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2024. 2. 27

100分de名著「マガジンT(第12号)」を読む  第3話 日本の父よ、母よ、拓バカたちよ 今も「吉田町の唄」

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☆それを創れば彼は来る☆
 前年の91年に新潟県の若者共和国の依頼で「吉田町の唄」を創った拓郎は映画「フィールド・オブ・ドリームス」に魂を射抜かれる。亡父の声なき声を聞くために鹿児島に出かけた。この経緯は、当時連載中のビックコミックオリジナルの「自分の事を棚にあげて」(オヤジの言い分が聞きたくて)に詳しい。当時、私も父親を亡くしたばかりだったのでこの映画にはメチャメチャ泣かされたものだ。
 僕の父だが、テレ屋の彼としては、遠回りなようだが、新潟に住む若者たちを使って僕への接近を試み、まず歌を作らせる。ちょうど映画も封切られ、いやがおうでも関心がさっちに向けられる。予定どおりこのテーマに気づいた僕は、故郷を三十年ぶりに訪ねることになる。
 そんな拓郎にさらに母の声が時空を超えて届く。かつてご母堂が、親友のダウンタウンズのベーシスト小野さんの夢枕に立たれて「いつかギター一本のコンサートを観たかった」と呟かれたことを知る。まさにアローンツアーの啓示である。
 そういう流れだと思ったのね。もうそれをやるしかないって
                 (「吉田拓郎ヒストリー1970-1993」Pia Mook)
 とうもろこし畑を掘り返すように、チケットまで刷り上がった2日間コンサートをキャンセルして、あの拓郎が宇田川社長に頭を下げて頼んだということだ。ということで企画変更に悪態をついたが、この事情を知れば、俺がどうこういうものではない。それがどちらであれアナタの決断以外に正解はない。
『吉田町の唄』を創った時からすべてが運命的にさえ感じる
                 (「自分の事は棚にあげて」親父の言い分が聞きたくてA)
とまで拓郎は語っていた。それにしてもご両親ともに本人に対してダイレクトにメッセージを送るのではなく、まるでピタゴラスイッチの仕掛けのように遠回りしながら運命に影響を及ぼすのが面白い。そこがまたいい。送り手がそっと忍ばせたメッセージを受け手が思わぬところから見つけ出す。送る方にも、それを受け取る方にも深い信頼と愛情があればこそだ。運命とはストレートではなくツイストなものなのだろうか。

☆再結しようよ☆
 「吉田町の唄」が完成した時に、ビックコミックオリジナルの91年春のTAKURO NEWSで拓郎はこの歌は人と人との「再結」がテーマだと語っていた。「再結」なんて言葉は調べても辞書には出てこない。拓郎がその時の自分の想いをこめた造語だと思う。父、母、そしてダウンタウンズとミニバンドの友たち。それが拓郎にとっての過去を真正面から振り返るということだったのだろう。アローンツアーで、意表をついて歌われた「おやじの唄」の後で「今まで家族はロクなもんじゃないと歌ってきたが、申し訳ないがこの際全部撤回したい」と会場を笑わせた。
 ということで、とにかく92年はどこを切っても「吉田町の唄」である。この歌はやがて「清流」にそして「ah-面白かった」にまでつながる。このとき拓郎は「過去を振り返る」と言いながら実は未来に向かって壮大な種を植えていたのだ。さすが私たちが人生を賭してファンになったその人だ。たぶん私たちの営みはその大きな成育の流れとともにある。苗木が育ちこっちも歳をとるたびにより深く心にしみてくるゆえんだ。君と君を好きなやつらが100年続きますように…

 さて「幻の2日間コンサート」「大河ドラマコンサート」のアイデアは、その12年後に2004年に「precius story この貴重なる物語」に生かされた。あのコンサートも実に長い盛りだくさんのすんばらしいライブだった。確かに1992年では早すぎたかもしれないと思う。とはいえ2004年も20年の昔である。だから、今こそ、やってくれてもいいっすよ(爆)

2024. 2. 24

 昨夜のドラマ「不適切にもほどがある」(第5回)は不覚にも泣いた、泣いたこらえきれずに、泣いたっけ。背広の採寸と肩幅のリフレインだけで人はここまで泣けるのだ。特に阿部サダヲの表情だけで語る名演技がたまらなかった。たぶんこの展開を予測していた人も多かったんだろうし、あざとい展開だと感じた人もいたと思うが、それらをすべて巻き込んで、それでもあんなふうに泣かせてしまうドラマはさすがクドカンすごいなと思ったよ。
100分de名著「マガジンT(第12号)」を読む  第2話 幻の2日間公演始末記
☆正面から振り返る人たち☆
  91年のエイジツアーの打ち上げでオールナイトニッポンの拓郎担当だった中川公夫氏と拓郎と石原信一たちのこんな会話があったことが記されている。
 打ち上げを終えるときに彼(中川氏)は「俺達が作っていた文化や時代というものがあるのなら、それを振り返って残すべきなんじゃないだろうか」 彼の言葉を受けて僕(石原信一)は「真正面に自分の過去の姿と向かい合うのはいいかもしれない」というと拓郎も「ありかもしれない」とうなづいた(石原信一「続挽歌を撃て」P.18)
 「真正面に自分の過去の姿と向かい合う」という言葉を思いながら石原信一は「夕映え」の詞を書いた。拓郎の答えともいうべき92年の総力企画「吉田拓郎2日間コンサート」が発表されたのは春のことだった。当時のT'sのテレフォンインフォメーションサービスのテープで「全国6大都市で、2日間連続、1日目が古い曲、2日目が新しい曲で合計40〜50曲、うち1曲も重ならず「2日間聴いてこそ吉田拓郎のすべてがわかる!」というアナウンスが耳に残っている。田家さん曰く"男の一生"を歌い上げる「大河ドラマコンサート」である。

☆企画は変わる☆
 東京はNHKホール2日間公演だったが、当時、静岡に住んでいたのと東京でのチケット激戦が予想されたので名古屋市民会館2日間公演に挑むことにした。挑むといっても当時の同僚の兄が静岡のテレビ局に勤めており、91年の浜松も彼からチケットを取ってもらったので、再びなんとかならないか同僚を通じて頼み込んだ。
 同僚「そのコンサート2日間両方とも行くんですか?」
 俺「そう。これは2日両日じゃないとダメなの。絶対。そこんとこくれぐれもお願い。」
 同僚「星さんて、ものすごい吉田拓郎ファンなんですね」
 俺「えっ!?、いやいや、別にファンてほどじゃないけど…」
 …ああ、人間は、いや俺はどうしてこういうとき瞬時に嘘をついてしまうんだろう。しかも明らかに嘘とバレるみえみえの嘘だ。
 …およそ一か月後
 同僚「なんか…1日しかやらないみたいですよ、しかも浜松で。」
 俺「いーや、そんなことはない、2日間なんだ、それに浜松ではやらないんだ。それは誰かの違う公演だ、俺は公式ファンクラブの情報で動いているんだ、俺が間違えることは考えられない(俺を誰だと思ってんだ!)」
 同僚「…星さん、怖いですよ、目が血走ってますよ……」
 …ほどなくしてこの会報の最終号の巻末にはこんな記事が載った。
         CAUTION!
先にお知らせしました2日間コンサートは、企画変更により会員の皆様にはご心配とご迷惑をおかけして誠に申し訳ありませんでした。新企画は「TAKURO YOSHIDA ALONE TOUR'92 90分一本勝負」全ツアー弾き語りコンサートで全国20か所を回ります。
 オーマイガー!!ホントにご心配、ご迷惑このうえねぇよっ!…俺は穴があったら入りたい気分で同僚に陳謝した。すまなかった。以来チケットのお願いはできなくなってしまった。

☆僕の想いはむなしく☆
 なぜ急遽企画変更になったのか、この時点では理由はわからなかった。吉田拓郎の弾き語りライブといえばそりゃあ楽しみではあるが、全50曲の大河ロマンライブとの引き換えと思うとがっかり感も残った。しかもアローンツアーは「90分一本勝負」と謳ってる。要は「90分歌ったらボクちゃん帰るからね」ということだ。もともと量こそすべてのセコイ俺にとってはただでさえ短すぎる。「企画変更」というからには、変更前後で質量保存の法則みたいなものがないか? 楽しみにしていたホテルの一泊二日の"超豪華食べ放題バイキング"が、行ってみたら突如企画変更されて"流しそうめんの夕べ[90分入れ替え制]"になっていたらどうだろうか。いや、流しそうめんはかなり大好きだが、それでも、ええーと思うでしょうが。
 「真正面から過去を振り返る」という話はどうなったんだ。しかし後にその変更理由を知ることになる。それこそがこの1992年だったのだ。
                                 つづく

2024. 2. 23

100分de名著「マガジンT(第12号)」を読む  第1話 それでもなんとか絵にはなりますぞい
 
 いよいよ泣いても笑っても最終号だ。泣きこそすれ笑うわけないだろ。当時は終わってしまったらもう公式FCも会報も今生の別れだと思っていた。まさか、後にマハロだタブロイドだとあれこれ生まれては消えるにぎやかな時代が来るとは思ってもみなかったのだ。その最終号はエイジツアーが終わってから半年後の初夏に届いた。
 この時期が、どんな時期だったか、ひいては1992年がどういう時期だったか…喋り疲れてしまいました、何もかもに疲れて今日が来ました。なので、図解してみた。

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 俺の文はクドくてウザイとよく言われ申し訳ないのだが、図は図で中学生の文化祭の発表みたいで情けないな。そもそも今さら1992年を図にして何になる>って、もともとこのサイトは何にもならないんだよ!
 とにかく会報最終号は、間近に迫って来た新作アルバム「吉田町の唄」の発売と弾き語りのアローンツアーに夢を託すかたちで終わりを告げる。最終号の中心は、吉田拓郎のインタビューである。ということでつづく。

2024. 2. 22

☆☆☆旅立つ人☆☆☆
 "ひとりgo to"を久々に聴く。いいな。いいぞ。やっぱり91年ばかりでは生きていけない。
  黄昏の1日を 僕は今日も生きている
  遥かなる旅人は 終わりなき夢の中で
 二人がセッションしているプロモ映像とかが欲しかったけど…いや今からでも遅くはないか。時は過ぎる命短し。残念ながら亡くなられてしまった山本陽子さんがなぜか両国予備校を応援していたように、おじさんも遠くから応援しております。

2024. 2. 19

☆もやい綱を切るなら、それは「夜明け」☆
 村上春樹が朝日新聞に書いた小澤征爾の追悼文「夜明け前の同僚」が達意の文章だった。さすが春樹先生。最近はこの文章を寝る前に読み返している。私の場合、誰も読み聞かせしてくんないし。お酒が好きだった小澤は夜は酔っぱらってしまうので、いつも夜明け前に起きてスコアをさらっていた。村上春樹もこれにならって夜明けに小説を書いていたという。
「僕がいちばん好きな時刻は夜明け前の数時間だ」と征爾さんは言っていた。「みんながまだ寝静まっているときに、一人で譜面を読み込むんだ。集中して、他のどんなことにも気を逸らせることなく、ずっと深いところまで」 そんなときの彼の頭には音楽だけが鳴り響いていたのだろう。
 会報第10号でつま恋で合宿していたときの吉田拓郎はひとりとんでもない早朝から起きていてアレンジや譜面のチェックをしていたという鎌田清&裕美子夫妻の言葉があった。また後のFC会報「マハロ」ではフォーライフの南ディレクターが深夜明け方近くに「起きたらご覧ください」とレコーディングの情報をFAXしたら速攻で「もう起きてるよ」と拓郎から返信が来た話をしていた。同じだ。
 その昔、俺が受験生のころ、早朝の小澤の話を別の本で読んでいたので、夜は酒を飲んで早起きして勉強してという小澤スタイルをマネていた。ヘタレなので眠すぎてはかどらなかったし、結局、俺は音楽家にも小説家にもなれなかった。それでも「夜明け前の同僚」の端くれのつもりだ。
 そういえば拓郎がラジオで口走っていたペンネーム「入江剣」は小澤征爾の奥さんベラさんのモデル時代の「入江美樹」から拝借したそうだ。とにかく拓郎好きな「夜明け前の同僚」よ、みんなでなんだかんだで夜明けに目覚めたら心つながろうじゃないか、おまえだけが命あるものよ。

2024. 2. 17

100分de名著「マガジンT(第11号)」を読む  第8話 今日までそして明日から

☆ああ愛しきものよ☆
 会報第11号では、エイジツアーの総括&打ち上げの様子について、石原信一と田家秀樹が競作のようにレポートを書いていてなかなか濃ゆい。
 原宿で打ち上げがあった。その時彼はポロリと「地方ではボロボロなこともあった」と話していた。つまり客が入らないということだ。そんな時彼はイベンターに「いい曲を書けなくてゴメン」と謝ったのだそうだ。いい曲をたくさん書けば、こんなこともなかったのにということだろう。(田家秀樹・会報第11号「ライブレポートin NHKホール」P.25) 
 仙台の中止も単に客の不入りだけが理由でないことは、拓郎のイベンターに対するこの親身な心の寄せ方からも明らかだ。むしろ全ての原因はいい作品を書けなかった自分にあると一身に引き受け、他の誰かや何かのせいにしていない。そこに吉田拓郎の気骨を感じる。

☆闘う君の歌を☆
 それでも切ないのは次のくだりだ。
 打ち上げを終えるときに彼は「いい曲を書く、絶対にいい曲を書くからな」と何度か口に出していた(田家秀樹「会報第11号「ライブレポートin NHKホール」P.25) 
 私はこれを読むたびに泣きそうになる。少し酔って歩く拓郎の孤独な背中が目に浮かぶようだ。♪…やりきれないね、一人で酒におぼれた夜 ふらつく〜♪と「古いメロディー」が勝手に私の脳内に流れる。
 だって、そうだろ、いい曲は書いてるじゃん。例えばチョイと思いつくだけで「俺を許してくれ」,「車を降りた瞬間から」,「星の鈴」「たえなる時に」「裏窓」そして「吉田町の唄」…枚挙にいとまがない。30年経った今も色褪せず輝いている曲たちがこの当時にたくさん生まれている。世間様、他人様にわかっていただけない事に慣れてはきたけれど、われらが身内である拓郎ファンの間にまで、たちこめているフェイドアウト感がたまらなく寂しかった。いや、私だって偉そうに言えたもんじゃない。もっともっとこの素晴らしさを宣揚できたはずだ。リクエストハガキを書くとか、リクエストハガキを書くとか…リクエストハガキを書くとか。しかし結局何にもしなかった。もちろんこの暗夜行路にも不滅の灯火をともしつづけた多くのファンの方が多くおられたことも確かだ。私もそんなにいさん、ねぇさん、同志らに支えられてここまで来られたようなものだ。

☆君が先に背中を☆
 だからこそ今さらながら私も声を大にして叫びたいのだ。90年代に駄作なし。順風満帆とはいかない長い暗夜行路だったが、それでも拓郎、あなたはいい曲をたくさん書いて歌ってくれた。そして私は救われた。そのことを世界に訴え、何より吉田拓郎に心の底からエールを贈るために、私はこのサイトを始めたのだ。…始めたのだが、こと志と違い、ダラダラと悪態をつくウザいサイト、たぶん吉田拓郎が一番嫌うだろうサイトになってしまった。いや、もうそんなことはいい。だって拓郎は後に決然とこう言い切っているのだから。
 1000人いると思ってたのに500人に減っていると思ったときは、ショックを受けるし悩むけれども、1000人に増やせばいいじゃん、また、と思っているから。1000人に増やすための曲を作っていないということでしかない。いい曲を作ってないということでしょう。大いに反省しろってこと。(大いなる明日 P.465)
 私ごときのおこがましい思いとは別に、拓郎は引きずることも屈折したりもせずにただ新しい歌をつくることで清々しく前に向わんとする。本当にこの人は音楽を愛し音楽と結縁されているのだ。たかがファンの端くれとしては、それがいつかはわからないけれど常に「新曲」という背中を追い続け待ち続けることしかできることはないのかもしれない。

☆この胸いっぱいの「ありがとう」よ☆
 会報11号の石原信一は地方の最終打ち上げでの拓郎のスタッフへのあいさつを拾っている。
拓郎はツアースタッフの前に正座していた。「こんなことを言ったことはないが、45本のツアーも無事終了できそうなのは、みんなのおかげ。そしてみんなもえらいが俺もえらい。」と頭をさげた(石原信一「続挽歌を撃て(会報第11号)」P.18)
 このくだりが大好きだ。そしてツアー最終日の1991年11月5日の朝刊には次のような広告が載った。
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 その意気やよし。明日から勝手にしますって1991年もじゅうぶん勝手だった気もするが(爆)どうか思い切り勝手になさいまし。拓郎さんはこのツアーのことがきっとあまりお好きでないかもしれないけれど、それでも素晴らしい91年だったことの感謝と、本当に魂の底からお疲れ様でしたと言いたい。ということで会報第11号はおしまい。次回からいよいよ最終号である会報第12号につづく。

2024. 2. 15

100分de名著「マガジンT(第11号)」を読む  第7話 エイジ −2.0

☆幻の2公演☆
 会報第11号のツアーの総括記事で、45歳=45か所のツアー日程だったが「途中、天候などの理由で43本になった」(石原信一「続挽歌を撃て」P.16)と記されていた。調べてみると中止になったのは、8月2日の仙台サンプラザと9月28日の那覇市民会館の2本だ。那覇は台風直撃のためだったが、仙台の理由はずっと不明だった。んまぁドタキャンが珍しくて拓郎ファンはやってられない(爆)。

☆奥の細道をゆく暗夜行路☆
 しかし時が経ち2010年の田家秀樹のドキュメント「大いなる明日」の中で、東北のイベンターの代表の佐藤寿彦氏と拓郎が二人で過去の吉田拓郎の東北公演の歴史を振り返るくだりがある。
 "中止"と記されていたのが91年8月2日の「detente」ツアーのサンプラザだった。(略)「前の晩、みんなで飲んでいたら、明日、チケットが売れてないんですよって、イベンターが言うんだよ。バカヤロー、こんなところで飲んでる場合かって怒って、次の日リハーサルだけやってクルマで帰ったんだ」(略)佐藤寿彦は廊下に出てから「マネージャーに対しての教育的措置だったそうですよ」と付け加えた。(田家秀樹「大いなる明日」P.175-176)
 教育的措置とかいろいろ事情がありそうなので、客が不入だから中止にしたという単純な話ではないようだ。しかし集客が厳しかったという事実はショッキングだ。自分が行った浜松市民会館は超満員だったし、行こうと思った和歌山紀南会館も即日完売だった。何より私には2003年の手術復帰後の美しい半円形の仙台サンプラザでの公演、そこでの満員のスタンディングオベイションの景色があまり鮮烈に焼き付いてるので不入りの想像ができない。拓郎は続けて打ち明ける。
「LOVELOVE」をやる前までは東北は結構大変だったんだ。札幌も危なくて2階席が空いているのが見えたりしたこともあったよ。LOVELOVEの後からだね、また変わったのは(同P.176)
 …そうか、そうだったのか。こういう厳しい事実までをも率直に話してくれる拓郎に敬服する。それを忖度することなく活字する田家さんに対してもだ。田家さんは次のようにトレースする。
 浮き沈み、というほど大げさではないかもしれない。でも吉田拓郎といえども常に順風満帆だったわけではない。もし50歳を機にテレビに出たりしなければ、どうなっていたのだろうか。(同P.176)
…ホントにどうなっていたのだろうか。順風満帆ではなかった時代…この会報の発行期間は頭から尻尾までこの時期にスッポリとハマっている。会報は、吉田拓郎の精力的な活動を応援してきたが、どこか言いようのない悲しみがつきまとうと私が何度も書いてきたのはそのためだ。

☆俺だけ、わかるさ俺を☆
 考えてみると同僚ともいうべき田口清氏を亡くし、場所によっては観客動員とも戦わなくてはならない全国ツアーというのは、きっとご本人にしかわからない孤独な道行だったのではないかと勝手に拝察する。2003年の翌年、2004年の"この貴重なる物語ツアー"で超満員の仙台サンプラザに参加した知人の話では、拓郎はこの仙台サンプラザのステージに立てることについてのしみじみとした感慨を述べていたという。当時は病気や体調不良のことかと思っていたが、かつての仙台中止のことが頭にあったのではないかとも思われる。わからん、結局はすべてあの人の頭の中だ。

☆幻の道はいくつにもわかれ☆
 それにしてもLOVELOVEの持つ大きな意味をあらため思い知る。もちろん当時はそんなこと知る由もなく、LOVELOVEという灯りも見えない暗夜行路をゆく私たちだった。そんな中で拓郎が非難覚悟で何の保証もないテレビの沼に果敢に飛び込まなかったら、たぶん私たちはつま恋もその後の活躍も得られなかったのである。これまで「テレビ(LOVELOVE)に出てる拓郎は認めない」と上から目線で宣うベテランファンの方々と何人も会った。その思いは各人の自由だが、じゃあおまえ二度とライブに来るなよと思ってきた。いや、他人に何が言える、黙って俯けよ。自分だってこのエイジツアーはファンとしてもっともっとできることがあったはずだと悔いる。
 切ない話になってしまったが、さらに切ない話が明日もつづく。

2024. 2. 12

100分de名著「マガジンT(第11号)」を読む  第6話 あなたが教えてくれた季節

☆突然の訃報☆
 このdetenteツアーの前半にあたる1991年7月17日にあの田口清氏が交通事故で急逝された。あの「猫」の田口清、あなたは回るルーレットの田口清、ライブ73で手だけ動かしていた田口清、その後はユイ音楽工房のスタッフとして活動していた田口清氏の突然の訃報だった。特に拓郎ファンには気のいい兄ちゃんのような親近感があった。
 アルバム「デタント」は拓郎の作曲した「猫」のヒット曲「地下鉄にのって」が入っていた。田口氏は自分達の曲の復活を喜んで渋谷公会堂に駆けつけ、打ち上げの堰にも同行して拓郎と久しぶりに話をしたばかりだった(会報第11号/石原信一「続挽歌を撃て」p.16)
 渋谷公会堂の公演は6月30日だからそれから僅か2週間ちょっと後のことだ。なんてことだ。そして今回のツアーパンフにはこんなことを想像だにしていない拓郎がインタビューで話している。●はインタビュアーで〇は拓郎だ。
 ●「地下鉄にのって」と言う曲はどうして収録することになったんですか?(略)田口(猫のボーカリスト)さんが好きだったとか?
 〇田口はね、好きなんだよ(笑)
 よりによってまさかこんなときに、突然…というのが拓郎やご関係者のお気持ちだったろう。

☆死んでしまうに早すぎる☆
 田口氏が病院で意識不明だった7月16日の神戸国際会館のMCで拓郎は「今、田口が死にそうなんです。ありったけの念力をつかってなんとかしてくれと祈っているのですが…」と真剣な面持ちで語ったことを後に教えて貰った。そしてその甲斐もなく17日に亡くなる。
 ツアー先で拓郎は田口氏の死を弔った。神戸のステージでアンコールの弾き語りでは「地下鉄にのって」をワンコーラス歌い、名古屋では田口氏のために「祭りのあと」を歌った。(石原信一 同P.18)
 当初のセットリストにない「祭りあと」が記録されているはそのためだ。

☆君は流れて☆
 フォーライフの新人として1977年にデビューした小林倫博氏。78年の拓郎のツアーのゲストだった。その小林倫博氏のブログに田口清氏の最後のくだりが記されていた。
  ある日、昔のマネージャーから電話をもらい、田口さんの死を知った。亡くなってから1週間ほどたっていた。当然、葬儀もとっくに終わっていた。「 なんですぐに知らせてくれなかったんだ! 」 わたしは元マネージャーにつかみかからんばかりの剣幕で言った。言い訳など一つも受け入れたくなかった。

  田口さんの死因は自転車での事故死だった。子供用補助席に我が幼子を乗せ、坂道を下っている途中、なにかにつまづいて自転車ごと、親子ごと転倒したのだ。田口さんは子供をかばい、無理な姿勢のまま倒れ込み、その結果頭を強く打って亡くなった、ということだった。
  らしいなあ……といえば故人に失礼になるのかも知れないけれど、じつに「 いい人、田口清 」らしくてわたしは柔らかい気持ちになって涙をながした。
 この魂が悶絶しているような小林倫博の文章を読むたびに私も何度も涙を流す。ファンというのもおこがましい遠巻きにいた私までもが田口清氏のことをいっそう好きになってしまう。あってはならない、いかなる意味でも承服できない不慮の死だったが、それでも「地下鉄にのって」がまるで手向けのように用意されていたような気もしてしまう。深い徳のある人だったのだな。

☆あなたが教えてくれた季節☆
「猫」解散後の田口清のソロシングル「あなたが教えてくれた季節」(松任谷正隆先生のアレンジだ)の一節を思う。

  あなたを見て季節を感じていた私
  今は逆に季節を感じあなたを思い出す

 ああ、つま恋75の「雪」は一番田口清、二番拓郎の歌唱だったよなぁとか、2019年の「わたしの足音」には天国の田口清もびっくりしたろうなとかふと思ったりした。何より、町で子どもを乗せた親子の自転車を見るたびに…見るたびというのは大袈裟だな、時々だけど田口清のことを思い出して、うかうかすると泣きそうになったりもする。30年以上も経ってしまっているけれど心の底からご冥福をお祈りします。

 会報第11号が記したように、この全国ツアーは祝福と祈りを交えながらの長い歌の旅だったのだ。
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2024. 2. 11

100分de名著「マガジンT(第11号)」を読む  第5話 愛でない場所はあるはずがない

☆浜松セレナーデ☆
 それならさぞや浜松は良くなかったのかと問われればそれは断じて違う。
 "町起こしソング"というから「オバQ音頭」みたいな歌を想像…いや、せいぜい「アイランド」くらいかな>って失礼だろ。そんな先入観をはるかに超えて「吉田町の唄」があまりに感動大作であることに驚いた。歌う前のMCで拓郎は「これを聴けばきっと泣いてしまうに違いありません」とか言うので、これまでの経験上「んなわけねぇだろ」(爆)と思っていたらホントに初めて聴くそばから涙ぐんでしまった。さすが期待しないときに名作を書く男である>怒られるぞ!
 クソ恥ずかしい詩だな〜と敬遠していた「青空」がライブ空間で共鳴するギターとともに心に染み入った。
 「アジアの片隅で」ではスタンディングしなかった観客たちも「男達の詩」の鎌田清のオープニングのドラムソロで突き上げられるように立ち上がり、ノリノリの激しいロックに燃えていた。CDよりワイルドで数段スバラシイ。
 ワイルドといえば「裏窓」の荒くれた歌いっぷりにも痺れた。粗忽に歌えば歌うほど魅力的になる歌というものが拓郎にはある。これはそれだ。
 そしてなんといっても「たえなる時に」は圧倒的だった。"愛でないものはあるはずがない"で始まった歌が、最後に念押しのように「愛でないものはあるはずがない」に還ってくるこのところでなぜか泣きそうになる。"今 君はあの人を心から好きですか"のリフレインが会館帰りの坂をおりるときも頭から離れなかった。ちょうど91年秋、静岡けんみんテレビのCMになっており、毎朝テレビで流れていたので特別に感慨深かった、
 ビッグコミックオリジナルの"自分の事を棚にあげて"で、このコンサートは「胸がキュッとなるから」とご本人が言っていたのはまさにそのとおりだったよ。
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☆深謝、ツアーを支えてくださった素晴らしき方たち☆
 会報11号には、コンサートスタッフの方の感想も載っている。
▽ライティングプランナー&オペレーター 堀井義春
 大倉山のライティング・テーマとしては、自然を感じるようなものにしたかったことと、自然の中にも調和するようにと心掛けました。結果的にも大自然に負けないくらいの素晴らしいものが出来たと思います。
▽ライティングオペレーター 大西哲郎
 メニューはツアーと同じでしたが、「この指とまれ」はすごく盛り上がりましたね。
 くぅぅぅ、どこまでも観たかったと悶絶させてくれる。大自然に負けない「この指とまれ」…こりゃあたまらん。
▽トランスポートマスター 大野重勝
富山のコンサートの弾き語りで「落陽」をやったときにサビの部分で会場が大合唱になったとき胸がジーンとしましたよ。あー。この仕事やっていてよかったと。
 そこまで言わせるか富山・新湊市中央文化会館。このたびの被害の息災とご復興を心からお祈りします。
▽舞台監督藤丸昌也
今回のツアーで特に印象深いのは10月30日の高知県民文化ホール。とにかく良かった!!感動しました。
▽楽器チーフ 吉村和幸
地方最終公演の高知県民文化ホールは実に感慨深いものがありました。
 そんなに良かったのか、高知県民文化ホール。…ありゃ浜松の僅か10日後じゃないか。

☆あしたのために(その2) とにかく行くべし!行くべし!☆
 あらためて、それぞれの地にそれぞれのドラマがあふれていたことを知る。1か所だけとは実に惜しいことをしてしまった。このころは、1ツアー1か所が当たり前だと思っていたし、これまでフリーターで受験生だった俺はなぜかこの頃は国家公務員になっており、配属の静岡から出るのには庁の届出手続きが必要だった。いーや、そんなのは言い訳に過ぎない。「拓郎を観なきゃ死ぬ!!」という拓バカ魂が赤々と燃えていればなんの障害もなかったはずだ。俺にはやはり何かが足りなかったのだ。ああ行きたかった自分と行けなかった自分と2つに引き裂かれながら永遠に悔いよ、自分。

 なあ、みんなの参加公演はどんなだったんだい?黙り通した年月を拾い集めて温め合おう。そんな気分になる。

2024. 2. 10

100分de名著「マガジンT(第11号)」を読む  第4話 このアジアの〜さらにいくつもの〜片隅で

☆吉田、アジア歌うってよ
 当時、どっかの音楽誌に載ったツアー序盤の渋谷公会堂の最新レポートで、久しぶりに「アジアの片隅で」が歌われ観客が総立ちになったことを知って驚いた。えっ!?「アジア」を歌うのか!?。いわずと知れた煽情的な歌詞に拓郎のシャウトと観客の唱和のグルーヴが織りなすソウルの塊だ。少し遅れた拓郎ファン世代の自分にとっては「アジアの片隅で」はソフィスティケートされた「人間なんて」だった。燃え立つ渋谷公会堂の客席が目に浮かび、野外の札幌大倉山を想像すると85年つま恋で観客の振り上げた拳の壮大な波が脳裏をかけめぐる。覚悟を決めて私のその日を待った。

☆失われたシャウト
 ようやくライブに参加できたのはツアー終盤の91年10月20日の浜松市民会館だった。いきなり三曲目に、あの聴きなれたギターのカッティングとともにそれはやって来た。急なことすぎて俺もたぶん他の客席も即効でスタンディングしそこなった。歌い始めた拓郎はあのサビ♪このままずっといきていくのと思うのだがぁあぁあぁあぁあ(叫)のフェイクのシャウト部分をまるっと歌わなかった。4番まで全部シャウトの前に寸止めだ。ええー。拓郎のシャウトもなく、そのまま観客の唱和もないまま、最後のアジアの片隅でのリフレインもあっさりと流しそうめんのように終わってしまった。こんなアジアは初めてだ。観客が即スタンディングしないから拓郎が流し運転にしたのか、反対に拓郎が流したから観客がノらなかったのか、とにかくあの魂のグルーヴはなかった。頭の中でさまざまな妄想が駆け巡った。

 @拓郎が体調不良だった説
 A地方の小会場だったので手を抜いてみました説
 Bさすがに日々40回も唄ってきたに飽きたし疲れていた説
 Cこの歌に情熱がなくなってしまったアジア・オワコン説

 どれひとつとっても幸せにはなれそうになかった。しかし後に田家氏も会報11号のツアーレポートにはこう書いてあった。
「アジアの片隅で」が歌われたときの「おお」という客席のざわめきや一気に加速されてゆくようなステージの勢いもそうだ(田家秀樹「会報第11号「ライブレポートin NHKホール」P.25) 
 ホラどうやら熱狂の会場もあったようだ(爆)。それぞれの会場にそれぞれの様相の「アジアの片隅で」があったということだ。とにかく浜松のあの夜の俺はもう終わりゆく「アジアの片隅で」の死に水をとったような気分だった。これが私にとって最後の「アジアの片隅で」となってしまった。各地のアジアはいかがでしたか? 

☆終わりなき日々
 しかし誰がなんと言おうとこの歌は決して色褪せた古きオワコンにはなっていない。
 「アジアの片隅で」の歌詞が、91年の今になって、以前よりもリアリティを増して聴こえる事にも驚いた (同P,25)
 激しく御意。それからさらに33年経った現在もそれは変わらないことにさらに驚く。
 すげ変わる政治家の首とあわてふためく子分ども、闇で動いた金…って今、毎日毎日、新聞が書き立てているじゃないか。国境の戦火も止まる気配がない。道路に座り込みたくなる働く人々がたくさんいる。どうやら年寄りに乾杯の朝はやってきそうにない。この身が滅ぼされてもそれでも政治などアテにしない人々。ああ悲しいくらいピッタリじゃないか。
 他方でツッコミどころもあろう。噂の鳥を放つのは女たちだけでなく男たちもそれ以上であるとこは明らかだ。女まがいの歌と言う表現は不適切にもほどがある。性別の問題ではなく薄っぺらな愛の歌があふれ出して安いやさしさが叩き売られているという意味では正鵠を得て居る。それに甘ったれた子ども達だけでなく大人達も含めてみんな何かに忖度して権利主張すらできなくなってしまっている気がする。いろいろあるが、それでもこの歌の大切な核心は揺らがない。

☆あしたのために(その1)シャウトに備えるべし
 この歌は、今こそ必要だし、今のために作られていたと言ってもいい。誰かがカバーできるかって絶対できやしないし(すまんm(__)m、川村ゆうこ)、誰かが似たような歌を作れっていっても誰も作れやしまい。こんな歌を作って音楽的なクオリティと迫力と高揚感をもって歌いきれるのはこの世界に吉田拓郎ひとりだけしかいないのだ。で、この歌に不可欠な魂の唱和ができるのは、なぁみんな、俺達だけだよな(爆)。拓郎がスタジオ録音盤を残さなかったのもそういうわけだ。

 限りなく可能性が少ないが、もし拓郎が発心して「アジアの片隅で」を歌うぞなんてことなったとき、私達ジジババの拓郎ファンの存在は不可欠である。きたるべきXデーに対応できるようにとにかくみなさん心身ともに元気でいようではないか。自分もいつでも浜松市民会館のお返しが出来るように常に怠りなく生きていたい。

 ということでそれならさぞや浜松市民会館のライブは良くなかったのかと言われれば断じてそうではない。それについてはつづく。
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2024. 2. 9

☆☆☆あなたの旅は大いなる叫び☆☆☆
 小澤征爾氏がご逝去。音楽ましてやクラッシックなんかちんぷんかんぷんの私もこの人にはずっと憧れていた。
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 特にこの本は、失意の受験生だったころ何十回も読んだ。日本の音楽界でサッパリ評価されなかった若き小澤はやむなく海外を目指す。さりとてお金もコネもスカラシップもない。そこでスクーターで世界を旅するという条件で富士重工から宣伝名目の資金を得て片道旅費だけで海外に飛び出してゆく。これは、あれよ、無名時代にパイオニアのステレオのCMの前座で全国を歌って回った、あの人みたいなものよ。あ、富士重工って共鳴レックスだ。僕らの旅ははてしなくつづく。そして海外のコンクールを転戦してその名をとどろかせてゆく。その旅の過程の清々しさとみずみずしさに圧倒的に元気づけられるのだ。もちろん海外に修行など行ったことのない無才の私も、オイ!人生って捨てたもんじゃないぞ!と肩を叩かれるような気がするのだ。
 なのでジャンルを問わず海外に挑む若者は俺にとってはみんな若き小澤征爾で、心の底から応援したくなるのだ。
 どうか、ゆっくりとおやすみください。魂の底からご冥福をお祈りします。

2024. 2. 8

100分de名著「マガジンT(第11号)」を読む  第3話 虹と雪ととっぽい男のバラード

 ツアー日程表をみると名古屋市民会館が7月24日で、次の札幌大倉山競技場が7月28日ということで間隔が中3日間しか空いていない。この間に名古屋から札幌に移動して野外コンサートの設営と準備をする。しかも天候は大雨だった。その準備の苦闘の様子が会報にはドキュメント形式で載っている。プロジェクトXみたいでチョッと胸を打つ。スタッフの皆様、実に大変だったのだな。つま恋2006と同じで最後には"晴れ男"吉田拓郎の念力でギリギリコンサート当日に冷たい雨があがったのだった。
 個人的には、なんてったて大倉山ジャンプ競技場と聞くだけで笠谷のジャンプとトワエモアの「虹と雪のバラード」が脳内に流れだす。自然に身体が前傾姿勢になる。札幌五輪の最中に小学校の音楽朝会で音楽担当の痩せたD先生、"通称ドレミファがいこつ"💀>知らねぇよ!の指導の下で「虹と雪のバラード」を歌わされた。しかし小学生には上パート・下パートの区分が難解過ぎてガタガタになってしまった。するとドレミファがいこつがタクト叩いて怒りだして結局一回だけであきらめたはずだ。でも難しいけれどカッコイイ曲だと思っていて、それ以来大好きな心の名曲なのだ。それにしても何で91年にココに行かなったのか、人生で後悔していることのひとつだ。
 会報11号に札幌のセットリストつまりはこのエイジツアーのグランドメニューとなる曲目表が載っている。
札幌大倉山セットリスト1991.7.28
 冷たい雨が降っている
 シリアスな夜
 アジアの片隅で
 ひとりぼっちの夜空に
 レールが鳴ると僕達は旅をしたくなる
 友あり
 恋唄
 素敵なのは夜(メンバー紹介)
 神田川
 青空
 裏窓
 放浪の唄
 吉田町の唄
 悲しいのは
 男達の詩
 enc.1(弾き語り)
 準ちゃんが今日の吉田拓郎に与えた多大なる影響
 enc,2
 この指とまれ
 たえなる時に
 「春だったね」もなければ「落陽」もない。「外は白い雪の夜」も「今日までそして明日から」も「人生を語らず」だってない。そしてオープニング三曲目になんと大作「アジアの片隅で」がセットされている。乾杯のあとにいきなり1350gの3ポンドステーキの肉塊が出される結婚披露宴みたいなものだ。…おっふ!食えねっす。そのくらいとにかく攻めてるセットリストだぜ。文句を言い出すと「ウェーイ神田川」はもうたくさんだとかあるが…いろいろあってもそれはそれ。
 しかも最後の本日のデザートは弾き語りという日替わりメニューだ。「蒼い夏」、「こうき心」、「ハートブレイク・マンション」、「Voice」、後半は「落陽」も弾き語りで加わった。
 このメニューに基づいて実際に出された料理はどうだったのか。札幌の地はかなりドラマチックに盛り上がっているように見える。なんたって野外だし。この映像は全編観たいものだ。しかしセットリストはほぼ同じでも俺の実際に観た浜松市民会館とはずいぶん空気は違っていたような気がする。
 この重量級のメニューとは裏腹にこれに基づく実際のライブはその土地と状況に応じて独自の独特な雰囲気が展開していたのではないかと思われる…ということを考えてみたい。つづく

2024. 2. 7

100分de名著「マガジンT(第11号)」を読む  第2話 なのにあなたはハワイへ行くの

 ツアー日程表をみると7本目の福岡サンパレスが7月5日で、次の神戸国際会館が7月16日ということで間隔が11日間も空いている。この貴重なひとときを拓郎は何かをせずにはいられない。会報11号で石原信一は書いている。
7月に拓郎はツアーの途中でハワイに飛んだ。所属する宇田川オフィスの宇田川幸信社長の結婚式だった。拓郎夫妻が挙式の際の立会人になったのだ。…拓郎がハワイに行ったらもうツアーを続ける気がなくなるかもしれないと言って宇田川社長をおどした。45本という拓郎にとって前代未聞の長期ツアーが、自分の結婚式のため、早々に緊張の糸が切れる可能性が多分にあると宇田川社長も不安がった。しかしハワイから拓郎は元気で帰ってきた。(会報第11号 石原信一「続挽歌を撃て( TIME)」より)
 当時、若かった俺は、この記事を読んでこの大変なツアーの途中に行くか?、終わってから行けばいいんでねぇの?と思ったものだ。あれから30年…歳をとった今は、しみじみと素敵なことじゃないかと思う。陰口いってる人もいるでしょうね、長い休暇を取りました休んでいると落ち着かないってのは知らぬうちに病んでるんですね…というのと同じ世界ではないか。
 わりと最近になってこのころのことを拓郎はラジオでボソッと語っていたことがあった。媒酌人を頼んできた宇田川氏に対して、拓郎が俺を媒酌人にしたいなら、ハワイへ連れてゆけということで、このツアー中にハワイ挙式を押し込んだらしい。
 こっからは俺の想像と妄想だ。媒酌人をお願いした宇田川社長は、まさかそんなツアー中にめっそうもない…せめてツアーが終わってからというと固辞したに違いない。
 もちろんハワイ好きの拓郎だ。半年間もの長いツアー、途中でハワイでも行かにゃあやってられんという気持ちもあったろう。
 でも結婚という人生の祝福を、遠慮したり、先延ばしにしたりするのではなく、ベストシーズンのハワイで迎えてあげたい。その深い愛情がツアーの途中にぶっこんでもやろうじゃないかということになったに違いない…と思いこむ。
 音楽、コンサート、生活、祝福と祝祭、そしてハワイ、すべてが人間にとってひとしく大切なものなのだという吉田拓郎の人生観のようなものを感じる。また音楽はそれだけ日常の傍らにあったことの証左ではないか。ああ素敵だなと今は思う。これはあるべき働き方改革の先取りだったのではないか(爆)。なぜにあなたはハワイへ行くの、ハワイの島はそんなにいいの…YES!と拓郎は答えるに違いない。この頃の私はこれからの吉田拓郎の歴史においてハワイがかなり重要な場所になってゆくことを当然まだ知らないわけである。
 

2024. 2. 6

☆☆☆ありふれた俺にも雪が降る☆☆☆
 雪だ。大変な思いをされている方々を思えば手放しでロマンチックだなどと言えない。それでも窓から眺める深夜の雪あかりの景色は胸にしみる。こういう時に一緒に聴くのが"青春の詩"の「雪」だと厳しかったが、現在の私には"ah-面白かった"の「雪さよなら」がある。イイ。ちょいとおしゃれな気分になる。そのうちに「あぁ、しばれるねぇ」と言いながら倍賞千恵子の小さな居酒屋で熱燗を呑みたくなる…そして歌い出すのさ「舟唄」を〜>結局、舟唄なのかよ。
 ♪Shimijimi drinking, Shimijimily Only memories go on by

2024. 2. 5

100分de名著「マガジンT(第11号)」を読む  第1話 はーしれ、はしれ、ツアーのトラック

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☆さよならだけ残して
 会報第11号の巻末の小さなお知らせが刺さった。
 誠に勝手ながらプライベートマガジン「T」は次号のNO.12をもって終了とさせていただきます。
 …運命みたいに僕にも悲しみが湧いてきた。正確にはこの後でニフティサーブのパソコン通信「自分の事は棚にあげて」として継続してゆくという告知が続くのだが、当時パソコンなんかとは無縁だった俺にはこれにて終了と言う宣告にしか聞こえなかった。そちらから刊行を切ったから、君はもっと他の事も言おうとしてたんだろう。
☆気をとりなおして…あと2号
 さてラス前の会報11号は、91年エイジツアーの総括特集号だ。特に7月28日の札幌大倉山ジャンプ競技場での野外ライブのドキュメンタリーが中心記事になっている。前代未聞の45本ツアーは、6か月にわたり挙行された。11号の裏表紙に注目。ツアートラックがあった。SATETOの時にはサッポロ★ドライをデザインしたツアートラックがあったが、それに次いでこれが最後のツアートラックではなかろうか。
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 私が参加した浜松市民会館の公演の翌朝、浜松コンコルドホテルの前にこのツアートラックがでーんと止まっていたのを発見した。会報の写真は、残念ながらモノクロだが、コンテナ部分は水色に近い青地にペイントされていて白抜きの文字でデザインされていた。それが朝の光に輝いていてそれはそれは美しいツアートラックだったのよ。
 運転席のフロントガラスのところに無造作にコンサートパンフが立てかけてあった。当時、いまの世に普及している あのツルツルしたもの(阿部定@「不適切にもほどがある」)があったら写真撮りまくっていたのだが。
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 もし現在の世の中だったら、きっと誰かが、全国45か所のツアートラックの写真をスマホで撮影して集めて写真集を作ってくれるかもしれない。かもしれないじゃない、絶対そうする、ある種のクォリティーをもってそうするに違いない拓バカを個人的に何人か知っている。吉田拓郎のツアートラックが全国を走り回る…想像するだけで素晴らしい。もう私のような爺ちゃんが死ぬ前に観る走馬灯なのだよ(爆)。

2024. 2. 4

☆☆☆ひとりごとです 気にとめないで☆☆☆
 いま、TYで有名な東横線に乗っているのだがミッフィー一色だった。
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 すごい。ミッフィーといえば、「うさこちゃん」なのか「ミッフィー」なのかという問題があるのだが、福音館が「うさこちゃん」で講談社が「ミッフィー」と呼び分けられている。そもそも「よしだたくろう」と「吉田拓郎」みたいなもので別に排斥しあうものではないのでどっちでもいいといえばいいのだが。原典のオランダ語の「ナインチェ」が最初の福音館版では「うさこちゃん」と訳され、英語圏では「ミッフィー」と訳されていたところ、日本でも英訳のミッフィーが広く定着してしまったようだ。私は福音館というブランドが好きだし体験的にも「うさこちゃん」派なのだが、今ではアメリカと講談社という帝国と巨大資本に屈服してミッフィーなどと口走る、何か違うと悔やみつつ。
 ムーミンの人気キャラの「スナフキン」も原典は「スヌス・ムムリク」といい、日本では最初「嗅ぎタバコ君」とか直訳されていたものもあったが、英訳の「スナフキン」が完璧に定着している。こっちはアメリカと講談社に最初から従っており、我ながら一貫性がない。…って何を書いているんだ。

 そうだ、講談社版のミッフィーの翻訳者にして「魔女の宅急便」の原作者の角野栄子のドキュメンタリー映画「カラフルな魔女」を先日観に行ったばかりだった。御年89歳にして溌溂とした美しさ。現役であられる。小さな勇気が湧いた。
 2014年の吉田拓郎のライブのMCで「歳をとって引退とか言ってる人も、まだ今からできる何かがあるかもしれないですよ…」という拓郎のメッセージを思い出した。そうだ、もう残り少ないようで、まだ先は長いかもしれない、欲しいのは答えじゃないんだ。…そうじゃなくてとにかく大切に過ごそうという殊勝な気持ちになった。この貴重なひとときを老人は何かをせずにはいられない…と思うたまでだ。そうそう拓郎、おまえもな(爆)ああ〜フェイドアウトしないでと願いたくなるようなすげえソロをまた聴かせておくれよ。

2024. 2. 3

100分de名著「マガジンT(第10号)」を読む  第6話 愛でないソロはあるはずがない

 さて会報のインタビューは続いておなじみのギターの稲葉政裕の登場だ。最近では2009年のHave A Nice Dayツアーと2002年のNHK101での活躍が忘れられないところだ。しかし、おなじみといえば、むしろ小田和正のツアーや「クリスマスの約束」の方がよっぽどおなじみかもしれない。一昨年、大分県の日田に行った時に「進撃の巨人」に関わっていらしたことにも驚いたものだ。
 1991年当時30歳そこそこの若さだった彼は、アルバム「detente」のレコーディングも全国45か所のコンサートツアーもたったひとりのギタリストとしてフル回転してみせてくれた。先日も引用した「ギターの稲葉君はいっぱいダビングがあって一日中弾いてた日には手がボロボロになって…(鎌田裕美子)」とあるとおり大変だったようだ。本人も語る。
バーッてリズムトラック録ってその後に「ギター何かイントロない?」っていうシリーズがいっぱいあって(笑)(稲葉政裕のインタビューより 会報10号P.12)
 この音が欲しいっていうことになれば、ギター持ってきてアンプも変えて、そのチューニングにして合わせて、で歪みもこのくらいっていうのにあわせて、でソロになったらまた違うアンプを持ち込んで違うギターでやり直すんですよ。だからギターでいうとあのアルバムで6本から7本のギターが入ってますよ。全部機種の違う、同じ機種でも年代が違ったり、アンプが違ったり。(同P.13)
 まさに、八面六臂の活躍だ。やっぱりイナバ、何本あっても大丈夫、わーー>意味わかんねぇよ! しかしもちろん拓郎はムチャぶりしていたわけではない。コンサートの最後の「たえなる時に」のリハーサルで拓郎はこんな言葉を稲葉にかけた。
 「セミアコを弾こうよ」っていうのはありました。…最後は二人でセミアコでっていうのはありました。そういうのは最近はみんなナンセンスだと思って考えたりしない人が多いじゃないですか。でも、結構、大切だったりするでしょう。拓郎さんはそういうこだわりを持っている人ですね。
 フルアコやソリッドじゃないセミアコだと音的にどうなるのか…そこいらは悲しいが俺にはよくわからない。しかし拓郎と稲葉のプロ同志の心がしっかりと結び合っていたことはよくわかる。それだけで嬉しい。それに、わからないなりに大倉山の「たえなる時に」のギターを観ていると少しだけわかった気にもなる。それでいいのだ。その稲葉が拓郎の教えをさらに語る。
 拓郎さんに「メロディアスじゃないとだめだ」って最初に言われたんですよ。「ギターソロっていうのは"ホテル・カリフォルニア"みたいなのが頂点にあって、それに、あーっ、もうフェイドアウトしないでっていうものがないとだめなんだ」って。「メロディがしっかりあって、そこにいくと何度でも感動するっていうものじゃないといけない」みたいなプレッシャーをどんと与えられて…」(同P.13)

 拓郎はラジオでも"ホテル・カリフォルニア"は何回も流してそのたびに大絶賛していた。ソロプレイのイデアのように拓郎の頭の中に理想形としてこの曲があるのかもしれない。思わずdetenteや大倉山の映像を聴き返し観返したくなる。すぐに頭に浮かぶのは「時には詩人のように」…あのギターは顕著にたまらん。
 このアルバムに限らず拓郎のあまたある楽曲のソロプレイの中で、
 ・メロディアスなメロディがしっかりある
 ・聴くたびに何度でも感動する
 ・ああ〜もうフェイドアウトしないで、いつまでも聴いていたい

…そんなソロってあるだろう、君たちだって。あぁあぁ君の好きなソロはなんですか。
いろいろ考えてみるだけでなんかしあわせだ。そのうちそんなソロが泣ける、こんなソロがあるもんねーとお互いに語り合いたいものです。
 ということで素敵なソロに思いをめぐらせながらよい週末をお過ごしください。次回からはいよいよラス前の第11号、怒涛のエイジツアーに突入した吉田拓郎の明日はどっちだ!?

2024. 2. 1

100分de名著「マガジンT(第10号)」を読む  第5話 いなたい雨が降っている

 アルバム「detente」についてのインタビューで、拓郎はミュージシャンらに対して「余計なことはさせなかった」と言い「"いなたい"ことをどれだけやるか」などと語っていた。直接は読んでいないが、田家さんや藤井てっかんの文章に、このことが繰り返し出てくる。どっかで言ったんだろう。鎌田清も言う。
 「いなたいことを平気でやる」っていうのを僕もインタビューの記事で読んだときに初めて「ああ、そうだったんだ」って分かった…(鎌田清のインタビューより 会報10号P.10)
…そもそも「いなたい」ってなんだ? どういう意味なんだ?私はそこから始めなくてはならない。ネットで調べると「いなたい」とはミュージシャンの間で「泥臭い」「ブルージー」さらに「へたうま」といったニュアンスで使われる俗語である。関西のミュージシャンや音楽ファンを中心に良い意味での田舎臭さを表現した…と記されている。わかったような,わからぬような。今までのコンピュータの打ち込みを中心としたレコーディングからシンプルなバンド演奏中心に転換したことが関係するのだろうか。続く鎌田清のインタビューから少しだけ見えてくるものがある。
「70年代っぽいああいう感じ」っていう、そういうアドバイスを受けながらできる限り近づく努力をして。こっちはさそれこそ「あ、いなたいな」と思いながらやってるんですよ、本心は。「あーいなたいな、いいのかなー、こんなんで」っていう。」
 この"いなたさ"に戸惑う夫・鎌田清の発言を受けて妻・鎌田裕美子が先日も引用した答えを投げ返すのだ。
 私なんかシンセのダビングの日とか、ギターを拓郎さんが入れている日とか歌入れの日とかずっと居たから、拓郎さんがギターをダビングしていけばいくほど、何故そのドラムを入れたかっていうのが非常に明確になるのね。あとで拓郎さんがこれを入れたかったからこれが入ってるんだなっていう。
 いいな〜素敵な夫婦だな。やっぱり喜びも悲しみも幾歳月を捧げよう(爆)。鎌田裕美子の言葉からは、拓郎の緻密な設計や計画…という言葉は少し違うかもしれないが、その種の深い考えが窺える。考えに考え抜かれた音楽センスとその格闘によって完成するものが「いなたい」ということなのかもしれない。
 いなたい…というとダサいイメージにも受け取られがちだが、拓郎の「いなたい」はそういうものとは違う。いなたいがゆえに誤解され損したこともあれば、いなたいがゆえに誇りたくなるようなすばらしいことがある。かなり深い言葉ではないか。この「いなたい」の深奥を極めるのがこのサイトに残された仕事ではないか、なーんて、思いつきでテキトーに言ってるだけだが。人間のい、いなたいのい、これからもい。

2024. 1. 28

100分de名著「マガジンT(第10号)」を読む  第4話 喜びも悲しみも幾歳月

 会報10号には、ドラム=鎌田清と一緒に伴侶のキーボード=鎌田裕美子のインタビューも載っている。たぶん、好きな人はみんな大好きだった鎌田裕美子。しかし彗星の如く現れた鎌田夫妻のことについてはいまひとつよく知らなかった。もともとは女性キーボードグルーブCOSMOSのリーダーであられた(旧姓は田中であられる)。キーボード界のキャンディーズあるいはキーボード界のジェイダか、どっちかでずいぶん違うけどさ。
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 いずれにしてもどうりで東京ドームで拓郎と一緒にステージを疾走した魅惑のステージングは、ただのキーボーディストのものではない。納得だ。
 夫はSATETOツアーから、妻はひまわりツアーから参加したが、このインタビューでは鎌田家の食卓にお邪魔しているようなアットホームな感じで、拓郎と鎌田夫妻との出会いから今までが語られている。
 主人から「結構優しい人だよ」とか「みんなに気をつかってくれるんだよ」とか、そういうのを家で聞いていて…すごい気さくにいろんなお話とかしてくれて、おもしろい人だなぁって(会報第10号 鎌田裕美子インタビューP.8)
 主人が実際に会う前に吉田拓郎に対してどんなイメージを抱いておられたのかが何となくわかる(爆)。それにしても気遣いのある優しい人柄…というのがファンとしても嬉しい。
 最初とにかくびっくりしたのが、自分でコンピュータを打ち込んでデモテープを作っているというのを聴いた時に「えっ、そういう人だったの!」って。昔のフォークのイメージだけを持っていたから。シンセの音色もこんな音とかあんな音とかって、そういうのもすごい詳しい…(同P.8)
 人柄の次に音楽家としての琴線に触れる。拓郎の精巧なデモテープや音楽の知識の深さのことはファンにとっては当たり前のことだ。しかし「フォーク」というレッテルによって音楽家吉田拓郎の真の姿が世間からはとても見えにくくなっていることがわかる。「俺はフォークじゃない」という何万回も聞いたこの言葉の意味をあらためてかみしめよう。
 自分の譜面というのも意外だったし…最初はびっくりして「直筆の譜面よ!」とか言いながら感激してたんですよ。「えーコード譜なんて書くんだ」とか言って二人でもう家で盛り上がっちゃって(同P.8)
 いいな。楽譜を書く拓郎のことが嬉しくて盛り上がっちゃうご夫婦がとても素敵である。
 ピアノの音色、シンセの音色、あとダイナミックスとか、プレイもこういう感じのニュアンスのことも「あまりここはジャージーにいかないでほしい」とかっていう時もあるし…とりあえずはプレイヤーが好きな自分のいいと思っているやり方でやるんだけど、それに対しての「僕はもうちょっとこうして欲しい」っていうのは言われる…(同P.9)
 ミュージシャンの個性と自由をきちんと認めたうえで、自身の要望を伝えてゆく…なんかとても理想の上司じゃん。こういう話が聴けることも嬉しい。
 私なんかシンセのダビングの日とか、ギターを拓郎さんが入れている日とか歌入れの日とかずっと居たから、拓郎さんがギターをダビングしていけばいくほど、何故そのドラムを入れたかっていうのが非常に明確になるのね。あとで拓郎さんがこれを入れたかったからこれが入ってるんだなっていう。(同P.10)
 もう拓郎への尊敬の念がにじんでいる。怖いイメージ→やさしい人柄→音楽家としての驚き→そして尊敬・敬愛というようにインタビューの中に吉田拓郎に対する心境の発展的プロセスがキチンと現れているのが面白い。勝手な思い込みだが、読みながらこちらもまるで鎌田夫妻と心を打ち解けていくような柔らかな気持ちになるってもんだ。
 とにかく鎌田清・裕美子夫妻は人柄的にもサウンド的にもある種の安心感と頼もしさがあった。この頃の音色も大好きだ。このご夫婦の事を考えると俺は佐田啓二・高峰秀子の灯台守の夫婦の映画「喜びも悲しみも幾歳月」を思い出す。しかも映画の舞台は観音崎灯台だぜ(爆)。ぴったりじゃないか。あー♪オイラ岬の〜灯台守は〜主題歌もイイのだ。カラオケで練習して鎌田夫妻に捧げたい>いらねぇよ!
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2024. 1. 27

100分de名著「マガジンT(第10号)」を読む  第3話 なかなかたどり着かない雨降り

 会報第10号は、アルバムdetenteとエイジツアーに参加したミュージシャンへのロングインタビューがメイン記事になっている。最初はドラムス鎌田清だ。SATETOツアーから参加した彼は、キーボードの鎌田裕美子とご夫婦であられる。今回のツアーミュージシャンは、鎌田清が選抜したというバンドマスターでもある。
 矢沢永吉のバックをはじめロックンロールご出身で、1957年生まれというので武部聡志と同年でありんす。初めてのドラム体験についてこう語っていた。
 高校の時に初めて叩いた曲が「たどり着いたらいつも雨降り」だったんです
         (鎌田清のインタビューより 会報10号P.8)
 これを聞くともう一人思い出す人がある。
 拓チャンを初めて意識したのは「たどり着いたらいつも雨降り」だった。ビアガーデンでやり始めた時…彼らのステージであの曲だけ叩かせてもらったことがあったの。
       (島村英二のインタビューより 田家秀樹「豊かなる一日」ぴあ P.147 )
 奇しくも二人ドラマーとの縁がある。しかし二人とも拓郎と組んで以後、ついぞそのプレイの機会がなかった。いや、鎌田清は、SATETOツアーのメドレーの中で部分的に叩いたが完全なプレイではない。島村英二は、「拓郎と出会って以降何度となく「あの曲叩かせてよ」と言っているそうだ。」(田家秀樹「豊かなる一日」ぴあ P.147)
 …これはあれだね真正"天邪鬼"だね。叩かせてと言われるたびに、そこまで言うなら絶対叩かせてやるまいと思っちゃうんだよ、きっと(爆)。

 なるほどロックの古典ともいうべき「たどり着いたらいつも雨降り」だ。ロックンローラー吉田拓郎の入り口の機能を果たしている。ちなみにフォークの入り口は「今日までそして明日から」あたりか、ポップ・アイドル系の入り口は「結婚しようよ」…多彩なジャンルに向って扉が開かれている吉田拓郎だ。
 ロックンロールとしての「たどり着いたらいつも雨降り」は意外と吉田拓郎による決定版がない。「みんな大好き」はシャウトと怨念が足りないのよ(※個人の感想です)。俺はつま恋75がベストだと思うが、FMで放送されただけで公式ではない。やっぱりこれって瀬尾ビッグバンドでガッツリ演っておいて欲しかったな。どうでっしゃろ島村英二と鎌田清のツインドラムで。

2024. 1. 26

100分de名著「マガジンT(第10号)」を読む  第2話 日々旅にして旅をすみかとす

 これまで私はエイジツアーだ!、45公演だ!、と軽々しく口にしてきたが、会報にも載っているツアースケジュールをいまいちどしっかりと眺め直してみる。怒涛のツアーだ。ビッグコミックオリジナル連載エッセイの「TAKURO NEWS」で拓郎本人が「あまりの本数と長さに驚きました」と書いていたように、よくもまぁここまで公演旅程を組んだものだ。あらためてこのスケジュール表に宿っている魂、そして語り掛けてくる魂の発露に耳を澄まし目を見張ろう。
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 TAKURO YOSHIDA TOUR '91 〜detente〜 
 1991/06/16 (日)鹿沼市民文化センター (栃木県)
 1991/06/20 (木)サンシティ越谷市民ホール (埼玉県)
 1991/06/26 (水)藤沢市民会館 (神奈川県)
 1991/06/28 (金)浦安市文化会館 (千葉県)
 1991/06/30 (日)渋谷公会堂 (東京都)
 1991/07/03 (水)長崎市公会堂 (長崎県)
 1991/07/05 (金)福岡サンパレス (福岡県)
 1991/07/16 (火)神戸国際会館 (兵庫県)
 1991/07/18 (木)京都会館 第一ホール (京都府)
 1991/07/20 (土)紀南文化会館 (和歌山県)
 1991/07/23 (火)土岐市文化プラザ (岐阜県)
 1991/07/24 (水)名古屋市民会館 (愛知県)
 1991/07/28 (日)大倉山ジャンプ競技場 (北海道)
 1991/08/03 (土)白河市民会館 (福島県)
 1991/08/05 (月)花巻市文化会館 大ホール (岩手県)
 1991/08/08 (木)三沢市公会堂 (青森県)
 1991/08/09 (金)青森市文化会館 (青森県)
 1991/08/20 (火)熊本市民会館 (熊本県)
 1991/08/22 (木)宮崎市民文化ホール (宮崎県)
 1991/08/26 (月)新潟県民会館 (新潟県)
 1991/08/27 (火)佐渡市会館・公民館 両津文化会館 (新潟県)
 1991/08/30 (金)立川市市民会館 (東京都)
 1991/08/31 (土)茨城県立県民文化センター (茨城県)
 1991/09/05 (木)伊勢崎市文化会館 (群馬県)
 1991/09/07 (土)新湊中央文化会館 (富山県)
 1991/09/13 (金)神奈川県民ホール (神奈川県)
 1991/09/17 (火)千葉県文化会館 (千葉県)
 1991/09/19 (木)調布市グリーンホール (東京都)
 1991/09/20 (金)大宮ソニックシティ (埼玉県)
 1991/09/24 (火)鹿児島市民文化ホール 第一 (鹿児島県)
 1991/10/03 (木)岡山市民会館 (岡山県)
 1991/10/05 (土)広島郵便貯金ホール (広島県)
 1991/10/07 (月)徳山市文化会館 (山口県)
 1991/10/12 (土)舞鶴市総合文化会館 (京都府)
 1991/10/14 (月)長浜市民会館 (滋賀県)
 1991/10/17 (木)大阪厚生年金会館 大ホール (大阪府)
 1991/10/18 (金)浜松市民会館 (静岡県)
 1991/10/21 (月)知多市勤労文化会館(愛知県)
 1991/10/23 (水)名古屋市民会館 (愛知県)
 1991/10/26 (土)徳島市立文化センター ホール (徳島県)
 1991/10/29 (火)高松市民会館 (香川県)
 1991/10/30 (水)高知県立県民文化ホール (高知県)
 1991/11/05 (火)NHKホール (東京都)
…首都圏日帰り5公演に慣れてしまった昨今(いやそれはそれで素晴らしかったよ)、どうしたってこのラインナップには圧倒される。こういう時に、したり顔で昔はもっと本数やってたよとか他のシンガーはもっと公演数やってるぜとか言う人もいるかもしれないが…うるせぇよ。1991年の吉田拓郎その人の話をしてんだよ。
 本数ももちろんだが、札幌大倉山の野外ライブもあるし、佐渡ヶ島に渡ってのアイランドコンサートまでもある。それに公演ではないが、7/5の福岡から7/16の神戸の間に、拓郎はハワイに渡航して宇田川社長の結婚式に出席している。もう吉田拓郎のすべてが象徴的に収められているツアーだ。…いやそんなヘリクツを無理して付け加える必要がないほど、このツアー日程だけで十分にすんばらしいことが伝わってくる。
 あぁ現在だったらどうだろうか。これだけのツアーをもっともっと楽しむことはできたかもしれない…と悔やまれる。しかし後悔とはかつてそこに愛があった証拠である(by 是枝裕和)。とにかく33年も昔のことだが、今あらためて心の底から誉めよう、そして讃えよう。拓郎あなたはホントによくやったよ。ありがとう&お疲れ様でした。

2024. 1. 24

100分de名著「マガジンT(第10号)」を読む  第1話 ツアーが決まると僕等は合宿がしたくなる

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☆選抜と合宿の91年
 会報の終りが見えようとも、世間の風が冷たかろうとも、さあ、拓郎が、いよいよニューアルバム「detente」をひっさげて怒涛のエイジツアーに進撃するぞ。Go for it!

 91年の特徴として少数精鋭ミュージシャンたちとの徹底的な合宿があげられると思う。鎌田清が中心になって集めた若手ミュージシャンつまりは…
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   鎌田清(ドラム・34歳)
   鎌田裕美子(キーボード・31歳)
   稲葉政裕(ギター・31歳)
   青柳誠(キーボード&サックス・30歳)
   榊原雄一(ベース・27歳)
           ※年齢はツアー当時のもの
 彼ら五人がニューアルバムのレコーディングから全国45本のコンサートツアーまで一貫して回してゆくことになった。あの伝説の王様=極悪バンドと同様のフォーミュラである。そして制作・リハーサル・準備活動がすべてが長期合宿形式でおこなわれた。合宿大好きの拓郎さん…ということもあるかもしれないが、吉田拓郎を体解したあの極悪バンドの境涯に達するためには、文字通り寝食を共にする共同生活が不可欠だったのではないだろうか。14日間であなたも名ドライバー!!伊豆大島・波浮港自動車教習所の合宿免許みたいなものだ。>知らねぇよ

☆突貫レコーディング合宿
 1991年3月、アルバムdetenteレコーディングのため観音崎スタジオの隣接ホテルで20日間の合宿が挙行された。観音崎マリンスタジオで全13曲のオケ録りからトラックダウンまで20日間でを一気に完成させた。早朝から深更まで世界記録並みのレコーディングスピードだったらしい。タイムテーブルはとにかく怒涛のレコーディングだったようだ。以下は会報10号のあちこちから拾って整理したものだ。

 9時 朝食(ワカメの味噌汁)
 10時 スタジオ音出し
  〜以後18時の夕食までぶっ通し、1日3曲ペース
 深夜1時ころ スタジオ終了
 その後もチェック・修正作業


(人々の感想)
・レコーディングはしんどかったよね…とにかく朝から夜までやってますからね。次の日は全然違う曲が3曲待ってますからね。僕は凄く頭が混乱したな。(鎌田清)
・ギターの稲葉君はいっぱいダビングがあって一日中弾いてた日には手がボロボロになって…(鎌田裕美子)
・拓郎さんのギターに対する情熱がヒシヒシと伝わってきて指がとても痛かったです…精神的には一日が長かったですね(稲葉政裕)
・拓郎さん!朝が早いんですよね 夜遅くまでべったりおって、朝が早いんです(青柳誠)
・いいかげんワカメ(の味噌汁)ばかりじゃ飽きるよね(石原信一)

☆そして聖地つま恋リハーサル合宿
 1991年5月〜6月、コンサートツアーリハーサルがつま恋でおよそ30日間かけて挙行される。

 午前中 各ミュージシゃン音色などの調整
 11時30分 食事
 12時 リハーサル・スタート
   ぶっとおしで、途中10分程度のトイレ休憩を挟んでつづく
 18時 夕食
 19時 リハーサル再開
 21〜22時まで
 23時から飲み会


(人々の感想)
・5日間くらい合宿してあと都内でというのはあるんですけど、全部合宿というのはなかった(榊原雄一)
・拓郎さん朝早起きだからちゃんと日光浴して(鎌田裕美子)
・ 僕らとはもう5時間くらい生活の時間差があるんですよ(鎌田清)
・ 楽器によっては音色作ったりするから リハーサルの前の午前中をキープしたり
スタッフは朝から晩までリハーサルスタジオにいて(鎌田裕美子)
・夕食の時に拓郎さんが酒の誘惑に負けちゃうとその日はないですね(鎌田清)
・拓郎さんが「まぁ飲めまぁ飲め」とい言うんですけど…甘えて飲んでいると記憶がなくて(稲葉政裕)

☆合宿の帝王
 会報のミュージシャンインタビューでは、ハードな完全合宿にみんな戸惑っているようだが、それでも率先して切りまわしてゆく吉田拓郎の真摯な凄さに惹きこまれてゆく様子が窺えた。
 吉田拓郎の合宿好き、合宿力の凄さが伝わってくる。そうそう雲仙普賢岳のスーパーバンドのドキュメントで、つま恋で合宿でリハーサルしようと提案して、苦笑されつつ却下されるシーンも思い出す。どんだけ合宿が好きなんだ。
 しかし私たちは知っている。古くは「ローリング30」の箱根ロックウェルのレコーディング合宿、ライブ/イベントのメイキングビデオなどでの恒例のつま恋など名作、名ライブの歴史は合宿によって作られてきたのだ。
 典型的なインドア派で外出嫌い、旅嫌いという拓郎だが合宿は別のようだ。合宿においていかんなく発揮される才能の瞬発力たるや凄まじい。きっと合宿には何かが降りてくるのだ。ちょうど神楽坂の旅館にカンヅメになって書き上げる夏目漱石か伊集院静みたいなものだろうか?それともいつかラジオで言っていた「モータウンスタジオ」が理想としてあるからなのか。とにかくここは仰ぎみて吉田拓郎を合宿の帝王と讃えたい。
 
 とりあえず言っておく。今度ライブをすることがあったら、つま恋でファンも含めて合宿をしよう。リハから何から全部つきあう、合宿つきライブというのはどうだ。

2024. 1. 22

☆☆☆パリピ後藤☆☆☆
 自分で書いといてなんだが、2023年10月22日のa dayの会報5号の後藤由多加のインタビュー。学生時代、借金が膨らんだ後藤が起死回生、大学でフォークイベントを催す話。

「後藤は早稲田大学内の数十ものサークルを回って、サークルの人が呼びたいミュージシャンをリサーチし、そのミュージシャンを呼ぶから、チケットを捌くよう依頼する。その際、採算ラインを計算したうえで500枚以上売ったら、一枚につきチケット代のおよそ25%を取っていいという条件を取り付けた。これによって、各サークルはお目当てのシンガーが観たいため、また利益のためにチケット捌きを頑張り、それによってコンサートの制作コストの回収を確実にできるという計画だった」

 なんかメチャメチャ既視感があるな(爆)。

2024. 1. 21

100分de名著「マガジンT(第9号)」を読む  第8話 すれ違うような時が行く

☆背中合わせのランデブー
 さて、この会報にはあと3号で廃刊となる運命が待っていた。この時はまだそのことを知る由もなかった。それでもなんかしっくりいかないものは感じていた。
 前にも少し触れたが、会報第6号の巻末に「編集部ステイトメント」と題して藤井てっかん氏が、次号から紙面刷新を図るので会員の声を聴かせてくれと呼びかけていた。しかし翌7号の編集後記はこう記されていた。「悲しいかな本誌に関する反響は一通も来なかった。どうなってんだ、いったい。変革をとげようとする「T」に皆さんは何も感じないのでしょうか!?」…怒ってはる、てっかんはん、えらい怒ってはる。ファンを叱るファンクラブの会報って言うのも凄いな。
 しかしつづく会報8号では次号で「どうなる来年の巨人軍」という特集記事のために会員のコメントを募集したところ、会報9号では「悲しいことにほとんど集まりませんでした」ということで、イベンターの宮垣さんとか、こすぎじゅんいち、石原信一、ユイのスタッフとか身内のコメントで紙面を埋めていた。まぁ敢えてこの会報で巨人軍を特集してどうすると言う気もする。
 とにかく公式ファンクラブの会報と会員とのまるで背中合わせのような空気…これはいったい何だったのだろう。

☆祭りのあと
 公式ファンクラブの会員数とかその増減はまったくわからないが、ともかく会報と読者の間に静かなすれ違いが見え隠れしていた。その理由を思いつくままに勝手に考えてみる。

 @会報がスタイリッシュ≒よそよそし過ぎて参加しにくい
 Aファンの多くが仕事、結婚、子育て等々で日々拓郎どころではないライフサイクルに突入していた
 Bバブル真っ盛りで世界はもっと楽しい宴に溢れていた
 CたぶんAとBも関連して「何が何でも拓郎一択」という拓バカの絶対数が減少した
 Dファン同志の交流・情報交換は、さあくる、軍団という私設FCの方が充実していた

…他にもいろいろあるだろう。当時、俺みたいなヒマだったフリーターとは違い、大人のファンは切実に忙しかったのかもしれない。もうかつての"拓郎祭り"はあらためて終わってしまったことを痛感する。そしてこれは公式会報とファンとの関係だけではなく、吉田拓郎とファンとの間の熱度をも反映している気がしてならない。そこいらあたりが91年前後に漂う切ない哀しみの要因のひとつではないかとも思うのだ。

☆黄昏彗星群あらわる
 そこに彗星のように登場したビックコミックオリジナルの「自分の事は棚に上げて」によって会報はトドメを刺されたのではないか。なんてったて2週間に一度、毎回、吉田拓郎本人のエッセイに加えて最新のご尊影写真と「TAKURO NEWS」なる最新活動情報までがもれなくついてくるのだ。特にTAKURO NEWSは小さなはみだしコーナーだが、拓郎本人によるレコーディング、ツアー、メディア出演、最新提供曲などの告知であり「元祖拓つぶ」といえる。当時、私は雑誌を買うと真っ先にこのTAKURO NEWSからチェックし、次に写真を味わい、それからエッセイ本文を流し読むというかなり失礼なルーティーンだったことを思い出す。いずれにしてもこの雑誌連載は普通のファンクラブの持つ情報の速報性と充実を凌駕してしまっている。ということで公式ファンクラブへの期待は、チケットの会員優先販売があればいいということで矮小化してゆく流れが加速していったのではないか。

☆それでもついてくわ 手を離さないで
 しかし、例えばスポーツ観戦を楽しむには、スポーツ新聞だけなく、雑誌Numberのような考察系・掘下げ系解説媒体も不可欠であるように、この会報の存在意義も大きかったはずだ。実際にこうして読み返してみると素晴らしい記事や貴重な論考が満載だった。これらを熱く歓待できなかった状況こそが、やはり90年前後のそこはかとない哀しみなのだ。
 というわけで、この会報のリアタイでの「不幸」と受け手側の側のいたし方ない「不孝」を悔やみつつ、もう別れが近づいていった。止めないで!と八曜社に励ましのお便りを書きたいところだ。でも、あなたの読者でいたことを誇りに思える今だから、かなわぬ願いは求め過ぎず運命の河を流れよう。
 さて、あふれる涙いをぬぐいもせず、次回10号からはエイジツアーの開始である。このロングランツアーどんな内容でどう展開してゆくのか楽しみだ…けどもう知ってるよな(爆)。ともかく頑張れ、会報、骨は私が拾う。

2024. 1. 19

100分de名著「マガジンT(第9号)」を読む  第6話 思い出そうよ、あの時の君

☆おしえてハワイ、思い出してマウイ
 "暫定マウイ島"とか、会報9号の表紙やdetenteのジャケットがどこであろうと、マウイといえば吉田拓郎だ。あれから拓郎はハワイに行けたのだろうか。なんなら剛くんがハワイで挙式して拓郎夫妻が…ん…それはいいや、撤回。でも拓郎はハワイに行って欲しいなと心の底から思う。
 昨年末、さだまさしのカウントダウンコンサートin両国国技館に行った時、入り口では、さだが旗を振る「風に立つライオン基金」を始め、いろんなチャリティが広がっていた。その中に、マウイ島の復興のための基金があった。原田泰治のマウイのジャガランダの木の素敵な絵がチャリティのシンボルだった。
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 昨年のマウイの大火災は記憶に新しい。新しいとはいえ、あのときは募金をしたり悲しんだりした俺も、国技館に行った時にはすっかりその惨事を忘れていた。面目ない。しかしさだは忘れずにマウイのために復興の運動を静かにしっかりと続けていた。おかけで俺も思い出すことができた。
☆忘れかけたこと、忘れないこと
 今も能登半島のことはショックだし怒ってもいるしできることは他にないかとあれこれうすっぺらな頭で考えてみてはいるが、そんなことも僕はきっと忘れるだろう、それでもいつか〜ではなく、そういうとき昔の吉田拓郎の文章の一節を思い出す。
 何でもそうなんだ。当事者以外が、その場では目の色を変えても、次の何かが起きると狂ったようにそっちに飛びつく。大韓航空機撃墜事件はいまどこへ行っちまったんだ。亡くなった人たちの悲しみをいまでも同じように憤っている人間ているのか。
        (吉田拓郎「俺だけダルセーニョ」集英社 P.162)」
 拓郎にガッツリ怒られているような気分になる。文豪カミュもたぶん吉田拓郎のこの文を読んで小説「ペスト」にこんなことを書く>読んでねぇよ。ペストが大流行した死の街で闘ったリウー医師の心根をこう描く。
リウーが勝ち得たのは、ただ、ペストを知ったこと。そしてそれを忘れないこと。友情を知ったこと。そしてそれを忘れないこと。愛情を知ったこと。そしていつまでもそれを忘れないに違いないということだ。ペストと命の勝負で、人間が勝ちえたものは、認識と記憶だった
       (カミュ「ペスト」新潮文庫 P.431)
 何もできないが、せめて、できるだけ忘れないでいよう。忘れないことそれ自体が何かのチカラなのかもしれない。
☆懐古趣味と人はいう
 昔のことばかり書いている、特に33年前の昔の会報をまたダラダラと誰も読みやしねぇのに書いている。バカじゃねぇの。あざけられ、そしられて、理解を産まない。そのとおりだ。しかし、忘れないこと=記憶こそが、自分の何かだ、言えない何かだと思う。俺ごときの記憶だけでなく、ひとりひとりの頭と心の残っている例えば拓郎の記憶それこそが人間を生かしてゆくんじゃないのか。自分が体験した吉田拓郎のいる世界のこと、そしてマウイのことも今起きている悲痛事もせめて忘れないで記憶しておこうぜ。>馴れ馴れしいんだよ…すまん
 なんか今日は引用が多すぎるが、いいのだ、そういう日なのだ。
   記憶とは、死に対する部分的な勝利なのです
        (カズオ・イシグロ『動的平衡ダイアローグ』木楽舎)
 ということで、それぞれの忘れない拓郎の記憶を抱えてがんばって生きてまいりましょう。いつかパッチワークのように糾合できたらいいですね。つづく。
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2024. 1. 18

100分de名著「マガジンT(第9号)」を読む  第5話 教えてハワイ
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 会報9号の表紙の海辺でスラリと伸びた長い脚を投げ出している拓郎、アルバムdetenteのジャケットの海をバックに空がこんなに青いだなんて…と見上げる拓郎、91年のツアーパンフの風吹く丘に立つ拓郎…たぶん同じ場所だと思うのだが、これはどこだろうか? 今回ちょっと気になって調べても
みたが、調べ方が悪いのかどこにも書いていない。気になりだすと気になって仕方がない。そこで、旅行代理店で仕事していた経験のある知人に見せて意見を聞いた。

(旅)これは野生のポインセチアでハワイとかによく観られます。よくはわかりませんが、なんとなくこれは昔のマウイ島じゃないかなと思います。
(星)そんな昔じゃないんですよ。
(旅)いつごろの写真ですか?
(星)1991年です
(旅)…思いっきり昔じゃないですか、33年前ですよ。
(星)………<ちょっとショックで絶句>
 私の脳内で"かまやつひろしさんが♪古き時代と人が言う、今も昔と俺は言う…"と歌い始める。求む!アルバム「detente」をわりと最近のアルバムじゃんと自然に思っている感覚の人。

…ということで、確証はないが、暫定マウイということで、本当のところをご存じの方いらしたら教えて欲しい。つづく。…つづくのかよっ!

2024. 1. 16

100分de名著「マガジンT(第9号)」を読む  第4話 個人的なことに感じる個人的なこと

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☆さまよえるファンごころ
 会報9号に「個人的なこと。」と題する田中ぜんとうよう氏のエッセイが載っていた。"男達の詩ツアー"武道館公演の感想文だが、"田中ぜんとうよう"…誰なんだ。しかしその文章から拓郎に歴戦の熱いファンであられることは十分にわかった。そしてその熱き拓郎ファンの田中氏が苦しんでおられることもヒシヒシと伝わってきた。曰く、いつの頃からか拓郎はファンの恋心には応えてくれなくなり、自分のデスクには仕事が山のようにたまり、世界は戦争の殺戮や政治の危機で煮えくり返ってる。「疲れた」という田中氏の言葉がやるせない。
 当時はこの記事のセットリスト部分だけしか読んでいなかったが、こうして現在あらためて読んでみると切々と胸にしみる。それは時も人も違えど現在とまったく同じ状況だからだと思う。還暦過ぎての仕事はキツイし、肝心の拓郎は第一線を退いてしまい、世界は殺戮と命の危機に満ち、気持ちの悪い政治家どもは勝手なことを言い合うだけでは足りず、自由な批判すら封殺しようとしている。毎日能天気な日記を書いているだけの俺がエラそうに言えたものではないが、それでも田中氏の懊悩は心に響く。
 もういい加減にしてくれないかな。それがそのまま武道館に向う気持ちだった。日本に生まれたこと、東京で暮らしていること、そして自分がここにいることすらすべてがネガティブなことだった。期待するもの、期待できるものが思いつかなかった。ねぇ、拓郎もういいよね。そんな風にして僕は武道館の門をくぐった。(田中ぜんとうよう「個人的なこと」会報第9号P.8)
……なんかもう悲鳴のようにも聞こえる。
☆人は人の生き方をすればいい
 そんな田中氏が武道館のステージで短髪のいでたちで歌いまくる吉田拓郎の姿を目にする。「されど私の人生」「もうすぐ帰るよ」「ひらひら」「東京の長く暑い夜」「ロンリーストリートキャフェ」「春だったね」「ペニーレインでバーボン」「君去りし後」…一部だけどいいセットリストだね。「自分の居場所」をテーマに選曲されている。このライブを味わいながら田中氏は雲の切れ間の光が照らすように何かを掴む。
自分が信じたことをやればいいんだと拓郎は叫んでいた(ように思う) この馬鹿馬鹿しさの真っ只中で犬死しないための方法はひとつしかないんだと、拓郎は教えてくれた。人は人の生き方をすればいいんじゃないか。(同P.10)
 「馬鹿馬鹿しさの真っ只中で犬死しないための方法」…ああ、これは俺が高校生の時ボロボロになるまで読んだ庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」の一節に出てくる「馬鹿馬鹿しさのまっただ中で犬死しないための方法序説」のことだ。"みんなを幸福にするにはどうしたらいいのか"という問いを抱えた主人公薫くんは、馬鹿馬鹿しい世の中で犬死しないために悩み、そして闘う決意をする。その問いと悩みが多くの若い読者に投げかけられ導きとなった。しかしやがてその庄司薫も沈黙してしまった後、たぶん多くの人々が精神の路頭に迷うことになったはずだ。だから村上春樹は庄司薫の後継として書き始めたという説もあるけれどそこまではわからない、やれやれ。しかし、その庄司薫の永遠の問いの答えを吉田拓郎に見つけた人がいるということになんか妙に勇気づけられた。
☆たぶん旅はどこからでも始まる
 見ず知らずの田中氏に深く共感するが、たぶん当時の田中氏は20〜30代だろうが、今さら気が付いた私は60を超えてしまっている。でもいいのだ。さまざまに生きるだけ。人は人だもの。喜びも悲しみも遅れないうちに確かめろ。ということで、いかに現在の世の中が混沌として危うかろうとも、こたえはたぶん吉田拓郎の唄の中にある。わからないが、たぶんきっとある。だからこそ私の旅もまたここから始まるのだ。>さっぱり意味がわからないかもしれないが、すまんな。何を謝ってるのかもよくわからないが、やれやれ。
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2024. 1. 14

100分de名著「マガジンT(第9号)」を読む  第3話 振り出しに戻る旅に馬が飛んでゆく

🌟永遠の音楽雑誌と永遠の編集長

 音楽雑誌「新譜ジャーナル/シンプジャーナル」は拓郎ファンにとってバイブルだった。巨人に報知新聞、阪神にデイリースポーツ、吉田拓郎にシンプありだ。何が何でも吉田拓郎という80年代当時ですら既に偏った音楽雑誌だった。日本の音楽界は吉田拓郎と浜田省吾とふきのとうで回っているという世界観に浸ることができた。大越正実編集長は「この方針で一定の数字を掴んでいるから編集方針は変えない!」と啖呵を切り、吉田拓郎偏愛の旗を守ってくれた偉人いや神だったのだ。そのシンプジャーナルが廃刊してしまって1年以上経って、会報9号に久々にその大越正実元編集長の署名記事が載った。しかし…
 音楽雑誌の生存競争に敗れ去り、そしていささか音楽”業界”ってやつに疲れてしまった情けない僕は、全仕事量の7割がたを 競馬雑誌や書籍づくりにあてている。もともと競馬には並々ならぬ打ち込み方をしていて(略)かけた費用(つまり損した馬券代)は計算している途中に気持ちが悪くなるほどだった。(大越正実「拓郎の単勝をありったけ」会報第9号P.26)
…実にショッキングな告白だった。あのシンプの大越編集長が、音楽雑誌の競争に敗れ、音楽業界に疲れてしまったというのだ。こんな悲しいことがあろうか。その記事は競馬の調教師で熱心な拓郎ファンのKさんと知り合い、二人で飲んだくれ拓郎の話で盛り上がる内容だった。私は競馬をせずギャンブル一般に偏見があるので、すまないが、勝手に競馬に溺れ、やさぐれたイメージを描いてしまい余計に切なかった。
🌟すってんてんのあのじいさん
 ホラあれだよ、賭け事に身をやつして、有り金無くして、すってんてんのあの爺さんが出てくる歌があるじゃない。あの世界だよ。失礼お許しを。呑んだくれながら、二人は、いよいよ迫って来た@フォーライフが総力をあげプロモーションするというニューアルバム(detente)の発売とA本当に実現した45歳45本のエイジツアーに熱い思いを馳せる。いつだって、どこにいたって新作とツアー決起は眩しい眩しい希望なのだ。
🌟ボビーに首ったけ、単勝にありったけ
調教師の最後の言葉が熱い。
 拓郎って、やっぱり肌にあうんだよ。地ベタはいずってさ、耕して収穫しているじゃん、拓郎って。ドロンコになって失敗したりさ…そういう血みたいのを感じちゃうんだよ。血とか性とかさ、宿命でもいいんだけど…(前同P.29)
 やさぐれた空気にちょっと引きながらも落陽を聴いているようなソウルを感じた。確かに、この国ときたら賭けるものなどないさ…これを書いている今現在も本当にそのとおりだと思う。こんな世の中と自分を捨ててみたくなる。だからこうして競馬の事がわからない自分も
    拓郎の単勝をありったけ
 という叫びに妙に共感してしまうのだ。大越正実さん、どこかで逢おう生きていてくれ。
 というわけで今日は久々に「落陽」を聴く。'93の石川鷹彦とのアコースティックバージョンでどうでっしゃろ。
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2024. 1. 13

100分de名著「マガジンT(第9号)」を読む  第2話 魂のReverence

🌟"エンディングおじぎ"の史的展開
 会報9号に載った石原信一による90年年末の「男達の詩ツアー」の最終公演のレポートにこんなくだりがあった。
 彼のフィナーレはこのところ長いおじぎだが、この日は本当に時が止まったかと思えるほど拓郎は深々とおじぎをして動かなかった。「あのおじぎ、ツアーの最初の頃はギャグでおってると思ってたんだ」ギターの松尾一彦が髭をなでながら言った。「ギャグか、まいったな…
       (石原信一「横浜ベイブリッジの畔で」会報第9号P.16)
 俺はこの公演を観てはいないが、それに関係なくすべての拓郎ファンにはその姿がありありと瞼に浮かぶに違いない。今となってはもうおなじみすぎる"フィナーレのおじぎ"だ。この記事を読み、目が覚めてふと思う。もうこの会報のころ(1990年末)には定着していたとすれば、拓郎はいつからフィナーレのおじぎをするようになったのだろう。
 75年のつま恋では「春だったね」のエンディングでおじぎをしているシーンがある(エンディングとあわなくて大変だったと後日拓郎談)が、最後の「人間なんて」でおじぎしている様子はない。70年代後半から80年中盤までは、コンサートの最後は、両手を高々と挙げてヒラヒラ振って投げキッスというのが基本だったと思う。85年のつま恋のフィナーレがその意味では圧巻だ。
 映像でフィナーレのおじぎがしっかり確認できるのは、東京ドーム`89のオーラスの「英雄」の最後だ。ここで深々と頭を下げる。次の90年の"人間なんてツアー"も「俺を許してくれ」の終わりにていねいなおじぎをしてステージを去る。となるとやはり88年の休暇明けの「SATETO」あたりがフィナーレおじぎの転換点だったのではないかと推測される。
🌟美しき芸術品
 いやいや大切なのはいつからおじぎが始まったかではなく>ってオマエが言い始めたんだろ!、コンサートと歳月が重ねられてゆく中で、いかにこれが深化していったかということだ。
 コンサートのたびにあのフィナーレおじぎは胸に刺さる。その日のライブの拓郎の気持と観客の思いの結節点みたいなものだ。最高のライブだった時には、あそこでガッツリと絆のようなものが結ばれる。そうでもなかったとき(爆)…陳腐なセットリスト、客に対する悪態などで多少不満があったときでも、あのフィナーレのおじぎで、すべてOKな気分に説得されてしまう。
 そして歳月がすすむにつれて、怒り、喜び、哀しみ、そして病などいろんなことが起きた。それによってどんどんおじきにこめられるものが深められて、おじぎそれ自体が美しい作品のように彫琢彫拓されていった。
 そしていわずと知れた2019年に頂点に達する。「今夜も君をこの胸に」のリフレインの流れる中、文字通り時が止まったような深い深いフィナーレのおじぎから顔を上げたときの吉田拓郎のあの表情…ああもうたまらん。続きはそれぞれお好きなDVDで。
🌟わたしたちの幸運
 今の世の中でおじぎという所作は、形式的なポーズだったり、謝罪会見のお約束だったり、はては支配者への服従だったりと、なんかいろいろ微妙なものであることが多い。しかし、私たち拓郎ファンは、魂のこめられた美しい所作としてのおじぎというものを確かに知っているのだ。
 拓郎はいつからか拳を振り上げる分をおじぎにかえたのではないだろうか。その頭を下げる姿は決してへつらってはいない。歌い切ったものが胸を張るのではなく、内側に思いをこめて観客にアピールしているのだ。あの長いおじぎをしている間、何を考えているのだろうか。(同上)
…それは誰にもわからない。でも観る者それぞれの中にたぶん無数にあるのだ。
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2024. 1. 12

🌙🌙🌙月下氷人🌟🌟🌟
 さすがにびっくらこいた堂本剛&百田夏菜子お二人のご結婚のニュース。年始に国技館の「生さだ」で「生百田」を観たばかりなので感慨深い。心の底からおめでとうございます。剛くんもついに結婚か。結婚のご報告文に「世界平和」が出てくるところがなんともいいな。
 吉田拓郎が応援してきた堂本剛、さだまさしが推してきた百田夏菜子…もし結婚式があったら媒酌人は吉田拓郎&さだまさしでどうだっ!>どうだじゃねぇよ。私も端くれから、お二人のお幸せと世界の平和を魂の底からお祈り申し上げます。

2024. 1. 11

100分de名著「マガジンT(第9号)」を読む  第1話 1991年とはなんだったのか

 会報第9号の発行は1991年だ。73年とか75年とか79年とか85年とか教科書に載るような年号と違い「91年」と言われてもピンと来ない。地味にスルーされてしまいがちな91年だが、この年の吉田拓郎の活躍は概略こんなんだった。

<通年>
 まず年明け早々"ビックコミックオリジナル"91年3号(1月19日)から、見開きでエッセイ「自分の事は棚に上げて」の連載が始まった。キャッチコピーは"時代に選ばれた男"だったと思う。この連載はなんと3年以上もつづき2冊の単行本にもなった。当時、毎号100万部を超える人気雑誌の豪華執筆陣となり、おなじ1946年生まれの景浦"あぶさん"安武とレギュラーチームメイトとなったのだ。
<上半期> 
 1月からホテルに缶詰めになって曲を作り始め、3月にアルバム「detene」(全13曲)を打ち込みではなくバンドサウンドによって一気に3週間で作り上げて6月に発売。いろいろ意見はあろうがこのアルバムの代表曲は名作「たえなる時に」だ。俺は「裏窓」が好きだが。とにもかくにも名盤ばい。テーマは「男が空を見上げる時」。なんたって13曲も入っているところが嬉しい。「ひまわり」なんて8曲だぜ。量ではない質だというご意見もあろうが、量だって(笑)。スーパーで100g増量と書いてあるとそれだけで買ってしまうじゃないか。それに量が閾値を超えて質に転化するものだとあのクボリ先生も言っておられた。いみふ。
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<中期>
 これらの上半期と下半期の狭間に若者共和国の依頼であの名曲「吉田町の唄」が完成して、レコード未収録曲としてエイジツアーでも歌われ、この曲が翌92年にブリッジをかける。
<下半期>
 エイジツアー。といっても島村英二はいない。エイジツアーってなんじゃい。手っ取り早くこれだ。
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 6月から11月までの超絶ロングランで45本(予定)のコンサートツアーを完走した。実際は43本になってしまったことにも注意だ>なんの注意だよ。まぁ、今日まで生きてきた拓郎ファンにとって2本の中止くらいはかすり傷だ(爆)。とにかく旅が嫌いな拓郎がむっちゃ旅をしまくった1年間だ。
 当時、和歌山に住んでいた友人から「1000人ちょっとしか入らない田辺の紀南会館に拓郎が来るらしいが、そんなに困ってるのか?」と心配の電話があった(爆)。またある時は佐渡ヶ島にも渡ったらしい。ジェンキンスさんか。何気にアイランドコンサートここに再びである。そんぐらいの気合をこめて拓郎は旅をしていたのだ。

 まさに「歌は労働だぜ」というかつての拓郎の口癖を思い出させる働きぶりだった。この1991年1年間を漢字一文字で表すと「旅」だと思う。 物理的な旅だけではなく、父親の声を聴かんとする時空を超えた心の旅があったからこそ「吉田町の唄」も生まれた。
 このように名作を発表し、精力的なコンサートツアー、人気雑誌の連載という「91年の旅」は破竹の大進撃といえる。しかし、しかしだ。それと同時に俺には,91年の旅は、そこはかとない悲しみと背中合わせになっているような気がしてならないのだ。あのとき、世間を吹く風、ライブ会場の空気、それは拓郎だけでなくファンも含めて言葉にできないさまよいの中にあったように思う。このことをなかなか共感してもらえないのだが、求む、居酒屋で涙ぐみながら91年の愛と哀しみを話しあえる人(爆)…そこら辺をそろそろエンディングが近い会報から読み取って書いておきたい。
 しかし現在に思えば、その悲しみも含めて本当にすばらしい旅だったのだとあらためて思っている。では、つづく。

2024. 1. 10

☆☆☆しばれるね☆☆☆
 今年は年明け早々に両国国技館で石川鷹彦先生の笑顔にお会いできて最高にハッピーだった。なのに、その後はなんともやり切れない事態が続く。
 そんな中に八代亜紀さんの訃報に驚く。俺もいちばん好きなのは映画「駅station」の「舟歌」だな。でも、あそちゃんの追悼文があまりにすばらしすぎてもうそれ以上に言うことはない。映画の主題歌なのか映画が舟歌のプロモーションフィルムなのかわからないくらい印象的だった。

 1980年の春に拓郎が夜のヒットスタジオに「あの娘といい気分/いつか夜の雨が」で出演したとき、司会の芳村真理が「拓郎さんて凄くチャーミングなのよね」とつぶやくと横から八代亜紀がいきなり手をあげて「ハイ!私もそう思う!」と切り込んできた姿が忘れられない。嬉しかったなぁ。

 2017年の阿久悠トリビュートコンサートで生の「舟歌」を聴けたのが私の冥途の土産のひとつです。遠くからですがありがとうございました。心の底からご冥福をお祈りします。

2024. 1. 7

☆☆☆闘うキミを嗤うヤツら☆☆☆
 昔、吉田拓郎は「馳せ参ずる」という言葉をよく口にしていた。魂をもって駆けつけるという意味で使っていたように思う。
 ただ現場に行けばOKというわけではないが,やはり魂をもって現場に「馳せ参じた人たち」がいる。彼等を嗤うな。ましてやホントは馳せ参ずべきだった連中と一緒になって石を投げるんじゃないよ。
 「偽善」なんて言葉も目にするが、そんなとき泉谷しげるの「おい!さだ!一緒に偽善に行くぞ!」という言葉を思い出す。胸がすく。いいぞ!泉谷☆。そんな泉谷のもとに拓郎も馳せ参じたんだよな。ということで当然、曲は吉田拓郎の「ファイト!」。よくトチってしまうので(爆)完成版は意外と少ない。やはり'96の感度良好ナイトかな。ふるえながら登ってまいりましょう。

2024. 1. 4

☆☆☆文春砲☆☆☆
 拓郎ファンの朋輩から元旦に発売中の週刊文春最新号のキャンディーズ特集のことを教えて貰った。スージー鈴木とマキタスポーツの対談で、キャンディーズにおける拓郎メロディーへのレスペクトが凄く良かったということだ。今世間で話題になってる例の記事が載っている号なので残っているかと心配だったが、一般書店で余裕で買うことができた。
 朋輩はきっと俺が新年早々仕事場で「紅白のキャンディーズ観ましたかぁ」とか話しかけられていきなり相手をぶん殴ってしまう「とんび」の"ヤス"になってしまうことを心配したのだと思う。すまん。
 だいじょうぶだ。わが心のキャンディーズ。拓郎メロディーが無かったからって、文句や不満などありえない。しかしもちろんこれが森進一紅白スペシャルメドレーでもし「襟裳岬」が入っていなかったら、そのうえ「冬のリビエラ」だけは入っていたりしたら俺は川内康範先生以上に骨まで怒るに違いない。そんときゃ虎屋の羊羹でも許さない。ま、俺が怒ったところで「ヘ」にもならんが。

 しかし、この文春の記事は運命の出会いと思うくらい嬉しかった。私にとってこっちの方がよっぽど文春砲だ。朋輩に感謝したい。昔から思い続けていてこのサイトで何回も書いたが、殆ど共感を得られなかった「夏が来た」=拓郎節そのもの説。同じことを胸に強く抱いておられる方に会えた。しかもこのスージー鈴木は「ペンタトニック」という音楽理論を用いて「年下の男の子」も拓郎節であるという…俺も思ってはいたが怖くて言いだせなかったことを見事に喝破している。なんとクレバーな。
 なので拓郎のメロディ―であろうとなかろうとキャンディーズの楽曲は、鰹節のように拓郎節がいい出汁を出している世界なのだ。拓郎の曲が無かったから不満だとか、そういう小さいところじゃ俺は生きていないよ(爆)

2024. 1. 3

☆☆☆運命のひとひねり☆☆☆
 地震の被害がどんどん詳らかになってゆく切迫したニュースのうえに、航空機が羽田で炎上したニュースをリアルタイムで観て、もう器の小さい俺はキャパ超えでわけがわからない。しかも被災地救援のために海保の方々を乗せた飛行機だったというからもう神も仏もありゃしない気分になる。それに観えないところで原発は本当に大丈夫なのかということも不安になってくる。まさにわたしたちは運命のひとひねりの中で木の葉のように舞うだけ舞うしかない。

 これを超える悲痛事があちこち盛大に頻発してゆくのが戦争だと思えば、戦争は許すまじだとあらためて思う。何といわれようと命を救う営みこそすべてだ。

 お世話になった和倉の旅館はかなりの被害だったようだが、従業員たちが宿泊客を身を挺し庇うようにして的確に避難させてくれたという書きこみをいくつも読んだ。
 すごいスピードで鉄道や空港を回復させる人々、乗客を一人残さず守った航空機の乗務員の方々、現地の救援のために走り回る人々、関西からも駆けつける消防隊、やっぱ人は人でしか救えない。冗談ではなく日本トレーシーアイランド化計画(>なんだそりゃ)に向けてがんばりたい。 
 ジェフ・トレーシーのように資産も救助隊装備もないので、今のところ僅かの募金くらいしかできていないが、これも多種多様過ぎて、どこにどう配分してゆけばいいのか謎が多い。ともかくみなさまの息災を祈ります。

 今日はこの曲かな。T&ぷらいべえつ「運命のツイスト」。なんか活力が湧いてくる。

2024. 1. 2

 地震で被災された皆々様に心の底からお見舞い申し上げます。だれもが新年を迎えて希望に満ちたおだやかな日にこういう事態が待っているというのは全くなんというこの世なのか。
 われらが吉田拓郎も必ずや深く深く心を痛めているに違いない。勝手に断言するが、あの人はそういうお方だ。
 さだのコンサートに行ってみて、あらゆる悲痛事に対して何といわれようと自分にできることからどんどんカタチに実行していく姿にも恐れ入ったばかりだ。
 おれは何処へゆこう君は何処へゆく…何もできないがそれでもヘタレの自分にも何かを感じ何かできることはあるのか。とにかくご無事をお祈りします。

2024. 1. 1

☆☆☆僕らの音楽の旅ははてしなくつづく☆彡☆彡☆彡
 新年おめでとうございます。ここのところ初夏、初夏とウルサ過ぎたか。ともかく昔から正月は冥途の旅の一里塚、めでたくもあり、まためでたくもなしなどと申します。

☆だって日本青年館がないんだもん
 年末年始、いろいろあって行き場所のなかった私は、さだまさしの両国国技館のカウントダウンライブに初めて参加した。大晦日夜8時開演で、落語、紅白の中継、カウントダウンを経て、そのまま「生さだ」観覧に至り、結局元旦午前2時30分までという長丁場だった。しかしながら一瞬たりとも飽きさせなかった。「元・色男」島村英二先生もお元気で踊りまでご披露されていた(爆)。そこでは、ホームもアウェーも何もなく、門外漢の私も含めて音楽に歓待されている気分で最高に楽しかった。またジジババのファンがメインなのだが、彼らが子孫や若い世代を連れてきて思い思いに升席で和んでいる様子はそれだけで素敵なものだった。

☆ホントのエースが出てこない
 なので、紅白での伊藤蘭のキャンディーズメドレーの内容を知っても穏やかな気持ちでいられた。ただ「ラストシングル『微笑がえし』を除くとキャンディーズ一番の売上枚数シングルは『やさしい悪魔』なんだぞオラぁ!」とチョッと思っただけだ。>怒ってんじゃん。いや、いい。それでもいいのだ。

☆石川鷹彦先生の背中
 私が書きたかったのは、昨日生さだの中でさだ本人も話していたようにこの日の国技館には石川鷹彦さんが観覧にいらしていたことだ。
 たまたまツレが、カウントダウンが終わって生さだ収録が開始する前のインターバルの時にちょうどお帰りになられる石川鷹彦さんとご家族をみつけた。飛んできて私に教えてくれたので転げるように玄関口に走った。ああ、石川鷹彦さんだ。出口に向かわれる石川さんの背中におそるおそる声をかけさせていただくと笑顔で振り返ってくださった。顔色もよくて、あの石川鷹彦さんだった。先日の拓郎のラジオの話が忘れられないツレが「拓郎さんのことをお願いします!」と叫ぶと今度は大笑いして頷いてくださった。ご家族も会場の係の人もさすがに笑っていらした。ここはさだのコンサートだ。でも、いいじゃないか…はさらばのB面。玄関口で石川さんは振り返るとまた手を振ってくださった。嬉しさ、感激、言葉にならない純粋経験だ。俺らも涙ぐみながら思いきり手を振った。書いている今もまだ気分が高揚している。

 とにかくSPも一般Pも拓バカもすべからくみなさんお元気でいらしてください。心の底からそう思う。音楽のことなんぞわからない無明の俺だが、端くれとして音楽とともにいたい。それが生きる"よすが"だ。ということで今年もよろしくお願いします。
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2023. 12. 31

☆☆☆また歳月が行ってしまうから☆☆☆
 年始年末はただの通過点と言っときながら大晦日は感慨深い。ホントだったら、大晦日は、日本青年館に行って、篠島アイランドコンサートの映画を観たあとで、ライブを満喫して「ファミリー」を泣きながら唱和する予定だったのに残念だ>いつの大晦日だよ。で、古い唄は捨てたといって、すぐ翌年、お祭りだからと言ってまた拾うのだ>よしなさいっ!…だからこそ今日まで、そして明日の初夏があるのだ。
 ということで拓郎が唄ってくれないのでちょっと音楽の旅に出ます。探さないでください>探さねぇよ!知らねぇよ!

 ホントに皆様、平和で自由な初夏が迎えられますよう心の底からお祈り申し上げます。よいお年をお迎えください。
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2023. 12. 30

⭐️⭐️⭐️バックアップするぞ〜⭐️⭐️⭐️
 紅白の伊藤蘭「キャンディーズ50周年 紅白SPメドレー」はどんなメドレーだろうか?予想してみる。

 やさしい悪魔〜あなたのイエスタディ〜銀河系まで飛んでゆけ〜アン・ドゥ・トロワ

 どうだっ!>どうだじゃねぇよ、ありえねぇよ。…あぁ、笑わば笑え悟りし人よ。こんな馬鹿なことが言えるのも明日になるまでさ、それでいいよね。

 しかしメドレーでまとめて聴くとこの拓提の4曲。まったくカラーが違う名曲4曲を見事に描きわけている。並べ方によって起承転結になったり序破急になったり組曲になったりと多彩だ。天才かおまえは(爆)。
 「あなたのイエスタディ」だけはチョッと今ひとつかなと思ってきたけれど、メドレーに落とし込んで聴くとこの曲のたゆとうような美しさが映える。もうミキちゃんが拓郎のメロディーを切なく歌っているだけで魂が震える。って、出るのは蘭ちゃんじゃん。

 えーい、かまわん。外れてもかまわん。拓提も非拓提も含めてすばらしい世界がそこにある。GO!GO!キャンディーズ!

2023. 12. 29

☆☆☆ゆく年、くる年☆☆☆
 結局、忘年会もせずに今年も暮れてゆくが「初夏」が頭に刻まれた奇特な私には、年始年末など単なる通過点にしかすぎない。吉田拓郎が何年も前から「元旦の朝からウチはトーストを食べる」とラジオで語っていたが、そういう感じでゆきたい。
 映画監督の小津安二郎が

  どうでもいいことは流行にしたがい
  重大なことは道徳にしたがい
  芸術のことは自分にしたがう

 という名言を残したが

  どうでもいいことも重大なことも芸術のこともすべて吉田拓郎にしたがう

 ということでシンプルに生きたい。いいのかそれで。いいじゃないか…はさらばのB面。ということで、ちょっと早いが、ええ唄やね。

     「夏が見えれば」(作詞・作曲 吉田拓郎)

 七月が見えたら 言葉にしてみよう
 もう一度この僕に 時間をくれないか

 夏が見えたら あなたに逢いたい
 見つめたい 話したい 生まれ変わって

 夏が見えれば あなたをこの腕で
 今一度抱きしめて 夏が見えれば
 夏が見えれば 窓を開けて
 あなたに逢いたい 夏が見えれば

 みなさまも御身体にご留意のうえ、良いお年を…じゃない良い初夏をお迎えください。明日も書くけど。

2023. 12. 28

☆☆☆風は向かい風☆☆☆
 森永卓郎氏の病気のニュースがショックだ。ごく最近のインタビュー記事で、老後の楽隠居生活を捨てて、この世界の闇と命がけで闘うという決意を読んだばかりだった。以前、俺は「ポンコツな"人間なんて"をラジオで歌うなよ」とか悪態をついたこともあったが誠にすんません。自由や命が粛々と削られてゆく理不尽な世界の堰にならんとする森永卓郎の覚悟に勇気を貰ったところだった。どうかご快癒され、活動が存分に続けられますように。吉田拓郎のフォースとともにあらんことを。そして長寿と繁栄を。

 最近はこればっかだな。もうこの曲、好きすぎる。

       純

 僕が泣いているのは とても悔しいからです
 人の尊さ優しさ 踏みにじられそうで
 力を示す者達 しなやかさを失って
 ウソまみれドロまみれ じれったい風景でしょう
 より強くしたたかに タフな生き方をしましょう
 まっすぐ歩きましょう 風は向かい風
 どけ どけ どけ 後ろめたい奴はどけ
 有象無象の町に 灯りをともせ
 どけ そこ どけ 真実のお通りだ
 正義の時代が来るさ 希望の歌もあるさ
 僕の命この世に 捧げてしまっていいさ

 どけ どけ どけ どけ 情をなくした奴はどけ
 生きる者すべてが 愛でつながれる
 どけ どけ そこ どけ 正直のお通りだ
 アナタの為の僕さ 悔し涙のままさ
 たぎる情熱の僕さ ゆれる心のままさ
 僕の命アナタに 捧げてしまっていいさ
 僕の命この世に 捧げてしまっていいさ

2023. 12. 25

100分de名著「マガジンT(第8号)」を読む  第9話 街を出てみよう 汽車に乗ってみよう 
 
 NACK5の9時間ぶっとおしラジオ放送の最後に拓郎はこう語った。
 ツアーを生まれて初めて60本か80本やってやるよっていう。死ぬかもしれませんけども、80本やってみようかっていう気分でいるんですよ。
 続くツアーの武道館でも「来年は歳の数だけやる!」と宣言したというニュースがこの会報にも記載されている。その発言聴いた四国のイベンターデュークの宮垣睦男社長の文章が寄せられている。拓郎のラジオの話題にもたびたび登場し、先日(2023.12.15)のラジオでも小田和正とも深いつきあいがある名物イベンターとして名前があがったお方だ。 
  吉田拓郎は嘘つきです。「古い歌はもう歌わない」「アンコールなどやらない」「コンサートはもうやらない」等など数え上げたらキリがありません。その度に僕はがっかりしたものです。がしかし御存知のようにそんなこといつ言ったのかなんて顔しながら元気にステージをやってます。
 最近は真面目になったのかと思っていたところ、先日の武道館でナント「来年は歳の数だけコンサートをやる。」「俺の行ったことのない街でもコンサートをやる」などと大嘘をつくではありませんか、しかも一万人のファンの前で。ツアー本数45本以上、終演後の夜の街が寂しくてもかまわないなんてことは今までに一度たりともあったでしょうか。僕は不安でたまりませんが、本人の決意は固いようです。
 いろんな意味で心に染みいるような宮垣さんの文章だ(爆)。ということで会報8号は、怒涛の91年のエイジツアーへの期待を盛り上げて終わる。いよいよ会報も大詰めだ。どうするどうなる1991年、吉田拓郎と俺達の明日はどっちだ!ということで、会報9号につづく。

2023. 12. 24

☆☆☆星は光っちゃう☆☆☆
 「諸人こぞりて」聴いてますか? 何百回聴いてもすんばらしい。このボーカルの艶とカッコよさ。しぼめる心の花を咲かせ、めぐみの露を置く、主は来ませり、主は来ませり、主は初夏の頃には来ませり

<これまでのあらすじ>
 さてT's会報シリーズをつづける。1990年、デビュー20周年を迎えて短髪になった拓郎は"自分の居場所"というシンボリックなテーマのコンサートツアー「男達の詩」を挙行し、自身の20年を振り返る9時間連続ラジオ、ライブビデオボックス'70-'90の発売など祝祭モードにあった。会報でもライブビデオボックスをガッツリ応援する特集記事が組まれた。その中のひとつを拾う。
100分de名著「マガジンT(第8号)」を読む  第8話 音量を下げるな

 会報のライブビデオボックスの関連記事に吉田拓郎のコンサートのPAを長きにわたって務めた伊沢俊司氏のショートインタビューが載っていた。

1.ホントは怖いユイ音楽工房
「アメリカで32チャンネルのミキサーを買ってきた」という誘いに設立間もないユイ音楽工房に入社した伊沢氏だが、入社してみたら「アメリカ製だけどオモチャみたいな8チャンネルのミキサーが4台あるだけで、(8×4=32)ということでだまされた(笑)」という結構悲惨な入社経緯を語っておられた。
 また83年の豪雨で中止になった後楽園球場サウンドマーケットでは、球場の排水溝にまでシートを敷いたため雨水がたまり溺れそうになって死を覚悟したという。
 わたしたちの憧れとは裏腹に実はとんでもないブラックじゃないのかユイ音楽工房(爆)。

2. PAに望むものは
 伊沢氏は、当時の拓郎はPAにどんな注文をしていたのでしょうかという質問に対してこう答えた。
 とにかくドラムのキックとベースが体にズン!とこなきゃ嫌だって人です。それから激しい曲が続いたあとでスローな曲になっても「音量を下げるな」って注文されたのを覚えています。静かな曲でもガーンて声が聞こえていましたね。
 いいねぇ。なんかとてもよくわかる気がする。ああ、拓郎のライブってそうだったよな。伊沢氏は例えばどのライブのどんな曲かは言ってないので想像するしかない。なんとなく思いつくのは、「王様達のハイキング」→「悲しいのは」→のあとの「S」。 これなんかそうじゃないのかと思う。王様バンドの砲撃のような演奏が終わって、中西のピアノが流れて
  とても長い間君は 愛なんて嘘ッぱちだわと
  強い女が一番似合うんだからと
  意地っぱりでいたんだよね 一人で居る時は
  きっと涙も隠して 空を見ていたんだね…

 まさに上気した武道館で「静かな曲でもガーンて声が聞こえていた」。ああ、いいよな〜ライブは。いろんなライブにあちこち出かけてはみるけれど、結局どこにいってもアウェーなんだもんよ。悪魔のひとやを打ち砕きて捕虜を放たんと主は、主は来てくださらんか。 

2023. 12. 23

☆☆☆季節の花☆☆☆
 ドラマ「いちばん好きな花」が終わった。ドラマの世界に没入するには年齢的にちょいと難しかったので静かに黙っていたが、毎回、誰かと感想を語り合いたくなるような実に深いドラマだった。人の自由って何だったい?、少数派よ魅力的であれ!という昔からの私にとっての教えをゆるやかに表現してくれていた傑作だった。脚本も演者も申し分ない。今後も繰り返し観つづけてしまうドラマに違いない。
 最終回で出てきた「いちばん好きな花は、ひとつでなくていい」というフレーズは、吉田拓郎が2003年の春先に語った「思い出はひとつでなくていい」「あの思い出が一番で、それを超えるとか超えられないというのでなく、思い出はたくさんあればいい」という言葉を思い出させるね。
 好きになればなるほど「いちばん好きな曲」「いちばん好きなアルバム」「一番好きなコンサート」「いちばん好きなサポートミュージシャン」…ひとつになんか絞れなくなってくる。それでいいのだ。それがいいのだ。たぶん好きになるということは「いちばん好きな」何かを選別し突き詰める作業ではなく、「いちばんすき」と言いたくなるようなものでこの世界を敷き詰めてゆく作業なのではないか。
 「明日の前に」は松任谷正隆のアレンジと瀬尾一三のアレンジがある、「リンゴ」は石川鷹彦と鳥山雄司のバージョン、「落陽」は高中正義と青山徹、どっちが好きか、なにがいちばんかではなく、これだけ多様多彩ないちばんがある世界こそが幸福なのだと思うのだ。
 そうそう"バラ"でも"スイートピー"でも"さくら"でもなく「季節の花」とするのもそういうことなんでねぇのか。

 拓郎がご推奨の藤井風の歌う主題歌も良かった。最終回でピアノを弾いている姿…なんか原田真二かティモシー・シャラメかという感じで…んまぁ、なんだな。

2023. 12. 22

☆☆☆初夏の頃☆☆☆
 寒波が押し寄せてきたが拓バカの頭の中はたぶん「初夏」一色である。初夏とはいつなのか? 暦を調べたりしても無駄である。大事なのは、あの人の頭の中にある「初夏」がいつなのか?だから。ということで次のとおりライブ73のライナーノーツが手がかりになる。
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 「1974年初夏…新しい唄を聴いてもらう事になるだろう」と記されている。これはシングル盤「シンシア/竜飛崎」のことだった。「シンシア」の発売は1974年7月1日。ということで、あの人にとっての初夏とは7月1日あたりのことを指すものと思われる。…もし違っても知らねぇけど。
 ということで泣きたい気持で冬を超え気がついたら春も過ぎていた六月の風の中で、せまる初夏、地獄の軍団。わが友よ、イヤ、どなたさまも、それまでは、がんばって生きてまいりましょうぜ。
 ということで聴くべき曲は「初夏'76」なのだろうが、頭の中では愛奴/浜田省吾の「初夏の頃」がずっと鳴っている。好きだあ。

   蒼い雲が河を流れる
   此処は僕等の最後の世界
   木立に透けて見える
   初夏の陽差しと甘い憂鬱
 

2023. 12. 21

☆☆☆半世紀生きた犬の気持ちで☆☆☆
 NHK「ジブリと宮ア駿の2399日」を観た。盟友であり師である高畑勲を失った宮ア駿の苦闘の様子には門外漢の私でも涙ぐんだ。あと宮ア駿と鈴木敏夫Pとの間で写真を撮ってもらっただけで泣いてしまう、あいみょんの気持ちも痛いほど刺さってもらい泣きしてしまった。あれはきっと例えば吉田拓郎と小田和正の間に入って写真を撮ってもらう犬の気持ちだ。>いや違うだろ

 不謹慎だが、このドキュメントの興味のもうひとつは、引退宣言と撤回を繰り返すアーティストの心情とそれに対する周囲の人々の接し方にある。あの方のことを考える時にいろいろ参考になる。
 なぜ毎回、これで終わり=引退だというのか。宮ア駿はこう答えた。
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 …使える。あの方にはこんなサイトもタタリのひとつかもしれないが。宮ア駿のインタビューでは「引退は引退なんだよ」と答えながら「忘れちゃう」「どうでもいいこと」とうそぶく。
 側近中の側近である鈴木敏夫Pは「宮さんは嘘つきだもん。もう辞めると言っておいて、またやる」「でも作る人ってそうだよね。それも才能のひとつなのよ。」という魂のアシストをする。…そういう言葉にかぶせて、作業中の宮ア駿が♪平気でウソをつく〜と鼻歌を歌うシーンが映る(爆)。そういうものなのだ。生まれ出ずる作品を前にウソもホントもない。しかし、ちっ!またウソつきやがってと思う時が不肖私にはある。宮ア駿と吉田拓郎は違うが、同じと言えば同じだ。「吉田拓郎は嘘つきだ」と他人から言われたり、自分で思ったりした時の便法としてひとつの参考にするよろし…

2023. 12. 19

 寺尾関=錣山親方が亡くなった。相撲には疎いが、男前の"つっぱり"力士の勇姿はもちろん知っていた。5年ほど前に生まれて初めて友人に連れられて国技館の相撲見物に行ったことがあった。このときは相撲協会の特別な時期だからか、受付の切符のもぎりがなんと寺尾関=錣山親方ご本人だったので驚いた。当然ガッツリ両手で握手してもらった。慣れない様子で、はにかんだように「中で引き換えて、どうぞ楽しんでいってください」と言う姿がとても素敵だった。
 間近で見てもやっぱり男前だった。そのとき「あ、この人、顔が後藤由多加に似ている」と思った。いや似てねぇよという反論があるかもしれないが、少なくとも後藤由多加系のハンサムだと思った。寺尾と拓郎ってなんかゆかりがなかったろうか。
 それにしても若い。早すぎる。身近な方々、ファンの方々のお気持ちはいかばかりか。心の底からご冥福をお祈りします。
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2023. 12. 18

☆☆☆愛と哀しみのワンハーフ☆☆☆
 ワンハーフでしつこく書いておきたい。同じ1975年、堺正章が吉田拓郎の提供曲「明日の前に」をテレビで歌う時は、必ず「ワンハーフ」というか「中抜き」で1番と4番を歌っていた。なのでそういうシンプルなサイズの歌なのだと思っていた。これまたtくんが「今度のマチャアキの歌、拓郎は手を抜いてるよね」「だよな」と教室で話したのを憶えている。

    明日の前に(テレビサイズ)

 どれだけ歩いたのか 覚えていません
 気づいた時は 風の中
 涙がひとしずく 頬をつたう頃
 淋しい夜だけが むかえに来ました
 あ〜あ人生は 流れ星
 いつ果てるともなく さまようだけです

 時には自分をふりかえります
 話しかけます 涙のままで
 あふれる悲しみを笑いに変えて
 さすらう心根を 歌にたくして
 あ〜あ人生は めぐりめぐる
 いつ安らぐのかも夢の彼方へ

 あーそうっすか、と言う感じの歌として聴いていたのだが、後になってアルバム「明日に向って走れ」を完全版を聴いて、ああああ、実は2番と3番があったのかと知ってすんげー驚いた。鎌倉の大仏が立ち上がったくらいの驚きだった>見たことあんのかよ。フルサイズで聴くこの歌の全容に感銘を受けた。

     明日の前に

 どれだけ歩いたのか 覚えていません
 気づいた時は 風の中
 涙がひとしずく 頬をつたう頃
 淋しい夜だけが むかえに来ました
 あ〜あ人生は 流れ星
 いつ果てるともなく さまようだけです

 いろんな言葉にまどわされました
 枯葉の舞う音も 覚えています
 一人でいてさえも 悲しい町で
 愛をみつけても 言葉がないんです
 あ〜あ人生は 一人芝居
 いつ終わるともなく 続けるだけです

 貧しい心で生きてみます
 こわれた夢も抱きしめて
 傷つけあうよりも たしかめあって
 やさしい鳥になり 空へむかいます
 あ〜あ人生は はぐれ雲
 いつ消えるともなく 流れて行きます

 時には自分をふりかえります
 話しかけます 涙のままで
 あふれる悲しみを笑いに変えて
 さすらう心根を 歌にたくして
 あ〜あ人生は めぐりめぐる
 いつ安らぐのかも夢の彼方へ

 あ〜あ人生は めぐりめぐる
 いつ安らぐのかも夢の彼方へ

 素晴らしい。テレビサイズとは別曲といっていい。この2番と3番があることで、4番の「さすらう心根」が実に深みをもって迫って来る。これは最初はワンハーフだったからこそ一層深く味わえた感激なのかと思ったりもする。

 昨日、ワンハーフの不本意な引き合いに出した「外は白い雪の夜」。これもセイヤングのロックウェルスタジオの初お披露目の時には3番までで終わってしまい、そういうサイズの歌だと思っていところ、完成版にはあの4番があって驚いた。長年3階建てと思って住んでいた家に実は広大な地下室があったことを知ったような驚きだ>ってそれ怖い話だろ、そういうのもういいから。んまあ、だからこそ4番がいっそう愛おしく感ずるのかもしれない。

 「ワンハーフ」「中抜き」のケガの功名とともに、拓郎が言うとおりキチンと全力でつくりこんである楽曲はやはりそれとして味わうべしというお話でした。

2023. 12. 17

☆☆☆O.Hは恋のイニシャル☆☆☆
 あの事件で特によくなかったのは司会者が「ワンハーフ(One+Half)は岡林だってやってんだよ!」と他人を引き合いに出したことだと思う。他人を引き合いにモノを言うことがいかに人を悲しくさせてしまうかということをこの歴史は教えてくれる。「あの人はこうなのにあなたはどうして…」…俺もつい言いたくなってしまうが注意したいものである。…そういう話ではないか。
 とにかく昔は一番+サビの「ワンハーフ」が多かった。「ワンハーフ」がよくないのは、例えば「外は白い雪の夜」をワンハーフにするとよくわかる。たぶんこうなる。

      外は白い雪の夜

 大事な話が君にあるんだ 本など読まずに 今聞いてくれ
 ぼくたち何年つきあったろうか 最初に出逢った場所もここだね
 感のするどい 君だから 何を話すか わかっているね
 傷つけあって 生きるより なぐさめあって 別れよう
 だから Bye-bye LOVE 外は白い雪の夜
 Bye-bye LOVE 外は白い雪の夜

 席を立つのはあなたから 後ろ姿を見たいから
 いつもあなたの影を踏み 歩いた癖が 直らない
 だけど Bye-bye Love 外は白い雪の夜
 Bye-bye Love 外は白い雪の夜
 Bye-bye Love そして誰もいなくなった
 Bye-bye Love そして誰もいなくなった
                           (以上)
   
 なんかミもフタもない唄になっちゃうでしょ。

 ワンハーフやフェイドアウトが当たり前だった1975年秋のラジオで「全曲最後までかけます!」というのを売りにした音楽リクエスト番組があった。ココで、当時のヒット曲「となりの町のお嬢さん」が流れたのだが、なんと2番をカットして1番と3番をつなげて編集した曲を「最後まで」流したのだった。たまたま一緒に聴いていたtくんと「あれ二番歌ったか?」「オレ意識失っていたかもしれない」と中2の俺たちはショックを受けた。
 何日か後の朝日新聞にこの番組が全曲かけるといいながら実はカットしていたということで苦情が殺到し、吉田拓郎さんサイドから番組にクレームがあったとの記事を読んで得心したものだ。
 それにしても「となりの町のお嬢さん」で2番を抜いてみ? ♪となりの町のお嬢さんが僕の故郷へやってきた(1番)の次に♪となりの町のお嬢さんは僕を残して行っちゃった(3番)〜早っ!となりの町のお嬢さん通過しただけかっ!早すぎだろ。
 
 ということで「ワンハーフ」も「中抜き」も誰も幸福にしないものなのでいけません…という話だが、明日につづく…って、つづくのかよ。
         

2023. 12. 16

オールナイトニッポンゴールドのあらすじ
 2023.12.15 僕の音楽の旅はまだつづいている 

<おかえりなさい、待ちわびていました、深夜ラジオといえばTHE ALFEEの覆面バンドのビートボーイズ、40周年記念の時の拓郎さんの温かなお言葉、最近のコンサートのグッズが「おかきのうなぎあじ」、拓郎さんからのTHE ALFEEの曲のコメントが欲しいという投書>
 コンサートグッズでおかきとか作るなよ(笑)。アルフィーについて音楽的コメントは言いたくない(笑)、差し控えさせていただきたい。高見澤の楽曲は勝手にすればと言い
たい(笑)

カポタストのハメ方わからない、チューニングはこれでいいのかな

M-0  僕らの旅 (生歌)
 ふりかえってみるのもいいさ
 道草くうのもいいさ
 僕らの旅は
 果てしなくつづく

 時には疲れたからだを
 木かげによこたえて
 想いにふけるのもいいさ
 旅はまだつづく

 いろんな人に逢うさ
 いろんなことがあるさ
 僕らの旅は
 果てしなくつづく

 知らない街で愛をみて
 ふと立ちどまり
 心の置き場があれば
 それもまたいいさ

 なんでこの歌を歌ったかと言うと、自宅で何もしない生活が始まって約1年。ぜんぜん何にも変わらないんだ。

 家でいろんな人からメールが来たり電話がかかってきたり、曲作ってくれないかという依頼があったり、あまりヒマになっていない。相変わらずPCに向って打ち込みをしたり、 後に話すけれど、あるギタリストの家を訪ねて懐かしかったり、あるヤツとスイーツ会をして散歩してみたり、僕の音楽好きの旅はまだつづいているなと言う気がして、振り返ってみるのもいいさ、道草くうのもいいさと歌ってみた。

 何も変わらないというが・・・自分の顔が変わってきた。自信があったわけではないけど、顔がよくない。こんなはずがないくらい顔がよくない。嫌だなー年齢か。

 久々のイマジンスタジオ。好きだな。この広〜いところで冷たい自家製クリームソーダを食べながらやるのが嬉しい。

 深夜放送やラジオが何周年という時を迎えるらしい  

 開局70周年って、そんなにあらたしいの?広島から東京に来たのが50年だし。深夜放送はどのくらいだろう?概ね50数年かな。
 ラジオにご縁があった。当時のマスコミには不信感のかたまりで、テレビも取材も嫌だったラジオだけがそばにずっといてくれて、僕はラジオからは裏切られていない。
テレビ、雑誌からは裏切られたけどラジオはずっと愛していた。
 そういうニッポン放送が70年、深夜放送も何十年というならば、ご縁があるし自分の青春もあるので、何にもしないのではなく、なんかしようかな?と思い、冨山プロデューサーやエイベックスの竹林君になんかやりてぇなと言ったら、アルバムやるしかないじゃん、ツアーやるしかないじゃんといわれて、ツアーするのはツアーはアレだけどライブ?
まずは、深夜放送とかラジオをテーマについてアルバムを作ってみようかな 詞を書いたり曲を書いたりしたら楽しそうだ。ここのところミーティングしている。

 ラジオは僕の青春そのものだし、僕を裏切らなかった、僕はラジオでいっぱい嘘もついたけれど被害届が出るほどのものではない(笑)。思い出深いのは、後半テレビにも出たけれどやはりラジオだ。ラジオをテーマに何か作ってみたい。

 今夜も自由気ままにお送りします吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド


<深夜放送といえば中島みゆきの玄関少年少女の出待ちをして、数秒間、幻の中島みゆきさん、私服にメガネで「おはようございます」という生声を聴けて大興奮したという投書 >
 中島みゆきは普段はわからない。スターのオーラ消しているね、溶け込んでいる。
 出待ち入り待ちって、待っていて楽しいのかな。あちこちくっついて出待ち入り待ち…楽しいのかな?俺にはとてもできない。すげーな。ファンになるってそういうことなのかな。他人事だよ(笑)
 解散したあとのオフコースの清水と松尾とバンドに入れてツアーをやったことがあった。 二人とも唄うまいし。どこに行っても僕の出待ち入り待ちはないなのに、松尾と清水にはいる。くそったれだったな(笑)。なんで俺にいないのに、おまえらの出待ちがいるんだよ。

 一度だけ青森県で楽屋からホテルまで何キロにわたって雪道沿いに列が出来ていて手を振りながらタクシーで通ったことがあった。あれ一回こっきり。

<スイーツ会しましたか?小田和正さんと拓郎さんは後期高齢者とは思えないという投書>
 後期高齢者…小田はこういうハガキ読まないな、アイツはカッコつけているから。夏の終わり小田和正の事務所にスイーツ会に行った、アイツとはほぼ同じ歳で僕の方が少し上なのかな、だけど向こうは拓郎と呼び捨て(笑)。デビューもほぼ一緒だけど僕の方が先にヒットした。小田はなかなかヒットしなかった。ここはハッキリさせよう(笑)。
 そのころは小田と鈴木のデュオだった。三人いたらしいけどそれは観ていない。TBSの深夜放送で、この曲をかけてくれとこのフォークデュオのシングル盤をスタッフがよく持ってきた。綺麗なハーモニーだけど、ビートやリズムは弱いなと思って「売れないだろうな」と思った。ごめんね小田君。当時は男性デュオだと、BUZZとかビリー・バンバンとか、あの弟は六本木の交差点とかで車が止まると窓を開けて歌うという有名な話がある。フォークデュオが流行っていたが、深夜放送の頃は下火になりつつあった。
 ある日、違う友人が「新生オフコース」のレコードを持ってきた。それを聴いた時、ぶっ飛んだ。これ小田達たちなの?ロックバンドに生まれ変わっていた。この展開に驚いた。小田やったな!と思った。これはカッコイイな。コーラスをきかせるロックビートというのは日本にはない。外国だとイーグルスくらいか。それでライブにも行ってみた。コンサートで男は俺くらいで全部女性だった。「いいな〜こいつら〜俺もオフコースに入れば良かった」と思った(笑)

 四国のイベンターのデュークの主催、ここの社長は小田とも親しいが、野外フェスを一緒にやってことがある。あとは前代未聞のIYYというフェスのオープニングでオフコースと「YES  NO」を一緒にジョイントした。♪君を抱いていいの〜が歌いたかったんだけど、そこを小田は歌わせてくれない(笑)ガックリしたのを覚えている。

 泉谷の普賢岳、日本をすくえ!も小田とやったり、それからLOVE2にもスペシャルゲストとして出てくれたし、NHKの対談番組YOKOSOも出てくれた。あとは「クリスマスの約束」…今年はやらないみたいね。そういう二人がスイーツ会をやるようになった。

 で、あいつの事務所でスイーツを食い過ぎて気持ち悪くなって、「運動がてら歩いて帰る」と言ったら小田が一緒に歩こうということになって、小田の事務所から僕んちまで歩いた。港区を二人で歩く。凄い光景。犬を連れたおばさんに「あ、小田さんと拓郎さんですか?」と気づかれて「写真撮っていいですか?」と言われてOKしたら、おばさんが僕と小田の間に犬を入れて、犬と俺と小田スリーショットを撮った(笑)。こんなときに俺はどうするの?犬と一緒の(笑)。小田のマネージャーもいたので一緒に写真も撮れたんだけけれど、おばさんは私はいいんですと言って去って行った(笑)。笑ってーって笑えないよ(笑)。この記念すべき写真をコンサートの一か所で出したらしい。客席は湧いたらしい(笑)。年明けまたスイーツ会をやろうな。

M-1  雪さよなら    吉田拓郎(cho小田和正)

(CM)

 熊本うささんの投書<長年、拓郎さんのラジオ、ずっと聴いてました。熊本から東京のラジオを聴くのは本当に大変でした。拓郎さんのラジオ、まずはパック・イン・ミュージック。途中から聴き始めたのですが、中学時代でした。兄がカセットテープに録音してくれて、翌日聴くというパターンでした。その中で拓郎さんの本プレゼントがあり、忘れもしない1972年9月14日、土砂降りのなか学校から帰ると届いてました!「気ままな絵日記」サイン入りです。
 そして、待ちに待ったオールナイトニッポン。こちらは地元でも聴けました。毎週ノートにオンエアメモを書いてました。オンエアした曲名、何を話したか、ゲストのお名前などです。
 次はセイヤング。
これは聴取するのに苦労しました。でも、セッセと聴いてましたよ。リスナーとの電話募集で選んでもらったときは突然だったので、動揺しまくり。全身ガクブルで、声も震えてたので、篠島行った話に「遠くからありがとう」と言ってくれました。ただ、その前のリスナーが10代だったので「年齢的にちょっとー」と笑われたのは心外でしたよ(笑)まだ21歳だったのに>

 「篠島遠くからありがとう」そんなこと俺が言うかな? すごいいいやつに聴こえる。 21歳なのに「年齢的にちょっとー」、ひでーやつだな(笑)。それはいかにも言いそうだな。

 深夜放送は、TBSパックインミュージック、ニッポン放送オールナイトニッポン、文化放送セイヤングと三つをやった節操のない男だけれど、三つは記録だ。各番組で味が違う。

 TBSは頑固な感じで実直なんだという姿勢をみせようとする
 文化放送は冒険しないよ、普通でいいというジェントルマンな感じだった
 ニッポン放送は、歴代のディレクターが、やってみないとわかんないよ 一か八かやってみようという感じだった。
会社のキャラなのかしら。

 僕も広島で、ゲルマニウムラジオだとさっきのメールのように聴くのが大変だった。でも東京のラジオと比べると広島では音楽の選び方が物足りなかった。
岩国のFENがあったので広島の歌番組は違和感があり、その点では東京のラジオは先をいっている気がした。コニーフランシスの「可愛いベイビー」を中尾ミエが日本語でトレースするように、当時の日本はまだアカ抜けない。ディランやビートルに影響を受けてシンガー・ソングライターが登場して活躍するにはまだまだ時間がかかる。そういうところに僕の音楽の入り口がある。


<つま恋のあと精魂つきはてて泉谷にラジオを任せているときに神田広美を知って学園祭にも来ていたという投書>
 神田広美…ドンファン好きだな。松本隆が原宿で飲んでいる俺をイメージしていたというが、オレは違うよ。

 冨山の結婚式での坂崎との生歌披露というのがあった。「IF I FEEL」を歌っているけれどハモれていない。ヤッコといわれていた冨山さんがNHKのテレビで部下を引き連れて出世したなと思った。出世した人、出世に失敗した人いろいろといる。あの結婚式から今の部下を従えたプロデューサーの姿は想像しにくい。
小池さんはすげー偉くなっていめけれど、歴代で一番ダメな人だった(笑)、クビになると思ってた。人間は好きなんだけど能力とは別問題。でも、小池さんトントン拍子で出世した。

 ニッポン放送のバイタリス・フォークビレッジのテーマ、この番組の佐良直美との引継ぎニンニクの臭いが忘れられない。

M−2 バイタリスフォークビレッジのテーマ   吉田拓郎

(CM)

 70年代の初期にソニーに移籍して、そこで才能あるミュージシャンと出会い、それで磨かれた。
 例えば松任谷正隆の「どうしてこんなに悲しいんだろう」のオルガンのソロ。また大学生  なのに、びっくりしたな。こういう若者がいるんだ。こいつとつきあいたいと思った。
 高中がアドリブで「春だったね」のフレーズを弾いて魅せる。彼も18か19歳だ。こんなアドリブが弾けるなんて、ああ、コイツとつきあいたいなと思った。
 また加藤和彦の「結婚しようよ」のアレンジのウマいこと、アイデアの豊富なこと…これをやればいいんだともの凄い勉強になった。
 自分の望んでいたレコーディングが出来た。スタジオ・インすることで幅が広がった
いろいろな財産となった。

 先月、ある方の自宅を訪問した。音楽の友人であり、恩人であり、時には先生だった。酒飲み友達だった。アコースティックから、ドブロ、ブズーキ、エレキも弾ける。俺は彼のギターで勉強してスリーフィンガーを引けるようになった。

 ※ガラスの言葉(実演)

 スリーフィンガー奏法のお手本で、ベース、ピアノのキーボードもこなす石川鷹彦。2016年に脳梗塞に倒れて大変な思いを体験された。現在も右半分は不自由 、言葉も自由に発するのは困難という日常を過ごしている。みんな石川さん、鷹彦さんとか呼ぶ中で、僕はいつしか「鷹彦」というようになった。そういう気分でいたい人なんただ。そういうやさしい人だった。笑顔が素敵だ。「元気です」というアルバムは、松任谷正隆と石川鷹彦という中心人物になってくれて二人の現場でのヘッドアレンジでできた。タカヒコもマンタも本来やりたかったレコーディングを実現してくれた。

 彼の紡ぎ出す音色のあたたかさは天下一品だ。アコースティックギターを弾く人はたくさんいたけれど、鷹彦みたいにスムーズ、なんというか極意を見せてくれた。凄いアイデア。いろんなヒット曲、あの素晴らしい愛をもう一度、神田川、旅の宿のドブロかフラット・マンドリンとか、こんなに弾ける人もアイデアのある人もいない。彼がいなければ、今の日本のシンガー・ソングライターの文化はないというくらい。僕はエレキギターしか弾いてなくて、広島のギター教室では、スリーフィンガーが弾けないのでピッキングで女子高生に教えてウケていたけど。東京に来てたら石川さんに本格的にアコギを教わった。
 倒れた時にファックスを送った。「早く良くなってブズーキ…ギリシャの楽器で、フラットマンドリンを大きくした感じで、『拓郎これいい音がするんだ』…かまやつひろしの水無し川で活躍している…あれはフラットマンドリンだったかな、ドブロかな。
 数年前に、電話もしたが、言葉は発せられなかったけども、オーと言う言葉に、ああタカヒコ変わってないなと思った。家に行ってみたいなと思って行った。

 出がけに、ファッションに悩んだ。タカヒコの奥さんはなんかファッションにうるさそうな気が勝手にして、これでいいかなとカミさんに見せたりして、プラダのロングコートを着て行った。
 プラダとかグッチなんだコートは。下は相変わらずGAPのジーンズ。俺GAPのジーン素好きだな、カタチが好きだな。ミスマッチで行った。
 「鷹彦来たぞー」と言うと鷹彦は、オーオーと迎えてくれた。人となりが以心伝心で奥さん娘さんも心優しい人で楽しい三時間だった。ここでも美味しいスイーツ、スイーツばっかり食べてる。甘いものが大好きになっていた。
 ずっと鷹彦の横で肩組んだり、こづいたりしていて「俺はアイツ嫌いだったんだよ、あのギタリスト嫌いだったんよ」と言ったらアイツもオーって意気投合していた。やっぱ俺達浮いていたんだな。嫌いなものが一致していた(笑)。右手が不自由なので、左で打ち込みをしていて聴かせてもらったら、スイートなインストルメンタルだった。これが出来るんだったら、PCでやりとりしようというと娘さんがパパにメールを教えますと。今好きなアーティストの情報を交換しようと。このことを坂崎に伝えたら、僕も連れて行ってくださいよと言われた。
 次回はグッチのジャケットで下はユニクロ、GAPかな。鷹彦がいっぱい楽器を弾いてくれて大ヒットしました。

M-3  旅の宿    よしだたくろう


11時

<あいみょんとやりとりしててますか?という投書>
 あいみょんとは時々ショートメッセージのやりとりをしていて映画の話していた。映画がすごく好き。映画の「ハウス・オブ・グッチ」で、息子がアダム・ドライバーその奥さんがレディ・ガガ。大熱演のベッドシーンは一度見ておくといいと言ったら、「凄かったっです」って。
寝癖があると何だか生きてるって感じ。こういうのをめっけるんだ。電柱に初恋がぶら下がっているとか。あいみょんの現実的な景色の中に展開してゆくところが絶品だ。

年齢的に顔が違ってきている。
まず朝の髪の毛がペタッとなっている。寝る前はふわってしているのに。
量も減っているしボリューム感がない。もともと多い方じゃないけど、まとまらんな。

奥さんに念をおしたけど、眉毛が、もともと西郷さんのように男らしい眉ではないかったものの、眉毛がタレ目になっている。目じりが下がっている。

それから鼻の穴が気にいらない。若干大きくなってきている気がする。そんなに突っ込んでいないのに。そのうえ鼻の穴が少し正面に向いつつある。

口も笑顔な自身あったけど、 最近はへの字になって笑ってる。洋服を買った時など、奥さんと写真とりっこするとき、いくらニッコリでも口がへの字になっている。
とにかく一個一個の個体がヤダナ。
かといって整形というのも、「拓郎さん整形やりましたね」と冨山に言われるの嫌だな。

自分のこと棚に上げてなんだが、テレビのCMは、特にBSやCSで、お年寄りが多くて、あれを飲め、こうしろとか俺の勝手だろと言いたい。しかも、そのジジイ・ババアが素敵でない。心躍るようなものをやってよ。つまんねーよ。だからテレビ離れするのかな。あいみょんの寝癖は救い。

M-4  あのね   あいみょん

(CM)

 家では二人でテレビを観ながら悪口を言う。ウチの奥さんは、テレビで好きになるという癖がある。古くはサッカー遠藤ヤットさん。アッと言う間に醒めて、スケボーの堀籠くん、バドの桃田くん、アダム・ドライバーそしてサッカーは三苫、田中くん。最近は、相撲の熱海富士よくない? チャーミングでいい。相撲観に行ったらきっと手を振ってくれると言っている?   


