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a day

2022. 5. 17

☆☆超絶個人的メモ☆☆
 普段は基本個人行動だし、年齢も年齢なので、突然他人様に会って話すことになったとき忘れてしまうことが顕著だ。なので拓郎に学びメモしておく。ここ数日気になったこと。

☆マンタとエイとボスタングの違い

☆ぶっちゃけ、どうよラストアルバム祭り

☆愛されていないという言葉

☆「ah-面白かった」だったらどうよ
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☆togetherと停電情報とトーキングブルース

☆LOVE2ゲスト予想

☆アナログ盤の予約は終わったのか

☆今度お金が入ったらアナログプレーヤーを買おうと思います

☆アナログでテレサ野田歌謡祭をしたい

☆実は都倉俊一がブーム、なかでも麻生ようこシリーズ絶品

☆千家和也VS松本隆

☆あの日の志村けんと上島竜兵と”ホームにて”

☆85年つま恋のラストステージの凄みと荒野

☆ジャケットに楽曲登場にとスピード出世する奈緒とファンを公言するも垣花氏から先へ行けない森永卓郎の暗夜行路

☆フィンランドのNATO加入とトーベヤンソン

☆拓郎はスナフキンと思っていたが、実はヘムレンさんではないか

☆”エヴァンゲリオン”はワケがわかんなかったけど”シン・ウルトラマン”は庵野秀明と居酒屋で話し込んでいるような気分だった

☆なぜブレイクしない”ミシンと金魚”

☆背中から打ってくる人、振り返ったらいない人、どうすりゃいいのか思案橋

2022. 5. 16

☆☆☆OK☆☆☆
 
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いつも駅でとあるクリニックの看板広告を眺めながら、このイラストに似たやつをどっかで観たなとず〜っと悩んでいた。今日わかった。ああそうだコレだ!
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このクリニックと松任谷正隆、「マンタ」という以外、お互いになんの関係もないようである。ah-スッキリした。

2022. 5. 15

☆☆☆わかってることとわからないこと☆☆☆
 正直に言うと吉田拓郎について今起きつつあることがよくわからない。

 目の前の現象としてあるのは、吉田拓郎が渾身のニューアルバムを作って出すということだけだ。いつもであればひたすらwelcomeで迎えてあれこれ聴きこむ、それしかない。
 しかし今回は”アウトロ=エンディング”という壮大な総決算の一環のようで、拓郎の生涯最後のアルバムとなるとのことだ。コンサートはもう無く、ファンクラブも解散し、今度のLOVE2の特番が最後のテレビ、ラジオも年内で終わりということで、気が付くと私らは否応なしに”アウトロ=エンディング”という船に乗っている。
 そこでアルバムも今までのように音楽を勝手に聴け!ではなく、ライナーノーツ等によるご本人の解説など活字・言語媒体ともガッツリとリンクしている。ラジオでは最後の総括の御拓宣がなされ、私のように不埒なファンはあれこれ苦言やお叱りを受けるばかりだ(爆)。
 この”アウトロ=エンディング”の船は結局どこのdestinationに着くのか。拓郎のすべての活動が終わってしまい=引退・隠居があるだけなのか、わからん。それにこの怒涛の流れをどんな気持ちで迎えまつればいいのか、…わからん。

 ということで、わからないことだらけだ。とはいえ、わかろうと頑張っても仕方がない。例えば85年や2009年の右往左往を思い出せば結局わからないものはわからないし気に病んでも仕方ないことだった。それに拓郎自身、拓郎の最後発言に振り回されたファンのことをどう思うかという坂崎の質問に
    それはその人の問題でしょう
というアッサリと答えた (CARAVAN)。けだし名言。なので、そこは各自の問題として自由にやらせていただきましょう。私は思う。とにかく拓郎はこの"アウトロ=エンディング"をやってみたい、それだけなのではないか。そこから先のことは、その時になって見えた景色の中で決める。そもそも歴史が教えてくれる。
  クズグズしないでスパっと止めるのが吉田拓郎だであるならば
  止めたのに、スパっと平気で帰ってくるのも吉田拓郎だ
 結局、この不可解な両極端の狭間の一本道を、それぞれの愛を注ぎ込みながらまいりましょう。>その結論もよくわかんねぇよ

2022. 5. 14

オールナイトニッポンゴールド  第26回 2022.5.13
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 吉田拓郎です。毎週金曜日は週替わりのパーソナリティでお送りしますが今週は吉田拓郎がお送りします。
 世の中にはフェイドアウトという言い方がある。徐々に消えてゆく。音楽で言うと曲の最後にだんだん音が小さくなる。あれがフェイドアウト。スーッと消えてゆく。余韻を楽しみながら。こけに対して、カットアウトというのもある。ジャンで終わる。いわゆるシロタマ。ステージではギターを最後に差し出してジャン!と終わる。
 今回のアルバムは全曲カットアウトだ。長い歴史上フェイドアウトがないのは初めて。今回はフェイドアウトを使いたくない。全部カットアウト。結果的にそうなってしまった。気が付いたら全曲カットアウトになっていた。一番最後のアルバムでそうなった。これはスペシャルなアルバムだ。
 我が家では奥さんは音楽には詳しくないし、探求するような聴き方はしないけど僕のアルバムを珍しく何十回と聴いている。家事しながら聴いていて、終わるともう一回かけてという。
 なんか30年以上の長い夫婦生活でこういうふうに奥さんが聴きたがっているのも初めてのことだ。いろんなことが起こっている。僕のリタイアの仕方もカットアウトが似合っている。性格的にもズルズル引きずるのは面白くない、スパっというタイム。全曲スパっと終わる。

 「今夜も自由気ままにお送りします、吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド」

 早速今夜のメインテーマ。ラストアルバムの全曲オンエア。CDのライナーノーツに書いてないことを話す。

 ショルダーバックが僕の愛用品。僕のバックは秘密の青春が詰まっている。東京で想像もしなかったことに巻き込まれている。社会からのイジメも体験していたし、ああ愛はないのかな、広島から出てきて一人ぼっちだと思ったこともあった。
 その時々に沈黙を守っていた。メディアも、深夜放送のラジオ以外では話したくない。僕が黙り込むほど悪いうわさが定着しそうになっていった。僕が黙っていたからそうなってしまった。本当の真実を隠して、音楽でしか正当性を回復できないと追い込まれた時期があった。一時期、メディアでは吉田拓郎の音楽が流れなくなったこともあった。そういうときに音楽で戦うしかない。喋ったり、言い合ったりすることではない。社会を敵だと思っていたけどそこでやりあうのは無駄だと思っていた時期だった。アルバムとコンサートに全神経を使うことにした。

 今度のアルバムのアナログ盤のこの中に、いろんな時期にも僕を信じてくれた音楽ファンへの感謝の気持ちをこめたエッセイを書いた。語ることなかった時、金沢のこと、愛が得られなかった別れのことをエッセイとして残した。「吉田拓郎というのはルールを守らない自分勝手なんだ」というイメージは僕自身とはかなりかけ離れていた。本当は困ってしまうくらいクソまじめで普通のことが大好き。普通に生きることが愛だった。そのことを最後に記すために書いた。コントラストにあるように僕はひ弱なひとりの人間だった。シンプルでプレーンなローカル出身のシンガーだった。

 正装やスーツは着ない。ずっと愛しているのがカジュアルファッション。ジーンズ、シャツ、パーカー、ハワイに行った機会に買いまくる。瀬尾一三とともに買い物癖がある。その中で、ビラボン(Billabong)というブランドが大好きで、シャツ、キャップやスウェットパンツ、パンツ、ウィンドブレイカーなど日本ではあまり手にいらない。ギャップ、バナリパとかのアメリカンカジュアルが好き。ジーンズなんかもギャップ、バナリパのデザインが気に入ってる。徹底的にアメカジが好きだ。家ではユニクロが好み。ゴミ捨ての時ユニクロ着ているのだが、マンションには名前は言えないけれど高名な方もいるが気づかないかな。音楽もアメリカンポップやR&B、ソウルが好き。
 僕のショルダーバックにはいろんな秘密が詰まっている。僕しか知らない真実のメモリーが詰まっている。詳しくアナログ盤のはエッセイで。一曲目はロックンロールです。突っ走っていきたいと思う。

M-1  ショルダーバッグの秘密     吉田拓郎

 (CM))

 誰だって自分の日常、行先で悩んだりする。若かろうと年寄りだろうと。些細な事をチマチマと悩んでいたって仕方ない。時に悩んでいることに自体に酔ってしまうことがある。違う方向に向かってしまうことがある。あんたが悩んでいようが大したことはない。今は大問題じゃない。気にしない気にしないという、レゲエもボサノバもチャチャチャも好きだ。これはラテンテイストの歌。

M-2   君のdestination    吉田拓郎

 アナログLPアルバム。ジャケットも美術的な価値あるものを作ろう。つま恋に行って女優の奈緒と撮影して、デザインの篠原ともえも立ち会って素晴らしい写真を取ることができた。記念にしてほしいジャケット。想い出づくりと思ってほしい。ここだけの「ちょっとだけトゥルーストーリー」というエッセイ集が入っている。ずっと黙り込んでいた話を書いた。フェイドアウトではなくカットアウトの決心。

 5月14日午前0時から予約で8月10日に発売する。数量限定。CDですら需要があるかどうかなので、予定枚数で予約できなくなる。これも全9曲。A面、B面懐かしいね。A面4曲、B面5曲なのかな? ここにしかないエッセイ集。ショルダーバックの秘密を
 まや話題のエイベックスのHPもどうなるか、いずれカットアウト。とにかく予定枚数で終了。僕自身の真実を歌った。

M-3  Contrast    吉田拓郎

(CM)

 僕が歩き続けてきた人生は何だったかを一言でいうと愛。これを求め続ける、幸せが欲しい、それを求め続ける人生だった。これが実に簡単なことではなかった。それは自分がいけなかったと自分に言い聞かせながら歩いてきた。
 人間どうしの織り成すドラマは不可解で理解に苦しむ。そこには自分とは無関係のはずの「周囲」という環境というところからいともたやすく簡単な嘘を生み出してくる。僕の性格もあった。実に実に厄介な道のりだった。若いころから何度も思い知らされた。つくづく自分の運命を恨んだりもしたし、でもどうしても避けては通れない道もあった。  自分で正直にというところを貫くしかない。自分に正直でいようと追い込むことにもなるがそれしかない。それはひとえに僕が愛されていないという現実、事実なんです。
 ここから先は誰にも話さない。パートナーの佳代さんには話たけれど。エッセイには、こんなこと あんなこと 苦々しい事件の真実は残した。実に息苦しいことが多かった時代。作り話、勝手な憶測、自分から見ると滑稽なバカ騒ぎと思う。
 当時の僕という人間が抑えることができない熱い心の若者だったからそういうことになった。多くの敵を作り敵との闘いがあった。特にマスメディアとの闘いは大変だった。そこに存在していたからしようがない。この事実を理解していたのは僕だけだったと思う。当時僕のことを叩いた人たちは、今はそんなことがありましたか?と記憶にないだろう。  そう書かれた僕はそうはいかない。僕は今でも正直根にもって恨んでいる男。それは言ってもしかたない。言えば言うほど深い溝にハマっていく。第三者がネットも含めてつくり話をひろげていゆく。すべては愛されていないという現実、事実そんときそれがあった。  この真実についてエッセイで書いた。
 やっと本当の愛、平和な環境と出会えた。佳代さんと真実を育んでいる。病気も超えて  二人の老いたけれど元気などんな人生を送ろうかと話し合っている。残りの時間を有意義に過ごそうかと笑いながら話している 僕らにとってもせっかくの人生なんで終わり方、このエンディングが大事だと思う。明るい幸せなエンディングが大事だ。僕達の旅もまだまだ続くけど、半歩でも進みたい。時に言い合いしながらも ゆっくり進んでいきたい。

M-4  アウトロ    吉田拓郎

「拓郎さんの引退の決意を尊重したい、でもキンキとのタッグを721億回みたいという」という書き込みを読んだ(笑)。721億回とは、どっから出てきた数字なのか。
 そうはいっても公のテレビ出演はもしかしたらあと一回かも。フジテレビで打合せしているが、Kinkiとも素敵なハートフルな二時間を作りたい。ゲストもキンキが推薦したい人、ああなるほどという人、僕の会いたい人、みんなびっくりすると思う、そうきたか  この人に会いたいというのがある。今慎重に検討中。

 剛くんから連絡があって、今度アルバムを作る時は、「パンナコッタ」という曲を作る とあった。どんな詞、どんな曲になるのか。なぜか僕と剛はパンナコッタになった瞬間  があって、どんなこった?(笑) なぜかそこに行ってしまった(笑) 今度のCDのライナーノーツにも書いた。
 光一はマメにメッセージをくれるようになった。奇跡だ。元旦から頻繁にメールをくれて返事も早くなってきた。変化があったのか。前は無視されてきた。
 光一もずっとリーダーシップを発揮して舞台『SHOCK』を続けてきて引っ張ってゆく覚悟があっただろうし、誰にも言えない苦悩な時間、切ない夜があったと思う。二人とも今のさわやかな笑顔は切ない切ない体験をしたからだと思う。剛もひとりぼっちの切ない夜があった。
 ハグした時の写真がネットにあったけど、まったく光一君が屈託のないシンプルな笑顔で、素晴らしい道を歩いているということを想像させる。先日ハグした時に、僕は見えなかったけど、光一はこんな笑顔をしていたのかと後で知った。素敵な笑顔だった。

 LOVE2 どれほど重要な瞬間だったか。わかったのは時間がたってからだ。それが終わって、時間が経って空虚な時間を埋める物は見つからないという状況だった。他のもので埋めにくい。これは他では体験できない。気が付くのに時間がかかった。光一、剛、僕も貴重な瞬間を大事にしたい。素敵な時間を作ったら、ファンのみんなとも幸せ感を共有したい。僕らを逢わせて育ててくれた、奇跡の出会いを見守ってくれたファンの方々のサポートがあって、歳の差やキャリアの差や人生の生きる道の違いは何も関係ない。一人の人間としてであって三人、寂しいこと、苦しいことやら、悲しいこと、喜びもあり、涙の夜の事やひとりずつが独りぼっちを体験しながら、ある日また三人が同じにいられる。一緒に楽しい気持ちでいられるから、言葉なんて意味がならないくらい。その感覚をみんなもわかってほしいし、観てほしい。
(CM)

<11時>

天照愛子これからお風呂に入って寝ます

 堂本剛のアレンジ&ギターで参加してくれた。Aメロの剛の音がしっかり聴こえる素敵なギターだ。僕とハーモニーをつけてくれているのが、2019年のツアーに参加してくれた吉岡祐歩。剛に自分の声でかぶせるのではなく、男性のハモが欲しいと言ったら、2019年をチェックしててくれたんだろうけれど吉岡君に頼もうということになった。このハモもまた聴きごたえのあるところだ。

M-5   ひとりgo to    吉田拓郎

 “たえこMY LOVE”(歌う)という歌があって、あのモデルは実在していた。74年ころキーボーディストの柳田ヒロと付き合っていた。典型的なプレイボーイで、頭の回転も早く、物知りで話術か素晴らしい。女の人のいるお店に行くと、必ず柳田ヒロに恋をするという人が出てくる。その柳田ヒロが連れてきた女性がいた。ファッション、口の効き方がいかにも最先端で頭もイイ魅力的な女性だった。言いたくないエピをしまっていたらしいくモデルのようだけど暗いマイナスなところもあった。酔うと「死んじゃいたい 生きててもつまらない」 と口にした。23、4、5歳だったけれど世の中にウンザリしている感じだった。時代的にもそういうのが流行していた。桃井かおり的な。
 その女性は、なんのサインもないままフラッと会えなくなった。どうなったのか誰も知らない。不思議なイメージの女性だった。あのたえこの後、2021年の夏に表参道   を雨に濡れて三人で 走った思い出があった。完結編を作ろうと思った。懐かしいR&B、拓郎節がいかんなく発揮されている。 

M-6   雨の中で歌った    吉田拓郎  

(CM)

 “雪さよなら”・・・これは小田和正とのハーモニーが絶賛。さすが小田さんと言われているが、おいおい、あれは小田和正のハーモニーということで、僕がウィスパーな感じでやろうと、珍しい小田和正のようにささやく声で三回歌っているのをひとつにまとめている。あの声だと小田の声がぱっとハマると思っていた。下の音も用意しておいた。いろいろ言わしてよ。僕は、いつになく優しい歌い方をしている。そうさせた小田和正の偉大さだな。
 友情は大それたことはないけど、泉谷チャリティとか国立競技場IYYで、オフコースと"YesNo"と"君を抱きしめて" (お前が欲しいだけ)、昔から知っていたけれどそういうところで再接近して距離感が縮まっていった。音楽の方法論と方向性は一致していないけど向かうマインドは共鳴している。
 その後はクリ約と僕の対談番組”YOKOSO”に出てもらったりもした。今や貴重なスイーツ会。お爺ちゃん二人が世間と他人の悪口を言い合う。お酒を飲まないので、お酒の糖分が足りないのを甘いもの補っている。

M-7 雪さよなら  吉田拓郎(小田和正)

 昔、ケネディ大統領が就任したときの演説があった。後に大統領は暗殺される。そのあとで就任演説のtogrtheという言葉にコーラスをつけた曲のレコードが発売された。手を取り合って いこうという演説だった。暗殺事件のとき、いわゆるそれまで抱いていたアメリカンドリームとか甘い青春の印象が後退してアメリカが怖くなった、しかし就任演説を歌にしてしまう発想もアメリカ。こういうアイデアがすごい。Together、このアルバムも若い人たちから協力してもらった。Kinki、篠原、kinkiが縁となった奈緒。そして小田和正は最後の同年代の友達。そういう人の名前を歌に登場させたい。こういうブルース、アメリカントーキングブルースというのは、今の日本にはいないし歌えない。正直、僕しか歌えません。こんなに美しい音楽なのにやらなくなって、76歳の今、ブルースの楽しさをわかってほしい。
 僕がエレキを二本弾いている。僕のギターはアメリカンなフレーズだからわかるかもしれない。こういうのを弾かせたら天下一品。吉田拓郎はこういうのをやるんだよとわかっている人は音色もわかるかもしれない。
 争いのない世界、平和な世界への憧れ、自然環境も含めて地球が危ういんではないか、この地球で仲良くTogetherで暮らせるようにという思いをこめて。 

M-8   Together     吉田拓郎

(CM)

 音楽は人の心に入り込んで悪さをすることがある。素敵でチャーミングだけど、危険な一面もある。人生は、たかが唄、たかが音楽、されど歌、されど音楽。誠実な人間が時に脆く時に危うく生きてきた日常を表現してきた。 生きてきた道は間違いだらけだったかもしれない。人生は一回限り、やり直しとかリテイクはできない。反省も後悔もした。それでも彼は彼なりに必死で生きてきた。ことあるごとに彼は強気な発言をして周囲なんて気にしない、何クソ的な意地っ張りだった。しかし、一人の人間が意地を張りとおすことはできない。そういう強い人間がいるわけがない。誰だって弱くて脆くて独りぼっちでそういう人間。彼は意地っ張りだけど、陰では泣いたこともあったし、それはどうしたと強がっていたけど、悩んでいたこともあった。愛してもらいたいという気持ちが強かったと思う。

 最後の曲。ライナーノーツに書いたけれど、あなたのご家族を思いながら、僕らと似た境遇がいらしたら、お互いの母上のことを話し思いながら、僕も佳代もそうなりたいと思っている。

M-9  ah-面白かった    吉田拓郎

(CM)
 〇エンディング
 質問に答えると書いたが、全曲かけるとなるともひとりひとりの質問が長いんだよ。  番組がすぐ終わっちゃう

<お喋りはいつから上手になったのかいう投書>
 子どもの頃から学校へは半分くらいしか行っていない。家で紙相撲を毎日やっていた。ラジオのマネをしながら、若乃花、栃乃花とかアナウンサーの中継のマネをしていたのが原因。ひとり喋りの原点だと思う。
<72年のライブアルバムに”好きになったよ女の娘”が西城秀樹の作曲で入っているという投書>
 いっぱい来ているけど西城秀樹とは決着はついている。当時クレームして、謝罪もいれてくれた。それ以上には騒がない。若さゆえの勇み足だった。
<拓郎、拓郎さんと呼ばれるのどっちがいいかという投書>
拓郎、拓郎さん、あえて拓郎ちゃんと言う人が歴史上いけどくるな。
<小田和正さんのどこが好きかという投書>
 小田は優しいメロディー、スイートなイメージだけど、ところが僕なんかよりずーっと頑固で男らしい自分も曲げない。どうしようもないクソジジイ。そういうところは白か黒かハッキリしていて貴重な友達。
<世界の気に入りの場所はどこかという投書>
 誰が何といおうとハワイ。ワイキキのオアフではなく、マウイ島のワイレア。ケアラニホテルのプールサイドでチチ、ワイレアでショッピングで買い物しているのが好き。
May I have a chichi?
<4月19日 新東名でのつま恋はどうでしたかという投書>
 120キロまで出せる素晴らしい。気分いいです。スイスイ走れる。これが高速道路。
富士川サービスエリアの川と景色が美しいが、それを上回る沼津サービスエリアが、伊豆半島、富士山、駿河湾を見渡せて素晴らしかった。
 次回は6月10日金曜日

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆

☆前代未聞の「全曲オンエア祭」と銘打っている。たまたま昨日封切りの映画を観たが、売店で買ったパンフレットにはネタバレ注意の厳重な帯封がしてあった。しかし、そこは吉田拓郎、そんなことはぶっ飛ばしての「全曲放出祭り」だ。ラストアルバムもライナーノーツ(取説みたいなものか)付のアルバムも前例がない。ここは御大の提示メニューにすべて乗ってみるしかない。

☆これは堂々たるアルバムばい。アルバム完成おめでとうございます。

☆但し感想はまだ無記。

☆これまではデモの自然な感じがいい等とわかったふうなことを言ってた私だが、やはり完成版の声と演奏のクリアさとチカラ強さは違う。音魂というやつを感じる。特に"Contrast"はそうだ。

☆そこまで言われるとエッセイ…読まずに死ねるかという気になった。14日午前0時から予約開始というから小心者の私は、直ちにアナログ盤を予約いたした。

☆とはいえ「祭り」というには、曲間に語られた拓郎の言葉は、あまりにシリアスであまりに切実である。

☆週刊誌やマスコミでは吉田拓郎の悪口しか見なかった時代が確かにあった。ひどかったね、あの頃は。遠い昔のようだけど、やはり吉田拓郎の心の中には深く刺さっているのか。“人を信じるはかなさが 心のカタチを少し変えてしまった”あの歌詞が浮かぶ。もちろん拓郎の真情など私にわかるはずもないが、ただ私も40年前の都倉俊一の一言を半世紀恨み続けるような根に持つタイプなのでなんとなくうっすらとわかるのだ(爆)。

☆「愛されていなかった」「愛されたかった」という言葉は、いろいろショッキングだ。この身の置き所がないような哀しみ。
 そう思うと私達の愛はどうだったんだ。確かに停滞したり、文句垂れたり、ご期待に沿えなかったところは多々あるが、愛して愛して愛しすぎたのが多くのファンたちである。至らぬわが身にしみてくる。

☆「YesNo」は覚えていて「お前が欲しいだけ」を忘れる。"君を抱きしめて"ってなんだ(爆)

☆ 質問は殆ど読まなかったな。私は、
 「拓郎さんは、ショルダーバックはナナメ(たすき)がけですか、一方の肩がけですか」という我ながら繊細な質問を送ったのに。ナナメがけは安定するが、幼稚園や中学の学生バッグみたいでなんかダサいのではないかと悩んでいた。でも拓郎さんがそうするならそっちにすると愛をこめて書いたのだが(爆)。

☆☆☆今日の学び☆☆☆
 外出はビラボン(Billabong)、部屋着はユニクロ。♪そろそろビールが〜飲みたい時間だね…懐かしい。

2022. 5. 13

☆☆☆祭りなのか☆☆☆
 ニッポン放送によると今夜は「吉田拓郎のANN GOLD全曲オンエア祭」というらしい。祭りか。今日は、ラジオというより祭りだと思っているので、古い歌は停滞しているとかそういうカタイ話は抜きにして(拍手)…祭り好きの奴らめ。いみふ。

2022. 5. 12

☆☆正気のカケラのon the rock☆☆
 ♪拓ちゃん来るぞと仙台坂の店まで来てみたが〜拓ちゃん来もせず、志村けんと上島竜兵が〜 …お2人でテーブルを挟んで飲んでいらしたことがあった。ひとつ空席を挟んで隣のテーブルで私は、もし彼らのどちらかがテーブルをトンと叩きでもしたら、その場でジャンプしようと準備して待っていたが、ついぞそのチャンスはなかった。
 お二人はテレビみたいに大騒ぎするわけではなく、かといって暗く沈んでいるのでもなく、静かに談笑しながら楽しそうに飲んでいらした。今にして思えば実に素敵な絵だった。あの二人がもういないなんて。どちらも大ファンというわけではなかったのに心の底から切ない。あらためてご冥福をお祈りします。

 ♪仙台坂を降りて〜の”僕達のラプソディ”は、拓郎が自分でメロディーをつけ直すと昨年のラジオで言っていた。でもこの原曲ももの凄く好きだ。
 夕焼けの空をどこまでも一緒に追いかけていきましょう…詞とあいまってうっかりすると泣けそうになる。西方浄土とか天国とかいうけれど、そんなに急がないで。とにかくみなさんお元気でいらしてください。

2022. 5. 11

☆☆♪なーまいきーですけどぉー、ひとつだけ言わせてね☆☆☆
 都倉俊一が稀代の作曲家であることは私でもわかる。“五番街のマリーへ”、”ジョニイへの伝言”、中山千夏の”あなたの心に”などは当時小学生ながらに好きな曲だった。麻生よう子の“逃避行”の完成度の高さには中学生ながらにぶっ飛んだし、私は桜田淳子派だったが、それでも初期百恵ちゃんの”青い果実”から始まるイケナイ路線も胸が疼いた。”恋のアメリカンフットボール”のメロディー展開が好きで好きでのカラオケの持ち歌だった。浅田美代子は”じゃあまたね”を除けば”わたしの宵待草”がベストだ。とにかくお世話になりましたと感謝を禁じえない。
 …それでもなぜ嫌うのだ。
 昔、何気なく観ていた「スター誕生」で、出場者の一人が”旅の宿”を歌ったことがあった。その時、審査員だった都倉俊一はあのキザな佇まいでこう言い放った。
「歌唱力はあるんだから、キミはもっとちゃんとした作品を歌った方がいい」
  はぁ?! その瞬間、ああ私のハートはストップモーション…桑江知子、感情線は乱れに乱れた…黒木真由美って知らんよね
 しかもその出場者は「はい、ありがとうございました」>ありがとうじゃねぇだろぉ
 この時の都倉俊一が、おいらの心にハガネを入れた。なぜ嫌いか?というより、なぜこんなこと言う人を好きになれるのか?という問いの立て方が正しい。
 ということでそれ以来、どんなに”ピンクレディー”がヒットしようとも私の心は動かなかった。なので昔、ワイドショーを賑わした時も私は大信田礼子を応援したのだった>よしなさい
 今や文化庁長官だ。どうかこの国の文化をよろしくお願いします。

2022. 5. 10

☆☆☆それだけが気がかり☆☆☆
 Staffブログでつま恋を訪れている拓郎の写真を観ると胸が熱くなる。観ているこちらにも万感の思いが溢れくる。特にエキシビションホールに佇む拓郎を観ると、思わずパイプ椅子を届けたくなりませんか>ならねぇよ

 林部智史が、阿久悠の遺稿の詞に拓郎が曲をつけて歌った「この街」。この日記でも何回か書いたが大好きな曲だ。武部聡志のスケール感のあるアレンジも聴かせる。もちろん林部の澄んだボーカルが美しい。そして何よりメロディーがすんばらしい。吉田拓郎、70歳にしてこんな素敵な曲が書けるんだと感嘆したものだ。
 その"この街"が林部智史の今度のシングルCDになるというネットニュースを読んだ。ただしB面(とは言わないのか)だ。 A面はやはり阿久悠の遺稿作「いずこ 〜ふたたび歌を空に翔ばそう〜」。確かこれはレスペクトライブに行ったとき、冒頭でリリーフランキーが朗読した詞だ。阿久悠先生は心から尊崇するが、今回の作曲は都倉俊一だ。私の個人的偏見だが、よりによって都倉俊一のB面ということがちょっと面白くない。いやちよっとじゃない、すげー面白くない。…やっぱりパイプ椅子が欲しくなりませんか?>だからならねぇよ
 まぁ「この街」はアレンジも違うというので僕は買いますとも。ということで明日は「私はなぜ都倉俊一を嫌うのか」をお送りします。たぶん。

2022. 5. 9

☆☆花祭り☆☆
 ドイツのバレエ。コロナにも戦争の影響にも負けずいよいよ2年越しプレミアの佳境とな。全力疲労中というが、とにかく健康と安全と無事を祈ってます。頑張って。
 おじさんも今週金曜日の佳境に向けて頑張ります>ってラジオ聴くだけだろ
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  君の背中は
  背中は弓なりに
  こなごなの心の破片
  僕に愛の矢を射るんです

 ついにライブじゃ演奏しなかったけどいい歌だったな。

2022. 5. 8

☆☆☆start again from zero☆☆☆
 知る人ぞ知るけど、知らない人は全く知らない”スタートレック:ピカード第2シーズン”のファイナルを観終わった。伏線回収に少々せわしない気もしたが観ごたえあり。82歳を超えたピカード=パトリック・スチュアートは元気といえば元気だが、声が少弱々しくなっている。もう1シーズンあるらしいが、ここまでで十分にすばらしい、これぞ”アウトロ”。永らくこのシリーズを愛し続けて良かったと思えた。
 退役した老艦長は、今度は過去への旅に出て、自分の母親との思い出とトラウマに向き合う。そして旅の果てに現在の愛にたどり着く。「時は二度を許してくれないが、人はやりなおすことができる」。似たセリフをかつて拓郎も言っていた。どうかラリスと二人仲睦まじく、時々ガイナンの店に行く静かな暮らしをおくってほしいと心から願う。 
 ”Time is on myside”とエディット・ピアフの”後悔していない”ちゃう”水に流して”が大事なところで必ずテーマ曲のように使われる。これがまたたまらん。
 観てない人にはなんのこっちゃ?だろうが、人間はいくつになっても過去と向き合い、未来へ進むことができる。アウトロだ、エンディングだと,かまびすしいと思っていたが、あらためて吉田拓郎はラストアルバム「ah-面白かった」で、どういうアウトロ=エンディングを描いているのか、心から楽しみになってきたというお話でした。

2022. 5. 5

☆☆☆それぞれのa day☆☆☆ 
 私の知り合いで75年のつま恋に行った人は二人ほどいる。この二人の思い出話はどちらも面白い。コンサート本編の話はもとより、つま恋に向けて出立するところから、どちらもある種の覚悟が滲んだ話に胸がワクワクする。全編しっかり聴きたいと思うがなかなか機会がない。
 そういう意味で「僕と拓郎と青い空」がいよいよ面白い。なかなかつま恋に到着しなかったし、エンターテインメントとしてドラマチックな展開があるわけではないが、だからこそいっそう胸にしみるドラマになるのだ。帰り道も帰ってからの日常の日々も詳しく知りたくなる。

 こういう経験が必ず5万とおりあるのだ。いや行けなかった方々のドラマというものもあるはずだ。そもそもつま恋のようなイベントだけに限らず、コンサートツアーのひとつひとつの公演にもそういうそれぞれのドラマが確実にある。どんな思いでチケットを買って、どうやって待ち焦がれて、どうやって聴いて、帰りにどこで飲んで、どこで食事して、そのあとどう生きているか。それは他人から見ればただの普通な日常かもしれないないけれど、かけがえのないドラマだ。それも自分の何かだ、言えない何かだ。

 校長先生の鉄板で「家に帰るまでが遠足です」というのがあるがあれは真理だと思う。ただ「家に帰ってからも遠足です」というのがもっと正しいのではないか。ライブもこれと同じだ。

 拓郎はよく「真実はステージにある」という。御意。でもライブに向かう私たちにもそれぞれの真実がある。そのひとつひとつのドラマを糾合した時、浮かび上がる吉田拓郎の真実の魅力というものもあるはずなのだ。きっとそれぞれだけが知っているそれぞれのカッコイイ拓郎がいる。
 しかし花森安治さんの言葉を借りれば
 「こうした思い出は一片の灰のように人たちの心の底ふかくに沈んでしまって どこにも残らない」(暮らしの手帖編「戦争中の暮らしの記録」まえがきより)
 そう思い始めるといてもたってもいられないような気分になるのよ。

2022. 5. 4

☆☆☆♪俺の居場所は☆☆
 奥田民生の件はいろいろとショックだ。ミュージシャンと飲酒か。伝説の大阪球場タコヤキ喰ってっか事件は何度話を聞いても面白いし、ステージから「酒をくれ」という高田渡に客席からリレーで酒を送ったことも大切な思い出だ。何より奥田民生のことは心の底から大好きだ。
 しかし今の時代もう「飲酒」はオワコンなんだとあらためて思い知った。バーボンを抱いて君はまだまだイケそうじゃないかと歌った拓郎もお酒をほとんど口にしなくなった。そもそも奥田民生がダメなんだから、私みたいなただのジジイの飲酒はもうそれだけで社会悪みたいなものかもしれん。
 酒飲みがカッコよかったり、酒は人々の潤滑油だ等ともてはやされたりした勝手な時代は終わったのだな。私は酒が強くないしそんなに酒癖が悪い方ではないとは思うのだが、酒飲みでない方々、今まで申し訳ありませんでした。”飲めるだけでも幸せ者と言うだけ野暮だよ飲めぬヤツ”なんて歌ってた歌手の分までお詫びします。

 ただ困ったことに、最近歳をとるごとにお酒がとんどん美味しくなってるんだよ。たまらん。独酌か心許した仲間たちと密やかに飲むしかない。♪これからが楽しむときだ、ひっそりとコソコソやろう
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2022. 5. 3

☆☆☆防波堤☆☆☆
 今日は憲法記念日だ。昔、学生の頃の”憲法”の授業は真面目に受けてなかったしチンプンカンプンだった。しかしそこで「多数決や多数勢力からこぼれ落ちた少数者=個人を守る防波堤として憲法がある」と習ったことだけはよく覚えている。その時、ああ、これは吉田拓郎だ、と思ったからだ。当時の拓郎は、口癖のように、少数派よ魅力的であれ!行動的であれ!そして優しくあれ!と熱心にエールを送っていた(例えば「俺だけダルセーニョ」p.194)。もちろん拓郎は憲法のことなんか考えていなかったと思うが、スピリットはしっかりと通底していると気がする。。そのスピリットのひとつの結実が”Life”という作品であるように思えてならない。…というかもう勝手にそう思う。魂の名曲だぜ。
 ”Life”は、85年のつま恋のバージョンが好きだな。声はもうガラガラなんだけど、身をよじって、声を身体の奥底から絞り出すようにシャウトする。これがたまらない。
 やるせなさも通わない世の中になりませんように。

2022. 5. 2

☆☆☆オシムの言葉はささやきまじり☆☆☆
 サッカー全日本代表元監督イビチャ・オシムさんの御冥福をお祈りします。私はサッカーは門外漢ですが、このオシム元監督の語録「オシムの言葉」他のいくつかの著書は私にとっての座右の書でありました。
 鬼軍曹のような威厳を持たれたこの監督はいつもどんな場所でも「教訓」を垂れます。それは直接にはサッカーのことでありながら、人生のこと、社会のこと、そしてご自身の厳しい戦争体験から平和を希求に至るまで森羅万象に通じている。
 そんなオシム語録が、吉田拓郎の世界にも通じていないはずがない…というのが昔からの私の考えでした。
 不謹慎と怒られることを覚悟で、17年ほど昔に某所に書いた私の当時の日記を抜粋してみます。

☆☆☆以下引用☆☆☆
<オシムの言葉はささやきまじり・・・>

 オシム語録の中で「サッカー」を「拓郎」に、「試合」を「ライブ」に、「サポーター」を「拓郎ファン」、「チーム」を「バンド」に変えて、あとは原文のママという最小限の変換だけで(>どこが最小限だよ!)見事に拓郎界にあてはまります。

■2004年5月4日
 私の人生に拓郎は欠かせない、拓郎を選んだ。人生において結婚もしたし、子供もできた。数学の教師になる道もあったが、拓郎があって、今がある。友人には拓郎は拓郎、プライベートはプライベートと分けている人もいるけど、私にとってはプライベートも拓郎。お金ができて家内と旅行に行っても、結局拓郎を見に行ってしまう。でもそれが私の選んだ人生だし、いい人生だと思っている。

■2004年5月2日
柏戦後の会見にて
 マスコミの皆さんは失望しているかもしれないが、ということはファンの私たちはもっと失望しているということ。
 でも人生はこれからも続くよ。

■2004年4月1日
「ぐるっと千葉」の取材を受けて

 ぜひライブを見に来てください。そこではきっと、素晴らしい出来事が待っています。

 英雄とは、既に墓の中にいる人のことをいいます。吉田拓郎はまだ生きています。

 古い井戸があれば古い井戸を汲みながら、新しい井戸を掘るべきだ。

■2005年11月11日
UNITED N0.129 より2
 もし、このライブの成功で満足してしまうようなら、逆に今日は成功しないほうがよかったかもしれない。さらに上を狙っていくにはどうしたらいいか、みんなで考えていかなければならない。

■2005年10月16日
UNITED フクアリオープン特別号より2
 拓郎ファンの皆さんに分かってほしいのは、拓郎というのは人生と同じであって、必ずしも自分の思った方向に物事が動くとはかぎらない。勝つこともあれば負けることもあるのだ。勝ちだけを望む拓郎ファンであってほしくない。

■2005年9月6日
週刊サッカーマガジン1043(9/20)号
 拓郎ファンのメンタリティーというものは、勝った、負けたで、落ちたり上がっていくようじゃダメ。自分がずっと暮らしていく、毎日戦っていく中で、いつも持ち続けていなければいけない。

■2005年5月1日
川崎戦前 ミーティングにて
 どこで何が起こるかわからないもの!人生とはいつも危険と隣合わせだ。拓郎も同じだ。

■2005年2月1日
朝日新聞朝刊「オシムの提言」より
 私にとって拓郎は人生だ。拓郎は終わりがなく、新しい道を突き進む。だから「拓郎とはこういうもの」と発展を妨げる「壁」は作らない。心がけているのは、その点だ。

■2005年1月25日
朝日新聞朝刊「オシムの提言」より
 厳しいツアーになるが、何かを成し遂げられると信じたい。もし、うまくいかなければ、私は去るだけだ。

■2003年11月29日
東京V戦前のミーティングにて
 我々は、失うものを全て失ってきた。何も怖がらずにライブに行こう。

■2003年11月29日
 人生は100年も続かない。拓郎と拓郎ファンのキャリアなど短いものだ。その短い選命の中で、何か歴史に残ることをしよう。

 何もしていないし、何もしようとしていない。何かをやろうとしなければ、何も起こらない。


■2005年
 お前が一番長く、このバンドの中にいるんだろ。それは聞いた。お前はこのバンドのすべてを知っているんだろ?何で、このバンドは勝てないんだ。分からないお前がいること自体が、バンドが勝てない理由なんだ。

☆☆☆以上引用☆☆☆
 なんかビッタリでしょ? こんな時にネタにして申し訳ありませんでした。しかし心からの敬意でもあります。どうか安らかにお休みください。

2022. 5. 1

☆☆☆ただそこにあるウォール・マリアの壁を☆☆☆
 「進撃の巨人」の熱狂的ファンに連れられて大分県の日田市の温泉に行った。作者の諌山創氏の生誕の地として聖地化している。大山ダムもそのひとつ。
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 作者の諌山氏が子どもの頃から見上げていたこの巨大なダムが、巨人たちの侵入から人間世界を守るために張り巡らされた巨体な壁のモデルとなった。巨大な壁の向こうの世界に思いを巡らせる主人公三人の銅像が建っている。写真には日輪の端が映っている。
 私も人生で初めて本物のダムというものを観た。デカイ。ひたすらデカイ。そして壁を見上げて思いを巡らせる少年…というと、進撃ファンには申し訳ないけれど、どうしたって”マラソン”なのだ。巨大すぎて、子ども頃も今もまたしがみつくのも大変な壁だけど。

 『進撃の巨人』のスマホアプリゲーム『進撃の巨人 in HITA』が配信され、ゲームの公式ソングを、”detente”.”吉田町の唄”のあたりから私ら拓郎ファンがお世話になっているギターの稲葉政裕Masahiro Inaba氏が全曲プロデュースをし、10曲入りのアルバムを配信リリースされたことを知った。稲葉さんは大分のご出身らしい。とにかくすべての道は拓郎に通ずるのである。いつか走れなくなるまで遥かな夢を抱いて旅を続ける。捧げよ、捧げよ、心臓を捧げよ。
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2022. 4. 29

☆☆☆配達されなかった一通の葉書☆☆☆
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 出てきた紙片は、アルバム「ローリング30」の購入者アンケートハガキだった。すみずみまで記入されているのに送っていなかった。たぶん切手がなかったのだ。あれだけ待ち焦がれて買ったアルバムなのに、切手を買って貼って投函するのがめんどくさかったのだ。やっばり私はダメな人だと考えながら黄ばんだ葉書を眺めた。
 それにしても質問がエグい。
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  あなたがこのレコードをプロデュースするとしたら、どの曲をシングル・カットしたいと思いますか。
 いちおうシングルカットが予定されていたのか。高校2年生のガキは書いている。
  1.絶対に「英雄」 2.外は白い雪の夜
〜絶対にって(恥)。でもそうだった。最初にこのアルバムを聴いた時、この”英雄”の緊迫したサウンドとシャウティなボーカルにガツンと打ちのめされたんだった。これだ!
 「明日に向って走れ」〜「ぷらいべえと」〜「大いなる人」という愛と哀しみのしみじみ成熟路線が続いていたところで、この"英雄"のパワー炸裂に狂喜した。この曲でニューミュージックのヤカラどもを蹴散らしてヒットチャートに躍り上がってほしいと夢を見ていた。若かったあの頃、何も怖くなくなかった。
 松本隆は「外は白い雪の夜」をシングルにしていたらその後の拓郎は変わっていたはずだと語る。「英雄」だったらどうだろうか。んなことはもういい。21曲もありながら、シングルを一曲もカットしなかったという拓郎の選択があるのみ。わたしたちはそういうタイムラインをありがたく生きるしかない。

 ということでアルバムには、自分だけの第一印象=魂の「これだ!」がある。最近だと"午前中に..."の「季節の花」、"午後の天気"の「この風」、"AGAIN"の「僕の大好きな場所」。今回はなんだ、何が来るんだ。

2022. 4. 28

☆☆☆アナログレコード抱えて歩いたよ☆☆☆
 今回のラストアルバムでアナログ盤が出るというので、久々にアナログLPというものを見たくなった。実家に寄った際に、納戸のアナログレコードを出してみた。…デカイ。こんなにデカかったか。そして重い。忘れていた。2LP+1の「ローリング30」なんてずっしり感が半端ない。
 俺も含めて若者はこんなデカいものを脇に抱えて電車に乗ったり歩いたりしていたのだ。昔の映画「マルサの女」で査察官役の大地康夫が、肩からショルダーのデカイ携帯電話を下げているのが、今になって見るとなんか切なくて可笑しい。でもLPを抱えている人々の姿は可笑しくないし、しみじみといいもんだと思う。なぜ違うのだろう。
  あとCDにはなくて、アナログレコードにあるもののひとつは「匂い」だ。「香り」というべきか。ジャケットから取り出すときの塩化ビニールの匂いと紙の混ざった匂い。ちょっとワクワクする。新しいものは新しいなりに、年季の入ったものはそれなりの匂いがある。
 ずっしり重い「ローリング30」を開くと年季の匂いとともに挟まっていた一枚の紙片を発見した
                             …たいした話ではないがつづく。

2022. 4. 27

☆☆☆剛より剛く☆☆☆
 「…だから拓郎さんに感謝の気持ちを込めて。あとは拓郎さんのファンの人、あとは拓郎さんの人生に繋がった全ての人に感謝の気持ちを込めてアレンジをしました」(堂本剛)
 この言葉に打ちのめされる。もう一度読む「拓郎さんのファンの人、あとは拓郎さんの人生に繋がった全ての人に感謝の気持ちを込めて」。ああ、もっと言って。停滞しているとか信用していないとかロクなこと言われず傷だらけのこの心に染みてくるこの言葉。鳥かごに入れてゆっくり眺めていたい。
 こんなにも温かい言葉をくださる人がこの世にいるのだ。堂本剛…さすが黒兵衛の愛用席が一緒の私達だ>もういいだろ、その話は。
 俺は誓う。加藤剛よりも、長渕剛よりも、草g剛よりも、綾野剛よりも、剛力彩芽よりもあなたを応援する。心の底からありがとう。

2022. 4. 26

☆☆☆この世界の片隅に☆☆☆
 先日の飲み会で聴いた話。
 昔、コンサートが始まって3曲目くらいに遅れてきた隣席の知らない人から「すみません、一曲目は何でしたか?」「”冷たい雨が降っている”でした」と答えると隣席の人が「あ゛〜っ!」と頭を抱えてその場に倒れこんだ。超絶好きな曲だったらしい。
 その方には心の底から同情するが、それでも愛の深さが我々の心を揺さぶる。この世界にはこういう話がたくさんたくさん眠っているんだろうな。

2022. 4. 25

☆☆☆近影だよ人生は☆☆☆
 “ah-面白かった”のジャケット写真は良いな。言うまでもなく吉田拓郎はビジュアルの人だ。近影=最近の人物写真という意味らしい。だから近影写真じゃなくちゃならない。
 この世には、歌手本人の登場しないイラストやデザインや写真のアートなジャケットも多いが、やはり吉田拓郎はカッコイイ本人の近影こそが正義だ。大瀧詠一やさだまさしや小椋佳とは違うのだ(爆)。すまん。
 例えばシングル“流星”と”春を待つ手紙”…これなんざぁ79年の艶のある拓郎の写真がジャケットだったらもっと売れたのではないか。99年の”心の破片”もそうだ。”気持ちだよ”に至っては佳曲なのに、ジャケット自体が別に買わなくてもいいんじゃね?と投げている気さえする。
 その点、エイベックスになってからは徹底してカッコイイ近影写真を求めようとする姿勢が嬉しい。本人のカッコよさ、美しさを徹底して攻めてほしい。今回…攻めすぎではないかと一瞬ひるんだが、そんなこと迷い事を言ってる場合じゃない。
 これこそラストアルバムにふさわしい。手に取ってワクワクし、抱えてウキウキ歩きたくなり、飾って誇らしい歌手近影ジャケット。アウトロまで吉田拓郎はカッコ良かった、それを証明するジャケットだ。
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2022. 4. 24

☆☆生きていなけりゃ☆☆☆
 昨日はムシ暑いくらいの好日だった。今年が13回忌の拓バカ同志のK君の墓参。奥様も来てくださり総勢10名の集団墓参となった。お墓の前に10人も並ぶと「忠臣蔵」みたいだ(爆)。K君こそまっすぐな吉田拓郎への愛を貫いた忠臣ファンだった。
 そして彼はいつも笑顔で私達にも優しかった。めんどくせー私が災いして、めんどくせーことになっていた10数年。こうしてまた一緒にあえる機会を作ってくれた。そして、みんなそれぞれに病を得たりいろんなことがあったりしたようだが、こうして生きながらえて拓郎の歌を聴き、語り、そして悪態をつける。すべてはK君のおかげだというと、きっと彼は「いやそれはぜんぶ拓郎さんのおかげですよ」というに違いない。
 「覚えている人がいる限り、人は本当には死なない」というが、そういう意味ではこれからも彼とみんなはたぶん拓郎についてあーだ、こーだと心の中で対話しながら一緒に生き続ける。まずは公開されたジャケット写真について、とことん語りたいところだ。この写真、あまりにもたくさんのことを私達に語りかけてくるじゃないか。
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2022. 4. 23

☆☆あの場所でもう一度逢えるなら☆☆
 つま恋の撮影のブログ。新緑…たぶん新緑のつま恋を舞台にした一編の映画かドラマを観ているみたいな気分になる。行間からあふれくる万感の思い。最後の花束のファンのお2人も方もよくぞそこに遭われた。GJ!すべては天の配剤か。行きてぇ。

2022. 4. 22

☆☆☆たとえば犬の気持ちで☆☆☆
 奇しくも昨日の新聞に、いしいしんじの人生案内が載った。愛犬の死を後悔する相談者への彼の回答がまたすんばらしいものだった。あたりまえだがホンモノは違う。違うとかいうレベルではない。ってか、お詫びしろよ自分。

 吉田拓郎はつま恋に行ったんだな。これまで想像もつかない様々な想定外な困難が立ちはだかってきたようだが、それでも、つま恋に行くことが出来て心の底から良かったと思う。成果物の写真も見たいが、つま恋に抱かれる拓郎のメイキングの映像も観たい。
 編集は大変でしょうが頑張ってください。でも編集なしそのままでも、何時間でも何十時間の映像であっても私は全然平気です。喜んで拝見します。

2022. 4. 21

☆☆☆人生案内を語らず☆☆☆
 読売新聞のいしいしんじの人生案内が好きすぎる。好きすぎて今の心境を人生案内に相談したらどうなるか、まさか本当に相談するわけにもいかないから、勝手に自分でシュミレーションしてみた。すまん。結構、自分で書いて自分で元気になった(爆)。

    ファンを信用しないという歌手の言葉が悲しい
[相談]
 私は中学生の頃から何十年もの間、大ファンの歌手がいるのですが、最近は高齢を理由にエンディングと称してライブやアルバムを最後にしようとしています。先日新聞のインタビューで最後にあたってファンへの気持ちを問われると「僕はファンという人をあまり信用していないし、彼らも僕を信用していないと思っている」と答えており大変ショックでした。確かに私は鬼畜なファンサイトを作って悪態をついたりするなど、決して好かれたり信用されたりするような良いファンではありませんが、それにしてもファンを信用していないという言葉はあまりに寂しいです。私は今後どんな気持ちで彼を応援すればいいのでしょうか。(東京都・星紀行)

[回答]
 信用とは何か。歌手とファンとの間にあるものは音楽だ。歌手が魂をこめて音楽を作り差し出す。その差し出された音楽に、あなたはこれまで感動したり、悲しんだり、勇気づけられたりしてその心をふるわせてきた。歌手の魂の律動が、音叉のように聞き手につたわりあなたの心がふるえる。その瞬間にあるものが信用だ。信用とは言葉でなく、心のふるえだ。別個独立のわかりあえるはずのない他人どうしでありながら、お互いの心が音楽を通じて振動し合う。そこに音楽や芸術の魂がある。
 そして、たぶん歌手は知っている。信用はやがてカタチだけの言葉になって人の心を縛りはじめる。信用してくれるから信用する、信用されないから信用しない、長年のファンだから信用されるべきだ…まるで貨幣や取引材料のように人は言葉だけの信用に振り回される。いつしか今現在の本当の心のふるえを見つめるのがとても億劫になってくる。だから歌手はファンとの間の言葉だけの信用などという不純物は要らないと言いたいのではないか。
 音楽は自由なものだとその歌手は言っていないだろうか。自由な心で歌手の差し出す音楽に心をふるわす。直ぐにふるえる時もあれば、時間をかけてふるえ始めることもあるかもしれない。そこにはただ自由な音楽があるだけだ。それ以上の幸福はない。あなたは今後ファンとしてどうすべきかと悩んでいるが、あなたはどうもしなくていい。いつでも彼の音楽の律動の音叉を感じられるように自分の心の中に済んだ透明な水を静かにおだやかに張っておくことだ。

2022. 4. 19

☆☆☆主人公☆☆☆
 先週、小学校からの友人のルーちゃん(知らないよねフツー)と久々に飲んだ時、彼から「死ぬとき最後に聴きたい曲ってある?」と尋ねられた。咄嗟で答えられなかったが、ルーちゃんは「俺は、さだまさしの”主人公”。別にさだまさしのファンじゃないんだけど、誰もが自分の人生では主人公、いい歌じゃないか」ということだった。

 最期に聴く曲というと、どうしてもこの時期に亡くなった拓バカのK君のことを思い出す。
 2010年4月にK君はクモ膜下出血で突然倒れてそのまま卒然と亡くなった。葬儀のときに奥様が気丈にも俺ら拓バカ同志に最期の様子を語ってくださった。倒れた時、奥様が枕元にあったCDを病室に持って行き昏睡状態のK君に聴かせたそうだ。「拓郎さんの歌を聴いたらその瞬間心拍数が戻ったんです。」
 そのCDは「午前中に…」と「豊かなる一日」だったそうだ。2010年当時の最新オリジナルアルバムと最新ライブアルバムだぜ。
 ここ数日、俺の周辺のトレンドなワードは「停滞」だ(爆)。何が「停滞」しているのか、いないのか…御大のおかげで悩ましい。でもひとつこれだけは確実にいえるだろう。最新のオリジナルアルバムとライブアルバムを聴きながら逝く…彼は1ミリも停滞していないファンだ。文字通り死ぬまで半歩進み続けたファンだった。

 奥様は「次の曲が”落陽”だったのに」と泣いていらした。”落陽”の一曲前が彼の最後の曲だったことになる。調べたら「豊かなる一日」の”どうしてこんなに悲しいんだろう”だった。島村英二のカウントで始まりビッグバンドのゴージャスな演奏で歌うあのバージョン。いいよねぇ。誰がこの名曲のこのバージョンで天国に旅立てようか。やっぱすげーぜK君。

 「あと一曲頑張れば”落陽”が聴けたのに、どうして…」と涙される奥様に、そこにいたこれまたすげー拓郎ファンのねーさんがボロボロ泣きながら「きっと”落陽”は飽きたのよ」(爆)。これぞ泣き笑い。…いいな、よくないけど、いいな、よどみなく流れてゆく拓郎ファンというべき人たちがそこにいる。やはり拓郎ファン、あれこれすんばらしいぜ。行くんも滞るんもそれぞれの道、誰もが主人公なのである。

2022. 4. 17

☆☆☆拓郎「あぁ面白かった」☆☆☆
 東京新聞の朝刊を買ってバネの軋む喫茶店でトーストをかじりながら拾い読んでいるすべての同志の皆様ごきげんよう>いねぇよ、そんなことしてる人
 ネットでも読めるようだが、新聞の現物感や触感がまた嬉しい。ちゃんと読んだ。ああ〜そういえば音楽の前に取扱説明書や約款はいらないと言った気もするが、あの時は俺もまだ若かった。いろいろあってもそれはそれ。
 「第一線退く」「吉田拓郎さん一線退く」とリードされた記事は、切なかったり、それでいて妙に清々しかったり、結論としていい記事だったよ。

  停滞していると言われようとバカじゃねぇのと顰蹙を買おうと心の底から叫びたい。
 第一線を退こうともアナタがいるそこが私の最前線
 …決まった>決まってねぇよ、また怒られんぞ
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 web版の方がインタビューは詳細なんだな。こっちの方がより切なくて、そしてよりなんか清々しい。少し泣きたくなる。

2022. 4. 16

☆☆☆あれから10年☆☆☆

あの空に浮かぶのは 今日の雲
それは 昨日の雲じゃない
幾度も 君に伝えたが
すれ違うような 時が行く

 うーん、いい歌だ。いろいな意味でいろいろ胸にしみる空の輝き。おまえがいうなと怒られそうだ。

この淋しさを 乗り越えて
いつか わかり合える 二人になれる

 うん俺もそう思うよ、俺はあなたのファンなんだし…>だからおまえのことじゃねぇよ。

 この曲を含むオリジナル・ニューアルバムを迎えてからもう10年である。とんとご無沙汰。“ah-面白かった”をどこでどう聴くかも考えておかねば。拓バカの友人は、拓郎の新作アルバムは必ず斎戒沐浴して身を清めてから正座して聴くと言っていた。それが彼の矜持らしい。もう、キリスト教のミサ、仏教で得度受戒のような厳粛な世界だ。今回もそうするのだろうか。

2022. 4. 15

☆☆☆You’re not also there☆☆☆
 ということで、あらぬ方向に行ってしまったが、先週の放送で聴かせてもらった新曲たちにはどれもお世辞ではなく胸が躍った。そうだ、それだよ。とりわけ”ひとりgo to”は、心の底に直覚これ!と響いた。迷妄晴れたりって感じか。うまくいえねーな。おお、これが堂本剛のサウンドなのかと感じ入った。良い子になれそうだったのに俺。
 ただ音楽を聴く前から、これが今の風だとか、70年代の奴らにはわからないだろうだとか、精神論と辻説法がかまびすしい。何もかも愛ゆえのことなのだろうが、でも時に勢い余った愛が滑って俺に鉄槌を打ち下ろすのだ(爆)。痛い。それにこの曲は、音楽単体で充分にチカラがあるのは俺ごときにもわかる。だから精神論ではなく音楽で語っておくれよ。
 音楽の前に分厚い取扱説明書も保険約款もいらない。そりゃあ足りない自分だが、自分の小さな器の中で感動したり、思い悩んだり、誤読・誤解したりしながら自由に満喫したところで、「おまえたち実はこの曲はだな…」とそっと灯明をかざしてほしい。
 もうそこにいないのはわかった。なんにしてもアルバムが楽しみだ…そんな日が来ることに感謝しかない。
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2022. 4. 14

☆☆☆そこにシビレた☆☆☆
 …カッコイイなぁ。青い空のアニキと呼ばせてもらっていいっすか?(爆)。我ながらいい加減に学習しろよと自分のことを思うのだが、せっかくのサイトである。ムカつくところはキチンとムカつきたい。「これも拓郎さんなんだからいいじゃないか」というファンの方もおられるだろうが、そういう横山やすしさんや勝新太郎さんの周囲的な対応にはやはり乗れない。それでもとにかく今回は意気に感じてまことに恐れ入りました。
 ということで気持ちを切り替えて次回ラジオの1つ限定の質問を何にしようか悩んでいる>切り替え早すぎだろ

2022. 4. 13

☆☆☆青い空見て〜はぐれた雲の☆☆☆
 青い空の先輩にまた助けられた。ありがとうございました。そんなこんなのうちにアルバムは完成したようだ。 それに晴天の上に、暖かいじゃないか、このごろは。 もうすぐお別れになる神楽坂あたりを歩きながら 脳内で歌う。

 また会えるまで また別れても
 また迷っても また探す道
 また背伸びして また立ち止まり
 またほほえんで また口ずさむ

 また雨が降り また風が吹き
 またウソをつき また夢を見る
 またウデを組み また歩き出す
 また陽が昇る また涙する

 心の底からいい歌だ。こんな歌を書ける人なのだから...だからなんだ。ともかくただファンに甘えているだけなのだろう。そう思ってこちらもこの道を半歩でも先に進もう。

2022. 4. 12

☆☆☆ボディブローのように効いてくる☆☆☆
映画「シン・ゴジラ」で平泉成演ずる里見総理の嘆息まじりのつぶやきで
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あ〜あ停滞したファンたちが足を引っ張ったのでライブを辞めたなんて、最後に来てそんなこと言ってほしくなかったなぁ〜

2022. 4. 11

☆☆☆乗るも乗らぬも船はひとつ☆☆☆
 HoHoHo〜
 俺やこのサイトが「停滞」しているのか、拓郎の足を引っ張っていたのか、やる気をなくさせていたのか、そのショッキングな物言いに一瞬気分が沈みかけたが、もうそんなことは知ったこっちゃない。こんなヘタレなサイトにそんなチカラがあったら逆に大したものだ(爆)
 ただひとつだけ言ってみたいのは、
「君のスピードで,I’m In Love,季節の花, 早送りのビデオ、昨日の雲じゃない, 慕情、YouTubeで歌う人は、こういう曲をトライしてほしい。」(オールナイトニッポンゴールド第25回)
 しかし”落陽”や”祭りのあと”はごく最近までライブで歌ってたけど、“季節の花”と”昨日の雲じゃない”は自分だって歌ってねぇじゃん!>そこかっ。そこだ!。
 “季節の花”はキャリア・ハイと言っていい名曲だ。http://tylife.jp/uramado/kisetsunohana.html あの魂のリフレインを一緒に1階4列くらいで唱和したかった。”昨日の雲じゃない”は、ステージで鈴木茂の語りかけるようなギターの音色に2階27列くらいでもいいから座席に沈んで包まれてみたかった。そう願っていたファンは俺だけじゃない、たくさんいる。調べたもん。調べた人みんなそうだった。それが停滞してる、今さら離縁というのならもと十四に戻しておくれ(爆)。

  いや、そういう悪態を一旦脇に置いて、俺はラジオを聴きながら、以前読んだ本の一節を思い出していた。ミック・ジャガー、ボブ・ディランら高齢化したロックスターについて中山康樹はこう総括していた。
「(彼らは)新しい曲を書いたところで、大半のファンは過去のヒット曲のほうを聴きたがるということもわかっている。その新しく書く曲も過去の水準を超えることがなかなかに困難であることもとっくに達観している。
 -彼らは過去の自分と戦い、勝ち目がないことを知りながら、それでも闘うことを放棄しない。
 -少なくとも僕は、ある意味で満身創痍の状態でありながら、それでもなお新しい曲を書き、何かを創造しようと前進する”年老いたロッカー”に共感を覚える。しばしば勇気づけられもする。
 -彼らの多くは、時には年齢を感じさせず、時には60代という年齢だからこそ表現可能な境地を示し、それこそが「現在のロック」であると強く実感させる。」(中山康樹「ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか」幻冬舎新書 P.5〜)

 今、自分はこの境涯の近くにいるんだと思えた。違うのは俺はここでさらなるキャリア・ハイがまだ出てくるんじゃないかと信じていること。またエンディングといいながらもこのアルバムがどこかあたらしい夢に連れてっていってくれる船なのではないかと思うところである。
 その船はまだ港の中、乗り遅れそうなのは誰、まにあうさ、まにあうさ遅すぎることはない…と拓郎は言いたいのかもしれない。んまぁ、それにしても言い方ってもんがあるだろ(爆)。

2022. 4. 10

☆☆☆いつでも夢を☆☆☆
 ラジオの録音を忘れたのでラジコで一回聴いたきりで時間切れになった。ずいぶん早いんだな。胸打つ新曲たちを何度か聴き返したかったが今回はこれでいい。満を持して完成盤を待とう。
 60歳を過ぎた自分が70歳をとうに過ぎた吉田拓郎の新作を待っているのだ。こんなん想像できた? 凄いじゃないか。他に何が欲しい、何もいらぬ、せめてものラストアルバムを抱きしめよう。

 「僕は僕の中で僕だけのわかっている未来を自分の中で夢として作って、それに向っている。今でも半歩でイイから先にすすもうという気持ちを持っている。」

 もうコンサートもなくアルバムも最後だ。それでも「夢」に向かって進むという。それがなんだかはわからないしファンには関係しないことかもしれない。それはそれでしかたない。それでもこちらにもささやかな夢のような明かりが灯る気がする。自分も停滞せずに転調してみようという気になる。
 拓郎とは関係ないが、たまたま昨夜Tくんが俺達の小学校時代からの憧れの人の店に何回も足を運んで俺の分までサインを貰ってきてくれた。感激した。これが色紙だけでなく色紙の現場証拠写真まで撮ってくれている心遣いが泣けるんだわ。
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 ということで「夢」だ。いい歳して…だが、やはり「夢」だ。

2022. 4. 9

オールナイトニッポンゴールド  第25回 2022.4.8
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 (投書の方々のお名前) 「拓郎さん佳代さんお誕生日おめでとうございます」というメッセージにみなさんありがとうございます(with 佳代さん)。
 (佳代さん)拓郎さんお誕生日おめでとうございます
 (拓郎)佳代さんお誕生日おめでとうございます
 (佳代さん)アタシは加齢が止まらない。
 (拓郎)加齢?

 今夜はこの曲から(拓郎&佳代さん)”いくつになってもHappybirthday”

M-1 いくつになってもHappybirthday 吉田拓郎
 
<三苫がやりましたねという投書>
 すごかったですね、いきなり後半…延長かな、そこから2得点。僕のラジオよりこっちの番組の中継が凄かったな。ワールドカップ進出を決める大試合、いわゆるにわかサッカーファンが増えるところ。三苫、田中碧のファンが増える。そういうことがサッカー界にとって大事なんだということを協会はわかっていない。あんな大事な試合をどこも中継しないのはあり得ない。これを観て好きになる人もいるのに。世界も注目している試合なのに。だからニッポン放送は偉かったね。聴取率ダントツだったらしいね。僕もラジオでサッカー中継を聴いたことはなかったけど、奥さんとラジオで興奮した。どことも中継しないのは嫌だな。田中もいい動きをしていた。田中、三苫が引っ張っている。
 そういえばその田中にガールフレンドという話が佳代さんの耳に入った。年上の女性がいいならここにもいるじゃいといっていたけど(笑)まだ三苫がいる。田中はボランチをベテランのようにこなす。ま、碧ちゃん応援しながら三苫がいるということで。

 ネットを読んでいたら「いつもの癖で拓郎さんのブログを読んでイイネをポチっとしようとしたら、そうだ拓郎さんはジャニーズじゃないんだと気づいた」という書き込みに笑った(笑)。そうだよ、僕が面接態度も含めてジャニーズに入れるわけがない。

<ブログを楽しみにしている、かなり配慮してるんだなということが分かったという投書>
 配慮もしたし大変なこともあったレコーディングだった。今夜は新アルバムのタイトルも解禁し、kinkiとも会ったし、最初は緊張するかと思ったが、あのときのまんま、くだけまくり、3人とも成長していない。光一は「拓郎さんにとってオレは17歳なんでしょ」と言ったので、そうすると俺は50歳か(笑)。最初からもう風呂入ってしゃべってるような気分。

 小田和正君とも最後のスイーツから3年ぶり、小田と拓郎の関係は変わっていないと確認した。先日のフォーライフのテレビも観たというので感想を聞いたら、最後の拓郎のメールの言葉だけ良かったと思ったが、あとは興味ないと言っていた。やっぱりわかっているやつはわかっているんだよ。

<日記(のつもりがない)、小田さんのライブ行きたい、拓郎さんも大阪にゲストに来てという投書>
 日記のつもりはない、たまたまレコーディングが立て込んでいたから頻繁に書いたけど、今後は少なくなるよ、いずれ消えるよ。小田にスタジオでツアー頑張ってな、どっかいくよと言った。小田は、決まったら言ってくれよというが、小田にも内緒でそーっと行きたい、個人的には名古屋かな、サンデーフォークの伊神とかにも会いたいし、2019年のイタリアンにも行きたい。

■今夜も自由気ままにお送りします吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

 76歳です。こんな76いるのかというくらい自分でも気持ちわるい。吉田拓郎という気のつく男、やさしい男、ゴミ捨て、バスルームの掃除、結露の掃除、洗濯機のあとしまつ、ポストの投函、宅配便を外で受け取る、そしてマンションの理事として植栽の管理をしているよく働く旦那様の面倒を見てくれている、感謝感激でありがとうございます
 30年以上パートナーだけれども、ハワイでショッピングセンターで僕はカジュアル派で、リーズナブルなシャツ等を一気買いするタイプだけど、彼女は1枚のシャツに非常に時間かかり、30分40分悩みながらどうしようかなと考えたあげくやめてしまう。
僕なんか買ってしまえばいいのにと思う。ところがとなりの高級品ブティックをみつけると、何十万というブランドバックとか、これいいな〜買おうかなといってくる。こちらには即決力がある、こういう女性。こういう女性に恵まれた吉田拓郎は世界一の幸せものだ。そしてこういういいアルバムを作らせてくれた。お誕生日おめでとうこれからもよろしくお願いします。

(CM)

 ニューアルバムのタイトルは、
   「ah-面白かった」
 このタイトルにたどり着いた経緯は、僕の奥さん、佳代さんのお母さんはシングルマザーで彼女を育て上げた、僕の母も理由あって別居し、僕らを一人で育て上げ大学も行かせてくれた。しかし、二人のお母さんは苦労話、愚痴を口にしないタイプだった。僕達は母親からの苦労話は聴いていない。既に二人とも天国に旅立ち、その母に今、感謝して、夫婦でよく思い出話をして笑顔になっている。

 宮藤官九郎の名作「ごめんね青春」で佳代が演じる錦戸亮くんの母親が亡くなる時、夫の風間杜夫に「ああ面白かった」とつぶやいて天国に旅立ってゆく。後で、風間杜夫がそのことを口にする「「楽しかったじゃなくてああ面白かったって言ったんだよ」。このシーンには泣きました。観ている僕もわしづかみだった。ここだけでも感動した。宮藤官九郎は素晴らしいな。

 僕のオフクロ、佳代のお母さんは、時代的にも女性が仕事に就く環境にもなかったそういう時代を生き抜いてきたわけで、その苦労の何分の一も理解できていない。でも彼女たちは僕らに辛い、キツイというニュアンスを伝えなかった。だからオフクロが辛いわよと言っていたそういう姿は思い浮かばない。二人のお母さんたちは 天国でああ面白かったと笑っている気がしてきた。
 言葉ではなくそこに残して言ってくれた空気というか風の中に彼女たちの愛(LOVE)があるんではないか。やっとそれが見えてくるようになったと思う。
ラストアルバムは全編を僕流の愛(LOVE)で貫いてみたかった。そういう決心でこのアルバムを作ろうと思った。タイトルは文句なしに「ah-面白かった」に決めたら、それが頭にある限りスラスラと詞が出てきた。面白くなかったことも経験したがそれも結果的に最後はああ面白かったといえるようハッピーな気分な作品になった。

 発売は、6月29日、 本来秋の予定だったのに早く作品として出したいということで決断してくれた。ディレクターの竹林君にありがとうというしかない。
ジャケットはDVDサイズ。特別仕様の歌詞カードやライナーノーツがつくので大きさも見づらいので竹林ディレクターが会社を説得してくれた。
Disc1
 1 ショルダーバックの秘密
 2 君のDestination(旧題Hey you)
 3 Contrast
 4 アウトロ
 5 ひとりgo to
 6 雨の中で歌った
 7 雪さよなら
 8 Together
 9 ah-面白かった

 Disc2にはDVDのメイキング映像が入っている・どんなレコーディングわしてどんな人がいたのか。こんな時期だったので困難が生じていたし、スタッフもカメラも少なくできるだけのことはした。僕もCDジャケットのタムジンチームの風景も入っている。インタビューも入っている。ライナーノーツ、アナログ盤には僕のスペシャルエッセイ集がついている。これまで心の中でタブーとしてことも心優しい気持ちで書いている。永く応援してくれた人達へのプレゼントというかメッセージ。  

 アナログ盤では、奈緒さんをモデルにした撮影でシノハラも僕も参加してやり終えているはず。
 ラストアルバムの中から”雨の中歌った”これは以前のデモテープとはかなり変わっている。詞も演奏も違っている。
“たえこMYLOVE”は、たえこという人がいたわけではないが、歌いやすかったのでたえこにしたが、実在の女性がモデルでいる。その実在の人物につながっているという思い出の話。

M-2   雨の中で歌った   吉田拓郎

(CM)

 君のスピードで, I’m In Love,季節の花,昨日の雲じゃない,早送りのビデオ,慕情、You tubeで歌う人は、こういう曲をトライしてほしい。70年代は卒業しなよ。飽きたよ。せめて80年代くらいから前進めよ。心をこめて言いたいのは、空気を読んでほしい。そうしないと面白くないよ。現在自分はどういう時でどういう風の中にいるのか。社会も友人も大事な家族の中でどういうポジションにいるのか。
 孤独であってもきっちり理解すれば次がみえてくる。体験上、必ず孤独なりに見えてくるものがある。世間体とか噂は関係ない。大切なのはハート。
次なるアルバムには口にしなかった真実を書き残した。正直だったがために踏み間違えたこともある。でも誰も恨んでいない。すべて自分が浅はかだったからだ。
 このラジオだって、もういいよ、いらねぇよって言われる雰囲気を感じたらリタイアする覚悟はできている。そこでグズグズしたくはない。
“今日まで明日から”とかは、いい曲だよ。自画自賛する。あんな歌、誰も書けない。それはそれ。みんなが好きな岡本おさみもいい。でも、もういいじゃん。十分楽しんだ。十分評価もされた。”祭りのあと”も名曲だった。それも「だった」といいうこと。”落陽”も名曲で最高で俺も十分に楽しんだよ。現役のシンガーソングライターとして生きている俺としては声を大にしていいたい。やっぱりみんなも半歩でイイから前へ進もうよ。そこに停滞するな。
 ライブ活動をリタイアしようとするきっかけにもなった。観ていて停滞しているのがわかった。風のたよりで伝わってきたの。そこで俺はいつまでも歌えない。ネットなんかでも明らかに停滞しているヤツが何人かいる。それが凄く足を引っ張り、やる気を失わされる。それを観ながらリタイヤする気持ちが固まった。
 僕はそういうところに今いないの。時間があまりない。ツアーを止めるなライブやろうカンタンにいうけどそれはないと僕は思っている。
 僕は僕の中で僕だけのわかっている未来を自分の中で夢として作って、それに向っている。今でも半歩でイイから先にすすもうという気持ちを持っている。

 70年代はすばらしい時代だった。帰れと言われたり、いろんな事件もあったけれど、フォークとか70年代は素晴らしかったし、いい歌が生まれた。それは人生の通過点。人生は一回。素晴らしい青春であることは誇らしい。あそこがなかったら今がありません。それでも、それはそれとしないと2022年の今に引きずってどうする。
 僕は・・・ということですよ。人生は一回だけ。もっと柔軟に柔らかくその時々の風の具合を見ながら風に吹かれながらその時の空気と風を感じてちょっと明るいちょっと楽しい明日を過ごすために今日を生きる、がんばる。
 そんなにたくさん時間が残っていないそういう中でこそ縛られたまんまで、何も変わらない生き方は僕はやりたくない。お先に失礼で半歩前に進んでいく。

 Togetherという曲を作った。月に住んでいるらしいシノハラ、火星に住んでいる奈緒に、僕は拓郎ちゃんで、地球がボロボロになっている争いごとや温暖化も進んでいるし、コロナという未知の恐怖にもふるえている。ストレスがいっぱいたまっちまって、武器を持つヤツもいる、明日と小田和正とおいしいスイーツ会のために行くからよ。そっちは争いごとなんかないんだろ。おーい奈緒、kinkiとベッタベッタのハグの写真を撮りたいから、みんなで楽しく踊っているんだろ、待っててくれよというトーキングブルース。

 チョイと遊びに来て地球に永く居過ぎた拓郎ちゃんがそっちに行くと歌っている。70年代のたくろうちゃんと今はこういう気分だという歌をメドレーで。

M-3 たくろうチャン          吉田拓郎
M-4 together             吉田拓郎

<11時>

 70年代の通信販売レコード会社があった。何にもわかっていない僕をあざわらうようなレコーディングだった。アルバム「青春の詩」は1日でレコーディングした。何も知らなかったのでそんなものかと思った。吉田拓郎がプロデュースしたかのように宣伝され、涙が出るほど恥ずかしかった。それでもアルバムが出てカタチがついたと思う自分もいた。

 ライブで家庭用テープレコードで録音したものをレコードにするということもあった。
家庭用のテープレコーダーの録音でこんなのどうなんだというのがあったが、オンステージ”とかいつて発売していた。一番大きかったのは、作詞作曲しながら印税はゼロで給料制だった。ソニーの同級生がそれはおかしいんじゃないかと言われて、エレックを辞めると言ったら、その日に会社の人間が小切手持ってきてこれで新しいところに住めやと言われたのを覚えている。「こんなもんじゃ、僕の住みたいマンション 買えやしないんですよ」と答えた。

 “青春の詩”というアルバムには、”今日までそして明日から”とか”雪”が入っている。“雪”はレコーディングの時、何このアレンジ?と思ったが、詞と曲は自信作だった。後にCBSソニーにプロデューサーとして迎えられたとき猫というグループに歌わせた。
 岩手県の雪の夜。詳しくはライナーノーツで書く。
 先日同年代のただひとりの盟友・心友の小田和正に頼んだら自分のスタジオでアイデアを入れた物を返してくれた。
生涯の一作だと思う。絶妙のハーモニー。僕は今 心の友はいない。それらの関係 断っている。70年代だと小田だけ。あとは誰とも付き合っていない。スッキリしている

 武部、鳥山、2019年のバンドの仲間、kinki、シノハラこれで十分だ。最後に歌詞もつけ加えてロマンチックにしている。
どこを小田和正がハモ持っているか、全部小田じゃない、拓郎もと言われてその場でハーモニー作った。衝撃的に美しい。小田のアイデアがすばらしい。

M-5 雪さよなら

 Kinkiとの仲は、奇跡的、運命的で友人でいられることは幸せ。この二人のやさしさをこれほど身をもって体験している人間はいないのではないか。
僕等の中で無言の中で出来上がった空気感がある。今回も変わらずに存在している気がした。計算して作れるものではないし偶然。他の方とつくれるか、つくれない。  僕ら3人じゃないとできない、運命とか偶然の風なんだとつくづく思う。

 光一君と再会した。彼も43歳。すっぴんの堂本光一は、相変わらず美しいマスクの持主だが、若いころと違って風格がでているのは、舞台エンドレス・ショックを続けている自信とプライドかもしれない。リーダーシップのオーラが出ていて、若いころにはなかったものだ。
 2,3分すると光一の「たっくろうさん」という言い方が蘇ってきた。そしてお互いをイジリ始める。こういうところは剛とは違っていいたい放題。「郎さん細くなっていません? 」「ジジイなったということか?」
 アルバムタイトルのah-面白かったを書いている最中にも、横で「字はヘタだな、本当に下手だな、「た」の字 世界で一番「た」の字がヘタ」とか行ってたら光一が、これでも子どもの頃は習字有段者だったというので、今度は毛筆で書いもらったら「おなじじゃん」(笑)。結局マジックに戻した。
ついでに光一が画用紙に似顔絵 をハシリ描いていた。「これ拓郎さんですよ」「俺なの?」どう観ても似ていない。心友がせっかく書いてくれたのでどっかで使うことにした不思議なイラスト。すっげー楽しい時間だった。

 今回の ah-面白かったは。一生の思い出と誇りだ。題字は最初から光一に頼んでみようと思った。光一は僕は字がヘタだと言ったが、そんなことはどうでもいい。堂本光一がタイトルを書いてくれただけで幸せなんだよ。それが嬉しい。上手、下手ではなく素敵な題字。めっちゃお気に入りの下手な字です(笑)。ありがとう光一君。ショックも乗り切ってほしい。夏には時間を作って遊びましょう。

 そして堂本剛が既にひとりのミュージシャンであると思い一緒にやってみたかった
。LOVELOVEのとき、音楽の楽しさを教えてあげてくださいというプロデューサーに言われて、番組のコーナーで、ギターの持ち方から、G,C,D 3つのコードや楽譜の読み方を教えて、最初は二人とも関心なかったけど、番組の日本屈指のミュージシャンもいたので、次第に音楽の道に引き込まれていった。
 ひとりgoto・・・「ひとりごと」とも読める。その一節を剛がとても気に入った 頭にもってきますと言った。剛もR&B、FUNKに惹かれていった、それらのエキスを感じる・しかし、FUNKに収まっている気がしなくて堂本剛ミュージック、剛サウンドのようなものになっている。
 スタジオで俺達は似ているよなと話し合った。剛も高いとこ海も動物も苦手でイルカも怖い。オーストラリアのロケで剛と僕がパンナコッタな夜というのがあって、スタジオにいたみんな大笑い。ラジオではもったいないのでライナーに書いておく。僕と剛にはパンナコッタな体験がありました
 吉田拓郎作詞・作曲、堂本剛アレンジの奇跡のコラボ。これが今の風なんだよ。鳥山・武部に聴かせたら「こうきましたか剛君」「やられました、一本取られました」と感心していた。

M-6    ひとりgo to    吉田拓郎

(CM)

 広島で大学生の時、ロックバンドで演奏して飲んで遊んで深夜に帰って、そのまま部屋に戻ってオフクロと会話することも少なかった。それが青春だから構わないでほしいという気持ちがあった。
そんな時でも家に帰ると必ず玄関の街灯がついていた。母が起きて待っていたか待ってなかったのかはわかんない。街灯がついていたのは憶えている。そういうオフクロだから信じられる。
 佳代さんのお母さんもシングルマザーとして娘に不自由な思いにさせたくなくて、いろんな苦心をされた。この母娘は、二人とも気性が激しく親子喧嘩をよくしていた。僕が傍にいても喧嘩していた。昔、6年間くらい逗子に住んでいたときでもよくケンカしていた。僕は喧嘩が始まると逃げる。怖いんですよ。この親子喧嘩は仲が良すぎること、あまりに愛情が深いからこそ些細なことで諍いが起きてしまうのだと感じた。
佳代のお母さんの運命の日、彼女は最後に間に合わなかった。少しだけど。その時のお母さんの表情を覚えている。永遠の旅立ちのおだやかな表情、ひとりで育て上げた苦しみ悲しみを超えて実に静かでおだやかで笑顔のようだった。
ケ・セラ・セラというドリス・デイの歌がある。ヒッチコックの映画「知りすぎた男」に使われてヒットした。なるようになれという意味。それがお母さんの生き方の基本だった。
 そして灯りをつけて何も言わなかったオフクロ。二人ともいろんな苦しみもあったでしょう、そのまんま笑顔も見せて永遠の旅立ち。僕達二人もできたら最後に「ああ面白かった」といえるような人生を送りたい。そんな気分でいたい。
とっても難しいことだと思う。でもそこを目指すだけでもいいんじゃないか。アルバムの
 ラストの運命の一曲となる。歌っていていろんな思いが浮かんだ、母親たちのこと、妻のこと、自分のこと、心こめて応援してくた小田和正、Kinkikids、篠原ともえ、奈緒さん、わがまま気分屋の僕を支えてくれた竹林くん、飯田さん、何回もダメ出ししてもめげないで魂の演奏にトライしてくれた武部・鳥山くんらの顔が浮かんだ。ボーカルが揺れているような気がする。でも修正しない、歌い直さない、ありのままでいこうと決心した。

M-8 ah-面白かった     吉田拓郎

■エンディング
 僕の最近の心境は「やったな」という感じだ。満足感、自由という感じ。これは僕にしか味わえない感じ。
何が不自由かはハッキリしなかったが自分の中に不自由が住んでいてそれが厄介なヤツだったことがわかり、ようやくそこからの解放が始まった。若い頃、中年の頃、おじいちゃんなりに不自由だった。でも最近、不自由からは若干脱出しはじめている

 歳をとることはいいことはあんまりないけど、悪いものでもない。束縛もない素敵
だ。アナログ盤についての話は次回します。

最後は、大好きなエイミー・ワインハウス

M-9    You Know I'm No Good   エイミー・ワインハウス

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆いよいよアルバム出来!!「でき」はなく「しゅったい」と読んでくれ。深夜のセイヤングでローリング30の完成を知らされた時の気分と重なる。不可知なニューアルバムに胸はふるえる。

☆確かにデモテープ時点の印象とはまったく異なっている。嬉しかったり安堵したりもする(笑)。ピンと来なかった「雨の中で歌った」もなかなかの曲にドレスアップされていた。しかも、そうか“たえこ”の続編なのか。そういう伏線も面白い。

☆小田、kinki、シノハラが実名で登場すると聴いただけで、不安しかなかったtogetherだが、ご機嫌でいいじゃないか。身体が自然に揺れ出す。しかも現在の情勢までが織り込まれている。今さらながら拓郎はこういうことをしたかったのかということがちょっとわかる。

☆別に今の空気を感じろとお説教されたからではないが“ひとりgoto”。タイトルは、菅前総理の顔がチラチラ浮かんでくるが、これは来たな。逸品だ。すんばらしいぜ。

☆これはあの""雪"なのか、いやこれは"雪"じゃない。いやでもこれは"雪"だ。音楽家ってすげえなと思った。
 怒られるかもしれないが、今年の「クリスマスの約束」はもうこれしかないっ。だめかっ。涙ながらにお願いしたい。

☆個人的だが、俺は、昨夜、重松清原作の「とんび」の初日舞台あいさつを観に行って、その足で帰って遅れてラジオを聴いた。なので、俺の中では、まことに勝手ながら、とんびの親子と二人の母親の話が、ガッツリと組みあってしまった。拓郎のお母さまが麻生久美子、佳代さんのお母さまが薬師丸ひろ子ですんなりと脳内変換されて、映画を観ているような気分だった。ah-面白かったはまるでエンドロールで流れる主題歌みたいに万感の思いで聴いた。勘違いだったらすまんが。でも、そこは重松清だ。しっかり通底している気もする。

☆とにかくまだ片鱗を覗いただけだ。きちんと完成した全編を斎戒沐浴して聴きたい。

☆超個人ついでに6月29日は亡くなったオヤジの命日だったりする。なんだこりゃ。

☆ともかくラストアルバム出来。ただそれだけで気分は上がり出す。

☆☆☆今日の学び☆☆☆
  今回もちょっと厳しいお説教がございましたが、
「僕だけの未来を夢として作っている、それに向っている。半歩でイイから先にすすみたい。」
 もうアルバムもライブもない。それでも描かれている未来がある。そこだ!

2022. 4. 8

☆☆☆今日もhappy birthday☆☆☆
 そうだよ,昔からステージで譜面を捨てる姿も美しかった。メモを捨てる人、拾う人、それ見て悶絶する人、誰もが幸せになる究極のリサイクルというか生態系である。
 いよいよラジオでやんす。どうかみなさまhave a nice radio time!

2022. 4. 7

☆☆☆たとえばフォーラムで☆☆☆
 さだまさし、南こうせつ、海援隊らの歌を聴きながら、俺はこの歌たちの世界に育まれ、ともに生きて、老いてそして死んでゆくのだ、それは幸福なことなんだと心の底から思った。そう思いながらも、あの美しい立ち姿が浮かび、やはり何もかもが別格なのだと、あなたの空気を思ってみるだけで胸が張り裂けそうになるのである。

2022. 4. 6

☆☆☆フォーラム☆☆☆
拝啓、僕はいま文化放送70周年ライブに来ています。出演、さだまさし、海援隊、南こうせつ。あれ、拓郎さんがいない。セイヤングの拓郎さんが...いた、というより、あった!

