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a day

2017. 8. 7

ラジオでナイト 第19回 2017.8.6
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

吉田拓郎です。

<天下の吉田拓郎たるもの奥さんの買い物で文句を言ってはいけないという投書>
 エルメスでなくプラダ、グッチ。奥さんの買い物を見張るのはダサイ、ウザイという人もいた。家の場合は、みつくろうのは僕の仕事、100万,200万円で文句言うなというけど、請求書を観ると、ウッヘーとびっくりするものだよ。

<坂崎さんは禁じられた遊びは弾けるという投書>
 ざげんじゃねーよ、男がすたらぁ(弾く) やっぱり弾けない(笑)スリーフィンガーではダメだ。

<LOVE2放送時間があまりに短かったという投書>
 収録は3時間、もっと面白いとろもある。光一とも、もっとやりあった。光一くんは若いころから、ファンにもずけずけ言う、泉谷しげる的なところがある。38歳になっても、ファンや僕にも、平気でかみついていく、そこがチャーミングだと思う。昔、女子大のロケで、キャーキャーいう女子大生に「うっせーな」と言う。変わっていない。最近メールで、「そこが好きだ」と書いたら「嬉しいです」と返事が来た。

 さて、なぜ土用の丑の日にウナギを食べるか。それは自分で調べてもらうこととして、うな重は普通。名古屋では、ひつまぶしというのがある。
三種類に分ける。@うな重として食べるAねぎ、わさび、のりで食べるBだし汁でお茶漬けにして食べる。知ってる?これが、うまいんだよ。

■タイトル
 ラブレターを募集しているが、メールとかハガキ、書きづらそうだね。出すも貰うも、経験が少ないのかな。みんなモテなかったんだね。吉田拓郎ファンはモテない人多かったのかな。自分もモテなかった。大学時代、女子大生に「山へ登らないか」と電話をかけた。来週の日曜、待ちあわせ、山の上でチューしようと思って、下見しに行った。犯罪だよ。押し倒す練習までした。そこまでやったのに、当日三時間待っても来なかった(笑)。

M−1  メランコリー  一青窈

 皆さんもモテなかったなりにラブレター、電話告白の思い出があるようだ。

<雑誌のペンパル募集で文通していた、弾き語りの歌を送っていたという投書>
 中尾ミエ、芦川いづみと文通したかったな、
<…で、髪の毛が細くて繊細という彼女のイメージだったが、実際の自分はそれとは全然違うので破談してしまったという投書>
 淋しい話だな。僕も「準ちゃん」(歌う)。フルオーケストラでアレンジしたものがある。TBSで作ったんだが(笑)。曲をプレゼントする手法はダメだ。女子は喜ばない。フニャケタ男はダメよ。日に焼けて汗をかいているバスケ部とかがモテる。自分に言い聞かせている。本当にモテなかったよ。

<50年前ラブレター貰ったが他人の作だったという投書>
<中一の時一目ぼれてして手紙を書いたら相手の男の子から、熊本弁ではなく、キザな文で天にも昇る思いだよ、どんどん話しかけておくれよ、いつも見ているよと返事が来たら、一瞬で覚めたという投書>
 そりゃ、広島弁で、ワシゃあ…とラブレターは書かないでしょう。このコーナーは、もうすぐ終わりそうだ。

■ラジオでナイトクラブ

 1970年3月30日「平凡パンチ」。抜粋の許可の問い合わせが来たので読み直した。全共闘学生運動崩れと暮らしていた泉岳寺のアパートが映っている。タイトルは、「120曲のニューフォークを作った日本のボブディラン」。そんなに作っていないと思う(笑)

 「フューチャーズサービス、上智の学生運動で処分された男7人に女1人。闘争に疲れて金儲けでもしようと思った。」…とある。彼らが広島フォーク村に目をつけて、「古い船を動すのは古い水夫じゃないだろう  若者の広場と広場にかける橋」が発売された。

 雑誌では、「日本のボブディラン  吉田拓郎クン」「全共闘がなぜ選んだか。吉田拓郎の才能」フューチャーズの斉藤さんが語る。「ユーゲントレーベルはドイツ語で若いという意味」「吉田くんの歌に感じちゃいました」
ウソだ、斉藤くん(笑)。
 フューチャーズサービスに広島フォーク村を引き合わせたのが、浅沼勇(エレックの専務)だった。フューチャーズサービスは、広島までやってきた。しかし、毎晩キャバレーに通っていた。どこで稼いでいるのか、すげーお金をもっていて広島で酒池肉林だった。決して純粋なものではなかった。キャバレー通いでほだされた(笑)。

 浅沼「イメージの詩はメロディーが斬新です」(歌う)そんなに斬新ではないだろう。「吉田君はこういう歌の頂点にいく、自作自演の強み、声がいい」。なにせ後に、荒れ果てた荒野に太いホースで水を撒くというキャッチコピーだったから、なんなんだとオレはと思った。
 「R&Bが好きなせいか、アフタービートが効いている。ディランの先を行っている」…褒めるなぁ、浅沼さん。「歌謡曲やコマーシャルベースでも十分いける」…って先見の明があるな。

 吉田拓郎本人のインタビューだけれど
「僕の歌は、どんなジャンルにも分類されません。要するに歌なんです。」
 ホラ、拍手。デビュー前から言っているじゃないか。
「(自分の歌を音楽として批判する人もいるけれど)僕は自分のやっていることが歌。自分の歌に歌謡曲、フォーク、ジャズとか決めたくない」(拍手)「フォークとかロックとか歌に名前をつけることになんか意味がない」拍手(笑)
「自分で作っていてどういう意味だかわからなくなる時がある」正直だ(笑)「自分から出てくるものを歌にしている。人がどう思うとかまわない。自分じゃよくわからない」
はいまた拍手。
  ニッポン放送の亀淵昭信さんのコメント、「イメージ詩っていいね。アレンジがうまい。 フォークロックは、フォークソングに飽き足らなくなって生まれてきた。ディランも再デビューは、エレキギターだった」亀ちゃんはフォークが嫌いだった。「これらの歌を冗談で作ったのではないか」…どういうことなんだ、亀ちゃん。フォークルは冗談ぽかったからか。

■今週のマイ・フェイバリットソング

M−2  夜霧よ今夜も有難う 吉田拓郎

 いいねぇ、フォーライフが左に傾いた時、立て直しで、経費をかけずに、夜中のレコーディング、アマチュアに近いミュージシャンとで作った。青山徹とエルトンが手伝ってくれた。
 浜口庫之助はセンスに洋楽のイメージがあった。ポピュラーな感じ。詞も自分で書いてて、おしゃれで、シンガーソングライターのはしりだと思う。
  浜口庫之助さんをメドレーで、
M−3 僕は泣いちっち  守屋浩
M−4 涙くんサヨナラ ジョニー・ティロットソン
M−5 バラが咲いた  マイク真木
M−6 夕陽が泣いている ザ・スパイダース
M−7  みんな夢の中  高田恭子

 どれも特有の浜口節。子どもの頃から、聴いていて僕も影響を受けている。

 石原裕次郎は、不世出の大スター。テレ臭そうに俯くあの感じに女性も男もシビレた。
日活時代が一番好きだ。後にテレビに行って、「西部警察」「太陽にほえろ」とかではなく
「あじさいのうた」「あいつと私」とか石坂洋次郎の文芸ものが特に好きだった。あの照れくさそうな感じがいいんだよ。
 裕ちゃんの香港シャツ、袖の先端がVカットしているのも憧れたし、やることなすこと ドラム叩けば、ドラム叩きたい、とか、裕次郎、裕ちゃんみたいになりたいと思っていた。
 映画を観に行くと、自分も芦川いづみと付き合っている気になってしまう、それくらい憧れたものだ。

M−8 夜霧よ今夜も有難う

 

■エンディング

ラブレター、電話の告白のメールやハガキを引き続き募集。


お相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆御大はただひたすらに奥さんと一緒に買い物したい、一緒にいたいだけなのだ。その言い訳が、「見張り」なのに、そんなにマジに責めたら可哀想じゃないか(笑)。御大はお金に細かい人ではない。知らないけど。たぶん(爆)。離婚の慰謝料も養育費も払わない男がたくさんいる中で、離婚のたびに、へーきで全財産を投げ出してしまうと後藤由多加も言っていたではないか。

☆知っているか?と言われても、「ひつまぶし」も「トマトピューレのパスタ」もみんな超絶普通に知っていると思う。でも、そうか、「ひつまぶし」がお好きか。たぶんテレビで四国を旅した番組で「うな重」があまり好きでないと言っていたので、画期的なうなぎの食べ方として御大の前に彗星のごとく現れたのではないかと拝察する。

☆モテなかった悲しみと鬱屈が、御大にあそこまでの深い詩を書かせ、メロディーを作らせたことは間違いなかろう。恋愛リア充な学生生活だったら、こんなに凄いミュージシャンにはならなかったのではないか。そして、ミュージシャンになってスターになって、一般Pなんか問題にならない、超絶なモテ期が怒涛のように押し寄せたので、御大も大変だったのだろう(笑)。しかしも基本にモテなかった青春があったので、どんなに汚れても(爆)いつも御大の恋愛観はどこかにピュアなものがあったと思う。

☆「準ちゃん」フルオーケストラ。懐かしい。素晴らしい。確かに“君にも夢があり、僕にも夢がある”というセリフもあった。唯一の欠点は、このセリフで、例によって御大がテレてしまって、笑いながら言っているところだ。ダメだ、あそこでおちゃらけたら。と、いまさら何を言っているのだ。

☆「僕の歌は、どんなジャンルにも分類されません。要するに歌なんです。人がどう思うとかまわない。」
  震えるね。ああ、カッチョエエ。こういうこと言う24歳の若者も、そこからブレずに歌い続ける70歳も、素晴らしい。あらためて、そんな意気軒高な若者が、フォークだとかフォークじゃないとかくだらない論争に巻き込まれた悔しさをあらためて想像する。

☆「イメージの詩」は、メロディもアレンジもそりゃいいけど、オトナの浅沼さんも亀淵さんもリアルタイムでは、的確な評価をなしえていないのも感慨深い。あれを聴いて衝撃を受けた当時の若者たちが積み上げた評価なのだとあらためて思う。

☆上智元全共闘、フューチャーズサービス。聞けば聞くほど、ウサンクサイ(笑)。映画「マイバックページ」の、あの松山ケンイチと同志たちを思い出す。早く手を切ってよかったのではないかと思う。いつもの私なら、「それが機縁で、御大が世に出たのだから、彼らにも感謝しなくてはいけない…」とか書くところだが、彼らでなくとも、あそこまでハイクオリティの音楽になっていた御大だ。必ず誰かが見つけて世に出したはずだ。

☆「ぷらいべえと」の「夜霧よ今夜も有難う」。いいねぇ。なんでこんな歌謡曲を歌うんだと当時はガッカリしつつ怒ったけれど絶品ですばい。若き青山、エルトンの仕事と認識してくれている御大が嬉しい。何度でも言うが「赤い燈台」のキーボードなんて本当に不世出だと思う。

☆御大は、石原裕次郎のシャイさが好きだったのだとわかった。男らしさというよりも、そこに垣間見るシャイさに、自分もシャイだった御大が深く共感したのではないかと思った。

 子どものころ地元が、石原慎太郎の選挙区だったので、いつも選挙になると石原裕次郎が街頭の選挙応援に駆けつけて黒山の人だかりになったものだ。背が高くカッコ良かった。「兄貴をよろしく」という石原裕次郎の声が耳に残っている。
 私の叔父は、昔、職場の労働組合の関係で社会党か共産党かの推薦で区議選に出ないかと声がかかって、たいそう張り切っていたが、裕次郎に会いたいがために石原慎太郎の後援会にも入っていたのがバレて、両方ともクビになった。節操のない人であった(笑)。
…ああ、なんか余計な事を言ってしまいそうなのでここまで。

2017. 8. 8

 よくぞ思いついてくれた夢の企画。ありがとう御大。崖っぷちのメロディーを願いて幾星霜、崖メロ探検隊(隊員1名。隊長募集中)を組織して12年余、ようやくこの極北をゆく苦難の旅が報われようとしている。何にもしていないけどさ(爆)
 隊の活動報告書をお送りせねば。他の探検隊(あるのかよ)の方々の渾身の報告も楽しみだ。もしニッポン放送になければ、他局、レコード会社、全国に捜索をかけようではないか。まさに文化財の発掘という尊い作業なんだから。…あれ、御大は持ってないの?

2017. 8. 9

 先週末の朝ドラの「ひよっこ」で、記憶喪失の沢村一樹が、佐々木蔵之介と再会したが思い出せずに苦悶の表情を見せた時に、すかさず佐々木が「大丈夫ですよ。僕が憶えていますから。」と手を握るシーンがあって思わず涙ぐんだ。私もいつか御大の手を強く握って同じことを言いたい。どういうシチュエーションだよ(爆)。

 ついでみたいに言うのは不謹慎だが、今日も忘れてはならない日だ。この都市も焼け尽き、この都市からも確かな愛が聴こえる…のだ。そんなこんなで"崖メロ探検隊、西へ"。

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2017. 8. 10

 "可愛いヤツラ"を涙ぐみながら読み返す。涙ぐんでばかりだな。陽の目を見なかったすべての御大の子どもたちに逢いたいと思う。売れなかったということはビジネスからこぼれ落ちてしまったわけだから、殆どの音楽ビジネス関係者はもうアテにならない。可愛いヤツラを見つけ出し、愛で、しかと抱きしめてやれるのは吉田拓郎本人と私らファンしかこの地球上にいない。なんというか本気でやってほしい番組だ。
 そして御大の言う新しい発見が心の底から楽しみだ。まるで御大とみんなでキャラバンに出るみたいじゃないか。

 ところでいま広島アストラムライン拓郎号に乗って早朝の歌碑にひとり向かうところ。

2017. 8. 11

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 やっと観られた歌碑。除幕式に行けなかった私を9年間もずっと待っててくれた。写真で何回も見て、なんて素敵な歌碑なのかとタメ息をついていたが、本物の質感はまた格別だ。本当に樹や緑が香る美しい学内に静かに、しかし凛と佇んでいた。夏休みの早朝で周囲に誰もいなかったので存分に対面できた。人目がないので、抱きしめたり頬ずりしたりして愛を確かめあった(爆)
 レプリカとかを作って欲しいなぁ、もちろん卓上サイズで、それくらい素敵だ。
 この歌碑を制作し、設置し、運営してくださる方々にあらためて魂の底から御礼申し上げます。そして、これからも未来永劫いつでもここで会えますようお願いします。

2017. 8. 12

 坂本九さんの「上を向いて歩こう」が全米1位を記録したことは、歴史の知識としては知っていた。しかし、御大はマイフェバリットのコーナーで、当時、毎週チャートのランクがUPするのをFENのラジオでワクワクしながら聴いていたこと、ついに1位になったときの快哉の叫びをリアルに教えてくれた。おかげで偉業の意味が身に沁みてわかった。あの歌は日本人にとって夢と希望だったんだな。当時の気持ちや空気がわからないと歴史はただの記録だ。
 あの忌まわしい事故も、あのとき日本中に走った衝撃と慟哭とともにしっかり心に刻みつけておきたい。直後にヒットスタジオで森進一が涙で歌い上げた「見上げてごらん夜の星を」も一緒に。
 ご冥福をお祈りします。

2017. 8. 13

 初めて訪れた広島修道大学は、本当に緑深い素敵な場所だった。しかし若い大学生が毎日通うのには相当の克己心が必要だろう(笑)。この樹や緑のある場所で、御大が歌おうとしていたのか。感慨深い。いや、まだあるかもしれないぞ。耳を澄ませ、目を見張れ、そうだアトム、油断をするな。

 広域公園駅を挟んで広島修道大学の向かい側にある老人ホームが「やすらぎの里」で、びっくらこいた(爆)。石坂浩二を吉田拓郎に置き換えて、矢沢永吉・小田和正から泉谷しげる・小室等まで、中島みゆき・ユーミンから五輪真弓・イルカまで、オールトゥギャザー・ナウな老人ホームを思い浮かべて…絶句する。

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2017. 8. 14

ラジオでナイト 第20回 2017.8.13
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。夏の暑いときに冷たいチンチンに冷えたキーンとくるビール。一杯で十分。それがすごくうまい。ビアガーデン、ビアホールなどお店で飲む最初の一杯は極上だ。家で飲むとそうでもないという不思議。なぜお店で飲むビールがうまいのか。注ぎ方か、缶瓶はガスが多いのではないかなどなど、諸君、吉田拓郎流に言うと、お店で飲むビールは、そこに足を向けてお金を支払っていくところで人間としての覚悟が出来ている。家では、いざという覚悟、根性の入れ方が違う。緊迫した緊張感が足りない。家ではよく出してくれるからか。人間とビールの間のアトモスフェアーではないか。ビールにうるさい人は、温度管理などにウンチクがあるが、吉田拓郎はウンチクがない。バカなんだね。凍る直前のチンチンキンキンが好きだ。

 おつまみは、42パーセントが枝豆、なんでソラマメじゃないのか、カミさんがよくたせしてくれて好きなんだけど。2位からあげ  3位ポテトフライ  4位 塩キャベツ 4位 なんこつあげ。
 僕はとにかくつめたーーーーーくした凍る直前のビールをお店で飲む。コンサート終了後の楽屋で飲むバカがいる、ALFEEの桜井。打ち上げのお店まで待つ。そこで飲むのがうまいのなんの。


■タイトル
  若いころ広島のビアガーデンで演奏していた。うるさいロックバンドは、注文が聴こえないのでビアガーデンには向かない。音が大きいので、ハウンドドッグとか絶叫していたので(実演してみせる)電源を切られた。するとドラムしか聴こえない(笑)それでも生歌で歌った。生ビール対生歌。とにかくギャラが安かった。ビール一杯飲むと無くなってしまう、そんなギャラ。深夜によく歩いて帰った。
 あの頃から、ビールは永遠だ。是非チンチンカッキンコッキンをお店でいだく。できたら、枝豆でなくソラマメで。

M−1  夏休み   鬼束ちひろ


 ビールといえば、ハワイに行くと僕はいつもバドワイザー。What kind of beer…とか言わずに「バド」で通じる便利さ。 ハワイ行きたいな。行くか! 

 さてここで問題提起をするのでよく聞いてほしい。

<人生を語らず、落陽、に飽きたと言っていたが、他に歌いたい歌があるんだったら歌えばイイ。落陽もやらなくていい、客のことなんか考えない、それが吉田拓郎だという投書>
…誤解されているな

<また落陽、春だったね、またかなんて思わない。よく歌ってくださったと拝みたい気分だ。もともと地方ではテキトーなこともあった。きわめつけは沖縄で二日酔いで、開演一時間遅れて、結局、椅子に座って歌ったし、そういう人間くさいところが大好きという投書>
 拍手。どちらかという後者だな。

  沖縄と大阪には借りがある。大阪はかつて当日中止にしてしまった。そういう弱いオトコなんだから。沖縄のイベンターが、シークワーサーを入れると悪酔いしないと言われて信じて、安心して古酒をシークワーサーを入れて夜中まで飲んだ。次の日朝、苦しかった。ゲーゲーゲーとベットとトイレを往復する、頭はグラグラする。で1時間遅れてステージに出たが、立って歌う元気もなかった。その後改心して沖縄に行った。本当に、沖縄と大阪には悪いと思っている。そういう小心者の男なんだから。

 フォークビレッジのテーマと僕らの旅をつなげたらどうかという鳥山の提案で…

M-2 oldies


■ラジオでナイトクラブ

<私の映画の思い出、自分も出演した佐々部監督の「結婚しようよ」にエキストラとして出たという投書>
 2006年のつま恋の時に映画収録希望したが、断って合成で作った。映画「RONIN」に出たとき、ミュージシャンなので、現場で、俳優の気持ちがわからなかった。川谷拓三さんや伊武さんにいろいろ教えていただいた。
 長いセリフが覚えられないので、川谷さんたちに監督に頼んで、短くしたりできないかな?と相談した。「なにをいうんだ拓郎くん、役者というのは一言でも多くセリフが欲しいものだ、少しでも多く演じたいものだ」とたしなめられた。川谷拓三さんからは教えて貰った。武田鉄矢から教わることはなかった。あいつは呪われていた。他の役者からはいろいろなことを教わった。

<ネールサロンで若い娘にやってもらうと拓郎さんは言っていたが、自分は、マッサージの電話予約で、希望を尋ねられて、どっちでもいいですとカッコつけてしまうという投書>
 ここが男のバカなところ。言えないよね。俺はヤダよ。自分で予約もできない、奥さんに電話してもらうので、できる。

<暑いですね、異常ですねという投書>
 本当に温暖化している。トランプさんいいの?台風やゲリラ豪雨など昔はなかった。

<昔兄弟でフォーライフのシャツを着ていた、超ベンチャーのフォーライフ。そのさなかにつま恋をやっていた。あのパワーはどこから来るのでしょうという投書>
 フォーライフのTシャツ、家のマークか、あのマークは結構苦労した。最近つま恋の特集の取材が多いがお断りしている。そもそも記憶にないから。それに、若いときには、つま恋もフォーライフの時も若者特有の「怒り」「苛立ち」「焦り」があった。現状に甘えてる自分への怒りがあった。そこからエネルギーが出てきていたのだと思う。


■今週のマイ・フェイバリットソング
  
M−3 可愛いアイシャ   スティービ・ーワンダー

 いいね、愛が満ち溢れている。これほど愛のあるミュージシャンはいない。Isn’t she lovely と歌われると、素敵だねと思ってしまう。このボーカルの愛に溢れた説得力。
一番感動的なのは、1985年 USA For Africa のメイキングVTRで、スティービーとディランの2ショットがたまらない。ココを歌ってくれというとライオネル・リッチーあたりから言われて、たぶんOKと軽く承知したディラン。俺と似てるから…そうなのよ。しかし、現場に行くと、「ココ俺どうやって歌うの?スティービー、一応わかってるけど教えてくれよ」と尋ねるとスティービーがディランの節回しでピアノで歌ってみせる。「なんだ、最初からそう言ってくれよ」(笑)これは想像だよ。とにかくこの世界の超スーパースターのショットこれほどの名場面はない。これほどの名画はない。映画「ジャージーボーイズ」も勝てない。今でも忘れられない。

M−4  心の愛  スティービーワンダー
 
■エンディング
 (夜行列車を歌う) なぁ覚えているか。夜行列車をヒットさせる会。もっと盛り上げよう。
番組でハワイへ行こうよ。どうしたらハワイに行けるのか、みんなも考えろ。
スペシャルウィークで、今まで提供曲を作っているが、まったく売れずにも僕自身も記憶にない、箸にも棒にもかからない提供曲を特集してみよう。リスナーの中に、そういう曲を知ってるやつも少しはいるかもしれないが、そういうヤツを何というか知ってる?バカって言うんだ(笑)  

お相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆そうさ、バカじゃもんの。

☆暑い。吉田拓郎にはビアガーデンが良く似合う。随分前に、ビアガーデンに行ったら、偶然、隣のテーブルが吉田拓郎様御一行だったことがあった。

☆そうですか、ソラマメがお好きですか。ソラマメと言えば、このラジオの時間帯、ニッポン放送の日曜夜11時台は、大昔は、ソラマメさんこと滝良子のミュージック・スカイホリデーというラジオ番組があって、よく聴いていた。殆ど吉田拓郎の曲がかからなかったが、一度だけ「流星」が流れたことがあった。だからどうした。

☆フォーライフのあの家マークは、私にはトップブランドの印だった。Tシャツもステッカーも宝物だった。胸にマークが刺繍された多分スタッフ用Gジャンがあって、小坂一也がテレビで「春になれば」を歌うときに着ていて、心の底から欲しかったものだ。

☆さて、ライブにおける落陽、人生を語らず、春だったねの選曲についての両論併記。どちらの方も、「吉田拓郎は好きな歌を好きに歌えばイイ」というファンとしての温かな慮りに満ちていた。その意味ではどちらも相反することは言っていないと思う。齢70歳を超えた御大があれだけのライブを演ってくれることの有り難さと感激があることはすべての大前提だ。御大が気持ちよく歌ってくれることが第一だ。
 しかし、どうせ片隅のサイトなんで忖度せずに言ってしまうが、一消費者の意見としては、「落陽」も「春だったね」「人生を語らず」も我が人生にとってのかけがえのない神曲だが、ライブで聴くのは、飽きた。あぁぁぁぁぁもう完膚なきまで飽きた。てか、こんなに蔭に日向に愛に満ちた名曲が溢れているのに、なぜ一部のスタンダードしかライブでやらないのかわからないし、まるで大団円のような懐メロ歌手に自ら舳先を向けているような気がしてならない。
  ついでに言ってしまうと、鳥山・武部氏は、素晴らしいミュージシャンであることは私ごときが言うまでもないが、彼らの「落陽」は、ノンアルコールのビールかカロリーオフのコーラみたいだ。ビアガーデンで飲みたいとは思わない。優秀な模範答案なれど行間から溢れ出る魂の律動がない。なんだそりゃ。でもそんな感じがする。

 Caravanで取り上げさせていただいたように、御大ご自身が言っておられる「落陽はもう要らないというライブが見えてきた」という言葉にこそ、私は希望の明日を夢見てしまうのだ。

☆沖縄は、中野のことがあった後なので心配したな。二日酔いとは知らなかったし(笑)。前の席の女性なんて、御大が登場したとたん「生きてた」みたいに号泣しておられた。
 沖縄、大阪、気にしている御大。言わなくてもわかるよ。しかし、言ってくれて嬉しい気もする。

☆1985年 USA For Africa 大好きだった。奇跡的に集合した超絶なミュージシャンたち。私が好きなのは、ブルース・スプリングスティーンがボブ・ディランに挨拶に行って握手をするシーンだ。テンション高いスプリングスティーンと高くないというより明らかに低いボブ・ディランの握手のシーン。
 後に、長崎のスーパーバンドの楽屋で、浜田省吾が吉田拓郎に手を差し出して握手してご挨拶するシーンを観たとき、ああ、あれだと思った。浜省は、力強く握った手を振り、テレ屋の御大は、俯いてちょこんと頭を下げる。あのシーンも大好きだ。

☆出ました。ハワイ。御意。行こうじゃないですか。

2017. 8. 15

 今日の朝ドラは、藤野涼子さんのフィーチャーだ。ドラマにもかかわらず、クイズの応援をしてしまう。あの真剣な眼差しがまたいい。ああ、おじさんも一緒にハワイに連れてっておくれ。

 “USA for Africa”があって、”Live Aid”があった、日本では、”オールトゥギャザーナウ”があって、”ワンラストナイトインつま恋”があった。ずいぶんといろんなことが立て込んでいた1985年の初夏だった。
 そういえば、”Live Aid”にあわせて日本のミュージシャンも総出演的な番組もあった。新聞のテレビ欄には「吉田拓郎」の文字があったので夜通し観ていたがついぞ出演しなかった(爆)。”Live Aid”では、ボブ・ディランとキース・リチャーズとロン・ウッド三人でのアコギ演奏にタメ息をついた。しかし、ほどなくしてつま恋では、吉田拓郎と加藤和彦と石川鷹彦のアコギ演奏でまた感動することになった。

 今思えば、実に充実した素晴らしい夏だったのだが、当時は、心の底から楽しめなかった。どうしても”消えゆく吉田拓郎”、大きな何かが自他ともに終わってゆく寂寥感というか憂鬱さのようなものがいつも肩の上にのしかかっていて、気分が晴れなかった。つま恋85は、音楽的に素晴らしかったが、ああ楽しかったねとは決して言えない重苦しい気分だった。

 つま恋が終わると、御大はとっとと福山に雲隠れするように映画「RONIN」の撮影に入っしまった。

 あの重たい夏は、まさに「皇帝のいない八月」であった。

2017. 8. 16

 ラジオでナイトの告知を読んで、昨日の日記で「皇帝のいない八月」と書いたが、「八月の濡れた砂」にしておけばよかったと、このバカは思った(笑)。いずれにしても二週続きの崖っぷち企画拡大に快哉を叫びたい。そりゃあ、一回、二回じゃ足りないよね。ありがとう御大。楽しみにしています。

 深夜、コトリンゴさんの「この世界の片隅に」の映画音楽の番組を観た。個人的に今回の広島ゆきは、御大の歌碑と呉のすずさんの景色が目的だったのでいっそう感慨深かった。
 原作ファンとしては、映画化は、ほぼ失敗するだろうと思っていたので(実際、実写ドラマはひどかった)、映像と音楽が混然と一体となった映画の素晴らしさに打ちのめされた。“悲しくてやりきれない”がいかにこの映画化に大切だったのかがわかった。
 別のインタビューだが、片渕監督の「悲しみの中からつかまえていく人生の実り」という言葉が重なり忘れられない。それって、御大の音楽そのものではないか。

 ここでも音楽のチカラを思う。

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2017. 8. 17

 誰も知らない提供曲になってしまうには、それなりの事情があったりもする。御大は、奥ゆかしい人だから、「自分のメロディーのせいだ」と口にしたりする。そういう場合もないとはいえない…いや、あるが(爆)、やはり歌い手の歌唱力が原因というのが多い気がする。
 売れる売れないは時の運だが、やはり歌唱力のある人に歌っていただいてこそ御大のメロディーは生き、作品のクオリティーは確立する。そういう意味では、あのLOVE2時代のKinikiの歌唱力でカバーして欲しかった作品も多い。
 崖メロ探検隊の「Kinkiにカバーして欲しかったベスト3」は、@「放課後」(DUO)A「ひとりだち」(白鳥哲)B「俺とおまえとあいつ」(片山誠史)。誰なんだよ、というラインナップ(笑)。どれも歌唱力に難があるんだよ。いい曲だけに、もっと光を!と願わずにいられない。
 そういえば隊長候補だった彼はお元気だろうか。

2017. 8. 18

「夜行列車」の普及のため歌を練習している。おまえが歌ってどうなる。「襟裳岬」も難曲だが「夜行列車」も♪似合わぁぁぁないいってぇぇのところの声が全然出ない。わたしごときには無理だ。やっぱプロって凄いな。
 「襟裳岬」は森進一にとっても日本にとっても不滅の名曲だが、常に「冬のリビエラ」がその座を虎視眈々と狙っている気がして油断がならない。ここは「夜行列車」にも頑張ってもらって、御大の地位を盤石に固めておきたい。
♪なんの負けるか、大瀧ごとき、散らす火花の一騎打ち、頑張れ、強いぞ、僕らの御大…(「赤胴鈴之助」の主題歌一部改変、さぁ心ある同志よ、一緒に歌おう)

2017. 8. 19

 森進一の「襟裳岬」と「夜行列車」の間に、小室等作曲の「湯けむりの町」というシングルがあった。襟裳岬の余勢をかってフォーク路線を企画したとのことだった。男がひとり温泉で、ひたすら湯治をしているだけの歌詞で、だからどうしたと心の底から言いたくなる、ある意味凄い歌だった。さすがに崖っぷちから落っこちてしまった気がしないでもない。
 しかし、この歳になって温泉に入ってると“明日は帰ろうか君のもと 湯けむりの町”と知らずに口ずさんでいたりするから音楽とは不思議なものだ。

 「夜行列車」と「冬のリビエラ」の間に「君よ荒野へ」という岡本おさみ作詞の名曲があった。これは御大に曲をつけてほしかったな。“君に今でも荒野はあるか 命かけているか”という詞は、今思うとちょっと大仰だが、胸が熱くなる歌だった。若いころは結構、励まされた。

 そう考えると森進一は、単なる演歌歌手におさまらない、チャレンジャーだったなと思う。その勢いあまって、ステージで原曲にないセリフの語りをつけてしまって、川内康範先生に怒られたのだろうか。あの時の川内先生の怒りも凄かったな。生きてる限りはどこまでも怒っていらした。
 セリフといえば「ハートブレイクマンション」。御大は、森さんとは逆に、ライブでは原曲のセリフの語りを省略するようになって久しい。きっとシャイな御大のことだから、テレ臭いのだと思う。しかし、あれは大切なセリフだと思う。松本隆が、川内先生くらい怒ってくれればいいのになと密かに思う。

 あれ?森進一の話だったのに。もういいや(爆)

2017. 8. 20

「歩道橋の上で」は、何より「旅の宿」を思い起されるけれど、♪蛍が綺麗よ 見せてあげたい…のところで「蛍の河」も浮かんでくる。小柳ルミ子の唄声も美しい名曲だ。河だから、岡本さんはどこか別の場所を書いたのだろうが。それにしても、今年も蛍は観られないのかなぁ。

 さて、御大は、今日はどんなカードを切ってくるのだろうか。

2017. 8. 21

ラジオでナイト 第21回 2017.8.20
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。

 売れなかった曲というのは、もしかしたら注目を浴びた曲より愛すべきヤツらではないかという気がしてきた。ああ、売れなかったという感慨と同時に、愛情を新たに感じている、かわいいヤツらだなと思う。売れなかった原因はいろいろあるが、一番は、メロディーが良くなかった。詞が良くなかった。たとえば喜多條さん‥名指しか(笑)。アレンジが大事だけれど、これがイマイチだった可能性がある。また歌った歌手が、マッチしていなかったということもありうる。これも致命的な原因として、歌った人が下手だったということもありうる(笑)。現場では言えなかったけれど、この人、下手だなぁと思ったことがあった。
  それから詞・曲・アレンジ・歌が時代とフィットしていないこともあるかもしれない。聴く人との心情とズレがあったのかもしれない。なんて吉田拓郎は勇気があるんだろう。


■タイトル
 こうしてみるとそういう曲が、意外に多いんだ。とても二週では、できないので抜粋する。
 
M−1  恋かくれんぼ  富田靖子

 (歌う)いい曲じゃん。最初からノっている。作詞松井五郎に作曲入江剣だよ。荒れ果てた大地に太いホースで水を撒く。あらためて世に問う、新たなキャッチフレーズで再プッシュしたい。いいよ、これ、アレンジもムーンライダースの白井(良明)君がやってるんだけど。いいね。

 陽の目を観なかった曲。いろんな曲が出てきた。さよならロッキー、六月の花嫁、エトランゼ、私のサタン…
<キャンディーズのやさしい悪魔かと思った私のサタン、もうおうおうおうとのことろがいいという投書>
(ほぼワンコーラス歌う)「キャンディーズ」みたいに売りたいという会社に、喜多條と、それならキャンディーズみたいな曲にしてみたら、売れなかった(笑)。作詞喜多條に馬飼野康二のアレンジ。次の曲もそう。70年代、80年代よくやってたな。

 次の曲は、いしだあゆみさん、30歳の時だそう。

M‐2 今夜は星空 いしだあゆみ

 うーん、唸ってます。いいよな。君たちが宣伝マンだったらどうやって売っていくか。キャッチフレーズを募集する。

 次の曲は、いきさつはわかっていないけど、名古屋でしか発売にならなかったのではないか。井上美里という人の曲、ラジオでオンエアされたこともないし、家にもレコードでなく、カセット音源しかない。これは、バカな野郎どもでもさすがに知らないだろう。

M−3  Tokimeki Trip 井上美里

 名鉄百貨店のCMだったらしい。井上美里。会ったことない。この曲はメチャクチャ良くない?1984年。吉田君、結構な仕事やってない?

 次の曲は。作詞が阿久悠さん。この作詞で私が曲を差し上げた。記憶にはあるが、よく覚えていない。自分は、曲の依頼の際に、詞が先でないとダメだ。 詞がリズミックだったり、ハマったときは、これはイケると思う。詞を先に選ぶということは、売れるぞという気で作っている

M−4  ハーモニカの詩  小林旭
 どういうキャッチコピーがいいか。吉田拓郎、阿久悠、小林旭。悪くない世界だと思う。
 阿久さんとは「純情」という曲があるが、もう一曲いい曲がある。この「ハーモニカの詩」も、いいね。今のところ全勝じゃない?

 その他、「放課後」なんて曲もあった。

<「蛍の河」をお願いしたいという投書>
…小柳ルミ子のね。今回はシングルに絞りたい。

 これは作詞・作曲だよ。DUO。
「放課後」の詞を読む。

 あの女(ひと)の決めたアパートでひとり
 明日のことなど考えず
 吸いかけのうす赤いタバコなどふかしてみたよ
 何だかとっても臆病できっと
 何かを捜していたんだね
 あの女は見つかるとイイネって笑いかけたよ

 人生には早すぎて
 これからのことは多すぎて
 目がまわる目がまわる心がまわる
 これが愛でもいいじゃない
 これが愛でもいいじゃない

 授業時間は終わった授業時間は終わった
 飛びだせ 外へ飛びだせ ゥゥゥ

 これが吉田拓郎の詞か?(笑)

 フォーライフでは、他にボーカルこと大野真澄に「ダンディー」という曲を作った。詞は松本隆だけど、売れなかった。
 ケイアンナ 「今夜はごきげんな夜」 岡本おさみの作詞で、アレンジは瀬尾一三だ。
 原辰徳にもアルバム用に一曲作った。

M−5 砂漠の都会に  真田広之 

 「影の軍団V」の主題歌だっけ。真田広之って、いい声をしているね。いいボーカリストだね。

 次は、僕が詞も曲も書いた ディレクターNさんと出版社のTさんとは軽井沢のゴルフ仲間で、依頼された。普通は詞は書かないのだけれど、この時は杉田二郎のために詞を書いた。フィリピンパブ仲間だったし「アイライクユー」でバンブーダンスをよく踊った。ディスコ仲間でもある。二郎とは、よく遊んだ。このアレンジいい。ギターは、青山徹かな。

M−6 君住む街  杉田二郎

 いいね。三連だよな。こういう曲を作っていんだね。コーラスハイファイセットではないか。山本潤子の声がかすかに聴こえる。


 次は似たようなタイトルの曲。以前中尾ミエの「風の中で」をかけた。これも売れなかったけど。こっちは岡本おさみさん作詞の「風の中」。
 これは歴史に残るレコーディングだった。「我が良き友よ」、「水無し川」とかまやつさんもレコーディングに時間がかかった。しかし、この井上順は記録的。夕方から朝方までかかった。井上堯之さんが、いいオケだねぇと絶賛していたけど、ボーカルが、入った途端、空気が変わった(笑)。
 岡本さんの詞が歌いにくいので、現場でかなり変えてしまった。というわけで、オケは素晴らしいが、歌が入ったらどうなんだという

M−7 風の中  井上順

 いいアレンジで、これも馬飼野康二だ。順ちゃん聴いていないといいが。
ギターは間違いなく青山徹だ。


■今週のマイ・フェイバリットソング

 72年映画「旅の重さ」の音楽を担当した。TBSラジオで主演女優の募集をして、斉藤耕一らと審査員をしたが、僕の推薦した人はその後もダメだった。これは化けるぞというのが僕にはわからない。石野真子の時もダメでしょうと言ったら売れたし。原田真二とか男性はいいが、女性についてはダメ。

 この時、三曲レコーディングしたけど、斉藤監督が気に入らなかったので二曲没になった。監督はフォーキーな演奏を求めていて、ロックを嫌がったようだ。しかし、メンバーは、加藤和彦、小原礼、高中正義、松任谷正隆、高橋ユキヒロと豪華なメンバーだ。

M−8 歩け歩け 吉田拓郎

 斉藤監督、使ってほしかったな。素晴らしいよね。今何か使えないかね。

■エンディング

 来週は、今週よりさらにパワーアップ。あの問題作といわれている「準ちゃん」をTBSからいただいた。

 お相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆スペシャル企画を前倒して始めてしまう御大の心意気どおり、素晴らしい放送だった。
御大は、膨大な崖っぷちの提供曲群から練りに練って選曲していることが窺えた。それだけで嬉しいではないか。冒頭に御大が言って通り、精査の過程で、発見があり愛情が湧き溢れ「可愛いヤツら」を実感したに違いない。まるで御大の新作アルバムを聴かされる時のような充足感があった。ハラショ御大。

☆練りに練っているからこそ、いきなり富田靖子と来たもんだ。入江剣は「幸せなんて欲しくない」とかがあるが、いかんせんもっと作品を作って、呉田軽穂、弾厚作と向こうを張ってほしいところだ。

☆いしだあゆみ。「今夜は星空」は名曲だし、なんといっても、いしだあゆみの余裕と雰囲気に満ちた歌唱が、すべてを活かしている。大人の歌唱だ。78年の豊作期のメロディーはどれも素晴らしい。78年豊作期については、Sideways 「失われた2年間が語るもの」に詳しい…って、自分で言うなっ!

☆さて、御大はすっかり昔の提供曲など忘れた老人(爆)を装いながら、いきなり井上美里「Tokimeki Trip」で、バカどもに反撃に出た。お見事。いかに提供曲を精査しているかがわかろうというものだ。崖メロでも「Tokimeki Trip」という歌があるとこは知っていても、聴いたことはなかった。名鉄百貨店。知らん。1984年あたりというのは御大もいろいろスキャンダラスな時期で、提供曲のエアポケットだったりする。
 探検隊としては、ツチノコを実際に目にしたような喜びがあったことを報告せねばならない。84年だけあって、アイドルとはいえロックスピリットに満ちている。

☆「私のサタン」。ありがとう御大。それも、♪もうおうおうおうの本人歌唱をご披露くださり、幸せです。
 そもそもDUOの「放課後」をリクエストしたのだが、なんと詞を朗読。作詞者ご本人のポエトリーリーディングですぜ。それだけでも嬉しかったが、なんといっても、石川鷹彦さんのアレンジが冴えまくる傑作なので、是非是非かけてほしいな。ってか、菅田くんに歌ってもらいましょうよ。

☆シングル・ルールがあるにしても、ちょうど昨日の日記で書いた「蛍の河」も聴きたかったですぜ。

☆「砂漠の都会に」は、ヒットしたよね。真田広之全盛だったもんね。手塚さとみの「ボビーに片想い」をついつい思い出してしまうが、関係ない。

☆阿久さんとの共作はもっともっと欲しかった。

☆「君住む街」は、不肖私のカラオケの十八番なのだが、いつも歌いながら泣きそうになる。そんな私の歌唱力への周囲の評価は低い(涙)。ひとりよがりなのであるが、この作品の素晴らしさは間違いない。

☆井上順「風の中」。「ボーカルが入った途端」に大笑いだし、岡本おさみさんの詞を現場で変えてしまったという逸話も初めて知った。んまぁ、マチャアキは、滅茶苦茶うまいから、なんとなく残念な感じもするが、順さんのボーカルはヘタだけど、ぬくもりのある魅力的な声だ。文字通り「ジンとしみる」作品だよ。今も深夜、お酒を呑んだ帰り道にひとりで歌ってたりする。

☆ でもって、ミカバンド+松任谷の「歩け歩け」ときたもんだ。カウントが入っているのは知らなかった。同じレコーディングの「私の足音」をあえてかけなかったのは、御大がこの曲「私の足音」のことを結構真剣に考え初めている兆表ではないかと勘ぐってみたりする。

☆ とにかく練りに練った前編後編構成と拝察する。後編はもっとパワーアップするという御大、楽しみだ。しつこいけれど、これだけの名曲が、今崖から落っこちで、海のもずく、ちゃうちゃう藻屑となろうとしているのだ。なんとかしてほしいしね、しようではないか。

☆シンガーソングライターのファンというのは、その人が作った歌をその人が歌うことに至福を感じる世界だ。しかし御大の場合は、それだけではなく、御大の作品を実に多彩な歌手の方々が、こうして歌うのを味わうことができる。本人歌唱だけではない、別の音楽のチャンネルがここまで豊富にあることは、拓郎ファンだけに与えられた僥倖ではないか…と、ひとり想えば、時は行く。

2017. 8. 22

 夏の終わりはかくも深き提供曲の世界に身を委ねようではないか。

 御大は、軽くスルーしてしまったが、大野真澄「ダンディー」は大好きだった。
 詞が松本隆であることを考えると、多分やさぐれてしまったドンファンを書こうとしたのではないかと思われる。まさに「使用後のドンファン」というくらい哀しく切ない。これも吉田拓郎がモデルだと言いおったら許さんぞ松本隆(爆)。

 この詞を包む御大のメロディーがいい。哀愁を含んでいながら、どこか心地よく音楽の海に浸ってしまうような気持よさがある。吉田君、ここでも天才の仕事をしているよ。

 わりと最近フォーライフのオムニバスアルバムにCD音源で入ったよね。

2017. 8. 23

 これまで、真夏に仕事で外回りする時は、♪歩け歩け太陽の道を…の唄をいつも脳内で繰り返しながら頑張って歩いてきたところ、今年7月には熱射病に倒れてしまった。年齢を感じざるを得ない。さすがにそれ以降は気をつけて♪歩けるかい、歩こうね、歩こうよ…という感じで養生しながら歩いている。ネタではないぞ。「歩け歩け」〜「歩こうね」それぞれの人生のライフサイクルに対応した作品を用意してくれている御大の懐の深さを思わずにいられない。

 あ、チェリーズの「わたしのサタン」のジャケットだ。真田広之かっけーな…。そういえば前回言っていた阿久悠のもう一曲は、もしかしたら、あれだろうか。あの曲も名曲だ。聴きながら自分で涙ぐみつつUramadoを書いた記憶がある。やはり歳だ(爆)

2017. 8. 24

 ピアノを囲んでそれぞれがそれぞれに勝手な思いを抱えて歌う。私ごときでも音楽っていいなとしみじみ思う。いい夜だった。松山千春さえもいとおしい。
 それにしても、御大は南さんと山本さんの歌詞先導にいつも怒っているが、ご自身が、篠島他でのガッツリ歌詞先導をして「夏休み」を歌唱されていたことは、どうお考えなのだろうか(笑)

2017. 8. 25

 で、ヘタクソながらも「制服」を歌わせてもらった。今まで「集団就職」「一番キレイだった女の子」のイメージがなかったが、今の私には「ひよっこ」の藤野涼子さんがいる(爆)。もう彼女に捧げた。妙に腰の低い男に私がなってあげよう。いみふ。

 前回の放送以来、“さよならロッキー”が頭を離れない。♪さよならロッキー、さよならエイドリアン…が脳内で繰り返す。いい曲だったな。確か、当時、セイヤングにカーニバルがゲストで来たと思う。

 いい曲だけど、唯一の違和感は詞だ。「無名な詩人」の彼との貧しいながらも愛のある暮らし。二人で無理してロードショーで観た「ロッキー」。“帰り道に あなたはシャドウボクシング、真似た” その気持ちは心の底からわかるが、「ロッキー」を観た帰りに路上でシャドウボクシングする人が、詩人になれるとは思えない(爆)ペンを捨てても仕方なかったのではないか。岡本おさみも松本隆も中原中也も、ロッキーを観た帰り道にシャドウボクシングしたりしなかったと思う。>中原中也は映画観てねーだろ。

2017. 8. 26

ああ、夏も終わってゆく。夏の終わりの唄は数あれど、

“海辺の町は夏の終わりと酸っぱい恋で、
         みかん色に知らんふりして暮れてゆく”

このフレーズにすべでが凝縮されている気がしてならない。

  あれこれ自分が感慨に耽っても、やはり夏は若者のものだ。
縁も脈略もないが毛沢東の言葉を勝手に借りれば、

  「夏は、君たちのものであり、また、われわれのものでもあるが、しかし、結局はきみたちのものである。きみたち青年は、午前八時、九時の太陽のように、生気はつらつとしており、まさに、希望はきみたちにかけられている。」

  地球の気候が大変わりしつつあってとても心配だが、若者の夏よ、永遠なれと、おじさんは遠い目で思う。

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2017. 8. 27

 陽の目を観なかったメロディーたちは、こうして今の私たちに逢うためにひっそりと生きていてくれた。詞を奪われたり、憂き目をみたり…たぶんいろんなことがあったでしょう、人に隠れて泣いたでしょう。それでも、よくぞこれだけの仕事をしておいてくれた御大。ともに感謝したいものだ。もう一度、崖っぷちのメロディー探検隊憲章を胸に刻みたい。

 ところで、この隊憲章は、古典的な野崎孝氏の訳とその後の村上春樹氏の訳が二種類ある。どっちか迷うところだ。心の底からどうでもいいことと思われるだろうが。

 「でもとにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子ども達がいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけれど、他には誰もいない。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かがその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。(中略)そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。たしかにかなりへんてこだとは思うけど、僕が心からなりたいと思うのはそれくらいだよ。(J.Dサリンジャー 村上春樹 訳)」


 「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしてるとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない。で、僕があぶない崖のふちに立っているんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえてやることなんだ。(中略)一日じゅう、それだけやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういうものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げていることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。(J.Dサリンジャー 野崎孝 訳)」

 …6:4いや7:3で古典訳かな。

 ま、そんなことはいいか、がんばっていきまっしょい。今日も名曲に逢えることを楽しみにしちょります。

2017. 8. 28

ラジオでナイト 第22回 2017.8.27
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

吉田拓郎です。

<全アルバム全シングル 612曲、重複除いて550曲。フォーラム22日借り切ればオールタイムで歌えるという投書>
 そんなに少ないか。もうすぐ2000曲かと思ってたが。それにしても全曲歌うって、これをステージでどうなのって曲はある。スタジオだからできたという曲もある。

さて今日は、陽の当たらなかった作品に光をあてるコーナーです。
■タイトル

<番組でギター弾いてくれるのが好き、僕笑っちゃいますという投書>
(歌う)今週のテーマから外れる ヒットしている。はい姿勢を正して。
売れなかったというと失礼なので、陽の目をみなかった…同じだ。 最初の曲は、デモテープを作ったことまでよく覚えている。当時の自分のスタジオ16チャンネルで12チャンネルくらい使って作った。スタジオはいろんな事情があって手放したが(笑)。これは作っていて自信があった。1985年。売野雅男作詞  船山基紀編曲  この曲は絶対いけるとおもった。なぜ?と思った。

M−1  六本木レイン  研ナオコ

どうだろうな。ズレているのかな。作詞、作曲、編曲、歌手、全部そろっているような気がする。思ったより売れなかったのはショックだったな。自画自賛。起立。

 2曲目は、僕はレコーディングの現場に立ち会わないことが多いが頼まれれば行く。松本隆とかは詞の手直しがあるので現場に行くが自分は声がかからなければ行かない。
キャンティーズ、石野真子、井上順とか呼ばれていった。そう考えると呼ばれなかったのはなぜだろう。呼ばれてない人はどうなんだろう。
この作品は、出来上がり聴いてびっくりした。普通はアイドルだと下手でガッカリすることは多いが。これはうまいなとおもった。デモテープでは、ベースの速弾きを自分でやった覚えがある。

M−2  ハート通信  石川ひとみ

 メチャクチャウマイ。松本君との最初かな、伊藤咲子どっちだろうな。歌のうまいアイドルだった。

 次は、阿久悠さんの詞。当時、LOVE2で一緒だった吉田建にアレンジ頼んだ。石川さゆりといえば演歌だけど、ヒップホップみたいにしないかと提案した。石川さゆりさんは、いろいろトラブル時期で、少し変わったことしようよと。詞を観て、これは吉田建に行けるよ…と言ったけど、行けませんでした。姿勢を正して。

M−3 月の盃   石川さゆり

 いい感じのアプローチだよね。アレンジも新鮮。阿久さんも気に入っていらした。

 1978年。フォーライフの社長になって「大いなる人」の頃、東京キッドブラザースの仕事をした。
副社長後藤が持ってきた。フォーライフの先行きに暗雲が立ち込めている時代。そのため社長自らいろんな仕事をしていた。
 東京キッドは、アングラ劇団。僕は、アングラが苦手。メジャー志向が強かったので。「彼が殺した驢馬」という芝居。その全曲殆どを作った。ブレイクする前の柴田恭平がいた。そこに藤田敏八監督の映画「八月の濡れた砂」に主演したテレサ野田が客演していた。僕が一日だけレッスンした。フォーライフとしても、テレサ野田で一曲、どうよ、という企画をディレクターが持ってきた。糞忙しいのにどうなんだよと思った。…殆ど長い愚痴だったな。松本隆の詞だし、いい曲なんだけど、ボーカルがちょっと。  

M−4  ♪ラブカンバセーション  テレサ野田

♪ラブカンバセーション ここはディミニッシュコード

 売れるか売れないか。詞・曲・歌い手などの良し悪しではなく、時代とマッチするか、聴く人の心情をつかむかどうかが大事だ。いい曲だからヒットするか、というとそういうわけではない。そこらへんが売れる、売れないの線引き。

 桜井久美「大晦日」歌いにくい詞だなぁ。岡本おさみさんの詞を歌う人は可哀想。「ルームライト」とかも。こないだクラッシックの人が「襟裳岬」を歌っていたけけれど、歌えていなかった。これは歌じゃないよ。「あんたを超えて」四方堂亘。知らないよね。
  「あなたを愛して」BUZZ。昔は、オフコースと双璧だった。小田がロックバンドにしてブレイクしたけど、それまでは陽の目を見なかった。BUZZは、「ケンとメリー」がヒットしてその何曲か後に、 オレが詞まで書いて、石川鷹彦にアレンジしてもらったけれど、 これはだめだった。清水健太郎「さらば」…ダメだった。言葉がないな(笑)

 この曲をかけなきゃいかん。新聞で森進一の大全集の広告を観た。「襟裳岬」は入っていたが、なぜか「夜行列車」が入っていない。諸君、どう思う。カミさんに言ったら「森さんが嫌いじゃないの?」 こうなったら意地になるよ  な、喜多條。マイフェイバリットで毎週売れるまでかけるぞ(笑)

M−5 夜行列車  森進一

 ちょっとメロディに、詞に、そしてボーカルにインパクトが足りないことは否めない。「否めない」はこういう時に使う。「襟裳岬」より「夜行列車」が好きな人もいる。夜行列車もなくなっているし、懐かしさでもう一度ブレイクしないか。
いいキャッチフレーズを募集する。オレの手ビューの時のキャッチフレーズは何度も言うけれど、「荒れ地に太いホースで水を撒く」だもんね。どんなオシッコをするんだ。

 次の曲は、康珍化作詞でアレンジが武部聡志。古い曲でも結構、武部がアレンジしている。武部とはLOVE2で初めて会ったけど、その前からアレンジは何曲かあったことを知った。
康珍化には、独特の世界がある。可愛らしいし、男の世界もある。これは、詞がトテモかわいい。早く歌ってほしいなと思った。加藤紀子は当時25歳。

M−6   ふゆがきた  加藤紀子

 宣伝マンは、こういう作品にキャッチフレーズをつくる。この仕事は大変だ。昔はお皿をもって売れ込みにラジオ局とかに回っていたものだ。

■今週のマイ・フェイバリットソング

  かねてからずっと言っていたTBSの企画でオーケストラつけて高校三年生みたいにして作ってくれた。東海林太郎さんのように歌っている。そういえば、昔のマネージャーの渋谷高行。酔うと東海林太郎(国境の町をハミング)を歌う。踊れない人なのに、ディスコでカタイ踊りをする人だった。

 考えてみりゃ、準ちゃんはずっと引き合いに出されて、最初は嬉しかったかもしれないけれど今やさぞ迷惑だろうな(笑)。「勘弁してよ吉田君」って感じかも。しかし初恋というのはいいもんだけど、苦い思いがある。歌を作ってプレゼントなんて、男たるもの、いい大人になれないぞ。高倉健はそういうことしないんだよ。思い出は、大学よりも高校が一番だ。悲恋、悲惨だけど思い出深い。
 後に番組で準ちゃんに逢った時は倒れそうになった((笑))そんなことは言うなら言わないでと嶋田さん怒っているだろうな。

M−7 準ちゃん  吉田拓郎

 これ次のエイベックスのシングルカットだな

■エンディング
もう神にかけて準ちゃんはかけない。デモテープとか断捨離しよう

どうしたら、番組でハワイに行けるか募集。珍曲。変わった方言。
お相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆ 「全曲550曲を22本のライブで歌い切れる」というメールにいきなり衝撃を受けた。なるほど。私のようにやれ崖メロだ、隠れた名曲がたくさんあるだろ、とかここで文句言っているのはダダをこねてる子どもみたいなものであって、こんな風に具体的プラン設定を示すところが実に大人で素晴しい。まるでデキるビジネスマンのプレゼンを聴かされているようだった。御大は、否定したが「意外にたやすいことだな」と思ってくれたのではないかと期待してしまう。

☆ 「六本木レイン」は名曲だ。非のうちどころのないクオリティ。12チャンネルで作ったデモテープも超絶聴きたい。研さんは、「明日の前に」もカバーしていて、こっちもメチャメチャうまい。カップリングで再リリースしてはくれまいか。

☆ 出たぁーーーーーーーーー。「ハート通信」。これぞアイドル提供曲の真骨頂だと私は思う。絶品とはこのことだろう。もうアグネスのことは忘れよう、忘れていいという気がした。「ハート通信」は、石川ひとみによって命を与えられた、石川ひとみの傑作である。時期は、「東京メルヘン」の方が普通に先なのではないか。

☆ 「月の盃」。いいねぇ。しみるよね。阿久悠は「さらば」だと思ったが、こっちか。ヒップホップだったのか。スキャンダルに苦しむ石川さゆりへのさり気ないエールだったことが窺えて、それも嬉しかった。

☆ 東京キッドブラザースは、結果として名曲名盤となったものの、私には、東由多加さんが、単なるイッちゃってる怖いおじさんにしか見えず、御大との間で会話が成立しこと自体が想像つかない。案の定、一度は大喧嘩になって、曲を全部引き上げるとこまでいったらしい。

☆ 御大…テレサ野田が好きだったくせに(爆)。ラブカンバセーションは、なんか妙に郷愁を感じる。この曲は、テレビCMもあった。最後に「日音」て出るやつ。

☆ 桜井久美…ひさみ だったのか。

☆ BUZZは、「あなたを愛して」の時、ラジオ関東の番組を持っていて、リアルタイムで、この作品の売り出しを観ていた。しかし、最後「私たちの青春のすべてをかけたこの作品だったのですが…」と事実上の敗北宣言を出したのも聞いていた。万感胸に迫るものがある。

☆ 「夜行列車」の落選は悲しいが、奥様の「森さん、この歌嫌いなんじゃない」のお答えには笑ってしまった。

☆ 「ふゆがきた」は、本人歌唱の記憶も新しい。それ以来冬にはならない曲になってしまった。吉田建まで出てくるなら、松本明子の「ステラ」はどうなんだ。あれは、売れたのかもしれない。
☆ 2週続けての企画は素晴らしかった。お茶らけた企画になりやしないか不安だったが、御大は、真剣に作品たちを振り返り、勝負曲を選出してきた気がする。どれも名曲である。御大のメロディメーカーの才を存分に味わうことができたし、堂々たるひとつの世界があった。もちろんこれで終わりではないし、これに尽きるものではない。どうか、こういう企画を続けてほしい。音楽関係者も御大にレスペクトとかおべんちゃら言う時間があったら、レコード会社横断で、「吉田拓郎提供曲全集BOX」でも作ってくれよ。そこには「夜行列車」も入れて。

☆ここまで御大を惚れさせ、音楽を作らせ、そして今も追慕を受ける。確かに、嶋田さんは心の底から迷惑かもしれないが、拓郎ファンにとっては、あなたくなして今はなかったという偉人である。もはやファンにとっては「準ちゃん」は永遠の讃美歌のようなものだ。

2017. 8. 29

 「…それは血を吐きながら続ける悲しいマラソンですよ」と森次晃嗣さんにあのセリフを今こそ世界に向けつぶやいてほしい。


 作品のクオリティが高くても「時代とマッチ」しなければ…という御大の言葉は、身を削って作品を作ってきた本人の言葉としてあまりに重い。
 その時の、時代の空気みたいなものがあって、その中で良質なものをリアルタイムで見極めるのはとても困難なことだ。少なくとも自分にはその力が大きく欠けている。

 早い話、例えば、1979年の春のシングルが「流星」、秋が「春を待つ手紙」、今にしてみれば姿勢を正したくなる超絶素晴らしいリリースの布陣だが、どちらもセールスは厳しいものだった。
 自分にしてからが、この名曲性を理解しえていなかった。もちろんレコードは買ったよ。でもそれだけだった。本当に名曲たる実感がなかったから、TBSのザ・ベストテンにリクエストしたり、文化放送の小川哲哉に電リクしたり、ロイジェームスの不二家歌謡ベストテンにハガキを書いたりもしなかった。そのときの時代の空気に埋もれ、名曲のクオリティを見極める目が曇っていことに痛恨の思いがある。

 なので今になって「流星」「春を待つ手紙」を名曲だと讃える時、自分にはどこかヤマしさがある。リアルタイムできちんと激賞出来なかった自分の不明を恥じ、御大に申し訳なかったと心の底で思う。

 その懺悔の気持ちでこのサイトを始めた…それは嘘だが(爆)、その時代当時のリアルタイムの気分と、それから幾星霜を経た今になっての気持ちとの偏差は、きちんと省みてゆきたい。

2017. 8. 31

「襟裳岬」もそうだが「竜飛崎」上空も通過しているのではないか。まったくなんて夏の終わりだ。

 番組中に興に乗って歌われる吉田拓郎の歌唱&ギターが、どんどんイイ感じになっているのはすべてのリスナーの共通意見ではないか。これも毎週楽しみだ。
 いっそのこと「ひとりで喋ってます」のラジオで「ひとりで歌ってます」という企画をやってもらえないか。あのラフな感じでサラリと歌ってほしい。そういう御大もまた魅力横溢だ。

 わかっている。御大に「歌ってください」などと進言しようものならと大抵良くないことになるのが、ファンの経験則というものだ(爆)サファリパークのライオンに手を出して「お手!」と言うくらい危険だ。なんだそりゃ。

 しかし、ピカソとか有名な画家が、サラサラと鉛筆で描いたスケッチが、それはそれでまたとても魅力的なように、軽く歌い流す御大はとても素敵で、毎週、毎週、もっと聴きたいなと思うのである。

2017. 9. 1


 石川さゆりの「月の盃」。いい曲だなぁということで軽く流してきたが、前回の放送で、心に楔を打たれた。スキャンダルに苦しむ彼女に、静かなエールをこめて新境地のメロディーとアレンジを送ったという御大が素敵すぎる。凡百の励ましの言葉に優る、本当に「音楽」のチカラって素晴らしいと思う。そう思うと何度も繰り返して聴きたくなる「月の盃」だ。

 石川さゆりさんは、数年前、とある方のライブでゲスト出演さたれたのを近くでお見受けしたことがあった。美しい歌声のキレイな方だった。♪ウィスキーがお好きでしょ…を歌ってくださった。「これはレコードのドラムも島さんだったわね」とステージの島村英二さんとアイコンタクトしていた。「島さん」か。いいなぁ。きっと、御大は「拓さん」、エルトンさんは「エルさん」、松本隆は「まっさん」、松任谷正隆は、えーっと「おまっとうさん」ではないか…ツマラないオチ考えてんじゃねぇよ(爆)


 9月になれば…乙女座会はあるのだろうか。

2017. 9. 2

 行きつけだった居酒屋が閉店してしまった。小さくて汚いけどいい店だった。BEAMSとかが並ぶなかで、よく頑張ってきたというべきだろうか。隣の見知らぬ老紳士と芸能人と映画の話でとことん盛り上がったら、芸能プロの会長だったなんてこともあった。最後のほうだったけれどとてもお世話になりました。お疲れさま。

 BEAMSといえば、10年くらい前の御大のラジオで、

御大「BEAMSに入ったけど年齢的に浮いて恥ずかしくて買わないで出てきた」
かまやつさん「ボクは今もBEAMSで買ってるよ」(爆)
井上順さん「ボクは、BEAMS行ったことないけど、"天むす"食べた」(笑)

 かまやつさん、かっけーな。そして井上順さんのあくなき"駄洒落道"の追及はホント素晴らしい。まるで砂地に太いホースで水を撒くかのようだ。若者の間に「おやじギャグ」ということばが浸透して久しいが、若者よ、井上順を超えてから言え、と言いたい。

2017. 9. 3

 土曜ドラマ。今度は植木等か。山本耕史は顔は似ていないけれど、声の作り方が見事だ。本人の本質的なところに少しでも近づこうという役者としての強い意思が窺える。あ、堀北略奪の罪で、御大はお嫌いかもしれないが(笑)

 冒頭の「スーダラ節」の歌詞を読んだ僧侶の父・植木徹盛さんの「これは親鸞聖人の教えだ」と感嘆するところ。植木さんが生前に詳しく語っていたところでは、「父は…詞を読んでしばらくウーンと唸りながら第一声は『青島幸男は天才だっ!』と叫んだ」ということだった。ずっとこの話が好きだった。
 なので、以来その影響を受けて、御大の名曲・名詩に出会うたびに「んーー吉田拓郎は天才だ!」「うーーー岡本おさみは天才だ!」「石原信一は…」「松本隆は…」などと感嘆するクセがついた。てか、最近は酔うとそれしか言ってない気がする(爆)。

 「刑事物語」での最初で最後の二人の一瞬の共演を思いながら、御大が次のステージで熟達の成果物「スーダラ節」を披露しても驚かない心の準備をしておこう。

2017. 9. 4

ラジオでナイト 第23回 2017.9.3
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

吉田拓郎です。

<前回のハワイツアーは中止になったが、封印された水着はもう着れない、70年代に帰りたい…という投書>
 ハワイでは水着にならないと。僕は、海は波が怖いから入らないけど、プールで半日過ごす。水着にならないとつまらない。欧米は、若者よりリタイアした方や老夫婦が多い。彼らは、樽のような身体でも、水着が平気だ。アジアの人は、欧米人のような逆三角形じゃないし、歳を取ると上半身の胸が薄くなるのでみすぼらしい、淋しい水着姿になってしまう。だから、女性の方でお年をめして体格が良くなったら水着はいいのではないか。女性は堂々と水着になればいい。

<来週夫婦でカハラに行きますという投書>
 いいですね。行きたい。オアフ島とは思えないいいホテル。イタリアンレストランのコックスとかあるけどいいな、ハワイに気持ちは飛んでゆく。

<積み立て貯金をする、拓郎ハワイに行こう積み立て、拓郎さんの唄でのど自慢大会をする…という投書>
 オレの事知らないな。そんなの聴きたくないよ。  

<6年半前からハワイに向けてずっと鍛えていました→オアフ→マウイと日程付きの投書>
 昔、50歳の誕生日をハレクラニでやった。メニューも全部考えた。素晴らしいパーティだった。
<拓郎さんとセッションして…という投書>
 おれは、おまえたちとセッションなんかしないよ。そんなに君たちと仲良くしようと思ってないよ(笑)。

<拓郎さんとビールで乾杯、拓郎さんとお喋りしよう、ネイルサロンに行こう…そして拓郎さんのライブという投書>
 やるわけないだろ。基本、全日自由時間がいい。無理か。

 日本からハワイ行く人は、137万人。ハワイが好きな理由は、1.美しい空気感。そうだね説明できない空気感。ホノルル空港出ると空気が違う。風の感じ。燦々と日が照っている。空気がまったり。時間よとまれ…矢沢永吉って感じだ。2.ショッピング。アラモアナとかショッピングセンターがある。瀬尾ちゃんと行くと二人で買い物おじさんになっている。  ジーンズを10本20本買ったりする。3.食事や言葉に苦労しない4.治安が良い5るアクセスが良い。行きは追い風で早いが、帰りが向かい風で時間がかかる。 

 結婚式を挙げる人も多い。1.ロケーションが良い2ハネムーンも兼ねる3.両家の絆が深まる 田中家と横山家が親密になる。誰だ。 4.家族旅行で親孝行もできる

 結婚式もいいが、バウリニューアルもというのもある。今度行ったら、カミさんとこれをしようと思っている。これ全員でやろうか。すっかりその気だ。

■タイトル

 ハワイは4泊6日が標準だが、それでは足りないと思う。最悪で5泊7日、6泊8日くらいがいい。島に行くのもいい。ハワイのホテル選びの際、注意してほしいのは、オーシャンフロントは真正面に海が見えるという意味。オーシャンビューは、ちょっとでも見えるということだから気をつける。パーシャルオーシャンビューは背伸びすれば見えるという感じ。マウンテンビューというのもあるし、シティビューもある。最もやばいのは、吉田建が泊まった部屋は、パーキングビューで駐車場の前だった(笑)

<拓郎さんは何もしなくていい、ファンがおもてなしますという投書>
 そうだよ。こういう企画を考えてみろよ。来てやったぜ、てめぇら。ハワイまで行って吉田拓郎に何かをしてもらおうという発想が浅はかだ(笑)。

 次の曲は、歌詞に大きな間違いを発見した。1985年以来、歌詞を間違えていた。お詫びしなきゃ。この詞は、映画「RONIN」のテーマ曲で、幕末の志士たちを描いた歌だけれど、今だからこそ聴かせたい気がする。

M−1 RONIN  吉田拓郎

 素晴らしい歌ですが、間違いわかりましたでしょうか。

 …この曲に武田鉄矢のバージョンがあって、最後に自分で詞をつけてる。これは許せない。だせ〜。
 「あらがい」抵抗の「抗」で「抗う」を「あがらい」と歌っている。スタッフや誰かが間違いに気付かなかったものか。30年間気づかないままだった。誰か言えよな。歴史に残るミスだ。同時に自分のボキャブラリーのなさを感じる。

 先週の陽の当たらない曲、いい曲だったという投書がたくさん来た。あらためていい曲のキャッチコピーを送ってくれたが。みんな才能のないこと。どんくさいのばっかり(笑)。
 そうそう、ハワイロケの映画を作って「歩け歩け」を主題歌にというのもあった、

<すべての曲に共通するコピー、 荒れ果てた大地に水をまききった  ありあまる才能と安易な発想で提供されたという投書>
 失礼だろ!