 来年は、アルバムを作ってみようと思う。ラジオと深夜放送の青春をテーマにした
アルバムを、例えば松任谷正隆に頼んでアレンジしたりプレイして貰ったり
ということで、みなさんも詞を書いてみないか。もともと「春だったね」「せんこう花火」は、リスナーの書いてきた詞だった。自分とラジオの青春テーマに書いてみてください。

 来年もその進行状況についてのラジオをすることに、40%位あるな。思い出青春を書いてみませんか  

M-5 ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン シンディ・ローパー

<深夜放送で往復葉書を送ると拓郎さんのサインをくれるという企画があって今でも家宝ですという投書>
昔、オールナイトニッポンで、引っ越し記念としてガラクタをプレゼントしたことがあった。 洗濯バサミとか引っ越し出てたガラクタをあげた。こういう企画をするのは名前言わなくでもわかる。

<矢沢永吉、浅川マキ、遠藤賢治…拓郎さんの会話を引き出す術が職人的だったという投書>
 別に聞き出すのがうまくはないと思う。ただインタビュアーが音楽はわかっていない
なと思うことはあった。おまえそんなこともわかんないで聞いているのかということもあった。
 その時代に全国ツアーを始めることになった。それまでは地元の有志とか鑑賞団体が主催していた。終演後、楽屋に集められてミーティング反省会をさせられたことがあった。席上で拓郎さんの「イメージの詩」はよくわからないとイチャモンつけられて大いにシラケた。

 全国の音楽好きに声をかけて、もっと俺たちのためになる団体ができないのかということでイベンターが登場して全国ツアーに出られるようになった。このイベンターたちに感謝している。
 彼らは同年代だし、旅先で打ち上げも楽しい。飲んで騒いで遊んで、でも気が付くとそういう馬鹿なことをしているのは僕だけになってしまった。みんなファーストフードで食事して帰るらしい。それなら俺は迷惑かと尋ねたら、そうはいわないけど拓郎さんだけなんですと言われた。
 だんだん打ち上げをしなくなって健康を大事にするようになった。打ち上げが楽しくてツアーをやっていたので味気なくなってしまった。そのことが全国ツアーから足を洗う原因にもなった。時代の推移。昔は、売上を散財してしまうような気持ちでいたが、後半はホテルから出ないでルームサービスで食事をするようになっていった。旅から足も洗って終わっちゃったな。健康的になっていいことかもしれない。しかし、ちっとも面白くない。撤退もやむなし。全国の美味しい空気を吸って回ることが楽しみだったのに。

ニッポン放送は来年で70年。なんで有楽町なんでしょうね。

M−6   有楽町で逢いましょう  フランク永井

 ワンハーフと言う言葉がある。東京のテレビの歌番組はみんなそれだった。一番を歌った後二番を飛ばして三番のサビに行く。そうすると一人の曲が一分半でおわる。これがすっげー嫌だった。「イメージの詩」とかどうすんだよ。
なので歌謡曲・演歌は一番しか知らないとか二番、三番が韻を踏んでいるだけの手抜きだったり、吉田拓郎さんテレビ出てくれないかと言われてもそれでは嫌だった。ヒットするようになってフルコースが徐々に増え始めてきた。シンガーソングライターたちが強く言って変わってきた。当時の歌番組がいかに息苦しいかったか。 

M-7 かくれましょう

<坂崎と拓郎のオールナイトニッポンが好きだった、北京放送と混線していたという投書>
 坂崎とのオールナイトニッポンゴールド。あんな馬鹿な番組はないね。なんにもポリシーのない。でも一番長い4年間も続いた。真面目にやってたら疲れるのに、ああいうのだといくらでも続くんだ。いまいちばん聴きたくないラジオ(笑)
来年あたり坂崎を呼んでやるかな。石川さんのところに一緒に行きたい言ってるし。
今夜は久しぶりでキツかった。70周年ということで敬意を表して、作詞を募集します。  今決まりましたが、来年の…初夏にもどってくる。今決まるわけはない…前から決めていました。それまで生きてるかな

 目じり、まゆげ、鼻の穴、口いろいろ変わってきている。みなさんの詞も待っています。レコーディングも総動員で、曲づくりも頑張ります。
 みなさん良いお年を。最後の曲。

M-8  Cruel Summer テイラー・スイフト

オールナイトニッポンゴールド 2023.12.15 
 とりあえずの思いつきと感想 

☆おかえり ただいま どこに行ってきたの♪…お疲れ様でございました。
 実はどうせ「24年の展望」なんかありゃしねぇよとやさぐれていたのだが「展望」…確かにありました。
 なんら遜色のないボーカルで「僕らの旅」をフルコーラス唄ってくれて、
「僕の音楽好きの旅はまだつづいている」…もうこの言葉があれば他に何も要らない。いや、よく考えたらいろいろ要るのだが、今はこの言葉の前には、何も要らないといわなきゃ失礼にあたる。

☆ そしてニューアルバムの胎動。松任谷正隆…名前を出すと言うことはもうガッツリ密約が出来ているのだろう。「おい去年"ラスト"アルバムって言ったよな」という皆様、私が代わって平伏してお詫びします。ごめんなさい。どうか作らせてあげてください(爆)。

☆ うささんの投書。いい話だった。深夜放送がただの一方的なコンテンツてはなく、それを聴いているリスナーのひとりひとりの日常が、不即不離でひとつに溶けあっていることがよくわかった。つまるところラジオってそうものだよね。

☆ 石川鷹彦さんの話、拓郎は明るいエピソードのトーンで話てくれたけれど、どれだけ鷹彦さんに対して深い思いを抱いているのか、もちろんそれは拓郎しかわからないことだが、とにかく行間からひしひと溢れて伝わってきて、それだけで胸がいっぱいになった。肩抱き合う二人。新しいお二人の関係の展開や新しい作品が聴ける日が来ることを楽しみにしていたい。
 あと話を聴いていてとにかく石川鷹彦のブズーキが聴きたくなった。すげー聴きたいけどブズーキというものが俺にもよくわからない。ひとつ確かなのは「ありふれた街に雪が降る」の間奏。とりあえずこれだ。いい。

☆オールナイトニッポンの引っ越しガラクタプレゼント…おれは吉田家の「ヒューズ」に応募したのだが外れたのを思い出した。洗濯ばさみ、植木鉢、歯ブラシそしてヒューズ。浅野さんではなく拓郎本人が喜んで率先していたように思う。「君はヒューズさえもくれない」という詞を書くことにした。昔、さだまさしの作詞通信講座ってなかっただろうか。受講したいと思うのだが。

☆コンサートの時に私に限らず多くのファンが拓郎の出待ち入り待ちをしてきたのだが…きっとあれじゃ足りないということなのだな。わかった。めくるめく出待ち入り待ちをやってやろうじゃないか。先日観た永ちゃんファンの白いスーツの背中に縦書きで{吉田拓郎}と大書したヤツを仕立てて、犬を連れて、沿道を埋めてやりましょうぞ。

 それにしてもチラッと「ライブ」と口走ったのを聞き逃さなかったぞ。今は聞こえなかったふりをして生きよう。いつかは開き直る時が来る時期を待ちましょう。

「ワンハーフ」といえば布施明だ。「バカヤロー、ワンハーフだよ!」。単に曲がカットされるだけではすまない怒りが拓郎の言葉ににじみ出ていたのは、それが理由ではないかと思う。やはりこの世界に布施明がいる限り、歌いつづけようじゃないか。>面白がってるだけだろ!

☆とにかく拓郎の音楽の旅が続くことは否応なしに推しの旅も続く。 ああ推せば命の泉湧く。がんばっていきまっしょい。

2023. 12. 15

☆☆☆街をゆく背中☆☆☆
思わず「かっけー」と見とれてしまった。愛と自信と幸せのオーラが出まくっていた背中。きっと最高のライブだったんだな。いいなぁ。こちらも今夜である。
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2023. 12. 14

 あれから1年。死んだも同じの今になり、つまづくことを恐れてる なぜだよ 未練じゃないかよ それもこれもこの番組があるからだ。
 吉田拓郎『オールナイトニッポンGOLD』 12月15日 22時

「ニッポン放送から吉田に、2023年を振り返り、24年の展望を語るラジオ特番をオファー。吉田もいろいろ考えていることがあるとのことで、オファーを受諾した。」というふれこみだが「24年の展望」…ああ身もだえするような眩しいこの言葉。拓郎、この戦乱の世の中に魂のキックバックを頼むぞ!…んなもの頼まれねぇよ。…ともかく楽しみにしております。

2023. 12. 13

☆☆☆ラジオのつづき☆☆☆
 小泉今日子がゲストの浅田美代子にいきなり「『あこがれ共同隊』が大好きでした」と切り出してビックリした。(え!?それ言う?)と叫んだリスナーは少なくなかったはずだ。もっと凄かったのは浅田美代子の返答「あ、キョンキョン、出てたよね?」。(出てるわけねぇだろ!)とキョンキョンと一緒にさらに大きな声で叫んだリスナーも多かったに違いない。たぶんその地雷に気づいていない小泉今日子は「主題歌が山田パンダさんで…」と深堀をはじめて(あぶねー)と緊張したリスナーもたくさんいたことを確信する。そういう魔送球の投げ合いのような臨場感が最高だった(爆)。

 それから蘭ちゃんはシンガーとしての新しい今を生きていることがよくわかった。キャンディーズ時代を大切にしているものの、目線は現在の現在にフィットしながら歌おうとしている。その落ち着いたエレガントさが素敵だった。

 とにかく面白いラジオだった。いいなぁアイドルは。そうだよ「純愛」だよ。いちいちの小泉さんの選曲に共感する。ということで今日は山田パンダの主題歌を聴こう。

2023. 12. 12

☆☆☆まだまだラジオは途中だが☆☆☆
 70年代アイドル…やっぱりいいなぁ。小泉今日子GJ!!。久木田美弥…いた!、いた!ど懐かしい〜。やっぱり木之内みどりは"東京メルヘン"もいいが"横浜いれぶん"でしょう。すまん。あの時代のことがテーマになると名前こそ出なくとも、確実にそこかしこに吉田の存在というか君臨が透けて感じられる。たまらん。
 それにしても石野真子よ、幻のデビュー曲候補の「ぽろぽろと」をこんなにも大切に思っていてくれたとはありがとう。そもそもフォーライフの社長で音楽から離れていたといいながら石野真子のデビュープロジェクトだけでも実にたくさんの曲を作っておられる。誇らしい実に誇らしい。…つづく。

2023. 12. 11

☆☆☆航海日誌☆☆☆
 代々木体育館でユーミンのライブを観た。50th Anniversary 松任谷由実コンサートツアー「The Journey」。デビュー50周年…航海をテーマにしており、アリーナ中央に巨大な海賊船型ステージが設置され、ドラマチック&サーカスチックに展開するユーミンらしい豪奢なコンサートだった。航海といえば、どうでもいいがココは「体育館」というがそもそもオリンピックプールだったし、さらにどうでもいいことだが俺が小学生の時、水泳の東京都選抜大会の男子自由形で出場し、ぶっちぎりで最下位になって世界の広さを知った場所でもある。

 そして世界を知ったといえば、やはりユーミンのライブはひとつの「世界」を魅せてくれる。ああ、凄いもの見たわ〜と言わしめる。と同時に俺になんかいわれたくないだろうが、ここまで必死で生きてきた…というしみじみとした情感が滲んでいた気がする。
 個人的には、かつて某歌謡祭で毎月Yねーさんが歌って聴かせくれたおかげで楽曲はかなりフォローできていたので特に味わい深かった。
 「守ってあげたい」を聴くと、もはや「ねらわれた学園」の薬師丸ひろ子ではなく、御大のことが浮かんでくるようになった。「傷つかなくたっていいのよ」…あの拓郎が翻案していたフレーズを思い出す。
 個人的な圧巻は、最後の最後。いやスペシャルアンコールがあったので、ラス前か。わが故郷の島に刻んでくれたあの歌。曽爺さんから繋がるあの島のガサツな親戚の人々を思い出しながらしみじみと泣けた。
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 こうして俺みたいな不埒なアウェー者まで歓待してくれたユーミン。この混沌とした世界。「最後は人の知性を信じる」と言う言葉が刺さった。俺も信じるよ。今からできることをしたい。

 ※それにしても拓郎ファンの人は、客席とかで「松任谷が」とか「武部が…」とかつい口にしてまいがちで注意が必要だ>おめぇだけだよ あちらの世界の人々は会長、社長くらいの深い敬意を抱いている…あの世界以外でもフツーにそうだよな。なんかイキっているおぢみたいになっている俺が恥ずかしかった。

2023. 12. 9

100分de名著「マガジンT(第8号)」を読む  第7話 わが魂の玉手箱

1 フリーター、ボックスを買う
 90年初冬に長丁場だった試験がようやく終わると、すでに90年秋の"男達の詩"コンサートツアーも拓郎関係の催し物関係もすべて終わってしまっていた。俺はもう抜け殻の燃えカス状態で、それでも地を這うように新宿駅西口のNSビルの新星堂に向かった。予約してあった吉田拓郎ビデオボックス「吉田拓郎79-90」を受け取るためだ。俺と吉田拓郎をつなぐ唯一のものがシワシワになったボックスの予約票だけだった。
 「ボックス」…ああ、この重厚な響き。この頃は拓郎に限らずいわゆる「ボックス」モノはかなり珍しかったと思う。わけてもこの拓郎のボックスは、拓郎ファンの俺にとっては魂の玉手箱というくらいもの凄かった。
スクリーンショット (177).png
 当時は家庭用ビデオデッキの普及から日が浅く(少なくとも俺には浅かった)、映像ソフトが1本2万円前後と超高価で少なくとも俺には手が出なかった。ボックスはほぼ同じ金額でビデオがたっぷり5本分だ。なによりこれで自分の部屋で好きな時に好きなだけ吉田拓郎のライブが堪能できるのだ。
 しかも伝説のビデオグラフィーの映像特典集がついている。72年の神田共立講堂から、セブンスターショーからごく最近の短髪ツンツンの"男達の詩"のプロモまで恐悦至極。ありがとう!やればできるんじゃんかフォーライフ。あるとこに行けば、ちゃんとあるんじゃんか各種秘蔵映像。

2 至福
 現在、これだけ映像、動画のソフトや配信が溢れんばかりに普及した社会で、この当時の至福をどうしたらわかっていただけようか。いつ実施されるかわからない「動く拓郎」の上映会を観るために、あるときは電車を乗り継ぎ、あるときはドブの中に身を潜め、およそ犯罪以外のすべての手を尽くさねばならなかった日々。それを思えば「いつでも家で観られる」ことは、もうワットの蒸気機関を超える発明いや革命である。…いいや、わからなくていい、とにかく爺ちゃんは幸せだったんだよ。必要もなく朝から「もうすぐ帰るよ」のPVを観てみたり、眠いのに深夜に起きて「篠島」を観始めたりして、そのたびに、おーーーホントにいつでも家で観られるよぉと涙ぐんだものだ。拓郎三昧、酒池肉林。このボックスのおかげでたちまち心身ともに拓バカの私は蘇生した。これまで何十回観ただろうか。もう暴れ方も覚えたのでパイプ椅子を持ってエキシビションホールに行きたくて仕方なかった(笑)。

3 年号という管理の功罪
 このボックスのひとつの特徴としては、ライブを1979,1982,1985…年号で統括していることがある。それまでは「篠島」というが「1979」という人はいなかったし「ハイキング」「武道館」と呼んでも「1982」とは言ってはいなかった。このボックスあたりからライブを通し年代で年号管理することが一般的になり始めている気がする。この道をゆくものには便利なカスタマイズである。
 ただ、制作側は、データ管理という感覚が徹底されすぎたからか、それぞれの映像ソフトから、MCやバックステージの様子といったドキュメンタリーという生々しい部分がそぎ落とされてゆくという困った傾向が始まる。あたりまえだが、混然一体すべてを含めて一本のライブ映画である。削るな。戻せ。なんなら増やせ。例えば、79年というタグを使うのだったら、篠島に限らない79年のすべてをここに寄せて来ておくれよ。

4 会報もがんばる
 ボックスには、貴重写真満載の吉田拓郎クロノロジーとコンサートデータの解説本がついていた。写真が結構というよりかなり良い。本文は、ここで田家秀樹の"男の一生"というフォーマットが完成したのではないか。読みごたえがある。
 他方で会報も頑張っている。5ページものボックス特集を組み、藤井てっかんによる各ビデオに即した詳細な解説や逸話も載っていて、これはこれでボックスに付属させてほしい出来栄えだ。

 家に吉田拓郎がやってくる。ダサいキャッチコピーのようだが、ほんとにそのとおりであり、それはものすごいことだったのだとあらためて思う。しかし、それは至福であると同時に、いろいろ功罪もあったのかと思ったりもする。それでもいいじゃないか。とにかく「吉田拓郎'90」をはるかに超えて「吉田拓郎'23」…思えば遠くへきたもんだ。
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2023. 12. 6

100分de名著「マガジンT(第8号)」を読む  第6話 自分の居場所
 さて追い詰められた試験のためにすっ飛ばしてしまったコンサートツアーはどうなったのだろうか。この会報などを手掛かりに探り、妄想するしかなかった。会報には、「続・挽歌を撃て」で石原信一氏がツアーの概略をレポートしており、これは当時の私にとって貴重な文献だった。
 珍しくもひとつのコンセプトを持ったコンサートであることに驚いた。これまでの拓郎のコンサートはどんな転がり方をするかわからないところが彼らしかったと言ってもいい。ところが福岡で「今日のテーマは"自分の居場所"です」と冒頭MCでふられてしまったから、こっちも拓郎の唄を聴きながら自分はどのあたりに身を置こうかとついつい考えてコンサートを観てしまった。
 吉田拓郎、居場所を歌う。というテーマがツアーに行けなかった俺には眩しく降り注いできた。そうか。行けなかったライブほど眩しくみえるものはない。
 オリジナルの弾き語り「東京の長く暑い夜」で歌っているように<東京の長く暑い夜は私に消えちまえと言うんでしょうか>という、実態のつかめない自分への怒り
 そうか、弾き語りの新曲があって、それは「東京の長く暑い夜」というのか、そう思うだけで胸が震えた。<東京の長く暑い夜は私に消えちまえと言うんでしょうか>この一行だけで十分に泣けた。
 今のようなネット社会ではないし、私設FCにも入っていなかったので、次号の会報や他の雑誌で少しずつ情報を拾い集めて温めあいながらセットリストのピースがわかってきた。
 ■1990年男達の詩ツアー
  抱きたい
  爪
  されど私の人生
  もうすぐ帰るよ
  Life
  大阪行きは何番ホーム
  ひらひら
  旅立てジャック
  神田川
  中の上
  東京の長く暑い夜は
  ロンリー・ストリート・キャフェ
  春だったね
  ああグッと
  ペニーレインでバーボン
  君去りし後
  男達の詩
  encore
  ハートブレイクマンション
  男達の詩
 「自分の居場所」。セットリスト全体がひとつのメッセージになっているし、個々の曲も通底する何かを背負っていることになる。こうなるとセットリストはメニューであるとともに、大切なレシピでもあるのだ。このセットリストを眺めているだけで何時間でもひとりで酒が飲めるってもんだ。

 物理的、地理的な場所が居場所であることはもちろん、心魂の置き所という意味の居場所に、時空を超えた思い出という居場所。それに男女という性別もひとつのかりそめの居場所かもしれない。そして居場所を求めてさまようのもまたひとつの居場所だ。このリストは、なかなか行間が豊かだ。あなたはどんなふうに読み込むでしょうか。

 あと会報の中の貴重なショット。たぶん武道館のゲネの休憩時間にキャッチボールをしている拓郎。スローイングする拓郎の腕がしなっていて、なかなか美しいフォームだったりする。
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2023. 12. 5

☆☆☆今がその時、ためらわないで☆☆☆
 ということで砂漠でオアシスを見つけたが、もうひとつラジオの情報が。
『小泉今日子のオールナイトニッポンPremium』12月11日(月)18時〜21時50分 今回は、70年代アイドルソング特集 ゲストには小泉今日子自身が会いたいと熱望した3人、伊藤蘭、浅田美代子、石野真子が生登場。
 よりによって、すごい3人だな。あの人の話題が出るかもしれない…というかあの人のことに触れずに会話を進めるのが困難なくらいのお三方ではないか。いろんな意味でこちらもオアシスだと嬉しい。

2023. 12. 2

☆☆☆砂漠の都会に☆彡☆彡☆彡
 思えばこの1年間、吉田拓郎を失った私は、バルカ共和国の広大な砂漠にひとり放り出されてしまったようなものだった。日照りは容赦なく、砂の嵐の吹き荒れる砂漠をひとりさまよってきた。さすがに心も身体も渇き尽くし、古い会報の束を抱いたまま行き倒れようとしていたところに…ああ、水だっ!オアシスが見えたっ!…という気分である。ありがたい。神は必ず旅を許される。どうか紫の蜃気楼でありませんように。
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2023. 12. 1

☆☆☆"拓"朗報☆☆☆
 2023年12月15日、拓郎一夜限りのオールナイトニッポンやるってよ。え、2024年の展望って…え、あんの?

100分de名著「マガジンT(第8号)」を読む  第5話 「誰がために鐘は鳴る」

 ということで2023年12月15日のラジオが決まったところで、1990年のラジオの話は、おしまいにしたい。最後にもうひとつ心に残ったくだりがあった。吉田拓郎と武田鉄矢との会話の中で、デビュー間もない頃の苦節の時代のことが話題になった。

1 陰日向に咲く
「売れない頃のミュージシャンを支える女の人って必ずいるでしょ。…有名になると、その人と切れちゃうっていうパターンがあるよね。」
と拓郎が語り始める。
「僕もいましたもん。『結婚しようよ』を出す直前あたりは『帰れ!』が結構あったんですよ。その頃ね、僕を支える女の子がひとりいて、名前も忘れちまったけども、僕のレコードが売れた瞬間に忽然とね、姿を消したんですよ。高校3年生だったですね。それはもうホントに陰になり日向になり、支えてくれてるなって気がして『東京にこの娘がいてくれれば俺、大丈夫かな』っていうのが、あったね。」

 最近の"オールナイトニッポンゴールド"や"ラジオでナイト"でも、デビュー直後、女子高生のファンと一緒に新宿御苑あたりを散歩して、そこで新曲を聴いてもらったりしていた思い出を懐かしく語っていたことがあった。しかしその彼女が自ら忽然と姿を消したという話は初めて聴いた。彼女がどのような気持ちで消えたのか知るよしもない。しかし思うてみるだけでもう切ない。関係ない歌であるが♪そちらから電話を切ったから、君はもっと他の事も言おうとしてたんだろう…この意味が今は痛切にわかるよ。

2 たった一人の世界
 「その娘が例えば『結婚しようよ』みたいな詞を書いた時に『こういう明るいのってイイかもしれないね』とか言うと、そうか…っていう気になって、何万人が「帰れ」って言っても怖くないっていう」

 拓郎のいわば告白に、武田はしみじみと「歌っていうのはたった一人、よき理解者である女性がいれば成立する世界なんですね。」と応え、拓郎も「 そう。」と頷いた。
 この日のラジオでの、ささやかなれど忘れじのシーンのひとつだ。若き日に陰日向に支えてくれた女子高生がいたのと同じように、たぶん後年の高齢の拓郎も音楽も、たったひとりの女性の支えによって成立していたのかと思う。

3 二隻の舟
 リタイヤ間際の拓郎がインタビューで「僕はファンをあまり信用していない」と言っていて悲しかったが、他方で確かに…とも思う。総体としてのファンは海のようなものだ。愛に溢れながらも、ときに風が吹き波が高く嵐にもなる、水が浅くて座礁したり、クラゲにも刺されたり、サメだっているかもしれない…ああ、わかる。>メメクラゲのようなお前が言うな。すまん。いくら海が美しくてもそこに身を任せるのは普通に危険だし怖い。
 そんな中で、この人がいれば、この人の声さえあれば…という"よすが"だけが支えとなるのはただの一般Pの私にも少しわかる気がする。♪それだけのことで私は海を行けるよ たとえモヤイ綱が切れて嵐に吞まれても…ああ、なぜ中島みゆきになるのか、よくわからんがそういうことだ。

 それにしてもその女子高生の方、いまごろどうしておいでだろうか。               

2023. 11. 26

☆☆☆ライブ73記念日☆☆☆彡
 吉田拓郎ライブ'73から50年だ。…半世紀だよ。半世紀たぁ砂を吐いて横になりたいくらいの年月だ。振り返りながら走って半世紀、さよならが言えないで半世紀、手だけ動かして半世紀、てんではっぴいになれない半世紀、バネが軋んで半世紀、黙ってイカを洗って半世紀、何も思わず立っていよう半世紀、サイコロころがし半世紀、しっかりしてるよ半世紀、雨が空から半世紀、何十年に一度の半世紀、またくる人生の街角で半世紀、笑ったような笑わぬような半世紀、コップでお茶を飲んで半世紀、そのうち狙われ続けて半世紀、そしてホントに最後は嫌でもひとりになってゆく半世紀。半世紀たっても色はあせず聴くたびに胸はふるえる。

 あらためて年齢にして吉田拓郎27歳、瀬尾一三26歳、松任谷正隆22歳、高中正義20歳、田中清司25歳、岡沢章22歳、石川鷹彦30歳、後藤由多加24歳、渋谷高行23歳…恐るべき若造たちが作り上げた世界。中野サンプラザは解体され消えようともこの音楽たちは永遠のものだ。

 何度でも言う。これは完全盤を出すべきだ。ディランだって武道館の完全版BOX出したじゃん。このボーカル、このシャウト、このビッグバンドの演奏。もはや無形文化財の域である。
 そして当時のリアルを生きられた諸先輩のみなさま、どんな些細な事でもいい、あの日を語りつないでおくんなさいまし。それはもう単なる思い出ではなく、未来に向かって播かれる貴重な種なのだ。

 魂の底から記念日おめでとうございます。
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2023. 11. 25

 伊集院静氏が亡くなられた。熱心な読者ではなく申し訳ないが、とある機関誌のエッセイをずっと楽しみで読んでいた。美しい文章だった。ご病気で一時中断し、復帰されてからの文章はよりシンプルでその分、詩情が豊かで、ああ〜こういう文章が書けるようになりたいと身の程知らずに思った。心の底からご冥福をお祈りします。


100分de名著「マガジンT(第8号)」を読む  第4話 「ホントは怖い人たち、ホントに怖い人たち、ホントに怖いホントB」

 1 アイドル提供曲の怖いジンクス
 ラジオの話の中で今になってしみじみと"怖い"と思った話がある。それは拓郎が語った松田聖子への幻の提供曲の話に始まる。
 かつて(たぶん1984年ころ)松本隆から拓郎に「松田聖子が結婚するんで、拓郎、最後の曲作ってくれない?」と頼まれた。その時に松本隆から「しかしアナタが曲作る女の子ってみんな引退しちゃうね」と言われたそうだ。
 これは松本に指摘されるずっと昔から存在する有名なジンクス、今でいう拓郎あるあるだ。俺が思いつくだけでも、キャンディーズ、木之内みどり、石野真子…神田広美なんかもそうかもしれない。今回のラジオでも「おかげで女の子の作曲依頼がめっきりと減ってしまった」と拓郎は嘆いていた。

2 ジェットコースターロマンス
 しかしこの松田聖子の提供曲は複雑な運命をたどる。楽曲は完成したものの結局、レコードには採用されなかった。お蔵入り=アウトテイクというやつだ。拓郎はこのラジオでも不採用の原因は明言しなかった。
 そこでココからは俺の下種の勘繰りだ。ネット界隈や知り合いの松田聖子ファンに対して調査したところによれば、当時の松田聖子をめぐる状況が、拓郎の表現を借りれば"すったのもんだの状態"に激変してしまったことが原因らしい。
 最初の拓郎への依頼時は、たぶん結婚・引退の予定だったが、その後突然の破談。「生まれ変わったら…」は世間的にも衝撃的だった。そこで急遽、松本は切り替えて、薄っぺらな結婚の幸せに背を向けて一人で旅立つ女性の詞を書いた。これに拓郎が曲をつけて楽曲は完成しニューシングルの告知まで出されていた。ところがその発売前に聖子の突然の電撃結婚が決まり、状況は僅か数か月で「失意」から「幸福の絶頂」に激変した。まるでジェットコースターのような有為転変…たとえば後楽園ゆうえんちで乗ったジェットコースターが一回転して着いた時には富士急ハイランドだったみたいな感じだ>よくわかんねぇよ。もちろん松田聖子には彼女の切実な人生があって、彼女の切実な事情があったに違いなく、それをどうこう言うつもりは1ミリもない。
 とにかく楽曲が現実にそぐわなくなってしまって別曲に差し替えたというのが不採用の経緯だ。この経緯は最近まで松田聖子ファンの間では真偽不明の半ば都市伝説だったらしいが、現在は元スタッフ関係者も、経緯はともかくこのアウトテイク曲が存在したことだけは認めている。
 
3 ホントに怖いホント
 その松田聖子の幻の曲が「幸福なんか欲しくないわ」という作品で、これが後に酒井法子に提供されたことがラジオで拓郎の口から語られた。
 もちろんこのラジオの当時では、結局、幻の松田聖子の提供曲は今は人気アイドルのノリピーが歌ってます~ということで終わるのだが、21世紀の未来に生きる私たちはその後のマンモスかなぴー歴史を知ってしまっている。俺は例のジンクスについては、あまり信用していなかったけど、なんかこれはジンクスというより呪いのようで怖いなとすら思うのだ。

4 甦れ、入江剣 
 しかし21世紀の科学の未来に生きる私たちはジンクスだ呪いだなどと怖がっているのも恥ずかしい。そう思って「幸福なんかほしくないわ」、この歌をあらためて聴き直してみる。正直、楽曲のクオリティとしてはイマイチで特に松本隆にしてはこの詞はどうよと思う。でもこの詞からは、松本が幸せな結婚・引退に躓いてしまった当時の失意の松田聖子を応援しようとする温かい思いが行間ににじみでている。

  これが愛だと 自分の胸に
  嘘をついてる いつも"かわいい女"だった
  … 
  幸福なんてほしくない みせかけの
  幸福なんていらないわ 退屈な
  今は自由の風に
  今は風に吹かれていたいの
  …
  幸福なんてほしくない 偽りの
  幸福なんていらないわ ちっぽけな
  今は本当の愛を
  今は愛をさがしてみたい

 みせかけの幸福、偽りの愛から解き放たれて旅立ち、自由に生きようとする女性の姿が浮かんでくる。まことに大きなお世話で申し訳ないが、長すぎる人生の繰り返しの中で松田聖子も酒井法子もそれぞれ人に隠れて泣いて、泣きたい気持で冬を超えてきた人たちの一人だろうと思う。
 この歌は、一周回って、そういう極北を味わった彼女たちにも引き続きチカラ強いエールを贈っているように聴こえてくる。"あきらめという名の鎖を身をよじって解いてゆく"(ファイト! 中島みゆき)系のスピリットを感じる。こうしてひとり決起して進まんとする歌の前に、ジンクスも、呪いも、ホントに怖いもなにもない>っておめえが言ったんだろ!  …すまん。

5 全ての彼の子を抱くものたちよ
 かつて拓郎はすべての提供曲は「自分の子どもたちだ」と宣った。松田聖子も酒井法子も含めて、拓郎の子どもたちを抱くすべての歌手の方々には末永く頑張っていただきたい。あんなジンクスは嘘っぱちだと証明してほしい。特にかつてはジンクスの筆頭格だった、蘭ちゃんよ、できれば今年の紅白にt.yのメロディーを。今がその時ためらわないで。

※あ、思い出したよ。このラジオで拓郎が、提供曲(「今夜は星空」)を書いたのに、いしだあゆみさんはお会いしても知らんふりだった…と悲しんでいたが、それはきっとあなたが殴りあって曲を引き上げたショーケンの奥さんだったからではないだろうか。

 ああ、今日もダラダラ書いちまったよ。

2023. 11. 23

100分de名著「マガジンT(第8号)」を読む  第3話 「ホントは怖い人たち、ホントに怖い人たち、ホントに怖いホント➁」

 
「ホントは怖い財津和夫」につづいて「ホントは怖いオフコース〜海辺の殺意」(爆)という話もあったのだが、こっちはウィキペディアにも載っている有名な話のようだったので割愛するっす。

1 ホントに怖い人
 ホントは怖いどころかホントに怖い人が吉田拓郎だ。…昨今のKinkiらと一緒のときの好々爺な流通イメージのためについ忘れがちだった(爆)。このラジオでも拓郎自らが語っていた。昔、双子姉妹の新宿の飲み屋に迷惑な酔客がいると高円寺から自転車で駆けつけてぶっとばすという用心棒だった拓郎、日比谷野音で帰れコールを叫ぶ客をステージに引っ張り上げて殴り合いをした拓郎、そしてあの芸能界の暴れん坊と恐れられた萩原健一ことショーケンに「おまえになんか曲やらねぇよ」「ああ要らねぇよ」と殴り合い「さらば、うるわしのかんばせ」となってしまった拓郎…どの話を聴いてもフツーに怖い人じゃないか。
 武田鉄矢も「キャンディーズの蘭ちゃんが、拓郎さんのことを『怖かった』と言ってましたよ」とチクっていた。そのとおりで怖い人というイメージがかなり強固にあったのだ。

2 武勇伝を遠く離れて
 こういう話は笑えるし懐かしくもあるのだが、少なくともイメージ的に暴力的で怖い人だった=吉田拓郎はたぶんもういない。すべては昔日の武勇伝か。「ホントに怖い拓郎」に対してカッコイイな~と憧れていた自分もおなじだ。怖かった拓郎あるいは拓郎の怖さは歳月とともに変化していったのではないか。それがどんな変化だったのか。ただ年老いただけかもしれないし、よりおだやかな境涯に達したのかもしれないし、よくわからない。しかしもしかすると人類がいかに暴力を克服し進歩するかという壮大なテーマと細い糸でつながっていることかもしれない。そういうところから拓郎の歌を時代を追って聴き直してみるのも面白そうだ。

3 ところで蘭ちゃんだ
 そうだ、蘭ちゃんといえば、この放送でわかったのは、蘭ちゃんのことが大好きだった武田鉄矢は、最初、映画RONINの「うの」役に伊藤蘭をオファーしていたようだ。しかもこのラジオの放送当時は蘭ちゃんが出産したばかりで、そのことにも深いショックを受けていた武田鉄矢。…その赤ちゃんがさ、2023年いまやブギウギだ。時の流れを悔やむじゃないぞ。それにしても紅白は何を歌うんだ蘭ちゃん。ああ私たちの望むものは…。

2023. 11. 22

100分de名著「マガジンT(第8号)」を読む 第3話 ホントは怖い人たち、ホントに怖い人たち、そして怖いホント@


 生放送でしかも全国ネットでないからか、やや危ない話もいくつか出てきた。

1 ホントは怖い財津和夫
 武田鉄矢が語る福岡のライブハウス"照和"での逸話が面白かった。"照和"といえば陽水、チューリップ、甲斐よしひろ、海援隊らがデビュー前夜に集っていた伝説のライブハウスだ。中でも図抜けた天才だったデビュー前の財津和夫が、東京進出のためにチューリップをロックバンドに再編成しようと、博多のいくつかのバンドのミュージシャンたちを引き抜いた。武田曰く「チューリップの近代化のために潰れたバンドが少なくとも三つはあって海援隊もそうだった」ということだ。
 武田を始め財津から選ばれなかったミュージシャンたちはみんな恨み骨髄。「財津憎し」を胸に刻みそれがその後に音楽を続けるエナジーだったという。音楽に厳格だった財津は、アマチュアバンド時代、メンバーが演奏を間違えると終わってから平手打ちしていたという驚きのエピソードを披歴する(爆)。怖い。その話を聞いた拓郎の「…モップスだ」という反応、また鈴木千夏アナの「えーそんな話聞きたくなかった、先日ライブ行ったばかりなのに…」という反応が面白かった。たぶん武田鉄矢のかなり盛った話だと思うけど。

2  憎しみのエナジー
 私がこの話を聞いて思い出したのは1978年頃の武田鉄矢のラジオ番組"文化放送の青春大通り"でのことだった。ちょうど甲斐バンドが「HERO」でセカンド大ブレイクをしていたときだ。リスナーの葉書で「鉄矢さんの後輩の甲斐よしひろさんですが『オレは財津の考え方って間違ってると思うよ』とこれまた大先輩の財津和夫さんを呼び捨てでヒドイこと言ってましたが失礼だと思いませんか?」という趣旨の問いかけがあった。これに対して武田は「いいんですよ、そうしないとずっと財津に負けたままになってしまうから。だって甲斐クン、君はHEROなんだからっ!」と甲斐を擁護した意味が今になってようやく腑に落ちたワイ。

3 音楽という海のノーサイド
 拓郎は「財津さんて、とんでもない人ですね〜」と笑いながら、決して財津をディスるのではなく、財津の音楽的才能が起爆剤になって数多くのミュージシャンが誕生したことの素晴らしさをたたえていた。武田もあらためてそれが自分達のビューティフル・エナジーだったと賛同していた。
 
 俺も思うのだ。「歌う敵と歌う真実」(いつも見ていたヒロシマ)と岡本おさみは書いたが、不倶戴天の敵同士と思われたさまざまなミュージシャンたちも、時間の経過とともにゆるやかにノーサイドになってゆく。ファンも同じだ。最近流行の「クラウドファンディング」という言葉を耳にするたびに、俺は「シアターフレンズ」を思い出してムカついていたのだが、先日カラオケでアリスを歌ったらなんか胸が詰まり泣きそうになって困った。もう終わったのだ。いくつもの川の水が海に出るように心のままに〜…60歳すぎて偏った無明の俺もようやくそう思うようになれた。
 ひとつの大きな才能に触発されて次々と違う才能が思い思いに花開いていくのが音楽であり、またそれぞれがぶつりかあいながらもひとつの大きな海に収斂してゆくのもまた音楽のチカラなのかもしれない。音楽は自由なものなんだ、そして平和なものなんだという拓郎の言葉をかみしめる。ああ、戦争と殺戮よ一刻も早く終わっとくれ。

 ということ今日は甲斐バンド「ビューティフルエネルギー」を聴きたい。松藤さんには申し訳ないが、甲斐よしひろのボーカルバージョンで。

 次回も怖い話のつづきでまいります…

2023. 11. 21

100分de名著「マガジンT(第8号)」を読む  第2話 愛よ、こんにちは

1 わが心の小室等
 今日は11月21日で、1978年11月21日といえば名盤「ローリング30」の発売日にして、同年同日、小室等の23区コンサートの目黒区民センターで吉田拓郎がゲストで登場した日でもある。「君に会ってからというもの僕は」生誕記念日と勝手に呼ぶ。
 その小室等は、この9時間のラジオ生放送にも重要なゲストとして駆けつけていた。この頃も二人は深い蜜月にある。この関係がその後どうしてどうなったか、たかがファンには知る由もないし、ましてや二人とも仲良くしてほしいだのなんだのと言える立場にもない。しかし、俺には俺でいち拓郎ファンとしての小室さんへの思いは確実にあってそれは大切にしていたい。
2 この広島の片隅に
 このラジオでも例の金持ちのお坊さんの3億円から始まるフォーライフ問題について小室さんと拓郎は侃々諤々とやりあうのだが、何度聴いても面白い。まるで古典落語の域じゃないの。
 それはいいのだが放送途中で拓郎のお食事ブレイクの間は小室さんがひとりトークでつなぐというターンになっていた。小室さんは、当時つまりは90年の夏の原爆の日に拓郎の故郷広島に行った話をしていた。拓郎のご家族のお知り合いかけられて話をしたそうだ。  
 小室さんは、これは拓郎が聴いたら怒るかもしれないけれど…と前置きをして話す。敬虔なクリスチャンであられたお母さんのために、拓郎が教会にやってきてボブ・ディランの歌を歌ってくれたという話に、「そういうのを頑なに拒むタイプの人間」と思っていた小室さんは驚いたという。またあの例の事件のときには「拓郎はそんなことをする人間ではない」と教会で署名を集めたという話も仄聞したという。「誰が信じてくれなくても自分のお袋だけは信じてくれている」という思いがどれだけ大切なものかと小室さんは感じ入る。そして拓郎にとっての広島とは即ち「母」のことなのではないかという。
 確かにこの種の話は、拓郎としては余計なこと言いやがってと怒るかもしれないが、こちらには深く心にしみいる話だ。そしてこの話は、昨今2021年〜22年のオールナイトニッポンゴールドで拓郎が「吉田家は吉田朝子の歴史である」と断言した言葉、それを実写化したような名作「ah-面白かった」…とひとすじに重なる気がする。
3  愛よ、こんにちは
 そうそう面白かったのは、拓郎がラジオの最後に小室等について「小室さんてね、実は彼が兄貴分に見えるでしょ。ほんとは僕が兄貴分なんですよ。彼は僕を慕ってるだけなの」というくだり。ああ、そうなのかと言う気もする。ああいう広島の拓郎の話を聞きこみ、ちゃんと拾い上げるのは、確かにもう愛というか慕情の世界だもんね。ということで「愛よ、こんにちは」…小室等フォーライフレコード第一弾…なつかしい。♪愛よ、こんにちは〜微笑みの言葉は〜今日から明日へ〜明日から永遠へと〜続いてい行く言葉〜って何となく歌えちゃうぜ。しかしこれってアルフィーの前身コンフィデンスが歌っていたとは知らなんだ。

 ということで、会報からは少し離れてゆくが、もう少しだけこのラジオについて話させてくれよ。
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2023. 11. 18

100分de名著「マガジンT(第8号)」を読む  第1話 過去をたずねて三千里

1 会報8号の時代背景
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 会報8号が届いたのは1990年12月。KANの「愛は勝つ」が大ヒットしていたころだ。老若男女がみんな唄える最後の流行歌だったかもしれない。心の底からご冥福をお祈りします。
 ということで会報は90年の秋までの情報がメインである。9月に始まった"男達の詩ツアー"と10月10日NACK5で放送された吉田拓郎本人9時間ぶっ続け生放送番組が二本柱のトピックとなっている。
2 耐久9時間のマラソンラジオ
 「10月10日、ずっとラジオの前を離れられなかった者へ、そして運悪く聞けなかったみんなへ。NACK FIVEで行われた9時間ライブDJ「吉田拓郎20mアニバーサリー"元気です”」の模様をお届けします。」という会報のフレコミのもとにラジオのレポート記事が載っている。拓郎本人による9時間ぶっつづけラジオが実施されたのだ。すげえ。あらためてすげぇと感嘆する。

 にもかかわらず、当時の俺は翌週から始まる地獄の試験のためにリアルタイムのリスニングはあきらめてしまった。何度でも言うが、この時期コンサートツアーも参加せずラジオも聴けないという悔恨の日々だった。
 せめてもの善後策としてこのラジオの録音を弟に頭を下げてお願いしておいた。しかし、もともと仲の良くない兄弟なので(爆)真剣さに欠けていたうえに、9時間もの放送だったので、テープの時間を間違えて途中ごっそり録音出来ていなかったり、既に録音したテープに上書きしてしまったりというポンコツぶりでついに全編を聴くことはできなかった。当然に弟とは今も仲が悪いままだ。
 ずっと後になって、奇特なファンの方のおかげで、欠けた部分をあちこち補綴しながら全編を聴くことができた。深謝。結局、放送当時20代だった俺が全編を聴けた時は既に60代になっていた(爆) だから、とにかくこの会報8号のラジオ特集は貴重なものだった。

3  元気ですの心意気
 それにしてもこの時はコンサートツアーの真っ只中だ。翌々日が群馬公演なのに、9時間もの耐久マラソンみたいなラジオをよくやったものだ。ディレクターがわが心のセイヤングの田中秋夫さんだったからだろうか。
 前夜、大宮に泊まって"スナックふれあい"で自動車のセールスマンとして楽しんだというのハイテンションのまま番組は始まった。内容的には20周年ということで自分の半生を語りながらすすめるという、最近のオールナイトニッポンゴールドの長尺版というところだ。先達サイトの言葉を借りればまさに「元気です」の心意気がみなぎっている。
その番組、重厚長大につき
 番組の概要は次のとおりだ。
主演 吉田拓郎
アシスタント 斎藤千夏
ゲスト
武田鉄矢
小室等
松尾一彦
鎌田清、由美子夫妻
坂崎幸之助
(以上登場順、数称路)
 おなじみの安定ゲストで固められている。鎌田清、由美子夫妻は、浦和のスタジオの近くにお住まいということで、差し入れがてら生放送に遊びに来たらしい。
 そしてON AIRされた曲目は次のとおり。
M1.イメージの詩
M2. 青春の詩
M3. 今日までそして明日から
M4.マークII
M5.夏休み
M6. 友へ〜今、青春がくれてゆく
M7.結婚しようよ
M8.春だったね
M9.旅の宿
M10.ペニーレインでバーボン
M11.風に吹かれて
M12.マンボNo.5
M13.ハウンド・ドック
M14.小さい悪魔
M15.渚のデート
M16.シンシア
M17.我が良き友よ
M18.歌ってよ夕陽の歌を
M19.やさしい悪魔
M20.いつか街であったなら
M21.ルームライト
M22.雪
M23.たどりついたらいつも雨降り
M24.あぁ、グッと
M25.愛よこんにちわ
M26.明日に向かって走れ
M27.どうしてこんなに悲しいんだろう
M28.となりの町のお嬢さん
M29.たえこ MY LOVE
M30.面影橋
M31.人間なんて
M32.君が好き
M33.ああ青春
M34. 落陽
M35.冷たい雨が降っている
M36.つめ
M37.いつも見ていたヒロシマ
M38.ビートルズが教えてくれた
M39. I saw her standing there
M40. Can't buy me love
M41. Strawberry files forever
M42. Twist and Shout
M43. Starting Over
M44. Imagine
M45. There's no shoulder
M46.元気です
M47.あいつの部屋には男がいる
M48.唇をかみしめて
M49.ショック! TAKURO
M50.サマータイムブルースが聴こえる
M51.俺が愛した馬鹿
[m:461] 弾き語りのコーナー(花嫁になる君に)
M52.すなおになれば
M53.俺を許してくれ
M54.流星
M55.舞姫
M56.男達の詩
M57.落陽
M58.祭りのあと
…さすがに9時間というと曲もこんだけの曲数かかるのだな。しかし今だったらこれだけじゃまだ足りないだろう。斎藤千夏アナウンサーのしっとりしたいかにもFMな曲紹介は拓郎も絶賛しており「その曲が喜ぶような曲紹介」だった。しかし、斎藤さんは、その後、いつもの拓郎特有のガサツなノリに影響されてしまって大変そうでもあった。お疲れ様でした。
4 リアルタイムに宿るもの
 聴けなかったラジオで何を喋ったか、どんな曲をかけたか、行けなかったコンサートツアーで何を歌ったか…それは後で情報としてトレースできる。しかしリアルの空気はそうはいかない。怒涛のコンサートツアーの真っ最中という空気感や、その中でこういうデスマッチのようなラジオをやってのけ…最後に来年は歳の数だけツアーをやるぞと宣言までしてしまう吉田拓郎。間違いなく彼の中で大きな胎動が起きていた、そのエナジーまでをリアルに体感するのはむつかしい。そういうエナジーの躍動を見逃してしまったのではないかという悔いがあるのだ。だから、このときリアルタイムで拓郎のコンサートやラジオ体感した人よ、その具体的な空気や気分みたいなものを教えてくれないか?教えてくれなきゃ、こっちから尋ねてゆくぞ!>誰に言ってんだよ
 
 さて肝心のトークは、ファンにとっては既におなじみの話、今となってはおなじみになった話も多かったが、何度聴いてもそれはそれでまた味わい深いものだ。それでもえっと驚く話題やしみじみと心にしみるイイ話も多々あった。次回は、このラジオの聴きどころをメモしておきたい。

2023. 11. 16

🔥🔥🔥はらたつわー🔥🔥🔥
 そりゃあ毎日ノウ天気な拓バカ日記ばかり書いている俺が世の中にエラそうに言えたもんじゃない。それでも、それでも、ああ〜ほんなこと腹ん立つ〜。

 僕が泣いているのは とても悔しいからです
 人の尊さ優しさ 踏みにじられそうで
 力を示す者達 しなやかさを失って
 ウソまみれドロまみれ じれったい風景でしょう
 より強くしたたかに タフな生き方をしましょう
 まっすぐ歩きましょう 風は向かい風
 どけ どけ どけ 後ろめたい奴はどけ
 有象無象の町に 灯りをともせ
 どけ そこ どけ 真実のお通りだ
 正義の時代が来るさ 希望の歌もあるさ
 僕の命この世に 捧げてしまっていいさ

 どけ どけ どけ どけ 情をなくした奴はどけ
 生きる者すべてが 愛でつながれる
 どけ どけ そこ どけ 正直のお通りだ
 アナタの為の僕さ 悔し涙のままさ
 たぎる情熱の僕さ ゆれる心のままさ
 僕の命アナタに 捧げてしまっていいさ
 僕の命この世に 捧げてしまっていいさ
            (吉田拓郎「純」)

 2019年のライブverでは“より強くしたたかにタフな生き方をしましょう”の歌詞が
 ”したたかに強くなりタフに生きてみせましょう”
 と微修正されている。強(したたか)かに強くなり”生きてみせましょう”…思えば2019年のラストメッセージか。この心意気でまいりましょう。

2023. 11. 15

100分de名著「マガジンT(第7号)」を読む  第2話 きっと僕らに女神は微笑む

1 真夏の夜の夢
 会報6号の第2話で「1990年秋、サッバリ断髪した拓郎は、その髪をツンツンと逆立てて、"男達の詩"コンサートツアーに出ることになる。」と書いたがそれは嘘だった。その前の90年夏に、JTスーパーサウンド90の横浜アリーナ、南こうせつのサマーピクニック・ファイナル、武田鉄矢の軽井沢音楽祭にゲスト出演している。JTとサマピは10曲前後を歌う秋ツアーのパイロット版のような本格的ステージだった。これらのステージが短髪でのライブデビューである。
 
 他人様にはどうでもいいことだろうが、当時の私は背水の陣の試験が続いたため、この夏のイベントも秋のツアーもすべてを吹っ飛ばした。わが拓バカ人生の痛恨のひとつである。半年の間つづく試験の沼でもがきながら、遠く切なく拓郎のライブのことを思うていた。
 JTスーパーサウンドは「男達の詩」と「いつか街で会ったなら」、サマーピクニックは「神田川」、軽井沢音楽祭は「夏休み」が地上波で放映された。特にサマピとスーパーサウンドは繰り返し悶絶しながら必死で思いを馳せたものだ。会報の今号と次号の"男達の詩ツアー"の界隈は遠くから見ていた吉田拓郎となる。

2 女神の現場
 会報7号ではサマーピクニックのファイナルの様子が石原信一によってレポートされている。
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会報からわかるセットリスト
 1.春だったね
 2.あの娘といい気分
 3.抱きたい
 4.ああ、グッと
 5.今夜も君をこの胸に
 6.ペニーレインでバーボン
 7.君去りし後
 8.男達の詩
 9.神田川
 くうぅうう。行けなかったライブは特に眩しく見えるわな。この中からNHKで放映されたサマピの「神田川」を会報と併せて観ることで、少しでも当時の様子を知ろうとがんばったものだ。

 "ボウズ"頭の慣れない風貌、すまないがどうしても工事現場を思い出してしまう衣装(爆)
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そして歌うは"神田川"。そんなハンデがまったく気にならないくらい、素晴らしいプレイをみせてくれる。90年1月と比べるとはるかに機敏でしなやかな吉田拓郎がいる。動きがいい、換骨奪胎の神田川も魂のロックナンバーとして見事に転生している。後に90年ツアー、91年ツアーと重用されていく「ウェーイ神田川」の誕生である。

 やはり野外は特別だ。一瞬だが画面に映る野外の観客たちも実に素晴らしい。こうせつのサマピというアウェーでありながら、ちゃんと最前列にTAKURO旗(大型バスタオルか)を掲げてノリ狂う大勢の観客たち。ああ、ありがとう(涙)。もちろん俺なんかのためなんかじゃない。拓郎のために拓郎の野外を身体を張って盛り上げている人々がいる。それは希望でしかない。そしてそれがまた拓郎のことを大きく鼓舞しているのがわかる。テレビを通して垣間見るほんの一曲だけからでも魂の入り方が違うことが伝わる。それは、石原信一のこんな言葉に結びつく。
 だからもう僕はきっと拓郎に「オールナイトはいかが?」の安直な質問は投げかけないだろう。それよりも、拓郎が一曲をすさまじく歌いきることに賭ける、女神が微笑む下で拓郎がいつも歌っているならそれでいい。
 いつかまた女神が両手を広げ、拓郎をどこか巨大な場所に誘い込むことを遥か夢見ながら。
 石原信一はとても正しかった。そのとおり、やがて巨大な場所にまた誘いこまれる運命が待っている。但し、ちょーっと時間がかかるのよね…16年くらいかな(爆)。それまで、生きよ、生きて抗え、敷島>いみふ

3 そして、こうせつさんへ
 歌い終わると拓郎は珍しく南こうせつの肩に手を置く。するとすかさずこの貴重なツーショットを逃してなるものかと(※私の想像です)こうせつは肩にかかった拓郎の手をしっかり掴む。拓郎はちょっと手を置いてすぐに離れるつもりだったようだが、こうせつが握っているので離れられず、一瞬、ちぐはぐになる二人。このシーンがたまらなく好きだ。
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 この出演は、こうせつのサマーピクニックに拓郎がゲストにかけつけてくれたという図式ではある。1987年に続き二度目だ。しかし1987年の復帰前夜、そして今回の90年の短髪スタートという節目の拓郎のために、こうせつが前哨戦たる場所と時間を提供してくれたように俺は思う。いや違うと言うかもしれないが、俺はそう思うことにしている。だから南こうせつに対して、心の底からありがとうございましたという気持ちで常にいるのだ。

 ということで7号はこれまで。次回は会報8号で。

2023. 11. 11

 声優の北浜晴子さんが亡くなった。子どもの頃「奥様は魔女」が大好きで観ていたが、今俺の耳に残っている北浜さんの声は拓郎105分 いまなぜ拓郎か。ああリフレインが叫んでる。ご冥福をお祈りします。

100分de名著「マガジンT(第7号)」を読む  第1話 何処へ行くT's会報、何がしたかった藤井徹貫の巻
1 新装会報出来!
 会報7号は予告どおり版型も内容も刷新された。藤井徹貫の編集指揮のもとの改革だった。写真の通りデカくなった。
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2 拓郎がいない
 問題は中身だ。既に会報6号からその兆候はあった。特に吉田拓郎ファンではない各界のプロたちが、特に吉田拓郎と関係ないエッセイを寄せ、特に吉田拓郎とは関係ない音楽業界者が、特に吉田拓郎が関係していない現代の音楽業界のウンチクを語る記事で満ちている。実質的に拓郎に関係しているのは石原信一先生の連載「続・挽歌を撃て」だけだ。この赤枠以外は、ほぼ吉田拓郎は出てこないし、関係もしない。
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 吉田拓郎ファンクラブの会報でありながら、ここまで拓郎ファンの読み手をアウェー気分に落とし込むのはもうお見事というほかない。
 なんじゃこりゃあ、拓郎の記事が全然無いじゃないか!と頭にきたが、当時、個人的に90年夏から年末まで人生最後の賭けともいうべき事象に忙殺され怒るヒマがなかった。それは俺の個人的都合だが、それでも他のファンの間でも当時不満が湧きおこらなかったのは、既にT's会報よりも、別便で送られてくるT'sNEWSの会員チケット先行販売に会員の関心が集中していたからではないかと思う。
 それはそれで切ない。しかし、コアに拓郎を語り深めたいファンの方々は、たぶん「たくろうさあくる」か「拓郎軍団」に参加していたのだろうと推察する。
3 てっかんの決意
 このファン・アウェーの"てっかん"こと藤井徹貫の編集方針はどこから来たのか。会報6号の編集部ステイトメントと7号の編集後記を読むと少しわかる。当時は別に何とも思わなかったが、今になって読むと妙に心にしみる。
 基本的には個人の主義主張。それがたとえ独断と偏見と他人には思えても、それを一番大事にする。多勢なら言えるけど一人じゃ言えないことは一生言わなくていい。一人でも言えること、一人になっても言いたいことで満ちた誌面を志す(中略)
 哲学者であり思想家である鶴見俊輔氏は"政治のあらゆる出来事はすべて生活の中にもある"といった主旨のことを述べられている。つまり生活とはそれほど大きな存在ということである。発想はその氏の発言に起因する。

 ここからは私の勝手な解釈だ。一見すると吉田拓郎とは関係しないさまざまな世界を生きる個人の主義主張の記事を集める。それは世界であり生活の縮図だ。世界や生活にはどこかに必ず吉田拓郎的なスピリットが宿っているはずだ。拓郎ファンは小さな殻に閉じこもらずに、そんな世界や生活に目を広げよう、そしてそこに散在する吉田拓郎の結晶を見つけ、また結晶が無い所に拓郎のスピリットを散りばめてゆこう。
 俺の憶測だが、たぶん徹貫は、そうやって吉田拓郎と世界の紐帯を固く結びたかったのだと思う。世界とともに吉田拓郎もそして拓郎ファンも生きてゆく。そんな大胆な挑戦だったのではないか。
 私の座右の銘である「すべての道は拓郎に通ずる。拓郎があればすべての道を行ける。」と共振するような気がしてならない。
4 夢また一つ
 もともと藤井徹貫のことは良く知らない。しかも今年卒然と亡くなられてしまわれた。会報6号のステイトメントに読者の反応がなかったと7号の編集後記で嘆いている。今から魂こめて送りたいが>遅すぎるだろ!

   おまえが死んだ後で青空はいっそう青くなり
   おまえが死んだ後でようやく僕はおまえを信じ始める
   残された悔しさの中で僕らは生き続けひとりぼっちだ
             (おまえが死んだあとで 谷川俊太郎作詞/小室等作曲)

 さて次回は、会報7号の中で唯一の拓郎記事「続挽歌を撃て」を深堀してみたい。

2023. 11. 10

🌟🌟🌟武道館よ屋根の梁を高く上げよ🌟🌟🌟
 なので自分は1978年の武道館(ライブアルバム"Bob Dylan at Budokan"も含め)でボブ・ディランにとりあえず入門した。武道館では弾き語りやアコースティックセットはなく全曲ソリッドなバンドサウンドだったので、ああそういうものなのかというのが初印象だった。
 そこからさかのぼって原曲や他のバージョンを聴くことになった。例えば、武道館で初めて聴いた"I Want You"は、聖歌のような美しいバラードだったので、後に原曲を聴いて♪が元気に跳ね回るようなウキウキポップな歌と演奏にびっくらこいた。ああ、自由だ、と思った。なんという自由自在な振り幅なのだろう。…まるで吉田拓郎みたいだ。
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 こういう入門の仕方って、拓郎で言えば、例えばいきなりライブアルバム「王様達のハイキングin Bodokan」から入門するみたいなものかもしれない。実際、自分の身近にそのとおりの「ハイキングから入門」というファンの方がいらした。その方も拓郎の弾き語りとかアコースティックに対してはあまり執着がなく、アルバムでいえば「大いなる人」とかのサウンドにしきりに感激していた。同じ音楽であっても、どっから入門して、どんなルートを辿るかでずいぶん大きく好きのカタチが違ってくるものだ。面白い。

 「王様達のハイキングin Bodokan」における「王様達のハイキング」と同様に当時未発表でライブ初披露目の新曲が入っている。"Is Your Love in Vain?"
いい曲なんだ。もう大好き。居並ぶ代表曲の中に入っていても全く遜色はない。確かにアルバム「大いなる人」系かもしれない、ちょっと「未来」に似ている。美しいバラードだと、知らないなりにライブの現場でも思った。

 しかし"Bob Dylan at Budokan"に腰をおろしていたら、ディラン先生は、たちまちそこからあっという間に違う世界に旅立ってしまった。その背中を見失ってしまった俺は入門したはいいが、今も永遠の見習い中の研修生みたいなものだ。

2023. 11. 9

⭐️⭐️⭐️何度弾丸の雨が降れば⭐️⭐️⭐️
 やあ、みんな。毎日拓郎ばかり聴いてるとばかになるぞ。>おまえが言うか
 高一のとき、今は遠くで暮らしている叔母がそう言って心配して、ボブ・ディランの初来日公演のチケットを買ってくれた。もっと世界を広げなさいと。これが私の人生初のコンサートだった。武道館では10日間くらい公演があったが、このたび俺の行った1978年2月28日の音源がコンプリートで発売されるらしい。45周年記念だそうだ。
 まことに感慨深い。あのディランの武道館に行けたからこそ、翌79年の吉田拓郎の武道館では道に迷わずトイレの場所もわかり安心だったし(爆)、なにより魂を込めた吉田拓郎の歌いっぷりが世界水準でもどんだけすんばらしいものかがよくわかった。世界が思い切り広がった。吉田拓郎の世界が。余計ばかになってしまって叔母さん申し訳ありません。近く箱根にまた行きますね。もうディランのこともわかんないかなぁ。
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2023. 11. 4

100分de名著「マガジンT(第6号)」を読む第2話 髪を切ったら20年が過ぎていた…それから30年が過ぎていた


1 短髪ライジング
 前髪を気にしない人生っていうのかな。たかが髪だけど大きい。そこんとこあまり気にならなくなった分、少し楽になったような気がしてね
 石原信一のインタビューでは髪を切って身軽になった吉田拓郎の新しい始まりを予感させてポジティブに結んでいる。いいインタビューだ。ということで、今回の100分de名著もココで終わればいいのだが、すまん。そうはいかないのだ。

2 愛と哀しみの短髪ビギニング
 正直に言って、当時、私は短髪の拓郎にはかなりショックを受けた。例えば菅田将暉が長髪にしたり、アフロにしたり、そして坊主にしたりと頻繁に髪型を変えるのとはワケが違う。これはピンチだと思った。
 会報6号の石原信一によれば拓郎本人が短髪のイメージとして描いていたものを聞き出している。
 どう髪型を変えるかについては、オールバックがいいかとかジャック・ニコルソンやフィル・コリンズなどの頭を思い浮かべて美容院に行ったそうだ
 ジャック・ニコルソンは世紀の名優でありフィル・コリンズも偉大なミュージシャンであることは知っている。しかし吉田拓郎は、音楽家であると同時にアイドルでありビジュアル系スターでもあるのだ。とすれば、んーどうだろうか。
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 この2人とも、そのまま磯野波平に向ってカウントダウンが始まりそうな不安がある。もちろんそれは私も含めて誰にでも訪れる加齢変化であり恥ずべきことではない。仮にそうなったとしても吉田拓郎の音楽も歴史も人品骨柄も含めて決してゆらいだりしない。ファンの気概も同じだ。しかし、しかしだ。やはりビジュアル系のアイドルでもあるがゆえにファンとしてはどうしたって苦悶してしまうのも事実だ。吉田拓郎は、ジャック・ニコルソンでもフィル・コリンズでもましてや磯野波平などでもなく、吉田拓郎としてカッコよく美しいビジュアルでいてほしいと願う。

 あの長い髪をひるがえして肩で風を切って飛んで行く姿が鮮烈だったしその期間も長かった。なのでなかなか短髪に慣れないことも大きかったのかもしれない。そのうえ観るたびに短髪の状況がいろいろ変化し、それがまた私を戸惑わせた。ツンツンに立てる"男達の詩"はまだ良かったのだが、
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 その後、怖すぎたり、七三分けのリーマンみたいな意味不明な時期もあったりして私を苦しめた。
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そもそもファンが慣れないのだから、世間や市井の人々はもっと慣れていない。「あれ誰?」「え、吉田拓郎?すいぶん老けちゃったのねー」と容赦がない。うっかりすると「あの人は今」のアイコンになってしまいそうな短髪だった。…ああ切ないぜ。ともかくしばらくビジュアル試練の旅が続く。男達は黙って進む。

3 短髪ビジュアル系リターンズ
 この試練が解消されるのはいわずと知れた「LOVELOVEあいしてる」以降だ。毎週毎週、短髪の拓郎が登場することに目が慣れてゆく。短髪=拓郎という刷り込みが完成する。そのうえで全国の国民に観られているということが大きかったはずだ。新人アイドルがテレビに出て注目されることでどんどんキレイになってゆくのとたぶん同じ原理(「石野真子理論」とも言われている)だ。そして何より、精神的にあの若者たちの大きな薫陶を受けて転生したという拓郎だ。その内面に新たに湧き立つ生命感が容貌やルックスに現れ、どんどんスタイリッシュになっていった。特にLOVELOVE中盤あたりからのルックスの洗練されてゆく勢いはすばらしい。最終的にはあの若き長髪時代と比べても遜色なく、短髪は短髪なりに心の底からカッコイイと思えるようになった。
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 これこそがLOVELOVEの偉大な功績だと私は心の底から感謝している。KinkiKidsや篠原ともえにアタマが上がらないゆえんだ。その後の拓郎は若干の経年変化はしたものの、ビジュアル系スターとしてそのままステージを全うしたことは記憶に新しい。かくして私たちは永遠にあこがれ続けることができるのだ。

4 短髪フォーエバー
 「髪を切ったら20年が過ぎていた」…それから33年が過ぎている。拓郎のキャリアでは短髪期間の方がはるかに長いのだ。今も昔と俺は言う。それなりに衝撃な事件だったのだよ。

 さて1990年秋、サッバリ断髪した拓郎は、その髪をツンツンと逆立てて、"男達の詩"コンサートツアーに出ることになる。何度も言うように90年代に駄作なし。進撃は続く。しばらくビジュアル冬の時代も断続的に続くが、それももう少しの辛抱だ。大丈夫だ、必ずビジュアル系の吉田拓郎は帰ってくる、心配するな…当時の自分をそう励ましてやりたい。

 そして、さんざん文句を言った会報6号だが、次回7号から会報が大刷新されて新たなる展開をする。

2023. 11. 3

100分de名著「マガジンT(第6号)」を読む第1話 髪を切ったら20年が過ぎていた
 会報第6号は個人の感想だがあまり面白くない。ファンクラブ会報としては熱度が低すぎる。理由はシンプルだ。"吉田拓郎"がいないのだ。いや、いちおういるけど圧倒的に足りないのだ。

第1 会報6号がなぜつまらないか
 1  表紙
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 なんだこの表紙は。これまでは、表紙と裏表紙は、吉田拓郎の豪華な近影、ご尊影、スナップで飾られていた。いい写真も多かった。しかし、なんだこれは。区民美術展か。…こんなふうに大事な場面で、近影不在のジャケット等が時々ある。古くは「流星」「春を待つ手紙」、後には「心の破片」「気持ちだよ」もそうだった。それがどんなに優れたアートだとしても本人のご尊影に勝るものはない。なんたって、なんたって十八…ちゃう基本はアイドルのファンクラブというメンタリティの会報なんだから。違うか。

2 写真がない
 表紙同様、中身にもこれまで満載していた新旧の吉田拓郎の写真が殆どない。「男達の詩」プロモーションビデオ撮影レポートの2ページだけだ。石原信一のインタビューにも今まではいろいろな拓郎の写真が散りばめられていたが今回はゼロだ。↓こんなイラストだけが載っていて…私にどうしろというのでしょうか。
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忘れること勿れ、あくまでも吉田拓郎は元祖ビジュアル系スターなのである。

3 意味不明の特集記事
 ファンクラブの会報なのに、いきなり80年代と90年代の日本の音楽界の動向についての長い論考、その次はスペイン名所ガイド…吉田拓郎は1ミリも出てこない。そんな記事が巻頭から25ページも続く。意味がわからない。会報の総ページが48なのにだぜ(爆)。せめてバルセロナを散策する拓郎の写真と紀行文とか…それは無理か。

第2 それでもある会報6号の存在意義
 それでも会報6号はビジュアル系スターにとっての衝撃の事件をリアルタイムで記録している。…それは断髪だ。
 主力記事である石原信一の連載「続挽歌を撃て」の話題は吉田拓郎の短髪実施である。タイトルも「髪を切ったら20年が過ぎていた」。1990年2月ころ、吉田拓郎はそれまでの長髪、カーリーをバッサリ断髪する。石原信一の連載の冒頭はこのように始まる。
 拓郎が髪を切った。極端に短い。何というヘアースタイルなのかと聞いたら「ボウズだ」と彼は笑った。
 いまやベテランファンですらも髪の短い拓郎を当たり前に受け入れているが、劇的なイメチェンであり大事件だった。
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…当時は驚いた。書店の店頭で「男達の詩」のジャケ写を雑誌で観たのだが、最初誰だかわからなくて写真の下の「吉田拓郎」という文字を見つけ「嘘だろ」と思わず声を上げたものだ。

第3  断髪前後
 90年1月10日の武道館ライブのバックステージ・楽屋の会話で、よく聴くと拓郎は坂崎に髪を切る話をしている。この時は断髪は既に決定事項だったようだ。

 坂「いっぺんボウズにするのもいいですよ、髪のためにも」
 拓「いや髪のためじゃないんだ、気分が…」

 そして90年3月後半の男達の詩のレコーディングのドキュメント(放送は90年8月のNHK「吉田拓郎ライブ&トーク」)では、短髪でスタジオに姿を現した拓郎が「もう1か月経ったよ」「その間に3回切った、早いんだよ」とツンツンの髪をつまみながら談笑している。なので断髪は2月ころと推察される。

第4 後藤、長髪やめるってよ
 そもそも拓郎の説明では、後藤由多加が、#前髪をかき上げる人"と"前髪を押さえる人"では、見える世界も違ってくるのではないかと説得し、二人で一緒に髪を切ろうと説得したとのことだ。しかし後藤はこの約束をドタキャンしたため、ひとりボウズになった吉田拓郎。会報6号の編集後記では、その時間、後藤社長は六本木の寿司屋でおねーさんとしっぽり二人でイイ感じだったらしい…とのことだ。ホントだったら、やっぱりいろいろとすげぇ人である後藤由多加。
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 10年以上前に拓郎にパーマをかけた美容師に「パーマを落とすのも責任もってやってくれ」とまかせたところ短いカットの髪にされたという。
 この顛末はエッセイ集「自分の事は棚に上げて」の「もうやめた」に詳しい。この美容師は後のヘアスタイリスト益子さんの師匠である畑さんと言う方らしい。

 拓郎本人も語るとおり長髪は「歴史ある髪型」だ。やはりこの断髪にはご本人もとよりファンの俺もいろいろと気持ちが複雑にうねった。ねぇ、あの短髪観た時みなさんはぶっちゃけどう思いましたか? 俺にとっては愛と哀しみの短髪だった。「どんな髪型をしようが俺の勝手だろ」と拓郎は怒るだろうが、いや拓郎さん、そういうもんじゃないんだよ。それについてはまた次回。

2023. 11. 2

🌟🌟🌟今日も明日もあなたに逢いたい🌟🌟
 こんな自分でも国会中継をよく観る今日この頃。外出先の待ち時間などにスマホで観ていると"帰ってきたあの曲"の"あの一節"がどうしても頭に鳴り響く。

 テレビはいったい誰のためのもの
 見ているものはいつもつんぼ桟敷
 気持の悪い政治家どもが勝手なことばかり言い合って
 時には無関心なこの僕でさえが
 腹を立てたり怒ったり

 殺戮をやめろ、停戦しろという決議を棄権する我が祖国。Noと言えない。何がバランスだ…誰かの顔の色も気にかかるんだね。また輸出した兵器の使用態様を問われて、平和のために使っていますと薄笑いしながら答える。そこには苦渋の陰もない。
 たぶん今の多くの政治家が心の中では大嫌いな憲法。憲法の人権とは、どんなに強力な権威、どんだけ圧倒的な多数決をもってしても絶対に奪えない個人の尊厳のセットリストのことだ。政治家にはきっとメンドクサイことこのうえない。しかしあなたたちの仕事は、このセットリストを守り、誰もがひとしくセトリの曲を奏でられるよう尽すことだ。断じて自分勝手な都合でこのリストを削ったり切り刻んだりすることではない。任期中に改正実現とか血道をあげるところを絶望的に間違えている。
 反戦歌もプロテストソングもあんまり好きではないが、殺戮に対する態度も個人の尊厳についてもいろんな意見がありますよねぇ…と有耶無耶にしながら楽しむ音楽なんて俺にはありえない。

 …ということで腹を立てたり怒ったりしながらスマホで中継を観ていたので、声をかけられてもまったく気づかなかった。すまん。きっと拓郎の歌なら気づくだろうと"人間なんてララララララララ〜"と阿佐ヶ谷姉妹のように斉唱してくださったご婦人方(爆)ありがとうございました…不肖ワタクシとても幸せでした。

 「人間なんて」といえば、大黒摩季の名作「ら・ら・ら」は"人間なんてラララ"にインスパイアされて作られたということだ。諸説あるのかもしれないが、大黒摩季のプロデューサーである長戸大幸が自ら明言していた。長戸大幸…知る人ぞ知る幻のフォーライフ新人だった御方だ。
 なので「ペニーレインでバーボン」の"テレビはいったい誰のためのもの"と「ら・ら・ら」の"テレビやマスコミはいったい誰のもの?"はたぶん兄妹フレーズみたいなものだ。
 本当に誰のためで、誰のものなんだよ。そういう俺も気づくのが遅すぎたな。
  

2023. 10. 31

⭐️⭐️⭐️新曲の輝き⭐️⭐️⭐️
 ローリングストーンズの新作「Hackney Diamonds」が出た。今やネットでストーンズと検索するとミックでもキースでもない若者たちがズラっと出てきて戸惑った。今はこういうご時世なので尻馬に乗るみたいで心苦しいが、すまん、キミらはシックストーンズじゃダメなのか。わしにはストーンズはストーンズだけなのよ。…ひとりごとです気に止めないで時にはこんなに思うけど。
なんにしても新曲だ。80歳のロックバンドの新曲である。いや年齢もキャリアも捨象してとにかく新しい曲だ。ストーンズファンとして底の浅い俺でもワクワクする。新しい車に乗って、サンディエゴフリーウェイを南に走っているような気分になった。我ながら例えが嘘臭い。
 衰えないミックのボーカル、"Whole Wide World"で心が躍る。爽快。"Mess It Up"…おもしれえ。身体が揺れる。これがチャーリーワッツの遺作なのか。"Tell Me Straight "ああ、しみる。変わらないミックのボーカルに対してキースのボーカルは聴くたびに深く沁みてくる。そばよし本店のかき揚げうどんの出汁のようだ。

 これを聴いていると「ah-面白かった」の特にWanganが聴きたくなった。イイ。比べるべるもんじゃないが、比べても遜色はない。どちらも清々しい。

 なんだろうこの加齢な人々のピュアな自由さは。どっちも痛快。

2023. 10. 29

100分de名著「マガジンT(第5号)」を読む  第7話 [NG:3 ] あこがれ運動体 西へ


 …時々考える。金沢事件の時に、もし俺が拓郎ファンだったとしたらどうしたろうか。そりゃあ拓郎を信じてファンを続けたに決まってる…と断言したいが正直その自信がない。それは例えば戦争が終わってから、実は俺もあの戦争には反対だったんだと威張り出すオトナの姿とどこか重なる。ヘナチョコな俺には胸張って言える自信がないのだ。
 だからこそ金沢の嵐から逃げ出さずに、推しとしての極北をのり超えたすべての当時の
拓郎ファンの方々を俺は心の底から尊敬する。
 後にいろんなファンから当時の話をうかがった。例えば当時、女子高生だったファンの方は、拓郎の悪口で持ちきりの学校には行きたくなくて、金沢に駆けつけることもできず、かといって家にいるのも苦しくて、毎日、ずーっとユイ音楽工房のビル前にタムロしていたそうだ。そんなファンがたくさんいたという。こういう話を聴くだけで胸がしめつけられるようだ。
 いわば世界中が敵になるような中で、拓郎ファンでいつづける孤独の身空には、いろんなことがあったでしょう、人に隠れて泣いたでしょう。そして、そういう方々がいればこそ私はこうしてファンの端くれの末裔でいられるのだ。

□ いつも見ていた後藤由多加
 さて後藤由多加インタビューのつづきだ。普通は、事務所やプロダクションの社長は、フィクサーとして表舞台には姿を見せたりしないものだ。しかし後藤由多加はいつも最前線のフロントにいた。金沢事件の時だけでなく自らも前線に突撃していくイメージがあった。例えば拓郎や長渕の離婚記者会見等の時など荒れそうな場所には必ず横に座っていた記憶がある。表裏を問わずタレント=アーティストを守るために社長が身を運んで当然という気概が伝わってくる。
 少なくともタレントを矢面に立たせて自分達はその後ろに隠れ責任を逃れるようなことは絶対にしなかった。
 このインタビューに登場する70年代初頭の吉田拓郎の軽井沢での結婚式の逸話がまたいい。
G:あの軽井沢の教会で。…ボクはなんかの夏のコンサートで肩を脱臼して包帯をして軽井沢に行った覚えがあるもんな。これ片手だったら、何かトラブルがあったときやばいなぁっていうんでバットを持っていたんですよ(笑)
 この話もメチャ好きだ。普通、包帯してバット持って結婚式行くか(爆)? 俺が拓郎アニキを守りますという任侠の世界か。

❑ つま恋は燃えているか
 また、つま恋75のビデオで好きなのは、拓郎2ndステージのオープニング。「夏休み」のイントロが流れる舞台袖でスタンバっている拓郎。後藤は、その前にしっかりと立って、周囲を睥睨し、よし行けとばかりに先導して拓郎と一緒に階段をのぼっていく。うっかりすると後藤もステージに出ていきそうな勢いだ(笑) そもそも社長がボディガードみたいにそこにいる必要があるのか?という素朴な疑問を超えて、観る者を感動させずにはおかない。
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 つま恋といえば85年。午前2時ころか。騒音苦情が殺到したというときに、後藤は自らステージに上がってマイクを握りしめて「ここでやめるわけにはいきません、音量は多少下げるがわかってくれ」と啖呵を切った姿も忘れられない。後藤はいつも大事な場面のフロントにいてくれた。

 ユイは会社と言うより、後藤の語っていたとおり「運動体」だったのかもしれない。少なくとも70年代前半はそういう気持ちで後藤はじめみんなが動いていたのかもしれないと思う。石原信一の言う通とおり「運動体」だったと考えるといろんなことが腑におちる。

❑ そこにある原点
 会報6号のインタビュー後半の言葉の先取りになってしまうが、後藤のこんな言葉が刺さる。
 唄も唄えない、曲もかけない、詞もかけないスタッフがどういうふうに頑張らなきゃいけないか、という所を僕に教えたのは拓郎でしたね。ボクにとっては原点なんです。原点というか、そこしか僕にとってはないわけです。
 吉田拓郎を愛するように、たぶん多くの拓郎ファンが、渋谷、陣山、常富、そして後藤由多加に対しても深い敬愛を抱くゆえんである。前にも書いたが矢沢永吉の自伝インタビュー「アー・ユー・ハッピー?」を読んでその凄絶さに胸が苦しくなりながら、俺はユイ音楽工房のことを思った。あなたたちでよかった、あなたたちがいてくださって本当によかった。この胸いっぱいのありがとうよ、君に届いておくれ。

 結局、長話になってしまったよ。読んでいただいた方、すみませんね。でもありがとうございます。会報5号はこれまでです。

2023. 10. 26

100分de名著「マガジンT(第5号)」を読む  第6話 [NG:3 ] コロンブスのゆで卵

 このインタビューではやはり金沢事件のことは避けて通れない。
石:74年の金沢の時にはユイはつぶれると思いました?(※だから73年だって:星紀行注)
G:うん、最初は思いましたね。コンサートはできない、もうやけっぱちでしたからね。
警察を訴えてやろうと思ってましたからね。それで警察官に言ったしね、絶対に訴えてやるからって。あの時はホント大変だったなぁ。
 警察に啖呵を切り、権力&警察と戦う覚悟を固める後藤。もうこの言葉だけで俺は小一時間泣けるぞ。前号で連行される新幹線に同乗していった渋谷マネージャーからの連絡を受けて、自分も金沢に向かう。
 すぐ行くって、新幹線で大津かなんかに出て。春だったけどまた結構寒くても日本酒を一本電車の中で買って。それと卵ね。ゆで卵を買って。夜行だったのかな、一睡もしないで金沢に行きましたよ。拓郎の存在はどこかできり返さなきゃないけなかったし、それは何なのかっていう。具体的には権力を警察を訴えることをしなきゃね。
 最近まで借金を抱えた単なるペーペーの学生だった後藤には、自分の「生活の不安はなかった」という。しかし「拓郎の存在をどこかできり返すために」戦わなくてはならない。
 それにしても…「ゆで卵」。イヤミではなく、後藤氏は年号・年代は忘れても「ゆで卵」のことは覚えていた。多分、後藤にとって夜行列車で金沢に向かうその時の心象がいかに厳しいものだったかが窺える。その景色ごと強烈に心に焼き付いていたんだろうなと思う。

□ 帝国の逆襲(良い意味で)
 事件は、不起訴になったが、潔白が証明されたにもかかわらず、拓郎のイメージは酷く悪化したままだった。事実、由紀さおりの「ルームライト」は放送自粛となり、これひとつとっても拓郎のみならずナベプロもかなりの打撃を受けたはずだ。こういうとき芸能プロは、とっとと拓郎から手を引いて"干す"のが自然だろう。しかしナベプロは手を引かず、様子見すらもせず、事件直後の73年の秋に森進一のために曲提供を吉田拓郎に依頼した(後の「襟裳岬」)、それだけでなく小柳ルミ子の「蛍の河」「赤い燈台」と依頼を続けていった。ゆくゆくはキャンディーズに至るまで、ナベプロ主力スターへの作曲依頼を続けてゆくのだ。当時、森進一もいわれなきスキャンダルに苦しんでいたというが、普通だったらなおさらイメージの悪い拓郎は使わなかったはずだ。
 ここにナベプロの吉田拓郎に対する固い応援の意思を感じざるを得ない。矜持というべきか。後藤がアポなしで渡辺晋に挑んでいったあのときのエピソードが思い出される。ユイとナベプロの間にはそれこそ信頼の固い絆が出来上がっていたのではないか。
 この頃の音楽界は、新興ユイVSナベプロ帝国という対決図式で総括されがちだが、当時の音楽界で吉田拓郎の才能を誰よりも高く評価し支援していたのはナベプロだったんじゃないかとすら思うのだ…まー、しょせんシロウトの思い込みだ。

□ ちょいとマッチを擦りゃあ炎上しそうな

   用心しろよ、用心しろよ、ああ、そのうち君も狙われる
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 50年前の冤罪事件と思う勿れ。この危険な闇は、なんにも克服されないまま、インターネットだSNSだという高度情報社会の中で私たちの足元まで広がっている。今も誰かが炎上し、いわれなき中傷に痛めつけられる。ああ、何て事だ、何て世の中だ。

 警察が連行する新幹線に飛び乗る渋谷氏、警察と戦う覚悟で日本酒とゆで卵を抱えて夜行で向かう後藤氏、プライベートジェットで駆け付ける久保利弁護士、そして金沢中署を人間の鎖で囲み歌うファンの方々、すべては「吉田拓郎」奪還のため、青春の河を超え、青年は、青年は金沢を目指す。…あ、五木寛之、嫌いだったんだ。そして忖度も様子伺いもせず潔白なる才能を堂々と支援するナベプロ。
 どんなにネット世界、情報技術社会が偉そうな顔して高度化しようが、最後は人間の力だ。人間の魂に根差した言動でしか人は救えない。その当たり前すぎるくらい当たり前なことをこの事件をめぐる人々の一挙手一投足が教えてくれている気がする。

…あららら話がそれたな。いよいよ次回会報5号最終回。

2023. 10. 24

100分de名著「マガジンT(第5号)」を読む  第5話 [NG:3 ] 後藤由多加、天下をとったヤツまともににらみつけ

□ 君臨すれど仕事せず
 ユイ音楽工房の設立当時は、後藤由多加がマネージャーを兼務していた。その際の有名な伝説がしっかり実話だったことがインタビューで確認される。石は石原信一、Gは後藤由多加だ。
石:そういうとき(※注:地方のライブに行った時)の拓郎はどういう感じなんですか。
G: もう、すごくよく仕事しましたよ、自分で照明の打合せして、僕なんかが寝ている間に仕事が終わって。
石:全部そういう仕事を自分で…
G:それで仕事おわったら「後藤、おわったから帰ろうぜ」みたいな。ある時拓郎が「後藤おまえ、マネージャーに向いてないんじゃないか」って(笑)
 (笑)この話メチャ好き。おそらく拓郎は後年、渋谷氏がマネージャーになってつくづくと確信を深めたのではないかと想像する。

□ 天下を取った人
 メチャ好きな話といえば、マネージャーには向いてなかった後藤氏の名誉のために、このインタビューにはないけど一番好きな話を書いておく。出典は、野地 秩嘉「「芸能ビジネス」を創った男 ナベプロとその時代」(P.160〜)
 天下の渡辺プロの渡辺晋社長と後藤の初対面のくだりだ。
「(私=後藤は)芸能というより我々の世代だけを相手にした運動という意識だったのです。ところが仕事を続けていくうちに責任が芽生えてきた。事務所を作ってお金の出し入れをちゃんとやらなきゃならない。そんな時にふと渡辺晋さんを訪ねてみようと思いました。」
 長髪でジーパン姿の後藤は、…渡辺プロへ出かけた。受付で「ユイ音楽工房の後藤です」と名乗ったら誰の紹介でもないのに社長室に通された。
 ああ、もうカッチョエエと本屋で立ち読みしながら悶絶したのを憶えている。アポなしでナベプロ帝国に単身乗り込む後藤も、黙って社長室に通す渡辺プロもすげえ。両者の頭の中には名前を出さずとも、たった一人の若者の姿があったに違いない。たぶんこういう人↓
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 晋社長は室内に流れていた音楽を止めさせて二人の社長の話が始まる。
晋は、尋ねられるまま、何でもオープンに話した。著作権管理のシステムから、コンサートチケットの効率的な売り方、金を預ける都市銀行はどこがいいかまでざっくばらんに話した。後藤が驚いたのは「なんでも隠さずに教えてしまう」晋の懐の大きさである。…晋の仕事に比べれば自分たちがやっているのは「子どもの遊びみたいなものだ」と感じた。
 この息詰まる感じ。さらに凄いなと思ったのは次のくだりだった。
芸能ビジネスの話を晋から聞いた後、後藤は自分たちのビジネスについて、お礼のつもりで説明したという。後藤が強調したのはメディアの力だ。テレビ出演を拒否し、ライブとラジオ出演だけで、ファンを獲得していくことは、時間はかかるけれどファンとの間に強い絆を持つことができると、後藤は自分なりの考えを述べた。
 ああ、またまたすげーカッチョエエ。俺は立ち読みしていたこの本を迷わずにレジに持って行った。>どうでもいいよ。相手の懐の深さに感謝こそすれ決して卑屈にはならず、堂々と切り返す。ここに静かな真剣勝負がある。真剣勝負の果てにある信頼関係が窺える。そしてここから怒涛のニューミュージックの進撃が始まるのだ。ライブとラジオのおかげで絆をつないできた端くれとして心の底から誇らしさを感じる。

□おそるべし、向いていない人
 この後藤の無敵感はなんなのだろうか。借金を抱えて逃げ回りながら、起死回生のイベントを打つ胆力、後年に、後藤はロスアンジェルスに渡り、吉田拓郎のバックバンドに「ザ・バンド」をアサインし契約寸前まで事を運ぶ気骨。すげえ。それは「若さ」だというかもしれないが「若さ」だけでやりおおせられることではない。
 確かにマネージャーには向いていなかったのだろうが(爆)…後藤由多加、ああ、おそるべし。このインタビューはつまらないといいながら、すまん、あともうひとつだけ書かせてくれよ。つづく。

2023. 10. 22

100分de名著「マガジンT(第5号)」を読む  第4話 [NG:3 ] 後藤由多加、愛と青春の旅立ち

❑ 軍司・後藤由多加
 吉田拓郎のことを好きになればなるほど後藤由多加に対する敬意は深まってくる。もちろん俺はただの一般Pなので事実や実態はわからない。それでも、矢吹丈に丹下段平が、渥美清に山田洋次が、秀吉に黒田官兵衛がいたように、拓郎ありて後藤あり、後藤ありて拓郎ありとでもいうべき不即不離の関係を感じる。
 その後藤に対する石原信一のインタビューが会報5号の目玉企画である。しかし、残念ながら陣山氏(会報3号)、渋谷氏(会報4号)に対するインタビューと違って、年代とか昔の経緯と事情についてかなりグダグダしている。

❑ 明日はどっちだ、昨日はどっちだった
 例えば、インタビュアーの石原は、エレックがらソニーへの移籍に後藤とユイ音楽工房は関わっているのかどうか、エレックで録音された「結婚しようよ」の原盤がソニーからシングルで出たことの経緯はどのようなものか、前田仁の役割はあったのか、…このあたりを尋ねたかったようなのだが、どうも記憶がまだらでハッキリしない。

 それに年代についても時系列がごっちゃになって混沌としている。あの狂乱の「人間なんて」のフォークジャンボリーが72年、その72年の暮れに「元気です」、その頃にユイ音楽工房が設立、73年に全国ツアーが始まって、74年に金沢事件…というように年号が全部間違っている(爆)。マルチバースか。もちろん歴史のテストじゃないし、音楽と音楽活動の大いなる展開に正確な年号記憶は必要ではない。しかし、こういうのって気にならない? 俺は気になる。なので、つい第一印象でポンコツ認定してnot so goodに分類してしまった。

❑ エピソード・ゼロ
 しかし、このインタビューは、なぜ後藤がユイ音楽工房を設立したのか、よくある設立の理念とはまた別な運命のひとひねりのようなものが語られている。いわばエピソード・ゼロの部分を教えてくれる泪橋を逆にわたるような貴重なインタビューだった。NGに分類してすまん。

❑ この広い負債いっぱい
 ユイ設立当時、陣山氏も渋谷氏もまだ大学生だったように、後藤その人もまだ早稲田の学生だった。これは学生ベンチャーのハシリといっていいのか。「企画構成研究会」というサークルだったそうだが…実際にはダンパやフォークソングのライブを主催して小金を稼ぐ、軟弱なサークルだったようだ。後藤氏は、森山良子のコンサートを何度か催しては失敗し、その後に渡辺貞夫のコンサートを主催してはまた大失敗し(あの神田共立講堂で観客80人だったということだ)、実に数百万円からの負債を負っていたらしい。
 「渡辺さんのいた事務所にずーっと借金をおっかけられて、みんな家に住めなくなった…」というからかなりヤバい。後藤、奥山という、ユイの原始メンバーは、みんな借金から逃げ回っていたようだ。

❑ ラブラブ起死回生
 後藤は、追い詰められたあげくの借金返済のために、まだ無名だった吉田拓郎やフォーク歌手らの伝手を利用して、早稲田大学の記念会堂(8000人収容)の「ラブラブ・フォーク・カーニバル」という音楽イベントを打つ。まさに最後の賭けだ。ラブラブ=LOVELOVEとはなんか今にしてみれば象徴的だね。

 後藤は早稲田大学内の数十ものサークルを回って、サークルの人が呼びたいミュージシャンをリサーチし、そのミュージシャンを呼ぶから、チケットを捌くよう依頼する。その際、採算ラインを計算したうえで500枚以上売ったら、一枚につきチケット代のおよそ25%を取っていいという条件を取り付けた。これによって、各サークルはお目当てのシンガーが観たいため、また利益のためにチケット捌きを頑張り、それによってコンサートの制作コストの回収を確実にできるという計画だったらしい。…これって、後に全国にいる若者のイベンターの協力を仰いで、チケットを捌き、コンサートツアーをおこなうというシステムと通底しているよね。さすがっすね。

❑ 旅立てG
 その結果、いいようにハメられた早稲田のサークルのおかげで無事に記念会堂は満杯となり、拓郎の名司会もあってコンサートは大成功となった。資料によれば次のとおりだ。 
1971年6月27日 東京:早稲田大学記念会堂「ラブラブ・フォーク・カーニバル」
【出演】吉田拓郎(司会)、高田渡、加川良、遠藤賢司、加藤和彦、小室等と六文銭、浅川マキ、長谷川きよし、ジローズ、ソルティーシュガー、西岡たかしと五つの赤い風船
 このように記念会堂はまさに聖地といっていい。そして余談だが、この記念会堂は2015年に取り壊す前に卒業生の小田和正が報謝のライブを催したことでも聖地となっている。
 結局、後藤は500万円以上の利益を得て無事に借金を完済した。もっとも早稲田周辺の印刷所のチケット、チラシ印刷代金は、うやむやにして踏み倒したらしい。おい(爆)。…あと関係ないけど、この直後に中津川フォークジャンボリーでインチキなフライドチキンを売ったという話も面白かった。…早稲田大学、ぶっちゃけロクなもんじゃありません。拓郎が後に、松本隆、松任谷正隆、中村雅俊、鳥山雄司などの親・慶応派に傾いてゆくのもなんかわかるところだ。それはどうでもいい。そんなこんなで後藤は決意する。
 ボクは数百万あった借金を全部返して、それで手元に二百万円弱残ったんですね。…このままお金使っちゃうとまずいから早く会社作ろう

 ということでいよいよユイ音楽工房が誕生するのだった。1971年のことである。そこには音楽に対しての青雲の志とともに、どうしようもない借金苦という背景事情があったのだ。後藤が森山良子と渡辺貞夫のコンサートで借金を負わなければ、ユイ音楽工房はなかった。やはり「今日の吉田拓郎があるのは森山良子のおかげだ」という定説はここでも実証されるのだ。

❑ 新宿の空
 そして森山良子と渡辺貞夫とくれば、勘のするどい君だから何を話すかわかっているね。ユイ発祥の地でもある新宿で催されたTONYミュージックフェスティバルだ。http://tylife.jp/chiisanasakebi.html#19801004
 こうして考えるとこのイベントは後藤由多加が一番万感胸に響いたのではないかと思うのだ。
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借金を作り、追われ、返済した機縁の三人の揃い踏みを観て、どんな気持ちだったのか尋ねてみたい。忘れちゃってるかな。

 良子姐さんが唄うTONYのテーマ曲「TONY MY FRIENDS」、あの日、待ち時間に50回くらい聴かされて今でも歌える。なんかぴったしだな。

  お元気ですか? 幸せですか?
  Are you happy, My Friends?
  合言葉はそうよ“TONY”
  T・O・N・Y LOVE!
  つよく結んだ心の糸
  そのむこうには あなたが

…ということで、あまりに、いいインタビューだったので次回「一寸の闇にも後藤の魂」(仮題)につづく。>言ってること違うじゃん

2023. 10. 20

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☆☆☆サビシィ〜ッ&キビシィ〜ッ日々☆☆☆

 相次ぐ訃報、爆撃に殺戮と鬱々とした日々だ。なんだこりゃ。

 高校生の頃、テレビドラマのエキストラのバイトをしたことがあった。寒空にTシャツ&短パンで一日いなきゃならなかったが、ミーハーの俺は芸能人を近くで観られるだけで幸せだった。鈴木"たどり着いたらいつも雨降り"ヒロミツは、現場に外車で乗り付け、撮影をササッと終えると、頭を下げるスタッフたちを背にして、また車で風のように消えて行った。おお〜スターだと感激したものだ。
 出番の長かった坂上二郎さんと財津一郎さんは、カメラが回っていないときも、二人でミュージカルみたいに歌の応酬を繰り返していて実に楽しそうだった。ああ、歌が好きなんだな〜とても素敵な光景だった。
 やがて撮影が終わると財津一郎さんは、俺のようなエキストラのガキのところにもやって来て「お先に失礼します。寒いけど頑張ってチョーダイ!」と声をかけてくださってコレまた感激した。感激というか、高校生の俺はその時なにかを学んだ。それが何だかはわからない。少なくとも高校の化学や数学や保健体育の先生たちからよりもはるかに大事なことを教わった気がする。
 それ以来、ずっと財津一郎さんのファンである。i-Podには「花のピュンビュン丸」を必ず入れているし、"こてっちゃん"やあのピアノCMを観るたびに小さな元気が湧いた。「頑張ってチョーダイ」と言っていただいたわりには、ガンバッテないけどいいでしょう。ありがとうございました。どうか安らかに、心の底からご冥福をお祈りします。

2023. 10. 19

100分de名著「マガジンT(第5号)」を読む  第3話 [NG:2 ] もっと讃えよ、仰ぎ見る等身大

❑ 誰も話さない、語らない
 会報5号には新作アルバム「176.5」についての特集記事は見当たらない。最近の拓郎のアルバムでは、拓郎自身によるライナーノーツが載せられていたりするが、そういう拓郎自身の言葉も、音楽ライターなどがレビューしたり誰かが深く鑑賞したりするような記事もない。この「176.5」が名盤だと思うだけに淋しい。

❑ この素晴らしきアルバムに
  失礼を承知で何度でも言うが「マッチ・ベター」「ひまわり」がまるで試作品だったと思えるような完成度の「176.5」である。一言でいうとこのアルバムはシュッとしている。ああ、こういうのをスタイリッシュというのか。
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 10階のテラスの夜景が見えるような「星の鈴」はホントに胸に鈴が鳴るようだし、高速をひたすら走ってゆく走馬灯(>なんだそりゃ)に同乗しているかのような心地よさの「車を降りた瞬間から」、イントロから胸がしめつけられる「しのび逢い」、大人の恋愛映画のけだるい1シーンのような「憂鬱な夜の殺し方」そしてこのアルバムのスーパー・ヒトシ君ともいうべき「俺を許してくれ」…ファンとしては、このアルバムをもっともっと解題して欲しいし、この素晴らしさを誰かと分かち合いたかった。その思いはネットなど存在しなかった当時はひとしおだった。そうだ、ちょうどこの頃にシンプジャーナルは休刊になってしまったのだった。なのでもうこの会報しかなかろう。そこが今号のnot so goodなところだ。

❑ 冬の旅
 それでも会報5号の石原信一のインタビューで、拓郎はこの「176.5」について、短くこう語っている。
ミュージシャンてヨイショがなきゃやらないもんだよね。『いや、さすが』『天才』とか言われないと、やる気は起きないもん。まわりからもちあげられて、有頂天になってアルバムを作るわけ。今回それが少なかったな。でも今度のアルバム 俺 売れるかもしれないと思っている。すごくポップで聴きやすくてずうっと飽きなくて、次はどんな曲?って感じにさせる
 この拓郎の言葉が刺さる。心が痛い、心がつらい。ひとりぼっちで佇む拓郎の背中を観ているかのようだ。そうか…ファンクラブという媒体がありながら、ヨイショが足りなかったか。俺も「176.5」を聴くまではコンピュータの打ち込みはキライだったし、その打ち込みシングルの「落陽」も応援しようとは思わなかった。

 でもそんな中で拓郎が作り上げたこのアルバムは「売れるかもしれない」…と俺も当時は考えた。期待した。確かにポップだし新しい。なんといっても、いつもの土着的(Yuming said)ではない、前記のとおりのスタイリッシュさが真骨頂だ。そこに"とらばーゆ"の余勢や"世界・ふしぎ発見"のチカラも手伝って…世間からは新生・吉田拓郎として絶賛されてもいいはずだと思った。
 世間…が何かはわからないが、バブル全盛期の世間から吉田拓郎はもう終わった人としてゆっくりフェイドアウトしつつあったのだと思う。拓郎の新曲とかそういうのはとりあえず要らないからと(※個人の感想です)。こういうときこそのファンなのだが、ファンはファンで、それぞれのライフステージの中で人生の重大局面を迎えて(※その後の星紀行の調べによる)、推し活どころではなかったファンも多かったようだ。偉そうに書いているこの自分にしてからが、人生に思い切り蹴躓いていたころで、いろんな拓郎の応援機会を逸していた。

❑ 同行二人
 かくしてこの頃から、いかに名曲を作り、傑作を歌えども、誰もこっちを向いてはくれません、立ち尽くす私…な冬の時代が静かに始まる。いや既に始まっていたのか。ファンにとっては、木枯らしの道を歩くようだった。拓郎がどうだったかは、わからないが、君の歳月が僕と同じでないなら困ってしまう。

 しかし世間の冷たい風の中なれど拓郎は素晴らしい音楽を紡ぎ、ファンとしてはそれを身体に浴びて心は暖かった。いろいろあっても幸せな時間であったことに間違いない。
 若者よ、推し活にはこんな風雪のときもある。この風雪の貴重な記録としてこの会報の意味は大きいのだ。ということで、孤独な背中を追いかけてまいりましょう。我も行く蒼白き頬のままで。

2023. 10. 18

☆☆☆縁☆☆☆
 谷村新司氏の追悼の気持で「地球劇場」の吉田拓郎のゲスト回(2014年)を観なおした。こういうことになってしまったから、ということもあるかもしれないが、実にいい番組だった。よくぞこんな番組を残してくれたものだとあらためて思った。
 二人の距離をあざとく詰めたりせずに、そのままの自然体で二人が打ち解けて語り合う。ここの距離感が絶妙だ。どこかでしっかりと距離を守る拓郎もすごいが、そのままで心許した話を引き出してしまう谷村新司もまたすばらしい。
 谷村「やっぱり僕らは"縁"があったんですね」
 吉田「…いや縁はないよ」(キッパリ)
…笑ったわ。いいな。
 「純情」を歌う時、谷村が作詞の阿久悠さんも、作曲の加藤和彦さんも亡くなってしまったね…としみじみつぶやく。そのあとの話題にした筒美京平さんも現在は亡くなってしまったし、なにより、そう言っているアナタが。
 最後に谷村が番組進行表にその場で書いた詞を拓郎にプレゼントする。谷村が好きだという「おやじの唄」のアンサーソングだという。その詞が「弔辞」。なんてことだい。どんな詞で、谷村は何を考えたのだろうか。
 さっきは笑ったけれど、拓郎さん、これは縁だよ、やっぱり。

2023. 10. 16

☆☆☆帰らざる日々☆☆
 あの日の夢が浮かんでくるよ。高校生の頃、クラスの殆ど全員が「アリス」のアルバムを持っていて教室であーだこーだと語り合い、また全員が「チンペイのセイヤング」を聴き「天才・秀才・バカ」の話題で笑いあっていた。拓郎ひとすじだった俺はとても孤独で内心「けっ。こんな曲よりも…」と思いながら生きていた。
 それでも一度だけ拓郎がラジオにゲスト出演したとき、谷村は拓郎に敬意と人懐っこさをもって語り掛け、話は盛り上がった。少年時代の二人の『ヰタ・セクスアリス』話で谷村に乗せられた拓郎が「廊下の平泳ぎ」体験を告白させられて笑ったものだ。ああ、谷村新司…なんかいい人だなと思った。

 しかし、その後、思い詰めた拓バカの俺は、ハンド・イン・ハンドとかシアターフレンズとか、ずいぶんと彼に悪態をついた。篠島に行くときは、翌日におこなわれた宿敵アリスのつま恋コンサートに敵愾心を燃やし、アイツらにだけはに負けるもんか挑むような気概があった。
 この勝手に屈折した思いはその後もずっと続いた。でも「昴」を聴きながら「ああ〜ヤメロー!谷村、拓郎よりいい曲を歌うんじゃねぇ!」と悶絶したこともあった。浮世の義理という名目でアリスの再結成ライブにも足を運んでアウェーのスリルと感動を味わった。

 時を経て、2014年の東京国際フォーラムで、開演直前に、客席に谷村新司が入って来たとき、気づいた多くの拓郎ファンがスタンディングして拍手と歓声で迎えた。谷村新司は微笑んで深々と頭を下げてからゆっくりと着席した。
 その時、俺はちょっと驚いて「おめーらホントに拓郎ファンかよ」と一瞬思ったが「どっちがどうなのよ」。ああ、そうだ時代はとっくに変わったんだ、もう戦争は終わったんだと思い知ったものだ。

 そして突然の訃報。どうしてこんなに悲しいんだろう。わかんないけど。なんかすごく泣きてぇ。なんだこりゃ。カラオケ行って愛憎をこめて泣きながら思い切り歌いてぇ。喜びも悲しみも、悪態も称賛もすべて生きてこそあれ谷村新司。byebyebye私の貴方、不肖の私も片隅からご冥福をお祈りさせてください。

2023. 10. 14

100分de名著「マガジンT(第5号)」を読む 第2話:NG1〜ライブ記事が甘すぎ、もっとしなやかに、もっとしたたかに

❑ライブをしてライブを語らしめよ
 会報5号では、石原信一先生、大越元シンプジャーナル編集長、それから調べたらオリコンのお偉いさんだった垂石克哉氏という錚々たるお方が、このライブについていろんな視点から寄稿しているのだが、舞台裏とか人物論とか歴史論とかばかりで、こと「このライブのとてつもない醍醐味」についての掘り下げが薄い。ここが不満なのだ。

❑拓郎老いず、弾き語りは朽ちず
 「昔を思い切り懐かしんで明日から90年代へゆこう」という旨の拓郎のMCに導かれるこのツアー。拓郎にしては珍しく"懐かしさ"を解禁する。その圧巻は弾き語りコーナーの復活だろう。実に80年の秋ツアー以来だから9年ぶりである。前ツアーの「ロンリーストリートキャフェ」でその片鱗を見せたが、やはり拓郎の弾き語りは圧倒的でなおかつ懐かしい。
 しかしだからといって懐かしい=レトロなライブではないのだ。このライブではバンド部分の歌と演奏こそが真骨頂だと思う。

❑温故より知新
 「人間なんて」「イメージの詩」「落陽」「祭りのあと」=懐かしい系の曲は、コンピューターを使った"リアレンジ"でただの旧曲のトレースではない。拓郎が、コンピューターに通暁して作ったデモテープをベースにすることによって、一見すると懐かしさを感じるどの曲も、あらたな"生気"を得ている。新しい詞で哀しみを湛えて「人間なんて」も蘇生している。懐かしさとの「ズレ」が、好き嫌いは別として実に気持ちいい。

❑盤石のバンドで映える歌たち
 バンドは、松尾一彦、清水仁、鎌田清、鎌田由美子、小島俊司と少数ながらガッツリとした盤石感がに満ちている。特にいろんな曲で、小島俊司のサックスが厚みを加え表情はとても豊かなものにしている。
 例えば「パラレル」のアウトロにサックスがインサートしてくるところが超絶カッコイイ。
 また、レア曲「街角」。幻の曲がここで引っ張り出されてきて驚いた。アウトテイクではなかったんだ。ここもサックスのチカラで無敵の装甲で聴かせてくれる。
 そして個人的にハイライトと思うのは「ひまわり」だ。原曲や89年ツアーの初お披露目Verよりも情感に訴えてくる。イントロの松尾一彦のギターの美しさ、そしてアウトロでは松尾のギターを引き取るようにサックスがリリカルに語りかけるように響く。圧巻。これが「ひまわり」のベストテイクだと確信する。アウトロを静かに聴き言っているような拓郎の立ち姿もいい。
 さらに、忘れちゃなんねぇ「人間なんて」や「俺を許してくれ」の鎌田清のドラムソロ。このブレイクがゾクゾクするほどカッコいい。島村英二のドラムがボディーブロウだとすると鎌田清のは連続平手打ちのような…やめろよ暴力は。とにかくズシっ!ではなくスコン!スコン!と気持ちがいいのが鎌田系だ。

❑新しいクライマックス
 最後のアンコール♯2の「言葉」から「抱きたい」に昇りつめてゆくホップするような爽快感。そしてオーラス「俺を許してくれ」になだれ込む。最新の傑作が最後の最後にでーんと控えているところ…これがこのライブの肝だ。この曲に向かってセットリストがすべて収斂されていくようなそんな存在感がある。未知の新曲がオーラスであることになんの不満もない、観客も総立ちで歓待している。拓郎が、ただ懐かしいだけのライブなんてやるはずがない。

❑僕の欲しかったものは
 ということですまんがシロウトの感想では書き尽くせない。弾き語りのみならず、懐かしさのみならず、このライブは清々しい新しさに満ちている。これぞ大人の風格あるロックだ。せっかくの会報なんだから、ここんところをプロが掘り下げて欲しかったんである。

 いやあ、秋の夜長、90年武道館のビデオを観なおしてしまうぜ。いい。何度観てもいい。…あれ観るとチャーハンが食べたくならない? つけあわせのアレは"八宝菜"だろうか。町中華へ行こう。

 ということで次回「第3回 NG:2 "176.5"等身大を高く掲げよ」(やっぱり仮題)を

2023. 10. 13

100分de名著「マガジンT(第5号)」を読む  第1話 さよならカーリー&よろしく90's

 「100分de名著 T's 会報シリーズ」もあまりにダラダラと書き過ぎて、今どのあたりを歩いているのかサッパリわからなくなっている。今回の会報5号からは簡潔にビシッと行くことにしたぜ…たぶん(爆)。
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【会報5号当時の背景】
 1989年11月から始まった人間なんてツアーが90年1月10日の武道館公演を持って終わり、同月にはニューアルバム「176.5」がついに発売。その余韻と余勢のうずまく90年3月にこの会報5号は発刊した。さぁ90年代だ。

ということであくまでも全体的な個人的感想だ。

GOOD〜会報5号の良いところ
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 G1.ライブの写真が豊富(ただし凄く小さい)
 G2.ライブスタッフのほぼ全員の写真と一言が載っている
 G3.歴代スタッフインタビューでついに後藤由多加(上)が登場

(以上 第一話)

NOT SO GOOD〜会報5号の残念なところ
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 NG1.あのライブの素晴らしさが深められていない
 NG2.名盤「176.5」について解説もレコード評も全く載っていない。ほぼ無視。
 NG3.後藤由多加、渋谷氏とは異なり時系列がグチャグチャでいろんな史実がよくわかんね(爆)


[G1] ライブの写真が豊富だがどれも小さい。とはいえ良さげショットが多い。なんたって、あーた、これが長髪カーリーの見納めだよ。それと"人間なんてツアー"の進行表の写真があって拡大してみた。たぶん神奈川県民会館のものかな。
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 ・本編は11曲で、弾き語りからはもうアンコールという構成だったのね。
 ・高円寺〜リンゴのサブで僕の唄はサヨナラだけが用意されていたんだな。

[G2] ライブスタッフのほぼ全員の写真と一言が載っている
・森野さんもまだお若い
・ビデオで映るスタッフ人の名前と仕事がわかって楽しい
前から気になっていた原田真二にちょい似たスタッフ PAモニター小渕さんが語る「…60歳になっても素敵なLIVEを続けてください」…って73歳までやったんだよ、素敵なLIVEを。すごいっすね。

[G3] 歴代スタッフインタビューでついに後藤由多加
・これはNG3と一緒に第3回「がんばれ、ますらお派出夫会」でお送りいたします。なおインタビューにツッコミや文句を言うも、後藤由多加への俺の尊崇は揺らがないので念のため。

 会報5号は、これまでと違って、やや残念感が強い。しかし、いよいよ始まった90年代の新風は感じられる。いろいろなことが起きる90年代ではあるが、私はここで魂を込めて言いたい。90年代に駄作なし。

 次回は、第2回 「もっと掘り下げろ人間なんてツアー、もっと持ち上げろ176.5」(仮題)をお送りします。

2023. 10. 12

☆☆☆やりきった人たち☆☆☆
 前にも書いたがドイツで10年間がんばってきた知り合いのプロ・バレリーナがこの夏退団して帰国された。バレエなんぞ無縁の俺だったが、ローザンヌのネット中継に手に汗握り、オーケストラピット付の新国立劇場に感激し、舞台を降りると気が良くておバカなダンサーの兄ちゃんたちに来日の折に遊んでもらったりもした。この10年、無縁なりに存分に楽しませていただいた。

 引き留められ惜しまれつつの退団だったし、まだ20代なので、日本でもあちこちから踊って欲しいというオファーがくるらしいが、彼女は頑なに「踊らない」。踊れる喜びをいつも口にしていた彼女だけに、もったいない気がするのだが、彼女はもう「やりきった」そうだ。決心は固く結ばれている。
 俺も生活ができるなら仕事はとっとと辞めたいのだが、それはただ怠け者だからで「やりきった」などという境涯は全くわからない。「やり切った」と言える人の涼やかな心根を思うてみるだけだ。

 この日どこそこで踊ってくださいと言われて、当日チョコチョコと出かけて行って踊れるものではなく、何か月も前からその日のためにトレーニングし身体を作り上げて、リハーサルを繰り返し、当然、健康にも気をつけて、舞台環境も含めてその日にマックスの踊りを提供しなくてはならない。どんなに短い踊りでも、そういう全身全霊プロジェクトになってしまうとのことだ。その場で軽くでいいから、ちょっと踊って見せてよ…なんて、それはプロには到底できない相談だ。
 なので、彼女に会っても、ありがとう、お疲れ様という言葉を超えて「もう踊らないの?」「また踊るの観たいな」「これからどうするの?」のような無神経な言葉はとても投げつけられない。外野は静かにこれまでを胸に刻み、これから起きることを受け入れるしかないのだ。

…と、こんなふうに他人のことならよくわかるのだ(爆)。いや吉田拓郎も思い切り他人だ。しかしこれが拓郎のことになると「もう歌わねぇのかよ」「また歌うのが観てぇよ」「これからどうすんだよ」「シャウトしなくていいから軽く弾き語ってくれよ」という無神経なことをへーきで言ってしまう。言うだけでなく

  筆も使ひ果てて、これを書き果てばや。
                  (枕草子 清少納言)

 とことんしつこく書いてしまう、書き切ってみないとわからない鬼畜な俺なのだなぁ。

2023. 10. 11

☆☆☆今このときめきは☆☆☆
 「証明」というと奈緒だ。昨年1月のオールナイトニッポンで「凄い曲ですよ」といってこの「証明」をかけた。オフィシャルには「今日までそして明日から」が大好きで、この歌に励まされたと語っている奈緒。それはそれで本当なのだろうが、その彼女が「証明」をかけるところで、まるで本気で真剣を抜いてきたような殺気を感じたものだ。
 その奈緒が先月「徹子の部屋」に出演した際の録画を遅まきながら観た。生い立ちから経歴から知らないことばかりだった。苦労人なんだなぁ。亡くなられたお父様が名づけるあたりで「吉田町の唄」が浮かんだ。そしてもちろん拓郎の話は、ファンであるお母様の影響、今日までそして明日から、ah-面白かったのつま恋でのエピソードへと及んだ。
 そんな中で一番心に響いたのは、お母様と二人で拓郎のライブに行った話だ。開演前から二人でもうたまらなくて客席でボロボロ泣いてしまっていたという話だ。開演前のあの待ち時間に泣いたことはないが、あのときのファンの気持ちを純度を高めて増幅させれば、結局そうゆうことになる。…そうだった。開演前の客席での胸の高まり、そして開演して本人が登場した時の立ち姿のシルエットの衝撃、もう本人が歌う前からの、このいきなりクライマックスな盛り上がりこそがライブの醍醐味だ。ああ。
 あと、奈緒は、つま恋での拓郎との時間を「この一日があれば、これからどんな辛い事があっても生きていける、そんな一日」と評していた。奈緒ほどの体験はなかなかないが、それでもある、そんな貴重なとき。そんな僅かな時をつなぎせ合わせて僕は生きてる…それは浜省の歌か。
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2023. 10. 9

☆☆☆1970年のこんにちわ☆☆☆
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 このたびようやく初めて「太陽の塔」を見ることができた。「ようやく」というのは、この塔には20世紀少年の端くれである自分には特別な感慨があるのだ。小学校3年だった。ああ心の底から行きたかったぜ"EXPO'70"。"1970年のこんにちは"から53年。万感胸に迫るとはこのことだ。そうなんだよ、1970年だから、この塔は吉田拓郎のデビューと一緒なんだよ。
 近くで観ると適度に歳月感がにじんでいて、それがまた美しく、とにかくデカイ。ホラもう吉田拓郎と一緒じゃないか。昔、万博の開催中に、この高い塔のてっぺんの顔の部分に侵入して立てこもった男がいたよね。いやあ…この高さ、勇気あるな〜とあらためて思ったよ(爆)。私も吉田拓郎という高い塔に不法占拠しているみたいなものだ。あの勇気を見習いたい>見習うな、言ってる意味わかんねぇけど。

 そして後ろからのフォルムがまた素晴らしい。ぺギラみたいだ。知らんがな。
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 この背中はまた表の塔の威容とはまた別の何かを語りかけてくるような気がしてならない。太陽の塔に背を向けて…ああ今日の曲はこれで決まりだ。

 「証明」 (作詞・作曲 吉田拓郎 Sg「元気です」B面所収)

  太陽に背を向けて走れ
  風に向って逃げるもいいさ
  今を今と感じるならば 光も闇も 狂おしいほどだ
  闘えるだけでいい すべてを燃やせ
  負け犬になったら 路地へともぐりこめ
  消え入るような そんな生き方もある
  それも自分の何かだ  言えない何かだ
  確かめてみるがいい

  暗い暗い 路地が見える
  野良犬さえも臆病がって
  何処へ続く道かは知らぬ
  行ってみよう おのれの足で

 例えばいろいろ鬱屈した気分から聴いていたここのところの「Life」〜「純」〜「証明」。やっぱりすばらしい歌たちじゃないかとあらためて思う。それがまた砂浜に打ち上げられた流木のように殆ど知られずにひっそりとある。太陽のもとにあってほしい傑作たちだと心の底から思う。たとえ御大の旅は終わってしまったとしても、俺は拓郎とともに始まったこの太陽の塔の背中を見つめながら旅を続けるのだ>だから意味わかんねぇよ

2023. 10. 8

☆☆☆NG式☆☆☆
 もうカオスだな。まるで政治の劣化コピーじゃないか。そのうち自由なモノ言いもできなくなるような気味の悪さ。戦地動員の怖さも怒りも悲しみも表現できなくなった先達らの世を思い憂鬱になる。
 自分の気分を拓郎の歌に勝手になぞらえるのは、拓郎さんがどう思ってその歌を作ったかとは全く違うので、まことに失礼だとは思う。すまん。しかしイカレた俺の場合、金太郎飴のように、どこを切っても、ポキン、拓郎、ポキン、拓郎、拓郎の歌しか出てこないので許してくれ。ごきげんよう、達者でなァ。

 こうなってくると俺の気分は「Life」から「純」だ。過去何度かのトライの末よくぞ諦めずに2019年のステージでに歌ってくださった。いい歌だねえ。

 『純』  作詞 吉田拓郎

僕が泣いているのは とても悔しいからです
人の尊さやさしさ 踏みにじられそうで
力を示す者達は しなやかさを失って
ウソまみれドロまみれ じれったい風景でしょう
より強くしたたかに タフな生き方をしましょう
まっすぐ歩きましょう 風は向かい風

どけ どけ どけ 後ろめたい奴はどけ
有象無象の町に 灯りをともせ
どけ そこ どけ 真実のお通りだ
 
正義の時代がくるさ 希望の歌もあるさ
僕の命この世に 捧げてしまっていいさ

どけ どけ どけ どけ 情けをなくした奴はどけ 
生きる者すべてが 愛でつながれる
どけ どけ そこ どけ 正直のお通りだ

あなたの為の僕さ 悔し涙のままさ
たぎる情熱の僕さ ゆれる心のままさ

僕の命あなたに 捧げてしまっていいさ
僕の命この世に 捧げてしまっていいさ 

2023. 10. 5

☆☆☆この肩の重き罪を☆☆☆
 どうしたってあの記者会見のニュースには気持ちが萎える。俺ごときがエラそうに言ってもなんの意味もないが、かといって黙ってもいられないのでひっそりとコソコソ書く。

 とにかく478人という数は衝撃だ。もちろん数の問題ではなく、ひとりひとりの被害の深さこそが問題なのだが、それでもひとりひとりの深い被害が478人分というのは驚愕でしかない。全てが事実かわからないかもしれない。しかし全ての被害者が申告しているかだってわからない。だから怖ろしく、また心の底から気持ちが悪い。

 あそこで478人と聞いてまず記者団がひぇーっ!!とひっくりかえってどよめいて驚け。えらいこっちゃ、未来とかスマイルとか語ってる場合かよ!ともっと騒然となるべきだった。もっともっと取り乱す必要があったと思う。そうやって大人がみんなで阿鼻叫喚する姿をしっかり見せるほうが子供たちのためになるんじゃないか。しかし、さすが、多くの会見場のみなさんがルールを守って粛然としていらっしゃる。ルールというより脚本なのか?