2022. 4. 5

☆☆☆お誕生日おめでとうございます☆☆☆
 「もういいよ」…そんなことおっしゃらずに。この日があって今がある、この日があってすべてがある。この貴重なひとときを僕達は何かを祝わずにいられない。
 「もうちょっと」…そんなことおっしゃらずに。さよならが言えないでどこまでもどこまでも歩いてください。110歳まで生きると言った君じゃないか。
 とにかくとにかく私、何時でもあなたに言う 生まれてくれて Welcome
   …ああ、どうか中島みゆきの朗誦に脳内変換してお読みください
        
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2022. 4. 4

☆☆☆何軒めの店ごと☆☆☆
 その映像では、よく気のつくK君が篠島で二日酔いの薬を配っているシーンがあった。それで思い出した。
 拓バカたちは超絶な酒豪ぞろいで往路の東京から名古屋までの新幹線で期待に胸膨らませながらガンガン飲み始め、名古屋から師崎までの名鉄の車中で「そろそろ近づいてきたぞ」とワクワクしながら飲み、篠島までの船中で「島だ、島が見えたぞ」と興奮しては飲み、旅館に着いては「ここが拓郎の部屋だ、ああ拓郎のサインだ」と感激しては飲み、旅館の海の幸に感激しながら飲み続け、夜中は篠島の音源を聴きながら「やっぱ拓郎はええな〜」と涙ぐみながら明け方の「人間なんて」まで飲み続け、翌日も旅館の朝食で目覚めに飲み、復路の篠島から名古屋までの船と名鉄で「いよいよライブ本番だ」と飲み続け、名古屋のあんかけスパの昼食で飲み、開始前に名古屋センチュリーホールの近くで気合入れのために飲み、でもってコンサートを満喫し、終わってから名古屋駅の近くの世界の山ちゃんで手羽先を食べながら「やっぱ拓郎はすげえなぁ」と感動して飲み(←ココで不肖星紀行はついにダウンし「楽しゅうございましたが星はもう飲めません」と書置きを残してリタイアした)。その後も彼らは朝まで飲みつづけ、翌日帰路の新幹線でも飲み、東京について居酒屋でお別れ&反省会の飲み会を続けたらしい。
 まったくどうかしてる(爆)。恐るべき拓バカ酒豪の世界に震えを隠せない。吉田拓郎もコンサートツアー全盛時にはこういうツアーをしていたのだろう。とにかくすげえな〜とK君のくれた二日酔い薬を抱きしめながら落伍者の気分で思いを馳せたのだった。

2022. 4. 3

☆☆☆4月になれば☆☆☆
 4月だ。なにより拓郎の誕生月だ。めでたい。また同時にわれらが拓バカK君の祥月でもある。悲喜こもごもがコンタミする。部屋をいろいろ漁っていると在りし日のホームビデオの動画が。2000年代初め名古屋公演に行った機会にみんなで聖地篠島を訪問したときのものだ。撮影者なので俺は映っていないがみんな若く、K君もニコニコ笑って自然にそこにいる。篠島グランドホテルの拓郎の宿泊部屋に感動し、旅館に寄贈されていたイベント当日のサイン色紙とひとりひとり記念写真を撮る様子は拓バカ絶好調だ(爆)。
 帰らぬ昔のことと言う勿れ。昔のライブや故人をただ懐かしんでいるのではない、カタチを変えて今も生き続けているものと一緒に現在を生きる豊かなる営みなのだ。たぶんみんな今もわが心のK君とともに、これから届くラストアルバムの展開をワクワクしながら、そして不安もちょっぴりありながら(爆)迎えようとしているに違いない。人生とはそういう宴ではないか?…なんてワカンナイが、そういうものであってほしいと思う。
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2022. 4. 2

☆☆☆ラジオの時間☆☆☆
「聴いてチョーダイ」おお小田の次は財津か。>財津一郎だ。こうして新作の制作過程までも味わせてもらえる愉悦。「長年やって来た拓郎流ラジオでのサービス」わかってんだな。西瓜といえば”夏休み”だが所ジョージの”♪ひとつの西瓜を君が二つに割る〜大きい方を渡されても齧れないでしょ”を思う。

2022. 4. 1


☆☆☆春になれば☆☆☆
新宿あたりで冷酒の旨い店を見つけてタケノコで一杯。何よりも平和が大切でありました。
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2022. 3. 31

☆☆☆KinkiKidsの「きよしこの夜」☆☆☆
そりゃあ覚えてる。確かに感慨深い。それだけでなく初々しくギターを弾く二人の後ろで、拓郎と泉谷が互いにお尻をびったりくっつけて座り込みながら真剣に見守っていた姿が胸熱だった。フォーライフも恩讐の彼方に。バディ感てか重松清の言葉を借りれば「朋輩」感がたまらん。いろいろ良いシーン。

2022. 3. 30

☆☆☆カゴメ☆☆☆
二宮瑞穂ちゃう芳根京子のカゴメ「畑うまれのやさしいミルク」のCMで“たどりついたらいつも雨降り”が突然流れて驚く。"世田谷ピンポンズ"というのか。素早く調査してくれたなるさんに感謝。”元気です”Verのカバーは珍しい。のどかでイイ感じだ。ああ”元気です”50周年だったんだね。

2022. 3. 29

☆☆☆まだエンドじゃねぇよ☆☆☆
ノーサイドの穏やかな気分で”はっぴいえんど"=J-POP最大の革命”的な文を読み直してみたがやっぱムカつくよ(爆) 。”はっぴいえんど”が偉大にしても、吉田拓郎をただのフォーク歌手と軽んじて歴史を総括するクソ・タイムラインに我慢がならぬ。御大がエンディングでも俺はまだ終われない。

 “CODAあいのうた” 駆け込みで観たにわかファンだけど、おめでとうございます。ウイル・スミスの一撃とドライブ・マイカーのおかげで影がかすんでしまっている気もするが。高田渡みたいな父ちゃんに乾杯。

2022. 3. 28

☆☆☆ノーサイド☆☆☆
昔、小田和正は血が緑色の異星人に違いないと思っていた。すまん。熱い血と矜持を持つ偉人だった。また先日某番組で、かつてどん底の武田鉄矢を救った谷村新司の心温まる話に涙した。そして俺は今さだまさしのライブを楽しみにしている。もう争わないで、もう戦わないで、そう自由の風に酔え。

2022. 3. 27

☆☆☆そんなふうに僕は思う☆☆☆
 幸福感が溢れかえる写真を観ながら、あぁやっぱりKinkikidsはありがたいな、感謝しかないなとジジイは心の底からそう思う。

2022. 3. 25

☆☆☆60歳からのラテン☆☆☆
 ♪そんな小さな悩みは<チャチャチャ>誰に聴いても同じさ<チャチャチャ>〜がずっと頭から離れなくて困る。 昨夜酔っぱらって何回も再生し過ぎたか。うっかりするとステップ踏みそうになる。踏めないけどさ。

2022. 3. 24

☆☆☆ビジュアル☆☆☆
 工程が着実に進んでいるようだ。良かった。ジャケ写か。俺には写真のこともわからないが、ブログ写真の立ち姿、座り姿、そして所作どれもが美しい。年齢の割にとか、年齢に見えないとかいうレベルではなく、ただ美しい。座って譜面に書き込んでいるその様子だけでも美しい。これを切り取っておくれと心の底から思う。

 それはそうとタムジンさん、若子内さん、どうかお大事になさってください。お2人に限らず、どうか拓郎の110歳にお付き合いください。

 それにしても文中の「又会おう」。この「又逢おうぜ、あばよ」と「また会おう」のシンクロした漢字使いにシビれる。

 ということで今日は”真夜中のタクシー”を聴くぞなもし。

2022. 3. 23

☆☆☆映画館☆☆☆
 鬱な仕事が小休止したし、コロナの規制もとりあえず全面解除された…この貴重なひとときを老人は何かをせずにはいられない。とりあえず映画館に行った。

 ”THE BATMAN”と悩んだが”CODA あいのうた”を選んだ。前者は荒んだ犯罪都市ゴッサムシティの物語だが、荒んだ町といえば蒲田・川崎あたりで十分だ(爆)。それよりもCODA=後奏=アウトロということで拓郎ファンとしてはこっちでしょう。…と思ったら音楽のCODAではなく、Children Of Deaf Adultsの略で聴覚障害の親に育てられた子どものことを言うらしい。
 主人公の女子高生は両親と兄の家族が全員先天的に耳が不自由で、彼女だけが健聴者だ。漁業で暮らしを立てる家族たちの耳となり口となって日々苦闘する。決してキレイごとの美談ではすまない厳しいことが多々ある。そんな中で、彼女は超絶歌がうまいことがわかり音楽に目覚める。しかし家族たちは生まれてこの方音楽というものを聴いたことがない。そんな家族たちと音楽で生きたい彼女とがどう生きてゆくのか、その描き方がすんばらしい。高田渡をもっとファンキーにしたみたいな父ちゃんのとあるシーンが特に泣けた。実にいい映画だった。
 音楽ってなんだろうと考えさせられる。拓郎流にいえば、音楽は本当に自由で素晴らしいものなんだということを体得させられた映画だった。

 今年は,小説では永井みみ「ミシンと金魚」をはじめとしてハズレがない。「CODA」はアカデミー賞、「ミシンと金魚」は芥川賞でもなんでも獲っておくれ。もちろん「ラストアルバム」は、レコード大賞でもグラミー賞でもいいぞ。

 映画館を出たら、宝塚の出待ちか入り待ちの女性たちが整然と大挙しておられた。宝塚のことは全くわからないが、好きな人を戸外でひたすら待つ、それだけで理屈抜きの同志愛を感じる。彼女たちは心の底から迷惑だろうが。

2022. 3. 21

☆☆☆わかったつもりを打ち砕かれる幸福☆☆☆
 そうそう、ラジオで流されたたデモVerとか仮歌Verをさんざん聴きまくって、あぁこんな感じだ、こんなもんだと思っていたところ、思ってもみなかった完成盤にぶっ飛ばされる経験。もうセルフ換骨奪胎とでも言うのか、とにかく予想外の所からガツンと撃たれる衝撃というものがある。俺は個人的に"外白イントロのフィドル&4番までありましたの衝撃"と呼んでいます。

2022. 3. 20

☆☆小田和正のシビれる言葉☆☆

 「でも時間が経つと気になる事も出て来るから
  そしたら何でも言って下さい 待ってます」

 拓郎ならずとも涙ぐみそうな言葉だ。
 
 小田和正の忘れじの言葉がもうひとつあって、日本をすくえ’94のドキュメンタリーで、タイトなリハの最中に拓郎・小田・泉谷が今後の進行を悩んでいる。すると

  小田「明日から楽になることを信じて今日やろう…やるしかねぇよ」
  拓郎「わかった」
  泉谷 (うなづく)


 これもさりげなく良いシーンだ。

 「明日から楽になることを信じて今日やろう」…わりと仕事とかでパクって使わせていただいている。座右の銘。

2022. 3. 19

☆☆☆選ばなかった未来☆☆☆
 スタートレック・ピカードのシーズン2が始まった。老ピカードは、再び冒険に駆り出される。今回は”選ばなかった未来”ということでスタトレ得意の時空ものだ。冒頭に”Time is on myside”で始まった今シーズンには、エディット・ピアフの”後悔していない(水に流して)”が繰り返し流れる。謎の暗喩か。
 昔日記に書いたが映画「ピアフ」のラストシーンで滂沱の涙にくれたナンバーだ。吉田拓郎には"後悔していない"という名作がある。それはそれ。今回は、例のフォーライフの総括の話、またKinkiに続き、ついに小田和正までもが登場し着々と完成に向うラストアルバムのブログを読んでいると、この歌が魂で深く通底しているように思えてならない。

    私は後悔しない(水に流して)

 私は何も後悔していない
 人が私にしたこと
 いいことも悪いことも みんな同じこと

 私は何も後悔していない
 つぐない 捨て去り 忘れてしまった
 過去はもうどうでもいい

 思い出に
 火を付けて燃やす
 悲しみも 喜びも
 どちらも必要ない

 恋も捨て 
 それにまつわる諸々のことも
 永遠に捨て去り
 ゼロから出発する

 私は何も後悔していない
 人が私にしたこと
 いいことも悪いこともみんな同じこと

 私は何も後悔していない
 だって私の人生は 喜びは
 今あなたとともに始まるのだから。

 というわけで超絶個人的には、スターレック・ピカードとエディットピアフと吉田拓郎が、なんの継ぎ目もなく自然に一体となっている。それでいいのだ。うーん、今日も元気にイカレている。

2022. 3. 18

☆☆☆水に流して〜Non, je ne regrette rien☆☆☆
 若い時の夢とその責任をとって社員の家族のためボロボロになって苦闘したことを、手柄話でも自慢話でもなく”自分たちのミス”と総括できる人間はなかなかいない。俺は尊敬する。
 その時にいろんな事情があったのだろうが、一生懸命引き留めてくれた盟友に今も深い思いを致すような人間もそうはいない。この人こそイイ人だなと思う。
 かといって、今もその名のもとにとどまらんとする人間の矜持にも感服する。
…もう一人のお方はどうだったのだろうか。すまん、根拠のない邪推だが、かなり早い段階で「やめときゃよかった」と思ってたんじゃないかって気がしない?

 俺のような末端のファンには、当然のことながら真相もわからないし、考えようにも人それぞれバラバラで余計わかんないが、それでも貴重なわが青春のスーベニールよ、さらばだ。
 さて今clear&presentに動いている吉田拓郎のアウトロに向おうじゃないの。
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2022. 3. 17

☆☆☆ああそれでも月は輝いて☆☆☆
 地震は驚いた。みなさまご無事でしょうか。特に東北の状況には震撼とさせられる。比べられるものではないが、こちらも2時間以上完全停電になって大騒ぎだった。こういうときのための太陽光発電も深夜では役に立たない。太陽エネルギーは地球上では急激に消耗するとはまさにこのことだ。
 信号機までも止まった闇の中で、月の灯りをこんなに頼もしく感じたことはなかった。

   ♪あてなどない旅路を照らすは月明かり
               桑田佳祐 「吉田拓郎の唄2003」

 などとしゃれている場合ではない。お見舞い申し上げますし、お互い様、用心しろよ、用心しろよ〜…じゃなくて用心しましょう。
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2022. 3. 16

☆☆☆風の街は誰もがひとり☆☆☆
 70年代後半から80年代前半に「人間はひとりなんだ」と口癖のように言う拓郎にカッコイイなぁとシビレていたが、その意味はまだよくわかっていなかった。今もわかってないかもしれないが、あの頃より少しはわかる。例えば重松清のインタビュー記事の一節を読んであらためて拓郎の魅力を思った。

 「六十三才の拓郎氏は、インタビューの場所に一人でやってきた。マネージャーもレコード会社のスタッフも連れていない。ほんの数分の遅刻だったが、わざわざ途中で「少し遅れますから」と編集部のスタッフに電話まで入れてくれた。」(すばる 2010年3月号 聞き手 重松清「ロングインタビュー吉田拓郎」より)

 さりげなく実に大切なところを切り取ってくれている。

 そうそう前回のラジオで拓郎はdétenteのころ、不本意なCMやインタビューの仕事を持って来られて辟易していたという趣旨のことを語っていた。
 先の記事にはこういう記載もあった。かつて20代のまだフリーライターだった重松がdétenteのころに初めて拓郎に雑誌のインタビューをした。その日、拓郎は数件のインタビューを立て続けにセッティングされていて、最後に重松がインタビューしたのは、なんと就職情報誌だったそうだ。拓郎は質問にちゃんと答えてくれたが、どこが疲れた様子で終始表情がゆるむことはなかった、きっとうんざりしていたんだろうと述懐している。複数のインタビューを、たてつづけにしかも音楽とは関係ない就職情報誌のインタビュー・・・そう思うと確かに拓郎が不憫に思えてくる。
 重松も、あこがれ続けた吉田拓郎とのファーストコンタクトとしては無念だったろう。しかしあこがれ続けた特別な人だからこそ、その辛そうな様子を微妙に感じ取るこができたのかもれない。

 何度でも言うけどこれは名インタビューばい。ヘアサロンで洗髪のとき、どっか痒いところありませんか?と聞かれる前に、痒い所を的確にゴシゴシしてくれる美容師みたいに、あ〜ソコ、ソコという感じだ。

2022. 3. 15

☆☆☆人生だからこそひとりになるんだね☆☆☆
 というわけで、昨日からご本人の作詞ではないものの”ひとりになれないひとりだから”〜”最後は嫌でもひとりだからぁぁ”(望みを捨てろ)がずっと頭の中でリフレインしている。
 そういえば今日は、東京ドーム記念日だ。ここで拓郎は、予想外の”望みを捨てろ”を歌ったのだった。驚いたね。わりとシャウト軽めのサラっとした歌いっぷりだったが、とにかく選曲したことそれ自体で高額ポイント獲得である。

 東京ドームといえば一昨日も書いたが、後楽園球場サントリーサウンドマーケット’83だ。結局吉田拓郎の姿を見ずに、ラッツ&スターとTHE ALFEEのスターズオン23の豪華ライブバージョンと武田鉄矢のMCだけを聴いて帰ることとなった。
 超絶すげー落雷と豪雨で、みんな一斉に客席から退避したとき、ステージ上の武田鉄矢の「みなさん待ってくださいっ!」という悲痛な叫びが耳に残っている。みんな構わず逃げた(爆)。
 あれが吉田拓郎のステージだったらどうだったろうか。落雷の中、客席に踏みとどまったろうか。これはカルネアデスの舟板案件に近い。拓郎が最初にステージから消えるという説もあるが(爆)。
 ともかく晴男拓郎のチカラをもってしても雨男こうせつを制圧できなかった黒歴史なのか。いや大阪球場の酩酊タコヤキ事件を思うとそもそも吉田拓郎は、このシリーズでは、ちゃんと歌う気が乏しくてあえて晴男のフォースを封印していたのではないか。わからん。

 ということで、東京ドームのオープニング、これも意外な選曲に驚いた”チェック・イン・ブルース”を聴きながら元気にお出かけしよう。
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2022. 3. 14

☆☆☆ひとつになれないお互いの☆☆☆
 漢字だと「個」なのか「弧」なのか。結局、吉田拓郎は、デビューからラストアルバムまで「人間はひとりだ」ということをずっと歌い続けてきた気がする。
 先回のラジオでいみじくもOriginと言ったが、拓郎には、「ひとり」=「個」は絶対に侵されてはならないし、他の個を侵すこともできない、絶対に自由なものなんだという確固たる意志が根源にあった。そして、その個が、さまざまな他者との距離をみつめる喜怒哀楽がつまるところ吉田拓郎の歌だったんではないか。時に煽情的に、時に美しく、時にさみしく、時に悲しく、でも総じて、同じくひとりぼっちの私らの個を元気で豊かなものにしてくれた。…勝手に総括してどうする。

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2022. 3. 13

☆☆☆未完☆☆☆

 選曲が神だったね。

  M-1 RONIN
  M-2 ぼくのあたらしい歌
  M-3 たえなる時に
  M-4 アウトロ

 どの曲も胸躍らせてくれたわ。

 日光東照宮の陽明門には「逆柱」といってあえて一つの柱を逆に入れてあると昔に教わった。「建物は完成と同時に崩壊が始まる」。だからあえて完璧ではない箇所を残して未完成の状態にして永遠のものにするという発想らしい。うーむ、昔の人はよく考えたものだな。

 俺は思うんだよ。神曲”RONIN”の”あがらい”は、この名作に対して入れられた逆柱みたいなものではないかと。一本の逆柱があってもこの素晴らしい名曲は微塵もゆるがない。未完成ゆえにかえってこの歌は永遠に生き続ける。

 同じように、”アウトロ”。拓郎なら相当なクオリティに仕上げてくるに違いない。しかし、これほどの曲なら、拓郎自身が言うように迫真のライブで、生バンドのグルーヴで聴きたいと思わずにいられない。それも逆柱と思おう。永遠の未完成だ。そこにこそ遥かなる希望があるように勝手ながら思う。

2022. 3. 12

オールナイトニッポンゴールド  第24回 2022.3.11
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 吉田拓郎です。毎週週替わりの金曜日今夜は吉田拓郎がお送りします。

<ラストアルバムの拓郎さんとスタッフのブログが楽しみという投書>
 エイベックスのサイトがリニューアル。ラストアルバムの制作の様子についてのスタッフや僕の日記がある。ほぼ2,3日に一回書き込みをしている。画像ものっけているので最新画像もアップしている。こうしてみると外観、風貌は変わっていない。でも顔がアップになると、これはイカンわとなる。例によって、すぐ削除するので早めに観てほしい。

<サイトで”ひとりgoto”の剛くんの様子を知ったり、”together”という曲も楽しみという投書のつづき>
 スタッフが”大阪弁”と書いたことでkinkikファンは気が付いたらしい。”together”は最後に出来た曲。”やせっぽちのブルース”のような進行で、♪たくろうチャン(実演)、かつて遠藤賢司がハーモニカを吹いてくれて二人で演奏した”たくろうチャン”を作り直してみた。歌詞の中に、Kinki、小田和正、シノハラ、奈緒が実名で登場する。今の僕の数少ない・・・ダチはもういないし、いらないから、近しい人たちが出てくる。すげー楽しいから。たくろうちゃんが50年間も地球に長く居続けたつづけた。シノハラ、奈緒らは、争いのない国で幸せに暮らしいている。じゃあ帰らなきゃということで、小田とkinkiを連れて帰る。鳥山たちのすげーいい演奏が楽しい。

<剛くんのインスタにスタジオの様子があったという投書のつづき>
剛くんのアレンジがあり、僕は安全を期してリモートで参加して、剛とは電話で話した。剛に”きよしこの夜”が最初だったけれど、今になってなんであの曲だったと思うと話すと、剛は、今こうして拓郎さんの曲をアレンジするとは想像していないと言っていた。時は流れて、泣きたくなるような気持ちいい時の流れ。ミックスダウンではスタジオで会いたい。
 そろそろジャケットの撮影だ。そこには光一くんが来て 目の前でタイトルを書いてくれる。今月はKinkikの二人に会える。ソーシャルディスタンスでハグはできないけど気持ちだけハグしたい。
 今夜もあとでノリノリの一曲を用意している立ち上がって踊るスペースを。

■今夜も自由気ままにお送りします、吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

<3月11日震災から11年、拓郎さんのチャリティ放送を覚えている、春を待つ手紙を歌ってくれたという投書>
 “春を待つ手紙”を弾き語りで初めて歌った。あれから11年、忘れられない怖い、 辛い、厳しい体験だった。
 僕は坂崎とラジオのレギュラー番組でみんなとハワイに行くことになっていた。3.11はまさに成田に出かける直前で、2時すぎだったかな、妻はメイクをしていた時に突然揺れが始まった。僕らは、大声を出して、佳代テーブルの下に入ろう、拓郎怖いと叫びながら収まるのを待った。ハワイの旅行会社の人から連絡があって、今タクシーの車内だけど道路は麻痺しているので、拓郎さん自宅を出ないでくださいと連絡があった。その夜も眠れなかった。あのときはガラ携だったかな、緊急速報が夜中じゅう鳴りつづけていて、二人で落ち着こうと励まし合った。
 ハワイではバウ・リニューアルを同行のファンのみんなにも立ち会ってもらって、大好きなハレクラニでやろうと思っていたのが全部なしになった。
 ハワイのことよりも原発の存在とかが心に焼き付けられた。人類は危険と暮らしながら平和というバランスをとっているのだと思い知らされた。

 ここで黙祷しましょう。<黙祷>

<新曲のデモにウルウルした、歌詞の一言一句がに刺さった、拓郎さんについてきたことは間違いでなかった、新曲を生で聴けないのが残念、それでも半歩ずつという言葉がファんとしてのネックとなってくれた言葉だという投書>
 アルバムは完成に近づいている。ボイトレもやって、あがりは早い。これでミックスダウンすると、それで終わり。するともう発売日が決められる。あまりしゃべるなと(笑)スタッフの竹林君とかから言うなと言われている。だから来月の放送で発売日を発表したい。竹林君がいいと言ったから。
 よく頑張ったよ、こんな状況でアルバムをよく完成した、やれるベストを尽くした胸を張って言える。いいんですよ、本当にいいアルバム、いい詞、いいメロディ、いいボーカル、いいアレンジ、よくこんなクオリティのものが出来た。こういう社会状況なのに。いや今だからできたのかもしれない。

<北京オリンピック観ましたか、紀平さん残念でしたがという投書>
 全部観たよ。スポーツはリアルで心を打つ。確かに紀平梨花ちゃんは残念でしたね。2019年にサインをいただいた。武部がアイスショーの音楽を担当していたんで、サインを頼んだ。武部からサインを受け取って、どうだった?と聴いたら「全然ご存じなかったです」(笑)。まだ十代だもんね。紀平さんは出ないとわかっていたけど、ある選手にクギ付け(笑)。ウチはそう。サッカーは田中碧と三苫薫に夢中。
 僕の場合は、高木美帆選手。あの真摯な姿勢が伝わってきた。大谷選手じゃないけど、もともと彼女は長距離だと思っていたけど長距離、短距離、パシュートと二刀流ならぬ四、五刀流で、凄いな〜素敵でした。滑っている氷上のフォームがキレイ。本当のドラマがある。やっぱりスポーツ観戦はいいな。
 今の時代エンタメはやりにくいだろうけど、スポーツには感動した。

 争いごとはいけない。みんな武器を捨ててほしい。我々は、愛こそ目指すべきものだと思う。そういうメッセージの歌。映画RONINで高杉晋作を演じながら、高杉晋作くんは、こうつぶやいていたんじゃないかと思った。武器は捨てて、愛を目指そう、そう考えていたんではないか、そう感じてこの曲を書いた。
 歌詞で「あがらい」というところに、後でそれは間違い「あらがい」という指摘をされた。僕の間違いで大事件となったこともある。大いなる失敗もあった。でもこれを今聴いてほしい。混乱した時代にこそ聴いてもらいたい。

M-1   RONIN       吉田拓郎

(CM)

<ラストアルバムのタイトルが気になって佳代さんのシーン確認した、面白い、その後”監獄のお姫様””池袋ウエストゲートパーク”などドラマを見続けている、ご家庭でも佳代さんはトボケて明るくしっかりしているけど守ってあげたくなるような方なのでしょうかという投書>
  (ドラマを観続けているのは)俺と一緒だ。守ってもらいたいのは僕の方なの。トボケて・・・でなく、「わかっていない」。素のままというか。
 結婚前にお宅にお邪魔した時、彼女は風邪気味で具合が悪かったので、お義母さんに風邪の薬とかありますかと尋ねた。えーと正露丸だけはあるとお答えになり、常備薬とかないのかと思った。このお義母さんも娘に輪をかけてユニークな方で、血は争えない。
妻は、とても完璧主義なようでメチャクチャ適当だったりするところもある。細かく気にしながら、ええーというくらい適当なところがある。いい加減なやつ…♪ええ加減なヤツじゃけ〜があたっている。
 全くしっかりしていないです。毎日、「あーどうしよう」「あーわかんない」で一日が過ぎていく(笑)しっかりなんかしていない
 コロナ禍で自宅でいるし会話が多い。子どもや学生時代の話になる。もし二人が同級生で同じクラス、同じ学年で俺がアナタのことを好きになったら、アナタは僕のことをどう思ったかという話をしたら、俺は佳代が嫌いなタイプの男の子だったと気が付いた(笑)。
僕は写真部、軽音楽同好会とか文化系のやわいクラブで、朗らかで明るい、それでいてモテない。成績も優勝なわけではなく中の上くらいで、特徴がない。いわゆるシブい男、バスケットとかサッカーとかやっていて男らしかったり、ニヒルな感じではない。俺は一番嫌いなタイプ。彼女にとっては、あっち行けというタイプだった。そういうタイプの男と結婚してしまうという運命。一寸先は闇とは言えないか。
 このメールを読んであげたら彼女は一言「遅い」。”マンハッタン・ラブストーリー”を観るようにと言っていた。このドラマの中で最近僕がハマっている人がいる。佳代はテレビの連ドラの脚本家で千倉真紀さんという役で高慢でピッタリ。喫茶店のマスターが当時のTOKIOの松岡くん、タクシーの運転手が小泉今日子、テレビ局の振付師のダンサーに及川光博、松尾スズキ、酒井若菜、船越栄一郎が船越栄一郎の役で出ていたり・・・  
 この中の振付師のダンサーの及川光博、もともとそんなに好きじゃないんだけど、LOVE2にも出たことがあって、光一と二人王子になって、王子は光一で十分と思った。最近観ていてこの人にハマって、別所さん、ベッシーっていうんだけど、恋と恋愛に勝手なうぬぼれキャラが凄く良くて、及川くんの大ファンになった。
 いうことで”マンハッタン・ラブストーリー”がお薦めです。

<田舎町で喫茶店を経営している、なかなかお客さんも来なくなっている、憩いの場としての喫茶店をどう思うかという投書>
 コーヒーを嗜めない。そこが僕の足りないとこだった。あまり喫茶店に行ったことがない。デートでも映画館に行って、そのあとお酒のバー、そこから一直線で広島だと川べりの(笑)
 喫茶店ではいつもオレンジジュースで浮いていた。あの香りは好きだけど、飲めというと苦い、コーヒー味のアイスとかは、好き。でもコーヒーの味はわからなかった。さっきの松岡くんはコーヒーのバリスタの役だったけれど。
 2020年の4月に番組は始まってそろそろ長いなというのもある。その間、自宅で録音して一度もスタジオに足を運んでない。自宅でアップしてきた。富山さんとそろそろいい時期ではないかという話をした。
 アルバムも完成したし、やるべきこともやったので3月でエンドと考えられる。冨山さんは、拓郎さんはいつもイマジンスタジオの収録が終わってビールを飲んでいた下の”綴のおねえさんが泣いてしまうかもしれませんよ。ビールタイムは復活させましょうと言った。「綴」では神田共立講堂のあとの打ち上げもやった。魚の干物(小味のカリカリ揚げ)も好きだ。それなら続けようということになった(笑)。但し、いつまでもということは絶対ありません。しばらくは、今年いっぱいくらいはやろうかなという感じだ。

 次の曲は珍しい。かつてコーラスチームとレコーディングした。こいつらがいいやつらだった。名古屋ライブは宝物だ。プロモーションビデオだったか、レコードにされていない。康珍化の詞なんだけど、2コーラス目がやっぱゆるいな。CDにするほどじゃなかったか。可愛いいい曲だけど、フルコーラスで流したい。なに可愛いこと言ってんのということでちょっと楽しい歌。

M-2   ぼくのあたらしい歌      吉田拓郎

 今月は懐かしい男達のことを話す。南こうせつ、この男のことを話すことはほぼない。つま恋も事務所も一緒で同時代を生きたけれどあんまりウマがあわない(笑)。喜多條忠にはおまえのかぐや姫に書く詞はダメだと言ったことがある。
こうせつは雨男、イベントでは必ず雨とか嵐が来る。アウトドアではこうせつは呼ばないという言い伝えもあった。九州の福岡でサマーピクニックに一度だけ出演したことがあった。行きたくったけど義理もあったので一度くらいということで。
 前の晩まで大雨だった。主催者のビーのサブは中止も考えていた。こうせつだと雨でたたられる。ところが吉田拓郎は晴男。僕が参加すると晴れてしまう。こうせつとは合わないはずだ(笑)。
サマピで現地にはいった瞬間、天気回復。そこでサッサと歌って、僕は中州のために来たんで北島サブとともに中州の町に消えてゆく、そして朝まで飲んだ。スタッフたちがつくづく、こうせつは雨男、拓郎は晴男なんですね、と言っていた。つま恋も拓郎がいたため 75年も2006年も晴れた。2006年以来つき合いも音沙汰もないが。

□11時
佳代) 11時です もう寝まーす  おやすみなさい  もう起きてらんない
拓郎)もう寝るのか

 泉谷しげるの思い出。70年代に一緒のエレック・レコードにいた。エレックのミュージシャンだけのコンサートとかがあった。古井戸、ケメ・・・海援隊はもう一緒じゃなかったな。エレックがデビューするのを応援するそういうコンサートだった。
 で僕は、ステージの袖で泉谷という男のステージを観ていた。そしたら突然客席に「てめーら、客だと思ってえらそうにすんじゃねぇ」「金払っているからって大きな顔すんじゃない」と怒鳴り始めた。新人だよ。三波春夫のお客様は神様です・・・これが定着していた時代。こういう一撃。吠えているなと思った。気持ちよかったなこのアジ。

 結局泉谷とはフォーライフを一緒に作ることになるんだけど、泉谷も僕も似たようなハートを持っていた。井上と小室とは、エレック組とは合わなかった。それをわかってなかった。若さゆえに気づかなかったんだけど、気が合わなかったんだ。それが分かんなくなっていた。それでフォーライフを作っちゃった。

 小室とはつきあっていないし音沙汰もないし、井上ともつきあいがない。もともと気が合わない。このテレビドキュメントのスタッフもよく知っている。インタビューも断った。

 あのつま恋とフォーライフは関係ないじゃないか。つま恋は関係ない。俺と雨男のこうせつとでやったこと。たまたま同じ時期に、俺だけが両方に出ていただけ。
 あの番組はひとことでいえば「大いなる勘違い」ということ。若者の勘違い。だから  インタビューなんて受けるんじゃない。相変わらず空気わかってないな。

 あれを美化するのは間違い。あれは若気の至り。あれはいかん。あのことであそこに参加した若い社員と家族たちが一番つらい思いしているんだから。その反省もできないのにインタビューなんかに答えるなよ。泉谷は、てっとりばやくその責任をとったのよ。
脱退はショックだった、俺が一番ショックだった。これから俺が社長になって立て直すから今はやめるなよと泉谷には言った。ただ泉谷は、拓郎はダチだから拓郎が社長になったら付き合いにくいということだった。あいつの気持ちはわかる。さすがに状況が状況がだったし建て直さなくては、これから改革をやらなくてはならないから、それしか会社を残す道はない。涙を呑んで送った。胸が痛んだ・・・のは俺だけかもしれない。
 無理な見切り発車だった。ていねいなビジョンとかもないのに行き当たりばったりで始めてしまった。無理だよ。

 川村ゆうこ、原田真二とデビューしたが、こうやってミュージシャンが増えてゆくのが夢だったはずだ。誰も後輩を育てようということもなかった。例えば原田真二、川村ゆうこのレコーディングも誰も身に来ないんだ。夢のような話に酔っぱらっている。会社の社員を思ってなんておかしい。なんにもできないくせに。企画、アイデア、芸能界のこともわからんままで風呂敷ばかり大きくなった。フォークはOKみたいな。それでは会社なんてできないし、誰もついてこない。誰も先輩としてついてこない。音楽は伝承されるもんだから、そこを若い人が見習ってくれないと。若気の至り、俺達のミスそれらを率先して美化しちゃいかん。
 2年目から社長になって、全国行脚してレコード店のおやじたちから在庫のことで 怒られて頭を下げて、疲れて帰ってきてヤケ酒飲んで六本木で鬱晴らしをした。そんなときでも若い社員のやつらが拓郎さんお疲れ様でしたとサポートをしてくれた。
 会社としての存在だけを考えていろんなことをやった。良かったか悪かったかは誰かが判断することで俺達が決めることではない。それを誰もわかっていない。こんなのアリか。番組のメールでいったように無駄な疲れ、俺はCBSソニーに居た方がよかった、とてもよくしてくれた。そんな俺を引っ張りこんだ人がいたじゃないか。なんだったんだろう。結局、泉谷が一番正しかった。70年代は、先が見えないけどDon’t trust over30ということでオトナが作ったものをぶっ壊せということでもみんなが舞い上がっている独特の風が吹いている時代で、若者の発言は刺激的で刺激を求めていた。70年代後半は元気もなくなり、社会にとけこんでものわかりいいオトナになっていた。それが時代であり、時の流れであったりする。

(CM)

 泉谷とは、その後、雲仙普賢岳のチャリティや日本を救えのスーパーバンドもやったりした。同じ釜の飯を食べた仲。

 ユニークな人としては高田渡。彼は、ステージで寝ていた。呆れた。ステージで寝ちゃう人って客を何だと思っているんだ。前代未聞だった。この人とは正反対だったけど  意外と気があう。高田渡、遠藤賢司でデパートの屋上でよく歌った。丸井とかのコンサートがよくあった。あいつが俺にバーボンを教えてくれた。小斎(こさい)=加川良、キヨシローとかもいたけど、みんなさっさとあっちに行ってしまったな。

 酒が日常だったころのエピソード。行きつけの札幌のバーがあって、バーのママを”オババ“と呼んでいたけどスケールも身体も大きい人だった。バンドやスタッフは彼女の洗礼を受けることになっていた。新しいスタッフが入ると、そこのバーに連れていかれ口紅の洗礼で顔中キスされる。
 駒沢裕城というギタリストがいて、松任谷正隆がバンドリーダーだったときスチールギターの音があった方がいいということでバンドに加えた。真面目な好青年で、移動の車中も読書をしていた。
 その駒沢君にある日オババが抱き着いて顔中にキッスの雨。呆然として目がうつろでつくり笑顔で動揺していた。
 次のコンサートは九州で、全員でグリーン車で、駒沢くんは読書せずにみんなに話かけてくる。「駒子うるせーな」と言われていたが、僕にも話しかけてきて、「拓郎さん今夜はどんなことろで飲む予定なんてすか?」と尋ねてきた。怖いなと同時に楽しみも入ってきているようだった。駒沢君は、ついに毒の回った人間になって、大いに遊んで普通のミュージシャンになった(笑)。

 次の曲はライブで、ドラムの鎌田夫妻のバンドだと思う。キーボードが印象的なので、アルバム “デタント”の時だ。事務所のマネジメントのUくんと折り合いが悪くて、事務所の解散とか、新しいマネジメント模索中とかの問題があったころ、ツアーチケットの販売とかアルバム発売のレコードの出し方に不満があった。なんでこんなCMに出るんだ、こんな取材をいれるのかと思っていてあわなかった。エッセイ集でも出したいので出版社にあたってくれと言ったら、あとでなかなか乗り気の出版社がありませんということだった。後に、直接知り合いの出版社の人間に尋ねたらそんな話は聞いていない、拓郎さんのエッセイだったらすぐ乗るよという話で驚いた。がーん。アイツは俺に演技していたのかなと思った。限界だな。彼と別れてから、kinkikidsと出会ったり、そこから運命的なものが変わっていた。今はすべていい想い出だな。

M-3    たえなる時に     吉田拓郎   (ライブ)

(CM)

 人間は関係ない他人の井戸端にのめり込んでいく癖がある。大切なこと例えば自分のファミリーのこと、知り合い、友人のこと、自分にとっていきさつがある場合、それは放っておけない。そうじゃなくてなんの関係もない人のことにわざわざ突っ込んでゆく。ネットの世界では多い。多すぎてウザイな。ネットの功罪。見ず知らずの者が昔からの知り合いように、素晴らしいことだけど、なんでもかんでも共有しよう、すぐ、つながっちゃおうよ、という感じがある。僕は、基本的に自分が「個」がオリジンていうか、あまり得意でなかった。新作の"Contrast"という歌のとおりそういう子どもだった。個人的な不満とか気分も自分の中だけで処理するのが自分らしい生き方だった。
 もっと人間は「個」でありオリジナル=自分、もっと自分らしさ、自分の道、自分しかできない、これが自分の道ではないか。それは他人と一緒ではないが、これが自分の道なんだ。そういうオリジナル。そういう気持ちで人間は『個』として立ったり歩いたり進んでいったりすべきだ。そういう歌を作った。
 「ついて来な」というタイトルだったけど、そういうのもどうかと思って、自分のしめくくりとしてこれが僕のエンディングなんだ。
 前奏をイントロといい、後奏をアウトロという。アウトロダクションという言葉は正式ではないかもしれないが、僕等は業界ではイントロに対してエンディングをそう呼ぶ。

 僕はアウトロを生きているということで、そこにメッセージをこめよう、自分で立って自分で半歩でも進もうというメッセージだ。自分らしく話す、生きる、愛する、育む、そしていつかは消えるというのを自分らしく目指そうよという歌。アレンジのドラムも何パターンか変えたし、ギターのフレーズも替える。未完成で制作中。もしこれをライブでやれたらシャウトし客席をあおりまくっていただろうな、ボイトレしながら思った。乗っちゃうんだよ。最後は”人間なんて”みたいにいっちゃえと思った。吉田拓郎のアウトロを飾る曲。5分弱の力作です。デモバージョンですが聴いてください。

M-4    アウトロ      吉田拓郎

■エンディング
  最近の吉田家、夫婦の意見の相違。深夜にトイレ行ったり、本読んだり、音楽を聴いたり、気兼ねなくゴソゴソできるように、またイビキも時々かいているらしいので、僕はベッドルームを出て、仕事場にベッドを置いた。トイレに立った時とか、起きてるかな、と思って、夜中にベッドルーム開けちゃおうかなと思う時があるが、もし寝ていたら叱られるので開けない。時々どうしているかわかりたいな、寝ている寝室にのぞき窓をつけないか、それだとお互いに深夜に様子が無事かどうかわかる。
 何バカなこと言ってんの、寝ているところ覗かれたくないわよとケンモホロロに言われてしまった。

 次回は4月8日。
 最後の曲

M-5   Somethin' Stupid  フランク・シナトラ&ナンシー・シナトラ

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆ラジオが続くことに。良かった。まさか「綴」がつないでくれるとは。拓郎、それは「小鯵のカリカリ揚げ」だ。確かにあれは美味いです。

☆黙祷。

☆今このときに"RONIN"を持ってきてくれことが心の底から嬉しい。魂の名作、詞のミスなど毫も影響しない。

☆ぼくのあたらしい歌…確かに詞は恥ずかしいけれど、このメロディーは凄くいいよね。心ウキウキして気持ちがいい。自然に身体が揺れてくる。70歳でこのメロディーが出てきたことが俺は嬉しかった。

☆サマーピクニックは1987年と1990年と2回出ているよな。それにしても確か第一回サマーピクニックの熊本での荒天はニュースにもなったくらい凄かった記憶がある。しかしそこまでの雨男でありながら、毎年毎年15回以上もサマーピクニックを野外で実行しつづけた南こうせつはやっぱり凄いなと尊敬する。てか晴男なら拓郎がやればよかったじゃないか(爆)。これがもし"吉田拓郎のサマーピクニック"で毎年野外でやっていたら、それはファンは悶絶至福だったぞ。

☆そういえば2006年も台風直撃の予報だったんだよな。まさしく雨男と晴男のせめぎ合いだったのだ。

☆そうするとどうしても思う。1983年の後楽園球場のサントリーサウンドマーケットはどうだったのだ。晴男が唯一雨男に負けた黒歴史なのか。いやあれは武田鉄矢がいけなかったのではないか。わからん。

☆「気がついたら春は」は岡本おさみではなく自作の詞なのに「コーヒーのうまい店で待っていてくれないか」とあるのはなぜだろうか。もっともファーストアルバムの最初からいきなり喫茶店でコーヒーを注文してるんだよな。以前11時の時報とともに拓郎が坂崎とコーヒーを無理して飲むという番組があったな(爆)。あれも不思議だった。

☆フォーライフあのドキュメントは既に書いたように感動的だった。しかし、当然のことながら吉田拓郎が現実に生きたフォーライフという証言も観点もなかった。あのテレビの最後のメールの言葉をていねいに敷衍するように拓郎は実に率直に語ってくれた。泉谷への魂のアンサーのようにも聞こえた。高橋真梨子を獲得しようと奔走していた話を聞いたばかりだし、原田真二の全力プロデュースも、新人発掘に奮闘する姿も観ていたので拓郎のフォーライフへの夢は切実に伝わってきた。そして「普通の会社」として成り立たせるというために味わった苦渋のようなものもあらためて辛かった。
 拓郎は、つとめて冷静な口調だったが、それでもたぎる思いは伝わり、怒り出すんじゃないかと怖かった。この拓郎の視点をもしっかりと組み込んだドキュメンタリーがあらためて観たい。そりゃあ世間の大半の人はフォーライフの顛末なんてそれこそ井戸端会議だろう。でも拓郎ファンにとっては、他人事とは言い切れず、むしろ自分たちの青春もかかわる大切な「いきさつ」だ。それはできれば知りたい。わかりたい。そして知るほどに、それがいかに拓郎にとって無駄な時間であろうと、やらなきゃよかったことであろうと、自分の夢と社員の家族のためにあえてそういう枷をひとりで背負った吉田拓郎の魅力はファンには響くのだ。

☆Uさんの話は個人的にはショックだった。でも、あの頃の拓郎周辺の重苦しい空気というのもあった気がする。クラブ25の時の拓郎はたしかに「個」というか「孤」だった。そういう事情もあったのかとあらためてわからないなりにそう思った。しかしUさんはファンなりに親しみを感じていた拓郎のスタッフのひとりだ。そういったいきさつ的意味ではファンも井戸端会議ではいられない。もちろん仕事である以上、離合集散はつきものだし怨憎会苦は拓郎さんのものであり、俺なんぞは立ち入れるはずもない。でもだからこそせめてUさんの魅力的だったところも含めて全部抱きしめるように語っておくれよ。と思う。

☆"アウトロ"を聴く。これか。来たぞ。"人間なんて"と本人が言うから、言うけど、聴きながら「もっと、もっとだ〜、もっと来ぉ〜い」と叫びたくなった。これは地響きのようなドラムや鳴り響くギターやキーボードに支えられたシャウトこそがふさわしい。もっともっと打ちのめしておくれ。それがこの歌の持つ威容だ。もちろん誰よりご無念なのはわかるよ。完成品を楽しみに、私待つわ、いつまでも待つわ。

☆☆☆星紀行、今日の学び☆☆☆
 フォーライフのこと、小室さんのこと、泉谷のこと、そしてUさんのこと。拓郎はその時々に饒舌に話しているイメージがあったが、大事なことはひとりで抱えて黙り込んできたんだな。話せることは残されたラジオで話してほしい。骨は私が拾う。拾うなと言われても愛をこめて拾う。

2022. 3. 11

☆☆☆いつも何度でも春を待つ手紙つづき☆☆☆
 存じていた方々、存じない方々、有縁無縁のすべての皆様のご冥福をお祈りします。釜石市唐丹町に建立された津波記憶石に刻まれた言葉を教えていただいた。
  「100回逃げて、100回来なくても、101回目も必ず逃げて」
 中学生の言葉らしい。胸に刻む。たとえ過去に何回来なくても生きるってことはこの101回目が全てだ。…この道にも通じる。すまん不謹慎か。いや、きっとすべてに通じている。

2022. 3. 10

☆☆☆いつも何度でも春を待つ手紙☆☆☆
 11年前の今日は週末に迫った吉田拓郎のハワイツアーにウキウキと浮かれていたときだった。翌日は前代未聞の急転直下の事態となったが、東京で無事に暮らせていた俺が大変だったなどとは言えたものではない。それでも放射線量を毎日チェックしてこの国はどうなってしまうんだろうと脅えていた。

 そんなとき拓郎ファンのねーさんから教えてもらったYoutube。NHKの「視点・論点 (2008年8月6日)」の録画とのこと。広島の原爆の日、ウクライナ出身の歌手のナターシャ・グジーさんがチェルノブイリ原発事故の体験を語り、生命の大切さを語りかけて『いつも何度でも』を歌った。これがもう胸に刺さって刺さって涙ぐみながら繰り返し聴いた。

 同じころに自粛で真っ暗なお茶の水の街のとあるライブハウスでエルトン永田さんがピアノを鳴らすように弾いてくれた「時代」。

 そしてラジオではこの悲惨な状態に「とても歌う気にならない」と言っていた拓郎も、4月になるとラジオの公開録音で初めて生で”春を待つ手紙”を歌ってくれた。わが心の家宝である。

 この三つの音楽がしっかりと自分の中では拠りあっている。

 それから10年経って現在ウクライナも原発もまたあらためて危殆に瀕している。なんてこったい。「いつも何度でも」のココが何度も脳内に流れる。最近は毎日これだ。

     繰り返すあやまちの そのたび人は
     ただ青い空の青さを知る
     果てしなく 道は続いて見えるけれど
     この両手は光を抱ける

 

2022. 3. 9

☆☆☆祭りのまえ☆☆☆
 アルバムの進捗をラジオで垣間見せてもいながら完成を待つ至福。そういう至福が昔もあったし今もこうしてある。よく考えるとありがたいことだ。これが最後じゃないか。
 至福というとなんか上品でもの静かだが、気分的には、思いが募って黙ってらんなくなった拓郎の魂と、超絶聴きてぇというファンの悶絶が、もんどり打ちながら絡み合って怒涛のように暴れまわるだんじり祭りのような状態だ。今がその時ためらわないで、今がその時もう戻れない。

2022. 3. 8

☆☆☆波がひいてゆく別れの時だ☆☆☆
 おお快調ですか。3曲ですか。
 泉谷とのtrue storyも知りたい。

 俳優で声優の井上倫宏さんの訃報。まだお若かったのに。ご冥福をお祈りします。俺にはどうしたってドラマERのマーク・グリーン先生だ。グリーン先生が亡くなる第8シーズンまで熱くなって観たものだ。グリーン先生の最後の回のDVDを引っ張り出して観直した。最終回のタイトルは”On the beach”〜”渚にて”だ。先生はハワイで亡くなる。拓郎でおなじみのモアナサーフライダーホテルのバニアンバーが映る。
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 ハワイツアーが流れたのはちょうど11年前の今頃だった。
 ハワイ行きてぇなぁ。そしてそれ以上に拓郎に行って欲しいなぁ。

2022. 3. 7

☆☆☆声のセクシーな男って好き☆☆☆
 予定通りなら今日からボーカル入れである。どうなんだろうか。朗報待ってます。ところでKinkiのビールのCMがいい。二人の空気感がとてもいい。「拓郎さんでも呼ぶ?」とか言い出してもおかしくない。てかお願いだから言い出して。

2022. 3. 6

☆☆☆悲しみも消えない☆☆☆
 今更だけど若いころの後藤由多加ってハンサムだよね。それにしても原田真二、Kinkikids…「吉田拓郎の音楽人生のピンチには必ず美少年が現れる」という法則があるんでないかい。たぶんある。

 知人のドイツ在住のプロバレリーナ。当然にロシア、ウクライナに先生、関係者がたくさんいる。ウクライナに帰れずポーランドから入るという知人の手伝いのために深夜出かけたらしい。家族には『戦争が始まっちゃったから』と書いてきたという。その淡々としたニュアンスに慄然とする。戦争が海の向こうではなく隣近所に受け入れるべき事実としてやってきている。子どものころつま恋で全抱きを踊っていた頃から知っている彼女に言われると、こんな世の中にしたというか、何にもしなかったというか、オトナの責任を突き付けられているような気もする。
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 そうだね、悲しすぎるよ。とにかく皆さんご無事で気をつけて。

2022. 3. 5

☆☆☆カッコわるいことはなんてカッコいいんだろう☆☆☆
 フォーライフとともに失速し、なんかカッコ悪かった社長吉田拓郎。アナザーストーリーズの番組では映らなかったけど、週刊平凡77年12月8日号で一番悲しかったのはこの写真。前にも載せたかな。流しの営業か。
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 ↑この写真を観てるとマイクもってデュエットしている男女を思わずハリセンで叩きたくなりませんか?誰に伴奏させとんねん!

 しかし時間が経つにつれてこの時の拓郎の苦闘が身に染みるようにわかってくる。
  会社ゴッコと蔑まれたこと
  それでも会社再建に苦闘し、電卓を叩きながら従業員の給与査定に悩んだこと
  苦渋の末、人員整理までしなくてはならなかったこと
  時にレコード小売店のおやぢと喧嘩したこと
  不祥事を起こしたアーティストのために嘆願書をあつめ単身警察に乗り込んだこと。
  最近の話では高橋真梨子を迎える構想に人知れず奔走していたこと

 カッコ悪く見えた時代のエピソードを知るたびに拓郎に対して深まる敬意と誇らしさ。

 俺の周囲ではオワコンだったフォーライフに突然思いきりいい風が吹いたのは「原田真二」のデビュー時だった。こんときゃ教室の女子のほとんどが彼に魂を奪われ嵐のような大騒ぎだったな。毎月1枚のシングルリリースというオドロキの戦略でしかも全部ベストテン入りの快挙。社長兼プロデューサー吉田拓郎の名前もそこに燦然と輝いた。今でいうシン・フォーライフの始まりだった。

 他方で社長業に忙殺されながらアーティスト吉田拓郎がいかに音楽としっかり結ばれていたかはここに詳しい>自分で言うんじゃねぇよhttp://tylife.jp/sideways.html#NINENKAN
 79年の篠島の復活が75年からの長い長い失速の中でいかに劇的なものだったか。どうだカッコ悪くても、いいや、カッコ悪いからこそ超絶カッコイイじゃないか吉田拓郎。

 …ということで華も嵐もフォーライフも踏み越えて、いよいよ来週やってくるという"アウトロ"。揺れる準備はできている。どっからでもかかってきやがれ。

2022. 3. 4

☆☆☆かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう☆☆☆
 「いい風はどこにも吹いてなかった」と小室等は静かに語った。涙。♪華やかなりし時はそう永くは続かない@桑田佳祐。
 “フォーライフ”そしてご一体の”吉田拓郎”も、75年9月ごろからゆっくりと失速を始めた。俺にすれば熱烈なファンになったとたんに失速を始め、しかもその期間がかなり長く続いて切なかった。バブル崩壊の後に生まれた若者ってこんな感じなのかと今になって思う(爆)

 失速のマイルストーンのひとつ、1977年に泉谷がフォーライフを脱退した時はやるせなくショックだった。厳密には泉谷がいなくなったショックじゃない。脱退の真相など知る由もなかったが、あのとき拓郎ファンの俺ですら「正義は泉谷の方にあり」って直感がした。たぶん世間のおおかたもそういうイメージだったと思う。
 泉谷がいなくなったことそれ自体より、拓郎がカッコ悪くなってしまったことへのショックだ。自由に音楽がやりたいって外に飛び出す。それって吉田拓郎の専売特許だろ。それを泉谷にキメられて拓郎は反対に取り残される側になってしまった。♪恋の終りはいつもいつも立ち去るものだけが美しい、残されて戸惑う者たちは…@中島みゆき。

 アナザーストーリーズでもフォーライフを若者による音楽革命の旗手と評していたけれど、77年当時、俺の高校の教室では、フォーライフも吉田拓郎も立派なオワコンだった。教室にはアリスとかさだまさしとかチャーとかクイーンとかが飛び交っていて、吉田拓郎なんぞは古くてダサいものの象徴だった。ダサいものを聴いているダサい人と俺もいぢめられたものだ。

 それでもなぜファンを辞めなかったんだろう?
 「答えは風のなか」…それは重松清の新作だ。俺の場合は答えはある。次のうちどれか。

@3年間ファンをやってレコードも本も買いこんだので今更やめたらもったいなかった

A拓郎を聴きこんだので抗体が出来てそれ以外の音楽を異物と排除する身体になっていた

B失速しようがカッコ悪かろうが、この世にこれ以上すばらしい音楽がなかった

Cニューミュージックだろうが若手だろうが彼より美しいルックスの歌手がいなかった

D失速したりカッコ悪かったりするところがまた一段とたまらなくカッコよかった


 答えは当然全部だ。特にD。一見、失速し低迷し時にカッコ悪く見えるところにこそ真実の魅力が光る。そこだよ。そこなんだよ。今夜のテーマ。たぶんつづく。

2022. 3. 3

☆☆俺とおんなじあの星見つめて☆☆☆
 アナザーストーリーズ…この番組は個人的には結構あとを引きそうだ。
 最後の泉谷の拓郎への言葉には泣かされた。拓郎は別の番組で「フォーライフ脱退のときの泉谷の気持ちはただひとつ”ミュージシャンたれ”だった」と述懐していた。訣別という場なれども二人の心ははガッツリ通底していた。
 一緒にテレビを観ていた家人が「泉谷しげると吉田拓郎って喧嘩してて仲悪かったんだよね」と不思議そうに言った。絶縁しているとかいないとか、仲が良いとか悪いとか、そんなことはどっちでも同じこと。そんな”へ”のようなことに関係なく魂のレベルで共振する、そういう人間と人間の関係というものがこの世にあるのだとあらためて教えて貰った。

 最後に流れた”マキシーのために”が頭から離れねぇよ。
  ♪青山にでっかいビルを建てて
   おかしな連中集めて
   自由な自由な〜お城を作ろうと

 たまらん。

 また明日。
 明日は「哲哉も圭もかなわない最強小室王は小室等だ!!」をお送りします>しねぇよ

2022. 3. 2

☆☆☆アナザーストーリー・アナザーワールド☆☆☆
 ああ泉谷よ、あんまり俺を泣かせないでくれ。最後の泉谷に潸然として涙下りて観終わった。いい番組だった。

 すべてがあまりにカッコよく、あまりに切なく、そしてやはりあまりに誇らしい。フォーライフと同時代を過ごせたことを感謝したい。中学生だったあの日フォーライフフェアで拓郎と会えなくて文句を垂れたが、泉谷と一緒にフォーライフの映画を観て、小室さんに握手してもらえて本当に幸せだった。

 1975年のつま恋を制作した方々も、あそこに参加された方々もあらためてすげーな。もう大挙してピラミッドを作りあげたエジプトの人々と変わらない歴史的営為ですばい。羨ましい限りだけれど、今にして思えば、あの6万人の方々は誰もが運命的に"招かれた人々"なんだよな。
 とにかく茶畑のウンコを拾い続けたた木下さん、「俺が若者を応援しなかったら笑われる」と県知事を説得してくれた川上源一さん、野宿の若者たちを本堂に泊めて握り飯をふるまった聖職者の鏡のようなご住職。深々と頭を下げたい。すべての方々に魂の底から御礼を申し上げたくなった

 
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 週刊平凡1977年12月8日号のこの写真を高校生の頃は、すこし悲しい気持ちで眺めたものだ。今は違う。フォーライフを果敢に背負った吉田拓郎の美しさを象徴している。それはまたもう一本番組作ってくれ。
 そしてなにより吉田拓郎。最後の言葉も含めて素敵すぎる。ああ…もうファンになろう、全力で応援しようと誓った。いいんだ何度でもファンになるんだ、何回でも誓うんだよ。

 忘れられない言葉。
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この言葉の果てに、今、ラストのアルバムを迎えようとしている。こちらもありったけの渾身で迎え見届けようじゃないのとあらためて思う。

 孤高とうそぶく自分だが、この番組は拓バカたちと酒飲みながら観たかったな。

2022. 3. 1

☆☆FUNKの文字もあざやかに☆☆
 堂本剛くんがギターを抱えたスタジオの写真をチラっと見た。さりげないショットだが、そのさりげなさがもうプロのギタリストの美しさだったのにちょっと驚いた。すまん、遅すぎたか。かつて拓郎のチューニングに驚いていたあの日の少年である。勘違いも大概にせいと怒られること必須だが、拓郎ファンには小さなころから知っている親戚の甥っ子の成長に驚くみたい気分がないかい?。
 その"100万人の恋人"…ちゃう"100万人の甥っ子"が吉田拓郎をアシストしてくれる。そういう時代がやってきたのだ。負うた甥っ子に教えられるということか。いやいやそれこそ失礼だ。どんな音楽を聴かせてくれるのか心の底から楽しみだ。


 “ギター持つ手で銃は持てない”という拓郎の言葉を思い出す。これは武田鉄矢が言ってたことのまた聴きなので正確なのかどうかはわからんが、俺にとっては大切な名言だ。ウクライナに関係するいろんな方の話を知るにつれ、とにかく頼むからなんとか収まってくれと祈るばかりだ。

2022. 2. 27

☆☆☆流行歌がもしもチカラをもつならば☆☆☆
 幻のイヤホンの話はいいな。涙ぐむ。魂だ。今もこんなスタッフが身近にいてくれることがファンにとってもすげー嬉しい。そしてこういう小さな奇跡のようなものがつながるときたぶんすごい仕事ができあがる。俺の文句や悪態なんぞへのように飛び越えて。そんな気がする。
 そんなふうにこの戦争もなんとかなってほしい。かつて3.11の時、ウクライナの歌手ナターシャ・グジーさんの歌う”いつも何度でも”に救われたことがあった。今日、拓郎ファンのねーさんに教えてもらってナターシャさんの”いのちの旋律”を聴いた。本当にたまらんです。

 そういえば昔「残念ながら音楽にチカラなんてありませんよ」ととあるミュージシャンの方に言われたことがあった。でもその方の奏でる音には間違いなくすんばらしいチカラがあった。もちろんチカラのための音楽、何かのための音楽ではなく、ただ純粋経験としての音楽ということね。

2022. 2. 26

☆☆安らかに笑う家はいつまで…☆☆
 一晩たてば国境を戦火が燃え尽くし…の世界だ。ドイツも大量の軍投入で緊張が走っていると聴かされる。本当に欧州は隣りあわせだ。追われるように避難する住民の方々の姿に言葉がない。怪獣映画の話ですまんが映画シン・ゴジラで平泉総理が「避難とはその人の暮らしを根こそぎ奪うものだから簡単に言って欲しくないなぁ」と愚痴るシーンを思い出す。何をしたらいいかもわからずとりあえずユニセフの緊急支援に募金する。半歩にも遠く満たないが。疫病と戦争…なんも進歩していない私たちの世界だ。こういうときだからこそ魂の歌を歌っとくれ。

2022. 2. 25

☆☆☆なんたって、なんたって三回目☆☆☆
 三回目の接種は軽いという都合のいい噂を信じていたが、身体はだるいし、熱は出るし、左腕は大リーグボール3号を投げ過ぎたように痛くてあがらない。それでなくとも身体に身辺にいろいろガタが出てきた。そして海の向こうで戦争が始まる。ああ、ヘタレの俺はもう鬱モードだ。
 “王様達のピクニック”の記事で意外な紅白の裏事実を知った。そんなことがあったのか。吉田拓郎と岡崎友紀がどうつながるのか、二人を結ぶさらなる謎に悩む。ドゥ・ユー・リメンバミーの加藤和彦が間に入って差配してくれたのか、いやいや時期的にそんなことはあるまい。大のスヌーピーファンだった岡崎友紀、そういえば拓郎も譜面台のノートはスヌーピーだったので、スヌーピーつながりか…ってどういうつながりなんだよ。
 ということで、今更だけど人生にはわからないこと、どうにもならないことが膨大にあるものだ。こうして殆どわからないまま、どうにもならないまま死んでゆくのかとしみじみ思う。いやいや、それでももうちょっとだけでも頑張ってまいりましょう。半歩にも及ばないが、微細でもできることはあるはず。

2022. 2. 24

☆☆☆されどわれらが日々☆☆☆
 既に多くの方が告知なさっている。
 3月1日21:00〜NHK BS2プレミアム『アナザーストーリーズ 運命の分岐点」"俺たちが音楽の流れを変える!〜フォーライフ 4人の冒険〜"
 楽しみだ。「冒険」というフレーズもなんかイイし取り上げてくださったこと自体にも感謝したい気分だ。
 でもただの一般Pの俺とはいえ大切な青春のパラダイムだったので、もし番組がショボかったら文句いいます(爆)。
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 拓郎どうなのかな。たぶん今展開する音楽活動が一番大切で、そんな昔のことはもうどうでもいい…というだろうか。わからん。

 ボイトレ=「声出し作業」っていうのね。明日はワクチンなので憂鬱だ。どこか安全な場所で軽く吸収実施作業をしてから帰りたい。

2022. 2. 23

☆☆☆君が先に背中を☆☆☆
 “アウトロ”…なるほど、いいタイトルだ。ついて来な…黙って俺について来いってそれじゃ植木等だもんね。身体がゆれるとは楽しみじゃないか。
 それにしてもまたそうやってしみじみとオーラのにじむ御背影を見せやがる。御背影なんて言葉あるのか、いや吉田拓郎が語源でいいじゃないか。
 ”アウトロ”は確かに美しいタイトルだがやはり切なくもある。まぁいい心配するな、見ろよ青い空、白い雲、そのうちなんとかなるだろう。

2022. 2. 22

☆☆☆馬鹿なあいつを愛してた☆☆☆
 しみじみと思い出した。Kくんは、かつて拓郎の鹿児島公演に行ったとき、聖地谷山小学校を観に行き、高校球児のように校庭の土を小さな瓶に詰めて僕らファンに配ってくれた。それだけでは足らずに学校前の文具店で谷山小学校の名札を買って「よしだたくろう」と書き込んで名札レプリカを作っていた。それもみんなに配ってくれるつもりだったらしいが、小学生の名札をまとめ買いする中年のオヤジは怪しすぎて文具店が警戒して大量には売ってくれなかったそうだ。おかしくって涙が出そう。
 拓バカとはこうあるべきだという美しい氷上の模範演技を見せられたかのようだ。

 さもしい俺なんかとは違い、自慢とか承認欲求とかマウント取りとかの気持ちは微塵もない。ただひたすらに君が好き…の愛しかなかった。

 コロナになってから彼の墓参に行ってない。別の知り合いが今年は彼の十三回忌だと教えてくれた。やっぱり彼を知る拓バカはみんな彼の事をそれぞれに深く心に留めているのだ。
 今年はみんなで盛大に行きたいぜ。追悼とか供養という聖なるものというより、彼が今生きていたらどうするだろうかと話し合いながら、バカがよりバカを磨くための研修会みたいなものだ。それでいいよね。

 たぶん間違いないのは、彼が元気でいたなら「拓郎さんが出来るベストというなら、それが僕らにとっての最高ベストなんですよ」と超絶至福の境地にいただろうなということだ。

2022. 2. 21

☆☆☆一本の道☆☆☆
 昨日、知り合いから苗場でユーミンのライブを観て感動したという熱い萌えメールが来た。そしてその日のうちに翌日の公演がコロナによる中止というニュースを聞く。なんともやりきれない。
 そして先ほどは西郷輝彦さんの訃報。俺には”どてらい男”のモーやんだな。今は亡きKくんが掘ってくれた谷山小の土に向って手を合わせた。
 いろいろ厳しい。いつも悪態ばかりついているが、そういう極北の困難をぬう様にしてラストアルバムが届くんだと殊勝な気持ちになる。なんかありがたさが胸にしむ。

 “かぞえきれない星の、その次の星”(重松清)の帯「さみしさは消えない。でも、希望は、ある。」が頭に繰り返して浮かぶ。みなさんとにかくお大事にtake care!

2022. 2. 20

☆☆☆時に逆らわず君の名を呼ぶ☆☆☆
 カーリング女子の日本の選手はしっかり覚えたが、外国選手の名前までは覚えられないので、見た目でスーザン、ナンシー、グロリア、ルーシー…と勝手に呼びながら観ている。だからあとで「グロリアはいつも正確だよなぁ」と言っても誰とも話題を共有できない。

 名前と言えば、ラストアルバムは アルバムタイトルもそして収録曲のタイトル名もほとんどが明らかになった。自分で書いてならべてみると感慨深い。俺のような頑迷固陋な老人頭には、どれも斬新な今風タイトルに見える。なんかどれも若い風が吹いている>その感想が古いぞ。もう”襟裳岬”とか”竜飛崎”とかそういう地名や漢字熟語のタイトルは見当たらない。

 ということで、ぐんぐん進む背中を追いかけてゆく見失わないように…これは吉田美和か。

2022. 2. 19

☆☆☆OK☆☆☆
1人で行かせるもんか
それがtakuroファンだったんだ

2022. 2. 18

☆☆なぜだよ、未練じゃないかよ☆☆
 吉田拓郎の美しい姿、聴いてはいないけど健在なるボーカル…まさに奇跡の75歳。なのに残念なことに実現困難な様子の一発録りと松任谷、高中、鈴木茂、島村、エルトンら伝説ミュージシャンのラストアルバムへの参集。

 始まれば終わる…「ラスト」の決意が固いのはわかった。俺も未練がましいことは言うまい。
 “ラストライブ”は終わってしまった。そして”ラストアルバム”を迎える。その後に「ラストライブアルバム」はどうだ、誰に言ってんだ。
 新作がレコーディングされたいわゆるオリジナルアルバムとは別に拓郎の場合は、“ライブアルバム”という独立したジャンルがあると思う。オンステージともだち、ライブ73、TOUR79、王様達のハイキング、TRAVELIN' MAN、豊かなる一日…この目も眩むような珠玉のライブアルバムたちは、ライブそれ自身ともオリジナルアルバムともまた別の独立した魂の作品群ではないか。そしてその果たした歴史的功績の大きさもまたしかり。

 そう考えると吉田拓郎最後のライブアルバムがあっていい、というか是非欲しい。ご無体な話かもしれないが、TRAVELIN' MANのように一回だけの単発でいい。よってたかってのみんな参加のラストライブアルバム。お願いできないだろうか。もちろんメイキングからの映像も撮ってほしい。それこそ未練がましいだろうか。

2022. 2. 17

☆☆☆ぼくは誉める 君の知らぬ君についていくつでも☆☆☆
 声が出てた。良かった。ああ、シャウトもあるのか。ご本人のご精進はもちろん、音楽の神様ありがとう。
 声だけではない久々のお姿の御近影も見ることができた。…美しい。普通によくある75歳ではない。ナチュラルでそれでいてシャン伸びた背筋。俺の回りにこんな75歳は金輪際いない。ああ〜やっぱり映像は欲しいな。


 自分で書いときながら「雪」 http://tylife.jp/uramado/yuki.html
「やはり成熟したボーカルのスタンダードバージョンが欲しい。〜もっと身近に置いて聴き直したい美しい逸品だ。」
 良いこと書いてたな俺(爆)。すまん、俺こそ自分で自分をホメるしかない。

 "雪"、涙ぐんで聴きてぇよ。

2022. 2. 16

☆☆☆春を待つ手紙☆☆☆
 エイベックスの公式HPの新設“TAKURO Blog”に拓郎のメッセージが載る。おお〜萌えるぜ。待つ身の辛さがわかるから"STAFF Blog"はスケジュール式でやがて発売日もマーキングされカウントダウンしてゆくのか。なんにしてもありがたい。

 ファンになって以来、ニューアルバムは待っていれば当然に届くものと慢心していた。しかし今回は世界的な荒波を乗り越えてようやく届けられることになり、しかもこれが最後の便りになりそうだ。かなしみが心の扉を叩くまで人はそれまでの幸せに気づかないんだね。
 すまんが俺は卑しいので曲数が多いとただそれだけで嬉しくなってしまう。そうか今回は究極の9曲ということか。御意のままに。やっぱスゲエと打ちのめされる準備はとうにできている。“午後の天気”から10年間、日々次のニューアルバムに打ちのめされる妄想避難訓練を怠らない奇特な人たちのことをファンと呼ぶのだ。>いみふ

 それにしても今やリモートでアルバムが作れるのかとあらためて驚く。それでも拓郎がスタジオ入りすると聴くと嬉しい。ブルペンで投球練習を始めるみたいで、いよいよ登板かと気分がアがるってもんだ。

2022. 2. 14

☆☆☆僕の車、あいつのマシン☆☆☆
 車といえば昔のフォーク系のテレビ番組で吉見佑子が「あの頃のフォーク歌手の中で、吉田拓郎さんだけが車に乗っていた。だから彼の歌は見えている景色が違っていたと思うの」と話していたのを思い出した。そういえば当時はフォーク歌手なのに車持ってマンションに住でんいやがるとフォーク関係者から批判されていたよね。今から思えば心の底から気の毒だ。「俺はフォークじゃない」という拓郎の最近の口癖の言葉にはそのあたりまで読み込んで味わう必要があるのではないか。
 
 先日のラジオで拓郎は車の運転には自信があると言っていたが、そうなのか。いやそれはそれでいいのだが、"ラジオでナイト"で、車庫入れが苦手で、美容院に車で行ったけど駐車できずにそのまま帰ってきてしまったという話が俺は大好きだ。

 そうそう拓郎が大阪に車で行ってイベンターの上田さんに車を預けた話は上田さん御本人からハワイツアーのバスの中で聴いたことがあった。
 拓郎が大阪まで高速で運転して来て、大阪のインターで待っている上田さんと運転を交代し任せる。帰りもインターまで上田さんに送ってもらってそこから拓郎が高速を運転して帰る。いつも上田さんは徒歩でインターまでトボトボと往復するという切ない系の話だった。
「拓郎さんは高速を運転するのは大好きなんだけど、下の道を運転するのは大嫌いなんです、だから仕方ないんです」という上田さんの言葉に感動した。すげえワガママ…さすがスーパスターだ!と感じ入った。

 車そのものよりも車を通して描き出される吉田拓郎…これが楽しみなのだ。かまやつさんとミニクーパーの話は詳しく事情はわからないがそれでもなぜか胸を打つ。そういう歌を聴きたいな〜と思う。

2022. 2. 13

☆☆☆もしドキュメント映画を作れないなら☆☆☆
 広島で日野コンテッサに乗り込んだ若者(菅田将暉)がシビック、ジャガー、アウディと次々に車を乗り替え、悲喜こもごもいろんな同乗者を乗り降りさせながら、最後に東京にたどり着いてミニクーパーを降りた時に75歳になっているというロードムービー「ドライブ・マイ・カー」という映画を考えたのだがどうだ、アカデミー賞もんじゃね?>思いっきりパクリだろぉ

 じゃあ拓郎の歴代の車を一台、一台、松任谷正隆が試乗して検証する"今度は一体何台目の車だろう"という映画はどうだ>それはただのカーグラTVだろ
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2022. 2. 12

オールナイトニッポンゴールド  第23回 2022.2.11
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 こんばんは吉田拓郎です。週替わりのパーソナリティの金曜日、今週は吉田拓郎がお送りします。
 まずは一曲聴いてください。先週の加藤和彦の”五月の風”を聴いて、最近年齢のせいでいろいろと過去を思い出していた。あの曲の片面は何だったけ?・・・そんなことも忘れていた(笑)。カッコいいなぁこれと思った。加藤というヤツがいないのが寂しいし、彼の才能が惜しいなと思う。あの馬鹿野郎・・・って言っちゃうけど、昔から 僕も加藤の世話になったけど、あいつも何かと問題の多いやつだった。一人でやむなく暮らしていた時、泊まり込みで話を聞いたり、元気づけたり、狭いマンションでレコードかけてダンス踊ったりしていた。
 その後、彼の方からは距離があったり無かったり。仕事があると寄ってくるけれど、仕事なくなるといなくなる、そういうところがあった。なんだよと思うこともあった。そういうことも思い出した。で、この曲、いいな、これ。まずは聴いてほしい。

M-1  純情  加藤和彦&吉田拓郎

 ニューヨークで加藤とズズとレコーディングしたことがあって、ズズと僕は二人でブランドと無縁のカジュアルを買いに行って、二人ではしゃいでとめどなく東南アジア系のインポートものを買い込んだ。楽しかった。その夜に、加藤がこういう安物を買ってと怒ったらしい。加藤に言った。まったくおまえも見栄っ張り、こういうの楽しいからいいじゃないか、片意地張ってなくて、と言った覚えがある。実生活にも表れていた。僕からすると、それって疲れるよ。雑誌でも二人のパーティの写真とか多くて、ハイソサエティもいいけど、息抜いていこうよ。膝をくずして話そうよ。初めての車でロールスロイスに乗ったり、洋服をロンドンまでオーダーに行くとか、徹していると言えば徹しているし、カッコイイんだけど俺はそうは思わない。
 でも、この曲はいい曲だな。 やっぱり才能があるな。 

 いよいよラストアルバムは完成間近です。グズグズしていると今を歌っている吉田拓郎さんは先に行っちゃうよ。みんなあっちで遊んでいるようだど、俺は違うよ、こっちでやってるよっていう感じだ。

■今夜も勝手気ままにお送りします、吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

<Contrastが良かった、関連する流星のことも考えた、自分も含めて同世代のへの問いかけと語っていたことを思い出したという投書>
 “流星”のことあとで話す。僕が若者だったころ、Don’t trust over 30という言葉があった。30歳過ぎたら信じちゃいけないという世の風潮にあった。だから30歳を過ぎる時には罪悪すら感じていた。30歳過ぎてオトナになって、あのとき描いていた理想や希望や恋愛がどうだったでしょうか?叶いましたか?それともかなわない幻でしたか?ということを問いかけた歌。老成した自分が20代を考え直した、そして僕自身だけではなくそれをみんなにも問いかけてみたい。

 Contrastという曲も、ひとりひとりの人生を、生きてきた道をある晩思いに耽ったら、それは、ひとりひとり別々のものだ。いくらネット社会でも人生は共有できないものがある。俺は俺、あなたはあなた、先月この歌は共有しなくてもいいと言ったのは、ひとりひとりの気持ちで聴いてくださいということだ。吉田拓郎が歩いた道でもあります、皆さんの自分の道も考えてみてもいい、みんなの心の中にもある心の中にある一本の道を歌にした。誰にもわからないこともある、僕だって黙っていることもたくさんある、それは公にするものでもない。母から言うなといわれたこともあるし。そういうものを心の中にそっとしまっておこうという曲。

<健康に気をつけてますか、歳を取ったら食べなさい という本があってポッチャリがいいということで好きな物を食べようと毎週チョコを一キロとか食べていたら妻に怒られたという投書>
 それは特殊体質だろ。それこそあんたの道があるでしょ。週一のチョコ1キロなんてとても無理。
 うちは食事と睡眠。これだけは守っていこう。どんなにストレスあっても食べて寝よう。ポッチャリがいいというけどそういうのはないね。若かったころのキレの良さ、目チカラ・・・前にステージで言ったよね。アイラインを入れすぎて、広島のコンサートでタムジンの娘に化粧濃いですよと、バックコーラスの人にも言われた。忌野清志郎を意識したんだけど。キレも目チカラもないけどポッチャリではない。夫婦で体重計にのるけど妻は44〜5sをキープ、僕は66キログラムをキープしている。2006年のつま恋は、69キロあって、あんとき顔の丸いんだよ。一緒のかまやつと並んでも、かまやつさんの場合、他にもデコレーションがあるんだけど、俺は髪の毛坊主だけど顔まるいんだよ。よく食べて、よく寝て・・・睡眠は、夜は・・・スマホとか良くないよね。イヤホンで・・・あ、そうだ。

<ゼンハイザーのイヤホン買いました、音質が最高でしたたという投書>
<ゼンハイザー買いました、安いのに音が良かった、音質がクリアで良かったという投書>
 よく手に入ったね。こういうものには個人差あるので。時代的にも大掛かりなスピーカーやアンプを置いてということはないかな。そういう時代じゃないんじゃないか。さっきの方が、ラストアルバムのタイトルを探り当てました。DVD買った人もいたみたい。僕からはまだ言わないけれど、いいタイトルだね。

<最近の拓郎さんは、何かに突き動かされているように感じる、僕も15年前の車に帰ることにしたという投書>
 僕は免許更新しない。昔ムッシュかまやつから電話があって後期高齢者の更新が億劫だと言っていた。免許書もういらないかと思っている。
 最初は広島で友達の日野コンテッサに乗っていてこの車が好きだった、東京に来てからCMをやったスバルレックスにしてそれが最初の車。それからお金がガーンと入ってからジャガーXJ6を通りすがりに買った(笑)
 そのあとホンダシビックが気に入って、フォード・ムスタング、アウディ50、ベンツ450SL、ポルシェ924 そしてスズキ・ジムニーでKinikiにホンマに買うたんですねといわれて、もっと他にジープがないかと言ったら 光一がジープラングラー これでありまんがなと紹介してくれた。そしてゲレンデバーゲンをこれもありまっせと教えてくれた。もっとコンパクトな車ということで、アウディA1にした。最後にかまやつとの約束でミニクーパーに乗った。
 …これで車人生はおしまい。楽しませてもらった。雨の日のドライブが好きだった。下世話にいうと高齢者の自動車事故も多いし、俺は運転には自信があるよ。コンサートで四国まで行ったことがあったし
 大阪のツアーにも何回も行った。ポルシェを大阪のイベンターに取りに来てくれと電話して大阪に預けて、広島まで行って、また持って来させて。大変だったな。サウンドクリエーターの上田君。

<タイトルわかりました”ごめんね青春”を借りて佳代さんの名演技に感激して泣けていた、深いですねという投書>
 みんなAmazon、ヤフオクで手に入れて観てくれたんだね。素敵なファンだなと嬉しかった。このタイトルをそのまま曲にした。どうしてこんなにいい曲が書けるの?教えて?
どんどん詞が書ける、曲が書ける、アレンジが浮かぶ。早速、鳥山に送ったら、すげーいですね、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング 拓郎さんが一人でハモってるがここ響きますね。アコギ入れましょうねということになった。この曲も泣いちゃうな。これはアルバムの最後の曲かなと思う。いずれお聞かせできます。

 曲は殆どできた。堂本剛に頼んで、チーム一丸となって、”ひとりgo to”・・・”ひとりごと”とも読める。拓郎さんもう冴えてるんだよ。剛君が詞にいたく感動してくれて、いいアレンジしてくれてるんだ。いかにも彼のバンドの要素を彼らの音楽を取り入れてくれている。武部・鳥山も、あのとき拓郎さんが”きよしこの夜”を教えたのが嘘みたいですねと言ってて。そう、あのときの彼らがまさかこんな見事にアレンジしてくれているという。

 もう一曲カバーしたい曲がある。東京に出てきたどさくさで前も後ろもわからない、気持ちも通じないエレックレコードの頃に、いろいろわからないまま、前を向いて生きていくしかない、そういう環境で曲を作っていた。明日のことはわからない、そんな状況でいろんなオトナがいたけれど、愛のまなざしと心で接してくれた方もいた。 その方のやさしさに答えたくて一曲作ったことがある。 
 まだ無名だったころ、岩手放送に何度かよばれてラジオとかの公開番組等に出たことがあった。いきさつはわからない。お世話になった女性ディレクターがいた。番組収録後、雪の岩手の町を彼女の後ろをついて歩きながら、そのディレクターに自分の夢とか野心とかを聴いてもらっていた。
 お名前も住所もわからないまま時間が流れていた。僕の中でも波瀾万丈の人生になったし。 その時に “雪”という曲を書いた。エレックでは何をどう勘違いしたのか、ジャズのギタリストにアレンジを頼んで、ボサノバ調になってしまって歌いにくいったらありゃしない。あのレコードは一日で作ったから、これ違うよと思いつつ何も言えなかった。
後にCBSソニーに移籍してオデッセイレーベルのプロデューサーで”猫”というグループをデビューさせるとき、俺のアレンジのロックテイストで歌わせたいと思った。このアレンジは気に入っている。彼らにしてはヒットもした。
 僕にはセルフカバーした歌やライブでしか歌わない歌とかいろいろあるけど、この曲はすげー好きな曲なのにステージでやってない、カバーもしてない。何でだろう。これを最後のアルバムに入れたい。鳥山たちに頼んでロックテイストに仕上げてもらいたい。岩手県の冬の景色、年上のディレクターの方との夜を思いながら、歌ってみたい。
これを入れて9曲かな。あ、”together” という曲も出来ていて10曲か・・・まぁいいや。すげーいいんだよ。

 この曲も聞いてみたいんだよ。松任谷正隆のアレンジバージョン

M-2  どうしてこんなに悲しいんだろう      吉田拓郎

(CM)

 先日、Youtubeでキンキとの軽井沢のロケの映像観たくて、僕は持っていないので、物好きな人がのっけててくれないかと探していた。その過程で知ったけど、僕はネットでもあまりそういうことをしないけど遅れているのだが、”流星”をいろんな方〜プロもアマチュアも〜がカバーしてくれていることに今頃気が付いた。
 なかには、何だこれは、うまいなー、俺の”流星”とは違っているけれど、これはいいなーというのがあった。以前、女性なんだけど手島葵というシンガーが絶妙の表現で話題になった。女性が歌うと違う魅力の曲に生まれ変わっていくと新発見したことがあった。今回もついつい見入ってしまった二人。富山プロデューサーが同意を得るために拡散したようだが、こういうのは嬉しくて今日紹介したいのは2曲。まだあるよというのがあったら教えてください。

 これを作った時、30歳過ぎていたんだけど、いろんなトラブルがあって、ただ音楽が好きなだけなのに、いろんなデマ中小、客席からも罵声を浴びるような音楽人生だったけど、身も心もすり減ってずっと年取った気分だった。30歳のある日、原宿を歩いていたら、歩いている女子高生が目に入ってキャーキャー笑いながら踊るような感じで楽しそうに表参道を原宿駅に向かって歩いていた。それを観ていて理由がわからなくて涙が出てきた。俺は、いままでなにやったんだろうということで募って飛んで帰って、珍しくウイスキーのストレートをグビグビあおりながら詞を書いた。思いのままに書いた。自問自答しながら、一緒にコンサートで盛り上がったみんなもどうなってんのと思った。
 ネットで見つけた横田良子さんの”流星”は、イベントのリハーサル風景なんだよね。だからノイズも入っている。ギターもうまい。それでリハーサルとは思えない堂々たるボーカル。野外のリハーサルでこんな歌い上げるってびっくりしたな。僕は、リハーサルで”流星”なんて歌わないよ。リハーサルでみんないろんな音響とかの作業中に、流星を歌う気にならんのよ、歌えない。本番の緊張した感じでピンとしていないと歌えない。
そこでおおらかな感じの流星がいいなーと思った。深刻でなく笑顔でいいじゃないと聴かせてくれる。

M-3  流星  横田良子

■11時

佳代> 11時なりました。田中碧くん、ワールドカップ頑張ってください。三苫薫くんも応援してます。2人とも頑張ってくださ〜い
拓郎>すげーなー

 横田良子、この大平原に歌っているスケール感がある。こういうふうに生まれ変わるんだな。
 ハルカトミユキというセッションというかデュエットというか、僕は遅れていてファンの方ごめんなさい。彼女らの"流星"も見入った。ギターのフレージングがセンスあるな。ボーカルもすっぴんな感じノーエコーでいい。オリジナルに”鳴らない電話”これ気に入った。いい曲だ。聴いてたらこれってヒットしなかったのかなと思う。Aメロは最高だけどリズムセクションのところでひねりが足りない。もうちょっとがんばれ。この”流星”もフェイドアウトしているけど捨てがたい。

M-4  流星  ハルカトミユキ

(CM)

 シブいね。これも自分とは違うアプローチ。ああ新鮮だな、さっきのおおらか感じもいいし、パーソナルな感じもいいんだな。いい曲なんだね(笑)。

 1976年頃、フォーライフの社長をやっていたけど、あの頃だったら横田良子もハルカトミユキも、俺はプロデュースを申して出てフォーライフからデビューさせたよね
最近の音楽シーンではみんな楽曲が似ている。詞なんかはもっと切磋琢磨してほしい。シンガーは個性的になったけど、新しい人たちが待ち遠しい。Youtubeの旅で発見した。今頃なんだよといわれるかもしれないけど、いいじゃないか沢田聖子。
 イルカと一緒の事務所だったか、その程度しか知らなかった。ところが彼女の歌っている、僕が作詞・作曲した”風になりたい”。なんだよ、言ってくれよ。いいんだよ、これが爽やかで、こういうアプローチもありだったんだな。これだったら沢田聖子でデビュー・・・っていうと怒る人もいるかもしれない。

 あの頃は、次のフォーライフを背負って立つシンガーが必要だった。いろんな推薦や音楽関係者のプッシュで決めていったが、なぜか吉田拓郎は裏方でコソコソとリストアップしていた。本人に承諾を得たから言うけれど、当初から 高橋真梨子を考えていた。
 水面下で彼女に会えないか考えていた。広島出身だったし、ペドロ&カプリシャス、”ジョニーへの伝言”とか”五番街のマリー”とか大ヒットを出したグループの一人だった。ハスキーなボイス、こういうボーカルのフィーリングは日本にはないなと思っていたのでソロでフォーライフでと描いていた。特に高橋真梨子脱退するかもしれないという業界の裏ニュースもあったので、六本木のバーで会った。誰かに仕組んでもらったと思う。高橋真梨子さんも、そんなに若くないのでメールで話しても記憶はあいまいだ。ドリフの社長や有名女優もいたかもしれない。フォーライフでは他の三人とは別にただ一人裏でこういう活動をしていた。高橋真梨子さんにフォーライフで一緒にできないかという話をしたら意気投合して、行けるなと確信した。会社に帰って 会社を上げて準備しようとしていたら、違うレコード会社と契約してしまったというニュースが入ってきてがっかりした。高橋真梨子さんのオフィスが前から決めていて、真梨子さん自身も驚いたらしい。
 稀代のソウルシンガーが入っていたらフォーライフの運命も違っていただろう。残念だった。最近真梨子さんとメールしたら、拓郎さんと二人で話たことも覚えているし、フォーライフに入ったら楽しいだろうなと思ったことも憶えているということだった。真梨子さんやご主人ともメールやりとりしている仲だ。
 フォーライフに来なくてよかった、事務所の選択が良かったと今は思う(笑)。

 ということで話を戻して沢田聖子の”風になりたい”

M-6  風になりたい   沢田聖子

(CM)

 パンデミックが地球規模で押し寄せていて、人間はこれを乗り越えて明るい日常を取り戻さなければならない。緊急事態を繰り返しながら、僕達はいろんなことを考える。近い将来に向けて、この緊急事態=恐怖の体験から何も学ばないのはまずいだろう。人間は学んで生きていかなくてはならない。
 いろいろと悩んだり考えたり話あったりしながら、今のラストワークに向っている。そういう危険とかを無視して強引にレコーディングに入ってはいけないと強く感じる。僕がやろうとしているバンドセッションとかは一人ではなく多くのミュージシャンが参加して、彼らの協力なしにはできない。そうなると協力してくれるみんなの健康とか安全とかを考えないで「やるぞ」とは言えない。

 具体的には今回のアルバムではドキュメント映画、アナログ盤、公開ライブレコーディングと考えてきたが、たった一曲のレコーディングでもリスクを伴うので、みんな集ってセッションは不可能な状況だ。それはみんないい人たちだけど集まってくれるだろう、でもそこで何も起きない保証がない。みなさんにはそれぞれ家族もいる。難しいな。そう考えると、ドキュメント映画や公開ライブレコーディングは困難な状況かもしれない。他の代わる方法はないかスタッフと検討している。
 出来ることはベストは尽くして、僕一人でもやる。ただ時間的制限もあるし、年齢もある。キツイ注文がいろいろある。僕も無限の生き物ではないし、限りなくパワーを継続できない。吉田拓郎は必ず終わる。その終わり方を自分らしくキチンと幕を降ろさなきゃと考えている。そこに向けてできる精一杯、魂をこめてアルバム、ジャケットを進めている。そしていよいよレコーディングもこの放送の時にはできているかもしれない。

 次は新曲。これもデモテープで完パケでなくて、歌は鼻歌。Hey ユーというタイトルで、そこのにーちゃん、ねーちゃんに話かける歌。グズグズ言ってんじゃないよというラテンのノリ。こういうのは拓郎さんしかできない。俺は音楽が好きだなと思う。楽しいよ。音楽好きな一ミュージシャンなんだというあかし。
 フォークも歌うし、ロックも好きでシャウトもする、そんじょそこらのロックンローラーより俺の方がシャウトする。R&Bも好きだ。この曲は、ラテンの気分で鳥山にもメキシカンな帽子で弾けと言ってある。

M-7  Hey ユー   吉田拓郎

 キンキとの海外の旅の話第三弾(笑)。剛は俺がいたおかげで良かったと思う。

 ハワイで潜水艦にのるという話があったとき、光一やシノハラはハリキリボーヤとハリキリガールだから乗りましょうとはしゃいでいたが、僕は冗談じゃない。
 プロデューサーに、すまん昨晩チチを飲み過ぎて、潜水艦の中で気分が悪くなったら困るからと外で待ってると話した。それを先週も言った通り、少し離れてその光景を観ていた剛は、拓郎さんを一人にしておけないということで、結局、光一とシノハラが潜水艦に乗って、海とは無関係に僕と剛は外で世間話をしていた。

 オーストラリアのゴールドコーストに行ったときも、バンジージャンプのような乗り物があって、これはダメだと思ったので、また二日酔いになったといって断った。ここでも剛もそう。拓郎さんが乗らないんだら、俺も一緒にしたから光一とシノハラをからかってましょうか。そうなった(笑)

 同じくオーストラリアで、イルカの飼育をしているとるころで例によって光一くんがイルカと一緒に泳いでくれと頼まれた。「え、またですか、たまには拓郎さんがイルカと一緒に泳いだらどうですか面白いじゃないか」 そういう馬鹿なことを言うんだ。僕は朝から衣装をきちんと整えていて、メイクもしてある。嘘だけどさ。ゴールドコーストで短パンシャツでメイクなんていらない。シノハラが光一くん早く入ろうよと助け船、いいぞと思ってる。早く入らんかい、カメラさん待っているといって逃げるように立ち去って行った。
 あれこれ駄々こねる僕。キンキだけだったら剛は、潜水艦、バンジー、イルカとも泳がなきゃならなかった。
 剛君に最高の防波堤だった。ははは。僕も剛どころでなく自分の身を守るのに精いっぱいだった。イルカと泳ぐなんて冗談じゃない。僕は泳げないんだよ。海には入れないの。プールでも10メートル泳ぐとウップウップしてしまう。

 そういうわがままな吉田拓郎の傍にいた剛くんは、潜水艦、バンジー、イルカとも泳がなくてすんだ。

(CM)
■エンディング
 サッカーワールドカップが近い、相撲も白鳳の引退と全体的にスポーツ界も世代交代が進んでいる。野球もジャイアンツとヤクルトで若い4番バッターが定着してきている。ジェネレーションの変化がすすんでいる。
 ジャパンの新しいヒーロの田中碧、まだ20代、若きボランチで長谷部、遠藤ヤットらを抜いて躍り出てきた。
 試合中の動き、トス回しの判断能力、ピンチの時はスピードに走っていく 機敏さ、そのうえ若いし顔もいいとなると放っておかない人が日本に一人いる
 そうです。全員正解です。佳代さんです。
 女子アナの方が碧さん年上の女性が好きみたいよとニュースで言っていたので、佳代さんに教えてあげた、「えーそうなの碧ちゃんは年上の人がいいの
私も歳上だから」・・・それはそうだけど(笑)。もうジャンルには入らないのではないか(笑)そしたら「私だってひとつだけ(放送禁止)」という問題発言があった。
 もう佳代さんの口からはヤットさんが出てこなくなった、バトミントン桃田も出てこない スケボーの堀込も出てこない、とにかく田中碧、時々三苫薫(笑)。

来月は3月11日です。

M-8  ハバナ カミラ・カベロ

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆元祖デュエット版の”純情”を久しぶりに聴いた。拓郎単独歌唱&ステージのフィナーレのゴージャス版が身心にしみこんでいたので、ああ原曲はこんなシンプルな歌だったんだなとあらためて感慨に耽る。確かにカッコイイ。加藤和彦の声と拓郎声はいつも好対照で拓郎の声がより魅力的に聴こえる。ってすまんな。

☆最近の拓郎が語る加藤和彦の逸話はいつも厳しい。その厳しさは「安井かずみのいた時代」のインタビューに収斂されている。厳しいが決してディスっているわけではないことはもちろんだ。何もわからない一ファンの俺でも、加藤和彦が吉田拓郎にとってどれだけの大きな友人であり恩人であるかは察せられる。「片意地を張るな」「膝をくずして話そう」…ともどかしく繰り返す言葉に拓郎の愛と哀しみものようなものが伝わってくる。

☆さてアルバムの進捗ぶりに驚く。あと一曲だって?もうほぼ完成だって? 凄いペースだ。ってついでに全9曲か10曲って、えっ去年15曲入りって言ってなかったか?(爆)と思ったが「グズグズ言ってると俺は先に行くよ」という拓郎の言葉にそんなことは問題じゃないと思い直す。全9曲上等っす。"ひまわり"よりも1曲多い、あざっす。

☆とはいえコロナは今回ここでも影を落としてくる。頼むよ。公開レコーディングも、劇場公開映画も、そして何より夢のような豪華なセッションも難しいとの話に消沈する。いや拓郎ご本人が何より無念だろう。またミュージシャンの心根を理解し、彼らの家族にまで思いを馳せる拓郎は相変わらずやさしい。だからまた切ない。
 数日前の日記で書いた中島みゆきの”人生の素人”の一節
  「くよくよなんてしなさんな 昨日は昨日
   見せたい海があるの 知らなかったでしょう」
   君が今 新しさを僕に教えてる
 この一節に拓郎のラストアルバムを思ったのはそんなにマト外れではなかったかな。ともかくアルバムがいよいよ完成する、新しい海を見せてもらえることの幸運を喜ぼう。

☆“雪”は、つま恋75でも、88のSATETOツアーでも歌われておる。しかし無念のレコーディングから半世紀。最後に拓郎は魂をこめてどんなふうにこの歌を歌うのか是非聴いてみたい。

☆沢田聖子ってユイじゃなかったっけか。イルカ・オフィスか。かわいかったな。"風になりたい"は当然にIPodに入れておる。しかし名前が80年代、松田聖子とガッツリかぶっちゃって気の毒だったな。

☆いや、それでもやっぱり川村ゆうこの"風になりたい"は別格絶品だと思うぞ。

☆LOVE2での潜水艦やバンジー拒否はいいが、その昔、拓郎のハワイツアーで、自ら立てたホエールウオッチング企画なのに船に乗らなかった拓郎を怒ってる参加者には何人か会ったことがある(爆)

☆サウンドクリエーターの上田さん。ハワイツアーでそのことを愚痴っておられました(爆)。

☆Hey ユーという左とん平が浮かんできませんか。上書きする努力が必要だ。

☆☆☆星紀行今日の学び☆☆☆
 高橋真梨子さんをフォーライフに誘った話は以前してくれたけど、ガチの社挙げての移籍計画だったのだな。それに社長になる前から、拓郎はフォーライフと音楽の将来のことをものすげー真剣に考えて動いていたのだなということもよくわかった。

 同じころ愛奴を脱退した浜田省吾が拓郎にフォーライフ入りの直談判に行ったという逸話もある。
 たらればは意味がないものの、もし高橋真梨子と浜田省吾が入っていたとしたらフォーライフは確かに違った運命だったかもしれないとつい考えてしまう。
 それでも「フォーライフに来なくてよかった、事務所の選択が良かったと今は思う」…こういう拓郎がなんとも好きだ。

2022. 2. 11

☆☆☆すべてのみっちゃんに☆☆☆
 新人作家永井みみの「ミシンと金魚」を読む。昨年、画伯の知合いのご家族が"すばる文学賞"を受賞されたと聞いてNinjin designは色めきたった。ようやくその受賞作が上梓された。そういう経緯には関係なく、すごい作品だった。関係なくとはいえそういうご縁がなかったら俺なんぞは読み過ごしていたかもしれない。感謝。読みながら身の置き所がなくなるような切実さ。この作品を見出した「すばる」は、さすが重松清のあの白眉の吉田拓郎インタビューを載せてくれた雑誌だけのことはある。
 すぐ薄っぺらに影響される俺は取り急ぎつぶやく。

 拓郎のラジオがあって
 今日は、いい日だ

 読めてよかった。今は黄昏、だから読めてよかった。
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2022. 2. 9

