちに私たちはつきあってきた。あぁ、ごめんよ、私「たち」なんて勝手に巻き込むつもりはない、俺はつきあってきたのだと思う。結果は悲喜こもごも喜怒哀楽いろいろあったが実験としてはすべて成功してきたことになる。
 このリタイア≒エンディング≒アウトロも壮大な実験のひとつだと思ってしまおう。結果がどうなろうと実験は成功するのだ…そう思うと気分が少しだけアがる…たぶん一週間くらいは。
 そういえば本場のシュトーレンをいただいた。やっぱり12月はこれだ。さらに気分はUPした。
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2022. 12. 5

☆☆☆なだらかな坂を降りてゆく☆☆☆
 つまらない話の続きだが、山を下りる=下山という今年亡くなられた中井久夫さんの著書「最終講義」がどうしたって浮かぶ。

 「…回復は登山で言うと、山を登る時ではなく山を下りる時に似ています。」

 そして病とは必死で山を登って道に迷う時に似ているという。もちろん俺は精神医学などチンプンカンプンだが、それでもこの先生の書く文章はひとつひとつが心に響く。下山は治療であり寛解。それは「希望の処方」であるという言葉がわけわからずともしみる。
 マト外れだろうが、例えば「その人は坂を降りて」という歌を聴いて感じる清々しさは坂を降りるという寛解の歌だからではないかと思う。

 今月のNHKの「100分で名著」は中井久夫の「最終講義」だ。教えてくれてありがとう。専門家がド素人にわかるように解説してくれるというのが嬉しい。早速テキストも買った。なにもかもが高騰の折、この種のNHKのテキストだけはいつも安いのがありがたい。登山か下山か、中井先生、私にチカラを。今月というのが俺にはとてもタイムリーだ。

2022. 12. 4

☆☆☆友と汗をふき山に登れば☆☆☆
 勝手に冬の時代とか、氷河期とか言っているが、当然ながらあくまで俺の純個人的な当時の状況と超偏った感じ方にすぎず客観的な歴史の話ではない。人はそれぞれに違う。それでもわかってくれるレアな方がいらしたら嬉しいという気分で書いているだけだ。

 それにしても吉田拓郎ファンほどそれぞれの好みや思想が激しく異なるファン世界は珍しいとかねがね思ってきた。それぞれが一国一城の主の群雄割拠状態になっている。もちろん自分もヘタレだがその端くれだ。群雄割拠だからかつてはファン同士で戦国・戦乱の世もあった。他の歌手のファン界ではここまでの状態は寡聞にして知らない。

 前にも書いたが吉田拓郎は巨大な山なのだと思う。あまりに巨大すぎて登山ルートが異様にたくさんある山だ。フォーク、ロック、R&B、アイドル、ギタリスト、メロディメーカー、歌謡曲の作曲家、編曲家、詩人、プロデューサー、パーソナリティ、起業家、お茶の師範(あるのかよ)…いろんな山道があって、それぞれの道がまたいくつもの小径にわかれている。どの山道を登るか、どの道を選ぶかによって、観える景色がまったく違ってくる。同じ道でも人によって見ているものが違う。
 そのうえハイキング気分で登る人、景色を味わいながら登る人、ロッククライミングで命かけて登る人、ちょっと五合目まで登ってみるだけの人、いろいろだ。だから同じ山を登りながら一度も顔を合わせなかったり、交差してもまた違う山道に分れたりする。山道に迷うことも、霧や荒天で足止めされたりすることもしばしばある。総じて孤高な登山なのだ。

 俺は生まれてこの日まで俺の道しか見ていない。しかし歳とともにしみじみ思う。きっと道の数だけカッコイイ吉田拓郎の景色があるはずだ。かといって今さらどうできるものではない。5万回くらい引用した映画「ブレードランナー」のセリフ。

「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える航宙艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。」(ロイ・バッティ)

 すべては雨の中の涙なのか。そしていま思うのは、枯葉ごしにたどってゆく今後の山の道のことだ。まだ上に登る道が続いているのか、だったら峻険なここから先をどうやって登ればいいのか。それともこれから先の道は下山の道なのだろうか。登山の充足感を胸に下りの景色を楽しみながらゆっくり下山していくべきものか。どうなんだろうね。>知るか。
 

2022. 12. 3

☆☆☆迫るWANGAN☆☆☆
 師走が始まる。いよいよ12月14日が楽しみだ。しかしWANGANというとどうしても織田裕二を思い出す。彼が
  「ライブはスタジオで起きてるんじゃない!客席でやるもんだ!」
 とか脳内で叫び出したりしませんか?>しねぇよ。…なんてな。

2022. 12. 2

☆☆☆予測ということ☆☆☆
 予測外といえば、スペイン戦はah-びっくらこいた。俺は絶対に勝てないと思っていた。この勝利は、逆境、逆風の中でも全力で戦った方々、それを信じて魂の応援をした人々のものだ。特に三笘、堂安、田中碧と吉田家の喜びたるやいかばかりか。俺なんぞは輪の外から、恐れ入りました、おめでとうございますと言うより他ない。

 話は戻って…いや全てが周到に繋がっているつもりなのだが、94〜95の等身大の吉田拓郎廻りのことを、このサイトでは勝手に”氷河期”,”冬の時代”と呼んできた。すまんな。しかし中島みゆきもこの時の拓郎の姿を観て,ただれるような思いで「永遠の嘘をついてくれ」を書いたに違いない。そんな時代を経たからこそラジオの「club25」やアルバム「Long time no see」「感度良好波高し」という作品には格別な思いがある。
 氷河期、冬の時代とこっちは思っていたが、そんなことつゆも関係なく等身大の吉田拓郎はひとりの音楽家としてバハマに渡り、真摯に音楽を作り上げた。ツアーパンフに垣間見える「ボロボロになって蘇生しようとしているようだ」という常富Dの言葉が忘れられない。
 そうして届いたのは心にしみいる涼やかな風が吹いてくるようなアルバムだった。"やがて今日も移ろうけれど時に逆らわず君の名を呼ぶ"…なんという名フレーズ。これまで拓郎がアルバムを出す度に「新生吉田拓郎」的な宣伝文句が付されてきたが、このアルバムこそそれがふさわしいと思った。物静かで,愛おしく,それでいて新しかった。

 こんなふうに「Long time no see」「感度良好波高し」とそれを抱えてのコンサートツアーを迎えた時の気分は独特のものがあった。うまく説明できないんだけどさ、ちょうど"ah-面白かった"の一節。

  〜あなたがそっと心を寄せたドアの灯りが見えた
  〜旅立つ駅に遅れた私を笑顔で待ってた

 「Long time no see」「Club25」から始まる2年間はそんなフレーズがピッタリの気分だ。母を歌ったというこの歌の趣旨からは全くハズレているんだろうだが、こんなともしび気分で我が心の冬は春になり,氷河は溶けていった。

 で、その路線を静かに進むのかと思いきや「LOVELOVE」という黒船来航で、また疾風怒濤の90年代は展開してゆくわけでありんす。

2022. 12. 1

☆☆☆12月の旅人よ☆☆☆
 85年の撤退の時の重たい気分は忘れられないが、94〜95年の初期「Club25」あたりのフェイドアウトな空気も切なかった。
 コンサートツアーもなく、アルバムも出ず、大きすぎる眼鏡ばかりが印象に残るレギュラー”地球ZIGZAG”も終わり、さらには宇田川オフィスも辞めて仕事の依頼は逗子の自宅のファックスで直請していると語っていた吉田拓郎。撤退や引退以前に「自然終了」という感じが漂っていた。熱狂の日々は去り、穏やかな日常を語る拓郎はとても等身大で、それはそれで素敵だったが、俺は今吉田拓郎の静かな終焉に立ち会っているのかもしれないと思うと淋しくもあった。
 それは俺だけの思い込みではなく、後に知り合った拓郎ファンのねぇさんも同じの気持を語っていた。「CLUB25を聴きながら、ああ拓郎はこうやって終わってゆくんだと思ったわ。」「やがてお客さんもまばらなライブハウスに時々フラッと出てきて歌うようになるの。そこからがアタシの出番だと待ってたね。」…拓郎ファンの愛と業の深さを感じたものだ。…お元気かなぁ。

 しかし幸か不幸か、俺やねーさんの予想というか妄想は大ハズレ、等身大だった吉田拓郎は、再び巨大化し進撃を始める。いろんな壁を撃破して進み続けた。かくして客のまばらなライブハウスどころではなく、最後まで全公演大ホール即完売。チケット入手のために最後まで死闘を繰り広げなくてはならないファン人生が待っていたのだった。
 そしてそのライブも終わったのかと思ったら、前代未聞の無観客ライブが今月届くのだ。諸人こぞりて迎えまつれ。主は来ませり。つくづく予想のつかない旅路であった。
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2022. 11. 30

☆☆☆in1985☆☆☆
 1985年という年は,つま恋を最後に吉田拓郎が引退するという重苦しい空気が立ち込めていた。それにそれまでの数年のスキャンダラスな自堕落路線の拓郎のことも好きじゃなかった。'83,'84,'85とアタシの人生暗かった。
 でも、今"IYYの国立競技場"とか"つま恋'85"の映像を観るとメチャメチャカッコイイな。オーラが溢れてとまらなくなっちやってる感じだ。歴史的にIYYはオフコースと吉田拓郎の共演という史実になっているが、オフコースはもう完全に拓郎のバックバンドにしか見えない。愛奴とかトランザムみたいな感じ。>そろそろ怒られるぞ。
 とにかく「艶」全開だ。今頃と言われるかもしれないが…そうリアルタイムの時はいろんな煩悩が災いしてようやく今頃なんだよ。オイラの走馬灯は回りながらゆっくりと更新してゆくようなんだよ。

2022. 11. 29

☆☆☆カーテン☆☆☆
 昨日の"泣いてばかりの事にカーテンおろし(素敵なのは夜)"は"泣いてばかりの「恋」にカーテンおろし"の間違いだと教えてもらった。あららら、ありがとう、訂正します。
 カーテンといえばエレック時代にボーナス10万円を貰ってそれをカーテンレールに10枚ズラッと吊るして使っていったという話。最後の1枚を都民銀行に預金したという事も含めてしみじみと好きなのだぁ。俺も独り暮らしを始めた時、やったよ。やった人ってぜってーいるよね? 俺の場合千円札だったけどさ。残りはちゃんと近所の静清信用金庫に預けたものよ。

2022. 11. 28

☆☆☆だけどだけどオイラは幸福さ☆☆☆

…オトナって嫌ね(爆)。老獪だわ。いや俺がいい歳してガキなのか。確かに「シン・ウルトラマン」の話はもういいのだが、その映画評の中で結構胸にしみた一節があった。

「オタクが死ぬ前に観る走馬灯映画。爺ちゃん、死ぬ前にコレを観たかったんだっ〜て思って老害たちの涙を許してほしい。」 (山田玲司・ヤングサンデー 2022.6.9)

 お見事。それはそのとおりだ。しかしウルトラマンではなく、こっちの世界のオイラはどうなのか。同じような事なのか。いや最後の走馬灯ではなく、ささやかなれど明日につながる何かではないかと信じていたいとも思う。

 で、昨日ニトリに行ったら、どこかの505の中年夫婦が「カーテンを替えないと」と話しているのが耳に入つた。…そうなるともう勝手に頭が走馬灯になっちゃうわけだ。
 ということで久々に思い出した
あなたに捧げるベスト5
 (20) 今日のお題 ニトリの小さな幸福ベスト5
 
@カーテン
 カーテンをそろそろ替えようよ(もうすぐ帰るよ)
 チェックのカーテンごしに(金曜日の朝)
 アネモネ色のカーテン(ソファーのくぼみ)
 緑色のカーテンの隙間から(カハラ)
 君の住む部屋のカーテンは(情熱)
 レースのカーテンに,あの人の影が映ったら(やさしい悪魔)
 泣いてばかりの事にカーテンおろし(素敵なのは夜)

Aベッド
 ベッドのそばの(もうすぐ帰るよ)
 でなけりゃ安いベッドで(からっ風のブルース)
 ひとりの部屋さベッドと僕(僕一人)
 君はまだベッドの中で(ありふれた街に雪が降る)
 ベッドの横にゆうべの女(すぅい−とる−む ばらっど)

B照明
 部屋の灯りをすっかり消して(旅の宿)
 部屋の灯りを消すのは(素敵なのは夜)
 明かりを消して眠るよ(すぅいーとるーむばらっど)
 あなたがそっと心を寄せたドアの灯りがみえた(ah-面白かった)

Cソファー
 あなたのつけた(ソファーのくぼみ)
 見慣れた部屋は茶色のソファー(すぅい−とる−む ばらっど)

C椅子
 客さえまばらなテーブルの椅子(外は白い雪の夜)
 陽の当たる椅子、湯飲みがひとつ(ハートブレイク・マンション)

 ということで、とりあえずカーテン売場、第1位です。おめでとうございます!

2022. 11. 27

☆☆☆人にはそれぞれの生き方があるさ☆☆☆
 (できれば山本耕史の節で)…そうですか,「シン・ウルトラマン」はダメでしたか。私は冒頭から最初の30分が特に面白かったのだが人はそれぞれですね。ダメだと思えば途中でも視聴を止める。潔い。
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 あ,30分じゃそこまで観てないですか。

 さてWANGANのトレイラーを何度も観なおしてしまう。「Contrast」のストリングスが、もう泣けとばかりにヤバそうだ…あまり先入観と思い入れを持たないようにしないと。すべては初めて観る時の純粋経験こそが大事だね。詮無いことだが何度トレイラーを観ても「Hey!You!なんでこのままツアーに出ないの?」と言いたくる気持ちを抑えるの苦労する。幾度も君に伝えたがすれ違うように時は行く。

 ということで気分を変えよう。あの写真がB2サイズのポスター特典となるというので、それを入れる額というかポスターフレームとかいうやつをニトリに買いに行った。もともとどうでもいい話だが、さらにどうてもいい話につづく。

2022. 11. 26

☆☆☆「最後」という名の神隠し☆☆☆
 エイベックスの公式にWANGANの映像トレイラーが出ている。ああ、立っている、動いている、演奏している。観客以外のすべてがある。実写版「ah-面白かった」だ。ブラスとストリングスが際立って聴こえる。ボーカルに入る直前の寸止めで「不在の吉田拓郎」がまたいろいろこちらの気持を掻き立る。

 話は違うが最近のニュースで、宮崎駿の新作映画「君たちはどう生きるか」が完成間近で主題歌のレコーディングも完了したそうだ。宮崎映画は門外漢だが、引退作と宣されていたので前作「風立ちぬ」は観に行った。やりたいことはやった、あとは自由にしたいという宮崎監督の引退会見も観た。にもかかわらずの今回の新作だ。何度目かになる引退宣言のさらなる撤回について質問された宮崎駿は
    「だって、作りたかったから」
と答えた。ひょえ〜。
 「だって、作りたかったから」…これは最強。魂の言葉だ。他方「引退って言っただろ」「話が違うじゃないか」というのはモラルの言葉だ。モラルの言葉が魂の言葉に勝てるわけがない。勝ってはならないのだよコペルくん。

 この宮崎駿の話を書いたのは断じて吉田拓郎と比べたり、拓郎になぞらえたり、拓郎もそうしてほしいという意味からでない。嘘だ。それしかねぇよ。魂はそんな簡単に消えるものではない。

 その昔に"約束なんて破られるから美しい"なんて罪作りな詞を書いた人である。しかしファンとの約束は、やるかやらないか、歌うか歌わないか。リタイアするかしないかという浅いレベルではなく、もっと深い部分で交わされたものだと思う。

 とはいえもしそうなったら俺はモラルの言葉で思い切り「嘘つき」「引退って言ったろ」とか全力で悪態はつくけれど(爆)。

2022. 11. 25

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☆☆☆とんとん表紙ではなかったが☆☆☆
 今年の7月31日の日記で俺は「ah-面白かった」がリリースされ「LOVELOVEあいしてる卒業スペシャル」が放送される時期にもかかわらず、書店に行っても吉田拓郎を表紙にした雑誌がないと嘆いた。拓郎が表紙になんかなるわけないと言うのは正論かもしれないが。
 「表紙」というと亡くなったライターのこすぎじゅんいちさんの文章で、拓郎が、音楽雑誌を作りたい、その表紙になることが誇りとなるような雑誌を作りたい…と語っていたというエピソードを拾っていた。それが忘れられない。だから雑誌の表紙には、なるわけがあろうとなかろうと俺だけの思い入れがあるのだ。

 ということで唐突に「表紙」が出た。「ビックコミック」だが、いい。堂々たる2022年の拓郎とその言葉が表紙を飾る。感無量である。ああ、こうして日本中の書店を回りたい。しばらく店内で立ち尽くして眺めていた。そんな俺の背後に立つな。いみふ。
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2022. 11. 24

☆☆☆ワールドカップの夢☆☆☆
 にわかもいいところだけどワールドカップは凄かったね。燃えたわ。門外漢なんだけど拓郎のラジオのおかげで、三苫、堂安、南野とかみんな昔からの知り合いみたいな気分で観ることができた。イイところがさっぱりなかったこの国の老若男女を元気づけてくれた。他方ドイツは無念だろうが。現地ドイツ渡独中の知り合いによると、試合の前はレーベ(スーパー)に行ったらこういうのが配られるくらい盛り上がっていたようだ。こんな結果になって渡独中の日本人は大丈夫だろうかと思ったら…無事らしい。あぁ君の夢を大切にして、君の中で大切にして。
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2022. 11. 23

☆☆☆旅するソングライター☆☆☆

 STEP1で、中島みゆきと並んでお世話になるのが浜田省吾だ。「さよならに口づけ」(君が人生の時)という作品がある。
 
  ドラム叩ける仕事見つけたんだ
  2度とキャンパスへは戻らないつもり

 ここで吉田拓郎と浜田省吾という2つの人生がシンクロする。これぞ男の交差点か。それにしても「ドラム叩ける仕事見つけた」。ここがイイんだ。"ミュージシャンになる"とか"音楽の世界に旅立つ"とかではなく「ドラム叩ける仕事」というところだ。
 かつて高倉健がインタビューで"あなたにとって役者とは?"と聞かれて「仕事(なりわい)。以上。」と答えたこと、ザラブ星人が"なぜ地球を滅ぼそうとする?"と聞かれて「それが私の仕事だからだ」と答えたのと通じる。いや健さんはともかくザラブは違うんじゃね。

 そして後に浜省は"DARKNESS IN THE HEART"という作品で父の死を追想しながら

  走り始めた1974年〜

 と自分のキャリアの起点が吉田拓郎のコンサートツアーに置いていることを静かに宣言する。

 ツアーといえば呪われたように浜省のツアーに行っていたことがあった。最初は、さるお方のシーズン・オフという失礼な動機だったのだが、そのうちに観に行かずにはいてもたってもいられなくなっていた。
 拓郎が始めたコンサートツアーというツールをしっかりと継承しながら、独自の発展したものすごいオン・ザ・ロードを創り上げていった。サウンド、ビジュアル、構成、規模とか外構的なものだけでなく、なんというか関わる人々の心技体の凄さが部外者の俺にもヒシヒシと伝わってきた。俺は常に吉田拓郎のツアーが超絶不動の第1位なのだが、それでもコンサートツアーとしての客観的な最高峰はこの浜省のツアーだと思った。まさに中島みゆきの歌のとおり「倶に走り、走り継いだ」感が強い。

 名曲は数あれど今最高に好きなのが「マグノリアの小径」。拓郎節とはまた違った世界からやってくる浜省節が俺をとらえて離さない。トスカーナには行けないので、せめてトスカーナ総本店のミートソースのっけ麺を食べに行きたい。>そういうオチはいらないから。
 渡航中の知人からパリの毛糸屋さんの写真が送ってきた。毛糸にも手芸にも興味はないが、この広がる世界を感じて、出不精ながら、ああ外国に行きてぇ〜と切に思った。
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2022. 11. 22

☆☆☆ファンとしての峡谷☆☆☆
 昨日の日記で書いたSTEP1として日々聴いているのが中島みゆきの新曲「倶(とも)に」。まだリリースされていないがドラマの主題歌なので録画を繰り返し聴いている。イイ。凄くイイ。主題歌はいいのだが、すまん。ドラマとしてはこれよりも次の時間帯のドラマ「エルピス」にのめりこんでいる。長澤まさみがいつ巨大化するかハラハラしながら観ている>それは違う映画だろ。

 手すりのない橋を全力で走る
 怖いのは足元の深い峡谷を見るせいだ
 透きとおった道を全力で走る
 硝子かも氷かも 疑いが足をすくませる
 
 凄絶な中島みゆきワールドにいきなり引き込まれる。本当に足元がすくんでくる。
 
  倶に 走りだそう
  倶に 走り継ごう
  過ぎた日々の峡谷を のぞき込むヒマはもうない

 時間のない切迫した中に「走り継ごう」と大切な誰かに語りかける。その誰かとの距離が切ない。

  生きる 互いの気配が ただひとつだけの灯火
  ……
  君は走っている ぜったい走ってる
  確かめる術もない 遠い遠い距離の彼方で
  独りずつ 独りずつ
  僕達は 全力で共鳴する

 遠く離れて「気配」だけで支え合う二人。どこかでかすかに軋む船として感じ合う、あのみゆきの歌を思い出す。これはアレだ、何の根拠もないイカレタ俺の思い入れだが、間もなく「吉田拓郎」を失ってしまう、少なくとも失うくらい遠く隔たってしまうことになる、中島みゆきと私の歌だ。…なんでオマエが入ってるんだ。いや言葉を変えよう吉田拓郎を失って手すりのない深い峡谷をひとり渡らなくてはならないすべての人の歌なのだ。だからこそこのフレーズに涙ぐむ。

   風前の灯火だとしても 
   消えるまできっちり点(とも)っていたい  

 このフレーズが小さな勇気をくれる。かくして吉田拓郎の不在が心にハガネをいれてくれるのだ。同志よ、手すりのない橋を全力で倶に走りだそう、倶に走り継ごう。…そういうガラにもない気分にさせてくれる。

2022. 11. 21

☆☆☆人生は修復ステップ☆☆☆
 ファンとか言いながら吉田拓郎に対してムカついたり超絶不満を感じたりすることがたまにある。すまん、たまにじゃない結構ある。怒りん坊なのかな、俺、そんなことってあるだろう君たちだって…いや、大多数の拓郎ファンはそこまでの負の感情はあまり抱かないらしい(当サイト調べ)。当たり前か、ファンだもんね。それに、そんなに不満ならファンなんか辞めればいいじゃんというごもっともな意見もある。まず拓郎本人が真っ先にそう言いそうだ。しかしそうは簡単にいかない性なのよ。
 ドイツで活躍するプロのバレリーナの女の娘は、これまで何度ももう辞めようという厳しい壁を乗り超えてきたという。その時のモチベーションは「踊りが好き」「夢をあきらめない」とかいう美しいものではなく「ここまでやったから今さらもったいないし」ということだったそうだ(爆)。確かに。俺にしてみれば50年間も続けてきたことって他にあるか。ない。仕事だって家庭だってその半分くらいだ。今さらその半世紀のファンを辞めて、さだまさしのファンになるってもったいない。もったいない…十分すぎる理由ではないか。

 ともかく拓郎にムカつきながらもファンを辞める覚悟もない。そういう中途半端な俺は「拓郎なんか嫌いだ」という気持ちになった時、その荒んだ心根をどう処理するかという問題にブチ当たる。どうするかといっても、別に義務でも仕事でもないし、相手も何とも思っていない(爆)ので自然の流れにまかせるしかないのだが、今までどうやって心を戻してきたのかをあらためて考えてみた。いわば拓郎が大嫌いになった時の修復のSTEPだ。あくまで一個人の場合だ、マネしても効果はないと思う>誰もマネしねぇよ。

STEP0 聴かない、観ない、歌わない
 とりあえずそういう時は、聴かない、観ない、歌わない…何事も対象物から距離と時間をとることが大切だ。中井久夫先生も河合隼雄先生もそう言っておられた。歌わない…はカラオケね。

STEP1 他の歌手を聴く。
 そうすると音楽のない生活が淋しくなる。他の歌手の音楽を聴く。といっても拓バカなので他の音楽には不案内だ。結局、個人的には、浜田省吾、中島みゆき、大瀧詠一など洋楽ならローリング・ストーンズ、ボブ・ディランあたり…別世界ながら拓郎との関係が細くとも繋がっているシンガーになる。
 他には最近ではコンピレーション・アルバムというのも効果がある。例えば「松本隆作詞作品集」のようなオムニバスで、吉田拓郎の歌がハブられていて普段だったら「なんで拓郎の曲がねぇんだよ!」と怒りたくなるヤツ。
 なぜなら、総じて他人の音楽を聴きながら、別世界の音楽なのに、なんとなく拓郎のことがチラチラと頭に浮かび、「吉田拓郎の不在」というものが、静かに心に広がってくるようになるからだと思う。この世には「吉田拓郎の歌」と「それ以外の歌」の2種類しかないという真実が浮かび上がってくる>別に真実じゃねーだろ

STEP2 エピソードにふれる。
 拓郎の不在が心にしみてきたら、ここらで吉田拓郎をめぐる感動的なエピソードにふれてみる。それは人それぞれだが例えば最近弱いのは…
 @喜多條忠の「メランコリー誕生秘話」
  松本隆の代役だと失礼な作詞依頼とそのあとの新幹線の電話の話。泣く。
 A宮下舞監がツアーで譜面を忘れた時の吉田拓郎(田家秀樹「吉田拓郎 終わりなき日々」P.276)。
 これも泣ける。こんなことされたら拓郎さんに一生ついてゆこうと思う。
 B佳代さんのために終の棲家の逗子を引き払い東京に再移転する話(ラジオでナイト)。
   すげぇ!凄いぞ拓郎とラジオの前で思わず唸った。
 C「すばらしき仲間U」で拓郎が新幹線に乗る時に乳児を抱えた女性を先に行かせてあげるところ
 …んまぁ、とにかく他にも星の数ほどあるだろう。あれぇ、ムカついてたけど、やっぱりこの人すげーいい人かもしれないという気持ちを新たにするのだ。

STEP3  提供曲を愛でる。
 ということで、いい人かもしれないと思ったら、他の歌手を通して吉田拓郎のメロディにふれなおしてみる。風の街、水無し川、明日の前に、歌ってよ夕陽の歌を(以上75年提供曲四天王と呼ぶ…あーいつか街で会ったならもあった…五大明王でどうだ)、キャンディーズ、石野真子、ああテレサ野田の濡れた歌謡祭、ハート通信ヒュルルル、最近では「ステラ」と林部智史の「この街」と大野真澄の「ダンディ」なんかがお気に入りだ。ともかく広大深遠な提供曲の海だ。聴きでがある。ああ、やっぱり拓郎のメロディはええなぁ。拓郎が海なら私は魚、海の国境を超えてゆくファイト!みたいに気分が少しずつ上がってくる。

STEP4 不滅のインストゥルメンタルに悶絶する
 さぁここまで来たらもうすぐだ。とはいえ悔しいのでまだいきなり拓郎の本人歌唱を聴いたりしない。ここで例の「避暑地の恋(パーシー・フェイス・オーケストラ)」「今日までそして明日から(「メロディー拓郎」)」「星を求めて(ビリー・ヴォーン)」「Hawaiian Sunrise Sunset (Hawaiian Rhapsody)」などを聴く。この寸止め感。なんかうずうずして悶絶してくるインストたちである。ああライブが観たい、死ぬほど観たい、ああボーカルが聴きたい、打ちのめされたい、あの立ち姿が観たいっ、ああ、やっぱり、さだまさしなんかじゃ満足できねぇっ!と心の底から渇望が湧く。 

STEP5 共演ライブを聴いて同志の気分で許す
 ここまで来たらOK松任谷。ライブを聴こう、観よう。例えば篠島の「ああ青春」…♪ああ青春は〜で地下鉄だろうが仕事場だろうが街角だろう両手を上げてしまう。つま恋2006の「シンシア」、名古屋の「私の足音」「純」「今夜も君をこの胸に」…枚挙に暇がない。
 これらのライブは、いわば拓郎と俺のコラボ作品だ。コラボ…って言ったって、ただ客席にいただけだが、ライブは客席とのコラボだ、客のグルーヴで作り上げあげるものだと拓郎も言っていたではないか。…それをコロナだからって無観客でやりやがって!とムカついてきたら、またSTEP0に戻ろう(爆)。一緒の景色を共有したあの熱いライブの時間たちを思い出して、いろいろ文句はあったけれど、俺と一緒にこうしてコラボしたヤツなんだと思うと、なんかほっこりと許せる気分になってくる(爆)。

…こうして静かな寛解に至ることが多い。

STEP LAST お祭りにまぎれる
 それでもなんかまだ気おくれしてしまう時は、お祭りのどさくさに紛れてしまうのもいい。12月14日のDVD発売、21日の「今はまだ人生を語らず」完全版の出来、めでたい盛り上がりの中で、おお、すげー、やっぱりすげーと大騒ぎしながら、いつのまにか熱烈な拓郎ファンの隊列に戻っているというのもアリだ。

 「禍福は糾える縄のごとし…幸せだけでよられてる縄はない」という向田邦子理論を思い出しつつ、愛と憎しみで拠られた心のロープを投げながら、この終わりそうで終わらない海路をまいりましょう。
 

2022. 11. 19

☆☆☆生きてみること☆☆☆
 なんだかんだと拓郎に悪態をつきながら、ああ昔もこうだったなと思う。わが青春の80年代、特に前半は、雑誌「昭和40年男」の目次のようなニューミュージックの主流=歌う敵たちに激しくムカつきながら、ひるがえって吉田拓郎に対してもあれこれ文句と不満を抱いていたものだ。例えばメッセージ性が希薄になってきた作品やライブでの選曲やラジオでのファンへの言動、そしてスキャンダルに身をやつす姿も含めていろいろ苛立っていた。
 吉田拓郎の素晴らしいところをいくらでもあげられるが、同時に悪態も同じくらいつけるというのが呪われた一部のファンの業だ。 拓郎も気の毒…いやそれは拓郎さん自身の問題だ。俺はファンのはしくれかもしれないが翼賛会ではない。

 それにしても今もこうして先日のラジオでムカついていて我ながら進歩がない。しかし、少しだけわかったこともある。80年代の前半に、堕落した曲と忌み嫌っていた「I’m In Love」や「今夜も君をこの胸に」などの作品群が、今になって自分の中ではしみじみと輝きを放ち胸を打つ。俺の感性の鈍さもあろうが、あのときの拓郎と作品を堕落と感じた気持ちも間違ってはいないと思う。
 かつて高校時代に古文を習った高橋師の言葉を思い出す。「物の善悪を論じているとき人間は成長が止まっている。成長すれば見方は変わる。断じずに生きてみよ。」…なるほど生きてみるもんである。高橋師、先生はこういうことを言いたかったんですね。>いや多分違うって。
 先日のラジオでひとつだけ良かったのは…ひとつだけかよ…これからのことなんて「生きてみなけりゃ、やってみなけりゃわからない」という言葉だ。それはとても御意。悪態はついても、それはこれから生きてみて変じていく流れの途中だ。
 ということでいろいろ思うのだが「生きていなけりゃ」・・・FromTのデモ・バージョンで聴く。このすばらしい魂のギター、これだけのギターが弾けるんだから・・・とまたよくないループに入りそうなので今日はやめとく。

2022. 11. 18

☆☆☆元気が出ない2☆☆☆
 前回のラジオでもうひとつ辛かったのは泉谷の話だ。「ワガママ」論争とでもいうべきか。

 もちろんフォーライフでの吉田拓郎の粉骨砕身ぶりは一ファンから観ても凄いなんてものじゃなかった。確かにアーティストを発掘し育ててフォーライフ=音楽界を変えようと尽力していたのは拓郎ひとりだけだった。川村ゆうこ、原田真二だけでなく高橋真梨子を獲得しようとしていた話も最近知った。「再建」というとカッコイイが、要は泥かぶりで、人員整理で仲間を解雇したり、レコード業界のたぶんヒヒ親爺たちにも頭を下げたりすることまで耐え忍ばなくてはならなかった。自分の音楽活動を犠牲にしてそこまで奮闘した拓郎の偉業はいくら讃えても讃えきれない。ファンとして誇りに思うし、拓郎がワガママではないのは魂の底からわかる。少なくともフォーライフに関しては(爆)。

 他方、泉谷は脱退後あんまりフォーライフのことを語らなかった(と思う)が、ちょうど拓郎が「眠れない夜」をカバーした1988年頃に「わが奔走」という自叙伝でフォーライフのことを結構詳しく語り始めた。そこで「俺を最後まで引き留めてくれたのは拓郎だけだったよ」と述懐した。その後も泉谷はフォーライフの話になると必ず「最後まで引き留めてくれた拓郎」に謝意を語りつづけたし、最近では「フォーライフとは吉田拓郎という天才の仕事だった」(NHKごごナマ)とまで語った。泉谷の話を聞くたびに拓郎への深い深い敬愛がひしひしと伝わってきた。同時に勝手な邪推ですまんが、拓郎を残して脱退したことについての泉谷の悔恨のようなものも感じた。泉谷はん苦しんではる、きっと苦しんではるのや…なぜか関西弁でいつも思っていた。

 そこに喧嘩とか訣別があろうとも、それを超えた友情のあることが他人事ながら心の底から素敵に思えたし嬉しかった。だから二人の素敵な関係のまま夢を見せてつづけて欲しいと勝手ながら思う。って、ここまで書いていて、たぶん泉谷の気持ちを拓郎もきっとわかっているに違いないって気がしてきた。だいじょぶだな。

 ただ、俺が気に入らなかったのは、拓郎がKinkikidsをひきあいに出したことだ。Kinkiは俺のことわかってくれている。そりゃあKinkiと拓郎の絆がいかに素晴らしいものであっても、それと泉谷のことは別だ。Kinkiを引き合いにマウントとろうとするなんざぁ普通にそこらにいるイヤなジジイと同じじゃないかと俺は残念に思った。すまん、最後だから言っとかないと。

 ここのところ日記のオチが良くないな。すまん。いただいたドイツの写真で気分をあげる。曇天にも虹はかかるのだな。
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2022. 11. 17

☆☆☆元気が出ない☆☆☆
 吉田拓郎の文字に釣られて雑誌「昭和40年代男・俺たちニューミュージック世代」を買う。この敵味方入り乱れる目次が、わが青春の80年代そのものだ。表紙もトップ記事も「アリス」で、最後の総括は「富澤一誠」ときたもんだ。俺にとっては極北にある試練のような記事たち。あの頃もそうだったように、そんな記事たちの中を、目を皿のようにして吉田拓郎の記事や言葉を探す。
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 きくち伸のLOVELOVEの話はやっぱり素敵だったし、篠島レポートは何十年経っても胸アツ、瀬尾一三のインタビューも、古くからの客人山本隆士の回想なども読めて良かった。まだまだいい記事がありそうだ。
 しかしそれ以外は全体に温故知新…古きをたずねて新しきを知るの反対、古きをたずねて居心地よく古きになってしまう甘美な空気に満ちている気がしてならない。まさに「兵(つわもの)どもが夢の跡」という感じだ。「つわもの」といえば、

  古き時代のつわものどもが
  生きる術など教えにやってくる
  明日は今よりも 死せる時なんだと
  いずれは元の闇の中へ
  答えもなく消え去るのみ
  恥ずかしさをこらえられるか
          (流れる:吉田拓郎)

 いいな、さすが吉田さん昔から慧眼だ。リタイアしようとも決して古いつわものたちの世界に安住したりはしない…と思いながらも、前回のラジオの弾き語り…ありゃ何だよと思い返して悶絶する。
 すまん。たかが個人の感想だけどさ、久々にダメな拓郎を観た気がする。どこがダメかというととにかく全部ダメ。弾き語りは嫌いだ〜どうせ君らの好きな「祭りのあと」なんかやらないとファンにネチネチ言うのもダメだし、それでいて自分が歌うのは「青春の詩」「もう寝ます」という超絶フォークな選曲なのもダメだ。歌にもギターにも「魂が入っとらん」かぁぁぁぁダメだ。
 名曲「金曜日の朝」を歌ってくれるなら…フルコースを渾身で歌っておくれよ。例えばR&Bをギター一本でかまして「なるほど拓郎はフォークソングではありませんでした、ごめんなさい」と全国の若者を含めたリスナーを唸らせておくれ。
 もし弾き語りが嫌いなら、それこそあの広いスタジオでセッションすればいいのに。辻説法じゃないんだから音楽で語ってくれよ。
 ということでどうもあの放送以来、気勢があがらない。俺の気勢などどうでもいいが。これがいよいよ迫ってきた最後というものなのか。それともたまたまこの時だけのことなのか。ああこれも風邪のせいならいいんだけどさ。

2022. 11. 16

☆☆☆ボジョレー☆☆☆
 いよいよボジョレー・ヌーボーだ。ワインに目がないので普段から「赤ならメルロー白ならソーヴィニヨンブランだぞ」「ハワイだからジンファンデルがあるならおすすめです」とかワインのことばかり考えている。嘘だ。昔の"拓つぶ"からコピペしただけだ。"すあま"みたいに赤と白がある以外なーんもわからん。しかし皆で酒飲もうぜというウェーイな雰囲気には便乗することにしている。ということでワインといっても何を飲んだらいいのかわからないので吉田拓郎の歌から探ってみる。

 ということでウザいだけだったようなので静かにひっそりと再開する。
結局私が私に捧げるベスト5
(17) 今日のお題 ボジョレーに飲むのはこれだ!ベスト5
 
第5位 退屈が誘う夕暮れに淋しさをうるおすワイン(君が好き)
 ☆彡悪いが岡本おさみが飲むワインって…メルシャンか赤玉ポートワインな気がする。
第4位 恋が好きな女が頬を染めるワイン(乱行)
 ☆彡フォーライフ社長がバブリーにふるまう高級年代物のイメージがある
第3位 溶けてすべてが楽になるOh Seven Wines(七つの夜と七つの酒)
 ☆彡正気のカケラのオン・ザ・ロックスはウイスキーじゃないか、ワインとの関係はどうなんだ
第2位 おどけた顔で君がすすめるワイン(Woo Baby)
 ☆彡ダイエー碑文谷店の洋酒売場の匂いがする
第1位 花びら浮かべたバラ色ぶどう酒(やさしい悪魔)
☆彡「ぶどう酒」というウッカリするとダサさくなりそうなフレーズが蘭ちゃんによってとてもオサレな響きになっている。ということでこれが第一位。ふるえる小指がそう教えるの。

  ということでご参考まで>1ミリも参考にならねぇよ!
 

2022. 11. 15

☆☆☆時はためらいもなく夕映えに燃えて☆☆☆
 映画監督大森一樹の訃報だ。大学生の時、映画「ヒポクラテスたち」が大好きで何十回観たことか。不肖、星紀行にとって青春の好き過ぎる映画だった。古尾谷雅人をはじめとする医学生たちがもう魅力的だった。古尾谷雅人も阿藤海も斉藤洋介も亡くなってしまった。何回も観たので、前にも書いたかも知れないが、劇中の医学生の少年の部屋に飾られている「ぷらいべえと」のジャケットを見逃すはずがない。

 その後、映画「継承盃」を撮って吉田拓郎の「夕映え」が主題歌になったりするのだが、名曲「夕映え」がちょっとかわいそうになるくらい残念な映画だった。個人の感想です。いや、しかし「恋する女たち」とか「平成ゴジラシリーズ」とか名作はたくさんある。
 
 ゴジラ映画を撮った時、対談番組Ryu’s Barで、村上龍が「ゴジラの細胞ってやっぱり大きいんですかね?」と尋ねたら「細胞はみんな同じ。大きかったらスカスカになっちゃうじゃん(笑)。案外、物知らないね。」とツッコミ入れていたのがおかしかった。

 お疲れ様でした。今夜は深酒でもしながらDVDで「ヒポクラテスたち」を観なおします。
スクリーンショット (64).jpg

2022. 11. 14

☆☆☆秘蔵と蔵出の間を行ったり来たりさすらっても☆☆☆
 「貴重で有意義なバンドとのセッション〜俺はこのために生まれてきたんだと思う」という男を観るために俺もこの世に生まれてきたのよ(爆)。
 セッションといえば、何十回でもいうが、つま恋’75の2ndステージ松任谷グループの演奏は実にすんばらしい。どの曲もまどらかなキーボードの音色に抱擁されるようにつつまれている。この温もり。「ともだち〜シンシア」このあたりをわだかまりの無い音で聴かせてほしい。
 そして何百回でも言うが、第3rdステージで迎え撃つ瀬尾一三オーケストラの豪華さ。「たどり着いたらいつも雨降り」「ルームライト」「明日の前に」このあたりをできるだけクリアな音で聴きたい。
 現地に行っていない俺が申し訳ないが、75年のつま恋の素晴らしさは、この松任谷と瀬尾のガチンコだと思っている。

 秘蔵と蔵出しの間を行きつ戻りつしている場合ではなく、もはやこの世界のすべてに対して捧げられるべきものではないかと思う。そのくらいの貴重な名演奏たちってこと。

2022. 11. 13

☆☆☆ねずみ花火がほしいんです☆☆☆
 時間が経って心にしみてきたのは進徳女子高生の夜の帰り道を送ってゆく話。拓郎が自転車に学生鞄を乗せてあげて彼女の歩調に合わせてゆっくりと漕いでゆく。二人乗りじゃないところがまたイイ。
「お兄さん、今度東京に行っちゃうんでしょ、音楽に挑戦するってお母様(先生)が言ってました。応援しています。」
…その方はそれからどんな思いで現在までの吉田拓郎の旅路を観てきたんだろうね。私らファンとはまた違った感慨でお兄さんのことを応援しているんだろうな。

 拓郎のフリートークは、現在から過去、過去から未来と次から次へといろんな話が自由に飛んでゆく。今回も自由だったな。聴いている方もあちこち縦横無尽に飛ばされる。そういう幸福。

 聴きながら向田邦子の「ねずみ花火」という大好きな随筆の一節を思い出す。
「思い出というものはねずみ花火のようなもので、いったん火をつけると、不意に足許で小さく火を吹き上げ、思いもかけないところへ飛んでいって爆ぜ、人をびっくりさせる。(向田邦子「ねずみ花火」文春文庫)」

2022. 11. 12

オールナイトニッポンゴールド  第32回 2022.11.11
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 吉田拓郎です。毎週金曜日は週替わりのパーソナリティでお送りしていますが今週は吉田拓郎です。
  
 さて今夜は冒頭から凄いです。びっくりニュース。まず一通の手紙とプレゼントが届きました。ある女性から。達筆だね。

 吉田拓郎様 
 颯爽としたお姿もツヤツヤのお声もお変わりなく嬉しく安心しました。このコロナ禍にまさかスタジオでお目にかかれるとは奇跡のようです。本当にありがとうございました。
     2022年10月17日 中島みゆき

 皮のジャンパーを贈ってくれました。その中島みゆきと長く音楽活動を共にし、僕にとっても古い友人でプライベートではよくハワイにも行った瀬尾一三とのつきあいが続いてる。その瀬尾ちゃんから連絡があった。「拓ちゃん」・・・先日、篠原のおかげて、「たっちん」がバレちゃった(笑)。正確には「たっち〜ん」(「ち」にイントネーション)ではなく「たっちん!」(「た」にイントネーション)がある。甘い言葉ではなく怒られるときの言葉。酔って帰ってくると「たっちん!」とお説教される。長いお説教でだんだん酔ってて気持ち悪くなる。瀬尾とかは「拓ちゃん」という。
 「拓ちゃん、今、中島みゆきのアルバムのレコーディングしてるんだけど、前の約束、中島みゆきのライブに参加して「悪女」でギターを弾く約束したの憶えている?」と連絡があった。「なんだ俺にギターでも弾かせようというのか」と答えたら「急だけれど来週時間あるかな?」僕も約束していたサプライズができなかったので気になっていたけれど「俺もリタイアを表明してギターとか楽器を手放したので手元にないんだよ」。そしたら「古川望」がいるじゃん、彼にはつま恋2006もやってもらったし、古川のギターも好きだし、当日呼んでギターを持ってこさせて、こっちは手ぶらで行こうと言う算段をした。「OK拓ちゃんはいつもどおのり手ぶら出来て」と言ってきた。いつもどおり(笑)

 当日、渋谷のスタジオ…ここは僕も使っていたところで、ああ〜みゆきはココを使っているのかと思いながら向った。入っていくと中島みゆき廊下で立って待っていてくれた。すぐわかった。年齢的には若くはないけど「ああ、みゆきだ」と。坂崎とオールナイトニッポンをやっていたころ2014年、その時も瀬尾一三とゲストに来てくれた。「悪女」は誰も歌えない、瀬尾ですらも歌えないという放送をして以来だった。
 「元気だったか」と廊下でハグした。ジジイとババアのハグ(笑)。
 瀬尾ちゃんの書いた譜面を貰ってギターがDフラット・・・こんなコード普通ないだろ。中島みゆきはそうらしい。「譜面書きなおせ」と直させて、そしてギターを弾いて・・・  曲名は忘れた(笑)。
 すごいシンプルで面白い詞だなと思った。あいみょんの影響で女の人が観た男女関係は社会観が違う。とっても新鮮でこっちが正しいと思えてくる。岡本おさみと松本隆の男と女の詞は男目線だなと思う。そういえば昔、安井かずみに時々、アンタの詞は女の事をわかっていないと怒られた。いや俺じゃなくて岡本おさみの詞だよというと「女はこうじゃない」と言っときなさいと(笑)。女性の詩が面白い。みゆきの詞も独特の世界感があった。
 サビのギターを弾きながらアレンジにいろいろ言いたかったけど言えずに、せめて瀬尾に後ろで俺とオマエでバックコーラスいれたらどうかと提案した。高音部は俺が入れとくからあとで低音部に瀬尾ちゃんもコーラスで参加してくれということで、今度の中島みゆきのアルバムには瀬尾と拓郎のハーモニーのセッションがはいっている。アイツももともとギター弾いて歌っていたんだよね。「愚」というグループで歌っていた。  
 タイトルはわからないが聴けばわかる。そういう思い出が出来た。さっきスタジオで写真を撮ったがウェアと手紙をいただいて中島みゆきともいい思い出をつくれた。僕の音楽人生ah-面白かったと言えることを素直に喜んでいる。
  
〇今夜も自由気ままにお送りします、吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

 いよいよ今月と来月であと二回の放送。二年間くらいかな。コロナ禍なので殆ど自宅だったが、あれはあれで楽しかった。自宅で番組を作るというあんな体験ができたのは、自分途中でトイレ行ったり、飲んだり、宅急便が来たりして楽しかった。

 ラスト近くになってゲストに逢いたいということでイマジンスタジオを特別に貸してもらって、Kinkikids、あいみょん、菅田将暉、篠原ともえ、そして本当は稲垣来泉に会いたかったな。いずれにしても若い人たちと話をしたいと思った。ベテランの中島みゆきもそうだし、いろんなミュージシャンの古い連中とのセッションをという話もあったけれど、それはどこでもできるし、連絡もとりあっている連中もいるのでここではやりたくない。若い人と話すことを選んだ。

 今月と来月はフリートークをしたい。最後なので秘蔵音源を今月一曲、来月一曲と考えている。あと弾き語りとかいろいろ弾いてみたけど・・・こういうのとか(ガラスの言葉) を鼻歌っぽく、・・・鼻歌といえばライブの映像も完成したこととかを後で話す。

 75年の初物、本邦初公開。僕には生涯忘れられないイベントだった。内容は音楽的にもいろいろ問題はあってもイベント…イベントなんて言葉は当時はなかった。参加したみんなも歌っているこっちも演奏する方も主催者も全員が初めての体験だった。予想のできない空間だった。松任谷と一緒にやった懐かしい曲、「知識」。

M-1   知識   吉田拓郎(つま恋1975)
                         (元気)
(CM)

 今年「ah-面白かった」を発表をして、それを受け入れていただいて、作った甲斐があったと満足感たっぷり。この9曲を映像としてライブでやりたかったという思いが募ってきた。ストリングスとブラスを入れて生でやりたいと思って、エイベックスの竹林くんに相談したら、やりますか!と快く応じてくれた。

ライブの雰囲気にふさわしいメンツを武部・鳥山と選んで、ギタートリプル、キーボードダブル、チェロとかよりビオラとバイオリン7,8人で、ブラスも入れようと相談をした。
 リハーサルを一度やってイケそうだったので、よし録ろうということになった。秋の風も感じる頃、フジの湾岸スタジオ、LOVELOVEの収録で使ったあのスタジオを二日間借り切って危険を避けるために無観客でセッションしてその映像も収録した。
 実にリハを含めて三日間。貴重で有意義なバンドのセッション。楽しいな。生でやる喜び、これを超える喜びはない、俺はこのために生まれてきたんだと思うくらい楽しい時間を過ごした。

 ブラスとストリングスによって、ソウルフルでファンクなステージングとなった。生だと違うな。
 それにプラスして弾き語り・・・弾き語りを聴く気にならないのは、音楽的にすげー弾き語りが日本にいないから。シンガーソングライターにはうまいギターを弾くヤツはいない。弾き語りというかそれっぽいものを弾き語りで練習した。(ガラスの言葉、風邪、旅の宿を実演)。指がちゃんと動いていないのがバレバレだ。
 行き着いたのは「旧友再会フォーエバーヤング」を三拍子でやってみて、それから
「慕情」・・・こういうのを二曲やってみて「慕情」が出来がいいのでこれ行こうということになって、その場で譜面を書いて、鳥山・武部・渡辺格だけスタジオに残して、あとは帰っていいということで歌った。
 ギターは拓郎ツウならご存じのギブソンのJ-45・・・加藤和彦から貰ったギターを今回持って行った。最近、あまり音が鳴らなかったのが、スタジオで調整してチューニングしたらちょっといい音がした。やっぱりオーラみたいなものがあったのでJ-45も燃えているんではないか。
 テイク1で一発の雰囲気もの。ギブソンのJ-45を弾いている吉田拓郎が観られる。このギターは、フォーク歌手のドノバン・・・トノバンじゃないよ、その本家でイギリスのボブ・ディランと言われていたけどそうでもなかった。でもギターがいい音しているなこういうドノバンみたいな音がするものあるのかなと加藤和彦に話したら、1週間くらいしてそのギターJ-45を入手してくれた。「これはあの音だ、低音域がぐっとくるね」。アコースティックの音色だった。
 歌がね、力をいれずに鼻歌でリキを入れないで歌って、佳代に聴かせたら絶賛で、こういう拓郎っていいよねと言われた。これイイじゃないか。

 12月14日の発売でタイトルは「「Live at WANGAN STUDIO 2022 -AL"ah-面白かった"Live Session-」。是非もう一個思い出作りをみんなとしたい。生涯愛して欲しいな。やっぱりライブでやるとド迫力だ。特にホーン・ブラスで「アウトロ」が凄いことになっていた。アルバムよりもアドリブやギターソロも長い、ストリングスもたくさんいれたので豪華版な映像を是非期待してください。みんな自由に演奏してやり終わって、帰ろう、やり尽くした!という感じで楽しく演奏している。

M-2   together   吉田拓郎   スタジオライブから

(CM)

<今はアメリカだが広島大学病院に赴任することになったが、皆実町あたりに住みたいが、思い出話はありませんかという投書>
 広島はカープ好きすぎる、王さんのホームランで立ち上がった瞬間にアタマ叩かれたことがあった(笑)。引っ越し案内を頼んでいるのか。皆実高校は母校、皆実高校のとなりに広島県立工業高校、略して県工、その向かいに私立の女子高で進徳学園というのがあって、今は進徳女子高校・・・ネットで調べたんだ(笑)。皆実高校は進学高校で勉強しろという高校で女子はガリ勉タイプが多くて男の子としてはツマンナイ。進徳学園は高校卒後は就職するのがメインで派手なタイプの子はいなかったけど間違いなくオトナっぽい。いいねぇ戻りたい。あの子と映画行きたいな、喫茶店いきたいね〜というのが進徳にはあった。

 実はその後ロックバンドをやるようになって、ガールフレンドの一人や二人いなくちゃという感じになった。ビートルズだってそうだよ、特にリンゴはモテたかっただろう(笑)
 その進徳のバスケット部の子がいて母の茶道教室に通っていた。青春の汗という感じで放課後にお茶の稽古にやってきて、終わると夜の七時になるのでオフクロが「拓ちゃん 送ってあげなさい」ということで、暗い夜道を送るんだけど…僕は嬉しい(笑)。自転車で ゆっくりこぎながら、サドルのうしろに彼女の学校鞄をのっけて二人で帰った。ある時「おにいさん、今度東京に行っちゃうんでしょ、音楽に挑戦するってお母様(先生)が言ってました。応援しています。」…おい、おい、おい、名前が思い出せない。僕は彼女とは違う想いを抱いている(笑)。皆実町、素敵なところよ。俺にとっては青春真っ只中よ。名前は憶えていないけど野性美のあふれる子だった。思い出す汗ばんだ彼女。どんな彼女だ(笑)。

<身構えずにこれからも気軽に帰ってきてという投書>
 ツアーはもうやらない、アルバムのレコーディングもいい、一生懸命やった、ラジオは長い間やらせてもらって。ラジオがやっぱりピッタリくる。持って生まれた感性、テレビは一生懸命やったけどあまりうまくいかなかった。ラジオは好きだったな。このラジオも卒業しようかなと思っている。
 それ以外で、あれやれ、これやれといろいろメールで言ってくるが、不思議だな。ラジオ、テレビ、アルバムなくても、それだけじゃなくてもやることいっぱいある。物事はやってみなきゃ、生きてみなきゃわからない。私は今日まで生きてみましたって歌っている人がいたでしょ。わかんないよ。人生はいくつになってもわからない。これからも生きてみる。この女性はウソなんじゃないのということでこの歌を作った。

M-3  永遠の嘘をついてくれ  吉田拓郎 中島みゆき

〇11時

 ♪時が経ってしまうことを〜 この曲の規制がかかっていた。長いことこの「ペニーレインでバーボン」はもちろんオンエアされないし、発売されることもなく割愛されて、この曲が入っていないアルバムが巷に出ると言う異常な事態が長く続いていた。
 ところが発売元から通常のもとどおりのラインナップで「今はまだ人生を語らず」が再発売できるということになった。僕的にいうと時間かかりすぎたね。70半ばまでずっと待っていたけど、時間がかかりすぎ。
 もともとの「ペニーレインでバーボン」の一節が、悪意に満ちた歌詞ということは  ありえない。日常の会話の中からしか歌を作らないし。ツアー先で唄っているところに  楽屋に来た数人がどういう意図で歌っているかはわからないけど人を傷つけていることをお気づきですかといわれた。納得はできなかったけれども、そういうことならば歌うべきではないな。100%お蔵入りという決断をした。そういうことを知らずに歌ってきた僕はのんきだったというばのんきだし、他人が傷ついているとは思いもしなかった。
 それでも元気なうちに呪縛が解けるのは素直に嬉しい。(拍手) 胸を張って生きて行ってほしい。バーボンさんの気持を歌っている。

M-4  とんと無沙汰   吉田拓郎  (NHK 101 ライブ)

(CM)

 さぁ久しぶりにやってみるかな。ギターで弾き語りが好きじゃなくなって、ネットで弾き語りやってるのを観ると何が楽しいんだろう、他人のことだから仕方ないけど。セッションしたらいいのにと思う。

M-5   金曜日の朝     吉田拓郎
 ♪背中丸めて歩くたび〜口笛

 口笛ができない。懐かしいね。あれだよ、ズズ=安井かずみが当時の僕の生活ぶりを描いた。彼女は僕の実生活をよく観てくれていて、後ろからアドバイスしてくれて「ひとりになっちゃえよ」とか言ってた女性で(笑)、よくわかってくれていた。
 原宿あたりで夜な夜な遊びまわっていた生活をしていた俺をズズが脚色して書いた大好きな曲。僕の私生活については、ズズとかまやつひろしは当時の実情や苦しんでいたことを知っていてくれた唯一の先輩二人だ。背中丸めて〜原宿・表参道を思い出す。かかとつぶした運動靴、夏を歩いた白い靴がなくなった、洗いざらしのブルー、残ったお金があと少し、当時の自分だな。大好きな曲なのにそんなに愛されていなかった。

 これはあれだよ。今やるとは。

M-6  青春の詩    よしだたくろう

喫茶店に彼女とふたりで入って
コーヒーを注文すること
ああ それが青春

映画館に彼女とふたりで入って
彼女の手をにぎること
ああ それが青春

繁華街で前を行く
いかした女の娘をひっかけること
ああ それが青春

SEXを知りはじめて大人になったと
大よろこびすること
ああ それが青春

さて青春とはいったい何だろう
その答えは人それぞれでちがうだろう
ただひとつこれだけは言えるだろう
僕たちは大人より時間が多い
大人よりたくさんの時間を持っている
大人があと30年生きるなら
僕たちはあと50年生きるだろう

この貴重なひとときを僕たちは
何かをしないではいられない
この貴重なひとときを僕たちは
青春と呼んでもいいだろう
青春は二度とは帰ってこない
皆さん青春を・・・・・

今このひとときも 僕の青春

 憶えているんだよ。ハハハ。エフ・シャープ・マイナー 、セブンス、これがデビュー曲だ。つまんない音楽性だな。でもギター、ベースランニングがフォークにしては変わったリズム感覚だった。

M-7   もう寝ます    よしだたくろう

 音楽性ゼロ。これで満足していたら今の自分はない。コミックソングを聴きに来ていたのかな。こういうのは音楽的じゃないなと思うようになっていた。

 そして当時の吉田拓郎は凄いなという曲。

M-8  ガラスの言葉    吉田拓郎

 こういうギターがウマいな。エフ・シャープ・マイナー からディミニッシュ、こんなの使う人いなかった。もう一曲、練習しているのがある。

M-9  風邪   吉田拓郎

 今度、練習してくる。今月はここまで。

(CM)

<ライブリリースありがとうございますどうして湾岸スタジオなのですか?という投書>
家から近い(笑)。レコ―ディングスタジオでは、今回映像チームもいて多かったので   密になるので、できるだけでスペース広い場所ということでここにした。録音、映像のできる場所ということで、映像を何度か観なおしても、ここのスタジオが、ちょうどセッションにいい広さだった。

<弾き語りが嬉しいという投書>
 リクエストは知ってんだよ、君らの曲の選択は。  
  ♪祭りのあと
 こういうのをやるわけがない。暗いな。どんよりしてくる。よく歌っていたなと思う。
裏をかいてといろいろとリクエストしていたが歌うワケがない。

<徹子の部屋に出演した原由子さんが拓郎ファンだという投書>
 知らないの?有名な話だ。最初の俺の結婚のとき枕を濡らして泣いたって本人から聴いた。サザンのデビュー間もない頃、当時は僕にもメディアの取材が来ていたので、その際に僕は、桑田佳祐の音楽、詞の世界、日本語をくずし、笑ってもっとbaby、素敵にon my mindとカタカナをうまくいれていること、それまでの60年代70年代のフォーク・ニューミュージックとは全く違っているところを、よくホメていた。サザンは好きだと言い続けていた。
 そのうちNHKFMがラジオの特番で、サザン桑田と吉田拓郎の原坊番組を組んだ。そこの番組で、桑田からサザンの音楽を世の中で正しく評価をしてくれたと感謝状とかもらったことがある。
 その後、昔の独身のころ、生活に敗れて僕が渋谷のマンションに一人暮らしだったときに、桑田と麻布で飲んで、そのまま渋谷のマンションに一緒に帰って、音楽を聴きながら飲んで過ごしたことがあった。僕の仕事部屋に飾ってあったビートルズ「サージェントペッパーズ」のロンドンのオリジナル盤が飾ってあった。東芝EMIの知り合いのディレクターから送られたもの。桑田が「これ違いますね」と気が付いた。酔っぱらっていたし、やるよと差し上げたら持って帰った。後に、本当に良かったんですか?返しましょうか?と尋ねてきたので、それはもう君んちにあった方がジャケットも喜ぶからいい。

 その後、桑田君からテレキャスターのメープルネック、ローズウッドのテレキャスターをプレゼントされた。「歩道橋の上で」の時でこれをスタジオに持ち込んで自慢した。レコーディングにも使った。

 こうして桑田佳祐とか原坊とは、つかずはなれず、縁が続いている。彼らは、文句なしのスーパーグループだと思う。新しい曲を作り続け、愛され続けている。心から敬服する。

M-10   歩こうね    吉田拓郎

 いろんなことを考える。そもそも僕は鹿児島で喘息の持病で小3に広島に転居した。リーダーシップとは無縁で、僕が人を引っ張っていくという要素はゼロだった。むしろ他人のことを聞きながら動くという実直な子どもだった。

 東京に出て来てから田舎者扱いされるようになってから、卑屈な心根が僕を変えていった。東京中心の文化、旧態依然としたザ・芸能界、テレビ出ることがすべてという歌の世界にも反発した。もともと自分の音楽が日本で通用するかどうかのトライだったので、自分の居場所のためにアンチとか戦いを挑む・・・そこまで大袈裟ではなかったかもしないが、じっと待っているだけではダメという気持ちになっていった。
 わがままだとか、ひとり突っ走るとか、みんなをリードするというレッテルが定着した。
 泉谷しげるがテレビで「とにかく拓郎はわがままで廻りが大変だ」と言っていたが、あの4人で僕が一番わがままじゃない。4人の中で泉谷は一番わがままで真っ先に辞めちゃったじゃないか、俺は最後に社長までやった、一番普通でわがままじゃない。陽水は会社の業績には何の関係なく、新人を育てようともしなかったし、小室はいろんなことがはダメだし、泉谷は辞めたし。Kinkikidsとか若い連中なんかは、拓郎さんはわがままじゃないですよねとわかってくれる。70年代の連中は、俺をわがままだと言って自分を正当化しようとしているのではないか。泉谷、おまえは最初に一人フォーライフを辞めて一番わがままだ、・・・と言いたい。

M-11  マスターのひとり言  吉田拓郎

(CM)

■エンディング
 いよいよ来月で完結です。大好きだった女優の堀北真希さんはかつて番組にも出てくれた。その堀北さんが、ドラマの撮了インタビューで「何事も始まれば終わる」と言ったのが印象に残っている。
 僕のラジオとのお付き合いは深夜放送、パックインミュージック、バイタリスフォークビレッジから始まって長かった。その後もセイヤングやいろんな深夜放送をやって、文字通りラジオに助けれられて、ラジオが育ててくれた。ラジオが一番の友だったと思う。

 ラジオには見えない何かがある。テレビはみんな見えているから面白くない。どんな恰好で喋っているかもわからない。本当ではないかもしれない。リスナーが想像する部分がある。フォーエバーラジオ。秘密があることがチャーミングである。

 時代は変革しいろんなものを押し寄せて、かつて大人信用できないと言う反発があったが、今は自分がその対象になっていて信用したくない側にいる。これも始まれば終わる。

 ♪古い水夫は知っているのさ、新しい海の怖さを

 自分で20歳の時にこんな歌を作っておいてなぜ今ここにいる・・・反省します(笑)
さて来月12月16日、特別なことはしない。自由にセッションしたい。

M-12    アウトロ    吉田拓郎

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆中島みゆき登場。ここのところ潮の流れが松任谷家に向っていたところ、大きな揺り返しが来てみゆき・瀬尾タッグの波が返ってきた。こうじゃなきゃ。大きな暖流と寒流がぶつかったところに吉田拓郎は君臨するのだ。いみふ。拓郎とみゆきの二人のハグは誰かちゃんと写真・映像におさめてくれたのだろうか。
 ここに来てバック・ギターの約束が実現して良かったが、私たちの目にふれるものではなかったことが残念だ。幻の新宿文化センターよ。

☆つま恋の「知識」。いやぁああ。いいねぇ。なんてクリアな音なんだろうか。トラックダウンしたのかな。あるところにはあるんだね。何の問題もない。それにしても秘蔵にしておく意味がどこにあるのだろうか。もういいじゃないか。
 すばらしいテイクだ。この松任谷の「知識」が、78年のツアーを経て、79年のTOUR&篠島つながってゆく。75 to 79 と2つの「知識」の旅を思う。

☆「Live at WANGAN STUDIO 2022」。あの素敵なジャケ写を観てツウな同志は、J-45だと狂喜していた。さすがだ。それにしても3日間で完成したのか。声も良く出ていて、ワイルドでゴキゲンに勢いづいているtogetherを聴くと、いてもたってもいられない。Youたちこのままツアーに出ちゃいなよ。と言いたくなる。誰だよ。

☆あれやれ、これやれと言いたくなるのがファンというものだ。リタイアという決意を受け入れながらも明日につながる道を考え悶絶してしまう理不尽な人間たち。それをファンというのだ。それがなければただの通行人だ。通行人はレコードも買わないしDVDも買わないし、せいぜい「あ〜フォークの吉田拓郎だ」と言って通り過ぎる。
 愛に胡坐をかくつもりはないが、何もかも愛ゆえのことだと思ってくれ。

☆ともかく2023年、拓郎も私達も生き続ける。生きてみつづける。生きてみなきりゃわからない。それしかない。区切りをつけずに明日を信じてまいりましょう。

☆「ペニーレインでバーボン」。あらためて拓郎の長かった想いを知る。その経緯を聞くだに納得できなかったり、いろんな複雑な思いはあるが、この歌を社会的な論争の土俵という主戦場にすることは忍びない。そういう想いもあったのではないかと思う…これはまったくの推測だ。とにかくよかった。無事な帰還をお祝いしたい。

☆弾き語り。俺は「祭りのあと」を聴きたいとは思わないが、だからといって、聴きたいのは今夜のこれじゃない。「もう寝ます」、メロディとかキーも違っていなかったか。「今夜は星空」とか「六本木レイン」とかで打ちのめされる覚悟でいたのでいささか拍子抜けだ。それで「風邪」を1か月かけて待つと言うのか。弾き語り嫌いならやんなきゃいいよ。

☆「拓郎VS桑田」と「拓郎105分」が混交している気がしたが、確かに最初はキワモノと世間が思っていた桑田佳祐に対する拓郎のいち早い高評価は忘れられない。反対にあの桑田佳祐が一目置く吉田拓郎ということでファンとしても助けられたことが多かった気がする。お2人のいい関係は嬉しい。
 ただし「拓郎105分」でヘラヘラしていた桑田が最後にマジになって「僕は拓郎さんにカナディアン・バックブリーカーを決める自信があります」と不敵に宣言した時、俺は背筋が凍ったのを憶えている。油断は禁物だ。

☆ここに来て泉谷との戦争勃発か(爆)。最近は観るたびに泉谷しげるの吉田拓郎への愛の深さが胸にしみているので、お願い、どうか仲良くしてね。行くんもとどまるもそれぞれの道なんよという歌があるじゃないか。


☆拓郎にとってラジオが大切な存在だったということは、ファンの私達にとっても切実な命綱だったのだ。あらゆる意味で感無量だ。あらためてラジオというものに感謝をささげたい。

☆☆☆今日の学び☆☆☆

「始まれば終わる」は堀北真希の言葉だったのか。私の好きな言葉です。
                           メフィラス拝

2022. 11. 11

☆☆☆君がいればもう何もいらない☆☆☆彡
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…ああ、カッチョエエ。この美しいたたずまい。もう他に何も要らない。…いやいろいろ要ると思うが、この写真を見ている限りはこのカッコ良さ以外何もいらないと魂の底から思う。

2022. 11. 10

☆☆☆You don't have to worry☆☆☆
 いつもの道を歩いていたらこんなユーミンのオブジェに出逢った。いいなぁ。吉田拓郎にもこういうのを作って原宿駅とか表参道駅とかに置いとくれよ。高円寺でもいいよ。なんだったら手っ取り早く深夜に忍び込んでこのユーミンのオブジェを全部吉田拓郎のジャケットに換えてもいいですぜ。ユーミンだったら怒らずにOK松任谷と言ってくれそうな気がする。>言わねぇよ!
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2022. 11. 9

あなたに捧げるベスト5
(16) 今日のお題 答えは風に舞っているベスト5 
 「吉田拓郎といえば「風」でしょう」とお会いしたことはない同志の拓郎ファンの方からずっと言われていた。御意。「僕は生きようと思う。もっと風のように…」(「俺だけダルセーニョ」P.233あとがき・集英社)。風と拓郎。まさに不即不離ってやつだ。 
 しかし考え出すと「風」の歌はメチャ数が多く悩ましい。街とかシーズンとかダイアローグとか時代とか提供曲にしても風の中、風の中で、季節の風の中でと三段活用みたいにいろんな風が縦横無尽に吹きまくる。どれもがいとおしい曲なので、作詞別とか提供曲別とか分けようとも思ったが、そんな姑息なことはすまい。とにかく直覚でベスト5のカタマリを一択だ。
  

@マラソン

    僕はあの時風になり
    大空をくるくる回りながら
    このまま死んでしまいたいと
    またひとつ小さな夢をみた
 
 この風が胸に迫る。「いつの頃からか(僕は)風になってしまいましたね」「あの時僕は風になったという歌を作ったんだけどさ」…83年の春に「行き止まりまで走ってみたい」というラジオでのインタビュー番組で拓郎は語った。「マラソンていう歌の哀しさってありますよね」と田家秀樹の相槌があった。吉田拓郎の風って何なんだろうね。わかったようでわからない。しかしこの歌に結晶化されている気がする。「そこに止まったり、走り出したり、結局はフラフラフラフラと流れてゆく。」とそんな風に語ってもいた。生き方の体感みたいなものか。
 
A風の街
 山下達郎をも唸らせた"かぜぇぇぇ〜がぁぁ運んでぇしまう街〜"。ドラマ「あこがれ共同隊」のテーマのバックの映像=晴れた日の原宿の景色が浮かぶ。この清々しいメロディー自体がもう風を体現しているんだよ。この清々しい風が2007年の最後の全国ツアーの「18時開演」のインストになるともう万感胸に迫るものとなる。さまざまに吹いた風の歌たちのエンドロールのような感じで、これはこれでたまらん。
 
B風になりたい
 多くのシンガーたちの素晴らしいカバーがあるが、やはりそれでも川村ゆうこが一番素晴らしいと思う。あのふてくされたような歌唱にも魂がこもり、美しいメロディーと拠りあっている。そして忘れちゃならないのは松任谷正隆の穏やかに風を巻いていくようなアレンジの素晴らしさだ。わりと最近になって川村ゆうこご本人のライブで何度か聴かせていただいたが、大切に歌いこまれていて熟成した魂を感じて泣けた。やっぱり一番いい。それにしてもさ、拓郎さんあなたのセルフカバーってばもう…(略)。

C5月の風

   5月の風に逢いたくて
   心の窓をあけてみる
  
   夏に向かう雲たちよ
   先に言ってくれないか
   あの人の事をもう少し
   考えていたいから  

 風は過去から未来、現在から過去にもしみじみと吹き渡るものだと感じる。吉田拓郎の風は祈りでもあることを教えてくれる。この歳なれば誰にでもきっと「あの人」がいる。大切な風の詞を残してくれた。それにしても安井かずみも加藤和彦も天に行ってしまったんだよなと無常を感じる。

Dカンパリソーダとフライドポテト
     
   風にまかれる人生がある
   たくましさだけで疲れるよりはいい

 高校生の俺には衝撃的なフレーズだった。たくましくなんかなくていい。風にまかれればいい。そっちの方がずっといい。そんなことを言ってくれるオトナは皆無だった。

    崩れかけた砂の家で
    木の葉のように
    舞うだけ舞えばいい

 そして極北を旅立つ二人が風に翻弄されるなら翻弄されてやろうじゃないかと覚悟を決める。ここを聴くといつも不思議な勇気を感じる。
 場違いの話かもしれないが、昔、学生の時に読まされた中江兆民の『三酔人経綸問答』の一節「剣をふるって風を斬れば、剣がいかに鋭くても、ふうわりとした風はどうにもならない。私たちは風になろうではありませんか。」…ここを読んだときに、ああこれは吉田拓郎だ!と思わず膝を打った。これに近いと言えば近いかな。

 ということでとても5曲で尽きるわけがない。六本木のシュバイツァー先生の心の言葉を思い出す。「拓郎さん一度でいいから本物の風ってやつを見せてくださいよ」(俺だけダルセーニョ・P.81)。
 …見た見た。見せてもらった。よくわかっていないしまだまだ見届けたいけれど、それでもしっかり見せてもらったよ。

 ということでいよいよ今週ラジオだ。ラス前の貴重なる一本だ。風はどこに吹いていくのだろうかね。

2022. 11. 8

 さすがに毎日毎日、拓郎ベスト5、いい加減くどいと思う。なので今日は拓郎の作品ではないベスト5ということで拓郎の歌から離れてたみたい。

あなたに捧げるベスト5
(15) 今日のお題 えっ?拓郎じゃないのかよベスト5 
 これは拓郎の歌だなと思ったら実は違ったという経験はおありではないだろうか。これだけ拓郎節が世の中に浸透し、もちろん自分も吉田拓郎にイカれていると、そういうメロディーの空耳ともいうべき状態がしばしば発生する。そんな「えっ?拓郎じゃないのかよ」ベスト5。…離れてないじゃん。
 なおイカレタ俺の空耳ですので作曲者が拓郎をパクったとかマネしたとか揶揄するものではありません。ったく拓バカの思い込みはしょうがねぇなぁと思ってご容赦くだされ。

@夏が来た!(キャンディーズ)
 中3の夏、このメロディーは絶対拓郎だと確信して周囲に「今度のキャンディーズの新曲は拓郎だぜ!」と吹聴したら違っていて大恥をかいた。「拓郎がキャンディーズの歌なんてつくるわけねぇじゃん」と馬鹿にされて一人泣いたものだ。しかし翌年「やさしい悪魔」「アン・ドゥ・トロワ」が大ヒットするのだが、そんときゃ既に中学を卒業していたので言い返せなくてホゾを噛んだ。今度中学のクラス会があったら「みてみやがれ、拓郎はキャンディーズに名曲を提供しただろ!」と声高らかに言ってやりたいが、相変わらず星くんは壊れてると冷笑されるだけだろうな。
 
A孤独なランナー(川村ゆうこ)
 「風になりたい」でデビューして、そうか2曲目も拓郎かぁと自然に思ったものだ。違うのか。「ああ青春は〜孤独なランナー」、拓郎の歌を歌っているような爽快感がある。「ああ青春は〜燃える陽炎か〜」の松本隆の作詞だ。
        
Bノクターン(梓みちよ)
 これを聴いた時「メランコリー」の続編を拓郎がついに作ったのかと確信した。われらが常やんの作曲なので親和性がある。姉妹作と言ってしまっていいのではないか。「アタシに何ができるというの〜」この展開が「それでも乃木坂あたりでは〜」といい意味で似ていてそこが嬉しい。
 
C半分少女(小泉今日子)
 「拓郎さんが出てきた時は大変なことになったと思った」と筒美京平は語った。天才
筒美京平をそこまで追い詰めた男。しかし京平先生がそこで終わるわけがない。拓郎節を自らの中に摂取しようとしたものと確信する。小泉今日子の一連の楽曲は、筒美京平が拓郎節を自らに取り込んで同化し血肉化してゆく大いなる実験場となっている(気がする)。「真っ赤な女の娘」「半分少女」から始まって「夜明けのMEW」あたりで、拓郎節より出でて拓郎節にあらずという見事な同化が完成する。映画「遊星からの物体X」みたいな感じ?知らねぇよ。ともかく筒美京平おそるべし。

D酔っぱらっちゃった(内海美幸)
 演歌じゃないかと拓郎は怒るかもしれない。拓郎は音楽ジャンルの境界について「俺はフォークじゃない」に次いで「俺は演歌じゃない」をよく口にする。これだけ繰り返すということは、裏を返せば、フォークや演歌との国境線が危くなっていると思っているからではないか(笑)。酔っぱらっちゃった〜のメロディー展開と節回しがもう実に見事な拓郎節…って浜圭介先生すみません。

 心の底からどうでもいいでしょうが、明日でこの連載は第一部おしまいです。そろそろラジオなのでそこに気持ちをもっていきたいです。なんたってあと2回だもんね。
 書きたいベスト5はまだ山ほどあって無理に絞り出しているつもりはないのたが、確かに内容はどうなんだろうね(爆)。まぁいいや最後じゃないか。とにかく12月14日,21日までごきげんでまいりましょう。

2022. 11. 7

あなたに捧げるベスト5
(13) 今日のお題 ベスト5 
 
 犬とくれば猫なのだが残念ながら拓郎は猫が嫌いらしい。グループの「猫」ではない。ホントの猫。なのでサラリとまいろう。
 
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  山本コウタローのパートナー吉田真由美の「Oh!MyCat」(八曜社)より。猫嫌いの拓郎の逸話が結構面白い。

 @君も猫のように寝息たててる
   (サマータイムブルースが聴こえる)
 A春の猫は庭をかけて
   (とんとご無沙汰) 
 B猫のマネ、イジイジしてる
   (ありふれた街に雪が降る)
 C昼は無邪気な猫の瞳が
   (まるで大理石のように)
 D海猫みたいに寂しい瞳で
   (聖・少女)

  お〜っとココで「海猫」は「猫」じゃない「カモメ」みたいものだろと物言いがついた(誰の物言いだよ)。それじゃあ「クロコダイルにブラックパンサー(七つの夜と七つの酒)」…黒豹=ネコ科ということでどうだろうか? ホラ「昼は無邪気な猫の瞳が振り向く夜に豹の眼になる」と松本隆先生もおっしゃっているではないか。

2022. 11. 6

あなたに捧げるベスト5
(13) 今日のお題 「犬」ベスト5 
 吉田拓郎が戌年だからか拓郎の歌の中で犬は意外に結構大切である。ということで今日は「犬」ベスト5。

@野良犬

  のら犬だって涙はあるさ
  一度愛されれば飼い主をわすれない
        (野良犬のブルース)

 正直に言ってこの歌はアルバム「青春の詩」を聴くときスルーしていた曲だった。そんなことってあるだろう君たちだって。しかし最近になって拓郎は「俺はフォークじゃない、もともとはR&Bなんだ」と力説するときにこの歌が引き合いに出されることが多くなってきた。幻の大阪ラストツアーでは演奏したいとも言っていたが、そもそも物心ついた時からライブで演奏された記憶はない。ということでこの曲を邪険にしてきた俺がひれ伏すようなライブバージョンを魅せて欲しかった。俺も野良犬だから、飼主の吉田拓郎を忘れまい。…もう一曲あった。

  やさしい夕暮れ
  賑わいうすい船着き場には
  ああもう野良犬が住み着いた
             (竜飛崎)
 どてっ腹をぶち抜かれちゃったね。ということでもろもろ敬意を表して第1位。
…そういえば昔、普通に野良犬っあちこちにいたよね。よく考えると危ないよね。昭和は輝いていたとばかり言ってらんないよね。
 
A半世紀生きた犬

  今日二度目にしたことは砂を吐いて
  横になって休んでいたんだ
  半世紀生きた犬の気持で 
       (たとえば犬の気持で)

 鈴木慶一の手になる不可思議なリズムの不可思議な曲なのだが妙に心に残る。なんか歳をとるたびに切なく実感が湧く。半世紀生きた犬は人間に換算すると200歳以上にあたるらしい。もう100万回生きた猫の世界だな。どういう世界だ。

 さあ昨日より遅く だけど遠くまで 行けるかな
 夕暮れを味方にして 西へと

 ちょっと元気がでるんだよな、このあたりのフレーズ。        

B白い仔犬

 白い仔犬を抱き上げる君はちょっぴり幼くみえる
                     (風の街)。
 聴く人の頭の中にそれぞれの「君」と「仔犬」の眩しいイメージが浮かぶに違いない。このご時世だが正直に言おう。俺の場合はガチ桜田淳子だ(爆)。ああ、たまらん。ドラマ「あこがれ共同隊」は、彼女が映画「スプーン一杯の幸せ」で"ひとり歩き"を歌っているころとほぼ重なる。ah-可愛かった。スプーン一杯の幸せというば落合恵子レモンちゃん。やつぱ昭和は良かったかもしれない。今、令和はどーんな幸せなのかしら〜。


C柴犬

 赤トンボ追いかける子のあとを
 コロコロと柴犬が追って転がる
         (ハーモニカの詩)

 この情景がイイ。「仔犬」と書かずに仔犬を表現してしまうところ、やっぱり阿久悠ってすごい。松本隆が洋食レストランのシェフだとすると阿久悠は和食の高級料理人という感じがある。岡本おさみは絶品料理を繰り出す居酒屋のおやじなんだよな。勝手なイメージですまんな。

D路地へともぐりこむ負け犬

  闘えるだけでいい すべてを燃やせ
  負け犬になったら路地へともぐりこめ
             (証明)
 いい。「証明」のここが凄くいい。こういう拓郎のやさしさというか魂の発露に惚れるのだ。ああ、こんな曲もあった。

  負け犬になんかなりたくなくて
  牙を剥き立ち向かう
                (若い人)
 次点は「働く犬」。「働く犬じゃないんだそうよ俺もおまえも人間なんだとよ」(ジャスト・ア・ローニン)。とにかく昆虫だって犬だって、生きとし生けるものすべてに拓郎の歌は捧げられているのだ。

2022. 11. 5

あなたに捧げるベスト5
(12) 今日のお題 私も今また船出の時ですベスト5 
 コロナ禍だったり歳をとったりで、さあ旅に出るぞ!という「船出感」には,とんとご無沙汰だ。"旅に出ろ出ろ若いんだ君らは,操り人形じゃあるまいし"(わけわからず)とかつて拓郎は歌ってくれたが、"旅に出ろ出ろ歳とった君らも,置物人形じゃあるまいし"とか歌ってはくれないか。せめて心の中に旅立=船出感が欲しい。そんな船出感ある歌ベスト5。

@7月26日未明
 "荷物をまとめようとしなくても その中のひとつだけ携えてゆこう!"…かっこいいな。3か月前から荷造りするという拓郎さんの言葉とは思えないが…船出はこうありたいと憧れる。
  だけど船はまだ港の中 乗り遅れそうなのは誰?
  間に合うさ 間に合うさ 遅すぎることはない
「間に合うさ」「遅すぎることはない」という言葉がいつもどんなに心強く背中を押してくれることか。
A落陽
 "苫小牧発仙台行"地味すぎる航路にもかかわらず愛と怨念が鳴門の渦潮のようにあちこちに無数に渦巻いている。いろんなバージョンあれど「船出」というとやはりライブ73には孤高で静かな船出の感じがあってイイ。後のバージョンになるともう最初からガンガン飛ばすぞと手ぐすねひいている感じで出航というより出撃に近い。船出はやはりoriginalなのだ。
B月夜のカヌー
 若いころは考えもしなかったが、最近齢をとると古い水夫はもう船出はできないのだろうか。いや、ひとりでカヌーを漕げばいい。
  月夜のカヌーで夢の続きへ漕ぎ出そう
  月夜のカヌーで生きをひそめ漕ぎ出よう"
 …深い答えが用意されていた。
C錨をあげる
 若いころは考えもしなかったが、古い水夫はもう船を降りなくてはならないのだろうか。
  抱えきれない想い出に 導かれ
  抱えきれない沈黙に 導かれ
  遠く聞こえる 声のところへ
  錨をあげる
  …それでもモヤイ綱を解いて錨をあげよう。60歳を過ぎた拓郎からのチカラ強い歌声が待っていた。
Dほ・ほ・え・み(五十嵐夕紀提供曲) 
 ホントは5位は”悲しみ川に漕ぎ出そう”という「世捨人唄」にするつもりだったが、それではいくらなんでも岡本おさみが過ぎる。そうお嘆きの貴兄のために松本隆作品を探した。オールを無くしたボートとかそういうのしかない…はっ、あった。
  風に煙った水平線に
  白いフェリーがあなたをさらう
  竹芝ふ頭 白いテープを投げる人さえ 今はいない
  10月10日台風まじか
  無事に着いてと心で祈る
 いいじゃないか。ということで五十嵐夕紀提供曲で松本隆作詞の「ほ・ほ・え・み」に。

 新しい海の怖さを知ったなら、知ったなりの航海があると信じて何度でも船出してまいりましょう。出発だ。さぁぁぁ今、飛んでゆけぇぇぇ。違うよな。ともかくどうか良い旅を。

2022. 11. 4

あなたに捧げるベスト5
(11) 今日のお題 昆虫ベスト5 
 昔ラジオで何度かやってくれのだが吉田拓郎は「ツクツクホウシ」の鳴き声のマネがうまい。また少年の頃トンボをとろうとして肥溜めに落ちた逸話も有名だ。関係ないがユーミンは武部聡志に初めてあったとき「コイツ、カマキリみたい」と思ったと言っていた。僕らはみんな生きている、ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、そう拓郎の歌の中にだって。ということで昆虫ベスト5だ。
 @トンボ
  ・あの日のトンボはどこ行った(夏休み)
  ・死に忘れたトンボ(せんこう花火)
  ・夕べ観た夕日、赤いトンボたちよ(白夜)
  ・赤トンボ追いかける(ハーモニカの詩)
 Aセミ
  ・ひまわり夕立セミの声(夏休み)
  ・近頃セミも鳴きませんね(東京の長く暑い夜)
  ・近頃セミが鳴かないことも(女たちときたら)
 Bホタル
  ・蛍の河に子どもの声(蛍の河)
  ・蛍が綺麗よ見せてあげたい(歩道橋の上で)
 C蝶
  ・風と舞い散る蝶々が(星の鈴)
  ・蝶ネクタイに銀縁眼鏡(恩師よ)
 Dみずすまし
  ・みずすましみたいにスイスイと(青春試考)

[選評]
 トンボ強し。アアしあわせのトンボよ〜、よしなさい。セミは3曲だが「東京の長く暑い夜」と「女たちときたら」を2曲分としてカウントするのはどうかという批判(誰がしてんだよ)、蝶の2曲のうち蝶ネクタイはどうなんだという意見(だから誰が言ってんだよ)も勘案して、2位はホタルになった。「蛍の河」「歩道橋の上で」どちらも不動の名曲であることからいいおさまりだ。3位がセミで、同率4位でみずすましと蝶が並ぶ結果となった。しかし接戦であり、まだ取りこぼしがあるかもしれないのでまだまだ油断できない。ってコレで緊張している人がいるのかよ。
 なおちなみに「時はサソリのように」のサソリは昆虫ではないそうだ。 

2022. 11. 3

あなたに捧げるベスト5
(10) 今日のお題 星よりひそかにベスト5 

 それでは作詞家チームはどんなもんだろうか?

@ガラスの言葉 (及川恒平)
 "ミルクウェイ"…ああ天の川。このギターの音色のひとつひとつがもう星の雫みたいだ。「元気です」のラストを輝かせる逸品。ついでにつま恋85の加藤和彦と石川鷹彦の二天王のアシストの映像を観たらもう滂沱の涙で…こりゃもう第1位。
Aステラ(松本明子)
 このサイトはテッテ的にこの曲を推す。"なんにも良いことないねと見上げた星が眩しい"、澄んだ歌詞と拓郎のメロディーのよりあいの美しさといったらない。最後に弾き語ってくれまいか。この埋もれし名曲に何か華をくれ。
B星の鈴(森雪之丞)
 "10階のテラスで暮らせたら星が掴める気がするなんて"…この歌を聴いた時に視界がサァッと開けたような感じがした。文字通り鈴がなった。拓郎、イケるじゃないかと思った。高層タワーマンション全盛の現代では10階はもはや低層界と言われるらしいが高けりゃいいってもんじゃない。「星が掴める10階」というモノサシにこだわりたい。
C 星降る夜の旅人は(岡本おさみ)
 拓郎はアウトテイクにしようと思ったというがしなくて良かったな。星に導かれるように旅する岡本おさみが永遠に刻まれたのだ。
D銀河系まで飛んでゆけ(喜多條忠)
 飛んでゆけ!ってココも銀河系だろうというツッコミを超えて愛される。"悲しみより遠くから届けられる星の煌めき" 梓みちよ、キャンディーズそれぞれにどちらもいい。身体が自然に揺れだすドラマチックなメロディがすんばらしい。

 次点は同じ喜多條忠作詞の「今夜は星空」(いしだあゆみ提供曲)の艶っぽさ、「ひとりぼっちの夜空に」(康珍化)胸キュンにも悩んだ。「まるで大理石のように」(松本隆)の"紫の空、星座は巡り 夢は西へと船を漕ぎ出す"…この部分の見事なフレーズにふるえる。ふるえながらも松本明子の下に松本隆を置く不孝を許し下さい。

 歌に勝負けや順位があるのもおかしい話だ。それでも言いたい。「星」をめぐる吉田拓郎作詞チームVS作詞家作詞チーム…吉田拓郎作詞チームの勝ち。すまんな。

2022. 11. 2

あなたに捧げるベスト5
(9) 今日のお題 星を求めてベスト5 

 吉田拓郎の「星」の歌がかなり多い。しかもおわかりのとおり粒よりの名曲揃いである。いくら一ファンのテキトーな好みとはいえベスト5を選ぶのは至難なことだ。なので「吉田拓郎作詞チーム」VS「作詞家作詞チーム」で分けてみる。今日は「吉田拓郎作詞チーム」のベスト5だ。

@流星
 両チーム合わせてもこの歌が第1位だと思う。無双。拓郎ファンの胸に輝くマークは流星、自慢のボーカルで敵を撃つ…そういう歌ではないが、存在感はそれくらいある。
A今夜も君をこの胸に
 "窓からあふれる星の数"…いいねぇ。かつてこの歌に文句を言った懺悔もこめて第2位。特に2019年オーラスが忘れられない。 この歌に送られて会場を出ながら歩くライブの帰り道の景色、たぶん死ぬ前の走馬灯で観そうだ(爆)。
Bロンサム・トラベリン・マン
 原題は「星降る街」という。トラベルミンという乗り物酔いの薬を思い出すので、原題の方が好きだ。そうさ男はというが、男だけでなく女だけでもなく老若男女すべての人類に捧げて欲しい名作。「ロンサム・トラベリン・マンカインド」でどうだ?>いみふ。
C我が良き友よ
 「おまえ今頃どの空の下で俺と同じあの星みつめて何を思う」…イイぞ。拓郎が喜多條忠に「"我が良き友よ"のこのフレーズは、おまえの"マキシーのために"から借りたからな」という話も好きだ。ちゃんとおことわりする拓郎が素敵だ。図らずもこの2曲に絆が出来る。「悲しみを抱えたままで夜空に輝くおまえの星を探すまで さようならマキシー」…いかん地下鉄の中で聴いてて泣きそうだ。
Dtogether
 星を仰いだり、夜空の星の景色の美しさを描いた歌は古今東西多いが。星からやって来て星に帰る、おまえのいる星に土産をもって遊びに行くからというこの壮大な星間移動の歌を歌えるのは拓郎しかいない。もうすごいのか、すごくないのかよくわかんないけど。おーい拓ちゃん、今どこにいるんだい。

 次点は"今夜も空には星がある 互いの命を見つめよう"の「運命のツイスト」、とにかく他にもいろいろあって悩ましい。

                     では明日にまた続く。

2022. 11. 1

 ということで12月14日、そして21日と拓郎ファンの年末の大きなマイルストーンが置かれた。その日までのスキマを埋めるためにベスト5は続く。くどいだろうか。
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 でもいいじゃないか。吉田拓郎のアウトロなんだぜ。気が済むまですりゃあいいさ。
あなたに捧げるベスト5
(8) 今日のお題 「月も今宵はなんだかいいね」ベスト5 
  秋は月がキレイだ。
    友よ君と街へ繰り出し  
    肩など組んで、ふと見上げれば 
    月も今宵はなんだかいいね
    なんだかいいね ああ ああ風の中

       (風の中・井上順提供曲 岡本おさみ作詞)
  ということで「月」が美しいベスト5だ。

@月夜のカヌー
 岡本おさみと吉田拓郎の最高傑作だ。少なくとも聴いているときはそう思う。昔から「花鳥風月」と言われるように月は鑑賞するものだが、その月夜の下で息をひそめてカヌーでひとり漕ぎ出す船出の歌だ。美しい叙景。美しいだけでなくなんか心がワクワクしてくるメロディーと歌唱。勝手ながら1位にさせていただいた。
A旅の宿
 「上弦の月」という風流をあまねくに広めてくれたのはこの歌だ。月など興味も縁もなかった私のような不粋の者でも、この歌のおかけで月を見上げ「おお上弦の月か」としみじみしたりする。ほんとは下弦の月だったりするんだけど(爆)。
Bto the moon
 厳しい現実の中で月を見上げる。何の解決にもならないが「ああ、それでも月は輝いて」これでいい。たぶんいいと思える。「月」は岡本おさみの独壇場だが、頑張れ石原信一。
C祭りのあと
 「臥待月が出るまでは」。拓郎が捨てようともこの歌は絶対捨てない。落ちてたらそのたびにちゃんと拾う。
Dとなりの町のお嬢さん
 「月夜の晩に誘われて大人になると決めたんだ」…なんかこの青さが泣ける。

 次点は「月の盃」(石川さゆり)。"空見上げれば 青々と 澄みわたる夜に 月の盃"…さすが阿久悠先生だ。メロディーもしっとりとしてイイ。しかし「長い髪は夜露に濡れて蒼い月が可愛い人のエクボの上で揺れてるよ」…こっちも素晴らしい。ということで吉田拓郎作詞の月夜の叙景を選ばせていただいた。

 月に届くほどもっと愛されたいなら 星に届けと愛すればいい…ということで、くどく、しつこくつづく。

2022. 10. 31

☆☆☆久しく待ちにし☆☆☆
"今はまだ人生を語らず"の完全復刻。12月21日、諸人こぞりて むかえまつれ。
最高傑作が廃盤という私たちの不幸がついに終わる。
 我が青春のTAKURO TOUR 1979(CONPLETE TAKURO TOUR 1979)も同期して完全復刻とな。

 ああ、生きていて、生きててよかったと。この復刻に向けて挑んでくださったすべての方々に心の底から御礼申し上げます。

2022. 10. 30

☆☆☆歌ってみた☆☆☆
 久々にカラオケに行った。"ショルダーバッグの秘密"を見つけて反射的にエントリーしてしまった。やはりメロディーや譜割りは難しかったが、歌ってみるとなんともいえない快感がある。詞の意味もあらためてよくわかった。気分よく歌った結果の採点は64点だった(爆)。そんな俺が言っても説得力ゼロだが、わが身体には、拓郎節の体感みたいなものがしみついている。ファンはみんなそうだろう。こんなにも拓郎節がいとおしい。調子にのって「ひとりgo to」、「ah-面白かった」、「雪さよなら」と機種に入ってた新曲は全部歌って、歌うたびに点数はどんどん下がっていった(涙爆)。ジャイアンか。
 しかし新曲はいいよな。新しいシャツをおろすみたいなウキウキした嬉しさがある。こんな気分を永らく忘れていた。「Contrast」があったら歌いながら泣いてた自信がある。ともかく新曲。聴いてよし、歌ってみてよし、そしてたぶん歌う姿を見てぞよし。

あなたに捧げるベスト5
(7) 今日のお題 「原宿だよおっ母さん」ベスト5 
 
 @ペニーレインでバーボン(1974)
 A風の街(1975)
 B街へ(1980)
 Cペニーレインへは行かない(1984)
 D雨の中で歌った(2022)


 これは順位というより時系列に並べただけだ。それだけで、原宿との蜜月、原宿と自分との間にできたスキマ、別れ、そして最後の回想という一連のドラマになる。その間、原宿を歩く女子高生の姿に胸を打たれて「流星」が生まれたというスピンオフも決して一曲だけではないだろう。
 聴き手にも「原宿」という特に私なんぞは殆ど縁もゆかりもない街が、こうして心の故郷のように生きてつづけている。
   おっ母さん、ここが原宿よ
   お祭りみたいににぎやかね
 確かにいつ行ってもお祭りだな。故郷は遠くにありて思うのが一番かもしれない。

2022. 10. 29

あなたに捧げるベスト5
(6) 今日のお題 「拓メシ!」ベスト5 
 
@隣の田中さんの奥さんのベーコンエッグ(加川良の手紙)
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A家を出る前の晩の泣き笑いしたお赤飯(制服)
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B暖簾をくぐってホッケ(この次はこの街で)
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Cバネの軋む喫茶店のトースト(君が好き)
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D屋台のおでん…おとうふ、ハンペン(ふゆがきた)
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※次点
・フライドポテト
・冷やしたぬき(うどん)
※選外
・下町にあるバーガーインのハンバーガー(狼のブルース)
→美味しいかもしれないけど治安が悪そう
・薄い味噌汁(東京の長く暑い夜)
→んー
・西瓜(夏休み)、甘いケーキ(この指とまれ)
→デザートだから

他にも歌の中の拓メシはあるだろうか?

{追記}
 おー「フキ」と「タケノコ」を忘れちゃんイカンぞ(爆)。ねーさん、ありがとうございます。これはいろんな意味で1位だよな。なんせ本人が一番好きと豪語しているのだ。

 「虹鱒」
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という意見も出た(爆)。いやダメでしょ。確かに塩焼きは大好きだけど「人はなんてひどい仕打ちするのだろうか」という歌そのままになってしまうので今回はご辞退いただいた。

「拓メシ!」[更新版]
 ということで更新順位は
@茎だけでなく葉っぱもとても美味しいフキ(フキの唄)
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A隣の田中さんの奥さんのベーコンエッグ(加川良の手紙)
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B家を出る前の晩の泣き笑いしたお赤飯(制服)
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C暖簾をくぐってホッケなどいいですね
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Dバネの軋む喫茶店のトースト(君が好き)
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 ということでベスト5生き残りをかけて喫茶店のトーストと屋台のおでんの戦いとなったが、拓郎ご本人が朝はパン派であり、正月も元旦からトーストだという事実から屋台のおでんが残念ながら涙を呑んだ。次回に挑んでほしい。って次回ねぇだろ。

2022. 10. 28

あなたに捧げるベスト5
(6) 今日のお題 「オイラ」ベスト5 
 私は自分のことを「オイラ」と言ったことがないし周囲にもオイラを使う人はいない。吉田拓郎がラジオやライブのMCで語る時に自分のことをオイラと言っているのも聴いたことがない。しかしなぜか吉田拓郎の歌ということになるとこの「オイラ」が頻発する。ということで「オイラ」ベスト5だ。

  @たどり着いたらいつも雨降り
  Aこの指とまれ
  Bおきざりにした悲しみは
  C人間なんて
  Dふざけんなよ


[解題] 
 @ところがオイラは何のために、やっとこれでオイラの旅も終わったのかと
 Aオイラあいつを見捨てたよ、オイラとにかく大ッ嫌いだね、オイラ気ままでいんじゃないか
 Bアイツが死んだときもオイラは飲んだくれてた
 C何かが欲しいオイラ それがなんだかはわからない、聞いてよオイラの話を
 Dオイラ話せない 誰にも話さない

 ちなみにDとほぼ同時期のE「俺が愛した馬鹿」の"都会は今日も霧の中、オイラの影は闇の中〜"が確認できた最後の「オイラ」のようである。但しライブでは2019年のラストツアーでも「この指とまれ」のオイラで燃えたのは記憶に新しい。とにかくどのオイラも結構攻めている。
 実生活で「オイラ」を使うと何かダサいし恥ずかしい。自分の場合は、昔、映画「猿の惑星」の吹替で猿たちがみんな「オイラ」と言っていたのが原因みたいだ。しかし拓郎の歌の中では違和感なくカッコイイ。どうやらこの世にはダサいオイラとカッコいいオイラがあるようだ。
 根拠のないテキトーな推論だが「石原裕次郎」あたりがカッコいいオイラの元祖なのではないか…とかねがね思っていた。石原裕次郎も普段「オイラ」なんて言いそうにないが、この人も歌になると思いつくだけでも「オイラにゃ、オイラの夢がある」(俺には俺の夢がある)、「オイラはドラマー、ヤクザなドラマー」(嵐を呼ぶ男)「オイラの背中に落ち葉がそそぐ」(男の横丁)〜と結構オイラっている。
 先日のLOVELOVEでも垣間見えたとおり吉田拓郎は裕次郎のオーラに憧れていたという。吉田拓郎は、たぶん石原裕次郎が発明した「カッコいいオイラ」を密かに継承したのではないかと思う。かくしてカッコいいオイラは歌の世界の中に生き続けているのだ。しかし拓郎リタイヤせんとする今、誰かが承継するのだろうか。次なる"オイラー"はいるのか、いるとしたら、それは誰だ。木村拓哉、菅田将暉、堂本兄弟、米津玄師…それは、それはオイラにもわからない。…案外あいみょんがサラっと使いそうな気がしない?

