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a day

2019. 7. 11

隣の神田書店街界隈の関係らしい紳士が思わず呟いた「…カッコイイなぁ」。だろ、だろ、だろ。すんばらしい,こんな凄いステージを見せられたら別れが余計に辛くなるじゃないか。心の底から吉田拓郎とミュージシャンとスタッフに感謝したい。そして私を助けてくださった皆様ありがとうございました。
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2019. 7. 12

伊藤蘭のソロライブのキャンディーズ作品に拓郎の曲が無くて超絶寂しかったが,神田で全て吹き飛んだ。"やさしい悪魔,あんな良いメロディーを日本人が作れるか"(ラジオ第92回)と豪語するとおり,既に日本人のセンスなぞ卓越した拓郎であり私たちファンだ。どけ,どけ,どけ、本人歌唱のお通りだい。

2019. 7. 13

というわけで早いもので2019年もいよいよ終わりである。今7月のようだが私にはもう終わったも同然だ。あとは平和を願って参議院選挙に行くことくらいしかやることがない。ああ素晴らしい1年だった。ありがとうございました。DVDと一発録りの”Tたいむ”を灯に皆様よいお年を。


♪ラジオとライブのツイストでナイト@♪

 ということで今年ももう終わりなので(爆)“ライブでナイトin神田共立講堂”のことを記しておきたい。”ライブでナイト”はLive73yearsツアーの延長でありながら”ラジオでナイト”から生まれ出たものでもあるゆえ"ラジオ"と"ライブ"を行ったり来たりさすらいながらツイスト(よりあい)し振り返っておきたい。

■そして聖地は決まったの巻
2019年のコンサートツアーの企画とともに、”ライブでナイト”の企画を耳にしたのは、第68回 2018.8.19の放送だった。
「どうやら東京一か所になりそうなので、イマジンスタジオで公開放送とかのプランを考えたりしていたけれど、今日ニッポン放送から「吉田拓郎で公開イベントライブのお願い」という依頼状が来た。老若男女に人気のこのラジオの公開収録をお願いします。
 スペシャルイベントということで吉田拓郎ほか出演者、場所は・・・言えないな。僕もこうしたらいいんじゃないかとリクエストや提案をしているところ。東京がどうやら一本だから、大変なことだね。」


☆もともとは公開収録だったんだね。

第70回 2018.9.2
「場所は言えないけれど僕と縁の有る場所、サンプラザじゃないよ。二度目のサンプラザで倒れた。あそこじゃない。想い出深い場所で公開放送をかねてと言う話がある。」


☆この発言によって渋谷公会堂か神田共立講堂かで世論は分かれていた。そしてコンサートツアー全7か所が毎週一か所ずつラジオで発表され、”ライプでナイト”が発表されたのは2019年2月11日の放送だった。

「 かねてから言っていたラジオでナイト特別版がついに決定した。ニッポン放送65周年 吉田拓郎ライブでナイト2019 in神田共立講堂。 2019年7月10日水曜日…
 中身は決めてないが、ツアーバンド全員が出るので、コンサートが東京で、もう一本増えたと思ってくれていい。リハーサルで余裕ができたら違う曲も歌ってみようかな。」

☆こんなことも以前は言っていた第85回 2018.12.16。
「ラジオでナイトのスペシャルバージョン」もそのあと東京で実施する。ツアー曲の4,5曲は間引いて違う曲、「いとしのルネ」とかにしようかな。ラジオの延長戦のようなライブをする。」


☆伝説の神田共立講堂。スペシャル。興奮した私は「吉田拓郎が最後の公演という覚悟で選んだ場所である。華やかなハコは他にもたくさんある。その場所で最後に歌いたいと心に決めたのである。ああカッコイイ。涙ぐむほどカッコイイじゃないか。もうこの人は生き方の神髄までロックだよ。」とひとりよがった。

 でもライブ当日のMCで拓郎は言っていた。
「(フォークの連中と一緒で)おぞましい楽屋、あまりいい思い出が無い」(爆)
 あらららら(涙)と思ったが、しかし、ライブ終了後、拓郎はこうつぶやいてくれた。

  神田共立講堂いいよね
  あの雰囲気!格別な感じ
  最近は誰もすぐに大ホールやアリーナだが
  僕なんて「こんな感じ」がスタートだった

☆やはり特別の場所だったのだ、神田共立講堂。国会議事堂、国立能楽堂、中尊寺金色堂、亀屋万年堂、堂本光一、堂本剛、どんな堂も神田共立講堂にはかなうまい。

☆そして毎週日曜の命綱“ラジオでナイト”は、ある種の衝撃をも含みながら2019年3月31日大団円を迎えた。そして筆舌に尽くしきれない、尽くしてはみたけれど、とても描き切れない怒涛のLIVE73yearsを終えてその日はやってきた。

☆紆余曲折を経て自分も2階後方の席にたどり着いた。幸運だったとしかいえない。本当に講堂だった。女子大なので男子トイレがあるのか心配されたが、ちゃんとあって安堵した。思い切り行列だったが。それと椅子が狭い。しかしこのそこはかとない威厳がたまらない。
 たぶん神田古書店街ご関係と思われる方々が地元のお祭りの話をしておられる。ご後援ありがとうございますと心の中で手を合わせる。

☆もういまや懐かしいフォートップスの”いとしのルネ”のテーマとともに垣花アナの館内放送。「ラジオでナイトが終了して3ヶ月、コンサートツアーが終了して1週間、あなたは今夜特別の生き証人になる。」みたいなアナウンス(拍手)。お土産にコンサート参加者全員に”トートバックとペットボトル”をセットでプレゼント(大歓声)。収益金は、広島の豪雨災害に寄付される(大拍手)。
…ってもう垣花アナ会場をあおる、あおる。
☆おかげでツアーではなかったような特大の拓郎コール盛り上がる。

 そしてパーソナリティ吉田拓郎の登場である。

2019. 7. 14

♪ラジオとライブのツイストでナイトA♪

☆ツアーと同じいでたちで一人すんばらしい。ステージに現われた拓郎。

(MC)こんばんは。今、垣花さんだったね、いい声だったね。

M−1大いなる(1番)〜今日までそして明日から(後半)

☆名古屋から始まった大いなる+今日までそして明日からの合作。"大いなる"についてはラジオでこんなことを言っていた。

(ラジオ第71回 2018.9.9)
「大いなる」。フォーライフの社長をしていた時、まだ31歳くらいなので大変なことだった。たぶん僕はひとりぼっちになるけど、決して尻込みせず、胸を張って、シロウトだけど負けませんと自分を勇気づけるために作った。


☆この話を思うと、どうしたって♪いずれの道もぉぉぉ〜大いなる人生出助け無用〜のサビが聴きたくなる。

☆歌い終えると拓郎はギターを変えずに手ぶらに。ミュージシャンをひとりひとり呼び入れるが、彼らも楽器にスタンバイせず拓郎の後ろに並ぶ。
ギターをもってない拓郎は両手を持て余すかのようにブランブランしていてプリティですばい。
(MC)今日は特別に楽屋でやっている儀式をお見せしたい。ワンツーロックンロールというのを(拍手)お尻を向けて失礼があっても知りません(笑)
(円陣を組む)。
ワンツーロックンロール!ロックンロール!
(大歓声)
特別だよ(大拍手)。


☆いいねぇ。初めてこのワンツーロックの円陣を観たのは”つま恋2006”のDVDだった。開演直前の瀬尾バンドとかぐや姫との大きな円陣だった。
2016年のDVDの冒頭では、パシフィコ横浜のロビーで♪今日でお別れね〜に続いて観ることができた。まさか生で見られるなんてね。
気持ちが高揚するその勢いのままに「私の足音」。2階席もかなりスタンディング。

M−2 私の足音 
☆この選曲は何度でもいうけれど驚いたし嬉しかったね。今にして思えばさりげないラジオの中でフラグが立っていた。

(第17回 2017.7.23) 
「私の足音…を引っ張り出してみたいと思ってる」 
(第23回 2017.9.3)
「高中正義、加藤和彦、小原礼、高橋幸宏と松任谷正隆。秘密を明かすと、この曲のテンポは最初と最後で違う。ドラムとベースのテンポは最初はスローなんだけど、やがて早くなる。ユキヒロのドラムがいわゆる「走ってる」演奏。」


☆つまりは走り出したくなるような曲なのよ。このラジオを聴いて演奏してほしいなとは思ったがそれっきりだったし、まさかオープニングで登場するとは思わなんだ。Refitされた”一歩ずつまだ見ぬ旅へ”という歌詞。これがラジオを聴いていたものにはまた一段と感慨深いのだ。これからレコーディングされ「私の足音2019」として蘇生するという目の覚めるような朗報。

☆後ろに「私の足音」で狂喜しているカップルがいる。「私の足音」も嬉しいがこの曲を喜んで見るのがまた嬉しい。大宮の隣の歌詞正確朗唱おじさんを思い出す。

☆コンサート後の居酒屋で「おまえの足音」って歌っているのに、なぜタイトルが「私の足音」なのかと聞かれたが、私が知るわけなかろう(爆)。
 但し推測だが、これは映画「旅の重さ」の主題歌として作られた作品だ。映画も原作も、家出して一人ロードを放浪する少女の「ママ、私ね…」「私はね…」という一人称で綴られる。だから主人公=「私」の旅であり、「私」の足音なのだ。その彼女を傍観する第三者のスタンスから彼女に呼びかけているから歌詞は「おまえ」になる・・・・のだと思うよ。

M−3  人間のい
(第87回 2018.12.30)
「今週、いいリクエストがあった、というか思い出させてくれた。「人間のい」。(リスナーナーからのメールで)「この曲でシャウトするパワーがあればですけれど」ってあるけれど、持ち上げたり落としたり(笑)かつてステージで歌ったとき、君たちはハテナという様子だったけど、好きなんだ。僕は好きなんだ。こんなに気が合わないのにこんな番組やってていのか(笑)。そろそろ意図をくんでくれ。」


☆はい。私は嫌いでした。申し訳ない。しかしライブでは、カタマリになって疾走するバンドの威力がここでお披露目されるんだよ。あれぇこのバンド、サウンドすげーよと気分が高まるのがこの2曲目だ。そしてたぶんリスナーの方も唸るようなボーカルを魅せてくれた。

☆ともかく磐石なスタート。但し神田共立講堂はステージが狭そうである。そらそうだ入学式、卒業式、講演会、発表会とかのための仕様であり、こんな大編成のステージを予定していないだろう。しかしサウンドは容赦なくデカイ。狭い部屋で大音量でステレオをかけているようなどーんという器からハミ出すような音圧がある。これはこれでいいもんだ。

(MC)ずっと長くステージをやらせてもらった。ここの会場は2階が目の前。近いね。アマチュア時代の広島の会場みたいな雰囲気、ライブハウスに近い。何が起きてるかはっきりわかる。(物音がして)びっくりした。昔はこういうところでよくやった。月日は流れて若者たちが活躍している。ミュージシャンの世界、スポーツ界、囲碁将棋界、天才的にすばらしい、素敵な若者がいる。心の底からいいなと思う。
 アイススケートの紀平梨花。いろんなところでみているだろうけども、もう好きなんだから(笑)。素晴らしい、もうこの世のものと思えない。スイースイーって植木等じゃないよ。武部がスケートの音楽をやっているというので頼めないか紀平梨花とザギトワが好きなんで、ザギトワは言葉の問題あるけれど、紀平梨花だったらサインを貰えないか。滑っている写真にサインがほしい。そうしたら武部がサインを貰ってくれた。(武部に)拍手はいらないよ。
 漢字で「吉田拓郎様」とサインしてある。16歳だよ。ひらがなかなと思ったら漢字だよ。生きていて良かった。武部にオレのこと知ってたかと聞いたら、全然知らなかったと(笑)


☆ラジオでは、音楽・スポーツ・将棋など若者の活躍を繰り返し語っていた拓郎。極めつけは米津玄師だった。米ちゃんフィーバーがすさまじかったのは記憶に新しい。そんなラジオの語りで一番忘れられない語りがこれだ。

(第84回 2018.12.9)
「 ひとえに若いミュージシャンたちに感謝している。その素晴らしさを肌で感じることができた。そういうことに幸せをつくづく感じた。
 若いミュージシャンのインパクト。先週の米津玄師の存在がインパクトがあった。 音楽への愛情に刺激をくれた。自分の将来〜将来はあると思っている〜そこに明るい光が見えてきた。いい歌の歌詞を書いて、いいメロディを作って、いいアレンジをして、素敵なレコーディング、素敵なステージをしたいと思った。若いミュージシャンのエナジーは刺激的だ。 」


☆若さの美しさに目を細める年寄りはたくさんいるだろうが、自分の生き方の刺激と学びに結び付けるお年寄りは実に希少だと思う。すんばらしいではないか。こんなことも言っている。そのまま話はKinkiの頃にまで遡る。

「 20年くらい前に、僕は若い人達に刺激を受けて勉強した。それからまた20年経ってたくさん反省と勉強をした。ひとつ言える事は、年を重ねると、いろんな新しいことが心にストーンと入ってこなくなってくる。これも老化現象だな。
  みなさんも好き嫌いあるでしょうか。勝手に壁をつくっていないでオープンでいた方がいい。米津玄師、に吉田君にはやられた。ラッキーだったな、スルーせずに入って来たことは。老いと闘うのは大変だ。」


☆私たち老人(爆)は、若者たちとどのように対峙し、どうあるべきなのか。そして老いとどう格闘すべきなのかを、拓郎は教えてくれている。ライブではライトな笑い話にしているが、これこそがMCのコンソメの素なのではないかと思う。

(第85回 2018.12.16)
紀平さんて、すげーな。メチャ感動、あの可愛いザギトワを破った。逆立ちのまま歩いて行けるなんて凄い身体能力だ。

☆(笑)。ミーハーすぎるおじさんという部分も確かにあるが(笑)、こんな感性のままで歳をとりたいものだと思う。

2019. 7. 15

♪ラジオとライブのツイストでナイトB♪

M−4 早送りのビデオ

☆この歌にはボーカルの伸びと艶がアリアリと現れる。ツアーが終わったというのにまた一段といいボーカルになっていやがる。
☆この歌がラジオの冒頭にいきなり流されたのは記憶に新しい。その時この”早送りのビデオ”に続けて拓郎はラジオでこんなふうに語った。
(第93回 2019.2.10) 僕の半生を振り返ってみると、人の100年分を半分の50年で走ってきたような気分だった。せわしなかったな。特に20〜50代の30年間。こんなに突っ走ってゆく大人になるとは少年時代には考えられなかった。小児喘息で学校も行けなかった。つま恋75で朝まで歌ったとき、同級生があの貧弱な吉田が信じられないと驚いていた。

☆誰もが75年のつま恋を成し遂げたのがあの身体の弱かった拓郎くんとは思わなかったというMCとも重なる。でも、拓郎はそれが向上心や個人の努力の成果であるという手柄話に結び付けたりはしない。

 僕の意図とは関係なく、時代とか若者たちの考え方とか、そして置かれた環境や状況が作らせたものだ。吉田拓郎をしてそうさせた。決して自分が突っ走ろうと意図して走ったわけではない。結果的にこういうことになっていた。
 強引に東京から常識を押し付けられるという状況に僕からすると反発したくなる。押し付けに反発し、その結果、ついつい突っ走ってしまう。
 いずれにしても「たかが歌」「たかが音楽」だけれども、僕は負けたくなかったんだ。都会にも大人のつくった線路にも乗りたくはなかった。それが僕を走らせたのだ。とにかく忙しい何十年かだった。


☆生き急がされていた、そんなニュアンスに聞こえる。非情にも「もっともっと早く走れよ」とクレームしていたのがかつての自分だった気もして忸怩たるものがある。

 ここのところ、妻とゆったりと人生を味わいながら一歩ずつ落ち着いて生活ができていて、やっとこういう時が来たかというニュアンスでいる。
 こういう歌が出てきたのは、そういう自分の半生をやっと振り返るようになったからで、とにかくずっと突っ走っていたような気がする。


☆早送りのビデオから、ようやく通常の再生、自分のスピードとテンポを取り戻したのだろうか。ここいらはもう凡人にはその感覚がわからない。ともかく拓郎の述懐をかみしめ、もう一度この渾身のライブのバージョンをあらためて聴きたい。早くライブ盤を出しとくれ。そして聴きながらこの言葉をまた反芻しよう。

M−5  やせっぽちのブルース

(第24回 2017.9.10) 広島から上京して会ったフォークソングの人々の中に、R&Bのわかる人は殆どいなかった。物足りなかった。ビートのない音楽多いなと思っていた。エレックでは理解してもらえなくて、納得できなかった。本当にやりたいことができる様になったのはSONYに移ってから。フォークの人々はこれを通っていない。(野良犬のブルース…歌う)日本には皆無だが、アメリカのフォークロックにはたくさんいる。

☆"ラジオでナイト"で繰り返し語られていたのは”音楽の素晴らしさ”だった。もっといえば自分の音楽的出自である豊かな音楽たちの様相だったように思う。そこにはR&Bがありアメリカンポップスがあり日本の歌謡界がある。
 それなのに、それなのにフォークというレッテルを勝手にデカデカと貼られ、しかもしばらくするとフォークの裏切り者だとまで罵倒される。その孤独はいかばかりか。拓郎は神田にからめてこんなMCをつぶやいた。

(MC)(カッコイイという声に)ずーっと広島時代からカッコ良かったんだよ。ただ実力が伴わないの(笑)。当時は、 誰とはいえないけれどカッコ悪いやつばかりだった。消えろよバカとか言ってしまいたくなる(笑)。ちょうどこの会場でやったコンサートもそうだった。おぞましい楽屋だった。髪の毛がやたら長くてこんな人とか…楽屋にいると光景がフラッシュバックするが、ここにはいい思い出はないな(笑)


☆フォークコンサート時代の神田の楽屋のご苦労が偲ばれる。髪の毛の長いやつ…拓郎はあえて名前は言わなかったが、私の推測では南正人ではないかと思われる(爆)。髪の毛が長くペンチでギターの弦を巻いているのを観て”東京っ怖ぇえ”と拓郎が凍りついたというヒッピー南正人、あとマイクが唾でべとべとだったという三上寛の話も思い出す。そんなフォークの檻のような中に放り込まれた美しきポップスター吉田拓郎。さぞや生き辛かったのだろうとお察しします。

☆そんな切なる闘いに共感し、フォークシンガーなんて思っちゃいないぞ、私はわかっているぞとエールを送りたい気持ちもあるが、反面で私のような超絶ウザいファンこそが拓郎とその周りにとっての迷惑極みであろうこともわかっており、やはり、ひっそりと孤高でゆこうと思い直す。
 とにかくどこまでも拓郎がカッコ良い事それだけがどこまでも大事なのだ。それから50年半世紀近く経って、今73歳になってもこの神田共立講堂でコンサートを打ち、その内外に人々は雪崩を打って押し寄せ溢れかえる。すんばらしい。すんばらしいじゃないか。
☆"やせっぽちのブルース"のエンディングを拓郎がキメル。その途端に隣の席のたぶんそんなに拓郎をご存じないであろう神田書店街関係の招待客と思われる紳士が口走った。「…カッコイイなぁ」。だろ?、だろ?、だろ?、こんな73歳いないでしょ、カッコ良すぎでしょ。もうハグしてしまいたかった(爆)。

2019. 7. 16

♪ラジオとライブのツイストでナイトC♪

(MCつづき)人生は長くやっているといろんな出会いと別れがある。なんでこんな人たちと何か始めてしまったのだろう・・。と、”魔が差したんだよ”と歯医者が一緒なのでIくんとは話している。

☆ラジオで拓郎はさまざな人々との出会いと別れを率直に語ってくれた。ただフォーライフについてはあまりにテーマがデカすぎる。あなたにとって幕末とは明治維新とは何ですか?というようなもので、そんな大きな話わかんねぇよ、としかいえない。でも吹けば飛ぶよな一個人として感じた、あの時のその誇らしさと憧れとやがて見舞われる切なさと哀しさがミンチになったような気持ちはある。それが今は胸にしみる、今は胸に痛い。

(第95回 2019.2.24) 僕も自分はもともとは一匹オオカミだったんじゃないか。僕に限らず、あの頃は音楽やっているヤツはみんな一匹オオカミだった。それを見誤っていた。
 4人でレコード会社を作って、めぐりあわせで社長までやった。1982年頃に辞めるのだが、そこが会社ごっこの限界と終焉の時だった。一匹オオカミが無謀にも徒党を組んでしまって、何をするのか、わからなくなっていたのではないかと思う。僕が社長を辞めた時、既に泉谷はフォーライフを去っていた。それだけでもうこの会社の存在の意味はなかったと思う。会社の設立イベントに参加した自分は、明らかに道を間違えていたのではないか。これはやるべきじゃなかったと退任の時に思った。社長を辞めたと同時に僕もこの会社を去るべきだと思った。

(第66回 2018.8.5) 50歳である決心のもとに行ったハワイだった。後にフォーライフやめたりすることにつながる。〜それまでの友人たちとの関係を断ち切ってしまおう、生まれ変わろう、考えをシンプルにしようと考えた。なので想い出深い。それ以来22年間会っていない友人もたくさんいる。フォーライフという夢のチームとも訣別することになる。


☆清々しいのか哀しいのかよくわからない。しかし、孤影悄然とゆく拓郎の虚空遍歴の後ろ姿に、どこまでもついてゆきたいと思う。私の場合は、訣別というより嫌われてゆえの孤独であるが(笑)・・・ま、それは仕方ない。それでも独り静かに遠くにありながら、拓郎のその背中を見失わないでいたいと思う。

M−6  ともだち

☆もうボーカルが最高の仕上がりである。このまま来週も再来週も聴きたい。そして何度でも言うが、村田のアコーディオンと渡辺格のペダルスチールのよりあいが、この情感をよりいっそうに深めている。例えば井上陽水の「魔が差した」というフォーライフの話に対しても、なぜかあらかじめに時空を超えて作られていたかのようにfitする。

M−7  あなたを送る日

☆間奏で語りかけるように鳥山雄司が弾く咆哮のような美しいギターの音色に、武部聡志がそれを受け取ってキーボードを弾いて引き受ける。この絶妙のパス感覚。2階からだと鍵盤までがよく見える。ああ、ここでは武部と村田の連弾奏だったのだなと気が付く。ダブルキーボードってやっぱりいいなとしみじみ思う。

僕はきっと あの日 心の中を忘れ
過ぎ去った日々を  愛しすぎたようだ
あの頃 上の空の夢が 
今は胸にしみる 今は胸が痛い


☆私にとって陣山さんはいつも飄々とした笑いとイジられキャラとそしてオイルズの優しい声のコーラスの中にいらした。例えば、”ラジオでナイト”ではないが、昔のラジオを録音したテープが手元にある。
(1982年3月 山本コータローのライオンフォークビレッジ最終週より)
拓郎「陣山君ているじゃない」
かまやつ「ああ、あの脂ぎってる人ね(笑)」
拓郎「僕が(バイタリスフォークビレッジジの)パーソナリティの時にゲストで出たことあったもん」
高節「ええー?」かまやつ「(音楽)やってたの?あの人」
拓郎「当時『日本語の歌を歌う会』というのがあって、女子大生を何人かひきつれて『代表の陣山です』って、ゲストに来たんだよ」
かまやつ・高節・コータロー「へぇー」
拓郎「で陣山俊一は音楽の話をしようとして来たんだけど、ノッケから僕に『ヤってますか?』と尋ねられてガッカリして帰ったらしい(笑)」
拓郎「でも気がついたら事務所にいるじゃない、あれぇ?みたいな感じ」
高節「やっぱりその頃から縁があったんですねぇ」


この話、結構好き。そして拓郎にこれほどまでの歌を作らせ、しかも10年後の今年には追加のRefitの歌詞まで作らせる。そんな陣山俊一とはどういう人だったのだろうか。ラジオではすき焼きのオイルが大好きだったと話してくれたが、もっと深奥な彼の魅力とは。拓郎が”上の空だった夢”とはなんだったのか。いつか機会があったら陣山さんのことを拓郎の口から語ってほしい。それは無粋なことかな。

2019. 7. 17

♪ラジオとライブのツイストでナイトD♪

M−8 I’m In Love

☆今回のボーカルは特に聴かせてくれる。文字どおり全て身を委ねて聴いていられる。それを静かに、静かに壊れ物を真綿にくるむような村石雅行のドラム、ああこの光景も見納めかよ。
 二番で歌が途切れる。照れ笑いでバンドを振り向いて笑う。頭を下げる拓郎。二番以降はコーラスに一部任せながら歌う。歌詞を忘れたのか、、あるいは感極まってしまったのをおどけてカムフラージュしていたのか。根拠はないが後者に一票。相変わらずアウトロのピアノが美しすぎる。

☆2年間の”ラジオでナイト”は音楽の素晴らしさを伝えるストーリーであるとともに、吉田拓郎の“きみに読む物語”だったのだと思う。番組で繰り返される仲睦ましいご夫婦の日常談義に対して、昔の暴れん坊将軍の吉田拓郎の残像が脳裏に焼きついている私には正直なんだかなーと戸惑うこともあった。しかし、やがて同じラジオの中で明らかにされてゆく吉田拓郎の20年余りの物語が見えてくるといろんなものの見方が根底から変わってくる。

(第73回 2018.9.23)(From Tの)ライナーノーツにも少し書いたけど肺がんの手術とそれ以外にも二つ大きな大病している。こういう話はあまりしたくないけど。そんなときに、笑顔で支えてくれたことに対し奥さんに人間として感謝している。

☆「大病」の意味がこの時はまだよくわからなかった。そして忘れようとて忘れられない衝撃の2019年3月24日第99回。ここであの時の詳しい顛末をまた繰り返すまい。
(第99回 2019.3.24)その苦闘は言葉では言えない。非常に苦しい。食べ物は喉をとおらないし、喉が非常に痛いし、声も出ない。半年くらい苦痛が続いた。もう歌えないと何度も思った。カミさんが黙々とそういう日常を静かに支えてくれた。必ず完治するから、一日一日一歩一歩だから大丈夫だから・・・

☆ラジオで語られたのは、拓郎が助けられた話だけではない。
(第30回 2017.10.29) 7年間、逗子で暮らしてきたが「君たちに逗子の暮らしはあっていないんじゃないか」と言われた。家も建てて、そこで終生暮らすつもりだった。そうすれば妻は良くなるだろうかと先生に問うと「賭けだけど僕は治ると信じてる」と言われた。
 厳しい決断だった。妻と妻の母に話して、もう一度東京に戻った。すると妻の病気が快方に向った。

☆この話も忘れられない。何の保証もないのに、妻のために終の棲家を投げだす男がこの世にどれほどいようか。あらためて吉田拓郎という人間に感服してしまう。私なんぞは爪の垢でも煎じて飲まなきゃという殊勝な気持ちにさせられた。

☆そんなこんなでかつて軟弱・不謹慎の極みとして大嫌いだったこの曲がコペルニクス的転回を遂げる。当時の私の視野が大いに狭かったこともあるが、歳月がこの作品をひとつの物語として成長させたこともあるのではないか。
 もう歌えないとまで思ったというボーカルがここまで蘇生し、その出色のボーカルで歌いかける究極のラブソングだったのだ。まさに私なんぞが立ち入る隙もない”きみに読む物語”である。

☆んでもってその感動のまま“流星”に突入する。

M−9 流星

☆ちょうど生誕40周年の名曲。
(第44回 2018.2.18) これが我ながら哲学的で難しい。ある日、原宿の街でふと女子高校生の一団がキャーキャー言いながら歩いているのとすれ違った。その時に33、4歳だったと思うが。終わり行く青春を思った。若い女子高生に対する憧れ、若さに対する思いのようなもの。老成していたんだな。青春は終わりだと思った。思えば思うほど、失われてゆく青春、原宿での自分の青春が消えていこうとしている。それがツライ寂しい。そう感じさせる女子高生の姿だった。
 そして、僕だけではなく、僕と同年代の原宿のかつての若者たちはどうなの?という気持ちになった。君たちはどうなの?描いていた夢を掴んだの?フォークファンと言われる連中も含めて、みんな本当に欲しかったものを掴めたのか? 家へ飛んでかえってこの気持ちを詩に書き留めた。君の欲しいものは何ですか、僕の欲しかったものは何ですか。これは、原宿の女子高生をきっかけに老けてゆく自分を感じて書いた。


☆流星の誕生ストーリー。「僕と同年代の原宿のかつての若者たちはどうなの?描いていた夢を掴んだの?」「みんな本当に欲しかったものを掴めたのか?」と同時代に問いかける吉田拓郎。

(第44回 2018.2.18) 2016年のコンサートでは、歌ってて泣きましたね。この時は、客席に向かって歌ったんだよ。客席に向かって、君たちの欲しかったものは手に入ったかと問いかけながら歌おうと思っていた。そうしたら、思いがつのってしまって、気持ちが入ってしまった。

☆拓郎は今回は泣かなかった。むしろ感傷に沈むことのないチカラ強い流星だった。オリジナルのピアノやギターのフレーズに頼らず、ズンズンと邁進してゆくようなビートに、たったひとりのハーモニカで間奏を制圧してくれた。40周年にもかかわらず過去に頼らず一歩前への前進感が半端ない。そのハーモニカを床に捨てるところまでもがたまらなくカッコイイ。

☆40年前の高校生というとまさに私はドンピシャである。女子高生ではないが。まさに同級生たちの年齢だ。例えば、亡くなってしまった至高の拓バカK君、一日に流星を何十回も聴いていたというM君。みな同級だ。そんなM君とは神田共立のトイレで並んでいたところで会った。お互いトイレが近い、そんな歳になったみたいだ(爆)。
 この拓郎のラジオでの言葉を聴いて、その時の高校生も皆還暦になろうとしている現実を思う。私は私であの時の高校生だった人々に同じように君が欲しかったものは手に入ったかい?と問いかけてみたくなる。大きなお世話だが。
 40年後も吉田拓郎の本人歌唱が聴ける。僕の欲しかったものはただそれだけだ。いや、それだけじゃないが(爆)、この歌を聴いているときはそれだけでいいと心の底から思った。
 隣席のやはり40年前の女子高生は、敬虔にも2階席でひとりスタンディングして泣きながら聴いておられた。この方、今日はそんなに酔っ払いではないはずだ。そんなおごそかな深奥がこの歌にはあった。

☆ずっとお世話になっている拓郎ファンの方から神田で流星バームクーヘンをいただきました。中身の形が流星で思わず”何ですかぁ”と声が出た。あんまり驚いたので写真を忘れてしまった。ありがとうございます。美味しゅうございました。Tシャツも着ていただき深謝申し上げます。
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2019. 7. 18

♪ラジオとライブのツイストでナイトE♪


(MC)ラジオでナイトという番組を2年間やったけれど僕なりに面白かった。最初は打ち解けなかったけれどだんだん昔の深夜放送のようになった。坂崎がいなくて本当に良かった。ごめんよ。聴いているかな。刺激的な文句のメールも来たけれど、そのなかで、この曲をやってくださいというメールが来た。あ、これはできるかもと思った。知らないと思うけれど、胸に手をあててすなおになってみよう。昔“すなおになれば”という歌を歌っていたけれど。
 2曲目は、ずっと歌っていなかったが、いつかキッチリ歌ってみたいと思っていた。でも歌が難しい。自分で作っといてなんだが、歌いにくい。広島に居たころに作った曲。わおという感じの良い曲。良い曲だなと思ったら胸に手をあてて(笑)。


M-10 そうしなさい
☆第91回 2019.1.27のラジオで、「こんばんわ」の挨拶も無く突然、♪もぬけのからでもいいじゃない と始まったときにはゾクっときたものだ。もとになった若者のメールはこの放送の時だった。
(第91回 2019.1.27) <24歳です。リスナーにはことごとく反対しておいて奥さんには素直に従う拓郎さん〜「そうしなさい」をリクエストしたいです、"新しいことを始めよう"というフレーズに勇気つけられるという投書>
 「奥さんには素直に従う」って、こんな若造に言われたくない。でも、この曲は考えていなかった、いいじゃないか。24歳に教えられた。アレンジしていいかもしれない、リストにいれよう。


☆ファンにはダメだしするのに奥さんには従順従う拓郎さんという24歳の若者のナイスなツッコミに快哉を叫んだ。すばらしい拍手(笑)。
☆アローンツアーで演奏され弾き語り曲のイメージが強かった本作が、見事に荘厳なまでのバンドサウンドとして転生する。ぐいぐいと進むチカラ強い作品として再会することができた。24歳の青年に感謝したい。

☆さて続くは「恋の歌」だ。

M-11 恋の歌 吉田拓郎

☆ラジオではこんなことを言っていた。
(第59回 2018.6.3)「恋の歌」。思い出深い、青春だなぁという感じが ふぁーっとくる作品。 広島の頃、バンドをやってたりした頃、河合楽器でギター教室をしていた。
 いっぱい生徒が来ていたんだよ。ギター教室は、女子高生、女子大生と女の子いっぱいで。人気があったのかな。ギター教室、バンドでは人気あったけど、大学とかではモテないんだよね。唄ったりギターを弾いていると相手にされる。吉田拓郎は、歌っていないと相手にされないということがわかった。
 広島でも有名な美少女がいた。目抜き通りを歩いているとみんなが見とれるような美少女。清水美恵子さん(笑)。ボーッとみとれてしまう。ああ、あの娘の彼氏だったらなぁ…その妄想から生まれてきた詞。♪熱い暑い涙が、君のほほを濡らして僕の唇にひとしずく落ちてきた…かわいい詞じゃないか。かぁちゃ〜ん、かわいいよぉぉぉ(笑)。こういう世界が好きなんだ。詩だけ書いてあって、東京でメロディーをつけて・・・・


☆拓郎が実名を明かしてまで力説するラブソング、さんざん名曲だと自讃するにもかかわらず、何度も言うが会場のノリが悪い。レゲエ調もいいじゃないか。2階もほぼ孤独なスタンディングで寂しかった。
 しかし、1975年つま恋の最終ステージの最後のフィナーレの伝説「人間なんて」。そのひとつ前の曲は、「落陽」ではなくこの「恋の歌」だったのよ。つまりはこの「恋の歌」から「人間なんて」になだれうっていったという重要な役割だったこの曲ことを忘れてはならない。
☆それに「目抜通り歩いているとみんなが見とれるような美少女。清水美恵子さん」=「それは町中が振り返るほど性格のいい女の人だった」=「S」=「清水さん」ということで“S”(アルバム『王様達のハイキング』)のモデルなんでねぇの?

(MC)広島にいた時、音楽をやりたくて東京に行きたいと母に打ち明けて、一晩二晩母と話たことがあった。母親はすっ飛んだ人で、深夜にすーっと人の部屋に入ってきて一服ある?とタバコを吸っていた。また夜中に入ってきてお酒ないの?といってきたりした。
 高齢出産だったし栄養失調の時代だったけれど母は周囲の反対を押して僕を産んでくれた。だから僕も小さい頃から身体もとても弱かった。
でも母は「やっておいでよ」と僕に音楽をやらせようとしてくれた。先見の明があったということではなく、この子は早く死んでしまうかもしれない。だから好きなことをやらせておこうと思ったのではないか。
 「ダメだったらいつでも帰ってきなさい。」ウチは裏千家のお茶の先生をやっていたので僕も大天国という位をもっている。鳥山の奥さんあゆみちゃんならわかるかな(笑)。なに気軽に話してんだよ、こんなのはじめてだな(コケている鳥山)。
そうしたら「吉田宗拓」として生きていたかもしれない。
そんな人が朝までコンサートをやったり前代未聞のことをやったりして、あの吉田拓郎ではないと皆故郷の人は思っていた。アレは別の北海道あたりの人ではないかと思っていた。
 1975年ころ、同級生もアレはアンタじゃないよなといっていた。それを2度か3度かやったから身体に良くないよ(笑)。昨今はすっかり弱くなって日帰りならやるということになった。


☆女性に対する感謝のもうひとつの物語である御母堂の話。ツアーの最初には恩着せがましいとか偽悪ぶっていたが、ツアーパンフには“母は偉大だった”という素敵な一文が載せられていた。ラジオでもサラリとだが心こもる言葉で語っていた。
(第91回 2019.1.27)母親の頑張りで、貧しかったけれど、それなりに幸せな日々だった。そこから音楽を目指して東京のサクセスを求めて上京した。
 こんなに東京にずっといるとも思わなかった。おふくろが元気な頃は、時々手紙を書いた。東京でどうもダメみたいだから広島に帰るかも、あなたと言う通り、お茶の先生になるよと書いたりしていた。よくここまで50年間生きてきたものだ。

 
M-12 アゲイン 吉田拓郎

(第58回 2018.5.27) アルバム「AGAIN」をレコーディングしていた時、その最中に♪若かったころのことをきかせて…ふと浮かんで、武部、鳥山に即興で演奏してもらって「イイ感じですね」と言われて、このまま録音しちゃおうかということで未完のままで入れた
 2016年のステージでは完成形を演奏した。当時、古館伊知郎から、この曲で涙が止まりませんでしたと言われた。
 「アゲイン」が次のライブでの危ない曲になりそうな気がする。歌詞がまずい。「僕等は今も自由のままか」のところ。70年代みんな男も女も自由を求めていた。そうして心の旅をしていた。いろんな体験をしたけれど、今だって自由のままだよねという思いを共有したい。きっとまたつのってしまう。


☆なので今回は特別の万感の思いに浸らぬように、ラストとか序盤とか特別なロケーションではなく、特急の通過駅みたいな位置づけで歌ったのか。しかし、極上のボーカルで聴くとやっぱりたまらねぇな。

☆最近の曲を知らない=アルバムを持ってない、繰り返し拓郎は言葉のツブテを投げていた。これは、茶道でいえば新曲・新作の打ち水を通過して来いという吉田宗拓の打ち水というヤツであろう。
 http://tylife.jp/sideways.html#UCHIMIZU

☆ドイツに帰ったNinjin design officeの雨畑からメールが来た。浜松のキーホルダーのピンクが既にハゲ始めていて異国の地でとても悲しい思いをしているそうだ。私に言われても困るが、確かに早すぎ。みなさんのものはどうだろうか。もしかして観賞用で実用ではないのだろうか(爆)。グッズは、今年の素晴らしい「吉田拓郎」を象徴するものだし、ファンがそこに愛と誇らしさをこめて購入するものなのだ。”拓郎が可哀そう”というメールの言葉が今は胸に痛い。

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2019. 7. 19

♪ラジオとライブのツイストでナイトF♪

M-13 運命のツイスト

☆ライブで聴く新曲。それもアップテンポの痛快な新曲。なんかトテモ久しゅうございます。もちろん新曲なので詞もよく聴き取れないけれどノリノリ必定だ。
☆ラジオでもかねてからこれから作る新曲の意気込みを語っていた。
(第72回 2018.9.16)最近は、明らかにこういう歌い方(人生を語らず)をする歌を作っていない。次のアルバムの一発撮りでは、こういうロック色入れたい。是非期待していただきたい。
(第73回 2018.9.23)やっぱり、曲を作り続けたい。新曲を出したいしレコーディングしたい。それも前から言っているとおり一発撮りでやりたい。先週も言ったが、もっとシャウトするロック色強い曲を作ってトライしてみたい。
(”ブラウンシュガー” ローリング・ストーンズを聴いて)ブラウン・シュガーを聴きながら、「よーし。オレもこういう曲つくるぞ」という気になる。ストーンズは偉大だ。


☆このあたりの意気込みと気骨が生んだ一曲が「運命のツイスト」だろうか。もっともっとシャウトする新曲たちも楽しみだ。

☆で、間奏で拓郎が踊るツイストがまた魅力の周辺である。宇都宮・浜松あたりの踊り方が凄かった。察するに都市部だとキャパが多くまた関係者もたくさん来るため、恥ずかしかったのだと思う。自然と知人のあまり来ないところでブイブイ踊ったのだろう。
☆40年前の7月2日の武道館で「ずっと歌うって決心が今はっきりついたな」と宣言した約束が、こうして守られていることの凄さをこの日記でも何度か語った。
 ところでこの武道館でもうひとつ拓郎が誓っていたことがある。「60歳になっても70歳になっても酒飲んでディスコへ行こう!!」というものだった。当時はギャグだと思って真剣に聴いてなかったが、このライブでツイストをブイブイ踊る吉田拓郎を観ながら・・・コレだ!と思った。73歳だぜ。こんな誓いもキチンと実行されていることに感動を覚える。感動の意味がワカンナイと言われるかもしれないが、うるさいっ!感動できなきゃ人間ヤメなんだよ!

☆さてここで空気が一変して神田共立スペシャルモードに突入してゆく。

(MC)僕が最初の頃ラジオでバイタリスフォークビレッジというのをやっていた。夜11時だったかな、前任者が佐良直美さんで、引継ぎの時にギョーザ食べてきて、それ以来あまり好きではない(笑)。当時は今のように卓越した話術も無かったが、それからラジオとのつきあいは長かった。文化放送、TBS、ラジオ関東とラジオとのつきあいは長かった。お礼にバイタリスフォークビレッジのテーマを演奏したい。この公開放送とかで全国にいって、北海道で楽屋に白いミニスカートでやってきたのが・・・・あの・・・こわいおばさん(笑)。わかるでしょ、こわいおばさんて二人しかいないから(笑)。永遠の・・・の方の人。
 ずっとツアーのリハのときに練習してきたんだよ。笑いながら。


☆フォークビレッジのテーマと来たか。女神・歌姫とまで言われているお二人を、こわいおばんさ二人って・・・やめろよ。あなただけが許されることなのね。
☆フォークビレッジについてはラジオでこんなことも語っていた。
(第12回 2017.6.18)「バイタリスフォークビレッジ」というラジオ番組があった。 初代パーソナリティがジミー時田&榊原るみ 次が広川あけみさん、…広島時代聴いていた。そして佐良直美・・・その次が吉田拓郎。 佐賀直美最終回の翌日から吉田拓郎がスタート。
 いろんなエピソードがあった。島田さんというディレクターが、ユニークな方だったが、よみうりホールや共立講堂のコンサートでマークUを歌っている姿を観ていた。その島田さんのインタビューがあった。
「次は拓郎だと思った、しかし当時まだ売れていなかったのでニッポン放送の営業と編成から『もっと名前のあるやつないのか』と言われた。営業マンが頑張って電通とスポンサーを説得してくれて決まった。気取らない素直ないいヤツだった。番組が始まってまってすぐに売れた。みんなホクホクだった。」

☆神田共立で歌っている吉田拓郎を観た島田氏が電通とスポンサーを説得して「バイタリスフォークビレッジ」に大抜擢してくれたことが、今日までのラジオロードの嚆矢だったのだ。感謝永遠に。
☆テーマ曲については・・・
当時は石川鷹彦が音楽のサポート、岡本おさみが詞の相談にのっていた。 テーマ曲は、亡くなってしまった木田高介とリトルモアヘック。BSPみたいな感じのグループで、アルバム「人間なんて」のブラスロック部分を担当してくれている。 木田高介、石川鷹彦、瀬尾一三は、音楽界に欠かせない三人だ。 このテーマ曲もニッポン放送の一スタで録音した。エレキは吉田拓郎だった。
M-14 フォークビレッジのテーマ
☆“フォービレッジのテーマ”。というより“OLDIES”から“僕らの旅”を差し引いたものというべきアレンジか。それにしてもこのスペシャル感が嬉しい。心根がセコイので、なんすげぇ得した嬉しさがある。あんまり出来が良いので、セットリストの他のアウトテイクも聞きたくなってしまうが、それは我慢か。

(MC)終わったら、バンド全員でレコーディングをしたい。そこでありアイドルに書いた曲も三曲ほどレコーディングしたい。
 昔会社を支えるために「ぷらいべえと」というアルバムを作った。ゼロの制作費で。風邪ひいて鼻声で、それが凄い売れてしまったということがあった。
バンドとはすげー仲良くなれて。みんなで一緒に寝たい(爆笑)。松原秀樹と村石雅行は一緒に暮らしたい。吉岡に惚れられていて、いつもいろいろ持ってきてくれる。コーラスではなくボーカルチームと一緒にアイドルの曲をレコーディングしたい。


☆私も一緒に暮らしたい。そして出た「やさしい悪魔」。本人作詞ではないが、そんなことは気にしない。

M-15 やさしい悪魔

☆キャンディーズ”やさしい悪魔”はラジオでも熱かった。

(第51回 2018.4.8) キャンディーズ「やさしい悪魔」。いろいろレコーディングでは楽しかった、もうかかりきりでやった。ひとえに、あの三人が可愛かったというのもあるが、楽曲の思い入れも強かった。
 大好きな馬飼野康二のアレンジ。出来上がったあとで、オケにもうひとつ何か足りないと思った。そこでハモンドオルガンのB3を使いたいと思い、亡くなってしまった羽田健太郎=ハネケンに直々に頼んで、ブルージーでソウルフルなオルガンを頼んだ。コード進行Eマイナー、Gマイナーで、リズムが続く中でオルガンのアドリブをかましてくれないか。ブルージーなヤツを頼んだ。これがバッチリ。
 キャンディーズのいろんな楽曲を聴いたが「やさしい悪魔」が一番イイ。自画自賛((笑))ボーカル入れは、夜中になった。ギター弾きながら、ひとりひとりにハーモニーを歌って教えてあげて、この通りに唄うといいと指導した。「拓郎さんのデモテープは難しい」と彼女たちは言っていた。アイドルだし音楽的に高いレベルのものはなかったろうけど、デモテープはよく聞いていた。そこに手取り足取り。そりゃあ楽しいに決まっているけど、やる気があったなぁと思う。とにかく三人が一生懸命で、雰囲気がなんとも楽しかった。後日、振付を最初に見せてくれた。ヒットしてくれたらいいなと思った。大変で時間はかかったけれど、
 ♪やさしい悪魔 んんんんん〜に自分の声が入っている。そしてオープニングに悪魔の足音をイメージして、革靴で音のステップを入れている。 実に前向きで楽しかった。三人の存在が大きかった。
(第3回 2017.4.16)やさしい悪魔のレコーディングの時の靴の音。誰かのブーツを叩いて音を出した。キャンディーズがこの曲の出来立ての振付を現場で自分にだけみせてくれた。嬉しかった。感動した。


☆いろいろ語ってくれているが、私が最もラジオで感動したのは、拓郎が切った啖呵の一言だ。
(第92回 2019.2.3)
やさしい悪魔・・・あんないいメロディを日本人が作れるかっ!
☆6月に行った伊藤蘭のソロライブのキャンディーズ作品に拓郎の曲が無くて超絶寂しかったが,神田で全て吹き飛んだ。既に日本人のセンスなぞ卓越した拓郎であり私たちファンだ。どけ,どけ,どけ、本人歌唱のお通りだい。ボーカルチームもいいが、できればもっともっと本人歌唱部分をエキスパンドしてちょ。

(MC)一回限りだから緊張したね。振り付けの先生とか呼んできて大変だったんだ。北は大宮、南は横浜のコンサートを続けてきたが、今回北は宇都宮まで行った。車で2時間大変だった。ギョーザには目もくれず、でもいいコンサートだった。南はとりあず浜松まで。10年ぶりに新幹線に乗った。
 そして名古屋まで(拍手)。名古屋は二日も泊まった。ホテルから一歩も出なかった。名古屋の公演も素晴らしかった。
MC公演後の夕食のイタリアンがこれまたうまいのなんの。こんな美味いもの食べられて幸せそのものだった。放っておくと仙台くらい行こうかなとか、大阪とか広島、九州とかに行こうという感じで(拍手)。そういうのはいかん。「拓ちゃん帰ってきなさい」と、このへんで(右上を指す)母が言ってる。
 そろそろライブはしまわなきゃいけないというところに来ている。新曲を書いてアルバムを作りたい。どんな活動かはまだ話していないが音楽はずっと続けたい。


☆"ライブをしまう"、"音楽ずっと続ける"・・・切なさと安心と希望が入り混じる。大阪には借りがあるとはツアー中も口にしていた。当たり前だが、好きで日帰りしているわけではなく、行けるものなら全国行きたいのだろう。さすがにもっと遠出してくれなどとはいえない。私たちは音楽を続けるという言葉を彼方の灯にゆくしかない。

(第20回 2017.8.13)沖縄と大阪には借りがある。大阪はかつて当日中止にしてしまった。そういう弱いオトコなんだから。本当に、沖縄と大阪には悪いと思っている。そういう小心者の男なんだから。
(第87回 2018.12.30)リーランド・スクラーとはよく話した。リーから「拓郎 音楽は心と肉体を自由にしてくれる。いつまでも音楽の傍にいようぜ。」 という素敵な言葉を貰った。素敵なヤツらとセッションできて幸せだった。


M-16 純 
☆神田スペシャルでカットされるかと思ったがされなかった。良かった。
(第64回 2018.7.22)意外とこの曲を知らない人も多いか。ウチの奥さんもこの間家で聴いていたら「あら、知らなかった」と言っていた。これはテレビの主題歌にもなったんだ。レゲエ・スカで身体が自然に動いてくる。 我ながら歌詞がいい。この詞はいいよ。 
☆いいよ、いいよ、いい詞だよ。扇情的なリズムとメロディもいい。よくぞこの曲を引っ張り出してくれたものだ。いい加減、私のスタンディングに後ろの席がウンザリしている空気が伝わる。すまん。しかし、こちとらも必死なのだ。
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2019. 7. 20

♪ラジオとライブのツイストでナイトG♪

M-17メンバー紹介〜王様達のハイキング
(第94回 2019.2.17)♪王様達のハイキング。覚えているな、ずっと歌っていないのに。いいじゃないか。 人生は時に踏み外すのも許される。遊んでみないとわからないことが転がっているんだ。固い事言って正義の味方みたいなことだけでなくて遊んでみないとわからないことがあるんだ。
 ♪ Woh、Wohこの 半音進行、レゲエ…実は大好きなんだけど、母親がある日「拓郎あたしは、あなたが東京に行って自由な音楽活動をすることはいいけど、王様達のハイキングは、高い下駄を履いているんではないか」というようなことをまさに言われた。自分を見誤っているといわれた。わかったよ、歌わんよという約束をした。ところが今回ツアーで・・・言わない。
(第98回 2019.3.17) 今回は驚きのメンバー紹介。武部からの提案。「え、この曲でかよ」。言うのやめよう。素晴らしい武部のアイデアだ。

☆メンバー紹介の盛り上がりから、このスリリングな寸止め。直前からいたずら小僧のようにニヤニヤしている拓郎。気をもたせ客席を煽るように、ぐるぐると回るステップ。そして歌い出した瞬間のブラックアウト。途端にああーと天を仰ぐ人々をたくさん観てきた。お母様、こういうのはどうなんでしょうか?
…ともかくこれも見納めと思うと何もかもいとおしい。

M-18 ガンバラナイけどいいでしょう

☆ラジオでもこの大切な曲の登板は予告されていた。
(第91回 2019.1.27)<ガンバラナイけどいいでしょうが嫌い、旦那は気に入っているが何を軟弱なことを、拓郎さんは永遠の嘘をついてくれという投書>
 軟弱じゃないよ。そうじゃないんだってば。これは一生懸命に日常を生きている人への愛情あふれるラブソング。これは歌います。どんどんバレてゆく(笑)。オールディーズとこれは入ったな。泣かずにいられないアレンジにするから。

☆うん。うん素晴らしいアレンジと演奏でした。静かで美しい導入のなかを漂いながら、心にぐいぐいと入ってきて、最後は煽情的なまでに高まってスタンディングしてしまう。
“あきらめという鎖を身をよじってゆく”という”怖いおばさん”の歌をどうしても思い出してしまう。

☆ラジオでのこの曲の解説もとても心にしみて忘れられない。
(第30回 2017.10.29) かつて体調を崩していた気があった。どうしても物事を前向きに考えられない。理由もなく前向きになれないそんな状態が続いていた。
かかりつけの医師に「どうしたらいいんだろう」と憂鬱な状態を訴えた。
 医師が「無理してがんばっていないか、尻に鞭を打ってないか」と聞かれた。その頃は何かしなくてはいけないと思って、スポーツ観戦とか魚釣りしてみようか考えていた。「だめだよ。魚釣り好きでもないのなら。興味のないことを無理にしようとしちゃダメ。 それだと、今の病もひどくなる」というアドバイスが今でも忘れられない。
 目からウロコだった。自分の得意なこととは家でゴロゴロすること。何かしないことを悪いことと思わない、それが自然なんだと思うことにした。
 そこから元気になった。無理に挑戦して無理に成し遂げようとは思わなくなった。
 その医師は亡くなって息子さんに診てもらっているが、名医だった。奥さんも心ふさいだ病に苦しんだ時、このお医者さんから東京へ引っ越したらどうだいとアドバイスがあった。
 7年間、逗子で暮らしてきたが「君たちに逗子の暮らしはあっていないんじゃないか」と言われた。家も建てて、そこで終生暮らすつもりだった。そうすれば妻は良くなるだろうかと先生に問うと「賭けだけど僕は治ると信じてる」と言われた。
 厳しい決断だった。妻と妻の母に話して、もう一度東京に戻った。すると妻の病気が快方に向った。
 心を病むときがある。人間は頑張れないときがある。そういうことは許されるんだという気持ちを歌にしてみた。

☆ さらにサウンドのドラムについても語ってくれていた。この曲に限らずすんばらしいセラムだったよ。
いろんなドラマーと付き合っているが、スケジュールの都合で最近は会わない村石雅行が好きだ。ドラミングでリズムを刻むのではなく、ソロみたいな感じでやってくれと注文した。自由でフリーなドラムでやっている。大好きな曲で今も夜寝る前に聴いている。自分への応援歌だと思っている。

(MC)”落陽”とか”春だったね”(サワリだけ)、こういうのを演奏していたけれど、ふと思って、こういう予定調和はやらないと決めた。それで大丈夫かな?これでも結構心配した。どうしようと悩んだけれど、でもリハーサルをおこなったら 何でもなくなってきた。
 僕の視野は狭いけれど、もちろん広い視野の作詞家もいるけれど、僕だけの視野で見る詞は、余計な肉がなくなって自分がデビューしたときのような気持ちになった。
ずいぶん時間が経ったけれど”春だったね”とか、それはそれとしてこういうのも悪くないと思ったけれど。”かあちゃん、よくやったよ”もうエンディングが近い始まれば終わる、また終われば始まるものもあるし、きれいなエンディングにしたいと思う。


☆「落陽」「春だったね」問題は、ラジオでリスナーも賛否がわかれたし、何より拓郎自身が逡巡しているのがよくわかった。

(第90回 2019.1.20) 熟慮に熟慮を重ねていて、48曲くらいあって全部歌うのは大変だから、絞るのが大変。今歌いたくない歌は避けようと思っている。そうすると「落陽」「春だったね」「人生を語らず」をどうするかということにもなる。
(第87回 2018.12.30)イーグルスを聴きに行って「ホテルカリフォルニア」がないと不満だし、ディランでも「ライクアローリングストーン」は聴きたい。「風に吹かれて」はなくてもいいけどさ。それと同じように「今日までそして明日から」はなくても「落陽」は聴きたいというのがあるかもしれない。
 これからミュージシャンと話し合うし、演奏の出来というものもある。確かに、みんないつも同じお客さんであるわけないし、浜松とかにも行くし、そういう意味では「落陽」は候補として浮かび上がってくる(笑)。コロコロ変わるので信用しないで。
(第94回 2019.2.17)セットリストを作っていると、作詞も全部吉田拓郎が揃ってきたな。落陽、春だったねをやらないと自分の詞でいけるなと思えてきた。落陽とかがないのは心苦しいけれど自分で作った言葉とメロディで押し切るかなと思う。有終の美かな。


☆普通の人はここまで悩んだら”落陽””春だったね”は特別に演奏するという穏便な調和的解決を図る。そういう折り合いをつけるということが社会の常だ。
しかし、吉田拓郎は違った。”落陽””春だったね”を歌わないばかりか、岡本おさみも松本隆も安井かずみも康珍化も石原信一もセットリストから放擲した。自分の作詞だけにしてきおった。すげえ。この選曲を観た瞬間に思った。
       “吉田拓郎は勇敢で俺は臆病者だ”
 それはライブが終わっても変わらない。心の底から感服した。岡本も松本も安井もなくしても世界は十分に神々しい。

☆そして本編ラスト一群になだれこんでゆく。
M-19 この指とまれ 

(第69回 8.26)この詞は、自分のいた世界とかそういうものに別れを告げたくなっている。さよなら70年代ということで、訣別する用意ができてきた時の詞だ。この曲が、やがてその後のハワイの50歳誕生日に、ぐすぐすした友人関係やフォーライフのしがらみとの訣別を予感させている。35歳にして、さよならという感じ。ぐすぐずした70年代やフォーライフも重すぎる。そういう人たちと話をするのが面倒くさくなっている。そういう将来を見据えた歌だった。
(第95回 2019.2.24)「この指とまれ」というのは、会社を作って徒党を組んでいた自分の自己否定だと思う。その後、50歳から今日までフォーライフ設立の時のみなさんとは陽水以外は会っていない。いろいろ事情もあったし、食い違いも感じたし、言葉が先行しているつきあい、変な友情でずるずると続けているのが嫌だった。音楽やるに本音で嘘をつきたくなかった。自分は、一匹オオカミだったじゃないかと決意した。
 人生に失敗はつきもの。若かったということだ。僕の性格中に欠点があるとすると、僕はキビシイ観察眼が欠如している、いわゆるお人よしである。そのことが時として災いしていることが何度かあった。
 魔が差したと陽水が言ったがそのとおり。一匹オオカミが徒党を組んだりしたらダメだ。そういう自己批判も含めた歌


☆これは谷村新司のことを歌った歌ではないとラジオで怒られたが、いずれにしてもこの歌は出自を遠く離れて痛快に燃える傑作として生き続けている。
 拓郎は、「自分だけの狭い視野」というが、視野の広狭は問題ではなく、何かを直感的に見通す”眼力”だと思う。確かに広い視野の作詞家たちはたくさんいらっしゃる。でも、たとえば世界平和とか地球のこととかトテモ広い視野のことを歌ってる歌の99%は、薄っぺらツマラナイ詞にすぎない(※星紀行の個人的感想です)。
 たとえ谷村新司のハンド・イン・ハンドが気に入らないという狭い視野で作られた歌であっても(だからまた怒られるぞ)、その時の拓郎の眼力は、本人は意識せずとも、人間とか社会とかの根っこに巣食う欺瞞のようなものの深奥をしっかりととらえていたのである。それは吉田拓郎の無意識の天才的眼力である。考えたり、こしらえたりするのではなく天性の直感で何かを掴んでしまうのだろう。
 だから、吉田拓郎の歌は、後の時代になっても輝きを失わない、というより時間が経つほどに輝き始めるのである。
 リスナーの作詞の募集で拓郎は「できるだけ身近な小さなことをテーマにしろ」と語っていたのもそれと近いものがあるのかもしれない。神は日常の細部に宿るものなのだ。

M-20 俺を許してくれ

☆ラストは2階もほぼ総立ちで、とたんに視野が狭くなって人の波に拓郎が見え隠れする。小さな神田共立の満杯感が半端ない。
 何度も書いたが、原曲の打ち込みがもつ無機質な感じが、ライブでは命脈が生き生きと打ちはじめるような感じがする。ぐいぐいとライブを引っ張ってゆく。もう拓郎のキメポーズもたまらない。
「心が痛い 心が辛い」をアジアの片隅でのように唱和する。「この命ただ一度、この心ただひとつ 俺を許してくれ 俺を許してくれ」・・・このクライマックスのフレーズに向かう大団円。すんばらしい。拓郎は、どんな思いでこの作品を作り、そして何の思いをこめて今回の本編ラストに持ってきたのか。答えがでようとでまいと問いの中に生きる幸せというやつである。

2019. 7. 21

♪ラジオとライブのツイストでナイトH(終)♪

☆拓郎がラジオでライブの注意事項としてこんなことを言っていたのを忘れていた。
第98回 2019.3.17)(客席を観ていて)  「リズム感ねーなー」と思ったりする。全般におっさんはリズム感がない。今度は客席は体験したことない曲やリズム感にあえる。無理して立たなくていいよ。楽しんでくれればいい。

☆そうか・・・しまった。一人でいい気になってスタンディングしていた自分が今頃になって超絶恥ずかしい。すまん。心が痛い、心がつらい。とはいえ、"後悔とは、かつてそこに愛があった証である"(是枝裕和"ゴーイングマイホーム"より)、俺を許してくれ。

M-21 人生を語らず 吉田拓郎

(第72回 2018.9.16)時代と当時の若い情熱、勢いがすべてが爆発している。このボーカル。今でも、リハーサルとかで、原曲を聴くと"ボーカルがすっげぇ若いな"とみんなが言う。当り前だ。エネルギッシュなロックだな。
 最近は、明らかにこういう歌い方をする歌を作っていない。次のアルバムの一発撮りでは、こういうロック色入れたい。最近は、シャウトが減っている。年齢とともに歌い込むという感じが多くなっている。そういうシャウトする曲も欲しい。是非期待していただきたい。

 ギターは矢島賢、キーボードは松任谷正隆。これは一発録りだったと思う。そういう荒々しさがある。これと「ペニーレインでバーボン」。自分にとっての不滅のロック。この二曲はすごい。
 瀬尾一三のアレンジで演奏した時、♪目覚める時だから旅をするのところG、F♯マイナーAB。 これで長い間演奏してきたが、武部達もこの譜面とコードでやってきた。2012年のリハの時だったか、まってくれ、G,D,A,D。こうじゃないかなと気づいた。今ごろ遅いと言われて。原曲聴いてみよう。・・・G,D,A,Dだ。
 瀬尾ちゃんがアレンジしたのを鵜呑みにしていた武部おまえはどうなんだ、そもそも原曲を作っていながら気づかなかった俺もどうなんだ(笑)。今はオリジナルで演奏している。


☆会場全体がこぶしふりあげ、それらが波のように揺れている。壮観。拓郎は、たぶんGDADで盤石の73yearsのシャウトをしている。

  いつの時代であっても全力投球でステージに向かう。これは絶対だった。売れなかったころも全力投球していた。そういう現実にも限界というものもある。今年は73歳なので、これがステージかもしれないそういう限界を感じるなというのが無理なことだ。
 今年のコンサートを企画したときから今回はもしかしたら断言しないけれど最後の可能性がある。心して臨んでもらいたいといった。何かがが始まるとき、何かが終わる。時代はそうやって引き継がれてゆく。
 僕はわがままでとおってきたけれど、実はそうではなくて、みなさんのことを大いに気にして生きてきたという意思表示だった。本気だったんだよ。可能性としては最後かもしれない。ぜひともみんなと楽しめたらいいな。
 今歌いたくないい歌は避けようと思っている。そうすると「落陽」「春だったね」「人生を語らず」をどうするかということにもなる。 心、体力、意識と特別なものになる。


☆最後のステージに抜擢されsurviveした唯一の定番曲「人生を語らず」。会場熱気放散で盛り上がる。超えてゆけと叫ぶ声がゆくてを照らすよ。そして最後の最後へ。

M-22 今夜も君をこの胸に

(第90回 2019.1.20) 最後の曲で今一番やりたいのが、この今夜も君をこの胸に。僕と鳥山と渡辺格のトリプルのギターソロそれでお別れしようかと思う。そして最後にバシーフェイス夏の日の恋を流したい。
(第91回 2019.1.27)今夜も君をこの胸に(歌とギター) このギターを弾いたら、深々とお辞儀して投げキッスでステージを去る「もう会えないかもしれないな」なんて感じでどうだ。「今夜も君をこの胸に」は、アリだね。


☆ラジオで予告し描いたとおりのラスト、また個人的には80年代には大嫌いだった不満のラスト。しかし、もはやこのエンディングに一ミリも不満はない。万感全席だ。ギターを弾くその姿を目に焼き付ける。
 これが生涯最後のライブになったとしてもこのラストに後悔はない。"アジア""ファミリー""人間なんて""又逢おうぜあばよ"のエンディングの方が良かったとつゆほども思わない。これこそがベストのラストだったと確信する。

☆ 最後の深々としたお辞儀を涙ぐんで眺める。何回も客席にをハートを投げるしぐさをしてくれる。投げキッスもだ。上手、下手、深々とあの長いお辞儀。そして、いよいよ中央というときに、花束。いい光景だが、すべてのお辞儀の礼が終わってからでいいとも思った。いやそれでもグっとくる。2階だから見えなかったが、拓郎は泣いているように見えた。

☆"今夜も君をこの胸に、すべては流れるときに乗り"〜あらゆる感謝と懺悔をこめて唱和した。小さな神田共立講堂が震える。いよいよ終演だ。
 神田共立講堂よ、屋根の梁を高くあげよ。丈高き男の子にまさりて高き歌手の退場である。何卒、何卒、何卒おしあわせに。

☆バンドのメンバーが、おなごりおしゅうという感じで思い切り手を振って退場してゆく。お疲れ様でした。

そして"夏の日の恋"。 

( 第15回 2017.7.9)「夏の日の恋」ホラ三連符だよ、三連。音楽教室みたいだな。ギター教室、えーと「ディミニッシュ」というコードがあるけど・・・来週はギター教室だ。コンサートの最後の曲。みんなサッサと帰るんだよな。「人生を語らず」とかあんだけ盛り上がっているのにすぐ帰っちゃうんだよな、みんな余韻に浸れよ。

☆余韻に浸ってますとも。こうして何日経っても浸っているよ。
 条件反射で"星を求めて"を聴くと胸が高鳴り、"夏の日の恋"を聴くとサザエさんの最後の唄のような寂しさが渦巻くようになってしまった。

 ああ、終わった、終わっちまった、終わっちまった、終わっちまったよぉ。

 押し寄せるロス感に打ちのめされそうなときにラジオの言葉を思い出す。

(第97回 2019.3.10) この映画(「怒りの葡萄」)は何度も観たけれどラストシーンがいい。ずっと言っているように、男たちはいかに情けないか、それに対して女性はいかに柔軟に生きられるか。映画のラストシーンの年老いた夫婦の会話がいい。
 苦労のすえに放浪する老夫婦が車中で語り合う。夫が、「おまえは強いな。最近俺は疲れたよ、昔の事や故郷のことを考えるよ。」すると妻が「女はね、変わり身が早いんだよ。男は不器用で、生死や仕事やいろんなことで、いちいち立ち止まる。女というのは流れる川なんだよ。渦もあるし滝もあるし止まらずに流れる、それが女の生き方なんだ。」
 この時代に既にこういうことを言っていたんだ。今の時代に言われても名言だ。ここなんだな。男はいろんなことですぐ立ち止まってしまう。みなさん、胸に手をあてて考えなきゃ。まだまだ人生は続くんだよ。男は頑固一徹でいいのか、それで人生は楽しく生きられるのか。


 ☆御意。立ち止まるまい。そしてこんな言葉をお守りのように思う。

(第32回 2017.11.12)リーランド・スクラーから「拓郎 音楽は心と肉体を自由にしてくれる。いつまでも音楽の傍にいようぜ。」 という素敵な言葉を貰った。
(第100回 2019.3.31) 音楽を色々と紹介した。音楽が永遠の友達と伝わったという気がした。音楽と人間関係。人間関係はいろいろあってうまくやれなかったこともあったが、音楽とはうまくやって来られた。人生だからいろいろ出会い別れがあった。でも音楽は傍らにいて助けてくれた。
 音楽は素晴らしい、ずっと音楽と一緒にいたことを誇りに思うし、音楽は永遠の友達だ。その友達をより多くの人に紹介したい。だから新しい曲をつくりたい。


☆すべてはこれからの新しい曲、新しい音楽活動に導かれてあるものだと思う。今の、そしてこれからの吉田拓郎のCARAVANについてゆこう。

 さてさて、最近こんな言葉に出会った。
   "音楽について話すとき一番いい話し方は、黙っていることだ。"
                             ロベルト・シューマン「音楽と音楽家」


  拓郎ご本人のライナーノーツも始まる中、こんなにも素人の長駄文を尽くすのはまことにウザいし、人によっては不快なだけだ。ま、誰も読んじゃいまい。
 しかし、2年間の素晴らしいラジオそしてその結晶体のようなライブのことを載せた音楽雑誌や書物は本屋に行っても見当たらず、通り一辺の新聞記事の他、ネットにも媒体のどこにもこのコンサートの本格的音楽評論は殆ど出てこない。
 "いいじゃないか、このライブの素晴らしさは観た人の心の中にあるんだからあれこれ言うまい"…という大人な意見もある。しかし私はそうは思わない。そういう私らはみんな揃って高齢で、いずれ近いうちに遥かな海原に漂い夢と散ってしまう身なのである。そしたらあとは寂として何にもなかったことになってしまうじゃないか。雨の中の涙のように。
 そう思うといてもたってもいられず、無駄な抵抗であろうと、たかが一般Pの駄文であろうと、そして現世の人々に嫌われようと書かずにいられない。
 この2019年にいかに音楽的に素晴らしく、勇敢で、楽しく、冒険に満ちた誇り高きステージがあったか。そして73歳の吉田拓郎がどれほどすんばらしく神々しかったか。"夜空のどこかに しるしておきたい 愛する人に届けと"・・・わかったか、シューマン。

2019. 7. 22

参院選開票速報番組でキャンディーズファンである自民党の石破茂が”その気にさせないで”を歌っていて驚いた。石破は以前「”やさしい悪魔”が一番完成度が高くて好きだ」と言っていたのに,なぜ”その気にさせないで”か。>そこに驚くのかよ。私が池上彰だったらこの理念と現実の矛盾を追及するのに。

2019. 7. 23

毎日毎日,吉田拓郎の事ばかり書いている私は確かにどうかしているが、芸能事務所の話題が大ニュースとして日々席捲しているこの世の中もどうかしている。それにしても"やせっぽちのブルース"でハーモニカソロなんて超絶カッコ良かっただろうなぁぁぁと独り悶絶する。やっぱりどうかしているか。

2019. 7. 24

サッカーやラグビーで耳にする"美しいパス回し"という言葉のようなミュージシャン達の連携プレイが何度も見られた。司令塔というと固いか,優雅にパス回しの中を泳ぐ拓郎。この至福のバンドの映像を早く観たい。これは断じてロスではなくあくまで余韻を生きているのだ。で、さらに思うが(つづく)

2019. 7. 25

ライブが終わったばかりで,しかもこれで最後かもしれないというのに無粋だろうが、でもこの素晴らしきLive73yearsバンドを観るとどうしても思ってしまう。

    ”対バン”で観てぇよっ!!
 対バンとはひとつのライブで複数バンドが競演すること…らしい。 ”Live73yearsバンド”とあの島村,エルトン,中西そしてできれば青山らを擁する”極悪バンド”が前半、後半とか一部、二部とかダブルヘッダーで競演するライブがあったらどんなにかすんばらしいだろう。その時は入場料高くてもいい、土産もいらん。
 いつも夏が来ると想い出すつま恋や篠島の魅力のひとつは、例えば松任谷バンドと瀬尾ビッグバンドの競演…まさに対バンにあると思う。どっちのバンドが拓郎のボーカルをより輝かせることができるか、どっちが拓郎をより気持ちよく歌わせられるかの切磋琢磨の競演である。ミュージシャンが意識していたかはワカンナイけれどさ。
 すべての優れたミュージシャンよ、皇帝のボーカルに魂を込めて仕えてくれ。もうすぐ…皇帝のいない八月。そんな夢でもみないと生きてゆけない。

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2019. 7. 26

久々に歌の例会。8月の大舞台のために帰国した若きバレリーナと”ともだち”をデュエットできて至福。拓郎のあの歌唱を彼女に聴いてほしかった。やっと譜面を見つけて”蛍の河”も歌う。美しいメロディだなぁ。譜面に間違いがあるとピアノの巨匠にご指摘いただく。フメンナサイ。@お喋り道楽・高中。

2019. 7. 27

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いつもの居酒屋に寄る日常が戻った。マスターはこの酒を用意して帰還を迎えてくれた。さすが隠れ拓郎ファン。夏の流星。サイトのシャツをデザインしてくれたマスターのパートナーでデザイナーSさんもいらしてあらためて感謝。今回のアグレッシブな"流星"を是非WOWOWで観ておくんなさいませ。

2019. 7. 28

T君と久々に飲む。1曲目”私の足音”を聴いた時、思わず「えええ」と声が出てしまった,この曲を聴けただけで来て良かったと。中学の2年4組の教室でFMのつま恋特集のカセットを聴き,この曲何だ?…番組の最後に「本日お送りした曲は…”私の足音”」、そうだったよ。44年目の邂逅に胸熱の二人の元中学生。

2019. 7. 29

暑い,暑い,暑い,どうしてもまっすぐに歩けない。ああビールだ。

「流れるビールは泡を立てない.諸君,急ぐなかれだ.」
          ビクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル』より

…というわけでビールを飲みながらひとり想えば時はゆく。
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 あれこれ言いたい気もするが♪今は黙って風の音を聴け 今はただ静けさを愛せば良い…という、もしかすると拓郎本人も忘れちまったかもしれない、イヤイヤ吉田拓郎だからこそ書ける超絶な名曲をいつくしみ、その中にやすらう。 

2019. 7. 30

これまで「“純”を歌いたい」と言いながら,「結局歌わなかったじゃねーか!!」と何度か落胆し文句も言ったが,実はツアーの度に何度もトライしていたことを知り痛恨だった。そうやってこの曲に挑んできたのかと思うと申し訳ない。今回,いくつかのツアーと年月の山を超えてやっと逢えた”純”なのか。そうなると余計に愛しいよ、愛しいんだよ、おまえ。

 "純〜流星2003〜ホームランブギ"当時は地味なシングルだと思ったが静かに名盤への道を歩んでいるのだと今にして思う。

2019. 7. 31

吉田篤弘「チョコレートガール探偵譚」読了。同じ吉田でも拓郎ではないし、吉田拓郎関係は全く出てこない。戦火でフィルムが焼失した昭和7年の幻の映画「チョコレートガール」、その主演女優、監督、脚本・原作を作者がひたすらに探索してゆく。混沌とした玉石混交の手がかりのひとつひとつを愛で、途中の景色も大切に味わいながら、まさに探偵のように進む。拓郎は出てこないが、何かを求めるファンのスピリットと方法論はどうあるべきかを教えてくれる。というわけで拓郎と無関係ながら拓郎のことを考えながら読んだ。
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2019. 8. 1

ネットで石川鷹彦さんの近影を拝見する。笑顔が嬉しい。「とてもいいイキフンだよね」、あのロックウェルからの中継放送での石川さんのおかげで「アトモスフェア(atmosphere)」という単語を憶えたのだった。というわけで"チークを踊ろう"と"ハートブレイクマンション"のアウトロのギターを聴こう。

2019. 8. 2


「コンサートの印象?そんなの最高に決まってるじゃないか」と岡本おさみが言ったから8月2日はつま恋記念日。


 昨年の歌“「8月2日の太陽は拓郎に惚れていた」と岡本おさみが言ったから8月2日はつま恋記念日”とあわせて味わいたい短歌である>知らねぇよ!

