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a day

2017. 8. 18

「夜行列車」の普及のため歌を練習している。おまえが歌ってどうなる。「襟裳岬」も難曲だが「夜行列車」も♪似合わぁぁぁないいってぇぇのところの声が全然出ない。わたしごときには無理だ。やっぱプロって凄いな。
 「襟裳岬」は森進一にとっても日本にとっても不滅の名曲だが、常に「冬のリビエラ」がその座を虎視眈々と狙っている気がして油断がならない。ここは「夜行列車」にも頑張ってもらって、御大の地位を盤石に固めておきたい。
♪なんの負けるか、大瀧ごとき、散らす火花の一騎打ち、頑張れ、強いぞ、僕らの御大…(「赤胴鈴之助」の主題歌一部改変、さぁ心ある同志よ、一緒に歌おう)

2017. 8. 17

 誰も知らない提供曲になってしまうには、それなりの事情があったりもする。御大は、奥ゆかしい人だから、「自分のメロディーのせいだ」と口にしたりする。そういう場合もないとはいえない…いや、あるが(爆)、やはり歌い手の歌唱力が原因というのが多い気がする。
 売れる売れないは時の運だが、やはり歌唱力のある人に歌っていただいてこそ御大のメロディーは生き、作品のクオリティーは確立する。そういう意味では、あのLOVE2時代のKinikiの歌唱力でカバーして欲しかった作品も多い。
 崖メロ探検隊の「Kinkiにカバーして欲しかったベスト3」は、@「放課後」(DUO)A「ひとりだち」(白鳥哲)B「俺とおまえとあいつ」(片山誠史)。誰なんだよ、というラインナップ(笑)。どれも歌唱力に難があるんだよ。いい曲だけに、もっと光を!と願わずにいられない。
 そういえば隊長候補だった彼はお元気だろうか。

2017. 8. 16

 ラジオでナイトの告知を読んで、昨日の日記で「皇帝のいない八月」と書いたが、「八月の濡れた砂」にしておけばよかったと、このバカは思った(笑)。いずれにしても二週続きの崖っぷち企画拡大に快哉を叫びたい。そりゃあ、一回、二回じゃ足りないよね。ありがとう御大。楽しみにしています。

 深夜、コトリンゴさんの「この世界の片隅に」の映画音楽の番組を観た。個人的に今回の広島ゆきは、御大の歌碑と呉のすずさんの景色が目的だったのでいっそう感慨深かった。
 原作ファンとしては、映画化は、ほぼ失敗するだろうと思っていたので(実際、実写ドラマはひどかった)、映像と音楽が混然と一体となった映画の素晴らしさに打ちのめされた。“悲しくてやりきれない”がいかにこの映画化に大切だったのかがわかった。
 別のインタビューだが、片渕監督の「悲しみの中からつかまえていく人生の実り」という言葉が重なり忘れられない。それって、御大の音楽そのものではないか。

 ここでも音楽のチカラを思う。

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2017. 8. 15

 今日の朝ドラは、藤野涼子さんのフィーチャーだ。ドラマにもかかわらず、クイズの応援をしてしまう。あの真剣な眼差しがまたいい。ああ、おじさんも一緒にハワイに連れてっておくれ。

 “USA for Africa”があって、”Live Aid”があった、日本では、”オールトゥギャザーナウ”があって、”ワンラストナイトインつま恋”があった。ずいぶんといろんなことが立て込んでいた1985年の初夏だった。
 そういえば、”Live Aid”にあわせて日本のミュージシャンも総出演的な番組もあった。新聞のテレビ欄には「吉田拓郎」の文字があったので夜通し観ていたがついぞ出演しなかった(爆)。”Live Aid”では、ボブ・ディランとキース・リチャーズとロン・ウッド三人でのアコギ演奏にタメ息をついた。しかし、ほどなくしてつま恋では、吉田拓郎と加藤和彦と石川鷹彦のアコギ演奏でまた感動することになった。

