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車を降りた瞬間から

1990年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「176.5」

吉田拓郎の歌う"ヘッドライト"

 1969年、若き音楽青年だった吉田拓郎は、広島フォーク村の後輩の運転する車に、ギターとボブ・ディランのレコードを積み込んで上京した。東京に着いて車を降りた瞬間から、運命と物語が転がり出すのだった。それは吉田拓郎のドラマであると同時に、その後彼にかかわる音楽家達、スタッフとなる人達、ひいては私たちファン、すべての人々人生のドラマが始まる一瞬でもある。一人の青年が車を降りた瞬間にその小さな波紋が音叉のようにさまざまな人に果てしなく広がっていく。
 拓郎には自分の人生の流れを走馬灯のように振り返り歌う「走馬燈系」の歌がある。私が勝手に名づけているだけだが。その御三家としては、この歌とともに「大阪行きは何番ホーム」と「後悔していない」(公式音源未収録)があげられる。が、最近「早送りのビデオ」という作品も登場したので、御三家でなく四天王か。よくわからん。ともかく紆余曲折・有為転変の人生を経験したからこそ歌えるし、聴く方もそのドラマを共有しているから成り立つ作品でもある。
 「立ちはだかるものなどは正義と言わず」「古臭い常識と争ってみたい」といろいろなものを打ち破りながら、「人の辿りつく海」を目指して流れていくという歌の内容と実人生がシンクロする。
 しかし、それは単純なサクセスストーリーではなく、美しく飾られたものでもない。「汚れた自由も甘いし」「またあれから罪を重ね」どうしようもなく汚れていく自分をも見つめながら、最後は運命の奔流に飲み込まれていくという空しさも感じる。
 このように「達観と共感」「希望と失望」のそれぞれの間を行きつ戻りつしながら決して止まらない流れ、そこがこの作品を始めとする拓郎の「走馬燈系」の歌のたまらない魅力だ。
 アルバム「176.5」は、例のコンピュータ打ち込み実験の最終アルバム。この作品もある意味とても人工的に加工された感触がある。ボーカルにもエコーが目いっぱいかかっている。しかし、コンピュータの最終アルバムということで熟達したのか、えらく作品の流れが心地よい。なだらかで広い舗装道路をどこまで滑るように走っていく気持ちよさがある。間奏のドラムがブレイクするあたりも小気味よい。
  生音のバージョンも是非聴いてみたい。達人ミュージシャンと管弦を擁したビッグバンドで演奏して欲しかった。彼の一生を振り返る2004年の「この貴重なる物語」ツアーでは、この曲がうってつけだったのにと多くのファンが思っていたはずだ。

2015.5/6