2022. 10. 27

あなたに捧げるベスト5
(4) 今日のお題 「白い冬」ベスト5 

  @雪さよなら
  A冬の雨
  Bありふれた街に雪が降る
  C外は白い雪の夜
  Dふゆがきた

[選評]
 第1位は「雪」≒「雪さよなら」。拓郎のラジオのおかげで、岩手の雪の中を女性ディレクターの後ろをついて歩く若き拓郎の姿とその叙景が目に浮かぶ。それにしてもデビューアルバムの中の1曲が、ラストアルバムでかくも美しく転生する。わたしたちが味わうことができた半世紀のドラマにも乾杯。
 第2位は「冬の雨」。凍てつくような冬の孤独感がしみる。「はるか大地をかけめぐる」という歌詞からきっと南極かアラスカに置き去りされたに違いない(爆)。それにしてもこのサウンドのカッコよさ。"雪の空を見上げると俺は白い風になる"…たまらん。
 第3位は「ありふれた街に雪が降る」…詞も愛らしいが、このメロディの美しさといったらない。チャーミングなボーカルもいい。雪降り詰む東京氷河期のような状況ながら、心はどこか温かくなってくる。
 第4位は「外は白い雪の夜」。冬のスタンダードとしてしっかり身体に刷り込まれている。雪が降ると原曲のあのバイオリンだかフィドルのメロディ―が頭の中で鳴り始める。とはいえこの歌のベタな男女関係が苦手だ。"シャワーを浴びたの悲しいでしょう"…って厳寒の雪の夜の出がけにシャワー浴びたらそら風邪ひくって。>そうじゃねぇよ。いつも男の影を踏んで歩く女性…どうなんだ。でも前記の「雪」「雪さよなら」は、女性のあとをついてゆく男性の歌なんだよ。面白い。ここが拓郎の歌のふり幅の広さというやつだ。
 第5位が混戦。「水無し川」…"冬将軍の足音がする"、"さらば冬枯れ痩せた畑よ"、"吹雪のあとに春の日差しが〜"ああ名作ばい。
 他方"もうじきに、もうじきに春がくるんですね"、"寒いポッケで二人の手、温めたのもお伽話ね…"という冬景色の「東京メルヘン」にも惹かれる。松本隆に偏りすぎなので岡本おさみはどうだ。果たして「襟裳岬」は"冬なのか、春なのか。"暖炉"、"温めあおう"、"寒い友達"という冬モードと"何もない春です"というもう春です宣言の間でよくわからない。
 結局"ふ〜ゆ〜がきた"を12回も連呼しているので「ふゆがきた」の勝ちとなった。どういう基準だよ。
 とにかく泣きたい気持ちで冬を超えてまいりましょう。

2022. 10. 26

あなたに捧げるベスト5
(3) 今日のお題 「秋の気配」ベスト5 

  @旅の宿
  A紅葉(島倉千代子提供曲)
  B冷たい雨が降っている
  C秋時雨
  D私と秋とタバコ(つげあきこ提供曲)

[選評]
 夏が過ぎて秋になるとコレまたしみじみといい曲が続くんだよ。もう拓ちゃん天才なんだから。
 第1位はベタと言われようとも「旅の宿」。ススキと上弦の月と熱燗と温泉という風情がしみる秋の情景。甲乙つけがたい名演奏のシングルバージョンとアルバム「元気です」バージョンの圧倒的双璧感。これをベタと思う人がいたとすれば、この歌が50年かけてこの景色が当たり前になるくらい日本のすみずみまで浸透させた結果である。
 第2位は「紅葉」。これも秋の王道だ。見渡せば紅葉、赤々と紅葉…そうだお千代さんを聴こう。繊細で可愛らしい秋の歌がここにある。fromTでデモテープを公開してくれたおかげでこの曲が蘇生した。 
 第3位「冷たい雨が降っている」が凄いのは「秋」の寂寥感を例えば枯葉とかお約束の秋アイテムではなく「海」によって描いたところだと思う。この「海辺の叙景」が胸にしみる。松本隆は「9月」を描かせたら天才である。俺と同じ9月生まれなのだろうと思って調べたら松本隆は7月生まれだった。
 第4位「秋時雨」…しみる。途中で花の名前をいっぱい並べるところがヤケクソみたいでいい。そこかよ。そこがいいんだよ。
 そして第5位は「つげあきこ」…すまん、誰なんだ。しかし貴重な吉田拓郎自身の作詞による秋の歌なので入選とした。"忘れた夏と一緒に次の季節がやってきて灰皿の中のタバコも消えました"…ちょっといい。

 さて5位に入らなかった名曲も多い。E「歌ってよ夕陽の歌を」〜あなたは夏を降りてゆく、私は秋に登ってゆく…いいねぇ。良子ねえさんの安定歌唱も素晴らしいし吉田拓郎の本人歌唱も絶品である。
 F「ハート通信」(アグネスチャン/石川ひとみ提供曲)…"あなたの嫌いな冬はもうすぐ""花瓶のコスモス"から秋と特定される。"ガラスに枯れ枝映したバスで私をブルーに染める青空"…切なく心冷える秋をなんでこんなにも上手く描きやがるのか松本隆。
 G「アン・ドゥ・トロワ」はデモテープをよく聴くと原詞が「秋という名のお酒に酔って」という歌詞であることから舞台は秋だ。もっともこの天才的に美しいメロディーがもうあますことなく秋だ。77年の秋、さよならキャンディーズの寂しさと重なる。
 ということで秋も拓郎におまかせだ。

※追記 アイドルに目がくらんで「都万の秋」を忘れておった(爆)。ご指摘感謝です。んーEかな?再審議中。

2022. 10. 25


 ※言うまでもないですが、このベストランキングは、勝手に個人が思いつきで書いているだけなので1ミリの権威も正当性の破片すらもありませんので日々ご放念ください。


あなたに捧げるベスト5
(2) 今日のお題 「夏なんです」ベスト5 

 @夏休み(元気です)
 Aああ青春(ライブ コンサート・イン・つま恋'75/TOUR1979volU「落陽」)
 Bいつも見ていたヒロシマ(アジアの片隅で)
 Cサマータイムブルースが聴こえる(シングル)
 D白いレースの日傘(月夜のカヌー)

[選評]
 吉田拓郎は夏の名曲の豪華詰め合わせのお中元みたいなものである。いみふ。その数だけでなく品目の豊富さが際立つ。拓郎の夏の歌たちには、失われつつある夏の原風景、恋と青春の思い出、平和への祈り、そして弾むような夏の冒険などなど夏のあらゆる風物が詰めあわせとなっている。その名作の中からベスト5を選ぶのは熱闘甲子園なみに熾烈な競争になる。

 とにもかくにも、わが心の日本の夏よ永遠なれ=ということで「夏休み」が不動の1位だ。これはもはや名曲を超えて唱歌のレベルだ。唱歌だとどう凄いのかわからないが(汗)、とにかく別格の殿堂入りだ。
 つづいては「ああ青春」…コレは夏の歌なのかよ?というツッコミもあろうが、この歌を聴いたすべての拓郎ファンは例外なくあの真夏のつま恋、篠島の炎天下の荒野が脳裏に広がるはずだ。そしてそれぞれの心に文字通り燃える陽炎が立ち上るのだ。「陽炎」って春の季語だったのね。ちょうどいい。このあたりで辞書を書き換えようではないか(爆)。
 夏の祈りといえば「いつも見ていたヒロシマ」。平和の切実さが胸にしみる名作だが、決して反戦・反核兵器を訴えるためだけの具にしてはならない。この歌にあるのは、たぶんもっともっと深い「夏休み」や「吉田町の唄」が描かんとする穏やかで豊かな人間の営みへの希望だと思う。
 そして夏といえば恋と青春である。「いつもチンチンに冷えたコーラがそこにあった」と「サマータイムブルースが聴こえる」あたりがベスト5に向けて競い合うが…ああ「夕立」のクリームソーダのカップルもいいな〜と迷う。しかしやはりご本人もステージで感無量となった「サマータイム」だろう。なお「夏が見えれば」は名曲だが、夏を待つ新緑の頃の歌なので今回入選対象から外れた。
 最後に激戦の末ベスト5に喰いこんだのは「白いレースの日傘」。すべからく夏は若さの象徴だが、この歌にはかつて若者で今やジジババとなってゆく私たちのための夏も用意されている。時が過ぎていくつになっても穏やかで清々しい夏はあるのだと歌ってくれているようだ。

 ということでベスト5ではトテモ収まらないな。ちなみに5位以下は、E蒼い夏(伽草子)、Fいつもチンチンに冷えたコーラがそこにあった(吉田町の唄)、G暑中見舞(伽草子)、H夕立(伽草子)、I聖少女(西城秀樹シングル)、Jサマーピープル(シングル)、Kせんこう花火(元気です)がほぼ横並びの僅差で混戦状態だ。

 どうだろうか? これまで夏はチューブだ、サザンだと信じて疑わなかった諸兄よ、自分の世界が狭すぎたと思い始めてはいないか?>いねぇよ、大きなお世話だよっ。
 …そうか。とにかくなにがなんでも夏は拓郎なのだ。いつだって私たちは拓郎の歌を抱えて暑い夏の盛り場を僕達ウキウキ歩くのだ。
 しかし来年の夏はもう拓郎にも会えないんだろうな。…この次の夏はもう会えないだろう…焼けつく陽射しを軽やかに駆け抜けるおまえは美しい…そうだ「うのひと夏by高杉」これも夏の歌だな。ああ、ギンギンギラギラ夏なんです。

2022. 10. 24

あなたに捧げるベスト5
(1)今日のお題 「春がいっぱい」ベスト5

 @春だったね(元気です/よしだたくろうLIVE73)
 A春を待つ手紙(シングル)
 B春を呼べU(無人島で)
 C春になれば(ぷらいべえと)
 D春よ、こい(月夜のカヌー)

[選評]
 吉田拓郎の春の歌は常に私たちと同期している。「春だったね」のイントロが鳴れば、たとえ12月のアラスカにいようとも、いつだってそこは心湧きたつ春なのだ。そして私は春が来ると拓郎の歌を思い出し、拓郎の歌を聴いて春を思う。まさしく不即不離というやつだ。
 明るく清々しく、そして時に悲しく切なく、それでもなんだかんだで希望をもって続いてゆく春の人生を歌う。それは決して詞においてだけでなく、ウキウキと弾みだすメロディーとサウンドもそれを体現している。そんな5曲がベスト5入り。
 惜しくも圏外となったが、太田裕美に提供した作詞:松本隆の得意技「卒業=女子=悲恋シリーズ」のE「花吹雪」。女子高生ではない私たちジジババ向けの郷愁(爆)F「沈丁花の香る道で」などの名曲が接戦だった。珍しいところでは杉田二郎に詞だけ提供した哀愁ある「春は寂しいネ」、コーヒーの美味い店というフレーズに驚いた(コーヒー飲めるようになったんすか?)「気がついたら春は」(MUCH BETTER)なども検討された。

 かくして吉田拓郎の春の歌は、時に私たちを燃え立たせ、時に私たちに寄り添い、そして時には遥かな世界に導くようにいつもそこにあったのだ。
   春よ、遠き春よ 瞼閉じればそこに
   愛をくれし君の懐かしき声がする
 …コレだ。まさしくコレなのよ。>いいのか?他人の歌でしめくくって。
 

2022. 10. 23

☆☆☆悲しみも喜びも遅れないうちに確かめろ☆☆☆
 …今は最後の、今は最後のひと〜つまえ。
 LOVELOVEあいしてるの時と違ってピンで歌う吉田拓郎が見られるということだ。あの立ち姿の一挙手一投足(2022年ver)が存分に見られるのだ。宣材の写真を観るだけでミゾミゾしてくる。このまま年が暮れて終わってしまうのかとあきらめていただけに嬉しい。それにリモートで制作されたあの曲たちが、生音で動き出したらどんな風に変容するのかも楽しみだ。
 そういうありがたや〜な気持ちとともに、観客のいないライブ・・・もっと率直に言うと自分が観られないライブの現出に…運命みたいに僕にも悲しみが湧いてきた。
 無観客でもいいからライブをやってくれよとずっと思ってきたが、いざこうして実現してしまうと、これが最後ということも手伝って心の底から寂しい、寂しいもんだね。
 しかし、これは拓郎への恨み事ではない。むしろこの困難かつ無念な状況で拓郎はよくここまでやってくれたと感謝しかない。嘘だ、文句も多少はあるが、感謝を覆すほどものではない。なのでこの悲しみには行き場がない。

 まさに「禍福はあざなえる縄の如し」。このサイトお得意の「向田邦子理論」だ。若き日の黒柳徹子が向田邦子に台本の台詞「禍福はあざなえる縄の如し」の意味を尋ねた。「人生という縄は幸せと悲しみがよりあって出来ている」という答えに対し無邪気な黒柳は「幸せだけで出来ている縄はないのかしら?」と問い返す。向田邦子はキッパリと答える。「ない。ないの。」
 もともとの語源は「禍によりて福となす」つまりは悲しみの中にもまた希望はあるという意味らしい。
  そういえば吉田さんもと歌っていた。

   悪い日がそうそう続くものか
       ※
   喜びがあれば天にも昇って、
   悲しみの時には打ちひしがれて
   待つときもあるさ
   急ぐときは走れ
   今日は空も曇り模様じゃないか 
           (「悲しい気持ちで」アルバム”大いなる人”所収)

 ということで粛々と12月14日を待ちたい。しかしただ待つのも何なのでまた走りながら待ちたいということで、しょうもない連載を明日から始める予定。

2022. 10. 22

☆☆☆サプライズ☆☆☆
 昨日「ビッグサプライズ ! ! AL「ah-面白かった」スタジオライブ DVD/Blu-ray発売」という衝撃のニュースが駆け巡った。…これだったのか。菅田将暉のお手製ジージャンを「撮影にちょうど良い」と喜び、ライブ73の「マークU」に「バンド編成はこういうのが良いとだけ言っておこう」と思わせぶりに口走り、そして先日の「声が枯れているが黙っていろとエイベックスから言われた」と意味深に口をつぐんだのはコレだったか。
 それにしてもビッグサプライズの言葉どおり驚いたものだ。
 スタジオLIVE映像作品『Live at WANGAN STUDIO 2022 -AL “ah-面白かった” Live Session-』
 このタイトルは93年の『TRAVELLIN’ MAN LIVE at NHK STUDIO 101』、2002年の『吉田拓郎 101st Live 02.10.30』を彷彿とさせるし、最近のラジオで「客席の反応あってこそのライブだ」という拓郎の言葉が頭にあったため「無観客」の文字を見落とした俺は、俺の知らない間にライブがあったことに深いショックと衝撃を受けた。せめて抽選応募くらいさせてくれよと天を仰いだ。
 雨畑もやさぐれた俺を慰めようと、きっと日ごろご愛顧いただいているファンが極秘裏に招待され、エイベックスから絶対にSNSなどで口外してはならないと鉄の緘口令が敷かれていたので話題にならなかったけれど、たぶん1万人くらいの観客がいたに違いない。とモロ憶測で陰謀論をぶち上げてくれた(爆)…って全然慰めてねぇだろ。もともと好かれているとは思わなかったが、ここまで嫌われていたとはね〜とトドメを刺してくれた。それが俺にとっての昨日のフライング・ビッグサプライズだった。それはいい。よくないけどいい。
 これはライブというより拓郎がかねてから望んでいた「豪華な一発録り」の実現なのか。それにブラス編成というとサウンドもCDとはアレンジがかなり違ってくるのか。それはそれでトテモ楽しみなことだ。「えー『慕情』かよ〜」と思ったりもしたが、とにかくすべては観てからだ。

 12月14日。とにかくこれが最後のひとつまえのたよりです。ひとつひとりじゃ寂しすぎる。これ上映会かなんかしようよ。小さな声で叫んだよ。

2022. 10. 20

☆☆☆さらば☆☆☆
 多数派に押しつぶされる少数派=アブレ者の様相をみるといつも"Life"が聴きたくなるが、昨日の私的ベストヒットは”夕陽は逃げ足が速いんだ”。

 いつかあなたと旅でも出来たら
 腹の立つことを二つずつあげて
 許せないヤツを記憶の中で
 ひとつずつ消してしまいたいね
 夕陽は逃げ足が速いんだ
 ※
 きっとこの世は俺達のような
 どこか変わったものには冷たい
 違った生き方ができるなら
 そんな話も昔はしてたね
 夕陽は逃げ足が速いんだ
 ※
 鬱屈したアブレ者的な詞と対照的に勢いのあるロックンロールの演奏が拠りあって、なんかどこまでもカッコイイぞ。"ロンリーストリートキャフェ"と並んで東京ドーム公演の白眉だと思う。

 そしてまた訃報だ。俺は「体操」という言葉を聞くと内村航平でもなく森末慎二でもなくまず仲本工事が思い浮かぶ。俺たちの時代の全国の小学生が、体育の時間に跳び箱やマット運動の技がキマルとガッツポーズをしていたのはたぶん間違いなく仲本工事の影響だ。
 拓郎がLOVELOVEで慣れないテレビでの司会を始めた同じころ、テレビ東京の日曜深夜の地味な番組”ザ・スターボウリング”の司会を仲本工事が務めていた。どちらもテレビの司会が不慣れでぎこちなくて観ている方が手に汗を握った。本当は二人とも面白いんだから、頑張って本領発揮してくれよと祈りながら観ていた。
 心の底からご冥福をお祈りします。クレイジーキャッツの面々が亡くなられたときも悲しかったけれど、さすがにドリフは悲しいを超えて何かこたえるな。

 交通事故。残念すぎる。運転者も含めていろんな事情があり軽々しく言えないが、これから高齢化してゆく私たち、過信はすまい。信号と交通ルールはバカ正直に守ろう、無理はすまい。とにかく過ぎ去る者たちよ、そんなに急ぐな。

2022. 10. 19

☆☆☆こういう日はLifeを聴く☆☆☆
 拓郎リタイアのあと俺はどうするか…とか我ながらまったく何様か。ただの一般Pの拓バカの俺だ。拓郎なくしてお前に何が残る。何にも残りゃしねぇよ。しょうもない拓郎ファンとして最後はドブの中でも前のめりになって死んでいたい。あれ?どっかで聞いたぞ。いいじゃないか…は,さらばのB面。

 いいじゃないかと言えない話もある。かつてジョン・レノンが亡くなった時、文字どおり世界中が慟哭した。偉大なミュージシャンを失ったことを嘆く中で、拓郎は「結局、アブレ者は社会から抹殺されるんだ」と悔し泣きしていたのが忘れられない。本当にそうだと今朝テレビを観ながらあらためて思った。

2022. 10. 18

☆☆☆君は風の中に立ってる☆☆☆
 武田鉄矢は、高校生の時に読んだ司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に衝撃を受けて龍馬狂の人生を歩み始める。何十年か経って、武田鉄矢は念願の師である司馬遼太郎に会うことがかなう。興奮して龍馬についての思いのたけをぶつける武田に司馬遼太郎は静かに言ったそうだ。「アンタなぁ、いつまでも龍馬、龍馬じゃおまへんで」。
 当時このエピソードを聴いた俺は申し訳ないが嗤っていた。そもそも政治家や実業家でワタシも坂本龍馬のように生きたいと公言するような人にはウサンクサイ人が多いと感じていたし(あくまで個人の感想です)。
 しかし今になって、これから「紀の善」もなく「吉田拓郎」もいない世界を生きていかなくてはならなくなると、武田鉄矢のことは笑い事でもなければ他人事でもない。君たちはどう生きるか、俺はどこへ行こう、君はどこへ行くという岐路に立っているような気がしてくる。

2022. 10. 17

☆☆☆それでも消えていくもの☆☆☆
 神楽坂を去って半年、あの甘味処「紀の善」の閉店の知らせに驚いた。江戸時代あたりから余裕で続いてきたはずの名店だ。先日のラジオで拓郎が憧れの人だと語っていた加賀まりこの行きつけのお店でもあった。そうだ「細うで繁盛記」の富士真奈美もご愛顧らしい。どちらも一度もお店でお会いできなかった。
 私は”あんみつ”はそんなに好きではないので、もっぱら自分の落度で迷惑をかけたとき、逆にちょっとウマく行った時、仕事場のスタッフの方々に捧げるためのものだった。
 それよりもっと昔、やさぐれた浪人時代の勉強会だったか、お正月の夜でどこも店は閉まっておりコンビニもなく、切ない気分でいたとき、お世話になっていたN先生が唯一開いていた「紀の善」で買ってきてくれたお赤飯弁当の味が忘れられない。
 
 私が神楽坂を去る日までいつも店前には小豆をゆでる匂いがしていた。悠久の流れの中で小豆との対話が繰り返されてきたに違いない。まさか閉店なんて。長い間ありがとうございました。
 小豆のことを考えながら"ステラ"を聴く。胸にしみる空の輝き。こればい。でも歌ってくれと言ったところで天邪鬼だからきっと歌うまい。http://tylife.jp/uramado/stella.html

2022. 10. 16

☆☆☆我が心のシノラー☆☆☆
 篠原ともえのことをあんまりちゃんと考えたことがなかったので思い込みで想像してみる。
 自分より30歳以上も年上で、しかも自分のことを嫌っている怖くてムズカシイ男と仕事をしなくてはならない少女。男は仕事関係者も容赦なく怒鳴りつけ、彼女には男がなんでそんなに怒っているかすらもわからない。男の視界に極力はいらないように楽屋もないまま、それでも彼女は、なぜ男が怒っているかをずっと考え続けた。卑屈にならずに、いつか男が心を開いてくれるはずだという明るさを持って時間を積み重ねてゆく。
 やがて、男は誰よりもミュージシャンと音楽を愛し、良い音楽をテレビの向こう側に届けるためのゼロからの環境作りに奮闘していたことを理解する。男のおかけですべての音楽番組のクオリティが変わった。何十年か経ってそんな変化が当たり前になっても、彼女は、男の偉業の素晴らしさを敬意とともに忘れずにいる。

 自分の書いた詞を男から容赦なくダメ出しされる。でも彼女は腐ったりせずに「豊かさがたりない。人の心は小さな出来事で変わる。お前の体験した喜びを書き綴れ。」という男の言葉を真摯に受け止めて格闘する。最後に男は、その詞を褒めてくれ、今も子守歌に聴いていると言ってくれた。

 そして彼女が自分の人生に迷える時、その男のさりげない言葉を大切に胸に刻む。「アイデアはおまえひとりのものではなく、すべての人に捧げるものだ」。彼女に本当のチャンスが来た時「これだ。今がその捧げる時だ。」とかつて胸に刻んだ言葉を思い起こす。

 やがて時間が経ってリタイヤしようとする男から最後の大切な仕事を彼女に任せたいと声がかかる。…向田邦子の小説を読んでいるような気分になった。
 彼女のことが好きか嫌いか、また後にデザイナーとして成功したかどうか、さほど重要なことではない。男のことを信じて、その言葉を素直に受け止めて、自分の中で大切に問い続けた彼女の心根こそが尊い。ああ、こういうファンでありたかったと・・・無理だけど思ったよ。

2022. 10. 15

オールナイトニッポンゴールド  第31回 2022.10.14
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 こんばんは吉田拓郎です。毎週金曜日は週替わりのパーソナリティでお送りしていますが、今週は吉田拓郎がお送りします。
 声が枯れている。黙ってろとエイベックスから言われている。今日を含めてあと三回でいよいよラジオからの卒業。ゲストは今回がラスト。来月、再来月と冨山といろいろ相談したが、金銭的なものもあり諸事情により(笑)、バンドを呼んでセッションで生演奏とかやってみようと思っていましたが無くなりました(笑)。
 ギター一本の弾き語りは気持ちがノらないけど、最後だから何曲か歌ってみようか。そいう気持ちになったら。これは本人次第です。12月はラストで、これにて卒業ということで、ラジオとのながーいお付き合いが終わる。
 いろんな番組をやって、中井美穂さんと(アスリートな女たち)女子スポーツ選手を呼んで話す番組もアッと言う間に終わりましたし、堀越のりさんとお台場でやった番組も1年間続かなかった。
 ラジオも卒業ということで、長い付き合いの中で、聴いたこともない音源を1〜3曲くらい持ってこようと思っている。楽しくやるのが好きだったし、特にその場で考えやってみるのが好きだった。そして最終的には12月卒業でah-面白かったといいながら卒業したい。
 今日は篠原ともえがゲストで、「おーいコラ篠原」とか「アイツ」とか言ってたけど  緊張するようになった(笑)。どうして素敵な女性になってしまったんだろう。

(吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド)

<篠原さんのデザイナーのキッカケ拓郎さんという投書>
  僕がキッカケではない。篠原さんも勘違いしている。Kinkiとかみんなで酒飲んでいた時に「うるせーなバカ、歌とかやめたらデザインもやれ」と酔った勢いで言ったかもしれないだけで話が大袈裟になっている

 今年アルバムのデザインを頼んだが、篠原の才能は認めていたので、アナログアルバムのデザインを彼女に頼もうと決めていた。モデルが欲しいな、自分がモデルでもいいけど、チャーミングモデルが欲しいなということで奈緒ちゃんに出逢う。ということで奈緒さんに頼んだ。
 若い40代の篠原と20代の奈緒に大いなる刺激を受けて、彼女たちに恥をかかせてはいけない、喜んで貰える歌作りをしようと思った。そこであいみょんの詞の世界に入り込んでしまった。表現の仕方がなんて楽しいんだろう、正直で等身大な感覚だろうと詞の作り方も影響を受けた。
 ウチの佳代さんの影響も大きい。ウチでは天照愛子と呼んでいる(笑)。ウチは天岩戸とこのマンションのことをいわれている。一歩も出ないから。
 女性たちからいろんな刺激を受けて、教えて貰って素敵なアルバムが出来た。篠原さん、奈緒さん、あいみょんさん、佳代さん、いいなぁ女の人たち。勉強になるな。今日は篠原ともえ、いや「ともえさん」がいらっしゃいますので懐かしの「全部抱きしめて」

M-1  全部抱きしめて    吉田拓郎&LOVELOVE ALL STARS

※ここからは部分的な抄録です。気になったとこしか記録していません。

(篠原)
 “LOVELOVEあいしてる”の収録の後で、光一くんとメールをやりとりして、最後にKinkiから拓郎さんに花束を渡して、もう何とも言えない 静か〜で華やかで感動な時間が体感としては10分くらいは続いた 時が止まったような美しい時間 誰も何も声を出さずに 花束受け取った拓郎さん静かに見守ると言う時間があった。あの時の時間が素敵だったね。光一くんは僕は「あのときの拓郎さんの表情を一生忘れない」と書いてあった。

(拓郎)
 ハワイのワイキキのモアナサーフライダーホテルの海辺のバーでみんなが飲んでいるとき、篠原ともえが、ひとりビーチでもの想いに耽っていた。
(篠原)
 星を観ていたんです。子どもの頃から星が大好きで、ハワイまで行ったら星を観なきゃと言うことで眺めていた。そしたら剛くんに見つかってなに黄昏てんねん。
(拓郎)
 俺もそこに行ったし光一も行った。ビーチで4〜5人に並んで足をつけて俺があっちが日本だといいながら。
(篠原)
 青春でしたね
(拓郎)
 あそこから個人的にはKinkiと篠原と打ち解けられた。それまでは固かった。
(篠原)
 一番に篠原に会った時のこと憶えていますか
(拓郎)
 憶えていない
(篠原)
 拓郎さん結構自分に都合よく忘れるんですよ(笑)
 LOVELOVEが始まる前に特番があって、こういう番組が始まりますっていうことでスタジオだったかにご挨拶に行ったんですよ。そしたら拓郎さんは目もあわさず走って逃げて行ってエレベーターに乗り込んで、篠原どうぞよろしく〜と言ってる私にドアがガシャーンと閉まって、取れ高が1分くらいで。無視されちゃいました〜と言ってたら、スタッフが「これどうなっちゃうんだ」という空気になって菊地Pとか「ホントに怒らせちゃったかな」と。それが一番最初。それは憶えておいて(笑)
(拓郎)
 あの時から辞表を書こうと思っていた。この番組は無理だ。安室奈美恵とかスピードとか話もわからなくて。

(拓郎)
 それがハワイに行ってから、この子たち気持ちいいなと映るようになって。
(篠原)
 ピュアでしたもん。光一くんたちとも話たけれど、自分たちも夢中だった。でもみんな拓郎さんのことが大好きだったし、いつか心開いてくれると思っていた。自分たちも必死でこの番組を務めたいと思っていたから、いつか心を開いてくれと思っていた。
(拓郎)
 毎回TMC のスタジオの前で菊地プロデューサーが逃げないように待っていた
(篠原)
 ハワイで心を開いてくれるその前「拓郎さんの視界になるべく入らないように行動しようね」と言われていて(笑)。拓郎さんはミュージシャンだから音楽に集中しているからといわれた。リハーサルの時、真ん中に拓郎さんがいて、後ろにコーラスで篠原がいた。
 拓郎さんは音作りをしっかりされていて、拓郎さんとミュージシャンの楽屋とは別に椅子置き場があって、「篠原はこっち」と言われて(笑)。拓郎さんが前を向いているときに、後ろからばれないように、あのカッコで目立たないのは難しかったけれど、視界に入らないように行動していた。
 ある日、椅子置き場にいたら、拓郎さんが「あれ?篠原は?楽屋に呼んでこい」と言ってくれて「いるとうるさいけどいないと寂しいんだよね」・・・愛ですね(笑)。やっと楽屋の門をくぐるのに1年くらいかかった。
(拓郎)
 当時50歳だったでしょ、キツかった。公開放送で、Kinkiのファンの高校生中学生の前でひな壇にあげられて。

 最初は菊池プロデューサーが、まだKinkiKidsはデビュー前だったけれども、いずれ手デビューして大ヒットする。そういう運命を彼らは持っている。そのとき拓郎さんがそこにいることで、何かがある、それには自信があると言われて。

 僕達の世代では、エド・サリバンショーという番組があって、ビートルズとかプレスリーと大スターの登竜門があった、エド・サリバンというおじさんが紹介するとアメリカじゅうに、認知されることがあった。エド・サリバンショーをやりたいといっていた。菊地は「わかりました、時間をかけて近づけます」と言っていたけれど大嘘だった。トークバラエティだった。
(篠原)
 実は音的にはエド・サリバンショーだったじゃないですか。拓郎さんが最初にスタジオで仕上げていったのは、それまでの音楽番組は、カラオケで生演奏のための音の機材も揃ってなくて、それでリハーサルの時、拓郎さんが大怒鳴りして。「なんだこのスピーカはどうしてPA がスタジオ側とテレビ側にないんだ」と当時は怒っている意味もわからなくて(笑)
 最初の時にすごく怒っていた。リハの他に会議もあって。その次の回からとんでもない豪華なセットになった。足元スピーカーといわれている、今はイヤホンだけど、「かえし」がライブのようにないとダメだということで、昨今の音楽番組に不可欠の「かえし」を取り入れた。FNS歌謡祭とかのクオリティの根本を変えたのはLOVELOVEがはじまりだった。
 とにかく拓郎さんが怒ってて怖かった。「拓郎さん怒ってますぅ」、「篠原今は行っちゃダメ」(笑)。
(拓郎)
 よくカミナリを落としていた。これでは音楽番組とはいえない。せっかく俺が関わったんだから音楽クオリティあげよう。こんだけのミュージシャンが揃っているんだ、こんな貧弱な音でどうすんだ。
 音を録るだけでなく、それをエンジニアがミキシングしてトラックダウンしろ、今風の音をつくれと言った。放送局のエンジニアでそういうのに慣れていなかった。 2か4かせいぜい8チャンネルしか扱っていない。
 しかしミュージシャンひとりひとつのトラックとしたら、16とか32チャンネルが必要だし、ミックスダウンをやっていなかったので武部とか吉田建にトラックダウンをやらせた。
(篠原)
 そういうことは一生懸命でリハーサルで拓郎さんは疲れ果てていて番組自体はちゃらけていて(笑)。リハーサルが2時間くらい押したこともあって、Kinkiの時間も限られていて、そんな中で、よく完成して届けられたなと思う。
(拓郎)
 音楽を一生懸命やることで、それにはたくさんのひとの協力必要だとわかってきてスタッフも打ち解けてきて、最後はなんも言わなくてもできるようになった。  
(篠原)
 あのときはエンジニア、音響の人に馬鹿野郎と怒っていた。しかしただ怒っているではなく、説得力があった。「いい音楽を世の中に届けるべきだ僕らは」ということでそこからの巻き返しが凄かった。チームや音響も増えて。こないだの最終回は音響さんがスタッフみんな同じチームで感動した。ADの方も偉くなっていて。

(篠原)
 デビューしてから自分で衣装とかデザインしてスタイリングしていた。小学生の頃からデザイン画を一杯描いて、中学で母が洋裁が好きだっので自分でも洋服を作っていた。いつかデザイナーになりたいと思っていた。そこで文化服装学院とかにも通った。自分のライブの衣装とかグッズをデザインするのは楽しかったけれど、誰かに提供することはできるのか、やりたいけどできるのかなと悩んでいたのが20代のときだった。

 あるとき拓郎さんが「篠原は、この洋服を自分でデザインしてるんでしょ、面白いからデザイナーになれよ」と言ってくれた。背中を押してくれたんだけど、拓郎さんは、この名言を憶えていない(笑)。
(拓郎)
 お酒飲んでいるときに、篠原の歌とか…「地下鉄にのって」とかをカバーしてたんだけど凄い酷かったのでこれ売れないよ、歌なんてやめたほうがいいとは思ってはいたけれど(笑)
(篠原)
 その場にKinkiとか高見澤さんいたけど憶えているわけがない。びっくりしたんです。デザインなんかできるんでしょうかと言ったら拓郎さんが、
 「違う。自分の持っているアイデアはみんなに配るものなんだ。僕が曲を作っていろんな人に楽曲提供したように 篠原のアイデアは独り占めではなくて いろんな人に届けてあげなきゃだめだよ。それが君のすることだよ」と拓郎さんが熱っぽく語っていた
 2013年に松任谷正隆さんかからユーミンの衣装やってみないかとお話が合った時、拓郎さんの言葉がよぎって「これだ。捧げる時が来た」
拓郎さんと正隆さんが一致した。一番最初に拓郎さんに連絡した、そしたら拓郎さんは
「ユーミンのために君のすべてのアイデアを捧げなさい」
 正隆さんが最初にレコーディングしたのは「人間なんて」という不思議なつながり。
(拓郎)
 つながったね。松任谷は篠原とは無縁な人、僕は松任谷とはデビューから付き合っていたし、松任谷がユーミンの衣装のアイデアを出したわけだけど松任谷そういうセンスない
「なんで松任谷は篠原に頼んだの?」と尋ねたけれどラジオ番組に出た時に感じたというけど、マンタってそういうセンスあったんだっけと思った。繋がったね。不思議だね。

M-2 僕の大好きな場所

(篠原)
いい歌。
(拓郎)
 篠原の歌詞がすごくいい、だからいいメロディがついてる。今でもiPodで練る前に聴いている子守歌。
(篠原)
 拓郎さんからこの子守歌の歌詞にメチャクチャ、ダメ出ししたのを憶えていますか
(拓郎)
 憶えてません
(篠原)
 拓郎さんがメチャメチャにダメ出しして生まれた詞。ちなみに拓郎さんの曲先なの。私の詞がすばらしくて拓郎さんが曲をつけたのではなくて。
(拓郎)
 そうなの? 曲を渡してそこに詞をハメたの?
(篠原)
 拓郎さんの詞のダメ出しあって生まれたの。大好きな高木ブーさんに唄を作るから、この曲に篠原が詞をつけろといわれた。それで二人の共通のハワイというところで、海がキレイだな〜空が青いな〜というなんてことはない詞をつけて、拓郎さんにどうですか?と言ったら「なんだこれ!全然豊かじゃない」と言われた。
 「人生はもっと海とか空とか広く豊かなものなんだ、小さな出来事で人の心は変わるんだ。いろんな出来事を入れて聴く人を幸せをするような、みんながハワイに行きたくなるような歌詞ができるはずだ。」 
 そう言われて、砂浜に着く手紙とか、拓郎さんが出来事を入れるようにということに従って、例えばハワイの南の星をみんなで観たな〜とか「体験と喜びを入れなさい」と言われたとおりに書いたら「いいじゃないか」と拓郎さんが言ってくれて広がった歌詞。拓郎さんがディレクションしてくれたんです
(拓郎)
 記憶にない。
(篠原)
 拓郎さんに言われてから降ってきた歌詞。拓郎さんに言われてお手紙のように書いていこうと書いたら拓郎さんが喜んでくれた。高木ブーさんに拓郎さんとのコラボの思い出の曲なんですがいかがですか?言ったら「歌いにくい〜」(笑)。膝を叩いて雷サマのあの感じで話していた。韻をふんでるので一番と二番が混じってしまうとかいうことで歌詞を観ながら歌っておられました。

(篠原)
 「Sayonaraあいしてる」カメラさんもいづみちゃんも泣いていた。
 最後Forever Loveのコーラスのメロディは、拓郎さんが当日に思いついて指示された。それまでさんざんリハーサルして、本番はこのままこれで行こうねといっていたのが、急に当日「それは無し」になって。あわてて憶えたのだけど、そのメロディーがなんと美しいこと。それを歌っているときの感動的な心の動きが本当に耐えきれなくて。このメロディ凄いねと言っていて、これが涙を誘った。

 ゴスペル風にしたいと剛くんが言って、拓郎さんが最後に僕が本番でフェイクをいれる。シャウトを本番だけやるって言って。あれ良かったですよ。収録終わったあとみんなステージで話していて、花束を渡してグッときた時間・・・体感としては長かった。

(篠原)
 佳代さんから拓郎さん宛ての間違えてメールが来た。
 「ねぇタッチン何してる?今日も愛してる」

(篠原)
「奈緒はな、きれいなんだよ。かわいいんだわ。」もう女優大好きなんだから。
Togetherでも、おーい、しのはらとおーい、なおちゃんの掛け声が全然違う。奈緒ちゃんはネコナデ声。

M-3   Together    吉田拓郎

(拓郎)
 今年は篠原といっぱい会って楽しかったな。コロナとかいろいろ落ち込むこともあったしストレスもあつたけれど、篠原と話せて楽しかった。篠原が偉大なる変貌を遂げて、素敵な女の人に成長したことは大きな出来事だった。LOVE2に感謝しつつ、年が空けたらまた光一や剛に声をかけてごはんとか行きましょう。
(篠原)
 人生を変えてくれたのは拓郎さんと池澤さん。今年はものづくりができたことが嬉しかった。
(拓郎)
 ありがとうございました。また年明けに逢いましょう。


〇エンディング
 人生はやってみないとわからない。こうしたいとか夢とか希望とか目標とかあったとしても、やってみないとわからない。

 後期高齢者で若い時にどんなこと考えていたかは定かではない。しかし若い時に思ったとおりにはなってはいないけど、自分なりにああ面白かったなと思っている。音楽的には楽しい生活だった。20代はこうなるとは思わなかった。
 Don’t trust over 30と言われていたし、30歳になったら広島へ帰ろう思ったこともあった。広島でお茶の先生しようと。結局70歳すぎまでギター弾いていた。やってみないとわからない。

 来月と再来月。弾き語りは、あなたがたの好きな「祭りのあと」とか岡本おさみの曲とかそういうのはぜったいやんないからね(笑)。

 提供曲で、木之内みどりの「東京メルヘン」研ナオコの「六本木レイン」、加藤紀子の「ふゆがきた」おでんが出てくる。
 松平純子の「両国橋」、いしだあゆみの「今夜は星空」馬飼野君がアレンジしてくれた。富田靖子の「恋かくれんぼ」テレサ野田「ラブカンバセーション」ディミニッシュ
…不評だろうな。

 今日最後の曲は、ジェイム・スブラウン・・・僕も会いたかった。バンド時代によく演奏したものだ。睦月が好きだっんだけどカッティングが大変で(実演)。

M-4 パパのニューバッグ   ジェイム・スブラウン

次回は11月11日


☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆声はやや枯れているのかもしれないけど、活舌は良く、言葉に熱量がある。ああ、エイベックス、もしかしてなんかを用意してくれているのか。いずれにしてもあと3回で終わるのがもったいない。

☆篠原ともえ、なんとクレバーな人なのか。あんな感じだったから、あんな感じなんだろう思っていたけれど、実によくわが身とその周囲を見つめていたのだなと感心した。そのおかけで拓郎ファンにとっても貴重な話を聴くことができた。「誠実に作り上げて、それをあますところなく世界に捧げる」…篠原はそういうクリエイターとしての拓郎の素晴らしさをキチンと見つめ、自分の中でも内省している。そこだ。

☆LOVELOVEでの吉田拓郎の音楽的貢献と功績はキチンと誰かが語り継いでほしい大切なところだった。

☆「僕の大好きな場所」…メロ先なのか。Uramadoでは「この詞は果たして当時十代だったシノラーに書けたのだろうか。酸いも甘いも経験した老成感が、随所に覗く。かなり拓郎が手を入れたのではないか。」と邪推していたが、やはり事実は数段ドラマチックだ。
 「小さな出来事で人の心は変わるんだ。いろんな出来事を入れて聴く人を幸せをするような歌詞を」…こんな話、する方もする方だが、憶えている方も憶えている方で、よくぞ記憶の彼方に霧散しなくて良かった。

☆こんな話は不粋だと思うけれど賭けてもイイ。拓郎は自分が篠原にデザインの道を勧めたことを忘れていない。そもそも憶えているとか、忘れているとかいう問題ではなく、当時から篠原に対してそのくらい深く心を砕いていたことに間違いない。あえて忘れたふりをして「恩人」の痕跡とか「恩着せ」のようなネタが残らないように配慮しているのだと思う。そこが拓郎の奥ゆかしい魅力なのだ…と思う。

☆佳代さんの誤爆が凄すぎて、いいのか夫婦のそんなものを覗いてしまって(爆)。

☆昔、出待ちしていたら、たぶん小室マネージャーに「みなさん拓郎さんの視界に入らないようにしてください」といきなり注意を受けて、地面に伏したり物陰に隠れたのを思い出した。

☆セッション中止は残念だが、女性提供曲集とは望むところだ。年内ですべてがシャットアウトではなく、その先にもなんか明かりのようなものが見え始めているような気がするが、どうなんだ。

2022. 10. 14

☆☆☆両極の歌姫☆☆☆
 ということでここのところ図らずも50周年のユーミンに敬意を払ってきたが、今は中島みゆきの新曲が気になって仕方がない(爆)。ドラマの主題歌なので、本編を吹っ飛ばしながら、ああ〜大竹しのぶだ、ヤスケン好きだぁ〜、確かイケメンのサッカー選手と結婚した高梨臨はひさしぶりだぁ〜みんなすまんね〜という感じで早送りして最後の主題歌から聴いた。そういえば昔"心の破片"をこんなふうに聴いたな。
 セリフと被るので聴き取りにくい。後でねーさんに確認したらかなりの空耳状態だったが、それでもやっぱり中島みゆきは最高だぜ。おい。タイトルも「倶に<ともに>」。たまらん。
  ♪倶に<ともに>走り出そう 倶に<ともに>走り継ごう
 …「走り継ごう」ですぜ。

2022. 10. 13

☆☆☆わが心のアイランド☆☆☆
 NHKの朝ドラはもういいやと思っていたけれど、今期もたまたま観たらクギ付けになってしまった。そうだった。俺も6歳と7歳の時、まるまるふた夏、たぶん当時のオトナの事情で、長崎県の五島に預けられたことがあったのを思い出した。ドラマの舞台はオラが島とは違うけどご近所だ。ドラマの主役の健気な女の子を観ていたら、なんか俺も島に馴染めずに苦労した健気な少年だったような気がしてきて自分が可哀そうになった(笑)。
 いわゆる隠れキリシタンの末裔の島だったのだが、その後、吉田拓郎のファンだとなかなか周囲に公言できず密かなファン活を続けて来たのって何か似てね?>似てねぇよ
 でも船の発着にはユーミンが流れるんだよその島。あらら、ここでも50周年おめでとうございます。
 とはいえこの朝ドラは前川清。なんかリアル。こんなおじさんばっかだった気がする。

2022. 10. 12

☆☆☆ミノルホドコウベヲタレルイナホカナ☆☆☆
 2022年、秋。たとえば武部・鳥山・松任谷・鈴木茂らの姿をテレビ等で見かけて…見慣れた姿に心を寄せるとそれはヨソ様の祝宴だったりするわけで、それはそれで50周年おめでとうございますと心の底から思うのだが…かくして私たちの「秋冬」はどうなるのだろうか。このままあと3回のラジオをマイルストーンにそれぞれが静かに「収活」してゆくことになるのか。それとも、もうひと花、何かあるのか。どっちにしても、変わらない、変わりようがない。これからの日々も最後まで一緒にさまよっていきましょう。

2022. 10. 11

☆☆☆マイ・ブロークン・何か☆☆☆
 仕事を始めたものの疲労感が抜けない。コロナのせいか、いや前からこんな感じだった気もする。とにかく職場に同情ムードが漂っていたので早めに失礼した。とはいえ街へ出てブラブラするほど元気もない、何もすることがないなんて。
 空いているのを確認してから懸案だった映画を観た。
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 原作漫画が素晴らしすぎたので、映画はやさぐれた怨念が足りない気もしたが、イイ感じの小品にまとまっていた。すっかりわたしたちの親戚の娘になってしまったかのような「奈緒」がマリコを熱演している。いいな。あ、主演は永野芽郁です。先輩ご推奨の「ファーストペンギン」も面白かった(フォーライフとは恐れ入りました)。第1話の最後のキレ芸、アル・パチーノみたいだった(爆)。
 この映画でも奈緒はちゃんとブロークン・マリコだった。その役柄にきれいに染まるよね。ホラ、演ずる前からアタシ女優だからという臭みがない。それは彼女にとって得なのか損なのかわかんないけれど。応援しとうけんね。
 「もういない人に会うには自分が生きてるしかないんじゃないでしょうか」
…いいねぇ。映画も原作もここがイイ。そうだね。

2022. 10. 10

☆☆☆祝・松任谷家・荒井家☆☆☆
 ふと気がつくと世間と周囲は見渡す限りの"ユーミン"だ。拓郎のことばかり考えていたら、どうやらあげての松任谷・荒井家大祝祭の中に紛れ込んでしまっているらしいわい。もちろん心の底からおめでとうございます。こちらにも波及するような何かが起きてくれないか…期待はすまい。

2022. 10. 9

☆☆☆元始拓郎は☆☆☆
 ラジオの再編集版を聴いた。「品格」どころではなく「元始の太陽」と「中原中也」までも絡んできたぞなもし。柴門ふみさんの「吉田拓郎=中原中也説」を是非とも聴かせていただきたいな。
 この対談は、7月28日の収録だったのだな。松任谷正隆よ、あれから3か月…そろそろボーカリストが必要になっていないだろうか? 曲を書いてくれる人が必要なのではないか? はっ。もしかしたら今日のこの番組再オンエア自体が何かの前哨なのだろうか。

※柴門さんの手紙は素敵でした。聴き取ることができた限りで勝手ながら起こしてみるとこんな感じです。
{2022.10/9(日)TOKYO FMサンデースペシャル「吉田拓郎が松任谷正隆と話したかった音楽のこと」より}

拝啓 吉田拓郎さま

 平塚らいてうの有名な言葉に「元始女性は太陽だった」がありますが、50年の拓郎ファンだった私はあえて申し上げます。

     「元始拓郎は太陽だった」

 1970年、14歳だった私は四国の田舎の女子中学生にしてはおませで、大阪のラジオ局から流られてくる拓郎さまの楽曲の歌詞にのめり込んでおりました。以来歌詞にホワイトジーンズがあれば買いに行き、ひとつのリンゴをふたつに切るという言葉に触発されリンゴをまる齧りしてみたり。
 テレビには殆ど出演されませんでしたが、音楽雑誌に掲載された拓郎さまの笑顔に「太陽みたいだ」と私は恋をしておりました。

 もうすこし年月が経って冷静にわが身を振り返ると、当時拓郎さまが最もウンザリしていた音楽の何もわからないミーハー女子の代表だったように思います。けれどミーハーまで巻き込んで日本中に熱狂をもたらしたのは拓郎さまが太陽であったがゆえです。
 それと吉田拓郎=中原中也説というのが私の中にあるのですが…長くなるので割愛します。

 今年「吉田拓郎引退」という衝撃的なニュースが流れました。それを聞いた私は、

   古い水夫を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう
   古い水夫は知っているのさ 新しい海の怖さを

 を実践したのだ!と思いました。拓郎さまの生の歌声を聴けなくなるのはとても寂しいことだけどそういう決断をされたのだから拍手を送ろうと。

 けれど最近になって完全な音楽活動の停止ではないと知りました。安堵しました。

 気が変わってまたステージに立ちたくなったら、ぜひそうしてください。アルバムも作ってください。日が暮れても翌朝になると何事もなかったようにひょっこり太陽が現れるように。 乱筆乱文失礼しました。
                              柴門ふみ

2022. 10. 8

☆☆☆合言葉は品格☆☆☆
 録画してあった「関ジャム」のユーミン特集の後編を観た。本人のインタビューで「ユーミンにとって松任谷正隆の音楽パートナーとしての凄さとは何ですか?」という質問に対してユーミンはこう即答した。「品格があること」。おお〜カッチョエエ〜。「音で表現される品格」、「揺るぎないエレガンス」などと説明を添えてくれたが、とにかく私にはかなり衝撃的であり説得的な答えだった。
 前回の「関ジャム」前編のあとに私は「拓郎とユーミンを対立軸にするのではなく、拓郎とユーミンという新しい音楽の才能がある種のタッグを組んで、音楽の世界を変えたという歴史認識は異説なのか?。そのための天才「松任谷正隆」だと思うのだが。」とグダグダ書いたがその答えをストレートに貰ったようだ。松任谷正隆、ユーミン、吉田拓郎というこれらの異能を結びつけるものは「品格」であるという答えだ。
 「品格」という言葉自体は、とっつきにくいし気に障りそうなところもある。しかしその反面で、この場合は、そう!、それなんだよ!!と唸りたくもなる。

 先日の松任谷とのラジオで拓郎も当然の如く松任谷正隆の品格を見抜いていたし、松任谷もたぶん拓郎に品格を感じたからこそユーミン同様にあそこまでエレガントな仕事をしてくれたのだと思える。フォークは嫌いだけどアンタだけは好きと言った安井かずみも同じかもしれない。
 特に若い頃の拓郎は粗野で飲んだくれで女性好きな暴れん坊とされていたが、それでも拓郎ファンはただの荒くれ者とは違う煌めくものを感じていた。ダミ声のシャウトの中に光る透明感のようなものを聴いていたはずだ。それは品格=エレガンスといえるものかもしれない。

 拓郎が好きというと社会や世間から浮いてしまったり孤独を感じることも多いが、それは拓郎の品格に気が付いてしまったわれわれ拓郎ファンもまた品格の人だからだ(爆)。今の日本に生きるには感性がエレガント過ぎる私たちだからなのだ。違う?せっかくのファンサイトだからいいじゃないか。ああ〜なんかまた熱が出てきたみたいだ(涙)。今日はこのくらいにしといてやらぁ。

 先日のラジオの再編集のようだが、あらためて明日の10/9(日) 19:00~19:55 TOKYO FMサンデースペシャル「吉田拓郎が松任谷正隆と話したかった音楽のこと」が放送される。ということで「品格」とは「エレガンス」とは何か?を考えながら、しっかりと聞きなおしてみたい。

2022. 10. 7

☆☆☆流れてゆけとどまらずに☆☆☆
 くどい日記しつこい日記がしばらく途絶えて、コロナにでもなりやがったのかと思われた方がいらしたらハイ正解です。家族・親族が立て続けにコロナに罹患していたが、私だけが、大した症状もなく市販の抗原検査キットでも何度試しても陰性だったため「やっぱ拓郎はコロナにも効くんだな、むははは」と吉田拓郎の免疫力を確信していたところだった。
 しかしたちまち高熱と喉の激痛地獄に陥って、結局のところ家族・親族間で一番重症化してしまってとても情けなかった。這う這うの体で発熱外来にたどり着いたら、院長のO先生は(^O^)←ホントにこんな顔で「陽性じゃん、なんでもっと早く来なかった、濃厚接触者なのに自分は大丈夫だとかなんで思えるの?え? 」といきなり超絶イタイところを突いてきた。何も言えなかった。無敵抗体を作るほどには俺の拓郎愛が足りなかったのか、あるいはそもそも俺の愛には邪な不純物が入っていたのか、キチンと再検討してから、O先生にお答えする。するのかよ。

 しかしおかげさまでO先生の諸薬処方のおかげで入院せずにたちまち回復することができた。ありがとうございます。小学生の頃ダチが「Oマンション建設反対!」とか医院建設地の前で叫んですみませんでした。
 
 病床で一番聴いたのは当然にアルバム「ah-面白かった」だった。なんてこったい俺のエンディングになっちまうのかよという思いで聴いたこともあった。
 ここのところ知ったかぶりでカウンター・メロディにかぶれていたが「君のdestination」これはチカラ強いカウンターメロディ―の拠りあいだと気づいた。武部・鳥山もボーカルのためのすき間を開けようとするなと拓郎に言われたとDVDで語っていたが、ほとばしるようなバックのメロディーが流れてゆく。その河の流れのうえを本メロディとボーカルが快適に滑っていくようなそんな感じがした。素敵に強い対旋律というヤツではないか。いいなぁ。…なんにしても「俺のdestination」にならなくて良かった。
 そして病床で一番勇気づけられたのは、意外にもあいみょんの「愛を知るまでは」だった。

   愛を知るまでは死ねない私なのだ
   導かれた運命辿って
   今日も明日も生きて行こう
 
 うーん、このフレーズがジジイも刺さって支えてくれおったよ。繰り返し繰り返し聴いて助けられた。

 マスコミではコロナのピークは越えて鎮静気味なイメージだが、医療の現場では、減っている実感はないということだ。どうかくれぐれも皆様ご注意ください。市販の抗体キットのあまりの過信にもご注意を。これからもt.y lifeは皆様のLife<命と生活>に役立つ情報を発信してまいります>1ミリもしてねぇだろ、そんなこと。

 ご心配くださった方々有難うございました。おかげて僕は元気です。

2022. 10. 2

☆☆☆弟性なるもの☆☆☆
 そのハマり中のドラマ「僕の姉ちゃん」のゆったりとした主題歌がずっと耳に残っている。このコンビは、拓郎の作品もカバーもしているし、もともとディラン&ザ・バンドが音楽的出自らしい。ともかく昨今の自分の気持とフィットする。

  終わったことは終わったことと
  片付けて次に行けばいい
  わかってるけど、わかってるから
  今夜はきっと眠れない

  こんな時間はいつか終わる
  始めた日からわかっていたから
            (「恋の顛末」ハンバートハンバート)

 そうなんだよ60歳も過ぎておかしい、そのずっと前からおかしかったんだけど。看板を下ろしたりしたら何も残らない。

 このドラマの姉のぶれない盤石感。どこに投げても余裕で打ち返してくる。姉からも難球をビシビシ投げこんでくる。あたふたしながら弟は、そこにほのかな幸福感を感じる。この弟もまたいいんだわ。経験ないからわかんないけど姉弟とはこういうものなのか。
母性とか父性とかはよく論じられるけれど、それとは別の姉性・弟性という種類の性ものも確かにあると思う。そして吉田拓郎はたぶん弟性の人なのではないかと思う。安井かずみさんの話、そして今回の「雪さよなら」のディレクターの話…ことあるごとに話してくれるいろんな話からそんなふうに感じる。
 余計なことだがほんとうは弟性あふれるの人なのに、世間のイメージからリーダーシップに満ちた兄貴を勝手に求められてしまうから、いろいろメンドクセ―ことになるのでないかと思う。はい、これも勝手な思い込みですばい。

  今夜は深酒でもしながら
  火の消えるのを眺めていよう

 あ、かなりいい曲かもしんないと言う気がしてきた。

2022. 10. 1

☆☆☆箱根の奇跡☆☆☆
 「恋唄」の見事な演奏にあらためて思う。”ローリング30”の<ほぼティンパンアレイチーム>の演奏には松任谷正隆とか後藤次利とかアレンジャー名が記載されているが、<箱根ロックウェルチーム>の演奏にはアレンジャー名の記載がない。ずっと謎だったのだが、最近のラジオでは、石川鷹彦を中心にその場でみんなでアレンジしたようなハナシだった気がする。

 松本隆がホテルで短時間のうちに詞を書きあげて、その詞に拓郎が目の前で曲をつけて、それを隣のロックウェルスタジオに持って行ってレコーディングする。もはや有名な伝説だ。実は詞と曲たけではなくこれだけのアレンジもその場で瞬時に行ったこともすんごいことだ。詞→メロディ→アレンジ→演奏→歌…これだけの制作を流れ作業で一気にやってのけ、かくも高きクオリティの音楽をつくり上げる。こりゃあもうマグロの解体ショーで、あれよあれよという間にさばかれて、気が付いたら大トロにぎりを食べさせられているようなものだ。いみふ。

 今週末は、映画「マイ・ブロークン・マリコ」を観に行くつもりだったが、行けなくなった。蟄居して家でAmazon primeの「僕の姉ちゃん」(黒木華、杉原遥亮)をだらだらと一気観している。いいなぁ、この姉ちゃん。久々に大好物のドラマを見つけた感じだ。黒木華は「くろきはな」ではなく「くろきはる」と読む。難読漢字だ、受験生注意。出るのかよ。

   

2022. 9. 30

☆☆☆カウンター・メロディで聴き直す吉田拓郎☆☆☆
 カウンター・メロディ(対旋律)の魅力…そんなこたぁ昔からわかってんだよと嗤われそうだ。しかしなにせ音楽センスが乏しい俺にはそれだけでその曲が違ったものに聴こえてくる。漠然と好きだった曲たちの奥行と建付けを知ることで、あらためてその曲をいっそう好きになる。そういう勝手な営みなのでほっといてくれんさい。

 そう思って聴くとビッグバンドはあらためてカウンター・メロディ(対旋律)の宝庫だと知る。拓郎がビッグバンドに執心する理由はココにもあるのだろうか?
 瀬尾ビッグバンド2005。昨日書いた「虹の魚」もイイが、今日のわが心の対旋律は「恋唄」。この「恋唄」は”ローリング30”の原曲もまたすんばらしい。とにかく、かくも美しく、かくも繊細な対旋律があろうか。…とわかったふうなことを言いたくなる。空から降ってきたようなまさに天衣無縫とはこのことか。

 そしてビッグバンドといえば不滅の古典”ライブ73”。これも対旋律の宝庫なのだが。俺的には「野の仏」。この対旋律も泣ける。昔からこの曲に胸がしめつけられるのは、”釣り”でも”高節くん”でも”鮒の病気”でも”今度は確かに笑いました”でもなく、この陽だまりのような主旋律と対旋律のあざなえる縄のごとき演奏にあったのだとあらためて思う。

 「カウンターメロディから聴き直す吉田拓郎の旅」…日記に書くかどうかとは別に私的には当分つづく。
 年末に「輝く!日本カウンターメロディ大賞」をやりたいな。もちろん候補曲はすべて吉田拓郎だ。制限しているのではない、全歌手を対象にしても結局吉田拓郎の曲しか残らないだろうと言うだけのことだ、むはははははは。

2022. 9. 29

☆☆☆知ったか気分は対旋律☆☆☆
 その「関ジャム」では、ユーミンは作曲の時、カウンター・メロディから作ることがあるという話に出演ミュージシャンがみんな驚いていた。俺も一緒に驚きたかったが、カウンター・メロディ―の意味も知らないので何がなんだかわからなかった。すると武部聡志先生が主旋律(メロディー)を効果的に補う対旋律のことです…と教えてくださった。要するに歌の後ろで鳴ってる演奏独自のメロディ―ということなのか。

 …ということでカウンター・メロディという言葉を聞きかじったら、なんだか嬉しくなり「これはカウンター・メロディが秀逸だねぇ」としたり顔で言いたくなって(爆)、そして吉田拓郎のカウンター・メロディのことが気になってきた。とはいえ素人なんで違ってたらごめんね。

 すぐに、これじゃないかと思ったのは、79年の松任谷バンド、2005年の瀬尾バンドの「虹の魚」。♪枯葉ごしに山の道を辿ってゆけば〜♪♪♪♪〜、…虹のように魚の影キミが指さす〜♪♪♪♪〜虹鱒よ…
 主旋律の裏でほとばしる川の流れのようなメロディーがアシストしているのが聴き取れる。特に瀬尾バンドではガッツリ前面に出ている。そう思って聞くと、この歌の深い組立てわかるようで、あらためていい歌だなぁとウキウキしてくる。
 
 もうひとつは「危険な関係」。これもなんかカウンター・メロディーが哀愁を湛えながらもグイグイと押し上げてくる。カッチョいいっす。

 そして本日のカウンター・メロディ―大賞。「カンパリソーダとフライドポテト」。拍手。このケーナとギターの対旋律…こりゃあ見事ばい。カウンターのメロディ―だけでひとしきり泣けそうだ。もぉ〜鈴木茂にチューしたくなっちゃうぜ。すまん。そういえば「カンパリソーダって何ですか?」と尋ねられると拓郎は「ユーミンが飲んでる食前酒」と説明していたな。なんかつながった。

 カウンター・メロディと聞くと正直、頭の中には矢吹丈と力石徹のクロスカウンターが頭に浮かぶ。そんな見事な対旋律があるかもしれない。しばしカウンターメロディ―探す旅に出てみんさいや。聴きなれた曲たちが未知の荒野に思えてくる。んー生きる希望が湧いたぜ。

2022. 9. 28

☆☆☆歴史は好きなように作られる☆☆☆
 日曜の夜の「関ジャム」が面白い。この番組支持者からすれば何を今さらというだろうが。先週と来週はユーミン特集だ。この番組で好きなのは、音楽音痴の俺にも音楽技術をていねいに解説してくれるところだ。例えば拓郎がラジオで「オーギュメント」「ディミニッシュ」「三連符」とかをわかりやすく教えてくれたのと同じだ。俺でもちょっと音楽がわかったような、ミュージシャンの心意気がわかった気にさせてくれるところが嬉しい。その音楽が好きでたまらないところを出演者がハートの部分とテクニカルな部分から詰めてくれる。こんな感じで拓郎の特集をガチでやっておくれよ。

 ただこの番組に限らず、ユーミンの特集番組では必ず70年代フォークブーム=吉田拓郎(だいたい「結婚しようよ」「旅の宿」のジャケットが映る)を打ち破って華麗なユーミンが登場しニューミュージック界が一変するというヒストリーが解説される。これは当然気に入らない。それはユーミンではなく制作側の問題だ。
 確かに、拓郎が松任谷とのラジオでも語っていたとおり、フォークと一緒にされることはユーミンとって我慢ならないことだったろうし、ユーミン自身もご著書で、当時「女拓郎」と言われたことに不満だったと述懐されている。御意。
 しかし、旧体制の拓郎がやっつけられて、新しいユーミン登場みたいな雑な歴史的説明は、世間にはわかりやすいのかもしれないが違う。そもそも俺なんかの記憶でも昔から拓郎とユーミンはかなり近しかった記憶しかない。
 フォークだ、ロックだとかはもういいけど、拓郎とユーミンを対立軸にするのではなく、拓郎とユーミンという新しい音楽の才能がある種のタッグを組んで、音楽の世界を変えたという歴史認識は異説なのか?。そのための天才「松任谷正隆」だと思うのだが。

 んなことはどうでもいいじゃないかと思うわば思え。でも無頓着でいると、歴史は書きたい人によって、都合よく書かれてしまうものだ。吉田拓郎をただのフォーク歌手としておくことが都合がいい歴史主義者とでもう言うか…いかんまた陰謀論になってしまうぞ。

 ということで「関ジャム」楽しみだ。今回も「カウンター・メロディ―」という言葉を聞きかじって、はぁ〜そういうものなのかといろいろな音楽(拓郎だけだが)にあてはめてみてしみじみと楽しい。

2022. 9. 27

☆☆☆今日のわざすべて終え☆☆☆
 今さらだけれどインターネットやSNSの「電網空間」(@吉田篤弘)はつくづくありがたい。困った状況の届きにくい小さな声を丹念に拾い上げてくれる。電網恢恢疎にして漏らさず…違うか。それじゃあ電網でポチしたり、宅配ネットワークで物資を送ろうとすると少なくとも今朝の時点までは配送ステーションが回復していない。困った。
 結局仕事関係の某協会の方が車を出して現地に届けてくれるというのでそれに託すしかなかった。すまん。頭が下がる。電網は不可欠だが、最後は人間のチカラだ。身を運んでこそ浮かぶ瀬もあれ…これもちょっと違うか。拓郎が昔からいう「馳せ参じる」と言うやつだ。
 こんなときに不謹慎な譬えだが、電網がCDの楽曲とすれば、身を運ぶこと=馳せ参じることはライブみたいなものだ。どちらも人間には不可欠なものだ。結局、殆ど何もしていない俺だが、とにかく清水のライフラインが早く回復しますように。

 それにしてもいい歳したジジイなのホント情けないが俺はこの国がさっぱりわからない。ああ、ほんとにわからないと今日は心の底から思った。吉田拓郎リタイヤのあと、僕らは何を信じるのか、僕らは何処へ行くのだろうか。

2022. 9. 26

☆☆☆静岡☆☆☆
 昨日はのどかにつま恋の思い出を書いたしそれはそれで大切なことなのだが、申し訳ない、その静岡は台風の影響で大変なことになっていたのですね。特に清水は断水に浸水と大変だ。復旧に一週間とは厳しすぎる。昔から静岡には個人としてもお仕事でもそして何よりt.y関係でも超絶お世話になっていながら、気づきもせずにすまんです。同じ水際の不安に暮らす身でありながら恥ずかしい。御見舞申し上げます。御見舞のみならず微力ながらできることを探させていただきます。どうかお大事に。

2022. 9. 25

☆☆☆ワンス・アポン・ア・タイム・イン・つま恋☆☆☆
 ようやくと晴れた。こういうおだやかな晴天の秋の日には「つま恋2006」を観よう。16年も経っちまったけれど、大丈夫だ、あの日のちょっと強めの風の匂いまでちゃんと覚えている。青空と拓郎バンド。中島みゆきが出てくるとそのたびに驚く(爆)。花火で泣く。こうやって何回も観ていると、昔を懐かしむ年寄りの走馬灯だと揶揄されるが上等だぜ。そういうアナタ方がいつかジジババになったとき何百回観てもこんなに身体中が熱くなり胸が高鳴るものがあったらいいな。ココはこうだったんだよと熱くなって語りたくなる壮大なドラマに出会えたら、それはすげー幸せなことだと思うぞ。
 ということで、こんな至福をいただけたことにあらためてありがとうと何度でも感謝したい。感謝しつつも、おい幻の吉田拓郎第二部をそろそろなんとかしてくれよとしつこく思う。いくハピ、全抱き、野の仏 ファイト!…ああ観たい、聴きたい。
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  たぶん前日のゲネ見物の時に撮影。

2022. 9. 24

☆☆☆た・こ・ての謎☆☆☆
 これでもかと台風がこの国を襲撃してくる。今にして思うと2006年つま恋は無事開催できて良かったと魂の底から感謝したい。あの時は危なかったんだよね、実際。そしてその裏には「晴れ男:吉田拓郎」VS「雨男:南こうせつ」という二大天気男どうしの戦いがあったことを後に知った。これまでこの勝負は「晴れ男:吉田拓郎」の神通力の圧勝だが、拓郎が唯一完敗したものがある。それは「1983年6月10日SUNTORY SOUNDMARKET‘83 後楽園球場」の雷雨中止だ。あんときゃ電車も止まって凄まじかったな。この時の敗因は謎であるが、学説的には概ね三説ある。

 T説 武田鉄矢もまた強大な雨男説 
    二対一で形勢不利だった

 U説 大阪球場の余波で神通力弱体化説
    数日前の大阪泥酔事件で拓郎の神通力が弱まっていた

 V説 実は本人がそんなに歌いたくなかった説
    ああ億劫だ、別に雨になってもいいやということで晴男の神通力を自ら封印していた


 こうせつ、鉄矢揃い踏みのつま恋85も無事開催されたことからT説はなく、泥酔で神通力が弱まるようなお人とは考えられないのでU説もない。結局V説ではないかと私は睨んじょります。一番ありがちだし(爆)。

2022. 9. 23

☆☆☆ちょっと困ったラスト☆☆☆
 ということで「粋なラスト」があれば、粋とはいえない「不粋なラスト」もごくたまにはある。せっかくの名盤アルバムなのになんでこれが?…というラスト曲も個人的にはある。ディスっているのではない。ただ悪態をついているだけだ。どう違うんだ。イチローだって大谷だって、この世に10割バッターなんてものは存在しない。華麗な活躍の打席のみならず、ファンなら三振と凡打の打席からも逃げてはいけない。どの打席もひとしく味わい、深い愛を注ごうではないか。

…ということで「こりゃあないぜな不粋なアルバムラストベスト3」。

※圏外第4位 男子の場合(アルバム「午後の天気」)
 最初の“僕の道”のイントロがいきなり心臓に響く。66歳なんて年齢をものともせず、「昨日の雲じゃない」「危険な関係」「慕情」「清流」どの曲もクオリティが高い。特に初顔合わせの銀色夏生の詞との出会いがスパークした「この風」には唸った。
 だからこそそんなアルバムの最後のこの曲を聴いて思ったのだ「あれ?」…いろいろ聴き落としたのかもしれない、もう一度ちゃんと聴いてみると、やっぱり「あれ?」…すまん。見事な内野ゴロではないか…あくまで個人の感想です。ともかく詞の内容も曲の輪郭もよくわからないままアルバムがしめくくられて当惑してしまうのだ。

第3位 ガラスのワンピース(アルバム「FOREVER YOUNG」)
 「ペニーレインへは行かない」「大阪行は何番ホーム」「Life」「7月26日未明」…名曲の幕の内弁当といわれるアルバム「FOREVER YOUNG」。身を削るような愛と哀しみの傑作たちの最後に、この「ガラスのワンピース」はどうなんだ。そもそもこの曲はこのアルバムに必要だったのか。だ〜からおまえはロックンロールがわからないんだと怒られるかもしれないが、ああわかりませんよ。このとってつけた感があふれる最後。
 もしかするとあまりに重苦しいテーマの曲が多いので、最後はロックンロールで痛快にぶっ飛ばせと思われたのか。それにしても17歳のイケイケねーちゃんの唄は飛び過ぎだ。もちろんだからといってアルバム「FOREVER YOUNG」が名盤であることはいささかも変わらない。

第2位 白い部屋(アルバム「無人島で」)
 この指とまれ〜春を呼べUという魂アゲアゲで始まるこのアルバム。それがB面の松本隆の詞になるとゆるやかに失速を始める。失速した最後にたどり着くこの歌。だってここは白い部屋だもの。
 この作品はこの寂寥感も含めて名作だと思う。「晩餐」(岡本おさみ) 、「裏窓」(石原信一) そして「白い部屋」(松本隆) 。このお三方の世代だからこそ描けた世界だ。戦争や政治的無関心さとそれに対するある種のやましさとの深い葛藤。「哀しみのアパシー三部作」と呼びたい。しかし良い曲であるにしても、最後のしめくくりにこんな切ない歌を置かないでくれよ…と思う。おりしもこのアルバムが発売された1981年12月冬。秋のツアーを全部キャンセルされ行き場もない日々を思い出す。そりゃあないぜセニョリータ。

第1位 風になりたい(アルバム「俺が愛した馬鹿」)
 「風になりたい」は稀代の名曲だ。それは多くの女性歌手がカバーしていることから明白だ。その曲をアルバムのしめくくりに持ってくるのは実に粋な選択だと思う。しかし、このアレンジがまったく粋ではない。打ち込みの機械的なトカァァンというリズムがやたら耳につく。美しい曲だけに違和感が半端ない。しかも歌と演奏が終わってもトカァァンというリズムだけが延々と続いてゆくのだ。なんだこりゃ。あ〜せからしかぁ。そもそもジャケットにお墓の埋葬の写真を載せているところから気に入らない。呪いをかけられているのか。あの原曲の松任谷正隆の基本アレンジに帰っておくれと願う。

 ラストアルバムということは、粋なラスト、大団円なラストはもちろん不粋なラストさえも、もう出逢えないことを意味する。そう思うと何もかもがいとおしい。不粋なラストにも心をこめて拍手。どれも素敵なアルバムだったよ。あらためてありがとうございました。

  愛はこの世にありました
  カタチを変えながら風に吹かれて
  心と心が出逢った季節は
  ah-面白かった

2022. 9. 22

☆☆☆粋なラスト上位編☆☆☆
 「粋<いき>なラスト」は「大感動のラスト」とはちょっと違う。なので「マラソン」(アルバム「マラソン」)や「又逢おうぜ、あばよ」(「Shangri-la」)や「僕を呼び出したのは」(「吉田町の唄」)や「あなたを送る日」(「午前中に…」)などは大好きなラストソングなのだが今回は入らない。
 さて、なんの権威も信憑性もない、ただの個人の好き嫌いの順位だが続いて上位2曲。

第2位 まァ取り敢えず(アルバム「感度良好波高し」)
 外国人バンドの作品の最後のこの曲。そこまでの「感度良好波高し」の曲相とちょっと違って、しみじみとした「あとがき」感がある。…おだやかだ。僕の現在、歳を取って少し丸くなった僕、でもロックにもリズムにもレゲエにもラップにもとらわれない自由な僕、ちょっと億劫だけど歌おうとしている僕、そうやってやわらかく変化しつつある僕…拓郎いわく「阿木燿子にはすべてお見通し」。でさ、この曲はこのアルバムのみならずその前の「Long time no see」のラストのようにもなっていて面白い。「とんとご無沙汰」でゆっくり立ち上がった帰ってきた僕が、歳月の中で変わりながら、でもやっぱり歌うよというしめくくり。粋ですばい。

第1位 「ガラスの言葉」(アルバム「元気です」)
 たまたまだと思うが「祭りのあと」がアルバム「元気です」の最後に入っている曲だと思っている人に今まで三人くらい会った。「あの最後の曲の”祭りのあと”っていいねぇ」といわれると、すばらしい曲なことには異存がないが、最後の曲じゃねぇよとつい心の中でつぶやいてしまう。最後から二番目だよ。確かに「祭りのあと」はインパクトが強い銘曲だし、まさに「最後」な感じが横溢している。
 しかしアルバム「元気です」は、祭りの後の淋しさの後に「ガラスの言葉」でしめくくられる。ここがいいのだ。シンプルで美しい軽(かろ)み。なんといっても最後に満点の星空=ミルクウェイを描いて魅せてくれる。なんて素敵なラストなのかしらん。粋です。

…バカと言われようが、独りよがりといわれようが、いろんな角度からいろんな光をあてて吉田拓郎の唄をとことん味わう…楽しい、幸せだ。あなたの粋はなんですか?。大きなお世話ですが。

2022. 9. 20

☆☆☆粋なラスト☆☆☆
 ということでアルバムのラスト曲としての「贈り物」を聴き直してみた。あらためていいエンディングだ。加熱した溶鉱炉が静かに冷めながら、それでいて胸に深くしみこむように終わる。Tくんが言ったように曲順も神アルバムだ。「僕の唄はサヨナラだけ」で終わったら熱をもてあましてしまうというのはそのとおりだ。

 拓郎に限らずアルバムの多くはアルバムタイトル曲や勝負曲の大作を配して大団円でしめくくるものが多い。最近でいえば「ah-面白かった」は「ah-面白かった」の胸しめつけられるようなフィナーレがすんばらしい。しかしそれとは対極的に、ゆるやかな余韻と余白を残した「粋」な終わり方というものもあると思った。
 独断と偏見ですが…ってそもそも独断と偏見しか書いてないよこのサイト。「この終わり方が粋だ…ベスト5」…「贈り物」は殿堂入りでランク外。

第5位「この歌をある人に」(アルバム「アジアの片隅で」)
 「今はまだ人生を語らず」に比肩する重厚長大熱熱アルバムのラスト。しかしこのラストには永らく不満だった。というのも拓郎は当初、アルバムの最後に「証明」を入れるつもりだったと聞いたからだ。そっちの方がすげえよ。それに岡本おさみ終了、次回からは松本隆の予告編みたいじゃん。しかし重厚で少暗いアルバムが「元気です」で雲の切れ間に光が射し「この歌をある人に」で青空が広がって終わる。あえて最後に青空と涼やかな風が吹いてくるような曲でしめくくるのが吉田拓郎の自由さ、懐の深さなのではないかと思えてきた。だからこれでいいのだ。

第4位「帰路」(アルバム「ひまわり」)
 「ひまわり」は難解なアルバムだ。難解すぎて,つい「駄作じゃねぇの?」とか「曲少な!」とか邪念が入りそうになる。それは俺という小さな料理用の計量カップで、洗足池の水の量を量ろうとするようなものだ。いみふ。「神様」と「いけないスモーク」の入り乱れる曲たちに当惑しながらも、この最後の「帰路」は、わかりやすく心安らかにしめくくってくれる。”こんな小さな僕達はきっといつか夜空の星になるのだから”…ホッとするフレーズが嬉しい。粋なラストだね。

第3位 「歌にはならないけれど」(アルバム「大いなる人」)
 社長シリーズの代表作といえば「大いなる人」。>知らねぇよ。バブリーでムーディーな作風に面喰らった。当時、シンプジャーナルで観た短髪に白いスーツと白いエナメルの靴の姿の拓郎が、ギターではなくハンドマイクで歌っているイメージが浮かんできた。それが音楽の成熟と鈴木茂の威神力のおかげなのだと理解できるまでには時間がかかった。特に最後のこの歌は内容の薄い歌詞に長すぎる間奏…と悪態をついていたが、今聴くとなんておだやかで素敵なラストなのかしらん。すまん。この演奏のたゆとうような海にいつまでもゆられていたいと思う。
                            たぶんつづく。

2022. 9. 19

☆☆☆贈り物☆☆☆
 台風の被害が甚大だ。ダム放水とか川の増水とか大丈夫なのかと案じながらも、すまん。そんなときもおいらは飲んだくれてた。小学校からの同級生で拓郎ファンでもあるTくん、Uくんと俺の恒例の9月誕生日会=還暦一周年記念会をささやかに催した。そんなことをよく覚えていてくれたなぁ(涙)と悶絶するような話や、長い付き合いだが初めて聴く話も結構ある。

 ウチの中学の生徒が大挙して通っていた地元の学習塾があり、Uくんはそこのホープだった。Tくんも俺もその塾ではなかったので知らなかったのだが、いよいよ高校受験という中学3年生になって、Uくんはその塾の教え方のいい加減さに異議を申し立て、♪自信はないけどひとりでやってみよう〜と決断して塾を辞めた。今思えばウサンクサイおっさんが塾長だったのだが、そいつが学習塾に通っていた生徒全員にUくんと話すと頭が悪くなるから学校でも口をきくなとお達しを出した。まるで芸能事務所から独立して干された芸能人みたいにUくんは四面楚歌状態になった。誰にも頼れない受験への不安と孤独の渦中で、15歳の誕生日に買ってもらったアルバム「今はまだ人生を語らず」を繰り返し聴き励まされたと語る。
 これは俺の想像だがたぶんその体験から「教師」って何なのかを問い続けたUくんはやがて自ら教師になり、今や大学の副学長という偉い人になっているのだが、彼が偉くなろうがなるまいが、なにより14歳の時の少年の小さな勇気、小さな一歩こそが尊い。その一歩を支えたのが吉田拓郎であることもまた誇らしい。
 こんなふうに救われた人がこの世にはたくさんいるに違いない。世間は引退した歌手として背を向けようとも、救われた人の力だけでこれからもやってまいりましょう。いみふ。
 
 で、Uくんが言いたかったことの本題はここなのだが、必死で聴いた自分としては「今はまだ人生を語らず」というアルバムは「贈り物」で終わるところか実に素晴らしいということだ。「ペニーレインでバーボン」「人生を語らず」を初め圧倒的な名曲群のチカラはもちろんだが、このアルバムの真骨頂はしめくくりの「贈り物」にあると力説していた。こういう話を聴くと「贈り物」を聴き直してみたくなる。このアルバムの結実がここにあるのかもしれないと考えてみるとまた新たな曲相が見えてくるようだ。楽しいぜ。

 「贈り物」といえば、同級生のNさん、素敵なプレゼントそしてケーキをありがとう。ケーキがお見事だよ。
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2022. 9. 17

☆☆☆魂のカバーたち☆☆☆
 前にも書いたと思うが何度でも書く。インペリアル時代の『吉田拓郎トリビュート〜結婚しようよ〜』に収録されてる下地勇の「制服」がすんばらしい。音楽がワカンナイ俺でも、これはブルースだっ!と小さな声で叫んだよ。しかも極上のブルースだ。
 同じアルバムで、LISAの「ビートルズが教えてくれた」も胸にしみるし、せせらぎのような音速ラインの「シンシア」も大好きだ。魂のトリビュートたちなのだが、それにしても下地勇、LISA、音速ラインみんなまとめて君らはいったい誰なんだ(爆)、すまん、知らないこの爺の方に非があることは当然として。

 後にエイベックスからも武部聡志が旗振りとなって「今日までそして明日からも、吉田拓郎 tribute to TAKURO YOSHIDA」というアルバムが出たが、こちらはすべてビッグネームばかりのトリビュートだった。これも傑作だった。まるで呪いをかけられているような一青窈のフラメンコなメランコリーが特にすきだ。しかし上記のインペリアルのトリビュートアルバムに集う若者たちの作品にも何ら遜色はない。

 最近。若者による秀逸なカバーが増えている。こうなると例えばあいみょん、米津玄師、藤井風の拓郎のカバーをも聴いてみたい。ご本人がリタイアしてしまうという淋しい現状に鑑みて「吉田拓郎をレスぺクトすると発言する全てのミュージシャンにカバーを義務付ける法案」を国会に提出してもいいと思う。いや法律を作るまでもなく閣議決定で簡単に義務付けてくれるかもしれない。よしなさい。とにかく極上のカバーだけが私達を救ってくれるという時代がすぐそこまで来ているのではないか。とにかくどんどんカバーしてくれんさいや。

2022. 9. 16

☆☆☆街へ☆☆☆
 どうでもいいことだが30年間お世話になった神楽坂の仕事場を今年春に移転した。なにしろ長かったので今でも少し淋しくなることがあるが、神楽坂の街は俺のことなどなんとも思っておらずへいちゃらだ。当たり前か。もともとあの街の深奥はガードが固くついにそこには入れないままだった。
 ただ街がハイテンポで変わっているのは事実だ。毎日顔を合わせていた映画館の飯田橋ギンレイホールも年内に老朽化で立退らしい。ここで映画「旅の重さ」を観た。「ママ、びっくりしないでね、若い頃の三国連太郎と佐藤浩市が同じ顔なの」と感動したものだ。感動するのはそこじゃないだろ。

 その近くのラーメン屋「黒兵衛」。堂本剛のドラマの撮影で使われて、俺のいつもの愛用席と堂本剛のそれが一緒だったことが自慢だったのに残念ながらコロナの頃に閉店してしまった。

 その少し前に閉店したインドールというカウンターだけの小さな生姜焼きの定食屋があった。とんねるずの「きたなシュラン」で紹介されて、カウンターに石田弘プロデューサー=ダーイシのトロフィー像が飾ってあった。結構ぞんざいに置かれていたが、貴明がどんなにイジろうとも俺にとってはライブ映画「吉田拓郎アイランドコンサートin 篠島」の神監督である(つま恋75もそうだよね)。いつも失礼がないよう生姜焼きを食べながら心の中で合掌していた。切り盛りしていたおじさんとおばさんはやさしいけれど無口な方々で殆ど話したことはなかった。でも最後の閉店の張り紙は実に素敵だった。
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 「皆様御機嫌よう」だぜ。カッチョエエったらありゃしない。「ah-面白かった」に通ずる。こんなふうに生きたいものだ。 
 

2022. 9. 15

☆☆☆それぞれの「青い空」☆☆☆
 共感できない部分も多々あり、あまり好きな映画ではないがそれでも魅せられる「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」。非行少年たちの友情と年代記…というと薄っぺらだが、まぁそういう話だ。しかしかなり難解で映画ファンを悩ますいくつかの謎があり議論がある。そのひとつが、映画のラストシーンで悲惨な状況なのにもかかわらず、最後に阿片でラリッたデ・ニーロはなぜ満面の笑みで笑っているのかというところに諸説の議論がある。お金独り占め喜び説、夢オチ説、精神錯乱説など、など。
 しかし映画ツウではない通りすがりの俺にはただ一択だ。あれは少年時代のストリートの仲間たちとの楽しかった日々で頭が走馬灯状態になっている幸福感なのだと思う。…少数説みたいだが自信がある。それは例えば吉田拓郎でいえば”ダウンタウンズ”での日々を思い出しているようなものではないかと思う。他人様の思い出を勝手に引き合いに出してすみません。
 しかしこの映画を観ると拓郎がことあるごとに、あんなにも大切にダウンタウンズの話をする気持ちがわかるような気がする。反対に、年齢を経てスーパースターになってもダウンタウンズのことをアマチュア時代の事と切り捨てず、むしろ今に繋がる音楽キャリアとして語っている拓郎を観ていると、この映画の最後のデ・ニーロの満面の笑みの意味がわかってくるような気がする。
 それぞれのかけがえのない「青い空」があるのだ。…俺にとっての「青い空」は何だろうかね…歳とともにだんだん答えが見えてきた気もする。

 ともかく主題曲、エンリオ・モリコーネの「デボラのテーマ」…いい曲だわ〜。とりあえずこの曲と我らが映画のテーマ曲「RONIN」を今日は繰り返し聴いていた。「RONIN」は何万回でも言うが、いい曲だねぇ。まさに映画死すとも主題歌死なず>すまん

2022. 9. 14

☆☆☆うの一撃to高杉☆☆☆
 気分がやさぐれているので、やさぐれているときはもっとやさぐれているものを観るに限るということで映画「RONIN」を観た>失礼だろ。すまん。正確には浅野温子に突き飛ばされて拓郎が土間に転げ落ちた撮影裏話を思い出しながら”RONIN”のそのシーンを見直した。当時のこの映画のぴあMOOKの浅野さんのインタビューによると浅野さんは監督とソリがあわず大喧嘩して撮影所を脱走して降板しかけていたらしい。だからか、浅野温子にはなんか投げやりな殺気を感じる。襲われる役なのだが、拓郎に「かかってきな」と凄んでいるように見える(爆)。
 拓郎が役作りのために見せられた「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」 (この映画とは言ってないけどたぶんコレ)のシーンとは随分違う。原映画ではデ・ニーロに思わず「やめろよ!やめてくれよ!」と叫びたくなる悲劇的なシーンだが、こちらのシーンは不謹慎で申し訳ないが「タクロー、しっかりして〜」というLIVE’73の客席のおねえさんの声が聴こえてくるようだ。
 しかもそこにまるで無頓着に流れている小田和正の歌声がいっそう切ない。結果的に悲劇的シーンでもラブシーンでもない、なんか不可思議なシーンになっている。だからといって決して美しかったり格調高かったりするものでもない(爆)。
 この映画の何年後かに武田鉄矢が「101回目のプロポーズ」で浅野温子と久々に顔を合わせた時に浅野さんから「どうも初めまして」と言われたという話…俺、好き。

 映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は、あまり好きな映画じゃなくて昔ナナメに観ただけだったが、今回は観始めたら4時間の長尺にもかかわらず夢中になって観てしまった。もちろん俺が夢中になるのは、そこに吉田拓郎を勝手に思いこむからだが、それがどこかはまた。

2022. 9. 13

☆☆☆戦争は終わったA☆☆☆
 昨日と映画のタイトルが違うような気がするが。昨日は陰謀論が過ぎたかもしれない。進撃のゲルマン人:ローマ帝国逆襲編を書くつもりだったが調子に乗るまい。…ウマが合わない…なるほどそれはとても良い落としどころのような気がする。
 昨日も書いたとおりジャンルに関係なくそこに「吉田拓郎」という音楽がある。ある意味それで十分だ。
 しかし拓郎の場合は、フォーク等のジャンルあるいはジャンルに象徴される何かによって、ここまでひどく痛めつけられたミュージシャンは他にいないと思う。俺なんぞには想像もつかない。まさに身の置き所がないような悲痛事。わからないけどそんなことがあったであろうことくらいはわかっていたい。
 そういう状況をとおして思うと、広島から上京した名もなきガキタレに手を差しのべてくれた加藤和彦、彼からつながり吉田拓郎を自由な音楽の世界に連れ出してくれた松任谷、石川鷹彦ら優れたミュージシャンたち、四面楚歌の罵声の中「帰らなくていいのよ」と頑張ってくれたおねえさんたち、50歳にして希望の国のエクソダスになってくれたLOVELOVEあいしてる、そしていうまでもない御母堂ら御家族‥‥他人様のことながら、なにもかもがより胸に深くしみてくる。
 そして吉田拓郎のアウトロとはそれら恩ある方々へのていねいな感謝と報謝を描くことなのかもしれない。わかんないけどさ。

 個人的に忘れられない光景がある。2014年6月30日の吉田拓郎の東京国際フォーラムの客席。開演前にコンサート観覧に訪れた谷村新司が入場してきた。客席にはそぞめくように歓声が沸き上がり、気が付いた観客たちが一斉に立ち上がってスタンディングオベイションで迎える中、谷村は深く頭を下げて席についた。結構、衝撃だった。それを観て私は「ああ戦争は終わったんだ」と思った。諍いは遥か夢になり…取り残された感。ということでいろんな意味で老いた残党になってしまった星紀行の明日はどっちだ(爆)>知らねぇよ!

2022. 9. 12

☆☆☆ワンス・アポン・ア・タイム・イン・フォークソング@☆☆☆
 前回のANNGで拓郎は、細野晴臣・大瀧詠一とはずっとご縁が無かったという不思議さについて語っていた。これは俺の勝手な妄想というか殆ど陰謀論なのだが、細野・大瀧あたりのラインとの間には見えないカーテンが下りている気がする。同時代でありながら彼らのインタビューにも、彼らをめぐる評論の中にも吉田拓郎は殆ど全く登場しない。彼らの”はっぴいえんど”が日本語のロック革命を起こし、大瀧詠一の三ツ矢サイダーのCMがCMソングを変えた(ハブ・ア・ナイスディの方が先だったのに)などと吉田拓郎をまるっと無視してその時間軸での歴史が語られている。もちろん細野・大瀧が超絶偉大なミュージシャンであることは俺ごときが言うまでもない。

 ぶっちゃけ、当時、東京でプライドを持って音楽活動をしていた多くのミュージシャンたちは「広島からやってきたガキタレ」(拓郎本人談)のことがものすげー気に入らなかったのではないかと思う。しかもこのガキタレには、天賦の音楽の才能が溢れ、背が高くてルックスも良くて、何をやらかすかわかんないエナジーに満ちている。だからこそ始末が悪い。昔学校で習った世界史でいえば、ローマ人からみた粗野なゲルマン人のような感じか。ローマ人はゲルマン人を下に見ていたが実はそこはかとない脅威を感じていたというヤツだ。日本だと平安時代の公家からみた武家みたいなものかと思う。
 ともかくこういう輩への最良の対処は、自分たちの音楽とは関係ない世界の人だということで境界にカーテンをおろすことだ。あの輩は「フォークソング」だから、「日本語のロックの自分たち」とは音楽的にも全く関係がない。いや、細野・大瀧らが実際そう思っていたかはわからないけど、とある音楽評で、吉田拓郎とはっぴいえんどの功績を讃えながら、両者には「殆ど接点はない」と断じ「細野・大瀧両名は、吉田拓郎が、目の上のタンコブだったに違いない。」という率直なコメントに思わず唸った(長谷川博一「ラヴ・ジェネレーション 音楽の友社ムック」P.43)。
 先日の松任谷正隆とのラジオで拓郎は「ファンは吉田拓郎がフォークでいて欲しいのだ」と語ったけれど、それは拓郎ファンではなく、当時の都会のロック系ミュージシャンや彼らを支持する音楽ジャーナリズムのことではないかと思う。例えば「ライブ‘73」とか「今はまだ人生を語らず」がロックに分類されたら、これを超えるロックアルバムってありますか?とかいう議題になった時にいろいろ面倒じゃないの。あれはフォークのアルバムだからとカーテンの向こうに置いておくという処世術を感じる。しつこいですが、あくまで個人の感想、妄想です。

 ということでフォークに追いやられた吉田拓郎をフォーク界はどう迎えたかというと、関西フォーク=フォークの牙城からはガチ嫌われていたことは有名な話だ。挙句の果てに、これもまた前回のラジオでも語られたとおり、全国的にフォークファンから「商業主義に身を売った」と罵られ「帰れコール」を浴びて「こんなヤツはフォークじゃない」と石を投げられたのである。俺が中学生の頃にも「吉田拓郎はフォークの裏切り者だ」といっている兄さんたちが実際に何人もいたものだ。70年代は良かったなとか思うこともあるがロクでもないこともたくさんあった。

 あっちではアイツはフォークだと敬遠され、こっちではアイツはフォークじゃないと面罵され、これじゃ日々を慰安が吹き荒れて帰ってゆける場所がない。吉田拓郎、三界に棲み家なし。つらかったろうに。
 「僕は愛されていなかった」という言葉を拓郎は最近何度か口にしたが、本人の真意はわからないが、こういうことも理由のひとつなのではないかと勝手に妄想する。そして妄想ついでに言えば、もし俺が拓郎だったら「フォークの畳の上で死んでたまるか」と思うに違いない。しかもその畳が四畳半だったらなおさらだ。いみふ。俺は吉田拓郎はフォークではないとずっと思ってきたが、それでも最近顕著に繰り返される「フォークじゃない」発言には、もういい、わかってるよと少し辟易していたが、まだ足りない、まだ足りない、まだ心が軽い。

 それでも拓郎は、たとえば"はっぴいえんど"も"YMO"を心の底から高く評価し、そこにはなんの屈託もない。既成のジャンルからはことごとくスポイルされどこにも属さなかったがゆえに、自分だけの自由な音楽をつくりあげたのだと思う。そこが我らが吉田さんの凄いところだ。
                                 …たぶん続く

2022. 9. 10

<オールナイトニッポンゴールド 第29回 2022.9.9>

 面白かったけれどとても全採録はできない。

☆オールトゥギャザーナウ
「1985年にニッポン放送も主催していたIYYのライブイベント、ほとんどの有名なミュージシャン全員集合した最初で最後だった あんな凄いメンツはなかった。しかし意外とエピソードとして残っていない。」

 御意。歴史に残る素晴らしいイベントなのに映像、音源を世に出さなかったから、なんとなく一夜限りの幻になってしまったのではないかと思う。レコーディングまでしたのだし、映像もありそうなので、今からでも公式で大切な歴史遺産として出すべきだと強く思う。

☆単独作詞
「テーマソングも詞を書いてくれということで1週間くらいで慌てて書いた、小田和正とかユーミンが曲をつけた。」

 ということで吉田拓郎の単独の作詞だ。ハイ、これ大事。詞は小田和正が書いたとか、共作だとかいい加減なクレジットや記載があるが、吉田拓郎さんひとりの渾身の作詞です。滋味掬すべき作品なのだ。http://tylife.jp/uramado/alltogethernow.html ったく自分で読み返して自分で泣けてきた。バカの極みだ。

☆はじめての坂本龍一
「楽屋でみんなと仲良くした覚えがいない」「坂本龍一とは現場で生まれて初めて話した」

 坂本龍一はこの時のことをこう書いている。

「彼とは一度会った。暴力的だと聞いていたが。そうは感じなかった。むしろ自分でもコントロールできないくらいのシャイネスを持っているように見えた」(ブックレット「TAKURO」フォーライフ1986 p.38)

 これ好き。初対面で見事に看破しているような気がする。

☆細野晴臣問題という闇
「その後、細野とは会ったことがない、なんで口をきかなかったんだろう」「悔いがある」 
     
 音楽界のヨーダ、細野晴臣。確かに拓郎とは接点を観たことが無い。以前も書いたが、かつて松本隆のこんな発言がある。
「拓郎は細野さんとはうまくいかないんだけど、茂と僕は親和性がある」(ミュージックマガジン2015年7月号松本隆ロングインタビューP.30)
 しかし拓郎が細野氏を嫌っていないのは、今回の放送で明らかなので「嫌われているのか(笑)」説が濃厚になってくる(涙)。というより何かの見えないカーテンがある気がする。それは単に当事者の好き嫌いの問題とは思えない。現代のJ-POPにはびこる「行き過ぎた”はっぴいえんど”は偏重史観」(※個人の感想です)は、こういうところにも原因があるのではないかと俺は思う。いつか詳しく話しあおうではないか。松本隆、最後の仕事だ。アナタのチカラでなんとか二人を邂逅させて世界をより豊かにしておくれ。フォースとともにあらんことを。

☆ありがとう小田和正
 コロナで復帰した小田和正、広島2日公演で初日「夏休み1番」、二日目「夏休み2番」を歌う。2日間、通い詰めて涙する田辺さんの奥様。「俺のも二日来い」いいなぁ。二日やってくれよ〜。小田和正、朋輩感がみなぎる。

☆レコードの音
「便利だけどスタジオの音をDATで聴くと温かい音が、CDでは違うなということが当時の印象としてあった」「アナログよりやや冷たい」「レコードには音のあたたかみはダントツある」  

 先輩サイトのあの方、レコードプレイヤーを買ったのは、やはりすごい。辛口だがやはり深い魂のファンだとあらためて思う。
 
☆“花酔曲”はデモテープ
 デモテープ公開はすべて博愛。だから嬉しい限りだ。
 
☆?
「”マークU’73”こんな編成が好きだなということだけ言っとこうかな」…なんか含みがないか?それともなんかやろうとしているのか?

☆共同記者会見
 菅田将暉と記者会見したのは「ラジオでナイト」が当時「最後のラジオ」というふれこみだったからだ。最後にならなかったけど(爆)「拓郎さんのようにまた始める」菅田将暉いいぞ!

