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a day

2018. 4. 5

 前回のラジオの言葉が、あまりに心に刺さったので、何度か聴き返してできるだけ正確に採録してみた。

「一日を大切に生きる。やさしい気持ちで、おだやかな気持ちで一日を過ごすということ、そのことだけで見事なる達成感を味わえるようにならなくてはいけないし、それは見事な達成なんだと僕は思っている。
 だから一日、日常を大切に生きるということは、口で言うところの達成とかなんとかではないけれど、心にある達成というものがある。僕は、今、日一日と達成…達成というのは言葉が違うかもしれない、充実して、寝るときに、今日も元気で一日良かった、明日もこの調子で行こうかな、そういう日常を目指して生きている。そんなに達成感を大袈裟に求めなくていい。」

 これほどまでに含蓄と行間溢るる言葉がこの世にあるだろうか。僭越至極だが、この吉田拓郎の今の”境涯”に出会うために、自分はここまで来たのだと思った。吉田拓郎についてきてよかった。自分の旅は間違っていなかった、というか、いい旅だったのだと確信した。そしてこの旅はさらにつづく。これが幸せでなくてなんだというのだ。

 というわけで、今日、この世に生まれ出(いで)てくれて、ありがとうございます、いつまでも元気でいてくださいね、と魂の奥底から思う。

2018. 4. 6

 "六本木のディスコ"なんて私には全く縁もゆかりもない世界だ。それでも学生の頃、浮世の義理で新宿のディスコ"ニューヨーク・ニューヨーク"には何度か行ったことがある。場違いながら、めくるめく世界だったわ。以前、とんねるずの石橋貴明が学生の頃行ったというこのディスコをネタにしていて、ああ同年なんだなと共感したことがあった。
 ところで、ヤンタン当時、拓郎は、小室等さんともディスコに行ったと話していた。かまやつさんはわかるけれど、小室さんのディスコってどうだったんだ。ブイブイ踊っている小室等って想像がつかない。恐るべし。小室哲哉、小室海の王子、小室もいろいろあるけれど、結局小室等最強説を唱える私だ。

2018. 4. 7

 元気な拓つぶが嬉しい。"ちょっとサディスティックな気分"か。あの曲を歌ってくれない、放置される、そこにマゾヒスティックなエクスタシーを感じなくてはならないのか。まだまだ修行が足りませぬ(爆)
 まあいい、吉田拓郎が海なら私は小魚だ。それも、たたみいわしにへばりついた一匹みたいなものだ。歌うか歌わないかそれはわからない、それでもとにかく戦いの出場通知を抱きしめて海になるしかない。あきらめという鎖を身をよじってほどいてまいりましょう。‥‥‥"君たちは魚だ"というドラマが頭に浮かんだが、それはどうでもいい。

2018. 4. 8

 スポンサー様には大変申し訳ないが、毎週流れる"おばあちゃんとお孫さん"のCMが苦手である。すまん、CMは、なにとひとつ間違ったことは言ってないしとても正しいことをアナウンスしているのだが、どうにも苦手だ。リスナーの年齢層にあわせているのだろうか。
 そういえば坂崎さんと御大のオールナイトニッポンゴールドの時には、元気のないあなたに"オットピンS"というかなり露骨なCMが流れていた(爆)。これも年齢とその特有の悩みにターゲットを絞っていたのだろうか。
 昔、"セイヤング"の時なんかの提供は雑誌"mc シスター"だったことを思い返すと、それなりに隔世の感の寂しさが湧いてくる。

2018. 4. 9

ラジオでナイト 第51回 2018.4.8
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。この放送をたくさんの方が聞いてくださっているということが調査でわかった。1位らしい。うれしいじゃござんせんか。

 みなさん年齢的にVAN ・アイビーにお世話にならなかっただろうか。石津謙介さんのブランド。 僕は大学では、VAN一色、広島フォーク村もそうだった。
 東海岸のニューイングランドを中心としたアイビーリーグをもとにしている。もともと裕福な学生の裕福なブランドだった。1960年代に銀座みゆき族が登場したが、彼らもアイビーだった。彼らも裕福だったのではないか。
 石津謙介さんは、日本人が世界基準の文化として日常に密着したファッションを得ることを目指したとのことだ。もともとは裕福なアイビーが、結果的に一般の学生、社会人にまで広まった。
 当時、フォークグループという連中がいっぱいいた。ブラザースフォー、キングストントリオ、それから日本のキャンパスフォークは、みんなアイビーだった。アメリカのフォークはアイビーだったね。ボブ・ディランで様変わりしてヒッピー風になってゆくけれど、その前は、七三でタイトで先の 細いパンツに靴はリーガルって感じだった。
 石津さんが広めた細めのシルエット。僕は広島時代あまり理解していなかった
 フォーク村はみんなアイビールックだった。僕はライバルで「ジュン」というブランドのヨーロピアンのテイストも捨てがたいファッションだった。ある日、下はジュンのスラックス、上は  VANジャケットといういでたちに、Kくんが「変じゃがね」というトドメを差してくれた。写真があるんだけどさ、いかんな。あの時代、殆どの学生がアイビーだった。

 みなさんでジーンズ履いている人もいるでしょう。ジーンズは、永遠の青春。ジーンズをはけなくなったら終わりという気がしている。
 吉田拓郎の考えるジーンズだけど、ビンテージ加工、「ひげ」とか「あたり」。これをある程度のおっさん、おばさんは、はかない方がいい。着古し加工のビンテージは、本当のおっさんおばさんになってしまう。なんか薄汚い感じになってしまう。
 どちらかというと脱色していないインディゴ・ブルーかワンウオッシュ程度がいい。VANは細身のデザインだったけど、ジーンズもおじさんおばさんは、レギュラー・ストレートではなく、かといってとても細いスキニーはダメだけど、スリーフィットとかがいい。ストレートはダボっとしてしまう。

 今でも70歳ジーンズをはいている吉田拓郎のラジオでナイト

■タイトル

<年下の話、40年前の日本青年館のチケットが余って、会館近くの少年に声をかけたら群馬の同郷の青年、意気投合して付き合ったけど、6つ年下で大反対されて別れたが、大反対していたのが今の主人という投書>
 ははは、 面白い運命だね。これややこしいね。   
<今でも心通じたのは彼、内緒ですという投書のつづき>
 読んじゃったよ(笑)
<妻は6つ歳の上、手の上で踊らされているようでたまらんという投書>
 ベタ褒めだね。西郷どんみたいな。西郷さんは、奥さんに踊らされていたという説もある。このメールはノロけだな。
<9歳年上の女性と付き合っているが強くてやさしくてという投書>
 安井かずみと付き合ってはいないけれど、よく呑みに行ったが、恋心は抱かなかった。僕は、年上というだけでNG。 古いかな。年上女性とのカップルもたくさん知っているし、それは新鮮なんでしょうが、僕はNG。
 若尾文子さんは好きだけど、でも…何言ってるんだ…当り前じゃないか。何考えているんだよ。

<ジプシーキングスの「インスピレーション」をリクエストドラマ「鬼平犯科帳」エンディングでかかる、時代劇だけど切なくてジーンとするという投書>
 「おにだいら」じゃないの?観ないのでよく知らない。「平平平平」=「ひらだいらへいべぇ」って知ってる? 関係ないけど。ジプシー・キングスは好きで、パクっている。正直だな。ジプシー・キングスみたいにって鳥山に頼んだ。

M―1 Voice 吉田拓郎   “OLDIES”より

 いやあ鳥山君よくパクっている(笑)

M-2 インスピレーション ジプシーキングス

■CM
 お酒の話をしたけど。たくさんメールが来た、詳しいね。自分のこと棚にあげてなんだけど、僕はそんなに飲まないし、君たちももうそんなに飲まなくていいよ(笑)

<辛口で、トマトパスタに合う日本酒を行きつけの料理長にきいたら立山を薦められたという投書>
 あなたの知らないイタリア・・・イタリア料理が好きだな。「たてやま」なんて日本酒の読み方は難しい。
<京都の勝駒は、フルーティという投書>
 フルーティというのは日本酒でもワインでも避けている。赤ワインは前にも言ったけれど、メルロー。鳥山はワインに詳しい。高見澤は詳しいけれど味がわかってないんじゃないかと(笑)。鳥山は詳しい。かつてハワイのレストランから銘柄を聞くために、鳥山に電話したことがあった。「カベルネソービニオン」を教えて貰った。ぶどうの種類ね。赤は最近はメルロー、白はソービニオンブラン。この番組は何なんだ。

<池田の「呉春」という投書>
 どうしてこう読めないのか。
<日本酒は冷  長野 遠藤酒造場の渓流朝絞りという投書>
 そういわれても近所にはないよな。
<蔵人さんの広島の「雨後の月」という投書>
 広島は賀茂鶴しか知らないな。
 黄桜と…最近呑んだ八海山しか知らない。美味しいのがあればどんどん教えてください。  

■今週のベストテイク  

 今日は自分で歌っているのではなく作っている歌。森進一さんとか、いろいろやっているけれど、こういうのもやっていきたい。モップス「たどりついたらいつも雨降り」とか。

 今日はキャンディーズ「やさしい悪魔」。いろいろレコーディングでは楽しかった、もうかかりきりでやった。ひとえに、あの三人が可愛かったというのもあるが、楽曲の思い入れも強かった。
 大好きな馬飼野康二のアレンジ。出来上がったあとで、オケにもうひとつ何か足りないと思った。そこでハモンドオルガンのB3を使いたいと思い、亡くなってしまった羽田健太郎=ハネケンに直々に頼んで、ブルージーでソウルフルなオルガンを頼んだ。コード進行Eマイナー、Gマイナーで、リズムが続く中でオルガンのアドリブをかましてくれないか。ブルージーなヤツを頼んだ。これがバッチリ。

 キャンディーズのいろんな楽曲を聴いたが「やさしい悪魔」が一番イイ。自画自賛((笑))ボーカル入れは、夜中になった。ギター弾きながら、ひとりひとりにハーモニーを歌って教えてあげて、この通りに唄うといいと指導した。「拓郎さんのデモテープは難しい」と彼女たちは言っていた。アイドルだし音楽的に高いレベルのものはなかったろうけど、デモテープはよく聞いていた。そこに手取り足取り。そりゃあ楽しいに決まっているけど、やる気があったなぁと思う。とにかく三人が一生懸命で、雰囲気がなんとも楽しかった。後日、振付を最初に見せてくれた。ヒットしてくれたらいいなと思った。大変で時間はかかったけれど、
 ♪やさしい悪魔 んんんんん〜に自分の声が入っている。そしてオープニングに悪魔の足音をイメージして、革靴で音のステップを入れている。

 実に前向きで楽しかった。三人の存在が大きかった。

M-3 やさしい悪魔   キャンディーズ

■今週のマイ・フェイバリットソング
 ボブ・ディランの映画で使われた曲。これは何度か観たけれど最近もテレビで観た。映画「ハリケーン」。実在の人物で無実の罪で投獄されていたハリケーン=ルービン・カーター。ディンゼル・ワシントンがクソ真面目に演じている。その無実の罪に対して、モハメド・アリやボブ・ディランが抗議運動をしている。ディランもそういう運動していたんだな。それでこの曲を歌ったのかな。

 黒人の少年を大学にいかせるためにカナダ人三人が引き取るところから始まる。この少年が、獄中にいるハリケーンと手紙のやりとりをしながら、黒人差別に心折れたルービン・カーターの心を少年が開いてゆく。少年と三人のカナダ人が無実を晴らすまではと誓い、 投獄刑務所の近くに引っ越して解放運動を続ける。背後に根深い人種差別があり、彼らが事件の真相を探り始める。当時の警察の捜査を観直す。
 ルービンカーターは、1985年に再審が決まる。この少年と三人のカナダ人が閉ざされていたルービン・カーターの心を開いてゆく。この「ハリケーン」が実に映画にマッチしている。  