 今思えば、実に充実した素晴らしい夏だったのだが、当時は、心の底から楽しめなかった。どうしても”消えゆく吉田拓郎”、大きな何かが自他ともに終わってゆく寂寥感というか憂鬱さのようなものがいつも肩の上にのしかかっていて、気分が晴れなかった。つま恋85は、音楽的に素晴らしかったが、ああ楽しかったねとは決して言えない重苦しい気分だった。

 つま恋が終わると、御大はとっとと福山に雲隠れするように映画「RONIN」の撮影に入っしまった。

 あの重たい夏は、まさに「皇帝のいない八月」であった。

2017. 8. 14

ラジオでナイト 第20回 2017.8.13
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。夏の暑いときに冷たいチンチンに冷えたキーンとくるビール。一杯で十分。それがすごくうまい。ビアガーデン、ビアホールなどお店で飲む最初の一杯は極上だ。家で飲むとそうでもないという不思議。なぜお店で飲むビールがうまいのか。注ぎ方か、缶瓶はガスが多いのではないかなどなど、諸君、吉田拓郎流に言うと、お店で飲むビールは、そこに足を向けてお金を支払っていくところで人間としての覚悟が出来ている。家では、いざという覚悟、根性の入れ方が違う。緊迫した緊張感が足りない。家ではよく出してくれるからか。人間とビールの間のアトモスフェアーではないか。ビールにうるさい人は、温度管理などにウンチクがあるが、吉田拓郎はウンチクがない。バカなんだね。凍る直前のチンチンキンキンが好きだ。

 おつまみは、42パーセントが枝豆、なんでソラマメじゃないのか、カミさんがよくたせしてくれて好きなんだけど。2位からあげ  3位ポテトフライ  4位 塩キャベツ 4位 なんこつあげ。
 僕はとにかくつめたーーーーーくした凍る直前のビールをお店で飲む。コンサート終了後の楽屋で飲むバカがいる、ALFEEの桜井。打ち上げのお店まで待つ。そこで飲むのがうまいのなんの。


■タイトル
  若いころ広島のビアガーデンで演奏していた。うるさいロックバンドは、注文が聴こえないのでビアガーデンには向かない。音が大きいので、ハウンドドッグとか絶叫していたので(実演してみせる)電源を切られた。するとドラムしか聴こえない(笑)それでも生歌で歌った。生ビール対生歌。とにかくギャラが安かった。ビール一杯飲むと無くなってしまう、そんなギャラ。深夜によく歩いて帰った。
 あの頃から、ビールは永遠だ。是非チンチンカッキンコッキンをお店でいだく。できたら、枝豆でなくソラマメで。

M−1  夏休み   鬼束ちひろ


 ビールといえば、ハワイに行くと僕はいつもバドワイザー。What kind of beer…とか言わずに「バド」で通じる便利さ。 ハワイ行きたいな。行くか! 

 さてここで問題提起をするのでよく聞いてほしい。

<人生を語らず、落陽、に飽きたと言っていたが、他に歌いたい歌があるんだったら歌えばイイ。落陽もやらなくていい、客のことなんか考えない、それが吉田拓郎だという投書>
…誤解されているな

<また落陽、春だったね、またかなんて思わない。よく歌ってくださったと拝みたい気分だ。もともと地方ではテキトーなこともあった。きわめつけは沖縄で二日酔いで、開演一時間遅れて、結局、椅子に座って歌ったし、そういう人間くさいところが大好きという投書>
 拍手。どちらかという後者だな。

  沖縄と大阪には借りがある。大阪はかつて当日中止にしてしまった。そういう弱いオトコなんだから。沖縄のイベンターが、シークワーサーを入れると悪酔いしないと言われて信じて、安心して古酒をシークワーサーを入れて夜中まで飲んだ。次の日朝、苦しかった。ゲーゲーゲーとベットとトイレを往復する、頭はグラグラする。で1時間遅れてステージに出たが、立って歌う元気もなかった。その後改心して沖縄に行った。本当に、沖縄と大阪には悪いと思っている。そういう小心者の男なんだから。