 昔、仕事先の社長が8月2日生まれだったので、つま恋75のDVDをプレゼントしたら、お礼に新宿二丁目のお店に連れてってくれ、最後にゴージャスなおかまさん全員と一緒に「今日までそして明日から」を合唱したのを思い出した。音楽っていいな、平和っていいな。

 今日が記念日のすべてのみなさんおめでとうございます。

2019. 8. 3

iPodで拓郎を聴いていて本人の作詞作曲以外の曲になると、あ,イケネと慌てて飛ばしたりしませんか?>しねぇよ。

 あんな夕食会のつぶやきを読むとどうしたって行きたくなる。って、どうだ、来れるもんなら来てみろ!とファンとしての覚悟を試されてる感じがする(爆)。しかし名古屋までイタリア料理のために行くのは簡単じゃないなぁ…と星もたじろぐ。でも気骨あるファンだったアイツならすぐに行っただろう。あ、名古屋が故郷だったか。いや関係ない、もし拓郎が「イタリアで食べた名古屋料理が美味かった」と言ったとしても躊躇なくイタリアへ飛び立つだろう。

ソリストのファンはソリストたれ…との思いを新たにする。

というわけで…とつながらないかもしれないけれど今夜劇場につどうソリストたちを心の底から祈る。大丈夫、こんなときにも観に行く人たちのことを気にかけてくれるあなたにすべてが味方してくれる。

2019. 8. 4

 オペラ座仕様ということでは浜松アクトシティも素晴らしかったが、新国立劇場の威厳と格調の高さはまた格別だった。オーケストラピットに楽団の方々がいるのを観るのも初めてだったし、ビビった。世界から一時帰国したソリストたちの踊りはシロウトが観ていても胸を打たれる。

 いつも遠くから見ていただけだが、あの小さかった子がこの大舞台でのびやかに踊るのを観て、この10何年の景色の走馬灯が頭の中で回り万感の思いだ。私ですらそうなのだから、これまで身近に寄り添ってともに苦闘されてきた方々のお気持ちはどんなものだろう。日本には適所がないために、家族友人と日本に居たい年ごろに単身海外に身を投じることはご本人も周囲の方々もさぞやいろんなことがあったでしょう、人に隠れて泣いたでしょう。そして迎えた晴れの凱旋である。

 “ブラボ!ブラボ!”はどうも勝手がわからなかった。”ブラボー火星人”しか知らなかった>そっちを知らねーよ。でも拓郎コールの要領でいいのだな。わかった。

 東フィルの生音に圧倒されながら、生音の凄さを私に教えてくれたビッグバンドを思っていた。そして拓郎もこの劇場で歌えばいいのにと思った。本当は新国立の方からお願いに来てもおかしくない。この国は、育成もレスペクトもその殆どが損得と政治の道具でしかないんじゃないか…と若い海外組のソリストたちとわれらが御大ソリストのことを考えながら思う。

 いや、そんな文句ばかりたれておらずに、とにかくご無事であなたの踊りを踊れますように心の底から祈っております。踊りで語ってくれよ>パクリか。

2019. 8. 5

つま恋2006の後の吉田拓郎インタビュー
「今もどうしたらおもしろい音楽をつくれるか。次のアルバムをおもしろくできるのか。深く考えているんだ。現役だからね。〜現役のソリストだからね。」(GOETHE 2007.1 p.41)

ソリスト 【フランス soliste】
@ 独唱者。独奏者。
A バレエのソロを踊る踊り手。第一舞踏手。

ふーん。ということで5月からの73yearsのソリストとこの2日間の新国立のソリストたちの活躍を観て、ただおっさんの私だが、それでも気分はあがって半歩くらい進めた気がする。ホントに進んだかは別(爆)
どちらもUnforgettableな経験だった。

"ソリストのファンもまたソリストであれ"という言葉が胸にしむ。

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2019. 8. 6

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広島のある日本のある吉田拓郎のいるこの世界を愛するすべての人へ

2019. 8. 7

 いつもの居酒屋で海外バレリーナ=ソリスト男女4人と飲み会。違う言葉、違う年齢、違い過ぎる世界、わけがわからん、わからんけど”♪おおーインターナショナル”。
 素敵な愛に溢れた若者たちだった。出されるお酒の一杯、料理一皿一皿に感激し、会話や人々の一挙手一投足に対するリアクションのすべてが優しく愛に溢れている。いいな、美しくて。私が書くとキモイが本当にそうなんだってば。
 世界がみなこうなら、戦争も国際紛争だって起こるまい。彼ら彼女らを観ていてしみじみ思った。かの隣国とだって、不幸な歴史を抱えながら2002年には共にワールドカップを共催し応援しあったではないか。などとひとり想えば時はゆく。

 みんなで新宿駅へ向かう夜の帰り道、楽しそうに寄り添いじゃれあう後ろ姿を見ながら、”今夜も君をこの胸に”が脳内に流れていた。なるほどこれは幸せな帰り道のBGMでもあるのだな。
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2019. 8. 8

 「運命のツイスト」がレコーディングされたらしい。ツイストの律動、タタミかけるボーカル、そして踊る御大ということで痛快な新曲だった。しかしライブではその詞は殆ど聴き取れなかった。だからどんな詞なのか発売が楽しみだ・・・同時にちょっと心配でもあるが(爆)。

 コレを聴くとついつい曲相が似ている(と思う)「はからずも、あ」(176.5)を思い出す。あの詞には思想や哲学の破片もない。あまりになさすぎて、かえって哲学的ですらある。まぁ思想哲学なんかどうでもイイ。
 ♪目を閉じて思いを高めて淫らな気分ままで〜限りなく嫉妬に狂った コワイ言葉を 君に贈るけど

 ココのところの一瀉千里のように流れてゆくメロディと歌いっぷりが実に気持ちイイ。コレもステージ観たかった。拓郎がツイストを踊りながら“ダメ、ダメ、ダメ、もう少しそぉぉ〜”なんて最高にセクスィ〜ではないか>ぜったいやらねーよ

2019. 8. 9

 いつも見ていたナガサキの日。思い切り私信だが、もし平和公園に行かれたら、目立たないけれど「原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂」にも是非。”原子爆弾によって亡くなられた身元や氏名不詳の遺骨、氏名がわかっていても一家全滅などで引き取り手がない原爆無縁死没者の遺骨を安置しています。”(市HPより) 
 私は「名もない多くの犠牲者」とかついつい言ってしまったりするが、すべての人にしっかりと名前がある。なので名前がわからない、誰にも名前を呼んでもらえないような不幸なことがあっていいはずがない。
 “やがて今日も移ろうけれど時に逆らわず君の名を呼ぶ”…そういう歌ではないだろうけど、まったく無関係ではなくどこかで通底しておるだろうと勝手に思う。

 近所の売店にはマッチもライターも売ってなかったので、ロウソクとお線香の火が無いときは、近くで客待ちをされているタクシーの運転手さんがこころよく親切にかしてくれる。たぶん。長崎のタクシーは昔からそんな感じだった気がする。

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2019. 8. 10

 人生初の怒涛のバレエウィークが昨夜終わった。最後の最後のラフマニノフがシロウトの私も魂をもっていかれるほどすんばらしくて涙が出た。ブラボ!! さよなら優しい男たち、さよなら美しい女たち。こんな場違いなおっさんにまでありがとう。

 さて孤高の生活に戻ったところにTYISマガジンLive73years特集号が届く。いつものショボいタブロイドと違ってちょっとチカラが入っていて嬉しい。スタッフ全員のカーテンコールという感じもあり読むのが楽しみだ。やればできるじゃん。
 ざっと見ながら”シンプジャーナルみたいじゃん”と思った。こんな感じでコンサートがあるとあの雑誌はこれくらいの特集記事をいつも載せてくれていた。巨人ファンに”報知新聞”、阪神ファンに”デイリースポーツ”、登山ファンに”山と渓谷”そして拓郎ファンには”シンプジャーナル”があった。アルフィー、ふきのとう、浜田省吾、えのきどいちろう…ああ、懐かしい。富澤一誠が書く松山千春の提灯記事までもが懐かしい。毎月22日ころに本屋に行くのが楽しみだった。

 コンサートとしてのLive73yearsは終わったが、映像作品としての反芻シーズンがいよいよ始まるのだな。
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2019. 8. 11

“他の人のソロが終わるまで待つんじゃなくて、折り重なるように絡むんだ”

 ああ、かっけー。素敵なコトバを拾ってくれてありがとう吉岡悠歩青年。ステージで見るたびに気象予報士アマタツを思い出してしまう失礼な俺を許してくれ。

 美しいパス回しのような"ソウルフルなソロ回し"あらめて観たい。

2019. 8. 12

テレビは一体誰のためのもの〜何かといえばクリステルなブランドものでしょう〜と憂いていたら幻の映画「ひろしま」をNHKのEテレで放映するんだな。8月16日深夜というか17日午前0時からだ。8月15日の午前0時にはこの映画製作の舞台裏の特集もある。忘れないようにせねば。それまでNHKもウチのテレビもぶっ壊れないでいておくれ。あっダメだ、ウチのテレビの方は9月7日まで頑張っとくれ。

2019. 8. 13

 昔、仕事の研修時代の同期に、既に大企業の重役を定年まで勤め上げてから心機一転、第二の人生を!というKさんがいらした。父親以上の年齢の大先輩にもかかわらず小僧の私たちに友人のように接してくださった。
 今月で亡くなられてからもう4年だ。最近ニュースで表現の自由不自由が喧伝されていて、そのKさんのことを思い出した。

 学徒出陣された経験もあるKさんは「戦争を経験して痛切に思うのは“表現の自由”、これが何より戦争を防ぐために一番大事なことだよ。コレが無くなってひどいことになっていったんだよ。」と飲み会の時などにいつも語ってくれていた。

「いい歳になってから憲法を勉強して感激したよ。表現の自由は“文化的価値”であり“民主政の基盤”だから大切だって教科書に書いてあってそれはそうだけれど、何より人間にとっての一番脆くて弱いものだから大事に保護しなくてはならないんだって、I先生の授業で聴いて感動した。自分の戦争経験に照らしてまったくそのとおりだったよ。」

 私もその授業を聴いたことがあった。歴史には戦時中とか非常時に命がけで表現した偉人もいたが、普通の人間にはそんなことはできはしない。規制とか圧力とか脅しがあれば、たちまち人は忖度を始め、表現活動はどんどん萎縮して、やがては消えてしまう。表現の自由はそんな脆くて壊れやすいガラス細工のようなものだ。だから、公権力は、そーっとそーっと慎重に脅威をとり除きながら守らなければならない。そのためには"公共の福祉"なんて粗っぽい基準ではなくもっとデリケートで繊細なツールが用意されている・・単なる理想だけでなく機能性がブレンドされたような忘れじの話だった。
 脆いものだから慎重に扱おうというスタンスの公人と脆いものだから上から従えようとするスタンスの公人、そんな2タイプのコントラストが今回のニュースに滲みでていた。後者には今の憲法はさぞかし邪魔だろう。

 さて、こんなハナシに拓郎を巻き込むな、牽強付会だと怒られるかもしれないが、もちろん拓郎ご本人とは全く関係ない勝手な私の思い入れだ。吉田拓郎の歌の世界には、“自由”が数多く登場する。http://tylife.jp/sideways.html#JIYUU
 政治的意味や意図なんかとは関係なく、吉田拓郎の歌う自由には、美しさ、心地よさと脆さ、はかなさが、どのフレーズにも溢れている。

 〜おまえの足音は自由を知ってる
 〜小さいけどその叫びは自由への道しるべ
 〜果てしなく広がる夢と自由とが欲しかった
 〜人の自由ってなんだったい
 〜小さな自由と小さい愛が伝わるだけでいいのさ
 〜僕等は今も自由のままだ

 繊細な壊れ物としての自由を大切に歌っている・・・そこがまた私にとっての拓郎のたまらない魅力の周辺だ。

 つらつら書きながら思い出した。かつて研修を途中でブッチして拓郎の浜松市民会館のライブに行こうとする私に、Kさんが「どうぞ後はワタシに任せておゆきなさい」と代返をしてくださったのだった。今さらですが、あんときはありがとうございました。なんか泣きそうだ。

 しみじみと思う、あぁ、自由には地図がない>…それは松本隆だ。

2019. 8. 14

“夏休み”を谷山駅で実現させた方々の努力と英断がすんばらしい。心の底からありがとうございました。なんで私が感謝するのか別にしてもとにかくありがたい。谷山から音叉のようにこの歌が日本全国に波及してほしい。日本の夏=夏休み。しみこむように広がっておくれ。

2019. 8. 15

 8月17日午前0時(Eテレ)の映画放送に先立つドキュメンタリー「忘れられた“ひろしま”〜8万8千人が演じた“あの日”」を観た。
 想像を絶する生々しく悲痛な記憶と闘いながら、それでもできるだけ忠実に再現しようとした人々の営みの凄さ。撮影場所のドームの付近の川沿い様子や比治山って拓郎のひろしのま旅で観たなぁとこっちも薄い記憶をたどる。
 番組はこの映画の素晴らしさの賛美だけではなく、この映画の製作と上映禁止の過程で、政治利用されたと苦しむ出演した当時の子どもの心の傷まできちんと捉えていた。
 それにしてもサーロー節子さんも驚くように、これだけの映画がこれだけ長い間沈潜してしまうとは。脆弱だからこそ大切な“表現の自由”というものをここでも感じる。「記憶は忘却との闘い」と番組でオリバー・ストーンが語っていたが、まさに残そうという意思と知りたいという意思の大切さを思う。このことに限らず。
 上映禁止にしたのもアメリカなら、65年を経て、デジタル復元と再上映に手をさしのべてくれたのもアメリカということに少し救われる。”例えば嵐に呑み込まれても歴史はそれを見逃さないだろう”という希望をも感じる。

2019. 8. 16

  こちらですら結構な風雨だったので、台風通過経路の方々の大変さは尋常なものではなかったろう。
映画「ひろしま」は、昨日、「8月16日深夜」と書いたが、正確には8月17日午前0時(Eテレ)だ。ご指摘深謝します。8月16日24時という言い方もあろうが、やはり正確性とともに拓郎ファンは”午前0時”にこだわらなくてはイケない。とはいえ各自でもう一度ご確認ください(爆)。
 午前0時といえば昔、麻生よう子さんという歌手がいて”逃避行”がヒットしたけれど、その第二弾が”午前0時の鐘”という曲だった。♪まもなく日が変わる午前0時鐘がなる 荷物を整理してさよならをドアに書き〜耳に残っている。何か深夜に逃げる歌ばっかり歌っていた気もするが、もの凄く情感溢れる上手な歌手だったと思うのだが、今頃どうしておいでだろうか。

2019. 8. 17

 軽々に感想などいえる状態ではないが、作ること、残すこと、伝わること、当たり前のことの大事さを心の底から思う。このことだけでなく吉田拓郎の作品についても、すべてにいえることだよな。

2019. 8. 18

 ピーター・フォンダが亡くなった。あちこちで「イージー・ライダー」の追憶と称賛の嵐だ。拓郎が「『イージー・ライダー』…怒ったし泣いたよ」と語っていたのを思い出す。これはこれで深めるべきテーマのような気がするが静かにしている。

 しかし、私のピーター・フォンダは「だいじょうぶマイフレンド」のゴンジー・トロイメライである(爆)。私の中のトホホ映画の筆頭だが、この主題歌は、異常に大好きで、今も時々、聴いては、歌っては涙ぐむ。安井かずみ作詞・加藤和彦作曲。ああ全然、だいじょばないぞマイフレンド。

 と思っていたら昨日のミュージックフェアの竹内まりや特集で、1980年ころの加藤和彦が映った。そうか、竹内まりやとこんな番組あったな。私はザベストテンでピーチパイのウィンクが衝撃で忘れられん。

 現在の竹内まりやが歌いかけてくるような”静かなる伝説”。おおドラムスは島村英二だ。いいなぁ島ちゃん。メガネも渋くて素敵だ。観ているだけで嬉しくなる。
 そうなると、そういう歌ではなくとも、”伝えてくれ彼の優しさを”〜”教えてくれ彼の足跡を”〜“語り継がてゆく静かな伝説は時を超えてみんなの誇りとなる”〜ひとつひとつの歌詞がそうとしか聴こえなくなってくる。イカレてる。

 拓郎ファンというものは、すべての事象が、拓郎という太陽の周りを公転している星系みたいたものだと今さらながらつくづく思う。今日も元気に公転ちう。

2019. 8. 19

 ”近頃セミも鳴きませんね”と拓郎は歌ったけれど、今年もいちおう鳴いているようなので地球はとりあえずまだ終わらないと安心する。
 1980年夏のヤンタンだったと思う。ツクツクボウシの鳴きまねという拓郎の小さな芸があった。
 “つくつくほーし つくつくほーし つくし―ほーし つくしーほーししーーー・・・”
 …結構笑えて好きだった。

 また、中津川フォークジャンボリーで野宿した時、小室等から”セミがウルさくて眠れないのであのセミたちをなんとかしろ”と命じられて、及川恒平さんと二人で寝ずにセミを追っ払っていたという話もしていた。

 私は、昆虫、わけてもセミがとても苦手なので、道路にセミが死んでいるともうダメで、いちいち引き返したり、迂回したりするために、夏はどうしてもまっすぐに歩けない。・・・どうしてもまっすぐに歩けない。おお、何か、つながったよ。

2019. 8. 20

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 先週とあるホールの舞台裏に行ってみた時。ホントに「奈落」というんだな。奈落の底。
“ブルース、人はなぜ穴に落ちるかわかるか? それは這い上がるためさ”…いみふ。

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 上手→下手→そして最後に中央。深々としたお辞儀と投げキッス。どうしたって、あの人のレベランスが浮かんでこようというものだ。

2019. 8. 21

 “夏休み”の拓つぶ、しみじみといいなぁ。吉田拓郎という人が何をどれだけ大切に思っているかが溢れるように伝わってくる。本人が書いてるから当たり前だが、これ以上ない至高の”夏休み”のライナーノーツでもある。たまらん。読み返して、聴き返した。
 いつまでも夏はチューブだとか、サザンだとか、いい加減目を覚ましやがれ。

 レコーディングはまた伏せ字か(爆)。予想とかでなく当たる当たらないに関係なく、私は、石野真子の”狼なんか怖くない”であってほしい。切に思う。もう完璧としかいいようがない名曲であり悶絶する。いま阿久悠さんのこのメロディーに対する言葉を探索中。
 1977年〜78年は、拓郎のアイドル提供曲の名曲が溢れるように生まれたひとつの黄金時代だと思う。その時期に青春を送れた幸運に感謝したい。

2019. 8. 22

 高校生だった1977〜1978年のほぼ2年間。☆やさしい悪魔☆アンドゥトロワ☆狼なんか怖くない☆アゲイン☆ドンファン☆ハート通信…
 ソリスト吉田拓郎とは別に、次々とアイドルたちに繰り出されるメロディの数々に、無敵のメロディメーカーでもあることを肌で感じ、たまらなかった。特にこの6曲は星座でいえば燦然と輝く”夏の大六角形”みたいなものか。・・・ねぇよ、そんな星座。そこに”背中あわせのランデブー”や”彼が殺した驢馬””友達になろう”まで数えるとほぼ天の川状態である。
 今聴いてもよくできた美しいメロディーたちで、懐かしさだけではなく、なんともいえぬ元気が湧き幸福を感じる。

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2019. 8. 23

 明日はいよいよwowowだ。音楽を作り上げる拓郎の姿を垣間見られる事が心の底から楽しみだ。バックステージは一挙手一投足、片言隻語に宿る拓郎の魅力の宝庫である。かぁぁ、たまらん。観る前からなんだが、60分では足りない。たぶんあっという間だよ。短い。長尺版を少なくとも3時間くらいかけて放送してほしい。もっと長くてもいいぞ。
 深夜でいい。wowowの深夜って、以前、遺伝子操作で上半身サメ(シャーク)で下半身大ダコ(オクトパス)の”シャークトパス”と人間が戦うという超絶くだらない外国B級映画を放映していて、あまりにあまりにで、パートVまでつい観てしまったが(爆)、ああいうのを放送するなら、リハーサルスタジオの吉田拓郎を延々と流し続けてくれたっていいじゃないか。

2019. 8. 24

 放送時間といえばwowowのLive73yearsのコンサートは2時間だ。曲をカットするかMCをカットするかしないと尺に収まらない。シャクにさわる。しかし今日のバックステージ篇もそうだが、放送してくれるだけで有難いじゃないか、LIVE2014は僅か90分だったじゃないか、と思い、時間が短いなど文句ばかり言うまいと自重した。
 と思ってwowowの番組表を観ていたら…、ママ、驚かないでね”葉加瀬太郎コンサートツアー”は2時間30分も放送時間があるの。オーマイガー!!……いかん、なんかイケナイことを言ってしまいそうだ。…ママ怒らないで、往年の髪の毛のカーリーだって、拓郎さんは葉加瀬太郎になんかに負けちゃいないわ。

 もう何も考えまい、せめて今日だけ良ければそれでいい。ということで放送を楽しみましょう。

2019. 8. 25

 やっぱり一挙手一投足、片言隻語に至るまで、いろんなことを語りかけてくる。たまんねぇ。リハなんか、あのスタジオの片隅に座敷童のように貼りついて、ずーっといつまでも観ていたい。宇都宮の入り待ちの時、何度も振り返って手を挙げる拓郎にファンの方が”カッコイイ!!”と叫ぶけれど、まさにそれに尽きる。

 昔の外国ドラマ”ER”で、混沌とした救急医療現場で、チーフの医師を”You set the tone!(君が仕切れ)”と激励する場面があるが、”tone”とはなんと音楽的なのか。まさしく音楽現場の吉田拓郎の”set the tone”を垣間見せてくれた。
 ここはただのファンサイトだから自分の好みでハッキリいうけれど、2012〜2016年までは、腕利きの有名なミュージシャンたちではあるけれど、面白みのない…というかツマラナイ、そんなバックだったのが、今回かくもスリリングで煽情的なバンドに転生しているのも、そして定番の凡庸な選曲が一切排され、勇気ある魂のセットリストになっているのも、すべて吉田拓郎の”set the tone”だということがアリアリとわかる。いや吉田拓郎の”set the half-tone”というべきか(爆)。もちろんそれは私の鬼畜な邪推であり、拓郎は、ひたすらミュージシャンたちに心からの愛と謝意と敬意を捧げている。そこもまたすんばらしい。座談会の冒頭でも村石雅行と村田昭に温かい謝意を送るやさしさもたまらない。あんなことされたら私だったらもう一生ついて行っちゃうね。あ、されなくても一生ついていこうと思ってるから、僕の命あなたに捧げてしまっていいさ…って感じになっちゃうね。

 音楽で語り、音楽で進みゆく吉田拓郎は実に勇敢で素敵だった。早くその結晶のようなステージの映像を観たい。

 …なるほどwowowの出演料が高いので葉加瀬太郎は2時間30分で吉田拓郎は2時間なのかもしれない…と勝手に理解する。>まだ気にしてんのかよっ

2019. 8. 26

 24日は午後にwowowで吉田拓郎、同じ日の夜にはNHKで矢沢永吉のドキュメンタリーが放映された。広島から音楽を目指して一人は夜汽車に飛び乗り、一人は友人の車で上京し、ともに音楽界に波瀾を起こし席捲した二人が、今70歳という年齢に直面し、最後が視野に入ってきた音楽活動とどのように向き合うかという切実なテーマが通底していた。

 かつて吉田拓郎本人を間近で見た時のオーラはモノ凄かったが、数年前に某所で矢沢永吉とすれ違ったときも凄かった。なんか人間じゃなくて、獰猛でしなやかなパンサー(豹)みたいで、思わず振り返りながら僕は見送っていた。
 なので矢沢永吉は偉人だとは思うが、音楽は詳しくわからないし、拓郎と比較するものでもないが、この二人は、対極なのか、異質なのか、あるいは一人が行間に深く沈めた同じことを一人はより明確な形で表現しているのかなどなど。ついつい考えてしまう。ま、考えてもわからんけどさ。

 拓郎と音楽活動をともにしたあの外人バンドのリーランド・スカラーが矢沢永吉の盟友ミュージシャンとしてドキュメンタリーにも出ていた。二人の共通の友とでもいうべきリーランド・スカラーが拓郎に語った“音楽は心と身体を自由にしてくれる。いつも音楽の傍らにいようぜ”(ラジオでナイト第32回)教えのとおり、この二人は、カリスマやアジテーターを目指しているのではなく、本当に音楽を深く愛して耽溺している音楽家なのだなということが二つのドキュメンタリーでよくわかった。

 さて困ったのは自分のように吉田拓郎に自分の人生をのっけてしまったような人だ。たぶん同じように矢沢永吉に自分の人生をのっけた人も相当にいるに違いない。最終章が垣間見えることのそこはかとない不安がある。いつか皇帝のいない歳月が待っている…かもしれない。

 この番組の矢沢永吉のインタビューの調子でいえば、いつか、そういう人たちに牙を剥いてくる敵がいる。その敵は"吉田拓郎や矢沢永吉のいない人生を経験してないことだ"ということになろうかね。
 「自分であがくしかないよ」と矢沢永吉はその答えのようなものまで語ってくれていた。ああ親切な人だなと思った。遠くからご健勝を祈ってます。

2019. 8. 27

 原宿の居酒屋さんで、そろそろドイツに戻るソリストの壮行会。新国立の舞台の感激を振り返る。自分の踊りのために身銭を切って観に来てくださることがとても嬉しいと彼女は言っていたが、例えば女将さんのご家族は、小さなお子さんたちも、初めてのバレエ、初めての生オケを心の底から楽しんだようだ。私もずぶのシロウトだが、忘れじの夏になった。知識の深浅を越えてこの舞台を観た幸福をみんなが胸に刻んでいるのがわかった。芸術っていいなあとあらためて思った。で、帰ってwowowを観直す。ホンモノの舞台はすべてつながっているのだ・・・と思う。

 そうそう女将さんのご主人は偶然にも大学の同窓で、オーケストラ部でホルン奏者であられたとのことだ。ほぼ同時期にキャンパスに居たことになるが、あちらは7年間、こちらは6年間在籍していたので、同級生なのが先輩なのか後輩なのかよくわからない(爆)。それよりも今の危いこの世についての鬱屈した話が、少しだけれどできたのが嬉しかった。いつの日かこの世の全てが等しく平和でありますように・・・ってこれは浜省か。安らかに笑う家がいつまでもありますように。ガラにもなく真剣に思う。

2019. 8. 28

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実にいろいろ多彩な日本酒があるものだな。"日本酒が呑めるから青森が好き"という吉岡祐歩は可愛かったし、"酔うとどこにいるかわかんなくなるのでどこでも好き"という村石雅行に笑った。それにしてもこの店で飲むとなぜか二日酔いにならないんだよな。

2019. 8. 29

 “私の足音2019”がリリースされるのだから、それを主題歌にして映画”旅の重さ2019”を制作してはどうか。もちろん高橋洋子主演で”ママ、おどろかないで、私もうすぐ70歳よ、それでも旅に出たのよ……”という、いくつになっても家出せずにはいられない主人公のロードムービーだ。"私は今も自由のままだ"というキャッチコピーで"アゲイン"が挿入歌。監督は是枝裕和、もちろん三国連太郎の息子として佐藤浩市が共演だ。
 そうか素九鬼子さんに許可を得ねばならないか。素九鬼子さん…どうしておいでだろうか、なにせ田口淑子さんくらい謎のお方だ。
 …許可してくださるだろうか>するワケねぇだろ!

2019. 8. 30

 LIVE2014といえば、いきなり怒涛の3曲アンコールで始まるオープニング。そのあとのMCで「これで精も魂も尽き果てたので帰る」(爆)。その日のすべての曲の魂がそこに集まって輝いていたかのようなアンコールの「アゲイン」の完成版を会場ほぼ総立ちの中にしみじみと聴いたこと。
 「歳でもう引退しようと思っている皆さん、今からでもできることが何かあるはず」というMCが忘れられない。それから5年、私らの想像を絶する極北を超えて、自ら身をもってそれを示してくれた。なんだかんだいっても超絶素晴らしいと私は思うよ。

2019. 8. 31

 8月も終わりだが、たぶん夏風邪and/or夏バテでダウンした。辛くて、下の写真のお方のポーズをオサレにマネして机に突っ伏していたのだが、日頃仕事をサボってライブへ行って飲んだくれてばかりいるだけの私に、誰も心配も同情もしてくれるワケがない(爆)。それにやれオリンピックだ、やれ隣国のタマネギが酷いぞと喧伝し騒ぐ、国威高揚のような世の中の空気も息苦しい。なんだかんだで気分が消尽することこのうえない。今日のwowowとミュージックフェアで元気をだそう。
 
 なお短髪は2014年、長髪はたぶん1975年である。ご参考までに>なんの参考だよ

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2019. 9. 1

 LIVE2014…2019と比べると全く違うバンドに見えてしまうんだけど、ああこれも風邪のせいならいいんだけどな。

 小学生の時の愛読書、山中恒「とべたら本こ」を何十年ぶりで読み返す。失業中の父親が競馬で大穴を当ててから転がりだす少年の怒涛のドラマ。DV、家庭崩壊、貧困、ネグレクト、犯罪、マスコミ問題…徹底して描かれる大人への不信。しかしメチャクチャ面白くて何十回も読んだはずだ。家族とは何なのかをエグイまでに問いかけてくる点で、今にも十分通じる、というか今こそ必要な話であると思う。
 作者が僕ら読者に語りかけてくる最後のあとがきも繰り返し読んだものだ。こんな大人たちの社会に負けないで生きて行ってくれたまえという愛情あふれるメッセージだった。
 1960年の初版あとがきでは、児童文学にあるまじき過激な内容なのでどの出版社も引き受けてくれず途方に暮れていたところ、理論社の社長小宮山量平さんが快く出版してくれた喜びが綴られている。また自分の持っている1970年版の”追加あとがき”では、PTAや評論家からの批判も強くて、売れないのではないかという不安の中、理論社の小宮山量平社長が「なあに売れなかったらぼくとおまえさんでかついで売りに行きましょうか」というくだりがあった。子どもながらに勇気づけられ、会ったこともない見ず知らずの小宮山量平という社長さんが大好きになった。

 山中恒と小宮山社長のこの話が小学生時代の心に楔として打たれていたから、その数年後、吉田拓郎のファンになって、フォーライフ設立の時、レコード業界の総スカンで販路が絶たれんとする危機に拓郎たちが「韓国でプレスして、日本で通信販売で売ればいい」と腹をくくったという話が魂に響いてくるのよ。

 いま大人になって自分はどうよ、と言われると辛いけどな。
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2019. 9. 2

 うー、残暑と風邪で外回りが辛い。今日は酒が飲めないな。お抹茶を吉田宗拓が点ててくれたものと夢想して、いただく。もちろん打ち水は通ってまいりました。
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2019. 9. 3

 そうはいっても元気になるには酒しかない。フラフラしながらも居酒屋に行って、お客さんがまだ来ないことをいいことに、LIVE2014をマスターと一緒に観る。こんな最適な治療環境があろうか。
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 2019年とはバンドのグルーヴが全然違うけれど、これはこれでいいライブだったなとあらためて思う。アキラ…しみじみといいよな、マスターと二人で黄昏る。もう拓郎の背中がいい。客席と堂々と対峙している背中はいろんなことを語る、語る、語る。日本酒が進むったらありゃしない。これで試して、明日元気だったら治ったことにしよう、まさに"飛べたら本こ"である。

2019. 9. 4

 心待ちにしているのは、言うまでもなく9月7日の吉田73歳名古屋音楽会大放送なのだが、テレビをつけると何故か矢沢永吉ばかり映っている気がする。門外漢もいいところの自分だがボーっと観ているだけなのに、♪歌は祈りだ〜のシャウト&星空一杯のギターの音色を聴いてみたいな・・・とふと思ってしまう。うーむ、なんという見事なストラテジー。それと比べていろいろあれこれ考えてしまいそうになったがやめた、やめた。もう何も考えまい。空よりも青いのは隣の芝生である。

2019. 9. 5

 1986年の今日。吉田拓郎はアルバム「サマルカンドブルー」を発表し、その前日(ずっと同日だと思ってけど前日の9月4日だったのね)浜田省吾はアルバム「J.BOY」を発表した。2枚組アルバム「J.BOY」は、たちまちチャートの1位に輝いた。85年のつま恋で拓郎は自ら表舞台から去った後だったので、当時は、まさに日の出の勢いの浜田省吾と黄昏に沈みゆく吉田拓郎というコントラストを感じた。
 こういうシチュエーションだと私は必ず面白くないと悪態をついて文句をたれる器の小さい人間なのだが、この浜田省吾の「J.BOY」だけは、すんばらしいアルバムだと門外漢でも讃えずにいられない。まさに珠玉の名曲の宝庫であり、多彩なメロディーの美しさ、歌詞は時に切なく、煽情的で、戦闘的でもあり、それらのすべてを楽器のような浜省のボーカルが包み込む。もう魂の傑作である…となぜ私が褒めるのか(爆)。

 87年末か88年の初頭、吉田拓郎が武田鉄矢のラジオにゲスト出演した時に、”浜田省吾のこの作品がチャート一位になっているこの国は素晴らしい”と静かに激賞していたのを忘れてはならない。

 他方、アルバム「サマルカンドブルー」がいかに名作であり、特に”人生キャラバン”が胸にしみる名作であるかについては、このサイトでも何度も訴えてきたし、ラジオにもメールした。今日も書こうかと思ったが、当の御大がこのアルバムを失敗作だと言いやがったし、人生キャラバンもライブで歌う気ゼロのようなのでもう割愛する。

 えーと、曲ですね。もう九月なんですけれど、浜田省吾”八月の歌”。この国、大丈夫なんでしょうか。他人事で言っちゃいられないけど。

2019. 9. 6

 山中恒の”とべたら本こ”は、NHK少年ドラマシリーズのドラマにもなった。あの”タイムトラベラー”の枠だった。さすがに原作ほどの迫真性はなく無難な話に少し変わっていたけれど、テーマ曲の”♪おためし おためし とべたら本こ〜”が今も耳に残っている。調べたら歌手はシンガーの金延幸子さん。この方は、瀬尾一三とグループを組んでいたんだね。

 瀬尾一三といえば今度、松任谷正隆と本で対談するらしい。楽しみだ。つま恋、篠島の魅力のひとつとして、この二人の共演がある。瀬尾指揮、松任谷キーボード(つま恋75ラストステージ、篠島セカンドステージ)も心に残るが、やはり瀬尾一三オーケストラのアレンジと松任谷正隆バンドのアレンジ。お互いがいかに吉田拓郎を音楽的に輝かせるか、その競演に(もちろんご両人は意識して競っていたというのでないだろうが)がすんばらしいのよ。ああ、なんか考えるだけで元気が出た。

 今日も元気に仕事して、夜は飲んだくれ、そして明日のwowowの放送が迎えられますように。

2019. 9. 7

 いよいよ今晩WOWOWのライブ放送であるが、家族と住んでいる人が、リアルタイムで視聴できるかどうかはひとつの問題である。昨夜の居酒屋のマスターとの議題だった。文句も言わずにお茶の間でゴールデンタイムのライブ視聴を温かく許してくださる家庭は、この世にどのくらいあるのだろうか。
 やはり私の場合は深夜1人静かに観ることになりそうだ。

    "幸福な家庭に幸福な拓郎ファンはいない"

という切ない格言を思う。なんか怒られそうな格言だ。まあ私の場合は自業自得だが((爆))。

 ともかくそれぞれの置かれた場所で心ゆくまで楽しみましょうぜ。

2019. 9. 8

 やっぱり、こうして観てもすんばらしいライブじゃねぇか。ハラショ。ボーカルも、歌う表情も立ち姿も、何から何までハラショ。それにしても、名古屋の拓郎こんなに歌がうまかったか。
 バンドも然り。個人的には2016年まではさんざん悪態をついてきたが、このバンドのグルーヴと美しいパス回しはとにかく圧巻だった。2012年〜のベストだと思う。今回こそ全員にベストを着せるべきだった。
 わけても村田昭。なんかカワイイ体形で愛くるしいイメージだったが、アップでみると目が笑ってなくて眼光結構鋭いぞ。クールな八面六臂の活躍がわかる。

 名古屋ではカットすると公言していた、拓郎のぷりてぃなツイストもかろうじて見られた。
 そして、なんといっても、客席を見やる時の拓郎の表情と眼(まなこ)、これがたまらない。”俺を許してくれ”のラストあたりからもう。レベランスの時の表情に、いちいちグッと来てしまう。

 やせっぽちのブルース、恋の歌、純、あの時は観られなかった細かなステージのプレイにフォーカスすると、ああ、こっちも、もっともっと素敵なノリ方があったんではないかと後悔にも似た気持ちが湧く。次はもっとイイ聴衆になるからさ。それに、このボーカルでもっと聴きたい曲もたくさんある。
なので
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…おお、もういっちょも、にちょうも、さんちょうでもやろうぜ。

 石野真子は「狼なんか怖くない」ではなく「私の首領」ときたか。
「私の足音」は「わたしの足音」なのか。「私の首領」も「わたしの首領」だったか。不覚。どっちも「私」と思っていた。長生きはするもんだ。
 ともかく祝、我が青春の石野真子 http://tylife.jp/uramado/ookaminannkakowakunai.html
 

2019. 9. 9

風がバタバタ鳴っている。タイフーン来たり。嵐の中に人の姿を見たら消えいるような叫びを聞こう。嵐の中でも焚き火を燃やせ。嵐の中では太陽が燃え、朝陽を見たかい嵐の中にも懐かしい歌が聴こえてくるだろう。今は嵐の季節…ってそれはちげーだろ。などと言ってる場合じゃない。皆様ご無事で。

2019. 9. 10

 2017年の阿久悠レスペクトコンサートのパンフ。”わたしの首領”は、当時の任侠?映画”日本の首領”からつけられたそうな。
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”日本の首領”…あったな。こういう映画は得意ではないが、調べると3部作で、佐分利信、鶴田浩二、片岡千恵蔵、菅原文太、三船敏郎、松方弘樹、千葉真一、渡瀬恒彦、梅宮辰夫、成田三樹夫、すげぇな。”オールトゥギャザーナウ”か。
 さしづめ吉田拓郎は片岡千恵蔵か。ある時はフォーク歌手、ある時はバンドのサイドギター、またある時は作曲家、ある時はアイドル、ある時はロックンローラー、ある時は会社社長…しかしてその実態は。

2019. 9. 11

文句ばっかり言ってなんだが、ライブCD音源が欲しいよ。これは音が聴きたいよ。あと写真。悪くはないけど、シャウト、笑顔、美しい立ち姿…もっともっとすんばらしいショットがあったでしょうに。

2019. 9. 12

 CD音源が欲しいと書いたが、同志の方の熱い私信に触れて意を強くする。御意。このボーカル、この選曲、この特筆すべきバンドサウンド、CD音源で是非聴きたい。i-podに入れて、行住坐臥いたるところで聴きたい。
 そういう音だけを分割する技術もあるのかもしれないが、スマホも持たないこのわたしにできるわけがなかろう。今までのようにDVDに付けてくれれば良かったのだが、もう間に合うまい。
 こうなった以上ライブアルバムが欲しい。いろいろご事情はあろうが、例えばフォークビレッジのテーマ、やさしい悪魔 、ありがとう、慕情などもできれば収録しコンプリートに近いものにしていただけたらもっと嬉しい。

 最後のライブになるかもしれないと本人が言い、しかもLIVE73の向こうを張るLIVE73yearsだ。美しいジャケットのライブアルバム、ご本人のライナーノーツが載せられたアルバムがあってもいいのではないか。

 映像はいろんなものを語ってくれる。だから、音楽だけでなく、リハーサルもバックステージもできるだけたくさん観たい。しかしそれとは別に、ソリッドな音楽としての音源の存在も必要だと思う。特に、このメモリアルなコンサートツアーだ。だからこそレコードでありアルバムという言葉があるのではないか。

 どうしていいかわからないけれど、そうですね。エイベックスにメールしてみよう。

2019. 9. 13

 力士の「嘉風」が引退というニュースがあった。相撲と関係なく生きている自分だが、オールナイトニッポンゴールドで聴いた嘉風の応援歌”人生は相撲みたいだな”が忘れられない。あの時は笑ったが、清々しくていい曲だな。調べたら粕谷大志というシンガーの歌らしい。というわけで、遠くからですが、嘉風関、お疲れさまでした。

 今日9月13日は、ドラマー島村英二氏の誕生日。9月12日は田家秀樹、13日は島村英二、14日は矢沢永吉と誕生日が続いている。なお長渕剛は9月7日とのことだ。みんな乙女座だ。私も同じ星座だ。
 いつか全員を集めて「乙女座会」を実施したいとずっと思っているが、なにせ私がただの一般Pなので実現する要素がない(爆)。ちなみに乙女座会というのは、乙女座の人々が乙女な気持ちで吉田拓郎を語りあう会のことである。実現したらどうなるだろうか。
 誕生日のみなさま良いお歳をお過ごしください。

2019. 9. 14

 いつもの居酒屋で、名前には聞いていた新宿の老舗居酒屋「どん底」のご主人と一緒になった。マスターも緊張してお迎えするようなビッグなお方だ。もう90歳お近いのに矍鑠として日本酒を飲んでいらした。
 何もなかった沼のような昭和20年代の歌舞伎町の話、田辺茂一さんの話、歴代の作家・芸能人の逸話、スペインの支店の話と…とても気さくに話てくださった。まさに生ける伝説である。…田辺茂一さんて拓郎のラジオのゲストに出て、「遺産ください」と言った拓郎が怒られていたよな(爆)。今の朝ドラ「なつぞら」でリリー・フランキーが演じている。
 朝ドラといえば、ご主人は、NHKの朝ドラ「鳩子の海」のモデルだったそうだ。おお。原爆で記憶を失くした子役の斎藤こず恵が、戦争中、線路を歩きながら機銃掃射にあったところを夏八木勲が身を挺して助ける出会いのシーンが忘れられないと私が涙ぐんで話すと、喜んでくださり、そのシーンのために山口県にロケハンに行った話を聞かせてくださった。山口県が舞台だけれど、本当は広島ご出身で広島を舞台にする予定だったそうな。

 新宿でどん底を開店したころは、みんな貧しくて一杯だけ呑むと酔いが回るようにみんな外に出て走っていたと。ああ、飲んでは走る…その話、確か82年の王様達のハイキングの秋のツアーのMCで聞いたな。若い頃まだブレイク前の拓郎は新宿で呑んでは走っていたと。ホントだったんだ。
 まだまだ聴きたいお話がたくさんあった。というか、やはりそこにたどり着かなくてはならない(爆)。とにかく楽しくて貴重な夜だった。お目にかかれて光栄です。ということで来週は”どんカク”を飲みに行くことにした。この歳で新宿デビュー…大丈夫なのか。

2019. 9. 15

 つらつらと思い出す。田辺茂一がラジオのゲストに出たのは、拓郎と小室さんの”ヤングタウンTokyo”だった。

 記憶では、田辺茂一は、まるで酔っぱらいみたいで、ダジャレばかり言って、拓郎たちとハナシがまったく噛み合っていなかった。さすが列伝系のお爺ちゃんという感じだった。覚えているのは「ゴホンといえば龍角散ってあるけど、御本といえば紀伊國屋なんつってな(笑)」。
 番組が思うように進行しないので、結構辟易していたと思われる小室さんが、「一代で創業して紀伊國屋をここまでにできたのは、時代も良かったんですよね。」と捨て鉢なことを言った。
 すると田辺茂一は、初めてまじめな声のトーンになって「なんでも時代のせいにしちまえば楽だよな。」と結構スルドイ事を云ったのである。これは、後に田辺茂一の名言のひとつになっているらしい。ただの爺さんじゃないなと俺も思った。
 番組終了間際に、拓郎がお茶目に「ボクに遺産を少しください(笑)」と言ったら、「そんなに甘いもんじゃねぇっ」と一喝して帰ってゆかれた。面白かったな。

 後に”うのひと夏by高杉”で
"ありのままに生きられぬことがあれば
  それを時代せいにしてしまえ!"

と歌う。田辺茂一へのアンサーだったら面白いのにと・・・夢想する。

                   ☆新宿あたりで、時代のせいにしてしまえ

2019. 9. 16

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 書店で衝動買い。

 吉岡乾著
 「現地嫌いのフィールド言語学者かく語りき」
   〜はやく日本に帰りたい
 
 言語学も何もわからないし、おそらく拓郎とは何の関係もないけれど、このタイトルだけで”ああこれは吉田拓郎だ”と思った(爆)>案の定「消えていくもの」という章はあるものの拓郎は全く関連していない。

 インド・パキスタンの山奥にだけ残る希少言語を専門に研究しながら、その現地が嫌いで、現地に赴くだびに、いつも日本に帰りたいと願っているいう研究者。79年生まれなんで年齢はkinkiくらいだな。
 “フィールド”というからには、旅とか冒険とか登山とかキャンプとか、はたまた現地の人たちとのコミュニケーションや触れ合い…そういうアウトドアチックな世界が大好きな人かと思いきや、この筆者はことごとく正反対に、内向的で、家が好きで、人と話をしないでも平気でいられる性格で、毎回はやく日本にかえりたいという必死の思いでに海外のフィールドに出かけて行く。そこに宿る仕事への愛と苦悩が佃煮のようになっていて面白い。

 具体的には吉田拓郎と関係ないが、大いなる魂の通底を感じた。

“インドア派、アウトドア派があれば、僕はインドア派だ”という話が、ラジオでナイトでもあったと思う。

 生来のインドア人間が、アウトドアの極致を生業にする。

 そこなんだよな、自分にとっての吉田拓郎は。

 個人的には、まさにだから吉田拓郎が魅力的で、だから吉田拓郎が時に歯がゆくて、だから吉田拓郎が信頼でき、だからこそ好きなのだ。

       ☆だからこそ例えば”人生キャラバン”とかが胸に迫ってくるのよ。

2019. 9. 17

 昨日の吉岡乾さんの本の最初の方に“すあま”好きと書いてあって魂が揺れた。関西で理解されないという悲痛な叫びにも涙した。もっとも関東でも同志に会ったことはない。常に美味の“すあま”を求めているが、いつだって孤独な旅の途中である。

 昔、武田鉄矢が吉田拓郎のことを“帰りますシンガー”と称して、拓郎本人が大爆笑していたのを思い出した。“帰れコール”の時の話だったのだが、言い得て妙だ。思えば私のヒーローはいつも帰りたがっていた。
 「家路」というと浜田省吾だが、家路を歌った歌は拓郎のほうが多いのではないか。

         ☆この道が大好きだからこの道まっすぐ家に帰ろう家路を急ぐ人

2019. 9. 18

 “渡る世間は鬼ばかり2019"を観た。いいのかな、こういうタイトルで。まさにエンディングを奏で続けているかのような長寿ドラマ。もはや観るか観ないか、面白いかどうか、クオリティがどうとか関係ない。やれば観るしかないのだ。 私的にはあくまでも山岡久乃さんのドラマであり、亡くなって20年経っても、やはり彼女の姿が浮かぶドラマなのである。たのもしい気骨とやさしさとなにより市井の人としての凛とした気品があって大好きな女優だった。こういう女優さんて今はいないよね。

 山岡久乃といえば、ミツカン酢のCM。そこに流れる当時の新曲”吉田町の唄”。この稀代の名曲がなんでミツカン酢のCMなんだよという声もあったし、私も思った。しかし、これはミツカン酢のCMではなく、”吉田町の唄”のプロモーションビデオに山岡久乃さんが出演してくれていると思うことにしてきた。

 もうひとつ渡鬼の思い出として、一時期わが青春の石野真子がレギュラーで出演していことがあった。”おおーマコちゃん、橋田ファミリー入りか”と喜んだものだが、数回出演しただけで、次のシーズンではなんと急死したことになっていた(爆)。怖ぇぇ。真子ちゃん「だってあの人の書くセリフしゃべりにくいんですもの」とか言って、”わたおにの首領”を怒らせたのだろうか。

 ☆エンディングを奏でる(爆)山本コータローも観られる、観たいかどうかは別にして。

2019. 9. 19

 “わたしの足音”のオープニング。何回でも観たい、聴きたい、唸りたい。渡鬼なんか観ている場合ではなかった。そして何回でも言うが、作品、歌、演奏そして最後かもしれない一世一代のライブのオープニングにこの曲をもってくる拓郎が心の底から素晴らしい。

 この国には、老いると@歳はとっても若い頃と変わらず元気かA歳をとって枯れ円熟して渋くなったか、そのどちらかしかない。そのどっちかにキレイに収まらないと認めてもらえない。ここには、@でもAでもない、老化という名の成長とでもいうような清々しい魂がある。
 70歳の矢沢永吉がどんなにカッコよかろうと、小田和正が自転車でライブ会場を走り回ろうが、やっぱり吉田拓郎なのである。

 それにしても長かった。2009年のラストツアーから2012年のライブ再開までもすげー長かったが、2012年から、この2019年のライブを得るまで、これも私には長い長い道のりだった。

           ☆だからライブCD出しとくれよ、大事に大事に聴くから。

2019. 9. 20

 ファンをなのれるほどのものではない自分だが、太田裕美のことはどうしたってショックだ。応援にも何にもならないが、昨夜も帰りの電車でi-podに聴き入った。
 “しあわせ未満”は、今でも聴くしカラオケで歌うと泣きそうになる。男はいつも二通り、女もそんな二通り、人間なんて二通り…ああ二人春を探すんだね。…悔しいけれど泣けるぜ、松本隆。
 “赤いハイヒール”は故郷訛りが消えないおさげの少女が就職で東京駅に着いたところから始まる。もう勝手な思い込みでしかないが、私的には”制服”の集団就職の少女たちの続編としか聴こえない。岡本おさみと松本隆の見事な連携・引継ぎ・パス回しを夢想する。実際は関係ないんだろうけどさ。
 そう思うと”失恋魔術師”が一番残念な作品だ。なんだこりゃ。しかし吉田拓郎×太田裕美には”背中合わせのランデブー”というひとむれの名作たちがある。これはいいよね。
                    ☆ご無事とご快癒を祈っております。

2019. 9. 21

昨夜は、"どん底カクテル"を飲み過ぎた。これを好きなピープルを"どんファン"というらしい。あなたの名前を知らなきゃ新宿の街ではよそ者あつかい。
      ☆ また松本隆か

2019. 9. 22

 歴戦の拓郎同志Tくんら地元の小中の同級生数名でそれぞれの9月の誕生日を互いに祝いあった。ありがとう。地下のいつもの酒場と夜景を見下ろす居酒屋、楽しゅうございました。
 それにしても”あの頃、学校で誰のことが好きだったか”という話題だけで、なぜいつもこんなに長時間、海よりも深く空よりも高く盛り上がってしまうのか。拓郎もかつて広島の同級生と飲むと同じようなことを言っていたから、きっと人はそういうものなのだろう。というか、そういう他人からは他愛もない、超絶どーでもいいそのことが人間にとってかなり大事なことなのかもしれない。それを共有できる数少ない人間たちがともかくこうして元気で集まれることの幸せを感謝せずにいられない。♪ああ、きっときっと飲もうぜ、またここで。
        ☆確かに、店長が武部聡志に似ている、髪型もさ。

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2019. 9. 23

 それぞれのかけがえのない"つま恋記念日"おめでとうございます。不肖私の思い出は「翼よ、あれがつま恋の灯だ」http://tylife.jp/chiisanasakebi.html#20060923

 ともかく一時の存亡の危機を乗り越えて広場は今もそこにある(2019年6月13日撮影)。それだけで涙ぐみそうになる。
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“ただのなんにもない広場じゃないか、バカじゃねぇの”と世間の多くのヤツラは嗤うだろう。しかし、このただの広場を観るだけで、どうしたって魂は燃え上がり、壮大なドラマと音楽が脳裡を駆け巡るのを禁じ得ない。大きなお世話だが、どちらが豊かな人生であろうか。
 最近、日々いろんな駅や公共の場で見かける「多目的トイレ」。「多目的」の文字を見ただけで、背筋が伸びて胸が熱くなろうというものだ。…ここまでくると豊かなのかイカレているのかわからないが。

 “星の王子様”のキツネ曰く「もし君が僕をなつかせたら僕らはお互いになくてはならない存在になる.何を見ても君を思い出す.」…ただの広場が人生のかけがえのない場所になる。このことだったのか。
聖なる場所とはよく言ったものだ。聖地よ、永遠なれ。

 ☆もちろん南でも桜井でもなく吉田と私たちの聖地として永遠なれ。すまん。
 
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             (著者近影)

2019. 9. 24

心ゆくまで2019年を素晴らしい作品として完成させておくれ。こちらも全力で耳を澄まし目を見張り楽しむから。「好きになったら全力」がこのサイトの最近の合言葉だ。最後とか約束とか撤回とか何があってもへいちゃらだ。長い年月かけてそういうファンに鍛えてあげてくださったのがあなただから。

2019. 9. 25

 例えば、<収録曲>アゲイン(完成版)/ぼくのあたらしい歌/この街/運命のツイスト/わたしの足音/ああグッと他全10曲…とかでアルバムを作っちゃったりしないんだな。
 いや、そうして欲しいとか、逆にそうするなとかいうのでもないが、こうして折に触れてやってくる新曲たちの居場所というか位置づけを思ったりもする。それともこれらはやがてのアルバム作成の経過報告みたいなものなのか。"ニューアルバム"・・・ああ、この甘美な響きよ(爆)。まあ、まだ早いのかもしれないが、コンサートも終わってしまうと気持ちはアルバムの方向にゆっくりとそぞろ歩きを始めるというものだ。

2019. 9. 26

 ドラマ“監獄のお姫さま”以来、CM以外で満島ひかりをあまり観ないがお元気だろうか。あがるあがるよ消費税という昨今、満島ひかり主演映画「川の底からこんにちは」を思い出す。この映画の中の「木村水産社歌」がすんばらしい。youtubeにも上がっているので容易に観られる。
 ついつい満島と一緒に朗唱してしまう。消費税対応に汲々とする日々、倒せ倒せ政府〜のシャウトが快い。

  木村水産社歌

  上がる上がるよ消費税
  金持ちの友達一人もいない
  来るなら来てみろ大不況
  その時ゃ政府を倒すまで
  倒せ倒せ政府
  シジミのパック詰め
  シジミのパック詰め
  川の底からこんにちは

  一度や二度の失敗と駆け落ちぐらいは屁の河童
  ダメな男を捨てられない
  仕事は基本つまらない
  中の下の生活
  所詮みんな中の下
  楽しいな楽しいな
   (セリフ 中の下 中の下
    どうせ大した人生じゃないし
    鼻っから期待してませーん)
  しじみのパック詰め
  しじみのパック詰め
  川の底からこんにちは

 いいねぇ。こういうのも音楽のチカラだね。

 後半に連呼される”中の下”。どうしたってこんな歌も思い出す。

   もうすぐ冬が来る わが人生に変わり無し
   中の上あたりは昔も今もない
   もうすぐ春が来るわが人生に悔いは無し
   中の上あたりはいたって心地よい

 これはこれでまた別の角度から心にしみるように差し込んでくるわけで、中の上と下の間を行ったり来たりさすらいながら、さすらえなくなったらその時ゃ政府を倒すまで。

2019. 9. 27

 満島ひかりといえば大竹しのぶと共演したドラマ「それでも生きてゆく」が忘れられない。鬼気迫る演技対決を胸かきむしられるようにして観た。不世出といわれた大竹しのぶの後継女優が現れおったと驚いたものだった。あまりの衝撃にDVD-BOXを買ったが、よっぽどの体力と気力と覚悟がないとおいそれとは観直せない。

 中島みゆきの”ファイト”については、吉田拓郎と満島ひかりが不動の二大カバーだと思う。なんの権威も権限もないが勝手に認定する。中島みゆき・吉田拓郎・満島ひかりを結んだ大三角形の中に”ファイト”はあるといっても過言ではない。・・・って自分でも何言ってるのかわからないけれど。

2019. 9. 28

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 80年代初めでもこんなふうに雑誌の表紙を飾り、そんな雑誌が書店の店頭にならんでいたのだった。今、そもそも書店自体が激減している。昔のことを話してもしようがないと言われるかもしれないが、全然しょうがなくない。しょうがないのは雨の日の公園の魚釣りだけだ。ってか公園で魚釣っちゃダメだろ。

"紙でつくられた物質としての本は、いまはもうここにいない人たちの声の証になる。それゆえ、本はどのような時代にあっても物体である必要がある。
 (略)傷や汚れこそが、その声が長いあいだ誰かに守られて生きのびてきた証拠で、傷や汚れを手で触れたり目で確かめることがそのままそこに流れた時間の確認になる。(吉田篤弘「京都で考えた」p.30)"

  音楽も同じだと僭越ながら思う。自分も何かと音源、音源と騒ぐが、究極、音源も美しいジャケットやライナーとともに物体として残されるべきではないかと思う。

 さて、家人が出払って一人だ。名古屋センチュリーホールに魂をとばすぜ。
 Have a nice weekend みなさま9月最後の良い週末を。

2019. 9. 29

 さすがにラグビーのアイルランド戦は燃えたが、自分はラグビーは門外漢でよくわからない。ただ甥っ子が高校・大学・社会人とラグビーをやってきたので、この十数年、一番たくさん生で観戦したスポーツになってしまった。ワケわかんないまま親戚一同に連れられて花園ラグビー場の近くの宿で年越ししたこともあった。あのとき選手としてはイマイチ不遇だった甥っ子に対して、とても優しくしてくれ可愛がってくれた松島くんという上級生がいたが、それが今をときめく松島幸太朗選手なのだと知って心の底から感動した。とにかくラグビーも凄いが、すげーいいヤツなんだよ。もう応援せずにいられない。

 いいヤツといえば、コンサートでも映像でも見落としてしまっていたけれど、73yearsのアンコールの「人生を語らず」。キーボードの村田昭は、右手で鍵盤弾きながら、左手で"超えてゆけ そこを"と拳を振り上げていたんだね。すまん、もっと早く気づいて徹底的に讃えるべきだった。いいぞ!村田ぁ!
 まだまだ、いろんなものを観きれていないなと思う。

2019. 9. 30

 "純"…やっぱりイイ。ちょっとラフに歌うライブバージョンも魅力だ。慣れないのは、“より強くしたたかにタフな生き方をしましょう”→”したたかに強くなりタフに生きてみせましょう”。街角で仕事場で地下鉄の中で小さな声で練習ちう。ひとつりでブツブツ言ってる危ないおじさんがいたら私です。

2019. 10. 1

 今年"純"のステージデビューで嬉しかったことのもう1つは、以前から何度かトライしていたことがわかったことだ。一度ダメでも捨て去らず、そんなふうにトライを繰り返しステージにあがる曲もあるものなのだな。今年アウトになった約10曲もいつかどこかで逢えるのかもしれない。
 その中に"RONIN"があったかどうかは知るよしもないが、いつかは、この曲もライブで聴けるかもしれないと超極細の希望の糸を繋ぐ。だってあの映画の部品のひとつでしかないのはあまりにもったいない。それに放っておくと余計な歌詞をくっつけられたりしてロクなことになりゃしない。"唇をかみしめて"のように映画主題歌からは独立した作品として歩んでほしい。ということで武田鉄矢から"RONIN"を奪還するぜよ((爆))。好きな曲聴けないで何が青春じゃ。

2019. 10. 2

 10月30日の「LIVE73years」のDVDの発売を待つ身である。待ちながらふと思う。そうだ、ちょうど40年前の10月にはライブアルバム「TAKURO TOUR 1979」の発売を待つ身だった。待つ身といえば待つ身の辛さがわかるから急ぎすぎてしまう歌、シングル"春を待つ手紙"も同時発売だった。おーこれも40年。本人作詞なのになんで今年歌わなかったんだろ。今年のライブには悔いも不満もないが、まー"RONIN"といい"春待つ"といい、あれといい、これといい、待つ身の極(曲)が多すぎる。こりゃまたツアーやるしかないんじゃないか。おい。

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 それにしてもこの豪華箱盤、写真満載のライナーノーツ、ピクチャーレーベル、そのうやうやしい装いがメチャクチャ誇らしかったもんです。帯のところの"再び心臓に火がついた 感動できなきゃ 人間ヤメだ"にも燃えたな。
 "人間なんて"のAB面をいかにスピーディーにひっくり返すかに腐心しグギーとか音を立てて失敗した・・・そんな顔も知らない同志たちよ。なにもかも40年だ。おめでとう。というか40年経っても待つものがあることにおめでとう。
  "40年もったものは100年もつ"という松本隆の言葉を胸に刻む。松本隆・・・いけすかないけどこの言葉は信じている。

2019. 10. 3

たまたま男子バレーボールをTVで観たが、凄くなってんだな今の男子たち。隔世の感がある。もはや"猫田があげる、大古が打つ"は昔か。そういえば拓郎家のクリスマスパーティーで「…拓郎さん、猫田ってなに?大古ってなに?」って尋ねたという森雪之丞を思い出す。あの話好き。

2019. 10. 4

 1980年10月4日は新宿西口でのTONYのイベントと吉田拓郎オールナイトニッポン第二期放送開始の記念日だ。もういい、なんでもかんでも毎日が記念日でいいじゃないか。
 ラジオは初回にもかかわらず、後輩歌手への苦言や前回のオールナイトニッポンの電撃終了の背景事情など結構キビシイ話題が続いた。なので突然、呼ばれてもいないのに泥酔で乱入してきた中村雅俊(ご夫妻)と草刈正雄のバカ騒ぎに救われた感もあった。初対面の草刈正雄に対して拓郎は「イイ男ですね、自分でもイイ男って感じますか?」って(爆)な質問していておかしかった。

 歳月を経て、中村雅俊は昨年の朝ドラ「半分青い」で孫思いのやさしい仙吉爺ちゃんを好演し、今年の「なつぞら」では、草刈正雄が無国籍のヒーローのような開拓者の爺ちゃんで人気を博した。草刈正雄くらいカッコイイ爺ちゃんだと、広瀬すずにも”爺ちゃん大好き”とウルウルしながら言ってもらえるし、清原”透明なゆりかご”果耶を抱きしめても誰も”スケベジジイ”なんて言わない。ってか、自分も含めてあの抱擁に涙ぐんだ人は多かったはずだ。

 かつてYOKOSOの時に、拓郎は、役者のオファーが時々来るけれど「祖父」の役と聞いて断っていると言っていた。いやもったいない。拓郎にも、広瀬すずや清原果耶を抱きしめてもOKな美しい爺さんのたたずまいがある。そこが泉谷しげるとの根本的な違いだ(爆)。泉谷だと”きたねーな、じいちゃん"とか言われそうだ。てか、それが自分も含めフツーの老人なワケで、今さらカッコよくなりたいなんて思いもしないが、ただ清潔な老人でいたいとは少し思う。


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             ディランの「欲望」のような帽子でキメるTONYの吉田氏

2019. 10. 5

豪華箱入盤"TOUR1979"と共に40年前"春を待つ手紙"発売。心沸き立つ篠島の水中翼船のシーンはDVDではとっくにカットされているんだな。永らく放置されたが2009年にその片鱗が、そしてついに2011年に震災復興の公録で姿をみせる。そして2018年の"From T"のオープニング曲に。歳月が深めるこの曲はこれからどこへゆく。待つ身の辛さがわかるから急ぎすぎ気づいた時には月日だけ歳をとる。

2019. 10. 6

 DVDの予約をしなくては。昨年の”From T”は、予約特典なんかいらねぇよという豪胆なファンであるポーズのためにあえて予約しなかったら、発売翌日になっても近所ではどこも手に入らず、あちこち涙ぐみながら駆けまわり、夜になって隣県のショッピングセンターでようやく購入したものだった。カッコつけるんじゃなかった。電網のチカラを借りないと音楽すらも手に入らない現代なのか。
 結局一日早く届けると豪語するTYISで予約することにした。カラオケボックスのオーディオ室を予約して、阿部寛の”結婚できない男”よろしく大画面で孤独な爆音陶酔鑑賞会をしちゃる。

2019. 10. 7

 金田正一さんの訃報。10年以上前、吉田拓郎のMCの舞台となった某焼鳥屋を訪ねた"追っかけ"の私だったが、もちろんそんなに都合よく拓郎ご本人がいるはずもなく静かに黄昏ていた。すると、突然、あの金田正一さんが来店してきたのだった。"よぉ!"ってな感じで、あのままの人となりに店内が、ぱぁっと明るくなった。誰彼構わず気さくに声をかけ、私にも「お兄さん、飲んでる?」と声をかけてくださった。
 現役時代の記憶は僅かだが、金田正一といえば、もちろん殿堂のレジェンドだ。しかし私にとっては球質の軽さに苦しむ星飛雄馬に400勝の自分の左腕を見せて"おまえだけの大リーグボールをあみだせ!"と貴重なアドバイスをくださった大切な人である。星飛雄馬になった気分で"お目にかかれて光栄です"と、その左手で握手していただいた。思ったよりも優しい手だった。金田さんは笑って「がんばりなさい」と言ってくださった。おお。何をがんばるのかって…そうだこの道をがんばってゆこうとあらためて決意した。これも拓郎がくれた素敵な一夜だ。金田さんあの時はありがとうございました。とりあえずがんばっております。心からご冥福をお祈りします。

2019. 10. 8

“運命のツイスト”…よく考えると凄いタイトルだな。ボブ・ディランの”Simple Twist Of Fate (運命のひとひねり)”と関係があるのか。オマージュとでもいうものか。でも御大は”血の轍”あたりからディランがダメになったと言ってたしな。しかし、まさに人生とは運命のひとひねりだ。何時、どのくらいひねられるのか。どうかお手柔らかに痛くないようにひねってくださいな。
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2019. 10. 9

映画 幕末青春グラフティRonin 坂本龍馬

 龍馬 ここは戦を避けて、騎兵を大事に使いましょう
 高杉 騎兵?…騎兵は長州のものでオマエには関係ないっ!
 龍馬 その騎兵が一人も死なんように思案するのがアンタの役目だろうが!
 (そして二人は袂を分かつ)

“騎兵が独りも死なんように思案するのがアンタの役目だろうが”
 いいセリフ、いいシーンである。しかし、しかし、武田鉄矢、アナタは気持ちイイかもしれないが、これじゃ拓郎がすげー悪者じゃん。拓郎ファンとしては辛い。俺だけかもしれないが(爆)。特に拓郎はバンドやミュージシャンをどれだけ大切にする人であるかをわかっているだけに憤懣やるかたない。これはむしろ拓郎の言うべきセリフである。”独りも死なんように思案するのがワシの役目じゃ”とか。

 武田、このセリフをどうやって拓郎に言わせるか思案するのがアンタの役目だろうが。

 そこに愛はあったのか。

2019. 10. 10

 今日はエルトン永田さんのお誕生日だ。おめでとうございます。あのピロリンという煌めくよう音色を久々に聴きたい。例えば今年のライブで演奏された”I’m In Love”の武部聡志アレンジの後奏のメロディ―が実に美しかったが、このメロディ―をエルトン永田のピアノで聴いたらさらに潸然として涙下りそうな気がする。失礼かもしれないがそこはただの一般Pのファンの自由だ。
 ともかくエルトンさんはじめすべての素晴らしいキーボードディストの皆さん、どうかその音色で拓郎を包みこむように鳴らしてほしい。

 吉野彰さんのノーベル化学賞受賞もおめでとうございます。素晴らしい技術はもちろんとても魅力的な方のようだ。しかし71歳。拓郎より歳下か。・・・そう考えると拓郎って若いよね。吉野さんがシャウトしたりツイスト踊るって想像つかないもんね。いや、これこそ失礼だ。座右の銘が”実るほど頭が下がる稲穂かな”だそうだ。おお。

2019. 10. 11

 誕プレといって名前入り定期入れをいただいた。ありがとうございます。嬉しいっす。定期券というと例の拓郎ファンの故K君を思い出す。見せてもらった彼の通勤定期券の券面はキチンと”4.05まで”になっていた。ちゃんと4月5日が期限になるように計算して買うのだそうだ。名前もしっかり"吉田拓郎"になっていて驚いた。おい有価証券偽造罪とかじゃないのか(爆)。すげえ。凄いファンがいたものだ。この全力感がつくづくとすばらしい。ヘタレの自分はこうして時々彼の全力を思い出して背筋をただすのだ。

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 タイフーン来たり。もう勘弁してくれ。どうか皆様ご無事で、祈るしかない。

2019. 10. 12

 台風が来るというのに昨夜は居酒屋でNinjin design Office社の採用面接と思われる会合。優秀なシステム技術、NHKアナのような落ち着いた美声、現役スイマーと申し分ない青年のうえ、若者なのにこのサイトを観て「あ、拓郎さんですね」と反応してくれた。「拓郎さん」…嬉しい。しかも”吉田”とくれば即採用。とりあえず社長になってもらうようだ(爆)。

 さて台風。いろいろできることはしたが、どうすりゃいいのか。もう木の葉のように舞うだけ舞うしかないのか。いやいや、九州の拓郎ファンのねーさんの「最大限の台風準備して最小限の被害にとどめましょう。どうかどうかご無事で。」という言葉を胸に刻む。とにかくとにかく皆様ご無事で。吉田拓郎を味わう私たちの平和な日常が必ずや回復しますように。

2019. 10. 13

 各地が大変なことになっている。皆様、ご無事ですか。台風前夜に飲んだくれていたことを家人にきびしく指弾されたが、一国の首相も同じ前夜に台風対策閣議を6分間(速っ)で済ませ、あと3時間以上高級フランス料理店にいたと"首相動静"にあったので…俺を許してくれ。ダメか。

 増水している川を見に行くなという鉄則があるが、川べりの町の住民は、そんなこと言ってる場合じゃなく見に行った。川べりの公園の遊具もすべて濁流の下で、ああこれはもう決壊だと目の前が真っ暗になった。川べり住民の宿命だ。そもそも川べりをリバーサイドとかいって喜ぶのは井上陽水くらいのものだ。
 不思議なもので水位を見に来て茫然としていた見知らぬ老若男女、ヤンキー、じじばばのみんなの間に連帯感みたいなものが芽生え、お互い励ましあう。普段は口もきかないご近所も助け合った。切れそうな堤防を前にみんな同じ船で難波しそうになっている水夫みたいなものなのだと思った。
 レベル5の報道に心配してくれた方のメールや書き込みも心にしみた。ありがとうございました。結局、人は人でしか救えないのだと思う。いや、川も堤防も必死でがんばってくれたよな。

 「今まで経験したことのない」というニュースの言葉を聴くたびに、緊急時にもかかわらず、”つま恋75”の映像が浮かんできて困った。あんときゃ誰もがあのイベントをそうやって賛じていたので刷り込まれてしまった。ともかく大急ぎで階上に大事なものを運んだ。食料とか吉田拓郎のCDとか靴とか吉田拓郎のパネルとか家電とか吉田拓郎の切りぬきとか、衣服とか吉田拓郎の書籍とか…”不要不急”なものは後にしろとまた家人の怒りを買うわけだが、私にとって吉田拓郎は不要不急ではない。というか”これしか大事なものはない”と言いそうになって止めた(爆)。

 おかげさまで川はの水位はギリギリで守られたが。上流は氾濫してしまったし、各地の被害の甚大さを知るにつけ喜ぶどころではないし言葉もない。私のような輩は、こういう目に遇わないと他人に起きていることの僅かですら想像もできないのだ。平和に拓郎が聴けることがどんなに貴重なことなのかもつくづく思い知るのよ。

2019. 10. 14

 ラグビーは凄いな。ボロボロになりながら攻撃を食い止めようとするさまは、まるであの川の堤防のようだ。あんなに満身創痍になってしまって次の試合が心配になる。それもおんなじだ。
 深夜、片付けをしながらwowowで甲斐バンドをツラツラと観た。新宿のあの広場はTONYで拓郎が歌ったあの場所でもある。結局ココって歩道橋の上とか高架の上からタダで観た人がたくさんいたんじゃないだろうか。ああ、キーボード竹田元て、SATETO、ドームの時の彼だ…と気を散らしながら観ていたが、やがて甲斐よしひろのボーカルのすんばらしさに引き込まれてゆく。うーむ、いい声だな。続いてのプログラムは甲斐バンドの解散ツアーだろうか。おお”今夜の最高のクイーン”中島みゆきの登場だ。クールにギターを弾いている姫。”つま恋2006ぬるい事件”… 私だって観てたらアイツとどっちが好きなんだよと言いたくなる(爆)。そういうことではないか。
 もうボーカルに加えてバンドが鉄壁でグルーヴがもの凄い。ランデブーや観覧車あたりの無敵の装甲感。凄いバンドだなとあらためて思う。

 なのに心の底から申し訳ないが、甲斐よしひろ、浜田省吾、いずれも超絶素晴らしい大好きなシンガーなのだが、ライブでのそれぞれの雄姿を観ていると「助さん、格さん、存分におやりなさい」という気分にならない? オイラはなる。何の裏付けもないうえから目線。すまん。助さん、格さん、ご老公をもう一度旅に連れ出しておくんなさい。

2019. 10. 15

 ノーベル賞吉野彰さん、プロポーズに吉田拓郎とはすんばらしい。ハラショ!ブラボ! そこまでのお方と見込んでのお願いです。是非ノーベル賞授賞式にジーンズ姿でご出席を((爆))。

2019. 10. 16


<吉田拓郎 最後の一文@>

 小説の最後の文だけを集めた「最後の一文」という本を読んだ。作品にはいろんな味わい方があるものだ。で、拓郎の歌詞の最後の一文を考えてみる。吉田拓郎は、何をその歌の結論とし、どのように締めくくっているのか。その”ラストシーン”から味わいなおしてみる。・・・あ、文法的には一文に限らないよ。


   風が吹いてきたようだ
   しのび逢いの風景が そこにあるだけ

                     (しのび逢い)

☆”君の歳月が僕と同じでないから困ってしまう” 愛と哀しみがよりあうような叙景を激情に走らず静かに描いた名曲。ああ、ジェイクの音色もたまらん。単調なメロディーが続くだけだが、いつまでもこの歌に浸っていたいと思わせる。そしてこの最後の余韻をもったしめくくりの美しさといったらない。いきなり結論だが天才詩人ばい。

2019. 10. 17


<吉田拓郎 最後の一文A>

 というわけで吉田拓郎の作品のラストシーンを味わう。

    誰もが口閉ざせ 愛する者のために

                      (うのひと夏by 高杉)

☆ 幕末の争乱の中の愛のドラマの最後をこう結ぶ。
 今の世の中も、自己表現、プレゼン、説明、報告、コミュニケーション、とにかく口を開かなきゃ回らない世の中だ。しかし大切なことほど語られず、薄っぺらな事でも喋ったもん勝ち、それが正義のように見える。ああうるさい、ああメンドクサイ。
 しかし、拓郎は違う。愛する者のためにこそ口を閉ざせ、という言葉で、この激動のただれるような愛の物語を締めくくっている。ここだぜ、吉田拓郎の真骨頂は。

2019. 10. 18


<吉田拓郎 最後の一文B>

   死んでやっと僕の胸を熱くさせましたよ   
   死んでやっと僕の胸を熱くさせてくれましたよ
                       (おやじの唄)

   あなたに逢いたい あなたの声が聴きたい
                       (清流)


☆歳月を隔てて二つの歌があり、それぞれに最後のしめくくりがある。
 “おやじの唄”は愛憎を超えもはや恩讐のような、その尖がった歌とその最後の微妙に違うリフレインに涙ぐみシビレた。A面の"旅の宿"の30倍くらいのインパクトを感じたものだ。

 それから四半世紀経って”清流”と出会う。正確にいうとその少し前に”吉田町の唄”という前駆があった。"清流"は、武装解除したように、尖りも構えもなく、しみじみとした“後悔”が綴られていた。
 “後悔とはかつてそこに愛があった証である”(フィンランドの諺・・・だがたぶん是枝裕和)。
 自分の勝手な思い込みだが、“おやじの唄”を第一章 “吉田町の唄”を第二章とすると最終第三章が”清流”なのかもしれない。
  清流の最後の一文が、この作品ではなくすべての章の最後の一文なのかもしれないと思ったりもする。
 “あなたに逢いたい あなたの声を聴きたい”…歳月を経て流れ着いた結晶のような結論である。

 それにしてもさ、同じ歌を何十年も歌い上げる歌手はたくさんいるけれど、何十年の間にこうやって人生のグラデーションをつけて描き歌う歌手っているのかな。田家秀樹さんが言った”吉田拓郎は男の一生を歌っている”というのはまさにそのとおりだな。

2019. 10. 19


<吉田拓郎 最後の一文C>

 こういうあまりにメジャーな作品は外そうと思ったのだが。


    だから明日に向って走れ こぶしを握りしめて
                    (明日に向って走れ)



☆夏目漱石「坊ちゃん」の有名な最後の一文に
 “だから清の墓は小日向の養源寺にある。”
 とある。この”だから”を井上ひさしは、「日本文学史を通して、もっとも美しくもっとも効果的な接続言」と絶賛した。こういう件だ。

“死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。”

 この清の言葉を聴いた”おれ”がどう思い、どう返事をして、どうやって清を墓に埋葬したか等は一切語られず「だから」と無条件に最後に結ぶところに、かえって”おれ”の思いの深さが浮かび上がる。確かに見事な”だから”だ。

 この“だから”の話を聞くとついついこの歌の”だから”を思ってしまう。

 “明日に向って走れ”は“満身創痍”の歌だと私は思う。愛する人との別れ、もう心は揺れても逢えない、笑って消えてしまうノアの方舟、夢は消え、残り火に身体を寄せる、それでもズカズカと心に入り込んでくる輩、そしてこの肩にのしかかった重き罪を思う。もちろんご本人ではないのでひとつひとつの具体的な意味合いはわからない。でも、あらゆる痛手を受けて満身創痍の苛酷な状態の中にいることだけはわかる。
 それらのひとつひとつの痛手をどうするか…そんな小賢しいことは一切語らず、拓郎は、押し寄せてくるものを全部まとめて「だから」と無条件で受けとめ、こぶしを握りしめて明日に向って走れと最後を結ぶ。この”だから”には、泥沼から立ち上がってゆくような吉田拓郎の力強さと深い魅力が宿っている気がしてならない。
 だから日本音楽史を通して、もっとも美しく切なく効果的な”だから”は、これであると思うのだ。