M−4  ハリケーン  ボブ・ディラン

■エンディング
<東京生まれで転勤で地方とのコミュ 温かな反面 我が家の様子を細かく  田舎の距離感に息苦しかったという投書>
 最初マンションに住んだ時都会は冷たいなと思った。今は、この感覚、距離感が心地よい。逆に広島に帰ると、人間関係が近すぎる、面倒臭いと感ずるようになった。一年に一度帰るのが億劫になってくる。はじめは東京は嫌なところだと思ったが、今はこの距離感がいいな。今は広島では暮らせないと思う。だから同感。

・あだな ニックネーム
・洋楽リクエスト
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆VANのファッションは,世代的にも知識的にもよくわからない。ファミリアの創業者をモデルにした朝ドラで、石津謙介さんが出てきた。どれだけ日本を席巻したかは、そこで初めて知った感じだ。
 なんといっても私のファッション・リーダーは、吉田拓郎である。一時期、GAPやバナリパで御大的な洋服を探したものだが、なにせ私は御大ではないから、根本的に似合わないのがよくわかった(爆)。なので最近はもうシマムラで買っている。”シマムラ”="島村"="島ちゃん"を連想させる響に憧れる。なんだそりゃ。

☆「立山=たてやま」。メールを読んでいただいてありがとうございます。ずっとこのadayで書いていた料理長にちょっとお礼が出来た感じがして嬉しい。それにしても、「君たちもそんなに日本酒飲むなよ」には爆笑した。いいなぁ、自分で広く募集しておいて、御大のそういうところが大好きだ。
☆ジプシー・キングスがベースだったのか、oldiesのVoice。あの鳥山氏のVoiceは、もうすんばらしいよね。ライブでも再演されてそこでも唸った。あまりのギターにポカンと口を開けて観ていた記憶がある。
 もちろん石川鷹彦の原曲のすさまじさも揺るがない。uramadoにも書いたかもしれないが、このVoiceに関しては、石川バージョンと鳥山バージョンがともに神Ver.であり、豪華両神の渾身のコンペの様相を呈している。

☆ キャンディーズのレコーディングの話は、また凄かったね。ハモンドオルガンの話は初めて聞いた。そうなのか、羽田健太郎さんなのか。ハネケンさんとそういう関係だったというのもちょっと驚いた。もちろん自分がしらなかっただけだが。渡る世間は知らぬことばかりだ。どこまでも深い御大の世界がまだまだあるということだ。
 そう思って聴くと、例によってオルガンの音がたまらなくいとおしい。こういう歴史の深層を聞かせて貰うことは有難く嬉しいし、そうするとまた思い入れ深く作品が味わえるようになる。これが、たまらん。
 しかし、どれだけ丹念に作品を作りこんでいるのだろうか。毎回ながら驚くばかりだ。

☆ ディランは世代的には、もうゼンゼン外れていたそんな若造の自分だが、それでも75年「ハリケーン」は、リアルタイムで聴いて、そのカッコよさが中学の教室でも話題になっていた。
 「すげーな、ボブディランって」とガキたちをも嘆息させられた。息もつかせずたたみかける演奏と歌唱がもの凄い。今でも何度も聴くよ。これが、せーの、で一発録りなんだよね。この曲を聴くと一発録りの迫力と意味合いというものがよくわかる気がする。そうなると、御大の今度の一発録りレコーディングが、いっそう楽しみになってくるというものだ。

☆以前の日記にも書いた。「ハリケーン」を聴くと収録されたアルバム「Desire(欲望)」
を思い出す。昔、山田パンダさんが話ていた。 奥さんが原宿で帽子屋「みょんみょん」を営業していた時。 御大が、ボブ・ディランの「Desire(欲望)」のジャケットを持ってやってきて
「これと同じ帽子を作ってくれ」
とオーダーを入れた。
 苦心して作り上げ、試着に来た、御大は喜び満面で、その帽子のまま原宿の町に飛び出していったそうな)^o^(。
 1980年10月新宿西口都有地でのイベントにこの帽子をかぶってステージに登場。「ヒロシマ」と「アジア」を熱唱した。それはそれはカッチョエかった。
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2018. 4. 10

 いかん。大事なことを忘れていた。聴取率第1位おめでとうございます。日曜深夜はいろいろ体力的にキツイのだが、それでも必ずリアルタイムで聴くのには理由がある。昔、やさぐれた受験生を何年もやっていた若い頃、日曜の深夜零時からはTBSラジオで「五木寛之の夜」というそれは,それは暗い番組があった。五木寛之がボソボソと「僕はもう4か月も洗髪をしてない」「トイレで一日気を失っていた」とか救われない話をひたすらするのだ。ファンの方には深い味わいがあるのだろうが、当時の切ない私の状況では、テーマ曲の「戒厳令の夜」を聴くだけで、人生の淵に追いやられるような、生きているのが嫌になるような寂しさがあったものだ。
 それが、こうして年月を経た今、その同じ時間に、大好きな吉田拓郎の自由闊達な喋りと心熱くなる音楽が聴けるのは、まるで夢のようだ。五木寛之ではない吉田拓郎の日曜深夜を噛みしめずにいられない。ああ生きてきてよかった。おばあちゃん、歳をとるって素敵なこともあるのね。そうよ‥‥‥って、よしなさい。

2018. 4. 11

 ヨーロッパの国立バレエ団で活躍する知り合いのお嬢さん。あぁ,あの小さかった女の娘が単身異国の地で…という感慨もさることながら、ともかくその近影がすんばらしい。思わず浮かぶ。

     ♪君の背中は 背中は弓なりに
      こなごなの心の破片
      僕に愛の矢を射るんです

 そうか、この背中の弓なりのことを歌っていたのかと勝手に思い込む。もちろん、このおっさんに愛の矢なんて飛んで来やしないが(笑)、日本人だし体格に恵まれなくて苦労していると聞いていたが、いやいやどうして、この機能美とでもいうべき身体の隅々まで漲るような美しさに心射られる。
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2018. 4. 12

 「この街」が、何かというと頭の中でリフレインしている。この新曲、いいじゃないか。申し訳ないが、阿久悠さんのこの詞は、古臭くてそれほどイイとは思えないのだが、御大のメロディーの運びと展開が実に気持ちいい。だから頭から離れないのだ。"メロディーを得て言葉輝けり"のパターンではないかと僭越ながら思う。それにさ、70歳を越えてこんなメロディーが出てくる盤石感も嬉しいよ。
 以前にカラオケに入っていたので歌ってみたのだが、悲惨な結果となった(爆)。心地よいが難曲だ。林部くんやっぱり凄いな。当たり前か。♪「この街」は歌えない〜と誤魔化した。ツマンないオチつけてんじゃねーよと自分でも思う。とにかく待たれるのは、本人歌唱だ。・・・歌ってくれるかな・・・

2018. 4. 13

 ap bankが久々に,つま恋でイベントをするらしい。心貧しき私は,これまでap bankが聖地つま恋を乗っ取るんじゃないかと疑心暗鬼で、面白くなかった。しかし,今は全く違う。一度は閉園を覚悟した聖地つま恋じゃないか。それがこうして大きな若い世代を含めた音楽の祭典とともに生き続けることは凄くありがたい事だと心の底から思う。だから桜井さん小林さんを心から応援したいと思う。・・・嘘だ,そこまでは思っていない,そんなに私はイイ人ではない(爆)。

 しかし、つま恋よ、今までもそしてこれからも私はあなたとともにあります。
            I have been and always shall be yours.

2018. 4. 14

 加山雄三さんが光進丸を失ったニュースはショックだった。ファンでもない自分だけれど、ここ最近、密かに加山さんのことが気になっていた。だって、80歳で普通にコンサートツアーを続けているんだぜ。これが"希望"でなくてなんであろうか。お力落としなきようにと思わずにいられない。
 ただ、私にとってリアルタイムの加山さんは、既に若大将シリーズが終焉し、身内の倒産に巻き込まれ莫大な借金を背負い、同じような設定のテレ東のドラマで沈痛な高校教師を演じていた時だ。「あ〜あ、若大将=加山雄三もこんなになっちゃったか」という家族の嘆息とともに覚えている。
 しかし、爽やかな若大将は、そこで終わらずに、その苦境から爽やかに巻き返して、今がある。人は哀しみの中でしか生きられない。でもそこにこそ希望があるというお手本のひとつだと思う。なので無責任かつ無神経に言わせていただくが、是非、後継機・光進丸AとかU世とかを得て、航海もそしてコンサートツアーも続けてほしいと思う。

 御大も加山さんを超絶尊敬されていることは言葉の端々に窺える。もちろんあの面々の揃ったレスペクトコンサートに参加したりするのは確かに似合わない。例えば特別ドラマで、「40年前ビデオテープを捨てたのは私です」と御大が加山さんに告白に行く「懐かしき海の歌U〜告白」というのはどうだ。もっとよくねぇよ(爆)。

2018. 4. 15


♪風がバタバタ鳴っている。こんな日に赤提灯で飲んだら大変そうだ。あぁグッと。


「また同じことを話してる」とお互い、呆れ返ることもしばしばだ。しかし、頭の奥にしまい込まれているものを、しまい込まれているからこそ、そうして何度も指差し確認する必要がある。そうしないと人は頭の中にあることを―かなり大事なことであっても―悲しいかなさっぱり忘れてしまうものだ。頭の中は見えないし、ここでも「時間」という怪物が大いに幅をきかせているので、うつつを抜かしたり、ぼんやりした日々を送っていると、「時間」はここぞとばかりに、われわれの頭の中にあるものを、ごっそりと持ち去っていく。(吉田篤弘「京都で考えた」p.37)


 御大の今のラジオ、とりわけ“ベストテイク”は、吉田拓郎の大いなる指差し確認だ。御大の頭の中にしまいこまれた壮大な宇宙を覗かせてくれる。私たちは、そんな制作ドラマがあったのかと驚き、そんなにも丹念に作られていたのかと唸る。聴きなれた楽曲が、まったく違う色に輝きだしたりする。あらためて凄いことだと思う。
 ファンひとりひとりの頭の中にもそれぞれの吉田拓郎がしまい込まれている。その人だけが観た、経験した、知っている、感じた、かけがえのないものが眠っているに違いない。それらが時間に持ち去られませんように。とても余計なお世話だが、時々指差し確認されているだろうか。後世のためにもお願いしたい。

2018. 4. 16

ラジオでナイト 第52回 2018.4.15
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。楽しみにしているテレビ番組…といってもドラマもワイドショーも観ない。NHK-BSのアナザーストーリー、沢尻エリカが司会している番組はよく観る。二度目のハワイ、リスボンとか、若い子が3000円くらいで旅をする、旅は二度目からが面白いという番組も室井滋のMCとあいまって面白い。
 あとは「奇跡のレッスン」。毎回世界的なコーチを招いて、子どもたちに、卓球 、テニス、新体操とかを教える。いろんな競技をレッスンする。これを観ていると泣かずにいられない。子供たちの純真さに僕はもうダメ。こういうのに弱い。
 あと、観とかなきゃというのが、囲碁将棋。いつ陽水から観たか?と電話かかってくるかもしれないので、絶対観ている(笑)。

 最近は、野球だね。開幕して、なんつったって大谷を観なきゃ。大谷のこと、そんなに好きだったかというくらい。ウチの人も「キャー大谷君」と騒いでいる。  
 二刀流をメジャーでもやり通すのは凄い。まさにベーブルース以来だね。いきなり3連続ホームランに、あわや完全試合かという成績。凄いね。今年の流行語大賞は、「二刀流」でキマリだね。

 街の人は大谷くんをどう見ているか。

30代女性  少年の瞳キラキラ素敵。
>顔もいいんだよね  
40代女性  チャラチャラしてなくて清潔感
>そうだね、僕は若い頃チャラ男だった(笑)。でも清潔かどうかはどうしてわかるんだ。

 世間の人にあなたの二刀流を尋ねてみた。
20代女性 テレビを見ながらユーチューブを観られる
>そういうのは違うだろう
30代  契約社員で給料が安いので夜はキャバクラ
>大谷くんの二刀流とまったく違う
20代男性 ギャル系とお嬢さんと同時に付き合っている
>ふざけんなよ