<ときめきトリップ…名古屋はええとこだで、聴いてチョという投書>
 奥に言葉で((笑))方言の募集もしている。
<井上順  俺の唄もまんざらじゃないぜという投書>
 順ちゃんに聴かせたいな。
<ふゆがきた…ふゆってこんなにかわいいんだ…キュンキュンという投書>
 変態だぞ((笑))。
<夜行列車を森昌子に提供という投書>
 無理だろ(怒)。
<井上順…ホラ扇風機に向って歌ってるみたいだろ‥という投書>
 はははは(大笑)
<人によかれとわが身を削る…という投書>
 どこの演歌の司会者だ、玉置宏か。
<夢はいつも帰って行った 挫折  ああ夜行列車という投書>
 意味がよくわからない((笑))

 来週くらいから新しい企画で、ベストテイクレコーディングを特集したい。今聴いても納得のゆく曲、レコーディングの時に手ごたえがあった曲、今聴いてもこれは素晴らしいという音がある。バランスとか音の聴こえ方も素晴らしく、バンドとエンジニアの技量とか三位一体になった、いいアンサンブル。これはうまくいった、抜群、という作品がある。

 とりあえず今日は、この作品。前にかけた「歩け歩け」と同じお蔵入りいた曲。高中正義、加藤和彦、小原礼、高橋幸宏と松任谷正隆。松任谷はキーボードだけでなくバンジョーもうまい。彼は、フラットマンドリンとかもうまい。石川鷹彦とはまた違う、ザ・バンドのような演奏ができる。ほぼミカバンドと松任谷正隆による「私の足音」。

 秘密を明かすと、この曲のテンポは最初と最後で違う。ドンカマを使っていない。なので、ドラムとベースのテンポは最初はスローなんだけど、やがて早くなる。ユキヒロのドラムがいわゆる「走ってる」演奏。

M−2 私の足音  よしだたくろう

■今週のマイ・フェイバリットソング
 コニーフランシス。フランスの女性歌手。先日テレビで観た。79歳で健在だった。60年代初期のアメリカは男性歌手ばかり、ポール・アンカ、リッキーネルソン、プレスリーそういう中に、女性で出てきて一人で次々とヒットを飛ばした。
 みんながそう評していたが、ちょっと泣いてるわけではないが、泣き節になるところが特徴だった。日本でも泣き節の歌手がいた。松田聖子は、初めて聴いたとき「コニーフランシスだ」と思った。(アー私の恋は  チュルリラ  説明できず)

M−3 青い珊瑚礁  松田聖子

M−4 夢のデート  コニーフランシス
 ね。共通した泣き節があるでしょ。コニーフランシスはかわいいベイビー  大人になりたい  ロックンロールもカントリーも、はてはカンツォーネもウマイ。

M-5 渚のデート  コニーフランシス


■エンディング
<今夜の星空、不倫ですよね。そこで…という投書> 
 長いよ(笑)

 方言、ふるさと自慢と愚痴、ハワイの企画 吉田拓郎をどう迎えるか

 お相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆おお「ハワイ」モードか。結果的に行く、行かないは別にして、吉田拓郎がハワイの話を始めると、湧き立つなにか、それこそ吹いてくる風がある。それがいい。御大、元気なんだな。その幸福感が漲る。それがいいのだ。

☆接待と来たか(爆) もともと御大のハワイツアーは、他の歌手のハワイツアーと違って(よくは知らないけどさ)いろいろなミゼラブルな事も起きる(爆)。ホエールウオッチングツアーといいながら、揺れてる船を観たら御大が帰っちゃったとか、一緒に来るはずの御大が来なくて、なぜかハワイなのに火山に泣きながら登ったりとか、バスから一度も降りないサファリパークのような市内観光とか、ファンとしての愛が試される。それを超えてハワイは楽しいし、御大も魅力的なのだ。まさにファンとは、愛と悲しみで編まれた一本のロープであるという…向田邦子理論がここでもあてはまる。

☆それにしても、キャッチコピー募集しながら、どれも才能がない、ダサイとは相変わらずの御大だ。私たちの投書の束は、時代劇で言えば、斬られ役のサムライたち、仮面ライダーで言えばショッカーの戦闘員のようなものでバッタバッタと御大にやっつけられる((笑))。ここでも屈折した愛が試される。

☆それは、いい。

  今日の主テーマは「RONIN」だ。

 もう私は泣きそうだった。

 この超絶名曲のRONINはとっくに捨てられたと思っていた。御大が、RONINを憶えていたこと、いい曲だと言ってくれたこと、今だからこそ聴かせたいと言ってくれたこと、胸が張り裂けそうであった。この歌は、ほぼすべての御大の煌くエッセンスが詰まっている。そしてまた、まさにベストテイクのように御大のボーカルの艶が素晴らしい。
 私の思いなんぞは、どうでもいいだろうが、どんなにこの作品が好きか、素晴らしいかは、かつてUramadoに渾身で書いたとおりだ。なかでも悶絶したのは、そこにも書いた、長年の疑問だった、「あがらい」と「武田鉄矢バージョンの歌詞」の由来までがわかったことだ。すんばらしい。生きててよかった。御大ありがとう。
 「抗い」か。「贖い」か。とどっちかずっと迷っていた。ファンの間でも秘密結社のように議論されていた。まったくしょーがねーなーとか言いつつ(笑)。自分は「あがない」説だったのだが、これでハッキリした。
 そして、そうか、武田鉄矢バージョンのあの金八臭たっぷりの歌詞は武田が勝手につけたのか。これが川内康範先生だったら、死ぬまで許してもらえないぞ。虎屋の羊羹を御大の自宅玄関に置いて帰れ。いみふ。
 ともかくこれでもう疑問も迷いもない。御大、あなたの素晴らしい歌詞と歌唱で、今こそこの作品を歌い直そう。命をもう一回吹き込もう。失礼を承知でいう。こんな世の中だからこそ、こんな地球だからこそ、そんな今だからこそ、あなたが魂をこめて歌うべきだ。べき論で歌うものではないが、毎朝、桑田佳祐を聴かされている不幸な日本に向って(※感想には個人差があります)、今こそ歌おうおうおう、自由だよ、夜明けだよ。レコーディングでもいい、ステージでもいい。これを歌わないでどうするという気がする。

☆私の足音、コニーフランシス これもすんばらしかったけど、今日はとにかく超絶「RONIN」だ。

2017. 9. 5

 30年にわたる「あがらい論等」についに終止符が打たれた。つけたし歌詞の作詞者も確定した。…長かった。駅の見慣れた指名手配犯人のポスターに、ある日「ご協力ありがとうございました」とシールが貼ってあったのを見るようだ(爆)。どういう例えなんだよ。この虚脱感。ともに語り合った人々よ、お疲れ様でした。

 あれから30年。吉田拓郎「サマルカンドブルー」と浜田省吾「J.BOY」の発売日である。一人は、栄光のロードに背を向け、もう一人は、そのロードに勢いよく打って出てゆく。そんなコントラストを複雑な思いで眺めた、あの日だった。

 30年経って、二人ともお元気な様子を拝して、長生きはするもんだと思う。

2017. 9. 6

 「RONIN」を喜ぶファンの方々が思いのほかたくさんいるようで感激して心強かった。孤高のサイトと言いながらも、同志よ‥みたいな気分になる。この声が御大にしかと届いてほしい。願わくば、ステージや新録で再生されんことを。
 「流星」だって、発売年の79年に歌われた以後、次にライブで演奏されたのは20年後だった。長き封印を解いたのは、その間のファンの声なき声のチカラもあったのではなかったのかと思う。まさに今だからこそ聴かせて欲しい。

 武田鉄矢に悪態をつくたびに、彼がいなければ「唇をかみしめて」「RONIN」もなかったのだと思い返す。また彼が見つめた御大の数々のエピソードには、彼だからこそ拾えた素晴らしいものがたくさんある。いい人です(爆)。諸国漫遊の世直し旅のご無事をお祈りします。

2017. 9. 7

キャッチフレーズといえば、「今また時代を撃つ」という御大のキャッチフレーズ(1981・アルバム「ONLY YOU」)に対して、「もう拓郎は時代なんて撃たなくていいんだ」と吐き捨てる様に書いた田家秀樹さんの文章を時々思い出す。この吐き捨てにこめられた深い愛。生きざま音楽評論家には決して書けまい。…そういう悪態をつきたいのではなく((笑))、求め過ぎる自分のようなイカれたファンの心にこそ響いてくる。田家さんにポンと肩を叩かれて「いいじゃないか、拓郎さんを静かに見ていましょうよ」と諭されているような気分になるのだった。

2017. 9. 8

 「RONIN」に気を取られていたが「私の足音」もすんばらしかった。高橋幸宏のドラムが"走っている"ということなので何回も聴き直してみたが、自分ごときにはよくわからない(爆)。むしろこの演奏がよりいっそう愛おしくなるばかりである。そういえば、定かではないが、チャーリー・ワッツのドラムが時に走ってしまうことをキース・リチャーズがとても喜んでいた記憶がある。そのくらい気持ちがほとばしる素敵な演奏だと思おう。

2017. 9. 9

 “こんにちは”の「カハラ」は南国の風を感じさせてくれ、”マラソン”のそれは目もくらむようなまぶしいハワイの陽射しを体現しているような気がする。ラジオで投書を読まれたご夫妻はカハラを楽しまれているだろうか。御大ならずとも羨ましい。多くのファンにとって「ハワイ」は「ただのハワイ」にあらず「吉田拓郎のいるハワイ」である。吉田拓郎がハワイを作り、ハワイが吉田拓郎作っている、そんな場所だ。いみふ。

 御大は、あれからハワイに行っておられないのだろうか。番組で一緒にという発想はとてもとても嬉しいが、まずは、奥様とお二人だけで行ってみられるのもイイような気もする。余計なお世話か。御大の静かなるハワイをその手に取り戻し、青空の下のプールやバニヤンバーあたりから、「やっぱり今度はおまえたちも来いよ」と便りが届くのも素敵だ。そして次に、待ち焦がれる我々一行を率いて至福のハワイに連れて行っておくれよ。ま、私がどうこういうことではないか。えーっと、曲ですね、拓郎さんで「僕の大好きな場所」>田家さんかよっ!
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2017. 9. 10

 You tubeにキレイな音源があると教えていただいたので、久々に「ALL TOGETHER NOW」のフィナーレ曲を聴いた。何度聴いてもいいが、びっくらこいたのは、表記が、作詞:小田和正、作曲:吉田拓郎になっていた。逆だろ。「ALL TOGETHER NOW」のWikipediaも同じだから、その辺が原因なのか。この詞は、吉田拓郎の単独作詞であるとチカラをこめて言いたい。
 しかも素晴らしい詞だ。”今こそ、その手に小さな勇気をもて”。こんな祈りのような繊細な詞を小田和正が書けるはずがない(※個人の感想です)。RONINの詞も素晴らしいが、このALL TOGETHER NOWの詞もまた名作だ。どんだけこの詞が素晴らしいかという思いは、Uramadoに書いたが、例によって鬱陶しいことしか書いていないので参照の必要はない。ともかくこの素晴らしい詞は吉田拓郎の手になるものであるという事実こそが大切だ。

t.y life > uramado > オールトゥギャザー・ナウ

2017. 9. 11

ラジオでナイト 第24回 2017.9.10
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

以前、平凡パンチのデビュー前の記事を紹介した。
<「ジャンルなどない。歌です」という拓郎さん確固たるアイデンテティが素晴らしいという投書>
 いや、僕はブレる男。例えば、坂崎くんとやっていたANNG。突然、朝青龍が来たとき、そんなに好きじゃなかったのに、「ずっとファンです」と言ってしまう。その場その場でブレていく。

<宇宙人、怖い話、泣ける話、またギターを持っても歌とメロディーが不確か、バカボンのパパの「これでいいのだ」的態度がいいという投書>
 そう、これでいいの。
<ラブレター、スマホメールが普通、ラインで告白というのは馴染めないという13歳の投書>
 おっさんみたいだな。ラインで愛の告白というのは、僕は、開いた口が塞がらない。メールでさえ告白すべきではなく、口頭せめて手紙ですべき。もう古いのだろうか。

<拓郎さんラブレターの経験を問ういう投書>
 出したことも貰ったこともない。ファンレターはあるけど、全然モテなかったから。押し倒すために山で練習する男だから、情けない。

 ラブレターのコーナーを忘れていた。正直言うともうそこに心がない。宇宙人、UFOもどうでもいい、知ったこっちゃない。ブレまくり。もともとテキトーなんだから。


 妻がドラマの撮影に入る。というわけで、撮影に入ると、俳優の仕事は大変だ。時間がハッキリしない。音楽はリハもライブもおおよその時間は決まっている。しかし、テレビドラマなんかだと俳優の現場は時間が読めない。スケジュールとか観ているだけで貧血がおきそう。例えば、本読みって、朝5時よ。きついのよ。4時30分とかもこれからもありそう。「拓郎、寝てていいからね」と言いつつ、音がうるさい。ベッドルームは別でも、ドタンパタンとうるさぃ。寝ていられないで結局起きてしまう。夜も深夜のこともあり、まったく不良のような生活。
 そうなると食事が大問題。夜はバラバラ。いよいよ出前シリーズが始まる(涙)。最近は、オンライン宅配サービスがある。レストランの商品を出前してくれる。焼肉、イタリアン、和食、お好み焼き、うなぎ…一週間は乗り切れる。でも、一人の食事は寂しい。むなしい。(♪むなしさだけがあった・・・歌おうとするも出てこない)

■タイトル
 東京で初めての経験は出前だった。真っ黒のつゆ中にうどんでびっくりした。調査した田無のソバ屋では、出前の人気のランキングは@ざるそばA冷やしたぬきそば…関西にはない。関西はうどんだな。おれは「冷やしたぬき」というと「うどん」。とにかく、もう早くドラマ終わってくれ。但し今度のドラマは、脚本を読むと今度のはかなり面白い。

 最近、テレビで、僕の好きでない場所で、好きでない歌っている様子を観た。(漕げよマイケル…歌う) テレビでおじさんたちがギター一本で弾き語りで歌ってるのを観て、そんなことをしてるんじゃないなよ、おやじたち、と思う。漕げよマイケル、ハイウェイメン、ブラザース・フォー、PPM、キングストントリオ、こういう曲をフォークソングと思っていた。こういう明るい作品がアメリカンフォークの典型だ。
 しかし、日本では四畳半フォークというって暗い湿っぽい歌が流行してしまって、そういうところでフォークファンになっている人は、未だにギター一本でそういう歌に浸っている。たまにはそういう地味なものではなく、こういうのを皆で合唱してみろよ。

M−1  漕げよ マイケル   ハイウェイメン


■ラジオでナイトクラブ

 ANNGハワイ六日間の旅のパンフ。ラジオ収録の舞台裏。「ラジオだけに生歌、生演奏」生演奏なんかするつもりなかったよ。ふれあいたくない。確かに、いろんな企画が立っていた。残念ながら、ああいうことになったが、僕なんか荷造り終わって行く直前だった。それ以来だから、かなり長く行っていない。行きたいな。はい、気を付け。吉田拓郎をどうやって持ち上げればハワイに行けるか。どう喜ばせるか。

 方言について。さんまさんが東京来たときも言っていたが、今やテレビは関西弁ばかりになった。

<長野県伊那市では、「疲れた」=「ごしたい」。腰が痛いが訛ったのではないかという投書>
<「瓶の蓋」=「ぼっちょ」という投書のつづき>
<北海道  「捨てる」=「投げる」、西日本の「なおせ」=「片付けろ」 という投書>
広島でも「なおせよ」という。
<鹿児島 「あいがともさげもした」=「ありがとうございました」、「電球」=「でんきんたま」という投書>
勘弁してくれよ(大笑い)電気の球、確かに「できんたま」だな。「おまえんち」の「ん」と同じ。でんきんたま…どんな球だろう、凄いな(笑)
<焼津 「ちんぶりをかく」=「すねる ふてくされる」という投書>
妻に「ちんぶりかく」といわれたらどうすんだろう(笑)
< 「だから」=「ええだで」、「頭にくる」=「やっきりかく」 投書の続き>

 一番は、「ちんぶりかく」。これは和むな(笑)

■今週のベストテイク

 今週のベストテイク。売れたかに関係なくベストテイクレコーディングの曲をかけたい。   ミュージシャン、エンジニア、歌、のアンサンブルで、これはというものが時々ある。但し、なかなかない。僕の場合は、どうしても120点が欲しいのかな。スタジオの音…アトモスフェアも大事。エンジニア、マイク、エフェクター等の相性すべてがあいまったときに生まれるベストテイクを特集してゆく。

 今週は、松任谷正隆と演った「風の街」。ドラマ「あこがれ共同隊」の主題歌で山田パンダで中ヒットしたのを僕が演った。松任谷のヘッドアレンジ。島村英二がドラムだった。こういうセカンドラインという指示があって、タムをつかいながらタクツクタンという感じで、そこに駒沢のスチールがからんでくる。駒沢のスチールギターはこの頃、不可欠だった。コードしか書いてなかったが「せーの」でやった。凄い大納得のテイクになった
派手ではないけど小編成で最高の出来上がり。コーラスは元猫。

M−2  風の街   吉田拓郎

■ マイフェイバリットソング

 広島から上京して会ったフォークソングの人々の中に、R&Bのわかる人は殆どいなかった。物足りなかった。ビートのない音楽多いなと思っていた。エレックでは理解してもらえなくて、納得できなかった。本当にやりたいことができる様になったのはSONYに移ってから。スリーコード。C7 F7 G7。これで成り立っている。 これなくして、ビートルズもストーンズもクラプトンとかもあり得ない。フォークの人々はこれを通っていない。(野良犬のブルース…歌う)唯一、かまやつさんが、フリフリとかバンバンバンで、スリーコードを使っていた。
日本には皆無たが、アメリカのフォークロックにはたくさんいる。

M−3 Roll Over Beethoven  チャックベリー
M−4  ハウンドドッグ  エルビス・プレスリー
M−5  The Hippy Hippy Shake  Swinging Blue Jeans =
M−6 Dizzy Miss Lizzy ビートルズ


全 部3コードだけど基本。僕達はそうやって生きていた。今度のアルバムではそういう3コードのハードな曲を目指す。そのための詞を書いている。このスイング感、ロックンロール感がいい

M−7  Good Golly, Miss Molly リトル・リチャード


■エンディング
方言、大きなテーマとしてハワイ募集
お相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆やはり吉田拓郎はブレない信念一貫の人だと思う。ただそれは音楽・思想等の基幹部分であって、そうでない部分は、実にテキトーで(笑)、そのテキトーさを隠そうともしないため、私たちはその落差に振り回され驚くのである。
 いったいどこのラジオパーソナリティが、あれだけハガキを募集しておいて、「もう心がない」「もうどうでもいい」と捨て台詞を吐くだろうか(爆)。すごい放送だ。”録音なのにNO編集、NOフォロー”とはこの番組のことだ、柳原可奈子。

☆誰もが思ったはずだ。夕食のひとりが寂しかったら毎日でもご一緒するぞ。いえ、ご一緒させてください。そんな叫びが夜空をこだましたに違いない。それにしても、年内は大変だな、吉田家。収録が年末に終わったら、それこそお二人ハワイに行けばいいのに。

☆といいつつ、2011年のハワイは、バス1号車まで決まっていたのにな。是非行きたいがどう、あの御大をどう接待するかは難題だ。

☆ベストテイクは面白い。楽しみな企画だ。確かに、大好きな演奏ではあったが、「風の街」がそれだというのはわからなかった。音楽家だけが知りえることかもしれない。そう思って聴く「風の街」は思い込みかもしれないが、サウンドが「塊」になって響いてくる。そうか、島村さんだったのか。島ちゃんと松任谷のやりとり、そして「せーの」で録音。そうやって解題していただくと、そのスタジオ空気がこちらにも伝わってきて、ますます愛おしくなろうというものだ。自分がイイと思っていた演奏が、御大にとってのベストテイクだったとしたら、また嬉しいだろうし、楽しみなコーナーである。
 もうひとつの感慨は、いろんな意味でかなり辛かった、キツかったと御大が述懐するアルバム「明日に向って走れ」のレコーディングだが、そこでも音楽的な妙味というか、ベストテイクはこうして降りてくるのかと感慨深かった。やはり音楽ときちんと取り組む音楽家の仕事とは凄いものなのだなと感じ入った。

☆3コードのハードな作品は楽しみだが、いわゆるロケンロールみたいなのは、もうつまんないな。シロウトが申し訳ない。そこに美しいメロディー展開がからんでこその御大だと思う。ともかく、アルバムが進行しているようで嬉しい。楽しみにしているぜ。ちなみに野良犬のブルースは、正規アルバム「青春の詩」にちゃんと所収されているぞ。

2017. 9. 12

 鮮やかに咲いた御大のハイビスカスを観ると、どうしたって「季節の花」を思い出す。何回もそこここで書いたが、どうしたって傑作でしょう。「またウソをつき また夢を見る、また迷っても また探す道、またほほえんで また口ずさむ・・・・」リフレインが歳とともに深く感じる。なんでライブで演らないかな。「花の店」より全然いいと思うぞ。
 この作品を聴いたとき、御大は60歳の壁なんてとうに超えたと思った。70歳をとうに超える新作を心の底から楽しみにしている。

 この歳になっても新曲を待つ楽しみがある幸せ…ってこれも何回も言ってきたが、えーい、何回でも言うんだよっ!

2017. 9. 13

 今日は島村英二さんの誕生日だ。おめでとうございます。ラストショウの祝還暦ライブを観たのはもう何年前だろう。あの時は、島村さんは最後に”ともだち”を歌ってくれた。
 先日の"ラジオでナイト"のベストテイクで、松任谷正隆のヘッドアレンジで、島村さんがセカンドラインを叩いたという話が出た。そういえば、若者に人気の”ゆず”の”栄光の架け橋”も、松任谷のアレンジでドラムが島村さんだ。「若者に人気」と言う表現をしている時点で私はアウトだが(涙)、島村さんはまさにさまざまな世代の架け橋かもしれん。久々に打ちのめされたいぜ。

2017. 9. 14

 ウチのハイビスカスも咲いた。今年のお盆前に花屋さんのオマケでいただいて放置しておいた小さな鉢植えだったが、急に花が咲いてびっくらいこいた。吉田家とお揃いで嬉しい。はっ、これは神のお告げか。御大、奥様がお忙しそうだし、とりあえず一緒にハワイにロケハンに行きませんか。>誰なんだよ、おまえは(爆)。花とは無縁だったが、来年も是非咲いてほしいという気持ちになるから不思議だ。
 
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2017. 9. 15

 85年のつま恋の直後のラジオでの武田鉄矢の述懐。

「現役での最後のステージという吉田さんでしたから、♪行くんもとどまるもそれぞれの道なんよ…仕事するも休むのもそれぞれの道なんだ、との思いをこめて歌いながら、吉田さんのことジッと見つめたんですよ。そしたら、やっこさん、眼をスッとそらしましてね(笑)」

 電車の中でふと思い出して、しみじみと笑う…不気味なおじさんであった。

2017. 9. 16

 東京国際フォーラムで「クロスオーバージャパン」と銘打ったギタリスト・バンドの競演ライブを観た。クロスオーバーとは、”異質なものが入り乱れる祭典”という意味らしいが、高中正義、鈴木茂、岡沢章、エルトン永田、佐藤準…というと、私には、異質どころか、ある一つの崇高な目的のためにオーガナイズされた見事な体系的構成としか思えない(爆)。

 そういう偏狭な自分にはもったいない贅沢で気分が舞い上がる時間だった。

 それにしても鈴木茂は、あんなに歌うのか。朗々と歌う。ボーカリストみたいで驚いた。私ごときに言う資格はないが、それでも御大を支えたギタリストとしては超絶好きだったから言わしてもらうと、もっともっとギター弾きまくってくれ、ギターで語ってくれよという一抹の寂しさがあった。そういうものだとしたら、すまん。

 高中正義は、わかりやすく凄かった。身体と魂が自然と揺れてしまう。黒船を聴くとどうしても、あの映画の風景が浮かんでくる。この高中の演奏中に、御大が現われて、そのまま「RONIN」を歌ってくれたら、どんなにか素晴らしいだろうと、余計な妄想まで飛んでしまった。

 終演して居酒屋の片隅で、日本酒と辛子蓮根で静かに打ち上げる。御大のバックにいるので当たり前と思ってきたが、これまで実に素晴らしいを方々を見聞きしてきたのだなぁという感慨に浸る。もちろんカシオペアもナニワエキスプレスも凄かった。また、あれだけのギタリストがいるバンドでも、キーボードは二人いる。しつこいがキーボードが一人で打ち込み多用というのは、やっぱりツマラナイ…やっぱ"バンド"じゃないと、などとあれこれ勝手に考えながら、いつかまたフォーラムで御大を観るハレの日を思うのだった。

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2017. 9. 17

 鈴木茂のボーカルを聴きながらふと思った。昔は、コンサートツアーのコーラスは、バンド・ミュージシャンがつけていた。ツアーで専門のコーラスが投入されたのは、81年体育館ツアーのジェイダが最初ではなかろうか。それまではバンドが頑張っていた。
 78年のツアーでは、鈴木茂が♪人間なんてララーラララ〜と一生懸命歌っていたのを憶えているし、79年秋には♪バーイ、バーイ、ラーブ〜♪マイファーミリー〜などと熱唱していた。あれでボーカルが鍛えられたのではないか>ちげーよ

 しかし、ミュージシャンはいざとなると歌う。これは定理か。つま恋85のメイキングビデオもいきなり王様バンドのコーラス練習シーンから入るし(笑)

2017. 9. 18

ラジオでナイト 第25回 2017.9.17
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

こんばんわ吉田拓郎です。

<RONINの歌詞は拓郎さんが「あがらい」といったら「あがらいだ」、どこまでもついてゆくという投書>
 ついてこなくていい。間違いを認めたんだからもういい(笑)

<RONINの間違いの他「もうすぐ帰るよ」の「野心」”のごころ”と”やしん” という投書>
 岡本おさみさんから「拓郎君、”のごころ”というのは言葉ののりがいいね」と言われて初めて気づいた。”やしん”と読むとは知らなかった。”やしん”は”邪心”と思っていた。(「もうすぐ帰るよ」の該当のところを流す)。どうして現場で正してくれなかったか。「拓郎さん、おかしいっすよ」と言ってくれないか
 それでもついてくるというファンが嬉しい(涙)RONIN、 もうすぐ帰るよ、そしてもう一曲。

<「ガラスの言葉」で”ミルクウェイ”と”ミルキーウェイ”でも、牛乳の道でも、歌い続ける という投書>
 オレのファンは、みんな苦しいんだな(「ガラスの言葉」該当のみ聴く)。知ってたんだよ。言いにくかったので、のっけから間違っていた三曲。こんな歌手はいないだろう。


■タイトル

 生きているといろんなことがある。昔は見過ごしてくれたが、いまは情報にしてもミスにしても共有し拡散するいやな時代だ。

 最近の男と女の話、結婚にこだわらず先送りすることが多い。男と女の関係が変わっている。

 5位 だらしいない  4位 マイナス思考  3位 ケチ2位 食べ方が汚い…男でも嫌だな  1位 態度のデカイやつ… 上司には弱く、 部下には厳しい
あと、大風呂敷広げるやつ…いるいる。女性に冷たい態度をとることをカッコイイと勘違いしているヤツ、傑作なのは、車バックする時に助手席に手を回す。カッコつけてるね。僕は、運転下手なんで、窓から顔出してバックする。一度、助手席の人には降りてもらう(笑)。
 あと嫌な男としては、指を鳴らす男(笑)。自分は自慢する男は嫌だな

・・・・あと一緒に酒をのみたくない男としては、

 5位 自慢こき  4位 無理に酒をすすめる  3位 女性に奢らせる…自分も学生時代、同級生の宇都宮君にたかっていた2位 説教臭い 1位 自慢話する男
 ニッポン放送の女性に聴いたら、「オレ何歳に見えると聴く男」(笑)大丈夫か、小池、松岡、橋口。すぐフェイスブックにのっけるSNS男、飲み会なのにラインばかりやっている男。

 男が女を愛するとき。世界が敵に回ってもいい、悪い女でもかまわない、親友でも背を向ける。恋は盲目…バカだなぁという歌。

M−1  男が女を愛するとき  パーシィ・スレッジ

(※電車台風で豊橋ありで止まっている)


<津軽弁  アップダウンクイズで「へ」ではじまる身体部位「へなが」と言って落ちて行ったという投書>
 「へなか」=「背中」
<広島弁  「へしゃげる」  「いなげな」  「かばちたれるな」という投書>
 難しい方言は東北が圧倒的に多い

<富山弁  ここは私が払う  「私が抱いたゲル」という投書>
 ここで抱かれてもと思うよね。

<いつもチンチンに冷えたというが、チンチンとはやかんの沸騰のことという投書>
<夜行列車を津軽弁でという投書>
 (歌う。ほんどさ  一駅だぜ  夜行列車ば おめえさ  乗せたさ・・・そったきゃ寂しげな…)


■今週のベストテイクレコーディング

 あるギタリストの話。昔からのファンは知っている青山徹。事情があってミュージシャンを辞めてしまった。最近、ドラムの島村によれば会社で偉くなっているみたい。
その彼の入魂と渾身のメロディーに感動した。ギターのイントロと間奏とエンディング。珠玉不滅。 他の著名なギタリストにコピーしてくれと頼んだが、素晴らしいギタリストだけどこの感じは出せないと言われた。青山じゃないと無理だ・・・と。ニュアンスとフィーリングかけしかできない。まさに珠玉だ。

 楽器には、弾く人によって持ち味がある。アドリブも全然違う。いろんなミュージシャンのプレイに接して幸せな気分になる。いろんなギタリストと出会い、それぞれにひとり、ひとり、感激してきた。

 出会ったギタリスト、矢島賢、高中正義、鈴木茂、青山徹、徳竹弘文、渡辺格、鳥山雄司、稲葉政裕、小倉博和…みんな素晴らしかった。

 この曲のホントに、こんなフレーズは青山しかできないだろう。

M−2 I’m In Love 吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング

 レゲエ。流行前からジャマイカのアルバムとか聴いていた。(「アジアの片隅で」を歌う)、リズム、スカのリズム(「フォエバーヤング」を歌う)、盆踊りみたいな感じで、これは流行るなと思ったが、意外に定着しなかった。もっと大流行する
 リズムに身体が熱くなる。最近演奏していないので、次のライブでやりたい。自然に熱くなってシャウトしたくなる。レゲエとかスカのリズム不思議に舞い上がる
 
M−2  アイ・ショット・ザ・シェリフ エリック・クラプトン
M−3  マスター・ブラスター スティービーワンダー
Mー4  好きならずにいられないUB40
M−5   アジアの片隅で
M−6  無人島で
 気持ちいいな。「無人島で」やりたいな。夏の島という感じ。そうだ、「無人島に」ひとつ何をもってゆくかを募集する。

 好きだなこの曲…
M-7 No Woman, No Cry  ボブマーリィ

■エンディング

 みんなでいかにしてハワイに行けるか、どういうことをすれば拓郎さんが喜んでくれるか持ち上げ企画を募集。

お相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆いきなり歌詞間違いの御三家についての懺悔。「間違いだろうとなんだろうと拓郎さんが言うのだからついてゆく」という投書者の心配りというか心の在り方が、聴いている方にも嬉しくなる。ついつい鬼の首取ったように騒ぐ自分は、見習いたいものだ。
 しかし、長年の謎と論争に終止符が打たれてしまう寂しさもある。邪馬台国はどこにあるかわからないままでいて欲しい、ツチノコも見つからないで欲しいという理不尽な気持ちと似ている。
 それにしても確かに「のごころ」というのは、かなりいい言葉だと思う。ケガの功名かもしれないが。

☆ちょうど高中正義と鈴木茂のギターを聴いたばかりなので、ギタリストの系譜は感慨深かった。御大の歴史は、そのまま素晴らしいギタリストとの共演の歴史でもあるとあらためて思う。
「青山徹」は歴史にも心にも刻まれるギタリストだ。ファンからの青山についての問いかけには、割と拒絶的反応か多かった御大が、青山への想いを静かに語ってくれた。御大やともに活動していたミュージシャンの方々には、ファンにはわからない深い感慨がおありだろう。ファンにはファンで、「青山」を思うだけで、沸き上がる何とも言えない熱い思いがある。しかし、彼はいない。大好きな映画「桐島、部活やめるってよ」。「青山、ギターやめるってよ」は、青山の突然の退場がもたらす、周囲の心の歪みや葛藤みたいなところがあの映画ととてもよく似ていると思う。

☆I’m In Loveは、ファンになって以来初めて、発売日にレコードを買わなかったシングルだ。「こんな曲をシングルにしやがって」と怒り心頭の当時だった。偉そうにこんなサイトやっているが、しょせん私は、この作品の美しさ、御大に珠玉とまでいわせた渾身の仕事に気付かなかった無知蒙昧の輩に過すぎない。何度でも言うが、その懺悔のためにこのサイトをやっているのだ。それも言い過ぎだな。すまなかったな、御大。
 こうして30年経って、ようやく渾身と珠玉の仕事を理解できてあいまみえる。生きている間に気付いてよかったと喜ぼう。

☆80年代の「レゲエ」への傾倒。確かにこの頃世間でもレゲエがブームだったが、例えばレゲエのリズムをパクるような薄っぺらなミュージシャンたちをかなり露骨に軽蔑していたと思う。ニューミュージック界に「おまえらレゲエを知らないな」と啖呵を切った御大も忘れられない。
 自分の「レゲエ」は、「ボブ・マーリイ」への敬愛だと語っていたことがあった。御大の「レゲエ」は、うわべだけではなく「レゲエ」の魂との深い感応だったのではないか。うまく言えないが「レゲエ」が食材だとすると、これみよがしに皿にレゲエを盛り付けるのが世間の流行だったが、御大はそれをせず、レゲエをダシにして思いっきり煮込んで濃厚なスープをとるタイプだったと思う。何事もカタチではなく物事の深奥を掴むのが御大の真骨頂だ。

 だから、レゲエがよくわかってない自分でも、昨夜の御大の刻むレゲェのリズム=「アジアの片隅で」のサワリを聴いただけで自然と身体が熱くなってくる。それは、きっと御大がレゲエとしっかりと結縁しているからだろうと思う。「アジア」歌っておくれよ。もちろん「無人島で」も。「ハネムーンへ」は微妙だが。

2017. 9. 20

ラジオでのほんのちょっとの弾き語りでも"アジアの片隅で"には熱く反応してしまう。1980年の初披露の時、御大が一人あのギターリフを延々と弾き続ける中にバンドメンバーが登場、やがて地の底から湧き上がるように始まった演奏。条件反射で「集まれ!行くぞ!」と号令がかかった気になるってもんだ。

2017. 9. 21

☆とはいえ、いつも渾身の熱唱、全力で感動の「アジアの片隅で」といワケではなかった。91年に観た浜松では、♪…思うのだがぁぁぁぁぁ〜のシャウトを4番まで全部省略していて驚いた。スカのリズムどころかスカスカの省エネモードだった。まったく油断ならん御大だ。渾身↔テキトーの落差の大きさこそが、御大のという人間のふり幅の大きさだ(爆)。そのふり幅の中を右往左往するのがファンではないか。

☆先日のドラマ「渡る世間は鬼ばかり」に出演していた山本コータローはインパクトが強かった。老けた…というより人間ではない何かに進化してゆく途中の生き物のようだった。何になろうとしてるんだ。まさに誰も知らなかった山本コータローだ(爆)

2017. 9. 22

☆「アジアの片隅で」といえば、1987年の伝説の「夜のヒットスタジオ」だ。歌も演奏もそれは凄かった。でもそれ以上に熱唱する御大に寂寥感というか、もの悲しさが滲んでいて辛さも感じた。

 残念なスーツとスニーカーのせいもあったが(笑)、何より観客がいなかったからだと思う。御大の熱唱に唱和して投げ返す観客、それをさらに観客に投げ返す御大。この熱きラリーから立ち上がる至極のオーラ。それがこの作品の神髄だ。
 そこでは観客は観客ではなく、立派な「楽器」のひとつなのだ。投げ返す観客がいないとき、御大の熱唱オーラはシャボン玉のように漂って雲散してゆく。それが寂寥感の原因だったと思う。
 だからあの時、2、30人でもいいから観客を入れるべきだったのだ。ファンなら誰でも、必ずや素晴らしい楽器になってくれたはずだ。だってそれがファンというものだから。御大の薫陶を受けたファンとはそういうものだ。
 話は違うが、加藤和彦が亡くなった時、御大は「もっとオレを頼りにしろよ」と悔しそうにつぶやいた。同じくここで御大に言いたいのは「もうちょっとファンを頼りにしろよ」ということだ。孤高の御大は素敵だが、そこまで一人でゆくこともない。次は是非。


☆おい、前日だぞ!。マイクロバスの御大に手を振って、西ゲートに集合だ。みんな溝に落ちるな、迷子になるな。野生の呼び声がする多目的広場にみんなの生き霊を飛ばそう(爆)。

2017. 9. 23

 2006年9月23日の太陽も、拓郎に惚れていたので台風を吹き飛ばして、つま恋の空で燃えてくれた。あぁ岡本さん。

 余計なお世話ですが、今日が記念日のみなさんお互いさまおめでとうございます。

 それはもう、かけがえのない時間だった。自分の体験・経験の他にもいろいろな話、噂、都市伝説を耳にする。例えば…
 ライブ中にブロックの柵を掴んで思い切り揺らしながら「たくろぉぉぉ!!」と絶叫していた迷惑なおじさん。係員が注意しようとしたら「小田和正」だったので注意できなかったという話。都市伝説だとしても、この話すごい好き。

 1975年をも体験した方々にはさらに感慨深いものがおありだろう。羨ましいを通り過ぎ、仰ぎ見るような感じだ。

 とはいえ、75年に行けなかった者にも行けなかったなりに、ささやかな思い出がある。

 1975年8月2日の深夜、中学生の僕とTくんは、キャンプ教室で福島県裏磐梯国民休暇村のテントの中にいた。トランジスタラジオで、DJだかアナウンサーが、"今入ったニュースで、吉田拓郎のコンサートに何万人もの人が集まってもの凄いことになっているようです"と興奮気味で伝えていた。「何が起こってるんだろう」、「行きたかったなぁ」、T君と二人で、見たことも無いはるか遠いつま恋を想像して悶絶するしかなかった。

 で、私たちは、そのときの悔しさから、やがて御大のライブへの旅を始めるのだった。つま恋から遠くはなれたところで起きた、他人には心の底からどうでもいい小さな物語の始まりである。

 それから30年以上、私たちの青春もここに完結したのだった(笑)

 きっと、みなさん同じだろうが、DVDで、かまやつさんの出てくるところは、もはや尋常な気持ちでは観ていられない。今まで笑って観てたのに。

 なので、とにかく自分も含めてすべてのみなさん、長生きしよう、してください。魂の底から叫びたい今日の記念日である。

 
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2017. 9. 24

 昨日がつま恋記念日なら、今日は撤収記念日か。解体されるステージ、散じてゆく人々、片付けられるモノたち、”祭りのあと”の寂しさは。
 立ち去り難くウロウロしていると駐車場で機材の積み込みトラックの前で若者たちが作業をしている。そこで道路に一台の乗用車が止まり、運転席から顔を出した島村英二さんが、大きな声で「おーい、みんなー気をつけて帰れよぉぉ」と若者たちに叫んで手を振った。観ていて不覚にも泣きそうになった。

 ♪道の向こうで手を振った 大きな声でサヨナラ言った…

 あれ以来、この歌を聴くとあの光景を思い出す。

2017. 9. 25

ラジオでナイト 第26回 2017.9.24
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。

<いつも疑問だが、ラジオでナイトの意味を教えてくれという投書>
 ラジオでナイトという意味よ(笑)ラジオのnightと「ラジオじゃなきゃ」をかけている。こういう吉田拓郎は、ラジオでないと味わえない

 吉田拓郎には4つの顔がある。

「ラジオの顔」:明るく多弁っていってもたくさんのウンコじゃないよ(笑)、アドリブの多い、自由人。

「テレビの顔」要所では語るが基本はシャイシャイボーイ。テレビカメラが凄い苦手。赤いランプが点灯すると固くなってしまう。

「ステージの顔」 音楽に集中する。客席など殆ど見ないし、目に入らない。音に夢中というか魅入られている。他の事がわからず音楽に没頭している。

「家庭での吉田拓郎」  ここが問題(笑)  家庭では非常に優しく、腰の低い、聞き分けの良い男。

 この4つの顔の他に
「レコーディングの吉田拓郎」やや頑固、譲らない、妥協しない。

「日常の外面」 お店や買い物に行ったとき、非常に穏便で物分かりがよく、協調性豊かでつきあいがいい。

 こういう6つの顔を持った吉田拓郎である。

■タイトル

6つの顔があって疲れる。ラジオのままの吉田拓郎を期待してステージに来るとそこではまた違う。

 ハワイについてのメールが来ているが、本格的にハワイに行かなきゃとか思うが、オレは 天邪鬼だからな。今、ハワイにいるメールが来ている。
<ハワイにいる、カニを食べに行って、ワイケレに行って、ショッピング三昧・・・ いう投書>
 いいなぁ。何度も言うけれど、時間と空気、風の吹き方が日本にはないものがある。それにハワイの人々の心根が素敵だ。優しい人々、アロハ、マハロの心で迎えてくれる。 ハブ・ア・ナイステの心が嬉しい。
 我が家も奥さんの母が健在の頃よく行った。年に2、3回行ったこともある。行ってないなぁ。

<みんながハワイに行けるわけではないので前夜祭・壮行会を福島ハワイアンズで、拓郎さんのお手は煩わせません、乾杯の御発声だけで、「バカなてめーら」それでは満足ですという投書>
 いい企画だ(笑)。バカな、てめーたちって言った?言ったな。冗談じゃないよ。乾杯なんてやんないよ。そういうのやんないんだよ。

<例のハワイ企画あと5年先にしてほしい、退職金でローンを完済してから行きたいという投書>
 現実的だな。あと5年…生きてるかな。ローンの支払いか。頑張ったね。俺もローン終わった時ホッとしたよ  小市民的だな。知ってるミュージシャンで、ローンを組んだことないヤツが2人いる。名前はやめておこう。この野郎って感じ。

次のが面白い、
<ハワイで将棋を教わる、講師は吉田拓郎という投書>
(笑)ハレクラニのプールを貸し切り将棋。外国人は、何やってるんだと思うんだろうな。

M−1  パイナップルプリンセス  アネット

 オアフもいいが、マウイ島が好き。カアナパリが人気で、ゴルフ場とか多い。ラハイナ…矢沢永吉が歌ったね。あのあたりが人気だけど、僕はそこから一時間離れたワイレアに泊まる。割高だけど、ケアラニホテルが大好き。日本人も、そもそも人も少ない。ここが大好き。ここで過ごすと、いいなぁという気分になる。パイナップルプリンセス聴いていて思った。
 田代みどり 好きだったな。♪小さなおっば片手にチュキチュキよ(笑)。そんな歌詞ないよ。最初に買ったのが、田代みどりのパイナップルプリンセス。テイチクだったよ。中学生でバイトして、レコードプレイヤーと田代みどりのそのレコードを買った。

 かつて千葉にいたときお寺に居候して曲を書いて売り込みをしていた。もともとは、逗子海岸でフォークコンテストにギター弾語りで三位になって平凡パンチとかに注目された。そのあとに検見川のお寺で居候。河合楽器の店長の実家で、そこでレコード会社とかに売り込みしたが、相手にされなかった。

<鹿児島から千葉のお寺を尋ねたら、住職から歓迎されて、部屋に案内してもらった、拓郎さんは毎日のように船橋に呑みに行っていた、行きも帰りも玄関ではなく部屋の窓から出入りしていたという投書>
 千葉とか船橋にはよく行った。大学生の友人がいたこともあった。深夜帰ると玄関は締まっているので、凄い高い位置に窓があった。大きなイチョウの枯葉を掃いていたが、掃いても、掃いても尽きなかった。

<奥様のドラマで出前ばかりなら、リスナーの家で御馳走になるのはどうかという投書>
 そんなことしたら外面いいから、嫌といいながら歌っちゃうよな。美味しいもの作ってくれよ。味にうるさいよ。…さんまといわしとあじの違いはわかるけど。さわら、めかじきはわからない。味音痴。
もともと孤独でいたいから。あんまり人とつながりたいという気持ちがない。孤独癖がある。

<いろんなメールの募集は、飽きたと言いつつ、そこそこ読んでいたが、「治らないクセ」は募集したけど全く取り上げられていないという投書>
 忘却とは忘れ去ることなり。忘れちゃえ。

<函館ですが、住んでいる人は幸福度最下位。拓郎さんライブに車で札幌に行きましたよねという投書>
 車で函館も札幌も行ったよ。函館でもライブやったよ。いいところだよね、幸福度ランキングがどうして低いのかね。

■今週のベストテイク
 思い出深い一曲、記憶に新しいテイク、納得度の高いテイク、素晴らしいギター、唄声 …そういうコーナー。
 吉田拓郎さんの曲の中で、今日は敢えて裏切って、自分が結構気に入って今も時々聴いている。 
 テーマは、広島から上京する時。飛行機でも新幹線でもなく、友達に車にのっけてきてもらった。ヤマハのギターとディランのアルバム、アメリカンポップスのレコード、壁掛けステレオを積んできた。そうやって車で東京に来た。僕の音楽人生が始まった。車を降りた瞬間に、まさに人生が転がりはじめる。まさにライク・ア・ローリングストーン。それで泉岳寺で降りたのかな。そこが始まりだった。

 90年頃、コンピュータで打ち込みをやっていた。よくデモテープを作った。ギターは手入れだが、ベースやキーボードやストリングスを打ち込みによって自分でアレンジしていた。これによってアレンジの幅は広がった。こんなこともできるっていう感じで、自分の音楽の幅が広がった  ベースとかストリングスの知識が広がった。「176.5」というアルバム。(※ 百七十六点五と発音)
これはドラム、ベース、キーボード、ストリングスが打ち込み。ギターだけが徳武弘文。結構好きで今も聴いている

M−2 車を降りた瞬間から 吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング
 日本人ということ、今の時代に対してアンチテーゼ、こういうことでいいのかというテーマ。まず一曲聴いていただきたい。

M−3 北国の春  千昌夫 

 有名な作品。この歌の「季節が都会ではわからないだろうと母から来た包」、2番には「お互い好きだと言い出せなかったまま別れた彼女」。こういう景色。今も日本の景色にはあるのだろうか。
 故郷は、本当は鹿児島だけど、暮らしたのは広島。そういう思いが最近消えてきている。猛暑豪雨によって地球規模で季節感が失われている。夏が暑い、冬が寒い、春や秋はこうだったか、わからなくなっている。ローカル出身としては。故郷のことを思い浮かべて母や家族を思って涙したこともあった。そういう気持ちも消えつつあって、これでいいのかと思う。故郷にしかない人情も消えつつある。  

 そういう歌の中でおこがましいけれど

M−3  吉田町の唄   吉田拓郎

■エンディング

しかし、1時間でこんなにトーン変わる番組があるか。最初はワーワー騒いでいて、成長したね、人が変わったように「吉田町の唄」は重かったね。

ハワイ、無人島に持ってゆくもの募集。

奥さんのドラマが朝早い。朝4時起きとか辛いんだ。

お相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆6つの顔。なるほど。これらの顔は場面、場面でキレイに分かれているわけではなくて、波状的に入り乱れてやってくるところがファンにとっての吉田拓郎の難しさと申せましょう。しかもご本人の言うとおり「天邪鬼」が加わるので、(6つの顔)×(天邪鬼並)ということでとても難解である。
 この複雑な波に翻弄されながら、これをうまく乗りこなすのがファンの極意だ。いまだに波に乗れず、転覆ばかりしているが。

☆「治らないクセ」。あった、あった、私も送ったけど、そうだ完全になかったことになっている。また、しつこいが、あそこまでマウイのケアラニやビーチを愛しながら、なぜ過去のファンミーティングでファンにマウイの火山の山登りをさせたのか。しかも本人はドタキャンで(爆)
 それもこれも(6つの顔)×(天邪鬼並)の複雑な波を乗りこなすためのファンの修行だと言えよう。>言えようじゃねぇよ!!

☆「車を降りた瞬間から」 http://tylife.jp/uramado/kurumawoorita.html
 2004年の吉田拓郎の半生を語るprecious story ツアーのオープニングはこれだと予想していたのだが。それくらいうってつけの名曲だ。そうか徳武さん以外は打ち込みだったんだな。ずつと打ち込みはキライだと文句ばっかり言ってきたが、このなだらかに滑ってゆくような爽快感は打ち込みだからこそ出せたのだろうか。昨日はそんな気がした。
☆ずっと「イチナナロクテンゴ」だと思っていたよ。長生きはするもんだ。

☆鹿児島から検見川にトライした人、ハラショー。すんばらしい。いい話が聞けました。

☆フェイバリットソング。季節と故郷と、そしておそらくは地球環境や人の心の荒廃とか世の中のこととか、御大は、いろんなことを感じているに違いない。昔のラジオだったら、問題提起やアンチテーゼや怒りや異議申し立てを、そのまま饒舌に語ってくれたはずだ。でも、御大は言葉少なかった。それらを声高や饒舌にはもはや語らない。そういうものなのなのかもしれない。多分そのために「北国の春」と「吉田町の唄」の二つの曲で「語った」のだと思う。まさに言葉ではなく「音楽で語った」。
 それにしても「吉田町の唄」は何度聴いてもいい歌だよね。御大の気持ちが、この作品の中にしっかりと託されている気がする。

2017. 9. 26

 今日でLIVE2016初日市川から1年ですぜ。毎週のラジオのおかげで穏やかな気持ちでいられるが、やはり次のLIVEが待ち遠しい。

 ちなみに今までの「最長公演間隔」は、2009年7月のHave a nicedayから2012年10月のLIVE2012までの3年3か月間だ。長い年月のことを故事の喩で「三年三月」と言うが、昔の人はこのことを予想してたんだな…してねぇよ。フォーライフの社長業で忙しかった時代も85年つま恋後の休業時代もこの三年三月には遠く及ばない。
 自分も含め皆さんよく頑張ったよなと心の底から思う(爆)。なので御大、待つ身の辛さがわかるからと急ぎ過ぎず、でも記録更新だけは気をつけて、最高のLIVEを待っているぜ。

 えっと曲ですね。森昌子さんで「あなたを待って三年三月」>読んでないだろうけど田家さんすみません。

 あ、でも、これ凄くいい歌詞だ(涙)、阿久悠さんは凄いな。御大、長くなりそうだったらみんなで迎えにいきます。

2017. 9. 27

☆故郷か。1986年「サマルカンドブルー」のプロモーションで、日曜の夜の落合恵子のラジオに御大がゲストに来たことがあった。落合恵子の社会派トーンの番組だったが、拓郎が来ると、すっかりレモンちゃんになってしまって嬉しそうだった。御大は、そのレモンちゃんにせがまれて「旅の宿」を弾き語ると「最近、田舎もいいなと思うんだよ。親とは暮らせないけど、兄弟とは暮らせるかな、帰っても良いな、って最近考えるんだよ」としみじみと語っていた。ご隠居様の発言のようだが、それはそれで鎧を脱いだ素敵な拓郎の姿に思えたものだ。

☆御大もチラっと言っていたが、東京人に故郷がないと言われる。しかし、東京生まれの端くれとしては、東京にだって昔からの地縁や人々の情の深い絆はある。大切な田舎であり故郷なのだ。全国からあまりにたくさんの人がやってくるので希薄化してしまっているだけだ。

2017. 9. 28

魑魅魍魎が入り乱れてワケがわからない。しかし、国難だろうが希望だろうが、削り渡せない個人の尊厳がある。"焼け尽きた都市から"聴こえるものに耳を澄ませたい。ただでさえ少ない子どもと若者。「一人も死なんように思案するのがアンタの役目だろうが」というRONINの武田鉄矢のセリフを思い出す。アンタとはアイツらだけでなく、自分も含まれているわけで。

2017. 9. 29

 「車を降りた瞬間から」にひっぱられて久々にアルバムとして「176.5」を聴く。このアルバムは発売当時から大好きだった。胸にしみる作品たちだけれど、どこか都会的でシャレオツな空気がまた嬉しい。祭りのあとは恩田三姉妹の素敵なCMを思い出すし、落陽は、野村宏伸のしょーもないドラマが浮かんでくる(爆)。
 何度聴いても名盤の176.5だけれど、何度観てもこのジャケットはヒドイ。「え、気分でも悪いんですか、拓郎さん」と言いたくなる。なんでこんな写真使うかね。奥ゆかしい御大だから、あまりジャケット写真にまで口出ししないのかもしれないが、いくつになろうと吉田拓郎は、ビジュアル系アイドルである…そのことを忘れちゃいないか、制作サイド。

2017. 9. 30

 私事だが…って、ココに書いてあることは全部どうでもいい私事だ(笑)。
 仕事の先輩で、兄弟子ともいうべき方が10年前に病気で亡くなった。変人だったけどトテモ頭がキレて、どこかペーソスがあって、自分なんかにも優しくしてくれた方だった。
 昨日、高校の同窓会の仕事をしていたら、偶然にもその方が同じ高校の先輩だと知って驚いた。下町の片隅の名も無き小さな高校である。そこの同窓だったとは。知っていたらもっともっといろんな話ができたろうに。世の中は狭い。狭いくせに大事なところでズレる。思い通りにいかないものだ。

 帰りの電車、御大の「しのび逢い」がi-podから流れてきた。まったく関係ない唄だけれど、その方の顔や場面が次々浮かんできてやばかった。あまりにやばいのでエンドレスで聴いてしまった。この美しくも切なく長いイントロのすばらしさ、繊細に流れてゆく御大の唄声のやさしさ、心の琴線に触れまくる。さすが御大。…とどのつまり、ただの電車の中の酔っぱらいなのだが。

2017. 10. 1

教えていただいたBSプレミアム TOKYOディープ!「マイペースで行こう!国分寺」。おお、明日(10月2日)午後7時だ。”ほんやら洞”の中山ラビさんに篠原ともえ突撃か。御大の話は出るのだろうか。二人でぶっちゃけトーク”吉田拓郎”をしたら超絶面白い番組になると思うのだが。ともかくラビさんとシノラーのサシの2ショット。以前観た吉田類の酒場放浪記の時とはまた違い胸がさわぐ(爆)。ま、みんな広く言えば人類ならぬ”吉田”類ではあるが。なんだそりゃ。

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2017. 10. 2

ラジオでナイト 第27回 2017.10.1
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎でござんす。ニッポン放送内でのアンケート。女性が男性におっさん、おじさんを感じるとき。

20代の女性。 <メールラインで絵文字使う人>
 俺も武部・鳥山へのメールでは、音楽的な話なので、絵文字は入れないが、奥さんにはハートやニッコリをつけたりする。

<「今朝も10キロ走った」「今度東京マラソン出るんだよ」 聴いてもいないのにランニングをアピールする>

30代の女性。  

<コピー機、新しい機器の前でうろたえている人>

 オレも笑えない。電車乗れないだろうな。昔は、横須賀線乗ったけど、今は乗れない

<酔っぱらうと顔を寄せて至近距離に来る人>

40代の女性  <派手な時計とセカンドバックとバブルの抜けない人>
 臭い人はカッコつけてもおじさん。タバコとかポマード臭。

<ランチの後、歯の間につまっている人>
 はさかりがちな野菜。炒めたほうれん草、小松菜、春菊とかがあるね。
・・・「はさかる」っていうのかな。RONIN以来、ノイローゼだよ。

50代の女性  <シャツインする人>。  ベルトにおなかが乗っている人かな。
 クリントイーストウッドはシャツインしているけどいつまでもカッコイイ。

<自分のオヤジキャグで笑っている>  それはオレか。

■タイトル

<気になっていること「ローリング30」の「君の街に行くよ」で「身を粉にして」は、「こな」ではなく「こ」にしてという投書、複数>
 そっとしておけよ。「君の街に行くよ」は松本隆。漢字で「粉」とあるのを「こな」と歌ってあげたの。71歳今日の今日まで気づかなかった。(「君の街に行くよ」該当部分、歌う)
すみません。世の歌手は間違いないのかね。他の人もいると思う。このシリーズが続くのか。

<「我が身可愛く」嘴青く、嘴は黄色いだろという投書>
 いいだろ、オレの生き方は俺の自由だよ。これでは戦いの場だ。いいだろ、嘴青くで。くちばしが黄色い…それぐらい知ってるよ(笑)

<「赤い燈台」は「しれとちょう」は、「しりとちょう」という投書>
 調べると、駅は「しれと」、町は「しりと」らしい。そんなことするなよ(怒)そもそも岡本おさみさんのふりがなで最初に歌った、小柳ルミ子のせい。

M−1  赤い燈台  小柳ルミ子

 毎週メールハガキで元気になれる。御礼申し上げる。深夜放送でやっているけど、
このごろ楽しみになってきた。雰囲気を読んでくれる。

<6つの顔というが、ファンに逢ってしまった時の顔があるという投書>
 オレは、つくり笑顔するからな。<出版社のパーティでファンですと声をかけたら、たぶん「気軽に声かけんな、坊主、今飲んでんだ」と怒られると予想していたら、 敬語でていねいに話してくれ、最後には「ありがとうございます、またライブにお越しください」とまで言われて感激したという投書>
 なにせ僕は昔からお茶をやっていますから。ジェントルマンな顔というのがありました。

<30代のファン「車を降りた瞬間」バリバリ打ち込み嬉しかった。おじさんおばさんの好きなアコースティックとかと違って打ち込みもいい、「約束」とかも好き、フェスに来て歌ってくれという投書>
嬉しかった。日本独自のフォークソングを好きな人々は、打ち込みと聞くだけで拒絶してしまう。ピコピコサウンドを想像するけど違う。今、コンピュータは必須だよ。プロトゥールスの時代。
 昔だったら、歌がアイドルうまくなかったので、8から10チャンネルくらいでツギハギしていた。今はプロトゥールスで、音程はすぐ治せる。長短も調整できる。そう考えると
歌のうまさとかってよくわかんない。
 写真なんかも修整が簡単で信用できない、コンピューターは、音楽とも深い関係。コンピュータだからダメというのは、はあまりに音楽をバカにしている(爆)。「車を降りた瞬間から」は、こういう打ち込みでやった曲で自分でもいいアレンジができた自信作。こういうものもベストテイクとして流してゆきたい。これからもレコーディングやステージでも打ち込みを使っていきたいと思っている。

■今週のベストテイク

 今日のベストテイク。これリズムセクションは打ち込み。ドスンという重低音な感じを希望した。ギタリストの小倉君が、デモどおりやってくれ、ベースも僕がやりますよとやってくれた。ギタリストはベースも弾ける。鳥山もベースはうまい。
 跳ねないレゲエの感じで、小倉君がギターを三重に重ねてくれた。間奏は、違うギタリストがいいかなという感じで、高見澤に頼んだ

 当時T×2ショウというテレビを二人でやっていた。ゲストに女子メダリスト中尾美樹さんが来たとき仲宗根美樹 と言ってしまった (「川は流れる」を歌う)。 
当時ゲストによく出ていた「フォルダー5」。そのメンバーの満島ひかりが大女優になったので、高見澤にメールしたら、「ああ、うらしまひかりですね」と返事が来た(笑)
 この曲の時も闘牛をして骨折して包帯だらけでスタジオに来た。弾いてもらったけど  大したフレーズは弾けない。高見澤は自分でブログレッシブなギターというけど、俺は認めないが・・・幸いにして(笑)高見澤らしくないギターになった。こんなギターなら誰でも弾けるわという感じもするが。エンディングに高見澤らしくトレモロが馬のいななきのように出てくる。ちんぷんかんな人(笑)

M-2 夜が来た  吉田拓郎

これはいいな  ♪ヨールレイホー  ステップを踏みながら次のステージで絶対やろうかな。

■今週のマイ・フェイバリットソング

素朴な疑問  「今週のマイ・フェイバリットソング」は生なのに、「ベストテイク」は生じゃない。どうして違うのか(笑)。

 フォーシーズンズ。大好きだった。Big girl don’t cry 恋はやせがまんは。5週連続ビルボードの大ヒットだった。日本語のタイトルはどうかと思う。
M−3 Big girl don’t cry 恋はやせがまん 
M−4 Walk like a man 恋のハリキリボーイ

クリントイーストウッドの映画「ジャージーボーイズ」には感動した。音楽好きな人はぜひ観てほしい。

 天性の裏声というボーカルのフランキー・バリ のファルセットが時代を引っ張っていたビートルズが出てくる前は、フォーシーズンズで決まりだった。
「ジャージーボーイズ」で描かれたバンドの確執。バンドは必ずごたごたがある。それで多くは解散してしまう。自分のアマチュア時代の経験では、酒と女とパチンコのもめごとが多かった。 どこのパチンコ屋がでるかでもめる(笑)
映画は是非観てほしい

「シェリー」は、日本で九重佑美子が、ダニー池田とニューパラダイスとカバーした。 低音の「Why don’t you come out」 を「さぁ出ておいで」と訳していたのを聴いて倒れた

M−5  シェリー  フォーシーズンズ


■エンディング

お別れの時間ですが、ハワイの企画は続いている
ハワイ旅行へどう持ち上げるか

故郷、無人島、募集。

お相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆RONINの「あがらい」は、「あらがい」「あがない」か、意味がわからなかったから気になったが、あとはいいじゃないか(笑)。
☆でもおかげで「赤い燈台」が聴けたのは嬉しかったなぁ。いい作品だよねぇ。「蛍の河」とともに超絶名曲だ。また小柳ルミ子さんの歌唱がすんばらしい。小柳ルミ子さん、サッカーもいいけれど、この二曲をなんとかしてくれ。

☆可愛がられるおじさんというのは、御大はじめごく少数の選ばれた人々であり、私を含めた大多数のおじさんは、世間から基本的に鬱陶しいものと取り扱われる運命にある。だからこそせめて御大は素敵でいてほしいのだ。

☆「打ち込み」には、自分も拒絶反応が強かった。なので御大に怒られているような気分でラジオを聞いた。すまなかったな。断じて音楽をバカにしてはいないが、常に誤読を繰り返しながらゆくのが自分の歩みである。
 しかし、アルバム「俺が愛した馬鹿」の水が一滴もでない砂漠ような「風になりたい」、アルバム「マッチベター」の「いくつもの夜が」などは、となりの席で小学生がゲームをやっているようなピコピコ音が、どうしてもダメだ。
 ただ、そこが御大の凄いところで「ひまわり」の一部と「176.5」の全部については、打ち込みの進化と熟達が示される。その成果物としての「車を降りた瞬間から」だと思う。ああ何日か前に書いたけど「しのび逢い」も、絶品だよ。

☆同時代やリアルタイムのしがらみのない30代の若者は、そういうふうに「打ち込み」を両手広げて迎え、聴くのか。「車を降りた瞬間から」は、さすがに全世代的名曲だが、「約束」をチョイスするあたりが、とても感慨深かった。若い世代の聴き感じる吉田拓郎というものにも興味が湧いてくる。若者はどんなふうに吉田拓郎を聴き、伝えていくのだろうか。

☆ライブの打ち込みが不可欠なこともわかる。しかし、レコーディングとライブは少し違うのではないかとの思いを拭い去れない。細かなところで打ち込みのアシストがあるのは当然にしても、例えば大切なキーメロが打ち込みというのは、不明な自分にはよくわからないんだよ。キーボードや管のミュージシャンを補員すればいいのではないか。どうしても大切な部分が打ち込みになるなら、ワタシが弾いていますって感じで人工ロボットのペッパーくんあたりをステージに座らせておいてくれ(爆)。

☆同じく「夜が来た」。このヨーデルの意味がわからず個人的にはトホホソングであった。http://tylife.jp/uramado/yorugakita.html
でも、昨日、サラリとヨールレイホーを弾き語ってくれたが、あーら不思議、ちょっとカッコイイじゃん。ライブで思い切り説得してほしい。もし凄く良かったったら、お詫びに、みんなでハイジと爺さんとペーターとロッテンマイヤーさんのコスプレで駆けつけて一緒にステップを踏もう。みんな…って誰だよ。

2017. 10. 3

 30代のファンの方が、打ち込みを評価し「車を降りた瞬間から」「約束」を絶賛したのは胸に響いた。リアルタイムのしがらみなく音楽として聴くとそうなのか。面白い。面白いと同時に、なんとなくポンコツ化しつつある自分を感じるのであった。

 ちょうど最近読んだ本の一節を思い出した。

「カスタマイズには終わりがあってはならないのです。でなければ私たちはカスタマイズに縛られてしまいます、我々は常に更新しています。私もあなたも常にあらたまりつつある。自分が変化してゆく以上、自分が乗る自転車も変化してゆくべきです。変化して更新された自分にあわせて自転車もあらためる。これが正しいカスタマイズです。」
(吉田篤弘「小さな男、静かな声」p.296)

 御大がひとりで語り、ベストテイクや音楽を解題し、さまざまな音楽世界を語る。これは、過去の集大成や思い出とかではなく、永遠に変わりゆくためのカスタマイズではないのかと思った。それは聴いているこちらにとっても同じことだ。

2017. 10. 4

 トム・ペティが亡くなった。まだ66歳だったのか。ボブ・ディランの2回目の来日公演は、トム・ペティとハートブレイカーズがバックだった。
 ディランの初来日公演にはなぜか頑に行かなかった御大。ラジオで小室等さんから「今回も行かないの?」と聞かれた御大は「行くよ!だってトム・ペティと演るんだぜ」とひたすら熱かった。まるでディランよりもトム・ペティを観に行くようだった。
 これが最初で最後の来日だったようだ。ご冥福をお祈りします。できれば、御大にとってのトム・ペティとは何だったのか解題してほしい。

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          "BOB DYLAN ALLE SONGS"より

2017. 10. 5

 ここのところ日々ニュースを観ていると、それこそ”腹を立てたり怒ったり”したくなるが、もはや、自分は若者ではなく、こんな世の中を作り上げてしまった大人の側だ。かといって何かをするワケではなく、やましさやウシロメタさに思い切りさいなまれる。

…しかし、さすが御大、こんな忸怩たる気分にも対応した作品たちも用意してくれている。

 @晩餐   (作詞 岡本おさみ)
 A白い部屋 (作詞 松本隆)
 B憂鬱な夜の殺し方 (作詞 森雪之丞)
 C裏窓   (作詞 石原信一)

 特にABCの「ベッドでニュースを聞かないでシリーズ」>なんだそりゃ…こんな艶っぽい状況は自分には無縁だが、それでも悲しいくらい胸に迫る名曲たちである。
 こんな心象をこんなふうに多彩に歌い上げられるところに御大の魅力の一端があろうというものだ。やはり御大は天才だ。
…こういう結論でいいのか。いいじゃないか清水健太郎。いみふ。

2017. 10. 6

 ノーベル文学賞というと昨年のボブ・ディラン→LIVE2016→御大の「風に吹かれて」というループが回り始める。村上春樹はまたもや残念だったとニュースになるが、ご本人は迷惑だと言っているし「身銭を切って本を読んでくれる良き読者に比べれば賞など何の意味もない」と語る。マスコミは別にして、ただ毎年静かにひたすら待つハルキストと言われる方々を観ると、自分も良き聴き手でいようと殊勝な気持ちになる。

 

2017. 10. 7

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 昔、中山ラビさんがMCで教えてくれた。

「フォークシンガー」という品種の「バラ」(上)と「ロックンロール」という品種の「バラ」(下)があるらしい。

 いかにもという感じの好対称だ。

 フォークかロックかなんて関係なく、御大ご本人は「ハイビスカス」というところがなにかとても象徴的だ。君は薔薇より・・・って、これはイケナイ人の歌だった(爆)

2017. 10. 8

 映画「ジャージーボーイズ」を観た。ついつい、続けて3回観た。御大に手紙を書きたくなった。番組にメールとかいうのでなく御大に…いらないだろうけどさ(爆)。それにしてもクリントイーストウッド、これを作った時は、84歳なんだね。なんでこんなに軽やかな映画が作れるんだろうか。歌って、ゆれて、泣いて、アナと雪の女王みたいだった。それはちょっと違うか。こういう芸術の感性に、歳は関係ないのか、あるいはこれが熟練の技というものなのだろうか。本当に、クリントイーストウッドっていいでしょう。これから年齢を重ねてゆく御大の活動までもが楽しみになってくるような一作だった。

2017. 10. 9

ラジオでナイト 第27回 2017.10.8
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。おうちに、一人でいる生活。奥さんはドラマの仕事で、朝は4時から深夜まで、ドラマ関係者は大変だ。ドラマは観ているのは楽だけど一本作るだけでも大変なことだ。そういうわけで一人の時間が多いので、音楽聞いたり、録りための映画を早送りで、スーザン・サランドンとジュリアン・ムーアは苦手だが、よく出ている。将棋番組も観る。

そういう一人の寂しさもあめわけで、時間のつぶし方のアンケートがある。

 20代女性  「Siri に話しかける」「手あたり次第ライン」
 …ダメだね。
 20男性「youtube投稿動画の案を練る」
 …なーにが
 30代女性「ヨガ・ストレッチしながらビデオ観る」
 …なーにが
 40代女性 「アイドルのDVD等」
 …なーにが
 40代男性  「酒のつまみをつくる」「プラモデル」
 …なーにが
 60代男性「パズル等脳トレ」
 …なーにが
 60女性「犬ペット」
 …なーにが

 他にないのかよ  全体的に、若い人はスマホやネット、年寄りになるとテレビとかかな・・・どうでもいいか。  

■タイトル
 無人島にひとつ持ってゆくもの
<旦那ではない、別れたあの人という投書>
…なーにが

<旦那を持っていく、矢じりになる石を見つけたり、火も起こせる、木も登れて家も作れるし、海で 獲物も採れる、外科の治療もできるという投書>
旦那が必要なんだな。その旦那に逢いたいな。

<通信手段を持っていきたいという投書>
姿勢を正して。

<吉田拓郎さん連れて行きたい中三受験生、 拓郎さんはギターを持ってきてくださいという投書>
 ギターは持っていきません。行く気はないけど楽器は持って行かないよ。「無線機」はわかる。いいなぁ。

<血圧と糖尿の薬で悩んでいるのでどちらにしようか迷っているという投書>
 ふははははははははは (大笑い)
 これは切実だね。おまえは両方もってゆけ。おまえだけはは許すぞ。

 ハワイの企画。
<殺到するので論文選考、「吉田拓郎の多大なる影響」で審査すべきという投書>
 確かに論文はいいな、でも70年代の弾き語りがイイという頑固爺のは読みたくない

<サインと握手とエステという投書>
 実にシンプルな企画。そういうのは、俺じゃなくて、南こうせつでいいんじゃない。

<ハワイでモヒート奢りますという投書>

 モヒートはマイアミだよ。ヘミングウェイで有名  ハワイはチチとマイタイ
チチはココナッツミルクとラム酒…わかんない。

<娘がハワイで挙式 一緒にという投書>
 本当に勝手な奴だな。そうはイカのあし。

 ハワイは、実現に向って着々と進んでいる。前回のハワイ実現しなかった富山も行けるといいですねと言っていた。

M−1 スリープウォーク  サント&ジョニー


■ラジオでナイトクラブ
 方言

<名古屋、「あらすか」…こんなアラスカみたいに寒い場所あらすか‥という投書>
<名古屋、机を移動する…つる  広島…をさげる、香川…かくという投書>
 さっぱりわからない。

<福岡の田川 語尾に「き」をつける、「行ってくるき」 「すき焼きがすきやき」という投書>
昔、田川出身の陽水とパンダ、どっちが都会人か言い争っていて可笑しかった。

「モーリス」…あったなぁ
<長崎 三つの文字  とっとっと という投書>
とっとっと? とっとっと

<秋田 ひともじ「け」「く」「め」という投書>
 食べて「け」、いただきます「く」、おいしい「め」
 寒いのでなるべく口を開けないで会話するのはホントらしい。

■ベストテイク

 ライブ73。 ソニーに移籍した直後のアルバム。それまではエレックにいて、フォークブームの中でギター一本で演奏することが多く、バンドも十分な形ではなかった。
 移籍後、それまでにたまったストレスか一気にライブ73で爆発した。ライブ73は、もはやフォークソングではない。50、60のリズム&ブルースに、ブラスセクションまで配した。一日目は、満足いく出来ではなかった。その夜、瀬尾一三と村岡健と打ち合わせをして修正して、満足なリハーサルもできなかったが、二日はベストなステージが出来た。ライブ盤は殆ど二日目。
 73年だからミュージシャンも芽生えの頃、すさまじく手馴れている時代ではないし、大編成も珍しかった。ドラム田中清司。すばらしい ベース岡沢章、この時代にこんなベースがあったのか。エレキは、高中正義だし、オルガンは、松任谷正隆、ブラスは、村岡健で、ストリングスにコーラスもつけていた。
 この大編成でシャウトして歌う感じ。これのどこがフォークなんだろう。そういう枠に入っていないと思う。

 田中、岡沢、高中は今でも聴くという…ミュージシャンも絶賛するアルバム。 
 73年にこんな演奏ができているのか。
 ブレイクしまくっている、爆発している演奏。

M―2 君が好き   吉田拓郎

 もう爆発してるね。  ドラムとベースのかけあい、アンサンブル。 ミュージシャンのエネルギーが凄い。

 このテープをスタジオに持っていてトラックダウン の時、普通は楽器などの音の上げ下げをするんだけど、「これいじるのやめない」という空気になった。このまんまエネルギーを出そうとしたライブ73でした。


■今週のマイ・フェイバリットソング
 今週は、キャロル・キング。ジェームス・テーラーとイメージだぶる。60年代後半から活躍が目立ちアルバム「つづれおり」で有名なシンガーソングライター。しかし、その前にも名楽曲を他の歌手に提供していた。メロディーが当時の5,60年代の典型的なコード進行 C- Am- G 7。これをひねって転調させるところが好きだった。
 
M−3 One Fine Day  シフォンズ   …好きだったなこの曲
M−4  Go Away Little Girl Steve Lawrence

M−5 ロコモーション   リトル・エヴァ     …伊東ゆかりが歌っていた。

 こんなふうに既にヒット曲を既に作っていた。リトル・エヴァは、キャロルキングのベビーシッターだったらしい。
 ニールセダカは、「おおキャロル」 キャロル・キングと恋仲だったという噂。ニールセダカ (カレンダーガールを歌う)。

M−6  おおキャロル  ニールセダカ

 ビッグスター同志。おおキャロルに呼応して「おおニール」を作ったという噂がある。
 俺が中島みゆき、ユーミンを歌にするとこうなるのか(笑)

M−7 きみのともだち キャロル・キング 


■エンディング
 ハワイで歌わないと言ったら、奥様は「あなた50歳の誕生日で歌ってたわよ」と。
 方言、ふるさと、無人島…募集。

お相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

 キャロル・キングも素晴らしかったが今日はとにかく一点集中。ライブ73である。御大の解説は、いちいちごもっともである。もう超絶すんばらしい。それは、拓郎ファンすべての共通の思いだろう。