☆☆☆人生もファンも素人につき☆☆☆

 "結果オーライ"で中島みゆきはコンサートの終盤に”人生の素人”という歌を歌う。

   輝いていた頃の君を探してた
   今はもう失ったものを褒めていた
   そのことが君をなお傷つけていたと
   気づかない僕は この愚かさを憎む

 そのわずか3曲前には♪君よ永遠の嘘をついてくれ〜と高らかに歌ってたじゃないか。でもその決然とした歌いっぷりに思わず…拓郎さん俺が悪かったですとこのサイトまるごと懺悔しそうになる。でもみゆきねーさんは、聴き手をそんな消沈した気持ちのまま置き去りにしたりしない。

  「くよくよなんてしなさんな 昨日は昨日
   見せたい海があるの 知らなかったでしょう」
   君が今 新しさを僕に教えてる」

 胸のすくような展開。そうだラストアルバムといいながら、私たちを待っているのは、君が見せたい、新しい海なのだ、くよくよしなさんな。

 中島みゆきを聴きながら他の歌手のことを追想するのは、いい加減みゆきファンに怒られそうだ。申し訳ない。でも、そこはそれ、おまえとわたしは二隻の舟ということで許してほしい。

2022. 2. 7

☆☆☆とうに愛を知っている☆☆☆
 中島みゆき2020”結果オーライ”のCD+特典BDを鑑賞中。浸る。やっぱり音楽っていい、ライブっていい。特に音楽に取り組むミュージシャンたちのリアルな魅力がうかがえるバックステージ映像がたまらない。悲しいがそこにコロナが押し寄せてくる様子も描かれている。そして何よりもin memory of 小林信吾さんの思いも静かにこめられている。

 瀬尾一三、 小林信吾、島村英二、古川望、宮下文一、中村哲…この面々の中だから違和感がなかったが、よく考えるとリハスタジオになんで森野がいるんだ…いや、もう答えんでいい。
 新宿文化センターの初日を奇跡的に観られた雨畑が、コンサートのあと興奮して「悪女歌った、永遠の嘘歌った、そんでもって森野がいた」とメールが来たのを思い出す。みゆきのライブを語りながらそこには確実にあのお方の姿も浮かんでいた。

 私達がコロナで失ったものは、はかりしれない。その中で、2021年の拓郎の大阪ラストツアーとこのみゆきのラストツアーで観られるはずだったかもしれない幻…少なくともこの二つは悶絶ものの痛恨だったのだ。
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そうです、ベースは富倉安生さん、失礼しましたごめんなさい。
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                   ご本人筆。

2022. 2. 6

☆☆☆言魂と音魂☆☆☆
 1月のラジオのブログで拓郎はこう書いていた。

  「Contrast」では武部聡志・鳥山雄司の涙の演奏が聴かれます
  曲を演奏しているうちに彼らの心の中に「何か」が
  生まれたように思われます
  エンディングの武部のピアノと鳥山のギターは
  まさに説明不要の心のプレイとなっています

 御意。これを読んで数年前の関ジャムで武部聡志が語ってくれた「瑠璃色の地球」のレコーディングでの逸話を思い出した。
 レコーディングスタジオにミュージシャンが集まると妊娠中だった松田聖子本人はいなくて、そこに松本隆の書いた歌詞だけが置かれていた。それを読んだときミュージシャン全員が打ちのめされる。「震えるような歌詞」と言っていた。不思議な空気がスタジオを支配し、全員のエナジーが横溢する。
 武部は「それからいろんなカバーも含めて何度もこの曲を弾いたけれど、どうしてもあのレコーディングスタジオ以上の演奏はできない」と述懐していた。まさに言魂と音魂の共振だと思った。音魂って、つま恋の売店にTシャツ売ってたな。それはいい。
 なのでわれらの方の曲のミュージシャンの心の演奏もしっかりと魂で聴きこもうじゃないのという気になる。

 それにしても昨年末この名曲にも及んだ悲痛事の極みを思わずにいられない。あまりにもあんまりだ。どうしていいのかわからないままたかが、ファンでもない俺ごときも祈らずにいられない。

2022. 2. 5

☆☆☆居酒屋へは行かない☆☆☆
 居酒屋を失ってしまい…行くあてもなく街角に佇む。LOVE SONG、LOVE SONG歌っておくれ。個人的に今までのような居酒屋生活はもう潮時なのかとも思う。客さえまばらな戒厳下の小さなビストロで激辛トマトパスタを食べた。殆ど蒙古タンメンだ。"トノバンは辛いものを食べると頭から汗が出る"…ってどっかにあったけど本当にアタマから汗を吹いた。そういう話ではない、昨夜の議題だ。
 Contrastを聴き返すたびに“私はダメな人だと”、”やっぱり私はダメな人なのか”のフレーズに胸が疼く。そして、いうまでもなく“時には間違ったこともあったと思うけど”で”流星”とバインドされる。…そもそも“流星”とは何なのかが昨夜のひとつの議題だった。
 Contrastも流星も拓郎が身を削って書き歌っている感が伝わってくる。拓郎の歌で泣けるのは「身を削る」時だ…というのが昨夜の雑な結論だった。だから、いかに叙景か美しかろうと”外は白い雪の夜”では泣けないのだ、わかったか松本隆(爆)。※個人の感想です。
 …とはいえ”瑠璃色の地球”は神々しくすんばらしい、これは身を削るというよりこの惑星を削るような歌だ…ということで、結論はよくわからないただの酔っ払いだった。俺達を許してくれ。

2022. 2. 3

☆☆☆なぜか売れなかったが神々しい歌☆☆☆
 数日前に俺が悪態をついてしまった北大路欣也さんがコロナで入院となった。関係ないが申し訳ない気分だ。大変失礼いたしました。"流星"のフェイドアウトは北大路さんの責任でないことはもちろんです。…あれは…あれは…たぶん車だん吉のせいです>って意味わかんねぇよ。ともかく一刻も早いご快癒をお祈りします。
 それにしても"流星"の周辺がにわかに騒がしい。また神カバーが加わるのか。本人歌唱もカバー歌唱も渾然一体となって"流星"という世界を深め荘厳してゆく感じがなんか尊い。
 日本一ということは世界一"流星"を聴きこんでいると自負するファンを知っている。「流星を国歌に」の会の代表である。…友よ、夜明けは近い、炎を燃やせ。

2022. 2. 2

☆☆☆あつまれ動物の歌☆☆☆
 「犬」といえば、”野良犬のブルース”、”例えば犬の気持ちで”、”狼のブルース”の3曲はイヌ科三部作と呼ばれている。>おめーが呼んでるだけだろ。やはり戌年だけのことはある。
 寅年の今年、虎の歌はあるだろうか…う〜かろうじてあった。
  ♪トラに巨人にロビンス阪急〜(ホームラン・ブギ)
 ひとつカンと打ちゃホームランブギ、わざわざ貴重なライブのセットリスト入れて歌わんでよろしいと思ったこともあったが、今聴くと痛快でかなりいいなと思う。勝手なものだ。
 それにしても、さすがに十二支は揃わないな。

2022. 2. 1

☆☆☆流星の呪い☆☆☆
 “流星”といえば。ドラマ「男なら!」に拓郎がゲスト出演して”流星”を歌ったことがあった。永田さんのピアノの指のアップで始まる松任谷正隆バンド揃い踏みの貴重な映像記録だ。しかしこれがなんと途中でフェイドアウトしてしまうのだよ。
 放送の翌週のセイヤングで拓郎はボソっと「またテレビ不信になりそうだ」と呟いた。…怒ってはる、吉田はん怒ってはる!>なんで京都弁。そらそうだ。ファンとて怒り悶絶である。”僕の欲しかったものは何ですか”〜あのシャウトのエンディングを是非この目で観たかった。まったくなんということをしやがる。
 俺もすげー頭にきたので主演の北大路欣也におまえなんか犬になってしまえ!と呪いをかけてやったら、30年くらいしてやっと効き目が出た。

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2022. 1. 31

☆☆☆流れる星はかすかに消える☆☆☆
 学生の頃、日曜日の夜につらつらと聴いていたラジオに「滝良子の全日空ミュージックスカイホリデー」という番組があった。滝良子=”そらまめ”さんは素敵なパーソナリティだったが、この番組はとにかくなにがなんでも「オフコース」支持という徹底した傾向経営ぶりが特色だった。そもそも世の中に吉田拓郎なんか存在していないパラレルワールドからの放送ではないかと思っていた。もちろん俺も他人ことは言えない。
 全回聴いたわけじゃないけれど、それでもたった一度だけ、たぶん最終回のちょっと前くらいに吉田拓郎の「流星」がかかったことがあった。驚いた。「流星はOKなのか」…オフコース的な世界にも訴求し通用していく「流星」という作品のチカラを思った。
 先日のクリ約の小田和正の「流星」を聴いてそのことを思い出した。そして昨年夏、そらまめさんは卒然と亡くなられていたことも知った。あの時はありがとうございました。「流星」を聴いてご冥福をあらためて祈らせていただく。俺、最近2016年DVDの附属CDの、耳元で歌われているようなバージョンがメチャ好きだ。俺も泣きそう。

2022. 1. 30

☆☆☆時間は動いていたんだろうけど☆☆☆
 例えば山本コータローの名著「誰も知らなかったよしだ拓郎」は、拓郎の来歴を実に詳しく調べてある。貴重な歴史的文献だ。これは不滅の大前提ね。
 でもさ、この本は1974年に発刊されているんだよね。拓郎のデビューは1970年だ。時間のモノサシを現在2022年に置き換えてみると、もしこの本が2022年に発刊されたとすると拓郎のデビューは2018年にあたる。え、2018年なんて”From T”が出た年だぜ、ついこないだじゃん。
 広島のバンド時代は2015年頃に当たるし、鹿児島の小学校入学も2000年のことになる。なんか当時この本はメチャクチャ近い過去のことを書いていたんだなと思う。
 もちろんコータローをクサしているのではない。名著であることに変わりなし。俺が思うのは、吉田拓郎という人が極めて短い時間の中に怒涛のようにいろんなことを成し遂げたということが、肌感覚でわかるということだ。2018年にデビューしたただの無名歌手が、来年史上初のオールナイトイベントやって、これまた初のアーティストによるレコード会社を作るんだぜ。あり得なくね。

 それに比べて…比べなくていいけどこの俺は、2018年から今までなんて毎日ただ寝て起きて電車乗って酒飲んでの繰り返ししかしていない、もう昆虫みたいだ(爆)。

 ということで”早送りのビデオ”とはよく言ったものだという話でした。2019年版で聴くよろし。

2022. 1. 29

☆☆☆そのかなしみいずこへ向けるだろう☆☆☆
 最近ある本の帯のキャッチコピーの素晴らしさについて話していたら、その人は「素晴らしいけど、ただ『さみしさは消えない。』というフレーズ、あそこは『かなしみ』ではないか。」と力説していた。さみしさ、かなしみ、深めたい問題ではある。
 最近…といえば、ここのところは毎日が松本隆記念祭のようだ。どっかで必ずトリビュートやレスペクトが催され百花繚乱だ。昨夜は俺の鬱屈した思いをネットで愚痴ったら、先輩ねーさんかやさしく聞いてくれて落ち着いた。ありがー。そうか、ラストアルバムを作りラジオからも去らんとする…終わりゆく彼の人の姿が、そんな屈折した思いを倍加させるのかもしれない。
 この場合は、さみしさ、かなしみ、どっち?(ドラマ「真犯人フラグ」の二択刑事の声でお願いします)

2022. 1. 28

☆☆☆上等だよ’79☆☆☆
 ということでアリス、松山千春、サザンらのイベントに心穏やかではいられなかった79年の夏だった。そんな中でいよいよ篠島コンサートが”ああ青春”で怒涛の幕開をした。続く2曲目”狼のブルース”でぶっ飛ばしたあたりでとっぷりと日は落ちて夜になった。そして3曲目の「伽草子」が始まった。原曲とは全く違うあのスタイリッシュな演奏はものすげー鮮烈だった。なんというんだろうあのドラマチックな美しい演奏に包まれながら俺は勝った!と心の底で叫んだのをハッキリと憶えている。音楽に勝ち負けがあるというのもどうかと思うが、勝ったというのが一番近かった。もう他の歌手なんてどうでもいい。この瞬間、世界で最高の歌と演奏がここにある。音楽の神様はピンポイントでこの島に降りてきていると確信した。
 吉田拓郎はもちろんあのステージの上にいた松任谷正隆、ジェイク・コンセプシォン、島村英二、エルトン永田、鈴木茂、青山徹、常富喜雄そして石山恵三、全員を額縁に入れて高々と飾っておきたかった。

2022. 1. 27

☆☆☆元気を出して☆☆☆
 …元気が出ない。出るわきゃないかこんなご時世。逃げ出したい何もかもから。逃げ出せないチカラが湧かない。
 1979年の夏は野外イベントが目白押しだった。もう老人なので夏フェスなんて言葉は使わない。野外イベントだ。この雑誌の表紙を観ていたらいろいろフツフツと思い出した。
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 サザンオールスターズ、アリスのつま恋…ツイストも南こうせつも一緒だった、そして真駒内の松山千春…まさに日本全国四面楚歌。え、拓郎もなんかやるの?島?へへー。上等だよ!!と篠島に向った日々を思い出して元気を出す。たとえ自分が悪くても他者への怒りに転嫁させるとチカラが出るってもんだ(爆)。

2022. 1. 24

☆☆☆映画館で手をにぎること☆☆☆

 ラストアルバムのドキュメントは劇場公開用映画になるって言ってなかったか。どうなんだろう。「劇場公開映画」…ああ、この甘く切ない響き。

 劇場公開用映画といえば、篠島コンサートは、当初、東映で劇場公開映画になるというニュースだった。しかし結果的には東映と何かの条件が折り合わずに劇場公開されず、つま恋75のようなライブフィルムの上映会という形式で全国を転々とすることになった。
 …残念無念。何が残念かって、その79年当時、アリスのライブが”アリス・ザ・ムービー・美しき絆”という劇場用公開映画になって映画館でガッツリ上映されていたのだ。このタイトルは当時また大ヒットしていた映画”アバ・ザ・ムービー”にあやかっている。アリスファンは我が世の春のように映画館に溢れかえっていた。アタシは3回観た、ボクも4回観たと自慢しあっていた。
 俺はこれが地団駄踏むほど悔しかったのだ。なぜそんなにアリスに敵愾心を燃やすのか、若い人々にわかるまいし、年配の人々は憶えちゃいまい。そもそも今や当の吉田拓郎ご本人が谷村新司と和親条約だか修好通商条約だかを結んでしまったみたいだ。俺だけがまだ戦争は終わっていないと竹槍振り回している爺ちゃん状態みたいである。

 とにかく高校生の頃、篠島が劇場公開されたら、そーんな2回観た、3回観たなんて生ぬるい。俺は学校なんか当然に休んで、上映期間中、連日朝から晩まで、オールナイトがあればそれももちろん、とにかく映画館に住んでやるという悲壮な覚悟でいた。
 ビデオもDVDもない時代、これを見逃したら映像の拓郎は一生観られないかもしれない、そう言う時代だったのだ。

 ということで今回のラストアルバムのドキュメント映画が劇場公開されたとしたら、わが青春との約束である。当然劇場に住むという矜持で臨みたい。きっと劇場にはそういう奇特な方が何人かはいるに違いない。そういう方と手をつなぎハンド・イン・ハンドで涙ぐみながら観たいものだ(爆)。

2022. 1. 23

☆☆☆近くて遠いContrast☆☆

 地震まで起きてしまい、まったくどこまでつづく地球の災厄ぞ。東京は武道館になっちまった。どうかご無事で。などと言いながらも俺の頭の中では、ずっと”Contrast”が繰り返して鳴っている。久しぶりだ。はじめて聴いた新曲が少しずつ身体にしみこんでゆく、この感じ。
 そして馴染みに馴染んで血肉化したあとで、正式完成盤を聴くことになる。そうするとまた印象が違ってくるんだよ。今までもそうだった。

 例えば、昔同じようにラジオで流してくれた”外は白い雪の夜(そして誰もいなくなった)”の仮歌、仮演奏をカセットに録音してさんざん聴いたあとで、正式盤を聴いときを思い出す。いきなりバイオリンかフィドルに導かれたイントロの鮮烈さに驚いたものだ。そしてもちろんこの曲は3番まででなく衝撃の4番があったことも。こうだろうと思っていたものの斜め上からガツンとくる感じがたまらない。
 拓郎はこの”Contrast”をどう仕上げて、どんなふうに突き付けてくるのか、それこそcontrastが味わえる貴重な経験だ。というか幸せだ。

 そうそう”外は白い雪の夜”の♪あなたが電話でこの店の名を教えた時から〜の「この店の名」って皆様は何をイメージしていますか? 私は「元祖中華つけめん大王蒲田西口店」です>んなワケねぇだろう。松本隆の頭にあるだろう正解は謎のままだ。
 以前、ラジオのヤンタンで拓郎がラジオドラマ「外は白い雪の夜」の中で、拓郎は「今夜、『プランタ』で」と言っていた、たぶん。「プランタ」。ネットのない時代だったが、いちおう調べてみたことがある。該当する店はなく、似た名前で植木屋さんが何軒かあっただけだった(爆)。植木屋さん、これもまたなんというcontrastか。でもこれでいいのだ。

2022. 1. 21

☆☆☆55年前のフィクション☆☆☆
 海底火山の爆発には驚いた。そんなものは映画"サンダ対ガイラ"のラストシーンでしか起きないものと思ってた。>知らねーよ。人間の暮らしなんてひとたまりもない。そのうえ相変わらず猛威をふるうコロナもあり、なんか”地球はもう終わりですね”(東京の長く暑い夜)的な無力感にさいなまれる。あれ?"地球が殆ど危ないことも"(女たちときたら)もあったな…微妙にニュアンスが違うが、それはそれ。
 私の子どもの頃の常識では、こういう時には30分以内に国際救助隊のサンダーバード2号が駆けつけ、1号の指揮のもと闊達に島の人々を救ってくれるはずだったのだが。現実を見回すと救助メカよりも殺戮破壊兵器ばかりが目に付く現代だ。自分ごときが偉そうになんだが人類や科学はホントに進歩しているのか。ともかくいい歳してるのに青くて痛くて脆い爺さんにも今日できることをやるしかない。こういうのを半歩ずつというのか。いや半歩も遠いか。

2022. 1. 19

☆☆☆この胸いっぱいの…☆☆☆
 前にも書いた読売新聞のいしいしんじの人生案内がいい。ポーの歌の件以来、読売新聞は嫌いだったのだが。
 先日も「いろんなことに感謝の気持ちが持てない」という相談者の悩みに、いしいしんじは、自分もそうだった、心配ないと答える。
 のちに「ありがたい」とは、ほんとうに「有難い」のだと、まさに奇跡だと知ることがあった。この世に他人がいてくれてよかったと心底感じた。すると、まわりの色がじょじょにかわっていった。
 「ありがとう」は声ではない こころのふるえだ。それはひとりひとりの切実な生から発露する。

 "「ありがとう」はこころのふるえ”。しんじくんいいなぁ。これを読んでいて思い出した。2019年のラストツアーの初日の市川市文化会館。あそこだけで拓郎はアンコールで「ありがとう」を歌った。あのとき拓郎のこころは間違いなくふるえていた。ふるえすぎて、あまりにふるえすぎて初日で封印されてしまったのだと思う。
 たぶん拓郎もこの世に他人がいてくれてよかったと心底感じて、まわりの色が変わっていったことを思ったのだと思う。おれもわかんないけれどふるえている拓郎を観てふるえた。ライブで聴けてよかったとつくづく思う一曲だ。

2022. 1. 18

☆☆アイツと野球ができるのなら☆☆
 漫画家水島新司先生の訃報はショックだ。俺は野球は苦手だしファンというのもおこがましいが「ドカベン」は高校野球までは同級生みんなとともに教科書より真剣に読んでいた。高1の春の甲子園の土佐丸との決勝戦、ボロボロの明訓だが最後に小兵の殿馬がサヨナラホームランを打つ名試合、高2の夏の予選でどうしても打てない剛速球の不知火から信じられないルールの盲点をついて1 点先取するところなど、数々の名勝負にホントの試合みたいにみんなで悶絶したものだ。
 オトナになってからはあぶさんを読んでた。連載の後半はなんか超人のようになってしまったあぶさんだが、最初の頃のアル中でボロボロで一打席しか立てないという設定に憧れた。

 しまった、ココは吉田拓郎サイトだ。
 水島新司といえば小室等似があまりにも有名だ。小室さんのライブにゲストで出たこともあった。前にも日記で紹介したが、この回では、小室等のライブでゲストの吉田拓郎がドタキャンし(なんかリアルだぜ)、拓郎の代わりにあぶさんがゲストとしてステージに上るハプニングの回だ。ちなみにあぶさんと拓郎は同じ1946年生まれである。
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 フォークはわかりませんというセリフが面白い。
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 あと水原勇気の実写版の木之内みどりはキレイだったな…。ともかく数々の名作に心から感謝してご冥福をお祈りします。ありがとうございました。

2022. 1. 17

☆☆☆惑星に立っている今は夜明け☆☆☆
 いろいろこの惑星も大変なことになっている。否応なしに思わされる今日。

 昨日はちょっと文句も言ったが、
「吉田拓郎が奈緒をプッシュしているのではなく、奈緒という人のプッシュで吉田拓郎が今また頑張っている。そういうエピソードなんだ。」「人生の後半に二度も年下のサポートを受けて素敵な時間を過ごしている。」…こう言える拓郎は確かに素敵だなと思う。若いミュージシャンとコラボしている方はたくさんいる。しかしこんなふうに若者に対して素直に心を深めて自分自身も変わってゆこうとする真摯な関係は、他にもあるものなのだろうか。もちろんファンも溢れる恩恵を受けることになる。ありがとうね。

 イヤホンや音の技術的なことは全く分からないが「自然な生活ノイズも聞こえながらが音楽を聴くのが好きだ。完全に音楽しか聞こえないそんな世界は好きじゃない。」という拓郎の言葉はなんか嬉しい。

2022. 1. 16

☆☆☆時代は変わったそうだから僕らは胸にしみている☆☆☆

☆ おやじがすべてだなんて言いませんが、でもおふくろはすべてだ、ということなのだろうか。もちろん私なんかにはわからないが、それでもお母様の話は、いたく心に刺さった。どっちにしても、あなたはわたしのすべてです。そういうハナシじゃない。

☆ 遠い昔、アルバム"Shangri-la"の時に”あの娘といい気分”イメージガール募集という、フォーライフのトホホな企画(応募されたねーさんごめんなさい)があったが、なんでまた今回アルバムのイメージガールが必要なのか、ずっとわからなかった。それがやっとわかった。そうなのか。俺はそういうのにことさら弱い。マト外れだろうが”If you build it, she will come. それを作れば、彼女はやってくる。”みたいなものを思い、それだけで感極まってしまう。


☆ Contrastを繰り返し聴く。繰り返す繰り返すさざ波のように。あんまし書くまいと思うが、ご本人もおっしゃるように、このままのボーカルでいい、というかこのままがいいと思う。あんまり頑張って歌わない方が、特に1番の胸締め付けられる感じは、この切ない歌い方が一番じゃないかと勝手に思う。


☆ 「おっさん、おばさんは自分中心に考えがち。」…御意。「時代は変わる」…これも御意。しかし拓郎ファンという局面に限れば、たぶん多くのファンの方々は、かなり昔に「変わってしまった時代」の中で、孤独と風雪に耐えてファンの一本道を歩いてきた人ばかりだと思う。この世は、自分中心でも拓郎中心でもないという極北が身に染みている人ばかりだと思う。そんなおっさん、おばさんが束の間、自分中心=拓郎中心に生きることが許される数少ない場所のひとつがラジオなのだと思うよ。ライブも無くなってしまったし、許しとくれ。

2022. 1. 15

オールナイトニッポンゴールド  第22回 2022.1.14
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 こんばんは吉田拓郎です。週替わりの金曜日、今週は吉田拓郎が送りします。2021年が終り2022年がやってきて、いつもどおり我が家はお正月から御雑煮もなくパン食です。年賀状もずいぶん前に皆さんにお断りしたうえでやめてシンプルにしている。それでも正月にはスマホにいろんなメッセージが届く。
 今年、一番最初にしかも早朝にメッセージをくれた人には驚いた。「コイツなのかっ」…堂本光一くんでした。いつも返事が、早くても三週間、普通は一か月くらい返事が来ない。いつも「遅くなってすみません」て、遅いよっ! その光一くんが何も送っていないのに元旦一番にメールをくれた。光一くんは元旦にお生まれになっている。本当におめでたい人で(笑)・・・怒るだろうな(笑)

 大晦日からライブをやってたんで、きっと光一君も興奮冷めやらぬ状態のままで多分ホテルにいたのだろうか、やることないかなと暇つぶしで気が付いたんではないか。ひとえに自分が眠れなくてすることなかったんではないか。
 僕も滅多に電話しないけど、♪いくつになっても〜と歌ってあげようと電話してみた。剛は携帯番号をしょっちゅう変えるけど、光一はずっと変えないまま。そこに電話してみた・・・電話出ませんでした。そこでメッセージを送った。「光一君おめでとう。海外ロケの写真を観ていて気が付くと、光一君とはいつもハグしたり、彼が肩に顔を乗せたりなついている。スキンシップしていて家族のような気分。いつも一緒に居たいよなという気分かもしれない」 そしたら珍しいこのメッセージで返事がすぐに来た。よっぽど退屈していたのではないか(笑) 。こんな光一はじめてだ。秒速の返事。「電話ありがとうございます、出られなくてすみません」・・・電話出る気ないんだろ(笑)
 「僕も43歳になりました。写真ではホントによくくっついていますよね、アハハ。人生の大先輩の拓郎さんが僕らに目線を併せてくれていたことを思います、そんな大人になりたいです。今年LOVE2特番実現したら嬉しいです。」
 元旦から泣かせるな。お互いにいい刺激を与え勉強しあっている関係。
 フジテレビのプロデューサーに、2月あたりにおいしいケーキ食べながら特番の話をしないかとメールしたら、プロデューサーからテレビ局には伝えてある。具体的な打ち合わせをしましょうと返事が来た。43歳のKinkiと同じ年のシノハラ。気持ちの悪いプリプリプリティ(笑) 43歳のおばさんのそれだけで楽しみ。前回もそうだったけど客席がそれなりに乾燥した年齢のファンでいっぱい。それも楽しいな。
 僕も実現したらこれを最後のテレビ出演にしようと思う。春を待つ気分で明るい明日を描きながら。

■ 今夜も自由気ままにお送りします、吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

 ハワイのロケはLOVE2でも堂本兄弟でも行ったな・・・三回くらいは行った。二回目のハワイの時、ある日ワイキキで僕とプロデューサーと堂本剛とゲストの長瀬智也と朝ごはんを食べようということになって、何にしようと言ったら、剛と長瀬は当然のように和食がいいという。  
 僕もプロデューサーもカラカウワ通りの「ふるさと」という和食屋に行った。そこで剛は悩んだあげく、朝の9時半に剛と長瀬は「すきやき」・・・朝のワイキキで(笑)。
まいりました。長瀬君は身体もがっしりしているので肉を食べきってしまったので、お変わりください(笑)。ハワイのワイキキで朝からお肉のお変わり。僕は二日酔いでスッキリしたもの食べたかったのに。懐かしい。長瀬くんとも遊んだ
 剛とワイキキのバナナ・リパブリックに行ってベルト、シャツ、それこそショルダーバックとかを買ったりした。そういう時には光一は来ないんだな。不思議だな。外交的な光一が意外に部屋から出てこない。引っ込みがちの剛の方が出てくる。一筋縄にはいかない  。ややこしい。単純明快ではない。そこが面白い。

 オーストラリアロケのシドニー最終日。明日の飛行機が辛いので僕は打ち上げから早めに帰った。剛も早めに切り上げた。
 しかし光一は現地の通訳やゲストのMAXと大騒ぎで朝までいたらしい。翌朝、空港で  拓郎さん「昨夜は騒いじゃいました、ジャニーさんに頼まれたワインを買いに行ってきます」・・・飛行機でバタンキューだった。
 こういうところに光一の性格がわかる、ジャニーさんら頼まれたワインは買ったりするちゃんとしているところと朝まで騒いでいたりするところ。

<あけましておめでとうございます、春のアルバム完成後にツアー決定ということでよろしいでしょうかという投書>
 何を言ってるの。ツアーからはリタイア表明した。無観客とかソーシャル・ディスタンスとか声出すなとか立つなとか、そういう環境では満足なライブができないと思っている。年齢と声のこと、僕はシャウトを使うソウル系シンガーなんで。静かにコソコソ歌うのではなく、そこはシャウトしてしまう。声や喉を考えると満足なライブが難しくなっている。誤魔化したりして歌うなら90、100歳まででもできる。しかし2時間半、全力投球で燃え尽きるのが吉田拓郎のライブ。それが吉田拓郎の音楽人生だ。総合的に考えてツアーはリタイアする、そういうを判断しました。

 これでどうなんだよ!という魂がはじけそうなアルバム、入魂のアルバムを制作中だ。ミュージシャンからも褒められている。その完成目指してリモートでレコーディングしている。
 僕の年齢から明日はわからない。若いころ明日のことは考えなかった。若い時に明日のことを考えてる青春を送っちゃだめだ。でも今は無理だ。明日がくるかわからない。ステージからはキッパリ降りて、若い人たちのステージや音楽活動を待ちたい。

 今度のアルバムのタイトルはそういうことだったんだと納得していただける。光一の自筆。長い音楽人生真実のタイトル。これをお見せしてみなさんとお別れする。こういうことは運命で避けられない。

<小田さんの「流星」、中学の時に観たクリ約の拓郎さんでファンになりました、当時士分の校長先生にもファンだと知られ「流星」が好きだと言った、観覧が当たってびっくりした、小田さんの流星にと驚いた、小田さんは「拓郎は別格なんだよ」と話していた、隣のカップルが拓郎さんにこんな歌があるのを知らなかったと語っているのに心の中でツッコミを入れたという投書>
 クリ約は録画で観た。「拓郎は別格なんだよ」ってテレビでは言ってなかったな。流星を歌うと決めた後で小田は拓郎には伝えないでおこうと思ったらしい。テレビ観たらわかっちゃうんだけどさ。前もって言いたくない。小田はわりと秘密主義で「言うなよ拓郎」という口止めが多い。キーとテンポで悩んだらしい。あれは小田の"流星"だった。吉田拓郎の"流星"とは違う。僕のはロック色があって最後はシャウトしていた。小田は最後も静かに。僕のオリジナルとは違う。感動的なステージだったような。
 コロナが増え始めたしスイーツも実現できない。新アルバムのどの曲を小田とハモるかも決めなくてはならない。今の僕は、アルバム制作、ジャケットの撮影、映画の撮影 ミュージック・ビデオの撮影と春を待っている。2005年瀬尾ビッグバンドとの"春だったね" 

M-1    春だったね      吉田拓郎

(CM)

<新年に奈緒さんのラジオで拓郎さんを知ったという投書>
 おっさん、おばさんは自分中心に考えがち。拓郎の番組で出てくる「奈緒」ってどういう女優かを調べてみる・・・それが普通のパターン。これが普通とだ思いがちだけど  奈緒ちゃんのラジオを初めて聴いたけど、奈緒ちゃんが熱く語った吉田拓郎はどういう人なんだろうかと思う。これを時代というんだよ。こうして新しい命が生まれるという現実がある。
 あの時にKinkiという10代の若者たちの横でやっと気づいた・・・"やっと気づいて"という歌があったな。それまでも俺が、俺がと生きてきていた。しかし現実はそういうことではなくて、それでは「裸の王様」になっちまうと思い知らされた。

 あれから25年時代はますます変化して、キンキも40歳、僕は76歳で生きてるだけ幸せの領域。命あるだけで幸せですよ。ジジイに20代の女優が、拓郎のあの曲が好きと話している。それもKinkiが縁結びになっている。だったらアルバムのイメージガールとか頼めないかなということで連絡とったらトントン話が進んだ。
 25年前と同じ、今度はもっと若い人のチカラを借りてアルバム制作を励んでいる。そういう今がある。吉田拓郎が奈緒をプッシュしているのではなく、奈緒という人のプッシュで吉田拓郎が今また頑張っている。エピソードなんだ。いかがでしょうか。これが時代は変わると言うこと。時代とは変わっているんだと老いも若きも唸った。レスペクトするボブ・ディラン、The Times They Are a-Changin

 人生の後半に二度も年下のサポートを受けて素敵な時間を過ごしている。最高のアルバム、最高のドキュメンタリー映画、最高のミュージックビデオ。最高のエッセイ、ライトライナーの覚悟、やる気になっている。

 時はこういうものだと自覚したい。いつまでもというのはよくない

<奈緒さんのオールナイト聴いた、おじさんおばさんだけでなく若いファンがいて幸せですねという投書>
 奈緒さんのラジオは好評だったですね。ほわーとした語り口調、天性の声、ラジオに向いている。もしかして彼女のレギュラーとか始まるかもという予感がした。メッセージで、もし奈緒さんがギャラが安ければ 銀行に走りますと言った。彼女は珍しく笑い転げた。あの瞬間に本質をみた気がする。ケタケタ笑う素顔。そこに素顔を観た。するどいね、拓郎さんは。

 奈緒さんホントにお酒が強いらしい、僕も若いころだったら負けやしないけど今はワイン一杯で逃げ出す感じだから、もし飲み会で奈緒さんと一緒になったら、やべーと帰ることになる。そしたら「こらー拓郎」、誰だ(笑)。昔、いたな。安井かずみと加賀まりこ
。こらー拓郎とよく言ってたな。空想だけど奈緒さんが「コラ拓郎逃げんのか、情けない」とか言われて、今僕はいろんなことを怖がる人生なので。「はいはい、どうも、僕も昔、朝まで歌うと言うのはやったんですけど、朝まで飲むのはどうも」「一曲歌いましょうか」「”今日までそして明日から”は飽きたよ」「じゃあ、生きてる限りはどこまでも〜キー間違えた」(骨まで愛して1番フルコーラス)・・・

 お正月にテレビで菅田将暉君がさんま君に手製のスタジャンをプレゼントしていた。裁縫が得意とLOVE2に出た時に言っていた。菅田君、僕も欲しいな。オリジナルのジージャン作ってほしいな。忙しいんだろうけど僕にも縫ってほしいな。
 映画「糸」を遅いけど観た。菅田くんは知っていたけど、小松菜奈さんは僕は遅れているのでわかんなかった。最初に小松菜奈さんが最初に登場した瞬間「おお、いいねぇ、この人いいねぇ」と佳代さんにも口走った。何がいいんだよ。菅田君、彼女はいいよ。杉咲花さんもいい。共通して不思議が入っている。結婚おめでとうございます。
 吉沢亮と杉咲花の「青くて痛くて脆い」。映画を観ているうちに「誰これ?」、亮君はCMで佳代が共演していたけど、杉咲花という人に見入っていってしまった。青春だな〜みんなチャーミングだね。自然な存在感が好印象だった。

 奈緒ちゃんが花魁の役で出演している映画「みをつくし料理帖」、みよちゃんってアラララ、奈緒ちゃんだよ(笑)、時代劇もOKだな。幼馴染が、料理人と花魁とに人生が別れる。奈緒ちゃんの誠実な空気感。みなさんいいお仕事が続いている。NHKの雪国では奈緒さんが駒子を演じるらしい。  
 次の歌は菅田将暉くんに送る、奥様とこんな気分で(笑)。

M-2   pillow       吉田拓郎

(CM)

■ 11時
拓郎)俺は夏はもちろん冬もチンチンに冷えた氷水を飲みたい
佳代) 私は夏も冬も常温。女優は常温

 吉田拓郎が渾身のソウルを傾けて制作中のアルバムから、永い間 応援してくれている俗に言うファン、もちろん最近の方もOKだけど、みなさんへのメッセージと受け取ってほしい曲が完成した。Contrastというタイトル。何がコントラストかは、各自それぞれが判断してください。共有なんてしなくていいです。

 僕=吉田拓郎は、変わり者だったんでしょうね。僕という生き方は、長い人生で時にファンにとっても誤解や不信感を抱かせた気もします。
 音楽人生で、いろんなことが起きたし出くわしもした。その時々に僕なりの事情はありましたが、決して避けては通れない瞬間。僕の運命的なものだった。

 僕は、子どもの頃から非常に身体が弱くて学校も半分くらいしか行けなかった。家にいることが多い。母親が与えてくれた雑誌とか漫画とか小説を楽しみに日常を家にいて過ごしていた。ラジオの音楽やスポーツを聴いたりするのが楽しみだった。一人で家にいる子ども時代。学友や友だちもいない。読み漁っている本を読んでいる世界に入り込んでいくことが多かった。一人で孤軍奮闘して日々の生計を立てながら世界を支えてくれた母親が僕に大きな意味合いを持った。
 僕の母は厳しいことはなく好きにさせてくれた。時々病気の枕元に来て話をしてくれた。母親の信念、テーマとして常に自分に正直にいることだった。

「もし拓ちゃんあんたがみんなとは違う考え、違うなと思うとしても、みんなにおかしいと言われても、自分はこういうふうにしかできないと思う時がくる。できないことはできない、自分の心に嘘をつかない。できないこともできるといって仲良くする必要はない。できないから仲良くできないのならしょうがない。自分に正直に生きなさい。」

 そういうことを言っていた。当時は意味がよくわからなかったが、この言葉が後に大きな支えになる。自分に正直であろうと思う。それは母親が僕を洗脳していた、多分に影響を受けて信じてきた。僕は結局自分の心に嘘をつかないという生き方をすることになった。母と僕との心を通じあった約束を守った。

 父親のこともどなたかが父の業績を書いた本のこととかもメールで言ってくる。僕も姉も亡くなった兄もそして母も、私達吉田の家族は父親をあまり愛していません。父は頑張って何を書き残したか、それは家族には関係ない。父は僕達を見放して、僕達の苦労を知らずに自分だけの世界で人生を全うしたと思っている。我々家族からは、母が一人で苦労したのを観ていたので父を許しません。
 二曲ほど父の歌を作りましたが、何を感じ取っても自由だが、それらの言葉には裏の意味合いがある。僕はあの父をまだ許していない。彼は僕等を全然愛していなかったのではないかと思う。
 兄も立教、姉貴は素敵な男性と結婚しと夫は亡くなってしまったけれど素敵な人生を送っている、僕も紆余曲折ありながら音楽人生を歩いてこれた、これらはすべて母親が敷いてくれたレールだったと思う。母親への愛は非常に深いものがあるが、父親に対しては許しさえも感じない。

 母親との心の約束を守るのが恩返しだ。人生の壁でやむを得ない結論を出したことがあつた。僕の心には自分は間違っていない。社会から何を言われても 黙って受け止めようという覚悟だった。みんなとは違うかもしれないけれど自分を信じる。だから黙り込もう。黙って生きるのは難しい。人間は黙って生きるように作られてない。何回も思った。でも黙っていなきゃならないことがある。そんな時、自分が自分に対して正直ならいいという結論があった。”流星”で正直だった悲しさ・・・それが自分らしさにつながる。いつか必ず人間として生を受けて必ず穏やかな日常が来るんだ。自分らしく正直に生きてきた。そういう時音楽が傍にあって、音楽が拓郎そばにいるからなと言ってくれた。音楽に対する感謝もあった。

 Contrastというタイトルにして、ミュージシャンとして50歳からサポートしてくれている武部と鳥山。デモテープを聴いて熱いものを感じたとメッセージをくれた。
 この曲の演奏は魂の演奏、たぶん僕の唄を聴きながら楽器を演奏しながら心の中に何かが生まれたんじゃないか。

 最後にエンディングのピアノとギター、実に真摯でそれでいて情熱的なソウルだ。この歌を拓郎さんもっと歌えともっと頑張れいいながら弾いてくれ、織の声を聞かせようと思うな、俺の歌とバトルするような気分で演奏してくれと頼んだ。

 ボーカルはリモートの仮唄だけど、これも捨てがたい、これはこれでドキっとするかもしれない。急遽ミュージックビデオの作成も決まった。奈緒ちゃんを主人公を演じてくれて嬉しい。僕がこのシナリオを書くかもしれません。
 1946年、昭和21年の4月、戦後のどさくさ鹿児島に生まれた自分が音楽という道筋を観た。想像もしなかったことが待ち受けていた。一人の人間の真実の景色、今夜みなさんもみませんか。みなさんエールを送るつもりで書きました。そんなにチカラ強い言葉はないかもしれない、しょせんみんな人間はひとりぼっち。ひとりだからこそ誰かとの愛、誰かとの言葉を誰かとの気持ちを求めて生きてゆく。例えば僕は間違っていても〜と書いたけど、そのことを誇りにして今後は半歩でもいいから歩いて行こうと思っている。

M-3   Contrast (仮歌)   吉田拓郎

 いよいよ音楽人生の総決算、アルバムの全貌見えてきた。7曲完成している。本邦初公開の話。隠すこともない。アルバムの心境。

  僕のパートナーの佳代さんはシングルマザーとして育てられた。幼いころからお義母さんが頑張って育て上げた。僕の母も夫婦の形式はあったが、小学校3年のころ母は父のいる鹿児島を出て、広島で暮らした。
 なぜ広島か、母が就職することになり、国家試験を受けて広島にだったら働き口があるということで行くことになった。女性が働くのは大変な時代だった。広島の盲学校の栄養士の職を得た。兄は既に立教大学に行っていたので、姉貴と僕と祖母が一緒についていった。詳しくはアルバムのエッセイに書く。
 佳代のお義母さんも僕のお母さんも既にあちらで楽しくしていると思う。夫婦で互いの母親のエピソードを話すが、なぜか笑ってしまう。想像できない苦労があったはずだ。時代が時代だから相当に大変だったはずだ。人知れず泣いたこともあったと思う。そういう厳しい体験はことさらのようには話さなかった。
 2人の母親は人間として苦しい人生を体験したにもかかわらず、できる限り伝えない人生を選んだのではないか。
 数年前の宮藤官九郎のドラマで、佳代が、主人公の錦戸くんのお母さんの役を演じたことがあった。お母さんはそれはそれは〜池袋ウエストゲートパークの長瀬のお母さんもそうだったけど、キュートな母を演じていた。
 その母が、突然の臨終のとき、夫の風間杜夫に、お母さんが酸素吸入器のままで小さな声で囁いた。「ああ・・・・だった」。その一言が僕は、冷たい水をかけられたような背筋にイナヅマが走った。天国へ行くときのひとこと、これは僕のラストアルバムとと思った。なんて素敵な、なんて正直なセリフを書くんだ。それがアルバムのタイトルにつながっていったんだ。   
 考えてごらんよ、音楽人生も女優人生もお互いにいろいろあったじゃないか。人に言えないキツイこともあった。あの演じたお母さんのセリフがわかる気がしない。そういう辛かったんだよと言わずに、佳代が演じたお母さん空気感を僕もやっと感じられるようになった。あのお母さんの一言が俺たちの親の本音だったのではないか。

 この話をタムジンファミリーやシノハラや奈緒さんに伝えた。みんなそれは素敵なアルバムタイトルになるんじゃないですかと言ってくれた。
 それを聞いて、僕は最後のアルバムのジャケットはつま恋で撮影しようと決めた。春の気配が見えたら全員でつま恋に行って撮影しようと思う。
 朝までやるぞの多目的広場、エキシビションホール、僕はカートで移動したけど練習ルームに行くトンネルと並木の景色。
 思い出深い場所で奈緒さんに自然に空気を感じ取ってほしい。佳代と僕のお母さんが現代に今若者としていたら、若々しい希望に満ちて自分の未来を描きながら女性としていたらという約をやってもらう。奈緒さんにシノハラの衣装でつま恋の自然の空気に溶け込んでいく、そんな写真を撮りたい。

 安井かずみが病魔と闘っていたころ加藤和彦とのデュエットの「純情」のカップリングで、僕が作詞だけして。音楽人生で作詞だけの参加は珍しい。本来は、ZUZUが書くところだったけれど安井かずみから体調崩していたので、彼女からも拓郎書いてあげてよと言われて書いた。久しぶりに聴いたら いいじゃない、いい詞書くなと自画自賛。
 まさに五月。春から初夏に完成・完結する。それにしても感染状況が心配だけど。

M-4  5月の風


<入院しているが拓郎さんの曲を聴いて愛用のイヤホンは何か投書>

 音は好き嫌い。個人差がある。サウンド評論家の言うことは気にしない。重低音、高温がどうだとか信用しない。武部はイヤモニはお手頃の国産のもの。好きな音を選ぶべき。僕のは一万円しない。
 家ではチェックしないといけないベースの音とかチェックしなくてはいけない。ソニーのMDR 。原音に近い、重低音が鳴ってなくてはというのは聴けない。原音は仕事用にはいい。
 イヤホンは今は製造中止 ゼンハイザーのMX型。バランスがいい。インナーイヤー型、だと生活音が入る。なので、カナル型が人気。しかし僕はノイズキャンセラーではなく、自然なノイズも聞こえながらが音楽を聴くのが好きだ。完全に音楽しか聞こえないそんな世界は好きじゃない。

■エンディング
 佳代さんはコロナ禍で外食しようと言わない。洋服はプラダか好きで、僕も好きだけど、以前は年に数回買い物に行ったけれど今は行かない。
ヘアサロン、ネールサロンと銀行の振込だけ。永い間ドラマの女性プロデューサーのIさんと家族ぐるみて食事に行ったしていた。
 その方からのメールで、奥様は、いつでも天の岩戸からお出ましになられますか、天照愛子様のおでましをお待ちしています。大ヒット(笑)。似合ってるな。最近、除菌が減ってきたかな。ひところは除菌の鬼だったのだが。コロナはなかなか収束しないのでもうしばらく自粛を受け止めて行こうかと思う。いつかIさんとマウイ島に行こうと行っている。天岩戸から出てこない。おーい(笑)。

 次回は2月11日

M-5   イエスタデイ・ワンス・モア     カーペンターズ

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆おそらくタイトルも、そこからまた何がこのアルバムの根幹のコンセプトなのか、なぜイメージガールが必要で、つま恋なのか、そしていかに渾身の魂でなくてはならないか。すべて直覚で伝わってまいりました。
 なんというか何もいえません。Contrast、この久々の魂の純粋経験。まだ感想云々いえる状態ではない。

☆ アルバムの順調な進捗を喜ぶ気持ちはもちろんだが、なんかこう荷造りが進んでゆく人の背中を観ているような寂しさがやはりある。
  永すぎた春 時の流れを 荷造りしている恋人を背に
 みたいな気分である。まさにこれから天の岩戸に入っていこうとしている神様を見送るみたいじゃあないの。

☆「アルバム完成後のツアー決定ですね」とメールをしたリスナーの方は、間違いなく奈緒さんのラジオでの拓郎のメッセージの「やれとおっしゃれば」とそれに対する奈緒さんの返事で交渉成立!!ってつもりだったに違いない。もともと自分で言い出したことなのに、さりげなく火消する拓郎。いや、でも「ツアーからの撤退」って言ってたな。単発シャウトはあるのか…って未練じゃないかよ。

☆やっぱりKinkikidsがスーパースターだと思うのは、@吉田拓郎からかかってくる電話に出ないA吉田拓郎からショッピングに誘われても行かない、という選択肢をへーきで持っていることだと思う。あり得ん。俺にはあり得んぞ。やっぱり一般Pとスターの間のはるかに高いウォールマリアの壁を感じずにいられない。

☆5月の風 歳とともに聴くたびに深まる名曲感。安井かずみさんからも託されたのか。

☆これからゆっくりと心の中で反芻し解題してゆくべき放送だった。そうしよう。

☆☆☆星紀行の今日の学び☆☆☆
 私にとっても一本の道でありました

2022. 1. 13

☆☆☆私の頭の中のモノサシ☆☆☆
 感染増加に暗澹たる気分になる。怖い。それなのに不謹慎だと怒られるかもしれないが、2000人と聞くと渋谷公会堂が、3000人と聞くとNHKホールが頭に勝手に浮かんでくる。浮かばない? 満員の客席を思い出してあらためて慄然とするのだ。これに関してはとにかくこれ以上キャパが大きくならないでくれと心の底から祈らずにいられない。自分もそうだが、皆様、本当にお気をつけて。

2022. 1. 12

☆☆☆呼んでいるどこか胸の奥で☆☆☆
 "千と千尋の神隠し"の主題歌「いつも何度でも」…なんかタイトルが惜しいな…じゃなくて、この曲を聴くたびに問答無用で涙が出る。10年前のあの時に動画で観たナターシャ・ジグさんの声でいつも脳内変換される。

    さよならのときの静かな胸
    ゼロになるからだが耳をすませる

…ということで"Contrast"をできるだけゼロの気分で聴くためにしばらく静にしていよう。

2022. 1. 11

☆☆かっけーイントロダクションとその他☆☆
 衝撃ガツン系、胸わしづかみ系等とは別に、おお〜カッコイイ〜と唸ってしまう1曲目も多い。
 すぐに浮かぶのはアルバム「感度良好波高し」の1曲目の”ベイサイド・バー”だ。初めて聴いた時、思わずカッチョエエ〜と声が出てしまった。ギターを抱えたあのスレンダーな立ち姿が目に浮かぶようだった。

 アルバム「吉田町の唄」の1曲目の”夕映え”もそうだった。なんてドラマチックな始まりなの?スケール感もある名曲だ。映画の主題歌にしてもいいくらいだ。>だから主題歌だったろ。いや、あの映画での使い方には納得できない。あの映画での使い方、あれは、マチガイでした。

 さらにはアルバム「アジアの片隅で」の1曲目の”まるで孤児のように”。このスタイリッシュなレゲエとでもいうべきサウンド。少し抑えめの歌唱。”アジアの片隅で”という超大作、”いつも見ていたヒロシマ”、”元気です”という名作が控えていることは聴く前から知っていた。どの曲にも頼らずに、ジャブのようなこの曲でサクッと始めてしまうあたりが、もうカッコイイんだから〜。

 このようにアルバムの1曲目はインプレッシブなものばかりだ。ただ、そんな中で、これはどうなんだという一曲目がある。もちろん個人の意見だ。
 「detente」の1曲目”放浪の唄”。「detente」は名盤だが、だからこそこのオープニングはどうなのよ。鬱々とし時に演歌チックな曲だ。いや、拓郎は好きなんだろうし私の感性の乏しさなのかもしれないが、これはいただけない。私はこのアルバムは”たえなる時に”からズガーンと始めてしまって良かったと思っている。

 で、今年、私達は最後のアルバムの1曲目を聴くことになる。俺ごときに言われたくはないだろうが、とにかく至高の一曲目を頼みたい。曲としても第一走者としても胸わしづかみになるヤツを。

2022. 1. 10

☆☆目の覚めるようなイントロダクション☆☆
 “ペニーレインでバーボン”、”ローリング30”、”この指とまれ”のようなハードな衝撃ガツン系とは違う曲ながら、1曲目の印象がとても鮮烈だったアルバムもある。

 最近ではアルバム「午後の天気」の1曲目”僕の道”だった。とろけるようなイントロを聴いた時、胸ワシづかみ状態になった。心の奥底を刺激されてそのままアルバムの世界に引っ張り込まれた。しかし、これがベストアルバム「From T」の一曲として聴くといい曲だとは思うが、そこまでではない。トラックダウンし直したせいもあるのか。とにかくこの本家の一曲目は鮮烈だったと俺は思う。

 もう一曲はアルバム「大いなる人」の1曲目”あの娘に逢えたら”。当時は高校1年生だったが、レコードに針を落とした瞬間、あのイントロにびっくらこいたものだった。それまでの拓郎とは全く違うサウンドに面喰った。鈴木茂のチカラか。メロウで成熟した演奏となんか余裕ぶっこいた拓郎の歌いっぷりは、大人の別世界のようで戸惑った。戸惑った高校生の当時の結論は「やっぱり社長になると違うな、ゴージャスだなぁ」というものだった。我ながら恥ずかしい。しかし、今聴き直すと確かにもはやバーボンではなく、高級ブランデーの香りがする。闘う若者路線ではなくバブリーな退廃した感じが漂う。とにかく印象的な一曲目だった。

 アルバム「サマルカンドブルー」の1曲目”レノン症候群”。イントロを聴いた時からなんか泣きそうだった。感動というのとは違う。84年の「FORVER YOUNG」の”ぺーレインへは行かない”がお別れの歌だとすれば、この歌はお別れしたあと、何にも無くなった荒涼たるスケルトンを見つめているような、ああホントに終わっちまったんだなという寂寥感が滲んでいる。こんな切ない1曲目もある。
 ♪あの二十歳のころの快い無邪気な自分はもういない〜 今日は成人の日か。そうです、たちまちいなくなります…って新成人に贈る言葉かっ。え、18歳か。

2022. 1. 9

☆☆魂のイントロダクション☆☆

 ということでアルバム「元気です」の”春だったね”の1曲目の高揚感の素敵さをあらためて感じた。これと同じようなウキウキな1曲目があったなと思い返す。そうだ、アルバム「こんにちわ」の1曲目”いくつになってもHappybirthday” だ。この明るくポップなオープニングも爽快だった。

 楽曲それ自身の魅力とともにアルバムの1曲目に置かれること=ファースト・ランナーなること、そのこと自体からしみ出てくる魅力というものもあると思う。

 そう思ってこれまでのアルバムの1曲目をつらつら思い返し、聴き直してみた。どれも拓郎による渾身の練りに練られた曲順に違いない。どのアルバムの1曲目も胸わしづかみand/or胸がゾワゾワするものばかりだ。
 一瞬、例によってアルバム1曲目番付を作ろうかと思ったが、さすがに順序付けはとてもできない。好きなアルバムの順位付ができないように、どの1曲目もそれはそれで愛おしいもんだ。

 とはいえ「今はまだ人生を語らず」の1曲目の”ペニーレインでバーボン”は至高の一曲目だな。ガツンと頭を殴られたような衝撃がある。そもそもこのアルバムは、第一走者(ペニーレインでバーボン)と続く第二走者(人生を語らず)の圧倒的な走力で、すでに往路復路の完全優勝が決定的になってしまう駅伝みたいなものだ。どんだけすごい1曲目かということでありんす。
 この1曲目の超絶の凄さがあればこそ、10年後の「FOREVER YOUNG」の1曲目の”ペニーレインへは行かない”が心の奥深くに染み入るのだ。

 「今はまだ人生を語らず」の他にも「ローリング30」の”ローリング30” 、「無人島で」の”この指とまれ”のようないきなりガツンと衝撃=心臓わしづかみ系の一曲目がある。拓郎のオマエたちどうだっ!という挑戦を感じる。聴いていると俺も立ち上がって何かをしなきゃと震い立たされる。ま、結局何にもしないのだが。

 拓郎の挑戦といえば「伽草子」の1曲目”からっ風のブルース”は、今にして聴けば「俺はフォークじゃないんだ、バカヤロー!」という渾身の心のシャウトが聞えてきそうだ。
 
 1曲目にこだわって味わう…いいかもしんない。ちょっとつづく、かも。

2022. 1. 8

☆☆50周年☆☆
 アルバム”元気です”を久々に聴く。1曲目”春だったね”のイントロで途端にトリップしてしまう。別世界の扉がバーンと開く感じ。♪が躍っているような松任谷正隆のキーボード、言葉のひとつひとつがウキウキ自由に跳ねまわっているようなメロディーとボーカル。まさにみずみずしいポップだな。感性の乏しい人々は(※個人の感想です)これを「字余りソング」という陳腐な表現しかできなかったのも無理はないか。とにかく楽曲としてもアルバムの幕開けとしてもすんばらしい。

 で何が凄いって、この最高のPOPが、翌年のライブ73では、これまた超絶すげーブラスロックに転生しているところも大きな感動なのだ。無敵のバージョンアップだ。サナギマンからイナズマンに変わるくらい凄い>だから知らねぇよ、そんなの。
 リアルタイムで72年当時にアルバム「元気です」を聴きこんだ人が、翌年ライブ73を聴いた時は、ぶっ飛んだだろうな。俺もぶっ飛びたかったっす。
 72年と73年の”春だったね”。こういうのをContrastというのではないか。違うかな。72と73の素晴らしきcontrastというか大きなふり幅の中に拓郎の魅力の真骨頂があると思うのだ。

2022. 1. 7

☆☆☆悲しみは雪のように☆☆☆
 雪でした。雪の中を極寒に震えながら駅に向かっていたら、老眼鏡と財布を仕事場に忘れたことに気が付いて涙ぐみながら戻った。超寒い。これって雪の中、落としたウルトラアイを捜しまわる"零下140度の対決"のモロボシ・ダンみたいじゃんとふと思った>知らねーよ

 まさに外は白い雪の夜。客さえまばらなカウンターの椅子で新年のご挨拶。お久しぶり&お疲れ様でした。よくぞご無事で。でもココももう危ないかもしれない。俺のツボなお土産をいただいた。心の底からありがとうございます。嬉しい。でもドイツ語が全然わかんね。昔習ったような気もするがたぶん気のせいだ。
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 それにしてもこの世界のどこにも安全な場所がないというのはよく考えるとすげー怖いな。この星がどこへ行こうとしてるのか、もう誰にもわからない。ってこれは浜省だったか。とにかくとにかく世界の果てでも変わらずに元気でいてくださいね…とジジイは祈らずにいられない。

2022. 1. 6

☆☆明日の前に☆☆
 「『罪と罰』を読まない」を再読している。ドストエフスキーの古典「罪と罰」を読んだことのない4人の作家たちが、勝手気ままにタイトルや登場人物の名前という僅かな手掛かりから推測と妄想でこんな話じゃないか、こうだったらいいなということで堂々と読書会をするというトンデモな内容だ。「未読読書会」というらしい。
 もちろん読んでないのだから真実の物語からは程遠く予想も外れまくる。まさにそのcontrastがまた面白い。自由すぎる。最後に三浦しをんは、読書とは、読書の楽しみとは、本を読むだけではなくその本を読む前から始まっている…と言い切る。
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 ということで我らが「ラストアルバム」だ。まだ未完成ではあるが、こうして拓郎がデモテープはじめいろいろと手掛かりを撒いてくれるので、既にラストアルバムを聴く前からその鑑賞は始まっている。
 スタッフがみんな「泣いてしまった」というのは感動したということであり、悲しくて泣いたのではないではないと思う(爆)。そのうえ「一人の人間の真実の景色」と言われて期待しないわけがない。どんな曲なんだと悶々として1月14日の放送までの日々を過ごすとき、もう既に私たちはラストアルバムを味わい始めているのである。ファンにとって今しかできない楽しみである。そしてそういう経験は泣いても笑ってもいよいよこれが最後なのだ。

2022. 1. 5

☆☆☆僕はその日映画を観ていた☆☆☆

 年末に観て感じ入った映画「花束みたいな恋をした」は、一筋縄ではいかない映画だ。淺読み、深読み、誤読、全部抱きしめてさしあげます的な深いフトコロがある。

 簡単に言うと、例えば何のとりえもない若い頃の自分が、ある日偶然に「”吉田拓郎”が大好きで辛い時にお風呂でいつも”今日までそして明日から”を歌ってます、とにかく好きな曲は”証明”です、座右の銘は”半歩でも前へ”です」…と熱く語る異性に出会ったら、そんときゃどうするか…どうもこうもない、そうしてそうなってしまったら、それからどうなるかっていう走馬灯系映画だ。もちろん吉田拓郎は一ミリも映画に出てこないよ。それでも、なんか"大阪行きは何番ホーム"みたいな切なさがある。…あくまで個人の感想だけどさ。

 それにしても菅田将暉…いいねぇ。オーラのON/OFF、あるいは彩度の調整が自由自在にできる演技力がある。菅田将暉の意志的な眉目をみるたびに、もし庵野秀明がシン・レインボーマンを作るとしたらヤマト・タケシは彼しかいないと思う>なんだよ、それ。

2022. 1. 4

☆☆☆土地の柵を支える人々☆☆☆
 ♪箱根に行きたいと思っているよ、心が洗えれば幸せだから〜ということで正月は箱根の別荘で過ごした。もちろん私のではない。しかもウルサイ老母達も一緒で心を洗うどころではない。
 ちょうど大学駅伝があったので応援に出かけて生まれて初めてリアル大学駅伝を観た。過酷な山道を目を見張る速さで登ってゆく走者たちもすばらしかったが、沿道の観客柵を全力で押さえているSECOMのおじさんたちにも心を奪われた。
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 つま恋75の実録本「ドキュメントつま恋」から
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 つま恋75に行っていない俺は、昔から何回もこのドキュメントを読み返しながら妄想し、この押し寄せる6万人の観客の人波を必死で支える警備員さんのくだりで手に汗を握ったものだ。なので柵を支えている警備員さんを観るだけでたまらなく萌えるのだ(爆)。

 珍しく俺が応援したおかげで母校は見事にシード落ちした(爆)。それよりも青山学院のあの明るく陽気な無敵っぷりは凄いな。サザンオールスターズの快進撃を観るような気分だ。

2022. 1. 3

☆☆女優☆☆
 奈緒さんのラジオは聴いて良かった。以前のテレビ出演時の奈緒さん宛てメッセージ(a dayの2021. 10. 30)にあった「”今日までそして明日から”の他にもいい曲がたくさんあります…」という言葉を真摯に受け止めておられる様子、そこから「証明」をチョイスされるあたり、また「半歩でも前へ」という言葉も大切に深めておられる様子などなど、まっすぐ素直に拓郎の曲と言葉を心に受け止めていることが伝わってきた。この俺のような傷つき汚れて屈折したジジイにはないピュアな心を感じさせてくれた。
 
 問題はあのお方だ。いや、もう何も言うまい。ただ思い出すのは1985年のことだ。
 シンプジャーナル(85年9月号)で国立競技場のイベント「ALL TOGETHER NOW」についての南こうせつと財津和夫の対談が載った。
 イベントのテーマ曲「ALL TOGETHER NOW」の作詞を全員一致で吉田拓郎しかいないと頼んだが例によって頑として応じない。ユーミンと小田和正と財津和夫と南こうせつが深夜まで説得するが首をたてに振らなかった。途中財津和夫は説得をあきらめて帰ったようだ。
 南こうせつは語る…
「僕らはもう、ひとつここはねばり腰しかないってんでユーミンと小田さんと三人がかりでね。でも、なっかなか「ウン」て言わない…たまたまそこに薬師丸ひろ子さんが居合わせたんだ。…そしたら拓郎がえらい上機嫌になっちゃってね!(笑)…
 そしたら、薬師丸ひろ子さんも当日来る、と。「拓ちゃん、この可愛い薬師丸さんが歌うんですよ。ここはひとつ!」そしたら「ウン、約束します!」だって(笑)」

 …そういうお方なのだ(爆)。そういうことがキッカケで歴史というものは動くときには動き出すものなのだ。

 そういえば薬師丸ひろ子の紅白もすばらしかったな。音楽の神様が女優に降りてくるとこうなりますという模範演技のようなステージだった。そうだ「真実はステージにある」というお言葉を思い出したぞ。

 ということで、あれはジョークだと一蹴したり、逆に思い込みを深めたりもせずに、ジジイの俺も素直な心で、拓郎と奈緒さんの約束を言葉通りまっすぐに受け止めようと思うのだ。

 ……めっちゃ期待してるじゃん(爆)

2022. 1. 2

☆☆☆最後に"拓郎さんあなたもうライブツアーやらないの?"とおっしゃれば、はい、奈緒さんが「やれ」とおっしゃるのでしたら、つま恋でオールナイトでも考えます☆☆☆
やれ!! >だからオマエじゃねーよ
 いや、それでも奈緒さんがちゃんとおっしゃってくれたぞ。ありがとう。"証明"、"半歩でも"、そして"エンディングの襟裳岬のインスト"まで、なにもかもがすんばらしい。

2022. 1. 1

☆☆☆永遠の半世紀☆☆☆
 新年あけましておめでとうございます。
 今年は、2022年。昭和97年。もちろんお気づきの方はお気づきでしょうが、あの我らが名盤アルバムが発表されてから今年で50周年です。言わずと知れたこれ↓です。
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>ちげーよ!!(爆) それにしてもコレ↑はコレで悪い意味で凄そうですが、もちろん正しくは当然こっちです↓。
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 この吉田拓郎の名盤誕生50周年=半世紀という尊き佳節に、奇しくも私たちは同じ吉田拓郎の「ラストアルバム」を迎えることになります。この貴重なひとときを僕たちは何かをせずにはいられない。でも、それが何だかはわからない。ということで今年はそれを探したいです。

…紅白は年々アウェー進行だけど島村英二、松任谷正隆の姿を見つけるとそれだけで嬉しい。お疲れ様でした、藤井風さん初めまして、そして何といっても、あいみょん、良かったねぇ。
    “愛を知るまでは死ねない私なのだ!”
 導かれた運命辿ってOne Last Yearなのかもしれないけど、元気でまいりましょう。

 「時が過去から未来に流れるばかりでなく、時が未来から過去に向ふと考へられねばならない。時が円環的運動をなすと考へられねばならない。…一瞬一瞬が永遠の今に触れるといふ意味に於て「時」といふものが考へられるのである」(西田幾多郎「現実の世界の論理的構造」より)

2021. 12. 31

☆☆また歳月が行ってしまうから大晦日☆☆

 “花束みたいな恋をした”…観た…たまらん。今年も最後に来て突然現れた本年度私の個人的ベスト1。順位つけるほど映画は観ていないか。

 今年も大変お世話になりました。心の底からありがとうございました。来年が平和で、吉田拓郎と拓郎を愛するすべての人々にとって最良の年となりますように。

(星一徹心の俳句)
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        年越しの
          そばより拓郎(キミ)の
                 そばがいい

                    良いお年を。

2021. 12. 30

☆☆☆それもこれも全部抱きしめて☆☆☆
 “LOVELOVEあいしてる”のオープニング。拓郎は”全部抱きしめて”or”好きになってく愛してく”の自分のパートを歌い終って、ゲストが登場すると入れ替わるようにすーっと静かに後ろに下がってバンドと並んで演奏を続ける…そして演奏が終わると後ろからゲストに手厚い拍手を贈る。
 このほぼ定番のスタイルがあらためて観ても、いいんだよねぇ。先日のラジオで言ったとおり、Kinkiのサポーターに徹するという気持ちが自然に体現されている。こういうところがカッコイイと俺は思う。このサイトでも何万回か言ったがまだ言い足りない。オレがオレがと前に出て行かないところが拓郎の魅力であり同時にまたファンにとっての歯がゆさでもある。

 ついでに2017年のLOVELOVEの菅田将暉とのシーンを何回も見直してしまう。トークの冒頭で、拓郎はKinkiに対して、よほどの事がない限り安易に自分に話を振るな、「よほどの吉田」なんだと厳しく申し渡したその直後、光一君が菅田君に「すだまさき」と「さだまさし」の響きが似ていると話した途端に、ゲストがさだまさしだったら俺は帰るよ!と声を荒げてしまう拓郎(爆)。…剛君が静かに「よほどの事だったんですね」と受けるところ。あそこが超絶大好きで繰り返して観てしまう。

 で。その菅田将暉の映画「花束みたいな恋をした」を録画したので今日観る予定。やたら絶賛されているよね。いい歳して恥ずかしいとか家族に言われそうなので、できればひっそり一人で観たいが、年末のお掃除とかの慌ただしさも手伝って、なかなかタイミングが難しい。

2021. 12. 29

☆☆☆細かすぎて伝わらない感動☆☆☆
 “LOVELOVEあいしてる”の印象に残る名場面はそれこそ膨大にある。それとは別に個人的にトリビアなツボもあった。
 まず浮かぶのは笑福亭鶴瓶のLOVELOVEな歌。いきなり”春を待つ手紙”をリクエストして驚いた。すげえ。しかもその時に鶴瓶は”誕生日”とどちらにしようか迷ったというディープさにも感服した。違った意味で鶴瓶師匠と呼びたい。それ以来、鶴瓶が他の番組で下半身系の放送事故をやらかしても、きっと師匠には何か深いお考えがあってのことに違いないと思うことにしている。

 次に、"野猿"の一員として出演した石橋貴明。LOVELOVEな歌は"アン・ドゥ・トロワ"だったのだが、その流れと関係なく貴明は突然、拓郎に真剣に話しかける。
 由紀さおりさんの♪あなたが運転手に〜のルームライトも拓郎さんが作ったんですね。僕は涙が出ましたよ.♪車もすぐ止まり私は降りる〜.いや,僕はね,泣けましたよ.やっぱ俺は「ルームライト」歌いたいよ.とゴネたのだった。…ああ貴明。ほんとに小6の時に聴いた"ルームライト"が好きで、それが吉田拓郎の作曲と知って感激している様子がありありと伝わってきた。

 最後に有名すぎるトリビアみたいだが、松たか子が"幸せな結末"を歌って、最後のテロップにバッキングコーラス大瀧詠一って出た時も驚いた。ええ、出てたのかよっ!、すわ吉田拓郎と大瀧詠一ついに共演かよっ!ということでビデオをコマ送りにして見直した。防犯カメラを解析する刑事の気分で姿を捜した。いなかった…よね。音だけだったんだよね。

 …♪オミクロンの黒雲が海を渡って近づいてくるwohwohって不謹慎な替え歌を歌っている場合ではありません。くれぐれもご注意ご自愛のうえ幸せな歳末をお過ごしください。

2021. 12. 28

☆☆拓バカたちのささやかな宴☆☆☆
 みんなとりあえず元気で良かった。心配だった方の生存確認もできた。そうかK君は来年で13回忌なのか。それでも寄る年波はいろんな変化を見せてくれる。
 アーティストとともに生きアーティストともに老いてゆくプロジェクトを絶賛進行中の私たちである。素晴らしきかなこの世界と自画自賛。

2021. 12. 27

☆☆☆キミらの背中には羽根があるC☆☆☆

 2001年に”LOVELOVEあいしてる”が終わった。4年6か月。ラジオもあわせた吉田拓郎のレギュラー番組の最長不倒記録となった。

 そしてLOVE2は、終わってからも育ち続けるもの、終わってから始まるもの、終わってから初めて気づくものなどがテンコ盛りの含蓄番組となった。

☆ミュージシャンたれ、音楽とともにあれ
 テレビで人気が出たミュージシャンが、身も心もテレビタレントになっていく例は多く見た。たぶん世間もナンシー関も拓郎のことをタレント化してゆくミュージシャン、悪く言えばテレビの奴隷になってゆく、好個のサンプルとして注目していたようにも思える。
 でも拓郎は違った。すぐにロックンロール・サーカス=公民館ツアーという夢の企画に取り組み、それが残念ながら難しいとなると今度は豪華なビッグバンドでのコンサートツアーにチャレンジして見事実現してみせた。不慮の病も乗り越えてツアーを重ねて、そのままつま恋2006に結実させた。結局、吉田拓郎は常にすべて音楽とともにあったんだよな。拓郎はテレビに出ている時だって一ミリも音楽からは離れなかった。ふははは、甘く見おったな。しかしナンシー関さんはそのミュージシャン拓郎を観ずに夭折された。
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 そう思い返してみると"LOVELOVEあいしてる"という番組もまた違って見えてくる。

 自分は、新たに立ち上がり始めた95〜96年の「Long time no see」〜「感度良好波高し」の外人バンドの流れにとても期待していたので、当時はLOVE2出演によってその流れが断たれてしまったと恨めしく思っていた。
 しかしLOVELOVEはまごうかたなき音楽番組であり、吉田拓郎が元気に蘇生していく音楽再生工場のようなものだったことが今さらわかる。LOVELOVE のスピンオフともいうべきコンサートツアーは陽気で溌溂としたエナジーが漲っていた。99年の20世紀打ち上げパーティで「流星」、00年の冷やしたぬきで「人生を語らず」の久々の封印が解かれたのも忘れられない。
 LOVELOVEは断絶ではなくそれまでの音楽活動とそれからの音楽活動を発展的に結び付けていた紐帯であったことがわかる。旧ファン、新ファン、ファン以外のたくさんの人が吉田拓郎の音楽というものをインストールしなおす貴重な機会となった。

☆ 包み、そして包まれて
 拓郎は、Kinkiの二人を心の友、心の師とまでたたえる。しかし、松本隆は「Kinkikidsがアイドルではなく、アーティストとしての感性を持っている。それは拓郎と付き合ったことが大きいと思うよ。」と語っていた。
 オールナイトニッポンゴールド第9回では拓郎本人も
「スタジオでは僕が撮影のスタッフと大喧嘩してしまったたことも何度かあった。プライドを捨ててもやる気はなかった。光一と剛はそれを現場で観ていた。たぶん知らない吉田拓郎というオヤジのアーティストがこんなふうにするんだ、こうすると怒るんだなとか日常とか態度を観ていたと思う。だから、彼らがよくあるアイドルにはならなかったと胸をはっていえる。」と語った。

 LOVELOVEが終わってからも「堂本兄弟」〜「危険な関係」〜「剛の人生を語らず」などなどフラグが静かにはためいていた。そしてラストアルバムの報を聞いた剛くんが「電話したんでね。拓郎さんと。なんかちょっとこみ上げるものがあるけど……」と涙声で心境を吐露してくれた。「拓郎さんは音楽を通して色んな人に影響を与え、色んな人を救ってる」とも…俺には何の権限も関係もないが、なんていいヤツなんだ、心の底からありがとうと言いたかった。

 ラジオで拓郎はこうも語った。「年齢とキャリアに関係なく、真実=trueで接することの大切さを知った。僕にとっても心の恩師だった。僕も様変わりした。」…繰り返される拓郎の言葉に、また拓郎は同じこと言ってるよと思う向きもあろうが、これは繰り返し繰り返し指先確認しておくべき大切な原点なのかもしれない。年齢キャリアを超えて、お互いにお互いを包み、包まれるという、稀有の人間関係がそこにある。

 ラストアルバムは、kinkikidsとLOVE2で締めくくるらしい。正直言ってまたKinkiかよという思いも少し頭をよぎった。それはどうなんだろうかということで、こうしていろいろあらためて振り返って考えてみた。結論は、何卒よろしくお願いします…ということだ。>なんだよ

 そしてラストアルバムについて語った時の剛君の言葉がたまらん。「生意気ですけど、拓郎さんが『俺、やっぱりもう一回音楽やるわ』って笑って言えちゃうようなやつを作りますねってお伝えしたんです。」←それな!
 俺も生意気ですけど、拓郎、おまえもがんばれよ。>それは生意気じゃない無礼なだけだっ
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2021. 12. 26

☆☆☆我が谷はLOVELOVEなりきB☆☆☆
 例のナンシー関のテレビ批評(「ナンシー関のすっとこ人名辞典」)の中で拓郎の消しゴム版画にこうコメントをつけていた。
「拓郎ファンだった友人は、吉田拓郎がテレビに出いることやCMに出ていることはもう認めるが『コウイチ、ツヨシ、待ってくれよー』と言ってるのを聴いた時はさすがに悲しかったと言っていた。」…これは多分”えのきどいちろう”だと思う。ああ気持ちはわかる(笑)。旧来の拓郎ファンはLOVELOVEを観ると賛否や濃淡はあれどそういう複雑な気持ちと向き合わざるを得ない。

 しかし、一躍人気者になった拓郎には女子中高生のファンまで出現し、TVやコマーシャルにも次々出演した。その勢いの中で拓郎は、旧来のファンに対して、今の俺をとやかく言うオジサンオバサンのファンはいらない!とまで言いおった。ううう。当時のオジサンの一人である俺には結構インパクトがあった。なのでこのサイトでは「LOVELOVEバブル時代」と悪意をこめて呼んでいる(爆)。

 しかしLOVELOVEの影響と功績はあまりに大きかったと今になるとしみじみ思う。

☆功績1  ビジュアル系の復活
 吉田拓郎はミュージシャンであると同時にアイドルでありビジュアルの人だ…と俺は思う。吉田拓郎はルックス的にカッコイイこと、美しいことが何にも勝る大前提である。そこが、谷村新司、さだまさし、小椋佳その他のあまたいるミュージシャンたちとは根本的に違う。無敵のビジュアルあってこその吉田拓郎だ。

 とはいえ1985年以降の"カーリーヘアー後期時代"から、断髪を経た96年LOVELOVE開始時の"短髪初期時代"までの期間はビジュアル的ピンチの時代だったと思う(あくまで個人の意見です)。昔のディズニー映画”滅びゆく大草原”というタイトルを思い出す。俺にとっては地球環境よりも心配な問題だった。
 しかしLOVELOVE出演によって、短髪の拓郎に自然に慣れると同時に、スタイリッシュな短髪なりのカッコよさが、どんどん磨き上げられていった。この番組の最大の功績は、短髪の拓郎のカッコよさをファンを含めた全世間に周知徹底せしめたところにあると俺は思う。もしもLOVELOVEへの出演がなく、年に一度くらいコンサートとかで拓郎の容貌を目にするだけだったとしたら、誰もが「拓郎=長髪」の過去のイメージがぬぐえず、現在の短髪に「あらー拓郎さん髪の毛短くなって変わっちゃったね、老けちゃったね」と落差的違和感を感じ続けていたはずだ。
 ともかくデビューしたばかりの素朴なアイドルが、露出し観られることでどんどんあか抜けて美しくなるのとたぶん原理は同じだ。ルックス的には99年の20世紀打ち上げパーティあたりのカッコよさといったらない。
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 拓郎と関係ない別の番組で元SMAPの仲居くんが、わりと真剣に「拓郎さんてカッコイイよなぁ」と呟いていたのを聴いた時、我が意を得たりと思った。良かった。今度は同じ昔のディズニー映画"砂漠は生きている"を思い出した(爆)。
 そして超絶恥ずかしいが、俺も中年になってから、それまでのイトーヨーカドー&西友ではなく、バナリパやGAPや時にBEAMSに着る物を買いに行くようになった。バブルに浮かれていたのは俺だったか。

☆功績2 呪縛からの解放
 この番組のおかけで「吉田拓郎ファンです」と学校・職場・世間に公言することが恥ずかしくなくなった(爆)。
 70年代中期までの破竹の勢いの時は「拓郎ファンです」という時は肩で風切るような、マウント取りに行くような気分があった。しかしその後、徐々に人前で「吉田拓郎のファンなんです」と口にすることが憚られるようになっていった。そんなことってあるだろう君たちだって。もちろん拓郎が悪いワケではない。しかし拓郎ファンと口にしたときの世間の人々の薄くてしかもその割にメンドクサイ反応を予想すると萎縮してしまうのだ。その点例えばサザンのファンは何も考えず臆することなく「サザン大好きですー はあと」とか公言できるのが羨ましかったな。
 仕事関係の打ち上げでたまに行くカラオケでも拓郎を歌う勇気などとてもなく、つい「光速エスパーのうた」とか「みなしごのバラード」を歌ってお茶を濁すようになっていた。>そっちの方が恥ずかしいだろ
 しかしLOVELOVE以降は「吉田拓郎ファンです」というときの世間の反応は無茶苦茶あたたかものになっていった。アナタ結構できる人ですね、みたいなレスペクトも入っていて気分が良かった。ありがたかったぞLOVELOVE。

☆功績3 視野が広がった
 LOVELOVEでは毎回アイドルから演歌まで時の老若男女のゲストが幅広く出演した。他の番組でも見かける人々なのだが、LOVELOVEに出たあとには特別妙な親近感を覚えるようになった。知り合いの知り合いみたいな感じか。吉田拓郎とトークを交わし、それだけでなく一緒にバンドで演奏して音楽を共にする。吉田拓郎という身体的フィルターを通じて自分にも身近に感じるようになった。そうじゃなきゃスピードとか嵐とか全く無関心だったはずだ。もちろん勝手な錯覚だったのだが、俺のような頑迷固陋な人間には、無関係と考えていた人や世界を、あらためて拓郎を通じて見直すこととなり、世界が少しだけ広がった気がした。

 そういう意味では「免罪符に頼るな教会派の者どもよ」というルターの改革は、我が心にも及んだのではないかと思うのだ。
                  そして最大の功績は…  つづく。

2021. 12. 25

☆☆聖なる歌に祝福を☆☆
 "クリスマスの約束"…小田和正の"流星"…びっくりしたな。拓郎がラジオで"クリ約"と言った時点で何かあると思うべきだったか。俺は油断していた。シンガーの歌を聴きながら後ろの椅子に座っている小田和正の姿ってバス停のベンチで待ってる爺ちゃんみたいだな〜…と悪態をつきながら観ていた。そこに突然の"流星"…とたんに正座して聴いた。すまん。わが罪をお許しください。あの声で、あんなふうに歌われると、あの歌はまた違った輝きを見せてくれる。きよしこの夜、星は流れちゃう。聖夜にありがとうございました。またいつか拓郎さん…のナレーションを楽しみにしております。

2021. 12. 24

☆☆☆愛と追憶のLOVELOVEA☆☆☆

☆松本隆の言葉
 LOVELOVEのきくちPのアーティスト・インタビュー本 (「音楽番組の楽屋でインタビュー!」)で、松本隆に対して“拓郎さんが『LOVRLOVEあいしてる』を始めた時、どう思われましたか?”と質問している。すると松本隆はこう答えた。
 「(拓郎に)半年…ぐらいしてもう止めればいいのにって言ったんだよ(笑)。自分を消費し過ぎるって…」…盟友にしてもそう心配ていたのだ。
 しかし松本隆の忠言に対して拓郎は「いや、これでいいんだ」とキッパリと答えたという。松本隆も後にそれから3年間以上も番組が続いたんだから凄いことだ語った。
 そのとおり、やがて音楽番組としてのクオリティとバラエティの明るさの両輪がうまくリンクしたこの番組は大人気番組となった。そして吉田拓郎は「過去の人」から「時の人」としてお茶の間の人気者になった。世間の冷ややかな反応も身内の心配も見事に跳ねのけてみせた。

☆転がる捨て石になれ
 その転機は何だったのだろうか。いつも胸に忍ばせていたという辞表をなぜ出さなかったのか。これまで、Kinkiの二人のおかげだと語ってはいたが、今回のオールナイトニッポンゴールド第21回の説明が一番明快だった。
「…僕は食べないで飲んでばかりだった。それを彼らが、「あきまへんがな、食べなはれ」と焼肉を置いてくれた。びっくりした。あの二人の何気ない「食べなはれ、あきまへん」という言葉。〜僕は心がダウンして泣きそうになった。」「キンキの心根、やさしさ、自然な行動、素直さに胸を打たれた。」
 …どんだけ孤独だったんだろうか。衝撃だったのは、その後だった。
「この二人のためだったら、捨て石になろう、成長していく二人をもっと大きな心で見守っていこうと感じた。それが50歳の吉田拓郎が新たに進むべき俺の道だった。番組では彼らの良きサポーターとして生きてゆくんだと決意した。」
 「捨て石」!! 日本の音楽史に輝くスーパースターであり神様である男が「捨て石」になると言う。すげえ。スーパースターが自ら捨て石になるなんて、そんな前例は聞いたことがない。これはまさに吉田拓郎の「革命」だと思う。

☆ マイ・ファミリー
 捨て石の覚悟からいろんなことが溶けだしたんだなと思う。オールナイトニッポンゴールド第7回ではこんなことも語っていた。
「彼らとのハワイは貴重な思い出だ。彼らもそうだろうと思う。それまで僕等の間のしっくりこないものが、一気に距離がなくなった。ホテルのビーチで星を見ながらいろいろ話た。みんなで番組を作るんだなという意識がひとつになった。たぶんありえないくらい素敵な一体感をKinki、シノハラ、スタッフが感じた一瞬だった」
 吉田拓郎の心が解けていくにつれて、番組が人気番組になっていたことがうかがえる。

 当時、消しゴム版画家のナンシー関が「なぜか『家長』と呼びたくない吉田拓郎」という題でLOVELOVEの番組評を書いていた(テレビ消灯時間3)。橋田寿賀子ファミリー、北島三郎ファミリー、小室哲哉ファミリーなど芸能界にはファミリーが多々あるが、LOVELOVEオールスターズを吉田拓郎ファミリーというのにはなぜか違和感がある…というもの。さすが天才ナンシーの直感。但し彼女がその文章の中で出した結論は違うと思うがそれはそれ。とにかく吉田拓郎には他のファミリーのように自分が親分になるつもりも、リーダーシップを発揮して率いていく気もさらさらなかった。ナンシーはそこに不思議な違和感を感じたのだろう。あれほどの大物が自ら「捨て石」や「サポーター」に徹している…そんな前例は観たことが無かったのだと思う。
 そして昨年のラジオではこうも語っていた。「年齢とキャリアに関係なく、真実trueで接することの大切さを知った。僕にとっても心の恩師だった。僕も様変わりした。」ボスが仕切るファミリーではなく本当の意味でのひとしく心通い合うファミリーだったのかもしれない。

☆神は必ず旅を許される
 …と、ここまでは美しく、誇らしい話だ。すまん。しかし、しかしだ。俺達ファンはどうなんだ。何十年も青春をかけてきたヒーローが、ある日何かの「捨て石」になってしまった時、ファンはどうすればいいのか。俺達もまた道端の小石になるしかないのか。前例がなく道なき道を行く歌手の場合、そのファンもまたいやおうなく前例なき道をゆかねばならないのだ。
 確かにLOVELOVEは革命だったと思う。しかし世界史では革命にもいろいろある。コンサートツアーやフォーライフ設立は、"市民革命"や"産業革命"という体制変革みたいなものだが、LOVELOVEの場合は…これは"ルターの宗教改革"みたいなものではないか。>意味わかんねぇよ。ファンであろうと免罪符によりかかっていた教会派が根こそぎ断罪されるような(爆)。LOVELOVEは私らファンにも心の革命を迫ってきていたのかもしれない。
                          ということで迷走しながら、たぶんつづく。

2021. 12. 22

☆☆☆翼よ、あれがLOVELOVEの灯だ@☆☆☆

 “LOVELOVEあいしてる”が始まると周囲のたくさんの人々(職場、友人、知人、親族、ご近所)から「拓郎さんテレビ出てますね」と声をかけられた。”地球ZIGZAG”とは違って、フジテレビの土曜日のプライムタイムにジャニーズ事務所が加わった威力はホントにすげえなと思ったものだ。
 そして声をかけしてくれた人々の声は概ね次の三点に集約されていた

 @テレビに出ない拓郎さんだったのに今頃なんで?
 A最初、拓郎さんだとはわからなかった(風貌が激変していた)
 Bなんで黙ってて何にも喋らないの?