2019. 10. 20

 サンマが不漁らしいが、ここのところ居酒屋では毎回サンマをいただいている。若い頃と違って骨まで愛してしまうと危険なのでほどほどにしている。先日は同年の画伯と二人で並んでサンマを食べた。彼の食べ方も愛に満ちていて芸術の域にあり感動した。二人で無心に食べながら、なんかピアノを連弾しているような気分になったものだ。サンマよ永遠なれ。
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<吉田拓郎 最後の一文D>



     やがて僕たちは不思議な夢を
              思い出す日に向って進む
                        (渚にて)


☆小学生の頃、母親とテレビのたぶん深夜劇場で観た”渚にて”という映画があったが、この歌とは関係ないみたいだ。潜水艦も原爆もグレゴリー・ペックも出てこない。あ、でも、グレゴリー・ペックと吉田拓郎は同じ誕生日なんだぜ。
 渚を歩きながら今まさに別れんとする傷心の二人。恋人時代への哀惜を語るちょっと大仰な詞に、なんかチョイダサの演歌スレスレのロディ―と歌いまわし。しかし聴いていると頭から離れなくなる。
 拓郎はこの男女の別れのドラマの最後を悲しみとか哀惜ではなく不思議な言葉で締めくくる。

  やがて僕たちは不思議な夢を 思い出す日に向って進む

 まるで映画のラストシーンのナレーションのような最後の一文。良い意味でも悪い意味でも、最後の一文が微妙に浮いている。
 “そんな時代もあったねといつか笑って話せるわ”と姫が歌ったのと似ているようで、でも微妙に違う。もう少し日常的で、もう少し陰々滅々として、もう少しウシロメタイものも含んでいる気がする。そこがいい。
 この最後の一文が、あんな時、こんな時、ふと頭の中に流れる。友よ、同志よ、その日に向って進もうではないか、というアゲアゲな気持ちになったりするが、そういう歌ではないんだろうな。

2019. 10. 21

 wowowで”ボヘミアン・ラプソディー”を字幕、吹替版と2回観てしまう。吹替版は、どんな声なのかという興味と、もしかして♪お母さ〜ん・・・と唄まで吹替になっていたらどうしようという心配(爆)で観たが、ついつい引き込まれてまた最後まで観てしまった。若い頃はカッコつけて映画は字幕版しか観なかったが、最近は字幕を追うのも辛いし、吹替の方がセリフだけではないニュアンスがよくわかったりすることもあるので捨てたもんじゃない。“アルフ”なんて所ジョージじゃなきゃ絶対ダメだもんね。なんだそりゃ、知らねーよ。


<吉田拓郎 最後の一文E>



    夢だよ また夢を見たんだよ
    俺だけ わかるさ 俺を
            (あの娘に逢えたら)


☆”あの娘”をあちこちと探し回る唄なんだけど、この最後の一文は、酩酊している男の孤独感・絶望感が半端なくにじみでている。自分はそう感じる。拓郎の唄には珍しく“新宿”という地名が出てくる。新宿のあの魔界独特の盛り場な町並みの中で、泥酔しながらやさぐれて彷徨っている拓郎の姿が浮んでくる。このボーカルがすんばらしく、ゆったりとよく伸びていてソウルに響くんだよな。いっそう最後の一文がしみてくる。歌う、歌うっていいながら結局2019年も歌わなかった。今年のボーカルならイケたのではないか。

2019. 10. 22


<吉田拓郎 最後の一文F>

 “旅”を最後の一文とする作品をどれにするか迷った。いずれも超絶名作だ。迷いに迷ったので全部並べてみた。1980→83→84→89と年代順だ。


   心のあるままに 足の向くままに
        疲れ果てても 旅はまだつづく
               (熱き想いをこめて)

   人はいつか走れなくなるまで
        はるかな夢を抱いて 旅を続ける
                (マラソン)

   大阪行きの電車は何番ホーム
         繰り返し 繰り返し 旅に出ている
                (大阪行きは何番ホーム)

   神は必ず旅を許される
                (遠い夜)


☆ああ、滋味きくすべき作品たちよ。こうして並べてみるとひとつながりの小さな叙事詩ように思えなくもない。そもそも旅とか旅行とか嫌いなお人のようだが、これほど生き方のイメージが旅な人は、兼高かおると吉田拓郎しかおるまい。日々旅にして旅を棲家とする吉田拓郎である。
 …そして2019年にまた新たに加わるのだ。


     一歩ずつ確かめて まだ見ぬ旅へ
                (私の足音2019)


☆"まだ見ぬ旅へ"だぜ。たまらん。どんな時代になろうとも、彼と僕らの足音だけを信じてまいりましょう。

2019. 10. 23

 昨夜は、藤島新&エルトン永田のライブに祐天寺・中目黒界隈まで。途中目黒銀座で迷子になり駒沢通りに出て救われた。方向感覚が劣化しているな。
 やっぱり生の空気を振動させる音楽はいい。歌声と音色に浸る。グランドピアノが鳴る。いいな。
 この会場は亡くなられた有名なキーボーディスト深町純さんが作られたものだそうだ。深町さんのことはあまり詳しく存じてはいなかった。1972年に吉田拓郎が深町純バンドと演奏したようだが(サイト「吉田拓郎大全集」より)、もはや私にとっては関が原の戦いや大塩平八郎の乱と同じ教科書の中の歴史事実であって、曲目も内容もどんな感じだったかすらまったく想像もつかない。

 深町純さん最後のオリジナル曲のデモテープのキーボードにエルトン永田のピアノがかぶる時空を超えた共演が印象的だった。

 昨夜ご一緒させていただいた中にバレエの大師匠がいらして、ライブ以外でもモンキーズショーや外国テレビドラマのハナシで世代を超えて盛り上がった。いろいろ楽しかった。
 ほろ酔い気分になって皆で駒沢通りを下って聖地の中目黒に向って帰った。行こう行きましょう、駒沢通りから。ああ、やっぱり拓郎だぜ。
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2019. 10. 24

 一昨日のライブのMCの中で出た"松任谷正隆のお取り置き"の話が面白かった。ささいなハナシだけど大切な話しのような気もするのでまた今度。備忘録。


<吉田拓郎 最後の一文G>



   今夜をどうぞ
   やさしいあの娘と一緒に待ってます
                 (午前0時の街)


☆最後の一文だから結論であり重要であるというつもりはない。ただ最後の一文から眺め直したらまた一寸違う味わいがあるのではないかというハナシだ。静かなるこの名作もこうして最後の一文だけをとりあげてみると、それだけで、またなんか涙ぐむくらいイイ。拓郎のやさしい“歓待”の気持ちがとてもあたたかくて嬉しい。待っててくださるなら、どこへでも。名古屋のイタリアンでも仙台坂でも町中華でも。我はゆく心の命ずるままに。

2019. 10. 25


<吉田拓郎 最後の一文H>



  海へ帰るよ 泳げないけど

               (海へ帰る)

☆最後の一文のすべでが美しく素晴らしいというわけではない。この最後はどうなのよという最後もあると私は思う。それらを避けて通るわけにはいかない。
 松本隆百花繚乱の名盤“ローリング30”。その本編ラストをあえて拓郎自作の詞で締めくくった心意気も、詞の本体、メロディ―、アレンジ、そして歌いっぷりもまずまず最高なのに、この最後の一文の残念感、ブチコワシ感が半端ない。”海へ帰るよ”まではいいのだが‥画竜点睛を欠くとはこのことかと思う。



<吉田拓郎 最後の一文I>



     今日で10日もいるなんて
     今日で10日もいるなんて 
               (楽園)

☆自分の心の底から湧き上がってくる…「それがどうした」を抑えることができない。だいたいイケないスモークからしてイケない。もちろん断じてディスっているのではない。涙ぐみながら訴えているのだ。



<吉田拓郎 最後の一文J>


    ヨールレイ ヨールレイ
    ヨールレイ レイ ホー
          (夜が来た)


☆…もう試練である。ああ神よ、あなたは私に何をおっしゃりたいのですか。おしえておじいさん〜、おしえておじいさん〜の唄とハイジのスキップが脳内に踊って仕方ない。

2019. 10. 26


<吉田拓郎 最後の一文K>



  あの空に浮ぶのは今日の雲
       それは昨日の雲じゃない
              (昨日の雲じゃない)


☆あたりまえじゃないかと思うような最後の一文だが、この世界の不幸の90%は、今日の雲と昨日の雲が同じ雲だと思ってしまうことが原因だといわれている(当サイト調べ)。”幾度も君に伝えたが すれ違うように時はゆく”・・・思い込みと思い入れの漬物のような私は、拓郎から怒られているような気分にもなる。

 同じ吉田でも拓郎さんではない篤弘さんの方の一節。

「・・・雲は刻一刻とほとんど秒単位でその姿を変えてゆく。まさに流転していた。流動していた。だから一枚の絵を描き始めてから描き終えるまでのあいだに、雲が織り成す空模様は、まったく別の様相に変わり果てる。
・・・僕にとっては、毎日が雲による天体ショウの連続で、・・・二度と同じものは見られないのです。・・・空以上に大きなスクリーンはないのですから、地球上で最もダイナミックな、この即興的ドラマを観賞しない手はありません。」
                         (「雲と鉛筆」吉田篤弘)

 拓郎さんの描く詞にも雲が多い。ツラツラと・・・いや結構必死で思い出してみた。


  僕の心は流れる雲に 包まれてどこかへ飛んでいく
       (準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響)
  あの雲のむこうに 何がある 何がある
                (何もないのです)
  空に浮ぶ雲はいつかどこかへ飛んでゆく
                (人間なんて)
  流れる雲に包まれる自分を見ました
                (自殺の詩)
  9月 大きな雲が 頭の上を覆って
                (ゆうべの夢)
  雨があがって雲の切れ間に
             (結婚しようよ)
  街を出て 風に乗って雲と一緒に
               (私の足音)
  白い雲が ぽっかり心の中に 浮かんでる
               (僕のエピローグ)
  僕らの声は自由な小鳥 雲と一緒に飛んでゆくのさ
               (新しい朝)
  あの日雲が青い空をおおいつくし
               (忘れかけた一日)
  流れる雲を追いかけながら本当の事を話してみたい
           (明日に向って走れ)
  ああ人生ははぐれ雲
             (明日の前に)
  君を追って雲の上に僕も旅立つよ
               (たえこMYLOVE)
  青い空見てはぐれた雲の行方を追えば
               (カンパリソーダとフライドポテト)
  今日は空も曇り模様じゃないか
              (悲しい気持ちで)
  雲の切れ間に明かりを探すみたいだ
               (海へ帰る)
  夏は雲にのり秋に逢えるけど
              (二十才のワルツ)
  雲の上と呼ばれれば この人も行きたいさ
           (ひとつまえ)
  人生はいくつもの形に 変わっていく雲の様だ
                      (S)
  流れる雲のカタチみたいに激しさに身をまかす
                   (ペニーレインは行かない)
  5月の雲がしなやかに踊ってる
              (夏が見えれば)
  夏に向う雲たちよ 先に行ってくれないか
                  (5月の風)
  雲を見つめる旅人は はるかな過去をまさぐって
                  (レールが鳴ると僕等は旅がしたくなる)
  雲が流れる 詩人は息をつく
            (時には詩人のように)
  雲が空に浮かび人の顔になる
             (吉田町の唄)
  君は雲を見て悩んでいる
  昔僕等は誰も名前のない雲だったんだよ
                 (僕達はそうやって生きてきた)
  雲が流れてるね 想いを運んで
  流れる雲は 形を変えた
               (恋はどこへ行った)

 
 たくさんある。拓郎自身の詞で「雲」はまだあるだろうか。雲は天才である。我泣きぬれて雲とたわむる。いみふ。

 すべての吉田は雲を愛している。なんか雑な結論か。だったら最後にもう一度、篤弘さんの「雲と鉛筆」のあとがきから。

「雲はわれわれの生活圏における塵芥が結晶したものです。…われわれが発した言葉や、頭から抜け落ちた記憶、歌、物語、考え、思い、喜怒哀楽すべてが蒸発して空にのぼり、だからこそあのように奇妙かつ麗しいかたちになって流動しているのだと思います。
 だから雲は哀しいです。我々から抜け出た魂のようなものですから。いやそうではなく雲はじつに頼もしいものです。われわれが失くしてしまったと思い込んでいたものを全部吸い上げて「ほらここにある」と見せてくれるのですから。」

 雲をもっとちゃんと見つめてみようという気にならない? 俺はなる。


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2019. 10. 27


<吉田拓郎 最後の一文L>

あたりまえといえばあたりまえだが、”ダウンタウンズ”は解散していないんだな。すげえ。現役最長バンドの演奏があったらもっとすげえな。読んでいる方もちょっと心和むつぶやきだった。

    自分の心を確かにしておこう
        20才の頃も きっとそうだった
                   (誕生日)


☆たぶん多くの人は、20才の頃を切り離して青春の懐古のための器にしまいこむ。でも拓郎は違う。広島のバンド時代のコアが今に至る吉田拓郎のすべてに紐帯となってつながって生きていて、そうしてまだまだ進化してゆく。そこが凄いところだなと思う。

 ついでに、そんな吉田拓郎のことを時に風雪に耐えながらも今もずーっと愛しているファンたちも同じだ。自分で言うしかないから言うが、すごい。
 若者から観ると高齢歌手を追いかけている困ったジジババに見えるだろうし実際そうだが(爆)。そういうあなたたち若者がこの歳になったとき、あなたの今好きな歌手はこんなふうに現役で歌っているだろうか、あなたはそれを熱くなって追いかけ生きるジジババになっているだろうか、それともああ昔はよく聴いたな〜と懐古するだけの懐メロジジババになっていないだろうか、ハナシはその時だ。…大きなお世話か、それにそん時ゃ私が生きてねーか。

 とにかく20歳の頃もきっとそうだったように自分のファン心を確かにしておこう。

2019. 10. 28


<吉田拓郎 最後の一文M>


    淋しさが今日もまたひとつずつ消えてゆく
             誰のせいでもないんだろうけれど
                           (Life)

☆絶望と悲しみで敷き詰められた道をそれでも一筋の光明を求めて歩いてゆくようなこの歌。特にこの最後の一節に宿るひとり佇立するような鬼気迫る孤独感といったらない。明け方近い1985のつま恋で、まさに我が身を削るように歌う立ち姿が浮かぶ。

2019. 10. 29


<吉田拓郎 最後の一文N>


   吹く風に追われながら
   ああ それだって よせばいい
               (よせばいい)


☆たぶんこの歌のころの吉田拓郎は自分を取り巻く虚像や伝説やシガラミから自由になろうとひたすら苦闘していたのではないかと思う。"等身大"という言葉が繰り替えし聞かれたのもこのころだ。よせばいい。曲のタイトルが最後の最後の一文になってようやく登場する。投げやりなようだが自由に向かって進む静かな気概が感じられる。
 80年代後半から90年代前半までは、そうやってさまよいながら等身大の自由を求めて捨て去り、取り除いてゆく歌が多い。現在は、そうやって削ぎ落した結果、最後に残った結晶のようなものを大切に大切にしてゆこうという歌に変化してきているように思う。齢を重ねるというのはそうことなのだと身をもって予め示してくれているかのようだ。
 80年代の拓郎のような虚像もシガラミもないただの一般Pの自分だが、それでもこの清々しい捨て去りの歌は、平凡な日々の暮らしの中にも勇気づけられる。

2019. 10. 30


<吉田拓郎 最後の一文O>


    夢になる もうひと想い

              (ひとり想えば)

☆すぐ近くまで来てくれていたのだな。逢いたかったよ。それもまた夢になるもうひと想い。

2019. 10. 31

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 いつものように居酒屋で一人飲みながら知ったかぶりして評論家ぶる。もちろんこんなサイトやってる私は無礼者だし好かれなくて当然だが、人それぞれにいろんな思いで、いろんなものを超えてたどり着いた素晴らしいライブだったんだから、いいじゃないか、わざわざこのブックレットであんなことこんなことズラズラ書かなくてもと思う。最後のラジオで十分に語ってくれたじゃん。笑って読んでくれというが、わざわざ「本心から」とまで書いてある。これだけの愛の唄を作り歌うスターが、なんでこんなチェーンの居酒屋に貼ってあるオヤジの小言みたいな、あるいは和製フォークの歌詞みたいなことを書くのか。カッコ悪いと私は思う。
 私のような無礼者は自業自得にしても、拓郎のことが心配でひたすら5時間も新幹線のホームで待ち続けていたファンの方々がいたことをたまたま聞いた。なんという深い愛なんだと心の底から感動した。それをあんな書き方をしなくてもいい。別に彼女らをほめたたえよというのではない、わざわざあんな風に書くこと自体の意味がわからんのだ。しかも同じところで女性へのレスペクトとか語ってんじゃねぇよ、と思う。
 そこまで書くんだったら「身分証明書を文句を言わずに持ってくる人」とか「身分証を忘れたらチケットがあろうとも入場をあきらめる人」とかも書いた方がいい。

 DVDは素晴らしかったLive73yearsの最後の締めくくりであり音楽の結晶である。それが入れられる器だ。そんなファンへの小言みたいなことを書くよりも、カッチョイイデザインの豪華化粧箱と写真多数のブックレットを考えてほしい。音源アルバムも欲しい。届いた時、間違ってレンタル盤か試聴盤を送ってきたのかと思ったぞ。いい歳してウキウキして部屋に飾っときたくなるような器が欲しかった。それくらい今回のライブは凄かったでしょ。

 ライブの空気の中で聴いた「運命のツイスト」は、レコーディングしたらどうなるのか、詞はどうなんだろうとちょっと心配したが、これが実にすんばらしかった…が、もう語るのはヤメだ。評論家ぶるつもりはないが、吉田拓郎はフォーク歌手なんかじゃない、どれだけ素晴らしい音楽家で、どれだけ知られていない素晴らしい歌があって、すごい詩人で、超絶カッコ良いかを自分の知る限りくまなく記しておきたいと思ってきたまでだ。

 

<吉田拓郎 最後の一文P終>


   何がある 誰がいる
   何がある どこにある
         (何もないのです)


☆一部おしまいです。

2019. 11. 4

 新幹線のホームで待っていらした方のことや身分証忘れでコンサートに入れなかった方のことを正義ぶって義憤のように書いたが、こういう書き方は良くなかったなと反省している。その方々にはその方々の心境とお考えがあるだろうに。勝手に私の怒りの具に利用してしまい申し訳ありませんでした。

 ごまかしてはいけない。本心では私は私自身に起きた不快のことを一番怒っているのだ。たかがちっぽけな一サイトだが、一寸のサイトにも五分のファン魂である。

 例えば、拓郎がネットの嘘だと苦言を呈した”この指とまれ”の件。このサイトの事かは知らないが、今度のDVDのライナーノーツにもあらためて”無礼者”と呼び、悲しくも私が大好きな”純”のフレーズを使って”どけぇ、どけぇ”とまで書いてあり、さすがにショックで、その後何十年も解けない怒りをくらった布施明のように打ちひしがれた。そこまでお嫌いなら、どかなきゃいけないかと真剣に考えた。
 その反面で、ネットのせいにしているが、この歌がその”他人の音楽活動”と関係あることは、拓郎、あなたがかつて雑誌や書籍で自ら明言したんだぜ。こっちは若気の至りでそれに共感してアリスファンとも戦ったんだよ。もちろんそこに悔いなどない、楽しい青春だった。しかし、それを「どけ!」たぁなんだ。証拠文献を握りしめながら、私はまるで森山良子が語るムッシュ還暦パーティーの泉谷しげるのようにキレた。
 ただ、この件の顛末と私の考えは、Uramadoの”この指とまれに”に追記で書いたとおりだ。http://tylife.jp/uramado/konoyubitomare.html どうせ本人は気に入らないだろうが。

 こうして吉田拓郎という人間のミュージシャンとしてのスケールの大きさとファン扱いにおけるスケールの小ささ(爆)のハザマで、すっかり消沈していた自分だが、数少ない知り合いの方や見ず知らずの方から思いがけず温かい言葉をいただいた。心の底から救われた。孤高のサイトとうそぶきながらいろいろな方々に温かく激励され助けられてきた自分だった。ガラ携でSNSもしないので伝聞もあり十分に知りえませんが、本当にありがとうございました。

 やさしい激励をいただきながら不遜にも映画「男はつらいよ」で、毎回繰り返されるお約束を思い出した。寅さん(渥美清)に言いたい放題に言われたタコ社長(太宰久雄)が真っ赤になって「寅さん、そりゃあ、あんまりだ。言ってイイ事とワルイ事があるだろ。今日という今日はもう我慢なんねぇ」とお茶の間で大混乱になるお約束シーン。倍賞千恵子さんや前田吟さんにまぁまぁ社長となだめられているみたいだった。深謝します。
 そうか、これは吉田拓郎ファンでいると全員にもれなくついてくる永遠のお約束なのかもしれない。寅さんは決して反省せずに平然と「おいタコ、元気か、相変わらずバカか」とまた帰ってくるし、タコ社長もまた平気で「よう寅ちゃんお帰りぃ」と居間にあがりこんでくる。そしてまた「それを言っちゃあ、おしめぇよ」「今度という今度は許せない」と混乱を繰り返すのだ。そして奮闘努力のかいもなく今日も涙の日が落ちる。人はそこにやすらうことこそが幸せなのかもしれない。

 またラジオが始まるらしい。ラジオでナイトは素晴らしい番組だったが、アイ・ライク・ユーは、もしかすると今度のラジオ番組の布石みたいなもので、音楽番組といいながらネットやSNSや私のようなコアなファンに”アイ・ヘイト・ユー”なダメ出をして説教を垂れる番組になりはしないだろうか。余計な心配だろうが。
 そりゃあ自分も含めて拓郎ファンにはいろんな曲者タイプがいて、意に添わぬこともあろうが、ネットだろうと何だろうと、天下の吉田拓郎が、ファンのことなんて今さらどうでもいいじゃないか。いろいろあっても、みんな、あなたの言う最終章まで一緒に旅して来て、しかも基本みんなあなたのことを愛している味方である。もはやダメ出しも教育改善も必要ないし、第一この歳では私はもう無理だ、治らない(爆)

 ホントに楽しい音楽番組を待っている。あなたの音楽や映画やスポーツの話は本当に楽しい。そしてワクワクする新曲を聴かせておくれ。

 こんな不遜なこのサイトを続けてていいのか不安はあるものの、それはそれでファンサイトの耐久性実験みたいなものだ。人類への貢献はゼロだが。


<吉田拓郎 最後の一文Q>


  君と僕との映画は もう少し続けよう
               (危険な関係)


☆こうして聴くといい詞だし、最後の一文が素晴らしいな。あっ、この企画はもう終わったんだ。
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2019. 11. 6

 こんな拙い勝手なサイトにお心遣いくださった皆様心の底から深謝します。また申し訳ありませんでした。

 「気にしなさんな」と書いてくださった方がいらしてまた涙ぐむ。気にしなさんな。いいなぁ日本語は。
 偶然にもその直後、録画しておいたドラマ「俺の話は長い」(久々にハマったな、こりゃ)を観ていると、安田顕が演じる父が、妻の連れ子でなかなか心を開いてくれない中学生の娘の清原果耶と夜のコンビニでアイスを買うシーンがあった。自分で払うからと意地を張る娘をヤスケンは「バカなこと言いなさんな」と受け流す。そのやさしい言い方に、娘はちょっとハッとして「言いなさんな、それどこの言葉なの?」と珍しく父親に話かける。いいシーンだった。

 そうそう、しなさんな…やさしい響きだ。本当にどこから来た言葉なのだろうか。

 昔、ラジオで拓郎が「さあ電話受付締め切りの時間になったので、もうみなさん電話をしなさんな」と言って、自分で「しなさんな?ハハハハハ、しなさんなよ、アンタ、ハハハ」とツボっていたのを思い出した。よくあるじゃん自分の言い回しにウケる拓郎って。
 そういえば拓郎の詞で「しなさんな」はあるのだろうか。…思いつかない
あ、あった。「世界中を背負いなさんな」(無題)。>それは松本隆だろ。これもいい歌だよね。
 それにしても2009年のステージでこの”無題”を歌ったときは超絶ビックリしたな。まさかと思った。それを言うなら今年”私の足音”も心底驚いたってもんだ。またこんなふうに選曲でひっくりかえるほど驚かせてほしいものだ。そりゃ”アイランド”とか”自由は(セリフ付)”とか歌ったら驚くけど、そういうんじゃなくてさ。…あ、でもそれもいいかな。

2019. 11. 7

 昔、拓郎の雑誌インタビューは目を皿のようにして必死になって読んだものだ。今と違って、拓つぶも、公式タブロイドもないし、ラジオ番組が終わってしまうと、もう新譜ジャーナルをはじめとした雑誌のインタビューだけが命綱だった。他の音楽雑誌のインタビューはアルバム発売時とかにあわせてたけど、新譜ジャーナルは用もないのに常にインタビューやってくれて本当に有難かったな。
 “吉田拓郎の音楽”と“吉田拓郎インタビューでかく語りき”…これで、私の人生は出来ている。失礼ながら故川島なお美さんが私の血はワインで出来ているというのとたぶん近い。だから、どうしても”拓郎あの時こう言ったよな”という言い方がついつい出てしまう。

 しかしそれもどうなんだ。尊敬するプロの作家の方がこんな趣旨のことを書いておられた。
 自分が書いた作品の論評は評論として認めるけれど、自分のインタビュー記事の発言をもとにした論評は認めない。インタビューは、インタビュアーのストーリーに誘導されるし、人間は誰でも多かれ少なかれ目の前の話し相手に無意識に迎合してしまうもので、あげくにインタビュアーの気にいった部分だけを拾われて構成されてしまうからだ。だからインタビューの発言は過度に信用してはいけない。
 …というようなことだった。うーん、だから世の中では、意思に反した自白や証言など真実と異なる言葉が原因となった冤罪がいつまでもなくならないのと本質は同じかもしれない。

 拓郎もきっとインタビューで不本意な酷い目にものすごくたくさん遭ってきたことは想像に難くない。あれだって「拓郎さん、アレ気に入らないっすよねぇ 大嫌いでしょう」というインタビュアーの期待と誘導が強くあったのかもしれない。
 ♪そいつの気分は気取ったインタビュー 
          勝手にくたばれ付き合いきれないよ
 想像に難くないとか軽く言っちゃったけど、私なんぞには想像もつかない大変さだったんだろうね。
 だったらインタビューなんて受けなきゃいいと思うが、そうすると音沙汰がない、ああ寂しくて死ぬ…ってウサギかよ、と取り乱して騒ぐのもまた私なのだ。勝手だな。インタビューにも用法用量と限界があるものだということを今さらだが教えられた気がする。
 インタビューの言葉は、鑑賞、愛玩用に過ぎず、服用し過ぎたり、それを言質とったように攻撃反撃の武器に使うのは、はしたないことであり危険なことなのだと自戒する。
 「真実はステージにある」、「このラジオでは正直に本当のことを話す」と拓郎は繰り返し言っていたけれど、それだけ切実なものなのだったのだとあらためて思う。
 しかしステージもラジオもどっちも辞めてしまったら、真実の所在はわからなくなり、思い込みと思い入れでもっともっと好き勝手に書かかれるだけだ…って、お前が言うなよっ!。

 結論、だからライブもラジオもどうか末永くおやめなさんな。

2019. 11. 8

 居酒屋のマスターが眉をひそめて「“私の首領”・・・拓郎歌ってないよね。なんだろうね。」・・・正確には歌ってはいるが学食のカレーライスに入ってる肉の量くらいわずかだ。

パネルクイズ・アタック25の司会の児玉清のリアクションには2種類ある。
@確実にダメなパネルを取った場合→「あ〜、そこを取ってしまわれたか」
A普通はそのパネル取らねぇだろという場合→「ん〜、おそらく何かお考えあってのことか」

 今回はAだと思うが、拓郎にどういうお考えがあってのことかはわからない。そもそもなぜ児玉清かがわからない(爆)。

 拓郎の真意はわからないけど感じたことはひとつある。石野真子のオリジナルは不滅だし、吉田拓郎の作曲者本人のフル歌唱ももちろん聴きたい。しかし、この"ぷらいべえつ"の“私の首領”を聴くと、この作品のメロディーの非凡さとその展開の見事さが際立って伝わってくる。ああ、この歌は、すげー良いメロディーだったんだなぁとあらたて感嘆する。コレは谷村新司には書けないよな・・・って、もうよしなさいっ。
 盤石のボーカリストたちがよってたかって歌うから、まるで線画のようにくっきりとメロディーの美しいカタチが浮かび上がる。
 こうして「私の首領」「あぁ、グッと」を聴きながら、ああDUOの「放課後」をこの”ぷらいべえつ”で聴いてみたいと切に思った。きっとすげー見事なカバーになるのではないかと思う。

 それだ。何度でも書くが、提供曲というものは、本人歌唱がもう困難、オリジナル音源も廃盤、そして作曲者たる拓郎もカバーもしないという不幸の三重奏が揃うと、いかに名曲であれ、はるかな海原に漂い夢と散るのを崖っぷちで待つしかない。いわゆる崖メロである。いいのか、それで。私は我慢がならない。しかし、”ぷらいべえつ”は、これを救う有効なツールだ。

 そう考えると「俺とおまえとあいつ」「ひとりだち」など残念な歌唱で残念なことになった作品も、ぷらべえつのカバーなら美しく蘇生するのではないか。男性曲のみならず女性曲もカバーできるのは大きい。「ドンファン」も「ハート通信」も「ステラ」も、ああ「今夜はごきげんな夜」も聴きたい。ほかにもいろいろあるはずだ。
 拓郎に歌ってほしいという気持ちはもちろんだが、崖メロ探検隊としては、本人が歌わない、歌えないものは無形文化財の保存の意味からも、"ぷらいべえつ"にひとすじの希望を感ずる。まさに、アターック・チャンス!!>だから児玉さんはもういいよ。

2019. 11. 9

 DVDがランクインして最年長記録樹立とのことだ。おめでとうLive73years。当然のごとく一歳年下の人ことが頭をよぎる。しかし記録は破られるから記録だ。それに富士山だって日本一高いから美しいわけではない。

 昨日絶賛した“ぷらいべぇつ”のことを2016年には酷評していただろうと身内からツッコミを受けた。いかにも。ウキウキと陽気で場違いな歌と踊りに、田中星児のコーラスじゃねぇんだよ…と鬼畜なことを書いていた。すまん。
 しかし2019年でバンドの熱量が思い切り高くなって、ミュージシャンたちのテンションが上ると、ひとつも気にならなくなった。”ともだち”の前後のコーラスだけは余計だが、あれはアレンジの問題だ。そして気にならないどころか、むしろ煽情的ですらあった。

 とにかく記録に関係なく、いや記録も含めてLive73yearsは峻険で美しい威容の山だったと思う。去年の新聞のバカデカイ二面記事に胸高鳴ったのを思い出す。この時の期待以上のライブだった。
 それだけに簡素で素っ気ないパッケージと、たかがファンに対してライクにカムフラしてヘイトを暗示するという、なんかロックじゃないライナーは残念だった…という話に戻ってしまうが、もうしつこいな。

 中学2年の秋、FM東京のつま恋特集で流れた”私の足音”…これはどこに収録されているのか、Tくんと必死で探したが見つからなかった。レコードを全部買っても、全部の曲が聴けるわけではないことをその時に知る。こんなカッチョエエ曲なのに。中坊には、吉田拓郎とはなんて高く厚い壁なんだと途方に暮れたのを忘れない。
 そして半世紀近く経って、突如ライブでこうして歌われ、またレコーディングもされて自分の手元に届くのである。Tくんも感無量だったと言っていたが、もちろん私も同じだ。フランダースの犬の最終回で教会に倒れ込んだネロが「ぼくは見たんだよ、ずっと見たかったルーベンスの絵を」というのと気分は近い((爆))。Tくんはきっと「いや、そこまでのものじゃないだろ」というだろうが(爆)。ものすげーちっぽけだが、これも青春の旅での忘れじの物語のひとつだ。

2019. 11. 10

 “運命のツイスト” は拓郎がツイストを踊るというライブの勢いに目が眩んでいただけではないかと心配していたが、レコーディング盤を聴いてみても、こりゃぁいいじゃないか。
 雑然とした空気の中で拓郎のボーカルに引っ張られピアノと手拍子でラフに始まる前半。いいね、矜持あるストレートなボーカルが。そしてドラマチックにバンドが鳴り出し引き込まれてゆく。このコントラストでバンドの妙味が引きたち、ついついつい身体ごと踊りだしたくなる。
 コレって、ストーンズの「レアリティーズ」に入っている95年版の"ダイスを転がせ"のアレンジみたいだ。宴会からいきなり本格演奏突入バージョンとでもいうヤツ。もえる。もう聴く方はトロッコに乗っけられて思うがままにアップダウンして運ばれてゆく感じ。別にストーンズ通でもなんでもないが、たまたま大好きなバージョンだったので思いが重なる。

 “ラジオでナイト”で拓郎は、ストーンズの”ブラウン・シュガー”のようなアップテンポの新曲を作りたいと言っており楽しみにしていた。この曲はその路線の前哨なのだろうか。違ったらごめんね。本格的ストーンズファンは違うと怒るかもしれないが、この陽気で爽快なロックには通底するテイストを感じる。
 “ブラウン・シュガー”といえば数年前にyoutubeで、ボブ・ディランがカバーしていたのを観てをびっくらこいた。ディランのカバーは、違和感がないという評価だが、確かに声質はあっているかもしれないが、ミック・ジャガーから”元気溌剌”と”サービス精神”を根こそぎ取り除いたらこうなるかもしれない、と感じた(爆)。
 あれもブラウン・シュガーなのなら、こっちの方がよっぽど”元気溌剌アップテンポ”なこの曲に、ブラウン・シュガーの空気を感じてもいいじゃないかと思う。爽快、爽快。

 切なさを孕んだラブソング的な詞も結構いい。”答えはいつもは出せないがその時せつなに愛おしい”etc、ちょっといいフレーズが随所に光る。好々爺のお説教ロック(あくまでも一個人の感想だ)と悪態をついた"僕達はそうやって生きてきた"より、こっちの方が素敵だと思う。
 ということでアルバム買ってごちゃごちゃ文句を言う人はやめられない。

2019. 11. 11

 “運命のツイスト”“私の足音”etcの4曲は、このライブからは独立した出来栄えの作品なので、このCDをDVDの販促的オマケみたいに出すのはどうなんだろう。CDとDVDお互いのためにもったいない気がする。配信もするようだがそれはそれとして、私のように頑迷固陋な古い人間には、やっぱり音源はシングルにせよアルバムにせよ、そのために作られた美しいパッケージに収納されてカタチあるものとして存在してほしいと思う。もうそんな時代ではないのかもしれないが。
 しかし、これで将来ニューアルバムが出て、このCDの4曲と“ぼくの新しい歌”がそのまま入ってたら、そんときゃ私は間違いなく文句を言うだろう(爆)。
 以前浜田省吾のアルバムでも似たような事があったが、浜田省吾は、いままでのシングル曲たちは、長いアルバム制作過程の経過報告のようなものだと説明しファンもそこを理解しあっていて、うーむと唸った。しかし、残念ながら私はそんな人格者じゃないのよ。ともかく新曲たち溢れる“吉田拓郎ニューアルバム”この甘美な響きの夢をひたすら、ゆっくりと待つのだ。

2019. 11. 12

 広島に帰ったんだなぁ。新幹線はウンと速いけれど広島まではそれなりに長旅だ。よくぞ往復完遂なされた。一人旅だったのか。よかった。よかったというのも変だが、心の底からよかったという言葉しか見つからない。
 読みながらちょっと切なくなってくる。 手塚治虫の「ブラックジャック」に、主人公が電車に揺られながら今までの人生のいろんな過ぎ越し人々の夢を見る“人生という名のSL”という名エピソードがあったのを思い出す。そういえばこっちも中止の連絡を知らされたのも新幹線や電車の中だったなとお相伴気分にもなる。ライナーノーツにはこういう感じの文章を載せてくれよ(爆)。

 このバンドがしっかりと命脈のように今の吉田拓郎と音楽に繋がっているのだな。拓郎のみならず、バンドの皆さんそうおっしゃらずにいつまでもお元気でと祈る。

2019. 11. 13

 加山雄三さん大事に至らなくて本当に安堵した。特に80歳を越えてもライブで歌う姿は、私にとっては切実なる希望だ。どうかくれぐれもご養生なさってください。

 ハイクアウト主催“吉田拓郎と桜を観る会”はどうか。誕生日も近いしイイぞと思った。しかし霊感などない私だが、当日、新宿御苑に8000人のファンが集まる中、本人が来ず、困った坂崎幸之助が必死で間をつなぐ情景が霊視されたので考えるのを止めた。

 よく事情を存知もせず失礼だが、剛力彩芽さん、今こそ「銀河系まで飛んでゆけ」をカバーする時だというお告げが降ってきた。♪アイツなんかアイツなんか銀河系まで飛んできゃいいのに〜。魂の歌唱には梓みちよもキャンディーズもかなうまい。どうだろう。

2019. 11. 14

 メキシカン・セージというのか。やっぱり桜であれなんであれ季節の花は、1人または心許した人たちとしみじみと眺めるものだということを教えてくれる。

 広島まで行けたということはハワイ渡航もより一層現実味が増したということだろうか。もしかすると次のラジオの新番組は・・・・

 現実味といえば昨日は剛力彩芽さんには失礼なことを書いてしまった。しかしもし“銀河系まで飛んでゆけ”をカバーするならカップリングは、小室等の“私は月には行かないだろう”にして欲しい。もっと失礼だろ。すまん。
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2019. 11. 15

 2004年ころ拓郎のラジオ”わがままベストテン”に出演していた堀越のりさん。随分前にご結婚されたのでそれを理由に引退したのかと思っていたら、実は闘病のための引退だっことをネットニュースで知った。命にかかわる病気のことを事務所関係者にも隠しての覚悟の引退だったらしい。幸い今は寛解とのことでよかった。
 誰にも告げずに仕事を去る事も、もちろんその後の闘病生活もさぞや大変だったろう。"♪語らずに行かねばならない時がある"〜"♪人に隠れて泣いたでしょう"のフレーズが頭の中でループする。
 ラジオの頃、偶然お会いして、いや、意図的に偶然ラジオ局の近くでお会いして、堀越さんからサインをいただいたことがあった。イメージどおり可愛らしくて感じの良い方だった。咄嗟に持っていた拓郎のパンフを出してそこにサインを求めた。
 「えー、どこに書けばいいんでしょうか?」
 「あー、もうこの拓郎さんの写真の上とかにバーっと」
 「えーそんなことできませんよ」
 そういって写真と文字の間にこじんまりサインしてくださった。いい人だと思った。てか拓郎の写真の上でいいからサインしろ言うオマエはどうなんだ。

 もう16年も前なのか。復帰も考えておられるとの話で、もちろん静かに応援させていただきますばい。
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2019. 11. 16

 そういえば新幹線で広島に向かう時、拓郎は、進行方向に向かって右と左どっちのサイドのシートに座ったのだろうか。普通は富士山が眺められる右側=富士山サイドをとるのが多数派だ。外国旅行者のガイドにも"Can I reserve a seat with Mt.Fuji view?"と書いてあるほどだ。

  しかし敬虔な拓郎関係者は違う。
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 これが観えなくては意味がない。観るというより正確には礼拝するスポットである。(写真はvientoさんのサイト「明日に向かって走れ」から勝手にお借りしました。すまん。)。いわゆる聖地サイドに座ってこその新幹線である
 もし拓郎が富士山サイドに座っていたとしたらまだまだシロウトだな(爆)>本人だぞ

 例えば吉田拓郎のファングッズを身に着けていたら、みどりの窓口の駅員さんの方から、聖地サイドでよろしいですかと尋ねてくるくらいの国になれば日本も安心なのだが>いやかえって不安だろ

 ともかく聖地は一瞬なので見逃しそうで緊張する。あと子どもの頃から新幹線の外にエイトマンが走っていないかも気にかかるので、まこと新幹線に乗るといつも落ち着かない。

2019. 11. 17

 Live73yearsの”ともだち”。このアコーディオン、キーボードそしてスチールギターの醸し出す、せせりあげてくるような情感が何度観てもたまらない。もちろん拓郎のボーカルも芯があってのびやかだ。
 これを観ながらふと思ったのだが、1973年のライブ73でもこの”ともだち”は歌われた。観たわけではないけど。ライブ73でもLive73yearsでも両方で歌われた歌は、この”ともだち”一曲だけだ。つまりはライブ73とLive73yearsの連結点みたいなものだ。どれだけの意味があるのか、ないのかはわからないけどさ。
 ただライブ73の”ともだち”はレコードにはなっていないので悶々とする。秘蔵音源を商売にして儲ける輩は別にして、かねてから心ある多くのファンの方々は“ともだち”を含むライブ73の完全盤を心の底から求めてきた。その意味をよく考えてほしい。それは決してマニアな興味や懐古に尽きるものではない。そのことはライブ73というアルバムとそれを支えたミュージシャンたちが今でも燦然と輝いていることが十分に証明している。
 遅すぎた気もするが、とにかくコンプリートを出すべき時だ。1973年と2019年という二点をが定まると、おのずとその間のドラマとここからさきの未来のドラマも浮かび上がってこようというものだ。

 もっといいたいけど今日はこのくらいにしといてやらぁ。

2019. 11. 18

 例えばライブ73のことを考え始めると自分の中では何かが堰を切ったように溢れてきて止まらなくなる。このライブアルバムが素晴らしいと感じれば感じるほど、昨日のように、なぜこれをコンプリート盤にして文化財の如く保存し宣揚しようとしないのかという関係各位への身もだえするようなじれったさがひとつ。そして、もうひとつは、この名盤が必ずしも音楽界で十分に評価されてるとは思えないことへの激しい怒りだ。
 珠玉の作品の高きクオリティ、若竹のようにしなるタイトなボーカル、すんぱらしいビッグバンドのサウンド、そして全編に満ちた燃え滾る魂(ソウル)。この矜持と覚悟に充ちたライブをほとんど20代の若者たちが作り上げたのだ。
 いろんな音楽評論家らが日本のロック、J−POPの名盤とか銘打って著作や記事を発表しているが、どれも判で押したように、顔が4つ並んだジャケットのアルバムをうやうやしく第1位とかに掲げている。金太郎飴か。その反面で、このアルバムなんかは歯牙にもかけず全くスルーだ。申し訳ないが、私にはトテモ偉い4人なのでただ忖度しているだけか、そうでなければどうかしているとしか思えない。
 しつこくてすまんが、あのアイライクユーで「音楽評論家ぶって語らない人」とあったが、誰がそんな音楽評論家になりたいもんか。たぶんSNSやネットで吉田拓郎を語ってる人々の多くは、それぞれ個性やアプローチの違いこそあれ、”自分が体験した吉田拓郎がいかに素晴らしいか”=そのかけがえのない思いを、しょーもない評論によって荒れ果てた砂地にホースで一生懸命に撒いているのだと勝手ながら思う。どうかメゲずに、ほとばしるように水を撒いてまいりましょう。って私がエラそうにいう事ではないな。

 というわけで音楽が素晴らしければ素晴らしいほど心豊かになるどころか他者への怒りにとらわれてゆく、まことに困った人間になっているのだ。
 

2019. 11. 19

 私がファンになったのは1974年なので、70年から73年という伝説の黄金期を全く経験していない。もちろん74年以降も経験していない事、知らない事が殆どだ。だから"ライブ73"もレコードだけが頼りで、繰り返し繰り返し聴きながら、いろんなことを夢想するしかなかった。中学の2年4組の教室でTくんたちと、あの日の中野サンプラザは、どんなライブだったのか、他にはどんな曲を歌ったのか、ああ行きたかったよなぁぁぁと日々悶絶していたものだ。永遠知りえないことだと思っていた。

 “ともだち”などアルバム未収録曲を含めたセットリストの全容がわかったのは、その20年後、篤信のファンが作られたネットの神サイト「吉田拓郎大全集」のおかげだった。嬉しかったねぇ。おー、こんな曲もあんな曲も歌っていたのか。ああ聴きてぇ。
 またThe japanese lifeというこれまた畏敬すべきサイトでは、ライブ73を観覧した思い出が綴られていた。「ステージメンバーの多さ。ステージ右にはブラスセッション。左上にはストリングスの方々」、「爆音」「度肝を抜かれた」、「四足の背の高い椅子」に座る拓郎、「吹くときだけ立ち上がるペットの方々」のカッコ良さ・・・・読んでて震えたね。終演後「ストリングスのみなさんが降りてきて、次々に拓郎さんと握手を交わした光景」のくだりには感涙したものだ。
 ともかく大先輩の皆様よくぞ書き残してくださいましたと魂の底から感謝したものだ。

 こんなふうにどんなファンの心の中にも、その時の自分の日常生活と不可分に結びついた吉田拓郎がいる。おそらくネットやSNSがなければ、この方々の胸の中だけでひっそりと埋もれてしまったに違いない。
 吉田拓郎は、ステージこそ真実があるといい勿論そのとおりだ。しかし、それぞれのファンの中にも小さな真実がある。
 もちろん吉田拓郎ご本人ではないから、見えていないことも多く、誤解もあろう。しかし、やがて吉田拓郎の真実に触れて、知らなかったことを知り、見えなかったものが見え、まさに誤読や不明を繰り返しながらゆっくりと進むのがファンの"いとなみ"というものだと思う。
 拓郎はそんなたかがファンに媚びたりする必要はない、それと同じ理由でそんなファンのいとなみにチマチマ好き嫌いの文句を言う必要もない。泰然と真実を歌い悠然と真実を語られたい。

 黙っていたらただ消えてしまうだけの宿命のそれぞれの吉田拓郎があちこちに残されて素敵な吉田拓郎が描かれますようにとホンキで祈るよ。

 というわけでエラソウで大仰な話はこれにて終了。明日からは私の身の丈にあった小さな日記の予定。

2019. 11. 20

 1973年といえばこの年のNHK大河ドラマは”国盗り物語”だった。平幹二朗の斎藤道三、高橋英樹の織田信長、近藤正臣の明智光秀、そして木下藤吉郎は火野正平だった。なつかしい。小学生の自分が初めて夢中になって観た大河だった。

 来期の大河の濃姫の代役が誰になるか仕事場で盛り上がっていた。私は濃姫といえば、この”国盗り物語”の松坂慶子しか考えられないと正直に云ったら、せせら嗤われた。ぐ。あの時の松坂慶子の濃姫がどんだけ美しかったか。”おまんそれを嗤うか?”と映画RONINの武田鉄矢のようにムカついた。だいたい森光子は何歳まで放浪記を演じたと思ってんだよ。
 すると一人が「じゃあ今の吉田拓郎さんがロングヘア―のカツラかぶって歌うのを観たいですか?」と斬り返してきた。う。…どうなんだ。

2019. 11. 21

 「ローリング30」記念日であり「君に会ってからというもの僕は」記念日だが、さすがに書き尽くしたわい。http://tylife.jp/album/rolling30.html 40年もったものは100年もつという松本隆の言葉を信じる。

 神楽坂には背を向けて新宿御苑付近にすっかりなじむ今日このごろだ。拓郎がデビュー直後の売れない頃、尋ねてきた女子高生のファンたちと新宿御苑でギター弾いて歌ったりしていたという話をラジオでナイトで聞かせてくれた。いい話だな。光景が目に浮かぶようだ。まさに開店の時からご贔屓のお客様たち。いまごろどうしておいでだろうか。お話を聞いてみたい。

 庄司薫の「ぼくの大好きな青髭」のラストに主人公が深夜の新宿御苑の秘密の入り口から忍び込み空を眺める美しいシーンがあった。高校生の頃、同級生のFと新宿御苑の秘密の入り口を探しに延々と歩いたことを思い出した。バカだなぁとしみじみ思う。今もそうだが。小説の舞台は1969年で読んだのは1977年だから、仮に入り口があったとしても残っているはずがない。

 桜を観る会に踏み荒らされた感が強いが、それでも新宿御苑は不滅だ。

 そういえば中島みゆきのラストツアーは、新宿文化センターで始まり、新宿文化センターで終わるのだな。

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2019. 11. 22

 女優の木内みどりさんが亡くなった。最初の頃はお名前を聴くと”東京メルヘン”が頭に流れ出すくらいまぎらわしいなと思っていたが、気さくなねーさんのようなナチュラルな存在感で大活躍された素敵な女優さんだった。近年は脱原発の活動に取り組むなど骨のある方だったのだな。
 好きな作品は、たくさんあるが、出演時間は短いものの、やはり”懐かしき海の歌”を推挙せねばなるまい。テレビ局を退社せんとする拓郎に声をかける。
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 ご冥福をお祈りします。

2019. 11. 23

 ipodにOver70yearsというフォルダを作って“ぼくのあたらしい歌”“この街”“運命のツイスト”をヘビロテで聴いている。
 どれもいいメロディーだなぁと心から思う。別に今さら忖度して良い子ぶっているわけではない。むしろ、正直に言えばここ最近は居酒屋でNinjin designの方たちと呑みながら「アイツ、すげーヤな奴だよな」という話しかしていない(爆)。まったくファンサイトの風上にも風下にも置けない。しかし一度歪んでしまった心はそう簡単に元にはもどらないのだ。
 そんな状況でもOver70の曲たちは聴いていて心にしみてくるし心が弾む。康珍化の詞は何か気恥ずかしいし、阿久悠のこの詞もそんなに冴えない。それでも心が疼くのはメロディーのチカラだ。70歳過ぎて余裕でこういうメロディーが出てくるところが愛しいよ、愛しいんだよ、おまえ。ああ、われながら厄介だ。

 そうなると“この街”も本人歌唱が欲しい。そういえば林部智史はあれから歌ってくれているのだろうかとライブのセットリストを検索したら、おー歌ってる、歌ってる、あーシングルにもしてくれたのか・・・と喜びながらよくよく観たら“この道”(作詞・作曲 林部智史)だった(爆)。“この街”はあの2017年以来ほぼ歌ってねぇし(爆)(爆)
 この道はいつかきた道。ああそうだよ〜。提供曲あるある。”あの吉田拓郎さんに曲をつけていただいて夢のようですぅ”といいながらやがておきざりにされる悲しみは。いえ、林部青年を責めているのではない。すんばらしい美声で歌い上げてくれてありがとう。ちょっと切ないだけ。煙が目にしみただけさ。涙が出るなら上向こう。涙はきっと銀の雨。

2019. 11. 24

 「少数派の美学」。この言葉を久しぶりに聞いたぜ。拓郎のこの言葉にどんだけ支えられてきたことか。若い頃は闘う少数派、歳をとると体制擁護の多数派という人々をあまた観てきたけれど、拓郎、美しい少数派を魅せてほしい。吹けば飛ぶよなヘタレの私もがんばるぜ。
 居酒屋のマスターから中島みゆきの最後のコンサートツアーの初日チケット発売の顛末を聞く。新宿区民限定だが、5時間以上かけての会館での手売りだったそうな。すげえ。どこぞのインターネットの抽選結社に任せなかったのだな。

 そんな話をしつつ、新宿のジャズバーも経営されているジャズ写真家の中平穂積さんの写真集を見せていただく。私でも知っているくらい錚々たるミュージシャンの思い切りクローズで貴重な写真がすんばらしい。写真家とアーティストの信頼関係が伝わってくる。
 お、若き日野皓正さんと村岡建さんのツーショット。ライブ73とつながった。ジャズはわからないt.y好きにも神々しい写真。装丁も素晴らしい荘厳な写真集だ。こういうのが欲しいよ。
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2019. 11. 25

 ローマ教皇。カトリック教徒でもなんでもないただの罪人の私だが、よくぞ長崎の地にも足を運んでくださいました。切なく冷たい雨が降っている。残念ながらこの国は抑止の傘の中に、傘なのかもわかんないけれど恬然と安住してしまっております。
 ヨハネパウロ2世の来日以来31年ぶりということだが、その31年前の時のことも、なぜ法王の帽子は落ちそうで絶対落ちないのかラジオ番組で真剣に考えていた拓郎とともに憶えている。その帽子の不思議は今も変わらない。そしてあの時のラジオのテーマ”日本はヤバい、世界もヤバい”も変わらないどころか悪しき亢進をしていると私は思う。

2019. 11. 26

 今年の11月28日で向田邦子生誕90周年らしい。NHK-BSでいろいろ特集がある。再放映された18年前のドキュメント「向田邦子の秘めたもの」の録画を観た。第1部の秘められた最愛の人との書簡・日記、そしてその方が撮った向田さんの美しい写真の数々が胸に迫ってくる。第2部は父親との話だったが、そっちに入る前に一旦止めて、そのまま、ドラマ“トットちゃんねる”の向田邦子の回を観直す。拓郎もこのドラマは全回観たといっていたよね。拓郎御推奨の森繁の「今晩どう?」も出てくる(爆)。それはそれだが、大好きな“禍福は糾える縄のごとし”のシーン、そして事情を知らないトットちゃんから彼の撮ってくれたポートレイト写真を誉められるシーン、その刹那に深い闇が湧き上がってくるのを抑えようとするミムラ演ずる向田の表情に心が痛い。あの切実なドキュメントを観てしまうとこっちにも共振してくるような気がする。最後は、飛行機事故の報せに号泣する松重豊と肩抱きあって泣きたかった。
 "花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る" ・・・と挽歌を撃って、いや詠んで献杯する今晩どう?の吉田鋼太郎の森繁までがカッコイイ。
 今週28日は、ずっと観たかった同じくミムラが向田邦子を演ずる猫のドラマの再放送だ。いつの間にか向田月間にどっぷり突入。

2019. 11. 27

 向田邦子の”父の詫び状”に代表される一連の父親を描いた作品を読むとどうしても拓郎のことを連想してしまう。おやじの唄〜吉田町の唄〜清流と時間を経てつながる一連の作品と拓郎が書き記した少年時代の父親の思い出の数々が思い出される。
 所詮、私にとっては、どちらもお会いしたこともないまったくの他所様の御父上たちなので失礼といえば失礼このうえないのだが、どちらも作品として世に出ている以上仕方なかろう。

 特にどちらも厳格で専横なカミナリ親父的強烈なキャラクターとそれに反発する子供たちの逸話を読むとなおさらだ。

 “ねずみ花火”という短編で、向田さんの父は、息子の小学校の級友の冨迫君という母一人の苦境にある子を可愛がる。父と同じつらい境遇だからではないかと向田さんは思う。鹿児島の吹上浜で息子と冨迫君が転げまわって遊ぶ姿を見つめる父。「坊主頭の砂をはらい合っては笑っている。父も笑いながら見ていたが、不意にハンカチを出すと眼鏡の曇りを拭(ふ)きはじめた。父は泣いているようだった」。ここのくだりを読むとグッときて、勝手ながら二人の父親の姿が、鹿児島の砂浜でシンクロする。また少女でありながら、その様子を見逃さず感じとるところが向田さんの才気と魅力でもある。

 相手が死してもなお、人は愛しい人と対話をすることができるものなのだということを、この両氏の作品群は教えてくれている。

 ああ、とても書きたりねぇ、もし今、文学部の学生だったら卒論にするのにな。

2019. 11. 28

年末ですので、昨年から温めていたくだらねー企画をポチポチ始めます。

◇t.ylife 版  カルタ2020◆

「あ」
☆ああ青春、朝までやるよの雄叫びに
               8月2日の太陽味方す

★“あがらい”は"あがない?"、"あらがい?"意味不明
                  注意する人、あら?いない

「い」
☆イメージの詩は長いというけれど
             ホントは42番フルサイズなり

★生きている限りは骨まで愛してと
             だから貫く拓バカの愛

「う」
☆家(うち)が好き、家へ帰ろう僕の道
            帰路ゆく吉田の後ろ姿

★“うるせバカ”箱根の山にこだまする
                ベース石山ここにあり

「え」
☆襟裳にて大賞受賞の授賞式
        ジーンズ姿で大家に叱らる

★永遠の嘘をついてと"みゆき"言う
          でも嘘に迷い惑うはファンなのよ

2019. 11. 29

 昨年につづいて仕事場の忘年会は不実施。関係各所の忘年会も遠慮させていただくことにした。まぁ呼ばれなくなったものも多い(爆)。せいせいする反面、全くないのもちょっと寂しくもある。そうか、ラジオか。これが勝手ながら自分のひとり忘年会っぽいな。それだけすごい1年間だったし、これからのことも気になるので楽しみだ。アウトロ、消える、終わる…切ないご本人の言葉が並んでいる。そうなのかもしれないけれど、考えこむまい。
 大好きな映画「ブレードランナー」の最後のセリフ
 "no termination date.I didn't know how long we had together. Who does?" 
 (最後の日など決まってない。いつまで一緒にいられるかなんかわからない。知ったことか。)

◇t.y life かるた◆

「お」
☆"おきざりに した悲しみは"の胸えぐる
          ギター高中まだ19歳なり

★“男達の詩”シングルの右上の
          切り取られたる切り口寂しや

「か」

☆加藤(和彦)から譲られしJの45
        "少しはオレを頼りにしろよ"

★加川良、家のコーヒー不味いのは
            インスタントのせいだと思うぞ

2019. 11. 30

 6年ぶりのオールナイトニッポンゴールドということだが、開始したのはちょうど10年前なんだな。最後の全国ツアーが途中で中止になり、加藤和彦か亡くなり、拓郎の”加藤和彦よ、永遠なれ”のラジオがあり、あれこれどんよりとした終末感が漂う空気の中、ハイテンションで坂崎とともに始まったのだった。
 ラジオは一曲ということだが、このあたりだけ切り取っても実に起伏に富んだドラマチックな曲だわね。ひとついえるのは10年前はこんなライブが観られるすんばらしい10年後になるとは思ってもみなかったということだ。その間に、いかに疾風怒涛の背景があったかも今年になってわかった。心の底からお疲れ様でありました。また楽しみにしちょります。


◇今日のかるた◆

「き」
☆季節ごと花は変われど
       わが胸の華変わらず咲き薫らん
★君が好き それよりもっと気にかかる
         草笛吹いてる野生のウサギ

「く」
☆唇をかみしめながら涙する
         広島二人組には裏がない

★薬屋の角を曲がると角のタバコ屋
            おばさんヤリ手の多角経営
    

2019. 12. 1

“ラジオでナイト”が”最後のラジオ”と言うので一言ももらすまいと毎回必死で聴いた。”最後のライブ”という言葉が出たので万難を排して全力でlive73years向かった。超絶いいラジオ番組だったし、すんばらしいステージで、アウトロの覚悟の気持ちは十分に沁みた。。こちらだって多少若いだけで人生のアウトロやエンディングに近い。それはもうお互いの魂の通底事項だ。だからまたラジオで、アウトロとか、こうしたらステージを去るとか最終章をチラつかせるのはもういらないよ。エンディングだろうが最終章だろうが、それでもこんなに楽しいことがある、こんなに興奮する音楽がある。そんなラジオを待っているのだが。


◇今日のかるた◆
「け」

☆ 元気です、元気ですよと答えよう
           元気を出せば見えてくる

★”結婚は何度してもイイもんだ”
          信じて倒れた屍(しかばね)の山

「こ」

☆コンサート ツアー開拓の始祖なれど
            感謝足りないこの国を見限る
           
★"これ最後""これで終わり"はもう飽きた
            最後の時まで何度でも

2019. 12. 2

 このところあまり調子が良くない。いろんな音楽を聴いて幅を拡げた方が良いだろうと思った。そこで、どうせなら対極を聴いて振り幅広を思い切り拡げるのがいいだろうということで今週「さだまさし」のライブに行くことにした。人生初だ。しかも敵地。裏切りものと言わば言え。ということで、その道の人を現地ガイドに、今週は、さだまさしウィークにさせて頂戴ませませませ。



◇今日のかるた◆

「さ」
☆さよならが言えずにどこまで歩いたか
          こちらも年老い時の流れ知る

★桜井や南に渡してなるものか
          聖地つま恋吉田の殿堂

2019. 12. 3

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 遠征先の土瓶蒸しがウマい居酒屋で、さだまさしのレクチャーを受けた。

 例えば“LOVELOVEあいしてる”第一回は冒頭で拓郎の「さだ、嫌いなの僕」で始まり、一昨年のLOVELOVEの復活特番でも「さだまさしだったらオレ帰るよ」と吠えるいう徹頭徹尾ぶりだ。しかし、長崎雲仙普賢岳のスーパーバンドがあり、LOVE2でも”雨宿り”と”関白宣言”は名曲だと本人に対して絶賛しているので、真意はわからない。私も長崎にルーツを持つ端くれの身としての思いもある。
 なので、敵だ、嫌いだということでなくローマ教皇の平和の教えを胸にコンサートに行くように注意された。御意。

 レクチャーによれば、吉田拓郎のコンサートと決定的に違うのは「立つ文化がない。最初から最後まで座っているのが基本。なので拓郎の時みたいにどの曲で立つか立たないかという悩みがない。」そうだ。それは楽だ。楽ならいいのかという問題は別にして。しかしてさらにレクチャーは続く…

◇今日のかるた◆

「し」

☆少数派、美しくあれとの言葉抱き
          生きづらい世をゆくCARAVANなり

★人生が二度あればと歌う人あらば
          語らずシャウトする人もあり

2019. 12. 4

 居酒屋のさだレクチャーの続き。彼は広島の原爆の日に故郷長崎の稲佐山で無料のコンサートを続け、そして長崎の原爆の日に広島でコンサートをする。長崎を歌った”祈り”という歌ととともに”広島の空”という歌もある。長崎にありて広島を思い、広島にあり長崎を思う。

 そんな話を聴きながら、“オールトゥギャザーナウ”で、さだのパートと拓郎のパートが繋がっているところを思い出していた。この二人の相容れない対照的なボーカル。しかしさだの哀切な祈りと拓郎の力強い鼓舞がお互いを支えあい引き立てあっているようにも聞こえる。意識・無意識に関係なく共振しあう“祈り”と”いつも見ていたヒロシマ”を勝手に思うた。

 自分で書いといて忘れていたが、http://tylife.jp/uramado/alltogethernow.html 吉田拓郎VSさだまさし、この宿敵関係は芸のネタにすぎず、昔の「笑点」で言えば、歌丸と小円遊の関係みたいなものでないかと思ったりもする。知らないよね。そんなたとえ。

 敵地の空は青いのかもしれない。


◇今日のかるた◆
「す」
☆スリーコード だけで何故こんな
          たくさん曲作れるのとユーミン驚く

★スーパーバンド バンマスなのにただ一人
         ファイト!ですべてをもってゆく

「せ」
☆セットリスト、万人満足させるのは
           戦争無くすことより難し

★"全抱き"のヒットでファンも体感す
          肩で風切り街ゆく気分

2019. 12. 5


(僕の一番好きな歌は1978ver.)
…今、今、歌える歌は、そうです、君の大好きなあの
  ♪もしも もしも 出来ることでしたらば
       あの人にもう一度逢わせて頂戴ませませませ(雨やどり)

 原曲本人歌唱は、”頂戴ませませ”ですが、拓郎の歌唱は、”頂戴ませませませ”と三連になっているところが違いと申せましょう>なーにが申せましょうだよっ!

◇今日のかるた◆

「そ」
☆そう来たか!アゲアゲ選曲の一方で
          それかよとヘタる選曲せめぎあう

★"そうしなさい"若い意見は聞くけれど
          年寄りの意見にゃ、そうしない。

「た」
☆「拓」の文字、瞬時に識別・反応す
           AIなんかにゃ負けないぜ

★太陽に背を向け走れといいながら
      太陽に向かい走るがよしという男

2019. 12. 6

 さだまさしの国際フォーラムに行ってきた。感想日記は明日書くが誰も読みたくあるまい。
 最初に驚いたのはフォーラム内でいつも開演前に気付のスパークリングワインを飲むスタンドに「本日アルコール類の販売はいたしません」との張り紙があったことだ。おーまいがー。私が知っている拓郎ファンの95%は飲んだくれだが、さだまさしのお客様層はみんな上品でそんな様子に見えない。いきなり禁酒法の世界だ。何もかもが勝手と違う。すでに敵地に足を踏み入れている自分を知るのだった。つづく。

◇今日のかるた◆

「ち」

☆"チークを踊ろう"これでチークを踊ったら
            それって社交ダンスだろ

★地下鉄で新宿行くなら四谷にて
            薄茶の中央線に乗り換えよ
        

2019. 12. 7

 さだまさしのコンサートを観るまえに拓郎と比較してブチブチ言うまいと誓った。それは二人のミュージシャンに対して失礼だし音楽に対しても無礼なことだ。

 さて、おかげさまで素面だ。なぜ会場は禁酒なのだ、さだまさし。

 18時開演。満場の拍手の中、さだまさし登場。その刹那、私の心が勝手に叫んだ。"違う!違うぞ! "私にとってのフォーラムの開演は、身長176.5pのスラリとした痩身の男が、ものすげぇオーラを放ちながらステージに登場し、ギターを抱えた美しい立ち姿でセンターマイクの前に佇むものと刷り込まれてしまっているのだ。しかし、今、目の前にある光景は(略)。

 いかん。いきなり比較してどうすると自分を叱る。けどそれは無理かもしれない。

 おお、オープニングは「雨やどり」だ。唯一吉田拓郎がカバーした作品(爆)。うまい。吸い込まれるように聴いてしまう。”頂戴ませませ”の客席唱和。”ませませ”は先日の日記のとおり、本人原曲なので二連だと注意する。注意することかよ。

 そしてMCとセットリストは望郷の長崎篇である。長崎の原爆を歌ったグランドフィナーレのような”祈り”、そして”精霊流し”。いろんな光景が浮かんでくる。こんな私ごときでもこの何十年の間、本物の精霊流しも含めて、さまざま大切な人々とお別れをしなければならなかった。倉田信雄(アルバム"ひまわり"に参加してましたよね)のオルガンとストリングスの音色が圧巻である。・・このあたりで私の体調がおかしくなり、目から水が出てくるようになる。

 歌が終わって落ち着くかと思いきや、長い長いMCになるといよいよ溢れて止まらない。

 中学生のさだが、一人東京から長崎までの急行雲仙で23時間57分かけて、見知らぬ大学生のお兄さんに助けられながら帰郷するロードストーリーのMCだ。
 実は、不肖私も、小学校入学前に母親と二人で同じ列車で長崎まで行ったことがあった。子どもながらに忘れじの旅だった。その時の空気、匂い、お茶、不味い幕の内弁当、明け方の宇部徳山あたりの工場・コンビナートの光景、次第に打ちとけて九州弁がとびかう隣席の客たち…共感の走馬灯だ。そして最後にゆきつく”長崎親切”。そうだ、そうだよ。自分の思い出も交錯して、目から水がますます止まらない。なんだこりゃ。隣席のファンが「星よ、それが涙ってヤツだ」と教えてくれた。

 敵地といいながら口ほどにもない自分だ。

 続いてまほろば篇とでもいうものか。信念で作った映画「長江」。映画は酷評され数十億の借金という地獄を見る。もう音楽もあきらめなくてはならいと覚悟した男は、ひたすら歌うことに徹する。しかし、極北の中にあっても、男は広島、長崎を思い、そして今心身は東北に向かう。
 さらに今世界で平和のために貢献する人々に物心両面で支援をする。先日不幸というより憤懣やるかたない形で亡くなられた中村哲医師を偲び、また泉谷しげるから背中を押され「さだ、また偽善にゆくぞ」と励まさているという話を聞きながら、だんだん辛くなってきた。

 私は大学生の頃、この映画「長江」を観て、史上最大の駄作、フィルムの無駄使いと罵った。しかし今やその映画には今は壊滅してしまった貴重な地球の景色が記録されており文化遺産として再評価をされているという。

 また同じころ、私は、戦争映画の主題歌を歌うさだに、コイツは戦争礼賛者だと烙印を押して軽蔑もしていた。しかし、本人は、右にも左にも罵られながら、キリスト教、仏教、神道、あらゆる宗派ともわたりあい、自分が平和のために尽くせることを実践しつづけてきたのだった。

 やさしさを売る軟弱なヤツと思っていたが、この男の心にはハガネが入っていることがわかった。ロックだよ。

 ストリングスを主体としたバンド、わけても倉田さんのピアノの美しい海に漂いながらしみじみと思った。自分の不明を棚に上げるようだが、さだは何十年かけて理解せず理解しようともしないこの私にもわかるように音楽で真実を証明してみせたのだ。ステージにこそ真実があるとは本当のことだ。

 考えてみれば吉田拓郎のあまり知られていない愛おしい歌たちは、みんな「長江」みたいなもんだ。おい。いやいや、時間と歴史がやがて真実を証明してくれるということだ。私も拓郎ファンの端くれとして細い糸でそれをつないでゆかなければならない。
 
 自分はひたすら歌っていただけであり、何十億の借金を返したのは、自分ではなく、客席の人々だ、そしてその僕を支えてくれたのは当時の中高生の人たちだったと語る。今度は隣席の元中学生が目から水を大量に出していた。40年間、聴いてきた人々にはどれだけ胸に響く一言だったかがわかった。

 敵地の空は青く高く海は深かった。アウトロになるとすべては、音楽という同じひとつの海に出るのかもしれない。

 ああ、川の水が海に出るような、いつか出る心の海の中で、拓郎、もう一度あんたのステージをゼロの気分でまた観たいよと心の底から思った。


◇今日のかるた◆

「つ」

☆疲れ果てたどり着いたらどしゃ降りと
                 あの魂のロックをもう一度   


★つま恋は聖地なれども篠島の
            会場跡はいまや遺跡に
             ※あくまでコンサート会場のことです。

2019. 12. 8

 で、かつての長崎のスーパーバンドでの顛末を、さだまさしが語っているのを教えてもらった。笑える。涙ぐみながらも笑える。
 直前に緊張のあまり楽屋で「帰る」と言い出す拓郎(爆)。それでも覚悟した拓郎が全員で手をつなぎ円陣を作らせる。手つなぐのが好きなのは谷村さんではないかと静かにツッコみながらも拓郎のかわいらしさに感動する、さだまさし。
 「オレたちは大丈夫だ!、オレたちは上手いんだ!」と掛け声をみんなで唱和する錚々たるミュージシャンたち。これが"ワンツーロックンロール"の萌芽であろうか。気合入れというより、極度の緊張が生んだ儀式だったのだと思うと面白い。

 長崎からのせめてものお礼だ、メシくらい食わせると打ち上げをタダにした長崎屈指の中華料理店江山楼の社長の話は誇らしかった。拓郎の命令で、さだが必死で集めたおねーちゃんたちとのピアノバーに響く「骨まで愛して」。そしてこれまた拓郎の命令で「長崎は今日も雨だった」を歌うさだまさし。うーん、目に浮かぶようだ。

 もうとっくに、あるいは最初からノーサイドだったのだ。

 ということで、さだまさしを味わい、さだを通じて吉田拓郎を眺めてみるウィークは、おしまい。いい経験だった。


◇今日のかるた◆

「て」

☆手ぬぐいに下駄はいていると信じてる
                世間のイメージのしぶときことよ

★"天才に向上心はいらない"と
           切る啖呵の爽快さ

2019. 12. 9

 先週、NHKのBSで昔の映画「若い人」を観た。1962年、石原裕次郎、浅丘ルリ子、吉永小百合の文芸学園もの。いやー若いなー、きれいだなー。先週来さだまさしを通じてハマっている長崎が舞台。活水女子やオランダ坂、めがね橋といった景色がふんだんに出てくる。
 どちらかというと自分は苦手だった石原裕次郎がトテモ新鮮だった。タフで濃いヒーローのイメージではなく、とてもナチュラルでちょっとひ弱なところのある若い教師を好演していた。拓郎が以前ラジオで、石原裕次郎は文芸モノに出ていた時のシャイなところが好きだったと語っていた。その時はわからなかったけれど、この映画でよくわかった。とても普通で臆病で内省的なところがあるけれど、爽やかな青年。わかる気がする。
 そう吉田拓郎の「若い人」を聴きなおそうと思っているのだが、この映画のテーマ曲、♪若い夢、若い夢、ヨットの帆よりもまだ白い〜の仰々しいコーラスが耳から離れない。

この映画は、のちに桜田淳子でリメイクされているらしい。too many too many とても観たいよ。

◇今日のかるた◆

「と」

☆時はサソリのようにそっと近づき過ぎてゆく
                何しに来たんだこのサソリ

★都民銀行に初めて口座開設す
          カーテンレールに吊るした万札

2019. 12. 10

 シーズン・グリーティング。すげーいい写真だ。やればできるじゃないかTYIS。

 さだまさしのことをあれこれ考えながら、すごく雑にいえば、拓郎が、さだが嫌いというのと、私のようなマニアなファンのことが嫌いというのは似たようなメンタリティなんではないかと思う。とにかく嫌わずにいられない、嫌いと言わずにいられないのである。たぶんそうやってある種の人たちとの適正距離を保とうとしているのだ。それにしても保ち方というもんがあるだろうに。オレは味方なのにさ。日常生活にいたらフツーにメンドクサイ、ヤなヤツじゃね(爆)。こっちも同じか。試練の愛と愛の試練。ファンにとっても"骨まで愛して"が心にしみるゆえんだ。この曲、一回ちゃんとカバーしてはもらえないだろうか。

 さて、ラジオが迫ってきたぞ。

◇今日のかるた◆

「な」
☆夏休み、いまや日本の唱歌なり
               駅舎のホームに永遠に響け

★中島(みゆき)のギターを弾くぞと早幾年
                 中島、最後のツアーだぞ

「に」
☆人間なんて ただの歌にあらずして
         体感し初めてわかる3D、4Dなり

★虹マスの塩焼き口にするときに
            君は平気でいられるか

2019. 12. 11

 石橋貴明の番組で”筒美京平”特集を観た。爆笑問題の田中と貴明が盛り上がっているのを、ああ俺も仲間に入れてくれ〜という気分で観る。
 番組中で吉田拓郎の「イイナーと思うと必ず筒美京平である…」が引用される。「拓郎はわかってるんだよ」と感激する田中に共感しつつも「呼び捨てにすんじゃねぇよ田中」と太田になりきって怒る。
 貴明が、後藤次利がかつて筒美京平に言われたという名言を披歴する。
 「次利くん、人生も音楽もエンディングが大切だよ」
 …ううむ。
 関係はないが、ビッグバンドのリハーサルのドキュメントで「とにかくエンディングを全部確認しよう」とインストラクションを出す拓郎が思い出された。

 で、筒美京平が出たら、もうわかったよ、またかよ、と言われようが、私は何度でも言わざるを得ない。
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          「THE Hit MAKER 筒美京平の世界」より
 田中、おまえの拓郎好きは知っている。ならば、ここまで来てみろ。

◇今日のかるた◆
「ぬ」
☆抜けたよ オイラはイチ抜けた
            オイラお先にチョイとゴメン
★ぬるいヤツら あのつま恋をそう言うか
               じゃあやってみろ甲斐のヘチャムクレ

「ね」
☆猫、愛奴、もちろん忘れじのミニバンド
               胸熱くなる愛すべきバンドたち

★"眠れない夜"のカバーに泉谷が
             5月病の歌みたいだと吠えていた

2019. 12. 12

 ラジオが近い。"オールナイトニッポンゴールド"といえば、前回の放送で、毎回"オットピンS"というCMが流れていた。特に気にしなかったが耳には残った。こないだドラッグストアに行ったら…あった。ああこれだったのね。元気になるサプリ。
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大きくわけると"ひごずいき"の世界か(爆)
 "生涯現役"…つい買いそうになってまったが、私も人生アウトロ、そんなにガンバラナイでいいでしょう。

 しかし話は違うが"権力は必ず腐敗する"と昔学校で習ったが、ホントにこんなに腐っちゃった権力を観るのは初めてかもしれない。このことについては、たかが一般Pの私だが、アウトロだからこそガンバレルことをガンバラなきゃまずいかもしれない。