 このライブ73は、「フォークじゃないことの証明」なんてことは、もう当ったりめぇよ。そんな小さな意味にとどまらない。ライブ73の威力は、そういうフォークに対する反証の具としではなく、これが音楽世界の最高峰のひとつであることを積極的に証明する証拠として用いるべきだ。
 自分の思いは、以下uramadoの「君が好き」で書いた通りだ。

 http://tylife.jp/uramado/kimigasuki.html

「 名盤「よしただくろうライブ73」に初めて針を落とし、この作品のイントロでビッグバンド全開の一撃を受けた時はびっくらこいたものだ。まるで黒船がいきなり大砲を撃ってきたかのような衝撃だった。フォークじゃないじゃん。吉田拓郎は、かねてから管弦を入れたビッグバンドの演奏で歌うことを夢見ていたという。その夢がかなった総勢約30名に及ぶビッグバンド。そのパワー全開のぶ厚いロックンロール。その激しい演奏とせめぎあうような拓郎のシャウト。 素晴らしい。ああ、もう賞とか勲章と殿堂入りとかなんでもいいから授与しろよ。
 うねるようなギターを弾く高中正義、松任谷正隆は二十歳そこそこ、拓郎も瀬尾一三もそしてこのコンサートを企画・製作したユイの後藤由多加らスタッフもみんな二十代の半ばだった。そんな若者たちが、よくこんな音を実現させ、また残せたものだ。間違いなく音楽の神様が、演奏させ残した音なのだと思う。」

 と私ごときが偉そうに書いているが、このライブ73のライブとアルバムについては、もっともっと熱い思いを持たれ、深い音楽的分析・考察をなされている方々がたくさんいらっしゃる。それほどに、ファンそれぞれの胸の中にあるライブ73の大きさは計り知れないものがあろう。

 これはもはや文化財のレベルである。

 しかし、そういうファンの高い評価をよそに、日本の音楽史で、このアルバムは賞や栄誉や殿堂はおろか、一般的に評価されたり語られたりすることは殆どない。そういうツマラナイ国に私たちは住んでいる。拓郎ファンは、きっと日々とても生きづらいはずだ。>おまえが決めるな。

 よくある「JPOPを作ったアルバム○○」「ニューミュージック名盤ベスト○○」とか夥しい評論本や記事が入れ代わり立ち代わり出ているが、どこにもライブ73は、取り上げられていない。
 そして必ずその手の歴史本、評論には、うやうやしくNo1アルバムとして「はっぴいえんど」が祭り上げられている。「はっぴいえんど」。あんな低体温の寝言みたいな音楽が、日本の音楽革命だなんてほんとかよ。このライブ73を理解せずスルーして、意味がわかんねぇ。
 偉大なミュージシャンで組成されていたから、彼らへの「忖度」で音楽界が動いているだけではないかと私は思う。それはいいから、音楽の神様に懺悔して、このアルバムもをちゃんと刮目して観ろ、いや聴け…か。

 とにかく、レコード化されなかった「ともだち」「子供に」「襟裳岬」「金曜日の朝」など珠玉のアウトテイクを参集させて、このライブのコンプリート盤を是非是非出してほしい。初日もあわせて是非。豪華BOXにして、貴重な未発表写真や関係者の証言を集めたブックレットもつけよう。

 せめてこの偉大なる作品を現代にリマインドさせ、そして後世の人々に投げかけようではないか。年齢にして吉田拓郎27、瀬尾26、松任谷正隆22、高中正義20、田中清司25、岡沢章22、石川鷹彦30、後藤由多加24、恐るべき若造たちの偉業を歴史はきっと見逃さないはずだ。







2017. 10. 10

☆ エルトン永田さんの誕生日だ。おめでとうございます。豊かなる一日の"サマータイムブルース"の間奏を涙ぐんで聴く。何度聴いても、間奏だけで一篇の作品のようにドラマチックだ。

☆ 全然関係ないけれど「ジャージーボーイズ」観てクリストファー・ウォーケンと松重豊って似てるなと思った。心の底からどうでもいいことだが。

2017. 10. 11

  吉野家の牛丼には少年の頃からトテモお世話になってきた。

 ちょっと前に久々に入って「並」と注文したら、「牛丼の並みでよろしいですね」と確認された。なんだそりゃ。「並」といったら「牛丼」に決まっとる。
  しかし、確かに豚丼、牛すき焼き丼、サラシア牛丼・・・豊富な各種定食まである。昔は「牛丼」と「牛皿」しかなかったのに。

 …面白くない。

 例えば「落陽」をリスクエストしたら「吉田拓郎、山田パンダ、竹原ピストル…どれになさいますか?」と聞かれて不愉快にならないファンはいまい。「あ、それとも藤井フミヤの落陽ですか?」などと聞かれた日にゃ、怒らないファンはいまい。あ、それとは話が違うか。いや同じようなもんだ。

 多くのミュージシャンが音楽だけではなく、役者や映画監督や評論家やコメンテーターやタレントにと多彩に活動している。だいたいどれも今ひとつである(爆)※個人の意見です。
 しかし、吉野家は「牛丼ひとすじ」であり、吉田拓郎は「音楽ひとすじ」だからこそ偉大であり美しいのだ。吉野家よ、苦労は多かろうが原点のひとすじに還ってくれ、そして御大よこのまま音楽ひとすじの道をどこまでも行ってくれ。

…なぜ牛丼屋でここまで熱くならにゃならんのかは別にして。

2017. 10. 13

 秋だ。「ミノルホドコウベヲタレルイナホカナ」ツアーを思い出す。「夏と君と冷やしたぬき」というツアーもあった。よく考えているのか、あるいはテキトーなのかよくわからないタイトルたちだが、今になると愛しいものだ。
 最近のように、LIVE2012,2014,2016と年号そのままだと、ライブの内容が想起しにくい。一応、個人的には「エマニエル」「どっちがどうなのよ」「WooBaby」と呼んでいるが、詩情もなにもない。やはりツアータイトルは欲しいな。

2017. 10. 14

 名著「君たちはどう生きるか」が最近、漫画になったらしい。どんな形であれ青少年に是非読んでほしい。「君たちはどう生きるか」⇔「僕達はそうやって生きてきた」…なんかタイトルが呼応していて嬉しい(爆)。「僕達はそうやって生きてきた」年齢になっても、この本には新しい発見と感動がある。

「だからねぇコペル君、肝心なことは、いつまでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。君が何かしみじみと感じたり、心のそこから思ったりしたことを、少しもゴマ化してはいけない。そうして、どういう場合に、どういうことについて、どんな感じを受けたか、それをよく考えてみるのだ。」

 そうやって吉田拓郎を聴く。僕はそうやって生きてゆく。コペル君、君はそう思わないかしら。

2017. 10. 15

 LIVE2016のDVDを観る。いい。いろいろ文句もあったがやっぱりいい。よくできた映画のような構成とかいいところがたくさんあるが、やっばり70歳の吉田拓郎のカッコ良さだ。自然の摂理に逆らうような無理がなく、かといって熟練、熟達というような人為的なものでもなく、あくまで自然に美しい姿と声とオーラ。そういう70歳を目の前に得た私たちの幸せ。

 どうしたってライブの会場の空気というかにおいを思い出す。古館のいうピンク映画館のにおいなどでは断じてない、もっと聖なるものだ。ラグビー選手がラグビー場の土や芝のかおりを思うようなそういうものだ。一年か。ああ、そろそろ待ち遠しいレベルが上がってきた。

2017. 10. 16

ラジオでナイト 第29回 2017.10.15
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

吉田拓郎です。

<奥様のロケで忙しいのなら、ロケに同行してはどうかという投書>
 「拓郎、一緒に来ればいいのに」といわれるが、小泉今日子とか管野美穂とかいるところで恥ずかしい。ロケ弁も悲しいらしい。ドラマは観ているのはいいけれど、撮影の現場で作る方は厳しい。早朝から深夜までが連日で辛い。映画RONINの撮影でわかったけれども、現場も不潔だったり、大変なんだよ。ロケ弁もえてして美味しいわけではない。
 これから冬になって手料理が恋しい。我が家では、義母の教育のおかけで家庭的な料理が多い。炊き込みごはん、肉じゃがとか。その中で、手羽大根が好きだ。でもしばらくは無理みたいだ。手羽大根を食べたいよ。

<ひとりの過ごし方 自分で募集しといて勝手にしろよとはひどいけど、慣れっこですという投書>
 確かに自分で募集としいて「何言ってんだよ」という(笑)

<つま恋2006のMC「若者どもは夢のあと」「つわものども」ではないかという投書>
本当にバカヤロー(笑)
<人生を語らず〜遅すぎることはない 早すぎる冬よりもの意味がわからない、という投書>
 (歌う)どうしてよ。こんなことがわかんないで。遅すぎることはないんだよ、早すぎる冬よりも。

<川の流れの如く「みずもに浮かぶ」は「みなも」ではないかという投書>
 起立礼…歌っている。「みずも」でいいの。そういう作家もいるし。でも確かに「みなも」かな(笑)。

<間違い探しが多いが…気にしちゃダメ。アーティストは自由という投書>
 気にしてないよ。いろんなことがあるけど。もう終わったことだしさ。確かに、俺の場合、多いよね。陽水も「極彩色(ごくさいしき)」を「ごくさいしょく」と歌っているものがあるらしい。

 いろいろあるけど、たかが歌じゃねぇか。

■タイトル
 AI で強い将棋囲碁のソフトがある。リスナーにロボットがあったら何をし欲しいか聞いてみた。

 10代 着物の着付け…着物はいいね。色めく。僕がしてあげる
   おばあちゃんになったら白髪染めしてほしい。
 20代  トレーナー…なーに(笑)
 30代  食器洗い・洗濯…おれもそう。今はわかる。
 40代  好きな音楽
 60代  小さい字を読んでほしい…10代と随分違う。

 20代男性   会社で怒られているので慰めてほしい…情けないな、しっかりしろよ。
 30代男性  風呂面倒…ちよっとだけわかる。今、奥さん忙しく。一人でネイルには行けないづら。
 40代    ロボットは怖い…「ウエストワールド」というユルプリンナー主演のロボットに襲われる映画があった。
 50代  ロト6の予想…競馬とか予想できないのかな

 最近、トム・ペティが亡くなった。トム・ペティ&ハートブレイカーズはボブ・ディランのバックで演奏したことがある。このトム・ペティ&ハートブレイカーズとザ・バンドは世界最強だと思う。
 来日した時も、ボブ・ディランというよりハート・ブレイカーズを観たかった。シンプルだけれど、いい演奏だった。エイトビートでリッケンバッカーに対応していた。

 その後、ジョージ・ハリスン、ジェフ・リン、ロイ・オービソンらと共にトラヴェリング・ウィルベリーズというグループで素敵なアルバムを何枚か出した。

 ご冥福をお祈りします

M−1 I Won't Back Down  トム・ペティ  



無人島
<ウォシュレットを持ってゆくという投書>
 無人島なんだから電源ないだろ。

<筆記用具、経験を残しておきたいという投書>
 お薬はいらないんでしょうか。糖尿の薬か血圧の薬かの話。かかりつけの医者にラジオを聴いてもらったら先生も笑ったらしい。無人島で、まさか薬に発想が行くというのが、凄い。

■ベストテイク・レコーディング
 僕がある時期青春の一ページを原宿で過ごした。ユイもあったし、そこで青春を送った。
でも、ある時から、そういう日常から引きたくなってきた。嫌気がさしてきたというか、仲間とズレてきた。原宿と別れようという思いで「ペニーレインへは行かない」を作った。原宿との青春に訣別の歌だ。ニューミュージックの連中が集まっても最初は良かったが、熱気がありすぎ、蒸し暑さ、暑苦しい。
 一人のミュージシャンとしてシンプルに生きてゆくのがいい、こういう熱気の中にいるのがいいとは思えない。熱気とはおさらばという気持ちで詞を書いた。  

 この曲のバックは不良バンド。中西康晴、エルトン永田、青山徹、島村英二。中西が、シンセサイザーを巧みに操っていて、打ち込みではない島村のシンセドラムが、世界観を作っている。青山がギターを効果音としてディストーションをきかせて歌詞と実にマッチしている。 
 そして間奏のジェイク・コンセプションの素晴らしいサックスソロ。彼はフィリピン出身で幅広く活躍していた。当時はジェイクが席捲していて聴かない日はなかった。中島みゆき、ユーミン、松田聖子、みんな彼を使っていた。最近は間奏になぜサックスを使わないんだろう。ジェイクは、80代と思うが元気でいてほしい。
 コードだけで「まかしといて」とプレイしてくれた。矢沢永吉の影響ですぐ「ビッグだね」というのが口癖だった。  

M−2 ペニーレインへは行かない  吉田拓郎


■今週のマイ・フェイバリットソング
 
 「今週のマイ・フェイバリットソング」が録音になっているけど、生で言わなくてよくなった。ホッとした。

 トム・ペティの話をしたけれど、ザ・バンド。好きだったね。松任谷正隆とよくレコーディングで「バンドいいよね」と話していた。僕がディラン、松任谷がバンドを意識していた。レコーディングにしてもアレンジにしても、バンドには憧れていた。

M−3   アイシャルビーーリリースト   ザ・バンド
 大好きだけど…シブイね。   

 1974年にザ・バンドをバックにコンサートをするという話が盛り上がった。事務所の社長がカナダに飛んで交渉したら、のってきた。夜中に社長から「もうすぐ決まる。5,6,7本のツアー。曲作れよ。」と電話で言われて興奮した。「曲も作るし、演奏したい曲もある」。しかし、その後の電話で「拓郎…ポシャっちゃったよ」。泣いた。「どうしたんだよ」「ディランがツアーをする」と言い始めた。ロビー・ロバートソンーが「ディランのオファーを断れない」ということでボシャッっちゃった。

 もし演っていたら、どうなってたんだろう。

 それでディラン&ザ・バンドの全米ツアーを観に行った。ミュージカルステーションの金子社長さんやソニーや事務所の連中とロスに観に行った。行きの飛行機で金子社長が、「家内のおにぎり食え」(笑)。あの頃は、エコノミーだったかな、窮屈で長い時間かけてロスまで行った記憶がある。

 ロスL.Aフォーラム。そこの熱気が凄かった。ディランは、直前に自動車事故でコンサートを休んでいた、実に久々のコンサートだったので、異様な盛り上がりだった。みんなで横に並んで観たが、ここでおにぎり出さないでよ、さすがにここで出したら怒るよ(笑)

 凄いコンサートだった。ザ・バンドはディランを囲むようにいる。ディランが端にいて、バンドが真ん中。それがカッコイイ。
 帰ってツアーでマネした。「愛奴」…でも愛奴とバンドは違う(笑)ドラムが浜田省吾だもんね。

 ロビー・ロバートソンがディランのギターをチューニングしにくるんだよ。ディランはチューニングできないのかな、 泉谷みたいだな(笑)

 すべてがもう夢のようで。

 あまりに素晴らしく、俺にはもったいない、早すぎたかなとも思った。

 ディランのバンドで、ザ・バンドとトム・ペティ&ハートブレイカーズ、これは良かったけど、その他のバックバンドには納得していない。映画「イージーライダー」に使われた曲。

M−4  ザ・ウエイト     ザ・バンド


■エンディング

 お相手は吉田拓郎でした。
 ハワイ。持ち上げるのが無理なら、持ち下げるのでもいい
方言 故郷 広島でも始まったらしいな。いいたいことはたくさんある。広島市民球場。王さんのホームランで立ち上がったら叩かれた。広島は怖いところだな。

 さて来週は選挙でお休み。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆最初に言っておきたい。「国難」で解散・総選挙するそうだが、おかげで来週はラジオが飛ぶ、こっちは「拓難」である。

☆「字が違う」「読み方が違う」のコーナーは確かにもういい。御大のMCなんて、もともといい加減なんだし(笑)
 ただ、意味があるとすれば、普段は話題にも意識にも上らない「川の流れの如く」なんて曲を御大にリマインドさせるという効果は大きいかもしれない。
 「みずも」でなく「みなも」だから♪今は黙って水面(みなも)に浮かべ…という「流れる」まで記憶換気してくれればいいのに。確かに、たかが唄だ。「RONIN」も「川の流れのごとく」も「君の街に行くよ」も次のライブで唄ってしまえばいいことだ(爆)。ワーオ。
☆トム・ペティを悼む御大。図らずも、何日か前のadayで知りたかった、トム・ペティの解題を伺う事ができた。ボブ・ディランのバックとして、「ザ・バンド」と「トム・ペティ&ハートブレイカーズ」は、双璧・世界最強と言う言葉が聴けたことが嬉しい。

☆ 「ザ・バンド」との幻の競演。いつも思うのは、「後藤由多加」って凄いよな。だって、28歳くらいの若造が、アメリカ行って「ザ・バンド」と契約交渉して成立寸前まで行くんですぜ。なんという度胸と才覚と情熱。みんなもっともっと誉めよ、讃えよ。

☆ そして思うのは、御大のみならず残念だったなという無念の思いだ。本当に実現していたらどうなっていたんだろう。時期的にたぶん「ペニーレインでバーボン」「人生を語らず」「暮らし」「僕の唄はサヨナラだけ」とかをバンドと演奏することになったのだろうか。夢想は尽きない。

☆Shangri-laや「あの娘を待っている街角」の時の御大の喜びは、そういう歴史と文脈のうえにあることを考えないとわからない。いや、意識してもしょせん御大の気持ちなのでわからないが(爆)

☆ ただ、私は、それをとおりこして、今も「ザ・バンド」と「トム・ペティ&ハートブレイカーズ」という二大バンドへの超絶熱い気持ちをここまで語る御大がもうたまらなく大好きである。トム・ペティやバンドが何者かに関係なく、ここまで力強いオーラを聞き手に向って送りながら語る御大にしびれるのだ。

☆ 同じバンドへの敬愛で語られた「ペニーレインへは行かない」。私は間違いなく蒸し暑いファンの一人だ。あの時、御大に置いていかれた側である。御大はもちろん誰も私のことなんか知らないが(笑)。そういう鬱屈した思いがあって、この曲を音楽的にきちんと聴き込んでいなかった気がする。

☆  なので、この解題は嬉しい。そうか不良バンドの本領発揮か。何回も聴き直してしまった。特に、ジェイクの間奏のすばらしさ…御意。 「ローリング30」や79年のツアーはジェイクのサックスと不即不離の関係にある。

 「英雄」の扇情的なすんばらしいサックス、そして暗い海のような情景を湛えた切ない「冷たい雨が降っている」の間奏、砲撃・爆発のようなライブの「されど私の人生は」、 そして、今でも聴くたびに泣きそうになるのは79年ライブの「もうすぐ帰るよ」のリリカルで歌うような間奏。もうたまらん。 
 そして、79年から10年以上の歳月を経て、流れてきた「しのび逢い」の繊細な前奏。

 最近お姿を見たのは、もう随分前だ。ベーシストいかりや長介さんと競演するCMだった。あれも超絶カッコ良かったな。 ジェイクさん、いつまでもお元気でいてくださいと私も言いたい。

2017. 10. 17

 幻の”吉田拓郎&ザ・バンド”の会場は、東京・府中競馬場が予定されていた。

 いつも中央道を走りながら、あのあたりに近づくと、多くの人はウキウキとして♪中央フリーウェイ〜右に見える競馬場、左はビール工場〜を口ずさむ。ユーミンのようなシャレた気分になるらしい。 ウチの家人がそうである。
 しかし、私は、右に見える競馬場を観ると、ああ、拓郎&ザ・バンドがここで演るはずだったのにと残念な思いがこみあげ、左のサントリーのビール工場を観ては、プレミアム・モルツのプレミアムおやじがいつの間にか矢沢永吉に替わっていた無念さに心が砕けそうになる。

 私はそういうツマラナイ国に住んでいる。「そんなことばっか言っているオマエが一番ツマラナイ」という声が聴こえたが…空耳だろう。

 はっ、今日は「監獄のお姫様」だ。サッポロ★ドライを痛飲しながら観よう。もう売ってねぇよ。

2017. 10. 18

 「監獄のお姫さま」。こうしてみるとあらためて豪華な女優陣だ。まるで”日本を救え!のスーパーバンド”みたいだ。あまりにもスーパーなので超個人的には、松岡茉優、ついでにこっちにも出てくれまいか。しかし、クライム・ミステリーでもあるのか、読めぬ。初めからクライマックス。ライブで言うといきなりオープニングで”人生を語らず”と”落陽”を演ってしまう構成と似ている。なんだそりゃ。とにかく、クドカン…大丈夫か…たのむぞ、小ネタ散りばめた面白いドラマに転がして、日本を救ってくれ。

 「監獄のお姫さま(プリズン・プリンセス→プリプリというらしい)」
<プリプリ第1回思いつきと感想メモ>
☆「メンタルと生き様だけが女優で演技は素人なの」
  いかにも劇団だからこそ出てくる名セリフに笑った。
☆ 姉御の和服姿。たおやかさと貫禄と美しさ。
☆ キョンキョンなのに「カヨさん」
☆ 満島絶好調の予感
☆ 吉田拓郎関係の小ネタを散りばめておくれ。

2017. 10. 19

「ラジオでナイト」のエンディングは、フォー・トップスの”Same old song”だと御大に教えて貰うまで知らなかった。恥ずかしいが、私にはどうしても石野真子の「日曜日はストレンジャー」のイントロに聴こえてしまう。
 石野真子といえば、もち「狼なんか怖くない」だが、筒美京平作曲の「日曜日はストレンジャー」と「プリティ・プリティ」あたりも心弾む名曲だ。
 また御大が真子ちゃんのデビューアルバムに書いた曲で、御大が”♪タンタンターン”と歌っているメロ先のデモテープも忘れじで、御大曰く”鼻血も出たわよの歌”=「ジーパン三銃士」、これもまた名曲。
 青春のアイドル石野真子なのだが、それは、吉田拓郎と筒美京平がとっておきの技を繰り出し合うプロレスのリングみたいたなものでもあった。御大もデビュー前の真子ちゃんを観て女子プロレスに行けばいいのにと思ったらしいし(笑)。

2017. 10. 20

♪秋でもないのにの本田路津子さんのCD-BOXが発売、どうしてこんなに悲しいんだろう、結婚しようよ、のカバーが収録されている…と教えていただいた。

 本田路津子といえば、デビュー直後の御大と一緒にNHKのオーディションを受けた仲だ。御大のカバーも聴きたいが、やはり本田路津子といえば“耳をすましてごらん”だ。そう思ってYoutubeで聴きなおしてみたら、あまりのすばらしさに泣きそうになった。こりゃあ、御大、NHK落ちるわ(爆)。
 ドラマ「藍より青く」も懐かしい。藍より青く…藍よりも青いサマルカンドブルー…って色まで変えて言うことか。大和田伸也、ハンサムだなぁと子ども心に思ったものだ。それにしても長男は伸也なのに弟はバクでいいのか、大和田家。大きなお世話か。

 また本田路津子さんは、当時、NHK少年ドラマの「わんぱく天使」のテーマも歌っていた。当時小学生に人気だった”がんばれヘンリーくん”が原作で大好きなドラマだったが、本田さんの主題歌が妙に切なくて侘しくて、子どもながら、明るいドラマに全然マッチしていないんじゃないかと思ったものだ。

…そう考えると、本田さん、”結婚しようよ” はどんなふうに歌ったんだろうか。

 

2017. 10. 21

 いつも「ザ・バンド」と「愛奴」の落差をネタにする御大だが…

 ディランのドキュメンタリー"ノーディレクションホーム"によると、そもそも「ザ・バンド」がディランのバックに選ばれたのは、当時、観客の「帰れコール」がエスカレートして危険だったので、ボディガードになるような屈強なミュージシャンが必要だったからだそうだ。

 また浜田省吾によれば、拓郎と愛奴のツアー中、鹿児島での打ち上げの飲み屋で、御大が怖いお兄さんたちと喧嘩になった時、御大を守るため愛奴全員で突撃して乱闘になり全員放り投げられたそうだ(爆)

 この二つのバンドは、ともに熱いスピリットと崇高な使命において共通している…というのが私の見解だ(爆)

2017. 10. 22

 ライブ73の"君去りし後"の間奏の岡沢章と田中清司の見事な掛け合いを、翌年の愛奴では、高橋信彦と浜田省吾で演ったため激しいレベルダウンが自分でも辛かったと、浜省自身が述懐している(爆)

 でも「愛奴」の演奏が良くなかったとは思わない。74年のツアーのオープニングの「おろかなるひとり言」なんて、これ以上はない傑作だ。オンステージともだちの弾き語りとのコントラストが快感だ。フォークがいきなりロックになってフルスロットルで疾走を始めるような、東探偵がエイトマンになって新幹線より速く走り出すような、クラークケントが電話BOXからスーパーマンになって飛び立つような…あ、例えがよくわかんねーよ。わかんないけど傑作。
 幸運にもミュージックフェアの映像が残っている。現場のライブはもっと凄かったとのことだ。

 弾き語りでしか聴いたことのない弾き語りの定番曲を、片っ端からロック、ブルース、R&Bで演っちゃうようなライブも観てみたいもんだ。

2017. 10. 23

 自分の居住地は台風は通過したが超絶増水しているし、何よりこれから直撃する皆様のご無事をお祈りします。

 さて、自分が圧倒的少数派であることをいやがおうでも確認させられた一夜だった。
 御大がどういうお考え、お立場かとは全く関係なく、昔のエッセイ「俺だけダルセーニョ」の”もっと愛の中へ”を読み直し勝手に心にしみて、勝手に得心した。
 そこには御大の、少数派には小数派の責任があり、少数派であることに酔ってはいけないとの忠言が記され、「少数派よ、頑張れ、生き抜け、そして魅力的であれ」と優しく結んである。まるでコペル君のおじさんからの手紙のようだ。最近、なんとなく気分はゆるやかに隠居に向っていたが、ダメだ。…ちゃんと望みを捨てずにきちんと仕事をしよう、生きてゆこうと思うのだが。

2017. 10. 24

 次回のベストテイクは、"ガンバラナイけどいいでしょう"とな。
 予習…いや復習か…まぁいいや、聴いてみた。泣けた。昨日の今日で聴くとすんごい泣けた。もともとこの歌への個人の勝手な思い入れはあったけれども、http://tylife.jp/uramado/ganbaranaikedo.html 今はまたもっと違う歌になりつつある気がする。御大自身の真実の解題が楽しみである。

 エルトン永田さんのプロフィールでは、代表曲がこの"ガンバラナイけどいいでしょう"になっている。数多くの御大の名曲に参加しながらのこのチョイス。私が、彼を巨匠と尊崇する理由のひとつだ。

2017. 10. 25

<プリプリ第2回思いつきと感想メモ>
☆まるで今回から幕が上がったように面白くなった
☆自立と更生、ハイセンス、ライセンス、インテリジェンス…ジェンスじゃねぇか、
朝昼夕ごはんの歌、罪モン…姉御のケツのミルフィーユ…小ネタと設定がもうたまらない
☆どこかに拓郎の小ネタが出ますように
☆勝手な思い込みだが、姉御は、映画「サード」の不良女子高生が、歳月を経てこうなったという続編だと思うことにする。ブレードランナーかよっ。いみふ。
☆ サードといえば、昔、「森下愛子とイチャイチャする役ばっかりなので永島敏行は大嫌いだ」とラジオで叫んでいた御大を思い出す(笑)。

2017. 10. 26

☆ 遠藤賢司さん逝く。たまたま今夜は音楽のある場所にいたこともあって、いろんな方がいろんなカタチで悼み泣いているのを肌で感じた。エンケンさんを愛し応援していた方々のはるか後方からではあるが、私も祈らせてください。

 1975年にフォーライフが設立した時、「そんなにいいレコード会社が出来たなら僕も入りたい」と名乗りを挙げた遠藤賢司が移籍するという雑誌の記事を読んだ記憶がある。ただの噂か今でいうフェイク記事だったのかもしれない。それでもフォーライフ第一弾のレコード「ライブ泉谷」の☆印のジャケットのデザインが遠藤賢司だったので、あながち全くの嘘ではないかもしれない。幻の五人目のフォーライフだったのかも。でももういい、何人目でもなく、遠藤賢司は最初で最後の人だ。

 ご冥福をお祈りします。


☆「監獄のお姫さま」にあやかって、監獄の歌はないかと考えていたら、そうだ、浜田省吾の「あい色の手紙」があった。もったいなくもバナナの冷凍の巨匠のピアノで歌わせていただいた。なんだそりゃ、書いてる私にも意味がわからない。
 しかし、こんなにも切なく美しい「塀」の唄を私は知らない。いろんな思いが交錯して今夜は一段と巨匠のピアノが胸にしみた。

2017. 10. 27

 今さらだが、加川良も高田渡もかまやつさんもエンケンももういないんだ…と思うとあらためて慄然とする。なんてこったい。小室等さん、是非お元気でいてほしい。…って、お元気だ。「プロテストソング2」を発表するらしい。アルバム「プロテストソング」というと23区東京旅行→目黒区民センター→君と会ってからというもの僕は→ストレート長髪の御大→ローリング30→と当時の走馬灯が走る。ライブ初演の「外は白い雪の夜」、カッチョよかったんだぜ。

 小室さんの「プロテストソング」の「おまえが死んだ後で」というシングルカット曲。こういう時いつもうかぶ。

  おまえが死んだ後で 青空はいっそう青くなり
            人々は電車を乗り降りし
            ようやく僕はおまえに嘘をつかない
 
 悲しい歌だが、最後小室さんは鼓舞するようにしっかりと歌ってくれる

            遺された悔しさの中で
            僕らは生き続けぇ ひとりぼっちだぁぁぁぁぁぁぁ

2017. 10. 28

 昨日書いた小室さんのシングル「おまえが死んだあとで」は、A面が45回転でB面が33回転だった。B面の「汽車と川」が長尺だったからだ。表と裏で回転数が違うレコードはこれ以外知らない。いいよなぁ、フォーライフ。

 33回転シングル盤といえば、アルバム「TAKURO TOUR 1979」に入っていた「人間なんて」のシングルも大変だった。20分以上の長尺の「人間なんて」がAB面で続けて入ってる。つまり全曲聴くためには途中でひっくり返さなくちゃならない。しかし、狂熱の「人間なんて」だ。その途中で、ひっくり返すってどうなのよ。無粋なことこのうえない。愛の告白の途中でトイレに行くぐらい無粋な作業ってなもんだ。
 もちろんフェイドアウト・フェイドインのAB面をテクニカルに繋げて編集したテープを作るとか、もう一本ミュージック・カセット盤を買うとか、技術力や財力を駆使した対処方法があったのだろうが、まず当時の大田区の蒲田あたりでは、そんな技術も経済力もありゃしない。結局、脳内で「人間なんて」をガンガン鳴らしながら息を止めて素早くAB面をひっくり返すしかなかった。また、そういうときほど手が滑るし、針を飛ばしてしまう。ああ、人間なんて。

 大人になってCD版の「COMPLETE TAKURO TOUR 1979」が発売になった時、どれだけ私が感激したことか、やはり長生きはするもんだ。

2017. 10. 29

☆阿久悠の未発表の詞に御大が曲をつけたニュースに驚く。作詞家亡き後もこうして新曲は生まれるんだなぁ。それだけで感動する。
 御大が最近ラジオで語っていた通り、阿久悠さんの詞は、原稿用紙に自筆で記され印影が押され、まるで念書…じゃなくて、それ自体が書画の作品のようだ。
 林部智史さんの歌は、御大が絶賛するのだから素晴らしいに違いない。しかしどれほど青年の歌が比類なく素晴しかろうと、それとは別に、この原稿用紙に刻まれた言葉は、是非、御大にも歌ってほしい。御大の歌声と御大のオーラで、この言葉を歌い上げ、この原稿用紙の行間を埋めてほしいのだ。

☆宮崎駿の新作映画のタイトルが「君たちはどう生きるか」というニュースにも驚いた。宮崎駿、このサイトを読んでるんだな>読んでねぇよ
 だったら、言っておきたい。主題歌は、吉田拓郎。ピアノは、”崖の上のポニョ”に続いてエルトン永田が必須だ。よろしく頼む。>だから読んでねぇよ

 だからコペル君、どの曲が主題歌にいいか、君自身の耳と心で、彼のすべての作品をていねいに聴き直してみたまえ。

2017. 10. 30

ラジオでナイト 第30回 2017.10.29
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

吉田拓郎です。新企画。
〈埼玉県に引っ越して来ないか、海が無くて最高です、ハワイよりいいですという投書>
吉田拓郎引っ越し企画。こいつはやけくそじゃないか。

 大宮でよくコンサートする。大宮なのに前乗りして駅の中のターミナルホテルに泊まっていた。前日は近辺でむ。ゆうというマネージャーと宇田川と背広来てバーに入って、お店の子に「東京で車のセールスしてる」と偽って「カローラ?トヨタで働いているんだぜ」と嘘ついて盛り上がったことがある。だから大宮は好きだけど引っ越しとなると二の足を踏む。

<声にハリが出てきたという投書>
 若返ってるかね。最初は年相応だったけど喋っているうちにバカになっちゃった。2、30代に戻っちゃってさ。なれなれしいよな。自分で聴いてても自分の笑い声で笑っちゃう。

<故郷自慢、長野はぶどうの名産地という投書>
 そういう、知ってるぞというわけではないけれど、ワインは、昔、日本のは甘かった。フランスやカリフォルニアには勝てなかった。しかし、最近は美味なものが増えている。
ぶどう 赤だとカベルネ・ソーヴィニヨン  メルロー
白だと  ソーヴィニヨン・ブラン

 これでトマト味のパスタを食べたいけど、12月まで作ってもらえないのよ。
イタリアン一緒に行く人がいないし。つまんねーな。

■タイトル

 なくて七癖、ルーティーンについて、ニッポン放送で働く人のアンケート。
 20代  上司の癖、かわいい子にはちゃんづけ  そうでもない子は苗字で呼ぶ。
…胸が痛むな。俺も傾向としてあるかもな

 仕事の時「さぁ」と腕まくりする40代の女性。
…昔、夫婦喧嘩をして、ソファーに座ってたらカミさんが「なんなのよ」と腕まくりした時は殺されると思った。死を覚悟した。それ以来頭が上がらない。

 60代の女性でマッサージの時、イケメンを指名してしまう…俺だってネイルサロンではそう。美容院は、お客さんが帰ってからやってもらうが、女の子が帰ってしまって、男の美容師に頭とか洗われると気持ちよくないもん。

 50代男性のついつい妻にご機嫌とる・・・年代関係ないよね。しようがない。

 ドラマの主題歌が安室奈美恵。いろいろタイムリーだ。
 このドラマが面白いんだ。クドカンワールドでマニアにはたまらない。

M−1  ショータイム  安室奈美恵

 このドラマの主人公で小泉今日子さんの役名が「馬場カヨ」。うちのカミさんは「吉田カヨ」なんだよ。

■CMはさんで

<ハワイ・マウイマラソンに行くという投書>
 マラソン…ハワイまで行って風光明媚な場所でわざわざ走りたいというのがよくわからない。ハワイは、のんびりして心を解き放って、そういう場所で、走る気持ちがわからない。かかりつけ医はマラソン狂で全国に行く。新幹線にまで乗って走りに行くようなマラソンマンの気持ちがわからない。

<ハワイで胴上げしようという投書>
 昔、ファンとハワイツアーに行ったとき、代理店の小野さんが、ホノルルで胴上げされていた、それぐらいみんな感動していたんだよ。吉田拓郎とハワイ行くとロクなことないと思っているかもしれないけど、吉田拓郎といくと感動がまっているわけさね。料理から手配したり、いろんなことをやってくれるわけさね。ないがしろにしないで、ちゃんと企画を書けよね。俺のコンサートの完成度をみならえ。

<おれはこれだけ拓郎が好きだという弁論大会をハワイで開催という投書>
 熱いだろうな。想像するだけでやめたい。それは相当むしあつい。ここはハワイかという気分。絶対やってはならない企画だな。

<なんだかんだいわず行こう、定員200人、ハレクラニビジネスツアーとヒルトンエコノミーツアーを設置しツアー料金から5万円から抜いて200人分1000万円夫妻に差し上げるという投書>
いい企画だね、という思いと、そこまではできないという思いがある、…が企画として面白いなぁ。

■ベストテイク・レコーディング

 今週は、アルバム「午前中に…」。いろんなドラマーと付き合っているが、スケジュールの都合で最近は会わない村石雅之が好きだ。「こんにちは」ではたくさんやってもらった。
ドラミングをリズムを刻むのではなく、ソロみたいな感じでやってくれと注文した。自由でフリーなドラムでやっている。大好きな曲で今も夜寝る前に聴いている。自分への応援歌だと思っている。

 かつて体調を崩していた気があった。どうしても物事を前向きに考えられない。理由もなく前向きになれないそんな状態が続いていた。
かかりつけの医師に「どうしたらいいんだろう」と憂鬱な状態を訴えた。
 医師が「無理してがんばっていないか、尻に鞭を打ってないか」と聞かれた。その頃は何かしなくてはいけないと思って、スポーツ観戦とか魚釣りしてみようか考えていた。
「だめだよ。魚釣り好きでもないのなら。興味のないことを無理にしようとしちゃダメ。 それだと、今の病もひどくなる」というアドバイスが今でも忘れられない。
 目からウロコだった。自分の得意なこととは家でゴロゴロすること。何かしないことを悪いことと思わない、それが自然なんだと思うことにした。
 そこから元気になった。無理に挑戦して無理に成し遂げようとは思わなくなった。

 その医師は亡くなって息子さんに診てもらっているが、名医だった。奥さんも心ふさいだ病に苦しんだ時、このお医者さんから東京へ引っ越したらどうだいとアドバイスがあった。

 7年間、逗子で暮らしてきたが「君たちに逗子の暮らしはあっていないんじゃないか」と言われた。家も建てて、そこで終生暮らすつもりだった。そうすれば妻は良くなるだろうかと先生に問うと「賭けだけど僕は治ると信じてる」と言われた。
 厳しい決断だった。妻と妻の母に話して、もう一度東京に戻った。すると妻の病気が快方に向った。

 心を病むときがある。人間は頑張れないときがある。そういうことは許されるんだという気持ちを歌にしてみた。

M−2 ガンバラナイけどいいでしょう  吉田拓郎 

■今週のマイ・フェイバリットソング

 今週は、趣向を変えて日本に伝わる御三家を紐解いてみたい。

 僕と陽水、ユーミンと中島みゆき…は三人ではないけれど、日本の芸能界には御三家がある。

 御三家の元祖は、徳川御三家。尾張・紀州・水戸。

 音楽では、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦
この辺りは、俺の青春だ。

M−3 潮来笠   橋幸夫
M−4  高校三年生   舟木一夫
M−5 いつでもいつでも君だけを  西郷輝彦

 知ってるかな。

 新御三家は、西城秀樹、野口五郎、郷ひろみ。
デビューがほぼ同期。みんな17歳くらいなのに、吉田拓郎だけ23歳。ずっと年上で恥ずかしかった。すんげー傷ついていたんだよ。デビュー遅かったんだな。
M−6 情熱の嵐  西城秀樹
M−7  君は美しすぎて  野口五郎
M−8 男の子 女の子  郷ひろみ

 中三トリオ。これは男達は、みんな誰が好きだったかとかあるだろうね。
オレは桜田淳子だったかな。そういえば、桜田淳子には曲書かなかったな。

M−9 私の青い鳥   桜田淳子
M−10 せんせい    森昌子
M−11 ひと夏の経験  山口百恵

三人でまとめた方が売りやすいのか。そういうシステム傾向はなんなんだろう。

スパーク三人娘というのがあった。これは、ナベプロかな。 中尾ミエ、伊東ゆかり、園マリの三人。
そして新三人娘、天地真理、南沙織、小柳ルミ子。 
つい最近のことのような気がするのはオレだけか
M−12  恋する夏の日  天地真理
M−13  17歳  南沙織
M−14  瀬戸の花嫁  小柳ルミ子

 南沙織が、好きだったが、彼女からは作曲依頼が当時は来なかったな。小柳、天地からは依頼が来たが。    

 元祖三人娘というのがあった、雪村いずみ、江利チエミ、美空ひばり。
この辺は自分でも怪しい。
 演歌三羽烏というのもあった。

M-15 お富さん  春日八郎
M-16  王将  村田英雄
M-17  哀愁列車  三橋美智也

みなさん何曲ご存じでしょうか

■エンディング
ハワイ旅行で持ち上げる企画募集
お相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆一週間空いただけなのに、妙に懐かしい。もう30回。私たちの大切なルーティーンが戻って来たよ。

☆ハワイ再加熱か。いよいよ企画が具体化しつつあるのだろうか。
 旅行代理店エンターテイメント・ワールドの小野さん。懐かしい。確かに胴上げしたいくらいの人だった。ワガママな御大とこれまた思い詰めた私らファンの間に入って、あれこれと気を配ってくださり、並々ならぬお世話になった。
 現地で、急遽、茶話会「田家秀樹さんを囲んで」(爆)を設けてくださったり、帰ってからも旅行のアルバムについて気を配ってくださったり、ファンの想い出作りのために陰ながら奔走してくださった。彼の新宿のお店にも行ったなぁ。あらためて感謝とご冥福を祈ります。 そして、ついでに厚かましいけれど天国から、拓郎とファンをまた素敵なハワイにお導きください。

☆「ガンバラナイけどいいでしょう」は聴くたびに新鮮な涼風が吹いてくるようでどんどん好きになる。なんと繊細で優しくてチカラ強い唄なのだろうか。最初の印象とは随分違ってしまった。
 この作品の出自ともいうべき主治医の先生のお話は、私とても忘れられない。いまさらながら、何かをしなくてはならないと焦慮していたという御大の苦悶をの深さ思う。
 そう思うと、こういうサイトまで作って、あーだ、こーだと文句や要望を言うファンというのは、本人が読んでないにしても、申し訳ないという殊勝な気持ちにもなる。しかし、これこそが自分の好きなことなのだ。吉田拓郎を満喫して、あれこれ勝手なことを書く…これをしないと私が病んでしまうのだ。すまん。

☆いちばん胸わしづかみにされたのは、逗子から東京に戻る経緯の話。初めて知った。当時は、LOVE2で忙しくなったし、六本木界隈が恋しくなったからかと思っていた。確かに家を建て、終の住処として選んだという鎌倉・逗子の地。当時のラジオCLUB25を聴いているだけで、御大が、そこでの暮らしをどれだけ大切にしているかが伝わって来ていた。
 私なんかには到底想像できない苦悶があったと思う。それでも奥様への深い想いから、医師の言葉に賭けた御大の勇気の決断…が垣間見えた。これは簡単にできることじゃないぜ、少なくとも自分には。リセットとはこういう愛をこめた賭けのことを言うのだ…軽々しく使うなよ都知事だか党首。そういう話じゃないか。
 終の住処を離れて東京に向かう。東京移転の決断を、あなたのために引っ越してあげるんだ…ということではなく、あくまでも自分の決断として奥様と奥様のお母様に告げていた様子も感じられた。御大のすばらしさに胸を打たれる。このひとつの逸話だけで、私は吉田拓郎という人を心から尊崇する。そしてファンであることを誇りに思う。…こういうのがご本人には蒸し暑いのだろうけど(涙)。素晴らしい話を聞けた。


☆御三家。かまやつひろし、水原弘、守屋浩の三人”ひろし”を忘れてやいないか、御大。
それから私も桜田淳子だった。確かに桜田淳子に作品を書いていない。今から書くという手もあるが、いろいろ大変なことになりそうだし(爆)。おい。

☆ワインがお好きなのだな。ぶどうの品種の知識を語る前に、「ウンチクひけらかすワケじゃないんだよ、ごめんね」みたいな感じの遠慮というかテレが入る御大がまた素敵だ。

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2017. 10. 31

 昨日も書いたが、29日の「ラジオでナイト」で永住の地逗子から再び東京に向かうくだりの話には、あまりに打ちのめされた。CLUB25やいろんな当時のインタビューや情報をつなぎあわせてひとり唸っていた。
 今サイトの改良作業をお願いしているNinjin Desighn Officeの方もラジオのあの話を聴いていて「もう素敵すぎてファンになってしまいそうです」と言ってきた。だよな、だよな。嬉しい。「きっと声なきたくさんの声があります 信じてまいりましょう」と結んであった。御意。

 御大が坂崎さんと肥後ずいきで大笑いしていた頃は、まさかこんなふうにていねいに音楽と人生を語ってくれる御大にまた会えるとは思ってなかったよ(爆)。

2017. 11. 1

 ライアン・ゴズリング主演の「ブレードランナー2049」を観たいので、第1作の復習をしなくてはと、ちょうどテレビ放映していたので観た。はるか昔の学生の頃に観たのとずいぶん違っていて戸惑った。調べたら映画館上映バージョンと異なるディレクターズカット版など第1作だけで数バージョンあるらしい。ラストシーンなど結構大事なところで昔の上映版と違っている。どのくらい違うかというと「サマータイムブルースが聴こえる」のライブアルバム盤とシングル盤くらい違う(爆)。例えがわかんねーよ。「口紅の文字」で余韻をもたせるか、その文字が「バカ」だったと思い切り言ってしまうかくらいの違いだ。もっとわかんねーよ。

<監獄のお姫さま 第3回>
☆深夜11時30分あたりからスタート。
☆もうストーリー展開よりも小ネタだ。反省体操。「前科モン」に「反省子ちゃん」
☆女優陣というか女囚陣が回を追うごとにみなツヤツヤ綺麗になってきている気がする。
☆密かにウケたのが、沖縄の警察署の看板「泡盛飲んだら運転するな」。「泡盛飲んだらライブをするな」と言いたい(爆)

2017. 11. 2

 引退を事実上撤回した宮崎駿さんに「またかよっ!」と非難の声があがっているらしい。でも、そんなことで怒ってたら拓郎ファンはやってられん(爆)
 私なんかがこの二人の巨人に対して何か言えたものではないが、たぶんその時は燃焼に燃焼を重ね燃え尽きて、本当にもう何もできないと感じているんだと思う。まして多人数の何かを率いている人たちだ。しかし、やがて時間とともに、たくさんのやり残したこと、まだやりたいことが沸き上がり、彼らをつき動かすのではないか。わからん。私ら凡人はすっこんでいるべ。
 約束を守って隠居しているその人を見たいのか、最後まで作品を作り続けるその人が見たいのか、どっちか。命尽きるまで絞り出される作品を観たいじゃないか。

 とはいえ、そのたんびに振り回されるファンも悲喜こもごも身に染みて大変だ。そんなファンの動揺について、御大はへーきな顔で「それはその人の問題です」と言い放った。http://tylife.jp/words.html
 まったくもってヒドイ人である…って、最初と話が違うか(爆)。

2017. 11. 3

 申し訳ない。いかに松本隆であっても他人様の紫綬褒章を祝福するほど私もこのサイトも愛に満ちてはいない(爆)。あ、まぁ、御大も他人様か。
 ともかく昨日は、このサイトの打ち合わせのあとのそのまま吉祥寺の居酒屋で冷酒を飲んでやさぐれた。そんな私を「いつも『拓郎さんは勲章なんていらない』『勲章を貰う拓郎さんなんて嫌いだ』と言っていたじゃないですか」と慰めてくれたが、
「勲章を貰う拓郎は気に入らないが、貰わない拓郎はもっと気に入らないんだよ!!」
とどこまでも荒れていた俺を許してくれ(大爆)。

 「でも『人生キャラバン』って好きです。すごくいいです。」となだめられ機嫌がなおる。「そうだよな。これがズズとの最高傑作だよな。」「♪安いホテルを出て西に向おう…この出だしの詞もメロディーもそして歌い方も秀逸です」…なんか嬉しくて元気になって、頼まれもしないのにココに書いてあることを迷惑をかえりみず滔々と語った。http://tylife.jp/uramado/jinseicaravan.html
 最後の「大丈夫だ、御大、おれたちがついているぞ」を反芻して、自分で涙ぐみそうになって…まったく始末の悪い酔っ払いだった。すまん。

 そうだこの歌がある。ともかく、西に向かって火を焚いて、御大の背中を追いかける道なき道のCARAVANをどこまでもゆこう。

2017. 11. 4

 野口健作さんの訃報を知る。知る…なんてカッコつけても、御大の話に時々出てくる「CBSソニーの野口さん」というだけでよく知らない。
 でも、「ドキュメントつま恋」の「拓郎の一日マネージャー」という短いエッセイは、中学生の頃から大好きで何回も繰り返し読んだ。
 つま恋75の朝、「声が全然でないよ」という緊迫した御大のセリフで始まるエッセイ。スポットライトを浴びることないつま恋のスタッフたちを見つめ、日焼けした裏方の人々を羨ましく感じるという素敵なエッセイだった。誰一人欠けてもできなかったつま恋。素晴らしいフレーズだ。
 身近な方々の悲しみはいかばかりか、はるか末席からですが、ありがとうございましたと言わせていただきたい。

2017. 11. 5

 毎年言ってる気がするが、実際、毎年でも言いたい。この時期の秋の推薦曲は、島倉千代子の「紅葉」だ。吉田拓郎×島倉千代子のこの目立たぬ作品よ、私たちを照らせ。

 広島公演のあとのファンの飲み会&演奏会&カラオケ大会で、拓郎のファンのJさんとMさんが歌ってくれて知った。「俺のヘタクソな歌じゃわからないだろうから、これ聴いてみてよ」と島倉さんの本人歌唱のテープをくれた。本当にわかんなかったので助かった(爆)。島倉さんのバージョンは素晴らしかった。後日、Jさんに言うと「な、いい曲だろ」と目を細め「可愛い歌でしょ」とMさんも嬉しそうに添えた。

 「見渡せば紅葉、赤々と紅葉」。毎年この歌を聴いて”紅葉”を思い、”紅葉”を観ては、この歌を思い出す。
 そうするとどうしても、今は亡き島倉千代子さん、そして後に卒然と逝ってしまったJさんとMさんの笑顔も浮かんできたりする。歳をとるとこんなことばかりだ。

 しかし、誰がいなくなっても、音楽は次世代に向って永遠に生き続ける。どっかの校歌ではないが、集まり散じて人は変われど、仰ぐは同じき、御大の音楽である。
 生きてこそあれ歌ひとすじの道という美空ひばりさんの言葉も同じく。 http://tylife.jp/uramado/momiji.html

2017. 11. 6

ラジオでナイト 第31回 2017.11.5
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。
<笑い声や喋り声すべて可愛いという30代女性の投書>
 おらーね、・・・僕はね、嬉しいよ。家を出るとき、帽子、ジーンズとか、ちょっと見て貰って「カッコイイ」と言ってもらうと嬉しい。異性からほめられると嬉しい。年下にいわれるとまんざらでももない。

<イタリアントマトパスタを食べたという投書>
 久々に妻の仕事の時間が空いて・・・大変だったんだよ、監獄のお姫さまというけれどこちらは、地獄のお父様なんだよ。それでも時間ができたので、パスタを作ってもらった。チリ産のワイン。プロシュートでイチヂクを撒いて、これが美味いんだよ。で、トマトパスタをいただきました。しかし、どうも味がうまくいかなかったらしい、心の機微があって、妻の機嫌がよくない。カミさんは無口になってしまった。この不穏な雰囲気。「おいしいよ、佳代」「何か違うのよ」・・・雰囲気に耐え切れず一気に食べて飲んだ。夫婦というのはむつかしいな。
<20代、「午前中に…」が好きで、特に「ウィンブルドンの夢」が好きという投書>
 この唄は、もっと評価さるべき。キミは、音楽的センスがいい。おっ広島か。広島カープが負けちゃったな。まさかと思ったよな、みんな。 
<未収録音源を加えて完全版ライブ73という投書>
 未収録音源、僕は持ってない。レコード会社にもないと思う。客席のバカ野郎が勝手にしているのが出回っているだけだ。そういうのは許されないことだ。

<監獄のお姫さまの姉御が品の有る着物姿、岩下志麻さんみたいに素敵、「そんぐらいにしとき」と拓郎さんはいつも言われているのか・・・という投書>
 言われてます(笑)。ウチのは着付け先生もやっていた、すぐやめたけど、着物の着方がいい 。
 しかし、ドラマのおかげで生活乱れた。それまで7時に起きて12時に寝るという規則正しい生活が乱れて、朝4、5時に起きて栃木とかまで行っている。近所でなんとかならないかと思うが。ドラマ本当に大変。睡眠不足になりがち。12時過ぎ、帰る連絡があると、起きて待っている。家に着く30分前からお風呂を沸かしてといてあげる。風呂に言ってから先に寝るが、睡眠導入剤がないと生きていけない。
 洗濯の仕方とか、その家々のしきたりがある。夫は知らない主婦のやり方がある。細かい指図があって大変なの。
 ドラマはどんどん面白くなる。クドカンワールドなので、とっつきにくい人はいるだろう。僕も最初は慣れなかった。最近はやや理解できる。今回は筋立てがいい、なぜ彼女たちは、こういう危険なことをするのかの謎がとけてゆく。
 しかしまぁ 日常はグッチャグッチャ、あとは家事で大変。大変な吉田拓郎の「ラジオでナイト」(笑)

■タイトル
 ハワイ行きを真剣に考えている。
<先日、結婚式をかねて行った、オアフの料理をデリバリーして楽しむとか、バウリニューアルにみんなで参加という投書>
 おっ、行きましたか。オアフの料理はデリバリーはダメ。いまデリバリーの舞ナチなんだもん。バウリニューアルは是非参加してほしい。 
<みんなで拓郎さんの昼寝を見守るという投書>
 とんでもない企画だ。そんなの見られたくない。神経質なんだから見られてたら寝れない。どんな睡眠薬でも寝れないよ。僕を一人にしてください。
 
<男女混合水着コンテストという投書>
 男女混合、キミ達の水着なんて見たくないよ、君たちいくつなのよ、体形はどうなのよ

 恋人パートナーから言われた嬉しい一言。僕なんか、妻から言われるたぴに、おびえてしまうけどね(笑)

 10代  片思いの人からニックネームで呼ばれた
     好きな人から道を譲ってもらった…心の純粋さを感じるね

 30代   あなたの瞳からこぼれる涙が綺麗だろうね・・・勝手にしろ

 40代    ありがとうという一言・・・あるよね。キンキにありがとう言いたくて「ありがとう」という唄を書いた。ベストテイクで今度やるかな。
      「拓郎のコンサートに行っていいよ」と言われた・・・・こうせつに行っていいよとは違う(笑)
      手料理が美味しかった・・・バスタ褒めたんだけどね
      一緒にいて飽きない・・・飽きられたら終わりだよ
50代    今までで一番好きだよ
      年のわりには若いよ

30代男性  デートの終わりに帰ろうかというと「いやだ」…なーに行ってんだよ
      会えないときに他の女子話しているだけで憎い…なーに
50代男性  生まれ変わってもあなたと会いたい  いいね
      新婚時代  出世はのぞまない  元気でいてくれればよい
      ・・・て言いながら出世しろといわれるんだうな

60代   白髪になっても仲良くしよう・・・・髪の毛無くなってもという人いないかな、髪の毛なんかいらない、髪の毛なんか邪魔よ、という人いないかな(笑)

M—1 君といつまでも    加山雄三

■CM明け
 僕がラジオとつきあうキッカケ。デビュー直後、テレビに出ない時代があった
フォークだからではなく、音楽表現するにはテレビは時間が短い。自分の歌を理解してもらうにはあまりに短い。マスメディアでも週刊誌で音楽の話をしてもプライベートの話しか出ない。ま、メディアからは、軽く見られて冷たくされていたんだな。 

 で、僕には取材を拒否する姿勢が芽生えた。苛立ち虚しさは頂点だった。そういうなかで、僅かのの音楽雑誌とラジオだけが理解してくれた。ラジオがチャンスをくれた。自分の表現の場だった。そうしてラジオに愛着と信頼が芽生えたのだ。

■今週のベストテイク  

「おきざりにした悲しみは」 (イントロとアウトロを弾く) 
このイントロは、現場で高中正義がアドリブで弾いてくれた。コードだけ渡して、思いついてやってくれた。素晴らしいと思ったね。ベースも高中だった。つのだひろのところでベーシストだったから、ベースも巧い。キーボードが柳田ヒロ、ドラムがチト河内・・・お兄さんのクニ河内がハプニングス・フォーで起用代でミュージシャン。それに僕のアコースティックギター。
 結婚しようよ 旅の宿の次のシングル盤。これまでは、フォーキーなサウンドだったので、この曲は重すぎて暗くないかと反対されたが 、重いロックビートでいきたかった。反対があったが、ソニーの洋楽担当だけが、日本もココまで来たかが感心していた。
当時としては重たいロック。ヘッドアレンジだけで4人で作った。高中は天才だな。

M-2 おきざりにした悲しみは


■今週のマイ・フェイバリットソング
 みんなに知って欲しい。
 エイミー・ワインハウスと言う歌手。昨年亡くなった。「エイミー」という映画を観た。観ていて心が痛くなつた。この人は、天才です。あまりに凄い天才女性ボーカリスト
27歳で薬物中毒で死ぬ。なぜそういう人生を歩んだのか。何でこの人死ななきゃいけなかったんだろうか。愛情に飢えていたのか。

歌う姿に感動させられたが、なんで死んじゃったのと思ってしまう。

多くの方々に知って欲しいし、映画を一度観てほしい。

M−3    Rehab  エイミーワインハウス


■エンディング

ハワイで持ち上げるという企画、祭り上げる企画、無人島にもっていきたもの  

生まれ変わったら誰になりたいか。

憧れと人生は違う

坂本竜馬か武田鉄矢どっちか。

吉田拓郎という人生は大変だよ、きついよ。

生まれ変わってもあいつにだけはなりたくないというのも楽しみにしている。

お相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆昔、70年代中盤から80年代中盤の頃、御大は「自分は人一倍家庭願望が強いんだ」と口癖のように言っていた。しかし、その当時の御大は、白馬に跨って美女から美女へと駆け回っていたスキャンダラスなイメージだったし、「愛を残して旅に出ろ」「家は出たけれど」「家を捨てたんじゃなかったのか」などと絶唱しておられたので、超絶説得力を感じなかった。
 しかし、先週の逗子転居の話はもちろん、ラジオで垣間見せてくれる話からは、家庭を大切に生きる御大の姿が浮かんでくる。あの日語った「家庭願望の強い人生」というものを見せてくれているかのようだ。
 一生をかけて一生を歌う御大。このラジオがあってよかったとつくづく思う。

☆ ハワイに向うのだな。御大にはハワイの風に吹かれてほしい。ここまでハワイを愛した男だ。ハワイの方から、御大のところにやって来いとトランプ大統領にいいたい。いみふ。

☆ それにハワイに行ければ、きっと日本はどこにでも行ける。行くかどうかはもちろん別にして。

☆髪の毛にこだわる御大。愛に髪の毛は邪魔である。御意。

☆「未発表音源」。私も聴きたい。でも「あるだろう、持ってるだろう、だから出せ」ではダメなのか。答えは「ない」しかない。たぶん、ものすげーーー聴きてぇぇぇぇぇぇという声が高まりに高まってうねりのようになった時に、無いと思っていたものが倉庫の片隅から偶然発見されました・・・という筋のものなのではないのか。なので聴きたい自分をいつも全力で維持していよう。いみふ。

☆「おきざりにした悲しみは」 いいねぇ。自分なんがが言うまでもなく、もう神曲だよね。中学生の頃、ステレオの片側のスピーカーだけ大きくして、このなんとも言えない饒舌に唸るようなギターを繰り返し聴いたものだった。高中も、ロックもブルースも皆目わかってなかったが、凄いということになっていることだけはわかった。ギターもすんぱらしいけど、御大の歌声も涙が出るくらい素敵だ。
 それにしても歳とともにしみいるこの作品。高中って未成年だよね、このころ。どんだけ天才なんだろう。

☆「エイミー」に見入ったという御大。御大は、本当に音楽が好きなんだなと思う。即amazonに注文した。エイミー・ワインハウスがどういう歌手だったかとともに、そこに御大が何を見つめ、何を感じたかがもとても気になるじゃないか。

2017. 11. 7

☆前回のマイフェイバリットを聴いて思った。御大は、齢70歳を超えて、しかもスーパースターである。自分に影響を与えたり同時代に聴いたりした音楽を語るのはわかる気がするけれど、エイミー・ワインハウス…特にゆかりのなかった遥かに若い彼女の唄声に心を惹かれ、彼女の破滅的な人生に、どうしてなんだ?と繰り返して胸を痛める。そして彼女のことをたくさんの人々に知ってほしいと願う。エイミー・ワインハウスご本人もさることながら、こんなふうに彼女の歌と人生を拾い上げ心を寄せる御大のピュアな感性が素晴しい。

☆同じく番組でかけられた加山雄三は80歳。かまやつさんがいなくなってしまった今、希望の星だ。80歳にして、きっぱりとした立ち姿で、ギターを持って変わらずに歌う。最近いろんなミュージシャンが物故されてゆく不安の中で、加山雄三さんを観ていると、御大の80歳のステージもこうしてきっとあるに違いないと思え、勇気がでる。信じてまいりましょう。

2017. 11. 8

☆生まれ変わったら何になりたいか・・・わからん。思案中。
でも、御大の「坂本龍馬か武田鉄矢か」という例示には笑った(笑)

 武田鉄矢といえば、昔、彼がラジオで話してくれた、映画「俺とあいつの物語」(1980)の撮影エピを思い出す。この映画の伊藤蘭は可愛かったなぁ(個人の感想です)。その蘭ちゃんは現場でずっと吉田拓郎のテープを聴いていたので、武田が「どの曲が好きなの?」と尋ねると、蘭ちゃんは「『冷たい雨が降っている』が好き。大きくて怖そうな人が『貝殻になりたい』っていうと何か安心する」と答えたそうな。「でもあんなに大きな貝ってないわよね。バカ貝かしら」(笑)

そうだ生まれ変わったら貝殻になりたいね。「私は貝になりたい」という映画・ドラマがあったが、「貝」と「貝殻」はトテモ違うと思う。そこに深い意味があるんだろうか松本隆。


☆昨夜は、地下の店で冷酒を実施していたので「監獄のお姫さま」をまだ観ていない。リアルで観ていた家人にどうだった?と聞くと、「このドラマは説明不能。自分で観るよろし」と冷たく言われた。

2017. 11. 9

 伊藤蘭といえば、80年代の初頭に、伊藤蘭、森下愛子、田中裕子、名取裕子の4人が共演する「万葉の娘たち」というNHKドラマがあったのを思い出した。この4人がそろった時の美しさには息を呑んだものだ。森下愛子は、心に闇を抱えていて蘭ちゃんに復讐を図るのだが、その怖さにまた艶があった。
 そういえば、この4人、名取さんは独身だが、夫が、吉田拓郎、沢田研二、水谷豊だ。それがどうしたと言われればそれまでだが、当時は、この美女たちが、やがて、そういう伴侶を得ることになるとは思ってもみなかった。名取さんがショーケンと結婚してくれると何か揃う感じがあるのだが。おい。

<監獄のお姫さま第4回>
☆メンバーにとても馴染んで愛着が湧いてきたが、謎が解き明かされてゆくのか、深まってゆくのかよくわからない。短い一時にせよ塀の中でみんなで子育てしたのであれば、第一回で子どもを間違えるかな、とか、誘拐して対面した時に、彼女らにも溢れる感慨があったはずだが…と思ったりするが、あったっけ。
☆小ネタ、滑っているのか、自分がフォローできていないのかもよくわからない。しかし、そこがまたうっすらとたまらない。でもパクチー太郎はうける。
☆面白いけれど、なんか総花的でテンポ良すぎだ。これ、朝ドラで時間をかけて描くと、ひとりひとりの個性・背景ももっと掘り下がるし、懲役の長さやそこで培われる信頼関係ももっと共感できて面白かったのではないか…なんてNHKで朝から監獄は無理だよね。それより御大の生活がまた大変だよな(爆)
☆ともかく視聴率なんか気にせず、がんばれ。


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2017. 11. 10

 昔、御大のハワイツアーの帰りの空港で小室哲哉を観たことがあった。飛ぶ鳥が進んで落ちるほどの勢いの時で、凄い尖がったオーラを放ち、屈強なSPが取り囲んでいた。近寄って「小室さん、♪雨が空から降れば…大好きです!」と言いたかったが、とても近づける状況ではなかった。>てか何がしたかったんだよ。
 昨日の園遊会のニュースでの小室哲哉は、その時とは全く違う、毒気の抜けたような…というのは失礼か、ちょっとの切なさも含んで、やわらかく、やさしい雰囲気に見えた。
 2009年のこと、小室哲哉に再会した時に、御大が無言で抱きしめたという話が忘れられない。その10年前の小室=御大の対談が世間で取り沙汰されていたときだけに、そんなこと関係なく斜め上から愛を示す御大が実に素敵だと思った。観てはいないがきっと美しい光景だったに違いない。

 小室哲哉の話をしようが何の話をしようが最後は吉田拓郎で終わる。どうしようもない。

2017. 11. 11

 ライアン・ゴズリング主演の「ブレードランナー2049」を、まだ観ていない。行かなくては。第一作の復習にハマってしまった。
 第一作では、なんといっても終期を察したレプリカントのセリフが切なく心に響く。

「お前たち人間には信じられない光景を俺は見てきた....そんな記憶もみな、時とともに消えてしまう。雨の中の涙のように。私も死ぬときがきた」

 吉田拓郎の音楽と人は必ずや後の世までも残る。しかし、私たちファンにはファンの数だけ、吉田拓郎をめぐるかけがえのない経験と思い出が膨大にある。それらは、たぶんいつか消え去ってしまう、雨の中の涙のように…それでいいのだろうか、どこかに楔をうっておくべきではないかと煩悶する。

 また「ブレードランナー」第一作の映画館上映バージョンからカットされたラストシーンにもファンの間で議論があるようだ。
 カットされたラストシーンといえば「篠島」のフィルムだ。前にも書いたが、上映バージョンでは、ラストで、熱狂の「人間なんて」がフェイドアウトして、静かなアカペラの「人間なんて」に切り替わり、誰もいない篠島の突堤付近で、ポケットに手を突っ込んで一人立つ拓郎が海を見つめるシーンで終わる。こう言っちゃなんだが、とても嘘くさいシーンだった(笑)。だからカットされたのだろうか。それもこれも雨の中の涙のように消えゆくものか。

2017. 11. 12

 吉田拓郎×かまやつひろし×南沙織×愛奴のシオノギ・ミュージックフェアの放映から、今日で43年。うかうかしていると半世紀ですぜ。
 心の底から申し訳ないが、この中でドラムを叩いているこのサエない青年がこうなることは今見ても想像できない(爆) いかに人を見極めるのが難しいかを私に教えてくれる。
 この頃のことを述懐して当時の青年はこんな話もしていた。
 「イメージの詩って長いでしょ。曲の途中で運転でいうなら、居眠り運転の状態(笑)。ずーっと同じ繰り返しでしょ。」…シンバル倒したりする逸話より、こっちの方がすげーと思う。寝るなよと怒りたいが、後年、あのカッチョイイ「イメージの詩」をカバーしてくれたし、この人の歌には色々助けてもらったので何も言えない。

2017. 11. 13

ラジオでナイト 第32回 2017.11.12
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。
<懐かしい愛媛のイベントのチケット発見、出演がオフコース、ブルーハーツ、米米CLUB、RCサクセション、そして最後に“電話の”声は…で吉田拓郎、総合司会武田鉄矢という豪華なライブだったという投書>
 憶えている。辺鄙なところで歌って、終わってから愛媛市内に戻って小田と清水とイベンターと一緒に飲んだ。四国のデュークというイベンター。コンサートツアーを始めた当時、若者中心に全国にイベンターを立ち上げた。それまでのコンサートは地元の鑑賞団体、有力者が仕切っていた状態から変えた。
 東京でリハーサルし演出を完成させ、そのまま全国に持って行く。チケットの取り扱いも各地に必要だということになってイベンターが全国に生まれた。北海道ならBEAというように、東北、関西など各地にできた。四国にはデュークが出来て、そこに宮垣という男がいた。その宮垣が、「拓郎さん、男になりたい」と電話があって出演を依頼された。たぶん、小田やヒロト、キヨシローにも同じように電話して、みんながほだされて、もしくは騙されて(笑)、すげーメンツが集まったのよ。それ以来四国でのイベントは聞かないな。

<阿波、徳島の名物は酢橘と阿波踊りだけではない…という投書> 
 四国には色々思い出がある。デュークの宮垣と徳島で飲みに行ってカウンターバーで飲んでいた。店の女の子が、拓郎ファンで、「拓郎さん大好き」という話ばかりしていて、アルバム「元気です」を出してきて延々と吉田拓郎の自慢話を聴かされた。
 「俺だ」というチャンスがなくなって、とうとう最後まで、僕が吉田拓郎と気付かないまま自慢話を聞かされたことがあった。
 四国では、コンサートが終わって隣の県に移動する時が寂しい。「峠の茶屋」でサンショウウオを観ながら食事したり。四国って今もそんなに変わってないのではないか。坂本龍馬の頃と変わってないのではないか(笑)

■タイトル
 まずいな、四国もネットしているんだよ。・・・・好きだな酢橘、今、行きたいとこは四国(笑)手の平を返すよ。

 コンサートの環境は最初は良くなかった。会場備え付けのマイク、スピーカーを使っていて、アコースティックだと、チープな音しかしないし、ロックだと歌が聴こえない。
 全国のツアーをやるにあたって、音響・照明・演出を東京で何回もリハーサルして作り上げて全国の旅にでるというシステムを作り出した。
 それは世界でも同じで、ビートルズが、ニューヨークのシェイスタジアムで6万人のライブをおこなったが、このときもPAシステムがなったていなかった。
 客席では殆ど聴こえない。モニターもないし、アンプも質力がなかった。60ワットくらいで、6万人に聴こえるわけがない。また、客席もキャーキャー大絶叫で、演奏も歌も届かなかった。でもね、さすがビートルズはちゃんとした演奏をしている。やっぱ天才。いいアンサンブルだったんだな。
 その点、日本は遅れていたな。日本のライブを聴くと穴があったら入りたい演奏していた。だって、高中がギター鳴らすと、凄い音でもうわけがわからなくなっていた。弾き語りの音も納得できなかった。
 今は天国よ。昔は、俺達もオーディエンスも低かった。そう考えるとビートルズは凄いな。

■CM

 浅草マルベル堂ブロマイド。戦後からランキングがあった。僕は、ブロマイドなんて無縁だった。タムジンの写真だから。タムジンは、タバコ吸ってよとか注文つけられて。写真は苦手だった。写真を撮るときに、5,60分とる。そんな撮っても仕方ないだろと被写体が怒る(笑)だから僕の場合10分で撮り終える。撮られる方向や角度にもこだわりがある。

50年代 男 1位  中村錦之介  2位 大川橋蔵  3位石原裕次郎  女 1位  美空ひばり 2位岸恵子 3位 淡路恵子 4位 若尾文子  5位 芦川いずみ・・・・若尾文子、芦川いずみ・・・好きで映画館に行ったものだ。

60年代 男  1位舟木一夫  2位 高倉健  3位 フォーリーブス・・・・ランクに歌手が入った。女 1位 吉永小百合 2位 松原千恵子  3位 酒井和歌子 4位  本間千代子  

70年代 男 1位 西城秀樹  2位 郷ひろみ  3位 森田健作・・・・野口五郎は7位 女  1位山口百恵  2位桜田淳子  3位岡崎由紀  4位ピンクレディー  5位キャンディーズ 6位大場久美子

80年代 男  1位チェッカーズ  2位 真田広之 3位 近藤真彦 4位田原俊彦  女  1位 薬師丸ひろこ 2位 南野陽子 3位 松田聖子 4位 中森明菜 5位クラッシュギャルズ・・・おおクーラッシュギャルズ懐かしい

 ニューミュージックはいないね。中島みゆきとかいないな(笑)ユーミンとかイルカとか五輪真弓とかないね。陽水とか入っててもよさそう。桑田とかはないのかな。

 マルベル堂は吉田拓郎のは扱っていませんでした。だよな。俺達はズズに言われたもん。あんたたちが芸能界をだめにした、汚い恰好して髪の毛のばして、そんなの芸能界じゃないと怒られたもん。
 確かに、ブロマイドになっていないということはニューミュージック系は中途半端なんだ。うちの奥さんはプロマイドはあったそうだ。あーあ、中途半端だったんだな、俺たちは。

M−1  I saw her standing there ビートルズ


■今週のベストテイク  
 バハマでのレコーディング。遠くて嫌だった。アトランタ乗り換えの20時間。辛かった。コンパスポイントというスタジオ。ストーンズやボブ・マーリィで有名なスタジオ。あまりに遠かったが意を決して向った。ミュージシャンは、70年代のLAサウンドを支えた連中を集めた。いろいろ勉強したね。言葉を通じて、それだけでなく無言まうちにもいろいろなことを教わった
 特にラス・カンケルとリーランド・スクラーとはよく話した。リーから
 「拓郎 音楽は心と肉体を自由にしてくれる。いつまでも音楽の傍にいようぜ。」
という素敵な言葉を貰った。素敵なヤツらとセッションできて幸せだった。