 フォークビレッジのテーマと僕らの旅をつなげたらどうかという鳥山の提案で…

M-2 oldies


■ラジオでナイトクラブ

<私の映画の思い出、自分も出演した佐々部監督の「結婚しようよ」にエキストラとして出たという投書>
 2006年のつま恋の時に映画収録希望したが、断って合成で作った。映画「RONIN」に出たとき、ミュージシャンなので、現場で、俳優の気持ちがわからなかった。川谷拓三さんや伊武さんにいろいろ教えていただいた。
 長いセリフが覚えられないので、川谷さんたちに監督に頼んで、短くしたりできないかな?と相談した。「なにをいうんだ拓郎くん、役者というのは一言でも多くセリフが欲しいものだ、少しでも多く演じたいものだ」とたしなめられた。川谷拓三さんからは教えて貰った。武田鉄矢から教わることはなかった。あいつは呪われていた。他の役者からはいろいろなことを教わった。

<ネールサロンで若い娘にやってもらうと拓郎さんは言っていたが、自分は、マッサージの電話予約で、希望を尋ねられて、どっちでもいいですとカッコつけてしまうという投書>
 ここが男のバカなところ。言えないよね。俺はヤダよ。自分で予約もできない、奥さんに電話してもらうので、できる。

<暑いですね、異常ですねという投書>
 本当に温暖化している。トランプさんいいの?台風やゲリラ豪雨など昔はなかった。

<昔兄弟でフォーライフのシャツを着ていた、超ベンチャーのフォーライフ。そのさなかにつま恋をやっていた。あのパワーはどこから来るのでしょうという投書>
 フォーライフのTシャツ、家のマークか、あのマークは結構苦労した。最近つま恋の特集の取材が多いがお断りしている。そもそも記憶にないから。それに、若いときには、つま恋もフォーライフの時も若者特有の「怒り」「苛立ち」「焦り」があった。現状に甘えてる自分への怒りがあった。そこからエネルギーが出てきていたのだと思う。


■今週のマイ・フェイバリットソング
  
M−3 可愛いアイシャ   スティービ・ーワンダー

 いいね、愛が満ち溢れている。これほど愛のあるミュージシャンはいない。Isn’t she lovely と歌われると、素敵だねと思ってしまう。このボーカルの愛に溢れた説得力。
一番感動的なのは、1985年 USA For Africa のメイキングVTRで、スティービーとディランの2ショットがたまらない。ココを歌ってくれというとライオネル・リッチーあたりから言われて、たぶんOKと軽く承知したディラン。俺と似てるから…そうなのよ。しかし、現場に行くと、「ココ俺どうやって歌うの?スティービー、一応わかってるけど教えてくれよ」と尋ねるとスティービーがディランの節回しでピアノで歌ってみせる。「なんだ、最初からそう言ってくれよ」(笑)これは想像だよ。とにかくこの世界の超スーパースターのショットこれほどの名場面はない。これほどの名画はない。映画「ジャージーボーイズ」も勝てない。今でも忘れられない。

M−4  心の愛  スティービーワンダー
 
■エンディング
 (夜行列車を歌う) なぁ覚えているか。夜行列車をヒットさせる会。もっと盛り上げよう。
番組でハワイへ行こうよ。どうしたらハワイに行けるのか、みんなも考えろ。
スペシャルウィークで、今まで提供曲を作っているが、まったく売れずにも僕自身も記憶にない、箸にも棒にもかからない提供曲を特集してみよう。リスナーの中に、そういう曲を知ってるやつも少しはいるかもしれないが、そういうヤツを何というか知ってる?バカって言うんだ(笑)  