 あれだけの巨大事業を営む大型企業だから、アーティスト/タレントに切り盛りできるレベルのことではない。昔、本気で会社の社長になったアーティストの大変な様子を一瞬垣間見たから想像がつく。あれだけ大規模の会社を動かすためには経営に熟達したオトナたちがガッツリ大挙して存在しているはずなのに、なんでアーティスト/タレントを盾にしてひとりも出てこないんだ。すべては裏にいる狡猾なオトナたちの描いた策略であるとしか思えない。
 
 とはいえ、この事件とは関係ない所属アーティスト/タレントには罪はないというが俺は全然そうは思わない。同じ事務所の仲間たちの悲劇を見て見ぬふりして、あるいは自ら口をつぐむこと、それはひとつの罪であり傷だよ。犯罪にあたるかあたらないかは別にしてそれは罪だ。もちろん情状は超絶あるんだろうけれど情状は罪の先にあるものだ。
 しかし罪人だから出てくんなとは思わない。アーティスト/タレントにはその罪と言うか傷を抱えたまま、なんというか活躍して欲しい。自分も被害者ヅラするのではなく、反対に被害者に寄り添うとか救済するとかそういう思いあがった上から目線でもなく、この罪とこの傷をどうしていいかわかんないまま抱え込んで右往左往したながら活動して欲しい。俺だって、いろんなことに見て見ぬふりをして生きてきてそうさオイラも罪人のひとりさ。
 それでも罪や傷を抱えてどうやって生きていゆくのか、それを模索する、それを心のどこかで忘れないアーティスト/タレントがいることは、たぶん俺のような罪人を含め迷える人々にとって、ひとつの大きな希望になるかもしれない。そこからより深い音楽やパフォーマンスが生まれるかもしれない。その結果、政治も世の中も含めて、少数派やひとりぼっちが脅かされない世の中に近づくかもしれない。だから今はこらえろ、いとしい君よ。ああ人生は回り舞台だ。

 それにもまして、被害者たちを守らなかったことはもちろん、その他のアーティスト/タレントたちをこんな見て見ぬふりの罪に追いやったオトナたちの罪こそ大きい。

 ここのところ、ずっと吉田拓郎の昔の会報を読んで、陣山さん、渋谷さん、そして後藤さんらスタッフの来し方を思うにつけ、いかに彼らがアーティストを守ろうとし、音楽のためにすべてを捧げようと奮闘していたかが伝わってくる。もちろんシロウトの俺には詳しい事情はわからないが、しかし少なくとも彼らは、アーティストを盾にしたり、アーティストを傷つけたり、アーティストとは別の帝国の権益を守ろうとするような姿には見えなかった。それはマネジメントだ、エージェントだという議論以前のことなのだ。彼ら先達のことを思うと、隠れているオトナたちに「アンタたちも音楽が好きでこの仕事に入ったんだろう!!」と言ってやりたい。ああ、亡くなったKくんの言葉だ。

 こんなときやっぱり聴きたくなる。この曲にすがりたくなる。ああ名曲ばい。そう、勝手なルールを押し付けないでくれ。人が人として息づいているんだ。もちろん作者の意図とかは別にして、なんか俺には妙にハマるのだが。

    Life

 僕は間違っていたんだろうか
 その日1日にすべてをかけて
 ただひたすらに走り過ぎれば
 生きる事くらいうまく行く筈だと

  河の水が海へ出る様に
  心のままに人ごみをすりぬける
  そんな自分を許し過ぎたんだろうか

 愛を巧みにあやつる人よ
 お前の心に住みついた悪魔は
 いともたやすく人生をもて遊び
 正義の仮面を素顔に塗り代える

  裏切りの日々に酔いしれて
  愛するわずらわしさも知らないで
  多くを語るな 何処かへ堕ちて行け

 思い通りに生きていたい
 誰もが願っているけれども
 ただ気がついたら肩を落として
 レ−ルに添って歩いているだけ

  横道にそれる者をあざ笑い
  仲間同志で傷をなめあって
  1人じゃ何も出来ない みんな美しいね

 仕組みがあるから生きるわけじゃない
 勝手なル−ルを押しつけないでくれ
 こちらを向けと言われて背いても
 人が人として息づいているんだ

  やるせなさも通わない世の中に
  いつまでも流されてなるものか
  悲しみの河に今漕ぎ出よう

 あゝ自由をこの身で感じたい
 失ったものは記憶の中にいない
 遥かな旅を今終えた人よ
 僕に逢って話してくれないか

  淋しさが今日も又
  一つずつ消えて行く
  誰のせいでもないんだろうけれど

2023. 10. 2

☆☆☆柿食えば杮落として時はゆく☆☆☆
 
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 急遽行けなくなったチケット持主に代わって"ゆず"の「横浜Kアリーナ」の"柿落とし"ライブに行った。新設された未来空間のようなアリーナ、2万人の若めの観客にすっかり気圧されてしまった。
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 今までは他のライブに行くたびに「ああ、ここで拓郎が演奏してくれたらな…」と必ず妄想したものだが、このKアリーナで吉田拓郎が歌う姿が思い浮かばなかった。もちろん聴衆としての自分も含めてだ。少し切なくなる。
 ということでアウェーもいいところで、淡い青の公式Tシャツで揃えた若い人々の間で、申し訳なくてホラちぢんじまってるだろう〜。はっ。このTAKURO YOSHIDAとYUZUが並んだこのTシャツ着ていけばよかったと後悔したがもう遅かった。
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 とはいえ、ゆずの歌はどれも涼やかな風が吹いているかのようで、アウェーの俺にも音楽が心にすんなりと入って来て気持ちよかった。そのうえ照明もショウアップも豪華で、俺までが歓待されているような気分になった。そもそも、ゆずはメジャーデビュー時は、松任谷正隆のプロデュースで島村英二のドラムという…いわばこの2万人の観客に対して俺は兄弟子みたいものじゃないか(爆)。なんとなく元気になり、長年培った兄弟子のライブ魂をみせてやろうと調子にのって、テンポのずれた手拍子とタンバリンを叩きまくって…多分周囲の顰蹙を買ったはずだ。すまん。しかし、楽しい…すげー楽しいじゃないか。いいなぁライブって。いいなぁ推しって。

 ♪だから友よ老いていくためだけに生きるのはまだ早いだろう(REASON)

 今夜、ゆずが俺に向けて歌ってくれているのだと確信した>いや、絶対違うと思うぞ

 最後の最後は「栄光の架け橋」。これも原曲は島ちゃんのドラムなんだよな。耳に馴染んだ名曲だ。このあたりでもうおっさんは泣きそうだった。

 悲しみや苦しみの先に それぞれの光がある
 ……
 いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある
 だからもう迷わずに進めばいい
 栄光の架橋へと
 終わらないその旅へと
 君の心へ続く架橋へと・・・

 これは、拓郎を失い(いや生きておられるけど)、自分もどん詰まりになり、やさぐれているこの俺へのまさに励ましじゃないか。俺に旅を続けろとゆずは伝えたかったのだ>いや、だから違うって
 2万人が魂に刻みながら歌っている。外様の俺にもよくわかった。ああ、こんな光景は久しぶりに観た。俺も一緒に歌いながら、勝手にあのライブたちの日々が走馬灯のように巡った。
 ここのところずっと渋谷氏のインタビューを読みながら、コンサートツアーの草創の時代のことを考えていたが、彼らが身を挺して撒いてくれた種が、しっかり生きていて、ここでも美しい花を咲かせている。感傷ではなくてそう確信した。そう思うと…ああ生きていて、生きててよかったと心の底から思った。俺はまったくなんにもしてないだんけどさ、我が人生に悔いはナシと誇らしく思うのだ。

 
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2023. 9. 30

100分de名著「マガジンT(第4号)」を読む
第四話 渋谷高行 あんたのバラードD 渋谷事件簿

☆こころに残る渋谷事件簿第1位 「事件としてのライブ'73」

1 ライブ'73の決心
 何から何まで一人で現場を切りまわす日常のうえに、例えばギター盗難事件、例えば金沢事件と災難のようなアクシデントが次々と降りかかる。しかも渋谷氏の当時の月給は3万5000円だったと本人が語っている。これだけ有能な大学生なんだから大企業の就職もたくさんあったはずだ。なぜ渋谷氏はマネージャーの道を選んだのか。まぁ大きなお世話だといえばそのとおりなのだが(爆)。インタビューから渋谷氏の言葉を探してみる。

 '73,'74,'75っていうこの3年間でなんか全部決まったんだろうね。きっとね。
 ただ'73年のその「ライブ'73」っていうのがきっかけだったことは確かだね。あれはなんかこう決心させるものがあったね。

 
 「『ライブ'73』」で決心をした」と渋谷氏は語る。この会報4号のインタビューは、では「ライブ'73」の何が渋谷氏を決心させたかを問い詰めていない。詰めが甘い。なぜそこを聞かないんだインタビュアー。
 …とインタビュアーに悪態をつく俺だが、2014年にライブスポットで渋谷氏をお見掛けし握手していただいたことがあった。突然のことにテンパッた小心者の俺は渋谷氏に「拓郎さんの亡くなったお父さんに顔が似てらっしゃるって本当ですか?」と尋ねると渋谷氏は「いや、もう今は似てないでしょう」と少し笑って去って行かれた。あ゛〜貴重な機会に俺はなんてくだらねー質問しちまったんだ、あ〜この会報を読んでいれば、もっともっとお伺いすることがたくさんあったのに、ムキーーーと後悔で悶絶した。

2 あんたがくれた愛の日々を
 まぁ俺の話はどうでもいい。インタビューに当時の渋谷氏の心根がうかがえる言葉を探してみる。

 やること、やることが全部新しくってさ…あの時加藤和彦さんが初めてPAを日本に持ってきてシステムでやり始めて、すごいなぁーっと。…じゃあユイでPA持とうっていう。…自分たちで考えて自分たちでやっていくそういう楽しみがあったんじゃないかなぁ。

 もしかするとライブ'73は、初めて本格的にユイのPAシステムが稼働し新しい音楽世界が広がった記念すべき事件だったのかもしれない。

 端的に言えば吉田拓郎のファンだった自分が吉田拓郎の仕事をしているってことなんだろうね。やることがみんな新しいっていうか珍しいっていうかなあ。トラブルひとつにもなんか新鮮だったというか、本質的に嫌いじゃなかったんだろうね


 12年を超えるマネージャー生活を経ても、なお自らを「吉田拓郎のファン」だと何のてらいもなく口にする。当たり前かもしれないけれど、吉田拓郎のことが本当に大好きだったんだという事実が胸をゆさぶる。そしてトラブルまでもが新鮮だったという言葉に心の底から打たれる。 

 照明にしてもPAにしてもねぇ舞台美術にしても拓郎の場合(略)3か月くらいしてツアーが終わるとね、ものすごく成長しているのね こりゃあやっぱり楽しみだったね、人が育つという…


 「成長」っていいな。同じ事象であっても渋谷氏の目に観えていた人や景色はまた違った輝きを放っていたのかもしれない。結局、マネージャーを本職として選んだ渋谷氏の気持はたぶんこんな↓だったのではないか(爆)。
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 日常が大変だろうが、困難な事件が起きようが、給料がいくらだろうが知ったことか。拓郎が目の前で真っ二つに切り開いてくれた新しい海…さぁこの海の中の国境を超えて怒涛の進撃を始めようぜ!…そんな気分だったのではないか。あくまで個人の感想です。それこそすべての根底にあるのは渋谷高行の「ah-面白かった」…なのかもしれないと勝手ながら思うのだ。

3 魂のワンラストナイト
「奥さんは変わってもマネージャーは変わらない」ということで、1973年から1985年まで渋谷氏は吉田拓郎のマネージャーとして勤めた。その最後の大舞台は"つま恋'85"だった。渋谷氏は拓郎にいわば最後の企画書を提出した。

 俺なりに「ワン・ラスト・ナイト・イン・つま恋」ってタイトルをつけて企画書作って出したら、このタイトルいいじゃないかっていってくれたしね、まぁこっちにしてみれば「どうだ!」っていう自分の意見がこの中で力になっている…


 「ワン・ラスト・ナイト・イン・つま恋」これはマネージャーの渋谷氏の命名だったのだ。

   あんたの歌う あの歌を
   今夜は あたいが 歌ってあげる
 
 これは渋谷氏の拓郎への渾身のお返しだったのか。渋谷さん、どうかいつまでもお元気でご自愛ください。ライブ'73の何かあなたの決心を結ばせたのか、いつかどこかで語ってください。♪あんたがくれた愛の日々を今さらありがとうと叫びたい。
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      (「Takuro Yoshida One Last Night In Tsumsgoi1985」八曜社 p.13)
 さて長かった「会報4号」も今回で終わりだ。4号はなかなか充実した記事が多くて時間がかかってしまったが、まぁこんな思い込みだけの長ウザ日記(謙遜だ)、別に先を急いだところで何が待っているわけじゃない。それではまた。

2023. 9. 29

100分de名著「マガジンT(第4号)」を読む
第四話 渋谷高行 あんたのバラードC 渋谷事件簿

☆こころに残る渋谷事件簿第2位 "翼よ、あれが金沢の灯だ"

1 新幹線はうんと速い
 すまん。事件といえば金沢事件は避けては通れない。言うまでもなく陰惨な事件である。何度も言うように当時の渋谷氏は、拓郎のマネージャーになったばかりの大学生だった。これまで観たとおり超絶有能な若者だったが、刑事事件であり社会的事件でもあるこの金沢事件に対峙するのはどれだけ厳しいことだったか。しかしそれでも渋谷氏はあえて突撃した。

 ある朝、本人から電話がかかってきて警察が来たって。「金沢に護送される」っていうからさ「なんだそりゃ」って。で、同じ新幹線で一緒に乗って行って、金沢までずっと一緒で…


 拓郎が護送される列車に果敢に突撃してゆく渋谷氏。マネージャー魂というか、もう魂のマネージャーである。車中で拓郎と話をするが、いったい金沢で何があったのか、何の容疑なのかが二人ともまったく思い出せない。渋谷氏は言う。

 (金沢では)一緒にいましたよ、ずーっと。芸能界でいう付き人みたいなもんだからね。あっちのステージのバラシが終われば、すぐに拓郎のところっていう、だからずっとべったり一緒でしたよ。そういう意味では一番状況はずっとみてたんじゃないかな。だから全然なんだかわからなかったのねあの金沢事件っていうのがね。


 結局、二人でいろいろ話してもわからない。きっと酔ったうえでのケンカじゃないか、だったら謝らないとなぁ…身に覚えのない二人だからそれほどの緊迫感はなかったという。
 しかし金沢中署に着いて拓郎は勾留され、渋谷氏も被疑事実を知らされ驚天動地の事態となる。「どう考えてもあり得ない話」だと渋谷氏は愕然として警察署に立ち尽くす。

2 吉田拓郎を奪還せよ
 すぐに夜行列車で後藤由多加が着き、他方でCBSソニーが依頼した久保利英明弁護士がソニーのプライベートジェットで警察署に駆けつけた。…ジェット機か、すげえ。高須クリニックの院長みたいだ。>あれはヘリだ。
 警察署で待ち続けていた渋谷氏は、久保利弁護士に会うなり、これまでの経緯と新幹線の中で拓郎とトレースした金沢での状況を伝えて、そんな容疑はあり得ないと久保利弁護士に訴えた。久保利も「なんだそれは!」と核心を理解し、弁護活動が開始された。

 俺が偉そうに言うことではないが、刑事事件は時間との勝負だ。まして遠隔地である金沢だし、久保利弁護士も拓郎たちとは面識はなかった。だから普通だと最初の事情把握には時間がかかる。しかし渋谷氏が新幹線に飛び乗って、拓郎と二人で金沢の状況の記憶を喚起して整理し、その情報をいちはやく久保利氏に伝えたことで、どれだけ無駄な時間が省かれたことか想像に難くない。何度でも言うが、それをひとりの大学生がやってのけたのだ。渋谷氏、アンタはなんて頼りになるヤツなんだ。>失礼だろ、すまん。

 新幹線に飛び乗った渋谷、追いかけて夜行列車で金沢入りした後藤、プライベートジェットで駆け付けた久保利弁護士、そして金沢中署を取り囲んで歌ったすばらしきファンの方たち…こうして「史上最大の吉田拓郎奪還作戦」が展開した。そしてその甲斐あって勾留満期を待たずに拓郎は不起訴で釈放された。そして釈放後の吉田拓郎が挑み仲間が迎えた神田共立講堂ライブとそれを支えた亀渕昭信氏そして拓郎からの逆告訴を諫めた御母堂の言葉…もうここでは書ききれねぇ…ああ…拓郎には怒られるだろうが、この顛末、だれか映画にしろよ。タイトルは「金沢は燃えているか」でどうだ。>どうだ、じゃねぇよ すまん。他人様の不幸を面白がるみたいでいろいろ不謹慎だとは思う。しかし、この件で垣間見えると人々のドラマは封印して忘れてしまうにはあまりに素晴らしすぎる気がしてならない。

3  ひとりぼっちの渋谷氏
 会報4号の渋谷氏のインタビューの金沢の話はそこまでだが、それとは別に石原信一の吉田拓郎ドキュメント「挽歌を撃て」の中に、渋谷氏に関する切ない一節があって、俺は忘れられない。石原信一が「事件後、金沢から戻った渋谷マネージャーと飲み明かした」というくだりだ。渋谷氏と石原信一は旧知の仲だったらしいが、それでも渋谷氏は事件の詳細については部外者である石原信一にもほとんど語らなかったという。しかし、その夜、渋谷氏はただひとつのことにしきりに苦悶していたという。

「女性週刊誌が、ぼくの拓郎に対するコメント、嘘を書いたんですよ、嘘なんですよ」

 酔っぱらった渋谷氏は何度もこの話を繰り返していたという。それは週刊誌の取材に「自分は拓郎のマネージャーになったばかりなので、すべてを知っているわけではない」と答えた発言を「拓郎の言動には時々理解できないことがある」と改変されて拓郎のマネージャーの発言として喧伝されたのだ。「こういうのは告訴できないんでしょうか?」…苦しんでいる渋谷氏の様子が痛々しい。

 若き敏腕マネージャーとして凄い仕事をやってのけていた鉄の男=渋谷氏だが、…それでもひとりの傷つきやすい脆弱な若者だったのだ。そんな素顔がのぞく。やはりひとりの大学生が背負うにはあまりに過重な荷物だったのだと思う。…渋谷さん、あなたは本当によくやってくださった。だから後世のファンがこうしてファンとしていられるのだ。渋谷氏はもとより史上最大の奪還作戦に関わられた方、応援されていたすべての当時のファンの方々に心の底から敬意を表するものであります。
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2023. 9. 28

100分de名著「マガジンT(第4号)」を読む
第四話 渋谷高行 あんたのバラードB 渋谷事件簿

☆こころに残る渋谷事件簿第3位 おきざりした楽譜たちは
 とあるツアー(1979年)で、スタッフが拓郎とバンドの楽譜を一式袋にいれたまま前の会場に忘れてきてしまう事件が起きた。気づいた時はコンサート当日で、これから送ってもらっても間に合わない。どうすんだこりゃとオーマイガー!という大事件だ。…これを読んでおられる大多数の俺を含めたジジババの皆様は>すまん、おわかりでしょうが、もし万が一、若い方が読んでいらしたときのために説明しよう。

Q: 楽譜がないのはそんなに大事件なのですか?

A:もちろん大事件です。特に拓郎の場合は大変です。お近くのジジババに聞いてごらんなさい。ステージで一曲歌うたびに譜面台からハラリと譜面を捨てるあの姿…すげーカッコ良かったんだから。たまに次の曲も一緒に捨てて拾う姿(爆)…これもまたチャーミングだった。とにかく譜面がないとダメなのよ。

Q: メールとかフアックスで送ってもらえばいいじゃないですか?

A: 時は1979年です。メールもファックスもまだありません。ファックスの普及は80年代の中盤以降になります。1989年の作品「30年前のフィクション」で"サヨナラがその後ファックスで届いたよ"という歌詞がありますが、あれはファックスが時代の先端をゆく文明のアイコンとして使われています。その10年も昔のことなので存在していません。当時はテレックスでしょうか。これで楽譜を送るのは難しいと思われます。"A♭、B♭、C、C"みたいな歌だったらよかったかもしれませんが、まだ26年も先のことです。


 楽譜は、電話で読み上げて書き取って本番までに総動員で全部再現したらしい。すげえ。ということで譜面が袋ごとまるっとない…この大事件は「吉田拓郎・終わりなき日々」 (田家秀樹著・角川書店/2007)でも、忘れたご本人ステージ舞台監督の宮下氏が、若き日のやらかしとして述懐している。楽譜がなく困り果てたバックミュージシャンに不穏な空気に満ちた。宮下氏は拓郎にぶっ飛ばされることを覚悟していたところ、なんと拓郎は彼を連れてミュージシャンたちに自ら深々と頭を下げてくれたという。宮下氏のみならず読んでいる俺までもが涙ぐんでしまう胸に刺さる話だった。

 それは現場でこの顛末を経験した渋谷氏も同じだった。

 その時に拓郎がそのスタッフをメンバーのところ連れて行って「申し訳なかった」って「俺のスタッフだから許してやってくれ」って。この人すごい人だなぁと思ったんだよね。


 四六時中表裏ともにアーティストを観ているマネージャー。とくに拓郎さんは大変そうだ(爆)。でもそのマネージャーが「この人すごい人だなぁ」とつぶやくその言葉の重さを思う。渋谷氏は続ける。

 みんなそれぞれあるんじゃないかなぁ、スタッフとしてついていることによって、あの人からなんか…

 きっと吉田拓郎の周囲と現場はそういう瞬間が溢れていたんだろうな。

 照明にしてもPAにしても舞台美術にしても、拓郎の場合(略)3か月くらいしてツアーが終わるとね、ものすごく成長しているのね こりゃあやっぱり楽しみだったね、人が育つという…


 拓郎の周りに集まって人々が拓郎をとおして成長してゆく、その様子が「楽しみだった」と渋谷氏は語る。あのおっかない怒れるマネージャーはそんなふうに拓郎のことを観ていたのだ。「事件」は「事件」として大変だったのだろうけれど、渋谷氏にとっては苦難や苦痛ではなかったのかもしれない。楽しかったって。飛躍するが、やっぱり僕らが吉田拓郎を選んだのは間違いなかったのだ…そういう晴れがましい確信が、渋谷氏の言葉と行間に満ちている。
 いいな。吉田拓郎っていい。たぶんすごくいい。
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2023. 9. 27

100分de名著「マガジンT(第4号)」を読む
第四話 渋谷高行 あんたのバラードA 渋谷事件簿

☆こころに残る渋谷事件簿第4位  篠島沈没事件
 79年の篠島アイランドコンサートの時に渋谷氏は、都合2か月間も島にいたらしい。とにかくステージ設営から島民、漁民との根回しや関係各方面の窓口業務に至るまで渋谷氏は大奮闘だった。
 それにしても人口2000人の島に、実際に3万人くらいの人間がうじゃうじゃ乗り込んできたのを目の当たりにしたときには島の皆さんは卒倒したらしい。

 「島が沈む」ってばーさんがいるしさー。お寺行って「なんみょーほーれんげーきょー」っているばーさんもいるしさー。「おばーさん島沈まないから大丈夫だよ」って


 ご苦労様でした。良かったです沈まなくて。渋谷氏がコンサートの制作とミュージシャンとファンと島民の方々とあらゆるものの板挟みにあったことは想像に難くない。思い出す渋谷集会 http://tylife.jp/chiisanasakebi.html#19790726
 これはセイヤングでの拓郎の話だ。篠島の準備会議で拓郎が、もう忙しくてテンパっている渋谷氏に対して「なあ、前乗りでやってくるファンの宿泊やトイレの世話とかどうするんだ?」と聞いたら、渋谷氏はそんなの知るかっ!!そんなやつらは野宿して一緒に働けバカヤロウ!とブチ切れたらしい(爆)。さすが怒れる渋谷。
 これもセイヤングでのハナシだが、篠島コンサートが終わっても、渋谷氏は一週間、島に残ってゴミをずっと焼却していたらしい。炎天と火に長時間あたりすぎて頭に血がたまって倒れて病院に行っているとのことだった。もはや笑いごとではない。わが心の篠島のことを思う度に心の中でありがとう渋谷さんと唱えることを忘れないでいたい。ある日、篠島の桟橋に渋谷氏の銅像が建立されていても俺は驚かない。

 今日の聴きたいこの一曲。「アイランド」(シングル「流星」所収)
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2023. 9. 26

100分de名著「マガジンT(第4号)」を読む
第四話 渋谷高行 あんたのバラードA 渋谷事件簿

[前回までのあらすじ]
 73年1月に大学生のままマネージャーとなった渋谷氏は、ユイの創設メンバーとともに新しい音楽の日常を構築するために奮闘していた。そこにさまざまな事件が吉田拓郎とマネージャーとスタッフに襲いかかってくる。このインタビューに出てくる事件だけでも数多いので小出しに拾ってゆくことにした。

☆こころに残る渋谷事件簿第5位  楽屋で拓郎のギターが盗まれる
 渋谷氏が初めて拓郎について地方に行った四国で本番前に拓郎のギターが盗まれた。マーチンD-35だ。渋谷氏が楽屋に戻ったら、子どもが楽屋の窓から飛び出していくところだったらしい。あわてて追いかけるが夜の闇に見失ってしまう渋谷氏。楽屋に戻ると「ギターがない」。拓郎は共演者の小野和子のギターを借りて歌ったという。ラジオの松山放送がギター盗難事件を報道してくれて、ギターケース抱えて走ったよ…というこの子どもは1週間後、母親に付き添われて返しに来たらしい。マーチンD-35は戻った。
 呼びかけてくれるラジオ、お母さんにつきそわれて返しに来る子供…なんかすごく昭和らしい落ち着きでうっかりすると心が和んでしまいそうになるが、初めてのツアーで起きたこの事件に渋谷氏は前途多難さを感じ空を仰いだらしい。がんばれ渋谷。

 今日の聴きたいこの一曲。
    「戻ってきた恋人」(アルバム「今はまだ人生を語らず」所収)
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2023. 9. 24

100分de名著「マガジンT(第4号)」を読む
第四話 渋谷高行 あんたのバラード@
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1  怒れる渋谷降臨!
 連載の歴代スタッフインタビューは、会報3号での陣山俊一氏に続き、渋谷高行(元)マネージャーである。俺にとってマネージャーといえば、どうしたって「渋谷」なのだ。「なぁ、渋谷」「おい、渋谷」…拓郎の声が耳に残っている。渋谷氏が♪あんたに あげ〜た〜愛の日々を〜 今さら 返せ〜とは言わないわ〜と歌いながら、意味もなく怒りまくる(爆)という深夜放送セイ!ヤングのコーナーも大好きだった。たった3回で終わってしまったけれど。
 鉄壁のマネージャー、怒れるマネージャー、死んだ父親に顔がそっくりだと拓郎さえも恐れるマネージャー、金沢、つま恋、篠島、草創期の数々の事件を最前線で戦ったマネージャー…もはや生きた伝説だ。しかしその素性と素顔は殆ど知らないままだった。その意味でこのインタビューはためになった。

2 若い人
 もともと拓郎のファンでもあった渋谷氏は立教大学法学部在学中の1973年に草創期のユイ音楽工房に入社し、大学4年生で拓郎のマネージャーとなった。えっ、あの金沢事件の時とかライブ73の時は、まだバリバリの大学生だったのか。思えば陣山俊一、後藤由多加、みんな学生だった。ただ渋谷氏だけはガサツな早稲田ではなくオサレな立教というところが意外だ。1974年2月の大学卒業試験と拓郎に同行するボブ・ディラン&ザ・バンドのロス公演が重なったために渋谷氏はそこでカタギの就職をあきらめユイに骨を埋めることになる。

3 道なき道を行くキャラバン
 陣山俊一のインタビュー(会報3号)にもあったとおり、前例のないところをごくわずかの若者たちだけで手探りで切り開いてきた、そういう気骨がヒシヒシと伝わってくる。道なき道をゆくアーティストのマネージャーもまた道なき道をゆかなくてはならない。しかも一人でだ。

 …会場は押さえました。神田共立講堂です、というとそれに目指して じゃあチケットはいつ発売していくらにしよう。ポスターは何枚作ってどういうポスターにしよう、チラシはどうしようっていうのを全部一人でやるのね。

 (拓郎から)こういう形でやりたいからっていうのをもらって、で電話をしてね。だから松任谷君のところなんかもよく電話したもんね。いついつからまたコンサートやるんでお願いできないかと。マンタがやってくれる場合は、じゃあドラムは誰、ギターは誰、ベースは誰とかいってマンタが集めてきてくれる…


 そしてライブの日の渋谷氏のa dayが俺には刺さった。胸が熱くなって仕方なかった。

 …一人で全部やらなきゃいけないってことがあるじゃない? まず朝全員起こして、羽田に集合させて会場連れて行って。会場に連れてく前にホテルとか旅館に連れていって待機させて、で自分は会場に行ってセッティング手伝って、セッティングが出来上がった頃にみんなを連れてまた会場にいって、でリハーサルをさせて、出前を取ってあげてごはん食べさせて、で、そんなことをとどこおりなくやって(笑)終わって着替えさせてホテルに連れて帰って、ちょっと30分ぐらいまってもらって、会場にもどってバラシをやって積込みをやって、それでホテルに戻ってね。その時はもう、主催者の人と食事に行ってるわけじゃない?で、あとを追っかけて行ってそういう生活だからさ… 

 後はチケットの販売とその精算。まだ全国すべてに今のような発券システムがないわけですから、事前にレコード店とかを廻ってチケットを預けるわけですよ。そしてコンサート終了時にチケットの精算。当時は現金精算でしたから、その日のうちにホテルで収支計算をするわけです。そんな日々の繰り返しでした。(※ヤングギタークロニクルP.180)


 一学生、一若者にここまでのことができるのか。自分の同年代の頃を省みてとても考えられない。

4  そして世界はつくられる
 現場の苦闘はやがて音楽界のシステム改革にもつながってくる。これは、会報のインタビューではない別の雑誌の渋谷氏のインタビュー記事からの引用だ。

 年間150本以上のコンサートやイベントに出演していて、それも、今日が北海道だったと思うと、明日は四国とかね。そしてその合間にレコディングする。と言うムチャなスケジュールだったんですよ。ようやく自分で拓郎のスケジュールを管理できるようになってやったことが、ライブを春・秋に『コンサート・ツアー』として組むと言うことと、夏に『レコーディング』というローテーションを決める事でした。(※ヤングギタークロニクルP.180)

 コンサートツアースタイル『演奏者やスタッフ、PA機材、照明機材、楽器などをひとつのパッケージにまとめて同じチームで各地を廻る』そんなスタイルをとったのは日本では拓郎がはじめてでしょう。機材の搬入、搬出の手順から全てにお手本がないわけですから手探り状態でしたね。また、ドラムを高くするとか、舞台上にステージを組んだ演出をはじめたのも拓郎が最初だったと思います。同じチームで各地を廻ることで日程的にも無駄のないコンサートスケジュールを組むことができるようになったんです。(同P.137)


 吉田拓郎が始めたコンサートツアー。但し、それは拓郎や後藤由多加の号令一下で作られたものではなく、アーティストとスタッフの現場で泥沼のような格闘の中から生まれ落ちたものなのだと思い知る。

 この渋谷氏のインタビューに胸が熱くなるのは"昔の人は偉かった"、"創業者一族"は素晴らしかったという美談だからではない。たぶんない。ひとりぼっち、アブレ者、少数派が、本気で描いた音楽と世界の美しさみたいなものに感動するのだと思う。
 そして、なによりも私たちが愛してきた吉田拓郎だけでなく、彼を粉骨砕身で支えた人々の営みもまた素晴らしいものだったのだということが嬉しい。数あるミュージシャンから"吉田拓郎"を選んだ私達は、間違いなく素敵なLuckを引いたのだ。誇らしいじゃないか。

 さて、このような熾烈な「新しい日常」の構築のみならず、数々の事件が吉田拓郎とマネージャーとスタッフにこれでもかと襲いかかってくるのであった。つづく。

2023. 9. 23

☆☆☆和菓子の足音☆☆☆
 私も"おはぎ"は"こしあん"です。ブログでお彼岸のしみじみとしたお話を読んで、私もたまらずに近所の和菓子屋に行ってみた。"こしあん"のおはぎはあったが、なんと"すあま"がなくなっていた。この和菓子屋では製造中止とのことだった。昔も書いた気がするが、私にとって和菓子の帝王は"すあま"だ。"すあま"が"吉田拓郎"だとすれば、"こしあんのおはぎ"は"南こうせつ"くらいに位置づけられる>意味わかんねぇよ
 和菓子屋の主人によれば売れ行き不振だったとのことだ。この近所で"すあま"を好むのは自分くらいだったらしい。子どものころから"すあま"好きの自分は変なものが好きな変なヤツだと冷笑され続けてきた。だから孤独なのは平気であるが消えるのは悲しい。数を注文すれば作ってくれるとのことだが、注文生産してもらったら、それはもう"すあま"ではない。やはり店頭にさりげなくあってこその"すあま"なのである。

 和菓子といえば吉田拓郎のかつての著書の一文で
 「ツルの玉子」という菓子がある。死んだ親父の土産物はいつもこれ一点ばり。そのせいで、いつの間にか甘いものがダメになったような気がする」(吉田拓郎「明日に向って走れ」より)

 というくだりがいつも気になっていた。
 実際に「つるの玉子」という岡山の銘菓がある。まさにつるの玉子のまあるいお菓子だ。これのことだろうと思っていたが、はたして鹿児島から広島にやってくるお父上が、岡山の銘菓を買うだろうか。時は昭和20年代である。デパートの全国物産展なども催されていたとは思えない。
 ここで博多に「鶴乃子」というこれまた銘菓がある。こちらも玉子を彷彿とさせるお菓子だ。これだとちょうど鹿児島から広島への中継地点である。どっちなんだ。それとも両者とも違うものだったのか。既にファンの間で議論された問題かもしれないが気になるところではある。

 ということでお彼岸だ。何はともあれ和菓子をお捧げして向こう岸に行ってしまわれた人々のことをしみじみと偲びたい。

追)…って、おーっとこの日がすぐに出てこないなんて、俺もヤキが回ったぜ。こっちは彼岸じゃなくて此岸だ。
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2023. 9. 17

100分de名著「マガジンT(第4号)」を読む
第三話 観音崎よ、どてっ腹をぶちぬかれちゃったね

1 謎の仮タイトルたちを追う
 会報4号には「観音崎日記」と題するレポート記事が載っている。観音崎マリンスタジオでのニューアルバム「176.5」のレコーディング風景が記されている
 気にかかるのは、完成した「176.5」では見ないタイトルの曲があることだ。たぶん仮タイトルかアウトテイクのどちらかだと思われる。

・「星の鈴/蜜の糸」…コレは「星の鈴」に違いない。

・「消えた街」…え?
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…それは「狙われた街」だろ>特定の人向けのネタはヤメロよ。すまん。たぶん"30年前ならSFの街〜"という「30年前のフィクション」のことだと思われる。

・「LAST SONG」…これはものすごく時間をかけて作られている様子だし、ステージのラストだったこともあって「俺を許してくれ」のことだと思われる。

・「DEAR MY FRIEND」…これがわからん。日記のヒントから探ると@森雪之丞の作詞A男同志の友情Bバラード…ということになるが、該当作はこのアルバムには不見当である。…この条件をクリアしそうな曲は、1994年にJリーグのサンフレッチェ広島のテーマ曲として西城秀樹に提供された「女神が微笑む時」(作詞:森雪之丞/作曲:吉田拓郎/編曲:渡辺格)〜おおー格さんだ〜ではないかと思うが、ずいぶん時間が経っているし自信はない。

2 DEAR MY FRIEND
 観音崎日記で胸が熱くなったのは島村英二のくだりだ。このアルバムはドラムはすべて打ち込みなので、島ちゃんのプレイするパートはない。それでも島ちゃんは激励にやってきた。

 この日、島ちゃんこと島村英二が突如スタジオ来襲。来る途中、車が第3京浜でエンコしたのにもめげず、なんと電車に乗り替えて夜11時過ぎに現れた。もちろんこのあとは深夜までパワー全開の盛り上がり。翌日仕事のため島村氏は午前中に東京に戻る。寸暇を惜しんで、わざわざ遠くまで来てくれた島村氏の拓郎さんに対する友情を感じました。


 このさりげないくだりがしみじみと心にしみて、うっかりすると泣きそうになる。翌日仕事なんだから、車がエンコしたら普通行かないだろ。
 そうだ、観音崎スタジオのことは「ラジオでナイト」でも語っていた(第73回 2018.9.23の放送より)。

 この隣のホテル、京急ホテルだったか、このスタジオからホテルのプールが見える。夏とかは、若い女の子の水着姿で溢れていて、みんなレコーディングどころじゃなくて、「おおお」とか言って、スタジオの窓にすずなりになって点数つけたりしている(笑)。

…はーーそれで島ちゃんは寸暇を惜しんで来たのかもしれない(爆)

 モータウンスタジオも、専属アーティストがいてサウンドが固定化している。そのサウンドを希望するミュージシャンがそこに行く。こういうのは日本にはないな。例えば島村英二、エルトン永田、中西が観音崎スタジオに住んでいたりとか。そこのスタジオでは、どんなミュージシャンでも、彼らが迎えてくれるという。そうなると観音崎マリンスタジオの音というのが歴史に残っただろう。どうして居座らなかったんだよ、自分じゃないから言うけれど(笑)、島村、エルトン、おまえら観音崎に住めよ。


 島村、エルトン、おまえら観音崎に住めよ。…俺なんぞにはわからない深い絆を感じる。拓郎の理想の音楽環境が垣間見える。拓郎はそういうスタジオが好きなのか…そういうスタジオにいる拓郎が俺も好きだ。
 まさに「DEAR MY FRIEND」…可能性なきにしもあらずということで「女神が微笑む時」を聴いてみよう。

 僕らはそっと星空に抱かれる
 未来に運ぶ箱舟のように
 ……
 Heart to Heart この胸に声は響く
 Dream to Dream 夢を信じあえば
 きっと 僕らに女神は微笑む

…とにかくすべての推しも推さるるも含めた吉田拓郎に関係する皆皆様に女神が微笑みますように。

さて会報第4号 次回最終回
  第四話 「渋谷高行…あんたのバラードに涙する」をお送りします。

2023. 9. 15

100分de名著「マガジンT(第4号)」を読む
第二話 "人間なんて"のとらばーゆA

 会報4号でのリメイク話ばかりに反応してしまったが、この時期、吉田拓郎は打ち込みリメイクの"落陽"や"人間なんて"に勝負を賭けていたわけではない。それだけ打ち込みに熟達してきたということであり「コンピューターの打ち込みに習熟することは、ただの技術の取得と向上ではなくて、音楽とのあらたな結縁だったのだ。」と自分で書きながら良い事を書くなと自分に感心した(爆)。
 この時はまだわからなかったが、私は、打込みの習熟の成果物にして、あらたな音楽との結縁としてのアルバム「176.5」という傑作にもうすぐに出逢うことになるのだ。

 「俺を愛した馬鹿」から「マッチベター」,「ひまわり」という長かった"打ち込み実験期間"。次から次へと凡打のようなアルバム(※あくまで個人の感想です)が続いたが、ようやくこの「176.5」に至って、スコーンと目の覚めるようなクリーンヒットを打ってくれた気がする。ココに、もどかしい打ち込みの実験時代を抜けて、あらたな音楽との結縁を感じるのだ。ここからの快進撃を私は「90年代に駄作なし」と総括する(※これも個人の感想ですが)。
 したがって「落陽」「祭りあと」、あと収録されていないが「人間なんて」のセルフカバー群はあまり関係がない。これらは凄腕のシェフが、休憩時間に身内をねぎらってササっとこしらえた"まかない飯"みたいなものだ。これらリメイクがなかったとしても「176.5」は 新曲だけで堂々たる名盤である。「星の鈴」「車を降りた瞬間から」「30年前のフィクション」「憂鬱な夜の殺し方」そしてああ我が心の「しのび逢い」…そうなると「はからずも、あ」までが愛おしい。そして何よりアルバムでメインを張り、コンサートのラストを飾る「俺を許してくれ」が素晴らしい。

 会報4号には「TAKURO SPECIAL ESSAY」という連載コーナーがあって、拓郎のショート・エッセイが載っていたのだが、会報4号ではこのコーナーに「俺を許してくれ」の詞だけがドーンと見開きで掲載されていた。これだ。これぞファンクラブの会報なのだ。「これが新曲だ、どうだ」といわんばかりのお披露目が嬉しい。今観るとなんか泣きそうになる心意気だ。
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 前にも書いたが、セルフカバー「人間なんて'89」はとことん切ない、なんでこん鬱な詞にしたんだと恨めしく思ったりもした。しかしこの鬱なところがまた胸にしみるのだ。

 からっぽになっちまう前に
 せつなさをあきらめる前に
 オイラの心を満たしてよ
 身体を何かで突き刺してよ
 人間なんてララララララララ

 はるかに叫ぶ声が届かない理由はなんだろう
 愛してるって答えてくれ 旅する人に伝えてくれ
 迷ってしまってもここにいる
 遅れてしまってもそこにいる
 はぐれるものを忘れないで 行方知らずを見捨てないで
 オイラの心はどこに捨てよう
 疲れた魂をどこに置こう
 昨日の風に預けた夢が かなわないものなら投げ返してよ

 …大きな何かに吸い込まれて
 やるせない隙間を埋められない
 何がどうしても足りないよ
 人間なんてと言えないなら
 オイラを命がけで殺してよ
 人間なんてララララララララ


 ここからは俺の思い込み&邪推だ。>これまでもそうだろ
 この人間なんて'89は、とことん心の奥底に沈んでゆく「鎮魂」のようでもある。しかし、そこで燃え尽きるのではなく、この魂の底から「俺を許してくれ」に繋がってゆく、いやもっと言うと新たに立ち上がってゆくのではないか。"人間なんて"→"人間と呼ばれてるけど"…これはバトンだ。"人間なんて"から渡されたバトンだ。あるいは燃え尽きた"人間なんて"の「とらばーゆ」といってもいいかもしれない。「俺を許してくれ」も「人間なんて'89」同様かなり悲観的な詩だが、それでも、この新曲には生きてゆくチカラがみなぎっている。聴けば一発でわかる。メロディー、サウンド、ボーカル、すべてに横溢している元気。

  この命ただ一度
  この心ただひとつ
  俺を許してくれ 俺を許してくれ

 ここだ。ここがたまらないのだ。中島みゆきの「ファイト!」の"あきらめという名の鎖を身をよじってほどいてゆく"のところと同じように聴く度に心が昂ぶる。なんで中島みゆを例にするかは横に置く。
 
 かくしてラストナンバーの殿堂だった「人間なんて」から魂を受け継いだ新しきラストナンバー「俺を許してくれ」を迎えたのである。ああ、だから原題は「LAST SONG」なのか。
 そして忘れもしない2019年のラストツアーの本編ラストをこの曲で締めくくったこともある意味でとても感慨深い。

 次回は第三回「観音崎よ、どて腹をぶちぬかれちゃったね」をお送りします。いやあ、会報4号…いろいろ充実しておるわ。あなどれない>あなどっていたのかよ。

2023. 9. 13

100分de名著「マガジンT(第4号)」を読む
第二話 "人間なんて"のとらばーゆ@

1 突然のCMカバー出来
 1989年には「落陽」だけでなく「人間なんて」までも復活して驚かされた。リクルート/とらばーゆのTVCMでいろんな就活女子の表情豊かなアップのバックで女性ボーカルの♪人間なんてラララララララ〜ラがお茶の間に突如流れだした。「落陽」のセルフカバーはパッとしなかったが、とらばーゆの「人間なんて」は世間を席捲してかなり話題にもなった。
 たぶんこれが起爆剤になって、秋の拓郎のツアーのタイトルは「89-90 人間なんて」と冠され、そのステージではこれまたセルフカバーで換骨奪胎の切ないブルース調の「人間なんて」が披露されることになったのだと思う。
 ただし自分にとっての"落陽"と"人間なんて"といえば、やはり血沸き肉躍る、こんな感じのイメージで↓まさに怒涛の進撃の歌なので、
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…CMのどこかコミカル調なカバーは少し寂しくもあったが、それでも世界が"人間なんて"で包まれているのは大変気分が良かった。CMはバージョンも曲調も微妙に変わっていって、いいCMだったなと今でも思う。
 ひとつだけ言いたいのは、この流行は、CFの巧さと楽曲の魅力もさることながら、俺は密かに"志村けん"のアシストのチカラが大きかったのではないかと思う。当時、志村は自分のコント番組でこのCMにあやかって"人間なんてララララ"というオチを積極的に多用していたのを覚えている。この当時の志村けんのお茶の間に対する影響力は絶大だった。この盟友の温かい援護射撃は観ていてとても嬉しかったし心強かった。今さらだが、ありがとうございました、志村けんさん!
…一度、心の底から御礼を言いたかった。

2  拓郎、セルフカバーするってよ
 で、コンサートツアータイトルが「人間なんて」と言うことは…すわ、ツアーで歌うのかよ!?、想像がつかなかった。このCMでちょっとした時の人になった拓郎へのサンデー毎日のインタビューがあった。「"人間なんて"が話題になっているし、今度のコンサートでは燃えているのですか?」との質問に「え、全然燃えてないよ、仕事していないと世間に肩身が狭いから歌っているだけ」と答えていて、あの狂熱の人間なんてが再現するとは思えなかった。実際にもそのとおり意表をついた内向的なブルースとしてステージで披露されたのだ。

 俺は会報4号をリアルタイムで読んでいなかったので、そのあたりの心情が今読むことでなんとなくわかってくる。

 「人間なんて」もリメイクやっちゃったんだよ。「イメージの詩」も今やってるの。全部打ち込みでね。
 気持ちいいよ。「人間なんて」って曲がえらく楽曲的。うちのスタッフはみんな喜んでいるよ。いいって。市場に出す、出さないは別として、遊びでいろいろ古い曲を打ち込みでやって聴かせてるの。


 打込みを自家薬籠中のものにした拓郎が音楽を楽しんでいる様子がわかる。そしてその手は禁断の"人間なんて"にも及んだ。リメイクに際して、あらたに"人間なんて"の詞を書き上げ、しみじみブルースな"人間なんて"の生誕である。

だって、あの曲 詞がないんだよ「何かが欲しいオイラ それが何だかわからない」って歌ったあと ワーッと言ってるだけだもんね(笑)だから打ち込みでやり直そうと詞を探したら、ない。それで詞が無い曲だったってわかったんだ。
 それでデモテープ作ったら評判いいから、ステージでもやっちゃうおうかなとも思っている。ギャーギャーいうんじゃなくて、サラっとね、


 なんか鬱な詞だな〜暗いな〜と当時は思ったけれど、本人はかなり清々しい気分でいたのだなというのが会報のインタビューからわかる。そしてその理由もなんとなくうなづけてきた。コンピューターの打ち込みに習熟することは、ただの技術の取得と向上ではなくて、音楽とのあらたな結縁だったのだ。しかしこの会報4号は懐かしのセルフカバーだけでは終わらない。つづく。

2023. 9. 12

☆☆☆それでも生きてゆく☆☆☆
 風間俊介…そうだ拓推しドラマだった「純と愛」に主演し、LOVELOVEの最終回では吉田拓郎の傍らで"硝子の少年"を踊っていた風間俊介だ。「まず被害者のことを第一に考えるべき、事務所が新たに生まれ変わったんだっていう姿をどう見せるかよりも前に、静かに冷静に、被害者の方々と向き合う必要があると、私は思っています」「今、被害があって訴えられていない人たちが話しやすかったり、話そうと思えたりする体制を、早くうちの事務所は整えるべきだと私自身は考えております」…苦悶しながらも少数派たる被害者への思いを語った。批判はあろうとも…まさにそのとおりだと思う。この難題、難状況。いまは真摯に苦しみ迷い迷える者こそ信用したい。…立派に更生したな三崎文哉!(爆)…ということで今日の頭の中のテーマ曲ベスト1は、昨日までの「人間なんて'89」から小田和正の「東京の空」に交代した。それでもファンなのか。すまん。

    自分の生き方で 自分を生きて
    多くの間違いを 繰り返してきた
    時の流れに乗って 走ったことも
    振り返れば すべてが同じに見える
    がんばってもがんばっても うまくいかない
    でも気づかないところで 誰かがきっと見てる

 …いい。悔しいけどいい。人間なんて'89に負けないくらいイイ。

2023. 9. 11

☆☆☆誰が音楽を殺すのか☆☆☆
 いろいろあって気分が落ちる。近いところでは例えば100年前の虐殺事件について記録がありませんからと軽くスルーする政府の記者会見、それとは反対に4時間以上もかけながら、忖度とポーズの佃煮のような記者会見。どちらも多数派のための段取りにすぎない。いつだって少数派やひとりぼっちの個人は実質的には置き去りにされる。
 「少数者やアブレ者は多数派によって排除され、やがて社会から抹殺される」…というかつての御大のお言葉を思い出す。俺が偉そうに言えたものではなく、自分もその多数派の傘の中に出たり入ったりフラフラしているだけかもしれない。そうやって指弾する人々もされる人々も、そしてまたそれを眺めているだけの人々もみんな一緒に深い沼に沈み込んでゆくような気持ち悪さがある。一億人が見せかけだけの豊かさのなか沈みゆく島とはまさにこのことか。

 こんな還暦過ぎのオッサンでさえ、あそこの若者たちを通じてかけがえのない思い出とある種の希望をいただいた。「音楽やアーティストに罪はない」というのは心の底からそのとおりだと思う。しかし罪はなくとも無傷、無垢ではいられないのも事実だ。自分や自分の思い出が容赦なく削られてゆくかのような気分になる。
 少数者やアブレ者やひとりぼっちの尊厳が守られてこそ、はじめて音楽は自由なものだ、音楽って素晴らしいと言えるんだとあらためて思う。そこにしか、そこからしか途はない。
 そういう鬱屈した気分で、次の"100分de名著・会報4号"のために89年ツアーのリメイク版「人間なんて」を通勤の電車の中で聴いていた。当時はこんな暗い鬱な詞で地味なリメイクをしやがって!と思っていたが、今こうして聴くと絶妙に心にしみいる。いや、かなり良くないか? 今頃遅いな、すまんな。

  人間なんて (refit 1989)
           作詞・作曲・編曲:吉田拓郎

 何かが欲しいオイラ それが何だかはわからない
 だけど何かが足りないよ  今の自分もおかしいよ
 空に浮かぶ雲は いつかどこかへ飛んで行く
 そこに何かがあるんだろうか
 それは誰にもわからない
 本当の事を話してよ 本当の声を聞かせてよ
 黙り込んでしまうなんて
 臆病者になってしまうよ
 からっぽになっちまう前に
 せつなさをあきらめる前に
 オイラの心を満たしてよ
 身体を何かで突き刺してよ
 人間なんてララララララララ

 はるかに叫ぶ声が届かない理由はなんだろう
 愛してるって答えてくれ 旅する人に伝えてくれ
 迷ってしまってもここにいる
 遅れてしまってもそこにいる
 はぐれるものを忘れないで 行方知らずを見捨てないで
 オイラの心はどこに捨てよう
 疲れた魂をどこに置こう
 昨日の風に預けた夢が かなわないものなら投げ返してよ
 人間なんてララララララララ

 かすかに震える声で 人間なんてと叫んでみるけど
 大きな何かに吸い込まれて
 やるせない隙間を埋められない
 何がどうしても足りないよ
 人間なんてと言えないなら
 オイラを命がけで殺してよ
 人間なんてララララララララ

 

2023. 9. 6

☆☆☆ブドウ畑でつかまえて☆☆☆
 浮世の義理で、同じ仕事をしている高校の先輩と甲州方面に車で出掛けた。先輩は年に2回しか運転しないと後に知ったが、免許を取ってから2回しか運転していないんじゃないかと思うような破滅的運転で、何回も命の危険を感じた。ガソリンスタンドの兄さんたちが一斉に後ずさりして飛び退く光景を初めて観た。ah-怖かった。おまけに虫が大嫌いな私が、昆虫採集の手伝いをさせられたり、イナゴを食べさせられたりして、そのたびに失神しそうだった。「男(の子)はみんな昆虫が大好き」と言う決めつけは立派な性差別だと思う(涙)。とにかく1秒でも早く帰りたかったのだが、先輩がどうしても知り合いの果樹園に寄りたいということでやむなくお相伴した。ブドウは好きでもないし嫌いでもない僕達見知らぬ他人のようだ。
 でも旬のシャインマスカットが実っている景色を見渡すと心が少し躍った。そんなことってあるだろう君たちだって。
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 ああ、あの方は今年もうシャインマスカットをお食べになっただろうか、ああ住所がわかれば送って差し上げたいとすら思った。
 キツネが王子に言った言葉。「ボクは小麦畑に何の興味がないが、キミがボクをなつかせてくれれば、キミの髪色と同じ金色に輝く小麦畑を見ただけで、ボクはキミを思い出すようになる。麦畑をわたっていく風の音まで、好きになる…それが絆というものだ。」…それな!
 それにしても無事に帰って来られたことを神様に心の底から感謝したい。

2023. 9. 2

 「T's会報」…ちょっと飽きたので、しばしお休み。映画「君たちはどう生きるか」の2回目を鑑賞したのだが、やはり私には難解すぎる。おまけにとなりのポプコーン野郎がうるさくて集中できなかった(爆)。ということでとりあえず浅い感想文をメモしておきたい。ああ思いっきりネタバレっす。

勝手に拓郎に結び付ける映画評
「君たちはどう生きるか」
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1 二人の"mother(母)"
 不肖ワタクシは映画「君たちはどう生きるか」を観ながら思った。これは宮ア駿の「ah-面白かった」ではないか。「君たちはどう生きるか」と「ah-面白かった」は通底している。…いきなり各方面から怒られそうだ。宮ア駿の集大成作品といわれているが、そもそも私は宮ア監督のことがよくわかっていない。吉田拓郎のことも知ったかぶりしているが結局のところそれだってよくわからない。えーい思い込みと言わば言え。だからこそ勝手に拓郎に結び付ける映画評なのだ。

 まず似ているのは、どちらも、もうやめる、もうやらないが口癖の両巨匠の最終章の作品(最終作とはあえて言わない)というところだ。
 次に、どちらも"mother(母)"が主題であり、"二人の母親"が大切な役割を果たす。そこから、そこはかとない心情において共通する点を感じてしまうのだ。

 映画の舞台は昭和18年頃の戦時中。主人公の眞人(まひと)少年は、火災で実母・久子を亡くす。その翌年には父は久子の妹夏子と再婚し、夏子は既に妊娠している。実母と継母という二人の母がドラマを動かす。吉田拓郎の場合は、実母の吉田朝子さんと義母の竹田美代子さんというお二人の母親の人生の旅路が歌われる。
 なお映画には守り神のような7人のおばあちゃんたちとキリコさんという頼りがいのある姉のような女性が登場する。このあたりも拓郎と同じで、主人公を庇護するように女系家族が回りを固める。
 そんでもって、どちらも父親はあんまし役に立たない。もちろん立派な人物だし、特に映画では木村拓哉に声をあてられているのだが、本編では役割が薄い。他人様の父親に対して役立たないなんて申し訳ないです。

2  母の声をたどりて
(1) 託された君たちはどう生きるか
 実母と継母の二人の故郷に家族で疎開したものの、眞人は再婚した父と継母に心を閉ざしたままやさぐれる。自損の怪我を装って学校もドロップアウトし孤独に沈む。どうしても断ち切れぬ亡き母への思いのさなか、母が残した一冊の本「君たちはどう生きるか」(昭和12年の初版本)を偶然に発見する。巻末には「大きくなった眞人へ」と母の署名があった。眞人は母が遺してくれた手紙だと思いむさぼるように読みふける。そしてポタポタと涙を流す。
 落涙箇所はたぶん「凱旋」の章だ。主人公コぺル君が友人達を裏切ってしまった罪悪感から苦悶のあまり病に臥してしまう「雪の日の出来事」、そんなコペル君に母がひとりごとのように語りかける「石段の思い出」につづく最終章だ。基本的にコペル君とおじさんの対話で進められていく本書の中で、唯一、母が苦しむ息子に静かに語りかける「石段の思い出」の章は白眉で、きっと眞人はこの章を自分の母の言葉として読み、感極まったに違いない。

「大人になっても、ああ、なぜあのとき、心に思ったとおりしてしまわなかったんだろう、残念な気持ちで思いかえすことは、よくあるものなのよ。潤一さんもね、いつかお母さんと同じようなことを経験しやしないかと思うの。ひょっとしたら、お母さんよりも、もっともっとつらいことで、後悔を味わうかも知れないと思うの。でも、潤一さん、そんな事があっても、それは決して損にはならないのよ。その事だけを考えれば、そりゃあ取りかえしがつかないけど、その後悔のおかげで、人間として肝心なことを、心にしみとおるようにして知れば、その経験は無駄じゃあないんです。(略)それから後の生活が、そのおかげで、前よりもずっとしっかりとした、深みのあるものになるんです。だから、どんなときにも、自分に絶望したりしてはいけないんですよ。」(吉野源三郎「君たちはどう生きるか」〜石段の思い出より)


(2) 拓された拓ちゃんはどう生きるか
 以上のシーンから、オールナイトニッポンゴールド2022年4月8日でのこんな話を思い出す。

 僕は、子どもの頃から非常に身体が弱くて学校も半分くらいしか行けなかった。家にいることが多い。母親が与えてくれた雑誌とか漫画とか小説を楽しみに日常を家にいて過ごしていた。一人で家にいる子ども時代。学友や友だちもいない。読み漁っている本の世界に入り込んでいくことが多かった。(略)時々病気の枕元に来て話をしてくれた。母親の信念、テーマとして常に自分に正直でいることだった。

「もし拓ちゃんあんたがみんなとは違う考え、違うなと思うとしても、みんなにおかしいと言われても、自分はこういうふうにしかできないと思う時がくる。できないことはできない、自分の心に嘘をつかない。できないこともできるといって仲良くする必要はない。できないから仲良くできないのならしょうがない。自分に正直に生きなさい。」

 当時は意味がよくわからなかったが、この言葉が後に大きな支えになる。


 なんとなく眞人と通じるような環境だし、ここでも拓郎少年の心にも母の言葉がいかに深く響いていたかが伝わってくる。

(3) 決起する子どもたち
 拓郎はアルバム「ah-面白かった」について語りながら、この母の言葉を反芻する。

 僕も紆余曲折ありながら音楽人生を歩いて来られた、これらはすべて母親が敷いてくれたレールだったと思う。母親への愛は非常に深いものがある…今日僕がここにいて歌っていること…その気持ちのもとは母の理解だったと思いたい。


 映画「君たちはどう生きるか」で母の託した本書を読んで決起した眞人も、妊婦のまま姿を消した義母を救おうと決意して、詐欺師のようなアオサギに導かれるままに、先祖伝来の不気味な幽鬼の塔の中へと挑んでゆく。この詐欺師で後のバディとなるアオサギの声が菅田将暉ね。二人の巨匠は、ともに父親の背中から学ぶのではなく、母親の言動の中に心のよすがを見出している。

3 若き日の母たちとの出会い
 眞人は、さまざまな時空とつながった大叔父の君臨する謎の塔の中で、この世界に迷い込んだ少女時代の自分の母親と出会う。"ヒミ"と呼ばれる彼女は火を扱う特殊能力を持った快活で心優しい少女だった。彼女の実妹であり眞人の継母でもある夏子の救出のためにこころよく協力する。その魅力的な少女ヒミの声が"あいみょん"なんだよ。なんか嬉しくなる。二人の心通わす冒険が始まる。

 いうまでもなく若き頃の母との出会いは「ah-面白かった」と通ずる。拓郎は「佳代と僕のお母さんが現代に今若者としていたら、若々しい希望に満ちて自分の未来を描きながら女性としていたら…」という同じコンセプトでアルバムを制作したと語っている。そしてこちらでは、そのヒミの役目をアナログ盤ジャケットでつま恋を闊歩している奈緒が見事に体現している。
…ついでに、この映画の若きキリコさんは篠原ともえではないかと思うのだが、まぁそれは置いておく。
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4   信頼という大いなる存在肯定
 少女時代の母親との出会い、継母の救出の大冒険とともに、この世を統べるという塔の住人である大叔父から、その地位の継承を求められる眞人。十三個の石をバランスをとりながら積み上げて世の中の平和と安定を目指してほしいという大叔父の頼みに対して、自分には「悪意」がありその資格はないと拒否する。現実世界で友達をつくり生きてゆくと宣言する。たぶん石は原子力=核の暗喩だと思われる。そうこうするうちに内乱によって瓦解を始める塔の中の世界。
 若き母であるヒミは眞人に、もとの現実世界に継母をつれて脱出するドアを教え、自分も別のドアから少女期の現実世界に戻らんとして別れを告げる。しかしヒミが現実世界に戻ればやがて火事で死んでしまうからと必死で止める眞人。しかしヒミは明るく答える「眞人おまえいいやつだな」「平気だよ、だって眞人を産めるんだよ!」とまるで遊びにでもでかけてゆくみたいに嬉しそうに自分の世界に戻っていった。ここで不肖星紀行は涙ぐんでしまう。となりのボブコーン野郎の雑音も聞こえなくなった。「だって眞人を産めるんだよ!」これは"ah-面白かった"というセリフに比肩する名シーンだと思った。
 若いころの母親は、成長した息子を観て、また自分のこれからの運命も知ったうえで、それでもあなたを産みたいと、もう一度自分のことを選び直してくれたのだ。これにまさる存在肯定はあるまい。

 他方で拓郎は二人の母のことをこう語っていた。

 佳代のお義母さんも僕のお母さんも既にあちらで楽しくしていると思う。夫婦で互いの母親のエピソードを話すが、なぜか笑ってしまう。想像できない苦労があったはずだ。時代が時代だから相当に大変だったはずだ。人知れず泣いたこともあったと思う。そういう厳しい体験はことさらのようには話さなかった。2人の母親は人間として苦しい人生を体験したにもかかわらず、できる限り伝えない人生を選んだのではないか。


 そして「ah-面白かった」のライナーノーツは最後は次のように締めくくられている。

 母たちは、それぞれの悲しみや苦しみを私達に見せる事なく心の中にそっとしまったまま永遠の地へ旅立たれた
 我々夫婦もいずれ同じ道を歩いて行くことになるだろう そしてその時もまた
「僕達は彼女達と一緒に笑顔で過ごしたい」と願っているのだ


 母たちとのお互いの幸福な信頼感とお互いに対する全面的な肯定感を感ずる。これはどちらの作者と作品にも通底していることだと思う。

5  前進する老巨匠たち
 大叔父の塔が瓦解するということは、現実世界には、混沌とした…核兵器や原子力のリスクという地獄のような現実が待っている。しかし、眞人は父、継母、生まれた弟ら家族と毅然と東京に戻ってゆく。そこで映画は終わる。

 拓郎の方はラジオで最後にこう語りかけた。
 
 あなたのご家族を思いながら、お互いの母上のことを話し思いながら、しょせんみんな人間はひとりぼっち。ひとりだからこそ誰かとの愛を、誰かとの言葉を、誰かとの気持ちを求めて生きてゆく。例えば僕は間違っていても〜と書いたけど、そのことを誇りにして今後は半歩でもいいから歩いて行こうと思っている。


 どちらもキャリアの集大成であるにもかかわらず、最後がポジティブで清々しい。大団円でもなければ、悲観でもない。懐かしの走馬灯で終わるものでもない。あくまでも前に進もうとする。やめる。やめると言う二人の爺ちゃんは実は最後まで前進せんとする。僕達はそうやって生きてきた〜君たちはどう生きるか〜僕達は…問いが答えで答えが問いになって連鎖してゆく。

 拓郎は「一人の人間の真実の景色、みなさんにエールを送るつもりで書きました。」という。この映画も同じだ。宮ア駿がどういう人かは知らないけれどたぶん同じだと思う。私たちへのエールでもあるのだと思う。

 それでもって、この映画を観たあとの心の叫び…
       あなたに逢いたい あなたの声を聴きたい

2023. 8. 30

☆☆☆行き止まりまで走ってみたい☆☆☆
 というタイトルのラジオの単発番組が1983年の春にありました。内容は「マラソン」のレコーディング中の吉田拓郎に対する田家秀樹のインタビューだった。これは私にとってかなり大切なインタビューだった。田家さんが「フォーライフは負けたんですよね?」と拓郎に突っ込んでしまい拓郎が一瞬絶句するやつ。それだけに限らない。父ちゃん(T)、出しゃばり(D)、買ってきた(K)、TDKのカセットテープが擦り切れるくらい聴いて、ホントに擦り切れて聴けなくなってしまった。最後に「もし行き止まりがあるのなら、行き止まりまで走ってみたい」という拓郎の言葉で終わる。全編に漂うどこか切ない空気が忘れられない。

 ということで、私はおかげさまで竜飛崎から無事帰還しました。ありがとうございました。
 道中、半ばおつきあいで太宰治の生家とか記念館をめぐりながら知った。彼の帰郷を綴った小説「津軽」の中に竜飛崎まで歩いて行ったというくだりがあったのだ。

 『竜飛まで海岸伝ひに歩いて行くより他は無い。(略)「竜飛だ。」とN君が、変った調子で言った。
 「ここが?」落ちついて見廻すと、鶏小舎と感じたのが、すなはち竜飛の部落なのである。兇暴の風雨に対して、小さい家々が、ひしとひとかたまりになって互ひに庇護し合って立っているのである。ここは、本州の極地である。この部落を過ぎて路は無い。あとは海にころげ落ちるばかりだ。路が全く絶えているのである。ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。諸君が北に向って歩いているとき、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外ヶ浜街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小舎に似た不思議な世界に落ち込み、そこにおいて諸君の路は全く尽きるのである。』(太宰治「津軽」より)


 こんな情景は残っていなかったけれど、かの歌に描かれた叙景に近い気がする。

 丸太で囲った家族が からだ寄せる
 この漁村には 寒く灯りがついている
 やさしい夕暮れ 賑わいうすい船着場には
 ああもう野良犬が住み着いた


 マントを羽織った太宰治とコートの襟を立てた岡本おさみの同行二人の旅姿を夢想する。おさむ&おさみ…それじゃお笑いコンビか。

 で本州の道は、どこまても歩くとこの竜飛崎で尽きるのだ。星紀行の大好きな「極北」のひとつだ。ちゃんと海辺に、ここが道の最端という行き止まりの碑が立っている。
 行き止まりまで走ってみたい…ったぁココのことか。今はオレ還暦超え初めて知る行き止まりの路地裏で…ってそれは浜田省吾だろ。
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2023. 8. 29

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🎵竜飛崎よ どてっ腹をぶちぬかれちゃったね…ということで青函トンネルの記念館にも行きたかったがさすがに時間がなかった。せめて、どてっ腹の入り口、青函トンネル隧道を見に行く。
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新幹線はうんと早い。高速でどてっ腹に突っ込んでゆく。付近には貫通石を祀った小さな神社があった。どてっ腹をぶちぬかれた竜飛崎とトンネル工事で命を落とされた34名もの方々に手を合わせる。岬は石川さゆりと阿久悠に先占されてしまったが、ここ現在地に岡本おさみの歌碑かあってもいいじゃないかと勝手に思う。
 🎵どてっばらぁぁあをぉぉ〜のかまやつさんの歌声が頭の中を流れ続ける。2007年のツアーのために二人でリハまでしながら、…ああもう言うまい。おかげさまで充分にしあわせだったじゃないか。さよならあなた私は帰ります。
 
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2023. 8. 28

☆☆☆悲しみでさえも海のシミか☆☆☆
 旅に出るとかカッコつけても実際のところは義母一族との旅行の最中に「死ぬ前にどうしても見たいんです」と親戚達に頼み込んでコースアウトしてもらったのだ。あまりに遠すぎるとブーイングの嵐の中たどり着いたこの岬には「津軽海峡冬景色」の巨大な歌碑(大音量の本人歌唱音源付)が待っていた。
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しかし、それ以外…ない。ないぞ。求めるものの痕跡すらない。なにもないのです。
 義母らに「そんなに石川さゆりが好きだったのか、ムコ殿」と笑われようとも構わない。孤独で結構。岬も私の心も最北端なのだ。
 49年前の夏に初めて買ったわが心のシングル盤。ひと夏聴きまくったこの曲。例の歌碑から離れて竜飛崎灯台の下で1人イヤホンで聴き込む。色褪せることなし。秋に咲く紫陽花、海峡の向こうの室蘭、どてっばらをブチ抜かれた青函トンネル。実写版人生である。ここまで生きて来られて、身と心を運ぶことができた幸せを噛みしめる。
 それにしても歌碑ってすごいよなぁ。歌碑のチカラをあらためて思った。吉田町にも、広島修道にも谷山にも歌碑が出来たことのありがたさがしみる。
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2023. 8. 27

☆☆☆旅に出てみた☆☆☆
しょせん帰りゆくこの旅なのに。
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2023. 8. 26

100分de名著「マガジンT(第4号)」を読む
第一話 あの落陽に抱かれたいA
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1 岡本おさみの気持ち 
 拓郎がどんな気持ちでこの「落陽」をリメイクしたのか。この会報第4号の石原信一のインタビューで少しうかがえる。

 岡本さんに電話して『落陽』入れ替えるよって話してね。作詩した岡本さんの思い入れとしては「落陽」というのは、前の曲は延々ギターソロがあってすごい歌になってしまって、自分の本意ではないところがあったんだよ。彼の思いとしてはしっとりとした情景が浮かんでくるものだったらしい。その分では今度の『落陽』は岡本さんの本意に大分近づいたというのはある


 そうか、リメイクに当たって岡本さんに連絡をしたんだ。岡本さんのためにアレンジを変えたとは思えないが、先の88年の日清パワステのMCでは「落陽」について「こんな(すばらしい)詩に曲をつけさせてもらえることが幸せ」と語り「その曲がひとり歩きして、いつから花見になってしまったんだろう。この歌は花見にするのはもったいない。」と語っていたことを思い出す。こっちには見えない二人の関係性のようなものが覗ける気がする。

 しかし、このリメイクバージョンでも後奏になるとギターはやはり元気にうねっている。岡本おさみの求めた「しっとりとした情景が浮かんでくるもの」…これは93年のNHKの101スタジオで石川鷹彦とのアコースティックバージョンによって実現されるものかと思う。この93年の落陽を聴き直してみたけれど、いいわねぇ。
 
2 そして拓郎の気持
 話を戻して、リメイクと原曲とどちらの落陽が好きかと問われた拓郎は答える。


「俺はもうどっちでもいいね、皆さんがお喜びなら(笑)」「そんなに大それた曲だと思っていないんだよ。岡本さんにもそんなにこだわるほどの曲じゃないよと言ったんだけどね」


 そんなふうに拓郎はうそぶく。これは俺の完全な思い込みだが、拓郎が「どっちでもいい」っていうときはどっちでもよくないし、「大それたことじゃない」「こだわるほどのことはない」というときは、実は大それたことで、こだわり続けてきた苦悩が横たわっている。"なんとか超えなきゃ"と拓郎はんの苦しんではる姿だったりする。

 石原信一が"とらばーゆ"のCMの「人間なんて」といい「落陽」といい、なぜ世間が89年になって、かつての楽曲をリバイバルするのか、若いころ聴いてたやつがオトナになって社内等で決定権を持つようになって、あいつらの若き日の追憶ではないかと考える石原に対して拓郎は言う。

 追憶よりも鎮魂だな。あんときは魂をなかなか休めることも出来なかったけど、これでもう俺は卒業できるって。あいつらそうだよ。
 もう俺はいらなくなる。あの頃のフォークだなんていうのもいらなくなるし、ギター覚えたって思い出もいらなくなる。


 ちょっと切なくなる答えに対して石原がたたみかける。

石原)リメイクして「落陽」を歌った吉田拓郎は、やっぱりこれも卒業式なのか。
 俺は駄目だよなあ。私は一向に変わらない。

3 音楽の自由と自由な音楽
 なんかこうしてこういう言葉だけ抜くと暗いのだが、むしろインタビューの次の発言の方が真意に近いのではないか…と思う。

「人間なんて」もリメイクやっちゃったんだよ。「イメージの詩」も今やってるの。全部打ち込みでね。
 気持ちいいよ。「人間なんて」って曲がえらく楽曲的。うちのスタッフはみんな喜んでいるよ。いいって。市場に出す、出さないは別として、遊びでいろいろ古い曲を打ち込みでやって聴かせてるの。


 コンピューターを自家薬籠中のものにした拓郎にとって、これまでの楽曲をアレンジしなおすことがかなり楽しかったんじゃないか。歴史やら因縁やら因業からも自由になって、ひとつの楽曲として音楽として歌いなおすことの御機嫌さ、明るさが伝わってくる。

 歴史的スタンダードナンバー「落陽」についても、かつての拓郎には「歌う」か「歌わない」という二択しかなかった。どちらも釈然としないものが残るのかもしれない。だいたいどちらにしても私のように鬼畜なファンから文句を言われるに決まっている。
 しかし、歌う、歌わないではなく、自由なアレンジをして歌ってしまう…という第三の選択肢をやってみせた。まるで呪縛を解き放つかのようだ。好き嫌いや優越を超えて「落陽」はひとつじゃなくていい。そんなゆるやかな快活さを感じる。

 あの時、俺がすべきことは、ライトな落陽のアレンジ変更に失望したり悪態をつくことではなく、面白れぇなあ〜と楽しんで、もっともっと違うアレンジでもカバーしてくれよ、と快哉を叫ぶ事だったのではないかという気がしている。すまなかったな…とちょっと思うがもちろん反省はしない。だって拓郎はこうも言っている。

 (レコード)買っといて、今度は良くない、とか最低とか言うなって(笑)。買ったらそっちの責任なんだから。買ったというところでもう絆が出来たと俺は思っているからさ。


 そうか…最低って言われたのか(爆)。いいじゃないか、何もかも「絆」が出来た俺たちの間のことじゃないか。

4 あの落陽に抱かれたい
 89年の夏は暑かった。親父の葬儀の日もそうだったな。個人的には失意に沈んでいたが、それでも空はくっきりと青く雲もむくむくとチカラ強かった。今もこういう夏空を見上げると、さんざん悪態をついた「あの夏に抱かれたい」のOPを思い出してしまう。するとあのホルンの「落陽」のイントロが流れ出す。
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 晴れた青空の落陽。矛盾しているか。しかし真夏に「外は白い雪の夜」に聴き入り、厳冬の中にも「夏休み」で盛り上がる。拓郎ファンはすでに時空も天候をも超えているのだ。
 そんな景色にもカスタマイズされた「落陽」がある。それでいいのだ。たぶん。 

 次回、第二話「わが心の人間なんて」をたぶんそのうちに。

2023. 8. 24

100分de名著「マガジンT(第4号)」を読む
第一話 あの落陽に抱かれたい@
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1  ひとりシンポジウム〜1989年の落陽を考える
 会報第4号が発刊されたのは秋だった。まったりとした会報3号の頃とは違って、11月下旬からのコンサートツアー89-90も決まり、ニューアルバム「176.5」の発売も見えてきて心湧き立つときだ。しかしそれらの全国ツアー&アルバムを待つ私の前に静かなる一波乱が起きた。思ってもみなかった「落陽」&「人間なんて」が、これまた思ってもみなかった姿で登場したのだ。

 超絶個人的な話だが、その頃の俺はといえば89年の夏に父親を亡くし、背水の陣で臨んだ試験にも落ち、アルバイトまでも失うという失意の時だった。しかも住まいを追われたドサクサでT'sの会報も届かなくなっていた。ということでリアルタイムでは会報第4号を読んでいない。なのでこの会報はつい先週くらい初めてキチンと読んだ(爆)。そういうわけでバイアスというか、思い入れ、思い込みで、この日記は歪んでるかもしれない。ま、別に客観的な評論をしているわけでなく、もともと個人的なイカレたことを書いているだけだからいいわな。

2 封印は花やかに
 88年のSATETOでも89年のドームツアーでも「落陽」は歌われなかった。つま恋85で高中正義&後藤次利の歴史的名場面が最後の「落陽」だった。SATETOのスピンオフの日清パワーステーションで拓郎は「落陽」の出だしだけを歌い、燃え上がらんとする観客に向って「この曲は花見で盛り上がるにはもったいない曲。もう二度と歌ってやるまい。」と言った。つまり拓郎は観客とのすれ違いの象徴ともいえる「落陽」を意図的に封印していたのだ。

3  いきなり主題歌
 それが突然89年の9月に日テレで野村宏伸、紺野美沙子主演のいわゆるトレンディ―系ドラマ「あの夏に抱かれたい」の主題歌として新録音の「落陽」が採用され、シングル盤として発売されることになったのだ。なんじゃそりゃ。「なぜいま「落陽」なんだ」と会報4号で石原信一先生も口走っている。
 とはいえトレンディドラマ隆盛期の当時だ。そこにリスキーな書き下ろしの新曲ではなく(>おめぇ失礼だろ)、不滅のスタンダード「落陽」が主題歌とくれば、もしかしたら…ヒットチャートを駆け上るのではないか、ああ、これからフェスティバルが始まるんじゃないかしら。鬱屈していた俺だったが、そう思うと胸が踊ってドラマの放送を楽しみになった。…んまぁこの道はそんなに甘くはないのだが。

4 そのドラマ微妙につき
 「野村宏伸」…イケメンとはいえ既に当時いろいろ微妙だった気がする(個人の感想です)。演技はお世辞にも上手ではなく、その彼がイキってバイクを乗り回すドラマは俺には辛かった。すまんな。しかしその24年後、重松清原作の日曜劇場「とんび」で野村が和尚の役で登場した時はしみじみと良かった。しかし24年も待てない>当時は知らねぇし。
 何より「あの夏に抱かれたい」は全5回だぜ…短っ!。「拓郎が主題歌だって聴いたから観てみようと思ったらもう終わってたよ」と友人が言っていたのを思い出す。話題になるもならないもアッという間に終了。そいつは突然現れてプツンと消えていっちまったよ。今Youtubeでかろうじて観られる主題歌部分の映像を観てごらんなさい。心の底から申し訳ないけれど、カラオケの背景映像みたいで「ロケ地 東京」というテロップを探してしまう。いろいろ切ないドラマだった。

5 シン・落陽の当惑
 それよりなにより驚いたのはこの「シン・落陽」の換骨奪胎のアレンジだった。原曲のドラマチックな勇壮感とはうって変わって、ここ数年馴染みの打ち込みサウンドだ。この機械感と電脳感、当時流行していた「マックス・ヘッドルーム」みたいな落陽だと思った。>知らねぇよ。
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 それに打ち込みチックでありながら、冒頭のホルンは新日本紀行のテーマを思い出してしまうような古色なイメージ。。あ〜なんなんだよ。
 そして肝心の拓郎のボーカルには、怨念もこもってなければ、シャウトすることもなく、淡々とそしてセカセカとテンポよく流れてゆく。どこにもひっかかりがない。なにもかもがミスマッチな気がして戸惑った。
 先の石原信一先生ですらシン・落陽を次のように評していた。
 以前のように前のめりに挑んでゆくような攻撃性はない。むしろ乾いた声が続くことによって、行き場のないような哀感と自虐性さえ感じる。

 ドラマは風のように消え、主題歌もヒットチャートを駆け上がることなく、祭りは一瞬で終わった。悪態をついているのではない。俺は泣きながら書いているのだ。

 89年の落陽。1989年に拓郎がショボいドラマの主題歌で、ショボいアレンジの落陽を歌ったことがあった…それでいいのか、それだけでいいのか。そういうことなのかもしれないが、個人的に失意のドン底にいたあの夏を一緒に過ごした落陽をそういうことで簡単にスルーしてしまっていいのだろうか。89年の会報4号は今になってそのあたりを突き付けてくる。 …Aにつづく。
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2023. 8. 23

☆☆☆野球ボールを手に握り観た☆☆☆
 慶応義塾高校が甲子園の決勝進出とな。テレビもそうだが、周囲にいる慶応関係者が大いに盛り上がって騒いでいて面白くない(爆)。ただ、松本隆作詞/松任谷正隆作曲という塾高の応援歌は歌われるのだろうか。それはちょっと聴いてみたい。
 慶応は野球部の監督を「さん」づけで呼ぶという話題が好感をもたれているが、関係者によれば、あそこは教師も教授も「さん」づけで呼ぶ。それは「先生」と呼ばれるのは福沢諭吉ただ一人だけだからだそうだ。
  けっ。そういうものなのか…と思いつつ、この世界で歌手とよべるのは吉田拓郎しかいないと信じている俺も似たようなものか。
 とにかく狂熱の炎天下、みなさんお身体だけは大切になさって、…でもって私からできるだけ遠くで盛り上がってください。

2023. 8. 20

☆☆☆なぜか寂しい夜だから☆☆☆
 すっかり夏バテ気味だ。「君たちはどう生きるか」の2回目鑑賞に行こうと思ったがよして、家でひとりダラダラと小津安二郎の映画「秋刀魚の味」を見てしまう。わが心の笠智衆。この映画には秋刀魚が全く出てこない。映像にもセリフにもモチーフにも1ミリも秋刀魚は関係していない。これって、あれだよ「マークII」にはマークIIはおろか自動車のことなんか全く出てこないのと一緒だ。天才たちはすごい。何が凄いのかわからないけど、たぶんすごい。
 
 ああ、80年武道館のマークIIを聴かせてくれながら、秋刀魚を食べさせてくれる店はないものだろうか>ねぇよ

2023. 8. 17

100分de名著「マガジンT(第3号)」を読む
第四回(終) フォーライフの真実
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1  あなたを呆れる日
 そうでした。「憧れのハワイ航路」は、岡晴夫の歌で、陣山俊一さんがレコードを出しているわけではありません。陣山俊一がセイヤングでエピキュラスの公開放送の余興で歌っている「憧れのハワイ航路」がある。これがどうしても聴きたくなってネットを検索したが見つからない。その流れの中でエピキュラスの公開放送の番組本編はあり、久々にコーナーの「陣山俊一の奥様お手をどうぞ」を聴いた。前回までの陣山さんへの尊敬と追慕の気持が全部ふっ飛びそうなくらい…陣山さん、アンタ最低だよ(笑)。

2 フォーライフの真実
  宇田川さんが執筆する編集後記「Mr.Uの路上観察日記」が面白かった。宇田川氏がフォーライフレコードの新入社員時代に社員の宴会があって、出席はしないけれどあの取締役の4名にカンパを求めに行った話が書かれている。

 小室さん「そうですか。皆で楽しんでください。」と会費8千円をキッチリ下さった。
 吉田さん「へぇ、いいな」と言いながら1万円札を出しツリは要らないとのこと、
 井上さん 何も言わずGパンの尻のポケットからクシャクシャの1万円札の束を出し「ハイ、ツリの2千円。」(この方の名誉のためにケチではなく、きっと5万円と言えば5万円出したのだろう)
 最後に泉谷サマ「バカヤロー、他人にくれる金があったら、唄なんか唄ってねぇー」と怒られて逃げ帰った。


 「フォーライフの真実」とか言っても所詮ネタみたいなものだし、それで人品骨柄を云々するのもなんだ。それでも俺は心の底から叫びたい拓郎ファンで良かったぁ!。あなたのいうとおりフォーライフは、あなたしかいなかった…と思う。さあ友よ、顔をあげて旅を続けよう。

2023. 8. 15

100分de名著「マガジンT(第3号)」を読む
第三回 君がそにいた風景こそが
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1 永遠の大学生
 セイヤングでは[早稲田大学中退の常富]と[早稲田大学を10年かけて卒業した陣山]のいがみあいというお約束みたいなものがあって面白かった。なにかにつけてこの二人が対立する(笑)。ちようど歌丸と小円遊…わからんか…Mr.スポックとDr.マッコイ…もっとわかんねぇよ…C3POとR2D2…アラシ隊員とイデ隊員…みたいな関係だ。ああ、もういいや。
 陣山さんが10年かけて大学を卒業したというのは大袈裟なネタかと思っていたが、このインタビューで真実だったことがわかる。除籍ギリギリの8年まで留年してその間に2年間休学したそうだ。まるでマカロニほうれん荘の土方さんときんどーさんのようだ>知らんがな。
 つまり陣山は1976年3月に大学卒業したことになる。1976年というと「セブンスターショー」で踊らされていた時だ。あの時、まだ陣山さんは28歳にしてギリギリ大学生だったのだ。

2  魂の船出
 インタビューの後半では、希望に満ちたユイの草創期の話から一転、現在(1989年)の音楽状況とそれに対する陣山さんの気持が語られる。

 今までの芸能界みたいなやり方の部分とか、体制みたいな部分にとって代わると確信していたね。それもすごく良い形でね。新しい形でのミュージック、ビジネスが確立するだろうとものすごく希望に燃えていたね。ところがなかなかそうはいかなかったけど。
…我々がうまい形で、それまでの芸能界に利用されちゃったとか
…取り込まれちゃったね。良かったのか、悪かったのかっていうと、僕はもちろん悪かったと思うけど…
 やっぱり歌が歌えない人が歌手として売れてるってこと事態がね、そういうミュージック・ビジネスっていうか、音楽産業楽って世界中にないんじゃないかな。


 切ない。桑田佳祐が「川の流れを変えて自分も呑み込まれ」(吉田拓郎の唄)と歌ったような、時代の変化の哀しみを陣山さんは率直に語ってくれる。そして陣山さんは、ユイ音楽工房を退社し、1987年に独立してZ'sというスタジオ経営を中心とした音楽会社を興す。時代の趨勢に沈まこまず40歳にして新たな旅立ちをする。

 レコードを作る為に必要なすべてのものを、クオリティーの高いものを、自分たちで持っててそれで質の高い音楽を作っていける集団になりたい。
 いいスタジオを設計したり、いい楽器を揃えて、いいマニュピレーター、優秀なプロデューサーを育てる。それからブッキング・マネージャーをきちんと育てる。そういうことをやっていければいいなと思ってる。そのための制作会社だって考えています。


 俺は音楽の専門的なことはわからない。悲しいくらいわからない。それでも、この陣山さんの言葉を今2023年の今日読んで泣けてくる。西も東もわからず吉田拓郎の音楽制作を始めたその日々をいかに大切にしているかが俺にもわかる。草創期の音楽のために捧げた魂をさらにすすめようと陣山さんは船出したのだ。
 不覚にも俺はそのような陣山氏の旅立ちもその後の航海も知りもしなかった。アルバム「ひまわり」は、陣山さんのスタジオで制作された。

3 陣山俊一という旅路
 インターネットで検索した株式会社ジィーズのHPには、陣山さんの簡単な経歴が記載されていた(株式会社ジィーズ Z's inc ホームページより)。

 1973年
 ユイ音楽出版 取締役として入社
 吉田拓郎、南こうせつ、イルカ、長渕剛各氏他多数アーティストの音楽プロデューサー
 1987年
 株式会社ジィーズ、株式会社ジィード設立
 最高の音を目指した制作集団とレコーディングスタジオを設立・経営
 2000年
 株式会社ミュージックエアポート設立
「より多くの音楽との出会いを」実現すべく、音楽配信事業開始
 2001年
 理学博士号取得
 アメリカの大学院にて音の研究、論文が認められ授与される
 2004年
 甲状腺癌発病
 2008年10月30日
 前日まで仕事に取り組み、自宅にて安らかに永眠

 博士号まで取得していたという陣山さんの旅路はどんなものだったのだろうか。社訓には、次のような言葉が捧げられている。

  音楽と共に 情熱と共に そして人と共に
 「一人一人がプロデューサーであれ そして音楽文化に貢献するプロフェッショナルであれ」
  創業者 陣山俊一の言葉を忘れず未来に進んでいきます。

 何の事情もわからない端くれのファンの自分だが、俺も忘れずに進みたい。どこにも行けやしないが。ということで万感の想いと敬意をこめて聴きたい。もちろん2019年のライブ・バージョンだ。歌詞refit版だ。

       あなたを送る日
               作詞・作曲 吉田拓郎
 あの頃わからなかった事が
 胸にしみるようになった
 君は人に笑われながら
 自分をつらぬいていた
 生真面目なんて流行らないと
 誰もが口をそろえたけれど
 気がついたら 今の時代
 君こそキレイに生きていた
 群れを作り 大きな声を上げて
 そうする事で強がっている僕は
 本当の自分さえ知らないで
 流されていただけのこと

 激しく恋に焦がれた時も
 叶わぬことに腹を立てて
 やさしいだけじゃ物足りぬと
 行方も知れない 船の中

 小さな春を見過ごしている 
 馬鹿な自分に気がついた時
 胸に溢れるこの喜びを
 今こそ素直に伝えたい

 流されないで心の思うままに
 君がそにいた風景こそが
 一番大切な事なんだと
 今日から心に刻み込む

 人は何を観てどこへ帰る
 たった一度の旅の中で
 君と知り合えて良かったよ
 今日の別れは辛いけど

 君が示したようには生きられないが
 もう求めすぎる僕もそこにいない

 あの頃わからなかったことが
 今は胸にしみる

 僕はきっとあの日、心の中を忘れ
 過ぎ去った日々を愛しすぎたようだ
 あの頃うわの空の夢が
 今は胸にしみる 
 今は胸が痛い


 陣山俊一さんよ永遠に…と〆ようと思ったが、それもらしくない。俺が一番好きだったのは、79年のエピキュラスの公開放送で陣山俊一が歌ってくれた「憧れのハワイ航路」だ。悲しいときにつらいときにあれをカセットで繰り返し聴いて一緒に歌ったものだ。もうカセットはないけど、それでもあの歌唱は焼き付いている。

   あこがれのハワイ航路 

            石本美由起 作詞 江口夜詩 作曲

 晴れた空 そよぐ風 港出船の ドラの音愉し

 別れテープを 笑顔で切れば 

 望みはてない 遥かな潮路

 ああ あこがれの ハワイ航路

 波の背を バラ色に 染めて真赤な 夕陽が沈む

 一人デッキで ウクレレ弾けば 

 歌もなつかし あのアロハオエ

 ああ あこがれの ハワイ航路

 陣山さん、ありがとうございました。

…ということで次回、100分de名著「マガジンT(第3号)」を読む「第4回 フォーライフの真実」をそのうち。

2023. 8. 14

100分de名著「マガジンT(第3号)」を読む
第二回 若い人
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1  そして歴史が始まる
 大学を留年しながらサークルで音楽活動を続けていた陣山俊一は、昭和47年に同じ大学の後藤由多加から勧誘を受ける。
 
 早稲田の校庭で後藤社長に会って、実は今度こういうかたちでプロダクションをやって 拓郎とかそういうのをやることになったんだけどそれについて原盤制作とかやる音楽出版会社を作るから一緒にやらないかと言われて。
 ユイ音楽工房に入ったというかまだ会社組織になっていなかったんですけど、ちょうど僕が入ったころに僕と奥山が書類を集めたりなんかして会社組織にしたんですよ。

 「早稲田の校庭」…キャンパスじゃないのかってそれはどうでもいい。このあたりの話は何度読んでもワクワクする。後藤由多加も陣山俊一もみんな学生だった。「よしだたくろう」というダイヤモンドの原石を見つけた、彼らの静かな興奮が伝わってくるような気がするのだ。学校の校庭の片隅で、音楽の歴史が大きくうねり出す。歴史はどこからでも始まる。そしていつだって等身大から始まるのだ。

2 歌う敵と歌う真実
 僕がユイに入ったのが昭和47年だったと思うんだけど その頃に並行してCBS/SONYと原盤契約を結ぶ契約をしていた。まぁいいようにだまされていた気がしますね(笑)  今思うと信じられない契約書だったけどね(笑)


 エレックでの扱いがひどかったという話は拓郎からよく聞くけれど、巨大資本のSONYはまた別な意味で手強かったのだな。しかし、彼らは学生ながら原盤契約とか音楽出版社という発想を持っているあたりで、エレック等とは違い、アーティストサイドいやアーティストと一体になった音楽ビジネスに挑もうとしている意思が窺える。
 このインタビューにはないが、学生だった後藤がアポなしで、ナベプロに乗り込んでいって、渡辺晋社長に、これからプロダクションを作るからビジネスのノウハウを教えてくれと挑む話も思い出される。若さの眩しさとともにそこはかとない勇気を感じる。時代を変えるのは常に青春で老いた常識よりはるかに強く…という歌詞が思い浮かぶ。
 同じくインタビュー外の余談だが、巨大資本のSONYを相手にアーティストの権利が確立したのは、もちろん拓郎らに対するファンの大きな支持みならず、久保利英明弁護士のチカラが大きかったのだと思う。彼の功績は金沢事件からの拓郎の奪還だけではなく、音楽界の権利システムの構築にあったものだ。その話はいつかまた。

3 すべてはアーティストのために
 組織・権利というだけではなく、その彼らが尽力した音楽の現場の話がいい。スタジオで音楽を制作する環境をどのように作り上げるのか。陣山らは苦闘する。当時からあったインペグ屋というミュージシャンの斡旋の専門業者や、楽器レンタル屋など楽器調達・配送業者なども知らなかった彼は文字通り手作りで奮闘する。


 スタジオ・ミュージシャンとは自分で電話して集めて、すべてそのギャラは現金払いでなくてはならないと思っていた。いつもお金をたくさん持って、領収書をもって、終わったらお金を払って領収書をもらうことをやっていた。


 原始的かもしれないが、この直接現金払い=取っ払いのおかげで助かったミュージシャンはたくさんいたと思う。若き日の松任谷正隆もそんなようなことを言っていた。この方法は、ミュージシャンの拓郎サイドに対する信頼感を深めたに違いない。

 スタッフとさ一緒に事務所の近くにあった御苑スタジオってところに自分たちで出掛けて行って、B-9というベースアンプ、ツインリバーブっていうギターアンプ、それにフェンダーのローズ、エレキピアノとハモンドオルガン、この4つは必ず車で運んでセッティングしていた、あの頃のディレククターって、インペグ屋と楽器レンタル屋なんかを全部兼ねてたね。


 本当にチカラ作業だったのだな。しかし、音楽環境を作るというところに身を粉にしている様子が伝わってくる。ただ愚直なまでに音楽のために捧げ尽くしている。

4 そして生まれ出ずる名曲たち

 (拓郎が)レコーディングの間際にならないと曲が出来なくてね、今でもそうだけどね(笑) そのうえスタジオで曲をどんどん変えちゃったりとかね。…それはそれで良かったんだと思いますけどね。
 自分たちだけのメンバーでヘッドアレンジ的にみんなでワイワイガヤガヤやっていくみたいなレコーディングって当時はほとんどなかったみたいね。そういう意味ではすごく新しくって変わったやり方をしていね。


 拓郎が「ラジオでナイト」のベストテイクや「オールナイトニッポンゴールド」でよく話していた名曲誕生のエピソードで「ヘッドアレンジ」だけで、ミュージシャンが自由に創意をふるって作品を作り上げていく様子を語っていた。ワイワイガヤガヤの中で、拓郎が熱弁するように松任谷正隆の天才的な発想や石川鷹彦、高中正義、青山徹の珠玉のプレイが生まれたという。そういうレコーディングは当時としては決して当たり前のことではなかったことを知る。確かに「制作コストの管理」という企業視点から考えれば効率的ではない。しかし、制作側はあえて何より音楽を最優先して自由な環境を捧げていたことが窺える。

 拓郎が『旅の宿』をレコード(シングル)にしたいと言い出したもんで、前田仁が「いやそんなのダメだ」って…えらい激論を交わしたことを覚えている。…弾き語りでやっているようなゆったりとしたレコードになるんじゃないかと思ってた。それじゃつまらないよって…
 でも拓郎はその時すでに頭の中に、もっとポップな仕上がりにするってあったと思う
(仕上がりを聴いて)すごいなーさすがだなーって思った記憶がある。

 
 すべて拓郎と音楽に対する深い敬意で動いていたことが陣山さんの静かな言葉の端々からにじみ出ている。かくして名作は誕生する。ここで、吉田拓郎、石川鷹彦、陣山俊一、前田仁などすべての方に心の底から感謝しつつあらためて「旅の宿」シングルバージョンを聴き直してみたくなる。

 すべては吉田拓郎の才能と音楽に対する情熱があってこそだ。しかしその拓郎と音楽を信じて、なんの前例も保証もない海に飛び込んでいった彼らスタッフを忘れちゃならない。何より音楽を第一に考えようとした彼らがいなかったら、僕等は拓郎の歌を味わえなかったかもしれない。
 もっとえげつなく言わせてもらえば、誰も吉田拓郎を騙したり食い物にしようとしなかった。矢沢永吉の自伝「アー・ユー・ハッピー?」を読んでいて苦しくなるのは、矢沢永吉という無垢の天才の側近に集った関係者の中から、彼を騙したり、不誠実な所業や、金銭を掠め取ったりする人間が一人ならず出てきて矢沢を苦しめ痛めつける…そんな歴史のくだりだ。 
 知りもしないでといわれるだろうが、自分が知る限りで、吉田拓郎支えたスタッフたちの素晴らしさと敬意を忘れないでいたい。なんか評論家気取りで書いてしまったけど、まだまだつづく。

 

2023. 8. 13

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100分de名著「マガジンT(第3号)」を読む

第一回 あなたを送る日、あなたに出逢う日

1 とくに何もないのです
 会報3号が発刊されたのは89年の夏。会報1,2号の主眼だった新作「ひまわり」と東京ドームも終わり、何もない穏やかな日々が続いていた。拓郎は次回アルバムの準備に潜航しつつ、NHK「愉快にオンステージ」に出演しTHE ALFEE/BEAT BOYSと共演したりしていた。とらばーゆの「人間なんて」の衝撃的なCMが席巻するのもそろそろオンエアされるころだったかな。
 とりあえず藤井徹貫の拓郎インタビューも拓郎が子どもの頃からの「テレビ」の思い出話や、自分が歌い始めたころテレビの向こうに巨大な芸能界帝国があったという話で、さして新鮮味がなかった(個人の感想です)。
 ただ何かを大仕事を終えて次の新作に向う、リラックスした吉田拓郎の姿が清々しい。大川装一郎氏撮影のイイ感じの写真が並ぶ。このあたりの写真を次作「176.5」に使えばよかったのに…とかねがね思う。あの「176.5」のジャケ写をみるたびに「拓郎さん具合悪いんですか?」と聞きたくなってしまうんだもん(爆)
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2 愛と善意に満ちた日々 〜歌手だったね
 で、今回の目玉は「陣山俊一インタビュー」だ(歴代スタッフインタビュー「陣山俊一氏に聞く」P.32〜)。そう、あのユイ音楽工房のディレクターの陣山さんだ。「セブンスターショー」で拓郎に騙されてヘンテコな衣装で踊っていた陣山さん、「セイヤング」では常富・陣山というお笑いコンビとして、毎週、くだらねーけど大爆笑のコーナーを担当していた陣山さん、ロックウェルスタジオで、石山恵三に「うるせ、バカ」と言われてしまう陣山さん…コメディリリーフとしての姿ばかりが印象に残る。でも私は陣山さんのことはよく知らなかったに等しい。このインタビューでようやく私は陣山さんに出逢うのだ。

 まず陣山さんが昭和22年生まれということすらも知らなかった。拓郎とほぼ同年だったのだな。早稲田大学のフォークソング部で常富嘉男、田口清、内山修と一緒で、そうそう後に東芝のプロデューサーとして加藤和彦やオフコースを手掛けて、ファンハウスの社長となる新田和長も在籍していた。このサークルを母体としたバンド"ザ・リガニーズ"の「海は恋している」がヒットし、これに続けと、陣山俊一がボーカルの"ジ・アマリーズ"を結成し実際にレコードを出していたことも知らなかった。陣山氏は拓郎との出会いを語る。

 拓郎がユイ音楽工房に入る前ですけどね、ニッポン放送のバイタリスフォークビレッジの司会をずっーとしていて、アマチュア団体としてゲストで出演させてもらったのが彼と話した最初かな。

 これが拓郎と陣山さんのなれそめのようだ。これとあわせて私が思い出すのは1982年3月の「ライオンフォークビレッジ」の最終週での拓郎の述懐だ。

 拓郎「陣山俊一っているじゃない。あれがゲストだったんだよ。」

 南こうせつ「ええ〜っ」
 かまやつ「あの人、歌ってたの?」
 拓郎「『にほんごのうたを歌う会』っていって女子大生を何人か引き連れて『会長の陣山です』って来たんだよ。」「で、陣山俊一は音楽の話をしようと思ってきたのに、のっけから俺に『やってますか?』と尋ねられてがっかりして帰った(笑)。でしばらくたってユイに行ったら、事務所にいるじゃない…あれぇーみたいな感じ」

 南こうせつ「やっぱり縁があったんだね」

 確かに「縁」のような出会いである。拓郎が大学生の音楽サークルをどんなふうに観ていたかもよくわかる(爆)。

 ということでとりあえず歌手だった陣山さん。後に拓郎はラジオで「陣山君は声が小さいんです。だから歌手として大成できなかったんです。」と言っていて、ああ、そんなもんか…と思ったものだ。しかし、陣山俊一さんの声は、落ち着いていて優しい。魅力的な声だ。誰よりもそのことをわかっているから拓郎は、後に"陣山俊一とoils"というコーラスグループを作り、拓郎のレコードのバックコーラスとして重用する。拓郎によれば、陣山がコーラスをすると売れるという逆ジンクスまであったらしい。
 
 ということで陣山さんのやさしいコーラスが偲べる一曲として聴きたい。

       「アイランド」(sg「流星」B面所収)

 …一回でサクッと終わらせるつもりが、終わらない。次回につづくよ、どこまでも。

2023. 8. 12

☆☆☆その名も故郷も静かに生きる☆☆☆
 谷山小学校に「夏休み」の歌碑が建立された。子どもたちの心に「吉田拓郎」「夏休み」が未来にわたって刻まれる。尊い。マウイのニュースのショックもあって切に思う。「夏休み」の歌詞が、郷愁とか詩情を超えて、もはや壊れゆく地球の最後の祈りみたいに聴こえる。
 ニュースでは「11日は建立式が行われ、吉田さんの「谷山小学校と姉さんのようにやさしかった先生は僕の中で永遠に生き続けています」というメッセージが紹介されました。」
 なんなら拓郎少年を背負った姉さん先生の銅像も建ててはくれまいか>よしなさい。すまん。↓写真はイメージです…ってあったりめぇだろ。
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 世の中は甲子園大会だ。谷山小と甲子園からダブルで思い出すのは、2005年の四国・九州シリーズのときに、谷山小学校の校庭の土を微量だが持ってきてくれたKくんのことだ。彼も僕らの中で永遠に生き続けています。

2023. 8. 11

☆☆☆生きていなけりゃ☆☆☆
 尋常とは思えない炎天下を歩きながら、スマホでマウイ島のニュースを知った。目眩がした。あのラハイナが、あの大木たちが、海岸沿いのfishが。なんてこったい。ささやかなれど大切な思い出が。心の底からお見舞い申し上げます。申し上げながらもう他人事ではない、このまま世界の終わりが来てもおかしくない気分になる。なんだこりゃ。それでも生きていなけりゃ、生きていかなけりゃ。

2023. 8. 10

☆☆☆穴を掘る人、捨てる人、それまた拾って喜ぶ人☆☆☆
 長崎といえば"さだまさし"だ。そのさだまさしが産経新聞のインタビューで吉田拓郎について語っていた。

 拓郎さんですか? 僕にとっては「最初に穴を掘った」人。その穴には、みっともないものを捨ててもいいんだ、と教えてくれた偉大な人です。( 産経新聞 2023年7月28日)

 穴を掘って、みっともないものを捨てる…とは面白い表現だ。さしづめ俺なんかは捨てたものをありがたがって拾っている奇特な人ってとこか。

 昔、フォークシンガーが多数集まるイベントに拓郎さんを出させようとして、武田鉄矢さんと南こうせつさんと一緒に口説きにいったことがある。「出ないよ」とゴネている拓郎さんに僕はとうとうキレて「穴に汚いもんを捨ててもいい、って言ったのはアンタでしょ。出ないのはおかしいだろう」と詰め寄りました。結局、拓郎さんは出てくれましたけどね。 その後、僕がパーソナリティーを務めるラジオ番組の代打≠ナ拓郎さんが、出てくれたことがあって、冒頭で「さだって、ケンカっ早いな!」だって。そんな拓郎さんが僕は好きです。向こうはそうでもないかもしれないけれど…(苦笑)。

 うーん、さだまさし、気骨がある。俺の長崎の親戚のジジババはみんな"さだまさし"のことが好きだった。いや好きと言うより尊敬に近かった。同じ長崎出身の福山雅治よりも"さださん"の方がカッコイイと絶賛していて、俺はアンタらみんなどうかしているよ、と密かに思ってきたが、わからないでもない。稲佐山の無料コンサートをはじめ、彼がやってみせたこと、やり続けたことは、それだけで人々の胸を打つ。

 そのさだの痛恨のミスは武田鉄矢と南こうせつと一緒に拓郎のところに行ったことだ。この二人を前にした拓郎には確実に変なスイッチがはいる。いじりモード、天邪鬼モードがマックスにふれる。
 武田やこうせつに対する拓郎のイジリや天邪鬼には根本にやはり愛がある。しかし、そんなものは、ユイ、フォーライフ、アルフィー等の関係者と一部の拓バカあたりにしか通用しない。さだの目には、さぞや尊大な、何様だよ、おめーな人と映ったことだろう。
 さだひとりで行くか、一緒に行くなら島村先輩と行けばよかったのではないか(爆)。「そんな拓郎さんが僕は好きです。向こうはそうでもないかもしれないけれど…」、俺には何の権限も資格もないが、拓郎は絶対なさだのことが好きだと思うぞ。きっとウチの親戚のジジババくらい一目も二目も置いていると思う。たぶん。

2023. 8. 9

☆☆☆長崎昼想曲☆☆☆
 今日は長崎の日だが九州は台風がやってくるようだ。どうかお大事になさってください。それしか言えず申し訳ない。

 長崎は母方の実家だから、広島の日のように敬虔な気持ちになれず、どうしてもいろいろ余計なことを思い出す。夏のお盆や法事に親戚が大勢集まると他の親戚縁者の噂話と陰口とともに決まって原爆の話になりそこから喧嘩が始まるのがお約束だった。
 大体が、原爆投下の日にたまたま五島列島に片思いの人を追いかけに行って難を逃れた大叔母と終戦の翌週に引き揚げてきて焼野原の長崎で放射線など知りもせずボランティアを続けその後長いこと原因不明の体調不良に苦しんだ伯父との「原爆手帳」の有無をめぐる嫌味の言い合いから始まる。
 別な親戚が「広島は平日の午前8時、長崎は午前11時、なんで子どもが学校に行きよる時間、みんなが仕事に行きよる時間に原爆落とすとね」と怒ると「日曜日の夜なら良かったとね?」とまた口論が始まる。
 ここじゃ書けないようないろいろな恨みつらみで盛り上がり、それでも最後は「生きててよかったい」という雑だけど、ごもっともな収束で、続きは次回となる。…子どもの頃から、この親戚の法事ライブが嫌でしかたなかった。

 それでも長崎に帰るたび、それぞれの親戚が原爆資料館や永井隆博士の家とかに子どもだった私達をマメに連れて行ってくれた。何かを解説してくれるわけでもなく、ただ自分たちがそこで泣いていただけだった。夏になるとザボンとカワハギの干物と一緒に長崎の学校の原爆の副読本「原子野のこえ」とか原民喜の「夏の花」とかを送ってきてくれた。
 ♪子どもらに俺たちがあたえるものはあるか〜、この歌に近いものが、あの人たちの頭の中にもあったのだろうと今は思う。もうその親戚も殆どいなくなってしまった。てか殆どじゃないゼロだ。

 といろんなこと考えながら歩いていたら、あらら11時に近い。思いついて職場に行く途中にあった「長崎物産館」に飛び込んだら、式典中継が流れていて、11時2分、お店の方たちと一緒に黙とうすることができた。…亡くなった親戚のジジババのおかげか。悪態ついてすみませんでした。心の底からご冥福をお祈りします。
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2023. 8. 7

100分de名著「マガジンT(第2号)」を読む
第四回(終) Thank you Monsieur, see you Cynthia

1 いつも見ていたかまやつさん
 会報(2号)にはムッシュ=かまやつひろしのインタビューが載っている。拓郎のコンサートツアーの大阪公演に観覧に行ったムッシュのスキマ時間に、これまた公式ファンクラブの強みでサクッとインタビューをしている。おなじみのムッシュなのだが、今回はコンサートの振り付けアドバイザーとして参与しているとのことだ。

 このコンサートツアーの衣装はジーンズでもスーツでもなく、まさにグループサウンズ系のきらびやかなもので、おそらくは東京ドーム=映像化を意識していたのかもしれない。メインが鮮やかなブルーのキンキラキンで、アンコールが少しシックなグレー系となる。…ところで竹林厳論先達の「藤正樹」には笑わせていただきました。確かに。あの娘が作った塩むすび。結構好きでした。

 ステージには自信があるが、ステージングは全くわからん、いつも怖い。
                              (会報No.2.p.26)


 拓郎は会報のインタビューにそう答えていた。…そうか怖かったのか。相談を受けたムッシュはその経緯を話している。

 初め「スパイダースみたいに」っていうから「やめてくれ」って言ったの。40男の動きと、あと、かわいさが出ればいいと思った。
 「この曲は息が切れるまで走れ」とか、あと「バックミュージシャンは若いから、あいつらをうんと動かして、自分は仁王立ちになってアイデンティティを出せ」とか
                               (会報No.2.p.9)


 ハイ、ハイ、ハイ。東京ドームの映像を観ると「春だったね」の間奏で、鎌田由美子と広いステージを端までむやみに疾走する貴重なシーンが観られる。おでこで風を切っている。…これはムッシュのアドバイスだったのか。

 結構かわいかった(笑)。でも動いたりするの、下手だねぇ〜(笑)器用じゃないね、不器用。その不器用さがかわいさに結びついたんだけど。あんまりあの人が洒落て動いてくれると困るんだよね。
                                (会報No.2.p.9)

 さすがムッシュ、すべてをわかっていらっしゃる。そのうえでの温かな見守り。「春だったね」のステージ疾走もどこかぎこちないけど、確かにかわいかった。不器用というか、拓郎はステージングにテレと迷いがある。例えば浜田省吾がステージでキレキレでことごとくビシっとポーズをキメているのに対して、拓郎のポーズは悪く言えば「逃げ腰」、よく言えば「恥じらい」がある。
 しかし、そこがいいのだ。ステージに登場した立姿だけで観客を打ちのめしてしまう稀有なお方だ。洒落て動いてくれないところに覗く「含羞」が魅力なのだ。かまやつさんはすべてお見通しだったのだな。
 ああ、こういうインタビューを読むと、ライブが観たい。「今」のライブが観たい。ムッシュのいう「70男の動きと、かわいさ」を体感したいと思えてくる。

2  ひとりぼっちのシンシア
 もうひとつムッシュ関連でいえば、アルバム「ひまわり」収録の「シンシア」の拓郎のひとりセルフカバーだ。当時はなんでこのアルバムで「シンシア」なんだと思ったものだ。経緯としては、その頃、拓郎がシンガポールで篠山紀信と会って一緒に酒を飲んで話していたときに、当然に奥様=シンシアの話にもなったらしい。そういえば東京ドームには篠山紀信、南沙織夫妻もいらしていて…そこから「黒い瞳」に繋がるのかもしれない。…話がそれた。拓郎は篠山紀信と話していて思うのだった。

 「そういやあ『シンシア』って、俺、かまやつさんと歌ってるんだ、やだな」って(笑)、俺の名曲なんだけど、かまやつの声が出てくるのは今となっては嫌だ、と。申し訳ないけど、かまやつさんには。ひとりで全部やりたい。
                        (会報No.1.p.13)

 ずいぶんなことを言う(爆)。しかしこのバージョンはアレンジも原曲と殆ど変わっていないので、確かにそうなのかと思えてしまう。同じ藤本真がインタビュアーだったので「拓郎さんがかまやつさんの声が出てくるが嫌だと言ってました」とチクる。するとムッシュはオトナな雰囲気で切り返す。

 あの時点で気づかなかったあいつが悪い(笑)。俺は気がついていたよ。
                              (会報No.2.p.9)

 (笑)いいぞムッシュ。それにこの「ひとりシンシア」はそんなに成功しているとは思えなかった。とはいっても、あのアルバムの不思議系の曲たちの中を漂うとき、唯一、救命ブイのようにしがみつくと安心できる曲ではあった。 

 「シンシア」は、俺が中学一年生の夏に生まれて初めて買った吉田拓郎のレコードだ。ひと夏、聴きこんで心に刻み込んだ魂のスタンダードだ。確かに拓郎が一人で歌ったらもっとカッコいいかなと思ったこともあった。しかし、実際の「ひとりシンシア」を耳にするとちょっと印象が違った。
 これは武田鉄矢のハナシだ。子どもの頃、ひとつのスイカを家族兄弟で奪い合って食べながら、いつか一人でたらふく食べたいと思い続けた武田は、大人になって単身上京していざ望みどおり一人でまるまるスイカを食べ始めたら、もの凄く寂しくなって涙が止まらなくなった…という話があったが、それにたぶん近い。ムッシュとシンシアは思わぬほど深く一体化していたのだ。

3  さよならムッシュ、さよならシンシア
 それから16年近く時間はかかったが、僕らはつま恋2006で「よしだたくろう&かまやつひろし」の「シンシア」を聴くことができた。ああ、こんな連中で悪かったな。でもこんな連中は最高に幸せだったよ。
 翌年の「Country」でもショット・ガン・チャーリーとしてツアーを伴走してくれて「シンシア」を聞かせてくれた。ホントは「竜飛崎」の予定が二人とも技術的に歌えなかったらしい(爆)。熊本公演の翌日のホテルの朝食会場で、ムッシュとすれ違った。俺はその一瞬に永遠の思いをこめて「かまやつさん、ありがとうございました、おつかれさま」と叫んだらムッシュは「ハーイ」と手を振ってくれた。これが永遠の思い出になってしまった。

 ずっと生きている人だと思っていたムッシュは2017年に卒然と亡くなられた。翌2018年のベストアルバム「FromT」には、ちゃんと「シンシア」の原曲が収録されていた。

 そして今年2023年、かまやつさんの七回忌公演に行った。森山直太朗が、ひとりでシンシアを歌っていた。これぞ「シンシア(独唱)」だ。やっぱり名曲だよな…と感じ入りながら、同時に拓郎がリタイアしムッシュも天に召されてしまって再現不能となった「今」をあらためて思い知った。
 直太朗の「シンシア(独唱)」を聴きながら、同時に頭の中では、別の歌が鳴っていた。

  さくら さくら 今、咲き誇る
  刹那に散りゆく運命と知って
  さらば友よ 旅立ちの刻 変わらないその想いを 今
  泣くな友よ 今惜別の時 飾らないあの笑顔で さあ

 まるで独唱が二重唱を送っているようだ。Thank you for かまやつさん、ありがとう「シンシア(二重唱)」。永遠にさんざめく光を浴びて さらば友よ またこの場所で会おう。

…こりゃ100分de名著じゃなくて、ただの感想文だな。すまんな。

2023. 8. 6

☆☆☆いつも見ていた さらにいくつもの ヒロシマ☆☆☆
 ロケ地MAPを観ながら広島の町を歩いた夏。映画の冒頭で描かれているにぎやかな街並みと同じ場所に現実に残されている呉服屋さんの地下遺構。ずいぶん時間が経ったが、今日は、すずさんの拡張版を観ようと言ってくるということは、心には残ってくれているのだな。子どもらに俺達が与えるものはあるか。すべては俺を含めた大人の責任だ。
 ご冥福をお祈りします。そして祈りがつづきますように。

2023. 8. 5

100分de名著「マガジンT(第2号)」を読む
第三回 ひまわり畑を超えてゆけ

1 吉田拓郎 3.12インタビュー
 アルバム「ひまわり」の発売直後、東京ドームの公演もあと3日と迫る時期で、コンサートツアーの移動中の新幹線でのインタビューだ。こういうスキマ時間にサクッとインタビューが出来てしまうというのは公式ファンクラブの強みか。
 短くてサラリと読んでしまっていたが、実にいいインタビューだ。そこでは「ひまわり」という楽曲をこんな風に語っている。

 (アルバム「ひまわり」には)「約束」とかいろんな曲があってね、でもこいつらって結局「ひまわり」という曲が無いと存在しないんじゃないかという気になる。
 …「ひまわり」が全てを支配してて、それが唄えるということは他の曲は何でも唄えるという自信とかにつながっててね。

 「ひまわり」という一曲が、また新しい曲を生み支え、さらに他の曲をも呼び寄せ、吉田拓郎にとってかくも大事な原動力になっていたことがうかがえる。この曲自体は、個人的には特別に好きでもないし、かといって嫌いというわけでもない。…たぶん俺だけではなく、概ね凡作の代名詞のように扱われることも多い「ひまわり」だが、この歌がSATETOから始まるストーリーをチカラ強く牽引していたことがわかる。好き嫌いというだけではなく「ひまわり」という楽曲のひとつの真価はそこにもある。

 (ひまわりは)唄ってて気持ちいいもん。とにかく「どうだ」って感じだもん。俺、唄ってて、これは気持ちいいもんだよ、そういう曲ってなかなかないもん。

 ということで俺もあらためてカラオケに行って歌ってみた。聴いていて難曲だが、歌ってみてもさらに難曲だ。歌えねぇよ。
     ゆうべのたわいなく わけもない
     いらだちが胸を突き 身体をねじらせる
 この早口言葉のような譜割りをつっかえずに、情感をこめて歌えればさぞや気持ちがいいだろう。
     ふり切った愛を 語りながら
     記憶のありかを 確かめている
     そこに 天使なんか いるはずがない
 今の環境に浸ったまま過去に生きて、動こうともしない死屍累々の人々に向って「どうだ」と言い放つような痛快さ。
 そしてこの「ひまわり」の牽引は、次回作への確信へと結ばれている。だからこそ短いけれど希望の光り射すようなインタビューになっている。

 ・次のアルバムも あれが出来れば出来ちゃう
 ・次のアルバムというのも どんな方向に向かっていくのかは分からないけど、いい曲はできると思う。
 ・5月くらいから、やろうかという方向に向かっているの
(曲は出来ているのですか?というか質問に)全然。でもほら、今上昇志向だからさ、すぐ出来るって。

 吉田拓郎にあふれる自信が漲っている。もちろんこの時はわからなかったが、この後に吉田拓郎はいよいよ名盤「176.5」を完成させる。なのでこの確信は本物だ。
 つま恋後の3年間の不在から、SATETOでスタートした拓郎。手応えのなさに彷徨いながらも、コンピューターによりてコンピューターの上に音楽を作り上げるべく「マッチベター」と「ひまわり」を完成させる。ぶっちゃけこの二作は壮大な実験作だったのではないかと思う。すまん。名盤「176.5」に至るための大いなるホップ、ステップみたいなもの。
 とにかくこのインタビューからは「見えた!」という拓郎の声が聴こえるかのようだ。このアルバムのひまわり畑の向こうに広がった青い空が見えたのではないだろうか。吉田拓郎の「上昇志向」と言う言葉の意味がなんとなくみえてくる。
 
2 カオスと上昇志向
 ここで、あらためてカオスの東京ドームである。カオスの主因は、東京ドームを例えば静岡市民文化会館などの会館のひとつとして使ってしまうこと、しかもそこで定番の人気期待曲をほぼ外してニューアルバムまるごと歌ってしまうところにある。
 例えば「ああ青春」あたりで幕開けして「落陽」「アジアの片隅で」でドームが揺れるような狂熱のドーム公演にもできたはずだ。実際、この翌年1990年の2月にローリングストーンズがこの東京ドームで初来日公演を打つ。"サティスファクション"など往年の名曲が中心にならぶセットリスト。大興奮した亀淵昭信元ニッポン放送社長がポツリとつぶやいたという「なぜ拓郎もこれをやらなかったんでしょうね」の一言が忘れられない。それと同じだ。
 反対にそれをしないということは、たぶんアーティストにとっては、不安で怖いことでもあったはずだ。しかし拓郎はそうはしなかった。その理由を語っている。

 今ステージでも『ひまわり』の中の曲は全部やっているわけじゃない。そんなことはまず無かったの。全曲やっぱり歌いたいという気分にさせているのは何かというとやっぱり「ひまわり」という曲なんだよ。

 利害打算ではなく、保険を掛けるのでもなく、自分の直観と心の向かうところに従ったのだと思う。カオスのドームで、しかし吉田拓郎は勇敢で、俺は臆病者だったのだ。
   こだわりだけは 残したままの
   抜けがらになれそうで 幸福だね
そんな「ひまわり」の歌詞が俺に対して向けられていたかのようで痛い。

3 上昇志向という名のもとに
  東京ドームの公演の特集を組んだ田家秀樹のFMラジオ番組で、アシスタントの女性が「拓郎さんが『上昇志向』なんて言葉を使うのにびっくりした」と言っていた。同感。このころには「天才に向上心はいらない」という拓郎の名言もある。「向上心」と「上昇志向」は違うのか。勝手な決めつけだが、拓郎のいう向上心とはつらいものを努力と頑張りで乗り越える克己心のようものをいう。また上昇志向とは、心がふるえる大きな流れがあったらそこに身体ごと飛び込んで全身を任せてゆくようなものではないかと思う。
 そういう意味で、ドームの拓郎は勇敢だったけれど、こうしなきゃならないという計算や努力と無縁で、思い切って信じるものに全身をまかせた、そういうものだと今は感じる。
 観る方も上昇志向の中に飛び込んでみないとわからないものだ。カオスに心揺れているような俺ごときにゃあわからんものだったと思う。
 ともかく「ひまわり」によりて「ひまわり畑」の向こうの青い空に僕らの旅はつづくことになる。

 次回は「マガジンT(第2号)」「Thank you for かまやつ」をお送りします。

 

2023. 8. 4

☆☆☆暑い☆☆☆
 尋常ではない暑さ。皆様ご無事でしょうか。さすがに外回りで死にそうだ。事件は現場で起きてるので現場に行かにゃあならない。
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久々にカラオケにいったらあった。やった。
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嬉しくて3回歌う。♪人生キャラバン〜の後の歌詞にはない"ウオウオウオウオ〜"を歌う自分に酔う
(爆)
 あとは「ひまわり」〜「雨の中で歌った」のメドレー。手強い。"苛立ちが胸を突きカラダをねじらせる".ほとんど早口のリハビリの世界だ。これをある種のゆとりと重みをもって与える吉田拓郎は凄い。「雨の中」は息継ぎがわからない。

2023. 8. 2

☆☆☆8月2日の太陽は拓郎に惚れていたので☆☆☆
 つま恋75行けなかったに行けなかった俺は、にーさん、ねーさんのあの日の数々の武勇伝を聴きながら、しみじみと思いを馳せるのが好きだ。♪あの日の武勇伝が五万本、サバ言うなコノヤロー、ってサバ言ってねぇっす。真実っす。

 あの日俺は中学生でt君らと裏磐梯のキャンプに行っていた。深夜のラジオで興奮したアナウンサーが「いま静岡県で大変なことが起きてます」ってアナウンスいた様子が耳に残っている。はるか遠い国に胸を躍らせた。行った経験には及ばずとも…

 行った旅行も思い出になるけど、行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか
               (ドラマ「カルテット」…満島ひかり)

 つま恋よ、永遠なれ。
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2023. 8. 1

☆☆☆カミナリ☆☆☆
 仕事場の付近はものすごいカミナリだ。久々だな、こんなに豪快なヤツは。87年の南さんの海の中道のゲスト公演は観られなかった。しかしその後FMでの放送で一部を聴くことができた。カミナリの効果音のあとでたぶん拓郎の生ギターのソロが流れて「冷たい雨が降っている」が始まる。このカミナリの残響をぬうように流れるギターがなんとも素敵で繰り返し聴いたものだ。だからカミナリを聴くともう条件反射である。「冷たい雨が降っている」…さあ聴こうではないか。

2023. 7. 30

☆☆☆そこにも天使なんかいるはずがない☆☆☆
 <100分de名著 番外>

 T'sの座談会で酷評されていた雑誌ダカーポのアルバム「ひまわり」のレコード評がひっかかる心の狭い私だ。

「 …メッセージ・ソングにおいての言葉は全くといっていいほど時代の洗礼を受けていないし変容もしていない。マスターピースであるボブ・ディランはともあれ、歌詞のみを目で読んだときのメッセージ・ソングの現状は悲惨である。時が完全に止まっているのだ。」(ダカーポ 1989年2月15日号 より)

 しみじみとムカつくじゃないか。ボブ・ディランという権威の威を借りて、あとはみんなディランの劣化コピーだという態度が噴飯ものである。新人の歌手に対して「バカ野郎、フォークだか何だかしらないが、岡林だってちゃんとやってんだぞ」と罵倒したのと同じだ。
 ということで、あらためて「ひまわり」をじっくりと聴き返してみよう。

  ひまわり 
           作詞 吉田拓郎
これで いっそついでの事に
雨のひとつも 降ってくれるなら
ふさいだ気分のままで いられるさ
誰かと よろしくやっても いいんだから

ゆうべのたわいなく わけもない
いらだちが胸を突き 身体をねじらせる

こんな 意気地なしの 男達が
追いかけている あてどない長い夢
使い古し 赤くさびた言葉で
まだ時を器用に あやつれるつもりさ

女になればいい
愛されるのを 待てばいい
女になればいい
愛されるのを 待てばいい

まるで 少女の長い髪と たわむれる
毒のない花には なれるだろう
道化師は いつも涙を隠したままで
人生を おどけて演じ続ける

ふり切った愛を語りながら
記憶のありかを確かめている

そこに 天使なんか いるはずがない
現在を殺せば うそも一つ増える
目をつむるのは 聴きたくないからさ
真実の刀が こちらを 向いている

女になればいい
愛されるまで 待てばいい
女になればいい
愛されるまで 待てばいい

逃げもしないし 追いかける事もない
とどまる勇気など ましてあるわけがない
ただ偶然のような 外の景色と
降りそうな 雨のせいで そこに居るだけ

こだわりだけは 残したままの
抜けがらになれそうで 幸福だね

こんな 意気地なしの 男達が
追いかける あてどない長い夢
使い古し 赤くさびた言葉で
まだ 時を器用に あやつれるつもりさ

女になればいい
愛されるのを 待てばいい
女になればいい
愛されるのを 待てばいい

女になればいい
愛されるまで 待てばいい
女になればいい
愛されるまで 待てばいい


 ダカーポのライターは本当にこの詞を読んで、この歌と音楽を聴いたのだろうか。
 使い古し 赤くさびた言葉で
 まだ 時を器用に あやつれるつもりさ

 これはダカーポ、あんたのレコード評みたいなことじゃないのか? ディランをマスターピースとされる筋合いはないぞ。…おい、もう四半世紀昔のことだろ(爆)もう恨むまい、もう恨むのはよそう。

 そういうムカつきを離れて、あらためて聴き直す「ひまわり」…いいじゃないか。いろいろ思うところはあってもいい。それにアウトロもこってりとして素敵だ。http://tylife.jp/uramado/himawari.html
 つづきは、そのうち第三回「ひまわり畑を超えてゆけ」で。
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2023. 7. 29

100分de名著「マガジンT(第2号)」を読む
第二回 失われゆく媒体

1 「ひまわり」を眺める人々を眺める人々を眺める
 宇田川社長、こすぎじゅんいち、フォーライフの関係者、フリーライター、T'sの編集の方たちという親拓派メンバーが集まって、いろんな雑誌に載ったアルバム「ひまわり」のレコード評を品評するという座談会記事が面白い。

 個人的には中学生の頃から、拓郎のアルバムがリリースされるたびに、いろんな音楽雑誌のレコード評を書店で立ち読みしまくるのが俺の恒例行事だった。嬉しくて雑誌に頬ずりしたくなったり、逆に床に叩きつけたくなったり、どちらも犯罪ですが…とにかく書店の店頭はパラダイスだった。
 しかし時の経過と共に吉田拓郎のレコード評の扱いスペースが小さくなり、新作にもかかわらずスルーされることも多くなってきた。アルバム「ひまわり」はそんな頃のことだ。狭い字数制限の記事の中で次のようなレコード評が掲げられていた。

  [ダカーポ] 文芸作品と比べてディラン以外のミュージシャンの詞はみんな時代遅れ
  [オリコン]  好きな人には一生モノの作品、吉田拓郎を失ってはならない
  [AVハウス]  キング・オブ・フォーク「シンシア」のニューアレンジ 
  [CDでーた]  素朴で粗野で温かい余韻
  [月刊歌謡曲]  昔はフォーク小僧で拓郎が大好きでした
  [FMステーション] 気負いのない自然体、身体の中からポカポカと温まってゆく

 座談会ではこれらのレコード評に対して、ていねいにツッコミと議論が重ねられている。ダカーポはもはやレコード評たりえないと皆の怒りを買い、オリコン・ウィークリーの暑すぎる共感にほほえみ、AVハウスは「シンシア」しか取り上げないところ、吉田拓郎=キング・オブ・フォークというとらわれに対して宇田川社長が違和感を示す。なお宇田川社長は、みうらじゅんは昔話が長すぎるとまで言っておるぞ(爆)。
 フォークの過去の伝説に拘泥し、吉田拓郎の今の音楽を聴こうとしていない多くのレコード評に対して全員がやるせない思いを抱いている。