 日本では再現できない音だ。ヘッドアレンジだけで、OKという感じでやってくれる。アドリブで全員やっている、そこが気持ちいい。「君のスピードで」。デビット・リンドレイの間奏が、日本調なんだな。無国籍なのに和調。今でも鳥山が「この間奏コピーしますか」と聞いてくるが、でもこの曲にはこれしかない。和洋折衷。まったりとしている LAならではの世界だ。
 ボーカルはロスで入れた。ロスの空気も独特だった。のんびりして空気がぼやーっとしているんだよ。

M-2 君のスピードで  吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング

 時代が古いが、映画「卒業」。一度は観たでしょう。スカボロフェアが有名。僕は、4月になれば彼女はが好きだった。アン・バンクロフトの絡みでの「ミセスロビンソン」も忘れられない。大学生の頃観たのかな。アン・バンクロフトとダスティンホフマンのこの関係がおかしかった。

M-3  ミセスロビンソン
M-4  スカボロフェア
M-5  四月になれば彼女は

 S&Gはそんなに好きでなかった。「ボクサー」はいいと思ったが。でも広島でも絶大な人気あった。いろいろ聞いているとポール・サイモンのギターテクニック超絶ではないかと思う。ギターうまいなぁぁぁこの男。この男って、天下のスターに失礼だが。ソロになってからは、よくレコードを買った。これこそフォークとか言ってられない。ロック、南米、アフリカの音楽と多彩だった。

 「4月になれば彼女は」は昔、ギター教室で教えていた。今で弾けるか弾いてみよう (弾き語る)
・・・弾けないな(笑)スリーフィンガー最近やらないからな。
 広島の楽器店で僕は、ピックギターを教える人で、ロック色が強かった。あんまりスリーフィンガーとかはやらなかった。 
 個人的にはポール・サイモンだけ(笑)、じゅんとネネだとじゅん、ピンクレディーだとケイちゃん(笑)  

 今日のは、マッスルショールズという集団と演奏している。ロッド・スチュワートの「アトランティック・クロッシング」。マッスルショールズは、これでもいい音を出している。

M-6  コダクローム  ポールサイモン


■エンディング
 ハワイ。どうやれば吉田拓郎が喜ぶか、企画してくれ。
 無人島に持っていきたいものも。
 もし生まれ変わったら、誰になりたいか。矢沢かロッドか、オードリーヘップバーンか
 生まれ変わったら絶対になりたくない。それも知りたい。

  ここまでお相手は吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆ 今回は私生活やハワイなどのテーマではなく、音楽というか音楽のスピリットに満ちた回だったな。これはこれでこの番組の魅力的なところだ。

☆ 伝説の愛媛のイベントの話が少しでも聴けたのが嬉しい。そこに行った方の声というのも初めて聞かせてもらったな。もっともっと聞きたいところだ。こんな超絶素晴らしいイベントが、歴史の片隅にひっそりとあるというのも面白い。

コンサートツアーとイベンター誕生の話は、何度も聞いたり読んだりしているし、拓郎ファンにとっての誇りであるけれど、これは、とてつもなく凄い偉業だということをこの国はわかっているのだろうか。そんじょそこらの手柄話とはワケが違う。
 ビジネスモデル・・・って言葉は好きじゃないが、まさに現代音楽を支えるビジネスモデルを作り上げた後藤由多加や吉田拓郎らの功績はあまりにも偉大すぎる。紫綬褒章や勲章なんていらないけれど(おまえがいうな)、今この時代に誰がどれだけこの偉業に感謝と敬意を払っているというのだろうか。何かというと「レスペクト」だ「レジェンド」だと騒ぎ、コンサートツアーというビジネスでしこたま儲けているすべての音楽業界の人々に問いたい。コンサートツアーの始祖たちに対するあなたがたの態度はそれでいいのか。あなたがたのレスペクトとは、レジェンドとはなんなのだ。



☆ブロマイドを作れば良かったのに。絶対、森田健作よりも売れたはずだぞ。なんといってもビジュアルの吉田拓郎である。いや今からでもいいぞ。買うぞ。原宿の地下に少年少女かきわけて生写真とかあれば買いに行くぞ。

「拓郎 音楽は心と肉体を自由にしてくれる。いつまでも音楽の傍にいようぜ。」
・・・そうか、リーランドスカラーだったのか。涙ぐむくらい素晴らしい言葉ではないか。
♪音楽の傍らにいつもいるそんなアナタのおそばにアタシを置いてぇぇ・・・と神楽坂の芸者さんの都都逸みたいな気分になる。音楽の傍で倒れるという御大の傍で私も倒れたい。

☆バハマの「君のスピードで」。この曲には、そこはかとない「静けさ」を感じる。今までの御大の曲には決してなかったシンとした静けさ。クラブ25で深夜に聴いたからだろうか。
 それまで拓郎は静かなバラードを歌っても、どこかで魂の律動のようなものが息づいていた。しかし、この作品にはどこまでも「静けさ」が漂う。静寂の海を小さな船が滑り出すような「♪こんなに人を愛せるなんて・・・」という導入。拓郎のボーカルはどこまでも穏やかに流れて行く。そして何よりこの詞は素晴らしい。自分的には、この作品は、御大の作品の分岐点のように思う。ま、自分ごときが勝手に分岐しても仕方ないけどさ。
 でも確かに、この原曲こそがベストテイクであることに異論はない。

☆「4月になれば彼女は」・・・・「お喋り道楽」のときに、細川直美のあまりの可愛さに舞い上がって、頼まれてもいないのに、これを弾きだした御大を思い出した。たぶんギター教室の昔から女の子を惚れさせるテクニック・ツールだったに違いない。そういうチャライ御大も好きだぞ。

☆個人的には、アンバンクロフトは、「奇跡の人」のサリバン先生だった。それが後に妖艶なミセスロビンソンになっているのを観てしまった時の困惑と衝撃は凄かった。大人の事情ではすまなかったものだ。ダスティンホフマンのセクハラも驚いたが。やはりダスティン・ホフマンではなくアル・パチーノ派で良かった。いみふ。

2017. 11. 14

 昨日の日記で「宮崎」と表記しましたが間違いでした。正しくはデュークの宮垣睦男さんでした。大変失礼しました。巨匠、教えていただいてありがとうございました。宮垣さんは今年、ご勇退されたのですね、お疲れ様でした。

 昨日は、コンサートツアーの始祖のことで文字まで赤くして怒ってしまいましたが、このあたりはどうしても沸点となってしまいます。
 2009年に「最後の全国ツアー」を宣言した時も、音楽業界はとりたてて騒ぎませんでした。ツアーを作った男の最後のツアーだぜ。ここでレスペクトせずにどこでする。怒りがおさまらないが(爆)、また書くのも何なので、以下に2009年当時の日記を引用しておきます。

■ここから引用■■
2009年6月13日
「今でいうツアーと呼ばれるようなコンサート・スタイル、いわゆる『演奏者やスタッフ、PA機材、照明機材、楽器などを一つのパッケージにまとめて同じチームで各地を廻る』そんなスタイルをとったのは日本では拓郎がはじめてでしょう。1974年の、愛奴をバックにした『よしだたくろう全国縦断コンサート』からだったと思います。機材の搬入、搬出の手順から全てにおいてお手本がないわけですから手探り状態でしたね。
また、ドラムを高くするとか、舞台上にステージを組んだ演出をはじめたのも拓郎が最初だったと思います」

(渋谷高行 『ヤング・ギター・クロニクル Vol.1 吉田拓郎 これが青春』シンコーミュージック・エンタテイメント 2007年発行)




「それ以前は、呼ばれて、行って、歌う、というシステムだった。(中略)スタッフたちがわかってないわけだよ。『ツアーってなんだろう』と。(中略)そういう認識が当時、全然なかったからね。音声は現場の会場にある、照明は現場の会場の人がやる、ってシステムだったからね。
(中略)
地元との軋轢があった。当時は地元が強かったからね。照明屋とか音声屋が『ふざけるな』って怒りまくった。その会場で備え付けのがね。
それはそのスジのヤバイ人たちなわけです。
(中略)
明らかに当時の吉田拓郎人気が、当時のシステムを変えた、ってことだね。コンサート・ツアーができるんだよ=テレビに出なくていいんだよと。
(中略)
でもコンサート・ツアーは、楽しかった。歌う場所が多かったし、北海道から沖縄までどこへでも行ったよね。それに客の反応がダイレクトに、ビビッドにわかるわけだから」
(吉田拓郎『もういらない』祥伝社 2002年発行)



 怖い人たちを説き伏せ黙らせて全国ツアーというシステムを作り上げたことは、もっともっと称賛されていいと思う。 特にその恩恵を受けている人のすべてのツアーをするミュージシャンの方たち。最後のツアーということで、さまざまな歌手や芸能関係者が、観たいということで押し寄せているという噂もききます。 だからなかなか席がとれないのかな?(^^ゞ

 最後のツアーに歌手・音楽関係の皆さんが押し掛けるのはとても正しい。でも、すべての歌手・ミュージシャンのみなさんはおしかけるべき場所はコンサート会場の座席ではない。座席はファンと観客のものだ。
 歌手・音楽関係者は、楽屋口と袖に立って、みんなでずーっと花道を作り、拓郎にスタンディング、オベイションで拍手喝さいのシャワーの中で見送りと迎えをすべきだと思う。そこまでしても決して誉めすぎではないと思うのだ(*^_^*)

 もちろんテレ屋の拓郎は嫌がるだろう。花道を歩くとき、中島みゆきとユーミンが両側からガッツリ腕を組んでエスコートして嫌がる拓郎を引っ張っていくといい。
■■以上引用■■

ああ、まだ足りねぇ(笑)

2017. 11. 15

 ワイドショーやネットのニュースで、桑田佳祐がライブで「悲しい気持ち(JUST MAN IN LOVE)」を歌ったと喧伝されていた。なんでそんなことがニュースになるのか意味が解らない。ニュースになるのであれば、吉田拓郎がライブで「悲しい気持ちで」を歌った場合だけだろう。桑田佳祐をクサしているのではない、ああ拓郎のライブがあって、「悲しい気持ちで」が聴けたらどんなにかいいだろうと涙ながらに身もだえしているだけだ(爆)

 涙といえば、昨日の「監獄のお姫さま」は、全編涙ぐんだ。こんなんで涙ぐんじゃだめだと思いつつ。こういうのに弱い。満島ひかりの少女時代の美容師の挿話もたまらん。
…さては、おまえは「流星」と書いて「ながれぼし」と読むタイプの奴だな。※そんなセリフはありません。

2017. 11. 16

 バハマでのLAのミュージシャンたちとのレコーディングの素晴らしさを語ってくれた御大。しかし、当時のラジオCLUB25では、一人だけソリが合わないミュージシャンがいたことも教えてくれた。誰だっけか。

「彼がスタジオで、俺の前で、これ見よがしにギターを取り出して弾いてみせるんだよ。無言のうちに『俺はこのギターがこんな風に弾けるんだぞ』『この曲にはこれが合うんだぞ』とアピールしてくるんだけど…全部無視してやりました。そしたらようやくこの曲にこのギターはどうだろうか?と聞いてきたから『No Need!』と全部却下してやりました(笑)」

 この話好き。

2017. 11. 17

 バハマでの御大の様子を観た常富さんが「ボロボロになりながら蘇生しようしているように見える」と語った言葉が今も胸にしみる空の輝き。「拓郎は50代が一番面白くなるかもしれない」との言葉も。そのおかげで50代も60代もそして70代の今も最高に面白いっすよ。ファンとしてとても幸せです。

2017. 11. 18

 阿久悠リスペクトライブへ行った。他人の事を言えないが、年齢層が超高齢で、ピンクレディーのメドレーで「こういう若い人たちの歌はわからないわ」という声が客席のそこここから聴こえた。それだけ幅広い世代に愛される阿久悠さんということだろう。
 そのためだろうか、最初に全セットリストと解説が配られた。すごい。御大のライブでこれやられた日には憤死するファンも多いだろう。

 まるで紅白歌合戦のような豪華な歌手たち。ビジョンに映し出される阿久さんの縦書きの歌詞、時に自筆の原稿用紙にあわせて「詞を聴く」感じだ。普通のライブとはちょっと違う味わいがある。好き嫌い、意識するしないにかかわらず阿久悠の詞が自分の身体の一部になっていることを痛感させられた。
 それにしても、♪舟唄〜♪時の過ぎゆくままに〜♪この街〜♪ざんげの値打ちもない〜 ♪狼なんかこわくない♪日曜日はストレンジャー〜♪宇宙戦艦ヤマト〜♪五番街のマリー♪さらば涙といおう〜♪熱き心に〜♪居酒屋…、もう懐かしさを通り越して、私の心と体はあっちこっちに大きく揺さぶられて大変だった。ああ、神よ、あなたは私をどうしたいのだ。

☆  林部智史。なんと美しくのびやかなボーカルだろうか。「この街」をフルで聴く。
 「どちらかというと悲しい詞と思っていたのに拓郎さんがポップで明るいメロディーをつけてくださって、はじめてこの作品の意味がわかった」
 と彼は語った。素晴らしい。素晴らしいのだが、それはそれとして、また敢えて言う。この詞は御大、あなたが歌うべきだ。決して林部智史をディスっているのではないので、悪いけれどそんな思い察してほしい。あ、来月このライブ、テレビ放映もするらしい。

☆ ざんげの値打ちもない。いいねぇ。生で聴けるとは。もう「監獄のお姫さま」が姉御が浮かんできて仕方なかった。

☆ わが青春の石野真子。それだけで感涙ものだが、選曲が「狼なんかこわくない」と「日曜日はストレンジャー」だったのには驚いた。真子ちゃん、このサイトを読んでいるんだな。って読んでねぇよ。

☆ 新妻聖子のマリーは超絶うまかった。なんという歌唱力。感激した。松田聖子、田辺聖子、新妻聖子を日本の三大聖子と呼びたい。

☆ ゴスペラーズの「さらば涙といおう」。イイ。蒲田の先輩でありながら千葉県知事になっておられるあの方はお元気だろうか。

☆ 同じくゴスベラーズの「熱き心に」。はっぴいえんどの悪口しか言わないと心に決めた私だが(爆)、大瀧詠一は素晴らしい…って意味わかんない。阿久さんの詞を壮大なドラマに仕上げるメロディーがたまらない。

☆ これまで、うわさのチャンネルのゴッドねぇちゃん以外、和田アキ子のことを真剣に考えたことがなかった。でも、凄いわ。貫禄とまっすぐな歌唱。
 あの和田アキ子にして「自分のコンサートじゃない場所で、僅かな時間で、すべて出すのは難しいし、とても怖い」と緊張しているようすが可愛らしかった。僅かな時間ではわかってもらえないと言っていた御大を思い出す。プロの歌手の厳しさを垣間見た気がする。

 いろんな歌手を観られていい冥途の土産が出来た。「世の中の歌手は2種類しかいない、吉田拓郎と吉田拓郎以外の歌手だけだ」という私には、ああやっぱり御大の唄声と立ち姿が観たいという身もフタもない結論になるのだっ。

それにしても詞を真ん中にして歌を聴く。例えば岡本さんの言葉をこんな風に聴いてみたい。

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2017. 11. 19

 御大の新曲を聴いて、あれ?どんなだったっけ?と何回も聴き返して反芻しながら、日常生活で何をやってても頭から離れなくなり、また聴きたくなって、やがて心と身体の一部みたいになってくる感じ、…逆か、自分が曲の一部になってしまうような感じか…それが幸せというものかもしれない。

2017. 11. 20

ラジオでナイト 第33回 2017.11.21
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。生まれ変わったら何になりたいか。たくさんのメールやハガキをいただいている。

<男性なら吉田拓郎、女性なら岡本さんの奥さんになりたいという投書>
 岡本おさみさんのことか。歩道橋の上でとか、旅の宿とかはモデルは明らかに奥さんだ。ああいう風に愛されたいということか。
<菅田将暉になりたいという投書>
 拍手(笑)。わかるような気がする。素敵な若者だ。何が素敵って、肌ツヤだよ。肌のきれいな事。25,6の肌ツヤはオレに比べるといきいきしている。

<「イケメンとしての人生」を送りたいし、彼が息子でもいい、拓郎さんに会わせろといえるからという投書のつづき>
菅田将暉くんのお父さんに楽屋におしかけられて迷惑しました(笑)。
<僕の奥さんの旦那さんになりたい、25歳の出会い、一緒に青春を過ごしたし、もう一度結婚したいという投書>
今のままがいいということか。僕もちょっと怖いけれど…佳代がいいかな。他の人は考えられないかな。

<蚊になって嫌いな奴をさしまくりたいという投書>
(笑)
■タイトル
<なりたくないのは、90歳まで生きてこられたのに、ことあるごとに金、悪態、死にたいと口にするお年寄りという投書>
 僕のおばあちゃんはこういう人でした。金、金とは言わなかったけれど、父、兄、家族バラバラで貧乏な暮らし。そんな中で、口癖のように早く死にたい、邪魔だろうと言っていた。そういう言葉を聞くと、子どもながらに、こっちの心も痛む、子どもながらに辛くなって気分が塞いでしまう。だからそんなにおばあちゃんの記憶がない。
 一度だけ中学か高校のころ、ナンシー・シナトラの写真を観てあれこれしていたら、後ろにばあちゃんが立っていて驚いた。年寄りは音がしないんだ。驚いたな、飛び起きて本棚整理してるふりした(笑)あれやめような。


<吉田佳代さんになりたい、私は料理を失敗してもふくれないという投書>
 そうです。ウチの奥さんは、ふくれます。渋谷で一人暮らししている時、「サマルカンドブルー」の打ち合わせで時加藤和彦が来訪した。その時、まだ結婚していないけどウチの奥さんが「鳥のもも」を焼いてくた。加藤和彦とビール飲んて食べながら、加藤が「拓郎、鳥ってこんなに赤いか」「ねー、これ加藤が焼けていないと言うんだけど」と言ったら慌てて下げて機嫌が悪くなってふくれて。ウチの人はふくれる。直してほしいけど治らない。癇癪持ちで短気。義母もそうだった。逗子の7年間、よく喧嘩していた。親子で激しく罵り合っていた。いつも怖くて二階に逃げていた、そういう俺の姿(笑)。

 山下達郎が、ウチの奥さんに、「あなたの旦那は誰だと思っている、天下の吉田拓郎ですよ」と説教してたことがあった。

 <吉田佳代さんになりたい、わがまま波乱の人生の拓郎さん妻は大変だろうが、気兼ねなく愛していると言いたいという投書>
確かにこんな吉田拓郎なので吉田佳代という人生も大変です。

■タイトル。
 年齢を重ねるということは、目力がなくなってくるという話をライブでもした。歳を取るということは、つまんねーんだよ、歳をとることは素敵ではないと言っている。サプリのCMとかどうなの?

さて白髪。ロマンスグレーでいたいという女性も多いらしい。主婦の友社の調べで8割が染めるけどグレイ・ヘアに憧れるとのことだ。
 僕も色は入れている。ヘアサロンに行くと、6;4か7;3で部分的に白髪増えていると言われた。白髪だと10歳くらい老けて見える。しかし、これをあえて染めないのもかっこいいという人も増えている。

白髪をどうしているかをラジオ業界の人にアンケート

30代女性  子どものために染めている
40代女性   童顔なので白髪似合ず染めている
       白髪はまばらにはえているので老けてみえる
       …僕も55歳くらいから増えてきて老けて見えるようになった
60代女性   若作りに疲れたので染めるのやめた
      …確かにカラーリングは面倒だ

男性では

30代  白髪そのままにしてたら何かストレスあるのかと聞かれた
40代  キャバクラで褒められたからそのままにしている
  …ネイルサロンとか若い子にいわれるとその気になるよな
50代 ひげも白くなったので染めるのをやめた
   …ひげは白くなるんだよね まあ俺も70代だから

50代男性 生えているだけでありがたいと思え。
      …こういうのがいい(笑)
 結局、老いとの戦いである。目線に力が無くなる、老眼もあるし、色々出てくる。こういう話は、気持ちのいい話ではないが、これらを良い方向に転じることが大切だ。

 最近、武部聡志と眼鏡の話をした。ブランドが同じだった。お店の人に似合うか見立ててもらうのが好きと話が合った。こんな風に眼鏡を楽しむ。こういうことが必要だ。ともかく気力が萎えてしまうのが問題だ。

 敢えて言うと、最近あのドラマが話題になっている。いいにつけ悪いにつけ。このドラマが面白いかどうかは紙一重にある。クドカンは、じいちゃばあちゃんが入るとわからない。
 ごめんね青春、マンハッタンラブストーリーとか最初はわからなかった。クドカンのは時空を行き来するんだよ。それがついてゆけない。あるドラマには、エナジーと努力が必要。クドカンドラマには苦労しているんだ。しかし、一回ハマるとわかるんだよ。ごめんね青春も二三度、観直して面白さがわかった。観ている人間の老いにも関係がある。あのドラマがわからんようじゃ、じいさん、ばあさんってことだよ。

■ CM明け

<阿久悠さんの詩は夢を持ち続ける大切さを歌う詞に拓郎節がマッチしているという投書>
 未発表の詞が何遍か来て、「この街」はできそうだとを選んだ。林部君は、ハイトーンで本来はバラード向きだけど、敢えてエイトビートの感じでリズミックにしたいと思った。冒険してみようと。
<阿久さんは原稿用紙に万年筆だが、拓郎さんは?という投書>
 パソコンでは詞は書けない、原稿用紙を使う。文具店で作ってもらい、二行に一行で書く。マスにはめない。二行に大きく書く。

 今回はデモテープは作らずにギター一本で歌って、武部に「フォートップス」つまりこの番組の始まりとエンディングのあの曲の演奏しているグループのあの感じで若干にラテンを入れて
とアレンジの打ち合わせを合わせしながら作った。

(一番を弾き語る)

 こういうギター一本の歌のテープを渡したら、スタッフも首をひねったらしい(笑)

M−1    この街   林部智史

■今週のベストテイク 
 70年代頃の人生観がゆらぐなかで影響を与えてくれたのが、かまやつひろしさんと安井かずみ=ZUZUだった。当時、僕は遊び人だったから、そういう自分の遊びの生活の中で、自分の遊びがいかに狭くてセコイかということをわからせてくれたのがこの二人だった。

「戻って来た恋人」この詩を一緒に思い浮かべてほしい。これは、ZUZUが自分のことを詩にしているんではないかと後年確信していた。これは自分のことをモデルにしていると。

  情景を思い浮かべながら詞を読んでみよう。

 「あの晩 君は裸足でかけこんでくる小花模様の長いスカート」。ZUZUは確かに着ていた。
 「僕は、黙って珈琲いれてあげる。」…僕はいれ方わかんないけどさ(笑)
 「あいつと分かれてきたんだ、」昔の恋人だった自分は気づく。「泊ってゆくのかなと思う。でも裸足で突然出て行ってしまった。」「許さないと思ったけれど。戻ってくる気がしていた。」
 いわゆる70年代の こういうとっかえひっかえというのがよくあった光景だった(笑)。サイケの時代のいい女が着る小花模様。まさに自分を主人公にしているなと思う。
 「猫」のために書いたけど、僕の方がいいので(笑)松任谷正隆のピアノとオルガンに矢島健のギターがワウワウというリズムのパターン。

M-2 戻って来た恋人  吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング

 笑っていただこうという秘蔵のテープ。どうしてこんなことになったんだろうという音源。まずは聴いてください。

M−3 真夜中のタクシー  吉田拓郎

歌う♪真夜中のタクシー〜あなた次第。ココをバックコーラスつける。

 これをとある会場のライブのテープで聴き直したらとんでもないことが起きていた。
どこの会場かは言えないが。 比山貴咏史、木戸やすひろ、宮下文一、若子内悦郎、宮下以外は、とんでもない。おまえら本当にプロの歌手なのかという状態。

■コーラス部分
 ウーウーウー以外は全然あっていない。各人の音を分けて聞くともっと凄い。

比山)  歌詞覚えろよ
木戸)  笑ってんじゃないかよ
若子内) オマエ本当にプロの歌手なのか

 とにかくとんでもない(笑)

 こないだのツアーのコーラスはうまかったな。もうあいつらは歳だったし。こないだのツアーあの面々は、林部君のもやってもらった。

■エンディング

 ハワイ、無人島・・・オロナミンとかリポビタンはどうか、生まれ変わってなりたいもの、なりたくないもの、新企画  同級生はどうしているか・・・余計なお世話だけど
募集してます

 吉田拓郎でした。
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆

☆生まれ変わったらなりたいもの、なりたくないもの。いきなり吉田佳代さんの深奥に突っ込んでしまったみたいで、大丈夫なのでしょうか。もちろん生まれ変わっても一緒になりたい、吉田拓郎の奥さんでいることも大変だ、という温かい言葉でヘッジされていたと思いますが、それにしても。
 まぁ他人にしてみれば、加藤和彦「拓郎、鶏って、こんなに赤かったっけ?」というあたり大爆笑だったが。

☆おばあさんの話は心に沁みた。個人的だが、自分は子どもの頃から自分の祖母がとても嫌いで許せず悪態の限りをついていたのだが、そんな自分には、昨日の御大の言葉がとても痛かった。
 昔、Ryu`s Barで、「おかあちゃん、おばあちゃん優しかった」と愛に満ちた幼少時代を語った御大。そういうおばあちゃんが「自分は死にたい」とか、「生きていても仕方ない」という愚痴を聴くたびに、子どもながらに心が辛くなってくるというくだり、御大は優しいんだなぁと感じ入った。自分ならクソ○○○、勝手にしろと啖呵切って終わるところだが、祖母の悲しい言葉に心を痛めている御大の優しい心根が垣間見えた。それを聞いて不孝ものの自分を恥じ入るような気持ちになってしまった。
 きっと、おばあさんも、ナンシーシナトラと愛の交歓をする孫の姿を見てちょっと辛くなっただけなのではないか…って、おい。

☆クドカンドラマ。わかる。御大は、結局、このドラマへの不評に対して怒っているのではないか。とにかくしかと観ますばい。歴史が最後に裁いてくれるはずだ。

☆で、で、で、「この街」。たっぷり本人歌唱で弾き語ってくれた御大。これで今日の番組はタダみたいなものだ。って、聴取料とってねぇし。少し枯れたこの詞の陰影を歌いあげるのは、若くて美しいボイスではなく、御大の深みのあるボーカルこそだと思うのだよ。
 一昨日の日記にも書いたトリビュートライブでの林部君の言葉、

「どちらかというと悲しい詞と思っていたのに拓郎さんがポップで明るいメロディーをつけてくださって、はじめてこの作品の意味がわかった」

 あれは、林部君だけでなく、現場サイドのとまどいを言葉にしたものだったのだな。もっと哀愁あるバラード系を期待していたのだろう。
 しかし、御大は「冒険だ」と言った。御意。これぞ御大の真骨頂。素晴らしい仕上がりだと思う。それとは別に、しつこいが、御大の本人歌唱バージョンが待たれるところだ。余計なお世話ついでにいうが、林部バージョンを武部・鳥山で演奏したのなら、本人歌唱は、島ちゃん・エルトン・徳武さんらのバンドの演奏で、まさに対バン感覚で聴きたいものだ。

☆戻ってきた恋人。なるほど小花模様で奔放な安井かずみさん、ご本人を投影させているのか。御大のzuzuへの想いが浮かび上がってくるような素敵な話だった。

☆はからずも、今日の番組は、@奥様、A御祖母様、そしてB安井かずみさんという御大にとって大切な女性が語られた。「自分にとって大切な女性というのは、必ずしも自分ににとって都合のいい、たやすい女性ではなく、ある種の試練とともにあるものだ。」という御大自らの身体を張った切実なメッセージ(爆)を投げかけているのではないかと思えた。

☆「真夜中のタクシー」。コーラスの崩壊ぶりに大爆笑(笑)。しかし、このライブでのプレイに苦言を呈するのはあんまりだと私は思う。この作品は稀代の名曲だと思っているが、ライブでのそれは、もう御大自身の語り部分で既に破綻してしまっていた気がする。
 自分が、聴いた会場でも「このあたりも変わりましたね、昔、薬屋だったところが、今は薬屋になって・・・あ、同じだ」とか(笑)滅茶苦茶だった。そして、ヤケクソ気味に「運転手さん前から象だ!キリンだ!」と絶唱する御大。そりゃあ、コーラスも吹き出すし、とっちらかるというものだ。昨年の若手コーラスの方たちでも同じ状況に置かれれば同じになってしまうと思うぞ。

☆そうそう、山下達郎、いい人だな。ずっと拓敵と思ってきたが、こうして蜜月が訪れて嬉しい。何度も言うが、大瀧詠一とも「お互いエレックではヒドイ目にあったよなぁ」とお互いに相好崩すような、そんな蜜月な時間があれば良かったのにと勝手に思う。

2017. 11. 21

 1978年11月21日アルバム「ローリング30」発売&目黒区民センター記念日である。http://tylife.jp/reverence.html#MEGURO 2枚組+1の新曲LPのずしりとした重さ。あの日ポケットに手を突っ込んで肩をすぼめながらながら颯爽と目黒に現れたストレートの長髪の吉田拓郎。まだ御大にも私にも白髪は一本もなかった。
 あれから39年経ってともに白髪になっても御大の新曲が聴けるという幸せ。今も元気で新曲を書く吉田先生に励ましのお便りを出そう。そして次号を待て!

2017. 11. 22

 アルバム「ローリング30」には先着10万名様にポスターがついていた。近所のレコード屋で買った時、「ポスターは?」とお店のおばさんに聞くと、おばさんはいつもの優しい笑顔で「大丈夫、中に入ってるよ」と言ってくれた。その言葉どおり、ジャケットの中に、しっかりと折りたたまれたポスターが入っていた。釈然としなかった。サイパンの浜辺に立つ吉田拓郎に不可逆な折り目がガッツリとついていて、せっかくのポスターが6〜9分割状態になっていた。これってどうよ。画面が分割されて喜ぶのは、パネルクイズアタック25の児玉清さんだけだろう。
 そういうものか、とあきらめかけていたら、蒲田の駅ビルのレコード店で買った同級生のT君は、ポスターは別に筒状に巻いて渡されたという。おーまいがー。
 近所のレコード屋のおばさんは凄くイイ人だったので怒りは湧かなかったし文句も言えなかった。しかし、この世には、愛と善意でポスターをしっかりと折りたたむ、そういう折り目正しい人も息づいているのだという教訓を得た。この世が生きづらいひとつの原因ではないかと思う。

2017. 11. 23

 先日某所で「愛の賛歌」の熱唱を聴いた。L巨匠のピアノで、プロではないものの彼女の歌唱は実に素晴らしかった。巧拙を超えて、魂をこめて歌心をしっかり真正面に飛ばしているのがわかった。歌とはこうあるべきだと教えてくれた。ラブソングにもかかわらず、「おまえたちみんな愛のために立ち上がれ!」と激を飛ばされている気分だった。「魂こめて歌うから」…という御大の言葉を思い出す。

 「愛の賛歌」といえば、昔、ふと読んだ車谷長吉の「赤目四十八瀧心中未遂」という小説の冒頭に

「数年前、地下鉄神楽坂駅の伝言板に、白墨の字で「平川君は浅田君といっしょに、吉田拓郎の愛の賛歌をうたったので、部活は中止です。・・・・」

という謎のフレーズ発見したことを思い出した。あの時は「愛の賛歌」じゃなくて「愛の絆を」の間違いではないかと思ったりもした。今もって本当の意味は解らないが、「吉田拓郎」「愛の賛歌」が、彼女の歌のおかけでソウルをもって結ばれた感じがした。

2017. 11. 24

"金曜日の朝" 吉田拓郎
"金曜日の本" 吉田篤弘

"金曜日"と"吉田"以外、両者には何のつながりも無い。
お互いを認識すらしていまい。
しかし、自分の思い込みの中では深く通底してしまう。

小学校の頃、校庭の木に登ってトランジスタラジオで"金曜日の朝"を聴いた
という知り合いの某画伯の姿も浮かんでくる。


さぁ、何を読もう!
本はいつも同じ声で 同じ話を 同じように語ってくれた。
そんな安心なことが他にあるだろうか・・・・・・・
                   (帯の文より)

さぁ、何を聴こう!
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2017. 11. 25

 「ローリング30」から1年さかのぼる40年前の今日は、アルバム「大いなる人」の発売日だった。連日ラジオ出演してのプロモーションがもの凄かったな。
 学校帰りに、いそいそと例のおばちゃんの店で買って帰って、一曲目の「あの娘に逢えたら」を聴いて戸惑ったものだ。なんなんだこりゃ。前作の一曲目「明日に向って走れ」、前々作の一曲目「ペニーレインでバーボン」を初めて聴いた時の衝撃や感慨とは全く違う意味不明な場所に連れ出された感じだ。長髪・ジーンズの戦う男の姿ではなく、短髪で高級なスーツに身を包むバブリーな社長御大が浮かんだ。
 宿敵富澤一誠は「インパクトがまるでない、拓郎はもうダメになった」と酷評していたが、自分の感想もほぼ同じだった(爆)。

 その何年か後、酔っぱらって終電もなく歩いて帰る途中、新宿でちょうど夜が明けた。高層ビルの窓という窓が一斉に朝日に輝いた。その途端、♪夜が明け眩しさが目にぃぃぃしみるぅぅという御大の唄声が頭に響いた。そうか、御大はこの景色のために唄っておいてくれたのだと思ったら泣きそうになった。
 あらためて時間を経て聴きなおすと「あの娘に逢えたら」を含む「大いなる人」が、音楽的に丹念に作り上げられていることに気付いた。遅い。ある種の余裕があるからこそ実に心地良い。御大の言っていたこのアルバムのテーマ「刹那から一日へ」の意味も少しわかったような気がした。それにこのアルバム全般の鈴木茂のアレンジにはそこはかとない品格を感じる。以来、鈴木茂は、私にとって品格のギタリストである。
 というわけで例によって御大に申し訳ない気分になった。「社長業の片手間に手抜きのアルバム作りやがって」なんて思ってすまなかった(爆)ってそんなこと思ってたのかよ。
 インパクトや刺激の有無は、一瞬のかりそめのものだ。私なんぞは、そこに目を奪われてしまう。やがてそれらが消えたところで、どんな音楽が残り、残ったものが何を訴えかけてくるか。奇しくも最近、御大が「クドカンドラマは何度か観てようやく面白さがわかる」といったことと似ているのではないかと思う。そして、今度、あの娘に逢えたら…歌うとしたら、どんなにすがたになるのだろうか。

 それにしても「大いなる人」から40周年か。不惑だ。こっちも不惑のファンでいよう。富澤おまえもがんばれよ。なんだこの斜め上から目線。

2017. 11. 26

 アルバム「大いなる人」の発売時、プロモーションのため御大は毎日怒涛のようにいろいろなラジオ番組に出まくっていた。御大がプッシュしていた曲は「カンパリソーダとフライドポテト」「おいでよ」の2曲だった。「カンパリ」はシングルカットだったけど「おいでよ」はこのアルバムで一番好きな曲だと宣っていた。どちらもかなりご無沙汰だ。

 で、御大の本当の目的は自分のアルバムの宣伝というより、その年の前月にデビューした原田真二のプロモーションにあったのではないかと思う。原田真二に話が及ぶと御大は「ヤツは天才だ」「俺の時代は終わった」「彼はオレを超えるだろう」と最大級の大賛辞を語った。「えー、自分の時代が終わったなんて、そんなこと言うなよぉ」とラジオの前で嘆いたものだ。
 このシチュエーションは、後年kinkikidsを絶賛する時と同じだ。御大は、相手に惚れこんでしまうと自らは捨て身で絶賛する。相手が輝いてくれれば、自分は日陰で踏みにじられてもいい…というような無私の賞賛を贈る。フツーは若手を讃えて自分もイメージアップして輝こうという魂胆が覗く人々が多い。でも御大は違う。そんな御大が歯がゆく、でも誇らしくなってしまうので厄介だ。

 原田真二…今でもデビュー3曲から、タイムトラベル、サウザンドナイツ、アワーソングぐらいまではよく聴く。イイんだこれが。ご本人の才能と魅力のみならず、松本隆、青山徹、後藤次利、瀬尾一三…そして最近亡くなられたカズ南沢…吉田拓郎がたくさんの才能を引き寄せて作り上げた音楽の結晶みたいでもあり、愛おしい。

 それにしても原田真二の失速はあっという間だったな。彼のやりたい音楽は別にあったということなのか。つまりは御大の壮大な片思いだったのだろうか。吉田・原田のことを考えるといつも♪冬のリヴィエラが浮かんでくる。

♪…人生ってやつは思い通りにならないもんだね 愛しければ愛しいほど 背中合わせになる…

 胸にしみるぜ。はっ、いかん、大瀧詠一で締めくくってどうする。

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2017. 11. 27

ラジオでナイト 第34回 2017.11.26

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。
 日常生活で、主婦の皆さんは家事に喜びや不満があるだろう。現状、殆ど撮影で妻がいないので自分は毎日家事手伝いをしている。このあいだ妻に「いつも家事していて、とても面倒なことがひとつある・・・」と言ったら「洗濯物をたたむことでしょ」と言い当てられた。
 「たたむ」という作業は、洗濯機や食器洗い等の作業とは違って、とても億劫で、ため息が出てしまう。「私もそう。たたむのは嫌だ。」と言われた。世の主婦たちが洗濯物をたたむ時、あーあとため息が出てしまうことだろう。
 男達よ、当然、家事は奥さんがやるものと思っていないだろうが、鼻歌歌いながら家事を楽しそうにこなしているように見えても、洗濯物をたたむときは歌は出てこない。主婦の方はご苦労様。ノーギャラだよ。無償の労働。男は感謝の意を示すべきだよ。本当に洗濯物たたむのだけは苦労だな、人生いくつになっても勉強だよ。

<自分に生まれ変わりたい、自分の人生を違う人生にしてみたいという投書>
 それだったら生まれ変わらなくても違う道を歩めばいいじゃない。なかなか違う人生を歩むことは(角栄のまね)難しいよ、きっと同じ人生を歩むことになる。また吉田拓郎に生まれたら、同じ成功と失敗繰り返すんだよ。

<今度は絶対男に生まれたい、好きなように寝転がって、拓郎さんやディランのように好きなように旅して山に登りたいし、つま恋も1人でのびのび行きたいという投書>
 なるほどね。女だから不自由ということね。つま恋では高校生は安全上、帰らされたよね。帰らなかったけど。僕なんかは女性がいいな。そっちの気があるのかな、いやんと言いたい(笑)。

<楽器ができて歌をうたえるイルカのような強くて素敵な人になりたいという投書>
 良かったなイルカ。強いんだなイルカ。昔、亡くなった旦那と家に来て、曲作ってと言われて、クジラのスーさん…を作った。

<寅さんになりたい、カバンひとつで啖呵切って自由気ままがいいという投書>
 男性にはこういうのはあるかもしれない。僕の父は、寅さんまではいかないけれどアジア系の放浪癖があって、九州の屋久島に行ったりしていた。東京に来ると必ずストリップに行く。吉田家で一番最初に飛行機に乗ったのも父だった。「どうだ飛行機で来たんだ、今日の俺は違っているだろう」と自慢されたが、いつもの父だった(笑)。新しもの好きで流浪の徒だった。
 心が旅をする男。いいなぁ。どうだい小池君。都知事じゃないよ。

 俺は寅さんには憧れないな。そうは見えないかもしれないけれど、もっと現実的できっちりとしたいのね。アバウトのように見られるけれど、こじんまり、きっちり生きたいのね。だから岡本おさみの心は全く理解していなかった。

■タイトル
(♪絞ったばかりの夕陽の赤が……歌う)
 こんな歌詞を歌っていながら、理解していなかったのかもしれない。心が旅をできない男。どうだい小池君。

 さて、中高年になってハマったもの

30、40代になってイケメンにたむろする追っかける女性が増えている。羽生結弦くんとかにハマれる。そういうのが今の女性にはある

30代女性  御朱印集め…神社好きとか山ガールこういうのはわからない。
40代女性  立ち食い呑み…   こういうのは趣味とは言わない--
40代女性  フェスでいろんな歌手を観る
50代女性  プログラミング…すごいね

20代男性   酒蔵巡り……渋いね。でも日本酒は4、50にならないとわからないだろう。俺は60代になってからだよ。それまでは酒蔵に番組で行ってもわからなくて番組が成り立たなかったことがあった。最近冷酒を一杯だけおいしいと思うようになった。

40代男性    競馬……賭け事はわかる。でも気をつけなさいよ。

<吉田拓郎という人生が大変だと聞いて、生まれ変わったら坂崎幸之助という言霊が降りてきたという投書>
 言霊と読めて嬉しい(笑)

<一時代を築いたスターに寄り添う人生がいいという投書のつづき>
スターとしての坂崎でないのね。スターの坂崎だったら、そうか?と言おうと思ってたけれど。

<高見澤俊彦、陰ながらの苦しみはあるかもしれないが、博識で独身で趣味多彩で美しい、憧れるという投書>
 確かに高見澤は、苦しみとかをわかってないよね、ワイン、美食と知識はあるけれど、味はわかっていないような気がする。高見澤、坂崎に憧れている人が全国に二人いたということで。

M−1  メリーアン   アルフィー


■CM明け
<故郷ではないが十津川村に住んでいた、自然が豊かで、美しい夜空だった、風に香るという投書>
 人間が苦手な人っているよね。僕は人恋しいほうかな。でも一人になりたいときがある。こういう自然の中に、自分がいれたらいいなぁと思うけど、都会のど真ん中にいるのでこういう自然の景色にはお会いできない。つまらないと思うが、旅は億劫だ。たまには広島、鹿児島に還ってみようかと思うけど、大阪でいいやと降りてしまう。

<パジャマを着ない人多いという投書>
 私はトレーニングウェアだよ。スエットで寝て、そのまんまん一日過ごす。ナイトウェアとルームウェアは同じパジャマだとゴミ捨てに行けないし。

<ハワイは拓郎さんがファンに感謝と労いの態度をみせるべき、上から目線ではダメだという投書>
 怒ってるね(笑)。怒るなよ。僕はそういう人間なんだから。これから自分がファンを楽しませる企画なんて考えられない。

<ハワイで、結婚しようよツアー、お見合い企画で、最後は拓郎さんと佳代さんが仲人になってハワイの教会でゴールイン、そこで拓郎ファンの男性をゲットしたいという投書>
いい企画だ。でも、来てるおじさんおばさんは辛いね。それにゲットしたい男はいるかね

無人島に持っていきたい
<資生堂アクアベール、肌が命だし、魚介類の調理図鑑という投書>
うちの人も肌が弱いのでわかる。ビタミン不足にりやすいなので僕もリポビタンD、オロナミンCを持っていきたい。

■今週のベストテイク  
 武田鉄矢から映画作りたいのでその曲の依頼があった。台本を送って来た。武田鉄矢とは、それほど親しくなかったし、関心もなかったが、「映画」という話に心が動いた。自分も映画に関心があったからだが、だいたいミュージシャンはみんな映画を作りたがる。小田、桑田、松本とみんな映画に憧れる。

 台本を読んだらよくできていた。武田鉄矢は、「幸福の黄色いハンカチ」で役者の地位を作り上げた。桃井かおりとのコンビも最高の、いい映画だった。あのカッコ悪さは、日本人には好かれる。逆ヒーローだ。
 その後、シリーズ化されて四作目に出演した。四国徳島まで行って、ラーメン屋で一瞬すれ違う役。待ち時間、植木等さんが女装して深夜に喫茶店で待っていたところに同席した。植木等さんが「大変だね」と声をかけてくれた。でも、女装して喫茶店で待っている「大変なのはあなたでしょ」と思った(笑)  セリフは「あ」だけだった。武田鉄矢は、低予算でよくシリーズ化したものだと思う。一作目の最後は感動的だった。そこにバッチリはまった。この歌を作って良かったと思った。広島弁が哀愁をそそる。ラストにはまって納得した。

 演奏は、当時の悪玉バンド。青山、中西、島村、エルトン、武部。レコードと映画バージョンと違う。映画が好きという人もいるが、今日はレコードバージョンで。

M-2 唇をかみしめて  吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング

 70年代イーグルス、リンダロンシュタットなどを支えたLAのミュージシャン。そのつながりで、今日は、J.Dサウザー。
 何が僕を刺激するかというと、時々聴こえるピアノがたまらない。コーラスもちょろっとだけどジャクソン・ブラウンがいたりして、これもたまらない。
 そして極めつけは、チョンチョンというギター。このギターがワディー・ワクテル、僕のバックを演ったことがあった。もともとロックンロールの人だが、この人のギター……誰でも(笑)、あららとしか聞こえないのが、肝なんだよな。
 ワディー・ワクテルでは、日本のツアーの時、一緒に過ごした。僕は音楽的に煮詰まっている時だったので良い経験ができた。
 旅先で「ボス(俺の事ボスって呼ぶ)、ワインには葉巻があうぜ」と薦められた。禁煙してんだけどしつこいので一服吸って、それからまた吸うようになってしまって、こいつのおかげで肺がんになったのではないかと思っている(笑)

M−3 You're Only Lonely   J.D サウザー

■エンディング

ハワイ…上から目線と怒られたけれど
無人島  老眼鏡はいらないか
生まれ変わったらなりたいもの、同級生はどうしているか……など

吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆日常家事お疲れ様です。先週テレビのニュースで、洗濯物をたたむ乾燥機が開発されて200万円するというのがあった。とあるコメンテーターが、そんなことにそんなお金出せないと文句を言っており、自分もそのとおりだと思ったが、おそらくは、御大の言う家事をしない人間の言い分なのだろうなと反省した。

☆大陸浪人、吉田正広氏。いいなぁ。フラリと一人で屋久島に行ってしまうなんて、とてもカッコエエ。屋久杉の森で何を思ったのだろうか。

☆拓郎ファンから見れば、坂崎さんはスターの側に寄り添う人かもしれないけれど、世間的に客観視すると、押しも押されぬスターの一人である。このことを忘れてしまうのが自分も含めた拓郎ファンの陥りがちな錯覚である。他にも、拓郎ファンが、浜田省吾を観て、「浜田、立派になったな、がんばれよ」とか根拠のない超絶上から目線になってしまうのと同じ錯覚である。いるのかよ、そんなやつ。いずれにしても、いつか心ある人々から怒られるので気をつけたいものだ。

☆唇をかみしめて  久々に聴いた気がするけれど、いい歌声に、いい演奏だねぇ。さすが悪玉バンド、万感胸に迫る。悪玉って(笑)

☆ 撮影の時に、植木等が御大に「大変だね」と声をかけたところが今日の感動のツボだった。その話が聴けて嬉しかった。当時すでに役者としても大御所になっていた植木等にとって、この映画は自分のキャリアにとってさして重要なものではなかったはずだ。それでも現場や出演者の方々に、心をこめてあたるところに植木さんの人柄が偲ばれる。「大変なのは植木さんあなたでしょう(笑)」という心の中の返しも笑った。
 自分は、やさぐれていた時代、吉田拓郎のみならず、植木等の映画にも救っていただいたので、この二人の夢の顔合わせがたまらないし、そしてその舞台裏の二人の光景がなんとも嬉しい。

☆JDサウザー。きっと浜田省吾も彼のこと好きだよね。そんな感じだった。

☆ワディ・ワクテル。キースリチャーズのソロツアーの時のギタリストとして知った。その人が、数年後、水無し川のイントロとか弾いててびっくらこいたものだ。キースも吉田拓郎も「ボス」なのであろうか。何か誇らしいぞ。

☆「クジラのスーさん空をゆく」。拓郎さんはなかなかタイトルを覚えない・・・とイルカが怒っていたことがあった(笑)

2017. 11. 28

☆さすがに家のボロいラジオでは聴き取りにくかったので、あらためて"You're Only Lonely"を聴き直した。チャラい映画で流れるチャラい歌としか思っていなかった私をお許しください。身を潜めるようなピアノとギターを見つけることができた。煌めきが見え隠れしているのがわかった。こういう抒情的なギターやピアノは御大の作品にも隠れていた気がする。フェイバリットやベストテイクのような御大からのレッスンをもっと早く受けていれば自分の人生も豊かなものになったろうにと思う。いや、まだ豊かな老後があるか(爆)。

☆クジラのスーさんで思い出した。

"空飛ぶくじら" 大瀧詠一
"空飛ぶ鯨" ちゃんちゃこ
"クジラのスーさん空をゆく" シュリークス(御大作曲)

歌ではないが、小学生の頃、怪獣で「空飛ぶ鯨サンダーゲイ」というのもあった。知らねーよ。

 70年代初頭、なぜにこんなにクジラが空を飛ぶのか。昔から疑問だった。

 しかも、大瀧のクジラと吉田のクジラが飛んでいる。空中戦か。がんはれスーさん!!…って、よしなさいっ!!

2017. 11. 29

ここのところ「監獄のお姫さま」を定時に視聴できない。

なので前々回の話だが、前川清と小泉今日子のデュエットがトテモ良かった。
この歌を聴いたことはあったけど、正確には知らなかった。

調べると島倉千代子の"愛のさざ波"というのか。

作詞 なかにし礼 作曲 浜口庫之助 そして島倉千代子
詞・曲・歌、三位一体の素晴らしい作品だ。
それぞれが御大と微妙な関係性・親和性のある布陣。
特に
"♪繰り返すぅぅぅ 繰り換えすぅぅぅ"
のところが御大ファンの自分の胸を揺さぶる。 

 ああ、この曲、おいらもキョンキョンとデュエットしたいな>あのな
 ダメなら松岡茉優でもいい>おめー、ただの一般人だろっ! 


 自分の中では「紅葉 c/w 愛のさざ波 島倉千代子」という勝手な妄想シングル盤が
チャート上昇中だ。

2017. 11. 30

 昔、フォーク酒場「落陽」さんに飾られていた、
 「しぼったばかりの夕陽の赤が水平線からもれている 岡本おさみ」
という色紙を観て、いたく感動した。
 また別の場所だが「襟裳の春は 岡本おさみ」という色紙も雑誌かネットで観たことがある。

 いいなぁ。それ以来、岡本さんの色紙がずっと欲しかった。ま、ファンなら誰だって超絶欲しいよね。いただく機会なんておよそあり得ないだろうが(実際、無かったし)、こういうのって日頃から準備しとかないとイザという時フレーズが出てこないだろう。それに、どんな言葉を書いてもらうか、あれこれ考えるだけでも楽しかった。そして、一旦、考え出すとあれでもない、これもでもないと迷って決まらないんだよ。

 「戻る旅に陽が沈んでゆく」「祭りのあとの淋しさは」…なんか一般的すぎる
 「夢はいつでも抜け殻なので」……ちょっと切ないか
 「命断つほどの狂気ではなく命救うほどの力でもないが諍いとなごみの狭間に流れてゆけ私の歌たちよ」
  ……ああ、いくらなんでも長すぎるよな(涙)
 「マンボウ」「食べちゃうぞ」「ぼくのおっぱいは申し訳なくて」……どーすんだよ、それ貰って。
 「打ちのめされ傷ついても生きるしかない」……それは松本隆だ(爆)

 ということで、あれこれ呻吟して、もし岡本さんが時間がなくて忙しそうだったら
 「アジアの片隅で」
 ちょっと時間があったら
 「月夜のカヌーで夢のつづきへ漕ぎ出そう」
を暫定一位に決めておいた。

 今日は思い返しながら、もう一度よく考え直してみよう。同志みなさんは、どんなフレーズを選ばれるのだろうか。

2017. 12. 1

 昨夜は、Ninijin design officeとの会議だった。飲み会ともいう。孤高といいつつ、こういうたまの飲み会が嬉しい。
 岡本さんのご冥福をあらためて祈ったあと、「それでは、岡本さんのみならず、御大からサイン色紙を貰えるとしたらどんなフレーズ書いてもらうか」という議案を提出したところ、即座に「肥後ずいき!」という迷いなき回答が出て、私の議題は虚しく瞬殺された。
 しかし「肥後ずいき」の時代を越えて(あれはあれで面白かったが)、こうして毎週、御大のひとり語り、音楽語りが聴けるとは思ってもみなかった。

 次の議題は「上から目線」。果たして御大は上から目線なのか、そもそも上にいる人なんだから当然じゃないか等と盛り上がる。でもひとつこれだけは言えるだろう、もし御大が上から目線ではなく、下からへりくだり目線の人で、例えば、布施明に怒られて反省して子分になったり、1分でもイイからテレビに出してくださいと売込みしたり、1曲でいいですから喜んでどこでも歌いに行かせていただきまぁぁす はあと、というような人だったら、日本の夜明けはなかったのだ。それは私たちの人生の夜明けでもある。だから上でも何でもいいじゃないか。

 そして本題は、ラジオの「マイフェイバリット」のコーナーの素晴らしさだった。御大に言われてYou're Only Lonelyを聴いて、あのピアノにみんなが泣いたという。拓郎ファンに限らず、毎週、吉田拓郎の音楽に対する慧眼と造詣の深さに驚く。
 これだけの人がこれだけ音楽について鋭く語るのだから、本来ならば他のミュージシャンや評論家にありがちな、”どーだオレって凄いだろ”という得意気感、”おまえらにはわかるまいが教えてやる”感といった、それこそ上から目線のマウンティング臭がプンプンするはずだが、吉田拓郎という人にはそれが全くない。御大は、いつも誰もがわかるように平易に音楽の魅力を語ってくれる。そして、その音楽の喜怒哀楽を通じて、聴き手がもっともっと聴いてみたくなるようなステキな世界への橋渡しをしてくれるかのようだ。
 この人は、どれだけ音楽を愛しているのか、どれだけ優しい人なのか・・・という全員の結論に至った。御大の音楽との、かくも深き結縁を讃えながら理事会…ちがう会議は平和に終わったのだった。

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2017. 12. 2

 先日、松本隆がテレビで「日本で良い詞を書いているシンガーソングライターは10人くらいしかいない」と発言したが、今週の「週刊朝日」の鼎談で、ちゃんとその中に「吉田拓郎」が入っていることが確認された。当然といえば当然だが、ちょっと心配だったので安堵した。
 ありがとうございます、松本隆さん、私も日本で良い詞を書いている作詞家10人くらいの中に、松本隆さん入っていると思います。……どうだ、こういうのを上から目線というのだ。
 この鼎談では、拓郎とユーミンに詞を書くときは特に緊張するとの発言もあって嬉しかった。

 もうひとつ聞き捨て、いや読み捨てならないのが、昔、松本隆、吉田拓郎コンビでショーケンの提供曲の話があったのだが、御大とショーケンが殴り合いの喧嘩をして無くなったという件だ(爆)。"かんばせ"以外にも作品のプランがあったのだな、

 幻の名作”うるわしのかんばせ”に関して私が聴取したのは、@81年オールナイトニッポンで御大曰く「ショーケンがある事情で歌わなくなった」A2011年オールナイトニッポンゴールドで御大曰く「ショーケンと意見が合わないのでメロディーを取り上げた」Bそして今回の松本証言に至る。……うーむ、長生きはするものだ。そして「さらば」で阿久悠が登場するあたりの妙味。Uramadoの「さらば」に付記せねば。

2017. 12. 3

 小学校低学年の頃、家に下宿していた親類の浪人生のお兄さんがよく一人でレコードを聴いていた。”悲しくてやりきれない”とか”風”とか歌謡曲とは違う歌ばかりで子どもにはいまひとつ意味不明だった。その中に”さすらい人の子守歌”というのがあって、意味はわからなかったけど子どもながらにカッコイイ歌だなぁと思っていた。大人になったら自分もこういうカッコイイ歌を一人で聴くのが夢だった。まぁ、その夢はわりとすぐに実現したが(笑)。実現したけど、だからどうしたという類の夢だわな。

 御大の第一回マンスリーコンサートで、はしだのりひこさんがゲストだったというのは後になって本で知った。当時、無名の新人の門出のコンサートに大スターがゲストで来たという感じだったのだろうか。はしださんには失礼かもしれないが、今にして思うと"花嫁"から"結婚しようよ"への継承盃みたいな気もする。もちろんともに後の世も永遠に生きる名曲として。心からご冥福をお祈りします。

2017. 12. 6

ラジオでナイト 第35回 2017.12.3
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

こんばんは吉田拓郎です。

<林部智史を応援している、という投書>
 ルックスもいいしスタイルも気持ちいいから(笑)伸びてゆくと思う。今度の曲も、我ながらいいと思う。阿久さんとのコンビで石川さゆりに作った曲も好きだった。ヒップホップにして冒険しちゃったけど、阿久さんも好きだったといってくれた。今度の曲も阿久さんに聞かせたい。

<志村けんの「だいじょうぶだ」で外は白い雪の夜が使われたという投書>
 今BSで放送中の「ドリフ不大爆笑」を全部videoで撮っている。加藤茶は天才。歌舞伎の役の時には腹を抱えて笑う。その加藤茶と志村けんの二人のコントが好きだ。

<監獄のお姫さま、クドカンワールド大好きです、クドカンは、話が飛ぶ人の方か理解できるという投書>
 これは鋭い。理路整然と話す人はダメかもね。話が飛んじゃう人。時間軸があっち行きこっち行き、伊勢谷くんがいろんな人になって登場すると何なんだと思う人もいる。こういうのにハマると面白いけど  わからないとツマらない。話が飛ぶ人というのはそうだね。

<ふーみん ウチのとまったく同じで、急に機嫌が悪くなりビクビクしているという投書>
 ふーみんという女性マネージャーがいた。インド好き。字はきれいだけれど字は綺麗だけれど運転が下手だった。港区の自宅から六本木のお店へ頼んだらも15分くらいしたらまた家の前を通っている、「この景色、観たことある」。「お店の向かい側に行ったけれど、店の前につけられないのでどうしようかとおもってむあちこち回ってしまった」「だったら向かいで降ろしてよ」「前に着けてあげたいと思って」…… 使えないな(笑)

 おれも、カミさんに「ねー拓郎」といわれるとドキっとする。義母も「ねーママ」でどきっとしていた。対処方法は、「なんで機嫌か悪いの」と問うた後に謝る。とにかく謝る。自分の部屋に閉じこもる。約半日から一日かかる。長いな、おい。そーっとトイレに行く。

■タイトル
 洗濯物をたたむ話をしていて、自分で何の番組なのかと思った。これが吉田拓郎の番組か。今の時代は、一昔前のサムライの時代ではなく、男女は支え合う時代ということを言いたかった。

赤ちゃんの名前  ランキング
男の子は、れん、ゆうま、みなと、ひろと、ゆうと、はると、ようた、いつき、そうた、ゆうと
…「ろう」とかいないね。拓郎、哲郎、二郎とかいないね

女の子は、ゆい、ひまり、りん、さくら、ゆうな、あおい、ひな、みほ、めい、ゆあ

ゆいは新垣ユイだからかな。子の着く名前がいないね、僕は陽子がいい。
もちろん佳代も(笑)

アメリカでは歴史的に、
ジョーン、ロバート、ジェームズ、マイケル、ジェイコブ、マイケル、ノア、リアム ウイリアム
メアリー、リンダ、リサ 、ジェニファー 、 ジェシカ 、 アシュリー、エミリー
エマ…
ボブ、ポール、ジョンとかはないのか

M—1 昔の名前で出ています   小林旭

■CM明け
ああ同級生。
<県内で進学校、国際結婚3 内科医、歯科医、CA、会社経営など錚々たるメンバーで、そして私は主婦という投書>
 主婦。それが大事なんだ。ただの主婦こそ日本を支えている。今度総理に会ったら言っておく。

<同級生で、岬めぐりとかやってフォーク三人組、ザ・ベストテンにドリカムで出てきて驚いた、スターになったことより29歳年下の嫁を貰ったことが羨ましいという投書>
 中村にもずいぶん会っていないな

<同窓会、ハゲ、白髪、腹が出て、病気の話題ばかりという投書>
 広島の同窓会でもそうだった。どれが生徒で先生かわからない。どこでもたぶんそうだと思う。暗い話題しかしない。

クリスマス。最低なクリスマスを送った人が多い
<結婚して初めてのクリスマス。御馳走作ってたら、旦那が炬燵で寝てしまって  心がつながっていないという投書>
涙がでます。気を使えよ夫。
<つきあって初めてのクリスマス  プレゼントもなかったという投書>
 プレゼントがないから…というのはどうかな。

 吉田拓郎が広島時代。クリスマスに女子大生と喫茶店にいた。よからぬことをたくらんでいた。コーヒー飲めないのでオレンジジュース飲みながら、これから映画観て、飲みに行って、そのあとどうなの?と誘うと、今夜はパーティやるから帰ると言われて帰ってしまった。喫茶店でボーっとなってしまって、窓を眺めていたら、そこを車がスーッと止まって彼女はひらりとのって去っていった。
   (マークU 歌う)
♪わかってくれる ただ一人の君を‥‥‥わかってくれてないじゃない。

■今週のベストテイク  
 50歳の時にLOVE2という番組を始める。いろんな人にいろんなことを言われた。自分もやりたいことがあって、生演奏にこだわった。いろんな要望をぶつけたけれど、かなったこともかなわなかったこともあった。
 そして第一回ゲストが安室さん、横にキンキというセッティングに「ダメだこりゃ」と思った。辞表を懐に、いつ辞めてもいいと思ってマイナスな気持ちでいた。回を重ねることによって、彼らが「ピュアな若者」であることに気付く。大変な時間をかけてリハーサルをやっていくなかで彼らの気持ちがわかってきた。
 篠原ともえの存在も大きかった。最初は、ウザくて心の底から苦手だった。とにかく若者が嫌いで、渋谷で歩いている若者にケリをいれたかった。無用な怒りをもっていた。
そんな若者へのリスペクトが湧き、自分の中で変化が起きてきた。若者から教わるようになった。
着るものも変わった。自分で着るものに悩んでいた。50歳でどんなものを着るべきか悩んでいた。
 スタイリストから例えば、カムカムギターキッズの時に、Tシャツにダンガリーという昔自分が着ていたファッションを用意してて、またコレを着るのかよと思いつつ…これが俺に合うなと思うようになってきた。71歳だけど 50歳が転機だった。

 奥さんも長い間病気で苦しんでいたところ、ドラマに復帰した。池袋ウエストゲートパークの出演に悩んでいた。クドカンのドラマね。長瀬くんのお母さん役という今までの森下愛子
にない役だった。ちょうど自分もLOVE2の頃だったので、奥さんに前向きにすすめたことがあった。

 若者とロートルとどう付き合うか、なんとか接点を見いだせると人生はまんざら捨てたもんじゃない。言葉少ない若者だったが、無言のうちにいろいろなことを教えてくれた
番組の終了を聞かされてショックだったが、キンキと篠原にありがとうをいうべきだと思って。この歌を作った。全部僕のコンピュータ打ち込みだ。

M―2 ありがとう  吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング
 カントリーというジャンルがある。日本ではカントリー系はなくなっている。カントリー風のミュージシャンや音楽も減って来た。
アメリカでは、テイラー・スイフトとかいまだにスーパースターが多い。カントリーとロックと融合している。そこにはエレキギターの存在。カントリー風エレキギターがある。日本で一番これが上手いのが、徳武弘文。彼の指弾きは、天下一品だ。
 リックネルソンのこの曲は、これ誰が弾いているんだろうというくらいにい上手い。1985年リックネルソンは飛行機事故で亡くなった。この間奏のギターが好きで、好きでギターを始めたようなものだ。リックネルソンは、リオブラボーにも出るくらい甘いマスクだった。でもこのギターは誰なんだってくらい上手かった。誰か教えてくれ。

M−3 ハローメリル  リックネルソン

 あ、ギターは、ジェイムズ・バートン。プレスリーのバックでも有名だった。僕もペイズリーの豹柄のギターを持っていたけれど、徳武に、お前が持っていた方がいいとあげた。ジェームズ・バートンは、テレキャスターを愛用しているんだ。それで、自分もテレキャスター好きになったんだな。

 スチールギターを入れたりカントリー風味のフォークもあった。僕のシンシア、水無し川、吉田町の唄、これらもカントリーの影響を受けていた。かまやつさんなんかもカントリーシンガーだからね。

M−4  ヤングワールド リックネルソン

■エンディング
再来週  クリスマスナイト   (♪クリスマスイブ)よくできた曲だよな
ハワイ、生まれ変わったら、同級生。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆ひどい風邪をひいてラジオを聴きそびれた。radicoって超絶便利だなと身に染みて思った。

☆「フーミン」。可愛らしい方でした。辻かや子さんといい女性マネージャー・スタッフには魅力的な人が多い。どうしても店の前に車を止めてあげたい、もう素敵じゃないか。

☆赤ちゃんの名前トップが「ゆい」って、新垣結衣ではなく、ユイ音楽工房から名付けたとは考えないのだろうか。>考えねーよ

☆クリスマスに「マークU」が生まれたのか。クリスマスに辛酸をなめた人ほど後に大成するという法則は本当だ。御大が、リア充なクリスマスを迎えていたら、あの名曲はなかったのだ。

☆「50歳が人生の転機だった」と言える71歳。こんな71歳がいるだろうか。
世のロートルは「オレの背中を観て学べ」とか得意気にいうが、若い人の無言の背中から学んだ御大。私たちは、こんな素晴らしき男のファンなのだ。山下達郎のクリスマスイブがいかに名曲だろうと関係ない。拓郎ファンとして胸を張ろう。

☆Uramadoのありがとう 篠原を忘れてた。ごめんな。

☆ストーンズもディランもカントリーとシンクロしている。カントリーというとどこかダサいイメージがあって申し訳ないが、アメリカでは、まさにかの国を開拓してきたフロンティアスピリットの象徴なのだろうと思う。ロックの魂と共鳴するのではないか。

☆はからずも、あ‥‥‥じゃなくて、御大のテレキャスター愛の秘密が解き明かされた、これは貴重ではないかと。

2017. 12. 7

 羽生永世7冠、私などにはもう言葉もない。ただ、やはり髪型が微妙に寝ぐせなのに感動した。あれは寝ぐせではなく、微妙な髪型としてセットされているのだろうか。

 病に伏せりながら谷村新司の地球劇場「甲斐バンド」の回を観た。
 吉田拓郎に忠誠を誓った私だが、甲斐バンドと浜田省吾はどうしてもツボだ。ツボ。つまりは”押せば命の泉湧く”のだ。

 張り詰めたあのボーカルは健在。80年の森永博志のインタビューで、御大が「オレがディランだとすると、スプリングスティーンは甲斐かな」と宣っていたのを思い出す。

 昔のライブで、警備員のバイトが女の子の観客を殴っているのを観て、間奏を長めにと指示を出しといて、ステージから飛び降りて警備員をぶっ飛ばした話、胸がすくようだった(笑)。

 キイハンターの非情のライセンスのカバーにはびっくらこいた。しかし、甲斐よしひろは多種多様な曲をカバーしてきたが、ほぼ百発百中だ。これもまたしかり。自分のボーカルの威力を理解しているのだろう。

 それにしても、谷村新司と甲斐よしひろが肩を組んで「安奈」を歌ってる姿は、御大の襟裳岬のデュエットに続いて複雑な気分になった。
 結局、この道は、最後に、みんな揃ってハンド・イン・ハンドという大団円に向って進んでいるのだろうか。

 いや、地球が平和になるのならそれもいいか。

2017. 12. 8

 御大が教えてくれた「AMY」を観直す。こういう体調の悪いときに観ると果てしなく落ち込んでしまう。
 ジョン・レノンが亡くなった時に御大は「結局、アブレ者、少数派は社会から抹殺される」と涙した。世界中が涙した中でそんな風に悲しみを表現したのは御大だけだったと思う。
 もちろんジョン・レノンとエイミー・ワインハウスは違う。でも、世の中やビジネスの大きなストリームに乗り切れなかった彼女は、結局、追い詰められ抹殺されてしまったような気がしてならない。御大が昔から心配していた少数派、アブレ者が生きにくい社会の象徴のようでもある。
 しかしなんと素晴らしいボーカルなのか。少女とは思えない老練なまでの迫力がある。2003年デビューで2011年没。こちとらは、御大のビッグバンドツアー開始に、つま恋に、最後のツアー、そして首都圏ツアーを待ち焦がれるという短い時間軸の間に、彗星の如く現われ散っていった歌姫がいたのか。まったく歳とっても世の中は知らないことだらけだ。
 グラミーショーのシーンが好きだ。憧れのシンガーに会って心の底から興奮している表情、そして受賞を待つときの様子は、まさに年齢相応の少女そのものだ。自由な空気が充満するなかで心ゆくまで彼女に歌わせてあげられたらと思わずにいられなかった。

 くぅぅぅ地下の店で冷酒が飲みたい。

2017. 12. 9

 由紀さおりさんの”カンパリソーダとフライドポテト”を聴く。よくぞこの曲をチョイスくださったという感激、そして言うまでもない素晴らしいボーカルの仕上がり。断じて由紀さんのカバーに過不足があるというワケではない。
 しかし、すまん、鬼畜なことしか書かない思い込みサイトなので正直に言うと、このカバーを聴いて、御大の原曲をあらためて聴くと「あぁ拓郎、アンタものすげー歌うめぇよぉぉ」と思わず拳を握りしめて唸ってしまう。作った本人だから当然かもしれないが、暗い嵐の中を一点の朝陽を探して耐え忍ぶような情感をこんなにも見事に表現しえた吉田拓郎のボーカルにあらためてうち震えてしまうのだ。そして魂を共有するような鈴木茂のアレンジと演奏。カバーも素晴らしいがそのカバーによって原曲がより輝きを放つという…由紀さんには心の底から申し訳ない感想に至ってしまう。でも、どうしようもなくOne and Onlyな原曲の威力をあらためて思い知る。

2017. 12. 10

 今日は、神盤「今はまだ人生を語らず」(1974年)が発売された記念日だ。頼む。うっかり忘れそうなので、来年以降の新たな休日設定の際に、ついでに12月10日も「名作生誕の日」として国民の祝日に加えてくれまいか。他には11月26日,27日も「現代音楽夜明の日」で二連休にしてくれても良い。もちろんつま恋記念日も外せない。そう考えだすとユーミンではないが、毎日がアニバーサリー=記念日になってしまうか。休日ばかりで日本が立ち行かなくなるという正見もあろうが、別にいいではないか、そんなこと(爆)。良きものを大切に心豊かに生きてゆこうではないか。※個人の意見です>あったりめぇだ

2017. 12. 11

ラジオでナイト 第36回 2017.12.10
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

こんばんは吉田拓郎です。

<63歳年金暮らし、無人島へは年金手帳を持ってゆくという投書>
どこへ行こうとしてんのよ(笑)  保険証、米穀手帳はいらないだろう。

<レコードプレイヤーを買ったが、奥さんに内緒で車に置いているという投書>
 そんなに悪いことしていないのに、なんで怯えるんだ。 ね、小池君。
最近、怯えている夫からのメールが多い

<人生初の入院で25年前の恋人と再会し結婚 60歳と50歳初婚同志という投書>
 へぇー良かったね。広島バンド時代のドラムのK君は、一人暮らしなんだけど、彼女がいて、再婚したらどうだいとすすめている。愛があれば、二人で乗り切ってゆけばいいじゃないか。なんかデレデレしてしまう。

<人とうまく接することができない、アドバイスをという投書>
 僕は礼儀正しく、低姿勢で人と対面する。相手を驚かさない。起立礼という感じで正しく。こういうのって、ひとえにどこかで好かれようとしている気配がある(笑)。前も話したけどいきなり朝青龍にファンといっちゃうし。とにかく人に好かれるには、そのためには礼儀正しい。もともとお茶の先生の息子だしね。
<番組ブログでスタジオが広すぎで寒そうという投書>
 観葉植物、囲いを置いてくれよ。橋口。ブログの写真、確かに寂しそうでもある。

■タイトル

クリスマスプレゼントランキング

小さいころ父親が長靴のお菓子を置いてくれたのを、そーっと薄目を開けて見ていた。あ、やっぱ親父なんだな(笑)。それ以降、ロクにプレゼントを貰ってない。

・男性へのプレゼント
1 財布、2マフラー・・・・嬉しいのかな
手袋、セーター、家電

 僕は素敵なボールペンとかが欲しいな あんまり高価なものじゃなくてね
手編みセーターとかマフラーとか勘弁してよ
 デビュー前後、手編みのセーター一杯貰ったけど、一応着てみるけど、サイズとか合わないし下手なものが多い(笑)