お相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆そうさ、バカじゃもんの。

☆暑い。吉田拓郎にはビアガーデンが良く似合う。随分前に、ビアガーデンに行ったら、偶然、隣のテーブルが吉田拓郎様御一行だったことがあった。

☆そうですか、ソラマメがお好きですか。ソラマメと言えば、このラジオの時間帯、ニッポン放送の日曜夜11時台は、大昔は、ソラマメさんこと滝良子のミュージック・スカイホリデーというラジオ番組があって、よく聴いていた。殆ど吉田拓郎の曲がかからなかったが、一度だけ「流星」が流れたことがあった。だからどうした。

☆フォーライフのあの家マークは、私にはトップブランドの印だった。Tシャツもステッカーも宝物だった。胸にマークが刺繍された多分スタッフ用Gジャンがあって、小坂一也がテレビで「春になれば」を歌うときに着ていて、心の底から欲しかったものだ。

☆さて、ライブにおける落陽、人生を語らず、春だったねの選曲についての両論併記。どちらの方も、「吉田拓郎は好きな歌を好きに歌えばイイ」というファンとしての温かな慮りに満ちていた。その意味ではどちらも相反することは言っていないと思う。齢70歳を超えた御大があれだけのライブを演ってくれることの有り難さと感激があることはすべての大前提だ。御大が気持ちよく歌ってくれることが第一だ。
 しかし、どうせ片隅のサイトなんで忖度せずに言ってしまうが、一消費者の意見としては、「落陽」も「春だったね」「人生を語らず」も我が人生にとってのかけがえのない神曲だが、ライブで聴くのは、飽きた。あぁぁぁぁぁもう完膚なきまで飽きた。てか、こんなに蔭に日向に愛に満ちた名曲が溢れているのに、なぜ一部のスタンダードしかライブでやらないのかわからないし、まるで大団円のような懐メロ歌手に自ら舳先を向けているような気がしてならない。
  ついでに言ってしまうと、鳥山・武部氏は、素晴らしいミュージシャンであることは私ごときが言うまでもないが、彼らの「落陽」は、ノンアルコールのビールかカロリーオフのコーラみたいだ。ビアガーデンで飲みたいとは思わない。優秀な模範答案なれど行間から溢れ出る魂の律動がない。なんだそりゃ。でもそんな感じがする。

 Caravanで取り上げさせていただいたように、御大ご自身が言っておられる「落陽はもう要らないというライブが見えてきた」という言葉にこそ、私は希望の明日を夢見てしまうのだ。

☆沖縄は、中野のことがあった後なので心配したな。二日酔いとは知らなかったし(笑)。前の席の女性なんて、御大が登場したとたん「生きてた」みたいに号泣しておられた。
 沖縄、大阪、気にしている御大。言わなくてもわかるよ。しかし、言ってくれて嬉しい気もする。

☆1985年 USA For Africa 大好きだった。奇跡的に集合した超絶なミュージシャンたち。私が好きなのは、ブルース・スプリングスティーンがボブ・ディランに挨拶に行って握手をするシーンだ。テンション高いスプリングスティーンと高くないというより明らかに低いボブ・ディランの握手のシーン。
 後に、長崎のスーパーバンドの楽屋で、浜田省吾が吉田拓郎に手を差し出して握手してご挨拶するシーンを観たとき、ああ、あれだと思った。浜省は、力強く握った手を振り、テレ屋の御大は、俯いてちょこんと頭を下げる。あのシーンも大好きだ。

☆出ました。ハワイ。御意。行こうじゃないですか。

2017. 8. 13

 初めて訪れた広島修道大学は、本当に緑深い素敵な場所だった。しかし若い大学生が毎日通うのには相当の克己心が必要だろう(笑)。この樹や緑のある場所で、御大が歌おうとしていたのか。感慨深い。いや、まだあるかもしれないぞ。耳を澄ませ、目を見張れ、そうだアトム、油断をするな。

 広域公園駅を挟んで広島修道大学の向かい側にある老人ホームが「やすらぎの里」で、びっくらこいた(爆)。石坂浩二を吉田拓郎に置き換えて、矢沢永吉・小田和正から泉谷しげる・小室等まで、中島みゆき・ユーミンから五輪真弓・イルカまで、オールトゥギャザー・ナウな老人ホームを思い浮かべて…絶句する。