 なお座談会や記事では論じられてない、俺の勝手な意見だが、アルバム「ひまわり」は温かな余韻があったり、心がポカポカしたりするような作品ではない。体温は低めで、しかも難解で、なんだこりゃぁというのが当時の多くの印象だったのではないか。たとえば「このアルバムなんかショボくね?」という声も欲しかった。

 総じてこれらのレコード評を前にした親拓系の座談会には、どこか寂しい、切ない風が吹いていた。それには二つの原因があるように思う。

2  悲しみの原因@ 変質するレコード評論というフォーラム
 座談会のライターが、音楽雑誌でとある他のアーティストのレコード評で批判的なことを書いたら、スポンサーが広告を取下げ、記事が掲載されなくなってしまったと告白する。これは今にも通ずる忖度と圧力の根深い問題であり、息苦しさをひしひしと感じる。
 そうに考えると昔の音楽雑誌のレコード評は、辛辣なものも含めて多種多様だった気がする。昔は良かった…ではなくて、例えば俺が覚えているのは「ローリング30」の発売時、雑誌では「『ローリング30』は明らかにつまらない曲もあるので一枚に取捨選択して欲しかった」、「ミュージシャンが多すぎてサウンドが厚くなり、それが裏目に出ている」とか厳しく批評してあって大いにムカついたものだ。しかしそれも含めて音楽雑誌には思想の自由市場としての活況があった。
 悪口・批評は書けないという忖度の下で評論はどんどん広報に近くなってくる。いや俺が偉そうにいえることか。こんな場末のサイトですら、ヘタレてしまうこともある。そもそも表現というのはかくも脆弱なものであり、たちまち萎縮してゆくものだ…だからこそ「表現の自由」は死守されなくてはならないのだ…って話がそれた。

3  悲しみの原因A  忘れられてゆく人を忘れられない人
 「吉田拓郎」という存在が過去のものになってゆく…その大いなる流れの中にあった。世間も媒体も、みんなもう吉田拓郎に感心はもっていない。85年のつま恋を
区切りに「もう吉田拓郎はいないってことでいいんすよね?」という声なき声が聞こえてくるようだ。だから吉田拓郎を書いていても殆どの評論に脈打つものがない。魂のかけらもない。たぶんこの座談会では、みんなこれらの記事を読んで消えゆく吉田拓郎の哀しさを感じ取っていたに違いない。
 
  死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です
          LE CALMANT Marie Laurencin
  …これは「忘れられた男」も等しく同じことだ。

4 フランス人になりたい
 この座談会では、それでは、これからはどんな雑誌媒体が吉田拓郎にとって必要なのだろうかと宣伝会議みたいな話になる。
 宇田川社長がズバリ「マリクレール」だと宣言する。そうきたか。吉田拓郎の音楽だけははなく、着ているもの、身につけているものまでをトータルに評価する、そんな雑誌が好ましい。SATETO以降の拓郎がブランドなスーツを着ていたり、この会報がやたらおしゃれだったりするのは、宇田川社長の「マリクレール」戦略だと思われる。もしかしたら拓郎が「アラン・ドロン」でいきたいと言い張ったのかもしれない(爆)
 「マリクレール」かぁ〜。パリは燃えているか。翼よ、あれがパリの灯だ。

5 そして
 新聞は日々のことに流されて、君の名は片隅へと消えるけど、この会報には、世間の雑誌媒体がだめなら俺たちでやってやろうじゃないか…という気骨を感じる。だから会報の記事はかなり充実している。いろいろあっても、がんばれT'sと今も言いたい。

 ということで当時「忘れられてゆく男」を観ているのは切なく哀しかったが、この7-8年後、その吉田拓郎が、マリクレールどころか「ポップティーン」や「セブンティーン」にまで登場することになるとは誰が予想できただろうか。冬のリビエラ、人生ってやつは思い通りにならないもんだね。いみふ。だから面白い。

 次回、100分de名著「マガジンT(第2号)」「第三回 ひまわり畑を超えてゆけ」でお会いしましょう。



  
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2023. 7. 28

☆☆☆僕達もそうやって生きてきた☆☆☆
 映画「君たちはどう生きるか」は正直わかんないことだらけだった。ネットで読んだプロ・アマを問わぬ人々の評論の深さにおそれいった。やっぱり私はダメな人だと考えながら、それでも観て良かったと思うし、わからないなりに好きな映画だ。あれこれ読んでいたこの映画評論の中で、宮崎駿のこんな言葉を見つけた。

「ある種の気分、かすかな情景の断片、なんであれ、それは君が心ひかれるもの、君が描きたいものでなくてはならない。他人が面白がりそうなものではなく、自分自身がみたいものでなくてはならない」
(宮崎駿「発想からフィルムまで(1)」『月刊絵本別冊アニメーション』1979年7月号より)

 この言葉を読んで、ああココだと思った。昔から大好きだったあの一節。

「…まず肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを、少しもゴマ化してはいけない。…ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、繰りかえすことのない、ただ一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることがわかって来る。それが、本当の君の思想というものだ。これは、むずかしい言葉でいいかえると、常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ、ということなんだが、このことは、コペル君!本当に大切なことなんだよ。ここにゴマ化しがあったら、どんなに偉そうなことを考えたり、言ったりしても、みんな嘘になってしまうんだ。」(吉野源三郎「君たちはどう生きるか」岩波文庫P53〜54)

 宮崎駿はこの一節をきちんと胸に抱いている。なんか宮崎駿と友達になれたような気がした(爆)。そりゃ大きな勘違いだろうが。俺が何かというと「心の底から」と言うのは、このコペル君のおじさんの影響なのだと自分で気づいた。

 それはいいとしてこの一節は、吉田拓郎のスピリットともしっかり通底していると思わないかい?。違うかもしれないけれど俺はそう思う。そこからしか、ものは始まらないとこの文章は言っている。この一節を読んでいるだけで、あれこれと拓郎のいろんな歌が頭の中を交錯し収拾がつかなくなるくらいだ。
 
 そして薄っぺらついでの俺の感想なんだけど、映画「君たちはどう生きるか」を観て、ああこれはアルバム「ah-面白かった」だと心の底から思った。これらはお互いに、宮崎駿の「ah-面白かった」であり、吉田拓郎の「君たちはどう生きるか」だ…と思った。それは…なんかこれ以上書くと怒られそうだから、そのうちどこかでひっそりとこそこそやろう。
 
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2023. 7. 25

☆☆☆打ち上げ花火、上から観るか下から観るか☆☆☆
 燕市の花火。HPで拝見しただけだが、花火にもそのメッセージにもさらに先達サイトの名を冠したところにも感激した。ハラショ!!
 「しょぼい」というが、そうは思わない。メッセージの思いが、カタチになって空に打ちあがったことに比べればなんてことはない。それに長年拓郎ファンをやっていて、見事に空いっぱいに広がった豪勢な花火を何度か観たが、こういう花火も何度も何度も観せられたじゃないか。すまん。それだって吉田拓郎だ。
 なんか元気出たよ。ありがとうございました。来年、そうですか。
 

2023. 7. 23

☆☆☆おはようおやすみ日曜日☆☆☆
 本日は燕市の花火大会だ。天候が問題なさそうで良かった。今日は"吉田町の唄"を聴きこみながら、遠くから打ち上げをお祈りしております。
 懸案の映画を観た。ネタバレは禁止なのかな、よくわからんが。とりあえずテーマ曲にも挿入曲にも「僕達はそうやって生きてきた」は使われていなかったです>あったりめぇだろ
…観てよかったと思う。もう一度観たい。爺ちゃん割引が背中を押してくれる。
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2023. 7. 22

100分de名著「マガジンT(第2号)」を読む
第一回 一枚の写真とともに上昇せよ
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1 東京ドームというカオス
 今となっては自分が体験できたライブはどれも美しい思い出だ。わが谷は緑なりき。しかし、東京ドームはちょっとだけ違う。わがドームはカオスなりき。あらためて「カオス」の意味を調べたら「『混沌』、無秩序で、さまざまな要素が入り乱れ、一貫性が見出せない、ごちゃごちゃした状況」とあった。ぴったしである。

 まず、これだけ巨大でイベントフルな会場なのに、つま恋、篠島、武道館のときのように拓郎側からの心構えも気概も情報すらも事前に殆ど伝わってこなかった。どんな心持で行けばいいのか見当がつかない。どうしても場所柄からイベントを期待してしまう。「人間なんて」とか「アジアの片隅で」の心積もりもしとこうかとついついスケベ心が出る。
 実際には、アルバム「ひまわり」の全曲を含めた新曲中心のツアーのセットリストそのままで、もはやドームをひとつの県民会館として扱うものだった。今にして思えば拓郎の勇敢な気骨に感心するが、この特別な場所で特別な夜になることを全力で期待していたのは俺だけではなかったはずだ。
 しかもアルバム「ひまわり」の全曲をこんなに大勢の一般老若男女の前で歌っちゃうことの不安もあった。このアルバムが悪いというのではない。しかし例えば「今はまだ人生を語らず」の全曲を歌うというライブならば俺はあまねく全国民に見てほしいと思う。だが、この「ひまわり」は、わざわざ知らない人には聴いてもらわなくてもいいんでねぇのと思えた。…それ悪いってことじゃん。んーそうかもしれない(爆)。「最後まで新しい歌でやります」という拓郎のMCに俺の席付近からは失望のどよめきというか悲鳴が起こったのが耳から離れない。
 そういう意味では拓郎の孤高なまでの覚悟と観客の深い情念は例によって壮大にすれ違っていた。
 しかも拓郎が開口一番言ったとおり、音がワンワンワンワンと回ってさすがに音に無頓着な俺でも聴きづらいったらありゃしなかった。俺が辛いんだから拓郎本人の苦痛はいかばかりか。そのうえスタンド席2階は客さえまばらなのも気勢をくじかれるようで切なかった。43000人はいなかったと思うぞ。
 そして何より住友生命の招待チケットで来ていた多くの一般人=拓郎に興味ゼロ=完成間もない東京ドームの見学にきただけの連中の醸し出す雑念たるや凄かった。早く帰ろうよとぐずる隣席のどこかのお子さまたち、演奏中なのに切れ目なく通路を無神経にぞろぞろ歩く人々の列。そのうえ途中で堂々と帰り始める人の群れ。俺は、そのまま○○に行くがいいと呪った。すまん。とにかく雑念と怨念が空中でバトルしあいながら充満していた。…そうですか先輩はビール臭にも我慢なりませんでしたか。大変でしたね。
…『混沌』、無秩序で、さまざまな要素が入り乱れ、一貫性が見出せない、ごちゃごちゃしたという状況がぴったしのカオス状態だったのだ。

2 表紙の一撃
 スポーツ新聞等では「拓郎ドーム、熱唱、熱狂」いう無難な記事ばかりだったが、俺の心はかなり荒んでいた。ライブへの不満というよりも、このカオスの中で俺は味わうべきもの味わえなかったのではないかという悔恨というか自己嫌悪のようなものに近かった。
 このカオスに満ちたドームをファンクラブの会報はどう報じるのだろうか。もちろん期待などしていなかった。そんな君の会報第2号が着く。
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 この表紙の写真だ。俺は個人的にこの写真に打ちのめされた。会報には石原信一先生が特別寄稿された東京ドーム公演のレポート「Distance(距離)」が掲載されているが、すまんが、それよりもこの写真が圧倒的だ。但し、これまで何人かの身近な拓バカにこの写真を見せたけど「え、この写真がどうかしたの?」というクールな反応ばかりだった。なのでそこに主観と客観の違いがあることはわかっている。ここからはあくまで俺の思い込みに限っての話だ。

 本番前のゲネプロか音響や照明チェックをしているところだと思われる。苛立ちを含んだような真剣な眼差し、ロダンの考える人より深い沈思黙考、全身に漂う剃刀のような孤独感、声をかけるのは憚られるような強烈なオーラが伝わってくる。これって映画「ゴッドファーザーPARTU」のラストシーンで深い闇の一線を超えたマイケルが独り腰かけて、ありし日の家族の食卓を思い浮かべる鬼気迫る孤独を彷彿とさせる。拓郎の場合には、鬼気迫ると同時に透明な何かを感じる。あのカオスの泥沼から抽出された結晶体のようだと思った。この写真でいい、これがいい、これだけでいい。ということで、当時はこの表紙だけを眺めながら日々は過ぎてゆき、今日も暮れてゆくのだった。

3 表紙から始まった感慨
 時間の経過につれて「チェック・イン・ブルース」というOPの凄さ「夕陽は逃げ足が速いんだの」の重量感、「望みを捨てろ」「その人は坂を降りて」「Woo Baby」「七つの夜と七つの酒」「帰路」…カオスの中でもうずうずしたあの日の演奏曲たちをもう一度聴き直したいと思うようになった。「ロンリーストリートキャフェ」の弾き語りはドームを瞬間的に制圧するほどの凄いものだったが、あれは学校の先生が騒がしい教室で急に大声で怒って一斉にシンとするみたいなもので、このライブの真骨頂はそこにはないと俺は思う。それも含めてあのステージを是非、県民会館クラスのホールで体験しておくべきだったな〜と悔いた。当時の経済状況じゃ無理だったけどな。とにかく音楽的にしっかり聴き込んでみたかった。
4 くもの糸
 このときに「上昇志向」と拓郎はMCで言った。「天才に向上心はいらない」と言った拓郎が口にする「上昇志向」。向上心と上昇志向の違いも今はなんとなくわかる。
 「僕は上昇志向でいます。諸君も上昇志向でいてください。そうすればまたいつか会えると思います。それまで幸せに。」…このMCを思い出すほどにグッときた。カオス状態のドームの天井から垂らされた一本の蜘蛛の糸が思い浮かんだ。拓郎は独りでそれを悠然と昇ってゆく。昇りたいヤツはさぁ昇ってこい、昇れたらまたそこで会いましょう。ということで俺も後に続いてチカラの限りその糸を昇ってゆく。カオスの沼から抜け出すように。ああ神よ「打ち水を通過する」と言うのはなかなかハードなものなのですね。…昇るとまた次の沼だったりするのだが、まぁいろいろあってもそれはそれ。
 ということで第2号は表紙だけで十分だ。…というのもゴーマンか。すまん。中味もちゃんと読もう。

 次回「100分de名著:会報第二号」は第二回「ひまわりを眺める人を眺める人を眺める」…をお送りします。

2023. 7. 18

100分de名著「マガジンT(創刊号)」を読む
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第三回 残された悔しさの中で僕らは生き続けひとりぼっちだ
1 昔の会報が語るもの
 ファンクラブの会報に限らず、昔の文章を読む場合、読み手はその後の歴史で起こる事実を既に知ってしまっている。知っているからこそ、あらためて当時は凄いことだったなと感心することもあるし、また思わぬ悲しみを感じることもある。

 創刊号「TAKURO LONG INTERVIEW」のインタビュアーは藤本真氏によるものだが、このインタビューの最後に、こすぎじゅんいちの「インタビュー観察日記」という小さな文章が付されている。「こすぎじゅんいち」…俺のような一般Pにはご素性は詳しくは存ぜぬとも雑誌媒体でさんざんお世話になったお名前だ。拓郎ファンにとって「こすぎじゅんいち」と「田家秀樹」は助さん、格さんみたいなものだ。拓郎と同年齢の田家氏の文章からは同志的な共感が溢れ、年下のこすぎ氏からは「兄貴ぃ〜」的な憧れが透けている。
 この会報のコラムの中で、こすぎ氏の「あと二年も経って僕も今の彼と同じ歳になったら…」というくだりに目がとまり固まった。こすぎ氏は、このおよそ二年後に44歳の若さで卒然と亡くなってしまうのだ。当時も驚いた。T'sでも訃報が回ったし、さだまさしは、「聖域(サンクチュアリ) 〜こすぎじゅんいちに捧ぐ〜」という唄を書いた。
 こすぎ氏のエッセイで、氏が深夜に酔って歩いて帰る途中に、拓郎が車を止めて「おい遠慮しないで乗ってけよ」と声をかけてくれた喜びを静かにかみしめる話がとても好きだった。ああ、少し泣きたくなる。

 この会報の編集長として、また宇田川オフィスの社長として陣頭指揮をとっていた宇田川幸信氏も、もう天国に召されている。毎回の編集後記「Mr.Uの路上観察日記」も楽しみだった。

 あと思い出したよ。この会報の記事には出てこないが、このアルバム「ひまわり」は、あの陣山俊一氏の経営していたスタジオを借りて作られていたとオールナイトニッポンゴールドで拓郎は述懐していた。そうだった。「あなたを送る日」と「ひまわり」が静かにつながる。

 そして創刊号には、ブレイクする前の「ナンシー関」が小さなコラムを書いている。無名時代にせよ、あの寸鉄人を刺す筆致は既に顕在だ。ナンシー関を見出したのは、あの「えのきどいちろう」だ。だからかナンシーの文章には拓郎のことも「拓郎ファンの知り合い」の話も時々出てくる。

2 僕らは生き続けひとりぼっちだ
 あれこれ会報を読みながら、ああ、みんなみんな天国に逝ってしまったんだなぁと切なくなる。みんなみんな吉田拓郎よりも年下だぜ。拓郎ご本人はどんなお気持ちだろうかと勝手ながらに思う。大きなお世話だよな。
 1978年の11月、吉田拓郎がゲスト出演した小室等の23区コンサートの目黒区公演で小室等は「おまえが死んだあとで」(作詞:谷川俊太郎)という新曲を披露した。♪おまえが死んだあとで青空はいっそう青くなり〜で始まる追悼歌は、最後に
  ♪残された悔しさの中で、僕等は生き続け〜ひとりぼっちだ〜

 〜という絶唱でしめくくられる。このときからこのフレーズがずっと頭から離れない。慕っていた人の訃報の度にこのフレーズが脳内をめぐる。ということで昔の会報を読むのはそういうところが辛いな。

3 そして「ひまわり」ってなんなんだよ
 そういうことを考えていると思い致すのは「ひまわり」だ。こすぎ氏のインタビューでも、本編の藤本氏のインタビューでも拓郎は「なぜ、ひまわりかって俺にもわからないんだよ」と答えている。本人がわからないなんてことはあるのだろうか?…と下種ファンの俺は思い、当時いろいろと考えてみた。例えば「ひまわり、夕立、セミの声」とか「バスは今、ひまわり畑を」とかあれこれと無い頭で悩んでみた。もちろん正解がわかるはずがない。それに万万が一、それが正解だったとしてもあのお方は絶対に「違う」と認めないだろう。あのお方はそういう人だ。>ホントにファンなのかよ

 あのとき映画好きの拓郎なので、そこにヒントがあるかもしれないと思い、ソフィア・ローレンの映画「ひまわり」を観てみた。実は昔の雑誌フォーライフ創刊号のコラムで田口清が映画「ひまわり」を絶賛していていつか観たいと思っていたのだ。話しを田口清氏まで広げてしまうので俺の話は長いのだ。映画は、戦争ですれ違う恋人の悲劇だが、そこに出てくる一面の見渡す限りのひまわり畑の美しさはそりゃあもう圧巻だった。「この下にたくさんの兵士たちが埋まっているんだよ」と地元のロシアの老婆が教えてくれて、ソフィア・ローレンは立ち尽くす。
 そして、ひまわり畑と兵士というとどうしても映画「幕末青春グラフィティRONIN」の最後の方で高杉隊がガトリング銃で殲滅されてしまう、ひまわり畑のシーンを連想する。ひまわりの花とともに散ってゆく死屍累々の中に、へたりこんで動けない高杉拓郎。あの撮影は炎天下で長時間にわたったそうで、あの時の拓郎の目には、ひまわり畑が強く焼き付いていたはずだ。

 ということで、ひまわりは失われた命と失くした夢の「墓標」であり、同時にそのうえに咲きほこり太陽に向かう「生」をも象徴していると思う。死と生、悲しみと希望の間を回り続けるのが「ひまわり」…「神様、生きることはひまわりなんですよね」と問いかける…というのが当時の考えだったのだが、…えーい言うな、違うよな。それでもいいじゃないか、すべては冥途の旅の一里塚、神は必ず旅を許されるのだ。

 ということで「100分de名著マガジンT(創刊号)」を読む」はこれまで。長い、うざい、しつこい日記>いつものことだろ!をお読みくださりありがとうございます。

 不定期連載、次回から「100分de名著 マガジンT(第2号)を読む」をお送りします。>もういいよ
 ついにリリースされた不思議なアルバム「ひまわり」、前代未聞のカオスの東京ドーム公演をこのファンクラブ会報はどのように迎え、どのように報じたのか。ひまわり発売前から次のアルバム制作をぶちあげていたこの次回作はどうなってゆくのか、俺は知りたい。いや歴史は知っているのだが、もっと詳しく歴史を知れば歴史は変わるかもしれないじゃないか。

2023. 7. 17

☆☆☆そうだ忘れていた☆☆☆
 会報のLONG INTERVIEWで、アルバム「ひまわり」のレコーディングの際に、コンピューターの打込みとミュージシャンを入れてのスタジオ作業がしっくりいかない苦悩を語っていた拓郎。同じ問題を最近のオールナイトニッポンゴールド(2020.7.29)では、拓郎はこんな風に話す。

 コンピューターを使って打ち込みというのは、音楽的なセンス…アレンジ能力とかアンサンブル編曲能力が求められる。技術に熟練すると同時にどうやってデータに人間が実際に演奏する楽器をイメージしてミックスするか。コンピュータの打ち込みサウンドとヒューマンサウンドとどうミックスさせるかが問われる。


 いいね。「ひまわり」の暗中模索から30年余り、熟練した技術者のような語り口がカッコイイのである。

2023. 7. 16

☆☆☆はやく観に行きたい☆☆☆
 徹底した秘密主義によって、なんの事前情報もないので、とりあえず原作とこの歌を復習しておいた。>拓郎は関係ないだろ。いやいや、もし万が一アンサーソングとしてこの歌がテーマ曲に使われていたとしても驚かないよう用心のためだよ(爆)。>ぜったいねぇよ。いや、わからない、この世界のすべては網の目のようにつながっているのだよ、コペル君。
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2023. 7. 15

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100分de名著「マガジンT(創刊号)」を読む

第二回  暗中模索の打ち水を通りて

□肩透かしと打ち水
 記念すべき公式FC会報の創刊号のメイン記事は吉田拓郎ロングインタビューだ。しかも翌月にニューアルバム「ひまわり」のリリースと東京ドーム公演を擁する全国ツアーが始まる。ファンとしてはこのうえない盛り上がりの時だから、例えば"最高のニューアルバムをひっさげて東京ドームでつま恋を超えてやるぜ!"みたいな燃える系インタビューを期待してしまうところだ。しかし、俺の感想では、これが完全な肩透かしだった。まるで中途半端なカーリーヘアーのようにフワフワつかみどころのないもので、燃え要素はほぼゼロだった。個人的にはこの言葉だけが妙に印象に残った。

  お茶でお客さんを迎えるときに、きれいな水をまいておくわけ。
  その「打ち水」をしたんだ。この「打ち水」を通過してない客は、無礼な客なの。

 …結局、この「打ち水」の意味をずーっと考えさせられることになる不思議なインタビューであった。ということで、もう一度2023年の今にあらためて読み直してみたい。

□変われないこっちとあっち
 インタビューの冒頭で、前回のコンサートツアー'88 SATETOの感想を問われた拓郎は、活動休止直前のつま恋85の時に「まぁ飽きたな」「この連中ともそろそろ縁を切りたい」と思っていたファンたちと2年半ぶりに相まみえた感想をこう語った。
「それほど斬新な気持ちになれなかったし、こっちが新しかったのかといえば俺もそうでもなかった…こっちもあっちも大して進歩してないという確認ができた。」

 …オイ、それがこの3年間なんの保証もなく待ち続けたファンに対して言う言葉かっ!と大いにムカついたものだ。
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 しかし2023年の今この時にあらためてこの言葉を読み直すと印象がまったく違う。「なぁ、俺達は結局、変われなかったよなぁ」「これからどうするかねぇ」…なんとなく拓郎にそう語りかけられていたような気がしてくる。今ならわかる。こぶしを振り上げ「やるぞー!」「おー!」の時代はとうに終わった。そこにもう天使なんかいない。吉田拓郎も拓バカの私たちも、どんなふうに生きてゆけばいいのか、ひたすらの「暗中模索」状態で彷徨っていたのだな。

□打ち込みに打ち込む推し
 アルバム「ひまわり」はレコーディングが遅れ、当初の1988年11月発売日が89年の2月に延期された。「すごく優秀なレコード作り人間で、期限にはびったり間に合うようにしていた」「期限前にできる人なの」と無念を語るったそこかよ、と当時は思ったが、まさにそこだ。「ah-面白かった」の制作、前倒しペースは記憶に新しい。こういうところに吉田拓郎の矜持があることがわかる。
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 遅延の原因は、吉田拓郎が当時傾倒していた"コンピュータ"だったことを明かす。拓郎はコンピュータの打込みで精巧なデモテープを作り上げた。「デモテープを聴くとすごくいい」しかしそれをスタジオで再現しようとすると「自宅で作ったニュアンスが出ない」「死んだような音になってしまう」「なんでこのニュアンスが出ないんだ」と呻吟し難航してしまったようだ。
 スタッフからは精巧なデモテープそのままでいいじゃないか、スタジオでの作業は無駄じゃないかという意見もあったようだ。インタビュアーの藤本真氏(初めての吉田拓郎のインタビューとのこと)からもコンピュータが使いこなせれば、"人は要らないですよね"…との質問に対して拓郎はキッパリと「必要なのよ、人間は必要なんだよ、本当に必要な人間が最小限…」と切り返した。
 拓郎の言葉には、コンピュータの打ち込みだけではなく、そこに優れたミュージシャンの手をいれてこそ、より良き音楽が完成するんだという固い信念を感じた。
 そして苦闘のすえ「あれも欲しいこれも欲しい」とスタジオで加えた音から「贅肉を削ぎ落してゆく作業」に変えてゆくことによって、デモテープよりも良い作品にすることができたとその完成プロセスを語る。

…んん、俺にはムツカシイ。ただ俺は当時も何もわからないくせにコンピュータにも打ち込みにもかなり否定的だった。あの"俺が愛した馬鹿"の「風になりたい」や"マッチベター"の「いくつもの夜が」の機械音がたまらなく嫌だった。それにバンドを集めてセッションすりゃ全てすむことじゃないか。
 しかし今になってこのインタビューのくだりを読むと拓郎はコンピュータの虜や奴隷になっていたわけではなく、クールにより良い音楽のステップを登るひとつの過程に過ぎないと考えていることがわかる。よりよい音楽に近づくため、あるいは楽しむためのツールとして、コンピュータを自家薬籠中のものにしようと熱心だったのだ。コンピュータによりてコンピュータのさらに上へ。そんな拓郎の音楽的格闘が垣間見えた。

□ひとりぼっちの暗中模索
 気勢が上がらないため、たぶんインタビュアーが盛り上げなきゃということで"「マッチ・ベター」以降、拓郎さんは新境地を目指している気がするのですが?"…という質問に対して、拓郎は「暗中模索」しているだけで「新境地なんてめざしていない」とキッパリ答える。いいね、拓郎のこういう虚飾のないところがなんとも素敵だ。
 しかし、拓郎は、それだけでなくニューアルバムが完成したばかりなのに「今作っているLPもそう「これだあ」なんて思っていない」と言ってのけてしまう。「市場に出始めてある種の共感を得たとするじゃない…そこをバネにして何かやるかもしれない。これがまた共感がなくて(笑)ね そうするとまだ俺の暗中模索は続いていくんだな」…実際にそのとおりだっただけにちょっと切ない。
 インタビュアーは、たぶん困って「「マッチベター」ではそういう手応えはある程度なかったですか」と尋ねると「ないですよ」とこれまたキッパリ答えた。新境地とは無縁で、共感も得られず一人で暗中模索する拓郎。ああ、ひとりぼっち、孤独だったのだな…今になって思う。

□聖なる経年と老いに祝福を
 そして、「ひまわり」の意味は「自分でもわからない」と一蹴し、アルバムのコンセブとらしきものを語る。
 「「ひまわり」とか「約束」とかでいっこ気にしていることがあってさ、それはやっぱり『衰え』じゃないかな、肉体も精神も含めていろんな意味で、それが枯れていくってことをどう自分で処理していくかってことが結構あるね。衰えみたいなことが開きなおりではなくて、決してわるくないと。いいかもしれん。」

 この頃から拓郎は老いと衰えを率直に口にするようになる。もう自分には昔のようなバイタリティも才能の煌めきもなくなりつつあると自認することが多くなる。
 いくつになっても若くて元気なことが美徳であるこの国の呪縛の対極に立つ。しかし、そういう拓郎には暗さや哀しみはみられない。諦念もない。当時はよくわからなかったが、今読むと、堂々と坂を降りていきながら、それが同時にどこかへ陽の当たる高みへと上昇していくような、そんな清々しさを感じる。

 進歩しないファン(悪かったな)、見えてこない新境地、新しいツールを駆使して音楽の高みにトライしてもなかなか「共感」にも「これだ」という手応えにもたどり着かない、心身は否応なく衰えてゆく…そんな彷徨いの中、孤高に「暗中模索」を続ける拓郎。
 このインタビューの希望は、吉田拓郎がアルバム完成直後にもかかわらず、快活に「また春先にやりたいという気持ちがあって、また始まるでしょ」「3月くらいから俺は次のアルバムに入るよ」と心を決めていることだ。陽気でしたたかな暗中模索はつづく。今にして思うのは、この人はこんなにも本当に音楽のことが好きだったんだなというシンプルな事実だ。
 それにひきかえ、ここまで孤独な放浪を続ける推し、誠実に暗中模索の中にいる推しに対して、俺は誠実だったろうか。その音楽をちゃんと味わっていただろうか。今さら昔のインタビューを引っ張り出して、おそらく誰も読んでいないだろうこんな駄文をダラダラ綴る意味はそこにあると思っている。

□そして水は打たれた
 最後に、東京ドームあるいは「ひまわり」という「打ち水」を用意したことを語る。この「打ち水」を通過してない客は、無礼な客なの。と私たちに投げかけてきた。
 インタビュアーのコンサートの内容についての質問に「コンサートの事、全然考えてない…お正月に温泉つかって3〜4日で間に合うでしょう」…と答える。これは嘘だ。まずもって吉田拓郎は温泉が嫌いなはずだ。それに2月8日からツアーなのにこの時期に内容が決まっていないはずがない。
 このインタビュー時には、ああいう「予想外のドーム公演」の内容も決まっていたはずだ。あの公演が多くのファンの期待をあらためて突き放すことも決めていたに違いない。ファンクラブとはいえ安易な「共感」は拒否して孤高の道をゆく吉田拓郎。暗中模索とは決して気弱に彷徨うことを意味しない…断固として彷徨うべくして彷徨うのだという覚悟…吉田拓郎が撒いた「打ち水」の本当の意味が今はようやくわかりかけてきたような気もする。

 ということで万感の思いをこめてアルバム「ひまわり」を聴き直したい。34年前のニューアルバム、なんか曲が少なくね?、機械っぽくね?、暗くね? 、中身よりもジャケットが一番よくね?とさんざん悪態をついたアルバムを聴き直してみよう。

 次回第三回 「残された悔しさの中で僕らは生き続けひとりぼっちだ」

2023. 7. 14

☆☆☆ひとりぼっち☆☆☆
 いろいろなニュースがやりきれない。それらはすべて俺を含めた大人の責任である。だからこそ、やりきれないのだ。このことに関連するのかしないのかわからないけれど、昔(2020年)の吉田拓郎のオールナイト・ニッポン・ゴールドでのこんな言葉が思い出されていた。

 アーティストはワン・エンド・オンリー。孤独な生き物であることを感じ取ってほしい。僕も本当にひとりぼっちです。70何年間、僕らはひとりぼっち。
 僕らの仕事、生きざまはひとりぼっち、孤独で厳しい環境で音楽を作っている。孤高のメロディーメーカー。あの人もこの人もこうやっているんだからとそれが一番野暮で失礼なことだ。そういう言い方、あの人のようにというのは通用しないんだ。その人の世界観なんだから。その人の世界観を愛しているなら。みんなが左に行きました、でも私はこっちに行きたいということがある。それを、あの人はこうなのにどうなの?と非難するのは大きな間違い。ひとりひとりが孤高のアーティストなんだ。
 他の人との比較ではなく見つめてあげてほしい。映画とかのエンターテイナーに対してもそう。そういうのは失礼なことだ。(吉田拓郎のオールナイト・ニッポン・ゴールド 2020年11月13日放送)


 あなたもわたしもアイツもコイツもみんなひとりぼっちなんだと心の底に落としてからそれぞれの営みを始めたいものだ。「個人の尊厳」「個人として尊重される」という言葉は「ひとりぼっちの尊さ」「ひとりぼっちとして大切にされる」といいかえるとよく伝わるかもな。こっちのことですが。

2023. 7. 8

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100分de名著「マガジンT(創刊号)」を読む

第一回  SATETOから始まる物語(ストーリー)
 吉田拓郎初のオフィシャル・ファンクラブ「T's」。その名前には愛しさと共に一抹の哀しさも感じる。愛と哀しみのT's。今あらためて会報を読み返すとき、そこに何があるのか、あるいは何もないのか。100分de名著、今月はマガジン「T 」創刊号を読みこんでまいります。

1  遅すぎた春
 吉田拓郎初のオフィシャル・ファンクラブT'sが発足し会報のマガジン「T」が発刊されたのは1989年1月。デビューから約19年後のことだ。遅い。かなり遅い。
 遅くなった理由はたぶん明白だ。例えば78年ころのセイヤングで拓郎本人が明言していたように、吉田拓郎自身がファンクラブに否定的だったからだ。徒党を組んだり、肩を組んだり、そういう仲間意識が嫌いな拓郎のポリシーがゆえんだ。…とはいえ自発的な私的FC「たくろうさあくる」「拓郎軍団」に対しては温かい目で見ていた気がする。特に篠島なんかは「拓郎軍団」がひとつの大きな支えになっていたのではないかとすら思う。
 むしろ拓郎は自分が公式にFCを作ることで出来上がる「徒党」の加入者、非加入者というファンの分断を嫌ったのだと思う。ファンはひとりひとり自由であるべきだ、しかし自発的なファン同士の交流には何も言うまい…そんな拓郎の思想が覗けた。
 それにそもそも当時の拓郎には深夜放送という無敵のラジオ媒体があった。そこいらのFCなんかよりも拓郎を深く味わい、心を交わすことができたからFCの必要性も低かったのかもしれない。かくしてファンクラブのないまま19年が過ぎて行った。

2 1989年の吉田拓郎の実際 ある種の極北
 ということでFC不要の19年の間に、破竹の70年代が過ぎ、艶熟の80年代も本人自らつま恋85で終わらせ、その後3年間も世間の表面から消えていた吉田拓郎。世間も多くのファンですらも吉田拓郎はもう「終わった人」だと思っていた。
 そんな拓郎が1988年"サッポロ☆ドライ"のTVCMに現れ、打ち込みアルバム"Much Better"をひっさげて"SATETO"ツアーで復活を遂げる。その"SATETO"の後にこのT'sは発足した。
 しかし俺の独断だが、1988年のこの復活は、俺を含めた奇特な拓バカ達は喜んだものの、決して華々しい復活ドラマとはいえず、どれもこれも大してパッとしなかった。サッポロドライのCMはトットと広岡監督に交代し、打ち込み主体のアルバムに人々は戸惑い、ツアーも熱狂禁止=座って聴かにゃならん不完全燃焼なものだった。当時の音楽雑誌のレコード評で「もはや吉田拓郎に現役感はない」との悲しい言葉もあった。
 こんなにも世間の風が冷たく切ない時期に、公式ファンクラブは船出したのだ。これがもし70年代、80年初頭の時代だったら諸人こぞりて盛り上がり劇的に違ったものになっていただろう。とにもかくにも祭りのあと、そんな祭りすらも世間が忘れ、その名が過去のものになったとき、息をひそめ漕ぎ出るように始まったT'sというcaravanなのだ。

3 どんな会報だったのか
 かくして遅れてきたファンクラブと会報は、徒党を嫌う拓郎のポリシーを反映したように、ファンとの交流をシャットアウトしたアーティストのみからの発信=送り手本位という方針だった。それだけに会報には力一杯、活字が満ち溢れていた。こういうところはそこらの会報とは違う矜持があった。

[創刊号]1989年1月
[サイズ]13p×21p…小さい。老眼じゃ読めない。
[表紙]アルマーニを着た吉田拓郎の後ろ姿、裏表紙は同じく宇田川さんのスーツの後ろ姿。スタイリッシュな吉田拓郎を打ち出すという宇田川編集長の戦略が覗く。当時はなんかこそばゆかったし、今観るとバブルの香りがむんむんする。
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[メイン記事]吉田拓郎インタビュー。アルバム"ひまわり"の制作と来るべき"東京ドーム"に向けてのおはなし。写真も文章もここから抜粋されたものがそのままコンサートツアー1989のパンフに転用されている。これはこれで貴重なインタビューなので次回に読み込みたい。
[コラム]拓郎ファンからのおたよりとか交流とかを拒否し、一方的にニューヨークの話とか、吉田拓郎とは直接関係のない映画とか、クルマとか、ファッションとか、アートとかおしゃれな生活とかのコラムが提供される。…必要なのか。それはいいけど、どの記事も面白くない…特に吉田拓郎のエッセイを英訳した「TAKURO ENGLISH ESSAY」という英文記事に至っては誰が読むんだよ、宇田川さんアンタどうかしているよと叫びたくなった。ただし今になって読み返すと、創刊号にはまだ無名の頃の「ナンシー関」が小さなコラムを書いていてこれだけは嬉しかった。

4 SATETOからALONEまで
 会報の中でフリーライターの生方迷氏の小さなコラム記事で、「"SATETO"から始まる物語(ストーリー)」という言葉があった。イイ言葉だ。そういうことだ。結局このT'sは、1989.1〜1992.8までおよそ3年間にわたって続いた。それは"SATETO"から始まって3年後、"ALONE"ツアーに出掛けてゆくところで終わる。92年だから「LOVELOVEあいしてる」の夜明けまではまだ遠く、俺たちの孤独な雌伏の旅はまだまだつづく。でもそういうところがいい。歴史とは華々しいイベントや出来事だけで組み立てられているものじゃない。静かなる日々の営みを結んで続く歴史もある。地を這うように始まり、地を這いながら、地を這うように流れてゆく、それも愛しい歴史だ。それがT'sなのだ。

5 埋もれし魂の輝き
 あれれ、なんかさんざんディスってしまったみたいだが、誤解しないでくれたまえ。世間や多くのファンに見向かれなかったかもしれないが、断じてこの時期の吉田拓郎の音楽的クオリティ低かったわけではない。その真逆だ。このさまよえる時代に、数々の素晴らしい音楽を紡いでいたことは、ここを読んでくださっている先輩と同志の方々はおわかりでしょう。俺が読み込みそして書きたいのは、この切ない不遇の時代にもかかわらず、この時の吉田拓郎とその音楽がどれだけ美しくドラマチックでとことんすんばらしかったかということだ。
 SATETOから始まる物語(ストーリー)、それは光のあたらぬ行軍(caravan)の輝きをみんなで確かめ合うような、そんな道ゆきである。
 この時期は、ラジオのレギュラー番組もなく、ほどなくして新譜ジャーナルもなくなり、もちろんテレビにも出ない。ネットだってない、世間の話題にもならない。そこを単身バックアップしていた公式ファンクラブとその会報のおかげで、潜んでいた吉田拓郎の魅力をあらためて胸に刻むことができる貴重な文献なのだ。ということで「マガジンT」を読み直すことは、吉田拓郎を好きになり直すこと、ひいては吉田拓郎を選び直すこと、そんな旅路なのだ…と思うよ、たぶん。

 とはいってもリタイアした歌手の昔の会報を読み直してるイタイ奴だとバカにしてくる人々もいるかもしれない。じゃあそういうおまえに何がある、どこにある、誰がいる…一部おしまいです。

 第二回は 「打ち水を通りてわれはゆく」…創刊号のロングインタビューを読み解いてまいりましょう。読み解くなんておこがましい、読ませていただきましょう。

2023. 7. 7

☆☆☆7月7日☆☆☆
 今日は七夕かぁ。あまり気にしたことない行事だ。でもふと思い出した。1979年7月7日のセイヤングの冒頭で「流星」のピアノのイントロが流れて「えー今日は七夕ですが、僕も誰かに逢いたい…そんな気分ですな『流星』…」。あぁ、俺も誰かに逢いたい…そんな気分ですな。

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2023. 7. 2

☆☆☆あなたのdestinationはまだ遠く☆☆☆
 知り合いのドイツのバレリーナが今月で退団して帰国するそうだ。思えば12年前にわずか16歳で単身ドイツにわたり見事にプロとして身を立てた。いろんなことがあったでしょう、人に隠れて泣いたでしょう。
 16歳だ。本人も親も超絶心配で日本の家族とドイツで毎日skypeで生存確認を続けたそうだ。日本は午前6時でこれから出勤,ドイツは一日を終えて夜11時…とにかく毎日毎日skypeをつなぐ。ホームシックなお互いから、やがて自立をはじめると親が疎ましくなり画面はつないでも「ん」しか言わなくなる、しかしやがてそれも超えて向こうから日本の親の安否を心配するようになる。静かなる変化と成長。

 こんだけ遠く離れていても顔を見て話せる…skypeという文明のチカラにはおそれいるが、でもしょせんツールにすぎない。最後は毎日毎日そこに血を通わせた人間のチカラだ。向田邦子の「字のない葉書」や村上龍の父親が東京に出て行った息子に毎日葉書を書いた逸話の世界だ。

 そんな12年のskypeも最後となった。その記念すべき最後に彼女は記す。
   「始まれば終わる」
 ああ、あのお方の歌詞にもなった口グセと同じだよ。西田幾多郎先生に「時間はただ流れているものではなく、人が絶対的な自由意思をもって動く瞬間に初めて動き始めるものだ」という趣旨の言葉があった。俺のようにけじめもなくさしたる意思もなくダラダラと生きている人間にはピンとこないが、吉田拓郎にせよ、彼女らにせよ、何かを魂をこめて始めた人には深い実感として「始まれば終わる」と言う言葉がしみ出てくるのかもしれない。
 とにかくお疲れ様でした。「始まれば終わる」…あ、英語でそういうんだ。

  Everything has its beginning and ending.

2023. 7. 1

☆☆☆雨の中で並んだ☆☆☆
 駅前の雨のタクシー乗り場に並んだ。…なかなか来ない。結構長くジリジリと待っていた。こうしていると昔の武田鉄矢の話を思い出す。若き吉田拓郎が福岡でのフォークコンサートのゲストとしてギターケース抱えて単身でやって来た時、まだシロウトだった武田鉄矢が空港に迎えに行った。拓郎と武田が二人でタクシーのりばで順番を待っているとき、拓郎は、終始ずっとブスっとして口もきかない。武田はその不機嫌な様子に思い切りビビる。しかし、やがて順番が来て乗り込もうとすると、拓郎はすかさず自分の後ろに並んでいた杖をつきながらフラフラとようやく立っているお爺さんに「どうぞ」と順番を譲ったのだった。武田はその刹那…あゝ〜カッコよかね〜と思わず唸ってしまったというお話だ。
 俺も時々吉田拓郎にムカつくことがあるが>あるのかよ、その時にこの話を思い出すと気持ちが持ち直す(爆)。
 この話を聞いて以来、俺もタクシーに乗る時は、一応、後ろを振り返ってしまう。今日も振り返ってみたら後ろは俺より若くて強そうなご婦人二人連れだったので、オイラお先にちょいとゴメンと心の中で呟いて乗り込んだ。やれやれ。

 そうそう、武田の話の続きで、その日のステージで拓郎はずっと不機嫌なままで、客の手拍子があってないと怒って歌を途中でやめたり、最後の歌を歌う前に、とっとと片付けを始めたりして「今日はアンコールしませんよ」と捨てゼリフを吐いて、実際に歌い終えるとそのまま帰ってしまったという。やっぱりひどい人だなぁ(笑)

 もちろん昔日の話で、最近の拓郎はファンに基本的にずっとやさしかった。あくまで基本的な。これが結局、歳をとるとみんな好々爺になってしまう説が出てくるゆえんだ。あ、もちろん良い意味で。

2023. 6. 30

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☆☆☆歳とることは避けられぬから☆☆☆
 家人が小田和正のライブに行ってきた。思ったとおり美しい歌声だったと感激していた。観客の情熱も熱く燃えていて、最後、客席にヒト型の散華みたいなものが降り注いだ時には周囲にどつかれまくって死にそうだったらしい(爆)。とにかく堪能したようで良かった。それにしても肩で風切るオフコースの印象が強かった彼女には「あんなにファンにやさしくサービスするような人だったかしら…」と不思議がっていた。最近になっていろいろライブを観ている感想を突き合わせてみると、吉田拓郎、井上陽水、谷村新司、さだまさし、小田和正…結局、歳をとるとみんな同じような好々爺になってしまう説…が一瞬頭をよぎったが、何かミもフタもない学説なのでまだ確信はしていない。

2023. 6. 25

☆☆☆ロストフの長い一日☆☆☆
 まったく昨夜は下手したら核戦争が起きるんじゃないかと手に汗を握った。こんなロストフの14秒はごめんだ。まったく戦争は本当に勘弁してほしい。

 「八曜社」「マガジンT」というとなつかしの「T's」だ。デビュー約20年目にして初めてのオフィシャル・ファンクラブだった。その前にユイ・ミュージックファミリーというのもあったがあれは事務所会報だったし。

 やはりファンクラブといえば、私設の「たくろうさあくる」「拓郎軍団」だ。よくは知らないが、会報をいくつか見せてもらったが、その熱度、攻め方、そして長い歴史すべてにおいて素晴らしい。こんな弱小個人サイトとは根本的に質が違う。私が処女作執筆中の椎名桜子とすれば、あちらは紫式部と清少納言みたいなものだ。わかりにくいか。こちらが「日ペンの美子ちゃん」とすれば、むこうは「ガラスの仮面」と「ジョジョの奇妙な冒険」みたいなものだ。もっとわかんねぇよ。

 二大私設ファンクラブにはアンタッチャブルなので、初の公式ファンクラブ会報「T」を読み直してみる。昔の会報読み返すなんて他にすることねぇのかよ…ねぇよ!ねぇんだよ!
 ということで、近日中に「100分de名著 マガジンT 創刊号」(仮題)を開始する予定。しないかもしんないけど(爆)。

2023. 6. 24

☆☆☆電車がレールを鳴らすたび☆☆☆
 今日は仕事でかなり遠くまで行くために長らく電車に揺られていた。「太陽の子」を読み直しましたという、とある拓郎ファンの方の嬉しいお言葉に、自分も読み直したくなって何十年ぶりかで引っ張り出してみた。若い頃よりも明らかにいたたまれないツボが増えている。お父さんの発作の描写はもう胸がしめつけられるようで泣けた。最後の方で"ろくさん"という爺さんが戦争時代の自分の凄絶な過去を刑事に語り問い詰める場面がある。この話がショッキングで、これを描いたところがこの小説の凄みだと思う。映画ではこの鬼刑事は大滝秀治だったな、高飛車だった刑事が最後に打ちのめされたように「どうか服を着てください」とろくさんに言う言葉があの大滝さんの声で蘇えってきた。
 電車の中ではどこかの元気なお子さまたちがホントにお元気そうたったが、今日はこの本のおかげであまり気にならなかった(爆)。そうして、あれこれと思いも飛んで、そうか「太陽の子」は「理論社」だったのだなと気づく。子どもの頃、ずいぶんとお世話になった出版社だ。今も残っていると言えば残っているし小宮山量平さんの「理論社」はもうないといえばない。
 そして、いろいろ言っても結局は、ただの拓バカなので「理論社」といえば、そういえば「八曜社」ってどうなったのかなと思いが飛んだ。確か公式ファンクラブマガジン「T」までは八曜社を確認した記憶があるが。ああ、わが青春の八曜社はいずこへか。…ってまだあったら申し訳ないけど。
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2023. 6. 23

☆☆☆太陽の子☆☆☆
 沖縄慰霊の日だ。この日をついつい通過してしまうことも多い。申し訳ないです。沖縄といえば昔、灰谷健次郎の「太陽の子」という小説が好きで、大竹しのぶ他の出演で映画化もされて観に行ったことを思い出した。もうすぐお別れの聖地中野サンプラザでの上映会だった。小学生の一群が観にきていて、大騒ぎするクソガキお子さまたちを注意したりしていて十分に味わえなかったのが残念だった。最近の配信サービスでは「太陽の子」というと同題の別の映画しか出てこない。こっちが観たいのは「太陽の子 てだのふあ」だ。
 小説も映画も"ちむぐりさ"という沖縄の古い方言が心に妙に刺さる。"肝ぐりさ"…心が痛い、心がつらいという意味のようだ。市街が戦場になるとはどれほど陰惨なことなのか、そういう怖さの深淵を覗かせてくれた。そこに蓋をして自分の心の中だけで格闘しながら生きる人々。闘いつづける人の心を誰もがわかってるなら。自分の不明をあらためて思いつつ、心の底からご冥福をお祈りします。

2023. 6. 21

☆☆☆ちっぽけな花をひとつ咲かせておく☆☆☆
 「見出し人間2023」の打ち上げ花火の話には恐れ入った。ああ、思いつきもしなかった。書いたご本人は否定するかもしれないが、とてつもなく深い拓郎愛がうねっている。すんばらしい。比べて自分で解約したwowowについていまごろブチブチ言ってる俺なんぞとは器の大きさが違う。花火…来年こそは実現してほしい。

 花火…花といえば、去年、職場の引っ越し祝いで友人からいただいた蘭が一輪だけど花をつけた。仕事場のスタッフが一年間、密かに丹精をこめてくれたおかげだ。
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 これまで花になんか1ミリの関心もなかった俺だし、花もそんな俺のことが嫌いだったはずだ。それでもこの一輪はなんかとても嬉しくて、迷惑を承知であちこちに写真を送った。この花は私です、やっと綺麗に咲いたのです>ってヤメロよ。僕も少し変わったでしょう。

 そうなると名作「季節の花」だ。ああ〜この歌はライブで聴きたかったよな。いや、今からでも遅くはない、是非歌ってくれまいか。…って、いつまでもしつこいか。あなたがライブをしてくれなくても魂でCDを聴けばいい。はっ!あなたがしてくれなくても…そうか、タイトルを聴くたびに赤面していたが、そういう推しレスの意味のタイトルだったのか、さすが奈緒さん。ちげーよ。
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あなたがしてくれなくても
また雨が降り また風が吹き
またウソをつき また夢を見る
またウデを組み また歩き出す
あなたがしてくれなくても
また陽が昇る また涙する

あなたがしてくれなくても
また会えるまで また別れても
また迷っても また探す道
また背伸びして また立ち止まり
あなたがしてくれなくても
またほほえんで また口ずさむ

ん〜なんか繋がった。いま酔っぱらってるだけかもしんないけど。

2023. 6. 18

☆☆☆あとの祭り☆☆☆
 昨夜は、いちおうWOWOWにチャンネルをあわせてみたが映らなかった。あったりまえだ。DVDは持ってるし何回も観たし、もういいやと思っていたが、この今という時期にWOWOWが世界に向けてここまでのプログラムを催していることの重さを考えなかった。ありがたいじゃないか。…かくして仲間外れのような、Sold outで入れなかった渋谷公会堂の前にひとり立ち尽くしているような寂しい気分になった。
 ああ、持ってるし見たからイイだなんて。"僕は、正しく傷つくべきだった。本当をやり過ごしてしまった。"…と映画「ドライブ・マイ・カー」の西島秀俊になりきって悲しんでみた>バカじゃねぇの
 やはりWOWOWに入るべきか。…そうだ、今後は未公開カットを入れてくれるということで手を打とうじゃないの>何様だよ

"ah-面白かった"のリリースからもう一年だよ。なんだかなぁ。

2023. 6. 17

☆☆☆それほど豊かでもなくなった中、沈みゆく島☆☆☆
 その映画「日本沈没」で、東京大地震による大火災の中逃げ惑う被災者の大群が皇居の前に殺到して、入れろ!ダメだ!という緊迫状態になる。避難民の制圧という意見も出る地獄絵図のような中で、丹波哲郎演ずる山本首相が「門を開けてください、総理大臣の命令です。直ちに宮城(皇居)の門を開けて避難者を入れてください」とキッパリと指示をかますシーンは子どもながらに感動したものだ。…ああ、それに比べて(略)…つづきは居酒屋で。
 この映画の予告で正確な表現ではないが「日本にノアの箱舟は現れるのか!?」という趣旨のテロップがバーンと出てきたのも衝撃的で忘れられない。
…その2年後、名前は忘れたがとあるミュージシャンの歌の歌詞に"ノアの箱舟が笑って消えた"というフレーズが出てきてびっくらこいた。なんて詞を書きやがる。聴くたびにあの予告編のテロップが浮かんできて困った。このフレーズは、あの歌の持つ、そこはかとない悲しみを倍加させてくれる。
 ということで沈みゆく島を思いながら今日のソウルメイトな曲は「明日に向って走れ」(アルバム「LIFE」のリミックス・バージョン)でお願い。

2023. 6. 16

☆☆☆沈みゆくもの☆☆☆
 ここのところ仕事でよく逗子方面行の京浜急行にゆられる。途中で「本牧」の駅を通過するたびに「旅立てJACK」が浮かぶ。"♪でも本牧のディスコへ行けば アイツのステップに星もたじろぐ"…どんなステップなんだ。ということではなく、高2の時に初めて聴いて以来、"1億人が見せかけだけの豊かさの中、沈みゆく島"というフレーズが胸に刺さったままだ。松本隆の見事な一撃なのだ。

 「沈みゆく島」というと小学生の時に大ブームになった映画「日本沈没」を思い出す。大地震、天変地異が繰り返されボロボロになった日本から、散り散りばらばら海外に大挙して脱出してゆく日本人たち。どこの国も受け入れに嫌な顔をし、子どもながらにも行った先で幸せな生活が待っているとは到底思えなかった。それがたまらなく怖かったのだ。
 最近の一連のニュースを観ながら、例えばこの映画で、命からがら避難した外国の入管で難民申請が認められずに沈みゆく日本にドシドシ強制送還されたとしたら…と妄想したら再び鬱な気分になった。諸外国からはこの国のメリットになる日本人しか要らない、それはあなたがた日本の入管法と同じことしているだけだから問題はないでしょ…といわれたりしないか…ただの妄想だろうか。
 日頃から国際ツウとか国際化とかグローバル化とかをドヤ顔で標榜されているたくさんの専門家の方々よ、教えてくれ。端的にこの入管法でいいのか。私らが、日本沈没のように難民になったり、なんぞあったときに諸外国が、いつもフレンドリーでクールなジャパニーズよ、ウェルカム はあと…と両手を広げて迎えてくれるのだろうか。それとも鎖国には鎖国返しとか厳しい仕打ちをされないのだろうか。…俺は政治論をぶちあげたいのではなく、ひたすら怖いだけなのだ。

 1977年ころのインタビューで「日本が沈没したらどうしますか?」というインタビューで、拓郎はギターをつなげて船にして俺は絶対生き残ると豪語していた。んーやっぱり拓郎だけだな信用できるのは>ホントにそう思ってるのかよ。思ってますとも。
 

2023. 6. 13

☆☆☆それでも、生きてゆくH坂元裕二受賞記念☆☆☆
 名セリフを強引に拓郎関係に引き寄せてしまう牽強付会な罰当たり企画も今日が最後だ。それにしても坂元裕二さんには珠玉の名言がありすぎてとても絞れない。そんな中で個人的な第一位はこれか。

<第1位>
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                (ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」…松たか子)
[解題]
 3回結婚し3回離婚した大豆田とわ子。「離婚も結婚も両方お好きなんですね」と相槌を打たれてしまう大豆田とわ子。娘が二番目と三番目の元夫のことをを「Season2とSeason3」と呼んでいる大豆田とわ子。そんな彼女が中学の頃の「一匹狼」という謎の習字を見つけてしみじみと呟くこのセリフがいい。
 ああ中学の卒業作文も高校の卒業作文も吉田拓郎だったことを思い出す。そうであろうとなかろうと、まさにこの道を来た私たちと重なる。私たちって、勝手に連帯しているが、私は違うというあなたは入っていないのでご容赦ください。私たちは、人生は一歩の道だったはずなのにそこで迷う。どこへ行くのかこの一本道、西も東もわからない…ってそれは友部正人だろ。そして一本の道がありました、一本の道がみえました。私は私だったんだから私はそこを進みます。

 坂元裕二さんには失礼ばかり書きましたが、あらためて受賞おめでとうございます。数々の名セリフに心の底から感謝申し上げます。レモンをかけてしまった唐揚げのようにもとには戻れない、この不可逆な一歩道をまいりましょう。
 

2023. 6. 12

☆☆☆それでも、生きてゆくG坂元裕二受賞記念☆☆☆
 今回はいよいよ第1位のはずだったが、いろいろ迷ったあげくとりあえず1位は次回で今日は
<第1.5位>
「前向きに生きよう」って言われると死にたくなりました。「人を愛そう。 前向きになろう」そう思った5分後に「みんな死ねばいいのに」と思ってました。

                  (ドラマ「それでも、生きてゆく」大竹しのぶ)
[解題]
 穏やかではないセリフだ。幼女を殺された被害者家族と加害少年の家族の間の凄絶なドラマ。なんでわざわざこんなものを観ているのかわからなくなるくらい、そんな身を切られるようなドラマだ。魂の脚本に大竹しのぶと満島ひかりという二大天才女優がかかわると、とてつもないものが出来上がる。
 このセリフは娘の死から逃れられない大竹しのぶが、彼女のことを気遣う自分の身内の家族に対して抑えきれない自分の本心を爆発させてしまう約5分間の長セリフのシーンだ。
  私、みんな私と同じ目に遭えばいいのに、と思ってずっと生きてきました。
  優しくされると「あなたに 何が分かるの?」って思いました。

…鬼気迫るとはこのことだ。このシーンに限らず何度観ても泣けてくる。それはこのストーリーはもちろんのこと、演ずる大竹しのぶにはもう神様が降りてきているとしか思えない、その演技の美しさに泣くのだ。満島ひかりにもそういうシーンがいくつもある。どうかしちゃってるような天才の美技に、ただただふるえるのだ。
 そうそう忘れちゃいけないのは、犯人役の風間俊介の背筋が寒くなるような演技もそうだ。静かな殺意と狂気が漲っていて心の底から怖い。昨年のLOVELOVE卒業スペシャルで、Kinkiのバックとして拓郎の近くでキレキレに踊っていたが、観ていて怖くて仕方なかった(爆)。あの冷たい眼で金槌握って「…拓郎さん『純と愛』での僕の事、好きじゃないって言いましたよね」とか言い出したらどうしようと心配だった>言わねぇよ

 で、また悔しいことに小田和正の主題歌の「東京の空」がまた神がかりに良いのだわ。

 ネタにするのは不謹慎かもしれないが大竹しのぶに背中を押され>押してねぇよ、でもわりと正直な気持ちで言います。

 「拓郎さん引退しちゃいましたね」と言われると「あなたに 何が分かるの?」って思いました。
 「始まれば終わる」「音楽生活のアウトロを弾いている」と言われると死にたくなりました。
 他の歌手をみるたびに「みんな引退すれはいいのに」と思ってました。
「俺はフォークじゃない、おまえたちはわかっていない」と説教されるたびに、うるせぇよと思っていました。あれ?

 

2023. 6. 11

☆☆☆雨の松本楼☆☆☆
 といっても松本隆のことではない。今日はお世話になっている鍼灸の先生の出版記念パーティーがあったので、雨の日比谷公園の松本楼に出かけた。
 雨だ。堂本剛君のレギュラーのラジオで

 「雨のときに車の中でワイパーを動かさずにずっと雨を眺めている…いいもんだ…そんな中で音楽を聴く…それは吉田拓郎さんに教えて貰った」

 と語っていた。ああ、拓郎と剛くんは、そういう話をするんだな。いいな。

 雨の日比谷公園…しかも六月というと「木田高介追悼ライブ」を思い出す。吉田拓郎がまだ公式発表前の「アジアの片隅で」を熱唱した伝説を思う。
 …しかしコレには俺は行ってないんだ(爆)。チケットを買えなかった。俺はああ行きてぇと悶絶しながらラジオにかぶりつき、雑誌の記事を読み漁り、行った人の話に耳をそばだて、6月の雨の日比谷公園の「アジアの片隅で」を俺の心に落とし込んだのだ。…ということで
☆☆☆それでも、生きてゆくE坂元裕二受賞記念☆☆☆

<第2位>
 行った旅行も思い出になるけど、行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか
               (ドラマ「カルテット」…満島ひかり)

[解題]
 私は木田高介追悼ライブはもとより、ライブ73もつま恋75も行っていない。てか当たり前だが行けなかったライブの方が殆どだ。
 行くことができたライブは最上の思い出だが、行けなかったライブは行けなかったがゆえに一層強く思いを馳せる。どんな曲を,どんなふうに歌い,どんなMCがあって,どんな客席の空気だったのだろう。悶絶しながら思いを深める。
 最近、篠島に憧れる若い女性のSNSを教えていただいたが、彼女が生まれる遥か昔の篠島のことを、したたかな愛情をもって、とことん詰めていくその熱度に眩暈がした。すばらしい。彼女の魂は、例えば実際に篠島に行ったわれわれの経験を凌駕して、しっかり篠島にある。行けなかったライブであっても、ここまで深く堪能できることを彼女は教えてくれる。心の底から勇気が湧く。

 体験できた者は体験した珠玉のライブを語り、その眩しい片鱗をかきあつめて体験できなかったライブを追体験する。行ったライブも思い出になるけど、行かなかったライブも思い出になるじゃないですか。そういうことだ。

2023. 6. 10

 藤井てっかん氏の訃報を知る。詳しくは存知ないが、吉田拓郎のインタビューやかつてのT'sなどで健筆をふるわれた魂の人だということだけはわかる。お若かったんだな。心の底からご冥福をお祈りします。
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 さて第4位でもうやめる、こんな世の中と自分を捨ててみたが、やっぱり書く。

☆☆☆それでも、生きてゆくE坂元裕二受賞記念☆☆☆

<第3位>
 泣きながらご飯を食べたことがある人は、生きてゆけます
               (ドラマ「カルテット」…松たか子)

[解題]
 生き別れの父が危篤になり病院に呼び出される満島ひかり。しかし幼い頃から彼女の人生を台無しにしてきた毒父のトラウマに病院の前で立ちすくむ。彼女を心配してかけつけた松たか子が病院の前の蕎麦屋で「カツ丼食べたら病院に行こう」と説得する。毒父に苦しめられた日々を打ち明けながら苦悶する満島。すると松は突然、満島の手を握って「いいよ、行かなくていいよ、カツ丼食べたら帰ろう、みんなのところに帰ろう。そこがあなたの居場所だよ。」とキッパリと言う。安堵したように満島がハラハラと泣きながらカツ丼を食べる時に松のこのセリフが胸を打つのだ。

 「泣きながらご飯を食べたことがある人」。この言葉を言う方も、言われる方もどちらもきっと身の置き所のない悲しみを経験をしてきたに違いないことが伝わってくる。実に見事なセリフだ。

 俺のようなヘタレにはそんな経験はない。ない…けど、らしいものはあった。
 2007年8月、吉田拓郎の多摩センターのライブが当日中止になった。俺はショックでそのまま電車で折り返して新宿駅に戻った。そしてふらふらと新宿駅の小田急デパートの階上の食堂街に入り、確かヤキソバみたいなものを食べながらビールをあおった。我慢していたが、相方が「…大丈夫よ、大丈夫、拓はだいじょうぶ」というと俺は堰を切ったように泣けてきた。デパートの食堂街でひたすら泣く、もう明らかにどうかしているおっさんとなった。…あの夜、みなさんはどこにいてどうしてました?

 もちろん、このセリフが措定しているのは俺なんかより、もっと切実な苦しみかもしれない。吉田拓郎は泣きながらご飯を食べたことがあったろうか。何の根拠もないが、何回もあったんじゃないかな。そんな行間が拓郎の歌にはある。

2023. 6. 9

☆☆☆それでも、生きてゆくD 坂元裕二受賞記念☆☆☆
 大好きなセリフ、胸を打つ名セリフは、まだまだたくさんあるのだが、もう前回の第4位で終わりでいいかな。とりあえず今日は圏外の番外編だけ。

<番外@> 流れる星は
「カノンさん。今、流れ星が見えました」
「地球も流れ星になればいいのに」

          (ドラマ「anone」…カノン)
[解題]
 イヤ、なっちゃダメでしょ、それって地球最後の日ですから。「流星」は名曲ですが、実写化しちゃダメ(爆)「妖星ゴラス」じゃないんだから>知らねぇよ。

<番外A> どけどけどけ!
 負けんなよ。社会性とか協調性って才能の敵だからさ

               (映画「花束みたいな恋をした」…菅田将暉の先輩)
[解題]
 クリエーターを目指して苦闘する菅田将暉に対して同業のちょっとイキった先輩がアドバイスします。「天才に向上心はいらない」という誰かの言葉が身体をかすめます。

<番外B> ああ、それが行間
 絶対怒らないからホントのこと言って。」ってホントのこと言ったらめっちゃ怒られるでしょ?
それが「行間」。

[解題]
 自らラジオで「嫌いな吉田拓郎の歌」を募集しといて、いろんなハガキを読みながら、ごっつ怒ってる吉田拓郎、スタンディングしている観客に「座って聴け」と座らせながら、その後の別のライブでは「なぜ座ってる」と怒り出す吉田拓郎…いろいろ理不尽フェスティバルな吉田拓郎なのですが、それらはすべて私が「行間」を読んでいなかったからだ。…と思うことにします。

<番外C> 別離
 判断力が足りないから結婚する、忍耐力が足りないから離婚する。

                 (ドラマ「最高の離婚」…市川実日子)

[解題]
 「離婚の原因が何かわかりますか?結婚です。結婚するから離婚するんです。」という同番組の名セリフと相俟って胸にしみる空の輝き。とはいえ「一番最初に思い出す人だよ。一番最初に思い出す人たちが集まってるのが家族だよ。」という救われるセリフもあったりする。家族、この複雑なアポリアよ。

<番外D> ロマンチックを送って
 ロマンチスト最悪。ロマンはゴハンだと思ってるんですよ。ロマンはスパイスなんですよ、主食じゃないんだな〜

                   (ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」)
[解題]
 わかる、わかる。吉田拓郎のロマンチックはスパイスなのよと俺も思う。切ない状況や殺伐とした風景やささやかな人と人の営みの中に、そこはかとなく効いている極上のスパイス。それが吉田拓郎。たまに「ロマンチック王道」みたいな歌があるけれど、だいたい松本隆あたりによるものである。主食にしない吉田拓郎の矜持を感じるのだ。

2023. 6. 7

☆☆☆それでも、生きてゆくC坂元裕二受賞記念☆☆☆

<第4位> 
 過去とか未来とか現在とか誰かが勝手に決めたことで、時間て別に過ぎていくものじゃなくて、場所っていうか別のところにあるものだと思う

 人間は現在だけを生きてるんじゃない。5歳、10歳、30、40。その時その時を懸命に生きてて、それは過ぎ去ってしまったものじゃなくて、
あなたが笑ってる彼女を見たことがあるなら、今も彼女は笑っているし
5歳のあなたと5歳の彼女は、今も手を繋いでいて
今からだっていつだって気持ちを伝えることができる。

人生って小説や映画じゃないもん、
幸せな結末も悲しい結末もやり残したこともない。
あるのはその人がどういう人だったかっていうことだけです。

           (ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」…オダギリジョー)
[解題]
 ああセリフ長すぎたよな…だけどこのセリフをどこかだけ切り取ってチョイスすることができない。子どもの頃からの親友・市川実日子を失った松たか子がその後悔と苦悩から抜け出せないことを初対面のオダギリジョーにこぼすと、彼が静かにこんな話をする。このドラマの屈指の名場面だと思う。

 過ぎ去ってしまった消えモノではなく、私たちがそれぞれ経験した20代、30代、40代のあの日の吉田拓郎は、今でも歌っていて、そこで熱狂している自分は今も熱狂している。例えば、俺は今もt君と篠島の炎天下でジリジリと灼かれながら拓郎の登場を待ち、拓バカ達とつま恋のノースの前でバスに乗った拓郎に今も思い切り手を振っている。今からだっていつだって気持ちを伝えることができる。結末もやり残したものもなく、その人がどういう人でどういう唄を歌っていたか…そして私たちがどう聴いたかということだけである。…そう言われているかのようだ。

 このセリフに続いてオダギリジョーはこうしめくくる。

 だから人生にはふたつのルールがあって、ひとつは亡くなった人を不幸だと思ってはならない。生きてる人は幸せを目ざさなければならない。人はときどきさびしくなるけど人生を楽しめる。楽しんでいいに決まってる。

 そう、決まっている。

2023. 6. 6

☆☆☆それでも、生きてゆくB坂本裕二受賞記念☆☆☆

<第5位> 両手でこぼれるほどの

 だってこぼれてたもん。人を好きになることって勝手にこぼれるものでしょ?                 (ドラマ『カルテット』…満島ひかり)

[解題]
 「好きじゃない」と言葉では断固否定する松たか子に対して、満島ひかりはこう言って1ミリも動じなかった。溢れる好きは抑えても抑えても湧き上がりこぼれてくる。

 第6位で書いた通り、俺ごときが偉そうに言えることじゃないが、拓郎ファンは実に多種多様で、お互い様だが感じ方が対極な方々も少なくない。名作か凡作か、感動か,がっかりか、終わってしまったか,いやまだまだこれからなのか、拓郎ファン同士で話すとき往々にして緊張をはらむことがある。

 それでも俺が会った拓郎ファンはどんなに意見が違っても例外なくみんな「好き」があふれ出しこぼれていた。たぶんみんな日常で多かれ少なかれ拓郎好きを隠して生きているに違いない(当サイト調べ)。背中に鮮やかに彫られた「拓郎命」の透明なタトゥーを隠して生きているはずだ。しかしどんなに隠しても好きはこぼれる。めんどくせーヤツとお互い思いながら、そのこぼれているところに共感とか尊敬とかバディな感情が湧く。このこぼれた「好き」に嘘はない。
 ライブの魅力は、ステージの拓郎だけではなく、客席の前後左右、四囲上下、こぼれている人たちが、溢れるものを解放するところにある。WANGANは素晴らしいがそれがない。たとえ50人でも、こぼれている連中を入れるべきだった…と思う。もし次があるならよろしく哀愁。

2023. 6. 5

☆☆☆それでも、生きてゆくA坂元裕二受賞記念☆☆☆

<第6位> 同じだけれど違う曲

 音楽って、モノラルじゃないの。ステレオなんだよ。イヤホンで聴いたらLとRで鳴ってる音は違うんだよ。片方ずつで聴いたらそれはもう別の曲なんだよ。
               (映画「花束みたいな恋をした」…菅田将暉)

[解題]
 ファミレスでひとつのイヤホンに左右で耳をあててイチャイチャしている見知らぬ若いカップルに菅田君が「あの子たち音楽好きじゃないね」と文句をつける。ん〜カッコいいんだからもう。
 この名セリフで目が覚めてふと思う。同じ吉田拓郎ファンで、同じ拓郎の同じ歌を聴いているのに好き嫌いを含めて感じ方が正反対だったりすることがよくある。まったく別の曲を聴いているかのように反応や感じ方が別れることが多い。こういうことってよくあることなのだろうか。しかしたとえばマイク真木のファンの間で「バラが咲いた」の意見がわかれたり、小田和正のファンで「ラブストーリーは突然に」の好き嫌いでモメているという話を聴かない。
 結局、俺が変なだけだという気もするが、それを言っちゃおしまいよ。でもホラ、オールナイトニッポン・ゴールドで「嫌いな吉田拓郎の歌」をリスナーから募集したら実に多彩な曲が出てきて盛り上がったじゃないの(爆)。吉田拓郎という旗の下に集う人々はそれぞれ結構バラバラなんじゃないのか。
 これは、あらゆる感性を包容する吉田拓郎の音楽的なフトコロの大きさを示しているのではないか…って、まとめてどうする。

2023. 6. 4

☆☆☆それでも、生きてゆくセリフたち@☆☆☆
 カンヌ映画祭で坂元裕二が脚本賞を受賞した。おめでとうございます。このサイトでも再三力説してきた神ドラマ「それでも、生きてゆく」が彼の脚本だが、その後「最高の離婚」「カルテット」「Woman」最近では「大豆田とわ子と三人の元夫」、今をときめく菅田将暉の映画「花束みたいな恋をした」…俺が引っかかったドラマと映画はすべて彼の脚本だったと知る。どれも俺的には名セリフが多くてツボなのだ。…ていうかここまで揃うと、単純な俺は完全に彼の掌中で転がされていただけみたいな気がする。
 ということでカンヌ映画祭受賞記念「拓郎ファンだから心に響く坂元裕二名セリフベスト7」といきたい。…ほぼ、ひとりよがりだけどさ。

<第7位>   不在
 いなくなるのって消えることじゃないですよ?
 いなくなるのって、いないってことがずっと続くことです。
 いなくなる前より、ずっと側にいるんです。
             (ドラマ「カルテット」…松たか子)
 
[解題]
 夫役の宮藤官九郎が失踪してしまい、ひとりぼっちの松たか子。彼女が自分に心よせる松田龍平に決然と放ったセリフ。…そうだ、吉田拓郎ファンも大いなる不在を生きて行かなくちゃならない。推しは去ろうとも、その姿を側に生きていなけりゃ、そう生きていかなけりゃ。
 このセリフに続けて
「今なら落ちるって思ったんですか?いない人よりも僕を。捨てられた女舐めんな!」
 と啖呵を切る。いいぞ。「リタイヤされたファン舐めんな!」と誰だかわかんないけど誰かに向って叫びたい。

2023. 6. 3

☆☆☆Tからの贈り物☆☆☆
  iTunesで「オーボーイ」を聴こうとすると並んでFromTのデモバージョンも出てくる。いまさらだけど、いいねぇ、このデモテープの精度というかインパクト。リー先生はじめむこうのミュージシャンとの大いなる紐帯となったであろうことは想像に難くない。ミュージシャンがデモバージョンに対して深いレスペクトを持って演奏しているのがよくわかる。ということで、完成品とデモとの間を行ったり来たりさすらう。完成品とデモの照らし照らされ合う関係がたまらん。
 んまー考えれば、よくぞあの拓郎さんがデモテープを公式音源化したりしたものだ。そのレアさを思う。まさに贈り物か。

2023. 6. 2

☆☆☆師曰く…☆☆☆
 ということで電車の中でイヤホンを耳にさし、目をつぶって頭をしみじみと振っている男をみかけたら、それはリーランド・スカラーか俺のどっちかだ。例のYouTube以来、すっかり敬服している。「オー・ボーイ」を聴きながら高校時代のダンパに思いを致すリー先生。この曲をダンス・ミュージックとして聴いたことはなかった。そう思って聴くとまた格別な味わいを感じる。てか、すまん。そもそもリー先生にも高校時代があられたのか、どこの高校だ、ホグワーツか。
 96年秋のインタビューでリー先生が、あなたにとって音楽とはという質問に"Happiness"と答える。御意。それとは直接関係ないが「ハピネス」という曲があった。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「ハピネス」(作詞:吉田建/作曲:井上慎二郎/編曲:武部聡志/アルバム「Hawaiian Rhapsody」所収)
 吉田拓郎作じゃないからか、あるいは吉田健の作詞だからか、わからんが何となく省みられることのないこの作品。実はかなりいい出来だと思う。聴くと元気が出る。空に向かって闊歩していくよう明るさは吉田拓郎の天性のボーカルの威力だと思いたい。リー先生のハピネスと通底しているような気がしなくもない。

2023. 5. 28

☆☆☆わけもなくリーさん☆☆☆
 あの外人バンドの髭のベーシストLeland SklarのYouTubeチャンネルで吉田拓郎のことを語っている回(1348 吉田拓郎)をVientoさんのVつぶで教えて貰った。ありがとうございます。
 リーさんは律儀に吉田拓郎のプロフィールと「Long time no see」のクレジットを英語で紹介している。…そうか。それにしても吉田拓郎は日本のジェイムス・テイラーなのか。よくわかんないけど、いいのかそれで。また日本でのツアーの思い出も語っている。俺の拙い英語力なので怪しいが、鎌田由美子さんはちっちゃくてキュートなのに大食漢で、ホットドッグ大食いコンテストに出したいし、ワディ・ワクテルは日本のホテルの初めてのシャワートイレで水浸しの惨事に遭ったらしい。彼らにも印象的で楽しいツアーだったことがわかり嬉しい。
 りーさんのセレクト
 @オー・ボーイ
 Aとんとご無沙汰
 B君のスピードで
 C淋しき街
 これらを聴き入るリーさん。目を閉じて、しみじみと揺れている。魂に響いているその聴きざまが素敵すぎる。涙ぐむ。ああ、こんなふうにしみいるように拓郎の音楽を聴きたいものだ。言葉と文化を超えて、なんか通じた、音楽で通じたぞ〜と思える。

2023. 5. 26

☆☆☆ネットを開けたらいつもの笑顔☆☆☆
 久々の吉田拓郎の近影は嬉しい。お元気そうな笑顔を眺めながらあれこれとひとり想えば時は行く。
 吉田拓郎のリタイアで俺の心にあいた穴は深くマントルまで到達しそうだ。しかしその反面で、最近はしみじみとした「自由」も感じるようになってきた。例えばユーミンのツアー開始のニュースで武部が変テコな衣装でプレイしていても,もう心は揺れない。俺はもう虎の穴の覆面ワールドリーグ戦(>知らねぇよ)にひとり挑むようなチケット争奪の戦いに身を削らなくてもいい。アレを歌ってくれよと悶絶したり、残念な選曲に居酒屋で荒らくれたりすることもない。新曲が微妙だった時に夜空を仰いで祈るようなあの気持ちも不要だ。何より忖度なくこんな無礼な好き勝手を言っても、ラジオやブログやライナーノーツで怒られたりすることもない。ああ自由をこの身で感じたい。
 そして当たり前だが吉田拓郎は亡くなってしまったのではなく、何よりあの写真のとおり、清々しく元気で生きておられることがあらためてわかる。だから追悼、追慕のような悲しい故人美化モードに縛られることもない。僕らは今も自由のままだ。

 それにもし拓郎が今も現役だったら、あんなふうに長渕の曲をしみじみ聴き直したり、THE ALFEEのペンライトが楽しかったりもしなかったろう。自由な気分で聴き直すときっと拓郎の聴き慣れた曲たちもまた違った様相と輝きを教えてくれそうだ。そう自由の風に酔え、すべてを解き放て。

 もちろんファンはどこまでもファンのままだが、個人的に昨日までのつづきではなく、まったく異質のファンとしての第二章が始まっているのではないかと思う。もう皇帝のいない第二章である。どう過ごすのかはわからない。前例のない道を行くアーティストの場合そのファンにもまた前例がないのだ。
 …「思えば第二章はまだ序章に過ぎなかった」とあとからほのぼの思うような、やがて僕達は不思議な夢を思い出すに日に向かってすすむのだ…ってこの歌を思い出した↓。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「渚にて」(作詞/作曲:吉田拓郎 「detente」所収)
 この地味な歌もなんか妙に象徴的で心に響いてくるよ。それとこのとても丁寧なイントロが好きだな。

 渚にて  

 波がひいて行く 別れの時だ
 君は今日から きれいになれる
 短い夢を 急いだけれど
 このまま居ては 沈んでしまう

 偶然なのに 淋しいからと
 若い命を燃やした事が
 互いの道を せつなく しばる
 本当の事が 言えなくなった

 恋人達は どこへ行くんだろう
 3年前なら僕等も同じ
 男と女が 友達ならば
 愛し合うより 道徳的だね

 二人で歩く事は もうないから
 今 自分の足音は
 早過ぎはしない 遅過ぎはしない
 ふり返る 道もない

 僕のあやまちは 一人のひとに
 ひとつの愛を つらぬけぬ事
 君の悲しみは 愛があふれて
 とまどう男を 読みとれぬ事

 嘘をつくたび 言葉が消える
 許し合うから 心は痛む
 罪と知りつつ 抱きしめ合った
 傷つく夜が またひとつ増える

 二人で歩く事は もうないから
 今 自分の足音は
 早過ぎはしない 遅過ぎはしない
 ふり返る 道もない

 波がよせてくる 別れの時だ
 君は今日から 悩ましくなる
 やがて僕たちは 不思議な夢を
 思い出す日に 向かって進む

……んー魂だ

2023. 5. 25

☆☆☆推し帝劇にあらわる☆☆☆
 堂本光一くんの「Endless SHOCK」をご夫妻で観に行かれたという目撃情報が届いた。拓郎さんはどこから観ても拓郎さんで、背が高くシュッとしていたそうだ。これだけで私の胸は十分すぎるほどに震える。…そのニュースを聴いた時の私↓
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               (水島新司「ドカベン」第31巻・少年チャンピオンコミックス 秋田書店刊より引用)

2023. 5. 20

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☆☆☆東京ドームなう☆☆☆
 久々の野球観戦だあ。岡本以外の選手は殆ど知らないし、ドレッドヘアーの選手がいることに驚き、千円札振ってビールのおねーちゃん呼んだら現金が一切使えなくて恥かいたし、もう浦島太郎状態だ。ここで一首。
【心の俳句】

  試合より想うは彼(か)の事ばかりなり

【解題】
 ああ東京ドームは吉田拓郎がコンサートをしないときは野球場として使っているのだなぁという感慨を歌ったものである。>野球に失礼だろ

2023. 5. 19

☆☆☆カンゲキ☆☆☆
 「うたコン」の西城秀樹特集で、ゲストのTHE ALFEEを観ながら思い出していた。思い出したけど口にするとまた言っていることがうるせぇよと思われるので黙っていた(爆)。
 昔、アルフィーの三人が拓郎の横浜の家に遊びに行った時、拓郎が自慢げに「これから西城秀樹に作った曲(デモテープ)を聴かせてやる」といって自宅スタジオに連れていかれて機械をいじりだしたら…あれ音が出ない…というエピを思い出していた。いわずとしれた「聖少女/夕陽よ俺を照らせ」である。デモテープ、めっちゃ聴きてぇ。「聖少女」…これはなかなかイケていたのではないかと思う。メロディ、テンポ、カッコ良さどれも秀逸だ。なんといっても真骨頂は、詞では「Say it 少女」なのだが、メロディーと溶け合うと♪セイエイエイエイ少女…となるこの部分である。ああリンゴとハチミツとろーり溶けてる。「やさしい悪魔」の♪やがてひとつのォウオウオウオウくらい天才だと思う。なんともいえない心地良さを感じる。そこがひときわ輝いてみえるから拓郎ファンなのだ。
 この「聖少女」は身の程を省みず当時、大学生のころのカラオケの俺の持ち歌だった。よく恥ずかしげもなく他人様の前で歌ったものだ。でも俺にも若いころはあったのだ。爺になった今では「女神が微笑む時」のゆったりテンポがしみじみとあっている。いいじゃないか、きっと女神は微笑む。

2023. 5. 16

☆☆☆女神が微笑む時☆☆☆
 NHKの「うたコン」の観覧に行ってきた。5月16日は西城秀樹の命日だそうだ。前説でいきなり「YMCA」を練習させられて、もちろん俺は思いきり踊った。ああ、夕陽よ俺を照らせ。次に「THE ALFEE」が登場すると、会場に散在していたファンの方々が思いきりファン専用のペンライトを振り始めた。すげえ。俺も彼女らの振りをまねてNHKから支給されたペンライトを振った。いやあ、楽しかったんである。THE ALFEE…いいじゃないか。こんな高揚感は久しくなかった。ALFEEとそのファンが心底羨ましくて俺もライブに行ってみたいと思った。こんな俺を嗤えるのは、これから再び歌い始めた時の吉田拓郎だけだ。
 高揚した気分で原宿駅前の「さくら水産」に行くと、折しも代々木体育館のももいろクローバーZのライブがはねたあとのファンたちでいっぱいだった。このろくでなし感満載の盛り上がり。かつて俺達拓郎ファンとともにあった熱気だ。イイ。推しってイイ。たぶんいい。その熱気を孕んだ飲み会がたまらなく眩しく見えた。

 かくして推し去りし後、死んだも同じの今になり、俺ははからずも長渕剛や浜田省吾やALFEEや篠原ともえらに救ってもらった気がする…こんな感じで(写真はイメージです>あったりめぇだろ)。
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2023. 5. 15

☆☆☆どうでもいいっていえばいいのだが☆☆☆
 WOWOWは3月で退会しちまったぜ。もともと2014年のライブのために加入したが、もはや推し去りし後に用はない。それでU-NEXTに加入して小津安二郎三昧の日々を送っていたところだ。それに6月の特集放送は、もちろんソフトは全部持っていて繰り返し観たものだ。だから別にいいやと思うがどこか後ろ髪ひかれるものがある。頭が小津映画になっているので俳優たちが勝手に脳内で会議を始める。

 杉村春子「ちょいと兄さん、全部持ってるのにわざわざまた金払って観るなんて、どうかしているよ。およしよ。」
 有馬稲子「そうやって叔母様みたいに損得のそろばんばかりはじいているのってナンセンスだわ。拓郎さんが観たけりゃ観るしかないわ。」
 佐分利信「そうはいってもこないだ辞めたものを、失敬、また入ります…というのは何ともバツが悪いものだ。」
 中村伸郎「そうだよ、ボクなんか細君に何と言われるか。」
 加東大介「こういうときは未公開映像とか、せめて別アングルとかなんとかちょいとした工夫が欲しいわなぁ」
 原節子「ごめんなさい…あの私、思うんですの。観たことがあるかないかじゃなく、この星空のずっと上の衛星から拓郎さんの歌う姿が送られてくるのかと思うと(涙)…私、そのときそこにいてしっかり受け止めて差し上げたい、それだけで幸せだと思いますの。」
 笠智衆「…そうじゃなぁ。ほんに節子さんの言う通りじゃなあ。わざわざ拓郎さんを届けてくれる衛星が気の毒でならん。」
 杉村春子「また兄さんたら。衛星のことなんか知りもしないで。だいたい兄さんが衛星のことどんなに思おうが、衛星の方は兄さんのことこれっぽちも思っちゃいませんからね。」
 
……ということで悩んでいるのだ。

2023. 5. 12

☆☆☆ドライブ・マイ・カー☆☆☆
 長渕剛の「JEEP」を聴いていたら「車を降りた瞬間から」が聴きたくなった。まるで武部聡志が車窓から楽譜を投げ捨てるように(爆)、悲喜こもごも思い出を惜しげもなくふり捨てながら走る吉田拓郎が浮かぶ。そうなると浜田省吾の「夏の終わり」も久々に聴きたい。なんか免許を返納する前に、もう一度だけ車を運転してみたくなってきた。疎んじていた長渕が今さら心にしみたりするのは、推し去りし今、長渕とそのファンが羨ましいんだろう。推しが去った後は、てんではっぴいになれないんだよ。 映画「ドライブ・マイ・カー」の「僕は正しく傷つくべきだった。本当をやり過ごしてしまった。見ないふりを続けた」という西島班長のセリフが胸にしむ。

 拓郎も一時期JEEPに乗ってたよね。JEEPといえば、かまやつひろしさんも愛乗していたらしい。昔「ミエと良子のおしゃべり泥棒」にムッシュがゲスト出演した時に「荒れた道をジープでガタガタしながら飛ばすのが楽しい…」みたいな発言のあとで、森山良子が小さな声で「…ズレちゃったりして…」と呟いたのが忘れられへん。  

2023. 5. 11

☆☆☆本当の距離☆☆☆
 「JEEP」は良い曲だなぁ。長渕は珍しく情念をあまり表に出さずに、淡々と景色を描写してゆくその行間ですべてを表現する。少し投げやりな歌いっぷりがまた絶妙に素晴らしい。

 ところで、いつも思う。拓郎ファンである俺の陥りやすい悪弊というか勘違い。つい吉田拓郎本人のスタンスですべてを捉えてしまうところがある。長渕剛、浜田省吾をまるで自分がお世話した後輩のような感覚で観てしまう。あの桑田佳祐を「オー桑田君、相変わらず頑張ってるな〜」という気分で観ていたりする。坂崎幸之助なんかは殆どダチみたいな感覚でいる。松山千春よ「拓郎」じゃない「拓郎さん」と言え…んな勘違いは俺だけだな。いずれも俺なんぞは影をも踏めない超絶なスーパースターであることは言うまでもない。この身の程知らずの倒錯した距離感は心の底から戒めなくてはならないと思う。
 それは何よりたぶん吉田拓郎ご本人にしてからが、彼ら後輩に対してそんな尊大な距離感では生きていないと思われるからだ。そこだ。そこなんだよ。吉田拓郎の他者への畏れある距離感こそ学ばなくてはならない…と俺は思うのだがぁぁあぁぁ。

2023. 5. 10

☆☆☆拓郎ではない歌手☆☆☆
 このサイトのポリシーは簡単だ。この世界には「吉田拓郎」と「その他の歌手」の2種類の歌手しか存在しない。…偏愛を超えて,そもそも人としてどうかと自分でも思う。そんな人としてどうなのかな拓バカと二人で新しい行きつけの居酒屋で飲む。
 二人とも長渕剛は苦手なのだが、相方は先日NHKラジオで9時間にわたる「長渕剛」三昧を聴いてしまったという。僕はと言えば、篠島もあり、長渕剛は遠いようで近く、近いようで遠く、やっぱり遠くでいいやと思ってきた。この心情は、むかし子どもの頃遊んでくれた近所の優しい兄ちゃんが、しばらく見ないうちにイカツイ極〇になって現れた時の気分に近い(爆)。なので触らぬ神に祟りなし。すまんな。

 そんな門外漢二人でベスト50曲のランキングを眺め、放送内容をリフレインしていると意外にも妙にしみじみとした気分になっていった。俺たちを基準にしても何の意味もないが、そういえば大好きだった曲を見つけるたびに胸が疼いた。そしてそういう俺らでも知っているような有名スタンダード曲よりも上位には、俺らが知らない曲も多かった。それは長渕も長渕のファンもたぶん過去と苦闘しながらも新しい歌の旅を続けてきたことの証のように思えた。その知らない曲をその場でスマホで検索すると心に響く曲が結構あった。かつてのNHK出禁事件の顛末のくだりも、そりゃあ、あまりに長渕が気の毒だよな…となんか知らんが意気投合してしまった。
  
 ということでspotifyで「JEEP」と「素顔」と「何の矛盾もない」を聴きながらひとり夜道を帰った。長渕や長渕的なものを疎んじてきたことに後悔はないが、なんだろうか、寛解してゆくような,それでいてちょっと切ないこの気持ちは。気が付くと僕はいま何をしてるんだろう、夜空を見上げると、多くの夢が、星になり風になり踊って見える…最後はやっぱり拓郎か。ああ、なんかはかないぜ。

2023. 5. 8

☆☆☆色褪せなかったのは4人の若者だけ☆☆☆
 サイトでお世話になっているNinjin design officeの画伯から「ずうとるび」が再結成したことを教えてもらった。同時に1975年〜6年のアイドル雑誌「近代映画」のファン投票で「ずうとるび」は西城秀樹、郷ひろみ、沢田研二らをおさえて、女子部門の山口百恵、桜田淳子と並んで第一位に輝いている資料を見せていただいた。俺と同じ年齢の画伯から「当時、ずうとるびは新御三家を凌ぐ人気があったのだろうか?」という真摯な問いかけをいただいた。うん確かに「ベイシティローラーズ」は流行していたよな。そのころ俺は蒲田の日本電子工学院で収録していた「学校・そば屋・テレビ局」は観ていた記憶があるが、75年といえばフォーライフにつま恋にと拓郎ファンにとっては吉田拓郎しか見えないめくるめく日々だったため、そのあたりの記憶がない。
 2020年、もともと4人組だったずうとるびは再結成して5人組になっていた。山田隆夫が脱退して交代した池田喜彦メンバー(すまん知らなかった)も一緒に再結成に参加しているためだ。2013年のローリングストーンズの公演で、ロン・ウッドとミック・テイラーが一緒のステージに立っているみたいな贅沢さだ>ホントにそう思っているか? いや、それでも「ずうとるび」と聞くだけでどこか心はみかん色になってくるんじゃよ。それも自由だとずうとるびは教えてくれた。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「ビートルズが教えてくれた」(歌:LISA 作詞/作曲:吉田拓郎「吉田拓郎トリビュート〜結婚しようよ」所収)
 LISAのこのカバーはすげえ魅力的だ。LISAといってもたぶん若者に今人気のLiSAとは違うらしいが、もう爺ちゃんにはLISAもLiSAも、な〜んもわがんね。とにかくピアノでの清冽な弾き語りの「ビートルズが教えてくれた」がたまらない。

2023. 5. 7

☆☆☆思い出になんかしないよ☆☆☆
 ウチの方は久々の雨だ。車の中でバラバラという雨音の中、遠くでかすかなクラクションが聴こえると♪た,え,こ,MY LOVEと歌い出したくなりませんか?>ならねぇよ。…そうですか。私は歌いたくて仕方なくなります。
 そういえばステージで「たえこ MY LOVE」を聴いたのは1981年の体育館ツアーが最後だったっけ?と考えていたら、そうだ1999年の20世紀打ち上げパーティーのメドレーでフルサイズではないものの結構ちゃんと歌っていたことを思い出した。2021年からの最後のオールナイトニッポンで、「もうこの歌は歌えないだろうな」と弱気な様子を見せた拓郎だったが、果たしてそうだろうか。試してみてもいいじゃないか,はさらばのB面。恥ずかしかったら、俺の前でそっと歌ってみなよ>知り合いかよ
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「たえこMY LOVE」(作詞/作曲:吉田拓郎 「セイ!ヤングでオンエアした1979篠島バージョン」) 
 出だしを2回間違えるところは伝説級の面白さだ。しかし、この時の最後のボーカルの岩石落とし=「のぉぉぉ〜なぁぁぁ〜ないやぁぁぁぁ〜おおぉぉぉぉぉ 」という絶唱の終わり方にも度肝を抜かれた。魂だ。最初だけでなく、最後もいろいろ凄い1979の「たえこMYLOVE」である。ココ大事。

2023. 5. 6

☆☆☆♪あなたに逢いたい、あなたの声が聴きたい☆☆☆
 石川県、能登半島の地震、知り合いは無事でしたが、被害はかなり大きかったようで御見舞申し上げます。いちはやく収束しますように祈るしかない。こんなときにいつも短くも心のこもった言葉を送る御大であった。表白しないだけで、今も変わらずおられることと思う。あなたもどうしておいでだろうか。

☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「ここに幸あり」(歌:大津美子/作詞:高橋掬太郎/作曲:飯田三郎 ) 
 先日、同窓会の手伝いでつきあわされた飲み会で、私よりさらに爺な大先輩が歌うのを聴いて胸に響いた。ああ、これは拓郎推しの歌ではないかと。「女」を「推し」に変えたらぴったりだ。

 嵐も吹けば 雨も降る
 推しの道よ なぜ険し
 君を頼りに 私は生きる
 ここに幸あり 青い空

 命の限り呼びかける
 こだまの果てに 待つは誰
 君によりそい 明るくあおぐ
 ここに幸あり  白い雲

…いいじゃないか,いいじゃないかはさらばのB面。とにかくこの困難で理不尽な世の中、この歌を胸に推し無き日々を元気にまいりましょう>おまえひとりでいけよ

2023. 5. 5

☆☆☆私はありふれた恥ずかしい人間だから☆☆☆
 …気になることを話してみます。いつも考えるのだが「女たちときたら("FromT"のデモテープ所収)」と「東京の長く暑い夜(1990年男達の詩ツアーでのみ演奏)」との先後関係はどうなのだろうか。どっちもほぼおんなじ詞で、結局どっちもアウトテイクとなってしまっている。なのでどっちが先でも大きな違いはないので、まぁどっちでもいいかといつも考えるのをやめてしまう。
 どちらも1990年の夏が舞台だ。イラクがクウェートに侵攻したのは、90年8月2日だ、…なんて日に戦争しやがる。絶望的な世紀末のような悲しみに、拓郎は「東京の長く暑い夜」で苛立ちをぶちまけるようにステージでシャウトする。そしてツアーが終わって、たぶん「detente」の曲作りに向けて、かの歌を少しクールダウンして日常の景色に落とし込んで音楽的にまとめてみたのが「女たちときたら」になったものか。
 逆にあの夏と自分の暮しを最初に「女たちときたら」でデモテープにまとめたが、こりゃあ、なんかアウトテイクだなと判断して、ぶち壊すように換骨奪胎で弾き語りでシャウトしたのか。それにしてもこのデモテープのアレンジは秀逸だしな…
 というわけでどんなに考えたところで本人しかわからないし、どっちでもいいじゃねぇかというご意見こそごもっともだ。しかし、どっちでもいいじゃねぇかなこと、ここに幸あり白い雲。知らねぇよ。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「東京の長く暑い夜」(作詞/作曲:吉田拓郎 ) メインロードには乗せなくとも、どこかでこういう魂の唄が聴けるような環境はできないものか、なんかとならないか。♪東京の長く暑い夜は 私に消えちまえと言うのでしょうか〜このフレーズがあまりに魂すぎる。

2023. 5. 4

☆☆☆箱根の山は天下の剣☆☆☆
 ♪箱根に行きたいと思っているよ、心が洗えれば幸せだから(「女たちときたら」)…ということで箱根に行ってみたが、連休の激込みでそそくさと退散してきた。芦ノ湖でボートも漕がず、大涌谷の黒いゆで卵も食べず、温泉も入らず…ロープウェイは最初から乗るつもりなく撤収した。あ、断じて高所恐怖症なのではなく、子どもの頃「ウルトラQ」(第2話「ゴローと五郎」)の冒頭で、ロープウェイに乗ってると、巨大猿のゴローがロープにぶら下がって近づいてくるというすげー怖いシーンがあってトラウマになっていまだに怖いのだ。>高所恐怖よりそっちが恥ずかしいだろ(爆)
 とにかく、どこもかしこも75年8月2日の多目的広場状態である…参加していないけど。よほどのこと=吉田拓郎が歌うのでもない限りもう人混みはなるべく避けたい。よほどの吉田はあるのだろうか。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「Baby」(作詞:松本隆/作曲:吉田拓郎 「ローリング30」所収) やはり箱根といえばロックウェルスタジオだ。聖なる場所に祝福を。最近好きなのが「Baby」。まるで映画を観ているような叙景とPOPなサウンドに気分が弾む佳曲だ。昔は埋め草のようなテキトーな曲だと思っていたが、すまん。すまんといってもそもそも松本隆にしてからが「ローリング30」の殆どが捨て曲だと言っていた(ミュージックマガジン2015年7月号インタビュー)。当時の音楽雑誌のレビューでも一枚のアルバムに取捨選択しろと批判されたりして、当時はそうかもなと思ったりもした。しかしどうだ、今となっては、このアルバムに捨て曲が一曲もありゃあせん。どれを削っても成り立たないとさえ思う。ロックウェルの魔術は永遠なのだ。

2023. 5. 3

☆☆☆何十回目かの記念日☆☆☆
 「これは、どれだけ圧倒的な多数決でも絶対に奪えない個人の自由のセットリストみたいなものだ」だからこそ「少数者のための最後の防波堤なんだ」と熱弁していた恩師の授業を思い出す日。
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…もっと真面目に聴いておきゃよかった。多数派の政治家には鬱陶しく邪魔なものであることは当然だ。だから彼らの喧伝する改正の機運や大義など知ったことか。ささやかな個人の生命、自由及び幸福追求と並んだ平和があればこそ、それがすべてだ。
 …ということで若者よ、世界の果てで愛する人のために自転車をこげ! どこまでもひたすらにこぐべし!、こぐべし!。いみふ。
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☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「Life」(作詞/作曲:吉田拓郎 「FOREVER YOUNG」所収) 
 しくみがあるから生きるわけじゃない
 勝手なルールを押し付けないでくれ
 こちらを向けと言われて背いても
 人が人として 息づいているんだ
くぅぅぅ、何度聴いても名作ばい。拓郎さんご本人の意図はわからないけど、自分の思い込みとしては、どこまでも個人の尊厳を体現した歌に聴こえ、ひたすら胸にしみる空のかがやき。先生の授業はあまり真面目に聴かなかったけれど、大切なことはすべて吉田拓郎から教わってきたのだ。

2023. 5. 2

☆☆☆女優系☆☆☆
 ということで俺一人で盛り上がっていた小津安二郎映画祭も昨日の「浮草」をもってほぼ終了した。「東京暮色」の陰のある有馬稲子も実に素敵だったが、この映画では若尾文子が素晴らしい。もうオーラが違う。
 仔細あって旅芸人一座の先輩である京マチ子から、真面目でカタブツな好青年の川口浩のことを誘惑しろと命じられて、ホントはそんなことしたくない若尾文子がしぶしぶ彼に接触する。もう川口浩がイチコロだ。たぶん観ている男性もみんな川口浩だ。まるでアマゾンの秘境でアナコンダに呑み込まれてしまう探検隊の隊長のようである。
 ということで吉田拓郎がなぜ若尾文子に惹かれたかがわかる気がする一作だった。共演できたときの拓郎の喜びはいかばかりか。…なのに怒らせちゃったんだよね(涙)
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「おはよう」(作詞/作曲:吉田拓郎 「今はまだ人生を語らず」所収) いいねぇ、爽快。
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2023. 5. 1

☆☆☆ウェルカムの心意気☆☆☆
 小津映画に出てくる言葉遣いで次に気になったのが「おいで」だ。笠智衆が娘や家族に朴訥だがやさしい口調で言う「こちらにおいで」「お父さんのところにおいで」。これは別に今でも一般的に使われる言葉だけど、ちょっとアレって思ったのは、笠智衆の職場に杉村春子演ずる妹が不意に訪ねてくるシーン。「兄さん,こんちは」、兄さんは笑顔で「あ〜、おいで」…この「おいで」はcome onではなくwelcome=歓待の意味になっている。「おいでやす」に近いのか。そもそも言葉というより笠智衆の言い方の温かみも大きい。
 ということで、ここまで書くとこの爺めが何の歌を聴きたくなってくるかがおわかりでしょう。そうだ。「おいでよ」(作詞/作曲:吉田拓郎/編曲:鈴木茂 「大いなる人」所収)。77年秋、毎日のようにラジオ番組にこの当時のニューアルバムのプロモーションに出演していた拓郎はこのアルバムで一番好きな曲だと宣っておられた。…正直、高校生の俺はそれほどの曲か?と当時は思った。
 当時拓郎は、かまやつひろしのレギュラーラジオ番組にも出演したが、ムッシュが「この『おいでよ』って拓郎の口癖だよね。『ムッシュ〜、これやってるから、おいでよ』ってよく言うよね」と話していたことを思い出した。笠智衆のしみじみとした歓待、吉田拓郎のウェルカムな思い、それをちゃんとわかっているムッシュ…ということで、たったいま、この曲はそれほどの曲に昇格(爆)>怒られるぞ
☆☆☆ソウルメイトな曲☆☆☆
「おいでよ」(作詞/作曲:吉田拓郎/編曲:鈴木茂 「COMPLETE TAKURO TOUR 1979」所収)
 Uramadoにも書いたが、"帰ればもとままさ 時計もあの時のまま"のあとの中華なメロディーで気が散ってしまうので、今日はTOUR79のライブバージョンを聴く…が,同じじゃん!…"すいません、サンラータンメンと春巻きお願いします!"と叫びたくなる。とはいえTOUR79には拓郎の「おいでよ」の肉声紹介が入っているところがおトクです。
"僕の部屋には小さいけれど 君が旅立つ何かがあるよ"…御意。

2023. 4. 30

☆☆☆ちょいとしたマイブーム☆☆☆
 ジャケ買いした「東京暮色」以来、小津安二郎の映画に超ハマりして10本くらいたてつづけに一気に観てしまった。ゆったりとしたセリフとその間あい、美しい構図、土間、縁側からの画角、そして昭和の街…ああ蒲田に多摩川に五反田だ、この雑司ヶ谷の坂は知っている…今さら俺ごときが言うまでもなく、いろいろ素晴らしい小津映画の世界。しかし人を見れば、君はいくつだ、嫁にはいかんのか、男なら身を固めて、申し分のない家柄…などなど70%くらいがセクハラと差別で出来上がっている気がする(爆)。武田鉄矢ではないが確かに昭和は輝いていたけれど、ひどいこともいっぱいあったもんだ。だからこそ笠智衆の孤独がいっそう胸にしみる。
 
 映画の中で、気になった言葉がいくつかあった。拓郎はかつてラジオで古い日本映画の「細君」という言い方に反応していたことがあった。そのひとつは「ちょいと」だ。映画のセリフに実によく出てくる。老若男女問わず、セレブたると否とを問わず、公式の場であっても、みなさん「ちょいと待って」「ちょいと考えさせて」「ちょいと時間が」「ちょいとさ」…当時はかなり広く深く浸透していたことが窺えて面白い。今は死後ではないもののあまり使わない。あの頃の人々は「ちょいと」の間合いにその時の気持ちをこめて暮らしていたのかもしれない。そして、あのお方の歌にはそこそこ登場する。ちょいと思いつくだけで…「吉田拓郎"ちょいと"ベスト3」

   第3位 ちょいと地球へ遊びにやってきた(たくろうチャン)
       遠い星から地球にちょいとだけ(together)

   第2位 気取って見せよう、ちょいとした気分さ(悲しい気持ちで)

   第1位 オイラお先にちょいとゴメン、オイラとにかくちょいとゴメン(この指とまれ)
 
 >「ちょいと」ベスト3に何か意味があるのか…ねぇよ。あっても、なくてもやるんだよっ(怒)     
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「悲しい気持ちで」(作詞/作曲:吉田拓郎/編曲:鈴木茂 「大いなる人」所収)
  地味ながら、いい歌です。幸福と不幸の紙一重の谷間。何を探してる魔法の杖かい? 足元の石ころでも拾え。結構元気づけられたものです。鈴木茂のアレンジの品格が素晴らしい逸作でもある。

2023. 4. 29

☆☆☆ゆうづうのきかぬ自由に乾杯☆☆☆
 拓郎の泉谷への手紙をどう思うかは個人の自由だ。しかしそこから音叉が共振するように「泉谷しげるの見た吉田拓郎」があちこちで浮かび上がってくる。それらは俺にはとても大切で必要なものなのだ。泉谷から見える吉田拓郎は、笑いの中にも、どうしようもない切なさとやさしさが満ちている。そんな泉谷の貴重なつぶやきを教えてくださった同志の方ありがとうございました。…なんとなく思い出すのが何回も引用したあの一節だ。

「ほんものを見る、ってのもな、むろん大切なことだよ」泣き男はつづけた。「でも、それ以上に大切なのは、それがほんものの星かどうかより、たった今誰かが自分のとなりにいて、自分とおなじものを見て喜んでいると、こころから信じられることだ、そんな相手が、この世にいてくれるってことだよ」(いしいしんじ 「プラネタリウムのふたご」より)

 それにしてもわかったようでわからない…と言いつつ、わかりかけたような気がしたけれど、やっぱり永遠にわからないのが吉田拓郎だ。だからファンはやめられないし終わらない。終わりようがないのだ。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「街を片手に散歩する」(作詞/作曲:泉谷しげる 「クリスマス」所収) 作品もいいけれど、それにこたえるようなボーカルが実に素晴らしいっす。これが共振ってやつっす。

2023. 4. 28

☆☆☆ホームにて☆☆☆
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 中野駅のホームからサンプラザと並んだ中野区役所の垂れ幕を眺める。区役所もエールを贈っている。
 「最後の中野サンプラザはじまる」
 「さよならNAKANO SUNPLAZA」
 ああ、いよいよ終わってゆくのか。ありがとう中野サンプラザ。
 その下にある「憲法を生かそう くらしに まちに」…このエールも一緒に胸にしみる。そうだ、先生諸兄含めたすべての公務員の仕事は渾身で尊重し擁護することであって、改正に血道をあげることではない。なんだかんだで、ひとり胸が熱くなり、ああこのまま駅を降りて「第二力酒蔵」で昼呑みしたいと思った。聖なる場所に祝福を。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「望みを捨てろ」(作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎 「よしだたくろうLive'73」所収)
 さよならNAKANO SUNPLAZA、この最高のシャウトと最高のサウンドを残してくれた聖地よ。

2023. 4. 26

☆☆☆あなたと私は子どものように☆☆☆
 拓郎の「好きだよ」で終わる手紙を読み上げられると、泉谷は一瞬の間のあと「…よく喧嘩したなぁ」とつぶやいた。そのしみじみとした感じがまた胸をうった。俺もしみじみと思う。
「吉田拓郎と泉谷しげるが喧嘩した」というニュースを聴くと原因も経緯もわからないが「…きっと拓郎が悪いんだろうな」と思う。そういうのない? 俺はある。きっと拓郎が何か言って怒らせたんだろうな…という(爆)。すまんな。なぜだろう。それもこれも、いいじゃないかと思わせてくれる素敵な手紙だった。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「ああ青春」(作詞:作曲:吉田拓郎  「吉田拓郎ライブ コンサート・イン・つま恋'75」所収)
 何度でも書くぞ。かつて地球ZIGZAGにゲスト出演したとき、ロックミュージシャンを目指す若者のドキュメンタリーを観た泉谷が「ロックってこんなもんじゃねぇよ」と悪態をついた。高橋リナさんが「それでは泉谷さんにとってロックとは何ですか?」と尋ねたところ泉谷はキッパリと言った。
「吉田拓郎がよ、つま恋に6万人だか集めちゃってよ、本人は大観衆を目の前に緊張してビビっちゃってよ、目はうつろ、声はヘロヘロでうわずっちゃってボロボロなのよ。それでも、こうやってギター抱えて『歌うぞ』ってググッ、ググッて身体を前に出してゆく、俺に言わせれば、そういうところに本当のロックがあるんだよ」 泉谷、好きだよ。今日はこれを聴こう。

2023. 4. 24

☆☆☆二人の本当の距離☆☆☆
 昨夜は久々にtくんとサシ飲みしてご機嫌で帰って、ねーさんから教えて貰っていた「篠原ともえの東京プラネタリー☆カフェ TOKYO FM 2023/4/23(日) 」をradikoで聴いた。まだ聴けるぞい。吉田拓郎の泉谷しげる宛ての手紙が、昨夜のことだったので特に胸にしみた。

泉谷しげるさん
大変ご無沙汰しています。
私はずっと昔、あなたとはじめてお会いしたころから
この人は自分にとってきっと長い人生においても本当に数少ない
心を開いて話し合える存在となる人だと確信していました。
そしてそれはやはり現実になりました。
私は振り返るとその時々に数多くの仲間たちに囲まれて、それこそその時々に親しくお付き合いした人々が存在しましたが、結局はその時だけのビジネスライクな存在でしかなかったと断言できます。
今この瞬間につくづく思うことは、泉谷さんと私の説明不要の距離感こそが人生において実に大切なものだったということです。
お互いもう少人生を味わいたいですよね。
これからもこの距離感のままでもう少し楽しみましょう。

好きだよ。
                  吉田拓郎


「愛情が三倍か四倍になって返ってくる、ここまでも返さなくてもというくらい、愛情のかたまり」という泉谷の返しの言葉も良かった。

 説明不要の距離感。最後はそれしかない。そうそうセブンスターショーでこの二人は距離について話し合っていたよな。二人の姿を説明不要の距離感をもって眺めていたファンも勝手ながら一緒に祝福されているかのごとく嬉しい。
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☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「寒い国から来た手紙」(作詞:作曲:泉谷しげる) オリジナルと吉田拓郎のカバー、両方聴くよろし。

2023. 4. 22

☆☆☆何もかも求めすぎずおだやかに☆☆☆
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 昨日、献杯のために初めて入ったお店で出てきた「フキとタケノコ」。これだけでどんだけ元気になるか、どんだけ嬉しかったか、おそらく料理を出したお店の人でもわかるまい。ありがとう。献杯。
☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「フキの唄」(作詞:作曲:吉田拓郎 「午前中に…」所収)「何よりも平和が大切でありました」…この歌詞が尖ってきこえてしまうほど今の世の中はささくれだっている。ただの拓バカのヘタレおじさんだが、この多数派の流れにはのれない。ちょいとゴメン。

2023. 4. 21

☆☆☆何度でもアゲイン☆☆☆ 
 文字通り生涯をささげた真摯な拓郎ファンだったK君の命日がまたやってくる。昨年は拓バカが集まって盛り上がって楽しかった。ああやっていろんな話を聞くと、毎年殊勝なことを書いているこの俺も、いろいろ彼に気を遣わせたりして迷惑をかけていたこともあったようだ。すまなかったな…でもそういう話を聞くと後悔というより、いっそう彼のことを好きになる。これこそが彼の人徳だ。

 彼と二人きりでどこかに行ったのはたぶん一度きりだ。渋谷のライブハウスに甲斐よしひろを観に行った>拓郎じゃねぇし。会場で二人で開演まで缶ビールを飲んでいると館内にBGMで流れていたアグネスの歌。K君が「これ!これ!松本隆の作詞家デビュー作で、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆…キャラメルママの演奏なんですよね。」…彼が嬉しそうに言うとなんか俺も嬉しくなって周囲に客がいなかったことも手伝って酔っ払いの俺たちは小さく歌いながら揺れた。
 いつもはビッグバンドの「どうしてこんなに悲しいんだろう」を聴くのだが、今日はなんかこっちだ。よければみなさんご一緒に。
☆☆☆ソウルメイトのソウルメイトな歌☆☆☆
「ポケットいっぱいの秘密」(歌:アグネス・チャン/作詞:松本隆/作曲:穂口雄右/編曲 キャラメルママ、東海林修)

2023. 4. 19

☆☆☆ディラン暮色☆☆☆
 先達のブログに書かれていたが、ボブ・ディランの来日公演の絶賛記事があちこちに溢れている。「あぁ行けばよかったかな…」とちょっと後悔したがもう遅い。運命みたいに僕にも悲しみが湧いてきた。
 運命といえば今はすっかり呆けてしまった叔母が、当時高校生だった俺に「絶対に本人をこの目で観ておくべきよ」とディランの初来日のチケットを買ってくれた。初めての武道館に舞い上がり、ひょっとしたら吉田拓郎が来ているかもしれないと待ち時間の客席でも落ち着かなかったが、そもそも拓郎はこの時あえて観には行かなかったのだと後で知った。しかしその次のトム・ペティとの来日公演は堪能したらしい。そもそも拓郎は「血の轍」あたりからディランがわかんなくなったと言っていたが、むしろ自分は「血の轍」あたりからすげーカッコいいなと思い始めたので、拓郎の影響で聴き始めたとはいえ拓郎の思いとは俺はズレている。

 最後にディランのライブを観たのは2001年のパシフィコ横浜だった。ずいぶんライブのインパクトが変わっていた。偶然同じ公演に行っていた拓郎ファンの同志だった亡K君も「…ヘリウムガスを吸って歌ってたのかと思いましたよ」とちょっと悲しそうだった。ディランはステージで終始、笑顔もなくMCもなし、ご挨拶すらもしなかった。当時の大好きな逸話で、ディランが孫の幼稚園に行って園児らの前で歌ったことがあって、園児たちが「怖いおじいさんがやって来て、怖い歌を歌って帰って行った」と震えていたらしい(爆)。それと近いものがあった。
 ディランはとにかく音楽だけをキッチリ提供するつもりなのか、サービスとか客のグルーヴとかはとにかく完無視しているかのごとくだった。これが例えばストーンズのライブだといつだって熱狂してしまうのは、やはりそこにはあくなきサービス魂が漲っているからではないかと思う。…怒られるかもしんないけど。吉田拓郎もまたライブではサービスとグルーヴの人だ。というわけでなんとなくライブのディランは敬遠してしまうのだが、今年はどうだったんだろうか…と気になるが、拓郎がリタイアしてしまった今、あきらめられないものもない、現在の現在。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「Sara」(歌/作詞/作曲:BOB DYLAN  アルバム「欲望」所収)
 叔母は昔から吉田拓郎のことが大嫌いで、当時高校生の俺を必死で更生させようと頑張っていた(爆)。"となりの町のお嬢さん"を「気の抜けたビールみたい」、"明日の前に"を「…ですぅ〜、…ますぅ〜しか耳に残らない空虚な歌」等と悪態をついては俺をいつも怒らせていた。しかし俺の部屋にあったディランのアルバム「欲望」を勝手に持ち去って「夕暮れ時にひとりで"Sara"を聴いているととめどもなく涙が流れてくるわ」としみじみと語っていた。だからチケットを買ってくれたのかもしれん。

2023. 4. 17

☆☆☆ジャケ買い☆☆☆
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 この女優さんがどなたで,誰が監督するどんな内容の映画なのかも全く知らずに、この写真にイチコロになって「ジャケ買い」してしまった。まだこの写真にドキドキする自分でいられて良かった>知らねぇよ。買ってからこの女優が若き日の有馬稲子さんであり、小津安二郎監督、原節子主演の「東京暮色」という映画であると知った。人は哀しみで出来ているという我がソウルメイトの口癖が思い出されるような映画だった。しかしこれを観ることができて良かったと心の底から何かに感謝したい。吉田拓郎がリタイヤし人生のお手本を失ってしまった今、笠智衆をあらたな目標に飄々と生きてゆこうと誓った(爆)。いみふ。

 ジャケ買いといえば、吉田拓郎ファンになってしまうとレコード・CDを買うことと呼吸することは同じ当たり前のことなので、ジャケットにつられて「ジャケ買い」をしたことはない。とはいえ最近ご無沙汰の居酒屋で、拓郎ファンのマスターは、中学生の時にアナログの豪華箱盤の「TAKURO TOUR 1979」のジャケットがあまりがカッコよすぎて思わずジャケ買いしたことがファンになるキッカケだったと語っておられた。また小中学校の同級生で南こうせつのファンになっていたHさんから「もう可愛くて可愛くてたまらなくて」ということでアルバム「ONLY YOU」を衝動買いしてしまったという話を聞いたこともある。
 しかし拓郎の場合、まるでジャケ買いを拒否するかのような残念なジャケットも多い(※個人の感想です)。アルバム「無人島で」をジャケ買いする人がいるだろうか。いたとしたらどんなヤツだ。「王様達のハイキング」もあのモデルの方にはすまんがジャケ買い拒否案件としか思えない。シングル盤でも「流星」,「春を待つ手紙」,「心の破片」あたりをジャケ買いする人はおるまい。…「気持ちだよ」に至ってはもうこりゃ試供品か何かかと思ったぜ。 あくまで吉田拓郎は元祖ビジュアル系の人だと思うので、本人のいないジャケットはかねてから認めたくない。
 しかし、しかしだ。本人がいないのに、それでも胸熱くなってジャケ買してしまった一枚があることを書きながら気が付いた。最後の最後のこれがあった。
☆☆☆どうしたってソウルメイトなアルバム☆☆☆
「ah-面白かった」[アナログ盤]
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これがなかなかどうして、最後がジャケ買いだったとはオツなものですな(笠智衆のフシで)

2023. 4. 15

☆☆☆ひとりよがり☆☆☆
 またマニアな話ですまんな。スタートレックピカードseason3の第9回「声」には泣けた。"All makes me cry!"ということで,どうやら世界中のオタクたちもみんな滂沱の涙を流したようだ。米国では今回と最終回の来週回はIMAXで劇場上映するらしい。さすが米帝、やるもんだ。うらやましい。…と言っても殆どの人がなんのことかおわかりにならないだろう。例えれば、今年、フジロック2023に行ったら、吉田拓郎がサプライズで登場し、しかもバックバンドで松任谷正隆、鈴木茂、高中正義、島村英二、エルトン永田、岡沢章という面々が揃って、拓郎の「さぁ新しいのを演ろう!」という一声のもと島ちゃんのカウントでバンドが鳴り出す瞬間…そんな感じだ。

 これもひとりよがりだが、昨日から個人的脳内ヒットチャート独走中の「海の底でうたう唄」。どうしたってモコ=高橋基子さんを思い出す。「マクセルユアポップス」とか「ニューサウンズスペシャル」とか…高橋基子と話す拓郎はよかったなぁ。話が弾んで面白かった。まるでおねえさんと話しているみたいに心を許しあう信頼感を感じた。それでいて結構、真剣な話もきかせてくれたりもした。安井かずみ、コシノジュンコ、落合恵子…母性ならぬ姉性愛の通底みたいなものを感じるのだ。モコさんお元気だろうか。

☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「無人島で」(作詞:松本隆/作曲:吉田拓郎  「無人島で」所収)
「無人島で君を抱きたい」というけれどそれじゃ無人島じゃなくなるじゃないか(「俺だけダルセーニョ」P.204)というツッコミを拓郎に入れたのは「ニューサウンズスペシャル」でのモコさんだ。それじゃ矛盾していると。慌てた拓郎の「ムジュン島で」という切り返しも笑った。すべて幸福な日々よ。

2023. 4. 14

☆☆☆私たちが逢ったのは☆☆☆
 とはいえ私の身体もガタがきていて鍼灸の先生に定期的にお世話になっている。前にも書いたが銘医だ。毎回、待合室にある棋士の先崎学の「うつ病九段」(まんが版)を少しずつ読んでいる。それはまた。時間が来て施術台にあがると院長先生は必ず「拓郎さん」の話をふってくれる。だいたいが、「私も高校生の頃、初期の吉田拓郎さんを聴いていました」というお話からなので、思い切って「初期ってどの辺までお聴きですか」と尋ねてみた。すると「ペニーレインあたりまでは聴きました」「あ、ずいぶんお聴きになったんですね。お好きな曲は?」「…前にも言いましたけど『わしらのフォーク村』ですかね」…まだ言うか(爆)。「元気です」から「今はまだ人生を語らず」のソニー黄金期を聴きながら『わしらのフォーク村』をベストに挙げる。どれだけお好きなのか。やはり神は細部に宿るのだ。
 昨日は施術台に寝るといきなり「まにあうかもしれない」が流れていて、音楽をフォークチャンネルにしてくれていたとのこと。ありがとうございます。フォークチャンネル、拓郎はフォークが嫌いというものの,やはりすげーなフォークソングのめくるめく世界。例えば、何故このタイミングで山崎ハコの「呪い」なんだ。♪コン、コン、コン、コン釘を刺す、藁人形の釘を刺す…ただでさえ凄い歌だが、鍼灸の施術台で聴くとこりゃまた格別だ(爆)。君も経験するといい。
 あれこれフォークな世界の曲が流れたが、昨日一番胸にしみたのはモコ・ビーバー・オリーブの「海の底でうたう唄」。

 私達が逢ったのは静かな海の底
 私の長い髪を愛してくれた人

 私達のゆくえは誰も知らない

 釘…ちゃう鍼を打っていただいて陶然となったあと夢心地で聴いた。なつかしくて、幻想的で、コーラスがなんといってもうつくしい。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「海の底でうたう唄」(詞:尾崎きよみ、曲:関口直人、編曲:青木望)。…ねぇ貝殻になりたいね、海の深くで眠りたい…そんな気分になる。

2023. 4. 13

☆☆☆一枚の写真☆☆☆
 奈緒さんがインスタに挙げたという拓郎の写真をネットニュースで観た。たぶん昨年のつま恋のものか。いい写真だ。当たり前だが俺が庵野監督がなんだとかダラダラ綴ったところで、すべてはこの一枚の写真でキレイに吹っ飛ぶ。この僕とつま恋と青い空なショットがたまらない。…青い空といえば、御腰の方は大丈夫だろうか。俺も腰痛持ちだが、俺なんぞよりはるかに重そうだ。どうかお大事になさってください。
 「腰」と言えば吉田拓郎も1993年ころからしばらくひどい腰痛に苛まれていたようだ。93〜96年は、ステージでは基本ずっと座って歌っていたはずだ。しかしその後、98年のツアーからはstand upに復帰する。ステージであの重量のギターを抱えて3時間くらいずっと立って運動をするくらいだから盤石で強靭なはずである。どうやって腰痛を克服したのか、昔から切実に関心がある。教えて拓郎。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「ショルダーバッグの秘密」(作詞/作曲:吉田拓郎 「ah-面白かった」所収)…なんかこれかな、あの清々しいつま恋の写真のイメージは。

2023. 4. 11

☆☆☆Contrast☆☆☆
 そのNHKの庵野秀明のドキュメンタリーの中で庵野監督は俳優やスタッフらに敢えて詳細な指示は出さずに、現場で実際に作り出されるものから着想を得ようとする。庵野監督はアニメ出身だから詳細で秀逸な絵コンテを多々作り上げてきたはずだが、それでは自分を超える面白いものは出来ないということで新しい刺激の種を現場に投げかける。

 これを観ながらイカレている私は例によってついつい吉田拓郎のことを思ってしまう。拓郎も精緻なデモテープを作りあげる一方で、レコーディングやリハーサルではミュージシャンたちが現場で出す音を探りながら作品を作り上げてゆくシーンがしばしばみられる。
 例えば1990年4月の新曲「男達の詩」のレコーディングのドキュメントでスタジオに入ってミュージシャンたちに初めて譜面を渡す。「俺が描いたのは…」とギターを抱えて歌おうとして「あ、いいや、描かない(笑)」と思いとどまるシーンがあった。その後に現場のミュージシャンたちと「これは違う」「やっぱ戻そう」と右往左往しながらまさに心血注ぐようにサウンドを作り上げていたのが忘れられない。

 庵野監督と吉田拓郎はジャンルこそ違え現場のスタッフやミュージシャンのことを信じて現場に託す…という意味で同じことを考えていたのだと思う。

 しかし現場に委ねるということは、現場が四苦八苦して作ったものに監督が非情なダメ出しをする可能性も当然に含んでいる。実際に庵野監督は現場の作るものに「段取りにしか見えない」「必死さが伝わらない」と.とりつく島もなくことごとくNGを出しまくり多くのシーンが没テイクとなった。その結果として現場に大きな軋轢を生んでしまう。ドキュメンタリーの視聴者の中にはこれは庵野監督のパワハラだと非難している人も多い。このドキュメントだけでパワハラと断ずることはできないと思うが、重く沈痛な現場の空気であることは確かで、観ている自分も苦しくなってくる。

 単純な比較はできないが、これを観ているとテレビのドキュメンタリー番組やDVDで垣間見てきた吉田拓郎のスタジオワークでの魅力をあらためて思わずにいられない。すまん、庵野監督の現場が悪いという意味では断じてない。空気の明暗と陰陽がくっきり分かれているというそのことだ。拓郎にも時に厳しいダメ出しをしたり不機嫌でおっかなそうだったりするシーンが多々あった。しかしそれでも最後は拓郎の差配によってある種の明るい活気をもってスタジオの空気が収斂されていくように見えた。それは吉田拓郎という人の陽性な人柄とともに、彼がいかに人知れずに気配りとていねいなコミュニケーションを張り巡らせているかということを示している。そういう拓郎の人柄の威力なのか、それともそれが「音楽」というものの持つチカラなのか…たぶん両方だ。

 こうして天才たちの二つの異なる現場を勝手に比べながら、同じモチベーションであってもアプローチはずいぶん違うものなのだなと感じ入る。そうだcontrastだよ。
 昨日も書いたが庵野監督が舞台挨拶で「いろいろ言われるのは正直辛かった」とこぼしながら、それでも観客に心救われたことを素直に感謝し、あの長く深いお辞儀したところが深く刺さった。異なるアプローチの到着点が同じだったことがえらく感慨深い。

 そうそうこれが大事なのだが、庵野監督のこの映画は門外漢の私にも超絶面白かった。なんといってもヒーローである1号の池松壮亮がコミュ障で内省的なところが良かったし、対する柄本佑の陽気で明るいところも魅力的だった。まさにここでも明暗・陰陽のコントラストの魅力というべきか。

☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「男達の詩」(作詞:作曲:吉田拓郎 )
 短髪の拓郎の初露出ということもあってあのドキュメンタリーは印象深い。そうはいってもデビュー20周年のシングルなのに目玉カップリングの「イメージの詩」をリハの途中で「これ止めよう、やる気がまったくしない」と放り投げるように却下して、宇田川さんが「弱ったな、このシングル」とショックを受けるところ…かなり好きです(爆)。

2023. 4. 10

☆☆☆シン・reverence☆☆☆
 週末に一番胸に刺さったのは、ニュース動画で観た庵野秀明の映画「シン仮面ライダー」の舞台挨拶(4月9日)だった。映画も観たし特に先週のNHKのメイキングのドキュメンタリーがかなり衝撃的だった。映画は賛否両論で、ドキュメンタリーでは庵野監督の所為についてパワハラではないかと騒がれていた。私は私でいろいろ思うところはあったが、なにせ庵野秀明も仮面ライダーも門外漢だ。今度詳しい友人と居酒屋でいろいろ教えてもらったり、とことん語り合ってからと思っていたが、昨日のニュースにはやられてしまった。
 ちょっと沈痛な様子も湛えた庵野監督は、胸いっぱいという感じで観客にていねいに感謝を述べ、退場の際にひとり残って、頭を深々と下げ、長い事その頭をあげようとしなかった。こういうお辞儀をする人をよく知っている。ああ、あの方のお辞儀だ。カタチだけではなく、あの方のお辞儀と同じ魂のふるえのようなものが伝わってきた。たとえ毀誉褒貶あろうともこの人を信じようと思った。 
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「S」(作詞/作曲:吉田拓郎 「王様達のハイキングin Budokan」所収)
 人を信じるってことは泳げない僕が船に乗るみたいに 誰にもわからない勇気のいることだから…んまぁ俺が信じたところで何の役にも立たないし、ヘのようなものだけどさ。
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2023. 4. 9

☆☆☆それでも誕生日☆☆☆
 昨日は森下愛子さんの誕生日だけではなくお釈迦様の誕生日でもあられた。あちこちの仏教のお寺では降誕会=花祭りがおこなわれていた。さすが阿弥陀如来の森下愛子さんである。
 99年のシングル「心の破片」がリリースされたときこのアレンジは花祭りをイメージしているという武部聡志だかの解説があった。当時の俺はなんでこの歌とお釈迦様の誕生が関係あるのかよく理解できなかった。そしたら仏教ではなくて、アンデスのフォルクローレの名曲「花祭り」のことだったのだな。随分あとになって知った。恥ずかしい。この音楽の「花祭り」を聴くと、むしろKinkiのあの曲「ボクの背中には羽根がある」が先に浮かぶ。とりあえず吉田拓郎と松本隆との最後の共作「心の破片」…これもいい曲だと思う。…ちっ。どっちも松本隆か。「花祭り」は「春の祭り」ということだ。今の季節にはぴったりではないか。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
 「心の破片」(作詞:松本隆/作曲:吉田拓郎  編曲 武部聡志)〜「ボクの背中には羽根がある」(作詞:松本隆/作曲:織田哲郎  編曲 家原正樹)
 つなげてループで聴くと結構いい感じだ。松本隆と吉田拓郎の最後の共作ということでしみじみとした殊勝な気分になるが、その後に確か二人で2004年に布施明のために作って何故かお蔵入りしてしまった幻の作品があったはずだ、ああ、どんな曲だったんだ聴きてぇ、そもそもなんでお蔵入りしたのか、どこまで続くワンハーフの呪い…というプラチナゴールデンな邪念が入ってくる。そんなことばかり考えている俺には羽根も生えやしない。