 ラジオ業界の人は二刀流をどう観ているか。
・出世しそうな二人の上司派閥に入っている
>ははは(笑)  誰だよ。 
・60代 私は泌尿器科と整形外科に痛飲している
>どこが二刀流か(笑)

 ウチの妻にもブームがある。時々男性のスポーツ選手に興味が出てくる。有名なのは、サッカーの遠藤、ヤットさん。
 その後、一瞬だけ照ノ富士というのがあったが、2週間で醒めた。最近は、大谷くんの影響で、よく野球を観ている。「いいわ」とか言いながら、何がイイんだか。大谷くんの家族のこととかまで調べて「お母さん、”かよ子”っていうのよ」とか言っている。

 サッカーは、ホジッチ解任して西野監督になった。西野監督は、昔、ガンバの監督で、その時から「いいわぁ」と言っていた。彼女にとっては、その西野が帰って来たことが大きい。
 大谷、西野、両角…これカーリングのヤットさんに似ている人ね、そして本命遠藤、さらに野球解説の和田さん…これがわからない。

 スポーツ花盛り、ハチャメチャな妻に振り回されている吉田拓郎のラジオでナイト

■タイトル
 スポーツはいいな。ハラハラドキドキしながら観るのがいいな。そこに嘘はないし、平昌もスケートなんかドキドキしながら応援していた。

<就職活動しているが、人生は第二希望でいいというアドバイスを貰ったという投書>
 第1希望でなくていいと思う。僕なんて大学は第3志望の滑り止めだよ。それでも友達ができて音楽ができて楽しくてよかった。

<拓郎さんはシンガーソングライターが一番の希望だったのかという投書のつづき>
 音楽は一番だったね。でも第二希望として河合楽器に勤める予定だった。ピアノのセールスを若い奥さんにすり寄って(笑)。たぶん広島支店の支店長くらいには昇り詰めていた。

 僕はシンガーソングライターではなくて、バンドで成功したかった。それで広島のバンドとナベプロに売り込みに行った。もしバンドで売れていたら、僕はリードボーカルでなくてギターだったろう。後ろでギター弾いているのが本当に幸せなんだ。しかし、東京ではシンガーソングとして迎えられたからね。そういうわけで別に第一志望でなくてもいいと思う。

<佳代さん、拓郎さんに長生きしてもらうには、お猪口、二杯くらいはお許しくださいという投書>
 高見澤からメールを貰ったけど、アイツも酒を嗜む程度になったと言っていた。アイツも60幾つだからね。お猪口1杯にビール2杯くらいがいい。ビール一杯の時は、お猪口2杯でどうかと奥さんには言っている。もうそんなに飲まない。

■CM明け
 今日の洋楽リクエスト。そんなコーナーあったっけ?すげーな、いい加減だなこの番組(笑)
 これは僕も聴きたい。
<昔観たテレビドラマ「サンセット77」ロジャー・スミス、エド・バーンズ、エフレムジンバリストジュニア、カッコよかった という投書>
 俺も観ていた。ロジャー・スミスがギターの叩き弾き(実演) ウマイんだよ。
声は、園枝啓介さんだったか。聴いてみたいな。

M−1  サンセット77

■今週のベストテイク  
 今週は、遡って、また他人のために書いた作品。岡本おさみさんとはニッポン放送のフォークビレッジで知り合った。その頃彼は詞なんか書いてなかった。前にも言ったけれど、とにかく歌いづらい詞だった。音楽の畑の人ではなかったので、言葉にリズム感がない。メロディーをつけるのが困難だった。それでもなんとか作った中で、「襟裳岬」これがナンバーワンだ。詞とメロディーが見事に合体している。
 最初は「焚火」という詞だった。いい詞だなと思った。この詞は、あれこれいじらないでそのまま曲をつけたかった。
 森進一のビクターのディレクターだった元ソルティシュガーの高橋くんという人が、夜な夜なペニーレインで僕を口説いた。山本コータローのことはよく知ってたけれど、彼のことは知らなかった。いっちょうやってみようということになった。
 キャロル・キングの"つづれ織り"が流行していて、ピアノのアレンジがフォークロックでいいなと思っていた。そこで、ギターとエレキギターとベースとドラムマシーンでデモテープを作った。だいたいこんな感じだった。こんなによくはなかったけど

M-―2 襟裳岬    吉田拓郎(oldies)

 この鳥山と演奏したoldiesというアルバム。話は違うけど、例のレコード会社の垣根を超えたアルバムとデモテープは、出るよ。今、選曲しているけれど、この襟裳も入れたいな。  鳥山と二人で鳥山の家のスタジオで録音した。ホーム・レコーディングというやつで、大きいスタジオと違って、音が温かいんだよ。こんなに素晴らしくはなかったけど、こんな感じのデモテープだった。
 デモテープを渡して約1か月経って出来上がった森進一の作品を自宅のオープンリールで聴いて、最初貧血がおきそうに吃驚した。
 まさかトランペットで始まるとは、そういう概念がなかった。リズミックなのを想像していたので本当に吃驚した。これは一体何なんだと思った。
 そうはいいながら大ヒットして歌謡大賞、レコード大賞を受賞した。
 しかし、このトランペットを聴くと「あ、襟裳だ」とわかるくらい浸透した、これは、演歌としての王道アレンジだったんだなと思う。僕のアレンジではヒットしなかったろう。このトランペットこそが王道だ。
 貴重な体験で、アレンジの馬飼野俊一さん、康二さんの兄さんには、敬意を表したい。
僕は、R&Bとかをやってきて、こういう音楽をあまりわかっていなかった。その後、こうやって、いろんなアレンジャーから音楽を学んだ。こういう手がある、こういう方法があるんだなと知った。
 森進一にはこのアレンジがあっているし、これ以外は考えられない。
 付け加えると、岡本おさみの歌いにくい歌詞。これを歌いこなした森進一は歌唱力が素晴らしい。よくこれを歌えたなと思う。当時は難しいよね。自分では何とか歌いこなしていたのが、他の歌手では歌いこなせたのは、由紀さおり、小柳ルミ子、森山良子くらいかな。 
 そうこうしているうちに岡本おさみ吉田拓郎コンビに依頼が来なくなった(笑)難しいよね。

M−3 襟裳岬  森進一

■今週のマイ・フェイバリットソング
 ひとりの美女。シェリル・クロウ。いいんですよね。綺麗。ルックスが好きだな。ボーカルも自然体でgood、ギターの持ち姿、立ち姿綺麗good、スカート、ワンピース似合うけどジーンズもいい、good、スッとイイ感じの人。

 カミさんにとっての大谷君とか西野さんに匹敵するくらい。カントリーに分類されるのかもしれないけれどロックだな。
 このビューティフルなシンガー。”タルサタイム”のリクエストが偶然にも来ている。
シェリルクロウが歌うバックでクラプトンが弾いているアルバムがある。まずは、シェリルクロウの唄声。

M−4 オールアイワナドゥ  シェリル・クロウ

いいですね。好きだな。

<2017年のラジオで武部さんが「やっせっぼちのブルース」をオールマンブラザーズみたいにと頼まれたといい、そこで久々にタルサタイムを聴いたという投書>

 タルサタイムはクラプトンもいいが、今日はシェリル・クロウ、後ろでエリック・クラプトンが弾いている。

M―4 タルサタイム エリック・クラプトン

 ブルースコードいわゆるスリーコードがある。C7〜F7〜G7(野良犬のブルースをワンコーラス歌う)あるいは(狼ブルースを歌う)  
  2コード、ブルースコードの曲が吉田拓郎にも結構ある。こういう曲でもう少しノってくれる?お願いだから(笑)。こういうのばかりじゃなくて(落陽を実演)。僕達はそうやって生きてきた、白いレースの日傘、野良犬のブルース、やせっぽちのブルース…そういうのでノってくれるかな…‥‥媚売ってどうする(笑)

M―5  タルサタイム  シェリル・クロウ


■エンディング
 来週はスペシャル。本邦初公開のデモテープ。後に「季節の花」になった作品。当時朝起きたらイラク戦争のさなかでクウェートに侵攻していた、そういう歌。副題が”女たち”アルバムもないしボツった曲だけど、お楽しみに。

募集中
・渾名
・洋楽リクエストに落ち着いた

 吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆大谷翔平くんは凄いと思うが、もう、凄すぎて、なんというか死語だろうが私には”新人類”という感じで、実感が湧かない。どこの星から来たんだ、この青年。むしろ彼の才能を認めず、頑なに誉めようとしない張本勲に現実を感じる。そのくらい凄いと思う。

☆自分もシンガーソングライターが一番の目標でなかったという御大だが、それとこれとは違う気がする。しかし、ここまでのシンガーソングライターになっても、バンドでギターを弾くことの幸福感を持ち続けているところが、なんともステキだ。多くのシンガーやソングライターは、いかに自分の作品と名前をあげるか、商業戦略も含めて執心するところだが、御大は違う。そういう商戦からは一歩も二歩も引いて、音楽好きだ、ギター弾くのが幸せだという無欲なスタンスにいる。それゆえファンには歯がゆいことも多いけれど、たからこそ吉田拓郎のことが好きなのも事実だ。

☆で、出るんだな、デモテープ付アルバム。超絶楽しみにしているぞ。BOXで構わん、とにかく、たくさんの作品を世に出してくれ。

☆岡本おさみと襟裳岬。前にも書いたとおり、このリズムも字数も関係ない詞と格闘し制覇したところに、吉田拓郎の魅力と才能が開花したのではないかと思う。僭越至極だけれど、まさにそこにこそ”奇跡のレッスン”があったのではないか。

☆僭越ついでに、R&Bだからノらないのではないと思う。少なくとも私はそうだ。メロディーやリズムやブルースが最高でも、詞に共感できないとノれない。
 例えば、御大の言う「白いレースの日傘」・・・これはもう詞が素晴らしい。岡本おさみの後期真骨頂のひとつだと思う。だから、イントロだけでウキウキしてライブでも何度かスタンディングしてしまった。
 それと比べると”恩を忘れない野良犬”とか”粋なあの娘が色目を使う狼”には、どうしても感情を投入しにくい。”僕生き”も、個人的には好々爺のお説教みたいで詞に感情移入ができない。
 ロックンロールやR&Bのメロディーとリズムに、キレ味するどい、深みたっぷり、共感の雨アラレのようなすばらしい詞をガッチリとかみ合わせてほしい。さすれば、誰もが、止めても立ち上がってノるのではないか。というわけで「詞」だと思うよ。御大、あなたは幾多の名詩をものにした詩人じゃないですか。すんげえ詞とリズムとメロディーが競い合って噛み合うコンペを、今度のアルバムで見せてくれよ。

☆来週のデモテープも楽しみだ。イラク・クウェートというと「東京の長く暑い夜」が浮かぶ。あれは名曲ばい。
 "東京の長く暑い夜"→"WOMAN"→"季節の花"という流れだったのか、"WOMAN"→"東京の長く暑い夜"→"季節の花"という流れだったのか、どっちだろうか。

2018. 4. 17

 ホジッチ監督に解任に怒る小柳ルミ子さん、西野監督就任を喜ぶ森下愛子さん、人生はいろいろだ。でも、ルミちゃん、あなたには"蛍の河/赤い燈台"があるではないか。いみふ。http://tylife.jp/uramado/hotarunokawa.html
本当に見事な歌唱ばい。

2018. 4. 18

 「最近特に声が,すごおくイイよね」とラジオの感想で小一時間,駅の地下で呑む。確かに。「以前、一時期、かすれ気味だった話し声が,とてもなめらかでいい声になっている」と。御意。詞に感情移入できない歌と悪態をついた"野良犬のブルース"だが,その声でサラリと歌った感じに,「やっぱりいいかもしれねーぞ」と思い始める。

2018. 4. 19

 4年ぶりで下北沢の演劇に行く。前説から後説まで悶絶して笑った。団長は,とうにいなくとも団長が舞台のすみずみまで漲っている。劇団全体の団長への思いですべてが動いている。これはサイトウキネンオーケストラみたいなものだ。イヤ,思いつきで言っただけで全く違う(爆)。「1mmも心に残らない芝居です」と座長が宣言していた(笑)。詩情も教訓も感動もなく本当に1mmも心に残らなかった。イイ。自分は吉田拓郎にあまりにも意味と感動を求めすぎているのではないかと1mmくらい思った。