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2017. 8. 12

 坂本九さんの「上を向いて歩こう」が全米1位を記録したことは、歴史の知識としては知っていた。しかし、御大はマイフェバリットのコーナーで、当時、毎週チャートのランクがUPするのをFENのラジオでワクワクしながら聴いていたこと、ついに1位になったときの快哉の叫びをリアルに教えてくれた。おかげで偉業の意味が身に沁みてわかった。あの歌は日本人にとって夢と希望だったんだな。当時の気持ちや空気がわからないと歴史はただの記録だ。
 あの忌まわしい事故も、あのとき日本中に走った衝撃と慟哭とともにしっかり心に刻みつけておきたい。直後にヒットスタジオで森進一が涙で歌い上げた「見上げてごらん夜の星を」も一緒に。
 ご冥福をお祈りします。

2017. 8. 11

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 やっと観られた歌碑。除幕式に行けなかった私を9年間もずっと待っててくれた。写真で何回も見て、なんて素敵な歌碑なのかとタメ息をついていたが、本物の質感はまた格別だ。本当に樹や緑が香る美しい学内に静かに、しかし凛と佇んでいた。夏休みの早朝で周囲に誰もいなかったので存分に対面できた。人目がないので、抱きしめたり頬ずりしたりして愛を確かめあった(爆)
 レプリカとかを作って欲しいなぁ、もちろん卓上サイズで、それくらい素敵だ。
 この歌碑を制作し、設置し、運営してくださる方々にあらためて魂の底から御礼申し上げます。そして、これからも未来永劫いつでもここで会えますようお願いします。

2017. 8. 10

 "可愛いヤツラ"を涙ぐみながら読み返す。涙ぐんでばかりだな。陽の目を見なかったすべての御大の子どもたちに逢いたいと思う。売れなかったということはビジネスからこぼれ落ちてしまったわけだから、殆どの音楽ビジネス関係者はもうアテにならない。可愛いヤツラを見つけ出し、愛で、しかと抱きしめてやれるのは吉田拓郎本人と私らファンしかこの地球上にいない。なんというか本気でやってほしい番組だ。
 そして御大の言う新しい発見が心の底から楽しみだ。まるで御大とみんなでキャラバンに出るみたいじゃないか。

 ところでいま広島アストラムライン拓郎号に乗って早朝の歌碑にひとり向かうところ。

2017. 8. 9

 先週末の朝ドラの「ひよっこ」で、記憶喪失の沢村一樹が、佐々木蔵之介と再会したが思い出せずに苦悶の表情を見せた時に、すかさず佐々木が「大丈夫ですよ。僕が憶えていますから。」と手を握るシーンがあって思わず涙ぐんだ。私もいつか御大の手を強く握って同じことを言いたい。どういうシチュエーションだよ(爆)。

 ついでみたいに言うのは不謹慎だが、今日も忘れてはならない日だ。この都市も焼け尽き、この都市からも確かな愛が聴こえる…のだ。そんなこんなで"崖メロ探検隊、西へ"。

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2017. 8. 8

 よくぞ思いついてくれた夢の企画。ありがとう御大。崖っぷちのメロディーを願いて幾星霜、崖メロ探検隊(隊員1名。隊長募集中)を組織して12年余、ようやくこの極北をゆく苦難の旅が報われようとしている。何にもしていないけどさ(爆)
 隊の活動報告書をお送りせねば。他の探検隊(あるのかよ)の方々の渾身の報告も楽しみだ。もしニッポン放送になければ、他局、レコード会社、全国に捜索をかけようではないか。まさに文化財の発掘という尊い作業なんだから。…あれ、御大は持ってないの?