☆美少年の系譜
 ドキドキさせた御三家「原田真二」「堂本光一」そして「菅田将暉」。でも堂本剛とチューしてしまう吉田拓郎。ということは四天王か。

☆LOVELOVE最終回のゲスト候補は、菅田将暉と稲垣来泉。

☆「百花」と「認知」
「家内の母も認知症だった、最後数年は僕のこともわからなくなって淋しかったけど、それはそれで天使のようだった」「記憶がないのは辛いし、その人は見ていると血のつながりはないけど素敵なキレイなお母さんに見えてきた」「そういう話って現実はとても大変なことで頭の中が実は認知症は素敵な人生を歩んでいるんじゃないか頭の中スッキリして苦しみから逃れてハッピーに天国にいこうとしているようにみえた」

 菅田将暉の認知症になられたおばあさんが、大将と本名で呼んでいたのが、将暉、将暉と呼ぶようにもなってきた。どうやら大将と将暉と二人の存在ができ上っていたらしい。この話にも涙ぐんだ。いろいろあり個人的に打たれた。"ah-面白かった"という歌があらためて胸にしみる。

☆祝手縫いのジージャン
 念願のジージャンの思わぬ贈呈、”じーちゃん”良かったなぁ(爆)。撮影しなきゃならないものがあって…撮影ってなんだ?…は置いといて、こりゃあ拓郎たまらんわな。ジャストサイズ=「僕と背丈変わらないと思ったから」。嬉しい。ありがとうございます、とファンからも御礼を言いたい。

☆デ・ニーロの役作り
 映画RONINの浅野温子とのあの土間のシーンはロバート・デ・ニーロの映画で役作りしたのか。たぶん間違いなく「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」だよな。デ・ニーロが車中でデボラを無理矢理してしまうシーン。そう思って観なおす。いやぁ…。見事な演技力のコントラスト。すまん。

☆役者のトランス
 演技中にトランスして記憶が無くなる。日常の所作に役柄が反映する。これってそれこそデ・ニーロとかアル・パチーノらのメソード演技だ。菅田将暉の演技は、時々若いころのアル・パチーノのトランスしたときの狂気がみえる。役者としての将来がとても楽しみだが、確かに危ない。アル・パチーノはそのために消耗してかなり演技者人生に影響が出てしまったので心配だ。

☆ライブのトランス
「それ(トランス)がないステージだとやった気にならない、シャウトして、客席が反応して、ミュージシャンがエスカレートしないとやる気にならない。」
 観客もご一緒に常にトランスするのだ。それがライブの妙味。もうあの瞬間は他の歌手では味わえない。

☆さんまのまんまの”人生を語らず”の弾き語りが菅田将暉の歌手のキッカケだったのか。誇らしきかな。

☆最終ゲスト
「実は篠原ともえにはこのアルバムを作る前からデザインを頼んでいて、僕に対してデモテープができたら一曲一曲全部私にも聞かせてといわれて、そのたびに篠原にデモテープを送っていた。篠原からは新曲を聴いて必ず僕に対してお褒めの言葉をもらった。とても素敵な曲で踊り出してしまった、この曲はしんみりしました。これが励みになってチカラが湧いてきた。」

 そうか。最後は篠原ともえなのか。隔世の感がある。ミュージシャンはひとりぼっちなんだというかつての拓郎の言葉を思い出す。一曲一曲がそんなふうに支えられていたのか。

☆音がらみ
「女性の大活躍が社会を動かす時代が来ているが、70年のはじめ「吉田拓郎は商業主義に身を売った」ということで不粋な男たちから帰れ帰れという罵声や冷たい視線を客席から浴びていた。
 そんな中で、ひとかたまりの女性たちが、罵声の中でじっと耐えて小さな声で
  拓郎、歌え〜
  歌うのよ〜
  あなたの唄が聴きたい〜
 一生それが忘れられない。それが励みになった。ヤジにかきされそうになりながらそれでも席を立たないで応援してくれていた。武道館だったが、忘れられない。頭に残っている。
 ああいう彼女たちのようにシンプルに音楽を愛する女性独特なやさしさ、真実が支えになった。たくさん支えになってくれてそのことを誇りに思う。それからも音楽をするとき支えてくれていたのは優しい視線だった。目をそらすことなく現代を見つめながら生きたい。」

 俺は不粋な男性だが心意気だけは、そのおねぇさんたちのあとについてゆきたい、そっち側の人間でありたいと思う。なかなかうまくいかないが。

「ラストだ、ラストだと言って、リタイアを決めたのは、イメージの詩の中で
「古い水夫は知っているのさ、新しい海の怖さを」とあるが、僕は古い水夫だ。粗しい海の怖さや危険はわからない。新しい海に漕ぎ出していく水夫ではないと自覚している。これまで応援してくれた方たちに答えて僕がリタイアするのは正しい判断だと思う。吉田拓郎個人の話です。これからも時代というものから目をそらさないでいたい。」
 
 新しい水夫たちの船に船長として乗り込んで海に出ませんか? と思った瞬間、心のトムさんが叫ぶ。「うるさいなっ!拓郎さんがリタイアが正しいっていうんだから、正しいんだよ!」
 …来月楽しみにしております。

2022. 9. 9

☆☆☆それも自由だと☆☆☆
 "勲章を与えてくれるなら女王陛下から貰ってしまおう"…贈る方も貰う方もイキだねぇ。その後ベトナム戦争に抗議して心を込めて女王に勲章を返すジョン・レノンにもしびれる。貰おうと返そうと心のうちに息づく確かな敬意。薄っぺらな西洋かぶれの俺にはひたすらカッコいいなぁと憧れてしまう。そして8日にバッキンガム宮殿に虹がかかったというニュースを観てまた嘆息した。心からご冥福をお祈りします。

 松任谷の興奮醒めやらぬまま今日の菅田将暉だ。おかげで日々が濃い


 それにしても自宅にレコードプレイヤー…羨ましいなぁ。

2022. 9. 8

☆☆☆我が心のブラザー・トム☆☆☆
 かつて「LOVELOVEあいしてる」で観たプラーザ―・トムのキレ芸が大好きだった。トムさんお元気でしょうか。LOVELOVEで会いたかったな。
  拓郎「ねぇ、今日は”オンナ”の話しない?」
  Kinki(イヤそうに)「え〜、何の話するんですか〜」
  突然トムさんが立ち上がって
「うるさい!拓郎さんが女の話するって言ったら女の話するんだよっ!」
 また別の拓郎の話にKinkiが「拓郎さん、そんなのあり得ませんて」と否定的なツッコミをするとまたトムさんが立ち上がって「拓郎さんがそうだと言ったらそうなんだよっ!」とキレる。迷惑そうな拓郎の様子も含めて大好きなキレ芸だった。この芸のおかけで何かあると私の脳内でトムさんがキレるようになった。
 先日も松任谷正隆とのラジオで「僕の音楽が中島みゆきと近いと思っている人は多いけど、僕の音楽はユーミンに近い」と言った時「ええ〜ホントかよ、近くなくて誰が"ファイト!"をあそこまでカバーできるんだよ」と疑った瞬間、私の脳内のトムさんが「うるさい!拓郎さんがユーミンだと言ったらユーミンなんだよ!」とキレた。
 なので拓郎を信じる。信じるから「ルージュの伝言」でも「守ってあげたい」でも「春よ来い」でも何でもよい。拓郎のユーミンのカバーを聴いてみたい、実は拓郎節だったのだと目からうろこを落としたいのだ。脳内のトムさん拓郎さんが拓郎節と言ったら拓郎節なんだよっ!とキレてくれ。

2022. 9. 7

☆☆☆マンタ余聞☆☆☆
Ⓣサックス・ソロなんてゼロだろ。ジェイク・コンセプシォン…
Ⓜジェイクね。ジェイク亡くなっちゃったもんね。
Ⓣジェイクのソロとか楽しかったけど、ああいうのは今はないよね。
      「松任谷正隆の…もっと変なこと聞いてもいいですか?」より
 こういう会話を聴くと、ジェイクのソロがたまらなく聴きたくなる。数あるプレイの中でとりあえず「もうすぐ帰るよ」(TAKURO TOUR 1979)を聴く。この間奏と後奏のサックス・ソロは何度聴いても涙が出る。これでもかと心にたたみかけてくる。そうかこれも松任谷正隆のメロディ―と差配だったのか。すばらしい。

 1979年といえば篠島は本当はやりたくなかった…とはあんまりじゃねぇか。こちとらは高校生なりに人生を賭けたんだぜ。林間学校脱走して単身命がけで乗り込んだ中学生だっている。しかし、俺も拓郎が魂をこめた作品たちに平気で悪態をついたりするので文句はいうまい。
 それより雷も落ちず、台風も来ず、無事に篠島は開催されたことを音楽の神様に感謝したい。てか、「ああ青春」で一瞬稲光があったよね。拓郎の神通力の恐ろしさ、危なかったな。そうだ、その稲光を凄い照明だったね…と感心していたのが松任谷正隆という逸話…たまらなく好き。

 そしてこの篠島が嫌だったというエピは、吉田拓郎がどれだけビックハンドに魂を捧げていたかということを教えてくれる。それからも何十年と続くこのビッグバンドへの心意気こそ尊い。
 それにしても7月5日に金沢でツアーが終わって、篠島が26日からでしょ。その間にビッグバンドで60曲って素人が考えても圧倒的に時間が足りないよね。1週間くらい後ろにずらしたら良かったのではないかと思う。1週間延ばしたら…おい丁度8月2日だぜ。

2022. 9. 6

☆☆☆ひとつの林檎の木の下で☆☆☆
 シンガーのおおたか静流さんの訃報を聞く。といってもたった1枚のCDを聴き続けていただけの外様ファンの私だ。15年くらい前にとある拓郎ファンの方からコレいいんだよと薦められたのがキッカケだった。
 ♪泣きなさい〜笑いなさい〜という喜納昌吉の名曲「花」をCMでカバーしてあまねくに知らしめたのは彼女だ。その他にも「悲しくてやりきれない」「アカシヤの雨がやむとき」「ゴンドラの唄」などのカバーも入っている。
 その拓郎ファンの方が「絶品」とイチオシだったのが「林檎の木の下で」だった。映画「シコふんじゃった」の主題歌でもある。私らの間で「絶品」というのは「吉田拓郎を感じる」ということだ。拓郎がor拓郎を意識したかどうかは関係なく、時には私らの思い込みかもしれない。しかしまるで吉田拓郎の歌を聴いている時のような幸福な気分になるという大切なモノサシのことなのだ。
 この作品も元を探るとアメリカンスタンダードのようだ。いい歌だ。

  林檎の木の下で
  明日また会いましょう
  なんにも言わぬこころ
  逢えばみんな通う
  楽しく微笑んで
  星に呼びかけましょう
  しあわせ いつもいつも
  二人を守れよと

 シンプルで陽気でそして明るくて…こういうのって確かに日本では拓郎にしかできない音楽世界と通底している気がする。
 そして静流さんのあえて行間を埋めようとせずに、むしろ行間を柔らかに解き放つようなボーカルがまた素晴らしいのだ。不明な私だが心の底からご冥福をお祈りします。これからも聴かせていただきます。

 松任谷正隆とのラジオで、意識するとしないと、好むと好まざるとにかかわらず、音楽はその人に入り込んで影響を与えるという話があった。いい話だった。それと同じかもしれない。
 しかしことフォークとは何か、歌謡曲とは何かという境界線の話に及ぶとそれは違う!ということで難しい話になった。想えばこれまで人類は境界線と国境をめぐって戦い続けてきた(爆)。想像してごらん境界なんてないことをと歌ったジョンレノンを思い出す。そんな歌詞じゃないか。とにかく俺にはフォーク、歌謡曲、ブルースそれらの境界とかはもうわからん。吉田拓郎が広げてくれた世界を泳ぐだけである。

 ジョン・レノンといえば、ビートルズよりローリング・ストーンズ、家ではストーンズのビデオだらけと語った拓郎が超絶嬉しい。その話はまた。林檎の木の下で明日また会いましょう。
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2022. 9. 5

☆☆☆OK!高中☆☆☆
 今日はアルバム「サマルカンド・ブルー」の発売日。あれからもう36年とは,ご無体な。松任谷正隆とのラジオでエールを送り続けた四天王の加藤和彦と高中正義。高中のギター…やっぱりいいわぁ。"レノン症候群"の心にしみいる音色、"パラレル"の間奏の空に登ってゆくようで爽快なギター、"人生キャラバン"の堰を切ったようなドラマチックな間奏。時が経てばわかることでも,その時はもう遅すぎる…安井かずみさん、御意。

2022. 9. 4


☆松任谷正隆の…もっと変なこと聞いてもいいですか?(完)☆


 なぜこんなに呪われたように採録しているのか自分でもよくわからない。しかしこれはしかと胸に刻んでおかなくてはと思った。ということで前半、後半、起こす。本放送の話の他に、篠島の話、中島みゆきの話、あいみょんの話、ストーンズの話、そして今の音楽の中で立ち尽くすような二人の話…貴重だ。いうまでもなく、ただの備忘録なのでとにかく是非、何を差し置いても。生の音声を直接お聴きくだされ。

(前半)


 マンタ―、久しぶりー。


 マンタでいいのかな?


 俺もなんて呼んでただろう


 拓郎って言ってたじゃん。歳下だけど。


 いやこんな日が来るとは、感慨深いよ。


 それは僕も。


 ミュージシャンで最後に会いたい人が何人かいる。ニッポン放送ですれ違ったのが最後でしょ。松任谷と会って話してないなと思って。テレビでは観てる。でも車の番組で音楽の話はないし、相変わらず車が好きなんだなと。話すチャンスないかなと思ってたんで嬉しかったよ今日は。たぶん僕が他人の番組に出るのはこれが最後だよ。


 ウソ〜


 もう出たくない。いろいろ話すのも嫌だし。篠原の番組が最後と思ったけれど、マンタだというので音楽の話ができると思ったから、篠原とはデザインの話だったから。
 篠原は、いろんなところでデザインの道にすすむ背中を押してくれたのは拓郎さんだと言っているけど、そんなことはない。
 中途半端なことしていないで、何か好きなことはないかときいたら、絵をかいてくれて、それじゃデザインの道へ進めよと言ったらしい。酔っているから憶えていない。


憶えていないの?


 でもどうしたって、背中を押してくれたデザインの道を開いてくれたのは、松任谷がユーミンの衣装をデザインを任せてくれたからだろうと言ったら。そうです、松任谷さんですって言い始めて(笑)。


酔っぱらってもそういう一言って大事だったりするよ。


 今日、自分でキャリアの最初のころのことを思い出すと、僕の一番最初って知らないでしょ?


 ああ一番最初って知りたい。なんで加藤和彦が、松任谷、林立夫、小原礼、を連れてきたのかイキサツを知らない。


林と加藤さんは既に知り合いだった。


ミッチーはその頃ドラムやっていたの?


たぶん。


 林と僕はアマチュアシンガーソングライターのバックで、東急百貨店本店のコンテストに出ていてその審査員が加藤さんたったの。


 トノバンだったのか。


 2週間後に加藤さんに呼ばれて東芝のICステレオ「ボストン」のCMで生まれて初めてのスタジオという場所だった。


 加藤和彦なんだ


 だから僕を拾ったのは加藤さん。その時、ピアノを弾いて1万3000円貰ったの。えーピアノ弾いて1万3000円貰えるのと驚いた。で、僕はそういうのはこれで終わりだろうと思っていたの。
また2週間後、今度はテイチクのスタジオに来てくれと言われて。あのスタジオの光景は死ぬほど覚えているし、そこにいらっしゃられて(笑)。加藤さんがハーモニウムを持ってきた。


 そうそう。


 僕が弾いて。だから吉田拓郎が僕の初めてのレコーディングだった。


 俺ね、今日話したいこといっぱいあるんだけど、いい?


 言って。


 広島から海のものとも山の者ともつかないガキたれが東京出てきて夢は大きかったけど、最初が通信販売のエレックレコードだったの。マンタに最初に会ったのは「人間なんて」はエレックのアルバムだったの。


 ああ、そうだね。


 「人間なんて」というアルバムでは加藤がセッティングしてくれたけど,それまで会社が紹介するミュージシャンがジャズのおじさんとかの古い人ばかりなの。当時俺は譜面書けないし、ギターでこういう歌ですって聴かせると、びっくりするくらいわけのわからないアレンジになってくるわけ。
 僕はR&Bのバンドで岩国の米軍キャンプでエレキギター弾いていて、ロックだったんだけど、フォークが流行っていたんでその中に入れられた。だからフォークギターは弾けないの。


 そうだったんだ。


 エレックはフォークとして売ると言うことで、何のことかわからないで会社のいうとおりにしていたの。「青春の詩」というアルバムを作ったんだけれど、アレンジはひどいのでも、もう今は絶対聴きたくない。
 そのことを加藤和彦とラジオ関東の番組で会った時に相談した。加藤君はもう超有名だったからね。いっぱい曲書きたいけどどうすれば、いいアレンジとかいいバンドとか、どうやっているのって尋ねたら、そしたら「俺が手伝おうか」って言ってくれた。
 エレックとはもう一枚アルバム作ることになっていたから、「結婚しようよ」、「どうしてこんなに悲しいんだろう」で加藤君が呼んできたのは君たち(松任谷正隆、林立夫、小原礼)…全然知らなかった。でもそれまでおっさんたちだったので、若い人たちとできるのが嬉しくて。
 やっぱりレコーディングはこっちだよな、若いミュージシャンとレコーディングするとわかりあえるし、話が通じ合うと面白いし、いい音ができると思った。


 話は長くていい?


 いいよ。


 「どうしてこんなに悲しいんだろう」もコード進行だけ渡したら、加藤和彦がアコギで
入れてくれて、B3で間奏を松任谷正隆がその場で弾いてくれた。あの間奏が素晴らしい。
ぶっ飛ぶような、その場で作ったのにまるで家で準備してきたようなすばらしいメロディーだった。


 ホメてもらった印象ないけど(笑)


 あんときゃまだわからないの、後になってありがたみがわかるの。

 どうしてこんなに悲しいんだろうのB3のオルガンソロのそのあとレコード会社をソニーに移ってそこでアルバムを作ってマンタにも手伝ってもらうんだけど。
 「(今はまだ)人生を語らず」というアルバムの「人生を語らず」という歌を作った時に

 コード進行だけ渡したら松任谷がヘッドアレンジをしてくれて、松任谷が平野兄弟のドラム・ベースに(Ⓜ懐かしいな〜)こういうリズムでと指示して、ギターは矢島だったんだけどワウワウ使ったらどうかとか、そして間奏にコード進行しか渡していないだけなのにソリーナを持ってきた。これがまた、どこでどうしてこのこういうメロディーがポンと出てくるのかというくらい凄いのよ、松任谷正隆という人が。奇跡のようで。松任谷正隆のこのメロディーは今も50年経って今でも同じメロディーでライブをやっているんだよ。

ⓣⓂ
ターンタターターンターンタン。


 誰も変えられないの。何回もツアーでやったけど、どんなアレンジャー、どんなバンドでも、ミュージシャンも変えたけどあそこに行きつく。50何年間だよ。あの松任谷正隆のフレーズを誰も変えられないのよ。すごくない? 


 最初のオリジナルってそういうもんだよ。


 でもこんなのは僕は無いよ。


 余分だけどギタリスト高中正義のライブ'73ってあったんだけど、 松任谷にもいてもらったけれど、あの「春だったね」あのイントロ、あれも50年間変わっていない。


 あれは拓郎だよ。


 オルガンでしょ?エレキはオルガンと違う。オルガンのイントロはマンタに言った覚えがある。高中がその場でやった。加藤和彦という人のアイデアマンとしての凄さ、松任谷の天才としか思えないメロディーの作り、その場で浮かんでしまうんだから、高中のギターその場で浮かんだギター、50年間変えられなかったというのは加藤和彦、松任谷正隆、高中正義そしてフォークギターというものを教えてくれた石川鷹彦、彼からはフォークギターについて教わった。この四人は僕を育ててくれた「四天王」と呼んでいる。


 初めて聴いた(笑)


 この4人がいなきゃ今の僕はいない。絶対ない。


 まず吉田拓郎は絶対最初に「言葉」から入ってきた。考え方から入ってきたから、生粋のフォークって信じて疑わなかった。それがR&B?


 フォークってよく知らないのよ。だから松任谷にはあの頃はボブ・ディランとバンドの話をよくしていて、俺がボブ・ディラン、松任谷がザ・バンドというようなバンド編成とかアレンジをしてくれとよく言っていた。僕は、ボブ・ディランはロックシンガーと思っている。


 そうね。


 フォークって、日本だと四畳半フォークとか言っちゃ悪いけど演歌みたいじゃんとか思ってて好きじゃなかった。アマチュア時代は岩国の米軍キャンプで黒人相手に歌ってたのが、フォークということにになった。でもフォークだったから売れたし、俺はロックだと言ってやっていたら売れていなかったかもしれない。ブームは怖いものだ。
 そこでアコースティックギターをもっと勉強しなきゃと思って石川鷹彦にスリーフィンガーとかどうやって弾くんだいと教わったし。


 何ツアーかい一緒に回ったけれど確かにフォークとは思わなかったな。でも最初はフォークとは絶対に思ってたよ。


 松任谷はフォークとか知らなかったでしょ



 いや僕はキングストントリオとかさ(笑)


 実は松任谷正隆ってバンジョーとかフラットマンドリンとかうまいじゃん、みんな知らないよ。みんなは君のことはキーボーディストで車に詳しい人と思っているだろうけれど。かまやつひろしが歌った「我が良き友よ」のバンジョーも松任谷だよね


 あれ俺なの?こないだ新田さんに会ったらあれは俺の弟だったとか言ってたけど。


 違う、違ういや松任谷だよ。あれはオーバーダビングで松任谷に頼んだもん。エレキギターは高中だし、これもオーバーダビングだった。マンタ、高中の超豪華なセッション。あのバンジョーを松任谷だと知っている人は少ない。瀬尾が全体のアレンジしたんだけど、俺がバンジョー入れたいと言ったら、誰かいないと言われて「松任谷めちゃくちゃバンジョーうまいよ」と言ったら「えー知らなかった」って。他にもアコースティックな楽器で俺のいろんな曲でフラマンとか入れてくれてる。今でもフラマンとかバンジョーは弾けるの?


 こないだバンジョー2本買った。すごい好きなの。フラマンも欲しいけれど弾くところがなくて。


 バンジョー、フラマンを必要しているレコーディングってないでしょ。


 凄いダビングしたのは覚えているよCBS、(前田) 仁さんがいて。


 六本木の1スタだよね。


 松任谷がリーダーとなってツアーを結構回っているよ。


 知ってる。


 当時、沖縄が返還された直後で松任谷が沖縄を外国と勘違いしていて、今でもみんなであの時マンタがこう変なこと言ってたってあるんだけど(笑)。


 え、なにそれ?


 キミが今どういう人かは知らないけれど、あの頃君は全然世間知らずだったの。


 ああ、確かによくそういわれた記憶はある。


 沖縄でも突飛なこと言って、みんな目が点になったことがある。ラジオで言えない。


 言えないのか。


 北海道の札幌で行きつけの店があって、新しいミュージシャンはそこのオババの洗礼を受けてすごいキスをされるというのがあって、松任谷もだったけど、駒沢裕城…駒子と松任谷の人格があれから変わってしまった(笑)


リハーサルは赤坂のスタジオだったね、つま恋でもやったね。つま恋も懐かしい。


 75年のつま恋はいっぱいトチっている。あのときの全編のライブの音ノーミックスで俺だけが持っているけどほとんどの曲が間違っている。DVDになってるのはちゃんと弾けたのを選んだだけ。あの頃はPAもいいのがなくて。


 そうだった?


 ない。モニターもいいのがない。演奏で今どこをやっているのかわかんないし、松任谷のイントロも延々と長くてどこからはいっていいのかわからないのがあった。


 それはあったね。一曲目でトランザムの♪ひ〜と〜つと(Ⓣああ青春)いう、あ〜れがすっごい記憶に残っている。


 怖かったよ。


 だよね。


 5,6万人いるからさ。


 人があんなにいるのを初めて見た。


 すっげ怖かった。ステージに出る前に袖でウィスキーあおって、バンドもみんなも怖いよ怖いと言ってウイスキーひっかけて、だんだん気持が変な方向に行って(笑)演奏がグチャグチャになった。


 そうかな?あそこのコーナーが一番ステディだと思っている。


 いやステディだったのは松任谷とやった2部が一番まとまっている。1部10何曲のうち4曲くらいしかできていない。ひどいんだよ。


 瀬尾たちが最後に出てきてオーケストラで演るんだけど、もうテンポがめちゃくちゃ、すげー速く始まって、違うって途中で言って徐々にテンポが遅くなったりね、めちゃくちゃなライブ。


 瀬尾ちゃんの時は、僕はオルガンで参加している。だから夜明けが観られた。


 そうそう。


 あれはキレイだった。


 そういうのを憶えているんだ。


 すっっごい覚えている。


 俺は夢中で観ている余裕なくて最後に「人間なんて」を歌いながら、日の出まであと30分、あと10分とか袖で指示出されてシャウトしているけど限界でさ。めちゃくちゃ限界で終わった後ぶっ倒れて。


 あのころってさ、音楽とかに限らず集まってみんなとセッションするのが楽しかった。出来がどうとかでなく一緒に音楽する、一緒の時間を過ごすのが楽しかった。


 僕もあれでツアー回って他の誰かとツアーを回りたいたいとは思わなかったもん。その後(笑) やっぱりツアーっていえば吉田拓郎でしょ。あれでイイや。


 あの頃の俺たちは育ちがよくなくて荒くれ物の集団だったけど、松任谷だけ、この人どっから来たのという感じで雰囲気が違っていた。松任谷もフンとしてた。


 そんなことないよ。お酒飲めないし。


 お酒飲まないし人付き合いもしない。みんなが楽しんでいると輪に入ってくるけど
自分からはワイワイ騒がない。無口だった。独特の立ち位置にいたのよ。


 例えば、松任谷が連れてきたエルトン永田。


 ああ、いたね。


 俺がダブルキーボードが好きだからB3とピアノが欲しいということだったのでエルトンを連れてきた。エルトンとかその他のミュージシャンはみんなプレイはマンタをコピーしている。そっから始まってる、聴いててわかるの。


 それはオリジナルだからでしょ。


 ここは松任谷さんとは違う、ということをやる勇気がない。(松任谷は)付き合いにくいとかどっか違うところに置いているけど、みんな頭の中にある。
 コード進行の紙きれ一枚を渡して、それをその場でギターでこういう曲だと歌うと、松任谷がその場でまとめて各ミュージシャンドラムベースに指示するヘッドアレンジ。エルトンとかドラムのミッチーもいるけど島村(英二)とかあの頃の連中はみんな松任谷に影響を受けている。それがすげーわかる。
 松任谷のアレンジは独特で凄いのよ。ほんとにすごい。特にリズムセクションの作り方が天才。君は文句なしあの時代だよ、ドラムのサゼッションが凄い。


 記憶が改善してるんじゃないの


 今聴いても凄い。今日かけたいとお願いしたのが「戻ってきた恋人」という曲があるんだけどドラム・ベースのアレンジ。あれはその場では思いつかないよ。♪テケテケテケテケットットというやつ。元の曲はエイトビートなのに、俺なんか目がクラクラするよ。


 それ聴くとニューオリンズだね。ニューオリンズをやりたかったんだね。


 あの時代になんでフラマンとかバンジョーとか好きでブラフォーの可能性もあったのになぜニューオリンズか詳しいのか どこにルーツがあるの?


 僕らの共通点のディランとバンドがあるじゃない。ザ・バンドが「ロック・オブ・エイジ」というライブアルバムがあってそのホーンセクションのアレンジをアラン・トゥーサンがやって、アラン・トゥーサンをたどってゆくとミーターズというバンドにいきつき、そこらはドクター・ジョンとかニューオリンズがいるわけ。


 松任谷あの時は二十歳前だよ。


 二十歳くらいかな。


 そのころに70年代にニューオリンズを持ってきて、これをやれって人はいないよ。


 変わってたのかな。


 あのアイデアは凄いよ。二十歳そこそこでああいうのやっちゃうんだもん。「戻ってきた恋人」あのリズムは今でも気持ちいいよ。これはステージではできない。


 聴いてみたいな。


 聴いてみて、「戻ってきた恋人」。


 僕の自分のキャリアの中で「どうしてこんなに悲しいんだろう」というのは自信作だね。


 あのソロはすごいもん。


 全部克明に憶えている。だから僕も一緒にキャリアを過ごしたなという気がしている。今もバンドをやっているんだけど、


 ミッチーとか小原とかと。


 ザ・バンドみたいなのをやりたい。自分の中に色濃く残っているのは、あの頃に拓郎と回ったあれを自分が目指したかったのかな。


 あの頃ザ・バンドとか好きだった人って当時いない。


 最初にバンドの話が出来てすっごい嬉しかった。ザ・バンドを好きになったのは、キングストントリオが一人だけになって、ニューキングストントリオが出来た時、そのアルバムに"the weight"が入っていたの。


 キングストントリオが"the weight"を?


 そこから入って、ザ・バンドに行った。二十才の頃にいろいろ吸収するでしょ。あの頃の音楽が身体を作っている。あの頃にやった音楽、回ったツアー、レコーディングものって。僕はもっと洗練された音が自分のルーツだと思っていたけれど、あらためて実際に演ってみると「え、俺こんなに泥臭い、どっからきたの?」と思ったら、それこそ拓郎とやってたころのシンプルなロックだった。


 それは最近の心境の変化?


 そう。


 そうなんだ、初耳だ。


 今度自分で曲を書いてみて男で70歳その年齢層の曲作りたい、自分自身を出したいと思ったら、あの年代に作られたものだった。どこかブルース…あれ、ブルースって拓郎だよなと。


 この間のアルバムでも武部、鳥山でブルースをやったんだけど、今、ブルースってないよね。誰もやんないよね。


 僕が最終的にツアーをいくつかやって僕の中の吉田拓郎像って…ブルースシンガーなんだよね。


 アルバムライナーノーツにも書いたんだけど、誰もブルースをやらなくなって、歌わない、作らない。最近はブルースなんて俺一人くらいか、年取ったなと思っていた。最近の流行はブルースの「ブ」の字もない。もうダメなのかな。


 いや、そんなことはないよ。絶対ない。


 最近、作り方が変わってきたって武部や鳥山から聞いていたんだけど、打ち込みでやるんだって?それはどういう心境?


 打込みは昔からやっていた。それこそYMOの出た頃から打ち込みソフトは 持っていた。デモテープも作っていて打ち込み好きだった。アイドルに提供するときもデモテープを作ってアレンジャーに渡していた。
 途中から飽きて生の音がいいと思うようになったりしたけれど、今回コロナでセッションできないので、リモートでできないかということで、鳥山とか武部からテクノロジーを教わってレコーディングしたんだけれど、新しいもの好きだから。なんだこの気持ちいい感じは、一緒にセッションするよりもよりセッション風なものができる。凄い体験だったし、楽しかったな。


 僕は拓郎のほんの初期の吉田拓郎しか知らない。その後を知らないんだよね。


 その後右往左往していたのよ。


 教えてよ。


 自分でも右往左往して、どこに行くんだろうと言う間に気づいたら70歳になっていた。


 あっと言う間だよね。


 音楽に関しては松任谷や高中正義、石川鷹彦そして加藤和彦なんかと知り合って、音楽に目覚めて、そこで楽しい音楽のコツもわかって、そこから始まった音楽は最後まで楽しんでやったな。だから満足感はある。やり残したことはなくてやりたいことはやった。
マンタとか高中とか凄い素敵なミュージシャンと出会えた人生の財産はずっと生きている。それはすっごい幸せで嬉しい。


 光栄だけどね


 その出来がどうとか今聴けばいろいろ恥ずかしいのものあるけど、あの出会い、あの一緒の時間はすげー貴重で忘れられない。


 お互い忘れられない。あのころの一緒にスタジオに入った連中もステージをやった連中も忘れられないと思うけど。急に思い出した。名古屋だったと思うけれど、俺が東京駅のホームに着いたら、拓郎がベンチで座って下向いてて。渋谷さんとかスタッフが暗い顔していて。


 (渋谷さん)よく覚えてるね。


 憶えてるよ。どうしたのかなとか思っていたら、拓郎がひとこと「やめた!」って言って、その日のツアーは無くなったんだよね(笑)


 それは今も変わっていないな。そういうのはどうしてなんだろう僕は。


 あの時にすごい繊細なんだろうなとすごいわかった。


 あのね俺すげ―繊細だよ。


 あれができるのは繊細じゃなかったらできないよ。


 どうしてもこれ以上はやりたくない、もう行きたくない、勘弁してくれ、できないと思うとすぐ「やめた!」ということになる。


 あの時の心境を教えてよ。どういう心境?


 同じ歌を毎日歌っている、ツアーってそういうものだから。今日は名古屋、明日は大阪、明後日は広島、毎晩同じ歌を歌うけど、毎晩同じ感情では歌えない。


 そうだね。


 プロだからやらなきゃ、いけないのはわかっているんだけど、毎日同じ気分になれない。例えば「どうしてこんなに悲しんだろう」で、♪悲しいだろう みんな同じさ〜と歌っても、ある日は嘘なのよ。歌っている自分が恥ずかしい、みっともない、ウソじゃん俺ってシラケる。 そういうのが続くとすぐ「やめる」と言いたくなる。


 コンデションの問題じゃないよね。


 うん、関係ないよね。気分の問題。…特にラブソングは毎日歌えない。そんなに愛してるって毎日言えないんだよ(笑)。


 うん。


 気分悪い日、こんな演れねぇやというのも東京でリハーサルやったとおり歌わなきゃならない。時々すごい違和感を感じる。やめたくなる。これはずっと最後まで変わらなかった。


 今まで中止したのって何回くらい?


 数えきれない。相当ある。


 そうなんだ。


 だからそういうヤツなんだと思われてる。


 そういう繊細なところはずいぶん見た。だから知ってましたよ。


 今日会って良かったよ。


 篠島はどうだったの ? もうそんなに怖くなったでしょ。


 篠島はもう言っちゃうけれど、あんまりやりたくなかったね。


 そうなの?


 松任谷はわかっていると思うけれど、60曲か70曲歌うでしょ? アレは60曲くらい殆どは瀬尾バンドのオーケストラでやるはずだった。ところがセッションしてみたらリハーサルがうまくいかない。それで急遽一杯曲をマンタに渡して、これこっちであやるからといって大量の曲をマンタとか鈴木茂のバンドでやることになって直前になって逆転したんだ。
 本当は瀬尾のオーケストラで殆どやるはずだったが全部変わっちゃって、頭の中は混乱していて、でもスケジュールが決まってるし、チケットは売れているのでやらなきゃならないか、嫌だな〜こんなの、違う方向に行っちゃったし、直前まで雷で中止にならないか、自然災害で中止にならないかと思っていた。


 後ろから見てて、肝が地についているときとそうでもないときがあったと思うけど、篠島はそうたったのかな。


 結婚前に拓郎のツアーに由実さんも一緒に出たよね?


 あれはどこだっけ?地方だよね。


 ステージで紹介したね、


 突如出てきて間奏…「結婚しようよ」でキーボード弾いて


 どこだったっけね。


 そうだよ。それもあるけど、マンタとユーミンの新婚旅行にかまやつと初夜に行ったんだよ。


 どこだったけ?


 熱海だよ。


 新婚旅行の一日目に。新田さんもいた。


 ムッシュかまやつに「マンタとユーミンとか初夜を邪魔しなきゃダメだ」と言われて「なにしに行くの?バカみたいじゃない」「拓郎がいれば妨害できる」と、かまやつさんの人選で新田さんとかも連れて。


 拓郎が言ったんじゃないの?


 違う、かまやつさんが言ったの。


 熱海の旅館で拓郎が明け方女装していたよね?


 ベロベロで初夜を迎えさせちゃいけないという使命感があった。


 まんまとうまくいったじゃないの(笑)。


 ひどいね。


 たぶん、そういう間柄が人には想像できない。

(後半)


 今までのベストパフォーマンスって何時の何て曲?


 手前みそだけど最近なの。最近の名古屋でやったライブの「I’m In Love」というラブソングと「流星」の3曲くらいメドレーが自分でゾクってするくらい。


 いいねぇ。


 俺に久しぶりに神様が降りてきて陶酔して、歌い終わってボーッとなった。ステージ降りてからああやってよかった、本当に久しぶりの何十年ぶりかの快感だった。  


 いつ?


 2019年。


 それは幸せだね。


 武部たちの演奏もその日は違っていた。そういう時ってあるよね。そん時だけ違うって。そのプレイは他の日にはなかった。 演奏が俺を歌う気にさせるわけよ、もっとやれ、もっとシャウトしろとか言ってる感じの演奏。武部・鳥山もドラムもベースも後ろから押されて、わぁぁぁ、よし行くぞ!って感じで、歌い終わったあとに冷や汗というかゾッとするくらいだった。ベストステージと思っている。


 それがあると次をやりたくなくなるよね。


 それをやったら僕はもうやめようかなと思った。もういいんじゃないかな。これ以上欲を出すとロクな事がないかもしない。これで満足しちゃおうよと思ったのは間違いない。


ベストステージってそれだけ? 


う〜ん。2019年の名古屋は比較できないくらい良い。


音源ないの


あるよ。「2019名古屋」、「流星」と「I'm In Love」のところ凄いな。吉田「拓郎ってイイじゃん」て言ってやりたい。



もうやり尽くした感じなの?


 うんツアーとか…ただね、レコーディングは楽しいから、ツアーとかと違って、自分で好きなように打ち込みとかテクノロジーを使って自宅で遊びがてら曲を作ったりするかもしれないけれど、人前で歌ったりとかはもういいな。


 マンタに逢えて,鷹彦に逢えて、高中に逢えて、最後に武部と鳥山がちゃんとしめくくってくれて大満足の音楽人生でしたよ。本当に。


 ホントかな。僕なんかはまだまだあるんじゃないかと思ってしまうけどね。


 今ここで話していて身体の中に少しむくむくしているのはブルースってあるじゃない。トーキングな感じ。演奏は毎回違っていいアドリブのセッションで、それが基本になっているようなものは、やり残しあるね。


 あるよね。俺は打ち込みと拓郎にすっごい違和感を感じるの。自分が一緒にやってきたときに、生きたもの、=同じことは二度ないという、あそこが拓郎の一番の魅力だと思うんだよ。だからやり残したことはないのかなと思って。


 そのことは僕の中では結構クリアで、レコーディングという作業は打ち込みでも十分ニュアンス出せてありだと思う。でもライブは絶対カラオケじゃダメ。セッションの楽しさとかアドリブの面白さボーカルもその日で違う。そういうステージのブルースに基本形があるような、やってみないとわからない面白さ、演奏も歌もみんなやってみたいとわからないというものを楽しみたいというのがある。最近楽しんでいないから。


 でもね、客席でもウケが悪いんだよ。ブルースは。「やせっぽちのブルース」とかブルースの曲をいっぱい作っているから演っているんだけどあんまり反応が良くないんだよ。人生を語らず」とかマンタのソリーナのソロが出てくるようなものは盛り上がる。間奏で立ち上がって泣いたりしているんだけど。ブルースについては客席が唖然としているね。どうなっているんだろう日本の音楽状況は。


 いやいや、吉田拓郎のルーツがR&Bとかブルースだとかということを知らな人が多いんじゃないか?


 いやいやファンに対しては「俺はフォークじゃないからさ」「フォークのことはわからない」って言ってるんだけど、ファンは俺をフォークにしたいみたいね。


 フォークだと思ってるんだよ。


 吉田拓郎はフォークの方が皆の気持ちいいから。


 「言葉」だからじゃない? 拓郎は言葉を持っているから。ブルースってそんな言葉はなくない?


 でも黒人のブルースには悲しいのやら、訴えてくるものとか、あとは笑わしてくれるハッピーなものとか、ブルースの中には言葉がある。


 そういったものとは別種の言葉じゃないかな。


 日本のフォークソングってあり得ない。日本のフォークとアメリカのフォークは違う。キングストントリオとかブラザースフォーとかとは日本のかぐや姫の「神田川とかと違うもん。日本ではそれが、四畳半フォークとかになって。和製フォークは、日本だけのもの。歴史でいうと歌謡曲の中の一ジャンル。


 後になってみるとそうだよね。


 かぐや姫ともステージやったからわかるんだけど彼らはフォークじゃないよね。


 え、フォークじゃない?


 フォークじゃない。


 歌謡曲ってこと。


 ビリーバンバンとか。  
 

 懐かしいな(笑)、白いブランコ、あれはフォークじゃない。歌謡曲だよ。たまたまビリーバンバンもかぐや姫もギター持っていた。ギターもってなかったら歌謡曲だと思うよ。ギターをもって歌うからフォークって変だよ。


 そういう時代だったね 人が音楽のジャンルがよくわかっていない。


 結局メディアとかがフォークだって言ったらフォークだと思ってしまう。70年代はフォークブームで、ギター持たせて歌わせて、フォークてす、フォークですって売り出していた。でもあの中にフォークはいなかった。


陽水は?


違うと思うな。フォークじゃないな。


 それじゃ拓郎が典型的なフォークだと思うのは誰?


 日本人で?僕が知っている限りでは森山良子かな (Ⓜほー)♪この広い野原いっぱいとうたっているときの森山良子をみたけれど、ああこいうのキャンパスフォーク、カレッジフォークで大学生が好きだった健康的だし、フォークとおもったけどそれ以来はいない。僕の中ではフォークソングっていうのは健康で明るいイメージ。そのあとはドッシリ暗いものばかりだ。


それと白いブランコとは違うの? その違いは難しいな(笑)


難しいね。でも一緒にやってみたなかでは、森山良子だけかなと思う。


 それは言葉の裏にメッセージがあるということ?


いや、メッセージは無くていいと思うな。その人なんじゃない? 森山良子という パーソナルが俺にはフォークシンガーなのよ。他は歌謡曲の人に見えてしまう。他は歌詞を読むと歌謡曲に見えてしまう。僕にとっては、フォークソングは健康で明るいイメージなのよ。アメリカのブラフォーとかキングストンとか、トム・ドゥーリーとかは暗い歌なんだけど、明るい感じで歌っているし。ああいうのはフォークと思う。そうすると森山良子のあとにはフォークと思った人いないな。その後に出てきた、さだまさしとか谷村新司もフォークと思わない。フォークっていないんじゃないかな。


 僕にとっては初めて会ったフォークシンガーが吉田拓郎だったわけ。だからフォーク=メッセージという刷り込みだったわけ。


 そういう人は多いと思う。僕は全然違うんだよ。メッセージが強いものをフォークだとは思わない。


メッセージ強いじゃん。


 僕のはメッセージではない、僕の日記なわけ。人に対してどうこうこうしろとか、ああしろとか言っていないの。僕はこう思うと言うのを歌っている。一日の日記を書いているだけ。


 知ってる。そうだね。その背景にいろんな世情とか世の中のことを観るんじゃないかね、人は。


 例えば、お酒飲んでテレビで政治家が変なことを言っているって、ペニーレインでバーボンとかという歌を作って、気持ちの悪い政治家が何か言っている、これなら酒飲んでいる方がマシだということを書いたけど、政治批判はしていない。自分はこう思うとしか言わない主義だから。それはメッセージじゃないよね。


 僕はそういうものを感じながらやってきた何年間だったんだけどね。だからいろんなミュージシャンとやってきたけれど、バックとか演奏していたたとえば島村とか、みんな拓郎の事をフォークとは思っていないんじゃないか。なんだかわからないけれど。


 いろんな例とかを出してくれて、みんなそれぞれが頭の中でここからは歌謡曲、フォーク、こっからはロックで、という境目が少見えた気はした。


 でもこういうのは僕が言っていることが正しいというわけではなくそれ違うよと思っている人もいっぱいいるだろうし。正論でもなくて 僕はこう思っているだけだから


 もちろん、もちろん。


 ユーミンの話していい?


 いいよ。


 ユーミンがデビューしたときフォークソングに入れられるのを凄く嫌がっていた。景色としても。彼女のポリシーとして。その気持ち凄くわかるよ。俺もフォークにいれられていたから。それ当然だよ。あんたが俺らの仲間に入りたくないのはよくわかるよ。それくらいヤダナという集団だったからフォークは。
  シンガーソングライターといえばいいものをフォークって言われちゃう。日本全体の70年代の独特の雰囲気があった。自分で作詞作曲して歌うからフォークシンガーだって一緒くたになって、嫌がるはずだよ。それからの彼女の生き方は、フォークというものを閉ざしていて絶対正解だった。女子たちがフォークのユーミンではなくて、ユーミンのような何かになろうとしはじめていた。あそこからユーミンが新しい道を作ってはじまっていった。あのユーミンが嫌だというフォークがあったわけ。それが凄くわかる。


 拓郎の音楽性と由実さんの音楽性って、由実さんは歌謡曲だと思っている。初めて聴いた瞬間からフォークじゃないし歌謡曲だ。ちょっとおしゃれな歌謡曲。僕の中では全く違う音楽だった。両方やってたでしょ。 


 両股かけた男だな。


 今考えると両方とも勉強になったと思っている。


 今日は話しちゃうけど。若いころから新田さんによくユーミンのコンサートに連れてもらっていた。俺もこういう曲つくりたいな、こういう曲だったら作れるなという共通点を見出している曲が何曲かある。教えようか?
 最初の頃から言うと。
 「ルージュの伝言」これはロックンロールでジルバかツイスト踊る感じが好きだな。俺もやるな。アメリカンポップスだよね。
 「守ってあげたい」。♪ユー ドント ハフトゥ  ウォーリ ウォーリのところ、ユーミンは怒るかもしれないけれどあそこは拓郎節なんだ(大笑)


 いいね〜


 ♪ユー ドント ハフトゥ  ウォーリ ウォーリ


 影響は受けているかもしれない…


 ユーミンもそういう曲を作るんだと嬉しかった。あとNHKのドラマの「春よ来い」。和風の和の感じ、僕も知らない、なんだ、こういうのもやるんだったらフォークもそんな嫌うなよ(笑)。こいつは天才だと思ったね。
 時々ユーミンのそういう曲がヒットすると近いところにいるじゃんと思う。世の中、巷では、またユーミンの立ち位置というのもあって、吉田拓郎と松任谷由実、俺達は違うところにいるということだけど、どこか接点は感じる。

 最後に、もうラジオも出ないので言うけれど、中島みゆきという人がいるじゃない、よく二人比較されるスーパーウーマンだけど。どっちも素晴らしい才能だけど。よく中島みゆきと吉田拓郎の音楽は近いと思われているけれど、僕は全然そうは思わない。彼女のメロディ―は昔の歌謡曲のパターンのコードで、それは僕とは違う。世間では吉田拓郎と中島みゆきが近くて、ユーミンとは世界観が全然違うと思っているかもしれないけれど、それは勝手に思っているだけで、僕はそう思っていない。聴いている人はびっくりしていると思うけど。ずっと思ってきた。


あいみょんと拓郎は近いよね?

近いと思う。この間も会ったんだけれど。感じたね。


俺も近いと思う


 ノスタルジーなところとか、詞の世界も僕なんかよりは相当するどい、今の若い人を鷲掴みにする詩で尊敬するくらい凄い。そしてメロディ―とコード進行には親しみを覚える。


 最後のメロディーのまとめ方に共通点がある。同じコード進行使うわけではないけれど。最後に…あるじゃない。


 サビの作り方も似ている。
♪初恋が泣いている〜  なんで歌うんだ(笑)
 ああ、吉田拓郎だと自分で思うね。


こういうのは本人も気づかないうちに影響を受けている。


 ギターをもって歌う後輩にいろいろな人がいるが、例えば、さだまさしは詩もするどいし、曲もいいものとくっているけど、いちおう好きじゃないということになってるが…自分でも言ってるし。
 ただ、さだまさしの世界には後輩たちは無言のうちに影響を受けている。音楽好むと好まざるとにかかわらず、いつのまにかその人の中に入って悪さをし、伝承される。誰が嫌い、俺はアレ風じゃないと言いつつ影響は受けている。音楽は時代とともに伝承されているんじゃないかな。
 R&Bとかファンクとか言ってるけれど、実は歌謡曲が大御所と言われる三波春夫、三橋美智也、島倉千代子、美空ひばりの影響も受けているかもしれない。


新しい音楽の影響も受けるよね。


 一番感じるルーツの血で、この人たちの音の血が濃いなだなと感じるのは何かな。


 一番感じるとかいうのではないけど、一番好きで憧れているのはローリング・ストーンズだな。ミック・ジャガーとか彼らもブルースが好きで、ブルースな感じを常にもっていて間奏でギターソロが延々とあって、こんな長いのっていう間奏。ステージングとか曲作りああいうのはストーンズしかいなくて、好きなんだ。
 よくビートルズとストーンズというと、音楽的にはビートルズという人が多いけど、僕は音楽的にもローリング・ストーンズ。ブルース感覚が好きだ。


 ディランは?


 レスペクトはある。ボブ・ディランが僕に詞を書かせたのは間違いない。ボブ・ディランが「今日、僕は不機嫌だ」という歌を作っているのを聴いて拍手を送りたくなった。不機嫌だという歌は当時の日本にはなかった。これだと思った。自分の生きる道だと思った。僕なんかはとてもじゃなく到達できない。神様として崇めているので、ディランみたいに…とは言えない。世界であんな日常というか自分の気持ちを歌にした人はいない。
ただ音楽的なスタイルは、ストーンズが、一番自由で、カッコよくて憧れる。今でもライブは観たくて仕方ない。



スプリングスティーンの血は薄く入ってる?


 ディランみたいだと思った。でも若い分、新しいロックンローラーなと思った。でも詩の世界はディランの影響を受けているかなと思う。


一番濃いのはストーンズなんだ。


 拓郎がストーンズ?って言われるけれど。家にあるVTRはストーンズだらけ。大好き。


 コンサートとかは行くの?


 来たら行く。チャーリー・ワッツが亡くなったからどうなるかなとは思うけれど。好きだな。
 ハイ、ギターソロ、ハイ、ビアノソロ、今コンサートで間奏でギターからオルガンというように楽器を回したりするコンサートってないでしょ?



音楽か違うからな。


 イントロとか間奏とか、ストリングスで何小節にこういうフレーズを作って…とか、あまり重要じゃないのかな?


でもステージだったら必要じゃないかな


 若い人のステージを観に行ってもギターソロを延々というのはないよ。松任谷ピアノのあとに高中のギターソロという感じでソロ回しするようなものはないよ。


もとの音楽のフォルムが違うから必要ないと思っているのかな。


個人的には僕はつまんねーなと思う。いろんな人のソロのプレイが聴きたいの。



生志向があるんじゃないの?


生ね


打込みでも生は生だっていう考え方あるし。



最近は唄ばっかりという気がする。


確かにね。



サックスソロなんてゼロだろ。ジェイク・コンセプシォン…


ジェイクね。ジェイク亡くなっちゃったもんね。


ジェイクのソロとか楽しかったけど、ああいうのは今はないよね。


そうねーあるとしたらジャズっぽくなるかな。  


 ポップスではあまりソロを聴かせるって聞かない。そういうのを考えると俺は好みが古くなっているかなと思う。


 でも音楽って、らせんを描いて新しくなっていくのだから、フォルムっていうのはまたらせん状に戻ってくるかもしれない。


 例えばファッションも何十年かに戻ってくるけど、音楽は70年大好きだったものとかは全然違う。スタジオミュージシャンの仕事ってないのではないかと思う。昔は、この曲の間奏は高中に弾いてほしいからって、空けておいて、あとで本人に来て弾いてもらうって、よくあったけど今はもうないでしょ。ああいう時代にはもう戻らないような気がして。



高中のソロが面白かったから、そのサンプリングってなるかもしれない(笑)


「ぽい」のがあるんだよね。つまんないな。これはカントリーだから鷹かではなく徳武だなと思うのが楽しかった。


そういうわれると結局、器用な人だけが残っている


確かに


サァどうしたらいいんだろう


もう僕やることはないから。


そういうと思ったよ(笑)


あとはマンタやってよ


何それ(笑)


 最後のアルバムのレコーディングの前に武部から一緒に何曲かやりそうだというのを聴いていたので…すげー待ってたんだけど。


 ああ、それはコロナ前なのよ。マンタ、鷹彦、高中にスタジオに集まってもらって、間奏とかで、ここはマンタ、ここは高中というように演奏してもらう。ドラムは田中清司はまだ叩いているかな、ベースは岡沢章呼びてぇとか話していて、武部もおもしろいですね、やりましょうってことになったんだけど、セッションはできないし、スタジオにもミュージシャンを集められなくなって、結局リモートで打込みしかない。
 絶対面白かったと思うのは岡沢のベースでミッチーか田中清司のドラムでキーボードは松任谷ともう一人誰にするのか、松任谷が喧嘩しないで済むやつということで、いろいろ武部と考えるのも楽しかった(笑)。
 松任谷さんはあまり人と組みたがりませんよ。それは、わかるとけどエルトンはダメかな?松任谷さんは今エルトンさんはダメでしょとか武部と言っていて、Wキーボードにしたいな、中西とは組まないだろうなとか、ギターも高中正義と鈴木茂…合わなそうだなと(笑)いろいろ人選が楽しかった。そういうスーパーグループで何曲かやりたいと思っていた。すっげぇ残念だ。


 残念だね


 今でもアルバムにtogether」という曲を聴いてみてよ。今聴けるかな。俺が親しくしているKinkiKidsとか篠原ともえとか小田和正とかが実名で出てくるブルースなんだけど。
 鳥山は俺の意図をくんで、ブルースでオクターブ奏法とか弾けよと言い、武部にはブルースだから黒人のようなニグロ・スピリチュアルなピアノを頼んだ。無理だったね。


 それは無理でしょう(笑)  


 武部のピアノ聴いてみてくれる?


 ダメ出ししちゃおうか。


…生っぽいよね。


 そうだね、打ち込みとは思えないそれを意識した。それでピアノはどうですか?


 かなりいいと思う。たぶん僕が同じことやって、拓郎からNG出されるとしたらこんなにブルーノート使わないでといわれそうだと思う。僕の記憶では。ここまでなんかみたい、ブルースみたいじゃないので、オリジナルをいつも求めていた記憶がある。「となりの町のお嬢さんと」かあれもブルースだよね。


 一番すごいのは「元気です」の「また会おう」でセブンス使って松任谷が弾いている


 これ俺?


 ピアノの回転倍でやったりしてる


 弾けなかったんだな俺


これ(ドラム)ミッチーだよ


 (ビアノ)はははは


 これマンタだよ。


 これは回転数をあげている。やりたいことわかるけど。


 こういうアイデアを出しているのよ。もうひとつ「加川良の手紙」でグランドビアノの蓋を開けて弦に新聞紙をはさみこむとチェンバロみたいな音がするっていうのがあって。それをやってみせて、そういうアイデアが目からウロコだった。そういうことをどんどん思いつくわけ。


 それを拒絶しないから。


 しないよ。だってわからないんだもん。びっくりしたよ、新聞紙入れてピアノじゃない音って。
 回転を変えたりとか、誰もやらないよ。二十歳そこそこの松任谷がそういうアイデアを持っていたわけよ。


 何をやっても許してもらえる現場だった。


 だってわかんないもの


 わかってないことはなかったでしょ。許してもらえた。面白がってくれた。


凄いこと。回転を倍にしようとか。


そうじゃなかったら弾けなかったから。


 ああいうことを一緒にミュージシャンも無言のうちに学んで、ああ、こういうやり方があるんだって、みんなの実になって、あの頃無名だったみんながビッグミュージシャンになってゆく。松任谷のチカラは大きいんだよ。


そんなことはないって。


 そんなことはないってミッチーは言うだろうけど(笑)。絶対そうなんだよ。松任谷がそういうタイプの人じゃないからだけど、俺は見ててそう思った。松任谷の影響は大きい。こういうソロを弾くんだ、こういうことをやるんだとみている。



 そんなことはないよ


 最近BSで「町中華で飲ろう」という番組があって、そのテーマソングが「午前0時の街」っていう曲で松任谷なんだよ


 憶えているよ


 あ、憶えているんだ。アレンジという程のアレンジではないが、こんなかったるい曲をよくまとめたものだと思う。これを聴くために番組を観ている。かったるい、メンドクサイ何これ?という歌なのに、駒子のスチールも入っているんだけど、コンポーザーみたいにまとめるのがうまかった。それは間違いない。
 自分がやってみせて、できないと説得力はないけれど、松任谷は自分がやってみせて、それができて説得力がある。根っから松任谷正隆はコンポ―ザー、プロデューサーだったんだろう。


 ゲストは吉田拓郎なんだけど(笑)


 俺の番組かと思っちゃった(笑)


 学校出たばっかで、二十歳そこそこでしょ。あの時は音楽の現場の場数をまだ踏んでいない時だったからあのアイデアは凄いことだと思うよ
 受け入れるのが凄いよ。お金かかっているし、アーティストはこれからのこともあるし。


 それらも含めて松任谷と逢えてセッションできた青春は宝物だよ、いい青春だったよ。


 それはお互い様。


 音楽の良さとか音楽の楽しさとか幸せを感じるね。


 また気が変わったら連絡してよ。


 ホントだね。ボーカリストが必要とか、一曲書けといわれたら考えてみる。長々ありがとう。俺が言うことじゃないけれど(笑)


 連絡してね、たまには。


 そうだね。

2022. 9. 3

☆…ちょっと変なこと☆
 ラジオの感激さめやらず。全長版がある。まだまだ楽しみが続く。

 とはいえ拓郎に「俺はフォークじゃない」「ファンは吉田拓郎をフォークにしておきたい」「ブルースを演奏するとみんなキョトンとしている」と言われるとやはりちょっと切ない気持ちにもなる。きっと誰も吉田拓郎にビリー・バンバンになってほしいとは思っていないし、俺は音楽的センスは欠けるが、決して”ブルース”が嫌いなわけではない。

 今回松任谷正隆の話でちょっと元気が出た。松任谷正隆にとってフォークとは「言葉」で、拓郎は独特の「言葉」を持っているからこそ吉田拓郎をフォークだと思っていたと語った。御意。
 そういえば安井かずみも吉田拓郎は「詩人」だと言っていた。吉田拓郎の詩人としての詞世界というものが確実にある。ブルースやアメリカンポップスやメロディーやシャウトだけでなくそこに詩人としての言葉の素晴らしい世界が私らをとらえてやまない。

 ここからは勝手な思い込みだが、[ブルース、R&B等を含めたメロディーやサウンド]×[詩]×[ボーカル]。それぞれがそれぞれにすばらしいのだが、これらが三位一体として融合したところに吉田拓郎の凄さ、新しさ、無敵感があるのだと思う。少なくとも俺はそう思う。

 なので怒られることを覚悟して小さな声で叫びたい。

 「ウケが悪かったブルース、全部詞がイマイチだったから説」

 “やせっぽちのブルース”のサウンドがカッコイイのは俺ごときでもわかるが、詩人の詞としては、感情移入や情景移入がしにくい。「野良犬のブルース」も「狼のブルース」とかもそうだ。野良犬も下町のバーガーインにたむろする兄ちゃんには共感が難しい。
 最近では「僕達はそうやって生きてきた」も2016年のライブのサウンドはすんばらしく完璧なのだが、詩人の詞としては、若者に向けた好々爺の訓話のような感じがしてどうよと俺は思ってしまう(※個人の感想です)。たとえばこのサウンドに「僕達のラプソディ」のような素敵な詞がついていたら全然違ったと思う。
 昨日も書いたけど、その意味で”僕の唄はサヨナラだけ”なんかはその三位一体の究極の傑作だと思う。すんばらしい。
 ということでブルースに戸惑っているのではなく、吉田拓郎の白眉の詩とブルースがうまく融合していないときに戸惑っているだけだ…と俺は思うのだ。

 拓郎の詩とメロディーがハイブリッドされた極上のブルースとの出会い…それはこれからでもまだまだ遅くないと信じる。

 それにしても何度でもこの番組に感謝したい。ありがとうございました。

☆松任谷正隆の…ちょっと変なこと聞いてもいいですか?B☆
  (第三回9月2日分)


 マンタに逢えて,鷹彦に逢えて、高中に逢えて、最後に武部と鳥山がちゃんとしめくくってくれて大満足の音楽人生でしたよ。本当に。


 ホントかな。僕なんかはまだまだあるんじゃないかと思ってしまうけどね。


 今ここで話していて身体の中に少しむくむくしているのはブルースってあるじゃない。トーキングな感じ。演奏は毎回違っていいアドリブのセッションで、それが基本になっているようなものは、やり残したしたかもしれないね。


 あるよね。

M-1 やせっぽちのブルース


 あんまり客席でもウケが悪いんだよ。ブルースは。「やせっぽちのブルース」とかブルーの曲をいっぱい作っているから演っているんだけどあんまり反応が良くないんだよ。人生を語らず」とかマンタのソリーナのソロが出てくるようなものは盛り上がる。
ブルースについては客席が唖然としているね。どうなっているんだろう日本の音楽状況は。


 吉田拓郎のルーツがR&Bとかブルースだとかということを知らないんじゃないの?


 いやいやファンに対しては「俺はフォークじゃないからさ」「フォークのことはわからない」って言ってるんだけど、ファンは俺をフォークにしたいみたいね。


 フォークだと思ってるんだよ。


 吉田拓郎はフォークの方が皆の気持ちいいから。


 いや「言葉」だからじゃない? 拓郎は言葉を持っているから。ブルースってそんな言葉はないじゃん。


 でも黒人のブルースには悲しいのやら、訴えてくるものとか、あとは笑わしてくれるハッピーなものとかがブルースの中には言葉がある。


 そういったものとは別種の意味での言葉。


 日本のフォークソングってあり得ない。日本のフォークとアメリカのフォークは違う。キングストントリオとかブラザースフォーとかとは違うもん。日本ではそれが、四畳半フォークとかになって。和製フォークは、日本だけのもの。歴史でいうと歌謡曲の中の一ジャンル。


 後になってみるとそうだよね。


 かぐや姫ともステージやったからわかるんだけど彼らはフォークじゃないよね。


 え、フォークじゃない?


 フォークじゃない。


 歌謡曲ってこと。


 ビリーバンバンとか  
 

 懐かしいな(笑)、白いブランコ、あれはフォークじゃない。たまたまビリーバンバンもかぐや姫もギター持っていた。ギターをもって歌うからフォークって変だよ。


 そういう時代だったね 人が音楽のジャンルがわかっていない。


 結局メディアがフォークだって言ったらフォークだと思ってしまう。70年代はフォークブームで、ギター持たせて歌わせて、フォークてす、フォークですって売り出していた。でもあの中にフォークはいなかった。


 それじゃ拓郎が典型的なフォークだと思うのは誰?


 日本人で?僕が知っている限りでは森山良子かな (Ⓜほー)♪この広い野原いっぱいとうたっているときの森山良子をみたけれど、ああこいうのキャンパスフォーク、カレッジフォークで大学生が好きだった健康的だし、フォークとおもったけどそれ以来はいない。僕の中ではフォークソングっていうのは健康で明るいイメージ。


 みんなそれぞれが頭の中でここからは歌謡曲、フォーク、こっからはロックで、という境目が少見えた気はした。


 でもこういうのは僕が言っていることが正しいというわけではなくそれ違うよと思っている人もいっぱいいるだろうし。論でもなくて 僕はこう思っているだけだから


 もちろん、もちろん


 ユーミンの話していい?


 いいよ。


 ユーミンがデビューしたときフォークソングに入れられるのを凄く嫌がっていた。景色としても。彼女のポリシーとして。その気持ち凄くわかるよ。俺もフォークにいれられていたから。それ当然だよ。
  自分で作詞作曲して歌うからフォークシンガーだって一緒くたになって嫌がるはずだよ。女子たちがフォークのユーミンではなくて、ユーミンのようななにかになろうとしはじめていた。あそこから新しい道がはじまっているというようになっていった。


 俺もこういう曲つくりたいな、こういう曲だったら作れるなという共通点を見出している曲。教えようか?
 最初の頃だと。
 「ルージュの伝言」これはロックンロールでジルバかツイスト踊る感じが好きだな。俺もやる。アメリカンポップスだよね。
 「守ってあげたい」。♪ユー ドント ハフトゥ  ウォーリ ウォーリのところ、ユーミンは怒るかもしれないけれどあそこは拓郎節なんだ(大笑)


 いいね〜


 ♪ユー ドント ハフトゥ  ウォーリ ウォーリ


 影響は受けているかもしれない…


 ユーミンもそういう曲を作るんだと嬉しかった。あとNHKのドラマの「春よ来い」。和風の和の感じ、こういうことができると知らなかった。なんだ、こういうのもやるんだったらフォークもそんな嫌うなよ(笑)。
時々ユーミンのそういう曲がヒットすると近いところにいるじゃんと思う。世の中、巷では、またユーミンの立ち位置というのもあって、吉田拓郎と松任谷由実、俺達は違うところにいるということだけど、どこか接点は感じる。


 一番感じるルーツの血で、この人たちの音の血が濃いなだなと感じるのは何かな。


 一番感じるとかいうのではないけど、一番好きで憧れているのはローリング・ストーンズだな。ミック・ジャガーとか彼らもブルースが好きで、ブルースな感じを常にもっていて間奏でギターソロが延々とあって、こんな長いのっていう間奏。ステージングとか曲作りああいうのはストーンズしかいなくて、好きなんだ。


 ディランは?


 レスペクトはある。ボブ・ディランが僕に詞を書かせたのは間違いない。でも音楽的なスタイルは、ストーンズが、一番自由で、カッコよくて憧れる。今でもライブは観たくて仕方ない。


 最後のアルバムのレコーディングの前に武部から一緒に何曲かやりそうでというのを聴いていたので…すげー待ってたんだけど。


 ああ、それはコロナ前なのよ。マンタ、鷹彦、高中にスタジオに集まってもらって、間奏とかでここはマンタ、ここは高中というように演奏してもらう。その時は、武部、鳥山は後ろ回れといって。
 武部もおもしろいですね、やりましょうってなったんだけどセッションはできないし、スタジオにもミュージシャンを集められなくなって、結局打込みしかない。
絶対面白かったと思うのは岡沢のベースでミッチーか田中清司のドラムでキーボードは松任谷ともう一人誰にするのか、松任谷が喧嘩しないで済むやつということでいろいろ武部と考えるのも楽しかった(笑)。スーパーグループで何曲かやりたいと思っていた。すっげ残念だ。


 残念だね


 「Together」という曲を聴いてみてよ。今聴けるかな。俺が親しくしているKinkiKidsとか篠原ともえとか小田和正とかが実名で出てくるブルースなんだけど。武部にブルースだから黒人のようなピアノを頼んだ。


 ああそれは無理でしょう(笑)  


 武部のピアノ聴いて観てくれる?


 ダメ出ししちゃおうか。


武部にそうやって言えるのは松任谷だけだよ。

M-2  together


…生っぽいよね。


 そうだね、打ち込みとは思えないそれを意識した。それでピアノはどうですか?

 かなりいいと思う。たぶん僕が同じことやって、拓郎からNG出されるとしたらこんなにブルーノート使わないでといわれそうだと思う。僕の記憶では。
ここまでなんかみたい、ブルースみたいじゃないので、オリジナルを求めていた記憶がある。「となりの町のお嬢さんと」かあれもブルースだよね。


一番すごいのは「元気です」の「また会おう」でセブンス使って松任谷が弾いている

M-3 また会おう  


 これ俺?


 ピアノの回転倍でやったりしてる


弾けなかったんだな


これ(ドラム)ミッチーだよ


 (ビアノ)はははは


 これマンタだよ。


 これは回転数をあげている。やりたいことわかるけど。


 こういうアイデアを出しているのよ。もうひとつ「加川良の手紙」でグランドビアノの蓋を開けて弦に新聞紙をはさみこむとチェンバロみたいな音がするっていうのがあって。それをやってみせて、そういうアイデアが目からうろこだった。そういうことをどんどん思いつくわけ。


 それを拒絶しないから


 しないよ。びっくりしたよ、新聞紙入れてビアノじゃない音って。


 何をやっても許してもらえる現場だった


 だってわかんないもの


 わかってないことはなかったでしょ。許してもらえた。面白がってくれた。


 みんなあの時は勉強になった。松任谷のチカラは大きいんだよ。


 そんなことはないよ


 最近BSで「町中華で飲ろう」という番組があって、そのテーマソングが「午前0時の街」っていう曲で松任谷なんだよ

M-4 午前0時の街


 憶えているよ


 あ、憶えているんだ。アレンジという程のアレンジではないが、こんなかったる
い曲をよくまとめたものだと思う。これを聴くために番組を観ている。
かったるい、メンドクサイ何これ?という歌なのにコンポーザーみたいにまとめるのがうまかった。それは間違いない。
 自分がやってみせて、できないと説得力はないけれど、松任谷は自分がやってみせて、それができて説得力がある。根っから松任谷正隆はコンポ―ザー、プロデューサーだったんだろう。


 ゲストは吉田拓郎なんだけど(笑)


 俺の番組かと思っちゃった(笑)


 あの時は音楽の現場の場数をまだ踏んでいない時だったからあのアイデアは凄いことだと思うよ

 受け入れるのが凄いよ。お金かかっているし、アーティストはこれからのこともあるし。


 それらも含めて松任谷と逢えてセッションできた青春は宝物だよ、いい青春だったよ。


 それはお互い様


 音楽の良さとか音楽の楽しさとか幸せを感じるね。


 また気が変わったら連絡してよ。


 ホントだね。ボーカリストが必要とか、一曲書けといわれたら考えてみる。長々ありがとう。俺が言うことじゃないけれど(笑)


 連絡してね、たまには。


 そうだね。

2022. 9. 2

☆松任谷正隆の…ちょっと変なこと聞いてもいいですか?B☆
(第三回9月2日分)

書き起こし…省略!!。…いえ、あとでやるつもり。今日はとにかく感想を書いておきたい。

☆☆☆感想☆☆☆
☆1回僅か25分、たった3回の番組で、終わってしまうのがこんなにも悲しい。ここまで聴き手をとことんロス状態にさせてしまう番組があっただろうか。
 最後に「たまには連絡ちょうだいね」と言って別れ別れになる二人。あ〜終わっちゃうのか。呼び戻すことができるなら〜僕は何を惜しむだろぉぉぉ>それは布施明の唄だ。

☆松任谷への音楽家としての魂のレスペクト。初回に続いてこれでもかと賛辞を贈る。それに対して松任谷は拓郎が現場で自由にやらせてくれたことを感謝する。松任谷の反応はなんとなく社交儀礼的に聴こえた人もいるかもしれない。
 でもそれは違う。かねてから松任谷正隆はその著書の中で熱く語っていた。
「由実さんと拓郎は、僕の意見をいつも取り入れてくれたんですよ。大切にしてくれた。だから二人の現場では僕はとても気持ちよく音楽をつくることができました」(松任谷正隆「僕の音楽キャリア全部します」p.57〜59『拓郎とユーミンは意見を尊重してくれた』)
 その意味では吉田拓郎と松任谷正隆とは深い両思いだったのだ。この両思いがいかに素晴らしいものを生んだか。音楽って凄いなと何もわからない俺でも涙ぐみながら思う。

☆で、ひとつだけ訊きたい。拓郎が昔ラジオで口走っていたことがあった。「春を待つ手紙」の間奏でも松任谷正隆は何か技を使ったらしい。なんだったけ? ビブラフォンを指で叩くみたいなやつだった。

☆そして「町中華で飲ろう」の「午前0時の街」。あの曲を聴くために番組を観ていると拓郎は言った。すげえ。事実、今回のラジオの最後はあの番組のエンディングそのものだった。
 「報恩」という言葉があるけれど、ひとりのファンが魂をこめて差し出した報恩が吉田拓郎に通じて、その曲も吉田拓郎本人も新たに蘇生し変化する。すごいな。ファンの魂をみせられた感じがした。何より「午前0時の街」という選択のセンスがすんばらしいとあらためて思う。ハラショ!

☆フォークがどうしたってもういいじゃないか。すまなかったな、ブルースがわからなくて(爆)。ただ”僕の唄はサヨナラだけ”…あれは極上のブルースだと思う。ああいう研ぎ澄まされた詞とメロディーとリズムが一体となったブルースなら俺にでもわかる。「拓郎が言葉を持っているからじゃない?」という松任谷の指摘には唸った。そうだ。言葉だ。「やせっぽちのブルース」はあの詞に今一つ気持ちがノラないというか共感できないのよ。個人の感想だが。
 それとユーミンの作品との親和性。俺はかねてから「真夏の夜の夢」にそれを感じていた。リズム、メロディー、節回しそのうえ「骨まで」ときたもんだ。コレは拓郎が歌ったらカッケーんじゃね?

☆「ボーカルが必要だったら、メロディーが必要だったら声をかけてくれ」ああ、雲の切れ間にあかりを探すみたいだ。

☆とにかくこの番組にもなんか賞をあげたい。金の鳩賞でも象印賞でもジャンプ賞でもなんでもいい、ありったけあげたい。それくらいの番組だった。

2022. 9. 1

☆☆☆消えていくもの☆☆☆
 「TAKURO Blog」本当にプツンと消えていっちまったよ。拓つぶの時は「Not Found」という痕跡が残ったが、こっちは何もないのです。
 昨夜帰の電車で最後のBlogを読み直していて
  キャンディーズ「やさしい悪魔」を聴いた時に睦月から手紙
  「タクロウこれダウンタウンズでもやれたなあ」

 おお〜睦月さん、かっけ〜な〜と唸った。素敵だぜ。
  そうなると当然、この曲が聴きたくなってくるのだが、気分的に作曲者本人歌唱が聴きたい。でも"ぷらいべえと"のズンガジャンガでなく、ああ〜ここで神田共立講堂2019がアルバムになっていればご機嫌なのにと詮無く思う。
 で、結局キャンディーズを聴いたが、あれを聴くと最初靴でリズム足踏みしそうになるので電車内で聴くときは要注意だ。いい。何度聴いてもいい。かつてラジオでナイトで拓郎がやさしい悪魔・・・あんないいメロディを日本人がつくれるかっ!?と豪語していたのを思い出した(2019.2.3第92回)。そのとお〜〜り(@財津一郎)。

2022. 8. 31

☆☆☆愛のさざなみ☆☆☆
  昨夜は久々の居酒屋で「つるむらさき」で独酌しながら考えた。「僕は今、音楽人生のアウトロ、エンディングを弾いています」と拓郎は言ってきたが、これがわかったようでわからない。かつて、そういうことをしてみせてくれた歌手の前例やお手本がないからだ。世間様のようにそれなら引退なのね〜といえば、引退ではないとのご拓宣だ。これからも新曲も作るし、ギターも弾く。こちらもどういう気分でいればいいのか戸惑うことしきりだ。前例のない歌手は、そのファンもまた前例のない道をゆかねばならないという鉄則だ。

 そういう中で「TAKURO Blog / STAFF Blog」を8月末でクローズ。…終わってしまうのか。アルバムのメイキングの日々は楽しかったし貴重だった。お疲れ様でした。そういえば昨年の竹田企画のつぶやきの今生の別れのような終了を思い出す。
 ANNGも年内終了と言うことだ。そういえばその前の「ラジオでナイト」も僕のラジオの最終章=遺言という最後のラジオ番組だと万感の思いで聴いていた。

 アウトロのと言う名の終わりと始まりがまるで寄せては返す波のようにつづいてゆく。コペルくん、君たちはどう生きるか。こういう時は、島倉千代子先生しかいない。ドラマ「監獄のお姫さま」で前川清とキョンキョンがデュエットしたのを観て以来大好きになった曲だ。

      愛のさざなみ

  あなたが私を きらいになったら
  静かに静かに いなくなってほしい
  ああ 湖に 小舟がただひとつ
  別れを思うと 涙があふれる
  くり返す くり返す さざ波のように

  どんなに遠くに 離れていたって
  あなたのふるさとは 私ひとりなの
  ああ 湖に 小舟がただひとつ
  いつでも いつでも 思い出してね
  くり返す くり返す さざ波のように
  さざ波のように  

 答えにはなっていないかもしれないけど気分だ気分だ。御大の言葉の意味や言質をあまなり深く考えずに、繰り返すさざなみに身をまかせよう。サイパンの砂浜のさざなみに身をゆだねるように(爆)。そしてとにかくご機嫌なファンでいようと昨夜は思った。

2022. 8. 30

☆☆☆男達の詩☆☆☆
 今日、居酒屋のメニューを観て思った。
image0 (10).jpeg
 ♪うすむらさきの煙がゆれてぇ〜
 この歌が頭に浮かんできて妙にご機嫌になった。♪つるむらさきの〜ガーリック炒め〜なんかメロディーにもハマるぜ。ふん、嗤わば嗤え。こういう心の底からどうでもいい些細なところにも吉田拓郎のふるえは生きているのだ。

 「男達の詩」といえば衝撃の短髪から32年が過ぎた。実にデビュー以来のキャリア52年間のうち短髪の期間が60%を超えている。感慨深い。だからどうなんだと言われても困るが。
スクリーンショット (60).png

※例えばフォーライフの社長就任直後(1977年)は短髪か長髪かという議論はありえましょう。それはまたそのうちとことん。

2022. 8. 29

☆☆☆叫び☆☆☆
 松任谷正隆が先週のラジオで語ってくれた東京駅のホームでのコンサート中止決定の様子。聴いてる自分もその場にいるかのようにベンチに座って俯いている拓郎、その横で暗い顔で心配する渋谷さんが目に浮かぶ。そしてその拓郎が「やめた!」と叫ぶ。
 その瞬間、聴いてた俺は思わず「よっしゃ!OK!」と快哉を叫んだ。なんでだ?。突然のコンサート「中止」にはさんざん泣かされたというのに。

 つらつら考えながら思い出した。角川文庫の「吉田拓郎詩集BANKARA」の松本隆の推薦文だ。
   武道館のステージで「酒と、女と、僕はでたらめに生きています。
   真面目に生きるのなんてつまらない」と拓郎が叫んだ時、ぼくの後の
   男が「その通りだ」と合いの手を入れた。
   もしも拓郎が「人間は真面目に生きなきゃだめだ」と叫んでも、
   その青年は「その通りだ」とどなるだろう。
   つまり、意味なんてどうでもいいんだ。
   拓郎が叫ぶという行為そのものに価値があるような気がする。
                             松本 隆

 当時これを読んだとき松本隆に「拓郎ファンをバカにすんじゃねぇぞ」とムカついたし、その拓郎ファンにも「しょうもない合いの手入れるなよ」と思ったものだ。

 しかしコレだ。まさにコレなのだ。意味なんてどうでもいい。「やめた!」と決然と叫ぶ吉田拓郎に感動するのだ。この瞬間、俺の脳内には無条件でドーパミンが怒涛の如くあふれ出てくるのだ。すまんBANKARAの推薦文はすべて正しい。俺を許してくれ。

 そう想うと、俺もこのサイトも吉田拓郎の言葉や歌詞にあまりにも意味を求めすぎた気がする。言葉の含意をあまりに深堀しすぎてはいなかったか。般若心経やハムラビ法典じゃないんだから>なんだそりゃ。また、あの時こう言ったけど今はこう言っていると言葉の違いに過敏すぎなかったか。警察の取り調べじゃないんだから(爆)。姑息だったかもしれない。俺は分別や常識のために吉田拓郎を聴いているのではなかった。
 それより拓郎の叫びや心意気に、そのオーラ溢れる姿に、ああ〜カッチョエエ!!としみじみ心ふるえる瞬間のために聴いているのだ。いしいしんじの表現をパクって言うと吉田拓郎とは心のふるえだ。なんでもいい、もっとふるえさせておくれ。エンディングという冷たい水の中をふるえながら登ってゆけ、ファイト!
…ああカラオケ行きてーな。

2022. 8. 28

☆☆☆24☆☆☆
 ちょうど家のテレビでは日テレの「24時間テレビ」が流れている。この番組についてはちゃんと観ていないので無記。しかしこの番組で思い出すのは、他局で申し訳ないが、1999年の大晦日から2000年の年越しで放送された「ワールドカウントダウンスーパースペシャル24時間まるごとライブLOVE LOVE2000」だ。
 なんたって吉田拓郎が24時間生でテレビに出演し続ける。今にして思えば奇跡のような番組だ。つま恋、篠島よりはるかに長い。
 いちおうチャンネルはずっとセットしていたが、なにせ年末と元旦だ。実家に帰って当時まだ幼かった姪と遊んで夜は寝かしつけながら一緒に寝てしまったし、翌日も姪と遊んだり、遊んだり、遊んだりして、ちゃんと観ていなかった。テレビに出る拓郎に慣れきってしまった当時の俺は明らかに緊張を欠いていた。
 番宣インタビューでいきなり不機嫌な拓郎、最初からあまり燃えていない拓郎、それでも深夜V6とゲームやってハイになる拓郎、次々とコーナーに連れまわされて「ウンコくらいさせてくれよ!」と怒る拓郎、それくらいの記憶しかない。
 ああそうだ、Kinkiのコンサートにシンクロしてフィナーレの東京ドームでクレーンに乗って天井から降りてきた拓郎。ハワイでも頑なにパラセイリングを拒否していた拓郎だ。あれはやるせないくらいの勇気をだしていたのではないか。もっともっと誉めてさしあげればよかった。
 だから今にして思えばこれを24時間観続けたファンの方々の拓郎愛はすばらしいと本当に思う。こういう愛が地球を救うのだ。とにかく俺としてはこの貴重な24時間、もっと処し方があったよな〜とちょっと悔いている。

2022. 8. 27

 昨日、あの田家秀樹さんのブログに取り上げていただき驚きました。日々吉田拓郎への勝手な情念を綴っているだけの拙サイトに対して汗顔の至りです。ありがとうございました。新参ファンサイトと思ってましたが7年目、孤高のサイトとうそぶきながら、実にたくさんの皆様に助けていただいております。ついでのようですみませんが深謝申し上げます。今後ともよろしくお願いします。星紀行
 
 例によって備忘録として起こしてはみたけれど、今回も本人たちの生会話が唯一無二。是非、聴くよろし。活字にすると「すごい覚えている」だけど音声をきくと「すっっごい覚えてる」なわけ。魂でしょ。
 もうこのまま二人のレギュラー番組化しちゃえばいいのに。ゲストで高中正義とか呼んじゃいなよ。

☆松任谷正隆の…ちょっと変なこと聞いてもいいですか?A☆

(第二回8月26日分)



 あのころってさ、音楽とかに限らず集まってみんなとセッションするのが楽しかった。出来がどうとかでなく一緒に音楽する、一緒の時間を過ごすのが楽しかった。


 僕もあれでツアー回って他の誰かとツアーを回りたいたいとは思わなかったもんその後(笑)

M-1 マークU’73

<ナレーション>
 今日は吉田拓郎さんをお迎えしています。松任谷さんが初めてレコ―ディングという仕事を経験したのが1971年「人間なんて」の現場でした。幾度となくコンサートとレコーディングと拓郎さんと音をつないでゆくことになります。


 松任谷がリーダーとなってツアーを結構回っているよ。


 知ってる。


 当時、沖縄が返還された直後で松任谷が沖縄を外国と勘違いしていて、今でもみんなであの時マンタがこう変なこと言ってたってあるんだけど(笑)。


 え、なにそれ?


 キミが今どういう生き方をしているかは知らないけれど、あの頃君は全然世間知らず  だったの。


 ああ、よくそういわれた記憶はある。


 沖縄でも突飛なこと言って、みんな目が点になったことがある。ラジオで言えない。


 言えないのか。リハーサルは赤坂のスタジオだったね、つま恋でもやったね。つま恋も懐かしい。


 75年のつま恋はいっぱいトチっている。あのときの全編のライブの音ノーミックスで俺だけが持っているけどほとんどの曲が間違っている。DVDになってるのはちゃんと弾けたのを選んだだけ。あの頃はPAもいいのがなくて。


 そうだった?


 ない。モニターもいいのがない。演奏でどこやっているのかわかんないし、松任谷のイントロも延々と長くてどこからはいっていいのかわからないのがあった。


 それはあったね。一曲目でトランザムの♪ひ〜と〜つという、あ〜れがすっごい記憶に残っている。


 怖かったよ。


 だよね。


 5,6万人いるからさ。


 人があんなにいるのを初めて見た。


 すっげ怖かった。ステージに出る前に袖でウィスキーあおって、バンドもみんなも怖いよ怖いと言ってウイスキーひっかけて、だんだん気持が変な方向に行って(笑)演奏がグチャグチャになった。


 そうかな?あそこのコーナーが一番ステディだと思っている。


 いやステディだったのは松任谷とやった2部が一番まとまっている。1部10何曲のうち4曲くらいしかできていない。ひどいんだよ。

M-2 ああ青春 (つま恋75)


 瀬尾たちが最後に出てきてオーケストラで演るんだけど、もうテンポがめちゃくちゃ、すげー速く始まって、違うって途中で言って徐々にテンポが遅くなったりね、めちゃくちゃなライブ。


 瀬尾ちゃんの時は、僕はオルガンで参加している。だから夜明けが観られた。


 そうそう。


 あれはキレイだった。


 そういうのを憶えているんだ。


 すっっごい覚えている。


 俺は夢中で観ている余裕なくて最後に「人間なんて」を歌いながら、日の出まであと30分、あと10分とか袖で指示出されてシャウトしているけど限界でさ。めちゃくちゃ限界で終わった後ぶっ倒れて。


 僕は拓郎のほんの初期の吉田拓郎しか知らない。その後を知らないんだよね。


 その後右往左往していたのよ。


 教えてよ。


 自分でも右往左往して、どこに行くんだろうと言う間に気づいたら70歳になっていた。


 あっと言う間だよね。


 音楽に関しては松任谷や高中正義、石川鷹彦そして加藤和彦なんかと知り合って、音楽に目覚めて、そこで楽しい音楽のコツもわかって、そこから始まった音楽は最後まで楽しんでやったな。だから満足感はある。やり残したことはなくてやりたいことはやった。
マンタとか高中とか凄い素敵なミュージシャンと出会えた人生の財産はずっと生きている。それはすっごい幸せで嬉しい。


 光栄だけどね


 その出来がどうとか恥ずかしいのものあるけど、あの出会い、あの一緒の時間はすげー貴重で忘れられない。


 お互い忘れられない。あのころの一緒にスタジオに入った連中もステージをやった連中も忘れられないと思うけど。急に思い出した。名古屋だったと思うけれど、俺が東京駅のホームに着いたら、拓郎がベンチで座って下向いてて。渋谷さんとかスタッフが暗い顔していて。


 (渋谷さん)よく覚えてるね。


 憶えてるよ。どうしたのかなとか思っていたら、拓郎がひとこと「やめた!」って言って、その日のツアーは無くなったんだよね(笑)


 それは今も変わっていないな。そういうのはどうしてなんだろう僕は。


 あの時にすごい繊細なんだろうなとわかった。


 あのね俺すげ―繊細だよ


 あれできんのは繊細じゃなかったらできないよ。


 どうしてもこれ以上はやりたくない、もう行きたくない、勘弁してくれ、できないと思うとすぐ「やめた!」ということになる。


 あの時の心境を教えてよ。どういう心境?


 同じ歌を毎日歌っている、ツアーってそういうものだから。今日は名古屋、明日は大阪、明後日は広島、毎晩同じ歌を歌うけど、毎晩同じ感情では歌えない。


 そうだね。


 プロだからやらなきゃ、いけないのはわかっているんだけど、毎日同じ気分になれない。例えば「どうしてこんなに悲しんだろう」で、♪悲しいだろう みんな同じさ〜と歌っても、ある日は嘘なのよ。歌っている自分が恥ずかしい、みっともない、ウソじゃん俺ってシラケる。 そういうのが続くとすぐ「やめる」と言いたくなる。


 コンデションの問題じゃないよね。


 うん、関係ないよね。気分の問題。…特にラブソングは毎日歌えない。そんなに愛してるって毎日言えないんだよ(笑)。


 うん。


 気分悪い日、こんな演れねぇやというのも東京でリハーサルやったとおり歌わなきゃならない。時々すごい違和感を感じる。やめたくなる。これはずっと最後まで変わらなかった。


 今まで中止したのって何回くらい?


 数えきれない。相当ある。


 そうなんだ。


 だからそういうヤツなんだと思われてる。


 そういう繊細なところはずいぶん見た。だから知ってましたよ。


 今日会って良かったよ。


 結婚前に拓郎のツアーに由実さんも一緒に出たよね?


 あれはどこだっけ?地方だよね。


 ステージで紹介したね、


 突如出てきて間奏…「結婚しようよ」でキーボード弾いて


 どこだったっけね。


 そうだよ。それもあるけど、マンタとユーミンの新婚旅行にかまやつと初夜に行ったんだよ。


 どこだったけ?


 熱海だよ。


 新婚旅行の一日目に。新田さんもいた。


 ムッシュかまやつに「マンタとユーミンとか初夜を邪魔しなきゃダメだ」と言われて「なにしに行くの?バカみたいじゃない」「拓郎がいれば妨害できる」と、かまやつさんの人選で新田さんとかも連れて。


 熱海の旅館で拓郎が明け方女装していたよね?


 ベロベロで初夜を迎えさせちゃいけないという使命感があった。


 まんまとうまくいったじゃないの(笑)。


 ひどいね。


 たぶん、そういう間柄が人には想像できない。だいだい拓郎の音楽性と由実さんの音楽性って、由実さんは歌謡曲だと思っている。初めて聴いた瞬間からフォークじゃないし歌謡曲だ。全く違う音楽だった。両方やってたでしょ。 


 両股かけた男だな。


 両方、勉強になったと思っている。

M-3 結婚しようよ


 今までのベストパフォーマンスって何時の何て曲?


 手前みそだけど最近なの。最近の名古屋でやったライブの「I’m In Love」というラブソングと「流星」の3曲くらいメドレーが自分でゾクってするくらい。


 いいねぇ


 俺に久しぶりに神様が降りてきて陶酔して、歌い終わってボーッとなった。ステージ降りてからああやってよかった、本当に久しぶりの何十年ぶりかの快感だった。  


 いつ?


 2019年.


 それは幸せだね。


 それは幸せだった。武部達の演奏もその日は違っていた。そういう時ってあるよね。そん時だけ違うって。


 そういうのはあるよね、モニターが良かったのかとか原因がわかんないけど。


 演奏が俺を歌う気にさせるわけよ、もっとやれ、もっとシャウトしろとか言ってる感じの演奏。武部・鳥山もドラムもベースも後ろから押されて、わぁぁぁ、よし行くぞ!って感じで、歌い終わったあとに冷や汗というかぞっとするくらいだった。ベストステージと思っている。


 それやると次をやりたくなくなるよね。


 それをやったら僕はもうやめようかなと思った。もういいんじゃないかな。これ以上欲を出すとロクな事がないかもしない。これで満足しちゃおうよと思ったのは間違いない。

(ナレ)
次回は拓郎さんが今思うことに迫ります。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆

☆つま恋のトランザムのステージを印象的に覚えていたことも、その演奏がステディと思っていたというのも意外だった。すまん、俺は松任谷正隆はトランザムのステージとか観てないんじゃないかとすら思っていた。
 音で聴くだけだが、確かに、セカンドステージの松任谷グループの演奏ってすんばらしいじゃない。サードステージの瀬尾オーケストラとの競演がつま恋の醍醐味だと思う。

☆つま恋の夜明けがキレイだった。松任谷は「すっごい覚えている」と言った。そこまでしか話さなかったけど、彼の著書「僕の音楽キャリア全部話します」の90ページには、夜明けの美しさとともに「拓郎の背中が感動していることが凄くよくわかった」「一人の男が夜明けとともに燃え尽きて行った」と万感の思いで夜明けに包まれる吉田拓郎の後ろ姿を見つめている描写がある。ここは達意の文章で何度読んでも涙が出てくる。

☆拓郎は、つま恋の全音源を持っているというが、映像はどうなんだ、なにがある、どこにある、といつもマニアな飲み会で話題になる。とにかく全部だしやがれとみんなで酔っ払って叫ぶのである。

☆コンサートの中止について興味を示す松任谷。どういう心境だったか、何回くらいそういうことがあったのか突き詰める。拓郎も茶化さずに去勢も張らずにそういう困った自分…というスタンスでその心情を話していたのも興味深かった。

☆「繊細」それ大事。「ひよわ」とも読む。たぶん多くのファンは豪胆な拓郎の中にそこを感じとってファンになった気がする(当サイト調べ)。

☆70年代後半から80年前半の話も聴きたかったな。例えば79年にジェイク・コンセプシオンを効果的にフィーチャーしたアレンジとかサウンドの話とか。「英雄」「白夜」「アジア」「ファミリー」「サマータイム…」等の後期松任谷名作群の話も知りたい。

☆トリビアだけど「渋谷さん」の名前が出たとき拓郎が「よく覚えてるね」に対して「(当然のように)覚えてるよ」という会話があった。1980年の年末にラジオ関東の「拓郎の世界」というショボい番組にゲスト出演した渋谷高行さんが、アナウンサーから80年の拓郎の秋ツアーの感想を尋ねられて「今までずっと一緒にやってきくれた松任谷正隆さんがいなくなったのが寂しい」と答えていたのを思い出す。実は密かにひかれあう二人だったのか(爆)。


☆松任谷ご夫妻の新婚旅行の「初夜をぶっ飛ばせ」の話は何度聴いてもすげえな。とんでもない話だが最高にドラマチックでもある。拓郎は、前回のANNGで「自分は芸能人なのだろうか?」と自問していたが、他人の新婚初夜の乗り込むなんて豪快なことはカタギの一般人にできる事ではない。立派な芸能人である。それも勝新太郎、横山やすし級に近いのではないか。

☆キャリア・ハイを2019年と答える。しかも「音楽に関しては松任谷正や高中正義、石川鷹彦そして加藤和彦なんかと知り合って、音楽に目覚めて、そこで楽しい音楽のコツもわかって、そこから始まった音楽は最後まで楽しんでやったな。」と過去の四天王らとの軸線としっかりつなげている。カッコよすぎる解答。


☆ユーミンと中島みゆきをそれぞれ自分のステージに出演させた歌手って他にいるのか?

2022. 8. 25

☆☆☆朝の光の中で☆☆☆
 中学2年の時の国語の教科書に「朝の光の中で」という川端康成の随筆が載っていた。海辺のホテルの朝食の時に並べられていたグラスが朝日に美しく輝いていたという内容だった。だからどうしたと俺は思ったし、文中の川端康成の「もういけません」が面白くてクラスで流行したくらいの思い出しかない。

 そのホテルの名前が「カハラヒルトンホテル」だった。中学生には意味もわからずただ呪文のように記憶の片隅に残った。しかし今年になって奈緒のドラマ「雪国」を観ながら、川端康成って昔の教科書にあったよな…と芋づる式に思い出していって「カハラヒルトンホテル」という呪文に行き当たった。
 「カハラ」ってあの「カハラ」だろうかと思って調べたら、あの「カハラ」のことだった。そうだったのか。自分の不明を悔いた。
 中2の俺にあと何年かしたらこの川端康成の「カハラヒルトンホテル」をお前の大好きな吉田拓郎が歌にするぞと教えてやりたかった。

 たまらなくなってこの随筆を探したらみつかったのですぐにポチした。「美の存在と発見」という原題で、ああこれだ、これだと思った。

 「わたくし、カハラ・ヒルトン・ホテルに滞在して、二月近くなりますが,朝,濱に張り出した放ち出しのテラスの食道で、片隅の長い板の台におきならべた、ガラスのコップの群れが朝の日光にかがやくのを、美しいと、幾度見たことでせう。ガラスのコップがこんなにきらきら光るのを、わたくしはどこでも見たことがありません。」(川端康成「美の存在と発見」(毎日新聞社)P.9)

 あの時はわからなかったが、今こうして読むと美しい文章なのだな。ひとつひとつの光の表現、グラスと朝日の位相にまで及ぶ描写の見事さといったらない。

 「カハラ・ヒルトン・ホテルのテラス食堂の、朝のガラスのコップの光りは、常夏の楽園といはれるハワイ、あるひはホノルルの日のかがやき、空の光り、海の色、木々のみどりの、新鮮な印象の一つとして、生涯、わたくしの心にあるだらうと思ひます。」(同上)

 この漲るハワイ愛。どなたかのラジオでの語りを聴いているようだ。この文章のあとに「緑色のカーテンのスキマから夏の光が朝を告げるのです」「君を自由にできるならカハラに連れて行きたひ」ホラ違和感なくつながるでしよ。魂の通底を感じる。

 「このやうな邂逅こそが文学ではないのでせうか、人生ではないのでせうか」とまで記されている。ということで相変わらずのひとりよがりで誰からも共感してもらえないのだが、川端康成とハワイと吉田拓郎と中2の俺が時空を超えてつながった気がするのだ。妄想にもほどがあるかもしれないが、まさに人生の伏線回収だ。なんの伏線がどう回収したかはよくわからないが。
 とにかくもう一度私をハワイに連れてってと私も何度願ったでせう。
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2022. 8. 23

☆☆☆ありがとう☆☆☆
 松任谷正隆とのラジオに続いて、TAKURO BLOGのダウンタウンズのストーリーをしみじみと読んだ。過去の話を忌み嫌うことの多い拓郎だが、過去からつながる音楽の軸線を誰よりも大切にする。そこが素敵だ。過去は、郷愁のためにあるのではなく、明日のためにある、特に"そこから立ち去る事でしか「見えない未来」”と言う言葉が胸にしみまくる。
 引退、アウトロ、最後、エンディングいろんな言葉がコンタミして気もそぞろ状態が続いた。さすがに面倒になってきた。これから拓郎がどうなるのかは切実に大事なことであると同時に心の底からどうでもいいことでもある。なにがどうなろうとも、どうにもならなくとも拓郎ファンとしてのlifeはこれからも続いてゆく。てかファンは基本みんなそうだと思う。過去に停滞しているファン、今を生きていないファンなんて妄想の産物だ。それぞれが過去を慈しみつつ、それを大切に抱えてそれぞれの明日を生きているはずだ。だからファンなんだってば。そのファン中で吹けば飛ぶような私だが大事に明日につなげていきますとも、生きる限りはどこまでも。
 どうか吉田拓郎さんもこの同じ空のどこかで末永くお元気でお過ごしください。

 やっぱり何万回でも繰り返したい映画「ブレードランナー」劇場版の最後のハリソン・フォードのナレーション。
 no termination date. I didn't know how long we had together. Who does?
 最後の日がいつなのかはわからない。いつまで俺たちが一緒にいられるかもわからない、知ったことか!
 
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 そういえばアナログ盤を聴ける場所を見つけた。憚りなく踊ることもできそうだ(爆)。アナログ盤胸に抱えて行ってまいります。
 アナログ盤つながりで例の「マイ・ブロークン・マリコ」は奈緒&永野芽衣二人の映画化が成功するように祈っている。

2022. 8. 21

☆☆☆OK,Long time no see☆☆☆
 最後は1981年の体育館ツアーだったかな。俺が拓郎を聴き始めてからその時まではステージもレコードも何時も松任谷正隆がいた。ガッツリといてくれた。その後も85年つま恋とかLOVELOVEのビートルースとかほんの一瞬の接点はあったが、世界を覇するユーミン帝国に君臨するはるか遠い人になってしまった。
 今の俺のこの気分を率直に言うと40年間生き別れになっていた兄と再会して、その兄さんが昔とかわらず「やぁ元気だったかい」とやさしく言ってくれたときの心のふるえに近い。もちろんそんな経験したことないけど、想像できる限りたぶんそれぐらいの感慨深さだ。

2022. 8. 20

 あまりに感動したので調子にのってノート化してみた。あくまで自分のための備忘録なんで、是非ラジコなりなんなりでホンモノを聴くべし。あの至福な空気感は俺ごときに文章化できるわけがない。俺もまだまだ繰り返し聴くつもり。

☆松任谷正隆の…ちょっと変なこと聞いてもいいですか?@☆

(第一回8月19日分)


 マンタ―、久しぶりー。握手できる?

 できるよ、もちろん。

 マンタでいいのかな?

 俺もなんて呼んでただろう

 拓郎って言ってたじゃん。歳下だけど。

「さん」なんてつけてなくて。

 いやこんな日が来るとは、感慨深いよ。

 それは僕も。

 ミュージシャンで最後に会いたい人が何人かいる。松任谷と会って話してないなと思って。テレビでは観てる。でも車の番組で音楽の話はないし、相変わらず車が好きなんだなと。話すチャンスないかなと思ってたんで嬉しかったよ今日は。たぶん僕が他人の番組に出るのはこれが最後だよ。

 ウソ〜

<ナレーション>
 今日は吉田拓郎さんをお迎えします。二人が初めて会ったのは1971年リリースのレコーディング「人間なんて」でレコーディングの場でした。半世紀前のことを今も鮮明に覚えているようです。


 今日、自分でキャリアの最初のころのことを思い出すと、僕の一番最初知らないでしょ。

 ああ一番最初って知りたい。なんで加藤和彦が、松任谷、林立夫、小原礼、を連れてきたのかイキサツを知らない。

 林と僕はアマチュアシンガーソングライターのバックで、東急百貨店本店のコンテストに出ていてその審査員が加藤さんたったの。

 トノバンだったのか。

 2週間後に加藤さんに呼ばれて東芝のICステレオ「ボストン」のCMで生まれて初めてのスタジオという場所だった。

 加藤和彦なんだ

 だから僕を拾ったのは加藤さん。また2週間後、テイチクのスタジオに来てくれと言われて。あのスタジオの光景は死ぬほど覚えているし、そこにいらっしゃられて(笑)。加藤さんがハーモニウムを持ってきた。

 そうそう

 僕が弾いて。吉田拓郎が僕の初めてのレコーディングだった。

 今日話したいこといっぱいあるんだけど、いい?

 言って。

 広島から海のものとも山の者ともつかないガキたれが東京出てきて夢は大きかったけど、最初が通信販売のエレックレコードだったの。「人間なんて」はエレックのアルバムだったの。

 ああ、そうだね。

 「人間なんて」というアルバムでは加藤がセッティングしてくれたけど,それまで会社が紹介するミュージシャンがジャズのおじさんとかの古い人ばかりなの。当時俺は譜面書けないし、ギターでこういう歌ですって聴かせると、びっくりするくらいわけのわからないアレンジになってきて。
 僕はR&Bのバンドで岩国の米軍キャンプでギター弾いてして、ロックだったんだけど、フォークが流行ってたんでその中に入れられた。だからフォークギターは弾けないの。

 そうだったんだ。

 エレックはフォークとして売ると言うことで、会社のいうとおりにしていたの。「青春の詩」というアルバムを作ったんだけれど、アレンジはひどいのでも、もう今は絶対聴きたくない。
 そのことを加藤和彦とラジオ関東の番組で会った時に相談した。加藤君はもう超有名だったからね。いっぱい曲書きたいけどどうすれば、いいアレンジとかいいバンドとか、どうやっているのって尋ねたら、そしたら「俺が手伝おうか」って言ってくれた。
 エレックとはもう一枚アルバム作ることになっていたから、「結婚しようよ」、「どうしてこんなに悲しいんだろう」で加藤君が呼んできたのは君たち(松任谷正隆、林立夫、小原礼)…全然知らなかった。でもそれまでおっさんたちだったので、若い人たちとできるのが嬉しくて。
(BGM どうしてこんなに悲しいんだろう)
 やっぱりレコーディングはこっちだよな、若いミュージシャンとレコーディングするとわかりあえるし、話が通じ合うと面白いし、いい音ができると思った。

 話は長くていい?

 いいよ。

 「どうしてこんなに悲しいんだろう」もコード進行だけ渡したら、加藤和彦がアコギで
入れてくれて、B3で間奏を松任谷正隆がその場で弾いてくれた。あの間奏が素晴らしい。
ぶっ飛ぶような、その場で作ったのにまるで家で準備してきたような演奏だった。

 ホメてもらった印象ないけど(笑)

 あんときゃまだわからないの、後になってありがたみがわかるの。

(M:どうしてこんなに悲しいんだろう)

 どうしてこんなに悲しいんだろうのB3のオルガンソロのそのあとレコード会社をソニーに移ってそこでアルバムを作ってマンタにも手伝ってもらうんだけど。
 「(今はまだ)人生を語らず」というアルバムの「人生を語らず」という歌を作った時に
(BGM:人生を語らず)
 コード進行だけ渡したら松任谷がヘッドアレンジをしてくれて、松任谷が平野兄弟に(Ⓜ懐かしいな〜)こういうリズムでと指示して、ギターは矢島だったんだけどワウワウ使ったらどうかとか、そして間奏にコード進行しか渡していないだけなのにソリーナを持ってきた。これがどこでどうしてこのこういうメロディーが出てくるのかというくらい凄いのよ、松任谷正隆という人が。奇跡のようで。松任谷正隆のこのメロディーは今も50年経って今でも同じメロディーでライブをやっているんだよ。
ⓣⓂ
ターンタターターンターンタン。

 誰も替えられないの。どんなアレンジャー、どんなバンドでも、ミュージシャンも変えたけどあそこに行きつく。50何年間だよ。あの松任谷のフレーズを誰も替えられないのよ。すごくない? 

 最初のオリジナルってそういうもんだよ。

 でもこんなのは僕は無いよ。
(M: 人生を語らず )

 余分だけどギタリスト高中正義のライブ73ってあったんだけど、 松任谷にもいてもらったけれど、あの「春だったね」あのイントロ、あれも50年間変わっていない。

 あれは拓郎だよ。

 オルガンでしょ?ギターはオルガンと違う。オルガンのイントロはマンタに言った覚えがある。加藤和彦のアイデアマンとしての凄さ、松任谷の天才としか思えないメロディーの作り、その場で浮かんでしまう、高中のギターその場で浮かんだギター、50年間変えられなかったというのは 加藤和彦、松任谷正隆、高中正義そしてフォークギターというものを教えてくれた石川鷹彦、彼からはフォークについて教わった。この四人は僕を育ててくれた四天王と呼んでいる。

 初めて聴いた(笑)

 この4人がいなきゃ今の僕はいない。絶対ない。

 まず吉田拓郎は絶対最初に言葉から入ってきた。考え方から入ってきたから、生粋のフォークって信じて疑わなかった。それがR&B?

 フォークってよく知らないのよ。だから松任谷にはあの頃はボブ・ディランとバンドの話をよくしていて、俺がボブ・ディラン、松任谷がザ・バンドというようなバンド編成とかアレンジをしてくれとよく言っていた。僕は、ボブ・ディランはロックシンガーと思っている。

 そうね。

 フォークって、日本だと四畳半フォークとか言っちゃ悪いけど演歌みたいじゃんとか思ってて好きじゃなかった。アマチュア時代は岩国の米軍キャンプで黒人相手に歌ってたのが、フォークということにになった。でもフォークだったから売れたし、俺はロックだと言ってやっていたら売れていなかったかもしれない。ブームは怖いものだ。
 そこでアコースティックギターをもっと勉強しなきゃと思って石川鷹彦にスリーフィンガーとかどうやって弾くんだいと教わったし。

 何ツアーかい一緒に回ったけれど確かにフォークとは思わなかったな。でも最初はフォークとは絶対に思ってたよ。

 松任谷フォークとか知らなかったでしょ
(BGM:明日に向って走れ)

 いや僕はキングストントリオとかさ(笑)

 実は松任谷正隆ってバンジョーとかフラットマンドリンとかうまいじゃん、みんな知らないよ。みんなは君のことはキーボーディストと車に詳しい人と思っているだろうけれど。かまやつひろしが歌った「我が良き友よ」のバンジョーも松任谷だよね

 あれ俺なの?こないだ新田さんに会ったらあれは俺の弟だったとか言ってたけど。

 違う、違ういや松任谷だよ。俺のいろんな曲でフラマンとか入れてくれてる。
今でも弾けるの?