2018. 4. 21

 昨今、電車の中では老若男女問わず殆どの人々がスマホに見入る。すっかり流れに乗り遅れたガラケーの私は、何もすることがないので毎日読書をすることにした。もちろん"吉田拓郎"に関する読書だ。関係なくても強引に関係づける読書だ。

 一応、タイトルは

♪♪♪レールが鳴ると僕等は読書がしたくなる♪♪♪

■■■「マンタの天ぷら」松任谷正隆著■■■

 松任谷正隆は文章がうまい。三谷幸喜の文体に似ている。トボケたおかしさに、ペーソスが滲む。良家のお坊ちゃま、慶応、超絶なカーマニアというと,私にとってはイケすかない要素揃い宿敵ながら、その文章を読んでいるうち妙に心が温まってくるのを感じる。もちろん場面は少ないが、ユーミンの新婚旅行にムッシュと同行した有名な話などのくだりで吉田拓郎も登場する。
 そして拓郎のツアーの思い出も述懐されている。

「…僕は吉田拓郎のツアーに参加していた。このツアーの一行というのが、それはひどいもんで、もはやショーよりアフターショーの方が大事というメンバーばかりで成り立っていた。…行きつけのクラブに駆けつけると飲めや歌えの大騒ぎ。みんなショーの100倍は元気になるのである。」

 ユーミンとの逸話も含めて、美しくも、おかしく切ない話が、結構てんこ盛りだ。てんこ盛りと言えば、このエッセイで特筆すべきは、”ゲ〇”、”ウ〇コ”、という人間の上からと下からの苦しみ&悲しみに正面から向き合っているところだ。えんがちょな話が随所に出てくる。

 例えば、免許を取ったばかりの”鈴木茂”が、高速に乗って流れに逆らえず、そのまま日光まで行かされてしまって、いろは坂の蛇行で気持ち悪くなって車を止めて吐いた話。もう鈴木茂がますます好きになってしまう。
 スタジオに行く途中の交通大渋滞の車中で、便意をもよおした"武部聡志"が、手持ちの楽譜に(略)、そして窓からその楽譜を車窓からぶん投げてゆくという世にも恐ろしい話。

 行間に満ちる愛と哀しみと笑いを読みながら、ああ、また松任谷と一緒にやってくんないかなと、心から思わずにいられないOK松任谷な一冊である。

 あ、でも"笑っていいとも"で話していた、松任谷ご本人の拓郎岡山公演の話は書いていないな。どっかに書いてやろう。
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2018. 4. 22

 気持ちいい天気。今年もKくんの墓参りにゆく。ちょうど命日だったので,多分奥様だろう、花が供えられていた。そうか、彼は青い花が好きだったのかもしれない。そういえば御大のハワイツアーの時も彼は青いアロハを着ていた。♪季節の花は…。御大は元気だぞ,どうか見守っておくれ。
 その足でまた下北沢の劇場で1ミリも心に残らない芝居を観る。幼子だった団長の娘さんたちがすっかり成長している。お父さんの顔は殆ど覚えていないかもしれない子たちに、お父さんの作った舞台を観せる。劇団の人たちはどんな気持ちなのだろう。想像もつかない。でもそれだけの長い時間、みんな役者と演劇の仕事を続けていることも凄いことだ。
 本当に4月は祝福と哀悼が荒波のように行きかう。"モオツァルトのかなしみは疾走する、涙は追いつけない(小林秀雄)"。人生は鍛錬なのか。つづく。
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2018. 4. 23

ラジオでナイト 第53回 2018.4.22
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。ラジオを聴いているみなさんの中にゴルフをやられる方はおられるでしょうか。僕は、20代でゴルフを始めて30代でやめた(笑)。トラブルがいろいろあって。
ゴルフは深いスポーツ。老いも若きもそれなりに楽しめる。そしてゴルフは人生そのものだ。
 第1打、ティーショットを打つときは、自分も一番ホールをどう攻略するか、パー4でどう行くか素人なりに考えるものだ。ところが、人生と同じ計算どおりに行かない。
あそこに第一打と狙ったところに落ちない。
 僕は、飛距離はあるけどよく曲がる。フック、スライスが自然に出てしまう。林の中に走って行って、そこから何とかフェアウェーに出したい。そこで、人間は欲をかく。林の中からグリーンにオンする、そんなことプロでもなかなかできないのに、デキるかもと思ってしまうのだ。
 本当なら、ここで慎重に真横に打ってフェアウェーに出せば傷も少ないのに。しかしそこで冒険してやろうと思う。するとボールは、カンコンキンコンカンコンとボールはもっと林の奥に行ってしまう。それでも人間はここからならいけるだろう。どうなんだ,というくらい大変になってしまう。
 安全策で出しておけばいいのに、それができない人生ってありません?
あそこで冒険したためにっ・・・ていうこと。
 バンカーなんてのもあって、出しにくい。出るために4打も打ってしまう。最後は、手をつかって、サンドウェッジならぬハイドウェッジ、手の5番使ったり。
 不思議なスポーツで、18ホール終わって、シャワーとか浴びていると反省がどーっと出てくる。こうすればよかった、ああすればよかった。すべて人生の一シーンのようで、そこが深いところだ。
 今は、やめちゃって、でもハワイではやるけど
 日本では、喧嘩してやめてしまった。
 軽井沢のゴルフ場で、東芝ディレクターMさんと某音楽出版社の方と回った時があった。Mさんがパターを撃とうとしたとき、手に蜂が止まった。Mさんはビギナーで、マナーを大切にしなくてはいけないと厳しく言われていたので、僕達に「この蜂どうしたらいいのか」とお伺いを立ててきたので、僕らは、そりゃあMさん蜂が去るまで待ちなさいよといったら(笑)、刺されてしまったことがあった。

 昔、ローラ・ボーというと女性ゴルファーに憧れていた吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル
 ゴルフは随分やっていないな。ハワイに行かないからな。ハワイの話は今日は存分にふれる
<白髭さんの渾名がひげちゃんという投書>
 白髭くんとは仲良かった。「イメージの詩」のフォーク村バージョンのギターを弾いているのは白髭けんじくん。フォーク村の後輩。珍しい苗字だね。この人も広島の単身赴任してるそうで、面白いな。 

<中2のころ”たわし”という渾名。剛毛で密集していて亀の子たわしのようだったことからついたあだ名という投書>
 羨しいな。僕は、ふにゃふにゃの猫毛だから。
<女の子に髪の毛触らせてといわれて、気持ちいいと興奮させていたという投書>
 ははは、全国広しと言えども、おまえだけだ。

さぁこのあとはとっておきのデモテープだよ
■CM
 前回のデモテープに大変な反響だった。デモテープを、今度のレコード会社の壁を越えたアルバムのオマケにつける。どれとどれというように、みなさんが聴いた事のないもの、出来のいいものとか、30曲くらいになる。全部出すわけには行かないから、選択中。  
 さて、本邦未公開というよりアルバムに入らなかった作品。なので、完成形ではなかったし、「季節の花」に移ったり引用したりしたフレーズもある。
 イラクがクウェートに侵攻したというニュース。1990年のある朝、早起きだった僕はテレビのニュースを観て戦争の始まりを知った。僕は朝は早いんだけれど、例によってウチの奥さんは寝てました。基本的に朝は弱い人。いまごろ寝てんだろーな、女たちときたらもう、戦争なのに寝てんだわなという、ある朝突然に僕に浮かんだ作品。

 この頃は大橋に住んでいた、その後、洗足に行って、逗子に行く。逗子に行く前の自宅の勉強部屋で作ったけれど、これがクリアな音色なんだ。ギターがうまいのなんの。エレキの音色がいい。恩師の高中もどきのギターが、うまいなぁ、つくづく。アレンジも凝っている
 逗子ではサンプラーを使っていたが、その前だったけれど、すでに見事な打ち込み。心して聴いてほしい。サックスも出てくる。

 とりあえずのタイトルとしては、

M−1  女たちときたら   吉田拓郎

■今週のベストテイク  
 「シンシア」。かまやつひろしさんと歌っている。70年代初めから、かまやつさんからセッションしたいと言われていた。当時から吉田拓郎にことあるごとに接触を求めていた。

 当時、CBSソニーで毎年のヒット・パーティがあった。銀座だった。そこで南沙織と知り合った。「よしだたくろうといいます。”早春の港”好きなんですよ」と声をかけた。凄くクールでシンプルないい人なんだな。
 早春の港は、♪故郷持たないあの人のいい故郷になりたいの〜のフレーズが、いいなぁと思っていた。東京に来てしばらく経ち、もう広島にも帰れないし、放浪モノの気分だった。そこに、”故郷持たないあの人の”にジーンときてアンサーソングを作りたいと思った。

M-2 早春の港  南沙織
 いい声だな。竹内まりやとか、こういう低音の音域が好き。南沙織さんは、ペニーレインにも来てくれたし、みんなで騒いで楽しかった。
 アンサーソングをつくるにあたって、かまやつさんも歌うというところが、ネックになった。ひとりで歌うなら自由なんだけれど。かまやつさんは、カントリーなので、カントリー風味ということで、当時、流行していた、アメリカのニッティー・グリッティー・ダート・バンドを参考にして、サウンドのヒントを得た。

 かまやつさんという人は、歌をなかなか把握してくれない。「竜飛崎」なんて、演奏は、愛奴だよ、青山徹と浜田省吾がいるんだよ。時間はかかったわ。それに、歌も大変だった。
 なつかしいから聴こうかな

M-3 竜飛崎
 すさまじいね(笑)。愛奴の演奏もすごいけどかまやつさんのボーカルすごいね。二度とできない。あれ以来歌っていないでしょ。むづかしいよね。
 「シンシア」の時も「タクローどうなの」とか言っていたけれど、カントリー風味で ニッティー・グリッティー・ダート・バンドなので、かまやつさんは歌いやすかっただろうと思う。

M-4シンシア  よしだたくろう&かまやつひろし

■今週のマイ・フェイバリットソング

<ラジオについて「おいハワイはどうなった」と夫が気にしているという投書>
 ゴルフの話をしたが、ハワイでやるゴルフは楽しい。そこでなら得意の5番アイアンを握る。

 ハワイというとワイキキ、オアフを思い浮かべるが、カハラ (歌う)地区は、閑静。
あとノースショアもいい、松本シェイビングアイスで有名だ。

 あとは、広いハワイ島、雨のカウアイ島、モロカイ島とかいろいろあるが、吉田家はマウイ島だ。ゴルフが好きなら、カアナパリにゆくところだが、ここを避けて西のワイレア地区に行く。ここには、グランドワイレア、フォーシーズンズ、ケアラニの三つしかホテルがない。ラハイナには近い。矢沢永吉の歌にあったな。
 なにしろ静か。有名人ぶってるといわれるかもしれないが、そうなんです(笑)ワイレアが近く、ケアラニの広いプールサイドでブラッディマリーを飲むのがなんともいえない。あてもなく、ぼーっとしながら時のながれのままに何も考えない。近所のキヘイのレストランで食事をすると。今度はアウトドアのバーがいい。風がそよそよと吹いてくる。夕暮れのマウイの風が格別だ。「時間よとまれ」はここのことではないか。空気が穏やかに流れて時間がとまっている。ここで飲むのは、ピニャ・コラーダ。まったりと時間を過ごすことまさにワンダフルワールド、パラダイスだ。

 ドラマでカミさんが一緒だった菅野美穂さんが、ハワイで一か月過ごすというやりとりで、マウイのワイレア近くをすすめた。後に、とてもご主人が気に入って、ありがとうございますとメールをいただいた。
 こういうところにみんなと行ったらあの静けさがぶちこわしだな(笑)。ちょっと恐怖感。みんなと行くならカアナパリ、いやワイキキでいいか。