「の」
☆ノーベル賞 吉野先生 プロポーズ
                  吉田に託したリチウム婚

★野心(のごころ)と歌うもホントは野心(やしん)かい
                     ライブでしれっと訂正す


「は」
☆春を待つ、春よ来い来い、春を呼べ
              気がついたら春だったね、春になれば寂しいネ

★晩餐をカラオケで叫ぶ女(ひと)ありて
                周りは引いても 俺涙ぐむ

2019. 12. 13

 映画「アイリッシュマン」を観た。NETFLIXなんぞとは無縁なので小さな映画館で3時間30分。飲まず食わずだったが、時間を感じなかった。
 なんといっても自分にとっての神映画”ゴッドファーザーpartU”に始まったアル・パチーノとロバート・デ・ニーロの45年目の共演だ。その間の共演作で”ヒート”はVシネマみたいだったし”ボーダー”は火曜サスペンス劇場みたいなノリで、どちらも大いに不満だったけれど、この「アイリッシュマン」は凄く良かった。ちょっと不満なのはパチーノの変な髪型だけである。ストーリーとしても、役者としても、これこそ二大名優共演のアウトロ、最終章を見せてもらった気がする。
 3時間30分、デ・ニーロはひたすら困り続ける。思い出しても眉間に皺寄せた困ったなーという顔しか浮かんでこない。主な原因はわがままで頑固なパチーノ。こういうのをどっかで観たな。そうだ。”日本をすくえ”のドキュントで「オレは降りるぞ」とキレている拓郎の隣で、困った顔をしている泉谷しげると小田和正、あの姿である(爆)。
 ギャング映画なので陰惨なシーンもあるが、デ・ニーロの困りに困って苦悩しながら年老いてゆく姿がていねいに描かれている。ドラマチックな感動や衝撃のクライマックスとは正反対の胸が苦しくなってくるような静かなラスト。ああ人生とは困り続けることなのか。
 音楽も良かった。当時のポップスも多用されていたし、オリジナルの音楽は、ザ・バンドのロビー・ロバートソンがつとめている。最後のテーマ曲が流れる中、立ち上がって名優たちに拍手を贈りたかった。ヘタレなのでしなかったけどさ。

 さて、いよいよ今夜、われらがアウトロのラジオはどうなるのだろうか。

◇今日のかるた◆

「ひ」

☆ “ひらひら”のメッセージは今もなお
           誰もが狙われるネット社会

★”ぴあ”よ、昔は愛読してたのに
           まさかこんな非情な抽選結社に

2019. 12. 14

◆オールナイトニッポンゴールド 2019年12月13日◆

 吉田拓郎です。毎週週替わりのパーソナリティで今週は吉田拓郎です。

 こないだ十何年ぶりの新幹線に一人で乗って広島まで旅をした。僕としては挑戦だった。精神安定剤を飲んで乗った。

 以前、大阪で瀬尾一三グループとのコンサートがあって、その日は朝から調子悪く、新横浜あたりで不調になって、名古屋で降りて横になりたいとスタッフに申し出て途中下車した。名古屋のホテルで休んだ後、夕方5時ころに新幹線に乗り直して大阪にたどり着いた。大坂で簡単な夕食を済ませてすぐ寝たけれど、翌日のリハでも、元気がでない、立って歌っていられない、声もふにゃふにゃで、これじゃできないということで中止に。それから大阪を逃げるように去った。申し訳ない気持と複雑な心境で車でずっと戻った。

 あれ以来の新幹線。名古屋まではコンサートで来たけれど、名古屋から先にひとりで行った。えらいでしょ。70いくつにもなって褒めてあげたい。

 広島まで4時間くらい。車内の雰囲気も違う。ラグビーのワールドカップのあとで世界中のラグビーファンがいた。試合観戦のついでに旅をしているアジア、中南米の人などワールドな雰囲気。これだとオリンピックは大変だな。家からは出れない。

 今年は名古屋でいいコンサートをやったんだ。オレは前回のラジオで本当のことを言うからと言っていたが、東京はよくなかったね。東京はデキが悪かった。他は良かった完璧だったのに。
 これは使ってたイヤモニを新しくしたから。新しい新規のイヤモニで、音が聴こえ方が悪い。途中から外したけれど、これがよくなかった。

 名古屋は 久々の泊まりということもあって、素敵なイタリアンでの食事会もあった。名古屋、今度コンサートやるんだったらさ…おまえこないだ最後と言ったろ(笑)
 今、ギター新品のテレキャスター2本のネックをフェンダーに頼んで自分好みに作り直している。もっと弾きやすくなる。これでコンサートやらないというのは息苦しいよ。やりたくなるさ。できあがったらワンツアーだな。

 今度は大阪はどうだ。大阪には借りがある。リハーサルまでやっといてね。フェスティバルホールっていいよというメ―ルもきていたし。名古屋も広島も行けたし。東京、横浜、…大宮は好きだし、宇都宮も楽しかったし浜松も良かった。名古屋、大阪、あと関東一か所。勝手なこと言ってる(笑)。これ別にスタッフと打ち合わせして言ってるわけではないからね。
 向上心がある間は人間は前に進む。半歩でいいから前に進もうということだ。コンサートについては、"アイ・ライク・ユー"を読んだかな。本気だからね、ああいうヤツは嫌いだっていうのは。

 さて、広島に着きました。バンドの小松君が迎えにきてくれた。“なんしぉーるか””わりゃ元気か”って感じで。

 楽しかったー。すんげー楽しかった。バンドの4人で。いつもは4人と元親衛隊とで会うけれど、今回は意見が一致した。親衛隊は呼ぶなということで、男4人だけで集まった。昔のいろいろにプライベートで女子大生やデパートの化粧品売場の女性とかマックスファクターとかいろいろあった。
 大学の単位は全部の女子のノートを見せてもらったりして取った。女の子とはいろいろあったんだ。ディスコでチークを踊って、チークタイム終わっているのに、一時間くらい離れなかった。ああそれも青春。

 4人で会うのは今日が最後だということだった。ということは次に会う時は死んだとき。誰かの葬式。そんなの哀しい。やだな、誰かの葬式になんか出たくない。会えるうちにもっと会おう。それじゃ来年すぐ会おう ということになった(笑)

 ということで広島への一人旅。そもそも吉田拓郎は旅男と思われている。それは岡本おさみという人が書いている詞のせいで、僕は旅が大嫌い。家から一歩も出ていない引きこもり男。次は神戸あたりでダウンタウンズと会いたい


  吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

 懐かしいね。6年ぶりだね、バカ坂崎とやって以来だ。

 北は宇都宮から南は名古屋までLive73years無事完了した。

 次はどうするか。あとでふれてみたい

M-1 旧友再会フォーエバーヤング  吉田拓郎 

(CM)

 ディレクターから緊張感、ブランク感がないといわれた。少し慣れ過ぎている?? 
ここに来るともう自由になっちゃう。

 ラジオの楽しみ方としてラジオで聴く。radikoとかyoutubeでも聴けるけれど、何でもかんでも便利になっている。すべてがそっちに向かう時代の流れ。

 ただアナログなものに意味があるとすれば、それは残さなきゃいけない。そういう文化も必要だ。ラジオは古いけれど、ラジオで聴きたい。

 ダークな世界だ。ツイート。リツイートとか拡散とかでなく、ひとりぼっちのラジオの世界がある。二人きりの空間はアナログのラジオにあるのではないか。ラジオはそこに喜びがあるような。

 今度自分のファンの集まりに乗り出して”アイ・ライク・ユー”のようなファンクラブをつくろうと思う。カセットとか、でもカセットじゃレコーダーがないかと思ったらネットで安くである。カセットをMP3で聴くのだったらカセットで聴けばいい。
 カセットに歌とメッセージを入れて毎月とか何か月かに一度ファンクラブに届けてみたい。エッセイも手書で。そこはアナログでいいな。

 そこにラジオがある。垣花の声を独占したい、つながっていたいというのが俺の気持ち(笑)

<ラジオといえばハワイですね、パスポートポート更新しますという投書>

 ハワイ企画が実現していない。どっか嘘つき。この番組では決められない。もう一本番組やるか、将来レギュラーで番組を持つとか。番組をもう一回、いずれレギュラーってどうなのかな(笑)

 DVD につけたアイ・ライク・ユーに書いたけれど、僕にも譲れない一線がある。これはどうしようもない。吉田拓郎さんをまさかフォークシンガーと思っていないと思う。

 既に1973年にフルオーケストラで、R&Bをコーラスやストリングスをつけてやっている。音楽はもっと多様であるべきだ。フォーク、フォーク言ってんじゃないよ
その後ロックバンドのいろんなツアーを経て、瀬尾一三バンドで R&Bやバラードを歌った。

 とにかく音楽というものは自由で愛に溢れて多様なんだと言いたい。今年はツアー8か所だったが、これまでの集大成を完遂できたと思っている

 リハで ミュージシャンたちに、俺はロックバンドでR&Bとか、 アメリカの黒人音楽に影響を受けていてそういうサウンドでやりたいと話して今回はバンドとして作り上げた。

 吉田拓郎とバックバンドではないこのバンドのリードボーカルだと徹底させた。これが非常に良かった。

  映像にいろいろ文句言っているヤツもいる。例えばカットが変わり過ぎる、吉田拓郎をずっと観ていたいとかいってるけど、これは意見の相違で譲れない。そういう人とは気が合わない、楽しくない。

 今回のテーマは「俯瞰」だった。三階席の後ろからバンドを見下ろす感じの映像。 僕が歌っているときうしろのミュージシャンをおさえろ、みんな何をしているかおさえろと指示した。
 だから吉田拓郎より、やたら村田が映ったり ベースの松原が映ったりしている。そいうところを口を酸っぱくして言った。イントロ、間奏、エンディングでミュージシャンが何をやっているかを観てほしい。僕はバンドの一人にすぎない。広島でバンドをやっていていたときからそうで、それが楽しかった。

 これが僕の考え。正しいかどうかは別にして、僕はこれを通したい。って、俺は何しにここに来てるんだろう(笑)

 時には通じない。僕の心にはささやかな抵抗がある。アイライクユーは本当にそう思っているんだ。

M-2 恋の歌  (live73years)

(CM)

 襟裳岬を自宅で検索してみたらアルバムでカバーしている人がメチャクチャいる。意外な人が多い。フォーリーブス 細川たかし 八代亜紀とか、今日はそれらをいろいろ聴いてみたい

 まず天下の美空ひばりさん。カバーして下さったとは知らなかった。

M-3 襟裳岬 美空ひばり

 ♪何もない春です〜のところの彼女の解釈。すげーな。

 坂本九♪上を向いて〜
 ERIMOというタイトルで〜カモンインリトルブラザーとか英語で歌っている。♪襟裳の春はのところは日本語。アメリカで売り出そうとしていたのか、英語バージョン。

M-4  襟裳岬  坂本九

 カッコイイな。いまさら拍手。襟裳岬は、難しい歌だと思う。自分で作っといてなんだけど。

 次は春日八郎。♪お富さん  僕の子どものころ既に大スターだった。
びっくり。よく歌ったね、プライドあったろうし。

M-5 襟裳岬    春日八郎

 いやあ、なんて言ったらいいか、うまく歌うんだな。自分のものにしにくい歌。森進一の歌として広まったから、自分で歌うのには勇気が要った。

♪誰よりも誰よりもの マヒナスターズ。松尾和子とかとよく演奏していた。スチールギターのハワイアンムード歌謡。

M-6 襟裳岬  マヒナスターズ

(えりーもの  ファルセット)
 出たファルセット。難しい歌だよな。

 最近では高橋真梨子さんかカバーしてくれている。すべての皆さんに拍手を贈りたい。

 岡本さんというと旅の歌だ。♪旅の宿(歌う)
 旅ものだね。 ♪落陽(歌う)

 吉田拓郎は旅はしない、しかし岡本おさみの旅の詞は多かった。襟裳岬とか落陽とかあるけれど、岡本おさみの旅の歌で一番好きなのものが一曲ある。

 小柳ルミ子の「赤い燈台」。 これは出色。僕の曲もかなりいい。

M-7 赤い燈台  小柳ルミ子

(CM)  23:00

岩手放送でも開始。

 今つくづく思うのは、ずっと言い続けてきたことだが流行やヒットを生み出すのは女子高生ではないか。ビートルズ、ボブディラン、クィーン。 クイーンなんて日本から火が付いた。

 吉田拓郎というと 中津川で火がついてとか書かれているが、そうではない。まぎれもなく、デビュー当初、マンスリーコンサートとかで、紀伊國屋ホール、 安田生命ホール、 新宿厚生年金小ホールとかで、女子高生たちが観に来るようになって、エレックレコードとかにもやってきて、いろんな感想を教えてくれた。エレックの社長から、これはファンクラブを作れよと言われた。

 女子たちの眼力は凄い。間違いない。広島の頃から親衛隊の女の子が支えてくれていた。一昔前のルーズソックスとかもそうだし、アイデア企画センスが凄い。

 流行語のタピる知ってるか?タピオカミルクティー。青山、原宿とか凄い店舗。一部のおじさんおばさんは中華料理のタピオカを思うかもしれないけれどそうじゃない。大粒のタピオカでおなかいっぱいになる。目の前に並んでいるが、既に胸がいっぱい。

 このツアーでヘアメイクの子から紹介されて知った。

 「ミルクティーとほうじ茶」(試飲)  甘い。
 大きい粒がたくさん入ってきた
 「マンゴータピオカ」
 これあとにします、ストローにはさまった(笑)
「ホットタピオカ」
 あったかいな。これは流行るな。
 それから時々飲んでいる「ほうじ茶ミルクティー」。

 こういうのを女子高生が流行らせている。これは昔からの眼力とセンスだ。おっさんはダメなんだ。

 若い人の活躍がめざましい。

 渋野いいですね。 ウエアの着こなしのセンスの良さ。あと笑顔。ゴルフはもちろん。
バスケの八村。卓球の伊藤美誠、そしてツアーでも話した紀平、それにサッカー久保、こういう若い十代の人たちが世界を席捲している。そこが凄いね。

 あと最近やたらテレビはおばさんが映っている。いろんなライブもそう。豊かなおばさんが多いな。おじさんはどこにいるんだろう。みんなが独身なわけないから、旦那さんは、ほったらかしなのか。
 おばさんはコンサートでもドーンと、おばさんパワーを感じる。日本だけかな、若い頃タピオカとかを見つけるような人たちかもしれない。とにかく女性は目立つな。男はダメだ。

 男性は今日一日どう過ごすか女性から聞きなさい。

M-8 私がおばさんになっても  森高千里

(CM)

僕の曲のではいろんな曲のコード進行が独特だ。

♪あなたはもう忘れたかしら〜
僕にはこういう和製フォークのコードはない。"夏休み"には一部あるけれど。

 古くからある歌謡曲、演歌のようなコードではなく、R&Bのコード進行(実演) 

 例えば"やさしい悪魔"  シロウトだと、 サビ(♪あーあ―デビル  MY SWEET LITTLE DEVIL)G-Em-G G-Em-G とやりがちだけれど そうはいかない。ハンドにはいつも言っているG-Em-G6
 ただのG6ではダメ大間違い。5フレット目にあるこれ。こういうコード使っている。 こういうのは大好きで音楽は深いし広い。こういうG6を押さえるとハ-モニーが違ってくる)

 和音コードに凝りまくるのが好き。僕のコードはありえないものだった。

 せんこう花火(歌う)  ♪風が吹いていました〜ああ泣きました
キーはEなのにGにいってCにいく。誰にもなかったこういうコード進行。

 ディミニッシュ  オーギュメントというのもある。
 ♪風邪
 こういうオーギュメント、ディミニッシュ。こういうのが随所に出てくる  みんなの使っていないコード進行  そういうとひころに熱を入れていた。いわば音楽のアレンジにもアレンジャーとして自分で加えていた。そういう人は周囲に いなかった。僕は自分でアレンジしていた。そのコード進行ある中でこの曲がイイんだよ

 ♪メランコリー マイナーの演歌にありがとのAメロが、途中から♪それでも乃木坂あたりで メジャーに行く感覚。こういうのが自分でもいい。でまたマイナーに戻す ♪腕から時計を〜
 すげー楽しい。音楽は奥が深く、広くてまた最後にいえるのは自由なもの。やりつづけていきたい。また新たなコード進行を挑戦し次の新曲で考えたい。
 いま若い連中とはサウンドが違う。ヒップホップ系かな。歌詞はそんなに新しいものではないけどサウンドが違う。彼らのサウンドに吉田拓郎の言葉とメロディ―を乗っけたらどうなんだろう。

 それを武部鳥山にお願いしている。彼らの膨大なサンプリングによって、若いサウンドに吉田拓郎の歌詞とメロディーをのせたらどうなるか。

M-9   メランコリー   梓みちよ

(CM)


<パシフィコ最高だった、10年来のファン、新曲、今の拓郎さんの歌を楽しみにしているという投書>
(嬉しそう)10年か、新しい、いいねぇ。50年、60年てヤツばかりだしね。もういいよ。スポンサーの社長がさっき来て 「ペニーレインに行きました」って、おまえはもう帰れ(笑)。まかせとけ、新曲バッチリ、サウンドも練りに練ってイイの出してやるからな。

<拓郎さん名古屋の出来事とはなんだったんですかという投書>

 名古屋であんな素敵なコンサートであんな盛り上がっていたのに、一番前におっさんがいたんだよ。 武部も鳥山もバンドみんな笑ったんだけど、曲がジャーンと終わったら、そのおっさんが 立ち上がって 手をあげて教室みたいに「すいません今の曲なんて曲なんですか」って(笑)、ハハハハハそんなコンサートあるか、曲い聴いてんだよ バカヤローあれには笑ったよ

(CM)

 70年代初期まだ全国にイベンターができる前、地元の鑑賞団体の主催のたくさんの人が出るコンサートを回っていた時。持ち時間20分くらいで3,4曲 音楽的ではなく音響もないそんなコンサートを回っていた。
 北海道の釧路だっと思う。ライブのあと居酒屋でホッケの開き食べながら、大ジョッキでいい気分になって、外に出たら雪が降り始めていて素晴らしい風情。
 雪の町を歩きながら「自分は何をどこを目指すのか」このままこんなことを続けるのか。歩きながらしんみりとしたその景色を覚えている。

 演歌の和の空気感は、夏の海、沖縄とかではない。冬の景色がびったり。地元の公民館とかの地道なので旅先のしみじみとした気分があった。
 偶然一曲を耳にした。長山洋子、ポップスから転向した人で。僕は 羽生善治を歌った “たてがみ”が好きだった
 “めぐり逢い”という曲。淡々と歌う。主人公は渋谷あたりで派手やかな暮らし、それが事情があって逃げるように釧路にたどり着く。今はエプロン姿で客相手で、「今さら渋谷がどうとかいいっこなしですよ」この歌詞にカツーンときた。長山洋子は、バッチリ聴かせる。名唱だね。僕にも釧路の若き日の残像がある。今は、札幌はすすきのだけど。  
(ここで東北とはおわかれ)

M-10  めぐり逢い  長山洋子

(CM)

<この指とまれを歌う前にエンディングといいましたが、あれはコンサートのエンディングなのか、もうライブが最後という意味なのか、どちらなのですか 、最後グッときて音楽を共有できたと思うという投書>
 またもう一度いいことがあるよ。人間は半歩ずつでも進んでいればいい。

<アイ・ライク・ユー43項目クリアできました、でも気安く拓郎と叫んでしまうのはマイナスですという投書>
 そうか、いいやつだな。 気安く拓郎と叫んでしまうというのは、一回は許される。一曲ごとに言うな。曲終わるたびに「タクロー」って歌を聴いてんのかよと思う。

<流星でハーモニカ投げるところカッコいい、最後に演奏をキメた時の笑顔が素敵という投書>

 流星の最後に、俺とドラムが笑顔で合図するシーン、これにつきるね。

 ハーモニカは若い頃から投げているけど、スタッフは洗っているかはわからない(笑)。ウチの人もハーモニカを放るところ「キャー素敵」という。他のはところは感動している様子はない。そこだけ見に来る。

 これからのことだが、小さくてもいいから より濃密な関係、話せばわかる少数の仲間たちと共通の空間をつくれないか、そこでみんなと音楽でコミュニケーションをとれないか考えている。そういう夢はかなわないのか。そういう夢の中に、最後のファンクラブ構想がある。ハードルが高いけれどスタッフとなんとかトライしてみようとしている。

 レジェンドとかポップスシーンをひっばってきたとかレコード会社を設立したとか過去のことはもうどうでもいい。それよりも楽しい人生をどうおくるか。今を楽しく生きること。

 松本隆が言ったように"動かない花になるな"とあったが、もう一度動いてみるか、恥じなければ動かない。半歩でも動いてみるか、新しいクラブ活動にトライしたい。たぶん多くの人の期待を裏切るかもしれないが、最後の夢をかなえてみたい。

ここまでお相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆

☆ラジオで聴くと番組開始前の"ホッピーミーナ"がごっつう懐かしかった。オットピンのCMはなかったが。

☆確かにまるで先週のつづきのようにナチュラルに番組が始まってゆくのは凄いな。

☆”アイ・ライク・ユー”にさんざんムカつき、”アウトロ”という言葉に哀しさを感じていた昨今の自分なので、正直言ってラジオへの期待は低めだった。しかし、あららら、聴けば吉田拓郎はもう次の地平に行こうとしているのか。まさかここまできて拓郎から”動けない花になるな”"自分で動いてみよう"なんて言葉を聞けるとは思っていなかったよ。過去は過去で終えて、また新しく動き出そうとしている。意外にも次の旅支度のような放送だった。

☆一番嬉しかったのは次なる新曲の胎動がうかがえたことだ。”まかせとけ、新曲バッチリ、サウンドも練りに練ってイイの出してやるからな”。いいじゃないか。新しいコード進行と若者のサウンドの実験とはワクワクするじゃないの。どうなるんだろうか。その結果がどうであるかということよりもリアルタイムでその問いの中に生きられることこそが幸せなのだと思う。
 おそらくは、ライブもそしてラジオもまた新たに始まるに違いない。そして何より新しい活動もだ。今年、いかに最後のライブ&ラジオという言葉に振り回され魂を消尽した私であっても、この新しい出立を大歓迎するしかない。ブラボ!!

  しかし、しかし、それでも今年を振り返って一言だけ心の底から叫びたい。
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         お爺さんのウソつきーっ!!
                 ああ、スッキリした。

☆ライブの俯瞰の話はよくわかった。負け惜しみもあるが、今年2階席が多くて俯瞰の中にいられたことはラッキーだったのだな。沸き立つようなバンドは俯瞰していても美しく最高だったよ。

☆コード進行の斬新さは、私のような素人にはもちろんせいぜい感覚でしかわからないが、それを的確に解説評価するのが音楽評論家の仕事だろうに。この国にロクな評論家がいなかったのだな。フォークの一言で片づけられて確かに不幸なことだった。
 メランコリー、やさしい悪魔、赤い燈台、あらためてもう一度新たに出逢い直すように聴けた。名曲ばい。赤い燈台、いいなぁ。おかげで去りかけていた仲間も戻ってきてくれたようだ。安堵。

☆”アイ・ライク・ユー”43ポイントクリアしたという投書の方には驚いた。確かに凄い。私なんか、”新作を必ず買う”と”拍手を惜しまない”のたった2ポイントだけだ。どんだけヘイトユーなのか(爆)。新しいクラブには招待されないかもしれないが、こちらも改心したり修正したりしようがない。このままいくしかない。さて、どういうクラブ活動が始まってゆくのか。

☆それにしても、え、天才に向上心はいらないんじゃなかったのか。やっぱいるの?
                                           つづく

2019. 12. 15

“♪この道はいつか来た道〜” CM明けのギター、あれは拓郎が弾いているのだろうか。耳に残る。
初聴の時はどうしても拓郎の近況とこれからの活動の話に耳を奪われてしまったが、しみじみと聴き直すと、後半で若き拓郎が将来を思いながら歩く釧路の雪景色と”今さら渋谷どうだとか言いっこなしですめぐり逢い゛の歌がシンクロするあたり何とも胸にしみる。

 やっぱラジオはいいよな。

 “小さくてもいいから より濃密な関係、話せばわかる少数の仲間たちと共通の空間をつくれないか、そこでみんなと音楽でコミュニケーショとれないか”
 拓郎は、どういう状況を思い描いているのだろうか。はっ、わからないことがあったら手を挙げて聞けるような関係ということなのか(爆)。名古屋のおじさん、私は笑うよりも感動したよ、いやあ凄い人がいたもんだ。世の中捨てたもんじゃない。

 俯瞰の気分で、DVDをまた観直したくなった。

 あれやこれや、ともかくこちらも一歩でも半歩でも…だ。

 ヨレヨレの気持ち ヨレヨレのblue jeans
 ヨロヨロの僕の一歩はどこに
  どこに向かうんだろう
           (俺とおまえとあいつ デモテープ)

 コレやっぱり拓郎の詞だよな。

◇今日のかるた◆
「ふ」
☆古い船、みな古い水夫になったけど
            新しい海もしょせん海、どうにかなるさでいきまっしょい 

★”フォーク歌手”この肩の重き刷り込みを
              明日は解き放てよ世々の人

2019. 12. 16

 先日観た映画「アイリッシュマン」の音楽監督であるザ・バンドのロビー・ロバートソンのインタビューを読んだ(discovermusic.jp)。
 もちろん自分はザ・バンドを語れるようなものではないけれど、映画本編の監督マーティン・スコセッシは、映画”ラストワルツ”の監督で、再び”ザ・バンド”のドキュメント映画を最近発表したようだ。

 「マーティンは映画“アイリッシュマン”のためにとてつもない俳優陣を引っ張り出してきたんです。ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、そしてジョー・ペシといった錚々たる顔ぶれが勢揃いするのは見事なものです。彼らには独自の関係性と仕事のやり方があって、それはザ・バンドが、かつてメンバー全員が曲づくりに密接に関わっていた音楽的組織のようなものだった時のことを思い起こさせてくれました」

 あの超絶な俳優陣にザ・バンドを重ねて観ていたのかと思うと面白い。

「彼らはまるで、個々がそれぞれ違うキャラクターを演じている劇団のようでした。そして、それは私がザ・バンドのメンバーについて長年感じていたことでした。ザ・バンドでは私はそれぞれの曲の中で誰が何のキャラクターを演じるのか、キャスティングしているかのような気分だったんです。“アイリッシュマン”もそれに似ている気がします。この映画に出演している俳優陣の演技力に疑いの余地はなく、全員が同等レベルの能力を持っていて、他のメンバーのやることを尊重しているという点においてね」

 先日のオールナイトニッポンゴールドで拓郎が語っていたことを思い出す。吉田拓郎とそのバックではなくて、ひとつのバンドの中にそれぞれのミュージシャンとともにボーカルの役割で吉田拓郎がいるんだと。その話ともシンクロする気がする。
 アル・パチーノとデ・ニーロの最終章、ザ・バンド、そして吉田拓郎。すべての道は拓郎に通ずるのだ。思い込みと言わば言え。

 アイリッシュマンの映画音楽と当時のポップスなどの挿入歌群が凄かった。まるで音楽映画でもあるかのようだ。もちろん知らない曲ばかりなのだが、拓郎のipodの中身を知らされたみたいな気分だった。
 この映画はいろいろ思い返しても、すんばらしかったのでもう一度劇場にゆく予定だ。うー、その時間はあるか。

◇今日のかるた◆
「へ」

☆ペニーレイン永遠の聖地であるけれど
           もはや原宿は遠くにありて思うもの
                      

★ベイサイドバー 三人連れと飲んだ後
           そのあと続きはどうなった

2019. 12. 17

 映画アイリッシュマンで最も印象に残るのは、オープニングとラスト近くで流れる”In the Still of the Night”という50年代の曲。たゆとうような甘くて切ないナンバー。映画の最初と最後で印象が全く違ってくるのだ。どこかで聴いたことあると思っていたら、96年に浜田省吾がアルバムの中でカバーしていたんだな。浜省のカバーもいいが、こういうのは拓郎もきっとうまいだろうなと思う。
 そういえば今年神田で”いとしのルネ”をカバーするかもしれないと言ってたが聴けなかった。”風に吹かれて”を除くと拓郎の洋楽のスタンダードのカバーはそんなに聴いたことがない。昔、愉快オンステージで、アルフィーと”ホテルカリフォルニア”をちょこっと歌ったが、あれ一人で本気で歌ったら結構カッコ良かったのではないか思う。
 カバーはカバーで拓郎の歌のうまさが映えるに違いない。しかし、そうすると貴重なライブやアルバムの一曲にカバー曲なんぞ入れやがってと文句足れるファンが必ずいる>それってオマエだろ(爆)
…う、そうかもしれんが、がんばるよ。


◇今日のかるた◆

「ほ」

☆星を数える男になったぞ かかってこい
               いざ決戦だ野鳥の会
★”本当の声を聞かせてよ”と言われて聞かせたら
             アイ・ドント・ライク・ユーと怒られる

2019. 12. 18

 環境運動家のグレタさんがドイツ鉄道のファーストクラスに乗ったこと自体を揶揄する人々がいて何だそりゃと思ったが、2006年のつま恋の後に新幹線で帰ろうとする岡本おさみさんを観て"旅人なんだから野宿しながら歩いて帰ってくれよ"と思ってしまった私も所詮同じ穴のむじなである。というわけで曲ですね、この曲のせいもあります、吉田拓郎さんで"星降る夜の旅人は"。
 なんにしても「〜らしくない」「〜らしさ」という言葉の危さを思うのである。


◇今日のかるた◆

「ま」

◇待ち侘びる時間は年々長びくが
           待つものあるのは至福なり

◆松本と安井には遠慮もするけれど
           喜多條、岡本にゃ傍若無人

2019. 12. 19

 ファンクラブかぁ。あれこれ考えたところで必ず予想外の事態になるに違いない。良くも悪くも(爆)。なのであまり考えまい。

 ファンクラブというと1988年あたりから公式として始まったT’sだ、パソコン通信だ、Club Mahaloだと集まり散じて変わっていったのを思い出す。他のミュージシャンのファンクラブもこんなに紆余曲折変わるものなのだろうか。んーこれもあんまり考えない方がいいな。

 先日のラジオでもちょこっと話に出た、デビュー当初にあったという幻のファンクラブ。拓郎を見出した女子高生らが支えたファンクラブ、素敵だったろうな。そういうクラブがイメージにあるのかもしれない。実際には、どんなファンクラブだったのだろうか。当時の女子高生の方々の話を切に聞いてみたいな。

 そうそう現TYIS。あの会員証って、なんに使うんだよと笑っていたけれど、今年、浜松の公式ツアーで初めて提示を求められた。おお、持っててよかった。


◇今日のかるた◆

「み」

◇道なき道 砂漠にホースで水撒きて
          サラソーたよりにゆくキャラバン

◆”南の質感”に”バカ坂崎”の暴言も
         ファンは彼らに感謝で合掌  

2019. 12. 20

 ファンクラブといえば私設の”たくろうさぁくる”や”拓郎軍団”の方々を忘れちゃなるまい。間接的にしか存じないので何かを語れる立場ではない。しかしネットもパソコンもワープロもない時代に手書と文書と郵便という自力ツールで、ファンとしての愛に挑んでカタチにしたことそれだけでも超絶凄い。今、ファンサイトでござい〜とエラそうにいう私は、しょせんネットのチカラを借りてパソコンで勝手な事を叩いているだけだ。そんな私なんかと、彼ら彼女らの愛の深さと気骨とはそもそもギアの入り方が違う。

 ついでに何度でもいうが、世界中が敵になったであろう金沢事件の時に、それでも拓郎を信じて支援したファン、また警察署まで取り囲んだファンの方々のことを考えるだけで私は涙が出る。拓郎も超絶大変だったろうが、ファンもそれぞれに極北状態だったのだろうと察する。

 こうして私設ファンクラブや73年に逃げなかった先人のファンの方々の愛の深さには脱帽するしかない。彼ら彼女らがいたから、私は今こうしてのうのうとファンをやっていられるのだと本当に思う。
 今の若い人が感性で拓郎をキャッチするのも素晴らしいことだが、やはり昔の人たちも偉かったと心の底から思う。突然だが、道元の言葉に”発心と畢竟と二つながら別ならず”という言葉がある。初心であろうとベテランであろうと、そこに愛があれば等しく尊い…ということだと思う、たぶん。

 レジェンドや昔のことはどうでもいい、これからが大切だと未来を見つめる拓郎は実にすんばらしい。でも、もしかして「昔」や「古いもの」を否定すれば必然的に今とか未来に生きていることになるとか思っちゃいないだろうか。違ってたらごめんね。
 最後といいながら今年のライブが挑戦と清々しい新鮮さに満ちた出色のものだったように、これから胸を打つ新曲を聞かせてくれれば、誰だって、昔が良かったという自分が自然と恥ずかしくなるに違いない。

 正直、なぜここまできてファンクラブなのだろうか。ラジオでナイトで様々な音楽を教えてもらい、個人的には最近はさだまさしのライブも観たりして思った。ずーっと吉田拓郎という一本の川を下ってきた私は”川の水が海に出るように”という"Life"の歌詞の如く、今や音楽というひとつの大きな海に拓郎によって連れ出してもらったのだと思う。自由な音楽の広い海だ。なのに、なぜ敢えて養殖の池のようにところに戻って何を囲おうとするのか。そこに自由はあるのか。これは文句ではなく、アイ・ライク・ユーたった2点の私は不安なのである(爆)。
 「そんなのおまえのくだらねぇ杞憂だ」ということで、実はすんばらしい音楽世界が始まったとしたら、その時はいつでも心からお詫びする。


◇今日のかるた◆

「む」

☆ムチムチムチ夢中、これシングルかと驚いたが
               このノー天気、無双のロックなり
             
★”無題”とか”たえなる時に”とか開場同時に歌われて
                この人でなし!とわが心叫ぶ

2019. 12. 21

 どうもこの頃は特に愚痴っぽいというか僻みっぽくなっていてイケない。しかし所詮たかが一般Pの個人サイトだ。官房長官でもなければ地元後援会でもないし記者クラブでもない。できるだけ正直に気分を書くしかない。

 ラジオの感想で書き忘れたのは「襟裳岬」だ。実に多士済々のカバー。美空ひばりはやっぱり凄いな、春日八郎うまいな、坂本九は何がしたかったんだ、とひとつひとつに唸った。テレサ・テンのカバーも聴いたことあるがこれも良かったな。

 もちろんトランペット高らかに始まる森進一の本家は日本歌謡界の不滅のスタンダードだ。

 しかし、しかし、それでも、トランペットではなく静かなハーモニカで始まり、松任谷正隆のキーボードに包まれて拓郎が優しく歌う”今はまだ人生を語らず”バージョンがこそ最高だと確信する。本当に暖炉か焚火にあたっているようなぬくもりが曲間から溢れてくる。すんばらしい。同じトーンの松任谷の音色という意味では翌年のつま恋のライブバージョンも美しい。映像になったつま恋の音源はCDにもなっていることは意外と知られていない。

 というわけでここまで有名にしていただいた森進一には申し訳ないが、ベストテイクはこっちだ。すまん、でも森進一あなたにはまだ”夜行列車”があるじゃないか(爆)。

 あ、今日はなかなか翼賛してるぞ。

◇今日のかるた◆

 「め」

 ☆メランコリー、凄い詞書いたなと新幹線まで追いかける
                   喜多条泣くが俺も泣く

 ★名曲はアルバムの隅やB面や
           未公式に眠っていてもどかしい

2019. 12. 22

 よかったなぁ紀平梨花さん、もう私ですら身内感に満ちている。

 ところで牛丼は吉野家だ。若い頃の苦節時代、学食のサービスカレー120円と吉野家の牛丼300円で命を繋いでいた。今も感謝している。
 吉野家の牛丼には通販で買えるレトルトパックがある。狂牛病で牛肉が入ってこなくなった時、中島みゆきが大量買いしたといわれているのはコレだ。

 しかし、レトルト牛丼は店内で食べるいつもの牛丼とは味がかなり違う(と思う)。今は違うのかな。たぶん保存用という技術的制約と厳密な材料の分量の管理などでキッチリ作り込まれているからだと思う。店内のあのハフハフしながら食べるラフでワイルドな感じがない。また店による微妙なバラツキ感もない。ともかく店内とは違うレトルト感とでもいうべきものが厳然としてある。

 さて拓郎の楽曲は通常はレコーディングされた後に、ライブで歌われることが多いが、稀にライブで発表され演奏された後にレコーディングされることもある。まず思いつくのは、81年夏の体育館ツアーの新曲たちが、秋冬になってシングル”サマータイムブルースが聴こえる”とアルバム”無人島で”用にスタジオレコーディングされたことだ。
 あのツアーは特筆ものにすんばらしかったこともあるが、初めて聴く新曲がどれもすげー扇情的で感動的だった。ところが、これらがレコードになってしまうとライブの時のオーラはかなり薄くなって、あれぇという気がしたものだ。もちろん音楽的素養ゼロの私の勝手な感想だ。あのレコードが良くないというのではないが、ライブの時のワクワク感がキレイに削ぎ落されていた気がしてならない。そう、お察しのとおりレトルトの牛丼みたいだったのである。

 今回のLive73の新曲“運命のツイスト”もライブ→レコーディングというパターンだ。なんつったってライブではツイストまで踊ってくれる、メロディ―も細かく決まっていないというワイルドな作品だ。スタジオレコーディングしたらさぞやつまんなくなるだろうとレトルト感を心配していたところだった。。しかし”てぃーたいむ”を聴くと、レトルト感が殆どないのに驚いた。イイじゃないか。これが拓郎がこだわった一発録りというヤツの効果なのだろうか。ライブよりいいんじゃないかという気もするくらいだ。なんだろうね。

 是非、吉野家のレトルト商品開発部の方にも聴いてほしい。


◇今日のかるた◆

「も」
 ☆森山(良子)のねーさん豪語す今日の
        拓郎あるのは黒澤久雄のおかげ

 ★”戻る場所”などありゃしない
          今さら嫌いというのなら もとの14歳に戻しておくれ

2019. 12. 23

 WOWOWのドキュメント“TOKYO ROCK BEGINNINGS” −日本語のロックが始まる「はっぴいえんど」前夜− 面白かったな。いい番組だった。歴史の勉強にもなった。

 慶應、立教など東京の裕福な子弟のサークル活動からすべてが始まる。創意工夫し音楽イベントを作りあげたり、小川未明が出てきたり、学生運動とダンパを掛け持ちしたり、自由な若者たちのセンスの素晴らしさと行動力の凄さに唸る。やがて彼らの音楽活動が糾合し、大きくて強固な潮流になり、今にしてみると錚々たるミュージシャンが集まり、その果てに”はっぴいえんど”が誕生する。

 広島からひとりで東京に出てきたばかり拓郎にとってこの巨大な東京の音楽的潮流には立ち入りようもない門外漢だったろうし、強大な藩閥、学閥体制のように見えたのではないか。同じように岩手から東京に出てきて”はっぴいえんど”にピタリとハマり込んだ大瀧詠一と比べると吉田拓郎はさぞや大変だったろうなと勝手に思う。
 また、東京の音楽潮流の体制側も、広島からポッと出てきた異才の若造吉田拓郎のことが、その才能ゆえにさぞや邪魔で鬱陶しかったんだろうなと思ったりする。アレはフォークだから、フォークなんて、というレッテルを貼って天才吉田拓郎を土俵の外に押しやるしか対処方法がなかったのだろうとも思う。

 しかし、番組では吉田拓郎の「よ」の字もなかったが、そんな状況の中でも何のバックもない吉田拓郎もその才能はキチンと見出されていったわけだ。例えば嵐に呑み込まれても歴史はそれを見逃さないだろう…という歌のとおりだ。そこはまた音楽の凄いところだ。潰されずに見出されたところに、拓郎の才能はもちろん、拓郎が日頃いう音楽というのは深くて広くて自由なんだという、音楽というもののチカラがあると思った。

 東京の本流の総帥の細野晴臣が、ボブ・ディランの洗練されたメロディ―ラインに一番影響を受けたというのは意外だった。そして細野の言う米軍基地の近くFENの聴けたところでミュージシャンが育つという話もなるほどと思った。東京の他は、沖縄、三沢、佐世保そして岩国。三沢には大瀧詠一が育ち…岩国には吉田拓郎が誕生する。あらためて音楽というのはひとつの大きな海なのだという気がしたものだ。

 当サイトは“はっぴいえんど”が嫌いで悪口ばかり書いていると思われているようだが、断じてそんなことはない。そもそもこんな私ごときが恐れ多い超絶素晴らしいミュージシャンたちだ。
 ただ、”日本語のロック”を語るときに吉田拓郎を完全スルーして語れる連中の意味がわからないだけだ。日本語のロックそれは吉田拓郎だろ。開発・普及・発展含めて。それを凌駕するほど、完全無視できるほど、そこまで”はっぴいえんど”は偉くはなかろうと思うだけだ。う、そういうのを悪口というのか(爆)。


もうそういうレジェンド系の話はどうでもいいというご拓宣があった。御意。ともかくたかが一ファンだが、豊かなる音楽の海の片隅で浸れて幸せだというしかない。

◇今日のかるた◆

「や」

 ☆やさしい悪魔 天才でしょう
             このメロディ―この演奏の誇らしさ

 ★約束は破られるから美しい、名作なれど
             自分で言うなという気もする

2019. 12. 24

 昨日のwowowの東京のロック草創期の番組の感想のつづき。最初は、慶應・立教の大学生が軽井沢万平ホテルの近くの別荘でバンドの練習をしたとか、あれこれイケすかない話も多かったのだが(爆)、音楽の潮流が大きくなるとともに、いろんな音楽青少年が幅広く集まってくる。そこにギターがすげーうまかったという可愛らしい高校生の写真が登場する。おお、鈴木茂だ。奥沢ご出身だったのか。いかにも三丁目の夕日の下町っぽい民家の狭い物干し台に窮屈そうに集まってバンドの練習をしている写真が印象的だった。
 小学生の頃、父親からおまえはスペアだと宣告され、学校が終わったら自活しろと言われていたので小学校から就活を考えていたという鈴木茂。よくぞギターに就職してくださった。あらためて”昨日の雲じゃない”を聴く。青山も徳武もおらず、鈴木茂が単独ピンのギタリストだった(常やんすまん)81年の体育館ツアーを思い出す。ああもう一度観てーなー。

 ギターといえば昨夜はKAZ南沢さんの追悼ライブに行けずに残念。何年経っても錚々たるミュージシャンが集う。魂のボーカル、魂のギター。拓郎プロデューサーのもとで、デビュー直後の原田真二のバックを青山徹と支えていた時の話を伺うのが好きだった。

 ご生前、原宿のライブの後で深夜、たまたまギターを肩にひとりで駅で向かう後ろ姿を拝見して、痺れた。

 男の夢とか言う言葉は好きではないが、孤高のギタリストというのは、男の最醇の夢ではないか。少なくとも私はそう。現実は思い切り遠い人生だけど。

◇今日のかるた◆

「ゆ」

☆雪でした いたずらな雪降る中
       あなたの後をついて影を踏み歩きたい


★夢はと聞かれ”夢ねぇよ
       でも戦争は無くなってほしい”との言葉に痺れる

2019. 12. 25

 田家秀樹さんのブログを拝見して驚いた。大変だったのだな。そんなご自身の緊急時に救急車を呼んで良いのか迷うところに田家さんのお人柄を感じてしまう。とにかく脳にも異常がなかったということで一安心だが、くれぐれもご用心の上にもご用心を。
 吉田拓郎が永遠に歌い、田家秀樹がそれを永遠に記録してゆく世界を前提に私は生きている。縁起でもない話で申し訳ないが、田家さんがいない世界とは、すなわち富澤一誠ひとりしかいない世界のことである。そんな闇のような世界にアタシ生きてゆけないわ。

 というわけで曲ですね、救急車なら”重い闇を救急車が引き裂いて”ということで吉田拓郎さんで”いくつもの朝がまた”。シャレになりませんね、すみません。とにかくお大事になさってください。

◇今日のかるた◆

「よ」

 ☆”「吉田」といえば昔は拓郎さんだけだったのに”
                いえいえ永遠に吉田の中の吉田です

 ★夜が来た ヨールレイホ―
              ヨーデルを会場唱和の夢見てうなされる

2019. 12. 26

 堂本兄弟で、初々しい頃のKinkikidsの"きよしこの夜"を映像を観た。拓郎のギター教室の第一回おさらい会みたいたものだ。一番グッときたのは、拓郎と泉谷が仲良く並んで、真剣に頷きながら少年たちのギターを見守っている姿だ。言っても仕方ないのだが、ああもはや四半世紀近く経ったのかとついつい呟いてしまうのだ。


◇今日のかるた◆

「ら」

☆ラブソング、歌うと「堕落」とクレームしたが
           あんときゃすまんな許しておくれ

★”落陽”は神曲なれど歌うか否か大激論
            セットリストは四角いリングか

「り」

☆リサイタル、コンサート、ライブひととおり行ったけど
               拓郎、違いがいまだにわからん

★”離婚とは”、結婚も知らぬ中坊が
               あの最終回で学んだ’75秋

2019. 12. 27

 おいおいあと4日でもう大晦日だ。大晦日といえば"大晦日"だ。♪また年月が行ってしまうから〜、岡本おさみ&吉田拓郎のゴールデンコンビの手になる。えっ、ゴールデンコンビは松本隆&筒美京平だろうという、そんなシロウトみたいな事言ってる人々につきあっている余裕はない。年末は忙しいのだ。
 地味な知名度の曲ながら意外にも三人ものシンガーにカバーされている。ケイ・アンナ、桜井久美、川村ゆうこ。…もっと地味じゃん(爆)。
 しかし、カッコいい作品なのだ。川村ゆうこのカバーしか聴いたことはないが、実にいい感じの哀愁あるロックである。ちょっと悪っぽい、ふてくされ系の女性シンガーが歌うとピタリとハマる。現代ではなかなかカバーできるようなタイプの女性はいない。って書きながら、思い当たった。はっ、沢尻さんどうでしょう?と小さい声で叫んだよ。不謹慎多謝。

◇今日のかるた◆

「る」

☆流氷が消えて 花に酔ったらその時泣こう
               いけすかないが松本天才

★ルックスで売ってきたと豪語するのはそのとおり
               一瞬ピンチはあった気もするが

2019. 12. 28

 大多数の方々には心の底からどうでもいいことだろうが、スタートレックファンの私は周囲から「スターウォーズ新作映画すごいですね、もう観たんですか」と声をかけられることが多い。お心遣いはありがたいが、それは吉田拓郎ファンに「小田和正の全国ツアー凄いですね、もう観ましたか?」と声かけするのと同じ仕打ちである(涙)。向こうはwars(戦争)、こっちはtrek(旅)でテーマが違うし、しかも向こうは巨大な帝国だ。
 それでも余裕こいていられるのは、来年いよいよ新作ドラマ「スタートレック・ピカード」がスタートするからだ。スタートレックシリーズ、いやこれまで私が観たすべての映画・ドラマの中で最も尊敬するジャン・リュック・ピカード艦長。既に艦を降りて引退した80歳のおじいさんにどんなアウトロ・最終章の冒険が待っているのか。予告編だけで小一時間泣ける。
 吉田拓郎の最終章、アウトロの冒険とともに楽しみだ。心配なのは主演パトリックスチュアートと吉田拓郎のご高齢ゆえの健康の点だけだ。くれぐれも身体を大切になさってくだせぇ。お二人とも、フォースと共にあらんことを。あれ。

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◇今日のかるた◆

「れ」

☆歴史と闘う夢を見て、歴史はそれを見逃さない
               歴史へと焼き付くことだろう
      
★レノンの訃報を耳にして、アブレ者
              ・少数派は抹殺されるのかと涙する

2019. 12. 29

 たぶん13年ぶりくらいに熱狂的拓郎ファン=拓バカさんたちと飲んだ。楽しかった。こんな私に昨日の続きにみたいに接してくれたのが何よりありがたかった。

 ひたすら拓郎の話。いいねぇ。歯に衣着せぬ、言いたい放題の暴言の中に、しっかりと宿る今の拓郎への彼らの深い愛情。アイライクユーとか言ってるうちはわかるまい(爆)。

 どうして拓郎に出会ったのか、初めて買ったレコードの感動はどうだったか、初めてのコンサートにどうやってたどり着いたか、このあたりの"はじめて"話は誰の話を聞いてもワクワクする。ひとりひとりの経験がどれもドラマになっていてビシビシ共感し共振されてくる。どっかに是非残しておきたい歴史的証言ばかりだ。

 確かに、こういう話は拓郎が嫌う昔話なのかもしれないが、この"はじめて"の魂を2019年まで持ち続けることができた人種のことをファンというのだ。

 たくさんいるミュージシャン、あまたある音楽の中からあえて吉田拓郎を選び獲った卓抜したセンスの良さ、そしてその"はじめて"の時の魂をそれぞれの日常の極北を超えて聖火ランナーのように持ち続けた気骨。なのに家族、職場、知人そして拓郎本人すら、誰も誉めてはくれない。そうならばもうファン同志でお互いに誉め讃えあうしかないじゃないの。

 久々に彼らの矜持ある拓郎愛を見せられて、アイライクユーに過剰反応した自分が少し恥ずかしくなった。なにぶん一人だと了見が狭くなっていけない。性格もあるか。

 夜道を帰りながら、来年はデビュー50周年だなと話し合った。驚き桃の木、半世紀だよ。どんな年になるのだろうか。またどんな年にしようか。

 何より大前提はみんな元気でいることだ。昨夜も、ひとり健康を害されて会えなかった彼のご様子が心配だ。彼はもちろん、とにかく、とにかくすべての拓郎ファンの皆さんお大事になさって、よいお年をお迎えください。

◇今日のカルタ◆

「ろ」

☆ローリング 動けぬ花になるな
           70過ぎても脈打つスピリットに貰う勇気

★ロック、ポップスにR&Bなのになのに
           ああ、フォークの呪縛はいつ解ける

「わ」

☆"我が良き友よ"でよりそう二人
             もう昔の無邪気な気分で観られない

★わがままなアーティストとして半世紀
               アナタも偉いがファンもエライぞ

2019. 12. 30

 そうだよね。確かに50周年記念行事なんて奥ゆかしい本人はやらないだろうね。でも、半世紀だしさ、夫婦なら金婚式だよ。もし本人が何か魔が差して(爆)、そういう催をやったとしたら、こっちも東京オリンピックなんかにゃ負けない魂の全力応援するので、いちおう用心だけはしておきたい。

 周年といえば、かつての“男達の詩”は”デビュー20周年記念シングル”ということだった。多分、本人に関係なくレコード会社が仕掛けたっぽいけど。
 あのシングルは、なんといってもジャケ写の”短髪”写真が衝撃的だった。バッサリと髪を切った拓郎。同時期に「髪を切ったら20年が過ぎていた」という石原信一のファンクラブ会報のエッセイもあった。なんにしてもトレードマークの長髪の断髪はそれなりに大事件だった。
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 しかし、それからもう30年だよ。すげーな、時の流れって。昨日の事のようなんだけどさ。
 ということは「長髪」の拓郎より「短髪」の拓郎の方が期間が長くなっているんだよね。つまりこれまで吉田拓郎は、そのキャリアの60%が短髪だったことになる。長髪は40%に過ぎない。

 それがどうしたという声が聴こえてくるが、この60:40が吉田拓郎の"黄金比"というヤツなのではないか。さすが鹿児島芋焼酎。

 例えば普段に曲を聴くとき、「あれ、最近自分は長髪時代ばかりに偏っているな、そろそろ短髪時代を聴くか」、あるいは「最近は短髪時代ばかりだから、たまには長髪時代を聴いてみるか」、というように黄金比に収斂するバランスを心掛けてみたらどうであろうか>大きなお世話だよ

“昔の曲ばかりでなく短髪時代と長髪時代をバランスよく聴いてくれる人”

“人の髪型と曲を勝手に結び付けて思いつきでゴチャゴチャ言ったりしない人”

 アイライクユーはどっちだ?
    たぶん後者に5000点!!…ってダメじゃん。


◇今日のかるた◆ ようやく最終回

「を」
☆超えてゆけそこ超えてゆけそれ 人生人生語らず
           おまえの叫びが行く手照らすよ

★男達の詩 衝撃の短髪から30年
        長髪よりも長い短髪の時代よ

「ん」

☆んーんーんー“やらしい悪魔”
            と昔の蘭ちゃんボケが懐かしい

★なんんんですかぁぁぁぁぁこの絶品シャウト
             全ての歌手よ 超えれるもんなら超えてみろ

                   今日のかるた おしまい

2019. 12. 31

 大晦日。川村ゆうこは毎年12月に名曲”大晦日”をライブで歌っておられることを知った。誠に申し訳なかった。他の歌手のカバーなんかよりもそうしてご本人が歌い継がれることこそが一番だと思う。また聴かせていただきたい。

 大晦日というと、新国立競技場完成に盛り上がる陰でひっそりと消えていった聖地日本青年館でのことや、テレビの前で思わず「もっと顔を上げろ、声を出せ、しっかりしてくれぇ!」と叫んでしまった紅白など、世間一般の多数派とは共有しにくいファンならではの静かな思い出がある。
 確かに昔のことはもういい。いいけど、今年は最高に良い年だったと心の底から思う。すんばらしいライブとそのライブが連れてきてくれたもろもろの幸せだった。もう思いのたけはしつこく書き尽くしたとおりだ。まだいくらでも書きたいし語りたいが。

 中には良い事ばかりでなく、まるで番組収録中に布施明に怒鳴られた歌手の超絶級の怒りに匹敵するくらい頭に来た瞬間もあった(爆)。しかし、心ある方々に温かい言葉をいただき、つい先日も旧知のファンの方々の「いろいあってもみんなファンでいようじゃないか」という言葉に涙ぐんで諫められた。孤高のサイトとかウソぶきながら、実はたくさんの人のおかげで生きている。皆様本当に深謝申し上げます。
 心を入れ替えて来年はILYのスコア40点超えを目標に半歩進んだファンになって御大に少しでも好かれたいと思う。>その言い方がそもそも無理だろ

 穏やかで良い新年を、拓郎あなたも。もちろんみなさんも。長寿と繁栄を、そしてフォースと共にあらんことを。

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2020. 1. 1

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 新年おめでとうございます。吉田拓郎にとってもファンにとっても、そしてもちろん何よりこの地球にとって良い年になりますように。

 今年はたぶん吉田拓郎のデビュー50周年だ。しかしAI美空ひばりならぬAI吉田拓郎があったら決然とこう言い放つに違いない。
「僕が過去に50年歌ってきたことなんかどうでもいい。それより今から半歩でも先に進むことしか考えていない。」あるいはILYにしたら「すぐに〇〇周年とか仰々しく騒いだりしない人」ということにもなりそうだ。
 いわゆる形式的な区切りを嫌い拒否する拓郎の心意気はすんばらしい。おそらくファンは拓郎のそういうところにホれたのだ。
 しかし、そのことと、実際に50年もの長きにわたり音楽活動をつづけた拓郎に対してファンがどんな気持を持ち、それをどんなカタチで表すかは全く別の問題だと思う。
 それにさ、拓郎は50周年を祝われたりするのは確かに嫌いだろうが、祝われないのはもっと嫌いかもしれないじゃん(爆)。ファンの追っかけがウルサイと怒りながら、ファンが追っかけてこないと愛情が足りないと怒りだす人でもあることを忘れてはならない。

 しかしそんな悪態をつくまもなく、今朝いきなり元旦のNHKの”生でさだまさし”で、先月のさだまさしのコンサートの感想を書いたハガキを読んでもらった。我ながら、さだまさしのコンサートで涙ぐみ、本心からとはいえ「すばらしいコンサートありがとうございました」って書いちゃう俺もどうなんだ。すまん。

 テレビに気づいてくださった方もいらっしゃって早々にご連絡をくださり、ありがとうございました。さだまさし、すげー好きになってしまいそうだ。いきなり心が揺れてどうする。またひとつ世界が広がったようだ。今年はもっと勇気出して谷村新司のコンサートに行って近隣の人の手を握りまくってみよう、それが私の半歩かもしれない(爆)。

 というわけで、世間はあげて世紀の祭典=オリンピック一色ムードに突入するだろうが、こちらは、拓郎の半世紀=50年間という時間、そしてその50年はこれで打止めではなく、しっかりと明日へとつながっているという幸福を直視して素直に感謝したい。
 どうやって50yearsを自分の心に落として過ごすかが自分のひとつの静かなるテーマである。

 今年の皆様のご多幸をお祈りします。

2020. 1. 2

 昨年末の拓郎ファンの飲み会で、75年当時、高校一年生だった人が、つま恋に行った時の話を聞いた。すまん。ここで勝手にネタにしてしまうがサワリだけ書くことを許してくれ。

 当時、前例のない何万人規模の観客が夜通し野外の大集会をおこうなうという風説は社会に対してかなりのインパクトがあった。どんな惨事が起きるかわからない。そういう張り詰めた危機感が教育現場にも満ち溢れていたそうだ。隔世の感だね。
 彼の学校の一学期の終業式で校長先生が「夏休みにつま恋で深夜コンサートがあるらしいが、ウチの学校からはそんな場所には一人も行かせない。」と強権発動を宣言したそうな。「行かせない」すげ。ジジババの私らはついつい”昔の学校はのどかで良かった”みたいな気分になるが、昔は昔で理不尽な支配とハラメスントが盛りだくさんのひどい場所だったことを思い出させてくれる。
 その強権発動の前に、一緒に行こうとチケットまで買っていた仲間たちが次々と脱落したが、彼ひとりあきらきめれず、たった独りでつま恋に向かう。あの大会場、大観衆の中、たった独りポツネンと座っているしかなく一人だから席を立って買い物も行けない。そんな苦境の中、隣近所の席の見知らぬ兄さん姉さんが食べ物を買ってきてくれたり助けてくれたという、コンサート本編前の話あたりで既にアタシはもう胸ワシ掴みだった。
 立ちはだかる学校を蹴飛ばして独りで前人未踏のイベントつま恋に向かう。さぞや不安だったろうし勇気もいったろう。そんな少年を助けてくれる心温かな周囲のファン。もうこれって映画じゃん。映画「ゴッドファーザーpartU」の冒頭の10分間、命を狙われ故郷を追われたビトー少年がひとり島を脱出して移民船でニューヨークにたどり着く、あの名シーンを思い出していた。つま恋本編の話の前に既に十分感動する。

 きっとこういう映画と物語がつま恋には5万本あるんだよ。それはつま恋だけではなく、どのコンサートにもあったはずだ。もちろん去年だって。

 いつもしつこく引用する映画「ブレードランナー」のセリフ。

 “I've seen things you people wouldn't believe.〜 All those moments will be lost in time... like tears in rain.”

 “俺はおまえら人間が信じられないだろう物を見てきた。〜それらすべて時の中に消えていく。雨に打たれた涙のように。”

 そう思うと、どうしていいかもわからず、心がこむら返りを起こすのである。

2020. 1. 3

 御大はどんな正月をお迎えだろうか。トーストを食べながらご夫婦静かなお正月なのだろうか。

 吉田拓郎の正月というと、1982年のラジオで語ってくれた、賽銭箱もない延命地蔵に勝手にお金投げつけてゲリラ的な初詣をし、その日、武田鉄矢と西田敏行の家族がやってきて子どもたちが暴れまわった阿鼻叫喚の正月の話を思い出す。
 篠島の「人間なんて」を観た西田敏行が「これは政治だ」と涙を流し、深夜に泥酔した吉田拓郎と西田敏行が「ワルツを踊ろう」と”外は白い雪の夜”でチークを踊ったという意味不明だがそれなりに圧巻の話だ。

 以来、この時期に、ロックウェルのスタジオ盤の外白を聴くと、実際に観たわけではないが、和服を着た吉田拓郎と西田敏行のチークダンスが目の前にチラついて仕方がない。

 今年はワルツではなくツイストを聴く。昨年のライブの時より好きになっているかもしれない。

2020. 1. 4

 映画「三丁目の夕日」がテレビで放映していると、あざとい映画だとか文句を言いながらも、ついつい観てしまう。
 この映画は何度目か忘れたが、三浦友和演ずる医師が、焼鳥をお土産に買って家に帰るシーンは何度観ても涙のツボだ。そのうち居酒屋で焼鳥を頼むシーンあたりから泣けるようになった。今回は三浦友和が居酒屋に座ってるだけでもう泣けそうだ(爆)。なんかサイレンで泣く犬みたいだ。
 御大御推奨の堀北真希がまだ初々しくかわいい。やっぱりデビューの頃の森下愛子の面影が少しあるように思う。思い込みか。
 堤真一のどうしようもなく粗野な昭和おやじ感は、ドラマ”とんび”の父親役でも超絶良かった。その反面クールで理知的な役もこなせるところがまた凄い。”とんび”は父親が堤真一、息子佐藤健の組み合わせで観てみたかったなぁ。
 話がそれたがその堤の経営する工場”鈴木オート”。先日wowowで観たTokyo Rock Begininigsの鈴木茂少年を思い出す。奥沢の鈴木茂の実家が「鈴木モーターズ」。これがモデルであるという説もあるのを最近になって知った。確かにパート3で鈴木オートの息子はギターに凝り始める。
 Tokyo Rock Begininigsで映った下町の民家の物干し台の上で鈴木茂とバンドが窮屈そうに練習しているほほえましい写真が思い出される。この映画の情景にピタリとハマる。
 ああ、アルバム”大いなる人”が聴きたくなってくる。この空費のような時間が正月のいいところだ。

2020. 1. 5

 BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」でCMの途中でテロップも音声も何もなく画面いっぱいに餃子が映り、「午前0時の街」の歌声が流れる数秒間のサービスショット。サービスと思っているのは拓郎ファンだけかもしれないが、もうこれは何かの特典映像としか思えない。何かって何だ。一般人は放送事故と思うだろうが、この画面のまま一時間でもアタシはずっと平気で観ていられる。
 拓郎ファンにすら省みられることの少なかったこの歌が番組にしっかり馴染んできている。見事な蘇生が嬉しい。さらに拓郎の事なんか興味ない人々が、中華で飲んだ夜の帰り道、脳内にこのメロディ―が流れ始めたらと思うとちょっとワクワクするってもんだ。
 昨日は、正月ということでTBSラジオとコラボして玉袋筋太郎と赤江珠緒アナが共演。玉袋筋太朗の本名が赤江祐一といって、親類でもないのにW赤江だったことにかなり驚いた。こんなことがあるんだなぁ。
 この驚きは、Kinkiの堂本剛と堂本光一が親類でもないのに同じ堂本であることを知ったときと五月みどりと小松みどりが姉妹なのに名前が同じなのを知ったときに匹敵する(爆)。

 昨日は、日記のとおり三丁の夕日の影響で近所の夕方近い河川敷をアルバム「大いなる人」を聴きながら歩いてみた。…合わない。台風で荒れたままの河川敷は特に。シャッフルにしていろいろ試す。…ねぇ、吉田拓郎の「落陽」って曲、いい歌だねぇ(爆)。

2020. 1. 6

 90年武道館のビデオで「おい、1月の6日からツアー始めるヤツっている?」と拓郎は問いかけている。私もおんなじ気分で問いたい「おい、1月の6日から仕事するヤツっている?」>いる。普通だよ。 
 ああ仕事行きたくない。だって僕は怠け者の渡り鳥だから。

 昨年末に「大晦日」をケイ・アンナ、桜井久美、川村ゆうこがカバーしたと書いたが、ケイ・アンナは、歌っていません。FMTOKYO出版の地球ライブラリー初版には、ケイ・アンナの「今夜はごきげんな夜」のカップリングで「大晦日」と記載されていたのでそう思っていたが、実際は違った。ケイ・アンナのシングルのジャケットの写真を添えて教えていただいた。お詫びして訂正したい。原典にあたることは大切だな。ということで「大晦日」を歌ったのは桜井久美、川村ゆうこの二人だ。

 ケガの功名めくが、おかげでケイ・アンナのシングルジャケットをつぶさに拝見できて嬉しかった。この広い空の下に、こういう消え入りそうな崖っぷちの提供曲をもキチンと蒐集・保存されているファンがおられることが確認できて心強かった。ありがとうございました。やはり全ての提供曲が、陽の目を観る日が来ることこそが悲願である。

 ということでがんばっていきまっしょい。

2020. 1. 7

 ケイ・アンナ…申し訳ないがあまり記憶にない。マギー・ミネンコはよく憶えているが。
 「今夜はごきげんな夜」も1975年の岡本おさみ&吉田拓郎のゴールデンコンビの提供曲でありながらリアルタイムでは知らなかった。不覚。
 ケイ・アンナの夫は、ブルーコメッツの三原綱木なのだな。これはわかる。ブルーシャトウはもちろん、三原綱木とニューブリードは石野真子のバックバンドだった。私の首領と呼ばせてください。
 ラジオでナイトの第60回(2018.6.10)のマイフェイバリットで、オーティス・レディングのドック・オブ・ザ・ベイを紹介した時に「日本人で三原綱木(ブルーコメッツ)が歌うのを広島で観て、すげーなと思ったのが初めてだった。三原綱木がえらいカッコよかった。」と述懐していた。
 そして三原綱木の前妻が”つなき&みどり”の田代みどり。拓郎が少年の頃、初めて買ったレコードが田代みどりの”パイナップルプリンセス”だヤンヤンヤン。
 こうして人が縦横につながっていることは、「君たちはどう生きるか」に出てくる「人間分子 網目の法則」というヤツだ。このサイトで翻訳すると”すべての道は拓郎に通ず”ということになるのだ。コペル君憶えておきたまえ(爆)。

 たぶん居酒屋今年初の客。つきだしに七草。本年もよろしくお願いします。
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2020. 1. 8


もう争わないで
もう戦わないで
そう自由の風に酔え
そう全てを解き放て

…2019年のライブになんの悔いも不満もないが、願わくばこの曲が聴ければ至福の極みだった。いや、やはり歌っとくべきだったんじゃないかとすら思えてくる。
 魂の名曲。今からでも遅くはない。

 御意。本当に平和で災害のない年でありますように。

2020. 1. 9

 中島みゆきのラストツアーが始まるそうだ。ラストツアー。どっかで聞いた言葉ではある。身近な方々が12日の初日の新宿文化センターを観覧するので、見送る私の方もなんか共振してくる。とりあえずニューアルバム"CONTRALTO"を買って聴こう。素晴らしいライブであることを祈っている。私もどっかで行きたいけどな。
 なーんて、これが吉田拓郎だったら、今ごろ私は悶絶死しているに違いない。拓郎じゃないからこうして余裕こいていられるのだ。いや違うか、拓郎だったら万難を排して必死で行ったはずだ。もし吉田拓郎のライブの初日がレバノン・センチュリーホール(仮称)だったとしたら、私も迷うことなく音響機材のトランクに潜り込んででも行ったはずだ。吉田拓郎が観られない日本に意味などない(爆)。親愛なる同志たちよ、そんときゃ頑張ろうな。やはり自分の"音域"はとても大切なことなのだ。
 それにしても新宿文化センターで始まり、同センターで締めくくられるツアー日程、新宿文化センターに何かあるのだろうか。

2020. 1. 10

 ボブ・ディランの伝記映画でディランをティモシー・シャラメが演ずると聞いてびっくらこいた。写真や映像でディランも若い頃は相当な美青年だったことがわかるが、それにしても美しすぎないか、甘すぎないか。ちょうど吉田拓郎を若い頃の原田真二が演じるようなものではないか。若い頃の原田ね。
 拓郎の伝記なら、たとえば我らが菅田将暉がいるのだが、彼は”ちゃんぽん食べたか”で、さだまさしを演じてしまっている。最近改心してすっかり”さだまさし好き”になった私だが、それでも”吉田拓郎”と”さだまさし”をおんなじ俳優が演ずるのには抵抗がある。
 今の若手俳優はよくわからない。横浜流星って俳優がいるのを知ったのも最近だ。横浜流星ってアタシにゃあ、もはや人の名前でなくセットリストにしか聞こえない。ああ、それは拓バカ老人。

 ということで今夜は居酒屋で配役検討会議。なんだそりゃ。

2020. 1. 11

 映画「アイリッシュマン」では、実年齢では齢80歳に近いロバート・デ・ニーロとアル・パチーノの若い頃のシーンを、代役ではなく本人に演じさせそれを高度のCGで処理して20代に見せている。違和感ゼロのすんごい技術だった。時代はここまで進化しているのか。
 ということで昨夜の居酒屋で、吉田拓郎の伝記映画は、その技術を駆使して全員本人出演でいいんじゃないか…という雑な結論になった。雑だけど実現したら凄いよ。

 冬はホッケである。東京の居酒屋ではなかなか肉厚のホッケが食べられないが昨夜は美味しかった。肉厚であればあるほどご飯が食べたくなる。なので矜持のある酒飲みにはなれない。

♪暖簾をくぐってホッケなどいいですね 吐く息は白く
                     いつかまた一杯気分がのったら〜

 昔は健康だったフナ、クジラのスーさん、ニジマス、海の深くで眠る貝、マンボウ、大きなイカ、水無し川で跳ねる魚、国境を超えて行くファイトな魚達、ああホッケもあったわい。
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2020. 1. 12

 明日は”成人の日”だが、甥姪たちも知り合いの子もみな成人してしまい縁がない。

 というわけで20才といえば”二十才のワルツ”しかない。この曲も今年で40周年だ。こういうこと言い出すと四六時中、森羅万象が、〇周年になってしまうのでいい加減にしたい。しかし40周年ということは"二十才のワルツ"の年に20才だった人が還暦になるわけです。なんか知らないけど、おめでたくないですか。

 それはそれとして “二十才のワルツ”は、いい作品だよねぇ。舞監の宮下さんがラジオでこの曲が好きだと語っていた。宮下さんがそのことを拓郎に打ち明けたら「おまえは暗いなー」と言われたという話も好きだ。宮下さんって馴れ馴れしく言うが知り合いじゃない。田家さんの「終わりなき日々」に出てくる譜面のエピがすげー好きで親近感を勝手にに抱いている。

 私の"二十才のワルツ"のベストテイクは81年の体育館ツアー。それまでの弾き語りではなく、フルバンド(鈴木茂、島村英二、武部秀明、松任谷正隆、中西康晴、ジェイダ)で歌ったとき。ズガンズガンと島ちゃんのドラムのビートが響いて、すんばらしかった。死ぬまでにもう一度聴きたい。

 というのは少なくともこのツアーの札幌厚生年金の映像は絶対にあるはずだ。だってオールナイトニッポンでそれ観ながら放送してたじゃん。「これ欲しいヤツ一杯いるんだろうな あげないよ(笑)」とか言いながら。こうして思い返すとヤなヤツだよな(爆)。

 出せ、出してくれ。そうやってお蔵にしまっといて誰か幸せになるのか?