 これはたぶん世間一般の感想だったのではないか。総じて、あ〜、珍しく昔の人が出てきたけど…老けたね、変わっちゃったねという感じで決して熱量のある反応ではなかったと思う。中にはテレビ出演拒否しときながら結局出るのかよという冷ややかな悪意も見え隠れしていたような気もする。被害妄想か。でも最初世間からは拓郎にはそんなに温かな風は吹いて無かったよね(爆)。

 拓バカファンとしては、毎週吉田拓郎が観られるのだからそれはすごい至福なのだが、単なる至福で終わらないのが拓郎ファンの宿命のようなものだ

 ファンにとって…というか俺個人にとっての吉田拓郎は、声良し、作品良し、ルックス良しの三位一体の確固不動のスターである。いろいろあるけど、やっぱ基本的には超絶カッコイイ人じゃん。それがいきなり当代きっての若き歌姫にガチャピンといわれてしまうと、ヘナヘナヘナ…それは拓郎ならずとも、ファンにとってもショックであんまし笑えなかった。

 特に言うまでもなくコンサートのMCもラジオの語りも天才的な上手さを持つ拓郎だが、なーぜかテレビに出るとそれが途端に氷漬けになってしまう、そんな歯がゆさが昔からあった。それがよりよってレギュラーでジャニーズやアイドルの宴の真っ只中に入り込んでしまったわけだ。
 毎回毎回、黙って俯いている拓郎を冷や冷やしながら観ていた。「ああ、そこだ、何か喋ってくれ」「ホラ、振られたぞ、ここで神の一声を!」と試合観戦のように手に汗握って観ていた。拓郎は以前にテレビの自分を”シャイシャイボーイ”といっていたが、むしろ前回のラジオで言っていた”ひ弱な少年”という側面のが近いかもしれない。
 とにかくアウェー感が半端なかった。それに、あたりまえだけど、宴の真ん中にいる中高生からみればファンの俺も相当なジジババなんだよなと思い知った。

 そんな中で例えば泉谷しげるの乱入は嬉しかったね。泉谷に後光がさして見えた。あれは絶対に救援に来てくれたんだよね。寡黙な拓郎を横に「バカ、おめーら、拓郎は喋りうめーんだぞ」と凄んでくれたときは涙が出そうだった。また明石家さんまが「おまえら拓郎さんがどんなに凄いか…君らで言えばジャニーさんだぞ」と啖呵を切ってくれたのも感激した。

 もちろん悪いことばかりじゃない。拓郎だから集められた高中正義はじめ豪華ミュージシャンが揃った生粋の音楽番組だったこと、毎週ギターを弾いてる拓郎の美しい立ち姿が観られること、そしてタイトルの「全部抱きしめて」も実にいい感じで、テーマ曲成功だった。特に毎回あの前奏はウキウキした気分にになった。

 ということで拓郎はいつも辞表を胸にいれていたという。実際、俺もきっと番組は早々に終わっちゃうだろうなと覚悟していた。もういいよ、とっととテレビ辞めて、せっかく2年間続いていたラス・カンケルらとの外人バンドツアーに戻って、あの音楽路線を深めて行ってくれよと何度も思った。

 しかしそのうち徐々にいろんなことに適応し馴染み始める…かのように見えた。静かに革命は潜行していたのである。

 …やっぱりわかったようで、わかんないよ吉田拓郎って。

                     ということでつづく。

2021. 12. 21

☆☆☆革命☆☆☆
 そうだった。フォーライフは革命だったよね。たかが中学生坊主の俺達にも革命の風塵がビシビシ飛んできていた。すげえなぁと眩しく仰ぎ観たものよ。
 別の意味で"LOVELOVEあいしてる"も革命だったと思う。こっちの革命はオッサンになった自分たちの足元が揺らぎかねない危うさもあった。LOVELOVEって何だったんだろうな。あってよかった、あるべきだったと今も確信しているが、それだけではおさまらない悲喜こもごもがあったような気がする。今さらどうでもいいじゃないかという意見もあろうが、どうやら来年吉田拓郎はLOVELOVEとともに大団円を迎えて終わってゆく感じのようだ。そのためにも自分の心を確かにしておこう。

2021. 12. 20


☆☆☆リストウォッチの秘密☆☆☆
 ショルダーバッグは買わなかったけれど、腕時計は毎日使っています。かれこれもう一年だ。時刻を確認するたびに"forever"の文字に密かにほくそ笑み、裏に掘られた"fromT"を思ってはニマニマする。俺に「今何時ですか?」と聞いてくれる人がもう無条件ですごい好き。

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2021. 12. 19

 神田沙也加さんの訃報は驚いた。もちろん何の関係もないし、ファンといえる距離でもないが、松田聖子と同学年というだけで、なんか知り合いの昔から知っている娘さんという気が勝手にしていた。実際、ずいぶん以前に松田聖子のライブに行ったとき、ちょうど沙也加さんのデビュー時でゲスト出演され母娘共演を観ていたのでひとしおそう感じる。その後、独り立ちしアナ雪を始め本当に素晴らしい歌唱力だなと思っていた。残念無念。ご冥福をお祈りします。松田聖子のことも俺が心配しても何にもならないが言葉がない。

☆☆☆デモテープ☆☆☆
 超私信ですが、ありがとうございました。深謝申し上げます。 
 前回に続いてのデモテープ、いいっすね。いよいよ始まった感が半端ない。昔のことを言ってもしょうがないとは思うが、いくつもの名アルバムがこんなかたちでメイキングの見え隠れにワクワクしながら始まっていった。
 “ローリング30”は、78年春の松本隆とのサイパン行レポートから始まって、夏にものすげーペースで曲が出来上がっていると盛り上がっていたロックウェルスタジオからのラジオ中継。こちらはあれこれ期待に悶絶しながら11月の完成発売に向って行った。まるで毎週楽しみな連ドラを観ているみたいな日々だった。

 “Shangri-la”のときは、ロス渡米の前に”いつか夜の雨が”、”街へ”、”帰らざる日々”のデモテープを聴かせてくれた。なんかセカセカ歌ってるだけで印象が薄い曲だと思った” いつか夜の雨が”が発表時には、すごいレゲエナンバーとしてガッツリと転生していて、さすが米帝やるもんだと驚いたりもした。これもドラマだったな。

 もちろん板塀の隙間から建築中の建物を覗くみたいに、ほんの僅かしか垣間見えないし、真実は想像も及ばないことだらけだろうが、”デモテープを聴かせたい方が勝ってしまう拓郎さん”とラジオという媒体のおかげで、既にラストアルバムを満喫し始めているわけである。それもこれも最後だよ。良い年になりますように。

2021. 12. 18

オールナイトニッポンゴールド  第21回 2021.12.17

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。1年の終わりの12月、あっという間だった。いろいろ失うものたくさんあったし、個人的には精神的に得るものもあったし、学んだこともあったし、逆に困難な中に新しい何かが見えてきた。コロナという想定外の恐怖に晒されてきた。そして今またあらたなる感染の恐怖。勘弁してくれよという恐怖も同居している。苦難の道。日常の生活を変えざるを得ない。暗闇にいつになったら光が、これが見えぬままに今年が終わる人も多い。人間がこういう時置かれた立場からいかに非力な生き物と思い知らされた。
 僕等はまだまだ考えたり工夫したり学んだりしなくてはならないことも多い。勉強もたくさんした。こういう星に甘え過ぎた気もする。文明とか進化で驕り高ぶりがあるような気がする。僕の中にもある。それが見えてきた。反省すべきところは反省し正したい。そのうえで希望の明日を迎えて穏やかな自分と穏やかな社会でありたい。半歩でもいいから前へ進みたい。

 今日は盛りだくさん。ラストアルバムが、これがいい曲が書けるんだよ。いい詞、いいメロディー、いいアレンジが浮かぶんだ。自画自賛(笑)。とにかく前へ進んでいこうと思う。

 60年代にアメリカはベトナム戦争に嫌気がさしてきた。もう止めてくれという気分。人種差別が横行する社会に対しても黒人からもメッセージがたくさんあってオールアメリカになろう、肌の違い人種の違いを超えよう、そういう意味が込められている曲。戦争を止めよう、人種差別を止めよう。聴いていると心が熱くなって、熱い気持ちが目に出てくる。この心を今の僕らは思い出したい。こういう心を持ちたい。今の時代でもOKだ。こういう世界を心から願い求め作りたい、せっかく一度きりの生を受けているんだから。全世界で送っているんだから。

M-1 この素晴らしき世界  ルイ・アームストロング

    (強風で電車の見合わせ)

■ 今夜も自由気ままにお送りします、吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

<喜多條さんの作詞した由紀さおりさんの”両国橋から” という投書>
由紀さんのはカバーなんだ。非常にうまく歌っているけれど。これは、70年代中頃、75年頃かな東映でデビューしていた松平純子さんに書いた曲。このころは自分のツアーで忙しくて、構わずやっていた。詞は誰かも考えず、いかにも拓郎という感じでテキトーにやっていた。松平純子のこともわからずに。詞は当時の喜多條忠らしい。思い出を捨てる場所、両国橋はいけないわ。
アレンジはライブ73のブラス隊のジャズ・サックス奏者の村岡健だった。ファンクでソウルなアレンジ。これを村岡健がアレンジしてくれたが、ブラスロックがどうという時代ではない。歌謡曲全盛の時代に、村岡健のメチャ、ブラスロックなアレンジは誰にもわかってくれなかった。今聴くといいよ。この時代の先を行っている、行き過ぎている。
曲も気に入っている。マイナーな感じが拓郎さんウマいな(笑)。自分で言うしかない。喜多條忠を偲んで、彼との処女作だったかもしれない。今頃、天国でボートレースにうつつを抜かしているはず。

M-2   両国橋   松平純子  

(CM)

 気分を変えておめでたい話。
< 菅田将暉さんがご結婚された、小松菜奈さんとお似合い、ラジオの最後に”人生を語らず”をかけて納得という投書>
 彼とは別に親しいわれじゃないけど、縁遠いというわけでもない、何かのご縁があって、遠からじ・・・遠くから祈っている。昔、ラジオでナイトという番組を始めた時、同時に菅田君もオールナイトニッポンを始めることで、一緒に発表共同記者会見をした。それが最初の出会いだった。
 それまで僕は菅田将暉を知らなかったし、読み方もわからなかったけど既にいろんな作品に出演していてヒーローだった。すらっとして背が高くて、甘くニヒルな魅力があり、印象的な雰囲気だった。物怖じしない印象が素敵だった。
 その後、フジのLOVELOVEあいしているのプロデューサーに、ゲストを二人で若い人と年配の人で誰かいますかと尋ねられて、若い人だったら先日お会いして魅力的だったんで菅田将暉君なんてどうかなと言った。プロデューサーはいいですねということで決まった。そしたら収録の客席、お父さん連れてきていて (笑)、あとで楽屋でお父さんからサインしてくれと言われた。菅田将暉のおめでたいニュース、よかったねと思う。
 菅田将暉君のお父さん、お父さんが吉田拓郎を好きだったという話、女優奈緒さんもお母さんが吉田拓郎を好きな影響で”今日までそして明日から”が好きだったという。吉田拓郎がらみで困った父母(笑)。そういう親たちのご縁で菅田君とも楽しかったし、奈緒さんはアルバムのイメージガールをお願いしている。まったく人生はやってみないと分からない。不思議の連続だな。それに今年は稲垣来泉ちゃんのイメージの詩とかもう振り回されている感じ。でも嬉しいよ。ほんと嬉しい。困った父母のおかげで、人生は不思議の連続だけど半歩でも前へ。菅田君おめでとう。

<そろそろ小田和正とのスイーツ会はどうでしょう、マリトッツオいかがでしょうか という投書>
 小田とはメッセージのやりとりしていて、今度のラストアルバムで一曲デュエットしよう→いい曲作れよ→まかしとけ、という感じだ。
 小田はクリ約頑張ってるな。キッチリしてるんだ。いろいろ注文もあって。前に出た時、この歌を一緒に歌おうと言うと、「またにしよう」と答えた。またっていつだよ(笑)お二人様スイーツ会は延期になっているけど、そのうちマリトッツォ食べながら他人の悪口を言う(笑)

(CM)
<新曲ありがとうございます、背中に手をそえてくれている、心の支えになる気がするという投書>
 ありがとう。ワンコーラスだけだったけれどツーコーラスに展開がある。
<新曲カッコいい、LP盤は鶴見区の東洋化成で作るのでしょうかという投書>
 東洋化成は有名な会社でミュージシャンならみんな知っている。レコード盤は殆どがそうだった。懐かしいな。あそこの社員も何人か知っていてお世話になった。

 前回の曲は「雨の中で歌った」というタイトル。アメリカの5,60年代のソウルがルーツで広島のバンド時代ではよく演奏していた感じからヒントを得た。

 歌詞の内容は秘密だけど、二人が若い時には走ったことがあったよね、理由なんかなく、若い時、雨の中を駆けようよと走ったという二人。その彼女が天国に召された。残った彼が雨の日に町中に出て意味のない行動だったけど若い時に一緒に走ったよね。僕は今日も雨の中で一人であの日を思い出している…という歌。

 本当にどうしちゃったんだという拓郎さん、武部、鳥山からも絶賛されている。アイデアがいろいろ湧いてくる。僕にしては言葉とメロディーが同時に浮かんでくる。ギター持つとあれっとするコード進行が浮かんでくるし、パソコンに向かうとアレンジが浮かんでくる。ブラスアレンジとか、とにかく好きなことをやりたい。絶好調なんだよ(笑)。
 今月も聴かせてやろう。もう一度いうけどネットに乗せるなよ。「ショルダーバッグの秘密」という歌。デモテープだけど鳥山、武部も入っているカッコイイロックンロール。ボーカルだけは仮歌だけど。
 ショルダーバッグの中を覗くたびに秘密が隠れている。
 コンサートチケットのファンクラブの解散前にグッズでデザインしたショルダーバッグがあった。シャツや時計とかいろいろデザインに関わった。どうなの?使っているのかい?
 僕も病院やヘアカットに行くときショルダーバッグを持ってゆくが、開けるたびにニヤッとする。これはカッコイイ、ロックンロールだ。
 聴かせるのは惜しいけどかけたいよ・・・というのもある。吉田拓郎さんはこういう人です。デモテープで鳥山に「イケてますね」と言われて、こういう感じで弾くんだぞというと「わかってまんがな」。

 Kinkiや音楽人生の後半を支えてくれた飯田久彦の話とかを後でする。

M-3  ショルダーバックの秘密     吉田拓郎

(鉄道運転再開)
 今回のラストアルバムに協力してくれている KinKi。タイトル文字を光一にお願いした。「字も絵もヘタだし歌とかはどうか」と言っていたけどお前の自筆で書いてくれればいいんだから、というと「わかりました」と答えてくれた。少し投げやりだったけれど。剛はアレンジを頼んで、彼のバンドでアレンジしてくれる。 KinKiを愛して心から親友と思っている。

 かつてLOVELOVEの頃、彼らは20歳まえたったけど、収録が終わるのが、9時、10時だったのでよく焼肉屋に行っていた。僕は50歳であまり食べないで飲んでばかりだった。それを彼らが「あきまへんがな、食べなはれ」と焼肉を置いてくれた。びっくりした。あの二人の何気ない「食べなはれ、あきまへん」という言葉。既に50歳で若者が大嫌いで、へでもなかった僕は、心がダウンして泣きそうになった。
 自分が無礼なオトナだ、心が狭過ぎるのではないかと思った瞬間だった。そういう若者がいるとは思わなかったんだ。若者アレルギーを持っていたし、渋谷とか歩いていても蹴りいれたいと思っていた。
  KinKiの心根、やさしさ、自然な行動、素直さに胸を打たれた。この二人のためだったら、捨て石になろう、成長していく二人をもっと大きな心で見守っていこうと感じた。50歳の吉田拓郎が新たに進むべき俺の道だった。番組では彼らの良きサポーターとして生きてゆくんだと決意した。

 堂本剛は、僕の偏見だけど、この人は僕が10代の頃、身体が弱かった頃を彷彿とさせるひ弱な少年のようだった。僕自身がそうだった。どうしてこういう業界に足突っ込んでいるのかという不思議な感じだった。
 一か所だけ違うところは、彼はずいぶんいろんなことに目が届いていた。僕は自分のことし考えられない少年だったけど、剛はこの年齢で、ずいぶん目が行き届いている。さりげなく気をきかせている。それが僕の目には印象的だった。これはできないよ。もの静かで多くは語らない、その場の現実と風景を観ていて自分なりにどう対応すべきかを判断している。印象的だった。ひ弱だけれど非常にしっかりしている。人の話を聞いているときも相手の目に入ってきそうな目で見つめ、心で察知する。子どもころの感性、身体弱い子にありがち。堂本剛は詞でも書いてみたらと思った。作詞の世界に入ってみたらと思う。

(CM)

■ 11時

 佳代)本当に起きたくない
 拓郎)朝だ今日も頑張ろうとか思わない?
 佳代)そういうことは一回もない
 拓郎)今日は学校で誰かと会って楽しみだなとか思わない?
 佳代)思わない
 拓郎)朝はどう思っているの
 佳代)起きたくない なんで起きなきゃいけないの

 番組ではハワイ、オーストラリア、沖縄、軽井沢いろんなところに行った。光一はワイワイという社交性があるけれど、剛はそばにいるけど輪っかの中には入ってこない。剛は1メートルくらい輪っかの傍で、笑いながら見学している。こういう距離感、1メートル正しい距離感だと思う。僕は酔うとすぐにスキンシップを取りたくなる。志村けんの耳を噛んだこともある。男でもキスしたり抱きしめたりすることがある。光一はハグしようがお構いなし。昔の写真取ってあるけれどやたら光一を抱きしめてる写真が多い。剛は少し離れてたんだ(笑)。

 光一は意外性だね。イメージからすると意外な男。美形少年だったし、今でもそうだ。彼は男らしい。行動的だし、活発だし、凧にも乗るし、イルカと遊ぶ。僕と剛は絶対しないね。
 その場その場でテキトーなことをうまくやれる。でも本当は、不機嫌なことが顔に出る。上機嫌と不機嫌が瞬間移動している。本能のままに生きている。自然体でいようとしている。僕にはわかる。今は不機嫌、このゲスト嫌だと言うのもわかる。激しいものを心にもっている。気乗りしないゲストもいる。剛は実に平等な感じで接しているが、光一は、あかんがなというところがある。でも本番は見事にやるんだな。オヤジの僕はあっけにとられるだけ。数年前のLOVELOVEも久しぶりの収録だったけれど、二人とも何にも変わっていない。年齢があがっただけ。客席も昔は中学生だったけれど、来年だったらピチピチした拍手が湿り気の多い拍手になっているのではないか。
  KinKiは、別の扉を開けてくれた。もしあの二人と出会ってなかったらどうだったろう。何もかも変わったあの番組が分岐点だ。歳をとってからカジュアルファッションを考えるようになったし、生きる楽しさを教えられた。 KinKiの横にいる吉田拓郎、彼らをカッコ良くみせるためにここにいるのだから、勝手なジジイになるわけにはいかない。それは彼らの足を引っ張ることになる。光一と剛が人生を導いてくれた。だから今度のアルバムは、そういう気持ちをこめて書いている。

M-4   全部抱きしめて    KinKi Kids

(CM)

 ラストアルバムのLPのジャケットに協力してくれる奈緒さん。某有名男優が「拓郎さん、女優はひとつの生き物で、男と女と女優がいる」と語った。女優は独特の世界観があって、男優にはない意地っ張りが生きている。全員そうだと思った。僕なんかは、最後には結婚までしてしまった。これがわかる気がする。女優独特のポジション。強烈なインパクト。あの撮影現場は絶対に観ている人に理解できない。過酷な状況でロケ現場は想像を絶する。そういう環境で演技をするのは一筋縄ではいかない精神が必要だ。色っぽいチャーミングなんて撮影現場では言ってられない。そんな環境ではない。度胸のあるたくましさ。音楽人よりは明らかにたくましいと思う。タフだ。
 奈緒さんは女優として乗りに乗っている。当然の如くスケジュールも詰まっている。先日も最優秀新人賞を受賞してすばらしい。
 どうなの?怖いな(笑)>会いたくないな〜、きっと精神状態も大変だろうし、時間のある時に撮影したいな。怖いな。確認したら来年の春頃、その頃は忙しいそうだ。ピリピリして怖い絶頂だろうな。僕は一匹の女優という生き物を身をもって知っている。来年は、その女優という生き物だったら、おおこわ(笑)。素敵な写真を期待しています。お会いしたことのない彼女のイメージはこの曲。

M-5   ビリー・ジーン  マイケル・ジャクソン

(CM)

 LP盤の全体のデザインは篠原ともえに頼んだ。初めて会ったときは心の底からマイナスの意味でまいりました。当時は若い人が嫌いだった。いきなり楽屋に訪ねてきて、「仲良くしましょうねグフフ」と言われたとき、コイツ帰れ!思い、どうしようかと思った。あっち行けという感じで、プロデューサーに外してくれと言いたいと思っていた。もっと苦手なタイプだった。「すぐ慣れますよ」と言われたが、そういう波瀾含みでスタートした番組だった。

 第一回が安室奈美恵だった。音楽とか知っていたから会えると思うと嬉しかった。しかし、拓郎さんはガチャピンに似ていると言われてももう恥ずかしくて。ガチャピンって言われたのは初めてで、俺もう辞めるはと思った。必ず胸に辞表をもって続けていて、みんな吉田拓郎が来なくなるんじゃないかと心配していたらしい。毎回収録の時ブロデューサーが玄関で待っていた。そういう心配ごとを抱えてスタートしたのにあんな番組に化けたんだ。
 シノハラはペースを掴むのが速かった。臆することなく立ち位置を確立して一本立ちしていた。シノラーをカメラの前では演じている。
 実に賢い。それが見えてくる。途中からかわいい、愛おしい存在になった。本格的デザイナーとなってユーミンもやったりしていた。結局、吉田拓郎が一番わかっていなかった。ハワイではとっても素敵でとっても幸せで見事な一体感を感じた。その時のことを篠原ともえが詞を書いた。

M-6   僕の大好きな場所    吉田拓郎
(CM)

 フォーライフ退社後の音楽人生をサポートしてくれたのが飯田久彦さん。フォーライフを見切りをつけてやめる時、ビクターのディレクターの飯田さんがテイチクの社長になるというニュースを観た。当時は歌手で、すばらしいヒットを出していた。デルシャノンとかをカバーしていた。そこから興味があって、ちょっとしわがれた声で、アイドルチックでもないし、素敵なルックスでもない(笑)。その後、飯田久彦さんはディレクターになって、当時の「スター誕生」とかをたまに見ていると、最後にプラカードを上げる人の中に、ああ飯田久彦さんだと思った。阿久悠とか審査員たちの中でヒットするものがあった。自分も一介の歌手から社長になった。他人事じゃない。会って話したくなった。一度お会いしたいなということで、話しているうちに人気歌手が残っている。気分が社長というより。音楽好き ぷんぷんの音楽好きの匂いがした。企業社長としてはあれだけど愛すべきチャコ・・・桑田の「チャコの海岸物語」はこれだったのかな?ビクターだもんね。
インペリアルにいれてもらっていろんなサポートをしてもらった。エイベックスに移籍するというのでついてゆきます、チャコと音楽人生を全うしようと考えた。来年のラストアルバムが最後のプロデュースになる。感謝の気持ちをこめて。

M-7 悲しき街角    飯田久彦


(CM)

■エンディング

 スウェーデンの言い伝えに
  常に未来に備えるべし、備えとはおのれを簡素にすべし
 とある。

 スウェーデンというと豊かな暮らしだけれど、税金は高い、夏が短い、冬への備えが大切だ。買いこんで買いだめではなくよりシンブルに簡素に備える。シンプルがもっとも難しい。買いあさり買いだめ。無駄使い僕こそがそういう日本人だ。いかんなー。

 来年は1月14日放送だ。

M-8 天使のささやき スリーディグリーズ

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

「番組の途中ですが」じゃねぇよっ! 「ショルダーバックの秘密」の途中だぞ! たとえ日本が北海道と九州を残して沈没している最中だとしても、ニュースを流すのはそこじゃない(怒)

☆「絶好調」。なんという嬉しい響きだろうか。曲がどんどんできてしまうと当惑気味に語っていた「ローリング30」のレコーディング中継のラジオを思い出した。そうか。「まかせとけ」なのか。本当にまかせたぞ。魂の底から期待しているぞ。

☆もう久々にラジオでいちはやくデモテープを流してしまう吉田拓郎が健在で嬉しい。詞は秘密だといいながら設定を全部話してしまうところもナイスだぜ。その胸に溢るる思いをファンにおすそわけてしくれる拓郎。昔からそういうところが大好きでした。

☆「この素晴らしき世界」が番組でかかるのは何度目だろうか。俺の中ではこの名曲はすっかり吉田拓郎と不即不離になってしまった。ビリー・ヴォーンの”星を求めて”とともに吉田拓郎のテーマ曲のようだ。 いや勝手にもうテーマ曲認定する。

☆師匠の恩人はまた恩人である。なので俺ごときでも光一君と剛君に対しては感謝のような敬意のような親しみのような特別な思いがある。彼らが拓郎と出会ったればこそ、今の拓郎ファンの自分もある。
 二人が素晴らしい才能と気質の持主とはいえ、やはり拓郎ファンの俺から見れば、そこまで二人の少年を深く見つめ見極めていた吉田拓郎という人の物語の美しさなのである。
 50歳を迎えてさまよえる冬の時代に、功成り名を遂げ神様とまで崇められていた吉田拓郎が、10代の少年たちと真摯に向き合い、学び、進んでいったこと。うんにゃ、捨て石となり彼らのサポートに徹しよう、それこそが自分の道だ…とそこまでの決意をしたことの凄さ。それは吉田拓郎の素晴らしさでありファンとしては誇らしく思うと同時に、なんて業の深い、深すぎる人なのだろうかと戸惑いもする。
 「この素晴らしき世界」にはこんなくだりがある。 このままなのかもしれない。
 I watch them grow
 They’ll learn much more
 Than I’ll ever know
 And I think to myself
 What a wonderful world

 彼らは大きくなって
 多くの事を学ぶだろう
 僕が知り得る事以上に
 そして僕はひとり思う
 なんて素晴らしい世界なんだ

☆俺も由紀さおりの「両国橋」に聴きなれてしまったが、松平純子のアレンジは確かにすげーなー。うっかりするとミスマッチに思えるくらい凄い演奏だ。そこがまたいい。そうか、これが喜多條との初コンビなのか。確かに"いつか街で会ったなら"、"風の街"よりも発売が早い。
☆おそらく俺には想像もつかない万感の思いはおありだろうが、両国橋とはイキな喜多條忠との別れだった。
☆中村雅俊との「お喋り道楽」を思い出す。女優さんは、何十人もの現場を率いなくてはならないことで男優よりも男らしくたくましくなってゆくという話だったか。

☆飯田久彦さんに敬意を表して"ポーの歌"をかけたら凄かったのに。ダメか。

☆☆今日の学び☆☆
 魂のテーマ曲。「この素晴らしい世界」をちゃんと学んでおきたい。

I see trees of green
Red roses too
I see them bloom
For me and you
And I think to myself
What a wonderful world
緑の木々が見える
赤いバラも
咲いているんだ
僕と君のために
そしてひとり思う
なんて素晴らしい世界なんだ

I see skies of blue
And clouds of white
The bright blessed day
The dark sacred night
And I think to myself
What a wonderful world
青い空が見える
そして白い雲も
輝き祝福された日
暗く神聖な夜
そしてひとり思う
なんて素晴らしい世界なんだ

The colors of the rainbow
So pretty in the sky
Are also on the faces
Of people going by
I see friends shaking hands
Saying, “How do you do?”
They’re really saying
“I love you”
虹の色は
空で綺麗に見えるけど
通り過ぎる人々の
表情にもその美しさがある
友達同士が握手してる
「ごきげんよう」と言いながら
彼らは本当はこう言ってる
「愛してます」って

I hear babies cry
I watch them grow
They’ll learn much more
Than I’ll ever know
And I think to myself
What a wonderful world
赤ちゃんが泣いている
彼らは大きくなって
多くの事を学ぶだろう
僕が知り得る事以上に
そして僕はひとり思う
なんて素晴らしい世界なんだ
Yes, I think to myself
What a wonderful world
そう 僕はひとり思う
なんて素晴らしい世界なんだ


この吉田拓郎のいる素晴らしい世界が来年もいっそう素晴らしくありますように。

2021. 12. 17

☆☆トマト☆☆
 洋書だけど書店で衝動買いしてしまった"コルレオーネ・ファミリー・クックブック"。映画ゴッドファーザーに登場する料理のレシピ本。
 あった、あったクレメンツァのトマトソース。クレメンツァ。吉田拓郎がビトー・コルレオーネだとすると陣山俊一さんみたいなポジションだ。まさか後にファミリーのボスになるとは思ってもみなかったカタギの三男のマイケルに「これ覚えとくと便利だぜ」とクレメンツァがトマトのミートソースの作り方を手際よく教えるいいシーン。うまそうだ。
 トマトソースといえば拓郎は「ラジオでナイト第41回 2018.1.28」、「冬に食べたいものはなんですかと言う質問には、トマトのパスタ。ウチの人が作ってくれるトマトパスタ。」「新鮮トマトと缶トマトの混ぜ具合が微妙らしい」、「とにかくトマト・パスタが好きだ。」と語っていた。ほーら、もう食べたくなる。
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2021. 12. 16

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☆☆☆さよなら宗谷☆☆☆
 南極観測船"宗谷"の前を通るお台場の仕事もおしまい。もうお台場も滅多なことでは来ないだろう。こういう空を観るといつもデタントの裏表紙のような空だと思う。♪夜明けに目覚めて飛ぼうとすれば〜

2021. 12. 14

☆☆☆番付番外編・僕の本当に好きな歌は☆☆☆
 名曲”僕の一番好きな歌は”。あの凄絶なシャウトを忘れたわけではない。ただ、あれは公式収録曲ではないライブだけの弾き語りナンバーだし…ということで入れなかったのだが、よく考えると意味がわからない。俺はレコード会社の人間でもスタッフでも評論家でもない。ただのイカレた一ファンだ。なぜそんな遠慮をする。
 最近のラジオで、拓郎が弾き語り好きファンをツマンナイと言い、ファンの未収録曲への熱い思いに対しレコードにしなかったのは良くないと判断したからだと断じた。知らず知らずにそこに忖度したのだと思う。いかん。我ながら情けない。もちろん拓郎のアーティストとしての思いは思いとして大切だが、ファンにはそれぞれのファンの思いがある。今流にいえば、それぞれのかけがえのない青い空がある。”僕の一番好きな歌は”…この凄絶なシャウトに魂を奪われ、これを錦の御旗に掲げて、いろんな日常の敵…まぁ俺の場合はそんなに大したものじゃなかったけどさ、そういうものと自分なりに戦いながら篠島に向ったのである。
 そこまで忖度する必要はない。ということですまなかった。たぶん「証明」と同格以上で、東の関脇、あるいは大関あたりに来場所は昇進していただきたい。ということで懺悔の気持ちをこめて聴く。 http://tylife.jp/uramado/bokunoichiban.html

2021. 12. 13

☆☆わが心のシャウト番付D(終)怒涛の前頭☆☆☆
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〇東 前頭筆頭 この指とまれ
 ラストツアーでも歌われた”この指とまれ”。この歌の出自を語ると御大に怒られるのでもう言いますまい。やはりライブでのラストのリフレインのシャウトが特筆ものです。音源で言えば王様達のハイキング82〜One Last Night85あたりが絶品です。怒りがどんどん高まっていって最後にバーストするシャウトが美しい。そうとも!くたばれハンド・イン・ハンド!!>ってだからそれを言うなよっ!

〇西 前頭筆頭  ローリング30
 この重量級の武骨なシャウトが生きる支えとなった人はきっとたくさんいるに違いありません。もちろん私もです。30代の歌ながら、ついてくる世代である10代、20代にとっての大切なよりどころでもありました。この歌のおかけで私たちはいくつになろうと永遠の30歳を生きつづけるのです。おお、なんか良いこと言った気がするぞ(爆)。そしてこのシャウトはこの曲にとどまらず、大いなるステージの始まりの前哨曲、狼煙でもあります。まさに「前頭筆頭」にふさわしい。反射的にアドレナリンが分泌し戦闘開始状態になるというものです。人によっては漁船の群れが目にチラついて離れないという方もおります。とにかく偉大なる煽情力を持ったシャウトです。

〇東 前頭二枚目  やせっぽちのブルース
 ここ数年、毎月のラジオのたびに厳しく念押しされる「俺はフォークじゃない」「俺はR&Bだ」…このシャウトはデビューアルバムに刻印されたそのための布石であり、伏線であり、証拠でもあるといえましょう。あいそつくまで付き合いましょう。

〇西 前頭二枚目 子供に
  “今は眠れ、君が今人生に欠席しても誰も咎めない”〜魂のシャウトのリフレイン。ライブだとこれがまたすんごいシャウトなのです。泣けます。ご本人かどう言われようとライブの73完全版を求めてやまない理由のひとつがここにあります。

〇東 前頭三枚目 春を呼べU
 春を呼べぇ〜春を呼べぇええええのリフレインのシャウト(王様達のハイキング)で、もう勢い余ってしまって、最後に※×≧▽εφ□!!と聴き取れないフレーズをシャウトしちゃうところが特に萌えます。

〇西 前頭三枚目 愛してるよ
 「愛してるよ」こんなシンプルなフレーズを、こんなに気持ちよくシャウトされてしまうと「俺も愛してるよ」と叫ぶしかありません。君を一瞬そして永遠に。

〇東 前頭四枚目 たどり着いたらいつも雨降り
  “ああ、ここもやっぱり土砂降りだ”、「元気です」ではフォークカントリー調(怒らないでね)だけれども、FM東京で放送されたつま恋75のラストステージの瀬尾ビッグバンドによるロックバージョンは天下無敵です。このシャウトこそ本家本元です。この曲のシャウトを鈴木ヒロミツだけのものにしておくわけにはいきません。

〇西 前頭四枚目   君去りし後
 "てんで、はっぴいになれないんだよ〜"のシャウトが繰り返えされながらなだれ込んでゆく必殺パターンもあって無敵と申せましょう。

〇東 前頭五枚目 大阪行きは何番ホーム
 One Last Nightで♪家を捨てたんじゃなかったのかぁあぁぁとシャウトしながら身体を揺らしながら左右に傾ぐ瞬間が萌え昇天ポイントです。心の底から思いがつのってきている感が最高です。

〇西 前頭五枚目 パーフェクトブルー
 本来三役クラスを狙えるすんばらしいシャウトなのですが、@傷ついた鳩を投げ捨てたAタクシーの運転手に暴言を吐いたB深夜に女性の家に押しかけたなどなどの問題によって謹慎中(爆)です。

〇東 前頭六枚目 家へ帰ろう
 2004年のビッグバンドではオリジナルと別の曲かと思ったほどすげぇシャウトをして驚かされました。どんだけ家に帰りたいんだ…いや、どれだけ心境の深まりがあったのか、心の底からのシャウトの威力が忘れられずに前頭六枚目に。

〇西 前頭六枚目 ひらひら
 TAKURO TOUR1979の”お笑い草だ、お笑い草だ〜”"用心しろよ、用心しろよ"のあとの「あああああああ」のシャウト。鳥肌。やはりワンポイントなれど捨て置けない。

〇東 前頭七枚目  純
 “どけどけどけ情を無くしたヤツはどけぇ!”、CLUB MAHAROで聴かせてくれた仮歌では、思いっきりシャウトしていました。なぜか本番でもライブでもシャウトは抑え目。ここは是非シャウト一発で!という期待を込めて前頭に選出しました。

〇西 前頭七枚目  外は白い雪の夜
 音源で言えばアルバム”王様達のハイキング”のバージョン。4番のなだれうつ直前。
 ※島村英二のドラムロール
      ドゥドゥルルルルルルル〜
  席をぉぉぉぉ立つのはぁぁぁぁあなたからぁぁぁ〜

  ここ一点でございます。


☆☆さらば2021☆☆☆
 我が心のシャウト…なので、ただの個人の嗜好に過ぎません。いろいろ文句もありましょうがここは卯辰山相撲場ではないので何卒ご容赦ください。もっとすげぇシャウトがあったり、もっと違う序列があったら、あなたの心のシャウトをいつか教えてください。

 あらためて吉田拓郎のシャウトは素晴らしいよねぇ。ただの熱狂・興奮だけではなく、怒り、喜び、愛と哀しみ、固い決心…あらゆるものをシャウトによって表現しうる稀有のシンガーであります。
 
  2022年、私たちは新たなるシャウトに出会えるのでしょうか。

 今年もこのしょーもないサイトを生かしておいてくださりありがとうございました。来年が吉田拓郎さんとファンの私たちにとって最良の年でありますよう心からお祈り申し上げます。皆様、くれぐれもお身体大切にご自愛ください。良いお年をお迎えください。
 ‥‥明日からもまた書くけどさ(爆)

2021. 12. 11

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 去年までのSeason Greetingが無くなって初めての12月。こんなハガキ一枚でオイラをナメちゃいけねぇよと思っていたが。来なくなってしまうとものすげー寂しい。寂しさが心の扉を叩くまで人はそれまでの幸せに気づかないんだね。


☆☆わが心のシャウト番付C番付編成会議・小結☆☆
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〇東 小結  僕の唄はサヨナラだけ
 泣ける歌場所の時に、身近からTOUR79の弾き語りバージョンの強い推挙があって聴き直し審議しました。ああ、あらためてこりゃあすげーシャウトばい…ということで本場所での昇進が決まりました。もちろん原曲のフルバンドの分厚いブルース&ロックは不滅の名作であります。しかし弾き語りは、バンド分を全部一人でフルチャージしなくてはならないという拓郎の気合が横溢して、シャウトの爆発がもの凄いことになっています。ブルースの原液をいきなり飲まされたような感じです。シャウトにおいても涙においても無敵です。
 ところで吉田拓郎は、こよなくバンドサウンドを愛していますが、いざとなったら俺一人で乗り越えてみせるという不敵な自信も持ち合わせている気がします。ん〜もうカッコイイんだから。

〇東 小結  長い雨の後に
 ご本人がこの曲をどう思っておられるのかはわかりません。俺ごときが多くを語るまい。語るまいとは思うが、この愛と哀しみに満ちた絶妙なシャウトを番付外とすることはできません。それほどの逸品です。もう愛の不時着。そういうくだらねーゴタクを言わずに、そっとこのシャウトの美しさに涙せん。

〇西 小結 また会おう
 名盤アルバム「元気です」の中にあって、唯一ロックの牙城を守り通している。タイトなロック演奏に、張り合う拓郎のシャウトの素晴らしさ。今になって聴き直すと、このシャウトはどこかまだ青く生硬ですが青い蜜柑のような刺激的な酸っぱさが漂います。
 高中正義のギターが唸る1972年のコンサートツアーのライブ映像が残されているが、こっちはより戦闘的なシャウトになっています。80年代以降のシャウトで歌ったらもっと違っていたのではないかと悔やまれます。ライブで磨かれて先鋭化されてゆくシャウト。これはキレイに裏切ったりしない。いつだって感動の斧を打ち込んでくれるということで小結。

〇西 小結 ロンリーストリートキャフェ
 ワンワンと共鳴する最悪の音環境、マナーの悪いスポンサーの招待客たち(特に俺の隣に座っていた見知らぬクソガキお子さまたち)、演奏中に平気でゾロゾロと通路を徘徊する連中、寸止め感いっぱいの新曲中心のセットリスト…などなどいろいろ裏目展開の東京ドームのライブ。これを9回裏の逆転の一発打で救ったのはこのシャウトだった。弾き語りだったら何万人でも倒してみせると豪語した弾き語りの封印をここで解いてみせた。実に80年秋から9年ぶりだった。お見事。♪だぁ〜れからもぉ〜のシャウトの時、桟敷席からかかる”イェイ!”も絶妙だ。 
 同じ小結の「また会おう」のまっすぐなシャウトから20年、自在な技を身に着けた成熟したシャウトを感じる。拓郎にシャウトされれば、それがさだまさしの詞だろうが、般若心経だろうが、土井善晴先生の和食レシピだろうが、俺は感動して泣く自身がある。どうだっ>どうだじゃねぇよ

 …すまん番付編成会議という設定がどっか行ってしまっている。次回は最終回、前頭。

2021. 12. 10


 「落陽」はシャウトなんだろうか。そんなことで躓いております。ま、しょせんただの個人の勝手な感想だからいいんだけどさ。あと関脇が多すぎないか、大相撲でもこんなにいないだろうと悩みましたが、歴史上では5人関脇時代があったようだ。

☆☆わが心のシャウト番付B関脇番付編成会議☆☆
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〇東 関脇  証明
 何度聴いても素晴らしいシャウトです。よくもまぁこんな絶品のシャウトをB面に入れたまま長期間放っておいたものです。そんなに弾き語りが憎いのでしょうか(爆)。誰もこれを聴いてフォークソングなどと言いますまい。それにロックシンガーだろうとブルースシンガーだろうと、これ以上の魂のシャウトができるもんならやってみろと言いたいところです。
 “闘えるだけでいいすべてを燃やせ 負け犬になったら路地へと潜り込め” …たまらないです。

〇東 関脇 やっと気づいて
 アルバム”人間なんて”の中でも何か重た過ぎてスルーされがち(当サイト調べ)なこの曲、しかもライブでも聴いたことが無い。果たして三役でいいのか議論がありました。しかしこの若竹がしなるような瑞々しいシャウトの美しいこと。少し青臭さが残るこの若きシャウトが百戦錬磨を経てかくも素晴らしい横綱、三役級のシャウトに熟成していったことを考えれば、やはり歴史の原点であり、堂々たる関脇シャウトと言って良いでしょう。

〇西 関脇  晩餐
 夕食のテレビの話で何故こんなにシャウトするのか。情景のスケールの小ささとシャウトの激しさのミスマッチを指摘する向きもあります。しかし岡本おさみの内なる葛藤を拓郎はきちんと捉えてかくもハードなナンバーとして体現したと思われます。
 かつて戦争反対の闘争に身を投じた自分が、今は家で、戦車が運ばれているというキナ臭いテレビのニュースを観ながら平然と夕飯を食べている。それでいいのか。いや、ただのテレビのニュースじゃないか。心の中でせめぎあう葛藤と懊悩。その心の中に抑え込もうする嵐を”叫び”として表出している。拓郎の天性のセンスを感じます。いいシャウトだわ。

〇西 関脇  からっ風のブルース
 最近、ドリカムの中村氏からファンクとして絶賛認定を受けたことが記憶に新しい。その意味で上り坂にあるファンキーなシャウトと申せましょう。からみついてくるような妖艶なエロスムンムンのおねーちゃんたちのコーラス。それを突き抜けるようなシャウトが絶妙ですんばらしい。それにしても”安いベッドでキスして遊ぼう、それからアレも”…なんてことをシャウトするんでしょう。中学生の頃、家では恥ずかしくて大音量ではかけられなかったものです。

〇西 関脇  狼のブルース
 「歌は暴力だ」というキャッチのもとに演奏されたこの曲。荒くれ暴走シャウトは安定の実力です。さすがにこういう「族」な世界を描くと微妙にピントがずれている松本隆のイマイチな詞ですが、それをロックなメロディーと天性のシャウトで文字通り疾走させてしまうところが吉田拓郎の凄さです。個人的には、篠島ライブの映像のバージョンがスピード感あるシャウトでベストではないかと思います。

        いや拓郎のシャウトって本当に素晴らしいですね。明日は小結。

2021. 12. 8

 知らない人の知らない友達との話なのに、え、どうしてなんだろう、まるで俺もそこで過ごしたような気分になる。そこに「吉田拓郎」がいたからだな。きっとファンの数だけ青い空があってカッコイイ吉田拓郎がいるんだよな。ということで青い空、楽しみにしています。

で、シャウトだよ、人生は>知らねーよ

☆☆わが心のシャウト番付A大関番付編成会議☆☆
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〇東 大関  ファミリー
 これも「人間なんて」の後継曲として期待されましたが結局「アジアの片隅で」の方がメインストリームになりました。「人間なんて」のシャウトが狂熱ならば、「アジアの片隅で」のシャウトは怒りと苛立ち、そしてこの「ファミリー」のシャウトには身の置き所のない悲しみが満ちています。中盤のピアノのブレイクから立ち上がっていくシャウトが超絶燃えます。ビデオに残された85年つま恋でのシャウトっぷりは圧巻。大関の名に恥じない。てか綱取りを目指してくだされ。どうすりゃいいのかわかんないけど。

〇東 大関   お前が欲しいだけ
 拓郎のシャウトには聴いてる俺も元気出して頑張ろうと身が引き締まるものが多いです。しかし、このシャウトは、めんどくせーそんなことやめて酒と愛欲の海に溺れちまおうという自堕落な気分にさせられます。もうデカダンス感が半端ない。不良系の色香がムンムンと漂う。これもまた吉田拓郎のシャウトの偉大なチカラなのであります。曲としての好き嫌いは別として拓郎のシャウトは単なる薄っぺらな応援歌とは違うことを教えてくれます。それにまた国立競技場でオフコースをバックという大一番にシャウトされました。なんでその曲だったんだよ、というツッコミは別にしても大関としての地位に値する歴史的功績といえましょう。

〇西 大関   望みを捨てろ
 “妻と子だけは温めたい”、”我が家だけは守りたい”、”最後は嫌でも一人”、”望みを捨てろ”…思い切りネガティブでヘタレなフレーズが、不思議なことに拓郎のシャウト一発、なんかものすげーポジティブなメッセージに聴こえます。なぜか胸が高鳴り出します。いかに吉田拓郎のシャウトの威神力がものすごいかを証明していると申せましょう。

〇西 大関   されど私の人生
 このシャウトも絶品。代表格は、75年つま恋の1人対5万人の伝説の弾き語り。このシャウトが一気に5万人を制圧する光景を生で観たかったです。「よくやったと自分を褒めてやりたい」と拓郎自ら絶賛するだけのことがあります。
 もうひとつは79年篠島のwith松任谷バンド。ジェイク・コンセプシオンの唸るサックスとガチのバトルを繰り広げる凄絶なシャウト。まさに魂のシャウトのお手本のようです。もう無形文化財ごっつぁんです。

〇西 大関  君が好き
 さて自分で勝手にこんなことやっといてなんですが「晩餐」と「君が好き」はどっちが大関なんだと悩みます。この絶品のシャウトは甲乙つけがたい。どっちもフォークじゃありません。まさに”ライブ73部屋”の同部屋対決。委員会での議論は白熱し、「晩餐」なんてテレビ観ながら夕飯食べてるだけのスケールの小さい歌じゃないか、それにお茶はコップじゃなく湯呑で飲め!という議論に対し、バネの軋む喫茶店でトーストかじってる歌のどこがスケールがデカイんだ、そもそも草笛を吹ける野ウサギがいるもんなら連れて来てみろ!ということで、岡山の戦車を運んで来ないと収まらないような激しい応酬が続きました。
 しかしやはりここぞという場面で必ずチカラのこもったシャウトを発揮してきた「君が好き」の功績が大きいでしょうか。特に2003年の肺の手術の直後の豊かなる一日ライブで果敢にこのシャウトに挑んた姿には本当に胸を打たれました。ということで今回は「君が好き」が大関昇進でごわす。

                   さて、次は関脇です。

2021. 12. 6

☆☆わが心のシャウト番付@横綱審議委員会☆☆
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 みなさん、シャウトしてますか?>しねぇよ、普通

 先日泣ける歌番付というのをやりました。さて吉田拓郎といえば、あのシャウトです。あの透明感のある雄叫びこそが魅力の核心でしょう。そこで再び個人的独善でシャウト番付編成ひとり会議をすすめます。

 ランキングと番付は似ているようで違うものなので、いきなり横綱から参ります。本日は横綱審議会編。
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〇東 正横綱 人間なんて
 東の正横綱は満場一致で「人間なんて」。シャウト=雄叫びだけで出来上がっている世にも稀な作品と申せましょう。人間ここまで雄叫び狂えるものなのかという限界例としても貴重です。しかも大観衆も渾然一体となってシャウトする様子はグルーヴなどという生易しいものではなく集団ヒステリーとか騒乱罪に近いものがあります。これに対して審議会ではシャウトの凄さは認めつつも「音楽作品としてはどうなんだ?」「今の拓郎さんはこの曲は好きじゃないに違いない」という消極意見も出されました。しかし中津川、つま恋、篠島、三大歴史場所を制覇したこの偉大なるシャウトの功績は大きく、文句なしに横綱に選出されました。

〇西 正横綱 アジアの片隅で
 西の正横綱は、「人間なんて」のシャウト量には及ばぬものの、やはり「人間なんて」の後継曲として80年代のライブの数々のハイライトを飾った「アジアの片隅で」が選出されました。”♪思うのだがぁあああ”のフェイクなシャウトの絶妙な技も素晴らしく、なにより最後の延々と続く♪アジアの片隅で〜リフレインでの絶唱は「人間なんて」に負けず劣らず煽情的です。まさに横綱にふさわしいと申せましょう。

〇東 張出横綱 人生を語らず
 さて次に東の張出横綱として「人生を語らず」が選出されました。言わずと知れた名盤「今はまだ人生を語らず」の衝撃のシャウト。このシャウトの衝撃は今も色褪せません。ダミ声だとか怒鳴ってるだけじゃないかと揶揄する人々もありますが、このシャウトの中に躍動する魂の美しさを看取できない人は気の毒というほかありません。「シャウトとは何か」と尋ねられたら躊躇なくこの曲を差し出すところです。どこの世界に出しても恥ずかしくない至極のシャウトがここにあります。
 74年の誕生以来、80年代中盤から90年代にかけての空白期はあったものの、2000年以降チカラを取り戻し2019年のラストツアーまでその年代、年代での至高のシャウトを魅せながら歴史をつないできた功績は大きく横綱にふさわしいものでしょう。

〇その他
 さて西の張出横綱として「望みを捨てろ」も推挙されました。名盤ライブ73をしめくくるこのタイトなシャウトは確かに絶品ですが、出場場所数が少なく、ことに89年の東京ドーム場所では思ったほどシャウトが冴えなかったので残念ながら今回の横綱昇進は見送られました。今後の取り組みに期待したいところです。…ってどこで取り組むんだよ。
                                                                 ……次回は混戦する大関編へ。

2021. 12. 5

☆☆俺は文句を言わない、たぶん言わないと思う、言わないんじゃないかな…☆☆
 先週さだまさしのコンサートを観ていろいろと思った。このツアーでは、案山子、関白宣言など俺でも知っている曲を含む最新のセルフカバーアルバム"さだ丼"を、曲順どおりに全曲演奏する。それだけしか演奏しない。アルバム14曲中、13曲目までが本編でアンコールが14曲目となってコンサートが終了する。もちろん事前にセットリストは全部わかっている。すげえ。
 拓郎で言えば最近のセルフカバーアルバム”AGAIN”を一曲目から順番に最後まで演奏して終わるライブということだ。…どうだろうか。拓郎でそれをやられたら俺はどう思うだろうか。アルバムの曲だけをその順番で歌い、セットリストも事前にまるわかりのライブ。俺は激しく文句をたれたに違いない。

 しかしさだまさしのコンサート会場にはそんな空気は微塵もなかった。みんな一曲一曲に聴き入り、泣き、笑い、ライブを楽しみ満喫していた。音楽の海をみんなで漂うようで、いいライブだなぁと門外漢の俺ですら思った。
 もっとも衝撃だったのは終わった後だ。フォーラムの階段をゾロゾロ降りながら見知らぬファンの方々が「良かったねぇ、帰ったらまた”さだ丼”を聴きこむんだぁ」と幸せそうに話しているのを耳にして再び驚いた。
 アルバムそのまんまのライブを聴いて、しかも帰ってまたそのアルバムを喜んで聴くか? 俺だったらもうたくさんだと言うはずだ(爆)。さだまさしとそのファンはどうかしている…イヤイヤどうかしているのは自分だ。痛切に思った。どちらが心豊かに音楽を楽しんでいるかは明らかだった。

 我ながらなんという因業なファンなのか…今さら思い知った。コンサートのたびにセットリストに文句を言い、あれ歌え、これ飽きたとうるさかった自分。この曲が歌われるとあの曲を思うし、10曲あれば11曲目を思いを馳せる。
 拓郎には申し訳なかったなと思うが、それは拓郎も同じだと思う。あの曲はもう歌わない、この曲はつまらない、俺はフォークじゃない、この曲を好む君らは進歩が止まっている、御大もファンに対して実に文句が多くはなかったか。
 それはそれぞれの好き嫌いだし勝手なのだが、いつしか常にセットリストに安住できない体質になっていたのだと思う。

 音楽を聴くことの豊かさとは何なのかあらためて考えさせられた。考えたところで今更仕方ないけどさ。もういち度ライブがあったら、俺ももう少しいい観客になるのになと心の底から思うのだ。

2021. 12. 3

☆☆夜空に光るおまえの星を捜すまで☆☆
 宗谷で南極に行くまでもなく、"風の街"、"いつか街で会ったなら"、"春になれば"、このあたりの作品たちが、もうたまらないな。拓郎が「喜多條、もう少しイイ詞を書けよ」と悪態をついた"夜行列車"までが愛おしい。

2021. 12. 2

☆☆錨をあげる、錨をおろす☆☆

 このひと月、仕事でお台場の船の科学館の前をよく通る。元南極観測船の宗谷が係留されている。とうに役目を終えた船だが静かにそこにいる。この小さな船が、砕氷しながら南極に向って行ったのかと思うと頭が下がる。

 宗谷の前を通るたびに春日八郎の「さよなら宗谷」が浮かぶ。宗谷が現役を引退するときの歌だ。喜多條忠が作詞しているんだ。訃報を知り、昨夜は宗谷の前で歌ってやりたかったが、湾岸警察署の隣だし逮捕されたら怖いので、心の中で歌う。

   さよなら宗谷 
             喜多條忠

  宗谷よ おまえは何を見た
  白く眩しい大陸の
  光の果てに何を見た
  宗谷よ おまえを信じてた
  厚い氷は砕いても
  みんなの夢は砕かなかった
  さよなら宗谷 さよなら宗谷
  ありがとう宗谷

  宗谷よ おまえは忘れまい
  独りぼっちで閉ざされた
  オーロラの夜の輝きを
  宗谷よ おまえの友とした
  タローとジローは生きていた
  おまえの迎えを待っていた
  さよなら宗谷 さよなら宗谷
  ありがとう宗谷

  宗谷よ おまえは淋しいか
  四十年の歳月に
  錨をおろし振り向いて
  宗谷よ おまえはどこへ行く
  別れのテープをなびかせて
  想い出の中 どこへ行く
  さよなら宗谷 さよなら宗谷
  ありがとう宗谷


 …宗谷よ、タローとジローのその後にサブローがぺギラとともに待っていた〜>ねぇよ、そんな歌詞。

 喜多條忠の詞の適度な武骨さ、適度なダサさ。なるほどシティボーイ慶応の松本隆と対局にある土着早稲田の喜多條忠である。しかしそこがまたいいのだ。

 俺の喜多條忠への思いは既に書いた。あの新幹線の電話の話が、拓郎と喜多條の素晴らしさとともに忘れられない。http://tylife.jp/uramado/melancholy.html

 さよなら宗谷…宗谷を喜多條忠に置き換えてもなんの遜色もない。さよなら喜多條さん、ありがとう喜多條さん。
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2021. 12. 1

  昨夜は、国際フォーラムに"さだまさし"を観に行った。そうさ軟弱たぁ俺のことよ(涙)。久々に島村英二のドラミングに酔い、しかも"北の国から"では珍しい島ちゃんのティンパニーまで聴けた。いいライブだった。さだまさしの歌う姿からあれやこれや考えた。もちろん俺の事だからロクなことは考えないが。
 しかし明け方に入ってきた喜多條忠さんの訃報に愕然。なんてこったい。2週間ばかり前に同じフォーラムで生"神田川"を聴いて、あらためて名作と感じ入ったはかりだった。去年だっけか、拓郎はラジオで喜多條に会うので詞を頼もうかと言ってたよね。心からご冥福をお祈りします。ご家族や拓郎はじめ近しい盟友の方々のご無念はいかばかりか。あまりに悲しすぎる。

2021. 11. 30

理由は申し上げられませんが、本日は一身上の都合により拓バカ日記お休み致します。
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2021. 11. 29

☆☆赤い大台☆☆
  ♪カモメ群がる〜防波堤の上には〜、これもいい歌だ。エルトン永田のキーボードが泣けるわあ。もう涙の叩き売り、インフレ状態か@自分。
 当たり前だが、ああいう番付には人それぞれのかけがえのない思いがある。言われると、ああ〜その曲があったなと気づいたり、おお〜この曲はもっと昇進(爆)すべきかと思ったりする。それがまた楽しい。いずれどこかで横綱審議会や番付編成会議をできたらいたしましょう。

 ドイツのライブ人を通じて、ヨーロッパのコロナ猛威再襲来の話を聞く。やはりライブ人・舞台人には苦難の日々が続いているようだ。これから日本はどうなるんだろう。今はつかの間か。無理はしないし、できないが、気つけながらできることをしておきたい。
 昨日は、家族・親族には気づいても貰えなかった「赤い大台」を同級生仲間と静かに祝いあう。

  少し黄昏 でも会えてよかった
  今は黄昏 また会えてよかった

 くぅぅ、いい歌だな〜。地球人の命は非常に短い。なので、さらに欲をいえば、このつかの間のたぎる思いで、ライブにも拓バカの皆様にもお会いしたいのだが、大丈夫だろうか。

2021. 11. 28

☆☆泣ける歌番付☆☆
 「本の雑誌12月号」の特集「ひとは本を読んで号泣するのか? 泣ける本番付はこれだ!」を読んだ。われらが重松清が涙腺キラーとして上位番付におられる。面白い企画だ。
 それで超個人的に「泣ける吉田拓郎の歌番付」を作ってみた。ひとり番付編成会議はかなり紛糾したがこんな感じだ。難しいな。まだ検討の余地がありそうだ。
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2021. 11. 26

☆☆反省☆☆
 昨夜観た筒美京平トリビュートライブは2か月前の再放送だったのにもかかわらず、今頃はじめて観て何をイキっているのか…ああ我ながら恥ずかしい。ということで週末はおだやかにやすらかに過ごそう。

2021. 11. 25

☆☆ヒットメーカーの宴☆☆

 WOWOWで筒美京平のトリビュートライブを観ている。すげえな。今の浅田美代子が”赤い風船”を歌っている。それはいい。もう音楽の数々が、どれもこれもすんばらしい。魂は時を渡って若き日々に歌いかけている状態である。思うのは2つだ。

@亡くなってからでなくこういう宴は生きておられるうちにやれ
 拓郎が前回のラジオで力説していたように生きてこそ命あっての自分。死んで花実が咲くものか。それが本人の心に届く本当のトリビュートだ。

A拓郎の提供曲でも十分豪華なすげえライブができるぞ
 拓郎さんを尊敬していると語る音楽関係者の方々なんとかしてくれないか。断言するが「吉田拓郎さんをレスペクトしている」と公で語っている音楽関係者のたぶん95%はおべんちゃらだ(当社サイト調べ)。けっ。いや私だけは違うと思う方、是非がんばって具体的な成果物を示していただきたい。

 さてその筒美京平ライブだが、超個人的には桜田淳子の”リップスティック”を森口博子が歌いあげくれたことに感動した。桜田淳子で聴きたいのはもちろんだが、ここまで熱唱してくれた博子ちゃんにも感謝したい。松本隆・筒美京平コンビの屈指の名曲と思う。それを今、聴けるとは。 桜田淳子は、この松本・筒美路線で行けなかったのだろうか。中島みゆきはどうにもフイットしていないし、80年代は岡本おさみまで出てきた。拓界では岡本を神聖視する俺だが桜田淳子ではどうもいただけない。


  ストライプの雨が煙る街並みは
  山手線の窓に映るイリュージョン
  遠いマンションの灯が あなたの部屋

 "リップスティック"はもうこの三行でまるで映画のように情景が浮かんでくる詞曲一体の名作だ。そういえば昔は、夜の山手線に乗るとドアに額を押し当てて呪うように外を観ているおねーさんがよくいたものだ。>いねぇよ

2021. 11. 24

☆☆おやじの唄☆☆
 以前の日記で愛読書「失われた歌謡曲」を宣揚した金子修介監督の最新映画”信虎”を観た。武田信玄の父の晩年近くの姿を描く。娯楽作品というより玄人の深い描きこみを感じさせる。歴史に無知な私には語れる資格はないが。
 凄いんだか、どうしようもないんだか、よくわからない主人公信虎を寺田農が魅力的に演ずる。寺田農といえば、昔、拓郎が大好きだったというスティーブ・マックイーン主演のドラマ「拳銃無宿」の主人公ジョッシュ・ランドルの声をあてていた役者でもある。吹き替えの声が暗くて、そこがまたよかったと拓郎もかつて言っていた。
 重苦しい映画だが、最後に、武士からも戦からも解放された若者たちが、清々しい風のようで、いいラストだった。

 今日からおまえの身体は、おまえ自身のものだ、
 今日からおまえの心はおまえの身体に戻るさ
 もう争わないで もう戦わないで
 そう自由の風に酔え

 そんな歌が浮かんできた。あと自分が谷村美月のことが好きなことに気が付いた(爆)。
 金子監督といえば「ゴジラ」と「ガメラ」両方を監督された唯一の偉大な監督である。いってみれば「松任谷由実」と「中島みゆき」の二人とステージで共演した吉田拓郎みたいなものだ。すまん、すべて拓郎に牽強付会に過ぎたか。 でも私が本当に金子作品で好きなのは(略)。
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2021. 11. 23

☆☆"帰らざる日々"と"証明"の不整合な問題について☆☆
 
 "太陽に向かって走っていればよい"(帰らざる日々)、"太陽に背を向けて走れ"(証明)。どっちなんだ。またテキトーな歌詞書きやがってという声があります>ねぇよ、おまえが言っているだけだろ

 それでは問題にお答えしましょう>だから誰も聞いてねぇよ

 午前中に西に向って走っていると太陽に背を向けて走ることになりますが、太陽が中点を超えた午後には太陽に向かって走っていることになります。証明→帰らざる日々となるわけです。午前中に東に向って走り始めるとその逆です。帰らざる日々→証明となります。
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 いずれにしても吉田拓郎は矛盾したことを歌っているわけではない、むしろ見事に一貫しています。拓郎さんは一途に走り続けることの大切さを歌っていると言えましょう。…書きながら前にもこの話書いたなと気づきました。>そっちの方が問題だろ

 ※「>ねぇよ」などのセルフツッコミは爆笑問題の田中の声で読んでいただけるとありがたいです。

2021. 11. 22

☆☆ノープロブレム☆☆
 ♪吉田といえば昔は拓郎さんだけだったのに今じゃ栄作にドリームズカムトゥルー〜ああかなり問題("問題の詩" 1992)
吉田栄作や吉田美和を観るたびにこの歌が頭をよぎる。俺だけではあるまい。そうだ栄作くんご結婚おめでとうございます。あの歌から30年経っても、拓郎、栄作、美和、吉田はみなさんお元気で問題がない。良かった。

 結婚といえば菅田将暉くんもご結婚おめでとうございます。そういえば小松菜奈さんとあいみょんて似ているよね。だからどうした、いやどうもしないけど、すべての惑星は、吉田拓郎を中心に回っているのである。だから日食で太陽が見えずとも、太陽は消えてしまったわけではない、ちゃんとそこにあるのである。いみふ。
 "太陽に向かって走っていればよい"(帰らざる日々)、"太陽に背を向けて走れ"(証明)。何度でもいう、どっちなんだ。

2021. 11. 21

☆☆11月の歴史☆☆
 2007年のサディスティック・ミカ・バンドのライブでのパンフに加藤和彦が寄せた文章がある(…は略した部分です)

  僕たちは数多くの偶然と幸運とが重なって成り立っているのだ。
  70年代初頭にロンドンで幸宏に初めて会わなかったら
  拓郎のレコーディングで小原に最初に会わなかったら
  成毛滋と一緒に見に行った「アマチュアなんとか〜」に高中が出ていなかったら
  …
  レノン/ヨーコが「プラスティック・オノ・バンド」と名付けなかったら
  …
  僕たちはあの夜NHKホールにはいなかった
               (文藝別冊 追悼特集 加藤和彦 あの素晴らしい音をもう一度 P.3)


 そんなことを思いながらアルバム“人間なんて”をあらためて聴くと思う

  あの時 加藤和彦がいなかったら
  あの時 加藤和彦がまた学生だった松任谷正隆を連れてこなかったら
  あの時 木田高介があの”川の流れの如く”をアシストしてくれなかったら
  あの時 小室等の12弦ギターがなかったら
  あの時 遠藤賢司がいなかったら

 久々に聴き直したが、吉田拓郎の才能が光のあたる方向へぐいぐいと自らを導き導かれていく感じが溢れている。いいねぇ。

 奇しくも同年同月に誕生した二枚の名盤。その松本隆と吉田拓郎がガッツリ組むアルバム”ローリング30”が43年前の今日発表された。
 そして目黒区民センターで吉田拓郎と小室等が”君に会ってからというもの僕は”を発表した日でもある。

  ああ、俺が総理だったら、昨日と二連休の祝日だな。

 西田幾多郎先生の言葉が胸にしむ。
   人は昨日までの歴史から限定される、しかし人は現在においては絶対的に自由であり、歴史を限定しかえすものでなくてはならない。そこに永遠の今がある。

2021. 11. 20

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☆☆半世紀生きた犬の気持ちで☆☆
 アルバム「人間なんて」の発表から今日で50年だ。おめでとうございます。奇しくも同じ年の同じ日に顔が4つ並んだジャケットのアルバムが発売された。すまん名前は忘れた(爆)。そちらはきっと世間を挙げ帝国が総力をこめてお祝いするだろうから、私は当然アルバム「人間なんて」の50年をひたすら寿ぐ。それにしても両盤が同じ日に生まれたとは…俺が総理ならとりあえず国民の祝日にするね。

   人間なんて
   結婚しようよ
   ある雨の日の情景
   ワシらのフォーク村
   自殺の詩
   花嫁になる君に
   たくろうチャン
   どうしてこんなに悲しいんだろう
   笑え悟り詞人よ
   やっと気づいて
   川の流れの如く
   ふるさと

 どの曲も何もかもが愛おしい。誰がなんと言おうと、いや誰もなんにも言うまいともココに日本の音楽の萌芽と胎動がある。

 吉田拓郎という稀有の才能を見逃さなかった加藤和彦を始め、拓郎を支えたぶん拓郎がいうところのフォークじゃない音楽世界への旅立ちをアシストしたくださった天才ミュージシャンの皆様にも心からの感謝を申し上げます。

   加藤和彦
   木田高介
   松任谷正隆
   小室等
   林立夫
   小原礼
   遠藤賢司
     ほかのすべての皆様

 ということでこのアルバムを万感の思いをこめてあらためて聴きなおしたい。夢ははまだ見ぬ来年のラストアルバムに置き、過去と未来を行ったり来たりする幸福をかみしめながら、ともに流れていきたいと思う。

   あらためて祝☆"人間なんて"生誕50年

2021. 11. 17

☆☆うたコンに行ってきた☆☆
 ひょんなことから昨夜NHK”うたコン”の生収録に行った。勝手知ったる東京国際フォーラム。ああ主のいないフォーラム。しかもコンサートではないので花輪もグッズもなく、売店すらもやっていない。ここで開演前にスパークリングワインを気付けで飲むのが好きだったのに。
 申し訳ないが出演歌手の方々もよく知らない。知ってるのは、南こうせつと宮崎美子だけ。親戚のおじさんとおばさんを見つけたみたいに感じる。それでも、あーっ、ギターが古川望さんだー。ちょっと気分かあがる。

 それにしてもストリングスも入った生バンドだ。照明も豪華でレーザー光線もバンバン飛び、さすがNHKだ。音楽とライブに飢えた自分には、乾いた心うるおす一杯の水のようだった。音楽っていいなと心の底から思った。

 “純烈”すげーな。ファンもペンライトでガチ応援している。この歌手とファンとのムーディな紐帯が実にいい。エライザ、ごめんね知らん。To be continued、スキマスイッチ、ああ存じておりました、水樹奈々実にいい歌いっぷりだ。南こうせつはやっぱり歌がうまいなと感じ入る。ときに四畳半フォークのアイコンみたいに揶揄されるが、”神田川”はどこに出しても恥ずかしくない不朽の名作だ。
 我が心の宮崎美子は、アタシ歌はダメなのよ〜といいながら法事でカラオケを歌う親戚のおばさんみたいだった。すまん。悪意ではなくどうか音程が外れませんようにと祈りながら見てしまうあの感じだ。わかんねーよ。
 
 で、連れに言われてふとかつての拓郎の言葉を思い出した。最後のライブにあたって拓郎はこう言った

「僕はテレビに出て1曲歌って帰る、そういう歌手ではありません」

 いやそんなこと言っても歌手は歌手だろと思っていたのだが、その意味がうたコンを観ていてよくわかった気がした。ここで居並ぶ歌手の一人として一曲歌って帰る吉田拓郎は想像ができない。というより失礼な言い方かもしれないが、拓郎にはできないだろうなと思った。無理するとあの日の紅白歌合戦になってしまう。うつむいて歌う歌手をテレビで観てファンもまたうつむいてしまう。簡単に言うと拓郎は、臆面もなく歌う…ということが絶対にできないのだ。それこそが吉田拓郎ではないかと俺は思っている。まぁ、そこいらはそのうちゆっくり話そう。
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2021. 11. 16

☆☆若者の広場と広場に架ける橋☆☆
 「風街とデラシネ」には"橋を架ける"という言葉が何度か出てくる。自分たちの音楽の世界から強大な歌謡界に向って橋を架けるということだろう。今でこそ偉業だが、当時は裏切り者とうしろ指さされる厳しいご時世だったことも窺えた。
 「拓郎帰れ!」も同じだよね。アルバム「ローリング30」が発売された当時、森永博志のFMのラジオ番組のインタビューで松本隆は
「僕とか拓郎って橋のないところに橋を架けたと思っているのね。今は若い人は橋って思ってなくて軽いんだけどさ」
と答えていた。
 拓郎も後に言い方は乱暴だがこんなことを言っていた。
「松本もはっぴいえんどとかいろいろ体験してね、はやり歌のジャンルまでいっぱいやっていろんな歌書いてきて、おまえだって結構さもしい男じゃないかよ(俺たちが愛した拓郎P.126)」
 橋のないところに橋をかけた二人のバディ感みたいなものが透けてみえる。そこがいい。

2021. 11. 15

☆☆花嫁になる君にA☆☆
 悪態ばかりついているのもよくないと田家秀樹「風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年」を買って読んだ。読み応えあり。トリビアだが、かねてから都市伝説的に聞いていた話の確証が載っていた。「酒井法子『幸福なんてほしくないわ(松本隆作詞・吉田拓郎=入江剣作曲)』は実はもともと松田聖子への提供曲だった説」の真相がかいてあった。長生きはするもんだ。

 「今だから言えるけど、『幸福なんてほしくないわ』は、その前に聖子用に書いたもの。(略)『結婚なんてしたくない』という歌を書いてくれって言われて、聖子の結婚会見の何日か前に録音したんだ。(略)結局発売されなかった。」(P.384)

 ちゃんと松田聖子によってレコーディングまでされていたのか。それが松田聖子の婚約解消だか結婚だかというタイミングにハマってしまったことが理由のようだ。それにしても『結婚しようよ』を歌った御大に『結婚なんてしたくない』という歌を、しかも何という間の悪い時に依頼をするのだ。

 問題それだけではない。そういう不幸なシチュエーションは別にしても、『幸福なんてほしくないわ』…松本隆先生の詞としてのクオリティはどうなんだろうか。松田聖子に対する松本隆の名作群はすんばらしい。だからこそ“赤いスイートピー”とか”風立ちぬ”とか”蒼いフォトグラフ”とか“瑠璃色の地球”とか…なんかクオリティが違いすぎないか。ちゃんとユーミン、大瀧詠一、財津和夫らに書くのと同じテンションの詞を吉田拓郎にも捧げんかいっ。そのくらいこの詞はキビシーっ! いやマンモス悲ピー。
 これは俺の偏った主観だけど、80年代の松本隆には70年代の「ローリング30」の時のような全力投球が感じられず「対吉田拓郎六割程度のならしピッチング説」とでもいうようなものがある気がしてならない。なんだそりゃ。すまん。悪意はない。>悪意しかねぇだろ…いや俺は涙ながらに今書いているのだ。

2021. 11. 14

☆☆花嫁になる君に@☆☆
 小学生の頃、長崎の親戚のお兄さんが大学受験のために下宿していた。そのお兄さんのおかげで”悲しくてやりきれない”も”風”も”さすらい人の子守歌”もレコードでリアルタイムで耳にしていた。
 西日のあたる部屋で兄さんが一人”悲しくてやりきれない”を聴いている姿が本当に悲しくてやりきれなかった。人は試験に落ちるとこんなになっちゃうんだと子ども心に思ったものだが、その後、お兄さんどころではない試験落ちの地獄を自分も嫌というほど味わうことになるのだった(爆)。

 何年後か晴れて大学生になったお兄さんの部屋から妙に明るい曲が流れていると思ったのが”花嫁”だった。“駆け落ち”と言う言葉は知らなかったと思うがこの花嫁のおねえさんが過酷な状況にいることはわかった。それでもひとりで毅然と鞄一つかかえて立ち向かうという詞、そして心湧きたつようなメロディーも、小学男子にもカッコよく見えた。それは基本今も変わらない。
 後に北山修先生のお母さまが、終戦直後、淡路島に紙製のトランク下げてお嫁に行ったときの姿がモデルになっているとのことだと知った。
 関係はないが個人的には森田健作のドラマ「おれは男だ!」の小林君の剣道の好敵手なして吉川クンの恋のライバル丹下竜子が高校を辞めて離島に嫁ぐ姿を思い出す。知らねーよな。

 その北山修先生は今年、白鴎大学の学長になられたのだな。おめでとうございます。拓郎もこの"花嫁"のことを和製フォークと唾棄せずに名曲と評価してくれていたことも嬉しい。このカッコイイ、イントロのギターは石川鷹彦さんなんだな。”チークを踊ろう”の煌めくようなサウンドも石川鷹彦さんが拓郎とアコギを重ねて作ったということで、なんかあれやこれやがつながっているのがさらに嬉しい。

2021. 11. 13

オールナイトニッポンゴールド  第20回 2021.11.12

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。今夜はまずこれを聴いてください。

M-1 チークを踊ろう    吉田拓郎

 こんばんは吉田拓郎です。週替わりパーソナリティでお送りする金曜日、今週は吉田拓郎が当番でお送りします。当番…懐かしいな、週番だっけ、お昼に給食とか・・・

 何でこの曲をかけたか。聴きたくなったから。本能の赴くまま。前回、聴きたいという曲をi-Podに入れているという話をしたが、今この曲が聴きたくなった。気持ちイイ。いい曲だな。ポップで、どう考えても最初から吉田拓郎はフォークソングじゃないな。新しいニューポップス。これはエレキを使ってないで石川鷹彦と二人でやっている。マーチンD45とギブソンのJ45を使ってEQを使ってエレキの感じを出している。
 ここが基本形だ、ポップであり、R&B、ロックであり・・・だって73年には、ビッグバンドで管弦を入れてファンクをやって見せたし、「伽草子」では”からっ風のブルース”をやったりとか、和製フォークから入った連中にはわからない。ドリカムの中村くんが、ファンクですよねと言ってくれたけれど、世間には通じないだろうなとは思っていた。
 ギターの弾き語りが好きな人が多かった。どうなんだろうな。僕は、あれやりこれやり、アイドルにも演歌にもいろいろ作品を書いたりして、わかっちゃもらえない音楽活動だった。言いたいこと全部言っておこう。結果的に残念だったのは、和製フォークからファンになった人は、もっと他の音楽を聴いてほしかったということ。70年代を音楽だけが最高と信じているのが問題。
 それは吉田君は弾き語りはうまいよ。中島みゆきの”ファイト”を小田和正、泉谷しげるらがシーンと聴きこむくらいギターがうまい、弾き語りがうまい。でも、弾き語りばっかりじゃツマンナイ。それに全体に日本で弾き語りがうまい人なんていなかった。みんなヘタだよ。アメリカだとジェイムス・テイラーとかポール・サイモンとかギターうまいんだよ。ギターもボーカルもしっかりしていればいいんだけど。日本では、コードもわかってない人も多い。僕は広島でもギターの名手と自分で言うが(笑)。
 ともかく”チークを踊ろう”が原点なんだ。広島のバンド時代の女子高生の親衛隊、なぜか女子大生ではなく女子高生なんだよな、例えばクイーンとかの親衛隊も女子高生だよね。ブームを作るのは女子高生なのかな。ルーズソックスとかも女子高生だった、そういう女子高生の親衛隊や僕が息苦しい毎日に巻き込まれていたとき外を囲んで女の子が歌っていてくれて、塞いでいる気分に火をつけてくれてもう一度立ち直るぞと思ったり、武道館で「帰らないで、もっと沢山聞かせてね」という女の子たちの叫びが聴こえた。彼女たちは知っていたんだよ。フォークではなくポップなんだよと知っててくれた。それらが非常に少なかったということ。もうすぐ消えるからいい。

<公開録音 つま恋はどうかという投書>
 そらぁ君、無理。ライブじゃなくてレコーディングだよ。つま恋にそういう施設はない
つま恋は無理。野外イベントじゃないんだから。だったらツアーやれよということになってしまう。もとのもくあみ。
 名古屋あたりで、昔NHK101で「トラベリンマン」を作ったけど最低でもああいう環境は欲しい。名古屋のイベンターにあれくらいの環境の場所探しをお願いしているがなかかない。

<素敵な音楽がたくさん出てきた、アルバムという形態が消えつつある、イントロ・アウトロがなくなっているという投書>
 確かに最近のポップスには、イントロ・間奏・アウトロないのもある。昔は、イントロに時間をかけていたし、間奏にも時間をもっとかけた。やたら気を使っていた傾向があった。マイケル・ジャクソンはイントロ、間奏とかエディバンヘーレンでやったり凄かった。
 それも流行だよ。バンドのアドリブ、セッションを重視する、最後のステージでもソロをたくさん弾かせた 。今は、ああいうことはあまりやらないで、むしろより歌を聞かせようということなっている。
よく言うように音楽は好き嫌い。両方ともあるんじゃないか。

<沢田研二のツアーのMCで拓郎さんとメル友、ラストアルバムにオファーがきていないと言っていたという投書>
 おお、そうか。彼も74か、もっと下かな。
<沢田研二がバックコーラスのオファーを待っている、70歳過ぎたら対談しようという話はどうかという投書>
 対談は実現するかもしれない。コーラスか、考えてみようかな。正月とお盆メール交換する仲。いつも健康伺いみたいな感じだ。ツアー中か、元気だな。あいかわらずステージから客席に説教こいているのかな(爆)  若い頃からそうだったらしいね。僕等で言えば  泉谷しげるだ。「金払ってるからって、デカイ面するんじゃねぇぞ」(笑)
 吉田拓郎は「帰れ、帰れとうるさいから帰らないよ」と依怙地なことが流行した時代があった。自分の中だけで。

<鹿児島です、拓郎さんの鹿児島の思い出は?という投書>
 小3で引っ越したので記憶は薄いが、谷山という町と小学校の2年間は実に印象深い。身体が弱くて学校は半分くらいしか行けなかっただけど、宮崎先生=ねぇさん先生とか。
谷山駅の市内電車をボギーと呼んでいて、それに乗って、鹿児島随一の天文館というに行くときウキウキした。でも欲しいものも何にも買ってくれなかったけど父親が、そのうちデパートごと買ってやるって(笑)。それから自宅から歩いて海に行けたんだけど後に埋め立てしたらしい。潮干狩りも楽しかった。
 広島に行くことで父と母と別々になって、僕は母についていったけど、ここいらは家族の真実というものがある。いろんな人が書いたりしているけど、僕だからわかる。 
それは来るべきアルバムのエッセイに書く。

<地震対策はしているか、身の安全も大切だが、音源や資料という文化遺産を大切に保管してくださいという投書>
 僕はあちらに旅してしまったら、記念館なんて作らせない、そういう人になりたくない
。生きてこそ命あっての自分。全部おことわり。死して追悼記念とかやらせない。生きている今しか信じられない。今がぼくであることの証明。
 それにウチの倉庫には何もないよ。有線放送大賞の盾が倉庫にある。有線でたくさんかかったというので”旅の宿”で受賞した。最近では中国新聞の中国文化賞の盾。これは嬉しかったな、レコード大賞はどうでもいいけど、この中国文化賞が嬉しい。故郷からいただいたからかな。  
 楽器もテレキャスター2本、ストラドキャスター2本、アコースティック2本と磯元くんにプレゼントした。アコギ1本にエレキ2本しかない。なんにもいらない。スッキリしようよ。

<京都に在住、苔寺とか近くにあるけど込み合っていたので行かなかったけどコロナで人がいなくなったので回ることができたという投書》
 コロナで大きな負の材料もあったが、本来はこうだ、人間はこうだった思い出す瞬間もあった。人間はどこかで道に迷っていたのではないかということも気が付く。僕はマンションの理事をやっているんだけれど(笑)。マンションといっても15世帯くらいので、20年前出来たマンションに最初からいる。
 マンションの入り口の植栽を今まで素通りで観ていたけれど、これが時間もいっぱいあると、やり変えてもっとできないかと思った。知り合いのガーデニング業者にデザインしてもらって、理事会に諮って植え変えをした。そしたら華やいだ感じ。築20年だったのが、華やいだ。これなんかもコロナだから気が付くことができたのではないか。人間は試練の中で半歩でも進もうとすることが大事ではないか。そういう動物ではないか。

■ 今夜も自由気ままにお送りします吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド。

<板橋区、先月10月に初めて聴いた、家事をこなしながら聴いていて、に入院したときにラジオ局の兄がCDを焼いてくれてその中の”今日までそして明日から”に励まされたという投書>
 ラジオは昔からやってるんだけど。“今日までそして明日から”のことをいろんなところで耳にする。こんなにも多くの場面で多くの方々に愛されているんだと思う。映画、CM、カバーとして今も生きているという心からの感激を隠せない。
 女優の奈緒さんは、”今日までそして明日から”を朝に夜に聴くという。20代だよ、  こんな幸せな曲はない。
 通信販売のマイナーレコード会社で早く曲作れとせかされて作ったアルバム。書いたエピソードとか人との出会いとかもない。この曲を書かせた何かがあったワケじゃない。ただ貧しいことと明日が見えなかったこと。…それで十分か。十分人間としてはそういう場所にいるかな。神様が降りてきて書きなさいと神様が書かせた一曲かな。竹内まりやが「降りてくる曲がある」と言っていたことがあったが、同感だ。一生懸命作った曲がある反面で、天が書かせた曲もある。何度も歌ってきたが、自分のラジオでフルでかけたことはないかしれない。そこで30歳の方からのリクエストもあることだし、よしi-Podに入れるか。いろんなバージョンあるから、僕はセッション男だから。

M-2  今日までそして明日から  2014 吉田拓郎

(CM)

 誰も言わないと思いますが拓郎は言います。70年代に吉田拓郎が広島から出てきて音楽シーンが変わっていったといわれる。やや真実もある。レコードはシングルでなくLPで勝負する時代、一曲ヒットすればテレビでスターになれるという時代、それが終わろうという時代だった。
 ステージで最低でも5〜6曲か何曲か歌って世界を理解してもらうようになってきた。
そのうちだんだんと一人で歌いきるステージになり、お客さんも2時間でオマエの世界をみせろと思うようになって、吉田拓郎が日本で初めてコンサートツアーを行たというのも事実。アメリカでコンサートツアーの在り方を勉強してきておこなった。
 吉田拓郎すげーという話になる。すげーんですが、この拓郎も先輩の影響を受けて徐々に作り上げていったもので、吉田拓郎の神話でさえやっぱり諸先輩から学んだ
シングルじゃなくアルバム、テレビではなくツアー、でも音楽については自分の才能だけではなく60年代個人的に大好きだった先輩たちに影響を受けている。

 長い人生で初公開の話かもしれない。広島で大学生のころフォーク・クルセダーズの”帰ってきたヨッパライ”がヒットした。特に素敵な曲とは思わないし、コミックソングだと思っていた。学生のアイデアで回転数を変えたり、加藤和彦たちの先見の明だと思った。しかし、このフォークル3人、聴いてみるといい曲がたくさんあった。その中の”悲しくてやりきれない”を聴いてこの連中センスあるなと思った。いいなと思った。

M-3  悲しくてやりきれない   フォーククルセダーズ

(CM)

■■11時
(佳代さん)
 拓   加湿器は誰が紹介したんだ
 佳代 youtubeの三児の母のモデルがブログで観て
    この人のおかげで和食器から加湿器か料理
 拓  この人いないとコロナ生活は乗り切れなかった
 佳代 ありがとうございます

 フォークルは奇跡に近い才能があったが、グループとしては長続きしない。だいたい  行き違いがあって、ビートルズみたいに解散してしまう。
 はしだのりひこは、その後いい評判は聞かないが、陰ながら僕は評価している。東京の厚生年金の小ホールでの初コンサートの客席にはしだのりひこが来ていてステージに上がっていただいた。75年のつま恋の前の方には坂本九さんがいて最後まで観ていたらしい。
 はしだのりひこさんは解散後はグループ一杯つくるんだが、作ったグループで必ずヒットを出していた。シューベルツでは”風”いい曲だなと思う
すぐ解散してクライマックスでは”花嫁”がヒットする。はしだのりひこというメロディメーカーは凄い。
 後に第3回の中津川フォークジャンボリー、俺が人間なんて歌ったあそこで、はしだのりひこはさんざんな目にあっている。罵声を浴びた。しかし、この才能、加藤和彦と同時に、はしだのりひこのメロディーも残っている

M-4 風
M-5 花嫁

 (CM)

 60年代にはグルーブサウンズが流行した。ビートルズの影響か、タイガース、テンプターズ、ブルーコメッツ、スパイダース、オックス、モップス・・・僕はワイルド・ワンズが好きだった。
 リードボーカルのハスキーな声、”想い出の渚”のギターのコード進行・・・加瀬邦彦が好きだった。歴史に残る名曲で、僕の曲作りのヒントの入り口になっている。
 ゴールデン・カップスとも飲み友達になったし、スパイダースはかまやつさんとか、
モップスはたどり着いたらいつも雨降り、井上堯之さんもよくしてくれたりした・・・でもお付き合いはないけどワイルド・ワンズが好きだった(笑)


M-6  想い出の渚  ザ・ワイルド・ワンズ

 (CM)

 これらの先輩を好き嫌いとか自分の勝手な言い分で、語ろうとしないことは潔くないと思うようになった。これらは伝承されている。自然に自分の脳とか心に入っている。いやだ、いやだといいながら演歌の影響を受けている若いミュージシャンもいる。無言で伝承されるものだ。歌詞とかメロディーとかがその人に入って悪さをする。
 今日の大きなテーマ、加瀬邦彦、はしだのりひこ、加藤和彦らは、ポップス系で近い世界にいたと思う。
 しかしこの人は先輩ではない後輩だし、特に影響は受けていない、あんまり好きだとはいえない・・・さだまさし。
 でも彼の世界はたぶん後輩に何らかの影響を与えているはず。僕はちゃんと聴いていないのだが、この人の歌は伝承されてゆくに違いない。
 彼の大ヒットのこの曲は、思い切り笑った。下手な落語より笑った。この男、才能あるなと思った。さだまさしは、好き嫌いお近づきになりたいとは思わないけど…苦手なタイプ、2,3回会ったけど得意なタイプではない。向こうもそうだろう。
 さだまさしとは同じステージに立ったことがある。泉谷しげるが主宰して、小田和正、忌野清志郎、浜田省吾、ら錚々たるメンバーが雲仙普賢岳救済の日本を救えというコンサートが長崎市公会堂であった。そこに、さだまさしもいた。
 コンサートでは無難な感じに終わって、いざ打ち上げになったら泉谷たちはきちんとセッティングしてなかった。大人数じゃない、困っていたら、さだまさしが一声、長崎出身なんで顔見知りもいるのでアレンジしましょうかと言ってきた。
好印象もっていなかったけど後光がさしている(笑)。神様、さだくん頼むよということで、市内の会場で無事に楽しい打ち上げがあった。
 打ち上げの前の晩に長崎入りして、大友康平や伊勢正三と飲みに行った。大友康平から、拓郎さん、さださん苦手でしょと言われて、大好きとかはないけど…と言っていた。
打ち上げが出来てバンマスとして今夜のパーティーをセッティングしてくれた、さださんに態度が豹変した(笑)。人間なんてララララララララ(笑)
 あいつはいいやつで、俺たちは縁がなかった、チャンスがなかっただけだ。遠くから応援している。センスがあって、弾き語りとして上等です。

M-7  雨やどり    さだまさし

 大友康平で思い出したポップスというと筒美京平さんが勉強になったし、すぎやまこういちさんという先人も素晴らしかった。すぎやまこういちさんは、ガロの「学生街の喫茶店」、ボブ・ディランが出てきたりする。ガロのこの曲がヒットしたころ大友康平は、  仙台でユニークな名前だ「がぐち」と呼んでいた。馬鹿野郎(笑)。

M-8 学生街の喫茶店 ガロ

  (CM)

 さてラストアルバムは順調で製作がスピードアップされている。デモテープを作って、鳥山君に送ると、鳥山スタジオで、いい音にして時々武部くんがキーボードをダビングしてくれる。歌は勉強部屋で歌ってる鼻歌でテキトーな歌だけど既に6曲出来ている。あと、馬飼野康二と萩田光雄に堂本剛に頼む曲とボーカルダビング、コーラスダビングしたりだいたい来年の夏にはできちゃうんじゃないの。
 みなさんに期待を持たせるためにいうがCDとアナログ両方出す。CDにはエッセイ、 LPにはライナーノーツをつける。LPのジャケットは、写真のタムジンチームと全体デザインのシノハラとこのアルバムイメージガールとつま恋で撮影する。3月末か4月にはできる。明後日にリモートで、このアルバムのイメージガールの奈緒さんが参加してくれる。感謝。
 タイトルが謎、まだ言わないけど大きな意味を持っている。このリタイヤアルバムにはストーリーがある。その主人公をタムジンが撮影する。その衣装をシノハラが、とても素敵な衣装だ。タイトルの題字は彼・・・「たくろうはん」という彼。
 こういう場所で撮りたいというのをつま恋で探した。とても素敵なアルバム。吉田拓郎はこういうことを考えながらリタイアするんだというストーリー。

 一部の心無い人に言いたい。デモテープを流すけど、それをネットにあげるのはやめてほしい。周りもそれを許すな。俺はデモテープを聞かせたいんだけど、今後は無理だと思う。こんな感じの曲というのを流すから、頼むからのっけるな。おまえを信じるから。デモテープでまだこれから直してゆくんだから。

M-9 デモテープ

■エンディング

<シャインマスカットひと房1580円は高いけど、ぶどうにしてぶどうにあらず、おいしかった という投書>
 初めて食ったのか。うまいよな。皮ごと食べたい。確かに安くはないな、もう一声と言いたい。しかし、生産農家の方はいろいろ手間がかかって大変らしい。でも数年前は半分の値段だったよう気がするんだよ。

 来月は12月だ。早いな。来年は、ラストワークのレコーディング、映画の撮影、LOVELOVEもやるぞ。5月までかな。次回は12月17日。

M-10 煙が目に染みる   ザ・プラターズ

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆”チークを踊ろう”…例によって思い込み&プチ自慢だが、拓郎と自分の心がちょっとだけ重なったみたいで嬉しい。http://tylife.jp/uramado/cheekwo.html

☆とはいえ俺も”チークを踊ろう”は最初は軟弱な歌だなと思っていた。ずっと後になって尊敬する拓郎ファンサイトの大先輩の方が、拓郎の一番好きな曲は”チークを踊ろう”と明言されていて衝撃を受けた。普通は俺も含めて一番好きな一曲という質問には怨念のこもった曲をセレクトするじゃないか(爆)。"チークを踊ろう"というセレクトが清々しくてセンスがあって素敵だなと思った。そしてそれであらためて聴き直していくうちにその虜になった。

☆そのサイトの方も同じ世代、同ポジションかと思うが「女子高生の親衛隊や僕が息苦しい毎日に巻き込まれていたとき外を囲んで女の子が歌っていてくれて、塞いでいる気分に火をつけてくれてもう一度立ち直るぞと思ったり、武道館で「帰らないで、もっと沢山聞かせてね」という女の子たちの叫びが聴こえた。」…泣ける。その女性の方たちも、それをしっかりと覚えていて感謝している拓郎にも。たまらないね。そういうたくさんのねーさんたちの感性と小さな叫びが吉田拓郎をココまでつないできたのだと、おかげで今こうして俺も安閑と聴いていられるのだ。謝意を表します。

☆ただ日本で一番ウマイ弾き語りなんだからそれに魂を持って行かれるのも当然である。やっぱりご本人がどう言われようとあれはあれで不滅ですばい。無形文化財・人間国宝に指定してもいいんじゃないか。断固拒否されるだろうけど。
 すばらしいものがすばらしいものとして伝承されて欲しいと思う。ただ記念館は微妙だわな。なんか確かに危うい。開館しても閉館しちゃうとまたすげ淋しいじゃん。

☆「生きてこそ命あってこその自分」…御意。「生きてこそあれ歌ひとすじの道」は美空ひばりが島倉千代子に送った歌だ。通底。とにかくお元気で生きていてくだされ。

☆恩讐を超えて「伝承」を見つめる。”はしだのりひこ”から”さだまさし”まで。いい話だったな。先日行ったばかりの長崎の江山楼の話が出てきたのも嬉しかった。最後に向けていろいろノーサイドになってゆく。"布施明"はどうなんだろう。

☆ラストアルバムが順調という朗報。設定に凝り過ぎではないのかと余計な心配もしていたが、デモテープが聴けて安堵した。楽しみにしている。こうやって昔からラジオで出来立てのデモテープをガンガンかけちゃう拓郎が大好きだったが、それも最後か。


☆ そうしてああ、やっぱり終わってゆくのだな。

☆☆今日の学び☆☆
 デモテープとか新曲の片鱗にどんな曲なんだと耳そばだてながら悶絶する。そういう幸せというものも確かにありました。

2021. 11. 11

☆☆和田誠展☆☆
 くだんの居酒屋のマスターに教えてもらって新宿オペラシティで開催中の和田誠展に行った。膨大な作品たち。小さい展覧会だがとても一回では見切れない。いちいち、あーこれもか、こんときゃこーだったと頭が走馬灯になる。意識するとしないと私たちは和田誠に包まれて生きてきたんだと身に染みて思う。イラスト、表紙、ポスター、映画。そうそうマスターは「あったよ」と教えてくれたのだ。ありがとう。
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 このサイトで何回も書いた西武デパートの「フォーライフフェア」だ。75年秋は渋谷西武、俺が行ったのは1976年池袋西武で3月13日だったのだな。早速Tくんに送った。懐かしいったりゃありゃしない。和田誠の描いた吉田拓郎である。
 このフェアで俺たちは小室等に握手をしてもらい、4人が出てくるヘンテコなフォーライフのモノクロ映画を泉谷しげると一緒に観て、そして吉田拓郎の殴り書きのような直筆パネル
     今は黙って静けさだけを愛せばいい
を胸に刻んだのだ。
 12月までやってるようだ。また観に行く予定。和田誠の描くかわいい拓ちゃんとあなたの和田誠を見つけてみてください。って大きなお世話か。

2021. 11. 10

☆☆追憶の80の秋A☆☆
 
 なんで慌ただしい週の真ん中にこんな事を長々書いているのか俺にもわからん。

 コンサートは@バンドA弾き語りBバンドと3パートに分かれていてAの弾き語りがかなり長かった。
 そしてバンドには松任谷正隆がいなかった。俺には松任谷正隆がいないライブはそれが初めてだった。当時「今年は松任谷正隆さんが抜けたことがニュースです」と渋谷さんも言っていた。やはり淋しかった。そういう意味でも記録的意味がある。松任谷は翌年体育館ツアーで復帰するが、それが最後になってしまった。いや、お2人ともお元気だが、拓郎がライブをやらない以上、もうステージの共演は観られない。
 ということで中西康晴がひとりで大忙しだった。やがて形成される極悪バンドのあけぼのだった。

 オープニング前におなじみ”ローリング30”のテープが流れる。これまでは曲が終わってから1曲目の演奏が始まるところ、この時は最後の♪ローリング・サァ〜のあたりで島村英二のドラムが鳴って”あの娘といい気分”が始まる。このシンクロがメチャカッコ良かった。んでもって”あの娘といい気分”につづいて古い曲”マークU”。このブルージーなアレンジがいい。夏の武道館と比べてジェイクがいないところがやや物足りないが身体が自然に揺れてくる。

 この日は巨人の王貞治選手の現役電撃引退のニュースがあり、拓郎は楽屋で新聞社のインタビューに「絶句」と答えたとのこと。「読売巨人軍ていうのは僕らの夢を潰していくな」と非常に怒っておられた。
 “ひとつまえ”の由来も話してくれた。http://tylife.jp/uramado/hitotsumae.html
 “あの娘に逢えたら”が聴けたのは後にも先にもこのときだけだ。なのでよく覚えてねぇ。イントロが中村雅俊の"ふれあい"に似てメロディアスだったのは覚えている。
 早くもスタンダード化したレゲエの”いつか夜の雨が”。
 ”いくつもの朝がまた”ロックウェルからの放送では♪暗闇を〜と歌っていた出だしが、正式には♪重い闇を〜であることを知る。
 そして第一部のラストに歌われたいつも見ていたヒロシマ”が圧巻。まるでこれがクライマックスのように素晴らしかった。隣でTくんが思わず、いいなぁと嘆息していた。
 どっかの会場では、このヒロシマを歌わんとする拓郎にヤジを飛ばして拓郎が激怒したらしい。そらぁ怒られて当然だ。

 ドラマチックなヒロシマが終り、続いて弾き語りコーナー。
 いきなり♪怒れるときあらば〜と”ファミリー”のサワリを弾き語ってから、「この歌の続編です」といってあの名曲“家族”を初披露。最近は、"弾き語り"というと喜元がくない拓郎だが、とにかく圧倒的だった。初めて聴く歌詞に耳をそばだてながら、やがて自分も歌全体にとりこまれてしまうようなそんなパワーがあった。

   家族
   言葉
   証明
   熱き想いをこめて
   土地に柵する馬鹿がいる
   僕の唄はサヨナラだけ
   二十才のワルツ

 どうだい。かなりの盛である。しかも一曲一曲がかなり濃い。いきなりステーキか。弾き語りコーナーの時間は一時間近かったのではないか。そしてこのツアーを最後にそれから約10年…89年ツアーまで弾き語りコーナーは封印されることになる。この意味でもひとつの分岐点である。
 弾き語りでお腹いっぱいになったところで、最後のダメ押し。

  おきざりにした悲しみは
  外は白い雪の夜
  アジアの片隅で

 アジアで客席が迷うことなくスタンディングし、ご唱和するスタイルもこのツアーから確立したと思う。
 最後にTくんが「ダイエー!」とヤジを飛ばしたら前列の浅田美代子さんがちょっと振り返って笑ってくれた。そんな超個人的スペシアルな思い出もあった。

 古い歌こそあったものの、新しい歌たちが、新しい世界を作っていた印象がある。80年代の幕開けである。それはまた「落陽〜人間なんての熱狂」なき世界の始まりであり、まあ、なんだ、文句があったりスレ違ったりとひとまず85年夏までいろいろと続く旅の始まりなのだった。
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2021. 11. 9

☆☆今さら涙もないだろう@☆☆
 なんとなくハマってしまった1980年の秋の話のつづき。

 「1980年」というとそれまでの古い歌は全部捨てたと宣言して全曲新曲で通した衝撃の春のツアーと”Shangri-la”のブッカー・T・ジョーンズを招聘した夏の武道館が華で、秋のツアーは印象に薄く後世にも語られることが少ない。

 これはこれで大切なツアーだった。もとよりやらない方が良かったライブなどこの世に一つもない。と俺は思う。

 春の全新曲ツアーで歌われた謎の大作”アジアの片隅で”が、夏の武道館公演でブッカー・Tも客演のうえでその完成形を得た。そしてその完成盤を収録したアルバム「アジアの片隅で」をひっさげたツアーがこの秋のツアーである。ということで、このツアーは”アジアの片隅で”襲名披露公演という大きな意味があった。

 そしてもうひとつ。春ツアーであんなにドラマチックに捨て去った古い曲をこの秋のツアーはで再び拾うことになった。
             その時の俺↓
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 もちろん結果的には両手広げてげてウェルカムなのだが、さすがに捨てた宣言からあまりに日が浅く、拓郎ファンでない連中からも、なんでもう古い曲歌っているんだよと問い詰められてバツが悪かった。
(回答例)
 ご質問の件ですが、夏の武道館で古い曲を歌う時、吉田拓郎は「今日はコンサートというよりお祭りだと思っているので古い曲は歌わないとか、そういう固い話は抜きにして」と説明いたしました。したがいまして、それ以降(2019年まで)ずっと毎回コンサートではなくコンサートと題したお祭りが続いているのであり、吉田拓郎は決して嘘をついていないというのがこのサイトの法制局の解釈であります。

  誰かから「拓郎は古い歌を捨てるとかいって嘘つきじゃねぇか」と罵倒されたときは、心の中で本当にそうだなと思っても、このように回答することをお勧めします。>誰も言わねぇよ

 このツアーで拾った曲が"マークU"、”あの娘に逢えたら”、”おきざりにした悲しみは”…またまた絶妙なところを拾うんだよ。"土地に柵する馬鹿がいる"も歌ったな。よりよって一番古いところを拾ってきた(爆)、さすが思い切りがいいぜ。

                                 とりあえず明日につづく。

2021. 11. 8

☆☆くりかえす さざ波のように☆☆
 今日は島倉千代子さんの命日だ。…いや、しっかり忘れていたのだが友人に教えていただいた。島倉千代子といえば"紅葉"だ。http://tylife.jp/uramado/momiji.html
 後に拓郎がFromTでデモテープを収録してくれたときは心の底から嬉しかった。
 そして「監獄のお姫様」の劇中で歌われた"愛のさざ波"。"紅葉"と合わせて、我が心の両A面のシングルカットである。
 ♪いつでも いつでも 思い出してね
  くり返す繰返すさざ波のように

 もう忘れませんので、どうぞ安らかに。 

2021. 11. 7

☆☆消え入るような そんな生き方もある☆☆
 当時のラジオ「ヤンタンToyko」では、ロックウェルの中継も含めて、毎週、制作中のアルバム「アジアの片隅で」の経過報告が聴けた。その際、アナログアルバムの収録時間の物理的制限があって予定曲が全曲入らないと拓郎は悩んでいた。”アジアの片隅で”があまりに長すぎるのでアルバム収録は無理ではないかと迷っていた。
 しかし”アジアの片隅で”の入っていない「アジアの片隅で」はあり得ない。アンコの入っていないアンパン、ヤキソバの入ってないヤキソバパン、ウグイスの入っていないうぐいすパンみたいなものだ。・・・そうそう子どもの頃”うぐいすパン”て、ウグイスが入ってたらどうしようと怖くなかったですか?>ねぇよ
 小室等もこの名曲は絶対入れるべきだと力説してたし、俺も番組にハガキを書いたものだ。そのせいかは知らないが、”アジアの片隅で”は間奏を少し短くして収録され、結果的にアルバムの最後の曲として予定されていたという”証明”がカットされた。正確には「2曲飛んだ」と言っていたがあと1曲はなんだろうね。
 当時、松本隆作詞の”この歌をある人に”がいらねぇんじゃねぇの?と不遜にも思ったものだ。松本隆先生、連日すまん。しかし先月のオールナイトニッポン・ゴールドを聴いて、そういうもんじゃないなと俺は心を入れ替えたよ。
 このサイトでも何十回も書いたが私何度でも言う、あのアルバムの最後に”証明”が入っていたらどんなアルバムになっていたか、各自想像されたい…というかOh確かめてみるがいい。

 CDの時代だったらそんな時間制限はなかったろうに。でもCDだとこのA面とB面のせめぎ合う素晴らしさに気がついただろうか。

 かくして”証明”はシングルB面伝説の中で永い眠りにつくのだった。・・・そしその扉を再び開けたのはガガガPという若者たちだった。このカバーの好き嫌いはあるかもしれないが、もう聴き飽きた定番曲ではなく、この曲を発掘したことこそがまず素晴らしい。彼らの功績を湛えて吉村作治発掘大賞をお贈りしたい。そんな賞あるかどうかわかんないけど俺は贈りたい。

2021. 11. 6

☆☆☆A面で恋をして☆☆☆
 昨日書いたアルバム「アジアの片隅で」のA面の全部乗せ重量感。岡本おさみに心の底から敬意を捧げたい。それだけでなくこのアルバムが名盤なのはB面もそれに劣らずガチ凄いところだ。”二十才のワルツ”,”ひとつまえ”,”元気です”と明らかにB面は吉田拓郎の詞力(シヂカラ…そんな言葉ないけど)に支えられている。
 これに対して翌年の「無人島で」のA面は”この指とまれ”,”春を呼べU”,”Y”,”ファミリー”とこれまた拓郎の詞力全開の名作群なのに、B面になると微妙に失速してゆくのと対照的だ。メロディーやボーカルに遜色はない。「ローリング30」では何本もの重量鉄骨で堅牢な建造物を支えた松本隆だが、この「無人島で」は軽量鉄骨のプレハブ住宅みたいな松本隆だ、それではないか。きっと当時は身も心も松田聖子のもとにあったのではないかと睨んでいる。すまん、悪意はない>って悪意しかねぇだろ!
 そもそもこんなうららかな週末に松本隆先生の悪口を書きたかったわけではない。それに軽量プレハブ…俺の住んでる家だ(爆)
 今日は「アジアの片隅で」がいかに名盤であるか、印象の薄かった80年秋のツアーだが、結構そこそこ大切なライブだったのではないか…ということを書きたかったのだ。
 うららかな土曜日なので川べりを散歩してきます。また明日。

2021. 11. 5

☆☆☆まるで昨日のように☆☆☆
 1980年の11月5日、アルバム「アジアの片隅で」が発売された。その前日が秋のツアー渋谷公会堂公演だった。会場では既にアルバムが売られていた。「時の暗がりに葬られぬために、再び強烈に突きつける」…なんて胸かきむしられるコピーなの。一日早くアルバムを手に出来た俺とTくんはコンサートが終わって興奮そのまま缶ビールと蒲田の吉野家の肉皿を買い込んで彼の家に行ってビールを飲みながら聴いたのだった。やったぜ明日はホームランだ>いみふ

 一曲目の”まるで孤児のように”。ああ、なんかすげえカッチョエエ。このオープニング曲でこのアルバムの成功が約束されているような気がした。それにつづく”いつも見ていたヒロシマ”でこりゃあ稀代の名盤であることを確信した。「いい曲書いたな」と辛口のTくんも珍しくホメた。さっきのステージでの身をよじって”ヒロシマ”を絶唱する姿が浮かんだ。

  なんだか俺達 荒れ果てた土地に
  取り残された孤児みたいだな
  俺はどこへ行こう
  君はどこへ行く
  一人で酒におぼれた夜ふらつく
  アジアの片隅で このままずっと
  生きてゆくのかと 思うのだが

 つなげても全然違和感がない全部乗せ。三品食堂か。

2021. 11. 4

☆☆最近好きな曲☆☆
 “この風”とともに最近よく聴くのが”この街”(作詞:阿久悠 作曲:吉田拓郎 歌:林部智史)。東京国際フォーラムの阿久悠メモリアルライブで林部本人歌唱を観たのも今は昔。MCで「吉田拓郎さんと編曲の武部聡志さんに感謝です」…とか言ってて、まずは吉田さんに感謝だろ!とあざといコメントにムカついたものだが、確かにこのドラマチックな編曲はいい。このラッピングが、吉田拓郎のメロディーをより引き立たせている。すまん、いいじゃないかこのアレンジ。
 ともかく70歳を超えてこんなメロディーが書ける。俺はそのことが心の底から嬉しかったが、もう新曲はいいじゃないかという人もいる。しかしこの歳になっていい新曲と出会った時の無上の感動は誰にも譲れない。そうでもない新曲があったり、あったり、あったり、不発がどんなにあろうと俺は素晴らしい新曲を待ちながら生きて死ぬのだ。
 死ぬと言えば、友人はこともなげにこの曲に暴言かました。「死んじゃった人が作詞して、70歳の爺ちゃんが作曲した曲」とミもフタもないことを…ホントだけどなんということを。神よ罪深き子羊を許したまえ。人は死のうが爺になろうが、みずみずしい音楽作品を生み出せるという事実を証明してくれているではないか。神は必ず旅を許される。

 ということで“この風”と”この街”が心とらえてやまない。“この風”と”この街”・…はっ、”風街”…くぅ〜

2021. 11. 3

☆☆あれから10年☆☆
 「この風(午後の天気)」、いいなあ。ちょっと泣きたくなるようなこのメロディー。あっさりしているようで実に深いコクがある。その上、いいボーカルじゃないか吉田さん。60歳をとうに超えて、こういう歌が出てくる。ハラショ。
 そう言えばいわゆるオリジナルアルバムは「午後の天気」以来10年間出ていないんだな。だから来年は10年ぶりなのよね。
 既に決まってるというアルバムタイトルは何なんだろうな。タイトルだけで泣いてしまうというヒントのみじゃわからん。俺が確実に泣いてしまうに違いないタイトル。
        「吉田、あと数枚作るってよ」

2021. 11. 2

☆☆夕陽よ俺を照らせ☆☆
 数日前、田家秀樹の企画選曲アルバム「風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年」の中に拓郎の曲が一曲も入ってないと悪態をつかせていただいた。でも著作の方では、いちおうページを割いてアルバム「ローリング30」のことなどが書かれていた。やっぱり良い人かもしれないと一瞬ひるんだが、しかし、どうしたって乾いた心はそんなに一度にゃ、いやせやしねぇ。

2021. 11. 1

☆☆いくつもの朝がまた☆☆
 選挙速報を深夜まで飲みながら観ていて気分が落ちる、墜ちる、ああどこかへ堕てゆけ。人にはそれぞれの考えがあるので、あくまで俺個人は…だ。自分が当たり前に描いているようなことは、実に少数派の部類なんだなと思い知らされ悪酔いしながら朝になる。
  “年寄りと放浪者は乾杯の朝を迎えないだろう”
 この詞の意味があらためてわかった気がする。
 とはいえ、こんな世の中と自分を捨ててみたり、この国を見限ってやるのは俺の方だとイキッたりせずに、遥かな夢を抱いて旅を続けよう。

2021. 10. 30

☆☆Voice☆☆

 ああ、いい声だなあ。そして心のこめられた言葉のチョイスがまたいいなと思う。短いメッセージの中に吉田拓郎のエッセンスがちゃんと息づいている。
 …あ、拓郎、俺のところに送ってくれてもいいよ。

「2021年10月29日ZIPでの奈緒さんへの肉声メッセージ」

 こんにちは、おはようございますがいいのかな
 吉田拓郎です
 奈緒さんとはまだ直接お会いしたこともお話したこともないですが
 KinkiKidsの番組に奈緒さんが出演されまして
 そこで僕の曲のことをお話になったというエピソードを聞きまして
 とてもうれしく感じて
 さっそくその年にやった コンサートツアーの映像を
 奈緒さんの事務所の方に
 半ば強引に送らせていただききました
 その後も僕のCDアルバムを
 これまた強引に送らせていただいたりして
 まぁきっとその頃から
 「あのクソじじぃうるせぇなあ」
 とお感じになっていらっしゃると思いますのでもうやめます(笑)

 僕が若い頃に作った「今日までそして明日から」と言う曲がお気に入りと伺いました。
 とってもうれしいですが、僕は他にもいい曲をたくさん作っておりますので(笑)
 お時間がある時にぜひチェックしてくださるともっとうれしいです

 今大変ストレスのたまる日常を私たちは送っていますけれども
 ぜひ健康に気をつけて1日1日を奈緒さんのペースで歩いていってください
 きっと近い将来にどこかでお会いできる日が来ると
 その日を頭に描きながら僕も半歩ずつでもいいから前に進もうと思っています
 その日までお元気で!