 いろんなところを旅した 僕が勧めます。一度ワイレアを体験してください。この曲を聴くとあそこが浮かぶ。

M−4 この素晴らしき世界  ルイ・アームストロング

■エンディング
<子育て終わって引っ越しを考える。近所に気にせず音楽やギターを弾きたいという投書>
 そんなことを望むことではない。僕はだって、家では大音量では聞かない。ちょうどいい音で聴いている。それより日常の暮らしを第一に考えるべき。二人にちょうどいい広さ、ちょうどいい間取り、大きすぎず、狭すぎずという住環境。大事なのは日常だよ。ギターなんて弾かなくていいじゃん。ギターは俺にまかせておけよ。

・渾名。悲しいのが多くて読めない。
・洋楽
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆仰せのとおり、あぁぁぁギターが美味い、違う、巧いっ!!と思わず声に出してしまった。なんというリリカルなギター。まるで歌っているかのようだ。メロディーもそしてチカラぬいて歌っているボーカルもまた魅力的だったりする。
 ただ詞のテーマの”女たちはもう”というのは、すまん、私にはよくわからない。「季節の花」とか「東京の長く暑い夜」とかの方が、私にはストレートに伝わってくる。まぁ、私の話しはいい。ともかくこんな演奏がご自宅に埋もれていてイイわけがない。聴きたい。すべてを果てしなく聴きたいという思いが募ってくる。 デモテープの現実化も進捗しているようで嬉しい限りだ。

☆しかしデモテープ30曲ってゼンゼン多くないっすよ。50曲あっても多すぎると文句を言うファンはいないはずだ。あまり制限をかけずに自由に出してください。

☆ゴルフといえば”懐かしき海の歌”での練習場の吉田拓郎の美しいショットである。

☆飛距離はあるけれどスライスして林に入る。御意。失礼ながら、なんかわかる。観たことはないが、きっと小田和正は、細かく刻んで、ネチネチと正確に寄せてきそうな気がする。

☆ローラ・ボー懐かしいぃぃぃ。昔、セイヤングにデビュー当時の石野真子がゲストで出た時、確か御大におねだりされて、真子ちゃんがローラ・ボーのモノマネをやったのを思い出した。日清サラダオイルかなんかのCMのまねだった。どっちも可愛かったなー。ああ、青春は燃える陽炎か。

☆「シンシア」は。生まれた初めて買った吉田拓郎のレコードだ。忘れようにも忘れられない。中学1年の夏休み、”シンシア/竜飛崎”をwoh!!といいながら毎日毎日聴いた。たまらん。あれから44年、うかうかしていると半世紀になってしまう。

☆ハワイの話はなんか涙がでそうになってしまった。ハワイ遥かにあらず、心中にして即ち近し。いみふ。ここじゃうまく語れない。

☆大切なのは日常だ、ギターなんか弾かなくていい、ギターは俺にまかせろ。御意。私は思い切り任せたよ。

2018. 4. 24

 昨夜の石橋貴明の番組は79年頃の新宿のディスコの特集だった。ディスコなんて数えるほどしか行ってないが、同じ歳だし、場所も同じ新宿のニューヨークニューヨークだったため、あれやこれやメチャクチャ懐かしくて見入ってしまった。
 石橋貴明は、ジョントラボルタに憧れてディスコに通ったというのは時代的によくわかる。しかし、私的には当然吉田拓郎への憧れだ。当時ラジオを聴いていて、御大のディスコ狂いは結構凄かった記憶がある。だから当然、ファンの自分も行かなきゃと浮き足立ったもんだが、ヘナチョコ高校生・大学生には敷居が高かった。
 「60歳になっても、70歳になっても酒呑んでディスコに行こう!!」と御大は何度も語っていたが、さすがに今それは大変かもしれない。しかし、♪時の流れを悔やむでないぞ・・・あの意気軒高な日々ありてこそ、また味わい深い今がある。すべてはひとつながりだ。あー、これ御大のラジオで毎週聴いているセイムオールドソングじゃん、これで踊ってたんだと改めて驚いたりした。

2018. 4. 25

 DVD「歩道橋の上で」の「街角のタンゴ」のあとでなぜ御大が島ちゃんと笑い転げているのか謎が解ける。長生きはするものだ。


<レールが鳴ると僕らは読書がしたくなるA>

■「教えてハワイ」吉田拓郎CLUB26編■

 ラジオでナイト第53回のハワイの話は,胸にしみて泣きそうになった。何度か聴いた話だが、吉田拓郎が、どれだけこの世界を愛しているのか、心のありかをしっかり確かめるように、そしてそれがリスナーに届くようにていねいにていねいに語りかける様子に胸が詰まった。
 「教えてハワイ」。もう発刊から20年以上過ぎており、ガイドブックとしては用はなさないのかもしれないが、今でも時々読み返す。少しも色褪せていない。特に「ハワイの一日」というエッセイが白眉だ。ハワイでのある日の朝から夜までの日録。なんじゃコレ、SPの鼻持ちならない、ぐうたらな日記に過ぎないと思う人々もいるに違いない。
 しかし、この文章にこそ、深い行間があると思う。かけがえのない人生、大切な時間と空気をいつくしむとはどういうことなのか、それを訴えかけているような気がしてならない。ハワイの話でありながら、ハワイを越えた深奥の話ではないかと思うのだ。
 この素晴らしき世界の片隅で、鬱々とした通勤電車に揺られながら読むこっちにも、あの涼やかな風が吹いてくるかのようである。

 あぁハワイに行きたいと切に思う。それと同じくらい、いやそれ以上に、御大、あなたがまずハワイに行って欲しいと心の底から思う。
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2018. 4. 26

 巨匠のピアノで,ユーミンの「瞳を閉じて」を歌っていただいた。素晴らしい歌唱に聴き入る。ありがとうございます。奈留島島民全員起立!!!ハワイと海で繋がる奈留島よ。
 ユーミンは、秋から来年春まで、またロングランツアーらしい。これじゃあ、御大のツアーのスケジュール調整が大変だろう。こないだラジオで久々にかかったし、次のツアーは愛奴でどうだ。もっと大変だろぉぉぉ。

2018. 4. 27

 世の中、えらい騒ぎだ。その騒ぎの中、俳優田村正和引退の報を知る。吉田拓郎のコアなファンであり、また田村正和の熱いファンでもある方から教えていただいた。先日の眠狂四郎the finalが役者としての本当のfinalになってしまった。田村正和と吉田拓郎が好きだというのは、私にも、たぶんその方とっても極めて自然で必然なことなのだが。その思いの詳しくはかつて「阪妻がすべてだなんていいませんよ」に書いたとおりだ。どこだよ。
 世間がてんで違うところを観て浮足立っている間に、孤影悄然と静かに去ってゆく、まさしく眠狂四郎である。さしづめ私らは町人姿で宿場の陰から「狂四郎様ぁぁぁ」とその背中を見送るしかない。

2018. 4. 28

♪♪♪レールが鳴ると僕等は読書がしたくなる第3回♪♪♪

■■ミュージックマガジン2015.7特集松本隆作詞活動45周年■■■

 松本隆トリビュートの出版物、アルバム、コンサート、テレビ番組の数々のひとつ。その作品群に圧倒される。壮大な”風街帝国”が出来上がりつつある。私たちは、はっぴいえんどを含めたこの風街帝国主義の世の中を生きている。帝国という言い方に悪意があると言われたことがあるが、すまん、ある。かなりある。

 こういう本を読んでいて気になるのはただひとつ。私の主君タクロニウス・ヨシダの帝国での扱いだ。ぶっちゃけ、いつも微妙じゃね?
この本ではこんなくだりがある。

「拓郎と細野さんはうまくいかないんだけど、茂と僕は親和性がある。拓郎は評価してるわけ。あんな変なメロディを作る人はいなかったし、これからも出てこない。本当に世界的なオリジナルなんだよね。あの人はあれしかできないし、あれを発明したってことはすごいことなんだよ。だから僕はすごく評価している。」

「変なメロディー」「あれしかできない」といちいち癪に障るが、世界的なオリジナルとして評価されていることが素直に嬉しい。
 半面、ハルオミア・ホソノ帝からは好かれていないことがわかる。主君タクロニウスに仕えて長い私だが、主君がハルオミア・ホソノの悪口を言ったのは聞いたことがない。むしろ敬意を表していた。やはりあちらから主君が嫌われているのだ。

 それは、別のこんな文献にも出ている。

「吉田拓郎、はっぴいえんど、殆ど接点はないけれど(松本隆が一時拓郎さんに詞を提供したり、鈴木茂がアレンジを担当したくらい。細野・大滝両名にとっては、おそらく目の上のタンコブだったろう。)」長谷川博一「ラブジェネレーション1966-1979」

 音楽に造詣が深いエリート貴族たるハルオミア帝やオオタキーノ帝には、粗忽ものながら、アイドルのように美しく、しかも音楽の才に恵まれたタクロニウスが面白くなかったのだろう。
 あえて川向うに立ち、それぞれの岸辺から近づかなかった。

‥‥‥ということが、我が主君の風街帝国での微妙な立ち位置につながるのではないか。

 しかし、ここ最近、そんなことはどうでもいいと思い始めた。遅いか。理由は、「ラジオでナイト」だ。
 今さらながらあれだけ音楽を愛し、深い造詣を持ち、そしてあんな凄いデモテープを作ってしまう吉田拓郎。彼は決して自分の帝国を作ろうなどと思っていない。覇道も勢力も関係ない。ひたすら音楽を愛し、やわらかく静かな日常に生きる事を選んでいるような気がする。「ドミネ,クォ・ヴァディス(主よどこに行かれるのですか?)」。帝国に背を向けて旅する主君にどこまでもついてゆこう。
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2018. 4. 30

ラジオでナイト 第54回 2018.4.29
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。昔、コンサートツアーをやっていた時代、それからプライベートでも作曲の依頼でディレクターたちと軽井沢によく行ったりした。そういえば前回のゴルフの話は結構のったね。ゴルフやる人いるんだね。反響があった。ゴルフは人生そのものという話に賛同した人もいる。

 軽井沢には、曲作りの仕事で松本隆と合宿したこともある。前にも書いたことがあるが、ある日、松本隆が「信州だし、ソバでも食い行かない?」「いいね」ということで近場の信州蕎麦屋に行った。松本君は、「えーと山菜ソバ、拓郎は?」「んー俺は、天ぷらうどん」。その時の松本隆の驚いた顔が忘れられない(笑)。え、信州で、うどん食うの?と唖然とした  松本隆。だって俺は関西なんで、うどんの方が好きなんだもん。

 軽井沢の途中に横川駅があっても釜めしで有名だ。小さな土鍋、陶器の器炊き込みご飯だ。これを必ず買う。峠の釜めしをよく食べていた。
 駅弁が、最初に生まれたのは明治18年、宇都宮駅のおにぎりが発祥らしい。おにぎりというと話が全然違うが、(おきざりにした悲しみは 実演)…この曲のレコーディングの時、写譜の人がタイトルを「おにぎりにした悲しみは」と間違えて書いた。みんな怪訝な顔で「歌詞にあってませんよ」「なんでだ?」、譜面に「おにぎりにした」と書いてあった(笑)。ムチャクチャ。

 駅弁は、昔、列車の窓が開閉できて、トンネルとかで開けっ放しにしておくと煙で真っ黒になるそんな時代、窓を開けて弁当売りから買ったものだ。

 昭和29年に横浜でシウマイ弁当、横浜だもんね、33年に峠の釜めしが生まれた。この弁当のあとの窯を捨てられずについ持って帰ってしまう。でも、なんの役にも立たないんだ。
旅する人に人気の駅弁は、

1位 函館  いかめし  森駅
・・・食べたとことない 以前、上野発の夜行列車で(歌いながら)北海道に行ったとき、いかめしのアナウンスがあったけれど、食べ損なった
2位 広島宮島口駅 アナゴ飯
・・・・小さい頃、鰻飯と思っていた。違いが判らん・
3位  奈良吉野口駅 柿の葉ずし