2023. 4. 8

☆☆☆誕生日はつづくよどこまでも☆☆☆
 今日は森下愛子さんの誕生日だ。おめでとうございます。
 何度も書いたが、学生時代、山手線の高田馬場駅のホームで赤いワンピース姿の森下愛子さんとすれ違ったことがある。バレエをされていたからか背筋が美しく伸びて姿勢がよく尋常ではないオーラがあった。生で女優さんを観た初めての経験だった。俺は茫然として立ち尽くし、振り返ったまま、階段を降りてゆく可憐な後姿をみつめていた。テレビ版「ああ野麦峠」に主演されていたころだ。そうそう「ああ野麦峠」は映画版の大竹しのぶも名演だが、森下愛子のドラマも傑作である。吉田拓郎ファンであれば両作おさえておきたい。

 それにしてもこれほどの女優でありながら、なぜか佳代さんという本名でも違和感なく親しまれている。こういうのって他に
ないよね。浅丘ルリ子のこと信子さん、松田聖子のこと法子さんて言わないもんね。

 ちなみに生で初めて観て握手してもらった歌手が小室等(爆)、生で初めて観た男優は、財津一郎だった、ギビシィィィィ。なので森下愛子で良かったと心の底から思う。すまん。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「I'm In Love」(作詞/作曲:吉田拓郎 ビデオ「1996年 秋」所収」
 若いころ反発したこの歌に、今は聴いているこちらも見守られている気持ちになる。「96年秋」のバックステージでのご夫婦の姿が素敵すぎる。とくに最後の二人の後ろ姿がフラッシュアウトするところは涙ぐむような名ショットだと思う。久々に観てあらためて感動した。どうかお二人いつまでもお元気でお過ごしくださいと魂の底から思わずにいられない。

2023. 4. 6

☆☆☆どうしたってソウルメイトな歌☆☆☆
「いくつになってもhappybirthday」(作詞:作曲:吉田拓郎  「こんにちわ」所収)
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 昨日の誕生日はあちこちと賑やかだった。昔から拓郎ファンにとって4月5日はお祝いを表明するしないにかかわらず、ひとしく大切な日である。しかし今年はそれだけではなく、音楽関係者やライターやラジオ番組などで吉田拓郎の誕生日を寿ぐ人がことのほか多かった気がする。いいぞ、いいぞ、忘れるなよ、その気持ち(爆)。

 で何万回でも同じことを言うがこの誕生日ソングは超絶名作だ。拓郎ファンはきっと、4月5日のみならず、それぞれの大切な人の生誕の日が来るたびに心にこの曲が流れるはずだ。
 この歌が祝うのは、ただ君が君になったことそれだけだ。出自はもちろん、性別も才能も実績もルックスもチカラや資産の有無もなんにも関係ない。人に隠れて泣いたり、くじけないで生きてきたことそれだけをひたすらに讃えてくれる。嬉しいじゃないか。人生というのは本来そういうものであるべきじゃないか。
 そんなこの歌を拓郎ファンだけのものにしておくのはもったいない。拓郎に関係なく、広く世界の子どもたちからジジババに至るまで人類みんながこの歌を愛で、お互いの日に歌い合うようになれば、少しはこの世の中も風通しがよくなりそうな気がする。
 とはいえ私ら一般Pのファンには限界がある。こんなとこを読んじゃいないだろうが、音楽関係者のみなさん、なんとかこの歌をあまねくに広げていく試みをお願いします。あなたがたが、おべんちゃらじゃなくて本当に吉田拓郎をリスペクトしているならば>それが人にものを頼む言い方か!…すまん。とにかくお願いします、はあと
この歌はLOVELOVEの最終回で一度だけ歌われた。ああ、LOVELOVEがもう少し続いてくれたならなぁ…と詮無いことを思ったりもする。
 

2023. 4. 5

☆☆☆SUNRISE77☆☆☆
お誕生日おめでとうございます
 「77」ということは喜寿。ここまで来たらもう喜びしかありません。77…なんかいい数字です。77というと拓郎さんが昔のラジオでさらに昔のアメリカドラマ「サンセット77」が好きだったという話をされていたのを思い出します。ここは縁起ものなのでサンライズ77でまいりましょう。まだ見ぬ朝が来る、それぞれの日が昇る。
 それにしても今頃どうしておいでだろうか。どこかで逢おう生きていてくれ。どうかお元気でお過ごしください。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「Contrast」(作詞:吉田拓郎 /作曲:吉田拓郎 「Live at WANGAN STUDIO 2022 -AL “ah-面白かった” Live Session-」所収)
 よくわかないままだが、ストリーミングというやつを購入してみた。これを聴きながら通勤する。ああ、花粉も胸もしみてくるぜ。まさにこの世に出でたあなたがこの一本の道を歩いてくれたからこそすべてがあります。あらためて吉田拓郎さんと吉田拓郎さんにつながるすべての皆様に心の底から感謝とともにおめでとうございます。
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       …いやそれ逆でしょう(爆)

2023. 4. 4

☆☆☆ラストエンペラー☆☆☆
 坂本龍一で思い出した。35年くらい昔のこと私が資格試験に立て続けに惨敗しどん底のとき、師匠の伊藤先生(知らんよね)が励ましてくれた。「先日、アカデミー賞を受賞した坂本龍一さんが受賞の感想を訊ねられて『賞とは終わった仕事に与えられるもので、私には次の仕事しか頭にない』と言っていた。さすがだ。合格も不合格も終わった過去のことだ、これから次に向って頑張ろうじゃないか」…確かに勇気づけられた。
 しかし坂本龍一に勇気づけられるというのも拓郎ファンとしてどうなのよと思って、直近の吉田拓郎のインタビューを読んだら「向上心が旺盛なヤツは才能がないんじゃないか?天才には向上心が要らないんだよ」と豪語していて、こりゃ役に立たねぇよと思った(爆)。
 勇気づけられるからファンになるわけではなく、勇気づけられるためにファンになるものでもない。そういう普遍の真理がただそこにあるだけだ。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「人生キャラバン」(作詞:安井かずみ/作曲:吉田拓郎/編曲:加藤和彦 「Samarkand Blue」所収)
 あのインタビューを読むと紐づけられた当時のアルバム「Samarkand Blue」を思い出しその中で最高に好きなこの曲が聴きたくなる。慰められたり、勇気を貰ったりする実利・功利はなくとも例えばこの歌は生涯、俺のことを見守ってくれている気がする。目指す泉は枯れ、砂の嵐に、日照りは容赦なく、そして推しはリタイアしようとも(涙)、人生キャラバン道なき道を行く。

2023. 4. 3

☆☆☆♪過ぎ去るものたちよ、そんなに急ぐな☆☆☆
 坂本龍一氏の訃報。俺なんぞは思い切り外様なのでおこがましいとは思うが、忘れられない言葉がある。
 「彼とは一度会った。暴力的だと聴いていたが、そうは感じなかった。むしろ自分でもコントロールできないくらいのシャイネスを持っているように見えた。彼とはそれっきりだが、妙に記憶にあるのはよく通るダミ声。」(坂本龍一・ブックレット「"TAKURO"」FORLIFEより)
 「自分でもコントロールできないくらいのシャイネス」…素敵な言葉をありがとうございました。悲しいのは、音楽を始め、いなくなられてしまったことすべてにおいてだが、特にこのウサン臭くキナ臭い時代に「平和の大切さ」をきちんと発信し続けてくれた人がいなくなってしまったことだ。年齢もよく知らなかったが1952年生まれということは浜田省吾と同年なのだな。まだまだ若かったのだな。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「ALL TOGETHER NOW」(作詞:吉田拓郎  作曲:小田和正とか)
 坂本龍一はあの日の「お前が欲しいだけ」のことを言っているのかもしれないが、坂本龍一と同じステージで歌われたというそのダミ声…あ、俺はダミ声でなく透明感あるボーカルと思っているのだが。
   でも君の瞳は美しい そう 君の命は永遠なのだ
 お疲れ様でした。心の底からご冥福をお祈りします。

※ブックレット「TAKURO」とは、アルバム「サマルカンドブルー」発売の時にフォーライフから出版されたブックレットというかパンフレットのことです。
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2023. 4. 2

☆☆☆腕から時計を…☆☆☆
 4月1日というといろいろ思い出すことがある。なにをなんで思い出すかは略す(爆)。
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 この時計は「ah-面白かった」の特典映像の中で拓郎が奈緒に贈った腕時計と同一モデルの時計とのことだ。持主の方がコロナに倒れたときの療養給付金で買ったらしい。倒れても何かをつかんで立ち上がるあくなきファン魂に頭が下がる。見せていただいて感謝です。写真を見ているだけでなんか胸ときめく時計だね。
 はずしたままの腕時計…というと浮かぶのはこの曲だ。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「ソファーのくぼみ」(歌:テレサ野田/作詞:白石ありす/作曲:吉田拓郎  アルバム「彼が殺した驢馬」所収)&(歌:増田けい子 アルバム「戯れる魚達」所収)
 これは隠れた名作だよね。吉田拓郎のソングライティングの才がみなぎっている。そしてテレサ野田と増田けい子(以下「ケイちゃん」という)、この二人のねーさんの歌唱が放つ色香がこれまた甲乙つけがたくたまらないのだ。別に甲乙つけなくていいのだが、個人的には大事なワンポイントがある。
 テレサ野田は「♪あなたがつけたソファーのくぼみ〜」と歌うのに対して、ケイちゃんは「♪あなたがつけたソファーのくぼぉぉみぃ〜」という譜割りで転がすように歌うのだ。昔ラジオで流した吉田拓郎のデモテープではやはり「♪あなたがつけたソファーのくぼぉぉみぃ〜」とタメを入れて歌っていた。かくして拓郎のデモテープを聴きこんで歌いあげているのがケイちゃんというところで、優劣ではないが甲乙はつく。
 腕時計の写真を眺めながらながら「ソファーのくぼみ」を聴き比べる…だからどうしたと言われそうな日曜日の午後です。

2023. 4. 1

☆☆☆永遠に嘘をついてくれ☆☆☆
 某なるさんのつぶやき「高度なAI技術によって、AI拓郎と自然な会話ができるチャットサービス=膨大な歌詞やエッセイ等から拓郎の言葉を学習した[拓チャットGPT]…」ってマジで一瞬信じちゃったよ。あ〜もうこれが実現してしまったら、こんなサイトはおしまいだ、もうやめよう…とまで思いは飛んだ。やられたよ。うそがおじょうず@松本伊代。ということで今日から愛と哀しみの4月だ。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「4月になれば彼女は(April Come She Will)」(歌:Simon & Garfunkel 作詞:/作曲:Paul Simon)
 TBSの「お喋り道楽」でゲストの細川直美が、拓郎に「ギター弾いてほしいですぅ」っとおねだりダレダレしたら、デレデレの拓郎が「いいですよ」と言ってこの歌を弾き語ったというシーンがあった。「けっ。」と思った(爆)。いろいろご意見はあろうが。それでも弾いたあとの拓郎の「…これが何にもならないと思うと悲しい」という言葉に救われた。それ以来4月になると「4月になれば彼女は(April Come She Will)」を歌う拓郎を思い出す。

2023. 3. 31

☆☆☆僕の好きな場所☆☆☆
 今日で八重洲ブックセンターが閉店だ。開店したのは僕が高校2年の秋、深秋のアルバム「ローリング30」の発売を楽しみにしていた頃だ。大型巨大書店のハシリで当時はすげー時代になったものだなと驚いたのを憶えている。あれから読書家ではない俺でもいろいろお世話になった。ブックセンターでサイン会をした作家たちのパネルコーナーに庄司薫さんの笑顔の写真が長い事飾ってあって行く度に眺めていた。たぶん同じ場所で、昨年の岡本おさみ「旅に唄あり」の写真展を観たのが最後の思い出だ。…そうだ永井みみの「ミシンと金魚」もこのブックセンターでやっと見つけたのだった。最後の砦みたいなものでもあった。
 町からどんどん書店が消えゆくのは寂しい。興味にあるなしにかかわらず書店に行くとたくさんの本と否応なく出会う。本屋に行かなければ、いしいしんじにも吉田篤弘にも会えなかった…俺が見つけたんじゃないけどさ。
 あたりまえだが本にはどれも「装丁」というものがある。いまごろになって思うのだが「装丁」はそれ自身がひとつの芸術作品だ。たくさんの背表紙や表紙やポップが思い切り語りかけてくる。そして「手触り」と「質感」がある。こうして書店が少なくなってみるといかに幸福な場所であるか心にしみてきた。遅い。とはいえAMAZONの利便性からはもはや逃れられない。やっぱり、すげー時代になったなと思うしかないのである。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「ひらひら」(作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎  アルバム「よしだたくろうLIVE'73」所収)
 ブックセンターのあの写真を思い出したら、やはり無性に聴きたくなった。縦書きだったのですね。「用心しろよ、用心しろよ、ああ〜そのうち君も狙われる」…誰も彼も炎上し血祭にされる現代の世界を予知していたかのごとくの作品だ。
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2023. 3. 28

☆☆☆このオタク世界の片隅に☆☆☆
 殆どの方々には心の底からどうでもいいことだろうが、AMAZON PRIMEで配信中の「スタートレック ピカード season3 (final)」が毎週、圧巻すぎる。こちらもある意味でスタートレック・サーガの壮大なアウトロ=エンディングである。老いたピカード艦長をはじめ一緒に歳をとってきたクルーら関係者が再集結する。それは視聴者も同じだ。こちとらも一緒に歳をとってしまった共感、哀しみ、だからこそ感じるささやかな希望が混線する。さすがトレッキーといわれるマニアが全世界規模で佃煮のようになっている世界なので、庵野秀明どころではないレスペクトとオマージュのテンコ盛りに悶絶するしかない。
 これは譬えて言うのなら、拓郎が「ah-面白かった」で呼びたかったという歴代ミュージシャンたち全員をつま恋あたりに集めて、レコード未収録曲とライブ未演奏曲ばかりのマニアな曲のセッションを見せられているのとたぶん近い。>よくわかんねぇよ
 
 30年前のテレビシリーズでピカード艦長が可愛がってきたひとりの異星人の女性の部下が、いわば反政府ゲリラに転向して出奔してしまうという小さなエピがあった。今回、その彼女が役者もそのままに再登場する。かつての裏切りを責めるピカードとそれが自分の信念だったことをわかって欲しかったと超絶すれ違う二人。しかしやがて彼女の命を賭した恩返しを目の当たりにしてピカード爺さんは涙ながらに語りかける。「今はすべてを理解した。許してほしい、それが今で。(I do see you. Everything. Forgive me. It's only now)」このシーンは切な過ぎてもう涙も追いつかない。
 ちょっと待ってプレイバック、今の言葉プレイバック。「今はすべてを理解した。許してほしい。それが今で。」…ああ、そういう後悔を帯びた思いが何回もあったものだ。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「今夜も君をこの胸に」(作詞:作曲:吉田拓郎  「Live 73 years- in NAGOYA」所収)
 今はすべてを理解した。許してほしい、それが今で。…2019年のライブの帰り道で心の底からそう思った。特にオーラスのこの曲。

 とはいえそのことを今僕は後悔していない。いや正直いえば後悔もしているが、このサイトで5万回は引用したとおり「後悔とはかつてそこに愛があった証拠である」(是枝裕和「ゴーイングマイホーム」より)。なので反省も悪びれもせず、そういうもんだということで歩いてまいりましょう。
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2023. 3. 24

☆☆☆一番が消えていたころ☆☆☆
 「今日までそして明日から」を聴いていると時々思い出す。といってもあくまで私の記憶なので、もし勘違いだったらごめんな。1983年の秋の「情熱」ツアーでバンドサウンドの「今日までそして明日から」が歌われたとき、拓郎はなぜか1番をカットしていきなり2番から歌い始めた…と記憶している。横浜も武道館もそうだったと思うのでミスではないと思う。あれは何だったんだろうなと今でも時折考える。どんなに考えても本人しかわかんないけどさ。

 つまりは1番の歌詞「時には誰かの力を借りて」「時には誰かにしがみついて」を歌いたくなかったのだと考えるほかない。あのツアーにはそこはかとない深い悲しみが満ちていたと思う。当時、スキャンダルの渦中にあり、自堕落がイイとうそぶく拓郎に俺はかなり不満だったし、拓郎もそういう口うるさいファンに相当に苛立っていたはずだ。ささくれだった日々だった。…これも俺の印象に過ぎない。そう思い込むと、1番のカットには「俺は誰の世話にもなっていない」「俺はひとりなんだ」という当時の拓郎の孤高な心の叫びが聞こえてくるような気がしてならんのだ。

 次にこの歌が歌われたのは…たぶん89年の人間なんてツアーの弾き語りだったが、ちゃんと1番から歌われていて安心したものだ。拓郎もスキャンダラスな香りが消えて、マイルドなおじさまになっていた。
 こうして1番がもしなかったらと考えながらこの歌を味わうとあらためて感じる。力を借りる、しがみつく、あざ笑う、脅かされる、裏切られる、そして手を取り合う、これらひとつひとつの人の営みのチョイスが絶妙であり、それらがすべて散りばめられているところでこの歌は世界の深奥を描き出している。ひとつでも欠いたらそれは違うものになってしまう。何を今さら当たり前のことをと思われる人もいるだろうが、ホントに今さらだ。そもそも超絶有名なスタンダードになったし、もう飽きたなと思っていても、それでもこの歌からは逃げられないゆえんだ。

☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「今日までそして明日から」(作詞:作曲:吉田拓郎 『Forever Young Concert in つま恋 2006』所収 )
 個人的にはいろいろあって気分も体力も落ち気味だ。そういうときつま恋2006のオーラスバージョンを聴くのは体力がいるな…と敬遠していたが、聴きながら蘇えってくる気力と体力があるとわかった。この歌のシンプルだがマントルに届きそうな深みを感じる。

2023. 3. 23

☆☆☆いま生きてるということ☆☆☆
 ♪生きているということ いま生きているということ
  書店で思わず手に取ってしまうこと
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  1ミリも関係ないとわかること
  そそくさと書棚に戻すということ
  いくら凄い詩人でも一言くらい断ってくれないかとイジイジと思うこと
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「今日までそして明日から」(作詞:作曲:吉田拓郎  DVD「NHK101」所収)
 これを聴くと次の「流星」までつい聴いてしまう。イントロのエルトン永田のピアノで思わず拍手がわくところが好き。

2023. 3. 21

☆☆☆聖なる酔っ払いな夜☆☆☆
 吉川忠英、島村英二、中村哲、河合徹三・・・人呼んで「ドランカーズ」のライブを楽しむ。
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 伝説のギタリストとその名を聞く吉川忠英をはじめて目の前で観た。このお方か…と感慨深い。アコースティックギターもすばらしかったが、ボーカルもしみじみとよかった。なんという深い含蓄のある存在感。曲中で中村哲さんがサックスのソロをプレイせんと立ち上がっているのに、忠英さんがそれを忘れてすっ飛ばして歌ってしまい、戸惑った哲さんが…およびでない…とそのまま着席するシーンがあり(笑)、おちゃめな人でもあった。…惜しむらくは勇気がなく持ってったCD「岡本おさみアコースティックパーティ」にサインが貰えなかったことだ。
 門外漢の私なので申し訳ないが、それでもお世話になっている作品が数限りなくあることをあらためて知る。
 吉田拓郎のサポート作品で一番鮮烈なのは「英雄」。松任谷正隆の鎮魂のピアノのあとで狼煙のようにかき鳴らされるあのギター。この緊迫した煽情的な音色は初めて聴いた時から虜になった音だ。
 そして今回知ったのは、中島みゆきのあの「悪女」のイントロでなっているギター、ユーミンの「やさしさに包まれたなら」のオープニングの美しいギターも忠英さんの手になるものだった。やさしかったり、時にささくれ立っていたり、なんて表情豊かで素敵なプレイたちなのだろうか。この三曲をアコースティックギターの観点から今、ヘビロテで聴き直している。なんかこういう時って幸せだ。
 そういえば昨日のゲストのカントリーシンガー坂本愛江という方は、エレックで吉田拓郎と同期だったフォーク歌手、朱由美子さんの娘さんということだった。そうなのかあ。人類はみな親戚である>どういう結論だよ。いや親戚だから滅ぼし合ってはいけないのだ。
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2023. 3. 18

☆☆☆空よりも青い群青☆☆☆
 久しぶりに「卒業式」というものを見た。個人的に卒業式にはあまり良い思い出がない。小学校は別にして後はスゴスゴと逃げ出すような気分のものばかりで最後には出席もしなかった。
 だから卒業ソングの定番名曲たちにも,なんだかな〜といまひとつ燃えなかったのだが、昨日聴いた「群青」(作詞:福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生/作曲:福島県南相馬市立小高中学校音楽教諭 小田美樹)の合唱は心にしみた。ひとりの先生が、毎年決まっていた定番の卒業ソングの代わりにこの歌をどうしても歌いたいとさんざん頑張ったあげく、とりあえず今年だけ採用されたとのことだった。
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 東日本大震災で被災し、仲間の命も失い、全国に散り散りになっていった福島県南相馬市小高中学校の生徒たちの声を紡いで、同校の音楽の先生が曲として完成させたという。言葉に尽くせない出来事から作られている。そのため定番の卒業ソングにもありそうな言葉だけれど、ひとつひとつが背負う切実な思いが伝わってくる。
 これはあの悲痛事を経験した生徒たちの切実な言葉であると同時に、ひとしくこのコロナ禍での日常を生きた目の前の子どもたちの歌でもあると思う。すべてはつながっている。
 この歌を卒業式にと必死に格闘した若い男の先生は、合唱の時ボロボロと泣いていて、こっちもうっかり…でなく、しっかりともらい泣きしてしまった。話したこともない先生だが、アンタすげえよ、よくやったよ、と心の中でエールを飛ばした。卒業式で涙したのは初めてだった。
 群青とはどんな色だったかと思ったが、空よりも青いサマルカンドブルーの色のことらしい。空の青より青い青だ。

☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「僕の一番好きな歌は」(作詞:作曲:吉田拓郎  未収録)
 「群青」に感動しながらもその歌詞の「あれから2年」というフレーズについ反応してしまう。すまん。1978年の3月18日にこの歌を神奈川県民ホールで初めて聴いた。「自分の叫びをいつでも持ったヤツ、自分のアワレを慰めたりしないヤツ」…座右の銘。「群青」を選曲したその若い先生に捧げたい。

 そして今日は、海の向こうで踊る若い友人の誕生日だ。おめでとうございます。震災の年に向こうに渡ったんだからもう13年目だ。よく頑張ったねぇ。ここでもエールを送りながら爺も頑張ります。
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2023. 3. 17

☆☆☆あいつの部屋は散らかっている☆☆☆
 これまでのいろんな発言や写真・映像から察すると吉田拓郎という人はかなりキレイ好きで整理整頓、片付け上手な人だと思われる。断捨離ブームのずっと前から引越しのたびに断捨離を繰り返し、家財や衣類などをラジオでリスナーに気前よくプレゼントしたりしていた。ああ、吉田家のヒューズを貰った方、お元気でしょうか。
 したがって拓郎は、松本隆の文字並びが整序されている、キレイに片付けられた部屋のような詞が本能的に大好きなのだと思う。きちんとリズムに裏打ちされて整序されているからメロディーがとてもつけやすいと絶賛しているゆえんだ。

 さて、これとは正反対に、字余り字足らずでメロディーがつけにくいと拓郎が不満をたれるあの作詞家のことを思わずにいられない。一番と二番で余裕でサイズが違う混沌とした吐き捨ての詞。松本隆の詞が片付けられた部屋ならば、岡本おさみの詞はさしずめ散らかり放題の部屋なのではないか。すまん。散らかってはいるがそこに光る原石がゴロゴロしている。その混沌とした詞にメロディーをつける拓郎は、あたかも子どもの散らかった汚部屋を「…ったく仕方ねぇな」と怒りながら必死で片付けるお母さんの気分に近いのではないか(爆)。

 松本隆が「外は白い雪の夜」の詞に拓郎が3分で曲をつけてたのを驚いたというが、それは松本の詞がリズム感をもって整序されていたことも大きいのではないかと思う。要するに、この世の部屋はいつも二通りさ、片付けが楽なキレイな部屋と片付け難い散らかった部屋と、君は両方扱ってるんだよね。
 
 しかし散らかっている部屋に住む、断捨離嫌いの私は切に思うのだ。拓郎のその片付けこそ絶妙なワザだと思う。思い切り散らかっている言葉たちを時にねじ伏せ、時に磨き上げるように愛でることで、言葉が躍動し、卓抜したメロディーとして整序されてゆく。そこにこそ吉田拓郎の真骨頂があると思う。この拓郎の片付けのワザは、もう、音楽界の「こんまり」と言ってもいい>いや、よくねぇだろ。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「君去りし後」(作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎  「よしだたくろうLIVE'73」所収)
…かなり散らかり放題の部屋を見事にFUNKなブルースに昇華させた片付けワザの典型かもしれない。

2023. 3. 16

☆☆☆文字で描かれる絵☆☆☆
 昔、大江健三郎が小学校を訪れて子どもらに文章の書き方を教えるドキュメント番組を観たことがあった。ウロ覚えで残念なのだが「たくさんある言いたいことを、ひとつひとつ小さなカタマリにして…(と黒板に大小の〇を書いて)、それを接続の言葉でていねいにつなげて、大きなカタマリにして相手とどけるんだよ」と語りながら黒板にはシンプルでわかりやすい絵が出来上がていった。まだフローチャートもマインドツリーも一般的ではない時代に図・絵で文章の美しさを理解させようという説明は新鮮だった。

 で、一昨年のことだか、関ジャムの松本隆の特集の中で、武部聡志が「吉田拓郎さんは松本隆さんから詞が届くと『読む前から良い詞だとわかる』と言っていた」と語った。要するに「文字の並び方からしてキレイなんだって。それだけで良い詞だとわかると。」
 別の機会に拓郎も「松本隆の詞は、きちんとリズムに裏打ちされて並んでいる」とも語っていた。
 言いたいことのカタマリがきちんと切り分けられて整序された言葉の並びはそれ自体が美しいということだろうか。そう思うと松本隆の詞を言葉の並んだ絵として、眺め直してみるのというのも面白そうだ。そのうち酒でも飲みながら鑑賞会、品評会でもしましょうや。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「恋唄」(作詞:松本隆/作曲:吉田拓郎  「ローリング30」所収)
…ということで、まず思いついたのがこの唄。字並びがとてもキレイだ。繰り返されてゆく「あなた」に途中で「面影」「この愛」「永遠」がインサートされてゆくこの見事さ。あ〜なんてあざとい美しい言葉の並び方なのだろうとしみじみ思う。

  恋唄  

あなたのくちびるの風と雨
あなたのまなざしの絹の糸
あなたのゆびさきの花の色
あなたのみみたぶの銀の夢
面影を描くのに筆はいらないよ
あなたが暗闇から呼びかけてくれれば
面影を描くのに筆はいらないよ

あなたのかなしみの青い海
あなたのさびしさの暗い夜
あなたのぬくもりのハンカチ−フ
あなたのよろこびの星の渦
この愛を告げるのに言葉はいらないよ
あなたがぼくの腕によりかかってくれれば
この愛を告げるのに言葉はいらないよ

あなたの細い手の逆さ時計
あなたの肩までの夏の服
あなたのせつなげな眉の線
あなたの舌足らずな言葉たち
永遠のまごころをあなたに贈りたい
あなたが伏せ目がちに微笑んでくれれば
永遠のまごころをあなたに贈りたい

2023. 3. 15

☆☆☆わが心のバックスクリーン☆☆☆
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☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「チェック・イン・ブルース」(作詞:作曲:吉田拓郎 「情熱」所収)
 毎年、何度でも言う。この日のハイライトは「ロンリーストリートキャフェ」だという意見もあろう。確かに圧巻の弾き語り&シャウトであった。しかしこの大舞台のオープニングによりによってこの歌を持ってきたのにはびっくらいこいたものだ。よほど深い考えあってのことか、あるいは何も考えていなかったか(爆)、どっちかだ。それにしても今にして思えば圧倒的にカッコよすぎるオープニングである。吉田拓郎の本能だ…というのが自説。

2023. 3. 13

☆☆☆われらの時代☆☆☆
「ライブ作品を順次ストリーミング&アラカルトDL配信させていただきます♪」。ありがたい。ありがたいけれど意味がよくわからない(爆)。やっぱり「キミのスマホに拓郎がやってくる」とか「いつでもどこでも一曲でもライブ会場」とかダサイけれども,わかりやすい表現で説明してくんないと俺なんかはわからない。面目ない。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「いつも見ていたヒロシマ」(作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎/編曲:青山徹  「アジアの片隅で」所収)
 作家の大江健三郎が亡くなられた。正直言って、小説は難しくてよくわからなかったし,その世界設定もなじめなかった。でもノンフィクションの「ヒロシマ・ノート」だけは別だ。いつも見ていたヒロシマ・ノート。徹底して平和を希求されていた姿はまさに仰ぎみる世代の代表のように見えた。ご冥福をお祈りしつつも、これから世の中どうなっちまうんだろという不安も大きい。安らかに笑う家はいつまであるか。俺の歌ではないけれど>あったりめぇだろ、この歌をお捧げします。どうか安らかに伊丹十三さんとゆっくりお酒を酌み交わしてください。

2023. 3. 12

☆☆☆僕達の大好きな場所☆☆☆
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 幻の1号車。その乗員予定だった人とは毎年のように話す。12年前の震災は身の置きどころのない悲痛事だったが、私達みんながハワイに行っているときではなかったこと,また拓郎が震災のほぼその日のうちにハワイツアーを決然と中止としたことが、せめてもの救いだった。不謹慎な言い方だが、それらは不幸の嵐の荒れ狂う世の中でのささやかなLuckのひとつだったと今でも思う。もしそうでなかったらと考えると暗然とするしかない。
 ウクレレもバウリニューアルも幻になったり、思い切り遠のいたりしてしまったけれど、おかけでハワイは今も変わらずにまぶしい憧れの場所としてありつづけている。だからこそ切に思うのだ。拓郎にはハワイに行ってほしい。もともと俺は自分のことをさておいて他人様のことを願うような殊勝な人間ではない(爆)。だけど俺は行けなくとも、拓郎、あなたはハワイに行ってくれよと思う,というより願う。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「憧れのハワイ航路」(歌・陣山俊一 作詞:石本美由起作曲:江口夜詩  「セイ!ヤング 渋谷エピキュラス 公開録音」より)
「僕の大好きな場所」(作詞:篠原ともえ/作曲:吉田拓郎  「AGAIN」所収)
…この歌を聴きながら翻意した。やっばり万万が一にも機会があったら、そんときゃ万難を排してでも頑張ってみよう。推しを求めて三千里。その気概だけは持っていたい。そんときゃ、幻の一号車で逢ひませう。
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2023. 3. 11

☆☆☆今日の特別にソウルメイトな歌☆☆☆
「春を待つ手紙」(作詞・作曲 吉田拓郎 「FromT」所収)
 その出自とは関係なく,この歌は3月11日のための祈りの歌だ。何の権限もないが私は勝手にそう思う。震災の復興支援のオールナイトニッポンの特別放送で、吉田拓郎は人前で初めてこの歌を歌ってくれた。忘れられない。もともと吉田拓郎という人はこういう生放送の特別番組で、初めての歌を披露してくれるような殊勝な人ではない(爆)。たいがい歌い慣れ,聴き慣れた歌をチョロっと歌い済ますのが常だ(※個人の感想です)。しかしこの日の拓郎は違った。静かな決意を感じた。CMが入るたびに客席に背を向けてコードとフレーズを何度もそっと確認していた。緊張がヒシヒシと伝わってきた。かくしてあの魂の初演に至る。
 大した被害もなくのうのうと生き延びてきた私だが、たくさんのみなさんがそれぞれにかけがえのない大切なものを失われたに違いない。私とても遠いつながりだけれど,ひとつのご家族のことをずっと祈らせていただいてきた。そして、そのことと一緒に数えるのは不謹慎かもしれないが、わしらのハワイツアーもこの日消えたんだよな。
 泣きたい気持ちで冬を超えてきた人、心の底からお祈り申し上げます。
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2023. 3. 10

☆☆☆吉田拓郎「日本ゴールドディスク大賞」受賞☆☆☆
 受賞おめでとうございます。どういう賞なのかよくわからないけれど,くれるものはもらってしまえ、そして祝ってしまえ。ブラボ!!
 受賞のコメントがいつもながらまたいい。
「笑顔が困難な世界情勢は心が痛みますよね。音楽が少しでも人の心をやわらげる事ができれば・・小さな応援を続けたいと思います。」
 どこにもチカラが入っていない。飾り気もないささやかな言葉だが、魂がある。実は昨今テレビはいったい誰のためのものかとメチャクチャ腹を立てたり怒ったりしていて「ペニーレインでバーボン」をヘビロテしようと思っていたのだが、この受賞の言葉「小さな応援を続けたい」というくだりを読んですこし我に返った。自分はさらにこのうえなく微少だが、そんなこの一般Pにも続けられる応援があるに違いない。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「ひとりgo to」(作詞・作曲 吉田拓郎 DVD「Live at WANGAN STUDIO 2022 -AL “ah-面白かった” Live Session-」所収)
 思ってた世界じゃない、傷つく夜もまだつづくけど、終わりなき夢の中、黄昏の中にあっても旅を続けてまいりましょう…という歌だと勝手な解釈をしながら愛でる。

2023. 3. 9

☆☆☆倶に☆☆☆
 「体温」のクレジットで「吉田拓郎」と「島村英二」が並んでいるとそれだけで心の底から嬉しくなる。理屈抜きで胸が熱くなるのだ。大谷とダルビッシュが並んでいるオーダーみたいなものである。ジャン・リュック・ピカードとウイリアム・ライカーが揃ったUSSタイタンのブリッジみたいものでもある>それは知らねぇよ。とにかく何も背負う必要はない、みなさんそれぞれ存分にご活躍を。
 こちらも、あと10年間は存分に活動できるような肉体改造というテーマで,とある鍼灸の先生にお世話になっている。久々に名師に逢えたという感じだ。施術の最中に先生が「ワタシも世代的に拓郎さんはよく聴きました」と言うので「どんな曲がお好きですか?」と尋ねたら「うーん」とさんざん考えたうえで答えられた。 
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「わしらのフォーク村」(作詞・作曲 吉田拓郎 「人間なんて」「AGAIN」所収)
 まさか予想外の選曲…ピンポイントで鍼がツボに入った感じだ。効く。もっと名曲はたくさんあるぞと拓郎さんは怒るかもしれない。イヤイヤ、2014年にrefitしたバージョンをぬかりなく出している拓郎さんアナタも凄いですからと思う。

2023. 3. 8

☆☆☆今は黙って風の音を聴け☆☆☆
 田家さんのラジオに出演した瀬尾一三さんは中島みゆきのレコーディングの参加について「拓郎さんが自分でバラしちゃいましたね。あの人ホントに黙ってらんない人で(笑)」と苦笑していた。確かに。こと音楽に関しては「ホントに黙ってらんない人」だと思う。
 しかし「黙ってらんない人」であるところに私の幸福があったのだ。曲ができるとデモテープの段階から聴かせちゃうアーティストってあんまり知らない。コンサートも決まるとリハの段階から自ら全力でレポートして何か月も前から私たちを燃え上がらせてくれた。79年の篠島のセットリストを事前にラジオで片っ端から読み上げていったのには驚いたものだ。そして、ゆっくりと時間を取って予告してくれたおかげでアウトロの旅路も私らは目に耳に焼き付けることができた。なにもかも「黙ってらんない人」のあくなきサービス精神のおかげである。

 なので密かに思う。「やってみなければわからないという今の幸せ」も深くなればなるほど黙っていられなくなるのではないか。それからサイトやSNSで私たちが奔放に語れば語るほど、ネットに真実はないと怒って黙ってらんなくなるのではないか。このまま悪態をつきつづけよう(爆)。「味方のいない世界なら将来だけが非常口(中島みゆき・体温)」とはそういう意味だっんだな、すげーな、みゆきねーさん>いや全然違うと思うぞ。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「アウトロ」(作詞・作曲 吉田拓郎 DVD「Live at WANGAN STUDIO 2022 -AL “ah-面白かった” Live Session-」所収)
 そんなこんなの思いで聴くとあらためていい曲やね。拓友が、WANGANが出てからはこっちばかり聴いてしまうと言っていたが…御意。

2023. 3. 7

☆☆☆with Seo☆☆☆
 瀬尾一三といえば忘れられない言葉がある。2003年の拓郎の病=手術でビッグバンドのツアーが延期になった時だった。手術を終えリハビリをかねてラジオに復帰した吉田拓郎に瀬尾一三がメッセージを寄せた。「すべてがあなたが休まれる直前の状態に戻っていますのでどうか安心してください」と呼びかけた。前代未聞のビッグバンドのコンサートツアー、しかもそれを急遽リスケすることは大変な作業だろうと想像がつく。それでも全部処理したから大丈夫、安心して戻って来いと両手を広げるような瀬尾一三の言葉に涙した。俺もこの人に一生ついてゆこうと誓った>おめぇはただの一般人だろ.
☆☆☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡
「今日までそして明日から」
(作詞・作曲 吉田拓郎 アルバム「豊かなる一日」所収)
 弾き語りからビッグバンドになだれ込むこの劇的な展開。その刹那、拓郎がサッと両手を広げる。病からの帰還でありビッグバンドwith Seoの船出の瞬間だ。ここを聴く度、観るたびに、俺はモーゼの「十戒」でモーゼが海を真っ二つに割るシーンを思い出す。真っ二つに割られた海の道をゆく御大のうしろから俺も着いていくようなそんな晴れがましい気分…妄想も大概にしろ言われるだろうが。
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2023. 3. 6

☆☆☆瀬尾爺の味わい☆☆☆
 大阪のラジオで瀬尾一三が、中島みゆきの「体温」のレコーディングの様子を話す部分を聴かせていただいた。すでに拓郎のラジオで、中島みゆきのレコーディングに参加して、中島みゆきにハグして、瀬尾にギターの譜面を書きかえさせて、思いついてウー、アーのコーラスを瀬尾一三とともに急遽付け加えた顛末は知っていた。同じ事実を瀬尾サイドから聴くとまた面白い。「俺ギター弾いてもいいよ」というメールに始まって、どうせまた来ないだろうと思っていたら本当に来ちゃって驚いたし、難しい曲だと文句言われるだろうから「悪女」とコード進行が似ている「体温」を選んだ。ご本人はハグするわ、譜面のコード変えさせるわ、コーラスまで一緒にやらされて、とにかくかき回すだけかき回して嵐のように去っていったとのことだ。引退なんて半分くらい信じていないとも言う。こういう肝胆相照らす愛のツッコミをしてくれる側近が数少ないので妙に嬉しかった。

 たぶん吉田拓郎にはツッコミが必要だ。拓郎という人はどこまでも孤高の人でOKなのだが、時々しかるべきツッコミがないと、まるで田中のいない爆笑問題の太田のように、行くあてのない才気だけが暴走して辛くなりすぎてしまう気がする。そこでは側近やファンという見えない相方のツッコミがあって初めてバランスよく建つ構築物みたいなものではないか。
 とはいえファンのツッコミをフトコロ深く受け止めてくれるような人ではない(爆)。みゆきねぇさん、拓郎に何もかも愛ゆえのことだと言ってくれ。

☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「悪女」(歌・作詞・作曲 中島みゆき 「ラストツアー 結果オーライ」所収 ) ここに吉田拓郎のギターが入っていたのかと妄想し悶絶しながら聴くよろし。

2023. 3. 5

☆☆☆ソウルメイトの体温☆☆☆
 ということでムッシュかまやつモードから中島みゆきモードにゆっくりシフトしてゆく日々。中島みゆき&そのファンの方々には誠に失礼千万だが、中島みゆきの歌を聴く時、どの曲も吉田拓郎へのラブレターに思えてしまうし聴こえてしまう。いや思えなくとも無理矢理強引に読み込んでしまうのだ(爆)。その人のひそやかな恋心に気づいてしまった疼くような気持ち。ああ、そうだよ、それを「下種」というのだな。すまん。ただその思いは確実に推しにリタイアされてしまったファンの思いとどこか通底しているのだ。    

          「体温」
    あなたは確かに他人でも あたしはあなたが懐かしい
    生者必滅 さとってみても さみしさは羅針盤
    味方のいない世界なら 将来だけが非常口

  あ〜、みゆきねぇさん、またなんて珠玉の言葉を紡ぐのでしょうか。ただれるような淋しさとかすかな希望でしっかりと拠られていらっしゃる。

     体温だけが 頼りなの
     体温だけが すべてなの

 そうなのだ、リタイアしたけれど吉田拓郎は生きている。どこかでポジティブに体温を持って生きている。以前にも引用したファンの方の言葉が思い出される。

私たちが何といおうと拓郎は今生きているのだ。そのことにさえ私は感動する、と言ったら私の思い入れは強すぎるというべきなのだろうか…
           「吉田拓郎大いなる人」(P.89 八曜社 小久保明子さん )

 この方の言葉はこの道を行く私に>どんな道だよ、とにかく大切な言葉としていつも心の底にある。こんなふうにありたいと思う。この言葉を左とすれば、「体温だけが すべてなの」とこのフレーズは右ということでもしっかりと結びついている。

2023. 3. 4

☆☆☆春よ来い☆☆☆
 森山直太朗の「さくら(独唱)」が心にしみる。拓郎がリタイアしてしまった俺に、さくらは咲くのだろうか、春は来るのだろうか? んまぁ…とりあえず花粉だけはしっかり届いている。それにしても今年の花粉は凄くないか? どこかでマンモスフラワーが咲いて毒花粉を撒いているとしか思えない>知らねぇよ。官民学の総力をあげて阻止して欲しい。
 この「さくら」のタイトルには必ず「(独唱)」がついて「さくら(独唱)」と表記されている。このタイトル表記をみると「アゲイン(未完)」を思い出しませんか? そうですか、思いませんか。
 ☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「アゲイン」(作詞・作曲 吉田拓郎  「From T」所収)
 思い出したんで聴く。2014年のアンコールでオール・スタンディングした客席にしみわたるように歌われたあの光景が忘れられん。スタンディングしつつ、みんな拓郎の「完」の歌詞を耳をそばだてて聴き入った。名場面のひとつと思う。"僕らは今も自由のままだ"…このフレーズの素晴らしきこと。

2023. 3. 3

☆☆☆直太朗胎教理論☆☆☆
 昨年のラジオで、拓郎は松任谷正隆に「これからもボーカリストが必要だったら声をかけてくれ」と言っていた。今回のムッシュかまやつの七回忌ライブは、松任谷正隆の演出で武部聡志の主宰だったから登場してもおかしくないと思っていたが…ココではなかったか。ムッシュかまやつ編の最後にこれだけは言っておきたい。ハーモニカホルダーまで下げて「シンシア」を歌った森山直太朗を観ながら万感の思いがあった。
 Uramadoにも書いたと思うが、1975年12月31日大晦日のNHK紅白歌合戦で、森山良子は「歌ってよ夕陽の歌を」を歌った。そしてマチャアキは「明日の前に」を歌った。森山直太朗は1976年4月生まれだから、この時に良子さんのお腹の中にいたことになる。これを胎教といわずして何という。その直太朗が「シンシア(独唱)」を歌う。拓郎ファンとしては感慨深かった。森山良子がわたしたちのねぇさんだったら、直太朗はわたしたちの甥っ子である。他人ではない>いや思いっきり他人だろ。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「さくら(独唱)」(歌・森山直太朗/作詞・森山直太朗・御徒町凧/作曲 森山直太朗)
 もともと涙が出るほど感動的な歌であり熱唱であるのだが「吉田拓郎胎教理論」を意識してあらためて聴くとまた世界が違って見える>だから勝手な思い込みで言うなよ

2023. 3. 2

☆☆☆やつらの足音が聴こえてくるんだ☆☆☆
 ムッシュかまやつ七回忌ライブに行ってきた。渋谷公会堂はすっかり様変わりして現代的で素敵なホールになっていた。「ココは渋谷区役所があった場所で、渋公はもっと向こうにあって…」と頼まれもしないのに語る俺は「昔この辺はみんな畑だった」とか繰り返す爺ちゃんと同じだ。
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 こんな素敵な七回忌は観たことがない。老若男女それぞれのミュージシャンやリスナーの中に生きている"わが心のかまやつひろし"が自由に行き交う宴のようだ。特に,そんなにも大切な人だったのか、武部聡志。武部の言葉にうっかりもらい泣きしそうにもなった。
 それでも楽しい一夜だった。マスクこそしていたけれど、歓声、唱和も制約がなく、森山直太朗の♪シンシア〜に「Hu!Hu!」の合いの手も気兼ねなくできた(客席で自分もいれて4名ほど確認)。それだけで気分はアがる。ラストの「バン・バン・バン」「フリフリ」あたりでの久々のスタンディングは、ああ〜ライブに帰ってこられたのだと思えた。
 FUNKな「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」…そうかこの歌はこうしてソウルが歌い継がれてゆくのか。ああ、マチャアキと井上順。損得を考えない魂のサービス精神。期待していたことを全部やってくれた。「なんとなくなんとなく」も素敵だったよ。
 そして不在の吉田拓郎の歌は森山家で処理してくれた。なんでこの歌をといいつつ「我が良き友よ」を熱唱してくれた良子ねーさん。やはり今日吉田拓郎と私達があるのは森山良子のおかげである。
 音楽って自由なものなんだという拓郎の言葉が何度も身にしみた。君と会ったその日からなんとなく幸せ。もっともっとライブに行きてぇと叫ばずにいられない。
 ☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「どうにかなるさ」(歌・かまやつひろし/作詞・山上路夫/作曲 かまやつひろし」所収)
 昨日のマチャアキの話。「これハンク・ウィリアムスの曲に似てない?」「いい曲はみんな似てくるものなんだよ(笑)」このやりとりも含めていっそういとおしくなるこの歌、このボーカル。

 WOWOWで放送するらしいけれど去年で退会しちゃったよ。
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2023. 3. 1

☆☆☆体温だけがたよりなの☆☆☆
 ということで今日はムッシュ=かまやつひろしさんの命日。七回忌だ。あなたは確かに他人でも あたしはあなたが懐かしい。すっかり中島みゆきとシンクロしてしまっている。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「体温」(歌・作詞・作曲 中島みゆき アルバム「世界が違って見える日」所収)〜「なんとなくなんとなく」(歌・作詞・作曲 かまやつひろし アルバム「Classics」所収)
 行方知らずの願いのカケラ…ああ、聴こえた、聴こえたよ。なんとなくなんとなくしあわせ。

2023. 2. 28

☆☆☆らしい心で生きて☆☆☆
 セブンスターショーでユーミンが見守る中、ティン・パン・アレーをバックに「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を歌うムッシュ。カッコイイったらありゃしない。「我が良き友よ」は自分らしくないと悩んだムッシュが、B面は自分の好きにやらせてくれということでこの歌が完成したという。確かに男臭いバンカラの世界とムッシュは対極のようだ。
 しかしムッシュはいいのだがこの言説がひとり歩きすると「吉田拓郎=バンカラ=下駄野郎」というイメージが根深く定着してしまう危険がある。せっかくのサイトなので強く言いたい。バンカラの世界がムッシュらしくないように、吉田拓郎もまたバンカラらしい人ではない…と俺は思う。この歌のおかげで吉田拓郎は下駄を履いて歌い、昨年末に下駄を履いたまま引退したと信じている国民がかなりいるという悲しい現実がある。
 そんな歌を自分で作ったから自業自得だと言う意見もあろう。しかし「宮本武蔵」を書いた吉川英治先生が剣豪だとは誰も思わないだろうし、石ノ森章太郎先生が改造人間かサイボーグだと信じている人もおるまい。たぶん拓郎が広島商大の応援団の時の一瞬の経験を膨らませたストーリーテリングがあまりに見事だっただけだと思う。
 なので吉田拓郎=バンカラというイメージはたぶん拓郎も不本意だろう。いや正直にいうとそれは吉田拓郎のためというより、俺自身が下駄と手ぬぐいの世界を愛してファンサイトまでやっている輩と思われるのが我慢ならんのだ(爆)。俺は、もっと耽美で洗練された世界を応援しつづけてきた、結構イケてる人のつもりなのだ(爆爆)。そうだろう君たちだって。

 この歌はバンカラの世界を描きながら実はその種の世界観とは違う。それは松任谷正隆や高中正義を配したサウンドも含めて。そしてやはりその種の世界にありがちなものとは違うムッシュのやわらかくて品のある個性的なボーカルが妙味を出している。事実「我が良き友よ」は演歌系の方々が競ってカバーしているがあきらかに別の曲になってしまっている。「らしくない」人が作って「らしくない」人たちが演奏して「らしくない」人が歌う。その結果できあがる歌にはバンカラの世界とは違う「煌めき」が宿っていると思うのだ。そのあたりはまたいつか。

 と、ここまで書いてUramadoを読んだら、随分昔におんなじことを書いていることに気づいた。http://tylife.jp/uramado/wagayoki.html ああ爺ちゃんは何度も同じ話を繰り返す。ちょっと悲しくなったが、大事なことは何度も指差し確認するように繰り返すのだ。昨日、戸締り確認したから今日は確認しないという人はおるまい。これでいいのだ。

 そうそう1999年の20世紀打ち上げツアーのメンバー紹介では、武部、鳥山、それこそ「らしくない人たち」が、それぞれ独唱させられていて面白かったな。

☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「我が良き友よ」(歌・吉田拓郎&かまやつひろし/作詞・作曲 吉田拓郎  DVD「Forever Young 吉田拓郎・かぐや姫 Concert in つま恋2006」所収)
 つま恋2006のリハでムッシュが「拓郎、"我が良き友よ"の歌い方ヘタだよね」「ヘタだよ、でもアンタに言われたくないよ(笑)」という二人のかけあい、そして本番で歌うムッシュに寄り添う拓郎。…すべてがイイ。そして今となっては泣かせる。

2023. 2. 27

☆☆☆その狭き門☆☆☆
 そろそろムッシュかまやつモードに入ってゆく。このモードの入り口は、勝手知ったる勝手口から入ると意外と入りにくい。
 中学1年の春に聞き始めた「かまやつひろしのライオンフォークビレッジ」がきっかけで初めて買ったEPの「シンシア」は俺にとっては登竜門で、すぐに「我が良き友よ」という晴れがましい凱旋門が開いたし、「水無し川」は教育学部の裏の西門みたいなものだ>知らねぇよ。そんな門から入ったつもりが、気が付くと門外漢になっていたりするのだ。
 それよりもあのときは、うわ〜こりゃ難しい歌だな〜となかなか理解できなかった「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」。こっちこそが彼の深奥に向かってまっすぐに開かれた正門だったことに気が付く。裏門こそが正門だったのだ。ああ〜誰か私をパリに連れてって。フランス人になりたい(爆)。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」(歌・かまやつひろし/作詞・作曲  かまやつひろし  シングル「我が良き友よ」所収)
 ♪君はたとえそれが小さなことでも 何かに凝ったり狂ったりしたことがあるかい?  そうだ何かに凝らなくてはダメだ。くるったように凝れば凝るほど、君は独りの人間として幸せな道を歩んでいるだろう。…かまやつさん、そのとおりでした。

2023. 2. 26

☆☆☆アイツのマシンは☆☆☆
 愛のスカイラインといえば、ケンとメリーのスカイライン。その名を聴くと、とある拓郎ファンの方を思い出す。リアル狼のブルースよろしく深夜放送帰りの拓郎の車を溢れる愛で追いかけて東名をカーチェイスしたという彼の武勇伝は、拓郎もラジオで忘れじの思い出として語っていた。追っかけと言えば、コンサートの入り待ち出待ちしか浮かばないワシらとはギアの入り方が違うな〜と感心したものだった。お元気だろうか。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「狼のブルース」(作詞・松本隆/作曲 吉田拓郎 DVD「吉田拓郎アイランドコンサート」所収)
 これは個人的には、数あるバージョンの中で、篠島のバージョンがスピード、スリル、サスペンス揃い踏みで格別にイイんだわ。島村英二のドラム炸裂。ああ青春に続いてぐいぐい行きまっせ感が最高。

2023. 2. 25

☆☆☆それでもついてくわ手を離さないで☆☆☆
 ラビさんの「愛のスカイライン」は本当にすんばらしくて、YouTubeでも聴けるので、ゆかりの人たちとわかちあい聴きながら泣いている。うーん、もろもろ後悔あとをたたず。でも言いたい。「ありがとう、ラビ」って、それは昔の国語の教科書の「一切れのパン」だ。
 当然のことながら、だからといってBUZZが良くないというのではない。そうだ、BUZZといえば「あなたを愛して」を忘れちゃいけない。あの歌はさ、♪唇まどろむシーサイドホテル〜…このメロディーと詞と譜割りの快感。歌ってみてよし、聴いてみてよし、小気味よさ。この歌はココ一択だね。あくまで個人の感想です。
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
「こんなに抱きしめても」(作詞・岡本おさみ/作曲 吉田拓郎 「COMPLETE TAKURO TOUR 1979」所収)
 BUZZは篠島でもお世話になりました。この歌はビッグバンドによる篠島バージョンがもう圧倒的にカッコイイよ。BUZZのコーラスが思いきりbuzzってる…ってしつこいぞ俺。

2023. 2. 24

☆☆☆今が通り過ぎてゆくまえに☆☆☆
 昨日にかけて身体のあちこちをメンテしていただいて、帰りに中山ラビさんの店「ほんやら洞」に立ち寄った。物静かな息子さんがあのままの状態で店を続けておられる。カウンターには常連さんが並んで談笑し、テーブルには若いお客さんがくつろいでいる。不在のラビさんは小さな写真で鎮座しておられる。不在は不在であの人の不在は埋めようがないが、みんなが折り合いをつけて、それぞれの日常を生きているようなそんな空気が素敵だった。ラビさんの思い出話の中に、たまに登場する若くてやんちゃでちょっとシャイな吉田拓郎を思い出しながらチョイ飲んだ。息子さんがなんかのインタビューで「おのが仏の三回忌」と語っていたが、あ〜今年はもう三回忌かな?
☆☆☆今日のソウルメイトな歌☆☆☆
 「愛のスカイライン」(歌・中山ラビ/作詞・山中弘光、高橋信之(補作)/作曲・高橋信之)ケンとメリーのスカイラインのCMでBUZZが歌ってbuzzったw名作だが、中山ラビバージョンもあるのだ。高中正義、小原礼、高橋幸宏という、おまえの足音が聞こえてきそうなサウンドだ。とにかくラビさんの歌いっぷりが素晴らしいです。こっちの方がいいと思います(当サイト比)。

2023. 2. 23

☆☆☆一人だけの流行語☆☆☆
 昨日の「天衣無縫」は、吉田拓郎の本質のひとつではないかと思っている。 「天人や天女の着物には縫い目がないことから、文章や詩歌がわざとらしくなく自然に作られていて巧みなこと」…この言葉が、ひとり自分の中だけで大流行している。

 この言葉が最初に浮かんだのは初めて"いくつになってもhappy birthday"を聴いた時だった。このメロディーには、こしらえたり、ツギハギしたりした縫い目がまったくない。そこから湧いてくる心地良い幸福感。吉田拓郎まもなく55歳の時だ。その歳でよくこんなにも素朴で屈託のない自然なメロディーが出てくるものだという衝撃があった。いや、歳を重ねたからこそ可能になる巧みなのか。もちろんこれより完成度が高かったり名曲だと胸を打つ拓郎のメロディーはたくさんある。ただこの「天衣無縫」というインパクトはまた別ものだ。

 二度目に「天衣無縫」を感じたのは"ぼくのあたらしい歌"を聴いた時だった。70歳を超えてもこんなのびやかなメロディ―が出てくることに今度は安堵したものだ。康珍化の詞は、まるで拓郎夫妻のラブリーな日常を描いているようで、拓郎はインタビュアーの桑子真帆さんに「歌っててとても恥ずかしい」と語っていた。大丈夫だ拓郎、聴いてる俺ももっと恥ずかしい(爆)。しかしこの縫い目のない自然なメロディーだけで十分に心をウキウキとホップさせてくれる。

 そしてアルバム「ah-面白かった」だ。これより凄いアルバムや凄い名曲はいくらでもある。ぶっちゃけどの曲も既存の名曲を超えるものではない。すまん。それでもなぜ妙に心に刺さってくるのか。ラストアルバムとかジャケットとかそういうバイアスを除くとやはり「天衣無縫」感が全体に満ちているからではないかと思う。自然に作られていて巧みがある。それが心を静かに弾ませてくれる。だからどの曲もいとしい。拓郎が、曲がどっからか降りてきたというのは本当ではないか、まさに天女が降りてきたんだと思う。

☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「ぼくのあたらしい歌」(作詞 康珍化・作曲 吉田拓郎 DVD「LIVE2016」所収)
 映像しかないのでアクセスしにくいったらありゃしない。いちいち武部の顔から入らなきゃならない(爆)なんかのCDに入れとくれよ。
 そうか〜"いくつになってもhappy birthday"と"ぼくのあたらしい歌"は曲相もよく似ている。"岸井ゆきの"と"古川琴音"くらい似ている(爆)。この二人すっかり混同していたわ。…ああ老いを感じるわい。爺ちゃん、目を澄まして。

2023. 2. 21

☆☆☆合言葉は天衣無縫☆☆☆
 「たっちん」「ともりん」「なーたん」…いつもだったらオイラをナメちゃいけねぇよという荒んだ気分になるところだが今回は違った。ふっ切れたような拓郎の元気さがとても眩しかった。自由だ。歌で言えば
  ♪今、君は解き放たれて 自由へと翼広げる 
   英雄の名に縛られずに 閉じこもる館さえもいらない
 こんな感じだ。元気で生存している人に,この歌でなぞらえるのは失礼かもしれないが、アナタが自分で作って,さんざん歌ったんだからいいじゃないの。

 高齢化してからの吉田拓郎を観ながら「天衣無縫」という言葉がときどき浮かぶ。今回のラジオでもそうだった。「天衣無縫」とは、辞書によれば、 天人や天女の着物には縫い目がないことから、文章や詩歌がわざとらしくなく自然に作られていて巧みなこと 。人柄が飾り気がなく純真で無邪気なさま。天真爛漫なこと。

 そして自由で天衣無縫な吉田拓郎は「もう俺の後ろ影を追うな」そう言っているような気がした。たぶん言ってないだろうけど(爆)。でも、ひとつ言えるのは、こっちはこっちで解放されたのだと思う。こっちも自由だ。…解き放たれた歌手と解き放たれたファン。これからが面白いんでねぇの。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「夕映え」(作詞:石原信一/作曲:吉田拓郎 「吉田町の唄」所収)
 けれど自分の後ろ影を責めるなよ、笑うなよ、僕は誰にも奪われない、愛する君のそばにいる…亡くなった大森一樹監督にはすまないが、あんな映画にゃもったいない珠玉の名曲だ。個人の感想です。

2023. 2. 19

☆☆☆そして誰もいなくなった役員室午後3時☆☆☆
 これは俺の勝手な思い込みというか妄想だ。これに限らずこのサイトはみんなそうだけどさ。
 これまで吉田拓郎がさまざまなインタビューでフォーライフの社長時代のことを語ってきたが、もっとも凄絶さが伝わってきたのは、経営危機のときにスタッフを整理=切らなくてはならなかったというくだりだ。
     「応援できない人には辞めてもらう」と言ったよ。地獄だったね、本当に。
      …全員辞めてもらった。それが大変だった。
             (吉田拓郎「もういらない」祥伝社・P.110〜111)

      切った。それはもう今でもほんとに悲しいくらい切った。
      その人は恨んでるでしょう、その家族もみんな。
             (「月刊PLAYBOY」第137号」"吉田拓郎インタビュー"集英社P.43)

 読んでいるだけで辛くなる。一緒にフォーライフに夢をかけて参加してくれた人たちを自ら切る。切られた人々が一番大変だったろうが、切る方も平気でいられるわけがない…赤い血が見えないか。その人たちの家族にまで思いを致す拓郎。どれほど辛かったのか、俺なんかには想像もつかない。そう思うと昨日のラジオで「こんなことをするために東京に出て来たんじゃない」という言葉も悲痛な叫びのように響いてくる。

 たとえ今、すべてが昔話になったとしても、偉業だったとか、革命だったとか、青春の思い出だったとか「吉田拓郎」が賛美されるような歴史には絶対しない、してはならないという、吉田拓郎本人の固い決意を感じるのだ。だからこそ完膚なきまでフォーライフへの参加を間違いだったとキッパリ断言するのではないか。…あくまで根拠なんてない勝手な邪推だけどさ。

 ともかく吉田拓郎はフォーライフについてはもうすべてを語り終えたに違いない。吉田拓郎が残酷なまでにキッパリと総括する背中を見つめながら、いや,それでもフォーライフの描いた夢も数々の素敵な音楽もそして何よりフォーライフのために苦闘した吉田拓郎の素晴らしさも、こっちにはちゃんと届いているぜ、と静かに心に把持しつづけたい。

☆☆☆今日のソウルメイトな曲☆☆☆
「流れる」
(作詞・作曲 吉田拓郎/編曲 松任谷正隆 Sg「となりの町のお嬢さん」所収)
これがはじまりの唄。思い出すな荒野の朝を、今は黙って静けさを愛せばいい。
「気持ちだよ」(作詞 康珍化/作曲 吉田拓郎/編曲 瀬尾一三)
 そして最後の唄。気持だよ、気持ちだよ、君から貰ったものは。

2023. 2. 18

☆☆☆オールナイトニッポン55周年記念吉田拓郎のオールナイトニッポン☆☆☆

 前番組の最後に山下達郎の「拓郎さんお身体お大事に、なかなかお目にかかれませんが」とのお言葉があった。そして始まった、たっちん、ともりん、なーたんのまとまらない三人のオールナイトニッポン。通りすがりのおじさんとおねーさんたちの井戸端会議みたいである。
 とにかく何事もなかったかのように極めて自然に始まった。相変わらず声がいい、滑舌もいい、そして何より自由闊達な感じがまたいい。まったく衰えていない。むしろ衰えたのは俺の方だ。書き起こしをしようと思ったらもうこの爺は手も頭もついていかない。もともとこの声の質感やゲストとの自由軽妙なやりとりは文章に起こせるものではない。なのであきらめた。

☆篠原がバラした色分けした台本を丹念に作っている吉田拓郎。どうしても昔の天衣無縫キャラの印象が強い篠原だが、実はかなりクレバーで、目ざとくて、それで結構しつこい(爆)。油断がならないタイプである。いい意味で、だ。

☆スポーツ、学業万能の好漢A君、C君。写真部、帰宅部、悶々として日々を送る今でいうと陰キャのB君とD君。映画「桐島、部活やめるってよ」が思い出される。若き日の残酷なヒエラルキーだ。やっぱり若いころのこういう鬱屈した気持ちって大人になっても引きずるし影響するのはとてもよくわかる。それでも吉田君は吉田拓郎になったからいいじゃないか。吉田拓郎になれなかった私も含めてたくさんのB君、D君が吉田拓郎に超絶あこがれてしまうのかもしれない。蜘蛛の糸を独り登るカンダタを追いかけて登ろうとする地獄の人の群れ、私もそのひとりだ…って陰惨な例えだな。

☆病弱な少年が立浪部屋の時津山にファンレターを出したら「大きくなったら訪ねてきなさい」…初めて聴いた話でちょっと胸が熱くなる。

☆「私が不健康だとお酒の印象を悪くしてしまう」,「ウコンのチカラを借りればどこまでもいける」…拓郎は奈緒さんとは酒を飲みたくないというが、特に半沢直樹とメフィラスが出てくるビールのCMの奈緒の飲みっぷりがいい。俺はかなり好きになってしまった。 

☆フォーライフへの参加を深く後悔する吉田拓郎。社長になるために東京に出てきたんじゃない。そこまで後悔しているのか。確かにあのままソニーの環境にいたら音楽もまた違っていたのだろうか。それはファンとしても気になるところだ。しかし、それでもフォーライフの設立そして再建に粉骨砕身取り組んだ吉田拓郎を誇らしく思う。もうそんな拓郎のことを喧伝したりはしないが、密かにあの素晴らしさは心の中で思い続ける。

☆「自分は何かを頑張った気がしない、ラックは持っていたが、なんとなくレールに乗っていた。ホメてやりたいような決断や努力はない。運が良かった、自分から飛び込んだ気もしない」
 私から見れば自分から荒海に飛び込んで抜き手をきって泳ぎ、身を削りながら頑張って、大いなる成果を成し遂げた立志伝中の人にしか見えない。たぶん世の人々もそう見ているはずだ。拓郎の主観と傍目の客観の大いなるズレ。そこで出てくるのがあの「天才に向上心はいらない」というかの名言なのだ。それは吉田拓郎が本当に骨の髄まで音楽家であり、魂の底から音楽を愛しているからなのだとあらためて思う。

☆「これからのことは佳代と二人で決めるのでここでは言わない。毎日楽しい、以前とは違う楽しみ方があるということをお伝えしておきたい。生きてみないとわからない。今は凄い楽しい」
 去年のadayに書いたけど映画「コーダ・あいのうた」は実にいい映画だった。確かに、主人公は、あいみょんに似ている。そしてあの父親は高田渡に似ていると思う。
 あいみょんの2018年がもう古いというこの感覚は確かにショックだ。LOVE2の開始も2006年のつま恋もつい最近のことだというのが肌感覚だ。だからリタイアして正解だったのか、本当にそうなのか、これは深めてみるに値する問題だ。

☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡
 「僕の一番好きな歌は」(作詞・作曲・歌 吉田拓郎 1979年ラジオ音源)
 「僕の大好きな場所」を「僕の一番好きな」と言ってしまうから、久々に聴きたくなった。遠い昔の合戦を観ているような、いや今だからこそしみるものなのか、それはこれから生きてみなきゃわからない。しかしこのソウルは永遠のものだ。

 リタイア後これからどうなっていくのかわからないなかで、こんなふうに通りすがりのように突然あらわれる吉田拓郎がいる。推しがリタイアしてしまったファンの明日はどっちだ。さしづめ「吉田拓郎ファン」もやりつづけてみなきゃわからないということだろう。ということで、また通りすがってくれんさいや。

2023. 2. 16

☆☆☆原宿は今日も雨だった☆☆☆
 「たえこMY LOVE」といえば、あの雨音の効果音だ。クラクションが小さく鳴ると雨音を切り裂いて♪た・え・こ・MY LOVE 雨のぉ中をぉ踊るようにぃひぃ〜消えてい〜〜った…何度聴いてもこのドラマチックな導入がたまらんぜ。うまい。うますぎるぜボーカルが。
 「雨の中で歌った」のおかげで、たえこMY LOVEの舞台が原宿・表参道であることがわかった。そうするとどうしても思い出すのが、

 どしゃぶりの雨の中、タクシーを降りて僕は一人
 想い出のたくさんしみこんだ 表参道を歩いている
 あれはそうもう何年も前 やるせない思いを友として
 都会に自分を馴染ませようと 原宿あたりへやってきた
 その日も雨模様で かすかに山手線を走る電車の音は心地よく

 ああ〜町中華見逃しちゃったよ残念。それにしても名曲ばい。最初はたぶん山手線で西も東もわからず来た街に、数年後にはタクシーで乗り付けてやったぜという出世の歌だ>まったく違うだろ
 そう吉田拓郎の原宿は「雨」なのだな。雨の原宿…「雨の西麻布」は、とんねるずだった。あれもいい歌だった。♪双子のリリーズ〜 ザ・リリーズといえば10年くらいの前に原宿ラドンナで二人揃ったお姿をお見掛けした。ああ、サインをいただきたかった。ご冥福をお祈りします。ちゃんと原宿に帰って来た。  

☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「街へ」(作詞・作曲・歌 吉田拓郎 編曲 ブッカー・T・ジョーンズ「Shangri-la」所収だが、セイヤングで流したデモテープを)
 「街へ」はデモテープがメチャ好きだ。キーもあっていないラフなデモテープなのだが、街も自分も雨の中にとろけてしまうような抒情的な感じがなんともいえずにたまらない奇跡のバージョン(※個人の感想です)。あと何万回でも言うが1980年の武道館のゴージャスな松任谷アレンジバージョンを公式音源化して欲しい。
 「好きよキャプテン」(歌・ザ・リリーズ/作詞・松本隆/作曲・森田公一)
…松本、おまえだったのか。中学の時、テニス部のキャプテンもちだ君が女子たちにこの歌を歌ってもらっていてすげー羨ましかったのを覚えている。拓郎の言うとおりスポーツできなきゃ女子にはモテないよな。…いちおう水泳をやっていたのだが、そんなんじゃダメ、やっぱり、やれ野球やれ、サッカーやれじゃないと。

2023. 2. 15

☆☆☆雨の中で俺も歌った☆☆☆
 冬の雨の中を仕事でトボトボ歩いていると切なくなるくらい寒い。切なさは孤独感というよりもう自分が用済みのようなやさぐれた気分に近い。”冬の雨”って歌(アルバム「ひまわり」所収)はカッコイイけれど、実際に歩いていると芯から凍えて気持ちも荒んでくる。しかし歩きながら「雨の中で歌った」が脳髄の奥底から湧いてきて、ずっと小声で口ずさんでいた。なんだろう、このメロディーの気持よさというか心地良さ。ちょっと温かな気分になってウキウキしてくる。いつまでもこのメロディーにずっと浸っていたいと心の底から思った。

 「ah-面白かった」の中で一番最初にデモテープを聴かせてくれたのがこの作品だ。その時の俺の印象は正直に言うと「こりゃ凡作ばい」だった。可もなく不可もないとても平凡な拓郎節。すまんな、こういうときは拓郎ファンとしては「どこか懐かしい感じ」とか「拓郎らしさを感じる」と表現すべきかもしれないがそれでは拓郎に失礼である。>凡作の方が失礼だろ。

 でもこうしてレコーディングされた完成品を聴くと音楽からしみじみと湧いてくる幸福感を感ずる。そしてWANGANの実写版になってくるとまたライブだからこその演奏と歌いっぷりのラフさにまたあらたな命が弾んでくる。名作じゃん。この平凡を心から愛している自分に気づくのだ。そしてそこにはささやかな幸せがある。
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これだ。…怒られるぞ。あくまで個人の感想です。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
 「たえこMY LOVE」 (作詞・作曲・歌 吉田拓郎 「ONLY YOU」所収)〜「雨の中で歌った」 (作詞・作曲・歌 吉田拓郎 (作詞・作曲・歌 吉田拓郎 「ah-面白かった」所収)
「たえこMY LOVE」の後日譚ソングということなのでループしながら聴く。たぶんONLY YOUバージョンの方が組曲的一体感でしっくりとつながるような気がする。…と思いつつ石川鷹彦アレンジのシングル盤のあとに聴くと映画でいえば回想シーンからの劇的な場面転換みたいな感じがしてこれもまたいい。どっちがいいかじゃなくて、どっちもいい。

2023. 2. 14

☆☆☆東京駅地下道のひとごみの中、ああ〜☆☆☆
 東京駅地下のムーミン・ショップが今日で閉店ということで驚いた。かなしい。壁のソフィア・ヤンソンのサインはどうなるんだろう。一昨年に吉田拓郎のファンクラブであるTYISが終了した。昨年末にムーミン公式ファンクラブも閉じて、ついに私はどのファンクラブにも属さないこととなった。その矢先のこの愛用ショップの閉店である。これがホントの推仕舞(おしまい)である。
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 最後の品出し福袋を買って、おねぇさんたちに長い事ありがとうございましたと礼を言った。正直、福袋の中は要らないものばかりだったが(爆)、そこは気持ちだよ、気持ちだよ、君にあげたいものは。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
 「まるで孤児のように」(作詞岡本おさみ/作曲吉田拓郎/編曲青山徹「アジアの片隅で」所収)
 なんだか俺たち荒れ果てた土地に取り残された、行く場所のない孤児みたいだな…なぁ今こそ静かなるファンクラブが必要なんじゃね? 

2023. 2. 12

☆☆☆どこで自由を手にすればいい☆☆☆
 なんだか世間が息苦しい。例えば同性婚制度は、現行憲法では「想定されていない」というのが政府見解だという。確かに想定はしていなかったにせよ、断じて禁止はしていない。
 憲法24条「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立する」…この規定は「愛し合う二人の思いが全てです。それ以外は「家」だろうが「しきたり」だろうが、誰にも何にも邪魔はさせません」という愛し合う二人へのエールだ。だから、愛し合う同性婚を禁止するだなんて言うはずがない。音楽に魂=ソウルがあるように法にも魂=ソウルがある。愛でないものはあるはずがない。…これから社会的な議論を深めたいと薄っぺらな口上を耳にするが、その議論に愛とソウルはあるんかい。
 この問題に限らず、総じて少数者をこの経済社会のために少しずつ粛清していくような流れが感じられて息苦しいし、怖い。ジョン・レノンが亡くなった時、アブレ者は抹殺されると泣いていた拓郎の言葉を思い出す。もちろん拓郎さんが今この問題をどう考えるかは知らないし、わからない。それでも私は、拓郎の歌はすべての愛し合う二人を応援する歌だと勝手に思い勝手に理解している。そしてこれまた勝手にこういうときの応援歌だと思う。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「Life」(歌・作詞・作曲 吉田拓郎「FOREVER YOUNG」所収)
 しくみがあるから生きるわけじゃない、勝手なルールを押し付けないでくれ、わかったな愛を巧みに操る者たちよ。いいわぁ。原曲はもちろん85つま恋の凄絶なバージョンもいい。惜しむらくは2000年代の深みのある歌声でのバージョンも欲しかったと…これも勝手に思う。

2023. 2. 11

☆☆☆ラジオはハッピーな友達です☆☆☆
 あらためてラジオと吉田拓郎の絆の強さ、やっぱり吉田拓郎にとってのラジオってすげぇものなんだなぁと思った。もちろん説得にご尽力いただいた皆様方に深謝申し上げます。貴重な近況確認であり、また引退してしまったわけではない状況証拠でもある。なーんてことを超えて、ただひたすらに楽しみである。とにかく18日までは、死んだふりしてまだ生きられる、おまえだけが命あるものよ〜
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「oldies」※バイタリスフォークビレッジのテーマ(作詞・作曲・吉田拓郎「Oldies」所収)
 ラジオといえばコレだ、神田共立でのサプライズも記憶に新しい、♪ここに一人でいる僕を 夜空のどこかに記しておきたい 愛する人に 届けと〜ココがいいんだよな。

2023. 2. 10

☆☆☆祝・2/18 am11:00 オールナイトニッポン出演☆☆☆

「もう帰って来やがって」と涙ぐむ
              天邪鬼推すもまた天邪鬼
                        星超空
…俺も長山短歌賞に応募しようかな>短歌じゃねぇし

☆彡☆彡今日のソウルメイトな曲☆彡☆彡☆彡
  「誕生」(歌・作詞・作曲 中島みゆき/編曲 瀬尾一三)
    ♪私いつでもあなたに言う、戻ってくれてWelcome\(^o^)/
       ※原詞は「生まれてくれて」です。

2023. 2. 8

☆☆☆挟まれる吉田拓郎縁起☆☆☆
 昨日はアグネス・チャンの「アゲイン」を聴きながら、ああ〜こりゃあ名曲ばい…とあらためて感じ入った。僕らは今も自由のままだ>だからそっちじゃない。そっちも名作だが。
「作詞・松本隆/作曲・吉田拓郎/編曲・松任谷正隆」…このクレジットが醸し出すなんとも言えない盤石感。そして神々しさ。字面的に「作曲吉田拓郎」が「作詞松本隆」と「編曲松任谷正隆」に両脇を挟まれると名曲率は100%である。以下に表にして検証してみた(爆)。
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…ほ〜ら無敵だ。「吉」の字が両側の「松」に挟まれて名曲出来。こいつぁ縁起がいい。これを吉田拓郎=門松理論と名付けたい。意味わかんねぇよ。
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 引退したわけではなく曲はこれからも作り続けると拓郎はラジオでも言っていた。いつかまた気分が乗ったら「門松」で作ってみてくださいな。
☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡
「英雄」(作詞・松本隆/作曲・吉田拓郎/編曲・松任谷正隆 「ローリング30」所収)
  門松はしみじみとした名作が多い中でのハード路線のこの歌。詞もメロディも歌もそしてこの素晴らしきアレンジも、すべて魂が燃え立つ感じがすげーいいぞ。聴いているこの爺もこのままじゃダメだ、俺も決起して何かをせねばといてもたってもいられなくなる。何もしないけどさ。

2023. 2. 7

☆☆☆愛と哀しみのオメダ☆☆☆
 「カンパリソーダとフライドポテト」はなんといってもあのケーナのイントロがすばらしい。美しくて悲しい音色とメロディーの寂寥感があの歌を象徴している。ケーナという楽器だというのは当時のフォトブック「大いなる人」(八曜社)に書いてあった。しかし当時はネットもない高校生だったのでどんな楽器かはわからずじまいだった。後年、俳優の田中健がテレビに出てあちこちでケーナを吹き始めたおかげで初めて本物のケーナを観ることができた。ご存じのとおり田中健のケーナは趣味などではなくプロのレベルということだ。
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 なにせ田中健は家でケーナを吹き過ぎでウルサイということで家族から追い出され多摩川の川原で吹いていたと芸能ニュースでも報じられていたほどだ。こんなふうにケーナの音はどこまでも悲しみでできているのだ。※念のため田中健がカンパリのケーナを吹いているわけではないから(爆)、小出道也という笛奏者の方である。

 いやいや歌に話を戻そう。あのケーナのイントロのメロディ―が、今度は間奏では鈴木茂の見事なギターでトレースされる。このギターはがまた美しく東海林太郎の国境の町とのブリッジが胸を打つ。あ〜鈴木茂、天才と思わず叫びたくなるゆえんだ。

 この名作が1978年の春のツアーでは最初の数本で歌われただけで、セットリストから外されてしまったのが残念だ。チリチリパーマとともに幻のテイクになっている。

 同じくケーナ(だと思うけど違ったらごめんね)が印象的なイントロの名曲がもう一曲ある。こっちは松任谷正隆先生のアレンジだ。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
 「アゲイン」(歌・アグネス・チャン/作詞・松本隆/作曲・吉田拓郎/編曲・松任谷正隆)
 この(たぶん)ケーナのイントロも切なく疼くようで、悲しみのブレンドされた拓郎のメロディーとリンクとしている。そして松本隆が見事に描く映画のような情景…最初の機関車を降りるところ、これって赤毛のアンのプリンス・エドワード島がモデルではないかと思っているのだが。

2023. 2. 6

☆☆☆t.yを愛する諸国民☆☆☆
 昨夜はtくんらと目黒の坂の途中の店に集まり禁酒の誓いを思い切り破った。禁酒の誓いなんて破られるから美しい。
 当然の如く一線を退いた吉田拓郎の話になった。tくん曰く「これが逆だったらどうだろう。先にこっちが聴けない身になってしまったら、それはそれで心残りなんてもんじゃない。」…切ない話だが十分にありうることだ。我なき後にごっつすげー新作出したり、ごっすげーライブやったりしたらと思うと超絶悔しいわな。今は亡きk君の顔が浮かんだ。その無念たるやいかばかりか。「拓郎がココまでだよという線を自分で引いてくれたことは、こちらにとってもありがたいことかもしれないと思う」…酔ってたんでtくんの言葉の主旨をちゃんと捉えていないかもしれないし、もっと他のことも言おうとしていたのかもしれないが、ああ〜そういう考え方もアリだなと思った。

 一線を引いたことで、正しい表現なのかはわからないが吉田拓郎は肉身ではなく法身となった。あるいは我が幻の兄弟の言葉を借りれば「文化」そのものになったのかもしれない。
 例えばtくんはまだ買っていないアルバム、買ったけど聴いていないアルバムをこれから辿るとのことだ。ミッツ・マングローブが2022年は拓郎元年でこれから一枚ずつアルバムを聴き始めるというのとスピリットは一緒だ。それは楽しいだろうな。
 文化のいいところは、永遠でしかも自由なところだ。忖度もキマリもなく、それぞれがそれぞれに自由に文化を味うだけだ。文化になった吉田拓郎を前に、健康で文化的な最低限度の生活を営み、平和のうちに個人として生命、自由及び幸福追求に生きる。それは保障しますって、ちゃんと憲法にも書いてある(爆)。

 それにしてもtくんは心の底からカンパリソーダにハマっていて飲みっぷりが見事だった。最初から最後まで食前酒を飲みつづけるもんじゃないと注意されたそうだが(爆)。そんなにカンパリが好きになったのか、tくん。ということで。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
「カンパリソーダとフライドポテト」(歌・詞・曲 吉田拓郎 アルバム「大いなる人」所収)
 思い切り逆風の吹く中を木の葉のように舞いながら進む二人、切なくも力強いラブソングだ、拓郎の素晴らしさと共に、鈴木茂…アナタは天才!!

2023. 2. 5

☆☆☆君の欲しかったものはなんですか☆☆☆
 タイトで骨太なドラムに導かれたLIVE2016「僕達はそうやって生きてきた」が終わって余韻に浸っていると「流星」が始まる。ついついそのまま聴いてしまう。CDで聴くと正直こんなに良かったのかとあらためて思う。ほぼピアノだけの下支えで拓郎のボーカルを思いっきり真ん中にフィーチャーして始まる。心にしみいる拓郎のボーカルの威力が胸を打つ。やがてバンドサウンドにつつまれてもそのまま拓郎のボーカルだけが強く刺さってくる。いいぜ。だから、あの最後の最後が、際立つ。これだけの演奏なのに惜しい、残念という気持ちと、これはこれで拓郎の魂の発露で、これを含めて凄いじゃないかという気持ちが交錯する。どちらにしても絶品のひとつであることは間違いない。

 それにしてもよくまあこれだけの曲が、1979年のTOUR79/篠島から1999年の20世紀打ち上げパーティまでの20年間も放置されライブで歌われなかったものだ。それって凄くないかい。それよりもそれでも人々の心にこの歌が静かに生き続けて広がっていったことの方がすごいかもしれない。それだけでもこの歌のチカラを思わざるを得ない。

 歌われなかったといえば、先日久々にお会いした拓バカ同志の「なぜつま恋2006で『流星』は歌われなかったのか?」という問いを思い出した。世界で一番「流星」を聴いていると自負する彼にしてみれば問いというより心の叫びのようなものだ。確かに追及に値する疑問点だ。1999年以降ライブの定番スタンダードになった「流星」にもかかわらず、なぜあの大舞台で歌わなかったのか。「落陽の花火のあとは"a day"じゃなくて、そこで"流星"だろ」という彼の言説はもっともだ。
 …なぜかはわからん。もともとよくわからないのが吉田拓郎だ。…ただあのつま恋のラストステージの圧巻で流星が歌われた日にゃ、それこそ2016年のようなことになってしまうことを懸念したのではないか…と2016を聴いていて思う。袖にみゆきねーさんもいるしそうなったらちょっとな…と思ったか…すまんただの下種勘繰りでしかないが。
 
 そして反動のように2019年の「流星」はチカラ強く攻めていた。センチメンタルなモードを打ち消すような気概をハーモニカにこめて、最後はハモニカごと放り投げた。あれはあれでまたカッコ良か〜。
 幾多の流星たち、もう生の流星は見られないのか。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
 「流星」(歌・作詞・作曲 吉田拓郎 DVD「吉田拓郎 LIVE 2016」附属CD所収)〜「流星」(DVD「吉田拓郎 LIVE 2019 -Live 73 years- in NAGOYA 」)
  名古屋もこんなにうまかったっけと思うが、とにもかくにも70歳を過ぎても進化する「流星」にしびれる。

2023. 2. 4

☆☆☆俺だって風の中に立ってる☆☆☆
 WANGANで久しぶりに河村"カースケ"智康のドラムを観た。どことなく青山徹系の顔立ちには親しみを覚えるのだが、カースケ氏の全身から放たれるヨガの修行中みたいな雰囲気が気になって仕方がない。2014年の拓郎のツアーでは、メンバー紹介の時にスティックを宙高く舞わせていたが、もう何か術を使っているようにしか見えなかった。
 ということで先入観のカタマリになってちゃんと音を聴いていなかったが、最近になって、なんとタイトなドラムなのだろうかと深く感じ入る。遅いな、すまん。特に2016年のライブDVDに附属しているCDを聴いているとビシビシとリズムが響いてくる。大して好きじゃなかった作品でもこのサウンドで聴いていると有無を言わさず説得されてしまう。2016年のライブはこのサイトではそこそこの酷評をした気がするけど、このドラムの凄さを気づかなかったのは不覚の至りだ。
☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイトな歌☆彡☆彡☆彡
 「僕達はそうやって生きてきた」(歌・作詞・作曲 吉田拓郎 DVD「吉田拓郎 LIVE 2016」附属CD所収)
 なんとなく Kinki・シノハラ世代を意識した優しいおじさんからのメッセージ的な歌詞(小爆)、なんか展開の凡庸なメロディー(中爆)、まるで好々爺のロックンロールじゃねーか(大爆)、とさんざん悪態をついたものだが、カースケのドラムがビシバシくるこのライブ・バージョンを聴いていて思わず「おお、すげぇ」と声が漏れてしまった。こちとらは、ははーっとひれ伏さんばかりだ。勝手ながらこれこそがベストテイクではないか。魂の律動を感じる。

2023. 2. 3

☆☆☆三番目に大事なもの☆☆☆
 いやなニュースが続いていて、三日に一度くらい「ああ、忌野清志郎が生きていてくれたらな」と思ってきた。すまん、ファンでもないくせに何かおこがましい。そもそも昔、清志郎は吉田拓郎が大嫌いだと公言していた拓敵だった。俺にとっては敵ということで、拓郎はずっと彼のことが大好きだったようだ。でも清志郎の方にも後年から晩年にかけて静かな変化があったように見えた。いずれにしても敵であっても味方であってもいい。「忌野清志郎が生きて歌っていてくれたらな」とただ切に思うのだ。

☆彡☆彡☆彡今日のソウルメイト☆な歌☆彡☆彡☆彡
 「心のボーナス」 吉田拓郎 (作詞・作曲 忌野清志郎 「Hawaiian Rhapsody」所収)
     ♪大人のクセに自分のことで精一杯だったから…恥ずかしながら御意。 

2023. 2. 2

☆☆☆素敵なintermission☆☆☆
 そういえば2005年の瀬尾ビッグバンドのツアーだったな、途中の「夏休み」で会場が大合唱の中、拓郎だけ一時退場して小休止するという構成があった。ここぞとトイレ休憩に立っていた人もいた。しかし後で拓郎が出てきて「おまえら、歌わないで席を立った奴ら、モニターで全部チェックしているからな!」と怒っていらっしゃった(爆)。見てやがんな〜。そういう大きくて小さい拓郎さんが好きです(笑)…あぁなんもかんも楽しかったなぁ。

 そもそも休憩が悪いというのではない。2000年代によく足を運んだ浜田省吾のライブは必ず休憩があったが、これがあるがゆえになんか前後編たっぷりと見せてもらった充足感が凄くあった。そもそも「休憩」という言葉がなんかアレだな。バレエとか演劇とか映画でいうところの「intermission=幕間」というのが適切だしオサレかもしれない。
 今度ライブやるときは途中intermissionでフォーラムのスパークリングワイン飲んだりしてゆったり過ごせるのもいいかもしれない。ゲストには女性シンガーを呼んで、女性歌手提供曲たとえば「ステラ」「風の中で」「ラブ・カンバセーション」とかを歌ってもらったり。
 デスマッチ型をとことん極めたので、今度は回帰して、より豊かなゲスト・休憩ちゃうintermission型ライブを…やってくれてもいいよ(爆)

2023. 2. 1

☆☆☆気分はデスマッチ☆☆☆
 そういえば大野真澄は1976年のコンサートツアーのゲストだった…行ってないけど。私が初めて参加した78年のツアーでは小林倫博、是非とも行ってみたかった憧れの74年はバックバンドもつとめた愛奴がゲストだった。かつてのコンサートツアーにはゲストがつきものだったようだ。
 拓郎が登場して歌い、ゲストと交代し、休憩を挟んで拓郎の演奏が再開して全長2時間前後というのが70年代中期のパターンだったようだ。たぶんそれ以前には前座型とでもいうべきものがあったと推察されるが私は体験していないのでわからない。
 今思えば、拓郎とともに浜田省吾や大野真澄が聴けるというのは贅沢な話だが、当時はゲスト・休憩の中入りは微妙なところもあった。ゲストの小林倫博が「次が僕の最後の曲です…って言うと凄い拍手がくるんです」と言ったらホントに盛大な拍手が起こって…すまなかったなと今はちょっと思う。しかしどうしても中入りで熱が醒めてしまうことは否めない。

 しかしこれが翌79年からは大転換する。ゲストなし休憩なしで「2時間半ぶっ続けで行きまっせ!」(79年7月2日)と拓郎が言ったように自ら「デスマッチツアー」と冠する新しいパターンが披露された。時間も2時間30分と延長されている。79年はそれでも途中で3〜4分程度の島村英二のドラムソロが入り(「君が好き」の間奏)、その間に拓郎たちは一時退場するという給水ポイントが作られていた。島ちゃんのすげえドラムソロはブラボ!!
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 78年から79年のこの転換と変化は正直びっくりしたものだ。わざわざ図にすることか(爆)。いいじゃないか。やがてはソロプレイのワンポイント時間も無くなり、ホントにぶっ続けの公演になる。かくして、このゲストなし、休憩なしの完全デスマッチ型が末永くその後の拓郎のライブのデフォルトとなるのはご存じのとおりだ。

 私ごときが偉そうに言うことではないが、それでも何度でも言いたい。今まで普通に観ていた吉田拓郎が登場して最初から最後までずっと歌うというコンサートを当たり前だと思ったらバチがあたる(爆)。それは拓郎の並々ならぬ覚悟と心血注いで作り上げられたフォーマットなのだ。
 そしてこのデスマッチ型のコンサート総時間は途中に増減はあったものの2004年の瀬尾一三ビッグバンドとのPrecious-storyでは総時間が3時間にも及ぶことがあった。齢60歳を目前にしてのことである。こうして自分も同じ年代になってみてつくづくその凄さに感嘆せざるを得ない。そんな拓郎さんに対して何がどうだとかグチグチ悪態つくのはやめようぜ>それは、おめぇだろ(爆)はい。

☆彡☆彡☆彡今日のベスト☆彡☆彡☆彡
  君が好き    吉田拓郎(豊かなる一日より)
      若き日の島村英二のあの超絶なドラムソロを湛えて。

 何を言いたいのかというと、私も年齢とともに日々疲れやすくなって、つい他人に任せたり、休憩したくなることも多いが、そこはそれ、わが師が身をもって示してくれた、気分はデスマッチの気概でまいりましょう…ってこと。

2023. 1. 31

☆☆☆悲しみを口ずさむ時☆☆☆
 それにしても訃報が多い。なぜか悲しい夜だから、昨日の余勢をかって大野真澄の「空に星があるように」を聴く。しみる。今頃になって心の底から申し訳ないが、素晴らしいボーカルだ。ちょっとロックっぽいアレンジもいい。これってフォーライフ時代の吉田拓郎のプロデュースだった。軽井沢に合宿した拓郎が奮闘していた記事が今は無き雑誌「フォーライフ」にあった。
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 そういえば荒木一郎は金沢事件の時にマスコミで拓郎を擁護してくれた数少ない一人だったんだよな…とか余計なことも思い出す。とにかくとにかくみなさんお元気でいらしてください。
☆彡☆彡今日のベスト☆彡☆彡☆彡
 大野真澄「空に星があるように」からの同じ大野真澄のカバーする「ああ青春」
  このボーカルだともっともっとカバー映えする拓郎の曲がありそうな気がするんだが、なんだろうか。

2023. 1. 30

☆☆☆今夜は酒で酔えない☆☆☆
 これは俺の勝手な思い入れなのだが「ドン・ファン」ときたら「ダンディー」(大野真澄)なのだ。前にも書いた気がするが、どちらも松本隆&吉田拓郎のタッグの手になる同じ1978年の提供曲だ。あえて対称的に作られた作品のような気がしてならない。それくらい見事な対極だ。
 勝ち組、負け組という言葉は嫌いだが「ドン・ファン」が勝ち組のモテ男なら「ダンディー」を負け組のフラれ男の歌だ。松本隆はドン・ファンは吉田拓郎をイメージして書いたと言うが、ダンディーはさしづめ自ら「ふられ虫」と宣言していた「武田鉄矢」あたりではないか(※松本隆はそこまで言ってません)。
 まず詞のcontrastが見事だ。♪レミーマルタン水で薄めてはプレイガール達の輪の中で踊るドン・ファンに対して、♪ジンの瓶、逆さに一滴飲み干す、みみっちいダンディー。特に♪貧しい俺でも背広はホワイト…ここらがとても切ない。とはいっても自分を省みると部類としては後者に共感せざるを得ない。
 このcontrastは詞だけでなくメロディーにも表れている。ドン・ファンのどこか攻めている感じのメロディーとサウンドに対して、ダンディーのメロディーは、やさぐれた悲しみを湛えていて、どこまでも心優しい。よくできたメロディーだ。
 間奏に♪酔いどれ酔いどれ〜というブリッジのメロディ―がかかっているところが素晴らしいと当時の知り合いの方が熱弁していた。御意。
 そして末筆ながらボーカルこと大野真澄の懐の深いボーカルが実にいい。これは仮に拓郎が本人歌唱したとしても、よしんば武田鉄矢が歌うよりも、この大野真澄のボーカルの「粋」な感じに一択だ。永らく幻のシングル盤だったのだが、わりと最近FORLIFE CLASSICS」というフォーライフレコードの記念盤に収録された。ということで崖落ちを逃れた。良かった。
 
☆彡☆彡☆彡今日のベスト☆彡☆彡
  ダンディー  大野真澄
   1978年の溢れるような拓郎の数々の名曲群に乾杯だ。

2023. 1. 29

☆☆☆なんだかんだのドンファン☆☆☆
 昨年末のミッツ・マングローブのラジオの「吉田拓郎提供曲特集」で、EVEのカバーした「ドン・ファン」を初めて聴いた。ダンサブルでイイ感じだった。そういえば昔、男性ばかりの広島出身のバンドがカバーしていたよな〜と思って調べたら…「ザ・ベアーズ」というグループが1978年12月にシングル盤でカバーしていた。神田広美がリリースしたのが1978年7月だから僅か半年後のカバーだ。ちなみにEVEの発表は1980年。この短い期間に3組のシンガーが競作するのって凄くないか?でもってどれもヒットしなかったというのも、もっと凄くないかい?(爆) すまん。売れなかったものの、どのバージョンもなかなか聴かせるのはやはり楽曲のチカラが大きいからだと思う。よくできた曲だとあらためて思う。

 やはり本家は神田広美のオリジナルだ。77年から78年は社長業に忙殺されて音楽の第一線から離れていた…と自分もよく言ったり書いたりするが、フロントに出たり、ライブをしなかっただけで、実にたくさんの本人歌唱と提供曲を作っていることは刮目すべきだ。音楽から離れていたと言ってしまうのは雑かなと我ながら思う。社長時代にも名曲をたくさん残しているのだ。http://tylife.jp/sideways.html#NINENKAN

 話がそれたが、当時のセイ!ヤングで、拓郎は、神田広美の「ドン・ファン」のレコーディングに立ち合った話をしていた。彼女が歌い方で損をしていると思った拓郎は、もっと口角を広げてイーって感じで歌うようにと熱心に歌唱指導したと語っていた。
 そして少し経って別の音楽番組に出演した神田広美は「吉田拓郎さんの歌唱指導のおかげです」と感謝を語っていて、ああとても誠実な人だなと感心したものだ。普通は「うるせぇよ」とか思うじゃん>それ普通じゃないから

 神田広美は、その後作詞家に転身し、あのキャンディーズの「春一番」「年下の男の子」などで有名な作曲家穂口雄右と結婚しアメリカに渡った。最近はジャズシンガーとして復活しておられる。復活と書いたが、過去は切り離した「転生」かもしれないので、安直に"「ドン・ファン」の神田広美さん"とか言うのは失礼かもしれない。

 ということでなんとなく、行き場のない名曲という感じだったが、わりと最近松本隆がコンピレーションアルバム「新風街図鑑」に自選したりしてくれて、崖っぷちには立たずに今も生き続けている。

 ☆彡☆彡☆彡今日のベスト☆彡☆彡
 ドン・ファン  神田広美
   油断して口ずさんでいると♪プレイガール達の輪の中で踊る〜のところで口が回らなくなるので注意が必要>知らねぇよ

2023. 1. 28

☆☆☆ダダダで生きる☆☆☆
 ダダダといっても人間標本5・6ではない>知らねぇよ。
 武道館の「知識」はいつ聴いても熱い。それは人それぞれによって思い入れはあるだろうが、俺にとっては何といってもこのミュージシャン陣が好き過ぎるからだ。
     吉田拓郎
     松任谷正隆
     鈴木茂
     島村英二
     石山恵三
     エルトン永田
     青山徹
     常富喜雄
     ジェイク・H・コンセプション
 この9人が永遠のベストナインとして脳裏に刻まれている。

 「知識」の2番の♪語り尽くしてぇみるがいいさぁ〜 のあとにバンドサウンドがカタマリになってダ・ダ・ダッダァ〜と合いの手みたいなのが入る。これは音楽用語でなんかあるのかもしれない…オブリガートっていうのか?俺にはわからん。とにかくココが超絶燃えるのよ。理屈抜きに気分がアがる。

 同じような合いの手が篠島の「ああ青春」にもある。1番の最後♪ああ青春は燃える陽炎かぁ〜ダ・ダ・ダッダダァ〜と合いの手が入り間奏になだれ込んでいく。これもメチャ燃える。荘厳な世界に入ってゆく感じがたまらない。
 これらのダ・ダ・ダッダァ〜とダ・ダ・ダッダダァ〜のアレンジは、やはり松任谷正隆先生の手になるものであろうか。

 それから篠島の「ああ青春」では最後のしめくくりの♪ああ青春は〜のリフレインのところにドゥルルルルルルという島村英二のドラムロールが入るところがもう胸にしみる空のかがやき。これから繰り広げられるバトルの狼煙のような感じだ。

 ということで人生の節目、節目はこのダ・ダ・ダッダダァ〜とドゥルルルルルルに背中を押されながら生きていきたい。どういう人生だ。

☆彡今日のベスト☆彡☆彡
 「知識」(TOUR1979)からの「ああ青春」(TOUR1979)
    ダ・ダ・ダッダダァ〜とドゥルルルルルルで気分上げよ。

2023. 1. 27

☆☆☆推しが武道館いってくれたら俺だって死ぬ☆☆☆
 「推し」といえば、作者も内容も全く違う漫画で「推しが武道館いってくれたら死ぬ」という作品があることを知った。地下アイドルを応援する若者を描き、アニメ、ドラマ化そして今度は映画化にもなるらしい。知らなかったが有名なんだな。こっちは内容は殆ど知らないが、もうこのタイトルだ。魂すぎる。このタイトルを唱えるだけでチカラが湧いてくる。…この心意気、この気骨こそ「推し活」の真骨頂だ。

 俺の場合は、どうしたって1979年の初ソロ武道館に向かって魂が飛ぶ。吉田拓郎が武道館をやる…と知ったのはその年の春先のセイヤングでのことだ。結構驚いた。正直云うと、え、武道館?できんの?と不遜にも不安が走った。フォーライフの社長として音楽の現場から離れている間にニューミュージックは若手ミュージシャンの百花繚乱状態になり、既に「吉田拓郎」はもう過去の遺物というイメージだった。
 武道館直後の当時の週刊明星の記事がある。「今、拓郎で武道館、もつかいな」…という空気は確かにあった。当の拓郎本人までもがその不安を口にしている。
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 当日、俺はワクワクしながらも、もしかしたら悲惨な光景を観るかもしれないという不安にもさいなまれていた。しかし「俺が行かなきゃ誰が行く」と生意気をカマしつつ、討ち入りでもするような気分で九段下のお堀を渡って門をくぐった。
 いざ蓋をあけてみるともう武道館は超絶満員の客席、開演前から燃え立つ熱気、つま恋の映像でしか見たことのなかった怒号と拓郎コール、大音響で響き渡るローリング30、そして縦横に走り回り「拓郎」と描くレザー光線…そんな狂乱の中に始まった松任谷グループの「知識」にいきなりぶちのめされた。ぶちのめされながら…勝った!と俺は心の中で叫んでいた。たかがガキの一観客にすぎないのに。
 「推しが武道館いってくれたら死ぬ」…俺にはこの武道館のすべてが凝縮したフレーズに思えてしまう。んまぁ俺は死なずにそれからも恥を晒しながら生き続けているが。そして「推し」は「いってくれたら死ぬ」…ようなかけがえのない体験を何度も何度も、60歳、70歳を超えてからも味あわせてくれた。それを思えば時々来なかったり中止になったりしてもまぁいいじゃないか(爆)。とにかく感謝しかない。誰がどう言おうとも、推し有りて我ありと1ミリの後悔もなくいえる。

☆彡本日のベスト☆彡
 「知識」(TOUR1979)
   一曲目にして圧巻のクライマックス。推し武道の魂が凝縮された一曲。

2023. 1. 26

☆☆☆人がそこにおるんよね☆☆☆
 「推し、燃ゆ」を推す昨日の続き。推しの解散・引退ライブが終わると彼女はトイレにこもって「冷や汗のような」涙を流す。

「終わるのだ、と思う。こんなにもかわいくて凄まじくて愛おしいのに、終わる。」「やめてくれ、あたしから背骨を奪わないでくれ。推しがいなくなったらあたしは本当に、生きていけなくなる。」「この先どうやって過ごしていけばいいのかわからない。推しを推さないあたしは、あたしじゃなかった。推しのいない人生は余生だった。」(宇佐美りん「推し、燃ゆ」P.111〜112)


 この17歳の叫びは、そのままこの爺の心の叫びだ。
 深夜にライブの映像を観てブログを途中まで綴った彼女は、呆然自失で明け方の街を彷徨う。これまではそういうことは禁忌としていた、推しの住むマンションにたどり着く。すると推しの妻となる女性がベランダで洗濯ものを干している。

「あたしを明確に傷つけたのは、彼女が抱えていた洗濯物だった。あたしの部屋にある大量のファイルや、写真や、CDや、必死になって集めてきた大量の物よりも、たった一枚のシャツが、一足の靴下が一人の人間の現在を感じさせる。引退した推しの現在をこれからも近くで見続ける人がいるという現実があった。
 もう追えない。アイドルでなくなった彼をいつまでも見て、解釈し続けることはできない。推しは人になった。」(同P.121)


 「推しは人になった」…このくだりに心が痛い、心がつらい。どうしたってこっちの推しのことを思わずにいられない。ラジオの最終章を謳う「ラジオでナイト」あたりから佳代さんの話が増えていった。佳代さんのことを語る拓郎。その話は面白かったし、感動もしたし、平穏な日常を送る拓郎を祝福したい気持ちも湧く。湧くのだが、そのたびに心の奥底に走る何かがあって、この文章はそれを表現してくれている。佳代さんのことを語ること、それは拓郎が意識するとしないとにかかわらず、「俺はもう人になるんだよ」というメッセージを発し続けていたのだと思った。それが佳代さんの話のたびにこっちの心に走る何かの正体なのかもしれない。

 ここからの小説の最後までが切なく深く、なかなか平常心では読めない。この作品のいろんな書評や感想を拾い読んだが、最後に「彼女が推しから自立した」「彼女が自分の人生を歩き始めた」というものが散見された。つまんねぇ、正しいのかもしれないけど心の底からつまんねぇ。あんたらイカれるほど本気で推しのファンになったことのない人たちだろうと心の中で悪態をついた。…んまぁイカれてるからといってひとつも偉くない、むしろその逆なのである。

2023. 1. 25

☆☆☆君たちはどう推すか☆☆☆
 私は恥ずかしい人間だから気になることを話してみます。つま恋のことを"夏フェス"と言われると腹が立ち、拓郎ファンの営みを"推し活"と言われると目まいがして「一緒にすんじゃねぇよ!」と叫びたくなる。こういう症状に長いこと苦しんできたが、最近になって宇佐美りんの芥川受賞作「推し、燃ゆ」を読みはじめたらどうやら治りはじめた。これが山を下山する寛解か。

 ベストセラーなので今さら言うまでもないかもしれないが「推し、燃ゆ」はアイドル推しにすべてを賭けた女子高生の物語で作者自身も当時21歳だ。主人公には自分の人生の背骨であると断じ全てを賭けて推す「推し」がいる。その生きる支えの推しがスキャンダルで炎上し引退してゆく。彼女はどうあがき、何を苦しみ、どうなってしまうのか? 文章も行間もすべてが瑞々しくだからこそ詠んでて苦しくもある。
 最初は、自分がモデルかと思うほど(爆)"あるある"の共感、しかし読み進むうちに彼女の身を切るような「推し命」を仰ぎ見て、いかに自分はヘタレで中途半端でズルかったかということに気づかされた。そして最後には主人公の女子高生と作者の女子大生に、この哀れな爺はこれからどこへ行ったらいいんでしょうかと問いかけている自分がいた。これは俺にとっての「君たちはどう生きるか」だ(爆)。ということで…そうよ、私ゃ"推し活"で結構、年寄りの"推し活"で構いませんよ。

 「病める時も健やかなる時も推しを推す」…文中のフレーズに触発されて通勤車中で「ファミリー」を聴く。ひとつになれないお互いの愛を残して旅にでろ。推しよあなたは何処へ。

2023. 1. 22

☆☆☆マックイーン慕情☆☆☆
 「タワーリング・インフェルノ」はとにかく消防隊長のスティーブ・マックイーンが超絶カッコイイ。スティーブ・マックイーンとポール・ニューマンの共演というだけで当時の大事件で、言ってみれば矢沢永吉と吉田拓郎が共演するくらいの出来事だった。俺はどちらかといえばポール・ニューマン派だったのだが、それでもこのマックイーンの隊長にはふるえた。マックイーンのファンの方にすれば他の代表作の方がもっと素晴らしいというご意見かもしれない。しかし門外漢の俺には、孤高のアウトロ―というイメージと違って、消防隊長というカタギの地方公務員のちょっとくたびれたところもあるおっさんという設定で、それでいて隊員を率いてあの大活躍をするところにいたくシビレるのだ。最後に設計士のボールニューマンにニヤっと笑って「今度は建てる前に俺に聞きに来い。あばよ建築屋!!」と声をかけて去る。ああ、なんてカッコイイの。あなたはどうしてそんなに美しく微笑むのだろう。

 マックイーンといえば、86年ころ古舘伊知郎と影山民夫がホストを務めるアメリカテレビ映画特集の深夜番組に吉田拓郎がゲストで登場して「スティーブ・マックイーンが大好きだ」ということでドラマ「拳銃無宿」を推していた。昔から、マックイーンに憧れて主人公ジョッシュ・ランドルのランドル銃の模型を買った拓郎少年は、自分でガンベルトを作って銃を差して広島の町を歩き回って笑われたという。心温まる危ない話だ(爆)。ボブ・ディランのハーモニカホルダーが日本にはまだ売っていなかったので、自分で見よう見まねで針金を曲げてこしらえていた話は有名だ。
 このように吉田拓郎は音楽だけではなく、実に器用なモノ創りの人だということも忘れてはなりますまい。

2023. 1. 21

☆☆☆愛する全てのものを二人でわかちあおう☆☆☆
 ネットで尾崎紀世彦がカバーする映画「慕情」の主題歌を聴いた。あまりにすんばらしくて、俺には「おめぇごときが歌える曲じゃねぇよ」というメッセージを感じた。もちろんだ。拓郎とみゆきの「慕情」も含めて俺のゼロ歌唱力ではおぼつくものじゃない。
 この映画「慕情」のテーマは、たぶん世界中が知っているスタンダードの中のスタンダードで超絶美しい曲だが、映画本編の方はそれはそれは悲しすぎる話だった。そして主演のウィリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズの二人が、その20年後に「タワーリング・インフェルノ」で共演していたことを最近知った。最近といってもつい昨日だけど。ああ不覚。
 「タワーリングインフェルノ」は多分俺ら世代にとっては忘れじの衝撃的パニック映画だ。渋谷の東急文化会館で立ち見の苦痛も忘れて悶絶しながら観たものだ。今でも「タワマンに住みたい」という人々の夢をきっとこなごな打ち砕いてくれる傑作だと思う。俺なんかおかげで「星の鈴」は大好きだが10階のテラスでも暮らせない自信がある。
 その映画の中でフレッド・アステア演ずる詐欺師の老人と富豪の未亡人との小さな切ないロマンスが描かれる。最後に小さな子を救ってエレベーターから転落しショッキングな最期をとげてしまうその未亡人が、あの「慕情」のジェニファー・ジョーンズだとは気づきもしなかった。もう俺の中では「タワーリングインフェルノ」は「慕情」の続編といっていい(爆)。慕情の最後に香港のビクトリアピークに立ち尽くした彼女は、20年後に高僧タワーの開館式に招待される。…悲しすぎる話か。得意の思い込みでもう「慕情」はこの映画をも包み込むテーマ曲だ。
 ジェニファー・ジョーンズといっても殆ど名前だけでよく知らなかったが、調べるとこの「タワーリングインフェルノ」が最後の映画出演となり、2009年にカリフォルニア州のマリブの自宅で90歳で亡くなったということだ。…マリブ。マリブといえばシャングリラだ。「慕情」のお返しに吉田拓郎がマリブで歌った「愛の絆を」をお捧げします。なんで俺が捧げるのかわかんないけど。
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2023. 1. 20


☆☆☆言うだけ野暮だよ飲めぬヤツ☆☆☆
 病気ではないのだがしばらく禁酒することにした。飲まないと決めると途端に心が叫び出す。あ〜俺も限定「ペニーレイン」に行ってバーボンが飲みてぇ〜、したたか酔って帰りに原宿のカラオケ館でコスプレ衣装借りてタンバリン打ちながら拓郎の「慕情」とみゆきの「慕情」を泣きながら歌いてぇよぉ〜。いっそのことコレも練習して慕情三部作を歌えるようマスターしておきたい。いみふ。
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2023. 1. 19

☆☆☆それぞれの慕情☆☆☆
 昨日は元猫のベーシスト石山恵三さんの命日だったのか。石山さんというと個人的には「慕情」が浮かぶ。2014年に原宿ラドンナで突然にこの拓郎の「慕情」を歌い出したときの印象は鮮烈だった。俺には伝説の「石山、『慕情』歌うってよ」事件として刻まれている。その選曲に驚いたし、声も素敵で、ちょっとルーズな歌いっぷりまでが胸を打った。
 吉田拓郎の本家本人歌唱の方はボーカルにピカピカな艶があり、壮大なアレンジも素晴らしく文句がない。傑作だ。それでも石山さんのカバーが胸を打ったのは、この歌は「拓郎が歌う」というより「拓郎に向けて歌う」とよりしっくりくるからだろう。作者の拓郎の真実の思いがどこにあろうとも、俺には「あなた」は「吉田拓郎」としか聴こえない。永遠の一択だ。
 
 その拓郎の本人歌唱は2019年のセットリストから途中で姿を消した。その前の歌唱がキツそうだっので、もう歌わないのかと思っていた。しかしWANGANの最後の最後になって、その姿を現した。サラリとした歌いっぷりが余計に圧巻だった。機を待つように現れるべくして現れた感じだ。

  あなたがいなくなることはありえない
  あなたを見失えば 世界の終り

 ああ、この因業な歌詞(爆)…あまりに刺さり過ぎて「拓郎おめぇが自分で歌うなよ」と言いたくもなる。そんなとき別の方角から歌声が聞こえる。

  甘えてはいけない
  時に情けはない
  手放してならぬはずの 何かを間違えるな
               (中島みゆき「慕情」)

  もういちどはじめから あなたと歩き出せるのなら
  もういちどはじめから ただあなたに尽くしたい

 もいちどはじめから、があるのなら、そりゃもっともっと尽くすってば。…たまんねぇ。みゆきねーさん、ちょっと怖いけど、あなたの胸で泣かせてください(爆) 

 吉田拓郎の「慕情」、石山恵三の「慕情」、WANGANの「慕情」、そして中島みゆきの「慕情」。俺の中では無理なく自然に繋がっている。というかしっかりと因果の縛で結ばれている。向田邦子さんの言う「糾える一本の縄」みたいなものだ。
 …ということでも今日も元気でイカレているぜ。

2023. 1. 18

☆☆☆そうか君はいないのか☆☆☆
 日程的にぺ二ーレインへは行けない。昨日のライブハウスで、ああ〜やっぱりアーリータイムズはもう無いのだな。島ちゃんのドラム、松田幸一さんのハーモニカで聴く「この素晴らしき世界」にいろいろ黄昏れる。
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2023. 1. 17

☆☆☆フィルムは生きている☆☆☆
 WANGANのリハーサルで、拓郎が"雪さよなら"の後奏のアイデアを出すシーンがある。俺には専門的過ぎてサッパリわからない。先日の拓バカ集団鑑賞の時に誰かが「アレで(ミュージシャンは)わかるのかな?」とつぶやき俺も大いに共感した。
 鳥山と武部は戸惑いながらも拓郎のアイデアの真意を真剣に追い詰めてゆく。こういう光景にシビレる。

 同じようなシーンを思い出した。TAKURO & his BIG GROUP with SEO 2005の「 RARE Films」のつま恋エキシビションホールの舞台裏のシーン。楽屋にいる島村英二に拓郎がカウントのリズムについて相談する。島村英二はすぐに「それじゃ叩いてみよう」と楽屋を出てフットワークも軽く歩き出す。ステージに向って通路を抜けて並んで歩く二人の背中がとてもいい。ドラムセットに座った島村は、ここでも拓郎の真意を探るように何回か叩いてみせる。拓郎が「それ決定で!」とアイコンタクトした一瞬の二人のバディ感がまた素敵なのだ。それが「ハートブレイクマンション」のイントロに結実する。

 「上司は思いつきでものを言う」という橋本治の本があったが、俺も仕事では上司の思いつきに振り回され、反対に俺の薄っぺらな思いつきでスタッフに迷惑をかけてきた。おそらくどこの職場にも似たようなことが多々あって、だからさこうして裏町の酒場はいつも正直者の男女でいっぱい。
 しかし彼らミュージシャンたちは、拓郎の閃きの一言を1ミリも疑わず、何とかそこに近づこうと真摯に挑んでいることがわかる。そしてそれが音楽に結実されてゆく。そこには魂しかない。そういう信頼の世界があることが、ささやかな希望だ。自分もそうありたいと思うがうまくいかない(爆)。だからこそこれらのシーンが胸にしみるのだ。

2023. 1. 16

☆☆☆推し燃ゆ☆☆☆
 高橋幸宏氏が昔「東京イエローページ」で竹中直人と組んで流しのドラマーという不条理なシリーズコントをやってたことを思い出してネットを探した。するとあれだけのミュージシャンでありながら、音楽だけではなく、結構いろんな番組におちゃめな出演をされているものがたくさんあった。どれも真剣に体当たりでやっておられた。今頃になって申し訳ないが、素敵だな〜、カッコいいな〜と魅入ってしまった。
 その中に昔の番組タモリの「今夜は最高」の中で、高橋幸宏、森下愛子、タモリのお三方で「フライデーチャイナタウン」を歌っている動画がすこぶる良かった。ダンディなユキヒロ氏と一緒に歌っている森下愛子さんの二人は素敵な雰囲気だった。そもそも歌を歌っている森下愛子さんを観るのは初めてだ。キラキラしておられた。
 それ以来ずっと頭の中で「フライデーチャイナタウン」が鳴っているが、この曲を懐かしいと感ずるのは、間違いなく拓郎のヤンタン=サタデーナイトカーニバルを聴いていたからだ。今月の歌とかゲストの歌とかで番組推しだったはずだ。
 番組推しと言えば、岩崎良美がよく出ていた。岩崎良美といえば「タッチ」なのだろうが、ヤンタンの頃の「涼風」がとても好きだった。♪優しい人、心に涼風そよきだす〜 いかん。完全に懐かしモードに落ちている。

 えーい、ここまで来たらアレだ。ヤンタンで吉田拓郎が松田敏江になって岩崎良美に歌唱指導していた迷作「青いくちなしの花のワルツ」だ。ⓐ青い山脈ⓚくちなしの花ⓗ星影のワルツ

  ⓐ若く明るい
  ⓚまわるほど〜
  ⓚ痩せて やつれた
  ⓐ花も咲く〜
  ⓚくちなしの花の〜
  ⓐ雪割桜〜
  ⓐ空の果て〜
  ⓚ白い花〜
  ⓐ今日もわれらの
  ⓗワルツを歌おう〜

 …まだ覚えていたぞ。それにしても見事なつながりだ。良美ちゃんに「ワルツを歌おう」の前に一拍おいてはイケませんという拓郎の歌唱指導まで思い出した。…高橋幸宏さん、こんなときになんか不謹慎かもしれず申し訳ありません。高橋幸宏さんというと吉田拓郎関連で個人的にどうしても忘れられない光景があるのだが、それはまたいつの日にか。

2023. 1. 15

☆☆おまえの足音は自由の足音☆☆
 高橋幸宏氏の訃報。ご病気が大部回復されてきたというニュースを聞いていただけに驚いた。心からご冥福をお祈りします。
 俺が言うことではないが、YMOにあっては細野晴臣と坂本龍一というトテモとっつきにくそうな二人の中にあって唯一「親拓な人」というイメージがある。"はっぴいえんど"の鈴木茂みたいな感じだ。拓郎本人のエッセイの中にもパーティーで久々に顔を合わせた高橋幸宏が嬉しそうに人懐っこく拓郎に寄り添ってくるというシーンがあった。それを読んで、ああ〜いい人なんだなと思った。
 なんにしても高橋幸宏氏といえば「わたしの足音」の"走るドラム"だ。お蔵入りしていることを少し悔やみつつも、それでも何とか手に届く形で残っているこの名演をドラムのリズムを愛でながら聴く。遠くにいた俺ごときが生意気ですが、お疲れ様でした。どうか安らかにお休みください。

2023. 1. 13

☆☆☆拓郎の背中を見つめた男☆☆☆
 日課のビデオ鑑賞だが、今夜は「ON THE ROAD "FILMS"」で渚園の野外ライブを観た…ってそれは浜省だろ!(爆)。
 つま恋PARTUで一瞬だけ映る浜田省吾を観ていたら、折しも1988年8月20日、静岡県浜名湖畔の「渚園」で行われた野外ライブ『A PLACE IN THE SUN』が劇場公開されるとのニュースが重なりつい観たくなってしまった。

 超絶個人的な話だが、かつて俺の親爺が亡くなって一か月も経たないとあるクソ暑い夏の日に、友人のFくんがふらりと家にやってきた。当時たぶん発売して日の浅かった「ON THE ROAD "FILMS"」のVHSビデオを持ってきて一緒に観ようと言う。浜省は「路地裏の少年」くらいしか知らないままお相伴した。Fくんとはもともと近所のうえ高校、大学と一緒で、ついでに今は同じ業界の同業者という腐れ縁だ。
 浜省は予想以上にスピーディでパワフルな歌いっぷりなことに驚いた。既に篠島、つま恋もはるか遠く野外イベントにご無沙汰していた俺にはこの渚園に満ち溢れた躍動感とグルーヴがとても眩しかった。
 観終わって、彼の好物だった出前の天津飯を食べ、二人で何も言うことなく二巡目の鑑賞に入った。オープニング直前の「A PLACE IN THE SUN」が流れる中で、緞帳の後ろで膝をついて必死に祈っている浜省が印象的だった。今度は「AMERICA」とか「丘の上の愛」などの静かな曲のメロディーの美しさがたまらなかった。かつて拓郎が「浜省のナイーブなメロディ」と言った意味が胸にしみて二巡目も終わった。

 二巡目が終わるとFくんは言葉少なに、先週終わった二次試験の最中に「おまえの親爺が夢枕みたい立ってミスを教えてくれた」と話し、そして今日のビデオの中の「DARKNESS IN THE HEART」という曲は闘病しつつ亡くなった父親を思いながら浜省がツアーを続ける歌だと言い残して帰って行った。
 俺はその年に勝負を賭けていたが一次試験で門前払いになってしまい彼のように二次試験は受けられなかった。そんな苦渋の中に父親が死んでしまい、弟もまだ学生ということでもうあきらめようと考えていたところだった。
 Fくんの励ましであったことは当時もよくわかっていたが、今思い出すと余計に胸にしみてくる。最近ヤツとはご無沙汰してしまって申し訳ない。

 その年の夏から浜田省吾をレンタル店で借りてきて繰り返し聴き始めた。「DARKNESS IN THE HEART」の「思い出す病室で痩せてゆく父の姿を」というくだりが心に痛かった。そして「走り始めた1974年」というフレーズが刺さった。拓郎のコンサートツアーを浜省のツアーキャリアのスタートとしているところにふるえる。俺の拓郎ファン歴も1974年からなのだ>おまえはどうでもいいよ。「…Carry on  覗かないで 勝利もなく敗北もなく横たわっている心の奥の暗闇」…御意。よく意味はわからないけれど不思議に勇気づけられた。最後にもうちょっとだけ続けてみようと思えた。
 それからはわりと欠かさずCDを聴き、ライブにもたまに足を運んだ。ライブに行くとそこはそれこそ命を懸けたファンの方々の熱き世界なので、俺ごときが浜省ファンですとは言えない。それは今も同じだ。しかしこんなふうに渚園の話が出てくると、あらためてあの夏の日を思い出してあの時はお世話になりました…とちょっと背筋を正してしまうものなのだ。

2023. 1. 12

☆☆☆誰がオスカーやねん☆☆☆
 深夜の映像鑑賞が日課になりつつある。そうだ!本場アカデミー賞授賞式も近いので、優れた吉田拓郎の映像作品を対象にしたt.yアカデミー賞をやろうか…と思ってみたが、何があっても主演男優賞はたった一人しかいないことに気づき無理があるのでやめた。徒然なるままにひとり静かに観るしかないっす。ひとつの時代ばかりではなく、いろんな時空を行ったり来たりさすらって観たいと思うが、85年といえば「PartU」を避けては通れない。いきなり「サマーピープル」のコーラスを歌う島村英二、なんじゃこりゃ(爆)
 なんつっても高中正義と後藤次利がアシストする「落陽」は屈指の名場面だ。歌が終わってアウトロに入ると拓郎は静かに後ろに下がり、高中と次利が中央に残りバトルのようなプレイが始まる。水戸黄門でいえばご老公が「助さん、格さん、存分にこらしめてやりなさい」というシーンと重なる>…ホントかよ。ということで俺は二人にさんざん打ちのめされて恐れ入りましたとなるしかない。その様子をご覧になっているご老公…ちゃう拓郎の笑顔がまた素敵なのだ。
 よし!高中と次利に助演男優賞だ!。いや、しかし加藤和彦と石川鷹彦の「ガラスの言葉」の熟成アシストはどうなんだ。これはこれでたまらん。パイプ椅子に片足をのっけてギターを弾くトノバンのシルエットが美しい。今観ると万感あふれて涙が出そうなシーンだ。ということで、あちこちいろいろ素晴らしくて、やっぱりアカデミー賞は選考不能だ。
 あ、エキシビションホールで暴れる御大にアカデミー・ウィル・スミス賞は決定。ねぇだろそんな賞。(写真はイメージで実物とは関係ありません)。
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2023. 1. 11

☆☆☆in 1985☆☆☆
 「サマーピープル」につられて85年のつま恋の映像とラジオの音源を久々に少し味わった。つま恋は75年や2006年の映像や音源は時々観直したり聴き直したりするが、85年はとんとご無沙汰だ。個人的に85年はどんよりと鬱な気分になるからだ。どんなにアレンジが秀逸で、どれほど演奏のクオリティが高かろうが、どんだけ豪華メンバーが揃おうが、あのときの「吉田拓郎が撤退する」という終末感に満ちた重たい空気を思い出してちょっと気が引けるのだ。それにあの頃は自分の私生活も結構悲惨だったからかもしれん。
 しかしさすがに今のリタイアの現実の方が切実に淋しいので、なんとか85年の映像も平気で観られるようになった。するとこれがいいんだわぁ。吉田拓郎はしなやかで軽やかでカッコ良い。色香が吹きこぼれるように溢れている。今頃すまんな。撤退という衰えの影がどこにも射していない。そのまま秋のツアーに出ろよという気がしてくる。
 それは程度の差こそあれWANGANを観た今もそうなのだが。
 
 つま恋のゲストの武田鉄矢のMCで活動停止するという拓郎のことを捉えて
「大丈夫です。これだけのファンを放っておいて独りでいられるほど吉田拓郎という人は強い人ではありません」と語っていた。…どうか強い人でありませんようにと祈るしかない。

2023. 1. 10

☆☆☆思い出はモノクローム☆☆☆
 自主上映会で「サマーピープル」のプロモが流れた時、誰からともなく「ああ、これはヒットすると思ったのになぁ〜」というため息がもれた。たちまちほぼ全員がそのため息を共有した。なんでもかんでも共有するのって好きじゃない…と拓郎は年末のラジオで苦言を呈したが、このため息は共有せずにおられようか。いい曲だしCMソングだったし、なんでヒットしなかったんだろう…と無念の空気をわかちあう。ファンにはファンのささやかな夢というものがあったのだ。

 この「サマーピープル」はフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを意識して作り上げた自信のサウンドだと拓郎は一昨年のANNGで語ってくれた。御意。同じウォール・オブ・サウンド系の曲としてその時一緒に拓郎がとりあげたのが大瀧詠一の「君は天然色」だった。ほぼ同時期の作品なのだが、あちらの曲はなんか輝ける王道を歩いている気がする。
 で俺は勝手に思うのだ。「君は天然色」にあって「サマーピープル」にないもの…それはズバリ「松本隆」だ。すまん。俺はかなり徹底した岡本おさみシンパのつもりだが、若い女性をターゲットにした夏の資生堂の化粧品のキャンペーンであるのならばココは万難を排して松本隆だったんではないか。岡本おさみの詞をクサするつもりは1ミリもないが(あ、この詞については5.6ミリくらいあるかな)、時はバブル全盛期、ドレスアップした女性を誘ってバネのきしむ喫茶店に案内するみたいな危うさがある。

 さすがに40年前の思い出の原因をいろいろ考えても詮無いことだ。こういう時は、85年のつま恋の「サマーピープル」の映像を観ることにしている。そんな切ない歴史などに関係なく、実にチャーミングで楽しそうにこの歌を歌う拓郎がいる。拓郎が笑顔で手を振るシーンがあるのだが俺もテレビに向ってつい手を振ってしまう。>ロンパールームかっ。
ヒットも勝ち負けもいいじゃないか、とにかくファンに生まれてきたんだ〜愛してるぜウォウウォウオオという気分になるというものだ。

2023. 1. 9

☆☆☆WANGAN上映会の夕べ☆☆☆
 コンシェルジュのいるカラオケVIPルームでの熱血自主上映会に参加させてもらった。拓郎オンリーで5時間。おそるべし拓バカたち。WANGAN、サンタクの落陽、2019、あいみょんにしか見えない70年代、万感のつま恋2006、ジジババの魂は身体を離れ時空を自由にさまようのだ。ええなぁ。映像は観るたびに尽きせぬ何かを必ず語ってくれる。
 外から見ると引退した歌手の映像を老人たちが集まって懐かしんでいるように見えるかもしれない。んまぁ実際それもあるもしんないけれど、実はあのライブの感触を忘れないように、万が一これからいつ御大が決起したとしてもすぐライブ人として対応できるように、ファンとして心と身体とを作り込んでいるのだと思っていただきたい。
 参加させていただいてありがとうございました。心の底からうれしゅうございました。

2023. 1. 8

☆☆☆Hold on me☆☆☆
 昨日は妄想が過ぎた。すまん。といっても俺の人生は日々妄想しかない。年末も紅白歌合戦の「時代遅れのRock’n’Roll Band」を観てやっぱり世代だし胸が熱くなった。桑田佳祐と佐野元春の二人の姿を観て別の意味で感慨深く妄想の世界に入った。

 79年か80年の初め、ニューミュージックのシンガーたちが所属事務所の垣根を超えて集うJAM系のイベントが結構あった。もちろん拓郎は出ない。ただ拓郎が当時のラジオで、その種のイベントで誰がトリを歌うかで事務所相互で大モメしたというニュースについて語っていたことがあった。拓郎は、怒るのでも、冷笑するのでもなく「そんなことになっちゃってるの?」とひたすら悲しそうだったのが忘れられなかった。ユイ音楽工房も当事者のひとつだったしね。

 その数年後、拓郎も肝入りで参加した85年のIYY ALL TOGETHER NOWでは、オフコース、ユーミン、サディスティックス、はっぴいえんど、財津和夫、坂本龍一、さだまさし…錚々たるビッグネームのミュージシャンが総出演するなかで、グランドフィナーレの前の本編のトリは当時の若き桑田佳祐と佐野元春の二人の共演だった。トリ=重鎮というとらわれを退け、生きのいい若手ミュージシャンにラストを〆てもらう。拓郎もオフコースもオープニングでとっとと歌ってしまい拓郎は司会という裏方役に徹していた。
 ああ、これがいつかラジオで嘆いていた吉田拓郎の出した答えなんだとしみじみと思った。別に拓郎の発案・指示という証拠はない。本人に尋ねたところでこないだの広告ではないが拓郎本人も「俺は知らないよ、みんなで決めたんだよ」というに違いない。しかし証拠はないが確信はある。そういう人でしょう。そこが好きなわけであります。

 てな妄想に誘われた紅白でありました。

2023. 1. 7

☆☆☆They shall be released☆☆☆
 1980年の武道館の音を聴きながらあまりにもったいないと五万回くらい悶絶する。シロウトの俺が勝手にアレを出せ、コレ出せをと言うのはさもしい気もするが、オイラは元来さもしい人間だ。そんなの出るわけねぇじゃんというあきらめもチラつくが、あきらめなんてずっと先でいい。
 もういいじゃないか。素晴らしい音源たちの大解放を願いたい。お蔵の中にしまっておいて誰かが幸せになるというのか。それなら解放したら誰かが幸せになるのかと問い返されれば自信をもって言える。俺だ(爆)。俺が間違いなく救われる。J-POPや音楽文化のためとかファンの総意だとかそんなことは言わない。ファンにもこれまで公表しなかった拓郎さんの意思を慮るべきだという心根の方もいるに違いない。しかしそういう心根を1ミリも持ち合わせていない自分は、ひたすら「俺に幸せあれ!」 と傲岸に叫びたい。