2017. 8. 7

ラジオでナイト 第19回 2017.8.6
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

吉田拓郎です。

<天下の吉田拓郎たるもの奥さんの買い物で文句を言ってはいけないという投書>
 エルメスでなくプラダ、グッチ。奥さんの買い物を見張るのはダサイ、ウザイという人もいた。家の場合は、みつくろうのは僕の仕事、100万,200万円で文句言うなというけど、請求書を観ると、ウッヘーとびっくりするものだよ。

<坂崎さんは禁じられた遊びは弾けるという投書>
 ざげんじゃねーよ、男がすたらぁ(弾く) やっぱり弾けない(笑)スリーフィンガーではダメだ。

<LOVE2放送時間があまりに短かったという投書>
 収録は3時間、もっと面白いとろもある。光一とも、もっとやりあった。光一くんは若いころから、ファンにもずけずけ言う、泉谷しげる的なところがある。38歳になっても、ファンや僕にも、平気でかみついていく、そこがチャーミングだと思う。昔、女子大のロケで、キャーキャーいう女子大生に「うっせーな」と言う。変わっていない。最近メールで、「そこが好きだ」と書いたら「嬉しいです」と返事が来た。

 さて、なぜ土用の丑の日にウナギを食べるか。それは自分で調べてもらうこととして、うな重は普通。名古屋では、ひつまぶしというのがある。
三種類に分ける。@うな重として食べるAねぎ、わさび、のりで食べるBだし汁でお茶漬けにして食べる。知ってる?これが、うまいんだよ。

■タイトル
 ラブレターを募集しているが、メールとかハガキ、書きづらそうだね。出すも貰うも、経験が少ないのかな。みんなモテなかったんだね。吉田拓郎ファンはモテない人多かったのかな。自分もモテなかった。大学時代、女子大生に「山へ登らないか」と電話をかけた。来週の日曜、待ちあわせ、山の上でチューしようと思って、下見しに行った。犯罪だよ。押し倒す練習までした。そこまでやったのに、当日三時間待っても来なかった(笑)。

M−1  メランコリー  一青窈

 皆さんもモテなかったなりにラブレター、電話告白の思い出があるようだ。

<雑誌のペンパル募集で文通していた、弾き語りの歌を送っていたという投書>
 中尾ミエ、芦川いづみと文通したかったな、
<…で、髪の毛が細くて繊細という彼女のイメージだったが、実際の自分はそれとは全然違うので破談してしまったという投書>
 淋しい話だな。僕も「準ちゃん」(歌う)。フルオーケストラでアレンジしたものがある。TBSで作ったんだが(笑)。曲をプレゼントする手法はダメだ。女子は喜ばない。フニャケタ男はダメよ。日に焼けて汗をかいているバスケ部とかがモテる。自分に言い聞かせている。本当にモテなかったよ。

<50年前ラブレター貰ったが他人の作だったという投書>
<中一の時一目ぼれてして手紙を書いたら相手の男の子から、熊本弁ではなく、キザな文で天にも昇る思いだよ、どんどん話しかけておくれよ、いつも見ているよと返事が来たら、一瞬で覚めたという投書>
 そりゃ、広島弁で、ワシゃあ…とラブレターは書かないでしょう。このコーナーは、もうすぐ終わりそうだ。

■ラジオでナイトクラブ

 1970年3月30日「平凡パンチ」。抜粋の許可の問い合わせが来たので読み直した。全共闘学生運動崩れと暮らしていた泉岳寺のアパートが映っている。タイトルは、「120曲のニューフォークを作った日本のボブディラン」。そんなに作っていないと思う(笑)

 「フューチャーズサービス、上智の学生運動で処分された男7人に女1人。闘争に疲れて金儲けでもしようと思った。」…とある。彼らが広島フォーク村に目をつけて、「古い船を動すのは古い水夫じゃないだろう  若者の広場と広場にかける橋」が発売された。