  あとは、仙台の牛タン弁当、そういえば仙台は焼肉とか冷麺とかがなんで有名なんだ。高崎駅のだるま弁当。兵庫県明石のひっぱりだこめし。そりゃあ明石はタコ食べるしね。なんて、タコしか食っていないみたいだ(笑)

 駅弁を食べる人の気持ちで、50代男性、新幹線に座った瞬間に缶ビールと駅弁を食べるのが好き。しかし、僕はこの意見には賛成できない。電車が止まっている時に食うなよ。
 僕はまだ席を探しているときに、もう食べている、ビール飲んでいるのって、ちょっとどうなのよと言いたくなる。東京発の場合は、せいぜい新横浜まて我慢しろ、ビールの缶も抜くなといいたい。
それにしても駅弁は、鰻弁当とかいろいろ食べたけれど、峠の釜めしが美味しかったな。   70年代の青春、まだアパートに一人暮らしだったころ、部屋に10個も20個も器がたまっていて捨てるのに苦労したな。

 峠の釜めしが大好きだった吉田拓郎のラジオでナイト


■タイトル

 電車と車窓の景色とで、駅弁そのものの味が一割増しになる。日本だけなのかな、駅弁て。ヨーロッパとかでも、車窓で食べるとかあるのかな。

 洋楽リクエスト、これが凄い。
<ゾンビーズ  二人のシーズンという投書>
 ゾンビーズをリクエストしたことが偉い。知ってるだけでいい子だね。好きだったんだよ、グループサウンズでも一味違ってて。ボーカルがフニャフニャ、キーボードがバカテク。柳田ヒロを思い出す。

 でもリクエストの「二人のシーズン」、その曲はかけない(笑)
 あなたのリクエストを呼び込んでおきながら、曲は変えてしまう(笑)

M-1 シーズノットゼア  ゾンビーズ

■CM明け

 先日、いきつけの美容院に行った、美容院といえば、そうそうネイルも久々に浅野さん(手)と畑山さん(足)にやってもらった、それは一年に一度くらいだけど、美容院はそうはいかない。
 有名人だからさ、美容院って、おばさんや女の子が喋っている場所で、居心地が悪い   。なので、通常の客の帰った後に、連絡貰って行くようにしているけれどね、こちらも時間がままならない。なので、勇気を出して昼に行った。おれもおじいちゃんだからいいじゃないかということで。
両サイドがおばさんで、ワイドショーみたいな話で盛り上がっていた。
 俺をやってくれている美容師が、拓郎さん面白いというかツライ話があるんですと言い出した。女子が付き合っちゃいけない、付き合うと幸せになれない職業3Bという仕事があるらしい。泣きそうになっていた。
  3Bとは、
  1バーテンダー
  2バンドマン
  3美容師

美容師も入っている。バンドマンも微妙な言い方だな、どこまでなんだろう。

ハワイの話も反響があった、
<10月ころから雨期だけど、いつころ行くかという投書>
確かに10月から-2月は雨期。カウアイ島は雨が多い。しかし、毎日降り続くわけではないから。ハワイと言う感じが戻って来た。戻って来たって、「メッ!」自分に怒りました。
これからは「起立」と「姿勢正して」と「メ」。ハワイを目指そうな。みんなでワイレアなんて頭の中で描くだけでおぞましいな(笑)

 結局、日本酒は、酒の味がわかんないということがわかった。「男山」が美味しいという話がたくさんきたがわからない。橋口が有名な酒を持ってきたけれど、僕は感動しなかった。

 ゴルフの話に共感した人が多かった。
<人生におきかえると、もうかりまっせとか言ってくるのと似ていませんかという投書>
 ゴルフでいかんなと思うのは、フォーライフの社長のころつきあいゴルフ、接待ゴルフに行ったことがある。
 話はズレるがフォーライフコンペの始球式で俺ドライバー得意だからと振ったら、三回ドライバーをからぶりしたことがあった。その時は、二日酔いのせいにした。ドライバーじゃなくて、軽い5番ウッドとかにしてくれと逃げていた。

 接待ゴルフとかはグリーンにのってからが特に問題。素人のゴルフは、打ち始めると、みんなてんであっちの林とかでバラバラ、最後でグリーンで会うことが多い。その時、仕事の話をする人がいるのよね。やめてほしいね。金利の話とか聞きたくないよ。やたら仕事の話するのはやめてほしい。だから日本でゴルフはやめた。ハワイでそんなことはない。


<結婚して大部たって妻が153cm65キロになってしまい、痩せなさいといえないという投書>
やせる必要ない。なんじ太めの妻を愛せよ。それに夫だって変貌してるよ。変わってゆくものだよ。但し、あんまり太っちゃいかんよ健康のため。

 昔、おやじがお風呂から上がって、ビール飲んでて、その横を、おふくろがバスタオル一枚で通ったら、「おまえ、樽みたいな身体で歩くな」と怒っていた。そんなこというなよと思ったけど。グラマラスな奥様を愛しなさい。

<フジフィルムが白黒フィルムの生産終了という投書>
 知ってるよ。♪いろっぽいということは〜なつかしいな。僕の専属  あ、中島みゆきもそうか 写真家の タムジン、彼のモノクロの写真は超絶品で味があったな。そういうものも消えてしまうのかな。悲しいな。


■今週のベストテイク  
 1972年  「元気です」に入っている「夏休み」。当時、エレックの時で、お金もないしミニバンドでツアーをしていた。広島の後輩で、一人は慶応大学、もう一人は日本獣医大学に通っていて、エレキベースとエレキギターという変則だった。この二人とよく練習をした。会社が四谷三丁目の喫茶店の2階、20畳くらいの場所があって、夜中にアンプの音量を絞って練習したものだ

 その場で曲を作ったりもした。
(どうしてこんなに悲しいんだろう実演)  
 こんな風に詞を書いたり曲を作ったりした。

 夏休みもミニバンド用に作った。口で言いながら、広島弁で「なんしおる」「わかったがね拓ちゃん」という感じで。当時のフォークソングのブームだったので、この身軽な編成がウケていた


 「元気です」では、間奏の口笛 を一緒に、そしてコーラスの部分だけで参加。演奏は、君たちはテクニックが…ということで。

 ドラム林立夫
 ベース小原礼
 キーボード松任谷正隆
 フラットマンドリン&ドブロ  石川鷹彦
 ギターは僕。うまいね。いわゆる指引きで、J−45がバリバリにいい音している。

 当時は、東京に出てきてからあまり時間がたっていない。だから、広島、鹿児島思う気持ちが強い。
 ♪ねーさん先生 〜は、鹿児島の谷山小学校の宮崎先生。2年生の時、ゲタ屋の女の子に砂場の相撲で投げ飛ばされて、気を失いかけた。宮崎先生が保健室までおんぶしてくれた。
たまらなくよかったのっ!! たまらないってば!!心と全身に響いた。

 エレックの2階でミニバンドと作っていた時代があった。あぁ懐かしいな。

M-2 夏休み

■今週のマイ・フェイバリットソング

 僕はコンサートが終わってお客さんが家路につく時の客出しの音楽にこだわっている。だいたい、パーシーフェイス楽団の「夏の日の恋」をよく使っている。

 ビリー・ヴォーンオーケストラも多い。

M−3 波路はるかに   ビリー・ヴォーンオーケストラ


M−4  真珠貝の歌  ビリー・ヴォーンオーケストラ


 これらはインストゥルメンタル。当時は、インスト全盛で、チャート位や上位を毎週にぎわしていたものだが。

M−5 峠の幌馬車  ビリー・ヴォーンオーケストラ

 大好きで学生の頃よく聴いていた。実は2006年のつま恋。かぐや姫とのリユニオンで、南こうせつが客出しの音楽は自分に決めさせてくれとしつこく頼まれた。「拓郎さん、頼むから僕の選曲でやらして」、どーせ、つまんねー曲じゃないのかと思っていたら、「エデンの東」だった。確かに名曲だし、あまりにしつこいので、コンサートで「行くよー!!」とか言われると嫌なので、エデンの東でOKを出した。本来は「夏の日の恋」にしたかったけど。南があまりに言うので涙を呑んだ。

当日、最後に思った「ああ、これ違うな。あの僕の最後の曲の後にこの曲は違うよ」と後悔した。

コンサート最後の家路の曲はかなり必要だと考えている。どんなアーティストも考えているのだろうが、バシーフェイスのこの曲が一番。青春の想い、青春のプレイバックのために選んでいる。
時々ビリー・ヴォーンオーケストラも流している。この曲も一、二度使ったことがあるけれど覚えているかな。エルトン永田も大好きだという

M−6  星を求めて ビリー・ヴォーンオーケストラ

■エンディング

たくさんメールありがとう。これが続く限り、番組は続く。キャッチボールしながら番組を続けてゆきたい

・あだな
・ひっこし
・ハワイ
・探し物
・日本酒
・吉田拓郎のへの素朴な質問

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆峠の釜めしのことなど考えたことはなかったが、ここまで御大に語られたら大変だ。なにせ若き日の青春と結びついているスーパーソウルフードであることが判明したのだ。孤高な私であるが、何人かの拓バカたちの顔が浮かぶ。絶対、彼ら彼女らは峠の釜めしを食べる会の準備を既に始めているに違いない(爆)。亡くなったK君が生きていたら、絶対、あらゆる手を尽くして御大に釜めしを差し入れて、自分の器にサインを貰ったに違いない。みな美しい。私も今度出張があったら路線変更してでも食べようと固く決意した。しかし、例えば、グルメ番組を観て、ああうまそー食べに行きて―と思うことがあるが、そういう感情よりはもっともっと切羽詰まった情念のようなものである。こういう小さな生きる張り合いが人間には大切だ。

☆ゾンビーズのキーボードのバカテク。御意。いいねぇ。聴き惚れた。柳田ヒロというが、私には、どうしても中西康晴、エルトン永田コンビのプレイを思い出してしまう。

☆最近、御大の「日常」の指南の話が心にしみる。「達成感の話」「ギターや音楽を大音量で聴きたいという引っ越しの話」そして今日の「夫婦の変化の話」。静かなるオトナ感に満ちた御大の言葉はまた格別だ。

☆それにしても、いつもなからベストテイクは、ていねいに、ていねいに掘り下げて語ってくれるねぇ。聴きなれた、あるいは聴き飽きた曲が再び輝きだすかのようである。アンプの音を絞って、エレックの2階で深夜音楽を作り上げる姿。こんな姿や景色を、私たちと共有するかのような愛好崩して語ってくれるなんて思ってもみなかった。

☆そこまで客出しを考えてくださっていたのか。終わったら、一目散にビールを呑みに会館を後にする自分の不明を深く恥じる。ごめんな。今度は、開場から閉場まで、しっかりと御大の愛を受け止めるぞ。だから、また渾身のライブを待っているぞ。

☆つま恋では、オープニングで「夏の日の恋」が流れて、みんなでアレレレと思った。そうかそういう事情があったのだな。確かに夏の日の恋が適曲だったと思う。南こうせつさんには失礼だがエデンの東はいい曲だが、ライブが終わってへたりこんだあの時の音楽としては微妙だった。御大、ひとりでつま恋やればよかったのに…って、もっと失礼だろぉ。
☆聖なる場所に祝福を→夏の日の恋(原題A summer place)
The holy place→Summer place なるほど。って関係ないか。

☆星を求めて ビリー・ヴォーンオーケストラ 聴き入る。どこのライブの客出しだったのだろう。そんな音楽の話をさりげなくしている吉田拓郎とエルトン永田の姿を思い浮かべる。音楽家はいいな。音楽とは随分違う○○家のはしくれとしては、音楽家にとても憧れる。

2018. 5. 3

 仕事場であれこれ整理していたら懐かしい「クロマティ高校」のメカ沢兄弟のストラップが出てきた。このメカ沢兄弟は、弟のベータの方が先に完成したという謎の設定だった。確か鉄腕アトムの兄コバルトも弟アトムより後に作られたはずだ。わかりやすく言うと、キャンディーズの「アン・ドゥ・トロワ」には「アン・ドゥ・トロワpartU」という曲があるが、これはpartUの方が先に出来たというのと一緒だ。余計わかんねーよ。このpartUのアレンジが御大のデモテープのままでギターがすげー気持ちいいんだよな。