・女性へのプレゼント
1  ネックレス  2バッグ  3指輪 4花束…ピアス、財布、腕時計
…えーっクリスマスごときで、高いね。 ケリーとかバーキンとか、大変だな。
・子どもへのプレゼント
1テレビゲーム2ロボット3キックボード、旅行

 旅行は
1台湾2中国 3ドイツ4オーストリア5イタリア‥‥今、テレビ番組で、あなたの知らなかったイタリアにハマっている。パスタが旨そうなの。奥さんに作ってよという。イタリアは行きたいな。6チェコ 7アメリカ 8スペイン、行きたいな。食べ物美味しそうだし。食べ物ばかりだな(笑) 9香港10ニュージーランド‥‥‥白ワインが美味しいんだよ

<広島のジュリーのコンサートに行った、また対談してほしいという投書>
 沢田研二とはメールのやりとりをしている。旦那が女性に尽くすという最近のラジオのテーマだが、ジュリーも奥さんが朝早いと朝食を作って差し上げる。どうだい?沢田研二にしてからがこうなんだよ。沢田研二に憧れた自分としてはがんばらなくてはいけないでしょう。

M−1  カサブランカダンディ 沢田研二

■CM明け
ハワイ
<かつてハワイで拓郎さんは、船には乗らないは、山にはドタキャンという投書>
 そうそう。そういうことがあった、あった。そういう企画は通用しない。
僕はハワイでバスガイドをしたことあるけれど、その時も解説だけして、バスから降りるなと降ろさなかった。降りれない、降ろさない、そういうものになる。
上から目線じゃないからね

<メッシになりたいという投書>
 遠藤さんヤットさんの時代が変わって最近サッカーに燃えきれない。野球は横浜ベイスターズを応援している。横浜のCSシリーズ面白かった。
 サッカーでは、バルセロナのイニエスタ。遠藤のような芸術的な頭脳的選手。ただ頭が薄い(笑)。ウチの奥さんが好き。野球の解説の和田と宮本も好き。大谷君とか清宮君じゃなくて、和田、宮本なんだよね。とにかく、最近は、このイニエスタが好き。

<松島トモ子の子供の頃 、可愛いルックス、という投書>
松島トモ子、大人になってライオンに襲われたよね。

<堂本光一のお母さんになりたい 美しく天然な息子…という投書>
僕も光一のお父さんになって、かつては光一によく注意されたので、逆に注意したい。階段落ちはもう危ないとか(笑)
<美しく可愛らしい大原麗子になりたいという投書>
本当にすねたり、甘えたりする人。Love2のゲストの時、リハーサルに取り巻きの方々たくさん連れていらして、その中に藤村俊二さんとかもいた。取り巻きの方々に、「麗子  歌うから聴いててね」。リハーサル終わって、いざ本番という時に「麗子歌いたくなくなった」と言い出した(爆)
ワガママだな(笑)吉田拓郎もそうだけど、麗子ワガママだなぁ。

■今週のベストテイク  

「慕情」。武部聡志のアレンジが凄くハマっている。武部の場合、口頭で伝えたことがその場で対応されて生かされる。柔軟な対応をしてくれるところだ。間奏の転調とかあいつらしい良いアレンジだ。初めて河村カースケのドラムが参加。カースケの噂は聴いていたけど、実際にこの時会って、丁寧で正確でロック色が強いドラムだった。ああ、これツアーでやりたいな、いいドラムだなと思ったものだ。今こうして実現している。

時代劇のテーマ曲だった。美青年沖田総司を思う男の気持ちを書いてみた。男と男のラブソングを思ってみた。もともとラブソングが書けなくなったら限界だな、終点だなと思ってきた。我ながら、異性間でも通用するし、いい作品が書けたと自分ながら満足している。今、ニューアルバムにラブソングを書いている。楽しみにしてほしい。

ギターは、小倉正和。あの間奏転調するところ、鳥山と比べると型にはまらない感じで   ミディアム・バラードがたまらないな。

とにかく武部のアレンジが冴えている
M-2 慕情   

■今週のマイ・フェイバリットソング

ロックバンドの女性リードボーカリスト。女性が率いているという感じが凄かった。滅茶苦茶憧れていた。そういう後ろでギター弾きたい。中島みゆきにずっと言っているけど、瀬尾一三からお呼びがかからない。本当は、一度話、あったけど…お忍びで本人も内緒でギター弾くというプランがあったけれど、スケジュールが合わなかった。いつか「悪女」を弾きたい。

M−3 あなただけを  ジェファーソン・エアプレイン   グレイス・スリック

こういうのに刺激をうけた。憧れてしまって、広島時代にエキゾチックな南沙織似の娘を入れた。リードボーカルに据えてようと思ったら、吉田拓郎が、本気で恋をしてしまった。バンド内では恋愛はいけないのに入れあげてしまって。しかしその娘は 吉田拓郎に見向きもしないで 東京から来たグループサウンズについていってしまった(笑) 

 ショッキングブルー(弾いて見せる)。ヨーロッパのバンドだけどジェファーソンエアプレイン、グレイス・スリックを意識している。ボーカルのマリスカ・ヴェレスもそうだろう。この曲は、ビルボード1位で世界的にヒットしたし、あああれかとわかるはず。
M−4   ビーナス ショッキング・ブルー

■エンディング
クリスマスナイト  クリスマス特集

浦島太郎のような想像を絶する音源が出てきた。何しろ古い。

ハワイ、生まれ変わったら、同級生、最高のクリスマスなど募集。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆クリスマスにはさしたる想い出もなく、どこか他人事だ。でもさ、クリスマスころに開催されていた、御大はじめユイのミュージシャンが勢ぞろいする「来年もよろしくコンサート」、あれには一度行ってみたかったな。

☆沢田研二。最近あらためていろんなところでいろんな情報に接するにつけ、もちろん不世出のスーパースターであるとか超絶素晴らしいミュージシャンであることはもちろん、それを越えて、この人は「人物」なのではないかと思い始めている。気骨において、矜持において、思想において、ひとかどの傑出した人物なのではないか。これからこの人に自分も日本もみんな助けられるのではないかという予感がする(爆)。
 ともに安井かずみの薫陶と寵愛を受けた二人の男、フォーマルなスター沢田研二、インフォーマルなスター吉田拓郎。そこに考察すべき何かがありそうな気がする

☆イニエスタ・・・・なんか昔の永島敏行みたいな頭だ(爆)

☆星紀行は、過去のハワイの文句が言いたかったのではなく、それでは、どういうハワイにすればいいかの提案をメールの本文で訴えたのだが、そこはしっかりカットされた(涙)。ダメなのか。

☆そうだ、確かに「車窓観光」だった。バスから出ちゃいけないって、そんなのは吉田拓郎のハワイツアーと富士サファリパークだけだと当時は怒ったものだ。

☆御大がハワイに求めるものは何なのか。何を期待しているのか。難題だ。愛と悲しみと上から目線を越えて、人はどうあるべきかという、もはや哲学的な問いかけをしているのではないか。「コペル君、どうすれば吉田さん一行が喜んでワイハに行けるか君の魂で考えてみたまえ」 ってな感じで「君たちはどう生きるか」の世界に入ってしまっている気がする(爆)。

☆大原麗子さんのお話は爆笑した。
さて緊急妄想アンケートです。
★★★「麗子、歌いたくなくなっちゃった」という言葉を聴いた瞬間、

「おい、それ一緒じゃん!!」

と一瞬でも思いましたか?。★★★

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               (※あくまで当サイトの予測です…意味わかんねーよ)

☆「慕情」はいい歌だよね。カースケ氏の来歴がはじめてわかった。御大の抜擢だったのだな。
 十分におわかりと思うが、この詞のひとつひとつが、そのままファンの御大に対する思いなのである。よくぞこんなファンの深い愛を詞にしてくださったものだと思う。だから、十分、ファンに優しい御大だけれど、もっともっと優しくしてくれていいのよ(爆)

☆ニューアルバム、ラブソング上等だ、新曲制作の言葉に自信が漲っていたのが何より嬉しい。これは来年はいよいよニューアルバムに出会えるのか。頼むぞ。今日の放送のイチバン嬉しいところだった。

☆みゆきさんのギタリストプランは具体的に動いていたのだな。これじゃいつ何時フイに実現してもおかしくはない。耳を澄ませ、目を見張れ、そうだ油断をするな。って、さすがにどうやって注意していればいいのかわかんないけれど。

☆それにしても御大、浦島太郎って、いったい何を発見したんだ。

2017. 12. 12

 大原麗子さんの話に笑いながらも、彼女の切ない晩年もチラチラ思い出す。
 一人闘病されている時、ワイドショーのインターホン越しの取材で
「もう頑張れない。頑張ってきたから病気になったの。私、もう頑張らないです。」
という彼女の悲痛な叫び声が耳に残っている。
 何の解決にもならなかったかもしれないが、御大の頑張らなくていいというあの歌を聴いてほしいと思った。

 取り立ててファンではなかったけれど、中学生の頃、石立鉄男とのドラマ「雑居時代」をよく観ていた。なんか最近の気がするけれど、石立鉄男も大原麗子も・・ああ気弱なお父さんの大阪志郎もみんないなくなっちゃったんだなぁ。あらためてご冥福をお祈りまします。
 そうそう、 山口いづみの歌うテーマ曲「そよ風のように」がメチャクチャ好きだった。

 そういえばLOVE2の大原さんの翌週回「篠原ともえ人形」にチョップを入れながら「大原麗子のアレンジはアレで良かったのかっ!!」と叫んでいた御大の姿を思い出す。あれは何だったんだ(笑)。

2017. 12. 13

 武道館のOpeninig”知識”のイントロでサックスソロになったら、いきなり彼にピン・スポが当たった。「あっ外人がいる!」と思った。そこからだった。

 どうしたって1979年はジェイクのサックスとともにあった。

 もちろんその年に限らぬ枚挙に暇なしの永遠のプレイたち。ああ、ジェイク。つい最近御大がジェイクの間奏を解題してくれたばかりじゃないか。心からご冥福をお祈りします。俺は何を聴こう、君は何を聴く。

(追記)

 厳かな鎮魂のピアノの後の攻撃的で踊るようなサックス・・・・・・「英雄」が最初に聴いたのジェイクの音だったと思う。そして、79年のサウンドは、これまた超絶なサックスの咆哮「されど私の人生」を始め、どれもこれもが愛おしい。その都度、Uramadoに渾身で書いたつもりだが、まだゼンゼン足りない。

 どうしたって、79年はジェイクとともにあった。それは音楽的に素晴らしかったという論評ではなく、私の燃えたぎる高校3年生がそこに一緒にあったということだ。

 そんなお祭りの喧騒から10年経ってやってきた“しのび逢い”。泣けとばかりに心のひだに沁みこむ。おっさんになってしまった心にも寄り添ってくれるかのようにジェイクのプレイは今もあるのだ。

2017. 12. 14

 サーロー節子さんのノーベル平和賞のスピーチ。Ninjin design の雨畑はこういう85歳を目指すことを決めたらしい。そうか、頼むぞ。

 「私の愛する都市は」「焼き尽くされ」という言葉を聴くと、どうしても“いつも見ていたヒロシマ”を思ってしまう。

 この曲をライブで初めて聴いたのは、1980年10月3日、新宿西口の都庁舎建築前の空き地で行なわれたTONYミュージックフェスだ。ラジオでの生演奏を別にすればライブ初演だったと思う。
 あのイントロのギターのピッキングに、ジェイク・コンセプションの奏でるフルートが静かに寄り添いながら始まった。たぶん最初で最後になってしまったジェイクの"ヒロシマ"だった。

 サーローさんが言う「光」は、例えば私なんかが「希望の光」などと口にする時の薄っぺらな「光」とは全く違う。被爆の地獄の中で本当の光を見たのだ。「光をわかちあう」という言葉が胸に刺さるようだ。勝手に結びつけて怒られるかもしれないが、この歌もその小さな光だと思う。わかちあうべき光であると確信する。

2017. 12. 15

 「監獄のお姫さま」も、もう最終回だ。伊勢谷友介といえばNHK大河「龍馬伝」では高杉晋作を演じた。あの高杉も熱演だった。競演者として御大は何を思ったのだろうか。

 さすがに武田鉄矢に福山雅治をどう思うかは聞けない(爆)。龍馬伝では、武田は勝海舟の役で、当時「この大役に満足している」と答えていたが、満足してるわけねぇじゃん!。もう怨念というか無念さがビシバシ伝わって来た。「悔しかろう武田鉄矢、拓郎ファンの前では泣いていいんだぞ」と言いたかった。

 そこへゆくと御大は別に伊勢谷くんに負けてないからいいのだが、ただ御大がスエットで椅子に縛り付けられている絵は想像がつかないな。

2017. 12. 16

 作家吉田篤弘のラジオトーク&サイン会にゆく。ささやかながら子どもの頃の小さな景色の話を共有していただけたし、例えば向田邦子さんのコアなお話も伺え、幸せな夜だった。懐古だけではなく、子どもの頃、少年の頃、体験した雑多なことの意味やしるしを今もきちんと考え続けている方だ。当然のことながら吉田拓郎の話は一つも出なかったが、例によって吉田拓郎のことを考えさせられた。私の知る"吉田"はすべてある種の天才ばかりである。

 ジェイクのショックが大きくて79年を繰り返し聴く。今宵は早くも「もうすぐ帰るよ」のサックスあたりで涙腺小決壊。ジェイクを聴くことは、御大はもちろん松任谷正隆、鈴木茂、島村英二、青山徹、エルトン永田、常富喜雄、石山恵三のミュージシャンの音をも聴き直すことだ。少年の日、当たり前のようにそこにいて、当たり前のように聴いていたことが実はすごいことだったんだとあらためて感じる。そして、この素晴らしいミュージシャンたちが、いかに今の音楽に魂をつないできたか、吉田篤弘よろしくあれこれ思うてみる。
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2017. 12. 17

 先日の阿久悠レスペクトコンサートをBSで観た。
 心の底から申し訳ないが、一番衝撃を受けたのが、デビュー前の石野真子のスター誕生での映像だ。私は当時真子ちゃんが好きで、レコードも買ってコンサートも行って全力で応援していたが、その私にしてからが、昨夜のスタ誕の映像を観て「おお、スゲェ!」と唸ってしまった。
 御大はことあるごとに「デビュー前の写真を観て石野真子がスターになるとはとても思えなかった」と述懐する。また御大だったか陣山さんだったか、デビュー当時の真子ちゃんに「最初に写真を観て、女子プロレスの方かと思った」とも言っていた。確かに強そうだ。レスラーとして正式にトレーニングすればきっと長渕剛より強くなったに違いない。いみふ。
 奥ゆかしい御大は、石野真子の事を通じて「自分にはアイドルを見極める目がない」と嘆くが、あの映像を観たら「いや、御大、そんなに自分を責めるなよ」言いたくなることうけあいだ。

 それにしても「狼なんか怖くない」は、今聴いても素晴らしいメロディーだね。誇らしい。
 そして、林部青年の「この街」。御大のメロディーをこんだけパーフェクトに隙間なく歌唱する歌手というのも珍しいのではないか。林部君、なんか髪型変だけど、素晴らしい歌唱で、御大のメロディーをピカピカに磨き上げてくれている。「この街」は名曲だ。とりあえず御大70代の代表作ではないか。繰返して観てしまった。

 亡くなられてなおこうしてレジェンドとしてレスペクトされる阿久悠、生きながら勲章貰ってレジェンドとして崇められる松本隆。
 そうなると、どうしても岡本おさみさんのことを思ってしまう。勲章はもちろん、死してなお評伝も評論すらもなく、詩集ひとつ出版されない。この無冠で無頼の作詞家のことは、いつの日か必ず誰かがとりあげて、再評価の光が当たる日が来ると信じている。そうでなければ、そんな国は滅びるがいい(爆)。
 再び陽の当たるその日まで岡本さんの言葉を大切に讃え、つないでゆくのは名も無き私ら同志の仕事ではないか。

2017. 12. 18

ラジオでナイト 第37回 2017.12.17

クリスマスでナイト

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

♪ホワイトクリスマス  ビングクロスビー

 メリークリスマス。もうクリスマスとお正月だ。早いな。
 最近はもう正月を家でやらなくなった。お節料理とかもういい。普通に、トースト、スープ、卵焼きでいいじゃんということにしている。クリスマスも同じ。
 暮れになると唯一やることが、お正月に店が休みなので年末に夫婦で買い出しに行くこと。買い物かごを押してついてゆく中、彼女がいろいろ放り込む。ごった返しているスーパーを吉田拓郎が歩いているわけ。いよいよ、そのシーズンがまた来るな。
 クリスマス、お正月といってもそう楽しみはない。  

 ニッポン放送管内では、年内最後の放送。来年は、1月7日から。

 "吉田拓郎ラジオでクリスマスナイト"

 4月から番組がよく続いたな。飽きっぽい自分で、そろそろ辞めたいというところだけど、なぜか番組に飽きていない。なぜ楽しいか、みなさんから楽しいメールやハガキが来るから。投書に元気づけられて成り立っている。毎週来るのが楽しみだ。

<洗濯物たたむのが億劫、私はおたたみが大好きという投書>
 天邪鬼としか言いようがない(笑)  
<洗濯物たたむのは面倒だが、干すのは楽しいという投書>
 君はどういう人か。
<洗濯物たたむ妻に感謝しろというが、でも自分でいろいろやっているという投書>
 自慢話でしかない(笑)  僕だってクリーニング受け取っているよ。「あーどうも」とか 好かれようとして(笑)
 最近妻の仕事の関係で、洗濯中に届け物が来る。トイレ行きたいときもあるんだ。
午前中11時ころに家事が終わって青息吐息。でも、もうすぐ終わるよもうすぐフリーになれる。

<洗濯と浴槽の掃除をしていますという投書>
 そういうメールをくれと言ったっけ?(笑)
 みんながこの話題に反応したことで、、男性がいろいろやっているというのがわかってきた。
 結構みんな働いているじゃん。拍手。夫婦円満の秘訣だよ。いいことだ。

■タイトル

クリスマスですから、いろいろあるでしょう

<昭和30年代鹿児島、靴下にふかしたサツマイモが入っていたという投書>
 貧しいな。ふかしたサツマイモ。鹿児島ってサツマイモがよく取れて、食わされた。
カボチャもそうだ。子どものころ「ドテカボチャ」という渾名だった。哀しいな、僕もそういう時代だった。サツマイモはうんざりだった。

<2013に拓郎さんがゲストにくるという直感でクリスマスの約束の観覧に当って拓郎さん登場、大好きな小田さんと拓郎さんを間近で見られて感激したという投書>
 大好きな小田さんと一緒…っておかずか(笑)

クリスマスをどうするかというアンケート。
・いつもより高いワイン
・夫婦でプレゼント交換‥‥‥  したことない
・彼氏いない女性を「クリぼっち」というらしい。クリぼっち、女友達と飲み会行く、SNSでつぶやく、自分へのご褒美で買い物…自分へのご褒美って大事。自分をもっとほめてやるべき。自分は自分から、もっとご褒美をもらっていい。
・クリぼっちは、仕方ないので大掃除する…寂しいな
・彼女のいない男性は、後輩と飲みに行く、ガールズバー‥‥‥勝手に行きなさい。
・SNSとかで彼女の動向をうかがう。‥‥ネットに依存するのは考えろ。
・早めに眠る…いいな(笑)

 外国ではクリスマスは家族で過ごしたり、教会にゆく。おふくろはクリスチャンだったので、教会から讃美歌隊が家の前に来て歌うのが恒例で、これが恥ずかしくて、うるさかった。

M1 赤鼻のトナカイ  ディーンマーチン


 次は浦島太郎ばりの古ぅーい音源です。

■CM明け

 僕が高校時代、広島で過ごした。同級生とバンドを組んで、学校では軽音楽愛好会でさまざまな音楽を楽しんだ。
 その頃の音源がある。1961、2年、つまりは55,6年前の音だ。高校時代の吉田拓郎の音源がある。これは聴かない方がよかったかも。浦島太郎的で、こっぱずかしい。

M-3 ヘイポーラ  ポールとポーラ

 なつかしいな。ポールとポーラの二人が歌うのを聴いてこういう関係に憧れた。ポーラを求めていたんだけど、全然モテなかったので。音楽やっていたのにモテなかったな。当時は不良、ナンパというイメージだったのだろうか。結局、理想のポーラに会えなかった、準ちゃんはいたけれどそれは別格だった。

 演劇部の岡田しげみさん一緒に歌ってくれた。藤井君というプレイボーイズで一緒だった歯医者の息子の家で、彼の家にピアノがあったので、吉田拓郎がここで歌った。

M-4 ヘイポーラ  岡田しげみさんと吉田拓郎

 いやあ、こっばすがしい。こんな音源よくあったな。

 高校卒業にあたって記念のテープを残した。オープンリール9.5という長さのやつ。高校時代からこういうことやっていたのは凄いな。全国で藤井、神庭、そして吉田拓郎の三人が持っている。  その卒業記念のテープを作った時に、ナレーションが欲しいということで、放送部のにしずみみゆきさんという一級下の女の子に頼んだ。
 (ナレーションを流す「・・・・だって通じあっているんですもん」)
 よくできたテープだな、シロウトにしてはと思うけれど、恥ずかしい。

 極めつけは正路正子さんという一級下の自転車屋さんの娘。「ワシ曲作ったけん 歌うてくれんか」ということで、作詞作曲しているけどダセー曲なんだ。

M-5   ポッケの虹    正路正子さん

 ポッケの虹とじゅんちゃん(歌う)。どっちが先だったろうか。どっちでもいいじゃないか(笑)


■今週のベストテイク  

 大変なものお聞かせして申し訳ありません。でもたぶん続きが近々あります。

 クリスマスなので、今日はフォーライフで作ったクリスマスアルバム。
このアルバムは若気の至りで作った。フォーライフ自体も4人の若い奴らが夢みたいなこと語ってできた会社で、何もわからないまま踏み込こんで行った感じだった。陽水的に言うと「魔が差した」。自分もそうだった。クリスマスアルバムも僕の発案で、よくわかんないうちに、4人で出せば、1000万枚くらいいくと(笑)

 当時、渡辺晋さんや田辺昭知さんから「会社ごっこは面白いか」と聞かれた。社長をやってから特に面白くなかった。新人の売り込みなど頭さげて芸能プロの行ったりするのは面白くなかった。

 このレコードは実によくできていたが、レコードを買う人は、4人集まっても4倍にはならずに半分になってしまう。後に、社長コンベンションで全国各地の各レコード店の方々にご挨拶に回ったけど、「売れると言われて大量に仕入れたのに、どうしてくれるんだ、在庫は」と怒られた。ゴルフ焼けした店長とかにいろいろ言われて、嫌な仕事だった、

 石川鷹彦、中西康晴らに手伝ってもらってディラン風にやってみた。ヘッドアレンジだけでその場で演って、レコーデングはとても楽しかったけど売上は楽しくなかった。

M-6  諸人こぞりて   吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング
 クリスマスといえばこれしかない。山下達郎によれば、バロック音楽のコード進行
こういうベースコードで作ったらしい。シュガーベイブの時代に未完だった。それが、後に♪雨は夜更け過ぎに・・・が突然ひらめいたそうだ。よくわかる。降りてくるときがある。僕だと「流星」は、ワッて降りてきた。達郎もあっという間に出来たらしい。それが永遠に語り継がれる歌になる。もはや国民的な曲。CMも印象的だった。初代は深津絵里らしい。僕は、牧瀬里穂が印象に残っている。
 山下達郎のボーカルはいい声だ。あそこは夫婦して、旦那も女房も(笑)いい声しているよね。こういう夫婦っているんだね。

M-7   クリスマスイブ   山下達郎

■エンディング

 ここで新しいテーマ、ユアフェイバリットソング。曲やアーティストの思い入れ。こういうところが良いというポイントを教えてほしい。

  生まれ変わったらも募集。所ジョージになりたいというのがあった。所ジョージとか植木等に憧れる人が多い。でも、所も大変な人生だよ、たぶん。遊んでいるように見えて。本当に遊んでいるなら凄いけど。
 こいつにだけはなりたくないというメールがあって、これは実名出せないな。僕もこいつにはなりたくない(笑)
ハワイ、同級生募集。

 ニッポン放送とは年内これが最後。吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆柳原加奈子の番組が、31日もルーティーンであると言ってたので一瞬びっくらこいた。「こりゃ大変だ!御大のラジオは31日から元旦またぎでカウントダウン放送するのか、→そうなると生だよな、→そうなったらニッポン放送で出待ちするぞ!と覚悟を決めた。
 今年は「紅白歌合戦」はもちろん「孤独のグルメ大晦日スペシャル」も「コント55号の裏番組をぶっ飛ばせ」もあきらめようと思った(爆)。コント55号はやってねーよ。
 しかし、すぐに年内最後の放送というご託宣があって、すべては夢と消えた。

☆「ひとりで語るラジオ」。お疲れ様でした。御大ありがとう。みんなの投書が番組を支えてくれた・・・・なんて谷村新司が言いそうな面映いセリフを言われるとこっちも恐縮してしまう。でも、万感の思いをこめて、このラジオがあって幸せだったと言いたい。

☆もうすぐフリーになる御大。幸せな年末年始をお送り下さい。

☆予測しなかった高校時代の音源。御大は奥ゆかしいから、こっぱずかしいと謙遜しまくりだが、やっぱり若き御大の声は魅力的だし、音楽のクオリティもトテモ高いのではないかとまじめに思う。時代考証を考えると、相当な水準ではないだろうか。なにより音楽を愛する若者の心意気が伝わってきて清清しい気分になった。

☆「ポッケの虹」。いいじゃないか。これ、武部聡志にアレンジしてもらって、林部智史くんにあの美声で思い切り歌ってもらおう。無理か。


☆愛と哀しみのフォーライフ。そしてクリスマス・アルバム。
 会社の社長業の辛さを聞くと「悲しい気持ちで」を思い出す。そういう歌ではないのだろうけれど、社長業に身を削っている御大を思い出す。http://tylife.jp/uramado/kanashiikimochide.html
 勝手な思い込みで書いたけれど、ゴルフ日焼けの店長の話がちゃんと出てくる。御大の言うとおり、自分で自分を誉めてあげたい(爆)

☆このUramadoで言いたかったのはただひとつだ。「社長ごっこ」と世間は揶揄するし、音楽家としての御大にとって社長業の経験が良かったのかどうかは激しく疑問だろうが、それでも御大が命がけで社長業に取り組んでいたのは事実だ。
 せめてファンは、「社長ごっこ」など言語道断、このときの吉田拓郎の本気の取り組みに対して心の底から敬意を表したいものだ。御大アナタは良く戦ったよ。そんなアナタを誇りに思うよ。そうエールを送りたい。

☆「諸人こぞりて」は何度聴いても素晴らしいよね。ボーカルも演奏もすんばらしい。この曲のカバーとしては最高峰なのではないか。 中西のキーボードが冴えるオリジナル・ロックウェルバージョンの秀逸さはもちろん、エルトンのピアノが響くNHKビッグバンドバージョンも素晴らしい。
 きっとイエス・キリストも喜んでおられるに違いない神バージョンたちだと思う。

☆山下達郎の「クリスマスイブ」。フルで聴いたのは初めてだ。こんなの国賊の音楽だとずっと忌み嫌っていた(爆)。でもいい曲だとあらためて思います。今度は「流星」が降りてきた話を楽しみにしている。

☆ それじゃまた来年、よいお年を。本当に拓郎ファン諸人こぞりて幸せになる、よいお年を頼む・・・・と念を押す(爆)。

2017. 12. 19

“浦島太郎”と何度も言っていた。
 つい最近のことのように女子のフルネームまで御大はしっかり憶えていた。憶測だが、ああやって仲間と楽しくあれこれ音楽を作り上げるメンタルは、プロになっても変わらないのかもしれない。なので気分は同じままなのに、音源を確認してみたら、あらら、55年も経っていて、あっという間におじいちゃんになっちゃった・・・という感じなのだろうか(笑)


 それにしても小田和正のクリスマスの約束に御大を狙って応募して見事当選して会えた人がいるのだな。すんばらしい。“オレはおかずかよ”とか拗ねてちゃダメだよ、御大。ハラショじゃないの。
 ずっとあのテレビを観ながら、ナイスタイミングで涙を流したり、最高の笑顔を見せたりできる、あの異様に美しすぎる観客たちは、全員女優と男優だと思っていた。だから、“メンタルと生き様だけが”女優と男優であるワタシたちは絶対当選しないものとあきらめていた。でも神様に呼ばれるみたいに行ける人は行けるものなのだな。

 女優といえぱ今夜は最終回だ。

2017. 12. 20

 「監獄のお姫さま」。バンドのようなチーム感が出来上がって、なじんできたところで終わってしまった。せっかくだから、このチームで「オーシャンズ11」のように世直しの活躍を続けて欲しい。

 クリスマスになるといつも思うのだが、この2曲、

 山下達郎「クリスマスイブ」
   ♪ 雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう

 浜田省吾「ひとりぼっちのクリスマスイブ」
   ♪・・・みぞれまじりの雨が雪に変わってゆく

 「餃子の王将」と「大阪王将」みたいだ。>意味わかんねぇよ

 どっちの餃子にしようか。

※「>意味わかんねぇよ」等、この種のセルフツッコミは、爆笑問題の田中君の声で読んでいただけるとありがたいです>って誰に言ってんだよ
 

2017. 12. 21

 社長時代といえば77-78年を思う。学校にも周囲にも拓郎ファンはほぼ皆無だった。みんなアリスやツイストやらニューミュージックのLPを抱えて闊歩していた。皆無どころか、吉田拓郎は、過去の遺物で、古くてダサイものの象徴だった。歌やめてペコペコして落ち目のレコード会社のおやじになったと揶揄された。
 そんな中、「ローリング30」をどっかーんと発表して、79年のデスマッチツアーと篠島で嵐のように巻き返していく様は、映画「ロッキー」を観ているみたいだった。

 でも華やかなりしころはそう長くはつづかない。85年前後からの本人の撤退に始まる冬の時代は長かった。世間から完全フェイドアウトしてゆく、まるで氷河期のようだった。LOVE2まで氷は完全に溶けなかった。

 とても大事なのは、御大本人が氷漬けになっていたのではなく、その間も音楽家吉田拓郎は、ものすごい名曲をきちんと作って歌い続けていたことだ。だからこそファンも辛かったのだ。

 幾度の氷河期を超えた同志よ、よくがんばりました。お互いを褒めたたえたい(爆)。

 そこまで話が及ぶと、何度でも言いたいが、金沢の時、世間の総バッシングの中、金沢中署を取り囲み、炎上の日々を拓郎を信じて乗り越えたファンの方々に限りない尊敬を感じる。自分だってその時拓郎ファンだったら…などと軽々には言えない。それぐらい大変なことだったと拝察する。あの時のファンの方たちの素晴らしさを魂の底から讃えたい。
 最近いろんな著名人や有名人の方々が「実は吉田拓郎さんの影響を受けています」とカミングアウトしている。若者たちが言ってくれるのは心の底から嬉しい。しかし、同世代以上の年齢のカミングアウトには「何をいまさら、氷河期には黙っときながら」とどこか不信感を感じてしまう、ああ、小さな俺を許してくれ。

2017. 12. 23

 仕事帰りの電車が東京ドームや武道館のコンサートの終演時間とぶつかると超ラッシュで最悪だ。ジャニーズ系だと一様に顔写真入り巨大ウチワとペンライトとグッズが詰まったでっかいトートバックを抱えてる。
 矢沢永吉の武道館の終演時、九段下の駅のホームが、リーゼントに首からタオルをかけたその種の人々で超満員だったときの圧巻さといったらなかった。ホームにいるのが怖かった(爆)。これが谷村新司のライブだと、おでこを剃ってチョビ髭生やしたオヤジでホームが埋まるのだろうか。>そっちの方が怖ぇよ

 最悪と書いたが、それは電車が混むという事だけで、みんなのコンサート帰りの蒸気した幸福感みたいなものが横溢していて、それはそれでいいものだ。ああ、羨ましいなと御大の公演に思いを馳せてしまう。
 
 終演後の私たちはどう見えているのだろう。高齢男女集団といってしまえばそれまでだが。昔と比べると、公式シャツやパーカー、帽子の着用率は高まっている気がする。79年のみょんみょんのキャップなんてピザの配達員みたいだったけど、今はおしゃれなものが多い。グッズのクオリティも高くなっているよね。70tyなんてイキだったし、ディズニーとのコラボは結構びっくらこいたものだ。

 で、私の切ない希望だが、この↓大いなるのNever shrink back のロゴを是非、復刻してTシャツとかのアパレルやグッズにしてはくれまいか。やはり いろんなロゴがあれど歴代最高のロゴだと思うのだが。勝手に復刻すると怒られるんだろうから公式で是非お願い。
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2017. 12. 24

 79年のセイヤングだと思うけれど「ユーミンと二人で岩崎宏美の歌を作ったけれどボツになって、今ユーミンと二人で泣いているんですが(笑)。僕のメロディーのせいです。」と語っていた。あれが「時の女神」のことなんだろうね。アルバム曲として聴いたけれど。最初は凄く詞と馴染んだいいメロディーだったけど、後半、突如失速する(笑)。なんか演歌みたいに岩崎宏美が唸る。‥‥‥かくして提供曲の岸辺に打ち上げられてしまったのだ>どこの岸辺だよ

 さて、今日はクリスマス・イブだ。当然に御大の「諸人こぞりて」を聴く日。諸人こぞりて御大をライブに迎えまつらんと祈りをささげる日だ(爆)。ああ、御大よ、雨が雪に変わろうと、私のしぼめる心に花を咲かせ、この世の闇路を照らし、悪魔の人牢から解き放ってくれ。

2017. 12. 25

 サンタクロースが来てくれたみなさんおめでとうございます。私を含めて来やしなかったみなさん、来年は良い子になりましょう。

 知り合いに教えて貰ったyou tubeの「オールトゥギャザーナウ」のエンディングを観た。ああ、もう全編を公式で出しなよ。

 花束贈呈の薬師丸ひろこをハグする伝説の吉田拓郎の姿が見られる。この時絶頂アイドル&スターの薬師丸ひろこを、おかまいなしに無造作に抱きしめる。このカッコ良さと不良の色香を感じさせるハグ。これ以外の同意なきハグは全部セクハラと断定してもいいくらい世界一美しいハグだ。いみふ。

 それから21年後、LOVE2に薬師丸ひろ子さんが出演した時、ひろこさんの方から、昔、花束差し上げたことがありましたね…と話を振った。
 その時、御大が、恥ずかしそうに俯いて小さな声で「申し訳ないことをしました」と叱られた小学生のようにつぶやいたのを見逃してはなるまい。

 どっかで薬師丸ひろ子さんに会ったら(>会えねーよ)、「あの時はウチの吉田が失礼しました。しかしあなたはなんと幸せな女優だ」とファンとしてフォローしておきたいものです。

 20年の歴史は、ドンファンな色香とシャイネスという両極端の吉田拓郎を見せてくれた。この幅広い両極端の中にいるのが吉田拓郎だ。だからわかったようでわからない。いや、もしかするとこの中にはもういないかもしれない。He is not thereだ。見失わないようにその背中を来年も追いかけてまいりましょう。

 今年もお世話になりありがとうございました。どうか良いお年を。明日も書くけど(笑)。

2017. 12. 26

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 昨夜、家族・親族は、ジャニーズのコンサートに行ってしまい、当然のように置いていかれた私は地下の店で冷酒をいただいた。それはそれで楽しかった。ライブの方も凄い熱狂だったとのこと。狂乱の中、テープを拾って来たらしい。いいよね、音楽は。

 彼らのツアータイトルが“untitled”=「無題」「肩書のない」
 一瞬、「無題」って、おめーら、あの名曲をパクったな!!と、オールを振り回して暴れたくなったが、どう考えても関係はなさそうだ。>考えなくても関係ねーよ
 「肩書のない」という言葉で浮かぶのは、御大のマイフェイバリットでも紹介された浜口庫之助さんだ。今、静かなマイブームでもある。

 1990年にハマクラさんに叙勲の話が持ち上がる。

(以下ハマクラさんの文章)

  「文化庁から電話で打診があった、平成2年の夏のことだ。家内も友人たちも受けるようにすすめたが、ぼくはやっぱり断ることにした」

 「『芸術家は肩書を持ったときに死ぬ』これが僕の信念だ」

 「人生のラッパ手として、長い間吹き続けてきたのは、金が欲しいからでも、権力を得たいからでもない。ここで勲章を受けたりしたら、いままで僕がやって来たことは何だったのか、ということになる」
                           (以上 ハマクラさんの文章)

 勲章をもらった人を非難したいのではない。松本隆や桑田佳祐や小田和正にあてつけているのでもない。いや、正直、少しはあてつけている(爆)。

 勲章を貰う人生と貰わない人生。また私のようにおよそ貰うワケのない人生。その他に、敢えて貰わない人生というものがあることを思い知った。人生はそれぞれであるが、私は、浜口庫之助さんに眩しい憧れを感じる。
 「人生のラッパ手」とは、なんという深い言葉だろうか。

2017. 12. 28

 昨日は長野へ出張。軽率にも薄着・軽装で出かけたら、駅を降りると雪国だった(爆)。突然、現れた超絶寒い雪景色に、ペギラが来たのかと思った(ウルトラQ「東京氷河期」参照>誰が参照するかよ)。
 帰りにはすっかりタクシーも出払いバスもなく、駅までの夕暮れの2キロの道を迷い子になりながら雪の中で彷徨った。超絶寒く気分はもう遭難だった。雪がいっぱいありながら「雪」も「外は白い雪の夜」も「ありふれた街に雪が降る」も浮かんでこない。ひたすら「二十才のワルツ」の♪ある時は、朽ち果てて野に倒れることもある・・・が脳内で繰り返されていた。
 やがて遠くに駅舎の明かりが見えると安堵のあまり頭の中で、マチャアキのビブラートがビンビンにきいた「街の灯り」が壮大に流れた。すまん、御大の歌じゃない。
 

2017. 12. 29

 録画していた「クリスマスの約束」をようやく観た。

 今年はナレーションが斉藤由貴から財津和夫に替っていた。キビシィィィィィ!! って、それを言わないと気がすまない。財津和夫さん大変な時に申し訳ありません。

 番組では、かまやつさんを偲ぶ映像が流れた。ムッシュが「昔、小田さんに挨拶したら無視されたことがあって、嫌われているんだなと思ってた」と笑っていた。そうだよね、なんか最近は好々爺全開モードだけど、小田和正といえば、そういう無口でクールでいけ好かないという流通イメージがあった。
 御大が出演した時も、御大は小田に「君の方がひとつ年下なのに僕よか態度がデカイ」と文句を言っていた。態度のデカイ人から、態度がデカイと言われるのは、例えば、ジャイアント馬場から「君は背が高いね」といわれるようなもので、きっと心の底から態度がデカイのかもしれない(爆)。

 それに、拓郎ファンにとっては、御大の高齢新記録をその翌年にことごとく塗り替えてゆく決して愉快ではない人でもある。ちょうどマラソンでぴったり後ろについてきて、ゴール近くで思い切り抜いてゆくヤツをどうしても思い出してしまう。

 そういう悪態をつきながらも「クリスマスの約束」を観るたびに「くそー、いい歌だな」「ちくしょー、いい声だな」と不覚にも唸ってしまう。「それでも生きてゆく」のテーマ「東京の空」を聴けばいつでも泣く自信がある。

 なんといっても拓郎ファンにとっては、そんなこんなありつつも、やはり御大との”バディ感”だ。
 「他の歌手が売れるのは嫌だが、拓郎には今こそヒット曲を出してほしい」と苦言を呈した80年に始まり、85年のオールトゥギャザーの共演、90年代のスーパーバンドなどの甘いも辛いもあったろう数々のドラマ、そしていつまでも拓郎にギターの弦をもらった初対面の日のことを忘れない男。

 前にも書いた、つま恋2006で、「拓郎おおお!!」と叫んで柵を揺らしていたという都市伝説は特に熱い。
 そういう熱いエピだけではない。御大は、つま恋2006に訪れた小田和正はじめたくさんのシンガーたちを,誰一人楽屋に入れなかったという。つま恋まで激励に来てくれた小田に御大が「ごめんね」とメールを書くと「わかってるよ」と返事が来たという。こういう静かなエピも心にしみる。

 「コウノトリ」の綾野剛と星野源、「ER」のアンソニー・エドワードとジョージ・クルーニー、「タワーリングインフェルノ」のスティーブマックイーンとポールニューマン、「男たちによろしく」の田村正和と古谷一行>知らねぇよ。ともかくバディ・ドラマの主人公の同士ように、相反しつつもどこかで固く結ばれている感じがする。

 だから、襟裳岬は一緒に歌わなかったけど、小田和正は、いい人だと思います。今頃ですが、2014年の答えです。

2017. 12. 30

 パソコン関係がダメになり、昨日は、私の唯一の電脳機器であるガラケーで泣きながら日記を書いた。

 悪いことばかりではなく、家に来てくれた電気工事のおじさんさんから、「この世界の片隅に」のクリスマスカードをいただいた。作業の時に家に本が転がっていたのを観たらしい。
 「もしやと思って。去年のものだけど、家族全員でクリスマスに観に行ったら人数分貰ったんで、よろしかったら。」と。超絶嬉しかった。ぶっきらぼうで言葉少なだったけれど、おじさんには心のこめられた深い「行間」があった。たぶんもう会うことはないだろうけれど、おっさんは同志だと思った。ありがとう。御大のカードと並べて祀った、いや飾った。

 片渕監督は、この映画を、未映画化部分をあらたに制作のうえ合体して長尺版を準備しているそうだ。

 「長尺版」で思うのが石原信一「挽歌を撃て」だ。名著と言うよりもこの道をゆく者にとっての必読文献の一つだ。80年に刊行されたが、翌81年に某音楽雑誌に「挽歌を撃て2」という単発記事が載り、その後89年からT’sの機関紙に「続・挽歌を撃て」が連載された。
「続・挽歌を撃て」は、現代ではあまり振り返られることのない、御大のさまよえる冬の時代=氷河期に、御大が、いかに素晴らしい音楽を作り生きてきたかを記した貴重な文献である。是非、オリジナルとの合本「挽歌を撃て・長尺版」を出してほしい。

 連載は特に最終回が好きだった。アルバム「吉田町の唄」の制作過程が記してある。

…拓郎の答えが返ってきた。
昼に思いついたという走り書きの便せんを僕に見せた。
“ねぎらい”と書いてあった。
  「いろいろあったけど、今ここに俺達はいて、わりとよくやってきたじゃないかと言いたいんだよ。あれをやりそこなった、あんな失敗をしたって、そりゃあ全てがうまくいったわけじゃない。でも頑張って来たことに思いやりを持ってもいんじゃないかという気がするんだ」



「ありふれた街に雪が降る」のデモが出来上がって、拓郎と石原が二人で聴き入る。シーンがいい。
  「いい曲だね」

デモテープをプレイバックしてつぶやいてみた。

  「うん、いい詞だ」

 拓郎も言った。他人からみると何だと思うこんな、いささかくすぐったいことが”ねぎらい”と言うのだろう。いい大人がふたりして、いい気分でいる。そして、ふと思う。僕らの世代はこんな時間が少なかったと。



 ここでも、二人の大人の行間で出来あがった絶妙の会話がいい。昨日の小田和正の「わかっているよ」と併せて味わいたい。


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2017. 12. 31

 ♪また年月が行ってしまうから、大晦日だ。紅白の勝敗は昔からどうでもいいと思っていたが、レコード大賞もすっかり誰でもいいやと思う。昔は、固唾を呑んで見守ったものなのに。

 紅白はどうでもいいと言ったが、どうでもよくなかった紅白が一度だけあった。その人が歌う姿に、お願い!!、しっかり顔を上げて!!、あのいつものオーラを見せて。どうしたの?、本来のシャウトをこの大舞台で聴かせてあげて(涙)、と画面に向って必死に祈った紅白があった。お願い、日野皓正さん、駆け寄って彼に気合い入れてあげて>ヤメロよっ!
 そんな風に観たのは私だけだったのだろうか。でも、その翌月に行った甲斐よしひろのライブで「あの紅白、あそこはどうしたって『落陽』を歌うべきだったでしょ。」というMCに共感を感じたものだ。

 というわけで今日は紅白ではなく79年大晦日の日本青年館へ飛ぶ。テレビで固唾をのんだ大晦日だった。当時、現場に行かれた方が羨ましい。
 ああ、ジェイクよ、屋根の梁を高く上げよ。いみふ。リアルタイムで放映を観たとき「ファミリー」の演奏が終わった後、眼に涙をいっぱいためた御大の姿が一瞬映ったのだが、後に観せていただいたビデオにはそのシーンがない。あれは幻だったのか。いやそんなはずはない。

 今年は何といってもラジオがよかった。今年だけがよかったのではなくこれからもこのラジオには感謝するに違いない。今になってこんな一人語りが聴けるとは思わなかった。というわけで、来年も”心が旅をする男”を信じてついてまいりましょう。

2018. 1. 1

 「正月は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」と一休和尚は詠んだらしい。さすが一休さん、魂のロックンローラーだ。

 御大、戌年の年男おめでとうございます。年男がめでたいのかどうかはわからないが、あのつま恋を翌年にひかえた還暦から、さらに一回りもの年月を歌い続けてくれた御大にひたすら感謝するしかない。

 とにかく世界が平和な年になりますように。そのうえで、できれば御大とファンにとって、かけがえのない一年になりますように。「延命地蔵」にお賽銭投げて祈ります。いみふ。

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2018. 1. 2

 今はご夫妻で静かな年末年始を過ごされているという御大だが、昔は超絶賑やかだったらしい。
 例えば、1982年1月のオールナイトニッポンで年始年末の様子を語った時は圧巻だった。
 当時の横浜のご自宅を舞台に@かまやつさん、森雪之丞、赤枝先生らとの忘年会A年末深夜から年始にかけての極悪バンド+ユイの年越し・初詣B元旦の武田鉄矢・西田敏行の家族揃って乱入の新年会という三部構成になっており、どれも抱腹絶倒だった。テープがみつかったら起こしてみよう。

 昨日の日記で「延命地蔵に賽銭なげて」と書いたのは、このAの初詣のことだ。大晦日深夜に泥酔し、零時を過ぎたので初詣に行こうと考えた御大一行。御大が調べたら近所に「延命地蔵」というのを見つけて、みんなで乗り込んだら、門が締まっていて、参拝客もいないし、賽銭箱もない。ところが、全員泥酔しているので「いいや、賽銭、投げちゃえ、投げちゃえ」ということで、みんなで門に向ってお金を投げて、「今年こそはベースが上手くなりますよう」「呪ってやるぞ」(爆)とか、お祈りしたそうだ。翌朝、まだ酔いが抜けていない御大は、今度は一人で行って、さらに一万円置いてきたという(笑)。

 後でわかったのは、そこは、神社仏閣ではない、犬や猫のペット専用の霊園であった。「そういえばジョンの墓、マリーの墓とかあったよ、犬猫のお墓だったんだ、ジョン、儲かったな(笑)」

 当時まだ若かった私は、このイカれた話(爆)を聞きながら、ミュージシャンってすげーなと感動したものだ。でもたぶん御大だけに違いない。

 この82年の正月、御大は36歳の戌年の年男だった。偶然にも犬の霊園に初詣に行ったというのは、何というめぐりあわせなのだろうか。時代に選ばれた男ということなのだろうか。よくわからん。

2018. 1. 3

 そろそろラジオが恋しい。レギュラーとはありがたい。しばし待てば必ずその時がやってくる。そしてまた日々を刻んでゆけるのである。

 私信だが、Ninijin DesignOfficeのラジオを愛する画伯、素敵なラジオの絵をありがとうございました。聴いたこともなかった「ラジオでナイト」。そのラジオを描いてくださいという雨畑氏の無茶な注文にもかかわらず、深謝です。どうしたって御大が何を話すのか、どんな曲を流すのか、そればかりに気をとられてしまうが、ラジオがあって、そこから深夜に吉田拓郎の声がこぼれるように流れている、そんな叙景がとても貴重なんだということを思わせてくれる。

2018. 1. 4

 「この世界の片隅に」のファンの私は、同じ2016年に公開された映画「君の名は。」の超絶ヒットを疎ましく思っていた。このヒットのおかげで、こちらの100年に一度の名画がかすんでしまったではないか。
 「君の名は。」のファンも、こんなに熱烈に支持されたのに主要な映画賞は「この世界」が持って行ってしまったことに納得いかないようだ。

 昨日地上波で「君の名は。」が放映され、自分もその一か月前に御大のために加入していたwowowで「タダなら観てみるか」と初めて視聴した。厳密にはタダじゃないけど。
 こりゃ凄いわと思った。どう凄いか語りだすと、ただでさえ、ダラダラ長い日記が、さらに長くなってしまう。簡単に言うと、ちょっと前に、同じような気持ちになったことがあった。
 一昨年だったか、新宿東南口のタワーレコードで、ちょうど発売したばかりの大瀧詠一の「DEBUT AGAIN」が宣伝のために大音量で流れていた。例によって「けっ。」とか思ったのも束の間、そのあまりの迫力に釘付けになり、「熱き心に」に聴き入り、「快盗ルビイ」あたりで泣きそうになり、「Tシャツに口紅」あたりでもう涙腺決壊となってしまった。思い切り恥ずかしかった。「Tシャツに口紅」って、御大の「サマータイムブルースが聴こえる」のパクリだ。いや同じ松本隆が書いているのだから何の問題もないのだが、拓郎以外の作品に使った時点で私にはもう立派なパクリだ(爆)。しかし、この時は、大瀧詠一の歌唱の素晴らしさに身悶えした。
 結局一枚分聴いてしまって、即お買い上げした。我ながら単純だ。昔、政治家が毛バリに引っかかる魚は頭が悪いと言って物議をかもしたが、その魚が私だ(笑)。

 いや、こんな私ごときの話はどうでもいいのだ。「君の名は。」に打たれた自分は、それまで反目していたが、「この世界の片隅に」と「君の名は。」という二大名作が、よくぞうち揃って同じ年に登場したものだと感嘆してししまう。なんか凄いぞ日本!と思わずにいられない。

 同じ年には、70歳を超えた御大の渾身のLIVE2016があった。多少文句も言ったが(爆)、あのライブの素晴らしさは、今もボディブローのように効いている。今も観るたびにあたらしい感慨と発見がある。生涯忘れられないライブになるに違いない。

 そう思うと、2016年という年は、後に、凄い年だったと記録、追憶されるようなそんな歴史的な年だったのではないかと思う。「LIVE2016」も「この世界の片隅に」も「君の名は。」も、2016年以前からの長い積み重ねがあってのことだし、その年に留まらず、これから幾星霜、未来永劫に何かを繋ぐように続いてゆくのではないか。ちょうど大瀧詠一が逝きてなお私を打ちのめすように結ばれてゆく、そういう凄さがある作品たちだと思う。嫌なことも多い世の中だが、こういう歴史的時間を一緒に生きていられるのだという僥倖を噛みしめたい。

2018. 1. 5

 テレビで「たけしの"小室哲哉は吉田拓郎に嫉妬し憧れて感謝していた"」を観た。すまん、そういうタイトルではないが、私にはそういう番組だった。いきなり直球のレスペクトの絶好球が飛んできて、嬉しいやら感涙するやらでドギマギしてしまった。

 この話をするのは、小室哲哉の暗転の話も背景に含むので、小室氏も勇気が要ったかもしれない。ありがとうございます。

 2009年秋の坂崎・拓郎のオールナイトニッポンの第一回だったと思うが、拓郎は、最近、小室哲哉に偶然会って、何も言わずにハグしてやったと語った。当時の小室氏は、私に言われたくないだろうが、超絶どん底で、人と会うこと自体がかなり辛かっただろうと拝察する。新聞でも10年前の拓郎との対談における拓郎の予言みたいなものも取り沙汰されていた。そんな中で、拓郎が黙ってハグしたという話はそれだけで十分に感動的だった。
そのハグの話を小室氏の側から聴けたのは嬉しかった。いうまでもなく、御大の思いは心の底から通じていたのだ。「泣きそうだった。いや泣いていた」という小室氏に、こっちも泣きそうだった。

 観てはいないが美しいハグだったに違いない。オールトゥギャザーの御大の薬師丸ひろこへのハグを世界で一番美しいハグとネットで書いていたヤツもいるが>それはおめーだろっ!、すまん、私もあの時はまだ若かった。
 @薬師丸ひろこへのハグ、A小室哲哉に対するハグ、Bつま恋での中島みゆきとのハグ、これを吉田拓郎における3大ハグと認定したい。>なんでおめーが決めるんだよ。

 もう少し、早くせめて年末にこの放送があったら「H jungle with Tは、拓郎の影響を受けている」と言った私を嗤った連中全員への年賀状に「どうだ私の惚れた吉田拓郎は素晴らしいだろう」と書いてやったのに(爆)。

2018. 1. 8

ラジオでナイト 第38回 2018.1.7

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 明けましておめでとうございます。吉田拓郎です。皆様、お正月はいかがお過ごしでしょうか。年末に妻のドラマの撮影が終了して平穏な生活が戻って来た。ダラダラとした年末年始、お節料理も作らず、朝から食パンと目玉焼きとミルクという普通の正月を過ごした。いろいろ億劫になってきた。クリスマスもステーキを焼いて食べたくらい。

 へーでまた(笑)初笑い(笑)。今年は一年どういう年にしようかと最初の希望を立ち上げて邁進するということが、若い頃にはあった。今年はこういう自分になるぞ、こういう男に生まれ変わるぞという決意したことがあった。でも今は「そんなもんになってどうすんだい。元旦初日の出、だからとどうなのよ」という気分になった。60歳過ぎたころからだ。

 ともかく日常は平穏無事が戻って来た。朝8時に起きて奥様がパンを焼いて目玉焼きで朝食、お昼が来て、うちの人は、梅干しのおにぎりが好きで、僕は、ケーキをつまむか、ヨーグルト。どっちかというと僕が女の子で、奥さんが大工の棟梁のようだ。そして今度は、夜をどうするかという話になって、お風呂入って寝る。一番平穏で幸せ、ありがたい日常が戻って来た。

 高校時代の秘蔵のテープ (ヘイへイポーラ)の反響。
<高校生の拓郎さんの声が素敵でよくぞ残してくれたという、女の子の声に度肝、小津安二郎さんの映画のようセリフだった投書>
 「お父様、○○でございますわ」と言う感じは昔の日活の吉永小百合、芦川いづみもそうだった
そういう時代だったのかな。うちの姉さんは違った(笑)。「あじさいの歌」の松原千恵子とか小津さんの映画の原節子さんとかそういう感じだった。にしずみさんもそうだったかもしれない。ともかく高校時代のこのテープは大好評だった。

<”ポッケの虹”が素晴らしい、じゅんちゃんより完成度が高いという投書>
(歌う)凄い時代だな。完成度は低いけれど、僕のオリジナル1号、2号。”準ちゃん”は、準ちゃんに聴いてほしくて作った、”ポッケの虹”は正路さんに歌わせたかった、というように目的は違っていた。でも、どっちもバカにされた。”準ちゃん”からは変な唄といわれた。
あのテープにはもう一曲凄いのがある。これは誕生日くらいに流そう(笑)。

<キュンキュンでした、高校生の拓郎さんを抱きしめたいという投書>

 こういうテープを持っている悪癖。神庭、藤井も持ってるんだろうな。今でも笑っているのかな
それに、正路さん、岡田さん、にしずみさんは、どういう人生を送られたのだろうか
とんと消息を聞かない。その後人生を知りたいな。

 年の瀬によく一人で食事していた。とんかつ屋の出前に、アボカドのサラダがあった。アボカドは、ハワイやロスでカリフォルニアロールに入っている。これが好きなんだ。アボカドはお醤油と相性がいい。このとんかつ屋のアボカド旨いんだ。何を言っているんだ。
アボカドが好きな吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル
 なんでアボカドか、脈略がない。

 さて、成人の日の思い出。

20代女性 高校時代の元カレが親友と一緒に参加しててムカついた。
……ハタチだから高校時代はつい最近だもんね。
40代女性 振袖が嫌でスーツで式に出たら親がガッカリした。

振袖の女の子を観て…なんていうの、声が小さくなっているけれど(笑)、成人式というのは、オトナになって、タバコ、酒、ナンパ、ちょっと悪いこともしよう気持ちがあった。仲間と結託して朝まで騒ごうぜと振袖の子たちと騒ぎまわる。最後、友達のアパートにみんなで転がり込んで。振袖が、振袖じゃなくなっている感じ(笑)

60代女性  美容師での着付けとセットに時間がかかって遅刻した。
……そうだな、初めての体験かな

30代  筋肉粒々の柔道部がオネエになっていて振袖着て参加していた。
……それは笑う。おまえだれだって感じだよね。

50代  袴姿の暴走族が大音量で騒いでいた。
……そうか、そういうもんでしょ。

 成人式とはなんでしょう。僕なんかは暴れるんだという感じ。イケないかな。晴れ着姿が晴れ着でなくなっているのが忘れられない。今でもばっちり残っている。凄い学生時代だったな。
 だって、大学は滑り止め大学。立教大学文学部を受けて、英語でわかんなくなって出てきちゃった。でも、合格しているかもしれないと発表を観に行った。何考えているんだ。
その滑り止めで行った大学なので、勉強なんてする気にならない。音楽、女の子、アルバイトに走るようになった。酒もタバコも覚えた。そして、不純異性交遊、古いな(笑)

M−1 20才 森高千里

■CM明け
 南海放送では土曜日。63歳の夫婦。
<このラジオで土曜日の夜の過ごし方が一変。放送後、夫のギターのコードの講釈や復習が始まる、これでギクシャクしてしまう、もともと夫は若いころコツコツとためて買ったギブソンで拓郎さんに心酔していたという投書>

 吉田拓郎に限らず  フォーソングなんてものをギター一本で高いギターを買って、弾いているやつなんぞは、♪淋しさのつれづれにとか家で歌っている人、そういう青春を送った人が多いけど、なんというの?どっかで人生観が狂っている。僕はそういうのは大っ嫌いだからさ(笑)

Amを弾く、演歌のスリーコードみたいだな

 こういうの大嫌い。せいぜいAm7だよ(♪あの娘に逢えたら)

 Amをドロンと弾く人たちが、そのまんまおやじになって。そういう人が家にいると奥さんも辛いわな。でもね。こういう人たちは一生抜けません(笑)

 この番組聴けば、変えてやる自信はあるけれど、番組を最初から聴いてきた人は、大部垢ぬけてきたよね。フォークソングはつまんないよなと思えてきたろう。そのために、マイフェイバリット、ベストテイクをやってるんだよ。来週はストーンズのブルースあたりをやってみようか

 AmをせめてEmにしてみな (♪旅の宿)
 自分のは、いいんだよ(笑)

<毎日の家事手伝いご苦労様ですという投書>
 今も、ついつい、洗濯物たたむのは俺がやるよと見ていられなくなってしまった。

<自分は妻から洗濯だけは頼まれない、下着をたたむ時どういう気持ちですか?という投書のつづき>
 とっちが表でどっちが裏なんだろうな(動作をしながら)。そんな感情は芽生えないよ。20代なら興味津々だったろう。  

<私は他人の食べ物とシェアするのはキライ、仕事関係者で、飲み残しのビールを入れたり、自分の食べのこし事のパフェをのっけてくる人が我慢ならんという投書>
 これは、もう○○ハラだな、最悪だな。余計なおせっかいする人がいるよね。頼んでいないのに焼肉を置いてくれる人。こっちは、ミノ食べたいのに、皿にレバーを置いてくるやつ。焼肉奉行とか、あれはよした方がいいね。

■今週のベストテイク  
 今回、ごしょうすいする(笑)…何言ってんだ。しょうすいしたら、まずいだろ。トイレでしろよ(爆笑)
アルバム「午前中に・・・」の「歩こうね」という曲。二人で歩いてきた道をこれからも歩いてゆこうという歌。変わらない心で助け合おうという歌。凄い決意とか大げさな決心のような強いものではなく自然体でゆっくりいこう。向かい風が来ても前を向いてゆこう、どちらが歩けなくなったら、声をかけあって、助けあって生きよう。少しずつでいいから歩こうねという、そういう人生を続けてゆこうというラブソングだ。いい詞が出来たと思っている

 ピアノは僕のアレンジの譜面通り。いちばんの肝は、ずっと全編に入っている男性コーラス。コーラスは組み合わせによる。例えば2016年のバンドには声が低いバリトンの土居(康宏)君がいて、コーラスの幅が広がって、演奏が非常にしまる。僕の好きなゴスペルのような感じが出る。
この時も若子内(悦郎)という低い声を出すヤツがいたのでゴスペル風でドラマチックなコーラスが出来た。

 もうひとつ、演奏は、ドンカマいわゆるメトロノームのようなものの正確なテンポに合わせて演奏することが多い。なので、リズムが走ったり、モタったりすることはない。
しかし、この曲だけは、自分のストロークのギター(実演)を聴きながら、おまえらこれに合わせて演奏してくれと頼み、ドンカマ排除で演奏した。自分のギターに合わせてみんなが演奏した。 そのためテンポが均一ではないが、それが雰囲気といい味を出している。


M-2  歩こうね   吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング
 ギターデュオ、メキシコかと思っていたがブラジルの  ロス・インディオス・タバハラス兄弟。これはなかなか知らないだろう。60年代のアメリカのチャートを聴いていた人は知っているかも。時代を越えて、シンプルで素晴らしいターテクとメロディー。とにかく素晴らしいロマンティックなんだ。

 原曲は、1932年頃にメキシコのロレンソ・バルセラータ当時のメキシコ大統領夫人に捧げられた
1957年にロス・インディオス・タバハラスがレコードにカバーして63年に大ヒットした。当時、僕もFENで聴いていた。いい曲だな、でも弾けねーなと思っていた。ギターテクニックなのかな。メロディーは覚えてもニュアンスが弾きづらい。時代を越えて名曲。

M−3 マリアエレーナ  ロス・インディオス・タバハラス

■エンディング
 今日来るとき ものの本で 人間には7つのLが必要だ。Love(愛),Lucky(運),Life(命),Learn(学び),Light(光),Like(好き),Link(絆)とあった。
受験の思い出 ユアフェイバリットソング 募集中。ハワイも生まれ変わったらなりたいものも引き続き募集中なのは、何度も聴いていればわかるでしょ、起立。そんな番組あるか、何回も言わせるなという番組((笑))

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆2018年の放送も始まってくれました。平穏な日常、静かなお正月おめでとうございます。

☆そうか、御大アボカドがお好きか。

☆晴れ着の話は、昔ならそのまま一気に下ネタ系に突き進む衝動が感じられたが、無難なところで引き返してきた御大。これがもっと若い頃だったり、また坂崎さんがいたりしたら、そのまま落ち進んでいたのだろう。

☆63歳のギター好きの拓郎ファンのご夫妻のメールは、ある意味ほのぼのとしたイイ話だと思うし、これが谷村新司や南高節あたりだったら、「すみません、僕の歌に免じて、ご夫婦仲良くなさってください」とか温かなコメントで締めくくったのだろう。しかし、さすが御大は、谷村でも高節でもなく、完膚なきまで吉田拓郎だから、容赦しない(爆)。「人生観が狂っている」「一生治らない」と厳しい鉄槌をくだす。どんだけ、フォークが嫌いなんだ。やはり、マイフェイバリットとベストテイクは、啓蒙と覚醒のためのレッスンなんだと確信した。それにしても、「あの娘に逢えたら」が出てきたことに着目。

☆「歩こうね」の解題。若々しい「歩け歩け」「私の足音」と比べるとどうしても高齢感が滲み出てある種の感慨に耽ってしまうが、そもそも比べることが間違いで、この「歩こうね」は心の底からラブソングなのだな。よくわかった。
 コーラスももちろん寄り添うようなピアノも魅力だと思う。そうか、御大のメロディーだったのか。御大のアレンジはここまで及ぶのだな。
圧巻は、ドンカマを排除して、御大のギターのストロークにあわせて演奏が組み立てられてゆくところだ。「テンポが均一ではないが、それが雰囲気といい味を出している」。凄いな。私なんぞにはわからない、プロの音楽家の技術と妙味を感じさせてくれる。乱れた晴れ着とお小水の話とアップダウンのなんと激しいことよ。

☆マリアエレーナ。御意。美しいです。そしてどこかで聴いたことがある。これって、コンサートの開場のBGMで流れていなかったろうか。少なくともこんな雰囲気の曲が流れていた。今度、機会があったら、ちゃんと前奏BGMからしっかり聴き入ろうと決意を新たにした。

☆何を読んだのか知らないが。7つのL。アメリカとかのウサン臭いビジネス富豪の人生訓みたいでなんだかなぁと思うが、確かにどれも大切なLであることに相違ない。
 しかし、Love(愛),Lucky(運),Life(命),Learn(学び),Light(光),Like(好き),Link(絆)。そんなのは全部、”吉田拓郎”の中に満ち溢れていますから。さらに”Live(ライブ)”,”Listen(聴く)”,”Loneliness”(孤独)とさらに三つ加えて、吉田拓郎の10Lと言ってもいい。私も十分、ウサン臭い(爆)

☆ユア・フェイバリットソング。またリスナーのメールとハガキにダメ出ししまくって終わるのではないかという嫌な予感もする。しかし、メげてはいけない、すべては、この道をゆくものにとって、御大からの厳しいLessnonなのだ。あ、11Lか。

2018. 1. 10

 行きつけの地下の居酒屋。大好きだった料理長が遠く行ってしまうと聞かされ超絶ショックを受ける。いつもその日の気分と時宜を察して選んでくれた抜群の冷酒、大切に大切に扱っているのがわかる築地で買ったという包丁、恥ずかしそうにそっと出してくれる裏メニュー。めでたい門出ではないかと思ってみるが、唯一の心ほどける居場所が無くなってしまう。外に出て夜の雑踏を歩いていたら、なんか世界に見放されたような気分になった。
 ♪なんだか俺達、荒れ果てた土地に取り残された孤児みたいだな 唄っておくれ、ラブソング・・・
 ああ、いいなぁ岡本さん、ああ沁みるなレゲェの拓郎。この日のために、こんな唄を作っておいてくれてありがとう>おめぇのためじゃねぇよ

2018. 1. 11

前回の放送で若子内さんのコーラスの話が出た。10年以上前、つま恋のjoinで、後ろのテーブルが若子内さんとコーラスの皆さんだった。これは情報チャンスだと耳をそばだてた。若子内さんは、ひとり滔々と日本の歴史について語っておられた。内容は不明だが、かなりトリビアな深いお話で、皆さん静かに聴き入っておられた。結局、私が得た情報は「若子内悦郎さんは歴史に詳しい」。トリビアだが、利用場面が希少な情報だ。しかし、胸にしまっておくのも、みぞみぞするので書いてしまった。繰り返す。「若子内悦郎さんは歴史に詳しい」。王様の耳はロバの耳か。

2018. 1. 12

 どんなに大女優になろうとも私にとって浅野ゆう子は"恋はダンダン"であり、片平なぎさは"純愛"である。そして風吹ジュンは、"愛がはじまるとき"。今、心の底から素晴らしい女優だと思うけれど、歌は超絶↓だったなぁ。

 話は違うけれど、フォークじゃないというのであれば、フォーキーなイメージのある作品たち「制服」とか「家族」とか、しかるべきバンドでカッチョエエと悶絶するようなブルースで聴かせておくれよ、御大。

2018. 1. 13

 久々にカラオケに行くと「まま音」という本人歌唱映像・音声があって、結局、中島みゆきの鑑賞大会になってしまった。大画面大音量が嬉しい。御大のもあればいいのに。本当にミューズが彼女に降りてきているようで実にすんぱらしかった。
 "♪南に還る船に遅れた痩せた水夫、ハーモニカ吹き鳴らしてる…"と歌われると、ああ、誰か彼を思はざる。豊潤なボキャブラリーの中から、いつも"水夫"を記号のように選ぶ中島みゆき。思い込みか。てか、このサイト、思い込みしか書いてないし(爆)

 曲ごとにおなじみのミュージシャンが各年代さまざまうかがえる。
 少年時代、いつもあたりまえのように観ていた、ステージの左右にエルトン永田と中西康晴が鎮座する光景。あれは、ほんに素晴らしいものを観ていたのだなと思いを新たにする。

2018. 1. 14

 「ムーミン」が大学入試に出題されてニュースになっている。ムーミン=アニメ・童話・子ども向けキャラクター=”そんなもの”をセンター試験に出しやがってという驚きが根本にあるような気がする。
 私も小学生の頃から「男の子なのにムーミンなんか読んで」、オトナになると「いい歳してそんなもの読んで」という冷笑の中を生きてきた。それと本質は同じだ。
 トーベヤンソンのムーミンの原作が好きで、そこにある種の共感を抱いているという人に、これまで実生活では2名しか会ったことがない。そのお二人とも拓郎ファンというのが心強い。アンケートをとったわけではないので、もっとたくさんの方がひっそりといらっしゃるかもしれないが。
 なぜ拓郎とムーミンなのか、あれこれ私が書くまでもなく、ムーミンシリーズのとある評論が語ってくれている。コンピューター技術者の方の小さなコラムだったが、この素晴らしい解題に胸を撃たれた。

「あなたにとってヘムレンさんは人生の勝者だろうか、敗者だろうか? まあ、人生に勝敗があるという考え方自体そもそもくだらないが、 ぼくは彼の人生をうらやましく感じる。それでもこの物語にやるせなさを 感じるのは、結局のところ彼は最後まで孤独だからだ (ちなみにムーミンでは「孤独」などという固い 言葉は使われず、「ひとりであること」と書かれていることが多い)。 誰からも理解されず、ひとりで自分の幸せをみつけるヘムレンさん。
 基本的に人というのは理解されないものだし、幸福は個人的なもので、 他人と完全に共有できるわけではない。 人生ってのはそういうもの -- ヤンソンはこれを、 あっけなく描き出してしまっているように見える。 (略)
 孤独が不安でしょうがない人 (ようするに「友達は多ければ多いほどいい」という人) にとっては、この物語は救いようのないものに感じられると思う。 でも、人はだれでも「ひとりであること」を受け入れなければいけない、 そして本当はそれはすばらしいものなのだ -- ムーミンにかぎらず、ヤンソン作品にはこうした主題がくり返し現れる。 ぼくはこれを、ヤンソンのエールだととらえている。 とりわけ後期ムーミン作品では変な奴が沢山でてきて、 基本的にみんな孤独だ。」新山祐介さん http://www.unixuser.org/~euske/doc/tovejansson/solitude.html


 ヤンソンを拓郎に置き換えれば、そのまんま吉田拓郎のライナーノーツとしても通用するのではないか。自分が、このサイトで膨大な駄文を尽くしてもうまく書けなかったことを、この方は、あっさりと的確に表現されている。この人の解題は僅かしかないが、今も時々繰返して読む達意の文章たちだ。

 大学入試に出題されたということは、キャラクターのそれはそれとして、この原作シリーズが時代を越えて残る古典への道を静かに歩んでいることを示している。吉田拓郎もそう生き続けてほしい。
 ともかくフィンランドに行くまでは、私は死ねないのである。
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2018. 1. 15

ラジオでナイト 第39回 2018.1.14

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。
 いま放送作家の小谷くんから、海外に住んでみたいと思ったことはないかと聞かれた。
アジア、ヨーロッパ、アメリカと世界中に行ったけれど、どこにも住んでみたいと思ったことはない。ハワイは大好きだけど、ここに住みたいというのはなかった。
 やはり日本人で日本が好きなのかな。日本を愛しているのかな。これは、世代の影響か。若い世代だったら自由に移住も考えられるのかしれない。ハワイは、また来ようとは思うけれど、住みたいねという話は妻とも一切なかった。

 メルボルンに、お客さんが好きなものを選んで食べて、代金はお客さんが決める店がある。凄いなと思う。代金は、お客さん次第というレストランが16年間も成り立っている。
 そういうやり方でも続いているのはどういうことか。お客さんの中には大変美味しかったから2000円のところに2500円払う人もいるのではないか、つまり多めに払う客がいるのではないかと店の人が言っている。
 メルボルンは世界で一番住みたい都市だそうだ。結局、街も、人の心の持ちようが大きい。そういう人々がいる街は住んでみたいなと思う。それでも行かないだろうな。