 こないだバンジョー2本買った。すごい好きなの。フラマンは欲しいけれど弾くところがなくて。

 バンジョーフラマンを必要しているレコーディングってないでしょ

 凄いダビングしたのは覚えているよCBS、 仁さんがいて。

 六本木の1スタだよね。コード進行の紙きれ一枚を渡して、それをその場でギターでこういう曲だと歌うと、松任谷がその場でまとめて各ミュージシャンドラムベースに指示するヘッドアレンジ。エルトンとかドラムのミッチーもいるけど島村(英二)とかあの頃の連中はみんな松任谷に影響を受けている。それがすげーわかる。
 松任谷のアレンジは独特で凄いのよ。ほんとにすごい。特にリズムセクションの作り方が天才。君は文句なしあの時代だよ、ドラムのサゼッションが凄い。

 記憶が改善してるんじゃないの

今聴いても凄い。今日かけたいとお願いしたのが「戻ってきた恋人」という曲があるんだけどドラム・ベースのアレンジ。あれはその場では思いつかないよ。♪テケテケテケテケットットというやつ。元の曲はエイトビートなのに、俺なんか目がクラクラするよ。

 それ聴くとニューオリンズだね。ニューオリンズをやりたかったんだね。

 あの時代になんでフラマンとかバンジョーとか好きでブラフォーの可能性もあったのになぜニューオリンズか詳しいのか どこにルーツがあるの?

 僕らの共通点のディランとバンドがあるじゃない。
(BGM :The Weight)
 ザ・バンドが「ロック・オブ・エイジ」というライブアルバムがあってそのホーンセクションのアレンジをアラン・トゥーサンがやって、アラン・トゥーサンをたどってゆくとミーターズというバンドにいきつき、そこらはドクター・ジョンとかニューオリンズがいるわけ。

 松任谷あの時は二十才前だよ

 二十才くらいかな

 そのころに70年代にニューオリンズを持ってきてこれをやれって人はいないよ。

 変わってたのかな。

 あのアイデアは凄いよ。「戻ってきた恋人」あのリズムは今でも気持ちいいよ。これはステージではできない。

 聴いてみたいな

 聴いてみて、「戻ってきた恋人」
 (M: 戻ってきた恋人)


 あの頃の俺たちは育ちがよくなくて荒くれ物の集団だったけど、松任谷だけ、この人どっから来たのという感じで雰囲気が違っていた。松任谷もフンとしてた。

 お酒飲めないし。

 お酒飲まないし人付き合いもしない。みんなが楽しんでいると輪に入ってくるけど
自分からはワイワイ騒がない。無口だった。独特の立ち位置にいたのよ。


☆☆☆感想☆☆☆

☆こんなに嬉しそうで熱量の高い吉田拓郎は久しぶりだ。堰を切ったように溢れる情意。魂だ。魂で話している。

☆いかにこの二人が天性の音楽家であるかということが胸にしみてわかる。もう心がふるえるったりゃありゃしない。

☆最初は「マンタ」と呼ぶ拓郎だが、だんだん熱を帯びてくると「松任谷」「松任谷正隆」と呼ぶようになる。これは、吉田拓郎がどれだけ松任谷正隆に対して深い敬意を抱いているか、誇らしく思っているかの徴憑だと思う。

☆ここに本物の美しきリスペクトがある。

☆話題には出ないが「明日に向って走れ」がBGMにチョイスされているところ。

☆この二人の作り上げた音楽やステージを体験できたことを私も心の底から感謝したい。

☆惜しむらくは松任谷正隆ともう一度、四天王とも、エルトン、島ちゃんとももう一度、…ああ詮無いことは言うまい。

☆次回はライブの話か。楽しみだ。楽しみ過ぎる。

2022. 8. 19

☆☆☆OK始まる☆☆☆
 電車の中でリアタイで聴いた。たまらん。こんなに嬉しそうな吉田拓郎を久しぶりに聴いた。こんなふうに音楽の海をいきいきと泳ぐことが何より好きなんだな。松任谷正隆が言葉少ないけどしみじみやさしくてまたそこが泣けるんだ。来週が待たれるし、また聴き直したい。

2022. 8. 18

☆☆☆OKの周辺☆☆☆
 最近spotifyでアグネス・チャン「グッド・ナイト・ミスロンリー」(1978年・作詞 松本隆 作曲 松任谷正隆 編曲 松任谷正隆)を聴いている。われらが「アゲイン」(作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎 編曲 松任谷正隆)のB面である。後にこれがA面になるという下剋上な展開があったのだがその点の経緯はUramadoで書いたし今となってはどうでもいい。そこには書けなかったがアグネスのレコード会社の移籍も絡んでいたようだ。

 とにかく大切なのは名曲が名曲として生き続けることだ。1978年のB面曲がこうして44年後に一緒にいてくれてご機嫌な気分にさせてくれる。このことに他ならない。

 「アゲイン」は名曲であるがこの松任谷正隆の曲も負けず劣らずの名曲である。AB双璧シングルである。
 彼のメロディーを全部聴いているわけではないのでもっと傑作があるのかもしれないのですまんが、とにかくこの曲はPOPでドラマチックな素晴らしいメロディーだ。爽快感あふるるOK松任谷!と叫びたくなる傑作だ。気のせいか拓郎、ユーミンのエッセンスも少ずつ入っている気がする。あの飄々とした松任谷正隆はこういう情熱的なメロディーを書くのか。
 途中のフレーズで、
 ♪君がよそ見した時 鞄に薬入れた〜
 えっ!!松本隆もすげぇ詞を書くな〜と驚いたが、船で旅立つ君に船酔いの薬を忍ばせるやさしさという意味だったので安心した。>なんだと思ったんだよ

 同じ78年の12月のアグネスのアルバム「ヨーイドン」では、これまた私個人としては大傑作と讃する「ハート通信」(作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎)が静かに発表されている。ということで78年の後期のアグネスが実は名曲の祝宴場だったりするわけである。

 そういえば慶応出身の友人に自慢されたが慶應義塾高校の応援歌は松本隆作詞、松任谷正隆作曲だそうである(ちなみに慶応中等部の同窓会歌は、松本隆作詞、鳥山雄司作曲だ)。
 KO!松任谷…ってそれが言いたかっただけの話だ。

2022. 8. 17

☆☆☆OK月間☆☆☆

 ということで8月19日から3回にわたって松任谷正隆と吉田拓郎の対談がFM東京でオンエアされる。マイ・ブロークン・サイトもこれに向けて気分が上がってきた。
 以前の日記で書いた超私的に天国に持ってゆきたい松任谷正隆をもう一度聴き直しさらに気分を高めたい。ということで松任谷正隆月間の突入である。

☆天国の島に持ってゆきたい松任谷正隆のキーボード7選(しみじみ抒情編)☆

いつもより余計に弾いております&ジェイクとの見事な掛け合い舞姫(TAKURO TOUR 1979)
ぽっかりと浮かぶ陽だまりのような心地よき間奏の至福野の仏 (ライブ73)
披露宴、ディスコのチークタイムにも最適だがどっちも縁がなかったが美しい未来 (大いなる人)
見事な後奏&暖かな焚火のような音色襟裳岬 (今はまだ人生を語らず/つま恋75) 
ボーカルに静かによりそう妙味白夜 (ローリング30)
スチールギターと拠りあう切ないまでの美の極致無題 (ローリング30)
ああ、どちらもどうしてこんなにいいんだろうどうしてこんなに悲しいんだろう (人間なんて/明日に向って走れ)

<次点>
いきなり天空から降ってくるピアノ流星(シングル)

☆天国の島に持ってゆきたい松任谷正隆のキーボード7選(ロック&ポップ編)

神様が遣わしたもう奇跡のソリーナ人生を語らず (今はまだ人生を語らず)
ポップに弾ける二人ザ・バンドの船出春だったね (元気です)
マンタ・ビギニング&フォークの国のエクソダス結婚しようよ (人間なんて/TAKURO TOUR 1979)
心優しいキーボードと踊りだす手風琴まにあうかもしれない (元気です/TAKURO TOUR 1979)
傷癒えぬままの蘇生に優しく強く寄り添うキーボード明日に向って走れ (明日に向って走れ)
ウキウキ跳ね回るポップなピアノ戻ってきた恋人 (今はまだ人生を語らず)
永過ぎた春を水中翼船のように進むキーボード春を待つ手紙(シングル)

<次点> 
バースト前の荘厳な鎮魂のピアノ英雄(ローリング30)
イントロとブリッジのピアノあってのファミリー(無人島で…)

<評価検討中>
ごっつ必死でピアノ叩きまくるおまえが欲しいだけ(ONE LAST NIGHT IN つま恋Uビデオ)
                                 以上

 私のベストワンは、1979年のライブの「舞姫」だ。ブルーの全体照明の中でピンスポットを浴びて前奏、間奏、後奏をこれでもかと弾きまくる華麗な姿が忘れられない。

2022. 8. 16

☆☆☆マイ・ブロークン・プレス☆☆☆
 プレス工場の方々が身を削るようにして五寸釘で掘ったという話を聴くとやっぱりこの美しいアナログLPは飾るだけでなく音を鳴らしたいと思う。先輩サイトの方がアナログLPにさんざん文句言いながらも実はレコードプレイヤーを求めようとしていた話にもやられた。特にファンの矜持として粗末なプレイヤーでかけたくないという気骨に胸を打たれた。
 今さらだが俺もこのアルバムをきちんと鳴らそうとあらためて思った。しかしアナログプレイヤーを置く物理的スペースが我が家にはない。どこか他所に行かねばならない。

 で話は一見違うが、先週仕事で茅ヶ崎までの外回りのときに電車の中で、マンガ「マイ・ブロークン・マリコ」を読みながら東海道線の車内で涙した。今年初めに永井みみさんの「ミシンと金魚」に感動したが、マンガで比較にはならないが、これはこれで胸わしづかみの短編だった。秋に映画化公開されるとのことで、そうなるときっと吉田拓郎界隈でも話題になるかもしれない。しかし、いつだって漫画の実写化は微妙過ぎることが多いので、できれば先に読んでおきたいところだ。
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 俺はこれを読んで、不謹慎だと怒られるかもしれないがこのアナログLPを抱えて音を鳴らす旅に出ようと思ったのだ。還暦過ぎにしては軽薄すぎるか。 
 レコードプレイヤーを持っている知人は2,3人いるにはいるが、ジャズかクラッシックのファンばかりだ。コルトレーンとかカヴァレリア・ルスティカーナとかが鎮座まします中で、膝を正して聴くのも窮屈だ。もっと自由に、例えばショルダーバックやgo toのあたりでは誰憚ることなく踊ったりしたい。ということで期日未定だが音ならしの旅に出ることにした。 

2022. 8. 15

☆☆☆I Shall Be Released☆☆☆
 先日のANNGは、あいみょんとのトークのみならず拓郎自身も意気軒高で嬉しい放送だった。これを聴いて「解放されたとき拓郎はいちばん輝く」というメールをいただき納得した。なるほど。引退ではなくこれは解放なのか。解放されてゆく吉田拓郎の旅路が続いているということか。

 暮らしの手帖の「戦争中の暮しの記録」を読みかえす。ひとつひとつの投稿は短いが、どれも内容はあまりに重たく読み飛ばせない。そのひとつに飼犬はすべて国に供出すべしという条例にどうしても従えない女性がリュックに愛犬を入れて命がけで疎開地に逃げるという体験談がある。夜行列車に潜り込んで息を潜め取締と密告のピンチを切り抜け、疎開地に着いてからも近所や憲兵の監視と飼犬狩りの猟師たちに狙われるいくつもの危機を潜り抜ける様子には胸が苦しくなる。
 戦争は国と国だけでなく、国内もしっかりと分断してしまう。というか少数派を分断しないと戦争はできないのだろう。なんか最近は分断の準備が顕著に進んでいやしないか気になる。

2022. 8. 14

<オールナイトニッポンゴールド 第28回 2022.8.12>
 毎週金曜日は週替わりでお送りしていますが今週は吉田拓郎です。吉田拓郎というより”吉田たんみょん”が(笑)。先日あいみょんとお会いして今日から僕は”たんみょん”で再デビューするかもしれないと宣言したらKinkiKidsの堂本剛からから絶対売れまへんがなと言われた、ああそうでっか(笑)

 さて巷では「吉田拓郎が芸能活動から引退する」ということで、普段だったら僕の音楽とかにも興味も持っていないメディアとかマスコミがいろいろ書いています。その中で、「拓郎に近い音楽仲間」…誰だよ呼んで来い。「拓郎をよく知る人」…誰だ。そういう人の談話というが、嘘つけ!おまえが書いているんだろう。
 僕には近い人とかよく知る人なんていない。せいぜい同じマンションに住んでる方々くらいだ。今、植栽管理しているのでいろいろクレームあったりして(笑)、小さいマンションなので住人の方々は知っている。吉田拓郎が何時ころゴミを捨てたりするとか、よく会うんだ…奥様と立ち話したりするし、そう言う人は知っているかもしれないが、そんな近いやつがいるワケがない。

 アナログ盤のエッセイ”ちょっとだけTrue Story”でも書いたけれど、責任を負おうとしないメディアの作り話に惑わされるな。ネット社会の都市伝説、フェイクニュースこれらは全部嘘。

 僕は芸能活動から引退といわれているけど、佳代さんに俺は芸能界にいたのか?と聞くと佳代さんも「芸能界?私もあなたもどうかしら?」ということで俺たちは芸能人だったのかということが話題になっている。どうも違う気がして。
 芸能界を引退するというのは違うんではないか。そもそも芸能プロダクションにいたわけではない。最初はユイ音楽工房というニューミュージック系ばかりで社長が最初は大学のクラブ活動の延長みたいな感じだったんで芸能プロという感じはない。その後は自分で立ち上げたファミリーのような感じだった。
 「The芸能界」の方々のお付き合いとか曲を提供したりしていたことはあったし、フォーライフレコードの社長の時はそういう方々とのお世話になりながら会社を立て直した。
しかしどっぷりと芸能界には入りきれず中途半端だった。中途半端だったので芸能界引退というのは似合っていない。俺はそこにいなかったもんという感じだ。

 いろんなことを中途半端に 自分の好きなようにやりたいことを生きてきた。50何年間パーソナルに個人的に好きなことをやってきた。
 その中で好きだったコンサートツアーをもうやらない、面白いと思って出てみたテレビももう出ませんよ、育ててくれたラジオもそろそろ卒業させてくださいよ。それが芸能界に引退になってしまう。僕は僕でしかなかったと。それは満足している。どうも芸能界引退というのは好きになれないフレーズだ。あえていえば卒業…リタイヤでいいやね。

 ほいでほら、引退というとどうしても悲観的だ、もうこの先に何にもないイメージだけれど、例えばラジオだって今週はあいみょん、来週は菅田将暉が出てくれる。楽しみだし。久しぶりにあそこの美味しいもの食べに行きたいとか平凡な日常の楽しみもある。人生をリタイヤしているわけではない。生きる事を引退しているわけではない。
家では毎日ギターも弾くし、ギターだこもできているし、曲だって作るし、打ち込みも家でやりたいし、やりたいことはいっぱいあるよ。引退、引退、引退というのはやだなと思う。今日もあいみょんがゲストだし若い人たちの話を聞けるのは楽しみだ。

▽今夜も自由気ままにお送りします吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

<再プレスのおかげで予約できた、ありがとうございました、厳しい決断だったと思いますという投書>など

 再プレスが決定しました。とはいえ限界がある。今時、アナログLPを必要とする人がどのくらいいるのか、固い数字としてはある。それでも自分で仕事部屋、勉強部屋に飾りたい。思い出として一生飾っておきたい。ということで篠原にディレクションお願いして、デザインしてもらい、写真選びもして奈緒にモデルになってもらって、つま恋で撮影した、僕の記念ということで始まった。付録みたいなカタチでつくろうということになった。
 アナログプレス会社にも事情があり、たくさんプレスする環境が整ってない。限界の枚数というものがある。これくらいで十分だという限界まで作っていただいて、あっという間に予約が一杯。みんな驚いた。
 やっぱりそこに転売という非常時に腹が立つことがあって、最後のコンサートの時もそうだった。だから、こちらも最低限の努力をしようということで再プレスしようとプレス会社の方にも無理を申し上げた。
 アナログのプレスは工場で僕が歌う、工場の方々がそれをレコード盤の溝に五寸釘で・…  そんなことあるわけねぇだろ(笑)…そんなことはないけどそれくらい環境は整っていない中で再プレスをお願いした。
 それがあっという間に数字がいってしまうと、僕個人の読みが甘かったというしかない。
 アナログ盤を買っている人に失礼だけれど、どうして必要なのよ?という気がしている。エッセイはついているけど…値打ちはそんなにあるとは思えない。
あ、ジャケットは素晴らしいよ。奈緒も素晴らしいモデルとして被写体だし、篠原ともえのデザインも素晴らしい。美術的な感覚で絵を買ったと思うと良い。
とにかくありがとうございました。

 今日の一曲目は、小田和正…我が盟友が、コンサートをできずに残念なことになって、
心配している。早く回復してステージで、元気な姿を見たい。小田和正からは、メールで、感染もあるので楽屋とかには来ない方がいいよ、窓を開けっぱなし風通しのいい部屋でスイーツ食べながらおまえと話す方が楽しいよとメールが来た。


M-1  雪さよなら  吉田拓郎 (with 小田和正)

▽CM

 僕の家は今大変な状況です。僕もアルバム出したばっかで36年間でウチの人がやっと認めてくれてよくアルバムを聴いてくれている。
 今、若い人の音楽が素敵だということで米津玄師を勧めたらウチの人は夢中になって、もう朝からうるさいくらい聴いていた。
 しかしスポーツ選手はじめ男については飽きが早い。あいみょんを勧めていたけど、女の人独特の何かがあって、最初はそうでもなかったたのが、LOVELOVEのテレビで心を掴まれてしまった。
 妻に頼まれて僕が知っているあみょんの曲をつなげてUSBに入れて、一か月経つけど朝昼晩あいみょんを聴いている。あいみょんが終わると「終わったよー」と声をかけてきて、僕が自分のアルバムに切り替えて、それが終わると、またあいみょんにに切り替えると忙しい(笑)。とにかく何をしていても”初恋が泣いている”が頭から離れない。

 LOVELOVEでもこの歌を歌っているとき拓郎さんが拓郎さんのパートじゃないところも一緒に口ずさんでいてくださってました。

 そう、一か所しか歌わせてくれない。他の曲も頭のでは回っている。面白い話があって、「初恋が泣いている」。妻は歌詞カードを見ないで聴いている。
 ツーコーラス目にママが紅をひきながらというフレーズがあってどんなママなんだろうと思ったららしい。そう思ってまた一番を聴いた時に「電柱にぶら下がったまま」というフレーに「ママが電柱にぶら下がっているの?」と(笑)

 そう聴いてしまいましたか(笑) ぶら下がった「まんま」を「ママ」と思ったんですね。

 あいみょん研究としてはこうやって話をすり替えられそうな歌が多いと思う。好きというのも本当に好きって言っているのかな、あいみょんは天下の嘘つきではないかと思ったりもする。

 誉め言葉と思います。

 「マリーゴールド」の「でんぐり返しの日々」。自分もかつては新しい歌を作っていると思っていたが、こんなフレーズはとても浮かばない。僕が知ってる作詞家がこんな詞をつくれるわけがない。こういうことを歌詞にしてしまう。変わった人だな、そして凄いな。 でんぐり返しの日々、どういう日々なんだろう。つまんねーことがあったときのことかな?…いろいろ妄想する。


 いろんな想像力を働かせて妄想してもらうのは嬉しいです。作る時に歌詞と曲を同時進行で出てきた言葉を流れのまま歌っている。深い意味なく歌ってて気持ちいいなと思います。繰り返してゆく、ぐるぐる回ってゆく日々という意味なんですけど。

 かきたてられるね。ストレートに好きとか嫌いとかこっち来るなとかストレートな言葉と違って、どう受けとるかは自分なりに判断するしかない。

 まどろっこしいんじゃないか、わかりづらすぎるんじゃないかと思うこともたまにあります。

 だから面白い。まるでクイズみたいで、どっちとも取れる。そういう歌詞ってみたことない。日本の昭和からの演歌からJ-POPからフォークからロックとかの流れの中で「ない」。

 まだデビューして自分のオリジナルなものはないと思っていたので唯一のものって認めてもらえて嬉しいです。

 “桜が降る夜に”という歌で「4月の夜はまだ肌寒いよねというそう語り合う微妙な距離の二人は」という歌詞がある。凄いな。そういうカップルはベタベタではない。

 距離感を表現するのに会話を使うのはひとつの手法です。

 そうかそんな話をするっていうのは大した二人ではないということか。そこってなんなんだろう。それほど人生体験をしているとは思えない。

 ぜんぜんです。感情ゆさぶられる経験はそんなにはない。歌詞すべてを経験しているわけではない。


 そうすると妄想と想像力だけで乗り切ってきたの?

 六人兄弟の中でいちばん迷惑をかけず反抗期もなかった。手はかからなかったけど他の兄弟とは違っていたと母に言われた。絵を書く、作文を書く、本を読むことばかりしていました。 

 僕も小さいころ病気がちで学校も半分くらいしか行ってなくて家で妄想している子だったけど、それってだいたい女の子の事だったな。女優さんのこと、ハリウッドの女優や日本の女優のこととか。


 妄想することは悲観的なこと、例えば兄弟の中で自分だけ…とか

 あ、わかる俺も

 でも外面はメチャメチャ明るい。

 俺も(笑)

 小さいころから写真とかでは人前ではふざけている。そのうち映画が大好きで主人公に置き換えて妄想するようになった。

 それって今、役にたっていますか?

 まったくない。なんだったんだろうって。よく誰かの影響を受けているかとか質問されるんですけど、それはない。自分がなんでこういう詞を書くのかよくわかんない。

 兄弟とかに音楽をやっている人いる?

 父が音響関係の仕事で、楽器もあつたし、音楽も流れていた。唯一私だけが音楽に興味をもった。お父さんの聴いている音楽をそのまま聴いてきた。

 それは日本の楽曲?

 日本ですね。

 そういう日本の音楽の影響は受けていないね
 
 そうですか?フォークとかその辺りは…

 ない。フォークもへったくれもない(笑)。あなたはOne&Only

 拓郎さんたちの影響でそういう細胞を貰っている受けてんのかなって

 僕もよくあいみょんの曲って拓郎さんの影響とかありますよねとか言われるけれど
「ない」。全然僕の音楽とは違う。

 そうですか?

 何が違うって… 
 音楽って詞にメロディーつけて最初ギター一本で弾いているとわりと同じように聴こえるものでも、それがアレンジされて、バンドでミュージシャンがついて、コードも少しいじると違う音楽に生まれ変わる。その点、僕が会いたいくらい、いいミュージシャンだし、アレンジから何からいいスタッフがいるなと思うし、それは財産だよ。
じゃあギター一本の時の音に吉田拓郎的なところがあるかというとそれはない。絶対にない。やっぱり今後はあいみょんぽいものは出てこない。そういうOne&Onlyひとりで最後なのよ。

 嬉しいな。でもいつか自分はあいみょんに憧れて影響受けました言う人が出てきてくれたらと思う。

 それはいっぱい出てくるでしょう。僕もさういう人が出てきたけど全然違ったよ(笑)。気分はいいけど、僕もこの歌に影響受けましたといわれるけどどこにも影響ないじゃんというのが多い。 あいみょんも、こんな詩の世界は考えられない。この世界感が考えられない。
 「恋をしたから」の「夕方の匂いが苦しい」。夕方の匂いが苦しいって、こんなのキミだけだよ(笑)。ないな。どんな事情があるにせよない。どうして二十幾つの女の子からポンポコこういう言葉が出てくるんだろう。

 頭はずっと動いています。頭を休ませることって死ぬまでないです。何かないかなといつも頭が動いている。気づけば作っている。意識もないくらい。

 どんどん湧いてくるの?

 はい。

 えー

 夕方の匂い。深い意味があるわけではないんです。上京してきて前住んでいたところが、夕方になるとサバの煮つけの匂いが漂ってきて、実家帰りたいな、家族元気かなと思いました。

 サバの煮つけから 夕暮れの匂いが苦しいという詞が浮かぶ。面白いな。

 家族に会いたくなる匂いです。   

 あと「愛を伝えたいとか」の少し浮いた前髪って歌詞。

 めちゃくちゃ熱弁してくださってましたね。

 少し浮いた前髪って毛の薄い人も含めて(笑)これはいいなぁ。割れてしまった目玉焼き。そして「明日、僕かいい男になれるわけもないし」。こんなこと言われたくないけど当たっている。

 それって裏返すと私だって明日いい女になれるわけないしという意味もある。

 でも男の子達ってすげー喜びながら ああでも俺の事だと思うわけ。なれないよ。こんなことを歌にした人っていない。
 「風のささやき」どんなロマンチックな歌なんだろうと思うと全然違ってまたあいつをぶん殴ってやった、知らないくせにふざけんな
頑張れなんて言うなよクソが…

 上京してはじめて作った。頑張れと言われることが嫌で、頑張っているんだからそんなこと言うなよと思ってしまいます。

 勇気ある歌詞「クソが」。これがメロディーにのっかっている

 ほめられまくり(笑)

<ご当地グルメはあいみょんさん自分で探すのですかという投書>

 そうですね、自分でも探すし、もっとやりたいですね。これは欲しいというのはチェックします。

 ツアーに行くとコンサートの後でかけるの?

 こういう状況の前は観光もしていた、その土地で知りたいこともあります。

 街で「あいみょん」と言われるのは面倒くさくないか

 ないです。よく気づいてくれたと思う。拓郎さんはかけられたらどうするんですか?

 ハイ僕です(笑)

 その通り(笑)

 ではここで電線にぶら下がっている歌

M-2 初恋が泣いている    あいみょん

▽11時

たんみょんがお送りしています

よっ、中華!

<ギターを弾くとき好きなコードはあるかという投書>

僕はE

私は、Cadd9が好き音でギターの試し弾きをするとき必ずこのコード


僕は絶対E で一弦が低めにチューニングされていないと。
E でまずやってCへ。Cで作ることはない
あいみょんはギターを弾きながらつくるの?

Cadd9押さえて、じゃらんと弾いて同時に言葉が出てくる。「メロンソーダ」と出たらそういう歌を作ってゆく。ゲームのような感じ。

コード進行は詳しい?

いや、コード読めないし転調もできないしアレンジャーと打合せしてもらう。
ギターの名称もわからない。いい意味でギターに興味がない。拓郎さんも言っていたけど私もギター少ない。一本でいい。
    

それで弾き語り大会によく出たね?両国で陽水たちと。

弾き語りはよくするんですけどギターには興味がなくて。ローディさんから「あいみょんもう一本ギター買ってくれるといいんだけど」といわれて「はーい」と買ったり

ギブソンとかフェンダーとかこだわってない

全然。ビンテージとかも持っていない。

いいことだと思うよ、よくギター何百本も持ってる人ってバカだと思う(笑)

C系で曲は作るの?

はい。指弾きもします。スリーフィンガーとか。下手ですが、それでしかアルペジオができない。小指と薬指はボディにつけたまま。

<拓郎さんのギターテクニックをあいみょんさんに伝承してください、伝承できるのは拓郎さんしかいないという投書>

あれ以来、ギターの持ち方を観ちゃうなといわれます。

大事だよ。ギターを抱えた立ち姿。サマになっていないのは歌ヤメロと言いたい。

左手を浮かせているのがハンマリング

それはやっています。

ひとりで弾いているように聴こえないでしょ。

ドラムが鳴っているような感じですね。練習しよう。

コードCからどこへ行きたい?

そのままGが多いです。

C→Em→Dm→Gに落ち着く
Aフラット入れるといい。C→FもC→Fm

Fm好きです。

コードをいろいろ覚えると面白いよ

たまたま抑えたコードで作っちゃうことがある。勉強したくない一心。

アコースティックギターの人は大したことないけどエレキの人はいろいろなテクニックがあって面白いよ。オーギュメント入れるとか。

きっかけになりますよね。

エレキ弾いたら?

重いから(笑)なんでこんな重いのと思った。

あいみょんの曲、アンプにぶっこんでエレキでガーンと聴きたい曲って多いよ

ホンマですか?

CDだとエレキはオープンコード鳴らしている

受け継ぎます。

アコギよりエレキの方が面白い

ライブ中にギターソロカッコイイと思うけどても重たいよなと。
エレキは家にも一台もない。あったんだけど、ギターを置くスペースがない。


アルバムを聴いて凄く伝えたい。ボーカルって高いとこ歌う時にファルセット使うと女性ってヒステリックになってくる。でもあいみょんの声は裏声になってもヒステリックにならない

便利な声質だなと思います。「便利」という言い方にしている。

鍛えてもできないし。この声を作ってくれたご両親は凄い。そうしようと思ったのではないだろうが。

自分では高いところを張る時に心配でした。

ぬけがいい。小さいころに違う職業になりたいと思ったことは

ずっとパン屋さんにあこがれていた。ずっとパン屋の匂いが好きだった。あそこは天国かと思った。近所にパン屋ができてふるえるとほど嬉しかった。パン屋になったらこの匂い嗅ぎほうだい。あとはカメラマンとかお父さんのようにPAとか。もともと絵を描きたかった。学校で唯一褒められていたのが美術。ある時に想像で絵をかくのが苦手だとわかった。模写は得意だったのだが、オリジナルを生み出せないことがわかった。

俺も写真部だった。ヌード写真を撮ったという噂でクビになった(笑)

最初ポラロイドカメラからフィルムカメラ…今も持っている。暗室とかも経験ないけどやってみたいなと思います。


暗室で憧れの高校生との写真をハートマークで合成して売っていた(笑)
学校の頃、男子学生とは遊んでいた?

均等に

クラスでは人気者?

真面目でした。高校留年しているんだけど。学校に行くのは友だちに会うこととノートをいかに美しくとるか。ノートはアートだった。筆箱はカラーペンでパンパンでした。

変わった子だな。授業の内容ではなくて写し取るところ。

アイツいつもノートとっているのになぜ留年と思っていただろうと思います。

あいみょんは甲子園でライブやるんだって?

甲子園45000人のセンターステージで弾き語りやります。

野外ライブということで拓郎さんのアドバイスをという投書が来ているけれど野外ライブ嫌いだから(笑) お酒は飲むの?

ビールが好き。味が好きで一日三缶は飲みたい。家帰って一杯、食事のときに一杯、お風呂上りに一杯。

おっさんみたいだね

ライブのあともこのために頑張ったんだということで、まずステージから降りてビールをキンキンに冷やしといてもらう。ウィスキーも好きだし、ビールをたくさん飲んだ後、家には白州とかラフロイグとかメイカーズマークも揃えてあります。日本酒にはまだたどりつけていないです。
 お酒を飲み過ぎて失敗もあります。メチャメチャ元気になって、ただの酔っ払い「The酔っ払い」


カメラ好き、酔っ払いそこは吉田拓郎と似ている(笑)

昔の髪型とガチャピンと言われたところも似てますね。
  
M-3  桜の降る夜に   あいみょん

「初恋が泣いている」は名曲だけど、初恋の話をしてみたいな。僕は高校2年の時に壱年下にテニス部の嶋田準子さんがすごく気になって、同級生にセッティングしてくれと頼んだら、おまえ曲をプレゼントしたらどうだと言われて。

M-4 準ちゃん(生歌)     吉田拓郎

放課後に聴かせたら「変なの」と言って去っていった(爆)。今も忘れられない

初恋どれやったかな。一番小さいころ小学生かな、元気な男の子だった。中学生もそう。陸上競技をやっていて、アルバムの写真観てもぷっさいくな顔して走っている(爆)。同じ部活の子だった。顔が好きでした。目がクリっとしてモテていました。
 その子に卒業に第二ボタンもらった。別に流行していたからもらったという感じで。拓郎さんとおなじや。だからと言って、初恋の曲、じゅんちゃんのような曲はなかったです。


嶋田準子さんに東京でデビューしたあとももう一曲作った(“準ちゃんが今日の吉田拓郎に与えた多大なる影響”のサワリを生歌)。それくらい強い憧れだった。
今コンサートツアーをしているが、時間ができて行ってみたいところはありますか。

もともとはニューヨーク行きたくて、予約したら行けなくなった。今は日本で行ったことないところに行きたい。プライベートで旅したい。コンサートツアーで行くと会場とホテルの移動ばかりになるので、そうことがなく過ごしたい。

温泉とか好き?

私、お風呂苦手なんです。

似てるよ(爆)

湯船に長いことはいられない。10分で出てしまう。 

よくお風呂で本読んでるバカがいるよね。

湯船につかっている人生なんてつまらない

アタシ、猿と温泉に入ってみたいんです(笑)

あるよね、猿が温泉入ってる。行ったら写真アップしてください。

動物が大好きで、友達いないとき、ずっと一人で上野動物園行ってたし
多摩動物園の猿山がおすすめです。


あいみょんは曲も詞も話も面白いな。会ったことがない女の人だな。ずっと喋っている。

お喋りすぎて、トイレでもしゃべりたい(爆)私めっちゃトイレが早いんですよ。私くらい早ければもつと開店よくなるのにと思います。
 スーパーのレジ打ちとかも私ならもっと早くできるとか思っちゃう。そういうことつぶやいちゃう。


レギュラー番組はあるの?

今度オールナイトニッポンやります。

 絶好調だろうね、ゲストなんか無しで。あいみょんと暮らしたら楽しいだろうな。

全国の男性に言いたいのは私と一緒にいると絶対楽しいと思いますよ。楽しませる自信ありますよね。一緒のスタッフに楽しいと思って欲しい。ずっと喋っているので嫌いになるかもしれない(笑)。

あと4,5時間大丈夫そうね。ありがとうございました。頑張ってくださいね。

▽エンディング
 あいみょんのアルバムを聴かせていただいて、スペシャルに高く評価していて、オリジナリティが高くて、とても斬新で。僕達も70年代にやってきたことが前進して、新しく格率確立しつつある。あいみょんも米津玄師も斬新で若い人たち日本のポップスが進展してくれるとを楽しみにしている。
 あいみょん話が凄く面白い。ずっと喋ってしまう。年内にどこかで飲もうと話をした。来月は菅田将暉くんが来てくれる。彼とはテレビで対談の話があつたけど、時間をとってこっちで話しましょうということで、こちらに出ていただいた。
次回は9月9日金曜日です。最後の曲は、アルバム”一瞬の夏”から

M-5 夏休み    吉田拓郎


☆☆☆思いつきと感想☆☆☆

☆この世の中あげての「引退」ムードが、どれだけ拓郎ファンの元気を奪うか。「新曲をつくる」この言葉がどれだけの光明になることか。いろいろ個々に終わるものはあったとしても、今はまだ僕達は旅の途中だと。そういうことか。

☆あいみょんと拓郎の会話は、関西弁の妙味とかお互いの相槌とか感嘆とかを含めて大切な空気になっている。しかもギターが鳴るあたりの気分の上がる感じはとても文字で起こして再現はできないと思い知る。実際の会話を聴いてね。

☆それにしても面白かった、あいみょん。前半、拓郎のほめられまくり攻撃 (絶賛内容に異議はない。そのとおりだが)に困惑してそうだったが、ギターが出てきたあたりで光が射して、後半はあいみょんのテンションがメチャ上がってきて面白かった。これからもっと面白くなるとぞというところだったから続きが聴きたい。

☆あいみょんは門外漢だけれどいいなぁ。音楽はもちろんパーソナルな魅力全開だ。美しいノート作りに全力を注いで集中して留年してしまう、パン屋の匂いは天国でふるえるほど嬉しかった、トイレが早い、アタシにレジを打たせろ、ギターにいい意味で興味がない、エレキは重たいからいやだ、…いちいちすんばらしい。窓際のトットちゃんか。天が遣わせし人という感じがした。

☆小田和正、窓を開けておまえとスイーツ食べながら話す方が楽しいよ…泣けた。盟友…というか朋輩感がしみじみと伝わってくる。

☆どうでしょう。「ガンバラナイけどいいでしょうクソが」ほーらステージで歌いたくなる、客席もクソが!!という合いの手を入れたくなってくる(爆)

☆☆☆今日の学び☆☆☆
 責任をとろうとしないマスコミ、ギター何百本持っているヤツはバカだ、立姿が悪いヤツは歌をヤメロ、久々に痛快な拓郎節を聴いて実に胸がすく。こういう歯に衣着せぬ容赦ない拓郎は実に最高だ。しかし、時に、この口撃がおまえらは停滞してるとかなんとかファンに対して向けられるときがあって、こういうときの拓郎は実に最低である。圧倒的なシュート力を持ちながら、時々制御ができなくなって味方ゴールにも思い切りシュートしてオウンゴールしてしまう伝説のサッカー選手みたいなものだ。…と拓郎をよく知るファンは言っている。

2022. 8. 11

☆☆☆100分de名著"ちょっとだけTrue Story”を読む☆☆☆
“ちょっとだけTrue Story”を読み終えた。文字どおり身の置きどころがないような極北の旅が語られている。読んでいるこちらもこの歳になって”愛”とは何なのだろうかと考えさせられてしまう。読みながら石原信一の「挽歌を撃て」のまえがきの一節が思い出された。

 「英雄にしては彼の流した涙はあまりに屈辱に満ち、血はあまりにあたたかすぎ、傷はあまりに痛々しく、怒りはあまりに人間的だった。」(石原信一「挽歌を撃て」はじめにP.5)

 だから俺ごときの薄っぺらで野暮な感想を軽々に書くことはまだできない。でもひとつこれだけは言っておきたい、弾けないギターのネックを下げながら魂をこめて言いたい。

  おまえのおかげでいい人生だったと俺が言うから、必ず言うから、忘れてくれるな。

 ということで今はまだ引き続き、聴きながら眺めながら愛でながらライナーノーツとともに熟読玩味するよろし。

2022. 8. 10

☆☆☆そんな君の手紙が着く☆☆☆
 オリビア・ニュートン・ジョンさんの訃報にふれて心からご冥福をお祈りします。しかし不謹慎で申し訳ないが、どうしてもオリビアねーさんと大塩平八郎が浮かんできてしまう。昨日もリンゴ畑でニュートンに会いました、彼は愛犬ジョンを連れて…それもこれもぜんぶ含めてお祈りします。

 アナログレコードが届いた。ああ、そうだ、そうだ、この大きさ、この質感。とにかくジャケットがすんばらしくいい。表も裏も。そしてインナーの表と裏の写真までとてもいい。我が心のつま恋。心の奥に直覚これ!と響く。
 歌詞も老眼鏡いらずのこの大きさでこそ心にストレートに入ってくるというものだ。
 聴きたい、レコードを聴きたいと切に思った。そうだ高田馬場の名曲喫茶らんぶるに行けばプレイヤーでかけてくれるかも>とっくにねーよ、あってもかけてくれねーよ

 ちょっとだけtrue story…これはファンへの置き手紙のようだ。少し緊張しながら恐る恐る読み始める。

2022. 8. 9

☆☆☆長崎の軸線☆☆☆
 昭和20年の秋、小学生だった私の母は家族ともども命からがら半島から引き揚げて日本に帰り着いた。たぶん吉田家と同じ境遇だったに違いない。博多港から引揚者の方々で超満員の列車で故郷の長崎に向った。ようやく列車が長崎に入らんとしたとき、列車の前方から乗客の悲鳴=どよめきのような叫び声が怒涛のように押し寄せてきたという。車窓から見るとあの長崎の街がとにかく全部無くなっている。悲鳴の後は茫然自失でみな声もなかったという。その一面の焼野原の光景もさることながら、あの瞬間のどよめきと悲鳴と叫び声が今も耳に残って離れないと老母は繰り返し語る。

 どよめきと叫び声といえば、私の頭に浮かぶのは、つま恋、篠島、武道館…あのハッピーな記憶しかない。平和な時代に極上の幸せな体験を過ごせたことを魂の底から感謝する。ひるがえって子どもらに俺達があたえるものはあるか…と思うといたたまれない気持ちになる。

 彼我問わずすべての戦争犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。

2022. 8. 8

☆☆☆旗幟鮮明☆☆☆
 NHKのエールという番組で、さだまさしが長崎から広島に向けて"広島の空"を歌うシーンが流れた。まさに何十年かけて伸ばした「平和の軸線」だ。さだまさしのギターのネックが昔より下がっているような気がしたが(爆)。すまん気のせいだよな。

 アルバム発売から1か月以上経った。いよいよアナログ盤の発売も近い。最後だからとか、LOVELOVEの祝祭気分とか、それにまつわる各種の忖度も離れて今ハッキリと確信する。
 このアルバムは最高じゃないか。いい曲たちじゃないか。買ってからほぼ毎日聴いている。いつもだとそろそろ聴かなくなったり、曲の飛ばし聴きをするところだが、毎日曲順に聴いていてひとつも飽きない。少し大げさにいうと新しい家族が家に来たみたいで、家に帰るとまず聴く。これよりいいアルバムはあったし、いい曲もあったし、ここがこうだっらなというのもあることはあるが、そんなことは関係なくそこはかとなくこのアルバムが好きだ。ラストだからじゃなく2022年に新しく出たアルバムとしていとおしい。このサイトをかけて…って別にこんなサイトどうってことないが、名盤として宣揚したい。なんとでも言わば言え。なのでアナログ盤が心の底から楽しみである。

  "お喋り道楽"の明石家さんまのゲスト回。拓郎が暑くて上着を脱ぐんでピンマイクを一瞬外した時、さんまがすかさず注意する。「テレビ出るんなら死んでも一瞬たりともマイク離したらあきまへんで。その間にごっつ面白いこと思いついたらどないしますねん!」
 ラストアルバムと言っちゃって、このあとごっつ名曲がどんどん降りてきたらどないしますねん、と私も言っておきたい。
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2022. 8. 6

☆☆☆広島への軸線☆☆☆
 映画「ドライブ・マイ・カー」で、一瞬さりげなく出てくる「広島市環境局中工場」。「原爆ドームと平和記念公園を結ぶ平和の軸線を遮らないように設計されたそうです」とその出自が語られる。このシーンが印象に残る。
 軸線。8月6日に長崎の稲佐山から広島に向けて歌いつづけた(今年も歌うんだな)さだまさしもしっかりと軸線を伸ばしていたのだな。
 …で岡本おさみが書いて吉田拓郎が歌うこの歌もまた尊い軸線なのだ。
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 さまざまに伸びた夥しい数の軸線があるに違いない。何でもない俺、何にもできないヘタレの俺は、せめてこれらの軸線を遮らないように気をつけて生きなきゃと思う。総理、アンタもだよ。

2022. 8. 5

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☆☆☆旅に唄あり エスカレーターに隙間あり☆☆☆
 岡本おさみ"旅に唄あり"の新装版を買った。「八曜社」の元本も持っていた。八曜社といえば拓郎はじめフォーク関係のタレント本のメッカだ。八曜社の本といえば活字が大きくてレイアウトがスカスカで間違いなくゴーストライターが健筆をふるってますというイメージがあった(※個人の感想です)。でも「旅に唄あり」だけは活字が小さくびっしりと詰まっていて文章も難解だった。岡本おさみの気迫と怨念が小さな活字と狭い行間に溢れていた。※あっ名作"誰も知らなかったよしだ拓郎"もあったね、すまん。
 元本を丹念に読みこまれていた先輩のブログを拝読したあとだったが、確かに新装版は活字も雰囲気もずいぶんと違っている。
 しかし何はともあれ2022年にこうして岡本おさみ本が出版されるのが嬉しい。生きてるうちから伝説本がやたら出版される松本隆先生と違って、岡本さんの関連本はその亡後にも出版されなかった。

 出版を記念した八重洲ブックセンターの小さな写真展に行ってきた。これから行かれる方、7階の特設会場とか、他のフロアの平積みコーナーとかを探して迷うことなかれ。2階のエスカレーターと壁の隙間だ。小さなスペースで、数点の写真が展示されているだけだ。しかし、どれももの凄くいい写真だ。エスカレーターと壁の間に挟まりながら釘付けになって見入った。写真が語り掛けてくるものが、俺なんかには受け止められないくらい多い。また行こう。

 頭には歌が流れ、まるで映画を観ているような気分になった。隠岐の島の紙テープ、拓郎のあの詞を執筆中の原稿用紙。ああ原稿用紙にペンで縦書きで書いておられたのだな。ハイライトに…ちょいとマッチをすりゃあ。行ったことのない場所、観たことのない風景、でもこれが岡本おさみのおかげで、そしてもちろん吉田拓郎のおかげで、歌になって俺の血肉になっているのだ。

 8月いっぱい展示されているらしい。今日行ったら幸せな小1時間くらいの間、俺しかいなかったぞ。
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2022. 8. 4

☆☆☆夏願望☆☆☆
 日傘なら"白いレースの日傘"だろってハードルを上げないでくれ。俺の日傘のことなんかクソどうでもいいのだが、たちまち世界は日傘から雨傘に変わってしまう。こっちは大変だ。豪雨・浸水に遭われた方々、川沿い暮らしの端くれとして御見舞申し上げます。今年も心配は尽きないよ。♪地球がもうすぐ危ないことも。
 アルバム「oldies」の"蒼い夏"と"白いレースの日傘"…ああ、これをライブでメドレーで聴きたかったぜよ。かっこよかっただろうな。

2022. 8. 3

☆☆☆心の中に傘をさして☆☆☆
 矢沢永吉のインタビュー記事。拓郎のアウトロを惜しみつつ「外の人間にはわからない、ご自身しかわかり得ないことがあるのかもしれない」…YAZAWA素敵です。昔、混迷するフォーライフが世間から叩かれていた時「俺は応援するよ、だってあれはアーティストの夢なんだから」と語った時も俺は矢沢永吉に心の中で手を合わせた。

 だけども問題はこの暑さ、日傘がない。

 いつもの外回りに加えて、最近仕事場も引っ越したので駅から結構歩く。日傘をさしたし勇気なし。こんな俺ごときが何を今さらカッコつけていうのはわかるのだが、なんか日傘をさすって気おくれがする。そんな小さな悩みは誰に聞いても同じか。
…で、思うのだ。
 吉田拓郎と矢沢永吉が日傘のCMに出ちゃくれまいか。それぞれ炎天下を日傘をさして歩く二人。もちろん傘にはワンポイントでt.yとかYAZAWAのロゴが入っている。
 ほーら明日から日傘がさしたくてウズウズしてくるんでねぇか。ああ背中を押しておくれよ。

 ともかくコロナに熱波に何が問題なのかわからないという為政者に…東京の長く熱い夜は私にどうしろというのでしょうか。お互い様ご自愛ください。

2022. 8. 2

☆☆☆ひとりgo to☆☆☆
 8月2日の太陽は拓郎に惚れていたのでつま恋の空で燃えてくれた…ということでつま恋記念日だ。行けなかった私は参加者の証言を聞くのが無上の楽しみだ。最近では「青い空」なんて大河ドラマがあった。
 ここでも何度か書いたが昔から大好きなのが知人の体験談だ。当時高校生の彼が、夏休み前の校長先生の禁止令で友達が脱落するなか、その禁止をかいくぐってひとりでつま恋に向かう話だ。聞くたびに胸が熱くなる。
 そして、ごく最近とある方のブログで、当時中学生だったブログ主さんが林間学校を抜け出してひとりで篠島に向かう話を読んで泣きそうになった。また達意の文章で当時の空気が尊に再現されていた。すげえ。
 つま恋や篠島にひとりで乗り込むって、例えば渋谷公会堂や国際フォーラムに一人で行くのとはワケが違う。もう人類未踏の地へのアドベンチャーである。私も篠島には行ったがあれはtくんが一緒だったから行けたような気がする。一人だったら行けたろうか。
 そしてまたご両名の場合とも、ひとりで乗り込むと周囲の見知らぬ兄さん姉さんたちが温かく迎えてくれるというところがまた泣けるのだ。
 拓郎は「ステージにこそ真実がある」と語った。そのとおりだが、客席にもものすげえ真実が満ちている。素晴らしいドラマが客席の数だけ眠っていると思うといてもたってもいられない気持になる。ひとりひとりの戦時体験を集めた花森安治の暮らしの手帖を思い出す。 
 今年もつま恋記念日おめでとう。

2022. 8. 1

☆☆☆車を降りられぬ瞬間から☆☆☆
 ごめんね、最後になって拓郎を語っている人をクサすつもりではない。もちろんずっと拓郎を聴き続けてきた人が偉いとも思わない。いやチョットは思う。拓郎を選んだ時点でセンスが良い私たちだし。
 かつて拓郎の音楽に触れたひとときを思い出し最後に感謝のべて拓郎のことはこれからも忘れて生きていくだろう人々と拓郎の音楽と人生が深くシンクロしてしまって、これからも離れられない奇特な人とでは、きっと感じる空気も見える景色も違ってくるに違いないということだ。
 そしてこのアウトロのあと俺はどこへ行こう〜君はどこへ行く〜という切ない時間軸を生きてゆかなければならない。
“ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね。”(「ワーニャ伯父さん」チェーホフ)
 いやーWOWOWで放映してたんで映画”ドライブ・マイ・カー”を観すぎちゃったな。車中で”ah-面白かった”を流しながら誰か俺を広島に連れてってくれないかと心底から願う。

2022. 7. 31

☆☆☆戻っておいで私の時間☆☆☆
 久々に「吉田拓郎」のインフレ状態だ。KinkiKidsとLOVELOVEのおかげもあって”ありがとう、さようなら最後の吉田拓郎”がキャンペーンの如く世に溢れている。前にも書いたがこれは”祝祭”だ。実際にいい記事やいい話もあったりするので嬉しい。
 嬉しいが、その反面で、私のような器の小さい人間には、最後にだけみんな出てきてまるで弔辞の競い合いみたいだし、いきなり勝手に総括してんじゃねぇよという黒い気持ちも湧く。そもそもJ-POPの偉人と評しつつ音楽雑誌で吉田拓郎を表紙にしている雑誌なんて一冊もないし、特別な出版物が刊行されるわけでもない。
 こと私のような人間が、いつまでもこういう祝祭の中に身を置くのは、毎日が卒業式と謝恩会の繰り返したみたいであんまり心の健康に良くない(笑)。

 愛憎を含めてずっと拓郎と歩いてきて、これからもどんなカタチにせよ末永く拓郎に引っかかって生きていく人々も確実にいる。吉田拓郎がどうなろうとも今までもこれからも吉田拓郎という悠久の時間を生きるの人のタイムラインに戻ろうと思う。

2022. 7. 30

☆☆☆来るべき日のあいみょん ☆☆☆
 そういえぱどこかのネットのインタビューで、あいみょんが吉田拓郎の”無人島で”が好きだと語っていたのを読んだ。ほう…”無人島で”なのか。停滞ヘタレ爺の私には、A面で盛り上がってB面でゆるやかに失速するアルバムのタイトルチューンで、南の島で浮かれるふしだらな男女の唄、というミもフタもない印象しかなかった。老いては若い娘に従え…ということで聴き直している。いい曲だな(爆)。「18時開演」のオマケ映像のああいうところにこの作品の神髄があるのかもしれない。
 ふと思うが、次回のあいみょんのゲストの時は、二人のセッションが是非聴きたいよ。できうれば”君に会ってからというもの僕は”みたいな曲を番組内で即興作っちゃうとか。いいじゃないか稀代の天才が二人あいまみえるんだからそれくらい期待するのは勝手だ。精神論を語るな、音楽を語れ、音楽で語れっていうご拓宣のままに。

2022. 7. 28

☆☆☆朋と呼べれば☆☆☆
 数日前の日記で吉田拓郎と泉谷しげる、小田和正らのことを「盟友」と書いたがこの表現は取り消す。ニュースで弔辞をめぐって政治家たちに「盟友」とか言う言葉を使っており、同じ言葉を我が心の吉田拓郎、泉谷しげる、小田和正に使いたくないと思ったからだ。
 他にいい言葉はないか。…あった。「朋輩(ほうばい)」だ。重松清の「流星ワゴン」に肝胆相照らす仲のことを「朋輩」と呼んでいる。いい言葉だ。
 そういえば「肝胆相照らす」って言葉は、中学生の時に読んだ山本コウタローの"誰も知らなかったよしだ拓郎"で覚えた。あの本は漢字・熟語が多用してあり、読み過ぎた結果的にずいぶんな勉強になった。ありがとうございました。
 ということでいろいろ大変&とんでもねぇ世の中ですが、とりあえず"朋輩"でまいります。

2022. 7. 27

☆☆☆カモナマイハウス☆☆☆
 先日のLOVELOVEの感想で盛り上がった。それぞれに名場面は随所にあるのだが圧倒的一位。「おまえん家行ったら歌うよ」という拓郎に「来ないでください」と切り返した篠原ともえ(爆)。誰だってどうぞどうぞいらしてください、是非、家で歌ってくださいと涙ながらに答えるしかないところだ。もちろん篠原ともえの拓郎愛の深さを毫も疑うものではない。だからこそ「納豆ご飯でいいから」という拓郎をシャットアウトするところが感動的なのだ。この篠原の自由な魂が美しい。これを「矜持」というのかもしれない。見習おう。自分で言っててよくわからないけれど。

2022. 7. 26

☆☆☆永遠の7月26日未明☆☆☆
 先日の"LOVELOVEあいしてる"が卒業式だとしたら、さしづめ篠島は楽しかった臨海学校の思い出である。篠島グランドホテルに飾ってあった吉田拓郎のライブ当日のサイン。1979ではなくS54というところが何かイイじゃないか。ホテル無き今、この現物は今頃誰がお持ちだろうか。大事にしてね。
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 ライブフィルムの山本コウタロー助監督が朝陽とともにエンディングを迎える絵にしたくて、"人間なんて"のリフレインのところで、まだまだ終わっちゃダメだ、もっと伸ばして〜と懐中電灯を振り回しながら慌ててステージ下に走り出したところ思いっきりコケたという話を思い出す。今となっては少し泣きたくなる,ちょっと淋しくなる。

 怒れるときは手を握れ 怖れる時は歌うたえ
 そうさ 自由を確かめよう
 ここは今僕の国だよ

 あれ?、なんかいい歌じゃん。今日は"アイランド"。シュビドゥバ,シュビドゥバ♪

2022. 7. 25

☆☆☆いざさらば☆☆☆
 おお、飯倉の大決闘。観たかったな。それでも森山良子という迫真の語り部がいるのでありがたい。それで…「出禁」なのか(爆)。決闘、出禁という物騒な話だが、なんだか胸と目頭が熱くなる。やっぱり盟友だったんだ。ああ、拓郎のファンでいて良かった、そこに泉谷しげるもいてくれて良かった。なんか二人のいた世界にエールを送りたくなる。

 エールといえば母校が今年もいいところで甲子園大会の予選に敗退した。残念。しかし不思議だ。高校も野球もずっとどうでもいいと全く関心がなかった。むしろ大嫌いだった。大学もそうだ。およそ母校愛というものと無縁で生きてきた。吉田拓郎が活躍してくれれば母校も世界もどうなってもいいと思っていた(爆)。
 それが歳をとるにつれて母校たちのことがちょっと気にかかるようになってきた。明らかな加齢現象だ。もうそこにしかよるべがないのかもしれん。

 “LOVELOVEあいしてる”も同じだ。毎週観ていたけれど、そんなに熱烈な視聴者ではなく、もうテレビはいいから早くコンサートツアーやっとくれ、アルバム作っとくれと思っていた。
 しかし、こうしてジジイになって最終回を迎えた今になってみると、この番組がやけに眩しく、そして誇らしく思えてくる。これは歳をとって湧きあがってくる母校愛みたいだ。だから”Sayonaraあいしてる”がまるで”仰げば尊し”のように胸にしみるのだ。
  ♪思えば いととし、この年月、今こそ別れめ いざさらば、あの人は今幸せか…って違うな

2022. 7. 24

☆☆☆何もかも愛ゆえのことだと言ってくれ☆☆☆
 ”LOVELOVEあいしてる”の26年間。出演者とともに楽しみ,ともに成長し,ともに加齢し老いる。こんなテレビ番組は”渡る世間は鬼ばかり”以外知らない(爆)。LOVELOVEの過去映像のアーカイブにひしめく珠玉の名演奏と名曲たちが何回観てもすばらしいな。これは橋田寿賀子先生とてドラマ化できまい>そもそも比べるもんじゃないだろ

 何が凄いってさ、”LOVELOVEあいしてる”の第1回のオープニングで「さだ、嫌いなの僕」と言って始まって、それから26年後の最終回でもキチンとさだまさしをディスるというところ。もうここまでくると愛しか感じられない。

 拓郎は小田和正が盟友というけど、泉谷しげるも盟友だよね。他人様の友人関係を俺がどうこう言えたもんじゃないが、あのLOVE2での泉谷の言葉を聞いて「盟友」という言葉しか浮かばなかった。馳せ参じる盟友もすばらしい盟友だが、過去に仲違いしたとても魂の盟友という関係というものがあるのだと泉谷を観ていていつも思う。

 昨日も書いたが最初にずいぶん老け込んでしまってみえた拓郎が、歌いながらどんどん蘇生していき最後の”Sayonaraあいしてる”のシャウトする姿はもうたまらなかった。かつてのエルトン永田さんの名言を思い出す。
 "あの方はライブの人です。ライブを重ねる中で蘇生し目を見張るように進化するお方です"

  ♪淋しい夜が せつない夢が
   涙の風が 愛する人が
   恋しい声が 抱きたい心が

 …ここのフレーズが脳内で鳴って離れない

2022. 7. 23

☆☆☆これから僕らは何処へ向かうんだろう☆☆☆
 “LOVELOVEあいしてる”の録画を何度か観かえす。2022年の今、吉田拓郎が2時間出ずっぱりのテレビ番組だ。もうアタシには神様がくれたものとしか思えんのだよ。

 初出演の時と違って木村”開拓の拓”拓哉が拓郎にオトナな気遣いをしてくれるのが嬉しい。”落陽”も飽きたぜと思いつつも、かつて”きよしこの夜”を弾いていた剛くんが披露する落陽のギターソロに刮目し落涙する。プリプリプリティを突撃しない篠原はかえってナチュラルな成熟感があって良かった。そこには歳月や成長がある。
 “それでも生きてゆく”以来、俺的には不動の名優だった風間俊介のキレキレのダンスに驚いた。そういえば、森下愛子さん出演の”純と愛”の主演だったじゃないか。拓郎は主人公の男があまり好きじゃないって言ってなかったっけ?ああ役柄のことだっけか(爆)。
 奈緒の”今日までそして明日から”の歌声はツボった。カワイイと思わずつぶやいた。  
 忘れちゃイケない、坂崎幸之助。一言も発しなかったが、おまえの魂は十分に伝わってきたぞ。
 この番組が始まった時、既に俺は偏屈な中年だった。この番組のおかげで若々しい世界と辛うじてつながっていられたのだ。

 そして3年ぶりの姿に最初は正直ギョッとしたが、やはりそこにいるのはまごうかたなき吉田拓郎で、時間が経つにつれ、そこはかとなく76歳のカッコよさがしみてくる。時間が経つほどに生気が湧いてくる感じだ。やはりその姿を観続ける事、観られ続ける事は実に大切なことなんだと思う。最初はなんかショックだった短髪の拓郎がLOVELOVEで毎週観続ける中で超絶かっこよくなっていったプロセスと同じだ。

 何年間かごとの法事でしか会わない遠い親戚が会うたびにガクッと老けていて驚くことがあるがそれはお互い様だし詮無いことだ。ただ、それよりも近くにいて頻繁に顔を合わせているとお互い様、加齢変化にあまり気をとらわれず穏かな時間を過ごせる。「老化も成長である」という主治医の言葉を思い出す。
 人前にはもう出ない、静かにご隠居されるというのであればお邪魔しますまい。しかしもし何かのカタチでご活動がつづくのであれば、できればそのご尊顔とお姿をなるべく不断に観続けられるところに居続けて欲しいと誠に勝手ながら思うのです。テレビなのかYouTubeなのかそれとも別の何なのかわかりませんが。夕焼けの空をどこまでも一緒に追いかけてゆきましょう。

2022. 7. 22

☆☆☆ああ卒業式で泣かないと☆☆☆
 一緒に観ていた家人は豪華な番組をメチャクチャ楽しんでいたが、あのお方の卒業式にフォーカスしているこちとらはと切なさと万感の思いが入り乱れ、涙をこらえるのに必死だった。何はともあれ"Sayonara あいしてる"…吉田拓郎が刻んだ言葉である。下敷きに入れて学校に持っていこうかな…中学生かっ。

 Sayonara あいしてる
   
 遠い日の事を思い浮かべている
 あの頃 僕は何を考えていたんだろう
 季節を信じて 歩こうとしたけれど
 何処を目指して嵐の中を向かったんだろう
 ただ何となく それらしく
 遥かな旅に出たよね
 淋しい夜が せつない夢が
 涙の風が 愛する人が
 恋しい声が 抱きたい心が
 みんな みんな みんな しみじみと
 そんな そんな そんな記憶のダイアリー

 静かに包み込む小さなエピソード
 これから僕は何処へ向かうんだろう
 あの人が今もあふれる気持ちのままなら
 ひたすらの愛を届ける事は出来ないだろうか
 ただなんとなく それらしく
 密かな時と 出逢いたい
 淋しい夜が せつない夢が
 涙の風が 愛する人が
 恋しい声が 抱きたい心が
 みんな みんな みんな しみじみと
 そんな そんな そんな記憶のダイアリー

 ありがとうLove さよならLove
 いつまでもLove 永遠にLove
 ありがとうLove さよならLove
 いつまでもLove 永遠にLove
 ありがとうLove さよならLove
 いつまでもLove 永遠にLove
 ありがとうLove さよならLove
 いつまでもLove 永遠にLove
 Forever Love Love あいしてる
 Forever Love Love あいしてる
 Forever Love Love あいしてる
 Forever Love Love あいしてる
 Love



 この歌を聴いているとあの歌が頭に流れてきた。

  ただ何となく それらしく ここまで歩いてきたようだ 
  夏に向かう雲たちよ 先に行ってくれないか
  あの人のことをもう少し考えていたいから

 まさにそういう気分だ。心の底から、ありがとうございました、お疲れ様でした。


 

2022. 7. 21


☆☆元気です☆☆☆
 本日は名盤「元気です」の発売50周年記念日だ。おめでとうございます。それは拓郎に対してというより、また我々拓郎ファンに対してというより、日本の音楽界に対しておめでとうと言いたい。どれだけめでたいか気づいているはわからないけれど、たぶん音楽界にとっての超絶大切な出来事のひとつだ。

 "春だったね"でいきなりどこか別世界に連れ出さるあのワクワク感、それは今回の"ah-面白かった"にも脈々と繋がっている。"元気ですの心意気"というあの先人の言葉を思い出す。
 そして今日はLOVELOVEである。いろいろ思いはあれど、しあわせだ。しあわせだ。やっぱり、すべてにおめでとうだな。

2022. 7. 20

☆☆☆any day now☆☆☆
 たまたまテレビで映画"チョコレート・ドーナツ"をまた観てしまう。何度観ても切ない。こんなことってあるかい、最後は怒りと哀しみがないまぜになる。そこで主人公が絶唱するボブ・ディランの”I Shall Be Released”が魂だ。ボブ・ディランて凄いなとあらためて思う。ディランも凄いが、それ以上にディランとその音楽を心から評価し敬意を抱いている社会が羨ましい。他方我が国は…続きは居酒屋で。
 ということでいよいよ明日である。楽しみな気持ちと頼むぞという気持ちがないまぜになってしまうな。

2022. 7. 18

☆☆☆レールが鳴ると僕らはt.yを聴きたくなる☆☆☆
 休日なのに第7派なのに仕事で逗子の先まで行かなくちゃならない外回りが憂鬱だった。たまたま電車移動中のYouTubeで観た「20歳の女子大生がセレクト、吉田拓郎特集2」(BOYS TOWN CAFE)。20歳のDJの女の子がターンテーブルにレコードをルンルンとかけていくのだがこの選曲が感動的だった。

  Have a nice day 気ままに写そう編
  戻ってきた恋人
  春を呼べU
  川の流れの如く
  君の街に行くよ
  車を降りた瞬間から
  となりの町のお嬢さん
  無人島で
  心の破片

 こういう順列・組み合わせで聴いたことはなかった。…いいじゃん。この選曲。なんといっても星紀行さんみたいに布施明がどうとか、この曲の歴史がどうとか、そういう呪われた怨念が全く無くて、実に自由で音楽本位なところが素敵だ。ああ、吉田拓郎っていいじゃん、すげーいいじゃんとあらためて思う。

 これらとアルバム”ah-面白かった”とのローテーションのおかげさまで面倒くさいヘビーな移動時間がちょっとウキウキと楽しかった。

2022. 7. 17

☆☆☆最後のテレビ☆☆☆
 吉田拓郎最後のテレビ出演『LOVELOVEあいしてる』が近づいてきた。シークレットだった大物ゲストも明らかになった。まだゲストが判明する前に「大物ゲストは誰か」ということが話題になっていたときに書きそびれてしまった。「大物」と聞いて私の頭の中にはこの人しか浮かばなかった。布施明 あり得ねぇのはわかるが。

 デビュー草創期の吉田拓郎にインパクトを与えたという布施明バカヤロー事件。吉田茂バカヤロー解散と並ぶ昭和の歴史的事件だ。バカヤローと面罵された吉田拓郎が、その後、テレビに出ないという前代未聞のキャリアを選んだことにこの件が影響したのかどうかはわからない。しかしまったく無関係ではないのではないか。
 最後のテレビ出演に布施明が登場して歴史的な和解をする、それこそが壮大なテレビの最終回ではないかと思う。

 思えば「LOVELOVEあいしてる」という番組は実は数々の歴史的和解をなしとげてきた音楽的和平の番組だった。第一回冒頭で拓郎は「さだ嫌いなの」と宣したが、その後さだまさしはちゃんとゲストに出てきて拓郎をして「君の才能は認める」と言わしめた。谷村・ミスターハンドインハンド・新司とも盛り上がりまさか学生服を着た拓郎が彼のバックで"高校三年生"のコーラスをするなんて想像もできなかった人はこの指とまれ。後に陣内孝則が「組長と構成員のツーショットみたいだった」と感心していた吉田拓郎と松山千春のゲスト回のトークは今でも何回観ても笑える。

 ということで最後は布施明でいかがでしょう。布施明があの腹式呼吸で”マークU”を歌うのもいいが、なんかあざといかな。私としては、布施明が番組のために用意した特別バージョン”t.yは恋のイニシャル”を歌って欲しい。ダメか>そもそも元歌・元番組、誰も知らねぇよ。※どっかで”S.Hは恋のイニシャル”を再放送してたら教えてください。

 最後は拓郎と二人で”マイウエィ”を絶唱する。サプライズで沢田研二も登場して加わっていただけたらなお嬉し。

 テレビに出ない人生と出続けた人生、ナベプロに入った人生と入らなかった人生、そこにジャニーズを選んだ人生たちも絡んで、それらの隔てられてきた人生が音楽によってひとつながる壮大な大団円である。いいじゃないか。って…書きながら、やめた方がいいかもしれないという気が少ししてきた(爆)

 とにかく泣いても笑っても最後のテレビ出演だ。第7波の中、お互い様体調に気をつけてその日を待とう。
 

2022. 7. 15

☆☆☆君のために☆☆☆
 山本コウタロー逝く。"誰も知らなかったよしだ拓郎"は名著、名作とかいうレベルではなく歴史的大書もうハムラビ法典みたいなものだ。よくぞ記してくださった,その偉業は永遠のものだ。
 そして俺にとってはかつて拓郎周辺の青嵐の景色の中にいつもおられた青春の恩人だ。篠島のイベントが果たして成功するのか不安視されていたとき「篠島を日本、日本列島を世界だと思って歌ったらいいんじゃないか」という言葉は一ファンの俺も心の底から勇気づけられた。

 ずいぶん時間がたってから"ほぼウィークエンド"のライブが終わったあと、俺の手垢のついた”誰も知らなかったよしだ拓郎”にサインをいただいた。「ありがとう」…ってそれはこっちの言うことだ、こちらこそありがとうございました。寂しいなぁ。心からご冥福をお祈りします。
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(追記)
 この「ありがとう」は私というよりこの本を大切に読んでくれたすべての方々に対するコウタローさんの気持だと思うのです。そんなふうにこの本のヘビーユーザーの読者のことを思っておられたのだということをお伝えしておきたいです。

2022. 7. 13

☆☆☆嵐と嵐の間にあるもの☆☆☆
 先月、今までの自分がこれまでのニューアルバムと初めて会った時のことを、まるで死ぬ前に見る走馬灯のように一気に振り返ってみてあらためて思った。新作アルバムを先入観なく虚心坦懐に聴くのは実に難しい。俺の生来のカンの悪さに加えて、勝手すぎる期待と過剰過ぎる思い入れの佃煮状態のために見落とし聴き落としていたものは多かった。ようやくそのアルバムと和解できるまでずいぶん時間がかかったこともあった。

 今回も「ラストアルバム」という、ただでさえ悶絶するような期待とともに、最初の頃は全15曲で歴代ミュージシャン総参加という豪勢なふれこみもあって、おいらの心はMAX色めき立っていた。
 しかし最終的には全9曲でしかもごく少ないミュージシャン・盟友のアシストによりほぼ手作りのような簡潔な出来上がりに最初は「あれ?」と思った。わかるよ。もちろんこの困難過ぎる状況で誰より拓郎ご本人が無念だったし苦難を味わったことだろう。でもそれはその人の問題、これはこの私の問題だ。
 この「あれ?」は、アルバム”マッチベター”と初めて出会ったときと似ていると思った。あの時も拓郎活動再開!!という大きな期待の中、やってきたのは打ち込み中心の簡潔な手作り風味のあるアルバムだった。そこが似ている。
 しかし”マッチベター”の試作品感というと怒られるな、…エチュードな手探り感とでもいうか(爆)と今回の最新アルバムとはそのクオリティが全く違う。ここが今回の肝だ。“ah-面白かった”は、いしいしんじ風に言えば、簡潔なアルバムに、静かな自負がにじんでいる、長い航海をほぼひとりで乗り越えてきた人間の知恵、思慮深さ、覚悟を感じる。
 ”マッチベター”あたりから始まった旅が大いなる成長を遂げて帰ってきたような気がする。そうそう”マッチベター”の”流れ流され”で
 おふくろが死んだ 今日は朝から突然の嵐 
 今日より悲しかった一日というのは確かにあったはず

と初めて御母堂のご逝去が歌われた。この素っ気なく聴こえる一節が長い時間のあとであの”ah-面白かった”に結実する。
 別れの季節が訪れた夜 嵐に向って 
 あなたがそっと心を寄せた 
 ドアの灯りが見えた

 まだまだ俺ごときにはわからないが、この二つのフレーズの間にあるものを聴きながら考えてみよう。

 ラストアルバムだし、もっといろいろな飾りやふくらませや仕掛けはできたかもしれないが、あえて簡潔だからこそいいんじゃないかという気がしている。何も足さない何も引かないこの簡潔さこそがこのアルバムの命なんじゃないかとすら思うんだよ。
  ありがとMAHALO
  さよならSee Ya!

2022. 7. 11

☆☆☆まつりごとなどもう問わないさ☆☆☆
 それは人それぞれ違って当然の事なのだが、自分はここのところ選挙が終わるたびに鬱屈した気分に落ちる。自分が大切に信じてきたようなことはもう今の世の中では通用しない非常識なものかもしれないと独り気分が沈む。♪こんな世の中と自分捨ててみた〜という歌声が頭の中で回る。そんな時いつも"Life"が心にしみるんだ。もちろん吉田拓郎さんがこれらの歌にこめた真意や思いはわかるはずもないので、120%こちらの勝手な思い込みだ。
 今回も壮絶に落ち込んでいるのだが、おお今回は"ah-面白かった"がある。"アウトロ"…この歌も拓郎はそんなことを励ますつもりで作った歌ではないんだろうけど、勝手に胸にしみる空の輝き。
 
  人はなぜに理由ありげに
  ふるまう夢に恋をする
  見つからない遠い橋を
  渡る気もない人が好き

 オレも好き!この歌詞の意味よくわからないけどとにかく好きだっ(爆)理由ありげにふるまう夢、見つからない遠い橋…どうせ俺の誤読というか勝手な思い込みなんだろうが、それにしてもココが響くのだ。

  真実の影 孤独の空
  そこを居場所にすればいいさ

 御意。そうだ、その通りだと思わず膝を打ってしまった(冨澤一誠かよっ)

  らしい言葉があるさ
  らしい明日も来るさ
  らしい気持ちで歩く
  らしい自分が見える
  らしい心で生きて
  らしい明日に逢える
  らしい心が似合う
  らしい自分に逢える

 ちょっと陰だけれど"季節の花"のリフレインみたいで心が奮いはじめる。確かに拓郎もシャウトしたいと言っていたが、"ファミリー"の後半みたいにたたみかけてくる。ググっといい曲レベルが上がった。

 "へ"のツッパリのような自分ではあるが、それなりに少数派の歩き方みたいなものをキチンと考えにゃならんのかと思い始める。

2022. 7. 10

☆☆☆オーラの気持ち☆☆☆
 昨日、奇しくも木村拓哉のドラマのセリフを引用したが、まさかLOVELOVEのゲストが木村拓哉とは。
 
 私の数少ない自慢話であちこちで200回くらい吹かしたと思うが、木村拓哉には三回ほど会っている。会うったって撮影現場に遭遇しただけだが。ネットニュースによれば「吉田は『木村君はオーラがすさまじい』」とある。確かに三回ともすごいオーラに包まれていた。端正で美しくて、ちょっと神経質そうな青年だった。

 しかし吉田拓郎も間近で遭遇した私が責任をもっていうが、吉田拓郎の放つオーラはその数倍はあった(当サイト比)。だから大丈夫です、みなさん>何が大丈夫なんだ
 身体全体からまさに燃える陽炎のようなオーラがたちこめていた。

 そういえば以前、矢沢永吉と某所ですれ違ったことがあった。向こうから歩いてくる20メートルくらい手前くらいからビンビンのオーラが出てんの。敏捷なパンサーみたいだった。あんなオーラは観たことが無かった。…すまん、このサイト的にそういう結論ではダメか。

2022. 7. 9

 驚いたね。ひどい話だ。怖い話だ。ひどい話はひどい連鎖を生むし、怖い話は恐怖をどんどん波及させてゆく。それが心配だし、憂鬱だ。

「でも怒りにまかせて殺していいなんて権利は誰にもないんです。そんなふうに扱われる命はこの国にはないんです。」(久利生公平 スペシャルドラマ「HERO」特別編2006より)

オールナイトニッポンゴールド  第27回 2022.7.8
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 いつものとおり筆記しながらラジオ聞き始めたところ、いつもの拓郎の一人語りとは勝手が違って三人の鼎談だと大変なことがわかった。しかも会話の空気感は筆記では補足できない。
 夜のワイキキの浜辺で喧騒から離れてひとりいる篠原の話、親戚の爺の気分でいた自分の胸にいたく刺ささりました、アグレッシブなボーカルの剛に切々と聴かせる光一というボーカルの逆Contrastの発見は面白うございました、そしてハワイに連れて行ってくれという話は切なくも嬉しゅうございました、でも本日は書き起こしできません。ご期待されていた方はゼロだと思いますが失礼いたします

☆☆☆星紀行、今日の学び☆☆☆
 なんといっても吉田拓郎による”危険な関係”の解題です。つねに”ひとり”を見つめる吉田拓郎の素晴らしさを胸に刻みます。
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2022. 7. 8

☆☆☆Contrastな祭り☆☆☆
 「NHK MUSIC SPECIAL KinKi Kids」を観ながら思った。俺は拓郎のラストアルバム祭りに浮かれているが、それは実はKinkiKids25周年という大きなカーニバルの中にあるということに気づいた。祭りのマトリョーシカ、入れ子状態。なんにしても祭りはいいじゃないか。
 MUSIC SPECIALはいい番組だった。吉田拓郎の言葉と存在をちゃんとていねいに届けてくれていた。ナレーションのシン・ウルトラマン=リピア=斎藤工の声が良すぎて「この小さくて弱い生き物たちを見つめていたい」と言い出さないか期待してしまった>言うわけねぇよ

 拓郎がいみじくも指摘した光一くんと剛くんの相容れない対照性。あなたは光一君なの?剛君なの?両方さ…あえて間にいるか見えてくるものがある(ハマった)。前に拓郎のラジオにメールしたのだが、"Contrast"の一番と二番の対照性、それは剛、光一に通じており、それを抱え込むのが吉田拓郎ではないかと。んまぁ、なんでもいいKinki、いや彼らに限らず誰でもいいから吉田拓郎を次なる高みに連れだしておくれ。

 ということで今日はラジオだ。生ビールの誘惑にもコロナの危険にも沖縄そばの宴(そもそも呼ばれてねぇよ)にも背を向けてこの道まっすぐ家に帰ろう。

 
 映画「ゴッドファーザー」の長男ソニー・コルレオーネで名を馳せた名優ジェームズ・カーンが逝く。アル・パチーノと同年だったのか。ご冥福を心からお祈りします。

2022. 7. 7

☆☆☆伝説☆☆☆
 中山ラビの一周忌命日の話を聞いて胸が熱くなる。距離は遠いが素敵な人だったな。そして吉田拓郎も含め@誤った都市伝説はこうして造られるA一度作られた都市伝説は拡大こそすれ決して消えない…という勉強になるモデルケースをたくさん知った(爆)。何もかも愛ゆえの事だと言ってくれ。

 ラビさん息子さんのインタビュー記事でいろんな方々から一周忌ライブをやってくれという話があったが今年はやらない…と。三回忌以降に考えるということで「おのが仏の三回忌」という言葉を引いていた。
 「おのが仏の三回忌」意味はわからないが、例えば葬式には浮世の義理でたくさんの人が訪れる、一周忌は少なくなってもまだ葬儀が記憶に新しいので結構集まる、でも三回忌くらいになれば、本当にその人を追慕したい人々だけが集まる…ということなのではないかと思う。ああ胸にしみる空の輝き。忘れないこと、思い続けることが一番の功徳ということか。

 ほろ酔いの帰りの電車でiPodの片隅に入っていた篠原ともえの"ココロノウサギ"と"地下鉄にのって"を久々に聴く。イイ。なんとも泣ける。デザイナーになったり、賞を戴かなくとも、この時点でアナタは既に尊い。…と感激する親戚の法事にありがちなキモイ爺さんになって帰る。

2022. 7. 6

☆☆☆私たちのdestination☆☆☆
 篠原ともえのラジオ対談(後半)を教えていただいてネットで聴いた。心許しあったようなしみじみとした二人の会話を聴きながら、涙ぐむ篠原にもらい泣きしそうになった。篠原ともえは、もう拓郎ファンにとって…というか少なくとも俺にとっては姪っ子というか法事でたまに会う小さい頃から観てきた親戚の女の娘みたいなものだ。だから好き嫌いの対象ではない。法事で酔っぱらって、ああ立派に成長したねぇ、お仕事凄いねぇ、いい旦那さんもらったねぇ…としつこく絡んで嫌われるあの好々爺な気分で観ている。

 あいみょんの出演もすげー嬉しい。ありがとう。でももっともっと駆けつけて欲しかった。米津くんが来てくれたら「そんなに拓郎が好きなったのか、玄師」と俺が言うから必ず言うから…で思い出した、さだまさしも桑田も浜省もみゆきもユーミンも、誰か電話がつながったら陽水にも連絡してくれ。布施明、最後の和解のチャンスだぞ(爆)
 拓郎本人はすげー嫌がるだろうけど、アーティストたちのスタンディングの花道が出来たとしても俺は驚かない…いや、ちょっとは驚くか。

 大好きな映画「アラバマ物語(To Kill a Mockingbird)」で残念な憂き目をみて退廷するアティカス=グレゴリー・ペックだが、傍聴席の黒人たちが全員起立して彼らのために精一杯尽くしてくれたアティカスの退廷を見送るシーンがある。あれに近いメンタルで吉田拓郎の退場を見送りたいし、音楽界が見送って欲しい。
 ご本人はあくまでもあっけらかんとah-面白かった、行く先なんて今言えないよ〜と孤影悄然と去ってゆくのである。そういう夢想をしながら今日も聴くアルバム。
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2022. 7. 5

☆☆☆ドアの灯りが見えた☆☆☆
 昨日7月4日は中山ラビさんの命日だった。すまん忘れてた。息子さんが継いでおられるラビさんのお店で飲んだくれている雨畑からのメールで知った。「隣の席の拓郎ファンだという見知らぬオジサンから73年の渋谷公会堂に行った話をされてチンプンカンプン」というメールだったが、知らんがな。
 ラビさんの息子さんの母を偲んでのインタビュー記事を読ませてもらった。ステージやお店とは違って、家では口数の少ないどこにでもいる地味な専業主婦のおばさんのような母親だったとしみじみ語っていた。どんなふうに母と暮らしどんなふうに最後を過ごされたのかも淡々と語っている。感情をむきださない粛々としたインタビューの文章だった。
 どうしても時節柄、”ah-面白かった”の歌とライナーノーツを彷彿とさせる。アルバム発売日は私の亡父の命日だったりとしたこともあって、あれこれ万感思いをめぐらした。

 “旅立つ駅に遅れた私を笑顔で待ってた”

 昨夜からココがとても沁みる。なんと泣けるフレーズなのか。物理的に間に合ったかどうかではなく、いつだって最後の駅には送れてしまうものなのではないか…と思う。そして誰もがみんな笑顔で待っていてくれる…そう思いたい。

2022. 7. 4

☆☆☆おひとりさまgo to☆☆☆
 「あなたとハッピー」に出演した拓郎が最後に"ah-面白かった"の基盤のテーマである"独り"観について語った。大切に思ったので起こして載録した。

 30代の頃からステージでもよく(独りなんだと)話す男だったし、自分の人生の中でも、自分はなぜ独りなのかと考えていた。それは癖ではなく、実感として人間はいつも徒党を組んで、肩を組みながら歩く生き物ではないと思っていた。
 人間は独りで産まれてきて独りで消えていくんじゃないか…そんな人生観がある。独りなんです、だいたいは。時々、親友ができたり、盟友ができたり、仲間ができたりして、ワイワイするんだけど、結局は独りで産まれてきて独りで旅に出るのが人間の一生なんだと思う。
 感覚として自分は独りなんだということがわかれば、決して独りであることは寂しいものではない、とても楽しいことになってきて、独りだからこういうことに挑戦できる、独りだからこの人と仲良くなるかを自分で選べる、独りだから恋人が欲しい、独りだから結婚したい、独りだから子供も欲しい、独りだからファミリーも欲しくなったりする。独りであるということが根底にある。独りでいるということを前提としてないと人間は勘違いした日常を歩んでしまう気がする
 それがこのアルバムのテーマであって、結局独りであることは寂しいことでもなんでもなくてとっても素敵なことで、独りぼっちってこんなに素晴らしいことはないんだ。せっかく独りでいることを大事にしないで、みんなでワイワイすることばかりに時間を費やしてそっちをメインにしてしまうとつまらない人生になりやしないかというのが僕の言い分ですね。


 「人間みんな独りなんだ」とは確かに拓郎はラジオでもコンサートでも口癖のようによく話していた。大体これと「風になる」がセットだったよな。"人生だからこそ一人になるんだね"(春を待つ手紙)、"ひとつになれないお互いの愛を残して旅に出ろ…一人であることに変わりなし"(ファミリー)…この頃だったと思う。当時の高校生なんでその深い意味は到底わからなかった。独り=孤独カッコええな、くらいの薄い理解だった。それにそう語る時の拓郎にはどこか切ない悲壮感のようなものも滲んでいた気がする。
 その後、長い事この"お独り様案件"はふわふわと漂っていたけれど、こうしてラストアルバムに至って図らずもその答えをいただいた。独り=それは楽しく素敵なことで大事にしなくてはいけないんだという豊かなる回答だった。ずっと聴いてきてよかったと心の底から思える瞬間だった。"独り"の回答を思ってまた聴き直してみる。

2022. 7. 3

☆☆☆約束☆☆☆
 金スマのKinkikidsを観ながらツラツラと思い出した。そういえばLOVELOVEの前に当時SMAPの中居くんと一緒に番組はどうかという企画を打診されたと拓郎は言ってたな。試しに中居君の番組に出たけど話がチンプンカンプンで、じゃ拓郎さん思い切ってもっと年齢を下げましょうということでKinikiKidsになったというイキサツを話していたことがあった。
 番組でジャニーズの後輩が推すKinkiの楽曲を特集していて「誰か『危険な関係』を挙げろよ」と思わなかっただろうか>思わねぇよ。意味深でいい曲じゃないか。
 あとあらためてKinkikidsにDUOの「放課後」(吉田拓郎作詞・作曲)をカバーしてもらってそれで25周年記念シングルってどうだ。ダメか。この老いぼれの願いを聞いてはくれぬか>誰だよ
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 昨日は家人が出払っていて一人だったので、イヤホンではなく大音量で”ah-面白かった”を聴きまくった。忘れていたこの感覚。しあわせだ。もの静かなアルバムというイメージがあったが、どうしてどうして1曲目”ショルダーバッグの秘密”から身体が揺れて誰が躍らずにおられましょうか。
 恥ずかしながら大音量でやっとわかったよ”アウトロ”の最後のシャウト。いいねぇ。”ひとりgo to”で最高潮に。この繊細なエンディングがまたいい。
 自分にとっての捨て曲と思っていた”together”だったが、拓郎って自賛するようにトーキングブルースうまいよね。いつもヘンテコな歌作りやがってと最初は思うが気持ち良くなって次第に虜になってくる。最終的に名曲認定になった”午前中に…”の”真夜中のタクシー”の時は「お客さーん」が耳に残って離れなかったが、今回「おーい奈緒ちゃ〜ん」が頭の中を回っている。

 このアルバムは不思議と聴きだすとライブみたいに一気に全曲一括通し聴きしちゃうな。

 そうだ、自分のために忘れずに書いておきたかったのは名曲”Contrast”について、かつてラジオでこの曲のバックグラウンドを話してくれた時の御母堂との話だゅオールナイトニッポンゴールド第22回 2022.1.14)。病気がちで臥せっている拓郎少年の枕元で母が話してくれたこと。

もし拓ちゃん、あなたがみんなとは違う考えで、違うなと思うとしても、みんなにおかしいと言われたとしても、自分はこういうふうにしかできないと思う時がくる。その時は、できないことはできない、自分の心に嘘をつかない。できないこともできるといって仲良くする必要はない。できないから仲良くできないのならしょうがない。自分に正直に生きなさい。」
 僕は結局自分の心に嘘をつかないという生き方をすることになった。母と僕との心を通じあった約束を守った。


 名曲”Contrast”には、というよりこのアルバム全体にMotherとの心の約束が生きているのかもしれない。
 
 まだまだ底知れぬアルバムだな…などとひとり想えば時は行く。

2022. 7. 2

☆☆☆Mother☆☆☆
 テレビ、新聞、ラジオ、ネットとあちこちで「吉田拓郎」が登場して追いつかない。モグラ叩きのようである。うれしい悲鳴だ。それにしても昨夜も金スマを観ながらKinkiKidsよありがとうございましたと心の中で手を合わせた。

 このアルバムで"Contrast"と"ah-面白かった"は、人間でいえば背骨のような曲だと思う。俺が思ってもしようがないが。
 "ah-面白かった"のライナーノーツは、読めば曲が聴きたくなり、聴けばまた読み返したくなる達意の文章だ。写真も含めて実に胸にしみる空の輝き。

 そういえば昨年のオールナイトニッポンゴールドで拓郎は
 「どうしても入れたい曲が一曲ある。母=motherを歌っておきたい。」
 と語った。どんな曲ができるのだろうかと思っていたら、それがこんな曲だったのだ。
  そして私が2020年からのオールナイトニッポンゴールドで一番忘れられない発言は
 「僕にとって吉田家とは吉田朝子の人生です」
 というものだ。他人様の母子のことながらあの言葉は鮮烈に心に刺さった。"おやじの唄も"清流""も朝鮮総督府すらも吹っ飛ばす。意味もわからず、それでもその決然とした拓郎の言葉に涙ぐんだ。その言葉を思い出すとこの曲をまたあらためて聴きたくなる。

 もうひとつ"ah-面白かった"の刮目すべきところは、自らの母親とひとしくパートナーの母親のことをも歌っているところだ。古今東西、自分の母親を歌った歌は数あれど、義母のことも歌にした歌ってたぶん例がないよね。俺も義母の人生のことをこんなにも考えたり思ったりしたことはない。
 ここに吉田拓郎だけの固有の愛情のあり方、愛情の広さと深さのようなものが垣間見える気がする。実に素敵じゃないか。

 しかも亡母らに対する追悼・追慕とか感謝の辞とかということで終わるのではなく、彼女たちの生き方を明日からの自分たちの生き方にしようという清々しい誇らしさを感じる。なので「集大成」とか「最後」とか微妙に嘘くさい言葉とは別に、この作品自体は決して閉じたり締めくくったりしていないと思うのだ。その象徴としての若々しく闊歩する奈緒さんが必要なのだろうと思う。ま、勝手な思い込みだ。そして"Contrast"はまた明日。

 でさ、読売新聞のインタビュー読んだよ。このアルバムここまで聴いて私も心の底から思うよ。You、歌っちゃいなよ。>誰だよ

2022. 7. 1

☆☆☆誰か聖地を思はざる☆☆☆
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 "ah-面白かった"のDVDを観て嬉しかったのは拓郎さんの魂が"つま恋"にちゃんとあることがあらためて確認できたことだ。ホラ拓郎さんて「僕にとってはもう過去の場所です」みたいなこと言いそうじゃないの。

 つま恋で木下さん出迎えるところは涙が出そうだった。ああ木下さんだ。失礼だが木下さんが可愛らし過ぎて、もうこの人はつま恋の森に棲んでいるコロボックルかトロールではないのかと思う。

 つま恋の撮影でワンピース姿の奈緒さんを観るとやはり私は胸がミゾミゾしてしまうのだが、Ninjinの雨畑からは「結局若さなのよ。若いってことが武器なのよ、ああアタシももっと…」という切実な叫びが聞こえてきた(爆)。

 篠原ともえの成長ぶりが凄ければ凄いほど、プリプリプリティができるのだろうかと心配になる。今でいうフワちゃんを超えるあの時の突破力が出せるのか。それでも期待しているぞ。

 やっぱり圧巻は最後の最後だ。どうしたって胸が熱くなる素晴らしい絵だ。ドローンの進歩に心の底から感謝したい。天から拓郎さんに愛が降りますように、そしてかつてこの場所に集ったすべての人々にもひとしく降り注ぎますようにとガラにもなく祈ってしまうのだ。
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2022. 6. 30

☆☆☆晴れ、いつでも拓郎☆☆☆
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 NHKのニュースにまでなったので、親戚・友人・仕事場の方々から「吉田拓郎さん引退しちゃうみたいだけどアンタは大丈夫かい?」というご心配をいくつかいただいた。ありがとうございます。でも大丈夫なはずがありません。
 とはいえアルバム発売の祝祭ムードがこんなに盛り上がるのも久しぶりだ。今は祭りを楽しもうじゃないの。
 それに最後のアルバムといいながら、この音楽たちは閉じていない。明日に向って開かれている。いろいろ新しいく、元気で生きていこうという気概に満ちている気がする。昔、墓石と葬儀の写真を載せた最悪なジャケットがあったが、今回のジャケ写はとても素敵だし基調になっているカラーのブルーがもう空よりも青ぉいい〜なんともいい色で嬉しい。

 まだまだ聴き始めなのでグダグダ書くのもなんだが。

 このアルバムは短いというか速い。疾風のように始まって、疾風のように去ってゆく。
これは断じて不満・悪態ではない。最後だからとグズグズしないで風のように終わる。そこがいい。そしてまたすぐに風に吹かれたくなって聴き始める。

 今は"ショルダーバックの秘密"と"雨の中で歌った"のメロディーが回り続けて離れない。篠原ともえがこのメロディー展開についてしきりに感心していたが、これこそが拓郎のメロディに魅入られてしまった人間のニューアルバムの妙味だ。かつお節よりしみる拓郎節が五臓六腑にしみわたる。

 素敵な色とデザインなので恥ずかしくなくライナーノーツと歌詞を通勤電車の中で読んでいる。CD→ライナーノーツ→CD→時々DVDと回りながらガボラのように深堀されていく感じがいい。"Contrast"と"ah-面白かった"の深遠の淵に立っているところだ。

 驚きのCDトラック問題。出たなデタントBonus cut on CD。"拓郎なぜこんなことを"というお気持ちは痛切に共感するが、かつて開場直後の殆ど無観客の状況で「無題」とか「たえなる時に」をへーきで歌ってしまったことを思えば"あの人ならやりかねない"(爆)という諦念が先に立つ。最後までぴっくりしたということで。

 とにかくめでたいこの祝宴を楽しみたい。

2022. 6. 29

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)最終回☆
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ah-面白かった
 発売日の前日に銀座山野楽器で買った。令和のこの時代にちゃんと特設コーナーが出来ていて店内でも"ah-面白かった"がガンガン流れていた。このところずっと振り返っていた既視感あふるる光景に感激した。お店に御礼の気持ちをこめて、CD通常盤とDVD付盤で違うジャケット写真に悶絶してついに両方とも買ってしまう拓バカ爺の役を演じてあげた>演じてねぇよ、そのままだろ。
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 …そして結論先取り。ah-びっくりした。詳しく言えないが、こりゃァ両方とも買わないと(爆)。…最後の最後まで何てご無体なことをと嘆いたり悪態をついたりするのは後にして、とにかくCD通常盤とDVD付盤の両方を購入するよろし。話はそれからだと私は思う。サービスなのかいたずら心なのか気まぐれなのか…何か深いお考えあってのことか。
 まったく最後まで油断ができない。

 こうして聴くとやっぱり違う。ラジオで聴いてこんな感じかと思っていたものとまた違って聴こえる。音や演奏の深み、奥行き、作りこみ、そして何よりボーカルの説得力がわかる。たとえば図書館で借りて読んだのと同じ本でも自分買った本だと活字のひとつひとつまでの肌触りが違って愛しくなってくる、全く違う読み物みたいになったりするあの感じと似てると言えば似ている。

 たちまち2周目。こりゃあたまらん。"ひとりgo to"…いちだんとかっけーな。もっともっと聴いて観て読んでみないとなんだが、ラストアルバムだからではなく「名盤出来」ではないかと静かに思う。忘れかけてたアルバムのぬくもりをせめて今は感じていたい。


 かくも幸せな発売日、我が心のハレの日。そうだ奇しくも今日は亡父の命日だった。すべては中2の夏、父にCBSソニーのベスト盤「よしだたくろう'71〜'75」を買ってもらったからです。父よ、紆余曲折はありましたが、息子はあなたと吉田拓郎のおかげで、しあわせな人生を送っております。

2022. 6. 28

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)23☆
AGAIN
 2014年6月末からのコンサートツアーと時期をあわせて武部・鳥山らツアーミュージシャンを中心に作られたセルフカバーアルバム。これがこのまんまツアーのセットリストなのではないかとちょっと心配になった。しかし全15曲+特別トラックを入れて16曲。曲数が多ければ多いほど幸せを感ずる自分はすぐに嬉しい気持ちに変わった。何より代表曲、著名曲を外した選曲が絶妙にいい。

 発売日にたぶん有楽町のビックカメラで買ったと思うが…この辺の記憶がまったくない。昔のことは鮮明に覚えているが最近の新しいことを忘れるのが典型的な老化だ。
 武部・鳥山によるリアレンジと演奏はやはりこれまでなかったオサレな曲相を描きだす。全部が全部OKとは思わない。やっぱり"たえなる時に"はアップテンポではしっくりこないし、"まだ見ぬ朝"もちょっと重い。"サマータイムブルースが聴こえる"の間奏はどうしたってドラマチックなピアノでしょう…と例によって思うが、いろんな曲の表情を観られるのはそれもまた良しだし、聴いてて気持ちよかった。「思い出はひとつでなくていい。何が一番だとか、オリジナルを超えたとか超えないとかそんなことは決めなくてもいい。いろんな思いでがあっていい。」という以前にハワイツアーの最後に聴いた拓郎のスピーチを思い出していた。
 それに俺にとってはガチ新曲の"僕の大好きな場所"と"アゲイン"があった。"僕の大好きな場所"は、高木ブーのバージョンとはずいぶん違う。高木ブー版も味があるが、拓郎のキパっとした歌い方と演奏がまたいい。この関係は、"春になれば"の小坂一也Ver.と吉田拓郎Ver.の対比関係とよく似ている。
 "アゲイン"は不思議な曲だと思った。これこそ映画のエンドロールのようだ。そのうえで未完というのが意味わかんなくて凄い。壮大な問いかけの歌のように聴こえた。どこか心が疼く。

 番外は"僕の唄はサヨナラだけ"は当選した拓郎ファンのねーさんから音源をいただいた。アルバムの雰囲気が違うということでアルバムに入らなかったというが、これはこれでイイのではないかと思う。この歌に限らず、このAGAINのアレンジで心地よく聴きたいと言う日が時々あった。

 そうそう2014年のツアーは、確かに"AGAIN"の曲も歌ったが、それには尽きないセットリストで、俺の不安は杞憂に終わった。っていうか冒頭ものすごかったね。そしてアンコールのアゲイン完全版が輝いていた。


From T
 これはベスト盤なのでどの曲もさんざん聴いた曲である。しかしこの選び抜かれた選曲そして"春を待つ手紙"から始まるこの練りに練られたであろう曲順、このリストを眺めているだけで俺は胸が熱くなる。
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そこには吉田拓郎の意思と愛がすみずみまで表現されている。あらためてその慣れ親しんだ曲たちが別の輝きを始めるような気がしてならない。特に "アゲイン"の完全版がひときわ輝いている。"時がやさしくせつなく流れ、そっとこのまま振り返るなら 僕らは今も自由のままだ"

 Tからのそして贈り物。吉田拓郎のデモテープにはずっとあこがれてきた。ラジオで固唾をのんで聴いたファンも多いはずだ。そこには拓郎の声と拓郎の手になるサウンドがある。これがたまらない。言ってみれば高級レストランでシェフがつくる"まかない料理"みたいな魅力がある。
 公式にデモテープが出ることをずーっと待っていたが、その反面で絶対こういう日は来ないだろうと思っていた。まさか"紅葉"のデモテープだョ、おっ母さん。中島みゆきとの絆を垣間見てしまったような"永遠の嘘をついてくれ"。このデモテープをみゆきに送ったという話も貴重な話だ。
 そしてデモテープの味わいとともにその精巧さとクオリティの高さにあらためて驚いた。このデモテープをもって、バハマのミュージシャンたちに対するイニシアチブをとったということも頷ける。"まかない料理"が世界の凄腕料理人たちを次々と倒していくような痛快さだ。いや〜吉田拓郎ってホントにいいですね。ベストアルバムまで最高じゃないですか。


 ということで明日はいよいよ6月29日だ。”ah-面白かった"の発売日だ。へのような私の人生だったがそんな私にもいつも吉田拓郎のアルバムが届けられた。感動したり、悪態をついたり、誤読したり、読みが浅かったり、申し訳なかった。それでも大いに元気づけられて生きてくることができた。時に万難や苦難を乗り超えてアルバムを作り続けてくれた吉田拓郎、アレンジャー、ミュージシャン、スタッフ、そして俺に手渡してくれたレコード店の皆様、心から感謝申し上げます。こうして一気に振り返って言いたい。ああ、しあわせだった。しあわせだ。

 みなさんはどこで買いますか?、どうやって手にしますか? 大きなお世話ですが、"ah-面白かった"が、それぞれにとってかけがえのないアルバムになりますよう…なんで私が祈るかわかりませんが、心の底からお祈りします。星紀行拝

2022. 6. 27

 せっかくのサイトだからあえて言いますが、引退、活動終了、フォークブームの立役者とかトンチンカンに騒ぐ前に、すべてのミュージシャン、すべての音楽関係者のみなさま、ここはスタンディング・オベーションで「ありがとうございます拓郎さん!ブラボ!!ハラショ!!」と叫ぶところでしょう。もちろんご本人はそんなこと望んでないでしょうが、私は世界はそうあるべきだと思います。

 桑田佳祐は「吉田拓郎の唄」で愛をこめて
  ♪歌えぬおまえに誰が酔う やがて闇に消える
 と歌ったが
  ♪歌えぬおまえにも俺は酔う だから永遠(とわ)に消えぬ
 という感じでこの道をまいります。

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)22☆
午後の天気
 2009年から始まった坂崎とのオールナイトニッポンを頼りに私たちが命をつないだ3年間。途中”That’s it”、”慕情”を灯に、そして震災のころは“春を待つ手紙”に助けられながらようやく2012年6月20日発売のニューアルバムを迎えることとなった。

 発売日に有楽町のビックカメラで買って、その日発売を記念して集まった「綴」でのファンの飲み会に参加した。しかし当然そこにはプレイヤーもないしみんなまだ未聴だったので盛り上がらない(爆)。みんなでエイベックスになってから感じのいいジャケットを愛でながら、やっぱり早く帰って聴こうということになって、いつどこかはわからないが木や緑のあるところでまた会おうと誓って散会した(爆)。

 深夜に帰って家族が寝静まってから聴き始めた。最初の“僕の道”のイントロがいきなり心臓に響いた。まどらかなギターとキーボードがひとつの固まりの音色になり、とろけるようだ。この曲にやさしく抱きしめられたみたいな気がした。どこか懐かしく清々しい明るさに満ち溢れている。この曲からアルバム全体が川の流れのように一気に聴いてしまった。“昨日の雲じゃない”の前奏のまるで語りかけているようなギターと拓郎がこちらに背中を向けて歌い放っているような哀しさがしみた。
 なぜかあんまり語られることのない傑作”危険な関係”は落ち着いてしみじみ歌いあげるKinkiに対して、拓郎の方がノリノリのアップテンポというところに妙味がある。これがカッコイイのだ。
 そして”この風”を聴きながら「おおすげぇ」と思わず唸った。ドラマチックなメロディーが素晴らしい。銀色夏生のシンプルな言葉がうねりだす。風に吹かれて思いを静かに巡らす、その心根のゆらぎが切々と胸にせまるようなメロディー展開。メロディ―そのものにも泣きたくなるような哀しい表情がある。こりゃ出色ばい。
 とにかく”男子の場合”を除いてどの曲も心に響いた。"午前中に…"と比べると派手さや華さが、やや足りないかもしれないが、楽曲のクオリティはグンと高くなっていると…俺ごときの感想だがそう思った。
 ♪この道が大好きだから、この道をゆけばいい〜頭の中ではごく自然にこのメロディーとフレーズが心地よく回りつづける。ああ、このままずっとこの川の流れに身を任せていたいと思った。
 