 あ それから追伸でお母さまにも
 「拓郎がよろしく言っていた」とお伝えください
 お2人の健康を祈っております

                            吉田拓郎でした

2021. 10. 29

☆☆ブルータス、おまえもか☆☆
 田家秀樹が松本隆を綴った著書「風街とデラシネ〜作詞家・松本隆の50年」が発売されるらしい。同時に田家さんが松本隆作品を選曲した同名のCDアルバムも発売するらしい。
 そのニュース記事で田家さん曰く

“「Tシャツに口紅」。この曲好きなんですよ。大滝さんの曲の中でも、屈指の好きな曲ですね。…松本さんのシンプルな言葉、そんなに言葉を費やしてないんですけど、ドラマもストーリーも見えますね。”

 同感だ。俺もiPodには鈴木雅之と大瀧詠一の両versionを入れて時々聴いている。名曲だと思う。

 しかし、しかし、しかしだ。「Tシャツ」「口紅」と来て大瀧詠一だけですませていいのか。田家さん、アナタと私たちが背負った十字架はどうなるのだ。
 夜明けの埠頭にいる切ない二人、そこにTシャツと口紅といえば、よいこはみんな「サマータイムブルースが聴こえる」を思い出すはずだ。こっちは放置するのか。それにこっちの方が先だぞ。

 どっちがいい曲かという話ではない。セットと小道具の使いまわしのような、ゴジラとジラースのような (>また意味がわかんねぇよ) この2曲であるが、「Tシャツに口紅」は長い年月に疲れ果てた二人の別れのドラマを、「サマータイムブルースが聴こえる」は初々しく若い二人の青春の胸疼くドラマを見事に対照的に書き分けている。なのに田家さんが企画・選曲したというアルバムに「Tシャツに口紅」が入っているのになぜ「サマータイムブルース」は入っていないのだ。そこで松本隆の詞のふり幅の広さを評すればいいじゃないか。
 ていうかそもそも田家選曲でありながら拓郎の曲が一曲もないのは、え、どうしてなんだろう、やりきれないな。

 しかし私も年老いた。そんなことで田家の裏切り者などと怒ったりはしない。きっと事情があったのだろう、知りたくもないが。ただ僕も淋しかったんだよ。これを淋しいと思う人がいれば私達こそは同じ十字架を背負うものだ。

 Ninjin designの雨畑は某所でよく田家さんを見かけるようだ。今度見かけたら、そっと近寄ってシャツの背中に口紅でバカって書いといてくれ。それでいいよね。

2021. 10. 28

☆☆そんなことってあるだろう 君たちだって〜☆☆
 きっと程度の差こそあれファンなら誰でも若い頃には恥ずかしい拓バカな経験のひとつやふたつはきっとあるだろうと思う。"中二病"とはよく言ったもので14歳の俺にはひときわ衝撃的だった。単なるファンとか好みの音楽とかいうレベルを超えて魂ごと持っていかれたまま現在に至る。
 ショッカーに捕まった本郷猛は肉体改造手術を受けたが脳改造の寸前に脱出して正義のヒーローとなった。だが吉田拓郎に捕まった俺はいきなり脳改造を受けて肉体はそのままで放り出されたので、ただの困った人間になってしまった。わかりやすくいうとそういうことだ。>わかりやすくねぇよ、一部の変な人しかわかんねぇよ。

 来年のラストアルバム制作後は、すべてのことからスッパリ退くという吉田拓郎に対して、病魔を超えてよくここまで歌ってくれた、お疲れ様でした、本当にありがとうございました…と心の底から思うのだが、その反面でココまできて今さら引退というのなら、もとの14に戻しておくれと魂の底から悶絶してしまう困った俺もいるのだ。

2021. 10. 27

☆☆わけわからず☆☆
 アルバム”ローリング30”は詞に関しては「松本隆詩集」って感じだが、拓郎の詞も2作ある。しかし2作ともちょっとアレなんで、圧倒的な松本作品の前には、カレーライスの福神漬け、吉野家の牛丼の紅ショウガ、シウマイ弁当のタケノコみたいなたたずまいである(※個人の感想です)。それでも“わけわからず”には好きなフレーズがいくつもあって時々頭に浮かぶ。昨日もそうだった。

   嵐の中でも焚火を燃やせ 自分の命を愛しているのなら
     人が迷えばあとには道ができる そこには夢などかけるな 追うじゃない

 高校の卒業文集にこのフレーズだけ書いて”僕のエピローグ”と締めくくったのを思い出して超絶悶絶級に恥ずかしい。バカじゃねぇの俺。とはいえ今もやってることあんまり変わんないけどさ。

 それにしてもバーボンを抱くことはできるが、レミーマルタンを抱きしめるのは、おいそれとできやしねぇ…ってか、やったことねぇ。

2021. 10. 26

☆☆良い子でいましょうと諭されりゃ、悪い子もいいなと憧れる☆☆
 晴れて居酒屋の時間制限も解除になったが、だからといって素直にイケー!!と言う気分にはならない。あんなに居酒屋行けないと悶絶していたくせに。天邪鬼か。天邪鬼のファンもまた天邪鬼である。

2021. 10. 24

☆☆Long vacation no see☆☆
 しつこいがウイスキー・クラッシュにはラジオCMもあったのを思い出した。79年の8月にFM東京で小林克也のパーソナリティ番組で武道館公演の特集を放送した時に流れた。こっちはテレビよりハッキリとイントロと曲の一部を聴くことができた。これを篠島前に聴けていれば、幟を立てて”♪ウィスキー・クラッシュ、ウォウウォウ”を延々と繰り返して応援していた篠島の兄さんたちも、もっとバリエーションが出来たのではないか。しかし曲相もわからない当時の最新曲で応援に挑んだ彼らは偉かったなと真剣に思う。
 話がそれたが、そのラジオCMは拓郎が帰ってきたというナレーションで始まる。
「拓郎が帰ってきた」、「拓郎復活」、この種の言葉を長いファン人生でよく聴いたな〜としみじみ思う。吉田拓郎はキャリア的には一度も引退したことなどなくずっと歌い続けているのだが、そういう「帰ってきた」、「復活」というアナウンスやコピーをよく見聞きした。拓郎本人の本意ではなく、周囲や世間の演出なのだろう。
それでも「なかなか帰ってこない拓郎」「消息の聴こえない拓郎」というヤキモキする時間が何度もあったことを示している。ONとOFFはあざなえる縄のごとし…良いとか悪いとかではなく感慨深い。
  お帰り
  ただいま
  どこに行ってきたの?
…僕らは今も自由のままだ

2021. 10. 23

☆☆溶けかかった氷のような俺☆☆
 “ウイスキー・クラッシュ”がCMからはよく聴き取れなくて悶々としていた頃、週刊プレイボーイに胸わしづかみの記事が載った。週刊プレイボーイは、当時、中上健次の”RUSH”と戸井十月”HEY BOY’”というハードなエッセイの連載があって好きだったのだが、このお二人とも吉田拓郎のことが大嫌いのようで時々悪口が書いてあって実に悲しかった。…そういう話ではない。
 読者プレゼントのコーナーにサントリー提供の販促用カセット”ウィスキークラッシュ”(吉田拓郎)、”琥珀色の時”(布施明)の2曲入りがあったのだ。こういうのを豪華プレゼントというのだ。欲しい、欲しい、欲しい。ものすげー欲しい。と高校生の俺は悶絶した。しかもカップリングが布施明というシュールさ。これが本当の背中合わせのランデブーというものではないか。いみふ。
 ということで必死で何十枚かハガキを書いたが、なんの音沙汰もなかった。あれから42年経つので、たぶんハズレたんだと思う>あったりめぇだろ
 週刊プレイボーイに言いたい。俺は今でもこの町に住んで女房・子供に手を焼きながらも生きている。明日カセットが送られてきても驚きません。

2021. 10. 22

☆☆ワン・ツー・コマーシャル☆☆
 それで思ったのだが、拓郎の音楽を使ったCMの中で、拓郎の曲が映像とほぼ関係なく聴きとりにくい小さい音でうす―く使われているやつって結構ありませんか。テロップの「歌:吉田拓郎」でようやく、ああ拓郎か…と確認できるようなもの。こういう薄い使い方が、いつも俺の心をいらだたせる、いやせない、みたせない、なぐさめもない。もちろんいいCMもあった。”asahiのふんわり”でのローラの”ガンバラナイけどいいでしょう”、故林隆三さんのシチズン時計の”人生を語らず”、なんといっても”Have a niceday”フジカラー。これらは吉田拓郎のボーカルやフレーズという音楽の魅力と映像や商品がガッチリ組みあっている。
 しかしこういうCMとは正反対に、ついでに流しときました〜としか思えない=拓郎の音楽が空耳のように微音量で鳴っているだけのCMも多いのだ。セブンイレブンもそうだったし、車のCMで”遥かなる”とか”風をみたか”もそうだ。古くは”ウィスキークラッシュ”あたりからかな。聴こえないじゃん。いい曲なんだから大音量で流してくれよ。そのうえで最後にバーン!!って
 おまえ人生を攻めてるか? ウィスキークラッシュ!!
とかテロップをカマすぐらいのことはやってほしかった。 
 そうはいってもCMは音楽だけでなく映像、出演者、商品イメージ、情報の効果的伝達も含めた総合芸術作品なんだからというご意見があるが、…そんなもの俺には通じないぜ!!(爆)、拓郎の歌が輝いてなんぼである。

2021. 10. 21

☆☆友達になろう☆☆
 昨夜コロナでずっと早期閉店していたコンビニの前を通ったらバリバリ灯りをつけて営業していた。入ったことはない店だがそれでも嬉しい。脳内で伊藤咲子が歌いだす。

 ♪暗い街にも灯りをつけた店があるぅぅぅぅ セブン・イレブン〜

 その店はローソンだったのだが、まぁいいじゃないか。>よくねぇよ。
よくないといえば、松本隆と吉田拓郎がガッツリとこれだけの力作を書いているのに、そしてもちろん伊藤咲子の歌唱は安定のすんばらしさなのに、耳をそばだてないと聴きとれないようなショボい使い方で、CM自体もそんなには流れていなかった。ぞんざいな扱いに見えてしまう。今、松本隆先生にそんな扱いの仕事をさせる企業はあるまい。
 …どうだろう、もう一度使ってみちゃくれまいか。

2021. 10. 20

☆☆リモートひとり会議☆☆
 吉田拓郎の音楽が聴きたくて聴きたくてたまらずに皆、海を渡ってやってきたのである。そらぁ失礼なヤツもいた、失礼なこともあったかもしれないが
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…と思う。あとは拓郎の話をよく聴いてから考えよう。
 ところで、2009年"Have a nice day"のツアーバンフ掲載のインタビューの一節。
「79年篠島をやった時に、自分のやっている音楽がそんなに新しくないということをすごく思った。自分は新しいことをやってるわけじゃ全然ないと篠島で気付き始めて。」
 あの”偉大なる復活”の熱狂の中で、こういうことを考えていたところが吉田拓郎の凄いところだ。こういう話はとことん聞いてみたい。

2021. 10. 19

☆☆いつもめぐりめぐって振り出しよ☆☆
 2005年の秋に篠島を再訪した時に「篠島グランドホテル」の送迎バスの運転手の方に、吉田拓郎アイランドコンサートの話を振った。「ああ、デビューしたころの長渕剛が出たやつね。長渕、いじめられて、きっとこの島のことあんまり良く思ってないよね」・・と表情を曇らせて答えた。…そうか、拓郎のイベントというより、長渕の悲劇のステージとして追憶している人もいるのだ。
 しかし俺はあの日、長渕の「俺は帰らん!」「帰るならおまえが帰れ!」のタンカはもちろん覚えているが、いわゆる”帰れコール”を直接聴いていない。後に会場の録音を聴かせてもらったが、一人か二人の観客が「帰れ」とヤジっている声は確認できた。
 だが少なくとも俺の周囲の観客たちは、拓郎への愛を熱く語る若きシンガーにどちらかといえば好意的だったと思うし、「長渕がんばれ〜」という声援も実際にいくつか耳にした。俺も好きでもないし嫌いでもない僕達見知らぬ他人のようだったけれど、そこで聴いた「祈り」っていい曲だなとしみじみと思ったのを覚えている。このあたりが観客のマクロな雰囲気だと思っていた。ただ俺らの席は前線からは外れていたし、確かにあの日は、長渕とは関係なく観客内に全体に殺気立った雰囲気もなくはなかった。どうだったんだろうね。
 ということでリモート会議のテーマは「検証・“帰れコール”はあったのか〜篠島深夜の30分」。いや、やるかどうかわかんないけどさ(爆)。
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ダチのt君撮影。

2021. 10. 18

☆☆ファミリー☆☆
 長崎空港で入った食堂は、感染対策がとても徹底していて、向かい合って座ることが一切できず横並びに座らなくてはならない。家族連れが多かったが例外はなく一家全員横に座って食べてなくてはならない。横一列に座って醤油や酢を左右にやりとりしている光景はもうそのまんま”家族ゲーム”でなんかえらく感動した。松田優作が暴れ出さないか心配になった。感染防止のための施策に対して不謹慎ですまんが壮観だった。
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 “家族ゲーム”といえばテレビ盤は長渕剛だった。長渕といえば…今度、篠島についての御拓宣って何を言うんだろ。明るくハッピーにお願いね。

2021. 10. 17

☆☆いつも見ていたナガサキU☆☆
 今回は個人的な事情で少し暗い旅になってしまったが集まり散じて人は変われど、やはり長崎の町は特別だ。
 今年大往生した98歳の伯母が常日頃から「ちゃんぽんはココが一番ね」といつも連れて行ってくれた長崎中華街の江山楼。後に吉田拓郎をバンマスに頂く雲仙普賢岳救済のスーパーバンドの打ち上げが"さだまさし"によって催された場所でもある。スーパーバンドの精神に共感した社長がお代はいらないと熱いお気持ちを示してくれた店だ。ここは外せない。伯母の思い出やさだまさしが語ってくれたスーパーバンドの吉田拓郎の思い出をつらつら考えながら、今夜はちゃんぽんではなく皿うどん・やわらか太麺で。

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2021. 10. 16

☆☆招かざる男☆☆
 観光目的で行ったわけではないのだが、やはり東京から来たと言うだけで緊張される。無理もない。そのうえ私の不徳の致すところもいろいろ重なって、今回は個人的に居心地が悪い。切なか。長崎だけど、ここは我が心の卯辰山相撲場だ。いみふ。ああ、ちゃんぽん食べたか。

2021. 10. 15

☆☆星を求めて☆☆
 "星を数える男になったよ"(流星)、"星を数える旅がつづく"(男達の詩)…内心、星は美しいけれど、数えなくてもいいだろ、大変すぎ、日本野鳥の会じゃないんだから…とずっと思っていた、しかし今日たまたま読んだ重松清のたぶん新刊「かぞえきれない星の、その次の星」を読んだらその答えがなんか少しだけわかったような気がした。
 「かぞえきれないものを、ときどき見たほうがいい。ぼくたちは皆、また間違えてしまうかもしれないから」
 読みながら以前、映画「星の王子様とわたし」展で観て気に入った映画の絵コンテを思い出したりした。
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 さていろいろあって、僕はこれから長崎に行くところ一番きれいだった女の子の顔など思い出し。

2021. 10. 14

☆☆銀河系まで飛んでゆけ☆☆
 スタートレックのジェイムス・T・カーク艦長ことウイリアム・シャトナーの宇宙飛行。拓郎&スタトレファンという希少な知り合いから教えていただいた。ファンのはしくれなのでリアルタイムで生中継を一部始終観てしまった。成層圏で切り離されたロケットの推進部ってサンダーバード3号みたいにそのまま戻って来て垂直のまま着陸するんだ。すげえもんだと驚いた。
 すげえもんだといえばシャトナーはもう90歳なのか。どうみても節制しているとは思えない体形なのに実にお元気だ。できればスポックのレナード・ニモイとDr.マッコイなど他のクルーもいてほしかったな。
 帰還後、宇宙船から降りるなり、熱くなって時に涙ぐみながらガンガン語り続けていたシャトナー。「青空の向こうは死の世界、まったくの闇だった、で母星の地球は青くとても美しかった、素晴らしい体験だった」…宇宙開拓の夢を描き続けた艦長にしてはミもフタもない気もするが(爆)、本当にそう直覚したんだろうな。
 結局、地球が一番。空も海もこの大地もそうさ会いたい人もいる、ここは今僕の国だよ〜と叫びたいアイランドな気分なのだったと察する。漆黒の闇の宇宙から見れば地球も篠島もひとつのアイランドなのだ。意味わかんねぇよ。

2021. 10. 13

☆☆ワールドカップも出てほしいよね☆☆

 「田中碧」 読めて知ってて 自慢する

2021. 10. 12

☆☆花は咲く春になれば地の果て続く限り☆☆
 日曜劇場「日本沈没」が始まったようだが、日曜、日本沈没といえば中学生の頃観ていた村野武範・由実かおる主演のドラマ「日本沈没」だ。映画と同じで田所博士は小林桂樹だった。あの五木ひろしの主題歌はなぜか今でも歌える。江守徹主演のラジオドラマもあったな。とにかく大ブームだった。映画では東京大地震の惨状に丹波哲郎総理が苦悩の末「皇居の宮場の扉を開けて都民を避難させてください」と電話で要請するシーンがリアルに怖くて、またカッコよくもあり印象的だった。
 その頃だったかは忘れたが、昔の雑誌のインタビューで日本が沈没したらどうしますか?という質問に吉田拓郎はギターをつなぎあわせて船にして俺は最後まで生き残るぜと豪語されていた。ファンじゃなかったら思わずハリセンで叩きたくなるような(爆)すまん。ともかく今さら日本が沈むとかそういうドラマはあんまり観たくないな。

2021. 10. 11

☆☆なんとなく、なんとなく☆☆
 前回の拓郎のオールナイトニッポンゴールドの前のホッピーミーナのゲストが井上順だった。井上順、昔からなんとなく好きだ。あのシャレとギャグを果てしなく打ち続けることからにじみ出る無防備な幸せ感。例えば拓郎のラジオに出た時「かまやつさんは歳だけど加齢臭がしないよね、無臭(ムッシュ〜)」という感じのギャグを隙間なく入れ込んでくる。拓郎も「順ちゃん帰ってもらうよ」と怒りながら実は喜んでいるのがよくわかった。
 しかし、いつの間にか「おやじギャグ」というミもフタもない言葉が浸透し、そういうギャグを冷ややかに受け流すのがトレンドになった。しかし、俺は、ギャグのクオリティではなく、ギャグを打ち続けるその愛すべき人柄を愛しているのだ。
 その意味では、デーブ・スペクターも好きだが、彼にはどこか姑息な底意地の悪さを感じる。俺自身がそういう人間だからよくわかるのだ。しかし井上順にはそれがない。

 そのホッピーミーナで、いつもやっている習慣はありますか?と尋ねられると、順さんは「デパートやショッピングセンターに行って”お客様の声をお聞かせください”という箱があると必ず書いて入れるのよ」とのことだった。何を書くんですか?と問われたら「『やぁー』『今日も来たよ』とか書くんだよ、だって”声をお聞かせください”って書いてあるんだもの。」
 …すばらしい。愛でないものはあるはずがない。達人の域に近づいている。やっぱ好きだ、井上順。

 話は変わるが、昨日は、さまざまなこの世の規制をクリアしてtくんたち3人と一年ぶりに会った。のほほんと生きている俺とは違い、いくつもの極北を闘って超えてきた彼とこうして会えたことは本当に良かったと思えた。♪少し黄昏、でも会えてよかった 今は黄昏、また会えてよかった。ということで赤い黄昏を互いに祝った。
 きれいな三日月を眺めながらしばし飲むと頭の中で井上順が歌いだすのだ。まー自分たちを美化しすぎだが、そういう短絡した気分にもなるのよ。

  友よ君と町へくり出し
  肩など組んでふと見上げれば
  月も今宵はなんだかいいね 
  なんだかいいね
  ああ ああ 風の中
       (「風の中」作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎 歌 井上順)

 やっぱり俺は松本より岡本だな。これからのも日々も最後まで一緒にさまよってゆきましょう。

2021. 10. 10

☆☆話しかけていいですか☆☆
 ”この歌をある人に”で思い出した。以前、徳武弘文・孝音親子が共演されたライブを観たことがあった。ちょうど息子さんの孝音さんの誕生日で、1980年9月生まれだとわかった。で、閃いたのだ。その頃ってまさに”アジアの片隅で”のレコーディング、ということは徳武弘文アレンジ&プレイの”この歌をある人に”の頃じゃないか。昨日のラジオでも拓郎が徳武さんに「思い切り明るく」と頼んだと話していた時期だ。そう考えたらなんか一人で盛り上がってしまった俺は、たまらずに休憩時間に外で休んでいた徳武さんに図々しくも話しかけた。
 「徳武さんが、拓郎さんの”この歌をある人に”をアレンジして演奏されていた頃にお生まれになったんですよね。感慨深いです。」
 「え…ああ…そうですか…」
 徳武さんはリアクションに困っていらした。俺は、かなり凄いことを話したつもりだったが、かなり凄くないことを話してしまったらしい。やらかしてしまったか。苦しい胸の早鐘を空が淋しく観ているね…まさに。このフレーズが好きだな。

 念のためだが、徳武さんはその時ツレがレス・ポールの話をしたら、ものすごく親切に熱をこめて話てくださった。気さくで優しい方であった。問題は、思い込みで変なこと言い出す変なヤツの俺である。

2021. 10. 9

ホッピーに井上順。

オールナイトニッポンゴールド  第19回 2021.10.8

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。毎週週替わりパーソナリティでお送りする金曜日、今週は吉田拓郎がお送りします。

 収録は仕事部屋寝室でやっているが、佳代さんが洗濯している。音がするかな。

<高3の時、つま恋は高校の生活指導の先生から禁止されていたが友人と参加、しかしチケット付きバスツアーで来る予定の友達が現地に来ない、なんとツアーバスの乗り場が生活指導の先生が来ていて連れ戻された、でも友達は自分達のことは先生に話さず守ってくれた、それ以来、つま恋のことは今でも禁句という投書>
 つま恋は、何時以降は帰れとか、参加しないようにとか規制があったんだ。そんな中にありがとね、でもいい思い出になったでしょ。
 75年の夜、多目的広場の土手の上の森の中でイチャイチャして、できちゃった子どもがいたらしい。いかにもあの時代の夏、今のサマーフェスではありえない。その子の名前がつま恋に関係するものだったらしい。かぐや姫かな、まさか高節ではないだろうな(笑)。

<つま恋の話に高校時代を思い出して、何人かはチケットは手にしたが、実際に何人いったかどうかわからない、田舎の私は学校に禁止されてあきらめた、当日は戸をあけて20キロくらい先の会場から音か聴こえないかと思ったが、無理だった。その後悔から、上京して篠島は一人で行った。 その後のつま恋は行けた、その場の匂いまで記憶に残っている、これからは若い人たちを応援するオトナでいたいという投書>

 篠島は遠いし二度とやりたくないな。あのコンサートは納得していない。今度話すけど、長渕に対する態度とか、なんだよ、俺のライブでそれやるかよと思ったよ。そういうやつらとは縁切りたい。篠島に一人で、よくやったよ。若い人を応援したいっていいオトナになったね。そういう人生を送ってくれると嬉しいな。

 あの時代70年代は、すべての文化が世界中で変化してゆくときだった。新しい変化についてゆけない大人がいた。そういう人には戦いだった。戦いの時代、世代の戦いだった。僕も当時は息苦しさを感じていた。明らかに古い価値観の人もいた。その時のつま恋を禁止した学校の判断は間違っていたと思う。音楽を聴きに来るんだし、その時のオトナが間違っていた。誰が拒んでも止められない大きいうねりで世界を変えていった。そこには成功と失敗がある。 今は音楽イベントはどんどん行われているし、コロナ禍はあるけど回復したらまたやるでしょう。他にもネットを通じてトレンドを作ったり、起業する人も多い。変わったなと思う。僕はついてゆけないです。世代、ジェネレイションの変化。時代は変わる。古くなった吉田拓郎が頭の固いおっさんになっている。時代はめぐりめぐる、ああそれが 青春って誰かの歌があったでしょう。ああそれがそれが人生かな。ラストアルバム、いいアルバムだ、好い詞だよ。
 
■  今夜も自由気ままにお送りします吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド。

<ニューアルバムの話で元気が出た、痺れました(古いでしょうか)、常に一歩ずつという拓郎さんの背中には誰にも追いつけない、背中が見えない、”凖ちゃん”にまいった、ラストアルバムのソノシートにつけてくれないかという投書>
 そう半歩ずつというのが僕の口癖だ。
 シビれる・・・古い(笑)。キンキとかシノハラも若けれどもう40代だけど。親友と思っているけど、たまに話していて古い言葉が出てくる。凖ちゃん、フルオーケストラで凄かったな。よくやったな。ニッポン放送には申し訳なかったけど、あれはTBSでやったんだ。

 今回のラストアルバムは、間違いなくいい曲がいっぱいあるよ。自画自賛、そのうちデモテープは流すかな。自慢じゃないけど今のところいい曲が出来ている。特に詞がいいな。まだこんなにいい詞が書けるなんて。ずっとあたためてきたし、2019年以来、いろんな音楽を聴いた。毎日、武部、鳥山とデータでアレンジを仕上げている。録音スタジオに集まるのは危険と隣り合わせだ。換気もよくない密室だし。そこでマスクしてやるのは楽しくない。自宅から打ち込みのデモを送ると、この楽器はこうした方がと修正のデータが戻ってくる。この曲はバンドがいいな、この曲は打ち込みで行けるんじゃないかと話し合う。バンドは時期が来たら、しっかり検査してスタジオでやろう。できなければまた別に考えようということで、将来が見えてきている。
 CD、LPの打合せ、特にLPは写真も大きくなる。篠原と撮影協力のアクトレスとリモートミーティングをしている。リモート、これで十分。経費の節約もなるし いいアイデアだと思う。
 ただしリモート飲み会は佳代さんの情報を聴く限り楽しくない。楽しくないでしょ。毎晩飲みに出かけていた自分としては、そもそも一人飲みが嫌い。その場の雰囲気で  もう一軒行こうよ、というのが楽しい。三軒目の店ごとって歌があったでしょう。リモートだとそろそろ終えて電源切って・・・寂しいよ。

 アルバムは、順調に進んでいる。遅くとも来年の秋までには発売される。つくづく思うのは、その秋がこの番組のエンディングかもなということ。個人の気持ちとしてはすべてから降りてゆく季節。僕のお母さんが言ったように、決めたらスパッと、ズルズルは似合わない。それがアルバムの発売のころかな。

 年が明けて明るい社会状況になったら、”LOVELOVEあいしてる”をもう一回やろう  いよいよ、拓郎、キンキ、シノハラの卒業式。最後の特番ということでプロデューサーとラストテイクを考えている。
 キンキとシノハラはこれからも活動してゆくけれど、吉田拓郎にとっての最後のテレビ出演。楽しみだ。昔、よく通った麻布のカウンターバー、そこには志村けんさんもいて志村さんとそのガールフレンドにくっついて「もう一軒いこうよ」と言って志村さんから「拓郎さんもう帰った方がいいよ」といわれつつお邪魔しました。

M-1 僕達のラプソディ  吉田拓郎  いい曲

(CM)

<過去の自分を冷静に笑えるのは凄い(俺のことか笑)。3時から始まるステージはあり得ない。当時はとても行けなかった。だから2006年のつま恋は宝物。花火で思い残すことはない遺言のような という投書>
 遺言ね。言い残したいことはない。やりたいことは全部できた。この世でOKといいたい。今を頑張って生きている情熱。遺言なんてお断り、似合わない。僕が消えた後の世の中で何か起きても意味がない。現在僕が元気な僕、それが一番大事だ。

 音楽人生、拓郎交響曲の最終章の最中 ここが悪いと今までの全体が悪くなってしまう。最高なものにしたい。このラジオも取り組んでいるのはテキトーなのがいやだということ。遺言でなく今が大事だから、全力投球で、今を輝きたい。エンディングをマイナス志向で考えるのでなく、エンディングというものが未来に向かって歩き始めているんだ。新しい挑戦をしたい。これは終活ではない。ラストアルバムもこれまで支えてくれたミュージシャンの同窓会だけではなく、それは決してメインのテーマにはならない。それがメインならやらない。新しいことに挑戦しないとつまんない。
 若い人の音楽について武部、鳥山とミーティングする。「藤井風」この人の音には少し「おおっ」というものがある。そういうのを聴きながら、この音はいいな、ベースはサンプルかな、エレキは手弾きかなとかミーティングしている。もちろん若いからOKではない。面白いものを研究している。そういうのが僕だけの音楽人生、それがまだまだ続いている。

<秋の味覚、高めの果物を奮発、ぶどうの品種は増えた、甲斐路が無くならないか心配という投書>
 わかる。果物高いな。品種増えたの思う。僕も佳代さんもシャインマスカット好きなんだ。彼女のラストステージ。
 ハードスケジュールで家に居る俺も辛かった。朝4時に起きてコーヒーとパンとたまごとサラダをつけないと気が済まない。野菜を外さない。現場が栃木、静岡遠かった。ついつい早起き。夜も遠いからヘトヘトになって夜中一時に帰って、2〜3時間で起きてという生活だった。
 本人も大変だけど拓郎さんも一緒に大変。そういうもんなんだよ、パートナーは。
そこで見つけたのがシャインマスカット。これをつまんでゆく。うまいんだ。皮ごと食べられる。最近高いんだ。さっと品種改良してくれないか。

(CM)

 最近、ふと あの曲を聴き直してみたいというものがある。就寝前に iPodを片耳でオーバーイヤーで聴いている。音はモノラルに変えて子守歌代わりに。時々入れ替える。あの曲聴きたいなと言う曲がある。そういう曲の話を今月来月とやりたい。
 寝る前に、どうして今まで入れなかったのか。起きてPCで入れて聴く。松本隆の詞で聴きながらやりとりを思い出していた。松本くんとの曲づくりはは総じて楽しかった。一番楽しかったのは松本隆。彼はお酒は飲めない、遊び人でもない 違う人種だけど気が合う。
 僕に付き合わされていたかのように、酒の場所で打合せ、松本くんは固い話、僕は不真面目に柔らかい話。共通点はないままだった。
 原宿のプレイバッハ。神田広美のドンファンを作った後だと思う。あの作品もすげー気に入った。アレンジも馬飼野康二で良かった。松本と二人でシングル盤を頼もうかと思って、「一緒に死ねないか」というラブストーリーを思いつきどうかと尋ねた、それが「舞姫」に現れている。
 松本から拓郎はどういう女子を思い描くの?と訊かれた。本当は何にも描いていないけど(笑)、一人で座っていたチャーミングな子、時々見かけていたけど、あの子みたいな感じだ。「拓郎は相変わらず目移り早いな。あの子知ってんの?」というので知らないけど手を振ってみたら、手を振ってくれた。それっきり。あの時の子のイメージで作ったらどうなの。もうデタラメ。そしたら、すげーかわいい詞が出来て、君は素晴らしいとほめあげた。凄い可愛い。最近iPodで聴いているが、 アレンジは徳武で思い切り明るイメージでコーラスは吉田拓郎ひとりで三人分やっている。

M-2 この歌をある人に   吉田拓郎

■■11時
拓郎>最近吉田家の晩  レパートリーが広がった、味噌汁もおいしい、小鉢も増えた
レベルが上がっている 何か秘密はあるのか
佳代>Youtubeで三人の方の動画を観ている。
日本人モデルさん、日本人でパリ在住の人、オーストラリアの中国の人でみんな30代、40代の方の動画を参考にしている
拓郎>Youtubeなのか
佳代>味はわからないので味付けは母のもの   
・・・最近美味しいって、前もおいしかったじゃん(怒)

 70年の初期、柳田ヒロと高中正義とツアーをしていた。ヒロの音楽のセンスは抜群でいい音を出していた。彼が紹介してくれた出版社20代の女の子がいた。けだるい雰囲気の桃井かおり風の人でよく一緒に飲んだ。なんか危なっかしい子だが、それが当時のトレンドだった。時々ツアーにもついてきて楽しんでいた。
 ある時柳田ヒロと三人で飲んでいるときそのユニークな子が毎日がつまんない飲んでいると楽しいけど帰って一人になるとつまんない。アタシももう東京を離れようかな、ヒロにも拓郎にも感謝している。
 別れの言葉だと思うけど、シラケた感じ。シラケ世代でシラケた子がトレンド。僕等もこうすればああすればと言わない、じゃあ好きにすればと言う感じで、じゃあ元気でねと、それきり会わなくなった。たぶんいなくなった。
 そういうのいたな。ユニークな時代だったな。男も女もクール。ショーケンの芝居とかでもシラケと言う感じがあった。この人をエピソードをもとに妄想しつくしたストーリー。石川鷹彦にアレンジを頼んだ。石川鷹彦は、単にフォークギターの名手ではなく、さうじゃない。なんでも知っている。ゴスペルコーラスのジュルルも含めてドゥーアップ、ストリングスもリズム・アンド・ブルース風で新鮮なものになっている。あまり受け入れられなかった曲だが、夜中にiPodで聴いている。

M-3  たえこMY LOVE     吉田拓郎

(CM)

 東京に来る前に、コロンビアのフォークコンテストに出たことがあった。逗子であって 三位だった。一位が、ベーグル&カルテットというブラザースフォーのようなグループで、2位は、フーツエミールで、後の”赤い鳥”と”ハイファイセット”。僕は、平凡パンチに和製ボブディランと紹介され、その後もそういう扱いになっていった。ボブディランは好きだけど違う。
 ディランは高校生だったころ、平和なアメリカンポップスのそこに彗星のごとくメッセージの歌として現れた。彼の初期の”風に吹かれて”いくつ道を歩けば一人前になれるのか、とか人生をうたっている。ニール・セダカとかデル・シャノンの恋とか青春とかと違って人生とか社会の風景を歌っていた。ベトナム戦争の泥沼化して、若者はうんざりして反戦反体制の機運が高まっていた。プレスリーのロックンロールは、オトナへの反抗だったけれど、社会、政府に対しては感じなかった。だからディランは衝撃的だった。しかも、ギターとハーモニカで歌っちゃう。同級生からいろいろ教えられた。その時思ったのは「俺もできそうだな」という感じだった。実際やってみたら簡単にマネができた。それがヒキガネになってアルバムを聴き始めた。しかし、当時は広島ではねディランのレコードが手に入らない。友達が岩国の放送FENを聴いたらやっていると言ってたけど、自分も聴いていたが、ディランは気づかなかった。「拓郎はカスケーズばかり聴いているからだ」と言ってテープを聞かせてくれた。そのころから自分でもエアチェックしてディラン研究を始めた。
 ディランのスリーフィンガーがうまい。先月、ポール・サイモンの”4月になれば彼女は” で話したけどスリーフィンガー。ディランは、ノーベル賞ももらったし哲学的詩人としてとらえられているけどギターがウマいんだよ。そういう違う捉え方だから世間から、ああ吉田拓郎(のディラン評価)はダメだと言われるんだろうな。

M-4 くよくよするなよ   ボブ・ディラン

(CM)
 ディランに関しては 広島ではそこまでのファンではなかった。広島フォーク村にいたけど、フォークソングはよくわかってないし興味もなかった。R&Bの4人組バンドもやっていたのでが最優先だった。フォーク村は片手間だった。広島フォーク村からディランやフォークのいろいろを教えてもらった。
 プロになって、東京のフォークソングを知って、なにこれと思った。日本の古いフォークソングは、アメリカのフォーク、例えばカーター・ファミリー・ピッキングとかそういうのと日本のフォークは違う。フォークはこうあるべきだという学生たちの身勝手なものだった。彼らはディランもメッセージシンガーとしてとらえていて、これラブソングじゃないの?と思うのもあったけどわかっていなかった。
 エレックからソニーに移籍して、ディランのレコードはソニーから出ていた。洋楽担当の宣伝マンから、当時、洋楽の宣伝マンというのがいたんだな、拓郎さんディラン好きならのアルバムの文章書いてくれないかなと頼まれた。そのアルバムが「セルフポートレイト」。これは僕は凄く高く評価している。アメリカのスタンダードを歌っており、後の”ぷらいべえと”というアルバムで参考にした。日本でいえば三波春夫さんを歌うみたいなもので、ファンからはいろいろ言われたりしたけど僕は好きだったな。寄稿文を書いた。ディランは変わった、商業に身を売ったという連中に喧嘩をうるつもりで書いた。僕はディランをソングライターと思っている。美しいメロディーとコード進行が心に響く。音楽家として作曲家として素晴らしい才能を持っている。美しいメロディーライン、音楽家として抜群のメロディメーカーだと思っている。

M -5 ブルームーン   ボブ・ディラン 

 東京に来てからディランから徐々に離れてきた。そもそもディランのアルバムが僕ごときの日本人には理解できない世界観だった。だんだん宗教的なものを感じるようになった。僕はクリスチャンでもないし無宗教に近い。1975年 “血の轍”というアルバム、これを聴いてもうディランは遠く行っちゃったと思った。その後も同じ。これは僕が間違っているかもしれないな。ディランは変わらない。思うがままに曲を書き続けていた。それを僕が間違って解釈していたのかもしれない。僕はディランに新しいアメリカンホップスを求めていた。それを強く求めていた。歌詞を読んで僕にはわからないと戸惑った。身勝手な先入観。まちがってたのは僕だと思う。
 うわーなんて素敵なメロディーだと思って、今までになかった C→Em、G→Dmこれでポップな曲ができると教わった。ポップなメロディー、歌詞よりもコードアレンジの素晴らしさ、ディランがいなかったら僕はいない。僕はもともとシンプルなソウルにいたから、フォークのことはわからん。

 ロマンティックなメロディで、シンプルなコード進行のくりかえし、後のペニーレインでバーボンのように同じコードを繰り返す。クラプトンねカバーしたよね、ポピュラーだからだ。
C→ Amを→ Emに向えた涙が出るほどいい曲

Mー6  Love Minus Zero/No Limit     ボブ・ディラン
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■エンディング

<昔、ダイアランドでレコーディングしたと聞いて驚いた別荘地でしたが最近は変わったという投書>

 箱根だよね、ダイアランドは。ロックウェルというスタジオがあった。思い出のスタジオは三浦の観音崎マリンスタジオと横浜のランドマークスタジオ、この二つが大大気に入り。ホテルと直結していたし、くつろげるプールサイドもあった    
 ここでレコーディングしたのは”吉田町の唄”。夜になると小さな控室で酒飲んだり、最終日には寿司職人を呼んでお寿司握ってもらったり。


次回は、11月12日金曜日です。

お別れの曲は、懐かしくも
M-7 every breath you take  ポリス
 お相手はここまで吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆ ラストアルバムの制作が快調なようだ。これまで豪華参加ミュージシャンに、映画に、ジャケットにと「器」の豪華さばかりが先行してゆく中で、密かに心配していた「新曲」。これが素晴らしい詞とともに進捗していることに安堵した。同窓会ではなく、新しい音楽に向っているという自信に満ちた言葉が嬉しい。

☆つま恋。確かにあの当時、教育関係は、参加を禁止・規制しようとしていたんだな。つい老人になると昔は良かった輝いていたと思ってしまうが、昔の学校は良くないことが実に一杯あったことを気づかせてくれる。今の時代はその意味ではいい時代なんだなとしみじみ感謝する。

☆ 禁止に負けずにつま恋に挑んだ人、運悪く禁止の網にかかったが決して友達を売らなかった人、涙を呑んで行けなかったがその悔しさを胸に若い人の自由を応援しようと思う人、どの方も等しくすばらしい。ありがとうございましたと心から頭を下げたい。そのおかげで私達の今があるのだと思う。

☆今回は選曲が良かった。どの曲も聴き入ってしまった。”僕達のラプソディ”。なんとなく涙ぐむ。あの店、いつも拓郎さんはいなくて志村けんさんはかならずいるんだ。いい歌だよね。

☆"この歌をある人"にのモデルの話が聴ける日が来るとは思わなんだ。松本隆が俺に詞を書かせろと念じていたころのデビュー間もない松田聖子ではないかと何の根拠もなく思っていたが、そうだったのか。
 しかも"この歌をある人に"のコーラスは、ご本人の三重唱。知らなかった。早く言ってよぉ。いとおしく聴くべし。

☆いろいろマト外れだったりするUramadoだったが、"たえこMY LOVE"の石川鷹彦のことはバッチリだったみたいだ。自画自賛。http://tylife.jp/uramado/taekomy.html

☆ディランの話はためになったな。そのまま入れ子状態で拓郎と拓郎ファンの関係にもなってしまうところが面白い。「歌詞を読んで僕にはわからないと戸惑った。身勝手な先入観。まちがってたのは僕だと思う。」ああなんかそのまま拓郎に対する俺のようで胸が疼く。

☆78年にディランが来日したときに村上龍が「みんなディランを勘違いしている、ディランはメッセージシンガーじゃなくて、ポップな音楽にこそ魅力がある」と語っていて、これは村上はぜってー「セルフポートレイト」の吉田拓郎の寄稿文をパクったか参考にしてるよなと思った。

☆それにしてもボブディランの"ブルームーン"はなんて美しい声なの?陽水みたい。

☆うちもシャインマスカットのためにふるさと納税をしている。

☆篠島に完全納得してなくても、全否定はしないでね。こちとらの青春のよりどころなんで。

☆☆☆今日の学び☆☆☆

 音楽人生の最終章・エンディングと終活・遺言は全く別物である。

2021. 10. 8

☆☆キーを回さないのに大地が揺らぐ☆☆
 関東地方の地震、かなり揺れた。びっくりしたね。皆様ご無事でしょうか。帰宅困難になってしまった方もかなりいられたのではないでしょうか。御見舞申し上げます。
 1985年のFM東京"拓郎のフォーエバーヤング"第1回の放送で、ホテルで地震にあった拓郎が建物がいつまでも揺れている気がして何度もフロントに大丈夫かと電話していたら、しまいに「怖がりですね」とフロントに怒られたという話をしていた。しかしこういうことはキチンと"怖がり"でいることこそが一番の勇気ではないか。さすが吉田拓郎であると真面目に思った。ということで、どうか皆様くれぐれもお大事に&ご注意なさってください。

2021. 10. 6

☆☆僕達もそうやって生きてきた☆☆
 やっぱり堂本剛って、いい声だし、歌うまいよなぁ。とフジテレビを観ながらしみじみと思った。いいシンガーだ。You、ジャニーズの最醇の結晶だよ。

 いいシンガーといえば、LIVE2016のDVDについていたCD。これの”僕達はそうやって生きてきた””が今さらすんばらしい。凄いドラムだ。当時、髪の毛を後ろで縛った、今はやりのニューヨークのロースクールの学生みたいな髪型のドラマーが苦手だった。すまん。このバージョンはまるで魂に連続砲撃を受けているかのようだ。分厚い演奏で、ボーカルはそれを凌駕している。地下鉄の中で聴いていて思わず身体がスイングしそうになり、つい「おおすげぇ」と呟いてしまった。
 これが例の遅れて届く何かなのだ。嫌いだった曲の、しかもさんざん文句垂れたライブのバージョンが、チカラをこめて迫ってくる。で、このあとの”流星”がいっそう輝くのよ。ああ、いろいろすまなかったな。
 …あ、でもだからといって、もし仮に次のライブがあったとしても別にこれは歌わなくてもいいよ。もっと希少な曲を歌ってください。ついては、この2016ver大切に大切に聴くから。

 前も書いたけど2019の最後のライブの音ってCDアルバムとかアルバムにしなくていいの?

2021. 10. 5

☆☆おだやかにやすらかに☆☆
 いや、緊急事態が解除されたからとて浮かれるのはまだ早いか。早いというより何もかも元に戻そうとする必要はないかもしれない。コロナ禍でいつの間にか身に着いた習癖は悪いものばかりじゃない。
 混んだ店は避け、風通しの良い場所を選び、政権や"はっぴいえんど"の悪口でクダをまいたりせず、似てない松本隆のモノマネでむやみに人に話しかけたりもせず、静かに吉田拓郎の魅力だけを讃え、午後8時前にはほどよく酩酊し、家に帰って明日の用意を済ませて午後10時に寝る。…いいじゃないか。小学校の時の"よい子の一日"のような生活。坂元先生がホメてくれそうだ>誰だよ。小4の時の担任のキビシイ先生です。小学生は酒飲まないけどさ。今の自分にとってはそれが年齢+自分の置かれた状況に一番相応という気がする。

2021. 10. 4

☆☆街の灯☆☆
 宵の街に灯りが戻ってきた。いろんな香りもたちこめている。やっぱりいいな。有象無象の街に灯りをともせ。やさしいあの娘と一緒に待ってます。街のはずれのチョウチンで。
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2021. 10. 3

☆☆すなおになれば☆☆
 市ヶ谷駅から新宿方面に歩く途中で防衛省の退庁時刻とかちあってしまうと面倒だ。帰宅職員が大挙して歩道一杯に広がって波になって市ヶ谷駅に押し寄せる。一人で逆方向に向かうヘナチョコの俺はいつも押やられハジキ飛ばされそうになる。オイ、こっちは非武装の民間人だぞ!と毎回アタマに来る。そんな時はこのプロモーションビデオの光景を思い出して落ち着かせる。
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 曲は♪…通勤ラッシュは今日もまた、ひとつの方向へ押しすすむ、僕は流れに逆らっていた〜が流れる。ということで吉田拓郎になったようなイケてる気分でやり過ごす。自分でもバカみたいだとは思うが、これはこれで小さな処世のひとつなのであります。

2021. 10. 2

☆☆それは人生という名の謎だから☆☆
 例の読売新聞の人生案内での相談。十数年前に亡くなった祖父がくれた手紙をたまたま再読し、なぜ心の込められたこの手紙を返事もせずに読み捨てていたのか相談者は後悔しているという。いしいしんじはこう答える。
「祖父はまったく気にしていない。あなたを信じているからだ。〜便せんを開いた時、心に響かないかもしれない。祖父は知っている。やはり信じている。こころからの声は届くべき時に必ずその人に届くと。〜十数年をかけ祖父の声はあなたのところにやってきた。だから今あなたの胸はふるえ あなたの耳は祖父が一生懸命に書いたこと、こころをこめて綴ったことまですべて聞き取ることができる。〜おう届いたかと祖父もきっと今笑顔でうなづいている。」
 俺なんぞは、日々こういう気づかない自分とその後悔との繰り返しの連続だ。昔、心に響かなかったあの曲、というより駄作と罵ったこの曲。その曲の魅力に何十年もかけてようやく気が付く。”胸はふるえ、拓郎がこころをこめて書いたもの”をそうだったのかと思える。このサイトはそのときの後悔と懺悔でできていると言っても過言では…いや過言だ。

 拓郎も語っていた。「僕の作品というのはいずれ売れるんだ。そこは動物的カンで思うんだけど、それか今回なのか次回なのかわかんないですよ。ただいずれそこに行くと思う。」(ぴあムック・吉田拓郎ヒストリー・インタビュー p.131)
 自分の無明を棚に上げてしまうが、長い時間をかけてようやく届き理解できるものもある…ということで許しとくれ。
 相談者の方の祖父は「おう届いたかと祖父もきっと今笑顔でうなづいている」と優しく歓待してくださっているが、他方、拓郎は、インタビューの中で「即ほめてくれなきゃ、ヤなの(笑)」(同p.150)、「これをわからないのはお前たちがバカだって結論出しちゃう(笑)」(同p.134)、ということであり…こっちのおじいちゃんはちょっとムツカシイな(爆)。

 まぁ、わからなかったもの、あとでわかったもの、すべて色即是空、空即是色ということで、反省するよりも当時の思いと今の変化した気持ちとの偏差と隔たりを、むしろ楽しもうじゃないのと今は思う。

2021. 10. 1

☆☆今夜すべての酒類提供店で☆☆
長い雨もあがったらしい
       淡い光が差してきた

2021. 9. 30

☆☆信じられないセニョリータ、なんて素敵なセニョリータ☆☆
先日の日記で書いた橋幸夫が引退するとのニュース。誰であれ引退は切ない。なんか失礼なこと書いてないか慌てて見返したが、そもそもこのサイトはすべて失礼なことしか書いていない(爆)。拓郎に対しても精一杯愛をこめて書いているつもりだが、それは俺の勝手な理屈で、きっと拓郎にとっては失礼・無礼このうえないものに違いない。この命ただ一度、この心ただひとつ俺を許してくれ。

 居酒屋に行けないので蕎麦屋でちくわの磯辺揚げを食べながら”レールが鳴ると僕等は旅をしたくなる”を聴いた。これだ。この心弾む感じだ。”detente”は大好きなのだが、いろんな意味で不細工なアルバムだなと思う。そこがいい。無農薬で自然に育ち放題育ち、カタチも大きさもまちまちの野菜を手早くもいで「持っていかんね」と農家のおばさんがカゴに詰めてくれる。カタチは不細工で不揃いだが、みずみずしい野菜たちの詰め合わせ…そんなイメージがある。って、言う傍からいちいち失礼だ。

2021. 9. 29

☆☆歌う回答たち☆☆
 購読されている方々にはすまないが、俺は読売新聞が嫌いだ。理由はいろいろある。だが、そもそも”ポーの歌”事件での吉田拓郎に対する仕打ちのひとつだけでも一生嫌い続ける十分な理由になろう。
 それでも最近読売新聞で作家の”いしいしんじ”が人生案内の回答者を始めたと知って、かなり心が揺れている。この日記でも100回くらい引用した”プラネタリウムのふたご”の”いしいしんじ”だ。バックナンバーの人生案内を少し読むだけでどの回答にも涙ぐむ。詩のような歌のような、それでも相談者に向けられた心からの言葉が胸を打つ。
 相談者だけでなく俺にも毎回語りかけてくるのだ。いしいしんじはボブ・ディランのことは好きらしいが、吉田拓郎のことは多分知らないだろう。もちろんどこにも拓郎のことなんて1ミリも書いていない。それでも、なんで俺が拓郎のことを好きなのか、拓郎のどこが素晴らしいのか、手を変え品を変え、ていねいに教えてくれているような気がするのだ。そして脳内で音楽が流れ始める。気のせいといえば確実に気のせいで、わかっていただけるものではないのだが。

2021. 9. 27

☆☆そういう旅がしたくなる☆☆
 なんとなく最近“レールが鳴ると僕達は旅がしたくなる”が聴きたくなるという話で意見があった。"鬼滅の刃・無限列車編"のせいか。というより” レールが鳴ると線路を渡りたくなる”という別の拓ちゃんの事件のせいではないかとも思う。イケないことだが公安て怖いんだなぁ。いみふ。
 ともかくこの歌は、いい。力強く肩を叩いてくれる感じ。今まで俺は「これからも旅を続けようぜ」という唄だと思っていたが、それだけじゃない。「ああすれば良かった、こうすればと良かったと後悔はあろうとも、この道を来るしかなかったんだよ、青年」と激励してくれている歌なのだと気が付いた。もう一度だってこの道を進んでゆくに違いない。合点だぜ。

2021. 9. 26

☆☆無限列車に君を☆☆
 あたりまえだがファンに上下貴賤はない。ないけれど、つま恋1975年、1985年、2006年と三回すべてに参加したファンは凄いなぁと憧れる。夏フェスに3回行きましたというのとはワケが違う。もうワクチンパスポートでも何でも差しあげてという感じである。そのうえ篠島も行ってたらよくわかんないけどプラチナだな。
 俺の知り合いにもそういう方がいるが、最近もあれこれと教えていただいて、やっぱり違うわとしみじみ思った。昨夜つい観ちまった”鬼滅の刃”の鬼殺隊でいったら”柱”だね。ファンそれぞれ、その時の年齢とか、冠婚葬祭とか、置かれた状況とかで、それどころじゃないことが人生で襲ってくる。その荒波を乗り越えて三回とも参加しえたというのは、やっぱり選ばれしというか運命みたいなものを感じる。
 柱を仰ぎ見ながら、このサイトもそろそろ下弦の鬼くらいかなと>鬼なのかよ。鬼です。

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2021. 9. 25

☆☆車を降りる時から☆☆
 "もうすぐ帰るよ"のPVと車庫入れの話で、拓郎の歴代車両紹介を思い出した(ラジオでナイト第7回)。http://tylife.jp/radio/radioty_01.html#20170514
 おお、あった。Dのアウディが赤で時期は1977年6月頃ということになるのか。なんか試験に出そうだ。こうして眺めるとあらためて走る歴史だ。そういえば美容院に車で行ったけど車庫入れができなくてそのまま帰ってきたいという話も別の回であった。あの話好き。ラジオでナイトの感想にも自分書いていたが、松任谷のカーグラテレビに拓郎がゲスト出演したら面白いと思うんだよね。きっと噛み合わないと思うケドそこがたぶん絶妙。

2021. 9. 24

☆☆深謝☆☆
 孤高のサイトとうそぶいているが、先日の長戸大幸のラジオの件といい、これまでいろんな方々が助けてくださった。そのうえ昨日のプロモーションフィルムについても早速にいろいろ教えていただいた。感謝申し上げます。
 一人の方は、当時の貴重なパンフレットをお持ちで”吉田拓郎自身の演出・構成・編集による「もうすぐ帰るよ」と「ぷらいべえと」よりビックアップ”との記載があったとのことだ。
 もうお一方は、実際にコンサート&フィルムを観に行かれてメモも残しておられた。やはり「もうすぐ帰るよ」のPVで、そして「拓郎が赤いアウディを運転して車庫入れするとことか、できないとことか」というシーンがあったようだ。教習所の正しい車庫入れの仕方ビデオかっ。それも含めて是非観たい。

 こうして皆目わからなかった幻のビデオがおかげさまで内容が見え始めてきた。ああ生きていて、生きててよかった。貴重な経験や持ち物を静かに保有されている方々がこの空の下にたくさんおられるのだなと感嘆する。

 先のコンサートに行かれた方によると、8月後半には、既に長戸大幸の姿はなく、野沢享司とアルフィーが出たそうだ。もちろんスターズ・オンのずっと前だ。アルフィー…フォーライフ加入の予定があったのだろうか。いずれにしても奇しき因縁は77年に既に始まっていたのだな。いろいろと興味深い。昔話と言ってくれるな、過去と未来を含んでの永遠の今なのだ。

2021. 9. 23

☆☆1977年のプロモーションフィルム☆☆
 昨日の日記で掲げた記事で1977年のフォーライフ・フレッシュマンコンサートで上映された「吉田拓郎の未公開のプロモーションフィルム(30分)」を観た方いらしたら内容教えてください。時期的には、「もうすぐ帰るよ」のPVかと思うけれど、30分だぜ。あれの30分バージョンがあるとはちょっと思えないし。気になる。


☆☆わが心の多目的広場☆☆
 つま恋2006記念日。あっという間に15年だぜ。月日はどうしてそんなに急ぐんだろう。拓郎はちょうど60歳だったんだなぁ。ああ、偉かったよなぁ…としみじみ思う。そして集われたみなさんお元気ですか。柄にもなく思ってしまう。

 たぶん本番3日前、午前5時の設営中のつま恋のステージを観に行った。ステージ周辺はもう結界されているような荘厳な雰囲気だった。ふと後ろに人の足音を感じる。カメラを抱えたおじさんが、俺らには見向きもせず、まっすぐステージを見つめて静かに歩いて行った。田村仁だった。もう獲物を狙うハンターのような感じでゴルゴ13みたいだった…って会ったことないけど。俺たちはジリジリとステージに向っていくタムジンの後姿を見送った。時々、膝をついてシャッターを切っている。あ、あのときのつま恋の芝生は、朝露と雨でぐしょぐしょだったけど、そんなことはおかまいなしだった。彼だけが結界を破る威神力を持っているようだった。明け方のつま恋を撮るタムジンを観る。走馬灯もんの景色だった。ということでラストアルバムのジャケットを楽しみにしている。
 多目的というけれど私達にはすべてはたったひとつの目的に収斂するのだ。多目的広場よ、つま恋よ永遠なれ。
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2021. 9. 22

ワクチンお疲れ様です。これはこれで大変ですよね。

(石坂浩二のナレーション・オープニング)
 そうなのです。ワクチンの副反応は地球人の身体を急激に消耗させるのです。接種から3日間、あなたの目はあなたの身体を離れアンバランスな世界に落ちてゆくのです。

(石坂浩二のナレーション・エンディング)
 副反応が終わったといって安心してはいけません。ウィルスは常にその形を変え私達を狙っているのです。既に3回目接種などと言う言葉がささやかれ始めているのが聞こえませんか。「終」

☆☆本題☆☆
 親切な拓友さんから長戸大幸のFM番組「OLDIES GOODIES ANNEX』の前後編の拓郎特集を教えていただいてradikoで聴いた。ありがとうございました。長戸大幸…名前だけは存じていた。ビーイングの創設者でB’Z、ZARD、TUBE、大黒摩季のプロデューサーというビッグネームだ。もうこのミュージシャンの顔ぶれだけで拓敵の匂いしかしない(爆)。しかしそれは誤解というもので長戸大幸の吉田拓郎に対する深く熱い思いが語られていた。このあたりは有名な話なのだろうか。俺は知らなかったので結構衝撃だった。
 名前だけ存じていた長戸大幸というお名前を初めて俺が見たのは40年以上昔だ。雑誌”フォーライフマガジン”1977年7月号。
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 …思い出した。小林倫博、小出正則とともにフォーライフの新人とされながら、長戸大幸という人だけがデビューしたかどうか不明なままで以後名前を見なかったのだ。俺は当時、その秋デビューした原田真二の本名が長戸大幸なのかと思っていたこともあった。実はこのあたりにも深いドラマが潜んでいたのだな。それはまたどこかで。ともかくUramadoに追加改訂しなきゃならないような貴重な話ばっかりだった。”すべての道は拓郎に通ず”という格言を久々に胸いっぱい吸い込むよ。

2021. 9. 20

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☆☆僕の髪も…☆☆
 拓郎はラジオで自分も高校生の頃は”潮来刈り”だったと述懐していた。
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なるほど。
 1990年”男達の詩”で髪の毛をバッサリ切った、あれは潮来刈りだったのだと今さらながら気づく。いや、長い旅を経て潮来刈りに戻ってきたというのが正確か。
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 あの時、俺も直ちに潮来刈りにするくらいの熱く敬虔なファンでありたかった。修行が足りませぬ。

2021. 9. 19

☆☆星より密かに、雨より優しく☆☆
 吉田拓郎は橋幸夫が好きだったというから、ディランを研究するように橋幸夫ワールドも入門してみたことがあった。名曲の数々も素晴らしき歌唱力もわかるがそれ以上に共感することが難しい。角刈りにしか見えない潮来刈り。そして特に♪スイムスイムや♪メキシカンロック・ゴーゴーの「リズム歌謡」。すまんが、俺にはよくわからん。正直に極論すると俺には”朝陽がサン”と”ヨールレイホー夜がやってきた”とかを初めて聴いた時みたいな感情が湧くのだ。
 とにかくリズム歌謡もきっとその当時だからこその空気と時代背景があるのだろうと思ってきた。

 映画監督の金子修介の「失われた歌謡曲」という名著がある。監督の博覧強記な歌謡曲についての思い出系解説書だ。最近読み直していたら、青春時代にリアルタイムで橋幸夫を聴いた監督はリズム歌謡についてこう記している。


 橋幸夫は毎年夏頃になると、どこから輸入してきたのかは知らないが、「今年はスイムだ」の「今年はメキシカンロックだ」のというふれこみで、演歌っぽい鼻にかかった歌声でリズミックな歌謡曲をバックコーラス、バックダンサーをつけて歌ってくれたものである。(略) これは当時カッコイイのか悪いのか判断に迷った。

 ああ当時でもそういう人がいらしたのだと知って少し安堵した。しかしこの橋幸夫のリズム歌謡を絶賛する方々も当然に多い。結局私にはそのセンスがないのかもしれない。

 金子監督は、この問題を「尊敬」ではないかと結論づける。


 尊敬していれば多少奇態な踊りをしても「この人がやっているんだから」と納得してしまう。スイムとメキシカンロックがどう違うかわからなくても「この人が言ってるんだから今年はメキシカンロックなんだろう」と、あえて追求はしない。橋幸夫は、黄金期そういうポジションにいたのではないか…

 御意。そうか。同じである。尊敬する吉田拓郎が「朝陽がサン」っていうんだから「朝陽がサン おはようさん」であり、あの拓郎さんが「ヨールレイホー」っていうんだから「夜がやってくる」んだよ…ということだと納得する。そこから先は問うべき世界ではない、味わうべき世界なのだ…と言っている気がする。誰も言ってないが。
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 あ、吉田拓郎はフォークソングではなく「歌謡曲のやましい精神」を受け継いだ音楽家であると評している箇所がある。もちろん褒めている。

2021. 9. 18

☆☆夜明けのマイウェイ☆☆
 深夜にWOWOWで布施明の今年6月のライブを観てしまう。布施明…個人的に恨みはないが師匠の敵は我が敵である(爆)。いや実は正直、好きかもしれない布施明である。”これが青春だ”が聴きたかったが歌わなかった。そりゃ拓郎だって今やライブで”青春の詩”を歌わないし、”ああ青春”だってとんとご無沙汰だ。しかし”S・Hは恋のイニシアル”を歌わなかったのには驚いた。>歌った方が驚くだろ!
 エンディングでのさすがの腹式呼吸全開の“マイウェイ”は聴き入った。聴きながらちょうど去年の9月のオールナイトニッポンでライブ撤退宣言した時の放送を思い出した。最後に拓郎が歌詞を朗読してマイウェイを流してくれた、あの放送だ。布施明じゃなくてプレスリーのバージョンだっただろと拓郎は怒るかもしれない。すまん。でもあれから1年だよな。来年初夏を頼りにエンディングをまいりましょう。

 私はエンディングに向かっている
 私が確信をもって言えることは友よ

 私は生涯とおし存分に生きてきた
 すべての道すべての小さな道をも旅してきた
 何より誇りに思うのは自分らしく生きたこと
 後悔もあるがやるべきことをやったと思っている

 自分が行くべき道を自分で決めて歩いてきた

 みんな知ってるんじゃないのかな
 時には私のチカラが及ばなかったこともあったことを

 だけど迷ったときもそれを受け止めて

 愛し笑い泣いたこともあった
 喜びも挫折も十分に味わった
 涙がひいていくなかで心から

 過ぎ去ったすべてを楽しかったと心から思える
 自分らしく生きたといいたい
 人間とは何だろう
 何か得ることができたか
 自分らしく進んできた


 心の感じるままに語る
 世間が求める言葉でない
 きっと気づいてくれることを信じている
 私が私らしく生きたこと

2021. 9. 17

☆ああ青春で思うこと☆
 トランザムの「ああ青春」。最初ピアノのイントロのあとに♪ドゥン、ドゥン、ドゥドゥドゥンときて本編が始まる。この部分、つま恋1975やドラマ”俺たちの勲章”の放送OPでは、♪ドゥン、ドゥン、ドゥドゥドゥン↓と最後に着地するのだが、トランザムが歌うレコード・バージョンやサントラは、♪ドゥン、ドゥン、ドゥドゥドゥン↑と最後の音が不安定に上がるのだ。最初にテレビのバージョン、そしてつま恋にずっと馴染んだせいか、最後に音が上がるレコードバージョンが昔から気になって仕方がない。着地に失敗した体操選手みたいな気がするのだ。

2021. 9. 16

☆☆君よ☆☆
 猫&風の大久保一久さんの訃報。かつて拓郎のセイヤングのお休みの時の代打でぐしゃぐしゃになって、あとで拓郎がたいそう怒っておいでだった(爆)のも懐かしい。
 その後、拓郎のオールナイトニッポンで”春を呼べT”(大久保一久 作曲)とおなじみ”春を呼べU”(吉田拓郎 作曲)の聴き比べがあって、カセットで聴いていたので、Tもすっかり覚えてしまった。哀愁のある美しいメロディーだった。続けて聴くとTの切ない凍える冬を超え、Uで元気な春が来る…まるで両曲セットのような季節の流れの一体感があるなと思っていた。
 心よりご冥福をお祈りします。

 そのこととは関係ないが、劇場版のプレードランナーの最後のハリソン・フォードのナレーションを思い出していた。
 I didn't know how long we had together. Who does?
 いつまで生きていられるかなんてわからない、知ったことか!

2021. 9. 15

☆☆運命の道よ、愛しき命よ☆☆
 日が短くなったのと自粛のおかげて午後8時前の街なのにまるで午前0時の街のような静かな闇である。トボトボと歩きながら、60歳で"つま恋"を成功させる、73歳でツイストを踊る、75歳で新曲を書く…まさに人生キャラバンをあとからゆくものにとっての希望の灯である〜そんな話をした。このまま行けばいい、自由と連れだって歩いて行こうと思うのだった(木下恵介アワー"三人家族"の矢島正明さんのナレーションで)。>知らねぇよ

2021. 9. 14

☆☆あの人の手紙☆☆
 つま恋に参加した拓友ねーさんから、つま恋参加当時の手紙というか日録を見せていただいた。ありがとうございます。こういうのが読みたかったんだよ。はるか遠方から交通トラブルを乗り越えて、途中でファンと知り合いながら夜汽車で掛川に向う。現地では炎天に打ちのめされながらも近所の席の見知らぬ方々と打ち解けてハッピーな時間を過ごす。いい。いいじゃないか。ステージも最高なら御客席も至高である。死語かもしれないが、若者の解放区なんて言葉が浮かぶ。”ドキュメントつま恋”(共同音楽出版社)に当時の観客のヤジの数々を拾ったコーナーにこんな一節がある。
 “迷子になったらもう友達とは会えません”という注意喚起のアナウンスに
 「みんな友達だから心配するなよ」というヤジがあったと記されている。
 俺このヤジ好き。実際の俺は人見知りの人間嫌いでただのメンドクサイ奴なのだが、それでも拓郎の音楽の前ではこういうのに憧れる。

2021. 9. 13

 昨日の高校一年生の彼は高校3年生だったとのことだ。ご友人が教えてくださった。ご本人は読んでないと思うけどここに謹んでお詫びして訂正します。大人になっての例えば56歳と58歳は対して大して違わないけれど10代で2歳違うと見える景色が随分違ってくるよね。なので若人の年齢は大事だよね。

☆☆蒼いフォトグラフ☆☆
 昔いただいた現地録音のカセットでつま恋75に思いを馳せる。最初は歌と演奏ばかり聴いていたが、繰り返して聴くうちに拍手、大歓声、どよめき、ヤジなど観客から立ち上るリアクションのひとつひとつがいとおしくなってくる。
 第2部の松任谷正隆グループの空気が特にいい。三拍子にやわらかいキーボードとスチールギターの美しいイントロが流れ始める。観客の声がする。「”シンシア”だっ!」、おおーそうだぁと周囲が拍手で沸き立つ。しかし拓郎が歌い出すと”♪やるぅせない思いを胸にぃ〜”、すると再びうなりをあげ大歓声がどよめき「おお〜”ともだち”だよぉ」ということで全員での全力唱和が始まる。その”ともだち”を歌い終わってもそのまま三拍子の演奏はつづき拓郎が歌い始める♪なつかしいぃ人やぁ街を訪ねて〜やっぱりシンシアだぁ、再びどよめく観客たち。ともだち〜シンシアの秀逸なメドレーに波のように揺さぶられる観客の感動。そして♪シンシア〜のあとで観客がマックスのチカラをこめてフッ! フッ!と地鳴りのような大合唱になる。すげぇ。観客も根性入ってる。昔の人は偉かったなと真剣に思う。この諸先輩に続けと俺もつま恋の2006のシンシアでは頑張ったが、ヘナチョコだったかもしれん。

 ライブっていいよなと心の底から思う。もう俺にライブはない。他人のライブはあるかもしれないが、次に誰か好きになってもあんなピュアに愛せないわ、一番キレイな風にあなたと吹かれていたから。これも松本隆かぁ。

2021. 9. 12

☆☆あなたのつま恋☆☆
 吉田拓郎が語ってくれる真実のつま恋とともに、観客の方々にとっての真実のつま恋というものもある。確実にある。これらも是非聴いてみたい。

 例えば、当時高校1年だったその方は、友人とつま恋に行くべくチケットも用意していたが突如1学期の終わりに校長の夏休みの注意として「つま恋禁止令」が出たとのことだ。んなものは不良の行くところと言うお達しだったらしい。友人たちはみんなあきらめたが、その方だけはひとり校長に叛いてつま恋に向った。西も東もわからない一少年があのつま恋の5万人のカオスに不安いっぱいで飛び込んでゆく。その話を聞いているだけで涙が出そうだ。映画”ゴッドファーザーPartU”の冒頭、少年ビトー・コルレオーネが故郷を命がけで脱出し移民船でニューヨークにたどり着く、あのシーンを思い出す。大袈裟か。

 そういうドラマチックなものでなくていい。当時、どうやって現地に行って、何食べて、何を観て、隣にどんな奴がいて、どの曲でどうシビレタか。些細なことでいい。現地に行ったからこそ味わえた事実を知りたい。若かった頃の事を聞かせてどんなことでも構わないから。そういう5万個のかけがえのない純粋経験が絶対にあるのだ。そしてそれらはいずれ消えてしまうのだ。そう思うといてもたってもいられず悶絶しそうになる。
 何度も引用する映画「ブレードランナー」のセリフより。
「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。」
I’ve seen things you people wouldn’t believe. 〜All those moments will be lost in time, like tears in rain.