■タイトル
オトナと実感したこと。
20代女性 ニッポン放送関係者 おじさんのつまらない駄洒落に愛想笑いができるようになった。
…ははは(笑)
30代女性  デパートの化粧品売り場にビビらない
…どういう田舎の人なんだろう
広島のデパート、天満屋のマックスファクターにかわいい子がいたな。東京に行ったバンド仲間が、ミリタリージャケットを買ってきた、「スパイダース」みたいだった。それを借りて、その真っ赤なミリタリールックでデパートに行ったら、その子から「変じゃね」と言われたことがあった。

40代女性  自分でマンション買った時
…それはたいしたもの
50代  駅弁をジュースやお茶ではなくビールで食べたとき
…せこい
60代  初めてパーマをかけたとき
…それまでずっと直毛だったのかな(笑)

 初めてカーリーをかけた時、人生というか人間が変わった気がしたな。石立鉄男みたいになった。コンサートの直前で恥ずかしくて、帽子かぶって歌ったっけ。

20代男  回転でない寿司屋に行ったとき
30代男  ビジネスクラスに座った時
40代男  接待ゴルフ
…それはオトナというよりおっさんになっただけではないか。
50代男  ホテルの部屋でマッサージ頼んだ時
…はははははは。そんなのオトナじゃないよ、ただおっさんになっただけだよ。ダメだよ。

 僕がオトナになったと思ったのは、やはり若い頃女性を知って異性の経験を積んでかな。その後、後年ある曲を作った時、詩を書いてデモテープを作りながら、この詞は大人になったなと思った。それは「君のスピードで」を作った時。オトナになっちゃってるなと実感した。遅いってか?ってかという言い方に加藤茶が入ってないか。ドリフ大爆笑が大好きで観ているせいだ。

 ユア・フェイバリットソング。こういうふうに書いてほしい。

<ルイ・アームストリングの「この素晴らしき世界」、映画グッドモーニングベトナムの挿入曲、ベトナム戦争中サイゴンの戦士のためのDJをロビンウイリアムスが演ずる1987年の映画  サッチモという愛称でサックスの名手、ルイ・アームストロングあのなんともいえないしわがれ声、戦争で傷ついてゆく人々のドラマに自然と涙が出たという投書>

M−1 この素晴らしき世界  ルイ・アームストロング

■CM明け
 去年の暮れ。お騒がせしました。うちの人の仕事の関係で一人いることが多かったですが、その時観た映画で三本おすすめがある。

・ジョージ・クルーニー主演の「ファミリー・ツリー」。ハワイがロケ地ということだけでDVDを買った。景色が懐かしい。オアフのカハラ地区の近辺のカイムキあたりが映る。カウアイ島のプリンスヒルの周辺。ハワイが伝わってくる。

 事故で亡くなった奥さんの生前の浮気を突き止める。もはや現実は現実で何もできない。浮気の相手には家族もある。しかも浮気の相手は遊び、奥さんは本気。怒りのやり場もない。実にはかない、情けない。ファミリーツリーとはよく言ったものだ。
 ジョージ・クルーニーがいつも演ずるような役ではないが、飄々とこなしていた。なんなんだかなという結末だが、でもハワイが綺麗なんだな。

・ショーシャンクの空に
 ティム・ロビンスとモーガンフリーマンの囚人の友情。囚人流行ってるな(笑)。ティムが脱獄成功する。その直前にモーガンにいずれ出所したらメキシコの国境の木下を掘れと伝言しておく。やがて仮釈放のあとでモーガンがそのとおりにすると箱に現金とティムから手紙が入っている。モーガンはティムを訪ねてゆく。エンディングのなんていうエンターテイメント。 映画ならではの最後。最後に脱獄したら彼が捕まるのか、仮釈放の条件違反はどうなるのかという現実的な心配は置いといて、いいなぁという映画の終わり方。いい終わり方だ。

・しあわせの隠れ場所
 サンドラ・ブロック主演で、この作品で彼女はアカデミー賞を獲った。黒人少年を白人夫婦が引き取って、アメフトの選手に育てる。白人家族が実に心温かい目で迎えて、家族の一員として、周囲との困難にも負けずに生きてゆくという実話。少年は、ボルチモア・レイブンズで大成功して、マイケル・オワーという有名な選手になる。

 この三本、なーんか、いい気分になる映画。こうして一人暮らしを楽しんだ

 さっきのオトナになったと感じた曲。

M-2 君のスピードで  吉田拓郎

■今週のベストテイク  
 今週は1979年のシングル。春を待つ手紙。今は亡き愛すべきスタッフで、陣山俊一・直子の夫婦の名前を使って。中身は、つくり話で、こんな話はあるわけがないんだけれど。
 エレキギターのひとりが、鈴木茂。ミュート奏法が抜群。もう一人、ディストーションの効いたギターで、ソロ担当、青山徹。この鈴木茂、青山徹の二人が同じレコーディングで参加することはまずありえない。
 例えば鳥山雄司と小倉博和というギタリストが一緒にレコーディングするなんてありえない。両雄が一緒ということはあり得ない。だいたい一人で済ませてしまう。 鈴木茂と青山徹という二人の有名なギタリストが両方参加している。 
 後に「花の店」では、徳武弘文と稲葉正裕(小田和正のバック)という例 もある。

  一人のギターだと思って聴いていていると面白くない。こっちが鈴木茂でこっちが青山徹かという二人の個性の違いを味わいながら聴くといい。
二人のギターにからみ、加藤和彦から「椅子を叩くとグルーヴが出る」と教わった音をドラムの上に加えている。
 詞はつくり話。 想像の世界でストーリーをつくるのは好きだ。詞には、体験話は少なくて作り上げたストーリーが多い。それをどう実話のように見せるかがテクニック。全てを晒している凄い番組だ(笑)。実話のラブソングはシビアだけど架空のラブストーリーは書き手の自由だから楽しい。

M−3 春を待つ手紙  吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング

 今週はローリング・ストーンズ。大ヒット曲とかではなくて、今日は最近の2015年のブルー&ロンサム。ストーンズは今も奇跡的というか、パワー、エネルギー、情熱が衰えない。最初、ブルースのカバーを2,3曲演奏して録音したらしいけど、あっという間に12、3曲が、たった三日間で完成。ブルースのカバーアルバムが出来てしまった。
 俺も71年頃の昔は、一日で2、3曲録音できた。今はどうしたって、一日一曲がやっと。「春を待つ手紙」も半日かかっていない。デジタル化しているのに何かがおかしい。 
 次のアルバムは「せーの」の一発録り。そのかわりリハーサルはしないといけないけれど、ストリングスもブラスもコーラスも、順々に録るのではなく、「せーの」で一斉にやりたい。そうでないと飽きちゃうから。ワッとやりたい。

 ブルースというとセブンス(「グッド・ゴーリー・ミス・モーリー」を歌う)。ブルースコード進行。 こういうのは日本の音楽ファンは理解できない。
最近ステージで演る「僕達はそうやって生きてきた」。俺は凄っげーノっているけれど、みんな客席で、ボケーっとしている。通じていないんだな。結局、落陽(ギターフレーズ)になってしまう。ブルース・コードに乗れないんだな。抜けろよ。総立ちでこぶしを振り上げるような曲なのに。いまひとつ、ノりきれていない。曲が悪いと言われればそうだけど。ジャパニーズ・フォークファンにはわかんないか。

 イギリスで、アニマルズ、ヤードバーズとかいろいろなR&Bをカバーしている。
 ブルースとは何か。難しいけれど、世界の大衆音楽の土台になっているのがブルースだ。日本の歌謡曲の○○ブルース。これはそういう黒人のブルースとかにはあてはまらない。コードとかブルースじゃない。哀しみ涙淋しさの歌詞から来ているのではないか。本当のブルースからはかけ離れてゆく。

M−3 ライド・エム・オン・ダウン - Ride 'Em on Down  ローリング・ストーンズ 

■エンディング

 あなたの受験の思い出
フェイバリットソング。ジャンルは問わない、吉田拓郎の好みに気はつかわなくていい。
ついでのようですが「生まれ変わったら」、読まないから終わったとは思うな。ハワイも同じ。

お相手は吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆映画とブルース、いい感じのラジオだった。

☆ああ、吉田拓郎パーマ事件ってあった。1978年「大いなる人コンサートツアー」のことだ。すぐにパーマを落としたが、ちゃんと週刊誌に載りました(笑)。「チリチリヘア」と言うミもフタもない表現が悲しい。
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☆「君のスピードで」。そうだったのか。深夜、クラブ25で初めてこの作品を聴いたときを思い出す。深夜の静寂から夜霧のようにこの作品は現われた。御大の言うオトナ感というのとは違うのだろうが、いつにない静けさに満ちていた歌に「なんか今までの作品とは違う」と思ったものだ。久々に同じ深夜に聴くこの作品に聴き入った。

☆ユア・フェイバリットソングのお手本として流れた「この素晴らしき世界」。この曲にもしみじみ聴き入ってしまった。深夜のラジオからこんな曲が聴ける、そんな放送は、ありそうでない。いいねぇ。御大が、マイフェイバリットで投げかけたものを、きちんと受け止め返しているような見事な選曲。御大、映画も曲も好きだったんだね。

☆映画特集。御大の解説がいつもながらイイ。自分も観た映画には、ああ、そんなところを見つけて、そんな風に感動するんだと感心してしまうし、観ていない映画は、是非観たくなる。ジャージーボーイズもエイミーも実に素晴らしかった。

☆「春を待つ手紙」。79年のステージではバリバリに共演していた鈴木茂と青山徹。レコーディングでの揃い踏みは珍しいことそうなのか。「椅子ドラ」が入っていたことにも感激した。間奏の由来も確かめたかったよ。

☆ニューアルバムの一発録音は楽しみだ。お願いだから、是非、その一発録音の映像も残してほしい。

☆しかし、「春を待つ手紙」は作り話なのか。確かセイヤングでは「本当にあった話みたいです」とで言ってたじゃないか。陣山夫妻の間に横たわる「きみに読む物語」のようなストーリーだとずーっと思っていたぞ。御大の嘘つき(爆)。

☆ストーンズとブルースから派生して話題に出た「僕達はそうやって生きてきた」。そうだったか、すまん。ポケーっとしていたのはたぶん私だ。おまえはR&Bがわかってない、抜けてない、と叱られれば、こっちもそれまでだ。
 私の個人的意見としては「僕達はそうやって生きてきた」については、聴き手の私の感度の悪さもあろうが、基本的に作品がツマラナイからだと思う(爆)。もちろん悪い作品ではないが、コンサートのラスト終盤を締めくくるような曲としては、なんだかなーと思うのだ。それはフォークを待っているわけではないし、R&Bが嫌なわけでもない。いまひとつ心に入ってこない理由は、勝手な思い込みに過ぎないがUramadoで書いちまった。
 つくづく御大とこの曲を愛している方々には申し訳ないが、御大の膨大な名曲宝庫には「僕達」でも「落陽」でもない素晴らしい曲が溢れかえっているだろうにと思ってしまうのだ。
 それに、お調子者の私は、あそこまで御大に言われると、次のライブの機会には、どうしても忖度してしまって、この曲で必死にノリノリになってしまいそうだ(爆)。それでは私にとっては、「真実のライブ」ではなくなってしまう。なので旗幟鮮明にしておかねばならぬ。すまん。もっと違うブルース、もっと違うR&Bが聴きたい。なので新曲を楽しみにしているのだ。

2018. 1. 16

 何日か前の日記で、「ムーミン」の入試問題への出題のことに触れてしまった行きがかりで書くが、ニュースで「ムーミン谷はフィンランドにあるという設定ではない」からあの試験問題は出題ミスだと話題になっている。大阪大学や大使館がムーミン谷はフィンランドにはないという見解まで出して結構な騒ぎになっている。このニュースには、ムーミンなんて知らねーよ、そんなもん大事な試験出しやがってという怨嗟しかない気がする。
 しかし、私の手元にある講談社のムーミン・シリーズの初版本(昭和43年8月30日発行)の前書きには、作者トーベ・ヤンソの日本に向けてのメッセージがムーミンママの署名入りで記されている。そこには「フィンランド国ムーミン谷」と書いてあるぞ。それが出題ミスとどう関係するのか意味不明だが。

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 フィンランド国・・・国と言えば、「夕凪の街 桜の国」がNHKでドラマ化されるらしい。実写化。大丈夫なのか。どうせなら片渕監督にアニメにして欲しかったな。単なる悲劇のヒロインではない”皆実さん”をしっかりと描いて欲しい。

 「広島のある 日本のある この世界を 愛するすべての人へ」という原作の前書きが素晴らしい。怒られるかもしれないが、これを読むたびに「広島のある 日本のある 吉田拓郎のいる この世界を 愛するすべての人へ」とつい言いたくなってしまう。

2018. 1. 17

 あなたのその一歩、その一行が、私をそして「広島のある 日本のある 吉田拓郎のいる この世界を 愛するすべての人」を心豊かに救うのです。…時に文句も言ってしまうが(笑)、それはIt's my natureだ、許してくれ。いつまでも待ってます。


 ※今日は「大阪大学スウェーデン語研究室声明文に抗議する〜おまえら♪首が飛んでも血も出まい」を書く予定でしたが、つぶやきが感動的なため内容を変更しました(爆)

2018. 1. 19

 友人が誘ってくれて生まれて初めて大相撲観戦に行った。私にとって、相撲は、つま恋第2部の放送を飛ばしてくれた宿敵の裏番組でしかなかった。しかし、いきなり両国国技館の入り口の入場券のモギリが、あの「寺尾」なので、ぶっとんだ。これは、吉田拓郎のライブに行ったら、チケットのモギリが甲斐よしひろだったくらい凄いことだ(爆)。そうだよなIWさん。久しくお会いしていないが…お元気ですか…。ともかく御大とも縁ゆかしき寺尾関、チケットより先に右手を差し出してしっかり握手をしてもらった。

 初めて生で観る相撲。なんというか…これはライブだと思った。ライブのような荘厳な空気が会場に漲っている。その中で、取り組む力士たちの美しさ。取り組みの途中で、場内の歓声や嘆声が、さざ波のように湧きあがる感覚がよくわかった。ああ、ライブだよ、人生は。

 結びの一番。なんと嘉風vs稀勢の里。「嘉風」。当然、幸拓のオールナイトの♪初めから横綱じゃないさ…の忘れられない熱唱が頭を巡る。しかも呼び出しはなんと「拓郎」だぜ。私を興奮させ取り乱させるに十分だった。やはり「すべての道は拓郎に通ず」なのだ。

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 夏木陽介さんのご冥福をお祈りします。名作は数あれど、竜雷太と共演していた「東京バイパス指令」が大好きだった。かっちょええ…と言いながら小学校の頃、楽しみに観ていたものだ。

2018. 1. 20

 坂本龍一と妻夫木聡が会話するビールのCMがイイ。「音楽を作る責任とは?」という問いに「責任なんてないよ、音楽にチカラなんてない、あったら怖いでしょ」と坂本龍一が爽やかに答える。
 昔、とあるプロのミュージシャンの方に、私が「ボクは音楽のチカラを信じてます」と超絶青臭いことを言ったら、即座に「音楽にチカラなんてないですよ」と却下されたことを思い出した。どちららの答えも悲観ともネガティブとも違う。もっと尊い何かであることを実は音楽家だけは知ってるのだ…という余裕のようなものを感じた。

 なので引退を宣言したって、また普通にしれっと現れて歌ったり音楽活動をしたりしちゃえばいいと思う。引退とかやめるとか、そもそも彼をハグした御大を見なさい(爆)。ついでに、それに振り回されてきたファンも見てくれ(涙)。
 そんなとき「話が違うじゃないか」等とくだらないクレームを言うべきではない。そういう言質は政治家や官僚に対して捕るべきものであって、音楽家に言質を捕ってどうすんだ。音楽家は音楽だよ。
 ともかく音楽の神様に見出だされた稀有の音楽家とはそういうものなのだと思う。
 「引退?、またまたそんなこと言っちゃって」と軽く流して引退宣言なんてとっとと忘れてしまう。それが、御大を「嫉妬する人」に挙げてくれた彼の人に対する心からの謝意だと思う。ま、しょせん一般Pの私がどうであろうと何の意味もないけどさ。

 それにしても坂本龍一はなぜ「教授」なんだ?とずっと思ってきた、しかし、今や、菊池桃子も倉田まり子も「教授」なのである。驚いた。世の中、イカレているのか、良くなっているのかわからない。多分どっちかだ(爆)。

 妻夫木くんのエレベーターが72階あたりで止まりますように。

2018. 1. 21

“「あの時、ああ言ったじゃないか」などと音楽家の言質を捕るな、音楽家の答えは常に音楽にしかないのだ”
という昨日の日記に大絶讚をいただいた。嘘だ。ひとつもねーよ(笑)。
そんなことはいいのだが、思いつくだけでも「あの歌(人間なんて)はもう歌わない」「社長になって歌は辞める」「古い曲はもう歌わない」「アンコールはもうやらない」「ステージにはもう立たない」「おまえら立つな座って聴け」「おまえら座ってるな立て」「落陽はもういらない」…いろんなことがあったが、誰もそれを責めたりはしない。文句はちょっと言ったが(笑)。そればかりか、そのたびに吉田拓郎がますます好きになってゆく。吉田拓郎が音楽で見事な答えを出してくれているからだ。

とはいえ、吉田拓郎も偉いが、数々の荒波に耐えてこの道をここまで来た我々ファンも超絶偉い。アーティストが一流ならファンもまた一流だ。ファンはファンとしての自分たちをもっと可愛がってあげよう。

2018. 1. 22

ラジオでナイト 第40回 2018.1.21


☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。
 2月9日から、いよいよ冬の平昌オリンピックが始る。フィギュアとかは、羽生結弦くんにたくさんの女性が大挙して応援している。ツアーで行っているのだろうか、テレビ観ていて日本人女性がたくさんいて日本かと思ったら、あとで、ああ、ここはフィンランドだったんだと思うくらい、日本人が多い。
 浅田真央ちゃんとか、男性もそうかな、でも女性だな。男性が群がっていると不気味だ。女性は、フィギュアスケート、バレエ、踊りとか興味あるのかな。美しいものが好きなのかな。
冬の競技はよくわからない。でも、スピードスケートの小平奈緒さん。この人のスタートする時のポーズが、みんなと違う。右手を斜めに出して踊りはじめるような素敵なポーズ。そこから脱兎のごとく。

 とにかく足が速い人とか速く滑る人とかに弱い

 高校の頃、スキーに誘われて満員列車で行ったことがあった。でも現地に雪がなくて、友達とキャッチボールをして帰って来た。
 そういえばユーミンの苗場にかまやつさんと一緒に行った。その時、なんて自分は冬山が似合わないんだと思った。

 その後、北海道のスキー場で夏にコンサートをしたことはあったが、冬のゲレンデ、スキー場は吉田拓郎は絵的にダメ。似合わない。

 夏の海の方がいいな。ハワイが好きだし夏の海に佇む吉田拓郎がいい絵になる。夏のプールサイドが絵になる吉田拓郎のラジオでナイト!
■タイトル
 受験シーズンです。 自分は大学入試は途中で抜け出したのに発表観に行ったという。高校はすーっと行ったけどね。大学入試はダメだった。

20代女 ラインで答え合わせ、自分だけ出来なくて、自分だけで悪くて落ちた。
30代女 予備校の先生に恋してしまった。‥‥‥僕も水泳の先生の水着姿に興奮した。授業中、教室からおおーっと言いながら覗いていたら、教室から先生も喜んで眺めていた。…(予備校の先生に)「アイ・ラブ・ユー訳して」とか言ってた…バカじゃないの
40代女 彼だけ受かって、待っているよといったけど浮気された…それはそうだよ
50代女  福岡から受験で上京、東京タワーの夜景を見て、自分も東京に染まってくのかなと思った。
…・僕も東京タワー観ると東京人になっている自分が寂しくてジーンとする。泣かせるタワーだ。
20代男   直前に、友人から元気になるということで、裸でハッスルするDVDを借りた。
40代男 弁当が牛カツ…家計苦しい中、親に感謝している。
50代男   バブルで現役で受かった学生は派手だった、派手な車に乗ってて悔しかった
…同級生の美容院の息子で、車乗り回していたヤツがいた。学校にも車で来る。みんな徒歩でトホホなのに(笑)おれは満員バスで。
 満員バスといえば大学の応援団でシゴキ事件があって廃部になった。残った連中が、応援団同好会を作って、先輩から、「吉田行くぞ」と言われて満員のバスの中で変な唄 ♪○○たまコロコロ〜とかを歌わせられた。

50代男  たけしのオールナイトニッポンを聞いていたが面白過ぎて身に入らなかった
60代男  カップ麺が夜食でおいしかった
…ウチは下宿をやっていたので広島大学の学生が住んでいて、受験のノウハウを聞いたけどスベりました。役に立たなかった。

M1 受験生ブルース   高石ともや 

■CM明け
<受験というとウォークマン、大音量で聴いていて、車内アナウンス聞き逃して試験に遅刻してしまったという投書>
 ウォークマンにはお世話になったね。自分だけではなく、ミュージシャンはみんなお世話になったはずだ。移動中とか必ず聴いていた。名器だったね。
コンサートの本数が一番多かった頃かな、移動中、みんなでウォークマンで当時のコンサートのPA録音を聴いて反省をしていた。青山徹がよく僕に文句を言っていた。僕の歴代ミュージシャン、 武部、鳥山、カースケら、そして鈴木茂、徳武、島村、エルトンまで戻っても、青山徹くらい僕に対して文句を言ったヤツはいない。
 「こうやって弾けよ」と僕がいうとだいたい「ハイ」って素直に聞くんだけど、青山は「そうでっか? 拓郎はん」という事が多かった。歌でも、ここはこう歌え、これは変だと言ってきた。よく新幹線の中で怒られたもんだ。ウォークマン持ってきて「拓郎はん、ここ聴きなはれ。ここ歌い方おかしい」 「こういうに歌いなはれ、拓郎はん」「拓郎はん」って言うんだけどなんだ「はん」って?

 ユアフェイバリットソング。相変わらずリクエストが多い。
<イギリスのザ・ストーン・ローゼズ。最大のポイントは、イアン・ブラウンの音痴なボーカルで、歌声が綺麗なのだが語尾がよれるという投書>
 いるね、ちょっとシャープ気味の人は好きではないが、よれる、ダレルというのはわかる。日本にもいろいろたくさんいると思うよ。相当ビッグな人にもいるよ、みんなプロトゥールスで直しているはず。

M-2 アイ・ウォナ・ビー・アドアード  ザ・ストーン・ローゼズ

■今週のベストテイク  
 今週は2001年「朝陽がサン」。コード進行では、C→Amが多いが、僕の曲は、逆にAm→C が多いと小室哲哉にも言われたことがある。「春だったね」とか(歌う)、この逆転をここでもやっている。(朝陽がサンを反対のコード進行で比較して歌う)このコード進行が好き。
全体のグルーヴのためにアコギのギターを4回重ねた。ウォールサウンドっぽく。ここに村石のドラム、美久月のベースが引っ張ってゆく。そこに鈴木茂のギター。この和洋折衷のフレーズ、ワーオという音色。フェンダー・ストラトキャスター(ピンク)、フェンダーのデラックスビバーブというアンプ。ああ鈴木茂だなぁという音。
 歌詞は朝家を出るときの第一歩に活力与える歌が欲しかった。元気だったな。
レコーディングスタジオに通う時に♪朝陽がサン、おはようさんだこのヤロー  と言う感じで作った。ヤローはいらないけど。

M--3 朝陽がサン  吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング
 今週は、誰もが一度は耳にしたことがある絶対的ポピュラー。イントロのオルガンでウヒャーとしびれた。黄金のコード進行。山下達郎もそう(♪クリスマスイブを歌うそのまま
青い影にシフト) これを聴いたときに、これだと思った。1966年ころ、バンド時代にダウンタウンズで演奏している。僕がオルガンを弾いている。レコードを聴いてコピーしている。 エーストーンという高くないオルガンをこの一曲のために買って弾いた。
 吉田拓郎がオルガンを弾いている…

M−4青い影 ダウンタウンズ

 雰囲気は出ている。サクラだけれど、女子がキャーッて言ってくれた。オックスと言うグループがいたが、テルミーを歌うと(♪テルミー) キャーって叫ぶ。
 僕の場合、時代が時代だけに「拓郎」じゃなくて「吉田さん」て呼んでいる(笑) 「キャー吉田さーん」って、燃えないね、白いなーと思っていた。

M−5 青い影  プロコロハルム

■エンディング

 平成30年ということで、30歳以下とのギャップ  平成ボーイガール凄いところ
を募集。受験。絶賛募集中 ユアフェイバリットソング。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆ユーミンの苗場には、昔、何年か通った。懐かしい。当時も拓郎が観に来たという噂を聞いたが、こんな雪山に来るかいなと信用していなかった。とすると打ち上げのバーで松任谷のピアノで、あの歌を歌ったという伝説も本当だったのか。

☆苗場のひんやりとした空気と密な音楽空間は、本当に素敵だった。終わってからの部屋での雪見酒も絶妙だった。御大に雪景色が「似合わない」なんて思わない。かくもたくさんの「雪の名作」を持つあなたではないか。ゲレンデの華やかなスキーヤーやスノーボーダーの雰囲気が疎ましいのかもしれないが、別に雪山だからスキーをしなくてはいけないものではない。海が好きだけど泳げないのと同じだ(爆)
 雪景色で歌う吉田拓郎の前にはゲレンデもひれ伏すことだろう。是非、御大も苗場でやってくれればいいと思ったし、今でも切に思う。

☆「ボクはもうウォークマンが無いとダメ」とユーミンと語っていたのは79年ころだった。また、その後、常富さんが、いつもウォークマンを聴き入っている御大に、何を聴いてるかと尋ねたら”ジャクソンブラウン”とかいろんなアーティストを答えてきて、”最近の拓郎はいろんなジャンルの歌を研究している”とシンプジャーナルに書いていた。でも、後に、拓郎本人が「テキトーに答えたけど、実はいつも自分の曲しか聴いていない」と語っていて笑ったものだった。

☆しかし、貧しい私は、ついぞウォークマンは持っていなかった。ステレオもなかったし、淋しい音楽環境だった。とにかくウォークマンが羨ましかった。ウォークマンを聴きながら、闊歩するのが夢だったが、夢のままだ。だから、だいぶ大人になって、ipodを買った時は、超絶嬉しかったものだ。

☆先週に続いて誠に申し訳ないが、不肖、私はこの”朝陽がサン”がわからない。サウンドがカッコイイとは昔から思っていたものの、それでもトホホ感が身体に漲る。アコギのウォールサウンドに、鈴木茂らのギターを重ね、丹念に作り上げられた話は胸を打つ。申し訳ないが、私は無明の徒のようだ。

☆それよりも感動したのは、青い影の吉田拓郎のオルガンだ。生まれて初めて聴いた。いいじゃないか。ホントにその音楽の心のようなものをしっかりと掴んでいる音色だ。おーそうじゃった「長い雨の後に」のピアノもあった。やっぱり天才なんだなぁと思うことしきりである。

2018. 1. 23

ありふれた街に一面の雪。凍っている。どうぞみなさま気をつけてください。一番危ないのは自分か。♪ニュースでは足元に気をつけてと呼びかける…こんな行き届いた歌まで歌っている吉田拓郎の凄さを思う雪の朝。

2018. 1. 24

 若き日の御大の”青い影”のオルガンが良かったねぇ。雰囲気というか心を感じる。何度も聴き直した。昔、80年代前半、NHK−FMでニューサウンズスペシャルというモコ=高橋基子の番組に、拓郎もよく出ていた。
 その番組中で、経緯は忘れたが、拓郎が”雨のメロディー”ということで、ほんの一瞬、即興のピアノを弾いて見せたことがあった。♪ピロリ・ピロリ・ピロリ…って文章で書くとミモフタもないが。美しい音色だった。高橋基子も大感激して、「スゴイ! 拓郎、ズゴク上手い!」と叫んでいた。モコは、もっと弾いてぇという秋波を送っていたが、拓郎は、「二度弾くと、雨じゃなくて台風になっちゃうから」と固辞した。奥ゆかしいんだからもう。

 また「歩道橋の上で」のDVDのバックステージの映像で、拓郎が、さり気なくドラムを叩くシーンがある。このシーンが超絶好きで、これも何度も繰り返して観てしまう。

 自分ごときが言う事ではないが、ギターだけではない、あらゆる楽器の音色に御大の音楽家としての天賦の才とセンスを感じてしまう。

最近の御大は、フォークとの国境に高い壁をひたすら築こうとしているかのようにみえて、トランプ大統領じゃないんだからサと言いたくなる時がある。

 大丈夫だ。このさりげない音楽の技を観るだけでも、誰もあなたをただのフォーク歌手だなんて思っていない。たぶん。

2018. 1. 25

 15年くらい昔に観た浜田省吾の青春時代をモデルにした単発ドラマ「19」。広島を舞台にした浜省少年の愛と青春の旅立ちの物語で「広島フォーク村」や「イメージの詩」なんかも、そのままの設定で出てきた。
 そこそこ、イイ感じのドラマだったが、問題はラストシーン近くに起こった。主人公の少年がフォーク集会の舞台の袖で、一人の若者とすれ違う。若者はガタイが大きくてゴツイ顔に長髪、ジーンズに、ギターを持って、おまけに「下駄」を履いていた。そしてすれ違いざまに浜省少年と肩がちょっと触れると「よっ、兄ちゃん悪いのォ」と声をかけるのだ。すると浜省少年は、振り返ってその若者の背中を見つめて凍りつき、息を呑んでやっと呟くのだ「…吉田拓郎だ…」。その瞬間、私はテレビに向ってありったけの声で叫んでいた。

「違うだろぉ!!!」

これに類する誤解・曲解を御大は、日々波状攻撃のように受けているのだろうなと思う。ファンが辛いのだから、本人が一番辛かろう。

 フォークとの国境にせっせと高い壁を築くのもわかる気がする。でも御大、届くはずもないが、オレはわかってるぞ。いや、違う、オレはわからないかもしれないが、切にわかりたいとは思っているぞ。>どういうエールなんだよ

2018. 1. 26

 下駄をはいたバンカラのフォーク歌手というイメージに苦慮する御大。んまぁ、だったら自分の詩集に「BANKARA」とかコテコテなタイトルをつけさせるなよとも思うが。

 Ryu's Barに出たときに「僕はね、ここのところ自分のイメージと闘ってるんですよ」と御大が語った時、村上龍がボソッと"それって無駄なことだからやめた方がいいですよ"と呟いたのが忘れられない。

 かくして御大の孤高の旅は続くのであった。って、おまえが言うなという声が聞こえたけど、きっと空耳だろう(爆)

2018. 1. 27

 歌手には、仕事以外の場所で、気安く歌ってくれるタイプと断固として歌わないタイプの2種類があると思う。中には頼まれてもいないのに飛行機が遅れたからと自ら歌う奇特な歌手までいる。
 吉田拓郎は、確実に「歌わないタイプ」だと思っていた。ハワイなんかでも頑なに歌わないし、AAAのチャリティーでは歌なしの司会だけなんてこともあったようだ。しかし、本当にそうなのだろうか。
 Ryu’s Barで村上龍が話題にしたが、昔「黒澤明を励ます会」という業界の会合にフォーライフの社長として出席した吉田拓郎が、二次会の店でお店付のギター弾きからギターを奪い、自ら10曲以上も歌ったという逸話があった。凄いライブだったと村上は言っていた。この時のことは田家さんも書いていて、田家さんがお店の人のギターで「落陽」を歌おうとしたらうまくいかなくて、突如、拓郎がギターを奪って憑かれたように歌い始めたということだ。

 また、先週のラジオでナイトの感想にも少し書いたが、ユーミンの苗場のライブ終了後のピアノバーで、松任谷正隆の弾くピアノで「アジアの片隅で」を歌った。全曲ではないがちゃんと熱唱したらしい。現時点で確認できる最後のアジアだ(その後のメドレーは除く)。

 ああ、考えるだけで身悶えするぞ、黒澤明も苗場も音源があったら聴きたいぞ。どこかにいるかもしれない、どなた、いたとしたら、あなたが持っているのは文化財ですぞ。

というわけで、御大は頑なに仕事外では歌わないタイプ…というワケでもない。しかし、こっちが頼んでも絶対歌ってくれない。うーむ。

 というわけで今日の暫定的結論、「天邪鬼」。
                  以上〉何が以上なんだよ

2018. 1. 28

 浜田省吾が”SAVE OUR SHIP”というアルバムを出した時、当時、6年ぶりのアルバムだったのだが、半分以上の曲(7曲かな)が、その6年の間に発売されたシングル盤の既発表の曲だった。ファンとは言えない私なんかは「なんだよ、今までのシングルの寄せ集めじゃないか」と思ったりもした。すまん。しかし、そういう声を察してか浜省はインタビューで「(シングルの曲が多いけれど)あのシングル盤たちは、僕からファンに向けたアルバムづくりの経過報告の手紙のようなものだったんだ」と語っていて、"うーむ上手いな浜省"と感心したものだ。官僚もこれくらいエレガントな国会答弁をしてほしいものだ(爆)

 しかし、今、浜田省吾に心から謝りたい。まったくそのとおりだ。こうしてアルバムを待ち焦がれる身からすると、シングル盤や単発曲は、それ自身の新曲としの味わいや喜びだけではなくアルバムに向う経過の報告、アルバムへの大いなる胎動のようなものでもあると身に染みてわかる。というか、あっちもこっちも高齢化してくると「生存確認」のようなものでもある(爆)
 アルバム「午前中に…」の前に「ウィンブルドンの夢」が繋いでくれたもの、「That’s it!」「慕情」が前哨としてアルバム「午後の天気」に向けてくれたものの意味は確かにあったと思う。
 私たちを待つ前人未踏の古稀をとうに超えたニューアルバム。アルバムに入るかは全くわからないが「アゲイン」「ぼくのあたらしい歌」「この街」そして「夜行列車」(コレは関係ねぇよ)、これらの曲は、どれも清々しく御大の健在感が漲っている。
 これらは、ニューアルバムに向う吉田拓郎の生存確認でもあると思う。あらためてこれらの新曲を何度も味わいながら、やがて現れんとするアルバムの胎動に耳を澄まそう。頼むぞ、御大。

2018. 1. 29

ラジオでナイト 第41回 2018.1.28
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。
 寒い季節にどうしているかという質問。コンサートの一か月前くらいからは少し運動する。でもジムでのトレーニングはしない。根が億劫。近所の散歩くらいはするが、冬は、一歩も家から出ず、せいぜいゴミ出しくらい。
 冬に食べたいものはと言う質問には、トマトのパスタ。例のウチの人が作ってくれるトマトパスタ。これが、うまくいけば美味しいのだが、うまくいかないとウチの人のご機嫌が悪くて地獄のようになってしまう。
 エノキとキノコのバスタはよく作ってくれる。これだとミスが少ないみたい。トマト・パスタは、新鮮トマトと缶トマトの混ぜ具合が微妙らしい。うまくゆくとウチの人は大喜びだが、そうでないとご機嫌損ねてブスーっとふくれる。とにかくトマト・パスタが好きだ。
 外食で食べたいものはと言う質問には、パスタ。イタリアンが好きで白赤のワインもいい。
 最近ドイツ料理もおいしいことを知った。ある番組のプロデューサーに連れて行ってもらったドイツ・レストランは、美味しかった。魚肉も美味しいし、ワインも良かった。  

 最近、奥さんから叱られたことはないかという質問だが、それはない。褒められたのは洗濯ものでありがとうと言われたくらいか。

 ご近所との交流はあるのかという質問だが、基本的に交流しないけど、マンションで、17世帯しかいない。ゴミ出しの時に奥様方と井戸端会議となる(笑)。特に、とある奥様とはよくゴミ捨て場であって世間話をしたりする。

 吉田拓郎は、これまで映画に3、4本は主演していたかもしれない。映画「幕末青春グラフィティRONIN」以外に三本ほど映画主演の依頼があったが、すべて断った。それらの映画は、その後、大物の方が主演してヒットした。失礼だからタイトルや名前は言えない。
断って良かったと思った。RONINで映画の撮影のむつかしさと大変さがわかった。音楽と比較して言葉で説明できない難しさを実感した。性格的に3、4か月も仕事にかけるのはついていけないも1か月でも無理だ。カメラの前で演技するのが下手だ。

 昔「おはよう」というドラマで天地真理のお兄さんを演じた。もともと若尾文子さんに会いたくて、手のひとつでも握れればと思って出たけど。船乗りの役で、下駄はかされてリュック背負って妹を訪ねてゆく。ガラッと戸を開けて、「お兄ちゃん!」という天地真理に「あ、真理か、大人になったな」というセリフ、これがうわずって、笑ってうまく言えない。難しいよ、言ってごらん。
 なので、映画の主演は凄いのが来たけど、断って良かった。RONINの映画で、いろいろ共演の役者さんとかからも、あれこれ学んだこと。それ以来、映画の観方は変わった。ワンカメで長回しのシーンなどを観ていると、この撮影は大変だったろうなと思ってしまう。というわけで勉強になり、武田鉄矢に感謝。なんで武田鉄矢に感謝しなきゃならんのだと思いつつ、武田鉄矢に感謝している吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル
 AI中心の世の中が来ると言われている。将棋名人に勝ったり、僕なんか、コーラスの今井くんが人工知能の自動運転の自動車に乗っている。駐車が凄い簡単で正確にキレイに入る。
 運転というのは、将来的には、例えば過疎の町で老体でどうしても必要な時には便利だろうな。そういう意味はある。「意味はある」というところに新しいものに馴染めない古さがあるんだな。カーテン、お湯、電気、風呂沸かしは、自分でやればいいと思う。やんなくてもいいことまで人工知能でするのはどうか。古いかな。
 スタッフに風呂沸かしも、奥さんが外からAIで操作すればできると教えられた。でも僕の生きる場所がなくなってしまう(笑)。夫としての存在の意味がなくなる。 ありがとうって言われたい。そこが人間のいいところ、ありがとうって言って、言われる。だから、半々くらいで手を打たない?

M−1  ライディーン  YMO

■CM明け
 ロンドンの方からエアメール
<在ロンドン15年、2006年のつま恋を予定していたがギックリ腰で行けなかったので、もう一度やってほしい、ロンドンでやってもいいではないかという投書>
ロンドンにこうせつと行きたくない(笑)一人でいいんだったらいいけど。つま恋ももう行きたくない。

 70歳過ぎて、いろいろ悪いところ、例えば、右手の人差し指と親指の指の軟骨が少なくなっていると診断され、ブロック注射したりしてるし、血圧も高めとか、いろいろあるけれど、全体として吉田拓郎は若々しくて元気だと言われる。健康年齢表記の出る体重計に乗ると、53歳の仮装年齢が出る。やった、とか嬉しい。妻は30歳いくつで、メチャ喜んでいる

 実質、僕は、2006年のつま恋くらいの元気はある。むしろ、あの時は太っていて、かまやつさんと並ぶと顔がまんまるで観るのが嫌だ。
 どうなんだろ、どっかでイベントもできなくなはないな。今年は、コンサートもそろそろ考えなきゃ。それには、君たちが、ライブにどれくらい飢えているかだ。まだまだ足りないという気もする。そんなに簡単には毎年やったり、誰かみたいに、春秋やったりしない。そんなには歌いたくない。コンサートで共有する時は、それなりに一曲一曲はどかーんという感じで演奏したい。送り手もそう感じたい。そういう思いを馳せる。そういう元気はギンギンに強い。イベントよりもコンサートについては希望が強くあって、段々募ってくる。  
 そんときにはまたみんなに逢える。
<大切なもの母からもらった結婚指輪を無くしたという投書>
 それとは矛盾するが、年齢的に忘れ物がちょっと多い。小田からもそういうメールが来た。
 先日も歯医者で家のカギがないことに気づいて動揺した。家に置き忘れていた。
ヘアカットに行って帰りのタクシーに乗ったら、家の鍵ないのに気づいて、運転手さんに乗ったところまで、戻ってもらって、ウロウロと探したら、落ちていた。
 なんでだろう。こういう時はこのサプリ…とかあるけれど、そうは行くか、ばかやろう。

 そうそう、今年は、一発録りのレコーディングは絶対完成させる。

<ラジオはどのくらいしたのか、という投書>
 憶えていない。スポーツの番組とかやってたね、荒川静香とか来ていたね。

 初めてのラジオ番組は、ニューミュージックなんとかというラジオ関東だった。よくゲストに加藤和彦が来てくれた。そこで親しくなって、当時のフォーク歌手のドノバンのギターについて「カラーズ」という曲(弾く)まだ覚えているな。「ねぇトノバン、このギターなんていうギターだろう」と尋ねたら、そのギターを持ってきてくれた。J-45というギターで、今もリビングに鎮座している。一日一回は、カミさんが夕食の用意している時とかに弾いている。近くだとあっちいけと言われるから遠くで弾いているよ(笑)。

■ベストテイク
 今週は 1992年アルバム「吉田町の唄」の「夕映え」。デモテープどおりで、ピアノは、竹田くんかな。
 肝はドラムの音。ドラムの音について、トム・ペティ&ハートブレイカーズのドラムの音が好きで、この音をどう作るか悩んでいた。当時のエンジニアにこのドラムのサウンドどうやってるんだろうなと相談した。エンジニアは、トムペティを聴き込んでアイデアを出してくれた。通常、ドラムは、バスドラ、タムタム、スネア、シンバルなどと単体で音を録る。それぞれごとに音を録るのでドラムだけで8チャンネルになったりする。しかし、今回は、オフマイクという上から一本のマイクでドラム全体の音を録る。リミッターという思いっ切り深いエフェクターと深いコンプレッサーをかけたら出る。目からウロコ。
 ワンマイクなんですべての音がひとつになっていて、スネア、シンバル等のバランスが取れない。シンバルの音がコンプレッサーに乗りやすいのでシャイーン!とかいう音になっている。しかし、バスドラとスネアはトム・ペティの音に近くなっている。

 詞が石原信一。率直に言うと歌詞のテーマとかタイトルはいいのだが、必ず、え、僕はそうは思わないという箇所が必ず一か所ある。一編に一か所ある。岡本さんの場合は、全編、全然そう思わないか、全編納得か、どちらか。
夕映えにも一か所ある。
 そうは思わないけどと言う気持ちを乗り越えて歌う時、納得いかないところが、そうかもなと思えてくる。侵されてくる。そうは思わなかった世界と自分とが一体化している。

 ロスでレコーディングした時、ベイサイドバーとか作ってくれたし、石原さんも同行した。ベイサイドバーにも違うと思う箇所がある。瀬尾ちゃんと石原とみんなで酒盛りしていて、スタッフが、石原さん歌ってくださいよと囃すと、じゃ歌うよということになった。
 そこで、井上陽水の「心もよう」を涙で絶唱し始めた。これには、閉口したな。陽水の心もようをここで歌うか。最初囃し立ててたスタッフも次第にシーンとなりはじめてしまった。石原信一は井上陽水の大ファンだったことをこの時まで知らなかった。知っていたら詞を書けとは言わなかった(笑)

M-2    夕映え 吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング
 今週は、本当に思い出話になるけれど、涙、熱い青春。70年代のある夜、川口アパート(川口松太郎の建てた)プール付きのマンションがあって、そこでのパーティにかまやつひろしさんが連れて行ってくれた。
 原宿あたりの飲み屋とは違う世界。加藤和彦と結婚する前の安井かずみの部屋で、リビングには、テレビや雑誌で観る有名なモデルが6、7人。デザイナーのコシノジュンコさんもいて、俺が来るところではないとドキドキした。
 室内流れていたのが、スリーディグリーズ「天使のささやき」。それにあわせて、トップモデルたちが、なまめかしい踊りを踊っていた。観たことない世界に、自分も強い酒を飲んでいた。そのうち誰かの音頭でみんなでプールに飛び込もうということになった。かまやつさんではないけど(笑)。みんなで裸になって飛び込んだ。広島から来た吉田拓郎には異次元の世界。プールの中で、空を観たら星が出ていた。その時思った。俺はこういう連中といるのが好きだ。こうせつといるよりもこっちが好きだ。なんとも言えない開放感があった。フォーク連中との狭い世界では閉塞感を感じていた。こちらには解放感があった。
 こっちの世界がいいなとつくづく思った。

M−3  天使のささやき   スリーディグリーズ

■エンディング
 平成30年、平成ボーイ、平成ガールについて思うところ。
受験の思い出、ユアフェイバリットを募集。

 吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆ともかく今日の最大の収穫は、言うまでもない、ライブへの気力・体力が余裕で充実していることの宣言に尽きる。2006年にも負けない体力とのご託宣。こんなに嬉しいことはない。口が滑ったのかもしれないが、イベントとまで言いおった。私までが寿命が延びたような、若返ったような気分になる。
 そればかりか、おまえたちの方のライブへの心意気はどうなんだと、聴き手のライブへの飢餓状態にボールを投げ返してきた。上等じゃないか。私がいかに御大のライブを求めて日々飢餓海峡を漂っているか、この日記を見てくれればわかるのに。

☆奥様のトマトパスタを待ち、近所の奥様と井戸端会議をし、夕食までの時間にJ-45を弾く御大。なんだろう、その行間からあふれ出るような幸福感。確かに、このナチュラルな中からスローライフのように歌ってくれればいいと殊勝にも思ったりもする。

☆そこまで御大を虜にしたトマト・パスタを是非食べてみたい。今まで、御大が美味しい、おすすめといった店系は、ほとんどトライしてきた。率直に言ってそれほどではなかったことも多くあった(爆)。しかし、御大のみならず、奥様も強く薦めていらした某焼鳥店の「鶏ラーメン」は、悶絶するほど美味だった。その奥様の労作であるトマト・パスタには期待が高まる。しかし、手作りとなると困難だよな。

☆映画主演オファーが三本もあったとは驚いた。ファンとしては、是非観てみたかったし、御大を抜擢してくれたことを誇りに思うし感謝もする。とはいえ、ただの映画ファンとして一歩引けば「RONIN」や「おはよう」を観て、御大に映画主演を頼もうという映画制作会社の勇気にも驚く(爆)。なんの映画だったのだろうか。

☆「夕映え」は、超絶大好きな作品だ。一箇所の違和感(爆)。どこだ。名作のわりには、ステージを含めた処遇があまりよくないなと思っていたが、そういうことからなのだろうか。
 ここでも苦闘しながら丁寧に作り上げられたプロセスが聴けて嬉しい。専門的なことはわからないが、この演奏が、ある種のざらついたカタマリ感を持って迫ってくる意味が少しわかったような気がした。

☆それにしても石原信一の詞への違和感とは。そうだったのか。私なんかは康珍化の詞にそれがあるが、たかが一般Pの感想にすぎない。それにやはり御大の唄は、その辺を越えさせてしまうチカラがある。しかし、歌う本人自身もそうだったとは。
 岡本おさみは別格、松本隆には気を使い、石原信一と喜多條忠はイジリ倒すという御大の中のヒエラルキーが覗く(笑)。
 でもさも、あの名著「挽歌を撃て」の筆者が、実は井上陽水が好きって、確かになんだかなぁ。

☆セクシーソウル、スリーディグリーズの「天使のささやき」は、中一のときに大ヒットしていた。そのころのことだったのだろうか。
 川口アパートのプールの中で、夜空の星を見上げる若き日の御大。まるで映画のように美しい光景だったのではないかと思いを馳せたくなる。

☆そして、安井かずみは、美しき若者だった吉田拓郎をフォークの世界から奪還しようとしたかったのではないかと勝手に妄想する。あっちの世界へのエクソダスのような人だったのではないか。
 それにしても、みんなみんな逝ってしまって。大丈夫だ、御大、オレがついてるぞ>だからいらねぇって

2018. 1. 30

 ライブに飢えた心の破片をひたすらに投げ続ければ「そろそろ歌ってやるか」と決起する日が必ず来ると信じてまいりましょう。

 毎週“ベストテイク”を聴くたびに想像を絶する丹念さで音楽が作られていることに驚く。まさに”神は細部に宿る”とはこのことだ。好きな曲はいっそう愛おしくなるし、嫌いだと放り投げていた曲にはウシロめたい気持ちになる。
 今だからこそ話すという吉田拓郎の覚悟のようなものも覗く気がする。好き嫌いや、へぇーそうなのぉで費消してしまうには、あまりに大きなボールが毎週投げられている。どうすりゃいいのか思案橋。

2018. 1. 31

 この世には「拓郎が歌う日」と「拓郎が歌うのを待つ日」の2種類の日しかないという真実、そして「待つ日」がそうそう続くものか!、という経験則を信じてまいりましょう。

 加藤和彦のJ−45は、西岡たかしが加藤和彦にあげてそれが御大のところに来たという来歴を昔、御大が話していたのを思い出した。そして今、吉田家のリビングに鎮座まします。毎日御大が弾いてくれるなんて超絶羨ましいとファンなら誰でも身悶えしながら思うだろう。
 そして毎日御大と井戸端会議ができたらどんなにか素晴らしいだろう。やっぱり近所の人の悪口で盛り上がるのだろうか。「303の女の子、エレベーターで泣いてたわよ」「505の夫婦、あそこ絶対なんかあったわよねー」>しねーよ

2018. 2. 1

 おまえ今頃どの空の下で俺と同じあの皆既月食見つめて、次のライブでは「月の盃」か「月夜のカヌー」を歌ってみるかな、だって「To The Moon」は石原の詞が一箇所イマイチだし…とか思案していると信じてまいりましょう。

 昨日の西岡たかしで思い出した。桂文珍が語っていた思い出話。西岡さん、拓郎、文珍さんが大阪で飲んでいた時、西岡さんと文珍さんが大喧嘩になり、止めに入った拓郎さんと西岡さんがまた大喧嘩になって、西岡さんが帰ってしまった。残された文珍さんは怒りおさまらず悔し泣きしていると、拓郎さんが肩抱いてくれて「文珍くん、もう泣くなよ」と慰めてくれたのが大切な思い出という話。

 吉田拓郎が@リビングでJ-45を弾いてくれるA一緒に井戸端会議をしてくれるB肩抱いて、もう泣くなよと言ってくれる‥‥‥‥どれも経験がない>あったりめぇだろ
 どれかひとつかなうと言われたら…結構、究極だ。今夜居酒屋で考える。

2018. 2. 2

 全国50公演を超える小田和正のツアーの告知が羨ましくて心がツライけれど、やがて御大のライブが始れば、♪コツコツやるヤツぁ、ご苦労さん!!(@植木等)と余裕でいられるようになると信じてまいりましょう。

 居酒屋から出ると雪だった。♪雪の空を見上げれば俺は白い風になる‥‥‥「冬の雨」。「ひまわり」は難解なアルバムだけど、この曲は寂寥感とリズムが見事に溶け合っていてカッコイイなといつも思う。
 それにしても、テレビや駅のアナウンスで「降雪のため…‥」と耳にすると”南こうせつ”の顔が浮かんで「みんなアンタのせいだ」とムカつきませんか?>どういう言いがかりだよ

 昨日の料理長Aさんのお薦めのお酒は”Wandering Poet” 旅する詩人。旅する詩人といえば、岡本おさみ。心を旅する詩人といえば吉田拓郎。
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2018. 2. 3

 ステージで曲間に御大のギターを持ってくる磯元さんは、きっと、いつ来るかわからないその日のために、ギターを抱いてダッシュするトレーニングを毎日100本は繰り返しているはずだ…という全く根拠のない憶測を身の引き締まる思いで信じてまいりましょう。

 昨年の12月23日の日記でも書いたが、最近もこのTAKUROの大いなるのロゴがカッコイイと賞賛している同志の書き込みも拝見したので意を強くして言うが、このロゴは是非是非復活してほしいものだ。今見ても、秀逸じゃないか。そんな昔のモノをまたと言われるかもしれないが、ローリング・ストーンズは、あのベロのロゴというかトレードマークを何十年使ってる?
 どうかライブに向けて諸種のグッズにしてくれ。真っ赤なバスタオルにあのロゴ入れて、みんなで首からかけてライブに行って、「落陽」の♪土産にもらったぁぁで一斉にタオルを投げるのはどうだ>それ思いっ切りパクリだろぉ(爆)

 いや、でもあのロゴ入りのシャツとかを身に着けて誇らしく街を闊歩したいぞ、ヨロシク。

2018. 2. 4

 恵方巻が高すぎる、仮装通貨がわからない、相撲の理事会選がそんなに大事か、与党どうしのサクラの質問で時間を埋める国会、‥‥‥こんな世の中と自分を捨ててみたくなるが、やがて御大がライブで歌えば、それでも世の中捨てもんじゃないと思えるようになると信じてまいりましょう。

 
 小学校の同級生たちと映画「マジンガーZ」を観に行った。観終わるなり「腰が痛い、スピードに目がついていかない、話がよくわからない、とにかくトイレ行きたい」という感想に老いを感じた。私たちはもう元気な小学生ではなかったのだ(爆)。君たちの好きなスピード、僕たちのテンポは、ロボットで言えば「鉄人28号」あたりではないかと結論。

 とはいえ、いつもボロボロになって戦うマジンガーZは胸を打つ。この満身創痍の姿を観ると、いつもアルバム「明日に向って走れ」を思い出してしまうのだが、それはここでする話ではないか。ってか、ボロボロなのは私だし。
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2018. 2. 5

ラジオでナイト 第42回 2018.2.4

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

吉田拓郎です。
 ハワイツアー企画 いよいよ佳境に。パスポートが切れていたわ。ウチの奥さんも切れているかも。

<日程を先に発表してくれ、参加希望者全員を約束して欲しいという投書>
 日程は未定だよね。年明けて、正月になるとハワイに行っていた時代があった。カミさんとかみさんのお母さんと三人でマウイ島のワイレア(アジア人があまり来ない)で静かにお正月を過ごす年が続いたが、定着しなかった(笑)。年末のハワイも慌ただしいので都内のホテルでお正月というのも試みたが、それも大変で、もうお正月はしない、お節もお雑煮も作らないということになった。

 参加希望者全員参加はもちろんだ。一万人だって連れてゆく。一万人集会だよ。いや、一万人いたら歌ってもいいな。4、500人だと嫌だけど。だんだん吉田拓郎がコケていく(笑)ワイキキ1000人とか凄いね。飛行機何台もチャーターして。どう処理していいかわからないが。

<拓郎さんが、生まれ変わったら誰になりたいかを推理すると@渡辺プロに所属する  A四人組のバンドで自分はリードギターBボーカルは中島みゆき的女性ボーカルC演奏イメージはキンクスDR&Bでフォーキーなのはやらないという投書>
 中島みゆきはどうなの?嫌だとはいえないし、言ってるじゃん。吉田美和がいいな。テキトーなこと言ってるな(笑)。キンクスは、いいね、で、パフ、こういうのはやらはやらない。
 当っているよ。渡辺プロは納得している。

 突然、バレンタインデーの話題。70年代後半に定着したらしい。そうか?もっと前から定着していた気がする。
 女性からもらった覚えがないな。ファンから送ってもらったのはあったけれど。よひだたくろう(笑)はバレンタインデーに縁が無かった。バレンタインデーに縁が無かった吉田拓郎のラジオでナイト。
■タイトル
 ユアフェイバリットソング。全体に音楽の趣味がよろしい。起立。拍手。好きだよ、みんな愛しているぜ。キヨシローみたいだな。知らない曲もこうして聴いてみるといいのもあるね。とってもフォーキーなリクエストもあるし、ロック系のフェイバリットソングもある。聴いたことないが曲たくさんある。

<ブルース・スプリングスティーンのI Wish I Were Blind、自分が多感な年齢で片思いだった彼女を思い出す、詞の君が彼と歩いているのをみるのはがツライというところが心に響くという投書>

 スプリングスティーン、好きだけどこの曲は知らなかった。

M−1 I Wish I Were Blind   ブルース・スプリングスティーン

(小田急線全線再開したけど遅れている)

■CM明け
2018年をどうしたいか。僕は僕なりにザックリと決めているが、ザックリですから  変更もある。

  どういう年なのか、犬歳でもあるし、占い芸人の田中要一郎に伺ってきた。犬は茂るという意味がある。発展拡大の年。秋までは茂るように景気がよいが、10月11月刈り取られる時期が来るので急に悪くなる。話半分。
 派手なものが流行る傾向。赤や紫のキャラクターが流行るかも。ウサギ年の人はあたらしい出会いがある。辰年は、変動期で変化しやすい。羊、丑年はストレスを抱えやすい。
 ウサギのグッズを持つこと  

 吉田拓郎の今年の運勢は、基本傾向として、感性が優れている、理屈よりも感じないと納得できない。そうかも。
 自分の理想と大衆の求めるギャップを埋めようと努力している。してないよ。あ、このラジオがそうか。 

 運勢がもっともよい時期80歳から95歳(笑)この期間に今までやって来たことが評価される。今は評価されない、だめなのね(笑)。
 健康管理に気をつけ自分のペースを大事に、余裕をもってゆったりすすめてゆく時期。うん。今年何かを急いてはいけないと自分でも思っていた。
 パートナーとの運勢。結婚生活ではパートナーには自分押し通してしまいがちなのでトラブルに注意が必要。
 (笑)この人は、僕を知らなすぎる。僕は、自分を押し殺して暮らしている。

 仕事運で、今年は、打って出るより、温める時期。そうだね。これが来年、再来年に実を結ばせる。そうなんです。来年再来年に実を結ばせるためにそういうことを考えている。

 来年73歳。想像していなかった。この精神的な自分に一本通った芯に、肉体と精神のバランスがあるか、エナジーに溢れているか、というと、これが「ある」。これを爆発させるか現実化させるか、来年あたり大きな夢が実現できる気がする。今年は準備期間というのは、新しい考えを練っている。
 来年は、今でも名盤と思うライブ73をソニーから出しているが、本当のライブ73が来る。来年は避けて通れない分岐点になる。

■今週のベストテイク  

 73年安井かずみが詞を書いた曲で、安井かずみに接近してゆく過程で、初めての作品となった。
 柳田ヒロのアレンジ。ロック色の強いピアノ。岡林信康のバックもやっていた。ロック色の強いキーボード。キーボードには、いろんな個性があって、和音でつつむキーボードと対極にキーボードを弾き倒すタイプがある。武部なんかもそう。柳田ヒロもガンガン引いてくる。こういう弾き倒し系。ヒロとは音楽もやったけれど一緒に遊びもした。お正月 でボーっとしていると出ておいでと呼びだされて、六本木、西麻布のアマンドで1月3日にあま酒を呑んだのを覚えている。とにかく遊びを教えてくれた。踊りのお師匠さんの息子、所作もそれっぽいし、話術も長けている。遊びの拠点が原宿から六本木になった
 ギターは高中正義。まだ二十歳だったかな。こっちがフレーズを口で言って、高中が味付けてくれた。
 ツインリード、ギターにハーモニーをかぶせるのが流行った。矢島賢が、「ビートルズが教えてくれた」のイントロで弾いてくれた(口ずさむ)ツインリードって、おお、カッコイイなと思った。それ以来の高中のツインリード。
 ベースが後藤次利。ギターもうまいので動くベース(実演)。動き系。メロディーがあって好きだ。
 チト河内  ドラムソロのところで、当時タムタムがなくてうまく回してくれた。チトさんは実直な方で正確無比な音。

 ゴスペルっぽいコーラスとしては、当時「シンガーズ・スリー」しかなかった。おばさん三人組のリーダーの伊集加代子さん。この時、スタジオで一番年上だったはず。伊集さんはスタジオで待ち時間に編み物していた。そんなミュージシャン初めてだった。コーラスがカッコよかった。「からっ風のブルース」のコーラスとかも良かった。今では、大滝裕子、坪倉唯子もうまい。
 とにかくユニークで豪華なミュージシャンで演奏した「金曜日の朝」

M−2 金曜日の朝    吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング
 ザ・ロネッツという女性3人組の1963年のヒット曲「Be my baby」。これは、サウンドの魔術師フィル・スペクターによる「ウォール・サウンド」。演奏にボーカル沈みがち、「金曜日の朝」なんかも声ちっちゃいなといわれたけど、そういうのが好きなんだよ。
 根本は、楽器を何度も何度も同フレーズ、音を重ねる。そして音圧の凄さ。ドラム、ギター、ストリングス、コーラス、同じ演奏をいくつも重ねる。
 ビートルズや世界中のミュージシャンがびっくりした、一体どうしてああいう音が作れるんだと。ドラムなんかもびっくりする。
 当時フィル・スペクターは、日本でも影響を受けた人が、大瀧詠一。彼はこれに気づいて探求してウォールサウンドを完成した。大瀧詠一は、ヒットしてるなと遠くから観ている感じで、アルバムをきちんと聴いたことが無かったがなるほどウォールサウンドだと思った。
 
 吉田拓郎も一度だけトライしたことがある。松任谷正隆がアレンジで、ウォールサウンドをやってみた。ドラムの島村に2回叩いてもらって、ストリングスもギターも4回くらい重ねている。しかし、当時のレコーディングの技術もあって、うまくいかなかった。でも大瀧詠一は近くまで行っていた。

 まず失敗に終わった・・・

M−3 サマーピープル   吉田拓郎 

 これは挑戦してたどりつけなかった。これに関しては大瀧に一歩も二歩も遅れをとった

M−4 君は天然色  大瀧詠一

 サマーピープルもストリングスの分厚さとかは結構いってるんだけど、こっち(大瀧詠一)全体に部厚いな。
 そしてBe my baby もう音が凄い演奏の渦の中でロネッツが小さな声で歌っている感じだ。

M−5  Be my baby  ロネッツ

■エンディング
 メッセージテーマ  もの忘れ  探し物
 平成30年  平成ボーイ  平成ガール
 受験の思い出

 ユアフェイバリットソング。みんな音楽センスいいな。失礼しました。ラジオ聴いているヤツらいいな。
お相手は吉田拓郎でした。
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆さて、先週に続き、気力・体力のエナジーの高まりを語る御大が超絶嬉しい。こっちの域もあがろうというものだ。
 「エナジーを爆発させる」なんて言葉を今になって聴けるとは思わなかったよ。ライブ73とまで口走りおった御大。
 ああ、分岐点とは、何なのだ、何を心の夢に描いて、何を準備しようとしているのだ。たまらん。というわけで、身悶えしつつ、みんなも健康に留意して、この来年再来年に実を結ぶという御大の胎動を信じてまいりましょう。

☆ハワイの日程発表と全員参加を具申した方、素晴らしい。しかし、現実論から切り込まれると突然失速する御大(笑)。とはいえファンタジーかと思っていると、過去には、突如具体化したりしたこともあったし、また別の時は、いよいよ現実化しようとした矢先に番組が終わってご破算になったこともあったりと、ここでも私たちは吉田拓郎という荒波に翻弄されるしかないのだ。まぁハワイなので、ここはひとつ夢と現実の波をうまく乗り切りたいものだ。なんだそりゃ。ハワイに一万人で飛行機チャーターして編隊で飛んでったら、そらもう軍事行動と思われるでしょう。

☆ユア・フェイバリットは、リスナーを罵倒して終わるのかと思いきや大絶賛であった。本当に天邪鬼なんだからもう。スプリングスティーンは、詳しくしらないけれど、かの曲は、たまたま買ったアルバムに入っていた。清清しいアルバムだった。確かHUMAN TOUCH とLUCKY TOWNという二枚のオリジナルを同時に出してびっくらこいたものだ。そして、一度だけ、国際フォーラムで、スプリングスティーンのギター一本のライブを観たことがあった。ギター一本でロックしていた。ただし、御大のアローンツアーの後だったので、「パクったなスプリングスティーン」と思ったのもだ(笑)。

☆「金曜日の朝」は、メッセージソングばりのゴツいサウンドが厚くて、失敗作だという評をどこかで読んだが、それは考え抜いた御大の選択であり、決して失敗作ではない名曲だというのは、今になるとハッキリ断言できる。リアルタイムでは測れなかった大きさというか深みのある作品だったことが証明された気がする。
 こういう話を聴くとさ、もうレコーディングの様子自体が、豪華な宴というかドラマというか、ひとつの芸術作品みたいだよね。

☆伊集加代子さん、中学生の頃は、家で恥ずかしくて大音量では、かけられなかった「からっ風」のあの妖艶でサイケなコーラス。後にあの11PMのシャバダバシャバダバもそうだったと、このサイトの「ラジオでナイト」のノートのラジオを描いてくださったNinjin design officeの画伯に教えていただいた。伊集さんのファンとのことだった。自分は、エロくてイケない声のお姉さんというイメージだったが、スタジオの編み物のお話は、なぜかとてもほっこりと嬉しい。

 何度も書いたが、彼、画伯は、拓郎ファンではないものの、小学校の頃、校庭の木に登ってラジオを聴くのが好きで、そこで聴いた「金曜日の朝」が初めての拓郎だったという。伊集加代子さんのコーラスだったんだよと教えてあげたい。

☆吉田拓郎と大瀧詠一。この難解な関係と位置づけ。ライバルなのか、反目なのか、シャットアウトなのか、共演NGなのか、なんだか、よくわからない。ウォールサウンドならぬ二人の間に高いウォール(壁)があった気がしてならない。同じ音楽業界にいながら接点は殆どなかったと御大は何度も述懐していた。まるで並行世界パラレルワールドにぞれぞれ別に存在しているみたいに接点がない。

 何度も書いたが、私は、山下達郎と吉田拓郎に突然蜜月が訪れたように、いつかこの二人が「お互いにエレックにはひどい目に逢ったよな」と愛好崩して、距離を縮めるのが理想だったと思うのだが。大瀧詠一が別世界のレジェンドになってしまいもう詮無いことになってしまった。

 ただ吉田拓郎の素敵なところは、自分の失敗をフツーに認め、ウォールサウンドでは一歩も二歩も大瀧詠一が先を行っていたことをきちんと認めて評価しているところだ。それは御大の人柄であり、本当に誰より音楽が好きなのだなと思う。

 どうせ音楽がわからない私としては、ここで言ってしまいたい。
御大よ、まだ負けてはいないぜ。「サマーピーブル」のトラックにさらに島村英二さんにドラムをあと4,5回叩いてもらって、伊集加代子さんにコーラスをかぶせて貰って、「サマーピープルRemixi Ver」を作り、ウォール・サウンドを完成させよう。大瀧詠一はそういうのいくつも出している気がするし。んでもって「紫外線とパラソル」というキャッチでドモホルンリンクルとかのCMに使ってもらおう。
 とにかく人に生まれてきたんだ。愛してるぜ、御大。



ところで赤や紫のキャラが流行るというがコレか?
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2018. 2. 6

  ライブ73とまで口走り来年以降の大きな夢を語る御大のエナジーと気骨に感激するとともに、やはりライブの有無は観客の飢餓状態などで図られるものではないということを信じてまいりましょう。


 画伯とのやりとりしながら、私たちが伊集加代子さんに知らないうちにどれだけお世話になっていたかを考えている。ネスカフェの♪ダバダ〜を聴きながら、本当にロンドンやアムステルダムでみんなインスタントコーヒー飲んでんのかよ、とのツッコミに打ち震えた人も多かったに違いない。

「アルプスの少女ハイジ」の主題歌のヨーデルも伊集さんだ。はっ。ヨーデルといえば
♪ヨールレイホー、 夜がやって来た。次回のライブでもし演るのなら、伊集さんがヨーデルのコーラスで参加しやしないだろうか(爆)。その曲だけでいい。「落陽」とかの時は椅子に座って編み物していていいから。

2018. 2. 7

 「サマーピープル」が不憫だ。ウォールサウンドに挑み、敗れたという話を聴いてあらためて思った。もともと発売当初から「歌詞の意味がわからなくて歌ってて気持ち良くない」と御大本人がインタビューで発言していたりして、なんか不偶感がハンパなかった。勝負シングルとして期待を背負いすぎていたせいもあるのか。しかし、小品ながらいい曲だと思う。夏になると自然と口ずさんでいたりする。吉田拓郎の夏の名作選に恥ずかしくない逸品である。

 特に、85年つま恋の映像がいい。憑き物が落ちたように、軽やかに、気持ちよさそうに歌われている。首を振ってリズムをとっている御大もぷりてぃだ。間奏直前は「エルトン!」って言ってるんだな、たぶん。観ていて嬉しくなる。

 というわけで愛と哀しみの「サマーピープル」。さらに島ちゃんにドラム重ねてもらったり技術の粋を集めたりしてウォールサウンドにremixしたらいいのにとつい素人の浅薄さで書いてしまった。御大や音楽に詳しい方には「そんなもんじゃない!」と怒られるだろうが、そんなもんでなくもないんじゃないのかなと不遜にも思ったりする。

 とにかくサマーピープル、愛してるぜ wowwow oh

2018. 2. 8

 御大おすすめの映画「しあわせの隠れ場所」。録画できたか確認するだけのつもりが、ついつい深夜に最後まで観てしまった。おかげで朝がツライ。
 御大の云うとおり、なんと温かな家族たちなのか。サンドラ・ブロックがとてもカッケーが、夫も娘も、特にあの末っ子のクソガキ…違う、お子様が魅力的だ。そして彼女らの愛情を、過度に遠慮したり変に屈折することもなく、身体いっぱいに沁み込ませるようにまっすぐに受け入れるマイケルがまたいい。家族とは家族になる意思によって作られるという言葉を思い出した。
 そして、ファンにとっては、御大がこういう映画をチョイスして、御大の感じたいい気分をわけてくれたということがまた嬉しい。御大に誘われて一緒に映画観に行ったような気分になるよ。あと、あの絵本が超絶懐かしい。
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2018. 2. 9

 亀渕昭信さんの本の推薦文を御大が書いたというニュースを教えていただいた。嬉しい。昔「無人島で」のレコード評だったと思うけれど「自分の迷いを音にしないだけ、吉田拓郎の方がボブ・ディランより素敵だ」とキッパリと語られた亀渕さんの言葉が忘れられない。自分にとっては大切なひとことになった。

 さてペギラが来ているとしか思えない極寒の中、冬季オリンピック開幕だ。どこで開催されようと、冬のオリンピックといえばいつでもどこでも全力で「虹と雪のバラード」だ。特にスキージャンプ。むかし笠谷いま葛西には不可欠な唄である。観る方も背筋正して前傾姿勢で涙ぐみながら、ああ歌いたい。急募、今夜白鳥英美子になってくれる人>いねーよ。
 白鳥英美子さんといえば、「愉快にオンステージ」で、頼まれてもいないのにアカペラで「骨まで愛して」を歌う吉田拓郎に、すかさず横で♪チャチャチャチャンと合いの手を入れてくださった、この方も素敵な方だ。とにかくこのバラードよ、永遠なれ。

2018. 2. 10

 今年のアカデミー賞を予想する番組で知った、映画「君の名前で僕を呼んで」。・・・もうタイトルからして”君のスピードで”と”僕を呼びだしたのは”を彷彿とさせてやまない。そうだよ拓バカだよ、それが何か?
 17歳と24歳の二人の男性の恋心を描いた”慕情”な話らしい。最年少のオスカー受賞になるかもしれない美少年ティモシー・シャラメ。その美しさと演技力が超絶評価される新星とのことだ。

 そのすんげー美少年が田舎町の水辺で過ごす映像のトレイラーを観ながら思った。ああ、きっと1977年の”原田真二”はこんな風だったに違いない。微妙に面影がある。ピアノを弾いているティモシー・シャラメがキャンディーを歌ってもまったく違和感がない。
 もちろんその場を観ていたわけではないが、きっと77年の箱根ロックウェルスタジオのプールのあたりで、原田真二少年と吉田拓郎と松本隆は、こんなふうだったのかもしれない。
 なるほどその美しさにプールに落っことしてみたくもなろう。落とすほうも落とされるほうも至福の景色があったに違いない。
 ・・・例によってまったくの憶測たが、まったく外れているわけでもない気がする。

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2018. 2. 11

 時々無性に原田真二が聴きたくなる。ご本人の才と魅力のみならず、御大のプロデュースの息がかかった作品たちは、演奏も総力戦な感じで、今聴いてもソリッドなポップで心が疼く。まさに一瞬の夏の煌きのような原田真二。失礼か。ああ青春は燃える陽炎か…とはまさにこのことか。
 原田真二が、後に箱根ロックウェルスタジオを買ったという話を聴いたときは、驚いたし、凄いなと感心したし、また羨ましくもあった。オレだって、お金あったら"つま恋"買っちゃうもんねー>小学生かよっ!