 えー曲ですね。拓郎さんで20才の頃といえば、この曲「レノン症候群」。>それなのかよっ。

2020. 1. 13

 昨夜は、中島みゆきのツアー初日に行った方からセットリストと現場での様子のメールをいただきミゾミゾして寝つけなくなってしまって、煩悶した。

 そうこうしているウチに拓つぶまで更新されてとうとう眠れなくなった。新しいサウンドの新曲、望むところだぜ。「アウトロを君と共に」。シビれる。だから、また”古臭い”、”困った輩”、”どけー”とかそういう小さいことは言ってくれるな。カッケー新曲の揃ったアルバムが聴けて、大阪を含む すんばらしいライブが挙行されれば、みんなひれ伏し、両手広げて大歓迎するに決まっている。

 本日成人の日を迎えるみなさん、おめでとうございます。40年経っても、君らの信じたアーティストがこうやって元気で新曲を作って歌ってくれて、それを観て、聴いてソワソワ、ミゾミゾしている自分でいられたらいいな。大きなお世話だろうが、それを幸せと呼びます。

2020. 1. 14

 レコーディングとツアーを仄めかす拓つぶは心の底から嬉しい。しかしそうなると、どうしたって、いつだ?、いつからなんだよぉ、とはやる気持ちを抑えられない。春までに詞を整理してそれから曲をつけるのだとしたらレコーディングは結構先ではないのか、オリンピック後の時期、しかもあの忙しいミュージシャンを押さえるとしたら、どうしたって来年以降ではないのかとシロウトなりにアレコレ煩悶してしまう。

 受験の時期が近くなると昔お世話になった師のことを思い出す。尊敬していた古文のとある先生のこんな言葉があった。

「…自分なりにさまざま考える時を作っていただきたい。早く予定の学習が完了するだけが良いのではない。命を養う人間は、時間をかけるべきところには、十分時間をかけるものである。」(「古典文学読解演習」高橋正治)

 わかりました先生。私が間違っておりました。半歩ずつ進んでゆく、この吉田拓郎のプロセスそのものを時間をかけて深く味わうことにします。「そういう意味じゃないっ。てか、いい大人が拓郎のことばっか考えてんじゃないっ。」と天国から怒られるかもしれんが(爆)

2020. 1. 15

 ずいぶん前に知りながら今頃になってしまったが亡くなられたノンフィクション作家柳原和子さんの著作を読んでいる。この本については凄すぎて軽々には語れない。ただ読みながらつらつら思った。“今日までそして明日から”。このシンプルな歌がいかにたくさんの人々に影響を与えたことだろうか。

 例えばこのサイトでは勝手ながら宿敵と認定させていただいている音楽評論家富澤一誠。しかし、私は中学生の頃、彼の著作に感銘を受けた。ガリ勉して東京大学に入学し、心にポッカリ穴が開いたようになっていた富澤が、ふとラジオから流れてきた“今日までそして明日から”に物凄い衝撃を受け、今までの自分の人生を根底から問い直し、その結果、中退して音楽業界を目指したという話には胸が熱くなった。俗な言い方だが、吉田拓郎>>>東京大学を身をもって証明したのは空前絶後、彼しかいないと思う。私は、吉田拓郎によって自分の人生のすべてを読み直してしまうというこの話に勇気をもらったのだ。その彼がなぜ敵なのか。
 以前にも書いたが私はスタートレックファンであり、スターウォーズに詳しくないのでたとえが間違っていたらすまんが、そんな素晴らしい青年だったアナキン富澤は、その後、ダークサイドに落ち、シスの暗黒卿としてジェダイの吉田に「拓郎はダメになった」「祭りはもう終わりだ」などと数々の攻撃を仕掛けてくるようになった。ジェダイの吉田を信奉していた私は、フォースも何もない一民間人だが「いつか退治してやるぞ」と心に誓ったのだった…というのが当サイトの歴史認識とスタンスなのである。>わかんねーよ
 そうはいってもかつて富澤卿から感銘を受けたことも事実だし、彼がなぜダークサイドに落ちたのかという理由については、ファンの端くれとしてワカラナイわけではない。それはそれで厳しい問題であるのでまたね。というわけで本心は彼を不倶戴天の敵としてヘイトするものではなく、ただ「終わったのはあなたの祭りだけだ」と投降を呼びかけたいだけなのである(爆)。

2020. 1. 16

 お世話になっているNinijin designのWebクリエイターが昨日ブルーレイの”Live 73years”を購入した。遅いかもしれんが…人にはそれぞれにそうすべき理由がある。

「8800円もした」といきなりメールは始まる。「でもそれはいい、文化に対価を払うのは当然です。ただ8800円の商品を買ったら、その中に”おまえのことが大嫌いだ”と書いてある。意味が分からない。」と書いてあった(爆)。すわ、またライクユー問題再燃か。
 しかし、本題はそこではなかった。「やっぱり吉田拓郎のライブは素晴らしかった。」「センターマイクに向かってゆくところがとてもかわいらしい。」「”今夜も君をこの胸に”では泣いた」というブラボ!な内容だった。
 リハーサルの映像がツボだったようで「”今夜”ものギターの音を”オレの音、ひずんでないか?甘くないか?”と丹念にチェックするところ、そして拓郎の音が一番イイ。」「ボーカルチームに、後半は忙しいけれど、前半は何をしているの?と構成を気にして確認するシーン。細かいと思うかもしれないけれど、そこが気になって仕方ない、これがクリエイターなんだ」と共感し「吉田拓郎は根っからのクリエイターなんだと感動した」と結んであった。なるほどクリエイターか。

 …ま、ともかく良かった。何が良かったって、私もそうだったが怒りに任せてダークサイドに落ちなくて良かったのだ(爆)。耳をすませ、ラララ目を見張れ、そうだアウトロだからって油断をするな。してないけどさ。

2020. 1. 17

 一昨日と昨日の日記の続き。
 若き日に拓郎によって人生を変えられたというのに、何故ダークサイドに落ちて反拓側になってしまうのか。理由は簡単だ。若き日に拓郎に人生を変えられたからこそ落ちてしまうのだ。深い愛というか愛によく似た深すぎる思い入れが原因だと思う。私もその端の端くれだからわかる。

 拓郎に人生を変えられたということは、雑に言うと拓郎が”神様”になったということだ。つまり神様のお告げをたよりに人生を生きることになる。
 実際に1975年のつま恋あたりまで破竹の快進撃をしていた時の拓郎はすんばらしくてオーラもお告げも出まくり状態だった。しかし拓郎は天才ではあるが、決して神様ではない生身の人間なので、こちらの都合よくお告げもオーラもそうそう出し続けてくれはしない。なのでそのうち「ああ、神よ、なぜにあなたはそういうことをなさるのですか」と悶絶することが起きはじめ、やがて「神は死んだ」「神は堕落した」「オーマイガー!」と叫びたくなる。
 例えばフォーライフの再建に忙殺され音楽から離れていたころあたりの「明日に向って走れ」「ぷらいべえと」「大いなる人」のアルバムに対して、富澤は、インパクトが薄い、失望したと容赦なく非難していた。当時のリアルタイムでの気分としてはものすごくわかる。確かに”お告げ”度が薄かった。
 私は83年頃、”お告げ”がゼロに近いアルバム「情熱」あたりの自堕落恋愛路線がどうしても許せなかった。そういう危機はたぶん多くの人にあって、ある人はそれが「ひまわり」だったり、またある人は「LOVE2」だったりするのかもしれない。最近でいえばアイライクユーだよな(爆)。

 勝手に神様と崇めておいて、勝手に裏切られたと失望し絶望する。ここがダークサイドに落ちやすいデンジャラス・ポイントなのだ。富澤は深すぎる愛の思い入れによって、この失望からダークサイドに落ちたのだと思う。だから、それは他人事ではなく、これまでの私も紙一重のところが何度かあった。

 しかし、吉田拓郎は、神様でもアジテーターでも運動家でも、ついでにフォーク歌手でもない。ひとりの音楽家なのだ。どこまでも音楽を愛する天才音楽家なのである。
 昨日のLive73yearsのDVDの話が象徴するとおり、ムカつくことがあっても、拓郎の音楽そのものに触れると景色が変わってくる。ああ、やっぱりいい歌だなぁと陶然となるし、その立ち姿の美しさや一挙手一投足にシビれてしまう。
 昨年もリアルタイムの若い頃はあんなに嫌っていた「I’m In Love」「今夜も君をこの胸に」の美しいこと。今頃になって魂がふるえるのである。

 時間をかけて思い入れと思い込みをゼロにしてようやく見えてくるものもある。いかにこちらが思い込みで感性が鈍っているかを思う。しかし、言い訳だが、たぶん私だけでなくリアルタイムで作品のすべてを理解し感じとるのは難しいことだと思うのだ。いい例が「流星」だ。今やほとんどのファンが名曲と讃えるこの曲も、亡くなられた銘サイトの掛川哲郎さんが「オリコン70位にも入らなかった」と繰り替えしつぶやいていたとおりだ。

 デンジャラスポイントで落ちそうなとき、”お告げ”の有無や濃淡にとらわれて、音楽そのものを真剣に聴いていなかったことに気づく。わからないものでも、わからないと保留するのではなく、わからないもの=ダメなものと放擲していた気がする。
 例えば「明日に向って走れ」、「ぷらいべえと」、「大いなる人」。インパクトないな、手抜きじゃねぇのとリアルタイムで思ったこのアルバムが、今にして思えば、いかに深く愛に満ちたアルバムであるか。いかに静かなる名曲に満ちていることか。

 富澤は今どう聴くのだろうか。

 スターウォーズ最新作は、ダース富澤が、町中華で泥酔しながらふと流れてきた「午前0時の街」に魂を奪われ、アルバム「明日に向って走れ」を聴き直して暗黒から覚醒するストーリーがいいな。”スターウォーズ最終章 おかえり富さん”でどうだ。ま、別にかえって来なくても全然いいけどさ(爆)

 このサイトの50%は、あの時わからずにごめんなさいねという後悔と懺悔で出来ている。私ごとき懺悔の値打ちもないけれど。

 あの初めての時に拓郎の唄で人生すべてを読み直したように、思い込みを捨ててゼロの気分で、これからやってくる曲、過去に捨て置いた曲で自分を読み直しつづける、その小さな営みにやすらう、明日からのそんな私です。
                                    続く

2020. 1. 18

 昔、周囲に"拓郎大嫌い=アンチ拓郎"って、たくさんいませんでしたか? 私のような後発世代でも結構いたな。マスコミ媒体にも結構頻繁に拓郎への悪口がフツーに踊っていたものだ。先輩方の時はきっともっと大変だったことだろう。
 超メジャーなスターなのに、いつしか私は人前では吉田拓郎ファンであることを隠すようになった。LOVE2くらいからか、大っぴらに世間に拓郎ファンだと言えるようになったのは。

 さて、そういう"アンチ拓郎"="拓敵"には2種類ある。

 ひとつは、ハナから吉田拓郎やその唄が大っ嫌いという方々。もうひとつは、かつては拓郎ファンだったけれど嫌いになってしまった方々。「昔は聴いたけどさ、最近の拓郎はダメだね」とかいう人。ファンを止めて拓敵になってしまうという、ファンから観てダークサイドに落ちてしまった方々だ。

 前者については、人の好き嫌いは自由だし、いかんともしがたい。もともとご縁がない、川の向うの方々ということで"彼岸(ひがん)の敵"。
 それに対して後者は、もともと身内だったので川のこっち側ということで"此岸(しがん)の敵"と分けている。私の勝手な分類だ。

 で、圧倒的に厄介なのはこっち側"此岸の敵"である。拓郎を神と信じ、過剰な愛情と思い込みを抱きながら裏切られた人々の「嫌い」には、"彼岸の敵"と違って屈折した怨念がこもっている。まさに可愛さ余って憎さ100倍とはこのことか。小型富澤一誠みたいな人が多い。こっちが拓郎ファンと知るや学食のハムより薄っぺらな拓郎論を振りかざしてきて「へぇまだ拓郎聴いてるの?オレはあんな拓郎なんてもう卒業したけどね」とマウンティングしてきたりするのだ。そういう敵に対して「いえ、まだ拓郎は現役ですから、アナタは卒業じゃなくて中退。」なんて言い返したりしてはイケナイ。とにかく、かかわらないことだ。

 きっと拓郎はこんなもんじゃない、想像もつかないほど、元ファンという"此岸の敵"から陰に陽に攻撃を受けたのだろうと拝察する。
 拓郎への過度な愛情、期待、思い込みは、いずれファンやめて攻撃に転ずるリスクを常に抱えている。拓郎からすれば、過度に熱心なファンはある意味、怨念に満ちた此岸の敵の予備軍に見えるのかもしれない。おまえが筆頭だろうといわれそうだ。
 いや、このサイトはそういう意味で深い愛に満ちたサイトなのだと自負しているが、私の愛が一番、私が一番わかっている思っているヤツこそ一番危ない(爆)。

 ともかく「俺はただ音楽がしたいだけ、音楽を音楽としてちゃんと聴いてくれないかおまえたち」拓郎は…人知れず苦悶しつづけたのかもしれない。

 もし自分が拓郎だったらどうするだろうか。思い込みファンは鬱陶しいし怖いだろうな。そうだ、CD、DVDに「オマエたちなんか大嫌いなんだ」とハッキリ書いてやるのがイイと思うぞ(爆)。おい。
 1982年のGBのインタビューで、うるさいファンじゃなくて「オレは今ボーッとしたファンが欲しいのよ」ともらしたのをしみじみと思い出す。御意。
 え、でもそう思ってたら、5月でレコーディング終えて、大阪行くって? ボーッとしてられるわけがないじゃん。

 そうそう彼岸と此岸といえばまだ思い出したことがありました。

  ずっと昔、岡本おさみが"拓郎とはどういうつきあいですか?"質問に「川の向こう岸から『やあ』と手を振るような関係」という趣旨の事を答えていたのを思い出した。素敵な関係じゃないのと思った。ちょっと涙ぐむ。ホントに彼岸にいかれてしまって。

2020. 1. 19

 昨年末に拓郎ファンの知り合いが誰に言うでもなくしみじみとつぶやいた「やめないないでずっとファンでいようぜ」が頭から離れない。喜びも悲しみもテンション上がる感動もダダ下がりの残念も、支持も批判も、あるいはファンなんてやめてやるぜのムカつきすらもすべてファンなればこそだ。

 …そんなことを思いながら、だらだらと吐き出した宿敵ダークサイド論。当然に昔の話だ。もう私たちの周りにはアンチ拓郎も天敵も、ファンをやめてダークサイドから攻撃してくる拓敵もいない。いや、いるのかもしれないが昔みたいにあちこち元気に跳梁跋扈してはいない。富澤一誠だって今や拓郎批判なんてせずに”拓郎は人生の応援歌だ”みたいな薄っぺらだけれど応援を書いてくれている。

 もはやすべてはダークサイドではなくノーサイドだ。

 たぶん、敵でもないし味方でもない僕たち見知らぬ他人のような人々が超絶圧倒的多数な世の中になってしまったのだろう。そんな中、吉田拓郎自身もアウトロという航海の終わりを仄めかす。

 もはや私らは敵も味方なく吉田拓郎という旗の立ったひとつの呉越同舟のボートに乗せられて漂流しているかのようだ。拓敵なんかよりももっと巨大で圧倒的なものが押し寄せてくる感じである。
 遥かな海原を漂い夢と散った後に残るのは”フォーク歌手”の肩書とソニーのベスト盤だけ…みたいな不安もある。胸わしづかみにされたあの隠れた数々の名曲や崖っぷちの提供曲も、燃えに燃えたライブのあの美しさも、みんな埋もれてしまい、あとは遠い未来に吉村作治先生が発掘に来てくれるのを待つしかないのか。…暗いぞ。

 筒美京平が後藤次利に「人生も音楽もエンディングが大事なんだよ」というがファンにとってのアウトロの航海はどういうものなのか。前例のない道なき道をゆく歌手の場合、ファンもその過ごし方に前例がなくわからない。
 しかしスターウォーズでいえばライズ(夜明け)、スタートレックでいえば最後のフロンティアみたいなものがきっとあるに違いない。年初にいただいたメ―ルの中に小さなヒントがあった気がする。まだよくわからないので言えないけれど。ともかく信じて夢の続きに漕ぎ出してまいりましょう。

2020. 1. 20

中島みゆきラストコンサートツアー

「いいこと、ラストツアーよ。ラストコンサートとは言ってませんからね」
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             …お爺さんと同じ嘘つきだわ
               (二人とも永遠の嘘をついてくれの巻<終>)

2020. 1. 21

 拓つぶに驚く。まったりとした流れを予想していたのだが動きが速い。速すぎる。もう船積みが始まって、とっとと出航しそうな勢いじゃないか。乗り遅れそうなのは誰ぇぇ状態だ。
 それもさることながら、皆目見当がつかなかった”アウトロとその後”の世界のありようがうっすら見えてきた。アウトロが終わろうとも、生きてる限りはどこまでも、ずっと新曲を待っていていいのだな。それは心の底から嬉しく、また安堵した。

 「無垢な心根」「先入観なしに」。御意。私はたかが端くれのファンだが、それでも昔、吉田拓郎が何たるかもまだわからず、ただ歌がスガーンと心に打ち込まれてきた時のゼロの気分であらゆる曲を聴きたいし、聴きなおしたい。だいたいこんなサイトやってる汚れた先入観のカタマリである私にはたやすいことではない。

 それに関しては、昨年NHKの「100分で名著・善の研究」で観た西田幾多郎の「純粋経験」…これだ!とあらためて思った。超絶難しい本なのでほぼ意味不明なのだが、つまりは、拓郎も唄も演奏も作品も、聴いている俺ですら区別がなくなるくらい音楽に没入して一体になった瞬間、そこにこそ真実があるという話なんだよな。たぶん。常にその純粋経験に立ち戻り先入観と思い込みを振り払いながら日常と歴史を大切に生きよという話に読んだ。ということで、ワカンナイくせにかぶれてしまい最近居酒屋で吉田と西田を振り回して周囲の人にたぶん迷惑がられている。

 聞き入れてもらえようともらえまいと、こっちも魂の選曲をしてやろうじゃないの。

2020. 1. 22

 "永遠の嘘をついてくれ"を聴くと「この国を見限ってやるのは俺の方だと追われながらホザいた彼からの手紙には〜」のところで、脳内スクリーンに、音響ケースに潜んで旅に出た彼の濃い顔がどうしてもバーンと浮かんできて困る。レバノンの裏町で病んでいるどころか、ものすげー元気そうだ。心配する義理などつゆもほどもないが。昨日の日記で、先入観なく聴きたい、"純粋経験"したいとか言っといてしょせん私は雑念のカタマリになって聴いている。しかも道はまだ遠い。

2020. 1. 23

 “永遠の嘘をついてくれ”は、FromTが出てからはデモバージョンを聴く。中島みゆきに献上したというこのデモバージョンには何かが奥深く宿っている気がしてならない。他方、中島みゆきのアルバム”パラダイスカフェ”の本人歌唱バージョンにはびっくらこいたものだ。あの疾走感というか性急な感じ、まるでペニーレインでバーボンをのようなすっ飛ばし感が実にカッケー。同じ曲ながら様相が二人でまるで違う。今わけわからないままハマっている西田幾多郎先生によれば、この相反する二つが、弁証法的に統一せられたる真実在としてあのつま恋2006があることを思ふと誠に感慨深い(爆)。ということになろうか。いみふ。

 すっ飛ばすと言えば拓つぶを読んだNinjin designの雨畑からのメール「私はラジオもライブも昨年ですべて終わりマラソン42.195キロートルを完走し終えたつもりでいましたが、今年は昨年よりすごくないですか、マラソンだと思ってたら順不同のトライアスロンで、さぁ次は泳ぐぞ休んでないで飛び込めーと言われた気分です。嬉しいけど。」に笑った
 そういえば昨年たぶん浜松で「アウトロだからって僕はフェイドアウトしたりしません」というMCがあったけどそのとおりだな。

2020. 1. 24

 一番好きな歌はなんですか?とか今回のように”アウトロ”で歌ってほしい歌を選べとか言われても簡単にはいかない。ありすぎてありすぎてどうしようもない。結局、自分の拓郎ファン人生の総ざらいに等しく、お店で言えば、走馬灯を全力で回しながら、すべての在庫商品の実地棚卸しが始まってしまうようなものだ。
 かなり多くの曲が、聴いている時には「これこそ最高傑作だ、これを最高と言わねば失礼にあたる」と思えてきて収拾がつかない。結局、拓郎の曲には私の中では2種類しかない。「今、名曲だとわかる曲」と「後で名曲だと気づく曲」。この二つしかないのでなかなか決断ができない。
 
 今日は棚卸中にあらためて

   “ひとつになれないお互いの愛を残して旅に出ろ”(ファミリー)

 このフレーズとこのシャウトを純粋経験して震えた。ああ、何度聴いてもすんばらしい。もう詞というより哲学だ。これぞ最高傑作と思ったところだ。

 先ごろ富澤一誠のことをダークサイドだとかなんとかさんざん悪罵してしまい、品がなかったかな、申し訳なかったかしもれないな、などと少し殊勝な気持ちにもなっていた。
 しかし“ひとつになれないお互いの愛を残して旅に出ろ”というこのフレーズをわざわざ取り上げて「拓郎、甘いよ」と捨てゼリフを吐いた(「僕らの祭りは終わったのか」)富澤を思い出し「やっぱりおまえはアウトだ、いつか退治してやらねば」((爆))と前向きに生きる元気が湧いてきた。元気は湧いたのだが、結局、曲は決まらん。"ファミリー"は歌わないよな。

2020. 1. 25

 “ファミリー”がオープニングで歌われた時(@80年武道館)は驚いたものだった。一曲目からあのシャウトとリフレイン、そんなに飛ばして大丈夫なのかよと心配したが、拓郎はヘイチャラだった。「若さだな」とずっと思っていたら、2014年のオープニングでは"人生を語らず〜今日までそして明日から〜落陽"という怒涛の一気を見せられてこりゃまた超絶驚いたものだった。こういうことを70歳になっても平気でやってのけてしまう人が吉田拓郎だ。

 2番まで終わった後の一瞬の静寂、ピアノのブリッジ、やがて拓郎の咆哮のようなシャウトとともに立ち上がってゆき場内大合唱になるアウトロ。ああ燃える。燃えるのだけれど、”アジアの片隅で”や”人間なんて”と違って”ファミリー”を歌っているときの拓郎の身体からは悲哀と孤独感みたいなものがいつもにじみ出ていた気がする。

 心の底から好きなのだが、今の拓郎は、こんなの歌いたくないよと一蹴するに違いないという根拠のない確信めいたものがある。

 さて79年の初演の時には確かにあった”つながりだけでは悲しくて”というフレーズがその後行方不明になってレコードにも映像にも収録されず。名フレーズだと思うがどこに行ったのか。

2020. 1. 26

 「ファミリー」の“つながりだけでは悲しくて”のフレーズは 83年のツアーでは歌っていたと教えていただいた。実はUramadoの”ファミリー”を書いた時は自分の記憶でも83年にこのフレーズを歌ったと思ってそう書いたのだが、その後歌ってないんじゃないかという説も出され、証拠もないので、きっと私によくある幻聴だ思いあらため、昨日のa dayを書いた。
 しかし「つながり」は確かに83年に聴いたというご記憶と当時の雑誌シンプジャーナルに採録されていたことまで教えていただいた。すげえ。ありがとうございます。とにかく「つながりだけでは悲しくて」は胸に響いたフレーズだった。それにしてもこのフレーズのオンとオフは、単に忘れたり思い出したりしただけなのか、あるいは何か意味があるのか、んなことまではわからんが。ああ、ますます聴きたくなっちゃうじゃないのよ。


 いろいろ忙しくて居酒屋にもう2週間以上行ってない。たかが2週間と言うなよおまえ。私にとってはLong time no seeだ。ああ飲みたい。
 そういえば居酒屋のマスターに教えられてBS12のドラマ「ムー」を観ている。懐かしい。
 樹木希林の金田さん。”寺内貫太郎一家”の「ジュリー」と双璧をなす”ムー”の「拓郎さん」を久々に観た。正確には「たっ・くろうさんっ!」だ。清水健太郎は「健太郎」なのに郷ひろみは「拓郎」なのだ。

 私の記憶ではドラマの中で、伊東四朗の父が郷ひろみの息子に「おまえ何で自分の名前が”拓郎”か知ってるのか?」「知ってるよ、吉田拓郎だろ」「バカ」という会話があったはずなのだがなかなか出てこない。この記憶も是非検証したい。それともあれは続編の「ムー一族」だったか。頼む、続けて放送しておくれ。

 時期的にベンジャミン伊東で絶好調の頃の伊東四朗。伴淳、由利徹このあたりの方々の存在感がもうたまらない。そして清水健太郎、ああやっぱ旬の時はカッコ良かったんだなぁと思う。
 そうそう、おばあさん役の南美江。アタシにはもうショーケンと岸恵子の映画「約束」の岸恵子をずっと護衛している無口な刑務官役が忘れられねぇ…はっ。ショーケンと清水健太郎と言えば…と想いが飛びすぎ。♪あの人は今幸せか。

2020. 1. 27

 ぶっちゃけリクエストをしたところで、どうせ若いリスナーの意見は聞いてもオイラみたいな何十年とか豪語しているオールドのファンの意見なんか聞きやしないだろうと拗ねる気持ちがあった。
 昨日、拓友から教えていただいてネットで32歳の拓郎ファンの青年の文章を読ませていただいた。拓郎のどの曲のどこに魅力を感じているか、それが自分の生きることとどうかかわっているか、まっすぐな愛情と矜持が伝わってきて涙ぐみそうになった。涼やかな風が吹いているような文章だ。なるほど拓郎だってこういう若い感性の方に寄り添ってみようかなという気になるのは当然だと思った。
 前にも書いたが「発心と畢竟と二つながら別ならず」という仏教の教えのようだがその言葉を思う。発心=初心=若手、畢竟=ベテラン=高齢に違いはない。要するに魂をこめることが尊いということのようだ。たぶん。なので、自分も拓郎ファンとして若い者に恥ずかしくないようにちゃんと生きようと思った。悪口や文句もやめよう(爆)。続かないだろうけど。
 ともかく未来につながっていることが実感できるのが何より嬉しい。

2020. 1. 28

 気分としては“ありふれた街に雪が降る”を準備していたのだが、ウチの方は”冷たい雨が降っている”だ。いずれにしても足元にお気をつけてください。昨夜は久々の居酒屋で雪のようなにごり酒をいただきながら、マスターが先日行った中島みゆきの新宿文化センターの様子を伺った。いいなぁ素敵なライブだったようだ。みゆき本人はもちろん、いろいろ良かったのだが「島村英二のドラムが良かったなぁ。」だそうだ。
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2020. 1. 29

 昨夜は冬の雨に濡れながら超絶寒かった。ぺギラが来たのかと思う東京氷河期なみの寒さだった。いみふ。”寒さが骨まで突き刺す”とは岡本おさみもよく言ったものだ。思わず飛び込んだタイ料理屋でパクチーをたっぷり入れた久々のトムヤムクンに救われた。
 タイというと地球ZIGZAGのタイのムエタイに挑戦した少年の回を思い出す。拓郎もゲストのガッツ石松と現地に飛んで試合を観戦していた。もうボコボコにされて観ちゃいられない少年を無言のまま真剣な表情で見つめる拓郎の姿が忘れられん。「打ち負けるな!」とそれしか言わないセコンドのガッツ石松の声も耳に残っている。試合が終わって初めて「よくやったぞー」と叫び拍手する拓郎。番組最後にかかる「英雄」。

 それから個人的に辛い時に「打ち負けるな!」のガッツ石松の声をふと思い出す。ガッツ石松といえば今、広島で大学教授になっているのを最近知った。すげえ。と同時に、いいのかそれで?と疑問も湧きかけたが、それでいいのだ”OK牧場””OK松任谷”。みんな打ち負けずにまいりましょう。

2020. 1. 30

 石橋貴明の「たいむとんねる」の松本隆特集の録画を観た。日頃、松本隆いけすかない、”はっぴいえんど”が吉田拓郎より偉いワケがないと苦々しく確信する自分だが、どうしようもなく魂がハイテンションになりよる。吹けば飛ぶような私がどんなに斜めに構えようと、私の身体の一部は確実に松本隆で作られてしまっていることを実感せざるを得ない。ああ田中よ、俺も"青が散る"が観てぇ"蒼いフォトグラフ"が聴きてぇよ。

 そのあと、たまたま教えていただいた”ファミリー”の熱唱映像を観る。何度も観た映像だが教えていただいて共感的に観るところにまた純粋経験がある。御意。本当だ「つながりだけでは悲し過ぎて」とも歌っている。教えていただいて感謝。そして、なんとシャープでなんと美しい。魂のシャウト。たまらん。私の身体のほとんどが吉田拓郎で作られていることを実感せざるを得ない。

 西田幾多郎の「私」があって「経験」があるのではない。「経験」が「私」を作っているのだという言葉を勝手に得心してかみしめる。

2020. 1. 31

 「たいむとんねる」の松本隆特集の中で松田聖子”白いパラソル”の歌詞の”風を切るディンギーでさらってもいいのよ”のディンギーって何だと悩んだと話していた。ウチの家人もこの歌で初めてディンギー=ヨットみたいなものと知ったと言っていた。まさに松本隆の世界のあるあるである。さらに家人は何処にあるかはわからないけれどとにかく”セイシェルの夕陽”を観るまではアタシは死ねないとか思ったらしい。まだ行ってないのでおかげさまで元気だ。
 そういう私もそうだった。高校生の頃、アグネス・チャンの”アゲイン”(作詞 松本隆・作曲 吉田拓郎・編曲 松任谷正隆)の歌詞で”革張りの旅行鞄は青春のスーベニールよ”のフレーズ。“スーベニール”ってなんだよ。青春出版社「試験に出る英単語」にも載ってない。”わかんねー、わかんねーけど、何かムチャクチャおしゃれでたまんねー”と悶絶したものだ。そう考えるとネットとかスマホって便利だよな。便利だけれど知らないことを妄想しながら迷うことがないのは可哀そうかも。

 結局ずっと経ってからスーベニールはフランス語で”お土産”という意味だとシルブプレ。土産か。けっ。”土産に貰ったサイコロ二つ”と和の直球を投げてくれる岡本おさみに比べて、いけすかないぜ。

 といいながら日常で「素敵なスーベニールありがとうございます」とか言ってる私は松本隆に懺悔しな。

2020. 2. 1

 「音楽と契約した男」が出版されるからか瀬尾さんのお顔をよく観る。楽しみだ。私ごときが言うまでもない音楽界の偉人だ。偉人はもちろんだが瀬尾さんと聞くと思い出す。2003年のビックバンドのツアーが拓郎の病気で延期になったとき、6月だったろうか、瀬尾さんがラジオのインタビューで「拓郎さん、あなたが病気になる前とすべてを同じ状態してあります。なのでどうか安心して戻ってきてください」と静かに呼びかけたのが忘れられない。もちろん拓郎への愛のエールだが、ファンにも、どんだけ心強かったことか。やっぱりいろんな意味で偉人だ。

 昨年3部作で発売した瀬尾一三作品集「時代を創った名曲たち」の1には「落陽」が、2には「RONIN」が、3には「ジャスト・ア・RONIN」が収録されている。あれ、一曲だけステージで歌っていない曲があるぞぉ(爆)。せっかく瀬尾さんが選んでくれたんだし、どんなもんでしょうか、大阪シリーズへのスーベニールに。

2020. 2. 2

 SONGSの薬師丸ひろこの録画を観た。難曲であきらめかけたという「守ってあげたい」のカバーがすんばらしかった。これが涙なしに観られましょか。若い頃の彼女のこと、そんなに熱いファンではなかったけれど、悪くない、悪くない月日の数も悪くないと思える実に美しいカバーでした。あーこれならハグしちゃうわ(爆)。LOVE2のゲストに薬師丸ひろこが出演しオールトゥギャザーナウの話になった時、小さな声で"申し訳ないことをしました"と俯いてつぶやいた拓郎がぷりてぃだったのを思い出す。

2020. 2. 3

 アルバム"detente"あたりの拓郎のアレンジって凝ってるよな。練りに練った存在感のあるイントロが多い。コレちょっと浮いてね?という気がしないでもないものもあるが、"渚にて"とか"時には詩人のように"とか、イントロ、間奏それ自体に曲を容れる器として愛しさがある。器にも価値がある"峠の釜めし"みたいなもんである。いみふ。
 そういえば昔、静岡の三島駅で売ってた"海彦山彦弁当"は生のわさびを小さな陶器のおろしで擂りおろしていただくオツなものだった。いつもかわいらしい陶器のおろしが捨てられなかった。そのうち資源ゴミ等の関係でおろしがプラスチック製に代わってしまい、陶器は消えてゆく別れの時だ。それでもお弁当自体が懐かしくて静岡に行くたびに覗いてみるが、あなたはこの街にもういない。…ちょっと無理くりか。

2020. 2. 4

 梓みちよさんの訃報が悲しい。おまえは生前そんなに梓さんのこと気にしていたか、とか本当のファンの方のお気持ちのこととかを考えると悲しむことすらも申し訳ないが、でも悲しい。メランコリーは、詞も曲もそして歌唱もすんばらしい。http://tylife.jp/uramado/melancholy.html
 ”銀河系まで飛んで行け”もキャンディーズより遥かに深みがあったし、それに”メランコリー”と”銀河系”の間にリリースした”ノクターン”は、おいらは絶対拓郎の作曲だと確信するくらい見事な拓郎節だった(すまない常富さん)。ともかく出色のボーカルだった。今さらだが、心からご冥福をお祈りします。

 拓つぶが微妙に揺れているような。いろんなことを書いてくれるのは超絶嬉しい。しかし、よく意味がわからないことも多い。具体的に何をやろうとし、何が人間の本質の壁で、何を辞めようというのか。御大の悩みや無念はそのままファンの悩みと無念でもある。御大の一歩はそのままファンの半歩だ。だから心配で悶絶するのである。そういう漠然とした話のうえに、例えば去年みたいに一週ずつ小出しに発表するとか、そういうもってまわった系、匂わせ系は、もういいじゃん。できるだけわかりやすい直球を投げてくれ、そして手元にある球は全部惜しみなく投げてほしいと思うのだ。
 昔から新曲が出来るとレコーディングの前からデモテープをラジオで流しちゃったり、トラックダウン前の音源を”どうだ、いい曲だろー”とかけてくれたり、セットリストをへーきで喋っちっゃたりするところがまた魅力だった。ましてやアウトロだとしたら、余計いいじゃないか。もったいつけることもあるまい。ともかく直球を投げ込むラジオが楽しみだ。

2020. 2. 5

 アカデミー賞授賞式が近い。今年は”アイリッシュマン”がノミネートされたし、我がアル・パチーノも助演男優賞で久々のノミネーションとなり嬉しい。しかし対抗馬の映画はみな名作揃いで、デ・ニーロが弱った、弱ったと困りながらひたすら人を殺してゆくギャング映画の受賞は厳しいかなと思う。

 おかげでwowowでもアカデミー賞受賞の過去の名画があれこれ放送されている。ついつい録画して深夜に観ちまったよ、超大作”ベン・ハー”。やっぱり凄いねぇ。映画の醍醐味だねぇ。貴族でありながら陥れられて奴隷にされてしまうチャールトンヘストン。言葉を喋る猿たちに引き回されて炎天の砂漠をゆく。って、猿は別の映画だろ。
 砂漠で死にそうなときに一人の青年から命の水を恵んでもらう。このシーンは何度観ても泣く。壮大なスペクタクル映画だが、私には水をもらって救われた人が、今度は救ってくれた人に水をもって馳せ参ずる映画だと勝手にまとめている。

 そうすると私の勝手な思いはさらに飛ぶ。かつて私も何度か砂漠で迷って死にそうになった時、砂漠にホースで水を撒く青年に命の水をもらった。だから、その人へのせめてものお返しのために、この拙サイトを始めたのだが、どうもうまくゆかない(爆)。ただ嫌われることしかしていない(爆)。ひとえに私の不徳のいたすところである。

 Quo vadis, Domine? (ああ主よ、あなたは何処に行こうとするのですか?)

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2020. 2. 6

 勝手にwowowアカデミー賞特集。今夜は「フィラデルフィア」。エイズに罹患し職場を解雇されたトム・ハンクスの鬼気迫る演技が凄い。どんどん痩せてボロボロになってゆく。解雇を争う法廷で”仕事の誇りは何か”と尋ねられて「いつもではない、ごく稀に、自分が正義そのものの一部になれること」と答える。仕事でそんな思いになれること自体が素晴らしい。私には到底無理なことだ。
 しかし、そんな私でも、拓郎のライブを聴きながら音楽の一部に溶け込んだような気分になることは時々ある。思い込みにしても、熱唱と熱演に包まれ染め上げられて自分も音楽の一部になったように感じることはある。だからライブはいいんだよな。

 音楽といえば、ブルース・スプリングスティーンの歌う主題歌” Streets of Philadelphia”これがまたイイんだ。思わずCDを引っ張り出して聴きなおす。チカラをこめた熱唱のイメージのブルース・スプリングスティーンだが、この曲は、なんともけだるい、まるで流し運転のような歌いっぷりだ。それが実に心にしみいる。こういう歌い方もいい。ちょうどリハーサルの時の拓郎を思い出す。軽くテキトーに歌っている時の拓郎には、本番熱唱にはない色香と魅力がある。
 例えば、つま恋75のビデオでリハーサルしている”僕の唄はサヨナラだけ”、リラックスして歌っているんだけど、あのビデオでアレが一番カッコよかったりしない? 怒られるか。

 で、やっぱり思うのだよ、急がなくていい、焦らなくていいし、どんなカタチでもいい、小さな場所で5曲程度でもいい。やっぱりステージで歌い続けてほしいね。

2020. 2. 7

 今日のwowowアカデミー賞の勝手な特集は「あの頃、ペニーレインと」。以前の日記でも書いた大好きな名作ばい。もうケイト・ハドソンが魅力的すぎる。魅力を感じるのがこの映画だけなんだよな、申し訳ないけれど。前に居酒屋でこの映画の話をした時に誰かが目が離れているところが拓郎顔ではないかと言っていた。そうかな。
 音楽っていいなぁ、ミュージシャンていいなぁ、コンサートツアーっていいなぁ、という気持ちで一杯に満たしてくれる。そして、ついでにイカレたファンでいることもこれまたイイなぁと思わせてくれるのだ。"音楽の純粋さ"と"こいつらみんな人でなし"(爆)が混ざり合ってハチャメチャなツアーは進んでゆく。これがコンサートツアーというものか。ああこれなら冤罪にしても事件なんて余裕でバンバン起こるはずだと思わせてくれる(爆)。

 映画を観ながら、"拓郎、絶対に大阪に行きなよ。行ってほしいよ"と他人事ながら他人事のように心の底から思った。

 昨日、気づいたのは、主人公の少年の母親がフランシス・マクドーマンドだったんだな。去年”スリービルボード”でアカデミー賞主演女優賞を獲った。すげー映画だった。ペニーレインの時の母さんも凄いが、それより確実に数段パワーアップしたアイアン・マザーを見せてくれた。もう怖くてアカデミー賞あげるしかないという感じの凄みだ。拓郎もラジオで言っていたけれど、"スリービルボード"の途中で"ラジオでナイト"のテーマ曲、"いとしのルネ"が流れる。

 そんでもって、その母親は主人公に音楽ではなく弁護士になりなさいというお説教をいつも垂れていて、ことあるごとに映画「アラバマ物語」の話をする。「アラバマ物語」はwowowでは、ないけれどちょうどNHK-BSでやるじゃん。よし録画。この作品でグレゴリー・ペックはアカデミー賞主演男優賞を獲ったのだ。

 と、予約したら突然名優カーク・ダグラスが亡くなったので追悼のため「大脱獄」にプログラムが変わっていた。あらま。ということで「アラバマ物語と吉田拓郎」はまたいつか。

 すると今度は毎月の歌謡祭を主催してくれていたお店のレジェンドオーナーのMさんの訃報が入る。ショック。音痴で音楽的素養のゼロの私の唄をいつもニコニコしながら聴いてくれた優しい笑顔が頭から離れない。哀しい。

 私たちの命はもう木の葉のように舞うだけ舞うものなのか。こころからの感謝と共にご冥福をお祈りします。

2020. 2. 8

 ライブハウスの”レジェンドオーナー”の追悼の会に行く。ここで開催されていた毎月一回の”目黒歌謡祭”は一流のプロのミュージシャンのバックで、私のような音楽ドシロウトな人間が歌える夢の時間だった。

 ゆかりのある様々なミュージシャンの方や私のようなシロウトの常連さんまで集まって、いろとりどりの音楽の中でオーナーを偲んだ。生前のいろいろなお話を聴かせていただいて、あらためて心から音楽を愛した素晴らしい人だったんだなと残念に思う。残念だが、亡くなってからその人とより深く交わることができるのが人間なのだと西田幾多郎先生も書いておられたな。

 綺麗な白髪で、私のヘタクソな歌をいつも黙ってニコニコと聴いてくださっていた。それでも一度「これは良かった、声が出ていたね」とホメていただいたことがあって嬉しかった。たぶん、採譜していただいた”錨をあげる”か”制服”かどっちかだ。やさしい人だったんだよ。あらためてご冥福をお祈りします。
 幸いお店はそのまま継承されるようだ。ささやかながら応援させていただきたい。昨夜聴いた「林檎の木の下で」が耳に残っている。林檎の木の下でいつかまたあいましょう。幸せいつもいつも二人を守れよと。
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2020. 2. 9

 そこまでセットリストのプランがワクワクと膨らんで、幻の2日間コンサートまで彷彿とさせられた日には、もうコンサートツアーやっていいぞ(爆)。大阪はもちろんだけど、できるだけヅカーンとたくさん頼むよ。頼むよ、と文字にすると偉そうだが、声を殺して枕を抱いて泣いてお願いしているのだ。
 もちろんある種のファンが”最後と言ったろ”とか”お爺さんのウソつき”とか言うだろう>それって自分だろぉ。はい。すんません。
 しかし、吉田拓郎は、アウトロを宣言したうえで実際にミュージシャンのアウトロというものをみせてくれる初めての歌手である。先例なんかないんだから、アウトロっていうのはこうして”最後の波”を何度も繰り返し、寄せては返しながらそめあげてゆくものだ、そう俺が決めたのだと言えばいい。ラジオもしかり。

 縁起でもない話かもしれないが、遺言書は何度書き換えても自由だし、常に一番新しい遺言書だけが本人の最新の自由意志として有効になる。それまでの遺言はことごとく無効になる。そして遺言書を何度も書き換える人ほど長生きするというデータもあるらしい。いみふ。

 とにかく生きてるうちが花なのよ。一歩ずつ確かめてまだ見ぬ旅へ。

2020. 2. 10

 アカデミー賞授賞式は今日だ。希望は薄いだろうがアル・パチーノの助演男優賞を祈る。名優でありながらこの賞にはわりと縁遠く、いままで何度も歯がゆい思いをしたのでつい応援してしまう。"何が何でも世界は吉田拓郎だ"という自分の人生訓と根っこは同じだ。

 wowowアカデミー賞特集は昨年の作品賞”グリーンブック”。いい映画だった。黒人の天才ピアニストと彼の運転手に臨時に雇われた黒人差別どっぷりのイタリア系のやんちゃなおっさんの同行二人のロードムービー。ハリウッド版”真夜中のタクシー”みたいなものだ。いや全然違うか(爆)。
 ピアニストは敢えて南部の黒人差別の根深い地域を車で8週間かけてコンサートツアーに回る。ゆく先々に高く立ちはだかり、深く潜む人種差別の壁。どうしようもないおっさんも段々と心を開き…あんまし書いちゃうとアレか。結局、この映画の鍵は音楽だと思う。拓郎がラジオで再三聴かせてくれたR&Bのブラックミュージックたちがこの旅の根底にあり、また差別の壁を超える大きなチカラにもなる。
 当然のことにブラックミュージックについては殆ど知らない自分だが、それでも吉田拓郎を通じて間接的にひとすじの糸で私にもつながっているのが嬉しいし誇らしい。

 そしてツアーの最終地で最も屈辱的な差別を受けるのがアラバマだ。どうしたって映画「アラバマ物語」を思い出す。しかも実話に基づく「グリーンブック」の舞台の年は、アラバマ物語が公開されたのと同じ1962年なのも感慨深い。人種差別というとどこか遠い他人事のような気がしてしまうところがまた危険なことなのだろう。

 それでも温かな気分で観終われる素敵な映画だった。
   ”お客さん もうすぐ春が来ますねぇ”みたいな感じだった。

2020. 2. 11

 というわけで助演男優賞はブラピだった。パチーノ残念。桑田や福山に持っていかれた拓郎ファンと同じような気分である(爆)。いみふ。
 でもパチーノは喜んで拍手喝采していたし、ブラピの受賞映画”ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド”ではパチーノは脇役で出演している。ロバート・デ・ニーロも”ジョーカー”では重要な脇を固めている。役者としての格のようなものにこだわらない映画と役者たちの懐の深さを感じる。
 韓国映画”パラサイト”の外国映画初の快挙もすんばらしいし、イエスタデイの歌とともに流れた昨年の物故者の追悼には京マチ子の写真と名前もあってうれしかった。
 西洋のエルトンことエルトンジョンにも胸を打たれた。すまん。東洋のエルトンと区別するためにそう呼ばせていただいている(爆)。
 ともかく受賞の当落などよりもっと深いところですべての人々が楽しみ、映画愛とレスペクトを分かち合っているのがよくわかった。

 監督賞受賞の時、“パラサイト”の-ボン・ジュノ監督が、スコセッシとタランティーノを前にまるで映画青年のように顔を紅潮させながら感謝を捧げたのもいいシーンだった。俺も受賞したらこうやって吉田拓郎への感謝を世界に向けて発しようと固く心に誓った。問題は受賞の機会がないことだ。>あったりまえだろ

2020. 2. 12

 いきなり「逆の発想」といわれても、ずーっと吉田拓郎作詞のことばかり考えていたので脳がこむらがえりを起こしそうである。

 とりあえず何も考えずに浮かんだもの

 「私のサタン」喜多條忠
 「今夜はごきげんな夜」岡本おさみ
 「じゃあまたね」安井かずみ
 「友達になろう」松本隆
 「紅葉」石原信一
 そして
 「ステラ」松本明子

 歌うワケないだろっていうより、でぇーい、歌えるもんなら歌ってみやがれ(爆)

…ちゃんと考えてみます。

2020. 2. 13

「他人の作詞」。拓郎本人も勢いのままつぶやいておられるようなので、こっちも思いつくまま。

☆「風の中で」喜多条忠
>中尾ミエと双璧をなすように哀愁と孤独たっぷりに歌いあげてほしい。

☆「錨をあげる」岡本おさみ
 >この背中を押してくれる躍動感、アウトロだろうがなんだろうがLife is voyageなノリがたまらない。

☆「人生キャラバン」安井かずみ
>小品なれどこりゃもう二人の才能の結晶のような最高傑作と思う、是非硬質なピアノをフィーチャーして、身をよじってシャウトしてくれんさい。

☆「baby」松本隆
>鉄橋わたる列車の叙景、すれ違う男と女、外白よりこっちの方がドラマチックだよ、なんといってもこのウキウキするポップな日本人離れしたメロディ―がたまらんっす。

☆「裏窓」石原信一
>ああカッチョエエ、そしてセクスィー、おまえだけがカタチあるものよ、記憶あるものよ、そして命あるものよ、ああ村田昭のアコーディオンに包まれて思い切りやさぐれて歌っておくれ。

☆「陽気な綱渡り」白石ありす
 >詞とメロディ―がよりあって何ともいえない愛らしい透明感がある、もし本人歌唱がダメだったら加藤いずみに歌って貰ってもいい。

☆「ひとりぼっちの夜空に」康珍化
 >康珍化の詞は甘すぎるケーキみたいに歯が浮くようなところがあるが、これはそこがロマンチックで素敵だ、なんなら流星とメドレーでもいい、星を数える男のラブソング。

☆「この街」阿久悠
 >このメロディ―が聴くたびに身体にしみいるように疼いてくる、たまんねぇ、天才ばい、ぜひ本人歌唱を聴きたい。

 こうやってあれこれ考えている時間がすげー至福なんだと今さらながら気づく。まだ足りない、まだ足りない、まだ心が軽い。

2020. 2. 14

 瀬尾一三「音楽と契約した男」を読み始める。瀬尾さんの歴史は音楽の歴史でもあるとあらためて思う。面白い。拓郎の寄稿も爆笑しつつ味わい深い。それなのに瀬尾さん、心の底から申し訳ない。本質と関係ない、松任谷正隆との対談のある部分に躓いてしまった。

瀬尾  僕が拓郎と四つに組んだのは『よしだたくろうLIVE’73』が最初。中野サンプラザで2日間、新曲を録ったアルバムです。

松任谷 あれは僕は参加してないな。
                   「音楽と契約した男」212ページ

参加してたろぉ(爆)。中央線車内で読みながら思わず小さな声で叫んでしまった。吉祥寺あたりだった。しかしこれを読んだら大多数の拓郎ファンがそうなるに違いない。アレンジという意味かと思って前後を読み返してみたけれどやはりミュージシャンとしてという文脈で語られている。俺が今も涙を流す「野の仏」の間奏のキーボードは誰が弾いてたんだよ。

 かといって断じて松任谷正隆のことを責めているのではない。ミュージシャンは音楽家だ。音楽を創り奏でる人々だ。記憶や記録のために生きているわけではない。音楽がすべてである。

 私が言いたいのは、こういう刊行物がへーきで出るくらい既に歴史の風化は始まっているということだ。どこかに公式な記録係なりデータベースがあって、常に正しいものに修正・更新される自浄システムのようなものはなさそうだ。

 そうなると私たちファンのひとりひとり記憶と思い出は、ものすごい大切で重要じゃないか。「私たち」って勝手にくくるのは申し訳ないが、こうしてエラそうに書いてる私も知らないことの方が遥かに多いし、知ってることの間違いや誤解もたくさんあるはずだ。だから、ひとりひとりの私たちとしか言えない。私たちはそれぞれ歴史の生き証人であり記憶の媒体であり、ひとりひとりの投書やネットのつぶやきは未来に向かって播かれた種なのである。

 嫌われてもヘイトユーと言われても、愛のままにまいりましょう。例えば嵐に呑み込まれても歴史はそれを見逃さないでしょう。

2020. 2. 15

 昨夜は大事な約束をすっぽり忘れていて愕然とした。これは終わりの始まりなのか。もともといい加減な人間というのも当たっている。ともかく松任谷正隆の忘却のことをあれこれ言ってる場合ではなかった。すまん。そうそう松任谷といえば、先日のつぶやきで拓郎が”舞姫”を挙げていて、へぇーと思った。憶えていたのか、というか、その曲にフォーカスしたのか。
 松任谷正隆のアレンジだ。78年のセイヤングでデモテープを流してそれがレコードのまんまで「松任谷君、全然仕事していませんね」と文句を言ったからかどうか知らんが、一転、翌年のTOUR79の舞姫のアレンジはすんばらしかった。松任谷のキーボードがこれでもかと炸裂し、そこにジェイクのサックスが絶妙に絡んでくる。武道館の照明はブルー一色で、聴いている俺は、キーボードの海の中をゆらゆらと漂っているような陶然とした気分になったものだ。

 松本隆のセピアな文芸調の詞も良かった。GOETHEのインタビュー(2007.1)で
「…『舞姫』もそう。女は死のうと言う、男は、オレ、ダメだよ、もっと生きてぇんだよと言う、お前(松本)ならどうする?って話したんだ。それがあんなに切ない詞になった。すごい才能だよ。」
と述懐していた。

 ああ、当時はこの曲をチャートインさせようと日曜の昼に電リクを架けまくったもんだ。それはどうでもいいか。
 ホラ、昔のことは憶えているんだよ、この私も(爆)。それはそれとして…『舞姫』聴きたくなんね?

2020. 2. 16

 瀬尾一三「音楽と契約した男」を読書中。ライブ73の出自が語られている。「もともと吉田拓郎はフォークの人ではなく、R&Bなどもっとビートのある音楽が好きなんです」「R&Bぽくやりたいんだったらもっとブラスをいれなきゃ」「彼の音楽はフォークということではないんです」「よしだたくろうLIVE73ではメンフィスソウルとかR&B寄りのマグマを吐き出したんです」…瀬尾一三は深く理解していたんだな。そうしてあのサウンドが出来たのか。なんて音楽評論家ぶって語れるような自分ではないが。
 しかし、たとえ孤高であっても天才には必ず理解者が出てくるものなのだな。瀬尾一三と松任谷正隆の対談では、ライブ73には松任谷正隆は参加していないらしいが(爆)、つま恋は一緒にやったよねと確認しあっている。つま恋はいろんな意味で歴史に残る事件だが、音楽的には、瀬尾一三と松任谷正隆のこの二人がチカラを合わせて、より高みにこの天才を運ぼうとした場としても歴史に残るのではないか。聖なる場所で吉田拓郎を支えた方々に祝福を。
 広島から金もコネも人脈もなく出てきたフォークの若造が、きちんと世に見出されてゆく。天才はどこにいても必ず見出される、必ずそれを導く人が現われる、「野口英世理論」というらしいが、その好個の例だと思った。そうそう、例えば嵐に呑み込まれても歴史はそれを見逃さないだろう、ということ。

2020. 2. 17

 本当に世の中が大変な事態になってしまっている。どうか皆様、お大事に,そしてお気をつけてとしか言えない。どうにもならないが昔読みかけて放っておいたカミュの「ペスト」を読み直している。"ペストという、未来も、移動も、議論も消し去ってしまうものを、どうして考えることができただろうか。人々は自分が自由だと信じていたが、天災が存在する限り誰も自由にはなれないのだ。"…御意。不謹慎といわれようとそういう不自由の中、それでも今週はひたすら金曜日の夜を目指すのである。

2020. 2. 18

  “明日の前に”は、瀬尾一三のマチャアキ・バージョンのアレンジが大好きだった。2009年のツアー(CD「18時開演」)でこのアレンジでの拓郎本人歌唱が実現した時は、心の底から嬉しかった。以来、ipodでもこのバージョンを繰り返し聴いてきた。ところが先週たまたまアルバム「明日に向って走れ」の松任谷正隆バージョンを久々に聴いたら、やっぱりこれもまたすんげーいいんだ。演奏もボーカルも哀愁の佃煮みたいで胸にしみるったらありゃしない。星3っつー(爆)って、ツマラン。どっちのバージョンが好きか、どっちがベストかなんて決める必要はない。この瀬尾、松任谷の二つのすんばらしいバージョンを得られた幸せに感謝しよう。

2020. 2. 19

居酒屋に貼ってあった。「若尾文子映画祭」。行こう、行きましょう。有楽町で逢いましょう。
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2020. 2. 20

 月一回のレギュラー。ありがとう。いいペースだ。無理なく、そのかわり末長く続けてほしいと心の底から願う。月刊「吉田拓郎」。毎月、新譜ジャーナルをウキウキして待っていたような気分で日々を繋ぎながら生きてまいりましょう。

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2020. 2. 21

 プラネタリアTOKYO。無くなってしまった有楽町の日劇や渋谷の五島プラネタリウムを思いながら、おっかなびっくり入ってみる。いいな。満天の星。昔、広島のプラネタリウムで、こうの史代の"夕凪の街、桜の国"を吉田拓郎の音楽とあわせて上映したというが、ここで再現しちゃくれまいか。いや、それが無理なら、吉田拓郎の独自プログラムでもいい。もっと無理か(爆)。QUEENのプログラムもあるようだし頼むよ。
例えば プラネタリアTOKYO「流星〜私たちのほしかったものは何ですか」

      流星(手島葵)
      ひとりぼっちの夜空に
      トラベリンマン
      星空(小出正則)
      流星(Mrs. GREEN APPLE )
      どうしてこんなに悲しいんだろう
      流星(吉田拓郎)

 ほーら40分のプログラムいっちょあがり(爆)。どうでしょう。>何がどうでしょうだよっ!
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2020. 2. 22

◆オールナイトニッポンゴールド 2020年2月21日◆
 吉田拓郎です。
 毎週金曜日は週替わり。今週は吉田拓郎です。

 さて時は1969年。まだ広島で学生 ダウンタウンズと広島フォーク村に所属していた。広島に上智大学の出身者たちからなるフューチャーズサービスという連中が来てレコードを出さないかという話があった。なぜかこんな広島あたりの自分たちにそういう話が来たのか裏のいきさつは今もわからない。広島フォーク村という面白い団体があって、レコーディングしないかということで、打ち合わせが、いつも毎晩彼らと夜な夜な飲みに行くことになった。彼らの金周りのいいことに胸が躍った(笑)僕らよりちょっと年上なだけなのに、バーやキャバレーになぜか毎晩入りびたり、嬉しかったな(笑)
 そこに彼らのレコード作ろうぜという夢のような話ですげーなという印象だった。広島フォーク村のいくつかのグループで東京でレコーディングした。新宿の御苑スタジオ。「古い船を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう」というイメージの詩の一節から。このジャケットに僕はいない。みんなで山から遠くを見ているんだけれど、僕はキャバレーで酒飲んでいた(笑)。
 フューチャーズサービスが通信販売や手売りで売るんだけど、このアルバムがなかなか売れなかった。平凡パンチやヤング720で宣伝したけれど売れなかった。フューチャーズサービスは、在庫を抱えて苦しくなって、エレックレコードという四谷三丁目にある通信販売の会社に販売権がうつる。ココからなんだ。ココからすべてがはじまる。試行錯誤、暗中模索。苦しい旅が始まる。

 エレックが、音源に勝手に手を加えた。音楽なんかわからない連中が、イメージの詩とマークUをシングル盤にして売ろうとしたけれどイメージの詩は7〜8分と長いので入りきらない。エレックはいいところだけブツ切にしてつなげた。
 (♪これこそはと 信じるものが〜実演) もう間がグチャグチャ。このレコードが広島でも店頭に置かれて「拓郎さん あんたの曲が出とるよ」と知らされて聴いたら、さすがに広島弁で「なんじゃーこりゃ」。まぁ怒った、怒った。吉田君は怒った。音楽もなんにもわからん連中がズタズタにして。
 すぐにエレックに電話した「こんなの販売しないでくれ」。すると「もし君が正確にやりたいなら上京してやり直せ」という返事だった。またしても暗中模索 試行錯誤が始まるのはこの電話から。レコーディングも音楽業界も、ましてや東京も知らないままにココから果てしない暗闇の旅が始まる。
 「もし君が正確にやりたいなら上京してやり直せ」この電話から僕の苦しみが始まる。

 M-1 イメージの詩  よしだたくろう

(僕の恋人よ〜でフェイドアウト)
(CM)
 それではそろそろ 吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド
(テーマ音楽)
 こうして僕は東京のきっかけはひょんなことから始まった。最初から、ロックバンドの頃から音楽をずっとするんだ、いつもミュージシャンでいたいと思っていた。この気持ち、ミュージシャンでいたいというのは、70年代初頭には困難なことだった。すべてが東京中心だった。東京からすべてが始まっている。僕から見れば、そんなに大したことない、さしたる音楽知識もないんだけど、東京流を押し付けようとしていた。ボブ・ディランはThe Times They Are a-Changin'と言ったけど、まさに時代がかわろうとしているのに気づいていなかった。そこからアンチ東京というスタンスにならざるを得なかった。俺の音楽は、既成の歌謡曲なんかとは違うと訴えていた。でも、彼らは、高いところから嗤っていた。そういう立ち位置からはじまったのだった。

 たくさんのメールをいただいた。何千何百。
 名古屋の方、名古屋…絶対行くからな。

<桑田さんが文春のインタビューで86年頃、テレビ番組の出演を吉田拓郎さんにお願いしたら”いいよ 司会ならやる”、あげくに出ないことになった”まったくあなたと言う人は”という投書>
 そういう人ですね。うっすら。氷室と桑田がいて、断ったという記憶はあるけれど。桑田くんとは時々やりとりがある。ギター、テレキャスターをもらったり、貴重なビートルズのゴールドアルバムをあげたり、遠くから幸せを祈りあっている。そういえば氷室は最近会ってないな。

<大阪はもちろん二日酔いで遅れた沖縄でもう一度という投書>
 ホントに沖縄で二日酔い。今、すごいリゾートホテルが出来ている。大好きなハレクラニの系列もある。行きたいな。沖縄タイム、沖縄時間っていうのがあった。時間に正確じゃない。6時30分開演なのに40分ごろにならないと人が集まらない。

 <今年はオリンピック、楽しみですかという投書>
 もちろん楽しみです。クライミングの野中生萌。違うこと考えている(笑)。サーフィンの五十嵐カノア、絶対にメダル獲得してほしい。泳げない俺だけれど一生にあの一度チューブの中を通って観たいな。五十嵐カノアに抱っこしてもらって

<徳勝龍の優勝、奈良市出身でうれしかったという投書>
 この人が優勝すると思っていた人はいないだろうね、地元以外。十両、幕内いったりきたりして、この人やる気あんのかなと思っていた。炎鵬の相撲もワクワクする。大きい人が困っているのが面白い。
 ウチのやつも炎鵬に興味ある。正代が好きらしい。米ちゃん、桃ちゃん 西さん、やっとさん。桃ちゃんはバトミントンの桃田、西野さんだけ60歳超えている。好きなんだよ、最近、炎鵬と正代。インタビューが良かったらしい。そして、つい3日前にカーリングの両角が気にいったらしくてもうメチャクチャ。

<免許更新、ペーパードライバーだけどライブの本人確認のために更新という投書>
 僕も高齢者の更新。かまやつさんが「あの高齢者の書き換えって嫌なんだよ」と言っていた。僕ももう返納しようかなとも思うけれど、かまやつさんに薦められたかわいい車があるので悩ましい。
(CM)

<梓みちよ、怖いねーさんというエピソードを教えてほしいという投書>
<先日天に召されたに梓みちよさん、メランコリーが流れたけれど、銀河系もいいという投書>
 逝ってしまいましたけど。メランコリーの乃木坂。そこにある店でよく行って  飲んだ。梓さんの女友達のやってるフィリピンバー。女の子を目当てに柳田ヒロ〜昔よく一緒にやっていて“金曜日の朝”のビアノとかも弾いているけどその彼なんかとよく通った。時々梓みちよも来るので一緒によく飲んだ。

 メランコリーは、喜多條忠の快心の傑作だと思った。やったな喜多條あとはまかせろと電話したのを覚えている。出来上がったとき、こりゃあヒットするなと思った。萩田光雄が編曲してくれてレコード大賞編曲賞を獲得した。
「ねぇー拓郎」って彼女はいつも姉御肌。「どんな感じで歌えばいいの」と聴いてきた。
「これまでの楽曲のようではなく、この曲はうまく歌わなくていいから ぶっきらぼうで軽くサラッと、言ってみれば下手くそに歌ってください。」
梓さんには、出来上がりに不満だったかもしれない。(ビブラートきかせてこんにちは赤ちゃん)、こういうんじゃなくて、ぶっきらぼうに歌ってくれて、僕は大満足だった。

 M-2   メランコリー   梓みちよ

 さぁブログに、吉田拓郎が一曲目から夢中になって釘付けのまま次は次はと最後まで心を奪われたアーティストは誰か。いっぱいメ―ルが来た。ほぼ日本中のアーティストが揃った(笑)

<ザ・バンドが好きという拓郎さん、 玉置浩二 小田和正 沢田研二・・・ではないかという投書>
 ありえない(笑)
<中島みゆきという投書>
 ありえない(笑)
 たとえば外国から来たストーンズ、ディラン、ロッド、あとサイモン&ガーファンクルいろいろ観たけれど、文句なしに釘付けになったのは、マイケルジャクソン。ディランやストーンズは、途中で背伸びしたり腰を伸ばしたりる瞬間があった。

 もともと1983年スリラーのビデオにはぶっ飛んだ。こんなのありかと思った。そしてBADだとおもうけれどもそのツアーで横浜のステージを観に行った。南沙織さんとか有名人も来ていた。
 僕はそれまで正直あんまり、カッコイイな踊りはすげーなとは思っていたけれど夢中になるほどではなかった。それが、ムーンウォークが出るか、次はどんなステップか、どんな振付か釘付けになってしまって、気がついたらコンサートが終わってボーッとなっていた。こんなのは初めてだった。
 ボーカリストとしては文句なし、それにあのパフォーマンス。あんな人いないよ。夢中になって観続けた。
 亡くなって残念だ。最後の”This is it”なんかも何度でも観てしまう。古くならないんだな。
 吉田拓郎のファン自負している人たち、ディランだとかフォークソングではないといってきたけれど、まさかマイケルジャクソンとは思わなかったろう。そういうものだね。
 エッセイ集を書きたいなと思っている。人間は若い頃に、何のことかもわからず東京に出てきて対峙する。骨身を削って戦った。メディアは敵だった。広島から出てきた芸能界もわからない自分。インタビューもホントのことを正直に答えていない。どうせマスコミにわかってもらえるものはない、あいつらが嫌いだというのがあった。唯一、深夜放送では正直に話すことができた。そのため作り話、嘘のイメージや伝説が広がっている。それを違うというのもだんだんメンドクサイのでそのままにしておいた。最近70歳過ぎて正直に考えるとこれは違うというものが多い。

 例えば吉田拓郎は旅人のイメージがある、そういう歌を歌っているし、ハワイは好きだけど旅人じゃないもん。温泉とか食べ歩きする人とは気が合わない。家にいるのが好き。ウチの人とイタリアンフレンチドイツ中華のレストランに行って世界旅行の気分を味うだけでいいもん。あとは家でテレビに悪態をついているだけ(笑)
 だから出来上がったイメージは嘘くさいな。音楽評論家とかネットとか読んでて違うなと思う。それをまとめてエッセイを出そうかなと考えている。

 僕らはマイケル・ジャクソンといえば、容姿が変わったりいろいろ事件があったけれど、そういうイメージではなく音楽とパフォーマンスを純粋に感じたい

 M-3 今夜はビートイット  マイケル・ジャンクソン 

 コンサートをやりたいという気持ちが盛り上がっていて、コンサートで何を歌うか考えるのが楽しくて仕方ない。坂崎とラジオやっているときこんな歌は今歌えないよと言ったことがある。
(弾き語り)
 ♪奴のマシンは闇を切り裂く
  夜目にも白い狼の影
  キ−をまわせば 大地も揺らぐ
  そう街中が お祭りさわぎさ
  奴は狼 寄るなさわるな

 暴走族というか、さすがに70歳過ぎて歌えないというのは僕もわかる。

♪ 見慣れた町を出て 車を飛ばそう
  この店はもう 閉店間近
  かわす言葉も無く 体も冷えきって
  雨がやむ前に どこかへ辿り着こう
  おまえはゆっくり 眠っていればいい
  着いたら激しく 抱いてあげるから

 こういうのは70歳過ぎた爺ちゃんにはね。女の子を横に乗せて隣の街まで走ってホテルに着いたら抱いてやるから。こういうのは今は無理があるのもわかる。
 わかるんだけど、ノー天気にノッちゃうの、シャッフルでノッちゃうの。♪ついたら激しく抱いてあげるから〜イェー。こういうのやりたいよ。

(CM)  23:00

 岩手でも放送。

 もてなかった吉田拓郎。中高生の時、なんでもてなかったか。もちろんその後デビューして人気は出たけれど、もてていたかはわかんない。とにかく中高はもてなかった。
 なぜか。スポーツ部ではなかったからか。写真部、郵便友の会(笑)、切手集めてたしたまに演劇部に顔出していた。学園祭ハワイアンとか、やってることがダメだった。

 卒業記念に録音テープを演出して女子にアナウンスさせるとか。やわで軟弱。モテない。やっぱりそこは、バスケ、水泳部で三角筋とか。生まれ変わったらサッカー部に入ろう。ロナウドになろう(笑)
 スポーツはもてるんだな。
 女の子を好きになって、放課後に歌をつくりましたので聴いてくださいって。

♪ 人形のように すてきなあの娘
  可愛い足の すんなりのびた
  僕の心に ともしびともす
  抱きしめたいよな 準ちゃんさ

 モテるわけがない。はははははは(笑)ダメだったんだな。

 最近人気の部活は、
 男子上位は、サッカー、野球、テニス、バスケ、陸上、卓球
 女子は、テニス、バレーボール、バスケ、バドミントン、陸上

 実際はどうなのか、女子中高生にインタビューしてきてくれた。原宿よくいくけど流行ってるな。どんな部活がもてるか。
  ・サッカー
  ・陸上
  ・野球
  ・バレンタインにハンドボール部の子にチョコをあげた
  ・テニス部
  ・サッカー部
  ・軽音
  ・バレンタインチョコを先生にわたす
  ・吹奏楽部トランペット

 すっげー、かわいいなぁぁおい。なつかしいなー。この女子たちに歌ってもー(笑)
かわいいな現役は。声だけで顔がボコボコになる。中高生の声を聴くのは久々だ。若いのは、美容院の23歳、ネールサロンで足の爪やってくれた23歳。家では60何歳の奥さん(笑)。チョコ貰う先生にもいいなぁ。高校の時なにももらっていない。全部フられた。

 次、どんな部活がモテないか(笑)

  ・卓球
  ・生物部
  ・美術家
  ・化学
  ・漫研
  ・柔道
  ・写真部
 いま写真部って言わなかった?このやろう(笑)ダメなんだ。大事だね。みんなが憧れる部活にいないと意味ない。見せてあげたかったよ。歌ってあげている自分を。聴いている方が呆れて、下級生なのにわかりました、ありがとう、で残された自分。
 そういうことを経て、もてなかった自分はあれこれ妄想するようになって詞を書くようになった。

 ♪窓をあけて あの日君が泣いたのさ
 君の暮らしなんか観たことないけれど頭の中で想像して詞を書く。それに曲をつけて。もてなかったことによって今がある。あー良かった(笑)

M-4 Try me James Brown

(CM)

 映画は好きだけれど、なかなかいい映画にめぐりあえない。昔、あの頃が良かったとは思わないけれど、自分の感性が鈍っているのか。日本映画も頑張っているが、僕は洋画党。全部録画してチェックしている。今日は是非観てほしい。

 クリントイーストウッド、役者としても一流だけど、以前もジャージーボーイズとか作る映画はハリウッドのエンターティントである。今話題になっている「リチャード・ジュエル」の爆弾犯の映画ではなくて「運び屋」。

 さすがイーストウッドという作品で実話をベースにしているらしい。

 主人公は花の栽培以外興味のない爺ちゃん。家族はほったらかしで、娘の結婚式を忘れてしまう、どうしようもない男。とある男から耳打ちされてこの日から運び屋の仕事が始まる。何を運んでいるかもしらない。でもだんだんとお金持ちになって車を買い替えたり寄付したりする。何を運んでいるか知らなかったがやがて麻薬だとわかる。わかるけれどやめない。刑事をブラッドリー・クーパー、あのアリカンスナイパーで有名な、最近では、レディガガのスター誕生アリーの監督制作と多才な彼が演ずる。
 彼が調べ始める。警察から逃れることができないと知り、後悔しはじめて妻に謝罪したりする。それからは観てのお楽しみ。是非観てほしい。

(CM)

 いよいよ吉田拓郎君がラストステージ。昨年は、最後になるかと思ったら、最後にならなかった。でも内容は素晴らしく気に入っているし、最高の映像も出来た。あれを超えたいなと思っている。
 会場とかミュージシャンもなるべく前回と同じでいたいとかいろいろキメなくてはならない。大阪はどうしても行きたい。大阪ありき。あとはどこへ行くか。たくさんじゃなくてもいいから濃いステージをやりたい。

 たとえば逆の発想で他人の詞はどうかとブログに書いた。岡本おさみは「歩道橋の上で」落陽とかじゃなくて。安井かずみ「金曜日の朝」(歌う)もっと歌えと思っているだろうけど、こういうのを松本隆だったら外は白い雪の夜ではなくて、「舞姫」とか喜多條だったら「風の街」、石原信一だったら「夕映え」、森雪之丞だったら「憂鬱な夜の殺し方」、康珍化だったら「友あり」そういうステージをやりたいたが、最後のコンサートの”アウトロ”とは別物。アウトロは自分の作詞作曲でとおしたいと断言する。自分の作詞そこで何を歌うか。

  10位いくつになってもhappy birthday
  9位帰路
  8位僕の道
  7位大阪行きは何番ホーム
  6位Not too late
  5位元気です
  4位人生キャラバン
  3位春を呼べ
  2位花酔曲
  1位RONIN

 変な順位。なんじゃこりゃというのもある。

 僕が歌いたいのは、

“どうしてこんなに悲しいんだろう”
“たどりついたらいつも雨降り”〜これは絶対
“昨日の雲じゃない”〜鳥山のギターで
“マークU”〜新しいアレンジで
“野良犬のブルース”(歌う)
 こういうブルース、あとは脳天気なチェックインブルース
 今のバンドだったら凄くカッコ良くできるな。
“僕達のラプソディー”〜これも歌いたい
“雪”(歌う)

 そして今回の大目玉。
 その前に“RONIN”は凄いなリクエストが。
<スケール感、サントラでしか聴けない後世に残してほしいという投書>
<ついに 大阪リベンジではRONINが聴きたい、「あがらい」を直してほしいという投書>
 あらがいか問題か。RONINはやるかな。 
<映画のテーマでB面の名曲 ジャストアRONINよりかいい、武田鉄矢の勝手な追加、森進一のおふくろさんみたいだという投書 >
 武田鉄矢なんかでなく自分の詞で歌う。是非やろう。

 それに、もうひとつ付け加えたい。これが最後だからやる。最後のツアーになると思うからやる。
(歌う)「王様達のハイキング」
 うぉーううおうおうおうおう、これをやるよぉ。
 天国の母が今回アウトロの気持ちを察してくれた 最後なら楽しませてもらうから拓郎やあんたも最高の演奏しなさいよと背中を押してくれる気がする。フルでやりたい。このバンドならできる、夢が膨らむな。RONINも武部のピアノで始まって、ゴスペル風のコーラスでたたみかけるような感じで。もうワクワクする。
 たどり着いたらいつも雨降り、野良犬のブルース、RONIN、 王様達のハイキングこれだけでもういいじゃん。

 M-5 RONIN  吉田拓郎

(CM)

 たくさん何千通もメ―ルが来た。封筒出来てウンザリしている(笑)かんべんしてくれ。

<吉田町の唄という投書>
 なるほどね。忘れていた。
<俺を許してくれという投書>
 こないだやったけど、またいいな。
 朝乃山好きなんだよ、横綱になりそうだな。
<歩こうねという投書>
<流星という投書>村石の歌いなさいというドラムで、最後に二人で目をあわせて笑った。
<若い人という投書>中西のピアノ凄いんだな。
<街へという投書>

 嬉しいな。ヒントになる。お待ちしています。

(エンド音楽)
 嬉しいことに4月から月一回のレギュラー。何をやりたいかはまだ決めていない。そのときそのときで一所懸命。
 音楽をずっと永くやってきて音楽の中にいられたこと、偶然のように始まった音楽人生だったけれど、音楽を通じて多くの人と語り合えたこと、自分ことを大切に考える音楽人の中にいると僕も心がおだやかにいられた50年。本来、詞も曲もつくるときは自由でパーソナルで個人的ポジションであることが望ましい。あまり世間と関わり合いがある環境ではなく個人的ポジションでいたい。
 ミュージシャンたちは個人主義、自分主義。悪く言うと俺さえよければいい。そういう人々がスタジオやステージで集合する。一緒にセッションする。個人主義な人々がその時だけ他者との融合がある。そういう感じ、身勝手な生き方、関係。それがスゲー居心地が良かった。音楽人生が楽しかった。自由で束縛もないものだったから。最初は東京でその束縛と闘って最後に手にいれたのが自由だったから。ミュージシャンになって良かった。

 最後はR&Bの大好きなミュージシャンのオーティス・レディング。彼が教えてくれたことは、どうシャウトすると気持ちいいか、燃えられるか、音楽に埋没できるか。それを教えてくれた。オーティス・レディング「トライ・ア・リトル・テンダネス」。ライブだけれど、これでお別れしたい。ここまでのお相手は吉田拓郎でした

 M-6 トライ・ア・リトル・テンダネス オーティス・レディング

☆☆☆思いつきと感想☆☆

☆月一のラジオということでアウトロな日々のマイルストーンが復活だ。これからは月刊誌を待つように日々を生きよう。そしてライブも燈台の灯りのように目指してまいりましょう。

☆今回のラジオは、歌うことへの気持ちの強い高まりと同時にとてもおだやかな雰囲気が漂っていた気がする。ファンのリクエストに対して、昔だったら露骨なダメ出しをしまくるところ、昨夜は清濁あわせのんで、"ヒントが貰えるからありがとう"、とリクエストを噛みしめているやさしい雰囲気があった。あと女子高生の肉声に対する喜び方がもう好々爺みたいでぷりてぃだった。

☆最後のラジオ、最後のコンサート、最後のツアー”ウソつき”と悪態をつくファンもいる。そうだ、俺だよ。すまん。しかし、たぶんアウトロのここから先は、先例も公式もなければ保証もない。そもそも明日どうなるかもわからない。これは暗闇に向って思い切り跳躍するような怖いものに違いない。毎回「最後」と覚悟し鼓舞せずしては半歩たりとも進めるものではないのかもしれない。
 なのでもう嘘つきなどと言わない、思わないようにしよう、良い子になろうと心に誓った。もちろん今後のそっちの出方にもよるが(爆)。でも今日の放送はとても胸にしみたのよ。

☆というのは、上智の全共闘と彼らに端を発したデビューの物語はこれまで読んだり聴いたりして知識として知ってはいたけれど、今回、それが音楽家吉田拓郎の将来にとってどういう影響があったのか、またいかに末永く拓郎を苦しめるものであったかということが少しわかった気がする。

 格別、東京で一旗揚げる覚悟も準備もなく、偶然に押し出されるように東京に出て来てしまった若者は、それこそ音楽ひとつするにも、東京のエスタブリッシュどもに”嘲られ謗られて理解を生まず”ひたすらの苦境の只中にあったのだな。そこからマスコミとのあの悲惨な戦争にもつながってゆく。「束縛と闘って最後に手にいれたのが自由だったから。」という最後の語りが胸に痛い。きっといろんな思惑に担がれて戦争に巻き込まれていったのかもしれない。本当は天下も覇権も望まない、ただ自由に好きな音楽をしたいだけなのにという悲痛な叫び声が聞こえてくるかのようだ。
 ファンの俺は、拓郎がもっともっと音楽シーンで適正に評価されてほしい、ああ歯がゆいと悶絶し、このすげーミュージシャンをきちんと歴史が正しく刻んでほしいと願い続けてきた。それがこのちっぽけなサイトの矜持でもあった。
 しかし拓郎はそんなことは本意ではなく、ひたすら自由に好きな音楽を気持ちよくやりたいと切に思っていただけなのではないかとしみじみ思った。
 スキャンダルにとらわれないでマイケル・ジャクソンの音楽を純粋に聴こうという今夜の拓郎の言葉にもそれが通底している。
 音楽評論家や鬱陶しい自分のようなファンの願いは、どこかズレていたのかと忸怩たる思いもあらためて感じた。

 でもね、ともかく拓郎はこうして73歳になってキッパリと言うのだよ。「音楽人生が楽しかった。自由で束縛もないものだったから。その束縛と闘って最後に手にいれたのが自由だったから。ミュージシャンになって良かった。」そういう音楽家のファンでいられたことは最高に嬉しいし誇らしいってもんよ。やっぱりなにがどうしたって吉田拓郎のいない世界には生きられないのである。ということでCARAVANの隊列の後ろから引き続きついて行こうじゃないの…と自分に言い聞かせる。

☆例えば王様達のハイキングの解禁。おおお解禁するのかっ。御母堂との心の対話が胸にしむ。俺が言うことではないが、思い切り歌うがいい。武部、ちゃんと弾けよ(爆)。こちらも渾身の魂でノってやろうじゃないの。

☆”RONIN”を支持するファンがあんなにたくさんいたことにすげー感動した。そしてそれをちゃんと拓郎が受けとめてくれてアレンジまで構想を披歴してくれて絶対やると言う。求めつづけてきて良かった。生きてて良かった。本当に世代を超えて残ってほしい。ああ至福ばい。

☆そして、たどり着いたらいつも雨降り。おおそうか、歌ってくれるか。すんばらしいぞ。でも心に少し引っかかるのは島ちゃん…なんで縁がないんだろうな(涙)。

☆狼のブルース、チェックインブルース、野良犬のブルース、OKだ。ライブ73はすんばらしかったが、しみじみと感慨深い系が色濃かった。今回熱情発散系ということか。オットピンSを飲んでこちらもがんばりますばい。
☆この勢いでどうだ、ファミリーもいっちゃえば。

☆上映映画館の前はよく通っていたけれど「運び屋」観てない。ジャージーボーイズ、15時17分パリ行き、御大の推奨にハズレはなかったので観るばい。おっ。3/9 am10:00wowowでやるぞ。

☆梓さんのメランコリーは昨年の12月のラジオでもかけていたんだよな。もちろんその時は思いもしなかったろうけれど、手向けになってしまった。もう最高の名作、名ボーカルよ永遠に。

☆というわけですばらしいアウトロが続くことに心の底から感謝したい。

あ、ただし沖縄。自分が一時間も遅れといて、沖縄時間のことを言うのはどうなのよ(爆)。あの時現場にいたけれど、前の席の知らない女性、二日酔いなんて知らないから一時間必死で祈りながら心配していて、拓郎が登場した途端号泣していたっす。”ホントにあなたと言う人は”(笑)いいなぁ名セリフ。今回のヒットかもしれない。

2020. 2. 23

 今回のラジオを聴いて、あらためて考えると凄いなと思うことがいくつもあった。

 東京のアングラレコード会社にいいようにあしらわれ、東京から相手にされなかった広島のたった独りの若者が、それから僅か5年を待たずして自分のレコード会社を設立し東京はおろか日本中を激震させてしまうんだよ。凄い。そこだけ切り取るのは拓郎にとって不本意かもしれないけれど、超絶凄くない? 歴史の教科書に載ってもおかしくないんじゃないか。

 そして、ご本人もお認めになるノー天気な”チェックインブルース”。
前にUramadoにも書いたけどさ、すげー歌だよね。

   …着いたら激しく抱いてあげるから
   モーテルはもうすぐさ エンジンが燃えるぜ
   俺と同じような燃える炎になって

 アンタ何言っちゃってるの?というくらい自由な歌詞。拓郎は小田和正の”君を抱いていいの”をよくネタにしているけど、あなたの方がもっと凄いですから。
 で、さらに何が凄いって、その曲をあの東京ドーム公演という大舞台のオープニングにへーきでカマしてしまう。 あんだけ名曲がたくさんあるんだから、もっとツカミとして荘厳な曲を持ってくるだろう普通は。どこまで自由なんだよ。

 しかしあれは出色のオープニングだったと思うよ。カッコ良かった。痛快だった。これなのか、あなたのやりたいことは。OK。
 私ももう運転免許は返納しようと思ってたけれどもう一度更新してエンジン燃やしてみるぜ。…誰も望んじゃいまいが(爆)

2020. 2. 24

「…最初は東京でその束縛と闘って、最後に手にいれたのが自由だったから。ミュージシャンになって良かった。」

 先日のラジオでの言葉がボディブロウのように効いてくる。音源をズタズタにされたレコード会社や東京の権威やマスコミと闘って最後に手に入れた自由。そんなふうに考えてみたことはなかった。
 遅れてきた世代の自分でさえ拓郎とマスコミとの厳しい闘いは目にしていた。そして、そういうものと闘っている拓郎は目も眩むほどカッコ良かった。英雄に見えた。でもそれは天下を獲るためでもなく、歴史に名をなすためでもなく、とにかくひたすら自分の好きな音楽を自由にやるため、そして家で静かにのんびりと過ごすためという極めてパーソナルなことのためだったのだ…と私には聞こえた。

 R&Bに耽溺した広島のダウンタウンズの話をよくするのは、お爺ちゃんが昔を懐かしむようなものかとちょっと思っていたのだが(爆)、束縛と闘って得たかけがえのない自由そのものを意味していたのかもしれない。
 1975年に生まれて初めて買った拓郎のベストアルバム71-75のブックレットに"話の特集"の編集長だった矢崎泰久の寄稿の一節を思い出す。
「でも売れないころのよしだたくろうはすてきだっただろう。気を許した仲間の前で、楽しみながら歌っていたことがあるとすれば、その頃がベストだったに違いない。誰だって一番いいのは野に在るころだ。」
 中学生の時はよくわからなかったこの文章も今頃になってやっとその意味がわかった気がする。
 闘いのすえ野にある自由を手にした喜びに生きる人間が歌いたい歌と、束縛と闘う英雄に勝手に憧れる人間が聴きたい歌との間にズレが生じてしまうのは必至なことなのかもしれないとつくづく思った。

 “僕らは今も自由のままだ”という”アゲイン”をいまいちど聴き直してみる。

2020. 2. 25

 さだまさしの番組からハガキ採用の記念品をいただいた。深謝。なぜだ。吉田拓郎ファンになってから46年間、さだまさしの悪口しか言ってこなかった鬼畜なこの私に。しかも拓郎のアイライクユーにも該当ほぼゼロの惨めな私に、なぜここまでやさしくしてくれるのだ、さだまさし。
 レ・ミゼラブルで、ジャン・ヴァルジャンを憎み執念で追いかけながら、最後に、逆に彼から命を助けられてしまうジャベル刑事はこんな気分だったに違いない(爆)。
 というわけで今朝の通勤列車では、頭の中で♪怒れるものの声が聴こえるか〜という"民衆の歌"が鳴っている。ウィルスに晒された我ら民衆、お互いを排除し合うのでなく助け合おうではないか。そして闘うべき本当の敵と闘おうではないか。

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2020. 2. 26

 町も結構空いているが,通勤ラッシュがこのままじゃもともこもない。いろいろアリで飲んだくれている時ではないと思いつつ居酒屋にショートタイムで立ち寄る。中島みゆきの"小石のように"を皆…といっても3人で聴きながらゆれる。
 "おまえ おまえ 海まで百里 坐り込むにはまだ早い"
 世の中に起きていること,個人的に起きている様々なことをそれぞれ見返り「日常」の大切さ,ありがたさをガラにもなく確認しあう。そして拓郎の言葉を思い出す。
「一日を大切に生きる。やさしい気持ちで、おだやかな気持ちで一日を過ごすということ、そのことだけで見事なる達成感を味わえるようにならなくてはいけないし、それは見事な達成なんだと僕は思っている。だから一日、日常を大切に生きるということは、口で言うところの達成とかなんとかではないけれど、心の達成というものがある。」(ラジオでナイト2018.4.1)

2020. 2. 27

 ニュース映像でコンサートが中止になって会場前で立ち尽くす方々を観ると気の毒とか考える前にまるで音叉のようにショックの波動が伝わってくる。呆然と空っぽになってしまうあの瞬間。チケットを手にすれば必ずライブが観られるものではないこと、そして意中の人がステージで歌う姿を観られることがどれだけ奇跡のような幸せか、理屈抜きで私たち拓郎ファンは身に染みている。

 ところで医療現場は大変のようだ。友人にも医師がいるのでそのリアルの大変さが多少だけれどもわかる。私みたいに文句言いながら不要不急の外出を控えていればいいのとはワケが違う。毎日が必要緊急でウィルスの前線に出ていかなければならない。治療のために病院に行かざるを得ない方々も同様だ。本当に医療現場のすべての方々のご無事を祈らずにいられない。

 昨日は実に久しぶりに国会中継を観た。思想や意見の相違はあって当然だし、未曽有の大厄災だ、後手に回ってしまった失策それはそれで困ったことだが、非難のために非難しようとは思わない。だいたい私とて叩けば埃が出てスネの傷が痛む人間だ。しかしこの厄災のドサクサで、あの意図的な捻じ曲げだけはどうしても許せぬ暴挙だ。解釈の限界も手続の正当性も踏みにじっている。武田鉄矢がRONINの歌詞を勝手に追加するのとはワケが違う。あれも頭にきたけれどさ。これは大袈裟ではなく統治機構を破壊することだし、それは、私ら個々人の尊厳、少数者の自由の息の根を止めてしまう方途を作ってしまったのと同じだ。時には無関心なこの僕でさえが腹を立てたり怒ったりの世界に入ってしまった。

 落ち着け…ともかくまずみんな平和で安全に音楽を楽しめる日が来ますように。

  今はこらえよ愛しい君よ
  ああ人生は回り舞台だ
  吹雪のあとに春の陽射しが
  花に酔ったら その時泣こう

 ああ、いい詞だなぁ。

2020. 2. 28

西田幾多郎、難しさに苦闘しながらも心酔中。
「学問は畢竟lifeの為なり、lifeが第一等の事なり、lifeなき学問は無用なり。急いで書物よむべからず。」とある。
…そうだ拓郎あなたにも畢竟の"Life"があった。歌わずに蔵にしまっておくべからず。

2020. 2. 29

 昨日は、時々見かける傍若無人な小学生たちが持ち帰り荷物をたくさん下げて駅のホームの向こうとこちらで”じゃあなぁ、卒業式でなぁ、元気でなぁ”と思い切り大きな声で手を降りあっていた。…「”風の街”かよ」と心の中でツッコむが子どもが知るワケがない。いや大人だって知るまい。駅や電車の中でいつも迷惑なガ〇共…ではなくお子様達だと疎んじていたが、しばらくぶりでみんな背が高くなっている。突然の強制終了=打切りみたいに彼らの小学校人生も終わってしまったのだろうな。“大人が守るものは子供の生活、国は放棄した”という知人の小さな叫びが胸に刺さる。子どもらに俺たちが与えるものはあるか。すまん、なにもないな。せめてのびやかにしなやかにと殊勝な気分になってしまった。

2020. 3. 1

 とはいえ3月1日。もう春だ。春といえば先日のラジオでの歌ってほしい投票にもランクされた「春を呼べU」。このタイトルの「U」を忘れがちだ。マークUの「U」を忘れる人はいないのに。
 もともと「春を呼べ」は元広島フォーク村、元猫、元風の大久保一久がソロになった時、拓郎の詞に大久保が作曲し歌唱したいわば提供曲だが、後にこの同じ詞に拓郎が別の曲をつけて歌唱したものが「春を呼べU」として流通している。曲違いの姉妹曲。五月みどりと小松みどりみたいたなものだ。

 しかし曲相は対照的だ。拓郎は「オレのメロディーの方がいい」と豪語するが、大久保の「T」も侮れない。侮ってたのかよ。木枯らしの効果音入りの「T」は、冬の寒々とした荒涼感があり陰々とした哀しみに満ちた作品だ。これを聴いてから拓郎の「U」を聴くと一挙に目の前が開けて花が咲き香り春が来たぁ!という爽快な気分になる。同じ詞でありながら、メロディ―によって大久保は荒涼たる冬を拓郎は元気な春を描いている。

 カミュの「ペスト」でリウー医師は「私たちは暗夜の中にいる」「際限なく続く敗北」という不条理と静かに格闘する。それを読みながら、この春を呼べTとUは冬の始まりと終わりというひとつながりなのではないかと思いつきながらそう思った。なのでタイトルの「U」は忘れないようにしよう。

2020. 3. 2

 ということで聴きなおしてみると最後のリフレインが圧巻。あの頃はそんなにありがたいものだと思ってなかった。拓郎のシャウトとコーラスの掛け合いがスマッシュの打ち合いのように煽情的だ。

 春を呼べぇー(春を呼べー)
 春を呼べぇー(春を呼べー)
 春を呼べぇええぇー(春を呼べー)
 春を呼べぇー(春を呼べー)
 “〇×ΦΔΣψΩ〜!”←何か聴き取れないシャウト

 そして素早く楽譜を一枚床に捨てる
 ……もうカッコイイんだからぁぁぁぁ

2020. 3. 3

 譜面を捨てる時のその人は、ちょっと苛立ったような表情を浮かべ、振り切るような早業だ。でもよく見ると一瞬、指先で1枚であることを確認してから捨てている。たぶん次の曲まで捨てないように、つま恋85でもそういうシーンがあった。振り捨てる情動の中のこの一瞬の指先の確認。こういうところに神様が宿るような気がしてならない。

2020. 3. 4

 私もあれこれセットリストや歌ってほしい曲を空想している時がこのうえない至福だ。あの曲この曲、考えるだけでたまらない。
 学校が休みになってしまったすべての生徒諸君、毎日おじさんのサイトのUramadoを読みながら、その吉田拓郎の歌を聴いてゆくと学校なんかよりずっとためになるぞ。…そうか。イヤか。すみません。

 それにしても最近の拓郎はやさしい。これまでは拓郎にリクエストしようもんなら、拒否られ、怒られ、最後は”何を歌おうが俺の勝手だろ”とスゴまれて終わる恐怖感とあきらめが先に立ったものだ。
 しかし、今の拓郎は懐が広い。パチンコ台でいうと大開放のときではないのか。

 なのでハガキ・メール、俺のは要らないだろうが、知ったことか、打てる球は全部打つ。ファン愛を離さない心構えでやや内側を狙い、えぐり込むようにして打つべし !打つべし!