 話は戻って「純」は出色のテーマ曲だった。どけ!どけ!どけの意気軒高なシャウトが良かったし、”有象無象の街に灯りをともせ”,”生きるものすべてが愛でつながれる”という大団円に向ってゆく詞も大好きだった。そういえばステージで歌うって言ってなかったか?…と忘れたフリをしてみたが、忘れてねーぞ。
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2018. 5. 4

 久々の親戚の集まりのために鎌倉に。高齢化もあり、話は、いつも戦中戦後を回る。山本コータローの名著「誰も知らなかったよしだ拓郎」は、「吉田家は朝鮮からの引揚者であった」という一文から始まる。ちょうど私の母を含む親戚たちもまったく同じだ。敗戦とともに,急転直下、命からがら着の身着のままで、機雷の浮いた海を渡り、焼け野原の日本に戻り、すべてがゼロから始まった話を子供の頃から何度も聴かされた。
 また、この春、鹿児島の知覧に行って、亡父が特攻隊出撃のまさに順番待ちだったことも知った。
 さすがにこの歳になると本当にあれこれ危ういところを辛うじてつながって来た命というものを思う。ウチのように何でもないフツーの家ですらそうなのだから、多くの人々にはもっと凄絶なひとつながりの物語があったに違いない。
 しかし、いろいろありながらも、こうして自分が生きて吉田拓郎と出会い、ファンでいられる今にたどり着いた事こそが僥倖なのだと心の底から思う。そこかよ、といわれるかもしれないが、まさに、そこなんだよ。

 せっかくの鎌倉なのに、大渋滞、親戚の集まり、と心は弾まないが、"吉田町の唄"を繰り返し聴いてCheer upしながらゆく。

2018. 5. 5

 今は黄昏な…親戚のあつまりの日に、長崎県の奈留島を含む熊本・長崎のキリシタン教会が世界遺産に勧告されたという突然のニュースが届いて一同衝撃を受けた。
 戦後、親戚たちは命からがら朝鮮から引き揚げてきたものの長崎は原爆で焼け野原、途方に暮れて泣きながら本家のこの奈留島に転がり込んだという。はるか昔、弾圧され行き場所がなかった隠れキリシタンと言われた人々が、島に小さな教会を作って信仰の灯をつないだ。いつもこの島は”嵐からの隠れ場所”だった。
…と、しみじみと思いを運んだのも束の間、俄然元気になった親戚のお年寄りたちは、いつの間にかこの世界遺産でいかに儲けるかという戦略会議になだれこんでいた。世界遺産とユーミンの”瞳を閉じて”をコラボしたグッズ、食堂、誰それさんの空き家を旅館にするなどなど(爆)。腹黒い盛り上がりはとどまるところを知らない。「やっぱユーミンの許可とらんといかんがね。ね、ユーミンの連絡先知らんとか?」「知るわけねぇだろぉ!!」

 ああ、でもなんかこれでユーミンに少し恩返しできたような気持ちにもなったりする。素直に嬉しいニュースだった。

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2018. 5. 6

 井上堯之さんについては,私も偲んだり語ったりする知識はないのだが、そんなことに関係なく私ら世代は,毛穴から沁み込むように、特に青春時代、圧倒的にお世話になった。心から御冥福をお祈り申し上げます。

 中学2年の時、拓郎ファンのT君が、「傷だらけの天使」の最終回に流れた井上堯之の「一人」がどうしても聴きたいと悶絶していた。クラスの友人で極真会館空手を習っていたH君が,「オレの兄さんがシングルを持っている」というので米屋をやっていたH君の家まで行って一緒に聴かせてもらった。超絶音楽マニアのお兄さんは,膨大なライブラリーを持っていて、設立当初からのフォーライフのレコードを番号順にすべて揃えていた。そして、「一人」はもちろん、「拓郎と井上堯之バンドは一緒にやったことがあるんだぜ」とその時共演した「川の流れの如く」のカセットテープを聴かせてくれた。当時、確か新発売だったファンタ・アップルをごちそうになりながら、はぁぁぁ凄いもんだなあ、とタメ息をつきながら繰り返し何度も「一人」と「川の流れの如く」を聴かせてもらった。世界の奥深さというものを覗かせて貰った。分け入っても分け入っても青い山。そんな世界である。

2018. 5. 7

ラジオでナイト 第55回 2018.5.6
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。コンサートツアーをしている時は、全国を回って、そこでいろいろな食事をした。あるとき鳥取県で、瀬尾と回っている時だったと思うが、こでの夕食が美味しかった。鳥取って料理が美味しい、いいところだったなという記憶がある。何が美味しかったのか、らっきょ、かに、やきそば、白ネギの鍋なんかが印象に残っている

 「純喫茶」って知ってるかな、僕なんかはそういう時代を経ている。
純喫茶というのは、お酒を置いていないものを言うのかな。1960、70年代に多くあった。「純喫茶じゅん」「純喫茶まちこ」とか、ないよ,そんなの(笑)

 純喫茶が若い子に人気らしい。喫茶店は、時代の空気を写す鏡とあるが、喫茶店に行かない行かないきちだ吉田拓郎は時代を読めていない。僕は、珈琲飲めないので、オレンジジュースでは間が持たない。
 吉田拓郎は、喫茶店をどう使っていたか。例えば、「今度の日曜朝11:00に喫茶店で待っているから」という感じで女の子との待ち合わせに使っていた。
 彼女は珈琲、僕はオレンジジュース。それで「今日、どうする?」。 僕がしたいことは今言えない(笑)
 映画でも行くか?観たくもない映画、西部劇とか、ジョン・ウェインなんか女の子は見たくないよな。映画館でも画面そっちのけで、もぞもぞしている。早く終わんないかな、ジョン・ウエインつまんねーな。終わったら、「飲み行くか」ということで、いよいよだ (拍手)
 行きつけの安いバーで、キープしてあるジンのボトル、ジントニック。彼女が嫌いだと困るけど「お酒強いの?」「飲むわ」「じゃ飲もうよ」。カウンターバーで2時間くらいいろいろ話はしても興味はただ一点。少し酔ってきた彼女。「どう酔った?」「酔ったみたい、帰る」
 「え、帰るの?少し歩こうよ」そこは計画済みで、平和公園を歩く。横にはラブホテルが並んでいて、彼女もそれを察して、あそこだけは行きたくないって。

 僕の喫茶店はそんな感じだった。そんな感じの吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル
 まったく何をやってたんだか。平和公園の近くのラブ・ホテルのおばさんと顔なじみになっていた。
<ダイア―ストレイツが好きだというという投書>
 ダイアーストレイツ好きだな。だいたい僕が好きな曲以外は却下されている((笑))
マーク・ノップラーが、いいギターだ。いわゆる指弾きで、日本でいうと徳武。
 ニューヨークレコーディングで海外アーティストを呼ぶときマーク・ノップラーを呼びたかった。だめだったけど。ディランに合うギターなんだ。2曲(レディ・ライターとワンスアポンナタイムインザウエスト)のリクエストがあったが、こっちの方がいい。あなたたちのリクエストだけど僕が決めているという凄い番組。

M−1 レディ・ライター    ダイア―・ストレイツ

■CM明け
 かねて話している”T’sセレクション2018”と”デモテープ集”がいよいよマスタリングの段階に来ている。今回は自分でやるからねと言っている。
 いろいろ考えているのがT’sセレクション2018の方。旅の宿、落陽、人生を語らずとかは置いていて、ベストテイクで演るような曲に心を寄せて、アナザー・サイド・オブ吉田拓郎…ディランのアルバムみたいだけれど。   

CBSソニーは7曲、フォーライフ 7,8曲・・・残念だけど1曲は削った、インぺリアル7曲、エイベックス7曲というところか。
 デモテープは18曲。オンエアしていない作品もある。おそらく中島みゆきのあの作品のデモテープが一番人気だと思う、発売まで楽しみに。
 そういうことをしていると毎日が楽しいね。番組も楽しいよ。ますます元気ですねとメールは来るけれど、いろんな不具合はあるけれど元気だね。

<母がファン、就活しているが、レコード会社をやっていとき採用はどういう基準でしていたかという投書>
 社長時代は、御託の多い奴、口が立つ奴は無視していた。宣伝マンとしては良かったのかもしれないけれど、口が立つ奴は、僕も若かったせいもあるたけど敬遠していた。
 フットワークがあって、積極的になれる人が良かった。宣伝課の若い男が、ある時「社長、バイク一台買ってください。買ってくれたら、日本中回って杏里を売りたい。面白いな。人力で売るというその積極性に惹かれた。「わかった。買ってやる」。するとバイクで旅に出て全国に杏里を売って回ってヒットした。そういう積極性ある人に惹かれていた。

 <60歳、結婚して29年間寝室は一緒だった。1月のインフルで別の部屋で寝るようになって以来戻っていません、なにかするわけでもないが淋しいという投書>
 ははは(笑)。余計な事書くなよ。涙出てくるじゃないか。

 吉田家は別々に寝ています。昔はキングサイズのベッドで一緒に寝ていたこともあった。寝相の悪い奥さんは、寝ている間に一回転して腹とか蹴られる。15,6年くらい前、夜、鼾をかいた たぶん深酒のせいだと思うが、それで妻の機嫌が悪い。それ以来別々に寝ている。お互い別になると、それぞれにプライベートな環境を築くことになる。
 同時に寝るときと違い、夜が寝るまでの時間が自由になる。しかし、今はいつ寝ているのかわからない。そういうプライベートな空間ができる。
 僕は、よく言うようにi-podで音楽を聴きながら寝ている。奥さんは、寝る前に必ず本を読む。ハプスブルグ家とかマリーアントワネットとか結構ややこしいのを読む。お互い何時に寝てるかは知らない。
 そろそろ一緒に寝るかいといってみたことがあった。ただ僕は、夜な夜な起きて曲のファイルを選ぶと、i-podにポッと灯りがつくのが奥さんは不愉快らしい。奥さんは、夜中に起きると読書をつづけるので灯りをつけるが、僕はかなわない。もうもとへは戻れないということで、それぞれプライベートの空間に寝ている。参考になるでしょうか。

 夜はいつも11時30分ころトイレに行ってから寝るんだけど 廊下の奥さんの部屋の前で  聴き耳をたてる習慣がある。寝てるかな、起きてるかな、本読んでいるかなと。彼女が俺の雰囲気=アトモスフェアに気づくと「おやすみ」と言ってくれる。寝入っている時は何もない。寂しく通過してひとり淋しく「おやすみ」と寝る・

 参考になったかな(笑)。夫婦の日常生活を楽しもう。

■今週のベストテイク  

(ギター弾く:たどり着いたらいつも雨降り)
  好きになったよ  女の娘 それが言えない僕なんだ
  忘れられない あの瞳  せめても一度会いたいよ 
  たった一度  見かけただけで
  僕の心は  君のものになったさ

 ノってる場合か。この曲がダウンタウンズで演奏すると「きゃー吉田さん」…拓郎さんじゃないんだよ(笑) 「吉田さん」どっかのおっさんかよ。「好きになったよ女の娘」というこの曲は、東京に来てからリメイクしようと思っていた。そこに人伝に、モップスの鈴木ヒロミツから打診があった時この曲をあげようと思った
 歌詞は「好きになったよ女の娘」のこのまんまではなんなので、作り変えるのに時間を貰った。
 ♪心の中に傘をさして〜原曲にはこの大サビがなかった。ここを作った時、これはいい曲になったと思った。
 疲れ果てぇぇで始まる歌詞も我ながらイイのができたなと思う。メロディがもともと良かったことにも気づいた。
 モップスに渡したけど、後に、子供ばんど、氷室京介もカバーした。