2018. 2. 12

ラジオでナイト 第43回 2018.2.11

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 以前、観た映画三作について話したけれど、今回も最近観た映画の話。あ、忘れました。こんばんは吉田拓郎です。
 大好きなジェニファー・ローレンスの映画で、5,000人が宇宙船で冬眠状態で100年以上かけて移住する。ところが冬眠ポッドで一人の男だけが目が覚めてしまう。到着まで100年以上、残りの人生を一人で生きていかなくてはならない。男は、もう一人友達が欲しいと思う。気に入った彼女ジェニファー・ローレンスを無理矢理起こしてしまう。そして二人で生活が始まるが、ひょんなことから彼がワザと起こしたことが彼女にバレて、それまでイイ感じだった二人に諍いが始る。そのうち宇宙船が故障してチカラを合わせないと直せない状況になる。それを乗り越えて、そして、冬眠ポッドが一個だけ使えるようになる。男女はどうしたか。架空の話だが、男女の心の中の行ったり来たりする気持ち。ひとりで寿命を終わらせるかどうか、どちらが残るのか。「パッセンジャー」という映画。これが魅せるなぁ。いい映画だから観てください。

 もう何十年も寝るときは、i-podを聴きながら寝るのが夜の営み(笑)…営むなよ。最近、CDで、結婚しようよ、旅の宿、落陽といった曲やベストテイクの曲よりも、もう一歩コアな曲を選んで、新録音ではなく、このまんまの音を集めて聴きながら寝れないかなと考えている。アルバムがたくさんあるので大変なので、これを一枚のアルバムにできないかと考えている。こういう時間をみんなにも共有してほしい。だいたいエレック、ソニー、フォーライフ、テイチクインペリアル、エイベックスといろいろある中で、各会社で5、6曲多いところで7、8曲ずつ選ぶのはどうかと考えている。これを作って聴きながら寝る。
 新曲はどうなんだといわれるかもしれないが、それは絶対、今年やるから、いろいろ考えてる 多くは語らせるな。やるから。やるからと言っている吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル

子どもたちが将来なりたいランキング
小学生男子
1学者博士
 …俺はそんなこと全く考えていなかった。長年上位だった野球・サッカー選手ではなく学者・博士が上位に、「癌をなおす」「ロボット作りたい」とかいろいろあるらしい。
2野球選手
3 サッカー選手 
…1位から
4お医者さん
5警察・刑事
6 大工さん

女の子
1 食べ物屋さん
 21年連続らしい。女子は食べ物に感心強い。うちの奥さんも食べ物に目がないもんね(笑)
2 看護師
3 保育園・幼稚園の先生
4 医者
5 先生
‥‥‥人助けの仕事が多いね
6 歌手、タレント  薬剤師
‥‥‥昔は、芸能人は上位だった気がする
中学生男子
1 コンピューターシステムエンジニア
2 ゲーム関係
3 ユーチューバー
4 スポーツ選手
5 エンジニア

なんだろうな…ではなく素晴らしいことなのかな
女子
1 歌手声優
2 漫画家
3 お医者さん
4 公務員
5 ライター

 中学生になると食べ物関係はないんだね。こういうのを見ると隔世の感がある。中学校の時、大人にはなりたかったが、職業は考えたことなかった。小学校の時、外交官になりたいと書いたことがあったが、外交官の仕事の内容を先生に聞かれて知らなかった。外交官と言う言葉に憧れていたんだな。

 奥さんと最近時代は変わったなと話す。若かったころだからできたことも、今は恥ずかしいと思う。老いたなぁという気がする。老夫婦の境地。

ユアフェイバリットです。
<はしだのりひことシューベルツの「風」、井上博さんのたよりないボーカルが良かった、長身でカッコよかったけど亡くなってしまった、たよりないボーカルの青年特有の危うさ 自信のなさが魅力だったという投書>
はしださんのボーカルももたよりない。そうね、自信はあったけど過信だったんだろうな。

M−1  風   はしだのりひことシューベルツ


■CM明け
受験の思い出
<大学受験で初めての東京のホテルに泊まった箱入り娘。舞い上がって、自由を満喫、映画、ステーキと楽しむが、部屋に戻って頭痛、吐き気、冷蔵庫の焼酎を飲み干していたという投書>

 ある事件を思い出した。大阪のコンサート、武田鉄矢、アルフィーらとのフェスティバルが大阪球場であった。大阪球場はもうないよね。午前中のリハが終わって、中華レストランでビールをバンドや武田鉄矢らとちょっと飲んだ。本番前だけど、吉田拓郎はトリだし、夜8時なんでいいだろうということで。

 部屋に帰って物足りない。バンド全員を部屋に集めて、軽く飲むかということで、ルームサービスでウィスキーを飲み始めた。中西と青山とかいた悪玉バンドの時代。アルフィーも呼んで、みんなでグビグビ。大変な酒盛りになった。やがて、夕方、アルフィーに迎えが来て先に行った。でもトリだから、大丈夫と飲んでいた。そしてお風呂入ったら、これが裏目に出て、ぼーっとなって、いい湯だなってな感じで酔いが回って来た。本番の会場にかけつけてスタッフにとにかく冷たい水を持って来させて飲んだり、頭から水をかけさせたりしたけど、酔いがさめない。トイレで、歌手のYさんに「こんばんは」と挨拶されたけれど、オエーと言う状況だった。
 もう上機嫌でステージに上がり、一曲目はたぶんイメージの詩。何を思ったかステージに上がるなり、「大阪のにーちゃん、ねーちゃん元気かぁぁぁ」と叫んだ。あとは、覚えてない(笑)とにかく上機嫌でなんで、にーちゃんねーちゃんなんて言ったんだろう。

<高校受験の時ラジオで「ロストラブ」という中村メイコの処女をささげてたときの感情を聞く番組を聴いていて、メイコさんが「痛かった」「どこで」とか聞いていた、え痛いの?
と思ったが、メイコさんが、次は痛くなくなるから大丈夫よと言っていたという投書>
 凄い番組(笑)。こんなのあったのか。TBSだそうです。生々しいな。中村メイコさんが痛かった?とか聞くのか。


■今週のベストテイク  

 2012年のアルバム「午後の天気」の「清流」。みなさんもそうでしょうが、自分にとって父とか母とかどういう存在か、父と母の違い、父親や母親がどういう人物だったのか、僕も深く考えたときがあった。  
 僕の父親は、家庭を省みない人だった。鹿児島を離れて広島に、母と姉とおばあちゃんと越したのだが、父は鹿児島に残る道を選んだ。理由はわからないけれど父一人残って、  亡くなるまで一人で暮らしていた。そのため僕たちは、広島で狭いアパートで貧しい暮らしだった。お正月だけフラっとやって来て帰ってゆく。仕送りはあったらしいが、母親からつねづね父親の不満を聴かされて育った。 父は家庭人としては失格、というイメージ化が出来上がっていった。そして父親は、一人で亡くなる。
 やがて母も死んだ時、ふと気づくと父親と話をしていない、男同志という関係ができていないことを思った。
 映画「フィールド・オブ・ドリームス」、あれを見て父の愛していた鹿児島、仕事場の図書館を訪ねてみた。しかし、やっばり映画のようにはいかななかった。父は、雄弁家ではないものの、兄姉への愛情はあったと思う。愛していなかったわけではない。彼流の愛情はあった。彼にも言いたいことはあったのではないか。凄く愛されていたのかもしれない。
 多感な時は父親を憎んでいたのも事実。母との時間が長かった分、父親との距離は広がっていった。そういうことを考えながら作った。

M-2 清流   吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング

 今週は、マイケル・ジャクソン。吉田拓郎がマイケル・ジャクソン?と思われるかもしれないが実は隠れマイケル・ジャクソン。88年に横浜スタジアムに奥さんと観に行った。  それまでは、マイケル・ジャクソンに「なんでぇと」いう感じがあった、ジャクソン5もそんなには好きではなかった。もちろん彼らはR&Bだったんだけど、正直そんなには興味なかった。
どうして行ったかは忘れたけれど、うちのやつとスタジアムのコンサートを観た。もう、一曲目から「ブハー!」と吹っ飛んだ。なんて素晴らしいステージなんだ、なんて素晴らしいボーカル、そして見事なダンス。ステージに見入ってしまった。
 びっくりして背筋凍る感じと言うのは、のは後にも先にもなかった。眼にも心にもドカーンと入って来た。

 エイミー・ワインハウスの時も言ったけど、素晴らしい才能、それが今いないことを恨みたい。最後のDVDの”This is it” も観入った。

 そこで、選んだ曲、何がいいってこのリフのカッコ良さ(実演)。(さらにアンチェイン・マイ・ハートを実演)こういうリフとかが大事。最初聴いたときから、こんなシンプルで素晴らしいリフをよく考え付いたなと思った。ギターのソロをエディ・ヴァン・ヘイレンが弾いている。ギター好きにはたまらない、ぶっとびのギター。

 スティーヴ・ルカサー、ポール・ジャクソン・ジュニアも参加している。
とにかくこのリフの凄さ。いいなぁ。

M−3 今夜はビート・イット  マイケルジャクソン

■エンディング
中高年で忘れ物が増えて探し物 
平成ボーイ 平成ガール
フェイバリットソング  募集中。

吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆ コアな曲集めて一枚に。いいじゃないか、嬉しいじゃないか、是非是非、コアで埋もれがちな子供たちをピックアップしてほしい。さすれば、ライブで歌唱という道も開かれん。どんな作品なんだろうか。とても楽しみだ。
 「参考リストを作れ」ということでしたら、私はもちろん、腕に自慢のたくさんのファン方々が、最高のレシピをおくってくれるに違いありません。

☆ 映画「パッセンジャー」。たまたま、私も先月観たのばかりなので驚いた。気が合うな御大(笑)。あまりに感激して、Ninijin Desighs Officeの新年の会合でこの映画を語ったところだった。そうなんだよ、冷凍睡眠でひとりだけ起きてしまう。冬眠中にひとりだけ起きてしまうという「ムーミン谷の冬」みたいな話だが(しらねーよね)、それとは違って、生きているうちに春は永遠に来ないという絶望的な状況だ。無理矢理起こすという行為の罪深さは殺人に等しいわけで。でも、Ninijin Design Officeの雨畑代表は、「自分だったら冬眠している5000人全員起こす」とキッパリ言い放ってそれはそれで感動した。
☆ 御大は、ジェニファーローレンスが好きなんだな。そういう人にはたまらないサービスカット満載だった。
☆ シューベルツの井上博さんは、本当にスマートな貴公子のようで自分も子ども心に憧れていた。大好きだった歌、さすらい人の子守歌の♪はまゆうの花、におう浜辺に…のボーカルも確かにちょっと音痴で頼りな気で好きだった。しかし、70年に亡くなっていたとは知らなかった。ショックだ。子どもだったからそういう情報まで届かなかったのだろうか。不覚。
☆ 大阪球場の話は何度聞いても凄いな。あれ、「タコヤキ」は? 八神純子さん側のお話も聞いてみたい。
☆ 「清流」。この作品の出自たる父親の声を聞こうとするまでの話は、何度聞いても胸にせまる。こっちもいいけど、「名前のない川」の原曲のゆったりとしてテンポのバージョンが私は好きだ。あわせてこの駄文も呼んでほしい。駄文というよりも、そこに引用した御大の日記の部分だ。
http://tylife.jp/sideways.html#CHICHI
☆ 熱いマイケル・ジャクソンファンは、自分の周囲にもたくさんいて何度も聴くようにすすめられたが、完無視をつづけてきた。世の中には、吉田拓郎とそれ以外の歌手の2種類の歌手しかいないという矜持で生きている私だ。しかも、80年代後半といえば、吉田拓郎の灯は、限りなく小さくなりつつあった時だ。それ以外の歌手にうつつを抜かしていられるか。マイケルはマイケル・コルレオーネで十分、ジャクソン5を聴くならフィンガー5を聴くわいと固く拒絶していた。意味わかんねぇ。
 そうか、御大はそこまで打ちのめされたのか。もっと早く教えてくれよ。御大がそこまで感動したなら、ちゃんと聴くよ。
☆ 中村メイコ先生、凄いな。御大、だからって変なコーナー始めないでくれよ(笑)
☆ アルバムプロジェクト基礎工事進行中と思われる。深く静かに潜航せよ。ひそかに期待しております。

2018. 2. 13

 御大の父親の話を聞きながらふと思った。

 「巨人の星」の厳父・星一徹。野球のために子どもをしごきあげる、全編それはそれは鬼のようにヒドイ、超絶DVな父親なのだが、その彼が一度だけ"ひるむ"ところがある。

 プロになった飛雄馬が、白血病を患う看護婦と恋に落ちる。ところがその彼女が余命僅かと知ると飛雄馬は彼女の傍らを離れられなくなり、練習も仕事もほっぽらかしてしまう。絶望の淵で、飛雄馬は父親に「父ちゃんは、こんなオレをダメな奴と怒るんだろうが、でもオレはどうしたらいいんだ」と苦悶の手紙を書くのだ。

 その手紙を読んだ一徹は「野球ほったらかして何やってんじゃぁ!」と怒りまくるかと思いきや、意外にも静かにハラハラと涙を流し、亡妻の遺影の前で切なく問いかける 。

「母さん、どう答えてやればいい この命がけの問いに・・・辛かろう・・・愛を捨てよという権利はワシにはない・・・」

 今になるとこのシーンこそがこの漫画で一番尊いシーンかもしれない。

 やがて恋人に死別した飛雄馬は腑抜け状態になってしまう。ライバル花形は、そんな飛雄馬に苛立ち、心配しつつも「このショックはやがて時間が解決してくれる」とつぶやく。
 しかし、それを聞いて、今度は普段は温厚な紳士である花形の父親が激怒するのだ。

 「時間が解決などしない!」

  花形父は死別した妻への後悔と思いを今も引きずっていることを明かす。

  「彼(飛雄馬)にとってこの傷はあまりに深すぎる」

 この二人の父親の姿が今になって胸にこたえる。とんでもねぇ親父だと思いつつ、実際にとんでもない父親なのだが、この父親、この漫画をいつまでも侮れないゆえんである。
 父親の言いたいことはなかなか伝わらないものだ。母親もそうか。


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2018. 2. 15

 御大のおっしゃるとおり、これから踊り出すようなスタートの小平奈緒さん、おめでとうございます、でも、まだまだある、応援するぞ。あぁ、高木美帆さん、好きになってしまいそうだ。
 それにしても韓国と日本はすげー時差があるのかと勘違いしそうな時間のオリンピック放送。アジアの片隅のこちらの時間軸に、そっちが合わせんか米帝。「いつまでもマッカーサーの時代じゃないんだ」という御大の言葉(1980年)を思う。ともかく、しつこく「虹と雪のバラード」を脳内に流しながら観戦。

2018. 2. 16

 仕事場の長老が、インフルエンザのことを「流感」と言ってて妙に感動した。そうだ、昔は流行感冒、流感って言ってたよな。あらためて考えると「流感」て、実に美しい含蓄のある日本語だ。一文字違うと「流星」になるし。それは関係ないか。
 昔、御大がラジオで古い日本映画を見てたら妻のことを「細君」と言ってて感動した話をしていた。これも美しい。
 例えば、「カミさんがインフルなんで今日は帰るわ」というのも「細君が流感なので今日は失敬!」といえばたちまたち粋な紳士に早変わり(爆)。
 世間の薄っぺらな国際化の流れに棹差して日本語を大切にしたいものだ。ライブも「演奏会」、ライブ盤は「実況録音盤」でまいりましょう。ライブ73って、確か帯に「実況録音」って書いてなかったっけ? 「ともだち」までだったけか。

2018. 2. 17

 カーリングの選手たちの狙いを定めるときの顔が例外なく超絶美しい。集中の極みの時の人間の顔はかくも美しくなるのか。他のスポーツや競技も同じなのだろうが、カーリングは、集中している時の素の顔を結構長い時間まじまじと観ることができる。
 吉田拓郎のバックステージの映像が好きなのは、音楽に聴き入るとき、ゲネのステージの出来あがりを見つめるとき、楽譜にコードを書き込むとき、このうえなく集中した御大の顔を見ることができる、そこだ。ステージとはまた違い、静かに集中し沈思黙考する顔がまた魅力的なのだ。
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2018. 2. 18

 「眠狂四郎the final」を期待と不安をもって観た。声は少し弱々しかったが、その立姿、居姿は、そこはかとなく優雅で美しかった。孤影悄然とした眠狂四郎は、やはり市川雷蔵でも片岡孝夫でもなく田村正和のものである。これほど孤独をたたえた立姿が美しいのは、私の調査によれば、世界で田村正和と吉田拓郎だけである。おまえの調査かよという声が聞こえたが空耳だろう。
 以前の田村正和へのインタビューで、役者の仕事がお好きですかという質問に「キライです。できれば、ずっと家にいたいです。」と答えていた。あの方も同じ答えをしそうである。ともに孤影悄然とゆく道は家路なのだろうか。

 それにしても、なんでこんなオリンピックの喧騒のドサクサに放送するのかと同志ファンのねーさんが怒ってらしたが激同だ。日本中が金だ銀だとそれはおめでたく結構なのだが、静かなる本当の優雅さがここにある。the finalではなく、foreverである。

2018. 2. 19

 小平奈緒さん、おめでとうございます。31歳という年齢も凄い。吉田拓郎がフォーライフの社長に就任した歳だ。意味がよくわからないが、ともかく素晴らしい。

ラジオでナイト 第44回 2018.2.18


☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
こんばんは吉田拓郎です。

 ハワイ企画、中途半端なところのある自分だけど、これは実現するまでやるよ。
 今、奥歯が事情があって不都合。肺がん手術のあと元気で活動していることになっているけれど、それでもウチウチのいろんな事情があって乗り越えてきた。今度特集するか(笑)いろいろ、あったんですよと話すコーナー(笑)。いろんな方のサポートがありながら今ここに行きついている。立派だな、僕は。乗り越えてきた中に小問題がある。確実に乗り越えるのは4月ころかな。

<ハワイ企画で、拓郎さんはお留守番をするというのはどうでしょうか、いっそ拓郎さん抜きにファンとスタッフの慰安旅行ではどうかという投書>
 こういうのは素晴らしい発想だ。俺は来なくていいという企画(笑)
<そのかわり貴重映像、音源、限定グッズを用意し、拓郎さんの定宿に泊まるという投書のつづき>
 面白そうだね(笑)例えば僕も好きな人がいて、その人が来ないけど、貴重映像、音源で楽しんで…とは行かないかね(笑)
 <拓郎さんは企画進行するにつれて、それじゃ俺も参加するかなと言い出すという投書のつづき>
ともかく僕抜きでやってみようというのは勇気ある行動だ。

<ハワイ行き飛行機で拓郎さんのフィルムコンサートをしたらどうかという投書>
 これは気づかなかった。75年から最新までのライブ上映か。飛行機は貸し切りだよね、一般のお客さん迷惑だし。あと2006年はかぐや姫はカットしよう(笑)。盛り上がり飛行機が揺れるかも。これは乗るな。

<港区赤坂 TBSテレビ「ラジオでナイト」>に送ったという投書が届いた。〒番号だけあっていた。よく届いたな。

 ニッポン放送でやっている吉田拓郎ラジオでナイト

■タイトル
 雪が凄い。地球の温暖化の影響を受けている気がする。夏も昔の僕らの頃の夏とはだんだん違ってくる。こんな冬だっけという感じで、寒かったり寒波が押し寄せたり、地球が少し変だな年齢のせいかな。でも若い人も感じているはず。温暖化を阻止しないと。そのために小さな努力はする。ウチのマンションでは、ゴミ捨ての時に、ペットボトルの紙をはがしてくれという規定。蓋も別。これらがリサイクルになっている。けっこう剝すのは面倒だけど、協力しようと思っている。
 今回の大雪で大変だった地域の皆様にはお見舞い申し上げます。

 オリンピックですが、あまりにも朝早く選手が可哀想。また別の競技では、えらい夜中に競技させられて、夜にジャンプとか。ピョンチャンと東京は時差がないんだよね。  もう少し選手のことを考えてほしい。こんな時間に始める理由はご存知でしょう。
選手が気持ちよくできる時間帯にしてほしい。口うるさいジジイになってきたな。テレビに文句言ってるもんな。「何、言ってんだばかやろう」とか。

 さてユア・フェイバリット。今日は、意見が一致して嬉しかったな。僕も選ぼうとしていたんだけど、リクエストを貰いました。名前読みたいけれど匿名。

<CCRクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「雨を見たかい」、なんてなまった英語と最初思った、ギターに連弾、ジョンフォガッティのボーカル、最後は、彼のシャウトで締めくくられゴスペルロックのようになり、反戦歌だからだろうか、単調だけど心奪われる、拓郎さんと同じ唯一無二のボーカルという投書>

 おほめの言葉をいただいて、かけないわけにゃーいかねーやな、ねーちゃん。誰なんだ。CCRクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルはいろんな名曲がある。プラウド・メアリー(弾く)
 このエイトビートのカッティングが特徴。広島のギター教室のころから吉田拓郎は、このエイトビートのカッティングは天才的といわれていた。CCRクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルは、全部、エイビートが、めちゃ気持ちいい。いろいろな曲があるが、僕も「雨をみたかい」をかけたい。ジョン・フォガッティのボーカルとギターが素晴らしい。

M−1  雨を見たかい   CCRクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル

■CM明け
 再来週は、スペシャル・ウィーク。今週のベストテイクの特集。昔は、デモテープをよく作っていた。今は、ヘッドアレンジだけで、現場でミュージシャンと作るのが楽しいけれど、昔はデモテープをよく作っていた。
番組でも時々そのデモテープを流していたことがあった。そのデモテープの中で、極上のデモテープ。このままCDにしてもイイというものがなくはない。

 また、他人に提供する時、そういうデモテープを聞かせて、この人は下手だったな、この人よく拓郎節を歌いこなしているなとかいろいろある。特に岡本おさみの詞は、韻を踏んでいないので歌うのが大変だ。こんなの歌えるはずないと思っていたのが、それを見事に歌いこなしたという人の曲をオンエアしてみようかとか、いろいろ企画を考えている。再来週お楽しみに。

■今週のベストテイク  

 今週は、いよいよ満を持して「流星」。
 鈴木茂のアレンジ。ドラマの主題歌だった。いろいろライブでも演奏したけれど、鈴木茂のアレンジが不変で、オリジナルに行きつく。間奏のギターのフレーズも、鳥山とやっても「これは、茂さんのでいっちゃいますか」「そうだな、これじゃないと」というところに行きついてしまう。
 とにかくアレンジは秀逸。ピアノは松任谷、ベース後藤次利、ドラムはミッチー林立夫。ストリングス・間奏のギターソロの妙。
 ミッチーがレコーディングの時に歌詞見せてと言ってきた、ドラマーが歌詞見せてといってきたのが忘れられない。 島ちゃん、島村が見せてといったことはなかったと思うし、あ、でもラスカンケルは言っていた。それとロスアンゼルスでレコーディングしたとき、ザ・バンドのガース・ハドソンは演奏前に岡本おさみさんの歌詞を訳してくれと言って、Mmmm Mmmmと言いながら聞いていた。それでガースが弾き始めたけど、わかってない、岡本さん伝わってないよと言う感じだった(笑)ミッチーは詞を読んで「わかった」と言ったが、Mmmm Mmmmの世界かな。 何がわかったのかな。

 で、歌詞。これが我ながら哲学的で難しい。自分でひも解いてもわからない。ある日、原宿の街でふと女子高校生の一団がキャーキャー言いながら歩いているのとすれ違った  。その時に33、4歳だったと思うが。終わり行く青春を思った。若い女子高生に対する憧れ、若さに対する思いのようなもの。老成していたんだな。青春は終わりだと思った。思えば思うほど、失われてゆく青春、原宿での自分の青春が消えていこうとしている。それがツライ寂しい。そう感じさせる女子高生の姿だった。
 そして、僕だけではなく、僕と同年代の原宿のかつての若者たちはどうなの?という気持ちになった。君たちはどうなの?描いていた夢を掴んだの?フォークファンと言われる連中も含めて、みんな本当に欲しかったものを掴めたのか? 家へ飛んでかえってこの気持ちを詩に書き留めた。君の欲しいものは何ですか、僕の欲しかったものは何ですか。これは、原宿の女子高生をきっかけに老けてゆく自分を感じて書いた。

 後に、かまやつさんがこの詞を読んで、「いやあ、老成しているな。拓郎おまえいくつだったんだよ。それはよくないよ。まだ若造じゃん。」と言われるとちょっと老けているな
 当時は、また三十代はみんな老成していて、おっさん臭く、むさくるしい。そんなのばかりだった。今見ると、何でこんなに老成しているのという詞を書いていた。

 2016年のコンサートでは、歌ってて泣きましたね。この時は、客席に向かって歌ったんだよ。客席に向かって、君たちの欲しかったものは手に入ったかと問いかけながら歌おうと思っていた。そうしたら、思いがつのってしまって、気持ちが入ってしまった。

M-2 流星    吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング

 アメリカのトラディショナルのフォークソングをボブ・ディランとかいろんな歌手が取り上げていて、聴いていたけど、ディランのあの歌い方ですから(鼻声のしゃがれ声のマネ)…ちょっと聴いてみようか

M−3  朝日のあたる家    ボブ・ティラン

 オデッタとかいろんな人がカバーしていた。特にイギリスのアニマルズは、このシブイ地味な曲を滅茶苦茶カッコよく、ビートをきかせて演奏して一躍、この曲も世界中で有名になった。素晴らしいアレンジで、僕もカッコイイなぁと思ったものだ。
 フォークロックの転換期だったかもしれない。ものの本によると、ロックくのキングのチャック・ベリーのイギリス公演の前座だったアニマルズ、吉田拓郎でいえば猫(笑)。   前座の時にアニマルズがディランの「朝日のあたる家」を聴いてこのまんま演奏したらダメだし、かといってロックアレンジではチャック・ベリーには勝てないだろう。いいアレンジないかと話し合っているうちに(ギターのイントロ弾く)このアレンジが完成した。オルガンのアラン・プライスの凄いバカテク。ギターのイントロとオルガンの凄さ、そしてエリック・バードンのロック魂のボーカルで一躍脚光を浴びた。

M−4  朝日のあたる家   アニマルズ

■エンディング
 もうおしまいか、それともやっとおわったと思うのか(笑)

 探し物、30歳以下の若い人たち、ユアフェイバリット、リクエストで良かったのかな
でも、一応選んだ理由を書いてくれ
お相手は吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆以前のラジオでは、歯で入院ということもありましたのでどうかお大事に。よくわかりませんが、いろいろな艱難辛苦を乗り越えての今があるということですね。貴重な今とこれからを大切に噛みしめます。

☆本人不在のハワイ企画。すんばらしい。この方もきっと過去に、期待を抱きつつも、いろいろ悲しく切ない思いをしたことがあったに違いない(爆)。それでも御大への愛を貫いて、御大に余計な心的負担をかけないようにと心を配る優しさ、そして本人が来なくてもファンが楽しめるツボの企画を考え、そしてそうすれば、きっと御大は参加したくなるに違いないという天邪鬼な本質をも掴んだ深謀遠慮の見事さに涙が出そうだ。ハラショ。
☆飛行機ライブというプランも胸が高鳴るね。いいっすね。最近の飛行機では松山千春が歌ったり、そういう事ばかり続くので、飛行機を吉田拓郎の手に是非取り戻したいところだ。いみふ。

☆スペシャル企画は、意味がわからないといいつつ、ものすげースペシャルではないか。完成度の高いデモテープとはそれだけで震えてしまう。

☆「流星」。そうだったのか。「老成」というキーワードは以前話してくれたが、ここまで出自を具体的に語ってくれたのを初めて聴いた。「君の欲しいものは何ですか」「僕の欲しかったものは何ですか」というフレーズの問いかける意味の深さがいっそう切なく胸に迫る。
 この作品を発表した時、ラジオで「この歌は「流行」というものからは、外れているかもしれない」といういつになく気弱なコメントした御大の心情もよくわかった気がする。
その女子高生たちも、間違いなく50代半ばである。「君の欲しいものは何ですか」の御大の問いかけの意味が胸にしみる年齢に違いない。
 そして、そうなのか、2016年は、観客全員に向って問いかけてくれていたのか。それが御大の海よりも深い行間だったのか。「あ、御大が泣いている」という景色としてしか観ていなかった。自分の不明さを恥じる。泣くのはこっちじゃないか。

☆ところでオリジナルってエルトン永田のピアノじゃないの?

☆詞を読む林さんも凄いが、島ちゃんは、ラストショウのライブで御大の「ともだち」を熱唱していらした。吉田拓郎の歌を歌うドラマーは唯一無二ではないか。

☆「朝日のあたる家」のオルガン。御意。すんばらしい。こういう感じでオルガンが唸るように弾きまくられる演奏がライブで聴きたいっす。

☆ともかく御大お大事に。再来週楽しみにしています。

2018. 2. 20

 久々に羽田空港に行った。子どもの頃、たまに空港に送迎で行くときでも、みんなが正装でおめかしをしていた気がする。かなり特別な場所だった。今は、全体に超絶カジュアルだ。コンビニに行く姿と変わらない。
 昔、LOVE2でハワイに行くとき、空港にジャージ姿で現れた堂本剛くんに、御大は一瞬、絶句して「キミ‥‥旅慣れてるね」と言葉を継いだのが可笑しかった。

 とはいえ、出迎えとお別れの胸にこみあげる場面は、やはり空港のそこ、ここにあってそれだけは変わらない。


 空港といえば昔、「エアポート77」というパニック映画があって、飛行機の機長がアラン・ドロンでCAがシルビア・クリステルというなんとも濃すぎるキャスティングだけが印象に残っている。

2018. 2. 21

 御大のおかげで、「流星」オリジナルのミュージシャンは、鈴木茂(guitar)、松任谷正隆(key)、林立夫(drums)、後藤次利(bass)であることが判明した。Uramadoで、いきなりエルトン永田のピアノと書いたのは、ドラマ「男なら」にインサートされた演奏についてのお話のくだりを私が思い切り誤読したもので、謹んで訂正させていただく。孤高のサイトで謝るのも変だが。しかし、こういう真実が明らかになるかたちで誤りが正されるなら大歓迎だ。
 「流星」は、「ほぼティンパンアレイ(almost Tin Pan Alley・・・・ないよ、そんな名前、私が勝手に言ってるだけだ)」+「後藤次利」という陣容だったという話。そんな大事な事実がひっそりと隠れるようにあっていいものなのかという複雑な思いとともに、御大よ、ここに来てよくぞ話してくれたという喜びがある。もしかしたら有名な話だったのかもしれないが、どうあろうと私の人生だ、私にとっては私が知ってたか知らなかったかが何より大事だ(爆)。

 きっとこういう凄い話がまだまだ山のように眠っているのだ。本人やミュージシャンや音楽関係者やそれからファンの人々の頭の中で、風に吹き上げられた埃の中に蔵置されているに違いない。いいのか、それで。

 よく「あの世にお金は持っていけない」というが、それは知識と経験も同じだ。その人が亡くなれば、すべての知識と経験は”雨の日の涙のように消えてゆく”(ブレードランナー)。
 これほどまでメディア・ツールが発達したのだし、御大に関して凄いことを経験した生き証人の方々は、記録し、残すことを真剣に考えてほしいと願う。

 ところで、ということはあの「アイランド」も同じ陣容で演奏されたのだろうか。林立夫が「人間なんて」のドラムを叩いたのだろうか。謎と興味は尽きない。

 2016年のコンサートツアーで、御大は、「客席に向かって、君たちの欲しかったものは手に入ったか」と問いかけながら歌おうと思っていたといってくれた。そうしたら、思いがつのってしまって」と述懐する。ライブ直後には、あの時、ファンの心の歌声が聴こえたからとも語っていた。

 勝手な思い込みだが、2016年は、70歳を越えて渾身のステージで歌う御大、そしてともに歳月を抱えてそれを聴く観客。あの日、私たちの「欲しいもの」は、そこに厳然とあったのだと思う。

 「老成」とは至言なり。この唄の問いかけは、これからも歳月を経れば経るほど、切実な深みをもって私たちに迫ってくるに違いない。そして、これを書いている今、幸運にも私たちの旅はさらに続くのだ。御大も私たちもとにかく元気でいたいものだ。

2018. 2. 22

「本当に本当に美しいなー」そだねー。

 競技それ自体のみならず,競技を観て感動している御大を観てまた元気になるというイカレたファンの入れ子システムのような感動。小平さんに続いて、高木さんも本当に良かったな。

 同時に、大杉漣さんは驚いた。名演は数多いが、個人的には「え?蒲田に」のセリフが永遠なのだ。
 心よりご冥福をお祈りします。高田さんとごゆっくりと一献傾けてお休みください。

2018. 2. 23

 20年以上通った立ち食いそば屋さんが、知らないうちに閉店していた。ショック。店主のおばさんの「体力の限界」との張り紙が切ない。お礼もお別れも言えなかった。
 二日酔いの時は、いつもここの”素うどん”にお世話になった。おつゆが胃の腑に沁み込むと、生き返ったような気がしたものだ。
 そして、2000年からは何といっても「冷やしたぬき」だ。私が、冬の寒風に凍えながらも、なぜ頑なに冷やしたぬきを食べるのか、その秘密をついに、おばさんに言えずじまいになった。たぶん、おばさんには心の底からどうでもいい事だろうが(笑)

吉田拓郎を思うて冷やしたぬきを食べ、
  冷やしたぬきを食べては吉田拓郎に思いを馳せる。
            この聖なる営みを笑わば笑え。


 そんなイカれたファンが、きっとこの世界にはそれなりにいることを信じてまいりましょう。

 えーっと、曲ですね。拓郎さんで「消えてゆくもの」。おやすみなさい。

2018. 2. 24

 先日、久々に石山恵三さんの「慕情」を聴いた。イイ。本人歌唱に比肩するくらい好きだ。声も行間も味わい深い。
 歌いながら「ハイ、ココのところが一番好きです…♪切なさ、虚しささえ抱いて生きる〜」。南こうせつ、山本コータローのように歌詞を先導する歌手は観たことあるが副音声で解説つけながら歌う人は初めて観た。"石山 慕情歌うってよ"伝説は止まらない。 

 ♪切なさ、虚しささえ抱いて生きる

 昨夜、飲みながら、深夜に異変を訴えた大杉漣さんを病院に連れてゆき最後を看取った松重"五郎"豊さんの優しさについて話すと「もし翌朝一人ホテルの部屋で亡くなっていたら皆の受けるショックと後悔は計り知れない。ああいうかたちで亡くなられた大杉漣さんこそがやさしい」と言われて、「慕情」が頭に流れ出した。

2018. 2. 25

 オリンピックの新種目マススタート。多人数の選手が混み合いながらリンクを回っているのを観ると、どうしても東京ボンバーズを思い出してしまう。高木さんが佐々木ヨーコに見えてしまう。これがローラーゲームだったら、もう大変なことになるよな(爆)。小学校の頃、友達のUくんはローラーゲームが大好きで、それで東京12チャンネルを見張っていたら、よしだたくろう神田共立講堂のライブ放映を見つけて、魅入られてファンになったという伝説がある。彼には吉田拓郎のことでいろいろ手ほどきを受けた。んまぁ、心の底からどうでもいい話なのだが。すべては拓郎に繋がるのだ。

2018. 2. 26

ラジオでナイト 第39回 2018.2.25
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。卒業旅行など計画の時期。僕は、以前は、アメリカLA西海岸、 パリ、音楽の地イギリスのピカデリーサーカスとかに行きたかった。

 今は大部変わったようだ、アンケートによると、5位シンガポール、4位イタリア…BSの番組「 あなたの知らないイタリア」を観ている。イタリア在住のデザイナーとかが、行きつけのレストランを紹介し、厨房の様子から見せる。うまそうなんだ、イタリアンが。俺、イタリアンになりたい。フランスといえば、アラン・ドロンはいい顔だな、アラン・ドロンになりたいと若い頃は思った。自分のジャケットの横顔とか似ているんじゃないかなと思っていたが、似てないって言われた(笑)。今は、マルチェロ・マストロヤンニ。知っているかな、イタリアの種馬。とにかくイタリアの食事が好きだ。
 3位オーストラリア…前に言ったよね、シドニー、メルボルンが暮らしやすい街だと。昔、Kinkiと番組でゴールドコーストとシドニー行ったっけね。
 2位が意外なグァム。でも暑すぎないか?
 昔、「ローリング30」の撮影の仕事で写真家の大川壮一郎と松本隆と一緒にグァム・サイパンに行ったことがある。松本と海辺にいる女の子に、有名な日本のカメラマンいるんで写真撮らないと声かけると、撮って撮ってってことになり、松本隆とナンパした。大川さんは、変わった人で、いつ何があってもいいように、腹筋・腕立てを欠かさず、常に着替えを持っている。写真の時にはちゃんと着替えるカメラマンで、タムジンなんかとは違う。写真撮影のとき相手が僕を好きなるかもしれないと。松本と女の子連れて「先生よろしく」というと「水着になってごらんよ」って、犯罪じゃないか(笑)。
 1位が台湾。ハワイがないね。ヨーロッパもイタリアしかない。テロとか治安のせいかな。

 それにしても松本隆も軽かったな。でも、あれからいい大量に詞を書いてくれた。
やっぱりハワイがいいなと思っている吉田拓郎のラジオでナイト。
■タイトル

 ユアフェイバリットソング、僕も選ぼうと思っていたロッド・スチュワート。来日公演で、サッカーボールを客席に蹴った時、カッコ良かったなぁ。その人のライブに行くと好きになる。それからロッドはよく聴くようになった。

(♪今夜決めようを弾き語る)

M―1 今夜決めよう  ロッド・スチュワート
 これを聴いたときにカッコイイなぁと思い、この曲にヒントを得た曲がある。極悪バンドの頃、中西、青山、島ちゃんのバンドの時に歌った。これに似ている雰囲気の曲がある。

<セイリング、ずいぶん前にラジオから流れてきて知ったが、人生の終盤に心に響いてい来るという投書>
 この人も書いているが、ボーカルが渋くていいのと間奏のギターがいい。例のツインリードこれがいいんだ、

M―2 セイリング  ロッド・スチュワート

■CM明け

<平成生まれ成人男子三人、とても真面目、しかし、あまりに欲がない、頑張って何かを手にいれるようなところがなく物足らないという投書>
 そうなのかな。
<昭和と平成の娘。昭和にある鼻濁音がない。スギ薬局 ギ を鼻濁音を笑われた
という投書>
 昭和生まれだからじゃなくて あなたがおかしいんじゃないか(笑)
<64歳だが娘が平成ガール。凄いのは胸がバカでかい。彼氏の影響かサプリ、ブラがまたバカでかい立派に育ちはったーという投書>
 とにかく胸がデカイ(笑)

 こういうメールを読むと歌いたくなってくるという事で
<ハタチの若者、学校で75年のつま恋を観た、当時の時代は自由で羨ましい、コンサート行きたいという投書>
 是非おいでよ。自由な感じだということだけど(♪ギターケース抱えてあるいたよ、なぜかそれより自由な気がして〜寂しかったんだね、まで歌う) 当時の時代は自由というのはあったかもしれない。

■今週のベストテイク  

 今週はアルバム「ぷらいべえと」。これは、作らざるを得なかった、作らされた、俺がやるよと言ったアルバム。

 ボブ・ディランの「セルフポートレイト」というアルバムがあって、ブルームーンとかスタンダードを上手くカバーしていて、僕もやろうと思った。高校時代から石原裕次郎のファンだったのでいろいろ考えた。(♪おいらはドラマ) 「嵐を呼ぶ男」これはカバーできないし、♪アカシヤの花の下で「想い出はアカシア」とかいろいろ考えた。
 バンドとしても凄いミュージシャンあつめられない、金銭的な問題。時間も限られていた、その時、そうだこの曲だと思った。ハマクラさんのメロディーだとシンプルでおいしいということで「夜霧よ今夜も有難う」を選んだ。
 実は、この曲をちゃんと聴いたことがなくてテレビとかで覚えたので、メロディーが違っているね(笑) 最近瀬尾バンドで、NHKテレビで歌った時、「ここ違うよね」と言われて「え、本当かよ」ということで気づいた。「知らなかったの拓ちゃん」と言われた。(♪知っているのか分かれの辛さ) 知らないで自信もって歌っちゃった。ミソがついてしまった。アレンジして歌ったということで。

 亡くなってしまったけれど間奏のジェイクのサックス。むせびなくサックス、適度にムード歌謡、適度にポップス、適度にジャージー、これが素晴らしい。珍しいのは青山徹が、このサックスにからみつくようにムードたっぷりのギターを弾いている。ロックテイストでディストーションが好きな青山が、珍しくクリアなトーンで、ジャージーなギターで、サックスにからみついて、バトルのような感じになっている。これは間奏を伸ばそうということで、とても長くなっている。僕がヘッドアレンジをして、現場で楽譜をササッと書いた。やっつけというより頑張ったアルバムだ。

 そもそも会社が左前になって、何か作らなきゃいけないことになった。陽水も泉谷もみんな予定がない。拓郎、何とかならないか。わかった、俺がやる。知ってる?そういう時に立つ男なのよ。
 なけなしの製作費で、銀座の音響スタジオの昼間は借りられないで、夜深夜12時から明け方まで借りた。それだと使用料が安かった。夜中に青山、ジェイクは来てくれたけど、名のあるミュージシャンは来てくれない。リズムセクションとかも無名。せいぜいエルトンがピアノ弾きに来てくれたくらいかな。あとは前座(笑)の猫の連中。ドラム叩いたことないのに叩かせたり。
 でも、2.3曲いいのがある。エルトンが絶妙なエレピを弾いていのがある。「やさしい悪魔」もひとりで、石川鷹彦とやっているんだけど、今ではできないようなレコーディングをしている。そのうちベストテイクで。
 ともかく間奏のからみあうギターとサックスが売りの「夜霧よ今夜も有難う」。

M-3 夜霧よ今夜も有難う   吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング

 ジャズ。吉田拓郎がジャズかい。こうみえて兄貴はジャズピアニストだった。下手だったけど。一枚だけアルバムを出している。兄貴とピアノ・バーに一緒に行ったとき、なんか弾いてよと言ったら、ラテンの曲かなんかを弾いて、全然ジャズじゃないじゃないかと言ったら、「おまえみたいにはいかなかったからな」と笑っていた。
 ジャズは難しい人が多い。三拍子 ♪外は白い雪の夜、四拍子、サマータイムブルースが聴こえる。今回は4分の5拍子。    
 これを聴くとわかる。

M−4   スパイ大作戦
 一小節に五拍子が入っている。デイヴ・ブルーベック・カルテットの テイクファイブ。これはメロディも素晴らしい。変拍子だけど聴き手にスーっとはいってくる。そこが凄い。

ポップス、ポピュラーファンとしてはジャズは敷居が高い、例えば渡辺貞夫さんとも共演したけれども、「拓郎くんCマイナーの曲でハーモニスのアドリブカ吹いてくれ」といわれて、とてもできないと断った。日野皓正さんも一緒にやったし、やはり有名なのはマイルス・デイビスかな。こういうジャズを好きな人というのがいて、僕の青春時代、ジャズ好きな喫茶店のマスターとかがいた。店にアルバムがたくさんあって、そこでコーヒーを飲ませる。マスターと客が、ジャズ談義したり、聴きながら二拍子でスナッピーで首を振る、そういうのが流行っていた
そういう店に待ち合わせで行かされると、コーヒー飲めないし、居心地悪かった。このデイヴ・ブルーベック・カルテットのテイクファイブは、誰もがひきつけられる。  
というわけで、ジャージーな感じで。夜霧よ今夜も、もそうだったし、今夜はジャージーな夜。似合わないなかな。

M−5  テイクファイブ  デイヴ・ブルーベック・カルテット

■エンディング

来週はスペシャルウィーク  プランA 蔵出しデモテープ。おそらく今まで聴かせたことがない。プランB 難しい、特に岡本さんの詩をよくぞここまで歌ったという歌手の特集。

平成若い人たちのコーナー、ユアフェイバリットソング募集中。

<歳をとるたび、例えば印鑑取りに部屋に移動し、何しに来たのか忘れてしまうという投書>
あるね。みんなある。歳のせいだけか。俺も洗面所になぜいるかわからないときがある。
トイレだけはわかるけれど。

お相手は吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆そこまでイタリアンがお好きか。なんか、どうにかしてさしあげたいけど、何もできない(笑)。せめて、御大のことが好きなイタリア人になったつもりでこれからの余生を生きたい。意味わかんねぇよ。

☆サイパンの松本隆の話は面白かったね。確か当時リアルタイムの時に、セイヤングであれこれ話してくれた記憶がある。松本隆が、今のような神のごとき大作詞家になる前で、結構、お茶目な人で軽い人なんだなと思った記憶が確かにある。砂浜○○運動の話をするのかと思ったぞ。さすがに品格の問題があるのか。

☆ロッド・スチュアートは、高校の頃、御大のイチ押しなので聴いた記憶がある。確か、井上陽水と西岡たかしと御大の三人で、ロッドのライブを観にいって、陽水は涙ぐんで感激しているのに、西岡さんが横で「拓郎、なんやあれは」、ずっとステージに文句垂れていた話をしていた(笑)。だからフォークは・・・と御大は思っていたに違いない。

☆今夜決めよう・・・・インスパイアされたのは、これではないか。http://tylife.jp/uramado/konyamo.html
 たぶん。違うかもしれないが。そう思って聴くとまた味わい深い。ああ、あらためて聴きたいなぁと思う。

☆「ぷらいべえと」の出自は、聴いてはいたけれど、ご本人がこうして自ら率直に語ってくれたのは初めてではないだろうか。そのことに妙に心を動かされる。
 数々の苦難があったに違いない。昔、亀渕昭信さんが「自分の迷いを音にしないだけ、ボブ・ディランよりか吉田拓郎の方がステキだと」名言をかました。御意。かくも音楽愛の溢れるアルバムはない。当サイトでは、このアルバムは、名盤として取り扱う。
http://tylife.jp/uramado/yogiri.html
http://tylife.jp/uramado/akaitoudai.html
 あの緑のジャケットごと、愛しても、愛しても愛しすぎることはないのだ。

☆ジャズか。たぶん1980年のTONYフェスだろうと思うけれど、ナベサダさんのアドリブをハーモニカで吹いちゃえば良かったのに。観たかったな。あの時、たしか「つまこい」という曲も演奏していたし。そういうものではないか。

☆兄弟でピアノを挟んで、「下手だね」「おまえのようにはいかなかったな」と会話を交わすこの情景こそが、最もジャジーで沁みる夜だった。

2018. 2. 27

 日曜日の朝の番組で泉谷しげると仲井戸麗市と夏木マリの鼎談を観た。泉谷が冒頭「雨が降ると吉田拓郎は来ない(笑)」‥‥‥知ってるよ。
 同じ日の深夜のラジオで「わかった、俺がやる。知ってる?そういう時、立つ男なのよ。」‥‥‥知っていますとも。
 いざという時立ちあがるけれど雨が降ると来ない吉田拓郎のラジオでナイト。なんだそりゃ。

 そのふり幅こそが御大の魅力なのだから。

 それにしても「ぷらいべえと」の話は胸が詰まる。見事に売れたけれど、酷評だったよね、当時は。「手抜き」「企画モノで商売上手」「もう新曲は書けなくなった」。私も半分くらいはそう思っていた。いや、もっとか。
 酷評を受けながらも当時、御大は言い訳などせずに「いい息抜きだった」と泰然としておられた。
 年月を経て、こうして本人が語ってくれると、どんだけ大変だったんだ、と同時にどんだけ音楽を愛しているんだということまでもが伝わってくる。
 「ぷらいべえと」が名盤であると宣揚するのは、オレは昔から気づいていましたよ…と得意になっているのではなく、あの時はアルバムの良さを十分に理解できなくて申し訳なかったという気持ちからなのだよ。

2018. 2. 28

 「大人になってからの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽で形成されている」というネット記事を偶然にも数人の身近な方々から相次いで紹介された。まさに好個の実例ということでくださったのだろうが、かくもイカレた私は、実例というよりもはや症例だ。ご迷惑おかけしております。いやいや、この御大の世界には、もっと凄い人々がうじゃうじゃいらっしゃることを希望の灯に信じてまいりましょう。

2018. 3. 1

<昔のカセットの端切れから>

かまやつ「前作の「ぷらいべえと」って、アレはいろいろ言われたんでしょ?」
拓郎「言われましたね、手抜きとかタヌキとか(笑)」
かまやつ「でも、自分では納得してんだろ?」
拓郎「自分では最高の息抜きでしたね」
かまやつ「(チカラをこめて)自分が良ければいいんです(笑)」

こんな会話も妙に心にしみてしまう。

2018. 3. 3

 今年の花粉症はキツイ。鼻だけでなく、頭痛に咳に喉の痛みと殆ど風邪状態だ。何もかもが何でこんなにうっとおしいんだろう。そんな症状を吹き飛ばしてくれるくらいのデモテープ特集を楽しみにしている。

 難曲を見事に歌いこなした歌手たちはナシなのか。「蛍の河」「赤い燈台」の小柳ルミ子なんて本当によくぞというくらい見事だと思うが。

 しかし、難曲を歌いこなしたということで、真っ先に浮かぶのは、岡本おさみ作詞ではないが、浅田美代子の「じゃあまたね」だ。
 コレは難しいよね。カラオケで歌うと殆ど人が、自分も含めサビの部分近くで確実に崩壊する難曲だ。自分とは違い相当に歌唱力のある人でもそうだ。ところが、美代ちゃんは、これを1974年にデモテープだけ聴いて、ちゃんと歌っているのだ。
 浅田美代子といえば歌が下手なアイドルの殿堂入りしている感じだが、本当にそうなのだろうか。有名な「赤い風船」もとても難曲である。なので、本当は浅田美代子と言う人は、そこそこ歌が上手いのではないかというのが星紀行の長年の疑問である。その証跡のひとつとして「じゃあまたね」がある。
 んまぁ、でもあの番組では絶対流れないわな。

2018. 3. 5

ラジオでナイト 第46回 2018.3.4

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。オリンピックをずっと観ていた。素晴らしい、勉強になるオリンピックだった。並外れた努力、練習、犠牲、愛情そのうえに感動が加わるんだ。羽生結弦選手のフィギュア、完全に他の人たちとは異次元だ。ザキトワ、メドベージュワ、この人たちのスケーティングは他とは異次元で、羽生選手もそう。普通のフィギュアとは違うものをみせられた。

 ザギトワは、♪やめて(辺見マリ)に似ているとウチの人と話していた。なんといっても小平奈緒選手。ブログで女神と書いたことがある。何度も泣かされた。強くて、広い心、すべてが美しい。スポーツが素晴らしいものだと教えてくれた。特に、観客にシーっと指をあてるポーズ、韓国の選手と抱き合うところ、嘘だらけの世の中で、スポーツには真実ある。
 パシュートが、こんなに面白いとは、感動するとは思わなかった。夏でもやってくれないか。橋内、小谷、おれたち三人でパシュートやらないか。やりたいな。俺の前でオナラはするなよ(笑)
 スポーツいいなという気持ちの同じ線上に平和っていいなと言う気持ちになった。争いごとはいけない、平和がいい。地球が平和であればいいな。

 全選手に拍手を送りたい

 最後に大ファンになったのは、宇野昌磨。インタビューがいいね。こんなに笑わしてくれる人はいない。他の選手が滑っている時は、自分なりに点数をつけているのは本当ですかという質問に、「はい、暇つぶしにつけます(笑)」好きだね。しかも、途中で居眠りしていたでしょ。感動のあとのボケぶり。きっとワイドショーとかでも離さないだろう。
素晴らしい感動ありがとう

 さて、感動しながら特別企画でお送りする吉田拓郎ラジオでナイト。

■タイトル
 さて僕は、最後のラジオと断言したので、ここでは、いろいろ本当のことを言っている。遺言と思ってくれていい。

<酒を呑むと耳を噛む癖は本当かという投書>
 昔、飲んでいて、志村けんの耳を噛んだことがあるけど、癖ではない。
 最近、酒を呑みません。家で食事の時に妻に頼んで冷酒をワイングラスにちょっと飲む。これが、うまい。もともと日本酒は嫌いだった。ビールも大嫌いだった。東京に来てから、ビール、バーボン、ワイン、焼酎といろいろ飲むようになった。   
 いま日本酒が美味しい。是非、美味しい銘柄を教えてほしい。こういう番組ならではだ。

 さて、自宅から秘蔵デモテープのうち秀逸なやつを持ってきた。これデモテープか?そのままCDにできるくらいのものをオンエアする。

■CM明け
 一曲目、もうずいぶん前に親友で作詞家の安井かずみと飲んでいる時、「拓郎も東京も随分長くなっているよね、理由(わけ)もなく東京にいるんじゃないの?東京のことは好きになったの?」と聞かれた。わけもなくを「理由もなく」というフィーリング。東京に理由もなくいるかんじなの?理由もなくここは東京か。これにインスピレーションを得て、詩を書いた。例えば僕は、中津川、つま恋とイベントで語られることが多かったので、自分としては重いし、面倒くさい、ウザイ。気持ちいいもんじゃないな、邪魔な肩書だ。そういうところから旅立って違うスタンスに行ってみたい、スタンスを変えたいと思った。
何かというとイベントで語られる、インタビューでもそういうことを期待されているが、そういうのは、嫌だ。期待には応えられないという気持ちを、「淋しき街」、理由もなく東京にいるんだよねというズズの問いかけを思い出して書いた。
 「ペニーレインへは行かない」というあの曲の続きだな。居心地悪いからどこかへ行く、そういう歌だ。オリジナルとそんなに違わないから。びっくりするから。

M−1 淋しき街   吉田拓郎  original
 デモテープもニュアンスは変わらない。逗子の7、8畳の勉強部屋で録音した。
M--2  淋しき街   吉田拓郎  デモテープ

 どうです。このままCDじゃん。一人でギター弾いて、楽器も全部打ち込みを一人でやった。逗子の頃の勉強部屋。防音も設備もない普通の部屋。この時は、デモテープに凝っている時だった。とにかく、デモテープを完璧にしたいと考えていた。完璧なものをきかせて、このとおりやってくれと言う感じだった。
 今は、武部、鳥山とか僕の音楽を理解してくれているミュージシャンが側にいる。ギター一本のカセットとかでニュアンスを伝えると、「ああなるほど」と言う感じで理解してくける。そういうミュージシャンがいるので、デモテープに凝る必要がない。
それに、ミュージシャンのオリジナルのアプローチに期待するところもあるので、あまりデモテープに凝らなくなった。
 しかし、この逗子の頃は、庭いじりとデモテープという感じだった

■CM明け
 「ロンサムトラべリンマン」テレビの司会をしたのは地球ジグザグが初めてかな。NHKの番組を勝手に降りたことがあった(笑)
 地球ジグザグは、世界で若者に試練とトライを課す番組だった。テレビのことはよくわかっていなかったので、スタッフとギクシャクすることが多かった。
 タイでムエタイに挑む日本の少年を取材した回があった。現地で過酷な修行する少年のところに、自分たちも実際に行った。その少年が、試合にも出てさんざんな目に逢うのを収録する。滅茶苦茶にやられたあと僕がインタビューをする。「残酷じゃないか、こんなのやめようよ」と言った。すぐに「やめようよ」というのが僕の癖(笑)。タイで、共演のガッツ石松さんとかもいるときに、「やめましょうこんな残酷な番組」と言ってみんなを困らせた。
 すぐ「やめましょう」といってしまうんだよ。

 「ロンサムトラベリンマン」は、人間は愛する人、愛する夢、愛する友、愛する日常があればいい。「もう一度野球ができるなら」というのはも野球そのものよりも、我が良き友ともう一度、時を共有して素晴らしいことができればいいなという思い。それを求めて人生を旅しているという歌。
 NHK101のスタジオ録音で観客の前で歌った。今度のレコーディングはこれをやりたい。お客さんは入れないけど、「せーの」という感じで、コーラス。ブラスも全部いれてやりたい。

M-3   ロンサムトラベリンマン 吉田拓郎  original
 総勢20人くらいのミュージシャンがいたけれど、こっちのデモテープは一人でやっている。
M-4ロンサムトラベリンマン   吉田拓郎  デモテープ

 どうですか。サックスが入っていて、ジェイクを家に呼んだのか(笑)。凝ってるね。当時の事がフツフツと思い出されてくる。どう音楽に取り組んでいたか、どういう音楽が好きだったのか いろいろなこと浮かんできて、自分でいいなぁと自画自賛する。

■CM明
 こうして聴いてくると、音質は劣るとはいえ、出来上がっているので、このまんまバハマでも、ミュージシャンたちはOK!OK!とすぐにやってくれた。もちろん楽譜も用意していったが、こちらの方がわかりやすい。ただ、これくらいデモテープができているとアレンジャーが嫌がる。過去には、「アレンジのしようがない」、「凝りすぎ」と怒られたことが何回かあった。「何のために僕たちアレンジャーがいると思うんですか」と言われた。

 次の曲は、地味であまり人気がないかもしれないけれど、好きなんです。某若手有名男性俳優から依頼があって、寿司屋で、シブイ男が一人で空を見上げて自分がジーンとするようなそういう曲を頼みたいというハードルの高いアイデアを出してきたのに、「あーそうすか」と答えた。これも口癖だ。「あーそうすか」。帰って書き上げた。ライブではやったかな。 次のライブでは必ず歌おうと思う。
 カントリーというツアーがあって、あの中で選んでなかったかな。7.8本しかやってないし東京ではやってないから知らないかな。僕が、ギターソロを弾いていた。デモテープでも僕のギターソロがうまいのなんの。
 東京に来てからのギターの師匠は高中正義だと思っている。これは、初めて言う事だ。彼のフレーズをコピーして練習したことがある。おきざりにした悲しみは、なんか(実演)。高中のフレーズって覚えたくなるんたでよ。
 広島時代の師匠はリードギターのやつだった。この演奏のギターが高中っぽい。嬉しくて自慢してしまう。

M-5 生きていなけりゃ   吉田拓郎  オリジナル
 これはジャパニーズ録音だと思う。シブイね。次のデモテープは、アドリブのやっぱギターうまいや。もう次のライブではソロ弾くぞ。コンサートの制作会社の社長から予定ができましたと報告が来たんだけど、それを観たらうずうずしてきた。詳しいことは来週に言おう。
とにかく、この曲の間奏とアウトロのギターを聴いてね。

M-6 生きていなけりゃ    吉田拓郎 デモテープ

 うまい!!うまいの一言!!

■エンディング
 お題は、引っ越し、探し物、平成ボーイ、平成ガール
 ユアフェイバリットソングを発展的に昇格させて「あなたの影響影響を受けた外国音楽」にする。
 Dee Dee Sharpのリクエストが来て嬉しくてたまらない。 Comin' home baby、mashed potato time。mashed potato timeは、ホラ、カーペンターズのプリーズミスターポストマンとメロディが一緒なんだ。
 コニー・スティーブンスも来ている。コニー・フランシスではなくスティーブンスというところがいい。
 とにかくオレが聴きたいと思う曲がリクエストに来るようになってとても嬉しい。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆凄い放送だった。スペシャルだったよ。デモテープのクオリティの高さはもちろん、次のツアーの胎動も窺えたし、何より音楽に胸を躍らせている吉田拓郎がそこにいて、もう音楽の神様ミューズの降臨を予感させるかのような放送だった。星一徹ならずとも感涙だ。いみふ。

☆安井かずみから投げかけられた「理由もなくTokyo」という言葉を大切に拾う御大。「理由もなくTokyo」という謎の言葉の出自というか行間が少し理解できた気がした。
演奏の完成度の高さはもちろんだけど、そうだと思って聴くと御大のリリカルなギターがたまらない。何回でも聴きなおしたくなる。

☆トラベリンマンは、デモテープの方が、どこか歌い方がチカラ強い。決然とした感じがあって、オリジナルとまた様相が微妙に違う。

☆「高中正義がギターの師だった」なんて言葉を、誰が今になって聴けると思ったろうか。間奏・アウトロ大切に聴きますとも。是非、ステージでギターを弾いて弾いて弾き倒してほしい。会場で御大のギターにつつまれてみたいと心の底から思う。なんなら鳥山いらないじゃん(笑)。

☆「地球ジグザグ」のムエタイの回は、鮮明に憶えている。色白のかわいらしい少年が、それはそれは酷な目にあう。試合もボロボロだった。そんな観戦中、ガッツ石松は「打ち負けるな」と檄を飛ばし、高橋リナさんはひたすら泣いていた。御大はその間で、真剣な眼差しでリングを見続け、微動だにしなかった。私は、あのときの御大の真剣な眼差しが忘れられない。
 最後に「よくやったぞ」とだけ声をかける。インタビューも確かに言葉少なだった。そして、その回のエンドロールで御大は「英雄」をチョイスした。
 そうか、そうだったのか、「もうやめようよ」。御大はそう言ったのか。あのボロボロの少年に男のロマンの素晴らしさを賞揚するのではなく、「もうやめよう」と言った、そんな御大のことがまたかなり好きになった(爆)
 すべての延長戦に平和がある、地球が平和でありますようにという今日の珠玉の言葉と結びつく。

☆「とにかくオレが聴きたいと思う曲がリクエストに来るようになってとても嬉しい。」本当に嬉しそうだった。本当にこの人は魂の奥底から音楽が好きなのだな。松本隆が、この人は「音楽の魂」と語ったのは本当だったのだなとあらためて思った。
 音楽がわからない一般Pの自分が偉そうにあれこれ言うまい。・・・・言うけど。とにかく耳を澄まし、ラララ目を見張り、油断せずに、御大のあとをついてゆこう。

2018. 3. 6

 今さら言うまでもなく吉田拓郎のデモテープって、それ自体独立した立派な作品だよね。以前に、黒澤明監督の絵コンテ展を観たが、よくできた絵コンテは、もう立派な芸術作品だと思った。吉田拓郎のデモテープは秀逸な絵コンテのようなものだと思う。

 「生きていなけりゃ」のデモテープに何回も聴き入り、初めてこの曲の魅力が解った気がした。そしてディー・ディー・シャープのリクエストに歓喜する様子を聴きながら、御大という御方は、本当に魂の奥底から音楽家なのだなぁとあらためて感じ入った。あぁ自分は御大のこと何もわかってないなと痛感もした。まぁ、もともと他人様でしかも大スターなんだから、わかるわきゃないのだが。わかってなかったと反省するのでなく、それだけ御大の世界は広大で、まだまだ未知の冒険に満ちていると考えたい。
 某映画のフレーズを借りれば

 t.y adventure is just beginning. (御大の冒険は始まったばかりだ!)