 作品には衰退も撤退の影もない。吉田拓郎の2012年のアルバムだった。大丈夫だ、この道はつづくよと無言で語り掛けてくるようだった。そして2012年秋、3年3か月という最長不倒記録のブランクを経て吉田拓郎がステージに立った。

 いつだって吉田拓郎の新作には新しい試みや未来に向かって投げかけられた希望が宿っている。いくら拓郎が最後とかラストとか宣しても、宿ったものが将来どうはじけるかは誰もわからない。そこが吉田拓郎の魅力じゃないか。とりあえずそのたびにまた嘘つきやがってとか悪態はつかせていただくが(爆)。

2022. 6. 26

 LOVELOVEあいしてるのニュースに関連して吉田拓郎引退、卒業が世間を席巻している。いよいよ来るべきものは来たりなのか。この連載も大詰めです。

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)21☆
午前中に…
 沈黙を守っていた拓郎は2008年のラジオで「2009年を最後に全国ツアーから撤退する」と宣言した。ショックなんてもんじゃなかったが、もはやここまでかという詰んだような気もした。
 ラジオではアルバム作成準備中ということで弾き語りで”ガンバラナイけどいいでしょう”の一部を披露してくれた。それからしばらくしてエイベックスへの電撃移籍を発表して我々を驚かせた。飛ぶ鳥が進んで落ちるエイベックスですぜ。エイベックスの松浦社長の「これから終わろうとしている人を迎えるのは初めてです」という戸惑いの言葉のとおり、終わりゆく悲しみと心機一転の新鮮さがシンクロする不思議な気分だった。

 これは発売日前日の4月14日に仕事場の近くの新星堂で買ったが、既に平積みでコーナーが出来ていてエイベックスのチカラを垣間見た。すげえ。
 とにかく店頭でまず感動したのがジャケットだ。ブルーの背景に佇む吉田拓郎の立ち姿。カッコイイ。さすがエイベックス、美しい吉田拓郎のビジュアルをジャケットにしようという至極まっとうな意思が窺えた。いい機会だ、この日記をずっとスクロールして今までのジャケット写真を一気見してくだされ。全体にジャケットが悪すぎだとは思いませんか?僕は思います(※個人の意見です)。こんだけのルックスと容姿を備えたビジュアル系アーティスト吉田拓郎でありながらカッコいいジャケットの打率が異様に低い。なので今回はジャケットだけでまず嬉しかった。

 聴く前の予想として2008年のラジオで完成途中の”ガンバラナイけどいいでしょう”のサワリを聴いた時に感じたどよーんとした不安があった。吉田拓郎を聴いて頑張ってきた俺には「頑張らないでイイでしょう」というメッセージはどうしてもしっくりとこなかった。また例えば”フキの唄”というタイトルには、朝陽がサンサンやヨールレイホーに続くような、自分にとってはよくない予感がしていた。

 しかしCDで聴いた一発目の”ガンバラナイけどいいでしょう”の印象は全く違った。悪い予感はかなりキレイに裏切られた。この歌は進むことを放棄しまったり撤退する歌ではなく、あらゆる「しがらみ」「虚飾」から個人が自由になっていく歌であることがわかる。自分の本来の歩みを取り戻すための歌。中島みゆきの「ファイト!」に「あきらめという名の鎖を身をよじってほどいていく」と名句があるが、この歌はまさにその歌だ。
 還暦をとうに超え、コンサートツアーも断念せざるをえないような苦境にあるだろうに、どの曲にも漲る清々しさはなんだろうか。心配した”フキの唄”は、フキにしてフキにあらず、平和の大切さまでつながる祈りのような歌だった。
 そしてついに名曲登場!。”季節の花”。雲の切れ間から陽が差し込むような小倉正和のギターから始まるイントロ。演奏も最高のラッピングのように「隙」がない。これ一曲で「午前中に・・・」を直ちに名盤認定させていただいた。「またウソをつき また夢を見る、また迷っても また探す道、またほほえんで また口ずさむ・・・・」
 出口なき苦境も清々しく進んでいくしかない。このリフレインのひとつひとつがたまらなくいとおしい。一発でほれ込み何度でも聴き返した。
 “早送りのビデオ”は胸にしみて聴きながら、俺のスカスカな人生の走馬灯も回り始めた。”真夜中のタクシー”…この手の歌は嫌いな自分だが。「真夜中のタクシーは今夜もまた銀の河を飛んでゆく行くもの変える物を乗せながらいろいろあってもそれはそれ」「東京の夜は昔からこんな感じだった気がする 笑う男と叫ぶ女が銀の河で踊ってる」…言葉とメロディーと歌いっぷりが素晴らしい。ああ天才だと思った。
 そしてまるで陣山さんの弔辞のような”あなたを送る日”。メロディーはつとめて明るく悲しさを引きずらない。そして「小さな春を見過ごしている 馬鹿な自分に気が付いたとき 胸にあふれるこの喜びを 今こそ素直に伝えたい」との結びは小さな陽だまりのように救われる。
 “こんにちわ”で拓郎がテーマにした「明るい日常」は、このアルバムでこそ見事に開花したのではないかと思った。

 当時、気難しい拓友から短いメールが届いた。
「ニューアルバムいいよねぇ、ここまで届くんだよなぁ、言葉やメロディがさぁ。代表作が63歳になって更新されるのって、こんな幸せってないよねぇ。」

 異議なし。この時期にここに来て名盤出来! そして最後のツアーに向けて私たちは魂を運ぶ。
18時開演〜TAKURO YOSHIDA LIVE at TOKYO INTERNATIONAL FORUM〜
 最後の全国ツアー”Have a nice day”は是非完遂させてあげたかった。あげたい…とか上から目線ですまないが、もう天に祈りたい気分だった。
 それにしても開演前からの会場の空気、演奏、MCすべてを、まるっとライブ盤にしてしまう。これはコロンブスの卵かもしれない。すべてが残されたことにあらためて感謝したい。
 ツアーの中止に加藤和彦の逝去と哀しみの沼のような時期である11月11日の発売日に渋谷東急のCD店で買った。確か「TOUR1979」の復刻CDも一緒に買ったはずだ。買ったその足で仲間と渋谷のカラオケ・パセラのデッキで聴いた。ひとつ一人で聴くには寂しすぎる。ビールのピッチャーを何杯もお変わりしながらついでに泣きながら(爆)聴いた。”風の街”のインストはそれだけで今でも聞けば小一時間泣く自信はある。
 すばらしいボーカル、すばらしい選曲…なんてったって”無題”だぜ、そして最強の演奏…どこにも不安を感じない。聴きながら、大阪の中止の衝撃と彷徨した夜の事、もう主は来なかった雨のつま恋のエキシビションの様子がフラッシュバックしてきた。DISC3の”ある雨の日の情景”と”無人島で”は、つま恋で特別プログラムだったんだよな。映像が楽しければ楽しいほど切ないぜ。
 そして“ガンバラナイけどいいでしょう”、この曲が力強くライブを高揚させ、観客を牽引していった姿はCDでも確認できた。決してあきらめの歌でも撤退の歌でもない。自分の一歩を取り戻すという歌のテーマが見事に伝わる。
 ツアー断念の無念さをも大きく包み込んでしまう吉田拓郎の魅力的な立ち姿は、このアルバムからもくっきりと浮かんでくる。最後だというけれど、まだいる、拓郎はまだしっかりいる。その存在確認のようなアルバムとなった。

 これから終わるのか、始まるのか、歌うのか、歌わないのか、皆目わからなかった。「今度歌う時は木や緑のあるところで」…これが私達に投げかけられた最後の謎のキーワードだった。

2022. 6. 25

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)21・番外編アルバムにはならなかったけれど☆
つま恋2006
  “ah-面白かった”のDVDの予告映像を観た。つま恋を歩く吉田拓郎。知らない人から見れば、何にもないただの広場を一人の76歳の爺さんが歩いてるだけの絵にしか見えないかもしれないが、私の目にはこんな風に映って見える。
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 「聖地への降臨」。万感胸に溢れ、歓声と地響きと音楽が鳴り出し、頭が走馬灯状態になる。ただの広場にここまで思いを深めることでができる私達拓郎ファンは、知らない人から見ればイカレている人(爆)かもしれないが、おかげさまで実に豊かな人生を送っているという自負がある。
 つま恋2006は豪華DVDにはなってライブアルバムにはなっていないが、ここは避けて通れない。ビッグバンドツアーのひとつのdestinationであり、拓郎ファンの私達の忘れじの祝祭だ。ということでDVDを見直そう。できればこれはアルバムにして欲しかったな。音から聴く発見とか感慨もまた深いものだったに違いない。つま恋forever。それぞれのつま恋を大切に。

歩道橋の上で
 永遠の2006年と対照的に2007年は切ない年だった。2006年のつま恋の至福を味わった翌年に、かくも厳しい試練が拓郎とそのファン達を待ち受けていようとは。瀬尾一三率いるビッグバンド・シリーズにピリオドを打ち、精鋭バンドによる小会場を中心としたコンサート・ツアー"Country"に出て、4年ぶりとなる新アルバムの制作という新たなる航海となるはずだった。しかし、いずれも拓郎曰く「矢が尽きた」ように中途で倒れるという憂き目を見た。すべての拓郎ファンがそれぞれの涙にくれたに違いない。

 そのツアーの途中までの様子のドキュメントDVDと未完成の成果物であるCDが、メディア・ミックス「歩道橋の上で」として発売されたのは、2007年の暮れの事だった。発売日に新宿東南口のタワーレコードで買い、Ninjin officeの人々と近くのDVDが観られる個室居酒屋で観て、聴いて、読んだ。予想に反して素晴らしいものだった。

 60歳を超えてつま恋を成功させた拓郎は、岡本おさみに「さぁ新しい歌を作ろう」と呼びかけ、60歳を過ぎた二人の共作が出来上がった。
 「歩道橋の上で」は連結点として「旅の宿」があり、両曲を創り上げた石川鷹彦のギターの美しさが際立つ。この寂寥とした美しいギターのイントロの音色からしてもう胸わしづかみだった。
 このように石川鷹彦をはじめ、徳武弘文、エルトン永田、島村英二、ほぼロックウェル78バンド(1978年「ローリング30」箱根ロックウェルスタジオに集ったミュージシャンのことを勝手に略称)の音は行間にぬくもりがこもっており聴く者を安心させてくれる。
 "少し黄昏また会えてよかった 今は黄昏また逢えてよかった"…ああ、しみじみと響いてくる。"空に満月 旅ごころ"は目の前に情景が広がって、拓郎が言うとおり日常という大平原を旅している気分になる。
 "錨を上げる"が文句なしにカッコイイ。「こんな歌を待ってたんだよ」と快哉を叫んだ。イントロの荘厳なキーボードが夜明け前の張りつめた港の空気を見事に表現している。あとは拓郎とミュージシャンの「技」のなすがまま、まさにLife is a voyageに連れ出される。
 荒天遭遇や海難は船にも航海にもつきものだ。病理現象ではなく当然に起きるべき生理現象だ。現在も拓郎が元気でいることが何よりであって悲嘆することはない。「明けゆく海に感謝を捧げ」何度でも錨をあげようではないか。そんな気になった。
 エンドロールの"ウィンブルドンの夢"はDVDの最後の2007年を総括するツアーやレコーディングの様子のエンドロールに映画の主題歌のように流れる。こんな悲痛な時なのに、「あきらめなんてずっと先でいい。あぁ君の愛を大切にして、君の中で大切にして」と拓郎のボーカルは、伸びやかで、ピュアだ。
  2007年はいろんなことが不本意な形に終わったけれど、確かに「吉田拓郎」はそこにいて、新しい曲があり、渾身のステージがあったのだ。切ない一年だったが、まだ清々しい明日はあるんだ。そんなことを思わせてくれる作品だった。
 エンドロールに緞帳が上がって歌い出す吉田拓郎の後姿が映る。この美しい姿にシビレて、Ninijin designの画伯のYに「この姿を是非お願い」とイラストにしてもらったのが、このサイトのトップページだ。

 昨日書いたことと矛盾するかもしれないけれど、これは8曲(CD+錨をあげる+ウィンブルドンの夢)入りでいいからアルバムにしてほしかった。なんならこういう時こそ、カバーとセルフカバーを入れて揃えよ。それほど珠玉の作品群だった。

2022. 6. 24

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)S☆
豊かなる一日
 何度でも言うが“LOVELOVEあいしている”が終わった後にテレビタレントやテレビの奴隷にならなかった吉田拓郎は素晴らしいと思う。ひとりの音楽家でありつづけそしてビッグバンドによるコンサートツアーを実現した。
 だからこそ念願のビッグバンドツアーの直前に病に倒れた時のショック、無念、恐怖、…俺には想像もできない。想像もできないがファンはファンで不安に悶絶した2003年だった。手術後の4月になって「月夜のカヌーに乗った僕」という拓郎の言葉がサイトに載った。世界一の弱虫野郎と卑下しながら、これからビッグバンドツアーに向う決意が語られていた。そして2003年10月、前代未聞のビッグバンド全国ツアーを前代未聞の手術から半年で挙行する前代未聞の吉田拓郎を目の当たりにする。reverenceの「僕の旅も小さな叫び」に書いたが、http://tylife.jp/chiisanasakebi.html#20030825 こんなん読むまでもなく皆さん同じものを共有していただろう。

 私たちが吉田拓郎の素晴らしさを胸に刻んだこのビッグバンドツアーを完遂した翌年3月24日にこのライブアルバムが発売された。それは病からの復活のドラマということだけでなくビッグバンドのサウンドの豪華さのためにも是非残されるべきだ。発売日に仕事場近くの新星堂で買った。なんだ、こんな墨絵のようなジャケットではなく豪華箱盤でもいいくらいだ。

 やはりアルバムでも一曲目"今日までそして明日から"がたまらん。私たち観客が固唾をのんで見守る中、ピンスポの暗がりで静かに弾き語りで歌い始め"…知るところから始まるものでしょう〜"そこにズガーンとビッグバンドの演奏が砲撃のようにシンクロする。まるで「十戒」でモーゼが海を開くときのよう両腕を広げる拓郎、照明もビッグバンドもここから全開になる様子が目に浮かぶ。そして拓郎の歌を大きく包み込んでいくあのドラマチックな演奏は、CDで聴いてもゾクゾクとして泣けてくる。繰り返し繰り返し100回は聴いた。聴くたびにビッグバンドがシンクロするところで胸が高鳴る。一回くらい弾き語りのまま終わってしまわないかと心配になるが、必ず毎回ビッグバンドが入る>当たり前だ。
 もうひとつ印象的なのは“どうしてこんなに悲しいんだろう”。♪心を閉ざしてぇぇぇ ここのシャウトで第二回感涙タイムである。思わず立ち上がってWelcome back!と叫びたくなる。
 会場ではどうかと思ったラストの"純情"もCDで聴くと拓郎が帰ってきてくれたことの喜びを何度も何度も反芻する祝祭のように聞こえていとおしい。
 あとDVDには”純”のプロモーションビデオがついている。こちれは貴重だ。あの大好きだった「魁クロマティ高校」のオープニング映像をベースに吉田拓郎がアニメになって登場する。貴重な映像ですばい。

 この時既にこの夏のビッグバンドのツアーが決定していた。夏を待ちこがれながら、何回もこのビッグバンドの偉業を繰り返した。


一瞬の夏
 この年の夏のツアーも実に悲喜こもごもいろいろあった。サマーツアーの至福と試練を味わい尽くす。ツアーを終えた翌年に2005年3月24日"一瞬の夏"というビッグバンドによる一発録りアルバムが出ることになった。

 どうでもいい話だが、俺は「ミニアルバム」が苦手だ。曲が多ければ多いほど幸せを感じるさもしい人間だからだ。例えば"トラベリンマン"のように全5曲のアルバムだとその曲数の少なさだけでガッカリする。しかしこれがシングルだったら、なんと5曲も入っているシングルすげーと気分が上がる>バカじゃねぇの。この連載では"トラベリンマン"は"ロンサムトラベリンマン/AKIRA"の両A面シングルにボーナストラックが3曲も入っている豪華マキシシングルとして勝手に取り扱った。
 で“一瞬の夏”はどうなんだ。長澤まさみに平手打ちされて「あなたはマキシシングルなのそれともミニアルバムなの?」と詰問されても「両方さ」としか答えられない。いみふ。
 というか7曲という微妙な曲数、「一瞬の夏」という曲ではないタイトル、そしてあの江口寿史が美しいデザインしている点で、もはやこれはアルバムである。ああ百果園。アルバムとなるとやっぱあと3〜4曲くらい欲しいな。”結婚しようよ”、”英雄”、”遥かなる”、”おやじの唄"追加でどうだ(爆)。
 またボーナストラックで欲しかったのは「開演前の拓郎本人からの諸注意のアナウンス」だ。盛り上がったねぇ(笑)。「そんな図々しい人はいないと思いますが、コンサートをビデオで撮影してはいけません」、「ちなみに僕は昨年タバコを止めました。皆さんも禁煙をお勧めします」って最高だった。

 但し、本体の2004年のライブは、こっちが心配するほどの大量の曲数と演奏時間だった。2003年の堅牢なビッグバンドのサウンドが、このツアーでは練り上げられてのびやかな音になってゆくのが俺にもわかった。このミニアルバムはその成果物だ。
 俺には何といっても”ああ青春”だ。エルトン永田の"俺達の勲章Ver"のピアノ・ソロからを島村英二がバインドしてあの篠島の松任谷バンドのイントロが自然に繋がったところで失神しそうになる(爆)。もうアドレナリンが少々して背筋正して聴いてしまう。若き日の「熱さ」が、年齢を重ねた熟練の技にしっかりと高められている集大成をみるようだ。このアルバムはこの一曲に集約できるような気さえする。

 荒海のような2003年から2004年だった。拓郎がカヌーをひとり漕ぎぬいてくれたからこそ今につながる。ビッグバンドは巨大な護送船団になって寄り添い、私たちはつま恋へとつき進む。なんか今こうして思うと何かに導かれているかのようだった。そんな気がする。

2022. 6. 23

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)R☆
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oldies
 鳥山雄司と彼の自宅スタジオで作るセルフカバーアルバム"oldies"。現在にしてみれば"ah-面白かった"を思わずにいられない。パイロット版みたいで面白い。
 確か発売日にインペリアルレコードが拓郎ファン参加による路上ライブを都内各所で催した。当時の仲間のひとりが新橋駅前広場の会場で弾き語りをするというので拓バカみんなで応援に行った。ニュースとかで酔っ払いサラリ―マンのお約束の新橋駅前広場だが、ホントまあ実際ロクなヤツがいない(爆)。酔っ払いどもが阿鼻叫喚で、なかなか歌うのが大変だったことを覚えている。他の参加者とともに仲間も弾き語りを披露した。うまかったな彼は。それにしてもこんな企画でファンに協力させといて、やれフォークが嫌いとか弾き語りが古いとか言うなよな。

 当日、飯田橋の新星堂で買った。CDと一緒にブックレットも貰った。鳥山雄司は特に好きじゃなかったので期待はしていなかった。が、これを聴いてギターの音色、テクニック、アレンジの凄さにシロウトの俺もびっくらこいた。すまん。聴きながら…うまい!と思わず何度も唸った。“リンゴ”も”Voice”も石川鷹彦の右に出るものはない無双だと思っていた。しかしそこに肉迫する双璧感があった。
 フォークビレッジの歌も蘇生させてくれて嬉しかった。♪ここに独りでいる僕を夜空のどこかに記しておきたい 愛する人に届けと〜ああ泣く。そして意外なアレンジがドハマりした"蒼い夏"にもシビレた。ただ行間にあふれ出る怨念のようなものが少なく物足りないといえば物足りないが、美しい技に酔いたいときにはうってつけだと思った。鳥山ギターの独壇場だ。

 鳥山雄司の自宅スタジオで二人で作りんだ時の様子が当時のClub Mahaloの機関紙やブックレットに残っている。"おろかなるひとり言"なんかも候補に挙がっていたのね。ああ惜しい。
 ともかくいい意味での手作りの肌感覚もまた良かった。まさにこの時の成功体験があればこそ、今回のコロナの制約下での”ah-面白かった”が実現出来たのではないか…と今になって思う。20年の月日が流れている。聴き比べてみようじゃないの。

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月夜のカヌー
 NHK2002年のビッグバンド=吉田拓郎デラックスから2003年のビッグバンド全国ツアーに向うかけ橋のような時期にこのアルバムはやってきた。
 「月夜のカヌー」というタイトルに私は発売前からやられていた。何と詩的なタイトルなんだろうか。また田家秀樹のキャッチコピーが秀逸だった。「・・・船を降りた水夫は、一人乗りのカヌーで海に出て行く・・」たまらん。フォーライフレコードもユイ音楽工房もLOVELOVEあいしてるも無くなってしまった拓郎は、護送船団もない海を一人でカヌーを漕いで行かなく。そこがまた震えるほどカッコ良かった。
 池袋東武の五番街のレコードショップで発売日に買った。クリアファイル貰った。当時は池袋の近くに住んでいたので、池袋東武はいつ行っても空いている(爆)大好きなデパートだったのだ。

 帰ってから封を開け、とにかくまずタイトルが胸わしづかみの“月夜のカヌー”から聴き始めた。シンプルだが力強いバンドサウンドが、拓郎の心意気を示しているようで嬉しかった。「月夜のカヌーで夢の続きへ漕ぎ出そう 月夜のカヌーで息を潜め漕ぎ出よう」というフレーズを聴くとオレも漕ぎ出そうという気になってくる。かくも心強き言葉たち。特に「息を潜め」という繊細さがまたイイんだ。岡本おさみとの最高傑作だと思った。よく考えるとあの曲やこの曲もあるだろうと思うが、とにかく今は最高傑作と言わないとそれも嘘だと思った。
 それにしても“花の店”はサウンドが超絶カッコイイが♪花の店は坂の途中〜と言われると”だから何なんだ”と不遜にも思ってしまうし、"人間のい"も面白いけど、なんだかなぁ。これらは拓郎は絶対にイチオシの曲のはずだがいまひとつ俺には燃えない、拓郎とすれ違ういわゆるスキマ案件である。
 しかしそういうスキマを超えて実に痛快なアルバムだと思った。"春よ来い"なんてこの荒くれ方がカッコいいったらありゃしない。ちょっと古臭いところがかえって心にしみてくる"星降る夜の旅人は"、どうしたってつま恋が浮かんでくる”聖なる場所に祝福を”、そして“白いレースの日傘”を聴いた時は、oldiesの”蒼い夏”を思った。リズムもテンポもスピリットもしっかりとつながっている。この曲を始めアルバム全体に涼やかな風が吹いている気がした。ジャケットの土手がどこなのかはわからないけれど俺を呼んでいた。いつかここに行ってこの風に吹かれてみたいと思った。
 
 アルバムにはコンサートツアーのチケット優先予約の特典がついていたので、いそいそと応募した。いよいよ始まるんだぜ。しかし残念なことにこのあと我々を悲痛事が襲うことになる。なんとなくその事件とこのアルバムは不即不離な印象になってしまいがちだ。だからこそ初めて買った時のこのアルバムの気持ちよさは時々思い出して忘れないでいたいと思うのだ。

2022. 6. 22

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)Q☆
こんにちわ
 2001年3月"LOVELOVEあいしてる"が惜しまれつつ終わり、フォーライフを辞めた拓郎は新天地インペリアルでの第一弾アルバムを発表する。期待しないわけがない。ネットで公開レコーディングまで行ったがうまく繋がらなかった。また1月には拓郎のハワイツアーに参加し、吉田拓郎本人とまみえた俺も絶好調だった。朝起きて夜寝るまでの一日の「明るい日常」がテーマらしい。俺にとっての拓郎は非日常であって欲しいのだが…まあいい。

 2001年3月28日、飯田橋の新星堂でアルバムと同日発売のシングルとおまけのPVビデオを抱えて結婚式の引き出物状態で家に帰って早速聴いた。
 最初にビデオを観た。’いくつになってもHappy birthday’ …OK! すんばらしい。出色のPVだよね。拓郎はかっこいいし、みんながノリノリでウェーイな感じも楽しい、最後にカーペットを幼な子が横切るところまで完璧だ。
 そのままCDに行く。” いくつになってもHappy birthday” このシンプルだが、愛に満ちた、軽やかなポップ。キャリアを長く積み重ねた2000年代になって、こういうみずみずしい作品をサラリと作って歌える素晴らしさ。いやキャリアを重ねたからこその技なのだろうか。拓郎が讃えるのは、ただ「君が君になったこと」「人生に向かい合って歩いている」そのことだ。つまりは「生きてること」それ自体をひたすら誉め讃えて喜んでくれる無条件の愛。インサートされる「いろんなことがあったでしょう 人に隠れて泣いたでしょう」のところに涙ぐむ。

 と、ここまでは良かった。問題はそのあとだった。最初の印象を正直に書く。”朝陽がサン”…なんだこりゃ?サウンドはカッコイイがそれにしてもなんだこりゃ。"消えてゆくもの"…楽しい歌だが登場人物の設定があまり響かない。"a day"…「明るい日常」じゃなかったのか…暗い。そもそも俺は年齢的にもOLさんに「世界はアンタなんか欲しくない」と言われる側の人類なので身に詰まされる。"僕達はそうやって生きてきた"…これは俺なんかじゃなくて若者世代に向けて歌われていると思うと好々爺のロックみたいでいまひとつ燃えない。”ありがとう”…これはLOVELOVEの蜜月時代を思い心がふるえた。しかし、次にヨールレイホーですべてが吹っ飛ぶ。ヨールレイホ―なんなんだ、教えておじいさん、教えてアルムの森の木よ。んでもってカバーが3曲ってのはどうなんだ。特に"君のスピードで"は名曲だが、ここでカバーする必要があったのか。

 しかし吉田拓郎は「フォーライフ作って以来の傑作だ」と豪語した。そうは思えない自分と拓郎との間の大きなスキマを見つめざるを得なかった。若い頃ならこのスキマに蝕まれたかもしれない。いろいろ苦しんで屈折したかもしれない。
 そのころハワイで知りあった拓郎仲間たちに誘われて、渋谷駅に拓郎バスを観に行った。「拓バス」ご記憶だろうか。「こんにちわ」のジャケ写が広告としてペインティングされた路線バスだ。アルバムは不満だったが、バスを観ると胸が高鳴り思わず手を振っていた。幸せな気分だった。
 クイズアタック25で回答者がパネルのコマを選ぶとき、定石と異なった選択をすると、司会の児玉清は「あ〜そこに置いてしまわれたか」「んーなんで角を取らない」と感情的リアクションのあと必ず落ち着いていう「んーそれも何かお考えあってのことか」…コレだ。このアルバムを最高傑作というお気持ちを今はわからないし、これからもわからないかもしれない。しかし「拓郎さん、何かお考えあってのことか」ということでそのスキマを抱えたままありったけ応援していこうと思えた。
 わからないことを恨んだり呪うことはない。何より元気な拓郎がいる。幸せだ。私は拓郎が望むようなファンではない。時代は変わったそうだから君の後ろに僕はいる。世界を無理に理解しない。埋まらないスキマを抱えながら、ついてゆこう愛してゆこうと思うのだった。これって、たぶん"LOVELOVEあいしてる"が俺にくれた何かだと思う。たぶんそうだと思う。

2022. 6. 21

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)P☆
みんな大好き
 後に拓郎は”LOVELOVEあいしてる”開始当初はいつも辞表を胸に入れていつ降板しようかと悩んでいたとその苦労を語った。しかしそれは観ていた俺も同じだ。毎週テレビで硬直して何も言えず浮いている拓郎を手に汗握って針のムシロ状態で観ていたファンは多いはずだ。また拓郎がテレビに出るのはけしからんという硬派ファンもいた。俺はc4f
思わなったが、せっかく"Long time no see"で始まった外人バンドとのコラボが立ち切れてしまうのが寂しいとは思っていた。
 しかしそこは拓郎の人柄と才覚と覚悟だと思うがやがて番組に見事に溶け込んでいった。テレビ番組に溶け込むということは若者を含めた世間様全体に受け入れられると言うことだと知った。今や世界の老若男女が吉田拓郎を好意を持って歓待してくれている。長年人目を忍んで生きてきたが、拓郎ファンというだけでみんなが優しく温かく接してくれた。思ってもみなかった理想郷が実現したのだ。
 
 そして発売日の翌日くらいに仕事場近くの飯田橋の新星堂に行ったら…ない。吉田拓郎のコーナーにも、最新盤のコーナーにもない。お店の人は「すみません、品切れで、いつ入るかはお約束できません。」…ああ神よ、こんな日が来るとは。あちこちで品切れになっているというニュースも入ってきた。そこで久々に実家のある横浜の例のオジサンのレコード店に向った。不謹慎な譬えだけど田舎に食べ物わけてもらいに行く感じだった。オジサンは白髪が増えていたけど「おう久しぶり、珍しいね」「引っ越したので、どうもご無沙汰してます」「拓郎?」「はい」「そこの展示してあるのが最後だよ」とディスプレイを指さした。…あった。ありがとうございます。オジサンは袋に入れながら「毎週観てますよ」と笑った。「どうも」って関係者か俺は。オジサンに助けられながら、オジサンの店でCDを買ったのはこれが最後だった。
 ファン的には特に"我が良き友よ"と"全部抱きしめて"の本人歌唱に価値がある。反対にセルフカバーについては曲によっては微妙な思いはあったが、あの我らが珠玉の70‘sを今の音で世間の人々に好意をもって聴いてもらえる。こんな尊いことがあるか。バンザイ、君に会えてよかった。

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Hawaiian Rhapsody
 読んでくださる皆様にはどうでもいいことだが、1998年の秋から仕事と研修を兼ねて数か月ひとりでロンドンで暮らしていた。拓郎がバハマに行きそこでのミュージシャンとの出会いが新しい世界を開いたことに勇気を得て、俺も旅立ってみたのだ。しかし俺の場合は失語症になってヘロヘロな状態で敗残兵のようになって帰国した。もう日本から一歩も出るまいと誓った。丁度10月31日のアルバムの発売日の3日後に生きて日本に着くと家に拓郎の新作が届いていた。時差と帰国の安堵感で眠れなかった。何が欲しい、何もいらぬ、せめてもの"Hawaiian Rhapsody"を抱きしめよう…ということで深夜に聴き始めた。
 そういう気持ちで聴いたからかもしれないが、殆どが他人の詞・曲というラインナップがあまり気にならなかった。昔なら手を抜きやがってと激怒したと思う。でも世間的にも拓郎ファンの間で暴動や炎上が起きている気配はなかった。
 なぜだろう。ひとつは2年ぶりのコンサートツアーがすぐ近くに迫っていていそちらに意識を奪われていたことか。もうひとつは世の中はあげてLOVELOVEバブル全盛期だ。こういう拓郎も面白いと楽しむゆとりがあったのかもしれない。拓郎も拓郎ファンもみんなお立ち台に上がって踊る我が世の春状態だった。曲なんか書かなくてええじゃないか、人に作らせりゃええじゃないか、ええじゃないか踊りに興じていたのだ思う。…少なくとも俺はそうだったと思う。もちろんそうではないファンもたくさんいたことだろう。

 "Hawaiian Sunrise Sunset"は拓郎はひとつもかかわっていないのだが燃える。"例えば犬の気持ちで"はスリリングだったし、"心のボーナス"は吉田拓郎なんて大嫌いだと公言していた忌野清志郎が作ってくれたというだけで胸が高鳴った。
 それに"僕達のラプソディ"と"Not too late"の2曲。拓郎によるこの詞がかなり深く鮮烈だった。他人の作曲ながら拓郎の作品として十分にインパクトがあった。これが聴けただけで今回は十分ではないかとも思ったものだ。

 そして吉田拓郎の勢いは止まらず新天地を求めて進み、結果的にこれがフォーライフ最後のアルバムになることをこの時はまだ知らない。

2022. 6. 20

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)O☆
感度良好波高し
 「外人バンド」という無礼な表現を許してくれ。この外人バンドとの蜜月がどれだけ拓郎に音楽的に大切な時間となったか、ツアーやラジオなどいろいろなところで語ってくれていた。世間の表面からは消え、深夜"クラブ25"で一人語りしながらこのままフェイドアウトしそうだった拓郎が音楽的に蘇生してゆくドラマは聴いている俺の方も嬉しかったし希望の光が射してくるようだった。彼らとのセッションを毎年続けたいと拓郎言っていたし、当然それについてゆこうと思った。

 発売日に仕事場の近くの飯田橋の新星堂で買った。夜、誰もいなくなった仕事場のPCで聴いた。そのアルバムのオープニング一曲目。"ベイサイドバー"のドラムと泣くようなギターが冴えるイントロから「ああ、カッチョえええ」と叫んで早々に当確のバラの花を飾った。大人の落ち着きを孕んだビートに自然に身体が揺れてくる。思わずエア・ギターしながら仕事場のPCの廻りを鈴木茂になったつもりで歩き回った。人には見せられん姿だ。夕暮れの桟橋の灯りや外国船が映画の場面のように浮かんでくる耽美な歌声。そこには、若い激しさは後退しようとも、成熟した御大の魅力が十分に現れている。他の曲たちもまさに「感度良好」だ。
 "Long time no see"で静かに立ち上がった拓郎が、このアルバムで明るく歩き出す、そんな感じがした。名曲揃い踏みと思った。拓郎特有の「怨念」や「熱度」が薄いが、少しヨソ行き感のあるメロディーがかえって新鮮だった。50才になってもこれほど普遍的なメロディーを紡ぎだせるという才能を実証している。
 拓郎の詞がなかったのが残念だが、石原信一とともに岡本おさみがフツーに詞を書いているところがまた嬉しい。石原と岡本の織り成す世界が魅力的だった。重装備の装甲を感じさせる"遥かなる"も良かったが、"心のままに"、"漂流記"の清々しく心躍る感じが素敵だった。
 次の展開が楽しみだと思っていたところ、突然に吉田拓郎がジャニーズのタレントとテレビのレギュラー出演するというニュースが入ってきたのだった。その番組とはどんな番組?、そのジャニーズタレントとは誰なのか? 次号を待て! >って誰でも知ってるだろ

2022. 6. 19

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)O☆
Long time no see
 “吉田町の唄”の発売が1992年7月29日、そしてこのアルバム”Long time no see”の発売が1995年6月21日。途中、AKIRAが感動的だった”トラベリンマン”とかいい曲だが地味なシングル盤とか”地球ZIGZAG”とか”紅白歌合戦”とか”オートレースへ行こう”とかが散発的なことはあったが、いわゆるアルバムもツアーもないまま3年近くが過ぎた。かくも長き不在。世間はすっかり拓郎のことを忘れ、ネットもない時代、拓郎ファンの声もあまり聞こえなくなった。俺にしても、いっちょまえに仕事が忙しくなり、本業である拓郎ファンがおざなりになりつつあった。例えば”決断の時”がいつの間にか発売されていたことを知っても、拓郎出演のテレビやラジオを逃しても、昔みたいに地団駄踏んで悶絶しなくなっていた。この頃の方がエンディング、アウトロの空気を強く感じていた気がする。t.y氷河期と俺は勝手に呼んでいる。
 そして95年、FMで深夜に提供スポンサーもない地味な番組”クラブ25”で静かに語る拓郎がいた。宇田川オフィスもやめ、一人自宅ファックスで仕事の連絡を受けていると語っていた。穏やかな日常を語る、はからずも等身大な吉田拓郎だった。それはそれで深夜に仕事から帰って拓郎の語りを聴くのが楽しみだった。
 バハマに渡ってのレコーディングのことは、ニュースにも話題になっておらず、このラジオだけが静かにその経過を伝えていた。なのでCLUB25とこのアルバムは不即不離の関係にある。
 今回の海外レコーディングの拓郎は箱根ロックウェルスタジオの時みたいに生き生きと楽しそうだった。自らの精巧な打ち込みのデモテープによって、海外ミュージシャンたちを前に音楽的イニシアチブをしっかりと把持している様子も窺えた。しかしそれがどんなアルバムになるかは予想がつかなかった。

 仕事場のあった本郷三丁目の駅前のCDショップで発売日に買った。”放っておいてくれてありがとう”のコピーが胸にささる。忘れもしない深夜に白山のアパートで一人で聴いた。
 夜の静寂、いきなり美しいイントロに引き込まれた。”とんとご無沙汰”。ありゃあ、いいわ。詞は阿木燿子か。拓郎本人を温かく抱擁するようなこんな優しい詞を書いてくれた人はいなかったと思う。それが美しいメロディーと演奏と歌声に結実している。このアルバムをトーンを決定づける”set the tone”な一曲目だった。
 どのメロディーも美しく繊細だと思った。そしてアルバム全体にみなぎる「静けさ」。今まで拓郎は静かなバラードを歌っても、どこかで魂の律動のようなものが息づいていた。しかし、この作品にはどこまでも「静けさ」が漂う。若い頃なら物足りないと思ったかもしれないが、この静けさがとても心の奥底にしみた。ああ「何かが変化している」とこのアルバムを聴いてはじめて思った。

 決定打は静寂の海を小さな船が滑り出すような「♪こんなに人を愛せるなんて・・・」という導入の“君のスピードで”。拓郎のボーカルはどこまでも穏やかに流れて行く。大切な人との距離を見つめながら、いとおしむ繊細な詞。”やがて今日も移ろうけれど時に逆らわず君の名を呼ぶ”…ここを何度も聴き返して反芻して至極のラブソングに涙ぐむ。時代の流れや世間の喧噪またファンの歓声すらも、遠く離れたエアポケットに拓郎は放置されていた。その静かな時間の中で、拓郎は、おそらく自分の心、そして大切な人とも向き合う至上のラブソングをつくり上げた。
 阿木燿子と対照的に中島みゆきは”永遠の嘘をついてくれ"という強烈なラブレター叩きつけた。怖いよ(爆)。
 阿木燿子、森下愛子、中島みゆき三人の女性の愛に抱かれてこのアルバムは出来ている。そんな気がした。

 あらためて確信する90年代に駄作なし。深夜のひとりぼっちのラジオから自分も一緒に船出するような気分になった。
  そして学んだ。結婚も海外録音も3度目からだ。

2022. 6. 18

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)N☆
吉田町の唄
 「日本の父よ、母よ、子どもたちよ、今、吉田町の唄。」"吉田町の唄"が入ったアルバムというだけで名盤確定と思っていた。それにしてもここまでの楽曲に仕上がったら、タイトルは後のことを考え、例えば「家族になろう」とか「絆」とか普遍的なタイトルにして、せめて副題に「(〜吉田町の唄)」と付したりするのがありがちな戦略だ。でも拓郎は、歌のタイトルは「吉田町の唄」。それが入ったアルバムも「吉田町の唄」。この歌は君たちの町に作ったんだから君たちの町がタイトルだというような静かな矜持を感じる。自分も「吉田」に連なる一人という気持ちもあったのだろうか。

 当時、研修で静岡に住んでいた私は呉服通りの大型レコード店「すみや」で発売日7月29日に仕事帰りに買った。ジャケットの愛くるしい子どもの笑顔と出会った。いい写真だ。昭和21年のたぶん大変な時なのにこんな素敵な写真があったとはすごいなと思った。
 布施明の歌に出てきそうな西日だけがあたる狭い部屋に帰って一人初聴した。イントロダクションに続く実質1曲目”夕映え”…ガツンと来た。すげえ。久々の先頭打者ホームランだった。先頭打者ヒットは数々あるがホームランはなかなかない。"♪時はためらいもなく夕映えに燃えて無常であるこだけが闇を包んでも 僕は誰にも奪われない 愛する君のそばにいる"…心底からいいな。俺の部屋のむさくるしい西日も神々しく思えてきた(爆)。続いて、歌ったことにびっくりした”夏二人で”…このアレンジはええなぁ。アンニュイな映画を観ているような”いつもチンチンに冷えたコーラがそこにあった”、清冽な”そうしなさい”、世界一カッコいい戸籍の附票”今度は一体何回目の引越になるんだろう”、「時代は変わったそうだから君の後ろに僕は居る」という凄いフレーズに驚いた”海を泳ぐ男”次々とヒットが呼応していった。…これは池田高校のやまびこ打線か。8曲目の”ありふれた街に雪が降る”で再び美しいアーチを描いた。美しい。胸わしづかみになった。
 安定の"吉田町の唄"。そこで終わりではなく最後の最後に"僕を呼び出したのは"これはサヨナラホームランみたいだった。この歌を聴きながら、ちょっと昔を思い出して♪泣いた、泣いた、こらえきれずに泣いたっけ…そこまでは泣かなかったが、すばらしい作品で締めくくられていた。

 すっかり夜になっていたので、俺はブルーの歌詞カードだけ持って近所の行きつけの蕎麦屋「山惣」に行ってビールとかつ丼とともに今聴いた歌詞をひとつひとつ読み返した。クレジットを観てこの名盤を支えたのは、そうか石川鷹彦…あなたでしたか。早く帰ってまた聴きたくなった。

 176.5〜detenet 〜吉田町の唄。この上り調子。ああ90年代に駄作なしと思った。しかし、こんだけのアルバムを発表したというのに世間は冷ややかだった。ファンクラブのT’sも終了、パソコン通信なんてやり方わかんないし、作品の充実とはうらはらに環境は切ない方向に向かっていた。

2022. 6. 17

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)M☆
détente
 "détente"は大好きなアルバムだ。まずタイトルだ。フランス語ぞなもしシルブプレ。さすが和製アラン・ドロンだ。空を見上げる短髪の拓郎のジャケ写がいい。何よりも俺がレコード店で手に取ってふるえたのは全13曲も入っていることだ。感激した。”ひまわり”なんか全8曲だぜ。前作で名曲の幕の内弁当と言われた(>お前が言ってるだけだ)"176.5"ですら全11曲だ。全13曲入っているということだけで聴く前から名盤出来だ。量ではない質だというご意見もあろうが賛成できない。量だってば。たくさん入っているというだけで人は幸福に満たされる。少なくとも俺はそうだ。そして量はやがて質に転化するのだ。

 で問題は俺がCDではなくカセットを買った点だ。カセットは収録曲が1曲少ない。てかカセットがデフォルトで、CDはボーナストラックが一曲多くつくのだ。それで13曲となる。ここからは青い空をパクらせてもらって書く。当時俺は仕事の研修寮にいてカセットウォークマンしか持っていなかった。研修寮の食堂にCDデッキがあったのだが、夜みんなで酒飲んでくつろぐその場で新作CDを聴く勇気はなかった。その食堂で、ある日酔ってギターを抱えた数歳上のシバタさんが「星君、若いのに拓郎が好きなんだって?オレも大好きでさ〜♪喫茶店に彼女と〜」と歌い始めた。すると横からほぼ同世代のキムラさんが「古いな〜、やっぱり"春だったね"ですよ」「そういえば拓郎って今何してんの?」「知らない、昔の貯金で暮らしてんじゃないっすか」。俺はこの二人の会話を聴きながら、心の中でおまえらみんな停滞してるぜと叫んで心の中の文化シャッターをガラガラと降ろした。「停滞」という表現以外は実話・実名です(爆)。こんな連中と一緒に"detente"を聴けるわけがない。聴かせてやるもんか。しかしあと寮を出るまであと1か月も待てない。なのでとりあえず緊急措置としてカセットにしたのだ。確か松戸の駅の近くのレコード店で買った。

 2曲目の”たえなる時に”でもう早々と当選確定のバラの花が着いた。なんと美しく、なんと荘厳な曲なのか。"クリスマス"の"諸人こぞりて"を思い出した。吉田拓郎がインタビューで「見上げてごらん夜の星を」…ああいう歌を作りたいと言っていた。そして空を見上げるジャケット。どの曲も”気持ちのいい空”が見えた。
 打ち込みではなくバンドサウンドで1週間でアルバム作るというフレコミだった。確かにバンドのサウンドの感触はなつかしく素敵だが、打ち込みと断絶したわけではなさそうだ。バンドサウンドでも精巧なデモが作られているのだろうなと想像できた。打込みを始めてから顕著だった練りに練られたイントロ、間奏、アウトロがこのアルバムでも生きている。それぞれが一篇の作品のようでもあった。壊れ物を扱うように繊細な"青空"のギターサウンド、”渚にて”のイントロは印象的だし、”友あり”の詞はなんか面映ゆいがサウンドを聴くだけでウキウキ元気になる、”時は詩人のように”のドラマチックなギターといったらない。旅路を鼓舞するような"レールが鳴ると僕らは旅をしたくなる"のイントロ。そうだ"地下鉄にのって"の本人歌唱が手に入ったのも嬉しかった。

 やがて7月中旬、研修寮から出所して家に戻るその途中で例のオジサンの店でCDを買い13曲目のBonus track onCD"裏窓"を聴いた。あの手風琴の音からもう胸わしづかみだった。それに、この拓郎のボーカルのカッコイイこと。たまんねぇ。おまえだけが命あるものよ。初聴から泣きそうだ。7月だけに本当にボーナスをもらったようだった。この第一印象は今もかわらない。

 このアルバムのインタビュー記事のタイトルに「吉田拓郎 まぁーるい挑戦」というのがあった。おだやかな90年代の進撃のはじまりである。

2022. 6. 16

 ずーっと独り語りの拓郎を聴いてきたけど、"あなたとハッピー"で久々に人と対話する吉田拓郎を聴いたよ。いいねぇ、距離と間合いの取り方とか返し方とか、聴いててニマニマしてしまったよ。

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)L☆
176.5
 吉田拓郎の身長は1メートル77センチだと習っていたので、このタイトルを聴いた時、拓郎,縮んじまったのか?とちょっと心配になった。
 89年の9月にドラマ主題歌で打込みの”落陽”を聴いて次作アルバムに期待はすまいと思った(−☆)。しかし11月21日の神奈川県民ホールのオーラスで初披露された”俺を許してくれ”は、初めてだったがスタンディングオベーションしてしまったほどの快作だった(+☆☆☆)。そして12月フジテレビの番宣で雪の中に佇む恩田三姉妹に流れる「まにあうかもしれない」を聴いてこりゃあいい、声も使い方もベストだと感激した(+☆☆☆)。

 ということで合計☆☆☆☆☆のかなり楽しみな気分で、発売前日の1月9日、今は無き渋谷東急プラザの本屋の隣のレコード店で見つけたのでそのまま購入した。地元レコード店のオジサンすまない。夜に家に帰ってCDのセロファンを外すもどかしさ。
 で、一曲目の”落陽”をすっ飛ばして、二曲目の”星の鈴”から聴き始めた。その瞬間のサーっと目の前が開けたような気分が忘れられない。俺には鮮烈だった。10階のテラスからの夜景が広がって文字通り胸で鈴が鳴った。あとは最後まで一瀉千里だった。川の奔流のように流れてゆく”車を降りた瞬間から”、この命ただ一度、この心ただひとつ”俺を許してくれ”、心の奥底に沈んでゆくような”しのび逢い”はイントロだけで涙が出そうだった, "はからずも、あ"こういうのすげー好き、そして今更ですまんが「まにあうかもしれない」は祭りのあとのインサートだったのか。
 …まるで当時の憧れ洋食津つ井の特上幕の内弁当(松)のようだった。こんなにも心湧き立つ、こんなにも身体ふるえるアルバムは久々だった。あの打ち込みが実に表情を豊かに描き出している。拓郎は習作を経て自家薬籠中のものにした感じがした。スーパーひとしくんを贈りたい。
 MUCHBETTER、ひまわりと続いた打ち込みの偉大なる実験は、ここに花開いた。ホップ、ステップ、ジャンプだ。どこが等身大だ、大いなる巨人じゃないか。いや、この成長する大きさが等身大なのだ。どっちでもいいか。

 発売こそ1990年1月だったが、実質80年代の最後のアルバムだ。実にいろいろあった80年代だった。80年代初めの”アジアの片隅で”、中盤の”FOREVER YOUNG”、そして最後の”176.5”。最高傑作にも事欠かない見事な80年代だった。特に”176.5”は明日にしっかりと架橋してくれているのが嬉しかった。楽しいことばかりではなく、時代の中央からは外れてしまったかもしれないが、80年代も素敵だったじゃないか。このアルバムのおかげで胸を張って言える。少はぐれたけれどこの道を一緒に来て良かった。
 最後にひとつだけ悪態かましてよかですか、このジャケ写なんとかならんかったのか。「具合悪いんですか?拓郎さん」と心配にならないか。

2022. 6. 15

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)K☆
ひまわり僕だって買います。発売日の夜の帰路に例のオジサンのレコード屋に寄って買った。CDとアナログが売られていてCDを買うつもりだったが、この絵画調のジャケットがあまりにアート的で素敵だった。「おい、LPにしろよ、部屋に飾れよ」と耳元で誰が言ったか知らないが言われてみればその通りの言葉が聞こえた。はっ、空耳か。しかしアナログプレーヤーはもう危なかったのでCDにした。オジサンは例によって袋に入れながら「ああ、珍しく朝から何枚か出たよ…あ、珍しくってイケないな」。
 サウンドが抜群にカッコよくなっている。"ひまわり","冬の雨"."その人は坂を降りて"あたりのカッコよさと言ったらない。キパッとしたクールなボーカルで♪苛立ちが胸を突き身体をねじらせる〜ココの節回しがたまらない。シビれた。さすがにこのアルバムを習作とは言えない。
 でも、あれ?曲数が少ない。ダンカンが持っていたのはもっと曲が入ってたぞ。夕陽は逃げ足が速いんだ…はっ!もしかしたらLPにはボーナストラックがついてるのかもしれん…ともう一度レコード店に行ってみた(爆)。スーパーの総菜にクレームするおっさんみたいだ。
 それにしても何て難解なアルバムなんだろう。天使や神や永遠の地が歌の中で行き交う。"約束"は不可思議な世界を漂っているような感じがした。"ぷらいべえと"がディランの"セルフポートレイト"に影響を受けているといわれるように、これはディランが神を歌う"セイヴド"ではないかといろいろ考えてもたが結局はわからない。そのためだろうかカッコイイ練られたサウンドでありながら、アルバムの体温が全体に低く感じられた。熱さとか温かさの対極の低体温のようなアルバム。
 この低体温のアルバムで熱闘のるつぼ東京ドームのライブに挑むわけで、そこがまたあのライブの不可思議な魅力だった。

2022. 6. 14

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)K☆
MUCH BETTER
 1988年、吉田拓郎は帰ってきた。いきなりTVCMにセンセーショナルに登場し、ニューアルバムの発売と,もうやらないと言っていたコンサートツアーの実施とが発表された。もちろん俺はその帰還を心の底から大歓迎した。

 帰ってきた吉田拓郎はおだやかなオジサマという感じで雰囲気が随分変わっていた。小室哲哉や布袋寅泰の若い音楽を高く評価しコンピューターの打込みを熱く語る音楽家の吉田拓郎がいた。
 4月21日の発売日は、試験の真っ只中なので(試験に落ち続けていた)さすがにアルバムは買えず一次試験が終わった5月8 日に帰りに高田馬場のムトウでCDを買った。初CDだ。その日の夜はTBSの「すばらしき仲間U」でSATETOツアーのドキュメンタリーもあった。いろいろ乗り遅れたが。吉田拓郎の帰還を祝う隊列の末席に遅ればせながら加わった。
 
 自分の手によるコンピュータの打込みを中心に作られたアルバムはこれまでにない不思議な印象だった。悪く言うと物足りない、迫力に欠く、良く言えば、手作りの温かさを感じた。なんだろう、うまく言えないが、試作品、習作という感じがした。"エチュード"というのか。エチュード=étude=音楽用語=演奏技巧を修得するために書かれた練習曲。すまん。失礼にもほどがあるか。クオリティが低いとかそういうことでは断じてない。大いなる習作、エチュードだ。打込みという新しい可能性を武器に、自分の手で新しい音楽を構築していこうという清々しい出立を感じたのだ。これこそを「等身大」というのだと思う。そう考えると拓郎自作のイントロや間奏そしてアウトロのメロディーのひとつひとつまでもが気持ちよくていとおしかった。
 けれんみのない詞もいい。特に“よせばいい”,”Mr.K”,”現在の現在”が心に響いた。もちろんコンピュータのピコピコ音も気になりはした。しかしこれが文明開化の音だと思い込んだ。

 ということでこのアルバムは技術革命の夜明けみたいなものではないかと思う。そして
この時の技術があればこそ、現在のコロナ禍の不自由な状況下でありながら、こうしてリモートを中心にラストアルバム"ah-面白かった"を完成できたのではないか。そんな気が勝手にしている。やはりMUCH BETTERは偉大なるエチュード、大いなる慣らし運転だと考えるが…怒られるよな。

2022. 6. 13

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)J☆
サマルカンド・ブルー
 1986年。拓郎去りし後、日々を慰安が吹き荒れて帰ってゆける場所がない。こういう気分のことを言うのか。
 春にシンプジャーナルで、拓郎が加藤和彦&安井かずみとニューヨークにアルバムレコーディングに行ったという小さな記事が載った。拓郎と自分を結ぶ細い糸だった。現地同行した音楽評論家の立川直樹(誰だよ@当時)が「凄いボーカルを聴いた」と他の媒体に書いてくれたのも心強かった。

 夏に立ち寄った都内のレコード店では、[9/5 吉田拓郎ニューアルバム「CARAVAN」(仮)]と手書の短冊が貼ってあった。その50倍くらいの大きさで浜田省吾「J.BOY」の宣伝告知が飾られていた。普段なら嫉妬して怒って悶絶する俺もこの時は心から浜省の活躍が嬉しかった。
 発売日にオジサンのレコード店に行くとガンガン浜省が流れる中、オジサンは、ターバンを巻いた中近東な拓郎のジャケ写の"サマルカンド・ブルー"を袋に入れながら「拓郎、今回は自分で書いてないんだって?」と話しかけてきた。10曲中6曲は拓郎の作曲なのだが、別にオジサンと真実を語りあうつもりはなかったので「そうですね」と答えておいた。すまん。

 これまでの拓郎にない不思議な空気感に溢れていた。"サマルカンド・ブルー"、"君の瞳に入りたい"、"七つの夜と七つの酒"、加藤和彦&安井かずみのガイドでシルクロードの海外旅行に出ているようなそんなよそ行き感があった。聴いていて心が躍った。拓郎はサマルカンドもニューヨークもネッフェルタも殆ど知識も興味もないまま天性の本能で正鵠を射るように歌いこんでしまうところも素敵だった。
 
 しかしレコード評はさんざんで「これで拓郎が新境地を開いたつもりなら甘い」とかシンプですら「このアルバムの風景に住みたいと思わない」と酷評だった。ファンの評判も芳しくなかった。拓郎本人ですらコレは加藤に呼ばれて歌っただけだから…とテンションはガチ低かった。後には自ら「失敗作」とまで言いおった。でもそれは「安井かずみのいた時代」のインタビューを読むと、心からZUZUを敬愛する拓郎が、この時期の彼女のある種の「不遇」を見つめ胸を痛めていたからではないか…と俺は思う。違ってたらごめんな。
 拓郎にどういう思いがあろうと大越がどう言おうとこのアルバムは俺にとっての傑作だった。特に"Shamgri-la"に"又逢おうぜあばよ"があったように、このアルバムには"人生キャラバン"があった。安井かずみとの象徴的最高傑作とひとり想う。"♪…俺とおまえのこのぉぉぉおお手ぇには"ああココのシャウトがたまらない。

 そういえば、このサイト名は"t.y life"にするか"t.y caravan"にするかすげー迷ったのをふと思い出した。
 

2022. 6. 12

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)I☆
FOREVER YOUNG
 ※これまでのあらすじ
 1984年夏、拓郎は離婚しマスコミや世間はここぞとばかりに拓郎を叩いていた。そんな中、吉田拓郎はアルバム”FOREVER YOUNG”を完成させ、その発売日の10月21日を待たずして10月4日からコンサートツアーに出た。一方、私は資格試験に落ち、彼女と別れ蒲田の地も追われ、いつ受かるかわからない受験勉強に明け暮れるフリーターとなっていた。孤影悄然とゆく拓郎とやさぐれた私の明日はどっちだ。


 行き場所のない私は独りで神奈川県民ホールに向った。このステージで”FOREVER YOUNG”の新曲たちを初めて聴いた。
 ♪君が先に背中を向けてくれないか〜♪どうしてこんなに悲しくないんだろう〜♪横道にそれるものあざ笑い仲間同士で傷をなめ合って〜♪家を捨てたんじゃなかったのか、家を捨てたんじゃなかったのか〜そして♪間に合うさ間に合うさ遅すぎることはない
拓郎のMCは殆どなかったが、新曲の言葉のツブテがビシビシと飛んできた。今まで待ち続けていたようなメッセージフルな曲たちに面食らった。言葉をすべては聴き取れない。でも何かすごい歌たちであることがわかった。
 発売日を待ってレコードを買うのは久しぶりだった。駅まで行く途中にあった小さなレコード店に入った。LPコーナーの仕切り板に「吉田拓郎」はなかった。「よ・国内 男性」を探すとそこにあった上半身裸で佇む男のジャケット。レジに持って行くと店長のオジサンは「”情熱”を買わなかったアンタにゃ売れないね」なんて言わずに>言わねぇよ、「拓郎好きなの?」と聞いてきた。悪い人ではなそさうだったのではーいと答えた。
 家に帰ってからあのステージの衝撃を思い出しながら聴きこんだ。「君が先に背中を」「ペニーレインへ行かない」「Life」「大阪行は何番ホーム」「7月26日未明」、一言一言歌詞を確かめながら、詩集を読むみたいに聴いた。行間までびっしりと魂の詰まった珠玉の作品群だった。こんなときになって、こんな名作をつくりやがって・・・と天を仰いだ。こんなとき…そう吉田拓郎は何らかの決心を既に結んでいるようだった。


俺が愛した馬鹿
 85年早々に夏のつま恋の開催とそれが拓郎の最後ライブになるというニュースが流れた。「迷っていた拓郎が答えを出した」「フィナーレを見届けよう」と田家さんも書いていた。愛とすれ違う哀しみの80年代中盤はこうして終わることになった。前年の田家さんのシンプジャーナルのインタビューで拓郎は語った「つま恋で育ってつま恋で死ぬ そんなアーティストがひとりくらいいてもいいよな」。
 さて5月が来て俺はまたも試験に失敗した。合格していれば二次試験で大変なはずだったが、まったくヒマになってしまった。失意の中で、これで心おきなくつま恋にも行ける、それで吉田拓郎ともお別れだと思い直した。そして新作を聴こう。
 発売日の6月5日、驚いたことにオジサンのレコード店にはちゃんと「吉田拓郎」の仕切り板が出来ていた。そこに「フォーエバーヤング」と「俺が愛した馬鹿」が数枚ずつ入っていた。ありがとう、おじさん。レジに持ってくとおじさんは「拓郎、歌やめちゃうらしいね」と話しかけてきた。「これからどうすんだろうね」「どうなんでしょうね」。一般Pの俺とレコード店のオジサンの二人が考えたころで答えがでるはずがなかった(爆)。
 家に帰ってSFチックなギターのイラストの表紙を開けて…驚いた。え? 何?これ?「墓」?…見開きの中央にギターをデザインした白い墓石があって、その周りに喪服の参列者が囲んでいる埋葬式の写真だった。墓碑銘は見えにくいけどTAKURO YOSHIDAで間違いない。ねぇみんな、これ平気だった?小心者の俺は結構ショックで動揺した。
 加藤和彦のメロディーがウキウキする“抱きたい”、”誕生日”は切実でカッコよくていい曲だ、”夏が見えれば”…これはつま恋だよな、"俺が愛した馬鹿"は転調がよくわかんないけどドラマチックでいい曲だと思った。思ったが何を聴いても「墓石」が浮かんでくる。さらに無機質なコンピューター打ち込みのドラム音が、なんかグルーミーな気持ちを余計に増幅させる。「つま恋で育って、つま恋で死ぬ」だからといってこのジャケットはどうよ。
 “ah-面白かった” 最後にやはり拓郎はつま恋を訪れた。どうかジャケットも拓郎の歌も言葉も青い空のような清々しいものであってほしいと願う。ラジオを聴いているときっとそうに違いないと思う。

吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋
 吉田拓郎はつま恋を終えてステージを去った。終末感ただよう周囲の空気で「ニューミュージックの葬式」と揶揄もされたが、拓郎の歌も演奏もエネルギッシュでどこにも退廃の影はなかった。実に素敵だった。
★フリーター、ビデオを買う
 バイトの金も少入ったし、清水の舞台というか武道館の2階席から飛び降りるつもりで9月21日、横浜のビックカメラで念願のビデオデッキとつま恋85のビデオを買った。つま恋のビデオソフトを買うとアルバムを買う余裕がなかった。しかし家で好きな時間に好きなだけ拓郎が観られる。この当時、どれだけの至福なことだったかは今の人たちにはわかるまい。特にビデオにだけ”ファミリー”が入っていたので迷いはなかった。
 それから何十回観ただろうか。朝昼晩深夜、好きな時にスイッチを押すと拓郎がいつでも歌ってるんだよ。夢のようだ。信じられる?その2か月後に今度はメイキングビデオのPartUが出てこれも買ってしまう。だってギターは高中だぜ。あの”落陽”だけでも一日10回くらい観たし、”祭りのあと”を聴くとパイプ椅子もって暴れたくなるほど何回も観た。
★フリーター、中古カセットを買う
 ということでレコード購入計画はさらに遅れた。あの地元のオジサンのレコード店には、きっと俺が買うだろうと期待してレコードが入荷してあるに違いない。すっかり行きにくくなってしまった。
 とはいえ”川の流れの如く”,”やせっぽちのブルース”,”ビートルズが教えてくれた”も聴きたい。すると85年の年末近くに大学の裏にあった中古レコード店に「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋」のカセット版が廉価で売られていた。心の中でオジサンに手を合わせて買った。
 ビデオで観ていた曲もレコードで聴き直すと違って聴こえた…あれ?ほんとに違う(以下略)。いろいろあってもそれはそれ。
★なにもかも愛ゆえのことだと云ってくれ
 正直にいえばアルバムの中で一番胸に響いたのは、俺がアルバム"情熱"を買わなかった理由のひとつである"世界の終りが来てもかまわない"という歌だった。年の瀬の深夜に聴いていて心にしみた。エンディングのコーラスyou neverのあとforeverの間に「愛してるぜ」とアドリブかます。泣けた。憑き物がとれたみたいだった。
 最高のラブソングだけが戦争を止め世界を救うのだ…と思い直した>調子いいな

 急性映像中毒になった私は、ビデオレンタルで「つま恋75」「篠島」「王様達のハイキング」を借りてきた。おかげさまで翌年の試験も落ちる。吉田拓郎のいなくなった空白をビデオと埋めようとするも埋まらなかった。やさぐれながら新しい歌が聴きてぇと心の底から思った。

2022. 6. 11

オールナイトニッポンゴールド  第27回 2022.6.10
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。毎週週替わりのパーソナリティでお送りする金曜日、今週は吉田拓郎がお送りします。

<CDジャケット「Ah-面白かった」の「た」の二画目の棒が長すぎたと思うが前の「つ」とのバランスがいい、さすが堂本光一という投書>
 光一は字も絵もヘタと言っていたけど、俺も今まで、特に光一が、うまいなぁということもなかった。それが今回現場でスラスラと書いて、あれぇ、おまえ ウマいんじゃないの?と言った。字体を画面に大きさ調整しながら、デザインの篠原ともえとハメてみたら、字の持つインパクトがピッタリで、この字以外じゃダメだった。光一に頼んで大正解  「Ah-面白かった」ぴったり。光一はわかっているな。今さら彼の愛情を感じる。「能ある鷹は爪を隠す」というけれど、光一は実は個性的で字はウマいと思った。

<一番制作に時間がかかった曲は何ですか?という投書>  
 今回は自分でどうしちゃったのおまえ?と問いかけるほど、曲も作詞もデモ作成も 必ずスラスラと頭に浮かんできた。不思議だった。詞が浮かぶ、メロディーが浮かぶ・いつもだったら途中でウーンと煮詰まって悩んでいたけど、今回はグングン出来てしまう。あっという間にワンコーラスできて、そのあとも止まって悩むこともなかった。あらできちゃった。竹内まりやが昔ゲストに来た時、「拓郎さん曲が降りてくるという」話があったけど今回は全曲が降りてきた気がする。
 僕の環境、僕にとっての贅肉や無駄な気遣いをスッパリ整理して、その結果寂しい人生になるのではないかという心配ごともあったが、逆に心が豊かになった。クリアでハッピーな青い空のように気分になった。そこをKinkiや奈緒や篠原ともえや小田和正らが心を開いてみんなで受け止めてくれた。
 ギターの鳥山とキーボードの武部が全力で、これまでとは違うアプローチにトライしてくれた。バンドセッションと違って、ビデオを観るとわかるけど、リモートは言いながら僕がいろんな注文を出した。それに対して真摯に取り組んでくれた。あらゆることが愛がいっぱい。それを受け止めてくれた結果ではないか。そうとしか言えない。すばらしい瞬間をサポートしてくれたみなさんありがとうと言いたい。

 今夜の放送で2年間の宅録は終りで、来月はニッポン放送のスタジオで放送する。よくやってきたな、台本なく自分の箇条書きメモをたよりに自分で編集もしていた。11時に佳代さんも叫んでくれて、それもこれが最後だ。

 〇今夜も自由気ままにお送りします、吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

<ビリヤードのトーナメントプロ、ファン歴25年、20年くらい前に松山市民会館で前列の端から叫んで袖にいる拓郎さんに無理矢理手を振らせた女子高生という投書>
ビリヤードは永い事やってないな。四つ玉とローテーションがあるんだよな。ツアーでよくやった。ローテーションが得意だった。そうか、手を振らせたか、女子高生に弱いからな(笑)。おじさんだったら振らなかったけど。松山市民会館・・・よく覚えているよ。
昔多数出演するフォークコンサートの時、僕の愛用のギター、マーチンのD35が楽屋から盗難されたことがあった。本番にギターがなくて・・・誰かが窓から入ったんだな。一緒の出演者だった小野和子のギターを借りた覚えがある。後日無事に帰ってきた。
松山の町は好きだよ。路面電車が走っていて、松山城があった。デュークの社長と一緒にいろいろ遊んだ。四国は大好きだ。

<試合の前は緊張している おすすめの曲はないかという投書の続き>
 僕の曲は緊張してしまう。余計緊張する。こういうとき向いているのが、同じ“骨まで愛して”(歌う)。ステージ前に楽屋でよく歌っている。

 今日の一曲目は、一曲目だけど”アウトロ”。この曲最後の部分に思いつきで入れた雄叫びが入っている。ドキュメントの録音風景が出てくる。アドリブで、シャウト、 ハミング、それからデモの音がそのまま生きていたり、いろんなサプライズが盛りだくさん。聴いているとあれ?これは自宅かな?と思えるところもあると思う。口笛なんかは自宅、ハミングも自宅かな。いい効果音で盛り上げている。一瞬というか二瞬、雄叫びを入れている。わかるでしょうか?

M-1   アウトロ   吉田拓郎

(CM)

 来月からはスタジオなので、自宅だと納戸からちょっと引っ張り出してというのが出来なくなる。今日はこれを聴いてみようかというのがある。

 僕が作詞家の方々と作品を作った。シンガーソングライターと言われていけれど、それより僕はミュージシャンと自負している。自分で曲を作り。楽器を弾きアンサンブルを作ったりするのが得意だった。作詞はよく共作をした。みなさんが良く知っているところでは、岡本おさみ、喜多條忠、松本隆、康珍化、石原信一、森雪之丞。女性の作詞家とも組んだ。男性とは違う視点がある。安井かずみは親友というか大尊敬していた。気が付かないうちに詞に男目線が入っていて、それがとても気に入らないとよく言っていた。僕が知らないで歌っているものにも女性からすれば女性にとっては失礼という詞がある。
女性の視点の詞もハッピーな気持ちになれる。阿木燿子の”とんとご無沙汰”は大好きな曲だ。素晴らしい日常を描いて
 それから”春だったね”の田口・・・としこ?よしこ? どっちかもわかんないけれど深夜放送ラジオにいただいたた詞に曲をつけた。  
“せんこう花火”これもハガキに書いてきた詞にメロディーをつけた。古屋信子だっけかな。歴史的な二曲、女性目線の素敵な詞だ。ラジオを通じてなのでよくは知らない。

 「白石ありす」という人の作品。吉田拓郎ファンは”伽草子”が浮かぶと思うけれど、さほどではない。この人はいわゆる流行歌、歌謡曲の作風の人だと思うけれど、たぶん取り巻く環境がフォークソングの人たちだったのでそういう人のリクエストに応えてそっち寄りになってしまっている。それよりこっち寄り=拓郎寄りのを書けばいいのにと思っていた。・・・伝統的な歌謡曲があっていたと思う。
この人の”素敵なのは夜”(歌う)大好きだな、ロマンチックで。一連の歌に”ソファーのくぼみ”という歌があった。これが大好きだった。昔は、8分の6拍子があった。ロッカバラードとか言っていた。♪海は不思議だな〜 好きだな8分の6拍子リズムで言うと三連いっぱいあった。今はない。ラップ、ヒップホップが中心だ。8分の6拍子はかったるいのかな。
 この”ソファーのくぼみ”の詞を観た時、迷うことなくスイートな感じで甘ったるいメロディーをつけようと思った。バッチリ詞と曲があっている。
東京キッドブラザースにゲスト出演していたテレサ野田が歌った。ハッキリ言って彼女は歌がうまくない。いろいろと現場でレッスンしたけど限界。だから売れなかったけど、いい曲だと思う。残念だった。デモテープのアレンジもよかった。

 それから時間が経った。かつて世の中ピンクレディー派かキャンディーズ派に分れていたけど、僕は曲も作ったしキャンディーズ派だったかな。ピンクレディーとはつきあいがなかった。一度、オールナイトニッポンにゲストで来たけど意気投合ではなかった。打ち解けられなかったかな。でもケイちゃん、増田恵子さんのセクシーボイス、ハスキーボイスは好きだった。だいたい曲は都倉俊一だったし僕には接点がなかった。時代が流れて、増田恵子さんがソロアルバムでこの”ソファーのくぼみ”を吹き込んでいた。おお、いいじゃん、これなんだよ、テレサ野田には悪いけれど、こうやって歌ってくんないと。声にピッタリ、僕の当時のデモテープのギターソロもそのまま再現してくれている。あの曲が生き返ったと思って、iPodに入っている。これが白石ありすの世界だ。
“風になりたい”もイルカとよくいた女の娘(沢田聖子)に歌わせればよかった(笑)。

M-2  ソファーのくぼみ    増田恵子

(CM)

 広島でR&Bのロックバンド、ダウンタウンズとして活動し全国大会にも出ていた。その一方で広島フォーク村にもいた。ただフォークソングについては知らなかったけど、弾き語りをやって、自分で詞や曲書いてボブ・ディランのマネをしていた。プロテストソングとか反戦歌というものの傾向にはたどり着いていないのでヤル気もなかった。ラブソングをメインで作って歌ってコンサートを開いたりもしていた。
 バンドのリーダーMくん・・・天国に行ってしまったけれど、彼は僕にR&Bやアメリカンポップスを教えてくれた。フォークをよく思っていなかった。彼はフォークが好きじゃなくてロック、ソウルを愛していた。だから自分のコンサートにもあまり来なかった。
フォーク・ブームは大学生を中心に広がっていたし、女子は入門しやすいフォークに集っていた。ブームとしてはとっつきやすい。
僕は当時、女子を意識していた。ロックバンドでキャーキャー言われるのが嬉しいし、ギターの弾き語りもやって・・・調子のいいヤツだ(爆)。フォークとソウルを使い分けていた(爆)。
 僕のギター教室がすげー流行っていた。女子が長蛇の列。ウハウハなギター教室。ウハウハな気分でギター教えていた。月謝とっているからバイト料もたまる。
それでバンドと飲みに行ったのでMくんも文句は言えない。俺のギター教室には人が来ないとMくんは言っていたが、飲めりゃいいわいとジン・トニックをよく飲んでいた。
こうやって音楽やってお金も儲けていたので、勉強はしていなかった。”Ah面白かった”深夜に家へ帰ると部屋にこもってとあるでしょ。

 その頃の弾き語りのコンサートの音源。この歌は渋谷ジャンジャンでやるときは歌っていたし、アルフィーと冗談で歌ったりもした。広島時代の調子のいい、うまく使い分けうまく女子高生をダマした。

M-3  雨     吉田拓郎   

<篠原ともえが革の着物のデザインで国際広告賞受賞という投書>
 やりましたね。国際的に評価されてのダブル受賞。すばらしいですね。あのプリプリプリティのグフフと言ってた女の子だった篠原が凄いな。おいシノハラと言っているけど、今日から篠原さんと言おうかとLOVE2のディレクターも言っていた。
アナログ盤のデザインをしてもらったことも運命的だ。LOVE2は想定していたのか。Kinkiや篠原の成功、あのときにこういう今を想像していたか。実に感慨深い。
あの番組がいかに素敵な出会いを生んでいたかということを思う。偶然の出会いなんだけれど、奇跡を生んでいる。こういう素晴らしい若者たちと出会えたったこと、愛がいっぱいの瞬間を送ることができた。篠原ともえおめでとう

〇11時

佳代) みなさんこんばん 2年間おさわがせしました.今夜でお別れ寂しいです,.
みなさんの明るい日常をお祈りします.おやすみなさい.

 自宅録音の最後なのでいろんなものを寄せ集めてみんなで聴きたい。

 次は2019年。最終ツアーとなった。バンドの完成度は文句なしです。長い事、描いていたセッションの楽しさを2019年に全員で完成させることができた。あれ以上のセッションの楽しさ、スリリングなセッションはできない。あれはバンドミュージシャンとの一体感はひとつの到達点だ。
 バンドとはセッションとはハーモニーとは何か、いつも一緒にいるわけではないミュージシャンとセッションでありながらそれが可能になった。映像で残しておいてよかった。2019年のバンドメンバーと今度フジテレビLOVE2で演奏できる。
ツアーの最終回は神田共立講堂。いろんな方にはみていただけなかった。特別プログラム”やさしい悪魔”はそういう思い出のバンドとのセッションだった。絶品だったと言ってくれた。そのあとにCDを作った。一曲聴きたい。いろんなものを片づけ中で、音響機材も片付けようかと思っている。誰かにやろうかな。片付けタイムで片付けながらこういう曲も聴こうよと思う。
 女性アイドルに作った”わたしの首領”。これは快心の一作。阿久悠さんと作った石野真子のデビュー曲とデビューアルバムを作った。一曲目の”狼なんか怖くない”の二作目、これはいい曲作ったなという自負心゛かあった。これを2019年に”T&ぷらいべえつ”でレコーディングした。いいじゃんこれ。みんなと聴きたい。これは僕も歌う・・・ここ歌わせろとか言ってところどころソロボーカルで登場する。

M-4  わたしの首領  T&ぷらいべえつ

(CM)

 インペリアルのディレクターにユニークな男性がいた。キザを絵にかいたような人。若いころは痩せたプレイボーイだが、僕があったころは既に太ったオッサン  だった。若いころの自慢話いかにプレイボーイでモテたかという話をする。

 もう太っていたのでその面影はない。でも言うことは変わらない。愉快なイイヤツだけど自慢話が凄かった。その変なヤツをモデルにOSSANっていう歌を作った。あの歌は僕じゃなくてこの方がモデル。実家がお寺=お坊さんの家で、人づてに聞くと今はお坊さんをやっているらしい(笑)。信じられない。エッチでスケベなお坊さんだろうな。永い音楽人生でこんな変なディレクターは一生いいない。ディレクターはみんな普通の人なんだけど。
 インペリアルで作った”こんにちは”これは大好きなアルバムで今でもステージで歌ったりしたし、iPodにも入っている。そのアルバムを一緒に作ったディレクター、若いころはモテたこの人をモデルにした

M-5  Ossan  吉田拓郎

(CM)

 もともと飲酒は神の行為という説がある。共同体をまとめるために飲酒を利用する。人心を一致させ集団をひとつにする。太古の昔お酒は必需品で集団で飲むものだった。神様もみんな同じ甕からお酒を飲んでひとつになる。回し飲みでみんなの気持ちが一つになる。そういうものだったらしい。
 やがてお酒が神様から離れて民が自由に飲もうと言う方向になった。飲酒が時間・空間を超えて自由になる。飲酒は集団からひとりで飲むものに変わった。お酒の進化だ。結果的にひとりひとりの日常に深化していった。 
僕は酒飲みだけど一人飲みが嫌いでね。カウンターでコートの襟を立ててスコッチ・・・すげー嫌い。一人飲みだと違う世界に行ってしまう。もともと孤独なので、アルコールの時くらいみんなで女の子もいてワイワイやりたい。一軒の店で腰をすえてじっくりというのではなくて何軒かハシゴして最後はディスコで踊ろうよ。外に出て朝になって夜明けの町を歩こうよという感じでいきたい。”雨の中で歌った”にもあった。みんなで飲んで遊んでああ、もう朝だよ、また今夜も会おうね。軽いな。

 本当にこういう仕事じゃなかったら、ここまで全国の夜の町の愉快な体験はできなかった。コンサートツアーの意味はそこにある。全国ツアーは旅そのものの楽しさ初めての場所で歌って、と現地の若い連中と飲む、時にファン称する連中とも飲む。これまでの芸能界では考えられなかった、もっとフレンドリーな関係でいいじゃないかというのがあった。しかしある事件を体験してそれ以来ガードを固めるようになった。残念だった。詳しいことは今度のアナログ盤のエッセイに書いている。ツアーが楽しくて、ごく普通に現地の連中と飲むのが楽しかった。事件によってそれがなくなったのは寂しいしつまんない。

 初めての北海道の札幌ラーメンを食べた時は感激したし、青森・岩手の雪の居酒屋の楽しさ、東北の焼き魚、ホッケとキンキはうまかった。現地の人と和気藹々と話すのが楽しかった。初めて長崎のちゃんぽんと皿うどん、うめーなと思った。沖縄は、帰る時こうせつは沖縄にいたいと言っていた。沖縄の人の独特の解放感が魅力的だった。波の上という歓楽街で朝まで楽しんだ。山陰というとイメージがあるか、ところが美味しいものとか美味しい酒、人も温かった。鳥取は特に思い出深いシーンが残っている。おいしいモノ、おいしいお酒、人がやさしい。全国ツアーはそういう楽しみがあつた。次は北国、そういう岩手の夜の歌。

M-6  雪さよなら    吉田拓郎(with小田和正)

(CM)

 “Ah-面白かった”というタイトルにいろんな方面から反響をいただいた、お付き合いある人からついつい胸が熱くなったという便りもいただいた。我ながらこのタイトルで良かったと思っている。CD付属のドキュメントのラストシーンでつま恋の多目的広場で最後に僕が語っている。
 僕の50年以上の音楽生活を支えてくれたファンの皆さんへの感謝の意味もこめて、ああ面白かったというのは僕のメッセージであるという意味もこめて、しゃべっている。若さゆえの失敗もあったけれど、音楽と僕を後押ししてくれたみなさんの存在にありがとう、それがああ面白かったに繋がっている。限定版にちょっとだけ触れている。若かった頃、残念ながら愛がいっぱいとは距離があった、愛されていない季節を送っていた。それは僕の音楽を支持してくれていたファンのことではない。どういう環境におかれていようとも僕の音楽を支持していてくれたみなさんとは 目に見えない細いけれど確かな愛の道が見えていたと確信している。それはファンのみなさんとのことではない。
 愛されていなかったというのは僕だけが体験することになって体験した 社会からの異常なまでの罵倒されつづけるシーズンがあり、同じように最も大切なプライベートの愛も見えなくなっている事実に限定してのことです。
 そんな中を潜り抜けた50数年音楽とともに半生を振り返ると反省、後悔、悔しさ、怒り、憤りそして喜び、笑い笑顔を総括するとああ面白かったと言える。ああ面白かったと言えるいうそういう自分がいいんじゃないか。ああ面白かったと言いながら旅に出ることにしようじゃないか。今のささやかな願望でもある。

M-7  ah-面白かった 吉田拓郎


■エンディング
 私が唯一知っているのは「私は何も知らないのだ」 哲学者ソクラテス 確かなこと何も知らないこと・・・おっしゃるとおり。わかつていないやつが多いが、俺はわかっているという雰囲気あった。自己中心的におごり高ぶりもあったかも。ソクラテスに怒られる。痛いな。
 いよいよ2年間の自宅録りが終わってスタジオに行く。僕のラジオも12月でエンディング。それまでは自由に気ままに行きたい。もしかしたらスペシャルなゲストも期待できる。やっぱりスぺシャルじゃないとね。

 次回は7月8日金曜日。お別れの曲は、間奏をエディ・バンヘイレンが弾いているマイケル・ジャクソンのこの曲

M-8  今夜はビート・イット マイケル・ジャクソン


☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆なんか今日の放送は吉田拓郎からしみじみと語りかけられたような気がしているんだが。気のせいか。気のせいでもいい。言葉を尽くして心に届くよう吉田拓郎は話してくれたと思う。

☆今日流してくれた”ah-面白かった”の曲たち。前回全曲公開の時とは全く違って聴こえた。ググっと心の奥底に入ってくるような気がした。”雪さよなら”からかなりやばくなってきて、最後に拓郎の話の後に”ah-面白かった”を聴いた時、恥ずかしながらかなり泣いていた。潸然と涙下った状態だった。

☆一日でも早く聴きたい。そう思った。近所のおばさんのレコード店も蒲田のコタニもとっくにない。万感の思いで静かに待とう。そしてすみからすみまで聴いて観て読もうじゃないの。きっと今の予測や先入観とはまた違う名盤に違いない。

☆自宅録音お疲れ様でした。早くスタジオで放送してくれよと思っていたが、ここまでくると「拓録」というひとつの完成形か。愛子さんの11時の叫びも最近磨かれてきたので確かに寂しいです。どうかお元気で。

☆自宅録音の副産物「雨」。やっぱりさぁこの若者超絶才能あるよね。いい曲だよね。そう思った。しかも「バカヤロウ」を雄叫ばない。貴重なスタンダードバージョンばい。

☆白石ありすも謎めいていたけど、そんな風に拓郎は観ていたのだな。そうはいうけど拓郎さん絶対にテレサ野田のこと好きでしょ。あの微妙な歌唱力と不安定な艶。

☆沢田聖子に歌わせれば良かった…ってなんと無体な。確かに沢田聖子の歌唱は絶品だった。しかし、川村ゆうこのライブはここ最近にも聴かせていただいたが、”風になりたい”はやっぱり川村ゆうこが世界一うまいと思った。

☆もしかして、それって「加瀬っち」ですか? 同僚、友人に自慢するのはわかりますが、天下の吉田拓郎に対して自慢するところがわかりません。そのお方をどなたと思っておられるのですか。
 「加瀬っち出家する」(笑)Ossanのモデルとは知らなかった。この曲がまた味わい深いな。

☆神田共立講堂はライブアルバムにならないのか。悲願。

☆自宅から外にでる拓郎、私達も出立しようではないかと思う。

☆☆☆今日の学び☆☆☆
 緊張をほぐすのは"骨まで愛して"。そうだ。ニッポン放送の公開放送で初めて"春を待つ手紙"を歌わんとするとき、直前のCMの間、確かに拓郎さん"骨まで愛して"を真剣に歌っておられました。ハイ、会場のみなさんもご一緒にと言われて。

2022. 6. 10

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)H☆
マラソン
 本人不在の素っ気ないジャケットが続いていたが、アルバム「マラソン」の告知・ジャケ写は久々に本人近影だった。これはカッチョ良かった。ボーカル、ルックス、そしてバンドサウンドも含めてすべてに”艶”maxだった1983年の吉田拓郎。本人いわく酒と女とバラの日々を謳歌していた。久々にワイドショーを賑わすスキャンダラスな拓郎でもあった。
 しかし先行シングルの”あいつの部屋には男がいる”は面白いサウンドだと思ったが、バブリーな男女の世界にガキの私は共感できなかった。なんか拓郎を遠くに感じ始めていた。

 アルバム発売日の前日5月20日が武道館公演だった。開演前にかつての”ローリング30”みたいに”マラソン”が満場の武道館に流れた。”僕はあの時、風になり”。ふるえた。
 しかし本編とアンコールで2回演奏された”お前が欲しいだけ”を始め自堕落上等!モードの新曲たちには全く心に響かなかった。
 俺も大学4年生で身の振り方を真剣に決めねばならないときであり自分事で余裕がなかったのかもしれん。「真面目なんかに生きてもしょうがないよ」という拓郎のMCが妙に引っかかった。その通りだ!とは叫べなかった。
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 ということでデカダンス空気ムンムンのアルバムに対して何が何でも早く聴きたいという気持ちは湧いてこなかった。ということで発売日の数日後のうららかな日曜日に近所のおばさんのMレコード店で買った。久々だ。おばさんはニッと笑って紙の筒を渡して「ハイ、ポスター」。思えば、このレコード店で買う最後のレコードになった。お世話になりました。
 楽曲“マラソン”はいたく心にしみた。声もピアノも切なくて涙ぐんで聴いた。「すべてのヒューマンに捧ぐ」というキャッチコピーにもかかわらず、やはり他の曲はひとつも響かなかった。蒲田に住んでいる小僧に、カハラと言われてもはるか遠くに遠すぎてわけがわからん。GBだったかな、音楽雑誌のレコード評で評論家が゛「”マラソン”一曲のためだけにもこのアルバムを買う意味がある」と書いていて当時は納得したものだ。すれ違う哀しみの80年代中盤はじまる。


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情熱
 スキャンダル報道は過熱していた。スキャンダルが悪いとは思わない。吉田拓郎はマスコミと闘っているときが最も魅力的に輝くというのはこれまでに経験済みだ。しかし、今回はマスコミとは真摯に闘うというよりも、ゲームをしているような、あしらっているような空気が気になった。マスコミにはムカついていたが、拓郎頑張れ!という気持ちにもなれなかった。
 発売前にラジオでいくつかの新曲を耳にした。その中でショックだったのが”このまま世界の終りが来ても構わない 君と一緒に死んでゆけるならすべてを許そう”。なんという歌を歌うんだ(爆)。世界の終りを食い止めようと歌ってくれるのが拓郎だと思っていた。それもすげ勝手な思い込みだけどさ。…この歌の本当の美しさを感じ取れるほどの感性も人生経験も当時の俺には不足していた。
 また82年のツアーでしみじみと歌い上げて大好きだった「情熱」という歌は、アップテンポになると、なんか言い訳をしているだけのように聴こえた。
 聴き手の自分自身にもショボイなりにいろいろな実生活の苦難もあって、ことさらひねくれた気分になったのかもしれないが、発売日を知っても気分はいっこうに上がらなかった。
 ということで結局、"情熱"は発売日から少し遅れて買った。10年くらい遅れて(爆)、買ったときはCDの時代で俺も30歳になっていた。つまり買わなかったに等しい。はい、”情熱”は買っていません。

 発売当時、つきあっていた彼女に今度出る拓郎のアルバムはもう買わないんだとこぼした。「買わなくていいけど、聴いておきなよ、聴かないで文句言うのは逃げてるだけだよ」と彼女がわざわざ自分でアルバム買って録音したカセットテープをくれた。レコード帯の変わりの赤いステッカーをケースに貼ってくれていた。すまない。
 とはいえ聴いても心が動かずそのままだった。”SCANDAL”にも”男と女の関係には”にも感情移入ができなかった。ラ〇ホに行きますっヤッホーという"チェックインブルース"、当時の私にはただの愚痴にしか聴こえなかった"何処へ"…ああダメだ。そのまま置いておくしかなかった。翌年の1月11日の武道館に行き・・・ああ大きな何かが終わろうとしているんだなと実感した。愛と哀しみの80年代中盤はつづく。

 100%縁を切るならともかく、そうできないなら「聴かないで文句言うのは逃げてるだけだよ」という彼女の言葉と行動には心の底からありがとうと言いたい。ウキウキ待つ発売日ばかりではない。そんな時でも,買おう、そして聴いておこうというのが私の個人的教訓だ。それは拓郎が撒いた種だからだ。いつか違った芽がでて花が咲く日がくるかもしれない。一度は夢を見せてくれた君じゃないか。いや一度どころではないわな。

2022. 6. 9

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)G☆
王様達のハイキングin Budokan
 82年は王様達のハイキングツアーの一年だ。通称"極悪バンド"の演奏はそれは素晴らしかった。 
  http://tylife.jp/chiisanasakebi.html#19820727
 ただ82年の夏の終わりにレコード店に「武道館ライブの2枚組アルバム発売」の告知を観た時、あれれれと思った。82年春ツアーと秋ツアーのインターバルの夏にニューアルバムのレコーディングがなされると聞いていたからだ。超絶売れっ子の島村英二が体調を崩される等の事情も重なりたりしてレコーディングは延期されたそうだ。心配の島ちゃんは秋ツアーには田中清司とのツインドラムで参加され、ツアー後半には単独ドラムで完全復帰された。良かった。ということで急遽ライブ盤の発売なのかも。

 このアルバムは秋のツアー真っ最中の発売日の11月21日に通っていた大学の生協で2セット買った。一緒に武道館に行ってくれた当時付き合ってくれていた彼女にプレゼントするためだ。ずっしり重かった。これは感動の重さと言うより、物理的に重かった(爆)。自分の参加したライブがライブ盤になるという感動を彼女に味わってほしかったのだ。…今、書きながらウザかったろうなと申し訳なく思う。
 で店頭のジャケットを観て驚いた。誰だ。もちろんジャケットの少女に恨みはない。しかしこれは拓郎のライブの勇姿であるべきじゃないかいと思った。…と不満に思いながら、ジャケットの見開きを開けると…うわーカッチョエエ〜ああたまらん。歌詞カードも写真満載でさらにたまらん。
 なんとなくスキマを埋めるためのアルバムのような気がしたが。それでもレコードで聴いてもそのド迫力にはすんばらしくぶっとんだ。よくぞ音源に残してくれたものだと感謝したくなった。"あの娘といい気分"なんてロスまで行かずに良かったじゃん、これが魂のベストテイク。"王様達のハイキング"と"悲しいの"は、もうすんばらしい。そして"祭りのあと"の後奏の青山のギターに涙した。

 当時、このライブのセルビデオが発売された。ビデオデッキを持っていなかったし、このソフトも確か1万8000円くらいしたのでとても手が出なかった。もし家にビデオがあって24時間好きな時に吉田拓郎の映像を観ることができたらどんな幸せだろうと悶絶した。隔世の感。40年前ならSFの町。
 元気で今日まで生きてこれたこと、そしてアルバムと映像がセットで観られる現代に感謝しよう。
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2022. 6. 8

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)F☆
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ONLY YOU
 ベストアルバムと言う勿れ。この神々しいまでのアイドリッシュなジャケ写。これが山手線原宿駅の線路脇の特大の広告パネルとして春先から展示されていた。山手線で通学していた俺は毎日このパネルが正面に見える停車位置に陣取った。「えっ、あれ吉田拓郎なの?」「へぇー」「かわいい」とほぼ毎日いろんな山手線女子たちの会話が聞こえた。エヘン。
 ベストアルバムといいながら新録も4曲(ボーカル入れ直し含む)。鈴木茂が”たえこMY LOVE”を弾いたあと「今夜これからデルモと約束あるから」と帰ってったのにショックを受けた拓郎がラジオで「俺もデルモが欲しい」と叫んでいた。
 “アジアの片隅で”は社会派路線、プロテストソングとしても評価されたが、その数か月後このベストアルバムのアイドルな路線変更はどうよという意見もあった。しかし、アジアの片隅では 決して反戦歌でも社会改革のテーマ曲でもないと思う。人間の自由な魂の歌だ。国境を戦火が燃え尽くしたことに怒る拓郎とデルモが欲しいと叫ぶ拓郎、そのふり幅の中に吉田拓郎の魅力はあると思っていた。このジャケ写で決まり。
 そうそう発売日1981年5月1日に渋谷の公園通りの坂の途中のレコード店で買った。蒲田や地元のおばさんのレコード店で買うのはこのジャケットに失礼かと思って(爆)>すまん


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無人島で
 まだレコーディングもなされていない出来立ての新曲を中心にラインナップした81年夏の体育館ツアーは素晴らしかった。そこでラインナップされた新曲たちが次回のアルバムになる。仕込みはOKだ。特にオープニングで初めての曲ながら全員スタンディングで大興奮した”この指とまれ”が楽しみだ。それにもうレコード収録はないのかとあきらめていた”ファミリー”がついに音源となる。それだけでも嬉しかった。
 しかしツアーが終わるとその後に続くはずの秋ツアーがまるごと中止となった。理由は気分がすぐれないということだった。なんだそれは。そして10月の発売日が12月1日に延期。理由はLPジャケットが気に入らないのでやり直すということだった。フォーライフ始まって以来の気に入った内容だからということで待つ。どよーんとした不安な空気に包まれていた。
 12月1日は大学の帰りに大学生協で組合員割引で買った。店頭で驚いた。こ、このジャケットはなんだ。あまりに素っ気なさすぎる。青いクレヨンで塗ってるだけじゃん。 "ONLY YOU"とはあまりに違い過ぎる。試供品かサンプル版か。それとも情報開示の黒塗りなのか。このジャケットのために発売日を延期したのか? 夏場ならともかく12月にこのジャケットはかえって冷え冷えとしてくる。

 そのまま小学校の同級生で大学も同じ友人の家に寄った。彼は夜を徹しての課題の作業中でいろいろ手伝いを頼まれたのだった。俺のLPの袋を観ると「あ〜ちょうどいいや、なんか音楽かけてくれよ」と言ったので、よし!と袋から出すと「吉田拓郎?…じゃあいいや」と言って、彼のラックから薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」のサントラを自分で出して聴き始めた。けっ。世間の風も冷たいぜ。
 深夜に家に帰ってやっと針を降ろす。いきなりのボーカル♪この指とまれぇ〜この指とまれ〜あ〜どんなに世間の風が冷たくともジャケットがいみふでも"この指とまれ"すんばらしい。かぁぁぁぁ燃える。特にこのアルバムのA面の素晴らしさ。A面は吉田拓郎作詞、B面は松本隆作詞の背中合わせのランデブー。もう吉田拓郎の背負い投げで一本!>違うだろ

2022. 6. 7

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)E☆
アジアの片隅で
 1980年の吉田拓郎の凄いところは"Shangri-la"作りながら、同時にそのアルバムには収まらない新曲を用意していたところだ。"アジアの片隅で"という大作を既に作りながら、"Shangri-la"には入れずに、コンサートツアーで磨き上げ7月の武道館でブッカー・Tを招聘して完成バージョンをつくり上げた。同じ武道館では”二十才のワルツ”、8月のラジオではスタジオから”いつも見ていたヒロシマ”を披露した。んでもって"元気です!"主題歌登場!ということで"Shangri-la"の波のあとに、間髪入れず、次の”アジアの片隅で”の一連の大波のうねりが始まっていた。新曲の波状攻撃のようで俺は揺さぶられ続けた。♪次のいい波は必ずつかまえるよ〜ユーミンの"真冬のサーファー"好きだぁ。

 1980年の11月5日アルバム「アジアの片隅で」発売日の前日が秋のコンサートツアー渋谷公会堂公演だった。会場では既にアルバムが売られていた。レコードの帯の「時の暗がりに葬られぬために、再び強烈に突きつける」…なんて胸かきむしられるコピーなのだ。一日早くアルバムを手に出来た俺とTくんはコンサートが終わって興奮そのまま缶ビールと蒲田の吉野家の肉皿を買い込んで彼の家に行ってビールを飲みながら聴いたのだった。いま本物の"アジアの片隅で"に揺さぶられたばかりのその後に、初めてアルバムを聴く。ああ幸せだ。
 1曲目の”まるで孤児のように”。なんか鮮烈にカッチョエエ。このオープニング曲でこのアルバムの成功が約束されているような気がした。tくんと俺は初めて聴く曲なのに"ラブソング、ラブソング 歌っておくれ"を唱和していた。さっき渋公で感無量になった”いつも見ていたヒロシマ”でこりゃあ稀代の名盤であることを確信した。「いい曲書いたな」と辛口のTくんも珍しくホメた。さっきのステージでの身をよじって”ヒロシマ”を絶唱する姿が浮かんだ。名盤出来。

 1980年の吉田拓郎。古い曲を全部捨てると言いながらすぐ拾ったじゃないかと揶揄するファンもいる…それは俺だ。"shangri-la"なんかイマイチだよなというファンもいる…それも俺だ。しかし、それは"アジアの片隅で"によって最終完成する壮大な新曲ワールドだったのだ。
 「キミが目の前の小さな可否にとらわれるうちは大きな幸せに抱かれていることに気づかないだろう」(マルクス・アウレリウス「自省録」より)←昨日も含めて嘘です(爆)。そんなこと書いていません。書きながらたまたま菅田将暉がテレビに映っていたので勢いで書いてしまいました。すまんです。

2022. 6. 6

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)D☆
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Shangri-la
 79年末に古い歌は捨てると宣言した拓郎は1980年春に本当に新曲だけでコンサートツアーをスタートした。その80年代幕開けの新曲を擁する第一弾のアルバム。しかもロスアンゼルスで初の海外レコーディングときたもんだ。
 俺は感動のあまり悶絶しながら俺も去年までの古い曲はもう聴くまいと固く決意した。これから80年代に発表されるアルバム以降の曲だけを聴いていこう。よしそうなったら今までのレコードは全部捨て…捨て…捨てる準備をしよう。ということで誰にも頼まれていないが俺の古い歌断ちも始まった(爆)。
 こんな状況でニューアルバムに期待しないわけがない。てか期待は超絶MAXだった。そして発売日前日の5月4日、たまたま寄った東京駅の大丸のレコード店に早々と置いてあったアルバムを、同日発売のシングルカット"あの娘といい気分"と同時購入した。

 とにかくアルバムのジャケットがまず超絶カッコ良かった。拓郎のビジュアルもいいし、デザインもシックでオサレだった。拓郎アルバム史上上位ランク間違いなしのジャケットの出来だ。

 ようやく久々に渇望していた拓郎の音楽が聴ける。家に帰りワクワクしながら80年代の新曲たちを聴いた。たぶん続けて2回くらい通しで聴いた。正直にそのときの感想は、あれ??…だった。何回か聴き直した。それでもえっ、コレっすか?…あぁすまん。
 いや、それぞれにいい曲だなと思った。しかし例えば"街へ"はセイヤングで聴いたデモテープの方が雰囲気が良かったし、"熱き想いをこめて"はいい作品だがテケテケギターが気にかかる。拓郎はロスでの経験を通じていつまでもマッカーサーの時代じゃないんだと語っていた。そのとおりだ。しかしこのアルバムに関してはマッカーサー側がもうちょっと頑張って欲しかった。繰り返すが悪態をついているのではない。涙ぐみながらながらそう思ったのだ。
 そのなかで、最初から心に強く刺さったフレーズがひとつだけあった。

      命断つほどの狂気ではなく
      命救うほどのチカラでもないが
      諍いと和みの間に流れてゆけ
      流れてゆけ 私の歌たちよ
                 (又逢おうぜ、あばよ)

 素晴らしい。「あまりに過剰すぎる期待と勝手すぎる思い入れは決して幸せな出会いをもたらさない。求め過ぎるな、君の心に響くささやかなフレーズを大切に胸にしやすらえ」(マルクス・アウレリウス「自省録」より)…80年代最初の貴重な教訓だった。

 翌5日の夜、大竹しのぶの"音楽人間世界をゆく"というラジオ番組に拓郎が"Shangri-la"のプロモーションで出演した。とにかく大竹しのぶにデレデレの拓郎は、しのぶちゃんに捧げます はあと…みたいな感じで(そうは言ってはいないけど)いきなり一曲目に"こっちを向いてくれ"という古い曲をかけよった。なんじゃそりゃあぁぁぁ…ああアルバム捨てなくて良かった。

 ということでロクな話ではなくてすまないが、80年の素晴らしい出会いはまだまだ終わらないのだ。つづく。

2022. 6. 5

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)C☆
TAKURO TOUR 1979
 79年吉田拓郎はデスマッチツアーという前座なし、ゲストなし、休憩なしで2時間半ぶっ続けで歌いきる前代未聞のコンサートツアーを挙行し、そのまま無人島ではなかったが篠島という島でのオールナイトイベントを大成功させた。これによって、元ミュージシャン社長とか過去の人とスポイルされていた吉田拓郎はニューミュージックの最前線に返り咲いた。拓郎をバカにしていた俺の高校の連中の間でも「吉田拓郎ってすげえ」「オレは前から評価していたよ」とか話題にしていて内心「うるせバカ(@石山恵三)」と思ったものだ。
 その偉大なる復活のライブアルバムだ。 しかも松任谷正隆、鈴木茂、島村英二、エルトン永田、青山徹・・・このサウンドの素晴らしさ。吉田拓郎にはライブ73という神ライブ盤があるが、それ以降長いことライブアルバム自体がなかった。よく考えると不思議なことだ。ようやくライブ盤が出ることにも快哉を叫びたかった。

 10月5日にいつもの蒲田のレコード店コタニで買った。コタニでは今週の売れ行きベスト10が店頭に展示されるようになっていた。この素晴らしい成果物を文化果つる蒲田の人民に知らしめなくてはならない。なのでMレコード店のおばさん申し訳ない。

 いざ購入ということで店頭でジャケットを観てふるえたね。ジャケットじゃないの。2枚組LP+シングル(人間なんて)、これが箱に入っているのだ。すげえぇぇぇ。このころこのアルバムのプロモーションのために武田鉄矢のラジオ青春大通りに拓郎がゲスト出演したことがあった。その時鉄矢はすかさず言った「うわー拓郎さん箱盤ですね」「そうです」そう!鉄矢そこばい。豪華箱入盤ぞ。

 それを観て頭の中が走馬灯状態になった。社長になった拓郎が歌をやめるという不安に怯え、周囲から吉田拓郎の時代は終わった、化石ファンとあざけられ,そしられて理解を生まぬ風雪の日々。そんな中で篠島まで追いかけて自分なりにすべてを賭けて精一杯頑張った日々。
 おめーはただのファンだろというツッコミは別にして、この豪華箱入盤は、自分もトロフィーか表彰状を貰ったような晴れがましい気分だった。そのまま箱盤を抱きしめてしまいたかった。名古屋市長、かじってくれても俺は許すぞ。

 コタニでは売上4位だったことを覚えている。その時受けた大学受験の模試の結果判定が「第一志望合格確率4%以下…志望大学の変更が望ましい」だったからだ。高3の夏を篠島に捧げたので当然のことだ。しかし79年の偉大なる復活を観た俺は大丈夫、俺もできると根拠なき自信に満ちていた(爆)。

TAKURO TOUR 1979 vol.U 落陽
 甲斐よしひろにライブばかり出してあざといという趣旨の文句言われていたが、VOLUは、12月5日発売。こっちは地元のMレコード店で買った。篠島のポスターカレンダーつけてくれた。ありがとうおばさん。なんか選曲が残念な気もしたが、”ああ青春”の音はどうしても欲しかった。それに弾き語りの”落陽”のあとの「ずっと歌うっていう決心が今ハッキリついたな」というMCのレコード化も嬉しかった。そしてレコード帯の再び心臓に火が付いた感動できなきゃ人間ヤメだ店頭で泣きそうになったくらいカッコイイキャッチだった。こうして復活の79年が暮れてゆく、ああ青春は燃える陽炎か。受験勉強はいいのか。

名古屋でも神田でも、ラストライブアルバムというのを豪華箱盤で出してはくれまいか。

2022. 6. 4

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)B☆
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ローリング30
 “ローリング30”に対する思いはさんざん書いたhttp://tylife.jp/album/rolling30.html。特に「SIDE0」に書いたけど…でも全然書き足りねぇよ(爆)
 78年4月から拓郎は3年ぶりに深夜放送セイヤングを始めた。しかしセイヤングの吉田拓郎はオールナイトニッポン時代の華やかな雰囲気とはちょっと違っていた。社長として音楽の第一線を離れ、世間からはもう終わった人みたいに思われ、全盛のニューミュージック界からはスポイルされている孤高=ひとりぼっち感があった。しかしそれでいて悠然とした等身大感とでもいうのだろうか〜ああわかんねぇ。とにかく当時、高校に馴染めず退めたいと悩んで、すべてに鬱屈していた自分はそんな孤高の拓郎の姿に切実に共感し憧れもした。そしてそこからミュージシャンとして再び立ち上がって蘇生してゆく姿に超絶勇気づけられることになった。だからセイヤングは自分にとっては実に貴重な拠り所なのだった。

 吉田拓郎が当時セイヤングで模索していたのは
 ・2枚組のアルバムを作りたい
 ・無人島でコンサートをしたい

 この2つだった。こうやって書くとなんか鉄腕ダッシュみたいだ。毎週のセイヤングはアルバム制作のプロセスの実況中継であり、吉田拓郎のミュージシャンとしての復活のドキュメンタリーでもあった。毎週一言も聞き逃すまいと必死で聞いたものだ。時に寝落ちもしたが(爆)。

 当初はレコーディングしたアルバムにライブアルバムをつけての2枚組という構想だったのが、やがて全曲オリジナル2枚組書き下ろしアルバムに昇格、松本隆とのサイパンの合宿旅行記、ジャケ写撮影、そして曲が怒涛のようにあふれ出て止まらないと嬉しい悲鳴を上げていたロックウェルスタジオのレコーディング生放送などなどラジオから流れるアルバムの実況中継にはふるえた。
 今の”ah-面白かった”と”ANNG”の関係とよく似ている。むしろ現在は拓郎のくれた追体験の特大サービスなのだろうか。

 ラジオの中で“ローリング30”のシャウティな歌を聴いた時のついに来たぞ敵な感動。「”動けない花になるな転がる石になれ”という詞で自分の進路を決めました」と言う投書になぜか一緒に涙ぐんだ。深夜の静寂に初めて”言葉”が流れた時の鳥肌が立つような感触。少しずつ姿を見せるアルバムにワクワクし、それにつれて気概が高まってゆく拓郎のオーラが魅力的だった。

 発売日11月21日をカウントダウンしながら待った。曲が溢れすぎて2枚のアルバムに収まらず1枚のシングル盤を加えるというニュースにも驚いた。「ああ皆さんに早くお届けしたい」と拓郎はじれったそうに言い、聴いてる俺もああ早く届けられたいと悶絶した。
 拓郎がラジオの中で、病弱だった子ども時代、月刊の少年雑誌が楽しみで、父親が発売日の前日の夜に本屋に入荷するのを知って特別に早く買ってきてくれるのがすごく嬉しかったと語っていた(「俺だけダルセーニョ」にも所収)。待ちきれない俺も発売日の1日前の学校帰りに近所のおばさんがやっているMレコード店に立ち寄った。もちろんまだ店頭には並んでなくて「あの〜明日発売なんですけど吉田拓郎のLPもうありますか?」 と尋ねるとおばさんは「ヨシダタクロウ…入っていたかしら」と呟きながら、レジの後ろのダンボール箱から1枚1枚入荷したてのいろんなLPを出してレジ台に重ねていった。そして何枚目かに1枚の青いジャケットのLPを置いた。これだ!これです!ください! 奪い取るように買って、大事に抱えて帰った。
 何度でも言うが、二枚組LPにシングル盤がついたその重さ。♪幸せの大きさなど計れないもの(7月26日未明)と後に拓郎は歌ったが、幸せの重さというものは計れるのだ。

 音楽家はこんなふうに発心し立ち上がり、こうして丹精をこめてアルバムを作るのだということをセイヤングで学んだ。そしてもうひとつ。制作プロセスで覗いた断片を合わせてこんなアルバムなんだろうなとわかったような気になっても、実際の完成版はまったく予測外のものであった。予想外のアルバムがズガーンと現れた。

 なので俺は信じている。たとえラジオで全曲かけようが、実際に手にした”ah-面白かった”は、こちらの理解のナナメ上の想定外からやってくるに違いない。頼むぞ。

 このアルバムでミュージシャンとして決起した拓郎は、もうひとつのテーマ"無人島コンサート"に挑むことになる。

2022. 6. 3

☆もうすぐ発売日記念!あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)A☆
  1977年は一言でいえばフォーライフのピンチの年だ。ラップ調で言うと
♪クリスマスこける、小室おりる、泉谷やめる、陽水つかまる、そして拓郎たちあがるぅこれが今にして思う1977年だ。どこがラップだよ。てか怒られるぞ。
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ぷらいべえと
 急遽年度末までにアルバムをというムチャぶりに提供曲と愛唱曲を集めて突貫工事で、体調不良のボーカルのリテイクの時間もないまま制作したアルバム”ぷらいべえと”。それは後に知ったことだ。
 そんな事情は、当時は知らなかったので、クリスマスに続きまた企画モノを出す商魂を非難するレコード評ばかりだったし、拓郎は堕落したと怒るファンの声も聴いた。
 私はそういう気分はなかった。発売前の3月にラジオ番組「フォーライフ・フォー・ユー」の最終回に拓郎が現れて、「ぷらいべえと」という楽しいアルバムが出ること紹介し、2019年の王様達のハイキング同様、”よろしく哀愁”の冒頭だけ流して止めたり(爆)盛り上げていた。そして拓郎は、秋までには新曲だけのオリジナルアルバムを必ず作るからと何度も念を押していた。なので”ぷらいべえと”はコメディリリーフみたいなものだと思ってそれはそれで楽しみにしていた。
 「全国に緑のジャケットが店頭にバラまかれますので、あれが吉田拓郎のニューアルバムだ、くださ〜い・・・買うべきです(笑)」
 発売日の4月25日に蒲田のコタニレコードに行くと本当に一番目立つディスプレイ場所にきれいな緑のジャケットが何枚も飾ってあって壮観だった。"やさしい悪魔"が超大ヒットしていた時期だ。拓郎ファンとは思えない人たちもジャケットを手に取り「へーあれも拓郎の曲だったんだ」とつぶやいていた。嬉しい光景だった。
 あのジャケットはランちゃんがモデルだと知ったのは79年の石原信一「挽歌を撃て」のあたりで、当時は山田パンダがラジオでアレは美代ちゃんだと言っていたのを信じていた。教訓:山田パンダを軽信するなかれ。年齢も詐称していたし(爆)。
 アルバムはオリコン1位にも輝いた。年度末クリア・・・なんて事情は知らなかったが、ファンとしては実に晴れがましい気分だった。

 アーティスト自身には悔いが残るのかもしれないがこれはだけは言いたい。突貫工事だったかもしれないが、手抜き工事でもないし、やっつけ仕事でもない。そこが大事。声が鼻声というも、ボイスチェンジの範疇だ。鼻声でも拓郎の歌はウマい。「赤い燈台」「歌ってよ夕陽の歌を」「恋の歌」とりわけ当時の最新曲の「春になれば」が爽快で大好きだった。これらはみな後の世にまでベストテイクだ。
 いいアルバムだよ、拓郎さんと叫びたくなる。そうそう今この歳になって聴くと「夜霧よ今夜も有難う」がもう抜群に心染み入る。それはこのアルバムがいかにしっかりと創り上げられていたか、その深みを感じさせてくれる。


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大いなる人
 で「ぷらいべえと」発表とほぼ同時に、拓郎はガチ社長になった。コンサートもせず、社長として転生するためにミュージシャン引退を仄めかすようになった。意味深なインタビュー記事が多くなった。
・城山三郎の「役員室午後3時」を読んで俺は大社長を目指す。
・来年(78年)、モータウンでレコーディングして、夏につま恋クラスのイベントをやって音楽はやめて経営学を勉強したいと思っている
・原田真二は天才だ、俺の時代はもう終わった

 …経営学の勉強ですと?アルバム”大いなる人”を迎えたのはこういう切ない状況だった。1977年11月25日。発売日に高校からの帰り道に地元のMレコード店で買った。帰ってすぐに学生服のまま針を落として聴いた。いきなり”あの娘に逢えたら”のイントロに驚いた。なんかこれまでの拓郎とは違う成熟感。どの曲もジーンズではなくスーツを着て高級な酒を飲んで余裕かましている吉田拓郎の姿が目に浮かんだ。
 何が凄いってフォーライフ社長の吉田拓郎は陣頭指揮で、自ら連日ラジオジャックのようにありとあらゆる番組に出演して「大いなる人」をプロモートしていた。「カンパリソーダとフライドポテト」「おいでよ」を推していた。詞を読んでアレンジする鈴木茂。その素敵なサウンド。でも当時は全然しっくりこないのよ。

  いずれの道も避けるな
  いつでも自分を確かめろ
  大いなる人生 手助け無用

 当時の俺には、会社経営に乗り込んで天下をとってみせる…という歌に聴こえて、素直な感情移入ができなかった。
 今でこそ、このアルバムは名作と絶賛したいが("未来"や"歌にはならないけれど"なんて絶品じゃね?)、当時は会社経営の世界に旅立ちます〜さよならキャンディーズ、さよならミュージシャン・・・そういう通告のようにも思えた。
 TOUR79volUの弾き語りの落陽のあとで「ずっと歌うという決心が今ハッキリついた」と言って観客が超絶大歓声を上げるシーンがある。これは音楽やめて社長になるというこの頃の発言がいかにショッキングに緒を引いていたかということの証なのよね。

 ピンチの1977年は、前半の”ぷらいべえと”、後半は”原田真二戦略”で拓郎は見事にフォーライフを救ったのだった。凄い辣腕だぜ。
 しかしとにかくこの時点では、気が付けば世はニューミュージック全盛、拓郎はもうオワコンだった。年末の風が冷たい。誰も知っちゃないさ若さそれがこんな壊れやすいものだと・・・このアルバムと原田真二は私には不即不離なのよね。で、拓郎あなたはどこへ行くのですか?