2020. 3. 5

 カミュの「ペスト」で胸を打つのは、英雄や神様や美談、そして抽象的な理念に浮足立つ事を注意深く拒みながら、普通の人々が粛々と厄災と静かに闘ってゆくところだ。

「今回の災厄ではヒロイズムは問題ではないんです。問題は誠実さということです。こんな考えは笑われるかもしれないが、ペストと戦う唯一の方法は、誠実さです。」「私の場合は自分の仕事を果たすことだと思っています」

 目の前のことを差し置いて緊急も大義もなにもない。そういう歌ではないと拓郎からは怒られかるもしれないが”何を探している?魔法の杖かい?足元の石ころでも拾え!”というフレーズが浮かぶ(「悲しい気持ちで」)。そう、まさに”幸せと不幸との紙一重の谷間”を粛々とまいりましょう。  

2020. 3. 6

 町の自粛はかなり徹底しており、ここのところ居酒屋も気づくとお客が自分だけだったりする。そうなるとご厚意で、お店の雰囲気からは普段絶対流れない曲をぶっちゃけて味わわせてくれる。沢田研二ナイトでジュリーの美声にふるえ、吉田拓郎ナイトでは時節柄、”王様達のハイキング”を久々に聴き直してすんばらしいなと唸る。せめて気分は春ということで”春霞”の口開けをいただいた。
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 そういえば今年は花粉症が超絶軽い。この一年のうちで何か効き目があることをしたのだろうか。あれこれ考えても、こうして毎日拓郎の駄文日記書いて、酒飲んで、仕事行って、何も変わったことをしていない。…
…あった。さだまさしのライブに行った。これか。これなのか。

2020. 3. 7

 1曲目から立ったことを後悔し、今さら座れないコンサートってか。おお、望むところだ、どっからでもかかってきやがれ。そのまえにとにかくすべての音楽が自粛の鎖から解き放たれ平和な世の中になりますように。

 で、ミュージックフェアの吉田拓郎&愛奴を観るたびに思うんだよ。どう贔屓目に観ても、このドラムを叩いている若者が後にあのようになられるとは思えない。私とて浜田省吾の音楽に何度も救われたことがあるので真剣に観るのだが、オーラの破片も大器の片鱗も見つけられない。冴えないにいちゃんにしか見えない。すまん。これが私の限界なのだ。眼力、センスの限界だ。限界というよりゼロに近い。こうして私はこれまでもきっと街角で、仕事場で、地下鉄の中でたくさんの浜田省吾的なトレジャーを見落としたり、見捨ててきたに違いない。
 なのでミュージックフェアの貴重映像を観る度に”ああー拓郎かっけーよ”と悶絶しつつも、耳を澄ませラララ目を見張れそうだアトム油断をするなと自分の不明を戒めるのだ。

2020. 3. 8

 座れなくて立ったことを後悔するライブなんて言われた日には夢の共振が止まらない。"王様達のハイキング"、"RONIN"は確実か。それに”チェックインブルース”と”たどり着いたらいつも雨降り”が聴けるかもしれないライブなんて考えても見なかった。”雨がやむ前に何処かへたどり着こう”と歌いながら、たどり着いたら"ああ、ここもやっぱり土砂降りだ”とシャウトする…どっちなんだよ、と言いたくなる超絶ご機嫌なカップリングだ。

 ”たどり着いたらいつも雨降り”を最後にライブで聴いたのは”冷やしたぬき”だった。ツアーの途中からいきなり” たどり着いたらいつも雨降り”と”人生を語らず”の2曲がセットリストにででーんと加えられてびっくらこいた。鳥山雄司のギターフレーズを突然耳にした時には、全権松岡洋右のように思わず席を蹴って立ちあがってしまったものだ。意味が違うな。ものすげーテコ入れだったなとしみじみと思う。その陰で静かに途中退場していった”カハラ”。あなたのことも忘れないよ。ああ、ライブっていいですね。
 ともかく皆様、御自愛のうえに他愛も駆使してなんとかその日までたどり着きましょうぞ。

2020. 3. 9

 居酒屋のマスターは最近映画「ゴッドファーザー」を観直しているとのことだ。お互いマニアでもないただの一ファンだが、それでもこの映画のハナシを始めると妙に弾んでしまう。しかし話がパートVに及ぶと途端に壁にぶつかってしまうかのようだ。IとUは不朽の名作ということで盤石だが、Vはどうなのよ。テンションが下がる。これって例えば、拓郎ファン同志で”ライブ73”は最高だよな、”今はまだ人生を語らず”は神アルバムだよなと超絶盛り上がっているところで、じゃ”ひまわり”はどうよという話題になったときの空気と似ている。”ひまわり”もある意味神アルバムなのだが。

 今回の視聴でマスターはこのVは実は名作だったのではないかと再認識したという。どうやら彼はVを愛し始めているらしい。こういう話が大好物な私だ。
 普段ならマスターひとりで切り盛りする居酒屋でこんな話をしているゆとりはない。不幸にもこういうご時世だ。時間がある限り、こちらもお相伴させていただこう。Vを観直し、変な例で出してしまって申し訳ない”ひまわり”を聴き直そう。そうだ、”ひまわり”はこんな時節、もうすぐ東京ドーム公演が近いぞというときだったな。

2020. 3. 10

 あれこれ状況はかなり厳しい。フキとタケノコ。さすがわかっていらっしゃる。でも春はちゃんと近づいている。♪花は咲く春になれば地の果て続く限り〜と五木ひろしがずっと頭の中で鳴っているのだが「日本沈没」のテーマだった。沈没だなんて縁起でもないが、いい歌だ。
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2020. 3. 11

 こういう事態の中でこの日が来る。何なんだろうね。

 “春を待つ手紙”は、忘れられてしまった歌だとずっと思っていた。しかし9年前のあのとき拓郎は忘れちゃいなかった。拓郎は歌う前からソワソワすげー緊張していた。歌と格闘しているように見えた。そうまでして拓郎は歌おうとしていた。歌は、生きものなんだとなんとなく思った。

 忘れないと言うと今ドはまりの“ペスト”の一節

「タルーは今夜、リウーとの本当の友情を生きる間もなく死んでしまった。タルーは自分でいったとおり、勝負に負けた。しかし、リウーは何を勝ち得たのか? 彼が勝ち得たのは、ただ、ペストを知ったこと、そしてそれを忘れないこと。友情を知ったこと、そしてそれを忘れないこと。愛情を知ったこと、そしていつまでもそれを忘れないにちがいないということだ。ペストと生命の勝負で勝ちえたものは、認識と記憶だった。たぶんこれこそが勝負に勝つとタルーが呼んでいたことなのだ。」

 リウー医師は、神様や英雄や美談や大義を注意深く拒みながら、ひたすら明晰な認識と記録と記憶を求めていく。知ることと忘れないことだけが人間の闘い方なんだと教えてくれる。

2020. 3. 12

僕はこれから大阪へ行くところ、一番楽しかったコンサートのことなど思い出し。聖地サイドも富士山サイドもガラ空きだ。
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2020. 3. 13

 1978年にボブ・ディランが初来日した時、NHKでルポルタージュ「ボブ・ディランがやって来た」という特集番組があった。この初来日が私の人生の初ライブ鑑賞だったのだが、なんもわからない薄っぺらな高校生だったのでライブもこの番組の内容もヘイヘイホーという感じでスルーしてしまった。番組で、岡本おさみが渋谷のレコード店の前で、当時の最新アルバム「大いなる人」のポスターの横に村上龍のインタビューを受けていたのは覚えている。「ディランは若返ろうとしているのに、観客は昔を引きずった古いままだ」というような今思うとかなり大事なことを岡本さんはおっしゃっていた。こうして自分が昔を引きずったファンになってみてしみじみとわかる。それに今聴き直すとこの時のライブアルバム「BUDOKAN」のすんばらしさがビシビシと刺さる。こないだも「ラブマイナスゼロ」を電車の中で聴いていてそのポップさに思わず身体が揺れてしまい恥ずかしかった。

 ということで悲報。2020年「ボブ・ディランはやって来ない」。でも大丈夫だ、日本には吉田拓郎がいる。

2020. 3. 14

 AMAZONプライムが観られることとなり、渇望していた放映中の最新ドラマ”スタートレック・ピカード”と今や大人気らしい”鬼滅の刃”とのチャンネル覇権争いが日々続く。

 引退した80歳のキャプテンが再び始める冒険は苛酷で、屈辱や悲しみが容赦なく襲うが、清々しい希望を決して捨てない。一瞬一瞬の表情、ひとつひとつのセリフが深く愛おしい。このシリーズを愛してきて良かったと心の底から思わせてくれるすばらしいアウトロだ。この感動を語り合う仲間が周囲に殆どいないこの孤独感、そこがスターウォーズとの違いなのよ。これって何かと似てるなぁ。

 かつての副長たちとの再会にも泣けた。迷惑を恐れて事情を語らない元キャプテンの苦境を暗に察する副長。ただ”一歩ずつ”と言う言葉をお互い確認しあいながら盃を交わす。”一歩ずつ”…あのお方も歌い、語っておられる忘れじの言葉だ。そうそう、このシーンでわかった。”一歩ずつ”、”小さな一歩”、英語では”baby step”というんだな。

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2020. 3. 15

 前回のラジオの投票で”帰路”が入ってたよね。おおお気づかなかったよ。すげーと思った。難解なアルバム”ひまわり”だけど、この曲は詞もメロディーもアレンジもストレートに胸に入ってくるいい曲だと思う。

 ちょうど31年前の今日だよね。東京ドームのコンサートの本編ラストで歌われた。あのライブは、東京ドームが完成からまだ日が浅く珍しい観光スポットだったからか、スポンサーの某生保の招待券で拓郎を知らない一般客も大挙して入場していた。私の隣席も、家族連れで遅れてきたうえに歌なんか聴いちゃおらず一家でタコ焼き食べながら、クソガキ…じゃない、お子様が帰りたいよぉと駄々をこねていらした。そういう系のたくさんの人々が演奏中にウロウロ歩き回っていて私は何度も怒りのためにめまいがした。そして極めつけは、この”帰路”の演奏中、招待客どもは本当にゾロゾロ帰り始めたのだ。なんじゃいこりゃあぁぁぁ。私は必死で神様に祈った。「コイツらが拓郎の曲の途中で帰ったことをいつか死ぬほど後悔する日が来ますように」。30年経ってもどうやら後悔している人がいなさそうである(爆)。

 “チェックインブルース”のオープニングも”夕陽は逃げ足が速いんだ”も”ああグッと”も”ロンリーストリートキャフェ”もそれはそれは素晴らしいライブでそこに不満など微塵もない。むしろもう一度ちゃんと観たいのだ。

 「夢でいいから」と拓郎は書いていた。私も夢でいいから純粋なファンだけで構成された東京ドームがもう一度あって欲しい。そして昨年の”今夜も君をこの胸に”のように最後に心にしみいる”帰路”で私たちを送り出しておくれ。

2020. 3. 16

 拓郎ご推奨の映画「運び屋」をようやく観た。観てよかった。凄いな、クリントイーストウッド。今度も学割で見られたらと思います。…の頃や子どもの頃に親父が観ていた「ローハイド」の時はただのチャライ兄ちゃんみたいだったのに。"時間は買えない"けれど、すべての時間が彼に味方したような凄い姿を魅せてくれた。
 映画を観ながら、”寂しさが心の扉を叩くまで人はそれまでの幸せに気づかないんだね”〜”悲しみが心の扉を叩くまで人はそれまでの過ちに気づかないんだね”という拓郎の唄声が頭の中に流れた。本当にそのとおりなんだよ。そういえば喜多條忠との新作はどうなったのだろうか。待つときもあるさ。

2020. 3. 17

不謹慎を承知で私もそう思う。

そして“何かのためじゃなくていい”(決断の時)というフレーズが心にしみるわけです。
それに“愛するより大切なことなんて人にあるだろうか”…う、これは松本隆か。

とにかく、くれぐれもご無理なくご無事でいらしてください。

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2020. 3. 18

 かつて拓郎がインペリアル移籍第一弾のニューアルバム“こんにちわ”のテーマが「明るい日常」だと語ったときは正直ガッカリした。こんな大事な時に小さいことを歌いやがって、日常を打破する活劇こそ吉田拓郎ではないかとトホホな気分になったものだ。

 しかしそれから何十年か経った2020年。あれこれと汚泥にまみれた私は遅まきながら日常というものの大切さに気付く。日常とはすごい奇跡の連続で出来上がっているかけがえのないものだということを思い知る。あの時の拓郎にすまなかったとちょっとだけ思う。
 "Baby step"の歌だったのだのだな。 小さなステップ、渾身の一歩。苦手だったが、ちょっとだけいい歌かもしんないと思うようになった。あ、でも次のライブで無理して歌わなくていいよ。

 今日お誕生日の方、おめでとうございます。いくつになってもHappybirthday、どんなときだってwelcome。

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2020. 3. 19

 大人気らしいドラマ「恋はつづくよどこまでも」を毎週家で見せられて辟易していた。なんじゃこりゃ。すまん。老人の繰り言だからね。
 でも上白石萌音という女優はイイな。ふと宮崎美子を思い出す。どこか似ている。宮崎美子といえば、崖っぷちの提供曲”嫌いですか”を忘れてはならない。作詞喜多條忠、作曲吉田拓郎、編曲鈴木茂の揃い踏みだ。地味な小品って感じだけれど、個人的には大好きな逸品だ。たぶん編曲者の鈴木茂なんだろうけど青山徹っぽいリリカルなギターに導かれたあたたかなメロディー。ほんわかとしたひだまりのようである。宮崎美子の透明な声質と歌唱…とくに♪恋をすぅるぅーう〜、という拓郎頻出の節回しを見事に歌いこなしていてるところがたまらない。その愛らしさがツボだ。歌がうまい人なのかと思ってこのアルバム”メロウ”の他の曲を聴くとかなりそうでもなくて驚く。すまん。この”嫌いですか”だけが奇跡的に上手くいったのか、いや歌はうまいのだが、これ以外の9曲が奇跡的に失敗してしまったのか、どっちかだ。
 でも拓郎のメロディーとの相性が良さそうなので、”あなたのイエスタディ”とか”ステラ”とか”アゲイン”とかをカバーしてもらって企画アルバム「宮崎美子、吉田拓郎を歌う」はどうだ。って誰が買うんだよっ。…僕は買います。これも懐かしい。
 

2020. 3. 20

 SONGSの薬師丸ひろこの「守ってあげたい」のカバーがすんばらしかったことを以前の日記でも書いたが、今も時々観返している。あの映画「ねらわれた学園」はさして面白くなかったし、当時の薬師丸ひろ子もそんなにファンというほどではなかった。しかし、40年の間、難曲のため何度かトライしてはあきらめかけながらやっと実現したというあのカバーを聴いた時は、ああ生きていて、生きててよかったと思った。

 生きててよかったといえばドラマ「傷だらけの女」の主題歌「心の破片」。自分としては松本隆との共同作品のベストいくつかに入る大好きな名曲だ。
 当時このドラマのプロモーションでLOVE2に出演した高島礼子が歌ったことがあるけれど、これも難曲でちょっと可哀そうだった。やっぱり薬師丸ひろ子のカバーは、40年という歳月が体現されているからあんなに心に響くのだと思う。高島礼子も今歌うときっと違うと思うが…歌わないよな。
 40年といえば、昨日の日記で拓郎のカバーアルバムの話が出た(>出てねぇよ、おまえの勝手な妄想だろ)宮崎美子が同じく40年の歳月をこめて主題歌「元気です」をカバーしたらどうか。居酒屋で熱をこめて話していたら「宮崎美子にあまりに多くのものを求め過ぎである」という冷静なご意見をいただいた。…そうか。きっと彼女の頭の中には、難読漢字と漢字検定のことしかないに違いない。すまん。

 しかし私が言いたいのは「守ってあげたい」があんなふうに見事に蘇生するように、名作「元気です」も今を生きてほしいということだ。誰でもいい(おい)ナントカしてくれという切なる願いなのだ。

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2020. 3. 21

 写真を観ると、ご本人に嫌われようとも”拓郎ぉ”と叫びたくなる。
 
 この世界中が困り果てている毎日にあって、あの日の言葉を思い出す。

…毎日苦闘の日々が続いていた。
 そんな中でも、音楽の夢は忘れることはなくて、素晴らしいミュージシャンとスタッフが支えてくれて蘇えることができた。今は次なるコンサートに向かって日常を過ごしている。苦しい体験のその都度に思ったけれど、心と身体が健康でないと幸せな気分というかチカラが湧いてこない。
 健康はどうでもいいと若いころは思っていたけれど、それはとんでもないことで、愛のある日常でなければ人生が味気ない。この番組を通じてみなさんに言いたい。心でずっと思っているのは、みなさんの健康を心から願っている。愛情あふれた日常生活を永遠に送ってほしいと思っている。・・・♪アゲイン(ラジオでナイト 第99回 2019.3.24)

 すべての道は拓郎に通ず。ということは拓郎があればどんな道をもゆけるということ。一歩ずつ、baby stepでまいりましょう。

2020. 3. 22

 ライブが遠のくということは、拓郎のステージが遠のくということだ。ぶっちゃけ私たちにはそんなに潤沢に時間があるわけではない。この八方塞がり。このまま長期自粛が続くなら、無観客でライブをガンガンやってどしどし配信や公開すればいいじゃないかと思っていた。しかし昨夜テレビで堂本光一のSHOCKの無観客での収録演目を観せてもらい、そういうものではないんだと思い知った。それはそれは素晴らしいプレイだということが私ごときにも感じられたが、無観客の客席。ステージが個別の客席を包みこみ、包まれた客席がまたステージを包みこむ、おなじみ西田幾多郎先生のいわれる"純粋経験"というものがそこにはない。光一くんの表情にも心なしか沈痛な思いが覗いていた気がする。あれはたぶんすべてのライブ人の方々の哀しみなのだと思う。それは同時に私ら観客人の痛恨でもある。
 "今はこらえろ愛しい君よ"…なんか最近はこのフレーズばかりが浮かんできて仕方がない。ああ、本当の春よ来い。

…とここまで暗くなって書いていたら、拓つぶ更新。なんとも前向きな。嬉しい限りだ。やっぱり本当の春よ来い。

2020. 3. 23

 ギターのことはわからないが、抱きこごちで選ぶというその話は素敵だなと思う。♪アナタがギターを抱くならば、アタシャあなたの音色に抱かれたいぃぃ〜と神楽坂の都都逸が浮かんでくる。いみふ。
 提供曲も本人作詞・作曲かしら。どっちにしろDUOの"放課後"。学生時代は遠い昔だが、人生のアウトロ="放課後"ということでどうざんしょう。チェックインブルースがOKなら、これだって歌ってよかろう。
http://tylife.jp/uramado/houkago.html

2020. 3. 24

 いろいろなところで縮小・制限されながらも卒業式が挙行されているようで少し安堵した。卒業式に思い入れはあまりないけれど大切なセレモニーであると思う。

 この時期、卒業ソングが話題になるがウッカリ参加しないよう注意している。

 随分昔だが「アタシ、卒業ソングというとあまり知られていないけれど『制服』って唄が好きなんです」「おー俺も大好きだよ。名曲だよね。泣けるよね」…一見すると意気投合しているようだが実は人生が二度あってもわかりあえない二人であった。賢明な方はお気づきのとおり相手の頭の中ではブリブリの松田聖子が踊っており、こっちの心は、東京駅地下道の集団就職の娘たちのもとにある。仕方がないといえば仕方ないのだが、ただ何がムカツクって、向こうが松本隆で、こっちが岡本おさみというところでわけもなく腹が立つ。

 毎年書いている気がするが、太田裕美が歌った「花吹雪」(松本隆/吉田拓郎)は、吉田拓郎がかかわった貴重な卒業ソングだ。♪友達でいようよ〜友達でいましょう。悔しいが卒業ソングは松本隆の独壇場だ。厳密に言えば卒業ソングというより卒業後遠距離悲恋ソングというべきではないかと思う。

 しかし、これが卒業ではなく中退してやさぐれた日には岡本おさみの独壇場である。何を競っているのだ。

 とにかくどこかを卒業されたすべての皆様おめでとうございます。大変な時期ですが負けずにご健勝お祈りします。

2020. 3. 25

つま恋1975の入場者数には諸説ある。

 @45000人
 A49800人
 B50000人
 C75000人
 D60000人
 E100000人

@主催者側の予想人数
A1975年6月時点でのチケット実売枚数
B主催者発表
Cコンサート当日の警察発表
D警察最終発表
E南こうせつの発言

 随分違う。Eは確かサマピのMCで言ってた。気持ちは大いにわかるがさすがにそれはないだろう。そして警察発表のEF。当時の警察はきっとあれ見てびっくりしちゃったんでしょうね。警察はともするとやれ科学捜査だ、こっちは全部調べ上げているんだとかいうが、もし警察と揉めたら「ふん、つま恋の人数も数えられないクセに」と言ってやるといいかもしれない。もちろん自己責任で。

 よく専門家は、私は客観的データや数値に基づいて…とか言うが、そもそも数字と言うものは主観的な幅のあるものだということがわかる。
 
 とすると日々流される「なんとか持ちこたえている」「爆発的状況まではいっていない」とかいうときの数字はどうなのか。数字だから信用できるのではなく、信用できる数字なのか、その数字の意味するものは何かを慎重に考える必要がありそうだ。

 で、つま恋75だが、私は普段人と話すときは5万人と言っているが、相手の態度が悪いきには、警察発表が75000人なんだよ!と言ってやることにしている。要は数字は使い分けである…って、あれ?いいんだっけ、そういう結論で。

2020. 3. 26

 俺も志村けんのご快癒を心から願っているよ。仙台坂を降りて左に曲がると麻布からの風が追いかけてくる…拓郎よりもまず志村けんの姿が浮かんでしまう。早く回復されてください。"バカ殿"もいいけど"研ナオコとの夫婦の会話のコント"で悶絶させてほしい。あれはメチャ好きだな。

2020. 3. 27

 「それなら総理、レストランではなく"若尾文子映画祭"に参加することはどう思われますか?」と誰か質問してくれないかと思っていたら…この週末だけは休館するらしい。頑張れ若尾文子映画祭。からっ風野郎vs東大全共闘も楽しみにしているのだが。

 いよいよラジオの日程が決まる。こんな時だからこそ嬉しい。1970年代から80,90,2000,2010,2020年代…なるほど6年代制覇のラジオパーソナリティーとは凄いな。こんな風には考えてもみたことなかったが偉業だよね。これに対抗できるのは若山弦蔵さんくらいしかおるまい。最終回爆弾発言事件、死亡事件、おじさんおばさんいらねー事件、まぁ悲喜こもごもいろいろあったものだなぁ。
 なんとか次のライブに橋を架けてほしいが、それだけではなく末永くそこに自然にあるような番組になって欲しいと願う。

2020. 3. 28

 ♪今日から僕は家にいることにしよう…という歌が浮かんでくる今日。これもいい歌だよな。
 しかし家にいるだけの自分と違って、身近な人や家族も含めて”不要不急”ではいられない人々=医療関係者やライフラインにかかわるお仕事や病気治療等のためにリスクの高い場所に出かけなくてはならない人々がたくさんいる。とにかくそんなすべての皆様のご無事をお祈りします。祈ってもどうにもならないかもしれないが、拓郎のいうとおり今は「自分にできることをする」しかない。

 非常時だからお上の批判などしている場合ではないという声もあるが、そうは思わない。非常時ゆえに莫大な権限を手にしてしまう人々がいるからこそ、注意深く批判の眼を忘れないことがよりいっそう大切だと思う。もちろんたかが私ごときだが必要なことは守り、できることは尽力しようと思うが、アンタらと一丸になりとうはありません。コロナは怖いが、お上の号令一下で自由を譲り渡すことに慣れてしまうのも怖い。”お上には厳しく、隣人同志はいたわりあう”のがロックではないか。…何故私がロックを語れるのか。すまん。ともかくハードな状況だ。とにかく、ここでも”一歩ずつ”ということか。

 精神医学者の中井久夫の「最終講義」を読み直しているところ。精神医学のことなんてわからないがとにかく装丁が素敵で昔、買った。専門用語も含めてちんぷんかんぷんなのだが、なぜか心にしみいる不思議な本だ。

 病気とは「心の自由度」が低くなった状態だという。「心の自由度」を失うことを、例えば山での遭難に例える。病を「遭難しかけた時に山頂のほうに向かって避難しようとする人」と比喩する。「登りに力を使い果たし、疲れはてて、道は尽き、目標を見失って、外部の目からは幻の山頂といわばいえ、当人にとっては四方が断崖の絶壁にいるのです」
 これに対して闘病とか病の克服とかいわれるが、回復とは、むしろ山を下りる時に似ており、治療とは山岳遭難救助に例えられる。治療が山岳遭難救助であれば、治療者は遭難者と同様に山を下るのが=病と闘うプロセスだと書いてある。たぶん。回復とはゆっくりと山を下りて心の自由度を回復するということか。専門的なことは全くわからないが、この「下りる」ということはなんとなくわかる。
 “その人は坂を降りて”という歌があの難解なアルバム「ひまわり」の中で妙に明るく清々しさを感じるのと同じではないかと勝手ながら思う。頑張らなくていいというなげやりなタイトルなのに、”ガンバラナイけどいいでしょう”を聴くと、心の内側から静かに元気が湧いてくる。心の自由度を失いゆとりをなくして、頂上に向かって避難するつもりで遭難しそうになっている時、そっちじゃないぞと下山の方角を教えてくれる、そういう歌なのではないかと思う。

2020. 3. 29

 おお、拓つぶ”午前0時の街”…すんばらしいね。これが”今日までそして明日から”でも”流星”でもなく”午前0時の街”ってところが余計にたまらないのよ。あれほどの番組だから拓郎に届いて当然といえば当然だろうけれど、拓郎がこの機にあの曲の心象を自分の心に反芻している。ファンを通じて、もう一度自分の作品と出会おうとしている。

 そして”SCANDAL”と来たか。この曲も忘れていた。これもただいま読書中の重松清のたぶん最新作「ひこばえ」。これを読みながらつい一昨日、そうだ”スキャンダル”を忘れていた、と気づいたところだった。…それにしても心疼くこの章立て。そして本文にも。
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 午前0時の街が思い切ったすばらしい食材提供とすれば、こちらはあらゆるものを煮込んだ秘伝の隠し味みたいなものか。町中華でしこたま飲んで靴音ならして二人でゆこう唇まどろむシーサイドホテル。プロフェッショナルたちの魂に元気をもらう。ああ、こんな時だがなんか幸せ。

2020. 3. 30

志村ぁ。

2020. 3. 31

 朝ドラの”ある雨の日の情景”に舞い上がったとたん、訃報に突き落とされた。禍福糾える昨日を過ごした同志たちよ。私ごときがこんなに悲しいのだから身近な方、熱烈なるファンの方々、そして拓郎ご本人の哀しみは本当にいかばかりか。

 中学1年の時、荒井注の替わりにドリフに加入した志村のことを「志村つまんねーよ」「生意気だよな」と学校の帰り道に青木君(一般人。自分もそうだけど。)と文句を言ったのを覚えている。我ながら感性の無さが情けない。きっと自分のようなヤツが、かつて吉田拓郎に帰れコールを浴びせたに違いない。
 しかし、志村けんは、そんな俺たちをもたちまち虜にし超絶笑わせて貰いながら現在に至る。すまなかったと今更思う。コイツはダメだ、この歌はダメだ、など、とにかく急いで何かを嫌うまい。もちろんそんなこと関係なく、志村けんは稀代の巨星・巨匠となられ今時の小学生にまで深く愛されていた。

 10年近く前、さるお方の追っかけのつもりがその方はおらずに、そこに志村けんが飲んでいるという夢のようなことが何度かあった。プライベートでお飲みになっているときの志村けんは、物静かで知的な雰囲気で、ちょっと凄みのようなものがあった。端正でカッコ良かった。失礼にも「すみません」と声掛けさせていただくと「ああ、びっくりしたあ」と一瞬でいつものモードになられて、なんて優しい方なんだと思った。

 音楽にも造詣が深かったようだ。いつも笑いは音楽と深く結びついていた。"外は白い雪の夜"が延々と流れるコントもあったよね。拓郎と志村けんには深い絆があったのだろうが、憶測したり立ち入れようはずもない。いつかその一端でも話を聞かせてほしい。

 ああご冥福なんてまだ言えねーよ。

2020. 4. 1

 今の現実こそが嘘であってほしいような4月1日。そこをApril Dreamとはさすが老舗。すんばらしい。
 すばらしいといえば「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」というドイツ政府の言葉とそれを裏付ける施策。私は他国の、しかもアーティストでもなんでもないただの通行人だが、いやだからこそ勇気を貰った。
 そんな中、佐々部清監督まで卒然と逝ってしまわれた。なんてこったい。拓郎ファンならあの映画なのだが、さんざんその映画の悪口を言ってしまったので、すみませんでした。私はこの映画の桜で涙しました。
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2020. 4. 2

 夜になると町がどこも暗い。居酒屋も風前の灯だ。禁酒法時代のようなウシロめたさを感じつつ立ち寄ってみると、ソーシャルディスタンスも何も客がいない。接待は昔からないし、換気の風だけが強く吹く。ああ、むなしさがあったぁよ。無駄になるので生ビールサーバーも停止中で、桜色のにごり酒の口開けをいただいた。飲みながら短い拓つぶを繰り返し読んだ。
 ”はるこい”という酒だ。
 
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   別れ歌が
   胸にしみてゆくように
   なぜに迷わせる
   去りゆくものたちよ

   生きてここまで来た
   潔く生きてきた
   なのになぜ さびしがらせる
   春よ、来い

 ああ、拓郎、つくづくとイイ歌がいっぱいあるな。やっぱりあなたは名曲の戸越銀座商店街だ。どこだよ。

2020. 4. 3

聴き流していたけれど"チェックインブルース"の一節

 MOTELの灯りが
 見えてきやがった
 おまえの寝顔を
 ネオンがよぎる

ここのところの情景+心理描写がうまいね。松本隆みたいだ。松本隆ならイマジネーションで描きそうだけど、御大の場合はきっとホントによぎってたんだろうな。まったく。メロディーもいい。…聴きたいな。オープニングでどうよ。

2020. 4. 4

 マスク2枚が送られてくるニュースを聞き、関係ないがふと思い出した。CMタイアップのご厚意でファンクラブから会員全員に缶ビールが2本送られてきたことがあった。あれはものすげー嬉しかったな。昔、つかこうへいがビールのCMに出演し、コレに出た以上一生他のビールは飲みませんと誓うシーンがあったが、あの時の私も、つかへい先生のように固く心に誓ったものだ。…なのに永遠の嘘をついてくれ。
 矢沢永吉を起用したのはいいにしても、だったら拓郎と矢沢が二人で季節ごとにビールを贈りあうCMにして欲しかった。毎回、季節ごとに中島さん、ユーミン、Kinikiやいろんな人が登場するCM。もちろん志村さんもかまやつさんも。今年は誰が出るかなとその季節が楽しみになるようなCMが観たかったよ。布施明が出て驚いたり、谷村新司にお届けにあがった拓郎が二人で手を握りあってこれまた驚くようなCM。ドライなあなたにって広岡達朗さんが出たり。なんだそりゃ。

 拓郎ファンのKくんの墓参はいつもこのビールを持って行くことにしている。ってオレが飲むんだけどさ。一度だけ、ローラの"ガンバラナイけどいいでしょう"のCMが忘れじの”ほろ酔い”という時もあったが。今年はみんなで一緒にゆこうと約束したけどさ、もう4月だよ、行けるかな。

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2020. 4. 5

 吉田拓郎様お誕生日おめでとうございます。

 新譜ジャーナルの81年のライブレポートにあった「拓郎、ちっともよくないこの世の中だけど、あなたと同じ時代に生まれたことに感謝したい」という名フレーズを思い出す。今でもまったくもってそのとおりだ。どうか長寿と繁栄をそしてフォースとともにあらんことを祈っています。こちらもあせらずにあなたの一歩に沿ってまいります。

  もっとあなたと生きたいね
  多くの時もあるといい
  今夜も空には星がある
  互いの命を見つめよう
  苦しみがそこにあるのなら
  あなたと共に感じよう
  
 特にこういう時に聴くとあらためていい歌だな。

 別に新曲だからと忖度しているわけじゃない。ただ、拓郎の著書「明日に向って走れ」に「今日と明日の戦争」という章タイトルがあったけど、さしづめ「現在と過去の戦争」というずっと悩ましい問題はある。
 過去の曲、昔の偉業に深い愛着を持つ私のようなファンと昔のことはもういい、大事なのは現在だ未来だという拓郎とはしばしば厳しい緊張関係にも立ってきた。もちろん今も新曲を作り歌い続ける拓郎に絶対帰依する自分である。そうなるとなんとなく昔のことを話すことにウシロメタイ気分にもなる。

 でもそんなの関係ねぇとあらためて思う。理解不能なまま読み続けている西田幾多郎の一節。

「『此処、今』というところに我々の出立点がある。しかし過去なくして現在はない。そして過去は未来をもつ過去でなければならない。未来を持たない過去は死物である。過去は永遠に生きた過去でなければならない。真の過去は永遠の現在をもつ過去でなくてはならない。」

 過ぎてしまった過去とまだ来ない未来という矛盾したものひとつに結び合う、それが「永遠の今」であるという西田先生のくだりが難解だけれどなんか心にしみてわかる気がする。

 今あちこちで志村けんのコントを見直していると、多くは昔のものだが、もう今観てもストレートにどっかんどっかん笑ってしまう。それは昔が懐かしいからでも、昔が良かったからおかしいのではないと思う。ただひたすら今おかしい。「此処、今」彼の笑いと出会っているのだ。

 過去の吉田拓郎もおんなじだ。死物の過去を愛しているわけではない。現在と未来を持つ過去だから、私たちは今も震え感動するのだ。新曲と新しいステージをはるかに待ちながら、素敵だった過去に「此処、今」リアルに出会うから、魂がふるえる。たぶんこれが永遠の今である。

  思いもかけないはるかな旅路に
  君に届と声がきこえる
  時がながれる 悲しみも消える
  声にして好きだって叫んだよ
  声にして永遠を誓うよ

 おお、それだ、それだ、良い歌だと西田先生も言っているような気がする。明日を待ちながら、臆せずあの日のすんばらしい数々の拓郎の音楽と姿と此処、今、出立するように出会いたいと思うのだ。ちょっと転調を考えてみる。

2020. 4. 6

予想外…
何がある 何がある あーーー聴いてみよか。
こころの底から楽しみにしちゃうよ。

2020. 4. 7

 電車内で町中で社会的距離のことが意識されるようになった。感染対策だけでなく普段からこれくらいの距離がありがたいと思う。これが社会における"二人の本当の距離なのに"と思う。一方、愛する人との距離は"拳ふたつでいいさ"。吉田拓郎はずっと人と人との"距離"のことを歌っていると思うのだが、どうだろう。しかも道はまだとおぉぉぉぉい。

2020. 4. 8

 いつもの居酒屋もついに長期休業となったことを知る。無念。フリーランスはお互い様、自分で決めたこと。それにフリーだけが大変なわけじゃない。みたいな話をしたことがあったと思うが、綺麗な月の写真とともに「月に願いを」というマスターの言葉が胸にしむ。そうか満月か。ああ、それでも月は輝いて。

  月に届くほどもっと愛されたいなら
  星に届けと愛すればいい

 やっぱイイな、吉田さんは。アルバムそのままで一曲前に戻ると

  大切なことはひとつだけ
  変わらぬ自分でいられるように
  後悔はしない夜なんだ

…うー、この歌に慰められるなんて。
 ヨールレヒー ヨールレヒー ヨールレイホー ああロッテンマイヤーさん、惑う心に鉄の拳を。なんだそりゃ。それに松本隆だろ。

 皆様もどうかくれぐれもご無事で。

2020. 4. 9

 自宅録音か。なるほど。素晴らしい。厳しい状況だろうが、そうして放送を続けていただくのが安心だしまた何より嬉しい。いよいよFrom Tの舞台でもある吉田邸の勉強部屋にお邪魔するのか。楽しみだがなんか緊張するな。

 お宅にお邪魔する以上、無礼者の私はくれぐれも失礼のないように気をつけたい。
 楽器がすぐそこにあるんだからホラ歌ってくれよ、とか、貴重音源がすぐそこにあるんだから聴かせてくれよ、なんなら自宅から生放送にしてレア音源限定電リクとかどうだとか、そんな失礼なことは言うまい。言わないよう頑張ります。

 丁度あの時もこんな4月の中頃だった。3.11のオールナイトニッポンのチャリティ放送を思い出す。不安のどん底だったが、含羞の笑顔の拓郎がいた。今回も拓郎がいる。だから大丈夫だ。
 今日は、勉強部屋記念、FromTを聴き直してみる日。
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2020. 4. 10

 今日の自宅からの放送がニュースになっている。いいぞ。個人的に私がシビれたのは記事の次のところだ。
「拓郎はデジタル機器に詳しく、テストで収録した音の修正をお願いすると、即座に対応、技術スタッフが驚くほどの仕上がりになったという。」
「拓郎は「『よし、自宅から番組を』マイク選び、録音ソフト…。色々試して『これならイケる』ディレクターのT君にファイル転送。聴いてもらった『OKです』皆さん今回は自宅の僕の部屋からお送りする」
 ココだよ。もう拓郎、カッコいいったらありゃしない。身の回りにこんなことできる74歳ってまずいねぇぞ。特に今、オンラインやZOOMでやっとくれと突然言われて困り果てている私にはもう拓郎がまぶしく見えて仕方ない。

 それより拓バカの皆様。ZOOMでたくさん画面が出てくると、つま恋75のビデオが思い浮かび"僕の唄はサヨナラだけ(リハーサル)"が頭に流れて止まらなくなったりしないかい?それもあって仕事が一ミリも進まない。

2020. 4. 11

■オールナイトニッポン ゴールド 2020年4月10日(第1回)■

 こんばんは吉田拓郎です。今月からこういうカタチでラジオが始まり幸せだと本当に思っている。

<コロナ対策で、うがいは上手にできますか、私は苦手ですという投書>
 うがい下手な人がいるよね。我が家でも必ず外に出た時、家にいてもクリーニング、宅配の方と接した後、必ず手洗いとうがいをする。おかげで手がガサガサ。
 うがいは、ウルルルルってやるんだよ。家の中ではコロナ菌はいないと思うが二人とも不要不急でない場合は必要近づかない(笑)そういう二人の決まり。

<中島みゆきの最後のツアーなので、バックで「悪女」のギターを弾くという話、やるしかない、古川望とのツインギターを聴きたいという投書>
 そうなんだよ。ツアーを中断しているからね。こういう事態だから。瀬尾ちゃんとはこのことでメ―ルしていた。リハーサルも大変だったようだとか聞いていた。この件はペンディングになっている。
 こういう事態になってしまって。もう全国ツアーについてはやらないかもしれないということだし、ステージで弾くとしたら「悪女」がいいな。どこか場所も決めないで、風のように現れて、さっと弾いて下がる。「吉田拓郎でした」というのではなく、いたかどうかわからないように空気のように俺だけナットクして帰りたい。でも、たぶんあそこに出るよといいたくなるけど。

<ライブハウスが危険、いっそのこと野外ではどうか、リスクが少ないと思う、つま恋とかどうだろうという投書>
 野外だとリスクは少ない。確かにつま恋なら空気はキレイだし、富士山の湧き水豊富で水もキレイ。でもどうやってみんなつま恋まで来るのか。電車は大混雑、バスだって満員だし。全員徒歩ではいけないし。結局今は自粛するしかないんだよ。

<会社のボールペン普通のものでつまらない、以前拓郎さんに教えてもらったジェットストリームを使っている、お客さんに褒められる、拓郎さんには嫌われるファンかもしれないけれどという投書>
 確かに熱すぎて嫌だな。どこかで書いたことあるな。今も使っているジェットストリーム。あの時は、0.7ミリを使っていたけれど今は05ミリが使いやすい。ハイクアウトのリニューアルされる会報のエッセイをこれで書いている。

<相撲の春場所を観ている、着物姿の妖艶なおば様おじ様がおらず、式守伊之助のハリの ある声、力士の足音まで聞こえてくるようで、いつもと違うという投書>
 相撲は今回本当に観ていてテレビ観戦が楽しかった。いつも同じ場所に当地の相撲大好きな方々が同じ場所で映る。だいたいおっさん、おばさんなんだな。アンタたち、たまには二階席とか違う席に行ったらどうか。砂かぶりでなくてもいいじゃないと言いたい。ウチは特にテレビがデカいので目について見飽きたな。カメラも考えろよ。今回はそれかなくてスッキリした。
 朝乃山いいなぁ。照ノ富士じゃなかったのかといわれるが、照ノ富士は奥さんが好き。時々スポーツ選手をいいじゃないと好きになる。今はほとんどない。桃田かな。あと西野監督。ちょっと今、音が聴こえたかな。遠藤=やっとさんは依然として好き。僕は朝乃山に本格的四つ相撲で横綱をめざしてほしい。

 妙な音や人の声がするかもしれないけれどそれはまた後で。

 <<吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド>>

 ♪テーマ曲

<ラジオが楽しみですがコロナが大変、ご自宅からの放送でいかがでしょうかという投書>
 吉田拓郎。今月から月に一回の放送。毎週のラジオでナイトはキツイなということで、
だからといってラジオは青春の始まりで、ずっと続けてきたものだし一生の友達だ。
 Tくんという、坂崎くんとラジオやっていたときのディレクターと話あって、月に一回ならどうかということで小手調べに12月と2月とやってみた。
 そしてなんと本当になんとなんとつまり初回のこの放送は吉田拓郎の自宅からお送りしている。自宅のいつもの仕事部屋、詞を書いたり作曲したり音楽聴いたりベッドルームでもあるプライベートな空間から。いい時代だね、ずっとやろうかな。寝ようかなと思えばベッドもあるし、ギターだってすぐ周りにある。

 広い部屋ではないけれどビデオ二台、小型テレビ、オーディオ、録音機材、マイクもちゃんとスタジオ用のものがある。ここでなんでもできちゃう。
 いつもの大きなイマジンスタジオではない。狭いけれど家でいい。いろんな音がする生活音がするけれど我慢して。
 スタッフはいない。いるのはあの人だけ。家でできるのはいいな。こういう時期だし。こんなに僕だけ幸せで、自分の幸せ感じていいな。夢のよう。自宅の勉強部屋、ベッドもあるプライベートルームからお送りする。

M-1 朝陽がサン  吉田拓郎

(CM)

<ロックンロールナイト、名付けてタックンロールナイトはどうか、Zepp東京と大阪  一階はオールスタンディング、みんなでハジけるライブ、体力を考えて7時開演8時半開演でどうかという投書>
 オールスタンディング。無事に立っていられるか。もはや何を演奏しても関係なく、問題でなく立っていられるかどうか(笑)  絵が浮かんでくる悲惨なライブだな。

 ツアーというと今度は、みなさんとお元気でね、僕も元気でやるし、幸せを祈る…そういう最終ライブ考えたりしている。
 昨年みたいにチケット転売とかやらしたくないし、どうすりゃいいかをいろいろ考えている。アイ・ライク・ユーな最後のツアーのためにどういう準備が必要か意見交換しているところ。Zeppは無理かもしんない。

 そこでどんな歌を歌うか。日程も決まってないし、でも年内はあり得ない。年が明ければ少しは見えてくるか、とにかく今は読めない。
 大阪は借りがあって、大阪のみんなにさよならって言いたいし。名古屋も楽しかった
横浜は完璧なステージだったし、宇都宮、大宮は好きだし。東京は、神田共立講堂がすげー楽しかったし、ああいう小さいところもいいなと思う。
 いつものスタッフ、ハイクアウトともこれでさよならになるのかとか考えている。

 セットリストを考えるのが楽しくて、夜も目が冴えてしまって、思いつくとこの部屋でメモしている。43曲くらいかな。

☆どうしてこんなに悲しいんだろう

☆たどり着いたらいつも雨降り

☆昨日の雲じゃない  >絶対歌いたい

☆流星  
>歌いたいな。こないだのライブ観てわかったと思う。ドラムの村石が歌と共に盛り上がっていってリハーサルでは観たことないドラミングに入って。鳥山、松原、バンド全員が村石を観てすげーなと笑顔になった。

☆いくつになってもHappybirthday >これも歌っておきたいな

☆吉田町の唄  >これも久しぶりだし

☆RONIN  >リクエストが多かった♪ナインティーンエイティファーイブ

☆マークU  >歌っときたい アレンジ変えて歌いたい

☆ひとり想えば  >これも違ったアレンジで

☆純

☆僕達のラブソディ 
 >メロディーは武部たちなんだけれどもこのメロディ―変えようかな。あんまし好きじゃない。メロディーをつけて新曲として歌いたい。

☆唇をかみしめて   やっとくのがいいのん

☆王様達のハイキング  フルコーラスだな

☆雪   >ヒップホップな感じで歌いたい

☆夜が来た   >ヨールレイホー すげ好きなんだ

☆チェックインブルース   >ダーンてロックンロールをやりたい

☆海を泳ぐ男

☆ウィンブルドンの夢

☆あの娘に逢えたら >古い曲だけれど鈴木茂のアレンジなんだよ いいかな

☆a day  >重い歌だけど

☆この指とまれ

☆元気です  >♪元気ですよと〜歌っとくべきだな

☆決断の時  >NHKの主題歌。リズムをスカ、レゲエに変えて

☆季節の花   >歌いたいな

☆清流  >これも歌いたい

☆恋はどこへ行った >歌っときたいな

☆That’s it やったね >軽いロックンロール。ボーカルチームとやりたい。

☆歩こうね >しんみり最後に  最後の曲もいいかな

☆おろかなるひとり言 >先日テレビでオンエアされたようだけど今風に

☆僕達はそうやって生きてきた >スリーコード  ブルースロック  大好きなんだ

☆トラベリンマン

☆午前0時の街  >最近テレビで流れている、今風にアレンジ変えて歌ってみたい

☆明日の前に  >三拍子  ♪どれだけ歩いたのか

☆野良犬のブルース> エレック時代、一番原点だった スリーコードを歌ってみたい

☆家へ帰ろう

 今回も僕の作詞・作曲で通します。狭い世界だけれどこういうのが好きだった、幸せだった。

 その他サービスで他の人に提供した曲というサーヒスコーナーをやりたい。

☆僕笑っちゃいます  >ロックアレンジで

☆僕の大好きな場所  >シノハラが詞を書いて、高木ブーに提供した

☆富田靖子  恋かくれんぼ  >好きなんだな  ドンストトンという感じで

☆六本木レイン 研ナオコ   >吉田拓郎が歌うとまたいいんじゃないかな

☆君住む街   >三連だ
        ギター ♪あの街サヨナラ帰れない〜いいな

 時間はたっぷりあるのでリクエストお願いします

 正直いって普通じゃんというのは受け付けない。僕的には今日のはコアじゃないかと思う。

M-2 どうしてこんなに悲しいんだろう (豊かなる一日バージョン)

(CM)

 新しい映画ではないけれど名監督ウディ・アレンの”女と男の観覧車”。ケイト・ウィンスレットが主演。タイタニックで有名だけど年月経ったなと言う感じ。相手役はジャスティン・ティンバーレイク。主人公の女性は、若い頃から映画とかが大好きでその世界に憧れている。それがまったく趣味のあわない魚釣りと野球鑑賞が趣味の旦那と結婚する。よくあるな私たちの日常でも。
 二人で海辺の流行らないレストランをやっている。ある日その冴えない旦那の娘が訪ねてくる。そこから大きく人生が変わる。
 海辺のレストランのある海岸、見張り番の若い男がいて、彼は映画のシナリオライター志望で映画の話が合う。そこで浮気してしまう。浮気。ケイトは、時間経っているので太目だけど見事に演じている。なんでアカデミー賞にならないかな。
 そして浮気相手の男と自分のダサい夫の娘ができちゃう。ケイトはよりによって恋人が旦那の娘にとられて頭にきてしまう。
 またケイトのツレ子の男の子が放火癖がある。あとは観てのお楽しみ。ラストで旦那が野球でも観に行くかと誘う。しかし彼女は「いかない」と答える。これが二人が合わないんだよ。シンプルなようだけれどバランスとりながら生きているんだな。

 ウディ・アレンは”ブルージャスミン”も良かった。人生の破綻の話。こっちはケイト・ブランシェット。こういう人間模様を撮らせるとうまいなぁと思う。

 みんなのおうちが心配になったよ(笑)旦那たちたまにはレストラン行くとか二人で残り少ない人生ほ幸せに暮らしてくれよ。

M-3 雨を観たかい  CCR

うちの佳代さんからのメッセージです。
「みなさんお元気ですか」

 こういうのをやってみようというので自宅から詞を書いたり曲作ったり寝たりする部屋
勉強部屋からお送りする。こういうこと考えもしなかった。リラックスしてできるし生活する音もするかもしれない。

<拓郎さんお誕生日おめでとうございます、昨年のツアーリハ中でバンドの方々からプレゼント貰うところがビデオにあった、握手が危ないなんて時代になるとは思わなかったライブハウス、バーとかも行きたいけれど自粛する、早く楽しめる世の中になってほしいという投書>
 あったな。俺が「こんなちっちゃな」とか言ってた。あれはワイアレス・イヤホンだった。イイやつで。やさしいヤツらだな。
 ライブハウスが好きなのか。俺もバンドに早く会いたいな。メ―ルで元気を確認している。素敵なバンドに仕上がったな。このバンドだといろんなトライが出来る気がする。音楽の楽しさが伝わった。どんな曲、オープニング、エンディングそして提供曲、リクエストを求めた。

<オープニングはThat’s itでグイグイノリノリという投書>
 内緒だけど。この曲はオープニングに考えていた。いまのバンドのボーカルチームは掛け合い得意。でも知らないかなと。

 前回数曲に振付をつけたが、次回は全曲に振りをつけたい。女性のプロダンサーの方が振付指導をやってくれたけど、次回は全曲にしてもらう。ヒップホップとか、もう考えるとウキウキしてくる。

<オープニングは運命のツイスト、提供曲は我が良き友よ、エンディングは流星、人類史上最高傑作、次回もボーカルチームどうか全員で、ダメでも加藤いづみだけでもという投書>
 人類史上最高傑作(笑)大きく出たね。 ボーカルチームには全員やるよなと確認しているが向こうも絶対外さないでと言ってきているから間違いない。オープニングに”運命のツイスト”。悪くない。でもオープニングから踊るのか(笑)。最初すら飛ばすとヘタっちゃうかな。

<オープニングは原曲ではわからないアレンジで、ノリノリでロック ペニーレインでバーボンなんかいいですねという投書>
 コレはいいよね。確かにあり。問題はあそこをどうするかだよ。わだかまりは消えていない。人が傷つくのはあってはならない。それにペニーレインはいかないし…”ペニーレインは行かない”だったらいいかな。
<オープニングは朝陽がサン。今目覚ましで聴いている。加藤いづみさん好き。ラストは川の流れの如く。最近知った新曲でカッコイイという投書>
 なるほど。”川の流れの如く”は考えてなかった若いのによくご存じで。 ロックだし、いいかもね。…若い女の人に弱い(笑)。若い人に言われるとそう思ってしまう。髪の毛やってくれてる若い女の子にこのシャンプー匂いが気になると言ったら「私は好きなんです」それ以来愛用することにした(笑)俺も好きになろう。

<提供曲だったら”僕の大好きな場所”という 投書つづき>
 アルバム「こんにちわ」だったら”朝陽がサン””消えてゆくもの””いくつになってもhappybirthday””僕達はそうやって生きてきた”…この曲は愛している
加藤いづみは人気だな。2019年のボーカルチームと録音した何曲かの中で僕のソロの後ろには加藤いずみがユニゾンで歌っている。マニアな人にしかわからない。加藤いづみとはボーカルの相性がいい。
 川の流れの如くはいいな。今のバンドならバッチリだな。

<あの娘といい気分が聴きたい、ムチムチ夢中に反応した、薄キッスって何か、中学生にとって性への憧れだった、加藤いずみとの薄キッスをステージで観たいという投書>
考えられないそういうステージ(笑)。(あの娘といい気分)嬉しくてしようがない。(ギターをとって歌う)俺もアイデアマンだな。楽しいな。あの頃の拓郎さんはワルだったんだな。
 夜な夜な朝まで飲んでディスコ行ってたし、毎晩みたいに遊び相手が違ってた。ディスコで逢う女の子たちはムチムチ、薄キッスって感じ。極悪バンドの頃。女性ファンは印象良くなかったかな。女性ファンはこの曲好きじゃなかったかなかもしれない。いい時代だったな。
 もう無罪放免ということで歌うかな。とにかく12時からじゃないと集まらなかったな。かまやつさんと酒飲んで時間潰して12時ころから青春…じゃなくてワルが始まる

<オープニングは、”運命のツイスト”、新曲があるなら新曲がいいという投書>
 オープニング新曲は新鮮だな。新曲は歌うつもりだけれどオープニングとは考えていなかった。

<”たえこマイラブ”という投書>
最初に言っとくけど今もう歌えない。音域広すぎて歌えない。

<”証明”という投書>
どういう歌かも覚えていない。

<”男達の詩”という投書>
作ったな。オフコースの松尾や仁とやってた頃。レコーディングも一緒だったかな。

<”帰路”という投書>
 渋いね
<”この街”という投書>
 なるほど。吉田拓郎が歌ってもいいかもしれない。

M-4  That’s it やったね

(cm)
 カミラカベロのハバナ、アリアナグランデ、テイラー・スイフト女性シンガーが活躍している。ビリー・アイリッシュなんて18歳かな、グラミー賞を受賞した。
詞の世界が斬新だ。
 ジャンルを超えて世界から愛されるテイラー・スイフト。その実は音楽の何もわからないくせに、ある時代から抜け出せない世界から脱皮する勇気もない、わかっていない人に
聴いてほしい。あなたとは絶対によりを戻りしたりしないという歌。もう男はすみませんでしたと頭を下げたい(笑)

 「ラヴァー」というアルバムをウチの人、自分で翻訳している。辞書ひいてポケトーク
使用したりして。

『Red』というアルバムからWe Are Never Ever Getting Back Togetherという曲はビルボードでシングル初一位。

  私たちが別れた時のことしっかり覚えている
  あんたは自分の時間が必要とか言ってたけど
  なによ、それ
  時間が経ったらベイビー恋しい
  変わってみせるなんて
  また電話してきて
  私たちは永久に絶対よりをもどさない

 なんてカッコいいんだい。それにしても男は愚かな馬鹿野郎が多いね。世界の歌姫。テイラー・スイフト今からでも遅くはないので。

M—5  We Are Never Ever Getting Back Together テイラー・スイフト

(CM)

 手元にあるニュースが飛び込んできた。というKitri 女子二人のビアノ連弾のユニットでモナ、ヒナというデュオ。僕が作った曲では三本の指に入る”アンドゥトロワ”をレコーディングしたということだ。そのデモテープCDが手に入った。大橋トリオ、wowowで時々見るけど 大橋君ひとりなんだけどトリオなのね、彼がプロデュース。
聴いたら、いやぁぁぁぁ素晴らしい。思いもかけないプレゼントを貰った。今の現代に見事に生まれ変わって。凄い。涙を流しそうなくらい嬉しかった。幸せだった。是非聴いてほしい。発売されたら見逃さないように。絶対わかる人は涙腺ウルウル。いやあいいね。

 喜多條の歌詞に、キャンディーズの時には感じられなかった”うるおい”に満ちたバラードを感じる。こんなにもうるおいに満ちた歌詞だったのかと思う。そしてこんな素敵なメロディーだったのかと、自分で言ってしまうが。

 デモテープを一部だけ。

M-6 アンドゥトロワ  kitri

<拓郎さんが好きなコードはなんですかという投書>
 好きなコードはAとE。Eはブルースコードでロックンロールの基本だ。オクターブE スライド。Eに関連しA。Aでないとできない曲、♪たどり着いたらいつも雨降り…Aでないと。これがCだと出てこない。Aでオールドファンは、グループサウンズのワイルドワンズ♪想い出の渚 よく弾いていた。

 次回は5月8金曜日

最後はこの曲

M-7 デスペーラード  イーグルス

ここまでのお相手は吉田拓郎でした。


☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆

☆始まりました。プレオープンを経ての本日開店だ。

 ニュースにもなった自宅録音放送。自宅から放送できることに深く感謝する拓郎。あなたの幸せは私たちの幸せである。奥様のご挨拶がはいるところなど本当にお宅にお邪魔したみたいだった。ギターはもちろん貴重音源や映像もすぐそこにあると思うと…いや考えまい。

 それにしても、この放送より前にコロナ騒動に際して、拓郎の身を案じて自宅放送を提案していたリスナーの方がいらしたのにはおそれいった。俺は自宅放送なんて一ミリも思いつかなかった。このリスナーの方は、拓郎への愛の深さにおいても見識の高さにおいてもすばらしい。見習おう。

☆みゆきさんのツアー出演は企画として進んでいたのか。かえすがえすもこの中断が恨めしい。人知れずとおっしゃるか。おっしゃるとおり奥ゆかしい御大はそこでスポットライトを浴びるのは嫌だろう。しかし誰一人気づかなかった日にはそれはそれでもっと嫌だろう。やっぱり来るべき日が来たらばそっとつぶやいて告知しておくれよ。

☆番組の中心は、最後のコンサートへの”コン活”である。世の中が不幸なことになってしまったが、その分、時間をかけて、創り上げられてゆくコンサートを毎月砂かぶりで観ることができる。しかも、あの拓郎が、ファンに意見求めできるだけ希望に応えたいとまで言っているのだ。ありがたいじゃないか。楽しみじゃないか。

☆そしてなんとセットリストメモの一部公開である。いつも拓郎がコンサートに向けて何十曲リストアップしたとか発言するだに、「どんなリストだ、見せろ、見せてくれぇぇぇ」と悶絶していたものである。思いつきとはいえ、どんなふうな曲をリストアップしているのか。なんと40曲弱を一挙開示である。すげえ。興奮しますた。

 細かくはこれから日々反芻したいが、ま〜すごいもんだ。

 @ええっ歌ってくれるの?ああ生きててよかった曲
 Aおおそれは楽しみな曲
 Bそれはもうイイでしょと言いたい曲

 が混在している。

で、そこにファンの方々の投書まで入れるとさらに
 Cそれだよ、それだよと言いたい曲
 Dそれは家でライブ盤で聴いとくれよという曲
 Eおい、拓郎よりによって忘れてんじゃぇよという曲
 Fえっもう歌えないのかよと愕然とする曲

 もちろん私の偏った意見だよ。ともかくこれらが入り乱れる。この混沌としたカオスがたまらない。性善説に立てば、これらはそれぞれの個性と好みを結集して理想のコンサートを創り上げる夢の建設現場であるが、性悪説に立てば、いかに自分の聴きたい曲を出場させ聴きたくない曲を追い落とすか群雄割拠すら修羅どもの戦場である(爆)。

 ともかく貴重な機会だ。ゆっくりと一曲一曲愛でたい。また拓郎が言うように時間がたっぷりある。あり過ぎる。日々変わってゆく可能性がある。油断がならないぞ。

☆特に昨日では、”季節の花”、”RONIN”、”午前0時の街”は嬉しかったな。”川の流れの如く”も。こりゃ卓見ですばい。”僕達のラプソディー”は切なくなるくらい大好きな曲だ。メロディ―もいいロディ―だと思うが、好きじゃないのか。私の憶測では武部ではないもう一人の作曲者のことが好きじゃないのではないか(あくまで星紀行の個人的憶測にすぎません)。ともかくすばらしい詞なので新曲としての再登板は嬉しい限りだ。志村けんさんにも聴いてほしい。

☆「君住む街」、詞とメロディ思いっきりズレてるし。

☆「どうしてこんなに悲しいんだろう」(豊かなる一日)これは個人的にツボってしまい涙ぐんだ。10年かK君。

☆「女と男の観覧車は観ていない」がケイト・ウィンスレットは歳を経てからの方がより魅力的だ。それは薬師丸ひろこも同じである。ついでに若い頃は存じないが岡田晴恵さんも(爆)。ともかく観るぞ。

☆まにあうさ、まにあうさ遅すぎることはないテイラー・スイフト。ちょうど友人が娘さんとこの拓郎のラジオを聴いていたようで、この拓郎のラジオで流れているテイラー・スイフトに聴き入っているところのプロバレリーナの娘さんの美しいポートレイトをアップしていた。それを観てオレもテイラー・スイフトを好きになろうと思った。

☆kitri確かにすんばらしい。”うるおい”なるほど。早く完成版を聴きたい。こうして再び輝きだす名曲がきっと拓郎にはもっともっとたくさんあるよ。ぜひぜひこういう営みが続いてほしい。Refitして輝きながら拓郎の歌たちが後世に残ってほしいと願う。ただのファンに過ぎない私だが、それでも私たちが生きた印を打ち込んだ楔みたいなものではないか。

 さて、そういう意味も含めて、埋もれた名曲、崖っぷちの名曲を愛でながら拓郎に、どうですか?問いかける至福の旅の始まりである。

☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆
 ギターはわからないが、Aは美しいということがわかった。Aで奏でてくれた”たどり着いたらいつも雨降り”の音色の美しさにしびれた。ため息が出た。どうかたっぷりと聴かせておくれよ。

2020. 4. 12

 でも去年のLive73yearsだって、事前にラジオでオープニング曲とかのアンケートをとって喧々諤々さんざんやったけれど、結局予想もしなかった1曲目="私の足音"だったわけよ。こっちは必死であらゆる可能性をシュミレーションし、相手の攻撃もしっかりマークして鉄壁の守りを固めたつもりが、鮮やかにシュートを決められちゃったみたいなものだ。そう来たか。サッカーの試合だとガッカリ消沈というところだが、セットリストだとこれがまた至福だったりする。というわけである意味、再び長いゲームの開始でもあります。楽しんでまいりましょう。

2020. 4. 13

 昨日身の程知らずにもSkypeでプロのバレリーナのストレッチのレッスンにお相伴させていただいた。おかげで爺さんはもう身体中が超絶痛い。こんなことなら椅子に座って飼ってないけど犬でも抱いて観ていればよかったのか…んなことはない。ありがとう。ジャンルは問わずプロは凄いんだな。活動の場はなくともkeepしなくてはいけない大変さもわかった。あの動画もそういうアーティストたちの小さな叫びの輪なんだろうな。

 さて「証明」を忘れた発言には驚いたが、かつて”ラジオでナイト”で「流れる」をどんな曲か思い出せないと発言した時もショックだった。私にとって切実なこの二大名曲を、オーマイガー!!と天を仰いだものだ。
 しかし、しかし、吉田拓郎にだって忘れる自由があると今は思う。作品を作るのが自由なように、忘れるのだって自由だ。データベースでも国会図書館でもない生きてゆく生身の人間なんだから。オレだって都合の悪いことはかなり忘れて生きている。>オレと一緒にするな。

 忘れる自由というものは、反面でもう一度あらためて出会う再会の幸せの自由でもあると思う。こうして吉田拓郎が真摯にセットリストを問いかけてくることは、私らにも思い出してもらう自由、もう一度出会ってもらう自由を貰っていることではないか。

 ちょっと前のNHKの朝ドラの「ひよっこ」で大好きなシーンがあった。これは前にも書いた。

 記憶喪失で行方不明になっていた沢村一樹が帰還する。でも記憶はないまま。なじみのレストランの面々が暖かく迎える。またお会いできてよかったという料理長佐々木蔵之介に、覚えていないんですと困惑する沢村。しかし佐々木は手を握って言う「大丈夫です。私が覚えています。」
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 拓郎は私なんぞには言われたくはないだろうが「拓郎さん、大丈夫です。私が覚えています。」そう言いたい。かつて私らを包んでくれたそれぞれの名曲を今度は自分たちでも包み返すような。そういうものではないかと…ひとり想えば時はゆく。

2020. 4. 14

 先日のラジオのセットリストで”この指とまれ”のあと”俺を許してくれ”とつぶやいていたことを教えていただいた。不覚。ありがとうございます。すばらしいリスニング力。

 それにしてもこのセットリスト。何を足して何を引いて20曲に収めるというんだ。

 思い出す。昔、正確には1992年に”2日間コンサート”というアナウンスがあった。日程も全国の会場も決まり、2日間で約40曲。2日間観てこそ吉田拓郎がわかるというふれこみだった…が残念ながら幻のツアーとなった。

 笑顔を作ってどうですか?と問いかける。

2020. 4. 15

 TYISの更新連絡が来て、ふと思う昨日までの人生を。

 ネットやメールが普及する前はコンサート日程をはじめ拓郎の活動情報源はファンクラブのテレフォンサービスだった。もっと昔はユイ音楽工房のテレフォンサービスというのもあった。
 電話をすると「ハイ、こちらはT’sインフォーションサービスです。コンサートのお報せを致します。」って、かなり棒読みのおねーさんのあまり心のこもっていないアナウンスが流れていた。それでも受話器を握りしめ、アナウンスに命をかけて耳をそばだてていた時があった。更新していないかどうか毎日最低でも朝夕2回の電話が欠かせなかった。昨日書いた2日間コンサートの告知や”2日間観てこそ…”のふれこみもこのアナウンスからだった。
 またバックにまだ未発売の新曲が流れることがあってそれも油断がならない。たぶん「夕映え」とか「僕を呼び出したのは」は電話が一番最初で、もう何度も何度も電話して悶絶しながら曲を妄想したものだった。
 それに音楽評論家のこすぎじゅんいちさんが亡くなったことを知ったのもこのテレフォン・サービスでのことだった。

 そのうちT’sも解散しテレフォンサービスも終了して、これからは「パソコン通信」で情報をお届けします…ということになって、そもそもパソコンなど遠い世界のものだと思っていた自分は絶望の置き去り感がハンパなかったのを覚えている。
 それから地の底を這うように、数年かけてなんとかパソコンとメールを克服し、今日まで生きてきたよ。その後も幾多の苦難を経てつい先月ようやくスマホを買った。買っただけでラインの意味もわからない。常に時代は変わって君の後ろに僕はいる。でも自分のサイトを初めてスマホで観た時どんだけ感激したかわかるまい。>知らねーよ。知りたくもねーよ。