 最後だ、遺言だ、ではなく、まだまだ生きて行かなけりゃ…でまいりましょう。

 映画といえば、アメリカの原田真二と自分だけで言っている(爆)、ティモシー・シャラメはオスカー残念だったな。いずれは名優として獲得することになるんだろうけれど、今の瑞々しい若さの状態で獲ってほしかったな。
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2018. 3. 7

 今週の「ラジオでナイト」は、とにかくすんばらしくて、ボディブローのように今も日々効いている。昨夜は、Ninjin designとのミーティングにかこつけて、結局「生きていなけりゃ」のデモテープと地球ZIGZAGのムエタイの話だけで、とことん3時間は飲んだが、まだ足りない、まだ足りない、まだ心が軽い。
 とにかく皆、ラジオの前で「うまい!!」と本当に何度も叫んだそうだ。それしか言葉が見つからなかったということだった。これまで暗い歌、地味な歌、演歌っぽいとさんざんな悪態をついたが、御大のギターはもちろんnakedな御大の唄声に、歌詞の深さが心に入り込んできたという。居酒屋で、詞を読みながらみんなで涙ぐむ。バカなのか? おまえたちはバカなのか?と69番に言われそうだ。
 しかし、これは究極のラブソングに違いない。「泣きながらごはんを食べたことがある人は生きてゆけます」という名言が思い出され、これはきっとそういう人だけが書ける愛の詩だ…と思い入れと思い込みはとことん盛り上がていった。

 昨夜の酒は、北海道旭川の「風のささやき」。辛口で水のようにあっさりしていた。ってか、水だったんじゃないか。二日酔いしていないし。「風のささやき」って、なんか松本隆チックだ。
 松本隆といえば、昨夜録画した「うたコン」の松本隆特集に現在の原田真二が出ていらした。ティモシー・シャラメ=原田真二説を唱える私だが、とりあえず昨日はティモシー・シャラメはいなかったぞ…えーい、多くを語らせるな((爆))
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2018. 3. 8

 ラジオでナイト(3/4)での 「地球ZIGZAG」のムエタイの話は個人的にはかなり衝撃だった。

 要は日本の若者がムエタイの選手を目指してタイに渡り、過酷なトレーニングを経てリングで初戦を迎えるまでのドキュメントだ。

 色白の若者は、どちらかというと可愛らしく華奢な感じで、格闘技の経験もさほど積んでいなかったような記憶がある。
 タイの奥地のような場所にあるジムでの練習と生活は厳しく過酷だ。それを乗り越えてようやく初試合になると、対戦相手は、ムエタイこそ新人だが、それまでボクサーとして勝ち星も挙げているツワモノ。えーっ、こんなヤツと闘うの?とテレビで観ているこっちも怖くなってビビった。
 で、予想どおり試合にならない。狼に向ってゆくバンビちゃんみたいで、たちまちボロボロの血だらけになる。それでも「タオルは投げないで下さい」と懇願する若者。

  そんな観戦中、ガッツ石松は「打ち負けるな!!」と熱くなって檄を飛ばし、高橋リナさんはひたすら泣いていた。御大はその間で、真剣な眼差しで腕を組み、リングを見続け、微動だにしなかった。あのときの御大の真剣な眼差しが忘れられない。 ・・・・・・今にして思えば、御大はたぶん番組に怒っていたのだな。
 最後に「よくやったぞ」とだけ声をかける。インタビューも言葉少なだった。「敗北してこれからどうする」と拓郎が尋ねると「こっちに残ります」と若者は応え、エンドロールに「英雄」が流れる。

 ボロボロになりながらも挑戦する若者の美しさ、ロマンみたいなものを讃えて番組は終わる。私もそういう番組なんだなと思って観ていた。

 しかし、先日のラジオで御大は、あの時、タイの現地でスタッフ・出演者を前に「やめよう」と言ったと告白した。「こんな残酷なことはやめよう」と言ったとのことだ。
 拓郎は、自分は当時テレビのルールもわかってなかったし、すぐそういう「やめよう」という癖があるから、とおちゃらけて話していたけれど、スタッフが困っていたということは、たぶん、真剣に「ヤメロ」と怒ったのだろう。テレビのルールとか自分の癖とかと言ったのは拓郎流のスタッフらへの気遣いに過ぎない。本気だったに違いない。
 テレビ的にはお約束で、それなりにいい絵が撮れたのだろう。しかし、御大は、そんなお約束に関係なく、決然と「残酷だからやめろ」と言ったのだ。あの番組を観ていただけに、衝撃だった。どう衝撃なのか、うまく言えないが・・・・・・・・率直に言うと、
            

惚れた


 惚れ直したじゃなくて惚れた。あー、滅茶苦茶カッコエエ。誰が、その場で「やめよう」なんて言えようか。その優しさ、その強靭さ、その人間観、そのセンス、そのカッコ良さ、とにかく、もうすべてが誇らしい。そのうえあんな美しいデモテープまで聴かされてみろ。もう吉田拓郎に惚れるしかないじゃないか。

 ということでこの放送を聴いて私は吉田拓郎のファンになろうと心に決めた。いみふ。
 じゃあ、いままで書いてきたことは何だったんだといわれれば、あれはデモテープみたいなものだ。いやデモテープなんておこがましい、文房具屋のボールペンコーナーの試し書きみたいなものだ。ファンとして必要なら、いつでも全部だって書き直す覚悟でまいりましょう。

2018. 3. 9

 今夜は居酒屋で画伯たちと”吉田篤弘”の話で呑むナイトの予定。

 昨年、作家”吉田篤弘”さんの新刊サイン&トークの会(クラフト・エヴィングラジオ)の時、私は事前の質問カードに書いた。「向田邦子さんがお好きと聞いたが、どの作品が好きですか?」。今回の新刊のテーマとは何の関係もなく、他のファンの方々の関心とも違うまったくKYな質問だった。
 でも、吉田篤弘さんは丁寧に答えてくださった。「向田邦子さんの文章に逢わなかったら作家にはならなかったと思います」。そして「父の詫び状」をはじめとした随筆を取り上げ、例えば玄関の到来物をめぐる向田さんの文章がいかに見事に展開しそして収斂するかという魅力を手加減せずにガンガン語ってくださった。まるでシャンパンの栓を抜いて吹きこぼれるようで、いかに向田さんがお好きかという波動が押し寄せてきた。そのためトーク会のバランスというか流れに棹差してしまったみたいで恐縮してしまったが、湧き出るように語ってくださったことと、その話の深さに感激した。
 「”好き”は、隠していても、こぼれるもの」というドラマ「カルテット」の満島ひかりのセリフを思い出した。本当に、溢れかえって、こぼれるようだ。「ラジオでナイト」でも、吉田拓郎の音楽好きがもうドクドクと溢れかえっている気がしてならない。

 私は、吉田拓郎はもちろん、吉田篤弘さんのような才能は微塵も無いただの一般Pだ。毎日毎日、イカレた日記を綴っていて、バカじゃねぇの、イタイ、ウザイ、病気、と言われているに違いない。すべて事実だ。普通は、”好き”が、節度をもって、瓶の中にきちんと一定目盛までで折り合い良く収まっているものである。それを”趣味”と”たしなみ”という。
 しかし、どんなに変でろあうがイタかろうが、自分の場合も、節度もたしなみもなく自分の中からの吹き出もの・・・というか、こぼれてくる、どうしようもないものなのである。
 そう考えると私が共感し尊敬するファンの方々は、みんな、好きが溢れてこぼれている良い意味で変な人たちばかりだ(爆)。他人に振るな。
 というわけで、趣味とたしなみには背を向けて、不細工だろうと変であろうと自分から溢れ出てきて、こぼれを落ちるものだけを信じてまいりましょう。

 で、思う。向田さんが生きていらして、いろんな状況が折り合って、向田邦子と吉田拓郎の「私たちの父の詫び状」という対談が「婦人公論」あたりに載ったらどんなにか良かったろう。きっと意気投合されたかもしれないし、きっと「おやじの唄」も「清流」も「吉田町の唄」も、向田さんは魂の奥底から理解してくれたのではないかと妄想するのだ。

2018. 3. 10

 長らくお世話になった料理長が遠くに行ってしまう。小さな庶民的な居酒屋なのだが、最後に料理長おまかせコースをお願いした。料亭みたいなご案内書が出てきてびっくらこいた。私たちの好みをきちんと覚えていてくださった渾身のメニューに感激。初めてこの店に来た時、感激した”このわた”を苦労して入手してくださったり、二日間かけた昆布〆、画伯の好きなアナゴご飯などなど。ツボは”ハムエッグ”。御大も毎朝食べているだろう目玉焼き、これが私を気遣ってくださってのメインだった。そんなコース料理ありえねぇよと嗤われようが、これが"こぼれでる気持ち"というものだ。嬉しかった。

 向田邦子さんつながりで「海苔巻きの端っこ」という随筆を思い出した。子どものころ母親が作ってくれる海苔巻きの端っこを貰うのが好きだったことからはじまる話だ。ちょうど御大のエッセイにも、同じくだりがあったと思う。卵焼きだったか、海苔巻きだったか、子どものとき台所で料理をしているお母様から端っこのたちおとしを貰うのが嬉しかったという話だ。端っこには、愛された記憶が結実しているのかもしれない。

 料理は、素材や腕も大事なのだろうか、なんというか、そこにあふれる気持ちこそが美味しい。確かに人はすごいと思うよ。あたりまえといえばあたりまえだが心の底から思った。
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2018. 3. 11

 あれから7年。微々たるというより何のチカラもないですが、心よりお祈り申し上げます。
 どうしたってあの時以来「春を待つ手紙」だ。79年がベストテイクであることに異論などないが、2011年の冬も経た今の吉田拓郎の渾身バージョンが聴きたい。

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2018. 3. 12

ラジオでナイト 47回 2018.3.11
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。学生服の第二ボタンを貰うというしきたりを吉田拓郎さんは本日まで知らなかった。珍しいのか。あらゆる年代の80%の人は知っているらしい。知らなかった。中島みゆき「春なのに」に♪記念にくださいボタンをひとつ、とある。最低でも中島みゆきは知っている。松本隆作詞の斉藤由貴「卒業」♪制服の胸のボタンを下級生たちにねだられ、ということは松本隆は知っていたんだな。

 これが意味することは吉田拓郎は、学生時代、ボタンをくださいと歴史的に言われなかったことを意味する。何事もなく通過していた。いかにモテなかったか。俺の友達もそんなこといわれていたやつはいなかった。僕のグループは全然モテなかった。悲しいね。

 「じゅんちゃん」とか歌作ってる場合じゃなかったよ。よく考えるとバスケット部とかモテてたな。こっちは、軽音楽同好会、郵便友の会(笑)モテなかったはずだ。
中島みゆき松本隆は知っていて、陽水知ってたかな。メールいれてみよう。知ってたらショックだな。

 制服のボタンがいつも正しくついていた吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル
<探し物も失われた髪の毛を探しているという投書>
 わかるよ(笑)。抜け毛って年齢とともに多くなるのかな。朝、洗面台で、寝ぐせをとるために、髪をバサバサ抜け毛の量が多くなっている。髪の毛探して見つかってどうする。

<拓郎さんギターの音色が素晴らしいという投書>
 おらがね(笑)俺がね、ギター変えたのよ。国産からギブソンに変えたのよ。(弾く)音の響きがいい。弾き語りもちゃんと一回くらいやろうかな。

 コンサート企画の社長からこんなのでどうかという企画プランを見せてられた。観てみたが、概ね納得した。どうしてもこの2016年のミュージシャンは放したくない。この連中が忙しくて、まとめて抑えるのが大変だけど、できるだけこのメンバーで手放さない。公私ともに、音楽を理解してくれている。他に楽器を入れるか、サックス入れてみるかと言われている。
 問題は、どこで何回歌うか。なるべく日帰りできるようにが大前提だが、足を伸ばさないですかといわれている。え?ここに行くのかい?行ったことあったっけという場所があった。車で二時間と言われて、それなら大丈夫だな。本数は、増えてたな。2、3本は多い。
 大きなテーマは名古屋まで行ってみないかといわれている。なるべく日帰りしたい。名古屋だと、どうしても新幹線になる。帰りは車でゆっくり帰りたい。朝ゆっくり出て名古屋もあるかな。昔、名古屋では、昼夜2回やったことがあった。東京と名古屋だけだった。 心は動いている。 はっきりしているのは、え、ここに行くんだという場所がある。いつやるかという質問には答えない。

 ユアフェイバリットの名前を変えるという話があった。   
<Ben E King  Stand by me という投書>
(歌う  ♪When the night  has  come〜)
 巡回コードが美しい。特にストリングスが綺麗だと思った
<映画4人の少年に重ねる老若男女、この歌が心に沁みるという投書のつづき>
 この時代のR&Bにはメロディアスな作品は多い。そういうのを引っ張り出したい

M−1 Stand by me Ben E・King

■CM明け
 (時代は変わるを歌う)時代は変わるとボブ・ディランは歌ったが、いろいろなものが変わりつつある。例えばオリンピックの種目が増えている。若い人たちが挑戦するスポーツに変化しつつある。この歳になって、若い人が挑戦する音楽、芝居 、AIとかについていけなくなってきているが、それを認めたくない。本当のことを言うとわからない。
 音楽だと50、60年代のアメリカンポッブスは大好きだけど、最近のボッブスは夢中になれない。
えてして「昔は良かった」という感じだ。自分にとっての青春は財産だけれど、しかし本当にそういうことだけで人生は楽しいのか、一生楽しいのか。若くなくなって、過去中心の日常はあまりにつまらない気もする。
 ついていけない競技というのは、結局勉強不足ということだ。ディランは変わると歌ったけれど変わった現在を受け止められない。時代に乗り遅れているだけではないか、そういう自分がいる。
 もともと自分が若者だったころ、70年代初期、髪の毛伸ばして汚いジーンズ姿で、肩で風きって歩いていた。当時のオトナたちは、なんだそれは、と受け入れようともしなかった。

 そういう僕たちはオトナになってどうしているか。自分が老いて、若者についていけない、避けて通ろうとしないか。
 これを人は「老い」というのか。自分だって若いときに、大人にいわれたことを、若者にしようとしている、それでいいのか。首をひねっている吉田拓郎がいる。

■今週のベストテイク  

 これでいいのかという自問自答しながら、自分の若かったころの曲をとりあげるというのは、どうか。最後のラジオと言ったように、ここでは-本音を話している。

 「雪」(歌う)。いい曲だな。名曲だな。70年代初期、ひたすら地方のラジオ局を回っていたことがあった。信越放送とか岩手放送とかによく行った。岩手放送の女性ディレクターが、よく年末に特番で呼んでくれた。仕事が終わると、そのまま「飲みに行く?」ということで、夜の岩手の町に連れ出してくれた。当時、これからの吉田拓郎の音楽とかを語り合った。大晦日の番組のあとに夜中の2時3時まで飲み明かしたことがあった。年上の女性で、よき理解者だった。
 この詞は、岩手放送の女性ディレクターとのことそのまんまだ。売れ始めて岩手に行かなくなってから疎遠になって顔も名前も忘れてしまった。あの雪の夜を書いた。女性に対してあこがれもあったのかな。

 レコーディングでは、リードギターにゴールデンカップスのエディ藩さんが来て弾いてくれた。CBSのディレクターが呼んでくれた。手ぶらでスタジオに来て、レスポールもどきのギターを借りて、ピックまでも借りてた。ピックも持ってないんですか(笑)。
 最初にリフを弾いてもらい、次にソロになるというときに、有名ギタリストだったので、エディさんにいろんなことみんなお願いした。俺は「サンタナみたいに」とか無茶だよね。キーボードは松任谷、ドラムはチトさん、みんなそれぞれに勝手なこと言って、それを、「んーんのガースハドソン」と同じように聞き流して、一発録りだった。もうすげーバッチリ。そして、うこースティックでJ45の指弾きしているのが吉田拓郎。うまかったな。
 猫が歌っているけれど、想い出深いレコーディング。 
M-2 雪    猫

■今週のマイ・フェイバリットソング
 曲はIn My Life。  ビートルズではなくベット・ミドラーの。最近映画で観て泣いちゃったので。ビートルズの名曲ってビートルズは名曲だらけだからね。
< In My Lifeの間奏の演奏に感動したという投書>

M−3 In My Life  ビートルズ

 これまでの想いが色あせても  新しい愛が始まるので、愛を失くしたことはない
過ぎ去ったものも今も愛している…‥‥ビートルズが贈ってくれたメッセージがすべてここに詰まっている

 ビートルズのカバーは数限りないが、ベット・ミドラーがカバーしていたこと知らなかった。「フォーザボーイズ」という1991年の映画を観た。ジェームス・カーンとベット・ミドラーの共演。
 戦場の慰安のステージで歌うベット・ミドラー。たぶん息子がベトナム戦争に赴き戦死している。そんな状況でベトナムの慰問公演で、このIn My Lifeを歌う。ベトナム戦争の米軍兵士の前で、ベット・ミドラーが母としての気持ちで歌うわけ。最近涙もろい吉田拓郎としてはオイオイと泣けてたまらなかった。

 他にも映画で、ケイト・ブランシェットの「ブルージャスミン」が素晴らしかった。こういう話はまた来週ね。

M−4  In My Life ベット・ミドラー

■エンディング

 「ブルー・ジャスミン」という映画だけど、最近これに限らず、スカパーや昔のDVDを引っ張り出して映画をよく観るんだけれど、新たな発見がある。

 映画「ブルー・ジャスミン」は、ケイト・ブランシェット演ずる凄いセレブな女性が夫から浮気されてセレブな生活からからドン底に突き落とされる。どうやって生きてゆくか。妹は姉と違って底辺で庶民的な生活をしているのだが、その妹のところに転がり込む。しかし 妹の庶民的な生活に慣れ親しめない。働いたり、恋もするんだけど、セレブな自分を演じて、その芝居バレてしまう。妹の生活もハチャメチャ。心はズタズタ身体ボロボロになってゆく。うまいんだなケイト・ブランシェット。この演技で、アカデミー賞を獲った。うまくいかない人生、嘘を気取るの演技がうまいんだ。
 僕も安井かずみから、あんたと私は生活のレベル違うと言われたことがあった(笑)「あんたたちフォークとは違う」「フォークじゃないってば」そういう差別的なことを言われていた。
テーマ
・引っ越し
・探し物
・平成生まれ
・「あなたが影響をうけた洋楽この一曲」ダサいタイトルだな。誰が考えた。な世界で一番ダサい。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆制服の第2ボタンの話は誰もが思ったはずである。言いにくいけど言うが、御大の時代にはそういう流行がなかっただけのことである。中島みゆきも松本隆も、御大よりも若いし、松本隆など東京青山の都会のお坊ちゃまである。陽水に聞くより、泉谷に尋ねて「そんなの知らねぇよバカヤロウ」と言ってもらったほうが精神衛生に良いのではないか。泉谷が知ってたら立ち直れないかもしれないが。

☆さて、今週も着実に進行するコンサートへの胎動に耳を澄ます。大丈夫だ。進んでいるぞ。
 ファンである以上、一本でも多く、一メートルでも遠く活動範囲を拡げて欲しいと心の底から願う。しかし、それは、御大の決めることだ。先走りすまい。
 そもそも齢72歳でライブが実現すること自体の奇跡を感謝しなくてはならない。心を入れ替えたぞ、私は。
 いつやるか、どこでやるか、なにをやるかで、ブチブチ文句をタレるまい。また武部かよ、鈴木茂のギターが聞きてぇよ、ドラムはやっぱ島ちゃんでしょ、もう定番曲は聴き飽きたよとか、そういうことはもう言わない。
 吉田拓郎が気持ちよく歌えることより大切なことなんて人にあるだろうか、幸せだよね、幸せだーよね・・・・。
 とにかくライブに向う吉田拓郎をひたすら信じてまいりましょう。と言いつつ、私の夢は身体を離れ、名古屋のあたりを思い切り漂っている(爆)。

☆ かつて若者だったオトナが、今の若さにどう向うかは、永遠のアポリアのようなものだと思う。御大の領域のみならず、程度の差こそあれ誰もが、日々の生活や仕事で感じるところだろう。
 難しい。しかし、ひとつ言えるのは、わかんないものをわかったふりして若者に迎合しているオトナほど残念なものはない。わからないものをわからないと率直に開陳する吉田拓郎の素晴らしさを胸に刻もうではないか。

☆しかし、私らと違い、御大は芸術家だ。芸術の世界には「古典」というものがある。何千年、何百年も、世代の波にあらわれながらしっかりと生き続けてきた「古典」がこの世界を支えている。

 例えば、紫式部が「アタシも制服の第2ボタンの話知らなかったし、若い子の恋愛とかゼンゼンわかんないしー」と若い世代に遠慮していたら、「源氏物語」は存在していない。また若い演劇人たちが「コレ、台本マジ厚いし、セリフ長いし意味わかんないしムリー」とか言っているのにハイハイと従っていたら、シェイクスピアも今に無かったのである。

 吉田拓郎さん、あなたは次の時代と世界に向って放たれた古典の種である。若い世代にへの対処に悩んだりせず、吉田拓郎の音楽をひたすら磨き、私たちも命ある限り吉田拓郎を広く世間と時代に宣揚する、そういうCARAVANの中にいるのではないか。誰に向って言っているのかわからないけれど。

☆ 雪。凄い話だ。松任谷さん、チトさん、エディ藩さんの話に興奮した。有名な話だったのかもしれないけれど、私には初めてだ。猫の方々が、自前で演奏されているのだとばかり思っていた。なんてステキな宴なのだろうか。こういう「過去」は大切に生き残って欲しいと思う。

☆「フォー・ザ・ボーイズ」「ブルー・ジャスミン」またまた御大の映画通はイイところを突いてくる。って観てないけど(爆)。観よう。「ブルー・ジャスミン」は、知っていたけれど、ウディ・アレン監督ということでなんか結局気が進まず観なかった。ウディ・アレンて、どこか難しくてクセがあって個人的に苦手だった。音楽でいうと細野晴臣みたいで。あ、素人の勝手なイメージだよ。

2018. 3. 13

 昨日の日記で、吉田拓郎が古典として世界に残りますようにと書いたが、あくまでそれは外野のファンの勝手な思いであって、吉田拓郎さん本人が世界に名を残すことを目的に歌うということではない。
 ラジオでの「若さ」に対する困惑の話の時も、「過去」にとらわれていることが「幸せな人生」なのかどうか、あくまで自分個人の幸福度という尺度で話をしていた。それ以上でもそれ以下でもない。名をあげ身を立て世間に評価されるためではなく、また大義のためでもなく、常に「個人」のためであることが、吉田拓郎の素晴らしいところだ。

 最近ネットで知った、とある学校の校長先生にこんな言葉があった。

「ベートーベンは、絶対に人類のためと思って作曲してはいない。(略)偉大な人物が崇高な精神を持って曲を書いていたのではない。彼らはすごい人達だけど、人類のためなんて絶対に思っていない。結果的にそうなっているんです。(略)だから、やっぱり自分はこうやりたいと思うことをやるしかないと考えています。」
「自分が好きで好きでしょうがないから研究する。結果として、世の中の役に立つかもしれない。でもそれは結果であって、何かの役に立つとかお金が儲かるとか賞が取れるとかは、自分が研究をやり通した結果なんですね。」(武蔵学園公式HP・校長対談・学びの土壌・第6回、第1回より)

 いい校長先生だなと思った。この国は、うかうかするとすぐ日の丸を背負わされたり、会社・学校・所属団体などに過度の忠誠と献身を求められてしまいがちだ。

 個人の自由こそが最高に尊いことを、この校長先生も吉田拓郎も彼の歌も体現していると思う。

 だからこそ、最初に戻って、永遠の古典として吉田拓郎が世に残って欲しいと思うのである。

2018. 3. 14

 亀渕昭信さんが、出演したラジオで吉田拓郎の「ファイト!」を流してくださった。教えていただきありがとうございます。スーパーバンドの武道館の時のはじめての「ファイト!」。すんばらしいねぇ。もう無形文化財だね。こんだけ素晴らしいからこそ、いくら「俺はフォークじゃない」って言っても、「吉田拓郎=ギター一本」を誰も忘れられないのだ。
 この放送を教えてくださった方々も、歌本体の素晴らしさとともに、亀渕さんがこの拓郎バージョンを日々愛聴し、そしてあえて全曲流してくれたことに深い感謝を口にしておられた。まったくだ。

 ローリング・ストーンズの初来日のドームを観た亀渕さんの第一声が「拓郎も、どうしてこれをやらないんでしょうね」というものだったという。あの日の新曲ドームが頭にあったのだろうか。いずれにしても吉田拓郎への深い愛の漲る偉人であることに間違いない。

2018. 3. 15

 今日は東京ドーム公演記念日だ。東京ドーム公演は誇らしい記録ではあるが、ぶっちゃけ、ありゃあ何だったんだという思いもある。東京ドームという超絶イベントな場所、そこに聴きなれない新曲を中心としたラインナップ、そして拓郎に関心なく平気で会場を歩き回る保険会社の招待客たち、それぞれが全く交わらない落ち着かなさがあった。
 先日の「淋しき街」のデモテープの解説で御大が語ったような常に「イベント」を求められる重苦しさとあくまでひとりの音楽家でいたい自分とのズレ、そんなことおかまいなしの世間一般、それら全部が象徴的にこの会場に現れていたような気がする。

 何度も書いたけれど、このライブのラインナップと演奏は、とても好きで、是非、普通の会場、郡山市民会館とか札幌厚生年金会館とかで音楽本位に味わってみたかった。
 爽快な「チェックインブルース」の幕開けは忘れられないし、「夕陽は逃げ足が速いんだ」は今でもよく聴いて興奮するし、「冬の雨」「七つの夜と七つの酒」もこのライブの方がラフでカッコイイ。
 これらの素晴らしき演奏が、ドームの魔物に引っかきまわされてしまった感が強い。音楽としてちゃんと聴き直そうと自分は思う。

2018. 3. 16

 ドームのロンリーストリート・キャフェを聴く度に思い出す。この日の打ち上げで拓郎は田家さんにこう豪語した。

「ギター一本でやって日本で一番うまいのはオレに決まってるだろう。だからもったいないのでやってやらない。」

 ところが10年後テレビのインタビューで御大はこう語った。

「ギター一本あれば何万人でも倒して見せると思ってんだけど、ずっとやらなかったらヘタになっちゃった(笑)」・・・・

おいっ!



 

2018. 3. 17

 「銀座」は思い切りアウェーだ。やはり私には「戸越銀座」とか「十条銀座」あたりがホーム感があって落ち着く。しかし本家銀座にも庶民的でいい感じの日本酒専門居酒屋があって、昨夜は浮世の義理で遠征した。
 話題はあらためて「吉田拓郎のデモテープ」の凄さ。いかにミュージシャンであれ、こんな凄いものは吉田拓郎だけしか作れないと感嘆しあった。
 このデモテープや毎週のラジオにみなぎる音楽性に「本当に音楽を愛している音楽家だ」と感心している私に、今ごろそんなことに感心していることがオカシイと突っ込まれる。40年以上何を聴いてきたのかと叱られた。確かに、音楽家としてでなく、メッセンジャーなりイベンターとしてしか見てこなかったのかもしれない。自分の浅薄不明が胸に染む。

 銀座の商店街で出している月刊の小冊子「銀座百点」。この表紙をデザインしているのが作家の吉田篤弘だ。今月は春と原稿用紙の表紙が素敵だったのでいただいてきた。この「銀座百点」に向田邦子が連載していた随筆をまとめたものが「父の詫び状」となる。まさしく由緒ある冊子だ。お願いだ。私に「御大への詫び状」を連載させてほしい。って何様だ。
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2018. 3. 18

 神奈川県民ホールで生まれて初めて吉田拓郎のライブを観た日だ。http://tylife.jp/chiisanasakebi.html#19780318
 何度も書いたことだが、今年は特に40周年なのだ。あの時、生まれた赤ちゃんが不惑の歳になっていると思うと感慨深い。深すぎる(爆)。
 そして、こうして今もライブを待つ日が続いていることに心の底から感謝しよう。

 そうだ、この佳き日である今日、誕生日の方、おめでとうございます。

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2018. 3. 19

ラジオでナイト 第48回 2018.3.18
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。お花見のシーズンだが、そもそもお花見とかアウトドア派の人間ではない。ハワイでもプールサイドの傍らにいるだけで、サーフィン、パラセイリングなど一切しない。どちらかというと将棋とかインドア派かもしれない。
 なのでお花見は、あまり好きなイベントではない、「桜」をひも解くと、奈良時代は「梅」が人気だった。万葉集でも梅の歌が桜の三倍ある。しかし、平安時代で逆転して、桜が梅の倍になる。
お花見を宴会型にしたのは豊臣秀吉といわれている。いかにもという感じがする。織田信長でもなく、徳川家康もそういう男ではない気がする。豊臣さんは宴会好きに感じる。

 なぜ花見に行くかを調査してもらった。

20代女性  アウトドアでのお酒が解放感。
     >酒のつまみか、外で飲むのがいいなら桜なんてどうでもいいだろ、若いのに  解放感ある酒を呑むな
50代男性  ほどよくひんやりした空気で酒がすすむ
     >富山かな(笑)どうして外で飲むのよ、桜の木には毛虫がいるよ、寒いよ。


花見が嫌いな人たちの声はどうかというと‥‥‥‥
20代男性  場所取りにウンザリ
       >そりゃそうだ
20代女性    寒いし、悪酔いするおじさんが嫌だ
       >話にならない、そんなおやじ蹴れ

 僕は、お花見が嫌いです。小学校の時、おふくろのお茶の生徒さんたちと花見に行った。なんでクソ寒いときに公園で弁当なんか食うんだろうと子どものころに思って以来、花見は行っていない。
 外で酒を飲むのはやめなさいと言いたい吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル

 青春の「ベンチャーズ」のギタリストのノーキー・エドワーズが亡くなった。ベンチャーズといえばいろいろ評価はあっても、世界にエレキを広めた功績がある。エレキを手にした人々が大きな影響を受けた。後にライバルも出てきたし、演奏だけのバンドに対して、歌うバンドとしてビートルズも出てくると厳しくなった。しかし、青春という点からは、やはりベンチャーズだ。
ところで今日のギターは、ギターからこんな音が出る。リバーブとコーラスのエフェクターがついている。(パイプライン実演)
 誰もが影響を受けたベンチャーズ。

  M-1 10番街の殺人   ベンチャーズ

 これは大好きな曲だ

 今弾いているのは、ヤマハのトランスアコースティックギターで、リバーブとコーラスをかけられるのを借りてきて弾いている。

■CM明け

 ベストテイクの中には、あまり注目されてなくても自分では気に入っている曲がある。ファンが好きだという曲と僕が好きな曲は一致していないことがある。逆に、ファンが好きな曲で自分はそれほどではないというものもある。 
 だから、コンサートはむつかしい。神経質なのでとても気にする。例えば、ローリング・ストーンズのライブで、サティスファクションがなかったらどうだろうか。自分は、「サティスファクション」を聴きたいな。
 そう考えると自分で演奏するときは、「人生を語らず」「落陽」を歌わなきゃという気にもなるし、でもその反面で、「もういいか」と思いもある。
 毎年、たくさんのコンサートをやるわけでないので、数少ないコンサートとなると「落陽」をやるべきかな、それとももういいかな、どうしようという凄い葛藤がある。
 吉田拓郎は、そういう男。悩み深い男なのよ。

 ベストテイクに繋がって、こういうアルバムを作りたいという案がある。寝るときにipodで聴きながら寝るのが日常。一年365日聴きながら寝る。曲のフォルダーの中に、「吉田拓郎ベストテイク」というフォルダーがある。
 自分の気に入っている曲、サウンドか気に入っている、レコーディングに思い出がある、今でもやっぱりこれいいな、これ好きだなというものを集めている。
それらをいままでのレコード会社  エレック…はあまりないけど、ソニー、フォーライフ、インペリアル、エイベックスといろいろ各会社に有るそれらの曲をまとめたアルバムが一枚欲しい。

 そして、そこにアイデア。ここにプラスで付録をつけたい。レコード会社は、やめてくれといいそうだ。

 前回のデモテープに反響が凄かった。概ね 100%気に入ってくれた。

<聴きごたえ レコーディングされたかのよう、拓郎さんこだわりにふれる時間が何にも代えがたいという投書>
<貴重なデモテープ、どの曲もCDと見まごうものという投書>

 凄い聴きたいと思っているだろう、 例えば、中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」。これはレコーディングに苦労した。デモテープは、ピアノは、エルトンの味気ないピアノに、鼻歌のようなみゆきの歌だった。
 僕はアレンジ能力があるので、アップテンポ、エイトビートではどうかと思った。バハマの現場で、デモを聴かせたら、一同、うーん、となった。中島みゆきのこのデモをどういじったらいいか。
(永遠の嘘 実演) 演奏した結果、なんかいまひとつだった。そのままロスで弾き語りでやってみた。ロスのスタジオで、ハーモニカをぶらさけでギターでやった。でも、なんかこれも違う。
そこで、日本に帰って自宅であれこれ打ち込み打ち込みで作った。その時、出来上がったデモテーブがある。これは聴きたいよね(笑)

 デモテープをあらためて聴き直すと、こないだやったのやら他にもいいのがたくさんある。
これぐらい  オー・ボーイ、マスターの独り言、永遠の嘘をついてくれ、夕陽と少年、月へ、生きていなけりゃ、夢見るときは過ぎ、淋しき街、ロンサムトラベリンマン、 
 NHKのテーマ(※「決断の時」と思われる)
 ホリプロの新人カントリー歌手に書いた歌(※片山誠史「俺とおまえとあいつ/おやじが嫌いだった」と思われる)
 島倉千代子に書いた「紅葉」このデモテープがまた秀逸。
 南沙織  「黒い瞳」  これ以前に流したよね。
 いつでも
 この国JAPAN
 幸せになりたくて
 車を降りた瞬間から
 憂鬱な夜の殺し方
 チンチンに冷えたコーラ
 海を泳ぐ男

 ここらへんのデモテープは、このまんま付録として、デモテープ集としてそのアルバムにつけたい。 エイベックスさんどう? 値段は通常価格のままで、採算とれるというぎりぎりの価格で。デモテープは、本当は恥ずかしいものだよ。公開したくないものだよ。
 この番組で考えが変わって来た。それこそプレゼントだ。「とっておけよおまえたち」という感じだ。このアイデアメール殺到だろうな。今後エイベックスとの話し合いだ。夢は持とうよ。

■今週のベストテイク  

 今回は、阿久悠さんの詞を選んだ。阿久さんとは、そこそこの縁があったのかもしれない。
森進一さんがレコード大賞狙っていた時、テレビの番組で出会った。生意気な若造だったので、阿久さんは不愉快だったかもしれない。番組やりながら、お酒を呑んだ。ウイスキーがばがばで、何を話したか覚えていない。それが初めての出会いだった。

 阿久さんの世界は、近い世界には無かったので、それ以来は会わなかった
 その後、石野真子のシングル・アルバムでご一緒した。最近では林部聡史くん、その他にも小林旭さんの曲もやった。あと、石川さゆりさんの「月の盃」。これなんか色っぽいいい詞だなと思った。 LOVE2のころだったので、ヒップホップみたいにアレンジしたいと吉田建に頼んだ。 「え、大丈夫ですか」「大丈夫だから、歌うまいから」。しかし、まったく売れませんでした。

M-2 月の盃   石川さゆり

 いいな。好きだな。なんでヒットしないかな、アレンジもいいな、いいアプローチだと思うけどな。  ヒットというのは市場と作る側とかみ合うと凄いが、なかなかかみ合わないものが多い。

 「純情」は、もともとは加藤和彦とのデュエット曲。どちらかというとメロディーが拓郎節だ。加藤和彦が拓郎風を意識してくれたのだと思う。これは加藤のメロディーではない。

 ♪まだ足りない まだ足りない まだ心が軽い

 「まだ足りない」って、ない? 最近は、満足ではないものの、足りないが減ってきたが
「まだ足りない 心が軽い」っていうのは好きなフレーズだ。
 また武部聡志のアレンジが成功している。武部の音楽性の広さ、どんなものにも対応できる。そして原曲の良さを崩さない。

 アルバム「AGAIN」は個人的には苦しい戦いだった。話をすると長くなるのでいずれ話すが、2014、2015年は、ある重大な病と闘っていて格闘の日々だった。妻の支えもあって乗り越えて、2016年のステージがあった。あのステージは燃えている感じで、最後の「流星」の絶句までがストーリーがつながっている感じだ。アルバム「AGAIN」は、一生忘れられない、吉田家で戦っている感じがある。

M-3 純情    吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング


<映画いいですね  映画紹介くださいという投書>
 嬉しいですね ニコニコですね
いい映画はいい映画。アカデミー賞とかとは関係ない。

 映画 Ray 。レイチャールズが少年の時からが苦労して世の中と闘っていく。
麻薬や女性などとの人生のトラブルも描いている。

 レイ・チャールズというとUnchain My HeartとかI Can't Stop Loving Youがある(実演)
わが心のジョージア が今日の曲だ。この曲には大変なエピソードがある。

 人種差別の強い時代、ジョージアでのコンサートは、黒人と白人とで席が分けられていた。その人種別席に、怒ったレイはコンサートをキャンセルした。するとジョージア州は、州内では歌わせないと出禁になった。ジョージア州との厳しい確執があって、その後、人種差別撤廃されると、ジョージア州が謝罪する。この歌を州歌にして雪解けをする
 このね、ボーカルが素晴らしい、とにかく素晴らしい。どうしてなんだろう。レイ・チャールズやスティービー・ワンダーのボーカルはもう素晴らしい。感動する。


M−4  我が心のジョージア

■エンディング
<日本のおじさんは孤独、うちの旦那も友達いないという投書>

 会いたくないやつに会いに行く時間はない。好きでもないコンサートや見たくもないものに時間を割かない。旦那は、会いたくなる人がいないんだから、奥さんといたいんだからそれでいい。会いたくないヤツとあうなんて、無駄な時間だ。


 募集、探し物。
 前回もあったが、頭の毛がよく抜ける(笑)。

 「恋の話」に反応ないのか。札幌とかに単身赴任で夜のバーの女の人と…って内緒の話とかないのか。

 あと洋楽リクエストも待っている。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆春の訪れのようなおだやかな放送だったが、私の心の中は、まるで春の嵐が吹き荒れるような疾風怒涛の状態であった。そうだよねぇ。

☆新宿のパワーステーションのライブのMCだったと思う。「落陽は素晴らしい作品だけど、盛り上がる上がる客席を観て、いつからこの唄は『花見』になったんだ、こんないい歌二度と歌ってやるまい」と語っていた。どんだけ花見が嫌いなのだろうか。相当嫌いだ。すべて醍醐の花見をした豊臣秀吉の責任だ。

☆そして「落陽」に代表される定番スタンダードを演奏するかどうかで逡巡する御大の話は、胸に痛い。いつもが苦悩の選曲だったのですね。ネットでは心無いファンが、へーきで「落陽」は飽きた、懐メロシンガーかよと悪口雑言を叩く。それって、私だろう(爆)。申し訳ない。私も2016年のライブを体験し、このラジオを聴き少し変わってきた気がする。私ごときが変わっても何にもならないが。
 やはり「サティスファクション」は必須だ。ただ、詳しいわけではないが、経験的には、ストーンズもセットリストは定番7割で、あとの3割は、意外な曲も含め凝った選曲が時に日替わりで登場する。よし、そこで手を打とうっ!! って何様だよ。
 あれが嫌い、これが嫌い、ああしろ、こうしろと勝手な文句を言ってダダをこねるが、子どもはみんなお父さんのことが大好でたまらないのだ。同じだと思ってほしい。

☆さて「デモテープ宣言」には、ひっくり返って驚いた。そりゃあ、自分もメール書いたけれど、20代の若者までが、あのデモテープの素晴らしさに感激したというメールが心の底から嬉しかった。やっぱり素晴らしいものは素晴らしいのだ。
 そして、なにより御大の「おまえら、とっておけ」という言葉とそこにこめられた気持ちに胸がふるえる。購入価格のことまで気を遣ってくれた心遣いも嬉しい。 
 この珠玉のデモテープ集については、私らファンは「出してくれぇぇぇぇ」と心を振り絞って叫ぶしかない。しかし、御大よ、もし他にわれわれで出来ることはあるのか。あればするぞ。例えば「デモテープを開示せよ!!市民連合」を組織してデモしようか。逆効果か。
 エイベックスよ、何が望みだ。何でもするぞ。MAKIDAIの替わりに、私にエグザイルに入ってくれというのであれば、今日から中川三郎ダンス教室に通って練習を始める覚悟があるぞ。

☆ともかく曲名までリストアップしていただいて昇天しそうだ。
 NHKのテーマは「決断の時」でござろう。ホリプロのカントリー歌手は、片山誠史に違いない。「俺とおまえとあいつ」「おやじが嫌いだった」。
 島倉千代子の「紅葉」の秀逸なデモテープなんて、身もだえするしかない。どうしてくれる。聴くまで死なないぞ。いや死ねないぞ。
 ただ「幸せになりたくて」って何?「感度良好」の「心のままに」の原曲だろうか。わからん。
☆ 「永遠の嘘をついてくれ」はもちろん聴きたい。
 あまりに感情的で困惑したという伝説のみゆきさんのデモテープも聴きたいよう。
というわけで

  1中島みゆき&エルトン永田デモテープ
  2バハマのエイトビートバージョン
  3ロスアンゼルス弾き語りバージョン
  4帰国後のデモテープ
  5公式CDバージョン
  61995年ライブバージョン
  7中島みゆき「パラダイスカフェ」バージョン
  8「つま恋2006」共演バージョン
  9ミノルホド単独歌唱バージョン

  ほーら、アルバム一枚出来たぞ。とイカレた妄想も走り出す。

☆最後の2015年の吉田家の闘いから2016年の至る話は心に突然重石を入れられたような気分になった。私などには当然わからない、わかりようもない。御大にしかわからない深く重厚なストーリーですべてが結ばれていたことを垣間見せてくれた。何があったのか、御大がいつか話してくれるまで憶測も勘繰りもすまい。
 いまこうして元気で次の展開に進まんとする、この時を大切に愛でるしかない。もう一度、2016のライブを遅まきながら反芻してみよう。
 レイチャールズもスティービーワンダーも素晴らしい歌声だけれど、我が心の吉田拓郎も何より素晴らしいのである。
                                 (以上3月19日)

2018. 3. 21

「ユーミンこと松任谷由実のドキュメンタリー番組『あの日 あのとき あの番組「瞳を閉じて」〜ユーミンが贈った“旅立ちの歌”〜』が、2018年3月21日にNHK総合テレビで放送される。」と教えていただいた。今日だ。奈留島は私の遠い故郷なので楽しみだ。
とはいえ、五島列島の中でも格別地味なこの島とファッショナブルなユーミンとに重なるものがあるとは思えず、申し訳ないが、ユーミンの一時の気まぐれではないかとずーっと思っていた。しかし40年もの間、ユーミンは、奈留島に心を運んでくれていた。ユーミンのことを何もわかっていなかった自分が恥ずかしい。

  時はお彼岸だ。身内の話だが、今は亡きあの島の親戚たちのこと、彼らを襲った戦争のこと、そして、そこから、ねずみ花火のように(@向田邦子)に思いは飛んで、3.11に東北で亡くなったとあるご家族のことなど、自分に繋がるあれやこれやが思い出される。また「春を待つ手紙」が聴きたくなる。いや正確に言うと、つい先週からは、「春を待つ手紙 c/w 生きていなけりゃ(デモバージョン)」が反芻される。

 ユーミンの番組を教えてくださった方は、先々週の3.11の日に「春を待つ手紙」を聴いて涙しながら「泣けるという事は、どこか他人事かもしれないね」と言われた。確かに身近に大切な人を失った方々の思いとは比ぶべくもない。しかし、その他人事に精一杯気持ちを運ばれるその方の気持ちこそ尊いと思う。しょせん他人事にどこまで思いをいたすことができるか、吉田拓郎の歌はその「よすが」だと別の拓郎ファンの方は言った。
 そういう自分は、7年間という時間とともに、いろいろと決めていたことが断ち切れてしまいつつある。そんなことからも奈留島に心を置き続けてくれるユーミンという人の偉大さを思わずにいられない。

 それにしても、「生きていなけりゃ」いいねぇ。すんばらしい「よすが」である。今まで気づかなくて申し訳なかったが、デモテープが究極の説得チカラをもって迫ってくる。たまらなくなって昨夜カラオケに行ったら…無かったよ(涙)

 ともかく奈留島もハワイも篠島も島はみんな海でつながっている…という暫定的結論。なんだそりゃ。
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2018. 3. 22

 ユーミンは、はじめから自信満々で肩で風切って生きてきたのかと思っていたよ。あのころの自分に大丈夫よって言ってあげたいって、とても泣けた。ああ素敵な人だ。ユーミンも拓郎も、傍若無人な天才のイメージで誤解されている。自分も誤解していた一人だが。

 せっかくの個人サイトなので忖度もなく「落陽」や「外白」は飽きたと書いてきた。しかし、先日のラジオで御大の落陽をどうすべきか、という苦悩を聞くと「飽きた」という言葉は御大にも作品にも少し失礼な気がする。飽きたと言ったが、落陽は神の作りたもう名曲であることは宇宙の真理だ。

 かつて御大は落陽で盛り上がる客席を「花見」だと言った。とすれば落陽は桜だ。
 春は何がなんでもやっぱり桜で花見だ、という意見はもっともだ。都都逸にもあるが、桜は毎年咲くけれど、今年の桜は今年だけ。毎年、人生のマイルストーンのように桜を味わう事に深い意味がある。
 反面で、いや、桜はもう毎年十分に楽しんだ、ここいらで今度は、梅で、桃で、モクレンで、沈丁花の香りで、あるいは燃えるような新緑で春を味わいたいという気分もある。
 例えば、マイク真木さんの庭には、端正な薔薇が咲いているだけだが(爆、申し訳ありません)、吉田拓郎の庭には、桜だけではなく、いろいろな花や草木やあらゆる風流があれふれているのである。「飽きた」というよりも、桜だけではない春を満喫してみたくなるというものだ。

 後の世の人々が、今の私たちを振り返ってどう思うか。御大と私たちは、「毎年毎年、桜でお花見して盛り上がっていた人たち」として追憶されるか、あるいは「毎年、いろんな風流の春を探して旅していた人たち」として追憶されるか。私は後者の方がいいかなぁと思う。後世なんてどうでもいいといえばいいけどさ。

 えーい、四の五の言うまい。御大の丹精こめた庭を楽しみにしている。
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2018. 3. 23

 ここのところ、春を待つ手紙〜ユーミン〜奈留島〜いろいろ思いはあるけれど、それらを雑に集約するとコレだ。
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 ユーミンが奈留島に向う水上高速艇の様子を観ながら思い出した。もともと「春を待つ手紙」は、水中翼船の甲板の先頭に両手を突き上げて立ち、篠島へ乗り込む御大のテーマソングだった。このシーンは、何度観ても胸が高鳴る。
 一昨年、超絶久しぶりに奈留島に帰るとき、甲板で御大の完コピをやろうとしたのだが、「落ちたら死ぬっとぞ!!」と思い切り船員さんに叱られた(爆)。
 御大が両手を突き上げているショットは手元になかったが、この後姿も、溢れ出るオーラを出しまくりで訴えかけてくる。この美しい立ち姿、胸騒ぎの腰つき。荒波が来ようと他人が何を言おうとこの背中を信じてまいりましょう。

2018. 3. 24

 行きつけの居酒屋の料理長が今月で他所へ行ってしまうので今夜も別れを惜しむ。♪なのにあなたは松戸へ行くの、松戸の街はそんなにいいの、この私の愛よりもぉぉぉ‥きっと、いい街なのだろう。どこまでも追いかけてゆくけれど頻繁には行けまい。それにしても別れが惜しいとはいえこんなにたくさんの日本酒を飲んだ月は初めてだ。年度末で、しかも重度の花粉症なのに、こんなにも飲んだくれていて大丈夫なのか。大丈夫なワケがない。しかし、人生意気に感ずべき時があるのだ。

 かこつけてNinjin Designとの会議。今日の議題も「生きていなけりゃ問題」だ。歯牙にもかけなかったこの曲が名曲となった現代を考えるシンポジウムだ。「リアルタイムで評価できなかったことを懺悔し反省する」のがこのサイトのポリシーだと語る星紀行。
 しかしNinjinの雨畑代表は、それを許さなかった。「反省、ツマラン」。「反省とはリアルタイムで評価できなかった自分をお詫びして、どうですボクは良い子でしょう、という”高慢”な臭いがする」。おおー。「誰も反省している人の懺悔なんか読みたくない」。とコテンパンであった。ああ、そうだ、あと「いくら反省しても、リアルタイムで理解できなかった人間の器のサイズは変わりやしない」とも言われたぞ(爆)。
 この「生きていなけりゃ問題」が導く、雨畑代表の結論は、こうだった。

1) 23年も前の作品であり、もしこれが安普請の建物であれば、とうに老朽化している。しかし、この作品は、デモテープからして堅牢な美しさを今に保っている。いかに見事な匠の仕事であるか、そこが凄い。
2)  この作品があまり歓迎されていないことを知りながら、吉田拓郎は、決して怒ることなく押し付けることもなく粛々と歌い続け、そして、あの秀逸なデモテープをもって、頑迷固陋なファンを23年かけて目覚めさせた。その真摯さが凄い。
 反省ではなく「だからこそ吉田拓郎は素晴らしい」ということを渾身で讃えるべきである。

 そうか。そうだな。深く反省した…いや、反省してはならない。生きる方法論が見つかった(爆)。薬物を抜くために全身の血を入れ替えたキース・リチャーズみたいな気分になった。経験ないけどさ。
 このあとも議題は「ふざけるな富澤一誠」「偏愛こそ愛」「巨匠と画伯の共通点」「料理長のお嬢様、幼稚園卒園おめでとう」などと侃々諤々と盛り上がって続いたが割愛。というか、こんな話自体、ここに書いてていいのかという気もする。

 しかし、いろんな日本酒があるものだ。阪神ではない、福島県のお酒だ。俺の出番だと御大が立ち上がる日を待つのみ。

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2018. 3. 28

 ずっと所用で鹿児島に行っていた。2006年の四国・九州シリーズの初鹿児島以来だ。12年も前のことなので、復習兼予習に「拓郎・ラサール・牧瀬の鹿児島の旅」を観てから行った。もっと昔の映像を観てどうすんだ。でも何度観ても天文館で「“白くま”が高い」と文句を言う御大に大笑いする。

 御大の聖地でありながら、今回は、ずっと2006年の初鹿児島で一緒だった亡Kくんのことが思い出されてならなかった。谷山小学校の校庭の土をせっせと瓶に詰めるKくん。後に星の砂を入れるような小さな瓶に丁寧に小分けにしてファンのみんなに配ってくれた。
 「鹿児島の旅」の番組で一行が立ち寄ったラーメン屋に、その時の御大の写真があるということで行くと、御大の写真はその一枚だけで、あとの壁一面の写真は全部長渕だった。聖地と思いきや敵地だった事件(爆)も思い出した。

 そんな敬虔で優しかった拓郎ファンのKくんを思いつつ、比べるべくもないが、自分は、足りない、修行も、心も、何かも足りないと今さら涙ぐむしかなかった。
 というわけで旅先でバタバタしていたのでまだラジオを聴けずに焦るが、どうやら町の空気では、ツアー発表やレコーディング情報やハワイ決定の告知は、などは無かったようだ。

2018. 3. 29

 鹿児島に同行した義理の甥っ子は、今年大学受験に失敗し浪人することになった。予備校に行かずに自宅浪人するという。ネタではなく甥っ子の姓は「吉田」なので「吉田宅浪」になってしまう。その魅惑の響きとは別に「予備校に行って自分にとっての良き師と出会え」というのが私の意見だ。どんなにインターネット等で膨大な情報が取得可能でも、結局、人は人からしか学べないのだと思う。それは、作品としての音楽を聴くだけでなく、その音楽を作る人間に惚れこむことで、私たちが大いなる世界を得たのと同じだ。

2018. 3. 30

ラジオでナイト 第49回 2018.3.29
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。ギターを弾いたりする人が、たくさんいるだろうけど、最近のニュースで、エレキ・ギターで有名なギブソン、僕もよく使っているけれど、このメーカーが苦戦しているという話で吃驚している。不調な原因は、首をひねるんだけれど、若者のロック離れらしい。よくわからないな。
 ストラト・キャスターで有名なフェンダーも大変らしい。若者たちがネットで聴いている音楽の上位がHIPHOPと、今でいうところのR&B。僕らの頃とは違う、今のR&Bね。これらにはエレキ・ギターはそんなに活躍しないのかな。僕らの頃には、ギター・ヒーロー、例えば、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、エリック・クラプトンとかたくさんいたものだ。
 ポール・マッカートニーがワシントンポストで語っている「電子音楽が増えて、以前とは違ってきている。私は、ジミー・ヘン土リックスに憧れたものだが、今は違うようだ。とても寂しい。」

 僕もこの間、デモテープをかけたが、エレキ以外は、殆どサンプリング。ベースなんかは、市販の音は嫌なので自分でベースを弾いてサンプラーに取り込んでそれを使う。
 デモテープもボーカルとギター以外、つまりラインものは、全部電子楽器。サックスなんかはサンプラーを使っている。そういうとエレキの活躍の場は減ってきている気がする。
 ベンチャーズ もギター・ヒーローだった。東京では、年下だが高中はギター・ヒーローだった。
 やはり電子楽器の進歩は、エレキ・ギターに関しては押されているのかもしれない。最近のジャパニーズ・ポップでもギターが大活躍という作品が少ないかもしれない。需要がないのだろうか。

 僕は、アコースティックは必要に迫られると弾くけど、エレキ・ギターは、その醸し出す音や、弾く人によって違う、弾き方、アドリブ、音色、フレーズが楽しくて大好きだ。曲のイントロ、間奏でギターのプレイを聴くのが好きだ。

 時代なのかね。頑張ってほしいね。ギブソンもフェンダーも。

 ギブソンが頑張ってくれないと、と思っている吉田拓郎のラジオでナイト

■タイトル

<皆がザギトワは沢尻エリカに似ているというが、60歳過ぎ私たちは辺見マリだという投書>
 最初に観たとき「やめて」が浮かんだ(笑)。
<それにしてもいつかに秋田犬(あきたけん)を秋田犬(あきたいぬ)というようになったのかという投書のつづき>

 僕も「あきたいぬ」で吃驚した。僕らは「あきたけん」と言っていたよ。これも時代のせいかな。NHKの調査では、1990年ころ95%の人は「あきたけん」だった。だから「あきたいぬ」は驚いた。

「探し物」のメール。
<他人の探し物をしているときら、押し入れの箱の瓶を掴んだら、蛇のアルコール漬けとばーちゃんの入歯で怖かったという投書>

 ハワイ企画が続いている。まだやっているのかって、行かないなんて言ってないよ。
<参加者後が自己満足で後生大事にしているマイ拓郎コレクションを持ち寄って、拓郎さんが順位をつけるのはどうかという投書>
 自己満足も嫌だし、そもそも「マイ拓郎コレクション」そんなものハワイに持ってくるな。僕が世界で最も見たくないものは、その「自己満足なマイ拓郎コレクション」だよ。 それから世界で最も聞きたくないものは、「吉田拓郎に対する個人的な思い入れ」。そんなものは、ハナっから聴きたくない。コレクションと思い入れが一番嫌なんで、だったらハワイなんかは中止だ。

 洋楽リクエストは、
<ご存じ「明日に向って撃て」のご存じ”雨にぬれても”自転車のシーンが好きという投書>
 キャサリンロス。新鮮だった。「卒業」も良かった。それにしてもポール・ニューマンは、渋いな。こんなにシブイ男はいただろうか。「ハスラー」も良かったし、トム・ハンクスと組んだギャングの役も良かった。
 もちろん、いい男と言えば、ブラッドビッドとか、アランドロンとか吉田拓郎とかもいるけれど。アラン・ドロンに似ているといったら奥さんに、「どこが」と言われた。それ以来、マルチェロ・マストロヤンニにしている。
 そういえばガンバの遠藤選手が好きだった。最近そんなに言わなくなったが、一時は  全試合観て、ヤットさんのところはストップモーションで見せられた。最近では、カーリング男子の両角選手が、目が少し垂れていて、ふとした感じがヤットちゃんに似ていると言っている。
 僕の顔は、結局ヤットさんに似てるんだ。僕は、ポール・ニューマンになりたかった。

M−1  雨にぬれても  B. J. Thomas

■CM明け

 制服の第二ボタンを知らなかった話をメールで励まされた。  
<1949年生まれだがそんな風習はなかった。たぶん松本、中島は仕事の知識上知っていただけなのではないかという投書>
 なぐさめられる反面、あなたは知識がなかったということなのか。時代的なものかもしれない。
<団塊の時にはなかった、もてなかったわけではないという投書>
<50歳だが、僕らの少し前から始まったのではないかという投書>
 吉田拓郎の時代にはなかった、そう思いたい。どうであっても、僕はモテてなかったんだけどさ(笑)郵便友の会、軽音楽同好会とかロクなことはない(笑)本当にモテなかった。バスケットとかばかりがモテていた。

 最近日本酒を少し飲むようになったけど、日本酒をあまり知らない。ウォッカとかラムは詳しいけれど。いろんな日本酒の銘柄をたくさんありがとう。

<“鳳凰美田大吟醸山田錦”、堂本光一さんが大好きな”獺祭大吟醸”という投書>
光一は日本酒呑むのか。メールで聞いてみよう。最近は、陽水に第二ボタンって知ってるかとか、光一に獺祭を知ってるかというメールばかりだ。
<少し辛口なら、”繫桝”、あるいは”剣菱”という投書>
 剣菱は知っている。
<広島の”賀茂鶴”という投書>
 広島なのでは”賀茂鶴”は知っている
<オバマ大統領は来日した時、ゴールド”賀茂鶴”を呑んだという投書の続き>
<旭川で、“国士無双”という投書>
 確かに麻雀のような。
<湘南には”天晴”という投書>
<”菊水辛口””八海山”という投書>
八海山は知っている。

<”田酒”、”裏男山”という投書>
 裏男山って変なものを想像してしまう。青森の田酒も有名だね。岩手のお酒は辛いね。♪雪でしたの時にもよく呑んだ。
<山形”米鶴”という投書>
 年代とともに酒の好みが変わるのかな。

 30代迄、ビールがだめだった。ずっとウィスキーだった。でもバーボンは好きじゃなかった。♪ペニーレインでバーボンを…は歌だけ。ウイスキーの水割りにレモンスライスを入れて呑んでいた。
 ある新聞社の人にブランデーの水割を教わって以来よく呑むようになった。かまやつさんとはいつもそれだった。
 そのうち今度はビール党になった。もうビールだけ。ビアガーデンで10杯くらい呑んだっけな。
 で最近は、ビールよりも日本酒もおちょこでちょっと飲む感じ。

<福井の”梵”という投書>
 石川鷹彦さんが好きらしい。あの人は、酒好きだったからね。元気になったかな。石川さんは、食べ物のメニューが決められない。中華料理店に行った時、ビールを頼んだ後、料理が決められない。メニューを観ながら、そろそろ決めてほしくて「前菜はどうする?クラゲにしますか」「ちょっと待ってくれよ、クラゲもいいが、メニューにいろいろ書いてあるんだよ」「そりゃメニューだから」…30分位経っても決まらないでまいった。そういう決められない人がウチにもいる。
<愛媛の”賀儀屋”という大田区の人の投書>
 なんで東京なのに愛媛の酒を知っているのか。そういう品評会とかで知るんだな。日本酒好きな人は、呑兵衛だな。
「越乃寒梅」は辛口なのかな? よくわからないので、これからも お酒の銘柄教えてください。
■今週のベストテイク  

 「花の店」。ギタリストとして徳武弘文と稲葉の二人を呼んだ。徳武の得意とする指弾き、カントリーの独特のフレージングと稲葉君、最近は小田和正と演っているけど、彼のディストーション効かせた速弾き。間奏で、前半が徳武、後半が稲葉と途中で変わるのだけれど、どこで変わるか注意して聴くのも面白い。

 で、詞の岡本おさみだ。後年に岡本おさみでうまくいったのが、この「花の店」がナンバーワンだ。歌詞とメロディーがバチっとハマった。あとは、「歩道橋の上で」。これは「旅の宿」の延長のような作品。これもハマった。

 岡本おさみさんという人は、言葉にリズム感がない。松本隆は、言葉にリズム感がある。シャッフル、エイトビート、ワルツ、そういうのが、歌詞を読んだだけで浮かぶ。岡本おさみさんは浮かばない。ノーアイデア(笑)。
 喜多條忠は、一行一行の字数が統一していて、韻を踏んでいるというか、リズム感が漂っているのでメロディーにのりやすい。
 岡本さんは、もう言葉がバラバラ。「えーい、エイトビートでいけるとこまでいってみよう」とやるしかない。そして、いけなくなったらそこで悩む。もう大変だったんだから。岡本さんは一番と二番とで字数が違う。一番でメロディーを作って、そのまま歌うと二番が歌えない。サイズが違うんだ。そうなると、もう一個、三番目、四番目のメロディーをつくるしかない。
 (君去りし後 )これなんてどうよっていうくらい歌詞が違う。作った人以外に歌えない。
 松本隆と違って、他の歌手には、岡本おさみの詞は歌えない。可哀想だったな。一人二人だけど歌いこなせた人がいた。売れるわけない。なんてリズム感のない人なんだ(笑)
 岡本おさみという人は詩人だけど歌詞を書くソングライターではない。。でもこの曲は、リズム感や韻を踏んではいないけれど、詞も曲もよくはまった。

M-2   花の店  吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング

 スコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」。 ママス&パパスのジョンフィリップスが”ジャーニーマン”というグループ時代に作った。ここにスコットマッケンジーがいた。

 ママス&パパスは、「マンデー・マンデー」と「夢のカリフォルニア」とか名曲がある。

 M−3 夢のカリフォルニア  ママス&パパス

 なつかしいな。広島女子短大。ギター教室で女の子に講師といって教えていた。(弾き語る)ひとり可愛い子がいたな。どうしてるかな。そりゃ、結婚しておばあちゃんになっているでしょう。

「Eのsus4」ってなんですか、と聞かれて「さすフォー」「さすフォーだ」って、意味が違うんじゃないか。俺も悪い大学生だったな河合楽器で人気があって高い月謝をとっていた。 毎晩、パブ・バーでジントニックを当時、5〜600円でキープして、トニックウォーターで飲んでいた。

 ジョン・フィリップスが作ったこの名曲。ベトナム戦争の厭戦ムードが漂っていた
花柄、ベルボトムのパンツ、先の開いた長袖Tシャツ、ユニセックスな感じ。男性も女性もののシャツを着たりしていた。フラワームーブメントだった。

M−4 花のサンフランシスコ  スコット・マッケンジー

■エンディング
<宮内庁の人から”御苑”という皇居の見学でしか手に入らない酒があり、常温でも美味しいという投書>
 こういうのがあるんだね。でも、お酒は常温で飲みたくない  冷たく冷やして飲みたい。冷たいウーロン茶、麦茶、冷たいものが好き。

 さて、テーマは、
・引っ越し
・探し物
・年下の男の子  年上の女性
これわかるかな(笑)
・洋楽リクエスト  結局リクエストになっちゃった(笑)
リクエストじゃないと注意していたのに、なっちゃった。この番組言っていることが支離滅裂だ。

お相手は吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆ギブソンとフェンダーの話は、ギター弾きではない自分にも身につまされる。御大も言っていたように、ミュージシャン全体につながる問題だし、もっと大きく見れば、AIでこれから多くの仕事が消えてゆくストリームの一端だ。音楽に限らず、自分の仕事が、機械にとってかわられ無くなってしまうのではないかという、そこはかとない不安に襲われる。私にとっては、御大はもちろん、御大のベストテイクを作り上げたすべてのミュージシャンたちは、圧倒的なヒーローである。いいのか。本当にこのヒーローたちをこんな波にさらしてしまって。

☆御大が、コレクションと思い入れが一番嫌だというのは御意。そうでしょうとも。こんなサイトもまさか読んではいないだろうが、きっと大嫌いなはずである。それを知りつつ、御大のかけがえのない貴重なものを手にしたい、このただれるような思いを書きなぐりたいという、わかっちゃいるけどやめられない欲求が一部のファンにはあるに違いない。少なくとも私にはある。この背徳と隠微な喜び(爆)。やめられない。確かに、ハワイの晴天のもとに持ってゆくものではないかもれない。

☆ついでに言ってしまうと、世界で一番観たくない、聞きたくないとはいうものの、吉田拓郎を深く求めるファンの不条理な情動が、この世界から消えてしまったら、きっと世界は「吉田拓郎、ハイハイ有名なフォーク歌手でしたね」と博物館に入れて終わりにするに違いない。だから顔も知らぬ同志よ、嫌われても嫌われても、この不条理な愛を貫こうではないか(笑)。

☆日本酒は実に夥しい数があるのだな。そこに個人の好みを掛け合わせると、途方に暮れる。自分のような探求心もウンチクも無い場合は、ここでも良き師に出会うことが必要だと思う。今夜もゆくぞ。

☆それにしても、バーボンに冷たい御大。吉田拓郎=バーボンという聖なる教えを固く信奉してきた自分には、今さら、当の御大から「バーボンなんて」と言われると結構ショックである。今まで歩いてきた信仰の道は何だったんだと天を仰ぎたくなるような気分だ。イエス・キリストを信じてついていった人が、キリストから「実はウチは浄土真宗なんだ」と告白されるくらいショックだ。意味わかんねーし、そもそも、そんな不謹慎な喩はよしなさいっ。

☆「花の店」。徳武さんと稲葉さんのリレーになっているとは、そのあたりの企ては、もう匠の技というよりほかない。どこまで丹念に考え抜いているのだ。宮大工の仕事を観るかのようだ。しかし、そこまでの詞だろうか。「歩道橋の上で」は名作だけれど、「月夜のカヌー」「錨をあげる」あたりが、私には最後はまりこんだ岡本おさみ・吉田拓郎だと個人的には思う。

☆岡本さんの字数もリズムも韻も無視した詞の苦労は素人の自分ですらよくわかる気がする。御大もかつて語っていたように「岡山で戦車が運ばれるとニュースが伝えていると」なんて、もはや神業である。もちろん御大がね。
☆この武骨な詞こそが、天才御大のメロディーメーカーとしての才能をあますところなく引っ張り出したのではないかと思う。松本、喜多條の詞を整序されていてリズムも韻もあってつけやすいかもしれないが、名曲完成率は、確実に岡本おさみではないかと思う。天才吉田拓郎にその才能を渾身のフル稼働させたことが、ケガの功名のように夥しい名曲を作ったのだと思う。魂の詩人の無骨な「吐き捨て」に、リズムとメロディーと命を与えられる才能は、吉田拓郎にしかなかった。
 だから、岡本おさみは他の作曲家とはあまりいい結果が出ていないのも、その表裏の問題と思う。意味不明なたとえでいえば、岡本おさみは、星飛雄馬のキャッチャーしかできない伴宙太のようなものではないかと思う。おい。

☆ついに洋楽リクエストになってしまったユアフェイバリット。私が渾身で書いた島倉千代子「愛のさざなみ」のメールは、夢と消えたようだ(涙)。

2018. 3. 31

  料理長のお嬢さんが公園で拾ってきてくれたという桜で一献としゃれる。しゃれながら、当然思いはそっちのほうへ。
「『岡山で戦車が運ばれると…』なんていうところは一体メロディーになるだろうかと思った」(「大いなる人」吉田拓郎VS岡本おさみP.48 拓郎発言)。前回のラジオでも、その御大の苦闘を知らされ、たまらず「晩餐」を聴き返す。何度聴いてもすんばらしい。
 韻もリズムもなく書きなぐられた詩人の魂の叫びに、吉田拓郎は、リズムとビートを刻み、メロディーをあてがって蘇生させる。天才メロディメーカーの御大だけが出来る技だし、その天才にそこまでの苦闘と呻吟させる”吐き捨て”のおかげで、私たちはいくつもの超絶な魂の名作を得られたのだ。松本隆・筒美京平コンビなど何するものぞ、これぞ奇跡のコンビネーションだったんだといまさら唸って唸って唸る。居酒屋で隣の人にまでしつこく語ってしまった。すまん。
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2018. 4. 1

 こんな世の中と自分を捨て、この国を見限ってやるのは俺の方だと思っていた私も新元号が「吉拓」とニュースで知って、淡い希望の光が差してきた感じだ。それにしても吉拓元年11月26.27日のライブが超絶嬉しいぞ、どこでやるんだ。今から備えなければ。

 ラジオでナイトも今日で50回。一周年だ。毎週毎週、内容的にもよくぞここまでやってくれたという番組に心の底から感謝。ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします。

2018. 4. 2

ラジオでナイト 第50回 2018.4.1
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。昨年4月から1周年。早いね。半年で終わると思っていた。これも、みなさんからのメールやハガキのご支援のたまもの。ま、みんなと仲良くやってきた、コミュニケーションができたからだ。1年経っても飽きていない。だいたい吉田君はすぐ飽きるのに、この原動力は皆さんが支えてくれたからだ。と、心にもないこと言わなきゃならない(笑)

 過去に番組でどのようなことをやっていたのか、行き当たりばったりなので覚えていない。だいたい70年の人生、いつも行き当たりばったりだった。1年間続いたのは奇跡に近い。メールやハガキが楽しませてくれたからだ。

 最初のコーナー、「ついていけないもの」…記憶にない(笑)
最初にかけた曲は「シンシア」だったらしい。近々、この曲はベストテイクでやるつもり。

 「名曲リンゴのカップルについてどう解釈するか」、憶えているけれど、ずいぶん難しい番組だったんだな。今はイージーだけど。
 シャボン玉のように次々と浮かんでは消えてゆく企画が多かった。

 「僕の歌あの歌思い出してみよう」という企画は、すぐに没になって、その後「ラジオナイトクラブ」になって、いまや「ベストテイク」に代っている。
 ネット局が4局が8局になった。山梨、北日本、福井と。そうなると全国的な恥はかきたくないな。

 最近、エイベックスのプロデュースの偉い方と食事会をした。この方は偉い方で、今度のニッポン放送にも抜擢してくれた方だ。年に2回、東京で一、二という寿司屋に妻も一緒に連れてってもらう。ニッポン放送、吉田拓郎、エイベックスという三者会議が持たれた。

<デモテープのプランが素晴らしい、エイベックス頑張ってという投書>
 レコード会社の垣根を超えた、個人的なベストテイク、レコーディングとか思い出深い曲、あるいは深夜聴くと気持ちよくなれるよ、というものを横断的に出したい。選曲が難しい。
 これにプラスにデモテープをつける。先日のデモテープの反響が凄い。そんなに欲しいならあげるよという気持ちがある。僕にとってはこのラジオは最終章だから「持ってけよ」という太っ腹な気持ちがある。

 ニッポン放送としてもいろいろ考えたいという話があったので、言わなくとも考えていると言ってやった。
 僕にもいろいろ考えがある。レコードも年末位に、スタジオ一発撮りを考えていて、場所等も考えてある。その模様は、映像、テレビでも流れるはずだ…と勝手に決めている。テレビ局も決めてある…あそこならやってくれるはずだと。

 それと同時に1年間もやっているので、ラジオを聴いてくれる人たちにデモテープのみならず、プレゼントをしたい。Mさんが、うまいね、このタコ…と焼酎でタコばかり食べていたが。
 例えば、東京でコンサートやると東京国際フォーラム・ホールAだけれど、ホールCという1000人から1500人のホールで、この番組のためのコンサートを考えようか。Mさん、嬉しくて、このタコ!とタコをお代わりしていた。

 ラジオのおかけで、いろんなことが元気なんだよ。もちろん身体的には、腕の軟骨が擦り減ってたり、脊椎が曲がっててブロック治療とかしているし、今度もインプラントもやるとかあるけれど、精神的な元気さ、エナジーはあると思う。

 アルバム出そうよ、ステージやろうよという気持ちがふつふつと湧いてくる。これから人生が楽しくなってくる気がする。これから、いろいろ時間はかかるけれど、殆ど実現するだろうという確信がある。

 まーそのぉー、いろいろ大丈夫だ、という気がする吉田拓郎ラジオでナイト


■タイトル
…言っちゃった。言っちゃった以上、やるっきゃないよな。

<マンポウのデモテープが聴きたいという投書>
 マンボウ。CDよりもいいよ。
<菅田将暉くんと友達になって一年、よくぞここまで、ここで生番組ではどうでしょうという投書>
 別に友達ではない、会っただけだ。テレビでも生のオファー来てるけれど、深夜なので寝てる時間なのよ。中島みゆきは、深夜3時から5時の番組って、えらい。そういうのは無理。

<ベストテイクにたまには、武部、鳥山、松原のゲストはどうかという投書>
 ゲストは呼ばないと最初に行った。しかし、松原秀樹は元ジャニーズ。ファットな感じで喋るとおもしろい。ベースもうまいよね。
<エイベックスのデモテープ付CDというのは、画期的売り方という投書>

<拓郎さんのコンサートに落陽ナシは考えられないという投書>
 落陽をどうするかは永遠のテーマだ。一番だけにしてしまおうか。例えば、(ギターを弾いて)、前奏だけで終わる   なんだ、それだけかよ、いや、それならよかった、 いろいろあるだろうけど 一応やったことになるじゃん(笑)。
 どうするか、落陽、人生を語らず、春だったね、あ、「春だったね」は歌いたいから歌わせろ。
今、コンサートの次期33曲をリストアップしている。「夕映え」「戻って来た恋人」  「RONIN85」「 季節の花」「スバルレックスの僕らの旅を入れたoldies」とか。そして「春だったね」を今、無性に歌いたい

<太っ腹「とっておけよ」が素晴らしいという投書>
<豪華デモテープのおまけアルバムという投書>
 その寿司屋の時、殆どお酒は飲まないけど、ビールを二杯飲んだ。いつもはビール一杯と冷酒を少しだけれど。その時食べるのに夢中だった奥さんがちゃんと観ていた。二杯のビールのあとで、Mさんが呑んでいた冷酒八海山をおちょこ一杯貰った。これが美味しかった。もう一杯…というと、ウチの山の神が、ちょっと2杯も呑むつもりと。いえいえ お茶けです、あがり一丁…となって寂しかった。

<ホリプロ新人のデモテープというのは、片山誠史の「おやじが嫌いだった」「俺とおまえとあいつ」ではないかという投書>
 よく憶えていないけど、外国でレコーディングということで随分違ってたなという記憶がある。(、♪おやじが キライだった…歌う)(俺とおまおとあいつ ♪こんな気持ちブルー)  スティーブ・クロッパー、彼は「ブッカーTと MG's」にいた。 彼のアレンジで、僕のデモテープはすっかり無視された。

<サムクックのア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム、拓郎さんと同学年の方の投書>
 オーティス・レディング、アレサ・フランクリンという名前が出てくるだけで、君は、R&B好きだとわかる。こういう時代のソウルの絶対的ボーカリスト。このボーカルは誰だってワーオとなる。

M-2 ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム サムクック

■今週のベストテイク  
 4月が来て、また誕生日を迎える。誕生日は嬉しく淋しくまたツラくもある。とはいえ、喜びだな。精神的なエナジーに、衰えとか閉塞は感じていない。今日は、いくつになってもHappybirthday。

 コーラスアレンジを武部がやって、あとは全部俺のヘッドアレンジ。現場でコーラスが楽しかった。英語のフレーズとかも考えられていてよかった。
 歌詞としてはまだまだこれからもやるんだぞという元気とここまでよくやってきたという感謝の気持ちが現われている。
 自分らしいなと思うのは、FマイナーとAフラットを使っているところ。Cに対してよく使うドの音は、C Am Fなのだが、そこでFマイナーとAフラットを使う。
♪いくつになっても〜Fメジャーでは、明るすぎるので Fマイナー。♪いろんなことがあったでしょう〜人に隠れて…でそこでFマイナーとAフラットを使う。
 ドラムはサンプラー。ギターは、LOVE2で知り合った長田進、ベースは、子供ばんどの湯川トーベン、キーボードは、竹田元という若手とやった。こういう歌は若いミュージシャンが必要だった。武部・鳥山とはまた違う、若手の感じが必要だった。今聴いても気持ちいい。垣根を超えたアルバムに入れたい。

M—3   いくつになってもhappybirthday 吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング

 広島時代、ディスコで演奏していたので、いつも踊っている若者を観ていた。ディスコが好きだ。ディスコブームが何度かあった。東京だと70年代中期かな。80年代以降のバブルのお立ち台の時はディスコを卒業していた。やはり、70年代中期 六本木にはよく行ったものだ。ディスコは掛け値なしに青春。行かなきゃだめだよって、今さら行ってもダメだけど。
 マネージャーだったSさんは、僕の父親にそっくりの固いマネージャーで、怖かった。普段は学校の先生のようだったんだけれど、たまにツアー先とかで誘われてディスコに行くとSさんは人が変わる。学校の先生のような人が踊り狂う(爆)。盆踊りのようなステップだった。  

 かまやつひろしさんとは六本木のキサナドゥによく行った。丘サーファーがたくさんいた。  かまやつさんとパブ・カーディナルでテキーラを一杯ひっかけて、カッコイイね、キサナドゥに向う。かまやつさんは有名人で顔パス。やがて拓郎も顔パスになった。かまやつさんも僕もフロアーで踊るよりも、女の子と話すことが多かった。
 昔は、よくナンパしていた。ある時、かまやつさんとキサナドゥのサーファーの女子を連れてシーズンというバーで、両耳元で世界で一番で恥ずかしい話題、言っちゃいけない話題を囁き続けたら、とうとう女の子が怒って水をかけられてひどい目にあった。お互いに世界一わいせつな話をしていた。お互いになんてヤツなんだ(笑)。

M−3  ステインアライブ ビージーズ

■エンディング
<探し物ということだが、私は若い頃の挑戦し達成感があったが、その達成感ないという投書>
 それは君の勘違い。一日を大切に生きる。やさしい気持ちで、おだやかな気持ちで一日を過ごすということ、そのことだけで見事なる達成感を味わえるようにならなくてはいけないし、それは見事な達成なんだと僕は思っている。
だから一日、日常を大切に生きるということは、口で言うところの達成とかなんとかではないけれど、心にある達成というものがある。僕は、今、日一日と達成…達成というのは言葉が違うかもしれない、充実して、寝るときに、今日も元気で一日良かった、明日もこの調子で行こうかな、そういう日常を目指して生きている。そんなに達成感を大袈裟に求めなくていい。


 募集テーマ
 ・あだなとなまえ   例えば子どもの頃「どてかぼちゃ」で不満だった。「かぼちゃちゃん」とか言われていた。  
 ・洋楽リクエスト

 ここまで吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆一周年おめでとうございます。というより、ありがとうございます、だ。これだけ続いたことはもちろん、番組のクオリティとしても素晴らしいの一語しかない。この御大のパワフルな遺言が、私にも精神的なエナジーをたっぷりとくれた。

☆「おまえらとっておけ!!」のデモテープ発売へ向けた具体的な進捗が窺えたし、ラジオ用のライブの企画という夢の企画、そして、次回ライブの候補曲としてのリストアップされた「RONIN85」「季節の花」「夕映え」。身悶えして涙するしかないじゃないか。もちろんすべては未定である。これから、紆余曲折いろいろあるのかもしれない。おい、約束したぞ!とか、言ったよな!とか言質をとったりするのではでなく、浮足立たず、まずは御大の元気だけを、御大の気持ちだけをしかと受け止めてまいりましょう。

☆この喜びの中、私にとっての今日の最大のハイライトは、エンディングの言葉である。

「一日を大切に生きる。やさしい気持ちで、おだやかな気持ちで一日を過ごすということ、そのことだけで見事なる達成感を味わえるようにならなくてはいけないし、それは見事な達成なんだと僕は思っている。
 だから一日、日常を大切に生きるということは、口で言うところの達成とかなんとかではないけれど、心にある達成というものがある。僕は、今、日一日と達成…達成というのは言葉が違うかもしれない、充実して、寝るときに、今日も元気で一日良かった、明日もこの調子で行こうかな、そういう日常を目指して生きている。そんなに達成感を大袈裟に求めなくていい。」


 投書した方の想いは勘違いというより、誰もがカタチこそ違え、心に抱えている思いだと思う。自分もそうだ。一日を大切に生きる事の大切さをこんなふうに諭してくれる吉田拓郎の素晴らしさを思う。精神的なエナジーも元気さも、デモテープもラジオ向けライブもすべてが、この言葉の中にきれいに収まるのではないかと思ったりする。

☆なんて素敵なのだ、ハラショ、吉田拓郎。

☆シンシアがこの番組の一曲目だったのだな。記録をふりかえってみると、ああ「1人の友人が天に召されました」と御大は語っている。今回のキサナドゥの話と相まって感慨深い。


                               (思いつきと感想 つづく)

2018. 4. 3

 いくハピは名曲だよね。http://tylife.jp/uramado/ikuhapi.html
 私が作ったわけではないし(爆)なんの権限もないが、この世のすべての生きとし生ける老若男女に捧げたい。Fマイナーの話は音楽音痴の私にもなんとなくわかった。そして若いミュージシャンが若さを音にこめていたのだな。これも納得した。
 PVを久々に観てみた。いいねぇ。ただカーペットを横切る小さなお子様は、現在は、たぶんもう20才を超えていると思うとちょっとウロタエたが。…いいじゃないか。人生いたるところに青山あり。御大の言うとおり、一日一日をいかに大切に生きるかだ。…というなんかミモフタもない話のあとで申し訳ないが、今日が誕生日の方おめでとうございます。

2018. 4. 4

 料理長最後の日。最後のお酒は”浦霞禅”と”このわた”。3年前の開店当初、ガラガラのお店で頼んでいたのを覚えていてくれた。ありがとう、いつもはにかんだ気遣いをしてくれて、こっちの体調や好みを気遣いながらいろんな冷酒の旅をさせてくれて、メニューにないハムエッグで冷酒を飲ませてくれて。ありがとう。最後に感謝の花束を渡すと料理長は泣いていた。それ見てみんなで泣く。たかがチェーンの居酒屋なのに、ただの酔客の端くれなのに。"どこにでも宿る愛"。

   また会えるまで また別れても
   また迷っても また探す道
   また背伸びして また立ちどまり
   またほほえんで また口ずさむ

   また雨が降り また風が吹き
   またウソをつき また夢を見る
   またウデを組み また歩き出す
   また陽が昇る また涙する

…御大、あんたは天才だよ。
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