2022. 6. 2

☆あなたを迎えた日(アルバム・ファーストコンタクト日記)@☆
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明日に向って走れ
 前作「今はまだ人生を語らず」から1年半ぶりのアルバムでしかもフォーライフレコード第1弾。期待しないわけがない。1976年5月30日中3だった俺はその日、今にしてみれば聖地の高輪で模試を受けた帰りに蒲田のレコード店コタニで、発売日より5日遅れて買った。それでも発売日を待ってアルバムを買う、やっとこれで現役ファンの隊列に加われたみたいで萌えた。

 レコードの帯には普通は「元気です」とか「伽草子」とかタイトルが大書されているものだが、でっかく「吉・田・拓・郎」。その下に小さく「明日に向って走れ」。「オラオラ天下の吉田拓郎だぞ」感が漲っている。ジャケットはたぶんセブンスターショーからの写真か。部屋にご尊影のように飾った。
 先行シングル「明日に向って走れ」は既にヒットとして巷間に流れていたし、おなじみだった提供曲、”水無し川”、”風の街”、”明日の前に”の拓郎バージョンが手にはいるのも嬉しかった。
 しかし、アルバムの雰囲気は前作の怒涛というか破竹の勢いの「今はまだ人生を語らず」とはずいぶん違うことにも戸惑った。「だんじり祭り」と「ほおずき市」くらい違う。あれぇ?という気持ちも正直あった。当時のラジオのCMも「ラクな気分にしてくる12曲 〜吉田拓郎〜明日に向って走れ」というシブいものだった。
 ラクな気分というより、当時中学生ながら全体に沈痛な空気を感じた。例えばかまやつひろしの”水無し川”は夢を抱いて都会に行くぞという快活さがあったが、拓郎の歌声は地元でボロボロになって都会に逃げていくような消耗感を感じた。
 オールナイトニッポンの凄絶な最終回やそれを含めたマスコミとの戦争も記憶に新しかった。まさに満身創痍のイメージも感じた。また短い曲や提供曲が多いうえに「どうしてこんなに悲しいんだろう」の焼き直しまで入っていて、こりゃ〜曲ができなかったのかと心配にもなった。

 しかしこの満身創痍感がいかに美しい音楽に結実したか、「どうしてこんなに悲しいんだろう」のボーカルがどれだけ絶妙なものなのかが身に染みてわかるには、私はまだ幼過ぎた。やがて自分もこの愛に満ちたアルバムに救われることになることをまだ知らない。

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クリスマス
 1976年11月10日蒲田のコタニレコード店で発売日に買った。今やフォーライフの屋台骨を揺るがせた事故物件ように言われるクリスマスアルバムだが、当時は4人のコラボによるこの夢のアルバムをどれだけ私たちが歓迎したかも忘れてはならない。
 このとき私は生まれて初めてレコード店に予約してアルバムを買った。予約特典でフォーライフのペンダントがついていたことと、tくんとは違ってちょっとウサンクサイ友人のシマ・・・Sくんから拓郎と陽水のファンが殺到するので予約しないとたぶん買えなくなると脅かされたからだ。で、実際にオリコンチャート1位も獲得したし、ハッピーなクリスマスアルバムとして迎えた人は私も含めて多かった。
 泉谷の”赤鼻のトナカイ”はウキウキしたし”星は光っちゃう”は大笑いした。井上陽水の”夏願望”はさすがだった、”ホワイトクリスマス”もウマイなと感嘆した。吉田拓郎だけ自作の曲がなく寂しかったものの、ボーカリストとしての吉田拓郎と向き合うことができた。
 "風に吹かれて"はディランに関係なくこういう歌なのだと魂に刷り込んだし"街を片手に散歩する"は痛快だった。特に「諸人こぞりて」・・・これが演奏も歌いっぷりもカッコよくてシビレた。
 以後、毎年クリスマスには必ずこの”諸人こぞりて”だけは必ず聴く。今は、吉田拓郎の「諸人こぞりて」をこの世につかわすために、主はこのアルバムを創らせたもう・・・とすら思う。
 中学の体育の時間に着替える時、チラッと胸元に覗くフォーライフのペンダント。イケてる自分だと思った・・・バカだねぇホント。とにかく私には幸福なアルバムの記憶しかない。それがフォーライフを暗転させたとは、知らない方が幸せなことも確かにある。

2022. 6. 1

☆☆☆そんな君の手紙が着く☆☆☆
 6月だ。いよいよ今月ラストアルバムを迎えることになる。発売日を待ってアルバムを買うのもこれが最後である。この貴重なひとときを老人は何かをせずにはいられない。爺さんの昔話みたいだが、これまでの吉田拓郎のアルバムとのファーストコンタクトの記憶を振り返ろう。リアルタイムでそのアルバムに初めて出会ったとき自分はどういう状況で率直にどう思っていたか。

 序章として、一番最初のシングルは74年7月に買った”シンシア”だったが、一番最初のアルバムは、75年の7月に蒲田のレコード店コタニで買った2枚組ベストアルバム「71〜75」だった。http://tylife.jp/album/7175.html
 後に執拗なまでに繰り返し発売されるソニーのベストアルバムの嚆矢である。前年のテレビで衝撃を受けた”ペニーレインでバーボン”と”暮らし”を家に迎え契りを結ぶことになった。毎日10回以上聴いてたね。もう虜だった。
 当時エレックのベスト盤「たくろうベストコレクション」という2枚組があって、これを同じクラスのtくんから借りてカセットに録音して聴いた。このエレックとソニーのベスト盤でまず吉田拓郎の全体像を学ぶことができた。
 そしてそれ以前のアルバムを買い足して行き、翌76年の3月=セブンスターショーが放映された頃にはそれまでのアルバムはほぼそろえたと思う。すっかりカタチだけは拓郎フリークの中学生になっていた。

 かくして準備万端。はじめてリアルタイムで発売日を待ってニューアルバム「明日に向って走れ」を迎え撃つこととなった。ということで明日から超絶個人的などうでもいいことをツラツラと書いておこう。

2022. 5. 31

☆☆☆天才たちのバックステージ☆☆☆
 もう少し"シン・ウルトラマン"の話させてくれよ。先日、仲間と観ながら、今や大学の偉い先生のU君が、劇中の机上にシュタイナー教育の著作を見つけてそれが主演の斎藤工の受けた教育に関係してたことに唸っていた。tくんは電話が鳴るたびに着信音に悶絶し、私もUSSエンタープライズ号の映り込みに感激し、昔、難しくて放り投げた"野生の思考"が今度は少しわかりそうな気がした。とにかく末端細部まで庵野秀明のこだわりのテンコ盛りだ。
 観ながら昨年NHKで放映されたシン・エヴァンゲリオン制作中の庵野秀明を追ったドキュメンタリーを思い出す。実に細かいところまで何度も魂をこめる凄絶さと苦悩が凄かった。私にはそこがこれまで観た拓郎のリハやレクのドキュメント映像とも重なった。庵野秀明のことは殆ど知らなかったが、このドキュメンタリーは好きで軽く20回は観返した。私なんぞは創作とは無縁の地味な仕事だがそれでも仕事に挫けそうな時は救いを求めるような気分で観る。

 今回の映画「シン・ウルトラマン」の関連本「デザインワークス」の巻末にも庵野のインタビューと当時の企画書が付されている。先のドキュメンタリーで時々庵野が会社に姿を見せないときがあったが、こっちでこれをやっていたのかということでパズルのピースがハマったみたいに面白い。
 その庵野作成にかかる企画書にはこういう一節があった。

「皆が望み、未だ誰も観たことがない「ウルトラマン」の存在する世界を目指す。だが、これは困難と思われる。旧作に思い入れの強いコアユーザーの存在をどうするか?という問題。彼らを取り込むなら完璧なリメイクを目指すのが、一番問題が少ない。だが、それで良いのか?という問題。ここは戦略的判断が必要。」(シン・ウルトラマン デザインワークス P.77-1)

 うーむ。何か同じようなことを苦悩しているだろうお方の姿が思い浮かぶ。新しいことを創作せんとする天才たちの共通の苦悩なのか。…って思い入れの強いコアユーザーのおまえが言うなと怒られるか。しかし見事に通底している。

 庵野は番組の時もこの収録インタビューでも、SNSやYouTube等で作品と関係ない批評を超えた家族にも及ぶ中傷に、心を削らされ精神的にかなり危うかったことを述べている。切実な話だ。これは拓郎が前回放送で語っていた「愛されていなかった」苦悩と同根かもしれない。いや、ますますおまえが言うな…か。しかし庵野の苦悩を観ていると吉田拓郎のことを十分にわかれなかった自分が申し訳ない…と殊勝な気持ちにもなる。でも「お前らは停滞してる」とか言われるとまたあらためてムカつくんだけどさ(爆)。停滞…私の苦手な言葉です。

 つまり庵野のドキュメンタリーは、庵野だけのものではなく、拓郎も含めたあらゆる天才の愛と狂気と苦悩と美しさを教えてくれる気がする。いかに小さなところまで心血を注ぎ身を削るように苦闘しているか。そしていかに無用なものに晒され傷つけられてゆくか。
 しかし評価されて初めて浮かび上がれる泥沼に、彼らがあえて飛び込んでくれなければ、私たちは一篇の作品も一曲の音楽も得ることはできないのだ。

 どう味わうかは、あくまでこちらの自由だ。自由でしかない。でもこんなふうにして花も嵐も踏み越え泥沼をくぐり抜けて作品が届くということだけはわかっていたい。ということで結局は、どんなふうにニューアルバム「ah-面白かった」を迎えるか心の準備編である。ニューアルバム…私の好きな言葉です。

2022. 5. 30

☆☆☆痛みを知るただ一人であれ☆☆☆
 昨日はtくんはじめ小学校の同級生らと映画"シン・ウルシラマン"を観た。かつてリアルタイムで観ていた俺たち全員は、冒頭からクラクラ眩暈がして胸ワシづかみ状態になった。ああ、たまらん。ビデオも無い時代なので再放送を何度も何度も目を皿のようにして観て、セリフまで覚えこみ、学校では毎日熱く語りあい、親には怒られ周囲にはバカにされながら生きてきた同志たちの宴である。きっと庵野秀明も一緒だ。エヴァンゲリオンはチンプンカンプンだったが、この映画では庵野秀明のどうしようもない思いとこだわりがこれでもかと伝わってきた。まさに「神は細部に宿る」とはこのことだ。それはノスタルジーだけではなくリニューアルされた未来や希望にも繋がっている。単なる懐かしモノではないのだ。名曲なのはわかるが、自分では新し過ぎて決して歌えない米津玄師の主題歌みたいなものだ。
 ともかく、ひけめも感じてきたけれど、それを好きになった人生は間違っていなかった、おまえたちは素晴らしいものをキャッチして愛して続けてきたのだというエールを貰ったような気がした。たぶんこれが幸福感というやつだ。

 それは雑に言ってしまえば、吉田拓郎のファンとなった人生も全く同じだ。なので「シン・ウルトラマン」は「Ah-面白かった」だ。断言する。また怒られるか。それを愛し続けた人へのささやかな祝祭でもあると思う。…せっかくの祝祭だもっと浮かれよう。

 余計なお世話だが、子どもたちよ、若者たちよ、君達が今大好きになったものが何であれ、何十年後に老いたときもそれがやはり輝けるものとして君らの傍らにあったらいいな。それは素晴らしいLuckだと思うよ。
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2022. 5. 29

☆☆☆あなたと私の最終章☆☆☆
 その沖縄食堂のマスターの言葉がキッカケで"僕の人生の今は何章目くらいだろう"をあらためて聴き直す。そもそも作詞も作曲も吉田拓郎ではない作品ということで俺の中では申し訳ないが相当に軽んじられていた。

 しかし最近、拓郎が自ら「最終章」と言う言葉を使うに及ぶ中で聴き直してみるとああ胸にしみる空の輝き、今日も遠く見つめ涙を流す。いい。万感胸に迫る。特に"豊かなる一日"の瀬尾ビッグバンドバージョンがすんばらしい。スケールメリットが十分に活かされた決定版だ。最後の♪LALALALA〜とともに演奏がいつまで終わらなきゃいいのにと思ってしまう。

 このテーマの詞や曲は吉田拓郎が自分で書いていたら歌う方も聴く方もちょっとヘビーな気持ちになるところ、トータス松本があっけらかんと自由奔放に書いてるからこそ、たぶん歌いやすいんだろうし、聴き手にも魂に気持ちいい風が吹いてくる。だから良いのだ。最初に言っていることと違うが、すまん。こっから先はそのうちUramadoに書くっす。とにかく今度は沖縄そばは第一章で注文する…ってしつこいよ。

2022. 5. 28

☆☆☆若い人☆☆☆
 昨日は無事に沖縄食堂に入店できた。新鮮な海ぶどうと刺身とシークワーサワーで今夜はゴキゲンな夜。アルバイトの感じのイイおねーさんが”つま恋”というフレーズに反応しくれた。浜松ご出身でつま恋は庭のような場所らしい。ああ、同じ聖地を戴くものよ。そして料理に忙しいマスターも吉田拓郎はフォルダ作って聴くほど好きだと知った。1985年生まれなのに嬉しいじゃござんせんか。LOVE2の頃はまだ小学生で深夜番組というイメージだったらしい。”僕の人生の今は何章目くらいだろう”と”唇をかみしめて”がことのほかお好きらしい。映画「刑事物語」の武田鉄矢のハンガーで盛り上がる。「ah-面白かった」は絶対に買うそうだ。
 普段コッソリと隠れて世を忍ぶ拓郎ファンの私だが、若い人々の中に自然に生きている吉田拓郎を垣間見て嬉しかった。そういう若い人たちが拓郎やそのファンに向けてくれる温かさが身に染みた。

 しかし、そうして飲んだくれている間に、〆の沖縄そばは売り切れとなった(爆)。なんという不覚!予定数終了って「ah-面白かった」のアナログ盤か。
 年寄りなんだから、〆という発想を捨てて最初に注文しろとツレに言われた。御意。2014年のオープニングがいきなりの”人生を語らず”だったように、古くは1980年の武道館のオープニングが”ファミリー”だったように最初から重量級でズガンといかなくてはならない。年寄りには時間がないのだ。起承転結ではなく序破急で…違うかな。

2022. 5. 27

☆☆☆ボク食べる人☆☆☆
 ときどき無性に沖縄料理、特に沖縄そばが食べたくなる。今がその時ためらわないで。しかし朝ドラのおかげか行きつけの沖縄食堂は満杯で入れない。似たような人が多いのだな。行けないとなると余計恋しくなる。昔、拓郎の沖縄公演のあとで拓バカたちと公設第二市場の二階でソーメンチャンプルーとうっちん茶ハイで飲んだくれたことを思い出したら、もうたまらない。今日は行けるのか。

 朝ドラといえば、あの血気盛んすぎるヒロインが、オーナーの原田美枝子に対する態度が無礼なのが気に入らない。お母さん役の仲間由紀恵のようにイリスに少し生気を吸い取られてしまえばよいのにと思います。>なんだよ、知らねぇよ。
 とはいえ原田美枝子はさすがの美しき無敵感が漲っている。原田美枝子といえば中学生の頃、「恋は緑の風の中」という性のめざめ系のイケナイ映画があって、あーすげー観たいけど、観に行く勇気がねぇーということで悶々としたものだ。"ちむどんどん"とはまさにこのことだ。そのころから原田美枝子は無敵なのだ。共演がこれまた懐かしい佐藤祐介だった。当時、雑誌「中二時代」のインタビューで好きな音楽=吉田拓郎と答えていた。>どうでもいいよ今さら
 とにかく頭は沖縄そばだ。

2022. 5. 25

☆☆☆そんなにこの街が好きになったのか☆☆☆
 “すぅいーとるーむ ばらっど”の狂おしい熱唱に引き続きしびれる。ああなんていい声なんだろう。アルバム「MARATHON」には”マラソン”以外みるべきものなしと悪態をついた時もあったが、今は心より自らの不明を恥じている。

 いい声といえば、林部智史の”この街”(piano version)を買った。これがまたすんばらしい。あのゴージャスなアレンジもよかったが、ピアノだけで歌うことによって、メロディーの輪郭がキレイに浮かび上がる。それはもちろん林部智史のボーカルの絶品のチカラであることは明白だ。ありがとう林部くん。そしてくっきりと浮かんだこのメロディーの美しさをずっと力説しているのだが、賛同者はほぼ皆無だ。そりゃあ拓郎さんにはこれより凄い名曲はたくさんあるし、拓郎さんの言う通り音楽は結局好き嫌いだ。しかし、あらためてこのピアノバージョンでこのメロディが俺の「好き」だと確信する。70歳にしてこのメロディーが出てくることの感動…わかる人は…わかってください因幡晃。

2022. 5. 24

☆☆☆逃げ出したい何もかもから☆☆☆
 たまたまお店で流れていた井上陽水の「クレイジーラブ」。懐かしい。昔ヤンタンでよく流れていた。これは当時、結婚=引退が迫っていた山口百恵に捧げた歌だと聞いた。
 それはいいのだ。この「クレイジーラブ」を聴いていたら、拓郎の「すぅいーとるーむ ばらっど」を無性に聴きたくなった。なんで?という方は「クレイジーラブ」聴いてみんさいや、絶対聴きたくなるじゃろ。
 かくして、はからずも井上陽水VS吉田拓郎のボーカル対決が始まった。陽水のボーカルはすんばらしいのだが、この拓郎のボーカルも負けていない。どっちも凄いが、この切ない絶唱において拓郎の辛勝だと思う。んまぁ俺の判定だ、信憑性も何もない。むしろどっちの勝ちというより、この2曲の珠玉のバラードがあるこの世に感謝したい。「ヨッご両人!!」と叫びたくなる。

2022. 5. 23

☆☆☆another world☆☆☆
 最近映画とかで"マルチバース"とか"パラレルワールド"が流行している。今期のスタートレック・ピカードもそんな話だった。これが、よくわからん。私たちの世界に並行して似たような宇宙や世界が無数にあるということらしい。なんか嘘くさいが、科学的根拠をもって主張する人もいるらしい。…うーん、私なり無理に理解するとこうなる。

   吉田拓郎が河合楽器のセールスマンになっている世界
   吉田拓郎がチャーリー石黒によって渡辺プロに入ってジュリーがライバルの世界
   エレックが嫌でCBSソニー移籍前にあきらめて広島に帰ってしまう世界
   フォーライフの設立に参画しないでずっとCBSソニーにいた世界
   ずっとフォーライフの社長を続けた世界
   ザ・バンドと共演した世界
   79年にそれまでの古い曲を全部捨ててしまった世界
   85年以降ステージを去ってしまった世界
   アローンツアーではなく2日間コンサートが実現していた世界
   LOVE2を3か月で降りてしまった世界
   コロナがなくLIVE2021大阪シリーズがあった世界
   ……
 …それぞれの吉田拓郎のいる世界が無数にあるということになる。
  拓郎に対して、何度もこれでもう歌わないと言いながら、結局のところその度に歌ったので嘘つきじゃないかと悪態をつく失礼なファンもいる。それは俺だ。しかし嘘ではなく、吉田拓郎はそれぞれのマルチバース、パラレルワードで頑なにそれぞれの約束を守り生きている、我々はその都度、いろんな並行世界の拓郎を垣間見ているので、矛盾しているように見えるだけなのだ…そう考えると拓郎に申し訳なくなる>えっホントかよっ

 今期のスタートレック・ピカードもそういう「選ばなかった未来」「選べなかった世界」がテーマだった。そこにはいろんな後悔や、やり直したいチャンスが錯綜する。
 しかし、並行した世界を見ることで、後悔ややり直しに誘惑されながらも、結局は自分の過ごしてきたこの世界の意味を深く知り、愛し、あらためて自分の今いる世界を選び直す。
 ちょうど吉田拓郎が、ラストツアーを断念した時に、いみじくも言った「これでいい…じゃなくて、これがいい」という言葉をかみしめる。マルチバースもパラレルワールドも、今この世界を深く味わい同じものを選び直すためのツールなのではないかと思う。すまん、俺も言っててよくわかんない。

 てかこの私も並行世界では、谷村新司のライブで感動に涙ぐみながら隣の席の人と手をつないでいるかもしれないし、さだまさしの追っかけをしているかもしれない。…ああ、この世界で良かった(爆)。ちなみに6月、7月とさだまさしのツアー"弧悲"に行くことになっているが、それは並行世界の私であって、この世界の私じゃない。

2022. 5. 21

☆☆☆午前0時の鐘はいかがですか☆☆☆
 何気ない光景だが、CDショップの近日発売のネームプレートに、たくさんのミュージシャンと並んで、「6/29  吉田拓郎 ah-面白かった」があった。こういう景色もこれが最後なのかと思うとえらく感慨深い。単なる宣伝告知のプレートだが、こうして思うとまるで道場の名前木札のように現役有段者の証明である。ともかく何もかもがいとおしい。

 ところで都倉俊一を嫌いと言いながら、麻生よう子の”逃避行”、”午前0時の鐘”は名作だとあらためて聴きほれている。どちらもダメ男を見限る女性の歌で10代の女性歌手のデビュー曲としてはどうなんだと思うが、素晴らしい作品と歌唱力だ。
 “逃避行”で“♪また空いた汽車を、空いた汽車を見送った〜”このあたりのメロディーの巧さと表現力。何台も列車を見送る逡巡がメロディーから見事にしみでてくる。

 それに次ぐデビュー2作目の”午前0時の鐘”は、やはり同じダメ男を見限るという同工異曲であんまし評判は良くなかったと思う。でも今聴くとサビの部分が胸を撃つ。

  私も女です
  キッパリあきらめる
  道は自分のこの手で選びたい
  ケジメをつけたいの
  愛し合ったあの人と
  計算通りに愛はいかないわ

 「私も女です」という歌詞から想像されるのは、シャワーを浴びたの悲しいでしょう、あなたの影を踏んで歩く私なの、せめて私を美しい思い出にして…というような展開なのだが、この歌は違う。
 キッパリあきらめる、道は自分のこの手で選びたい、計算どおりに愛はいかない…なんか、もう吉田拓郎のようなスピリットである。ああ、ああカッコイイぜ、ねーさん素敵だなーとほれぼれするのであった。
 麻生よう子さん、今頃どうしておいでだろうか。今夜は歌声が目にしみる。

2022. 5. 19

☆☆☆雪国でした☆☆☆
 奈緒…既に女優としてのキャリアと実力はあったものの、一昨年に拓界の私達の前に突然彗星のごとく現れた。「母とともに拓郎ファンです」とkinkiの番組でつぶやいてから、瞬く間に拓郎の目にとまり寵愛を受け、ついにアルバムのジャケット・イメージガールに抜擢され、拓郎の歌詞にまで登場するというスピード出世ぶりだ。有名人拓郎ファン界のシンデレラガールといえよう。

 これと対照的なのが森永卓郎(爆)。私は昔から森永氏のことが好きだし敬愛もしている。しかし、拓郎ファンとしてのダメっぷりがすごい。どんなに拓郎愛を公共の場で語っても、垣花アナ止まりで、拓郎には届かない。そこに僭越ながら深く共感してしまうのだ。

 奈緒にあって森永卓郎にないもの。…そんなのほとんどすべてという説もある。ひとつは、ラジオ出演したときに森永卓郎が”人間なんて”をだらしなく歌っていたのに対して、奈緒は正月のラジオで「凄いです。何も言わず聴いて下さい」と言って「証明」を流した。「証明」。ココだ。ココで私ら偏屈ジジババ(>オマエだけだ)を唸らせて一目置かせたのだ。
 いや、それだったらもし森永卓郎が「証明」を歌ったら、アルバムのジャケットになったり歌に登場したりしたのかというと…それはないだろうな。あったら困る。ということですまん今日の話は忘れてくれ。

 奈緒と言えば、NHKの「雪国」は良かった。高橋一生の島村と奈緒の駒子が、ああ実話だったら、こんなだったんだろうなとしみじみ思えるリアリティがあった。昔の映画の池部良と岸恵子じゃなんか美しすぎて違うのよ。ドラマでお師匠さん役の由紀さおりが、別れる二人に”ルームライト”を歌ってあげるシーンでは涙が出た>ねぇだろそんなシーン すまん。でもいいドラマだったのは本当。

2022. 5. 18

☆☆そんなに拓郎が好きになったのか 星紀行☆☆☆
 昨日のメモを見返して、つくづく我ながらロクなことを考えていないなと情けなくなった。誰も相手にしてくれないので、ひとりgo to…って、そうだ私はもしシングルカットするとしたら”ひとりgo to”だな。カッコイイ。この胸が高鳴る感じがいい。

 小説「ミシンと金魚」は衝撃作だったし、作者の永井みみさんの受賞の言葉も魂の絶品だったが、とんとブレイクする気配がない。隠れた名作となってしまうのか、残念すぎる。
 思えば私の人生はそういう残念な気持ちとずっと一緒だった。1974年に拓郎ファンになって以来48年間。いや厳密に言うと74年、75年は天下無敵、我が世の春、平清盛な気分だったが、それ以降の46年間、俺がいつも心に思い、小さな声で叫び続けたのは「こんなにカッコイイのに、こんなにすんばらしい曲なのになぜもっと売れん!!」という魂の悶絶だった。「売れることと名曲であることは別だよ」「記録より記憶だよ」という意見もあったが、うるせぇよ。私は”舞姫”、”流星”でザ・ベストテンに出てほしかったし、誰かの誕生日には拓郎ファンではない世間の人々がフツーに”いくハピ”を口ずさむ世の中になってほしかったのだ。
 私は拓郎を理解できない世の中を呪いつづけ、だからこの国の文化は停滞している…あれ?正しいじゃん(爆)停滞…私の好きな言葉です。いみふ。

2022. 5. 17

☆☆超絶個人的なメモ☆☆
 普段は基本個人行動だし、年齢も年齢なので、突然他人様に会って話すことになったとき、何を話すんだったか忘れてしまうことがここのところとても多い。なので拓郎に学びメモしておきたい。ここ数日気になっていること。

☆マンタとエイとボスタングの違い

☆ぶっちゃけ、どうよ"ラストアルバム祭り"

☆「愛されていなかった」という言葉

☆「ah-面白かった」だったらどうよ
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☆togetherと停電情報とトーキングブルース

☆LOVE2のゲスト予想、ラジオのゲスト予想

☆アナログ盤の予約は締め切ったのか

☆今度お金が入ったらアナログプレーヤーを買おうと思います

☆アナログで「"テレサ野田"歌謡祭」をしたい

☆実は都倉俊一がマイブームで、なかでも麻生よう子シリーズの絶品さ

☆千家和也VS松本隆

☆あの日の志村けんさんと上島竜兵さんと”ホームにて”

☆85年つま恋のラストステージの凄みと荒野

☆ジャケットモデルに楽曲にも登場とスピード出世する奈緒とファンを公言しながら垣花氏から先へ行けない森永卓郎の暗夜行路

☆フィンランドのNATO加入とトーベヤンソン

☆拓郎はスナフキンと思っていたが、実はヘムレンさんではないか

☆”エヴァンゲリオン”はワケがわかんなかったけど”シン・ウルトラマン”はまるで庵野秀明と居酒屋で話し込んでいるような気分だった

☆なぜブレイクしない”ミシンと金魚”

☆背中から打ってくる人、振り返ったらいない人、どうすりゃいいのか思案橋

☆結局アウトロとはなんなのか

2022. 5. 16

☆☆☆OK☆☆☆
 
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いつも駅でとあるクリニックの看板広告を眺めながら、このイラストに似たやつをどっかで観たなとず〜っと悩んでいた。今日わかった。ああそうだコレだ!
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このクリニックと松任谷正隆、「マンタ」という以外、お互いになんの関係もないようである。ah-スッキリした。

2022. 5. 15

☆☆☆わかってることとわからないこと☆☆☆
 正直に言うと吉田拓郎について今起きつつあることがよくわからない。

 目の前の現象としてあるのは、吉田拓郎が渾身のニューアルバムを作って出すということだけだ。いつもであればひたすらwelcomeで迎えてあれこれ聴きこむ、それしかない。
 しかし今回は”アウトロ=エンディング”という壮大な総決算の一環のようで、拓郎の生涯最後のアルバムとなるとのことだ。コンサートはもう無く、ファンクラブも解散し、今度のLOVE2の特番が最後のテレビ、ラジオも年内で終わりということで、気が付くと私らは否応なしに”アウトロ=エンディング”という船に乗っている。
 そこでアルバムも今までのように音楽を勝手に聴け!ではなく、ライナーノーツ等によるご本人の解説など活字・言語媒体ともガッツリとリンクしている。ラジオでは最後の総括の御拓宣がなされ、私のように不埒なファンはあれこれ苦言やお叱りを受けるばかりだ(爆)。
 この”アウトロ=エンディング”の船は結局どこのdestinationに着くのか。拓郎のすべての活動が終わってしまい=引退・隠居があるだけなのか、わからん。それにこの怒涛の流れをどんな気持ちで迎えまつればいいのか、…わからん。

 ということで、わからないことだらけだ。とはいえ、わかろうと頑張っても仕方がない。例えば85年や2009年の右往左往を思い出せば結局わからないものはわからないし気に病んでも仕方ないことだった。それに拓郎自身、拓郎の最後発言に振り回されたファンのことをどう思うかという坂崎の質問に
    それはその人の問題でしょう
というアッサリと答えた (CARAVAN)。けだし名言。なので、そこは各自の問題として自由にやらせていただきましょう。私は思う。とにかく拓郎はこの"アウトロ=エンディング"をやってみたい、それだけなのではないか。そこから先のことは、その時になって見えた景色の中で決める。そもそも歴史が教えてくれる。
  クズグズしないでスパっと止めるのが吉田拓郎だであるならば
  止めたのに、スパっと平気で帰ってくるのも吉田拓郎だ
 結局、この不可解な両極端の狭間の一本道を、それぞれの愛を注ぎ込みながらまいりましょう。>その結論もよくわかんねぇよ

2022. 5. 14

オールナイトニッポンゴールド  第26回 2022.5.13
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 吉田拓郎です。毎週金曜日は週替わりのパーソナリティでお送りしますが今週は吉田拓郎がお送りします。
 世の中にはフェイドアウトという言い方がある。徐々に消えてゆく。音楽で言うと曲の最後にだんだん音が小さくなる。あれがフェイドアウト。スーッと消えてゆく。余韻を楽しみながら。こけに対して、カットアウトというのもある。ジャンで終わる。いわゆるシロタマ。ステージではギターを最後に差し出してジャン!と終わる。
 今回のアルバムは全曲カットアウトだ。長い歴史上フェイドアウトがないのは初めて。今回はフェイドアウトを使いたくない。全部カットアウト。結果的にそうなってしまった。気が付いたら全曲カットアウトになっていた。一番最後のアルバムでそうなった。これはスペシャルなアルバムだ。
 我が家では奥さんは音楽には詳しくないし、探求するような聴き方はしないけど僕のアルバムを珍しく何十回と聴いている。家事しながら聴いていて、終わるともう一回かけてという。
 なんか30年以上の長い夫婦生活でこういうふうに奥さんが聴きたがっているのも初めてのことだ。いろんなことが起こっている。僕のリタイアの仕方もカットアウトが似合っている。性格的にもズルズル引きずるのは面白くない、スパっというタイム。全曲スパっと終わる。

 「今夜も自由気ままにお送りします、吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド」

 早速今夜のメインテーマ。ラストアルバムの全曲オンエア。CDのライナーノーツに書いてないことを話す。

 ショルダーバックが僕の愛用品。僕のバックは秘密の青春が詰まっている。東京で想像もしなかったことに巻き込まれている。社会からのイジメも体験していたし、ああ愛はないのかな、広島から出てきて一人ぼっちだと思ったこともあった。
 その時々に沈黙を守っていた。メディアも、深夜放送のラジオ以外では話したくない。僕が黙り込むほど悪いうわさが定着しそうになっていった。僕が黙っていたからそうなってしまった。本当の真実を隠して、音楽でしか正当性を回復できないと追い込まれた時期があった。一時期、メディアでは吉田拓郎の音楽が流れなくなったこともあった。そういうときに音楽で戦うしかない。喋ったり、言い合ったりすることではない。社会を敵だと思っていたけどそこでやりあうのは無駄だと思っていた時期だった。アルバムとコンサートに全神経を使うことにした。

 今度のアルバムのアナログ盤のこの中に、いろんな時期にも僕を信じてくれた音楽ファンへの感謝の気持ちをこめたエッセイを書いた。語ることなかった時、金沢のこと、愛が得られなかった別れのことをエッセイとして残した。「吉田拓郎というのはルールを守らない自分勝手なんだ」というイメージは僕自身とはかなりかけ離れていた。本当は困ってしまうくらいクソまじめで普通のことが大好き。普通に生きることが愛だった。そのことを最後に記すために書いた。コントラストにあるように僕はひ弱なひとりの人間だった。シンプルでプレーンなローカル出身のシンガーだった。

 正装やスーツは着ない。ずっと愛しているのがカジュアルファッション。ジーンズ、シャツ、パーカー、ハワイに行った機会に買いまくる。瀬尾一三とともに買い物癖がある。その中で、ビラボン(Billabong)というブランドが大好きで、シャツ、キャップやスウェットパンツ、パンツ、ウィンドブレイカーなど日本ではあまり手にいらない。ギャップ、バナリパとかのアメリカンカジュアルが好き。ジーンズなんかもギャップ、バナリパのデザインが気に入ってる。徹底的にアメカジが好きだ。家ではユニクロが好み。ゴミ捨ての時ユニクロ着ているのだが、マンションには名前は言えないけれど高名な方もいるが気づかないかな。音楽もアメリカンポップやR&B、ソウルが好き。
 僕のショルダーバックにはいろんな秘密が詰まっている。僕しか知らない真実のメモリーが詰まっている。詳しくアナログ盤のはエッセイで。一曲目はロックンロールです。突っ走っていきたいと思う。

M-1  ショルダーバッグの秘密     吉田拓郎

 (CM))

 誰だって自分の日常、行先で悩んだりする。若かろうと年寄りだろうと。些細な事をチマチマと悩んでいたって仕方ない。時に悩んでいることに自体に酔ってしまうことがある。違う方向に向かってしまうことがある。あんたが悩んでいようが大したことはない。今は大問題じゃない。気にしない気にしないという、レゲエもボサノバもチャチャチャも好きだ。これはラテンテイストの歌。

M-2   君のdestination    吉田拓郎

 アナログLPアルバム。ジャケットも美術的な価値あるものを作ろう。つま恋に行って女優の奈緒と撮影して、デザインの篠原ともえも立ち会って素晴らしい写真を取ることができた。記念にしてほしいジャケット。想い出づくりと思ってほしい。ここだけの「ちょっとだけトゥルーストーリー」というエッセイ集が入っている。ずっと黙り込んでいた話を書いた。フェイドアウトではなくカットアウトの決心。

 5月14日午前0時から予約で8月10日に発売する。数量限定。CDですら需要があるかどうかなので、予定枚数で予約できなくなる。これも全9曲。A面、B面懐かしいね。A面4曲、B面5曲なのかな? ここにしかないエッセイ集。ショルダーバックの秘密を
 まや話題のエイベックスのHPもどうなるか、いずれカットアウト。とにかく予定枚数で終了。僕自身の真実を歌った。

M-3  Contrast    吉田拓郎

(CM)

 僕が歩き続けてきた人生は何だったかを一言でいうと愛。これを求め続ける、幸せが欲しい、それを求め続ける人生だった。これが実に簡単なことではなかった。それは自分がいけなかったと自分に言い聞かせながら歩いてきた。
 人間どうしの織り成すドラマは不可解で理解に苦しむ。そこには自分とは無関係のはずの「周囲」という環境というところからいともたやすく簡単な嘘を生み出してくる。僕の性格もあった。実に実に厄介な道のりだった。若いころから何度も思い知らされた。つくづく自分の運命を恨んだりもしたし、でもどうしても避けては通れない道もあった。  自分で正直にというところを貫くしかない。自分に正直でいようと追い込むことにもなるがそれしかない。それはひとえに僕が愛されていないという現実、事実なんです。
 ここから先は誰にも話さない。パートナーの佳代さんには話たけれど。エッセイには、こんなこと あんなこと 苦々しい事件の真実は残した。実に息苦しいことが多かった時代。作り話、勝手な憶測、自分から見ると滑稽なバカ騒ぎと思う。
 当時の僕という人間が抑えることができない熱い心の若者だったからそういうことになった。多くの敵を作り敵との闘いがあった。特にマスメディアとの闘いは大変だった。そこに存在していたからしようがない。この事実を理解していたのは僕だけだったと思う。当時僕のことを叩いた人たちは、今はそんなことがありましたか?と記憶にないだろう。  そう書かれた僕はそうはいかない。僕は今でも正直根にもって恨んでいる男。それは言ってもしかたない。言えば言うほど深い溝にハマっていく。第三者がネットも含めてつくり話をひろげていゆく。すべては愛されていないという現実、事実そんときそれがあった。  この真実についてエッセイで書いた。
 やっと本当の愛、平和な環境と出会えた。佳代さんと真実を育んでいる。病気も超えて  二人の老いたけれど元気などんな人生を送ろうかと話し合っている。残りの時間を有意義に過ごそうかと笑いながら話している 僕らにとってもせっかくの人生なんで終わり方、このエンディングが大事だと思う。明るい幸せなエンディングが大事だ。僕達の旅もまだまだ続くけど、半歩でも進みたい。時に言い合いしながらも ゆっくり進んでいきたい。

M-4  アウトロ    吉田拓郎

「拓郎さんの引退の決意を尊重したい、でもキンキとのタッグを721億回みたいという」という書き込みを読んだ(笑)。721億回とは、どっから出てきた数字なのか。
 そうはいっても公のテレビ出演はもしかしたらあと一回かも。フジテレビで打合せしているが、Kinkiとも素敵なハートフルな二時間を作りたい。ゲストもキンキが推薦したい人、ああなるほどという人、僕の会いたい人、みんなびっくりすると思う、そうきたか  この人に会いたいというのがある。今慎重に検討中。

 剛くんから連絡があって、今度アルバムを作る時は、「パンナコッタ」という曲を作る とあった。どんな詞、どんな曲になるのか。なぜか僕と剛はパンナコッタになった瞬間  があって、どんなこった?(笑) なぜかそこに行ってしまった(笑) 今度のCDのライナーノーツにも書いた。
 光一はマメにメッセージをくれるようになった。奇跡だ。元旦から頻繁にメールをくれて返事も早くなってきた。変化があったのか。前は無視されてきた。
 光一もずっとリーダーシップを発揮して舞台『SHOCK』を続けてきて引っ張ってゆく覚悟があっただろうし、誰にも言えない苦悩な時間、切ない夜があったと思う。二人とも今のさわやかな笑顔は切ない切ない体験をしたからだと思う。剛もひとりぼっちの切ない夜があった。
 ハグした時の写真がネットにあったけど、まったく光一君が屈託のないシンプルな笑顔で、素晴らしい道を歩いているということを想像させる。先日ハグした時に、僕は見えなかったけど、光一はこんな笑顔をしていたのかと後で知った。素敵な笑顔だった。

 LOVE2 どれほど重要な瞬間だったか。わかったのは時間がたってからだ。それが終わって、時間が経って空虚な時間を埋める物は見つからないという状況だった。他のもので埋めにくい。これは他では体験できない。気が付くのに時間がかかった。光一、剛、僕も貴重な瞬間を大事にしたい。素敵な時間を作ったら、ファンのみんなとも幸せ感を共有したい。僕らを逢わせて育ててくれた、奇跡の出会いを見守ってくれたファンの方々のサポートがあって、歳の差やキャリアの差や人生の生きる道の違いは何も関係ない。一人の人間としてであって三人、寂しいこと、苦しいことやら、悲しいこと、喜びもあり、涙の夜の事やひとりずつが独りぼっちを体験しながら、ある日また三人が同じにいられる。一緒に楽しい気持ちでいられるから、言葉なんて意味がならないくらい。その感覚をみんなもわかってほしいし、観てほしい。
(CM)

<11時>

天照愛子これからお風呂に入って寝ます

 堂本剛のアレンジ&ギターで参加してくれた。Aメロの剛の音がしっかり聴こえる素敵なギターだ。僕とハーモニーをつけてくれているのが、2019年のツアーに参加してくれた吉岡祐歩。剛に自分の声でかぶせるのではなく、男性のハモが欲しいと言ったら、2019年をチェックしててくれたんだろうけれど吉岡君に頼もうということになった。このハモもまた聴きごたえのあるところだ。

M-5   ひとりgo to    吉田拓郎

 “たえこMY LOVE”(歌う)という歌があって、あのモデルは実在していた。74年ころキーボーディストの柳田ヒロと付き合っていた。典型的なプレイボーイで、頭の回転も早く、物知りで話術か素晴らしい。女の人のいるお店に行くと、必ず柳田ヒロに恋をするという人が出てくる。その柳田ヒロが連れてきた女性がいた。ファッション、口の効き方がいかにも最先端で頭もイイ魅力的な女性だった。言いたくないエピをしまっていたらしいくモデルのようだけど暗いマイナスなところもあった。酔うと「死んじゃいたい 生きててもつまらない」 と口にした。23、4、5歳だったけれど世の中にウンザリしている感じだった。時代的にもそういうのが流行していた。桃井かおり的な。
 その女性は、なんのサインもないままフラッと会えなくなった。どうなったのか誰も知らない。不思議なイメージの女性だった。あのたえこの後、2021年の夏に表参道   を雨に濡れて三人で 走った思い出があった。完結編を作ろうと思った。懐かしいR&B、拓郎節がいかんなく発揮されている。 

M-6   雨の中で歌った    吉田拓郎  

(CM)

 “雪さよなら”・・・これは小田和正とのハーモニーが絶賛。さすが小田さんと言われているが、おいおい、あれは小田和正のハーモニーということで、僕がウィスパーな感じでやろうと、珍しい小田和正のようにささやく声で三回歌っているのをひとつにまとめている。あの声だと小田の声がぱっとハマると思っていた。下の音も用意しておいた。いろいろ言わしてよ。僕は、いつになく優しい歌い方をしている。そうさせた小田和正の偉大さだな。
 友情は大それたことはないけど、泉谷チャリティとか国立競技場IYYで、オフコースと"YesNo"と"君を抱きしめて" (お前が欲しいだけ)、昔から知っていたけれどそういうところで再接近して距離感が縮まっていった。音楽の方法論と方向性は一致していないけど向かうマインドは共鳴している。
 その後はクリ約と僕の対談番組”YOKOSO”に出てもらったりもした。今や貴重なスイーツ会。お爺ちゃん二人が世間と他人の悪口を言い合う。お酒を飲まないので、お酒の糖分が足りないのを甘いもの補っている。

M-7 雪さよなら  吉田拓郎(小田和正)

 昔、ケネディ大統領が就任したときの演説があった。後に大統領は暗殺される。そのあとで就任演説のtogrtheという言葉にコーラスをつけた曲のレコードが発売された。手を取り合って いこうという演説だった。暗殺事件のとき、いわゆるそれまで抱いていたアメリカンドリームとか甘い青春の印象が後退してアメリカが怖くなった、しかし就任演説を歌にしてしまう発想もアメリカ。こういうアイデアがすごい。Together、このアルバムも若い人たちから協力してもらった。Kinki、篠原、kinkiが縁となった奈緒。そして小田和正は最後の同年代の友達。そういう人の名前を歌に登場させたい。こういうブルース、アメリカントーキングブルースというのは、今の日本にはいないし歌えない。正直、僕しか歌えません。こんなに美しい音楽なのにやらなくなって、76歳の今、ブルースの楽しさをわかってほしい。
 僕がエレキを二本弾いている。僕のギターはアメリカンなフレーズだからわかるかもしれない。こういうのを弾かせたら天下一品。吉田拓郎はこういうのをやるんだよとわかっている人は音色もわかるかもしれない。
 争いのない世界、平和な世界への憧れ、自然環境も含めて地球が危ういんではないか、この地球で仲良くTogetherで暮らせるようにという思いをこめて。 

M-8   Together     吉田拓郎

(CM)

 音楽は人の心に入り込んで悪さをすることがある。素敵でチャーミングだけど、危険な一面もある。人生は、たかが唄、たかが音楽、されど歌、されど音楽。誠実な人間が時に脆く時に危うく生きてきた日常を表現してきた。 生きてきた道は間違いだらけだったかもしれない。人生は一回限り、やり直しとかリテイクはできない。反省も後悔もした。それでも彼は彼なりに必死で生きてきた。ことあるごとに彼は強気な発言をして周囲なんて気にしない、何クソ的な意地っ張りだった。しかし、一人の人間が意地を張りとおすことはできない。そういう強い人間がいるわけがない。誰だって弱くて脆くて独りぼっちでそういう人間。彼は意地っ張りだけど、陰では泣いたこともあったし、それはどうしたと強がっていたけど、悩んでいたこともあった。愛してもらいたいという気持ちが強かったと思う。

 最後の曲。ライナーノーツに書いたけれど、あなたのご家族を思いながら、僕らと似た境遇がいらしたら、お互いの母上のことを話し思いながら、僕も佳代もそうなりたいと思っている。

M-9  ah-面白かった    吉田拓郎

(CM)
 〇エンディング
 質問に答えると書いたが、全曲かけるとなるともひとりひとりの質問が長いんだよ。  番組がすぐ終わっちゃう

<お喋りはいつから上手になったのかいう投書>
 子どもの頃から学校へは半分くらいしか行っていない。家で紙相撲を毎日やっていた。ラジオのマネをしながら、若乃花、栃乃花とかアナウンサーの中継のマネをしていたのが原因。ひとり喋りの原点だと思う。
<72年のライブアルバムに”好きになったよ女の娘”が西城秀樹の作曲で入っているという投書>
 いっぱい来ているけど西城秀樹とは決着はついている。当時クレームして、謝罪もいれてくれた。それ以上には騒がない。若さゆえの勇み足だった。
<拓郎、拓郎さんと呼ばれるのどっちがいいかという投書>
拓郎、拓郎さん、あえて拓郎ちゃんと言う人が歴史上いけどくるな。
<小田和正さんのどこが好きかという投書>
 小田は優しいメロディー、スイートなイメージだけど、ところが僕なんかよりずーっと頑固で男らしい自分も曲げない。どうしようもないクソジジイ。そういうところは白か黒かハッキリしていて貴重な友達。
<世界の気に入りの場所はどこかという投書>
 誰が何といおうとハワイ。ワイキキのオアフではなく、マウイ島のワイレア。ケアラニホテルのプールサイドでチチ、ワイレアでショッピングで買い物しているのが好き。
May I have a chichi?
<4月19日 新東名でのつま恋はどうでしたかという投書>
 120キロまで出せる素晴らしい。気分いいです。スイスイ走れる。これが高速道路。
富士川サービスエリアの川と景色が美しいが、それを上回る沼津サービスエリアが、伊豆半島、富士山、駿河湾を見渡せて素晴らしかった。
 次回は6月10日金曜日

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆

☆前代未聞の「全曲オンエア祭」と銘打っている。たまたま昨日封切りの映画を観たが、売店で買ったパンフレットにはネタバレ注意の厳重な帯封がしてあった。しかし、そこは吉田拓郎、そんなことはぶっ飛ばしての「全曲放出祭り」だ。ラストアルバムもライナーノーツ(取説みたいなものか)付のアルバムも前例がない。ここは御大の提示メニューにすべて乗ってみるしかない。

☆これは堂々たるアルバムばい。アルバム完成おめでとうございます。

☆但し感想はまだ無記。

☆これまではデモの自然な感じがいい等とわかったふうなことを言ってた私だが、やはり完成版の声と演奏のクリアさとチカラ強さは違う。音魂というやつを感じる。特に"Contrast"はそうだ。

☆そこまで言われるとエッセイ…読まずに死ねるかという気になった。14日午前0時から予約開始というから小心者の私は、直ちにアナログ盤を予約いたした。

☆とはいえ「祭り」というには、曲間に語られた拓郎の言葉は、あまりにシリアスであまりに切実である。

☆週刊誌やマスコミでは吉田拓郎の悪口しか見なかった時代が確かにあった。ひどかったね、あの頃は。遠い昔のようだけど、やはり吉田拓郎の心の中には深く刺さっているのか。“人を信じるはかなさが 心のカタチを少し変えてしまった”あの歌詞が浮かぶ。もちろん拓郎の真情など私にわかるはずもないが、ただ私も40年前の都倉俊一の一言を半世紀恨み続けるような根に持つタイプなのでなんとなくうっすらとわかるのだ(爆)。

☆「愛されていなかった」「愛されたかった」という言葉は、いろいろショッキングだ。この身の置き所がないような哀しみ。
 そう思うと私達の愛はどうだったんだ。確かに停滞したり、文句垂れたり、ご期待に沿えなかったところは多々あるが、愛して愛して愛しすぎたのが多くのファンたちである。至らぬわが身にしみてくる。

☆「YesNo」は覚えていて「お前が欲しいだけ」を忘れる。"君を抱きしめて"ってなんだ(爆)

☆ 質問は殆ど読まなかったな。私は、
 「拓郎さんは、ショルダーバックはナナメ(たすき)がけですか、一方の肩がけですか」という我ながら繊細な質問を送ったのに。ナナメがけは安定するが、幼稚園や中学の学生バッグみたいでなんかダサいのではないかと悩んでいた。でも拓郎さんがそうするならそっちにすると愛をこめて書いたのだが(爆)。

☆☆☆今日の学び☆☆☆
 外出はビラボン(Billabong)、部屋着はユニクロ。♪そろそろビールが〜飲みたい時間だね…懐かしい。

2022. 5. 13

☆☆☆祭りなのか☆☆☆
 ニッポン放送によると今夜は「吉田拓郎のANN GOLD全曲オンエア祭」というらしい。祭りか。今日は、ラジオというより祭りだと思っているので、古い歌は停滞しているとかそういうカタイ話は抜きにして(拍手)…祭り好きの奴らめ。いみふ。

2022. 5. 12

☆☆正気のカケラのon the rock☆☆
 ♪拓ちゃん来るぞと仙台坂の店まで来てみたが〜拓ちゃん来もせず、志村けんと上島竜兵が〜 …お2人でテーブルを挟んで飲んでいらしたことがあった。ひとつ空席を挟んで隣のテーブルで私は、もし彼らのどちらかがテーブルをトンと叩きでもしたら、その場でジャンプしようと準備して待っていたが、ついぞそのチャンスはなかった。
 お二人はテレビみたいに大騒ぎするわけではなく、かといって暗く沈んでいるのでもなく、静かに談笑しながら楽しそうに飲んでいらした。今にして思えば実に素敵な絵だった。あの二人がもういないなんて。どちらも大ファンというわけではなかったのに心の底から切ない。あらためてご冥福をお祈りします。

 ♪仙台坂を降りて〜の”僕達のラプソディ”は、拓郎が自分でメロディーをつけ直すと昨年のラジオで言っていた。でもこの原曲ももの凄く好きだ。
 夕焼けの空をどこまでも一緒に追いかけていきましょう…詞とあいまってうっかりすると泣けそうになる。西方浄土とか天国とかいうけれど、そんなに急がないで。とにかくみなさんお元気でいらしてください。

2022. 5. 11

☆☆♪なーまいきーですけどぉー、ひとつだけ言わせてね☆☆☆
 都倉俊一が稀代の作曲家であることは私でもわかる。“五番街のマリーへ”、”ジョニイへの伝言”、中山千夏の”あなたの心に”などは当時小学生ながらに好きな曲だった。麻生よう子の“逃避行”の完成度の高さには中学生ながらにぶっ飛んだし、私は桜田淳子派だったが、それでも初期百恵ちゃんの”青い果実”から始まるイケナイ路線も胸が疼いた。”恋のアメリカンフットボール”のメロディー展開が好きで好きでのカラオケの持ち歌だった。浅田美代子は”じゃあまたね”を除けば”わたしの宵待草”がベストだ。とにかくお世話になりましたと感謝を禁じえない。
 …それでもなぜ嫌うのだ。
 昔、何気なく観ていた「スター誕生」で、出場者の一人が”旅の宿”を歌ったことがあった。その時、審査員だった都倉俊一はあのキザな佇まいでこう言い放った。
「歌唱力はあるんだから、キミはもっとちゃんとした作品を歌った方がいい」
  はぁ?! その瞬間、ああ私のハートはストップモーション…桑江知子、感情線は乱れに乱れた…黒木真由美って知らんよね
 しかもその出場者は「はい、ありがとうございました」>ありがとうじゃねぇだろぉ
 この時の都倉俊一が、おいらの心にハガネを入れた。なぜ嫌いか?というより、なぜこんなこと言う人を好きになれるのか?という問いの立て方が正しい。
 ということでそれ以来、どんなに”ピンクレディー”がヒットしようとも私の心は動かなかった。なので昔、ワイドショーを賑わした時も私は大信田礼子を応援したのだった>よしなさい
 今や文化庁長官だ。どうかこの国の文化をよろしくお願いします。

2022. 5. 10

☆☆☆それだけが気がかり☆☆☆
 Staffブログでつま恋を訪れている拓郎の写真を観ると胸が熱くなる。観ているこちらにも万感の思いが溢れくる。特にエキシビションホールに佇む拓郎を観ると、思わずパイプ椅子を届けたくなりませんか>ならねぇよ

 林部智史が、阿久悠の遺稿の詞に拓郎が曲をつけて歌った「この街」。この日記でも何回か書いたが大好きな曲だ。武部聡志のスケール感のあるアレンジも聴かせる。もちろん林部の澄んだボーカルが美しい。そして何よりメロディーがすんばらしい。吉田拓郎、70歳にしてこんな素敵な曲が書けるんだと感嘆したものだ。
 その"この街"が林部智史の今度のシングルCDになるというネットニュースを読んだ。ただしB面(とは言わないのか)だ。 A面はやはり阿久悠の遺稿作「いずこ 〜ふたたび歌を空に翔ばそう〜」。確かこれはレスペクトライブに行ったとき、冒頭でリリーフランキーが朗読した詞だ。阿久悠先生は心から尊崇するが、今回の作曲は都倉俊一だ。私の個人的偏見だが、よりによって都倉俊一のB面ということがちょっと面白くない。いやちよっとじゃない、すげー面白くない。…やっぱりパイプ椅子が欲しくなりませんか?>だからならねぇよ
 まぁ「この街」はアレンジも違うというので僕は買いますとも。ということで明日は「私はなぜ都倉俊一を嫌うのか」をお送りします。たぶん。

2022. 5. 9

☆☆花祭り☆☆
 ドイツのバレエ。コロナにも戦争の影響にも負けずいよいよ2年越しプレミアの佳境とな。全力疲労中というが、とにかく健康と安全と無事を祈ってます。頑張って。
 おじさんも今週金曜日の佳境に向けて頑張ります>ってラジオ聴くだけだろ
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  君の背中は
  背中は弓なりに
  こなごなの心の破片
  僕に愛の矢を射るんです

 ついにライブじゃ演奏しなかったけどいい歌だったな。

2022. 5. 8

☆☆☆start again from zero☆☆☆
 知る人ぞ知るけど、知らない人は全く知らない”スタートレック:ピカード第2シーズン”のファイナルを観終わった。伏線回収に少々せわしない気もしたが観ごたえあり。82歳を超えたピカード=パトリック・スチュアートは元気といえば元気だが、声が少弱々しくなっている。もう1シーズンあるらしいが、ここまでで十分にすばらしい、これぞ”アウトロ”。永らくこのシリーズを愛し続けて良かったと思えた。
 退役した老艦長は、今度は過去への旅に出て、自分の母親との思い出とトラウマに向き合う。そして旅の果てに現在の愛にたどり着く。「時は二度を許してくれないが、人はやりなおすことができる」。似たセリフをかつて拓郎も言っていた。どうかラリスと二人仲睦まじく、時々ガイナンの店に行く静かな暮らしをおくってほしいと心から願う。 
 ”Time is on myside”とエディット・ピアフの”後悔していない”ちゃう”水に流して”が大事なところで必ずテーマ曲のように使われる。これがまたたまらん。
 観てない人にはなんのこっちゃ?だろうが、人間はいくつになっても過去と向き合い、未来へ進むことができる。アウトロだ、エンディングだと,かまびすしいと思っていたが、あらためて吉田拓郎はラストアルバム「ah-面白かった」で、どういうアウトロ=エンディングを描いているのか、心から楽しみになってきたというお話でした。

2022. 5. 5

☆☆☆それぞれのa day☆☆☆ 
 私の知り合いで75年のつま恋に行った人は二人ほどいる。この二人の思い出話はどちらも面白い。コンサート本編の話はもとより、つま恋に向けて出立するところから、どちらもある種の覚悟が滲んだ話に胸がワクワクする。全編しっかり聴きたいと思うがなかなか機会がない。
 そういう意味で「僕と拓郎と青い空」がいよいよ面白い。なかなかつま恋に到着しなかったし、エンターテインメントとしてドラマチックな展開があるわけではないが、だからこそいっそう胸にしみるドラマになるのだ。帰り道も帰ってからの日常の日々も詳しく知りたくなる。

 こういう経験が必ず5万とおりあるのだ。いや行けなかった方々のドラマというものもあるはずだ。そもそもつま恋のようなイベントだけに限らず、コンサートツアーのひとつひとつの公演にもそういうそれぞれのドラマが確実にある。どんな思いでチケットを買って、どうやって待ち焦がれて、どうやって聴いて、帰りにどこで飲んで、どこで食事して、そのあとどう生きているか。それは他人から見ればただの普通な日常かもしれないないけれど、かけがえのないドラマだ。それも自分の何かだ、言えない何かだ。

 校長先生の鉄板で「家に帰るまでが遠足です」というのがあるがあれは真理だと思う。ただ「家に帰ってからも遠足です」というのがもっと正しいのではないか。ライブもこれと同じだ。

 拓郎はよく「真実はステージにある」という。御意。でもライブに向かう私たちにもそれぞれの真実がある。そのひとつひとつのドラマを糾合した時、浮かび上がる吉田拓郎の真実の魅力というものもあるはずなのだ。きっとそれぞれだけが知っているそれぞれのカッコイイ拓郎がいる。
 しかし花森安治さんの言葉を借りれば
 「こうした思い出は一片の灰のように人たちの心の底ふかくに沈んでしまって どこにも残らない」(暮らしの手帖編「戦争中の暮らしの記録」まえがきより)
 そう思い始めるといてもたってもいられないような気分になるのよ。

2022. 5. 4

☆☆☆♪俺の居場所は☆☆
 奥田民生の件はいろいろとショックだ。ミュージシャンと飲酒か。伝説の大阪球場タコヤキ喰ってっか事件は何度話を聞いても面白いし、ステージから「酒をくれ」という高田渡に客席からリレーで酒を送ったことも大切な思い出だ。何より奥田民生のことは心の底から大好きだ。
 しかし今の時代もう「飲酒」はオワコンなんだとあらためて思い知った。バーボンを抱いて君はまだまだイケそうじゃないかと歌った拓郎もお酒をほとんど口にしなくなった。そもそも奥田民生がダメなんだから、私みたいなただのジジイの飲酒はもうそれだけで社会悪みたいなものかもしれん。
 酒飲みがカッコよかったり、酒は人々の潤滑油だ等ともてはやされたりした勝手な時代は終わったのだな。私は酒が強くないしそんなに酒癖が悪い方ではないとは思うのだが、酒飲みでない方々、今まで申し訳ありませんでした。”飲めるだけでも幸せ者と言うだけ野暮だよ飲めぬヤツ”なんて歌ってた歌手の分までお詫びします。

 ただ困ったことに、最近歳をとるごとにお酒がとんどん美味しくなってるんだよ。たまらん。独酌か心許した仲間たちと密やかに飲むしかない。♪これからが楽しむときだ、ひっそりとコソコソやろう
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2022. 5. 3

☆☆☆防波堤☆☆☆
 今日は憲法記念日だ。昔、学生の頃の”憲法”の授業は真面目に受けてなかったしチンプンカンプンだった。しかしそこで「多数決や多数勢力からこぼれ落ちた少数者=個人を守る防波堤として憲法がある」と習ったことだけはよく覚えている。その時、ああ、これは吉田拓郎だ、と思ったからだ。当時の拓郎は、口癖のように、少数派よ魅力的であれ!行動的であれ!そして優しくあれ!と熱心にエールを送っていた(例えば「俺だけダルセーニョ」p.194)。もちろん拓郎は憲法のことなんか考えていなかったと思うが、スピリットはしっかりと通底していると気がする。。そのスピリットのひとつの結実が”Life”という作品であるように思えてならない。…というかもう勝手にそう思う。魂の名曲だぜ。
 ”Life”は、85年のつま恋のバージョンが好きだな。声はもうガラガラなんだけど、身をよじって、声を身体の奥底から絞り出すようにシャウトする。これがたまらない。
 やるせなさも通わない世の中になりませんように。

2022. 5. 2

☆☆☆オシムの言葉はささやきまじり☆☆☆
 サッカー全日本代表元監督イビチャ・オシムさんの御冥福をお祈りします。私はサッカーは門外漢ですが、このオシム元監督の語録「オシムの言葉」他のいくつかの著書は私にとっての座右の書でありました。
 鬼軍曹のような威厳を持たれたこの監督はいつもどんな場所でも「教訓」を垂れます。それは直接にはサッカーのことでありながら、人生のこと、社会のこと、そしてご自身の厳しい戦争体験から平和を希求に至るまで森羅万象に通じている。
 そんなオシム語録が、吉田拓郎の世界にも通じていないはずがない…というのが昔からの私の考えでした。
 不謹慎と怒られることを覚悟で、17年ほど昔に某所に書いた私の当時の日記を抜粋してみます。

☆☆☆以下引用☆☆☆
<オシムの言葉はささやきまじり・・・>

 オシム語録の中で「サッカー」を「拓郎」に、「試合」を「ライブ」に、「サポーター」を「拓郎ファン」、「チーム」を「バンド」に変えて、あとは原文のママという最小限の変換だけで(>どこが最小限だよ!)見事に拓郎界にあてはまります。

■2004年5月4日
 私の人生に拓郎は欠かせない、拓郎を選んだ。人生において結婚もしたし、子供もできた。数学の教師になる道もあったが、拓郎があって、今がある。友人には拓郎は拓郎、プライベートはプライベートと分けている人もいるけど、私にとってはプライベートも拓郎。お金ができて家内と旅行に行っても、結局拓郎を見に行ってしまう。でもそれが私の選んだ人生だし、いい人生だと思っている。

■2004年5月2日
柏戦後の会見にて
 マスコミの皆さんは失望しているかもしれないが、ということはファンの私たちはもっと失望しているということ。
 でも人生はこれからも続くよ。

■2004年4月1日
「ぐるっと千葉」の取材を受けて

 ぜひライブを見に来てください。そこではきっと、素晴らしい出来事が待っています。

 英雄とは、既に墓の中にいる人のことをいいます。吉田拓郎はまだ生きています。

 古い井戸があれば古い井戸を汲みながら、新しい井戸を掘るべきだ。

■2005年11月11日
UNITED N0.129 より2
 もし、このライブの成功で満足してしまうようなら、逆に今日は成功しないほうがよかったかもしれない。さらに上を狙っていくにはどうしたらいいか、みんなで考えていかなければならない。

■2005年10月16日
UNITED フクアリオープン特別号より2
 拓郎ファンの皆さんに分かってほしいのは、拓郎というのは人生と同じであって、必ずしも自分の思った方向に物事が動くとはかぎらない。勝つこともあれば負けることもあるのだ。勝ちだけを望む拓郎ファンであってほしくない。

■2005年9月6日
週刊サッカーマガジン1043(9/20)号
 拓郎ファンのメンタリティーというものは、勝った、負けたで、落ちたり上がっていくようじゃダメ。自分がずっと暮らしていく、毎日戦っていく中で、いつも持ち続けていなければいけない。

■2005年5月1日
川崎戦前 ミーティングにて
 どこで何が起こるかわからないもの!人生とはいつも危険と隣合わせだ。拓郎も同じだ。

■2005年2月1日
朝日新聞朝刊「オシムの提言」より
 私にとって拓郎は人生だ。拓郎は終わりがなく、新しい道を突き進む。だから「拓郎とはこういうもの」と発展を妨げる「壁」は作らない。心がけているのは、その点だ。

■2005年1月25日
朝日新聞朝刊「オシムの提言」より
 厳しいツアーになるが、何かを成し遂げられると信じたい。もし、うまくいかなければ、私は去るだけだ。

■2003年11月29日
東京V戦前のミーティングにて
 我々は、失うものを全て失ってきた。何も怖がらずにライブに行こう。

■2003年11月29日
 人生は100年も続かない。拓郎と拓郎ファンのキャリアなど短いものだ。その短い選命の中で、何か歴史に残ることをしよう。

 何もしていないし、何もしようとしていない。何かをやろうとしなければ、何も起こらない。


■2005年
 お前が一番長く、このバンドの中にいるんだろ。それは聞いた。お前はこのバンドのすべてを知っているんだろ?何で、このバンドは勝てないんだ。分からないお前がいること自体が、バンドが勝てない理由なんだ。

☆☆☆以上引用☆☆☆
 なんかビッタリでしょ? こんな時にネタにして申し訳ありませんでした。しかし心からの敬意でもあります。どうか安らかにお休みください。

2022. 5. 1

☆☆☆ただそこにあるウォール・マリアの壁を☆☆☆
 「進撃の巨人」の熱狂的ファンに連れられて大分県の日田市の温泉に行った。作者の諌山創氏の生誕の地として聖地化している。大山ダムもそのひとつ。
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 作者の諌山氏が子どもの頃から見上げていたこの巨大なダムが、巨人たちの侵入から人間世界を守るために張り巡らされた巨体な壁のモデルとなった。巨大な壁の向こうの世界に思いを巡らせる主人公三人の銅像が建っている。写真には日輪の端が映っている。
 私も人生で初めて本物のダムというものを観た。デカイ。ひたすらデカイ。そして壁を見上げて思いを巡らせる少年…というと、進撃ファンには申し訳ないけれど、どうしたって”マラソン”なのだ。巨大すぎて、子ども頃も今もまたしがみつくのも大変な壁だけど。

 『進撃の巨人』のスマホアプリゲーム『進撃の巨人 in HITA』が配信され、ゲームの公式ソングを、”detente”.”吉田町の唄”のあたりから私ら拓郎ファンがお世話になっているギターの稲葉政裕Masahiro Inaba氏が全曲プロデュースをし、10曲入りのアルバムを配信リリースされたことを知った。稲葉さんは大分のご出身らしい。とにかくすべての道は拓郎に通ずるのである。いつか走れなくなるまで遥かな夢を抱いて旅を続ける。捧げよ、捧げよ、心臓を捧げよ。
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2022. 4. 29

☆☆☆配達されなかった一通の葉書☆☆☆
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 出てきた紙片は、アルバム「ローリング30」の購入者アンケートハガキだった。すみずみまで記入されているのに送っていなかった。たぶん切手がなかったのだ。あれだけ待ち焦がれて買ったアルバムなのに、切手を買って貼って投函するのがめんどくさかったのだ。やっばり私はダメな人だと考えながら黄ばんだ葉書を眺めた。
 それにしても質問がエグい。
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  あなたがこのレコードをプロデュースするとしたら、どの曲をシングル・カットしたいと思いますか。
 いちおうシングルカットが予定されていたのか。高校2年生のガキは書いている。
  1.絶対に「英雄」 2.外は白い雪の夜
〜絶対にって(恥)。でもそうだった。最初にこのアルバムを聴いた時、この”英雄”の緊迫したサウンドとシャウティなボーカルにガツンと打ちのめされたんだった。これだ!
 「明日に向って走れ」〜「ぷらいべえと」〜「大いなる人」という愛と哀しみのしみじみ成熟路線が続いていたところで、この"英雄"のパワー炸裂に狂喜した。この曲でニューミュージックのヤカラどもを蹴散らしてヒットチャートに躍り上がってほしいと夢を見ていた。若かったあの頃、何も怖くなくなかった。
 松本隆は「外は白い雪の夜」をシングルにしていたらその後の拓郎は変わっていたはずだと語る。「英雄」だったらどうだろうか。んなことはもういい。21曲もありながら、シングルを一曲もカットしなかったという拓郎の選択があるのみ。わたしたちはそういうタイムラインをありがたく生きるしかない。

 ということでアルバムには、自分だけの第一印象=魂の「これだ!」がある。最近だと"午前中に..."の「季節の花」、"午後の天気"の「この風」、"AGAIN"の「僕の大好きな場所」。今回はなんだ、何が来るんだ。

2022. 4. 28

☆☆☆アナログレコード抱えて歩いたよ☆☆☆
 今回のラストアルバムでアナログ盤が出るというので、久々にアナログLPというものを見たくなった。実家に寄った際に、納戸のアナログレコードを出してみた。…デカイ。こんなにデカかったか。そして重い。忘れていた。2LP+1の「ローリング30」なんてずっしり感が半端ない。
 俺も含めて若者はこんなデカいものを脇に抱えて電車に乗ったり歩いたりしていたのだ。昔の映画「マルサの女」で査察官役の大地康夫が、肩からショルダーのデカイ携帯電話を下げているのが、今になって見るとなんか切なくて可笑しい。でもLPを抱えている人々の姿は可笑しくないし、しみじみといいもんだと思う。なぜ違うのだろう。
  あとCDにはなくて、アナログレコードにあるもののひとつは「匂い」だ。「香り」というべきか。ジャケットから取り出すときの塩化ビニールの匂いと紙の混ざった匂い。ちょっとワクワクする。新しいものは新しいなりに、年季の入ったものはそれなりの匂いがある。
 ずっしり重い「ローリング30」を開くと年季の匂いとともに挟まっていた一枚の紙片を発見した
                             …たいした話ではないがつづく。

2022. 4. 27

☆☆☆剛より剛く☆☆☆
 「…だから拓郎さんに感謝の気持ちを込めて。あとは拓郎さんのファンの人、あとは拓郎さんの人生に繋がった全ての人に感謝の気持ちを込めてアレンジをしました」(堂本剛)
 この言葉に打ちのめされる。もう一度読む「拓郎さんのファンの人、あとは拓郎さんの人生に繋がった全ての人に感謝の気持ちを込めて」。ああ、もっと言って。停滞しているとか信用していないとかロクなこと言われず傷だらけのこの心に染みてくるこの言葉。鳥かごに入れてゆっくり眺めていたい。
 こんなにも温かい言葉をくださる人がこの世にいるのだ。堂本剛…さすが黒兵衛の愛用席が一緒の私達だ>もういいだろ、その話は。
 俺は誓う。加藤剛よりも、長渕剛よりも、草g剛よりも、綾野剛よりも、剛力彩芽よりもあなたを応援する。心の底からありがとう。

2022. 4. 26

☆☆☆この世界の片隅に☆☆☆
 先日の飲み会で聴いた話。
 昔、コンサートが始まって3曲目くらいに遅れてきた隣席の知らない人から「すみません、一曲目は何でしたか?」「”冷たい雨が降っている”でした」と答えると隣席の人が「あ゛〜っ!」と頭を抱えてその場に倒れこんだ。超絶好きな曲だったらしい。
 その方には心の底から同情するが、それでも愛の深さが我々の心を揺さぶる。この世界にはこういう話がたくさんたくさん眠っているんだろうな。

2022. 4. 25

☆☆☆近影だよ人生は☆☆☆
 “ah-面白かった”のジャケット写真は良いな。言うまでもなく吉田拓郎はビジュアルの人だ。近影=最近の人物写真という意味らしい。だから近影写真じゃなくちゃならない。
 この世には、歌手本人の登場しないイラストやデザインや写真のアートなジャケットも多いが、やはり吉田拓郎はカッコイイ本人の近影こそが正義だ。大瀧詠一やさだまさしや小椋佳とは違うのだ(爆)。すまん。
 例えばシングル“流星”と”春を待つ手紙”…これなんざぁ79年の艶のある拓郎の写真がジャケットだったらもっと売れたのではないか。99年の”心の破片”もそうだ。”気持ちだよ”に至っては佳曲なのに、ジャケット自体が別に買わなくてもいいんじゃね?と投げている気さえする。
 その点、エイベックスになってからは徹底してカッコイイ近影写真を求めようとする姿勢が嬉しい。本人のカッコよさ、美しさを徹底して攻めてほしい。今回…攻めすぎではないかと一瞬ひるんだが、そんなこと迷い事を言ってる場合じゃない。
 これこそラストアルバムにふさわしい。手に取ってワクワクし、抱えてウキウキ歩きたくなり、飾って誇らしい歌手近影ジャケット。アウトロまで吉田拓郎はカッコ良かった、それを証明するジャケットだ。
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2022. 4. 24

☆☆生きていなけりゃ☆☆☆
 昨日はムシ暑いくらいの好日だった。今年が13回忌の拓バカ同志のK君の墓参。奥様も来てくださり総勢10名の集団墓参となった。お墓の前に10人も並ぶと「忠臣蔵」みたいだ(爆)。K君こそまっすぐな吉田拓郎への愛を貫いた忠臣ファンだった。
 そして彼はいつも笑顔で私達にも優しかった。めんどくせー私が災いして、めんどくせーことになっていた10数年。こうしてまた一緒にあえる機会を作ってくれた。そして、みんなそれぞれに病を得たりいろんなことがあったりしたようだが、こうして生きながらえて拓郎の歌を聴き、語り、そして悪態をつける。すべてはK君のおかげだというと、きっと彼は「いやそれはぜんぶ拓郎さんのおかげですよ」というに違いない。
 「覚えている人がいる限り、人は本当には死なない」というが、そういう意味ではこれからも彼とみんなはたぶん拓郎についてあーだ、こーだと心の中で対話しながら一緒に生き続ける。まずは公開されたジャケット写真について、とことん語りたいところだ。この写真、あまりにもたくさんのことを私達に語りかけてくるじゃないか。
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2022. 4. 23

☆☆あの場所でもう一度逢えるなら☆☆
 つま恋の撮影のブログ。新緑…たぶん新緑のつま恋を舞台にした一編の映画かドラマを観ているみたいな気分になる。行間からあふれくる万感の思い。最後の花束のファンのお2人も方もよくぞそこに遭われた。GJ!すべては天の配剤か。行きてぇ。

2022. 4. 22

☆☆☆たとえば犬の気持ちで☆☆☆
 奇しくも昨日の新聞に、いしいしんじの人生案内が載った。愛犬の死を後悔する相談者への彼の回答がまたすんばらしいものだった。あたりまえだがホンモノは違う。違うとかいうレベルではない。ってか、お詫びしろよ自分。

 吉田拓郎はつま恋に行ったんだな。これまで想像もつかない様々な想定外な困難が立ちはだかってきたようだが、それでも、つま恋に行くことが出来て心の底から良かったと思う。成果物の写真も見たいが、つま恋に抱かれる拓郎のメイキングの映像も観たい。
 編集は大変でしょうが頑張ってください。でも編集なしそのままでも、何時間でも何十時間の映像であっても私は全然平気です。喜んで拝見します。

2022. 4. 21

☆☆☆人生案内を語らず☆☆☆
 読売新聞のいしいしんじの人生案内が好きすぎる。好きすぎて今の心境を人生案内に相談したらどうなるか、まさか本当に相談するわけにもいかないから、勝手に自分でシュミレーションしてみた。すまん。結構、自分で書いて自分で元気になった(爆)。

    ファンを信用しないという歌手の言葉が悲しい
[相談]
 私は中学生の頃から何十年もの間、大ファンの歌手がいるのですが、最近は高齢を理由にエンディングと称してライブやアルバムを最後にしようとしています。先日新聞のインタビューで最後にあたってファンへの気持ちを問われると「僕はファンという人をあまり信用していないし、彼らも僕を信用していないと思っている」と答えており大変ショックでした。確かに私は鬼畜なファンサイトを作って悪態をついたりするなど、決して好かれたり信用されたりするような良いファンではありませんが、それにしてもファンを信用していないという言葉はあまりに寂しいです。私は今後どんな気持ちで彼を応援すればいいのでしょうか。(東京都・星紀行)

[回答]
 信用とは何か。歌手とファンとの間にあるものは音楽だ。歌手が魂をこめて音楽を作り差し出す。その差し出された音楽に、あなたはこれまで感動したり、悲しんだり、勇気づけられたりしてその心をふるわせてきた。歌手の魂の律動が、音叉のように聞き手につたわりあなたの心がふるえる。その瞬間にあるものが信用だ。信用とは言葉でなく、心のふるえだ。別個独立のわかりあえるはずのない他人どうしでありながら、お互いの心が音楽を通じて振動し合う。そこに音楽や芸術の魂がある。
 そして、たぶん歌手は知っている。信用はやがてカタチだけの言葉になって人の心を縛りはじめる。信用してくれるから信用する、信用されないから信用しない、長年のファンだから信用されるべきだ…まるで貨幣や取引材料のように人は言葉だけの信用に振り回される。いつしか今現在の本当の心のふるえを見つめるのがとても億劫になってくる。だから歌手はファンとの間の言葉だけの信用などという不純物は要らないと言いたいのではないか。
 音楽は自由なものだとその歌手は言っていないだろうか。自由な心で歌手の差し出す音楽に心をふるわす。直ぐにふるえる時もあれば、時間をかけてふるえ始めることもあるかもしれない。そこにはただ自由な音楽があるだけだ。それ以上の幸福はない。あなたは今後ファンとしてどうすべきかと悩んでいるが、あなたはどうもしなくていい。いつでも彼の音楽の律動の音叉を感じられるように自分の心の中に済んだ透明な水を静かにおだやかに張っておくことだ。

2022. 4. 19

☆☆☆主人公☆☆☆
 先週、小学校からの友人のルーちゃん(知らないよねフツー)と久々に飲んだ時、彼から「死ぬとき最後に聴きたい曲ってある?」と尋ねられた。咄嗟で答えられなかったが、ルーちゃんは「俺は、さだまさしの”主人公”。別にさだまさしのファンじゃないんだけど、誰もが自分の人生では主人公、いい歌じゃないか」ということだった。

 最期に聴く曲というと、どうしてもこの時期に亡くなった拓バカのK君のことを思い出す。
 2010年4月にK君はクモ膜下出血で突然倒れてそのまま卒然と亡くなった。葬儀のときに奥様が気丈にも俺ら拓バカ同志に最期の様子を語ってくださった。倒れた時、奥様が枕元にあったCDを病室に持って行き昏睡状態のK君に聴かせたそうだ。「拓郎さんの歌を聴いたらその瞬間心拍数が戻ったんです。」
 そのCDは「午前中に…」と「豊かなる一日」だったそうだ。2010年当時の最新オリジナルアルバムと最新ライブアルバムだぜ。
 ここ数日、俺の周辺のトレンドなワードは「停滞」だ(爆)。何が「停滞」しているのか、いないのか…御大のおかげで悩ましい。でもひとつこれだけは確実にいえるだろう。最新のオリジナルアルバムとライブアルバムを聴きながら逝く…彼は1ミリも停滞していないファンだ。文字通り死ぬまで半歩進み続けたファンだった。

 奥様は「次の曲が”落陽”だったのに」と泣いていらした。”落陽”の一曲前が彼の最後の曲だったことになる。調べたら「豊かなる一日」の”どうしてこんなに悲しいんだろう”だった。島村英二のカウントで始まりビッグバンドのゴージャスな演奏で歌うあのバージョン。いいよねぇ。誰がこの名曲のこのバージョンで天国に旅立てようか。やっぱすげーぜK君。

 「あと一曲頑張れば”落陽”が聴けたのに、どうして…」と涙される奥様に、そこにいたこれまたすげー拓郎ファンのねーさんがボロボロ泣きながら「きっと”落陽”は飽きたのよ」(爆)。これぞ泣き笑い。…いいな、よくないけど、いいな、よどみなく流れてゆく拓郎ファンというべき人たちがそこにいる。やはり拓郎ファン、あれこれすんばらしいぜ。行くんも滞るんもそれぞれの道、誰もが主人公なのである。

2022. 4. 17

☆☆☆拓郎「あぁ面白かった」☆☆☆
 東京新聞の朝刊を買ってバネの軋む喫茶店でトーストをかじりながら拾い読んでいるすべての同志の皆様ごきげんよう>いねぇよ、そんなことしてる人
 ネットでも読めるようだが、新聞の現物感や触感がまた嬉しい。ちゃんと読んだ。ああ〜そういえば音楽の前に取扱説明書や約款はいらないと言った気もするが、あの時は俺もまだ若かった。いろいろあってもそれはそれ。
 「第一線退く」「吉田拓郎さん一線退く」とリードされた記事は、切なかったり、それでいて妙に清々しかったり、結論としていい記事だったよ。

  停滞していると言われようとバカじゃねぇのと顰蹙を買おうと心の底から叫びたい。
 第一線を退こうともアナタがいるそこが私の最前線
 …決まった>決まってねぇよ、また怒られんぞ
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 web版の方がインタビューは詳細なんだな。こっちの方がより切なくて、そしてよりなんか清々しい。少し泣きたくなる。

2022. 4. 16

☆☆☆あれから10年☆☆☆

あの空に浮かぶのは 今日の雲
それは 昨日の雲じゃない
幾度も 君に伝えたが
すれ違うような 時が行く

 うーん、いい歌だ。いろいな意味でいろいろ胸にしみる空の輝き。おまえがいうなと怒られそうだ。

この淋しさを 乗り越えて
いつか わかり合える 二人になれる

 うん俺もそう思うよ、俺はあなたのファンなんだし…>だからおまえのことじゃねぇよ。

 この曲を含むオリジナル・ニューアルバムを迎えてからもう10年である。とんとご無沙汰。“ah-面白かった”をどこでどう聴くかも考えておかねば。拓バカの友人は、拓郎の新作アルバムは必ず斎戒沐浴して身を清めてから正座して聴くと言っていた。それが彼の矜持らしい。もう、キリスト教のミサ、仏教で得度受戒のような厳粛な世界だ。今回もそうするのだろうか。

2022. 4. 15

☆☆☆You’re not also there☆☆☆
 ということで、あらぬ方向に行ってしまったが、先週の放送で聴かせてもらった新曲たちにはどれもお世辞ではなく胸が躍った。そうだ、それだよ。とりわけ”ひとりgo to”は、心の底に直覚これ!と響いた。迷妄晴れたりって感じか。うまくいえねーな。おお、これが堂本剛のサウンドなのかと感じ入った。良い子になれそうだったのに俺。
 ただ音楽を聴く前から、これが今の風だとか、70年代の奴らにはわからないだろうだとか、精神論と辻説法がかまびすしい。何もかも愛ゆえのことなのだろうが、でも時に勢い余った愛が滑って俺に鉄槌を打ち下ろすのだ(爆)。痛い。それにこの曲は、音楽単体で充分にチカラがあるのは俺ごときにもわかる。だから精神論ではなく音楽で語っておくれよ。
 音楽の前に分厚い取扱説明書も保険約款もいらない。そりゃあ足りない自分だが、自分の小さな器の中で感動したり、思い悩んだり、誤読・誤解したりしながら自由に満喫したところで、「おまえたち実はこの曲はだな…」とそっと灯明をかざしてほしい。
 もうそこにいないのはわかった。なんにしてもアルバムが楽しみだ…そんな日が来ることに感謝しかない。
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2022. 4. 14

☆☆☆そこにシビレた☆☆☆
 …カッコイイなぁ。青い空のアニキと呼ばせてもらっていいっすか?(爆)。我ながらいい加減に学習しろよと自分のことを思うのだが、せっかくのサイトである。ムカつくところはキチンとムカつきたい。「これも拓郎さんなんだからいいじゃないか」というファンの方もおられるだろうが、そういう横山やすしさんや勝新太郎さんの周囲的な対応にはやはり乗れない。それでもとにかく今回は意気に感じてまことに恐れ入りました。
 ということで気持ちを切り替えて次回ラジオの1つ限定の質問を何にしようか悩んでいる>切り替え早すぎだろ

2022. 4. 13

☆☆☆青い空見て〜はぐれた雲の☆☆☆
 青い空の先輩にまた助けられた。ありがとうございました。そんなこんなのうちにアルバムは完成したようだ。 それに晴天の上に、暖かいじゃないか、このごろは。 もうすぐお別れになる神楽坂あたりを歩きながら 脳内で歌う。

 また会えるまで また別れても
 また迷っても また探す道
 また背伸びして また立ち止まり
 またほほえんで また口ずさむ

 また雨が降り また風が吹き
 またウソをつき また夢を見る
 またウデを組み また歩き出す
 また陽が昇る また涙する

 心の底からいい歌だ。こんな歌を書ける人なのだから...だからなんだ。ともかくただファンに甘えているだけなのだろう。そう思ってこちらもこの道を半歩でも先に進もう。

2022. 4. 12

☆☆☆ボディブローのように効いてくる☆☆☆
映画「シン・ゴジラ」で平泉成演ずる里見総理の嘆息まじりのつぶやきで
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あ〜あ停滞したファンたちが足を引っ張ったのでライブを辞めたなんて、最後に来てそんなこと言ってほしくなかったなぁ〜

2022. 4. 11

☆☆☆乗るも乗らぬも船はひとつ☆☆☆
 HoHoHo〜
 俺やこのサイトが「停滞」しているのか、拓郎の足を引っ張っていたのか、やる気をなくさせていたのか、そのショッキングな物言いに一瞬気分が沈みかけたが、もうそんなことは知ったこっちゃない。こんなヘタレなサイトにそんなチカラがあったら逆に大したものだ(爆)
 ただひとつだけ言ってみたいのは、
「君のスピードで,I’m In Love,季節の花, 早送りのビデオ、昨日の雲じゃない, 慕情、YouTubeで歌う人は、こういう曲をトライしてほしい。」(オールナイトニッポンゴールド第25回)
 しかし”落陽”や”祭りのあと”はごく最近までライブで歌ってたけど、“季節の花”と”昨日の雲じゃない”は自分だって歌ってねぇじゃん!>そこかっ。そこだ!。
 “季節の花”はキャリア・ハイと言っていい名曲だ。http://tylife.jp/uramado/kisetsunohana.html あの魂のリフレインを一緒に1階4列くらいで唱和したかった。”昨日の雲じゃない”は、ステージで鈴木茂の語りかけるようなギターの音色に2階27列くらいでもいいから座席に沈んで包まれてみたかった。そう願っていたファンは俺だけじゃない、たくさんいる。調べたもん。調べた人みんなそうだった。それが停滞してる、今さら離縁というのならもと十四に戻しておくれ(爆)。

  いや、そういう悪態を一旦脇に置いて、俺はラジオを聴きながら、以前読んだ本の一節を思い出していた。ミック・ジャガー、ボブ・ディランら高齢化したロックスターについて中山康樹はこう総括していた。
「(彼らは)新しい曲を書いたところで、大半のファンは過去のヒット曲のほうを聴きたがるということもわかっている。その新しく書く曲も過去の水準を超えることがなかなかに困難であることもとっくに達観している。
 -彼らは過去の自分と戦い、勝ち目がないことを知りながら、それでも闘うことを放棄しない。
 -少なくとも僕は、ある意味で満身創痍の状態でありながら、それでもなお新しい曲を書き、何かを創造しようと前進する”年老いたロッカー”に共感を覚える。しばしば勇気づけられもする。
 -彼らの多くは、時には年齢を感じさせず、時には60代という年齢だからこそ表現可能な境地を示し、それこそが「現在のロック」であると強く実感させる。」(中山康樹「ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか」幻冬舎新書 P.5〜)

 今、自分はこの境涯の近くにいるんだと思えた。違うのは俺はここでさらなるキャリア・ハイがまだ出てくるんじゃないかと信じていること。またエンディングといいながらもこのアルバムがどこかあたらしい夢に連れてっていってくれる船なのではないかと思うところである。
 その船はまだ港の中、乗り遅れそうなのは誰、まにあうさ、まにあうさ遅すぎることはない…と拓郎は言いたいのかもしれない。んまぁ、それにしても言い方ってもんがあるだろ(爆)。

2022. 4. 10

☆☆☆いつでも夢を☆☆☆
 ラジオの録音を忘れたのでラジコで一回聴いたきりで時間切れになった。ずいぶん早いんだな。胸打つ新曲たちを何度か聴き返したかったが今回はこれでいい。満を持して完成盤を待とう。
 60歳を過ぎた自分が70歳をとうに過ぎた吉田拓郎の新作を待っているのだ。こんなん想像できた? 凄いじゃないか。他に何が欲しい、何もいらぬ、せめてものラストアルバムを抱きしめよう。

 「僕は僕の中で僕だけのわかっている未来を自分の中で夢として作って、それに向っている。今でも半歩でイイから先にすすもうという気持ちを持っている。」

 もうコンサートもなくアルバムも最後だ。それでも「夢」に向かって進むという。それがなんだかはわからないしファンには関係しないことかもしれない。それはそれでしかたない。それでもこちらにもささやかな夢のような明かりが灯る気がする。自分も停滞せずに転調してみようという気になる。
 拓郎とは関係ないが、たまたま昨夜Tくんが俺達の小学校時代からの憧れの人の店に何回も足を運んで俺の分までサインを貰ってきてくれた。感激した。これが色紙だけでなく色紙の現場証拠写真まで撮ってくれている心遣いが泣けるんだわ。
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 ということで「夢」だ。いい歳して…だが、やはり「夢」だ。

2022. 4. 9

オールナイトニッポンゴールド  第25回 2022.4.8
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 (投書の方々のお名前) 「拓郎さん佳代さんお誕生日おめでとうございます」というメッセージにみなさんありがとうございます(with 佳代さん)。
 (佳代さん)拓郎さんお誕生日おめでとうございます
 (拓郎)佳代さんお誕生日おめでとうございます
 (佳代さん)アタシは加齢が止まらない。
 (拓郎)加齢?