 えーい妄想ついでに、とりあえずこんな妄想企画はどうだ。

 武道館ライブ全曲収録 CD11枚組 

   吉田拓郎武道館BOX「武道館よ屋根の梁を高くあげよ(仮)」

   帰れの怒号に消え入りそうな「帰らなくていいのよ」の声に導かれて武道館伝説は走り出した

Disc 1: 1979 初ソロ武道館デスマッチ 恩讐の彼方に(※「僕の一番好きな歌は」初音源化)
Disc 2: 1980 ブッカー・Tシフト=「アジアの片隅で」完成披露レゲエの夜
Disc 3: 1981 体育館ツアー 新曲発表大会&松任谷正隆最後の大仕事
Disc 4: 1982 王様達のハイキング 極悪バンドがゆく!(※「風に吹かれて」収録)
Disc 5: 1983 マラソンツアー 風になった拓郎と今夜も君をこの胸に
Disc 6: 1984 情熱ツアー  I'm In Loveの誰も知らない旅立ちだから
Disc 7: 1985 FOREVER YOUNG くり返し旅に出る男(※スペシャルアンコール「人間なんて」収録)
Disc 8: 1990 89-90ツアー”人間なんて” さらば80's、さらばカーリー
Disc 9: 1990 男達の詩 俺の居場所を探してる(「東京の長く暑い夜」「中の上」初音源化)
Disc10:1996 感度良好ナイト 50歳から始まる音楽の至福と挑戦 
Disc11:2006 ミノルホドコウベヲタレルイナホカナツアー そして聖なる場所に祝福を

[特典CD]
1972 フォーク・オールスター夢の競演 音溺大歌合より「祭りのあと」(モノラル会場録音)
1994 日本をすくえより 「ファイト」
1997  高中正義 虹伝説Uより 「春だったね」「落陽」

 ああ聴きてぇ、誰か出しちくり〜
スクリーンショット (109).png
          ※ジャケットの装丁は変わることがあります…自分で書いててくだらねーな(T_T)
  

2023. 1. 6

☆☆☆だから断捨離は終わらない☆☆☆
 1980年の武道館は、冠だったFM東京を中心にNHK-FMの拓郎105分やヤングタウン東京でもオンオアされた。ブッカー・T・ジョーンズ・シフトの敷かれたバンドだけあって、この音源から「アジアの片隅で」「証明」「ファミリー」がレコード化された。「アジアの片隅で」の間奏はレコードではあれでも多少短く編集されている。CDの時代になったのだからオリジナル全長版でもいいのではないか。それよりなにより昔から不満なのは「ファミリー」の最初の松任谷のピアノがフェイド・インということで事実上カットされているところだ。FM東京ではちゃんと入っている。短いピアノソロだが大事じゃね?と思う。
 オープニングだったんだよな。満場の武道館に前哨曲「ローリング30」のテープが流れ終わって燃え立つ観客の大歓声の中をぬって流れる松任谷のピアノ。歓声がそのピアノの音色に、なんだ、なんだ〜と吸い寄せられて行ったところで、あのイントロがガツンと始まるのだ。怒涛のように波打つ大歓声。あれは「おわ〜すげ〜1曲目から『ファミリー』かよぉ!」という驚きのどよめきでもある。
 さぁ今日は「ファミリー」(アルバム「無人島で」所収)聴く。あれぇあの日女性コーラスいたっけ?とかツマラナイことを気にしている場合ではない。静かに眠れるこの大作にいまいちど魂を。愛を残して旅に出ろ。

 

2023. 1. 5

☆☆☆わが心のマークU'80☆☆☆
 年末からiTunesの整理をしていたのだが、もともと整理が苦手なうえにあれこれ気が散る性質なのでかえって混沌と混乱を深めてしまった。え〜い、くたばれ断捨離!
 昨年のラジオの「吉田拓郎は『マークU』なんだ」といういきなりの御拓宣がひっかかっていた。整理といつつひっくり返しながら久々に1980年武道館の「マークU」を聴く。数あるバージョンのうえに様々なお好みとご意見があろうが、俺はこのマークUがベストだな。魂の底から突き上げてくるようなリズムと演奏、これがレゲエというものかしら。とにかくカッチョエエったらありゃしない。80年武道館〜TONY〜秋のツアーとこのアレンジだったがやはり武道館がベストだ。なんたって松任谷正隆を筆頭に「ブッカー・T迎撃シフト」の布陣が敷かれているこのバンドが最強だ。年老いた男は何度でも言うぞ。FMでも放送したしキレイな音源があるのは確かだ。かくも素晴らしい演奏が眠っていて良いものか。時ここに来たら、もういいんじゃないでしょうか。だから眠れる貴重音源を大解放してください。J-POPからのお願い。>よしなさい。とりあえずYouTubeにはあるぞ。
 そういえばあの武道館、ブッカー・Tご本人が出てくるまでキーボードの住野裕之がブッカー・Tだと思ってずっと拝みながら観ておった。汗顔の至り。無明とは恐ろしいものよ。ああ何もかも懐かしい。

2023. 1. 4

☆☆☆抗いへの贖い☆☆☆
 最初にあの新聞広告を読んだ時「時代に抗うことなく、時代を歌った」という言葉に対して、いや時代に抗ったからこそ今のJ-POPがあるんだろ…と思った。俺は中学生の頃から「抗う吉田拓郎」にシビレ続けてきたからだ。
 しかしよく読めば、この文章の「抗う」は「権威への批判」や「反抗」のことだとわかる。確かに拓郎がやってきたことは批判でも反抗でもなく、この広告が讃えるように自分の信ずる音楽を貫いてきたことただそれだけだ。それが時に関係各方面との軋轢を生んで結果的に時代に抗うドラマのように映った。しかしそれは決して批判や反抗のためではなく、あくまでも自分の愛する自由な音楽をやりたいためだった。それが今となってはよくわかる。ご本人じゃないのに断言しちゃうけどさ。

 そこらへんを解らないまま「抗う拓郎」というファッションにシビれていた俺は、事あるごとに歓喜と失望を繰り返し、そのうちだんだん失望の方が多くなり、よく拓郎に悪態もついたものだ。かつて「帰れ」と石を投げた方々の心情とそんなには変わらないかもしれない。…申し訳なかったなという贖いの気持もあるが、まぁそういう迷いも自分の何かだ、言えない何かだ、確かめてみるがいい。それに真摯に音楽を貫いた拓郎といえども途中あれこれブレたことはなかったとはいえまい(爆)。
 それこそれも昇華してのあの新聞広告の素晴らしさだったと思う。評価は人それぞれだし朝日が嫌いという意見もあろうが、俺は「ポーの歌事件」を今も許していないので読売でなくて良かったと思う(爆)。
 
 「抗い」といえば♪わが友のあがらいあらがいに〜の名曲「RONIN」だ。個人的にはずっと「贖い(あがない)」だと思ってきた。

  今日からお前の体は お前自身のものだ
  今日からお前の心は お前の体に戻るさ
  もう争わないで もう戦わないで
  そう自由の風に酔え そうすべてを解き放て
 
 詞とメロディとボーカルの心技体の素晴らしさ。これだ。…今の今こそ心の底からしみるってもんだ。

2023. 1. 3

☆☆☆互いの生きる気配☆☆☆
 「拝啓 吉田拓郎様」の新聞記事を繰り返し眺める。眺めながら同じ拓バカのクリエイターの方のつぶやきを読んだ。

「『私を生み出し育んでいただき、ありがとうございました』なんて美しい言葉 〜2023年1月1日にこの世に放ったこと忘れません avex書いた方本当にありがとうございます こんな企画とおすの大変だったでしょう 本当に喝采 また写真がね 落陽の拓じゃなくてよかった 最新だもの それもカッコいい 相当なファンの方だよね いつかお会いしたい これだけで二晩飲める」「全面広告2面あたえられたら 何をするか 何にするか 狂おしいよ BGの色といい構成といい完璧です しつこいけど クリエイターとして絶賛です どこへでもどっちにでも持って行けたもの」

 業界関係の方から見ても心・技・体あわせてすばらしい広告だったということだ。
 
 同じく正月解禁の中島みゆきのアルバム「世界が違って見える日」の吉田拓郎ゲスト参加の告知。ああ。、これぞ互いの生きる気配。

 テレビでは奄美の海岸をさんまと木村拓哉が「イメージの詩」をオリジナルと稲垣来泉verを聴き比べながら車を走らす。木村拓哉の「落陽」。いい声っす。この男そつがない。それにしても「心から憧れていました」という…それは俺の拓郎へのセリフだってんだ。

 ということで気が付くとなんとも豪華で素晴らしい新年だったじゃないか。同じことが去年の年の瀬ではなく、今年の新年に起きているというところが、ものすげー救われる。そして心の底からありがたいのだ。

2023. 1. 2

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☆☆☆朝日が載せるから誉めるんじゃなくて☆☆☆
 元旦の朝日新聞の見開き二連広告には驚いた。昨日のやさぐれ日記を書いたあとに、拓友ね〜さんから元旦のコンビニを走り回ってゲットした顛末を教えて貰った。俺も聞くやいなや午後3時過ぎに近所のコンビニを4件ほど駆け回ってやっと手に入れることができた。そして俺が教えた同志もたまらずに、もう夕方近いコンビニに朝刊確保のために家族を走らせたそうだ。もうニューイヤー拓バカ駅伝の世界である。
 これぞサプライズだ。もし岡本おさみさんが生きていたらバネの軋む喫茶店でトースト齧りながら朝刊を読んでびっくらこいたに違いない。
 まさに魂のレスペクトだ。こういうものをずっと待っていた。おかげさまで昨日の日記のとおりいろいろ鬱屈していた胸のわだかまりがキレイに晴れた。すべてのJ-POPが吉田拓郎に感謝を贈り讃える、しかもいつもここ一番で後ろに隠れてしまう奥ゆかしい吉田拓郎のことを慮っている文章が泣かせる。
 とにかく世の中捨てたもんじゃない。捨てる神…いや辞める神あれば、拾う紙あり。王様達のピクニックのなるさんに教えていただいたところによると、朝日新聞のサイトでバックナンバーも買えるらしいぞ。
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 同志は、新聞を拡げて家に貼ったということだ。正しい。たぶんとても正しい。ネットと新聞のような紙媒体はどこかで違う。この讃嘆文というソフトが新聞というカタチある物体になる。その巨大さ、活字、折り目、手触り、インクと紙の匂い、古い人間かもしれないが手で触ってその存在が確かめられる。そして物として残る。やがて今日も移ろいセピアに変色すれば、それはそれでまた貴重な何かを語ってくれるに違いない。

 このエイベックスの英断に心の底から感謝と敬意を表したい。心の底からありがとうございました。しかし、すまんが、エイベックスだけではなく、拓郎の恩恵を受けたいろんな業界関係がこぞって、もっともっとあちこちに打ってくれてもいいと思う。もちろんそのたびにこちらも何度でもどこへでも走り回るし、スタンディングしてBRAVO、ハラショと叫ぶ。♪それだけのことで私は海を行けるよ たとえ舫綱が切れて嵐に呑まれても…と歌ってくれる中島みゆきの話や木村拓哉の話はまた明日。

2023. 1. 1

☆☆☆謹賀新年☆☆☆
 レコード大賞を観ながら何か賞を作ってでも出せよ!、紅白を観ながら達郎じゃねぇだろ拓郎だろ!と身悶えし、あいみょんが妙に眩しく見え、SKYE=松任谷、鈴木茂こっちも頼むよと理不尽な思いにふるえ、ちょっとハラハラする加山雄三に拍手しながらもあの人のことを想い、初日の出の海の中継を見ながら、もうコンサートもアルバムもラジオすらも待っていないんだよと思うとはるかな水平線に向ってひとり海を泳がねばならない切なさに襲われ、こんな今年を生きるってことは泳げない僕が船に乗るみたいに誰にもわからない勇気のいることだから、と、ただれるような思いを抱いている…そんな皆様にだけ、あけましておめでとうございます。いえ、そうでない皆様もおめでとうございます。

 希望と寂しさがさまざまに混濁したこの複雑な思い。そんなにストーンズが好きだったのか、拓郎…そのストーンズが励ましてくれる。

 そして海を漂流している船はおまえだけじゃない
 寂しいのはおまえひとりじゃない
 複雑な思いでいるのはおまえひとりじゃない
 おまえひとりじゃない
 おまえひとりじゃない

 And you're not the only ship
 Adrift on this ocean
 You're not the only one
 That's feeling lonesome
 You're not the only one
 With mixed emotions
 You're not the only one
 You're not the only one
         (mixed emotions)

 ミック社長、キース先生、御意。これまで孤高のサイトを気取ってきたが、こうしてひとりで海に放り出されてみると怖いものだ。「生きる互いの気配がただひとつの灯火」 という中島みゆきの『倶に』の歌詞が胸にしむ。
 何より世界が平和で、吉田拓郎さんとそれでもひとりの拓郎ファンとして今年を生きてゆかんする皆様のご多幸をお祈り申し上げます。遠く聴こえる声のところに錨をあげてまいりましょう。
 …とりあえず元旦午後3時の「サンタク」を観てみるぜ。

2022. 12. 31

☆☆☆さらば紀元76年公式音楽歴52年ついでに2022年☆☆☆
 「2022年は吉田拓郎は元年だ」というミッツ・マングローブの言葉に背中を押されながら、いよいよまた歳月が行ってしまうから大晦日だ。紀元76年、音楽歴52年、自分歴48年がこうして暮れて行こうとしている。

 WANGANは回を重ねて観るたびにどんどん拓郎の声が良く出るようになり、身のこなしも活き活きとしてくる>まだ言うか。
 ここのところ吉田拓郎のリタイアに重ねて自分も年齢の節目を迎えたうえに電車で席を譲られたりして,すっかり川面を見つめる年老いた男モードの私だった。しかし老舗"王様達のピクニック"の「1981」を読みながら、81年の武道館での「おまえら俺より先に老け込むんじゃないぞ」というMCが蘇えった。俺より先に老けてはいけない…さだまさしの関白宣言ではない…シャウトに近い拓郎の熱いアジテーションだったと記憶している。
 そうだな、そうだな。例えば73歳で全国ツアーやってステージでツイスト踊って,76歳でアルバムを仕上げてこのWANGANのセッションで魅せる。自分が老けただなんだとほざく前にまずはこんくらいの76歳になってみろ、ここまで来てみろ、話はそれからだと拓郎に言われている気がした。絶対言ってないと思うけれど(爆)。心は持ちよう思いようなのだ。何の歌だっけ。

 復刻マスターした「今はまだ人生を語らず」はそれはそれはあらためて素晴らしく誇らしかった。しかし、ああ昔は良かった,凄かったという気分に連れ去られないのは、2022年のアルバムとWANGANの勇姿があるからだ。確かに昔は凄かった、しかしこれもいいぞ。
 「ゴッドファーザー」で言えば、ビトー・コルレオーネは、若きロバート・デ・ニーロも凄いが、マーロン・ブランドもまた素晴らしいのと一緒だ。>すまん、今観てるものをそのまま言ってるだけだ。私の目の前にあるのは吉田拓郎というひとつの大河ドラマ=サーガだ。

 ということで忘れじの西暦2022年に心の底から感謝申し上げます。吉田拓郎さんをはじめこんなしょうもない拓バカサイトをお読みいいだき、また温かく励ましてくださった皆様ありがとうございます。私ごときが僭越ですが、すべての拓郎ファンにとって来年も良い一年になりますように。どうかお元気でお過ごしください。…明日も書くけど。

2022. 12. 30

☆☆☆時の流れを恨むじゃないぞ☆☆☆
 吉田拓郎はEarly Timesを愛飲していたことをいろいろと教えていただいた。魂のファンとでもいうべき方はやはりこの世におられる。ありがとうございます。今度お礼に伺せていただきます。
 …ということは今年のEarly Timesの終売は実に歴史的事件じゃないか。吉田拓郎のリタイアに時を合わせて別れの挨拶もなく消えていくEarly Times。そして年の終わりに復活するペニーレインでバーボン。何か意味があるのか。たぶん何にもないと思うが(爆)、意味があるように生きるのがイカレたファンの矜持というものだ。

 これも拓郎ファンに教えていただいて、ミッツ・マングローブのラジオを聴いた。ニッポン放送「ミッツ・ザ・コレクション年末スペシャル〜吉田拓郎メロディ〜」。想像を超えた素晴らしい番組だった。聴けて良かった。12月28日放送だったからまだradikoで聴けますぞい。
 まず何より提供曲の選曲が素晴らしかった。松本明子の「ステラ」をきちんと取り上げて評価してくれただけで俺なんぞはもうイチコロだ。75年生まれのミッツご本人は、リアルな拓郎体験が殆どなかったようだが、それでも家族を通しての拓郎の原体験を出発点として、拓郎の一曲一曲の提供曲と真摯に向き合ってくれているのがわかる。バージョンや由来や時代との繋がりもていねいに押さえている。落ち着いたクレバーさと、それでいて拓郎への愛情と敬意が溢れる語り口がなんとも嬉しい。
 今年はじめて吉田拓郎のアルバム「ah-面白かった」を買ったというミッツが、これから新しいアルバムを遡って聴いていく旅を始めるという。「2022年は吉田拓郎元年です」という言葉に泣きそうになった。なにかが終わってゆく…と俺が思っているこの年にここから旅を始める人もいるのだ。

 難しくていまだに理解できない哲学者西田幾多郎の言葉のひとつに「時間の流れがあって人があるのではなく、人があって時間がある」という一節がある。要は、人が自由意志で動く所に時間は動き出す。だから時間とは人が動きだすときどこからでも始まるものだ。その意味で人間には現在しかない、それが永遠の今というものだ…ね。難しくてわけわかんないでしょ?(爆) それでも今日はおかげさまで少しだけわかったような気がした。

 こうして吉田拓郎元年で時間が動き出す人がいることになんかすげえ勇気をもらった。リタイアでなく元年にリセットするってのもいいかもしれない。便乗しよう。
 徳光さんのご親戚というくらいしか知識がなくて申し訳ないが、ありがとうミッツとラジオの最後には手を合わせていた。

2022. 12. 29

☆☆☆飲めるだけでも幸せ者と☆☆☆
ということで勝手ながらすごく雑に酒の歴史をまとめると
 戦いの狼煙が上がった四谷三丁目・新宿御苑時代→ハイニッカ
 戦いを挑んだ原宿黎明期時代→バーボン
 勝利を掴んだ原宿後期時代〜六本木時代→レミーマルタン
こんな感じか。
 バーボンあたりからレモンスライスという必殺の飛び道具が登場する。拓バカたちの飲み会に行くと必ず山盛りのレモンスライスが運ばれてきて感心したものだ。そこはどんだけレモンスライスを消費するかで拓郎への愛の深さを競い合う異常な世界だった(爆)。もちろん俺もだがホントにバカだなぁ。そのことを今僕は後悔していない。
 しかしバーボンを抱くことはマネできても、せめてものレミーマルタンを抱きしめることはなかなかむつかしい。このあたりにスターと一般Pファンの深い峡谷を見るせいだ。

 レミーマルタンといえば「わけわからず」(“ローリング30”所収)のほかに神田広美の「ドンファン」がある。これは松本隆がおねーちゃんたちと浮かれている拓郎をモデルに書いたと公言して憚らない作品だ。

  ドンファン
  レミーマルタン水で薄めては
  プレイガールたちの輪の中で踊る

 昔はカッコいいな〜と思ったけど、今、聴くと「…拓郎さん、何やってんすか?」と少し思う(爆)。

 ともかく現在、吉田拓郎の音楽の世界でお酒が幅をきかす時代は終わった…それは思う。とにかく酒を広く共有する世界、酒が何かを動かす世界…吉田拓郎はもうそこにはとうの昔にいなくなっている。少し寂しくもあるが、昔だったら酒の勢いとか酒に頼ってすっ飛ばしてしまうような何かを最近の拓郎は言葉を探して紡いで歌うようになってきた気がする。それはいいことなのかもしれない。

 そういうこちらは昨夜は納めの飲み会だった。「星さんも悲しいと思うけど、いちばん辛いのは拓ちゃんだよ。きっと何度も何度も気持ちのうねりをやり過ごしてこの最上のエンディングに持って行ったんだよ。」と酒席でしみじみと諭された。だよな。だよな。悲しいだろうみんな同じさ、おんなじ夜を迎えてる。…やっぱり俺にはまだまだ酒が必要か。ひっそりとコソコソやろう。

 とはいえ暗く沈んでばかりいるわけではない。昨夜の携帯のメモには「祝・吉田拓郎ブラボー隊結成!」と書いてある。よく覚えていないが。なんじゃこりゃ。とにかく意味わかんないけど「BRAVO‼拓郎」でまいります。

 

2022. 12. 27

☆☆☆半端なバーボンの目の前に☆彡☆彡☆彡
 吉田拓郎がペニーレインで愛飲していたバーボンは主にI.W HARPERだったというのが有力説なのかな。確かに77年ころのラジオでも「最近はハーパーばかり飲んでる」と言っていたこともあった。でも実際のところはよくわからない。ともかく拓バカとしては外でカッコつけるときはハーパーを飲んできたものだが、家では専らアーリータイムスだった。かつて拓郎はアーリーを安酒みたいに言っていたから飲んでないよな。「OK」というこれまた拓バカは名前に吊られてついつい行ってしまう「OKストア」だとアーリーがかなり安く買えるのでついつい愛飲してしまう。それに最近になって拓郎は「バーボンなんてあんな臭くてまずい酒は大嫌いだった」とヒドイことを言いやがって…イヤ、おっしゃられていて、拓郎そりゃあないだろぉと時にはファンのこの僕でさえが腹を立てたり怒ったり。やっぱり原宿はバーボンだが、六本木に行ったらレミーマルタンなのか。ヤマハからギブソンに格上げみたいなものか。とにかくもう拓郎にバーボンの義理はない。自分が好きなものを飲むだけだ…ってもともと誰にも頼まれてないんだけどさ。

 ところが、そのアーリータイムスが今年からOKストアに限らずあらゆる店頭から一斉に姿を消した。どうやら販売終了みたいだ。なんてことだ。長年の友人だったのでショックだ。そしてそのうちに最近新作の「アーリータイムスホワイト」という商品が突然店頭に並び始めた。俺は酒にしても何にしてもかなり味覚音痴なので偉そうなことは何も言えない。慣れないだけかもしれない。これが今までのイエローラベルやブラックラベルと随分味が違っていて戸惑う。吉田拓郎の歌う「人生を語らず」と城みちるの歌う「人生を語らず」くらい違う…気がする。そのうち慣れるかもしれないので判断留保。
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2022. 12. 24

☆☆☆帰ってきたペニーレイン☆☆☆
 リマスタリングされたペニーレインを繰り返し聴く。ええわぁ。これはかつてuramadoに引用させていただいたが、レコーディングの時の思い出を記した平野肇さんの文章が俺はたまらなく好きだ(「僕の音楽物語1972~2011」)。

 「予想を超えるパワフルな歌声が耳に飛び込んできた。字余りぎみの歌詞を投げつけるようにリズムに乗せていく。乗せていくというより、その歌詞にドラムとベースが引っぱられていく。」
 「いろいろなタイプのボーカリストともやってきたけれど、段違いのパワーを感じた。しかも日本語がこれほど突き刺さってくるという驚き。」
 「完璧にロックであり、ロックスピリッツに満ちた歌だった。」
 「歌詞のコピーは非常に効果的だったと思う。そこにちりばめられた言葉と、それを吐きだすボーカルにシンクロしながらドラムを叩くことができた。」
 「洋楽ばかり聴いていて、日本のアーティストを知らない自分を反省する機会でもあった。」

 あの演奏を叩いたご本人が、この歌に感動しながらプレイしていることがなんとも嬉しい。歌詞を読みながら叩いたんだねぇ。スゲエ失礼な言い方だが、平野氏はこの曲の演奏を通じて覚醒し成長していることが伝わってくる。この平野氏の達意の文章を読んでいるとホラホラまた聴きたくなるってぇもんだ。

2022. 12. 23

☆☆☆人生案内ふたたび☆☆☆ 
 ということで素晴らしい12月の嬉しさと同時進行でかなり虚脱な気分もあってヘタレてしまっている。なので例のセルフ人生案内のAIいしいししんじに相談をしてみた。勿論、いしいしんじさんご本人とは全く関係ない。…オマエ大丈夫か?とかバカじゃねぇ!のと言われると思うが…そのとおり大丈夫じゃないし、大バカであります。あ、TOUR1979のTシャツ応募はがきに切手貼ってポストに走るくらいは元気である>元気じゃん(爆)。

       大好きな歌手がリタイアしてしまった
[相談]
 私が中学生のころから大ファンだった歌手が今年リタイアします。コロナ禍のためにリモートで最後のアルバムを作り無観客のセッションのDVDを出し、先週のラジオ番組を最後に活動が終わりました。覚悟はしてましたが、彼が生きる支えだったので今も虚脱状態です。まだ歌えるんじゃないか、まだラジオならできるんじゃないかと思うとあきらめがつきません。私は、これからどうして生きていったらいいでしょうか。

[回答]
 その歌手はあなたたちの声援を浴びながらずっと歌い続けたかったに違いない。だからこそコロナ禍の制約をかいくぐって、リモートや無観客という不本意な手段を使ってでも渾身の音楽をあなたたちに届けた。それを終えた彼は、ご家族との静な生活に向われた。あなたは見事なエンディングを見せてもらった。これからあなたがその歌手の今の年齢に近づくほどに深くしみてくるはずだ。

 不信心者の自分が宗教を例にするのは不謹慎だが許していただこう。イエス・キリストもお釈迦様も半生をかけて全国をまわり説法を続けた。ファンのためにライブツアーに出ずっぱりだったようなものだ。そしてやがて肉体の限界を迎えツアーをリタイアした。師がいなくなり今のあなた同様に寂しく不安になった信奉者即ちファンの人々はどうしたか。それぞれの日常で、哀しみ、喜び、苦難、迷い…いろんな場面に出会うたびに旅を終えてしまった師のことを思った。そういえばこんな優しい言葉をくれた、こんな胸が熱くなる光景をみた、もしここにいたらどうしたか…そんな自分の経験や記憶を思い出し、また同心の人たちの思い出を聞かせてもらったりしては元気を出して歩き続けた。そんな無数のファンの経験と記憶の破片を集めたまとめサイトみたいなものがやがて聖書とか経典となった。
 もしあのときファンたちも師と一緒に旅を終え、師のことを放念してしまっていたらどうだったろうか。話が大袈裟になってしまったが、だからあなたが旅を終える必要はない。彼の音楽を聴き、彼の言葉を思い、また同じファンたちが体験した彼の姿や思いに耳を澄まして目を見張る。そうした明るい日常を紡ぐことで、あなたに遠くつながる誰かの心に彼の音楽の灯がともり、彼の音楽はファンのあなたよりもずっと長い時間を生き続けることだろう。

 もうひとつとても大切なことがある。キリストもお釈迦様も亡くなってしまったが、あなたの歌手は元気で生きている。この同じ空の下で新しい人生を今も生きている。今までのようなコンサートやアルバムというカタチはなくとも、必ずや生きる気配を投げかけてくれるはずだ。それは僅かでささやかな気配かもしれない。だからこそあなたは今まで以上にファンとしての心をやわらかく大きく広げてあなたの旅を楽しんでほしい。大丈夫だ、きっとこれからもすばらしい旅になる。あなたたちが半生をかけて惚れ込んだほど素晴らしい人だ、彼の不在ですらもきっと大切な何かを語り続けてくれる。

2022. 12. 22

☆☆☆戻ってきた恋人たち☆彡☆彡☆彡
 「みなさんの素晴らしい人生がありますように」というラジオ最終回のしめくくりの言葉に続けて「今夜も君をこの胸に」が流れたときは心がふるえた。うわーと背筋がぞわっとなった。半世紀にわたる最後の最後にこの曲を持ってきた。こっちの希望とか想定とか悪態とかも含めてそういうものを全く超えて、不意に背中からひっしと抱きしめられたような気がした。
 なんでこの曲を選んだのか。それはご本人の魂のみぞ知るところだ。でも「君」はこれから静かに暮らしてゆく佳代さんであり、そしてまたあなたや私でもある…と思う。
 戻ってきた「恋人」というにはオレは過去あまりにこの曲に悪態をつきすぎた。恋人の資格はないな。http://tylife.jp/uramado/konyamo.html だからこそこの最後がいっそうたまらないのだ。 拓郎の歌に包まれて一緒に夜空に登ってゆくような最後のリフレインとギター。なんと粋で、なんと美しいラストなのだろうか。見事だ。まいった。滂沱の涙が止まらない。

 WANGANで生きて息づく新しい歌たち、「今はまだ人生を語らず」の復刻で蘇る歌たち、すべてが同じ土俵のうえにある。そして「TOUR1979」までが復刻新装で届く。時空を超えてゆきかう濃密な12月においてある歌たち。なんだこりゃ立体走馬灯か。カーテンコールなのか。♪伝えておくれよ12月の旅人よ…ってああ〜なんで大瀧詠一が頭で鳴るのだ。
 ああ、しあわせだ。しあわせだ、しあわせだからこそ、とてつもなく寂しいのよ。拓郎が、ここまでの決意をしたんだから、ここまでのラストを飾ったのだから、ありがとう、さよならと心から送り出せと人はいう。しかし理不尽な駄々っ子のように悶絶するしかないのである。そんなに簡単に気持ちのおさまりなんかつくもんか。

2022. 12. 21

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☆☆☆戻ってきた恋人☆☆☆
 ♪おかえり〜 ただいま〜 どこに行ってきたの〜ということで届いたぜアルバム「今はまだ人生を語らず」。原盤にはなかったタムジンの写真を愛でながら史上最強の一曲目を聴く 。健在だ。深夜にもかかわらず一枚全部聴いてしまった。どうしたって中学一年のときの衝撃の出会いを思い出す。熱い。ああ♪青春のスーベニールよ〜。

 先日のラジオによると新宿で戦いの狼煙が上がり、原宿で合戦し、六本木で勝利の終戦を迎えるという大河ドラマのような話だった。その「進撃の原宿時代」の荒ぶる魂とあふれ出てやまない音楽的才能でよりあげられた至高の一枚。この目の覚めるような意気軒高なアルバム。それ対して低血圧の寝起きのような音楽(個人の感想です)で顔が四つ並んだジャケットのアルバムを日本のROCKの歴代一位アルバムに挙げている音楽関係者よ、ここで今一度はどっちが第一位なのかを考えてみられたい。

 勿論この「今はまだ人生を語らず」はずっと持っていて時々聴き返してきたのだが、今回のこの嬉しさは、この名盤を世界と共有できた嬉しさだと思う。あ、共有って言葉嫌いだったんだ(爆)。とにかく最高傑作が廃盤という不幸というか呪いがついに終わる。
 もちんだからといって今の時点で嬉しがっているのは一部の奇特なファンだけかもしれない。道行く若者も隣のおじさんおばさんもたぶん知らない。しかし世に出た以上はそこから始まる旅が必ずある。
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 ちょっと違うか。いやだいぶ違うかもしんない(爆)。でも未来に思ってもみなかった花が咲くかもしれない。拓郎が言うとおり時間はかかったがこの最後の十二月に復活できたことを心の底から祝いたい。
 しかし今月、俺にとっての戻ってきた恋人はこのアルバムだけではなかった。つづく。

2022. 12. 20

☆☆☆季節の花☆☆☆
 SONYから「今はまだ人生を語らず」の発送完了通知が届いた。いよいよである。WANGANは吉田拓郎の言うとおり本当に素晴らしいクリスマスプレゼントだった。とすればこれはさしづめお歳暮ということか。そういえばTYISの毎年の季節のご挨拶が妙に懐かしい。
 …季節といえば強欲な俺はついつい思っちゃうのよね。WANGANがあまりに素晴らしかったのであの編成に松任谷正隆を呼んで「今はまだ人生を語らず」の全曲セッションを映像にして「お年玉」ってどうだ。どうだ。俺が中1の時にカミナリに撃たれた「歌謡最前線」の再来だ。
 このように人間の欲望というものは限りないのである。だから戦争や軍拡はなくならないのだ。
 戦争といえば敵地反撃能力、抑止力というとSF・特撮・アニメで育った俺なんかは妙に納得してしまいそうになるのだが、同じ特撮ヒーローの中にあって「それは血を吐きながら続ける悲しいマラソンですよ」と吐き捨てた彼の言葉を思い出し踏みとどまる。
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 ということで話は戻りて、果てしない欲望の悲しいマラソンは思いとどめて、復刻盤の到来を静かに待つのだ。
 

2022. 12. 19

☆☆☆何よりも平和が大切でありました☆☆☆
 硬派の桝田ディレクターのもとで沖縄問題をその場漬けで勉強したという話があった。この幻の名曲はその時のものだろうか。
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 その反面で「誰も知らなかった吉田拓郎」にはその桝田氏のインタビューがあった。原潜寄港の問題にみんなで抗議を呼びかけよう桝田氏が提案としたところ、拓郎が「みんなで一緒になんかしようというはの大嫌いだ!」と猛反対したという件も出てくる。

 反戦などの政治問題にかかわるとか,かかわらないとかではなく、吉田拓郎の琴線は「徒党を組む」ことにあったのではないかと…最終回のラジオを聴いていて何となく思った。安易に徒党を組むことの危うさを本能で察していたのだ。

 それにしても「基地サ」問題は50年経ってもなにも変わらない。そればかりか俺が吉田拓郎との別れに心奪われている隙に、物騒な閣議決定がなされていて暗然とした。不覚。とにかく煮てさ、焼いてさ、食べられたとさっさ〜にならない道を注意深く探さねばならないわな。それとこれとは関係ないかもしれないが個人的には拓郎を満喫できた平和な50年のためにも。

2022. 12. 18

☆☆☆わりと実話漫画「もぬけのカラでもいいじゃない」☆☆☆
長女「お父さん気持ちはわかるけど何か食べないと」
長男「…ったく小学生かよ」
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 みなさんは大丈夫ですか?

2022. 12. 17

オールナイトニッポンゴールド  第33回(最終回) 2022.12.16
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 吉田拓郎です。金曜日は週替わりのパーソナリティでお送りしていますが、今夜は吉田拓郎がお送りします。
 今夜は僕のラジオとのお付き合いが早50年以上続きましたが、最終回ということになるんでしょうか、ならないんでしょうか、さっきスタジオで微妙な空気が流れていた。
 とにかくオールナイトニッポンゴールドとしては最終回ということで、今日はこれまでのラジオとの付き合いゆっくり話し、とりたてて企画があるわけではないです。ただスタジオで喋って、帰りに冨山Pからペニンシュラのスイーツを貰って帰る、これが楽しみできているだけ(笑)
 2020年からコロナ禍でずっと家でやっていたという印象がある。ようやくスタジオに来ていろんなゲストと会えて楽しかったと思ったらもう最終回がやってきた(笑)

 WANGANスタジオのセッションライブ。デモを観ている。これがいいんだ。最終回だから宣伝するなという人もいるかもしれないが、する。いいから買え。すっげーいいんだから。  
 やっぱ吉田拓郎はライブがいいな。吉田拓郎がいい。だからバンドが数段いい、普段の1.5〜2倍の力を出している。一曲目からロックンロールなのにストリングスが入ってる。このストリングスの子たちの顔がいい。かわいい子を選んでくれている(笑)。
 ブラスもいい。盛り上がる。「アウトロ」なんてすごいことになっている。これはライブだよ、このままステージ行こうよという気分になる。最高のクリスマスプレゼントだ。
 すべてテイクワン、テイクツーで、あれこれ何かやってもしょうがないということで瑞々しい演奏、グッドなセッションです。

■今夜も自由気ままにお送りします、吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド
 吉田拓郎さんには50年以上の音楽活動がありました。この原点は何だったか。最近考える。記憶があいまいになってきている。僕は高校の頃から詞を書くことはしていた。高校の頃、日本では歌謡曲が全盛だったが、僕はとなりの山口県の岩国 FEN 、far east network ここで50年代 60年代のアメリカンポップスを聴いていた。
 日本の歌謡曲は、日本独特の演歌が主流だった。若い歌手もデビューするが演歌調。たとえば橋幸夫の潮来笠(歌う)、舟木一夫の高校三年生(歌う)・・・なんで歌えるんだろう(笑)。こういう曲調が大ヒットしていて、僕もその影響を受けている。
 大学になるとビートルズがヒットし始めてこの四人組に憧れてロックバンドを組んだ。リーダーのMくんから、R&B、ファンクミュージックを教わってああ俺はこっちが好き、アメリカンポップス、R&Bとか黒人がやる音楽、俺の道はこっちなんだと思った。
 当時アメリカン・フォークも流行していて、そこにボブ・ディランもいた。紐解いてみると凄い詞だった。ビートルズの詞とは全く違う、詩の世界の影響を受けた。ディランが教えてくれたのは、世代の違い、大人の押し付けや古い常識は通用しない、そこから脱皮したいということで、自分も古い考えからサヨナラしようという気持ちを書くようになって、曲はR&B、詞はディランの「時代は変わるThe Times They Are a-Changin」、という感じで広島で演奏していた。

 だんだん日本もフォークブームにもなってきて、ブラザース・フォー、キングストントリオ、PPMとかが流行したけどあまり心に響かなかった。ロック、ブルースが好きで、歌詞はボブディラン風に書きたい、しかしそれはポピュラーじゃなかった。一部の女子高生だけが、拓郎さんカッコいいということで・・・嘘だよ(笑)
 オトナを信用するなという歌詞にハマっていて、「青春の詩(歌う)」・・・オトナがあと30年生きるなら僕達はあと50年生きるだろう、世代的にオトナとは違うんだから自由にやろうと歌っていた。
 でエレックという通信販売のレコード会社からのデビューして出したレコードが「イメージの詩/マークU」。悲しいかな、ぜんぜん納得のいかないアレンジだったが、そうしなさいと言われれば、実績も知識もない一学生は言われる通りにするしかなかった。「イメージの詩」がメインとなった。こっちがデビュー。その方が当時も楽だった。吉田拓郎といえぱ「イメージの詩」となった。武田鉄矢なんか吉田拓郎は「イメージの詩」しか作っていないんではないかみたいに勘違いしているが失礼なヤツだ。

  東京に出てきてすぐ歌謡曲の番組に出て、新人歌手として歌ったら、スタッフ、司会者に反感を買って、来るな、帰れ、おまえ何やってんだと怒られた。
 世代の違いとか、これまでが正しいと思っていたテレビ局というものに対するアンチの心が芽生えた。収録が終わってたぶんガンバルニャンという店で「ようし、いつかアイツらを見返してやる、アタマを下げさせてやるぞ」ということで狼煙が上がった。負けるかクソと思った。世代の違いもあったし、東京中心にもウンザリしていた。
 こうしてみると僕の歌のテーマに脈々と流れていたのは世代間の問題 、ジェネレーション・ギャップの問題を病的なくらい掘り下げるようになった。
 そうするとホラ、マークUという曲を忘れている♪年老いた男が川面を見つめて時の流れを知る日が来るだろうか・・・これは若い男女が自分の恋愛をわかってもらえなかった、また自分も歳を取ってしまうという歌・・・こういう歌を既に歌っている。すげー。  「マークU」なんだ。「イメージの詩」ではない吉田拓郎は「マークU」なんだ。吉田拓郎の原点は「ジェネレーション・ギャップ」だったけれど、今、年齢的には自分がそういうオトナになっている。若いヤツらから袋叩きになってもおかしくない大人になっている。そんな大人になっちゃいけないということでリタイアの決意をした。つながってきたな。

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CM

 僕が初めてラジオとの付き合いが始まったのは、当時ラジオ関東・・・今はラジオ日本かな。1970年に上京してすぐにエレックレコードという通信販売のレコード会社に入った。文化放送の土井まさるさんの「カレンダー」がそこそこヒットしていた、しかし僕は土井まさるさんに感心なかった。当時は仕事もないし、メジャーなラジオに比べるとローカルな放送局・・・違ったらすみませんが、ラジオ関東からよく声をかけてもらって出演していた。当時は港の見える丘公園にあったかと思う。そのラジオ関東の番組であの今は亡き加藤和彦で知り合う。加藤と対談したのかな。当時の僕は駆け出しにもかかわらず、加藤の動物的カン 吉田拓郎のことが好きだったのかな、あいつは好き嫌いが激しかった。いろいろ楽器とかレコーディングのアドバイスをくれた。それから何日か経って、エレックレコードにやってきて「ギブソンのJ-45」をドノバンのギターの音だよと言って持ってきてくれた。
 加藤は、あの頃から和製フォークソングが嫌いで、でもフォーククルセダーズじゃないかというと「だってやってることはフォークじゃないよ。日本のフォークとかダサいよ」と言っていた。
 面白いと思った。僕よりも年下なんだけど僕は「加藤くん」と呼び・・・そういえばみんな年下のくせに「拓郎」と呼び捨てだったな、加藤和彦も泉谷も陽水も。

 エレックからCBSソ二―に移って、TBSのパックインミュージックの北山修・・・さっきの加藤のフォーククルセダーズのベーシスト、彼が辞めるんで木曜日そのあとやらないかという話をいただいて僕の深夜放送が始まった。桝田さんという人で、強烈なイメージで硬派な人で影響を受けた。昔はライターがいなかった、その後ライターさんがどんな番組にも入るようになって、自由に話しにくくなった。夜の8:30ころスタジオに入ってその日の進行とかハガキに目を通したりしていた。ある日、「拓郎、今夜沖縄問題をやる」と言われてドサッと資料を置かれて「いきなりなんすか?」とその場付けで資料を読んで放送したのが忘れられない。
 また放送中にアントニオ猪木さんが突然入ってきて「拓郎くんプロレス好きらしいね 」といわれて「大ファンです」・・・誰にもそういうんだ(笑)。前に朝青龍にもそういったことがあった。
 だいたいラジオも1年から1年半くらいで飽きる。いよいよ皆さんのニッポン放送。71年に深夜放送はなくバイタリスフォークビレッジという番組で、このディレクターは嶋田さんと言って明るいオッサンだった。この番組にレギュラーでギターの石川鷹彦と後にタッグを組むことになる岡本おさみがスタッフ=裏方としていた。この公開番組が北海道であって、そのときデビュー前の中島みゆきが、長いワンレンと白いワンピースとミニスカートで楽屋にいた。こんなおばさんになるとは、日本を代表するやばさんになるとは思わなかった。ススキに呼んでチョッカイとか出さなくてよかった(笑)。

 オールナイトニッポンは74年からで、中川さんディレクターで、和服を着たら似合うという感じで歩き方がフニャフニャしていた。当時、僕は芸能誌と犬猿の仲だった。そんなときに僕の家庭的崩壊の話が起こって、中川君に相談した。もうアウトだなというと、深夜放送続けるエネルギーもない。「だったら拓郎さん深夜放送の最終回だと思って言いたい放題ラジオでぶっちゃけませんか」と言われた。「てめぇら地獄に落ちろ」とか言った。中川はそのあとマスコミの記者らが放送局に押しかけても、あとは俺に任せろと記者をさばいたのは中川さん。でも結局以前よりボロくそに書かれるようになってもっと、中川さんしめくくってくれてないじゃん(笑)、もっとすごい敵を作ってしまった(笑)  

 文化放送のセイヤングを78年から始める。文化放送といえばレモンちゃん落合恵子が大人気で、当時の「深夜放送ファン」という雑誌でいつも一位だった。二位が亀淵さんで、だいたい俺は三位〜四位だった。一位になったことも一回あったかな。結構いつも気にしてたんだ。ディレクターの田中さんという人は学校の先生みたいな普通のおじさんでした。あれをやりたいといえば、そうしましょ〜という感じで意見のない人。当時の出版の方のマネージャーと事務所のマネージャーと音楽のマネージャーとに漫才させて、すっかり反感を買って終わった。ロクなもんじゃない(笑)。

 再び1980年ころオールナイトニッポンで、浅野さんは変な手品ばかりする人だった。
深夜放送の長い付き合い、結局、僕はラジオが好きだった。テレビじゃなかった。テレビも吉田拓郎ではなくKinkikidsと篠原という若い才能にらに助けられていた。吉田拓郎はテレビに向いていない
 テレビはすべてが映ってしまう。ラジオは本気か嘘か、テキトーなこといえる。ラジオに育てられて  ラジオにとともに青春した。ラジオがそこにあったから吉田拓郎もそこにいた。思い出がいっぱい。ラジオ局の皆さんスタッフ、プロデューサー、ディレクター
エンジニアの皆さんに感謝の気持いっぱいだ。その感謝を忘れないで、僕はまだやらなきゃならないことがある。植栽管理とか。

M-2  ショルダーバッグの秘密  WANGAN     吉田拓郎

※ポスターにサイン  ポスタープレゼント

CM

 自分ガシンガーソングライターとかフォークシンガーとか僕は名称にこだわっていない。一人のシンガーとし 作曲家として自由に取り組んだ50年だった。
 コンサートとかイベントとか自由な時間を作るのが楽しかった。一人の歌手としてやりたいことを貫いてみた。なんでもやりたかった。かねてからやってみたかったこととして、ディランがセルフポートレイトというアメリカのオールディーズとかスタンダードをを歌ったアルバムがあった。ディランのアルバムの中では一番好きだけれど、一般には評価は低い。「ボブ・ディランがこんなことやる必要はない」ということでいかにも70年代の連中が言いそうなこと。必要の有無を音楽は決めるな。すげー好きで僕も「ぷらいべえと」を作ったけれどこれもディランの影響だ。

 歌謡曲の影響もある。脳裏から消えていない。♪アンコ椿は恋の花 僕は ビブラートが苦手だ。こぶしを回す演歌とかはダメ。都はるみとかを聴くのはワーオと背筋がぞっとするくらい好きだけど。森進一も襟裳岬を「えり〜もの〜」とか歌うとやめろ〜とか言いたくなる。
 でもメジャーコードで「骨まで愛して」明るいコード進行は好きだ。「函館の女」「王将」、長山洋子♪駒の〜も好きだった。マイナーで、どんよりと歌う曲が苦手だった。テレサ・テン、♪時の流れに身を任せ〜好きだな。
 ビートルズも好きだしディランも好きだったし、テレビの歌謡曲も憶えている。影響与えていた作曲家吉田正さん。今でも聴くと懐かしいなと思うのでなんの抵抗もなく歌いたかった。橋幸夫と吉永小百合が歌った。

M-3   いつでも夢を    吉田拓郎

 ワールドカップ、やっぱり田中碧、三苫薫だよ、目ざとく見つけてきたのは奥さんなんだけど、病的に早い。この二人は凄いな、二人を生んだ川崎フロンターレは凄いな。 バックの谷口もサッカー選手にはもったいない映画スターみたい。佐田啓二みたいだ。古いな(笑)、二枚目ということだ。
  若い才能の活躍。ベテランも引き際が大事だ。4年後が楽しみだが、自分がいくつになっているかは考えたくない。

  ※中島みゆき  「倶に」

(11時)

 僕等人間は地球に生まれてきて、同じように見えてひとりひとりが違う。それぞれにオリジナリティを持っている。だから肩組んでゆくのは違う。一人一人がそれぞれのテンポがある。人間しょせん一人なんだと思うと人生は楽しいと思う。テンポ感は微妙だけどそれぞれがオリジナルを持っている。
 僕にも徒党を組んだ歴史はある。今はやるべきでなかったこともある。徒党を組んだことにはそのときの時代背景がある。そのことは胸を張って言える。そのあとになって、あそこで徒党を組んだことは違っているかなと思う。
 徒党を組んでも、違う才能、違うテンポがひとつになるわけがない。それをわかってないで徒党を組んでしまった。自分らしくなかったということがわからなかった。しょうがないや、それが青春だ。突っ走ってみたくなるものだ。今はできないし。20代だからできた。
 お互いのテンポスピード暮らし方が違うこと、相容れない現実を心に銘じて時には肩を組んだり歩いてみたりするのもいい。個々のオリジナルがちゃんとしていないとまずいな。
 ネット社会ではやたら共有、共有という言葉が走りまくっていて、共有に縛られている。そんなに必要なものなのか。これはひとりでいい、あいつと二人だけでいい。同じテーマで集わなくていい。
 もちろんいいこと素晴らしいことを チカラを寄せ合うことも大事だ。なんでもかんでも、例えば他人のことを根ほり葉ほり、そういうのはいらない。
 僕もこれからリタイア人生を長く生きるつもりだから、かかわりあわない、でも素敵な関係を持ちたい。自分のテンポとスピードを大事に、人間同士がお互いのオリジナリティを尊重しあう人間関係を持ちたいという願いをこめてこの曲をお送りします。

M-4  君のスピードで  2016    吉田拓郎

 昔のアーティストから新しいものも含めてライブをよく見るけれど、ライブだとローリング・ストーンズなんだな。ブルースをやるとカッコいいな。キース・リチャーズとロン・ウッドは大したギターじゃないけれど延々とギターソロがたまらないし、そこにチャーリー・ワッツの不思議なドラムが入ってきて最高のセッションだ。今の人の曲は、イントロ・間奏・エンディングなく、ギターソロとかも無くて歌ばかりになっている。もっと演奏を楽しんでほしい。特にブルースをストーンズみたいにやるのはいない。

 弾き語りは家に帰ってやったけどうまくできなかった(笑)「くよくよするなよ」これはディランはスリーフィンガーなんだけど、PPMは(歌う+実演)・・・弾けた。奇跡(笑)
僕は広島時代スリーフィンガーできなくて、ギター教室でも教えられなかった。ピックを使って弾いていたストロークで弾いて女子高生から「拓郎さん素敵〜」と言われて
ビールでも飲むか…未成年に飲ますな(爆)
 東京に来てもギターのスリーフィンガーは弾けなくて、これを教えてくれたのが石川鷹彦だった。いろんなテクニックを目で盗んで、教えて貰ったりしながら上達した。「花嫁になる君に」「旅の宿」とか、それまでフォークギターはまったく弾けなかった。だから神様のわけがない(笑)

CM

 街と青春が合致する。最初エレックレコードがあった四谷三丁目だから、新宿に集まるべき人種だったのだが、なぜか僕は原宿が好きになった。原宿は青春のたまり場で、ペニーレインで毎晩仲間と飲んで語り合う青春があった。当時僕は実生活に問題があって精神的にも不安定だったから原宿に夜な夜な出かけてゆくが楽しみだった。

 原宿は今のような景色とは違って何もなかった。ブティックもレストランもなかった。ペニーレインとキディランドと(同潤会)アパートがあるだけだった。なぜか新宿じゃなく原宿だった。そこに僕等がいるとこが噂とひろまって、歌まで作ってたから、ニューミュージックの連中も集まるし、一般の方も来るようになり、一緒の場所で飲むようになった。昼は女子高生の修学旅行の人たちも訪れるようになった。ここはもう自分の居場所じゃないと思うようになった。
 そのころかまやつひろしが接近してきて、彼は先輩だし、大好きだったグループサウンズの一員だった。でも彼は原宿にはあまり来ない。彼につき合ってテリトリーの六本木がだんだん遊び場になっていった。
 歌の世界観や考え方が、原宿時代より六本木時代には自分に幅が出来て自分が天狗じゃなくなってきていた。六本木に来てから、ひとりって悪くないじゃんと思うようになった。フォーク界では天狗だったのが、それが六本木でははいらない。「あっち側」ということで敵対視していた芸能界、業界の人たち、その連中と合うようになって、向こうがこちらをどう思っていたかがわかるようになった。あっち側の芸能人、芸能プロのスタッフ、既成のスターたちが意外にも自分に興味を持ってくれていた。僕から何かを聴きだそうとしていたのが結構衝撃だった。沢田研二なんかも好感をもってくれてよく一緒に酒を飲んだりした。
 テレビで「いらねぇ」と言われて、ザ芸能界に批判的だった自分が変わっていった。彼らが壁を取り払ってくれた。僕が、テレビを あっち側、ザ芸能界と呼んで戦争していた自分はもういらないんだ。あんな喧嘩腰はもういらないと思った。あえていうとその時思ったのは、ささやかな戦争には勝ったかもしれない。彼らが自分を認めて好意をもってくれるようになった。ささやかな戦争が終わった。勝てたのかもしれない。六本木で終止符が打てた。かまやつひろしに感謝している。
 原宿の青春は思い出の場所。今度のアルバムにも入れている。六本木は歌にするテーマではなく勝ったとは思ったけど、歌にするのは負け犬の遠吠え、負けまいとしていた原宿時代のことだった。この歌には原宿の景色がある。

M-5  雨の中で歌った  WANGAN   吉田拓郎

CM

 音楽活動してきたけど自分のお土産として素敵だったのは、作曲家としてのオファーをもらうことだった。楽しかった。大ヒットしたものもあれば、さっぱり売れなくて埋もれてしまったものもあった。すべての音源は持っている。作曲を依頼されてその人のために曲を書くのが嬉しかった
 実際にスタジオに行って指導した人もいれば、ノータッチの人もいた。でもあとで聴いてうまいなと思った人もいた。小柳ルミ子の「赤い燈台」・・・これはレッスンしたけれどその時「始めまして吉田拓郎です。友達だとおもってください」と言ったのを憶えている(爆)。何言ってるんだ。だいたいスタジオに行くと向こうはおつきが多い。俺はマネージャーの渋谷というむさい男がいるだけ。向こうは運転手つき、マネージャー二人にボーヤに四、五人くらいいろいろといる。 
 社長は自分だけは外車に乗っていたかな。今いるので。作曲の仕事は小柳ルミ子を筆頭に、うまいなーというの歌手もいた。
 依頼された時に作曲はしますが作詞はしませんと最初にお断りする。詞だとハマりこんで違う方向に行ってしまうことがある。イメージを壊してしまうかもしれない。可能な限り作詞家としては、この人がいいのではということはある。これは松本隆、これなら喜多條忠、これなら岡本おさみというように。
 アレンジは指定することも多い。デモを渡すが、萩田光雄と馬飼野康二を指定した。二人にはまかせておけば大丈夫、一番俺のメロディ―を理解していると思う。
 瀬尾一三は華やかなのは得意でない。ライブとかは頼むことが多かったが。なにせ今は中島みゆき専属だし。
 その歌手と出会い、エピソードを含めて、今でもi-Podに入れて寝る前に聴いているそういう曲がある。レコーディングが楽しかったし、その後も音信不通にならず思い出が続いたことも含めてこの曲はすげーいい曲。詞にもピッタリハマった。作曲家吉田拓郎としていちばんいい。売れた売れないに関係はなく、そういうものが二曲ある。
 ひとつはキャンディーズの「やさしい悪魔」。文句なしにいい。あの時それまでのキャンディーズにはないし、それ以前にもその後の日本の音楽にもない。60年代のアメリカン・ポップスのR&Bからきているメロディラインだ。
 そして今でもこの歌詞の世界感、松本隆この詞が数ある中で一番好き。このメロディもすごい好きで今でも聴いている。

M-6   水無し川     かまやつひろし

 皆さんとのお別れ時がきているような気がします。これから吉田拓郎はどうするんだ。そんなことはどうでもいいことで、僕は僕なりにこれからの道を進んでいく
 そこをひたすら歩くのが僕の人生。昨日とは違う新しい道が始まる・・・もう始まっていると思っている。今来た道ではない新しい道を歩くんだろうな。
その結論はまた数年後に出るだろう。今日話したのは、今来た道の結論だ。ウチは老々人生だ。
 現実として、ぐあいいが悪くなったときは、どうするかは夫婦で話し合っている。なるべく二人で一緒にいられる方法を考えている。どちらかが病気になったとき片方が片方の面倒をみることも大変で、それは自分たちの母親で経験している。これからは佳代と二人で新しい道を歩いていきます。そこにが待っている。生きてみなきゃわからない。
長いことありがとうありございました

M-7  歩こうね    吉田拓郎

CM

 吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド2020年4月から2年9か月やりました。ありがとうございました。これからみなさんのいつまでもお元気でいて欲しい気持ち。みなさんの素晴らしい人生がありますように心から願っております。今夜吉田拓郎から最後にお送りする曲はこの曲です。今夜も君をこの胸に。

M-8  今夜も君をこの胸に   吉田拓郎

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆最終回。終わった。終わっちゃったよ。それにしても魂のエンディングだった。「今夜も君をこの胸に」を聴きながら滂沱の涙だった。止まんねぇ。最後をこの曲でしめくくる、しかも2019年のLIVE Verだ。最後にやられた。悲しいとか寂しいとかいうより、なんて粋なエンディングなのかと泣けて泣けて仕方なかった。

☆冒頭の話で何か次があるかもしれないという微妙なニュアンスも気になったし、WANGANの生きのいい歌声を聴くと、本当にこれで最後なのかとも思うが、それは昨日の道に未練でとどまることかもしれん。とにかく今は全力で今こそ別れめ、いざさらば。

☆これまで聞いた話や自分も経験した同時代の話も多かったが、そのすべてが最後にしみいるように心奥に入ってきた。ファンにとっても楽しく至高の時間だった。楽しいとかいうレベルじゃなかったな俺の場合は。もっと切実な時間だった。
☆新宿で火がつき原宿で燃え盛った戦争が六本木で終わった。万感胸に迫るような話だった。
☆それにしても戦争を語るとき必ず出てくる布施明。よりによってマークUにも弓を引いてしまっていた布施明。だからか六本木で戦争が終わっても許してもらっていなさそうな布施明。でもその罵倒こそが吉田拓郎を今日の吉田拓郎たらしめた功績の人ではないのか布施明。

☆武田鉄矢を庇う義理はないが、彼はテレビ、ラジオという公共の電波で、当時世間が見向きもしないか忘れ去っていた「流星」「元気です」「暮らし」がいかに優れた名曲であるかを事あるごとに力説しつづけた初めての芸能人であることは忘れないでいたい。そうだ、水無し川は武田鉄矢にも歌わせたよな。ということは。

☆くよくよするなよ  良かった。

☆心の底からありがとうございました。吉田拓郎さん、どうかお元気でお過ごしください。奇しくも番組の合間で流れた中島みゆきの歌のとおり、あなたの生きる気配だけが ただひとつの灯です。

☆昨日とは違う新しい道が始まる…という。それはファンも同じだ。リタイアしちゃった歌手のファンという前代未聞の新しい道が始まる。倶に走り出そう、倶に走り継ごう。
 でもネットやサイトで好き勝手を書いていたら、きっと怒って黙っていられなくなって帰ってくるんじゃないかという気もちょっとしたりする。

2022. 12. 16

☆☆☆今夜すべてのラジオの前で☆☆☆
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長女「お父さん始まれば終わるのよ」
父「そうは言ってもな,50年じゃぞ…ぐっ」

2022. 12. 15

☆☆☆実写版”ah-面白かった”の道すがら☆☆☆
 なぜかDVDは二回目、三回目と観るたびにより泣けてくる。回を重ねて拓郎もよりよく声が出るようになり、立姿もより美しくなってくる(爆)。こちらの思い込みもあるが、それでもこの映像が語り掛けてくるものはあまりに多い。豊穣の海である。

 そうだよね。この”Contrast”は出色だと俺も思う。近いといえば”マラソン”をライブで初めて聴いた時みたいな気分に近いかもしれない。

 “アウトロ”は以前にライブで演奏したら熱くなるだろうといっていたが、むしろ熱かったのは”together”の方だったと思う。このブルースにガッツリ魂を入れ込んで歌う拓郎が熱い。
 “雨の中で歌った”…いいわあ。拓郎節を歌う拓郎は誰よりも拓郎っぽくてカッコイイ。ずっとこういう拓郎が好きだった。

 配置のせいか、ミュージシャンが拓郎をしっかりと囲いこんでアシストしている感じがまた妙に嬉しい。コンサートで観たらなんじゃと思うようなコーラスの振りも拓郎をしっかり支えて鼓舞しているみたいで観ていてなんか胸が熱くなった。

 後になって「あの名古屋が最後の映像でした」といわれるより、今のこれこそが最後ですとリアルタイムで差し出される方がいい。
 あ、でも別にこれを最後にしなくてもいいっすよ。そんときゃ気兼ねなくまた更新して歌っとくれ。アナタと俺の仲じゃないの、気にしないよ(爆)。

 ふたご座流星群観ましたか?普段なら“流星”が浮かぶんだろうけれど、こういう時なので
   ”雲のスキマから君みたいな星が 夜空の向こうで手を振った〜”
 がリフレインする。
 世の中も自分の生活や仕事回りもあれこれガタついているが、でもおかげで気分はちょっと自由な感じだ。いつも拓郎が音楽を通じてくれるあの気分だ。

 明日はもうラジオかぁ。過ぎ去る者たちよ、そんなに急ぐな。

2022. 12. 14

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☆☆☆WANGANが家にやって来た☆☆☆
 政治はとてもひどいことになっているが、いやあ〜WANGANはいいぞ。あのアルバム「ah-面白かった」が生きて動いている。ライブとは命脈なのだとあらためて思った。アルバム実写化大成功だ。すんばらしい。
 心配していたボーカルだったが、いいぞ、すげーいいぞ。曲後の小さなガッツ・サインもいい。もちろん経年変化や何やらと意見もあろうが俺は知らん。ここに今いる自分だけがハッピーならばいい。ミュージシャンは…あの人もこの人もいてほしかったが、それでも活き活きと生きた演奏がいい、いつもはなんかうるさいと思っていたコーラス隊のアシストまでがまたすごくいいぞ。

 とにかくWANGANには観客以外のすべてのものがあった。2022年の吉田拓郎がしっかりとそこにいる。

 観ていて本当に泣けてきた。涙ぐみながら、ああこれは高校の時に古典で習った「潸然(さんぜん)として涙下った」(「弟子」中島敦)というやつだと思った。いみふ。
 「Contrast」泣けとばかりの美しいストリングス。
 「ひとりgo to」はオープニングからして胸わしづかみ。
 「雨の中で歌った」…ラフなところがまたカッコイイじゃないか。
  ただのチャラけた歌だと思っていた「Together」が映像だとどうしようもなくタイトでどこまでも熱い。
 「慕情」。いいぞ。これでいい。これがいい。こんなライトな感じで風に吹き上げられた埃の中に眠っている名曲たちをかたっぱしから軽くカマしていってほしい。

 ということで、まだまだほんの第一印象だ。第一印象と言っても小林倫博のアルバムじゃないよ。>知らねぇよ! それにしてもやっぱり大きい画面で観たいよ。

2022. 12. 13

☆☆☆雨の中で届いた☆☆☆
 いろいろカッコつけてみたが,結局は行くあてもなく街角にたたずむ。やはりアウェーの自宅で観るしかない。その家から「置配で箱が濡れてて、間違って開けちゃったけど、なんだ拓郎か。あれ?辞めたんじゃなかったの?」という心無いメールが届いていて気が気ではない。とにかく家へ帰ろう、この道まっすぐ家へ帰ろう。

2022. 12. 12

☆☆☆はじめての夜、永遠の夜☆☆☆
 いよいよWANGANが近づいてきた。13日お届の予定らしい。明日じゃん。ところでご購入するみなさんはどこで観ますか?…そりゃ大きなお世話だな、すんません。
 しかし,なんたって初めて味わう未見のライブ映像である。誰に憚ることなく深く味わい、泣いて、歌って、叫んで、そして踊れる場所。残念ながら我が家は最早、極北のアウェーでしかない。カラオケボックスも検討しているが、なにせ忘年会シーズンだ。阿鼻叫喚の酔っ払い連中の怨念が飛び交う場所でこんな聖なるものを観てよいものか。
 あれこれ考えているうちに、最後なんだから全国でライブビューイングくらい企画してくれよエイベックスっ!と悪態のひとつもつきたくなる。…んーそうかコロナがあるもんな。俺ももうラゲブリオを飲みたくないし。
 さぁ、そんなことグダグダ考えているうちに届いちゃうぞ。日は沈む,日は沈む、時は急ぐ。愛しておやり、愛しておやり、愛しても、愛しても、愛しすぎることはない。

2022. 12. 11

☆☆☆いよいよクライマックスシリーズ☆☆☆
 今週からWANGANに最終回に復刻リリースとクライマックスの純粋経験が続くので、それに備えてあれこれ片付けながら静かにしている。冬と君とナマコと冷やし日本酒。ナマコを食べると「ローリング30」のあのジャケットが浮かび,拓郎の足元がナマコだらけだったという話を思い出す。「海へ帰る」が頭に流れ出す。雲の切れ間に明かりを探すみたいだ。
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2022. 12. 8

☆☆☆他にはなにひとつできなくていい☆☆☆
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 ここのところ毎朝毎夜の行き帰りこのユーミンにご挨拶している。拓郎がユーミンのベストにあげていた「守ってあげたい」。もちろん詞・曲・歌・演奏と何から何まで名曲だ。また島村英二先生のドラムがいいのだ。島ちゃん元気だろうけど、元気かなぁ。
 それにしても80年代前半、破竹の勢いで進撃していた吉田拓郎が「悩まなくていいのよ」とささやきかけるこの歌に救われていたというのは意外なハナシだった。「ミュージシャンは誰もみんなひとりぼっちなんです」と拓郎は話していたな。ひとりぼっちのうえにネットを開けばあーだ、こーだと口うるさいファンが…>おまえが言うか。いやファンはファンで孤独なものなのよ(爆)

2022. 12. 7

☆☆☆流れる☆☆☆
 「100分de名著」の「最終講義」の回は冒頭から寺田農による「下山」のくだりの朗読から始まり、また解説の斎藤環という先生がメチャ中井久夫に惚れこんでいるのがにじみ出ていて何だか嬉しくなった。

 例えば患者が速すぎる就職を希望した場合など、止めるかわりに「実験」としてやってもらう。それで失敗したらどうするか。

 かりに就職がうまくいかなくてすぐ辞めても「まだ早いか、君に合わないことがわかったから”実験は成功”だ」というわけです。


 現実はそう生易しいものではないのだろうが、そのように病気を「状態」ではなく寛解の可能性を含んだ「過程(プロセス)」だと捉える。過程という流れの中で心の自由を回復してゆくことだと記す。それは現場にいる人々には灯のようなものだったと解説の先生も語っておられた。これってさ、

  もぬけのカラでもいいじゃない
  人は流れるものだから
         (そうしなさい)
  流れてゆけ とどまらずに
  …流れて 流れて 遥かに流れて
          (車を降りた瞬間から)

 ほーら、もう吉田拓郎の歌のエッセンスそのものではないか(爆)。例によって勝手に読み込む不孝をお許しください。吉田拓郎も「状態」ではなく自由を求めて流れゆく「過程」なのである。
 結局、吉田拓郎がやってきたことは実験なのかもしれない。その大いなる実験たちに私たちはつきあってきた。あぁ、ごめんよ、私「たち」なんて勝手に巻き込むつもりはない、俺はつきあってきたのだと思う。結果は悲喜こもごも喜怒哀楽いろいろあったが実験としてはすべて成功してきたことになる。
 このリタイア≒エンディング≒アウトロも壮大な実験のひとつだと思ってしまおう。結果がどうなろうと実験は成功するのだ…そう思うと気分が少しだけアがる…たぶん一週間くらいは。
 そういえば本場のシュトーレンをいただいた。やっぱり12月はこれだ。さらに気分はUPした。
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2022. 12. 5

☆☆☆なだらかな坂を降りてゆく☆☆☆
 つまらない話の続きだが、山を下りる=下山という今年亡くなられた中井久夫さんの著書「最終講義」がどうしたって浮かぶ。

 「…回復は登山で言うと、山を登る時ではなく山を下りる時に似ています。」

 そして病とは必死で山を登って道に迷う時に似ているという。もちろん俺は精神医学などチンプンカンプンだが、それでもこの先生の書く文章はひとつひとつが心に響く。下山は治療であり寛解。それは「希望の処方」であるという言葉がわけわからずともしみる。
 マト外れだろうが、例えば「その人は坂を降りて」という歌を聴いて感じる清々しさは坂を降りるという寛解の歌だからではないかと思う。

 今月のNHKの「100分で名著」は中井久夫の「最終講義」だ。教えてくれてありがとう。専門家がド素人にわかるように解説してくれるというのが嬉しい。早速テキストも買った。なにもかもが高騰の折、この種のNHKのテキストだけはいつも安いのがありがたい。登山か下山か、中井先生、私にチカラを。今月というのが俺にはとてもタイムリーだ。

2022. 12. 4

☆☆☆友と汗をふき山に登れば☆☆☆
 勝手に冬の時代とか、氷河期とか言っているが、当然ながらあくまで俺の純個人的な当時の状況と超偏った感じ方にすぎず客観的な歴史の話ではない。人はそれぞれに違う。それでもわかってくれるレアな方がいらしたら嬉しいという気分で書いているだけだ。

 それにしても吉田拓郎ファンほどそれぞれの好みや思想が激しく異なるファン世界は珍しいとかねがね思ってきた。それぞれが一国一城の主の群雄割拠状態になっている。もちろん自分もヘタレだがその端くれだ。群雄割拠だからかつてはファン同士で戦国・戦乱の世もあった。他の歌手のファン界ではここまでの状態は寡聞にして知らない。

 前にも書いたが吉田拓郎は巨大な山なのだと思う。あまりに巨大すぎて登山ルートが異様にたくさんある山だ。フォーク、ロック、R&B、アイドル、ギタリスト、メロディメーカー、歌謡曲の作曲家、編曲家、詩人、プロデューサー、パーソナリティ、起業家、お茶の師範(あるのかよ)…いろんな山道があって、それぞれの道がまたいくつもの小径にわかれている。どの山道を登るか、どの道を選ぶかによって、観える景色がまったく違ってくる。同じ道でも人によって見ているものが違う。
 そのうえハイキング気分で登る人、景色を味わいながら登る人、ロッククライミングで命かけて登る人、ちょっと五合目まで登ってみるだけの人、いろいろだ。だから同じ山を登りながら一度も顔を合わせなかったり、交差してもまた違う山道に分れたりする。山道に迷うことも、霧や荒天で足止めされたりすることもしばしばある。総じて孤高な登山なのだ。

 俺は生まれてこの日まで俺の道しか見ていない。しかし歳とともにしみじみ思う。きっと道の数だけカッコイイ吉田拓郎の景色があるはずだ。かといって今さらどうできるものではない。5万回くらい引用した映画「ブレードランナー」のセリフ。

「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える航宙艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。」(ロイ・バッティ)

 すべては雨の中の涙なのか。そしていま思うのは、枯葉ごしにたどってゆく今後の山の道のことだ。まだ上に登る道が続いているのか、だったら峻険なここから先をどうやって登ればいいのか。それともこれから先の道は下山の道なのだろうか。登山の充足感を胸に下りの景色を楽しみながらゆっくり下山していくべきものか。どうなんだろうね。>知るか。
 

2022. 12. 3

☆☆☆迫るWANGAN☆☆☆
 師走が始まる。いよいよ12月14日が楽しみだ。しかしWANGANというとどうしても織田裕二を思い出す。彼が
  「ライブはスタジオで起きてるんじゃない!客席でやるもんだ!」
 とか脳内で叫び出したりしませんか?>しねぇよ。…なんてな。

2022. 12. 2

☆☆☆予測ということ☆☆☆
 予測外といえば、スペイン戦はah-びっくらこいた。俺は絶対に勝てないと思っていた。この勝利は、逆境、逆風の中でも全力で戦った方々、それを信じて魂の応援をした人々のものだ。特に三笘、堂安、田中碧と吉田家の喜びたるやいかばかりか。俺なんぞは輪の外から、恐れ入りました、おめでとうございますと言うより他ない。

 話は戻って…いや全てが周到に繋がっているつもりなのだが、94〜95の等身大の吉田拓郎廻りのことを、このサイトでは勝手に”氷河期”,”冬の時代”と呼んできた。すまんな。しかし中島みゆきもこの時の拓郎の姿を観て,ただれるような思いで「永遠の嘘をついてくれ」を書いたに違いない。そんな時代を経たからこそラジオの「club25」やアルバム「Long time no see」「感度良好波高し」という作品には格別な思いがある。
 氷河期、冬の時代とこっちは思っていたが、そんなことつゆも関係なく等身大の吉田拓郎はひとりの音楽家としてバハマに渡り、真摯に音楽を作り上げた。ツアーパンフに垣間見える「ボロボロになって蘇生しようとしているようだ」という常富Dの言葉が忘れられない。
 そうして届いたのは心にしみいる涼やかな風が吹いてくるようなアルバムだった。"やがて今日も移ろうけれど時に逆らわず君の名を呼ぶ"…なんという名フレーズ。これまで拓郎がアルバムを出す度に「新生吉田拓郎」的な宣伝文句が付されてきたが、このアルバムこそそれがふさわしいと思った。物静かで,愛おしく,それでいて新しかった。

 こんなふうに「Long time no see」「感度良好波高し」とそれを抱えてのコンサートツアーを迎えた時の気分は独特のものがあった。うまく説明できないんだけどさ、ちょうど"ah-面白かった"の一節。

  〜あなたがそっと心を寄せたドアの灯りが見えた
  〜旅立つ駅に遅れた私を笑顔で待ってた

 「Long time no see」「Club25」から始まる2年間はそんなフレーズがピッタリの気分だ。母を歌ったというこの歌の趣旨からは全くハズレているんだろうだが、こんなともしび気分で我が心の冬は春になり,氷河は溶けていった。

 で、その路線を静かに進むのかと思いきや「LOVELOVE」という黒船来航で、また疾風怒濤の90年代は展開してゆくわけでありんす。

2022. 12. 1

☆☆☆12月の旅人よ☆☆☆
 85年の撤退の時の重たい気分は忘れられないが、94〜95年の初期「Club25」あたりのフェイドアウトな空気も切なかった。
 コンサートツアーもなく、アルバムも出ず、大きすぎる眼鏡ばかりが印象に残るレギュラー”地球ZIGZAG”も終わり、さらには宇田川オフィスも辞めて仕事の依頼は逗子の自宅のファックスで直請していると語っていた吉田拓郎。撤退や引退以前に「自然終了」という感じが漂っていた。熱狂の日々は去り、穏やかな日常を語る拓郎はとても等身大で、それはそれで素敵だったが、俺は今吉田拓郎の静かな終焉に立ち会っているのかもしれないと思うと淋しくもあった。
 それは俺だけの思い込みではなく、後に知り合った拓郎ファンのねぇさんも同じの気持を語っていた。「CLUB25を聴きながら、ああ拓郎はこうやって終わってゆくんだと思ったわ。」「やがてお客さんもまばらなライブハウスに時々フラッと出てきて歌うようになるの。そこからがアタシの出番だと待ってたね。」…拓郎ファンの愛と業の深さを感じたものだ。…お元気かなぁ。

 しかし幸か不幸か、俺やねーさんの予想というか妄想は大ハズレ、等身大だった吉田拓郎は、再び巨大化し進撃を始める。いろんな壁を撃破して進み続けた。かくして客のまばらなライブハウスどころではなく、最後まで全公演大ホール即完売。チケット入手のために最後まで死闘を繰り広げなくてはならないファン人生が待っていたのだった。
 そしてそのライブも終わったのかと思ったら、前代未聞の無観客ライブが今月届くのだ。諸人こぞりて迎えまつれ。主は来ませり。つくづく予想のつかない旅路であった。
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2022. 11. 30

☆☆☆in1985☆☆☆
 1985年という年は,つま恋を最後に吉田拓郎が引退するという重苦しい空気が立ち込めていた。それにそれまでの数年のスキャンダラスな自堕落路線の拓郎のことも好きじゃなかった。'83,'84,'85とアタシの人生暗かった。
 でも、今"IYYの国立競技場"とか"つま恋'85"の映像を観るとメチャメチャカッコイイな。オーラが溢れてとまらなくなっちやってる感じだ。歴史的にIYYはオフコースと吉田拓郎の共演という史実になっているが、オフコースはもう完全に拓郎のバックバンドにしか見えない。愛奴とかトランザムみたいな感じ。>そろそろ怒られるぞ。
 とにかく「艶」全開だ。今頃と言われるかもしれないが…そうリアルタイムの時はいろんな煩悩が災いしてようやく今頃なんだよ。オイラの走馬灯は回りながらゆっくりと更新してゆくようなんだよ。

2022. 11. 29

☆☆☆カーテン☆☆☆
 昨日の"泣いてばかりの事にカーテンおろし(素敵なのは夜)"は"泣いてばかりの「恋」にカーテンおろし"の間違いだと教えてもらった。あららら、ありがとう、訂正します。
 カーテンといえばエレック時代にボーナス10万円を貰ってそれをカーテンレールに10枚ズラッと吊るして使っていったという話。最後の1枚を都民銀行に預金したという事も含めてしみじみと好きなのだぁ。俺も独り暮らしを始めた時、やったよ。やった人ってぜってーいるよね? 俺の場合千円札だったけどさ。残りはちゃんと近所の静清信用金庫に預けたものよ。

2022. 11. 28

☆☆☆だけどだけどオイラは幸福さ☆☆☆

…オトナって嫌ね(爆)。老獪だわ。いや俺がいい歳してガキなのか。確かに「シン・ウルトラマン」の話はもういいのだが、その映画評の中で結構胸にしみた一節があった。

「オタクが死ぬ前に観る走馬灯映画。爺ちゃん、死ぬ前にコレを観たかったんだっ〜て思って老害たちの涙を許してほしい。」 (山田玲司・ヤングサンデー 2022.6.9)

 お見事。それはそのとおりだ。しかしウルトラマンではなく、こっちの世界のオイラはどうなのか。同じような事なのか。いや最後の走馬灯ではなく、ささやかなれど明日につながる何かではないかと信じていたいとも思う。

 で、昨日ニトリに行ったら、どこかの505の中年夫婦が「カーテンを替えないと」と話しているのが耳に入つた。…そうなるともう勝手に頭が走馬灯になっちゃうわけだ。
 ということで久々に思い出した
あなたに捧げるベスト5
 (20) 今日のお題 ニトリの小さな幸福ベスト5
 
@カーテン
 カーテンをそろそろ替えようよ(もうすぐ帰るよ)
 チェックのカーテンごしに(金曜日の朝)
 アネモネ色のカーテン(ソファーのくぼみ)
 緑色のカーテンの隙間から(カハラ)
 君の住む部屋のカーテンは(情熱)
 レースのカーテンに,あの人の影が映ったら(やさしい悪魔)
 泣いてばかりの事にカーテンおろし(素敵なのは夜)

Aベッド
 ベッドのそばの(もうすぐ帰るよ)
 でなけりゃ安いベッドで(からっ風のブルース)
 ひとりの部屋さベッドと僕(僕一人)
 君はまだベッドの中で(ありふれた街に雪が降る)
 ベッドの横にゆうべの女(すぅい−とる−む ばらっど)

B照明
 部屋の灯りをすっかり消して(旅の宿)
 部屋の灯りを消すのは(素敵なのは夜)
 明かりを消して眠るよ(すぅいーとるーむばらっど)
 あなたがそっと心を寄せたドアの灯りがみえた(ah-面白かった)

Cソファー
 あなたのつけた(ソファーのくぼみ)
 見慣れた部屋は茶色のソファー(すぅい−とる−む ばらっど)

C椅子
 客さえまばらなテーブルの椅子(外は白い雪の夜)
 陽の当たる椅子、湯飲みがひとつ(ハートブレイク・マンション)

 ということで、とりあえずカーテン売場、第1位です。おめでとうございます!

2022. 11. 27

☆☆☆人にはそれぞれの生き方があるさ☆☆☆
 (できれば山本耕史の節で)…そうですか,「シン・ウルトラマン」はダメでしたか。私は冒頭から最初の30分が特に面白かったのだが人はそれぞれですね。ダメだと思えば途中でも視聴を止める。潔い。
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 あ,30分じゃそこまで観てないですか。

 さてWANGANのトレイラーを何度も観なおしてしまう。「Contrast」のストリングスが、もう泣けとばかりにヤバそうだ…あまり先入観と思い入れを持たないようにしないと。すべては初めて観る時の純粋経験こそが大事だね。詮無いことだが何度トレイラーを観ても「Hey!You!なんでこのままツアーに出ないの?」と言いたくる気持ちを抑えるの苦労する。幾度も君に伝えたがすれ違うように時は行く。

 ということで気分を変えよう。あの写真がB2サイズのポスター特典となるというので、それを入れる額というかポスターフレームとかいうやつをニトリに買いに行った。もともとどうでもいい話だが、さらにどうてもいい話につづく。

2022. 11. 26

☆☆☆「最後」という名の神隠し☆☆☆
 エイベックスの公式にWANGANの映像トレイラーが出ている。ああ、立っている、動いている、演奏している。観客以外のすべてがある。実写版「ah-面白かった」だ。ブラスとストリングスが際立って聴こえる。ボーカルに入る直前の寸止めで「不在の吉田拓郎」がまたいろいろこちらの気持を掻き立る。

 話は違うが最近のニュースで、宮崎駿の新作映画「君たちはどう生きるか」が完成間近で主題歌のレコーディングも完了したそうだ。宮崎映画は門外漢だが、引退作と宣されていたので前作「風立ちぬ」は観に行った。やりたいことはやった、あとは自由にしたいという宮崎監督の引退会見も観た。にもかかわらずの今回の新作だ。何度目かになる引退宣言のさらなる撤回について質問された宮崎駿は
    「だって、作りたかったから」
と答えた。ひょえ〜。
 「だって、作りたかったから」…これは最強。魂の言葉だ。他方「引退って言っただろ」「話が違うじゃないか」というのはモラルの言葉だ。モラルの言葉が魂の言葉に勝てるわけがない。勝ってはならないのだよコペルくん。

 この宮崎駿の話を書いたのは断じて吉田拓郎と比べたり、拓郎になぞらえたり、拓郎もそうしてほしいという意味からでない。嘘だ。それしかねぇよ。魂はそんな簡単に消えるものではない。

 その昔に"約束なんて破られるから美しい"なんて罪作りな詞を書いた人である。しかしファンとの約束は、やるかやらないか、歌うか歌わないか。リタイアするかしないかという浅いレベルではなく、もっと深い部分で交わされたものだと思う。

 とはいえもしそうなったら俺はモラルの言葉で思い切り「嘘つき」「引退って言ったろ」とか全力で悪態はつくけれど(爆)。

2022. 11. 25

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☆☆☆とんとん表紙ではなかったが☆☆☆
 今年の7月31日の日記で俺は「ah-面白かった」がリリースされ「LOVELOVEあいしてる卒業スペシャル」が放送される時期にもかかわらず、書店に行っても吉田拓郎を表紙にした雑誌がないと嘆いた。拓郎が表紙になんかなるわけないと言うのは正論かもしれないが。
 「表紙」というと亡くなったライターのこすぎじゅんいちさんの文章で、拓郎が、音楽雑誌を作りたい、その表紙になることが誇りとなるような雑誌を作りたい…と語っていたというエピソードを拾っていた。それが忘れられない。だから雑誌の表紙には、なるわけがあろうとなかろうと俺だけの思い入れがあるのだ。

 ということで唐突に「表紙」が出た。「ビックコミック」だが、いい。堂々たる2022年の拓郎とその言葉が表紙を飾る。感無量である。ああ、こうして日本中の書店を回りたい。しばらく店内で立ち尽くして眺めていた。そんな俺の背後に立つな。いみふ。
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2022. 11. 24

☆☆☆ワールドカップの夢☆☆☆
 にわかもいいところだけどワールドカップは凄かったね。燃えたわ。門外漢なんだけど拓郎のラジオのおかげで、三苫、堂安、南野とかみんな昔からの知り合いみたいな気分で観ることができた。イイところがさっぱりなかったこの国の老若男女を元気づけてくれた。他方ドイツは無念だろうが。現地ドイツ渡独中の知り合いによると、試合の前はレーベ(スーパー)に行ったらこういうのが配られるくらい盛り上がっていたようだ。こんな結果になって渡独中の日本人は大丈夫だろうかと思ったら…無事らしい。あぁ君の夢を大切にして、君の中で大切にして。
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2022. 11. 23

☆☆☆旅するソングライター☆☆☆

 STEP1で、中島みゆきと並んでお世話になるのが浜田省吾だ。「さよならに口づけ」(君が人生の時)という作品がある。
 
  ドラム叩ける仕事見つけたんだ
  2度とキャンパスへは戻らないつもり

 ここで吉田拓郎と浜田省吾という2つの人生がシンクロする。これぞ男の交差点か。それにしても「ドラム叩ける仕事見つけた」。ここがイイんだ。"ミュージシャンになる"とか"音楽の世界に旅立つ"とかではなく「ドラム叩ける仕事」というところだ。
 かつて高倉健がインタビューで"あなたにとって役者とは?"と聞かれて「仕事(なりわい)。以上。」と答えたこと、ザラブ星人が"なぜ地球を滅ぼそうとする?"と聞かれて「それが私の仕事だからだ」と答えたのと通じる。いや健さんはともかくザラブは違うんじゃね。

 そして後に浜省は"DARKNESS IN THE HEART"という作品で父の死を追想しながら

  走り始めた1974年〜

 と自分のキャリアの起点が吉田拓郎のコンサートツアーに置いていることを静かに宣言する。

 ツアーといえば呪われたように浜省のツアーに行っていたことがあった。最初は、さるお方のシーズン・オフという失礼な動機だったのだが、そのうちに観に行かずにはいてもたってもいられなくなっていた。
 拓郎が始めたコンサートツアーというツールをしっかりと継承しながら、独自の発展したものすごいオン・ザ・ロードを創り上げていった。サウンド、ビジュアル、構成、規模とか外構的なものだけでなく、なんというか関わる人々の心技体の凄さが部外者の俺にもヒシヒシと伝わってきた。俺は常に吉田拓郎のツアーが超絶不動の第1位なのだが、それでもコンサートツアーとしての客観的な最高峰はこの浜省のツアーだと思った。まさに中島みゆきの歌のとおり「倶に走り、走り継いだ」感が強い。

 名曲は数あれど今最高に好きなのが「マグノリアの小径」。拓郎節とはまた違った世界からやってくる浜省節が俺をとらえて離さない。トスカーナには行けないので、せめてトスカーナ総本店のミートソースのっけ麺を食べに行きたい。>そういうオチはいらないから。
 渡航中の知人からパリの毛糸屋さんの写真が送ってきた。毛糸にも手芸にも興味はないが、この広がる世界を感じて、出不精ながら、ああ外国に行きてぇ〜と切に思った。
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2022. 11. 22

☆☆☆ファンとしての峡谷☆☆☆
 昨日の日記で書いたSTEP1として日々聴いているのが中島みゆきの新曲「倶(とも)に」。まだリリースされていないがドラマの主題歌なので録画を繰り返し聴いている。イイ。凄くイイ。主題歌はいいのだが、すまん。ドラマとしてはこれよりも次の時間帯のドラマ「エルピス」にのめりこんでいる。長澤まさみがいつ巨大化するかハラハラしながら観ている>それは違う映画だろ。

 手すりのない橋を全力で走る
 怖いのは足元の深い峡谷を見るせいだ
 透きとおった道を全力で走る
 硝子かも氷かも 疑いが足をすくませる
 
 凄絶な中島みゆきワールドにいきなり引き込まれる。本当に足元がすくんでくる。
 
  倶に 走りだそう
  倶に 走り継ごう
  過ぎた日々の峡谷を のぞき込むヒマはもうない

 時間のない切迫した中に「走り継ごう」と大切な誰かに語りかける。その誰かとの距離が切ない。

  生きる 互いの気配が ただひとつだけの灯火
  ……
  君は走っている ぜったい走ってる
  確かめる術もない 遠い遠い距離の彼方で
  独りずつ 独りずつ
  僕達は 全力で共鳴する

 遠く離れて「気配」だけで支え合う二人。どこかでかすかに軋む船として感じ合う、あのみゆきの歌を思い出す。これはアレだ、何の根拠もないイカレタ俺の思い入れだが、間もなく「吉田拓郎」を失ってしまう、少なくとも失うくらい遠く隔たってしまうことになる、中島みゆきと私の歌だ。…なんでオマエが入ってるんだ。いや言葉を変えよう吉田拓郎を失って手すりのない深い峡谷をひとり渡らなくてはならないすべての人の歌なのだ。だからこそこのフレーズに涙ぐむ。

   風前の灯火だとしても 
   消えるまできっちり点(とも)っていたい  

 このフレーズが小さな勇気をくれる。かくして吉田拓郎の不在が心にハガネをいれてくれるのだ。同志よ、手すりのない橋を全力で倶に走りだそう、倶に走り継ごう。…そういうガラにもない気分にさせてくれる。

2022. 11. 21

☆☆☆人生は修復ステップ☆☆☆
 ファンとか言いながら吉田拓郎に対してムカついたり超絶不満を感じたりすることがたまにある。すまん、たまにじゃない結構ある。怒りん坊なのかな、俺、そんなことってあるだろう君たちだって…いや、大多数の拓郎ファンはそこまでの負の感情はあまり抱かないらしい(当サイト調べ)。当たり前か、ファンだもんね。それに、そんなに不満ならファンなんか辞めればいいじゃんというごもっともな意見もある。まず拓郎本人が真っ先にそう言いそうだ。しかしそうは簡単にいかない性なのよ。
 ドイツで活躍するプロのバレリーナの女の娘は、これまで何度ももう辞めようという厳しい壁を乗り超えてきたという。その時のモチベーションは「踊りが好き」「夢をあきらめない」とかいう美しいものではなく「ここまでやったから今さらもったいないし」ということだったそうだ(爆)。確かに。俺にしてみれば50年間も続けてきたことって他にあるか。ない。仕事だって家庭だってその半分くらいだ。今さらその半世紀のファンを辞めて、さだまさしのファンになるってもったいない。もったいない…十分すぎる理由ではないか。

 ともかく拓郎にムカつきながらもファンを辞める覚悟もない。そういう中途半端な俺は「拓郎なんか嫌いだ」という気持ちになった時、その荒んだ心根をどう処理するかという問題にブチ当たる。どうするかといっても、別に義務でも仕事でもないし、相手も何とも思っていない(爆)ので自然の流れにまかせるしかないのだが、今までどうやって心を戻してきたのかをあらためて考えてみた。いわば拓郎が大嫌いになった時の修復のSTEPだ。あくまで一個人の場合だ、マネしても効果はないと思う>誰もマネしねぇよ。

STEP0 聴かない、観ない、歌わない
 とりあえずそういう時は、聴かない、観ない、歌わない…何事も対象物から距離と時間をとることが大切だ。中井久夫先生も河合隼雄先生もそう言っておられた。歌わない…はカラオケね。

STEP1 他の歌手を聴く。
 そうすると音楽のない生活が淋しくなる。他の歌手の音楽を聴く。といっても拓バカなので他の音楽には不案内だ。結局、個人的には、浜田省吾、中島みゆき、大瀧詠一など洋楽ならローリング・ストーンズ、ボブ・ディランあたり…別世界ながら拓郎との関係が細くとも繋がっているシンガーになる。
 他には最近ではコンピレーション・アルバムというのも効果がある。例えば「松本隆作詞作品集」のようなオムニバスで、吉田拓郎の歌がハブられていて普段だったら「なんで拓郎の曲がねぇんだよ!」と怒りたくなるヤツ。
 なぜなら、総じて他人の音楽を聴きながら、別世界の音楽なのに、なんとなく拓郎のことがチラチラと頭に浮かび、「吉田拓郎の不在」というものが、静かに心に広がってくるようになるからだと思う。この世には「吉田拓郎の歌」と「それ以外の歌」の2種類しかないという真実が浮かび上がってくる>別に真実じゃねーだろ

STEP2 エピソードにふれる。
 拓郎の不在が心にしみてきたら、ここらで吉田拓郎をめぐる感動的なエピソードにふれてみる。それは人それぞれだが例えば最近弱いのは…
 @喜多條忠の「メランコリー誕生秘話」
  松本隆の代役だと失礼な作詞依頼とそのあとの新幹線の電話の話。泣く。
 A宮下舞監がツアーで譜面を忘れた時の吉田拓郎(田家秀樹「吉田拓郎 終わりなき日々」P.276)。
 これも泣ける。こんなことされたら拓郎さんに一生ついてゆこうと思う。
 B佳代さんのために終の棲家の逗子を引き払い東京に再移転する話(ラジオでナイト)。
   すげぇ!凄いぞ拓郎とラジオの前で思わず唸った。
 C「すばらしき仲間U」で拓郎が新幹線に乗る時に乳児を抱えた女性を先に行かせてあげるところ
 …んまぁ、とにかく他にも星の数ほどあるだろう。あれぇ、ムカついてたけど、やっぱりこの人すげーいい人かもしれないという気持ちを新たにするのだ。

STEP3  提供曲を愛でる。
 ということで、いい人かもしれないと思ったら、他の歌手を通して吉田拓郎のメロディにふれなおしてみる。風の街、水無し川、明日の前に、歌ってよ夕陽の歌を(以上75年提供曲四天王と呼ぶ…あーいつか街で会ったならもあった…五大明王でどうだ)、キャンディーズ、石野真子、ああテレサ野田の濡れた歌謡祭、ハート通信ヒュルルル、最近では「ステラ」と林部智史の「この街」と大野真澄の「ダンディ」なんかがお気に入りだ。ともかく広大深遠な提供曲の海だ。聴きでがある。ああ、やっぱり拓郎のメロディはええなぁ。拓郎が海なら私は魚、海の国境を超えてゆくファイト!みたいに気分が少しずつ上がってくる。

STEP4 不滅のインストゥルメンタルに悶絶する
 さぁここまで来たらもうすぐだ。とはいえ悔しいのでまだいきなり拓郎の本人歌唱を聴いたりしない。ここで例の「避暑地の恋(パーシー・フェイス・オーケストラ)」「今日までそして明日から(「メロディー拓郎」)」「星を求めて(ビリー・ヴォーン)」「Hawaiian Sunrise Sunset (Hawaiian Rhapsody)」などを聴く。この寸止め感。なんかうずうずして悶絶してくるインストたちである。ああライブが観たい、死ぬほど観たい、ああボーカルが聴きたい、打ちのめされたい、あの立ち姿が観たいっ、ああ、やっぱり、さだまさしなんかじゃ満足できねぇっ!と心の底から渇望が湧く。 

STEP5 共演ライブを聴いて同志の気分で許す
 ここまで来たらOK松任谷。ライブを聴こう、観よう。例えば篠島の「ああ青春」…♪ああ青春は〜で地下鉄だろうが仕事場だろうが街角だろう両手を上げてしまう。つま恋2006の「シンシア」、名古屋の「私の足音」「純」「今夜も君をこの胸に」…枚挙に暇がない。
 これらのライブは、いわば拓郎と俺のコラボ作品だ。コラボ…って言ったって、ただ客席にいただけだが、ライブは客席とのコラボだ、客のグルーヴで作り上げあげるものだと拓郎も言っていたではないか。…それをコロナだからって無観客でやりやがって!とムカついてきたら、またSTEP0に戻ろう(爆)。一緒の景色を共有したあの熱いライブの時間たちを思い出して、いろいろ文句はあったけれど、俺と一緒にこうしてコラボしたヤツなんだと思うと、なんかほっこりと許せる気分になってくる(爆)。

…こうして静かな寛解に至ることが多い。

STEP LAST お祭りにまぎれる
 それでもなんかまだ気おくれしてしまう時は、お祭りのどさくさに紛れてしまうのもいい。12月14日のDVD発売、21日の「今はまだ人生を語らず」完全版の出来、めでたい盛り上がりの中で、おお、すげー、やっぱりすげーと大騒ぎしながら、いつのまにか熱烈な拓郎ファンの隊列に戻っているというのもアリだ。

 「禍福は糾える縄のごとし…幸せだけでよられてる縄はない」という向田邦子理論を思い出しつつ、愛と憎しみで拠られた心のロープを投げながら、この終わりそうで終わらない海路をまいりましょう。
 

2022. 11. 19

☆☆☆生きてみること☆☆☆
 なんだかんだと拓郎に悪態をつきながら、ああ昔もこうだったなと思う。わが青春の80年代、特に前半は、雑誌「昭和40年男」の目次のようなニューミュージックの主流=歌う敵たちに激しくムカつきながら、ひるがえって吉田拓郎に対してもあれこれ文句と不満を抱いていたものだ。例えばメッセージ性が希薄になってきた作品やライブでの選曲やラジオでのファンへの言動、そしてスキャンダルに身をやつす姿も含めていろいろ苛立っていた。
 吉田拓郎の素晴らしいところをいくらでもあげられるが、同時に悪態も同じくらいつけるというのが呪われた一部のファンの業だ。 拓郎も気の毒…いやそれは拓郎さん自身の問題だ。俺はファンのはしくれかもしれないが翼賛会ではない。

 それにしても今もこうして先日のラジオでムカついていて我ながら進歩がない。しかし、少しだけわかったこともある。80年代の前半に、堕落した曲と忌み嫌っていた「I’m In Love」や「今夜も君をこの胸に」などの作品群が、今になって自分の中ではしみじみと輝きを放ち胸を打つ。俺の感性の鈍さもあろうが、あのときの拓郎と作品を堕落と感じた気持ちも間違ってはいないと思う。
 かつて高校時代に古文を習った高橋師の言葉を思い出す。「物の善悪を論じているとき人間は成長が止まっている。成長すれば見方は変わる。断じずに生きてみよ。」…なるほど生きてみるもんである。高橋師、先生はこういうことを言いたかったんですね。>いや多分違うって。
 先日のラジオでひとつだけ良かったのは…ひとつだけかよ…これからのことなんて「生きてみなけりゃ、やってみなけりゃわからない」という言葉だ。それはとても御意。悪態はついても、それはこれから生きてみて変じていく流れの途中だ。
 ということでいろいろ思うのだが「生きていなけりゃ」・・・FromTのデモ・バージョンで聴く。このすばらしい魂のギター、これだけのギターが弾けるんだから・・・とまたよくないループに入りそうなので今日はやめとく。

2022. 11. 18

☆☆☆元気が出ない2☆☆☆
 前回のラジオでもうひとつ辛かったのは泉谷の話だ。「ワガママ」論争とでもいうべきか。

 もちろんフォーライフでの吉田拓郎の粉骨砕身ぶりは一ファンから観ても凄いなんてものじゃなかった。確かにアーティストを発掘し育ててフォーライフ=音楽界を変えようと尽力していたのは拓郎ひとりだけだった。川村ゆうこ、原田真二だけでなく高橋真梨子を獲得しようとしていた話も最近知った。「再建」というとカッコイイが、要は泥かぶりで、人員整理で仲間を解雇したり、レコード業界のたぶんヒヒ親爺たちにも頭を下げたりすることまで耐え忍ばなくてはならなかった。自分の音楽活動を犠牲にしてそこまで奮闘した拓郎の偉業はいくら讃えても讃えきれない。ファンとして誇りに思うし、拓郎がワガママではないのは魂の底からわかる。少なくともフォーライフに関しては(爆)。

 他方、泉谷は脱退後あんまりフォーライフのことを語らなかった(と思う)が、ちょうど拓郎が「眠れない夜」をカバーした1988年頃に「わが奔走」という自叙伝でフォーライフのことを結構詳しく語り始めた。そこで「俺を最後まで引き留めてくれたのは拓郎だけだったよ」と述懐した。その後も泉谷はフォーライフの話になると必ず「最後まで引き留めてくれた拓郎」に謝意を語りつづけたし、最近では「フォーライフとは吉田拓郎という天才の仕事だった」(NHKごごナマ)とまで語った。泉谷の話を聞くたびに拓郎への深い深い敬愛がひしひしと伝わってきた。同時に勝手な邪推ですまんが、拓郎を残して脱退したことについての泉谷の悔恨のようなものも感じた。泉谷はん苦しんではる、きっと苦しんではるのや…なぜか関西弁でいつも思っていた。

 そこに喧嘩とか訣別があろうとも、それを超えた友情のあることが他人事ながら心の底から素敵に思えたし嬉しかった。だから二人の素敵な関係のまま夢を見せてつづけて欲しいと勝手ながら思う。って、ここまで書いていて、たぶん泉谷の気持ちを拓郎もきっとわかっているに違いないって気がしてきた。だいじょぶだな。

 ただ、俺が気に入らなかったのは、拓郎がKinkikidsをひきあいに出したことだ。Kinkiは俺のことわかってくれている。そりゃあKinkiと拓郎の絆がいかに素晴らしいものであっても、それと泉谷のことは別だ。Kinkiを引き合いにマウントとろうとするなんざぁ普通にそこらにいるイヤなジジイと同じじゃないかと俺は残念に思った。すまん、最後だから言っとかないと。

 ここのところ日記のオチが良くないな。すまん。いただいたドイツの写真で気分をあげる。曇天にも虹はかかるのだな。
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2022. 11. 17

☆☆☆元気が出ない☆☆☆
 吉田拓郎の文字に釣られて雑誌「昭和40年代男・俺たちニューミュージック世代」を買う。この敵味方入り乱れる目次が、わが青春の80年代そのものだ。表紙もトップ記事も「アリス」で、最後の総括は「富澤一誠」ときたもんだ。俺にとっては極北にある試練のような記事たち。あの頃もそうだったように、そんな記事たちの中を、目を皿のようにして吉田拓郎の記事や言葉を探す。
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 きくち伸のLOVELOVEの話はやっぱり素敵だったし、篠島レポートは何十年経っても胸アツ、瀬尾一三のインタビューも、古くからの客人山本隆士の回想なども読めて良かった。まだまだいい記事がありそうだ。
 しかしそれ以外は全体に温故知新…古きをたずねて新しきを知るの反対、古きをたずねて居心地よく古きになってしまう甘美な空気に満ちている気がしてならない。まさに「兵(つわもの)どもが夢の跡」という感じだ。「つわもの」といえば、

  古き時代のつわものどもが
  生きる術など教えにやってくる
  明日は今よりも 死せる時なんだと
  いずれは元の闇の中へ
  答えもなく消え去るのみ
  恥ずかしさをこらえられるか
          (流れる:吉田拓郎)

 いいな、さすが吉田さん昔から慧眼だ。リタイアしようとも決して古いつわものたちの世界に安住したりはしない…と思いながらも、前回のラジオの弾き語り…ありゃ何だよと思い返して悶絶する。
 すまん。たかが個人の感想だけどさ、久々にダメな拓郎を観た気がする。どこがダメかというととにかく全部ダメ。弾き語りは嫌いだ〜どうせ君らの好きな「祭りのあと」なんかやらないとファンにネチネチ言うのもダメだし、それでいて自分が歌うのは「青春の詩」「もう寝ます」という超絶フォークな選曲なのもダメだ。歌にもギターにも「魂が入っとらん」かぁぁぁぁダメだ。
 名曲「金曜日の朝」を歌ってくれるなら…フルコースを渾身で歌っておくれよ。例えばR&Bをギター一本でかまして「なるほど拓郎はフォークソングではありませんでした、ごめんなさい」と全国の若者を含めたリスナーを唸らせておくれ。
 もし弾き語りが嫌いなら、それこそあの広いスタジオでセッションすればいいのに。辻説法じゃないんだから音楽で語ってくれよ。
 ということでどうもあの放送以来、気勢があがらない。俺の気勢などどうでもいいが。これがいよいよ迫ってきた最後というものなのか。それともたまたまこの時だけのことなのか。ああこれも風邪のせいならいいんだけどさ。

2022. 11. 16

☆☆☆ボジョレー☆☆☆
 いよいよボジョレー・ヌーボーだ。ワインに目がないので普段から「赤ならメルロー白ならソーヴィニヨンブランだぞ」「ハワイだからジンファンデルがあるならおすすめです」とかワインのことばかり考えている。嘘だ。昔の"拓つぶ"からコピペしただけだ。"すあま"みたいに赤と白がある以外なーんもわからん。しかし皆で酒飲もうぜというウェーイな雰囲気には便乗することにしている。ということでワインといっても何を飲んだらいいのかわからないので吉田拓郎の歌から探ってみる。

 ということでウザいだけだったようなので静かにひっそりと再開する。
結局私が私に捧げるベスト5
(17) 今日のお題 ボジョレーに飲むのはこれだ!ベスト5
 
第5位 退屈が誘う夕暮れに淋しさをうるおすワイン(君が好き)
 ☆彡悪いが岡本おさみが飲むワインって…メルシャンか赤玉ポートワインな気がする。
第4位 恋が好きな女が頬を染めるワイン(乱行)
 ☆彡フォーライフ社長がバブリーにふるまう高級年代物のイメージがある
第3位 溶けてすべてが楽になるOh Seven Wines(七つの夜と七つの酒)
 ☆彡正気のカケラのオン・ザ・ロックスはウイスキーじゃないか、ワインとの関係はどうなんだ
第2位 おどけた顔で君がすすめるワイン(Woo Baby)
 ☆彡ダイエー碑文谷店の洋酒売場の匂いがする
第1位 花びら浮かべたバラ色ぶどう酒(やさしい悪魔)
☆彡「ぶどう酒」というウッカリするとダサさくなりそうなフレーズが蘭ちゃんによってとてもオサレな響きになっている。ということでこれが第一位。ふるえる小指がそう教えるの。

  ということでご参考まで>1ミリも参考にならねぇよ!
 

2022. 11. 15

☆☆☆時はためらいもなく夕映えに燃えて☆☆☆
 映画監督大森一樹の訃報だ。大学生の時、映画「ヒポクラテスたち」が大好きで何十回観たことか。不肖、星紀行にとって青春の好き過ぎる映画だった。古尾谷雅人をはじめとする医学生たちがもう魅力的だった。古尾谷雅人も阿藤海も斉藤洋介も亡くなってしまった。何回も観たので、前にも書いたかも知れないが、劇中の医学生の少年の部屋に飾られている「ぷらいべえと」のジャケットを見逃すはずがない。

 その後、映画「継承盃」を撮って吉田拓郎の「夕映え」が主題歌になったりするのだが、名曲「夕映え」がちょっとかわいそうになるくらい残念な映画だった。個人の感想です。いや、しかし「恋する女たち」とか「平成ゴジラシリーズ」とか名作はたくさんある。
 
 ゴジラ映画を撮った時、対談番組Ryu’s Barで、村上龍が「ゴジラの細胞ってやっぱり大きいんですかね?」と尋ねたら「細胞はみんな同じ。大きかったらスカスカになっちゃうじゃん(笑)。案外、物知らないね。」とツッコミ入れていたのがおかしかった。

 お疲れ様でした。今夜は深酒でもしながらDVDで「ヒポクラテスたち」を観なおします。
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2022. 11. 14

☆☆☆秘蔵と蔵出の間を行ったり来たりさすらっても☆☆☆
 「貴重で有意義なバンドとのセッション〜俺はこのために生まれてきたんだと思う」という男を観るために俺もこの世に生まれてきたのよ(爆)。
 セッションといえば、何十回でもいうが、つま恋’75の2ndステージ松任谷グループの演奏は実にすんばらしい。どの曲もまどらかなキーボードの音色に抱擁されるようにつつまれている。この温もり。「ともだち〜シンシア」このあたりをわだかまりの無い音で聴かせてほしい。
 そして何百回でも言うが、第3rdステージで迎え撃つ瀬尾一三オーケストラの豪華さ。「たどり着いたらいつも雨降り」「ルームライト」「明日の前に」このあたりをできるだけクリアな音で聴きたい。
 現地に行っていない俺が申し訳ないが、75年のつま恋の素晴らしさは、この松任谷と瀬尾のガチンコだと思っている。

 秘蔵と蔵出しの間を行きつ戻りつしている場合ではなく、もはやこの世界のすべてに対して捧げられるべきものではないかと思う。そのくらいの貴重な名演奏たちってこと。

2022. 11. 13

☆☆☆ねずみ花火がほしいんです☆☆☆
 時間が経って心にしみてきたのは進徳女子高生の夜の帰り道を送ってゆく話。拓郎が自転車に学生鞄を乗せてあげて彼女の歩調に合わせてゆっくりと漕いでゆく。二人乗りじゃないところがまたイイ。
「お兄さん、今度東京に行っちゃうんでしょ、音楽に挑戦するってお母様(先生)が言ってました。応援しています。」
…その方はそれからどんな思いで現在までの吉田拓郎の旅路を観てきたんだろうね。私らファンとはまた違った感慨でお兄さんのことを応援しているんだろうな。

 拓郎のフリートークは、現在から過去、過去から未来と次から次へといろんな話が自由に飛んでゆく。今回も自由だったな。聴いている方もあちこち縦横無尽に飛ばされる。そういう幸福。

 聴きながら向田邦子の「ねずみ花火」という大好きな随筆の一節を思い出す。
「思い出というものはねずみ花火のようなもので、いったん火をつけると、不意に足許で小さく火を吹き上げ、思いもかけないところへ飛んでいって爆ぜ、人をびっくりさせる。(向田邦子「ねずみ花火」文春文庫)」

2022. 11. 12

オールナイトニッポンゴールド  第32回 2022.11.11
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 吉田拓郎です。毎週金曜日は週替わりのパーソナリティでお送りしていますが今週は吉田拓郎です。
  
 さて今夜は冒頭から凄いです。びっくりニュース。まず一通の手紙とプレゼントが届きました。ある女性から。達筆だね。

 吉田拓郎様 
 颯爽としたお姿もツヤツヤのお声もお変わりなく嬉しく安心しました。このコロナ禍にまさかスタジオでお目にかかれるとは奇跡のようです。本当にありがとうございました。
     2022年10月17日 中島みゆき

 皮のジャンパーを贈ってくれました。その中島みゆきと長く音楽活動を共にし、僕にとっても古い友人でプライベートではよくハワイにも行った瀬尾一三とのつきあいが続いてる。その瀬尾ちゃんから連絡があった。「拓ちゃん」・・・先日、篠原のおかげて、「たっちん」がバレちゃった(笑)。正確には「たっち〜ん」(「ち」にイントネーション)ではなく「たっちん!」(「た」にイントネーション)がある。甘い言葉ではなく怒られるときの言葉。酔って帰ってくると「たっちん!」とお説教される。長いお説教でだんだん酔ってて気持ち悪くなる。瀬尾とかは「拓ちゃん」という。
 「拓ちゃん、今、中島みゆきのアルバムのレコーディングしてるんだけど、前の約束、中島みゆきのライブに参加して「悪女」でギターを弾く約束したの憶えている?」と連絡があった。「なんだ俺にギターでも弾かせようというのか」と答えたら「急だけれど来週時間あるかな?」僕も約束していたサプライズができなかったので気になっていたけれど「俺もリタイアを表明してギターとか楽器を手放したので手元にないんだよ」。そしたら「古川望」がいるじゃん、彼にはつま恋2006もやってもらったし、古川のギターも好きだし、当日呼んでギターを持ってこさせて、こっちは手ぶらで行こうと言う算段をした。「OK拓ちゃんはいつもどおのり手ぶら出来て」と言ってきた。いつもどおり(笑)

 当日、渋谷のスタジオ…ここは僕も使っていたところで、ああ〜みゆきはココを使っているのかと思いながら向った。入っていくと中島みゆき廊下で立って待っていてくれた。すぐわかった。年齢的には若くはないけど「ああ、みゆきだ」と。坂崎とオールナイトニッポンをやっていたころ2014年、その時も瀬尾一三とゲストに来てくれた。「悪女」は誰も歌えない、瀬尾ですらも歌えないという放送をして以来だった。
 「元気だったか」と廊下でハグした。ジジイとババアのハグ(笑)。
 瀬尾ちゃんの書いた譜面を貰ってギターがDフラット・・・こんなコード普通ないだろ。中島みゆきはそうらしい。「譜面書きなおせ」と直させて、そしてギターを弾いて・・・  曲名は忘れた(笑)。
 すごいシンプルで面白い詞だなと思った。あいみょんの影響で女の人が観た男女関係は社会観が違う。とっても新鮮でこっちが正しいと思えてくる。岡本おさみと松本隆の男と女の詞は男目線だなと思う。そういえば昔、安井かずみに時々、アンタの詞は女の事をわかっていないと怒られた。いや俺じゃなくて岡本おさみの詞だよというと「女はこうじゃない」と言っときなさいと(笑)。女性の詩が面白い。みゆきの詞も独特の世界感があった。
 サビのギターを弾きながらアレンジにいろいろ言いたかったけど言えずに、せめて瀬尾に後ろで俺とオマエでバックコーラスいれたらどうかと提案した。高音部は俺が入れとくからあとで低音部に瀬尾ちゃんもコーラスで参加してくれということで、今度の中島みゆきのアルバムには瀬尾と拓郎のハーモニーのセッションがはいっている。アイツももともとギター弾いて歌っていたんだよね。「愚」というグループで歌っていた。  
 タイトルはわからないが聴けばわかる。そういう思い出が出来た。さっきスタジオで写真を撮ったがウェアと手紙をいただいて中島みゆきともいい思い出をつくれた。僕の音楽人生ah-面白かったと言えることを素直に喜んでいる。
  
〇今夜も自由気ままにお送りします、吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

 いよいよ今月と来月であと二回の放送。二年間くらいかな。コロナ禍なので殆ど自宅だったが、あれはあれで楽しかった。自宅で番組を作るというあんな体験ができたのは、自分途中でトイレ行ったり、飲んだり、宅急便が来たりして楽しかった。

 ラスト近くになってゲストに逢いたいということでイマジンスタジオを特別に貸してもらって、Kinkikids、あいみょん、菅田将暉、篠原ともえ、そして本当は稲垣来泉に会いたかったな。いずれにしても若い人たちと話をしたいと思った。ベテランの中島みゆきもそうだし、いろんなミュージシャンの古い連中とのセッションをという話もあったけれど、それはどこでもできるし、連絡もとりあっている連中もいるのでここではやりたくない。若い人と話すことを選んだ。

 今月と来月はフリートークをしたい。最後なので秘蔵音源を今月一曲、来月一曲と考えている。あと弾き語りとかいろいろ弾いてみたけど・・・こういうのとか(ガラスの言葉) を鼻歌っぽく、・・・鼻歌といえばライブの映像も完成したこととかを後で話す。

 75年の初物、本邦初公開。僕には生涯忘れられないイベントだった。内容は音楽的にもいろいろ問題はあってもイベント…イベントなんて言葉は当時はなかった。参加したみんなも歌っているこっちも演奏する方も主催者も全員が初めての体験だった。予想のできない空間だった。松任谷と一緒にやった懐かしい曲、「知識」。

M-1   知識   吉田拓郎(つま恋1975)
                         (元気)
(CM)

 今年「ah-面白かった」を発表をして、それを受け入れていただいて、作った甲斐があったと満足感たっぷり。この9曲を映像としてライブでやりたかったという思いが募ってきた。ストリングスとブラスを入れて生でやりたいと思って、エイベックスの竹林くんに相談したら、やりますか!と快く応じてくれた。

ライブの雰囲気にふさわしいメンツを武部・鳥山と選んで、ギタートリプル、キーボードダブル、チェロとかよりビオラとバイオリン7,8人で、ブラスも入れようと相談をした。
 リハーサルを一度やってイケそうだったので、よし録ろうということになった。秋の風も感じる頃、フジの湾岸スタジオ、LOVELOVEの収録で使ったあのスタジオを二日間借り切って危険を避けるために無観客でセッションしてその映像も収録した。
 実にリハを含めて三日間。貴重で有意義なバンドのセッション。楽しいな。生でやる喜び、これを超える喜びはない、俺はこのために生まれてきたんだと思うくらい楽しい時間を過ごした。

 ブラスとストリングスによって、ソウルフルでファンクなステージングとなった。生だと違うな。
 それにプラスして弾き語り・・・弾き語りを聴く気にならないのは、音楽的にすげー弾き語りが日本にいないから。シンガーソングライターにはうまいギターを弾くヤツはいない。弾き語りというかそれっぽいものを弾き語りで練習した。(ガラスの言葉、風邪、旅の宿を実演)。指がちゃんと動いていないのがバレバレだ。
 行き着いたのは「旧友再会フォーエバーヤング」を三拍子でやってみて、それから
「慕情」・・・こういうのを二曲やってみて「慕情」が出来がいいのでこれ行こうということになって、その場で譜面を書いて、鳥山・武部・渡辺格だけスタジオに残して、あとは帰っていいということで歌った。
 ギターは拓郎ツウならご存じのギブソンのJ-45・・・加藤和彦から貰ったギターを今回持って行った。最近、あまり音が鳴らなかったのが、スタジオで調整してチューニングしたらちょっといい音がした。やっぱりオーラみたいなものがあったのでJ-45も燃えているんではないか。
 テイク1で一発の雰囲気もの。ギブソンのJ-45を弾いている吉田拓郎が観られる。このギターは、フォーク歌手のドノバン・・・トノバンじゃないよ、その本家でイギリスのボブ・ディランと言われていたけどそうでもなかった。でもギターがいい音しているなこういうドノバンみたいな音がするものあるのかなと加藤和彦に話したら、1週間くらいしてそのギターJ-45を入手してくれた。「これはあの音だ、低音域がぐっとくるね」。アコースティックの音色だった。
 歌がね、力をいれずに鼻歌でリキを入れないで歌って、佳代に聴かせたら絶賛で、こういう拓郎っていいよねと言われた。これイイじゃないか。

 12月14日の発売でタイトルは「「Live at WANGAN STUDIO 2022 -AL"ah-面白かった"Live Session-」。是非もう一個思い出作りをみんなとしたい。生涯愛して欲しいな。やっぱりライブでやるとド迫力だ。特にホーン・ブラスで「アウトロ」が凄いことになっていた。アルバムよりもアドリブやギターソロも長い、ストリングスもたくさんいれたので豪華版な映像を是非期待してください。みんな自由に演奏してやり終わって、帰ろう、やり尽くした!という感じで楽しく演奏している。

M-2   together   吉田拓郎   スタジオライブから

(CM)

<今はアメリカだが広島大学病院に赴任することになったが、皆実町あたりに住みたいが、思い出話はありませんかという投書>
 広島はカープ好きすぎる、王さんのホームランで立ち上がった瞬間にアタマ叩かれたことがあった(笑)。引っ越し案内を頼んでいるのか。皆実高校は母校、皆実高校のとなりに広島県立工業高校、略して県工、その向かいに私立の女子高で進徳学園というのがあって、今は進徳女子高校・・・ネットで調べたんだ(笑)。皆実高校は進学高校で勉強しろという高校で女子はガリ勉タイプが多くて男の子としてはツマンナイ。進徳学園は高校卒後は就職するのがメインで派手なタイプの子はいなかったけど間違いなくオトナっぽい。いいねぇ戻りたい。あの子と映画行きたいな、喫茶店いきたいね〜というのが進徳にはあった。

 実はその後ロックバンドをやるようになって、ガールフレンドの一人や二人いなくちゃという感じになった。ビートルズだってそうだよ、特にリンゴはモテたかっただろう(笑)
 その進徳のバスケット部の子がいて母の茶道教室に通っていた。青春の汗という感じで放課後にお茶の稽古にやってきて、終わると夜の七時になるのでオフクロが「拓ちゃん 送ってあげなさい」ということで、暗い夜道を送るんだけど…僕は嬉しい(笑)。自転車で ゆっくりこぎながら、サドルのうしろに彼女の学校鞄をのっけて二人で帰った。ある時「おにいさん、今度東京に行っちゃうんでしょ、音楽に挑戦するってお母様(先生)が言ってました。応援しています。」…おい、おい、おい、名前が思い出せない。僕は彼女とは違う想いを抱いている(笑)。皆実町、素敵なところよ。俺にとっては青春真っ只中よ。名前は憶えていないけど野性美のあふれる子だった。思い出す汗ばんだ彼女。どんな彼女だ(笑)。

<身構えずにこれからも気軽に帰ってきてという投書>
 ツアーはもうやらない、アルバムのレコーディングもいい、一生懸命やった、ラジオは長い間やらせてもらって。ラジオがやっぱりピッタリくる。持って生まれた感性、テレビは一生懸命やったけどあまりうまくいかなかった。ラジオは好きだったな。このラジオも卒業しようかなと思っている。
 それ以外で、あれやれ、これやれといろいろメールで言ってくるが、不思議だな。ラジオ、テレビ、アルバムなくても、それだけじゃなくてもやることいっぱいある。物事はやってみなきゃ、生きてみなきゃわからない。私は今日まで生きてみましたって歌っている人がいたでしょ。わかんないよ。人生はいくつになってもわからない。これからも生きてみる。この女性はウソなんじゃないのということでこの歌を作った。

M-3  永遠の嘘をついてくれ  吉田拓郎 中島みゆき

〇11時

 ♪時が経ってしまうことを〜 この曲の規制がかかっていた。長いことこの「ペニーレインでバーボン」はもちろんオンエアされないし、発売されることもなく割愛されて、この曲が入っていないアルバムが巷に出ると言う異常な事態が長く続いていた。
 ところが発売元から通常のもとどおりのラインナップで「今はまだ人生を語らず」が再発売できるということになった。僕的にいうと時間かかりすぎたね。70半ばまでずっと待っていたけど、時間がかかりすぎ。
 もともとの「ペニーレインでバーボン」の一節が、悪意に満ちた歌詞ということは  ありえない。日常の会話の中からしか歌を作らないし。ツアー先で唄っているところに  楽屋に来た数人がどういう意図で歌っているかはわからないけど人を傷つけていることをお気づきですかといわれた。納得はできなかったけれども、そういうことならば歌うべきではないな。100%お蔵入りという決断をした。そういうことを知らずに歌ってきた僕はのんきだったというばのんきだし、他人が傷ついているとは思いもしなかった。
 それでも元気なうちに呪縛が解けるのは素直に嬉しい。(拍手) 胸を張って生きて行ってほしい。バーボンさんの気持を歌っている。

M-4  とんと無沙汰   吉田拓郎  (NHK 101 ライブ)

(CM)

 さぁ久しぶりにやってみるかな。ギターで弾き語りが好きじゃなくなって、ネットで弾き語りやってるのを観ると何が楽しいんだろう、他人のことだから仕方ないけど。セッションしたらいいのにと思う。

M-5   金曜日の朝     吉田拓郎
 ♪背中丸めて歩くたび〜口笛

 口笛ができない。懐かしいね。あれだよ、ズズ=安井かずみが当時の僕の生活ぶりを描いた。彼女は僕の実生活をよく観てくれていて、後ろからアドバイスしてくれて「ひとりになっちゃえよ」とか言ってた女性で(笑)、よくわかってくれていた。
 原宿あたりで夜な夜な遊びまわっていた生活をしていた俺をズズが脚色して書いた大好きな曲。僕の私生活については、ズズとかまやつひろしは当時の実情や苦しんでいたことを知っていてくれた唯一の先輩二人だ。背中丸めて〜原宿・表参道を思い出す。かかとつぶした運動靴、夏を歩いた白い靴がなくなった、洗いざらしのブルー、残ったお金があと少し、当時の自分だな。大好きな曲なのにそんなに愛されていなかった。

 これはあれだよ。今やるとは。

M-6  青春の詩    よしだたくろう

喫茶店に彼女とふたりで入って
コーヒーを注文すること
ああ それが青春

映画館に彼女とふたりで入って
彼女の手をにぎること
ああ それが青春

繁華街で前を行く
いかした女の娘をひっかけること
ああ それが青春

SEXを知りはじめて大人になったと
大よろこびすること
ああ それが青春

さて青春とはいったい何だろう
その答えは人それぞれでちがうだろう
ただひとつこれだけは言えるだろう
僕たちは大人より時間が多い
大人よりたくさんの時間を持っている
大人があと30年生きるなら
僕たちはあと50年生きるだろう

この貴重なひとときを僕たちは
何かをしないではいられない
この貴重なひとときを僕たちは
青春と呼んでもいいだろう
青春は二度とは帰ってこない
皆さん青春を・・・・・

今このひとときも 僕の青春

 憶えているんだよ。ハハハ。エフ・シャープ・マイナー 、セブンス、これがデビュー曲だ。つまんない音楽性だな。でもギター、ベースランニングがフォークにしては変わったリズム感覚だった。

M-7   もう寝ます    よしだたくろう

 音楽性ゼロ。これで満足していたら今の自分はない。コミックソングを聴きに来ていたのかな。こういうのは音楽的じゃないなと思うようになっていた。

 そして当時の吉田拓郎は凄いなという曲。

M-8  ガラスの言葉    吉田拓郎

 こういうギターがウマいな。エフ・シャープ・マイナー からディミニッシュ、こんなの使う人いなかった。もう一曲、練習しているのがある。

M-9  風邪   吉田拓郎

 今度、練習してくる。今月はここまで。

(CM)

<ライブリリースありがとうございますどうして湾岸スタジオなのですか?という投書>
家から近い(笑)。レコ―ディングスタジオでは、今回映像チームもいて多かったので   密になるので、できるだけでスペース広い場所ということでここにした。録音、映像のできる場所ということで、映像を何度か観なおしても、ここのスタジオが、ちょうどセッションにいい広さだった。

<弾き語りが嬉しいという投書>
 リクエストは知ってんだよ、君らの曲の選択は。  
  ♪祭りのあと
 こういうのをやるわけがない。暗いな。どんよりしてくる。よく歌っていたなと思う。
裏をかいてといろいろとリクエストしていたが歌うワケがない。

<徹子の部屋に出演した原由子さんが拓郎ファンだという投書>
 知らないの?有名な話だ。最初の俺の結婚のとき枕を濡らして泣いたって本人から聴いた。サザンのデビュー間もない頃、当時は僕にもメディアの取材が来ていたので、その際に僕は、桑田佳祐の音楽、詞の世界、日本語をくずし、笑ってもっとbaby、素敵にon my mindとカタカナをうまくいれていること、それまでの60年代70年代のフォーク・ニューミュージックとは全く違っているところを、よくホメていた。サザンは好きだと言い続けていた。
 そのうちNHKFMがラジオの特番で、サザン桑田と吉田拓郎の原坊番組を組んだ。そこの番組で、桑田からサザンの音楽を世の中で正しく評価をしてくれたと感謝状とかもらったことがある。
 その後、昔の独身のころ、生活に敗れて僕が渋谷のマンションに一人暮らしだったときに、桑田と麻布で飲んで、そのまま渋谷のマンションに一緒に帰って、音楽を聴きながら飲んで過ごしたことがあった。僕の仕事部屋に飾ってあったビートルズ「サージェントペッパーズ」のロンドンのオリジナル盤が飾ってあった。東芝EMIの知り合いのディレクターから送られたもの。桑田が「これ違いますね」と気が付いた。酔っぱらっていたし、やるよと差し上げたら持って帰った。後に、本当に良かったんですか?返しましょうか?と尋ねてきたので、それはもう君んちにあった方がジャケットも喜ぶからいい。

 その後、桑田君からテレキャスターのメープルネック、ローズウッドのテレキャスターをプレゼントされた。「歩道橋の上で」の時でこれをスタジオに持ち込んで自慢した。レコーディングにも使った。

 こうして桑田佳祐とか原坊とは、つかずはなれず、縁が続いている。彼らは、文句なしのスーパーグループだと思う。新しい曲を作り続け、愛され続けている。心から敬服する。

M-10   歩こうね    吉田拓郎

 いろんなことを考える。そもそも僕は鹿児島で喘息の持病で小3に広島に転居した。リーダーシップとは無縁で、僕が人を引っ張っていくという要素はゼロだった。むしろ他人のことを聞きながら動くという実直な子どもだった。

 東京に出て来てから田舎者扱いされるようになってから、卑屈な心根が僕を変えていった。東京中心の文化、旧態依然としたザ・芸能界、テレビ出ることがすべてという歌の世界にも反発した。もともと自分の音楽が日本で通用するかどうかのトライだったので、自分の居場所のためにアンチとか戦いを挑む・・・そこまで大袈裟ではなかったかもしないが、じっと待っているだけではダメという気持ちになっていった。
 わがままだとか、ひとり突っ走るとか、みんなをリードするというレッテルが定着した。
 泉谷しげるがテレビで「とにかく拓郎はわがままで廻りが大変だ」と言っていたが、あの4人で僕が一番わがままじゃない。4人の中で泉谷は一番わがままで真っ先に辞めちゃったじゃないか、俺は最後に社長までやった、一番普通でわがままじゃない。陽水は会社の業績には何の関係なく、新人を育てようともしなかったし、小室はいろんなことがはダメだし、泉谷は辞めたし。Kinkikidsとか若い連中なんかは、拓郎さんはわがままじゃないですよねとわかってくれる。70年代の連中は、俺をわがままだと言って自分を正当化しようとしているのではないか。泉谷、おまえは最初に一人フォーライフを辞めて一番わがままだ、・・・と言いたい。

M-11  マスターのひとり言  吉田拓郎

(CM)

■エンディング
 いよいよ来月で完結です。大好きだった女優の堀北真希さんはかつて番組にも出てくれた。その堀北さんが、ドラマの撮了インタビューで「何事も始まれば終わる」と言ったのが印象に残っている。
 僕のラジオとのお付き合いは深夜放送、パックインミュージック、バイタリスフォークビレッジから始まって長かった。その後もセイヤングやいろんな深夜放送をやって、文字通りラジオに助けれられて、ラジオが育ててくれた。ラジオが一番の友だったと思う。

 ラジオには見えない何かがある。テレビはみんな見えているから面白くない。どんな恰好で喋っているかもわからない。本当ではないかもしれない。リスナーが想像する部分がある。フォーエバーラジオ。秘密があることがチャーミングである。

 時代は変革しいろんなものを押し寄せて、かつて大人信用できないと言う反発があったが、今は自分がその対象になっていて信用したくない側にいる。これも始まれば終わる。

 ♪古い水夫は知っているのさ、新しい海の怖さを

 自分で20歳の時にこんな歌を作っておいてなぜ今ここにいる・・・反省します(笑)
さて来月12月16日、特別なことはしない。自由にセッションしたい。

M-12    アウトロ    吉田拓郎

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆中島みゆき登場。ここのところ潮の流れが松任谷家に向っていたところ、大きな揺り返しが来てみゆき・瀬尾タッグの波が返ってきた。こうじゃなきゃ。大きな暖流と寒流がぶつかったところに吉田拓郎は君臨するのだ。いみふ。拓郎とみゆきの二人のハグは誰かちゃんと写真・映像におさめてくれたのだろうか。
 ここに来てバック・ギターの約束が実現して良かったが、私たちの目にふれるものではなかったことが残念だ。幻の新宿文化センターよ。

☆つま恋の「知識」。いやぁああ。いいねぇ。なんてクリアな音なんだろうか。トラックダウンしたのかな。あるところにはあるんだね。何の問題もない。それにしても秘蔵にしておく意味がどこにあるのだろうか。もういいじゃないか。
 すばらしいテイクだ。この松任谷の「知識」が、78年のツアーを経て、79年のTOUR&篠島つながってゆく。75 to 79 と2つの「知識」の旅を思う。

☆「Live at WANGAN STUDIO 2022」。あの素敵なジャケ写を観てツウな同志は、J-45だと狂喜していた。さすがだ。それにしても3日間で完成したのか。声も良く出ていて、ワイルドでゴキゲンに勢いづいているtogetherを聴くと、いてもたってもいられない。Youたちこのままツアーに出ちゃいなよ。と言いたくなる。誰だよ。

☆あれやれ、これやれと言いたくなるのがファンというものだ。リタイアという決意を受け入れながらも明日につながる道を考え悶絶してしまう理不尽な人間たち。それをファンというのだ。それがなければただの通行人だ。通行人はレコードも買わないしDVDも買わないし、せいぜい「あ〜フォークの吉田拓郎だ」と言って通り過ぎる。
 愛に胡坐をかくつもりはないが、何もかも愛ゆえのことだと思ってくれ。