2021. 9. 11

オールナイトニッポンゴールド  第18回 2021.9.10

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 吉田拓郎です。週替わりパーソナリティでお送りする金曜日、今週は吉田拓郎がお送りします。
 ある日ふと気が付いた。ソファーでゴロゴロしてテレキャスター弾いていると落ち着く。左手のギターだこがなくなるのがいやなのでよく弾いている。2019年に張った弦が古くなっているので取り替えたいと思った。東京へ出てきて全国ツアーをやり始めたとき、全国を一緒に旅するツアースタッフが必要になった。PAや照明などのスタッフが必要。それまではそれぞれ現地の人がやっていた。一緒に東京でリハーサルしてそのまま同じスタッフで全国を回る。
 そこにステージの制作デザインチーム、ミュージシャンの弦を変えたり手入れするローディがいる。総勢何十人のチームになる。それまでは僕なんかギターケースは自分で持っていた。ローディをつけることで弦を取り替えておいたり、チューニングもしておいくれた。以前は、楽屋でみんなミュージシャンが自分でチューニングとかしててやかましかった。自分で弦を張り替えたりチューニングをしなくなっていた。
 今は、ツアーからリタイアしてスタッフも解散。磯元君に電話して買っといてというわけにもいかない。自分でインターネットでチェックした。好みのブランドもあるし、見つけて、テレキャスターは095、アコギは010 が好き。ついでに、歯ブラシとか石鹸とかハンドクリームも買おうと思った。侮っちゃいけない。歯ブラシも柔らかとふつうがなきゃダメ。ハンドクリームもフランスのどこか、佳代さんに聞かないとわかんない。
 いろいろ買い物かごに入れて、まさかないとは思うけれど、このネット店舗にないだろうと思いながら、アーニーボール095と検索入力したら出てきました。ダダリオ010といれたから出てきた、全部ある。知らなかったねぇ。今や歯ブラシ、ハンドクリームと弦が一緒に買えるのよ。単独の店はなくなりつつある。便利なようななんだろう。楽器やで玄を張ってみたりたのは懐かしい。
人間は、心が弱いからつい買い過ぎてしまう。ビニールの袋まで便利そうで買ってしまった。いい時代だなと言っていいのか。

■ 今夜の自由気ままにお送りします吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド。

<(ウクレレ)現物が届き嬉しい、幼い娘にもいつか拓郎さんの素晴らしさを伝えたい、自宅で大切に飾りたいという投書>
 伝えなくていいけど、そういうときがあれば歌ってあげください。良かったね。ウクレレ届いた。弾けなくても飾っておいてください。昔は、玄関に下駄箱の上って、電話が置いてあった。ガールフレンドに電話しにくい。玄関は何とかならないかと思った。携帯電話は若者は喜んだ。そもそも玄関で何が話せる。そこにウクレレを飾ってください。日本では手に入らない幸運のもの。いいラックが訪れるでしょう。

<消化不良で夏から秋、2年前、安曇野 大王わさび農場に行って 拓郎さんのプロモーション”たえなる時に”の気分を味わった、という投書>
 あそこはタムジンが選んだ。僕は被写体になるのが嫌い。しぶしぶ付いていった。いつもロケハンでタムジンが探してくる。彼が好きな場所は、暗い、太陽のあたらなくて、ツタが這っているところ。ハワイ島のロケに行ったとき、ここはハワイかよと言う場所を探してくる(爆)。20分で帰るぞと言うわがままな被写体とよく50年も付き合ってくれた。ラストアルバムもタムジンだけでなく家族チーム全員で、レオナ、ヒロも写真家だ。レオナなんてタムジン以上の写真を撮ることもある。
 アルバムのタイトルは決まっている。喉から手がでるほどいいたい。スタッフもいいタイトルと泣いてくれるくらい。この文字を親友に書いてもらっている。親友って、古い友とは縁を切って、フォーライフの連中ともずっと会っていない。僕より若い親友の一人が自筆で書いてくれる。「拓郎はん僕字は下手なんだけど」
 若手の素敵な女優さんが個性的な女優さんがこのアルバムのイメージ画像のモデルになってくれる。これも楽しみだ。このことをある女子に言った。おまえどうだ、と言ったら、黙っているはずはない。篠原ともえが、その女優の衣装とかスタイリストだけでなくアルバムのデザインも考えたい…篠原はいまや素晴らしいデザイナーなので得意。  
"なんて素敵なニュースでしょう。私なんかが参加していいんですか。…なんでもやります。かっこよくて最高な作品になるよう来年の初夏までに作りましょう。もうすぐ再会できることを楽しみにしています。"嬉しいじゃないの。こういう仲間たちがいてくれる。ハッピーなアルバムが出来そうだ。

 昔からのベテランミュージシャンもみんな参加してくれることとなった。萩田光雄、馬飼野康二も一曲ずつアレンジしてくれる。キャンディーズ、太田裕美、梓みちよの曲ではあったけれど、自分の歌う曲は初めて。
 写真もだいたい決まって、つま恋はどうしても外せない。昔からのつま恋の関係者に「どうなってるんだ」と連絡した。写真の場所は、多目的広場とリハーサルを重ねたエキシビションホールそして緑の並木道・・・といったら「あの頃のまんまんです」と。つま恋で撮影は間違いない。

 今言えるのは、昔のLP盤をやりたい。ジャケットも大きいし。アナログLPとCD両方作る予定。 アナログには書き下ろしのエッセイ集をつける。ラジオでも話せなかったモヤモヤも幸せも思い出も書いてある。デザインは篠原ともえにやってもらったり、素敵な女優のイメージ画像もある。

 CD書き下ろしの最後に情熱をこめて書き続けている新曲のライナーノーツをつける。描いた通りの僕の道を半歩ずつすすんでいく

<高3で小説家・作詞家になりたい兄の影響、拓郎さんの言葉言葉の脈動拍動 文字に命を吹き込みたい、アドバイスがあればくださいという投書>
 あるわけない。そんなこといえる立場じゃない。自分で決めたら自分なりの限界まで挑戦してみること。僕が学業や決まっていた就職を蹴って音楽にすすむとき、母は言った。 「拓ちゃん音楽への情熱は理解している、信じた道をすすみなさい、でも心の底から限界と感じたら潔くスッキリとやめてください、グズグズしているのは反対」グズグズしないですっきりとスパッといけという母の言葉は忘れていない。母との約束だと思っている だからいつもスパッと決めてきた。

<17歳、大学受験 朝から夜まで拓郎 告白できないのにアドバイスという投書>
 ひとつだけアドバイス。高校生でやっちゃダメなこと。 間違っても好きな子を曲にしちゃダメ(笑)よせばいいのにその子に聴いてもらおう  そんなことだけはやめてください。そういう歌を聴きますね

M1 じゅんちゃん     スタジオ盤  吉田拓郎

 こんなことしちゃいけない・・・永久保存版だな

(CM)

<拓郎さんの最初のギター練習曲は禁じられた遊び、パイプラインかという投書>
あり得ないよ。浮かばないよ。クラッシックギターとか弾けない。60年代のカスケーズ  の”悲しき雨音”だった。なぜかあの時代は本場のアメリカのタイトルと違って「悲しき 」がつく。なんでなんだろう。「悲しき」がつくと大ヒットする。そういう歌を入れるかな。悲しき慕情、悲しき全部だきしめて(笑)

(実演)悲しき雨音

その次にコピーしたのはビートルズだな
And I Love Her
この弾き語りはガールフレンドに歌ったかな、さっきイケな言っていたのに(笑)
(実演) (And I Love Her)

 当時のフォークソングでは、2フィンガー、3フィンガーをやってみたくなる。ロックバンド時代のギター教室では、ピックのストロークばかりだった。
東京に来て石川鷹彦にはしびれた。きれいでダイナミックでどうして弾いているんだろうと思った。スタジオで一緒になった時に教えてもらって、フィンガー奏法を家で特訓した。
 当時はPPMをコピーする人ばかりだった。アルバムでも”花嫁になる君に””蒼い夏”とかはPPM風だけど、僕は3フィンガーって新しくないな、フィンガリングで他のはないのか石川さんに尋ねた。その中で、 S&G ポールサイモンのフィンガリングが新しい。これだと思って、アルバムをいっぱい買って練習したものだ。
 “ガラスの言葉” はポールサイモンのギターをコピーでオーギュメント、デミニッシュ
を使った。コピーしまくった。
 (実演)四月になれば彼女は  

(CM) 松島菜々子  深夜にステーキ丼

<17歳のつま恋以来、ときどき観ていました、ああおじさんになったなと思っていた、最近、75年のつま恋と名古屋のDVDで開花した、つま恋の話が聴きたいという投書>
このあとつま恋1975年の歴史と本邦初公開の音源をお送りする。
 生涯ただ一度のセッション。あの連中とセッションしたことはなかった。小田とはあったけどかぐや姫とは仲悪かったのかな、ウマがあわなかった(笑)事務所が一緒だっただけかな。

M2 フォーエバーヤング    吉田拓郎&かぐや姫

 今月はつま恋1975。マジで怖かったし緊張しふるえがとまらなかった。5万人なんて観たことない。怖かった。
現地には一日前に入ったのかな。東京でずっとリハをしたけれど現地でリハはやらなかった。こういうことの前例が無かったし、誰もhow toがわかんないしぶっつけ本番
だった。前夜にかぐや姫とともにヤマハの川上源一会長に呼ばれて・・・フレンチのレストラン・・・つま恋で生産している野菜を使った・・・つま恋のエピキュリアン料理をごちそうになって歓談したが、僕の心はそこにない。川上さんは超大物だけど、明日のことが気になって、そそくさと部屋に戻った。それでも眠れない。こうせつの部屋でこうせつに歌を聞かせてやったり(笑)、結局午前3時まで眠れなかった

 当日、午前11時のロッジまでウォーという唸り声、集団の音が響いてくる。大地が震動している、不気味な唸りでもう落ち着かない、恐怖以外の何物でもない。もう気持ちがコントロールできない。緊張でいっぱいの朝だった。

■■11時
佳代さん>みなさんおさきにおやすみなさーい

 それで時間が過ぎて夕方から歌う。足はガタガタ、心臓バクバク、口が回らない。スタッフの声が聞こえない。5万人の怖さ。ステージ脇に行くと、トランザムの連中も全員 呆然と立ち尽くしていた。チト河内さんが、「拓郎、これ凄いことになってるな」と言われてもうわの空(笑)。マネージャーの渋谷に「酒持ってこい」と言ってのは覚えている。別のスタッフが気をきかして缶ビールを持ってきて、ビール一気に飲み干したけど何も変わらない。こんなこともろあうかとウイスキーのボトルが回ってきて、そをひとくち呑み込んだら、喉から胃袋に行くのがわかる。身体は火照っててくるし、トランザムにもひと口飲ませた。戦いの前夜だったな。
 個人的にはこの葛藤が始まるのはわかる。ひとつには野外にはいいイメージがない。中津川でヒーロー扱いされたけれど、あれは音楽じゃない。人間なんてを歌いながら、俺はそういうことをしにきたんじゃないと思っていた。コンサートではないし八つ当たりだった。あれがフォークだったらいつまでもこんなことやってられないと思った。
ソニーのアルバム”元気です”の緑色の神にも書いたけれど、こういうフォークソングはごめんです。
とにかく中津川になったらどうすりゃいいんだろう。落ち着かない、5万人を信じられない。
 もうひとつは”結婚しようよ”を歌うと必ず「拓郎帰れ」と言われた。武道館、卯辰山  ビール瓶や石が飛んできた。帰れといわれたらどうすりゃいいのか。帰るべきなのか。混乱と不安がずっと心にある。そういう葛藤のままステージに立っていた。
こんなしたのは体験僕ぐらいだろう。

 一曲目からボーカルも不安定、寝不足だった、こうせつに歌い過ぎた。モニターも聞こえないし客席の圧迫感が凄い。自分ではない自分。第一部、予定より40分以上早く終わってしまった。一曲一曲、ゆっくり話ながらの予定だったけど、一気に歌ってしまった。スタッフが慌てたらしいし、かぐや姫も予定より早く及びがかかったらしい。
 トランザムに提供した”ああ青春”。松田優作のテーマとかも作った。最初インストだったけど、やっぱり歌詞が欲しいということで、歌詞は松本隆がうまいということで頼んだ。拓郎、青春数え歌、どうだろうということでゴーサインが出た。これ以来、松本隆と曲を作る時は必ず二人で会うということが始まる。これは松本とだけ。
 トランザムのベーシストが富倉くん。今や中島みゆきのツアーバンドのベーシスト。彼は、2006年のつま恋でもベースを弾いてくれている。彼が一番感無量だったんではないか。1975年でも2006でもベースを弾いていたんだから。

M3 ああ青春   トランザム

(CM)

 ということで1部は、40分早く終わって、スタッフは大慌て、かぐや姫にも迷惑だったろうな。とにかくヘロヘロでバンドもあちこちトチっていた。みんな頭真っ白だった。とにかく自分の部屋でアタマ冷やして次のステージでは立ち直って見せると思っていた。

 次が松任谷正隆のグルーブ。歌い出せずに前奏が長くなって歌えなかったし、いろいろミスをしていたが、一部よりは落ち着いていた。
“結婚しようよ”これは怖かった。ヤメロとか言われたらどうしようかと思った。歌い始めたら、窺うと客席はみんな笑顔で一緒に歌っているような気がしたの。それが予想外、嬉しくて、幸せで、胸が熱くなって、良かった 気分が出てきた。

 このコンサートが始まるまでの暗黒の時代、暗闇の時代は終わったんだ。新しいスタイルが出来たんだ。嬉しかった。俺は間違ってなかった。やってきてよかった、吹っ切れてよかった。
 落ち着いて時間通り1時間半くらいのステージを終えた。僕が秘蔵している音源
古い音源ですしトラックダウンもしていない。雰囲気だけ味わってほしい。

M4 まにあうかもしれない 吉田拓郎
(・・・旅の宿すんどめ)
(CM)

 いよいよラストステージ。最後のステージは夜中の三時から歌い始める。こんなのある? 声もボロボロ、疲労の極致。若いからやってやろーとか思ったけれど、そりゃ無茶だよ、そんな馬鹿なことあり得ないよ。

 瀬尾一三のビッグバンド。篠島でもオーケストラでたくさんの曲をやろうと思っていた。やっぱりオーケストラだとアレンジの幅ができる。でもリハーサルとかやってみて気づいた。
 ビッグバンドで5、6時間やってるとホーセクションに負けないようシャウトして頑張りすぎてしまう。当時はPAもよくないので頑張って声を張り上げてしまう。瀬尾ビッグバンドで半分くらいの曲をやりたいと思っていたが、結局、トランザム、松任谷バンドで同じくらいずつとなった。篠島でも殆どの曲を瀬尾バンドでと思ったんだけれど、そうはいかなくて松任谷にお前のバンドで殆どやろうということになった。
 最後、声は出ていないで叫んでいる。最後の曲は、”人間なんて”やるっきゃない
エンディングのこの曲はリハーサルはしていない。したくない。アンサンブルとかもう行ったっきり。東京でも殆どリハーサルしていない。瀬尾ちゃんにバンドの譜面渡して、  三つのコード進行だし、瀬尾ちゃんの合図で、はいブラス、はいギターということで、アドリブでその場で成り行き自由にアドリブで任せた。コーラスも全編アドリブで”人間なんてラララララ”だけであとは自由でいい。ところがこれが何時間もやってきたイベントの最後、みんな興奮するんだね。ハイファイセット、吉田美奈子みんな全員絶叫している。こんな人たちだったけ、美奈子も(笑)。

 このイベントで気になっているのは、最後の一曲が朝方の何時に終わるだった。夜中で真っ暗で終わると困る。暗い中、客は帰ることになる。どうすりゃいいんだということで、拓郎、朝陽が出るまでステージにいなくてはいかんよというのが彼らの本音だった。
そんなコンサートがあるか。その方が、お客さんも混乱しなくて帰れるんではないか。全員が袖からあと何分という心境でみんな歌う俺では無く空を観ていた(笑)。いつ朝陽が出てくるか、ステージの僕が倒れないかとかそういうこでなく、太陽はいつかを気にしていた。声も出ないしトランス状態で終わったら病院でもどこでも運んで行ってと言う感じだった。
 声は出ないし、疲労の極致だし、後ろの瀬尾にもういいよと言おうとした瞬間に川口というステージのスタッフと目があった。彼が両手で丸のOKを作ってくれたのが忘れられない。もういいんだね、これで・・・と言う感じ。最後はありがとーありがとーと叫んで、自分がどうやって誰に連れられて戻ったのか覚えていない。1時間半くらいして我に返って朝7時ころ部屋で放心状態だったのを覚えている。

 ぶっつけ本番だった。最初のテンポが遅いので、俺が瀬尾に「遅い遅いテンポをあげろ  」と言ってテンポを上げる瞬間。音だけ聴いているとすごく楽しい時間だったと思う。
 今夜中なのでどうか立ち上がったりしないでて、泣いたりするかもしれないけれど、
ご近所ご家族のことは考えて我慢して。早朝4時の静岡県つま恋の多目的広場の熱狂を静かな気持ちでお聴きいただきたい。

M-5 人間なんて

(CM)

■エンディング
 全国ツアーの企画は最初は経済的には厳しかった。それまで地方の宿泊は旅館で大広間で雑魚寝だったが、当時はホテルは少なく、ビジネスホテルが多かった。渋谷君と二人で泊まることが多かった。ハワイとかで男二人がツインで泊まるというの外国ではありえない。ツインで泊まるとハワイでは恋人なんだ。渋谷くんと恋人同士ではないけど。ある晩我慢できないことがあった。
 「しぶやんの歯ぎしりの癖で夜中に眠れなくなる。狭くてもいいからシングルにしてくれ」というと渋谷くんも、「僕もあなたが夜中に大きな声で笑い出すんですよ、おかげで一睡もできなくるということだった。いいでしょう明日からシングルルームにしましょう」ということになった。「歯ぎしり」と「笑っている」そういう部屋は不気味な部屋だよな。僕はドリフターズのコントを思い出して笑う癖があった。そんな思い出があった。

次回は、10月8日金曜日です。最後の曲は、スティーブ・ローレンス

ゴーアウェイリトルガール
 お相手はここまで吉田拓郎でした。

M 6 Go away little girl スティーブ・ローレンス

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆”つま恋”は、野生の呼び声である・・と「大いなる人」(八曜社)に書いてあった。「つま恋と言う言葉は今宵吉田拓郎の血の中に眠る熱き想いを呼びさます<野生の呼び声>である」。御意。たぶん森永博志の文章だよな。しかしもはや拓郎だけではない、ファンもそして当時現地に行かれた方はもちろん、行けなかった俺のようなミソッカス世代も含めて、すべての人々の魂を燃え立たせる。問答無用である。

☆「午前3時に始まるステージ」・・・もうすんばらしいじゃないか。どこが問題なんだ。問題なのは、深夜なのにウーバーイーツでステーキ丼を食べている松島菜々子の方だ。大丈夫なのか。大きなお世話か。

☆つま恋が「怖かった」という話は、75年の直後から何度も聴いた。聴いてきたけれど、今回のは一番切実だったな。こちらも年齢を重ねてきたからだろうか。どうしようもなく怖い思いやトラウマや無念さまでもが、今までで一番伝わってきた。そしてだからこそ”結婚しようよ”の大転換。ああ、爺ちゃん良かったねぇぇぇと心の底からもらい泣きしそうだった。あの”結婚しようよ”の音源が聴きたかった。歌い出した途端、客席が湧きたつ大歓声は、行っていない俺もその場で踊り出したくなるくらい興奮する圧巻なものだった。

☆ここからは邪推という下種の勘繰りだが、このハードなつま恋で吉田拓郎が燃え尽きるようにバーンアウトしたというのもよくわかる。もちろん俺ごときにゃわからんけど、それでも少しはわかる。そしてここに翌月の離婚という悲痛事がさらに消尽させるであろうこともだ。そのボロボロの満身創痍が、翌年のアルバム「明日に向って走れ」の行間からあふれ出る愛と哀しみを体現しているのだと勝手に思う。「悲しき明日に向って走れ」なのだ。だからこそ珠玉なる魂の名盤なのである。

☆何度聴いてもこの魂の底から這いあがってくるような「人間なんて」のイントロはカッコいいな。

☆ラストアルバムの進捗は何よりだ。来年の初夏がことつのラインなのか。パッケージも実に楽しみだが、何よりも私の心は、最後に情熱をこめて書き続けている15曲(前に言ってたよね)の新曲たちにある。頼むぞ。

☆スッパリという御母堂のお言葉を大切にする拓郎は素敵だ。ただ、もしも、もしも、もう一度歌いたいな、もう数枚アルバム作ろうかなとちょっとでも思われたら、そんときゃスッパリと戻ってきてほしい。

☆☆今日の学び☆☆
 かねてからの疑問だった。http://tylife.jp/uramado/ningennante.html 「イントロで疲れ果てて指揮する瀬尾一三に、拓郎が囁くと、瀬尾一三が突然背筋正して動き出すシーン。何を言ったんだ拓郎。」… 答えがわかったよ。ありがとう。

2021. 9. 9

☆☆あの場所でもう一度逢えるなら☆☆
“つま恋”はお元気だろうか。今頃どうしておいでだろうか。かつての閉園のピンチを脱したものの今回も大変だろう。ラストアルバムの公開レコーディングは、つま恋のパブリックビューイングでひとりでも多くのファンが観られるようにしてくれよ。つま恋よ吉田拓郎とともに永遠なれ。
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2021. 9. 8

☆☆つま恋という文化遺産☆☆
 つま恋75か。何を語り何を聴かせてくれるのだろうか。参加できなかった身としては貴重な楽しみだ。
 何度も書いたが何度でも書く。行けなかった身として追体験すると、つま恋は拓郎2nd stageの松任谷正隆バンドと拓郎Last stgeの瀬尾一三オーケストラの競演がすんばらしい。キーボードとスチールギターの美しいとろけるような松任谷グループと迫力の瀬尾ビッグバンドオーケストラが、それぞれ競うように拓郎の歌にいろんな光をあてまくる。そういう祭典である。そんなふうにつま恋を観ている。とにかくとにかくすべての音源、すべての映像を開放しておくれよ。関係者そして参加した人のひとりひとりの声と証言をどこかに掲げ保存しておいて欲しい。お蔵に入れといちゃ誰も幸せにならないぜ。

2021. 9. 7

☆☆手をとってふるえる声で☆☆
 小室等の手は、ひんやりと冷たく華奢な感触だった。その何十年後かに握手してもらった吉田拓郎の手はがっしりと大きくて柔らかくグローブみたいだなと思った。どっちも握手してもらうことだけで精いっぱいで緊張してご尊顔を観られなかった。感触だけはしっかりと覚えている。

2021. 9. 6

☆☆私も月へは行かないだろう☆☆
 たまたまテレビで放映していた映画「ラストレター」を観てしまう。とにかく広瀬すずと森七菜の二人の輝きが眩しすぎて眩暈がした。俺が高校生だったらイチコロだったろうな。この光り輝く天使のようなオーラ。恋愛感情やファン感情とは別の意味でジジイの心に深くしみました。
 ジシイといえば、小室等がそれなりに大事な役で出演している。俺が生まれて初めて芸能人に握手してもらったのって小室等だったことを思い出した。西武デパートの"フォーライフフェア"だった。凄いのか凄くないのかよくわからないが、我が人生に悔いはなし。

2021. 9. 5

☆☆転んだ傷が癒えるとき☆☆

 以下は1979年秋にコータローのラジオ番組で聴いた篠島の顛末の話だ。

 篠島での山本コータロー助監督の最後の仕事は”人間なんて”を夜明けと同時に終わらせることだった。”人間なんて”が終わってもまだ空が闇夜だったり、逆に朝陽がカンカン照で人間なんてと歌うのも絵にならない。夜明けとフィナーレの交錯する絶妙の絵が欲しい。悩んだコータローは拓郎に頼む。

コータロー「”人間なんて”が終わりそうになったところでVサインかなんか出してくれる?」
拓郎「コーちゃん、”人間なんて”の狂っている最中にそりゃ無理だよ」

 結局、コータローが夜の深さと夜明けの近さを確認しながらまだ終わっちゃ困るときは舞台下からサインを出すことになったそうだ。しかしいざ本番では思ったよりも進行が速かったそうで、夜明け前の真っ暗なままクライマックスの「人間なんて」が終わりそうになった。焦ったコータローは、まだまだ終わっちゃダメだと懐中電燈を思い切り振り回しながらステージ上の拓郎に知らせようと舞台下に走ったが慌てていたので足がもつれて思い切り転んでしまった (爆)という悲劇が起きた。
 私の記憶では”人間なんて”は闇夜のまま終わって終了直後に空が白み夜が明け始めたと思う。夜明けとフィナーレの交錯はちょっと微妙なとこだった。
 以下はただの妄想だが、そのせいかフィルムでは、最後に”人間なんて”を絶唱する拓郎のストップモーションで終わり、演奏のエンディングの絵がない。そしてライブ上映会をご覧になった方だけが観られた幻のラストシーン。まるで小林旭のように夜明けの埠頭に一人たたずむ吉田拓郎の姿でフィルムは終わった。
 ということで、もしあのとき山本コータローが転ばなかったら歴史は変わっていたかもしれない…と言うお話でした。

2021. 9. 4

☆☆この世界のさらにいくつもの片隅に☆☆
 すまん。俺は山本コータローの悪口を言いたかったんじゃないんだ。そもそも山本コータローといえば、あの名作ライブフィルム”吉田拓郎アイランドコンサート”の助監督だーいしだー。篠島でもカメラクルーを連れてあちこちを飄々と歩いておられた。

 今でこそ伝説のイベントに数えられる篠島だが当時の拓郎とそのファンを取り巻く空気は冷たく風は向かい風だった。

・世間はニューミュージックの時代(アリス、千春、さだ、ユーミン、サザン、ツイスト)…フォークの拓郎はガチ過去のダサい人のイメージが強かった。歌手を引退してから社長やってると信じている人たちがフツーにたくさんいた。
・でもってそんな過去の人である拓郎を信奉しているファンも時代遅れのダサい&イタイ人と見られがちだった
・しかも折悪しく…というか、79年夏、あのつま恋でアリス、ツイスト、こうせつのライブ、江の島ではサザンオールスターズとビーチボーイズのオール・オーバー・ジャパン、北海道では松山千春と全国各地で夏フェスが燃え上がっていた。
 …ああ独り離れ弧島の吉田拓郎(すみません篠島の方々)。おそらく船に乗ってまで観客は来なくて失敗するだろうというのが心無い下馬評だった。
 それに個人的には高校でも受験の夏に泊りがけで拓郎だとぉ?と先生には見放され、同級生たちにはバカにもされたものだ。

 そんな四面楚歌の苦境の時にコータローが拓郎に言ったのだ。
「ねぇ拓ちゃん、篠島が日本、本土が世界だと思ってやってみようよ」
 拓郎はこのコータローの言葉を励まされたと篠島直前のラジオのインタビューで語っていた。拓郎だけではない、肩身の狭かったファンの俺はこの言葉に限りない力を貰った。「俺が行かなくて誰が行く」と覚悟を決めた。
 そうだ俺たちはこの篠島から世界に向かって巻き返してゆくのだっ。泳げ拓郎!、走れコータロー!、進め名鉄拓郎号(未見)!

 そして多くの予想を裏切る大成功に終わり、俺たちは素晴らしい夏を胸に刻むことになった。その年の秋口に、甲斐よしひろがラジオ番組(小林克也との対談)で言った言葉が忘れられない。
 この夏は拓郎のひとり勝ちだった
 ありがとう甲斐。みんな「つま恋2006がヌルイ」って言ったからって甲斐を責めるのやめようぜ>それはおめーだろ
 ともかく篠島の成功を受けて9月新学期に学校に行くときの誇らしい気分といったらなかった。こんな気分だった。

 時々コータローの「篠島が日本、本土が世界だと思ってやってみようよ」の心意気の言葉をいろんなカタチで思い出す。かくして恩人なので悪口を言うつもりなどない。ただ、そのコータローがユイを辞めて松山千春…って話が回り出す爺さんか。

2021. 9. 3

今日は☆☆「泳げ拓郎」「走れコータロー」1979年の眠れない夏☆☆を書く予定だったが、諸事情で泥酔して書けないので、また明日。

2021. 9. 2

☆☆これから始まる大レース☆☆
 誰が誰を降ろして誰と組んでというウンザリする政局のニュース。こういうニュースを観るたびに、昔=80年代中盤、吉田拓郎の盟友であり側近と思っていた山本コータローがある日ユイ音楽工房を辞めて、松山千春のNEWSレコードのプロデューサーになって千春と仲良く二人でテレビとかライブに出ていて、びっくらこいたのを思い出す。あれはなんだったんだ。そらま各人の自由だけどさ。それにほどなくNEWSレコードは解散になったが。名著”誰も知らなかったよしだ拓郎”は、何十回も眼光紙背に徹し涙ぐみながら愛読した俺だが、あれ以来、心の狭い俺には、山本コータローの言葉が素直に心に入ってこない。

 拓郎がコータローに提供した”君のために”。いい歌だ。♪そうだ君にはチカラがあったんだ〜

2021. 9. 1

☆☆9月になれば☆☆
 いつもなら9月というと気持ちがウキウキするのだが、こんな世情ではそうはいかない。不思議にも小中学校の同級生仲間に今年還暦を迎える連中が多かったので祝宴を楽しみにしていたのだが難しいな。またかねてから夢見ていた”乙女座会”もなかなか実現しそうにない。今はこらえよ愛しい君よ。

 以前、松本隆が「9月の雨の日にタクシーに乗ると必ず太田裕美の”九月の雨”がかかるんだよね」と語っていてホンマかいなと訝しく思ったものだ。ただ9月の海といえば”冷たい雨が降っている”だぜ。

 九月の海に雨が降る 
 波と雨とが入れ替わり
 空と海とが溶け合って
 九月の海に雨が降る

 壮大で少しゾっとするような”海辺の叙景”を描く見事さに感嘆する。海辺の叙景=つげ義春といえば、知り合いのねーさんが、ワクチン接種に”ねじ式”の少年のTシャツを着て行ったそうで、これにも感嘆した。世の中捨てたもんじゃない(爆)。日々ご自愛しつつ元気出してまいりましょう。
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2021. 8. 30

☆☆夏はこれ以上待ってはくれない☆☆
 今年の夏の初めに買ったかき氷機。かき氷を"シェイピングアイス”というのだと拓郎に教えられたよ。「ハワイのノースショアに松本シェイピングアイスと吉田シェイビングアイスが並んであってさ」…松本と吉田ってなんか見慣れた並びだよな。
 さて俺がこの夏、いちご、ゆず、抹茶といろいろシロップを試して落ち着いた…空よりも青いサマルカンドブルー。身体にイイのかという意見もあるが、もうジジイだから、んなことはどうでもいいんだよ(爆)。氷とともにささやかな夏が終わってゆく。さらば。
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2021. 8. 29

☆☆棕櫚の葉は今も☆☆
 Ninjin design officeでは、夏の甲子園高校野球での山崎育三郎が歌う「栄冠は君に輝く」に胸を打たれて以来、この曲が個人的大ブームになっているらしい。昨年、第1回で衝撃の吉田拓郎の”ある雨の日の情景”が登場した朝ドラ「エール」も重なる。社歌にする勢いで俺にも熱く推奨してきてくれた。「この隙のない見事な詞、まるで”マラソン”か”life”くらいの詞。"雲はわきひかりあふれて天高く純白の球 今日ぞ飛ぶ"…この"今日ぞ飛ぶ"がたまらない」また作詞者である加賀大介さんと人生を歩まれた奥様が”美しくにおえる健康”のところがお好きだという話も胸を打つ。…御意。以来、自分もこの歌も頭から離れない。俺は自分の母校がただ一度甲子園に出た時もテレビすら観なかった不心得者だ。今さら悔いている。
 “ストーンズ”に”運命のツイスト”に”ああ栄冠は君に輝く”…カオスのような脳内ラインナップだが、それでも音楽っていい。いやそれだから音楽っていい、そう思う。

2021. 8. 28

☆☆その時せつなに愛おしい☆☆
 時節柄、ストーンズを聴いている。アルバム"Rarities"収録の”Tumbling Dice”がツボ。最初はピアノと手拍子だけでミックとキースが仮歌みたいに歌い始めた音源が、途中でフルバンドのライブ本演奏に切り替わるが、この転換が文句なしに燃える。豊かなる一日の”今日までそして明日から”くらい燃える。仮歌と本番演奏の両者のコントラストからバンドのグルーヴ、特にチャーリー・ワッツのドラムのすんばらしさが引き立ってよくわかる。
 これを意識したかどうかは知らないけど、拓郎(T&ぷらいべえつ)のスタジオ録音盤の「運命のツイスト」の組み立てと同じだ。

 ラジオでナイト(第73回 2018.9.23)の放送で「Brown Sugar」を聴きながら「シャウトするロック色強い曲を作ってトライしてみたい。」「”よーし。オレもこういう曲つくるぞ"という気になる」と意気込みを語っていた。その直後に登場した新曲「運命のツイスト」のことなのかどうかはわからん。もしかするとラストアルバムに向けて準備されている新曲なのかもしれない。ただ”運命のツイスト”これはこれで通底する、こりゃええ、ええ、ええ、ヒューっ!!。

 “Tumbling Dice”、”Brown Sugar”、”運命のツイスト”このあたりをコンタミで聴いていると、気分がいい。人によってはわけわからん選曲かもしれないが。”運命のツイスト”も再びライブで聴けたらもっともっとノるのにな。ライブは二度と帰らない。

2021. 8. 26

☆☆チャーリー・ワッツ☆☆
 歳をとるほどに素晴らしい顔になっていった。なんともいえない紳士の品格がにじみ出ていた。俺のような門外漢の素人には、あんなこじんまりとしたドラムセットで飄々と叩いていながら、なんであんなロックンロールのうねるサウンドになるのかいつも不思議だった。
 初来日の時、チャーリーの投げたドラム・スティックを拾ったとんねるずの石橋貴明が羨ましかった。日本公演ではいつもメンバー紹介の時の拍手とコールが長くて超絶盛大だった。その時の困って照れた笑顔がまた良かった。
 25周年のインタビューで、あなたにとってのストーンズの25年間は?と問われて「仕事したのは5年で、あとは居ただけだよ」と語ったのが素敵だったな。仕事してくださって、そしていてくださって心の底からありがとうございました。
 地下鉄で街角で歩きながら聴き直す。いい。ストーンズいい。いやストーンズだけではない、ライブって本当にいいと心の底から思う。

2021. 8. 25

☆☆天に舞う男たち☆☆
 二瓶正也さんの訃報に悲しむうちに、サイレントストーン・チャーリー・ワッツの訃報にショックを受ける。絶句。今までありがとうございますという心の底からの感謝しかない。感謝しかないけどあまりに悲しすぎる。

2021. 8. 23

☆☆久しぶりに会えたのだから☆☆
 ここのところは閉じたままの行きつけの居酒屋の前を通ったら、電気は落ちていたが扉が開いていた。マスターが換気と掃除に立ち寄ったらしい。おおLong time no see。お元気そうだ。ああ、生きている、もつれあい、もがきながら今日もまたどこかで息づいてる命。パートーナーのデザイナーの方もご一緒で、お誕生日だったらしい。おめでとうございます。コロナが開けたら、ああ冷酒が飲みてぇ。そしてコロナに打ち勝った証として(爆)、またTシャツを作りますのでデザインお願いします。どうかお互いにお元気でいましょう。

2021. 8. 22

☆☆永遠の宝であってくれ☆☆

 2005年名古屋公演とリンクして拓バカたちと篠島に乗り込んだことは書いた(僕の旅も小さな叫び http://tylife.jp/chiisanasakebi.html#19790726_3)。書き忘れたがその時に篠島グランドホテル松島館の仲居さんがボソっと話してくれた。

「拓郎さんが歌い終わって旅館に帰ってきたとき、旅館で働いていた男の子に、頭に巻いていたハチマキをあげていらっしゃいました。『こんなの貰っちゃったけど』と見せてくれました…」
 なんですと
 篠島のピンク、青、白のステージ衣装は、その後81年のオールナイトニッポンでファンにプレゼントしていたよね。当時、魂の底から羨ましかったが拓郎を愛するファンの手に渡ったのだからそれはそれで天命なのだと納得した。最近でいえばテレキャスター・シンラインもカマカのウクレレも同じだ。
 しかしこのハチマキについては、おばさんの言い方に「こんなの貰っちゃったんだけど」みたいな男の子の困惑を感じてしまった。もちろんそれが俺の誤解ならすまん。終生の家宝にしてくれるのであれば納得だ。できれば一目見せてくれたら嬉しい。大丈夫だ
かじったりしないから。

 だが、もし貰うに貰ったけど捨てられないし…みたいなことだったら、旅館の男の子よ、いや今やたぶん還暦も超えておられよう殿方よ。是非拠出してくれ。俺にくれたら嬉しいが、それもなんだろうし、ニッポン放送吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールドに送ってくれまいか。そうしたらきっと拓郎がプレゼントのためにまた例によって鬼畜な素敵なクイズを考えてくれることだろう。

 2019年の名古屋公演の帰りに行ったとき、篠島グランドホテル松島館は既に閉鎖されていた。♪時はすべてを連れてゆくものらしい、なのにどうして淋しさを置き忘れてゆくの・・・。せめて散らばった魂のお宝たちはお宝として輝きながらそれぞれの場所で生き続けてほしい。

2021. 8. 21

☆☆非情なライセンス☆☆
 千葉真一さんの訃報。相次ぐ名優の逝去が悲しい。ご冥福をお祈りします。真田広之の”砂漠の都会に”(喜多條忠作詞 吉田拓郎作曲)を聴くために毎週”影の軍団V”を観ていた。”砂漠の都会に”…いい歌だ。サビに続けて”それもただの風のシーズン”と歌いたくなる。いや、ディスっているのではない。しっとりと聴かせる名曲なのだ。
 千葉真一のドラマでは「深夜にようこそ」が好きだった。80年代のコンビニって、草創期みたいなものだけど、なんか今とは雰囲気が違ったよね。ちょっと切なくて、少し闇があって、あの千葉真一はそこに静かにハマりこんでいて素敵だった。
 ただいろいろあっても我がDNAに刷り込まれているのは結局”キイハンター”だ。今でもスーパーやビルの地下駐車場を歩いていて、車が横を通るたびに、千葉真一と谷隼人が浮かんきてで、あのテーマが流れて来ないか。
 小中高からの友だちのルーちゃん(実名)とカラオケに行くと「非情のライセンス」と「アイフル大作戦のテーマ」と「特捜最前線の愛の十字架」を今も必ず歌ってくれて萌える。しばらく会っていないが元気だろうか。
 とにかく、とにかくみなさんお元気でいておくれ。

2021. 8. 20

☆☆青空にひとすじのひこうき雲☆☆
 自宅を病床に、自宅で療養を基本にと言われた時点で私たちは捨てられたのである。なーにが自助だ。自由の底を掘り崩しておいて。

 老若男女、誰が亡くなっても困るが、私らはもうジジババだ。曲がりなりにも人生のようなものはあったし、吉田拓郎の音楽に出会え、満喫し、エンディング近くまで楽しむことができた。しかしたとえば新生児の方、今から青春を迎える方々のことを思うといたたまれない。これからそれぞれ愛するアーティストと出会い、熱狂し、その歌と共に人生を歩み、やがてそのアーティストがジジババになり「アウトロだ」とか言い出されて戸惑いながらも、悪くない、月日の数も悪くないと思う…そんな幸せな道行がもし迎えられないとすれば、そりゃなんなのだ。そんなのはおかしい。ともかく若い命、ご家族ともどものご快復を心の底から祈っております。
 生きていなけりゃ、そう生きていかなけりゃ(@FromT)…歌もうまいけどギターもしみる。

2021. 8. 19

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☆☆筒美京平☆☆
 文春新書「筒美京平 大ヒットメーカーの秘密」(近田春夫)を早速買い、とあるページから貪るように読む。幸せ。
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 いいリードじゃねぇか。「僕はああいうもの書けないもの」…ああ、もっと言ってもっと言って(悶)

 そうそうユーミンが昔ラジオで話していた。近田春夫さんとウチの旦那(松任谷正隆)は、小学校(慶応幼稚舎)からの同級生だけど、近田さんて落ち着きなくて授業中は先生に横顔しか見せたことがなかったんだって。この話好き。

2021. 8. 18

☆☆夏の思い出☆☆
 盆踊りとともに夏の風物として毎年思い出すのは「ちょっと麦茶飲ませろや」。麦茶を飲むたびに心の中で呟いたものです。スポーツドリンクに代わったのは、1982年の王様達のハイキングあたりではないかと思われます。どうでもいいことだが、俺の人生はそういうどうでもいいことで出来上がっているんだよっ!

2021. 8. 17

☆☆あなたを送る日☆☆
 盆踊りなんてどうでもいいとずっと思ってきたけれど、どこからもその音が聞こえてこない世の中になるとやはり寂しくなってくる。

 盆踊りといえば、1979年の篠島のプログラムに「(催し物)」と書いてあったが、これは「陣山俊一さん主催の盆踊り大会」の予定だった。当時、拓郎がラジオで告知していた。実現しなかったが、若かった俺は、別にそんなもんいらねぇよと平気だった。すまなかったな陣山さん。

 しかし、ジジイになった今に思うと篠島で2万人で踊る盆踊り、すげえ絵になっただろうし、思い出になったに違いない。拓郎もOK松任谷も瀬尾さんも鈴木茂も島ちゃんもエルトンも青山もみんなで踊る盆踊り。長渕おまえもだ。夢想するだに、いまさらながら残念だ。

 いい歳しながら、失って初めてわかるものの多さよ。

2021. 8. 15

☆☆“祭りのあと”に☆☆
 いろんな意味で、こういう日に外に出たくなかったのだが、京急の弘明寺駅の通過あたりで黙祷させていただく。水害も大変な様子だ。御見舞申し上げます。

 車中で聴いていた中島みゆきの”瞬きもせず”。荒れ果てた土地に取り残された孤児みたいになった”祭りのあと”と重なる。

   君を映す鏡の中 君を誉める歌はなくても
   ぼくは誉める 君の知らぬ君についていくつでも
   あの ささやかな人生を よくは言わぬ人もあるだろう
   あの ささやかな人生を 無駄となじる人もあるだろう
   でも ぼくは誉める 君の知らぬ君についていくつでも

 
  そのうち追補してもっと誉めたる。http://tylife.jp/uramado/matsurinoato.html

2021. 8. 14

☆☆豪雨☆☆

 昨夜のラジオでも緊急告知が入ったが、広島、長崎など豪雨が大変なようで心配だ。どうかお大事になさってください。同じ川沿いに住む身として氾濫しないことを祈っております。


☆オールナイトニッポンゴールド  第17回 2021.8.13

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。毎週週替わり金曜日、今週は吉田拓郎がお送りします。

 日本語をもっとシンプルに統一できないものか。「1775年リスボン大(おお)地震 多くの建物が倒壊し、大(だい)火災で多くの被害が出た」
 大舞台、大事件、大騒ぎ・・・ ややこしいでしょう。大変だ。七面倒くさい。シンプルにしようよ。シンプルに生きることを目指しているのでそう思う。

 ワクチン二回目の接種を夫婦で終えた。副反応というものがあることを知って、佳代さんも前から戦々恐々としていた。一回目の前の晩は寝不足で病院に行った。心配なので、僕が病院に電話して先生に、昨夜佳代が寝れなかった、おかげで朝からご機嫌ナナメで、ワクチンの前反応が出ていると言った。そしたら先生が、拓郎さん素晴らしいですね、さすがですね「前反応」という言葉、使えそうです(笑)。俺は心配しているのに、なんて医者か。
 一回目接種の夕方に「眠くてしかたない、副反応なのかしら」というので、それはあなたが眠たいだけ、いつも眠たいという人だし。読書してても欠伸もよくでていたし。誓っていうけど、副反応じゃないです。ああそう、と納得していた。接種の帰りの車の中で、運転手さんから「家内が副反応で二日起きられない」という話を聞いて、私なんて四歳から朝は起きれなかった…と答えた。接種しなくても朝はヤダヤダという、ウチの佳代はすべてが副反応なのかどうか見分けにくい。そういう人生を送っている。

<草刈りしながらラジオの録音を聴いている、父親の影響で拓郎さんを聴き、東北から岐阜に婿に来たという方の投書>
 のどかだな。リアルタイムで聴く人は少ないのかな。農作業か。情景が浮かぶ。ついにこのラジオは農家の後押しにもなっている。おいしいお米を作ってください。野菜かな。とにかく食べればみんな元気になれる。

■今夜の自由気ままに、全国農業、漁業、林業…どこまで忖度するんじゃ、吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド。

<フォークロックの話は出たがRCサクセションはどうかという投書>
 忌野清志郎、キヨシローはロックンローラーでソウルシンガーだったと思う。RCは初期でもボーカルはロックスピリッツだった。だから吉田拓郎もそうだけど浮いていた。あれはフォークには入らない。キヨシローもオーティスレディングとかが好きだ。当時はアコギで歌っていたから、そうなると「フォーク」ということになっている。エレキは「ロック」という安易なカテゴリー分けがつまんなかった。
 日本にフォークロックはなかったといったけど、思い返すとチューリップはどうか。エレキバンド、ロックバンドになるけど、良く考えるとチューリップは、ロックンロールじゃない。実は彼らこそフォークロックだった気がする。財津和夫の音楽センス、ラビンスやバースのようなハーモニーやアンサンブル、ポップなサウンどでフォーキーな詞。あれこそフォークロックだったのではないか。あっちとこっちとにわけてしまうのはツマンナイね。

<大谷のホームランダービー、日本人の活躍にワクワクするという投書>
 大谷くん、驚きと感嘆。凄いな。大谷マジックにウチの人もダウン。ランキングが上がった。アンダー24で頑張っている田中碧に三苫に迫るランキングだ。
 僕は林大地、突貫小僧で相手を背負ったようなガードがいい。サガン鳥栖応援しようかな。名古屋の相馬くんいいね。ルックスはぽっちゃりしているけど。
 横浜の前田大然、あの風貌と突っ込み。U24 いい選手いるね。奥さんには関係ないが

 どうなのベストスリーは。いきなりベストワンに躍り出たのはスケートボードの堀米優斗。以前から注目していたけども彼女はテレビでやんないと忘れてしまうとこがある。
今はダントツ一位だ。

 堀米、田中碧、三苫、大谷、桃田…残念だけどよくやった、広島の森下…俺はどこにいけばいい。ぜーんぶ若い男子だけ。30歳過ぎた男はいない。

 そしてついに照ノ富士、テルちゃん、横綱になりました。素晴らしいな、凄いな。これだけ素晴らしい若者たちが大活躍なので佳代さんは上機嫌。美味しいごはん作ってくれる。本当は料理嫌い。人のためにご飯作るの大嫌いで、30年間我が家に客を呼んだことがない。自分がおいしいものを食べるために仕方なくキッチンに立つ。

<還暦の夫が終活ギター断捨離したのに、J45を買ってきたという投書>
 僕はコレクションをしない。ものをたくさん持ってて幸せ、とかない。ギター100本持ってる高見澤とかどうすんのとか思う。100本目のギターって触ることあるのか。僕は、たくさん引っ越ししてけど物が減ってゆく。手伝ってくれた人にどんどんあげてしまう。
 最近は佳代と僕は、家にいろんなものがあるのが嫌いで、気が付いたら どんどん処分
している。スッキリしていたい。必要な物以外は家にないな。スッキリしすぎ。特にコロナでことあるごとに処分。前のラジオでも言っていたけど、着る物、バックとか買いたい  僕もそう。いろいろなくて足らないな。現状が打開されたら買い物しようよね
でもまた増えて当分東京は難しいかな。

<ガンの父と娘の時間を拓郎のラジオがつないでくれたツイッターの漫画があったという投書>
 冨山くんから聞いて送ってもらった。思わず涙した。お父さんは旅に出られたけど。さのかさんの旅はまだこれから続いてゆく。さのかさんは健康に気をつけて。お父さんの分も一日、一日明るく生きて行ってください。あなたの人生に拍手。
 この話を聴きながらオリジナルバージョン聴きたくなった「みんな大好き」から。

M-1 全部抱きしめて   吉田拓郎

※西日本も気をつけて・広島警戒レベル・線状降水帯

CM
<映画は字幕版と吹き替えどっち派ですかという投書>
 (ピー)いまエアコンを切った音。最近クドカン作品を字幕で観てみようとやってみた。それまでセリフのテンポが速くてわからないところがあった。もともと東映の忠臣蔵好きだった ファンとしてはついていけない(笑)。これが字幕で観るとわかるんだな。こんなこと言ってたのか脚本家が苦心して作っていたのがわかった。

 先日小津安二郎、世界の小津の映画を字幕で観た。一語一語ていねいにカットで撮ってゆく映画だが、これがまた面白い。杉村春子の演技もいい、すっかり字幕の世界にハマっている。

 このごろ面白い映画がない。古いのをひっぱり出して観ている。

「オトナの喧嘩」
 二組の夫婦が子ども喧嘩からもめる話。アカデミー賞クラスの俳優がこの物語の会話劇が凄い。オトナが和気藹々中でふとしたことから険悪になっていく。
 ジョディ・フォスター、ケイト・ウィンスレット、クリストフ・ヴァルツ、ジョン・C・ライリー。実に面白い。
「オデッセイ」
 マットディモンが、火星で一人生き抜くために奇想天外な方法でサバイバル
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」
 トム・ハンクスとレオナルド・ディカプリオ。デカプリオ演ずる詐欺師を追いかけるトムハンクスの刑事、アメリカ中の女性をだましても捕まらないそんな詐欺師の話術を知りつつ、追いかけるトムハンクス。
「レインディアゲーム」
 ベン・アフレックが主演。監獄の友達がシャーリーズ・セロンと文通をしていた。早く出所したベン・アフレックはその友達に成りすまして、彼女の前に登場し結ばれる。ところがそのお兄さんが現れて予想外の脅迫をされるという話。

(CM)

 今夜はアルバム「176.5」。僕はいずれ音楽はコンピューターの時代になると感じて早くから取り入れていた。当時の多くのフォークやニューミュージックはコンピュータかい?  打ち込みかよ?とか思っていた人は多かった。
 こっちから言わせてもらうと、いつまでギター一本で弾き語りじゃないだろうと思っていた。
 当時は、ピコピコサウンドが多かったので馴染めないのもわかる。YMOについてゆけないのもしょうがない。しかし、サウンド作りとかアレンジのテクニックは学んでみたいと思って僕はYMOのアルバムを聴いていた。
 コンピュータと生音…高橋ユキヒロのドラムとコンピューターとがあわさったのは驚きと感動があった。ポップスというのはこういうふうに進歩しているのかと勉強になった。
 当時PCはNEC PC98とかで「ステップ入力」という日本独特のものがあった。鳥山にステップ入力はもうないのかと尋ねたらソフトはあっても、動かす機会がないでしょうといわれる。今使っているロジックとか面倒くさい、ステップ入力が楽だったと言うと、ああそうですねと言っていた。

 「176.5」は、 カモンミュージックのソフトで作っている。碑文谷の地下に防音のスタジオがあって作っていた。そこに機材、音源があって、それらをサンプリングしていたものがなかった。ヤマハDXセブンが主流。今の音は生と変わらない。当時は、なかなか音源がなかった。サンプラーを買ってきて、自分の実音を使ってレコーディングしていた。その後、逗子に引っ越すがスタジオは作らなかった。勉強部屋で特に防音はしなかったため、逆に臨場感がたっぷりとあった。
 FromTは 逗子で作ったサウンド。これが耳元で歌っているリアルな感じ。スタジオでは作れない音だ。176.5は殆ど目黒で作った。
 いずれ僕らのミュージックはバンドから変化していってコンピューターの打ち込みサウンドになると確信していたことは間違っていなかった。今や99%は打ち込みの時代になった。バンドをスタジオにいれての録音は少ない。そういう音を知らずに受け入れている。
バンドと変わらない音ができるようになったのは進化だ。
 ステップ入力は細かいことはできないけどよかった。僕の身長は、177センチメートルあるけど。スタジオで身長図ってくれと言う
 歳とって身長が伸びるわけないが、ディレクターのスタジオで図り間違い。等身大ということで、本当は177センチなんだ。
 東京へ出てきた僕がだんだん都会に侵されていくことを描いた。新幹線や飛行機ではなく、後輩の車で26時間くらいかけて、コンテッサという高級な車で六本木に着いた。後部座席に女の子から借りていたギター、ヤマハのFGと毛布とボブ・ディランのアルバム数枚
とコンポを積んで六本木の交差点に来た時、やったね着いたたねと後輩と抱き合った。
 その車から降りた、そこから東京でのいろんなことがあった。東京での大冒険が始まる

M-2  車を降りた瞬間から   吉田拓郎

■11時

 佳代さん)みなさん11時です。夜も更けてきました。私はお風呂入って上がったら髪の毛乾かしてバッタんと寝ますね。おやすみなさーい。

 コンピューターを使って打ち込みというのは、音楽的なセンス…アレンジ能力とかアンサンブル編曲能力が求められる。技術に熟練すると同時にどうやってデータに人間が実際に演奏する楽器をイメージしてミックスするか。コンピュータの打ち込みサウンドとヒューマンサウンドとどうミックスさせるかが問われる。このアルバムでは親しくしていた、フィリピンのサックス奏者ジェイク・コンセプシオンと付き合っていた。ジェイクにこの打ち込みに色付けてほしいと頼んだ。イントロ、間奏、素晴らしいサックス奏者だ。素敵な曲に仕上がった。

M-3 星の鈴

CM

 正解者84人。僕がたくさんステージで歌ってきたけど今は歌いたくない、嫌いという唄。最終5000通、84人の形が正解。ニッポン放送に抽選をお願いする。

 当選二児の母で介護の仕事をされている富山市のUFOさん。良かったですね。キンキと番組でハワイに行ったとき立ち寄って、ひとめぼれした六弦ウクレレ。飾ってもいいですよ。おめでとうございます。

 今夜は「祭りのあと」この曲はお別れです。この歌詞は70年代の感情を抱いている心情
。これが徐々に僕も気持ちが入らなくなる。乗れないなこの言葉と思う。この曲はあの時代70年代初期のもの。松本隆の「白夜」という唄がある。実はあの時代を歌っているのだが、なぜか何回歌える。ファッションの気分で歌える。でもこの詞には情念が潜んでいる  もう歌えないな。それはもう卒業いいよね。もう戻るまいと思う。「祭りのあと」いろんなテイクを演奏したが、なかなか気に入ったものがない。
 エレックの「ゆうべの夢」というのがある。これが原曲。軽いポップな元詩だ。「元気です」では石川鷹彦と二人きりで作った。当時の時代背景、かなり重苦しい。暗い感じがしている。しかも当時の弾き語りで切々と歌っている、おまけにハーモニカをいれているのでどんどん暗くなる。生きざまっぽい。完成度が高くなったが、今の時代にはないじゃない。今は鷹彦もやばかったなと思っているかもしれない。
 鳥山雄司と二人でこの曲をカバーしたとき、鳥山、これが最後たへと思うから、あいつのスチールギターをダビングしてほしいなと頼んだ。70年代の素晴らしい名手、駒沢裕城…僕らは「こまこ」と呼んでいる。昔とかわらないヌーボーとしてスタジオにやってきて期待を上回る演奏で泣いた。
 この曲は柔らかく優しくしてくれ。どんよりしたものを優しく心の奥に仕舞いこみたかった。この曲は、やっと平穏な長い眠りにつける演奏。このペダルスチールは最高傑作。最高の「祭りのあと」。もう演奏しない。

 M-4  祭りのあと (oldies)   吉田拓郎

 (CM)

 僕は全国を旅してきた。それぞれの町に愛おしい、切ない思いがある。コンサートツアーというものを企画する前は日本の音楽界は未熟だった。歌謡曲は、地方で歌うよりテレビで顔を売るのが大切だった。それで地方には、有力者、鑑賞団体の招待で歌って、そこだけで帰るというのが普通だった。今のような全国ツアーなんてものはなかった。だから地方に行って初めて、え、あなたが主催者と知る。こんなおっさんが主催なのかと現地でわかった。そのころ、アメリカの全国ツアーの仕組みを知り強く感動してこれだと思った。日本でも僕たち用の主催団体が必要だということで、日本全国の若者に呼びかけた。これによってイベンターというものが全国に生まれることになった。
 全国各地のイベンターと酒を飲んで話してきた。こうしてコンサートツアーが出来上がった。最初はいろいろ大変だった。もともと旅嫌いで家にいたい男が、結果的には全国を旅して素晴らしい思い出としては残った。今は観られない風景もある。

 青函連絡船。これに何度か乗った。青森函館間、これはなかなか乗らない。とても不思議な雰囲気がある。石川さゆりの津軽海峡冬景色という唄のとおり、青森駅のホームに降りたら寒かった。歌のとおりだった。青森駅で降りて連絡船の乗り場まで歩いて行ける。バンドのみんなで列車のホームから乗り場までつながっていると感動した。函館は夜景がすごい。「夜景がやけにキレイ」(笑)
 函館の夜景、撮影みたいな雰囲気。その場にいる女性とキスしたくなるような、函館山  にいると映画の主人公になったような気持ちだ。北島三郎のはるばる来たぜ函館という気分。
 ああ、GLAYは 函館出身だったね。TAKUROくんと飲んだことがあった。LOVELOVEテレビのの収録の時、週二回はホテルに泊まっていた。地下のバーで飲んでいたら、ムッシュから電話でGLAYのTAKUROと飲んでるから一緒に飲まないかといわけて拓郎とTAKUROが一緒に酒飲んだ。函館出身の彼にはそういう思い出がある。

(CM)

 四国のイベンターでデュークというのがあって、そこに宮崎君という人がいた。「元気です」が凄い売れていた頃、一緒に飲んでいたら、お店の女の人が、今はよしだたくろうが東京でも凄い人気、アタシは詳しいんですよと言い始めた。吉田拓郎だと気づいていない。二人は暗黙の了解。
 目の前にLPを持ってくる。どこまでしらばっくれていられるか。「元気です」のジャケット持ってきたこれが流行していると説明してくれるが、あら似ているよね、あららら 似てない?と言い始めて「俺結構似ていると言われているんだよ」とあんた、そんな馬鹿な
よしだたくろうじゃないよね…一時間くらいわからなかった。
 吉田拓郎の話をこんなに詳しく離されたのも初めてで、知らないこともあった(笑)。
その人が跳ねる感じで店内を動くので「ウサギと呼ぼう」と宮崎君と決めた。そのあと3年くらい行ったけど、そのあとなくなっちゃいましたと宮崎君から連絡が来た。
 のんべだったからな。名古屋は篠島もあったし、2019年のラストライブもあそこだったから、名古屋とは深い友情を感じる。今でもラストライブを観るけど好きだな。理想のサウンドがそこにある。あれが作りたくて50年やってきた。公開レコーディングでも目に焼き付つけてほしい。
 ここで全国のイベンターに御礼を言いたい。楽しく語り合った青春が素晴らしかった
。みなさんが支えてくれたからこそ歌ってこれた。今はコロナということで自由にならないけど、必ず再び立ち上がってスタートが切れますように、陰ながら応援します。みなさんとご家族が末永く健康と幸せでいられますよう東京の港区の片隅から祈っています。心からありがとうを言いたいと思います。

M-5 ありがとう 吉田拓郎

 小児喘息で登校日数が一年間の半分だった。だからクラスメイトができなかった。みんなと同じことがやれない、できない。ひねくれた小僧になっていつた。人と同じことをするのが苦手嫌で、それはずっと変わらなかった。あの人がこうやっているからというのは無理。そういう言い分を聴く気がしない
 あの人は・・・まだツアーやってますよとかメールが来ているが、そういう理由で僕は
動かない。自分らしいく生きたい。人と同じ…ごめんです。
 自分のエンディングを十二分にやって、もういいんですというのが本音。僕だけでいい
最後に音楽の友人とアルバムを作りたい。先日言ったように残された時間無限にあるわけではない。始まれば終わる。終わりを暗い負のイメージでとらえてはいけない。終わりが大事。音楽もイントロ、間トロ、アウトロとあってエンディングこそが大事である。僕はとても大事なところに立っている。いまが一番最高に大事な真剣勝負。毎日そこを目指して明るい笑顔でできるように曲づくりに励んでいる

M-6 アンチェインド・メロディ  ライチャス・ブラザース


次回は9月10日。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆「大いなる」「大きな夜」「大晦日」…おお、さすがシンプルに一貫されている。

☆寝不足の妻を心配して病院に電話する。どんだけ優しいんだ。

☆「176.5」は計測ミスとな。177…だと野口五郎の歌かなんかになっちゃうもんね。

☆コンピュータサウンドは機械任せではなく、ヒューマンサウンドとの調和、アンサンブル、構成力が必要だ…いい話だ。俺はYMOについては…いろいろムカついたことがあって拓敵と思っていたが、拓郎はそこから真摯に学んでいたのだな。ああ、本当に音楽を愛する音楽家なのだなとしみじみと思った。しょーもない俺は曲によっては確かにピコピコサウンドと文句もいったが(例「いくつもの夜が」)、拓郎の先見とセンスは誇らしく思う。

☆「車を降りた瞬間から」のたゆまなく流れてゆく感じ。この心地よい流れはコンピューターだからこそ出せた感触なのかなと思う。もし生音だととかえってゴツゴツしてしまう気がする。

☆久々の「星の鈴」泣ける。ええな。しかし、ジェイクだったら「しのび逢い」こそ独壇場で、大好きだ。

☆その曲が「祭りのあと」…考えもしなかった。正解者84人とは心の底から恐れ入った。
当選者の方おめでとうございます。ハラショ。

☆とはいえ私にとっても、共に青春を生きた魂の名曲であるだけに、この曲がそうだったとはショックである。その曲に「嫌い」とまで言う必要があるのか。みんなあなたの子どもたちではないか。しかし、拓郎が心をこめてこの曲とお別れようとしているのもわかった。「どんよりしたものを優しく心の奥に仕舞いこみたかった。この曲は、やっと平穏な長い眠りにつける」。だから、私がとやかくいうことではあるまい。

☆この曲を永遠のものにするのは、ステージを去る拓郎ではなく、この曲に魂を動かされたものたちの仕事だ。例えば、古代エジプトのクフ王が、「当時の気分で作っちゃったけど今思うとこの墓デカすぎね?ダサくね?」と言おうが、ピラミッドは人類の永遠の財産として後世の者たちによって継がれてゆく。それと同じだ。>よくわかんねぇよ

☆俺個人は「祭りのあと」は"王様達のハイキング"のアウトロの青山のギターが一番泣ける。

☆「白夜」だと何回でも歌える。そこが松本隆の良く言えば才能、悪く言うとあざとさだ。

☆いつも思うがコンサートツアーの始祖へのレスペクトが足りない日本の音楽界。たぶん今さら自分たちになんのメリットもないからだ。それにひきかえ、拓郎のイベンターへの心のこもった感謝は胸にしみる。こういうところ、すげーいい人だなと感じ入る。

☆「エンディングこそが大事である。僕はとても大事なところに立っている。」…歌手本人が大事なところに立っているのだ。いわんやファンをや。私たちも必然的に大事な場所に立っている。このラジオはそのレッスンなのではないか。

☆碑文谷の地下にスタジオがあったのか。たまプラザじゃなくてか。

☆☆☆今日の学び☆☆☆
  あの駒沢さんのペダルスチールは、"祭りのあと"の鎮魂だったのか。

2021. 8. 12

☆☆ライク・ア・マイルストーン☆☆
 明日はラジオだ。なんかこの一か月は非常に長かったな。まさしく皇帝のいない八月だ。いろいろな世界的事象があったあげく東京はもう制御不能らしい。私にどうしろというのでしょうか。私個人にもさんざんなことばかり起こった。おまけに副反応で身体もヘタってるし。昔の俺は健康でしたねと寂しそうな顔して。…そうだ明日、知り合いのねーさんが正解し&ウクレレに当たると良いな。
 とにかくこのカオスの世の中でラジオだけが約束を守る。こんな世の中と自分を捨ててみても、そうまだラジオがある。せめてもの拓郎のラジオを抱きしめよう。

2021. 8. 10

☆☆ああ青春は☆☆
 炎天の夏はやっぱり「ああ青春」だ。今日は篠島バージョン。この張り詰めた空気がいい。最後に島村英二のドゥルルルルルルルというドラムロールのあとで、♪ああ青春は〜とアカペラで歌われるところ。聴いてて思わず背筋が伸びる。背筋正して生きてゆけよと惑う心に鉄の拳を・・・って、くそー松本隆のなすがままだ。

2021. 8. 9

☆☆soraよ☆☆
 あの日の長崎を経験した自分の親戚たちも殆どいなくなってしまった。長生きしてほしいが、今のうちにしっかり話を聞かせてもらおうと思っている。
 このサイトを支えてもらっているスタッフの一部では、さだまさしが毎年長崎の稲佐山でおこなっていた「夏 長崎から」のライブが静かなブームである。
 さだまさしは毎年8月6日に長崎の地から、広島の空を望み歌い続けていた。無理な夢ではあるが、8月9日に広島の地から、長崎の空を望み吉田拓郎が歌い返してくれたらどんなに素敵だろうと詮無いことを思う。あの町が燃え尽きたその日…と歌う彼に、焼け尽きた都市から確かな愛が聞こえる…と歌い返してくれまいか。どちらもドラムスは島村英二でこれも譲れない。
 そういう妄想をしながら、有縁無縁すべての方々のご冥福を心からお祈りします。
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2021. 8. 8

☆☆午前の天気、午後の紅茶☆☆
 NHKの朝ドラの「おかえりモネ」を観ている。名作ドラマ「透明なゆりかご」の青田アオイで涙落ちして以来、大ファンの清原果耶。彼女が依然としていい。朝ドラヒロインにしては暗い、地味という意見もあるようだが、この内向的、内省的な演技こそがいいんじゃないか。しかも妹役は、これまた私にとっての神ドラマの是枝裕和監督の「ゴーイングマイホーム」でクーナを信じる少女の蒔田彩珠。少しオトナになっているが、心のうちの陰影をうかがわせる演技が相変わらずうまい。この物静かな姉妹の組み合わせがたまらない。もう令和の五月みどり・小松みどり姉妹と言って良い。>良くねぇよ、全然路線が違うだろ。とにかく二人ともがんばれ。おじさんが応援しているぞ。
 今週のタイトルが「風を切って進め」。思わず目の前のコップの水が飲みたくなるタイトルだ。あの歌とは関係ないかもしれないけれど、いいのだ、関係なくても、関係づけて生きるのみ。

2021. 8. 7

☆☆その痛みをいずこに向けるだろう☆☆
 最近の世の中は、怖ろしいことや不安なことや怒れることがこれでもかと波状攻撃のように襲ってくる。そのうえにワクチンの副反応が出た。俺は絶対に平気だという根拠のない自信から、仕事をしっかり入れてしまったので、高熱と痛みでフラフラしながら東京の町を歩かねばならなかった。ああ、東京の長く暑い夜は私に消えちまえというのでしょうか。コロナに罹患したり他の病気に苦しんだりしているたくさんの方々に比べれば生理現象みたいなものだが、ヘタレの俺は「脈拍350、心拍数400、熱が90度近くもある」みたいな情けない気分になった。

 家に帰って朦朧としながらテレビを観ていた。オリンピックで空手の「形」を観ていて、なんとなく篠島の「人間なんて」の最初に拓郎もこんなポーズしてたよなと思った。違うか。
 そういえばバドミントンの桃田くん悔しかろう。いや痛恨とかそういうレベルではないかもしれないと俺ごときでも思う。あの時は、かなりの体調不良だったんではないかと下種勘している。
 そして私とて噴飯物と思ったソーリの平和祈念式典のすっ飛ばし演説だったが、後でページが糊でくっついてたためという釈明を聴いて、ステージで楽譜を2枚一緒に捨ててしまった拓郎のことを思い出した。それとこれを比べるなと拓郎ファンの方には怒られるだろう。そのとおりだ。すまん。しかし、あんときは拓郎もすぐに自分で「あっ」と気づいたし、横の青山徹も気づいて一緒に楽譜を探して拾ってくれていた。そこに魂があれば人生とはそういうものだ。ってどういうものなんだよ。

 …どうやら副反応も抜けた。これから接種の皆さんどうかくれぐれもご注意ください。もちろんワクチンだけでなく、この有象無象の町の中、灯りともすように、お互い様ご自愛してまいりましょう。

2021. 8. 6


☆☆8月6日☆☆
 阪東妻三郎が車夫の松五郎を演ずる「無法松の一生」。彼が思慕する未亡人を演じた園井恵子の伝記を読んでいる。宝塚女優でありながらスター街道に乗れずに苦労した彼女がようやくこの「無法松」で評価を得る。そこまでの苦闘を読むうちに、すっかり彼女の身内みたいな気分になってしまっている。だから戦火の中、あえて桜隊という慰問巡業劇団に入り、昭和20年の7月に広島に向かうところは読んでいて、いてもたってもいられずに辛い。
 8月6日、瓦礫の下敷きになっても無傷だった彼女は、劇団員の仲間を探して焼け出された人々の避難場所の比治山に向かう。比治山…丘をのぼって下界をみるとの丘…違うんだっけか。地獄のような状態から這う這うの体で、神戸の家に帰った彼女は、奇跡的に助かったのだと安堵し崩れ落ちるが、そのまま起き上がれなくなり21日に行方不明の劇団員を心配しながら原爆症で命を落とす。深い祈りと深い悲しみ。
 すべての方々にご冥福をお祈りします。
 唯一今に残された映画は「無法松」だけ。生前彼女が「これじゃ松五郎さんが可哀そう」と怒ったという検閲カットされたフィルムが見つからないかなと詮無く思う。

2021. 8. 4

☆☆ただの曲目じゃねぇか、こんなもんD☆☆
 ということで、いつもながら誰にも相手にされぬ独りよがり連載の最終回。今日は観ていないコンサートをセットリストで味わう編である。1990年の男達の詩ツアーは事情があって参加できず、ひたすら残念だ。ということで観てないコンサートをセットリストを眺めまわすことによって妄想し胸を焦がすしかない。
 男達の詩ツアーは、通称「短髪お披露目&なんか衣装が恥ずかしくねぇかツアー」と言われている>誰も言ってねぇよ。写真・映像で見ただけだが、なんか大阪の食いだおれ人形を思い出す衣装だ。すまん。

■1990年男達の詩ツアー

  抱きたい
  爪
  されど私の人生
  もうすぐ帰るよ
  Life
  大阪行きは何番ホーム
  ひらひら
  旅立てジャック
  神田川
  中の上
  東京の長く暑い夜は
  ロンリー・ストリート・キャフェ
  春だったね
  ああグッと
  ペニーレインでバーボン
  君去りし後
  男達の詩
  encore
  ハートブレイクマンション
  男達の詩

攻め度 ☆☆☆☆
充実度 判定不能
寸評>
 
 当時のファンクラブの会報によれば、吉田拓郎本人が語ったこのコンサートのテーマは「自分の居場所」であった。特定のテーマのもとにライブの選曲をするのは拓郎には珍しい。セットリスト全体がひとつのメッセージになっているし、個々の曲も通底する何かを背負っていることになる。こうなるとセットリストはメニューであるとともに、大切なレシピでもあるのだ。>意味わかんねぇよ。わかんねぇけど、なかなか攻めているのではないか。
 物理的、地理的な場所が居場所であることはもちろん、心魂の置き所という意味の居場所に、時空を超えた思い出という居場所。それに男女という性別もひとつのかりそめの居場所かもしれない。そして居場所を求めてさまようのもまたひとつの居場所だ。このリストは、なかなか行間が豊かだ。あなたはどんなふうに読み込むでしょうか。いろいろ曲の様相を思い浮かべながらセットリストの妄想の旅を続けるのが楽しい。そのうちセットリスト品評会か感想戦でもやりましょう。

  さて2009年ツアーパンフの拓郎インタビューは最後こんな風に結んである。

 「…なんだったら今回ツアー出なくてもいい(略)みんな客席に勝手に歌ったらってどう。曲順教えるからさ(笑)こうやって書きだしてみんな歌っといておくれよ、それでもいいなら僕は全然いいよ。」

 歌うの面倒だからセットリスト見て勝手に歌っとけよ…とんでもねぇヤツだと思いつつ、セットリストの持つ意味というものをあらためて見つめ直すいい機会だとも思う。時に攻め、時に語りかけてくる…やっぱりセットリストはそれ自体ひとつの作品なのだ。

2021. 8. 3

☆☆☆セットリストは愛のメニューC☆☆
 タイトル変えた、なんかキモイか。
5 ■ 1981年通称体育館ツアー・武道館

 夏休み(アカペラbyジェイダ)
 この指とまれ
 虹の魚
 いつか夜の雨が
 春を呼べU
 言葉
 風のシーズン
 二十才のワルツ
 恋の歌  
 Y
 悲しいのは
 パーフェクトブルー
 愛の絆を
 外は白い雪の夜
 サマータイムブルースが聴こえる
 愛してるよ
 たえこ MY LOVE
 アジアの片隅で
 encore
 サマーピープル
 ファミリー
 encore
 イメージの詩


 攻め度 ☆☆☆☆☆
 充実度 ☆☆☆☆☆+
 寸評)
 2021年の今から眺めるといかにも80年代という典型的なセットリストに見える。なぜこのセットリストにかくも心を惹かれるのか。なぜこれが攻めてるリストだといえるというのか。説明しよう(爆)。
 
 青色の7曲が当時の新曲(1981年)である。新曲といってもレコーディングもされていないガチの新曲たちであり(サマピだけはシングルになっていたな)、まさに"ライブ73状態"であり、攻めているぜ、ウォウウォオオ。しかもその曲たちのクオリティが高くすんばらしかった。
 オープニングは見知らぬ曲ながらノリノリで総立ちになり、"出まかせ言うな、愛など語るな、オイラとにかく大嫌いだね"という煽情的なシャウトに打ちのめされた。"春を呼べ"のウキウキする爽やかな高揚感、心にしみいるダイエーの歌=Y、映画を観ているようなドラマティックな"サマータイムブルース"と初めての曲たちのすべてが心の中にズシズシと入ってきた。"パーフェクトブルー"や"愛してるよ"とかあとでレコードになって聴くとどうかと思う曲も臨場感があり心に響いた。"風のシーズン"なんかはライブの方がアレンジも良かったな。しかも松任谷正隆、鈴木茂らの今となっては最後の大仕事でもある。新しい音楽を初めて聴くことの至福が武道館の中にあふれかえっていたのだ。
 新曲以外も昔の歌は、"恋の歌"と"イメージの詩"くらいである。あとは78年あたりから80年の若い曲たちがカタチづくるセットリスト。これがいい。バンドサウンドの二十歳のワルツ。たまらん。やっぱり"言葉"は弾き語り(80年武道館)よりピアノだよな。鈴木茂の"虹の魚"、"たえこMY LOVE"で踊る。そして"サマーピープル"までが清々しい。"落陽"がなくとも"アジアの片隅で"と"ファミリー"の怒涛のなだれ込で十分にライブは燃え立つのだ。
 そうそう冒頭の"夏休み"のアカペラで包み込まれるところもOK松任谷。もうラッピングからしておしゃれで素晴らしか。

 ともかく新しい曲、若い曲の祭典という鮮度の良いセットリストがすぱらしい。真夏だったけれど、春の青い嵐が武道館に吹いていた気がする。ああ、もう一度観てぇよ。

2021. 8. 2

☆☆8月2日の太陽は☆☆
 つま恋記念日だ。俺ももちろん、みんなジジババになってゆく昨今。映像、音源、できるだけたくさんのスタッフ、ファンの経験者の方々のお話を集めておいて欲しいね。もう「映像の20世紀」くらいの対応でお願いしたいです。

☆☆お前人生を攻めてるかB☆☆
1989年 東京ドーム公演

 チェックインブルース
 パラレル
 楽園
 夕陽は逃げ足が速いんだ
 遠い夜
 冬の雨
 Woo Baby
 ひまわり
 恋唄
 約束〜永遠の地にて〜(結婚しようよインスト)
 あぁ、グッと
 シンシア
 その人は坂を降りて
 望みを捨てろ
 春だったね
 抱きたい
 帰路
 encore1
 六月の雨の中で
 七つの夜と七つの酒
 encore2
 ロンリー・ストリート・キャフェ
 encore3
 この指とまれ
 英雄


攻め度  ☆☆☆☆☆
充実度 ☆☆☆
寸評)
 新作アルバム全曲をステージで演奏する。これはありそうで実はなかったことだ。しかもドームという大舞台で観客は明らかにスタンダード曲を求めているのに、”落陽”すら歌わない…うーん攻めてるぜ。
 新作以外でも随所に光る攻めの選曲。特にオープニングは”チェック・イン・ブルース”。すげえチャレンジ。この当時でも既に忘れられていた一曲で、カッコイイオープニングを実現してみせた。通底する”Woo Baby”まで歌ってしまう。
 その反面でしみじみと聴かせる”恋唄”。たぶん初演だ。10年目に初演とはこれもチャレンジだ。
 そして”望みを捨てろ”。なんで今ここで。びっくらこいた。で、あんまり出来が良くなくてまたびっくりした(※個人の感想です)。
 新曲続きで重くなった流れに喝を入れるような「あぁグッと」も秀逸だった。幻の新曲ながら大作の存在感十分の”夕陽は逃げ足が速いんだ”。 いいセットリストだ。
 アンコールでの弾き語り一本勝負。この日の伝説となった”ロンリーストリートキャフェ”はドームの万単位の客席を制圧した。映画「シン・ゴジラ」で、たぶん新橋付近でゴジラが突然口から火炎を吐き出して、オペラ曲をバックに周囲一面が燃え上がるシーン。あれを思い出させる。※これも個人の感想です。

 ドームと客の期待という大きなうねりに呑み込まれなかった点で攻め度は高い。但し、アルバム全曲歌唱も、これが例えば”今はまだ人生を語らず”だったら凄いが、”ひまわり”だったことがなんというか。好きなアルバムだがライブで燃え立つものがない。

 さてここまで仕組んだわけではないが、偶然にも2019、2009、1999、そして1989年と10年刻みになっている。いいセットリストは10年に一度しか出ないということ(爆)…ではない。断じてないのでつづく。

2021. 8. 1

☆☆おまえ人生を攻めてるかA☆☆

3 ■1999年 20世紀打ち上げパーティー


 01.イメージの詩〜親切(メドレー)
 02.マークU〜こうき心〜落陽(メドレー)
 03.今度はいったい何回目の引越しになるんだろう
 04.襟裳岬
 05.大阪行きは何番ホーム
 06.いつか夜の雨が
 07.フラワー
 08.外は白い雪の夜
 09.マラソン
 10.流星
 11.メドレー
(たえこMYLOVE〜恋の歌〜明日に向って走れ〜カップスターのテーマ〜元気です〜君去りし後〜あいつの部屋には男がいる〜ペニーレインでバーボン〜たどり着いたらいつも雨降り〜もうすぐ帰るよ〜人生を語らず)
 12.我が良き友よ
 13.AKIRA
(encore)
 14.気持ちだよ
 15.全部だきしめて


 攻め度  ☆☆☆☆☆
 充実度  ☆☆☆

寸評)
 前年たる1998年の通称「全部だきしめてツアー」は、拓郎が椅子から立ちあがって歌う全国ツアーを再開した感激が大きくて目ただなかったが、セットリスト自体はベストアルバム的な凡庸さでつまらなかった。
 しかし今回は、まずメドレーを多用しているところに斬新さがある。が、賛否は別れる。俺は曲をブツ切りにしてまとめるのはとても抵抗がある。一曲でいろいろ味わえていいでしょうと拓郎は言っていたが、そんなのは三品食堂でしか許されない。どこだよ。
 但しそれ以外でも攻めのポイントは多い。今や定番だが、この時は実に10年ぶりにステージで歌われた“流星”。もう捨て曲かと思っていたよ。そしてLOVE2の貴重な成果物といってよい秀逸なカバー”フラワー”。これに代表される陽気なステージの反面で、”マラソン”をしみじみと聴かせる妙味も忘れない。特に先の”流星”と”マラソン”では、サングラスを外して歌うところにも痺れた。これまた久々の"襟裳岬"と"大阪行きは何番ホーム"の二曲のさすらい感がいい。またフォーライフに別れを捧げる”いつか夜の雨が”、そしてラストに”AKIRA”の選曲も驚いた。”気持ちだよ”の新曲アップも良かった。

 それでメドレー嫌いと矛盾するようだが、11.のメドレーの中の選曲が実にいいのだ。ぶつ切りでなく全長版で歌ってくれたら涙チョチョ切れなリストなんである。

 ということで、メドレーであることを捨象してセットリストを眺めていると実に味わい深いぞ。眺めているだけでとえらく幸せな気分になってくる。メニューに目を奪われる井之頭五郎の気分で「ああ、今オレは吉田拓郎の海の真っただ中にいるマンボウだ」とつぶやきたくなるのである。セットリストもそれ自体でひとつの作品なのだと教えてくれる。

△セットリストはTAKURO MANIAさんのものを参照いたしました。ありがとうございます。

2021. 7. 31

☆☆おまえ人生を攻めてるか@☆☆
 一昨日の日記に書いたように85年のつま恋の時に”春を待つ手紙”が候補曲に入っていたんだな。最近のラジオでもライブのたびに多様な候補曲をかなりの数にわたって検討したりしていることがわかった。わかったけれど、それにしちゃ、毎回似たような、またこれかよ的なセットリストが多くなかっただろうか。※あくまで個人の感想です。たぶんお中元お歳暮に何を贈るかあれやこれや必死で考えたけど、考えすぎて結局サラダ油の詰め合わせを送ってしまうのと同じではないか。違うか。すまん。

 そうはいっても、油断していると、おおそう来たか、こりゃなんか攻めてるなぁ、と胸にしみるセットリストも確かにあった。セットリストだけでライブの良し悪しをはかれるものではないことはもちろんだ。ただ果敢に攻めてるな系のセットリストは、それはそれで意外性も含めて素晴らしいものだ。残念ながらもうライブはないんだし、つらつら振り返ってみるのもいいさ。攻めてると思うセットリスト5題。あくまでも俺の超偏見だから違うとか言われても知らないよ。

■最初に別格
 まず古い曲を捨てて全曲を新曲で通した1980年の春ツアー。こりゃある意味、究極に攻めてるね。大学受験でチケット買いそびれたので悲しいことだが観ていないが。
 同じように新曲が中心に据えられたセトリということでは、もはや伝説のライブであり、神盤というべきアルバムでもあるライブ73、このあたりは別格ということで。あと20曲の絞り込みの勝負なので、5〜60曲を歌う各種イベントも除外。

1 ■ 2019年Live73yearsツアー

pre今日までそして明日から
   or大いなる〜今日までそして明日から

  わたしの足音
  人間の「い」
  早送りのビデオ
  やせっぽちのブルース
  ともだち
  あなたを送る日
  I'm In Love
  流星
  そうしなさい
  恋の歌
  アゲイン
  ※慕情
  運命のツイスト
  純〜王様達のハイキング(メンバー紹介)
  ガンバラナイけどいいでしょう
  この指とまれ
  俺を許してくれ
encore
  人生を語らず
  ※ありがとう
  今夜も君をこの胸に


攻め評価 ☆☆☆☆☆+
充実度  ☆☆☆☆☆
寸評) 
 このセットリストは驚いたね。まず一曲目”私の足音”で見事に一本! ”落陽”も”春だったね”も”外は白い雪の夜”もエントリーさせない。作詞・作曲吉田拓郎に限ったところにも果敢な姿勢が光る。補充詞つきの”あなたを送る日”、弾き語りではなくバンドサウンドで聴かせた”そうしなさい”、長年のチャレンジのすえに演奏された”純”、寸止めの禁断曲”王様達のハイキング”、そしてオーラスの”今夜も君をこの胸に”の見事な蘇生。いいねぇ、挑んでくるセットリストだね。また”運命のツイスト”という新曲を配しているところにも攻め度ポイントが高い。


2 ■ 2009年Have a Nicedayツアー

無題

 加川良の手紙
 風の街 (メンバー紹介)
 ウィンブルドンの夢
 白夜
 明日の前に
 いつもチンチンに冷えたコーラがそこにあった
 マスターの独り言
 歩こうね
 吉田町の唄
 伽草子
 俺を許してくれ
 流星
 マークII
 ひらひら
 真夜中のタクシー
 フキの唄
 春だったね
 いつか夜の雨が
 ガンバラナイけどいいでしょう
encore
 早送りのビデオ
 とんとご無沙汰
 ガンバラナイけどいいでしょう
  〜今日までそして明日から


攻め評価   ☆☆☆☆
充実度  ☆☆☆☆
寸評)
  最後の全国ツアー。開演前歌唱という前代未聞の禁じ手。ムカつくが攻めてるといえば攻めているな。しかもここで誰もが予想しなかっただろう”無題"をかまして驚かせた。そう来たか、まいりました。”加川良の手紙”のオープニング、”風の街”とシンクロするメンバー紹介、松本隆が行けばよかったと悶絶したという荘厳な”白夜”は絶品。”明日の前に”と”吉田町の唄”という強力な三拍子の双璧。前半のセットリストの攻めっぷりは見事だ。後半はスタンダードっぽくなるが、”ガンバラナイけどいいでしょう”で観客をひき込みながらの大団円も凄かった。もし広島で”いつも見ていたヒロシマ”が演奏されたら嬉しかったのに。ライブの充実度は極めて高かったが、”無題”と”たえなる時に”という超名曲をシークレットにした罪は重い(爆)ので☆を減じた。


                                   明日につづく
△セットリストはVientoさんの「明日に向って走れ」を参照させていただきました。ありがとうございます。

2021. 7. 30

☆☆我が心のストレート・ボール☆☆
 昨年、吉田拓郎がライブからの撤退を決めた時のスタッフに充てた手紙を読み返してみた(オールナイトニッポンゴールド2020年10月号)。

 吉田拓郎です。諸事情をふまえて苦慮の結果、残念ではありますが、僕の来年初夏に予定のラストツアーは中止を決断しました。僕の心情をお話しておきます。
 東京での集中的なリハーサル、地方への多人数での移動、コンサート終了後の食事、楽屋でのありかたなどすべてが危険と隣り合わせだという判断に至りました。
 同時に僕個人のステージへのこだわり。それは吉田拓郎のライブは客席と一体化してこそ完成されるというルーツであったものがこの環境下では望めないという現実、それらをすべてを考慮した結果このツアーは中止せざるをえないと決断しました。
 大変申し訳ない気持ちでいっぱいですが、拓郎の心中お察しくださいますよう、このような形でありますがお願いいたします。
 どうぞ、みなさんの、そしてご家族の健康にご留意されてこの苦難の時を乗り越えていただきたい心から願うものであります
                           2020年9月 吉田拓郎

 拓郎が今の状況をどう思っているか邪推したり、拓郎がこういうこと言っているからどうすべきたとか利用したり牽強付会するつもりは断じてない。吉田拓郎は、いつだって絶対不可侵の自由人なのだ。
 それでもこの文章を読むと心の奥底に「これ!」と直覚でズシンと入ってくるものがある。不可知なものだし受け取る人それぞれに違うかもしれない。でも誇らしくてチカラ強い何かだ。言えない何かだ。カオスな世の中だが、我はゆく心の命ずるままに…その歌じゃねぇよ。拓郎のこの言葉を"よすが"に。とにかくみなさんご無事で。

2021. 7. 29

☆☆in1985☆☆
 オープニング(STAGE-A)が"悲しいのは"。2曲目が"SCANDAL"。「レコードではおとなしかった」と拓郎も2020年の拓つぶで述懐しているが、この曲はワイルドさにこそ真骨頂があったという意味だろう。オープニングの高揚感をそのままグイグイとこの曲で引っ張っていったのを思い出す。そしてファンキーなアレンジで驚かされた3曲目"暑中見舞"。…よくできた曲順だとあらためて思う。それはそれ。
 でさ、2010年のTAKURONICLE展で、拓郎手書の85年つま恋セットリスト案が展示されていてさ、撮影禁止なので慌ててメモしました。間違ってたらごめんな。STAGE-Aのオープニングの最初の3曲が、

  1. 悲しいのは
  2. 親切
  3. 春を待つ手紙

というこりゃまた悶絶なセットリストだったわけです。もしこのとおりのSTAGE-Aだったら、どんな感じだったのだろうか。想像がつかない。このカオスの世の中、妄想たくましくして過ごす一日。


 

2021. 7. 28

☆☆太陽のせい☆☆
 思う間もなく今日はつま恋85の記念日。
 あの日も実に暑かったよな。篠島もつま恋もイベントの試練は夜中起きていることではなく、早朝の開場から夜の開演までの炎天の待ち時間にある。後ろの席の見知らぬねーちゃんが「ああああ暑い、暑い、あたしがこんなに暑いのに、今頃、拓郎はクーラーの効いた部屋できっとオンナといるんだよ、ああムカつく、ああ暑い」と唸ってたのが耳に残っている。夜7時にご本人がステージに登場しての第一声「愛してるぜ」の一言でねーさん涙ぐんで悶絶してたけど。

 適度に暑く適度に涼しい季節に開演してくれてありがとう2006。あらためて御礼申し上げます。

 天気は晴朗なれど85の重たい雲のようなどんよりとした空気。そりゃあ「生涯最良の日」ですばい。クオリティも高く、ゲストの豪華さも超絶すんはらしかったが、俺には、これで拓郎が消えてしまうと言いう哀しみがそこ、ここに立ち込めて見えた。篠島のような手放しの意気軒高とは違っていた。豪華さと哀しみがしっかり結びあっている。ラストアルバム…ラジオでいただいている情報だけからだとそういうのを想像しちゃうんだよね。

 85年のアレンジは面白いのがいっぱいあったな。"僕の唄はサヨナラだけ"は驚いたし、鎮魂歌のような""ああ青春"、イントロの前にイントロがあるシリーズで"大阪行きは何番ホーム"これが好き。あと"愛してるぜ"も。

2021. 7. 27

☆☆教えてくれてありがとうin篠島☆☆
 そうだ、そうだ、常富さんの檄は「拓郎も頑張る!!」だったよ。ありがとう、長生きするもんだ。

2021. 7. 26

☆☆7月26日は篠島記念日☆☆
 本当だったら今日は常富さんや渋谷さんの「篠島を語る」という催し物の日だった。残念だ。俺には常富さんに伝えたいことがあった。こっちのメッセージが伝えられるような企画だったかどうかはわからないが。

 篠島のいよいよこれからラストステージという午前1時過ぎだった。ステージの中央に常富さんが一人突然出てきて、あの小柄なお身体を震わせて観客に思い切り檄を飛ばした。応援団の「学生注目っ!」「なんだーっ!」の世界だ。よく言葉は覚えていない。

 「これから最後のステージだ!」「おーっ!」
 「俺達バンドは命をかけている!」「そうだーっ!」
 「みんな燃えてゆくぞーっ!」「おーっ!」
 〜ラストステージ一曲目「知識」のイントロが始まる。ぐああああ燃えるぜ!

 当時「軽薄キャラ」で売っていた常富さんが最高にカッコ良かった瞬間だ。あの檄は今も耳に残っておるのだ。このことをご本人に伝えたかった。

 あー何度も載せたけど、篠島グランドホテルの展示室に飾ってあった1979年7月26日の吉田拓郎のサイン。拝むよろし。
19790726_3.jpg

2021. 7. 25

☆☆沈みゆく島☆☆
 …難しいな。こういうのをカオスというのかもしれない。とにかく「スポーツに生きる人」と「スポーツに巣食うヤカラ」をしっかりと区別したい。感動は往々にしてその境界をあいまいにする。
 「吉田拓郎に生きる人」と「ヤカラ」の間を行ったり来たりさすらう俺も「吉田拓郎に生きる人」で常にありたいと切に思うよ。自分の心を確かにしておこう。二十歳の頃は…どうだったか。

2021. 7. 24

☆☆ものの冥利☆☆
 昨日の”今はまだ人生を語らず”日記はイキリすぎた。我ながらウザい。なので@で終了。読んじゃいないと思うけど。
 それにしても開会式に「五輪真弓」が出演しなかった意味がわからない。これまで周囲からさんざん「ごりんまゆみ」「ごりんちゃん」と揶揄され続けてきた彼女だ。ここで盛大に国家を歌って世界を制圧してもらうのが、寺内貫太郎のばーちゃんの言葉を借りれば「ものの冥利というものだ」。
 そうそう贔屓の劇団の方が開会式に出演しているのには驚いた。日頃、1ミリも心に残らない芝居を心掛けている劇団の方々だ。いいのか(爆)。そこが、いいのか。これもまた冥利だ。

2021. 7. 23

☆今はまだ人生を語らずを語り継ぐ@☆

 “ペニーレインでバーボン”について語りたい…と拓郎は2021年の初めから口にしていた。天国の島の7曲にエントリーし「会心の一作、自信作」とまで宣い、この曲が決して消えてしまった過去の曲ではないことを感じさせてくれた。そして拓郎がこの曲の詳細を語る前に、2021年7月9日のオールナイトニッポンゴールドで、完全な形での”今はまだ人生を語らず”の再発売がアナウンスされた。控えめに語っていたがこの知らせに拓郎は涙したとつぶやいていた。私のみならずたくさんの人の世界一小さな海が溢れかえったことだろう。ああ、生きていて生きてて良かったと。

 約30年間の不在を経て、このアルバムが帰還する。これは事件だ。事実としては、昔のアルバムが復刻する…それだけのことかもしれない。しかし、それで終わらせてなるものか。

 なんにしても吉田拓郎の最高傑作である。1980年5月号の週刊FMの森永博志のインタビューで「オレのアルバムでは「今はまだ人生を語らず」が一番イイ」とポロリと語っていた。もちろんその後も40年間たくさんのアルバムを作ったし、拓郎の気持ちも変わっているかもしれない。それになんといっても天邪鬼なお方だし(爆)。それでも最高傑作の集団にいることは間違いないだろう。

 そして、吉田拓郎の最大の不幸はこの最高傑作が30年近く廃盤になっていたことだ。つい最近のようだが、米津玄師やあいみょんが生まれたころには、このアルバムは世間の表面が消えていたのだ。膨大な数の人がこのアルバムを知らずに育ったことになる。その間に顔が4つ並んだアルバムがJ-POP最高峰ということになり、私は風街帝国の支配のもとに生きなくてはならなくなる…って、いいや、今日はこのくらいにしといてやらぁ。そこにこのアルバム、まさにフォースとともにあらんことを…って、よしさない。
 押し付けられるのは嫌だろうが、特に若い人たち聴いてほしい。歳いった方々にもフォーク歌手というイメージを離れてゼロの気分でこのアルバムを聴いてほしい。どこに出しても恥ずかしくない…と私は思う。このアルバムを聴いてフォークソングだというものはいないだろうし、このアルバムを凌駕するエナジーのロックアルバムというのもたぶんあるまい。珠玉のメロディーも、魂のブルースも息づいている。どっからでもかかってこい!状態である。
 このアルバムをもってしても通じなかったらそれまでとあきらめがつく。仕方がない。永遠にわかりあえないということで彼岸と此岸をお互いにどこまでも生きてゆきましょう。

 その前にチカラの限り世界に向って推挙したい。って俺の世界なんてチッポケなものだ。しかし、拓郎をレスペクトする…と言っているミュージシャン、評論家、その他の著名人の方々という世界の発信力を持った人々よ、頼むぞ。しっかりと宣揚しておくれ。ここで沈黙したり、薄っぺらな称賛で済ませた日にゃあ、俺は全部覚えておいて、二度と「拓郎さんのファンです、尊敬してます」などは言わせないぜ。

 またエラそうに書いているが、俺はギリギリのリアルタイムだったものの、まだ子供だった。知らないことも感じ取っていないこともたくさんたくさんある。当時オトナとしてこのアルバムを待ち焦がれ、迎えて聴きこんだ、そして調べこんだファンの先達・同志の方々の声も是非聴かせてほしい。

 ということで、どうしていいかは皆目わからないが、名盤”今はまだ人生を語らず”のご帰還を最恵国待遇で歓迎する準備を始める。

 これはラストアルバムの大切な前哨戦であるとともに、未来に向かって蒔かれた種のようなものだと思うのだ。

 ペニーレインでバーボン http://tylife.jp/uramado/pennylane.html
 人生を語らず http://tylife.jp/uramado/jinseiwokatarazu.html
 世捨人唄 http://tylife.jp/uramado/yosute.html
 おはよう http://tylife.jp/uramado/ohayou.html
 シンシア http://tylife.jp/uramado/shinshia.html
 三軒目の店ごと http://tylife.jp/uramado/sangenmenomisegoto.html
 襟裳岬 http://tylife.jp/uramado/erimomisaki.html
 知識 http://tylife.jp/uramado/chishiki.html
 暮らし http://tylife.jp/uramado/kurashi.html
 戻ってきた恋人 http://tylife.jp/uramado/modottekita.html
 僕の唄はサヨナラだけ http://tylife.jp/uramado/bokunoutahasayonara.html
 贈り物 http://tylife.jp/uramado/okurimono.html

2021. 7. 22

☆☆流れてゆけ、流れてゆけ、私の歌たちよ☆☆
 老齢ということで自分の分は予約できたものの家族のワクチン予約がとれない。ネット、電話どれも壊滅だ。そもそもワクチン自体が供給不足だという。会員先行予約、プレリザーブetcを経たあとの一般発売がごく僅かだったのと似ている。
 幸い近所の医院がネットも電話も関係なく、実際に病院に並んだ順に予約を受け付けるというので早朝から並んだ。懐かしい。こうやって深更早暁にプレイガイドに並んだものだった。おかげで予約ができた。ありがたい。並びながらとなりの見知らぬおばあさんといろいろ話した。こういうのもプレイガイド時代によくあったな。
 混迷するオリンピックの話になって「こういう時こそ三波春夫の"東京五輪音頭"だと思うのよ」と力説していた。御意。おばあさんには言わなかったが俺にとってオリンピックとはトワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」なんだよ。どちらの歌も大会と音楽と私らの間に素朴な信頼関係というか静かな蜜月があった。

 プレイガイドに並んでいた頃には吉田拓郎というと渋谷公会堂だったな。イベントみたいに年一で武道館が入るが、あとは渋谷公会堂が多かった。コンサートの日は渋谷の公園通りあたりをウキウキしながら闊歩したものだ。
 なので後に「渋谷系」というと、俺たちは元祖渋谷系なのではないかと思っていたが、どうも違うみたいね>あったりめぇだろ。

2021. 7. 21

☆☆歩けるかい☆☆
 暑い、絶対に暑い、我らが黄金バット。いみふ。昨年までは外回りで歩いていた道のりがあまりにツラ過ぎて初めて路線バスに乗ってしまった。路線バスが嫌いなのは、地域や会社によって前乗り、後乗り、乗車券、料金の支払などさまざまな違ったオキテがあるからだ。アウェーのバスでは大抵恥をかいたり注意されたりする。例えば昨日も区間によって運賃が二分されるので乗る時に下車停留所を言わなくてはならないらしかった。そんなの知らんから、みんなが「〇〇」「××」とか言ってるので俺も「大人一名です」とか言ってしまって恥をかいた(爆)。また運転手の妙に鼻に抜けるアナウンスが聴き取れなかったりしてややこしい。それなら1〜2キロくらいなら、いっそ歩いてしまった方がいい。バスに乗るより自由な気がしてって、ああ、いい歌だな。エルトン、間奏を弾いてくれ。

 それにしてもこの猛暑のうえに、世の中に満ちている憎しみと悲しみ。近頃セミは鳴いているものの地球はもうすぐ終わりですね。

 “無法松の一生”でたちまちファンになってしまった園井恵子さんの評伝本があることを知り読み始めた。若い著者なのに、今ではほぼ無名に近い女優の人生を実に丁寧に調べてある。最終章のヒロシマの日に向ってまるで”この世界の片隅に”の実録を読んでいるようである。「流れる雲を友として」、ホラ、ある種のイカれた人々は「流れる雲を」だけでやられてしまうのだ。もちろん俺もだ。
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2021. 7. 18

☆☆夜空のどこかに記しておきたい 愛する人に届けと☆☆
 無法松の一生で主人公松五郎に可愛がられる少年が後の桑田佳祐…おっと間違えた長門裕之であり、やがて吉田拓郎・かまやつひろし・南沙織の揃った”ミュージックフェア”の司会をつとめることになる。>ってそこをゴールにするなっ!超名優だぞ。
 クリアな映像で観たら、未亡人役の園井恵子の美しさとオーラにやられてしまった。宝塚女優だったのか。これは松五郎さん惚れちゃうわ。しかし彼女はこの映画の2年後、広島への巡業公演の時に原爆で亡くなってしまわれた。私のカンタンな2行で語りきれる話ではなく、なぜ彼女が女優になったか、なぜ無法松で大人気女優となったのに巡業劇団員になったのか、そして原爆にあった時はどんな状況だったのか、それはひとひつひとつに深い話があるようだ。あちこちが消えて風化してしまったはるか昔の映画であっても、今もまた息づいてる命hmmm。こんなふうに今さらだけど70年以上の歳月を経て出会う事、知る事もある。

 拓郎がライブを撤退した以上、もう吉田拓郎のライブは、音源と映像とあとは私らの記憶の中にしかない。これからの私らも、はるか未来の人々もそれでしか知るすべがない。私たちの経験も含めてすべては未来に向かって蒔かれた貴重な種なのかもしれない。
 無法松の一生の特典映像で、コロナ禍でありながら、この発掘と保存と修復のために魂と勢力を注ぐ世界中の人々にも頭が下がった。頭を下げながらいろいろ考えさせられた。

2021. 7. 17

☆☆☆フィルムは生きている☆☆☆
 何かと流行りの4Kデジタルリマスターだが、ウチには4Kテレビがない。それでも昔の映像が目を見張るほどキレイになるのは嬉しい。
 ちょうど出た阪妻の「無法松の一生」の4Kリマスターを買った。戦時中の昭和18年…亡くなられた田村正和が生まれた年の映画ながら、これまでとは比べるべくもない美しい修復に感動した。阪妻さんは田村高廣さんに酷似しているのだが、最後の祇園太鼓のシーンでは田村正和になっている。遺伝とは奥深いものだな。
 そうなると戦時中の検閲で大切なラストシーンがカットされているのがかえすがえすも腹立たしく無念だ。戦後はGHQからもカットされていて、もうボロボロの慢心創痍だ。それでも魂の名作である。だからこそまた悔しくなるスパイラル。

 それとは違う話だが、カットといえばつま恋、篠島、他のライブ映像は、再発されるたびにMC始めどんどんカットされて短くなっているのがこれまた悲しい。篠島なんて冒頭の九段会館の対談シーンもラストシーンの海を見つめる拓郎のシーンなど名シーン(ホントにそう思ってるのかよ)が惜しげもなくカットされている。そうだ、ペニーレインの「青山徹だ、松任谷、松任谷だ」も戻してくれるんだろうな。
 とにかくカットするという引き算の発想ではなく、探して、足して、修復してという足し算の発想でお願いしたい。もう文化財なんだから。

2021. 7. 16

☆☆☆夏一人☆☆☆
 ここいらは梅雨が明けたそうだ。
夏がやってきた(「名前のない川〜安曇野の四季 拓郎のナレーションの声で)。
 何度でも言うがキャンディーズの"夏が来た!"は、"やさしい悪魔"よりも"アン・ドゥ・トロワ"よりも拓郎っぽい。拓郎本人でもこうも見事に作れまいという拓郎節だと思う。

2021. 7. 15

☆☆Dr.ムッシュの不思議館☆☆
 というわけでムッシュかまやつモードに入ってしまったので、iPodで、かまやつさんのセルフカバーを繰り返し聴く。いい。いいアルバムだぜフォーライフ。居酒屋がやっていたらコレをかけてもらって小一時間泣きながら聴くのに。佐藤準さんのビアノでムッシュがオサレに歌う一人"シンシア"がまたいい。
 昨日はワクチン接種だった。会場はジジババばっかりだ。俺もそうなのだと認識した。ドクターが「これからオデコで検温します。温度が高くなるので帽子をかぶっている人は脱いでください。」と呼び掛けていた。ここでもなんとなくかまやつさんをまた思い出した…すまん。
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2021. 7. 13

☆☆☆わが心の納戸☆☆☆
 先日のラジオで衝撃だった“ペニーレインでバーボン”。個人的には1974年のTBS「歌謡最前線」のテレビ出演を思い出す。何度だって書くが、中学1年だった俺は、”ペニーレインでバーボン”→”暮らし”→”襟裳岬”とガチで歌う吉田拓郎を観た瞬間、イナヅマが俺の身体駆け抜け、すべての夢が走り出した。なんで浜省なんだ。
 この時、自分は歌うわけではなく、たぶん「時間ですよ昭和元年」収録中だった、かまやつひろしさんがテレビ出演で緊張している拓郎を励まそうと応援にやってきた。
 やはり先日のラジオでサワリのギターだけで昇天させられた”アジアの片隅で”。1987年の久々の夜ヒット出演の時もこの”アジアの片隅で”を歌わんとする拓郎の応援にかまやつさんは突然スタジオに現れた。そして2006年つま恋の二人寄り添う”我が良き友よ”。「拓郎、我が良き友よ…ヘタだね」「ヘタだよ、でもかまやつさんに言われたくないよ(笑)」というバックステージのやりとりも大好きだ。
 かまやつさんとのラストワーク…といえば、岡本おさみとのラストワークともシンクロする”Country”ツアーのショットガンチャーリーなのか。あれこれ先日の放送の中だけでループしている。
 俺はかまやつさんはずっとあのまま自由な感じで生き続け絶対死なないと本気で思ってたよ。
 ”Country”熊本公演の翌日、ホテルですれ違いざまに「かまやつさん、昨夜のライブはありがとうございました」と勇気を振り絞って声をかけたらハーイと手を挙げてくれた。ああ、カッチョエエ。俺の心の納戸に大切にしまってある。

2021. 7. 12

☆☆海を漕ぐ男たち☆☆
 "ラストワーク"だと思うと、どうしたって"錨をあげる"が、あらためて胸にしみる空の輝き。コンビは最後まで船出と出立を歌ったのだ。

2021. 7. 11

☆☆☆人生という名のSL☆☆☆
金曜のラジオは淡々と進行していたが、そこで語られていたのは悠久なる時間の流れと壮大なドラマだった。ラジオと音楽が大好きだった広島の少年が、時代の音楽とシンクロし、幾多の衝撃と出会って、どのようにして「吉田拓郎」になっていったのか。
 入れ子のように語られた岡本おさみとの出会いとラスト・ワーク。学生時代に睦月さんが指南してくれたR&Bがあったればこそ岡本さんの字余り字足らずを見事な音楽に昇華することができた。
 そしてそのコンビ終焉のアルバム…じゃなくて前代未聞のCD+DVD+雑文集「歩道橋の上で」。「秋時雨」が最後の集大成だったなんて話を聴けるとは思わなんだ。そういえば2019年2月3日の「ラジオでナイト」は、あいさつの前にいきなり「黄昏に乾杯」を流していたのも忘れられない。あらためていとおしくなる「歩道橋の上で」。DVDでは拓郎のドラミングが観れるのがオイラのツボ。
 さらにびっくらこいた「ペニーレインでバーボンの帰還」。ハラショ。過去は変えられないが未来は変えられる。この過去達を抱えて、君たちはどう生きるか…走馬灯な放送であった。

 そうだ、赤い燈台…ちゃんとルミちゃんを評価していた私を褒めてあげたい。http://tylife.jp/uramado/akaitoudai.html ルミちゃんも頑張って!!
「蛍の河」もすげー好きだ。そういえば「蛍の河」って「今はまだ人生を語らず」のテイクアウトでなくアウトテイクだったんだよね。ついでにボーナストラックでお願いっ!