 雑誌では、「日本のボブディラン  吉田拓郎クン」「全共闘がなぜ選んだか。吉田拓郎の才能」フューチャーズの斉藤さんが語る。「ユーゲントレーベルはドイツ語で若いという意味」「吉田くんの歌に感じちゃいました」
ウソだ、斉藤くん(笑)。
 フューチャーズサービスに広島フォーク村を引き合わせたのが、浅沼勇(エレックの専務)だった。フューチャーズサービスは、広島までやってきた。しかし、毎晩キャバレーに通っていた。どこで稼いでいるのか、すげーお金をもっていて広島で酒池肉林だった。決して純粋なものではなかった。キャバレー通いでほだされた(笑)。

 浅沼「イメージの詩はメロディーが斬新です」(歌う)そんなに斬新ではないだろう。「吉田君はこういう歌の頂点にいく、自作自演の強み、声がいい」。なにせ後に、荒れ果てた荒野に太いホースで水を撒くというキャッチコピーだったから、なんなんだとオレはと思った。
 「R&Bが好きなせいか、アフタービートが効いている。ディランの先を行っている」…褒めるなぁ、浅沼さん。「歌謡曲やコマーシャルベースでも十分いける」…って先見の明があるな。

 吉田拓郎本人のインタビューだけれど
「僕の歌は、どんなジャンルにも分類されません。要するに歌なんです。」
 ホラ、拍手。デビュー前から言っているじゃないか。
「(自分の歌を音楽として批判する人もいるけれど)僕は自分のやっていることが歌。自分の歌に歌謡曲、フォーク、ジャズとか決めたくない」(拍手)「フォークとかロックとか歌に名前をつけることになんか意味がない」拍手(笑)
「自分で作っていてどういう意味だかわからなくなる時がある」正直だ(笑)「自分から出てくるものを歌にしている。人がどう思うとかまわない。自分じゃよくわからない」
はいまた拍手。
  ニッポン放送の亀淵昭信さんのコメント、「イメージ詩っていいね。アレンジがうまい。 フォークロックは、フォークソングに飽き足らなくなって生まれてきた。ディランも再デビューは、エレキギターだった」亀ちゃんはフォークが嫌いだった。「これらの歌を冗談で作ったのではないか」…どういうことなんだ、亀ちゃん。フォークルは冗談ぽかったからか。

■今週のマイ・フェイバリットソング

M−2  夜霧よ今夜も有難う 吉田拓郎

 いいねぇ、フォーライフが左に傾いた時、立て直しで、経費をかけずに、夜中のレコーディング、アマチュアに近いミュージシャンとで作った。青山徹とエルトンが手伝ってくれた。
 浜口庫之助はセンスに洋楽のイメージがあった。ポピュラーな感じ。詞も自分で書いてて、おしゃれで、シンガーソングライターのはしりだと思う。
  浜口庫之助さんをメドレーで、
M−3 僕は泣いちっち  守屋浩
M−4 涙くんサヨナラ ジョニー・ティロットソン
M−5 バラが咲いた  マイク真木
M−6 夕陽が泣いている ザ・スパイダース
M−7  みんな夢の中  高田恭子

 どれも特有の浜口節。子どもの頃から、聴いていて僕も影響を受けている。

 石原裕次郎は、不世出の大スター。テレ臭そうに俯くあの感じに女性も男もシビレた。
日活時代が一番好きだ。後にテレビに行って、「西部警察」「太陽にほえろ」とかではなく
「あじさいのうた」「あいつと私」とか石坂洋次郎の文芸ものが特に好きだった。あの照れくさそうな感じがいいんだよ。
 裕ちゃんの香港シャツ、袖の先端がVカットしているのも憧れたし、やることなすこと ドラム叩けば、ドラム叩きたい、とか、裕次郎、裕ちゃんみたいになりたいと思っていた。
 映画を観に行くと、自分も芦川いづみと付き合っている気になってしまう、それくらい憧れたものだ。

M−8 夜霧よ今夜も有難う

 

■エンディング

ラブレター、電話の告白のメールやハガキを引き続き募集。


お相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆御大はただひたすらに奥さんと一緒に買い物したい、一緒にいたいだけなのだ。その言い訳が、「見張り」なのに、そんなにマジに責めたら可哀想じゃないか(笑)。御大はお金に細かい人ではない。知らないけど。たぶん(爆)。離婚の慰謝料も養育費も払わない男がたくさんいる中で、離婚のたびに、へーきで全財産を投げ出してしまうと後藤由多加も言っていたではないか。