☆ともかく2023年、拓郎も私達も生き続ける。生きてみつづける。生きてみなきりゃわからない。それしかない。区切りをつけずに明日を信じてまいりましょう。

☆「ペニーレインでバーボン」。あらためて拓郎の長かった想いを知る。その経緯を聞くだに納得できなかったり、いろんな複雑な思いはあるが、この歌を社会的な論争の土俵という主戦場にすることは忍びない。そういう想いもあったのではないかと思う…これはまったくの推測だ。とにかくよかった。無事な帰還をお祝いしたい。

☆弾き語り。俺は「祭りのあと」を聴きたいとは思わないが、だからといって、聴きたいのは今夜のこれじゃない。「もう寝ます」、メロディとかキーも違っていなかったか。「今夜は星空」とか「六本木レイン」とかで打ちのめされる覚悟でいたのでいささか拍子抜けだ。それで「風邪」を1か月かけて待つと言うのか。弾き語り嫌いならやんなきゃいいよ。

☆「拓郎VS桑田」と「拓郎105分」が混交している気がしたが、確かに最初はキワモノと世間が思っていた桑田佳祐に対する拓郎のいち早い高評価は忘れられない。反対にあの桑田佳祐が一目置く吉田拓郎ということでファンとしても助けられたことが多かった気がする。お2人のいい関係は嬉しい。
 ただし「拓郎105分」でヘラヘラしていた桑田が最後にマジになって「僕は拓郎さんにカナディアン・バックブリーカーを決める自信があります」と不敵に宣言した時、俺は背筋が凍ったのを憶えている。油断は禁物だ。

☆ここに来て泉谷との戦争勃発か(爆)。最近は観るたびに泉谷しげるの吉田拓郎への愛の深さが胸にしみているので、お願い、どうか仲良くしてね。行くんもとどまるもそれぞれの道なんよという歌があるじゃないか。


☆拓郎にとってラジオが大切な存在だったということは、ファンの私達にとっても切実な命綱だったのだ。あらゆる意味で感無量だ。あらためてラジオというものに感謝をささげたい。

☆☆☆今日の学び☆☆☆

「始まれば終わる」は堀北真希の言葉だったのか。私の好きな言葉です。
                           メフィラス拝

2022. 11. 11

☆☆☆君がいればもう何もいらない☆☆☆彡
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…ああ、カッチョエエ。この美しいたたずまい。もう他に何も要らない。…いやいろいろ要ると思うが、この写真を見ている限りはこのカッコ良さ以外何もいらないと魂の底から思う。

2022. 11. 10

☆☆☆You don't have to worry☆☆☆
 いつもの道を歩いていたらこんなユーミンのオブジェに出逢った。いいなぁ。吉田拓郎にもこういうのを作って原宿駅とか表参道駅とかに置いとくれよ。高円寺でもいいよ。なんだったら手っ取り早く深夜に忍び込んでこのユーミンのオブジェを全部吉田拓郎のジャケットに換えてもいいですぜ。ユーミンだったら怒らずにOK松任谷と言ってくれそうな気がする。>言わねぇよ!
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2022. 11. 9

あなたに捧げるベスト5
(16) 今日のお題 答えは風に舞っているベスト5 
 「吉田拓郎といえば「風」でしょう」とお会いしたことはない同志の拓郎ファンの方からずっと言われていた。御意。「僕は生きようと思う。もっと風のように…」(「俺だけダルセーニョ」P.233あとがき・集英社)。風と拓郎。まさに不即不離ってやつだ。 
 しかし考え出すと「風」の歌はメチャ数が多く悩ましい。街とかシーズンとかダイアローグとか時代とか提供曲にしても風の中、風の中で、季節の風の中でと三段活用みたいにいろんな風が縦横無尽に吹きまくる。どれもがいとおしい曲なので、作詞別とか提供曲別とか分けようとも思ったが、そんな姑息なことはすまい。とにかく直覚でベスト5のカタマリを一択だ。
  

@マラソン

    僕はあの時風になり
    大空をくるくる回りながら
    このまま死んでしまいたいと
    またひとつ小さな夢をみた
 
 この風が胸に迫る。「いつの頃からか(僕は)風になってしまいましたね」「あの時僕は風になったという歌を作ったんだけどさ」…83年の春に「行き止まりまで走ってみたい」というラジオでのインタビュー番組で拓郎は語った。「マラソンていう歌の哀しさってありますよね」と田家秀樹の相槌があった。吉田拓郎の風って何なんだろうね。わかったようでわからない。しかしこの歌に結晶化されている気がする。「そこに止まったり、走り出したり、結局はフラフラフラフラと流れてゆく。」とそんな風に語ってもいた。生き方の体感みたいなものか。
 
A風の街
 山下達郎をも唸らせた"かぜぇぇぇ〜がぁぁ運んでぇしまう街〜"。ドラマ「あこがれ共同隊」のテーマのバックの映像=晴れた日の原宿の景色が浮かぶ。この清々しいメロディー自体がもう風を体現しているんだよ。この清々しい風が2007年の最後の全国ツアーの「18時開演」のインストになるともう万感胸に迫るものとなる。さまざまに吹いた風の歌たちのエンドロールのような感じで、これはこれでたまらん。
 
B風になりたい
 多くのシンガーたちの素晴らしいカバーがあるが、やはりそれでも川村ゆうこが一番素晴らしいと思う。あのふてくされたような歌唱にも魂がこもり、美しいメロディーと拠りあっている。そして忘れちゃならないのは松任谷正隆の穏やかに風を巻いていくようなアレンジの素晴らしさだ。わりと最近になって川村ゆうこご本人のライブで何度か聴かせていただいたが、大切に歌いこまれていて熟成した魂を感じて泣けた。やっぱり一番いい。それにしてもさ、拓郎さんあなたのセルフカバーってばもう…(略)。

C5月の風

   5月の風に逢いたくて
   心の窓をあけてみる
  
   夏に向かう雲たちよ
   先に言ってくれないか
   あの人の事をもう少し
   考えていたいから  

 風は過去から未来、現在から過去にもしみじみと吹き渡るものだと感じる。吉田拓郎の風は祈りでもあることを教えてくれる。この歳なれば誰にでもきっと「あの人」がいる。大切な風の詞を残してくれた。それにしても安井かずみも加藤和彦も天に行ってしまったんだよなと無常を感じる。

Dカンパリソーダとフライドポテト
     
   風にまかれる人生がある
   たくましさだけで疲れるよりはいい

 高校生の俺には衝撃的なフレーズだった。たくましくなんかなくていい。風にまかれればいい。そっちの方がずっといい。そんなことを言ってくれるオトナは皆無だった。

    崩れかけた砂の家で
    木の葉のように
    舞うだけ舞えばいい

 そして極北を旅立つ二人が風に翻弄されるなら翻弄されてやろうじゃないかと覚悟を決める。ここを聴くといつも不思議な勇気を感じる。
 場違いの話かもしれないが、昔、学生の時に読まされた中江兆民の『三酔人経綸問答』の一節「剣をふるって風を斬れば、剣がいかに鋭くても、ふうわりとした風はどうにもならない。私たちは風になろうではありませんか。」…ここを読んだときに、ああこれは吉田拓郎だ!と思わず膝を打った。これに近いと言えば近いかな。

 ということでとても5曲で尽きるわけがない。六本木のシュバイツァー先生の心の言葉を思い出す。「拓郎さん一度でいいから本物の風ってやつを見せてくださいよ」(俺だけダルセーニョ・P.81)。
 …見た見た。見せてもらった。よくわかっていないしまだまだ見届けたいけれど、それでもしっかり見せてもらったよ。

 ということでいよいよ今週ラジオだ。ラス前の貴重なる一本だ。風はどこに吹いていくのだろうかね。

2022. 11. 8

 さすがに毎日毎日、拓郎ベスト5、いい加減くどいと思う。なので今日は拓郎の作品ではないベスト5ということで拓郎の歌から離れてたみたい。

あなたに捧げるベスト5
(15) 今日のお題 えっ?拓郎じゃないのかよベスト5 
 これは拓郎の歌だなと思ったら実は違ったという経験はおありではないだろうか。これだけ拓郎節が世の中に浸透し、もちろん自分も吉田拓郎にイカれていると、そういうメロディーの空耳ともいうべき状態がしばしば発生する。そんな「えっ?拓郎じゃないのかよ」ベスト5。…離れてないじゃん。
 なおイカレタ俺の空耳ですので作曲者が拓郎をパクったとかマネしたとか揶揄するものではありません。ったく拓バカの思い込みはしょうがねぇなぁと思ってご容赦くだされ。

@夏が来た!(キャンディーズ)
 中3の夏、このメロディーは絶対拓郎だと確信して周囲に「今度のキャンディーズの新曲は拓郎だぜ!」と吹聴したら違っていて大恥をかいた。「拓郎がキャンディーズの歌なんてつくるわけねぇじゃん」と馬鹿にされて一人泣いたものだ。しかし翌年「やさしい悪魔」「アン・ドゥ・トロワ」が大ヒットするのだが、そんときゃ既に中学を卒業していたので言い返せなくてホゾを噛んだ。今度中学のクラス会があったら「みてみやがれ、拓郎はキャンディーズに名曲を提供しただろ!」と声高らかに言ってやりたいが、相変わらず星くんは壊れてると冷笑されるだけだろうな。
 
A孤独なランナー(川村ゆうこ)
 「風になりたい」でデビューして、そうか2曲目も拓郎かぁと自然に思ったものだ。違うのか。「ああ青春は〜孤独なランナー」、拓郎の歌を歌っているような爽快感がある。「ああ青春は〜燃える陽炎か〜」の松本隆の作詞だ。
        
Bノクターン(梓みちよ)
 これを聴いた時「メランコリー」の続編を拓郎がついに作ったのかと確信した。われらが常やんの作曲なので親和性がある。姉妹作と言ってしまっていいのではないか。「アタシに何ができるというの〜」この展開が「それでも乃木坂あたりでは〜」といい意味で似ていてそこが嬉しい。
 
C半分少女(小泉今日子)
 「拓郎さんが出てきた時は大変なことになったと思った」と筒美京平は語った。天才
筒美京平をそこまで追い詰めた男。しかし京平先生がそこで終わるわけがない。拓郎節を自らの中に摂取しようとしたものと確信する。小泉今日子の一連の楽曲は、筒美京平が拓郎節を自らに取り込んで同化し血肉化してゆく大いなる実験場となっている(気がする)。「真っ赤な女の娘」「半分少女」から始まって「夜明けのMEW」あたりで、拓郎節より出でて拓郎節にあらずという見事な同化が完成する。映画「遊星からの物体X」みたいな感じ?知らねぇよ。ともかく筒美京平おそるべし。

D酔っぱらっちゃった(内海美幸)
 演歌じゃないかと拓郎は怒るかもしれない。拓郎は音楽ジャンルの境界について「俺はフォークじゃない」に次いで「俺は演歌じゃない」をよく口にする。これだけ繰り返すということは、裏を返せば、フォークや演歌との国境線が危くなっていると思っているからではないか(笑)。酔っぱらっちゃった〜のメロディー展開と節回しがもう実に見事な拓郎節…って浜圭介先生すみません。

 心の底からどうでもいいでしょうが、明日でこの連載は第一部おしまいです。そろそろラジオなのでそこに気持ちをもっていきたいです。なんたってあと2回だもんね。
 書きたいベスト5はまだ山ほどあって無理に絞り出しているつもりはないのたが、確かに内容はどうなんだろうね(爆)。まぁいいや最後じゃないか。とにかく12月14日,21日までごきげんでまいりましょう。

2022. 11. 7

あなたに捧げるベスト5
(13) 今日のお題 ベスト5 
 
 犬とくれば猫なのだが残念ながら拓郎は猫が嫌いらしい。グループの「猫」ではない。ホントの猫。なのでサラリとまいろう。
 
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  山本コウタローのパートナー吉田真由美の「Oh!MyCat」(八曜社)より。猫嫌いの拓郎の逸話が結構面白い。

 @君も猫のように寝息たててる
   (サマータイムブルースが聴こえる)
 A春の猫は庭をかけて
   (とんとご無沙汰) 
 B猫のマネ、イジイジしてる
   (ありふれた街に雪が降る)
 C昼は無邪気な猫の瞳が
   (まるで大理石のように)
 D海猫みたいに寂しい瞳で
   (聖・少女)

  お〜っとココで「海猫」は「猫」じゃない「カモメ」みたいものだろと物言いがついた(誰の物言いだよ)。それじゃあ「クロコダイルにブラックパンサー(七つの夜と七つの酒)」…黒豹=ネコ科ということでどうだろうか? ホラ「昼は無邪気な猫の瞳が振り向く夜に豹の眼になる」と松本隆先生もおっしゃっているではないか。

2022. 11. 6

あなたに捧げるベスト5
(13) 今日のお題 「犬」ベスト5 
 吉田拓郎が戌年だからか拓郎の歌の中で犬は意外に結構大切である。ということで今日は「犬」ベスト5。

@野良犬

  のら犬だって涙はあるさ
  一度愛されれば飼い主をわすれない
        (野良犬のブルース)

 正直に言ってこの歌はアルバム「青春の詩」を聴くときスルーしていた曲だった。そんなことってあるだろう君たちだって。しかし最近になって拓郎は「俺はフォークじゃない、もともとはR&Bなんだ」と力説するときにこの歌が引き合いに出されることが多くなってきた。幻の大阪ラストツアーでは演奏したいとも言っていたが、そもそも物心ついた時からライブで演奏された記憶はない。ということでこの曲を邪険にしてきた俺がひれ伏すようなライブバージョンを魅せて欲しかった。俺も野良犬だから、飼主の吉田拓郎を忘れまい。…もう一曲あった。

  やさしい夕暮れ
  賑わいうすい船着き場には
  ああもう野良犬が住み着いた
             (竜飛崎)
 どてっ腹をぶち抜かれちゃったね。ということでもろもろ敬意を表して第1位。
…そういえば昔、普通に野良犬っあちこちにいたよね。よく考えると危ないよね。昭和は輝いていたとばかり言ってらんないよね。
 
A半世紀生きた犬

  今日二度目にしたことは砂を吐いて
  横になって休んでいたんだ
  半世紀生きた犬の気持で 
       (たとえば犬の気持で)

 鈴木慶一の手になる不可思議なリズムの不可思議な曲なのだが妙に心に残る。なんか歳をとるたびに切なく実感が湧く。半世紀生きた犬は人間に換算すると200歳以上にあたるらしい。もう100万回生きた猫の世界だな。どういう世界だ。

 さあ昨日より遅く だけど遠くまで 行けるかな
 夕暮れを味方にして 西へと

 ちょっと元気がでるんだよな、このあたりのフレーズ。        

B白い仔犬

 白い仔犬を抱き上げる君はちょっぴり幼くみえる
                     (風の街)。
 聴く人の頭の中にそれぞれの「君」と「仔犬」の眩しいイメージが浮かぶに違いない。このご時世だが正直に言おう。俺の場合はガチ桜田淳子だ(爆)。ああ、たまらん。ドラマ「あこがれ共同隊」は、彼女が映画「スプーン一杯の幸せ」で"ひとり歩き"を歌っているころとほぼ重なる。ah-可愛かった。スプーン一杯の幸せというば落合恵子レモンちゃん。やつぱ昭和は良かったかもしれない。今、令和はどーんな幸せなのかしら〜。


C柴犬

 赤トンボ追いかける子のあとを
 コロコロと柴犬が追って転がる
         (ハーモニカの詩)

 この情景がイイ。「仔犬」と書かずに仔犬を表現してしまうところ、やっぱり阿久悠ってすごい。松本隆が洋食レストランのシェフだとすると阿久悠は和食の高級料理人という感じがある。岡本おさみは絶品料理を繰り出す居酒屋のおやじなんだよな。勝手なイメージですまんな。

D路地へともぐりこむ負け犬

  闘えるだけでいい すべてを燃やせ
  負け犬になったら路地へともぐりこめ
             (証明)
 いい。「証明」のここが凄くいい。こういう拓郎のやさしさというか魂の発露に惚れるのだ。ああ、こんな曲もあった。

  負け犬になんかなりたくなくて
  牙を剥き立ち向かう
                (若い人)
 次点は「働く犬」。「働く犬じゃないんだそうよ俺もおまえも人間なんだとよ」(ジャスト・ア・ローニン)。とにかく昆虫だって犬だって、生きとし生けるものすべてに拓郎の歌は捧げられているのだ。

2022. 11. 5

あなたに捧げるベスト5
(12) 今日のお題 私も今また船出の時ですベスト5 
 コロナ禍だったり歳をとったりで、さあ旅に出るぞ!という「船出感」には,とんとご無沙汰だ。"旅に出ろ出ろ若いんだ君らは,操り人形じゃあるまいし"(わけわからず)とかつて拓郎は歌ってくれたが、"旅に出ろ出ろ歳とった君らも,置物人形じゃあるまいし"とか歌ってはくれないか。せめて心の中に旅立=船出感が欲しい。そんな船出感ある歌ベスト5。

@7月26日未明
 "荷物をまとめようとしなくても その中のひとつだけ携えてゆこう!"…かっこいいな。3か月前から荷造りするという拓郎さんの言葉とは思えないが…船出はこうありたいと憧れる。
  だけど船はまだ港の中 乗り遅れそうなのは誰?
  間に合うさ 間に合うさ 遅すぎることはない
「間に合うさ」「遅すぎることはない」という言葉がいつもどんなに心強く背中を押してくれることか。
A落陽
 "苫小牧発仙台行"地味すぎる航路にもかかわらず愛と怨念が鳴門の渦潮のようにあちこちに無数に渦巻いている。いろんなバージョンあれど「船出」というとやはりライブ73には孤高で静かな船出の感じがあってイイ。後のバージョンになるともう最初からガンガン飛ばすぞと手ぐすねひいている感じで出航というより出撃に近い。船出はやはりoriginalなのだ。
B月夜のカヌー
 若いころは考えもしなかったが、最近齢をとると古い水夫はもう船出はできないのだろうか。いや、ひとりでカヌーを漕げばいい。
  月夜のカヌーで夢の続きへ漕ぎ出そう
  月夜のカヌーで生きをひそめ漕ぎ出よう"
 …深い答えが用意されていた。
C錨をあげる
 若いころは考えもしなかったが、古い水夫はもう船を降りなくてはならないのだろうか。
  抱えきれない想い出に 導かれ
  抱えきれない沈黙に 導かれ
  遠く聞こえる 声のところへ
  錨をあげる
  …それでもモヤイ綱を解いて錨をあげよう。60歳を過ぎた拓郎からのチカラ強い歌声が待っていた。
Dほ・ほ・え・み(五十嵐夕紀提供曲) 
 ホントは5位は”悲しみ川に漕ぎ出そう”という「世捨人唄」にするつもりだったが、それではいくらなんでも岡本おさみが過ぎる。そうお嘆きの貴兄のために松本隆作品を探した。オールを無くしたボートとかそういうのしかない…はっ、あった。
  風に煙った水平線に
  白いフェリーがあなたをさらう
  竹芝ふ頭 白いテープを投げる人さえ 今はいない
  10月10日台風まじか
  無事に着いてと心で祈る
 いいじゃないか。ということで五十嵐夕紀提供曲で松本隆作詞の「ほ・ほ・え・み」に。

 新しい海の怖さを知ったなら、知ったなりの航海があると信じて何度でも船出してまいりましょう。出発だ。さぁぁぁ今、飛んでゆけぇぇぇ。違うよな。ともかくどうか良い旅を。

2022. 11. 4

あなたに捧げるベスト5
(11) 今日のお題 昆虫ベスト5 
 昔ラジオで何度かやってくれのだが吉田拓郎は「ツクツクホウシ」の鳴き声のマネがうまい。また少年の頃トンボをとろうとして肥溜めに落ちた逸話も有名だ。関係ないがユーミンは武部聡志に初めてあったとき「コイツ、カマキリみたい」と思ったと言っていた。僕らはみんな生きている、ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、そう拓郎の歌の中にだって。ということで昆虫ベスト5だ。
 @トンボ
  ・あの日のトンボはどこ行った(夏休み)
  ・死に忘れたトンボ(せんこう花火)
  ・夕べ観た夕日、赤いトンボたちよ(白夜)
  ・赤トンボ追いかける(ハーモニカの詩)
 Aセミ
  ・ひまわり夕立セミの声(夏休み)
  ・近頃セミも鳴きませんね(東京の長く暑い夜)
  ・近頃セミが鳴かないことも(女たちときたら)
 Bホタル
  ・蛍の河に子どもの声(蛍の河)
  ・蛍が綺麗よ見せてあげたい(歩道橋の上で)
 C蝶
  ・風と舞い散る蝶々が(星の鈴)
  ・蝶ネクタイに銀縁眼鏡(恩師よ)
 Dみずすまし
  ・みずすましみたいにスイスイと(青春試考)

[選評]
 トンボ強し。アアしあわせのトンボよ〜、よしなさい。セミは3曲だが「東京の長く暑い夜」と「女たちときたら」を2曲分としてカウントするのはどうかという批判(誰がしてんだよ)、蝶の2曲のうち蝶ネクタイはどうなんだという意見(だから誰が言ってんだよ)も勘案して、2位はホタルになった。「蛍の河」「歩道橋の上で」どちらも不動の名曲であることからいいおさまりだ。3位がセミで、同率4位でみずすましと蝶が並ぶ結果となった。しかし接戦であり、まだ取りこぼしがあるかもしれないのでまだまだ油断できない。ってコレで緊張している人がいるのかよ。
 なおちなみに「時はサソリのように」のサソリは昆虫ではないそうだ。 

2022. 11. 3

あなたに捧げるベスト5
(10) 今日のお題 星よりひそかにベスト5 

 それでは作詞家チームはどんなもんだろうか?

@ガラスの言葉 (及川恒平)
 "ミルクウェイ"…ああ天の川。このギターの音色のひとつひとつがもう星の雫みたいだ。「元気です」のラストを輝かせる逸品。ついでにつま恋85の加藤和彦と石川鷹彦の二天王のアシストの映像を観たらもう滂沱の涙で…こりゃもう第1位。
Aステラ(松本明子)
 このサイトはテッテ的にこの曲を推す。"なんにも良いことないねと見上げた星が眩しい"、澄んだ歌詞と拓郎のメロディーのよりあいの美しさといったらない。最後に弾き語ってくれまいか。この埋もれし名曲に何か華をくれ。
B星の鈴(森雪之丞)
 "10階のテラスで暮らせたら星が掴める気がするなんて"…この歌を聴いた時に視界がサァッと開けたような感じがした。文字通り鈴がなった。拓郎、イケるじゃないかと思った。高層タワーマンション全盛の現代では10階はもはや低層界と言われるらしいが高けりゃいいってもんじゃない。「星が掴める10階」というモノサシにこだわりたい。
C 星降る夜の旅人は(岡本おさみ)
 拓郎はアウトテイクにしようと思ったというがしなくて良かったな。星に導かれるように旅する岡本おさみが永遠に刻まれたのだ。
D銀河系まで飛んでゆけ(喜多條忠)
 飛んでゆけ!ってココも銀河系だろうというツッコミを超えて愛される。"悲しみより遠くから届けられる星の煌めき" 梓みちよ、キャンディーズそれぞれにどちらもいい。身体が自然に揺れだすドラマチックなメロディがすんばらしい。

 次点は同じ喜多條忠作詞の「今夜は星空」(いしだあゆみ提供曲)の艶っぽさ、「ひとりぼっちの夜空に」(康珍化)胸キュンにも悩んだ。「まるで大理石のように」(松本隆)の"紫の空、星座は巡り 夢は西へと船を漕ぎ出す"…この部分の見事なフレーズにふるえる。ふるえながらも松本明子の下に松本隆を置く不孝を許し下さい。

 歌に勝負けや順位があるのもおかしい話だ。それでも言いたい。「星」をめぐる吉田拓郎作詞チームVS作詞家作詞チーム…吉田拓郎作詞チームの勝ち。すまんな。

2022. 11. 2

あなたに捧げるベスト5
(9) 今日のお題 星を求めてベスト5 

 吉田拓郎の「星」の歌がかなり多い。しかもおわかりのとおり粒よりの名曲揃いである。いくら一ファンのテキトーな好みとはいえベスト5を選ぶのは至難なことだ。なので「吉田拓郎作詞チーム」VS「作詞家作詞チーム」で分けてみる。今日は「吉田拓郎作詞チーム」のベスト5だ。

@流星
 両チーム合わせてもこの歌が第1位だと思う。無双。拓郎ファンの胸に輝くマークは流星、自慢のボーカルで敵を撃つ…そういう歌ではないが、存在感はそれくらいある。
A今夜も君をこの胸に
 "窓からあふれる星の数"…いいねぇ。かつてこの歌に文句を言った懺悔もこめて第2位。特に2019年オーラスが忘れられない。 この歌に送られて会場を出ながら歩くライブの帰り道の景色、たぶん死ぬ前の走馬灯で観そうだ(爆)。
Bロンサム・トラベリン・マン
 原題は「星降る街」という。トラベルミンという乗り物酔いの薬を思い出すので、原題の方が好きだ。そうさ男はというが、男だけでなく女だけでもなく老若男女すべての人類に捧げて欲しい名作。「ロンサム・トラベリン・マンカインド」でどうだ?>いみふ。
C我が良き友よ
 「おまえ今頃どの空の下で俺と同じあの星みつめて何を思う」…イイぞ。拓郎が喜多條忠に「"我が良き友よ"のこのフレーズは、おまえの"マキシーのために"から借りたからな」という話も好きだ。ちゃんとおことわりする拓郎が素敵だ。図らずもこの2曲に絆が出来る。「悲しみを抱えたままで夜空に輝くおまえの星を探すまで さようならマキシー」…いかん地下鉄の中で聴いてて泣きそうだ。
Dtogether
 星を仰いだり、夜空の星の景色の美しさを描いた歌は古今東西多いが。星からやって来て星に帰る、おまえのいる星に土産をもって遊びに行くからというこの壮大な星間移動の歌を歌えるのは拓郎しかいない。もうすごいのか、すごくないのかよくわかんないけど。おーい拓ちゃん、今どこにいるんだい。

 次点は"今夜も空には星がある 互いの命を見つめよう"の「運命のツイスト」、とにかく他にもいろいろあって悩ましい。

                     では明日にまた続く。

2022. 11. 1

 ということで12月14日、そして21日と拓郎ファンの年末の大きなマイルストーンが置かれた。その日までのスキマを埋めるためにベスト5は続く。くどいだろうか。
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 でもいいじゃないか。吉田拓郎のアウトロなんだぜ。気が済むまですりゃあいいさ。
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(8) 今日のお題 「月も今宵はなんだかいいね」ベスト5 
  秋は月がキレイだ。
    友よ君と街へ繰り出し  
    肩など組んで、ふと見上げれば 
    月も今宵はなんだかいいね
    なんだかいいね ああ ああ風の中

       (風の中・井上順提供曲 岡本おさみ作詞)
  ということで「月」が美しいベスト5だ。

@月夜のカヌー
 岡本おさみと吉田拓郎の最高傑作だ。少なくとも聴いているときはそう思う。昔から「花鳥風月」と言われるように月は鑑賞するものだが、その月夜の下で息をひそめてカヌーでひとり漕ぎ出す船出の歌だ。美しい叙景。美しいだけでなくなんか心がワクワクしてくるメロディーと歌唱。勝手ながら1位にさせていただいた。
A旅の宿
 「上弦の月」という風流をあまねくに広めてくれたのはこの歌だ。月など興味も縁もなかった私のような不粋の者でも、この歌のおかけで月を見上げ「おお上弦の月か」としみじみしたりする。ほんとは下弦の月だったりするんだけど(爆)。
Bto the moon
 厳しい現実の中で月を見上げる。何の解決にもならないが「ああ、それでも月は輝いて」これでいい。たぶんいいと思える。「月」は岡本おさみの独壇場だが、頑張れ石原信一。
C祭りのあと
 「臥待月が出るまでは」。拓郎が捨てようともこの歌は絶対捨てない。落ちてたらそのたびにちゃんと拾う。
Dとなりの町のお嬢さん
 「月夜の晩に誘われて大人になると決めたんだ」…なんかこの青さが泣ける。

 次点は「月の盃」(石川さゆり)。"空見上げれば 青々と 澄みわたる夜に 月の盃"…さすが阿久悠先生だ。メロディーもしっとりとしてイイ。しかし「長い髪は夜露に濡れて蒼い月が可愛い人のエクボの上で揺れてるよ」…こっちも素晴らしい。ということで吉田拓郎作詞の月夜の叙景を選ばせていただいた。

 月に届くほどもっと愛されたいなら 星に届けと愛すればいい…ということで、くどく、しつこくつづく。

2022. 10. 31

☆☆☆久しく待ちにし☆☆☆
"今はまだ人生を語らず"の完全復刻。12月21日、諸人こぞりて むかえまつれ。
最高傑作が廃盤という私たちの不幸がついに終わる。
 我が青春のTAKURO TOUR 1979(CONPLETE TAKURO TOUR 1979)も同期して完全復刻とな。

 ああ、生きていて、生きててよかったと。この復刻に向けて挑んでくださったすべての方々に心の底から御礼申し上げます。

2022. 10. 30

☆☆☆歌ってみた☆☆☆
 久々にカラオケに行った。"ショルダーバッグの秘密"を見つけて反射的にエントリーしてしまった。やはりメロディーや譜割りは難しかったが、歌ってみるとなんともいえない快感がある。詞の意味もあらためてよくわかった。気分よく歌った結果の採点は64点だった(爆)。そんな俺が言っても説得力ゼロだが、わが身体には、拓郎節の体感みたいなものがしみついている。ファンはみんなそうだろう。こんなにも拓郎節がいとおしい。調子にのって「ひとりgo to」、「ah-面白かった」、「雪さよなら」と機種に入ってた新曲は全部歌って、歌うたびに点数はどんどん下がっていった(涙爆)。ジャイアンか。
 しかし新曲はいいよな。新しいシャツをおろすみたいなウキウキした嬉しさがある。こんな気分を永らく忘れていた。「Contrast」があったら歌いながら泣いてた自信がある。ともかく新曲。聴いてよし、歌ってみてよし、そしてたぶん歌う姿を見てぞよし。

あなたに捧げるベスト5
(7) 今日のお題 「原宿だよおっ母さん」ベスト5 
 
 @ペニーレインでバーボン(1974)
 A風の街(1975)
 B街へ(1980)
 Cペニーレインへは行かない(1984)
 D雨の中で歌った(2022)


 これは順位というより時系列に並べただけだ。それだけで、原宿との蜜月、原宿と自分との間にできたスキマ、別れ、そして最後の回想という一連のドラマになる。その間、原宿を歩く女子高生の姿に胸を打たれて「流星」が生まれたというスピンオフも決して一曲だけではないだろう。
 聴き手にも「原宿」という特に私なんぞは殆ど縁もゆかりもない街が、こうして心の故郷のように生きてつづけている。
   おっ母さん、ここが原宿よ
   お祭りみたいににぎやかね
 確かにいつ行ってもお祭りだな。故郷は遠くにありて思うのが一番かもしれない。

2022. 10. 29

あなたに捧げるベスト5
(6) 今日のお題 「拓メシ!」ベスト5 
 
@隣の田中さんの奥さんのベーコンエッグ(加川良の手紙)
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A家を出る前の晩の泣き笑いしたお赤飯(制服)
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B暖簾をくぐってホッケ(この次はこの街で)
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Cバネの軋む喫茶店のトースト(君が好き)
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D屋台のおでん…おとうふ、ハンペン(ふゆがきた)
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※次点
・フライドポテト
・冷やしたぬき(うどん)
※選外
・下町にあるバーガーインのハンバーガー(狼のブルース)
→美味しいかもしれないけど治安が悪そう
・薄い味噌汁(東京の長く暑い夜)
→んー
・西瓜(夏休み)、甘いケーキ(この指とまれ)
→デザートだから

他にも歌の中の拓メシはあるだろうか?

{追記}
 おー「フキ」と「タケノコ」を忘れちゃんイカンぞ(爆)。ねーさん、ありがとうございます。これはいろんな意味で1位だよな。なんせ本人が一番好きと豪語しているのだ。

 「虹鱒」
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という意見も出た(爆)。いやダメでしょ。確かに塩焼きは大好きだけど「人はなんてひどい仕打ちするのだろうか」という歌そのままになってしまうので今回はご辞退いただいた。

「拓メシ!」[更新版]
 ということで更新順位は
@茎だけでなく葉っぱもとても美味しいフキ(フキの唄)
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A隣の田中さんの奥さんのベーコンエッグ(加川良の手紙)
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B家を出る前の晩の泣き笑いしたお赤飯(制服)
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C暖簾をくぐってホッケなどいいですね
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Dバネの軋む喫茶店のトースト(君が好き)
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 ということでベスト5生き残りをかけて喫茶店のトーストと屋台のおでんの戦いとなったが、拓郎ご本人が朝はパン派であり、正月も元旦からトーストだという事実から屋台のおでんが残念ながら涙を呑んだ。次回に挑んでほしい。って次回ねぇだろ。

2022. 10. 28

あなたに捧げるベスト5
(6) 今日のお題 「オイラ」ベスト5 
 私は自分のことを「オイラ」と言ったことがないし周囲にもオイラを使う人はいない。吉田拓郎がラジオやライブのMCで語る時に自分のことをオイラと言っているのも聴いたことがない。しかしなぜか吉田拓郎の歌ということになるとこの「オイラ」が頻発する。ということで「オイラ」ベスト5だ。

  @たどり着いたらいつも雨降り
  Aこの指とまれ
  Bおきざりにした悲しみは
  C人間なんて
  Dふざけんなよ


[解題] 
 @ところがオイラは何のために、やっとこれでオイラの旅も終わったのかと
 Aオイラあいつを見捨てたよ、オイラとにかく大ッ嫌いだね、オイラ気ままでいんじゃないか
 Bアイツが死んだときもオイラは飲んだくれてた
 C何かが欲しいオイラ それがなんだかはわからない、聞いてよオイラの話を
 Dオイラ話せない 誰にも話さない

 ちなみにDとほぼ同時期のE「俺が愛した馬鹿」の"都会は今日も霧の中、オイラの影は闇の中〜"が確認できた最後の「オイラ」のようである。但しライブでは2019年のラストツアーでも「この指とまれ」のオイラで燃えたのは記憶に新しい。とにかくどのオイラも結構攻めている。
 実生活で「オイラ」を使うと何かダサいし恥ずかしい。自分の場合は、昔、映画「猿の惑星」の吹替で猿たちがみんな「オイラ」と言っていたのが原因みたいだ。しかし拓郎の歌の中では違和感なくカッコイイ。どうやらこの世にはダサいオイラとカッコいいオイラがあるようだ。
 根拠のないテキトーな推論だが「石原裕次郎」あたりがカッコいいオイラの元祖なのではないか…とかねがね思っていた。石原裕次郎も普段「オイラ」なんて言いそうにないが、この人も歌になると思いつくだけでも「オイラにゃ、オイラの夢がある」(俺には俺の夢がある)、「オイラはドラマー、ヤクザなドラマー」(嵐を呼ぶ男)「オイラの背中に落ち葉がそそぐ」(男の横丁)〜と結構オイラっている。
 先日のLOVELOVEでも垣間見えたとおり吉田拓郎は裕次郎のオーラに憧れていたという。吉田拓郎は、たぶん石原裕次郎が発明した「カッコいいオイラ」を密かに継承したのではないかと思う。かくしてカッコいいオイラは歌の世界の中に生き続けているのだ。しかし拓郎リタイヤせんとする今、誰かが承継するのだろうか。次なる"オイラー"はいるのか、いるとしたら、それは誰だ。木村拓哉、菅田将暉、堂本兄弟、米津玄師…それは、それはオイラにもわからない。…案外あいみょんがサラっと使いそうな気がしない?

2022. 10. 27

あなたに捧げるベスト5
(4) 今日のお題 「白い冬」ベスト5 

  @雪さよなら
  A冬の雨
  Bありふれた街に雪が降る
  C外は白い雪の夜
  Dふゆがきた

[選評]
 第1位は「雪」≒「雪さよなら」。拓郎のラジオのおかげで、岩手の雪の中を女性ディレクターの後ろをついて歩く若き拓郎の姿とその叙景が目に浮かぶ。それにしてもデビューアルバムの中の1曲が、ラストアルバムでかくも美しく転生する。わたしたちが味わうことができた半世紀のドラマにも乾杯。
 第2位は「冬の雨」。凍てつくような冬の孤独感がしみる。「はるか大地をかけめぐる」という歌詞からきっと南極かアラスカに置き去りされたに違いない(爆)。それにしてもこのサウンドのカッコよさ。"雪の空を見上げると俺は白い風になる"…たまらん。
 第3位は「ありふれた街に雪が降る」…詞も愛らしいが、このメロディの美しさといったらない。チャーミングなボーカルもいい。雪降り詰む東京氷河期のような状況ながら、心はどこか温かくなってくる。
 第4位は「外は白い雪の夜」。冬のスタンダードとしてしっかり身体に刷り込まれている。雪が降ると原曲のあのバイオリンだかフィドルのメロディ―が頭の中で鳴り始める。とはいえこの歌のベタな男女関係が苦手だ。"シャワーを浴びたの悲しいでしょう"…って厳寒の雪の夜の出がけにシャワー浴びたらそら風邪ひくって。>そうじゃねぇよ。いつも男の影を踏んで歩く女性…どうなんだ。でも前記の「雪」「雪さよなら」は、女性のあとをついてゆく男性の歌なんだよ。面白い。ここが拓郎の歌のふり幅の広さというやつだ。
 第5位が混戦。「水無し川」…"冬将軍の足音がする"、"さらば冬枯れ痩せた畑よ"、"吹雪のあとに春の日差しが〜"ああ名作ばい。
 他方"もうじきに、もうじきに春がくるんですね"、"寒いポッケで二人の手、温めたのもお伽話ね…"という冬景色の「東京メルヘン」にも惹かれる。松本隆に偏りすぎなので岡本おさみはどうだ。果たして「襟裳岬」は"冬なのか、春なのか。"暖炉"、"温めあおう"、"寒い友達"という冬モードと"何もない春です"というもう春です宣言の間でよくわからない。
 結局"ふ〜ゆ〜がきた"を12回も連呼しているので「ふゆがきた」の勝ちとなった。どういう基準だよ。
 とにかく泣きたい気持ちで冬を超えてまいりましょう。

2022. 10. 26

あなたに捧げるベスト5
(3) 今日のお題 「秋の気配」ベスト5 

  @旅の宿
  A紅葉(島倉千代子提供曲)
  B冷たい雨が降っている
  C秋時雨
  D私と秋とタバコ(つげあきこ提供曲)

[選評]
 夏が過ぎて秋になるとコレまたしみじみといい曲が続くんだよ。もう拓ちゃん天才なんだから。
 第1位はベタと言われようとも「旅の宿」。ススキと上弦の月と熱燗と温泉という風情がしみる秋の情景。甲乙つけがたい名演奏のシングルバージョンとアルバム「元気です」バージョンの圧倒的双璧感。これをベタと思う人がいたとすれば、この歌が50年かけてこの景色が当たり前になるくらい日本のすみずみまで浸透させた結果である。
 第2位は「紅葉」。これも秋の王道だ。見渡せば紅葉、赤々と紅葉…そうだお千代さんを聴こう。繊細で可愛らしい秋の歌がここにある。fromTでデモテープを公開してくれたおかげでこの曲が蘇生した。 
 第3位「冷たい雨が降っている」が凄いのは「秋」の寂寥感を例えば枯葉とかお約束の秋アイテムではなく「海」によって描いたところだと思う。この「海辺の叙景」が胸にしみる。松本隆は「9月」を描かせたら天才である。俺と同じ9月生まれなのだろうと思って調べたら松本隆は7月生まれだった。
 第4位「秋時雨」…しみる。途中で花の名前をいっぱい並べるところがヤケクソみたいでいい。そこかよ。そこがいいんだよ。
 そして第5位は「つげあきこ」…すまん、誰なんだ。しかし貴重な吉田拓郎自身の作詞による秋の歌なので入選とした。"忘れた夏と一緒に次の季節がやってきて灰皿の中のタバコも消えました"…ちょっといい。

 さて5位に入らなかった名曲も多い。E「歌ってよ夕陽の歌を」〜あなたは夏を降りてゆく、私は秋に登ってゆく…いいねぇ。良子ねえさんの安定歌唱も素晴らしいし吉田拓郎の本人歌唱も絶品である。
 F「ハート通信」(アグネスチャン/石川ひとみ提供曲)…"あなたの嫌いな冬はもうすぐ""花瓶のコスモス"から秋と特定される。"ガラスに枯れ枝映したバスで私をブルーに染める青空"…切なく心冷える秋をなんでこんなにも上手く描きやがるのか松本隆。
 G「アン・ドゥ・トロワ」はデモテープをよく聴くと原詞が「秋という名のお酒に酔って」という歌詞であることから舞台は秋だ。もっともこの天才的に美しいメロディーがもうあますことなく秋だ。77年の秋、さよならキャンディーズの寂しさと重なる。
 ということで秋も拓郎におまかせだ。

※追記 アイドルに目がくらんで「都万の秋」を忘れておった(爆)。ご指摘感謝です。んーEかな?再審議中。

2022. 10. 25


 ※言うまでもないですが、このベストランキングは、勝手に個人が思いつきで書いているだけなので1ミリの権威も正当性の破片すらもありませんので日々ご放念ください。


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(2) 今日のお題 「夏なんです」ベスト5 

 @夏休み(元気です)
 Aああ青春(ライブ コンサート・イン・つま恋'75/TOUR1979volU「落陽」)
 Bいつも見ていたヒロシマ(アジアの片隅で)
 Cサマータイムブルースが聴こえる(シングル)
 D白いレースの日傘(月夜のカヌー)

[選評]
 吉田拓郎は夏の名曲の豪華詰め合わせのお中元みたいなものである。いみふ。その数だけでなく品目の豊富さが際立つ。拓郎の夏の歌たちには、失われつつある夏の原風景、恋と青春の思い出、平和への祈り、そして弾むような夏の冒険などなど夏のあらゆる風物が詰めあわせとなっている。その名作の中からベスト5を選ぶのは熱闘甲子園なみに熾烈な競争になる。

 とにもかくにも、わが心の日本の夏よ永遠なれ=ということで「夏休み」が不動の1位だ。これはもはや名曲を超えて唱歌のレベルだ。唱歌だとどう凄いのかわからないが(汗)、とにかく別格の殿堂入りだ。
 つづいては「ああ青春」…コレは夏の歌なのかよ?というツッコミもあろうが、この歌を聴いたすべての拓郎ファンは例外なくあの真夏のつま恋、篠島の炎天下の荒野が脳裏に広がるはずだ。そしてそれぞれの心に文字通り燃える陽炎が立ち上るのだ。「陽炎」って春の季語だったのね。ちょうどいい。このあたりで辞書を書き換えようではないか(爆)。
 夏の祈りといえば「いつも見ていたヒロシマ」。平和の切実さが胸にしみる名作だが、決して反戦・反核兵器を訴えるためだけの具にしてはならない。この歌にあるのは、たぶんもっともっと深い「夏休み」や「吉田町の唄」が描かんとする穏やかで豊かな人間の営みへの希望だと思う。
 そして夏といえば恋と青春である。「いつもチンチンに冷えたコーラがそこにあった」と「サマータイムブルースが聴こえる」あたりがベスト5に向けて競い合うが…ああ「夕立」のクリームソーダのカップルもいいな〜と迷う。しかしやはりご本人もステージで感無量となった「サマータイム」だろう。なお「夏が見えれば」は名曲だが、夏を待つ新緑の頃の歌なので今回入選対象から外れた。
 最後に激戦の末ベスト5に喰いこんだのは「白いレースの日傘」。すべからく夏は若さの象徴だが、この歌にはかつて若者で今やジジババとなってゆく私たちのための夏も用意されている。時が過ぎていくつになっても穏やかで清々しい夏はあるのだと歌ってくれているようだ。

 ということでベスト5ではトテモ収まらないな。ちなみに5位以下は、E蒼い夏(伽草子)、Fいつもチンチンに冷えたコーラがそこにあった(吉田町の唄)、G暑中見舞(伽草子)、H夕立(伽草子)、I聖少女(西城秀樹シングル)、Jサマーピープル(シングル)、Kせんこう花火(元気です)がほぼ横並びの僅差で混戦状態だ。

 どうだろうか? これまで夏はチューブだ、サザンだと信じて疑わなかった諸兄よ、自分の世界が狭すぎたと思い始めてはいないか?>いねぇよ、大きなお世話だよっ。
 …そうか。とにかくなにがなんでも夏は拓郎なのだ。いつだって私たちは拓郎の歌を抱えて暑い夏の盛り場を僕達ウキウキ歩くのだ。
 しかし来年の夏はもう拓郎にも会えないんだろうな。…この次の夏はもう会えないだろう…焼けつく陽射しを軽やかに駆け抜けるおまえは美しい…そうだ「うのひと夏by高杉」これも夏の歌だな。ああ、ギンギンギラギラ夏なんです。

2022. 10. 24

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(1)今日のお題 「春がいっぱい」ベスト5

 @春だったね(元気です/よしだたくろうLIVE73)
 A春を待つ手紙(シングル)
 B春を呼べU(無人島で)
 C春になれば(ぷらいべえと)
 D春よ、こい(月夜のカヌー)

[選評]
 吉田拓郎の春の歌は常に私たちと同期している。「春だったね」のイントロが鳴れば、たとえ12月のアラスカにいようとも、いつだってそこは心湧きたつ春なのだ。そして私は春が来ると拓郎の歌を思い出し、拓郎の歌を聴いて春を思う。まさしく不即不離というやつだ。
 明るく清々しく、そして時に悲しく切なく、それでもなんだかんだで希望をもって続いてゆく春の人生を歌う。それは決して詞においてだけでなく、ウキウキと弾みだすメロディーとサウンドもそれを体現している。そんな5曲がベスト5入り。
 惜しくも圏外となったが、太田裕美に提供した作詞:松本隆の得意技「卒業=女子=悲恋シリーズ」のE「花吹雪」。女子高生ではない私たちジジババ向けの郷愁(爆)F「沈丁花の香る道で」などの名曲が接戦だった。珍しいところでは杉田二郎に詞だけ提供した哀愁ある「春は寂しいネ」、コーヒーの美味い店というフレーズに驚いた(コーヒー飲めるようになったんすか?)「気がついたら春は」(MUCH BETTER)なども検討された。

 かくして吉田拓郎の春の歌は、時に私たちを燃え立たせ、時に私たちに寄り添い、そして時には遥かな世界に導くようにいつもそこにあったのだ。
   春よ、遠き春よ 瞼閉じればそこに
   愛をくれし君の懐かしき声がする
 …コレだ。まさしくコレなのよ。>いいのか?他人の歌でしめくくって。
 

2022. 10. 23

☆☆☆悲しみも喜びも遅れないうちに確かめろ☆☆☆
 …今は最後の、今は最後のひと〜つまえ。
 LOVELOVEあいしてるの時と違ってピンで歌う吉田拓郎が見られるということだ。あの立ち姿の一挙手一投足(2022年ver)が存分に見られるのだ。宣材の写真を観るだけでミゾミゾしてくる。このまま年が暮れて終わってしまうのかとあきらめていただけに嬉しい。それにリモートで制作されたあの曲たちが、生音で動き出したらどんな風に変容するのかも楽しみだ。
 そういうありがたや〜な気持ちとともに、観客のいないライブ・・・もっと率直に言うと自分が観られないライブの現出に…運命みたいに僕にも悲しみが湧いてきた。
 無観客でもいいからライブをやってくれよとずっと思ってきたが、いざこうして実現してしまうと、これが最後ということも手伝って心の底から寂しい、寂しいもんだね。
 しかし、これは拓郎への恨み事ではない。むしろこの困難かつ無念な状況で拓郎はよくここまでやってくれたと感謝しかない。嘘だ、文句も多少はあるが、感謝を覆すほどものではない。なのでこの悲しみには行き場がない。

 まさに「禍福はあざなえる縄の如し」。このサイトお得意の「向田邦子理論」だ。若き日の黒柳徹子が向田邦子に台本の台詞「禍福はあざなえる縄の如し」の意味を尋ねた。「人生という縄は幸せと悲しみがよりあって出来ている」という答えに対し無邪気な黒柳は「幸せだけで出来ている縄はないのかしら?」と問い返す。向田邦子はキッパリと答える。「ない。ないの。」
 もともとの語源は「禍によりて福となす」つまりは悲しみの中にもまた希望はあるという意味らしい。
  そういえば吉田さんもと歌っていた。

   悪い日がそうそう続くものか
       ※
   喜びがあれば天にも昇って、
   悲しみの時には打ちひしがれて
   待つときもあるさ
   急ぐときは走れ
   今日は空も曇り模様じゃないか 
           (「悲しい気持ちで」アルバム”大いなる人”所収)

 ということで粛々と12月14日を待ちたい。しかしただ待つのも何なのでまた走りながら待ちたいということで、しょうもない連載を明日から始める予定。

2022. 10. 22

☆☆☆サプライズ☆☆☆
 昨日「ビッグサプライズ ! ! AL「ah-面白かった」スタジオライブ DVD/Blu-ray発売」という衝撃のニュースが駆け巡った。…これだったのか。菅田将暉のお手製ジージャンを「撮影にちょうど良い」と喜び、ライブ73の「マークU」に「バンド編成はこういうのが良いとだけ言っておこう」と思わせぶりに口走り、そして先日の「声が枯れているが黙っていろとエイベックスから言われた」と意味深に口をつぐんだのはコレだったか。
 それにしてもビッグサプライズの言葉どおり驚いたものだ。
 スタジオLIVE映像作品『Live at WANGAN STUDIO 2022 -AL “ah-面白かった” Live Session-』
 このタイトルは93年の『TRAVELLIN’ MAN LIVE at NHK STUDIO 101』、2002年の『吉田拓郎 101st Live 02.10.30』を彷彿とさせるし、最近のラジオで「客席の反応あってこそのライブだ」という拓郎の言葉が頭にあったため「無観客」の文字を見落とした俺は、俺の知らない間にライブがあったことに深いショックと衝撃を受けた。せめて抽選応募くらいさせてくれよと天を仰いだ。
 雨畑もやさぐれた俺を慰めようと、きっと日ごろご愛顧いただいているファンが極秘裏に招待され、エイベックスから絶対にSNSなどで口外してはならないと鉄の緘口令が敷かれていたので話題にならなかったけれど、たぶん1万人くらいの観客がいたに違いない。とモロ憶測で陰謀論をぶち上げてくれた(爆)…って全然慰めてねぇだろ。もともと好かれているとは思わなかったが、ここまで嫌われていたとはね〜とトドメを刺してくれた。それが俺にとっての昨日のフライング・ビッグサプライズだった。それはいい。よくないけどいい。
 これはライブというより拓郎がかねてから望んでいた「豪華な一発録り」の実現なのか。それにブラス編成というとサウンドもCDとはアレンジがかなり違ってくるのか。それはそれでトテモ楽しみなことだ。「えー『慕情』かよ〜」と思ったりもしたが、とにかくすべては観てからだ。

 12月14日。とにかくこれが最後のひとつまえのたよりです。ひとつひとりじゃ寂しすぎる。これ上映会かなんかしようよ。小さな声で叫んだよ。

2022. 10. 20

☆☆☆さらば☆☆☆
 多数派に押しつぶされる少数派=アブレ者の様相をみるといつも"Life"が聴きたくなるが、昨日の私的ベストヒットは”夕陽は逃げ足が速いんだ”。

 いつかあなたと旅でも出来たら
 腹の立つことを二つずつあげて
 許せないヤツを記憶の中で
 ひとつずつ消してしまいたいね
 夕陽は逃げ足が速いんだ
 ※
 きっとこの世は俺達のような
 どこか変わったものには冷たい
 違った生き方ができるなら
 そんな話も昔はしてたね
 夕陽は逃げ足が速いんだ
 ※
 鬱屈したアブレ者的な詞と対照的に勢いのあるロックンロールの演奏が拠りあって、なんかどこまでもカッコイイぞ。"ロンリーストリートキャフェ"と並んで東京ドーム公演の白眉だと思う。

 そしてまた訃報だ。俺は「体操」という言葉を聞くと内村航平でもなく森末慎二でもなくまず仲本工事が思い浮かぶ。俺たちの時代の全国の小学生が、体育の時間に跳び箱やマット運動の技がキマルとガッツポーズをしていたのはたぶん間違いなく仲本工事の影響だ。
 拓郎がLOVELOVEで慣れないテレビでの司会を始めた同じころ、テレビ東京の日曜深夜の地味な番組”ザ・スターボウリング”の司会を仲本工事が務めていた。どちらもテレビの司会が不慣れでぎこちなくて観ている方が手に汗を握った。本当は二人とも面白いんだから、頑張って本領発揮してくれよと祈りながら観ていた。
 心の底からご冥福をお祈りします。クレイジーキャッツの面々が亡くなられたときも悲しかったけれど、さすがにドリフは悲しいを超えて何かこたえるな。

 交通事故。残念すぎる。運転者も含めていろんな事情があり軽々しく言えないが、これから高齢化してゆく私たち、過信はすまい。信号と交通ルールはバカ正直に守ろう、無理はすまい。とにかく過ぎ去る者たちよ、そんなに急ぐな。

2022. 10. 19

☆☆☆こういう日はLifeを聴く☆☆☆
 拓郎リタイアのあと俺はどうするか…とか我ながらまったく何様か。ただの一般Pの拓バカの俺だ。拓郎なくしてお前に何が残る。何にも残りゃしねぇよ。しょうもない拓郎ファンとして最後はドブの中でも前のめりになって死んでいたい。あれ?どっかで聞いたぞ。いいじゃないか…は,さらばのB面。

 いいじゃないかと言えない話もある。かつてジョン・レノンが亡くなった時、文字どおり世界中が慟哭した。偉大なミュージシャンを失ったことを嘆く中で、拓郎は「結局、アブレ者は社会から抹殺されるんだ」と悔し泣きしていたのが忘れられない。本当にそうだと今朝テレビを観ながらあらためて思った。

2022. 10. 18

☆☆☆君は風の中に立ってる☆☆☆
 武田鉄矢は、高校生の時に読んだ司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に衝撃を受けて龍馬狂の人生を歩み始める。何十年か経って、武田鉄矢は念願の師である司馬遼太郎に会うことがかなう。興奮して龍馬についての思いのたけをぶつける武田に司馬遼太郎は静かに言ったそうだ。「アンタなぁ、いつまでも龍馬、龍馬じゃおまへんで」。
 当時このエピソードを聴いた俺は申し訳ないが嗤っていた。そもそも政治家や実業家でワタシも坂本龍馬のように生きたいと公言するような人にはウサンクサイ人が多いと感じていたし(あくまで個人の感想です)。
 しかし今になって、これから「紀の善」もなく「吉田拓郎」もいない世界を生きていかなくてはならなくなると、武田鉄矢のことは笑い事でもなければ他人事でもない。君たちはどう生きるか、俺はどこへ行こう、君はどこへ行くという岐路に立っているような気がしてくる。

2022. 10. 17

☆☆☆それでも消えていくもの☆☆☆
 神楽坂を去って半年、あの甘味処「紀の善」の閉店の知らせに驚いた。江戸時代あたりから余裕で続いてきたはずの名店だ。先日のラジオで拓郎が憧れの人だと語っていた加賀まりこの行きつけのお店でもあった。そうだ「細うで繁盛記」の富士真奈美もご愛顧らしい。どちらも一度もお店でお会いできなかった。
 私は”あんみつ”はそんなに好きではないので、もっぱら自分の落度で迷惑をかけたとき、逆にちょっとウマく行った時、仕事場のスタッフの方々に捧げるためのものだった。
 それよりもっと昔、やさぐれた浪人時代の勉強会だったか、お正月の夜でどこも店は閉まっておりコンビニもなく、切ない気分でいたとき、お世話になっていたN先生が唯一開いていた「紀の善」で買ってきてくれたお赤飯弁当の味が忘れられない。
 
 私が神楽坂を去る日までいつも店前には小豆をゆでる匂いがしていた。悠久の流れの中で小豆との対話が繰り返されてきたに違いない。まさか閉店なんて。長い間ありがとうございました。
 小豆のことを考えながら"ステラ"を聴く。胸にしみる空の輝き。こればい。でも歌ってくれと言ったところで天邪鬼だからきっと歌うまい。http://tylife.jp/uramado/stella.html

2022. 10. 16

☆☆☆我が心のシノラー☆☆☆
 篠原ともえのことをあんまりちゃんと考えたことがなかったので思い込みで想像してみる。
 自分より30歳以上も年上で、しかも自分のことを嫌っている怖くてムズカシイ男と仕事をしなくてはならない少女。男は仕事関係者も容赦なく怒鳴りつけ、彼女には男がなんでそんなに怒っているかすらもわからない。男の視界に極力はいらないように楽屋もないまま、それでも彼女は、なぜ男が怒っているかをずっと考え続けた。卑屈にならずに、いつか男が心を開いてくれるはずだという明るさを持って時間を積み重ねてゆく。
 やがて、男は誰よりもミュージシャンと音楽を愛し、良い音楽をテレビの向こう側に届けるためのゼロからの環境作りに奮闘していたことを理解する。男のおかけですべての音楽番組のクオリティが変わった。何十年か経ってそんな変化が当たり前になっても、彼女は、男の偉業の素晴らしさを敬意とともに忘れずにいる。

 自分の書いた詞を男から容赦なくダメ出しされる。でも彼女は腐ったりせずに「豊かさがたりない。人の心は小さな出来事で変わる。お前の体験した喜びを書き綴れ。」という男の言葉を真摯に受け止めて格闘する。最後に男は、その詞を褒めてくれ、今も子守歌に聴いていると言ってくれた。

 そして彼女が自分の人生に迷える時、その男のさりげない言葉を大切に胸に刻む。「アイデアはおまえひとりのものではなく、すべての人に捧げるものだ」。彼女に本当のチャンスが来た時「これだ。今がその捧げる時だ。」とかつて胸に刻んだ言葉を思い起こす。

 やがて時間が経ってリタイヤしようとする男から最後の大切な仕事を彼女に任せたいと声がかかる。…向田邦子の小説を読んでいるような気分になった。
 彼女のことが好きか嫌いか、また後にデザイナーとして成功したかどうか、さほど重要なことではない。男のことを信じて、その言葉を素直に受け止めて、自分の中で大切に問い続けた彼女の心根こそが尊い。ああ、こういうファンでありたかったと・・・無理だけど思ったよ。

2022. 10. 15

オールナイトニッポンゴールド  第31回 2022.10.14
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 こんばんは吉田拓郎です。毎週金曜日は週替わりのパーソナリティでお送りしていますが、今週は吉田拓郎がお送りします。
 声が枯れている。黙ってろとエイベックスから言われている。今日を含めてあと三回でいよいよラジオからの卒業。ゲストは今回がラスト。来月、再来月と冨山といろいろ相談したが、金銭的なものもあり諸事情により(笑)、バンドを呼んでセッションで生演奏とかやってみようと思っていましたが無くなりました(笑)。
 ギター一本の弾き語りは気持ちがノらないけど、最後だから何曲か歌ってみようか。そいう気持ちになったら。これは本人次第です。12月はラストで、これにて卒業ということで、ラジオとのながーいお付き合いが終わる。
 いろんな番組をやって、中井美穂さんと(アスリートな女たち)女子スポーツ選手を呼んで話す番組もアッと言う間に終わりましたし、堀越のりさんとお台場でやった番組も1年間続かなかった。
 ラジオも卒業ということで、長い付き合いの中で、聴いたこともない音源を1〜3曲くらい持ってこようと思っている。楽しくやるのが好きだったし、特にその場で考えやってみるのが好きだった。そして最終的には12月卒業でah-面白かったといいながら卒業したい。
 今日は篠原ともえがゲストで、「おーいコラ篠原」とか「アイツ」とか言ってたけど  緊張するようになった(笑)。どうして素敵な女性になってしまったんだろう。

(吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド)

<篠原さんのデザイナーのキッカケ拓郎さんという投書>
  僕がキッカケではない。篠原さんも勘違いしている。Kinkiとかみんなで酒飲んでいた時に「うるせーなバカ、歌とかやめたらデザインもやれ」と酔った勢いで言ったかもしれないだけで話が大袈裟になっている

 今年アルバムのデザインを頼んだが、篠原の才能は認めていたので、アナログアルバムのデザインを彼女に頼もうと決めていた。モデルが欲しいな、自分がモデルでもいいけど、チャーミングモデルが欲しいなということで奈緒ちゃんに出逢う。ということで奈緒さんに頼んだ。
 若い40代の篠原と20代の奈緒に大いなる刺激を受けて、彼女たちに恥をかかせてはいけない、喜んで貰える歌作りをしようと思った。そこであいみょんの詞の世界に入り込んでしまった。表現の仕方がなんて楽しいんだろう、正直で等身大な感覚だろうと詞の作り方も影響を受けた。
 ウチの佳代さんの影響も大きい。ウチでは天照愛子と呼んでいる(笑)。ウチは天岩戸とこのマンションのことをいわれている。一歩も出ないから。
 女性たちからいろんな刺激を受けて、教えて貰って素敵なアルバムが出来た。篠原さん、奈緒さん、あいみょんさん、佳代さん、いいなぁ女の人たち。勉強になるな。今日は篠原ともえ、いや「ともえさん」がいらっしゃいますので懐かしの「全部抱きしめて」

M-1  全部抱きしめて    吉田拓郎&LOVELOVE ALL STARS

※ここからは部分的な抄録です。気になったとこしか記録していません。

(篠原)
 “LOVELOVEあいしてる”の収録の後で、光一くんとメールをやりとりして、最後にKinkiから拓郎さんに花束を渡して、もう何とも言えない 静か〜で華やかで感動な時間が体感としては10分くらいは続いた 時が止まったような美しい時間 誰も何も声を出さずに 花束受け取った拓郎さん静かに見守ると言う時間があった。あの時の時間が素敵だったね。光一くんは僕は「あのときの拓郎さんの表情を一生忘れない」と書いてあった。

(拓郎)
 ハワイのワイキキのモアナサーフライダーホテルの海辺のバーでみんなが飲んでいるとき、篠原ともえが、ひとりビーチでもの想いに耽っていた。
(篠原)
 星を観ていたんです。子どもの頃から星が大好きで、ハワイまで行ったら星を観なきゃと言うことで眺めていた。そしたら剛くんに見つかってなに黄昏てんねん。
(拓郎)
 俺もそこに行ったし光一も行った。ビーチで4〜5人に並んで足をつけて俺があっちが日本だといいながら。
(篠原)
 青春でしたね
(拓郎)
 あそこから個人的にはKinkiと篠原と打ち解けられた。それまでは固かった。
(篠原)
 一番に篠原に会った時のこと憶えていますか
(拓郎)
 憶えていない
(篠原)
 拓郎さん結構自分に都合よく忘れるんですよ(笑)
 LOVELOVEが始まる前に特番があって、こういう番組が始まりますっていうことでスタジオだったかにご挨拶に行ったんですよ。そしたら拓郎さんは目もあわさず走って逃げて行ってエレベーターに乗り込んで、篠原どうぞよろしく〜と言ってる私にドアがガシャーンと閉まって、取れ高が1分くらいで。無視されちゃいました〜と言ってたら、スタッフが「これどうなっちゃうんだ」という空気になって菊地Pとか「ホントに怒らせちゃったかな」と。それが一番最初。それは憶えておいて(笑)
(拓郎)
 あの時から辞表を書こうと思っていた。この番組は無理だ。安室奈美恵とかスピードとか話もわからなくて。

(拓郎)
 それがハワイに行ってから、この子たち気持ちいいなと映るようになって。
(篠原)
 ピュアでしたもん。光一くんたちとも話たけれど、自分たちも夢中だった。でもみんな拓郎さんのことが大好きだったし、いつか心開いてくれると思っていた。自分たちも必死でこの番組を務めたいと思っていたから、いつか心を開いてくれと思っていた。
(拓郎)
 毎回TMC のスタジオの前で菊地プロデューサーが逃げないように待っていた
(篠原)
 ハワイで心を開いてくれるその前「拓郎さんの視界になるべく入らないように行動しようね」と言われていて(笑)。拓郎さんはミュージシャンだから音楽に集中しているからといわれた。リハーサルの時、真ん中に拓郎さんがいて、後ろにコーラスで篠原がいた。
 拓郎さんは音作りをしっかりされていて、拓郎さんとミュージシャンの楽屋とは別に椅子置き場があって、「篠原はこっち」と言われて(笑)。拓郎さんが前を向いているときに、後ろからばれないように、あのカッコで目立たないのは難しかったけれど、視界に入らないように行動していた。
 ある日、椅子置き場にいたら、拓郎さんが「あれ?篠原は?楽屋に呼んでこい」と言ってくれて「いるとうるさいけどいないと寂しいんだよね」・・・愛ですね(笑)。やっと楽屋の門をくぐるのに1年くらいかかった。
(拓郎)
 当時50歳だったでしょ、キツかった。公開放送で、Kinkiのファンの高校生中学生の前でひな壇にあげられて。

 最初は菊池プロデューサーが、まだKinkiKidsはデビュー前だったけれども、いずれ手デビューして大ヒットする。そういう運命を彼らは持っている。そのとき拓郎さんがそこにいることで、何かがある、それには自信があると言われて。

 僕達の世代では、エド・サリバンショーという番組があって、ビートルズとかプレスリーと大スターの登竜門があった、エド・サリバンというおじさんが紹介するとアメリカじゅうに、認知されることがあった。エド・サリバンショーをやりたいといっていた。菊地は「わかりました、時間をかけて近づけます」と言っていたけれど大嘘だった。トークバラエティだった。
(篠原)
 実は音的にはエド・サリバンショーだったじゃないですか。拓郎さんが最初にスタジオで仕上げていったのは、それまでの音楽番組は、カラオケで生演奏のための音の機材も揃ってなくて、それでリハーサルの時、拓郎さんが大怒鳴りして。「なんだこのスピーカはどうしてPA がスタジオ側とテレビ側にないんだ」と当時は怒っている意味もわからなくて(笑)
 最初の時にすごく怒っていた。リハの他に会議もあって。その次の回からとんでもない豪華なセットになった。足元スピーカーといわれている、今はイヤホンだけど、「かえし」がライブのようにないとダメだということで、昨今の音楽番組に不可欠の「かえし」を取り入れた。FNS歌謡祭とかのクオリティの根本を変えたのはLOVELOVEがはじまりだった。
 とにかく拓郎さんが怒ってて怖かった。「拓郎さん怒ってますぅ」、「篠原今は行っちゃダメ」(笑)。
(拓郎)
 よくカミナリを落としていた。これでは音楽番組とはいえない。せっかく俺が関わったんだから音楽クオリティあげよう。こんだけのミュージシャンが揃っているんだ、こんな貧弱な音でどうすんだ。
 音を録るだけでなく、それをエンジニアがミキシングしてトラックダウンしろ、今風の音をつくれと言った。放送局のエンジニアでそういうのに慣れていなかった。 2か4かせいぜい8チャンネルしか扱っていない。
 しかしミュージシャンひとりひとつのトラックとしたら、16とか32チャンネルが必要だし、ミックスダウンをやっていなかったので武部とか吉田建にトラックダウンをやらせた。
(篠原)
 そういうことは一生懸命でリハーサルで拓郎さんは疲れ果てていて番組自体はちゃらけていて(笑)。リハーサルが2時間くらい押したこともあって、Kinkiの時間も限られていて、そんな中で、よく完成して届けられたなと思う。
(拓郎)
 音楽を一生懸命やることで、それにはたくさんのひとの協力必要だとわかってきてスタッフも打ち解けてきて、最後はなんも言わなくてもできるようになった。  
(篠原)
 あのときはエンジニア、音響の人に馬鹿野郎と怒っていた。しかしただ怒っているではなく、説得力があった。「いい音楽を世の中に届けるべきだ僕らは」ということでそこからの巻き返しが凄かった。チームや音響も増えて。こないだの最終回は音響さんがスタッフみんな同じチームで感動した。ADの方も偉くなっていて。

(篠原)
 デビューしてから自分で衣装とかデザインしてスタイリングしていた。小学生の頃からデザイン画を一杯描いて、中学で母が洋裁が好きだっので自分でも洋服を作っていた。いつかデザイナーになりたいと思っていた。そこで文化服装学院とかにも通った。自分のライブの衣装とかグッズをデザインするのは楽しかったけれど、誰かに提供することはできるのか、やりたいけどできるのかなと悩んでいたのが20代のときだった。

 あるとき拓郎さんが「篠原は、この洋服を自分でデザインしてるんでしょ、面白いからデザイナーになれよ」と言ってくれた。背中を押してくれたんだけど、拓郎さんは、この名言を憶えていない(笑)。
(拓郎)
 お酒飲んでいるときに、篠原の歌とか…「地下鉄にのって」とかをカバーしてたんだけど凄い酷かったのでこれ売れないよ、歌なんてやめたほうがいいとは思ってはいたけれど(笑)
(篠原)
 その場にKinkiとか高見澤さんいたけど憶えているわけがない。びっくりしたんです。デザインなんかできるんでしょうかと言ったら拓郎さんが、
 「違う。自分の持っているアイデアはみんなに配るものなんだ。僕が曲を作っていろんな人に楽曲提供したように 篠原のアイデアは独り占めではなくて いろんな人に届けてあげなきゃだめだよ。それが君のすることだよ」と拓郎さんが熱っぽく語っていた
 2013年に松任谷正隆さんかからユーミンの衣装やってみないかとお話が合った時、拓郎さんの言葉がよぎって「これだ。捧げる時が来た」
拓郎さんと正隆さんが一致した。一番最初に拓郎さんに連絡した、そしたら拓郎さんは
「ユーミンのために君のすべてのアイデアを捧げなさい」
 正隆さんが最初にレコーディングしたのは「人間なんて」という不思議なつながり。
(拓郎)
 つながったね。松任谷は篠原とは無縁な人、僕は松任谷とはデビューから付き合っていたし、松任谷がユーミンの衣装のアイデアを出したわけだけど松任谷そういうセンスない
「なんで松任谷は篠原に頼んだの?」と尋ねたけれどラジオ番組に出た時に感じたというけど、マンタってそういうセンスあったんだっけと思った。繋がったね。不思議だね。

M-2 僕の大好きな場所

(篠原)
いい歌。
(拓郎)
 篠原の歌詞がすごくいい、だからいいメロディがついてる。今でもiPodで練る前に聴いている子守歌。
(篠原)
 拓郎さんからこの子守歌の歌詞にメチャクチャ、ダメ出ししたのを憶えていますか
(拓郎)
 憶えてません
(篠原)
 拓郎さんがメチャメチャにダメ出しして生まれた詞。ちなみに拓郎さんの曲先なの。私の詞がすばらしくて拓郎さんが曲をつけたのではなくて。
(拓郎)
 そうなの? 曲を渡してそこに詞をハメたの?
(篠原)
 拓郎さんの詞のダメ出しあって生まれたの。大好きな高木ブーさんに唄を作るから、この曲に篠原が詞をつけろといわれた。それで二人の共通のハワイというところで、海がキレイだな〜空が青いな〜というなんてことはない詞をつけて、拓郎さんにどうですか?と言ったら「なんだこれ!全然豊かじゃない」と言われた。
 「人生はもっと海とか空とか広く豊かなものなんだ、小さな出来事で人の心は変わるんだ。いろんな出来事を入れて聴く人を幸せをするような、みんながハワイに行きたくなるような歌詞ができるはずだ。」 
 そう言われて、砂浜に着く手紙とか、拓郎さんが出来事を入れるようにということに従って、例えばハワイの南の星をみんなで観たな〜とか「体験と喜びを入れなさい」と言われたとおりに書いたら「いいじゃないか」と拓郎さんが言ってくれて広がった歌詞。拓郎さんがディレクションしてくれたんです
(拓郎)
 記憶にない。
(篠原)
 拓郎さんに言われてから降ってきた歌詞。拓郎さんに言われてお手紙のように書いていこうと書いたら拓郎さんが喜んでくれた。高木ブーさんに拓郎さんとのコラボの思い出の曲なんですがいかがですか?言ったら「歌いにくい〜」(笑)。膝を叩いて雷サマのあの感じで話していた。韻をふんでるので一番と二番が混じってしまうとかいうことで歌詞を観ながら歌っておられました。

(篠原)
 「Sayonaraあいしてる」カメラさんもいづみちゃんも泣いていた。
 最後Forever Loveのコーラスのメロディは、拓郎さんが当日に思いついて指示された。それまでさんざんリハーサルして、本番はこのままこれで行こうねといっていたのが、急に当日「それは無し」になって。あわてて憶えたのだけど、そのメロディーがなんと美しいこと。それを歌っているときの感動的な心の動きが本当に耐えきれなくて。このメロディ凄いねと言っていて、これが涙を誘った。

 ゴスペル風にしたいと剛くんが言って、拓郎さんが最後に僕が本番でフェイクをいれる。シャウトを本番だけやるって言って。あれ良かったですよ。収録終わったあとみんなステージで話していて、花束を渡してグッときた時間・・・体感としては長かった。

(篠原)
 佳代さんから拓郎さん宛ての間違えてメールが来た。
 「ねぇタッチン何してる?今日も愛してる」

(篠原)
「奈緒はな、きれいなんだよ。かわいいんだわ。」もう女優大好きなんだから。
Togetherでも、おーい、しのはらとおーい、なおちゃんの掛け声が全然違う。奈緒ちゃんはネコナデ声。

M-3   Together    吉田拓郎

(拓郎)
 今年は篠原といっぱい会って楽しかったな。コロナとかいろいろ落ち込むこともあったしストレスもあつたけれど、篠原と話せて楽しかった。篠原が偉大なる変貌を遂げて、素敵な女の人に成長したことは大きな出来事だった。LOVE2に感謝しつつ、年が空けたらまた光一や剛に声をかけてごはんとか行きましょう。
(篠原)
 人生を変えてくれたのは拓郎さんと池澤さん。今年はものづくりができたことが嬉しかった。
(拓郎)
 ありがとうございました。また年明けに逢いましょう。


〇エンディング
 人生はやってみないとわからない。こうしたいとか夢とか希望とか目標とかあったとしても、やってみないとわからない。

 後期高齢者で若い時にどんなこと考えていたかは定かではない。しかし若い時に思ったとおりにはなってはいないけど、自分なりにああ面白かったなと思っている。音楽的には楽しい生活だった。20代はこうなるとは思わなかった。
 Don’t trust over 30と言われていたし、30歳になったら広島へ帰ろう思ったこともあった。広島でお茶の先生しようと。結局70歳すぎまでギター弾いていた。やってみないとわからない。

 来月と再来月。弾き語りは、あなたがたの好きな「祭りのあと」とか岡本おさみの曲とかそういうのはぜったいやんないからね(笑)。

 提供曲で、木之内みどりの「東京メルヘン」研ナオコの「六本木レイン」、加藤紀子の「ふゆがきた」おでんが出てくる。
 松平純子の「両国橋」、いしだあゆみの「今夜は星空」馬飼野君がアレンジしてくれた。富田靖子の「恋かくれんぼ」テレサ野田「ラブカンバセーション」ディミニッシュ
…不評だろうな。

 今日最後の曲は、ジェイム・スブラウン・・・僕も会いたかった。バンド時代によく演奏したものだ。睦月が好きだっんだけどカッティングが大変で(実演)。

M-4 パパのニューバッグ   ジェイム・スブラウン

次回は11月11日


☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆声はやや枯れているのかもしれないけど、活舌は良く、言葉に熱量がある。ああ、エイベックス、もしかしてなんかを用意してくれているのか。いずれにしてもあと3回で終わるのがもったいない。

☆篠原ともえ、なんとクレバーな人なのか。あんな感じだったから、あんな感じなんだろう思っていたけれど、実によくわが身とその周囲を見つめていたのだなと感心した。そのおかけで拓郎ファンにとっても貴重な話を聴くことができた。「誠実に作り上げて、それをあますところなく世界に捧げる」…篠原はそういうクリエイターとしての拓郎の素晴らしさをキチンと見つめ、自分の中でも内省している。そこだ。

☆LOVELOVEでの吉田拓郎の音楽的貢献と功績はキチンと誰かが語り継いでほしい大切なところだった。

☆「僕の大好きな場所」…メロ先なのか。Uramadoでは「この詞は果たして当時十代だったシノラーに書けたのだろうか。酸いも甘いも経験した老成感が、随所に覗く。かなり拓郎が手を入れたのではないか。」と邪推していたが、やはり事実は数段ドラマチックだ。
 「小さな出来事で人の心は変わるんだ。いろんな出来事を入れて聴く人を幸せをするような歌詞を」…こんな話、する方もする方だが、憶えている方も憶えている方で、よくぞ記憶の彼方に霧散しなくて良かった。

☆こんな話は不粋だと思うけれど賭けてもイイ。拓郎は自分が篠原にデザインの道を勧めたことを忘れていない。そもそも憶えているとか、忘れているとかいう問題ではなく、当時から篠原に対してそのくらい深く心を砕いていたことに間違いない。あえて忘れたふりをして「恩人」の痕跡とか「恩着せ」のようなネタが残らないように配慮しているのだと思う。そこが拓郎の奥ゆかしい魅力なのだ…と思う。

☆佳代さんの誤爆が凄すぎて、いいのか夫婦のそんなものを覗いてしまって(爆)。

☆昔、出待ちしていたら、たぶん小室マネージャーに「みなさん拓郎さんの視界に入らないようにしてください」といきなり注意を受けて、地面に伏したり物陰に隠れたのを思い出した。

☆セッション中止は残念だが、女性提供曲集とは望むところだ。年内ですべてがシャットアウトではなく、その先にもなんか明かりのようなものが見え始めているような気がするが、どうなんだ。

2022. 10. 14

☆☆☆両極の歌姫☆☆☆
 ということでここのところ図らずも50周年のユーミンに敬意を払ってきたが、今は中島みゆきの新曲が気になって仕方がない(爆)。ドラマの主題歌なので、本編を吹っ飛ばしながら、ああ〜大竹しのぶだ、ヤスケン好きだぁ〜、確かイケメンのサッカー選手と結婚した高梨臨はひさしぶりだぁ〜みんなすまんね〜という感じで早送りして最後の主題歌から聴いた。そういえば昔"心の破片"をこんなふうに聴いたな。
 セリフと被るので聴き取りにくい。後でねーさんに確認したらかなりの空耳状態だったが、それでもやっぱり中島みゆきは最高だぜ。おい。タイトルも「倶に<ともに>」。たまらん。
  ♪倶に<ともに>走り出そう 倶に<ともに>走り継ごう
 …「走り継ごう」ですぜ。

2022. 10. 13

☆☆☆わが心のアイランド☆☆☆
 NHKの朝ドラはもういいやと思っていたけれど、今期もたまたま観たらクギ付けになってしまった。そうだった。俺も6歳と7歳の時、まるまるふた夏、たぶん当時のオトナの事情で、長崎県の五島に預けられたことがあったのを思い出した。ドラマの舞台はオラが島とは違うけどご近所だ。ドラマの主役の健気な女の子を観ていたら、なんか俺も島に馴染めずに苦労した健気な少年だったような気がしてきて自分が可哀そうになった(笑)。
 いわゆる隠れキリシタンの末裔の島だったのだが、その後、吉田拓郎のファンだとなかなか周囲に公言できず密かなファン活を続けて来たのって何か似てね?>似てねぇよ
 でも船の発着にはユーミンが流れるんだよその島。あらら、ここでも50周年おめでとうございます。
 とはいえこの朝ドラは前川清。なんかリアル。こんなおじさんばっかだった気がする。

2022. 10. 12

☆☆☆ミノルホドコウベヲタレルイナホカナ☆☆☆
 2022年、秋。たとえば武部・鳥山・松任谷・鈴木茂らの姿をテレビ等で見かけて…見慣れた姿に心を寄せるとそれはヨソ様の祝宴だったりするわけで、それはそれで50周年おめでとうございますと心の底から思うのだが…かくして私たちの「秋冬」はどうなるのだろうか。このままあと3回のラジオをマイルストーンにそれぞれが静かに「収活」してゆくことになるのか。それとも、もうひと花、何かあるのか。どっちにしても、変わらない、変わりようがない。これからの日々も最後まで一緒にさまよっていきましょう。

2022. 10. 11

☆☆☆マイ・ブロークン・何か☆☆☆
 仕事を始めたものの疲労感が抜けない。コロナのせいか、いや前からこんな感じだった気もする。とにかく職場に同情ムードが漂っていたので早めに失礼した。とはいえ街へ出てブラブラするほど元気もない、何もすることがないなんて。
 空いているのを確認してから懸案だった映画を観た。
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 原作漫画が素晴らしすぎたので、映画はやさぐれた怨念が足りない気もしたが、イイ感じの小品にまとまっていた。すっかりわたしたちの親戚の娘になってしまったかのような「奈緒」がマリコを熱演している。いいな。あ、主演は永野芽郁です。先輩ご推奨の「ファーストペンギン」も面白かった(フォーライフとは恐れ入りました)。第1話の最後のキレ芸、アル・パチーノみたいだった(爆)。
 この映画でも奈緒はちゃんとブロークン・マリコだった。その役柄にきれいに染まるよね。ホラ、演ずる前からアタシ女優だからという臭みがない。それは彼女にとって得なのか損なのかわかんないけれど。応援しとうけんね。
 「もういない人に会うには自分が生きてるしかないんじゃないでしょうか」
…いいねぇ。映画も原作もここがイイ。そうだね。

2022. 10. 10

☆☆☆祝・松任谷家・荒井家☆☆☆
 ふと気がつくと世間と周囲は見渡す限りの"ユーミン"だ。拓郎のことばかり考えていたら、どうやらあげての松任谷・荒井家大祝祭の中に紛れ込んでしまっているらしいわい。もちろん心の底からおめでとうございます。こちらにも波及するような何かが起きてくれないか…期待はすまい。

2022. 10. 9

☆☆☆元始拓郎は☆☆☆
 ラジオの再編集版を聴いた。「品格」どころではなく「元始の太陽」と「中原中也」までも絡んできたぞなもし。柴門ふみさんの「吉田拓郎=中原中也説」を是非とも聴かせていただきたいな。
 この対談は、7月28日の収録だったのだな。松任谷正隆よ、あれから3か月…そろそろボーカリストが必要になっていないだろうか? 曲を書いてくれる人が必要なのではないか? はっ。もしかしたら今日のこの番組再オンエア自体が何かの前哨なのだろうか。

※柴門さんの手紙は素敵でした。聴き取ることができた限りで勝手ながら起こしてみるとこんな感じです。
{2022.10/9(日)TOKYO FMサンデースペシャル「吉田拓郎が松任谷正隆と話したかった音楽のこと」より}

拝啓 吉田拓郎さま

 平塚らいてうの有名な言葉に「元始女性は太陽だった」がありますが、50年の拓郎ファンだった私はあえて申し上げます。

     「元始拓郎は太陽だった」

 1970年、14歳だった私は四国の田舎の女子中学生にしてはおませで、大阪のラジオ局から流られてくる拓郎さまの楽曲の歌詞にのめり込んでおりました。以来歌詞にホワイトジーンズがあれば買いに行き、ひとつのリンゴをふたつに切るという言葉に触発されリンゴをまる齧りしてみたり。
 テレビには殆ど出演されませんでしたが、音楽雑誌に掲載された拓郎さまの笑顔に「太陽みたいだ」と私は恋をしておりました。

 もうすこし年月が経って冷静にわが身を振り返ると、当時拓郎さまが最もウンザリしていた音楽の何もわからないミーハー女子の代表だったように思います。けれどミーハーまで巻き込んで日本中に熱狂をもたらしたのは拓郎さまが太陽であったがゆえです。
 それと吉田拓郎=中原中也説というのが私の中にあるのですが…長くなるので割愛します。

 今年「吉田拓郎引退」という衝撃的なニュースが流れました。それを聞いた私は、

   古い水夫を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう
   古い水夫は知っているのさ 新しい海の怖さを

 を実践したのだ!と思いました。拓郎さまの生の歌声を聴けなくなるのはとても寂しいことだけどそういう決断をされたのだから拍手を送ろうと。

 けれど最近になって完全な音楽活動の停止ではないと知りました。安堵しました。

 気が変わってまたステージに立ちたくなったら、ぜひそうしてください。アルバムも作ってください。日が暮れても翌朝になると何事もなかったようにひょっこり太陽が現れるように。 乱筆乱文失礼しました。
                              柴門ふみ

2022. 10. 8

☆☆☆合言葉は品格☆☆☆
 録画してあった「関ジャム」のユーミン特集の後編を観た。本人のインタビューで「ユーミンにとって松任谷正隆の音楽パートナーとしての凄さとは何ですか?」という質問に対してユーミンはこう即答した。「品格があること」。おお〜カッチョエエ〜。「音で表現される品格」、「揺るぎないエレガンス」などと説明を添えてくれたが、とにかく私にはかなり衝撃的であり説得的な答えだった。
 前回の「関ジャム」前編のあとに私は「拓郎とユーミンを対立軸にするのではなく、拓郎とユーミンという新しい音楽の才能がある種のタッグを組んで、音楽の世界を変えたという歴史認識は異説なのか?。そのための天才「松任谷正隆」だと思うのだが。」とグダグダ書いたがその答えをストレートに貰ったようだ。松任谷正隆、ユーミン、吉田拓郎というこれらの異能を結びつけるものは「品格」であるという答えだ。
 「品格」という言葉自体は、とっつきにくいし気に障りそうなところもある。しかしその反面で、この場合は、そう!、それなんだよ!!と唸りたくもなる。

 先日の松任谷とのラジオで拓郎も当然の如く松任谷正隆の品格を見抜いていたし、松任谷もたぶん拓郎に品格を感じたからこそユーミン同様にあそこまでエレガントな仕事をしてくれたのだと思える。フォークは嫌いだけどアンタだけは好きと言った安井かずみも同じかもしれない。
 特に若い頃の拓郎は粗野で飲んだくれで女性好きな暴れん坊とされていたが、それでも拓郎ファンはただの荒くれ者とは違う煌めくものを感じていた。ダミ声のシャウトの中に光る透明感のようなものを聴いていたはずだ。それは品格=エレガンスといえるものかもしれない。

 拓郎が好きというと社会や世間から浮いてしまったり孤独を感じることも多いが、それは拓郎の品格に気が付いてしまったわれわれ拓郎ファンもまた品格の人だからだ(爆)。今の日本に生きるには感性がエレガント過ぎる私たちだからなのだ。違う?せっかくのファンサイトだからいいじゃないか。ああ〜なんかまた熱が出てきたみたいだ(涙)。今日はこのくらいにしといてやらぁ。

 先日のラジオの再編集のようだが、あらためて明日の10/9(日) 19:00~19:55 TOKYO FMサンデースペシャル「吉田拓郎が松任谷正隆と話したかった音楽のこと」が放送される。ということで「品格」とは「エレガンス」とは何か?を考えながら、しっかりと聞きなおしてみたい。

2022. 10. 7

☆☆☆流れてゆけとどまらずに☆☆☆
 くどい日記しつこい日記がしばらく途絶えて、コロナにでもなりやがったのかと思われた方がいらしたらハイ正解です。家族・親族が立て続けにコロナに罹患していたが、私だけが、大した症状もなく市販の抗原検査キットでも何度試しても陰性だったため「やっぱ拓郎はコロナにも効くんだな、むははは」と吉田拓郎の免疫力を確信していたところだった。
 しかしたちまち高熱と喉の激痛地獄に陥って、結局のところ家族・親族間で一番重症化してしまってとても情けなかった。這う這うの体で発熱外来にたどり着いたら、院長のO先生は(^O^)←ホントにこんな顔で「陽性じゃん、なんでもっと早く来なかった、濃厚接触者なのに自分は大丈夫だとかなんで思えるの?え? 」といきなり超絶イタイところを突いてきた。何も言えなかった。無敵抗体を作るほどには俺の拓郎愛が足りなかったのか、あるいはそもそも俺の愛には邪な不純物が入っていたのか、キチンと再検討してから、O先生にお答えする。するのかよ。

 しかしおかげさまでO先生の諸薬処方のおかげで入院せずにたちまち回復することができた。ありがとうございます。小学生の頃ダチが「Oマンション建設反対!」とか医院建設地の前で叫んですみませんでした。
 
 病床で一番聴いたのは当然にアルバム「ah-面白かった」だった。なんてこったい俺のエンディングになっちまうのかよという思いで聴いたこともあった。
 ここのところ知ったかぶりでカウンター・メロディにかぶれていたが「君のdestination」これはチカラ強いカウンターメロディ―の拠りあいだと気づいた。武部・鳥山もボーカルのためのすき間を開けようとするなと拓郎に言われたとDVDで語っていたが、ほとばしるようなバックのメロディーが流れてゆく。その河の流れのうえを本メロディとボーカルが快適に滑っていくようなそんな感じがした。素敵に強い対旋律というヤツではないか。いいなぁ。…なんにしても「俺のdestination」にならなくて良かった。
 そして病床で一番勇気づけられたのは、意外にもあいみょんの「愛を知るまでは」だった。

   愛を知るまでは死ねない私なのだ
   導かれた運命辿って
   今日も明日も生きて行こう
 
 うーん、このフレーズがジジイも刺さって支えてくれおったよ。繰り返し繰り返し聴いて助けられた。

 マスコミではコロナのピークは越えて鎮静気味なイメージだが、医療の現場では、減っている実感はないということだ。どうかくれぐれも皆様ご注意ください。市販の抗体キットのあまりの過信にもご注意を。これからもt.y lifeは皆様のLife<命と生活>に役立つ情報を発信してまいります>1ミリもしてねぇだろ、そんなこと。

 ご心配くださった方々有難うございました。おかげて僕は元気です。

2022. 10. 2

☆☆☆弟性なるもの☆☆☆
 そのハマり中のドラマ「僕の姉ちゃん」のゆったりとした主題歌がずっと耳に残っている。このコンビは、拓郎の作品もカバーもしているし、もともとディラン&ザ・バンドが音楽的出自らしい。ともかく昨今の自分の気持とフィットする。

  終わったことは終わったことと
  片付けて次に行けばいい
  わかってるけど、わかってるから
  今夜はきっと眠れない

  こんな時間はいつか終わる
  始めた日からわかっていたから
            (「恋の顛末」ハンバートハンバート)

 そうなんだよ60歳も過ぎておかしい、そのずっと前からおかしかったんだけど。看板を下ろしたりしたら何も残らない。

 このドラマの姉のぶれない盤石感。どこに投げても余裕で打ち返してくる。姉からも難球をビシビシ投げこんでくる。あたふたしながら弟は、そこにほのかな幸福感を感じる。この弟もまたいいんだわ。経験ないからわかんないけど姉弟とはこういうものなのか。
母性とか父性とかはよく論じられるけれど、それとは別の姉性・弟性という種類の性ものも確かにあると思う。そして吉田拓郎はたぶん弟性の人なのではないかと思う。安井かずみさんの話、そして今回の「雪さよなら」のディレクターの話…ことあるごとに話してくれるいろんな話からそんなふうに感じる。
 余計なことだがほんとうは弟性あふれるの人なのに、世間のイメージからリーダーシップに満ちた兄貴を勝手に求められてしまうから、いろいろメンドクセ―ことになるのでないかと思う。はい、これも勝手な思い込みですばい。

  今夜は深酒でもしながら
  火の消えるのを眺めていよう

 あ、かなりいい曲かもしんないと言う気がしてきた。

2022. 10. 1

☆☆☆箱根の奇跡☆☆☆
 「恋唄」の見事な演奏にあらためて思う。”ローリング30”の<ほぼティンパンアレイチーム>の演奏には松任谷正隆とか後藤次利とかアレンジャー名が記載されているが、<箱根ロックウェルチーム>の演奏にはアレンジャー名の記載がない。ずっと謎だったのだが、最近のラジオでは、石川鷹彦を中心にその場でみんなでアレンジしたようなハナシだった気がする。

 松本隆がホテルで短時間のうちに詞を書きあげて、その詞に拓郎が目の前で曲をつけて、それを隣のロックウェルスタジオに持って行ってレコーディングする。もはや有名な伝説だ。実は詞と曲たけではなくこれだけのアレンジもその場で瞬時に行ったこともすんごいことだ。詞→メロディ→アレンジ→演奏→歌…これだけの制作を流れ作業で一気にやってのけ、かくも高きクオリティの音楽をつくり上げる。こりゃあもうマグロの解体ショーで、あれよあれよという間にさばかれて、気が付いたら大トロにぎりを食べさせられているようなものだ。いみふ。

 今週末は、映画「マイ・ブロークン・マリコ」を観に行くつもりだったが、行けなくなった。蟄居して家でAmazon primeの「僕の姉ちゃん」(黒木華、杉原遥亮)をだらだらと一気観している。いいなぁ、この姉ちゃん。久々に大好物のドラマを見つけた感じだ。黒木華は「くろきはな」ではなく「くろきはる」と読む。難読漢字だ、受験生注意。出るのかよ。

   

2022. 9. 30

☆☆☆カウンター・メロディで聴き直す吉田拓郎☆☆☆
 カウンター・メロディ(対旋律)の魅力…そんなこたぁ昔からわかってんだよと嗤われそうだ。しかしなにせ音楽センスが乏しい俺にはそれだけでその曲が違ったものに聴こえてくる。漠然と好きだった曲たちの奥行と建付けを知ることで、あらためてその曲をいっそう好きになる。そういう勝手な営みなのでほっといてくれんさい。

 そう思って聴くとビッグバンドはあらためてカウンター・メロディ(対旋律)の宝庫だと知る。拓郎がビッグバンドに執心する理由はココにもあるのだろうか?
 瀬尾ビッグバンド2005。昨日書いた「虹の魚」もイイが、今日のわが心の対旋律は「恋唄」。この「恋唄」は”ローリング30”の原曲もまたすんばらしい。とにかく、かくも美しく、かくも繊細な対旋律があろうか。…とわかったふうなことを言いたくなる。空から降ってきたようなまさに天衣無縫とはこのことか。

 そしてビッグバンドといえば不滅の古典”ライブ73”。これも対旋律の宝庫なのだが。俺的には「野の仏」。この対旋律も泣ける。昔からこの曲に胸がしめつけられるのは、”釣り”でも”高節くん”でも”鮒の病気”でも”今度は確かに笑いました”でもなく、この陽だまりのような主旋律と対旋律のあざなえる縄のごとき演奏にあったのだとあらためて思う。

 「カウンターメロディから聴き直す吉田拓郎の旅」…日記に書くかどうかとは別に私的には当分つづく。
 年末に「輝く!日本カウンターメロディ大賞」をやりたいな。もちろん候補曲はすべて吉田拓郎だ。制限しているのではない、全歌手を対象にしても結局吉田拓郎の曲しか残らないだろうと言うだけのことだ、むはははははは。

2022. 9. 29

☆☆☆知ったか気分は対旋律☆☆☆
 その「関ジャム」では、ユーミンは作曲の時、カウンター・メロディから作ることがあるという話に出演ミュージシャンがみんな驚いていた。俺も一緒に驚きたかったが、カウンター・メロディ―の意味も知らないので何がなんだかわからなかった。すると武部聡志先生が主旋律(メロディー)を効果的に補う対旋律のことです…と教えてくださった。要するに歌の後ろで鳴ってる演奏独自のメロディ―ということなのか。

 …ということでカウンター・メロディという言葉を聞きかじったら、なんだか嬉しくなり「これはカウンター・メロディが秀逸だねぇ」としたり顔で言いたくなって(爆)、そして吉田拓郎のカウンター・メロディのことが気になってきた。とはいえ素人なんで違ってたらごめんね。

 すぐに、これじゃないかと思ったのは、79年の松任谷バンド、2005年の瀬尾バンドの「虹の魚」。♪枯葉ごしに山の道を辿ってゆけば〜♪♪♪♪〜、…虹のように魚の影キミが指さす〜♪♪♪♪〜虹鱒よ…
 主旋律の裏でほとばしる川の流れのようなメロディーがアシストしているのが聴き取れる。特に瀬尾バンドではガッツリ前面に出ている。そう思って聞くと、この歌の深い組立てわかるようで、あらためていい歌だなぁとウキウキしてくる。
 
 もうひとつは「危険な関係」。これもなんかカウンター・メロディーが哀愁を湛えながらもグイグイと押し上げてくる。カッチョいいっす。

 そして本日のカウンター・メロディ―大賞。「カンパリソーダとフライドポテト」。拍手。このケーナとギターの対旋律…こりゃあ見事ばい。カウンターのメロディ―だけでひとしきり泣けそうだ。もぉ〜鈴木茂にチューしたくなっちゃうぜ。すまん。そういえば「カンパリソーダって何ですか?」と尋ねられると拓郎は「ユーミンが飲んでる食前酒」と説明していたな。なんかつながった。

 カウンター・メロディと聞くと正直、頭の中には矢吹丈と力石徹のクロスカウンターが頭に浮かぶ。そんな見事な対旋律があるかもしれない。しばしカウンターメロディ―探す旅に出てみんさいや。聴きなれた曲たちが未知の荒野に思えてくる。んー生きる希望が湧いたぜ。

2022. 9. 28

☆☆☆歴史は好きなように作られる☆☆☆
 日曜の夜の「関ジャム」が面白い。この番組支持者からすれば何を今さらというだろうが。先週と来週はユーミン特集だ。この番組で好きなのは、音楽音痴の俺にも音楽技術をていねいに解説してくれるところだ。例えば拓郎がラジオで「オーギュメント」「ディミニッシュ」「三連符」とかをわかりやすく教えてくれたのと同じだ。俺でもちょっと音楽がわかったような、ミュージシャンの心意気がわかった気にさせてくれるところが嬉しい。その音楽が好きでたまらないところを出演者がハートの部分とテクニカルな部分から詰めてくれる。こんな感じで拓郎の特集をガチでやっておくれよ。

 ただこの番組に限らず、ユーミンの特集番組では必ず70年代フォークブーム=吉田拓郎(だいたい「結婚しようよ」「旅の宿」のジャケットが映る)を打ち破って華麗なユーミンが登場しニューミュージック界が一変するというヒストリーが解説される。これは当然気に入らない。それはユーミンではなく制作側の問題だ。
 確かに、拓郎が松任谷とのラジオでも語っていたとおり、フォークと一緒にされることはユーミンとって我慢ならないことだったろうし、ユーミン自身もご著書で、当時「女拓郎」と言われたことに不満だったと述懐されている。御意。
 しかし、旧体制の拓郎がやっつけられて、新しいユーミン登場みたいな雑な歴史的説明は、世間にはわかりやすいのかもしれないが違う。そもそも俺なんかの記憶でも昔から拓郎とユーミンはかなり近しかった記憶しかない。
 フォークだ、ロックだとかはもういいけど、拓郎とユーミンを対立軸にするのではなく、拓郎とユーミンという新しい音楽の才能がある種のタッグを組んで、音楽の世界を変えたという歴史認識は異説なのか?。そのための天才「松任谷正隆」だと思うのだが。

 んなことはどうでもいいじゃないかと思うわば思え。でも無頓着でいると、歴史は書きたい人によって、都合よく書かれてしまうものだ。吉田拓郎をただのフォーク歌手としておくことが都合がいい歴史主義者とでもう言うか…いかんまた陰謀論になってしまうぞ。

 ということで「関ジャム」楽しみだ。今回も「カウンター・メロディ―」という言葉を聞きかじって、はぁ〜そういうものなのかといろいろな音楽(拓郎だけだが)にあてはめてみてしみじみと楽しい。

2022. 9. 27

☆☆☆今日のわざすべて終え☆☆☆
 今さらだけれどインターネットやSNSの「電網空間」(@吉田篤弘)はつくづくありがたい。困った状況の届きにくい小さな声を丹念に拾い上げてくれる。電網恢恢疎にして漏らさず…違うか。それじゃあ電網でポチしたり、宅配ネットワークで物資を送ろうとすると少なくとも今朝の時点までは配送ステーションが回復していない。困った。
 結局仕事関係の某協会の方が車を出して現地に届けてくれるというのでそれに託すしかなかった。すまん。頭が下がる。電網は不可欠だが、最後は人間のチカラだ。身を運んでこそ浮かぶ瀬もあれ…これもちょっと違うか。拓郎が昔からいう「馳せ参じる」と言うやつだ。
 こんなときに不謹慎な譬えだが、電網がCDの楽曲とすれば、身を運ぶこと=馳せ参じることはライブみたいなものだ。どちらも人間には不可欠なものだ。結局、殆ど何もしていない俺だが、とにかく清水のライフラインが早く回復しますように。

 それにしてもいい歳したジジイなのホント情けないが俺はこの国がさっぱりわからない。ああ、ほんとにわからないと今日は心の底から思った。吉田拓郎リタイヤのあと、僕らは何を信じるのか、僕らは何処へ行くのだろうか。

2022. 9. 26

☆☆☆静岡☆☆☆
 昨日はのどかにつま恋の思い出を書いたしそれはそれで大切なことなのだが、申し訳ない、その静岡は台風の影響で大変なことになっていたのですね。特に清水は断水に浸水と大変だ。復旧に一週間とは厳しすぎる。昔から静岡には個人としてもお仕事でもそして何よりt.y関係でも超絶お世話になっていながら、気づきもせずにすまんです。同じ水際の不安に暮らす身でありながら恥ずかしい。御見舞申し上げます。御見舞のみならず微力ながらできることを探させていただきます。どうかお大事に。

2022. 9. 25

☆☆☆ワンス・アポン・ア・タイム・イン・つま恋☆☆☆
 ようやくと晴れた。こういうおだやかな晴天の秋の日には「つま恋2006」を観よう。16年も経っちまったけれど、大丈夫だ、あの日のちょっと強めの風の匂いまでちゃんと覚えている。青空と拓郎バンド。中島みゆきが出てくるとそのたびに驚く(爆)。花火で泣く。こうやって何回も観ていると、昔を懐かしむ年寄りの走馬灯だと揶揄されるが上等だぜ。そういうアナタ方がいつかジジババになったとき何百回観てもこんなに身体中が熱くなり胸が高鳴るものがあったらいいな。ココはこうだったんだよと熱くなって語りたくなる壮大なドラマに出会えたら、それはすげー幸せなことだと思うぞ。
 ということで、こんな至福をいただけたことにあらためてありがとうと何度でも感謝したい。感謝しつつも、おい幻の吉田拓郎第二部をそろそろなんとかしてくれよとしつこく思う。いくハピ、全抱き、野の仏 ファイト!…ああ観たい、聴きたい。
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  たぶん前日のゲネ見物の時に撮影。

2022. 9. 24

☆☆☆た・こ・ての謎☆☆☆
 これでもかと台風がこの国を襲撃してくる。今にして思うと2006年つま恋は無事開催できて良かったと魂の底から感謝したい。あの時は危なかったんだよね、実際。そしてその裏には「晴れ男:吉田拓郎」VS「雨男:南こうせつ」という二大天気男どうしの戦いがあったことを後に知った。これまでこの勝負は「晴れ男:吉田拓郎」の神通力の圧勝だが、拓郎が唯一完敗したものがある。それは「1983年6月10日SUNTORY SOUNDMARKET‘83 後楽園球場」の雷雨中止だ。あんときゃ電車も止まって凄まじかったな。この時の敗因は謎であるが、学説的には概ね三説ある。

 T説 武田鉄矢もまた強大な雨男説 
    二対一で形勢不利だった

 U説 大阪球場の余波で神通力弱体化説
    数日前の大阪泥酔事件で拓郎の神通力が弱まっていた

 V説 実は本人がそんなに歌いたくなかった説
    ああ億劫だ、別に雨になってもいいやということで晴男の神通力を自ら封印していた


 こうせつ、鉄矢揃い踏みのつま恋85も無事開催されたことからT説はなく、泥酔で神通力が弱まるようなお人とは考えられないのでU説もない。結局V説ではないかと私は睨んじょります。一番ありがちだし(爆)。

2022. 9. 23

☆☆☆ちょっと困ったラスト☆☆☆
 ということで「粋なラスト」があれば、粋とはいえない「不粋なラスト」もごくたまにはある。せっかくの名盤アルバムなのになんでこれが?…というラスト曲も個人的にはある。ディスっているのではない。ただ悪態をついているだけだ。どう違うんだ。イチローだって大谷だって、この世に10割バッターなんてものは存在しない。華麗な活躍の打席のみならず、ファンなら三振と凡打の打席からも逃げてはいけない。どの打席もひとしく味わい、深い愛を注ごうではないか。

…ということで「こりゃあないぜな不粋なアルバムラストベスト3」。

※圏外第4位 男子の場合(アルバム「午後の天気」)
 最初の“僕の道”のイントロがいきなり心臓に響く。66歳なんて年齢をものともせず、「昨日の雲じゃない」「危険な関係」「慕情」「清流」どの曲もクオリティが高い。特に初顔合わせの銀色夏生の詞との出会いがスパークした「この風」には唸った。
 だからこそそんなアルバムの最後のこの曲を聴いて思ったのだ「あれ?」…いろいろ聴き落としたのかもしれない、もう一度ちゃんと聴いてみると、やっぱり「あれ?」…すまん。見事な内野ゴロではないか…あくまで個人の感想です。ともかく詞の内容も曲の輪郭もよくわからないままアルバムがしめくくられて当惑してしまうのだ。

第3位 ガラスのワンピース(アルバム「FOREVER YOUNG」)
 「ペニーレインへは行かない」「大阪行は何番ホーム」「Life」「7月26日未明」…名曲の幕の内弁当といわれるアルバム「FOREVER YOUNG」。身を削るような愛と哀しみの傑作たちの最後に、この「ガラスのワンピース」はどうなんだ。そもそもこの曲はこのアルバムに必要だったのか。だ〜からおまえはロックンロールがわからないんだと怒られるかもしれないが、ああわかりませんよ。このとってつけた感があふれる最後。
 もしかするとあまりに重苦しいテーマの曲が多いので、最後はロックンロールで痛快にぶっ飛ばせと思われたのか。それにしても17歳のイケイケねーちゃんの唄は飛び過ぎだ。もちろんだからといってアルバム「FOREVER YOUNG」が名盤であることはいささかも変わらない。

第2位 白い部屋(アルバム「無人島で」)
 この指とまれ〜春を呼べUという魂アゲアゲで始まるこのアルバム。それがB面の松本隆の詞になるとゆるやかに失速を始める。失速した最後にたどり着くこの歌。だってここは白い部屋だもの。
 この作品はこの寂寥感も含めて名作だと思う。「晩餐」(岡本おさみ) 、「裏窓」(石原信一) そして「白い部屋」(松本隆) 。このお三方の世代だからこそ描けた世界だ。戦争や政治的無関心さとそれに対するある種のやましさとの深い葛藤。「哀しみのアパシー三部作」と呼びたい。しかし良い曲であるにしても、最後のしめくくりにこんな切ない歌を置かないでくれよ…と思う。おりしもこのアルバムが発売された1981年12月冬。秋のツアーを全部キャンセルされ行き場もない日々を思い出す。そりゃあないぜセニョリータ。

第1位 風になりたい(アルバム「俺が愛した馬鹿」)
 「風になりたい」は稀代の名曲だ。それは多くの女性歌手がカバーしていることから明白だ。その曲をアルバムのしめくくりに持ってくるのは実に粋な選択だと思う。しかし、このアレンジがまったく粋ではない。打ち込みの機械的なトカァァンというリズムがやたら耳につく。美しい曲だけに違和感が半端ない。しかも歌と演奏が終わってもトカァァンというリズムだけが延々と続いてゆくのだ。なんだこりゃ。あ〜せからしかぁ。そもそもジャケットにお墓の埋葬の写真を載せているところから気に入らない。呪いをかけられているのか。あの原曲の松任谷正隆の基本アレンジに帰っておくれと願う。

 ラストアルバムということは、粋なラスト、大団円なラストはもちろん不粋なラストさえも、もう出逢えないことを意味する。そう思うと何もかもがいとおしい。不粋なラストにも心をこめて拍手。どれも素敵なアルバムだったよ。あらためてありがとうございました。

  愛はこの世にありました
  カタチを変えながら風に吹かれて
  心と心が出逢った季節は
  ah-面白かった

2022. 9. 22

☆☆☆粋なラスト上位編☆☆☆
 「粋<いき>なラスト」は「大感動のラスト」とはちょっと違う。なので「マラソン」(アルバム「マラソン」)や「又逢おうぜ、あばよ」(「Shangri-la」)や「僕を呼び出したのは」(「吉田町の唄」)や「あなたを送る日」(「午前中に…」)などは大好きなラストソングなのだが今回は入らない。
 さて、なんの権威も信憑性もない、ただの個人の好き嫌いの順位だが続いて上位2曲。

第2位 まァ取り敢えず(アルバム「感度良好波高し」)
 外国人バンドの作品の最後のこの曲。そこまでの「感度良好波高し」の曲相とちょっと違って、しみじみとした「あとがき」感がある。…おだやかだ。僕の現在、歳を取って少し丸くなった僕、でもロックにもリズムにもレゲエにもラップにもとらわれない自由な僕、ちょっと億劫だけど歌おうとしている僕、そうやってやわらかく変化しつつある僕…拓郎いわく「阿木燿子にはすべてお見通し」。でさ、この曲はこのアルバムのみならずその前の「Long time no see」のラストのようにもなっていて面白い。「とんとご無沙汰」でゆっくり立ち上がった帰ってきた僕が、歳月の中で変わりながら、でもやっぱり歌うよというしめくくり。粋ですばい。

第1位 「ガラスの言葉」(アルバム「元気です」)
 たまたまだと思うが「祭りのあと」がアルバム「元気です」の最後に入っている曲だと思っている人に今まで三人くらい会った。「あの最後の曲の”祭りのあと”っていいねぇ」といわれると、すばらしい曲なことには異存がないが、最後の曲じゃねぇよとつい心の中でつぶやいてしまう。最後から二番目だよ。確かに「祭りのあと」はインパクトが強い銘曲だし、まさに「最後」な感じが横溢している。
 しかしアルバム「元気です」は、祭りの後の淋しさの後に「ガラスの言葉」でしめくくられる。ここがいいのだ。シンプルで美しい軽(かろ)み。なんといっても最後に満点の星空=ミルクウェイを描いて魅せてくれる。なんて素敵なラストなのかしらん。粋です。

…バカと言われようが、独りよがりといわれようが、いろんな角度からいろんな光をあてて吉田拓郎の唄をとことん味わう…楽しい、幸せだ。あなたの粋はなんですか?。大きなお世話ですが。

2022. 9. 20

☆☆☆粋なラスト☆☆☆
 ということでアルバムのラスト曲としての「贈り物」を聴き直してみた。あらためていいエンディングだ。加熱した溶鉱炉が静かに冷めながら、それでいて胸に深くしみこむように終わる。Tくんが言ったように曲順も神アルバムだ。「僕の唄はサヨナラだけ」で終わったら熱をもてあましてしまうというのはそのとおりだ。

 拓郎に限らずアルバムの多くはアルバムタイトル曲や勝負曲の大作を配して大団円でしめくくるものが多い。最近でいえば「ah-面白かった」は「ah-面白かった」の胸しめつけられるようなフィナーレがすんばらしい。しかしそれとは対極的に、ゆるやかな余韻と余白を残した「粋」な終わり方というものもあると思った。
 独断と偏見ですが…ってそもそも独断と偏見しか書いてないよこのサイト。「この終わり方が粋だ…ベスト5」…「贈り物」は殿堂入りでランク外。

第5位「この歌をある人に」(アルバム「アジアの片隅で」)
 「今はまだ人生を語らず」に比肩する重厚長大熱熱アルバムのラスト。しかしこのラストには永らく不満だった。というのも拓郎は当初、アルバムの最後に「証明」を入れるつもりだったと聞いたからだ。そっちの方がすげえよ。それに岡本おさみ終了、次回からは松本隆の予告編みたいじゃん。しかし重厚で少暗いアルバムが「元気です」で雲の切れ間に光が射し「この歌をある人に」で青空が広がって終わる。あえて最後に青空と涼やかな風が吹いてくるような曲でしめくくるのが吉田拓郎の自由さ、懐の深さなのではないかと思えてきた。だからこれでいいのだ。

第4位「帰路」(アルバム「ひまわり」)
 「ひまわり」は難解なアルバムだ。難解すぎて,つい「駄作じゃねぇの?」とか「曲少な!」とか邪念が入りそうになる。それは俺という小さな料理用の計量カップで、洗足池の水の量を量ろうとするようなものだ。いみふ。「神様」と「いけないスモーク」の入り乱れる曲たちに当惑しながらも、この最後の「帰路」は、わかりやすく心安らかにしめくくってくれる。”こんな小さな僕達はきっといつか夜空の星になるのだから”…ホッとするフレーズが嬉しい。粋なラストだね。

第3位 「歌にはならないけれど」(アルバム「大いなる人」)
 社長シリーズの代表作といえば「大いなる人」。>知らねぇよ。バブリーでムーディーな作風に面喰らった。当時、シンプジャーナルで観た短髪に白いスーツと白いエナメルの靴の姿の拓郎が、ギターではなくハンドマイクで歌っているイメージが浮かんできた。それが音楽の成熟と鈴木茂の威神力のおかげなのだと理解できるまでには時間がかかった。特に最後のこの歌は内容の薄い歌詞に長すぎる間奏…と悪態をついていたが、今聴くとなんておだやかで素敵なラストなのかしらん。すまん。この演奏のたゆとうような海にいつまでもゆられていたいと思う。
                            たぶんつづく。

2022. 9. 19

☆☆☆贈り物☆☆☆
 台風の被害が甚大だ。ダム放水とか川の増水とか大丈夫なのかと案じながらも、すまん。そんなときもおいらは飲んだくれてた。小学校からの同級生で拓郎ファンでもあるTくん、Uくんと俺の恒例の9月誕生日会=還暦一周年記念会をささやかに催した。そんなことをよく覚えていてくれたなぁ(涙)と悶絶するような話や、長い付き合いだが初めて聴く話も結構ある。

 ウチの中学の生徒が大挙して通っていた地元の学習塾があり、Uくんはそこのホープだった。Tくんも俺もその塾ではなかったので知らなかったのだが、いよいよ高校受験という中学3年生になって、Uくんはその塾の教え方のいい加減さに異議を申し立て、♪自信はないけどひとりでやってみよう〜と決断して塾を辞めた。今思えばウサンクサイおっさんが塾長だったのだが、そいつが学習塾に通っていた生徒全員にUくんと話すと頭が悪くなるから学校でも口をきくなとお達しを出した。まるで芸能事務所から独立して干された芸能人みたいにUくんは四面楚歌状態になった。誰にも頼れない受験への不安と孤独の渦中で、15歳の誕生日に買ってもらったアルバム「今はまだ人生を語らず」を繰り返し聴き励まされたと語る。
 これは俺の想像だがたぶんその体験から「教師」って何なのかを問い続けたUくんはやがて自ら教師になり、今や大学の副学長という偉い人になっているのだが、彼が偉くなろうがなるまいが、なにより14歳の時の少年の小さな勇気、小さな一歩こそが尊い。その一歩を支えたのが吉田拓郎であることもまた誇らしい。
 こんなふうに救われた人がこの世にはたくさんいるに違いない。世間は引退した歌手として背を向けようとも、救われた人の力だけでこれからもやってまいりましょう。いみふ。
 
 で、Uくんが言いたかったことの本題はここなのだが、必死で聴いた自分としては「今はまだ人生を語らず」というアルバムは「贈り物」で終わるところか実に素晴らしいということだ。「ペニーレインでバーボン」「人生を語らず」を初め圧倒的な名曲群のチカラはもちろんだが、このアルバムの真骨頂はしめくくりの「贈り物」にあると力説していた。こういう話を聴くと「贈り物」を聴き直してみたくなる。このアルバムの結実がここにあるのかもしれないと考えてみるとまた新たな曲相が見えてくるようだ。楽しいぜ。

 「贈り物」といえば、同級生のNさん、素敵なプレゼントそしてケーキをありがとう。ケーキがお見事だよ。
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2022. 9. 17

☆☆☆魂のカバーたち☆☆☆
 前にも書いたと思うが何度でも書く。インペリアル時代の『吉田拓郎トリビュート〜結婚しようよ〜』に収録されてる下地勇の「制服」がすんばらしい。音楽がワカンナイ俺でも、これはブルースだっ!と小さな声で叫んだよ。しかも極上のブルースだ。
 同じアルバムで、LISAの「ビートルズが教えてくれた」も胸にしみるし、せせらぎのような音速ラインの「シンシア」も大好きだ。魂のトリビュートたちなのだが、それにしても下地勇、LISA、音速ラインみんなまとめて君らはいったい誰なんだ(爆)、すまん、知らないこの爺の方に非があることは当然として。

 後にエイベックスからも武部聡志が旗振りとなって「今日までそして明日からも、吉田拓郎 tribute to TAKURO YOSHIDA」というアルバムが出たが、こちらはすべてビッグネームばかりのトリビュートだった。これも傑作だった。まるで呪いをかけられているような一青窈のフラメンコなメランコリーが特にすきだ。しかし上記のインペリアルのトリビュートアルバムに集う若者たちの作品にも何ら遜色はない。

 最近。若者による秀逸なカバーが増えている。こうなると例えばあいみょん、米津玄師、藤井風の拓郎のカバーをも聴いてみたい。ご本人がリタイアしてしまうという淋しい現状に鑑みて「吉田拓郎をレスぺクトすると発言する全てのミュージシャンにカバーを義務付ける法案」を国会に提出してもいいと思う。いや法律を作るまでもなく閣議決定で簡単に義務付けてくれるかもしれない。よしなさい。とにかく極上のカバーだけが私達を救ってくれるという時代がすぐそこまで来ているのではないか。とにかくどんどんカバーしてくれんさいや。

2022. 9. 16

☆☆☆街へ☆☆☆
 どうでもいいことだが30年間お世話になった神楽坂の仕事場を今年春に移転した。なにしろ長かったので今でも少し淋しくなることがあるが、神楽坂の街は俺のことなどなんとも思っておらずへいちゃらだ。当たり前か。もともとあの街の深奥はガードが固くついにそこには入れないままだった。
 ただ街がハイテンポで変わっているのは事実だ。毎日顔を合わせていた映画館の飯田橋ギンレイホールも年内に老朽化で立退らしい。ここで映画「旅の重さ」を観た。「ママ、びっくりしないでね、若い頃の三国連太郎と佐藤浩市が同じ顔なの」と感動したものだ。感動するのはそこじゃないだろ。

 その近くのラーメン屋「黒兵衛」。堂本剛のドラマの撮影で使われて、俺のいつもの愛用席と堂本剛のそれが一緒だったことが自慢だったのに残念ながらコロナの頃に閉店してしまった。

 その少し前に閉店したインドールというカウンターだけの小さな生姜焼きの定食屋があった。とんねるずの「きたなシュラン」で紹介されて、カウンターに石田弘プロデューサー=ダーイシのトロフィー像が飾ってあった。結構ぞんざいに置かれていたが、貴明がどんなにイジろうとも俺にとってはライブ映画「吉田拓郎アイランドコンサートin 篠島」の神監督である(つま恋75もそうだよね)。いつも失礼がないよう生姜焼きを食べながら心の中で合掌していた。切り盛りしていたおじさんとおばさんはやさしいけれど無口な方々で殆ど話したことはなかった。でも最後の閉店の張り紙は実に素敵だった。
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 「皆様御機嫌よう」だぜ。カッチョエエったらありゃしない。「ah-面白かった」に通ずる。こんなふうに生きたいものだ。 
 

2022. 9. 15

☆☆☆それぞれの「青い空」☆☆☆
 共感できない部分も多々あり、あまり好きな映画ではないがそれでも魅せられる「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」。非行少年たちの友情と年代記…というと薄っぺらだが、まぁそういう話だ。しかしかなり難解で映画ファンを悩ますいくつかの謎があり議論がある。そのひとつが、映画のラストシーンで悲惨な状況なのにもかかわらず、最後に阿片でラリッたデ・ニーロはなぜ満面の笑みで笑っているのかというところに諸説の議論がある。お金独り占め喜び説、夢オチ説、精神錯乱説など、など。
 しかし映画ツウではない通りすがりの俺にはただ一択だ。あれは少年時代のストリートの仲間たちとの楽しかった日々で頭が走馬灯状態になっている幸福感なのだと思う。…少数説みたいだが自信がある。それは例えば吉田拓郎でいえば”ダウンタウンズ”での日々を思い出しているようなものではないかと思う。他人様の思い出を勝手に引き合いに出してすみません。
 しかしこの映画を観ると拓郎がことあるごとに、あんなにも大切にダウンタウンズの話をする気持ちがわかるような気がする。反対に、年齢を経てスーパースターになってもダウンタウンズのことをアマチュア時代の事と切り捨てず、むしろ今に繋がる音楽キャリアとして語っている拓郎を観ていると、この映画の最後のデ・ニーロの満面の笑みの意味がわかってくるような気がする。
 それぞれのかけがえのない「青い空」があるのだ。…俺にとっての「青い空」は何だろうかね…歳とともにだんだん答えが見えてきた気もする。

 ともかく主題曲、エンリオ・モリコーネの「デボラのテーマ」…いい曲だわ〜。とりあえずこの曲と我らが映画のテーマ曲「RONIN」を今日は繰り返し聴いていた。「RONIN」は何万回でも言うが、いい曲だねぇ。まさに映画死すとも主題歌死なず>すまん

2022. 9. 14

☆☆☆うの一撃to高杉☆☆☆
 気分がやさぐれているので、やさぐれているときはもっとやさぐれているものを観るに限るということで映画「RONIN」を観た>失礼だろ。すまん。正確には浅野温子に突き飛ばされて拓郎が土間に転げ落ちた撮影裏話を思い出しながら”RONIN”のそのシーンを見直した。当時のこの映画のぴあMOOKの浅野さんのインタビューによると浅野さんは監督とソリがあわず大喧嘩して撮影所を脱走して降板しかけていたらしい。だからか、浅野温子にはなんか投げやりな殺気を感じる。襲われる役なのだが、拓郎に「かかってきな」と凄んでいるように見える(爆)。
 拓郎が役作りのために見せられた「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」 (この映画とは言ってないけどたぶんコレ)のシーンとは随分違う。原映画ではデ・ニーロに思わず「やめろよ!やめてくれよ!」と叫びたくなる悲劇的なシーンだが、こちらのシーンは不謹慎で申し訳ないが「タクロー、しっかりして〜」というLIVE’73の客席のおねえさんの声が聴こえてくるようだ。
 しかもそこにまるで無頓着に流れている小田和正の歌声がいっそう切ない。結果的に悲劇的シーンでもラブシーンでもない、なんか不可思議なシーンになっている。だからといって決して美しかったり格調高かったりするものでもない(爆)。
 この映画の何年後かに武田鉄矢が「101回目のプロポーズ」で浅野温子と久々に顔を合わせた時に浅野さんから「どうも初めまして」と言われたという話…俺、好き。

 映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は、あまり好きな映画じゃなくて昔ナナメに観ただけだったが、今回は観始めたら4時間の長尺にもかかわらず夢中になって観てしまった。もちろん俺が夢中になるのは、そこに吉田拓郎を勝手に思いこむからだが、それがどこかはまた。

2022. 9. 13

☆☆☆戦争は終わったA☆☆☆
 昨日と映画のタイトルが違うような気がするが。昨日は陰謀論が過ぎたかもしれない。進撃のゲルマン人:ローマ帝国逆襲編を書くつもりだったが調子に乗るまい。…ウマが合わない…なるほどそれはとても良い落としどころのような気がする。
 昨日も書いたとおりジャンルに関係なくそこに「吉田拓郎」という音楽がある。ある意味それで十分だ。
 しかし拓郎の場合は、フォーク等のジャンルあるいはジャンルに象徴される何かによって、ここまでひどく痛めつけられたミュージシャンは他にいないと思う。俺なんぞには想像もつかない。まさに身の置き所がないような悲痛事。わからないけどそんなことがあったであろうことくらいはわかっていたい。
 そういう状況をとおして思うと、広島から上京した名もなきガキタレに手を差しのべてくれた加藤和彦、彼からつながり吉田拓郎を自由な音楽の世界に連れ出してくれた松任谷、石川鷹彦ら優れたミュージシャンたち、四面楚歌の罵声の中「帰らなくていいのよ」と頑張ってくれたおねえさんたち、50歳にして希望の国のエクソダスになってくれたLOVELOVEあいしてる、そしていうまでもない御母堂ら御家族‥‥他人様のことながら、なにもかもがより胸に深くしみてくる。
 そして吉田拓郎のアウトロとはそれら恩ある方々へのていねいな感謝と報謝を描くことなのかもしれない。わかんないけどさ。

 個人的に忘れられない光景がある。2014年6月30日の吉田拓郎の東京国際フォーラムの客席。開演前にコンサート観覧に訪れた谷村新司が入場してきた。客席にはそぞめくように歓声が沸き上がり、気が付いた観客たちが一斉に立ち上がってスタンディングオベイションで迎える中、谷村は深く頭を下げて席についた。結構、衝撃だった。それを観て私は「ああ戦争は終わったんだ」と思った。諍いは遥か夢になり…取り残された感。ということでいろんな意味で老いた残党になってしまった星紀行の明日はどっちだ(爆)>知らねぇよ!

2022. 9. 12

☆☆☆ワンス・アポン・ア・タイム・イン・フォークソング@☆☆☆
 前回のANNGで拓郎は、細野晴臣・大瀧詠一とはずっとご縁が無かったという不思議さについて語っていた。これは俺の勝手な妄想というか殆ど陰謀論なのだが、細野・大瀧あたりのラインとの間には見えないカーテンが下りている気がする。同時代でありながら彼らのインタビューにも、彼らをめぐる評論の中にも吉田拓郎は殆ど全く登場しない。彼らの”はっぴいえんど”が日本語のロック革命を起こし、大瀧詠一の三ツ矢サイダーのCMがCMソングを変えた(ハブ・ア・ナイスディの方が先だったのに)などと吉田拓郎をまるっと無視してその時間軸での歴史が語られている。もちろん細野・大瀧が超絶偉大なミュージシャンであることは俺ごときが言うまでもない。

 ぶっちゃけ、当時、東京でプライドを持って音楽活動をしていた多くのミュージシャンたちは「広島からやってきたガキタレ」(拓郎本人談)のことがものすげー気に入らなかったのではないかと思う。しかもこのガキタレには、天賦の音楽の才能が溢れ、背が高くてルックスも良くて、何をやらかすかわかんないエナジーに満ちている。だからこそ始末が悪い。昔学校で習った世界史でいえば、ローマ人からみた粗野なゲルマン人のような感じか。ローマ人はゲルマン人を下に見ていたが実はそこはかとない脅威を感じていたというヤツだ。日本だと平安時代の公家からみた武家みたいなものかと思う。
 ともかくこういう輩への最良の対処は、自分たちの音楽とは関係ない世界の人だということで境界にカーテンをおろすことだ。あの輩は「フォークソング」だから、「日本語のロックの自分たち」とは音楽的にも全く関係がない。いや、細野・大瀧らが実際そう思っていたかはわからないけど、とある音楽評で、吉田拓郎とはっぴいえんどの功績を讃えながら、両者には「殆ど接点はない」と断じ「細野・大瀧両名は、吉田拓郎が、目の上のタンコブだったに違いない。」という率直なコメントに思わず唸った(長谷川博一「ラヴ・ジェネレーション 音楽の友社ムック」P.43)。
 先日の松任谷正隆とのラジオで拓郎は「ファンは吉田拓郎がフォークでいて欲しいのだ」と語ったけれど、それは拓郎ファンではなく、当時の都会のロック系ミュージシャンや彼らを支持する音楽ジャーナリズムのことではないかと思う。例えば「ライブ‘73」とか「今はまだ人生を語らず」がロックに分類されたら、これを超えるロックアルバムってありますか?とかいう議題になった時にいろいろ面倒じゃないの。あれはフォークのアルバムだからとカーテンの向こうに置いておくという処世術を感じる。しつこいですが、あくまで個人の感想、妄想です。

 ということでフォークに追いやられた吉田拓郎をフォーク界はどう迎えたかというと、関西フォーク=フォークの牙城からはガチ嫌われていたことは有名な話だ。挙句の果てに、これもまた前回のラジオでも語られたとおり、全国的にフォークファンから「商業主義に身を売った」と罵られ「帰れコール」を浴びて「こんなヤツはフォークじゃない」と石を投げられたのである。俺が中学生の頃にも「吉田拓郎はフォークの裏切り者だ」といっている兄さんたちが実際に何人もいたものだ。70年代は良かったなとか思うこともあるがロクでもないこともたくさんあった。

 あっちではアイツはフォークだと敬遠され、こっちではアイツはフォークじゃないと面罵され、これじゃ日々を慰安が吹き荒れて帰ってゆける場所がない。吉田拓郎、三界に棲み家なし。つらかったろうに。
 「僕は愛されていなかった」という言葉を拓郎は最近何度か口にしたが、本人の真意はわからないが、こういうことも理由のひとつなのではないかと勝手に妄想する。そして妄想ついでに言えば、もし俺が拓郎だったら「フォークの畳の上で死んでたまるか」と思うに違いない。しかもその畳が四畳半だったらなおさらだ。いみふ。俺は吉田拓郎はフォークではないとずっと思ってきたが、それでも最近顕著に繰り返される「フォークじゃない」発言には、もういい、わかってるよと少し辟易していたが、まだ足りない、まだ足りない、まだ心が軽い。

 それでも拓郎は、たとえば"はっぴいえんど"も"YMO"を心の底から高く評価し、そこにはなんの屈託もない。既成のジャンルからはことごとくスポイルされどこにも属さなかったがゆえに、自分だけの自由な音楽をつくりあげたのだと思う。そこが我らが吉田さんの凄いところだ。
                                 …たぶん続く

2022. 9. 10

<オールナイトニッポンゴールド 第29回 2022.9.9>

 面白かったけれどとても全採録はできない。

☆オールトゥギャザーナウ
「1985年にニッポン放送も主催していたIYYのライブイベント、ほとんどの有名なミュージシャン全員集合した最初で最後だった あんな凄いメンツはなかった。しかし意外とエピソードとして残っていない。」

 御意。歴史に残る素晴らしいイベントなのに映像、音源を世に出さなかったから、なんとなく一夜限りの幻になってしまったのではないかと思う。レコーディングまでしたのだし、映像もありそうなので、今からでも公式で大切な歴史遺産として出すべきだと強く思う。

☆単独作詞
「テーマソングも詞を書いてくれということで1週間くらいで慌てて書いた、小田和正とかユーミンが曲をつけた。」

 ということで吉田拓郎の単独の作詞だ。ハイ、これ大事。詞は小田和正が書いたとか、共作だとかいい加減なクレジットや記載があるが、吉田拓郎さんひとりの渾身の作詞です。滋味掬すべき作品なのだ。http://tylife.jp/uramado/alltogethernow.html ったく自分で読み返して自分で泣けてきた。バカの極みだ。

☆はじめての坂本龍一
「楽屋でみんなと仲良くした覚えがいない」「坂本龍一とは現場で生まれて初めて話した」

 坂本龍一はこの時のことをこう書いている。

「彼とは一度会った。暴力的だと聞いていたが。そうは感じなかった。むしろ自分でもコントロールできないくらいのシャイネスを持っているように見えた」(ブックレット「TAKURO」フォーライフ1986 p.38)

 これ好き。初対面で見事に看破しているような気がする。

☆細野晴臣問題という闇
「その後、細野とは会ったことがない、なんで口をきかなかったんだろう」「悔いがある」 
     
 音楽界のヨーダ、細野晴臣。確かに拓郎とは接点を観たことが無い。以前も書いたが、かつて松本隆のこんな発言がある。
「拓郎は細野さんとはうまくいかないんだけど、茂と僕は親和性がある」(ミュージックマガジン2015年7月号松本隆ロングインタビューP.30)
 しかし拓郎が細野氏を嫌っていないのは、今回の放送で明らかなので「嫌われているのか(笑)」説が濃厚になってくる(涙)。というより何かの見えないカーテンがある気がする。それは単に当事者の好き嫌いの問題とは思えない。現代のJ-POPにはびこる「行き過ぎた”はっぴいえんど”は偏重史観」(※個人の感想です)は、こういうところにも原因があるのではないかと俺は思う。いつか詳しく話しあおうではないか。松本隆、最後の仕事だ。アナタのチカラでなんとか二人を邂逅させて世界をより豊かにしておくれ。フォースとともにあらんことを。

☆ありがとう小田和正
 コロナで復帰した小田和正、広島2日公演で初日「夏休み1番」、二日目「夏休み2番」を歌う。2日間、通い詰めて涙する田辺さんの奥様。「俺のも二日来い」いいなぁ。二日やってくれよ〜。小田和正、朋輩感がみなぎる。

☆レコードの音
「便利だけどスタジオの音をDATで聴くと温かい音が、CDでは違うなということが当時の印象としてあった」「アナログよりやや冷たい」「レコードには音のあたたかみはダントツある」  

 先輩サイトのあの方、レコードプレイヤーを買ったのは、やはりすごい。辛口だがやはり深い魂のファンだとあらためて思う。
 
☆“花酔曲”はデモテープ
 デモテープ公開はすべて博愛。だから嬉しい限りだ。
 
☆?
「”マークU’73”こんな編成が好きだなということだけ言っとこうかな」…なんか含みがないか?それともなんかやろうとしているのか?