2021. 7. 10

オールナイトニッポンゴールド  第16回 2021.7.9

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。よした…でなくて吉田です。週替わりのパーソナリティの金曜日、今週は吉田拓郎がお送りします。

 今は7月3日10時30分、雨だが近所の木々が碧を増して美しい。そういうことを感じる年齢になった。だいたいこの放送は一週間前に冨山君にデータを送る。午後はタイガー&ドラゴンの続きを観たいという、忙しいスケジュール(笑)。決め事はないけど、宮藤官九郎にハマっている。午前中に頑張っていこう。
 いきなりびっくりするテープ。広島県立皆実高校時代、青くて田舎者で世間知らずで一日が、あっという間に過ぎていった。夜寝る時に明日何しようかのうと考えて眠れなくなってくる。明日こそあの娘に声かけてみたいな。もぞもぞしていた。

 あの時代、ラジオはトランジスタラジオが発売されたたばかりで夜イヤホンつないで聴いているとたまに東京の放送とかが入る。広島では深夜の放送はないけど、東京では深夜放送があった。僕もリクエストハガキ出したことがあったし、読まれたこともあった。なのでリクエストハガキを書いたり、楽しかった。
 広島の放送にハガキを書いたことがあった。例によって吉田拓郎レアなコレクションが納戸にあって、古いテープはCDに焼いていた。その中にリクエストしてアナウンサーが読んでいるという音源があった。山口の岩国のトップ20。マニアックな小僧だった
広島RCCで読んでくれて拓郎ってこういうガキだったんだ。当時からシブいな。
 
 (広島市霞町の吉田拓郎さん、・・・・・・・)

 いやーびっくりだよね。RCCのアナウンサーとも知り合いになって、番組に出たりもしていた。変わったヤツだった。
 大学のころ憧れの女子アナがいて、フランスのシャンソン歌手、シャルル・アズナブルが大ファンだったと聞いて、広島のマルタレコードの口の大きい店員さんに聞いて買って放送局でプレゼントします。三つか四つ年上だったんだけど「嬉しいです。ありがとう吉田君」と言われて三回くらいデートした。いろいろ聞いていると彼女は広島が限界で東京で仕事がしたい。僕の方はまだ大学生で、我が家の女ボス母は「あの人は年上よりもずっとしっかりした考えを持っている、ちょっとランクが違う、あの人はオトナでアナタは飽きられる」という厳しい言葉。でも当時は母親の言うとおりにするいい子だっので、結局別れた。淡い気分でリクエストを出したりそういうことをしていたのが、東京に出て深夜放送をしている・・・なんだろうなという気分。いろいろ楽しい思い出のすべてが吉田拓郎の曲のエキスになっている。ああそれが青春。

■今夜も自由気ままに吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

 70年代ソニーの頃に「今はまだ人生を語らず」というアルバムがあってこの中のある一曲がカットされたままだった。先日ソニーの担当の方から、諸般の問題を解決してフルで発売したいという話を聞いた。できれば、あっちへ旅行に行く前にいしてほしいと思っていたので、それが嬉しい。近いうちらこれが実現しそう。CDだけでなく昔ながらのLPでも聞いてみたい。嬉しくて涙が・・・最近涙もろい。   
 最近、雑誌で読んだ記事。涙を惜しみなく流しましょう。地球は海が支えている。人間の目も世界で一番小さな海で大切なんだ。人間は赤ちゃんの頃には、自己中心、私のこと観てと泣いていたが。オトナになると自分以外のものに共感共鳴したい。例えばドン底から這いあがったスポーツ選手に感動したりする。ある大学教授が、感情から泣くのは人間だけの特権なので涙は出し惜しみなくと書いていた。最近は、子ども笑顔だけで泣いてしまう。
 もうひとつ、最近、泣く行為は睡眠をとるよりも効率的にストレス解消するということで大いに涙を流しましょう。
 「漁港の肉子ちゃん」僕も観ました。稲垣来泉ちゃんが歌う姿をテレビでも観た。映画館で涙を流し、歌う姿に涙を流したという人も多かった。世界一小さな海ということです。
 この曲の広島商科大学の応援団でバンカラな先輩がいて、いつも外股で歩いている人をモデルにしたんだけど、今はそういう応援団ていないんだろうな。 
今日は2006年にかまやつひろしさんと歌ったバージョン。きっとかまやつさんはあっちでワーワー遊びまくっている、俺はこっちで、誰も遊んでくれると人がいなくてつまんねーよと言っている。

M-1  我が良き友よ     吉田拓郎&かまやつひろし

■CM

<拓郎さんの普段の服装はどうしているのか、ステージしか見たことないという投書>
ジーンズ党なので、ジーンズ、コットンパンツが多い。スーツはとんと着ていない。ジーンズはいろんなパターンがあるが、裾の幅は18センチにしている。 細いスキニーとかがフイットするので、ステージとかではくが、おっさんはどうかと思っている。裾18〜20センチにこだわりがある。
 スーツ着はないな。バブルの頃はアルマーニとかステージでも着ていた。海外のレストランでもドレスコードがあったけど、今は世界がカジュアル。大好きなハワイでも  ショートパンツOKになっている。
 ゴルフも昔は襟付きだったけど今はどうなんだ。ゴルフってマナーがうるさい。今は自由というかマナーが悪いな。近所を歩くとき見てみてという華やいだ気分でいたい。

<「王様達のハイキング」のあのライブのジャケットは誰ですかという投書>
先日タムジン・ファミリーとリモートの会議をした。その時、あの娘は誰なんだ?あの時はタムジンにまかせたけど誰かは知らないと尋ねた。あれはタムジンの知り合いの娘  で雑誌のモデルだったんだけど、不思議な雰囲気なのでスカウトした。
 拓郎らしくないジャケット。少女のことは知らないけどその後はモデルになったとかならなかったけど。あの酒飲みの荒くれバンドとジャケットの少女のとりあわせが結構  評判だった。

<漁港の肉子ちゃん、よかったです、イメージの詩もピッタリという投書>
 良かったな。ネットとかでつまんなかったとか言いたい放題で、もうウルサイしウザイ。僕も観ました佳代さんと二人で。アニメって不思議で、実写よりわかりやすく心を打つ。もともとアニメには距離感あったけど、こんなに曲が使われているし観なきゃという気分だ。
 テレビやネットにはうんざりだ。くだらねぇとか思ってしまう。そこへいくとスポーツ観戦しいいな。奥さんは最近は読書している、もとから本が好きだけど「アンナカレーニナ」とか読んでいる。若いスポーツ選手には目が光輝くけれど冷めやすい(笑)
サッカーだけはビデオに撮って観ている。碧とかおるが断然トップ。

<コロナ禍で佳代さんのいうとおり、ショッピング三昧したいという投書>
 先月は正直な叫びだった。どうしてもストレスはたまる。普段どおりの生活は無理。僕らは酸素吸ってるんだから。ペニーレインでバーボンにもあったとおり、勝手なことばかりテレビでその場しのぎのことを言ってるのを観て引っ込めという気分。
 コロナが収束したらショッピング、レストランに存分に行ってほしい。奥様たちご苦労様。拍手。

<壁にもたれてジージャン姿の不良ぼっい姿に衝撃を受けた、原点にかえって不良っぽくやってほしいという投書>
 俺は不良じゃない。母朝子さんから厳しく躾けられている。ただ70年代にはどいつもこいつもいい子ばかりで、はじけようと思っていた。みんなで飲みに行く地方で、みんなつまんねーの。俺はすぐ違う店とか行きたいんだけど、そいつらは一軒目の女の子とずっといたいという人ばかりだった。俺はひとところにずっといたくない。三軒目のの店ごとってあったでしょ。せっかくローカルに来ているのだかもう一軒いこう、面白いことがあるかもしれない。しかし一軒目で腰据える人ばかり。僕が不良というより他の人が固かったんだ。僕は普通にやっているだけ。

<ミスチルの桜井さんと稲葉さんが、拓郎さんのように言葉が伝えられるミュージシャンだと語っていたという投書>
 以前にスタジオで隣がミスチルのレコーディングだったことがあった。プロデューサーの小林武史とはテレビで対談していたので、スタジオを覗いたら、僕のスタジオより暗い、不思議な雰囲気。あれ?暗いな、顔がわからない。僕は根が明るいので部屋が暗すぎる、なんか儀式みたいだった。なので、じゃあねと退散してきた。そういう不思議なレコーディング。僕のスタジオはぎんぎんに明るい、松原とかよく大声で笑うし。桜井君とは小田の番組でも一緒になったことがあった。  
 ギターの松本君は、いきつけのカウンターバーで、僕がワイワイやっていると、松本くんすーっと入って特別のカレーを食べて帰ってゆく。そんなに遠い存在ではないけれど、なんというか遠くから応援している、そういう距離感。

CM

 いまとなってはこの曲をなんで歌ったか。好きじゃないんだという曲を当ててもらう。毎月応募にこれ違うとか言っているとヒントが絞られてくることに気が付いた。今月は少しだけ。

<「知識」 血気盛ん生意気で勘違いしていたことを思い出させるという投書>
 失礼なこというな。よけいなこと言うな。違うんだよ。こんな名曲を作れるもんな作ってみよといいたい。世間知らずかもしれないけれど、今だって心境は変わっていない。
<「馬」という投書>
 違います。どうでもいい。俺はミュージシャンなんだから。
<「aday」という投書>
 ラジオの一通の手紙でOLの嘆きがあったので面白いとレコードにした。好きな曲>
ガットギターで小倉さん=おぐちんゃんが哀愁たっぷりに仕上げてくれている。二人だけでレコーディングした。できればまた歌いたいと思っている曲た。
<「アジアの片隅で」という投書>
(間奏弾く)
 確かに歌いたいという気持ちはない。アレンジは素敵だ。松任谷正隆のアレンジ。間奏での青山とのツインギターは気分いいんだよ。フレーズもいいし。レゲエだしさ。曲として嫌いじゃない。歌う気にはならないけど。
正解は50通あった。あと2〜3週間こぞって挑戦してほしい。カマカ素敵でしょ。色もいいでしょ。弾かなくても飾り物としてもかわいくてキレイでいいよ。
◇11時
(佳代さんのコーナー)
夫)昔 ガンバ遠藤くん、チケット貰って観たじゃない。富山くんもいて、彼は本田が好きで。詳しいから何でも聞いてって感じだったけど。

妻)すごく詳しいと思って聞くと全部知っているの。そのネタ知ってるんですけど。な〜んだそんなことしか知らないのって感じ。

 音楽人生のはじめの頃、実際の僕とは違う岡本おさみのイメージで語られた。文句なしに感動して敬服してメロディーをつけているが、岡本さんと僕は相反するところが多い。彼は旅人だけど僕は乗り物嫌いの旅嫌い。家にいるのが大好き。根本が違う。
 また彼の詩には、やたらコーヒーが出てくるけど、僕は今でもコーヒーは飲まない、飲めない。このふたつでも相いれない関係なのにコンビだった。

 岡本おさみに限らず、喜多條忠、松本隆とのコンビを組んだ。自分にはもっていない世界感で歌うのが楽しい。僕には書けない。冒険だな。音楽そのものが大好きなので何でもトライしたくなる。岡本さんとは気の合わない、実際には会ったりしないで封筒で送ってくるだけ。その岡本おさみとのラストワーク。最後の仕事。みなさんの目にも耳にも止まっていないのかな。
 この時にメッセージを送って「おかもっちゃん、今のあなたの背の高さの歌詞を書いてね。詩に出てくる女の人は奥さんでしょう。今抱いている奥さんへのメッセージを書いて。それがシンプルでわかりやすい。身の丈と会わないと思ったものもあったが、これだというのが5〜6曲が出来て満足。これだよね。
 70年代色が濃い詩人なので、アレンジするときにもその匂いを残して、ミュージシャンも石川鷹彦、エルトン永田、島村英二、徳武弘文。そこに小倉博和。アコースティックで、おぐちゃんに現代ギターを入れてもらいダサい感じにならないようにフォークロックに仕上げた。フォークロックって日本にはなかにかない。バーズとかラヴィン・スプーンフルとかいたけど日本には根付かなかった。
 これらのラストワークに、途中で体調不良で中止になったツアーのカントリーのリハやバックステージで名古屋城の観光したりしているシーンを入れている。

M-2 歩道橋の上で 吉田拓郎

CM

 上京してまもなく岡本さんら出会うのがバイタリス・フォークビレッジだった。佐良直美さんのあとだった。製作スタッフに石川鷹彦、構成作家に岡本おさみさんがいた。アマチュアのグループを紹介するのがメインだった。
 札幌の公開録音の時に楽屋にミニスカートでいたのが中島みゆき。その時はわからなかったけれど、どんな子だったか・・・うかつなこと言えないし(笑)
 岡本さんから時間がある時に見てと大学ノートを貰った。びっしりと詞のような散文のようなものが書いてあって、韻を踏んであるわけでもなく整理した形跡がなくて書きなぐってあった。そこがコンビの始まりだった。

M-3  沈丁花の香る道で   吉田拓郎

CM

 岡本おさみという人は、音楽的はあまり知識ないし譜面も読めないし楽器も弾かないし、音楽情報は持ち合わせていない。字数もバラバラで、一番と二番で言葉の行数が違う。面白いと 思ってメロディーをつけてゆくと、二番で違っていてメロディーに載らないことがあった。
 だけどそれまでの流行歌は、花鳥風月の定型的なものが多かった。それは面白くない。アメリカンポップスもディランが型にはまらない自由につむいでゆくオリジナル見せてくれたこと観ていると、岡本さんのまとまっていない詩にメロディーをつける作業が新しい音楽がみえてくるのではないか。
 特に僕は、ソウル、オーティス・レディングとかアレサフランクリンとかリトルリチャードとかが好きだったし、それが役に立った。例えば君去りし後、君が好き、また会おう、からっ風のブルース。
 ファンキーで演奏が始まると止まらない、字余り字足らずだからできた。ルームライトも流行歌にはあり得ないコード進行だった。小柳ルミ子が歌った「赤い灯台」。これ凄く字余りだけど、難しいけれど、小柳ルミ子はうまい。今でも寝ながら聴く。
 これぞ岡本おさみの真骨頂と思って、二人の最後にふさしわい

M-4  秋時雨 吉田拓郎

CM

 大変な衝撃・刺激を受けてきた。それまでのアメリカンポップは、あの娘とデートとかキッスが素敵とかwoh woh、Yeah Yeahとか明るくて楽しくて青春を謳歌するような歌詞で、日記のようだった。メロディーは美しく魅了された。
 アメリカンポップスを日本語で歌う和製ポップスも流行していた。例えばザ・ヒットパレードでは、伊東ゆかり、中尾ミエとか渡辺プロの歌手がたくさん出ていた。ヒットしたけれど、しっくりこないなとは思っていた。大好きだったニール・セダカのカレンダーガール

M-5 カレンダーガール ニール・セダカ

 こういう唄とかコニーフランシスのVACATIONとかを聴いているところに突然ビートルが登場した。ビートルズの登場にショックを受けた。4人だけの凄い完成度。4人集まればなんかできる。 どこかに飛び出せる、広島を飛び出せると考えた。だからバンド作りたい。ビートルズが教えてくれた。

M-6  抱きしめたい ビートルズ

 バンドを作りたい、そうすれば広島から脱出できる、女系家族から羽ばたける。そこへ今度はボブ・ディランが強烈なパンチ。「風に吹かれて」の歌詞を読んでびっくりした。I love youが出てこない。僕らはアメリカンポップスでシンプルだったはずの青春がディランで複雑になっちゃうわけ。老成している人生をうたっているのも凄い刺激だった。20代で生きてゆくのはどういうことかを歌っていることがガツンと来た。


M-7 ライク・ア・ローリングストーン
 
 広島でR&Bのバンドをやっていた。ダウンタウンズの睦月くん、広島大政経学部だったけど、彼がソウルが好きで音楽人生に影響を受けた。黒人音楽を教えてもらった。中国四国のコンテストで代表に選ばれたり、米軍のキャンプのアメリカ兵の前で演奏するようになった。R&Bが音楽人生の基礎となった睦月くんのおかげだ。

M-8 ノック・オン・ウッド エディー・フロイド

■エンディング
 僕にとっての十代は、世界の音楽が怒涛の変化をみせて突き進んでゆくというスリリングな時代だった。そんな時に青春を送れて良かった。たくさんのことを音楽が教えてくれた傷つきそうな青春も、怒れる青春も、激しい青春も、青臭い青春を教えてくれた。

 ありがとうニールセダカ、ありがとうビートルズ、ありがとうボブ・ディラン、ありがとうR&Bといいたい。

 永遠はなくて期限がある。今は重要な時間だ。過去とか思い出は心豊かにしてくれている。心のよりどころだ。しかし過去は変えることができない。未来はささやかでも変えられる可能性がある。まだ間に合うんじゃないのか。僕らは今とこれからを大事にしてゆこう。遅ればせでも、年齢、キャリアどうでもいい。今日とか明日を楽しみに生きる。あっちに行くときに笑顔でいってくるぜと船に乗りたい。

 次回は8月13日。当選発表。

M-9 この世の果てまで   スキータ・デイヴィス

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆

☆根っからのラジオっ子であり、ハガキ職人であり、リクエスト小僧だったというのが嬉しい。やっぱりラジオ・パーソナリティになることが運命づけられていたのだと思う。

☆吉田家の納戸。王家のピラミッド。私を警備員に雇わないか?>おめーだけは絶対ない。

「ペニーレインでバーボン」の帰還。そして「今はまだ人生を語らず」の再リリースに快哉を叫びたい。良かった、良かった、良かった。最高傑作が廃盤というこのうえない不幸がようやく終わる。ソニー。全力で売っとくれ。ロック、フォーク、ポップス、ブルースどっからでもかかってこい。いつまでも顔が4つ並んだアルバムをうやうやしく神棚に置いておいてはいけない。さぁ、同志よ、巻き返すぞ!!

☆ミスチル=小林武史との微妙な距離感。それはあなたが番組で小林武史に面と向かって「君、スケコマシでしょ」と言ったことと関係はないのか。別にそのままでいいけれど。

☆いきなりの「アジア」。おおおお、と悶絶。発火・発情しました。たまらんね。

☆岡本おさみとのラストワークの話は貴重だったし胸にしみた。最後の集大成が「秋時雨」なのか。「花嫁になる君に」「ハイライト」から始まった旅の終着点がそこなのか。大切に聴き直したい。

☆つま恋の「我が良き友よ」を聴いて。拓郎が背中から、かまやつさんに寄り添って歌うシーンが観たくなって観たら。泣きそうになった。ショットガンチャーリーとのカントリーツアーを忘れまい。

☆「未来はささやかでも変えられる可能性がある。まだ間に合うんじゃないのか。僕らは今とこれからを大事にしてゆこう。遅ればせでも、年齢、キャリアどうでもいい。今日とか明日を楽しみに生きる。」…だったらさ、だったらさ

☆ありがとうニールセダカ、ありがとうビートルズ、ありがとうボブ・ディラン、ありがとうR&Bそしてありがとう吉田拓郎。

☆☆☆☆今日の学び☆☆☆
 岡本おさみの字余り字足らずをメロディーにのっけて言葉の活劇にまで高めたのは、R&Bのソウル。"字余りソング"とか言ってんじゃねぇぞ。

2021. 7. 9

金曜日の朝を聴きながら、居酒屋とお別れをした。お元気で!いつかまた!

2021. 7. 8

☆嘘をつけ永遠のさよならのかわりに☆
 「ありがとうラビ」で思い出した中学の国語の教科書に載っていた「一切れのパン」。ネットで検索したら同じようにあの話が忘れられないという人がそれなりにいて安堵した。いろんな意味でスリリングな話だった。とどのつまり「永遠の嘘をついてくれ」ということか。ラビさんだって今度のことで謎だった本名も年齢までも新聞で明らかになっちゃって。聞いていた年齢とずいぶん違うし(爆)。きっと怒っておられるでしょう。
 拓郎のことも俺も昔は3日に一度くらい「この嘘つき」と怒っていたが(爆)、嘘だったからいいんじゃないかと今は心底思う。芸術家の正直と誠実さは私のような小市民とは少し違ったところに軸足があるに違いない。まぁいいや。
 「永遠の嘘をついてくれ」はアゲアゲの時はつま恋2006年を聴くけれど、ヘタレな時は、FromTのデモテープ。これがまた絶品ばい。吉兆のささやき女将のように耳元で歌ってくれている感じがたまらん。頭が真っ白になって…ってホントに最近がぜん白髪が増えちゃったよ。

2021. 7. 7

☆☆おやすみなさい☆☆
 ラビさんの通夜式。無宗教で音楽が流れ真っ赤なバラが溢れていて、いたるところにラビさんの写真が飾られている。写真撮影もOK。みんな自由に行き来している。祭壇の遺影のまばゆいほどの笑顔がいい。その笑顔の背景のたくさん2ショット写真たちの中に…あった。見逃しやしないぜ。
 ラビさんは「らしくないと不評だった」というけれど加藤和彦と組んだ「グッバイ上海」が一番好きだ。もうアルバム「サマルカンドブルー」くらい好きだ。

 グッバイ上海 グッバイ上海 
 ジャンク浮かべて帰る日はるか
 ゆらりゆられて帰る日はるか〜

 ああ、気持ちいい。ずっと頭の中で流れている。もっとらしい名曲があると怒られるかもしれないが。端くれのファンの俺にはこれだ。

 まさに緊急事態のはざまにお別れをすることができた。主のいないツタの絡まるお店。当然本日は休業だ。やっぱり皆様帰りに寄っておられる。続いてくれますように。

 「ありがとう、ラビ」…って書いて気づいた。あれ中学の時の国語の教科書に全く同じセリフがあった。そうだ「一切れのパン」のラストの一文だ。関係ないか…いやあるか。なくても、関係あるように生きようと思った。
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2021. 7. 6

☆☆又逢おうぜ、あばよ☆☆
 20時迄であろうと時勢的に不謹慎であろうとこれが飲まずにいられよか。ラビさんに献杯させていただいた。俺よりも特にラビさんに近しかった方からは、整理がつかないままいろんな思い出が湧き出てくる。

 ボイトレなんかしたことがないというのにいつも天然の迫力と艶のあったボーカル、実はいつも密かに気にされていたぶっ飛びのステージ衣装、時々ラビさんの話に出てくるシャイでやんちゃで、でもカッコイイ若き吉田拓郎のこと。そうそう2006年の武道館の2階席で壁にもたれてたったまま腕をくんで”唇をかみしめて”を歌う拓郎を凝視していた立ち姿の粋さ。

 20年近く前の12月30日、店は常連さん満席貸切の持寄りパーティの日。何にも知らずに初めて蔦の絡まる店に入って来た姉妹。ひとりは0歳児を抱えている。場違いもいいところ。フツーは今日はお断り…なのに、ラビさんはカウンターの常連さんを「どきな!」とどかして笑顔で席を用意する。いろんな辛いことがあって飲みながら二人で潸然と涙している姉妹にワケも素性もきかず「うるさくてゴメンね」とひたすらやさしくしてくれた。そして二回目からはまるで家族みたいに迎えてくれた。

 故人が素敵であればあるほど、ご冥福、安らかにではおさまらない。どうしてもああすればよかった、こうもできた、ごめんなさいという思いも溢れかえってくる。そこまでラビさん近くにいたあなたのことはわからないので軽々には言えないけどさ。

 わからないついでにいえばオダギリジョーの法則で、時間は消え去ってゆくものではなくて、たぶん今もどこかでラビさんは歌っていたり、飲んだくれていたり、いらっしゃい、おかえりと笑顔でドアを開けている。生き残った人は、亡くなった人を可愛そう、申し訳ないと思わないこと、できるだけ幸せに生きようすることがルール…らしい。

 遠くヨーロッパから想うインスタがいいな。そうか好きだったんだな。ちょっと泣けてくる。
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2021. 7. 5

☆☆ジャンク浮かべて帰る日はるか☆☆
 明け方にメールで中山ラビさんのことを知る。ほんやら洞もラビ組もとんとご無沙汰していたが、ラビさんのあの凄みのあるボーカルはどんな世の中になっても不滅だろうとタカをくくっていた。だから目を疑った。昨日はちょうど北山修先生の「共視論」のアカデミックシアターのDVDを観ていたところだったんだよ。ちょうどと言えるのかわからないが。
 2005年の京都会館で拓郎は「俺は関西公演に来ると関西フォークからは嫌われていて辛かったけれど、中山ラビだけはやさしくしてくれた」と述懐していた。ラビさんは拓郎にやさしかっただけでなく常連でもない一般Pの端くれの拓郎ファンにもやさしく接してくれた。10年以上も前だけど、雨畑と俺を引き連れて、一夜のすげー冒険に出てくれたことがあった。忘れようとて忘れられないよ。
 こんな俺ごときでもたくさん思い出すこと、たくさん言いたいことが溢れてくる。だからもっとそばにおられた方々の悲しみはいかばかりか。またね。ありがとうございました。ラビさん、おやすみなさい。

2021. 7. 4

☆☆明日を待てない人がいる☆☆
 静岡、神奈川の土石、水害が凄い。凄いなんてもんじゃない。つい一昨年の台風で、レベル5の警報を受け、近所の川の大氾濫を覚悟した身にもかかわらず、事が自分でないとすっかり鈍感になってしまう俺が情けない。
 とにかく皆様ご無事で。とにかく掘って掘って掘り起こして助かる命を助け出してほしい。救助に関わる方々には頭が下がる。こんな時にと怒られるかもしれないが、人命・災害に惜しみなく高度の技術と最新鋭のメカを投入する国際救助隊サンダーバードを作ってほしい。いや心の底から本気で思う。もう自分も含めて安全な場所は殆どなく、私らはみんな悪魔の斧に震えて眠るしかないのよ。

2021. 7. 3

☆いくつもの朝がまた☆
 怒涛の“人間なんて”で終演して電光掲示板に”See you again Shinojima”の文字が輝き、あちこちでバンザイが始まり9時過ぎても帰らない観客たち。

 4日後のセイヤングにこの時のハガキを書いてきたリスナーさんの言葉を思い出す。たぶんその方もあの晩は家に帰っても眠れなかったのだろう。


  私はなんて幸せなんだろうと思った。
  朝だ。退廃の影などない、美しい朝だ。

 拓郎のおかげでそういう朝が何度か…いや何度もあったなぁ。

2021. 7. 2

☆☆武道館よ屋根の梁を高く上げよ☆☆

「ずっと歌うという決心が今ハッキリついた」と君が言ったから7月2日は武道館記念日


2021. 7. 1

☆寄り添われる人☆
 南こうせつのサマーピクニック。拓郎が神田川を歌った年の公演。拓郎が歌い終え、こうせつが出てきてMCを始めると、拓郎がこうせつの肩に一瞬何気なく手を置いた。するとこうせつはMCしながら、すかさず、その拓郎の手をしっかり握る。つかまえたって感じで。拓郎が肩を組んだ貴重なツーショットを逃してなるまいという強い意思が感じられた。※個人の感想です。…拓郎スッと手を離しちゃうんだけど(爆)
 そうだ、2006年のつま恋オープニングでは拓郎は全力で逃げ出したことをよもや忘れはすまい。

 85年のつま恋で、山本コータローが「岬めぐり」を歌っている、その少し離れたところで拓郎も立って口ずさんでいる。すると山本コータローは、サビの部分でグイと拓郎を引っ張りよせて、ピンマイクで頬を寄せて歌うミック・ジャガー&キース・リチャーズあるいはジュン&ネネみたいな状態になった。拓郎は笑って一緒に歌っていたけれど、なんか迷惑そうにも見えた。いや迷惑だったに違いない。※これも個人の感想です。


 とはいえ日本をすくえ!のオープニングで、泉谷、小田、拓郎三人で支えあってアカペラでバンザイを歌う。あれはいいね。すげー素敵だ。

 今日の学び…いくら好きでも無理に寄り添っちゃダメ。

2021. 6. 30

☆☆寄り添う人☆☆
 三木聖子はこの放送のすぐ後に喉を傷めて引退し、裏方として実績を残し今も堂々と活躍しておれらるとネットで読んだ。あの時はきっと一番辛い時期だったのだろうな。

 夜ヒットで三木聖子が感極まって歌えなくなった時、それを観ている歌手たちの様子もチラチラ映る。スーちゃんは涙目で凍り付いている。ミキちゃんが蘭ちゃんの方に振り向いて眉をしかめて何か言う。蘭ちゃんの様子はフレームアウトしていて見えないが、たぶん蘭ちゃんが「行こうよ」とゴーサインを出したのだろう。その10秒後くらいにわらわらとキャンディーズの三人が三木聖子に寄り添って一緒に歌う。こういうのにお爺ちゃん弱いの。泣けちゃう。

 でさ、超個人的なことをふと思い出した。40年前に生まれて初めてカラオケを歌った日のこと。蒲田のサントリー館。常連のTくんがイントロ当てクイズでゲットしたボトルがしこたまあるキャバレーみたいなつくりの店だった。100人くらいは客がいる店の中央のステージで歌うのだ。曲は「メランコリー」。それくらいしか拓郎の曲がない。音痴の俺は緊張したちまち音程を外しステージで無残な状態になった。そこに颯爽とTくんが駆けつけて寄り添ってくれた。彼はメチャ歌がうまいので、おかげで♪淋しいぃぃ淋しいもんだね〜が客席の大合唱になった。今頃こんな形ですまんが、ありがとう。
 スター芸能人とは比ぶべくもない一般Pの俺の話で厚かましいが、そこはそれ、小さな物語でも、自分の人生の中では誰もがみな主人公…って拓郎も歌っているじゃないか>さだまさしだろ。

                         この話は明日も続く。

2021. 6. 29

☆☆泣ける☆☆
 真剣に観ていなかったんだけどドラマ「ドラゴン桜」の最終回で、新垣結衣がサプライズ出演して長澤まさみと手を握り合うシーンで思わず泣けたと職場のスタッフが話していた。いいオトナがしょうがねーなーと冷笑していた。
 今日ネットで何気に昔の「夜のヒットスタジオ」を観ていたらキャンディーズの"やさしい悪魔"…ハラショ。その後、おお懐かしの「三木聖子」の登場だ。しかしお母さんがサプライズで登場し感極まって「三枚の写真」を歌えなくなる。そこにキャンディーズが応援にかけつけ一緒に寄り添うんだよ。その様子に俺も思わず涙ぐむ。可憐な花々のように美しい。口ほどにもない俺だ。
 
 "やさしい悪魔"等の映像を観るたびに、もう何十年も経っているというのに、必ず「作曲 吉田拓郎」のテロップをしっかり確認して、おお拓郎が作ったのか、いい曲作るよな〜と思いを新たにしたりしませんか。俺は毎回そうします。それだけでなく人がいる時は「ああ、これ吉田拓郎が作ったんだ〜、すげーなー」とわざとらしく聞えよがしに口に出してウザがられる一方だ。

 "三枚の写真"は松本隆。卒業・遠距離・悲恋シリーズはもう独壇場だよな。でも三木聖子はこのあとですぐ引退してしまう。いまごろどうしておいでだろうか。

2021. 6. 28

☆☆90分一本勝負☆☆
 超久しぶりに居酒屋に行くと自分一組だけがお客様。厳しいな。客さえまばらなテーブルの椅子。テーブルないだろ。他客が誰もいないので心おきなくアルバム「明日に向って走れ」を聴かせてもらった。「拓郎、歌うまいよな」「いい声だよな」と100回くらい一人つぶやいてウザがられた。このアルバムのおかげで俺はペダルスチールで泣くパブロフの犬になった。
 そして聴き終わるとそそくさと退店する。別にあのお達しに従っているわけではない。切ないぜ。とはいえ、そうだよな、酒飲みと居酒屋の権利だけを声高に主張するのは違うよな。みんな大変なのだ。この世界中びしょ濡れにして冷たい雨が降っているのだ。
 もし次に客一人だったら…俺は何を聴こう、君は何を聴く。

2021. 6. 27

☆身体の中で魂が揺れる☆
 「言霊(ことだま)」。そういえば、つま恋の売店に「音魂(おとだま)」ってTシャツが売っていたな。
 「…つま恋も篠島も関係ないだろ。要するに魂こめて歌えばいいんだろうということで、2時間半ぶっ続けで行きまっせ!」1979年7月2日日本武道館)。御意。

2021. 6. 26

☆☆イメージの詩☆☆
 “ミュージックフェア”を観た。…すまん、やっぱり子役は苦手だ(爆)。でも、子どもたちも含めてたくさんの人がこの歌、この歌の言葉のことを知ったはずだ。まったく関係ないが観ながら映画「三島由紀夫VS東大全共闘」での最後の三島の言葉を思い出した。

「言葉は言葉を呼んで、翼をもってこの部屋の中を飛び回ったんです。」
「この言霊(ことだま)がどっかにどんな風に残るか知りませんが、その言葉を、言霊を、とにかくここに残して私は去っていきます。」

 たぶん初めての人にはかなり変わってて、小難しくて、でも何処かひっかかる"イメージの詩"の言霊たちが飛び回るのが観えたような気がした。教科書には載っていないが、あちこち飛び回ってこの世界のどこかでどこかに刻まれますようにと切なく願う。

2021. 6. 25

☆☆歴史はそれを見逃さないだろう☆☆
 たまたま見せてもらった中学校の音楽の国定教科書(「中学生の音楽2.3下」教育芸術社)。表紙を開くと、オイ、いきなりユーミンだぜ。まるで音楽雑誌みたいだ。ユーミンが全国の14歳に語りかける。素敵だ。
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 俺はユーミンファンとは言えないけれど、なんとも感慨深い。そして誇らしい。OK松任谷!
 さて問題は同じ教科書のJ-POPの歴史のページだ。フォーク、ロック、歌謡曲、テクノポップ、アイドル、ヒップホップ、渋谷系まで広く載っているが…いねぇじゃん
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 特にアイドルのところで「70年代頃からニューミュージックのアーティストも作品を提供するなど、それまでの歌謡曲とは一線を画した…」とまで説明されているのに出てこないのはどう考えてもおかしいだろ。ああ見えて拓郎はとても奥ゆかしい人だから、そんなことはいいと言うかもしれない。しかし拓郎がよくても俺がよくない。
 “赤いスイートピー”が載るのはそりゃ名曲だし当然だ。ただ、それだけってどうなのよ。歴史の教科書の江戸時代=徳川幕府のところで徳川家康が全く出てこないで、八代将軍松平健の写真だけがバーンと載っていたらどうだろうか。それと同じだ。>よく、わかんねぇよ

・・・ということで、なんかもういいやというオワコン感に苛まれていた昨今だが、やはり私もこのサイトも闘い続けなくてはならない。どんなにあざけられ、そしられて、理解を生まずとも。そう思いを新たにした。

追記)
そう思うと、肉子ちゃんの「イメージの詩」、よくぞカバーしていただきましたと心の底からお礼を言いたくなる。子役があざとい、意味の咀嚼がないと批判する人もいたが>それはオマエだろ。…すまんな。明日は手をあわせてミュージックフェアを観るよ。

2021. 6. 24

☆☆愚痴☆☆
 周囲でワクチンを打った、予約したという話が耳に入ってくるが、私の地域では6月末に接種券発送予定ということでまだなーんにも届いていない。しかも私の年齢は7月20日予約開始だと。なんだかな。この気分、何かに似てると思ったら、ファンクラブの先行予約もぴあプレリザーブも落選して、あとは一般販売を待つしかないときの気分と似ている。ああ、もうライブは終わったんだぜ。
 ファイザー、モデルナ、アストラゼネカの違いもよくわからない。俺は勝手に、ソニー、フォーライフ、エレックみたいなものだと思っているが、医学的根拠はゼロだ。>あったりめぇだろ。
 とにかくみなさん打つ人も打たない人もくれぐれもお大事に。友よ、この闇の向こうには、友よ輝く明日がある。夜明けは近い…のかなぁ。

2021. 6. 23

☆巨人☆
 どういう世の中なんだろうか。♪時には無関心なこの僕でさえが腹を立てたり怒ったり〜というよりも同じアルバムの♪こんな世の中と自分を捨ててみた〜に気分か近い。ダメだこりゃな気分だ。

 そんな中で、立花隆さんの訃報を知る。「知の巨人」という賛辞のとおりだ。…っていうほど本を読み込んじゃいないが。ものすげー人だなとひたすら仰ぎ見ていた。巨人といえば20年くらい前、水道橋の東京ドームの横の歩道を歩いていたら立花隆さん本人とすれ違ったことがあった。小柄で飄々と歩いおられたが、まるで侍みたいな目をしていた。
 称賛される「巨大な知」の根底には、いつもシンプルな「けっ。ちゃんちゃらおかしいぜ!」という抜き身の熱いハートが燃えていてそこがまたカッコ良かった。
 俺ごときが、こんな世の中とスネている場合ではない。ちゃんとせねばと思った。彼が田中角栄をひたすら追いかけたように、私も吉田拓郎をひたすら追い続けよう。…それは違うか。心よりご冥福をお祈りします。

2021. 6. 22

☆あとがき☆
 それは原作をあとがきまで全部読んだほうがいいという御指南をいただいたので、早速一気に読んでみた。ええっ。もう一度観なきゃという気持ちにさせられるじゃぁないの。そう思うと映画では小さなフラグが静かに立っていたことがわかる。だからこそ、さんまは映画化を熱望したのかもしれない。そしてまた、だからこそあえて正面からそのことを描かなかったのかもしれない。しょせん下衆の勘繰りなんで、わからんけどさ。読んでから観るか、観てから読むか…という昔の角川書店のコピーを思い出した。
 …ということで田家ります。えーと曲ですね。中村雅俊で「いつか街で会ったなら」
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2021. 6. 21

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 一人で観るのはちょっと寂しかったが、二人で観るのは気恥ずかしい。だいたい俺の場合は自分が観た映画は万人必見の名作で観なかった映画はただの凡作となるので信憑性が乏しいが、それでもやっぱりいい映画だったと思うよ。
 昨日も書いたが、あの”イメージの詩”はカバー作品というより、映画音楽なのだと今さらながら気づいた。そう考えるとあの場面にはあれしかない。あれ以上のものはないと唸った。大竹しのぶだと別の映画になってしまう。そもそも子役一般が嫌いとか歌詞の意味の咀嚼はあるのかとかさんざん文句を言ったが、そしてそれは今も偽らざる意見だが、それはそれとして、いいシーンにいい音楽として使ってくださって感謝申し上げたい。
 一か所個人的に涙ぐんだシーンがあったが個人的すぎるので言わない。そうそう、あと木村拓哉の娘ということで鼻白んだが、彼女もセリフもナチュラルで内省的な女の子の感じが出ていて、とてもマッチしていた。

 さて映画館で隣の席のカップルが最後エンドロールの途中で席を立ったので驚いた。コイツらはどうして「作詞・作曲 吉田拓郎」のテロップを観ないで帰れるのだろうか。何しに来たんだ、変わった人もいるものだ。>変わってるのはオマエだ。シン・エヴァンゲリオンに続いて映画館のスクリーンのテロップの誇らしさといったらない。
 
 明石家さんまの吉田拓郎への敬意があったようにスタッフたちの宮崎駿への敬意が俺にもわかるくらい満ち溢れていて清々しかった。そして原作が読んでみたくなる映画でもあった。

2021. 6. 20

☆映画館☆
 そうだな。あの"イメージの詩"は映画のシーンにあてられた映画音楽なのだというあたりまえのことを忘れていたよ。ということで不肖私、単身向かうであります。

2021. 6. 19

☆雨は蕭々と降つてゐる☆
 大学に入ってすぐの頃、同じ語学クラスで知り合った男と二人で学食で昼飯を食べていた時のことだ。彼は「三好達治詩集」を出して「乳母車」という詩を開いて渡して「僕はこの詩が大好きで暗記しているんだ、いいかい。」と言っていきなり全編を暗唱してみせた。

 母よ
 淡くかなしきもののふるなり
 紫陽花いろのもののふるなり
 はてしなき並樹のかげを
 そうそうと風のふくなり
 時はたそがれ
 母よ 私の乳母車(うばぐるま)を押せ
 泣きぬれる夕陽にむかって
 轔轔(りんりん)と私の乳母車を押せ
  ……

 今ネットで調べて書いた↑当時はわけわからずこの突然の展開に戸惑った。学食でいきなり詩を暗唱する人。俺の育った蒲田あたりにはそんな奴はいなかったので、ああ大学っていうのは怖ろしいところだなとビビった。すると得意げな彼が「君の憶えている詩を聞かせてくれ」と言われてさらに戸惑った。なんだそりゃ。俺は覚悟を決めた。

 今は黙って風の音を聴け
 木の葉の舞う季節 季節を知れ
 思い出すな荒野の朝を 包み隠してしまえ静けさの中に
 ……
 いずれは元の闇の中へ
 答えもなく消え去るのみ
 ……
 今は黙って風の音を聴け
 今は黙って水面に浮かべ
 今はただ静けさを愛せばよい

 初めて口に出して”流れる”を暗唱して思った。こりゃいい。負けてねぇぞ。拓郎、時々惜しいけれどアナタはしっかり詩人だ。

 その暗唱野郎>おい…とはそんなに親しくならなかったが、最近母校の大学教授に就任したと同窓会ニュースで知った。
 ふと思い出して彼の好きだった「乳母車」という詩を検索してキチンと読んでみた。

     乳母車
                三好達治
 母よ――
 淡くかなしきもののふるなり
 紫陽花(あじさい)いろのもののふるなり
 はてしなき並樹のかげを
 そうそうと風のふくなり

 時はたそがれ
 母よ 私の乳母車(うばぐるま)を押せ
 泣きぬれる夕陽にむかって
 轔轔(りんりん)と私の乳母車を押せ

 赤い総(ふさ)のある天鵞絨(びろうど)の帽子を
 つめたき額にかむらせよ
 旅いそぐ鳥の列にも
 季節は空を渡るなり

 淡くかなしきもののふる
 紫陽花いろのもののふる道
 母よ 私は知っている
 この道は遠く遠くはてしない道

 ちょうど6月の雨の詩だったのだな。素晴らしい詩だなと今は思う。
    母よ 私は知っている
    この道は遠く遠くはてしない道
  いいな。吉田も負けてないけど>しつこい
 

2021. 6. 18

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☆白夜☆
 ドイツの白夜の写真。”白夜”だが”détente”の裏表紙の空みたいだ。♪世代なんか嘘さ、夢と笑えホロ苦い若さぁ…何度聴いても原曲の「若さぁ」の歌いまわしがしみる。松任谷と二人だけでスタジオに入って作った…ってラジオで言ってたな。最近のラジオでは、CBSソニーのスタジオで石川鷹彦と二人だけで作った話もしてくれる。松任谷正隆や石川鷹彦と二人でどんなやりとりをし、どんなふうに作り上げていったのだろう。観てぇ。もちろん無理だけどものすげー観たい。何時間でも観ていられる自信がある。
 コロナのためにドイツは今シーズンも大変だったみたいだ。負けないでenjoyしてくれんさいや。

2021. 6. 17

☆最後のそこんとこ☆
 梅雨に入って雲がどんより厚いが今日はあまり降らないようだ。雲が少し明るい。こんな雲を観ているといつも浮かぶ。

 断ち切れた糸をもどかしくもたどってる
 雲の切れ間に明かりを探すみたいだ
               (「海へ帰る」)
 いいな。このゆったりとしたビートもたまらなくいい。
 ただ最後の最後に出てきてしまう”泳げないけどぉぉぉ”
 くぅううう〜〜惜しいな!

2021. 6. 16

☆この〜樹、なんの樹☆
 前の日記にも書いたかもしれんが、いいや何度でも書く。手塚理美はかつて拓郎が社長の頃のフォーライフレコードから”ボビーに片想い”という曲を出した。これは松本隆の詞に拓郎が曲をつける予定だったが、手塚理美は「ユーミンの曲じゃないと嫌だ」と断った。あんまりだぜ、なんてこと言うの(涙)。それでもたぶん拓郎はユーミンととても近かったから、かくして松任谷由実作曲のかの曲が誕生した。これが、またいい曲なんだ。それでもって手塚理美はあんまり歌がうまくなかったしヒットしなかったんだよな。いろいろ悲しい1979年の春だったね。

 これが記念すべき松本隆と松任谷由実(呉田軽穂)のコンビ第一作となり、ご存じのとおりこの記念樹はやがて巨大樹となり満開の花を咲かせることになる。でも言いたい、
その樹の下に埋まってるのは、拓郎と俺の涙なんだよ!


    つづく>つづかねぇよっ

2021. 6. 15

☆想い出してボビー☆
 77年頃ラジオ関東で放送されていた拓郎の特集番組で小林亜星さんへのインタビューがあって、こんな趣旨のことを語っておられたのを思い出した。

「拓郎さんは作詞・作曲・演奏・歌まで独りでやっておられるけれど、ボクは音楽というのは「結婚」だと思っている。違う才能の人と結ばれて新しいものを作ってゆくものなので、独りで何もかもしようとしない方がいい…」

 ああ、なるほどな〜という気持ちとイヤ全部独りでやるから拓郎はいいんじゃないかという気持ちが相半ばしたものだった。しょせんイチ高校生の感想なんでいいんだけどさ。ただどちらであれ今にして思うと亜星さんは愛情深い人だったのだなと思う。

 それと亜星さんが笛を吹いて体操服着た小学生の手塚さとみがラジオ体操するCMが浮かんできて離れない。あれは何だっけ。そうそう手塚さとみもお元気だろうか。成人式で一緒だったので他人の気がしないのだ。あ、成人式会場でおみかけしただけで知り合いではないが。>ってソレ思い切り他人だろぉ

2021. 6. 14

☆さよなら巨星・亜星☆
 小林亜星さん逝く。去年、寺内貫太郎一家の再放送をずっと観ていたのでもう他人のような気がしない。親戚のおじさんを失ったみたいだ。樹木希林も加藤治子も…西城秀樹までいなくなっちゃったじゃないの。
 あの曲もこの曲も名曲の数々は筒美京平さんと双璧だね。自分ごときの身体にも亜星さんのメロディーが出汁のように身体にしみている。ご冥福をお祈りします。

 ちょうど去年買って読んでいた本「言葉の達人たち(阿久悠編)」の「歌謡曲の言葉」の章で音楽と言葉の歴史を作曲家として綴っている亜星さんの文章があった。

「ニューミュージックは革命だった
…これは日本歌謡史上の大革命だったんですよ。吉田拓郎さんや井上陽水さんがやった革命なんです。…拓郎さんの努力で歌謡曲が非常にカッコ良くなりました。」

 リップサービスでなく新しい音楽としてガチ評価しておられる。これも筒美京平さんと同じだ。

 その本で小林亜星さんは、「メロディーや詩を主人公にした音楽」、下手でもいいから大切な人に心をめて「ゴンベンにテラ(詩)の歌を歌ってあげてください」と結んでいる。狼少年ケンやレナウンからこの木何の木と幼少の頃から実にたくさんのやさしい「詩」を歌っていただいた。ありがとうございました。どうか安らかにお休みください。

2021. 6. 13

☆しのぶれど色に出にけりわが好み☆
 ラジオを聴きながら、ああ終わってゆくのだなと思った。アルバムの進捗も含めて一言一言に素晴らしいミュージシャンたちへの尽きせぬ感謝が滲んでいる。拓郎が感謝する人々はすべて私たちの恩人である。ありがとうございます。

 といいながら相変わらず私は不肖のファンですまない。しかしせっかく私も酸素を吸っているんで言わせてもらう。私は個人的に子役とその廻りがとても苦手だ。今回は新鮮な試みだと思うし、自分の感性の足りないせいだと頑張ってはみたが、トドメの”お手紙”を聞いて私の苦手因子がすべてパーフェクトに揃ってしまった。ダメだ。なのでできるだけ遠くから応援している。

 だからというのではない。私は大竹しのぶにカバーして欲しいと切に思うのだ。昨日、肉子さんの公開挨拶のニュースのしのぶさんを観て、そのあと、さだまさしの長崎ライブ2006で大竹しのぶの「フレディもしくは三教街」の映像を観て涙ぐみ、彼女の「ファイト!」のカバーの背筋も凍りそうな凄さを思い出した。彼女にこそ「イメージの詩」を魂で歌ってほしいと思った。きっと彼女は彼女の天才の感性で、この歌のソウルと行間を掴み取って、発出してくれるに違いない。カバーって、その人が咀嚼し反芻したうえの解釈だと思うのよ。10歳の少女に周囲の大人が仮託した解釈よりも、シンプルに大竹しのぶの魂の「これこそは!」を聴いてみたい。

2021. 6. 12

オールナイトニッポンゴールド  第15回 2021.6.11

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。週替わりのパーソナリティの金曜日、今週は吉田拓郎がお送りします。

 今の収録時間帯は、一年以上自宅から台本もなく一人でやっているけれど午前中からトライしたいと思っている。こういう社会状況だと外に出ない、もともと外に出ない二人だが、奥さんの昔のドラマを観ている。今頃になってハマっている。一連の宮藤官九郎はすごいね。ワン・エンド・オンリーだね。面白いね。字幕だとセリフがわかって面白い。こんな人はいなかった。不思議なセリフ回し、愛あるひとこと、笑わしてくれて、また泣かせてくれる。今日も続きを観たいので午前11時半から始める。
 2021年盤の”イメージの詩”、10歳の少女のソウルフルに歌声に感動感激のメールをたくさんいただいた。心から嬉しくて熱くなる。ソウルフルな稲垣来泉さん。その来泉さんからお手紙いただきました。なかなかソツがないな(笑)。見事な10歳だな。

吉田拓郎さんへ

 私が歌わせていただいたイメージの詩に感動したといってくださったと聞きうれしいです。
 私は、拓郎さんの「流星」と「落陽」が好きです。ああ、おおおお〜流れてゆくとかをつい口ずさんでいます。
 拓郎さんの渋くてカッコいい声や歌い方が好きです。
 他にも今日までそして明日からが好きです。
 私の今までを思っています。誰かのチカラを借りたし、手を取り合ってきました。
 詩は歌詞の意味を知ることで聴こえ方が変わることを知りました
 もっと歌が大好きになりました。
                       くるみより

 くるみさんと拓郎さんの絵が描いてあるが、拓郎さんが誰なんだ(笑)。10歳の時にこんな手紙書けないよ。鹿児島で、近所の一子ちゃんと相撲で投げられて泣いていたし、学校では下駄屋の女子に投げられて、宮崎先生におんぶされて帰りながら、ああ気持ちいいと思っている、鼻たれ、甘ったれだった。俺にも10歳の頃があったんだな。

 絵を観ても、拓郎さんはこんなおやじなんだな。この子から見ればこういうふうに見えているんだな。年貢の納め時だ。人間引き際がありそうだな。

 正直こういう世代がこれからの日本を作ってゆくんだな。こういう姿を観ていたいな。永遠に観ていたいな。くるみちゃんありがとう。これからもお芝居、歌にがんばって。これからながーい人生、いろんなことがあるよ。さんまさんに教わってね(笑)

◇今夜も自由気ままにやっていきましょう吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

 <2曲かけて二つ目のイメージの詩にじわじわと泣けてきたという投書>
そういうメールがたくさん来ている。少女の歌声が人々の心に響いたのは確実。日常いつの間にか心を乱している僕等
 そういう証拠じゃないかな。僕らはシンプルに、疑いの心を少なくして生きていたい。心惑わす日常に疲れているんだ。そういうところに彼女の歌声が響いている。
 僕なんか久しぶりにいい胃薬にであったスッキリした気分。合わない胃薬でなく、バッチリあった胃薬みたい。そういうさわやかな風が吹いていった。
 僕らの心は疲れているんだよ。
<母の影響で聴いている、帰省できないけれどラジオを聴いて母と話し合う、私はアニメが好きで、エヴァンゲリオンあのシーンで感動した、佳代さんのかわいらしい声が好きという投書>
 先週は休んだな。あの時は料理が忙しかったかぼちゃの〜を作っていた(笑)
 アニメはあまり意識していないけれど実は縁がある吉田拓郎だ。
 “気持ちだよ”は「こちら亀有交番前派出所」だし、”今日までそして明日から”は「クレヨンしんちゃん」、”純”・・・大好きな曲だけど、「クロマティ高校」、”イメージの詩”は「漁港の肉子さん」だし、「シン・エヴァンゲリオン」では”人生を語らず”
こういう縁があるんだな。そうなんだ。そういう人生なんだ。これもやってきて良かったな。素敵な音楽人生になってきている。
 2019年で熱演し、原曲では徳武が素敵なギターを弾いている

M-1   純        吉田拓郎

◇CM

<49歳ママ、拓郎さんのライブ映像を観て、こんな世界があったんだ、 こんないい歌を歌ってたんだと感激している投書>
ずっと前からあったんだ、ずっと歌っていたんだよ、もうやめるんだよ、もう間に合わない(笑)
<奥様はU24 田中碧、三苫薫が好きだと言っておられましたが、先日アルゼンチン観に行ったところ、相馬勇紀がちょっとぽっちゃりしていてかわいいという投書のつづき>
 
 碧に薫、勝てないな。おばさんたちが多彩に目をつけているな。だから、おっさんも若い人たちに関心を持とう。昔ばっかり追っかけていないで、だてに酸素を吸っているんじゃない。光を放っている若者たちを観るようにしないさい。今観なきゃツマンナイ。

 この一か月で最高の出来事は照ノ富士の優勝だな。感動した。妻もキッチンで料理の時間だけれどオープンキッチンなので観ながら料理している。我が家ではテルちゃんといっているが、その立ち合いだけは観ていられないので勝負がついてから見る。緊張の毎日。いよいよ来場所は綱取りだからケガをしないでほしい。

 川崎フロンターレは強いな。田中碧、三苫薫が活躍している。

 我が家では、テルちゃん、田中、三苫だな(笑)

 野球の話だが、<今年から森下投手、茶髪に変わって驚いているが、奥様はどうですかという投書>
 実は、気になるみたい(笑) さかんに茶髪を観て「どうなのよ」と言ってる。やや、への字(笑)

 ウチの人は中日の根尾選手、出てくると「おっと」と言って観ている。忙しいね。
若いころの吉田拓郎みたいになっちゃったが口癖。

 僕は、英国ロイヤルバレエ団の「白鳥の湖」を観た。白鳥と黒鳥。高田茜、見たかな。こうやって平野亮一さんとかも世界的なステージで踊っている。で、僕は高田茜の大ファン、そしてフィギュアは紀平梨花の大ファン。とにかく若い男子と女子に目が細くなっている(笑)。

<ファンレターを34歳で書く、2006年つま恋がきっかけで拓郎さんの音楽が好きになり、神田共立も当日は最後尾、やさしい悪魔の迫力、人生を語らずの音圧が凄かった、 僕も拓郎さんの年齢まであと40年、ロックな人生を送りたいという投書>
 神田共立は、一生忘れられないステージだったな。あの狭さ、デビューの頃の一体感が懐かしかったし、打ち解けていた バンドもその夜のパーティで、なんでしょうね、なんか楽しかったですねと言っていた。
 フォーラムだと5000人、アリーナだともっとだけど、1000とか1500人だと楽しめるというのがあった。全国ツアーをやっていって、つま恋では5万人とかになって、なれていったけど、紀伊国屋ホール、安田生命ホール、厚生年金会館小ホール、 あと神田共立講堂には育てられたという気がする。当時の絵が浮かんでくる。

 ラストアルバムもタイトルは決まった。びっくりするタイトル。そして泣くかもしれない。ジャケットはラストシューティングになるだろうし田村仁ファミリーに頼むので、彼らとスタイリストの廣澤さんと合わせてリモートで会議をした。

 いろんなアーティストが来たり、アレンジャーも凄いのだけれど、目玉は、D.竹林さんの公開レコーディング。神田より小さい100〜200人を考えている。会場というよりパイプ椅子を置いてという感じかな。ラストレコーディングを観てほしい東京とか名古屋とか話している。その風景を目に焼き付けてほしいと思う。公開その人数をどうやって選ぶか、僕は内心では、ほくそんでいる、決めていることはある、2019年のDVDを持っている人にはわかるかな、そういう人に見もらいたい。
 ま、コロナがおさまってからだけれどね。今度ワクチンに行くんで不安だけれど、これは伝染らない、伝染さないためにも義務だよね。で、撮影の話で、  つま恋に行きたいね、今どうなっているのかと言ったら今度ロケハンしてくれるらしい。

 いろいろ企画はあって楽しめる。僕がこの世からいなくなってから追悼しても嬉しくないし、いらない。消えちゃったらしかたない。生きているときにどんだけ楽しくやれるか、充実した気分でいられるかだ。酸素を吸っているんだから。僕が天国に行ってるときにあれこれしゃべるヤツはろくなヤツじゃない。
 小田和正がボーカルをフォローして歌おうかと言ってくれている。嬉しかったな。どうしてもこの人とデュエットしたい若いアーティストがいる。この人に見合う曲を作れとディレクター言われている。いい曲作るから口説いてくれといっている。
次の曲は、母の約束で歌うのをやめた曲。でも今頃は母も、拓ちゃん楽しい音楽人生だったみたいだね。良かったね。 リクエストしようかと言っているかもしれない。この曲大嫌いって言ってるかもしれないけれど。1982年の日本武道館。 暴れん坊、酔っ払いバンド。

M-2 王様達のハイキング     吉田拓郎

◇アルバムの思い出
 先週の「ローリング30」のあと松本隆君から連絡があって拓郎に会いたいなと言ってくれたらしい。いずれコロナが収束したら松本くんをスタジオに読んでかつてのアイドルのこととかも含めていろいろ話したい。今月のアルバムは、1996年「感度良好波高し」。変なタイトルだけど。

 LAの名うてのミュージシャンと作った。ドラム・ラスカンケル、キーボード・クレイグ・ダーギー、ベース・リーランドスクラーとギター・マイケル・トンプソン

 それ以前に、ラスカンケル、クレイグ・ダーギー、リーランドスクラーとは、ナッソーのコンパスポイントスタジオ。ボブ・マーリィやローリング・ストーンズが使った「ロングタイムノーシー」スタジオセッションしていたので楽しいレコーディングだった。

 アレンジの半分は僕で半分は瀬尾一三に頼んだ。作詞は石原信一で当時付き合いがあったので、コンドミニアムを借り切ってみんなで現地でレコーディングした。
 ロックギタリストのワディ・ワクテルやアコースティックギター・フレッド・タケット、中でも当時有名なマイケルトンプソンという当時売れっ子のギタリストがいて瀬尾ちゃんが選んだ。素晴らしいギタリストで、デモテープをきかせたら「ナイスギター」といつてコピーしてくれて、さすが名うてで味付けをしてくれていいギターになった。このアルバムはそういうサウンドが売りだった。日本でなかなか出せない。

ベイサイド・バー。2014年、2016年と僕がトークでベイサイド・バー、僕がたまたま入った港のバーで常連客と話し込んでいる話をしてオオウケした。二人客と世間話しながら、「あれ?吉田拓郎さんですよね、どうしたんですか?」と尋ねられてツアーで来てふらりと入ってきたといって、ジン・トニックを頼む。しばらくして外へ出たら海からの風。夜空を見上げて石ころを蹴る・・・と言いう話。

◇11時
(佳代さんのコーナー)
 妻)みなさんお元気ですか、私は毎日大変だけど頑張ってます。平和になったら、欲しいものがいっぱいあります。高い洋服とか高い靴とかバックとか買いまーす。
 夫)はははは

 それで夜空を見上げるという他愛ないハナシは、石原信一のベイサイド・バーを彷彿とさせる。マイケル・トンプソンのプレイが素晴らしい。僕の作ったフレーズを弾いてくれた。石原信一の歌詞に関しては後でいろんなことをいいます

M-3  ベイサイド・バー  吉田拓郎

 みなさんもこういう体験ある人がいるかもしれない。自分の故郷を離れてみたいと思わなかったかい。違う町で暮らしてみたい。10代にはあったな。ウチは、母、姉、祖母の女系家族だったので高校3年くらいの頃、ずっとここにはいられないだろうなと思っていた。果てしない…決まりきった日常でなく、あてはないけど果てしない旅をしたいと思っていた。
 しかし出てはみたものの、そうはいかない、理想郷にたどり着けていない。この歌詞は体験したことはある。離れたいな違うところに行ってみたいな理想郷はなく現実的には今を生きている。瀬尾一三がアレンジしたけれど、ドラマチックで壮大なアレンジだ。瀬尾一三は、中島みゆき専属のプロデューサーでアレンジャーだと思うけれど、中島みゆきは時にドラマ仕立ての作品も多い。そういう中島みゆきの影響があめのかもしれない。もともとシンプルでボッブな感じのアレンジが得意だったのが、スケール感のある感じがうまくなっている。この曲も非常にドラマチックに出来上がっている。

 石原信一の詞は好感はもってるけれど不満ももっている。いいとこあるな、いいとみいってるよな・・・でも歌ってゆくと二番、三番で「惜しいな」(笑) と思うところが必ずある。不思議な事だけどそれが彼風なんだな。それかないと根本から違ってしまうのでだから言えない。ここちょっと惜しいという未完成形の作詞家。隙が多い。吉田拓郎にはあわないと思う。
 彼は日本的な和風な言葉使いが得意だ。演歌とか似合うのかな。付き合ってると楽しい。そうは言ってもこの詩はいい出来だ、だって吉田拓郎のメロディーがついたから。いい仕上がり。でもみんな歌詞はあまり聴いちゃいないだろう。歌っていて三番あたりはどうかなという気になる。作詞の目のつけどころは10代の頃の違う世界に行きたいという気持ちをとらえている。

M-4 遥かなる  吉田拓郎

 作詞家石原信一はバハマにも同行したし、最初「夕映え」という詞が面白いなと思った。ところがこの石原さん、瀬尾ちゃんの最も苦手なタイプだった。瀬尾さんは自分をおばさんだと思っている。ショッピングも好きであれこれ買いだめする。僕もTシャツ、ジーンズも何十枚も買って自分はおばさんだからだと思っている。おばさんが苦手なおやじが石原信一なんだ。LAのコンドミニアムの生活でミスキャストぶりがはっきりした。日本人ばっかだった全員でパーティというか持ち寄りの飲み会で和気藹々と過ごしていた。そこにお酒が回ってきた。石原さんは酔うと真っ赤になるが、顔赤くして、みなさん気分がいいので歌っていいですかといったので、みんな、勝手にすりゃいいじゃんという感じだった。ギターを出してきて弾き語りで♪淋しさのつれづれに〜「心もよう」を歌い始める。
 ここからドラマが始まる。「その曲かよ」「場が場だよ」。吉田拓郎がLAにいるのに、選曲それかよ。で、唄もうまいし、かまわずずっと歌っている。だんだん曲が進んでゆくとご本人は気持ちが高ぶって涙というか目頭が熱くなっている。
 瀬尾ちゃんがその熱唱ぶりにしらけた。歌が終わると拍手でなくて全員で「なんでその曲なんだ、ここをどこだと思ってんだよ、空気が違うだろ」と言われ始めた。僕としてはおさめたのですが、それ以来瀬尾さんが石原さんと口をきかなくなった(笑)。それからお付き合いがなくなった。いろいろ作詞家として賞をおとりにもなられたけど個人的なお付き合いがなくなった。お付き合いがなくなった人がいる。それでも楽しい思い出。

 僕の曲にはツーコードというパターンがある。ペニーレインでバーボンはGとEm、春だったねだとDとEm。この曲は、AとF♯mのツーコードでメロディーがいろいろ展開していく。典型的なR&B。FromTにも入っている。デモテープのまんまコピーしてくれた。

M-5 心のままに    吉田拓郎

◇CM
 最近なって思う。僕の曲の中でこの一曲は今は歌わないな。自分らしくない曲がある。若い・・・というか勘違いしているな。その曲を当ててもらう。絶対に歌わない、嫌いな曲。ハワイのカマカの6弦ウクレレ(実演) ボディにスリ傷もあって年季ものだ。応募が600通あって、正解者がいました10人。妥当かな。

<"結婚しようよ" という投書>
 これは好きとか嫌いとか言っちゃいけない。加藤和彦という才能との出会い。これが松任谷正隆を連れてきて、石川鷹彦・・・はこの時ではないけれど、いろんな才能あるミュージシャンとのセッションが始まる。これは加藤和彦の作ってくれたもので貴重なレコーディングだった。こういう大切な音楽人生のこういういきさつは好き嫌いのジャンルではないよ。ジャンルにいれちゃいけない。

<"いつか夜の雨が" 鳥山さんのギターカッコ良かったけど という投書>
 今でも大好きだってば。(ウクレレで歌う)ブッカーというリズム&アンドブルースマンがレゲエでアレンジしてくれた。あのシャングリラのレコーディングはトラブルが多かったし、ミュージシャンとの接し方がトウシロだった。体験しては勉強になった。その後のバハマに繋がってゆき、ミュージシャンとの付き合い方がわかり仲良くなった。この曲はいい。

<"旅の宿"  拓郎さんを知らない古い人のイメージという投書>
 違います。大ヒットしたときに自分じゃ当然だと思っていた。当時、レコーディング前に、♪浴衣の君はススキのかんざしって〜パック・イン・ミュージックでも紹介したら大反響だった。岡本さおみの珠玉の詞。これとか襟裳岬とかルームライトとかは素晴らしいと思っている。業界ではレコーディング前から評判になっていたし、ソニーでも絶対売れると太鼓判である。
 石川鷹彦とスタジオに二人だけで作った。それでよくこんなのできるなと言われた。石川さんがいかにテクニックが凄いか、ギターやエレキべースも弾いている。石川鷹彦のアレンジとかプレイが素晴らしい。俺もギターとかハーモニカとか。吉田拓郎はアレンジ力があったと断言できる。若い才能の共鳴がこれをつくりあげた。嫌いになったらバチがあたる。

<"海を泳ぐ男" という投書>
 ♪さようならさようなら〜。これは人生は自由に生きていいんだよ、自由に泳ぐ魚の唄だ。いつまでもこだわらないで自由に生きようという唄。僕らは自由に泳ぎ魚なんだ。いい詞じゃないか。
 歴代の中で最も俺を理解していたドラマー。第一人者。「吉田町の唄」「NHK101」とかもやってくれた”がっちゃん”こと今泉正義。これでも石川鷹彦は、スライドギターにフラマン被せようかと提案してくれた。最高に気に入っている。この曲は、Ipodから外したことはない。もし今度歌うとしたら一番にリストアップする。正解は10通だった。

■エンディング
 映画「サタデーナイト・フィーバー」は観たでしょうね。ディスコブームの火付け役、ジョン・トラボルタの主人公は田舎くさいけど刺激的だった。僕も毎晩のように六本木のディスコに、今は天国に遊びに行っているかまやつさんと一緒に行った。よく遊んだ。あと、この方も天国に遊びに行っている安井かずみ。彼女に連れて行ってもらった川口アパートは高級プール付きで憧れだった。そこで朝まで飲んだり、コシノジュンコや加賀まりことも遊んだ。
 原宿はどこか固い。フォークソングとかそういう感じでいたのを、かまやつひろしが連れ出してくれた。フォークと違ってグルーブサウンズ関係は、遊び人がいっぱいいた。かまやさんは特に遊ぶわけではないけれどフリーランスな感じで、スタンスが自由で固くない。そこに気が合って、原宿から六本木がメインになった。

 ディスコをどうとらえるか。これは若い社交の場だ。ナンパ目的とか不純な交友とかいうけれど、ここに行ったことがないともしかしたら人生観が違うかもしれない、そういう素敵な場所だと思う。大音響の音楽の中で踊っている最中に我を忘れる、嫌なことを忘れる。青春が宿っていたな。かまやつさんとの思い出は有意義だった。若者にとっての特権だった。日常を大切にするなら非日常になれる場所も大切なんだ。

 次回は7月9日

☆☆☆☆思いつきと感想☆☆☆
☆グドカンの何のドラマを観ているのだろうか。知りたい。夕食の用意でコーナーが飛んだり、完全に吉田家の日常の暮らしの中に溶け込んでしまっている番組だな。スタジオで収録してほしいという意見もわかるが、これはこれでどこまで暮らしの中に溶けてゆくのか貴重な実験のようで面白い。

☆読み上げられた10歳の少女の手紙に眩暈がしたのだが、心が汚れている私は触らぬ神に祟りなし。何も言うまい。とにかく若い人たちの世の中を大切に見つめることを胸に刻む。

☆若い人たちの輝きを見つめたい。それは本当にそう思う。以前に俺も吉田拓郎ばっかり聴いているのではなく、もっと若い世代の音楽を聴こうと思って、浜田省吾を聴き始めたことを思い出した(爆)。若いミュージシャンというとどうしても浜省とか甲斐よしひろが浮かびませんか。♪さようなら、さようなら〜なのは俺だ。

☆純はいいな。何度かあきらめたにもかかわらず、よく2019年のステージで歌ってくれたと思う。

☆ロイヤルをご覧になっているのか。スポーツに限らず、バレエも体型的にハンデを負った日本人が世界の舞台で活躍することは並大抵のことてはない。だからこそヨーロッパの彼らと肩を並べることの誇りのようなものをひとしお感ずる。バレエに詳しいわけではないが、私とこのサイトはとあることでヨーロッパのバレエ団を密かに深く応援し支援している。すべての道は拓郎に通じる。ああ、ステージの最後で吉田拓郎のReverence
もう一度観たい。

☆そうか、ラストアルバムのタイトルが決まったのか。泣くかもしれないのか。どんなタイトるなのか。

☆公開録音参加者をどうするかについて、「内心ほくそえんでいる」、「最後のDVD」、ああどうせ、あの悪夢の「アイ・ライク・ユー」的なものが復活するのだな。俺はもうダメだ。
☆最後のレコーディングを目に焼き付けたい。だったら100人とはいわずに。勢いで木を切ってしまった代々木公園あたり、いや全国各地でPVとかしてくれないか。

☆感度良好の話は良かったな。全体にカッコイイよなこのアルバムは。

☆Uramadoのベイサイド・バーのタイトルが昨夜の話にピッタリで、http://tylife.jp/uramado/baysidebar.html 聴きながら知人に凄いだろと思わずメールしたら、翌日、はいはいそうですねという返事が来た(爆)。すまん。確かになにが凄いんだろう。

☆石原信一は大好きなので、今日の話は面白くも、ちょっと切なかった。歌っていながら途中で「惜しい」と思う・・・って拓郎、自分はどうなんだ(爆)。しかし、吉田拓郎と瀬尾一三の前でへーきで歌を、しかも陽水を歌ってしまうのは完全にアウトだな。

☆「天国に遊びに行っている」と何度か言っていたね。悲壮感がなくて、なんかいつかまた会えるようなニュアンスがあっていいなと思った。

☆「海を泳ぐ男」のこと、また今泉正義さんのことをそんなふうに思っていると知り得たのは貴重だ。♪さようなら、さようなら〜を歌わせたことも含めてパピー星人さんGJ。
 それにしても「海を泳ぐ男」にしても「純」にしても、そんなに好きならなんで「天国の7曲」にいれなかった。私の敗因は「純」「海を泳ぐ男」にこだわったためである。と今さら言い訳してもしょうがないな。

☆石川鷹彦さんも参加できればどんなにか素敵だろう、そんな思いが行間に滲んでいた。

☆人生が変わる。それは六本木の高級ディスコだったからではないか。学生時代に新宿のニューヨーク・ニューヨークとかに通ったことがあるが、別になんも人生変わんなかったぞ。日常の中の非日常。我を忘れる瞬間。それが俺には「吉田拓郎のライブ」だったんだよ。だから今、俺たちにゃ。この世からすべてのディスコが消えるくらいの出来事なのだよ、あらためて言えば。

☆今日の学び☆
 すべては本人の才能と魅力あればこそだろうが、それでも吉田拓郎という才能を見つけて、広い世界に連れ出してくれた偉人加藤和彦、かまやつひろし、安井かずみ。でもだからといって天国には遊びに行かないで。連れても行かないでね。

2021. 6. 10

☆それでいい、それがいい☆
 「私もどれだけリクエストハガキを書いたことでしょうか」という同志のファンの方の言葉が嬉しい。いたか。一人いるということは1000人はいる。根拠はないが絶対いる。

 必ずレコードを買う、せっせとリクエストを書く、そしてヒット・チャートにキチンとやきもきする。別に自慢でも正義でも善行でもない。ただひたすら個人の楽しみだ。
 その方がいう。まだ「ラストアルバム」のチャートがありますよ。おおそうだな。どうすりゃいいのかわからないけど、買って、聴いて、どっかにリクエストして、そしてやきもきする。楽しんで楽しんでそれで、われらが青春の楽しみの打ち止めである。

2021. 6. 9

☆ラジオCMといえば☆
”もうすぐ帰るよ”のラジオCMを思い出した。

 女の子の声)「もしもし、ワタシ今駅だけどもうすぐ帰るね」
 ♪もうすぐぅ帰るよ、僕はぁ少し疲れて〜
 アナウンサー) 帰って来た拓郎節。吉田拓郎ニューシングル”もうすぐ帰るよ”

 帰って来たって、どこかに行ってたのか拓郎節。これは若気の至りでなく、今思い返しても切ないCMだ。

 手持ちのORICONの本だと、となりの町のお嬢さん、明日に向って走れ、たえこMY LOVE とヒット・チャートをそこそこ快進撃していたが、このシングルで一気に失速する。そこから長い長いシングル氷河期時代が始まるのだ。ラジオの電リクにせっせと偽造ハガキを書いて送らざるを得なかった時とも重なる。何の効果もなかったが。

 もちろん今にしてみれば売上枚数もヒットも関係ない。要は音楽そのものだ。後にLIFEのリミックスでハーモニカの音が出てきたときは、おおっそこまで作りこんであったのかと嬉しかったし、15年後にようやく観られたプロモーションビデオは貴重だし感激した。B面のVoiceもちゃんと現代に蘇生した。
 それに ”もうすぐ帰るよ”よりもっと売れなかった”流星”がこうして名曲として残っているじゃないか。
 
 余計なことだが、ファンだけれど新作レコード特にシングルは買わない派とでもいうべき人々がたくさんいるのだと肌で分かった。もちろん買ったから偉いとか、買わないからどうだこうだという資格は俺にはない。

 しかし私個人としては、発売日をジリジリと待ち焦がれて、これは売れるだろうか、ああ今回もダメだったか、シングルカットはこっちが良かったんじゃないかetc、一喜一憂、いや一悲一憂しながら氷河の上を歩いてきたファンには、知らない人だろうが、合わない人だろうが、とにかくどんな人であろうと、ムネアツの共感を感じるのだ。

2021. 6. 8

☆昔のラジオスポット☆
 「我が家」のメロディー確認のためもあってアルバム”明日に向って走れ”を最近よく聴いている。ふと発売当時のラジオCMを思い出した。

 ♪流れる雲を追いかけながら〜本当のことを話してみたい
  楽な気分にしてくれる12曲、吉田拓郎ニューアルバム「明日に向って走れ」発売中。

 超名盤”今はまだ人生を語らず”の次のアルバムで、しかもフォーライフレコード設立第1弾だぜ。なーにが「楽な気分」だよ、楽なLP作ってんじゃないよ!と中学生の俺は吠えていた。このあたりは富澤一誠と同じだ。こうして今になってみると、身を削るような魂の名盤を思う時、自分の無明がちょっと申し訳なくなる。しかしだからといってお詫びするのも違うな。
 若気の至りと老境の美化との間を行ったり来たりさすらっても。

2021. 6. 7

☆永遠の未完☆
 “アゲイン”て歌はちょっと異色な気がしてさ。普通の拓郎の歌は、気持ちや情景をガッツリと描き出してゆくけれど、”アゲイン”は、なんかスカスカだ。どんなことでも聴かせてとスカスカの器を差し出してくる。あなたの思うことや心の中にある情景をこの中に入れてみて。ホラいいでしょう、きれいでしょう、僕らは今も自由のままなんだよ、と語りかけてくれるような気がする。脳内走馬灯作成キットのような歌。>意味わかんねぇよ。

2021. 6. 6

☆久々の客席☆
 老母のワクチン接種に付き添った。会場の市民公会堂はご高齢の接種者で賑わっており、医療関係・設営者側も総力戦という空気を感じた。

 公会堂の客席でしばらく待機してなくてはならない。一人で来ている方、ご夫婦の方、家族が付き添っている方、さまざまだ。高齢者だけに家族付添人も俺を含めてそれなりの高齢だ。そんな客席に座っていると、あれ、なんか全体にいつも座っている客席の景色と同じじゃないか(爆)。客層がほぼ同じ年齢感だ。そのせいかしみじみとした気分になった。
 i-Podで”From T”を聴いていて、”アゲイン”差し掛かるとメチャメチャしみた。人生の諸先輩方には超失礼かもしれないが映画のようだった。

 若かったころの事をきかせて
 どんな事でも覚えてるなら
 思い出たちはすげなく消える
 ・・・・・・・・
 時がやさしく切なく流れ
 そっとこのまま振り返るなら
 僕等は今も自由のままだ

 拓郎はもう接種されたのだろうか。打たれる方、打たれない方、ともかくお大事になさってください。早く集団免疫とやらが達成できますように。医療、運営周りの方々も大変でしょうがお願いします。
 俺の接種は未定でたぶん遥か遠くだが、とにかく母の一回目は終わったので、あともう一回だ。アゲ〜ン、アゲ〜ン、もう一度ぉぉ。

2021. 6. 5

☆古いメロディー☆
 20歳の頃、付き合っていた彼女に何枚か拓郎のアルバムを聴かせた。その後で何が一番好きかと尋ねたら意外にも彼女は"我が家"という答えだった。僕も大好きな曲だよと答えたら、その場で歌ってみてと言われたのだった。もちろんその場でアカペラで歌った。

 ♪風は緑の中で
  夢を誘うがごとく
  川の流れはゆるぅく

 「え、違うよ」と彼女はハッキリ言った。「そんなメロディーじゃないよ」…歌いながら俺もこんなメロディーじゃないとわかっていた。しかし何回歌い直しても違った。ホラ、坂崎幸之助が音痴が歌う"五番街のマリー"というネタがあるけど、あれそのままで音程がしっかり外れていた。
 「ほんとに好きな曲なの?」とまで言われてえらく悲しかった。ほんとに音程が取れない。そりゃ俺は音程よくないけどさ。結局彼女とはそれが理由ではないけど別れた。
 これを読んている方、今、歌ってみて。この出だしのメロディーはもちろん音感のある人は歌えるのだろうが、でも難しくないかい? 今歌ってみても相当に危うい。でも本当に好きな曲なのだよ。
 

2021. 6. 4

☆男達の詩☆
 リズム&ドラムマガジン4月号の島村英二インタビューで今でも尊敬するドラマーとしてスティーブ・ガッドのことが語られる。これを読んで40年前の拓郎のインタビューにスリップした。ギターブック1982年8月号別冊。王様達のハイキング絶頂期の頃だ。
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 いいね。ミュージシャンのことちゃんとわかっているし、そういうところを大切に思ってくれている。たまらないんだろうな。拓郎さんそういうあなたがいいな。ベースはチー坊・武部秀明さんね。

2021. 6. 3

☆悲しい気持ちで☆
 オリンピックやコロナの件で陰に隠れがちだけれど、愛知の署名偽造の事件はかなりショックだ。
 35万人分もの署名を偽造して、地方自治体とはいえ政権転覆を謀る、もうやってることが「死ね死ね団」である。死ね死ね団…、ああ、もうわかってくださる方だけでいい。とにかく目的に理があるかどうか、そんなこと以前にアウトだ。実に震撼させられる。

 こんな事とんでもねぇぞと怒りながら、かつて拓郎のラジオのエピキュラスの公開放送のためにものすげーたくさんの名前使って応募ハガキを書いたり、文化放送でやってた「小川哲哉の決定!全日本歌謡選抜」で電リクの順位を上げるために「舞姫」「流星」「春を待つ手紙」あたりで偽造リクエストを書きまくった過去を思い出し、なんか後ろ暗い。人に何が言える、黙ってうつむけよ!、と拓郎が脳内で歌っている。

 しかし、いろいろあってもそれはそれ、とにかく発覚した途端、みんなが知らぬ存ぜぬになって徹底究明もなされそうにない。そんなことも含めて心の底から恐ろしい事件だとつくづく俺は思う。用心しろよ、用心しろよ、そのうち君も狙われる。

2021. 6. 2

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☆リズム&ドラム・マガジン 2021年4月号☆
 バックナンバーだけどネットですぐに買えた。島村英二インタビュー。読み応えアリ。ドラマー島村英二の大河ドラマのような歴史がわかる。歴史をちゃんと理解しているこのインタビュアーがまたいい。拓郎でいえば昔の雑誌「すばる」の重松清のインタビューみたいに押せば命の泉湧く浪越なツボを押しまくる。

 あらためてご活躍の超絶な幅広さに唸る。あれもこれもそれもどれも、みんな島ちゃんだったのか。私たちの心臓の鼓動と心拍数は、島ちゃんのビートで出来ていると言っても過言ではない。

 この手のインタビューで拓郎のことが出てくるかな〜と期待して読んでいたら、全く出てこないか、せいぜい1行くらいで簡単にすまされていることってよくありませんか? そこは島村英二、ちゃんとしっかり出てきます。
 「彼は1つのアルバムにいろんな景色を見ていて、その1つ1つを凄く丁寧に作っていくんですよ。それが最終的に”拓郎の音楽”として1枚のアルバムにまとまっているんだよね。」
 …嬉しくなる言葉、多数あり。

 嬉しくなって今日は朝から大瀧詠一の「快盗ルビイ」を聴いている>そっちかよ!