 今夜はこの曲から(拓郎&佳代さん)”いくつになってもHappybirthday”

M-1 いくつになってもHappybirthday 吉田拓郎
 
<三苫がやりましたねという投書>
 すごかったですね、いきなり後半…延長かな、そこから2得点。僕のラジオよりこっちの番組の中継が凄かったな。ワールドカップ進出を決める大試合、いわゆるにわかサッカーファンが増えるところ。三苫、田中碧のファンが増える。そういうことがサッカー界にとって大事なんだということを協会はわかっていない。あんな大事な試合をどこも中継しないのはあり得ない。これを観て好きになる人もいるのに。世界も注目している試合なのに。だからニッポン放送は偉かったね。聴取率ダントツだったらしいね。僕もラジオでサッカー中継を聴いたことはなかったけど、奥さんとラジオで興奮した。どことも中継しないのは嫌だな。田中もいい動きをしていた。田中、三苫が引っ張っている。
 そういえばその田中にガールフレンドという話が佳代さんの耳に入った。年上の女性がいいならここにもいるじゃいといっていたけど(笑)まだ三苫がいる。田中はボランチをベテランのようにこなす。ま、碧ちゃん応援しながら三苫がいるということで。

 ネットを読んでいたら「いつもの癖で拓郎さんのブログを読んでイイネをポチっとしようとしたら、そうだ拓郎さんはジャニーズじゃないんだと気づいた」という書き込みに笑った(笑)。そうだよ、僕が面接態度も含めてジャニーズに入れるわけがない。

<ブログを楽しみにしている、かなり配慮してるんだなということが分かったという投書>
 配慮もしたし大変なこともあったレコーディングだった。今夜は新アルバムのタイトルも解禁し、kinkiとも会ったし、最初は緊張するかと思ったが、あのときのまんま、くだけまくり、3人とも成長していない。光一は「拓郎さんにとってオレは17歳なんでしょ」と言ったので、そうすると俺は50歳か(笑)。最初からもう風呂入ってしゃべってるような気分。

 小田和正君とも最後のスイーツから3年ぶり、小田と拓郎の関係は変わっていないと確認した。先日のフォーライフのテレビも観たというので感想を聞いたら、最後の拓郎のメールの言葉だけ良かったと思ったが、あとは興味ないと言っていた。やっぱりわかっているやつはわかっているんだよ。

<日記(のつもりがない)、小田さんのライブ行きたい、拓郎さんも大阪にゲストに来てという投書>
 日記のつもりはない、たまたまレコーディングが立て込んでいたから頻繁に書いたけど、今後は少なくなるよ、いずれ消えるよ。小田にスタジオでツアー頑張ってな、どっかいくよと言った。小田は、決まったら言ってくれよというが、小田にも内緒でそーっと行きたい、個人的には名古屋かな、サンデーフォークの伊神とかにも会いたいし、2019年のイタリアンにも行きたい。

■今夜も自由気ままにお送りします吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

 76歳です。こんな76いるのかというくらい自分でも気持ちわるい。吉田拓郎という気のつく男、やさしい男、ゴミ捨て、バスルームの掃除、結露の掃除、洗濯機のあとしまつ、ポストの投函、宅配便を外で受け取る、そしてマンションの理事として植栽の管理をしているよく働く旦那様の面倒を見てくれている、感謝感激でありがとうございます
 30年以上パートナーだけれども、ハワイでショッピングセンターで僕はカジュアル派で、リーズナブルなシャツ等を一気買いするタイプだけど、彼女は1枚のシャツに非常に時間かかり、30分40分悩みながらどうしようかなと考えたあげくやめてしまう。
僕なんか買ってしまえばいいのにと思う。ところがとなりの高級品ブティックをみつけると、何十万というブランドバックとか、これいいな〜買おうかなといってくる。こちらには即決力がある、こういう女性。こういう女性に恵まれた吉田拓郎は世界一の幸せものだ。そしてこういういいアルバムを作らせてくれた。お誕生日おめでとうこれからもよろしくお願いします。

(CM)

 ニューアルバムのタイトルは、
   「ah-面白かった」
 このタイトルにたどり着いた経緯は、僕の奥さん、佳代さんのお母さんはシングルマザーで彼女を育て上げた、僕の母も理由あって別居し、僕らを一人で育て上げ大学も行かせてくれた。しかし、二人のお母さんは苦労話、愚痴を口にしないタイプだった。僕達は母親からの苦労話は聴いていない。既に二人とも天国に旅立ち、その母に今、感謝して、夫婦でよく思い出話をして笑顔になっている。

 宮藤官九郎の名作「ごめんね青春」で佳代が演じる錦戸亮くんの母親が亡くなる時、夫の風間杜夫に「ああ面白かった」とつぶやいて天国に旅立ってゆく。後で、風間杜夫がそのことを口にする「「楽しかったじゃなくてああ面白かったって言ったんだよ」。このシーンには泣きました。観ている僕もわしづかみだった。ここだけでも感動した。宮藤官九郎は素晴らしいな。

 僕のオフクロ、佳代のお母さんは、時代的にも女性が仕事に就く環境にもなかったそういう時代を生き抜いてきたわけで、その苦労の何分の一も理解できていない。でも彼女たちは僕らに辛い、キツイというニュアンスを伝えなかった。だからオフクロが辛いわよと言っていたそういう姿は思い浮かばない。二人のお母さんたちは 天国でああ面白かったと笑っている気がしてきた。
 言葉ではなくそこに残して言ってくれた空気というか風の中に彼女たちの愛(LOVE)があるんではないか。やっとそれが見えてくるようになったと思う。
ラストアルバムは全編を僕流の愛(LOVE)で貫いてみたかった。そういう決心でこのアルバムを作ろうと思った。タイトルは文句なしに「ah-面白かった」に決めたら、それが頭にある限りスラスラと詞が出てきた。面白くなかったことも経験したがそれも結果的に最後はああ面白かったといえるようハッピーな気分な作品になった。

 発売は、6月29日、 本来秋の予定だったのに早く作品として出したいということで決断してくれた。ディレクターの竹林君にありがとうというしかない。
ジャケットはDVDサイズ。特別仕様の歌詞カードやライナーノーツがつくので大きさも見づらいので竹林ディレクターが会社を説得してくれた。
Disc1
 1 ショルダーバックの秘密
 2 君のDestination(旧題Hey you)
 3 Contrast
 4 アウトロ
 5 ひとりgo to
 6 雨の中で歌った
 7 雪さよなら
 8 Together
 9 ah-面白かった

 Disc2にはDVDのメイキング映像が入っている・どんなレコーディングわしてどんな人がいたのか。こんな時期だったので困難が生じていたし、スタッフもカメラも少なくできるだけのことはした。僕もCDジャケットのタムジンチームの風景も入っている。インタビューも入っている。ライナーノーツ、アナログ盤には僕のスペシャルエッセイ集がついている。これまで心の中でタブーとしてことも心優しい気持ちで書いている。永く応援してくれた人達へのプレゼントというかメッセージ。  

 アナログ盤では、奈緒さんをモデルにした撮影でシノハラも僕も参加してやり終えているはず。
 ラストアルバムの中から”雨の中歌った”これは以前のデモテープとはかなり変わっている。詞も演奏も違っている。
“たえこMYLOVE”は、たえこという人がいたわけではないが、歌いやすかったのでたえこにしたが、実在の女性がモデルでいる。その実在の人物につながっているという思い出の話。

M-2   雨の中で歌った   吉田拓郎

(CM)

 君のスピードで, I’m In Love,季節の花,昨日の雲じゃない,早送りのビデオ,慕情、You tubeで歌う人は、こういう曲をトライしてほしい。70年代は卒業しなよ。飽きたよ。せめて80年代くらいから前進めよ。心をこめて言いたいのは、空気を読んでほしい。そうしないと面白くないよ。現在自分はどういう時でどういう風の中にいるのか。社会も友人も大事な家族の中でどういうポジションにいるのか。
 孤独であってもきっちり理解すれば次がみえてくる。体験上、必ず孤独なりに見えてくるものがある。世間体とか噂は関係ない。大切なのはハート。
次なるアルバムには口にしなかった真実を書き残した。正直だったがために踏み間違えたこともある。でも誰も恨んでいない。すべて自分が浅はかだったからだ。
 このラジオだって、もういいよ、いらねぇよって言われる雰囲気を感じたらリタイアする覚悟はできている。そこでグズグズしたくはない。
“今日まで明日から”とかは、いい曲だよ。自画自賛する。あんな歌、誰も書けない。それはそれ。みんなが好きな岡本おさみもいい。でも、もういいじゃん。十分楽しんだ。十分評価もされた。”祭りのあと”も名曲だった。それも「だった」といいうこと。”落陽”も名曲で最高で俺も十分に楽しんだよ。現役のシンガーソングライターとして生きている俺としては声を大にしていいたい。やっぱりみんなも半歩でイイから前へ進もうよ。そこに停滞するな。
 ライブ活動をリタイアしようとするきっかけにもなった。観ていて停滞しているのがわかった。風のたよりで伝わってきたの。そこで俺はいつまでも歌えない。ネットなんかでも明らかに停滞しているヤツが何人かいる。それが凄く足を引っ張り、やる気を失わされる。それを観ながらリタイヤする気持ちが固まった。
 僕はそういうところに今いないの。時間があまりない。ツアーを止めるなライブやろうカンタンにいうけどそれはないと僕は思っている。
 僕は僕の中で僕だけのわかっている未来を自分の中で夢として作って、それに向っている。今でも半歩でイイから先にすすもうという気持ちを持っている。

 70年代はすばらしい時代だった。帰れと言われたり、いろんな事件もあったけれど、フォークとか70年代は素晴らしかったし、いい歌が生まれた。それは人生の通過点。人生は一回。素晴らしい青春であることは誇らしい。あそこがなかったら今がありません。それでも、それはそれとしないと2022年の今に引きずってどうする。
 僕は・・・ということですよ。人生は一回だけ。もっと柔軟に柔らかくその時々の風の具合を見ながら風に吹かれながらその時の空気と風を感じてちょっと明るいちょっと楽しい明日を過ごすために今日を生きる、がんばる。
 そんなにたくさん時間が残っていないそういう中でこそ縛られたまんまで、何も変わらない生き方は僕はやりたくない。お先に失礼で半歩前に進んでいく。

 Togetherという曲を作った。月に住んでいるらしいシノハラ、火星に住んでいる奈緒に、僕は拓郎ちゃんで、地球がボロボロになっている争いごとや温暖化も進んでいるし、コロナという未知の恐怖にもふるえている。ストレスがいっぱいたまっちまって、武器を持つヤツもいる、明日と小田和正とおいしいスイーツ会のために行くからよ。そっちは争いごとなんかないんだろ。おーい奈緒、kinkiとベッタベッタのハグの写真を撮りたいから、みんなで楽しく踊っているんだろ、待っててくれよというトーキングブルース。

 チョイと遊びに来て地球に永く居過ぎた拓郎ちゃんがそっちに行くと歌っている。70年代のたくろうちゃんと今はこういう気分だという歌をメドレーで。

M-3 たくろうチャン          吉田拓郎
M-4 together             吉田拓郎

<11時>

 70年代の通信販売レコード会社があった。何にもわかっていない僕をあざわらうようなレコーディングだった。アルバム「青春の詩」は1日でレコーディングした。何も知らなかったのでそんなものかと思った。吉田拓郎がプロデュースしたかのように宣伝され、涙が出るほど恥ずかしかった。それでもアルバムが出てカタチがついたと思う自分もいた。

 ライブで家庭用テープレコードで録音したものをレコードにするということもあった。
家庭用のテープレコーダーの録音でこんなのどうなんだというのがあったが、オンステージ”とかいつて発売していた。一番大きかったのは、作詞作曲しながら印税はゼロで給料制だった。ソニーの同級生がそれはおかしいんじゃないかと言われて、エレックを辞めると言ったら、その日に会社の人間が小切手持ってきてこれで新しいところに住めやと言われたのを覚えている。「こんなもんじゃ、僕の住みたいマンション 買えやしないんですよ」と答えた。

 “青春の詩”というアルバムには、”今日までそして明日から”とか”雪”が入っている。“雪”はレコーディングの時、何このアレンジ?と思ったが、詞と曲は自信作だった。後にCBSソニーにプロデューサーとして迎えられたとき猫というグループに歌わせた。
 岩手県の雪の夜。詳しくはライナーノーツで書く。
 先日同年代のただひとりの盟友・心友の小田和正に頼んだら自分のスタジオでアイデアを入れた物を返してくれた。
生涯の一作だと思う。絶妙のハーモニー。僕は今 心の友はいない。それらの関係 断っている。70年代だと小田だけ。あとは誰とも付き合っていない。スッキリしている

 武部、鳥山、2019年のバンドの仲間、kinki、シノハラこれで十分だ。最後に歌詞もつけ加えてロマンチックにしている。
どこを小田和正がハモ持っているか、全部小田じゃない、拓郎もと言われてその場でハーモニー作った。衝撃的に美しい。小田のアイデアがすばらしい。

M-5 雪さよなら

 Kinkiとの仲は、奇跡的、運命的で友人でいられることは幸せ。この二人のやさしさをこれほど身をもって体験している人間はいないのではないか。
僕等の中で無言の中で出来上がった空気感がある。今回も変わらずに存在している気がした。計算して作れるものではないし偶然。他の方とつくれるか、つくれない。  僕ら3人じゃないとできない、運命とか偶然の風なんだとつくづく思う。

 光一君と再会した。彼も43歳。すっぴんの堂本光一は、相変わらず美しいマスクの持主だが、若いころと違って風格がでているのは、舞台エンドレス・ショックを続けている自信とプライドかもしれない。リーダーシップのオーラが出ていて、若いころにはなかったものだ。
 2,3分すると光一の「たっくろうさん」という言い方が蘇ってきた。そしてお互いをイジリ始める。こういうところは剛とは違っていいたい放題。「郎さん細くなっていません? 」「ジジイなったということか?」
 アルバムタイトルのah-面白かったを書いている最中にも、横で「字はヘタだな、本当に下手だな、「た」の字 世界で一番「た」の字がヘタ」とか行ってたら光一が、これでも子どもの頃は習字有段者だったというので、今度は毛筆で書いもらったら「おなじじゃん」(笑)。結局マジックに戻した。
ついでに光一が画用紙に似顔絵 をハシリ描いていた。「これ拓郎さんですよ」「俺なの?」どう観ても似ていない。心友がせっかく書いてくれたのでどっかで使うことにした不思議なイラスト。すっげー楽しい時間だった。

 今回の ah-面白かったは。一生の思い出と誇りだ。題字は最初から光一に頼んでみようと思った。光一は僕は字がヘタだと言ったが、そんなことはどうでもいい。堂本光一がタイトルを書いてくれただけで幸せなんだよ。それが嬉しい。上手、下手ではなく素敵な題字。めっちゃお気に入りの下手な字です(笑)。ありがとう光一君。ショックも乗り切ってほしい。夏には時間を作って遊びましょう。

 そして堂本剛が既にひとりのミュージシャンであると思い一緒にやってみたかった
。LOVELOVEのとき、音楽の楽しさを教えてあげてくださいというプロデューサーに言われて、番組のコーナーで、ギターの持ち方から、G,C,D 3つのコードや楽譜の読み方を教えて、最初は二人とも関心なかったけど、番組の日本屈指のミュージシャンもいたので、次第に音楽の道に引き込まれていった。
 ひとりgoto・・・「ひとりごと」とも読める。その一節を剛がとても気に入った 頭にもってきますと言った。剛もR&B、FUNKに惹かれていった、それらのエキスを感じる・しかし、FUNKに収まっている気がしなくて堂本剛ミュージック、剛サウンドのようなものになっている。
 スタジオで俺達は似ているよなと話し合った。剛も高いとこ海も動物も苦手でイルカも怖い。オーストラリアのロケで剛と僕がパンナコッタな夜というのがあって、スタジオにいたみんな大笑い。ラジオではもったいないのでライナーに書いておく。僕と剛にはパンナコッタな体験がありました
 吉田拓郎作詞・作曲、堂本剛アレンジの奇跡のコラボ。これが今の風なんだよ。鳥山・武部に聴かせたら「こうきましたか剛君」「やられました、一本取られました」と感心していた。

M-6    ひとりgo to    吉田拓郎

(CM)

 広島で大学生の時、ロックバンドで演奏して飲んで遊んで深夜に帰って、そのまま部屋に戻ってオフクロと会話することも少なかった。それが青春だから構わないでほしいという気持ちがあった。
そんな時でも家に帰ると必ず玄関の街灯がついていた。母が起きて待っていたか待ってなかったのかはわかんない。街灯がついていたのは憶えている。そういうオフクロだから信じられる。
 佳代さんのお母さんもシングルマザーとして娘に不自由な思いにさせたくなくて、いろんな苦心をされた。この母娘は、二人とも気性が激しく親子喧嘩をよくしていた。僕が傍にいても喧嘩していた。昔、6年間くらい逗子に住んでいたときでもよくケンカしていた。僕は喧嘩が始まると逃げる。怖いんですよ。この親子喧嘩は仲が良すぎること、あまりに愛情が深いからこそ些細なことで諍いが起きてしまうのだと感じた。
佳代のお母さんの運命の日、彼女は最後に間に合わなかった。少しだけど。その時のお母さんの表情を覚えている。永遠の旅立ちのおだやかな表情、ひとりで育て上げた苦しみ悲しみを超えて実に静かでおだやかで笑顔のようだった。
ケ・セラ・セラというドリス・デイの歌がある。ヒッチコックの映画「知りすぎた男」に使われてヒットした。なるようになれという意味。それがお母さんの生き方の基本だった。
 そして灯りをつけて何も言わなかったオフクロ。二人ともいろんな苦しみもあったでしょう、そのまんま笑顔も見せて永遠の旅立ち。僕達二人もできたら最後に「ああ面白かった」といえるような人生を送りたい。そんな気分でいたい。
とっても難しいことだと思う。でもそこを目指すだけでもいいんじゃないか。アルバムの
 ラストの運命の一曲となる。歌っていていろんな思いが浮かんだ、母親たちのこと、妻のこと、自分のこと、心こめて応援してくた小田和正、Kinkikids、篠原ともえ、奈緒さん、わがまま気分屋の僕を支えてくれた竹林くん、飯田さん、何回もダメ出ししてもめげないで魂の演奏にトライしてくれた武部・鳥山くんらの顔が浮かんだ。ボーカルが揺れているような気がする。でも修正しない、歌い直さない、ありのままでいこうと決心した。

M-8 ah-面白かった     吉田拓郎

■エンディング
 僕の最近の心境は「やったな」という感じだ。満足感、自由という感じ。これは僕にしか味わえない感じ。
何が不自由かはハッキリしなかったが自分の中に不自由が住んでいてそれが厄介なヤツだったことがわかり、ようやくそこからの解放が始まった。若い頃、中年の頃、おじいちゃんなりに不自由だった。でも最近、不自由からは若干脱出しはじめている

 歳をとることはいいことはあんまりないけど、悪いものでもない。束縛もない素敵
だ。アナログ盤についての話は次回します。

最後は、大好きなエイミー・ワインハウス

M-9    You Know I'm No Good   エイミー・ワインハウス

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆いよいよアルバム出来!!「でき」はなく「しゅったい」と読んでくれ。深夜のセイヤングでローリング30の完成を知らされた時の気分と重なる。不可知なニューアルバムに胸はふるえる。

☆確かにデモテープ時点の印象とはまったく異なっている。嬉しかったり安堵したりもする(笑)。ピンと来なかった「雨の中で歌った」もなかなかの曲にドレスアップされていた。しかも、そうか“たえこ”の続編なのか。そういう伏線も面白い。

☆小田、kinki、シノハラが実名で登場すると聴いただけで、不安しかなかったtogetherだが、ご機嫌でいいじゃないか。身体が自然に揺れ出す。しかも現在の情勢までが織り込まれている。今さらながら拓郎はこういうことをしたかったのかということがちょっとわかる。

☆別に今の空気を感じろとお説教されたからではないが“ひとりgoto”。タイトルは、菅前総理の顔がチラチラ浮かんでくるが、これは来たな。逸品だ。すんばらしいぜ。

☆これはあの""雪"なのか、いやこれは"雪"じゃない。いやでもこれは"雪"だ。音楽家ってすげえなと思った。
 怒られるかもしれないが、今年の「クリスマスの約束」はもうこれしかないっ。だめかっ。涙ながらにお願いしたい。

☆個人的だが、俺は、昨夜、重松清原作の「とんび」の初日舞台あいさつを観に行って、その足で帰って遅れてラジオを聴いた。なので、俺の中では、まことに勝手ながら、とんびの親子と二人の母親の話が、ガッツリと組みあってしまった。拓郎のお母さまが麻生久美子、佳代さんのお母さまが薬師丸ひろ子ですんなりと脳内変換されて、映画を観ているような気分だった。ah-面白かったはまるでエンドロールで流れる主題歌みたいに万感の思いで聴いた。勘違いだったらすまんが。でも、そこは重松清だ。しっかり通底している気もする。

☆とにかくまだ片鱗を覗いただけだ。きちんと完成した全編を斎戒沐浴して聴きたい。

☆超個人ついでに6月29日は亡くなったオヤジの命日だったりする。なんだこりゃ。

☆ともかくラストアルバム出来。ただそれだけで気分は上がり出す。

☆☆☆今日の学び☆☆☆
  今回もちょっと厳しいお説教がございましたが、
「僕だけの未来を夢として作っている、それに向っている。半歩でイイから先にすすみたい。」
 もうアルバムもライブもない。それでも描かれている未来がある。そこだ!

2022. 4. 8

☆☆☆今日もhappy birthday☆☆☆
 そうだよ,昔からステージで譜面を捨てる姿も美しかった。メモを捨てる人、拾う人、それ見て悶絶する人、誰もが幸せになる究極のリサイクルというか生態系である。
 いよいよラジオでやんす。どうかみなさまhave a nice radio time!

2022. 4. 7

☆☆☆たとえばフォーラムで☆☆☆
 さだまさし、南こうせつ、海援隊らの歌を聴きながら、俺はこの歌たちの世界に育まれ、ともに生きて、老いてそして死んでゆくのだ、それは幸福なことなんだと心の底から思った。そう思いながらも、あの美しい立ち姿が浮かび、やはり何もかもが別格なのだと、あなたの空気を思ってみるだけで胸が張り裂けそうになるのである。

2022. 4. 6

☆☆☆フォーラム☆☆☆
拝啓、僕はいま文化放送70周年ライブに来ています。出演、さだまさし、海援隊、南こうせつ。あれ、拓郎さんがいない。セイヤングの拓郎さんが...いた、というより、あった!

2022. 4. 5

☆☆☆お誕生日おめでとうございます☆☆☆
 「もういいよ」…そんなことおっしゃらずに。この日があって今がある、この日があってすべてがある。この貴重なひとときを僕達は何かを祝わずにいられない。
 「もうちょっと」…そんなことおっしゃらずに。さよならが言えないでどこまでもどこまでも歩いてください。110歳まで生きると言った君じゃないか。
 とにかくとにかく私、何時でもあなたに言う 生まれてくれて Welcome
   …ああ、どうか中島みゆきの朗誦に脳内変換してお読みください
        
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2022. 4. 4

☆☆☆何軒めの店ごと☆☆☆
 その映像では、よく気のつくK君が篠島で二日酔いの薬を配っているシーンがあった。それで思い出した。
 拓バカたちは超絶な酒豪ぞろいで往路の東京から名古屋までの新幹線で期待に胸膨らませながらガンガン飲み始め、名古屋から師崎までの名鉄の車中で「そろそろ近づいてきたぞ」とワクワクしながら飲み、篠島までの船中で「島だ、島が見えたぞ」と興奮しては飲み、旅館に着いては「ここが拓郎の部屋だ、ああ拓郎のサインだ」と感激しては飲み、旅館の海の幸に感激しながら飲み続け、夜中は篠島の音源を聴きながら「やっぱ拓郎はええな〜」と涙ぐみながら明け方の「人間なんて」まで飲み続け、翌日も旅館の朝食で目覚めに飲み、復路の篠島から名古屋までの船と名鉄で「いよいよライブ本番だ」と飲み続け、名古屋のあんかけスパの昼食で飲み、開始前に名古屋センチュリーホールの近くで気合入れのために飲み、でもってコンサートを満喫し、終わってから名古屋駅の近くの世界の山ちゃんで手羽先を食べながら「やっぱ拓郎はすげえなぁ」と感動して飲み(←ココで不肖星紀行はついにダウンし「楽しゅうございましたが星はもう飲めません」と書置きを残してリタイアした)。その後も彼らは朝まで飲みつづけ、翌日帰路の新幹線でも飲み、東京について居酒屋でお別れ&反省会の飲み会を続けたらしい。
 まったくどうかしてる(爆)。恐るべき拓バカ酒豪の世界に震えを隠せない。吉田拓郎もコンサートツアー全盛時にはこういうツアーをしていたのだろう。とにかくすげえな〜とK君のくれた二日酔い薬を抱きしめながら落伍者の気分で思いを馳せたのだった。

2022. 4. 3

☆☆☆4月になれば☆☆☆
 4月だ。なにより拓郎の誕生月だ。めでたい。また同時にわれらが拓バカK君の祥月でもある。悲喜こもごもがコンタミする。部屋をいろいろ漁っていると在りし日のホームビデオの動画が。2000年代初め名古屋公演に行った機会にみんなで聖地篠島を訪問したときのものだ。撮影者なので俺は映っていないがみんな若く、K君もニコニコ笑って自然にそこにいる。篠島グランドホテルの拓郎の宿泊部屋に感動し、旅館に寄贈されていたイベント当日のサイン色紙とひとりひとり記念写真を撮る様子は拓バカ絶好調だ(爆)。
 帰らぬ昔のことと言う勿れ。昔のライブや故人をただ懐かしんでいるのではない、カタチを変えて今も生き続けているものと一緒に現在を生きる豊かなる営みなのだ。たぶんみんな今もわが心のK君とともに、これから届くラストアルバムの展開をワクワクしながら、そして不安もちょっぴりありながら(爆)迎えようとしているに違いない。人生とはそういう宴ではないか?…なんてワカンナイが、そういうものであってほしいと思う。
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2022. 4. 2

☆☆☆ラジオの時間☆☆☆
「聴いてチョーダイ」おお小田の次は財津か。>財津一郎だ。こうして新作の制作過程までも味わせてもらえる愉悦。「長年やって来た拓郎流ラジオでのサービス」わかってんだな。西瓜といえば”夏休み”だが所ジョージの”♪ひとつの西瓜を君が二つに割る〜大きい方を渡されても齧れないでしょ”を思う。

2022. 4. 1


☆☆☆春になれば☆☆☆
新宿あたりで冷酒の旨い店を見つけてタケノコで一杯。何よりも平和が大切でありました。
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2022. 3. 31

☆☆☆KinkiKidsの「きよしこの夜」☆☆☆
そりゃあ覚えてる。確かに感慨深い。それだけでなく初々しくギターを弾く二人の後ろで、拓郎と泉谷が互いにお尻をびったりくっつけて座り込みながら真剣に見守っていた姿が胸熱だった。フォーライフも恩讐の彼方に。バディ感てか重松清の言葉を借りれば「朋輩」感がたまらん。いろいろ良いシーン。

2022. 3. 30

☆☆☆カゴメ☆☆☆
二宮瑞穂ちゃう芳根京子のカゴメ「畑うまれのやさしいミルク」のCMで“たどりついたらいつも雨降り”が突然流れて驚く。"世田谷ピンポンズ"というのか。素早く調査してくれたなるさんに感謝。”元気です”Verのカバーは珍しい。のどかでイイ感じだ。ああ”元気です”50周年だったんだね。

2022. 3. 29

☆☆☆まだエンドじゃねぇよ☆☆☆
ノーサイドの穏やかな気分で”はっぴいえんど"=J-POP最大の革命”的な文を読み直してみたがやっぱムカつくよ(爆) 。”はっぴいえんど”が偉大にしても、吉田拓郎をただのフォーク歌手と軽んじて歴史を総括するクソ・タイムラインに我慢がならぬ。御大がエンディングでも俺はまだ終われない。

 “CODAあいのうた” 駆け込みで観たにわかファンだけど、おめでとうございます。ウイル・スミスの一撃とドライブ・マイカーのおかげで影がかすんでしまっている気もするが。高田渡みたいな父ちゃんに乾杯。

2022. 3. 28

☆☆☆ノーサイド☆☆☆
昔、小田和正は血が緑色の異星人に違いないと思っていた。すまん。熱い血と矜持を持つ偉人だった。また先日某番組で、かつてどん底の武田鉄矢を救った谷村新司の心温まる話に涙した。そして俺は今さだまさしのライブを楽しみにしている。もう争わないで、もう戦わないで、そう自由の風に酔え。

2022. 3. 27

☆☆☆そんなふうに僕は思う☆☆☆
 幸福感が溢れかえる写真を観ながら、あぁやっぱりKinkikidsはありがたいな、感謝しかないなとジジイは心の底からそう思う。

2022. 3. 25

☆☆☆60歳からのラテン☆☆☆
 ♪そんな小さな悩みは<チャチャチャ>誰に聴いても同じさ<チャチャチャ>〜がずっと頭から離れなくて困る。 昨夜酔っぱらって何回も再生し過ぎたか。うっかりするとステップ踏みそうになる。踏めないけどさ。

2022. 3. 24

☆☆☆ビジュアル☆☆☆
 工程が着実に進んでいるようだ。良かった。ジャケ写か。俺には写真のこともわからないが、ブログ写真の立ち姿、座り姿、そして所作どれもが美しい。年齢の割にとか、年齢に見えないとかいうレベルではなく、ただ美しい。座って譜面に書き込んでいるその様子だけでも美しい。これを切り取っておくれと心の底から思う。

 それはそうとタムジンさん、若子内さん、どうかお大事になさってください。お2人に限らず、どうか拓郎の110歳にお付き合いください。

 それにしても文中の「又会おう」。この「又逢おうぜ、あばよ」と「また会おう」のシンクロした漢字使いにシビれる。

 ということで今日は”真夜中のタクシー”を聴くぞなもし。

2022. 3. 23

☆☆☆映画館☆☆☆
 鬱な仕事が小休止したし、コロナの規制もとりあえず全面解除された…この貴重なひとときを老人は何かをせずにはいられない。とりあえず映画館に行った。

 ”THE BATMAN”と悩んだが”CODA あいのうた”を選んだ。前者は荒んだ犯罪都市ゴッサムシティの物語だが、荒んだ町といえば蒲田・川崎あたりで十分だ(爆)。それよりもCODA=後奏=アウトロということで拓郎ファンとしてはこっちでしょう。…と思ったら音楽のCODAではなく、Children Of Deaf Adultsの略で聴覚障害の親に育てられた子どものことを言うらしい。
 主人公の女子高生は両親と兄の家族が全員先天的に耳が不自由で、彼女だけが健聴者だ。漁業で暮らしを立てる家族たちの耳となり口となって日々苦闘する。決してキレイごとの美談ではすまない厳しいことが多々ある。そんな中で、彼女は超絶歌がうまいことがわかり音楽に目覚める。しかし家族たちは生まれてこの方音楽というものを聴いたことがない。そんな家族たちと音楽で生きたい彼女とがどう生きてゆくのか、その描き方がすんばらしい。高田渡をもっとファンキーにしたみたいな父ちゃんのとあるシーンが特に泣けた。実にいい映画だった。
 音楽ってなんだろうと考えさせられる。拓郎流にいえば、音楽は本当に自由で素晴らしいものなんだということを体得させられた映画だった。

 今年は,小説では永井みみ「ミシンと金魚」をはじめとしてハズレがない。「CODA」はアカデミー賞、「ミシンと金魚」は芥川賞でもなんでも獲っておくれ。もちろん「ラストアルバム」は、レコード大賞でもグラミー賞でもいいぞ。

 映画館を出たら、宝塚の出待ちか入り待ちの女性たちが整然と大挙しておられた。宝塚のことは全くわからないが、好きな人を戸外でひたすら待つ、それだけで理屈抜きの同志愛を感じる。彼女たちは心の底から迷惑だろうが。

2022. 3. 21

☆☆☆わかったつもりを打ち砕かれる幸福☆☆☆
 そうそう、ラジオで流されたたデモVerとか仮歌Verをさんざん聴きまくって、あぁこんな感じだ、こんなもんだと思っていたところ、思ってもみなかった完成盤にぶっ飛ばされる経験。もうセルフ換骨奪胎とでも言うのか、とにかく予想外の所からガツンと撃たれる衝撃というものがある。俺は個人的に"外白イントロのフィドル&4番までありましたの衝撃"と呼んでいます。

2022. 3. 20

☆☆小田和正のシビれる言葉☆☆

 「でも時間が経つと気になる事も出て来るから
  そしたら何でも言って下さい 待ってます」

 拓郎ならずとも涙ぐみそうな言葉だ。
 
 小田和正の忘れじの言葉がもうひとつあって、日本をすくえ’94のドキュメンタリーで、タイトなリハの最中に拓郎・小田・泉谷が今後の進行を悩んでいる。すると

  小田「明日から楽になることを信じて今日やろう…やるしかねぇよ」
  拓郎「わかった」
  泉谷 (うなづく)


 これもさりげなく良いシーンだ。

 「明日から楽になることを信じて今日やろう」…わりと仕事とかでパクって使わせていただいている。座右の銘。

2022. 3. 19

☆☆☆選ばなかった未来☆☆☆
 スタートレック・ピカードのシーズン2が始まった。老ピカードは、再び冒険に駆り出される。今回は”選ばなかった未来”ということでスタトレ得意の時空ものだ。冒頭に”Time is on myside”で始まった今シーズンには、エディット・ピアフの”後悔していない(水に流して)”が繰り返し流れる。謎の暗喩か。
 昔日記に書いたが映画「ピアフ」のラストシーンで滂沱の涙にくれたナンバーだ。吉田拓郎には"後悔していない"という名作がある。それはそれ。今回は、例のフォーライフの総括の話、またKinkiに続き、ついに小田和正までもが登場し着々と完成に向うラストアルバムのブログを読んでいると、この歌が魂で深く通底しているように思えてならない。

    私は後悔しない(水に流して)

 私は何も後悔していない
 人が私にしたこと
 いいことも悪いことも みんな同じこと

 私は何も後悔していない
 つぐない 捨て去り 忘れてしまった
 過去はもうどうでもいい

 思い出に
 火を付けて燃やす
 悲しみも 喜びも
 どちらも必要ない

 恋も捨て 
 それにまつわる諸々のことも
 永遠に捨て去り
 ゼロから出発する

 私は何も後悔していない
 人が私にしたこと
 いいことも悪いこともみんな同じこと

 私は何も後悔していない
 だって私の人生は 喜びは
 今あなたとともに始まるのだから。

 というわけで超絶個人的には、スターレック・ピカードとエディットピアフと吉田拓郎が、なんの継ぎ目もなく自然に一体となっている。それでいいのだ。うーん、今日も元気にイカレている。

2022. 3. 18

☆☆☆水に流して〜Non, je ne regrette rien☆☆☆
 若い時の夢とその責任をとって社員の家族のためボロボロになって苦闘したことを、手柄話でも自慢話でもなく”自分たちのミス”と総括できる人間はなかなかいない。俺は尊敬する。
 その時にいろんな事情があったのだろうが、一生懸命引き留めてくれた盟友に今も深い思いを致すような人間もそうはいない。この人こそイイ人だなと思う。
 かといって、今もその名のもとにとどまらんとする人間の矜持にも感服する。
…もう一人のお方はどうだったのだろうか。すまん、根拠のない邪推だが、かなり早い段階で「やめときゃよかった」と思ってたんじゃないかって気がしない?

 俺のような末端のファンには、当然のことながら真相もわからないし、考えようにも人それぞれバラバラで余計わかんないが、それでも貴重なわが青春のスーベニールよ、さらばだ。
 さて今clear&presentに動いている吉田拓郎のアウトロに向おうじゃないの。
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2022. 3. 17

☆☆☆ああそれでも月は輝いて☆☆☆
 地震は驚いた。みなさまご無事でしょうか。特に東北の状況には震撼とさせられる。比べられるものではないが、こちらも2時間以上完全停電になって大騒ぎだった。こういうときのための太陽光発電も深夜では役に立たない。太陽エネルギーは地球上では急激に消耗するとはまさにこのことだ。
 信号機までも止まった闇の中で、月の灯りをこんなに頼もしく感じたことはなかった。

   ♪あてなどない旅路を照らすは月明かり
               桑田佳祐 「吉田拓郎の唄2003」

 などとしゃれている場合ではない。お見舞い申し上げますし、お互い様、用心しろよ、用心しろよ〜…じゃなくて用心しましょう。
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2022. 3. 16

☆☆☆風の街は誰もがひとり☆☆☆
 70年代後半から80年代前半に「人間はひとりなんだ」と口癖のように言う拓郎にカッコイイなぁとシビレていたが、その意味はまだよくわかっていなかった。今もわかってないかもしれないが、あの頃より少しはわかる。例えば重松清のインタビュー記事の一節を読んであらためて拓郎の魅力を思った。

 「六十三才の拓郎氏は、インタビューの場所に一人でやってきた。マネージャーもレコード会社のスタッフも連れていない。ほんの数分の遅刻だったが、わざわざ途中で「少し遅れますから」と編集部のスタッフに電話まで入れてくれた。」(すばる 2010年3月号 聞き手 重松清「ロングインタビュー吉田拓郎」より)

 さりげなく実に大切なところを切り取ってくれている。

 そうそう前回のラジオで拓郎はdétenteのころ、不本意なCMやインタビューの仕事を持って来られて辟易していたという趣旨のことを語っていた。
 先の記事にはこういう記載もあった。かつて20代のまだフリーライターだった重松がdétenteのころに初めて拓郎に雑誌のインタビューをした。その日、拓郎は数件のインタビューを立て続けにセッティングされていて、最後に重松がインタビューしたのは、なんと就職情報誌だったそうだ。拓郎は質問にちゃんと答えてくれたが、どこが疲れた様子で終始表情がゆるむことはなかった、きっとうんざりしていたんだろうと述懐している。複数のインタビューを、たてつづけにしかも音楽とは関係ない就職情報誌のインタビュー・・・そう思うと確かに拓郎が不憫に思えてくる。
 重松も、あこがれ続けた吉田拓郎とのファーストコンタクトとしては無念だったろう。しかしあこがれ続けた特別な人だからこそ、その辛そうな様子を微妙に感じ取るこができたのかもれない。

 何度でも言うけどこれは名インタビューばい。ヘアサロンで洗髪のとき、どっか痒いところありませんか?と聞かれる前に、痒い所を的確にゴシゴシしてくれる美容師みたいに、あ〜ソコ、ソコという感じだ。

2022. 3. 15

☆☆☆人生だからこそひとりになるんだね☆☆☆
 というわけで、昨日からご本人の作詞ではないものの”ひとりになれないひとりだから”〜”最後は嫌でもひとりだからぁぁ”(望みを捨てろ)がずっと頭の中でリフレインしている。
 そういえば今日は、東京ドーム記念日だ。ここで拓郎は、予想外の”望みを捨てろ”を歌ったのだった。驚いたね。わりとシャウト軽めのサラっとした歌いっぷりだったが、とにかく選曲したことそれ自体で高額ポイント獲得である。

 東京ドームといえば一昨日も書いたが、後楽園球場サントリーサウンドマーケット’83だ。結局吉田拓郎の姿を見ずに、ラッツ&スターとTHE ALFEEのスターズオン23の豪華ライブバージョンと武田鉄矢のMCだけを聴いて帰ることとなった。
 超絶すげー落雷と豪雨で、みんな一斉に客席から退避したとき、ステージ上の武田鉄矢の「みなさん待ってくださいっ!」という悲痛な叫びが耳に残っている。みんな構わず逃げた(爆)。
 あれが吉田拓郎のステージだったらどうだったろうか。落雷の中、客席に踏みとどまったろうか。これはカルネアデスの舟板案件に近い。拓郎が最初にステージから消えるという説もあるが(爆)。
 ともかく晴男拓郎のチカラをもってしても雨男こうせつを制圧できなかった黒歴史なのか。いや大阪球場の酩酊タコヤキ事件を思うとそもそも吉田拓郎は、このシリーズでは、ちゃんと歌う気が乏しくてあえて晴男のフォースを封印していたのではないか。わからん。

 ということで、東京ドームのオープニング、これも意外な選曲に驚いた”チェック・イン・ブルース”を聴きながら元気にお出かけしよう。
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2022. 3. 14

☆☆☆ひとつになれないお互いの☆☆☆
 漢字だと「個」なのか「弧」なのか。結局、吉田拓郎は、デビューからラストアルバムまで「人間はひとりだ」ということをずっと歌い続けてきた気がする。
 先回のラジオでいみじくもOriginと言ったが、拓郎には、「ひとり」=「個」は絶対に侵されてはならないし、他の個を侵すこともできない、絶対に自由なものなんだという確固たる意志が根源にあった。そして、その個が、さまざまな他者との距離をみつめる喜怒哀楽がつまるところ吉田拓郎の歌だったんではないか。時に煽情的に、時に美しく、時にさみしく、時に悲しく、でも総じて、同じくひとりぼっちの私らの個を元気で豊かなものにしてくれた。…勝手に総括してどうする。

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2022. 3. 13

☆☆☆未完☆☆☆

 選曲が神だったね。

  M-1 RONIN
  M-2 ぼくのあたらしい歌
  M-3 たえなる時に
  M-4 アウトロ

 どの曲も胸躍らせてくれたわ。

 日光東照宮の陽明門には「逆柱」といってあえて一つの柱を逆に入れてあると昔に教わった。「建物は完成と同時に崩壊が始まる」。だからあえて完璧ではない箇所を残して未完成の状態にして永遠のものにするという発想らしい。うーむ、昔の人はよく考えたものだな。

 俺は思うんだよ。神曲”RONIN”の”あがらい”は、この名作に対して入れられた逆柱みたいなものではないかと。一本の逆柱があってもこの素晴らしい名曲は微塵もゆるがない。未完成ゆえにかえってこの歌は永遠に生き続ける。

 同じように、”アウトロ”。拓郎なら相当なクオリティに仕上げてくるに違いない。しかし、これほどの曲なら、拓郎自身が言うように迫真のライブで、生バンドのグルーヴで聴きたいと思わずにいられない。それも逆柱と思おう。永遠の未完成だ。そこにこそ遥かなる希望があるように勝手ながら思う。

2022. 3. 12

オールナイトニッポンゴールド  第24回 2022.3.11
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 吉田拓郎です。毎週週替わりの金曜日今夜は吉田拓郎がお送りします。

<ラストアルバムの拓郎さんとスタッフのブログが楽しみという投書>
 エイベックスのサイトがリニューアル。ラストアルバムの制作の様子についてのスタッフや僕の日記がある。ほぼ2,3日に一回書き込みをしている。画像ものっけているので最新画像もアップしている。こうしてみると外観、風貌は変わっていない。でも顔がアップになると、これはイカンわとなる。例によって、すぐ削除するので早めに観てほしい。

<サイトで”ひとりgoto”の剛くんの様子を知ったり、”together”という曲も楽しみという投書のつづき>
 スタッフが”大阪弁”と書いたことでkinkikファンは気が付いたらしい。”together”は最後に出来た曲。”やせっぽちのブルース”のような進行で、♪たくろうチャン(実演)、かつて遠藤賢司がハーモニカを吹いてくれて二人で演奏した”たくろうチャン”を作り直してみた。歌詞の中に、Kinki、小田和正、シノハラ、奈緒が実名で登場する。今の僕の数少ない・・・ダチはもういないし、いらないから、近しい人たちが出てくる。すげー楽しいから。たくろうちゃんが50年間も地球に長く居続けたつづけた。シノハラ、奈緒らは、争いのない国で幸せに暮らしいている。じゃあ帰らなきゃということで、小田とkinkiを連れて帰る。鳥山たちのすげーいい演奏が楽しい。

<剛くんのインスタにスタジオの様子があったという投書のつづき>
剛くんのアレンジがあり、僕は安全を期してリモートで参加して、剛とは電話で話した。剛に”きよしこの夜”が最初だったけれど、今になってなんであの曲だったと思うと話すと、剛は、今こうして拓郎さんの曲をアレンジするとは想像していないと言っていた。時は流れて、泣きたくなるような気持ちいい時の流れ。ミックスダウンではスタジオで会いたい。
 そろそろジャケットの撮影だ。そこには光一くんが来て 目の前でタイトルを書いてくれる。今月はKinkikの二人に会える。ソーシャルディスタンスでハグはできないけど気持ちだけハグしたい。
 今夜もあとでノリノリの一曲を用意している立ち上がって踊るスペースを。

■今夜も自由気ままにお送りします、吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

<3月11日震災から11年、拓郎さんのチャリティ放送を覚えている、春を待つ手紙を歌ってくれたという投書>
 “春を待つ手紙”を弾き語りで初めて歌った。あれから11年、忘れられない怖い、 辛い、厳しい体験だった。
 僕は坂崎とラジオのレギュラー番組でみんなとハワイに行くことになっていた。3.11はまさに成田に出かける直前で、2時すぎだったかな、妻はメイクをしていた時に突然揺れが始まった。僕らは、大声を出して、佳代テーブルの下に入ろう、拓郎怖いと叫びながら収まるのを待った。ハワイの旅行会社の人から連絡があって、今タクシーの車内だけど道路は麻痺しているので、拓郎さん自宅を出ないでくださいと連絡があった。その夜も眠れなかった。あのときはガラ携だったかな、緊急速報が夜中じゅう鳴りつづけていて、二人で落ち着こうと励まし合った。
 ハワイではバウ・リニューアルを同行のファンのみんなにも立ち会ってもらって、大好きなハレクラニでやろうと思っていたのが全部なしになった。
 ハワイのことよりも原発の存在とかが心に焼き付けられた。人類は危険と暮らしながら平和というバランスをとっているのだと思い知らされた。

 ここで黙祷しましょう。<黙祷>

<新曲のデモにウルウルした、歌詞の一言一句がに刺さった、拓郎さんについてきたことは間違いでなかった、新曲を生で聴けないのが残念、それでも半歩ずつという言葉がファんとしてのネックとなってくれた言葉だという投書>
 アルバムは完成に近づいている。ボイトレもやって、あがりは早い。これでミックスダウンすると、それで終わり。するともう発売日が決められる。あまりしゃべるなと(笑)スタッフの竹林君とかから言うなと言われている。だから来月の放送で発売日を発表したい。竹林君がいいと言ったから。
 よく頑張ったよ、こんな状況でアルバムをよく完成した、やれるベストを尽くした胸を張って言える。いいんですよ、本当にいいアルバム、いい詞、いいメロディ、いいボーカル、いいアレンジ、よくこんなクオリティのものが出来た。こういう社会状況なのに。いや今だからできたのかもしれない。

<北京オリンピック観ましたか、紀平さん残念でしたがという投書>
 全部観たよ。スポーツはリアルで心を打つ。確かに紀平梨花ちゃんは残念でしたね。2019年にサインをいただいた。武部がアイスショーの音楽を担当していたんで、サインを頼んだ。武部からサインを受け取って、どうだった?と聴いたら「全然ご存じなかったです」(笑)。まだ十代だもんね。紀平さんは出ないとわかっていたけど、ある選手にクギ付け(笑)。ウチはそう。サッカーは田中碧と三苫薫に夢中。
 僕の場合は、高木美帆選手。あの真摯な姿勢が伝わってきた。大谷選手じゃないけど、もともと彼女は長距離だと思っていたけど長距離、短距離、パシュートと二刀流ならぬ四、五刀流で、凄いな〜素敵でした。滑っている氷上のフォームがキレイ。本当のドラマがある。やっぱりスポーツ観戦はいいな。
 今の時代エンタメはやりにくいだろうけど、スポーツには感動した。

 争いごとはいけない。みんな武器を捨ててほしい。我々は、愛こそ目指すべきものだと思う。そういうメッセージの歌。映画RONINで高杉晋作を演じながら、高杉晋作くんは、こうつぶやいていたんじゃないかと思った。武器は捨てて、愛を目指そう、そう考えていたんではないか、そう感じてこの曲を書いた。
 歌詞で「あがらい」というところに、後でそれは間違い「あらがい」という指摘をされた。僕の間違いで大事件となったこともある。大いなる失敗もあった。でもこれを今聴いてほしい。混乱した時代にこそ聴いてもらいたい。

M-1   RONIN       吉田拓郎

(CM)

<ラストアルバムのタイトルが気になって佳代さんのシーン確認した、面白い、その後”監獄のお姫様””池袋ウエストゲートパーク”などドラマを見続けている、ご家庭でも佳代さんはトボケて明るくしっかりしているけど守ってあげたくなるような方なのでしょうかという投書>
  (ドラマを観続けているのは)俺と一緒だ。守ってもらいたいのは僕の方なの。トボケて・・・でなく、「わかっていない」。素のままというか。
 結婚前にお宅にお邪魔した時、彼女は風邪気味で具合が悪かったので、お義母さんに風邪の薬とかありますかと尋ねた。えーと正露丸だけはあるとお答えになり、常備薬とかないのかと思った。このお義母さんも娘に輪をかけてユニークな方で、血は争えない。
妻は、とても完璧主義なようでメチャクチャ適当だったりするところもある。細かく気にしながら、ええーというくらい適当なところがある。いい加減なやつ…♪ええ加減なヤツじゃけ〜があたっている。
 全くしっかりしていないです。毎日、「あーどうしよう」「あーわかんない」で一日が過ぎていく(笑)しっかりなんかしていない
 コロナ禍で自宅でいるし会話が多い。子どもや学生時代の話になる。もし二人が同級生で同じクラス、同じ学年で俺がアナタのことを好きになったら、アナタは僕のことをどう思ったかという話をしたら、俺は佳代が嫌いなタイプの男の子だったと気が付いた(笑)。
僕は写真部、軽音楽同好会とか文化系のやわいクラブで、朗らかで明るい、それでいてモテない。成績も優勝なわけではなく中の上くらいで、特徴がない。いわゆるシブい男、バスケットとかサッカーとかやっていて男らしかったり、ニヒルな感じではない。俺は一番嫌いなタイプ。彼女にとっては、あっち行けというタイプだった。そういうタイプの男と結婚してしまうという運命。一寸先は闇とは言えないか。
 このメールを読んであげたら彼女は一言「遅い」。”マンハッタン・ラブストーリー”を観るようにと言っていた。このドラマの中で最近僕がハマっている人がいる。佳代はテレビの連ドラの脚本家で千倉真紀さんという役で高慢でピッタリ。喫茶店のマスターが当時のTOKIOの松岡くん、タクシーの運転手が小泉今日子、テレビ局の振付師のダンサーに及川光博、松尾スズキ、酒井若菜、船越栄一郎が船越栄一郎の役で出ていたり・・・  
 この中の振付師のダンサーの及川光博、もともとそんなに好きじゃないんだけど、LOVE2にも出たことがあって、光一と二人王子になって、王子は光一で十分と思った。最近観ていてこの人にハマって、別所さん、ベッシーっていうんだけど、恋と恋愛に勝手なうぬぼれキャラが凄く良くて、及川くんの大ファンになった。
 いうことで”マンハッタン・ラブストーリー”がお薦めです。

<田舎町で喫茶店を経営している、なかなかお客さんも来なくなっている、憩いの場としての喫茶店をどう思うかという投書>
 コーヒーを嗜めない。そこが僕の足りないとこだった。あまり喫茶店に行ったことがない。デートでも映画館に行って、そのあとお酒のバー、そこから一直線で広島だと川べりの(笑)
 喫茶店ではいつもオレンジジュースで浮いていた。あの香りは好きだけど、飲めというと苦い、コーヒー味のアイスとかは、好き。でもコーヒーの味はわからなかった。さっきの松岡くんはコーヒーのバリスタの役だったけれど。
 2020年の4月に番組は始まってそろそろ長いなというのもある。その間、自宅で録音して一度もスタジオに足を運んでない。自宅でアップしてきた。富山さんとそろそろいい時期ではないかという話をした。
 アルバムも完成したし、やるべきこともやったので3月でエンドと考えられる。冨山さんは、拓郎さんはいつもイマジンスタジオの収録が終わってビールを飲んでいた下の”綴のおねえさんが泣いてしまうかもしれませんよ。ビールタイムは復活させましょうと言った。「綴」では神田共立講堂のあとの打ち上げもやった。魚の干物(小味のカリカリ揚げ)も好きだ。それなら続けようということになった(笑)。但し、いつまでもということは絶対ありません。しばらくは、今年いっぱいくらいはやろうかなという感じだ。

 次の曲は珍しい。かつてコーラスチームとレコーディングした。こいつらがいいやつらだった。名古屋ライブは宝物だ。プロモーションビデオだったか、レコードにされていない。康珍化の詞なんだけど、2コーラス目がやっぱゆるいな。CDにするほどじゃなかったか。可愛いいい曲だけど、フルコーラスで流したい。なに可愛いこと言ってんのということでちょっと楽しい歌。

M-2   ぼくのあたらしい歌      吉田拓郎

 今月は懐かしい男達のことを話す。南こうせつ、この男のことを話すことはほぼない。つま恋も事務所も一緒で同時代を生きたけれどあんまりウマがあわない(笑)。喜多條忠にはおまえのかぐや姫に書く詞はダメだと言ったことがある。
こうせつは雨男、イベントでは必ず雨とか嵐が来る。アウトドアではこうせつは呼ばないという言い伝えもあった。九州の福岡でサマーピクニックに一度だけ出演したことがあった。行きたくったけど義理もあったので一度くらいということで。
 前の晩まで大雨だった。主催者のビーのサブは中止も考えていた。こうせつだと雨でたたられる。ところが吉田拓郎は晴男。僕が参加すると晴れてしまう。こうせつとは合わないはずだ(笑)。
サマピで現地にはいった瞬間、天気回復。そこでサッサと歌って、僕は中州のために来たんで北島サブとともに中州の町に消えてゆく、そして朝まで飲んだ。スタッフたちがつくづく、こうせつは雨男、拓郎は晴男なんですね、と言っていた。つま恋も拓郎がいたため 75年も2006年も晴れた。2006年以来つき合いも音沙汰もないが。

□11時
佳代) 11時です もう寝まーす  おやすみなさい  もう起きてらんない
拓郎)もう寝るのか

 泉谷しげるの思い出。70年代に一緒のエレック・レコードにいた。エレックのミュージシャンだけのコンサートとかがあった。古井戸、ケメ・・・海援隊はもう一緒じゃなかったな。エレックがデビューするのを応援するそういうコンサートだった。
 で僕は、ステージの袖で泉谷という男のステージを観ていた。そしたら突然客席に「てめーら、客だと思ってえらそうにすんじゃねぇ」「金払っているからって大きな顔すんじゃない」と怒鳴り始めた。新人だよ。三波春夫のお客様は神様です・・・これが定着していた時代。こういう一撃。吠えているなと思った。気持ちよかったなこのアジ。

 結局泉谷とはフォーライフを一緒に作ることになるんだけど、泉谷も僕も似たようなハートを持っていた。井上と小室とは、エレック組とは合わなかった。それをわかってなかった。若さゆえに気づかなかったんだけど、気が合わなかったんだ。それが分かんなくなっていた。それでフォーライフを作っちゃった。

 小室とはつきあっていないし音沙汰もないし、井上ともつきあいがない。もともと気が合わない。このテレビドキュメントのスタッフもよく知っている。インタビューも断った。

 あのつま恋とフォーライフは関係ないじゃないか。つま恋は関係ない。俺と雨男のこうせつとでやったこと。たまたま同じ時期に、俺だけが両方に出ていただけ。
 あの番組はひとことでいえば「大いなる勘違い」ということ。若者の勘違い。だから  インタビューなんて受けるんじゃない。相変わらず空気わかってないな。

 あれを美化するのは間違い。あれは若気の至り。あれはいかん。あのことであそこに参加した若い社員と家族たちが一番つらい思いしているんだから。その反省もできないのにインタビューなんかに答えるなよ。泉谷は、てっとりばやくその責任をとったのよ。
脱退はショックだった、俺が一番ショックだった。これから俺が社長になって立て直すから今はやめるなよと泉谷には言った。ただ泉谷は、拓郎はダチだから拓郎が社長になったら付き合いにくいということだった。あいつの気持ちはわかる。さすがに状況が状況がだったし建て直さなくては、これから改革をやらなくてはならないから、それしか会社を残す道はない。涙を呑んで送った。胸が痛んだ・・・のは俺だけかもしれない。
 無理な見切り発車だった。ていねいなビジョンとかもないのに行き当たりばったりで始めてしまった。無理だよ。

 川村ゆうこ、原田真二とデビューしたが、こうやってミュージシャンが増えてゆくのが夢だったはずだ。誰も後輩を育てようということもなかった。例えば原田真二、川村ゆうこのレコーディングも誰も身に来ないんだ。夢のような話に酔っぱらっている。会社の社員を思ってなんておかしい。なんにもできないくせに。企画、アイデア、芸能界のこともわからんままで風呂敷ばかり大きくなった。フォークはOKみたいな。それでは会社なんてできないし、誰もついてこない。誰も先輩としてついてこない。音楽は伝承されるもんだから、そこを若い人が見習ってくれないと。若気の至り、俺達のミスそれらを率先して美化しちゃいかん。
 2年目から社長になって、全国行脚してレコード店のおやじたちから在庫のことで 怒られて頭を下げて、疲れて帰ってきてヤケ酒飲んで六本木で鬱晴らしをした。そんなときでも若い社員のやつらが拓郎さんお疲れ様でしたとサポートをしてくれた。
 会社としての存在だけを考えていろんなことをやった。良かったか悪かったかは誰かが判断することで俺達が決めることではない。それを誰もわかっていない。こんなのアリか。番組のメールでいったように無駄な疲れ、俺はCBSソニーに居た方がよかった、とてもよくしてくれた。そんな俺を引っ張りこんだ人がいたじゃないか。なんだったんだろう。結局、泉谷が一番正しかった。70年代は、先が見えないけどDon’t trust over30ということでオトナが作ったものをぶっ壊せということでもみんなが舞い上がっている独特の風が吹いている時代で、若者の発言は刺激的で刺激を求めていた。70年代後半は元気もなくなり、社会にとけこんでものわかりいいオトナになっていた。それが時代であり、時の流れであったりする。

(CM)

 泉谷とは、その後、雲仙普賢岳のチャリティや日本を救えのスーパーバンドもやったりした。同じ釜の飯を食べた仲。

 ユニークな人としては高田渡。彼は、ステージで寝ていた。呆れた。ステージで寝ちゃう人って客を何だと思っているんだ。前代未聞だった。この人とは正反対だったけど  意外と気があう。高田渡、遠藤賢司でデパートの屋上でよく歌った。丸井とかのコンサートがよくあった。あいつが俺にバーボンを教えてくれた。小斎(こさい)=加川良、キヨシローとかもいたけど、みんなさっさとあっちに行ってしまったな。

 酒が日常だったころのエピソード。行きつけの札幌のバーがあって、バーのママを”オババ“と呼んでいたけどスケールも身体も大きい人だった。バンドやスタッフは彼女の洗礼を受けることになっていた。新しいスタッフが入ると、そこのバーに連れていかれ口紅の洗礼で顔中キスされる。
 駒沢裕城というギタリストがいて、松任谷正隆がバンドリーダーだったときスチールギターの音があった方がいいということでバンドに加えた。真面目な好青年で、移動の車中も読書をしていた。
 その駒沢君にある日オババが抱き着いて顔中にキッスの雨。呆然として目がうつろでつくり笑顔で動揺していた。
 次のコンサートは九州で、全員でグリーン車で、駒沢くんは読書せずにみんなに話かけてくる。「駒子うるせーな」と言われていたが、僕にも話しかけてきて、「拓郎さん今夜はどんなことろで飲む予定なんてすか?」と尋ねてきた。怖いなと同時に楽しみも入ってきているようだった。駒沢君は、ついに毒の回った人間になって、大いに遊んで普通のミュージシャンになった(笑)。

 次の曲はライブで、ドラムの鎌田夫妻のバンドだと思う。キーボードが印象的なので、アルバム “デタント”の時だ。事務所のマネジメントのUくんと折り合いが悪くて、事務所の解散とか、新しいマネジメント模索中とかの問題があったころ、ツアーチケットの販売とかアルバム発売のレコードの出し方に不満があった。なんでこんなCMに出るんだ、こんな取材をいれるのかと思っていてあわなかった。エッセイ集でも出したいので出版社にあたってくれと言ったら、あとでなかなか乗り気の出版社がありませんということだった。後に、直接知り合いの出版社の人間に尋ねたらそんな話は聞いていない、拓郎さんのエッセイだったらすぐ乗るよという話で驚いた。がーん。アイツは俺に演技していたのかなと思った。限界だな。彼と別れてから、kinkikidsと出会ったり、そこから運命的なものが変わっていた。今はすべていい想い出だな。

M-3    たえなる時に     吉田拓郎   (ライブ)

(CM)

 人間は関係ない他人の井戸端にのめり込んでいく癖がある。大切なこと例えば自分のファミリーのこと、知り合い、友人のこと、自分にとっていきさつがある場合、それは放っておけない。そうじゃなくてなんの関係もない人のことにわざわざ突っ込んでゆく。ネットの世界では多い。多すぎてウザイな。ネットの功罪。見ず知らずの者が昔からの知り合いように、素晴らしいことだけど、なんでもかんでも共有しよう、すぐ、つながっちゃおうよ、という感じがある。僕は、基本的に自分が「個」がオリジンていうか、あまり得意でなかった。新作の"Contrast"という歌のとおりそういう子どもだった。個人的な不満とか気分も自分の中だけで処理するのが自分らしい生き方だった。
 もっと人間は「個」でありオリジナル=自分、もっと自分らしさ、自分の道、自分しかできない、これが自分の道ではないか。それは他人と一緒ではないが、これが自分の道なんだ。そういうオリジナル。そういう気持ちで人間は『個』として立ったり歩いたり進んでいったりすべきだ。そういう歌を作った。
 「ついて来な」というタイトルだったけど、そういうのもどうかと思って、自分のしめくくりとしてこれが僕のエンディングなんだ。
 前奏をイントロといい、後奏をアウトロという。アウトロダクションという言葉は正式ではないかもしれないが、僕等は業界ではイントロに対してエンディングをそう呼ぶ。

 僕はアウトロを生きているということで、そこにメッセージをこめよう、自分で立って自分で半歩でも進もうというメッセージだ。自分らしく話す、生きる、愛する、育む、そしていつかは消えるというのを自分らしく目指そうよという歌。アレンジのドラムも何パターンか変えたし、ギターのフレーズも替える。未完成で制作中。もしこれをライブでやれたらシャウトし客席をあおりまくっていただろうな、ボイトレしながら思った。乗っちゃうんだよ。最後は”人間なんて”みたいにいっちゃえと思った。吉田拓郎のアウトロを飾る曲。5分弱の力作です。デモバージョンですが聴いてください。

M-4    アウトロ      吉田拓郎

■エンディング
  最近の吉田家、夫婦の意見の相違。深夜にトイレ行ったり、本読んだり、音楽を聴いたり、気兼ねなくゴソゴソできるように、またイビキも時々かいているらしいので、僕はベッドルームを出て、仕事場にベッドを置いた。トイレに立った時とか、起きてるかな、と思って、夜中にベッドルーム開けちゃおうかなと思う時があるが、もし寝ていたら叱られるので開けない。時々どうしているかわかりたいな、寝ている寝室にのぞき窓をつけないか、それだとお互いに深夜に様子が無事かどうかわかる。
 何バカなこと言ってんの、寝ているところ覗かれたくないわよとケンモホロロに言われてしまった。

 次回は4月8日。
 最後の曲

M-5   Somethin' Stupid  フランク・シナトラ&ナンシー・シナトラ

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆ラジオが続くことに。良かった。まさか「綴」がつないでくれるとは。拓郎、それは「小鯵のカリカリ揚げ」だ。確かにあれは美味いです。

☆黙祷。

☆今このときに"RONIN"を持ってきてくれことが心の底から嬉しい。魂の名作、詞のミスなど毫も影響しない。

☆ぼくのあたらしい歌…確かに詞は恥ずかしいけれど、このメロディーは凄くいいよね。心ウキウキして気持ちがいい。自然に身体が揺れてくる。70歳でこのメロディーが出てきたことが俺は嬉しかった。

☆サマーピクニックは1987年と1990年と2回出ているよな。それにしても確か第一回サマーピクニックの熊本での荒天はニュースにもなったくらい凄かった記憶がある。しかしそこまでの雨男でありながら、毎年毎年15回以上もサマーピクニックを野外で実行しつづけた南こうせつはやっぱり凄いなと尊敬する。てか晴男なら拓郎がやればよかったじゃないか(爆)。これがもし"吉田拓郎のサマーピクニック"で毎年野外でやっていたら、それはファンは悶絶至福だったぞ。

☆そういえば2006年も台風直撃の予報だったんだよな。まさしく雨男と晴男のせめぎ合いだったのだ。

☆そうするとどうしても思う。1983年の後楽園球場のサントリーサウンドマーケットはどうだったのだ。晴男が唯一雨男に負けた黒歴史なのか。いやあれは武田鉄矢がいけなかったのではないか。わからん。

☆「気がついたら春は」は岡本おさみではなく自作の詞なのに「コーヒーのうまい店で待っていてくれないか」とあるのはなぜだろうか。もっともファーストアルバムの最初からいきなり喫茶店でコーヒーを注文してるんだよな。以前11時の時報とともに拓郎が坂崎とコーヒーを無理して飲むという番組があったな(爆)。あれも不思議だった。

☆フォーライフあのドキュメントは既に書いたように感動的だった。しかし、当然のことながら吉田拓郎が現実に生きたフォーライフという証言も観点もなかった。あのテレビの最後のメールの言葉をていねいに敷衍するように拓郎は実に率直に語ってくれた。泉谷への魂のアンサーのようにも聞こえた。高橋真梨子を獲得しようと奔走していた話を聞いたばかりだし、原田真二の全力プロデュースも、新人発掘に奮闘する姿も観ていたので拓郎のフォーライフへの夢は切実に伝わってきた。そして「普通の会社」として成り立たせるというために味わった苦渋のようなものもあらためて辛かった。
 拓郎は、つとめて冷静な口調だったが、それでもたぎる思いは伝わり、怒り出すんじゃないかと怖かった。この拓郎の視点をもしっかりと組み込んだドキュメンタリーがあらためて観たい。そりゃあ世間の大半の人はフォーライフの顛末なんてそれこそ井戸端会議だろう。でも拓郎ファンにとっては、他人事とは言い切れず、むしろ自分たちの青春もかかわる大切な「いきさつ」だ。それはできれば知りたい。わかりたい。そして知るほどに、それがいかに拓郎にとって無駄な時間であろうと、やらなきゃよかったことであろうと、自分の夢と社員の家族のためにあえてそういう枷をひとりで背負った吉田拓郎の魅力はファンには響くのだ。

☆Uさんの話は個人的にはショックだった。でも、あの頃の拓郎周辺の重苦しい空気というのもあった気がする。クラブ25の時の拓郎はたしかに「個」というか「孤」だった。そういう事情もあったのかとあらためてわからないなりにそう思った。しかしUさんはファンなりに親しみを感じていた拓郎のスタッフのひとりだ。そういったいきさつ的意味ではファンも井戸端会議ではいられない。もちろん仕事である以上、離合集散はつきものだし怨憎会苦は拓郎さんのものであり、俺なんぞは立ち入れるはずもない。でもだからこそせめてUさんの魅力的だったところも含めて全部抱きしめるように語っておくれよ。と思う。

☆"アウトロ"を聴く。これか。来たぞ。"人間なんて"と本人が言うから、言うけど、聴きながら「もっと、もっとだ〜、もっと来ぉ〜い」と叫びたくなった。これは地響きのようなドラムや鳴り響くギターやキーボードに支えられたシャウトこそがふさわしい。もっともっと打ちのめしておくれ。それがこの歌の持つ威容だ。もちろん誰よりご無念なのはわかるよ。完成品を楽しみに、私待つわ、いつまでも待つわ。

☆☆☆星紀行、今日の学び☆☆☆
 フォーライフのこと、小室さんのこと、泉谷のこと、そしてUさんのこと。拓郎はその時々に饒舌に話しているイメージがあったが、大事なことはひとりで抱えて黙り込んできたんだな。話せることは残されたラジオで話してほしい。骨は私が拾う。拾うなと言われても愛をこめて拾う。

2022. 3. 11

☆☆☆いつも何度でも春を待つ手紙つづき☆☆☆
 存じていた方々、存じない方々、有縁無縁のすべての皆様のご冥福をお祈りします。釜石市唐丹町に建立された津波記憶石に刻まれた言葉を教えていただいた。
  「100回逃げて、100回来なくても、101回目も必ず逃げて」
 中学生の言葉らしい。胸に刻む。たとえ過去に何回来なくても生きるってことはこの101回目が全てだ。…この道にも通じる。すまん不謹慎か。いや、きっとすべてに通じている。

2022. 3. 10

☆☆☆いつも何度でも春を待つ手紙☆☆☆
 11年前の今日は週末に迫った吉田拓郎のハワイツアーにウキウキと浮かれていたときだった。翌日は前代未聞の急転直下の事態となったが、東京で無事に暮らせていた俺が大変だったなどとは言えたものではない。それでも放射線量を毎日チェックしてこの国はどうなってしまうんだろうと脅えていた。

 そんなとき拓郎ファンのねーさんから教えてもらったYoutube。NHKの「視点・論点 (2008年8月6日)」の録画とのこと。広島の原爆の日、ウクライナ出身の歌手のナターシャ・グジーさんがチェルノブイリ原発事故の体験を語り、生命の大切さを語りかけて『いつも何度でも』を歌った。これがもう胸に刺さって刺さって涙ぐみながら繰り返し聴いた。

 同じころに自粛で真っ暗なお茶の水の街のとあるライブハウスでエルトン永田さんがピアノを鳴らすように弾いてくれた「時代」。

 そしてラジオではこの悲惨な状態に「とても歌う気にならない」と言っていた拓郎も、4月になるとラジオの公開録音で初めて生で”春を待つ手紙”を歌ってくれた。わが心の家宝である。

 この三つの音楽がしっかりと自分の中では拠りあっている。

 それから10年経って現在ウクライナも原発もまたあらためて危殆に瀕している。なんてこったい。「いつも何度でも」のココが何度も脳内に流れる。最近は毎日これだ。

     繰り返すあやまちの そのたび人は
     ただ青い空の青さを知る
     果てしなく 道は続いて見えるけれど
     この両手は光を抱ける

 

2022. 3. 9

☆☆☆祭りのまえ☆☆☆
 アルバムの進捗をラジオで垣間見せてもいながら完成を待つ至福。そういう至福が昔もあったし今もこうしてある。よく考えるとありがたいことだ。これが最後じゃないか。
 至福というとなんか上品でもの静かだが、気分的には、思いが募って黙ってらんなくなった拓郎の魂と、超絶聴きてぇというファンの悶絶が、もんどり打ちながら絡み合って怒涛のように暴れまわるだんじり祭りのような状態だ。今がその時ためらわないで、今がその時もう戻れない。

2022. 3. 8

☆☆☆波がひいてゆく別れの時だ☆☆☆
 おお快調ですか。3曲ですか。
 泉谷とのtrue storyも知りたい。

 俳優で声優の井上倫宏さんの訃報。まだお若かったのに。ご冥福をお祈りします。俺にはどうしたってドラマERのマーク・グリーン先生だ。グリーン先生が亡くなる第8シーズンまで熱くなって観たものだ。グリーン先生の最後の回のDVDを引っ張り出して観直した。最終回のタイトルは”On the beach”〜”渚にて”だ。先生はハワイで亡くなる。拓郎でおなじみのモアナサーフライダーホテルのバニアンバーが映る。
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 ハワイツアーが流れたのはちょうど11年前の今頃だった。
 ハワイ行きてぇなぁ。そしてそれ以上に拓郎に行って欲しいなぁ。

2022. 3. 7

☆☆☆声のセクシーな男って好き☆☆☆
 予定通りなら今日からボーカル入れである。どうなんだろうか。朗報待ってます。ところでKinkiのビールのCMがいい。二人の空気感がとてもいい。「拓郎さんでも呼ぶ?」とか言い出してもおかしくない。てかお願いだから言い出して。

2022. 3. 6

☆☆☆悲しみも消えない☆☆☆
 今更だけど若いころの後藤由多加ってハンサムだよね。それにしても原田真二、Kinkikids…「吉田拓郎の音楽人生のピンチには必ず美少年が現れる」という法則があるんでないかい。たぶんある。

 知人のドイツ在住のプロバレリーナ。当然にロシア、ウクライナに先生、関係者がたくさんいる。ウクライナに帰れずポーランドから入るという知人の手伝いのために深夜出かけたらしい。家族には『戦争が始まっちゃったから』と書いてきたという。その淡々としたニュアンスに慄然とする。戦争が海の向こうではなく隣近所に受け入れるべき事実としてやってきている。子どものころつま恋で全抱きを踊っていた頃から知っている彼女に言われると、こんな世の中にしたというか、何にもしなかったというか、オトナの責任を突き付けられているような気もする。
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 そうだね、悲しすぎるよ。とにかく皆さんご無事で気をつけて。

2022. 3. 5

☆☆☆カッコわるいことはなんてカッコいいんだろう☆☆☆
 フォーライフとともに失速し、なんかカッコ悪かった社長吉田拓郎。アナザーストーリーズの番組では映らなかったけど、週刊平凡77年12月8日号で一番悲しかったのはこの写真。前にも載せたかな。流しの営業か。
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 ↑この写真を観てるとマイクもってデュエットしている男女を思わずハリセンで叩きたくなりませんか?誰に伴奏させとんねん!

 しかし時間が経つにつれてこの時の拓郎の苦闘が身に染みるようにわかってくる。
  会社ゴッコと蔑まれたこと
  それでも会社再建に苦闘し、電卓を叩きながら従業員の給与査定に悩んだこと
  苦渋の末、人員整理までしなくてはならなかったこと
  時にレコード小売店のおやぢと喧嘩したこと
  不祥事を起こしたアーティストのために嘆願書をあつめ単身警察に乗り込んだこと。
  最近の話では高橋真梨子を迎える構想に人知れず奔走していたこと

 カッコ悪く見えた時代のエピソードを知るたびに拓郎に対して深まる敬意と誇らしさ。

 俺の周囲ではオワコンだったフォーライフに突然思いきりいい風が吹いたのは「原田真二」のデビュー時だった。こんときゃ教室の女子のほとんどが彼に魂を奪われ嵐のような大騒ぎだったな。毎月1枚のシングルリリースというオドロキの戦略でしかも全部ベストテン入りの快挙。社長兼プロデューサー吉田拓郎の名前もそこに燦然と輝いた。今でいうシン・フォーライフの始まりだった。

 他方で社長業に忙殺されながらアーティスト吉田拓郎がいかに音楽としっかり結ばれていたかはここに詳しい>自分で言うんじゃねぇよhttp://tylife.jp/sideways.html#NINENKAN
 79年の篠島の復活が75年からの長い長い失速の中でいかに劇的なものだったか。どうだカッコ悪くても、いいや、カッコ悪いからこそ超絶カッコイイじゃないか吉田拓郎。

 …ということで華も嵐もフォーライフも踏み越えて、いよいよ来週やってくるという"アウトロ"。揺れる準備はできている。どっからでもかかってきやがれ。

2022. 3. 4

☆☆☆かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう☆☆☆
 「いい風はどこにも吹いてなかった」と小室等は静かに語った。涙。♪華やかなりし時はそう永くは続かない@桑田佳祐。
 “フォーライフ”そしてご一体の”吉田拓郎”も、75年9月ごろからゆっくりと失速を始めた。俺にすれば熱烈なファンになったとたんに失速を始め、しかもその期間がかなり長く続いて切なかった。バブル崩壊の後に生まれた若者ってこんな感じなのかと今になって思う(爆)

 失速のマイルストーンのひとつ、1977年に泉谷がフォーライフを脱退した時はやるせなくショックだった。厳密には泉谷がいなくなったショックじゃない。脱退の真相など知る由もなかったが、あのとき拓郎ファンの俺ですら「正義は泉谷の方にあり」って直感がした。たぶん世間のおおかたもそういうイメージだったと思う。
 泉谷がいなくなったことそれ自体より、拓郎がカッコ悪くなってしまったことへのショックだ。自由に音楽がやりたいって外に飛び出す。それって吉田拓郎の専売特許だろ。それを泉谷にキメられて拓郎は反対に取り残される側になってしまった。♪恋の終りはいつもいつも立ち去るものだけが美しい、残されて戸惑う者たちは…@中島みゆき。

 アナザーストーリーズでもフォーライフを若者による音楽革命の旗手と評していたけれど、77年当時、俺の高校の教室では、フォーライフも吉田拓郎も立派なオワコンだった。教室にはアリスとかさだまさしとかチャーとかクイーンとかが飛び交っていて、吉田拓郎なんぞは古くてダサいものの象徴だった。ダサいものを聴いているダサい人と俺もいぢめられたものだ。

 それでもなぜファンを辞めなかったんだろう?
 「答えは風のなか」…それは重松清の新作だ。俺の場合は答えはある。次のうちどれか。

@3年間ファンをやってレコードも本も買いこんだので今更やめたらもったいなかった

A拓郎を聴きこんだので抗体が出来てそれ以外の音楽を異物と排除する身体になっていた

B失速しようがカッコ悪かろうが、この世にこれ以上すばらしい音楽がなかった

Cニューミュージックだろうが若手だろうが彼より美しいルックスの歌手がいなかった

D失速したりカッコ悪かったりするところがまた一段とたまらなくカッコよかった


 答えは当然全部だ。特にD。一見、失速し低迷し時にカッコ悪く見えるところにこそ真実の魅力が光る。そこだよ。そこなんだよ。今夜のテーマ。たぶんつづく。

2022. 3. 3

☆☆俺とおんなじあの星見つめて☆☆☆
 アナザーストーリーズ…この番組は個人的には結構あとを引きそうだ。
 最後の泉谷の拓郎への言葉には泣かされた。拓郎は別の番組で「フォーライフ脱退のときの泉谷の気持ちはただひとつ”ミュージシャンたれ”だった」と述懐していた。訣別という場なれども二人の心ははガッツリ通底していた。
 一緒にテレビを観ていた家人が「泉谷しげると吉田拓郎って喧嘩してて仲悪かったんだよね」と不思議そうに言った。絶縁しているとかいないとか、仲が良いとか悪いとか、そんなことはどっちでも同じこと。そんな”へ”のようなことに関係なく魂のレベルで共振する、そういう人間と人間の関係というものがこの世にあるのだとあらためて教えて貰った。

 最後に流れた”マキシーのために”が頭から離れねぇよ。
  ♪青山にでっかいビルを建てて
   おかしな連中集めて
   自由な自由な〜お城を作ろうと

 たまらん。

 また明日。
 明日は「哲哉も圭もかなわない最強小室王は小室等だ!!」をお送りします>しねぇよ

2022. 3. 2

☆☆☆アナザーストーリー・アナザーワールド☆☆☆
 ああ泉谷よ、あんまり俺を泣かせないでくれ。最後の泉谷に潸然として涙下りて観終わった。いい番組だった。

 すべてがあまりにカッコよく、あまりに切なく、そしてやはりあまりに誇らしい。フォーライフと同時代を過ごせたことを感謝したい。中学生だったあの日フォーライフフェアで拓郎と会えなくて文句を垂れたが、泉谷と一緒にフォーライフの映画を観て、小室さんに握手してもらえて本当に幸せだった。

 1975年のつま恋を制作した方々も、あそこに参加された方々もあらためてすげーな。もう大挙してピラミッドを作りあげたエジプトの人々と変わらない歴史的営為ですばい。羨ましい限りだけれど、今にして思えば、あの6万人の方々は誰もが運命的に"招かれた人々"なんだよな。
 とにかく茶畑のウンコを拾い続けたた木下さん、「俺が若者を応援しなかったら笑われる」と県知事を説得してくれた川上源一さん、野宿の若者たちを本堂に泊めて握り飯をふるまった聖職者の鏡のようなご住職。深々と頭を下げたい。すべての方々に魂の底から御礼を申し上げたくなった

 
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 週刊平凡1977年12月8日号のこの写真を高校生の頃は、すこし悲しい気持ちで眺めたものだ。今は違う。フォーライフを果敢に背負った吉田拓郎の美しさを象徴している。それはまたもう一本番組作ってくれ。
 そしてなにより吉田拓郎。最後の言葉も含めて素敵すぎる。ああ…もうファンになろう、全力で応援しようと誓った。いいんだ何度でもファンになるんだ、何回でも誓うんだよ。

 忘れられない言葉。
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この言葉の果てに、今、ラストのアルバムを迎えようとしている。こちらもありったけの渾身で迎え見届けようじゃないのとあらためて思う。

 孤高とうそぶく自分だが、この番組は拓バカたちと酒飲みながら観たかったな。

2022. 3. 1

☆☆FUNKの文字もあざやかに☆☆
 堂本剛くんがギターを抱えたスタジオの写真をチラっと見た。さりげないショットだが、そのさりげなさがもうプロのギタリストの美しさだったのにちょっと驚いた。すまん、遅すぎたか。かつて拓郎のチューニングに驚いていたあの日の少年である。勘違いも大概にせいと怒られること必須だが、拓郎ファンには小さなころから知っている親戚の甥っ子の成長に驚くみたい気分がないかい?。
 その"100万人の恋人"…ちゃう"100万人の甥っ子"が吉田拓郎をアシストしてくれる。そういう時代がやってきたのだ。負うた甥っ子に教えられるということか。いやいやそれこそ失礼だ。どんな音楽を聴かせてくれるのか心の底から楽しみだ。


 “ギター持つ手で銃は持てない”という拓郎の言葉を思い出す。これは武田鉄矢が言ってたことのまた聴きなので正確なのかどうかはわからんが、俺にとっては大切な名言だ。ウクライナに関係するいろんな方の話を知るにつれ、とにかく頼むからなんとか収まってくれと祈るばかりだ。

2022. 2. 27

☆☆☆流行歌がもしもチカラをもつならば☆☆☆
 幻のイヤホンの話はいいな。涙ぐむ。魂だ。今もこんなスタッフが身近にいてくれることがファンにとってもすげー嬉しい。そしてこういう小さな奇跡のようなものがつながるときたぶんすごい仕事ができあがる。俺の文句や悪態なんぞへのように飛び越えて。そんな気がする。
 そんなふうにこの戦争もなんとかなってほしい。かつて3.11の時、ウクライナの歌手ナターシャ・グジーさんの歌う”いつも何度でも”に救われたことがあった。今日、拓郎ファンのねーさんに教えてもらってナターシャさんの”いのちの旋律”を聴いた。本当にたまらんです。

 そういえば昔「残念ながら音楽にチカラなんてありませんよ」ととあるミュージシャンの方に言われたことがあった。でもその方の奏でる音には間違いなくすんばらしいチカラがあった。もちろんチカラのための音楽、何かのための音楽ではなく、ただ純粋経験としての音楽ということね。

2022. 2. 26

☆☆安らかに笑う家はいつまで…☆☆
 一晩たてば国境を戦火が燃え尽くし…の世界だ。ドイツも大量の軍投入で緊張が走っていると聴かされる。本当に欧州は隣りあわせだ。追われるように避難する住民の方々の姿に言葉がない。怪獣映画の話ですまんが映画シン・ゴジラで平泉総理が「避難とはその人の暮らしを根こそぎ奪うものだから簡単に言って欲しくないなぁ」と愚痴るシーンを思い出す。何をしたらいいかもわからずとりあえずユニセフの緊急支援に募金する。半歩にも遠く満たないが。疫病と戦争…なんも進歩していない私たちの世界だ。こういうときだからこそ魂の歌を歌っとくれ。

2022. 2. 25

☆☆☆なんたって、なんたって三回目☆☆☆
 三回目の接種は軽いという都合のいい噂を信じていたが、身体はだるいし、熱は出るし、左腕は大リーグボール3号を投げ過ぎたように痛くてあがらない。それでなくとも身体に身辺にいろいろガタが出てきた。そして海の向こうで戦争が始まる。ああ、ヘタレの俺はもう鬱モードだ。
 “王様達のピクニック”の記事で意外な紅白の裏事実を知った。そんなことがあったのか。吉田拓郎と岡崎友紀がどうつながるのか、二人を結ぶさらなる謎に悩む。ドゥ・ユー・リメンバミーの加藤和彦が間に入って差配してくれたのか、いやいや時期的にそんなことはあるまい。大のスヌーピーファンだった岡崎友紀、そういえば拓郎も譜面台のノートはスヌーピーだったので、スヌーピーつながりか…ってどういうつながりなんだよ。
 ということで、今更だけど人生にはわからないこと、どうにもならないことが膨大にあるものだ。こうして殆どわからないまま、どうにもならないまま死んでゆくのかとしみじみ思う。いやいや、それでももうちょっとだけでも頑張ってまいりましょう。半歩にも及ばないが、微細でもできることはあるはず。

2022. 2. 24

☆☆☆されどわれらが日々☆☆☆
 既に多くの方が告知なさっている。
 3月1日21:00〜NHK BS2プレミアム『アナザーストーリーズ 運命の分岐点」"俺たちが音楽の流れを変える!〜フォーライフ 4人の冒険〜"
 楽しみだ。「冒険」というフレーズもなんかイイし取り上げてくださったこと自体にも感謝したい気分だ。
 でもただの一般Pの俺とはいえ大切な青春のパラダイムだったので、もし番組がショボかったら文句いいます(爆)。
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 拓郎どうなのかな。たぶん今展開する音楽活動が一番大切で、そんな昔のことはもうどうでもいい…というだろうか。わからん。

 ボイトレ=「声出し作業」っていうのね。明日はワクチンなので憂鬱だ。どこか安全な場所で軽く吸収実施作業をしてから帰りたい。

2022. 2. 23

☆☆☆君が先に背中を☆☆☆
 “アウトロ”…なるほど、いいタイトルだ。ついて来な…黙って俺について来いってそれじゃ植木等だもんね。身体がゆれるとは楽しみじゃないか。
 それにしてもまたそうやってしみじみとオーラのにじむ御背影を見せやがる。御背影なんて言葉あるのか、いや吉田拓郎が語源でいいじゃないか。
 ”アウトロ”は確かに美しいタイトルだがやはり切なくもある。まぁいい心配するな、見ろよ青い空、白い雲、そのうちなんとかなるだろう。

2022. 2. 22

☆☆☆馬鹿なあいつを愛してた☆☆☆
 しみじみと思い出した。Kくんは、かつて拓郎の鹿児島公演に行ったとき、聖地谷山小学校を観に行き、高校球児のように校庭の土を小さな瓶に詰めて僕らファンに配ってくれた。それだけでは足らずに学校前の文具店で谷山小学校の名札を買って「よしだたくろう」と書き込んで名札レプリカを作っていた。それもみんなに配ってくれるつもりだったらしいが、小学生の名札をまとめ買いする中年のオヤジは怪しすぎて文具店が警戒して大量には売ってくれなかったそうだ。おかしくって涙が出そう。
 拓バカとはこうあるべきだという美しい氷上の模範演技を見せられたかのようだ。

 さもしい俺なんかとは違い、自慢とか承認欲求とかマウント取りとかの気持ちは微塵もない。ただひたすらに君が好き…の愛しかなかった。

 コロナになってから彼の墓参に行ってない。別の知り合いが今年は彼の十三回忌だと教えてくれた。やっぱり彼を知る拓バカはみんな彼の事をそれぞれに深く心に留めているのだ。
 今年はみんなで盛大に行きたいぜ。追悼とか供養という聖なるものというより、彼が今生きていたらどうするだろうかと話し合いながら、バカがよりバカを磨くための研修会みたいなものだ。それでいいよね。

 たぶん間違いないのは、彼が元気でいたなら「拓郎さんが出来るベストというなら、それが僕らにとっての最高ベストなんですよ」と超絶至福の境地にいただろうなということだ。

2022. 2. 21

☆☆☆一本の道☆☆☆
 昨日、知り合いから苗場でユーミンのライブを観て感動したという熱い萌えメールが来た。そしてその日のうちに翌日の公演がコロナによる中止というニュースを聞く。なんともやりきれない。
 そして先ほどは西郷輝彦さんの訃報。俺には”どてらい男”のモーやんだな。今は亡きKくんが掘ってくれた谷山小の土に向って手を合わせた。
 いろいろ厳しい。いつも悪態ばかりついているが、そういう極北の困難をぬう様にしてラストアルバムが届くんだと殊勝な気持ちになる。なんかありがたさが胸にしむ。

 “かぞえきれない星の、その次の星”(重松清)の帯「さみしさは消えない。でも、希望は、ある。」が頭に繰り返して浮かぶ。みなさんとにかくお大事にtake care!