☆共同記者会見
 菅田将暉と記者会見したのは「ラジオでナイト」が当時「最後のラジオ」というふれこみだったからだ。最後にならなかったけど(爆)「拓郎さんのようにまた始める」菅田将暉いいぞ!

☆美少年の系譜
 ドキドキさせた御三家「原田真二」「堂本光一」そして「菅田将暉」。でも堂本剛とチューしてしまう吉田拓郎。ということは四天王か。

☆LOVELOVE最終回のゲスト候補は、菅田将暉と稲垣来泉。

☆「百花」と「認知」
「家内の母も認知症だった、最後数年は僕のこともわからなくなって淋しかったけど、それはそれで天使のようだった」「記憶がないのは辛いし、その人は見ていると血のつながりはないけど素敵なキレイなお母さんに見えてきた」「そういう話って現実はとても大変なことで頭の中が実は認知症は素敵な人生を歩んでいるんじゃないか頭の中スッキリして苦しみから逃れてハッピーに天国にいこうとしているようにみえた」

 菅田将暉の認知症になられたおばあさんが、大将と本名で呼んでいたのが、将暉、将暉と呼ぶようにもなってきた。どうやら大将と将暉と二人の存在ができ上っていたらしい。この話にも涙ぐんだ。いろいろあり個人的に打たれた。"ah-面白かった"という歌があらためて胸にしみる。

☆祝手縫いのジージャン
 念願のジージャンの思わぬ贈呈、”じーちゃん”良かったなぁ(爆)。撮影しなきゃならないものがあって…撮影ってなんだ?…は置いといて、こりゃあ拓郎たまらんわな。ジャストサイズ=「僕と背丈変わらないと思ったから」。嬉しい。ありがとうございます、とファンからも御礼を言いたい。

☆デ・ニーロの役作り
 映画RONINの浅野温子とのあの土間のシーンはロバート・デ・ニーロの映画で役作りしたのか。たぶん間違いなく「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」だよな。デ・ニーロが車中でデボラを無理矢理してしまうシーン。そう思って観なおす。いやぁ…。見事な演技力のコントラスト。すまん。

☆役者のトランス
 演技中にトランスして記憶が無くなる。日常の所作に役柄が反映する。これってそれこそデ・ニーロとかアル・パチーノらのメソード演技だ。菅田将暉の演技は、時々若いころのアル・パチーノのトランスしたときの狂気がみえる。役者としての将来がとても楽しみだが、確かに危ない。アル・パチーノはそのために消耗してかなり演技者人生に影響が出てしまったので心配だ。

☆ライブのトランス
「それ(トランス)がないステージだとやった気にならない、シャウトして、客席が反応して、ミュージシャンがエスカレートしないとやる気にならない。」
 観客もご一緒に常にトランスするのだ。それがライブの妙味。もうあの瞬間は他の歌手では味わえない。

☆さんまのまんまの”人生を語らず”の弾き語りが菅田将暉の歌手のキッカケだったのか。誇らしきかな。

☆最終ゲスト
「実は篠原ともえにはこのアルバムを作る前からデザインを頼んでいて、僕に対してデモテープができたら一曲一曲全部私にも聞かせてといわれて、そのたびに篠原にデモテープを送っていた。篠原からは新曲を聴いて必ず僕に対してお褒めの言葉をもらった。とても素敵な曲で踊り出してしまった、この曲はしんみりしました。これが励みになってチカラが湧いてきた。」

 そうか。最後は篠原ともえなのか。隔世の感がある。ミュージシャンはひとりぼっちなんだというかつての拓郎の言葉を思い出す。一曲一曲がそんなふうに支えられていたのか。

☆音がらみ
「女性の大活躍が社会を動かす時代が来ているが、70年のはじめ「吉田拓郎は商業主義に身を売った」ということで不粋な男たちから帰れ帰れという罵声や冷たい視線を客席から浴びていた。
 そんな中で、ひとかたまりの女性たちが、罵声の中でじっと耐えて小さな声で
  拓郎、歌え〜
  歌うのよ〜
  あなたの唄が聴きたい〜
 一生それが忘れられない。それが励みになった。ヤジにかきされそうになりながらそれでも席を立たないで応援してくれていた。武道館だったが、忘れられない。頭に残っている。
 ああいう彼女たちのようにシンプルに音楽を愛する女性独特なやさしさ、真実が支えになった。たくさん支えになってくれてそのことを誇りに思う。それからも音楽をするとき支えてくれていたのは優しい視線だった。目をそらすことなく現代を見つめながら生きたい。」

 俺は不粋な男性だが心意気だけは、そのおねぇさんたちのあとについてゆきたい、そっち側の人間でありたいと思う。なかなかうまくいかないが。

「ラストだ、ラストだと言って、リタイアを決めたのは、イメージの詩の中で
「古い水夫は知っているのさ、新しい海の怖さを」とあるが、僕は古い水夫だ。粗しい海の怖さや危険はわからない。新しい海に漕ぎ出していく水夫ではないと自覚している。これまで応援してくれた方たちに答えて僕がリタイアするのは正しい判断だと思う。吉田拓郎個人の話です。これからも時代というものから目をそらさないでいたい。」
 
 新しい水夫たちの船に船長として乗り込んで海に出ませんか? と思った瞬間、心のトムさんが叫ぶ。「うるさいなっ!拓郎さんがリタイアが正しいっていうんだから、正しいんだよ!」
 …来月楽しみにしております。

2022. 9. 9

☆☆☆それも自由だと☆☆☆
 "勲章を与えてくれるなら女王陛下から貰ってしまおう"…贈る方も貰う方もイキだねぇ。その後ベトナム戦争に抗議して心を込めて女王に勲章を返すジョン・レノンにもしびれる。貰おうと返そうと心のうちに息づく確かな敬意。薄っぺらな西洋かぶれの俺にはひたすらカッコいいなぁと憧れてしまう。そして8日にバッキンガム宮殿に虹がかかったというニュースを観てまた嘆息した。心からご冥福をお祈りします。

 松任谷の興奮醒めやらぬまま今日の菅田将暉だ。おかげで日々が濃い


 それにしても自宅にレコードプレイヤー…羨ましいなぁ。

2022. 9. 8

☆☆☆我が心のブラザー・トム☆☆☆
 かつて「LOVELOVEあいしてる」で観たプラーザ―・トムのキレ芸が大好きだった。トムさんお元気でしょうか。LOVELOVEで会いたかったな。
  拓郎「ねぇ、今日は”オンナ”の話しない?」
  Kinki(イヤそうに)「え〜、何の話するんですか〜」
  突然トムさんが立ち上がって
「うるさい!拓郎さんが女の話するって言ったら女の話するんだよっ!」
 また別の拓郎の話にKinkiが「拓郎さん、そんなのあり得ませんて」と否定的なツッコミをするとまたトムさんが立ち上がって「拓郎さんがそうだと言ったらそうなんだよっ!」とキレる。迷惑そうな拓郎の様子も含めて大好きなキレ芸だった。この芸のおかけで何かあると私の脳内でトムさんがキレるようになった。
 先日も松任谷正隆とのラジオで「僕の音楽が中島みゆきと近いと思っている人は多いけど、僕の音楽はユーミンに近い」と言った時「ええ〜ホントかよ、近くなくて誰が"ファイト!"をあそこまでカバーできるんだよ」と疑った瞬間、私の脳内のトムさんが「うるさい!拓郎さんがユーミンだと言ったらユーミンなんだよ!」とキレた。
 なので拓郎を信じる。信じるから「ルージュの伝言」でも「守ってあげたい」でも「春よ来い」でも何でもよい。拓郎のユーミンのカバーを聴いてみたい、実は拓郎節だったのだと目からうろこを落としたいのだ。脳内のトムさん拓郎さんが拓郎節と言ったら拓郎節なんだよっ!とキレてくれ。

2022. 9. 7

☆☆☆マンタ余聞☆☆☆
Ⓣサックス・ソロなんてゼロだろ。ジェイク・コンセプシォン…
Ⓜジェイクね。ジェイク亡くなっちゃったもんね。
Ⓣジェイクのソロとか楽しかったけど、ああいうのは今はないよね。
      「松任谷正隆の…もっと変なこと聞いてもいいですか?」より
 こういう会話を聴くと、ジェイクのソロがたまらなく聴きたくなる。数あるプレイの中でとりあえず「もうすぐ帰るよ」(TAKURO TOUR 1979)を聴く。この間奏と後奏のサックス・ソロは何度聴いても涙が出る。これでもかと心にたたみかけてくる。そうかこれも松任谷正隆のメロディ―と差配だったのか。すばらしい。

 1979年といえば篠島は本当はやりたくなかった…とはあんまりじゃねぇか。こちとらは高校生なりに人生を賭けたんだぜ。林間学校脱走して単身命がけで乗り込んだ中学生だっている。しかし、俺も拓郎が魂をこめた作品たちに平気で悪態をついたりするので文句はいうまい。
 それより雷も落ちず、台風も来ず、無事に篠島は開催されたことを音楽の神様に感謝したい。てか、「ああ青春」で一瞬稲光があったよね。拓郎の神通力の恐ろしさ、危なかったな。そうだ、その稲光を凄い照明だったね…と感心していたのが松任谷正隆という逸話…たまらなく好き。

 そしてこの篠島が嫌だったというエピは、吉田拓郎がどれだけビックハンドに魂を捧げていたかということを教えてくれる。それからも何十年と続くこのビッグバンドへの心意気こそ尊い。
 それにしても7月5日に金沢でツアーが終わって、篠島が26日からでしょ。その間にビッグバンドで60曲って素人が考えても圧倒的に時間が足りないよね。1週間くらい後ろにずらしたら良かったのではないかと思う。1週間延ばしたら…おい丁度8月2日だぜ。

2022. 9. 6

☆☆☆ひとつの林檎の木の下で☆☆☆
 シンガーのおおたか静流さんの訃報を聞く。といってもたった1枚のCDを聴き続けていただけの外様ファンの私だ。15年くらい前にとある拓郎ファンの方からコレいいんだよと薦められたのがキッカケだった。
 ♪泣きなさい〜笑いなさい〜という喜納昌吉の名曲「花」をCMでカバーしてあまねくに知らしめたのは彼女だ。その他にも「悲しくてやりきれない」「アカシヤの雨がやむとき」「ゴンドラの唄」などのカバーも入っている。
 その拓郎ファンの方が「絶品」とイチオシだったのが「林檎の木の下で」だった。映画「シコふんじゃった」の主題歌でもある。私らの間で「絶品」というのは「吉田拓郎を感じる」ということだ。拓郎がor拓郎を意識したかどうかは関係なく、時には私らの思い込みかもしれない。しかしまるで吉田拓郎の歌を聴いている時のような幸福な気分になるという大切なモノサシのことなのだ。
 この作品も元を探るとアメリカンスタンダードのようだ。いい歌だ。

  林檎の木の下で
  明日また会いましょう
  なんにも言わぬこころ
  逢えばみんな通う
  楽しく微笑んで
  星に呼びかけましょう
  しあわせ いつもいつも
  二人を守れよと

 シンプルで陽気でそして明るくて…こういうのって確かに日本では拓郎にしかできない音楽世界と通底している気がする。
 そして静流さんのあえて行間を埋めようとせずに、むしろ行間を柔らかに解き放つようなボーカルがまた素晴らしいのだ。不明な私だが心の底からご冥福をお祈りします。これからも聴かせていただきます。

 松任谷正隆とのラジオで、意識するとしないと、好むと好まざるとにかかわらず、音楽はその人に入り込んで影響を与えるという話があった。いい話だった。それと同じかもしれない。
 しかしことフォークとは何か、歌謡曲とは何かという境界線の話に及ぶとそれは違う!ということで難しい話になった。想えばこれまで人類は境界線と国境をめぐって戦い続けてきた(爆)。想像してごらん境界なんてないことをと歌ったジョンレノンを思い出す。そんな歌詞じゃないか。とにかく俺にはフォーク、歌謡曲、ブルースそれらの境界とかはもうわからん。吉田拓郎が広げてくれた世界を泳ぐだけである。

 ジョン・レノンといえば、ビートルズよりローリング・ストーンズ、家ではストーンズのビデオだらけと語った拓郎が超絶嬉しい。その話はまた。林檎の木の下で明日また会いましょう。
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2022. 9. 5

☆☆☆OK!高中☆☆☆
 今日はアルバム「サマルカンド・ブルー」の発売日。あれからもう36年とは,ご無体な。松任谷正隆とのラジオでエールを送り続けた四天王の加藤和彦と高中正義。高中のギター…やっぱりいいわぁ。"レノン症候群"の心にしみいる音色、"パラレル"の間奏の空に登ってゆくようで爽快なギター、"人生キャラバン"の堰を切ったようなドラマチックな間奏。時が経てばわかることでも,その時はもう遅すぎる…安井かずみさん、御意。

2022. 9. 4


☆松任谷正隆の…もっと変なこと聞いてもいいですか?(完)☆


 なぜこんなに呪われたように採録しているのか自分でもよくわからない。しかしこれはしかと胸に刻んでおかなくてはと思った。ということで前半、後半、起こす。本放送の話の他に、篠島の話、中島みゆきの話、あいみょんの話、ストーンズの話、そして今の音楽の中で立ち尽くすような二人の話…貴重だ。いうまでもなく、ただの備忘録なのでとにかく是非、何を差し置いても。生の音声を直接お聴きくだされ。

(前半)


 マンタ―、久しぶりー。


 マンタでいいのかな?


 俺もなんて呼んでただろう


 拓郎って言ってたじゃん。歳下だけど。


 いやこんな日が来るとは、感慨深いよ。


 それは僕も。


 ミュージシャンで最後に会いたい人が何人かいる。ニッポン放送ですれ違ったのが最後でしょ。松任谷と会って話してないなと思って。テレビでは観てる。でも車の番組で音楽の話はないし、相変わらず車が好きなんだなと。話すチャンスないかなと思ってたんで嬉しかったよ今日は。たぶん僕が他人の番組に出るのはこれが最後だよ。


 ウソ〜


 もう出たくない。いろいろ話すのも嫌だし。篠原の番組が最後と思ったけれど、マンタだというので音楽の話ができると思ったから、篠原とはデザインの話だったから。
 篠原は、いろんなところでデザインの道にすすむ背中を押してくれたのは拓郎さんだと言っているけど、そんなことはない。
 中途半端なことしていないで、何か好きなことはないかときいたら、絵をかいてくれて、それじゃデザインの道へ進めよと言ったらしい。酔っているから憶えていない。


憶えていないの?


 でもどうしたって、背中を押してくれたデザインの道を開いてくれたのは、松任谷がユーミンの衣装をデザインを任せてくれたからだろうと言ったら。そうです、松任谷さんですって言い始めて(笑)。


酔っぱらってもそういう一言って大事だったりするよ。


 今日、自分でキャリアの最初のころのことを思い出すと、僕の一番最初って知らないでしょ?


 ああ一番最初って知りたい。なんで加藤和彦が、松任谷、林立夫、小原礼、を連れてきたのかイキサツを知らない。


林と加藤さんは既に知り合いだった。


ミッチーはその頃ドラムやっていたの?


たぶん。


 林と僕はアマチュアシンガーソングライターのバックで、東急百貨店本店のコンテストに出ていてその審査員が加藤さんたったの。


 トノバンだったのか。


 2週間後に加藤さんに呼ばれて東芝のICステレオ「ボストン」のCMで生まれて初めてのスタジオという場所だった。


 加藤和彦なんだ


 だから僕を拾ったのは加藤さん。その時、ピアノを弾いて1万3000円貰ったの。えーピアノ弾いて1万3000円貰えるのと驚いた。で、僕はそういうのはこれで終わりだろうと思っていたの。
また2週間後、今度はテイチクのスタジオに来てくれと言われて。あのスタジオの光景は死ぬほど覚えているし、そこにいらっしゃられて(笑)。加藤さんがハーモニウムを持ってきた。


 そうそう。


 僕が弾いて。だから吉田拓郎が僕の初めてのレコーディングだった。


 俺ね、今日話したいこといっぱいあるんだけど、いい?


 言って。


 広島から海のものとも山の者ともつかないガキたれが東京出てきて夢は大きかったけど、最初が通信販売のエレックレコードだったの。マンタに最初に会ったのは「人間なんて」はエレックのアルバムだったの。


 ああ、そうだね。


 「人間なんて」というアルバムでは加藤がセッティングしてくれたけど,それまで会社が紹介するミュージシャンがジャズのおじさんとかの古い人ばかりなの。当時俺は譜面書けないし、ギターでこういう歌ですって聴かせると、びっくりするくらいわけのわからないアレンジになってくるわけ。
 僕はR&Bのバンドで岩国の米軍キャンプでエレキギター弾いていて、ロックだったんだけど、フォークが流行っていたんでその中に入れられた。だからフォークギターは弾けないの。


 そうだったんだ。


 エレックはフォークとして売ると言うことで、何のことかわからないで会社のいうとおりにしていたの。「青春の詩」というアルバムを作ったんだけれど、アレンジはひどいのでも、もう今は絶対聴きたくない。
 そのことを加藤和彦とラジオ関東の番組で会った時に相談した。加藤君はもう超有名だったからね。いっぱい曲書きたいけどどうすれば、いいアレンジとかいいバンドとか、どうやっているのって尋ねたら、そしたら「俺が手伝おうか」って言ってくれた。
 エレックとはもう一枚アルバム作ることになっていたから、「結婚しようよ」、「どうしてこんなに悲しいんだろう」で加藤君が呼んできたのは君たち(松任谷正隆、林立夫、小原礼)…全然知らなかった。でもそれまでおっさんたちだったので、若い人たちとできるのが嬉しくて。
 やっぱりレコーディングはこっちだよな、若いミュージシャンとレコーディングするとわかりあえるし、話が通じ合うと面白いし、いい音ができると思った。


 話は長くていい?


 いいよ。


 「どうしてこんなに悲しいんだろう」もコード進行だけ渡したら、加藤和彦がアコギで
入れてくれて、B3で間奏を松任谷正隆がその場で弾いてくれた。あの間奏が素晴らしい。
ぶっ飛ぶような、その場で作ったのにまるで家で準備してきたようなすばらしいメロディーだった。


 ホメてもらった印象ないけど(笑)


 あんときゃまだわからないの、後になってありがたみがわかるの。

 どうしてこんなに悲しいんだろうのB3のオルガンソロのそのあとレコード会社をソニーに移ってそこでアルバムを作ってマンタにも手伝ってもらうんだけど。
 「(今はまだ)人生を語らず」というアルバムの「人生を語らず」という歌を作った時に

 コード進行だけ渡したら松任谷がヘッドアレンジをしてくれて、松任谷が平野兄弟のドラム・ベースに(Ⓜ懐かしいな〜)こういうリズムでと指示して、ギターは矢島だったんだけどワウワウ使ったらどうかとか、そして間奏にコード進行しか渡していないだけなのにソリーナを持ってきた。これがまた、どこでどうしてこのこういうメロディーがポンと出てくるのかというくらい凄いのよ、松任谷正隆という人が。奇跡のようで。松任谷正隆のこのメロディーは今も50年経って今でも同じメロディーでライブをやっているんだよ。

ⓣⓂ
ターンタターターンターンタン。


 誰も変えられないの。何回もツアーでやったけど、どんなアレンジャー、どんなバンドでも、ミュージシャンも変えたけどあそこに行きつく。50何年間だよ。あの松任谷正隆のフレーズを誰も変えられないのよ。すごくない? 


 最初のオリジナルってそういうもんだよ。


 でもこんなのは僕は無いよ。


 余分だけどギタリスト高中正義のライブ'73ってあったんだけど、 松任谷にもいてもらったけれど、あの「春だったね」あのイントロ、あれも50年間変わっていない。


 あれは拓郎だよ。


 オルガンでしょ?エレキはオルガンと違う。オルガンのイントロはマンタに言った覚えがある。高中がその場でやった。加藤和彦という人のアイデアマンとしての凄さ、松任谷の天才としか思えないメロディーの作り、その場で浮かんでしまうんだから、高中のギターその場で浮かんだギター、50年間変えられなかったというのは加藤和彦、松任谷正隆、高中正義そしてフォークギターというものを教えてくれた石川鷹彦、彼からはフォークギターについて教わった。この四人は僕を育ててくれた「四天王」と呼んでいる。


 初めて聴いた(笑)


 この4人がいなきゃ今の僕はいない。絶対ない。


 まず吉田拓郎は絶対最初に「言葉」から入ってきた。考え方から入ってきたから、生粋のフォークって信じて疑わなかった。それがR&B?


 フォークってよく知らないのよ。だから松任谷にはあの頃はボブ・ディランとバンドの話をよくしていて、俺がボブ・ディラン、松任谷がザ・バンドというようなバンド編成とかアレンジをしてくれとよく言っていた。僕は、ボブ・ディランはロックシンガーと思っている。


 そうね。


 フォークって、日本だと四畳半フォークとか言っちゃ悪いけど演歌みたいじゃんとか思ってて好きじゃなかった。アマチュア時代は岩国の米軍キャンプで黒人相手に歌ってたのが、フォークということにになった。でもフォークだったから売れたし、俺はロックだと言ってやっていたら売れていなかったかもしれない。ブームは怖いものだ。
 そこでアコースティックギターをもっと勉強しなきゃと思って石川鷹彦にスリーフィンガーとかどうやって弾くんだいと教わったし。


 何ツアーかい一緒に回ったけれど確かにフォークとは思わなかったな。でも最初はフォークとは絶対に思ってたよ。


 松任谷はフォークとか知らなかったでしょ



 いや僕はキングストントリオとかさ(笑)


 実は松任谷正隆ってバンジョーとかフラットマンドリンとかうまいじゃん、みんな知らないよ。みんなは君のことはキーボーディストで車に詳しい人と思っているだろうけれど。かまやつひろしが歌った「我が良き友よ」のバンジョーも松任谷だよね


 あれ俺なの?こないだ新田さんに会ったらあれは俺の弟だったとか言ってたけど。


 違う、違ういや松任谷だよ。あれはオーバーダビングで松任谷に頼んだもん。エレキギターは高中だし、これもオーバーダビングだった。マンタ、高中の超豪華なセッション。あのバンジョーを松任谷だと知っている人は少ない。瀬尾が全体のアレンジしたんだけど、俺がバンジョー入れたいと言ったら、誰かいないと言われて「松任谷めちゃくちゃバンジョーうまいよ」と言ったら「えー知らなかった」って。他にもアコースティックな楽器で俺のいろんな曲でフラマンとか入れてくれてる。今でもフラマンとかバンジョーは弾けるの?


 こないだバンジョー2本買った。すごい好きなの。フラマンも欲しいけれど弾くところがなくて。


 バンジョー、フラマンを必要しているレコーディングってないでしょ。


 凄いダビングしたのは覚えているよCBS、(前田) 仁さんがいて。


 六本木の1スタだよね。


 松任谷がリーダーとなってツアーを結構回っているよ。


 知ってる。


 当時、沖縄が返還された直後で松任谷が沖縄を外国と勘違いしていて、今でもみんなであの時マンタがこう変なこと言ってたってあるんだけど(笑)。


 え、なにそれ?


 キミが今どういう人かは知らないけれど、あの頃君は全然世間知らずだったの。


 ああ、確かによくそういわれた記憶はある。


 沖縄でも突飛なこと言って、みんな目が点になったことがある。ラジオで言えない。


 言えないのか。


 北海道の札幌で行きつけの店があって、新しいミュージシャンはそこのオババの洗礼を受けてすごいキスをされるというのがあって、松任谷もだったけど、駒沢裕城…駒子と松任谷の人格があれから変わってしまった(笑)


リハーサルは赤坂のスタジオだったね、つま恋でもやったね。つま恋も懐かしい。


 75年のつま恋はいっぱいトチっている。あのときの全編のライブの音ノーミックスで俺だけが持っているけどほとんどの曲が間違っている。DVDになってるのはちゃんと弾けたのを選んだだけ。あの頃はPAもいいのがなくて。


 そうだった?


 ない。モニターもいいのがない。演奏で今どこをやっているのかわかんないし、松任谷のイントロも延々と長くてどこからはいっていいのかわからないのがあった。


 それはあったね。一曲目でトランザムの♪ひ〜と〜つと(Ⓣああ青春)いう、あ〜れがすっごい記憶に残っている。


 怖かったよ。


 だよね。


 5,6万人いるからさ。


 人があんなにいるのを初めて見た。


 すっげ怖かった。ステージに出る前に袖でウィスキーあおって、バンドもみんなも怖いよ怖いと言ってウイスキーひっかけて、だんだん気持が変な方向に行って(笑)演奏がグチャグチャになった。


 そうかな?あそこのコーナーが一番ステディだと思っている。


 いやステディだったのは松任谷とやった2部が一番まとまっている。1部10何曲のうち4曲くらいしかできていない。ひどいんだよ。


 瀬尾たちが最後に出てきてオーケストラで演るんだけど、もうテンポがめちゃくちゃ、すげー速く始まって、違うって途中で言って徐々にテンポが遅くなったりね、めちゃくちゃなライブ。


 瀬尾ちゃんの時は、僕はオルガンで参加している。だから夜明けが観られた。


 そうそう。


 あれはキレイだった。


 そういうのを憶えているんだ。


 すっっごい覚えている。


 俺は夢中で観ている余裕なくて最後に「人間なんて」を歌いながら、日の出まであと30分、あと10分とか袖で指示出されてシャウトしているけど限界でさ。めちゃくちゃ限界で終わった後ぶっ倒れて。


 あのころってさ、音楽とかに限らず集まってみんなとセッションするのが楽しかった。出来がどうとかでなく一緒に音楽する、一緒の時間を過ごすのが楽しかった。


 僕もあれでツアー回って他の誰かとツアーを回りたいたいとは思わなかったもん。その後(笑) やっぱりツアーっていえば吉田拓郎でしょ。あれでイイや。


 あの頃の俺たちは育ちがよくなくて荒くれ物の集団だったけど、松任谷だけ、この人どっから来たのという感じで雰囲気が違っていた。松任谷もフンとしてた。


 そんなことないよ。お酒飲めないし。


 お酒飲まないし人付き合いもしない。みんなが楽しんでいると輪に入ってくるけど
自分からはワイワイ騒がない。無口だった。独特の立ち位置にいたのよ。


 例えば、松任谷が連れてきたエルトン永田。


 ああ、いたね。


 俺がダブルキーボードが好きだからB3とピアノが欲しいということだったのでエルトンを連れてきた。エルトンとかその他のミュージシャンはみんなプレイはマンタをコピーしている。そっから始まってる、聴いててわかるの。


 それはオリジナルだからでしょ。


 ここは松任谷さんとは違う、ということをやる勇気がない。(松任谷は)付き合いにくいとかどっか違うところに置いているけど、みんな頭の中にある。
 コード進行の紙きれ一枚を渡して、それをその場でギターでこういう曲だと歌うと、松任谷がその場でまとめて各ミュージシャンドラムベースに指示するヘッドアレンジ。エルトンとかドラムのミッチーもいるけど島村(英二)とかあの頃の連中はみんな松任谷に影響を受けている。それがすげーわかる。
 松任谷のアレンジは独特で凄いのよ。ほんとにすごい。特にリズムセクションの作り方が天才。君は文句なしあの時代だよ、ドラムのサゼッションが凄い。


 記憶が改善してるんじゃないの


 今聴いても凄い。今日かけたいとお願いしたのが「戻ってきた恋人」という曲があるんだけどドラム・ベースのアレンジ。あれはその場では思いつかないよ。♪テケテケテケテケットットというやつ。元の曲はエイトビートなのに、俺なんか目がクラクラするよ。


 それ聴くとニューオリンズだね。ニューオリンズをやりたかったんだね。


 あの時代になんでフラマンとかバンジョーとか好きでブラフォーの可能性もあったのになぜニューオリンズか詳しいのか どこにルーツがあるの?


 僕らの共通点のディランとバンドがあるじゃない。ザ・バンドが「ロック・オブ・エイジ」というライブアルバムがあってそのホーンセクションのアレンジをアラン・トゥーサンがやって、アラン・トゥーサンをたどってゆくとミーターズというバンドにいきつき、そこらはドクター・ジョンとかニューオリンズがいるわけ。


 松任谷あの時は二十歳前だよ。


 二十歳くらいかな。


 そのころに70年代にニューオリンズを持ってきて、これをやれって人はいないよ。


 変わってたのかな。


 あのアイデアは凄いよ。二十歳そこそこでああいうのやっちゃうんだもん。「戻ってきた恋人」あのリズムは今でも気持ちいいよ。これはステージではできない。


 聴いてみたいな。


 聴いてみて、「戻ってきた恋人」。


 僕の自分のキャリアの中で「どうしてこんなに悲しいんだろう」というのは自信作だね。


 あのソロはすごいもん。


 全部克明に憶えている。だから僕も一緒にキャリアを過ごしたなという気がしている。今もバンドをやっているんだけど、


 ミッチーとか小原とかと。


 ザ・バンドみたいなのをやりたい。自分の中に色濃く残っているのは、あの頃に拓郎と回ったあれを自分が目指したかったのかな。


 あの頃ザ・バンドとか好きだった人って当時いない。


 最初にバンドの話が出来てすっごい嬉しかった。ザ・バンドを好きになったのは、キングストントリオが一人だけになって、ニューキングストントリオが出来た時、そのアルバムに"the weight"が入っていたの。


 キングストントリオが"the weight"を?


 そこから入って、ザ・バンドに行った。二十才の頃にいろいろ吸収するでしょ。あの頃の音楽が身体を作っている。あの頃にやった音楽、回ったツアー、レコーディングものって。僕はもっと洗練された音が自分のルーツだと思っていたけれど、あらためて実際に演ってみると「え、俺こんなに泥臭い、どっからきたの?」と思ったら、それこそ拓郎とやってたころのシンプルなロックだった。


 それは最近の心境の変化?


 そう。


 そうなんだ、初耳だ。


 今度自分で曲を書いてみて男で70歳その年齢層の曲作りたい、自分自身を出したいと思ったら、あの年代に作られたものだった。どこかブルース…あれ、ブルースって拓郎だよなと。


 この間のアルバムでも武部、鳥山でブルースをやったんだけど、今、ブルースってないよね。誰もやんないよね。


 僕が最終的にツアーをいくつかやって僕の中の吉田拓郎像って…ブルースシンガーなんだよね。


 アルバムライナーノーツにも書いたんだけど、誰もブルースをやらなくなって、歌わない、作らない。最近はブルースなんて俺一人くらいか、年取ったなと思っていた。最近の流行はブルースの「ブ」の字もない。もうダメなのかな。


 いや、そんなことはないよ。絶対ない。


 最近、作り方が変わってきたって武部や鳥山から聞いていたんだけど、打ち込みでやるんだって?それはどういう心境?


 打込みは昔からやっていた。それこそYMOの出た頃から打ち込みソフトは 持っていた。デモテープも作っていて打ち込み好きだった。アイドルに提供するときもデモテープを作ってアレンジャーに渡していた。
 途中から飽きて生の音がいいと思うようになったりしたけれど、今回コロナでセッションできないので、リモートでできないかということで、鳥山とか武部からテクノロジーを教わってレコーディングしたんだけれど、新しいもの好きだから。なんだこの気持ちいい感じは、一緒にセッションするよりもよりセッション風なものができる。凄い体験だったし、楽しかったな。


 僕は拓郎のほんの初期の吉田拓郎しか知らない。その後を知らないんだよね。


 その後右往左往していたのよ。


 教えてよ。


 自分でも右往左往して、どこに行くんだろうと言う間に気づいたら70歳になっていた。


 あっと言う間だよね。


 音楽に関しては松任谷や高中正義、石川鷹彦そして加藤和彦なんかと知り合って、音楽に目覚めて、そこで楽しい音楽のコツもわかって、そこから始まった音楽は最後まで楽しんでやったな。だから満足感はある。やり残したことはなくてやりたいことはやった。
マンタとか高中とか凄い素敵なミュージシャンと出会えた人生の財産はずっと生きている。それはすっごい幸せで嬉しい。


 光栄だけどね


 その出来がどうとか今聴けばいろいろ恥ずかしいのものあるけど、あの出会い、あの一緒の時間はすげー貴重で忘れられない。


 お互い忘れられない。あのころの一緒にスタジオに入った連中もステージをやった連中も忘れられないと思うけど。急に思い出した。名古屋だったと思うけれど、俺が東京駅のホームに着いたら、拓郎がベンチで座って下向いてて。渋谷さんとかスタッフが暗い顔していて。


 (渋谷さん)よく覚えてるね。


 憶えてるよ。どうしたのかなとか思っていたら、拓郎がひとこと「やめた!」って言って、その日のツアーは無くなったんだよね(笑)


 それは今も変わっていないな。そういうのはどうしてなんだろう僕は。


 あの時にすごい繊細なんだろうなとすごいわかった。


 あのね俺すげ―繊細だよ。


 あれができるのは繊細じゃなかったらできないよ。


 どうしてもこれ以上はやりたくない、もう行きたくない、勘弁してくれ、できないと思うとすぐ「やめた!」ということになる。


 あの時の心境を教えてよ。どういう心境?


 同じ歌を毎日歌っている、ツアーってそういうものだから。今日は名古屋、明日は大阪、明後日は広島、毎晩同じ歌を歌うけど、毎晩同じ感情では歌えない。


 そうだね。


 プロだからやらなきゃ、いけないのはわかっているんだけど、毎日同じ気分になれない。例えば「どうしてこんなに悲しんだろう」で、♪悲しいだろう みんな同じさ〜と歌っても、ある日は嘘なのよ。歌っている自分が恥ずかしい、みっともない、ウソじゃん俺ってシラケる。 そういうのが続くとすぐ「やめる」と言いたくなる。


 コンデションの問題じゃないよね。


 うん、関係ないよね。気分の問題。…特にラブソングは毎日歌えない。そんなに愛してるって毎日言えないんだよ(笑)。


 うん。


 気分悪い日、こんな演れねぇやというのも東京でリハーサルやったとおり歌わなきゃならない。時々すごい違和感を感じる。やめたくなる。これはずっと最後まで変わらなかった。


 今まで中止したのって何回くらい?


 数えきれない。相当ある。


 そうなんだ。


 だからそういうヤツなんだと思われてる。


 そういう繊細なところはずいぶん見た。だから知ってましたよ。


 今日会って良かったよ。


 篠島はどうだったの ? もうそんなに怖くなったでしょ。


 篠島はもう言っちゃうけれど、あんまりやりたくなかったね。


 そうなの?


 松任谷はわかっていると思うけれど、60曲か70曲歌うでしょ? アレは60曲くらい殆どは瀬尾バンドのオーケストラでやるはずだった。ところがセッションしてみたらリハーサルがうまくいかない。それで急遽一杯曲をマンタに渡して、これこっちであやるからといって大量の曲をマンタとか鈴木茂のバンドでやることになって直前になって逆転したんだ。
 本当は瀬尾のオーケストラで殆どやるはずだったが全部変わっちゃって、頭の中は混乱していて、でもスケジュールが決まってるし、チケットは売れているのでやらなきゃならないか、嫌だな〜こんなの、違う方向に行っちゃったし、直前まで雷で中止にならないか、自然災害で中止にならないかと思っていた。


 後ろから見てて、肝が地についているときとそうでもないときがあったと思うけど、篠島はそうたったのかな。


 結婚前に拓郎のツアーに由実さんも一緒に出たよね?


 あれはどこだっけ?地方だよね。


 ステージで紹介したね、


 突如出てきて間奏…「結婚しようよ」でキーボード弾いて


 どこだったっけね。


 そうだよ。それもあるけど、マンタとユーミンの新婚旅行にかまやつと初夜に行ったんだよ。


 どこだったけ?


 熱海だよ。


 新婚旅行の一日目に。新田さんもいた。


 ムッシュかまやつに「マンタとユーミンとか初夜を邪魔しなきゃダメだ」と言われて「なにしに行くの?バカみたいじゃない」「拓郎がいれば妨害できる」と、かまやつさんの人選で新田さんとかも連れて。


 拓郎が言ったんじゃないの?


 違う、かまやつさんが言ったの。


 熱海の旅館で拓郎が明け方女装していたよね?


 ベロベロで初夜を迎えさせちゃいけないという使命感があった。


 まんまとうまくいったじゃないの(笑)。


 ひどいね。


 たぶん、そういう間柄が人には想像できない。

(後半)


 今までのベストパフォーマンスって何時の何て曲?


 手前みそだけど最近なの。最近の名古屋でやったライブの「I’m In Love」というラブソングと「流星」の3曲くらいメドレーが自分でゾクってするくらい。


 いいねぇ。


 俺に久しぶりに神様が降りてきて陶酔して、歌い終わってボーッとなった。ステージ降りてからああやってよかった、本当に久しぶりの何十年ぶりかの快感だった。  


 いつ?


 2019年。


 それは幸せだね。


 武部たちの演奏もその日は違っていた。そういう時ってあるよね。そん時だけ違うって。そのプレイは他の日にはなかった。 演奏が俺を歌う気にさせるわけよ、もっとやれ、もっとシャウトしろとか言ってる感じの演奏。武部・鳥山もドラムもベースも後ろから押されて、わぁぁぁ、よし行くぞ!って感じで、歌い終わったあとに冷や汗というかゾッとするくらいだった。ベストステージと思っている。


 それがあると次をやりたくなくなるよね。


 それをやったら僕はもうやめようかなと思った。もういいんじゃないかな。これ以上欲を出すとロクな事がないかもしない。これで満足しちゃおうよと思ったのは間違いない。


ベストステージってそれだけ? 


う〜ん。2019年の名古屋は比較できないくらい良い。


音源ないの


あるよ。「2019名古屋」、「流星」と「I'm In Love」のところ凄いな。吉田「拓郎ってイイじゃん」て言ってやりたい。



もうやり尽くした感じなの?


 うんツアーとか…ただね、レコーディングは楽しいから、ツアーとかと違って、自分で好きなように打ち込みとかテクノロジーを使って自宅で遊びがてら曲を作ったりするかもしれないけれど、人前で歌ったりとかはもういいな。


 マンタに逢えて,鷹彦に逢えて、高中に逢えて、最後に武部と鳥山がちゃんとしめくくってくれて大満足の音楽人生でしたよ。本当に。


 ホントかな。僕なんかはまだまだあるんじゃないかと思ってしまうけどね。


 今ここで話していて身体の中に少しむくむくしているのはブルースってあるじゃない。トーキングな感じ。演奏は毎回違っていいアドリブのセッションで、それが基本になっているようなものは、やり残しあるね。


 あるよね。俺は打ち込みと拓郎にすっごい違和感を感じるの。自分が一緒にやってきたときに、生きたもの、=同じことは二度ないという、あそこが拓郎の一番の魅力だと思うんだよ。だからやり残したことはないのかなと思って。


 そのことは僕の中では結構クリアで、レコーディングという作業は打ち込みでも十分ニュアンス出せてありだと思う。でもライブは絶対カラオケじゃダメ。セッションの楽しさとかアドリブの面白さボーカルもその日で違う。そういうステージのブルースに基本形があるような、やってみないとわからない面白さ、演奏も歌もみんなやってみたいとわからないというものを楽しみたいというのがある。最近楽しんでいないから。


 でもね、客席でもウケが悪いんだよ。ブルースは。「やせっぽちのブルース」とかブルースの曲をいっぱい作っているから演っているんだけどあんまり反応が良くないんだよ。人生を語らず」とかマンタのソリーナのソロが出てくるようなものは盛り上がる。間奏で立ち上がって泣いたりしているんだけど。ブルースについては客席が唖然としているね。どうなっているんだろう日本の音楽状況は。


 いやいや、吉田拓郎のルーツがR&Bとかブルースだとかということを知らな人が多いんじゃないか?


 いやいやファンに対しては「俺はフォークじゃないからさ」「フォークのことはわからない」って言ってるんだけど、ファンは俺をフォークにしたいみたいね。


 フォークだと思ってるんだよ。


 吉田拓郎はフォークの方が皆の気持ちいいから。


 「言葉」だからじゃない? 拓郎は言葉を持っているから。ブルースってそんな言葉はなくない?


 でも黒人のブルースには悲しいのやら、訴えてくるものとか、あとは笑わしてくれるハッピーなものとか、ブルースの中には言葉がある。


 そういったものとは別種の言葉じゃないかな。


 日本のフォークソングってあり得ない。日本のフォークとアメリカのフォークは違う。キングストントリオとかブラザースフォーとかとは日本のかぐや姫の「神田川とかと違うもん。日本ではそれが、四畳半フォークとかになって。和製フォークは、日本だけのもの。歴史でいうと歌謡曲の中の一ジャンル。


 後になってみるとそうだよね。


 かぐや姫ともステージやったからわかるんだけど彼らはフォークじゃないよね。


 え、フォークじゃない?


 フォークじゃない。


 歌謡曲ってこと。


 ビリーバンバンとか。  
 

 懐かしいな(笑)、白いブランコ、あれはフォークじゃない。歌謡曲だよ。たまたまビリーバンバンもかぐや姫もギター持っていた。ギターもってなかったら歌謡曲だと思うよ。ギターをもって歌うからフォークって変だよ。


 そういう時代だったね 人が音楽のジャンルがよくわかっていない。


 結局メディアとかがフォークだって言ったらフォークだと思ってしまう。70年代はフォークブームで、ギター持たせて歌わせて、フォークてす、フォークですって売り出していた。でもあの中にフォークはいなかった。


陽水は?


違うと思うな。フォークじゃないな。


 それじゃ拓郎が典型的なフォークだと思うのは誰?


 日本人で?僕が知っている限りでは森山良子かな (Ⓜほー)♪この広い野原いっぱいとうたっているときの森山良子をみたけれど、ああこいうのキャンパスフォーク、カレッジフォークで大学生が好きだった健康的だし、フォークとおもったけどそれ以来はいない。僕の中ではフォークソングっていうのは健康で明るいイメージ。そのあとはドッシリ暗いものばかりだ。


それと白いブランコとは違うの? その違いは難しいな(笑)


難しいね。でも一緒にやってみたなかでは、森山良子だけかなと思う。


 それは言葉の裏にメッセージがあるということ?


いや、メッセージは無くていいと思うな。その人なんじゃない? 森山良子という パーソナルが俺にはフォークシンガーなのよ。他は歌謡曲の人に見えてしまう。他は歌詞を読むと歌謡曲に見えてしまう。僕にとっては、フォークソングは健康で明るいイメージなのよ。アメリカのブラフォーとかキングストンとか、トム・ドゥーリーとかは暗い歌なんだけど、明るい感じで歌っているし。ああいうのはフォークと思う。そうすると森山良子のあとにはフォークと思った人いないな。その後に出てきた、さだまさしとか谷村新司もフォークと思わない。フォークっていないんじゃないかな。


 僕にとっては初めて会ったフォークシンガーが吉田拓郎だったわけ。だからフォーク=メッセージという刷り込みだったわけ。


 そういう人は多いと思う。僕は全然違うんだよ。メッセージが強いものをフォークだとは思わない。


メッセージ強いじゃん。


 僕のはメッセージではない、僕の日記なわけ。人に対してどうこうこうしろとか、ああしろとか言っていないの。僕はこう思うと言うのを歌っている。一日の日記を書いているだけ。


 知ってる。そうだね。その背景にいろんな世情とか世の中のことを観るんじゃないかね、人は。


 例えば、お酒飲んでテレビで政治家が変なことを言っているって、ペニーレインでバーボンとかという歌を作って、気持ちの悪い政治家が何か言っている、これなら酒飲んでいる方がマシだということを書いたけど、政治批判はしていない。自分はこう思うとしか言わない主義だから。それはメッセージじゃないよね。


 僕はそういうものを感じながらやってきた何年間だったんだけどね。だからいろんなミュージシャンとやってきたけれど、バックとか演奏していたたとえば島村とか、みんな拓郎の事をフォークとは思っていないんじゃないか。なんだかわからないけれど。


 いろんな例とかを出してくれて、みんなそれぞれが頭の中でここからは歌謡曲、フォーク、こっからはロックで、という境目が少見えた気はした。


 でもこういうのは僕が言っていることが正しいというわけではなくそれ違うよと思っている人もいっぱいいるだろうし。正論でもなくて 僕はこう思っているだけだから


 もちろん、もちろん。


 ユーミンの話していい?


 いいよ。


 ユーミンがデビューしたときフォークソングに入れられるのを凄く嫌がっていた。景色としても。彼女のポリシーとして。その気持ち凄くわかるよ。俺もフォークにいれられていたから。それ当然だよ。あんたが俺らの仲間に入りたくないのはよくわかるよ。それくらいヤダナという集団だったからフォークは。
  シンガーソングライターといえばいいものをフォークって言われちゃう。日本全体の70年代の独特の雰囲気があった。自分で作詞作曲して歌うからフォークシンガーだって一緒くたになって、嫌がるはずだよ。それからの彼女の生き方は、フォークというものを閉ざしていて絶対正解だった。女子たちがフォークのユーミンではなくて、ユーミンのような何かになろうとしはじめていた。あそこからユーミンが新しい道を作ってはじまっていった。あのユーミンが嫌だというフォークがあったわけ。それが凄くわかる。


 拓郎の音楽性と由実さんの音楽性って、由実さんは歌謡曲だと思っている。初めて聴いた瞬間からフォークじゃないし歌謡曲だ。ちょっとおしゃれな歌謡曲。僕の中では全く違う音楽だった。両方やってたでしょ。 


 両股かけた男だな。


 今考えると両方とも勉強になったと思っている。


 今日は話しちゃうけど。若いころから新田さんによくユーミンのコンサートに連れてもらっていた。俺もこういう曲つくりたいな、こういう曲だったら作れるなという共通点を見出している曲が何曲かある。教えようか?
 最初の頃から言うと。
 「ルージュの伝言」これはロックンロールでジルバかツイスト踊る感じが好きだな。俺もやるな。アメリカンポップスだよね。
 「守ってあげたい」。♪ユー ドント ハフトゥ  ウォーリ ウォーリのところ、ユーミンは怒るかもしれないけれどあそこは拓郎節なんだ(大笑)


 いいね〜


 ♪ユー ドント ハフトゥ  ウォーリ ウォーリ


 影響は受けているかもしれない…


 ユーミンもそういう曲を作るんだと嬉しかった。あとNHKのドラマの「春よ来い」。和風の和の感じ、僕も知らない、なんだ、こういうのもやるんだったらフォークもそんな嫌うなよ(笑)。こいつは天才だと思ったね。
 時々ユーミンのそういう曲がヒットすると近いところにいるじゃんと思う。世の中、巷では、またユーミンの立ち位置というのもあって、吉田拓郎と松任谷由実、俺達は違うところにいるということだけど、どこか接点は感じる。

 最後に、もうラジオも出ないので言うけれど、中島みゆきという人がいるじゃない、よく二人比較されるスーパーウーマンだけど。どっちも素晴らしい才能だけど。よく中島みゆきと吉田拓郎の音楽は近いと思われているけれど、僕は全然そうは思わない。彼女のメロディ―は昔の歌謡曲のパターンのコードで、それは僕とは違う。世間では吉田拓郎と中島みゆきが近くて、ユーミンとは世界観が全然違うと思っているかもしれないけれど、それは勝手に思っているだけで、僕はそう思っていない。聴いている人はびっくりしていると思うけど。ずっと思ってきた。


あいみょんと拓郎は近いよね?

近いと思う。この間も会ったんだけれど。感じたね。


俺も近いと思う


 ノスタルジーなところとか、詞の世界も僕なんかよりは相当するどい、今の若い人を鷲掴みにする詩で尊敬するくらい凄い。そしてメロディ―とコード進行には親しみを覚える。


 最後のメロディーのまとめ方に共通点がある。同じコード進行使うわけではないけれど。最後に…あるじゃない。


 サビの作り方も似ている。
♪初恋が泣いている〜  なんで歌うんだ(笑)
 ああ、吉田拓郎だと自分で思うね。


こういうのは本人も気づかないうちに影響を受けている。


 ギターをもって歌う後輩にいろいろな人がいるが、例えば、さだまさしは詩もするどいし、曲もいいものとくっているけど、いちおう好きじゃないということになってるが…自分でも言ってるし。
 ただ、さだまさしの世界には後輩たちは無言のうちに影響を受けている。音楽好むと好まざるとにかかわらず、いつのまにかその人の中に入って悪さをし、伝承される。誰が嫌い、俺はアレ風じゃないと言いつつ影響は受けている。音楽は時代とともに伝承されているんじゃないかな。
 R&Bとかファンクとか言ってるけれど、実は歌謡曲が大御所と言われる三波春夫、三橋美智也、島倉千代子、美空ひばりの影響も受けているかもしれない。


新しい音楽の影響も受けるよね。


 一番感じるルーツの血で、この人たちの音の血が濃いなだなと感じるのは何かな。


 一番感じるとかいうのではないけど、一番好きで憧れているのはローリング・ストーンズだな。ミック・ジャガーとか彼らもブルースが好きで、ブルースな感じを常にもっていて間奏でギターソロが延々とあって、こんな長いのっていう間奏。ステージングとか曲作りああいうのはストーンズしかいなくて、好きなんだ。
 よくビートルズとストーンズというと、音楽的にはビートルズという人が多いけど、僕は音楽的にもローリング・ストーンズ。ブルース感覚が好きだ。


 ディランは?


 レスペクトはある。ボブ・ディランが僕に詞を書かせたのは間違いない。ボブ・ディランが「今日、僕は不機嫌だ」という歌を作っているのを聴いて拍手を送りたくなった。不機嫌だという歌は当時の日本にはなかった。これだと思った。自分の生きる道だと思った。僕なんかはとてもじゃなく到達できない。神様として崇めているので、ディランみたいに…とは言えない。世界であんな日常というか自分の気持ちを歌にした人はいない。
ただ音楽的なスタイルは、ストーンズが、一番自由で、カッコよくて憧れる。今でもライブは観たくて仕方ない。



スプリングスティーンの血は薄く入ってる?


 ディランみたいだと思った。でも若い分、新しいロックンローラーなと思った。でも詩の世界はディランの影響を受けているかなと思う。


一番濃いのはストーンズなんだ。


 拓郎がストーンズ?って言われるけれど。家にあるVTRはストーンズだらけ。大好き。


 コンサートとかは行くの?


 来たら行く。チャーリー・ワッツが亡くなったからどうなるかなとは思うけれど。好きだな。
 ハイ、ギターソロ、ハイ、ビアノソロ、今コンサートで間奏でギターからオルガンというように楽器を回したりするコンサートってないでしょ?



音楽か違うからな。


 イントロとか間奏とか、ストリングスで何小節にこういうフレーズを作って…とか、あまり重要じゃないのかな?


でもステージだったら必要じゃないかな


 若い人のステージを観に行ってもギターソロを延々というのはないよ。松任谷ピアノのあとに高中のギターソロという感じでソロ回しするようなものはないよ。


もとの音楽のフォルムが違うから必要ないと思っているのかな。


個人的には僕はつまんねーなと思う。いろんな人のソロのプレイが聴きたいの。



生志向があるんじゃないの?


生ね


打込みでも生は生だっていう考え方あるし。



最近は唄ばっかりという気がする。


確かにね。



サックスソロなんてゼロだろ。ジェイク・コンセプシォン…


ジェイクね。ジェイク亡くなっちゃったもんね。


ジェイクのソロとか楽しかったけど、ああいうのは今はないよね。


そうねーあるとしたらジャズっぽくなるかな。  


 ポップスではあまりソロを聴かせるって聞かない。そういうのを考えると俺は好みが古くなっているかなと思う。


 でも音楽って、らせんを描いて新しくなっていくのだから、フォルムっていうのはまたらせん状に戻ってくるかもしれない。


 例えばファッションも何十年かに戻ってくるけど、音楽は70年大好きだったものとかは全然違う。スタジオミュージシャンの仕事ってないのではないかと思う。昔は、この曲の間奏は高中に弾いてほしいからって、空けておいて、あとで本人に来て弾いてもらうって、よくあったけど今はもうないでしょ。ああいう時代にはもう戻らないような気がして。



高中のソロが面白かったから、そのサンプリングってなるかもしれない(笑)


「ぽい」のがあるんだよね。つまんないな。これはカントリーだから鷹かではなく徳武だなと思うのが楽しかった。


そういうわれると結局、器用な人だけが残っている


確かに


サァどうしたらいいんだろう


もう僕やることはないから。


そういうと思ったよ(笑)


あとはマンタやってよ


何それ(笑)


 最後のアルバムのレコーディングの前に武部から一緒に何曲かやりそうだというのを聴いていたので…すげー待ってたんだけど。


 ああ、それはコロナ前なのよ。マンタ、鷹彦、高中にスタジオに集まってもらって、間奏とかで、ここはマンタ、ここは高中というように演奏してもらう。ドラムは田中清司はまだ叩いているかな、ベースは岡沢章呼びてぇとか話していて、武部もおもしろいですね、やりましょうってことになったんだけど、セッションはできないし、スタジオにもミュージシャンを集められなくなって、結局リモートで打込みしかない。
 絶対面白かったと思うのは岡沢のベースでミッチーか田中清司のドラムでキーボードは松任谷ともう一人誰にするのか、松任谷が喧嘩しないで済むやつということで、いろいろ武部と考えるのも楽しかった(笑)。
 松任谷さんはあまり人と組みたがりませんよ。それは、わかるとけどエルトンはダメかな?松任谷さんは今エルトンさんはダメでしょとか武部と言っていて、Wキーボードにしたいな、中西とは組まないだろうなとか、ギターも高中正義と鈴木茂…合わなそうだなと(笑)いろいろ人選が楽しかった。そういうスーパーグループで何曲かやりたいと思っていた。すっげぇ残念だ。


 残念だね


 今でもアルバムにtogether」という曲を聴いてみてよ。今聴けるかな。俺が親しくしているKinkiKidsとか篠原ともえとか小田和正とかが実名で出てくるブルースなんだけど。
 鳥山は俺の意図をくんで、ブルースでオクターブ奏法とか弾けよと言い、武部にはブルースだから黒人のようなニグロ・スピリチュアルなピアノを頼んだ。無理だったね。


 それは無理でしょう(笑)  


 武部のピアノ聴いてみてくれる?


 ダメ出ししちゃおうか。


…生っぽいよね。


 そうだね、打ち込みとは思えないそれを意識した。それでピアノはどうですか?


 かなりいいと思う。たぶん僕が同じことやって、拓郎からNG出されるとしたらこんなにブルーノート使わないでといわれそうだと思う。僕の記憶では。ここまでなんかみたい、ブルースみたいじゃないので、オリジナルをいつも求めていた記憶がある。「となりの町のお嬢さんと」かあれもブルースだよね。


 一番すごいのは「元気です」の「また会おう」でセブンス使って松任谷が弾いている


 これ俺?


 ピアノの回転倍でやったりしてる


 弾けなかったんだな俺


これ(ドラム)ミッチーだよ


 (ビアノ)はははは


 これマンタだよ。


 これは回転数をあげている。やりたいことわかるけど。


 こういうアイデアを出しているのよ。もうひとつ「加川良の手紙」でグランドビアノの蓋を開けて弦に新聞紙をはさみこむとチェンバロみたいな音がするっていうのがあって。それをやってみせて、そういうアイデアが目からウロコだった。そういうことをどんどん思いつくわけ。


 それを拒絶しないから。


 しないよ。だってわからないんだもん。びっくりしたよ、新聞紙入れてピアノじゃない音って。
 回転を変えたりとか、誰もやらないよ。二十歳そこそこの松任谷がそういうアイデアを持っていたわけよ。


 何をやっても許してもらえる現場だった。


 だってわかんないもの


 わかってないことはなかったでしょ。許してもらえた。面白がってくれた。


凄いこと。回転を倍にしようとか。


そうじゃなかったら弾けなかったから。


 ああいうことを一緒にミュージシャンも無言のうちに学んで、ああ、こういうやり方があるんだって、みんなの実になって、あの頃無名だったみんながビッグミュージシャンになってゆく。松任谷のチカラは大きいんだよ。


そんなことはないって。


 そんなことはないってミッチーは言うだろうけど(笑)。絶対そうなんだよ。松任谷がそういうタイプの人じゃないからだけど、俺は見ててそう思った。松任谷の影響は大きい。こういうソロを弾くんだ、こういうことをやるんだとみている。



 そんなことはないよ


 最近BSで「町中華で飲ろう」という番組があって、そのテーマソングが「午前0時の街」っていう曲で松任谷なんだよ


 憶えているよ


 あ、憶えているんだ。アレンジという程のアレンジではないが、こんなかったるい曲をよくまとめたものだと思う。これを聴くために番組を観ている。かったるい、メンドクサイ何これ?という歌なのに、駒子のスチールも入っているんだけど、コンポーザーみたいにまとめるのがうまかった。それは間違いない。
 自分がやってみせて、できないと説得力はないけれど、松任谷は自分がやってみせて、それができて説得力がある。根っから松任谷正隆はコンポ―ザー、プロデューサーだったんだろう。


 ゲストは吉田拓郎なんだけど(笑)


 俺の番組かと思っちゃった(笑)


 学校出たばっかで、二十歳そこそこでしょ。あの時は音楽の現場の場数をまだ踏んでいない時だったからあのアイデアは凄いことだと思うよ
 受け入れるのが凄いよ。お金かかっているし、アーティストはこれからのこともあるし。


 それらも含めて松任谷と逢えてセッションできた青春は宝物だよ、いい青春だったよ。


 それはお互い様。


 音楽の良さとか音楽の楽しさとか幸せを感じるね。


 また気が変わったら連絡してよ。


 ホントだね。ボーカリストが必要とか、一曲書けといわれたら考えてみる。長々ありがとう。俺が言うことじゃないけれど(笑)


 連絡してね、たまには。


 そうだね。

2022. 9. 3

☆…ちょっと変なこと☆
 ラジオの感激さめやらず。全長版がある。まだまだ楽しみが続く。

 とはいえ拓郎に「俺はフォークじゃない」「ファンは吉田拓郎をフォークにしておきたい」「ブルースを演奏するとみんなキョトンとしている」と言われるとやはりちょっと切ない気持ちにもなる。きっと誰も吉田拓郎にビリー・バンバンになってほしいとは思っていないし、俺は音楽的センスは欠けるが、決して”ブルース”が嫌いなわけではない。

 今回松任谷正隆の話でちょっと元気が出た。松任谷正隆にとってフォークとは「言葉」で、拓郎は独特の「言葉」を持っているからこそ吉田拓郎をフォークだと思っていたと語った。御意。
 そういえば安井かずみも吉田拓郎は「詩人」だと言っていた。吉田拓郎の詩人としての詞世界というものが確実にある。ブルースやアメリカンポップスやメロディーやシャウトだけでなくそこに詩人としての言葉の素晴らしい世界が私らをとらえてやまない。

 ここからは勝手な思い込みだが、[ブルース、R&B等を含めたメロディーやサウンド]×[詩]×[ボーカル]。それぞれがそれぞれにすばらしいのだが、これらが三位一体として融合したところに吉田拓郎の凄さ、新しさ、無敵感があるのだと思う。少なくとも俺はそう思う。

 なので怒られることを覚悟して小さな声で叫びたい。

 「ウケが悪かったブルース、全部詞がイマイチだったから説」

 “やせっぽちのブルース”のサウンドがカッコイイのは俺ごときでもわかるが、詩人の詞としては、感情移入や情景移入がしにくい。「野良犬のブルース」も「狼のブルース」とかもそうだ。野良犬も下町のバーガーインにたむろする兄ちゃんには共感が難しい。
 最近では「僕達はそうやって生きてきた」も2016年のライブのサウンドはすんばらしく完璧なのだが、詩人の詞としては、若者に向けた好々爺の訓話のような感じがしてどうよと俺は思ってしまう(※個人の感想です)。たとえばこのサウンドに「僕達のラプソディ」のような素敵な詞がついていたら全然違ったと思う。
 昨日も書いたけど、その意味で”僕の唄はサヨナラだけ”なんかはその三位一体の究極の傑作だと思う。すんばらしい。
 ということでブルースに戸惑っているのではなく、吉田拓郎の白眉の詩とブルースがうまく融合していないときに戸惑っているだけだ…と俺は思うのだ。

 拓郎の詩とメロディーがハイブリッドされた極上のブルースとの出会い…それはこれからでもまだまだ遅くないと信じる。

 それにしても何度でもこの番組に感謝したい。ありがとうございました。

☆松任谷正隆の…ちょっと変なこと聞いてもいいですか?B☆
  (第三回9月2日分)


 マンタに逢えて,鷹彦に逢えて、高中に逢えて、最後に武部と鳥山がちゃんとしめくくってくれて大満足の音楽人生でしたよ。本当に。


 ホントかな。僕なんかはまだまだあるんじゃないかと思ってしまうけどね。


 今ここで話していて身体の中に少しむくむくしているのはブルースってあるじゃない。トーキングな感じ。演奏は毎回違っていいアドリブのセッションで、それが基本になっているようなものは、やり残したしたかもしれないね。


 あるよね。

M-1 やせっぽちのブルース


 あんまり客席でもウケが悪いんだよ。ブルースは。「やせっぽちのブルース」とかブルーの曲をいっぱい作っているから演っているんだけどあんまり反応が良くないんだよ。人生を語らず」とかマンタのソリーナのソロが出てくるようなものは盛り上がる。
ブルースについては客席が唖然としているね。どうなっているんだろう日本の音楽状況は。


 吉田拓郎のルーツがR&Bとかブルースだとかということを知らないんじゃないの?


 いやいやファンに対しては「俺はフォークじゃないからさ」「フォークのことはわからない」って言ってるんだけど、ファンは俺をフォークにしたいみたいね。


 フォークだと思ってるんだよ。


 吉田拓郎はフォークの方が皆の気持ちいいから。


 いや「言葉」だからじゃない? 拓郎は言葉を持っているから。ブルースってそんな言葉はないじゃん。


 でも黒人のブルースには悲しいのやら、訴えてくるものとか、あとは笑わしてくれるハッピーなものとかがブルースの中には言葉がある。


 そういったものとは別種の意味での言葉。


 日本のフォークソングってあり得ない。日本のフォークとアメリカのフォークは違う。キングストントリオとかブラザースフォーとかとは違うもん。日本ではそれが、四畳半フォークとかになって。和製フォークは、日本だけのもの。歴史でいうと歌謡曲の中の一ジャンル。


 後になってみるとそうだよね。


 かぐや姫ともステージやったからわかるんだけど彼らはフォークじゃないよね。


 え、フォークじゃない?


 フォークじゃない。


 歌謡曲ってこと。


 ビリーバンバンとか  
 

 懐かしいな(笑)、白いブランコ、あれはフォークじゃない。たまたまビリーバンバンもかぐや姫もギター持っていた。ギターをもって歌うからフォークって変だよ。


 そういう時代だったね 人が音楽のジャンルがわかっていない。


 結局メディアがフォークだって言ったらフォークだと思ってしまう。70年代はフォークブームで、ギター持たせて歌わせて、フォークてす、フォークですって売り出していた。でもあの中にフォークはいなかった。


 それじゃ拓郎が典型的なフォークだと思うのは誰?


 日本人で?僕が知っている限りでは森山良子かな (Ⓜほー)♪この広い野原いっぱいとうたっているときの森山良子をみたけれど、ああこいうのキャンパスフォーク、カレッジフォークで大学生が好きだった健康的だし、フォークとおもったけどそれ以来はいない。僕の中ではフォークソングっていうのは健康で明るいイメージ。


 みんなそれぞれが頭の中でここからは歌謡曲、フォーク、こっからはロックで、という境目が少見えた気はした。


 でもこういうのは僕が言っていることが正しいというわけではなくそれ違うよと思っている人もいっぱいいるだろうし。論でもなくて 僕はこう思っているだけだから


 もちろん、もちろん


 ユーミンの話していい?


 いいよ。


 ユーミンがデビューしたときフォークソングに入れられるのを凄く嫌がっていた。景色としても。彼女のポリシーとして。その気持ち凄くわかるよ。俺もフォークにいれられていたから。それ当然だよ。
  自分で作詞作曲して歌うからフォークシンガーだって一緒くたになって嫌がるはずだよ。女子たちがフォークのユーミンではなくて、ユーミンのようななにかになろうとしはじめていた。あそこから新しい道がはじまっているというようになっていった。


 俺もこういう曲つくりたいな、こういう曲だったら作れるなという共通点を見出している曲。教えようか?
 最初の頃だと。
 「ルージュの伝言」これはロックンロールでジルバかツイスト踊る感じが好きだな。俺もやる。アメリカンポップスだよね。
 「守ってあげたい」。♪ユー ドント ハフトゥ  ウォーリ ウォーリのところ、ユーミンは怒るかもしれないけれどあそこは拓郎節なんだ(大笑)


 いいね〜


 ♪ユー ドント ハフトゥ  ウォーリ ウォーリ


 影響は受けているかもしれない…


 ユーミンもそういう曲を作るんだと嬉しかった。あとNHKのドラマの「春よ来い」。和風の和の感じ、こういうことができると知らなかった。なんだ、こういうのもやるんだったらフォークもそんな嫌うなよ(笑)。
時々ユーミンのそういう曲がヒットすると近いところにいるじゃんと思う。世の中、巷では、またユーミンの立ち位置というのもあって、吉田拓郎と松任谷由実、俺達は違うところにいるということだけど、どこか接点は感じる。


 一番感じるルーツの血で、この人たちの音の血が濃いなだなと感じるのは何かな。


 一番感じるとかいうのではないけど、一番好きで憧れているのはローリング・ストーンズだな。ミック・ジャガーとか彼らもブルースが好きで、ブルースな感じを常にもっていて間奏でギターソロが延々とあって、こんな長いのっていう間奏。ステージングとか曲作りああいうのはストーンズしかいなくて、好きなんだ。


 ディランは?


 レスペクトはある。ボブ・ディランが僕に詞を書かせたのは間違いない。でも音楽的なスタイルは、ストーンズが、一番自由で、カッコよくて憧れる。今でもライブは観たくて仕方ない。


 最後のアルバムのレコーディングの前に武部から一緒に何曲かやりそうでというのを聴いていたので…すげー待ってたんだけど。


 ああ、それはコロナ前なのよ。マンタ、鷹彦、高中にスタジオに集まってもらって、間奏とかでここはマンタ、ここは高中というように演奏してもらう。その時は、武部、鳥山は後ろ回れといって。
 武部もおもしろいですね、やりましょうってなったんだけどセッションはできないし、スタジオにもミュージシャンを集められなくなって、結局打込みしかない。
絶対面白かったと思うのは岡沢のベースでミッチーか田中清司のドラムでキーボードは松任谷ともう一人誰にするのか、松任谷が喧嘩しないで済むやつということでいろいろ武部と考えるのも楽しかった(笑)。スーパーグループで何曲かやりたいと思っていた。すっげ残念だ。


 残念だね


 「Together」という曲を聴いてみてよ。今聴けるかな。俺が親しくしているKinkiKidsとか篠原ともえとか小田和正とかが実名で出てくるブルースなんだけど。武部にブルースだから黒人のようなピアノを頼んだ。


 ああそれは無理でしょう(笑)  


 武部のピアノ聴いて観てくれる?


 ダメ出ししちゃおうか。


武部にそうやって言えるのは松任谷だけだよ。

M-2  together


…生っぽいよね。


 そうだね、打ち込みとは思えないそれを意識した。それでピアノはどうですか?

 かなりいいと思う。たぶん僕が同じことやって、拓郎からNG出されるとしたらこんなにブルーノート使わないでといわれそうだと思う。僕の記憶では。
ここまでなんかみたい、ブルースみたいじゃないので、オリジナルを求めていた記憶がある。「となりの町のお嬢さんと」かあれもブルースだよね。


一番すごいのは「元気です」の「また会おう」でセブンス使って松任谷が弾いている

M-3 また会おう  


 これ俺?


 ピアノの回転倍でやったりしてる


弾けなかったんだな


これ(ドラム)ミッチーだよ


 (ビアノ)はははは


 これマンタだよ。


 これは回転数をあげている。やりたいことわかるけど。


 こういうアイデアを出しているのよ。もうひとつ「加川良の手紙」でグランドビアノの蓋を開けて弦に新聞紙をはさみこむとチェンバロみたいな音がするっていうのがあって。それをやってみせて、そういうアイデアが目からうろこだった。そういうことをどんどん思いつくわけ。


 それを拒絶しないから


 しないよ。びっくりしたよ、新聞紙入れてビアノじゃない音って。


 何をやっても許してもらえる現場だった


 だってわかんないもの


 わかってないことはなかったでしょ。許してもらえた。面白がってくれた。


 みんなあの時は勉強になった。松任谷のチカラは大きいんだよ。


 そんなことはないよ


 最近BSで「町中華で飲ろう」という番組があって、そのテーマソングが「午前0時の街」っていう曲で松任谷なんだよ

M-4 午前0時の街


 憶えているよ


 あ、憶えているんだ。アレンジという程のアレンジではないが、こんなかったる
い曲をよくまとめたものだと思う。これを聴くために番組を観ている。
かったるい、メンドクサイ何これ?という歌なのにコンポーザーみたいにまとめるのがうまかった。それは間違いない。
 自分がやってみせて、できないと説得力はないけれど、松任谷は自分がやってみせて、それができて説得力がある。根っから松任谷正隆はコンポ―ザー、プロデューサーだったんだろう。


 ゲストは吉田拓郎なんだけど(笑)


 俺の番組かと思っちゃった(笑)


 あの時は音楽の現場の場数をまだ踏んでいない時だったからあのアイデアは凄いことだと思うよ

 受け入れるのが凄いよ。お金かかっているし、アーティストはこれからのこともあるし。


 それらも含めて松任谷と逢えてセッションできた青春は宝物だよ、いい青春だったよ。


 それはお互い様


 音楽の良さとか音楽の楽しさとか幸せを感じるね。


 また気が変わったら連絡してよ。


 ホントだね。ボーカリストが必要とか、一曲書けといわれたら考えてみる。長々ありがとう。俺が言うことじゃないけれど(笑)


 連絡してね、たまには。


 そうだね。

2022. 9. 2

☆松任谷正隆の…ちょっと変なこと聞いてもいいですか?B☆
(第三回9月2日分)

書き起こし…省略!!。…いえ、あとでやるつもり。今日はとにかく感想を書いておきたい。

☆☆☆感想☆☆☆
☆1回僅か25分、たった3回の番組で、終わってしまうのがこんなにも悲しい。ここまで聴き手をとことんロス状態にさせてしまう番組があっただろうか。
 最後に「たまには連絡ちょうだいね」と言って別れ別れになる二人。あ〜終わっちゃうのか。呼び戻すことができるなら〜僕は何を惜しむだろぉぉぉ>それは布施明の唄だ。

☆松任谷への音楽家としての魂のレスペクト。初回に続いてこれでもかと賛辞を贈る。それに対して松任谷は拓郎が現場で自由にやらせてくれたことを感謝する。松任谷の反応はなんとなく社交儀礼的に聴こえた人もいるかもしれない。
 でもそれは違う。かねてから松任谷正隆はその著書の中で熱く語っていた。
「由実さんと拓郎は、僕の意見をいつも取り入れてくれたんですよ。大切にしてくれた。だから二人の現場では僕はとても気持ちよく音楽をつくることができました」(松任谷正隆「僕の音楽キャリア全部します」p.57〜59『拓郎とユーミンは意見を尊重してくれた』)
 その意味では吉田拓郎と松任谷正隆とは深い両思いだったのだ。この両思いがいかに素晴らしいものを生んだか。音楽って凄いなと何もわからない俺でも涙ぐみながら思う。

☆で、ひとつだけ訊きたい。拓郎が昔ラジオで口走っていたことがあった。「春を待つ手紙」の間奏でも松任谷正隆は何か技を使ったらしい。なんだったけ? ビブラフォンを指で叩くみたいなやつだった。

☆そして「町中華で飲ろう」の「午前0時の街」。あの曲を聴くために番組を観ていると拓郎は言った。すげえ。事実、今回のラジオの最後はあの番組のエンディングそのものだった。
 「報恩」という言葉があるけれど、ひとりのファンが魂をこめて差し出した報恩が吉田拓郎に通じて、その曲も吉田拓郎本人も新たに蘇生し変化する。すごいな。ファンの魂をみせられた感じがした。何より「午前0時の街」という選択のセンスがすんばらしいとあらためて思う。ハラショ!

☆フォークがどうしたってもういいじゃないか。すまなかったな、ブルースがわからなくて(爆)。ただ”僕の唄はサヨナラだけ”…あれは極上のブルースだと思う。ああいう研ぎ澄まされた詞とメロディーとリズムが一体となったブルースなら俺にでもわかる。「拓郎が言葉を持っているからじゃない?」という松任谷の指摘には唸った。そうだ。言葉だ。「やせっぽちのブルース」はあの詞に今一つ気持ちがノラないというか共感できないのよ。個人の感想だが。
 それとユーミンの作品との親和性。俺はかねてから「真夏の夜の夢」にそれを感じていた。リズム、メロディー、節回しそのうえ「骨まで」ときたもんだ。コレは拓郎が歌ったらカッケーんじゃね?

☆「ボーカルが必要だったら、メロディーが必要だったら声をかけてくれ」ああ、雲の切れ間にあかりを探すみたいだ。

☆とにかくこの番組にもなんか賞をあげたい。金の鳩賞でも象印賞でもジャンプ賞でもなんでもいい、ありったけあげたい。それくらいの番組だった。

2022. 9. 1

☆☆☆消えていくもの☆☆☆
 「TAKURO Blog」本当にプツンと消えていっちまったよ。拓つぶの時は「Not Found」という痕跡が残ったが、こっちは何もないのです。
 昨夜帰の電車で最後のBlogを読み直していて
  キャンディーズ「やさしい悪魔」を聴いた時に睦月から手紙
  「タクロウこれダウンタウンズでもやれたなあ」

 おお〜睦月さん、かっけ〜な〜と唸った。素敵だぜ。
  そうなると当然、この曲が聴きたくなってくるのだが、気分的に作曲者本人歌唱が聴きたい。でも"ぷらいべえと"のズンガジャンガでなく、ああ〜ここで神田共立講堂2019がアルバムになっていればご機嫌なのにと詮無く思う。
 で、結局キャンディーズを聴いたが、あれを聴くと最初靴でリズム足踏みしそうになるので電車内で聴くときは要注意だ。いい。何度聴いてもいい。かつてラジオでナイトで拓郎がやさしい悪魔・・・あんないいメロディを日本人がつくれるかっ!?と豪語していたのを思い出した(2019.2.3第92回)。そのとお〜〜り(@財津一郎)。

2022. 8. 31

☆☆☆愛のさざなみ☆☆☆
  昨夜は久々の居酒屋で「つるむらさき」で独酌しながら考えた。「僕は今、音楽人生のアウトロ、エンディングを弾いています」と拓郎は言ってきたが、これがわかったようでわからない。かつて、そういうことをしてみせてくれた歌手の前例やお手本がないからだ。世間様のようにそれなら引退なのね〜といえば、引退ではないとのご拓宣だ。これからも新曲も作るし、ギターも弾く。こちらもどういう気分でいればいいのか戸惑うことしきりだ。前例のない歌手は、そのファンもまた前例のない道をゆかねばならないという鉄則だ。

 そういう中で「TAKURO Blog / STAFF Blog」を8月末でクローズ。…終わってしまうのか。アルバムのメイキングの日々は楽しかったし貴重だった。お疲れ様でした。そういえば昨年の竹田企画のつぶやきの今生の別れのような終了を思い出す。
 ANNGも年内終了と言うことだ。そういえばその前の「ラジオでナイト」も僕のラジオの最終章=遺言という最後のラジオ番組だと万感の思いで聴いていた。

 アウトロのと言う名の終わりと始まりがまるで寄せては返す波のようにつづいてゆく。コペルくん、君たちはどう生きるか。こういう時は、島倉千代子先生しかいない。ドラマ「監獄のお姫さま」で前川清とキョンキョンがデュエットしたのを観て以来大好きになった曲だ。

      愛のさざなみ

  あなたが私を きらいになったら
  静かに静かに いなくなってほしい
  ああ 湖に 小舟がただひとつ
  別れを思うと 涙があふれる
  くり返す くり返す さざ波のように

  どんなに遠くに 離れていたって
  あなたのふるさとは 私ひとりなの
  ああ 湖に 小舟がただひとつ
  いつでも いつでも 思い出してね
  くり返す くり返す さざ波のように
  さざ波のように  

 答えにはなっていないかもしれないけど気分だ気分だ。御大の言葉の意味や言質をあまなり深く考えずに、繰り返すさざなみに身をまかせよう。サイパンの砂浜のさざなみに身をゆだねるように(爆)。そしてとにかくご機嫌なファンでいようと昨夜は思った。

2022. 8. 30

☆☆☆男達の詩☆☆☆
 今日、居酒屋のメニューを観て思った。
image0 (10).jpeg
 ♪うすむらさきの煙がゆれてぇ〜
 この歌が頭に浮かんできて妙にご機嫌になった。♪つるむらさきの〜ガーリック炒め〜なんかメロディーにもハマるぜ。ふん、嗤わば嗤え。こういう心の底からどうでもいい些細なところにも吉田拓郎のふるえは生きているのだ。

 「男達の詩」といえば衝撃の短髪から32年が過ぎた。実にデビュー以来のキャリア52年間のうち短髪の期間が60%を超えている。感慨深い。だからどうなんだと言われても困るが。
スクリーンショット (60).png

※例えばフォーライフの社長就任直後(1977年)は短髪か長髪かという議論はありえましょう。それはまたそのうちとことん。

2022. 8. 29

☆☆☆叫び☆☆☆
 松任谷正隆が先週のラジオで語ってくれた東京駅のホームでのコンサート中止決定の様子。聴いてる自分もその場にいるかのようにベンチに座って俯いている拓郎、その横で暗い顔で心配する渋谷さんが目に浮かぶ。そしてその拓郎が「やめた!」と叫ぶ。
 その瞬間、聴いてた俺は思わず「よっしゃ!OK!」と快哉を叫んだ。なんでだ?。突然のコンサート「中止」にはさんざん泣かされたというのに。

 つらつら考えながら思い出した。角川文庫の「吉田拓郎詩集BANKARA」の松本隆の推薦文だ。
   武道館のステージで「酒と、女と、僕はでたらめに生きています。
   真面目に生きるのなんてつまらない」と拓郎が叫んだ時、ぼくの後の
   男が「その通りだ」と合いの手を入れた。
   もしも拓郎が「人間は真面目に生きなきゃだめだ」と叫んでも、
   その青年は「その通りだ」とどなるだろう。
   つまり、意味なんてどうでもいいんだ。
   拓郎が叫ぶという行為そのものに価値があるような気がする。
                             松本 隆

 当時これを読んだとき松本隆に「拓郎ファンをバカにすんじゃねぇぞ」とムカついたし、その拓郎ファンにも「しょうもない合いの手入れるなよ」と思ったものだ。

 しかしコレだ。まさにコレなのだ。意味なんてどうでもいい。「やめた!」と決然と叫ぶ吉田拓郎に感動するのだ。この瞬間、俺の脳内には無条件でドーパミンが怒涛の如くあふれ出てくるのだ。すまんBANKARAの推薦文はすべて正しい。俺を許してくれ。

 そう想うと、俺もこのサイトも吉田拓郎の言葉や歌詞にあまりにも意味を求めすぎた気がする。言葉の含意をあまりに深堀しすぎてはいなかったか。般若心経やハムラビ法典じゃないんだから>なんだそりゃ。また、あの時こう言ったけど今はこう言っていると言葉の違いに過敏すぎなかったか。警察の取り調べじゃないんだから(爆)。姑息だったかもしれない。俺は分別や常識のために吉田拓郎を聴いているのではなかった。
 それより拓郎の叫びや心意気に、そのオーラ溢れる姿に、ああ〜カッチョエエ!!としみじみ心ふるえる瞬間のために聴いているのだ。いしいしんじの表現をパクって言うと吉田拓郎とは心のふるえだ。なんでもいい、もっとふるえさせておくれ。エンディングという冷たい水の中をふるえながら登ってゆけ、ファイト!
…ああカラオケ行きてーな。

2022. 8. 28

☆☆☆24☆☆☆
 ちょうど家のテレビでは日テレの「24時間テレビ」が流れている。この番組についてはちゃんと観ていないので無記。しかしこの番組で思い出すのは、他局で申し訳ないが、1999年の大晦日から2000年の年越しで放送された「ワールドカウントダウンスーパースペシャル24時間まるごとライブLOVE LOVE2000」だ。
 なんたって吉田拓郎が24時間生でテレビに出演し続ける。今にして思えば奇跡のような番組だ。つま恋、篠島よりはるかに長い。
 いちおうチャンネルはずっとセットしていたが、なにせ年末と元旦だ。実家に帰って当時まだ幼かった姪と遊んで夜は寝かしつけながら一緒に寝てしまったし、翌日も姪と遊んだり、遊んだり、遊んだりして、ちゃんと観ていなかった。テレビに出る拓郎に慣れきってしまった当時の俺は明らかに緊張を欠いていた。
 番宣インタビューでいきなり不機嫌な拓郎、最初からあまり燃えていない拓郎、それでも深夜V6とゲームやってハイになる拓郎、次々とコーナーに連れまわされて「ウンコくらいさせてくれよ!」と怒る拓郎、それくらいの記憶しかない。
 ああそうだ、Kinkiのコンサートにシンクロしてフィナーレの東京ドームでクレーンに乗って天井から降りてきた拓郎。ハワイでも頑なにパラセイリングを拒否していた拓郎だ。あれはやるせないくらいの勇気をだしていたのではないか。もっともっと誉めてさしあげればよかった。
 だから今にして思えばこれを24時間観続けたファンの方々の拓郎愛はすばらしいと本当に思う。こういう愛が地球を救うのだ。とにかく俺としてはこの貴重な24時間、もっと処し方があったよな〜とちょっと悔いている。

2022. 8. 27

 昨日、あの田家秀樹さんのブログに取り上げていただき驚きました。日々吉田拓郎への勝手な情念を綴っているだけの拙サイトに対して汗顔の至りです。ありがとうございました。新参ファンサイトと思ってましたが7年目、孤高のサイトとうそぶきながら、実にたくさんの皆様に助けていただいております。ついでのようですみませんが深謝申し上げます。今後ともよろしくお願いします。星紀行
 
 例によって備忘録として起こしてはみたけれど、今回も本人たちの生会話が唯一無二。是非、聴くよろし。活字にすると「すごい覚えている」だけど音声をきくと「すっっごい覚えてる」なわけ。魂でしょ。
 もうこのまま二人のレギュラー番組化しちゃえばいいのに。ゲストで高中正義とか呼んじゃいなよ。

☆松任谷正隆の…ちょっと変なこと聞いてもいいですか?A☆

(第二回8月26日分)



 あのころってさ、音楽とかに限らず集まってみんなとセッションするのが楽しかった。出来がどうとかでなく一緒に音楽する、一緒の時間を過ごすのが楽しかった。


 僕もあれでツアー回って他の誰かとツアーを回りたいたいとは思わなかったもんその後(笑)

M-1 マークU’73

<ナレーション>
 今日は吉田拓郎さんをお迎えしています。松任谷さんが初めてレコ―ディングという仕事を経験したのが1971年「人間なんて」の現場でした。幾度となくコンサートとレコーディングと拓郎さんと音をつないでゆくことになります。


 松任谷がリーダーとなってツアーを結構回っているよ。


 知ってる。


 当時、沖縄が返還された直後で松任谷が沖縄を外国と勘違いしていて、今でもみんなであの時マンタがこう変なこと言ってたってあるんだけど(笑)。


 え、なにそれ?


 キミが今どういう生き方をしているかは知らないけれど、あの頃君は全然世間知らず  だったの。


 ああ、よくそういわれた記憶はある。


 沖縄でも突飛なこと言って、みんな目が点になったことがある。ラジオで言えない。


 言えないのか。リハーサルは赤坂のスタジオだったね、つま恋でもやったね。つま恋も懐かしい。


 75年のつま恋はいっぱいトチっている。あのときの全編のライブの音ノーミックスで俺だけが持っているけどほとんどの曲が間違っている。DVDになってるのはちゃんと弾けたのを選んだだけ。あの頃はPAもいいのがなくて。


 そうだった?


 ない。モニターもいいのがない。演奏でどこやっているのかわかんないし、松任谷のイントロも延々と長くてどこからはいっていいのかわからないのがあった。


 それはあったね。一曲目でトランザムの♪ひ〜と〜つという、あ〜れがすっごい記憶に残っている。


 怖かったよ。


 だよね。


 5,6万人いるからさ。


 人があんなにいるのを初めて見た。


 すっげ怖かった。ステージに出る前に袖でウィスキーあおって、バンドもみんなも怖いよ怖いと言ってウイスキーひっかけて、だんだん気持が変な方向に行って(笑)演奏がグチャグチャになった。


 そうかな?あそこのコーナーが一番ステディだと思っている。


 いやステディだったのは松任谷とやった2部が一番まとまっている。1部10何曲のうち4曲くらいしかできていない。ひどいんだよ。

M-2 ああ青春 (つま恋75)


 瀬尾たちが最後に出てきてオーケストラで演るんだけど、もうテンポがめちゃくちゃ、すげー速く始まって、違うって途中で言って徐々にテンポが遅くなったりね、めちゃくちゃなライブ。


 瀬尾ちゃんの時は、僕はオルガンで参加している。だから夜明けが観られた。


 そうそう。


 あれはキレイだった。


 そういうのを憶えているんだ。


 すっっごい覚えている。


 俺は夢中で観ている余裕なくて最後に「人間なんて」を歌いながら、日の出まであと30分、あと10分とか袖で指示出されてシャウトしているけど限界でさ。めちゃくちゃ限界で終わった後ぶっ倒れて。


 僕は拓郎のほんの初期の吉田拓郎しか知らない。その後を知らないんだよね。


 その後右往左往していたのよ。


 教えてよ。


 自分でも右往左往して、どこに行くんだろうと言う間に気づいたら70歳になっていた。


 あっと言う間だよね。


 音楽に関しては松任谷や高中正義、石川鷹彦そして加藤和彦なんかと知り合って、音楽に目覚めて、そこで楽しい音楽のコツもわかって、そこから始まった音楽は最後まで楽しんでやったな。だから満足感はある。やり残したことはなくてやりたいことはやった。
マンタとか高中とか凄い素敵なミュージシャンと出会えた人生の財産はずっと生きている。それはすっごい幸せで嬉しい。


 光栄だけどね


 その出来がどうとか恥ずかしいのものあるけど、あの出会い、あの一緒の時間はすげー貴重で忘れられない。


 お互い忘れられない。あのころの一緒にスタジオに入った連中もステージをやった連中も忘れられないと思うけど。急に思い出した。名古屋だったと思うけれど、俺が東京駅のホームに着いたら、拓郎がベンチで座って下向いてて。渋谷さんとかスタッフが暗い顔していて。


 (渋谷さん)よく覚えてるね。


 憶えてるよ。どうしたのかなとか思っていたら、拓郎がひとこと「やめた!」って言って、その日のツアーは無くなったんだよね(笑)


 それは今も変わっていないな。そういうのはどうしてなんだろう僕は。


 あの時にすごい繊細なんだろうなとわかった。


 あのね俺すげ―繊細だよ


 あれできんのは繊細じゃなかったらできないよ。


 どうしてもこれ以上はやりたくない、もう行きたくない、勘弁してくれ、できないと思うとすぐ「やめた!」ということになる。


 あの時の心境を教えてよ。どういう心境?


 同じ歌を毎日歌っている、ツアーってそういうものだから。今日は名古屋、明日は大阪、明後日は広島、毎晩同じ歌を歌うけど、毎晩同じ感情では歌えない。


 そうだね。


 プロだからやらなきゃ、いけないのはわかっているんだけど、毎日同じ気分になれない。例えば「どうしてこんなに悲しんだろう」で、♪悲しいだろう みんな同じさ〜と歌っても、ある日は嘘なのよ。歌っている自分が恥ずかしい、みっともない、ウソじゃん俺ってシラケる。 そういうのが続くとすぐ「やめる」と言いたくなる。


 コンデションの問題じゃないよね。


 うん、関係ないよね。気分の問題。…特にラブソングは毎日歌えない。そんなに愛してるって毎日言えないんだよ(笑)。


 うん。


 気分悪い日、こんな演れねぇやというのも東京でリハーサルやったとおり歌わなきゃならない。時々すごい違和感を感じる。やめたくなる。これはずっと最後まで変わらなかった。


 今まで中止したのって何回くらい?


 数えきれない。相当ある。


 そうなんだ。


 だからそういうヤツなんだと思われてる。


 そういう繊細なところはずいぶん見た。だから知ってましたよ。


 今日会って良かったよ。


 結婚前に拓郎のツアーに由実さんも一緒に出たよね?


 あれはどこだっけ?地方だよね。


 ステージで紹介したね、


 突如出てきて間奏…「結婚しようよ」でキーボード弾いて


 どこだったっけね。


 そうだよ。それもあるけど、マンタとユーミンの新婚旅行にかまやつと初夜に行ったんだよ。


 どこだったけ?


 熱海だよ。


 新婚旅行の一日目に。新田さんもいた。


 ムッシュかまやつに「マンタとユーミンとか初夜を邪魔しなきゃダメだ」と言われて「なにしに行くの?バカみたいじゃない」「拓郎がいれば妨害できる」と、かまやつさんの人選で新田さんとかも連れて。


 熱海の旅館で拓郎が明け方女装していたよね?


 ベロベロで初夜を迎えさせちゃいけないという使命感があった。


 まんまとうまくいったじゃないの(笑)。


 ひどいね。


 たぶん、そういう間柄が人には想像できない。だいだい拓郎の音楽性と由実さんの音楽性って、由実さんは歌謡曲だと思っている。初めて聴いた瞬間からフォークじゃないし歌謡曲だ。全く違う音楽だった。両方やってたでしょ。 


 両股かけた男だな。


 両方、勉強になったと思っている。

M-3 結婚しようよ


 今までのベストパフォーマンスって何時の何て曲?


 手前みそだけど最近なの。最近の名古屋でやったライブの「I’m In Love」というラブソングと「流星」の3曲くらいメドレーが自分でゾクってするくらい。


 いいねぇ


 俺に久しぶりに神様が降りてきて陶酔して、歌い終わってボーッとなった。ステージ降りてからああやってよかった、本当に久しぶりの何十年ぶりかの快感だった。  


 いつ?


 2019年.


 それは幸せだね。


 それは幸せだった。武部達の演奏もその日は違っていた。そういう時ってあるよね。そん時だけ違うって。


 そういうのはあるよね、モニターが良かったのかとか原因がわかんないけど。


 演奏が俺を歌う気にさせるわけよ、もっとやれ、もっとシャウトしろとか言ってる感じの演奏。武部・鳥山もドラムもベースも後ろから押されて、わぁぁぁ、よし行くぞ!って感じで、歌い終わったあとに冷や汗というかぞっとするくらいだった。ベストステージと思っている。


 それやると次をやりたくなくなるよね。


 それをやったら僕はもうやめようかなと思った。もういいんじゃないかな。これ以上欲を出すとロクな事がないかもしない。これで満足しちゃおうよと思ったのは間違いない。

(ナレ)
次回は拓郎さんが今思うことに迫ります。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆

☆つま恋のトランザムのステージを印象的に覚えていたことも、その演奏がステディと思っていたというのも意外だった。すまん、俺は松任谷正隆はトランザムのステージとか観てないんじゃないかとすら思っていた。
 音で聴くだけだが、確かに、セカンドステージの松任谷グループの演奏ってすんばらしいじゃない。サードステージの瀬尾オーケストラとの競演がつま恋の醍醐味だと思う。

☆つま恋の夜明けがキレイだった。松任谷は「すっごい覚えている」と言った。そこまでしか話さなかったけど、彼の著書「僕の音楽キャリア全部話します」の90ページには、夜明けの美しさとともに「拓郎の背中が感動していることが凄くよくわかった」「一人の男が夜明けとともに燃え尽きて行った」と万感の思いで夜明けに包まれる吉田拓郎の後ろ姿を見つめている描写がある。ここは達意の文章で何度読んでも涙が出てくる。

☆拓郎は、つま恋の全音源を持っているというが、映像はどうなんだ、なにがある、どこにある、といつもマニアな飲み会で話題になる。とにかく全部だしやがれとみんなで酔っ払って叫ぶのである。

☆コンサートの中止について興味を示す松任谷。どういう心境だったか、何回くらいそういうことがあったのか突き詰める。拓郎も茶化さずに去勢も張らずにそういう困った自分…というスタンスでその心情を話していたのも興味深かった。

☆「繊細」それ大事。「ひよわ」とも読む。たぶん多くのファンは豪胆な拓郎の中にそこを感じとってファンになった気がする(当サイト調べ)。

☆70年代後半から80年前半の話も聴きたかったな。例えば79年にジェイク・コンセプシオンを効果的にフィーチャーしたアレンジとかサウンドの話とか。「英雄」「白夜」「アジア」「ファミリー」「サマータイム…」等の後期松任谷名作群の話も知りたい。

☆トリビアだけど「渋谷さん」の名前が出たとき拓郎が「よく覚えてるね」に対して「(当然のように)覚えてるよ」という会話があった。1980年の年末にラジオ関東の「拓郎の世界」というショボい番組にゲスト出演した渋谷高行さんが、アナウンサーから80年の拓郎の秋ツアーの感想を尋ねられて「今までずっと一緒にやってきくれた松任谷正隆さんがいなくなったのが寂しい」と答えていたのを思い出す。実は密かにひかれあう二人だったのか(爆)。


☆松任谷ご夫妻の新婚旅行の「初夜をぶっ飛ばせ」の話は何度聴いてもすげえな。とんでもない話だが最高にドラマチックでもある。拓郎は、前回のANNGで「自分は芸能人なのだろうか?」と自問していたが、他人の新婚初夜の乗り込むなんて豪快なことはカタギの一般人にできる事ではない。立派な芸能人である。それも勝新太郎、横山やすし級に近いのではないか。

☆キャリア・ハイを2019年と答える。しかも「音楽に関しては松任谷正や高中正義、石川鷹彦そして加藤和彦なんかと知り合って、音楽に目覚めて、そこで楽しい音楽のコツもわかって、そこから始まった音楽は最後まで楽しんでやったな。」と過去の四天王らとの軸線としっかりつなげている。カッコよすぎる解答。


☆ユーミンと中島みゆきをそれぞれ自分のステージに出演させた歌手って他にいるのか?

2022. 8. 25

☆☆☆朝の光の中で☆☆☆
 中学2年の時の国語の教科書に「朝の光の中で」という川端康成の随筆が載っていた。海辺のホテルの朝食の時に並べられていたグラスが朝日に美しく輝いていたという内容だった。だからどうしたと俺は思ったし、文中の川端康成の「もういけません」が面白くてクラスで流行したくらいの思い出しかない。

 そのホテルの名前が「カハラヒルトンホテル」だった。中学生には意味もわからずただ呪文のように記憶の片隅に残った。しかし今年になって奈緒のドラマ「雪国」を観ながら、川端康成って昔の教科書にあったよな…と芋づる式に思い出していって「カハラヒルトンホテル」という呪文に行き当たった。
 「カハラ」ってあの「カハラ」だろうかと思って調べたら、あの「カハラ」のことだった。そうだったのか。自分の不明を悔いた。
 中2の俺にあと何年かしたらこの川端康成の「カハラヒルトンホテル」をお前の大好きな吉田拓郎が歌にするぞと教えてやりたかった。

 たまらなくなってこの随筆を探したらみつかったのですぐにポチした。「美の存在と発見」という原題で、ああこれだ、これだと思った。

 「わたくし、カハラ・ヒルトン・ホテルに滞在して、二月近くなりますが,朝,濱に張り出した放ち出しのテラスの食道で、片隅の長い板の台におきならべた、ガラスのコップの群れが朝の日光にかがやくのを、美しいと、幾度見たことでせう。ガラスのコップがこんなにきらきら光るのを、わたくしはどこでも見たことがありません。」(川端康成「美の存在と発見」(毎日新聞社)P.9)

 あの時はわからなかったが、今こうして読むと美しい文章なのだな。ひとつひとつの光の表現、グラスと朝日の位相にまで及ぶ描写の見事さといったらない。

 「カハラ・ヒルトン・ホテルのテラス食堂の、朝のガラスのコップの光りは、常夏の楽園といはれるハワイ、あるひはホノルルの日のかがやき、空の光り、海の色、木々のみどりの、新鮮な印象の一つとして、生涯、わたくしの心にあるだらうと思ひます。」(同上)

 この漲るハワイ愛。どなたかのラジオでの語りを聴いているようだ。この文章のあとに「緑色のカーテンのスキマから夏の光が朝を告げるのです」「君を自由にできるならカハラに連れて行きたひ」ホラ違和感なくつながるでしよ。魂の通底を感じる。

 「このやうな邂逅こそが文学ではないのでせうか、人生ではないのでせうか」とまで記されている。ということで相変わらずのひとりよがりで誰からも共感してもらえないのだが、川端康成とハワイと吉田拓郎と中2の俺が時空を超えてつながった気がするのだ。妄想にもほどがあるかもしれないが、まさに人生の伏線回収だ。なんの伏線がどう回収したかはよくわからないが。
 とにかくもう一度私をハワイに連れてってと私も何度願ったでせう。
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2022. 8. 23

☆☆☆ありがとう☆☆☆
 松任谷正隆とのラジオに続いて、TAKURO BLOGのダウンタウンズのストーリーをしみじみと読んだ。過去の話を忌み嫌うことの多い拓郎だが、過去からつながる音楽の軸線を誰よりも大切にする。そこが素敵だ。過去は、郷愁のためにあるのではなく、明日のためにある、特に"そこから立ち去る事でしか「見えない未来」”と言う言葉が胸にしみまくる。
 引退、アウトロ、最後、エンディングいろんな言葉がコンタミして気もそぞろ状態が続いた。さすがに面倒になってきた。これから拓郎がどうなるのかは切実に大事なことであると同時に心の底からどうでもいいことでもある。なにがどうなろうとも、どうにもならなくとも拓郎ファンとしてのlifeはこれからも続いてゆく。てかファンは基本みんなそうだと思う。過去に停滞しているファン、今を生きていないファンなんて妄想の産物だ。それぞれが過去を慈しみつつ、それを大切に抱えてそれぞれの明日を生きているはずだ。だからファンなんだってば。そのファン中で吹けば飛ぶような私だが大事に明日につなげていきますとも、生きる限りはどこまでも。
 どうか吉田拓郎さんもこの同じ空のどこかで末永くお元気でお過ごしください。

 やっぱり何万回でも繰り返したい映画「ブレードランナー」劇場版の最後のハリソン・フォードのナレーション。
 no termination date. I didn't know how long we had together. Who does?
 最後の日がいつなのかはわからない。いつまで俺たちが一緒にいられるかもわからない、知ったことか!
 
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 そういえばアナログ盤を聴ける場所を見つけた。憚りなく踊ることもできそうだ(爆)。アナログ盤胸に抱えて行ってまいります。
 アナログ盤つながりで例の「マイ・ブロークン・マリコ」は奈緒&永野芽衣二人の映画化が成功するように祈っている。

2022. 8. 21

☆☆☆OK,Long time no see☆☆☆
 最後は1981年の体育館ツアーだったかな。俺が拓郎を聴き始めてからその時まではステージもレコードも何時も松任谷正隆がいた。ガッツリといてくれた。その後も85年つま恋とかLOVELOVEのビートルースとかほんの一瞬の接点はあったが、世界を覇するユーミン帝国に君臨するはるか遠い人になってしまった。
 今の俺のこの気分を率直に言うと40年間生き別れになっていた兄と再会して、その兄さんが昔とかわらず「やぁ元気だったかい」とやさしく言ってくれたときの心のふるえに近い。もちろんそんな経験したことないけど、想像できる限りたぶんそれぐらいの感慨深さだ。

2022. 8. 20

 あまりに感動したので調子にのってノート化してみた。あくまで自分のための備忘録なんで、是非ラジコなりなんなりでホンモノを聴くべし。あの至福な空気感は俺ごときに文章化できるわけがない。俺もまだまだ繰り返し聴くつもり。

☆松任谷正隆の…ちょっと変なこと聞いてもいいですか?@☆

(第一回8月19日分)


 マンタ―、久しぶりー。握手できる?

 できるよ、もちろん。

 マンタでいいのかな?

 俺もなんて呼んでただろう

 拓郎って言ってたじゃん。歳下だけど。

「さん」なんてつけてなくて。

 いやこんな日が来るとは、感慨深いよ。

 それは僕も。

 ミュージシャンで最後に会いたい人が何人かいる。松任谷と会って話してないなと思って。テレビでは観てる。でも車の番組で音楽の話はないし、相変わらず車が好きなんだなと。話すチャンスないかなと思ってたんで嬉しかったよ今日は。たぶん僕が他人の番組に出るのはこれが最後だよ。

 ウソ〜

<ナレーション>
 今日は吉田拓郎さんをお迎えします。二人が初めて会ったのは1971年リリースのレコーディング「人間なんて」でレコーディングの場でした。半世紀前のことを今も鮮明に覚えているようです。


 今日、自分でキャリアの最初のころのことを思い出すと、僕の一番最初知らないでしょ。

 ああ一番最初って知りたい。なんで加藤和彦が、松任谷、林立夫、小原礼、を連れてきたのかイキサツを知らない。

 林と僕はアマチュアシンガーソングライターのバックで、東急百貨店本店のコンテストに出ていてその審査員が加藤さんたったの。

 トノバンだったのか。

 2週間後に加藤さんに呼ばれて東芝のICステレオ「ボストン」のCMで生まれて初めてのスタジオという場所だった。

 加藤和彦なんだ

 だから僕を拾ったのは加藤さん。また2週間後、テイチクのスタジオに来てくれと言われて。あのスタジオの光景は死ぬほど覚えているし、そこにいらっしゃられて(笑)。加藤さんがハーモニウムを持ってきた。

 そうそう

 僕が弾いて。吉田拓郎が僕の初めてのレコーディングだった。

 今日話したいこといっぱいあるんだけど、いい?

 言って。

 広島から海のものとも山の者ともつかないガキたれが東京出てきて夢は大きかったけど、最初が通信販売のエレックレコードだったの。「人間なんて」はエレックのアルバムだったの。

 ああ、そうだね。

 「人間なんて」というアルバムでは加藤がセッティングしてくれたけど,それまで会社が紹介するミュージシャンがジャズのおじさんとかの古い人ばかりなの。当時俺は譜面書けないし、ギターでこういう歌ですって聴かせると、びっくりするくらいわけのわからないアレンジになってきて。
 僕はR&Bのバンドで岩国の米軍キャンプでギター弾いてして、ロックだったんだけど、フォークが流行ってたんでその中に入れられた。だからフォークギターは弾けないの。

 そうだったんだ。

 エレックはフォークとして売ると言うことで、会社のいうとおりにしていたの。「青春の詩」というアルバムを作ったんだけれど、アレンジはひどいのでも、もう今は絶対聴きたくない。
 そのことを加藤和彦とラジオ関東の番組で会った時に相談した。加藤君はもう超有名だったからね。いっぱい曲書きたいけどどうすれば、いいアレンジとかいいバンドとか、どうやっているのって尋ねたら、そしたら「俺が手伝おうか」って言ってくれた。
 エレックとはもう一枚アルバム作ることになっていたから、「結婚しようよ」、「どうしてこんなに悲しいんだろう」で加藤君が呼んできたのは君たち(松任谷正隆、林立夫、小原礼)…全然知らなかった。でもそれまでおっさんたちだったので、若い人たちとできるのが嬉しくて。
(BGM どうしてこんなに悲しいんだろう)
 やっぱりレコーディングはこっちだよな、若いミュージシャンとレコーディングするとわかりあえるし、話が通じ合うと面白いし、いい音ができると思った。

 話は長くていい?

 いいよ。

 「どうしてこんなに悲しいんだろう」もコード進行だけ渡したら、加藤和彦がアコギで
入れてくれて、B3で間奏を松任谷正隆がその場で弾いてくれた。あの間奏が素晴らしい。
ぶっ飛ぶような、その場で作ったのにまるで家で準備してきたような演奏だった。

 ホメてもらった印象ないけど(笑)

 あんときゃまだわからないの、後になってありがたみがわかるの。

(M:どうしてこんなに悲しいんだろう)

 どうしてこんなに悲しいんだろうのB3のオルガンソロのそのあとレコード会社をソニーに移ってそこでアルバムを作ってマンタにも手伝ってもらうんだけど。
 「(今はまだ)人生を語らず」というアルバムの「人生を語らず」という歌を作った時に
(BGM:人生を語らず)
 コード進行だけ渡したら松任谷がヘッドアレンジをしてくれて、松任谷が平野兄弟に(Ⓜ懐かしいな〜)こういうリズムでと指示して、ギターは矢島だったんだけどワウワウ使ったらどうかとか、そして間奏にコード進行しか渡していないだけなのにソリーナを持ってきた。これがどこでどうしてこのこういうメロディーが出てくるのかというくらい凄いのよ、松任谷正隆という人が。奇跡のようで。松任谷正隆のこのメロディーは今も50年経って今でも同じメロディーでライブをやっているんだよ。
ⓣⓂ
ターンタターターンターンタン。

 誰も替えられないの。どんなアレンジャー、どんなバンドでも、ミュージシャンも変えたけどあそこに行きつく。50何年間だよ。あの松任谷のフレーズを誰も替えられないのよ。すごくない? 

 最初のオリジナルってそういうもんだよ。

 でもこんなのは僕は無いよ。
(M: 人生を語らず )

 余分だけどギタリスト高中正義のライブ73ってあったんだけど、 松任谷にもいてもらったけれど、あの「春だったね」あのイントロ、あれも50年間変わっていない。

 あれは拓郎だよ。

 オルガンでしょ?ギターはオルガンと違う。オルガンのイントロはマンタに言った覚えがある。加藤和彦のアイデアマンとしての凄さ、松任谷の天才としか思えないメロディーの作り、その場で浮かんでしまう、高中のギターその場で浮かんだギター、50年間変えられなかったというのは 加藤和彦、松任谷正隆、高中正義そしてフォークギターというものを教えてくれた石川鷹彦、彼からはフォークについて教わった。この四人は僕を育ててくれた四天王と呼んでいる。

 初めて聴いた(笑)

 この4人がいなきゃ今の僕はいない。絶対ない。

 まず吉田拓郎は絶対最初に言葉から入ってきた。考え方から入ってきたから、生粋のフォークって信じて疑わなかった。それがR&B?

 フォークってよく知らないのよ。だから松任谷にはあの頃はボブ・ディランとバンドの話をよくしていて、俺がボブ・ディラン、松任谷がザ・バンドというようなバンド編成とかアレンジをしてくれとよく言っていた。僕は、ボブ・ディランはロックシンガーと思っている。

 そうね。

 フォークって、日本だと四畳半フォークとか言っちゃ悪いけど演歌みたいじゃんとか思ってて好きじゃなかった。アマチュア時代は岩国の米軍キャンプで黒人相手に歌ってたのが、フォークということにになった。でもフォークだったから売れたし、俺はロックだと言ってやっていたら売れていなかったかもしれない。ブームは怖いものだ。
 そこでアコースティックギターをもっと勉強しなきゃと思って石川鷹彦にスリーフィンガーとかどうやって弾くんだいと教わったし。

 何ツアーかい一緒に回ったけれど確かにフォークとは思わなかったな。でも最初はフォークとは絶対に思ってたよ。

 松任谷フォークとか知らなかったでしょ
(BGM:明日に向って走れ)

 いや僕はキングストントリオとかさ(笑)

 実は松任谷正隆ってバンジョーとかフラットマンドリンとかうまいじゃん、みんな知らないよ。みんなは君のことはキーボーディストと車に詳しい人と思っているだろうけれど。かまやつひろしが歌った「我が良き友よ」のバンジョーも松任谷だよね

 あれ俺なの?こないだ新田さんに会ったらあれは俺の弟だったとか言ってたけど。

 違う、違ういや松任谷だよ。俺のいろんな曲でフラマンとか入れてくれてる。
今でも弾けるの?

 こないだバンジョー2本買った。すごい好きなの。フラマンは欲しいけれど弾くところがなくて。

 バンジョーフラマンを必要しているレコーディングってないでしょ

 凄いダビングしたのは覚えているよCBS、 仁さんがいて。

 六本木の1スタだよね。コード進行の紙きれ一枚を渡して、それをその場でギターでこういう曲だと歌うと、松任谷がその場でまとめて各ミュージシャンドラムベースに指示するヘッドアレンジ。エルトンとかドラムのミッチーもいるけど島村(英二)とかあの頃の連中はみんな松任谷に影響を受けている。それがすげーわかる。
 松任谷のアレンジは独特で凄いのよ。ほんとにすごい。特にリズムセクションの作り方が天才。君は文句なしあの時代だよ、ドラムのサゼッションが凄い。

 記憶が改善してるんじゃないの

今聴いても凄い。今日かけたいとお願いしたのが「戻ってきた恋人」という曲があるんだけどドラム・ベースのアレンジ。あれはその場では思いつかないよ。♪テケテケテケテケットットというやつ。元の曲はエイトビートなのに、俺なんか目がクラクラするよ。

 それ聴くとニューオリンズだね。ニューオリンズをやりたかったんだね。

 あの時代になんでフラマンとかバンジョーとか好きでブラフォーの可能性もあったのになぜニューオリンズか詳しいのか どこにルーツがあるの?

 僕らの共通点のディランとバンドがあるじゃない。
(BGM :The Weight)
 ザ・バンドが「ロック・オブ・エイジ」というライブアルバムがあってそのホーンセクションのアレンジをアラン・トゥーサンがやって、アラン・トゥーサンをたどってゆくとミーターズというバンドにいきつき、そこらはドクター・ジョンとかニューオリンズがいるわけ。

 松任谷あの時は二十才前だよ

 二十才くらいかな

 そのころに70年代にニューオリンズを持ってきてこれをやれって人はいないよ。

 変わってたのかな。

 あのアイデアは凄いよ。「戻ってきた恋人」あのリズムは今でも気持ちいいよ。これはステージではできない。

 聴いてみたいな

 聴いてみて、「戻ってきた恋人」
 (M: 戻ってきた恋人)


 あの頃の俺たちは育ちがよくなくて荒くれ物の集団だったけど、松任谷だけ、この人どっから来たのという感じで雰囲気が違っていた。松任谷もフンとしてた。

 お酒飲めないし。

 お酒飲まないし人付き合いもしない。みんなが楽しんでいると輪に入ってくるけど
自分からはワイワイ騒がない。無口だった。独特の立ち位置にいたのよ。


☆☆☆感想☆☆☆

☆こんなに嬉しそうで熱量の高い吉田拓郎は久しぶりだ。堰を切ったように溢れる情意。魂だ。魂で話している。

☆いかにこの二人が天性の音楽家であるかということが胸にしみてわかる。もう心がふるえるったりゃありゃしない。

☆最初は「マンタ」と呼ぶ拓郎だが、だんだん熱を帯びてくると「松任谷」「松任谷正隆」と呼ぶようになる。これは、吉田拓郎がどれだけ松任谷正隆に対して深い敬意を抱いているか、誇らしく思っているかの徴憑だと思う。

☆ここに本物の美しきリスペクトがある。

☆話題には出ないが「明日に向って走れ」がBGMにチョイスされているところ。

☆この二人の作り上げた音楽やステージを体験できたことを私も心の底から感謝したい。

☆惜しむらくは松任谷正隆ともう一度、四天王とも、エルトン、島ちゃんとももう一度、…ああ詮無いことは言うまい。

☆次回はライブの話か。楽しみだ。楽しみ過ぎる。

2022. 8. 19

☆☆☆OK始まる☆☆☆
 電車の中でリアタイで聴いた。たまらん。こんなに嬉しそうな吉田拓郎を久しぶりに聴いた。こんなふうに音楽の海をいきいきと泳ぐことが何より好きなんだな。松任谷正隆が言葉少ないけどしみじみやさしくてまたそこが泣けるんだ。来週が待たれるし、また聴き直したい。

2022. 8. 18

☆☆☆OKの周辺☆☆☆
 最近spotifyでアグネス・チャン「グッド・ナイト・ミスロンリー」(1978年・作詞 松本隆 作曲 松任谷正隆 編曲 松任谷正隆)を聴いている。われらが「アゲイン」(作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎 編曲 松任谷正隆)のB面である。後にこれがA面になるという下剋上な展開があったのだがその点の経緯はUramadoで書いたし今となってはどうでもいい。そこには書けなかったがアグネスのレコード会社の移籍も絡んでいたようだ。

 とにかく大切なのは名曲が名曲として生き続けることだ。1978年のB面曲がこうして44年後に一緒にいてくれてご機嫌な気分にさせてくれる。このことに他ならない。

 「アゲイン」は名曲であるがこの松任谷正隆の曲も負けず劣らずの名曲である。AB双璧シングルである。
 彼のメロディーを全部聴いているわけではないのでもっと傑作があるのかもしれないのですまんが、とにかくこの曲はPOPでドラマチックな素晴らしいメロディーだ。爽快感あふるるOK松任谷!と叫びたくなる傑作だ。気のせいか拓郎、ユーミンのエッセンスも少ずつ入っている気がする。あの飄々とした松任谷正隆はこういう情熱的なメロディーを書くのか。
 途中のフレーズで、
 ♪君がよそ見した時 鞄に薬入れた〜
 えっ!!松本隆もすげぇ詞を書くな〜と驚いたが、船で旅立つ君に船酔いの薬を忍ばせるやさしさという意味だったので安心した。>なんだと思ったんだよ

 同じ78年の12月のアグネスのアルバム「ヨーイドン」では、これまた私個人としては大傑作と讃する「ハート通信」(作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎)が静かに発表されている。ということで78年の後期のアグネスが実は名曲の祝宴場だったりするわけである。

 そういえば慶応出身の友人に自慢されたが慶應義塾高校の応援歌は松本隆作詞、松任谷正隆作曲だそうである(ちなみに慶応中等部の同窓会歌は、松本隆作詞、鳥山雄司作曲だ)。
 KO!松任谷…ってそれが言いたかっただけの話だ。

2022. 8. 17

☆☆☆OK月間☆☆☆

 ということで8月19日から3回にわたって松任谷正隆と吉田拓郎の対談がFM東京でオンエアされる。マイ・ブロークン・サイトもこれに向けて気分が上がってきた。
 以前の日記で書いた超私的に天国に持ってゆきたい松任谷正隆をもう一度聴き直しさらに気分を高めたい。ということで松任谷正隆月間の突入である。

☆天国の島に持ってゆきたい松任谷正隆のキーボード7選(しみじみ抒情編)☆

いつもより余計に弾いております&ジェイクとの見事な掛け合い舞姫(TAKURO TOUR 1979)
ぽっかりと浮かぶ陽だまりのような心地よき間奏の至福野の仏 (ライブ73)
披露宴、ディスコのチークタイムにも最適だがどっちも縁がなかったが美しい未来 (大いなる人)
見事な後奏&暖かな焚火のような音色襟裳岬 (今はまだ人生を語らず/つま恋75) 
ボーカルに静かによりそう妙味白夜 (ローリング30)
スチールギターと拠りあう切ないまでの美の極致無題 (ローリング30)
ああ、どちらもどうしてこんなにいいんだろうどうしてこんなに悲しいんだろう (人間なんて/明日に向って走れ)

<次点>
いきなり天空から降ってくるピアノ流星(シングル)

☆天国の島に持ってゆきたい松任谷正隆のキーボード7選(ロック&ポップ編)

神様が遣わしたもう奇跡のソリーナ人生を語らず (今はまだ人生を語らず)
ポップに弾ける二人ザ・バンドの船出春だったね (元気です)
マンタ・ビギニング&フォークの国のエクソダス結婚しようよ (人間なんて/TAKURO TOUR 1979)
心優しいキーボードと踊りだす手風琴まにあうかもしれない (元気です/TAKURO TOUR 1979)
傷癒えぬままの蘇生に優しく強く寄り添うキーボード明日に向って走れ (明日に向って走れ)
ウキウキ跳ね回るポップなピアノ戻ってきた恋人 (今はまだ人生を語らず)
永過ぎた春を水中翼船のように進むキーボード春を待つ手紙(シングル)

<次点> 
バースト前の荘厳な鎮魂のピアノ英雄(ローリング30)
イントロとブリッジのピアノあってのファミリー(無人島で…)

<評価検討中>
ごっつ必死でピアノ叩きまくるおまえが欲しいだけ(ONE LAST NIGHT IN つま恋Uビデオ)
                                 以上

 私のベストワンは、1979年のライブの「舞姫」だ。ブルーの全体照明の中でピンスポットを浴びて前奏、間奏、後奏をこれでもかと弾きまくる華麗な姿が忘れられない。

2022. 8. 16

☆☆☆マイ・ブロークン・プレス☆☆☆
 プレス工場の方々が身を削るようにして五寸釘で掘ったという話を聴くとやっぱりこの美しいアナログLPは飾るだけでなく音を鳴らしたいと思う。先輩サイトの方がアナログLPにさんざん文句言いながらも実はレコードプレイヤーを求めようとしていた話にもやられた。特にファンの矜持として粗末なプレイヤーでかけたくないという気骨に胸を打たれた。
 今さらだが俺もこのアルバムをきちんと鳴らそうとあらためて思った。しかしアナログプレイヤーを置く物理的スペースが我が家にはない。どこか他所に行かねばならない。

 で話は一見違うが、先週仕事で茅ヶ崎までの外回りのときに電車の中で、マンガ「マイ・ブロークン・マリコ」を読みながら東海道線の車内で涙した。今年初めに永井みみさんの「ミシンと金魚」に感動したが、マンガで比較にはならないが、これはこれで胸わしづかみの短編だった。秋に映画化公開されるとのことで、そうなるときっと吉田拓郎界隈でも話題になるかもしれない。しかし、いつだって漫画の実写化は微妙過ぎることが多いので、できれば先に読んでおきたいところだ。
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 俺はこれを読んで、不謹慎だと怒られるかもしれないがこのアナログLPを抱えて音を鳴らす旅に出ようと思ったのだ。還暦過ぎにしては軽薄すぎるか。 
 レコードプレイヤーを持っている知人は2,3人いるにはいるが、ジャズかクラッシックのファンばかりだ。コルトレーンとかカヴァレリア・ルスティカーナとかが鎮座まします中で、膝を正して聴くのも窮屈だ。もっと自由に、例えばショルダーバックやgo toのあたりでは誰憚ることなく踊ったりしたい。ということで期日未定だが音ならしの旅に出ることにした。 

2022. 8. 15

☆☆☆I Shall Be Released☆☆☆
 先日のANNGは、あいみょんとのトークのみならず拓郎自身も意気軒高で嬉しい放送だった。これを聴いて「解放されたとき拓郎はいちばん輝く」というメールをいただき納得した。なるほど。引退ではなくこれは解放なのか。解放されてゆく吉田拓郎の旅路が続いているということか。

 暮らしの手帖の「戦争中の暮しの記録」を読みかえす。ひとつひとつの投稿は短いが、どれも内容はあまりに重たく読み飛ばせない。そのひとつに飼犬はすべて国に供出すべしという条例にどうしても従えない女性がリュックに愛犬を入れて命がけで疎開地に逃げるという体験談がある。夜行列車に潜り込んで息を潜め取締と密告のピンチを切り抜け、疎開地に着いてからも近所や憲兵の監視と飼犬狩りの猟師たちに狙われるいくつもの危機を潜り抜ける様子には胸が苦しくなる。
 戦争は国と国だけでなく、国内もしっかりと分断してしまう。というか少数派を分断しないと戦争はできないのだろう。なんか最近は分断の準備が顕著に進んでいやしないか気になる。

2022. 8. 14

<オールナイトニッポンゴールド 第28回 2022.8.12>
 毎週金曜日は週替わりでお送りしていますが今週は吉田拓郎です。吉田拓郎というより”吉田たんみょん”が(笑)。先日あいみょんとお会いして今日から僕は”たんみょん”で再デビューするかもしれないと宣言したらKinkiKidsの堂本剛からから絶対売れまへんがなと言われた、ああそうでっか(笑)

 さて巷では「吉田拓郎が芸能活動から引退する」ということで、普段だったら僕の音楽とかにも興味も持っていないメディアとかマスコミがいろいろ書いています。その中で、「拓郎に近い音楽仲間」…誰だよ呼んで来い。「拓郎をよく知る人」…誰だ。そういう人の談話というが、嘘つけ!おまえが書いているんだろう。
 僕には近い人とかよく知る人なんていない。せいぜい同じマンションに住んでる方々くらいだ。今、植栽管理しているのでいろいろクレームあったりして(笑)、小さいマンションなので住人の方々は知っている。吉田拓郎が何時ころゴミを捨てたりするとか、よく会うんだ…奥様と立ち話したりするし、そう言う人は知っているかもしれないが、そんな近いやつがいるワケがない。

 アナログ盤のエッセイ”ちょっとだけTrue Story”でも書いたけれど、責任を負おうとしないメディアの作り話に惑わされるな。ネット社会の都市伝説、フェイクニュースこれらは全部嘘。

 僕は芸能活動から引退といわれているけど、佳代さんに俺は芸能界にいたのか?と聞くと佳代さんも「芸能界?私もあなたもどうかしら?」ということで俺たちは芸能人だったのかということが話題になっている。どうも違う気がして。
 芸能界を引退するというのは違うんではないか。そもそも芸能プロダクションにいたわけではない。最初はユイ音楽工房というニューミュージック系ばかりで社長が最初は大学のクラブ活動の延長みたいな感じだったんで芸能プロという感じはない。その後は自分で立ち上げたファミリーのような感じだった。
 「The芸能界」の方々のお付き合いとか曲を提供したりしていたことはあったし、フォーライフレコードの社長の時はそういう方々とのお世話になりながら会社を立て直した。
しかしどっぷりと芸能界には入りきれず中途半端だった。中途半端だったので芸能界引退というのは似合っていない。俺はそこにいなかったもんという感じだ。

 いろんなことを中途半端に 自分の好きなようにやりたいことを生きてきた。50何年間パーソナルに個人的に好きなことをやってきた。
 その中で好きだったコンサートツアーをもうやらない、面白いと思って出てみたテレビももう出ませんよ、育ててくれたラジオもそろそろ卒業させてくださいよ。それが芸能界に引退になってしまう。僕は僕でしかなかったと。それは満足している。どうも芸能界引退というのは好きになれないフレーズだ。あえていえば卒業…リタイヤでいいやね。

 ほいでほら、引退というとどうしても悲観的だ、もうこの先に何にもないイメージだけれど、例えばラジオだって今週はあいみょん、来週は菅田将暉が出てくれる。楽しみだし。久しぶりにあそこの美味しいもの食べに行きたいとか平凡な日常の楽しみもある。人生をリタイヤしているわけではない。生きる事を引退しているわけではない。
家では毎日ギターも弾くし、ギターだこもできているし、曲だって作るし、打ち込みも家でやりたいし、やりたいことはいっぱいあるよ。引退、引退、引退というのはやだなと思う。今日もあいみょんがゲストだし若い人たちの話を聞けるのは楽しみだ。

▽今夜も自由気ままにお送りします吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

<再プレスのおかげで予約できた、ありがとうございました、厳しい決断だったと思いますという投書>など

 再プレスが決定しました。とはいえ限界がある。今時、アナログLPを必要とする人がどのくらいいるのか、固い数字としてはある。それでも自分で仕事部屋、勉強部屋に飾りたい。思い出として一生飾っておきたい。ということで篠原にディレクションお願いして、デザインしてもらい、写真選びもして奈緒にモデルになってもらって、つま恋で撮影した、僕の記念ということで始まった。付録みたいなカタチでつくろうということになった。
 アナログプレス会社にも事情があり、たくさんプレスする環境が整ってない。限界の枚数というものがある。これくらいで十分だという限界まで作っていただいて、あっという間に予約が一杯。みんな驚いた。
 やっぱりそこに転売という非常時に腹が立つことがあって、最後のコンサートの時もそうだった。だから、こちらも最低限の努力をしようということで再プレスしようとプレス会社の方にも無理を申し上げた。
 アナログのプレスは工場で僕が歌う、工場の方々がそれをレコード盤の溝に五寸釘で・…  そんなことあるわけねぇだろ(笑)…そんなことはないけどそれくらい環境は整っていない中で再プレスをお願いした。
 それがあっという間に数字がいってしまうと、僕個人の読みが甘かったというしかない。
 アナログ盤を買っている人に失礼だけれど、どうして必要なのよ?という気がしている。エッセイはついているけど…値打ちはそんなにあるとは思えない。
あ、ジャケットは素晴らしいよ。奈緒も素晴らしいモデルとして被写体だし、篠原ともえのデザインも素晴らしい。美術的な感覚で絵を買ったと思うと良い。
とにかくありがとうございました。

 今日の一曲目は、小田和正…我が盟友が、コンサートをできずに残念なことになって、
心配している。早く回復してステージで、元気な姿を見たい。小田和正からは、メールで、感染もあるので楽屋とかには来ない方がいいよ、窓を開けっぱなし風通しのいい部屋でスイーツ食べながらおまえと話す方が楽しいよとメールが来た。


M-1  雪さよなら  吉田拓郎 (with 小田和正)

▽CM

 僕の家は今大変な状況です。僕もアルバム出したばっかで36年間でウチの人がやっと認めてくれてよくアルバムを聴いてくれている。
 今、若い人の音楽が素敵だということで米津玄師を勧めたらウチの人は夢中になって、もう朝からうるさいくらい聴いていた。
 しかしスポーツ選手はじめ男については飽きが早い。あいみょんを勧めていたけど、女の人独特の何かがあって、最初はそうでもなかったたのが、LOVELOVEのテレビで心を掴まれてしまった。
 妻に頼まれて僕が知っているあみょんの曲をつなげてUSBに入れて、一か月経つけど朝昼晩あいみょんを聴いている。あいみょんが終わると「終わったよー」と声をかけてきて、僕が自分のアルバムに切り替えて、それが終わると、またあいみょんにに切り替えると忙しい(笑)。とにかく何をしていても”初恋が泣いている”が頭から離れない。

 LOVELOVEでもこの歌を歌っているとき拓郎さんが拓郎さんのパートじゃないところも一緒に口ずさんでいてくださってました。

 そう、一か所しか歌わせてくれない。他の曲も頭のでは回っている。面白い話があって、「初恋が泣いている」。妻は歌詞カードを見ないで聴いている。
 ツーコーラス目にママが紅をひきながらというフレーズがあってどんなママなんだろうと思ったららしい。そう思ってまた一番を聴いた時に「電柱にぶら下がったまま」というフレーに「ママが電柱にぶら下がっているの?」と(笑)

 そう聴いてしまいましたか(笑) ぶら下がった「まんま」を「ママ」と思ったんですね。

 あいみょん研究としてはこうやって話をすり替えられそうな歌が多いと思う。好きというのも本当に好きって言っているのかな、あいみょんは天下の嘘つきではないかと思ったりもする。

 誉め言葉と思います。

 「マリーゴールド」の「でんぐり返しの日々」。自分もかつては新しい歌を作っていると思っていたが、こんなフレーズはとても浮かばない。僕が知ってる作詞家がこんな詞をつくれるわけがない。こういうことを歌詞にしてしまう。変わった人だな、そして凄いな。 でんぐり返しの日々、どういう日々なんだろう。つまんねーことがあったときのことかな?…いろいろ妄想する。


 いろんな想像力を働かせて妄想してもらうのは嬉しいです。作る時に歌詞と曲を同時進行で出てきた言葉を流れのまま歌っている。深い意味なく歌ってて気持ちいいなと思います。繰り返してゆく、ぐるぐる回ってゆく日々という意味なんですけど。

 かきたてられるね。ストレートに好きとか嫌いとかこっち来るなとかストレートな言葉と違って、どう受けとるかは自分なりに判断するしかない。

 まどろっこしいんじゃないか、わかりづらすぎるんじゃないかと思うこともたまにあります。

 だから面白い。まるでクイズみたいで、どっちとも取れる。そういう歌詞ってみたことない。日本の昭和からの演歌からJ-POPからフォークからロックとかの流れの中で「ない」。

 まだデビューして自分のオリジナルなものはないと思っていたので唯一のものって認めてもらえて嬉しいです。

 “桜が降る夜に”という歌で「4月の夜はまだ肌寒いよねというそう語り合う微妙な距離の二人は」という歌詞がある。凄いな。そういうカップルはベタベタではない。

 距離感を表現するのに会話を使うのはひとつの手法です。

 そうかそんな話をするっていうのは大した二人ではないということか。そこってなんなんだろう。それほど人生体験をしているとは思えない。

 ぜんぜんです。感情ゆさぶられる経験はそんなにはない。歌詞すべてを経験しているわけではない。


 そうすると妄想と想像力だけで乗り切ってきたの?

 六人兄弟の中でいちばん迷惑をかけず反抗期もなかった。手はかからなかったけど他の兄弟とは違っていたと母に言われた。絵を書く、作文を書く、本を読むことばかりしていました。 

 僕も小さいころ病気がちで学校も半分くらいしか行ってなくて家で妄想している子だったけど、それってだいたい女の子の事だったな。女優さんのこと、ハリウッドの女優や日本の女優のこととか。


 妄想することは悲観的なこと、