 昨年、新機軸のファンクラブで、手作り感を大切に、カセットで音を送りたい、と拓郎は語っていた。だったら言いたい。テレフォンサービスを復活してくれ。嬉しくて一日に何回も電話しちゃうような、受話器を握ると松本隆の詞みたいに三日間苦しんでドキドキしてしまうような、そんなテレフォンサービスを復活させちゃくれまいか。

 ともかくTYIS。もろもろ頼むぞ。ファンクラブの魂をみせてくれ。

2020. 4. 16

 もうすぐ拓郎ファンのK君の命日だ。享年48歳。同じ歳だったし誰よりもエネルギッシュな熱き拓郎ファンだった彼の訃報はショックなんてもんじゃなかった。葬儀の時、まだ信じられない私たちに奥様が話してくださった。
〜突然、くも膜下出血で倒れてからずっと意識不明だった。それでも拓郎さんの歌を聴かせると確かに身体が反応してくれた。いろんなCDを聴かせ最期の瞬間も拓郎さんの「豊かなる一日」を聴きながらだった。次の曲が『落陽』だったから頑張ってと言ったのに『落陽』は聴けなくて…〜
 みんな涙するしかなかった。奥様も一曲一曲聴きながら傍で応援されていたのだな。涙で目を腫らした歴戦の拓郎ファンの某ねぇーさんが言う「大丈夫よ、落陽はもう飽きたって言ってたわ」…泣き笑い、そしてまた涙。
 調べると「豊かなる一日」の落陽の1曲前の曲は”どうしてこんなに悲しいんだろう”だった。なぁ、どこに” どうしてこんなに悲しいんだろう”に送られて旅立てる拓郎ファンがいようか。
 また当時はショウアップナイターのテーマ曲で新曲”That’s it やったね”が発表されたばかりでファンの話題だった。ああ新曲を聴けて良かったなぁと思った。彼にとっては最後の新曲だった。まだまだ拓郎は名曲を書くというのに。でもちゃんと最新曲を抱えていったのだ。

 拓郎のハワイツアーに参加した時の遺影の幸せそうな笑顔を観ながら、みんなと同様あれこれと思いが湧いてくる。
 誰よりも拓郎を愛した彼、仲間内でみんなが「拓郎」と呼び捨てするときも必ず「拓郎さん」と言っていた彼、ココではちょっと書けない数々の追っかけ伝説を持っていた彼、それを惜しみなく分かち合ってくれた彼、つま恋75のレプリカシャツを作ってみんなに配って瀬尾さんまで着てくれた彼、Countryツアー全会場を制覇しようとしていた彼、どんな拓郎ファンにも心優しく接してくれた彼、必ずライブには奥様を連れてくる愛妻家だった彼、温厚だけどただ一度だけ「アンタも音楽が好きでこの仕事をしてるんだろう!」とライブ会場の警備員を一喝した彼、甲斐よしひろのスタンディングライブに二人で行って「拓郎さんもどうしてこうゆうのやらないんでしょうね」と言っていた時の彼、つい3か月前「今度は木や森あるところで会いましょう」と手紙をくれた彼…
 私は友人代表でもない、むしろ友人としては末席だったろうし、もっと深く親しかった方々がたくさんいる。もっともっとたくさんの思い出や逸話があるに違いない。

 この10年間、花も嵐も踏み越えて、拓郎はずっと歌い続けてくれた。おそらくK君のことを好きだった私らみんなは、アルバム、新曲、ライブ、ラジオ、喜怒哀楽の出来事の度に、彼が生きてたらどうだっただろう、という思いがいつもずっと心の片隅にあった。去年の"私の足音"は驚いたろうな、全会場入待ち出待ちしたろうなとか。私、としては最近ではアイライクユーに大いにムカついたときも、きっと彼は「僕らは拓郎さんのことがこんなに大好きなのにね」とニコニコ笑っていたに違いない…と思うと心がゆるんだ。
 亡くなった人を懐かしむのとは少し違う、いないけれどいる彼との対話みたいなものをたぶんみんな続けていたに違いない。大袈裟だけどみんな、いなくなった彼と一緒に旅をしてきているのだと思う。

 長々とこんなことを書いたのは、10年目の命日は、なんだかんだのいきさつを超えてみんなで墓参に行ってK君を思うて飲んだくれようという話だったが、どうやらこの御時勢では難しくなってしまったことがある。
 そして何よりかにより。先日の第1回のオールナイトニッポンゴールドで拓郎がかけてくれた”どうしてこんなに悲しいんだろう”は、まさに「豊かなる一日」あのバージョンだった。数あるバージョンの中からあのバージョンだぜ。たまらん。そのうえ"That's it!" やったね”までが押し曲として流れたのだ。 そりゃあもちろん偶然だろうが、それにしても、やっぱK君アンタはすげえなぁと世界に向って叫ばずにはいられなかったのだ。

 まだまだ拓郎は新曲作ってライブもやる。

   夢までの道を最後まで一緒に彷徨って行きましょう
       これからの日々も最後まで一緒に抱きしめて行きましょう。
           ちょっとだけボロボロの僕達のラプソディ

   拓郎、いいメロディ―をつけて唄っとくれよな。

2020. 4. 17

 K君のことで当時の日記を調べたら結構細かく書いてあった。
 2010年4月20日火曜の未明に倒れて、一日集中治療室で頑張ったけれど翌21日に亡くなったのだった。20日火曜未明というと19日月曜夜の拓郎と坂崎のオールナイトニッポンゴールドを聴いてからだ。そしてこれも記録によれば4月12日に同番組で初めて”That’s it!”が披露され翌週19日にも流している。彼はちゃんと話題の新曲を聴けたはずだ…と書いてあった。
 また拓郎のことを詳しくわからない奥様は、倒れた彼の側にあったCD「午前中に…」と「豊かなる一日」を病院に持って来て、集中治療室で繰り返し聴かせたと書いてある。
 何もココでそんなに細かいことをクドクド書かなくてもいいじゃないかとも思うが、事実が事実をして語るものがきっとあると思うのだ。

 お通夜の時、斎場の人が「これより故人が大好きだった吉田拓郎さんの歌を流し故人を偲びたいと思います」とアナウンスした。斎場には私以外にも15人くらいの拓バカが列席していてみな胸を打たれた。
 しかしひっそり閑とした斎場に、聴いたことのあるベース音がドゥドゥドゥと鳴り、続いてクゥィーン、クゥィーンと泣くようなギターのイントロ…♪喫茶店に彼女とふたりで入ってぇコーヒーを注文すること、ああそれが青春〜
 誰もが悲しみに沈んでいたが、その瞬間、「それ違うだろ! 」私を含めた拓バカみんなの心の叫びが画面一杯の大きなテロップになって見えた。不謹慎だが、K君が「すみません、その曲じゃありません」と起き上がってくるのではないかとすら思った。いや、この歌こそ最高だと思う人には申し訳ない。もちろん文句を言っているわけではない。大変な時だし、こういうときにベストCDを選ぶのはまさにベストな選択だし、斎場の人が律義にそのCDの一曲目からかけたのも正しい。彼は亡くなってもなお私たちに伝説を残してくれたのだ。
 いや伝説というより私たちに語りかけてくれたのだ。通夜の帰りみんなで集った小さな居酒屋で、泣き笑いを繰り返しながら”自分の葬儀用のCDは生前に作っておこうな”と確認しあった。誰かがちゃんと用意してくれたK君の影膳の前で「青春の詩、僕が一番ビックリしちゃいましたよ」と笑ってる彼もそこにいた気がする。いや絶対にいたね。拓郎のいるところ、拓バカのいるところ必ず彼はいるのである。

 大きなお世話ですが、終活のひとつとして遺言書を書くようにCDを作っておくといいと思います。もしこれを読んでくださって作ろうとする方は、その時、顔も名前も知らないK君のことをちょっとだけ思い出してくれな。

2020. 4. 18

 昨日書いたベスト盤の不幸は、曲が年代順に並んでいることが大きな原因だ。
 そういった意味で、あらためて”From T”の曲順は出色だと思う。楽曲の選択と配列が実によく練られている。さすが本人だ。全曲がなだらかにつながっていて美しい。そして、例えば無作為に途中の3曲くらいを切り出しても、その3曲がひとつのながれになっている。小宇宙と大宇宙みたいだ。これなら例えば何も知らない会場係のおじさんが最初からかけても、春を待つ手紙〜僕の道〜流星、うーんOKだ。DISC2からかけてしまっても、風の街〜ガンバラナイけどいいでしょう〜おきざりにした悲しみは、これもOKだ。おじさんがうっかり間違えて途中からかけてしまったとしても、シンシア〜ウィンブルドンの夢〜水無し川〜清流。いいじゃないか、清水健太郎。
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 「ザ・ベスト/ペニーレイン」も悪くはない。アジアの片隅で〜心の破片〜永遠の嘘をついてくれ〜このあたり流れはなかなかなのだが、”From T”には及ばない。”From T”がおだやかな大河の流れとすれば、「ペニーレイン」ごつごつとあちこちにぶつかる渓流のようなイメージがある。てか、そもそも「ペニーレイン」はあの異様に素っ気ないジャケットが気に入らんな。あれが売れちゃうんだから、もっとナントカできなかったのか。そういう話ではない。

 いつか居酒屋でこういう曲順の話を真剣にしながら飲んだくれる日が来ますように。皆様、ご自愛専一に。

2020. 4. 19

 “曲順”といえばアルバム「ローリング30」は2枚組LPとシングル1枚だが後にCDになったときは2枚組でシングルの2曲は2枚目のCDの最後に収録されている。しかし1978年発表当時のミュージック・カセットは時間の制約があったのだろう、カセットが2本は同じだがシングル盤の2曲が別れてそれぞれに収録されている。

 1本目カセットの”外は白い雪の夜”のあとに”素敵なのは夜”が、2本目の”海へ帰る”のあとに”君の街に行くよ”が収録されている。わりと最近になってそのことを知ってカセットの曲順で聴いてみたのだが、レコードやCDとはすこし印象が違う。そこまで考えて配列したのか、それとも時間のバランスでそこに押し込んだだけなのか。ともかくカセット派の方たちは、当時こういう世界の「ローリング30」を聴いていたのかと知った。
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 この曲順で聴くと”外は白い雪の夜”と”素敵なのは夜”は、別のバンドだけれど弦と管がともに室内楽奏的雰囲気を醸し出していて親和性・共通性があることに気づく。そうなると”外は白い雪の夜”で女性を振ったこの男は、その足で違う女の子の部屋に行き、男の見立てたドレスを着返させて抱きしめて灯りを消して”素敵なのは夜”と歌う。ああ、なんて男、なんて夜なんだ。両曲になんとも言えぬ背徳感が宿る。

 他方、”海へ帰る”と言っていた男は、すぐに”君の街に行くよ”と歌いアルバムは大団円を迎える。ああ、やっぱり泳げないから思い直して君の街に行くことにしたんだなと説得力がある。説得されてどうすんだよ。
 曲調も”海へ帰る”から”君の街に行くよ”という流れは実に明るく爽快な感じのエンディングになる。30歳という重みをすっ飛ばしてノー天気過ぎないかという気がしないでもない。

 こんなふうにずっと自宅にいると本当にロクなことを考えない。

2020. 4. 20

 田村仁さんが拓郎の写真展に寄せた文章に書いていた。
「僕が好きなのは拓郎のボーカルのチカラ。もう圧倒的でしょ。ヴォーカルが既に音楽になっているというか(略)陰と陽、影と光が同居していて実に美しい。」
 写真家なのにボーカルなんだ。もしかすると見えないボーカルを写しているのかもしれないと思ったものだ。

 それにしても「ラストショット」ってさ。

2020. 4. 21

 昨日の「ラストショット」、前回のラジオの「最終ライブ」「さよならコンサート」。最後、最後のモードが申し訳ないがだんだん鬱陶しくなる。

 言うまでもなく「これが最後」は吉田拓郎の伝統的なお家芸だ。嘘つきと言ったりもしたが、実際には嘘なんかとは違う名人芸であり芸術作品であると思う。

 昔、劇作家つかこうへいが読者からの、”プロレスは技をかけられるまで相手が待っているからインチキだと思いませんか?”という質問にこう一喝した。「プロレスは子供の喧嘩じゃない。技をかける方とかけられる方がチカラを合わせてひとつの美しい技を完成させる芸術なのだ」
「これで最後」も同じだ。吉田拓郎の「もうこれが最後だ」という真剣な技の繰り出しに対して、ファンも「ええ、最後なのかよ」と涙ぐみながらこれを迎え撃ち、あえて技をかけられながら歌手とファンが力を合わせて「最後」を完成させる美しい芸なのだと思う。

 芸なのだからそこに真摯なプロセスがなくてはならない。これまでの拓郎の数々の「これで最後」には常に必ずそれがあった。

 例えば、最後のライブといわれた昨年のLive73years。拓郎はいきなり「最後だ」と放言したわけではない。ラジオで、この年齢、この健康状態で、これだけのツアーを敢行したあとにはもう再びコンサートをする余力はもう残っていないかもしれないと切実な思いを語ったのが発端だ。さらに苛酷な闘病があったことにも衝撃を受けた。まさに暗闇に向ってダイブするように先が見えず怖かっただろう。最後と思わなければできなかったのかもしれない。だからこそ我々も魂で呼応してこのエンディングを見逃すまいと万難を排す覚悟でライブに臨み、その結果、かくもすんばらしいあのライブが完成したのだと信ずる。

 その結果、再びチカラを得て、大阪への思いに導かれ再びツアーに立つことは超絶嬉しい限りだし、その苛酷さは想像を絶するし、また本当に最後になるかもしれない。

 しかしラジオで「最終ライブ」「さよならコンサート」とアタマから明言しているのを何度も聴くと、すまんが最後モードに頼りすぎではないかと思う。去年の慣性の法則で、これから最後だ、さよならだと1年以上引っ張るのはどうなんだ。前記の吉田拓郎の繰り出す技としては雑すぎないかと思う。新しい「これが最後だ」芸を生み出す気迫が感じられない。

 で、私も私だ。特にヘタレの私は、「最後だ」「サヨナラだ」と言われると、いろいろなものがゆるむ。ああ、それなら何でもいい、拓郎が気持ちよく歌ってくれさえすりゃいいと思ってしまうのだ。たとえば好きではない「朝陽がサン」で始まって、嫌いな「ヨールレイホー」で終わるライブであっても、拓郎さんそれ素敵ですといいかねない。自分の好みに照らせば素敵なわけがない。ガガガSPが蒼ざめるくらいのロックな「証明」や”つながりだけでは悲しくて”の入った「ファミリー」の絶唱を聴きてぇという自分を偽りかねない。
 例えば力量はある若者たちだと思うが、あのコーラスにべったり頼り過ぎのライブは観たくない。「私の首領」「ああ、グッと」で見せた歌わない拓郎がOKなハズがない。あなたのピンのボーカルこそがすべてだ。美しい装飾ではなく、枯れようとかすれようと、そこにこめられた魂ごと聴きに行くのがライブだ。…とキリがないが、あくまで人それぞれのいろいろ好き嫌いと琴線があって、それがグタグダになってしまう。人それぞれだが、自分の好き嫌いを裏切ったらいけないな。

 偶然にも時を同じくして身内に言われ、また身外のお言葉でも拝見した、拓郎に忖度しすぎだという言葉のとおりである。ありがとう目が覚めたよ。いつの間にかアイライクユーな人になろうとしている姑息な自分に気づく。なれやしないのに。ともかくここにいてはダメだ、このままではダメだ。ちゃんと嫌われよう(爆)
 まずは、拓郎が期待してろよと豪語した新曲たちとあいまみえ、最後かどうかに関係なく、次のライブとして、あれが歌いたい、これは歌いたくない、それが聴きたい、あれは聴きたくないと必死の抗争というかストーミングを経てその果てにライブを待つ。それにまだ「実験中」という何かが繰り出されるのかもしれない。さすれば、去年とはまた別のすばらしい技も芸もあらたに完成するのではないか。ともかく最後だ、さよならは、しばらく暗黙の場所に置いとけばいいのではないのか。

 ひとり居酒屋状態になっておる。自粛してると酒がすすみませんか?

2020. 4. 22

 「ありがとうよ」と背中を向けんとするその人に「待ってお兄ちゃん行かないで!!」とすがりつく倍賞千恵子の脇で「義兄さん待ってください、僕も言い過ぎましたから」と引き留める前田吟の気分。

 田村仁さんそうだったのか。本当に"ちょっとだけ"であること、そして一刻も早くご快癒されることを祈っております。

2020. 4. 23

 興味のない人には心の底からわけわからずだろうが、最新作のスタートレック・ピカードの感動といったらなかった。こんなに感動したのは数年前のドラマ「透明なゆりかご」以来のことだ。

 失意のうちに退役し隠居していた老提督の苦渋に満ちた冒険。世の中からあざけられ謗られながら、亡き友人のため、殺戮と戦争を止めるため、静かに独り立ちあがる。しかしもちろん老いた彼にはうまくいかないことばかりだ。そんな時、前にも書いた、一歩ずつ=baby stepという言葉に支えられる。そしての際限ない困難に遭遇する度に言い聞かせる誓い。
  「難しいことは一度にひとつまで(One impossible thing at a time.)」
 ネットで検索していたら、今、コロナウィルスに怯える人がこのドラマのこの言葉に支えられているという記事があった。
 しかし私の脳裏に浮かぶのは当然、あのお方のことだ。

  自分に出来る事でそれが自分らしい「僕の道」
  と感じられる1つ2つのテーマを残して
  その他のイベントからは遠ざかるつもりです

 え、こんな時こそ必要なのにと驚いたが、それは一歩ずつ=baby stepということであり、「難しいことは一度にひとつまで(One impossible thing at a time.)」ということと同じだと俺は勝手に解釈させてもらう。道は終わらない、道をゆくための処方であると信じている。“荷物をまとめようとしなくてもその中のひとつだけ携えてい行こう”と歌っているお方もいるではないか。

 それにこれが寅さんだと、みんなして自由に勝手なことをガンガン言っているうちに「おまえら黙って聞いてればな勝手なこと言いやがって」といつの間にか寅さんは帰ってきているのである。

2020. 4. 24

 岡江久美子さんのニュースには驚いたが、ナレーターで俳優の久米明さんの訃報もショックだった。お二人のご冥福をお祈りします。

 毎週日曜日は朝に「兼高かおる世界の旅」を観て、夜は久米明ナレーションの「すばらしい世界旅行」を観るのが子どもの頃からの習慣だった。それが私にとっての「世界」のすべてだった。外国には縁のない下町だったが日曜日のテレビはしっかりと世界につながっていたのだ。だから後年になって日曜日の午前に吉田拓郎の「地球ZIGZAG」が始まったときは感慨深かったし嬉しかった。

 いつか大人になったら外国に行きたい、しかも絶対にパンアメリカン航空で行くんだと心に決めていたのだが、パンナムは残念ながら機会がなかった。でも大学生の頃、テレビのエキストラのバイトのロケバスで隣の席がなんと久米明さんだったことがあった。すげー緊張して何をどう言っていいのか、世界に繋がっていた日曜日をありがとうございますなんて意味不明だし、テンパってしまってついぞ一言も話しかけられなかった。でも私の大切な思い出である。

 えーと曲ですね。「80日間世界一周」〜「素晴らしい世界旅行のテーマ」〜「ロンサム・トラベリンマン」をメドレーで。ガラじゃないが、心の底から本当に世界が平和で安穏でありますように。

2020. 4. 25

…♪青い便箋が悲しいでしょうぉぉぉ
 陽水よ、勝手に俺の頭の中で歌うんじゃない。

 アイ・ライク・ユー="すぐに「これが最後」「これでやめる」と言ったりしない歌手"というのを書こうかと思ったがやめた。書いてるじゃん。何度となく訪れる"最後"と"不在"、これとつきあうのが拓郎ファンの宿命とあきらめる。

 ということで頭の中の陽水を振り切るためにユーミンを聴いている。

 どうしたって苗場を思い出す。当時はリクエストコーナーというのがあって、楽譜が百科事典みたいに並んでいる移動式のキャビネットを連れて武部聡志が現われ、ユーミンと二人だけでのステージとなる。そして観客が手をあげるのを指名する。スタンダードな曲や有名な曲だと客席からブーイングが起きて採用されない。そうでなければ楽譜がある限り、リクエスト者のその歌の思い出やユーミンの思いを語り合いながらその場で歌う。和気あいあいとした、たぶんファンにとっては至福であろうイイ時間が流れる。

 このコーナーを観ながら、ああコレを…と何度想ったろうか、でも飛び立つ老兵にもう無茶を言うまい。

 苗場では、俺も僭越ながら手を挙げたがついぞ当たらなかった。当たったら手塚理美の「ボビーに片想い」をお願いするつもりだった。キャビネにない場合にそなえて楽譜持ってったもんね。拓郎のプロデュースの下に、この曲で初めて松本隆とユーミンがタッグを組む歴史的名作だ。いい歌なんだよ。というわけでなんだかんだで拓郎の呪縛はどこまで行っても解けないのであった。
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2020. 4. 26

 そういう言葉、特にこういう時だからこその言葉なんだと思うよ。ココから始まりこれで最後という大仰なものではなく息をはくような自然な言葉が届いてほしい。

 “MOTELはもうすぐさエンジンが燃えるぜ”という不良の歌を聴いていて、元祖不良たるストーンズの”MEMORY MOTEL”を聴きたくなった。この曲が超絶好きだ。ミック・ジャガーとキース・リチャーズのそれぞれのボーカルがバトンを渡し合いながら互いによりあってゆくところがたまらん。世界でこれに対抗できるのは、よしだたくろう&かまやつひろしくらいのものだ。
 特に先日買った1998年のドイツ・ブレーメンのライブ映像。ミック・ジャガーのパートのあとにキースリチャーズが♪she got a mind〜とキメて悠然と下がってギターを弾き始めるのだが、まだキースの歌が残っているのでミックが慌てて手招きして、キースが照れ笑いしながら戻ってきて歌う。何度観てもぷりてぃで心温まる笑顔と空気だ。
 Live73yearsのリハで拓郎が語っていた,間奏で終わったと勘違いしてバンドにニコニコ笑いかけていたというシーンを思い出す。ああライブっていいなぁと心の底から思うのである。

2020. 4. 27

 感染は怖い。しかし、ただでさえ少ない検査数を蛇口の開閉みたいに制限したり緩めたりして、爆発するぞ、ギリギリ持ちこたえてるぞ、おー効果が出てきたぞ〜と偉い人達の描くまま、飴と鞭のドラマの上で踊らされているのももっと怖い。隣人どうしが努力を競い合い監視しあうのはごめんだ。"生きるものすべてが愛でつながれる"って、いい詞を書くんだから、もう。

 Stayhomeを徹底させたいわりには、テレビ(地上波、BS、CS、アマゾンなど)のコンテンツに緊急時の全力感がない。ここ数年のつまらない総集編ばかりだ。ここは総力戦でコンテンツを出してくれ。誰もが待望する”セブンスタ―ショー全回”とか”あこがれ共同隊”全話一挙放送とか若尾文子テレビ映画祭”おはよう”とか流星フルバージョンの”男なら”とか布施明主演”SHは恋のイニシャル”(爆)とかを放送してくれたら、すべてを放り出してでも家にいるとも。ああ、拓郎出てないけれど”お荷物小荷物”も観たいってキリがない。
 2005年のビッグバンドのライブDVDの特典映像編で、相当なライブ映像が眠っていることが確認されたが、それらを全編…って今日はこのくらいにしといてやらあ。

 死闘を続けておられる医療関係者のことを思えば何をノー天気なという気もするが、友人も医療現場の激務の時、つかの間こういう映像コンテンツが何よりの気分転嫁と緊張緩和と疲労回復になると言っていた。死蔵されている膨大な文化コンテンツのチカラの見せどころではないか。きっとそれは懐古などではなく明日の何かを生む。

2020. 4. 28

 わからない。コンサートやレコーディングを阻む障害が現われたのだろうか。わけわからず。レオマカラズヤ神保町。ともかく自分ごときが無理に行間を読み込んでわかろうとするのも無駄なことだ。それに行間には何も詰まっていない空っぽなことだってよくある。何十年と聴いてきたけれど、もともとよくわかんないのが吉田拓郎だ。

  あの日あなたに逢っていなければ
  今とは違う幸せだったはず
  いつでも危ない綱渡り
  それでもついてくわ 手を離さないで
  ああ、これでいいの
  何も残っていません もうあなただけに
  ついてくしかありません
  あなたを愛して 愛して もうどうでもいいんです ああ私

 うーん、なんと業の深い歌なんだ。今気が付いたが、これはもうタイトルからして、拓郎の十八番のあの歌へのレスペクトなのかもしれない。先に逝ってしまった同志たちのことを考えるまでもなく、私たちの時間だって相当限られている。あなたを愛して、骨まで愛して、こっちの旅もひそやかに続けようではないか。

2020. 4. 29

 というわけで”あなたを愛して”だ。

 最近”バズる”という言葉を耳にするが、かつて”ケンとメリー(愛のスカイライン)”でバズったバズだった…いいのかこういう使い方で。しかし1977年当時はかなり地味な存在になっていた。ラジオ関東で彼らのラジオ番組(「電撃わいどウルトラ放送局」、ブレイク前の中島みゆきと浜田省吾もやってたよな)があって、毎回最新シングル「あなたを愛して」を聴くともなく聴いていたが、この時はまだ吉田拓郎の作品とは知らなかった。まぁカッチョエエ曲じゃないかという印象だったが、”唇まどろむ小さいホテル”と聴こえて、なんかエロいなぁとも思っていた。やがて夏ころバズが担当する最終回のミニライブで、最後にバズの東郷昌和が「この曲に私たちの青春と希望を賭け…勝負を賭けたのですが…(絶句)」という自虐の笑いのもとに”あなたを愛して”を歌い、ああ売れなかったんだなぁと切ない気分なったものだ。

 その数か月後発表された拓郎のアルバム「大いなる人」に、あの曲が作詞・作曲 吉田拓郎で収録されていて驚いた。しかも”小さいホテル”じゃなくて”シーサイドホテル”じゃないか。さすが拓郎カッコイイなぁと16歳の私は感激したのだった。”小さいホテル”じゃ島津ゆたかの世界だもんね。後に、井上さんが”リバーサイドホテル”をヒットさせた時にも、あっちは”川”だが拓郎は”海”だもんね、スケールが違うもんねと悠然と構えていられたものだ。

 しかし売れなかったという遺恨はあるものの、バズのバージョンも素晴らしい。石川鷹彦大先生のアレンジである。はからずもこの曲で石川鷹彦VS鈴木茂のアレンジ対決が観られることになった。ポップなスピード感で疾走するような鈴木茂のイントロに対して、エンジンをふかすようにたたみかけるドラマチックな石川鷹彦のイントロのまさに拮抗する名勝負だ。どっちもすんばらしく甲乙つけ難い、つけなくてもいいんだけどさ。これだけの名勝負は”明日の前に”の瀬尾一三VS松任谷正隆の勝負に匹敵する。どっちのアレンジが好きかという話だけで軽く一晩、酒が飲めそうな気がする。

 またエッセイ集「俺だけダルーセニョ」の中で、篠島の楽屋で、バズの東郷昌和が鈴木茂に「おまえの顔は細くて鼻筋が通っているので、何も考えていないくせに思慮深そうに見えてトクだ。俺とか拓郎の顔はあまり平面的で損だ」と言って、大きなお世話だと拓郎を怒らせるシーンがあった。バズVS鈴木茂の顔面対決も忘れてはならない。

 石川鷹彦のイントロが白眉なバズの”あなたを愛して”は今はどこかで聴けるのかな。で曲ですね、バズに敬意を表してその篠島の「こんなに抱きしめても」。アウトロのコーラスに全集中して聴いてみよう。

2020. 4. 30

 静かでおだやかな文体だけれど、なんか深い怒り、それも悲しみをたたえた怒りの波動を感じるのだが、どうか気のせいでありますように。と書いてもう一度覗いてみたら、あららら、もう便箋もない。無機質な文字が浮かんでいる。


 Not Found

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 これは「Not Found〜求められる僕は見つからない」という新作アルバムの告知か何かだろうか。…つまらん。ともかくおしまいになってしまった。
 吉田拓郎のかなしさは疾走する。涙は追いつかない。

2020. 5. 1

 年甲斐もなく読み耽る漫画「鬼滅の刃」。退治する鬼殺隊の若者たちも退治される鬼たちもそれぞれの歴史が悲し過ぎる。連載はいよいよクライマックスみたいだ。今週号を読みながら中学生が涙しているのを観てこっちも涙する。「家に帰ろう」という言葉が繰り返される。どうしたってあの歌を思う。正確には「に」ではなく「へ」だ。「に」のままだと、まりやねぇさんの唄になってしまう。
 2004年のライブでの突然のシャウト歌唱へのチェンジはそれなりに衝撃だった。ということでこれこそがベストテイクと思っていたが、原曲を聴き直してみる。シャウトはしていないけれどそこがまたいい。うまいなぁ。
  家へ帰ろう
  家へ帰ろう
  この道まっすぐ 家へ帰ろう
  家へ帰ろう
  家へ帰ろう
 ……
 ライブでは文節で区切っているけれど
 原曲では最後になると
  この道まっすぐぅ 家へ帰ろうぉぉぉぉぉおおお家帰ろうぉぉぉ
 と語尾を切らずに繋がって歌っているところがなんとも切なくていいのだ。繊細な歌いまわし。絶品。"家へ帰ろう"、"帰路"、"僕の道"これらを吉田拓郎の帰宅三部作として讃えたい。

 今週回の「鬼滅の刃」を読みながら、こんなふうに今生きてるファンも逝ってしまったファンたちもみんな吉田拓郎を応援しているんだと思う。というか思い込みだが。なぜに去るかはわからないが、「少しは俺たちを頼りにしろよ」というかつての拓郎の言葉を拓郎自身に返したい。
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2020. 5. 2

 「閉鎖のお知らせ」とミもフタもなく大書されたホームページ。今日、同じwowowでライブ73yearsの裏で放映されていた最後に東京駅で凍結されて佇むシンゴジラみたいだ。閉鎖だろうが凍結だろうがそれでも生きてゆく健気なファンの私たちよ。
 すっかり新緑の美しい時期になった。多部未華子とあいみょんが心地よい歌声に導かれて列車に揺られていくビールのCMがいい。「乗せてくれ」とおっさんは叫びたくなる。

2020. 5. 3

 総力戦だったのがいつの間にか持久戦に。大変な状況だけれど、戦争になぞらえるのは好きじゃない。戦争は大義への下々の忠誠と犠牲がやたら美しく正当化される。罪なき隣人を告げ口したり私的粛清することも美しい忠誠になりうることもある。便利な人々には便利なツールとなる。案の定、コロナ禍を通じて権力強化のための憲法改正なんて話も出てくる。そらぁ今ですらロクにできないのが変えたところでどうなるんだ。例えばピアノを弾いたことのないこの私がスタンレーのピアノ買ってくれればオレも松任谷正隆になれるのに…と言うのと変わらわない。何かの権益や体制のためではなく、少数のアブレ者も含め現場を生きるひとりひとりの個人の尊厳を至上の価値におく現行憲法を、いかに生かしてゆくか呻吟しながら、できることをやり、扶けあうしかない。それって戦争ではなくサラソーの樹を携えて道なき道をゆくキャラバンみたいなものではないかと思う。今日は記念日なのでガラにもなかった。

 とにかく収束というか終息したら、「最後」とか「さよなら」とかの修飾語はまるっと無視して、ひたすら拓郎が歌う姿を心の底から観たい。あと朝ドラを観ながらあらためて、志村けんの追悼というか感謝祭もしっかり盛大にやってほしいと勝手ながら思う。

2020. 5. 4

 面倒くさがり屋の僕なのに、え、どうしてなんだろうこんな時に仕事に出なくてはならない。
 陽は高いのに軒並みシャッターが降りて人がおらずガランとした繁華街を歩いていると心の底からに不安になる。これはゾンビ映画を観すぎたせいだと気づいた。このまま閉鎖されたショッピングモールとかに逃げ込んで僅かな生存者とともに逃げまどい追い詰められてゆくのである(爆)。ああ嫌だ。早くまっすぐ家へ帰ろう。

 池袋のゴーストタウンをトボトボ歩きながら、聴いてたのは「この風」。このメロディーはすんばらしいよね。なんて切なくドラマチックなメロディーなのか。吉田拓郎、加齢するとも才は未だ老いずというところである。銀色夏生にいいとこ見せてやろうという意気込みも感じられる。やっぱり吉田さん凄いです。ゾンビに襲われないで逃げ帰ったら、もっとちゃんと誉めるからね。

 昔さ、30年くらい前にこのあたりでたまたま入った古書店か古レコード店に大川装一郎さんの撮った吉田拓郎の生写真が展示されていたことがあったんだよ。78〜9年頃、売り物ではなかったような。あれから探したけれどもう見つからない。今日もやっぱり不見当だ。

 撮影の時に自分も着替える写真家として大川さんの逸話を語ってくれたよな。その大川さんの「ローリング30」のジャケット写真て、レコードとカセットで違うということは随分後になって知った。
 あまりにカッコ良くてジャケ買いした。ただ人によっては社員旅行のスナップ写真みたいだという有力意見もあり、どうよ。あれこれ議論しながらおいしい酒が飲める逸品である。
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2020. 5. 5

 「新しい日常」とは「明るい日常」をパクリおったな。さて、子どもの日だ。こういう私を含めた情けないオトナのせいでこんな日常だ。おかげで夢はいつでも抜け殻なので夕焼けに関係なくいつも寂しいだろう。すまん、子どもたちよ。

 歴史的には40年前の今日シングル「あの娘といい気分」が発売された。今や名作に数えられているが、当時このシングルカットに大いに落胆したものだ。レコードになるどうかもわからないハプニング的な"Fの歌"だからこそ楽しかったのに二階級特進のように正式シングルになるとは。記念すべき80年初シングルはもっとハードなやつが欲しかった。こういう話をするとオレは(ワタシは)当時から大好きだったという方々が結構いて、つくづくリアルタイムでの私の感性のなさを思い落ち込む。しかし森永博志だって当時「なんでこれシングルにしたんですか?」とインタビューして「わかってないな」と拓郎に怒られていた。とにかく”ムチムチムチ夢中”が当時流行していたオフコースや矢沢やユーミンとかのファンたちに対して恥ずかしく、これを才気ある豊かな音楽表現として受け入れるには私はまだまだ若造すぎた。
 おまけに当時はフォーライフで「あの娘といい気分」イメージガールが募集され、また曲の振り付けダンスの解説が確か武道館で配られてびっくらこいた。こういうトンデモキャンペーンがあったことをなかなか信じてもらえず長いこと孤独だったが、後年イメージガールに実際に応募したねーさんと知り合いになり嬉しかった。そのねーさんでも応募した選考結果はどうなったんだかご存じなかった。あの振り付けダンス解説をお持ちの方はおられるだろうか。このダンス、今時だからyou tubeとかで繋げてくれないか。いつまでも星野源にばかりにまかせてはおけまい。そうなったらおれも練習するよ。今なら恥も外聞もなく踊れるかもしれない。

 文句ばかり言ったが、”あの娘といい気分”はアルバム”王様たちのハイキング”のライブバージョンはもう神がかりにすんばらしいね。昨日も電車の中で聴いていておお、やっぱりすげえよと思わず声に出してしまった。いまどきの客がいない電車はもうとても自由な空間である。

 何度でもいうが、こうなってみるとこれまでのあたりまえな日常というものは実に奇跡の連続で出来上がっていたんだなぁ。当たり前にいつも行っていた居酒屋。行きてぇ。マスターどうしておいでだろうか。本もCDも借りっぱなしだ、絶対に再開しておくれよ。悲しみが心の扉を叩くまで人はそれまでの幸せに気づかないんだね。政府にいわれたからではなく、いろいろあっても吉田拓郎のいる日常をあらためてかみしめてゆきたい。

2020. 5. 6

 夜中の地震警報に驚く。このうえに地震など勘弁してくれ。「難しいことは一度にひとつまで(One impossible thing at a time.)」」(スタートレック・ピカードより)ということで切にお願いしたい。

 おかげで眠れない。うつらうつらと“あの娘といい気分”で思い出す。この曲が1980年秋のツアー渋谷公会堂の一曲目だった。開始前のオープニングに当時のお約束”ローリング30”が流された。今までだと”ローリング30”が終了して湧き上がる大歓声・怒号の中、バンドのカウントがあって一曲目が始まるのが通例だった。しかし、この時は、ローリング30のエンディングの途中で、いきなり打ち破るように島村英二のドラムがシンクロして一曲目が始まったのだった。おおと驚く間もなく緞帳があがって拓郎と青山が中央でギターを弾いているステージの全容が姿を現す。ああ、たまらん。ああ、カッチョエエ。シングルカットの不満とかもこの瞬間、吹っ飛ぶのだ。このシンクロこそがライブなのではないかと思った。ああ。ライブが魂の底から観たい。

 ライブといえば、緊急事態制限が解除されてもライブというものが広く解禁されるのは思っていたよりずっと時間がかかりそうだ。来年だろうか。来年はオリンピックもある。しかも解禁するやいなやすべての老若男女のミュージシャンがライブに向けて全集中することだろう。厳しい。これからかかる時間はもはや若者ではない私たちにとっても限られたnumberedな時間である。
 しかも吉田拓郎という人はああ見えてたぶんとても奥ゆかしい人だ。こういう時に、どけ、どけ、どけと我先にという人ではない気がする。歯がゆいけれどそこがまた大いなる魅力なのだ。とはいえますます暗澹たる気持ちになる。

 なので、すべてのミュージシャンに訴えたい。そんときゃ譲ってくれ。勝手ですまん。そちらにも大変な事情は多々ありましょうが、あなたがたがよく口にされる”レジェンド”やレスペクト”というものがこの世にあるのならば、コンサートツアーの始祖であり今の音楽産業の基礎を創設した彼とその彼に半生を捧げたジジババの私たちにちょっとでいいから譲ってはくれまいか…と、ただの何でもない一個人の拓バカの私ではあるが、いやだからこそ伏してお願いしたい。

 ということで眠れぬ夜を数えて日々は過ぎてゆく。

2020. 5. 7

 狭い仕事場で同僚がオンライン授業をやってて全部丸聞こえで落ち着かない。なかなかシステムが安定せずに大変みたいだ。一人だけ授業中にあてるといつも音声が届かない学生がいて、同僚は「コイツは口パクに違いない」と怒りをこめて疑っている。そうなのかもしれないが「手だけ動かして殆ど弾いていない田口」を思い出して心の中で「イイゾ‼」とその学生を密かに応援している。ただでさえ気の毒なすべての園児・児童・生徒・学生さんたちではないか。みんなそうだけれど。

 明日のラジオに続いてお楽しみにという予告付のファンクラブ会報も届くらしい。ともかくホームページ閉鎖で立ち込めた不安の霧が晴れますように。昨日も書いた通りこんなご時世だから「難しいことは一度にひとつまで」にしてほしい。

 それにしてもいい天気だ。悲しいほどお天気とはこういうことなのかユーミン。

   空がこんなに青くって 鳥がこんなに飛んでいれば
   人間欲張らないものさ そのまま行けばいい
   自由と連れ立ってぇえぇぇ この道、この道行けばいい

 かまやつさんのライオンフォークビレッジのテーマが頭に流れる。かまやつさんだ。かまやちではない。

 あれ?"鳥がこんなに飛んでいれば"じゃなくて"森がこんなに生きていれば"だっけか、それともどっちでもないか…
   

2020. 5. 8

 BS12で「ムー一族」を観ている。教えてくださった居酒屋のマスターも観ておいでだろうか。
 私がかねてから待っているシーンがまだない。しかしいろいろな発見もあり楽しい。樹木希林のダンスはすげーキレが良いな。ああベンジャミン伊東の電線音頭は高校の頃よく踊ったものだ。桂木文の「短編小説」って、さだまさしの作詞作曲だったのか。このアゲアゲの気持ちいいテーマ音楽”暗闇のレオ”は、CREATION…あ、ビッグバンドの包国充さんだ。
 それにしても今こうしてみると伴淳三郎の存在感が圧倒的にすんばらしい。語りの間合いから声のトーン、雰囲気。たまらん。亡くなる3年くらい前なのだな。

 そして居酒屋のマスターと話があったのは、清水健太郎の魅力である。当時はさして思わなかったが、カッコイイな。しかも、たたずまいに不幸な悲しみが満ちている。不思議なオーラがある。いいなぁ。
 不思議なのは、出演者に関しては番組でいろんな曲が挿入歌として流れるが、清水健太郎の「さらば」は流れないんだよ。まさにこの放送とドンピシャの発売時期だったし、いつもの逃避行の登場場面にもピッタシの曲だと思うのだが。
 ということで「さらば」を聴き直す。いい。ただれるような哀愁の歌唱がとてもしみる。うまい。阿久悠・吉田拓郎・清水健太郎この素晴らしき拠りあい。

  陽が落ちれば 酒恋し
  酒飲めば また人恋し
  色褪せた春の 亡きがら
  抱きしめて一人眠れば
  紅い花の夢を見る
  あの人は今幸せか
  あの人は今幸せか

 くぅぅぅぅ俺の唄じゃん(爆)。
 ”うるわしのかんばせ”との絡みばかり書いてしまったので、清水健太郎の歌唱の魅力をちゃんと正面から愛でてあらためて書き直そう。それにショーケンが拒否したんじゃなくて、拓郎がショーケンから"だったら歌わなくていい"と取り上げたというのが真相だと拓郎本人も認めたことだし。

 ところで、わかりました。とにかく金を用意しなくてはなりません。どこかに大金だしてくれる坊さんがいないか探してみます。妙法寺あたりどうか。

2020. 5. 9

オールナイトニッポンゴールド 2020年5月8日(第2回)

 吉田拓郎です。毎週金曜日は週替わりで今週は吉田拓郎です。今週も自宅の勉強部屋兼ベッドルームというプライベート空間からお送りします。

<部活の話題、新聞部だけど泣く子も黙る吉田拓郎が学生時代イマイチだった、大いに勇気づけられる、現在はまずルックス、何部でももてるのではないか、男子校なので知らないという投書>
 何を言ってるか。男子校で共学校がワカラナイのかな。家の人が笑っている。高校生でね、ルックスがすべてなんて思っていると長い人生がつまんなくなるよ。誰とも比較するのではなく自分で作り上げてゆくものだよ。経験からルックスというのは違うと思うな。学生生活の中でモテる部活はある。やっばりバスケ、野球、テニス、サッカーとか。関係ないという君は変わってるな。男子校だから微妙な女子のハートをわかっていない(笑)。女子校もどうなんだろう。行ったことないからな、男子校と女子高と共学は感じ方が違うのか。

<ビートルズとサザンが好き。桑田さんが拓郎さんの家でビートルズを持って帰った話を読んだという投書>
 ずっと昔、ワケあって一人暮らしのころ(笑)、森雪之丞に誘われて小さなbarで桑田佳祐が飲んでいるところに合流した。彼と久しぶりで飲んだ。そのまま一人暮らしだから来ないかと自分のマンションに連れてきた。「これ”サージェントペッパーズ”のゴールドディスクじゃないですか」と壁にかけてあったレコードに反応した。特別仕様で日本に数枚かな。東芝から特別贈呈してもらったものだった。酔ってたから「欲しかったらあげるよ」「いただきます」ということで持って帰った。そのあとが桑田君らしさ。「あの夜は酔いにまかせて失礼しました。拓郎さんにぴったりのテレキャスターがあったのでお贈りしました」という手紙を添えて事務所にジョージ・ハリスンと同じウッディなテレキャスターが届いた。嬉しかった。ちょうど”歩道橋の上で”のDVDのレコーディングで映っている。家宝にしている。その後も秘密の交流ということで桑田家と僕の家との交流がある。

<33歳で7か月の赤ちゃんのお母さん、テレワークで生ライブをやって元気をくださいという投書>
 33歳の若いお母さん。今はこういう世の中なので僕は恐怖を感じている。心配なこととか多いでしょう。赤ちゃんにはすくすくと育ってほしいね。そしていつか「あんたが7か月のころは大変だったけれど」そこをくぐり抜けて…という話を笑顔でできたらいいね。

<昨日の雲じゃない、季節の花、決断の時、選曲が嬉しかった、作詞だけ拓郎さんの5月の風はどうでしょうかという投書>
 5月の風。全然覚えていない。僕が作詞だけやったんだ。記憶にないんです。当時のCDシングルをさっき家でかけようとしたら、最近のCDプレイヤーには入らないんだな。こういうのは作る必要なかったということか。でもニッポン放送にはCDプレイヤーがあるから、ちょうど僕が詞を書いたこともどんな曲だったかも忘れていたから聴きたい。

 M-1  5月の風   加藤和彦

 やっぱり覚えていない。いい詞だな。こんなのあったんだな、加藤。最近覚えていないというのがあるな、メモリーが薄れている。

 覚えてない曲が結構ある吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

   ♪テーマ

 あらためまして吉田拓郎です。覚えていない曲が多いですね。まだそういう曲が出てきそうだな、怖い。

<先週の放送が楽しかったです、リラックスした放送とはいえ、おめしものは普段着ですか、黒のスエットバンツ、シャツ、グレーのパーカーにニット帽といった感じではないか、奥様の声も良かった、女性がいると華やぎますねという投書>
 今月もおーい奥様、おーい佳代のコーナーがあるかな、今キッチンで後始末中なので生活音が入っている。  
 ファッションというと、これはその〜田中角栄じゃない、ご想像にお任せします。その方が夢がある。まさかステテコ上半身裸で鉢巻とかでは夢がない。スーツにネクタイではないことは確か。

 今週も自宅というプライベート空間からお送りしている。先週よりも慣れた  リラックス感は先月より増している。いつものイマジンスタジオとは違う。例えば、喉乾いたら飲みにいけるし、トイレも行ける、疲れたら小休止できる。もしスタッフとかがいると僕だって多少の緊張はある。富山にはないと言われそうだが。
で、次の曲は久しぶりに聴いてみたいと思った。

M-2 たどり着いたらいつも雨降り

 (CM)日常を取り戻そうという民放連のCM

<昭和46年秋、広島商科大学学園祭以来のファンで、当時拓郎さんのポスターが電信柱に貼ってあって前売り500当日600円だったという投書>
 学園祭に出たんだね。それが500円だったんだ。考えられますか? 僕も当時は無名だったと思う。初めの頃はたくさんの出演者、高田渡、遠藤賢司、加川良とかとよく一緒にやったし全国を回ったものだ。高田渡とは正反対の生き方だったけれど楽屋では仲が良かった。スリーフィンガーというのが得意で、(実演♪自転車にのって)よく楽屋でセッションしていた。
 遠藤賢司=エンケンは、レコーディングにもつきあってもらった。”たくろうちゃん”でハーモニカを吹いてくれている。渋谷の道玄坂でカレー屋をやっていて、”カレーライス”という歌があったけど…雨が降ってきました、ベランダに。びっくりした、スタジオだと、こんな事はわからないよね。その遠藤賢司のカレー屋にもよく行った。野菜カレーとかを食べたね。
 加川良とはよく飲んだ。彼はエキゾチックでギリシャ系の顔をしていたので、モテた。
 …三人とも天国か。

 チケット代が200〜500円だよ。これだけの歌手が出て400円で見れたなんて、いい時代だったな。ギャラなんてなかったんだろうな、印税も知らない時代だ。歌えりゃいいよということでフォークコンサートを回っていた。

<ウェクターのギターを使っている理由、そして弦はなんですかという投書>
 詳しいね。そういうのは二人で電話で話した方が早いね。ウェクター(Wechter)というギターは、アコースティックだとギブソンとかマーチンを使ていたけれど、結局マイクで音を拾うとなるとエレアコの方がいいと思うようになった。コンパクトなボディとデザインだね。前にも言った抱き心地がビタッとくる。これも抱いたときに決めた。EQはフラットチューニングでやっている。もちろん生音にはかなわないけど、ネックも細いし、このギターを使っている人はいないね。
 弦ね。知らないな。僕の弦は長い間I(磯元)くんが揃えてくれるんで、彼が弦を張ったりチューニングしたりてしくれる。昔はダダリオというアメリカのブランドを使っていた。しかし、今は弦の音色の時代じゃないかもしれない。

 コンサートをどうしようとか今の状況では言いにくいかもしれないけれど。前回、40曲セットリストを出して、また他人に作った曲を一曲いれようかという話をした。

 ♪僕笑っちゃいます
とか。今日それで思いついたのは、かまやつひろしさんに提供した
 ♪水無し川
 これは、ステージでやったことあるな。アメリカのミュージシャンを呼んでツアーの時にやった。これも今のバンドだったらやれそうな。レゲエっぽくしたらどうか。
“明日の前に”これは堺正章に提供したけれどやりたいね。奇しくも二人ともスパイダースだ。

 ♪流氷が消えて 春になっても
  君の気持ちが変わらないなら
  その黒髪を切らないでくれ
  僕はひとめで愛を知るだろう
  今はこらえろ 愛しい君よ
  ああ人生は廻り舞台だ
  吹雪のあとに春の陽ざしが
  花に酔ったら その時泣こう

 こういうのやってみようかな。

 三拍子だと
  ♪いろんな言葉に惑わされました
   枯葉の舞う音も覚えています
   ひとりでいてさえも悲しい街で
   愛を見つけても 言葉がないんです
   ああ人生はひとり芝居
   いつ終わるともなくつづけるだけです

 さて次のツアーのタイトル。最近の拓郎さんはまるくなって、なんでも人の話を聞いたり相談したりしながらやるようになった。昔はこういう人ではなかった。テメーら関係ない、俺が決めるんだ。ちょうど会社の社長をやっている時、あっちのプロダクションさん、こっちの社長さん、時には銀行さんとあちこちのバランスを取り、キリモミしながらやっていた。あの頃はすごく気をつかっていろいろやっていたな…そのころを思い出す。

 今、咳している人がいる(笑)

 コンサートのタイトルというのはどうなんだろう。今までハイクアウトと相談して決めていたけれど、例えば、変わったものだと“夏と君と冷やしたぬき”とかよくわからないものもあった。
 いよいよ、タイトルをみんなで決めてみないというのも面白い。曲の歌詞とかから。歌詞からすると「ええかんげんな奴じゃった」というのはどうか。変なコンサート(笑)
今、頭に浮かんでいるのはa day その日一日ということ。

M-3 a day 吉田拓郎

 (CM)過払い

 みなさんのこの一曲。今日は松任谷由実=ユーミンを選んでみよう。今月はユーミンだけどこれは毎月続けてゆこう。今後は矢沢永吉、サザンオールスターズ、筒美京平、中村八大、それぞれの心に残るこの一曲を特集したい。     

<43年前付き合っていた女の子と福岡、熊本に離れて付き合っていた、21歳の時に手紙に「埠頭を渡る風」の歌詞”もうそれ以上優しくなんてしなくていいのよ”と書いてあって涙が出た、今年還暦だけれどふとこの曲が聴きたくなる、別に今の生活に不満があるわけではないという投書>
 (笑)淡い思い出に生きている。みんなユーミンだと青春の異性の思い出が多い。別に不満があるわけではないと言われるとありそうに聞こえるけれど。

<「陰りゆく部屋」ユーミンなのにまるで中島みゆきのような曲、こういうタイプの名曲もあるという投書>
 この二人はどう生きているんだろうな。中島派、ユーミン派で違うものなのか。僕は、この二人は、たぶん不世出の、この二人はもう多分出てこない歴史的天才的アーティストだと思う。しかもその二人が時期を同じくして存在していたことは凄いことだ。いかんなく才能は発揮して音楽作品を残しているのがまたすばらしい。二人は歴史的天才だと思う。

<「よそゆき顔で」を聴いてセリカしかない、セリカに乗れば出会えると思ったが買ったのが白ではなく黒いセリカだったので歌の世界とは無縁だった、ユーミンの旦那は白いセリカだったのですかという投書>

 松任谷くんがセリカねぇ。乗っていない気がするな。彼のイメージではないかな。僕が描いているマンタとは違う。

 (CM)飼えない数の猫を飼ってはいけない

 11時時報

「お元気ですか、私たちは普通に元気でやってます」

 ユーミンの一曲のつづきです。
<「スラバヤ通りの妹へ」という投書>
 このあたりになるとわかりません。
<「14番の月」最高のひとつまえの月が好きという歌、リーランド・スカラーがベースという投書>
 ひとつまえって拓郎さんの曲もあった(笑)。リーがやっているのか。今でもメールくれるんだな。バハマで一緒に演奏したり、つたない英語で音楽談義もしたな。中島みゆきの曲(永遠の嘘をついてくれ)の演奏が決まらなくてね。LAに移って弾き語りでやってみても違う。帰って逗子のデモテープでこれが一番いいということになった。ラスカンケル。キャロルキングのライブでみるけれど髪型が変わったね。髪がなくなったな(笑)。

<ユーミン派、みゆき派、私はみゆき派だったけどユーミンの「春よ来い」が好き、好きだった人から”今はひとりでいたい””待ってる”ともいわれたあの頃の心を思う、今は10年間パートナ―がいて幸せですという投書>
 男がよく使う言葉。テイラー・スイフト にもあったな、男が「ひとりでいたい」。そういうんだよ。今は幸せというが本当か(笑)

<「春よ来い」結婚直前に 望んで結婚するけど さびしい気持ちを思い出すという投書>
 結婚に寂しさ…あまり結婚したくなかったんじゃないか。
歌や音楽というものは人の心に「ちゃっかり」と入り込んで悪さをする、そう思う。

<「春よ来い」大好きという投書>
 僕も♪春よ〜という和風のメロディは心に残っている。みなさんのリクエストの一番多かった。

M-4  春よ来い    松任谷由実

 (CM)

 僕が選んだユーミンの一曲は1981年のシングル。ちょっと後になって聴いたと思う。僕が当時、公私ともに暴れん坊で、俺の生き方のどこが悪いんだ、酒に、女に、バンドメンバーとハメ外して王様達のハイキングのツアーロードのまっただなかだった。武道館のライブをやった82年の頃だった。そういうことで僕の生活は荒んだ精神状況だった。広島のおふくろが、「あの曲(王様達のハイキング)は好きじゃない、どうなってんの拓郎」という話をされて僕も考えた。もしかしたら間違っているのかな。天狗になっているのかな。道を外して歩いているのではないかと思ったりもした。
 当時は“アジアの片隅で”を歌っていたけれど、あの世界観に違和感を感じ始めていた。もっと個人的なパーソナルな世界でありたいと思った。昨年のライブでも言ったでしょ。吉田拓郎の世界というのは小さい、自分の詞の狭い視野、狭い視界であって世界的には決して大きくないと昨年話したとおり。パーソナルなことをやりたい、しかも70年代を引きずったものはやりたくないという気持ちだった。
 スタジオ録音では岡本とは共作がなくなる。その代わりに松本隆との時代になる。83年マラソン、ここらへんはもう自分で詞を書いている。個的で狭い世界。続いて「情熱」   
 「フォーエバーヤング」の三部作。あの辺の情熱が違う意味で来る。個人的内容に変化していく。
 そんな時にユーミンのこの曲を聴いたyou don’t have to worry worry、「あなたは悲しまなくていい」という歌詞。そして遠い夏にトンボをとった話が出てくる。吉田拓郎としては非常に反応してしまった。あなたは悲しむ必要はない、ひとりでしょいこんで悩んで、どうせ一人なんだというやけっぱちで世間に背を向けていた。あの頃いろいろあったときにラジオから流れてきたアメリカの白人のポップス感があふれているメロディーにトンボまで出てきた。
 女性からそういうふうに言われたことはない。今もないかな(笑)
そう言ってくれる女の人がいると幸せだな。

 ユーミンさすがだな。勝手に「悲しまなくていいんだよ」と拓郎は勝手に勘違いした。
そんな歌ってあったっけ。以来歩きながらyou don’t have to worry worryと口ずさむときがある。
 こんなふうに何人かのアーティストに日本の音楽シーンで僕がいい気分になったこともあった。今だから話せることもある。来月は矢沢永吉のこの一曲。オールナイトニッポンにゲストで来てくれたこともあったし、ライムライトで出くわしたり気まずい出会いだったりしたこともあった。若い人の曲でもこんなのがあるというのならそれでいい。

M-5 守ってあげたい   松任谷由実

 (CM) 過払い金

 今月もおすすめの映画。ご覧になった方もいるかもしれない「グリーンブック」。黒人専用の施設のガイドブック。1962年一般の黒人が差別強かったころの話。白人はナイトクラブに勤める荒くれの男、頭はどうかわかんないけど、強そうな男。片や黒人クラッシックのピアニストで 超高級マンションに住んでるセレブ。
 白人はトニー、黒人のクラッシックのピアニストはドクター・ドンシャーリー。トニーは、金のために運転手の仕事を引き受ける。ツアーに出ようとしているが南部地方の差別の激しい巡業だった。トニーだったらトラブルになったとき役にたつということもあったのかもしれない。
 そして二人でツアーに出る。生まれ育ちのあわない二人。そんなトニーがツアーの前に渡されたのがグリーンブックだった。とにかく道中はトラブルだらけ。トニーは黒人の雇い主に対してヘイコラしない。シャーリーは声を荒げず、おだやかに対応する。2人の生き方が違う。そのうちトニーは彼がピアニストとして一流なんだとわかる。
 シャーリーは、同じ黒人なのにリトルリチャードとかR&Bやツイストのチェビーチェッカーも知らない。ツイストといえば俺もツイスト踊ったけれど。アレサフランクリンも知らない。おい、なんで踊っているのか(笑)
 黒人でありながらブラックミュージックを知らない。小さいころからクラッシックの音楽の英才教育を受けてきた。ピアノもスタンウェイでしか弾かない。
 そのドン・シャーリーは、金持ちの白人に向けて演奏するが、トニーはそんな彼が楽しそうにないことに気づく。いつも一人で寂しそうに酒を飲んでいる。こいつ孤独なんだな。しかし演奏も人間も素晴らしいことに気づく。
 面白かったのは、ケンタッキー州でフライドチキンを食べるが、シャーリーは食べたことないので拒否するが、トニーは食えよと勧める。皿とフォークで食べないのは衛生上問題があると嫌がる。でも食べ始めると気に入った様子だった。このシーンに笑った。

 そうしてツアーが進んでゆくと白人社会の偏見差別があらわになってゆく。後部座席に黒人が座っているだけで、白人はもちろん黒人も違和感を抱く。
 終盤近く、彼に演奏を頼みながら、その同じレストランでは食事はとれない。トイレも別である。トニーが差別的な主催者に腹をたてて演奏会をキャンセルして二人で近くの黒人専用のbarに行く。そこで、トニーは、この人は世界一のピアニストで素晴らしいんだと紹介して黒人たちとのセッションでR&Bでの一体感を得る。ここのところ拓郎さん涙がとまりませんでした。

 いろんな出来事が起きるし絶妙の会話が楽しい。もうひとつトニーの奥さん とても大事な役割ほ果たす。2013年に亡くなるまで終生に友情を培ったという二人の実話らしい。トニーも白人でありながらイタリア系なので自分も無差別を受けていたというところの教官もあったのかもしれない。人間いつだって柔軟に変化させるときが必要なんだ、素敵なことなんだ。頑固一徹もあるだろうけれど、人との出会いに柔軟に変化してゆくことが大切たせという素晴らしい映画だった。

(CM)

 さてね、ファッション。最近の傾向として、70年代はパンタロンやミディのコートとかあったけれど、最近はジーンズとかはスリムな先細感、すそ幅は18センチかな20センチだと広い。
 そういうパンツを軽やかに見せるには靴が大事。スニーカーが定着し、仕事場にもスーツでスニーカーとかもあり、健康にもいい。ごつごつしたブーツは健康にも安全にもよくない。
 靴で気になっているのはマイケルジャクソンのステージが忘れられない。This is it!を何回も観ている。ムーンウォークの黒い靴は、よく見るとあれはローファーだな。60年代流行ったイギリスの定番の靴。青春のローファー履きたい。
あとバイクのことを考える。ホンダのスーパーカブ。50ccだった。クラッチなかったかな。自然の中を風切りながら走りたい。できれば後ろに女の娘をのっけたい。スーパーカブ、カワサキとかスズキとかベスパとか。もうバイクは、ダメだと止められてしまうだろうな。ローファーにバイク。

 次回は6月12日の金曜日。最後はエルトンジョンのユアソング。ここまでは吉田拓郎でした。

M-6 ユアソング  エルトン・ジョン


☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆

☆まずは普通に本人の放送があって安堵した。

☆本人も言うとおり自宅放送にも慣れたリラックス感、あとはホームページを閉鎖した肩の荷解放感だろうか。それにライブも遠くに見据えるしかなく、今日明日ジタバタしても仕方ないというべきか。ということで、実に気負いのない放送だった。こういうのを自然体、等身大というのだろうか。ちょうどかつての”クラブ25”に似たあの静かな空気があった。これはこれですごくいい。

☆気負いのない吉田さんはとてもいい人だ。33歳のお母さんに、赤ちゃんはすくすく育ってほしい、いつか子供にこの日々を笑って話してあげられるようにと語りかけるところはちょっと涙ぐんだ。
 男は顔だという高校生にやさしく「誰とも比較するのではなく人生は自分で作り上げてゆくものだよ。」と諭す。昔「男は顔だ。顔しかない。」と確かRyu'sBarで断言していた気もするが。

☆”水無し川”と”明日の前に”の弾き語りサービス。これがさ、いつものような歌の頭の部分を歌うのではなかった。ちゃんと水無し川は、♪今はこらえろ愛しい君よ、ああ人生は廻り舞台だ〜花に酔ったらその時泣こう〜を含んだ3番を歌ったし、明日の前には、♪いろんな言葉に惑わされましたという2番をあえてチョイスして歌っているところが感慨深かった。

☆高田渡、遠藤賢司、加川良…「三人とも天国か」。そうなんだなぁ。

☆“5月の風”や”証明”は忘れたのは悲しいが「ひとつまえ」は忘れていない拓郎が少しうれしい。

☆今日の圧巻は”守ってあげたい”というよりそれを聴く吉田拓郎でしょう。
 80年代中盤にかけてやさぐれてゆく拓郎の哀しみをこんなに率直に語ってくれたことは殆どない。”アジアの片隅で”がうっとおしくなる拓郎。たかが一ファンだったが、そんな自堕落にしか見えない拓郎に失望し苛立っていたあの日の自分を思う。当時の私は身勝手なファンの一人として明らかに「アジアの片隅で=岡本側」に立って吉田拓郎に勝手な期待と非難のツブテを投げていた。まさに傷つけあう不幸なすれ違いの時代。ああ拓郎も辛かったんだなとあらためて思う。
 このサイトで長年、私がグジグジといつも書いているのは、この時のすれ違いのことだ。ファンの一人として拓郎に申し訳なかったなという懺悔のような気持ちと、いや悪かったのはアンタの方だろうという恨めしい気持ちとが交互に波打つ。あの誰も勝者のいないレースのような日々。もちろん私の超主観ね。アレは何だったんだろうかといつも思ってきた。
 そこに”守ってあげたい”があったということは。なんかすごい転調な気分だ。ああ、そうだったのか。俺も薬師丸ひろ子の歌う「守ってあげたい」が聴きたい。

☆「”悲しまなくっていいんだよ”そんこと言ってくれる人には今も会ったことがない。」
 お口が滑ったんだろうが、かつて
 「俺もう吉田拓郎をやめてもいいかな」
 「私はずっと前からそう思っていた」
 …おられるじゃないですか。もう。忘れられない言葉のひとつだ。

☆おお”グリーンブック”だ。なんか一緒に映画館に観に行ったあとみたいで嬉しい。ケンタッキーは確かに笑った。骨を車窓から二人で捨てるんだけど、調子にのってトニーが飲み物容器を捨てた後が絶妙に面白かった。小さなところにも愛が宿っていていい映画だった。ちょうどwowowで甲斐よしひろもこの映画を解説していて面白いよ。

☆あの最後のセッションのシーンは素敵だった。音楽で結ばれて打ち解け合う黒人たちもいいが、それを幸せ満面で眺めているトニーがまたすげーいいのだ。
「歌や音楽というものは人の心に「ちゃっかり」と入り込んで悪さをする。」なるほど。その反面でこんなふうに政治や道徳でもできないことをサラリとやってのけるのだ。

☆「三部作」…そういえば最近とあるところで「旧三部作」というのを読んだが、いろいろ言っても拓郎としっかり通じているんだなと妙に感心した。
 私の場合は、あの頃のすれ違いおかげで「三部作」については屈折した思いが深く、音楽としてちゃんと聴けていなかった気がする。それが80年代中盤の自分の一番の不幸かもしれない。グリーンブックを観ていて特にそう思った。だから自分にとっては呪いから解放されたような昨年の「今夜も君をこの胸に」「I’m In Love」だったりするのだ。

☆ホームページ閉鎖も含めてもしかしてまた「個的」なものに戻ろうとしているのなら、今度は見逃すまいと思うのだがぁぁぁあぁ。

☆次のツアーのタイトル、もう
     吉田、ライブやめるってよ
 でどうでしょう。>どうでしょう、じゃねーよ

☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆
 中島みゆきと松任谷由実。不世出の歴史的天才。まったく異論なし。しかしその二人の天才女神からともに愛された吉田拓郎さんはホントにすごいなぁ。
 高校生よ、確かにここまでくると、やっぱ部活は関係ないな。

2020. 5. 10

 映画「グリーンブック」の話でも出たばかりのリトル・リチャードが亡くなった。ロクに知りもしないくせにと怒られるかもしれないが、師匠の師匠はまた師匠なのである。ロクに知らなくともリトル・リチャードの魂は、広島の"ちから"の肉うどんのように吉田拓郎の血となり肉となって私たちを包んでくれていたのだ。

 みんな天国か…とのラジオでのつぶやきに聴き直す71年のフォークジャンボリーのCD。高田渡と加川良の共演するステージに観客席から拓郎がヤジるところは何度聴いても笑ってしまう。
 拓)「加川、おまえ今何やってた?」 良)「広島人っ!!!」 渡)「吉田拓郎いつかコロしてやるからな。」活字にするとなんだが、この無邪気な空気がたまらない。

そうそうスリーフィンガーといえば吉田拓郎ニセモノ事件を思い出させていただいたよ。ありがとう。1981年ころ、吉田拓郎のニセモノが、拓郎になりきって拓郎の知り合いに電話をかけまくる、あの元祖オレオレ事件ともいうべきもの。
 高田渡にもニセ拓郎から電話がかかってきたそうな。ニセ拓)「久々に渡のスリーフィンガー聴きたいんだよな」。しょうがねぇなと高田渡は、電話口にギターを持ってきてスリーフィンガーを弾いてあげたとのことだ。
 後日、本物の拓郎が、高田渡にお詫びの電話をして「ありがとうな」と言うと 渡)「おめぇに弾いたんじゃねぇよ」。かっけーな渡さん。

 またついでに思い出したけれども、高田渡もう晩年近くのライブのMCで「昔、はっぴいえんどと一緒の宿で、全然ソリがあわないんだけど、えーと、あのドラムのアイツとは話が結構あってさ、あのドラム、なんていったっけ?」。「松本隆だよ」と総ツッコミが入っておかしかった。ドラマーのままで、大作詞家という情報を一切更新していない高田渡はやっぱりかっこいいんだ。

 いずれも遠くの方々だが、あの人の血肉となり、またあの人の機縁で、端くれの私もつながらせていただいている。だから、やっぱり自分なりに真剣に切なく、またご冥福を祈らせていただきたいと思うのだ。

2020. 5. 11

 昔、深夜放送だったか、ユーミンが「守ってあげたい」と「埠頭を渡る風」は、同じ心情を歌ったもの…と話していたことがあった。曲相が全く違うので無明のオレはピンとこなかった。やわらかく包み込むような曲と哀愁がたたみかけてくるドラマチックな曲とは結びつかなかった。You don’t have to worry =「もうあなたは悲しまなくたっていいのよ」(吉田拓郎訳)と先週のラジオの投稿者の方も”埠頭を渡る風”で引用していらした「もうそれ以上、もうそれ以上やさしくなんてしなくていいのよ いつでも強がるあなた嘘になる」。そうか、ココで二つの唄は符合するのか。室町時代の日明貿易の勘合符のように、あるいは”出て来いシャザーン”の二つの指輪のようにぴったりと符合するのかと腑に落ちた。
 それにしても個人的には、吉田拓郎のYou don’t have to worry =「もうあなたは悲しまなくていいのよ」はかなりの衝撃だった。破片のような出来事が、いわば愛と悲しみの80年代中盤というドラマにうねりながら吸い寄せられていくようかのである。どのように整理したもんだか。あるいは整理しないでおくもんだか。

2020. 5. 12

 昨日の「ムー一族」で待っていたシーンがやっと観られた。第11話・生放送の回だったのだな。伊東四朗が食卓で「拓郎は浅田美代子と仲良くやってるのかな」とつぶやき、宇崎拓郎=郷ひろみが、母、渡辺美佐子から自分の拓郎という命名のいわれを問われて「吉田拓郎だろ」と答える(爆)。「開拓の拓」でしょと怒られる。こころの底からどうでもいい、それだけのシーンだが俺はこのシーンを42年間待っていたんだってばよ。

 「開拓の拓」といえば、LOVE2の木村拓哉の回で、拓郎が「僕らの拓は開拓の拓」というと木村が「そんなふうに言われたのは初めてです」と嬉しそうだった。拓郎から「拓って開拓の拓の以外に何かある?」といわれて木村は一瞬詰まって「たくち」とかと答える。なんだそりゃ。ちょっと待てよ、八郎潟の干拓とかがあるだろと笑ったが、あとで調べると「拓地」という言葉はちゃんとあったのだ。すまなかった。

 それにしても「ムー」は、清水健太郎は健太郎なのに、なぜ郷ひろみは拓郎なのか。ともかくだ。「拓郎さん」が連呼される稀有なドラマとしても「ムー一族」はすんばらしい。いいじゃないか、清水健太郎。深刻な話をしている食卓のシーンで、生放送をいいことに、ひとりスイカを食べまくって隣の岸本加世子に種を飛ばし続けた樹木希林はやっぱり凄い。

2020. 5. 13

 ”自粛警察”というらしいが、店にビラを貼られたり、あちこち毀されたりというニュースや実話を耳にしてやりきれない。「君たちはどう生きるか」の一節を思い出す。

「しかし、この人々は、自分たちの唱えていることが正しいと信じると同時に、自分たちの判断もいちいち正しいと思い込んでしまっていました。そして自分たちの気に喰わない人間は、みんな校風にそむいた人間であり、間違った奴らだと、頭からきめてかかるのでした。
 だが、それよりも、もっと大きな誤りは、この人々が、他人の過ちを責めたり、それを制裁する資格が自分たちにある、と思い上がっていることです。同じ中学生に、そういう資格はないはずです。」

 自粛警察とはいうけれど、有罪判決を下すことから制裁という刑の執行まで一人でやってしまう。本当の警察だって逮捕し取調べた後は、手を出せず独立した司法に任せるしかないというのに。

 と思っていたら、政府は政府で独立している司法に姑息に手綱をつけようとしている。しかもこういう時だけのスピード感、なんだこりゃ。異議を唱えてもそれは世論ですらないらしい。

 お上には厳しく、隣人はいたわりあうというのとは真逆の世の中である。単に天下国家の問題のみならず、両手でこぼれないほどの小さな私たちの自由が侵食されてゆくのである。

 と、ここで終わればいいのだが、すまん、こういう話に絡めてしまうから私は嫌われるのだ。

 違法転売チケットは許せない。それは魂の底から同意するし無効化もやむを得ない。だからといって、昨年のようにコンサート会場の座席に「このあたりは違法チケットです」という張り紙するのは二度とやめてほしい。自粛警察とは事情が違うのはわかっているが、ニュースの張り紙を観て真っ先に連想してしまった。これは主催者にクレームするとか正義を気取って怒っているのではない。涙ぐんで伏してお願いしているのだ。吉田拓郎の音楽とライブは私にとっては、自由の象徴そのものなのだ。そこにあんな不様な張り紙をしたりすることはどんな事情があろうとやめてほしい。

 いつだって吉田拓郎は、自由のために…というのは違うかもしれないが、自由を体現していてほしいと心の底から勝手に願うのだ。

2020. 5. 14

 K君と30年ぶりに篠島に行った時、昔、篠島コンサート当日に名古屋から師崎まで運行すると謳われていた「名鉄拓郎号」の話になった。俺は3日前に島に行ったので最初から乗れないことは確定だったが、それでも「拓郎号」という響きはまぶしく胸に刻まれていた。もう浮かぶでしょ、車体に吉田拓郎とペイントされ、車内には拓郎の音楽が流れ、車掌が「皆様本日は名鉄拓郎号にご乗車いただき」というアナウンス。車内は拓郎ファンの合唱で盛り上がりながら、はるか篠島を目指す。ああ銀河鉄道999かよ。
 しかしK君が当日名鉄名古屋駅に行っても「拓郎号」は影もカタチもない。俺と同じように拓郎号に夢を抱いていたK君だが、K君が俺と違うのは、そこであきらめたりせずに、どっから拓郎号が出るのかと駅員さんたちに徹底追及したところだった。それでも駅員さんは要領を得ず、右往左往して、最後に、もしかしたら今日の臨時列車のことではといわれたが、どう見てもフツーの電車で、拓郎ファンらしき連中も乗っているが、普通のジジ、ババ、子どもという一般客がたくさんいる。しかしその電車の先頭のフロントに、紙にマジックの手書きで「拓郎号」と書いた張り紙がしてあったのが発見された。駅員さん「あ、これです、これです」。これですじゃねぇよっ!とたぶんK君は心の中で叫んだはずだ。もちろんアナウンスも特別なことも何もなく、「ったく何かしら、混んでるわねー」と怒っている見知らぬおばさまの隣で小さくなって篠島に向かったということだった。
 「さすがに寂しかったですよ」とK君は笑っていた。寂しかろうが彼は「拓郎号」に乗ったのだ。その事実はとてつもなく大きい。これが歴史である。こういう小さな経験の破片が、地球の歴史を作っているのである。
 「張り紙」で思い出してしまったが、この話は過去に何度か書いた。しかし生き証人だった彼は天を召されてしまった。そうなるとたまたま聴いて覚えているものが何度だろうとしつこく書くしかないのである。天に舞う男を追いかけて、僕たちも青い空に駆けてゆくのだ。ううーくそー、いい詞だな、松本隆。

2020. 5. 15

 宇多田ヒカルがCMで詩を朗読する。

  月光をして汝の逍遙を照らしめよ、
  霧深き山谷の風をしてほしいままに汝を吹かしめよ。

 素晴らしい。胸わしづかみだ。ワーズワースのMan descends into the Vale of years.”『人は歳月の谷間へと下る』という詩らしい。

 これを聴くと吉田拓郎の世界を感じないかい。いや、俺は勝手に感じるんだよ。すぐにコレだ!!というのが出てこないが、とりあえずすぐ浮かぶのは。

  夕陽よ胸の奥で暮れなずむ痛みを照らせ

 ちっ、松本隆だ。

  風は緑の中で夢を誘うがごとく
  我が家を大地に根ざさん 谷間に愛を育てん

 ホラ、負けてないぞ。いみふ。

 このワーズワースの詩の感動は、訳詩の国木田独歩のチカラによるところが大きい。もっというと日本語それ自体の含蓄と美しさかもしれない。ともかく翻訳や通訳という英語力の技術がいかに高かろうともこうは見事には訳せまい。

 高校の頃だったが、ローレライの訳詞  
  なじかは知らねど 心わびて
  昔の伝説(つたえ)は そぞろ身にしむ
  寥(さび)しく暮れゆく ラインの流(ながれ)
 これを題材に、昔の日本の訳詩者の方々の日本語に対する素晴らしい感性、詩情にこそ感謝しなくてはならないと教わったのを思い出す。詩は詩人をもって訳せよということかもしれない。

 そう思うと、ささやかなことかもしれないが

   You don’t have to worry,worry

 これを拓郎は”もうあなたは悲しまなくていいのよ”とさりげなく訳したが、この訳にも、ものすごい感性というか深い詩情を感じる。
 いや、決してネタではなく、かなり本気で思うております。