☆知っているか?と言われても、「ひつまぶし」も「トマトピューレのパスタ」もみんな超絶普通に知っていると思う。でも、そうか、「ひつまぶし」がお好きか。たぶんテレビで四国を旅した番組で「うな重」があまり好きでないと言っていたので、画期的なうなぎの食べ方として御大の前に彗星のごとく現れたのではないかと拝察する。

☆モテなかった悲しみと鬱屈が、御大にあそこまでの深い詩を書かせ、メロディーを作らせたことは間違いなかろう。恋愛リア充な学生生活だったら、こんなに凄いミュージシャンにはならなかったのではないか。そして、ミュージシャンになってスターになって、一般Pなんか問題にならない、超絶なモテ期が怒涛のように押し寄せたので、御大も大変だったのだろう(笑)。しかしも基本にモテなかった青春があったので、どんなに汚れても(爆)いつも御大の恋愛観はどこかにピュアなものがあったと思う。

☆「準ちゃん」フルオーケストラ。懐かしい。素晴らしい。確かに“君にも夢があり、僕にも夢がある”というセリフもあった。唯一の欠点は、このセリフで、例によって御大がテレてしまって、笑いながら言っているところだ。ダメだ、あそこでおちゃらけたら。と、いまさら何を言っているのだ。

☆「僕の歌は、どんなジャンルにも分類されません。要するに歌なんです。人がどう思うとかまわない。」
  震えるね。ああ、カッチョエエ。こういうこと言う24歳の若者も、そこからブレずに歌い続ける70歳も、素晴らしい。あらためて、そんな意気軒高な若者が、フォークだとかフォークじゃないとかくだらない論争に巻き込まれた悔しさをあらためて想像する。

☆「イメージの詩」は、メロディもアレンジもそりゃいいけど、オトナの浅沼さんも亀淵さんもリアルタイムでは、的確な評価をなしえていないのも感慨深い。あれを聴いて衝撃を受けた当時の若者たちが積み上げた評価なのだとあらためて思う。

☆上智元全共闘、フューチャーズサービス。聞けば聞くほど、ウサンクサイ(笑)。映画「マイバックページ」の、あの松山ケンイチと同志たちを思い出す。早く手を切ってよかったのではないかと思う。いつもの私なら、「それが機縁で、御大が世に出たのだから、彼らにも感謝しなくてはいけない…」とか書くところだが、彼らでなくとも、あそこまでハイクオリティの音楽になっていた御大だ。必ず誰かが見つけて世に出したはずだ。

☆「ぷらいべえと」の「夜霧よ今夜も有難う」。いいねぇ。なんでこんな歌謡曲を歌うんだと当時はガッカリしつつ怒ったけれど絶品ですばい。若き青山、エルトンの仕事と認識してくれている御大が嬉しい。何度でも言うが「赤い燈台」のキーボードなんて本当に不世出だと思う。

☆御大は、石原裕次郎のシャイさが好きだったのだとわかった。男らしさというよりも、そこに垣間見るシャイさに、自分もシャイだった御大が深く共感したのではないかと思った。

 子どものころ地元が、石原慎太郎の選挙区だったので、いつも選挙になると石原裕次郎が街頭の選挙応援に駆けつけて黒山の人だかりになったものだ。背が高くカッコ良かった。「兄貴をよろしく」という石原裕次郎の声が耳に残っている。
 私の叔父は、昔、職場の労働組合の関係で社会党か共産党かの推薦で区議選に出ないかと声がかかって、たいそう張り切っていたが、裕次郎に会いたいがために石原慎太郎の後援会にも入っていたのがバレて、両方ともクビになった。節操のない人であった(笑)。
…ああ、なんか余計な事を言ってしまいそうなのでここまで。