2021. 6. 1

☆吉田拓郎が二度と歌いたくない歌☆
 昨夜拓郎ファンの方とメールでの会話で、その方が考えた「吉田拓郎が二度と歌いたくない歌」を聴いて思わず膝を叩いた。それだ!その方の理由もとても説得的で、拓郎が笑いながら正解発表する様子が目に浮かぶようだった。お見事と言いたくなる。そんなセンスを感じた。それに比べて俺の応募した回答はあまりにチンプな、チンプジャーナルだったな。また負け戦だったな…と「七人の侍」の志村喬になりきって呟いた(爆)。まだ番組に送っていないとのことだけど、是非応募すべきですよ。
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2021. 5. 31

☆愛と平和の祭典☆
 私の数少ない拓郎仲間の方々から元気と気づきをいただいた。ありがとう。それをきっかけにLive73yearsの特集号の会報を引っ張り出して久々に眺めてみる。全国から集まった参加者の方々の言葉と笑顔の写真を観てガラにもなくしみじみとする。ああ良かったなぁ。
 今はオリンピックが喫緊の大問題だが、私達もコロナのおかげで、それぞれの生涯をかけた大切な祭典を失ったのだ。もともと比べるものではないが、向こうがどんなに世界と歴史とついでに経済を背負おうとも、こっちの私達の喪失が小さかったなどとは言わせないぜ。
 2019年にあのとき会場で幸せに笑っていた人は今も笑っているんです…というオダギリジョーの法則をあてはめてみる。うう、月曜から独酌で深酒だ。

2021. 5. 30

☆…流れてゆく☆

 父親のことは2曲も歌にしたけれど、母親のことは…と拓郎は言っていた。でも1曲だけちょっとあるよね。

  おふくろが死んだ 
  今日は朝から突然の嵐
  今日より悲しかった1日というのは
  確かにあったはず
           (「流れ流され」)

 あまりに深くて広すぎる行間。なので深堀にしようにもできない。この行間が今度いよいよ歌になるのか。

 “流れ流され”地味だけれど侮れない。>侮っていたのかよ。このテンポが実に心地よい。テーマ的にはたぶんドラマチックな”車を降りた瞬間から”の方に昇華してしまった感じがしなくもないが、この曲はこの曲で必要だと思う。”気持ちの良すぎる居心地悪さにこだわりつづけてる”…いいじゃないか。

 “流れ流され”と”車を降りた瞬間から”〜悲喜こもごも押し流してゆく急流のようなテンポの2曲を聴いていると、流しそうめんを思い出す。そうだ、人生は流しそうめんみたいなものだとの思わないか。早すぎてなかなかうまくすくえなかったり、上流と下流のかけひきとか(爆)。"見つめ直したり考えこんだり"している時間がなかなかないのだ。

2021. 5. 29

☆王様たちの夜とハイキング☆
 フォーライフレコードの設立は中学生にも大事件だった。フォーライフの第一弾のアルバム「ライブ☆泉谷」の発売は拓郎ファンの俺達にも忘れられない出来事だった。
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拓郎「”ライブ泉谷”星印。遠藤賢司のデザインです。ジャケットは見開きになっていましてそれを開けるとそこになんとああ怖い(笑)」
泉谷「なんだよ、テメー(笑)」
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 こんな和気あいあいのラジオのカセット録音を昼休みに教室で聴きながら俺達もみんなで笑っていた。

 こういう昔の何でもない話をするのはなんとなく気が引けるところもある。特に吉田さんは昔の話をするファンが嫌いそうだからかもしれない。

 ところで最近、気に入ってるドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」で、子どもの頃からの親友を突然亡くした主人公にオダギリ・ジョーがこんな趣旨のことを語りかける。

 “幼馴染ということは10歳の彼女も20歳の彼女も30歳の彼女も知ってるわけですね。時間は現在だけじゃないし。過ぎ去って消えてしまうものでもなく、いろんな場所みたいなところにあるものだと思うんです。10歳の彼女が笑っていたとしたらそれは今も笑っているし、5歳の時に手をつないでいたとしたら今もつないでいるんです。今からだって思いを感じたり伝えることはできるんです。だから人にはやり残したことなんかないんです。
 大切なルールは、死んだ人をかわいそうと思わない、生きている人は幸せに生きようとすることだけです。”

 フォーライフもその後も幸せとはいえないいろんなことがあったし、とうに昔のお話だ。けれど拓郎と泉谷が”ライブ泉谷”の発売で盛り上がっていて、それを聴いて俺達も大笑いしていた幸せな空気も消えてしまった昔ではなく、どこかの場所で今も拓郎も泉谷も俺達も笑ってるんだよと思うと…なんかとても気が楽だ。いろんなシーンすべてがそうだ。過ぎて消えてしまったのではなく、あちこちの場所に散らばっただけで、どこかで今も一緒に生きている。
 ジジババになるといろんな場所が増えて増えて大変だが、そこがまぁ年寄りの特権てやつで楽しみが多いのかと。そらまあツライことも多いけど。楽しんでいまいりましょうと思うのだった。

2021. 5. 28

☆夢を見させてくれたんだ☆
 “となりの町のお嬢さん”を聴くと中学2年の教室にトリップする。4組の教室だ。>知らねーよ。期待のフォーライフレコード第一弾シングルをみんなで大騒ぎして迎えたものだ。またかなりヒットしたから気分も良かったのよ。
 A面が”となりの町のお嬢さん”、B面が”流れる”というこの陽と陰、表と裏、口語体と文語体、おバカとインテリ(爆) というまさに対極のカップリング。対極だが違和感などひとつも感じない。この対極をどちらも懐深く包み込んで吉田拓郎はあったのだ。

 それと当時は考えなかったけれどクレジットに「編曲 松任谷正隆」と明記されたのはこれが初めてだよね。編曲のクレジット自体、拓郎のレコードでは初めてじゃない? 松任谷正隆に対する敬意、のみならずすべての編曲家に対する敬意のあらわれであろうと思われる。拓郎のそういうところっていい。たぶんすごくいい。

2021. 5. 27

☆月に届くほどもっと愛されたいなら☆
月食&スーパームーンは見えましたか。私は空を見上げて「ダメだ、雲が厚くてネビュラ、いや月が見えない」と蒲生譲二のように残念がった。>誰だよ。

 月の歌グランプリはこの歌を忘れていた

  長い髪は夜露に濡れて
  蒼い月が
  可愛い人のエクボの上でゆれてるよ

 …これもいい。というかこっちの方がいい。ということでグランプリは東京都在住の吉田拓郎さんの”となりの町のお嬢さん”とさせていただきます。松本隆さん残念でした。>何様だ、失礼なヤツだよな。
 "となりの町のお嬢さん"にあやかって泉谷しげるが"となりの町のおじさん"っていう本を出版した記憶があるのだが、どこにも記録がない。記憶違いか、それともなかったことになっているのか。どっちでもいいといえばいいのだが。

2021. 5. 26

☆ああそれでも月は輝いて☆
 スーパームーンと皆既月食が同時に起こるって凄いな。つま恋と篠島を同時にやるくらい凄いんじゃねぇか>いみふ。「月」ということで今日は移動時間にi-Podで勝手に月の歌グランプリ吉田編を開催していた。見事グランプリは

   月の灯りを絵筆でといて
   君は薄絹ひもといてゆく

 神戸市在住の松本隆さん"まるで大理石のように"に決定。う〜んウマいなぁ。男の心を操る糸をそう生まれつき知ってるんだな。風街帝国恐るべし。年々好きになってゆくこの歌である。
 ……今夜月は観られるでしょうか。

2021. 5. 25

☆浜田省吾といえば☆
 「どんな名優も子役と動物にはかなわない」という諺はそのとおりかもしれないが、それでも浜田省吾の"イメージの詩"のカバーの素晴らしさと心意気を忘れないでいようと思った。たぶん終生聴くのはこっちだ。愛奴でバックをしていた時"イメージの詩"を叩きながらステージで寝てしまったという本人談話も忘れてはならないが(爆)

2021. 5. 24

☆初夏の頃☆
 ボブ・ディランのドキュメンタリー“No Direction Home”で、ザ・バンドを抜擢した理由は、当時ライブでエレキを弾くディランに過激なフォークファンから不穏な”帰れコール”を浴びせていたので、屈強なボディガードとしてのバンドが必要だったということだった。
 愛奴が拓郎のバックバンドについてツアーをしているとき、鹿児島でさる筋の怖い人たちと大乱闘になった「鹿児島の夜」事件というのがあったと浜田省吾が語っていた。ものすげー大立ち回りだったみたいだ。拓郎を守って乱闘した愛奴。やはりもうそれだけで日本のザ・バンドなのだ。

 えーと曲です>誰のつもりだよ。今日は浜田省吾=愛奴で”初夏の頃”。愛奴と浜省でちょっと詞が違ってる。ああ確か去年は来年の初夏の頃を楽しみにしていたよな・…って詮無いことを思う。♪昨日までのことがまるで夢のように遠い…いい歌だな。
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2021. 5. 23

☆合宿の詩☆
 「コントが始まる」は、高校の同級生三人組のコント芸人が10年間売れずにとうとう解散・引退を考えざるを得なくなるというドラマだ。男三人の合宿というと中村雅俊の「俺たちの旅」が浮かぶが、年齢的にもどん詰まりでもっと悲壮な状況だ。
 俺もかつて、資格取得を目指す仲間三人とアパートの一室で悲惨な合宿生活をしていたことがあった。三人とも試験に落ち続けたまま20代が終わりそうで、いつあきらめるか悩んでいた。世間はバブルで周囲は華やかに浮き立つ中、近所のスーパーの見切品の弁当を食べながら三人で毎日‘’過去問‘’の山をひたすら解いていた。だからこのドラマは身につまされるったらありゃしない。

 そして男三人の合宿といえば伝説の吉田拓郎とミニバンドの合宿である(「新譜ジャーナル よしだ・たくろうの世界」、「誰も知らなかったよしだ拓郎」)。あの堀之内ハウジングでの三人の合宿、アジの開きとプロレスとベッドの取り合いそしてそこにいつもある音楽たち、その風景には憧れたものだ。最近の拓郎の述懐では、もうあきらめて東京を引き揚げようかという時期だったともいう。拓郎なりにどんづまりだったんだな。しかし俺は悲惨な合宿で辛くなるとこの拓郎とミニバンドの合宿を思い出しては自分を吉田拓郎に重ねて元気づけていた(爆)。…そして今はドラマを観ながら当時の自分を菅田将暉に重ね合わせて、もう彼のことが他人のような気がしない(爆爆)。

 とはいえしょせんは一般Pだ。俺たちの進路は別れたものの三人とも普通のおじさんとしてとして似たり寄ったりで生きてきた。当時の合宿場所は、田町駅の近くの安アパートだったが、時々贅沢して三人で近所の安くて量の多いラーメン屋に行くのだけが楽しみだった。無口なおじさんとやさしいおかみさんがやっているカウンターだけの小さなラーメン屋だった。ずっと後になって、そのラーメン屋を都内のあちこちで見かけるようになって驚いた。俺達が通っていたのは今や知る人ぞ知る「ラーメン二郎」の創業店だったのね。ということで俺たちの合宿関係で一番出世したのはラーメン屋のおじさんだった。すげーな、おやじさん。”小豚ダブル野菜辛めニンニク”。呪文のように唱えてみる。少し泣きたくなる、ちょっと切なくなる。…いや違うか、みんな夢追う風になれ、だ。

2021. 5. 22

☆エヴァンゲリオンの夢U☆
 吉田拓郎はエヴァンゲリオンの序・破・Qそしてシンをどう観るのだろうか。いや断じて上から目線で言ってるんじゃない。オイラは難解すぎてさっぱりわからなくて悲しかったからだ。人類創生までさかのぼるアダムスとリリス、起こるたびに世界が破滅してゆくインパクト、ロンギヌスの槍とカシウスの槍、ああわからん。拓郎はどう観るのか。
 意外にスパッと理解して明快に解説してくれたりしないか。例えば、四体のアダムスがビートルズでリリスがボブ・ディラン、いや四体のアダムスがはっぴいえんどで、リリスが吉田拓郎、セカンドインパクトが中津川で、サードインパクトがつま恋、二本の槍はJ45とテレキャスターだとか。>テキトーなこと言ってんじゃねーよ。すまん。

 おじさにんは今はドラマ「コントが始まる」が胸にしみる。拓郎に顔が似てるあの女の娘が主題歌を歌って、拓郎のマークUを歌ったあの青年が主演だ。共演の神木隆之介、仲野太賀もいい。桐島で知って以来、仲野は作品ごとにどんどん良くなるな。
 ドラマを観ながら大昔の自分のどんづまりの男三人の悲壮な合宿生活を思い出す。あれは俺も28、行きどまりの路地裏で。

2021. 5. 21

☆男の交差点☆
 森山良子さんが、田村正和さんの追悼で「男たちによろしく」の台本の写真をUPされていた。気持ちがちょっと重なったみたいで泣けた。このドラマで共演した泉谷しげるがやはり追悼インタビューで、ロケ弁が不味いと文句を言ってたら、正和さんから「出されたものをありがたく黙って食べろ」と怒られて怖かったと語っていた。もっと怒られりゃあ良かったのに(爆)。

 華やかなスターのイメージとは裏腹に、家にいるのが好きで、家で奥さんと話す時間が何よりたいせつだというご本人の生前の談話を聴くと…なんか浮かぶよね。

2021. 5. 20

☆すべては流れる時にのり☆
 1983年の今日は武道館で、初めて”マラソン”を聴いた日。一曲目が”イメージの詩”だった日。三曲目で”アジアの片隅で”を唄ってしまった日、拓郎が上半身裸になった日。いろいろあるが、初めて聴いた新曲”今夜も君をこの胸に”がラストナンバー=フィナーレになった、そういう日でもある。
 たゆとうような♪今夜も君をこの胸に〜のリフレイン。ライブの最後は、アジアや落陽など熱狂=燃焼系だと思い込んでいたので、なんだ、この軟弱な最後はと怒ったものだ。それから36年後、2019年のラストライブの”今夜も君をこの胸に”の出色のフィナーレに涙ぐんでいた。ラブソングでしめくくられるライブ、すんばらしいじゃないか。昔さんざん悪口を言った歌なのに、この歌も拓郎も俺に仕返しも復讐もせずにひたすらやさしく包んでくれた。ああこのリフレインをずっと聴いていたいと思ったものだ。大人になるまでずいぶん時間がかかったということで許しとくれ。

 1983年といえば、いま観たい田村正和のドラマはこの年の夏の「夏に恋する女たち」だ。あれは憧れたな。

2021. 5. 19

☆男たちによろしく☆

田村正和さんご逝去。悲しい。

あの美しい立ち姿。何の力も入れずにただ立っているだけ、男らしさとか鍛えるとかいう作為とは全く無縁の自然なたたずまいがそれだけで美しかった。深い行間があった。ああいう美しい自然な立ち姿ができるのは田村正和と吉田拓郎だけだと私は信じている。二人は似ているし通底していると私も思う。たぶん森下愛子さんならおわかりだろう。生涯ラブストーリーを演じたところと生涯ラブソングを歌わんとするところも似ている。
 どのドラマ・映画が良かったかとことん話したい気もするが、それはまたいつかどこかで。

 安らかにおやすみください。阪妻さんも高廣さんもきっとお待ちかねでしょう。

 とにかくみなさんすべからくみなさんお元気でいてください。
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2021. 5. 18

☆あなたも狼に☆
 「狼のブルース」はそんなに好きな曲じゃないけれど、79年篠島のビデオで「朝までやるぜ」に続くこのバージョンは別だ。怒涛のスピード感、疾走感、たまんねぇ。あらゆる狼のブルースが一斉にドラッグレースをしたらコレが一番速いのではないかと思う。「ローリング30」所収の原曲は久々に聴いたけど意外とゆっくりだったね。

2021. 5. 17

☆6月になれば夜空の星達を肩よせて見上げよう☆
 ずいぶん久しぶりに思い出した一節。
"でも、それ以上に大切なのは、それがほんものの星かどうかより、たったいま誰かが自分のとなりにいて、自分とおなじものを見て喜んでいると、こころから信じられることだ。そんな相手が、この世にいてくれるってことだよ"(いしいしんじ著「プラネタリウムのふたご」)
 んーまぁそういうことだ。よくわかんないけどそういことなのだ。切羽詰まるのはやめようと思うのだった。

2021. 5. 16

☆身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ☆
 俺も明石家さんまには心の底から感謝している。忘れもしないLOVE2の第3回。アウェーに置かれたお地蔵様状態の拓郎だったが、さんまがまだ何も知らない少年だったKinkiに「この人はな、俺にとってのジャニーさんや」(笑)と宣揚してくれた時は嬉しかった。お釈迦様が垂らしてくれた蜘蛛の糸のようだった。それから、さんまはいつもことあるごとに、例えばジミー大西に説教するときまで「イメージの詩」の素晴らしさを語ってくれた。特に「さん拓」で木村拓哉と二人でクルーズ船から海を眺めながら”古い船には〜”を口ずさんだシーンは忘れられない。今回の映画「漁港の肉子さん」もこんな豪華な宴にお招きいただいたうえに驚きのカバーに結実してくださったこともこの胸いっぱいのありがとうを言いたい。

 しかしそれとは別に今回の放送での吉田拓郎の涙の超反応にびっくらこいたことも確かだ。すまん。簡単にいうと俺はファンとしての心が濁っているのかもしれん。また昨日のとおり拓郎には拓郎にしか見えない地平があるのやもしれない。わからん。

 わからんとあれこれ迷ううちにこれと似たような気持ちをずいぶん昔に味わったことがあったことを思い出した。原田真二がデビューしたときだ。フォーライフの社長だった拓郎の大絶賛はもの凄かった。「ヤツは天才だ」「これで俺の時代は終わったと確信した」「彼は俺を超えるだろう」「ヤツが輝くなら俺は踏みにじられてもいい」。確かに原田真二の才能とかルックスとか楽曲とかが一流だったことは認める。しかし拓郎ファンとしてはおいおいおいそこまで言っちまうかと複雑だった。そんな拓郎の超絶賛の嵐を経験した時のあの気持ちと似ている。

 あの時俺はどうしたろうか。当時の高校生の頃の恥ずかしい日記を見返すと「吉田拓郎、捨て身の大絶賛」と書いてあった。捨て身。昔から拓郎は自分を立てるためや自分の小利益のために何かに感謝したり何かを絶賛するようなポーズはとらない人だったと思う。とにかく何か感謝するとき、何かを讃える時は、あますところなくありったけ全力だった。そうだ捨て身だ。今回もさんまはともかく武部のことは別にそこまでいいだろ(爆)と思うが、感謝するときは一滴も残さず惜しみなく注ぎ込む人なのである。
 そこが吉田拓郎の最高に美しいところであり、また反面で歯がゆいところでもあった。そしてそここそがたまらない魅力の核心でもあるのだ。

 ということで惜しみない捨て身の感謝ということが俺だけの今日の結論。以上。

2021. 5. 15

吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド 第14回  2021.5.14
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド
■テーマ曲
 こんばんは吉田拓郎です。週替わりの金曜日、吉田拓郎が担当します。今夜はオープニングから言葉が見つからない。感動、感激、興奮・・・それで涙をこらえられるかどうか。こういう放送をお送りできる喜び。今日のこの日が来た。70歳を半ばも超えてこういう瞬間がくるとは。音楽に託し続けてきた青春の夢が本当に実現したんだ。これで良かったんだな、そういう瞬間が来ちゃった。この日を待っていたといっても言い過ぎではない。今夜はオープニングから2曲続けてお聴きいただきたい。こんな放送、深夜放送を始めて50年近くなるけれどこんな番組のっけからやったことない。
ニッポン放送と冨山くんに感謝(拍手)
 まずは”イメージの詩”1970年盤 吉田拓郎23歳、続けて”イメージの詩”2021年盤、稲垣来泉10歳。

M-1 イメージの詩  吉田拓郎

M-2 イメージの詩  稲垣来泉

 この曲はオリジナルのキーがF。(実演)。Fで始まる。50年後に少女の歌ったキーがF。こういう偶然があるのか。奇跡だ。まさに奇跡のようなレコーディング。
 明石家さんまというプロデューサーの企画。拍手を送るしかない。女性に歌わせてみたいという企画からして想像もしていなかった。
 昔、浜田省吾、浜省が”イメージの詩”をカバーして僕もレコーディングに参加したことがあったが、この歌のボーカルは男子だと思っていた。だから女性が歌うというこのアイデアには頭が下がった。いいね、さんまさん。最初から女性に歌わせたいということで問題ないかと問い合わせがあって、構わないよと答えた。また歌詞の言葉使いを女性用に変えるかもしれないがという依頼にも、構わないと答えた。しかしまさか10歳の女性と思ってなかった。
 くるみちゃん素晴らしいな。大ファンになっちゃったな(笑)。最初の一行でジーンときて、あの歌はどんどん進んでゆくから、どんどんイメージを発してくれる世界にグイグイと引き込まれていた。気が付くと、ほっぺたは涙がいっぱい。もう拭くのが面倒くさいくらい。しばらくは椅子から立てない。

 佳代に言いたいけど言葉が出せなくていたら、佳代が「凄いね、素敵だね、感動だね」と言ってくれてやっと我に返った。自分をほめてやりたい。シン・イメージの詩だ。  くるみちゃん素晴らしいな。もう言葉が出ない。見事なボーカルでオリジナルボーカルをはるかに超えて言葉を失っている。明石家さんまさんの抜擢した感覚にも拍手だ。

 アレンジをした武部聡志。お互い知らない同志だったがLOVE2からなんでも話し合える仲になった。武部は俺の音楽わかっているな。いいアレンジだ。僕のイメージの詩は四拍子。今のは三拍子。ちょっとヒッピーな感じ。だけど三拍子なんだ。武部がそうアレンジしたのでボーカルのニュアンスが変化した。武部グッドアイデア。凄い企画にありがとうと言いたい。冨山君CMに行きましょう(笑)

■CM
<まだ61歳ですが遺言を書いていて医療従事者なので覚悟しているところもある、よくある財産どうするというものではなく、いろいろあった人生で、夫や子どもへの感謝、吉田拓郎さんの「ありがとう」を冒頭に書かせてもらっている、まさにぴったりの詞。これを読んで自分が幸せだったことを思い出してほしいという投書>
 お医者さん看護師さん頑張ってください。僕は常に前向きに人生を観ようと考えているので最後を考えることは悲観的ではない。愛だよ。前向きな愛情表現だと思う。きっとご家族に伝わるでしょう。

<名文句を募集する高橋の手帳大賞、拓郎さんの「音楽は心に入り込んで悪さをする」というのを出そうとしたら著名人のはダメということ、孫と神社に行く途中でコートから出ているトレーナーの袖を直していたら、お洋服もお外に出たいと言ったのを送った、コロナでみんな外に出たいという気持ちがあるのかと思ったという投書>
 心を洗われるな。僕も昔は無垢な子どもだったのに困ったな。

<池江選手の見事な復活に涙したという投書>
 僕も観ていたけど本当に見事だった。拍手を送りたい。選考会で表に出なかったエピソード、どうしても一着になれない三着の選手の現実のドキュメントを観た。三着も素晴らしい。また専属契約が切れるので、子どもプールを貸してもらって18メートルしかないので、僕なら必死だけど、彼らには練習としては不十分。それでも練習を積んだ。ある女子選手が「オリンピックは死を覚悟しなくてはならないほどのことなのか」というコロナ禍の不安の言葉にも多くの選手が共感する。陰に隠れて実にたくさんのドラマがあり、心から拍手したい。

<ラストアルバムに剛くんのエンドリケリが参加で嬉しい、ラジオで剛くんが涙ぐんでいた、ファンは心から感謝するという投書>
Kinkiの母たちからメールくるね(笑)。ラジオは僕も聴いた。あいつは押さえられなくなっちゃったね。昔からはしゃいだりしない男子だから、一般にはわかりにくいタイプかもしれない。でも剛とは通じている感が最初からあって、お互いに言わなくてもOKなところがあった。 光一とはお互いに傷つけあうことを言い合う関係。平気でお互いに悪口言い合う。ほめたり、怒ったり、からかったり。不思議な関係。親友という感覚。  歳とかキャリアは関係ない。
光一くんは「拓郎ハンはいつでも目線合わせてくれた」と言ってくれてそういう意識はないけど彼らが僕を受け入れてくれた。年齢とかキャリアとかを超えてそういう関係があるんだな。

<エヴァンゲリオンにラジオを聴いてみて行こうと思ったら子どもたちからまずは   序・破・Qを観なさいと引き止められて序を観てカッチョエエという投書>
 今日はイメージの詩に始まって子供たちの純真無垢な言い分に感動しているな。僕の曲がアニメによく使われていることに気が付いた。アニメはよくわからなかった。宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」あたりから見始めてすげー面白いと知った。それからアニメに使われることを嬉しくなってきているな。子どもたちに使ってくれているなと思うといいな。ウチもエイベックスから「序・破・Q」、三つ揃えてもらって入門する。

■CM
 先月、アルバムの中で、この曲は立ち位置が、なんというか遊び過ぎていてバランス悪い三曲を紹介した。
 ラストアルバムのためにいろんな昔のアルバムを聴き流してとっても重大な発見をした。理屈ぬきで、この曲好きじゃないんだというのがすげーあるんだな。今の年齢になって歌いたくない、絶対歌いたくない、大っ嫌いになった曲がある。だけど、この曲をかつてはステージで結構歌っているわけ。多くのみなさんも感動した。だけどこの曲が嫌でしょうがない。佳代さんに、君の直感で1曲だけ吉田拓郎が歌いたくない曲があるんだけど直感でと尋ねたら、即決で言った。あれでしょ? 「うわーなんでわかったんだ」。30年以上の上下関係(笑) 佳代ぉ。わかってんだな。この曲でしょと言われた。

 そこでみなさん ライブ「18時開演」でオープニングで歌った「加川良の手紙」このウクレレ。ハワイの超有名なカマカでKinkiの二人とロケしたとき買った。珍しい六弦ウクレレ。普通はソ・ド・ミ・ラなんだけどドが二本オクターブで、ラが二本で六弦になっている。凄く響きがいい。今、夕飯の支度をしている音が(笑)。
このウクレレをプレゼントしようと、マンションの物置見つけて思った。さぁ、今吉田拓郎が歌いたくないと思っている一曲。ステージで歌っている歌。エレックではなくアルバム「元気です」以降今までの曲。当てた方に差し上げる。8月に発表しようかな。

 パイナップル・プリンセス。田代みどりが好きで、初めて買ったレコード。母が病弱な僕に買ってくれたのがウクレレだった。

M-3 パイナップル・プリンセス 田代みどり

■CM
■11時
 ラスト・アルバムの計画は進んでいるけど、まだ動ける状態じゃない。撮影隊、  録音隊の動きもあわなきゃならないし、東京だけでなく、あちこち行きたい、公開でレコーディング様子も見ていただきたいし、今はまだなかなかやりにくい。

 どうしても入れたい曲が一曲ある。母=motherを歌っておきたい。父親の歌は2度までも作ったけれど、ちっとも父に納得していない。最近父の業績の本が出されたけれど、だからといって僕の心は変わらない。あの父は家庭人としては失格だったと思う。妻、家族をもっと愛して欲しかった。それよりも一人で自由でいたいなら家族なんか作るなと言いたい。
 今日僕がここにいて歌って、子どもが僕の歌を歌ってくれた、アニメとかで使われたい感動・感激、胸が熱くなる気持ちのもとは母の理解だったと思いたい。 母への熱い気持ちをどういうふうにクールダウンして作れるかというのが大テーマだ。父の歌を二度まで作って納得できなかった。その思いの完成形の歌を作りたい。家族に対する思いはひとりひとりによって違うだろう。僕は父には母にはこうあってほしいという思いがあったので、父には怒りというか納得できないところがある。母を歌う時、いわゆる「おふくろさん」みたいな歌は作らない。吉田拓郎ファンならわかるでしょ。ひとつのヒントとして母を歌っている音楽で「Hey Mama」という唄がある。ラップなんだけど好きだな。こういうのをやりたいな、母に送りたいな。

M-4   Hey Mama   カニエ・ウエスト

 アルバムは、14〜5曲になる予定。5〜6曲出来ている。デモテープを作ったりしてあとはアレンジャーに渡そうと思っている。
これまでのアルバム作り過程のプロセスで忘れられないものがいくつかある。そのひとつが「ローリング30」。


M-5 ローリング30   吉田拓郎

 松本隆と組んでアルバム二枚組作ろうということで、20曲くらいいるだろうから、それを一気にやろうという企画を立てた。目の前で詞を書いて、横で僕が待ってるから曲をつけてそれをすぐにレコーディングする。君は詞に、僕はメロディーに専念する。  
冨士のロックウェルスタジオで、素敵なリゾートホテルのプールサイドの並んだ部屋で 松本隆が詞を書いたら隣で俺がすぐ曲をつけてカセットに入れてすぐレコーディングする。インスタントな感覚だけど今聴いてもいいなぁ、不滅のアルバム。よく作ったなと思う。直しも殆どしなかった。それが良かったのかな。大学の受験勉強の一夜漬けみたい。それが良かったんだな。  
「爪」なんて石川鷹彦が考えたフレーズで徳武とツイン・ギターを弾いている

M-6 爪   吉田拓郎

■CM
 サイパンでジャケット写真を撮影した。カメラマンはタムジンではなくて大川装一郎、常富、松本隆が同行した。海の中でサングラスして空を見上げているジャケットはそういうころで撮ったんだ。
 撮影中、二人組の女の子が話しかけてきた。初めてなんだけれど、夜とかレストランとかありますか?ホテルから10分くらいでビッグウエーブというイタリアンとかの店がありますよ、たいして美味しくないけど。
彼女は吉田拓郎のことは知らなかったみたいだ。普通のおじさんと思ってたみたいだ。わかってもらえなかった。気が付かないので、大川さんが・・・ナンパだな。実はここにいる人は有名なカメラマンなんだ、君たち先生に写真撮ってもらわないかと話し込んだ。お願いしまーすということで撮影して、外で撮るのもいいけど、部屋もいいですね先生とか(笑)今だったら捕まっちゃう。
なんだろうな。危ないけど松本隆と楽しかったという記憶しかない。東京に戻ってきてからペニーレインで集って飲みながら電話して飲んだりした。
 ハートブレイクマンション。セリフを入れたことなんてないもんね。

M-7  ハートブレイクマンション 吉田拓郎

 松本隆の言葉のリズム感を感じた。岡本おさみさんのリズム感のない詞にどうやってメロディーをつけるか苦しんでいた。松本隆は、彼の持つ言葉が躍っているのがわかる。だからすぐ曲ができてしまう。
 次の歌は、最近歌えなくなった。年取ってこういう世界が恥ずかしくなった。狼のブルース。(実演)あいつのマシンは〜暴走の歌。スリーコードのロックで作っちゃったからステージで演奏していてこんな楽しい気持ちいいのはない。

 松本隆とはその後いろんなレコーディングで会うと、このころの思い出話をする  

M-8 狼のブルース   吉田拓郎

■CM

 映画には忘れられない名セリフがある。ハリウッド映画とか大好きだった。ずっと昔  ウエスタンとかジョン・ウエインとか、「シェーン」のアラン・ラッド流れ者のガンマンと少年とその母と友情というかそれ以上の思いを描く映画。最後「シェーン、カムバック」という叫びとともに、僕の大好きなビクター・ヤングの「遥かなる山の呼び声」
が流れる。涙が止まらなかった。最近では、ウィンストン・チャーチルの映画。有名な宰相の伝記。奥さんがチャーチルにいう「人間は欠点があるから強くなれるのよ」というセリフがある。いいですね。素晴らしいことを言ってくれる。また「迷いがあるから賢くなれる」。そうだね。奥さんいいこというね。名セリフ。いいな。

 話は変わるけど、ドキュメンタリーで、エベレストの頂上付近でアンモナイトとか海洋生物の化石が発見される。なんでこんな山の天辺で発見されるのか。はるか昔にユーラシア大陸がぶつかって隆起し、海底が盛り上がってできたのでアンモナイトとかの海洋生物の化石がある。地球って日々数ミリずつ上がり続けている。反面で大地の砂が海に流れて堆積してゆく。いわゆる輪廻している。人間も輪廻している。生かされている俺達もおんなじことを繰り替えてしている。凄いでしょ。

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■エンディング
 親しいコシノジュンコさんが、ファッションも繰り返していると言っていた。ワイドパンツやクロックドパンツとかの流行が繰り返して輪廻している。音楽はどうなるか。来月は 6月11日金曜日。こぞってカマカのスペシャルに応募してください。

M-9  ケアレス・ウィスパー  ジョージ・マイケル

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆いつものトークをすっ飛ばして、いきなり最初からスペシャルな仕様のオープニングに驚いた。吉田拓郎にとってよほどの「瞬間」が来たのか。

☆吉田拓郎の特別な思いは映画主題歌とか10歳の女の子が歌ったという表面的なことより、世界歴史遺産のように鎮座している「イメージの詩」が、自由でのびやかな成長を遂げてみせたことへの感動のようにみえた。想像もしなかった若い女性ボーカルに、4拍子から3拍子へ、音楽としてより豊かに生き生きと変容したことへの感激に思える。ただ正直言って吉田拓郎がなぜここまで深く感激しているか俺には十分に理解できていない。俺が無神経なのか、それとも吉田拓郎にだけ見えている地平があるのか、たぶん両方だろう。

☆わからないことも多いが、その感激が自分の出立を理解してくれた母親への感謝へとまっすぐに繋がり結ばれていることはわかる。ウクレレが自分の音楽の出自であることは、とりもなおさずそれが病弱な拓郎に母が買ってくれたものだったというところに繋がっているのも同じだ。今日の放送の素晴らしさはそこだと個人的には思う。

☆「おやじの唄」から「清流」「吉田町の唄」という父親に対するフィールド・オブ・ドリームス的な流れがずっとあったように思うが、最後は母=Motherへの感謝で結ばんとする。「吉田家とは吉田朝子の歴史である」という先月の名言をあらためてかみしめる。それも拓郎のいう輪廻なのだろうか。

☆それにしてもラストアルバム。14〜5曲なんだとよ。嬉しいじゃないか。

☆「ローリング30」を不滅のアルバムと言ってくれるのは心の底から嬉しい。わが青春のいとしいアルバムでもあるのだ。サイパン→砂浜〇〇運動→ロックウェルスタジオ生中継→石山うるせバカ事件…メイキングを砂かぶりで観ることができた、なにもかもが不滅の名盤だ。

☆「爪」で、石川鷹彦がエレキを弾いていたって、初めて知った。これも嬉しいな。

☆俺も遅まきながらエヴァンゲリオンに入門した身としては拓郎がどう観るのか楽しみだ。序・破・急(Q)そして多分、今回のシン・エヴァはリピートって読むのかな。Uramadoの落陽にも使わせていただいている。

☆「歌いたくない一曲」。すぐに閃いてメールを送った。天国の7曲の古傷が痛むのでもう明かさない(爆)。次回、正解が一件もないと拓郎が言ったら嗤っておくれ。

☆☆☆今日の学び☆☆☆
 命の崖っぷちから復活して栄冠をつかんだ人、苦境の中で栄冠をつかみきれなかった人、命をかけるほどのことなのかその意味を問う人。吉田拓郎の思いは、どの人にも等しく温かく注がれる。拓郎のこういうところがイイ。かなりイイ。

2021. 5. 14

☆イメージの詩☆
 ネットの力は凄くて職場や仕事先の方から「拓郎さん凄いですね。デビュー曲が女の子にカバーされて主題歌になるんですよね。良かったですね。」とあちこちで祝福の言葉をいただいた。そういうあたたかい祝福に慣れていない俺はウロタエてつい「なーに、あんな昔の長い念仏みたいな歌」と武田鉄矢のお母さんの言葉そのままのリアクションしかできなかった。もちろん本当はそんなこと思っていないから。戦い続ける人の心を誰もがずっとわかってくれなかったらすっかりひねくれものになってしまった自分を思う。

2021. 5. 13

☆明日はどっちだ☆
 ワクチン接種の予約システムに「ぴあ」参入のニュースを聞いて明るい気分になる人はいるのだろうか。会員先行とかプレリザーブとかスギ薬局主催者枠とか>ねぇよ。それにしても「落選」「ワクチンをご用意できませんでした」の文字が頭に渦巻いて暗たんたる気分になるってもんだ。

 あの「イメージの詩」のカバーを全曲流すということでニュースにまでなっていて大変だ。明日の放送を聴く前から皆が「感動をありがとう」状態になっていて正直腰がひける。俺はあざとい子役をチヤホヤする空気が大嫌いだし、たかが10歳の子どもが歌っただけなのに拓郎が涙まで流して大絶賛するほど良いなんて、そんなわけ・・・ホンマやっ!もし本当に良かったらやる予定です。

2021. 5. 12

☆この国のはかさなを☆
 昨日は一昨日に続いて「何度観ても怖い!映像で見る”怒れる拓郎”ベスト5」というのを書いたのだが、パイプ椅子を投げたり、バカヤロウと怒るとか、ああいうヤツだ。さすがに怒られるだろうと思ってボツにした。いつかコロナが鎮まったら居酒屋あたりで「あの拓郎は怖かったよな」としみじみ語りあおう。

 とにかく早くワクチン接種が進んで欲しいと思う。誰のせいだとかそんなことを言いたいのではない。もちろんいまだ届かぬ国々もある。それでも深くショックなのは、なんでこんなにワクチン輸入が遅かったのかということだ。世界の真ん中で花開く国とか前総理が自賛していたし、今は国際化やグローバル化の時代だぜと説教する人がたくさんいて、しかもオリンピックの開催国だというのに、こんなにも入手が遅くなるというのは悲しいを通り越して謎だ。今でなくともいいがこの原因と現実はちゃんと把握しておきたい。たぶん、こっちが思うほど世界はアジアの片隅の日本のことなんて大切じゃない。世界はあんたなんか欲しくない> A dayだ…という現実をちゃんとわかっていなきゃと思う次第だ。
 Shangri-laのレコーディングの時「いつまでもマッカーサーの時代じゃないぜ」と拓郎は言ってくれたが、なかなかどうして、しかもぉ道はまだ遠ぉおおい。

 あと頭脳明晰な研究者、予備軍の方々どうかワクチンとか治療薬とかもろもろ頑張ってよろしくお願いします。いかにあなた方が博識でクイズに強いかはもう十分にわかったんで。国もそんな方々に研究のお金を惜しみなく出してあげてほしい。

2021. 5. 10

☆その人は席に降りて☆
 無人の観客席といえば、ライブ映像のバックステージでゲネや開演前チェックの時に拓郎がひとり無人の客席に座ってステージを見つめるシーンがよくある。例外なく凄く真剣でまた不機嫌そうでおっかない。で実際に音響やライティングに厳しいダメ出しをスタッフに出したりする。怖ぇ。怖いけど超絶カッコイイ瞬間でもある。
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2021. 5. 9

☆花に酔ったらその時泣こう☆
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 ロックダウン中のドイツのオンライン・バレエを観る。毎週何回もPCRキットを鼻に突っ込まれながらリハに徹する日々の小さな結実。その堂々たる確かな踊りに胸が熱くなる。無観客のシアターの客席を背景にしていると全然違った景色に見える。シアターがあなたがたをお待ちしていますという声にも聞こえる。今しかない貴重な時に表現の機会がない。この世のすべてのライブ人も極北の時にいるに違いない。想像もつかない俺ごときが偉そうに言えることではないが、今はこらえろ愛しい君よ。例えば嵐に飲み込まれても歴史はそれを見逃さないだろう。
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バックステージの写真もかわいい。えーと、左端から
 ・両目をおさえた君が立ってた
 ・話してはいけない
 ・両手で耳を塞ぐだろう
 拓バカおじさんもアジアの片隅で応援しているぞ。

2021. 5. 8

☆リミックス☆
 昨年末、コッポラ監督はゴッドファーザーpartVをかなり大胆に再編集して”マイケルコルレオーネの死”という映画に作り直した。世紀の名作の誉れ高いpartT&Uに比べて、極めて評判が悪いpartVが心に引っかかっていたようだ。…で思ったのだ。”幕末青春グラフィティRONIN”もそんなふうに換骨奪胎の再編集をしたらどうか。
 冒頭でわけわからず古尾谷雅人が瞬殺されたり、いつの間にか竹中直人がいなくなったり、つながりがもともとわかりにくい。それに例えば高杉晋作が戸板の上で亡くなるシーンとかいろんな未使用シーンが撮ってあると拓郎が言っていた。それらを足して、ウザいシーンはカットし大胆に再編集して、もちろんVFXも駆使し、テーマ曲も加藤和彦には悪いがRONINに替え、もっともっと拓郎の歌も使ったらどうだ。石坂浩二(勝海舟)のナレーション解説も増やして「これから90分あなたの目はあなたの身体を離れ…」ってウルトラQだろ。監督はもうおられないので…庵野秀明に”シン・RONINさようならすべての坂本龍馬”というタイトルでお願いしてはどうか。>やるわけねぇだろ 
 とにかく再編集の目的はただひとつ、あの悪代官、悪役テイストを駆除し高杉晋作=吉田拓郎をいかに美しく見せるかそれだけだ。そのためなら何でもいい。なんなら高杉晋作が何かというとウンチクと説教ばかりするうるさい坂本龍馬を斬って、咸臨丸に乗ってマウイ島に逃げて幸せに暮らすという話でもいい。>よくねぇよ。

2021. 5. 7

☆WOWOW武田鉄矢特集をつい観てしまう☆
 ライブ・コンサートのビデオだと惚れ惚れするシーンが次から次へとテンコ盛りなのが、この映画の拓郎には…あるかい?。「騎兵?騎兵は長州のモノでオマエには関係ない」「わしゃあ陸戦の高杉晋作じゃ」「なして戦を怖れる、女々しかろうがぁ、あ?」…ただのカーリーヘアーの悪代官じゃん。うのさんを襲うシーンも観てらんなくて見るたびに後ろから羽交い絞めにして「拓郎さんお願いですからやめてください」と叫びたくなる。気がつくともう勘弁してくださいと祈りながら観ている。刑事物語4の屋台の一瞬のシーンの方がどんだけカッコいいことか。それはそうと竹中直人が途中でいなくなってね?
でも“RONIN”いいよな。何度聴いても。すんばらしい。
 この国の苛立ちを
 この国のはかなさを
本当にはかないぜ。はかないけどこの歌があるから生きていかなけりゃと思う。

2021. 5. 6

☆天国の島に持っていきたい"落陽"☆
難問だ。'73か2005か。'85は高中だぜ。石川鷹彦との'93もしみる、するってえと'79の青山はいいのか。うーん、つま恋2006も捨てがたい。♪つま恋の花火に打たれて、このままぁ〜死んでしまいたい〜と西田佐知子が頭の中でずっと歌っている。

2021. 5. 5

☆繰り返し繰り返し旅に出ている☆
 そもそも”戻る旅に陽が沈んでゆく”を2回繰り返すようになったのっていつからだろうか? 出自であるライブ73も篠島も王様達のハイキングもつま恋”高中だぜ”85もみんな”戻る旅に陽が沈んでゆく〜”と最後は1回で終わっている。

 私の超テキトーな調査によれば、89年のシングルのピコピコな「落陽」では2回繰り返しており歌詞カードにもそれが反映されている。
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それ以後、101studio’93から現在まで、知る限り2回のリフレインで固まってきているようだ。なのでおそらく89-90が転換点と思われる。
 …なーんて思ってたら山田パンダは76年のカバーで最後に2回リフレインしていた。パンダ、おまえだったのか、兵十は・・・って、もういいよ。拓郎もこのレコーディングに立ち会ったようなのでリフレインはこのころから技としては意識されていたと思われる。そして拓郎も89年より以前にリフレインをしていたのを忘れておった。

 拓郎本人自身がリフレインを歌ったのはたぶん79年の武道館。TOUR1979volUの弾き語りだ。書きながらその2か月前の渋谷エピキュラスの公開放送での石川鷹彦との弾き語りもそうだったかもしれないと思った。ともかく武道館の落陽で予想外の会場大合唱に感極まった様子で最後に”戻る旅に陽が沈んでゆく”を俺たち観客に投げ返すように二回繰り返したのだ。「すげぇ。」あの時の拓郎の感無量の笑顔。いいなぁライブは。ああ涙が出そうだよ。
 そう考えるとリフレインは躍動する魂から自然とあふれ出たシャンパンの泡のようなものだ。尊い。いとおしいじゃないか。あれ、昨日と言ってることが違う気がする。岡本おさみの切ない孤独の歌が吉田拓郎自身の進撃のスタンダードに変わっていった印みたいなものか。

 昔からこのことをラジオにメールしてみようかと思ったが、きっと「何回繰り返そうと俺の勝手だろ」「音楽っていうのはもっと自由なものなんだ」と怒られるに違いない。ていうか今のあの方は、そもそもそういうことをどうこう言うようなステージにはたぶんおられない気がする。
 
 ということでどっちがどうなのよは各自の自由で…という雑な結論で。

2021. 5. 4

☆ひとつ、ひとつじゃ淋しすぎる☆
 “落陽”のいちばん最後のフレーズ”戻る旅に陽が沈んでゆく”。ここのところを”戻る旅に陽が沈んでゆく、戻る旅に陽が沈んでゆく〜”と2回リフレインするようになってから久しい。1回と2回。どっちがどうなのよ。その答えは人それぞれに違うだろう。
 ぶっちゃけ1回だと物足りないけれど2回だとしつこいと俺は思う。だから1回で終わってしまう物足りなさから生まれる余韻と余白がいいんじゃないかと今は思う。ライブから撤退しアルバムもこれが最後という撤収宣言を受けてしまった今の空白な気持ちと妙に重なる気がするんだよな。ただしこのリフレインは簡単な問題ではなさそうなのでまたあらためて深堀したい。

2021. 5. 3

☆書店という原点☆
 本屋の立ち読みといえば、岡本おさみは苫小牧の本屋で、周囲に迷惑がられながら真剣に立ち読みをするフーテン暮らしのあの爺さんと出会うのだった。そう考えると「落陽」はあまりに豪勢な歌になりすぎてしまったのではないかと思う。やさぐれた小さな本屋の立ち読み感が微塵もない。俺には最高の思い出だが、花火までバンバン打ち上げられて爺さんもびっくりしたに違いない。そしてまたそう考えるとライブ73の「落陽」はあらためて凄いなと思う次第である。「落陽」をふりかえってみるのもいいさ。

2021. 5. 2

☆立ち読み☆
 昔の楽譜集は楽譜だけでなく巻頭に写真とか記事が載ってるものも多かった。なので本屋さんの立ち読みは重要な日課だった。楽譜集のタイトルは忘れたが「茶色のスーツに身を固め男拓ちゃんどこへ行く」という山本コータローの巻頭文も立ち読みで何度も熟読したもんだ。すまんな。昨日のように誰が書いたかわかんないけれどいい文章に時々出逢えることもあった。
 どこの楽譜集だったか忘れたがこんな趣旨の巻頭文章があった。

“どうかデビューアルバムの「青春の詩」と最新アルバム「今はまだ人生を語らず」を聴き比べてほしい。その成長に驚くはずだ。僅か4年間の間にここまで劇的に進化するミュージシャンはいるだろうか。”

 おおおと唸りたくなるような巻頭文だった。
 それがさらに数年後のアルバム「大いなる人」の追加改定版になると

“何が何でも吉田拓郎という時代はもう終わったといってよいでしょう。”

 おいおいと悲しくなるような文章に変わっていた。それに続いて、

“そのかわり成熟した男性の魅力を湛えた大人の吉田拓郎の時代が始まるでしょう。”

 とフォローがしてあった。長い目で見れば、あながち間違ってはいないか。でもこちとらは何が何でもで半世紀。
 書物を狩りしたり、書物が語りかけてきたり、やっぱり書店は貴重な場所だと思うのだが。
 立ち読みといえば、立ち読みをする君に会える気がして。岡田奈々"青春の坂道"……う、ここにも松本隆の手が回っておる。

2021. 5. 1

☆本の店☆
 ずっと昔の学生時代、吉田拓郎の楽譜集の表紙にこんなコピーがあった。

"とにかくがむしゃらな奴だった。世の中のものすべてが抗議の対象だったのだろう。
ちょうど、自由とか若者の夢のことなんかあまりかまわない家に貰われてきたばかりの少年のようだった。"

 これって誰が書いたんだろうな。楽譜集は買えなかったが、時々書店で手に取ってこの表紙を読んでは背筋を正していた。店頭だけの関係だが大切な関係というのがかなりあった気がする。

2021. 4. 30

☆♪あなたはこの街にもういない☆
 TYIS終了。いろいろ文句も言わせていただいたが、何分お世話になりました。ありがとうございました。
 吉田拓郎がいなくなった中目黒はどんなに素敵な街であれ俺にはただの中目黒だ。すまん。俺はどこへ行こう、君はどこへ行く。

2021. 4. 29

☆双璧☆
 “無題”は松任谷のプレイも素晴らしいが、詞の“もし淋しさがインクだったら今夜君に手紙を書ける”…ココがあざとウマい。やられたと思う。他にインクといえばやはり”緑のインクで手紙を書けばそれはサヨナラの合図になると”…これも言うまでもない名作だ。松本隆と喜多條忠がインクの東西横綱である。どちらも吉田の土俵なのが誇らしい。
 そういえば他人の土俵で”黒いインクがキレイでしょう青い便箋が悲しいでしょう”なんて歌もあったが…ふ、勝ったね。※あくまで個人の感想です。

2021. 4. 28

☆天国の島に持ってゆきたい松任谷正隆のキーボード7選(ロック&ポップ編)

神様が遣わしたもう奇跡のソリーナ人生を語らず (今はまだ人生を語らず)
ポップに弾ける二人ザ・バンドの船出春だったね (元気です)
マンタ・ビギニング&フォークの国のエクソダス結婚しようよ (人間なんて/TAKURO TOUR 1979)
心優しいキーボードと踊りだす手風琴まにあうかもしれない (元気です/TAKURO TOUR 1979)
傷癒えぬままの蘇生に優しく強く寄り添うキーボード明日に向って走れ (明日に向って走れ)
ウキウキ跳ね回るポップなピアノ戻ってきた恋人 (今はまだ人生を語らず)
永過ぎた春を水中翼船のように進むキーボード春を待つ手紙(シングル)

<次点> 
バースト前の荘厳な鎮魂のピアノ英雄(ローリング30)
イントロとブリッジのピアノあってのファミリー(無人島で…)

<評価検討中>
ごっつ必死でピアノ叩きまくるおまえが欲しいだけ(ONE LAST NIGHT IN つま恋Uビデオ)

…ということでラストアルバム聴かずに死ねるか。大変な世の中だけど皆様くれぐれもご自愛専一にお過ごしください。

2021. 4. 27

☆天国の島に持ってゆきたい松任谷正隆のキーボード7選(しみじみ抒情編)☆

いつもより余計に弾いております&ジェイクとの見事な掛け合い舞姫(TAKURO TOUR 1979)
ぽっかりと浮かぶ陽だまりのような心地よき間奏の至福野の仏 (ライブ73)
披露宴、ディスコのチークタイムにも最適だがどっちも縁がなかったが美しい未来 (大いなる人)
見事な後奏&暖かな焚火のような音色襟裳岬 (今はまだ人生を語らず/つま恋75) 
ボーカルに静かによりそう妙味白夜 (ローリング30)
スチールギターと拠りあう切ないまでの美の極致無題 (ローリング30)
ああ、どちらも双璧どうしてこんなに悲しいんだろう (人間なんて/明日に向って走れ)

<次点>
いきなり天空から降ってくるピアノ流星(シングル)

2021. 4. 26

☆たぶんOK松任谷☆
 何度か書いたが、剛くんというと思い出す。LOVE2でKinkiと藤原紀香で松任谷正隆の話になった。皆、松任谷さんって最初はとっつきにくそうで不安だったけど実は優しい人だったという話題になって拓郎に振られた。
拓郎「とっつきにくそうというけど、僕にはハッキリとっつきにくい男。(一同、エー!)だって、ちょっとしてたことですぐに不機嫌になるしさ」
剛「それ一緒ですやん」
拓郎「おい、俺はいつもハッピーでそんなことないだろう(笑)」

このシーン好き。剛くん、Good Job!

 ラストアルバムはKinkiの参加はもちろん松任谷正隆と組むということが私にとっては大事件である。オリンピックとか世界陸上みたいにもう聴く前から「感動をありがとう」と言っておく。聴かずに死ねるか。だから、いい歌を頼むぜ。

 リモートということは、それ以外の時間は休憩時間に等しいので>ちげーよ。
なのでせっかくの自由時間>だから自由じゃねーよ、どうせ酒も飲めないしさ、明日から天国の島に持ってゆきたい松任谷正隆を振り返りたい。

2021. 4. 25

☆この胸いっぱいの☆
 昨日は堂本剛のラジオ”堂本 剛とFashion & Music Book”を教えていていただいてradikoで聴いた。吉田拓郎からラストアルバムのオファーのくだりをしみじみと語ってくれていた。Radikoは今日までだよ。
 「…ギターを教えてくれた人からのオファーだけにだだ嬉しい。でも、んー、音楽人生のすべてからリタイアするということを聞いて苦しかったですね。苦しいなと今も思う。その時、生意気ですけど、拓郎さんがやっぱり俺もう一回音楽やるわと笑って言えちゃうようなの作りますねとお伝えしたら”ありがとう”と笑って返してくださいましたけど…
生きるチカラを貰ったことを鮮明に覚えている〜、拓郎さんの人生だから拓郎さんが決めることだけど、拓郎さんが想像している以上にいろんな人を救うことをされています…」

 涙ぐむ。なんと繊細な男。「苦しい」と言ってくれたよ。どうしてそんなに性格がいいの。ありがとう。”ありがとう”は、たぶん一回ステージで歌ってみたら涙をこらえるのがヤバイからやめたんだな、そうだろ拓郎、とあらためて思わざる得ない。剛君とにかく頼むぞ。

 うう、♪生意気ですれど ひとつだけ言わせてね あなたはすばらしい人でした…なぜか百恵ちゃんが頭でずっと歌っている。
  

2021. 4. 24

☆面影橋から☆
 まさか生きてるうちに灯火管制を経験するとは思わなかった。俺は灯りに集まる虫か。
 ところで K君の命日を忘れていたことに気づいた。ごめんよな、K君。俺とおまえとあいつ、三人拓バカ一緒に還暦だよな。昨年ゆかりの拓バカみんなで墓参し盛り上がる計画だったがコロナで頓挫した。今年は墓参りくらいならいいかなとも思ったが、あそこでビール飲んで盛り上がったら「墓飲み」するただのバカ達として炎上しそうだ。落ち着いてから絶対に行くのですまんな。

 忘れたといえば、橋田壽賀子先生のことを書いた日記で、先生の代表作ドラマ「たんぽぽ」=主題歌「隠恋慕」を忘れていたではないか。これも痛恨だ。都電荒川線は俺にとっても青春の地だ。あのチンチン電車を観るたびに必ずあの管のプァーッパパー〜というイントロが流れ出して涙ぐむ。もう救急車のサイレンで鳴く犬みたいなもので情けない。それでもいいと頷いてくれ。ああ、これもアレンジは松任谷正隆だ。ちょっとよそ行き感のあるいいアレンジだな。勝手に、ひとりシンポジウム「松任谷正隆とは何だったのか」に突入。
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2021. 4. 23

☆さよならすべての酒類提供店☆
 まさか生きているうちに禁酒法の時代が来るとは思わなかった。昔からエリオット・ネスは憧れのヒーローだったけれど、今だったら間違いなくアル・カポネの手下になる。カポネはロバート・デ・ニーロでお願い。
 どうしても家にいてほしいなら家から一歩も出たくなくなるようなテレビ、ラジオ、配信を頼む。オールトゥギャザーナウ、歌謡グランドショー、歌謡最前線、セブンスターショー、つま恋2006完全版 、あこがれ共同隊、LOVELOVEあいしてる一挙放送、星の数ほどあるライブ音源、秘蔵映像、この期間だけはあなたの言うことなんでもききますということで、拓バカのおじさまおばさまに緊急アンケートとって、無料大開放とかやってくれないか。

 とはいえこんな悪態つけるのも自分が無事だからだな。とにかく今はこらえよ愛しい君よ。どうかくれぐれも、くれぐれもご自愛ください。

2021. 4. 22

☆拓バカの小さな幸福☆
 昨日話した拓郎ファンはこう言った。「最近職場に”吉田さん”という新人が赴任してきて毎日”吉田さん”と呼びかけるたびになんか嬉しくなる。バカでしょ?」…バカである。しかもなかなか重症だ。しかし、そうだよ、これなんだよなとも思う。一般Pの日記のくせに評論家気取りで何様だみたいな事をダラダラ書いている自分を少し恥じた。「吉田」と聞いて嬉しくなり、「拓」の文字を見つけてドキドキする、それこそがかけがえのない幸福なのだと教えられた気がした。「君の覚えた小さな技術をいつくしみ、その中にやすらえ」(マルクス・アウレリウス)

2021. 4. 21

☆声にして永遠を誓うよ☆
 デビュー当時、小学生からは難しい、わけわかんないとさんざん悪態をつかれたという「イメージの詩」が、50年後に小学生によって堂々と世界に向って歌われる。時代は変わる。いや、これが半世紀の間に生じた人類の進歩、世界の発展でなくてなんであろうか。拓郎の喜びが、音叉のように私達にも伝わってくる。おめでとう。
 エンディングを迎えんとする時、これまでのねぎらいとこれからの希望が一緒に訪れる。過去と未来が現在を祝福する=それが「永遠の今」なのだと西田幾多郎先生は書いておられる。いや、そこまでは書いていないかもしれないが爆、古いとか新しいとか昔とか未来を超えてそれらを束ねる「永遠の今」というものが根底にあるとは書いている。そうか今がその時、もう戻れない。
 吉田拓郎は古い水夫も新しい水夫も超えた永遠の水夫になったのだと思うことにする。そしてきっと誰も言ってはくれないだろからここで言うが、そういう吉田拓郎を見出し、愛しつづけ、ひとりひとりは微力ながら半世紀の人類の進歩を支えたすべての拓郎ファンこそがすんばらしい。ともかく永遠の水夫たちに祝福を。

2021. 4. 20

☆もはや40年☆
 ”Y“の間奏のストリングスを聴くたびに泣きそうになる。心の奥底に響く。甘美な感傷というより自分の罪業に近い部分を揺すられる感じだ。この間奏の切なくて美しいメロディーは、吉田拓郎と松任谷正隆、どちらが作ったのだろうか。作ってくださった方に感謝をこめて腰塚のコンビーフをお贈りしたい。なんだそりゃ。

2021. 4. 19

☆☆☆9月になれば☆☆☆
 ニュースによるとワクチンは世界で効果を発揮しつつあるらしい。9月か。接種までの道はそこからまだあるだろうが、ようやく終息がチラつき始めた。ということは夢のラストアルバムの実現も見えはじめたということになる。ずっと言っているように豪華な夢の企画ということで舞い上がる喜びとラストということで沈む気持ちがゴチャマゼになって俺個人はup&downでややこしい。
 昨年のドラマ”スタートレック・ピカード”の名ゼリフで老いてなお航海に出る時の処世訓。”難しいことは一度にひとつまで(One impossible thing at a time)”。そうやって切り分けて考えよう。まずは、新曲のアルバムが出る。昔の歌ではない、10数曲のあたらしい音楽と出会える。そこだ、それがまずすべての基本だ。75歳の渾身の新曲たち。想像がつかないがどんな音楽になるんだろう。魂の底から期待してるぞ。豪華なメンバーも映画への期待もこれが最後という悲しみもまた切り分けられた別の問題だ。もちろん最後はひとつになるにしても。皆様とにかく今はくれぐれもご自愛のほどを。たぶん夜明けは近い、友よ、この闇の向こうには。

2021. 4. 18

☆☆☆ありがとーショコラ☆☆☆
 身内・友人からTYISの終了を見舞うご連絡をいただく。みんな、ありがとうね。どうかThank you goodsは、私からのThank youでもあるからね>便乗すんな。「大丈夫ですか?」と心配してくださるが、大丈夫なワケがありません(爆)。そう言うと慰めてもくれる「きっとまた新しいファンクラブ始めてくれますよ。」…そんなことされたらそれはそれでまたムカつく。確かにこの30年間は公式ファンクラブ離合集散の歴史である。ちょうどテレビで映画” ユー・ガット・メール”やっててちょっと観た。公式ファンクラブAOL時代というのもあったな。何もかも懐かしい。出会いや別れに慣れてはきたけれど。 
 ああ10年か。春を待つ手紙 本人生歌唱の日。聴くべし。

2021. 4. 17

☆☆☆さよならすべてのTYIS☆☆☆

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星)ショボい会報、当たらないチケット、当たっても後方、なんで身分証明書…さんざん悪態をついてすまなかったな。森野くんこれまでありがとう。
森野)星、わかってくれたか。
長女)(…たぶんそんなにわかってないと思うわ)

 数々の忘れじのライブはもとよりSeasonGreetingはいつもほっこりしたし、最後のT-noteはタイトルも装丁も中身もなかなか素敵でもっともっと読みたかった。タブロイド時代の重松清の寄稿文、今村和夫さんの小さなコラムも大好きだった。石山恵三さんとおそろいになった2016の茶色の帽子も少し色褪せたTY2014パーカーも今だに愛用しているし、foreverの時計は今日も動いている。
 本当にありがとうございました。お疲れ様でした。これまですべての公式ファンクラブにあらためて感謝申し上げます。

2021. 4. 16

☆☆☆のびやかにしなやかに☆☆☆
 偶然にもつい3日前、町中華で「生きるのが辛くなったら西加奈子を読め」と言われたばかりだった。俺はあざとい子役が苦手で、いつも注意警戒しているのだが、映画予告動画の「イメージの詩」をちょっと聴いただけでもう涙が出そうになった。そう来たか。それにしてもかくも豪華な宴の主題歌にお招きいただいて、何の関係もない自分だが心の底からありがとうございますと叫びたい。子どもたちのファンが増えて「ジジイのファンなんかいらね」と言われたら、喜んで、謹んで引き下がりますばい。世界に向って撒かれた種が一つでも多く芽を出しますように。

2021. 4. 15

☆☆☆はらたつわー☆☆☆
 気分が落ちたので昔の嫌な事をさらに思い出してムカつきを勝手に増幅させることにした(爆)。思い出すのはLOVE2の全盛時代だ。拓郎ファンだという女子中高生が増えたときに拓郎は「オジサン、オバサンのファンはもういらない」と傲岸に言い放った。はらたつわー。もちろん、めんどくせー古株ファンよりピュアなファンの方が嬉しいのは当然だ。それにそのめんどくせー俺だって若い人が拓郎の音楽を好きになってくれることは心の底から超嬉しい。
 ただ余計なのは必ず拓郎は古きファンを貶めて若きファンを讃える、こうした「温故知新」ならぬ「怨故喜新」とでもいうポーズを繰り出すところだ。それを聞くとオジサン、オバサンが愉快でないのはもちろんだが、若い方はどう思うのだろうか。例えば電車の中で座ってるオジサン、オバサンを追っ払って空いた席にどうぞお座りになってと招かれた若者は気持ちよく座れるだろうか。心ある若者であればあるほどメチャ居心地悪いのではないか。
 ムカつきながらも、これは吉田拓郎の本心というよりあくまで「芸」であり「芸風」なんだと思い直して生きてきた。愛でないものはあるはずがない。また器の小さい俺と違って俺の回りには「それがまた拓郎の魅力じゃないか」と懐深く鷹揚に構えられていられる多くのファンの方々がいた。そういうみなさんは経験豊かな古株のオジサン、オバサンばかりだった。それが証拠にあのLOVE2バブルの時代にもそれ以降も、コンサート会場が女子高生や若者であふれかえっていた光景をついぞ見たことがない。少しいたことはいたけどさ。
 ということでたぶん拓郎は自分では痛快と思っているこの芸風=懐深き古株ファンに頼りながら彼らをクサする…というのは芸にしてもやっぱりはらたつわー。
 なかなかおさまらないので、明日は「はらたつわーU」〜フォークがそんなに悪いのか編・・・に行こうと思ったら、何?明石家さんま、西加奈子、えっ「イメージの詩」ということで気分が少し上がり始めたので中止。そういえば、さんまから連絡があったアニメってこれだったのか。できればそっちにつづく。

2021. 4. 14

☆☆☆僕らは今も自由のままだ☆☆
 昨日の続きだが、どんな距離感で音楽を聴くかは自分で決める。極上の音楽に人生を変えられ、その音楽がずーっと心に悪さをしながら居続ける。いいじゃないか。それもかけがえのない幸せのひとつだと自他含めて祝福したい。それが健康か、音楽が喜ぶかそんなことをわきまえながら聴くなんて、正論かもしれないが超絶ツマラナイ。音楽は自由なものだと魂に直覚で教えてくれたのが吉田拓郎なのだ。
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 カッコつけて書いているが、ひとことで言えば ほんま腹立つわー ということだ。 

2021. 4. 13

☆☆☆春も夏もいっぱい☆☆☆
 拓郎が前回のラジオの最後に流したザ・シャドウズの”春がいっぱい”を聴くと、いつも愛奴の”二人の夏”の特に間奏に飛ぶ。似てるとか似てないとかじゃなくて、心がそこに飛ぶのよ。少し泣きたくなる、たゆとうようなこの感じ。”月は君の瞳の中で小舟のように揺れてた〜”。私の場合、心に時々入り込んできて悪さをするのは浜田省吾だな。拓郎が言ってたのはこういう音楽との距離感のことだとは思うのだが。

2021. 4. 12

☆☆☆神は細部に宿られる☆☆☆
 石川鷹彦と「馬」を作ってゆくプロセスの話を聴かせてもらうと、こういうのが映像で観られたらどんなに幸せだろうと思う。だからラストアルバム制作の映画化は楽しみだ。
 ただ芸術作品としての映画でなくていい。事実をして事実を語らしめよ、音楽をして音楽を聴かしめよ、ということで素材そのものをできるだけ大事にしてほしい。「馬」のスタジオの風景のような拓郎がスタジオでミュージシャンたちとどういう会話をしてどうやって音を作り上げてゆくか、それをひたすらずーっと観ていたい。
 NHKの「プロフェッショナル」について、庵野秀明は、シン・エヴァンゲリオン完成までの4年間密着取材のドキュメンタリーといいながら取材が4年間ずっと張り付いていたわけでなく、何か月も来ずに、いい所で取材できていなかったことも多いと苦言を呈していた。ラストアルバムも映画を作るならちゃんと張り付いて、どんな些細な瞬間もちゃんと拾い上げてね。見逃し聞き逃ししないでね。すべてはそれからだ。お願い、はあと。
 極論すれば映像と音がクリアであれば、それこそ防犯ビデオの映像みたいでいいからずっと眺めていたいと思う。何時間でもいいぞ。松任谷や高中と何を話し、鈴木茂を抱きしめ、島村、エルトンとどう絡むのかなどなど、DVDの特典でいいから、ディレクターズ・カットならず、ディレクターズ・ノーカットというやつ。

2021. 4. 11

☆☆☆バーボン・ストリート・ブルース☆☆☆
 で、俺は20歳のころからずーっと40年間、敬虔な気持ちでお神酒のようにバーボンを吞み続けてきたんだぜ。今さら嫌いだったというのなら、もとのハタチに戻してちょうだい。そうか京都で高田渡が初めて…「渡 おまえだったのか」兵十は火縄銃をばたりととりおとしました…”ごんぎつね”じゃねぇよ。
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2021. 4. 10

オールナイトニッポンゴールド  第13回 2021.4.9

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。週替わりの金曜日、今週は「よしてくれろう」別名吉田拓郎がお送りします。
 今は4月4日午前10時。 朝の気分で夜の番組をやってみたかった。
 先月のギター当選者の方に冨山プロデューサーがご自宅まで訪ねて行ってお渡しした。配送の手間と送料を考えると持ってった方が早いということもあるんだろうが、当選した方びっくりしたろうね。プロデューサーが来るとは思わなかっただろうね。いいとこあるよね。当たった人は感激ひとしおだろうね。拍手。いいとこあるな、おまえ。

 いろんなプロデューサーやディレクターの人を見てきた。その中にもう亡くなってしまった浅野さんのいうディレクターがいた。当時アルフィーは売れていなくて、ビートボーイズやらなんやら、なんとかして売らんかなの時だった。坂崎の吉田拓郎の下手なものまねで歌ったことがあった。
 当時、スターズオン45、 ショッキング・ビートルズというレコードが出ていた。これがジョンの声、ポールの声と似ていて僕も持っていてよく聴いた。ジタバタしていたアルフィーに浅野さんが、拓郎さんの曲をディスコ調でやってみないかということで、たった一日でニッポン放送のスタジオで録音させた。これがレコードになって売れちゃって、当時のアルフィーの中で一番売れてしまって不満だったようだ。
 そんな浅野さんは酒癖がよくなくて、必ず酔うと下手なマジックをみせる。もう同じマジックでみえみえでそれが嫌で(笑) まいった。いろいろとユニークで有能なディレクターがいた。

<映画「結婚しようよ」で拓郎さんの曲にかっこよさ、歌詞の世界の魅力を知り、youtube で昔のラジオを聴いてファンになった、 情景が広がって身体全体が音楽につつまれた気になる、アルバムもキリンにまけず首を長くして楽しみに待っているという投書>

 最近、この年代くらいの人からのメールも多い。感じ方が、感覚的に明るい気分で音楽を聴いている。そのことはとっても音楽にとっても幸せな一瞬だ。前から言うように音楽というのは時々心に入り込んで悪さをする。でもそれは時々。時々でないとまずい。歌とか音楽とかが悪さをしたまんま、ずーっと進んでゆくのはその人のために音楽のためにも
よくない。あの歌で人生が変わった、という人もいるが、その時々でいい。メールの方はカラッとしている。そんなふうに音楽とつきあっている。ここに音楽の生きる意味と価値がある。

 僕の愛したポップス、ポピュラーはそこが似合う。時々心に入ってくる、ずーっといるのはよくない。

<シン・エヴァンゲリオンに号泣、しかも最後の映画にあの曲が使われたことに感激、リスナーでこの映画が好きな人は少ないが、ありがとうといいたいという投書>
 この映画は観ていないけれど使われていると知っている。さきほどの富山くんもエヴァンゲリオンの大ファンで彼も先日観に行ったそうだ。60歳の男性が家族の食卓で「人生を語らず」を歌うシーンがあってジーンとなったということでメールをくれた。
 こういう話を聴くとつくづく思う。先月も「吉田町の唄」で上京の時に母と話した決意のことを話した。吉田拓郎の音楽が通じるかどうかわからないが、誰かの心に響くという曲が一曲でも作れればと思っていた。そういう母との約束が実現したと思う。「旅の重さ」という映画で「今日までそして明日から」が使われたが、その時はブームの真っただ中だから監督も使ったのだろうということで、さほど感激とか喜びなかったし、もっといい曲あるのにと思った。

 その後、若い人たちが僕の曲をカバーしてくれたりして生まれ変わるのが心の底からうれしかった。僕もおじさんというかおじいちゃんになった。そんなとき2016年のライブ会場にあいみょんが来てくれていて、彼女がそういう音楽を聴きながら育ったことがうれしかったと感想を書いていてくれて・・・それを読んだときは心が泣きました、嬉しかった。2019年には 奈緒さんが来ていて「今日までそして明日から」が大好きだとKinkiの番組で言ってくれた。
 おふくろよ、広島離れる時の約束が現実になっていると話しかけた。エヴァンゲリオンにしても今に息づいていることが嬉しい。「人生を語らず」に代わって、ありがとうと叫びたい。

<ラストアルバム楽しみ、進捗はありましたかという投書>
 いろいろ進んでるが企画はどんどん大きんなっていく一方でこんなこと実現できるのかというくらい凄いことになっている。

 傑作なのは、Kinikikidsで剛にはアレンジ・プロデュースをお願いすることに決まっていて、一方、光一には何頼もうか。ということで、それを察した光一が勘違いして、僕はイラストとか絵がヘタなのでコーラスとか考えてほしいなと彼のスタッフに話ていた話が届いた。
 光一、おいおい光一よぉ、イラストとか絵がうまくないのは20何年まえに気づいていたよ(笑)。そういうのなら篠原だよな。彼女はその才能を生かして今はユーミンの衣装のデザインとかもするけど。僕が光一に頼むわけないじゃない。まかしとけ君からが楽しむ企画がある。心の中で光一にコレをやってほしいというのがある。時間はあるから、お互い一生の記念をつくろう。


<アルバムはCDだけじゃなくてアナログレコードでも出してほしい、ジャケットという投書>
 そうだね、君いいよ。このごろアナログも復活していると。CDになってからジャケットがつまんなくなったよね。せっかくの写真とかも。やっぱりLPのジャケットはいいな。今回はタムジンファミリー総出で撮影しようと決めているのでグッドアイデアだ。

<天国の島の7曲、まさかペニーレインでバーボンが入っているとは思わなかった、今もバーボンを飲むのか、何の銘柄を飲んでいたのかという投書>
 あなた、あなた、知らないの? 僕はバーボン飲まないよ。ほとんど飲んでない。苦手だよ。あれはね、高田渡が薦めたんだよ。あの頃、フォークでインチキなヤツもいたけど、みんなで全国を回っていた。終わった後、居酒屋とかに行って、で高田渡、加川亮(こさい)、遠藤賢司と気があっていた。飲むときはそれぞれと二人きりだったからみんなどうしは仲良くなかったのかな(笑)。
 京都で高田渡が、アーリータイムスを拓郎飲んでみるか?とうもろこしでできているウイスキーなんだといわれてそこで初めて出会った。その時、ウヘー、よしてくれろう、こりゃダメだというのが第一印象。俺は、サントリーレッドとハイニッカ 水割りかロックだった。そののちに原宿ペニーレインにバーボンを置かした。だけど好きじゃないのでレモンスライスを多めに入れるようになった。それで味をごまけてしまおうとした。レモンで割ると酸っぱさで味がごまかせるが、家に帰っておげおげ(笑)。半年もしないうちにやめた。
 それから好きなのはブランデー、コニャックの水割り。ペニーレインの安田というオールバックのボスから教わったのかな。レミーマルタンが好きだった。高いけど。だからバーボンは飲んでいない、吉田拓郎はバーボンは好きじゃない。

■ 今夜も自由気ままに吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド。

 朝から元気だしてやるのもいいようなわるいような。朝はこういうのには向いていないか。

<拓郎さんと佳代さんのやりとりが楽しみです、スタジオでもつづけてくださいという投書>
 レギュラー化しているんだけど、ウチの佳代に話した。コロナが収束してスタジオで収録するようになったら一緒に来てくれるんですかと聞いたら、「何言ってんのよ」だってさ。たった一分のフリートークのために化粧したり服考えたり、誰かに会うかもしれないし…米津玄師に会うかもないしれないし、菅田将暉くんに会う可能性もなくはない、広島カープの森下さんが・・・あ、昔、朝青龍が来たことあったね、ファンですって言っちゃって・・・その森下選手が来ないともいいきれない。そう考えると気が気じゃない、だから来ない。絶対に行きません とおっしゃいました。確かに、たかが一分弱のために・・・自宅録音だけのスペシャルということで。

 そういえば先日サッカーU24のアルゼンチンとの第二戦、オリンピック代表候補の試合で、久々に気になる選手が登場したそう。サッカー界ではヤットさん以来。(田中)碧くん、いい感じの若い男の子。あと三苫くんも。

 照ノ富士やりましたね。大関復帰。拍手。すばらしい。不可能を可能に・・・後もケガに気をつけて横綱の夢が実現してほしい。 

<拓郎さん佳代さんお誕生日おめでとうございま、この一年も豊かな日々でありますようにという投書>
 毎年ステーキ食べに行ったりしていたけど、あ、明日だ、どうすんだ・・・ウチだな。

<番組も2年目、いくつになってもhappybirthdayリクエストしたいという投書>
 森下愛子さんもリタイアを決めている。世界はコロナの恐怖に襲われていて、このままでいいわけでないな。僕達人間社会は、希望ねあるけれど、危うい方向に向かっているものもあるのではないか。未来永劫、テーマとして持ち続けることが必要だ。コロナだけでなく地球温暖化とか最近想像絶する自然災害も多い。吉田夫婦は老老人生だけど、いかに協力して楽しく平穏に長くということで、その時を待とうよということで耐えようと思う。マウイ島へ必ず行きたいし、おいしいレストランに行けるようにになったら毎晩行こう。

Mー1 いくつになってもHappybirthday  吉田拓郎

(CM)

 朝は午前中は午前中らしい。気持ちよく目覚めて元気でゆく、さわやかな時間。何かを決断するのは違うかな。朝はさわやかに、おだやかに、かろやかに。何かを決断するのは違う。朝陽がサンという曲が大好きだけど、さぁいくぞという感じ。人生での大きな決断、固い約束、人生の方向決断はいつも夜だった。お昼に決めたことはない。
 広島から上京するときに車で迷って深夜六本木の交差点にいた。品川、泉岳寺に元上智大学の連中の待っている場所があった。そこに着いて夜中の一時、朝まで将来の夢とかを語り合った。上智のフューチャーズサービスというグループで、イメージの詩が入っている広島フォーク村の自主製作盤を出したところ。拓郎君の夢を聴かせてくれといわれて、歌謡界に石を投げ込むつもりで、俺らのような音楽をもあることを示したいと言った。そのあとエレックに入ったが、その
 エレックを去るのも夜の新宿の「がんばるにゃん」という店で決意した。CBSソニーのオデッセイ・レーベルに誘われて組めたのも六本木のビー・ブレッド(BEE-BREAD)という店。つま恋を決めたのも原宿のプレイバッハだった。ペニーレインじゃなくてきれいな女の子がたくさんいて(笑)。夜じゃないと大きな決断ができなくなってしまった。夜は僕には大事な時間であり、素敵で大切な時間だ。

 で、曲だけれど、アルフィーの高見澤が間奏のギターを弾いてくれるということだったんだけど、テレビのバラエティー番組でケガして、出るなっていったのに、そこでつき指して、その状態で弾いてくれて、よくいえばシンプルな、悪くいうと・・・言わない。
ドラムは俺の打ち込み、ギターの小倉君、大好きなんだけど、おぐちゃんかベースを弾いてくれて、またミュートしたエレキギターを三回もダブリングしてくれて、このミュートしたギターこれはもともとは鈴木茂、彼のアイデア。彼のアイデアがロック、ニューミュージックだけでなくヒット曲の世界にも影響を与えた。これをバチっとやってくれた。そのアイデアを拝借して。ミュートのエレキギターを頼んだところ、三回ハモリましょうとやってくれた。そこに高見澤の間奏。 
 2019年のツアーでもやりたかったけれど、ギターが、もうひとりほしい、俺では歌いながら弾けないということになった。(夜という)僕にとって大切な瞬間をポップに表現したかった。

M ー2  夜が来た     吉田拓郎

(11時)

  佳代さん みなさん11時を過ぎました
  拓郎さん ありがとう

 そもそも僕は人間的に完璧とはほど遠い若者だった(笑)。病弱な少年期、読み耽っていた漫画や小説の世界の影響で「楽しくなきゃつまんないん」だというのが心の奥底に宿った。音楽に取り組みながら、楽しい何かがないと満足できない。スタジオでセッションしていて思うのは、ニコっとできることが浮かんでくる。そういう僕がいいんじゃないのということでやってみて、レコーディングのときはOKということでアルバムにいれたけれど、あとで6、7曲やめときゃよかったかな という冗談があるんで。その中からあえて三曲。遺言と思って聴いてくれ。アルバムに入れなきゃよかったのを3曲。

 まずはアルバム「元気です」の「馬」 ハハハハハ。石川鷹彦という名手と出会ったのが「元気です」。これは僕にとってはとても大きなことだった。彼はその時既に完成されたギターの眼を見張るテクニックを持っていた。ギターだけではなく、バンジョー、フラットマンドリン、ブズーキ、エレキギターも弾けるし、なんでもこなすんだな、驚いた。石川さん一人いればアルバムが作れる感じだった。演奏だけでなく、特に彼のメロディーが秀逸だった。ミュージシャンは、いいメロディ・メーカーでないと使いたくない。高中なんかホントにメロディー・メーカーだった。

 毎日、CBSソニーの六本木の最も大きい一スタで、今日は松任谷と、今日は石川鷹彦という感じで録音していた。当時はCBSソニーは新しい会社でフォーリーブス、にしきのあきら、天地真理、郷ひろみ、南沙織といったところがメインで、俺たちのようなフォーク・ニューミュージックは未知数で扱いは軽んじられていた。

1スタという広い、オーケストラがそのままはいるスタジオがあって、そこが取り合いになっていた。古株プロデューサーが確保していて、1スタにはなかなか新参者は入れない。そこでディレクターの前田仁が大見栄きって、吉田拓郎たちをおろそかにしてはだめだ、彼らがこれからの音楽の中心になるから自由に使わせろと言ったらしい。

 その1スタで石川鷹彦とリンゴをレコーディングして、休憩していて雑談になった。昨夜もビーブレッドでギターの矢島賢と飲んだ。最近飲み過ぎだと夜よく夢みるんだよなという話になった。変な夢で必ず馬が出てきてドリフターズのいかりや長介が乗っていることが多くて、笑っちゃうとこで目が覚めるという話をした。それ面白いから曲したらといわれて即興で作った。

 ワンコードでアドリブな感じがいい。鷹彦がC〜 Em〜 Am〜 Gをどうだと言われて、シンプルでいいなと思った。
 で、俺がトップにG鳴らしながらコード進行したらどうだろう、ということで Cでも一弦の3フレットを押さえっぱなしで・・・実演。石川鷹彦もカッコいい、オンGでG響かせようということになった。
 そのままだとフォーキーでつまんない、石川さんからお前そういうの嫌いなんだろ、ビートがあった方がいいだろうということで、なんと石川さんは自分の車からエレキベースを持ってきて俺のアコギにエレキベースを弾くというで二人で一発撮りで、すげー面白かった。田中さんが最初にノイズが欲しいということで、僕が「知らない」と入れた。

 いちおうキープしといたけれどアルバムには入れないはずだったが、曲順を決めている時に、前田仁が「馬」は超絶に面白くないかと、くそ真面目に”祭りのあと”とかクサイじゃないか…前田仁は、岡本さんの詞がクサイのが嫌い、そういえばエレックでおまえ”たくろうちゃん”っていうのもあったけど、お前お茶目なのが好きだろと言われて「馬」も入っちゃった。

 この「元気です」がブームになって売れに売れて、このジャンルは儲かるというきっかけとなった。それから50年以上  これはいかにも面白いと言いつつ、ちょっと恥ずかしい(笑)。これがなかったらこのアルバム もっと大人として成立
して吉田拓郎のイメージがそっちにいったかもしれないが、僕はそういう人間、「馬」とか入れたくなる。

Mー3 馬      吉田拓郎

(CM)
 次は「ぷらいべえと」というアルバムで、経営が怪しくなってきたときがあった。当時、ボブ・ディランのセルフポートレイトというアルバムが大好きで、ディランが「ブルームーン」なんていうスタンダードなポップスを歌うとは思ってもみなかった。大好きなアルバムだったけれど、評論家からはさんざんだった。わかってないな、こういう音楽性が素晴らしいと思っていた。それにならってディラン的にアナザーサイドの企画で作った。

 当時、時間と予算に追われていて、夜中の1時から朝6時まではスタジオ使用料が安かった。ミュージシャンもつかまらなくて、ギターの青山徹、キーボードのエルトン永田、先日亡くなったベースの石山恵三が何曲か来てくれた。
 頭をひねくり、ベースいないときもギターを重ねてその音圧で、だまけちゃえ!とかやっていた。そして体調崩して風邪をひいてしまった。だけど治るのを待つ時間がない。そのまんまで歌を歌った。自分の曲だったらいいんだけど、あの名曲「悲しくてやりきれない」僕も大好きだったんだけどあの出来上がりはフォークルの名曲中の名曲に泥塗った感じで心が痛んだ。しかもその日がもっともひどいときだったんだ。ごめんなつて誰に謝っているんだ。加藤和彦にすまんなといわなきゃ、その後たくさんスタジオワークもしたし何度も会ったがついにすまんといえなかった。

 しかし風邪を聴いてレコーディングしたミュージシャンは世界で一人だろう。そのアルバムが売れて会社も持ち直した。

M-4 悲しくてやりきれない     吉田拓郎

…総武線とまる

(CM)

 鈴木茂のアレンジで曲は大好きなカッコいいロックンロールなんだけど、おいおい よしてくれろー、この歌詞はなんなんだ。ギター弾いたことある人にはわかるかもしれない、ひとりごとにしちゃ変な詞で、どうしてこういうお遊びの曲をやってしまうのか。幼い生い立ちか。自分自身は楽しくで笑っちゃって。これがひとりよがりで通じないことがある。ステージでも やる気がない、とってつけたような曲がうけるのはどうしてなんだろう。ロックはなんで受けないんだろうとか。昔、Fの唄というのがあって、♪俺の電話で〜あまり評判良くなかった、女性が好まなかったな。女の子と遊ぶ歌だし。

 ギターの最初はCからだけど、僕はCの響きがあまり好きじゃない。5カポCでF、G、Dで始めるのが多い。でも楽譜集、歌本は、みんなCに置き換えているので違う
僕はEの響きが好き、だからEで始めるんだよという唄。Eは必然的にAに行き盛り上がったらBに行く、Bは一番弾きにくい。でもBが大好き、B7好き。

 Cはどうなんだろう、Dならいいんじゃない、ところでFが好きで恋もギターもしつこくやるならFから始めない手はない。

 Fは普通人差し指を一本1フレット目に置いて弾くけど、僕はギターのネックを親指回して6弦1フレットを押さえて ネックをギユッと握った時セクシーに感じる。変態だ。彼女の背中に手を回すそういうスリルがある。

 誰が聴きてぇか。ああ面白い音楽人生だった。

M-5 Fの気持ち   吉田拓郎

(CM)

 映画もそんなに名作があるわけではないし、見飽きちゃったし、テレビも他にないのというくらい同じことを偉そうに話していたつまらない。今日は、古い映画、僕も三度目だけど「テルマ&ルイーズ」という映画。実話らしい。
 田舎町で平凡な日常を暮らしている女性二人が旅行してみようとする。一人が途中でハメ外して、見知らぬ男にレイプされそうなのを救って殺してしまう。自首せずに逃亡の旅を選択する。逃亡中でも体験したことのない自由な感じ、しがらみに束縛されない本能に目覚める。
 刑事が追うが、本能的に悪人じゃないんじゃないかと確信して、犯人をなんとか救えないかと思う。しかし、刑事の思いが伝わらない。最後の瞬間に二人を追い詰めて自首しろというが、車の中で二人は笑顔で確認しあって・・・最後は言わないが、映画史上屈指の名シーンとなる。
 女性の自由へのあこがれ、不自由な日常からの逃避とともに、彼女らを犯罪者ではなく人間として理解しようとする刑事の話の話でもある。この三人がなんで通じ合えないんだろうと思ってしまう。スーザン・サランドン、ジーナ・デイヴィス、ハーヴェイ・カイテルあと若き日のブラッドピットが悪党で出てくる

■エンディング
 僕がこの世からいなくなったらたぶん追悼番組はできるだろう。最近の亡くなられたミュージシャン、作詞家、作曲家の特集を観ながら、俺も・・・もしかしたら追悼番組ないかもしれないが(笑)、ひとつくらい作るかな。すると70年代を共にしたミュージシャンの同世代やつらが語るだろう。俺しか知らないと言って話をする。名前は言わないが、だいたい出てきそうな人想像ついた。そういう追悼番組をいなくなってからやられても嬉しくない。大嫌い。なので佳代に追悼番組の依頼が来ても許可しないで全部断ってくれ。生きてるうちならまだしも、死んでからそういうのは断って欲しい。

 すると佳代さんは いいました。すばらしい。「いやだったらコメントを言いそうな人たちよりも長生きすればいいじゃない」 拍手。長生きしてそういう人たちがいなくなってから安心して旅立てばいいじゃない。
 なるほど。80年以降とか若いミュージシャンが言うのはいいけれど、昔のやつらが知ったかぶりで話すのが嫌なんだ。あいつらより長生きすりゃあいいんだ。よーし長生きしなきゃな。

 最後の曲は、かつてエレキブームでも一風違っていた。クリフ・リチャードのバックをやっていたが、自身のアルバムも出している。大好きなザ・シャドウズで「春がいっぱい」。

 M-6 春がいっぱい   ザ・シャドウズ

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆2年目突入ありがとうございます。大変な世の中にこうして拓郎のラジオを普通に聴けることに安堵する。生きていなけりゃ、生きていかなけりゃ。

☆そうか、当選のギターは冨山氏の直接手渡しだったのか。凄いな。でもいわば「魂」が宿る聖なる器みたいなものだもんね。あらためて当選者の方おめでとうございます。

☆シン・エヴァンゲリオンを無理して観といてよかった。あれはさ、一家団欒の食卓といっても地球の殆どが壊滅して生き残った場所での食卓というところでまた格別に胸にしみるのだ。地球は殆ど滅んでも「人生を語らず」は生き残っているんだよ。元気が出るじゃないか。それにもう一曲最後の方に拓郎関係というべき曲がありこれも感動的だった。

☆明るくカラっとしたスタンスか。若い世代の心によりそうように生きている歌に喜びを感じ、御母堂との約束を思う拓郎。その気持ちはわかるような気もする。そういう話を聴くと、1ファンの俺にも灯が未来につながってゆくようなしみじみとした喜びが湧いてくる。
 拓郎の唄によって人生がガラリ変えられて、その音楽がずーっと心にいて悪さをしつづける、あぁ、まさに自分じゃないか。なんだか荒れ果てた土地に取り残された孤児みたいだな。

☆ラストアルバムは、Kinkiもいいが松任谷や高中や鈴木茂、エルトンや島ちゃんたちとどんなふうに組むのかが超絶気になる。ラストは括弧でくくって、とにかく楽しみだ。
☆アナログ提案はすんばらしいです。ジャケットだけでもLPサイズでお願いできないものか。

☆大切なことはすべて夜に決断した、まさに「歴史は夜作られる」という話は面白かった。貴重な記録である。そうなると私のトホホ曲の筆頭だった「夜が来た」の意味合いが変わり、また違って聴こえてくる。それがまた面白い。面白いが、すまん、じゃあ「午前中に・・・」ってなんだったんだ。「午前中に僕はいろんなことを決めてその通りに動いている」(2009年コンサートツアーパンフレット「Have A Nice Day」インタビューより)って書いてあるぞ。野党の質問みたいですまん。

☆「馬」のメイキング。久々に感動した。こういう話をもっともっと早く聴きたかった。スタジオのために会社に啖呵を切る前田も、あらゆる引き出しから音楽的技を繰り出してアシストしてくれる石川鷹彦もすんばらしい。いろんな仕事が糾合されて「馬」が出来上がってゆく様子はドラマみたいにワクワクした。もともと「馬」を余計な曲と思ったことは一度もないし、今回のこの話を聴くともう、いとおしくて仕方がない。こういうドラマが埋もれていると思うと、いてもたってもいられなくなってくる。どうしようもないけれど。

☆前田仁は岡本おさみの詞がクサくて嫌いだった。ああこういう話も大好き(笑)

☆「悲しくてやりきれない」も鼻声は鼻声だけど、その逆境を見事に生かしてなんとも切なくていい味が出ているボーカルだと思う。泥を塗るなんてとんでもない、やはり格段に拓郎の歌のうまさが際立つ。
 「Fの気持ち」しかり。ひとりよがりだなんて思わない。むしろ革命的な歌ですらあると思う。今週の3曲はひとつとして余計な曲はなかった。それより、あの曲が余計ですとかメールしないどいてよかった。

☆追悼番組の話。佳代さん卓見ハラショ。そうだ長生きするしかない。ただのファンとはいえ俺もそうなったら今以上に遠慮なく鬱陶しいことを好き放題書きまくるつもりだ。ずーっと心にすんで悪さをするというファンの模範を示したい(爆)。だからたとえば僅か1日でもいい、俺より先に死んではいけない。とにかくどうかくれぐれも長寿と繁栄を。

☆「春がいっぱい」。昔聴いた高中のカバーもすばらしかった。ちょっと泣けた。

☆☆☆今日の学び☆☆☆
 「吉田拓郎はバーボンが嫌い。」ショック。知らねーよ。オバQの小池さんに本当はラーメンが嫌いと言われたくらいショックである。

2021. 4. 9

☆☆☆橋田町の唄☆☆☆
 訃報ばかりだが橋田壽賀子さんが亡くなった。向田邦子に魂を捧げた端くれとしては橋田さんのファンでしたなどと言うのはおこがましいが、お悔やみ申し上げないって法はないだろう。

 NHKの大河ドラマ「おんな太閤記」について、当時、吉田拓郎が、自分が1年間連続ドラマを観たのは生まれて初めてだと言っていた。翌年の正月に秀吉役の西田敏行が拓郎の自宅に訪れて「外は白い雪の夜」で二人ワルツを踊ったという伝説もある。
 しかし大河といえばなんといっても20年以上にわたってひとつの一族を描き続けた「渡る世間は鬼ばかり」をおいてほかにない。理不尽すぎる内容とか、好き嫌いとか、セリフなのか説明なのかわからないとか、ある日父親が藤岡琢也から宇津井健に代わってたら家族は驚くはずだろぉとか、そういうツッコミをはるかに超えてついつい密かに観つづけてしまった。
 視聴者とともに登場人物も役者たちも一緒に成長し老いてまた亡くなってゆく、この家族がホントにいるような感覚になるのだ。泉ピン子とえなりかずきはもう和解できないのか、本当に身体中が痒くなるのかシンちゃん。もう素もドラマも混然一体となってすべてが進んでいく、これぞリアル大河ドラマなのではないか。ずーっと拓郎ファンでいることとどこか重なったりもする。
 なんのかんので全部観てしまった自分としては、3シーズンで亡くなってしまったが、このドラマの陰の主演は山岡久乃であると思う。そう、「吉田町の唄」のプロモーションビデオに出ていらした山岡久乃である。違うか。特に山岡久乃と赤木春江の対決はもうゴジラVSコングくらい息詰まった。まだ観てないけど。
 
 ああ、生きている、もつれあい、もがきながら今日もまたどこかで息づいている命。そんな歌詞が失礼にも浮かんでしまう。これだけのものを見せていただいた橋田寿賀子さんの御冥福をお祈りせずにいられない。ありがとうございました。

2021. 4. 8

☆☆☆ああ生きていて生きててよかったと☆☆☆
 今日は森下愛子さんのお誕生日なのですね。おめでとうございます。お釈迦様と同じ日なのか。尊い。"ごめんね青春"で観音菩薩の役を演じていたことを思い出す。ということで今日は"花まつり"の日なので"心の破片"を聴いてみる。しかし、このアレンジのベースになったというあのフォルクローレの"花祭り"は、お釈迦様の花まつりとは何の関係もないのだと最近知った。でもいい。この作品は好きだ。特に松本隆のこの詞がいい。松本隆のこと昨日ちょっとディスった気もするが知ったことではない。こんな俺ごときが何言ったところでビクともすまい。良いものは良い。

2021. 4. 7

☆☆☆吉田町といえば☆☆☆
 タラレバは極力言わないようにしようと思う。さすがにこの歳になると、ああすれば良かった、こうすれば良かったなどと、言う方も言われる方も決して幸せにならないことが身に染みてわかる。しかしヘタレの俺はそうはできずに申し訳ない。

 その昔、吉田拓郎が紅白歌合戦に出場した翌月に甲斐よしひろのライブに行った。甲斐は突然MCで「紅白の吉田拓郎は『外は白い雪の夜』はないだろ、やっぱり『落陽』だろぉ」とタラレバな事を言ったことがあった。基本的に同感だが、俺に言わせるとあそこでこそ「吉田町の唄」なんだよと思った。
 「日本の父よ、母よ、子どもたちよ 今、吉田町の唄」というキャッチコピーはちょっとダサいけど正鵠を得ている。そういう唄だ。紅白で歌えば日本の50%以上のまさに老若男女が一斉に聴く機会だ。こんな格好の機会はない。普段は間違っても吉田拓郎なんかを聴かないだろう父も母も子もジジババも、鳥を見た日本野鳥の会の会員も、さらにはペギミンHと暮らす南極昭和基地の方々までも実に夥しい数の人々が耳にすることができたはずだ。「おお、なんかこの唄いい歌だな」「ああ、なんか家族を思い出すな…」と思った人もいたに違いない。すくなとも人々の心に何らかのクサビを打つことができた。繰り返すがそれほどの唄だ。
 天国の島に持ってゆくほどの愛した歌なら、なぜあそこで松本隆に頼ったのだ。すまん、非難したり責めたりしているのではない、涙ながらに問いかけているのだ。それにファンを自称しながら、宣伝は山岡久乃さんに任せて音楽番組にリクエストハガキひとつ書かなかった俺が偉そうに言えたことでもない。
 ただ俺は吉田拓郎が名曲を宣伝する機会を逸したことを残念がっているのではない。この国に暮らす人々がこの名曲に出逢う機会を逸したいわば国難、いや国なんぞに関係なく、この歌を知りそこなった世界中の人々の不幸を憂いているのだ。
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2021. 4. 6

☆☆☆歌いこむ人☆☆☆
 最近ガラにもなく誕生日は生まれた人へのお祝いと同時に生まれるためご尽力くださったすべての人々への感謝の日なのではないかと思うようになった。しかし今さら俺が自分の親にありがとうございますなんて言えやしない。ただ他人様ご家族の場合はちょっと違うので、昨日は「吉田町の唄」をしみじみと何回も聴いた。

 最初1991年に吉田町に提供したカセットのファースト・バージョンと92年のシングル・アルバムバージョンは、ボーカルの様相が少しだけ違う。ファーストはちょっとハードなボーカルだけれど、シングル・アルバムのボーカルはゆったりとのびやかに懐深いボーカルの印象がある。カセットを聴かせてくれた友人と聴き比べしたのも今は昔。ハードとマイルドと区分けし、どちらもいとおしいという結論だった記憶がある。

 ファーストとシングル・アルバムの間にあのエイジツアーが挟まる。つまり「吉田町の唄」を45回(正確には43回らしい)もステージで歌いこんでから後のシングル・アルバムのボーカルとなる。最初にチカラと思いをこめて熱く歌ったハードなボーカルが、時間をかけて何回も歌いこむことによって、懐の深いのびやかなものに変わった…とあくまで俺の勝手に推測に過ぎないが、それはそれでなんか感慨深い。

 それにしても聴きながら心の底から思うのは「やっぱ拓郎は歌がうまいなぁ」ということである。
 吉田拓郎は歌がヘタであると公言する輩が昔も今も結構いる。それは個人の感じ方なので別に怒りも湧かない。ただこのボーカルのうまさに気づかずに不幸な一生を送るがいいと思うだけだ。>怒ってんじゃん。