2022. 2. 20

☆☆☆時に逆らわず君の名を呼ぶ☆☆☆
 カーリング女子の日本の選手はしっかり覚えたが、外国選手の名前までは覚えられないので、見た目でスーザン、ナンシー、グロリア、ルーシー…と勝手に呼びながら観ている。だからあとで「グロリアはいつも正確だよなぁ」と言っても誰とも話題を共有できない。

 名前と言えば、ラストアルバムは アルバムタイトルもそして収録曲のタイトル名もほとんどが明らかになった。自分で書いてならべてみると感慨深い。俺のような頑迷固陋な老人頭には、どれも斬新な今風タイトルに見える。なんかどれも若い風が吹いている>その感想が古いぞ。もう”襟裳岬”とか”竜飛崎”とかそういう地名や漢字熟語のタイトルは見当たらない。

 ということで、ぐんぐん進む背中を追いかけてゆく見失わないように…これは吉田美和か。

2022. 2. 19

☆☆☆OK☆☆☆
1人で行かせるもんか
それがtakuroファンだったんだ

2022. 2. 18

☆☆なぜだよ、未練じゃないかよ☆☆
 吉田拓郎の美しい姿、聴いてはいないけど健在なるボーカル…まさに奇跡の75歳。なのに残念なことに実現困難な様子の一発録りと松任谷、高中、鈴木茂、島村、エルトンら伝説ミュージシャンのラストアルバムへの参集。

 始まれば終わる…「ラスト」の決意が固いのはわかった。俺も未練がましいことは言うまい。
 “ラストライブ”は終わってしまった。そして”ラストアルバム”を迎える。その後に「ラストライブアルバム」はどうだ、誰に言ってんだ。
 新作がレコーディングされたいわゆるオリジナルアルバムとは別に拓郎の場合は、“ライブアルバム”という独立したジャンルがあると思う。オンステージともだち、ライブ73、TOUR79、王様達のハイキング、TRAVELIN' MAN、豊かなる一日…この目も眩むような珠玉のライブアルバムたちは、ライブそれ自身ともオリジナルアルバムともまた別の独立した魂の作品群ではないか。そしてその果たした歴史的功績の大きさもまたしかり。

 そう考えると吉田拓郎最後のライブアルバムがあっていい、というか是非欲しい。ご無体な話かもしれないが、TRAVELIN' MANのように一回だけの単発でいい。よってたかってのみんな参加のラストライブアルバム。お願いできないだろうか。もちろんメイキングからの映像も撮ってほしい。それこそ未練がましいだろうか。

2022. 2. 17

☆☆☆ぼくは誉める 君の知らぬ君についていくつでも☆☆☆
 声が出てた。良かった。ああ、シャウトもあるのか。ご本人のご精進はもちろん、音楽の神様ありがとう。
 声だけではない久々のお姿の御近影も見ることができた。…美しい。普通によくある75歳ではない。ナチュラルでそれでいてシャン伸びた背筋。俺の回りにこんな75歳は金輪際いない。ああ〜やっぱり映像は欲しいな。


 自分で書いときながら「雪」 http://tylife.jp/uramado/yuki.html
「やはり成熟したボーカルのスタンダードバージョンが欲しい。〜もっと身近に置いて聴き直したい美しい逸品だ。」
 良いこと書いてたな俺(爆)。すまん、俺こそ自分で自分をホメるしかない。

 "雪"、涙ぐんで聴きてぇよ。

2022. 2. 16

☆☆☆春を待つ手紙☆☆☆
 エイベックスの公式HPの新設“TAKURO Blog”に拓郎のメッセージが載る。おお〜萌えるぜ。待つ身の辛さがわかるから"STAFF Blog"はスケジュール式でやがて発売日もマーキングされカウントダウンしてゆくのか。なんにしてもありがたい。

 ファンになって以来、ニューアルバムは待っていれば当然に届くものと慢心していた。しかし今回は世界的な荒波を乗り越えてようやく届けられることになり、しかもこれが最後の便りになりそうだ。かなしみが心の扉を叩くまで人はそれまでの幸せに気づかないんだね。
 すまんが俺は卑しいので曲数が多いとただそれだけで嬉しくなってしまう。そうか今回は究極の9曲ということか。御意のままに。やっぱスゲエと打ちのめされる準備はとうにできている。“午後の天気”から10年間、日々次のニューアルバムに打ちのめされる妄想避難訓練を怠らない奇特な人たちのことをファンと呼ぶのだ。>いみふ

 それにしても今やリモートでアルバムが作れるのかとあらためて驚く。それでも拓郎がスタジオ入りすると聴くと嬉しい。ブルペンで投球練習を始めるみたいで、いよいよ登板かと気分がアがるってもんだ。

2022. 2. 14

☆☆☆僕の車、あいつのマシン☆☆☆
 車といえば昔のフォーク系のテレビ番組で吉見佑子が「あの頃のフォーク歌手の中で、吉田拓郎さんだけが車に乗っていた。だから彼の歌は見えている景色が違っていたと思うの」と話していたのを思い出した。そういえば当時はフォーク歌手なのに車持ってマンションに住でんいやがるとフォーク関係者から批判されていたよね。今から思えば心の底から気の毒だ。「俺はフォークじゃない」という拓郎の最近の口癖の言葉にはそのあたりまで読み込んで味わう必要があるのではないか。
 
 先日のラジオで拓郎は車の運転には自信があると言っていたが、そうなのか。いやそれはそれでいいのだが、"ラジオでナイト"で、車庫入れが苦手で、美容院に車で行ったけど駐車できずにそのまま帰ってきてしまったという話が俺は大好きだ。

 そうそう拓郎が大阪に車で行ってイベンターの上田さんに車を預けた話は上田さん御本人からハワイツアーのバスの中で聴いたことがあった。
 拓郎が大阪まで高速で運転して来て、大阪のインターで待っている上田さんと運転を交代し任せる。帰りもインターまで上田さんに送ってもらってそこから拓郎が高速を運転して帰る。いつも上田さんは徒歩でインターまでトボトボと往復するという切ない系の話だった。
「拓郎さんは高速を運転するのは大好きなんだけど、下の道を運転するのは大嫌いなんです、だから仕方ないんです」という上田さんの言葉に感動した。すげえワガママ…さすがスーパスターだ!と感じ入った。

 車そのものよりも車を通して描き出される吉田拓郎…これが楽しみなのだ。かまやつさんとミニクーパーの話は詳しく事情はわからないがそれでもなぜか胸を打つ。そういう歌を聴きたいな〜と思う。

2022. 2. 13

☆☆☆もしドキュメント映画を作れないなら☆☆☆
 広島で日野コンテッサに乗り込んだ若者(菅田将暉)がシビック、ジャガー、アウディと次々に車を乗り替え、悲喜こもごもいろんな同乗者を乗り降りさせながら、最後に東京にたどり着いてミニクーパーを降りた時に75歳になっているというロードムービー「ドライブ・マイ・カー」という映画を考えたのだがどうだ、アカデミー賞もんじゃね?>思いっきりパクリだろぉ

 じゃあ拓郎の歴代の車を一台、一台、松任谷正隆が試乗して検証する"今度は一体何台目の車だろう"という映画はどうだ>それはただのカーグラTVだろ
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2022. 2. 12

オールナイトニッポンゴールド  第23回 2022.2.11
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 こんばんは吉田拓郎です。週替わりのパーソナリティの金曜日、今週は吉田拓郎がお送りします。
 まずは一曲聴いてください。先週の加藤和彦の”五月の風”を聴いて、最近年齢のせいでいろいろと過去を思い出していた。あの曲の片面は何だったけ?・・・そんなことも忘れていた(笑)。カッコいいなぁこれと思った。加藤というヤツがいないのが寂しいし、彼の才能が惜しいなと思う。あの馬鹿野郎・・・って言っちゃうけど、昔から 僕も加藤の世話になったけど、あいつも何かと問題の多いやつだった。一人でやむなく暮らしていた時、泊まり込みで話を聞いたり、元気づけたり、狭いマンションでレコードかけてダンス踊ったりしていた。
 その後、彼の方からは距離があったり無かったり。仕事があると寄ってくるけれど、仕事なくなるといなくなる、そういうところがあった。なんだよと思うこともあった。そういうことも思い出した。で、この曲、いいな、これ。まずは聴いてほしい。

M-1  純情  加藤和彦&吉田拓郎

 ニューヨークで加藤とズズとレコーディングしたことがあって、ズズと僕は二人でブランドと無縁のカジュアルを買いに行って、二人ではしゃいでとめどなく東南アジア系のインポートものを買い込んだ。楽しかった。その夜に、加藤がこういう安物を買ってと怒ったらしい。加藤に言った。まったくおまえも見栄っ張り、こういうの楽しいからいいじゃないか、片意地張ってなくて、と言った覚えがある。実生活にも表れていた。僕からすると、それって疲れるよ。雑誌でも二人のパーティの写真とか多くて、ハイソサエティもいいけど、息抜いていこうよ。膝をくずして話そうよ。初めての車でロールスロイスに乗ったり、洋服をロンドンまでオーダーに行くとか、徹していると言えば徹しているし、カッコイイんだけど俺はそうは思わない。
 でも、この曲はいい曲だな。 やっぱり才能があるな。 

 いよいよラストアルバムは完成間近です。グズグズしていると今を歌っている吉田拓郎さんは先に行っちゃうよ。みんなあっちで遊んでいるようだど、俺は違うよ、こっちでやってるよっていう感じだ。

■今夜も勝手気ままにお送りします、吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

<Contrastが良かった、関連する流星のことも考えた、自分も含めて同世代のへの問いかけと語っていたことを思い出したという投書>
 “流星”のことあとで話す。僕が若者だったころ、Don’t trust over 30という言葉があった。30歳過ぎたら信じちゃいけないという世の風潮にあった。だから30歳を過ぎる時には罪悪すら感じていた。30歳過ぎてオトナになって、あのとき描いていた理想や希望や恋愛がどうだったでしょうか?叶いましたか?それともかなわない幻でしたか?ということを問いかけた歌。老成した自分が20代を考え直した、そして僕自身だけではなくそれをみんなにも問いかけてみたい。

 Contrastという曲も、ひとりひとりの人生を、生きてきた道をある晩思いに耽ったら、それは、ひとりひとり別々のものだ。いくらネット社会でも人生は共有できないものがある。俺は俺、あなたはあなた、先月この歌は共有しなくてもいいと言ったのは、ひとりひとりの気持ちで聴いてくださいということだ。吉田拓郎が歩いた道でもあります、皆さんの自分の道も考えてみてもいい、みんなの心の中にもある心の中にある一本の道を歌にした。誰にもわからないこともある、僕だって黙っていることもたくさんある、それは公にするものでもない。母から言うなといわれたこともあるし。そういうものを心の中にそっとしまっておこうという曲。

<健康に気をつけてますか、歳を取ったら食べなさい という本があってポッチャリがいいということで好きな物を食べようと毎週チョコを一キロとか食べていたら妻に怒られたという投書>
 それは特殊体質だろ。それこそあんたの道があるでしょ。週一のチョコ1キロなんてとても無理。
 うちは食事と睡眠。これだけは守っていこう。どんなにストレスあっても食べて寝よう。ポッチャリがいいというけどそういうのはないね。若かったころのキレの良さ、目チカラ・・・前にステージで言ったよね。アイラインを入れすぎて、広島のコンサートでタムジンの娘に化粧濃いですよと、バックコーラスの人にも言われた。忌野清志郎を意識したんだけど。キレも目チカラもないけどポッチャリではない。夫婦で体重計にのるけど妻は44〜5sをキープ、僕は66キログラムをキープしている。2006年のつま恋は、69キロあって、あんとき顔の丸いんだよ。一緒のかまやつと並んでも、かまやつさんの場合、他にもデコレーションがあるんだけど、俺は髪の毛坊主だけど顔まるいんだよ。よく食べて、よく寝て・・・睡眠は、夜は・・・スマホとか良くないよね。イヤホンで・・・あ、そうだ。

<ゼンハイザーのイヤホン買いました、音質が最高でしたたという投書>
<ゼンハイザー買いました、安いのに音が良かった、音質がクリアで良かったという投書>
 よく手に入ったね。こういうものには個人差あるので。時代的にも大掛かりなスピーカーやアンプを置いてということはないかな。そういう時代じゃないんじゃないか。さっきの方が、ラストアルバムのタイトルを探り当てました。DVD買った人もいたみたい。僕からはまだ言わないけれど、いいタイトルだね。

<最近の拓郎さんは、何かに突き動かされているように感じる、僕も15年前の車に帰ることにしたという投書>
 僕は免許更新しない。昔ムッシュかまやつから電話があって後期高齢者の更新が億劫だと言っていた。免許書もういらないかと思っている。
 最初は広島で友達の日野コンテッサに乗っていてこの車が好きだった、東京に来てからCMをやったスバルレックスにしてそれが最初の車。それからお金がガーンと入ってからジャガーXJ6を通りすがりに買った(笑)
 そのあとホンダシビックが気に入って、フォード・ムスタング、アウディ50、ベンツ450SL、ポルシェ924 そしてスズキ・ジムニーでKinikiにホンマに買うたんですねといわれて、もっと他にジープがないかと言ったら 光一がジープラングラー これでありまんがなと紹介してくれた。そしてゲレンデバーゲンをこれもありまっせと教えてくれた。もっとコンパクトな車ということで、アウディA1にした。最後にかまやつとの約束でミニクーパーに乗った。
 …これで車人生はおしまい。楽しませてもらった。雨の日のドライブが好きだった。下世話にいうと高齢者の自動車事故も多いし、俺は運転には自信があるよ。コンサートで四国まで行ったことがあったし
 大阪のツアーにも何回も行った。ポルシェを大阪のイベンターに取りに来てくれと電話して大阪に預けて、広島まで行って、また持って来させて。大変だったな。サウンドクリエーターの上田君。

<タイトルわかりました”ごめんね青春”を借りて佳代さんの名演技に感激して泣けていた、深いですねという投書>
 みんなAmazon、ヤフオクで手に入れて観てくれたんだね。素敵なファンだなと嬉しかった。このタイトルをそのまま曲にした。どうしてこんなにいい曲が書けるの?教えて?
どんどん詞が書ける、曲が書ける、アレンジが浮かぶ。早速、鳥山に送ったら、すげーいですね、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング 拓郎さんが一人でハモってるがここ響きますね。アコギ入れましょうねということになった。この曲も泣いちゃうな。これはアルバムの最後の曲かなと思う。いずれお聞かせできます。

 曲は殆どできた。堂本剛に頼んで、チーム一丸となって、”ひとりgo to”・・・”ひとりごと”とも読める。拓郎さんもう冴えてるんだよ。剛君が詞にいたく感動してくれて、いいアレンジしてくれてるんだ。いかにも彼のバンドの要素を彼らの音楽を取り入れてくれている。武部・鳥山も、あのとき拓郎さんが”きよしこの夜”を教えたのが嘘みたいですねと言ってて。そう、あのときの彼らがまさかこんな見事にアレンジしてくれているという。

 もう一曲カバーしたい曲がある。東京に出てきたどさくさで前も後ろもわからない、気持ちも通じないエレックレコードの頃に、いろいろわからないまま、前を向いて生きていくしかない、そういう環境で曲を作っていた。明日のことはわからない、そんな状況でいろんなオトナがいたけれど、愛のまなざしと心で接してくれた方もいた。 その方のやさしさに答えたくて一曲作ったことがある。 
 まだ無名だったころ、岩手放送に何度かよばれてラジオとかの公開番組等に出たことがあった。いきさつはわからない。お世話になった女性ディレクターがいた。番組収録後、雪の岩手の町を彼女の後ろをついて歩きながら、そのディレクターに自分の夢とか野心とかを聴いてもらっていた。
 お名前も住所もわからないまま時間が流れていた。僕の中でも波瀾万丈の人生になったし。 その時に “雪”という曲を書いた。エレックでは何をどう勘違いしたのか、ジャズのギタリストにアレンジを頼んで、ボサノバ調になってしまって歌いにくいったらありゃしない。あのレコードは一日で作ったから、これ違うよと思いつつ何も言えなかった。
後にCBSソニーに移籍してオデッセイレーベルのプロデューサーで”猫”というグループをデビューさせるとき、俺のアレンジのロックテイストで歌わせたいと思った。このアレンジは気に入っている。彼らにしてはヒットもした。
 僕にはセルフカバーした歌やライブでしか歌わない歌とかいろいろあるけど、この曲はすげー好きな曲なのにステージでやってない、カバーもしてない。何でだろう。これを最後のアルバムに入れたい。鳥山たちに頼んでロックテイストに仕上げてもらいたい。岩手県の冬の景色、年上のディレクターの方との夜を思いながら、歌ってみたい。
これを入れて9曲かな。あ、”together” という曲も出来ていて10曲か・・・まぁいいや。すげーいいんだよ。

 この曲も聞いてみたいんだよ。松任谷正隆のアレンジバージョン

M-2  どうしてこんなに悲しいんだろう      吉田拓郎

(CM)

 先日、Youtubeでキンキとの軽井沢のロケの映像観たくて、僕は持っていないので、物好きな人がのっけててくれないかと探していた。その過程で知ったけど、僕はネットでもあまりそういうことをしないけど遅れているのだが、”流星”をいろんな方〜プロもアマチュアも〜がカバーしてくれていることに今頃気が付いた。
 なかには、何だこれは、うまいなー、俺の”流星”とは違っているけれど、これはいいなーというのがあった。以前、女性なんだけど手島葵というシンガーが絶妙の表現で話題になった。女性が歌うと違う魅力の曲に生まれ変わっていくと新発見したことがあった。今回もついつい見入ってしまった二人。富山プロデューサーが同意を得るために拡散したようだが、こういうのは嬉しくて今日紹介したいのは2曲。まだあるよというのがあったら教えてください。

 これを作った時、30歳過ぎていたんだけど、いろんなトラブルがあって、ただ音楽が好きなだけなのに、いろんなデマ中小、客席からも罵声を浴びるような音楽人生だったけど、身も心もすり減ってずっと年取った気分だった。30歳のある日、原宿を歩いていたら、歩いている女子高生が目に入ってキャーキャー笑いながら踊るような感じで楽しそうに表参道を原宿駅に向かって歩いていた。それを観ていて理由がわからなくて涙が出てきた。俺は、いままでなにやったんだろうということで募って飛んで帰って、珍しくウイスキーのストレートをグビグビあおりながら詞を書いた。思いのままに書いた。自問自答しながら、一緒にコンサートで盛り上がったみんなもどうなってんのと思った。
 ネットで見つけた横田良子さんの”流星”は、イベントのリハーサル風景なんだよね。だからノイズも入っている。ギターもうまい。それでリハーサルとは思えない堂々たるボーカル。野外のリハーサルでこんな歌い上げるってびっくりしたな。僕は、リハーサルで”流星”なんて歌わないよ。リハーサルでみんないろんな音響とかの作業中に、流星を歌う気にならんのよ、歌えない。本番の緊張した感じでピンとしていないと歌えない。
そこでおおらかな感じの流星がいいなーと思った。深刻でなく笑顔でいいじゃないと聴かせてくれる。

M-3  流星  横田良子

■11時

佳代> 11時なりました。田中碧くん、ワールドカップ頑張ってください。三苫薫くんも応援してます。2人とも頑張ってくださ〜い
拓郎>すげーなー

 横田良子、この大平原に歌っているスケール感がある。こういうふうに生まれ変わるんだな。
 ハルカトミユキというセッションというかデュエットというか、僕は遅れていてファンの方ごめんなさい。彼女らの"流星"も見入った。ギターのフレージングがセンスあるな。ボーカルもすっぴんな感じノーエコーでいい。オリジナルに”鳴らない電話”これ気に入った。いい曲だ。聴いてたらこれってヒットしなかったのかなと思う。Aメロは最高だけどリズムセクションのところでひねりが足りない。もうちょっとがんばれ。この”流星”もフェイドアウトしているけど捨てがたい。

M-4  流星  ハルカトミユキ

(CM)

 シブいね。これも自分とは違うアプローチ。ああ新鮮だな、さっきのおおらか感じもいいし、パーソナルな感じもいいんだな。いい曲なんだね(笑)。

 1976年頃、フォーライフの社長をやっていたけど、あの頃だったら横田良子もハルカトミユキも、俺はプロデュースを申して出てフォーライフからデビューさせたよね
最近の音楽シーンではみんな楽曲が似ている。詞なんかはもっと切磋琢磨してほしい。シンガーは個性的になったけど、新しい人たちが待ち遠しい。Youtubeの旅で発見した。今頃なんだよといわれるかもしれないけど、いいじゃないか沢田聖子。
 イルカと一緒の事務所だったか、その程度しか知らなかった。ところが彼女の歌っている、僕が作詞・作曲した”風になりたい”。なんだよ、言ってくれよ。いいんだよ、これが爽やかで、こういうアプローチもありだったんだな。これだったら沢田聖子でデビュー・・・っていうと怒る人もいるかもしれない。

 あの頃は、次のフォーライフを背負って立つシンガーが必要だった。いろんな推薦や音楽関係者のプッシュで決めていったが、なぜか吉田拓郎は裏方でコソコソとリストアップしていた。本人に承諾を得たから言うけれど、当初から 高橋真梨子を考えていた。
 水面下で彼女に会えないか考えていた。広島出身だったし、ペドロ&カプリシャス、”ジョニーへの伝言”とか”五番街のマリー”とか大ヒットを出したグループの一人だった。ハスキーなボイス、こういうボーカルのフィーリングは日本にはないなと思っていたのでソロでフォーライフでと描いていた。特に高橋真梨子脱退するかもしれないという業界の裏ニュースもあったので、六本木のバーで会った。誰かに仕組んでもらったと思う。高橋真梨子さんも、そんなに若くないのでメールで話しても記憶はあいまいだ。ドリフの社長や有名女優もいたかもしれない。フォーライフでは他の三人とは別にただ一人裏でこういう活動をしていた。高橋真梨子さんにフォーライフで一緒にできないかという話をしたら意気投合して、行けるなと確信した。会社に帰って 会社を上げて準備しようとしていたら、違うレコード会社と契約してしまったというニュースが入ってきてがっかりした。高橋真梨子さんのオフィスが前から決めていて、真梨子さん自身も驚いたらしい。
 稀代のソウルシンガーが入っていたらフォーライフの運命も違っていただろう。残念だった。最近真梨子さんとメールしたら、拓郎さんと二人で話たことも覚えているし、フォーライフに入ったら楽しいだろうなと思ったことも憶えているということだった。真梨子さんやご主人ともメールやりとりしている仲だ。
 フォーライフに来なくてよかった、事務所の選択が良かったと今は思う(笑)。

 ということで話を戻して沢田聖子の”風になりたい”

M-6  風になりたい   沢田聖子

(CM)

 パンデミックが地球規模で押し寄せていて、人間はこれを乗り越えて明るい日常を取り戻さなければならない。緊急事態を繰り返しながら、僕達はいろんなことを考える。近い将来に向けて、この緊急事態=恐怖の体験から何も学ばないのはまずいだろう。人間は学んで生きていかなくてはならない。
 いろいろと悩んだり考えたり話あったりしながら、今のラストワークに向っている。そういう危険とかを無視して強引にレコーディングに入ってはいけないと強く感じる。僕がやろうとしているバンドセッションとかは一人ではなく多くのミュージシャンが参加して、彼らの協力なしにはできない。そうなると協力してくれるみんなの健康とか安全とかを考えないで「やるぞ」とは言えない。

 具体的には今回のアルバムではドキュメント映画、アナログ盤、公開ライブレコーディングと考えてきたが、たった一曲のレコーディングでもリスクを伴うので、みんな集ってセッションは不可能な状況だ。それはみんないい人たちだけど集まってくれるだろう、でもそこで何も起きない保証がない。みなさんにはそれぞれ家族もいる。難しいな。そう考えると、ドキュメント映画や公開ライブレコーディングは困難な状況かもしれない。他の代わる方法はないかスタッフと検討している。
 出来ることはベストは尽くして、僕一人でもやる。ただ時間的制限もあるし、年齢もある。キツイ注文がいろいろある。僕も無限の生き物ではないし、限りなくパワーを継続できない。吉田拓郎は必ず終わる。その終わり方を自分らしくキチンと幕を降ろさなきゃと考えている。そこに向けてできる精一杯、魂をこめてアルバム、ジャケットを進めている。そしていよいよレコーディングもこの放送の時にはできているかもしれない。

 次は新曲。これもデモテープで完パケでなくて、歌は鼻歌。Hey ユーというタイトルで、そこのにーちゃん、ねーちゃんに話かける歌。グズグズ言ってんじゃないよというラテンのノリ。こういうのは拓郎さんしかできない。俺は音楽が好きだなと思う。楽しいよ。音楽好きな一ミュージシャンなんだというあかし。
 フォークも歌うし、ロックも好きでシャウトもする、そんじょそこらのロックンローラーより俺の方がシャウトする。R&Bも好きだ。この曲は、ラテンの気分で鳥山にもメキシカンな帽子で弾けと言ってある。

M-7  Hey ユー   吉田拓郎

 キンキとの海外の旅の話第三弾(笑)。剛は俺がいたおかげで良かったと思う。

 ハワイで潜水艦にのるという話があったとき、光一やシノハラはハリキリボーヤとハリキリガールだから乗りましょうとはしゃいでいたが、僕は冗談じゃない。
 プロデューサーに、すまん昨晩チチを飲み過ぎて、潜水艦の中で気分が悪くなったら困るからと外で待ってると話した。それを先週も言った通り、少し離れてその光景を観ていた剛は、拓郎さんを一人にしておけないということで、結局、光一とシノハラが潜水艦に乗って、海とは無関係に僕と剛は外で世間話をしていた。

 オーストラリアのゴールドコーストに行ったときも、バンジージャンプのような乗り物があって、これはダメだと思ったので、また二日酔いになったといって断った。ここでも剛もそう。拓郎さんが乗らないんだら、俺も一緒にしたから光一とシノハラをからかってましょうか。そうなった(笑)

 同じくオーストラリアで、イルカの飼育をしているとるころで例によって光一くんがイルカと一緒に泳いでくれと頼まれた。「え、またですか、たまには拓郎さんがイルカと一緒に泳いだらどうですか面白いじゃないか」 そういう馬鹿なことを言うんだ。僕は朝から衣装をきちんと整えていて、メイクもしてある。嘘だけどさ。ゴールドコーストで短パンシャツでメイクなんていらない。シノハラが光一くん早く入ろうよと助け船、いいぞと思ってる。早く入らんかい、カメラさん待っているといって逃げるように立ち去って行った。
 あれこれ駄々こねる僕。キンキだけだったら剛は、潜水艦、バンジー、イルカとも泳がなきゃならなかった。
 剛君に最高の防波堤だった。ははは。僕も剛どころでなく自分の身を守るのに精いっぱいだった。イルカと泳ぐなんて冗談じゃない。僕は泳げないんだよ。海には入れないの。プールでも10メートル泳ぐとウップウップしてしまう。

 そういうわがままな吉田拓郎の傍にいた剛くんは、潜水艦、バンジー、イルカとも泳がなくてすんだ。

(CM)
■エンディング
 サッカーワールドカップが近い、相撲も白鳳の引退と全体的にスポーツ界も世代交代が進んでいる。野球もジャイアンツとヤクルトで若い4番バッターが定着してきている。ジェネレーションの変化がすすんでいる。
 ジャパンの新しいヒーロの田中碧、まだ20代、若きボランチで長谷部、遠藤ヤットらを抜いて躍り出てきた。
 試合中の動き、トス回しの判断能力、ピンチの時はスピードに走っていく 機敏さ、そのうえ若いし顔もいいとなると放っておかない人が日本に一人いる
 そうです。全員正解です。佳代さんです。
 女子アナの方が碧さん年上の女性が好きみたいよとニュースで言っていたので、佳代さんに教えてあげた、「えーそうなの碧ちゃんは年上の人がいいの
私も歳上だから」・・・それはそうだけど(笑)。もうジャンルには入らないのではないか(笑)そしたら「私だってひとつだけ(放送禁止)」という問題発言があった。
 もう佳代さんの口からはヤットさんが出てこなくなった、バトミントン桃田も出てこない スケボーの堀込も出てこない、とにかく田中碧、時々三苫薫(笑)。

来月は3月11日です。

M-8  ハバナ カミラ・カベロ

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆元祖デュエット版の”純情”を久しぶりに聴いた。拓郎単独歌唱&ステージのフィナーレのゴージャス版が身心にしみこんでいたので、ああ原曲はこんなシンプルな歌だったんだなとあらためて感慨に耽る。確かにカッコイイ。加藤和彦の声と拓郎声はいつも好対照で拓郎の声がより魅力的に聴こえる。ってすまんな。

☆最近の拓郎が語る加藤和彦の逸話はいつも厳しい。その厳しさは「安井かずみのいた時代」のインタビューに収斂されている。厳しいが決してディスっているわけではないことはもちろんだ。何もわからない一ファンの俺でも、加藤和彦が吉田拓郎にとってどれだけの大きな友人であり恩人であるかは察せられる。「片意地を張るな」「膝をくずして話そう」…ともどかしく繰り返す言葉に拓郎の愛と哀しみものようなものが伝わってくる。

☆さてアルバムの進捗ぶりに驚く。あと一曲だって?もうほぼ完成だって? 凄いペースだ。ってついでに全9曲か10曲って、えっ去年15曲入りって言ってなかったか?(爆)と思ったが「グズグズ言ってると俺は先に行くよ」という拓郎の言葉にそんなことは問題じゃないと思い直す。全9曲上等っす。"ひまわり"よりも1曲多い、あざっす。

☆とはいえコロナは今回ここでも影を落としてくる。頼むよ。公開レコーディングも、劇場公開映画も、そして何より夢のような豪華なセッションも難しいとの話に消沈する。いや拓郎ご本人が何より無念だろう。またミュージシャンの心根を理解し、彼らの家族にまで思いを馳せる拓郎は相変わらずやさしい。だからまた切ない。
 数日前の日記で書いた中島みゆきの”人生の素人”の一節
  「くよくよなんてしなさんな 昨日は昨日
   見せたい海があるの 知らなかったでしょう」
   君が今 新しさを僕に教えてる
 この一節に拓郎のラストアルバムを思ったのはそんなにマト外れではなかったかな。ともかくアルバムがいよいよ完成する、新しい海を見せてもらえることの幸運を喜ぼう。

☆“雪”は、つま恋75でも、88のSATETOツアーでも歌われておる。しかし無念のレコーディングから半世紀。最後に拓郎は魂をこめてどんなふうにこの歌を歌うのか是非聴いてみたい。

☆沢田聖子ってユイじゃなかったっけか。イルカ・オフィスか。かわいかったな。"風になりたい"は当然にIPodに入れておる。しかし名前が80年代、松田聖子とガッツリかぶっちゃって気の毒だったな。

☆いや、それでもやっぱり川村ゆうこの"風になりたい"は別格絶品だと思うぞ。

☆LOVE2での潜水艦やバンジー拒否はいいが、その昔、拓郎のハワイツアーで、自ら立てたホエールウオッチング企画なのに船に乗らなかった拓郎を怒ってる参加者には何人か会ったことがある(爆)

☆サウンドクリエーターの上田さん。ハワイツアーでそのことを愚痴っておられました(爆)。

☆Hey ユーという左とん平が浮かんできませんか。上書きする努力が必要だ。

☆☆☆星紀行今日の学び☆☆☆
 高橋真梨子さんをフォーライフに誘った話は以前してくれたけど、ガチの社挙げての移籍計画だったのだな。それに社長になる前から、拓郎はフォーライフと音楽の将来のことをものすげー真剣に考えて動いていたのだなということもよくわかった。

 同じころ愛奴を脱退した浜田省吾が拓郎にフォーライフ入りの直談判に行ったという逸話もある。
 たらればは意味がないものの、もし高橋真梨子と浜田省吾が入っていたとしたらフォーライフは確かに違った運命だったかもしれないとつい考えてしまう。
 それでも「フォーライフに来なくてよかった、事務所の選択が良かったと今は思う」…こういう拓郎がなんとも好きだ。

2022. 2. 11

☆☆☆すべてのみっちゃんに☆☆☆
 新人作家永井みみの「ミシンと金魚」を読む。昨年、画伯の知合いのご家族が"すばる文学賞"を受賞されたと聞いてNinjin designは色めきたった。ようやくその受賞作が上梓された。そういう経緯には関係なく、すごい作品だった。関係なくとはいえそういうご縁がなかったら俺なんぞは読み過ごしていたかもしれない。感謝。読みながら身の置き所がなくなるような切実さ。この作品を見出した「すばる」は、さすが重松清のあの白眉の吉田拓郎インタビューを載せてくれた雑誌だけのことはある。
 すぐ薄っぺらに影響される俺は取り急ぎつぶやく。

 拓郎のラジオがあって
 今日は、いい日だ

 読めてよかった。今は黄昏、だから読めてよかった。
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2022. 2. 9

☆☆☆人生もファンも素人につき☆☆☆

 "結果オーライ"で中島みゆきはコンサートの終盤に”人生の素人”という歌を歌う。

   輝いていた頃の君を探してた
   今はもう失ったものを褒めていた
   そのことが君をなお傷つけていたと
   気づかない僕は この愚かさを憎む

 そのわずか3曲前には♪君よ永遠の嘘をついてくれ〜と高らかに歌ってたじゃないか。でもその決然とした歌いっぷりに思わず…拓郎さん俺が悪かったですとこのサイトまるごと懺悔しそうになる。でもみゆきねーさんは、聴き手をそんな消沈した気持ちのまま置き去りにしたりしない。

  「くよくよなんてしなさんな 昨日は昨日
   見せたい海があるの 知らなかったでしょう」
   君が今 新しさを僕に教えてる」

 胸のすくような展開。そうだラストアルバムといいながら、私たちを待っているのは、君が見せたい、新しい海なのだ、くよくよしなさんな。

 中島みゆきを聴きながら他の歌手のことを追想するのは、いい加減みゆきファンに怒られそうだ。申し訳ない。でも、そこはそれ、おまえとわたしは二隻の舟ということで許してほしい。

2022. 2. 7

☆☆☆とうに愛を知っている☆☆☆
 中島みゆき2020”結果オーライ”のCD+特典BDを鑑賞中。浸る。やっぱり音楽っていい、ライブっていい。特に音楽に取り組むミュージシャンたちのリアルな魅力がうかがえるバックステージ映像がたまらない。悲しいがそこにコロナが押し寄せてくる様子も描かれている。そして何よりもin memory of 小林信吾さんの思いも静かにこめられている。

 瀬尾一三、 小林信吾、島村英二、古川望、宮下文一、中村哲…この面々の中だから違和感がなかったが、よく考えるとリハスタジオになんで森野がいるんだ…いや、もう答えんでいい。
 新宿文化センターの初日を奇跡的に観られた雨畑が、コンサートのあと興奮して「悪女歌った、永遠の嘘歌った、そんでもって森野がいた」とメールが来たのを思い出す。みゆきのライブを語りながらそこには確実にあのお方の姿も浮かんでいた。

 私達がコロナで失ったものは、はかりしれない。その中で、2021年の拓郎の大阪ラストツアーとこのみゆきのラストツアーで観られるはずだったかもしれない幻…少なくともこの二つは悶絶ものの痛恨だったのだ。
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そうです、ベースは富倉安生さん、失礼しましたごめんなさい。
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                   ご本人筆。

2022. 2. 6

☆☆☆言魂と音魂☆☆☆
 1月のラジオのブログで拓郎はこう書いていた。

  「Contrast」では武部聡志・鳥山雄司の涙の演奏が聴かれます
  曲を演奏しているうちに彼らの心の中に「何か」が
  生まれたように思われます
  エンディングの武部のピアノと鳥山のギターは
  まさに説明不要の心のプレイとなっています

 御意。これを読んで数年前の関ジャムで武部聡志が語ってくれた「瑠璃色の地球」のレコーディングでの逸話を思い出した。
 レコーディングスタジオにミュージシャンが集まると妊娠中だった松田聖子本人はいなくて、そこに松本隆の書いた歌詞だけが置かれていた。それを読んだときミュージシャン全員が打ちのめされる。「震えるような歌詞」と言っていた。不思議な空気がスタジオを支配し、全員のエナジーが横溢する。
 武部は「それからいろんなカバーも含めて何度もこの曲を弾いたけれど、どうしてもあのレコーディングスタジオ以上の演奏はできない」と述懐していた。まさに言魂と音魂の共振だと思った。音魂って、つま恋の売店にTシャツ売ってたな。それはいい。
 なのでわれらの方の曲のミュージシャンの心の演奏もしっかりと魂で聴きこもうじゃないのという気になる。

 それにしても昨年末この名曲にも及んだ悲痛事の極みを思わずにいられない。あまりにもあんまりだ。どうしていいのかわからないままたかが、ファンでもない俺ごときも祈らずにいられない。

2022. 2. 5

☆☆☆居酒屋へは行かない☆☆☆
 居酒屋を失ってしまい…行くあてもなく街角に佇む。LOVE SONG、LOVE SONG歌っておくれ。個人的に今までのような居酒屋生活はもう潮時なのかとも思う。客さえまばらな戒厳下の小さなビストロで激辛トマトパスタを食べた。殆ど蒙古タンメンだ。"トノバンは辛いものを食べると頭から汗が出る"…ってどっかにあったけど本当にアタマから汗を吹いた。そういう話ではない、昨夜の議題だ。
 Contrastを聴き返すたびに“私はダメな人だと”、”やっぱり私はダメな人なのか”のフレーズに胸が疼く。そして、いうまでもなく“時には間違ったこともあったと思うけど”で”流星”とバインドされる。…そもそも“流星”とは何なのかが昨夜のひとつの議題だった。
 Contrastも流星も拓郎が身を削って書き歌っている感が伝わってくる。拓郎の歌で泣けるのは「身を削る」時だ…というのが昨夜の雑な結論だった。だから、いかに叙景か美しかろうと”外は白い雪の夜”では泣けないのだ、わかったか松本隆(爆)。※個人の感想です。
 …とはいえ”瑠璃色の地球”は神々しくすんばらしい、これは身を削るというよりこの惑星を削るような歌だ…ということで、結論はよくわからないただの酔っ払いだった。俺達を許してくれ。

2022. 2. 3

☆☆☆なぜか売れなかったが神々しい歌☆☆☆
 数日前に俺が悪態をついてしまった北大路欣也さんがコロナで入院となった。関係ないが申し訳ない気分だ。大変失礼いたしました。"流星"のフェイドアウトは北大路さんの責任でないことはもちろんです。…あれは…あれは…たぶん車だん吉のせいです>って意味わかんねぇよ。ともかく一刻も早いご快癒をお祈りします。
 それにしても"流星"の周辺がにわかに騒がしい。また神カバーが加わるのか。本人歌唱もカバー歌唱も渾然一体となって"流星"という世界を深め荘厳してゆく感じがなんか尊い。
 日本一ということは世界一"流星"を聴きこんでいると自負するファンを知っている。「流星を国歌に」の会の代表である。…友よ、夜明けは近い、炎を燃やせ。

2022. 2. 2

☆☆☆あつまれ動物の歌☆☆☆
 「犬」といえば、”野良犬のブルース”、”例えば犬の気持ちで”、”狼のブルース”の3曲はイヌ科三部作と呼ばれている。>おめーが呼んでるだけだろ。やはり戌年だけのことはある。
 寅年の今年、虎の歌はあるだろうか…う〜かろうじてあった。
  ♪トラに巨人にロビンス阪急〜(ホームラン・ブギ)
 ひとつカンと打ちゃホームランブギ、わざわざ貴重なライブのセットリスト入れて歌わんでよろしいと思ったこともあったが、今聴くと痛快でかなりいいなと思う。勝手なものだ。
 それにしても、さすがに十二支は揃わないな。

2022. 2. 1

☆☆☆流星の呪い☆☆☆
 “流星”といえば。ドラマ「男なら!」に拓郎がゲスト出演して”流星”を歌ったことがあった。永田さんのピアノの指のアップで始まる松任谷正隆バンド揃い踏みの貴重な映像記録だ。しかしこれがなんと途中でフェイドアウトしてしまうのだよ。
 放送の翌週のセイヤングで拓郎はボソっと「またテレビ不信になりそうだ」と呟いた。…怒ってはる、吉田はん怒ってはる!>なんで京都弁。そらそうだ。ファンとて怒り悶絶である。”僕の欲しかったものは何ですか”〜あのシャウトのエンディングを是非この目で観たかった。まったくなんということをしやがる。
 俺もすげー頭にきたので主演の北大路欣也におまえなんか犬になってしまえ!と呪いをかけてやったら、30年くらいしてやっと効き目が出た。

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2022. 1. 31

☆☆☆流れる星はかすかに消える☆☆☆
 学生の頃、日曜日の夜につらつらと聴いていたラジオに「滝良子の全日空ミュージックスカイホリデー」という番組があった。滝良子=”そらまめ”さんは素敵なパーソナリティだったが、この番組はとにかくなにがなんでも「オフコース」支持という徹底した傾向経営ぶりが特色だった。そもそも世の中に吉田拓郎なんか存在していないパラレルワールドからの放送ではないかと思っていた。もちろん俺も他人ことは言えない。
 全回聴いたわけじゃないけれど、それでもたった一度だけ、たぶん最終回のちょっと前くらいに吉田拓郎の「流星」がかかったことがあった。驚いた。「流星はOKなのか」…オフコース的な世界にも訴求し通用していく「流星」という作品のチカラを思った。
 先日のクリ約の小田和正の「流星」を聴いてそのことを思い出した。そして昨年夏、そらまめさんは卒然と亡くなられていたことも知った。あの時はありがとうございました。「流星」を聴いてご冥福をあらためて祈らせていただく。俺、最近2016年DVDの附属CDの、耳元で歌われているようなバージョンがメチャ好きだ。俺も泣きそう。

2022. 1. 30

☆☆☆時間は動いていたんだろうけど☆☆☆
 例えば山本コータローの名著「誰も知らなかったよしだ拓郎」は、拓郎の来歴を実に詳しく調べてある。貴重な歴史的文献だ。これは不滅の大前提ね。
 でもさ、この本は1974年に発刊されているんだよね。拓郎のデビューは1970年だ。時間のモノサシを現在2022年に置き換えてみると、もしこの本が2022年に発刊されたとすると拓郎のデビューは2018年にあたる。え、2018年なんて”From T”が出た年だぜ、ついこないだじゃん。
 広島のバンド時代は2015年頃に当たるし、鹿児島の小学校入学も2000年のことになる。なんか当時この本はメチャクチャ近い過去のことを書いていたんだなと思う。
 もちろんコータローをクサしているのではない。名著であることに変わりなし。俺が思うのは、吉田拓郎という人が極めて短い時間の中に怒涛のようにいろんなことを成し遂げたということが、肌感覚でわかるということだ。2018年にデビューしたただの無名歌手が、来年史上初のオールナイトイベントやって、これまた初のアーティストによるレコード会社を作るんだぜ。あり得なくね。

 それに比べて…比べなくていいけどこの俺は、2018年から今までなんて毎日ただ寝て起きて電車乗って酒飲んでの繰り返ししかしていない、もう昆虫みたいだ(爆)。

 ということで”早送りのビデオ”とはよく言ったものだという話でした。2019年版で聴くよろし。

2022. 1. 29

☆☆☆そのかなしみいずこへ向けるだろう☆☆☆
 最近ある本の帯のキャッチコピーの素晴らしさについて話していたら、その人は「素晴らしいけど、ただ『さみしさは消えない。』というフレーズ、あそこは『かなしみ』ではないか。」と力説していた。さみしさ、かなしみ、深めたい問題ではある。
 最近…といえば、ここのところは毎日が松本隆記念祭のようだ。どっかで必ずトリビュートやレスペクトが催され百花繚乱だ。昨夜は俺の鬱屈した思いをネットで愚痴ったら、先輩ねーさんかやさしく聞いてくれて落ち着いた。ありがー。そうか、ラストアルバムを作りラジオからも去らんとする…終わりゆく彼の人の姿が、そんな屈折した思いを倍加させるのかもしれない。
 この場合は、さみしさ、かなしみ、どっち?(ドラマ「真犯人フラグ」の二択刑事の声でお願いします)

2022. 1. 28

☆☆☆上等だよ’79☆☆☆
 ということでアリス、松山千春、サザンらのイベントに心穏やかではいられなかった79年の夏だった。そんな中でいよいよ篠島コンサートが”ああ青春”で怒涛の幕開をした。続く2曲目”狼のブルース”でぶっ飛ばしたあたりでとっぷりと日は落ちて夜になった。そして3曲目の「伽草子」が始まった。原曲とは全く違うあのスタイリッシュな演奏はものすげー鮮烈だった。なんというんだろうあのドラマチックな美しい演奏に包まれながら俺は勝った!と心の底で叫んだのをハッキリと憶えている。音楽に勝ち負けがあるというのもどうかと思うが、勝ったというのが一番近かった。もう他の歌手なんてどうでもいい。この瞬間、世界で最高の歌と演奏がここにある。音楽の神様はピンポイントでこの島に降りてきていると確信した。
 吉田拓郎はもちろんあのステージの上にいた松任谷正隆、ジェイク・コンセプシォン、島村英二、エルトン永田、鈴木茂、青山徹、常富喜雄そして石山恵三、全員を額縁に入れて高々と飾っておきたかった。

2022. 1. 27

☆☆☆元気を出して☆☆☆
 …元気が出ない。出るわきゃないかこんなご時世。逃げ出したい何もかもから。逃げ出せないチカラが湧かない。
 1979年の夏は野外イベントが目白押しだった。もう老人なので夏フェスなんて言葉は使わない。野外イベントだ。この雑誌の表紙を観ていたらいろいろフツフツと思い出した。
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 サザンオールスターズ、アリスのつま恋…ツイストも南こうせつも一緒だった、そして真駒内の松山千春…まさに日本全国四面楚歌。え、拓郎もなんかやるの?島?へへー。上等だよ!!と篠島に向った日々を思い出して元気を出す。たとえ自分が悪くても他者への怒りに転嫁させるとチカラが出るってもんだ(爆)。

2022. 1. 24

☆☆☆映画館で手をにぎること☆☆☆

 ラストアルバムのドキュメントは劇場公開用映画になるって言ってなかったか。どうなんだろう。「劇場公開映画」…ああ、この甘く切ない響き。

 劇場公開用映画といえば、篠島コンサートは、当初、東映で劇場公開映画になるというニュースだった。しかし結果的には東映と何かの条件が折り合わずに劇場公開されず、つま恋75のようなライブフィルムの上映会という形式で全国を転々とすることになった。
 …残念無念。何が残念かって、その79年当時、アリスのライブが”アリス・ザ・ムービー・美しき絆”という劇場用公開映画になって映画館でガッツリ上映されていたのだ。このタイトルは当時また大ヒットしていた映画”アバ・ザ・ムービー”にあやかっている。アリスファンは我が世の春のように映画館に溢れかえっていた。アタシは3回観た、ボクも4回観たと自慢しあっていた。
 俺はこれが地団駄踏むほど悔しかったのだ。なぜそんなにアリスに敵愾心を燃やすのか、若い人々にわかるまいし、年配の人々は憶えちゃいまい。そもそも今や当の吉田拓郎ご本人が谷村新司と和親条約だか修好通商条約だかを結んでしまったみたいだ。俺だけがまだ戦争は終わっていないと竹槍振り回している爺ちゃん状態みたいである。

 とにかく高校生の頃、篠島が劇場公開されたら、そーんな2回観た、3回観たなんて生ぬるい。俺は学校なんか当然に休んで、上映期間中、連日朝から晩まで、オールナイトがあればそれももちろん、とにかく映画館に住んでやるという悲壮な覚悟でいた。
 ビデオもDVDもない時代、これを見逃したら映像の拓郎は一生観られないかもしれない、そう言う時代だったのだ。

 ということで今回のラストアルバムのドキュメント映画が劇場公開されたとしたら、わが青春との約束である。当然劇場に住むという矜持で臨みたい。きっと劇場にはそういう奇特な方が何人かはいるに違いない。そういう方と手をつなぎハンド・イン・ハンドで涙ぐみながら観たいものだ(爆)。

2022. 1. 23

☆☆☆近くて遠いContrast☆☆

 地震まで起きてしまい、まったくどこまでつづく地球の災厄ぞ。東京は武道館になっちまった。どうかご無事で。などと言いながらも俺の頭の中では、ずっと”Contrast”が繰り返して鳴っている。久しぶりだ。はじめて聴いた新曲が少しずつ身体にしみこんでゆく、この感じ。
 そして馴染みに馴染んで血肉化したあとで、正式完成盤を聴くことになる。そうするとまた印象が違ってくるんだよ。今までもそうだった。

 例えば、昔同じようにラジオで流してくれた”外は白い雪の夜(そして誰もいなくなった)”の仮歌、仮演奏をカセットに録音してさんざん聴いたあとで、正式盤を聴いときを思い出す。いきなりバイオリンかフィドルに導かれたイントロの鮮烈さに驚いたものだ。そしてもちろんこの曲は3番まででなく衝撃の4番があったことも。こうだろうと思っていたものの斜め上からガツンとくる感じがたまらない。
 拓郎はこの”Contrast”をどう仕上げて、どんなふうに突き付けてくるのか、それこそcontrastが味わえる貴重な経験だ。というか幸せだ。

 そうそう”外は白い雪の夜”の♪あなたが電話でこの店の名を教えた時から〜の「この店の名」って皆様は何をイメージしていますか? 私は「元祖中華つけめん大王蒲田西口店」です>んなワケねぇだろう。松本隆の頭にあるだろう正解は謎のままだ。
 以前、ラジオのヤンタンで拓郎がラジオドラマ「外は白い雪の夜」の中で、拓郎は「今夜、『プランタ』で」と言っていた、たぶん。「プランタ」。ネットのない時代だったが、いちおう調べてみたことがある。該当する店はなく、似た名前で植木屋さんが何軒かあっただけだった(爆)。植木屋さん、これもまたなんというcontrastか。でもこれでいいのだ。

2022. 1. 21

☆☆☆55年前のフィクション☆☆☆
 海底火山の爆発には驚いた。そんなものは映画"サンダ対ガイラ"のラストシーンでしか起きないものと思ってた。>知らねーよ。人間の暮らしなんてひとたまりもない。そのうえ相変わらず猛威をふるうコロナもあり、なんか”地球はもう終わりですね”(東京の長く暑い夜)的な無力感にさいなまれる。あれ?"地球が殆ど危ないことも"(女たちときたら)もあったな…微妙にニュアンスが違うが、それはそれ。
 私の子どもの頃の常識では、こういう時には30分以内に国際救助隊のサンダーバード2号が駆けつけ、1号の指揮のもと闊達に島の人々を救ってくれるはずだったのだが。現実を見回すと救助メカよりも殺戮破壊兵器ばかりが目に付く現代だ。自分ごときが偉そうになんだが人類や科学はホントに進歩しているのか。ともかくいい歳してるのに青くて痛くて脆い爺さんにも今日できることをやるしかない。こういうのを半歩ずつというのか。いや半歩も遠いか。

2022. 1. 19

☆☆☆この胸いっぱいの…☆☆☆
 前にも書いた読売新聞のいしいしんじの人生案内がいい。ポーの歌の件以来、読売新聞は嫌いだったのだが。
 先日も「いろんなことに感謝の気持ちが持てない」という相談者の悩みに、いしいしんじは、自分もそうだった、心配ないと答える。
 のちに「ありがたい」とは、ほんとうに「有難い」のだと、まさに奇跡だと知ることがあった。この世に他人がいてくれてよかったと心底感じた。すると、まわりの色がじょじょにかわっていった。
 「ありがとう」は声ではない こころのふるえだ。それはひとりひとりの切実な生から発露する。

 "「ありがとう」はこころのふるえ”。しんじくんいいなぁ。これを読んでいて思い出した。2019年のラストツアーの初日の市川市文化会館。あそこだけで拓郎はアンコールで「ありがとう」を歌った。あのとき拓郎のこころは間違いなくふるえていた。ふるえすぎて、あまりにふるえすぎて初日で封印されてしまったのだと思う。
 たぶん拓郎もこの世に他人がいてくれてよかったと心底感じて、まわりの色が変わっていったことを思ったのだと思う。おれもわかんないけれどふるえている拓郎を観てふるえた。ライブで聴けてよかったとつくづく思う一曲だ。

2022. 1. 18

☆☆アイツと野球ができるのなら☆☆
 漫画家水島新司先生の訃報はショックだ。俺は野球は苦手だしファンというのもおこがましいが「ドカベン」は高校野球までは同級生みんなとともに教科書より真剣に読んでいた。高1の春の甲子園の土佐丸との決勝戦、ボロボロの明訓だが最後に小兵の殿馬がサヨナラホームランを打つ名試合、高2の夏の予選でどうしても打てない剛速球の不知火から信じられないルールの盲点をついて1 点先取するところなど、数々の名勝負にホントの試合みたいにみんなで悶絶したものだ。
 オトナになってからはあぶさんを読んでた。連載の後半はなんか超人のようになってしまったあぶさんだが、最初の頃のアル中でボロボロで一打席しか立てないという設定に憧れた。

 しまった、ココは吉田拓郎サイトだ。
 水島新司といえば小室等似があまりにも有名だ。小室さんのライブにゲストで出たこともあった。前にも日記で紹介したが、この回では、小室等のライブでゲストの吉田拓郎がドタキャンし(なんかリアルだぜ)、拓郎の代わりにあぶさんがゲストとしてステージに上るハプニングの回だ。ちなみにあぶさんと拓郎は同じ1946年生まれである。
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 フォークはわかりませんというセリフが面白い。
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 あと水原勇気の実写版の木之内みどりはキレイだったな…。ともかく数々の名作に心から感謝してご冥福をお祈りします。ありがとうございました。

2022. 1. 17

☆☆☆惑星に立っている今は夜明け☆☆☆
 いろいろこの惑星も大変なことになっている。否応なしに思わされる今日。

 昨日はちょっと文句も言ったが、
「吉田拓郎が奈緒をプッシュしているのではなく、奈緒という人のプッシュで吉田拓郎が今また頑張っている。そういうエピソードなんだ。」「人生の後半に二度も年下のサポートを受けて素敵な時間を過ごしている。」…こう言える拓郎は確かに素敵だなと思う。若いミュージシャンとコラボしている方はたくさんいる。しかしこんなふうに若者に対して素直に心を深めて自分自身も変わってゆこうとする真摯な関係は、他にもあるものなのだろうか。もちろんファンも溢れる恩恵を受けることになる。ありがとうね。

 イヤホンや音の技術的なことは全く分からないが「自然な生活ノイズも聞こえながらが音楽を聴くのが好きだ。完全に音楽しか聞こえないそんな世界は好きじゃない。」という拓郎の言葉はなんか嬉しい。

2022. 1. 16

☆☆☆時代は変わったそうだから僕らは胸にしみている☆☆☆

☆ おやじがすべてだなんて言いませんが、でもおふくろはすべてだ、ということなのだろうか。もちろん私なんかにはわからないが、それでもお母様の話は、いたく心に刺さった。どっちにしても、あなたはわたしのすべてです。そういうハナシじゃない。

☆ 遠い昔、アルバム"Shangri-la"の時に”あの娘といい気分”イメージガール募集という、フォーライフのトホホな企画(応募されたねーさんごめんなさい)があったが、なんでまた今回アルバムのイメージガールが必要なのか、ずっとわからなかった。それがやっとわかった。そうなのか。俺はそういうのにことさら弱い。マト外れだろうが”If you build it, she will come. それを作れば、彼女はやってくる。”みたいなものを思い、それだけで感極まってしまう。


☆ Contrastを繰り返し聴く。繰り返す繰り返すさざ波のように。あんまし書くまいと思うが、ご本人もおっしゃるように、このままのボーカルでいい、というかこのままがいいと思う。あんまり頑張って歌わない方が、特に1番の胸締め付けられる感じは、この切ない歌い方が一番じゃないかと勝手に思う。


☆ 「おっさん、おばさんは自分中心に考えがち。」…御意。「時代は変わる」…これも御意。しかし拓郎ファンという局面に限れば、たぶん多くのファンの方々は、かなり昔に「変わってしまった時代」の中で、孤独と風雪に耐えてファンの一本道を歩いてきた人ばかりだと思う。この世は、自分中心でも拓郎中心でもないという極北が身に染みている人ばかりだと思う。そんなおっさん、おばさんが束の間、自分中心=拓郎中心に生きることが許される数少ない場所のひとつがラジオなのだと思うよ。ライブも無くなってしまったし、許しとくれ。

2022. 1. 15

オールナイトニッポンゴールド  第22回 2022.1.14
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 こんばんは吉田拓郎です。週替わりの金曜日、今週は吉田拓郎が送りします。2021年が終り2022年がやってきて、いつもどおり我が家はお正月から御雑煮もなくパン食です。年賀状もずいぶん前に皆さんにお断りしたうえでやめてシンプルにしている。それでも正月にはスマホにいろんなメッセージが届く。
 今年、一番最初にしかも早朝にメッセージをくれた人には驚いた。「コイツなのかっ」…堂本光一くんでした。いつも返事が、早くても三週間、普通は一か月くらい返事が来ない。いつも「遅くなってすみません」て、遅いよっ! その光一くんが何も送っていないのに元旦一番にメールをくれた。光一くんは元旦にお生まれになっている。本当におめでたい人で(笑)・・・怒るだろうな(笑)

 大晦日からライブをやってたんで、きっと光一君も興奮冷めやらぬ状態のままで多分ホテルにいたのだろうか、やることないかなと暇つぶしで気が付いたんではないか。ひとえに自分が眠れなくてすることなかったんではないか。
 僕も滅多に電話しないけど、♪いくつになっても〜と歌ってあげようと電話してみた。剛は携帯番号をしょっちゅう変えるけど、光一はずっと変えないまま。そこに電話してみた・・・電話出ませんでした。そこでメッセージを送った。「光一君おめでとう。海外ロケの写真を観ていて気が付くと、光一君とはいつもハグしたり、彼が肩に顔を乗せたりなついている。スキンシップしていて家族のような気分。いつも一緒に居たいよなという気分かもしれない」 そしたら珍しいこのメッセージで返事がすぐに来た。よっぽど退屈していたのではないか(笑) 。こんな光一はじめてだ。秒速の返事。「電話ありがとうございます、出られなくてすみません」・・・電話出る気ないんだろ(笑)
 「僕も43歳になりました。写真ではホントによくくっついていますよね、アハハ。人生の大先輩の拓郎さんが僕らに目線を併せてくれていたことを思います、そんな大人になりたいです。今年LOVE2特番実現したら嬉しいです。」
 元旦から泣かせるな。お互いにいい刺激を与え勉強しあっている関係。
 フジテレビのプロデューサーに、2月あたりにおいしいケーキ食べながら特番の話をしないかとメールしたら、プロデューサーからテレビ局には伝えてある。具体的な打ち合わせをしましょうと返事が来た。43歳のKinkiと同じ年のシノハラ。気持ちの悪いプリプリプリティ(笑) 43歳のおばさんのそれだけで楽しみ。前回もそうだったけど客席がそれなりに乾燥した年齢のファンでいっぱい。それも楽しいな。
 僕も実現したらこれを最後のテレビ出演にしようと思う。春を待つ気分で明るい明日を描きながら。

■ 今夜も自由気ままにお送りします、吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

 ハワイのロケはLOVE2でも堂本兄弟でも行ったな・・・三回くらいは行った。二回目のハワイの時、ある日ワイキキで僕とプロデューサーと堂本剛とゲストの長瀬智也と朝ごはんを食べようということになって、何にしようと言ったら、剛と長瀬は当然のように和食がいいという。  
 僕もプロデューサーもカラカウワ通りの「ふるさと」という和食屋に行った。そこで剛は悩んだあげく、朝の9時半に剛と長瀬は「すきやき」・・・朝のワイキキで(笑)。
まいりました。長瀬君は身体もがっしりしているので肉を食べきってしまったので、お変わりください(笑)。ハワイのワイキキで朝からお肉のお変わり。僕は二日酔いでスッキリしたもの食べたかったのに。懐かしい。長瀬くんとも遊んだ
 剛とワイキキのバナナ・リパブリックに行ってベルト、シャツ、それこそショルダーバックとかを買ったりした。そういう時には光一は来ないんだな。不思議だな。外交的な光一が意外に部屋から出てこない。引っ込みがちの剛の方が出てくる。一筋縄にはいかない  。ややこしい。単純明快ではない。そこが面白い。

 オーストラリアロケのシドニー最終日。明日の飛行機が辛いので僕は打ち上げから早めに帰った。剛も早めに切り上げた。
 しかし光一は現地の通訳やゲストのMAXと大騒ぎで朝までいたらしい。翌朝、空港で  拓郎さん「昨夜は騒いじゃいました、ジャニーさんに頼まれたワインを買いに行ってきます」・・・飛行機でバタンキューだった。
 こういうところに光一の性格がわかる、ジャニーさんら頼まれたワインは買ったりするちゃんとしているところと朝まで騒いでいたりするところ。

<あけましておめでとうございます、春のアルバム完成後にツアー決定ということでよろしいでしょうかという投書>
 何を言ってるの。ツアーからはリタイア表明した。無観客とかソーシャル・ディスタンスとか声出すなとか立つなとか、そういう環境では満足なライブができないと思っている。年齢と声のこと、僕はシャウトを使うソウル系シンガーなんで。静かにコソコソ歌うのではなく、そこはシャウトしてしまう。声や喉を考えると満足なライブが難しくなっている。誤魔化したりして歌うなら90、100歳まででもできる。しかし2時間半、全力投球で燃え尽きるのが吉田拓郎のライブ。それが吉田拓郎の音楽人生だ。総合的に考えてツアーはリタイアする、そういうを判断しました。

 これでどうなんだよ!という魂がはじけそうなアルバム、入魂のアルバムを制作中だ。ミュージシャンからも褒められている。その完成目指してリモートでレコーディングしている。
 僕の年齢から明日はわからない。若いころ明日のことは考えなかった。若い時に明日のことを考えてる青春を送っちゃだめだ。でも今は無理だ。明日がくるかわからない。ステージからはキッパリ降りて、若い人たちのステージや音楽活動を待ちたい。

 今度のアルバムのタイトルはそういうことだったんだと納得していただける。光一の自筆。長い音楽人生真実のタイトル。これをお見せしてみなさんとお別れする。こういうことは運命で避けられない。

<小田さんの「流星」、中学の時に観たクリ約の拓郎さんでファンになりました、当時士分の校長先生にもファンだと知られ「流星」が好きだと言った、観覧が当たってびっくりした、小田さんの流星にと驚いた、小田さんは「拓郎は別格なんだよ」と話していた、隣のカップルが拓郎さんにこんな歌があるのを知らなかったと語っているのに心の中でツッコミを入れたという投書>
 クリ約は録画で観た。「拓郎は別格なんだよ」ってテレビでは言ってなかったな。流星を歌うと決めた後で小田は拓郎には伝えないでおこうと思ったらしい。テレビ観たらわかっちゃうんだけどさ。前もって言いたくない。小田はわりと秘密主義で「言うなよ拓郎」という口止めが多い。キーとテンポで悩んだらしい。あれは小田の"流星"だった。吉田拓郎の"流星"とは違う。僕のはロック色があって最後はシャウトしていた。小田は最後も静かに。僕のオリジナルとは違う。感動的なステージだったような。
 コロナが増え始めたしスイーツも実現できない。新アルバムのどの曲を小田とハモるかも決めなくてはならない。今の僕は、アルバム制作、ジャケットの撮影、映画の撮影 ミュージック・ビデオの撮影と春を待っている。2005年瀬尾ビッグバンドとの"春だったね" 

M-1    春だったね      吉田拓郎

(CM)

<新年に奈緒さんのラジオで拓郎さんを知ったという投書>
 おっさん、おばさんは自分中心に考えがち。拓郎の番組で出てくる「奈緒」ってどういう女優かを調べてみる・・・それが普通のパターン。これが普通とだ思いがちだけど  奈緒ちゃんのラジオを初めて聴いたけど、奈緒ちゃんが熱く語った吉田拓郎はどういう人なんだろうかと思う。これを時代というんだよ。こうして新しい命が生まれるという現実がある。
 あの時にKinkiという10代の若者たちの横でやっと気づいた・・・"やっと気づいて"という歌があったな。それまでも俺が、俺がと生きてきていた。しかし現実はそういうことではなくて、それでは「裸の王様」になっちまうと思い知らされた。

 あれから25年時代はますます変化して、キンキも40歳、僕は76歳で生きてるだけ幸せの領域。命あるだけで幸せですよ。ジジイに20代の女優が、拓郎のあの曲が好きと話している。それもKinkiが縁結びになっている。だったらアルバムのイメージガールとか頼めないかなということで連絡とったらトントン話が進んだ。
 25年前と同じ、今度はもっと若い人のチカラを借りてアルバム制作を励んでいる。そういう今がある。吉田拓郎が奈緒をプッシュしているのではなく、奈緒という人のプッシュで吉田拓郎が今また頑張っている。エピソードなんだ。いかがでしょうか。これが時代は変わると言うこと。時代とは変わっているんだと老いも若きも唸った。レスペクトするボブ・ディラン、The Times They Are a-Changin

 人生の後半に二度も年下のサポートを受けて素敵な時間を過ごしている。最高のアルバム、最高のドキュメンタリー映画、最高のミュージックビデオ。最高のエッセイ、ライトライナーの覚悟、やる気になっている。

 時はこういうものだと自覚したい。いつまでもというのはよくない

<奈緒さんのオールナイト聴いた、おじさんおばさんだけでなく若いファンがいて幸せですねという投書>
 奈緒さんのラジオは好評だったですね。ほわーとした語り口調、天性の声、ラジオに向いている。もしかして彼女のレギュラーとか始まるかもという予感がした。メッセージで、もし奈緒さんがギャラが安ければ 銀行に走りますと言った。彼女は珍しく笑い転げた。あの瞬間に本質をみた気がする。ケタケタ笑う素顔。そこに素顔を観た。するどいね、拓郎さんは。

 奈緒さんホントにお酒が強いらしい、僕も若いころだったら負けやしないけど今はワイン一杯で逃げ出す感じだから、もし飲み会で奈緒さんと一緒になったら、やべーと帰ることになる。そしたら「こらー拓郎」、誰だ(笑)。昔、いたな。安井かずみと加賀まりこ
。こらー拓郎とよく言ってたな。空想だけど奈緒さんが「コラ拓郎逃げんのか、情けない」とか言われて、今僕はいろんなことを怖がる人生なので。「はいはい、どうも、僕も昔、朝まで歌うと言うのはやったんですけど、朝まで飲むのはどうも」「一曲歌いましょうか」「”今日までそして明日から”は飽きたよ」「じゃあ、生きてる限りはどこまでも〜キー間違えた」(骨まで愛して1番フルコーラス)・・・

 お正月にテレビで菅田将暉君がさんま君に手製のスタジャンをプレゼントしていた。裁縫が得意とLOVE2に出た時に言っていた。菅田君、僕も欲しいな。オリジナルのジージャン作ってほしいな。忙しいんだろうけど僕にも縫ってほしいな。
 映画「糸」を遅いけど観た。菅田くんは知っていたけど、小松菜奈さんは僕は遅れているのでわかんなかった。最初に小松菜奈さんが最初に登場した瞬間「おお、いいねぇ、この人いいねぇ」と佳代さんにも口走った。何がいいんだよ。菅田君、彼女はいいよ。杉咲花さんもいい。共通して不思議が入っている。結婚おめでとうございます。
 吉沢亮と杉咲花の「青くて痛くて脆い」。映画を観ているうちに「誰これ?」、亮君はCMで佳代が共演していたけど、杉咲花という人に見入っていってしまった。青春だな〜みんなチャーミングだね。自然な存在感が好印象だった。

 奈緒ちゃんが花魁の役で出演している映画「みをつくし料理帖」、みよちゃんってアラララ、奈緒ちゃんだよ(笑)、時代劇もOKだな。幼馴染が、料理人と花魁とに人生が別れる。奈緒ちゃんの誠実な空気感。みなさんいいお仕事が続いている。NHKの雪国では奈緒さんが駒子を演じるらしい。  
 次の歌は菅田将暉くんに送る、奥様とこんな気分で(笑)。

M-2   pillow       吉田拓郎

(CM)

■ 11時
拓郎)俺は夏はもちろん冬もチンチンに冷えた氷水を飲みたい
佳代) 私は夏も冬も常温。女優は常温

 吉田拓郎が渾身のソウルを傾けて制作中のアルバムから、永い間 応援してくれている俗に言うファン、もちろん最近の方もOKだけど、みなさんへのメッセージと受け取ってほしい曲が完成した。Contrastというタイトル。何がコントラストかは、各自それぞれが判断してください。共有なんてしなくていいです。

 僕=吉田拓郎は、変わり者だったんでしょうね。僕という生き方は、長い人生で時にファンにとっても誤解や不信感を抱かせた気もします。
 音楽人生で、いろんなことが起きたし出くわしもした。その時々に僕なりの事情はありましたが、決して避けては通れない瞬間。僕の運命的なものだった。

 僕は、子どもの頃から非常に身体が弱くて学校も半分くらいしか行けなかった。家にいることが多い。母親が与えてくれた雑誌とか漫画とか小説を楽しみに日常を家にいて過ごしていた。ラジオの音楽やスポーツを聴いたりするのが楽しみだった。一人で家にいる子ども時代。学友や友だちもいない。読み漁っている本を読んでいる世界に入り込んでいくことが多かった。一人で孤軍奮闘して日々の生計を立てながら世界を支えてくれた母親が僕に大きな意味合いを持った。
 僕の母は厳しいことはなく好きにさせてくれた。時々病気の枕元に来て話をしてくれた。母親の信念、テーマとして常に自分に正直でいることだった。

「もし拓ちゃんあんたがみんなとは違う考え、違うなと思うとしても、みんなにおかしいと言われても、自分はこういうふうにしかできないと思う時がくる。できないことはできない、自分の心に嘘をつかない。できないこともできるといって仲良くする必要はない。できないから仲良くできないのならしょうがない。自分に正直に生きなさい。」

 そういうことを言っていた。当時は意味がよくわからなかったが、この言葉が後に大きな支えになる。自分に正直であろうと思うこと。それは母親が僕を洗脳していた、多分に影響を受けて信じてきた。僕は結局自分の心に嘘をつかないという生き方をすることになった。母と僕との心に通じあった約束を守った。

 父親のことも、どなたかが父の業績を書いた本のこととかもメールで言ってくる。僕も姉も亡くなった兄もそして母も、私達吉田の家族は父親をあまり愛していません。父は頑張って何を書き残したか、それは家族には関係ない。父は僕達を見放して、僕達の苦労を知らずに自分だけの世界で人生を全うしたと思っている。我々家族からは、母が一人で苦労したのを観ていたので父を許しません。
 二曲ほど父の歌を作りましたが、何を感じ取っていただいても自由だが、それらの言葉には裏の意味合いがある。僕はあの父をまだ許していない。彼は僕等を全然愛していなかったのではないかと思う。
 兄も立教に行き、姉貴は素敵な男性と結婚し夫は亡くなってしまったけれど素敵な人生を送っている、僕も紆余曲折ありながら音楽人生を歩いて来られた、これらはすべて母親が敷いてくれたレールだったと思う。母親への愛は非常に深いものがあるが、父親に対しては許しさえも感じない。

 母親との心の約束を守るのが恩返しだ。人生の壁にぶち当たって、やむを得ない結論を出したことがあつた。僕の心には自分は間違っていない、社会から何を言われても 黙って受け止めようという覚悟だった。みんなとは違うかもしれないけれど自分を信じる。だから黙り込もう。黙って生きるのは難しい。人間は黙って生きるように作られてない。何回も思った。でも黙っていなきゃならないことがある。そんな時、自分が自分に対して正直ならいいという結論があった。”流星”で正直だった悲しさ・・・それが自分らしさにつながる。いつか必ず人間として生を受けて必ず穏やかな日常が来るんだ。自分らしく正直に生きてきた。そういう時に音楽が傍にあって、音楽が拓郎そばにいるからなと言ってくれた。音楽に対する感謝もあった。

 Contrastというタイトルにして、ミュージシャンとして50歳からサポートしてくれている武部と鳥山。デモテープを聴いて熱いものを感じたとメッセージをくれた。
 この曲の演奏は魂の演奏、たぶん僕の唄を聴きながら楽器を演奏しながら心の中に何かが生まれたんじゃないか。

 最後にエンディングのピアノとギター、実に真摯でそれでいて情熱的なソウルだ。この歌を拓郎さんもっと歌えともっと頑張れいいながら弾いてくれ、織の声を聞かせようと思うな、俺の歌とバトルするような気分で演奏してくれと頼んだ。

 ボーカルはリモートの仮唄だけど、これも捨てがたい、これはこれでドキっとするかもしれない。急遽ミュージックビデオの作成も決まった。奈緒ちゃんを主人公を演じてくれて嬉しい。僕がこのシナリオを書くかもしれません。
 1946年、昭和21年の4月、戦後のどさくさ鹿児島に生まれた自分が音楽という道筋を観た。想像もしなかったことが待ち受けていた。一人の人間の真実の景色、今夜みなさんもみませんか。みなさんエールを送るつもりで書きました。そんなにチカラ強い言葉はないかもしれない、しょせんみんな人間はひとりぼっち。ひとりだからこそ誰かとの愛、誰かとの言葉を誰かとの気持ちを求めて生きてゆく。例えば僕は間違っていても〜と書いたけど、そのことを誇りにして今後は半歩でもいいから歩いて行こうと思っている。

M-3   Contrast (仮歌)   吉田拓郎

 いよいよ音楽人生の総決算、アルバムの全貌見えてきた。7曲完成している。本邦初公開の話。隠すこともない。アルバムの心境。

  僕のパートナーの佳代さんはシングルマザーとして育てられた。幼いころからお義母さんが頑張って育て上げた。僕の母も夫婦の形式はあったが、小学校3年のころ母は父のいる鹿児島を出て、広島で暮らした。
 なぜ広島か、母が就職することになり、国家試験を受けて広島にだったら働き口があるということで行くことになった。女性が働くのは大変な時代だった。広島の盲学校の栄養士の職を得た。兄は既に立教大学に行っていたので、姉貴と僕と祖母が一緒についていった。詳しくはアルバムのエッセイに書く。
 佳代のお義母さんも僕のお母さんも既にあちらで楽しくしていると思う。夫婦で互いの母親のエピソードを話すが、なぜか笑ってしまう。想像できない苦労があったはずだ。時代が時代だから相当に大変だったはずだ。人知れず泣いたこともあったと思う。そういう厳しい体験はことさらのようには話さなかった。
 2人の母親は人間として苦しい人生を体験したにもかかわらず、できる限り伝えない人生を選んだのではないか。
 数年前の宮藤官九郎のドラマで、佳代が、主人公の錦戸くんのお母さんの役を演じたことがあった。お母さんはそれはそれは〜池袋ウエストゲートパークの長瀬のお母さんもそうだったけど、キュートな母を演じていた。
 その母が、突然の臨終のとき、夫の風間杜夫に、お母さんが酸素吸入器のままで小さな声で囁いた。「ああ・・・・だった」。その一言が僕は、冷たい水をかけられたような背筋にイナヅマが走った。天国へ行くときのひとこと、これは僕のラストアルバムとと思った。なんて素敵な、なんて正直なセリフを書くんだ。それがアルバムのタイトルにつながっていったんだ。   
 考えてごらんよ、音楽人生も女優人生もお互いにいろいろあったじゃないか。人に言えないキツイこともあった。あの演じたお母さんのセリフがわかる気がしない。そういう辛かったんだよと言わずに、佳代が演じたお母さん空気感を僕もやっと感じられるようになった。あのお母さんの一言が俺たちの親の本音だったのではないか。

 この話をタムジンファミリーやシノハラや奈緒さんに伝えた。みんなそれは素敵なアルバムタイトルになるんじゃないですかと言ってくれた。
 それを聞いて、僕は最後のアルバムのジャケットはつま恋で撮影しようと決めた。春の気配が見えたら全員でつま恋に行って撮影しようと思う。
 朝までやるぞの多目的広場、エキシビションホール、僕はカートで移動したけど練習ルームに行くトンネルと並木の景色。
 思い出深い場所で奈緒さんに自然に空気を感じ取ってほしい。佳代と僕のお母さんが現代に今若者としていたら、若々しい希望に満ちて自分の未来を描きながら女性としていたらという約をやってもらう。奈緒さんにシノハラの衣装でつま恋の自然の空気に溶け込んでいく、そんな写真を撮りたい。

 安井かずみが病魔と闘っていたころ加藤和彦とのデュエットの「純情」のカップリングで、僕が作詞だけして。音楽人生で作詞だけの参加は珍しい。本来は、ZUZUが書くところだったけれど安井かずみから体調崩していたので、彼女からも拓郎書いてあげてよと言われて書いた。久しぶりに聴いたら いいじゃない、いい詞書くなと自画自賛。
 まさに五月。春から初夏に完成・完結する。それにしても感染状況が心配だけど。

M-4  5月の風


<入院しているが拓郎さんの曲を聴いて愛用のイヤホンは何か投書>

 音は好き嫌い。個人差がある。サウンド評論家の言うことは気にしない。重低音、高温がどうだとか信用しない。武部はイヤモニはお手頃の国産のもの。好きな音を選ぶべき。僕のは一万円しない。
 家ではチェックしないといけないベースの音とかチェックしなくてはいけない。ソニーのMDR 。原音に近い、重低音が鳴ってなくてはというのは聴けない。原音は仕事用にはいい。
 イヤホンは今は製造中止 ゼンハイザーのMX型。バランスがいい。インナーイヤー型、だと生活音が入る。なので、カナル型が人気。しかし僕はノイズキャンセラーではなく、自然なノイズも聞こえながらが音楽を聴くのが好きだ。完全に音楽しか聞こえないそんな世界は好きじゃない。

■エンディング
 佳代さんはコロナ禍で外食しようと言わない。洋服はプラダか好きで、僕も好きだけど、以前は年に数回買い物に行ったけれど今は行かない。
ヘアサロン、ネールサロンと銀行の振込だけ。永い間ドラマの女性プロデューサーのIさんと家族ぐるみて食事に行ったしていた。
 その方からのメールで、奥様は、いつでも天の岩戸からお出ましになられますか、天照愛子様のおでましをお待ちしています。大ヒット(笑)。似合ってるな。最近、除菌が減ってきたかな。ひところは除菌の鬼だったのだが。コロナはなかなか収束しないのでもうしばらく自粛を受け止めて行こうかと思う。いつかIさんとマウイ島に行こうと行っている。天岩戸から出てこない。おーい(笑)。

 次回は2月11日

M-5   イエスタデイ・ワンス・モア     カーペンターズ

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆おそらくタイトルも、そこからまた何がこのアルバムの根幹のコンセプトなのか、なぜイメージガールが必要で、つま恋なのか、そしていかに渾身の魂でなくてはならないか。すべて直覚で伝わってまいりました。
 なんというか何もいえません。Contrast、この久々の魂の純粋経験。まだ感想云々いえる状態ではない。

☆ アルバムの順調な進捗を喜ぶ気持ちはもちろんだが、なんかこう荷造りが進んでゆく人の背中を観ているような寂しさがやはりある。
  永すぎた春 時の流れを 荷造りしている恋人を背に
 みたいな気分である。まさにこれから天の岩戸に入っていこうとしている神様を見送るみたいじゃあないの。

☆「アルバム完成後のツアー決定ですね」とメールをしたリスナーの方は、間違いなく奈緒さんのラジオでの拓郎のメッセージの「やれとおっしゃれば」とそれに対する奈緒さんの返事で交渉成立!!ってつもりだったに違いない。もともと自分で言い出したことなのに、さりげなく火消する拓郎。いや、でも「ツアーからの撤退」って言ってたな。単発シャウトはあるのか…って未練じゃないかよ。

☆やっぱりKinkikidsがスーパースターだと思うのは、@吉田拓郎からかかってくる電話に出ないA吉田拓郎からショッピングに誘われても行かない、という選択肢をへーきで持っていることだと思う。あり得ん。俺にはあり得んぞ。やっぱり一般Pとスターの間のはるかに高いウォールマリアの壁を感じずにいられない。

☆5月の風 歳とともに聴くたびに深まる名曲感。安井かずみさんからも託されたのか。

☆これからゆっくりと心の中で反芻し解題してゆくべき放送だった。そうしよう。

☆☆☆星紀行の今日の学び☆☆☆
 私にとっても一本の道でありました

2022. 1. 13

☆☆☆私の頭の中のモノサシ☆☆☆
 感染増加に暗澹たる気分になる。怖い。それなのに不謹慎だと怒られるかもしれないが、2000人と聞くと渋谷公会堂が、3000人と聞くとNHKホールが頭に勝手に浮かんでくる。浮かばない? 満員の客席を思い出してあらためて慄然とするのだ。これに関してはとにかくこれ以上キャパが大きくならないでくれと心の底から祈らずにいられない。自分もそうだが、皆様、本当にお気をつけて。

2022. 1. 12

☆☆☆呼んでいるどこか胸の奥で☆☆☆
 "千と千尋の神隠し"の主題歌「いつも何度でも」…なんかタイトルが惜しいな…じゃなくて、この曲を聴くたびに問答無用で涙が出る。10年前のあの時に動画で観たナターシャ・ジグさんの声でいつも脳内変換される。

    さよならのときの静かな胸
    ゼロになるからだが耳をすませる

…ということで"Contrast"をできるだけゼロの気分で聴くためにしばらく静にしていよう。

2022. 1. 11

☆☆かっけーイントロダクションとその他☆☆
 衝撃ガツン系、胸わしづかみ系等とは別に、おお〜カッコイイ〜と唸ってしまう1曲目も多い。
 すぐに浮かぶのはアルバム「感度良好波高し」の1曲目の”ベイサイド・バー”だ。初めて聴いた時、思わずカッチョエエ〜と声が出てしまった。ギターを抱えたあのスレンダーな立ち姿が目に浮かぶようだった。

 アルバム「吉田町の唄」の1曲目の”夕映え”もそうだった。なんてドラマチックな始まりなの?スケール感もある名曲だ。映画の主題歌にしてもいいくらいだ。>だから主題歌だったろ。いや、あの映画での使い方には納得できない。あの映画での使い方、あれは、マチガイでした。

 さらにはアルバム「アジアの片隅で」の1曲目の”まるで孤児のように”。このスタイリッシュなレゲエとでもいうべきサウンド。少し抑えめの歌唱。”アジアの片隅で”という超大作、”いつも見ていたヒロシマ”、”元気です”という名作が控えていることは聴く前から知っていた。どの曲にも頼らずに、ジャブのようなこの曲でサクッと始めてしまうあたりが、もうカッコイイんだから〜。

 このようにアルバムの1曲目はインプレッシブなものばかりだ。ただ、そんな中で、これはどうなんだという一曲目がある。もちろん個人の意見だ。
 「detente」の1曲目”放浪の唄”。「detente」は名盤だが、だからこそこのオープニングはどうなのよ。鬱々とし時に演歌チックな曲だ。いや、拓郎は好きなんだろうし私の感性の乏しさなのかもしれないが、これはいただけない。私はこのアルバムは”たえなる時に”からズガーンと始めてしまって良かったと思っている。

 で、今年、私達は最後のアルバムの1曲目を聴くことになる。俺ごときに言われたくはないだろうが、とにかく至高の一曲目を頼みたい。曲としても第一走者としても胸わしづかみになるヤツを。

2022. 1. 10

☆☆目の覚めるようなイントロダクション☆☆
 “ペニーレインでバーボン”、”ローリング30”、”この指とまれ”のようなハードな衝撃ガツン系とは違う曲ながら、1曲目の印象がとても鮮烈だったアルバムもある。

 最近ではアルバム「午後の天気」の1曲目”僕の道”だった。とろけるようなイントロを聴いた時、胸ワシづかみ状態になった。心の奥底を刺激されてそのままアルバムの世界に引っ張り込まれた。しかし、これがベストアルバム「From T」の一曲として聴くといい曲だとは思うが、そこまでではない。トラックダウンし直したせいもあるのか。とにかくこの本家の一曲目は鮮烈だったと俺は思う。

 もう一曲はアルバム「大いなる人」の1曲目”あの娘に逢えたら”。当時は高校1年生だったが、レコードに針を落とした瞬間、あのイントロにびっくらこいたものだった。それまでの拓郎とは全く違うサウンドに面喰った。鈴木茂のチカラか。メロウで成熟した演奏となんか余裕ぶっこいた拓郎の歌いっぷりは、大人の別世界のようで戸惑った。戸惑った高校生の当時の結論は「やっぱり社長になると違うな、ゴージャスだなぁ」というものだった。我ながら恥ずかしい。しかし、今聴き直すと確かにもはやバーボンではなく、高級ブランデーの香りがする。闘う若者路線ではなくバブリーな退廃した感じが漂う。とにかく印象的な一曲目だった。

 アルバム「サマルカンドブルー」の1曲目”レノン症候群”。イントロを聴いた時からなんか泣きそうだった。感動というのとは違う。84年の「FORVER YOUNG」の”ぺーレインへは行かない”がお別れの歌だとすれば、この歌はお別れしたあと、何にも無くなった荒涼たるスケルトンを見つめているような、ああホントに終わっちまったんだなという寂寥感が滲んでいる。こんな切ない1曲目もある。
 ♪あの二十歳のころの快い無邪気な自分はもういない〜 今日は成人の日か。そうです、たちまちいなくなります…って新成人に贈る言葉かっ。え、18歳か。

2022. 1. 9

☆☆魂のイントロダクション☆☆

 ということでアルバム「元気です」の”春だったね”の1曲目の高揚感の素敵さをあらためて感じた。これと同じようなウキウキな1曲目があったなと思い返す。そうだ、アルバム「こんにちわ」の1曲目”いくつになってもHappybirthday” だ。この明るくポップなオープニングも爽快だった。

 楽曲それ自身の魅力とともにアルバムの1曲目に置かれること=ファースト・ランナーなること、そのこと自体からしみ出てくる魅力というものもあると思う。

 そう思ってこれまでのアルバムの1曲目をつらつら思い返し、聴き直してみた。どれも拓郎による渾身の練りに練られた曲順に違いない。どのアルバムの1曲目も胸わしづかみand/or胸がゾワゾワするものばかりだ。
 一瞬、例によってアルバム1曲目番付を作ろうかと思ったが、さすがに順序付けはとてもできない。好きなアルバムの順位付ができないように、どの1曲目もそれはそれで愛おしいもんだ。

 とはいえ「今はまだ人生を語らず」の1曲目の”ペニーレインでバーボン”は至高の一曲目だな。ガツンと頭を殴られたような衝撃がある。そもそもこのアルバムは、第一走者(ペニーレインでバーボン)と続く第二走者(人生を語らず)の圧倒的な走力で、すでに往路復路の完全優勝が決定的になってしまう駅伝みたいなものだ。どんだけすごい1曲目かということでありんす。
 この1曲目の超絶の凄さがあればこそ、10年後の「FOREVER YOUNG」の1曲目の”ペニーレインへは行かない”が心の奥深くに染み入るのだ。

 「今はまだ人生を語らず」の他にも「ローリング30」の”ローリング30” 、「無人島で」の”この指とまれ”のようないきなりガツンと衝撃=心臓わしづかみ系の一曲目がある。拓郎のオマエたちどうだっ!という挑戦を感じる。聴いていると俺も立ち上がって何かをしなきゃと震い立たされる。ま、結局何にもしないのだが。

 拓郎の挑戦といえば「伽草子」の1曲目”からっ風のブルース”は、今にして聴けば「俺はフォークじゃないんだ、バカヤロー!」という渾身の心のシャウトが聞えてきそうだ。
 
 1曲目にこだわって味わう…いいかもしんない。ちょっとつづく、かも。

2022. 1. 8

☆☆50周年☆☆
 アルバム”元気です”を久々に聴く。1曲目”春だったね”のイントロで途端にトリップしてしまう。別世界の扉がバーンと開く感じ。♪が躍っているような松任谷正隆のキーボード、言葉のひとつひとつがウキウキ自由に跳ねまわっているようなメロディーとボーカル。まさにみずみずしいポップだな。感性の乏しい人々は(※個人の感想です)これを「字余りソング」という陳腐な表現しかできなかったのも無理はないか。とにかく楽曲としてもアルバムの幕開けとしてもすんばらしい。

 で何が凄いって、この最高のPOPが、翌年のライブ73では、これまた超絶すげーブラスロックに転生しているところも大きな感動なのだ。無敵のバージョンアップだ。サナギマンからイナズマンに変わるくらい凄い>だから知らねぇよ、そんなの。
 リアルタイムで72年当時にアルバム「元気です」を聴きこんだ人が、翌年ライブ73を聴いた時は、ぶっ飛んだだろうな。俺もぶっ飛びたかったっす。
 72年と73年の”春だったね”。こういうのをContrastというのではないか。違うかな。72と73の素晴らしきcontrastというか大きなふり幅の中に拓郎の魅力の真骨頂があると思うのだ。

2022. 1. 7

☆☆☆悲しみは雪のように☆☆☆
 雪でした。雪の中を極寒に震えながら駅に向かっていたら、老眼鏡と財布を仕事場に忘れたことに気が付いて涙ぐみながら戻った。超寒い。これって雪の中、落としたウルトラアイを捜しまわる"零下140度の対決"のモロボシ・ダンみたいじゃんとふと思った>知らねーよ

 まさに外は白い雪の夜。客さえまばらなカウンターの椅子で新年のご挨拶。お久しぶり&お疲れ様でした。よくぞご無事で。でもココももう危ないかもしれない。俺のツボなお土産をいただいた。心の底からありがとうございます。嬉しい。でもドイツ語が全然わかんね。昔習ったような気もするがたぶん気のせいだ。
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 それにしてもこの世界のどこにも安全な場所がないというのはよく考えるとすげー怖いな。この星がどこへ行こうとしてるのか、もう誰にもわからない。ってこれは浜省だったか。とにかくとにかく世界の果てでも変わらずに元気でいてくださいね…とジジイは祈らずにいられない。

2022. 1. 6

☆☆明日の前に☆☆
 「『罪と罰』を読まない」を再読している。ドストエフスキーの古典「罪と罰」を読んだことのない4人の作家たちが、勝手気ままにタイトルや登場人物の名前という僅かな手掛かりから推測と妄想でこんな話じゃないか、こうだったらいいなということで堂々と読書会をするというトンデモな内容だ。「未読読書会」というらしい。
 もちろん読んでないのだから真実の物語からは程遠く予想も外れまくる。まさにそのcontrastがまた面白い。自由すぎる。最後に三浦しをんは、読書とは、読書の楽しみとは、本を読むだけではなくその本を読む前から始まっている…と言い切る。
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 ということで我らが「ラストアルバム」だ。まだ未完成ではあるが、こうして拓郎がデモテープはじめいろいろと手掛かりを撒いてくれるので、既にラストアルバムを聴く前からその鑑賞は始まっている。
 スタッフがみんな「泣いてしまった」というのは感動したということであり、悲しくて泣いたのではないではないと思う(爆)。そのうえ「一人の人間の真実の景色」と言われて期待しないわけがない。どんな曲なんだと悶々として1月14日の放送までの日々を過ごすとき、もう既に私たちはラストアルバムを味わい始めているのである。ファンにとって今しかできない楽しみである。そしてそういう経験は泣いても笑ってもいよいよこれが最後なのだ。

2022. 1. 5

☆☆☆僕はその日映画を観ていた☆☆☆

 年末に観て感じ入った映画「花束みたいな恋をした」は、一筋縄ではいかない映画だ。淺読み、深読み、誤読、全部抱きしめてさしあげます的な深いフトコロがある。

 簡単に言うと、例えば何のとりえもない若い頃の自分が、ある日偶然に「”吉田拓郎”が大好きで辛い時にお風呂でいつも”今日までそして明日から”を歌ってます、とにかく好きな曲は”証明”です、座右の銘は”半歩でも前へ”です」…と熱く語る異性に出会ったら、そんときゃどうするか…どうもこうもない、そうしてそうなってしまったら、それからどうなるかっていう走馬灯系映画だ。もちろん吉田拓郎は一ミリも映画に出てこないよ。それでも、なんか"大阪行きは何番ホーム"みたいな切なさがある。…あくまで個人の感想だけどさ。

 それにしても菅田将暉…いいねぇ。オーラのON/OFF、あるいは彩度の調整が自由自在にできる演技力がある。菅田将暉の意志的な眉目をみるたびに、もし庵野秀明がシン・レインボーマンを作るとしたらヤマト・タケシは彼しかいないと思う>なんだよ、それ。

2022. 1. 4

☆☆☆土地の柵を支える人々☆☆☆
 ♪箱根に行きたいと思っているよ、心が洗えれば幸せだから〜ということで正月は箱根の別荘で過ごした。もちろん私のではない。しかもウルサイ老母達も一緒で心を洗うどころではない。
 ちょうど大学駅伝があったので応援に出かけて生まれて初めてリアル大学駅伝を観た。過酷な山道を目を見張る速さで登ってゆく走者たちもすばらしかったが、沿道の観客柵を全力で押さえているSECOMのおじさんたちにも心を奪われた。
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 つま恋75の実録本「ドキュメントつま恋」から
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 つま恋75に行っていない俺は、昔から何回もこのドキュメントを読み返しながら妄想し、この押し寄せる6万人の観客の人波を必死で支える警備員さんのくだりで手に汗を握ったものだ。なので柵を支えている警備員さんを観るだけでたまらなく萌えるのだ(爆)。

 珍しく俺が応援したおかげで母校は見事にシード落ちした(爆)。それよりも青山学院のあの明るく陽気な無敵っぷりは凄いな。サザンオールスターズの快進撃を観るような気分だ。

2022. 1. 3

☆☆女優☆☆
 奈緒さんのラジオは聴いて良かった。以前のテレビ出演時の奈緒さん宛てメッセージ(a dayの2021. 10. 30)にあった「”今日までそして明日から”の他にもいい曲がたくさんあります…」という言葉を真摯に受け止めておられる様子、そこから「証明」をチョイスされるあたり、また「半歩でも前へ」という言葉も大切に深めておられる様子などなど、まっすぐ素直に拓郎の曲と言葉を心に受け止めていることが伝わってきた。この俺のような傷つき汚れて屈折したジジイにはないピュアな心を感じさせてくれた。
 
 問題はあのお方だ。いや、もう何も言うまい。ただ思い出すのは1985年のことだ。
 シンプジャーナル(85年9月号)で国立競技場のイベント「ALL TOGETHER NOW」についての南こうせつと財津和夫の対談が載った。
 イベントのテーマ曲「ALL TOGETHER NOW」の作詞を全員一致で吉田拓郎しかいないと頼んだが例によって頑として応じない。ユーミンと小田和正と財津和夫と南こうせつが深夜まで説得するが首をたてに振らなかった。途中財津和夫は説得をあきらめて帰ったようだ。
 南こうせつは語る…
「僕らはもう、ひとつここはねばり腰しかないってんでユーミンと小田さんと三人がかりでね。でも、なっかなか「ウン」て言わない…たまたまそこに薬師丸ひろ子さんが居合わせたんだ。…そしたら拓郎がえらい上機嫌になっちゃってね!(笑)…
 そしたら、薬師丸ひろ子さんも当日来る、と。「拓ちゃん、この可愛い薬師丸さんが歌うんですよ。ここはひとつ!」そしたら「ウン、約束します!」だって(笑)」

 …そういうお方なのだ(爆)。そういうことがキッカケで歴史というものは動くときには動き出すものなのだ。

 そういえば薬師丸ひろ子の紅白もすばらしかったな。音楽の神様が女優に降りてくるとこうなりますという模範演技のようなステージだった。そうだ「真実はステージにある」というお言葉を思い出したぞ。

 ということで、あれはジョークだと一蹴したり、逆に思い込みを深めたりもせずに、ジジイの俺も素直な心で、拓郎と奈緒さんの約束を言葉通りまっすぐに受け止めようと思うのだ。

 ……めっちゃ期待してるじゃん(爆)

2022. 1. 2

☆☆☆最後に"拓郎さんあなたもうライブツアーやらないの?"とおっしゃれば、はい、奈緒さんが「やれ」とおっしゃるのでしたら、つま恋でオールナイトでも考えます☆☆☆
やれ!! >だからオマエじゃねーよ
 いや、それでも奈緒さんがちゃんとおっしゃってくれたぞ。ありがとう。"証明"、"半歩でも"、そして"エンディングの襟裳岬のインスト"まで、なにもかもがすんばらしい。

2022. 1. 1

☆☆☆永遠の半世紀☆☆☆
 新年あけましておめでとうございます。
 今年は、2022年。昭和97年。もちろんお気づきの方はお気づきでしょうが、あの我らが名盤アルバムが発表されてから今年で50周年です。言わずと知れたこれ↓です。
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>ちげーよ!!(爆) それにしてもコレ↑はコレで悪い意味で凄そうですが、もちろん正しくは当然こっちです↓。
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 この吉田拓郎の名盤誕生50周年=半世紀という尊き佳節に、奇しくも私たちは同じ吉田拓郎の「ラストアルバム」を迎えることになります。この貴重なひとときを僕たちは何かをせずにはいられない。でも、それが何だかはわからない。ということで今年はそれを探したいです。

…紅白は年々アウェー進行だけど島村英二、松任谷正隆の姿を見つけるとそれだけで嬉しい。お疲れ様でした、藤井風さん初めまして、そして何といっても、あいみょん、良かったねぇ。
    “愛を知るまでは死ねない私なのだ!”
 導かれた運命辿ってOne Last Yearなのかもしれないけど、元気でまいりましょう。

 「時が過去から未来に流れるばかりでなく、時が未来から過去に向ふと考へられねばならない。時が円環的運動をなすと考へられねばならない。…一瞬一瞬が永遠の今に触れるといふ意味に於て「時」といふものが考へられるのである」(西田幾多郎「現実の世界の論理的構造」より)

2021. 12. 31

☆☆また歳月が行ってしまうから大晦日☆☆

 “花束みたいな恋をした”…観た…たまらん。今年も最後に来て突然現れた本年度私の個人的ベスト1。順位つけるほど映画は観ていないか。

 今年も大変お世話になりました。心の底からありがとうございました。来年が平和で、吉田拓郎と拓郎を愛するすべての人々にとって最良の年となりますように。

(星一徹心の俳句)
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        年越しの
          そばより拓郎(キミ)の
                 そばがいい

                    良いお年を。

2021. 12. 30

☆☆☆それもこれも全部抱きしめて☆☆☆
 “LOVELOVEあいしてる”のオープニング。拓郎は”全部抱きしめて”or”好きになってく愛してく”の自分のパートを歌い終って、ゲストが登場すると入れ替わるようにすーっと静かに後ろに下がってバンドと並んで演奏を続ける…そして演奏が終わると後ろからゲストに手厚い拍手を贈る。
 このほぼ定番のスタイルがあらためて観ても、いいんだよねぇ。先日のラジオで言ったとおり、Kinkiのサポーターに徹するという気持ちが自然に体現されている。こういうところがカッコイイと俺は思う。このサイトでも何万回か言ったがまだ言い足りない。オレがオレがと前に出て行かないところが拓郎の魅力であり同時にまたファンにとっての歯がゆさでもある。

 ついでに2017年のLOVELOVEの菅田将暉とのシーンを何回も見直してしまう。トークの冒頭で、拓郎はKinkiに対して、よほどの事がない限り安易に自分に話を振るな、「よほどの吉田」なんだと厳しく申し渡したその直後、光一君が菅田君に「すだまさき」と「さだまさし」の響きが似ていると話した途端に、ゲストがさだまさしだったら俺は帰るよ!と声を荒げてしまう拓郎(爆)。…剛君が静かに「よほどの事だったんですね」と受けるところ。あそこが超絶大好きで繰り返して観てしまう。

 で。その菅田将暉の映画「花束みたいな恋をした」を録画したので今日観る予定。やたら絶賛されているよね。いい歳して恥ずかしいとか家族に言われそうなので、できればひっそり一人で観たいが、年末のお掃除とかの慌ただしさも手伝って、なかなかタイミングが難しい。

2021. 12. 29

☆☆☆細かすぎて伝わらない感動☆☆☆
 “LOVELOVEあいしてる”の印象に残る名場面はそれこそ膨大にある。それとは別に個人的にトリビアなツボもあった。
 まず浮かぶのは笑福亭鶴瓶のLOVELOVEな歌。いきなり”春を待つ手紙”をリクエストして驚いた。すげえ。しかもその時に鶴瓶は”誕生日”とどちらにしようか迷ったというディープさにも感服した。違った意味で鶴瓶師匠と呼びたい。それ以来、鶴瓶が他の番組で下半身系の放送事故をやらかしても、きっと師匠には何か深いお考えがあってのことに違いないと思うことにしている。

 次に、"野猿"の一員として出演した石橋貴明。LOVELOVEな歌は"アン・ドゥ・トロワ"だったのだが、その流れと関係なく貴明は突然、拓郎に真剣に話しかける。
 由紀さおりさんの♪あなたが運転手に〜のルームライトも拓郎さんが作ったんですね。僕は涙が出ましたよ.♪車もすぐ止まり私は降りる〜.いや,僕はね,泣けましたよ.やっぱ俺は「ルームライト」歌いたいよ.とゴネたのだった。…ああ貴明。ほんとに小6の時に聴いた"ルームライト"が好きで、それが吉田拓郎の作曲と知って感激している様子がありありと伝わってきた。

 最後に有名すぎるトリビアみたいだが、松たか子が"幸せな結末"を歌って、最後のテロップにバッキングコーラス大瀧詠一って出た時も驚いた。ええ、出てたのかよっ!、すわ吉田拓郎と大瀧詠一ついに共演かよっ!ということでビデオをコマ送りにして見直した。防犯カメラを解析する刑事の気分で姿を捜した。いなかった…よね。音だけだったんだよね。

 …♪オミクロンの黒雲が海を渡って近づいてくるwohwohって不謹慎な替え歌を歌っている場合ではありません。くれぐれもご注意ご自愛のうえ幸せな歳末をお過ごしください。

2021. 12. 28

☆☆拓バカたちのささやかな宴☆☆☆
 みんなとりあえず元気で良かった。心配だった方の生存確認もできた。そうかK君は来年で13回忌なのか。それでも寄る年波はいろんな変化を見せてくれる。
 アーティストとともに生きアーティストともに老いてゆくプロジェクトを絶賛進行中の私たちである。素晴らしきかなこの世界と自画自賛。

2021. 12. 27

☆☆☆キミらの背中には羽根があるC☆☆☆

 2001年に”LOVELOVEあいしてる”が終わった。4年6か月。ラジオもあわせた吉田拓郎のレギュラー番組の最長不倒記録となった。

 そしてLOVE2は、終わってからも育ち続けるもの、終わってから始まるもの、終わってから初めて気づくものなどがテンコ盛りの含蓄番組となった。

☆ミュージシャンたれ、音楽とともにあれ
 テレビで人気が出たミュージシャンが、身も心もテレビタレントになっていく例は多く見た。たぶん世間もナンシー関も拓郎のことをタレント化してゆくミュージシャン、悪く言えばテレビの奴隷になってゆく、好個のサンプルとして注目していたようにも思える。
 でも拓郎は違った。すぐにロックンロール・サーカス=公民館ツアーという夢の企画に取り組み、それが残念ながら難しいとなると今度は豪華なビッグバンドでのコンサートツアーにチャレンジして見事実現してみせた。不慮の病も乗り越えてツアーを重ねて、そのままつま恋2006に結実させた。結局、吉田拓郎は常にすべて音楽とともにあったんだよな。拓郎はテレビに出ている時だって一ミリも音楽からは離れなかった。ふははは、甘く見おったな。しかしナンシー関さんはそのミュージシャン拓郎を観ずに夭折された。
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 そう思い返してみると"LOVELOVEあいしてる"という番組もまた違って見えてくる。

 自分は、新たに立ち上がり始めた95〜96年の「Long time no see」〜「感度良好波高し」の外人バンドの流れにとても期待していたので、当時はLOVE2出演によってその流れが断たれてしまったと恨めしく思っていた。
 しかしLOVELOVEはまごうかたなき音楽番組であり、吉田拓郎が元気に蘇生していく音楽再生工場のようなものだったことが今さらわかる。LOVELOVE のスピンオフともいうべきコンサートツアーは陽気で溌溂としたエナジーが漲っていた。99年の20世紀打ち上げパーティで「流星」、00年の冷やしたぬきで「人生を語らず」の久々の封印が解かれたのも忘れられない。
 LOVELOVEは断絶ではなくそれまでの音楽活動とそれからの音楽活動を発展的に結び付けていた紐帯であったことがわかる。旧ファン、新ファン、ファン以外のたくさんの人が吉田拓郎の音楽というものをインストールしなおす貴重な機会となった。

☆ 包み、そして包まれて
 拓郎は、Kinkiの二人を心の友、心の師とまでたたえる。しかし、松本隆は「Kinkikidsがアイドルではなく、アーティストとしての感性を持っている。それは拓郎と付き合ったことが大きいと思うよ。」と語っていた。
 オールナイトニッポンゴールド第9回では拓郎本人も
「スタジオでは僕が撮影のスタッフと大喧嘩してしまったたことも何度かあった。プライドを捨ててもやる気はなかった。光一と剛はそれを現場で観ていた。たぶん知らない吉田拓郎というオヤジのアーティストがこんなふうにするんだ、こうすると怒るんだなとか日常とか態度を観ていたと思う。だから、彼らがよくあるアイドルにはならなかったと胸をはっていえる。」と語った。

 LOVELOVEが終わってからも「堂本兄弟」〜「危険な関係」〜「剛の人生を語らず」などなどフラグが静かにはためいていた。そしてラストアルバムの報を聞いた剛くんが「電話したんでね。拓郎さんと。なんかちょっとこみ上げるものがあるけど……」と涙声で心境を吐露してくれた。「拓郎さんは音楽を通して色んな人に影響を与え、色んな人を救ってる」とも…俺には何の権限も関係もないが、なんていいヤツなんだ、心の底からありがとうと言いたかった。

 ラジオで拓郎はこうも語った。「年齢とキャリアに関係なく、真実=trueで接することの大切さを知った。僕にとっても心の恩師だった。僕も様変わりした。」…繰り返される拓郎の言葉に、また拓郎は同じこと言ってるよと思う向きもあろうが、これは繰り返し繰り返し指先確認しておくべき大切な原点なのかもしれない。年齢キャリアを超えて、お互いにお互いを包み、包まれるという、稀有の人間関係がそこにある。

 ラストアルバムは、kinkikidsとLOVE2で締めくくるらしい。正直言ってまたKinkiかよという思いも少し頭をよぎった。それはどうなんだろうかということで、こうしていろいろあらためて振り返って考えてみた。結論は、何卒よろしくお願いします…ということだ。>なんだよ

 そしてラストアルバムについて語った時の剛君の言葉がたまらん。「生意気ですけど、拓郎さんが『俺、やっぱりもう一回音楽やるわ』って笑って言えちゃうようなやつを作りますねってお伝えしたんです。」←それな!
 俺も生意気ですけど、拓郎、おまえもがんばれよ。>それは生意気じゃない無礼なだけだっ
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2021. 12. 26

☆☆☆我が谷はLOVELOVEなりきB☆☆☆
 例のナンシー関のテレビ批評(「ナンシー関のすっとこ人名辞典」)の中で拓郎の消しゴム版画にこうコメントをつけていた。
「拓郎ファンだった友人は、吉田拓郎がテレビに出いることやCMに出ていることはもう認めるが『コウイチ、ツヨシ、待ってくれよー』と言ってるのを聴いた時はさすがに悲しかったと言っていた。」…これは多分”えのきどいちろう”だと思う。ああ気持ちはわかる(笑)。旧来の拓郎ファンはLOVELOVEを観ると賛否や濃淡はあれどそういう複雑な気持ちと向き合わざるを得ない。

 しかし、一躍人気者になった拓郎には女子中高生のファンまで出現し、TVやコマーシャルにも次々出演した。その勢いの中で拓郎は、旧来のファンに対して、今の俺をとやかく言うオジサンオバサンのファンはいらない!とまで言いおった。ううう。当時のオジサンの一人である俺には結構インパクトがあった。なのでこのサイトでは「LOVELOVEバブル時代」と悪意をこめて呼んでいる(爆)。

 しかしLOVELOVEの影響と功績はあまりに大きかったと今になるとしみじみ思う。

☆功績1  ビジュアル系の復活
 吉田拓郎はミュージシャンであると同時にアイドルでありビジュアルの人だ…と俺は思う。吉田拓郎はルックス的にカッコイイこと、美しいことが何にも勝る大前提である。そこが、谷村新司、さだまさし、小椋佳その他のあまたいるミュージシャンたちとは根本的に違う。無敵のビジュアルあってこその吉田拓郎だ。

 とはいえ1985年以降の"カーリーヘアー後期時代"から、断髪を経た96年LOVELOVE開始時の"短髪初期時代"までの期間はビジュアル的ピンチの時代だったと思う(あくまで個人の意見です)。昔のディズニー映画”滅びゆく大草原”というタイトルを思い出す。俺にとっては地球環境よりも心配な問題だった。
 しかしLOVELOVE出演によって、短髪の拓郎に自然に慣れると同時に、スタイリッシュな短髪なりのカッコよさが、どんどん磨き上げられていった。この番組の最大の功績は、短髪の拓郎のカッコよさをファンを含めた全世間に周知徹底せしめたところにあると俺は思う。もしもLOVELOVEへの出演がなく、年に一度くらいコンサートとかで拓郎の容貌を目にするだけだったとしたら、誰もが「拓郎=長髪」の過去のイメージがぬぐえず、現在の短髪に「あらー拓郎さん髪の毛短くなって変わっちゃったね、老けちゃったね」と落差的違和感を感じ続けていたはずだ。
 ともかくデビューしたばかりの素朴なアイドルが、露出し観られることでどんどんあか抜けて美しくなるのとたぶん原理は同じだ。ルックス的には99年の20世紀打ち上げパーティあたりのカッコよさといったらない。
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 拓郎と関係ない別の番組で元SMAPの仲居くんが、わりと真剣に「拓郎さんてカッコイイよなぁ」と呟いていたのを聴いた時、我が意を得たりと思った。良かった。今度は同じ昔のディズニー映画"砂漠は生きている"を思い出した(爆)。
 そして超絶恥ずかしいが、俺も中年になってから、それまでのイトーヨーカドー&西友ではなく、バナリパやGAPや時にBEAMSに着る物を買いに行くようになった。バブルに浮かれていたのは俺だったか。

☆功績2 呪縛からの解放
 この番組のおかけで「吉田拓郎ファンです」と学校・職場・世間に公言することが恥ずかしくなくなった(爆)。
 70年代中期までの破竹の勢いの時は「拓郎ファンです」という時は肩で風切るような、マウント取りに行くような気分があった。しかしその後、徐々に人前で「吉田拓郎のファンなんです」と口にすることが憚られるようになっていった。そんなことってあるだろう君たちだって。もちろん拓郎が悪いワケではない。しかし拓郎ファンと口にしたときの世間の人々の薄くてしかもその割にメンドクサイ反応を予想すると萎縮してしまうのだ。その点例えばサザンのファンは何も考えず臆することなく「サザン大好きですー はあと」とか公言できるのが羨ましかったな。
 仕事関係の打ち上げでたまに行くカラオケでも拓郎を歌う勇気などとてもなく、つい「光速エスパーのうた」とか「みなしごのバラード」を歌ってお茶を濁すようになっていた。>そっちの方が恥ずかしいだろ
 しかしLOVELOVE以降は「吉田拓郎ファンです」というときの世間の反応は無茶苦茶あたたかものになっていった。アナタ結構できる人ですね、みたいなレスペクトも入っていて気分が良かった。ありがたかったぞLOVELOVE。

☆功績3 視野が広がった
 LOVELOVEでは毎回アイドルから演歌まで時の老若男女のゲストが幅広く出演した。他の番組でも見かける人々なのだが、LOVELOVEに出たあとには特別妙な親近感を覚えるようになった。知り合いの知り合いみたいな感じか。吉田拓郎とトークを交わし、それだけでなく一緒にバンドで演奏して音楽を共にする。吉田拓郎という身体的フィルターを通じて自分にも身近に感じるようになった。そうじゃなきゃスピードとか嵐とか全く無関心だったはずだ。もちろん勝手な錯覚だったのだが、俺のような頑迷固陋な人間には、無関係と考えていた人や世界を、あらためて拓郎を通じて見直すこととなり、世界が少しだけ広がった気がした。

 そういう意味では「免罪符に頼るな教会派の者どもよ」というルターの改革は、我が心にも及んだのではないかと思うのだ。
                  そして最大の功績は…  つづく。

2021. 12. 25

☆☆聖なる歌に祝福を☆☆
 "クリスマスの約束"…小田和正の"流星"…びっくりしたな。拓郎がラジオで"クリ約"と言った時点で何かあると思うべきだったか。俺は油断していた。シンガーの歌を聴きながら後ろの椅子に座っている小田和正の姿ってバス停のベンチで待ってる爺ちゃんみたいだな〜…と悪態をつきながら観ていた。そこに突然の"流星"…とたんに正座して聴いた。すまん。わが罪をお許しください。あの声で、あんなふうに歌われると、あの歌はまた違った輝きを見せてくれる。きよしこの夜、星は流れちゃう。聖夜にありがとうございました。またいつか拓郎さん…のナレーションを楽しみにしております。

2021. 12. 24

☆☆☆愛と追憶のLOVELOVEA☆☆☆

☆松本隆の言葉
 LOVELOVEのきくちPのアーティスト・インタビュー本 (「音楽番組の楽屋でインタビュー!」)で、松本隆に対して“拓郎さんが『LOVRLOVEあいしてる』を始めた時、どう思われましたか?”と質問している。すると松本隆はこう答えた。
 「(拓郎に)半年…ぐらいしてもう止めればいいのにって言ったんだよ(笑)。自分を消費し過ぎるって…」…盟友にしてもそう心配ていたのだ。
 しかし松本隆の忠言に対して拓郎は「いや、これでいいんだ」とキッパリと答えたという。松本隆も後にそれから3年間以上も番組が続いたんだから凄いことだ語った。
 そのとおり、やがて音楽番組としてのクオリティとバラエティの明るさの両輪がうまくリンクしたこの番組は大人気番組となった。そして吉田拓郎は「過去の人」から「時の人」としてお茶の間の人気者になった。世間の冷ややかな反応も身内の心配も見事に跳ねのけてみせた。

☆転がる捨て石になれ
 その転機は何だったのだろうか。いつも胸に忍ばせていたという辞表をなぜ出さなかったのか。これまで、Kinkiの二人のおかげだと語ってはいたが、今回のオールナイトニッポンゴールド第21回の説明が一番明快だった。
「…僕は食べないで飲んでばかりだった。それを彼らが、「あきまへんがな、食べなはれ」と焼肉を置いてくれた。びっくりした。あの二人の何気ない「食べなはれ、あきまへん」という言葉。〜僕は心がダウンして泣きそうになった。」「キンキの心根、やさしさ、自然な行動、素直さに胸を打たれた。」
 …どんだけ孤独だったんだろうか。衝撃だったのは、その後だった。
「この二人のためだったら、捨て石になろう、成長していく二人をもっと大きな心で見守っていこうと感じた。それが50歳の吉田拓郎が新たに進むべき俺の道だった。番組では彼らの良きサポーターとして生きてゆくんだと決意した。」
 「捨て石」!! 日本の音楽史に輝くスーパースターであり神様である男が「捨て石」になると言う。すげえ。スーパースターが自ら捨て石になるなんて、そんな前例は聞いたことがない。これはまさに吉田拓郎の「革命」だと思う。

☆ マイ・ファミリー
 捨て石の覚悟から