 拓郎をして逍遥を照らしめよ
 拓郎の風をしてほしいままに吹かしめよ

2020. 5. 16

 レナウン倒産のニュースに驚く。コロナは人だけではない。つくづく大変な世の中になってしまった。正確には民事再生だから生き続ける選択を目指すということだろう。

 ♪プールサイドに夏がくりゃ、レーナウーン、レナウン〜、レナウン娘がイェーイ、イェーイ、イェイェーイというCMはあたりまえに刷り込まれている。
 この歌がさらにリロードされたのは、1979年のかまやつさんひろしの問題作”ボブ・ディランはいま何を考えているか”という謎すぎる歌にも挿入されていたからだ。このタイトルの凄さと中身の難しさに、当時セイヤングで紹介していた吉田拓郎も驚いて絶句していたのが忘れられない。「…かまやつさん発音いいねぇ」と言うのが精いっぱいの拓郎だった。難しいけれどこの歌には、かまやつさんの魅力が煌めいている気がしてならない。結果として何回も聴いて忘れられなくなってしまったのだ。そのかまやつさんの謎の作品をなんと後日、内田裕也がカバーしたらしい。もうわけがわかんねぇぜベイビー。

 原曲では季節の冒頭が
  ドライブウエイに春が来りゃ〜
  プールサイドに夏が来りゃ〜
  テニスコートに秋が来りゃ〜
  ロープウェイに冬が来りゃ〜

 かまやつさんのカバーでは
  テニスコートに春が来りゃ〜
  ドライブウェイに秋がくりゃ〜

 となっている。

 かまやつさんが刷り込まれているので、春はテニスコートようよう白くなりゆくなのである。そして秋はドライブ。原曲世代の人とはズレているかもしれない。どうでもいいことだが。ともかく小林亜星は天才、かまやつさんは素敵だ。
 俺のようにファッションと無縁のおっさんに協力はできることはないかもしれないが、がんばれレナウン。

2020. 5. 17

 会報が次々と届いているようだがウチにはまだ来ていない。いつものことであと数日のことだろうが、小心者なので心配になる。そんなときにいつも頭の中に浮かぶシーン。

<中目黒TYIS社内にて>
    森野社長「ようしっ!本日会報全員に発送開始!!
            ただしアノ失礼なサイトのアイツにだけは送るなっ!」
             ※実在する個人・企業とは一切関係ありません。

        じっとこうしてじっと、待つことに慣れよう。

2020. 5. 18

 ついさっき、仕事場に家族から電話で会報らしき郵便物が届いたという連絡を受けた時の俺。

 他人からみればただのバカであるが、会報到着までのただれるような心のゆらぎ、そして到着の無上の喜びもすべて会費のうちである。さて会報を手にした星は!? いよいよクライマックス、次号をまて。

2020. 5. 19

 会報、はるかよりきたる。

  星「イイぞ。やればできるじゃないか。一歩ずつだぞ。
           ワシのこともギュっと胸に抱きしめとくれ。」
  森野社長「ぐっ、またオマエかっ。」

  ※実在の個人とは関係ありませんしこんな電話は絶対にマネしないでください。
           <苦笑漫画「今度は一体何回目の会報になるんだろう」(終)>

2020. 5. 20

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 TYISの銀色の封筒。
 部屋を暗くして内側から電灯で照らすと透明になります。

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 Eテレの2355で爆笑問題がコーンフレークの袋でやってました。

 それがどうした>どうもしませんとも。

 今日は1983年武道館で初めて”マラソン”を聴いた日(レコードだったけど)。マラソン記念日と勝手に呼んでいたが、エンディングで”今夜も君をこの胸に”を初めて聴いた記念日でもある。あんときゃ、もっと燃焼系のラストにしろよと文句を言ったけれど、去年のエンディングは本当に星を散りばめたようで圧巻。すんばらしかったよ。
 

2020. 5. 22

 昨日、夕方に一か月以上という超絶久しぶりで日本酒を少し飲んだら酩酊し昏々と朝まで寝てしまった。毎日日記を書き、深夜0時に更新される拓郎ファンのHPを読むという日課が果たせなかった。
 とはいえ日本酒ってやっぱりいいな。ゆっくりと居酒屋で飲んだくれられる日は思いのほか遠いみたいだ。早く来てほしいもんだ。

 自粛の世だが、最近やむにやまれぬ仕事でよく遠距離電車に乗ることが多い。とても空いている電車なのでi-podでゆっくり音楽を聴ける。普段はなかなか聴けないがアルバム一枚をまるっと聴ける。アルバムの”尾頭聴き”と勝手に言っている。

 昨日は”午後の天気”。今さら名盤ていうのはなんだかね。でも、イイわ。昨夜はそれを書けずに寝てしまった。
 まず1曲目の”僕の道”で、野球でいえばスコーンと柵越えでいきなり試合が決まる。2曲目、鈴木茂のギターが神聖に響き心は深く空は高い”昨日の雲じゃない”と3曲目壮大な”慕情”とスケール感のある長打が続く。4曲目のイントロで胸がざわつくような”危険な関係”、5曲目の”この風"は、見事な巧打というほかない。6曲目の心にしみいる”清流”のハーフタイム。7曲目”恋はどこへいった”8曲目”今さらI love you”そして9曲目”That’s it!”と右に左に小気味よくヒットを打ち分ける。最後10曲目の”男子の場合”は凡打だな。すまんな。いい曲だけどね。しかしi-podだとすぐに2週目の”僕の道”が始まりすぐに気持ちが再びアがる。
 特大ホームランがないかわりに、見事な長打、安打を広角にキレイに打ち分ける篠塚のバッティングみたいな名アルバムだと感じ入った。
 これが齢70も見え始めた時の吉田拓郎のしかも最新オリジナル・アルバムなのだから、俺は普通に凄いなと思う。

 野球も音楽も受難の年になっちまったね。もちろんそれだけではなく世界のすべてがそうだけれど。そんななかでひときわ感慨深いアルバムだと思う。

2020. 5. 23

 会報を読みながら「今井、もうちょっと寄ってくれ、もうちょいアップだ」とつい小さな声で叫んでしまった人はおいでだろうか。きっとどこかにいてくれるに違いないと信じる。
 ファンクラブは必要ないというのもひとつの立派な信念であるし、また反対にファンクラブも会報ももっと心豊かに味わうべきというのも正論である。しかし、そういう思慮分別以前に、私の身体は、拡大鏡とルーペと老眼鏡を総動員して、どう考えても読めやしないだろう2019年の候補曲リストと格闘し悶絶してしまっているのである。まったく情けない限りである。しかも殆ど読めねーし。ただタイトルってのは字だけでなくはカタチで絵としても認識しているんだなとあらためて思った。
 微細なミクロの世界に挑むということで気分は北里柴三郎博士と変わらないつもりなのだが、言うまでもなく北里博士はワクチンで人類と世界を救ったが、私の場合は誰も救わず世界に何の役もたたない、ことによっては他人を不快にするだけである。
 ということで、こんな私に言われたくはないだろうが、いまワクチン開発に挑んでおられるすべての方々、心よりご尊崇申し上げます。是非是非お願いします。
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 ああ、あれから一年、歌は世につれ、世は歌につれ、本当に変わってしまったよね。

2020. 5. 24

 さすがに拡大鏡で読めない候補曲リストを解読するのは年齢的にも根気が続かない。よく考えたら前々回のラジオでは、次のライブの候補曲については約40曲をいともあっさりと披歴してくれていたではないか。気前いいな。あらためて次回の候補曲リストを眺めてみる。どれも素敵な曲ばかり、全部歌ってほしい〜と正しいファンなら言わねばならないのだろうがそうはいかない。嬉しい曲もいくつかあるが、押し寄せる敵の陣に囲まれているというのが正直なところだ。ああ幾度も君に伝えたがすれ違うように時はゆく。
 でも「昨日の雲じゃない」は名作だ。思い出したのはこの曲についての昨年のラジオ(第92回 2019.2.3)での拓郎の解説が胸にしみる空の輝き。

「この歌の内容は、時には、かみあわない二人にもなるけど、雲だって昨日とは違う雲だ。常に変化してゆく関係を抱きしめあっていこう、そういうラブソングなんだ。
ラブソングを書けないミュージシャンはミュージシャンじゃないと以前にも言った。いくつになろうとラブソングを書く。時にはすれ違う心を、時には心寄せるよろこびを。基本は人と人とのふれあいを歌いたい。自画自賛だけどこのボーカルとボーカルにからみつくギターが素晴らしい。」

 いつかわかりあえる二人になりましょう。嫌だろうけどさ。

2020. 5. 25

 ウチの近所の商店街もにわかに賑やかになったが、仕事で行った吉祥寺も、町は相変わらずの祭り騒ぎ…といった感じだ。美味しそうな各国料理のテイクアウトが屋台のように並び、まるでつま恋2006のフードコートみたいだぜ。人の流れも波のように凄くて頭の中では吉祥寺が舞台のドラマ"グーグーだって猫である"の主題歌で、渡さん家の漣ちゃんが歌う♪マーチが鳴り響くよ〜が繰り返される。この曲ってどこかボブ・ディランのI want youを思い出させる。なんか気分はウキウキと楽しいのだが、いいのか楽しくて。オレなんかに言われたくはないだろうけどさ。だけどやっぱり心配にもなっちまった。ホントの平和が早く訪れますように。

2020. 5. 26

 前にも書いたけどさ、少しずつ混みあってくる電車。しょうがない。しょうがない。でも"男と女の距離はコブシ二つでいいさ"…本当に最低でもコブシ二つくらいの距離は欲しいな。それが二人の本当の距離なのに。ふと拓友ねーさんの"電車に乗ると僕達はメールがしたくなる"といって車中からくれる気まぐれなメールの数々を思い出す。今頃どうしておいでだろうか。電車は今日も走っているものね。

2020. 5. 27

 だんだん窮屈な日常に戻りつつある電車内で愛読中。吉田篤弘の最新作「流星シネマ」と重松清「流星ワゴン」。もちろんタイトルだけで俺なんかはイチコロだ。”流星”をまんなかに助さん格さん状態である。すまん。タイトルだけでなくどちらの作品も切なる世界に入ってゆく。異別の才能と世界に対して失礼だけどふたつを勝手に結びつけると、…あなたが元気でいるならば僕は正面に膝まづき…みたいな感じだろうか。あとは”オデッセイ”=長き放浪の旅”。そうかそれを朋輩というのか。ああニワトリじゃなくてオッサンの小さな幸福。
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2020. 5. 28

 去年の宇都宮は今思い出しても良かった。"ガンバラナイけどいいでしょう"でほぼ総立ちになって揺れている会場で、拓郎は歌いながら泣いていた。オレも往年の"人間なんて"くらいの熱度でチカラをこめて唱和した。間違いなくあの時、拓郎とは魂が通じ合っていたはずだ。ま、そういうのって長くは続かないし滅多にないんだけどさ(爆)。何もかもが愛おしい。帰りに飛び込んだ居酒屋も接客を伴わないごくフツーの店舗だったんだけれどまるで竜宮城のような素敵な心遣いの店だった。でも、あの店にだけもう一度行ってみてもたぶん違うんだよな。みんな吉田拓郎とのひとつらなりだったからこそ。とにかく私の人生は単純でライブの当日とライブを待つ日の二種類しかない。ああ、また歌っとくれよ。

2020. 5. 29

 「テイクアウトあります」という言葉を町でさんざん目にする。「アウトテイクあります」に見えて、「”本人歌唱の蛍の河”や”わけもなくTOKYO”や”夕陽は逃げ足が速いんだ”とかあるのかよ」と思ったりしませんか? >しねぇよ。ちっ。
 
 最近、尾頭聴きしている「午後の天気」、小説の「流星ワゴン」「流星シネマ」などから”清流”があらためて個人的ブームだ。しかしやっぱりオリジナルのDVDのあのゆったりとしたテンポが好きだな。しみじみと心のひだに入り込んでゆくかのようだ。
 そう考えると”情熱”もレコードの前年のライブで10分近くかけてゆっくりと演奏され、しみじみと歌われた初演のものが好きだ。レコードはセカセカとせわしなく、なんか言い訳がましく聞えてしまう。すまん。”愛の絆を”も「ONLY YOU」よりも、ブッカー・Tのオリジナルのテンポの方が美しい。
 リメイクのトライをいちいち比べる必要もないし、そもそもおめぇは音楽をわかっていないと拓郎には怒られそうだが、そこは君の好きなスピードで僕のテンポで。無明な俺の中ではスローな曲のアップテンポ化の成功率はとても低い。ゼロではないが確率的に、アニメの実写化くらいむつかしいのではないかと思っている。

 実写化といえば最近、読み始め、観はじめている「約束のネバーランド」の実写映画化はどうなんだ。北川景子が好きなだけにTYISだ。トても、ヤな予感がして、イちいち、シんぱいだ。

2020. 5. 30

 最近、40年以上前の拓郎のラジオのカセット録音を聴かせていただいた。高校生の時、インフルエンザになって聴けなかった特番だったのでありがたかった。長生きはするもんだ。

 若い拓郎はずいぶんと早口だ。今の語りも滑舌は良いし自然だけれども、比べるとやはりゆったりとした早さになっている。で、聴き手のこちらも今の早さがしみじみと聞きやすく心地よく感じる。

 先週たまたまテレビで観ていた「男はつらいよ」。寅さんの義弟の博の父親役でセミレギュラーだった名優志村喬。堅物な老学者で無口で孤独な志村喬と渥美清との会話は訥弁と早口でまったくかみ合わない。旅暮らしの寅さんに、君は寂しくないのか?と問いかける。気楽なもんよと呑気な寅さんに志村喬は静かに語りかける。昔、安曇野で夜道に迷ったとき、野中の一軒家の庭の一面にりんどうの花が咲いていて、夕餉の食卓を囲む灯りが見える…ああ、これこそが人間の暮らしなんだと思ったら涙が出てきた、運命に逆らってはいけない、と言葉少ないが、訥々とゆっくり語るのだ。この志村喬の話し方が絶妙なのだ。もちろんそれが魂に響いてくる様子がありありとわかる渥美清の演技も素晴らしい。

 それで拓郎のことを思い出した。昔よりもゆったりと話す拓郎は、その話す内容も昔とは違う。健康であること、家族を大切にすること、おだやかに生きる事、そしてラブソングこそがすべてであること、40年前の自分が聴いたら、天下の吉田拓郎ともあろうものがなんと凡庸でジジ臭いんだと思うようなことばかりだ。しかし今の拓郎の語り口にはこの志村喬に近い魂の説得力がある。もちろん相変わらず時々ムカつくことも言うんだけどさ。こちらも歳をとったのか。運命に逆らうなと志村喬は言った。それと重なって…時に逆らわず君の名を呼ぶ、君のスピードで、僕のテンポで、あらためて心にしみるのだ。

2020. 5. 31

 私にとっての志村喬は、私の生涯ベストの映画のひとつである名画「生きる」、また「ゴジラ」そしてテレビドラマだけど「お荷物小荷物」などなど、物心ついたときからもう既に老名優だった。昨日書いた「男はつらいよ」で、りんどうの花の話を通じて運命に逆らってはいかんと寅さんに諭したのは1971年の作品だ。
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 調べたら志村喬は当時66歳だった。えっ?66歳かよ! 今の吉田拓郎より8歳も若かったのか。愕然とした。昭和20年代から老け役だった志村喬が老けているのか、それとも拓郎が若いのか。どっちか、あるいはどっちもか。
 この寅さんに運命を諭す志村喬が立ち上がって"運命の道よ 愛しき命よ"と歌いながらツイストを踊れるだろうか。考えられまい。思わずいてもたってもいられなくなって73歳の「運命のツイスト」を観直した。声にして凄いって叫んだよ。さしたる感興もなく当たり前のようにスルーしていたが。同志たちよ。俺たちは去年とんでもなく凄いものを観てしまったんじゃないのか。ともかく命短し恋せよ人類。いみふ。
 

2020. 6. 1

「流星ワゴン」に引き続いて重松清「ニワトリは一度だけ飛べる」を読む。例によってタイトルだけでヤられてしまうのである。炎天の砂漠で迷子になったあげく見つけた一軒家に「ビール冷えてます」という貼り紙があったのと同じである。それにしてもAmazonの配達が超絶速い。エイトマンか。そのままの勢いで読み耽る。読みながらケストナーの「飛ぶ教室」のまえがきを思い出した。

「かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ! 世界の歴史には、かしこくない人びとが勇気をもち、かしこい人びとが臆病だった時代がいくらもあった。これは正しいことではなかった。勇気ある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気をもつようになってはじめて、人類も進歩したなと実感されるのだろう。」(池田香代子訳)

 ナチスの戒厳下でこれを書いたケストナーの勇気とかしこさ。今の世にもまさに適合する。「ニワトリは一度だけ飛べる」は、私のようにそんな勇気もかしこさもない、半澤直樹にも佃公平にもなれないそんな君たちはどう生きるか…という物語に読めた。
 1985年に吉田拓郎は“小さな勇気をひとつだけ胸の奥にしまってあるから”、”今こそその手に小さな勇気を持て”と歌った。この小さな勇気の取り出し方こそが難しいと書いてある。

 小説のプロットとなる「オズの魔法使い」はちゃんと読んだことがないが、タイトルを聴くと有名な「虹の彼方に(Over the Rainbow)」が頭に流れてきて私の場合そのまま必ず浅田美代子の♪さわやかな朝にぃぃ〜と「虹の架け橋」がメドレーになってしまうのだ…この曲が個人的に大好きな曲だったのだ、ということで、じゃあまたね。…ってそういう着地じゃない。
 「虹の架け橋」は安井かずみの作詞だ。安井かずみは「あなたはライオンよ」と吉田拓郎のことを評した。そう吉田拓郎はライオンだ。そして志村喬つながりで昨年のライブ73yearsを観ながら、去年の拓郎は勇敢だったとあらためて思った。決して”臆病なライオン”ではなかった。するってぇとさしづめオイラは勇気も知恵もない案山子だな。もちろんさだまさしではない。…なんとか軟着陸、でもこのハナシはたぶんつづく。

2020. 6. 2

 昨年のライブをあらためて観て拓郎が勇気あるライオンだと思った…と昨日はまるで汚れなきファンみたいなことを書いてしまい、傷つき傷つけ汚れた私のくせに恥ずかしい。
 ケストナーのいうとおり勇気があればなんでもいいわけではない。権力分立を壊す勇気とか、議事録を残さない、名簿を廃棄するというとんでもない勇気もある。しかしそれでも拓郎が勇敢だったと誇らしく思うのは、昨年書いたように落陽などの安全パイに頼らず”わたしの足音”に始まる選りすぐりのセットリスト、10年ぶりの遠征、バンドとしての蘇生、活性化とかいろいろとある。それらを通じて「アウトロなのに新しい」「エンディングなのに胎動がある」と思わせてくれたところだ。
 1年経ってみてもあらためてそう思う。いつまでも79年や81年のビッグバンドのライブを眩しく思うように2019年のことを思い続けるに違いない。

 昨日の「ニワトリは一度だけ飛ぶ」は、20年近く前に連載されていた幻の作品を昨年2019年に初めて刊行したとのことだ。あれだよな、レア貴重音源をずっと後にレコーディングしたり公式盤にするみたいなものだ。そうそうまさに「わたしの足音」のように。わたしの足音には、最後に2019年の歌詞が付されていた。「ニワトリ」もまえがきに2019年の小さな仕掛けがあった。
 ついでに思い出したが、小説家庄司薫の四部作の最終作「ぼくの大好きな青髭」は、雑誌に2年間24回と長期連載し500ページにも及んだが、単行本が刊行されたらその半分に削られてプロットもかなり変わってしまっていた。なんか損した感。しかし今年亡くなった坪内祐三さんは長編小説の仰々しさが消えて完成度が高くなった、これを読めて幸福だったと高く評価していた。そうかもしれないと今は思う。そしてここでも文庫化のたびに作者の小さなあとがきと修正が添えられてゆく。
 こうして、なるほど作品には、作者の変わらない思いと今だからこその思いというものがあるのだということを教えていただいた。

 俺のようにイカレた受け手は、アウトテイク、未発表音源、デモテープ。そりゃあ全部聴きたい。切に聴きたいと思うほどにキリがない。欲望という車に乗れば、あいつのハイウェイは夜の中に続く。危ういことにもなる。もうUber Eatsの配達自転車のように突き進んでしまうに違いない。できるだけいろんなバージョンを聴いて品評してそれでいいのか、幸せなのかという気もする。いや別に反省とか自戒ではなく他にも何か答えがありしないか。HoHoHo〜。 すまん無駄に長いのはこの日記だな。

2020. 6. 3

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 不覚。6月1日はエレックレコードから「イメージの詩/マークU」でデビューして50周年だったではないか。すまん。何にすまんかわからないが、すまん。半世紀前のこの日に歴史のすべてが始まったのである。それまでの人類の歴史などこの日のための予告編に過ぎないと断言する。文句あるか。…あるんですか。すみません。
 デビューシングルのジャケットには「潮風にきたえぬかれた漁師のようなバリトン」と記されてる。すげえ。古い船も新しい船も漁船だったのか。どうなんだ。

 そして45年前の6月1日はフォーライフレコード設立という記念日でもある。潮風にきたえられた漁師は、わずか5年後には「私たちに音楽の流れを変えられるでしょうか」と言って音楽の海を二つに割ってそこに道を作ってしまう、もうモーゼのような地位に昇りつめたのである。すごいじゃないか。

 …なお今日6月3日は釈放の日なのだが、そういう余計なことは言わんでよろしい。

 ともかく6月1日は大切な日だった。忘れないように国民の祝日にしてもオレは文句言わないよ。

2020. 6. 4

 昨日は雲仙普賢岳噴火から29年という日だった。言うに事欠いて何が釈放の日だ。毎年正確にその日を思うて来たわけではない。しかし今日は何の日だったろうと考えていたのに浮かびもせず、しかも長崎に血筋を持つ自分は昨年のさだまさしのライブで特急雲仙の話を聴いて、そうだ来年は29年だと思っていたというのに恥ずかしい限りだ。長崎のみならずもう森羅万象に対してすまん。もちろん泉谷はじめスーパーバンドの面々に対しても。
 泉谷しげるとさだまさしの異例のタッグはこの時に生まれたんだよな。今もコロナ禍に立ち上がっているこの二人は心の底から凄いと思う。いつでもどこでも歌しかないから歌うんだよという覚悟と矜持がすんばらしい。とはいえ、だから拓郎も…というのは無礼だし無神経だ。それぞれの在り方というものがある。しかもその日を忘れていた自分ごときが。しかしそれでもせっかくの電網だから、長崎の大叔母の口癖をマネて言ってしまえ。拓郎さん、あんた歌わんと、つまらんよ。

2020. 6. 5

 一日遅れで大事な日に気づくシリーズ。1年前の昨日6月4日はLive73yearsの国際フォーラムだった。月日は早いような、遥か遠い昔のような。あんとき拓郎は怒ってたよな。もう東京ではやらないって激怒していた。ただ当時はイヤモニや音響の問題ということで直ちに収束させていたが、いやいやそうじゃなくて拓郎さんアナタごっつぅ怒ってたでしょう。
 宇都宮までの万感のアウトロ=滂沱の涙という雰囲気がココで一変した気がする。アイツの心にハガネを入れた。何かが決起しライブはクオリティがさらにUPしたのではないかと思う。もちろん個人の感想ね。その余勢もあって、えーい、やっぱり大阪も行くぞ、えーい、ファンうるせぇぞ、アイクライユーで黙ってろとかもろもろのことが噴出してきたのではないかと今にして思えば思う。ということで結果的には良かったのだ。
 歳月を経ての穏やかな吉田拓郎は深く魅力的ではあるが、ここ一番はやはり”怒り”なのではないか。1978年の「ローリング30」のパンフレットにハードでならす森永博志が「星は怒りながら輝いてゆく」という言葉を寄せた。なんて素敵な言葉なのかしら。翼賛、絶賛だけではダメになる、的確に怒らせるアンチのファンもあればこそと思った。ということでこんなヘタレの私に言われたかないだろうが歴史あるアンチのファンの方々に心から敬意を評します。
 交互に甘露の雨と冷たい雨を降らしてくれる実に素晴らしいファンたちを持って恵まれてるじゃないか吉田拓郎。…ってこれがまた怒らせるんだよな。

2020. 6. 6

 25年近くお世話になっていたラーメン屋がコロナの渦中に突然ひっそり閉店していた。消えてしまったね…というより、僕の心が石になる朝、君は探せぬ場所に消えてる(逆だな)というようなショック感が強い。くそー松本隆うまいな。とにかくお店はいろいろと大変だったんだろうな。
 この店は昔、堂本剛くんのドラマにも登場し、俺の25年間の定席と剛くんの愛用席が一緒だったというハナシを、たぶんこのサイトだけでなくあちこちで軽く500回は自慢したね。堂本剛くん俺たちはいい友達になれると思うぞ(爆)。

 スープに手間をかけたラーメンも絶品だったけれど、汁なしのあたたかいジャージャー麺が好きだった。これに豚肉の塊の通称げんこつとコーンを乗せるのが最高に美味しゅうございました。もちろん冷やしたグラスの瓶ビールとサービスのチャーシュー飯も忘れません。心の底からありがとうございました。
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 こんなことがあちこちで起きているし起きつつあると思うと暗澹たる気持ちになる。もち他人事ではない。この2か月仕事先ではそんな事ばかりだった。悲しさは疾走する、涙は追いつかない。この世の闇路を照らしたもう吉田の歌無くしてどうして生きてゆけましょか。

2020. 6. 7

 明け方、身に覚えのないピピピと繰り返されるアラーム音で目覚めた。室内ではなく外からだ。出てみると電線にスズメくらいの小鳥が一羽いて全力でさえずっている。呆然と眺める。繰り返し定型的な旋律でずっと鳴いている。姉の歌う声は小鳥のようで。
 寝起きなのでものすげー寝ぐせ頭で電線の小鳥を観ているオレはきっとベンジャミン伊東みたいだったに違いない。
 小鳥といえば山口百恵のサブスクが解禁されたらしいが”私は小鳥”はない。中学生の頃、百恵派が圧倒的な中、私はようこそここへクッククックの桜田淳子派だった。確か拓郎も桜田淳子が好きだとラジオで言っていた気がする。ともかく桜田淳子を選んだことでその後、ファンとしてはバラとイバラの細道を歩くことになる。いや自分の選んだ人生だ、後悔していない。なんたって可愛かったもんね。それになぜか後に知り合った拓郎ファンには熱い淳子派が多く心強かった。

 拓郎がフォーライフの社長になって音楽の前線から離れた時、「歌を忘れたカナリア」と見出しをつけた週刊誌があったな。まぁいろいろありました。青い小鳥はどこにいる、僕らの声は自由な小鳥、優しく抱いたらくちばしでツツいた…とにかくブルー、ありったけブルー…だけど、だけどオイラは幸せさ。

2020. 6. 8

 早く平和な世の中に戻ってほしいと何度も書いたし本当にそう思っているが、いざ世の中が戻り始めると、人生に欠席しても誰も咎めない日々から欠席したら当たり前に咎められる日々へのシフトに身も心もしんどくなっている。昔のようにはやりたくない…というかできない。だって僕は怠け者の渡り鳥だから。昔と同じ日常はなく、いつだって日常とは新しい別物だ。新しい日常ですよって別にあなたがたに教えてもらうまでもない。
 そうなると例えば♪昨日とは違う始まりの一歩〜と歌ってくれる"朝陽がサン"が妙に心にしみたり、また元気づけられたりもする。あ、でもだからって、わざわざステージで歌わなくて結構ですよ。あくまでテイクアウトで自宅で味わいます。ステージで歌ってほしい作品はまた別にたくさんありますので。

2020. 6. 9

 ハワイか。いいっすね。なつかしい。というほどハワイ通ではないけどさ。おあつらえむきのラグーンのイルカってさ、一人でポツンと眺めているとスーッと寄ってきて満面の笑顔で挨拶してゆくんだよ。本当に。餌が欲しいとかそういうのでなく「どうした?元気かい?」って感じで。イルカって凄いよね。
 やっぱりさハイクアウトを通じての如是我聞やトンネル(爆)みたいなカタチではなく、ダイレクトに吉田拓郎自身のリアルな言葉や絵がおいてある場所が絶対に必要だと思うな。

2020. 6. 10

 昨日ハワイのラグーンのイルカことを書いたが、イルカといえばクジラだ。いや、その昔ハワイツアーでホエールウオッチングを自分で企画しファンを集めときながら、港で船が揺れているのを見たら一人でとっとと帰ってしまったという伝説のシンガーの話ではない。すまん。
 そう。ユイ音楽工房の盟友であり今でもよくラジオで「流星」をかけてくださるイルカ(シュリークス)の「クジラのスーさん空をゆく」。いわずと知れた拓郎の古典的提供曲だ。しかし同じ時期に大瀧詠一「空飛ぶくじら」という曲もあるのだ。
 ああ、吉田拓郎と大瀧詠一。空の上でクジラになってまでも戦わずにはいられない宿命の二人なのか。

 ♪あてない旅さいつまで続くクジラのスーさん
               今日もよごれた町へ飛んでゆく
                          (クジラのスーさん空をゆく)
  ↑特にココの詞もそしてリズミカルなメロディーも秀逸で大好きだ。

 ♪空飛ぶクジラがぼくを見ながら灰色の街を横切って行くんです
                           (空飛ぶくじら)
  うーん大人だな。「横切っていくんです」って、ちっ。松本隆か。

 この勝負とりあえずサスペンド。本日の優勝は、ちゃんちゃこ(誰だよ)の…ある朝ある町でクジラが空を飛んでた…で始まる「空飛ぶ鯨」。

 ♪いつか時の流れに押し流されて
    海に沈んだ かわいそうなクジラ(クジラ〜)
                       (空飛ぶ鯨)

 優勝理由は切なくて身につまされるから。他人事じゃない。それにしても、なぜ70年代初頭にこんなにクジラが空を飛んでいるのだろうか。それは小学校の給食の「クジラのノルウェー煮」が人気メニューだったことと関係があるのでは>そんなの関係ナイアガラ。いいや、もう。

2020. 6. 11

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 町は急ぎ過ぎるくらい急速に戻りつつあるようだが、いつもごったがえしている空港には人がいない、あのけたたましいアナウンスもない、そして常富喜雄の”飛行場”も流れていない>流れてたことあるのかよ。怖いな。これが世界の状態なのか。そんな中だけど到着先での隔離や人種差別すら待っているかもしれないのに、それでも異国にゆく若きプロアーティストの背中を見送る。勇敢だと思った。しかし、怖がるべきものを徹底的に怖がり、ひたすら自粛にとどまることも勇敢なことなんだと、とある拓郎ファンの方から教えていただいた。
 行くんも、留まるんも、それぞれの道なんよ。道行く人よ、あなたのゆく先々に幸あれ。僕も適当にやっているから。

2020. 6. 12

 10年くらい前に矢沢永吉の武道館終了直後の東西線九段下駅に居合わせたことがあった。公演のことは知らなかったが、上下線ホームに溢れていた方々が皆ある種の髪型とタオルを掛けておられていたのでわかった。拓郎ファンも熱いが、やはり矢沢永吉ファンはもうギアの入れ方が違っている、すげえと思った。ということで今日は、月刊というか月例というか月極めのラジオである。

2020. 6. 13

オールナイトニッポンゴールド  第3回 2020.612

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 みなさんこんばんは吉田拓郎です。本日の東京の天気は昼2時で晴れ。暑い。

 今日も自宅、我が家の勉強部屋兼寝室でお送りしているので環境音が入るかもしれない。この部屋は防音していないので。

<自粛中にマガジンが届く、拓郎さんのファンでよかった、拓郎さんのエッセイにうなづき、冨山さんのインタビュー、ボーカルチームのズームでの同時対談と楽しんだ、これからも楽しみです 楽しいものをありがとうございましたという投書>

<TYIS会報を読んだら自分の人生が走馬灯のように浮かんだ。いろんな曲やライブの感銘がよみがえってきたという投書>
 TYISって何の意味?何ていうのか、ティーズ…じゃなくて 名前変えようかな。会報は生まれ変わったような充実感。これまで僕はTYISにはタッチしないことにしていた。
 僕がこれまで書いていた竹田企画をクローズし、そこへの情熱をすべて会報に傾けるからと決めた。ということでスタッフと合同ミーティングもして、作り替えよう、すべての企画にタッチする、エッセイもどんどん書くことにした。
 僕が日常で愛用の腕時計、ユニセックスな感じで、クラッシックなデザインだけど実は安い。時計は自動巻きとか高級時計に興味はなく、日本製のクォーツが好き。これを時々買い換えて楽しむ。安いものを買い替えることにしている。
 今のこれはデザインがいいんだな、アンティークな感じもしてそれでいて安い。ここにメッセージを刻印してオリジナルな時計を創れないかと思っているが、これが実現しそうだ。

 それから僕が絵を描いた。僕がこれまで絵を描いたのは唯一アルバム「ぷらいべえと」の表紙だけ。盗作だけど(笑)。自分の描いた絵をシャツの袖にプリントして半袖の長めの袖…アメリカンのTシャツにしたいと思う。Tシャツはアメリカンのものが好きなんだ。

 日本には来ていないけれどヴィラフォンというサーファーブランドのキャップはどうかなと思っている。とにかくグッズはこれからも充実する。今、次のエッセイも書いているところだ。

<昔、エンケンのカレー店ワルツのカレーを食べたことを思い出した、四人囃子の岡井さんとエンケンのライブがあって”東京ワッショイ”とかを聴いて、ピラミッドカレーを食べた四十年前の懐かしい思い出という投書>

 エンケンとはその後付き合いがなくなっていた。あのカレーは美味しかったのかな?あまり美味しくないと彼に言って「そうか?」と言われた記憶がある。

 小斉(こさい)とかもそう。加川良のことを”小斉=こさい”と呼んでいた。本名だったのかな。短い時間だった。一緒の土俵がすぐに無くなった。息苦しかったし、関西フォークからは吉田拓郎は帰れと言われたし。ああいうのはダメだったな、フォークとかも。小斉とかエンケンとか高田渡とかがダメだったのではない。
 その後のフォーライフがなかったら、陽水、泉谷、小室とは70年代で終わっていたかもしれない。すべて70年代の中間が分岐点だった。そこから僕は回り道をし始めた気がする。
 無責任だったかな。こちとら会社をきりもみするなんて。ミュージシャンとは無関係な年月だった。ザ芸能界の体験とかいろいろ意味はあったのかもしれないが。広島から東京に音楽なんだ!と飛び込んできた時のシンプルな情熱から横道にずれているなと思う。
すぐに泉谷がやめる。彼は拓郎が社長ならやめると言った。吉田拓郎と同じ線路で歩いていたけれど、それは会社の立て直しのためとはいえ、社長になってしまうことに不満があったんだろうな。彼とはいろいろ話をしたけれど、あいつも後で「俺にとどまれといったのは拓郎だけだった」と語っていたけれど。同じエレック出身の泉谷は、井上氏や小室氏とは一緒に歩くのが好きじゃなかったのかもしれない。おまけに僕か社長になったら面白くないだろう。逆だったら俺もそう思うな。
 僕も社員が50人、呼んでおいてみんな家族もいるし見切れない。結局、井上氏、小室氏とは実はどうだったんだろう。今は正直つきあいはない。小室氏とも20年以上つきあいないはない。井上氏ともなくなったな。たまにメールは来ていたけれどそれもなくなった。別にいいやと笑って言える。ウマがあわないんだ。遠い思い出だ。

 今はツアーやレコーディングのミュージシャンたちと仲がいいかな。そうそう年に一回、小田和正とケーキとか甘いものでお茶をする。そういうお年寄り。人生は流れ流れて、いつまでもしょうがない。

<夫婦で食事はコロナの影響で休みの人が担当し、家にある材料だけでつくるというルールだけど、平日は自分が家にいるので苦痛だ、クックパッドでいろいろ調べて勉強しているという投書>
 君はえらいよ。素晴らしい旦那だ(拍手)

 僕は料理が全然できない。何もできない現実とこんなに向き合ったことはない。家の人が毎日三食作ってくれるので、そういう人に対して男としてどうするかを考える。今回は考え直すいい教訓だった。

 おまえは一体なんなんだというテーマを突き付けられた。奥様に敬意と感謝を。煮詰まっているのは自分だけじゃない、自分に何ができるかを考える。吉田拓郎だったら分別ゴミ、洗濯乾燥機の掃除をする、風呂掃除とかやってみな、大変だよ。たとえば髪の毛が抜けてたり、そういう掃除しなきゃいかんよ。
 そういいながら週に一、二度奥さんが買い出しに行く。スーパーは密なので一回の買い物量が多くなる。買い物に行くときの彼女の緊張感。その形相が、古いけど巌流島の決闘に向かう武蔵と小次郎。古いな。そういう悲壮感が溢れている。
 出かけると、どうか無事に帰ってくるよう思いながら、少しホッとしてしばし休息していると、そのうち帰ってくる。明るく「お帰り、大丈夫だった」(ハイトーン)と迎える。可能な限りの作り笑顔で。

 奥さんは玄関ですぐ着ていった洋服を脱ぎはじめる。そのまま玄関に置いてあった45リットルのゴミ袋にしまい込む。目の前であられもない姿になる。そのまま手洗いとうがいを始める。僕は、ソーシャルディスタンスを取りながら「どうだった?買い物は全部できた?」今できることはこれ。これしかできない。このコロナの体験は人間として女と男のありかたを学ぶ機会だ。これを機会に学ばないヤツはダメだ。


<女子高の私も男子はわかりませんが、顔でなくモテるのは面白さという投書>
 面白さか。そういう時代なのかな。俺なんかは古いのかな。テレビでも面白いのが重宝がられる。世の中軽い方向に向いているなと思う。そこが古いな。
確かに面白くないヤツというのはいる。しかし、音楽をやっている人、ミュージシャンには、結構みんな面白くないヤツはいない。感性が豊かだからかな。
 一番面白いのは武部聡志。家族旅行の時に軽井沢の駅で帰りましょうかということで東京行きの改札口に、奥様が切符を自動改札に入れたけどゲートが開かない、息子さんが入れても開かない。武部君はとてもせっかちな男だ。寿司屋で僕が最初ビールとか頼んでお刺身を食べているうちに、握りをどんどん頼んで全部食べ終わって、僕が何か頼もうかという時にはもうアガリを飲んでいる。落ち着かない。その武部君が、しょうがないな、どれって、自分のチケット入れたらやっぱり開かない、そしたら、強引に足でぐーんと押しながら力づくで改札を通過して「ホラ通れるじゃないか」。ははははははは。奥様はチケット観たら一日違いのチケットで武部君が間違えていたらしい。こういう面白いヤツがいるからミュージシャンは面白いんだよ。


<松任谷さんは知りませんが小田和正は白いセリカに乗っていたという投書>
 ♪霧の釧路の〜いい歌だな。セリカに乗って小田は、サヨナラ―、君を抱いていいの〜って歌ってたのかな。ビリーバンバンの弟が、六本木の交差点で止まると窓を開けて、♪君は覚えているかしら〜と自分の歌を歌うのが有名だった。
 僕は、ホンタシビックが好きだった。先週バイクでホンダのスーパーカブの話をしたな。車は道具としてドラマがあっていい。最近の若者はノーカーらしい。僕たちのころはまず車を買って助手席に彼女をのっけてという感じだった。彼女を乗っけて、モーテルに行って、そういう歌があったな。後で歌おう。

■今回は自由に始まって相当長くしゃべってしまった吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド。

 イギリスのロイヤルバレエ団のプリンシパルに日本人の男女が選ばれた。男性が平野亮一くん、女性が高田茜さん。ロイヤルで日本人プリンシパルというと熊川哲也と吉田都しかいなかった。それ以来。
 僕はバレエという芸術にはそんなに関心がなかったけれど、佳代さんが中学時代までか、バレエをやっていので、時々世界のバレエのエピソードを聴いていた。また彼女がバレエのDVDを観ているのを横から眺める程度だったけれど、平野亮一、高田茜の「ロミオとジュリエット」を観て、これはすばらしいなと思った。ずごいものをみせられると絵でも映画でもそうだけど、感動と感激と体験したことのない胸の高鳴りを覚えた。彼らのドキュメントもあって大ファンになった。平野くんは関西弁がチャーミン、高田さんは天才的で天使のごとく美しい。完全にノックアウト。吉田拓郎好きな人で、バレエを好きな人はいないと思うけれど、芸術は大きな眼をもたなくちゃいけない。幅を広げなきゃいけない。いつもいうように音楽というものは実に幅広いものなんだ。
 あれほどディランに刺激を受けた僕も、後に、ロッドスチュアート、イーグルス、ホイットニーヒューストーンだの、マイケル・ジャクソン、テイラー・スイフトなんてパクッてやろうかと思ってたり、実にいろいろとちゃらんぽらんだけれど、これだから音楽はやめられない。芸術は僕たち人間の心を豊かなものにしてくれる。


M−1  ああ青春   トランザム


 矢沢永吉。

 来月はサザンオールスターズ。中島みゆき、小田和正、森高千里とかも考えている。あとさだまさし。僕はバイオリンを弾きながら歌うスタイルが苦手なだけだが、彼の才能とかは認める。あとは松田聖子、これほど名曲にめぐまれたアイドルは歌謡史上いない。あとは筒美京平。日本人の心に残る。僕も”よろしく哀愁”♪もっと素直に僕のぉ〜はアルバムでカバーしている。いいメロディーだ。

 あと特別に演歌というヤツを考えてみたい。どうして日本人は演歌を愛しているんだろうというテーマがあった。もともと日本新しい音楽としてポピュラーを定着させたいということでやってきたが、歳とってくると曲によっていい曲がある。嫌な曲はダメだけど。うーっという曲もある。


 さて矢沢永吉です。

<”Any time Woman”フラれた時に聴いていた、作詞も永ちゃん、六本木に永ちゃんファンのマスターのbarでリクエストしたら難しすぎる他の曲でよしくと言われたという投書>
<トラックドライバーですが、運転しながら”ヘブンリー・クルーズ”海を連想する曲という投書>
 永ちゃんのリクエスト。思い出のメインは車の中、彼女の思い出、海とかが多いんだな。

<飲んではいけない年頃にコークハイで酔いつぶれた思い出”ウイスキーコーク”は我が身反省の曲という投書>
 そういうイケない思い出あるでしょう。僕もトレイでたばこ吸ったりしたことがあった。

<”ファンキー・モンキー・ベイビー”青春の「銀座NOW」で永ちゃんの唾を浴びながら最前列で観たという投書>

<”ファンキー・モンキー・ベイビー”若い頃、仕事仲間でバンド「カロル」を組んでカバーしていたという投書>
<”都会の風”若いころ最先端の仕事をしていたが東京で受け容れられず泣いていた  ころを思い出す、今、転職したが当時の仕事は今はメインの仕事となり誇りを持っている、拓郎さんの矢沢さんの交流はあったのですか?という投書>
<アルバム「ゴールドラッシュ」の”鎖を引きちぎれ”という強烈な詞と曲の思い出、昔ラジオで「永吉」「拓郎」と呼び合っていたのが懐かしいという投書>
<また拓郎、永吉と呼び合うフランクな放送が聴きたい、”イッツ・ジャスト・ロックンロール”という投書>

 若い頃から知り合いというか気になる存在だった。番組では2回会っているのかな。原宿にも永ちゃんのファンの経営するbarがあった。もうお客もリーゼントだった。そこの マスターがライムライトにも時々来ていたし、永ちゃんも遊びに来ていた。若かったし「あ」「お」(という挨拶)で干渉しあわない。ソーシャルディスタンスを保っていた。

■11時
 
♦お元気ですか。私は普通に元気です。でも買い物に行くときは二人で大騒ぎになります♦

 今月は矢沢永吉。

 1994年ころ泉谷の長崎の雲仙普賢岳のチャリティコンサートをやった。小田和正、さだまさし、忌野清志郎…とにかく凄いメンバーだった。この企画の時に永ちゃんにも声をかけた。すると永ちゃんから「遠くから成功を祈っている」と返答がきた。小田と永ちゃんらしいよねと納得した。

<8トラックはいらないと知り合いがくれた中に、キャロルが入っていて聴いた、怖そうなイメージだったけど繊細な詩と美しいメロディに感激した、”涙のテディ―ボーイ”という投書>
 矢沢のファンはもうなりきってカラオケで歌うよね。

<代々木のライブに行ったことがあったが、まだ規制がゆるいころだった、ローリングストーンズのグラストンベリーフェスのように会場を旗が埋め尽くして“トラベリングバス”でジャンプして着地が座席の上だったという投書>
 胴上げしたみたいになったのか。すげーコンサートだな。

<初めての彼氏がファン、あの頃の甘い恋心”二人だけ”という投書 >
前にも言ったけれど、音楽にはふとしたところにチャッカリ入り込んで悪さをする魔力。
矢沢永吉のバラードは超一流だ。

<「グレイト・オブ・ウォール」というベストアルバムをはじめて買って、その後、拓郎さんの「ONLY YOU」そのころ永ちゃんとラジオに出ていたのを思い出す、”バイバイサンキューガール”という投書>

<”レイニー・ウェイ”嫁さんと初めてデートした、車で“黒く塗りつぶせ”から始まるテープを聴かせたという投書>
<”夏の終わり”逗子河岸に彼女とデートに行ったが、財布がないことに気づいて、お金がなかったので彼女に電車賃も借りて恋が終わったという投書>
<”もうひとりの俺”永ちゃんにしてはおとなしい曲という投書>
<”時間よ止まれ”永ちゃんのバラードが大好きという投書>
<”時間よ止まれ”中1の時もバリバリリーゼントでマイクスタンドをけりあげ 野球部では「ヨロシク」が流行っていた”汗をかいたグラスの冷えたジンよりヒカル肌の香りが俺を酔わせると”いう歌詞にしびれたという投書>
 中学一年でわかるのか(笑)。

<大学の頃スナックで"時間よ止まれ"を何度も聴いていた。本物を聴きたいという投書>
<"時間よとまれ"、時間が止まってほしいなと思ったことがある、広島時代から永ちゃんを知っていたのですかという投書>

 広島はたくさんミュージシャンがいる。でも広島時代は知らない。アマチュアの時見かけたのは西城秀樹。兄貴とロックバンドをやっていて僕らのライブも観に来ていた。そうかあんときのあいつが秀樹かと思った。

<止まらないhahaという投書>
<中2の時初めてのコンサートだったが親に大反対されて押し切って行った、会場に近づくとだんだん怖いにいさんたちが増えていって緊張した、宇都宮文化会館の1階中央、みんなリーゼントとパンチパーマでタオルをかけていた。隣の人が「君はタオル持ってないのか、前回のツアーので良ければ」とタオルを貸してくれた、当時はレコードばかりで映像は見たことなかったのでタオルの意味も知らなかった、という投書>

 ”止まらないhaha”でタオルを振るんだ。永ちゃんはこの歌でバイクに乗って走ったりしたこともあったらしい。これはいきなり君はびっくりするよな。
<終演後、タオルを返すと、おにいさんは、あそこの売店で買って帰れよといわれたという投書>
 はははは。
<緊張深いコンサートでしたが反対した親もその後矢沢ファンになりましたという投書のつづき>

M-2 止まらないhaha 矢沢永吉

 ハワイはワイキキのように近代化された島ではなく、喧噪を離れた、マウイ島、ハワイ島、ラナイ島とかがいい。特に、マウイ島が大好き。カアナパリとキヘイ。ゴルファーには嬉しい。観光地でワイキキ的だ。吉田家はワイレア。観光客が少ないのでホテルは高めだが、ケアラニホテルは白くて全室がスイート。朝食後はプールサイドのカバナを借りて、昼はそこでランチして、時には、隣のフォーシーズンズやグランドワイレアでランチ。ビールはやっぱりバドワイザーだな。
 こういう時にふっと思うのはマウイ特有の時間が止まっているという瞬間がある。まさに時間よ止まれ、それが聴こえてくる感じだ。

 毎回一度はワイレアから40分位車で出かける。奥さんはだいたい寝てます。景色をみないんだ。サーファーのブランドとかサングラスとかショッピングできるラハイナ という町がある。ここがハワイの首都だったらしい。もともとは捕鯨の町だった。今でも静かな落ち着いた町、これが楽しいんだ。矢沢永吉のPm9というアルバムに「ラハイナ」という歌がある。永ちゃんは行ったのかな、あまり詞と関係しない気もする。
ということで「時間をとまれ」ではなく、こちらの「ラハイナ」。いいバラードなんだ。

M−3 ラハイナ 矢沢永吉 

 世界の音楽の殿堂「カーネギーホール」で伝説というコンサートがあった。今月、淀川長治さんのように…知ってるよね?淀川さん「サヨナラ、サヨナラ」って、小田はあそこから(笑)

 「マダムフローレンス 夢見る二人」という映画。ニューヨーク社交界のトップに君臨するマダムフローレンス。彼女は自分の歌に致命的欠陥があることに気づいていない。だけけど歌いたい。夢を見つづけるために夫=シンクレアが応援する後援者だけを集めた小さなホールでリサイタルをさせて献身的に支え続ける。マスコミを買収したりして好意的な評判記事を書かせたりもする。
 ある日「私カーネギーホールで歌いたい」と言い出す。彼女には持病があり、それは悲しい歴史がある。
 夫は応援しようと愛する妻がレッスンするために一人のピアニストが雇われる。それが抜群の演技。もうナイスという感じ、コズメという役でサイモン・ヘルバーグ。その素晴らしい演技。ダメ男で自信なさそう、でもお金の誘惑にも負けてしまう。この音痴のレッスンをサポートする。このレッスンのシーンが最高に笑える。
 フローレンスが第一声を発した時のコズメの表情。メリル・ストリープの名演技なんだけど。彼女の歌声を聴いたときの彼の表情がこの世のものとは思えない、ここはどこだという顔をする。みんな見てほしいな。
 しかし彼も徐々にフローレンスの人柄にほだされてゆく、最後に心からピアノを弾くようになる。夫婦とピアニストの物語。楽しんでほしいな。
 マンマミーアでメリル・ストリープは歌がうまいんだけど、ヘタを見事に演じている。1944年の実際のコンサートはチケット完売だった。最後に本物の歌声が流れる。この本物の声を聴くと本当にメリル・ストリープがうまいと思う。翌日の新聞は旦那が買収するけれど、唯一、買収できずに厳しいコメントを書く新聞があって、それを夫とピアニストで買い集めて処分するシーンもある。さてフローレンスは記事を読むかどうか。

 この夫のシンクレアを演ずるのがラブコメ王のヒュー・グラント。タレ目で好きなんだけど見事な演技。この人が映画で愛妻家だけど若い女性と不倫をしている。そんなことしているが 不快な感じがしない。それがなぜかも映画を観ればわかる。観る価値のある映画。

 次の曲はボニー・タイラー。ハスキーなボイスがたまりません。それは心が痛いんだ。

M−4 It's a Heartache  ボニー・タイラー

  見慣れた町を出て 車を飛ばそう
  この店はもう 閉店間近
  かわす言葉も無く 体も冷えきって
  雨がやむ前に どこかへ辿り着こう

  おまえはゆっくり 眠っていればいい
  着いたら激しく 抱いてあげるから

  モ−テルはもうすぐさ エンジンが燃えるぜ
  俺と同じ様な 熱い炎になって
  おまえは素敵だよ ほってはおけないさ
  誰かが手を出すに 決まっているんだから

  モ−テルの灯りが 見えてきやがった
  おまえの寝顔を ネオンがよぎる

 青山ぁぁぁ

 もともと眼鏡は必要としなかった。50歳仕事で常宿にていたホテルでチェックアウトの時、サインしようとしたら見にくいなと思ったのが始まり。老眼だった。度の入った眼鏡を気分で使いわけている。アメリカのブランド、半年に一本くらい買う。眼鏡は表現と落ち着き。


 次回は7月17日。サザンオールスターズのリクエスト。


 お相手はここまで吉田拓郎でした。

 M-5 好きにならずにいられない  エルビス・プレスリー

■エンディング


☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆最後のお別れの曲。しみじみと心にしみるような〜For I can’t help falling in love with youの最後にエコーのかかった拓郎の声で「吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド」が被って締める。くぅぅぅニクいね。

☆月極めの自宅兼勉強部屋放送も佳代さんのいる環境音もすべてがしっくりとなじんできた。

☆それにしても吉田家の自粛と衛生管理の徹底ぶりは凄いな。自分のルーズさを省みずにいられない。なんとなくではフラフラ動いたりしない、スタジオで綿密に音を作る、そんな姿と重なる。

☆武部聡志の改札事件は凄いが、面白い話でいいのかという気もする。横山やすしのタクシー大暴れ伝説に近いのではないか(爆)

☆泉谷は「泉谷」だったけれど、「井上氏」「小室氏」。もう違う線路で違う明日の汽車を待つ人のようになっている。特に小室さんとこういう日がくるとは思いもしなかった。 フォーライフの話は革命編は胸が高鳴るけれど最後はどうしても愛と哀しみの喪失編になだれこんでしまう。70年代中盤からの回り道。そうなんだろうな、大変だったんだろうなという気持ちとそんなこと言ってくれるなよと言う気持ちが交錯する。俺には何にも言う資格はないが、それでもなんとも言えねぇ。It's a Heartacheだ。  

☆どこまでも孤高な吉田拓郎。

☆バレエの話は驚いた。一昨日も渡欧する知り合いのバレリーナを空港に見送ったばかりだった。それにさだまさしの話もだ。昨年、私が行ったライブは、吉田拓郎のライブ73yearsと新国立のバレエアステラス等のバレエ公演とさだまさしのコンサートの3種だけだ。ただし、ちっとも心豊かになっていなくてすまん。
 しかし、このサイトは吉田拓郎が好きでバレエが好きだという奇特な人たちによって作られていている。

☆矢沢永吉の話は深夜の気まずい経験という深奥の部分まで行くのかと思いきやディスタンスのまま止まってしまった。なんだったんだろうな気まずい経験。

☆でも矢沢永吉のファンの方々の話は素敵だった。宇都宮で怖そうなお兄さんの間にとっこんでしまって、タオルを貸してもらう話。涙ぐむくらい良かったな。緊張と不安と興奮と心優しいおにいさん、ライブっていいよね。ああいうファンでありたいと思った。

☆結局、矢沢永吉の特集、たわわに実って風にゆれている隣の立派な畑を眺めているような気分になった。矢沢さんとこの畑、豊作でいいねぇと言う感じだ。

☆なお、矢沢永吉がゲストに来たのは、セイヤングで2回、オールナイトトニッポン1回の計3回ですぜ。

☆チッェクインブルース、おおイイ声だね。途中ハショって、♪モ−テルの灯りが 見えてきやがったおまえの寝顔をネオンがよぎる…の部分、一番好きな部分をちゃんと歌ってくれたのが個人的には嬉しい。

☆☆☆今日の学び☆☆☆

 バレエも多種多様な音楽もすべて芸術は繋がっている。いろんな芸術を広く味わおうという御拓宣。御意。
 ただバレエを観ながら吉田拓郎を思い、他の音楽を聴いては吉田拓郎を思う。すべては吉田拓郎をより深くより豊かに味わうためにあるのだと思う私はその点で道にそれてしまっているのかもしれないが、まぁいいや、今さら知ったことではない。すべての道は拓郎に通ずるのだ。

2020. 6. 14

 映画「マダムフローレンス!」を早速に観ることができた。止めずによかったAmazon prime。拓郎の紹介する映画は必ず観ているが、ハズレというものがない。歌には時々ハズレがあるというのに>おいっ。そりゃもう映画「チャンプ」「鉄道員」から始まってずっとのことだ。
 確かにメリルストリープはすんばらしい。名優というよりもはや怪優だ。こんな怪優は日本じゃ大竹しのぶ以外おるまい。少し枯れた元チャラ男なヒュー・グラントも味わいがある。

 ピアニストの困惑の表情。あの表情をあそこまで深くワシ掴みでピックアップしてくれる拓郎独特の感性。それが拓郎の映画紹介のイイところだ。何も知らなかったら軽くスルーしていたかもしれないが実にいいシーンだ。おかげさまで何回も観てしまった。

 最初の頃は、拓郎は重大なネタバレや結末までへーきで話していて、それはそれで好きだったが、最近は、微妙にネタバレを抑えながら、それでも映画の深奥の魅力を伝えてくれる技の冴えがある。上達。おかげでこの映画も実際に観てみると既視感よりも新鮮な驚きと哀しみと愛しさを感じた。

 音楽愛に満ちたブラボな映画だった。

 向こうの人々には、劇場とステージはとても身近な場所であり、それでいてとても神聖な場所でもあることもわかる。バレエもおんなじだ。日本は劇場・ステージまでの心身の距離がひたすら遠いし、そのうえ劇場・ステージというものがさほど尊敬されていない気がする。

 なんてエラそうに文化を語る前に、まずは日本のステージと劇場の復活を祈りたい。

2020. 6. 15

 フォーライフの話で拓郎は社長として「会社をきりもみし」と言ってたけど「切り盛り」の言い間違いだよね。会社が「きりもみ」したらマズイもんね。ブルーインパルスじゃないんだから。

 「マダムフローレンス」で拓郎が語っていた映画の最後に出てくる新聞。第一面にデカデカと「日本海軍全滅」と大書されていた。そうだ1944年=昭和19年の秋、太平洋戦争真っ只中だ。だから軍人たちが大挙しているんだけれど。でも、ニューヨークの街は、普通に活況で、おばさんたちはランチ会してるし、カーネギーホールは劇場公演で賑わっている。
…勝てっこないな。いや米帝が正義かどうかではなく、そこはかとない勝てるわけがない感。
 週末に拓郎に触発されてバレエとか劇場とかのこと考えたり読んだりした。今やみんな大変だ。そんな中かつて身近にいたとある小劇団を主宰していた演劇人の言葉を読んだ。「非常時に小劇場なんて一番先にいらないものでしょ 世の中で一番必要じゃないものでしょ。でも僕はここで生きる」と言ってた。経済力とか技術力とか軍事力とかではなく、この言葉にどこまで深く共感できるかというところが何かの分岐点みたいなものかなと思う。

2020. 6. 16

 “夜の街”プロパガンダのおかげですっかり寂しい居酒屋だ。

 飲みながら、そういえばメリル・ストリープはジョン・カザールと婚約していたんだよなと思い出す。あの「ゴッドファーザー」の情けない次男と「狼たちの午後」のアル・パチーノの銀行強盗の共犯役が印象に残る夭折した名優。
 そのジョン・カザールが末期の病で映画「ディアハンター」を降板されそうになったとき、ロバート・デ・ニーロとまだ何のキャリアもなかった婚約者のメリルが、だったら自分も降板すると啖呵を切って彼を守った。映画は遺作となり公開を待たずして逝った彼をメリルは最後まで看取った。そんな話をしながら自分で涙ぐみそうになる。酔っ払いだな。そのことが彼女にとって今どういう意味があるのかもちろんわからない。でも何年か前「砕かれ傷ついた心を芸術にしましょう」というメリル・ストリープのスピーチの説得力は彼女だからこそなのだと思う。
 居酒屋のマスターは、ラジオを聴いてかつてのフォーライフの人々と違う人生を歩むのは仕方ないことだけれど、あの時代そのものを否定されると、一緒に聴いていた自分たちは悲しすぎると言っていた。ネットでもそういう話を読んだばかりだ。そんなつもりはないんだと信じたい。"けれど自分の後ろ影まで、後ろ影を責めるなよ、笑うなよ"。あの時のあの4人の胸高鳴るドラマは永遠でいてほしい。拓郎には回り道だったのかもしれないが、それは輝ける回り道でそれこそが芸術だったのだと信じている。

2020. 6. 17

 私なんて一寸の虫みたいなものだけれど、そこは一寸の虫にも5分のファン魂。このコロナ禍の状況において未発売の過去のライブ映像を配信するという矢沢永吉のニュースを知って凄いなとは思うが…決して羨ましいと言ったりはすまい。えーい言うもんか!!…と我慢しているうちに、自分の身体から魂が抜け出して勝手に野や川を我がもの顔で散歩しやがる。
 1981年の吉田拓郎の秋のオールナイトニッポン。その年の夏の体育館ツアーの札幌厚生年金会館の映像を拓郎がひとりだけで視聴しながら番組をすすめるという回があった。リスナーには映像はもちろん音も流れてこない。「今、二十才のワルツを歌ってるな」「Y、ああしみるぜって感じで歌ってる」「うぉぉぉタクロォー、オレも言ってみてぇな」と一人ご満悦で中継し、極めつけは「このビデオ観たいヤツ一杯いるんだろうな、あげるなんて言わないよ(笑)」。ラジオの前で超絶悶絶するしかなかったあの鬼畜な放送を思い出す。ファンサイトまでやってる私が言うのも何ですが、本当になんて人なんでしょうか、あの人は。
 また美しい映像があることが後日わかった20世紀打ち上げパーティのNHKホール。ああ特に「Flower」〜「マラソン」〜「流星」のくだりだけでもいいから見せとくれよ。よし、これに「セブンスターショウ」を加えて”吉田拓郎の3body's night”ということでTYISから配信ってことでどうでしょう、ヨロシク…って思い切り羨ましがってんじゃねぇかよ。

2020. 6. 18

 「ムー一族」の再放送を観るたびに何故に清水健太郎は当時の新曲「さらば」を歌わないのかとの思いは深まるばかりだ。ピッタリじゃないの。思い切って「ムー情報局」か「生放送の郷ひろみ宛」にハガキを書こうかと思う。
 最近、挿入歌が日吉ミミの「世迷い言」に変わった。これも懐かしい。これって作詞は阿久悠だったんだね。中島みゆきがメロディーだけって珍しくない? いつもは中島みゆきの切り出した言葉がぐーんとくるんだけど、ココでは中島みゆきのメロディーが浮かび上がる。いいな。
 ♪変な癖だよ 男に振られたその後は 何故だかきまって風邪をひく
 私的には、ここのメロディーがたまらん。もう好き。もう吉田さんのメロディーにツボが通底しているのだ。どの曲というとすぐに浮かばないが、たとえば「あなたのイエスタディ」とか。
 それにしても、今年、中島みゆきのステージを観られた人は幸運だったな。てか居酒屋行くとマスター含めて俺以外みんな観てる。きっとギタリスト吉田はココで出るはずだったな、いやココだろうとか盛り上がっているんだけど。ちっ。

2020. 6. 19

クラス会等のカラオケは世代的にサザン一色だが、偏った青春を生きてきた俺はサザンの思い出などゼロだ。それが誇りでもあった。でも憧れの女子に"栞のテーマ"を歌ってイイ雰囲気な光景を観ると"竜飛崎"を歌ってる俺は切ない。選曲の問題か。ともかくお前の書いた歌は俺をいろいろと悪くさせた。

2020. 6. 20

非常事態解除だが学校が嫌で苦悩する子も大勢いるだろうな。皆が学校好きなわけじゃない。オトナも同じ。歌手だって、こんな時だから歌いたい、ギター一本どこでも歌う方ばかりじゃない。自分の内的必然が湧くまで歌わぬ方もいる。どちらも等しく子ども、オトナそして歌手だ。等しく神様の祝福を。

2020. 6. 21

エイベックスが舞台のドラマ”M”。トンデモ爆走ぶりがすげぇ。大丈夫かこのドラマ。吉田さんも心配だ。眼帯した田中みな実から抱きつかれ「あらぁ10曲詞を書いたというアルバムはどうしたのかしらぁ.そろそろアタシ聴きたぁぁい.」とか脅されていないか。だったら…もっと頑張れ田中みな実(爆)。

2020. 6. 22

そりゃあ新作アルバムは早く聴きたいが,「職人さんを急がせて良いことはない」という師の言葉を思い出す。もともと待つ身の辛さがわかるから急ぎすぎてしまう人だし。ファンとは待つこと、待つ時間を慈しむ人をいう…私にはムズいが。待つ気になれば明日まで待てる,悪い日がそうそう続くものか。

2020. 6. 23

これでもかと飛沫飛散の危険が喧伝されるとライブじゃ”落陽”も”人間なんて”も”アジア”も怖い、”兄ちゃんが赤くなった”でイイよ、いっそ小椋佳やさだまさしの方が舞台も客席も飛沫が少なく安全だ、泉谷なんてトンデモない…となりそう。結局ファンとは飛沫を分かち合う愛と覚悟の事を言うのかもな。

2020. 6. 24

”アラバマ物語”は1930年の少女時代に観た黒人差別に挑む父を回想する1962年公開の映画。で1962年のアラバマは”グリーンブック”の実話の舞台。昔日の思い出だけではなく今も現存する根深い差別と対決せんとする覚悟の映画だったのかとあらためて思う。でグレゴリー・ペックと拓郎は誕生日が一緒。

2020. 6. 25

コロナでビュッフェがピンチだ。ビュッフェといえば”つま恋”、私の”人生最高レストラン”だ。数々の料理も拓バカで満員の光景も何もかもが愛おしい。行ったことないがオリンピックの選手村みたいだった。そういえば71年中津川、75年つま恋、79年篠島…拓郎イベント=オリンピック説があった今は昔。

2020. 6. 26

つま恋の朝食時にわざわざコーヒーカップでトマトジュースを飲んでる方がいて衝撃だった.たかがトマトジュース1杯にも魂こめる拓バカ.さすが強豪集う選手村.”私は誰でしょう”はコソコソ逃げましょうと歌う拓郎が悲しかったが,今聴くとカッチョエエなぁ,俺も一緒に逃げたいなと夢になるもうひと想い.

2020. 6. 27

6月か."六月の花嫁"は倉沢敦美の歌も雪之丞の詞もおっさんには辛いが,このポップなメロディーはウキウキしてくる名曲だ.前に番組で富豪と玉の輿婚しドバイで優雅に暮らす倉沢さんを観た.ご苦労はあったのかもしれないが♪スイスイ,スイスイ…"めだか"が浮かぶ.ああ,あれはフォーライフだったね.

2020. 6. 28

 提供曲の“六月の花嫁”なんて奇特な方以外ご存知あるまい。断じて知ってるからエライというものではない。多分、拓郎だって忘れているはずだ。
 …するってぇと崖っぷちに追われてもうすぐ遥かな海原に夢と散るしかない。そんな曲たち例えば”ハート通信”、”ステラ”、”放課後”…もう枚挙に暇がない。あちこちに浮かばれないまま散らばって消えかかっている吉田のメロディーたち。好き嫌いや毀誉褒貶はあろうとも、みんな吉田拓郎が丹精を込めた愛しきメロディーたちだ。だから何度でもいう。提供曲全件をCDBOXでも配信でもいい、ひとつところに集め、誰もがアクセスできるように保存すべきだ。
 アルバム「よしだのうた」とか「我が良き友よ」みたいなのではなく、とにかく「全曲」だ、いいな。キャンディーズとか梓みちよとか森進一とか中村雅俊とか放置しておいても生き残ってゆくような有名曲だけでなく、ケイ・アンナも桜井久美もさとうあきこもDUOも白鳥哲も松尾久美子も含めて一度は世に出た全件だ。拓郎はかつて提供曲を「あれは自分の子供たちだ」といったが、ただ一人の子供も欠けてはならない。全員だ。誰も置いていかない。そうじゃなきゃいけない。

 これは吉田拓郎本人が腰を上げてどうこうしてくれというより、吉田拓郎の周囲の関係スタッフの仕事だと思う。そういう関係の方々はもしファンがyoutubeとか私製CDやネットでそれをやったとしたら、必ず著作権違反だ、原盤権侵害だ、と潰しにくるでしょ? でもね、失礼ながら思うのよ。好きな音楽家の音楽を全部聴きたい、全部保存したいというファンの営みを阻止しておいて、それでいて消えゆくメロディーたちを拱手傍観しているとしたら、それってあなたがたは本当に吉田拓郎の味方なのか…と問いたい。すまん。

 今がアウトトロ、エンディングというなら、これこそまさに集大成に必要な作業なのではないか。レコード会社の壁を越えたり、権利関係の処理のために人手がいるのなら、私は喜んで地べたを這ってでも協力させていただく。そもそも人類の歴史は、いろんな人々が時に身を挺してこまめに文化を記録し保存して風化から守ってきたから今の世界があるのだ。それとおんなじだ。

…あらら三行を大幅に突破だよ。もたなかったな、続かないダイエットみたいだよ。

2020. 6. 29

 亡父の命日。いつも鎌倉の墓に行く時♪鎌倉よなぜ夢のような虹を遠ざける〜誰の心も悲しみで闇に溶けてゆく〜(鎌倉物語)”が浮かぶ。あったよサザンの思い出の曲。でも墓参りじゃな。"ひまわり"の年だったから31年か。今日も墓参に行けず僕も正面にひざまづきお詫びしなければなりません。

2020. 6. 30

腰痛(涙)。でもZIGZAG〜外人バンドの頃の拓郎とおそろいだと思い耐える。おそろいならば拓バカに越えられぬ苦難はない。拓郎のこれまでの数々の受難を思うと拓バカはほぼ無敵だ。かつての腰痛を超え、去年はギターを抱えて2時間あの美しい立ち姿でツイストまで踊ったのはホント凄ぇよ。

2020. 7. 1

鍼灸院で施術中に俺だけ話が弾まず気まずい。話題がない訳ではない。施術台でうつ伏せでいると昔ラジオで拓郎が語った悲惨なオシリのおでき手術の話を思い出し,おそろいだがアレよりは楽だなとか,同時期の"ポーの歌"騒動の話でハマクラさんって素敵だよなとか,そんな話されても困るだろ。…痛い。

2020. 7. 2

武道館記念日。TOUR79の"ローリング30〜知識"で腰痛も吹っ飛んだ。すぐに戻って来たが。楽屋でワンタンを鈴木茂が食べちゃったので汁だけ飲んだ、ラーメン混ぜるととやかく言う女、チャーハン食べながらUFO話、武道館=中華のイメージなので今日は町中華だ。禁酒命令だが633飲んじゃうもんね。

2020. 7. 3

酒も町中華も自粛し”TOUR1979”を聴く。この”もうすぐ帰るよ”はホントにいい。ボーカルも絶品だがジェイクのサックスの間奏&後奏がたまんねぇよ。泣く。あと昔から思うがこの”流星”は妙に音がショボクね?。凄いメンツなんだしトラックダウンし直せないのか。…ああ間奏でお尻振ってたな拓郎。

2020. 7. 4

 勝手ながら1974年7月4日は”シンシア/竜飛崎”記念日だ。正式発売は1日なのだが、中学1年生だった私は、3日までの期末テストが終わった翌日、もうかなり暑い日に自転車でレコード店に買いに行った記憶がある。ともかく生まれて初めて買った吉田拓郎のレコードなのだ。すまん、自分以外の方には超絶どうでもいい話だ。
 当時聴いていたライオン・フォークビレッジのかまやつひろしがやたらプッシュするので”かまやつさんの新譜”を買ってみるという気分に近かった。同年秋のテレビの歌謡最前線で”ペーニーレインでバーボン”と”暮らし”の絶唱を聴いてカミナリに打たれるまでもう少し時間がかかる。
 中学1年のガキだったけれど、すげーいい曲だなぁと心の底から思った。特に♪よーぞぉらーはぁ〜町に落ちぃ…のところのメロディー展開がホントに大きな夜空が開けてゆくみたいで大好きだった。”竜飛崎”とともに繰り返し、繰り返し、ひと夏聴いたものだ。一人で詞を書いて曲をつけて歌う。吉田拓郎ってすごいなぁと魂の底から思ったものだ。その思いは還暦近い今でも変わらない。

 みなさんにも必ずやそんな吉田拓郎との永遠の一瞬がおありでしょう。いつか是非聞かせてください。せっかくのサイトだからこそ敢えて言うが、星の数ほどいるミュージシャンの中から”吉田拓郎”を選び取った私たちは抜群のセンスと幸運の持ち主だ。そうでなかった大勢の人々が、やれ"はっぴいえんど"が日本語のロックを作ってありがたやとか、客席で手をつないでみたり、夏だ!”サザン”だ!とか騒ぐわけで、まったく生きにくいったらありゃしない。だから私たちは孤独な道行なのだ。…そういう話じゃないか。

 当時、行けやしなかったが銀座とかの大型レコード店では”シンシア”のサイン会があったが、かまやつさんが一人でやっていたようだ。んまぁ、あの人が店頭でサインなんてするわけないよな。レコードを買わない人にもサインしてくれてかまやつさんはいい人だと評判だった。ああ、かまやつさん。こうして思うと彼も私の大きな恩人だと思う。
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 このジャケット。大好きでみんなが居眠りしていた社会科の大野先生の授業中よくノートにヘタな絵で写したものだ。

 この"Miss Cynthia"というドリンク缶。これってさ、当時日本で発売したばかりだったドクター・ペッパーの缶をもじっているよね。
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 いやあ、ドクターペッパーも大好物だ。変な味だと評判は悪かったが、昔から変なものばかりが好きなのだ。>さっきセンスが良いっていってたろ。ミス・シンシア、ドクター・ペッパーとくるとミスター・ピブ。これも当時、ドクター・ペッパーと同じ味としか思えない謎の飲み物だった。あれはなんだったんだ。まぁいいや。

 というわけで超絶個人的には、夏、特に初夏というと”シンシア”と”ドクターペッパー”なのだ。
 〜太陽がまぶしいもうすぐ夏がやってくる。

2020. 7. 5

川沿いに暮らす身には球磨川の氾濫はもう他人事即我が事だ。とにかく全ての河川と周辺の人々の無事を祈らずにいられない。♪ああ川の流れの如く,おだやかに〜あれ?結局リバーサイドもシーサイドも危い。丘の上に住むべきだったのか。するってぇと陽水でも拓郎でもなく浜省の勝ちって事か。

2020. 7. 6

 九州の拓友の方の大切な場所が被害を受けた写真を見せていただいて胸が詰まった。もちろん私はそんな殊勝な人間ではない。昨年実際に決壊の崖っぷちを経験したからだろうと思う。愛憎いろいろあるものが容赦なく削られてゆく大きな流れがあらためて怖い。昨夜は半ば冗談で書いた浜田省吾。彼が訳したジョン・ダンの詞を思い出す。


  誰も孤島ではなく
  誰も自分ひとりで全てではない
  ひとはみな大陸のひとかけら
  本土のひとかけら
  そのひと握りの土を波が来て洗えば
  洗われただけの欧州の土は失われ
  さながら岬が失われ
  君の友人や君自身の土地が失われる
  人の死もこれと同じで
  自らが欠けてゆく
  何故なら私もまた人類の一部だから
  ゆえに問うなかれ
  誰がために鐘は鳴るやと
  それは君のために鳴るなればと
    (ジョン・ダン「死にのぞんでの祈り」、浜田省吾訳)


 いろんな訳を読んだが浜田省吾のがいちばん心に響く。はっ。浜省で結んではいかんな。そしてこの詩を読むと、無関係だが拓郎のこのフレーズと心象が重なって浮かぶ。

  つながる大地のうえなのに
  むこうの悲しみ目をつぶり
  むこうの争い背を向ける
  一つの柵でこうなのか
         (土地に柵する馬鹿がいる)

 とにかく「難しいことは一度にひとつまで(One impossible thing at a time.)」ということで切にお願いします。

2020. 7. 7

これでもかと続く事象。"今我々を取り巻く自然界の一部が不思議な身動きを始めようとしています.そうです,ここは全てのバランスが崩れた恐るべき世界なのです"…石坂浩二のウルトラQのナレーションと♪大地も海もやさしさを求めている〜という拓郎のオールトゥギャザーナウが交互に頭に流れる。

2020. 7. 8

大好きな劇団“サモアリナンズ”が動画チャンネルを始めた。「1ミリも心に残らない芝居&動画を」というpolicyが神。これを聞く度に私は余りに拓郎に多くの意味を求め過ぎていないかと省みる。感動させよう,してやろうというあざとい予断無くその都度ゼロの気分でグダグダの純粋経験から始めねばと思う。

2020. 7. 9

距離も衛生も換気も万全でも新宿の居酒屋の逆境は続く。とはいえ皆ドンドン行きましょうぜとも言えない。"ひと夏の恋"か。"夏の日の恋"…ああ神田共立からもう1年か。こんな1年後になるとは思いもせなんだ。今はこらえよ。汚れてもいい,泣いてもいい愛は尊いわ〜それは百恵ちゃんの"ひと夏の経験"。
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2020. 7. 10

"ひと夏"なら山口百恵の前に"うのひと夏by高杉"だろ…すまん。"高杉・うの"を歌いながら実は故石原裕次郎と北原三枝夫妻に捧げられたという凄絶なラブソング。今歌ってもかなりイイかもしんない。この曲や"唇をかみして","RONIN"等の名曲誕生のキッカケを作った偉業。あの頃、鉄矢は輝いていた。