M2 たどり着いたらいつも雨降り 子供ばんど
 ライブで観たこともあっけどパワフルで若々しい。
M3  たどり着いたらいつも雨降り 氷室京介
 もうこれはいかにも氷室  なかなかいいなぁ  いい曲だな
 モップスの完成品を聴いたときは納得した。斬新なエレキサウンド、アレンジも斬新
ヒロミツのボーカルもいい。生まれ変わったこの新曲をそう思って聴いていた。

 鈴木ヒロミツとは、麻布のちゃんこ屋で何度か会った。元気かと軽口をきく仲だったが、先に逝ってしまった。

M-4たどり着いたらいつも雨降り  モップス

■今週のマイ・フェイバリットソング

 シンディ・ローパーの曲。これにかこつけて別の話がしたい、

 ニューヨークのレコーディング 時期的にも乗り気でなかった。加藤和彦の曲と安井かずみ作詞で、吉田拓郎はただ歌っていればいいということだったけど、それも、どうなんだという気もあったし行きたくなかった。それでもスタッフとかの説得、ZUZUの「ホイットニー・ヒューストンに逢わせてあげるから」という誘いにのってしまって(笑)
 「だったら行こうかな」とのせられた。当時アメリカでもっとも有名なパワーステーションスタジオ。そこで会ったのが、ホイットニーではなくて、シンディ・ローパー。いかにも今回のレコーディングだなという気がしている。

 日本の知られていないアーティストが広いスタジオを使い、有名なシンディが隣の狭いスタジオを使うのは、気分的にも気が引ける。なんだかなという気になって、わかるでしょ。しかもホイットニーは来ないし(笑)
 加藤和彦がリーダーシップをとっていたんだけど、正直、楽しいレコーディング風景、空気ではなかった。楽しくならない。なんか加藤のヘッドアレンジもどうなんだろうな。  ミュージシャンは一流で、ドラムがアンディ・ニューマーク、ウィリーウィークス、日本から高中正義を連れて行った。
 加藤和彦の力みすぎだった。僕もあまり自分を出し切れない。ボーカルは安井かすみに「ライオンなってちょうだい」と言われて、ライオンになっているが世界がつかめていない。どちらかというとレコーディングとしてうまくいったほうでない

 海外録音の最初はLA。ザ・バンドのやったシャングリラ・スタジオ。ブッカー・T・ジョーンズ。この人が予想外のセンスが白人っぽくてびっくりした。残ったのはザ・バンドのやったスタジオの匂いかな、匂いを嗅いで帰って来た。これもどうだったかなと思っている。

 大満足は1995年のバハマでのコンパスポイントスタジオ。「ロングタイムノーシー」。ミュージシャンと深夜まで音楽を語りあい、酒を呑み、信頼関係が出来て、その後ツアーまでやった。それ以外の海外レコーディングはどうだったかなというのが自分の中の成績表で残っている。

シンディ・ローパーに会ってホイットニーには会えなかったけど、シンディ・ローパーも好きだった。パワフルで好きなんだけど。想い出がツライ

M−5  タイム・アフター・タイム  シンディ・ローパー

■エンディング
今日は夫婦の寝室。みなさんはどうしていますか。
吉田拓郎への素朴な疑問

吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆純喫茶の話がどうして最後ラブホテルに繋がるのか。不思議といえば不思議だが、いや若いという事はもうひたすらそういうことだという身につまされる共感も禁じえない。なんだそりゃ。
 ともかく60分の話の中で、ひたすら一緒のベッドを求めようとする若き日と幾星霜を経て、なんとかベッド分けてプラベートを守ろうとする今現在という人生の転変というかコントラストが味わえて実に感慨深いラジオだなぁ。

☆ダイアーストレイツって、最初聞いたとき、ボブディランのモノマネをしているのかと思ったっす。

☆”T’sセレクション2018”と”デモテープ集”、実現するでんすね。いやあ、18曲のデモテープですか。こんな日が来るとは、長生きはするもんだ。「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」という映画があったな。まさしくそのとおりだ。

☆出た。不朽の名作「たどり着いたらいつも雨降り」。この作品を称揚して「吉田拓郎をフォークソングというのなら、おまえら,これ以上のロックを作ってみな!!」とすべてのロックンローラーに向って高らかに宣言したい。怖いから言わないけど。
 Uramadoにも書いたが、この作品のベストテイクは、1975年のつま恋のラストステージwith瀬尾一三オーケストラだと思う。演奏、ボーカル、気骨、グルーヴすべてにおいて最高である。文句あるやつはどっからでもかかってこいと宣言したい。やっぱり怖いから言わないけれど。

☆カバーといえば「たどり着いたらいつも雨降り」は、山崎ハコのカバーがあることも忘れてはならない。♪信ちゃん、信介しゃん、織江も,カバーしとるのよぉぉぉぉ って、よしなさい。

☆御大は、アルバム「サマルカンドブルー」をあまり評価していないんだよね。「失敗作」とまで言っていたインタビューもあったと思う。しかし星紀行は「サマルカンドブルー」が超絶好きだ。私にとって”人生キャラバン”は、極北の人生をゆくパスポートみたいなソウルミュージックである。
 後に、いろいろな書物を読みながら、あのアルバムやレコーディング製作過程に満ちていた、御大の悲しみと切なさみたいなものを知るようになる。御大にとってはそういうアルバムなのだろうと思う。しかし、そういう話を聞けば聞くほどまたこのアルバムがいとおしくなるから困ったものだ。

☆星紀行の今日の学び
 
海外レコーディングも結婚も人生は3度目からである

 おいっ、怒られるぞ 。


☆ 御大の番組の前の柳原可奈子のラジオに、井上陽水がゲストで出ていたぞ。びっくらこいた。何気に井上陽水の出演から吉田拓郎番組にシフトしているのがなんとも凄いぞ。

2018. 5. 8

♪レールが鳴ると僕等は読書がしたくなる第4回

■■「安井かずみがいた時代」島崎今日子■■

 第55回の「シンディローパーにかこつけて」語られたニューヨークでのレコーディングの話を聞いて、この本の吉田拓郎のインタビュー読み直す。前にも書いた気がするが、何度読んでも胸がしめつけられるようだ。
 ニューヨークで録音されたアルバム「サマルカンドブルー」を拓郎はこう総括する。

「これはレコーディングの風景まで含めてどちらかというと失敗作ですね」。

 吉田拓郎と安井かずみ、加藤和彦の間の歴史とそれに対する拓郎の思いが本当に忌憚なく率直に語られる。
 これを読むと、素人の一般Pの私にも、吉田拓郎が、なぜこのレコーディングに納得がいかなかったかということ、なぜ今も、ZUZUから「あんたたちフォークなんか大嫌い」と怒られた日々のことを大切に語り続けるかという理由も、なんとなく垣間見えるような気がする。

 忘れられないのは、ニューヨークでレコーディングの合間に拓郎とZUZUが散歩しながら立ち寄った夜店のような着物屋にまつわる話だ。

「僕とZUZUは、買い物おじさん買い物おばさんと化して普段着られないような真っ赤なジャケットやらを山のように買って帰ったんです。翌日彼女に会ったら『こんなの買うのはバカだとトノバンにすごく怒られたの。返しに行こうと思う』と言うんですよ。つまんないオヤジだなと思いました。」

 もちろん加藤和彦をディスっているわけではなく、彼への心からの敬意も語られている。厳しい表現をしつつ、二人について吉田拓郎が我が事のように胸を痛めていたことが伝わってくる。

 インタビューの最後に楔を打つように、亡くなった加藤和彦に対する「少しは俺を頼りしろよ」というコトバ、ZUZUに対しての「おまえ哀しすぎるよ」というコトバがたまらない。

 「かなしさは疾走する。涙は追いつけない」という小林秀雄の言葉がここでも頭の中で回り出す。

かなしさとともに吉田拓郎という人の愛の深さが浮かび上がってくる出色のインタビューだと思う。

 失敗作なのかもしれないが、そして哀しすぎるのかもしれないが、だからこそ”人生キャラバン”が,たまらなく好きなんだよなぁ。
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2018. 5. 9

 昨日の「安井かずみのいた時代」の中で、「この時代、安井は拓郎が作曲した三つの歌の歌詞を書いている」とあり、「戻ってきた恋人」「金曜日の朝」「じゃあまたね」が記載されている。「いけない子供」はどうした。あれも佳曲ですぜ。常やんの歌唱が可愛かったな。これ、爆笑問題の田中君がカバーしたらいいんじゃないか。踊りながら歌ってほしい。

2018. 5. 10

 「たどり着いたらいつも雨降り」の本人歌唱を聴いたのはいつが最後だったろうか。と忘れたふりをしてみたが,2000年の”冷やしたぬきツアー”だった。しかも,ツアー序盤の「君が好き」、「英雄」を、ツアー中盤から突然「たどり着いたらいつも雨降り」と「人生を語らず」に差し替えての途中出場だった。なんという,すげーテコ入れ。びっくらこいたものだった。鳥山氏のギターであのイントロを聴いたときゃあ,燃えたね。「人生を語らず」だって,85年つま恋ぶりくらいだったんじゃないかい。

 こうやって選曲の妙味だけで燃え立たせてしまうシンガーって,たぶん数少ないわけで、「えぇぇぇ、これ歌ってくれるのぉ」という落涙失禁しそうな感じ(爆)に打ちのめされる日をひたすら待つしかない。

2018. 5. 11

 そうしてツラツラと”冷やしたぬきツアー”を思い出すと「夏二人で」「いつも見ていたヒロシマ」「Life」「流星」「AKIRA」「人生を語らず」「たどり着いたらいつも雨降り」あ、「リンゴ」も凄かったよ、途中で消えたけど「KAHALA」などなど、なんとうるわしきセットリストなのだろう。私は、この渾身の選曲にちゃんとお礼を言っただろうか(爆)。 ♪ごめんね軽率に躓くなんて 星の降る選曲なのにぃぃぃ

2018. 5. 12

 そういえば吉田拓郎は”冷やしたぬき”と前年の”20世紀打ち上げ”ツアーでは、サングラスをかけて歌っていた。LOVE2のイメージとあわせたのかもしれないが、ビジュアルとしてカッコよかった。で、”20世紀打ち上げ”では、中盤で「マラソン」と「流星」を歌う時だけサングラスを外すんだよね。これがまたグッとくるんだよ。浜省、おまえもやってみな。おいっ(汗)
 こうして思うと”マラソン”〜”流星”という曲順、翌年の”life”〜”流星”という曲順には、絶妙な御大のワザを感じる。別個独立の曲と曲が、ひとつのカタマリになって胸に迫ってくる。いいなぁ、ライブって。思い返すだけで幸せな気分になれる。

2018. 5. 13

 “20世紀打ち上げ”の「フラワー」も忘れられない。最初、ステージでKinkiの歌を歌うと知ってLOVE2のバブル臭がして鼻白んだ私だが、それはそれは素晴らしい歌唱と演奏だった。「フラワー」はもともと傑作だが、あんなにもみずみずしく楽しそうに歌いこなせるおっさんはこの世にいないと思った。”太陽が眩しい もうすぐ夏がやってくる”のところのウキウキ感まで見事に体現していた。それ以来、毎年、夏が近づくと本家の青年達の歌唱を聴いてしまう。こういうのも公式音源にできないものだろうか。

 曲順の話に戻るんだけど。この清々しい「フラワー」の次に”マラソン”〜”流星”になだれ込んでゆくのだよ。ううむ、ここもまた素晴らしい。フラワーで、ウキウキ気分を高揚させて、次に魂の深奥のような悲しみに連れてゆく、もう私らは御大の思うがままだ。
 曲順は英語で「Music Order」というらしい。「んー、これは吉田拓郎の考え抜かれた見事なオーダーと言えましょう」と論評したくなる。それ誰なんだよ。

 次のライブでは、もう文句は言わないから(爆)、御大の考え抜かれたオーダーに身を委ねて、あっちにこっちに運ばれる気分を味わってみたいよ。

2018. 5. 14

ラジオでナイト 第56回 2018.5.13
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。(ギターを弾く)マイナーです。♪母さんが夜なべをして〜母の日ということですが、僕の時代は、ママなんて呼んだ事がなく「母ちゃん」だった。
 父ちゃん、母ちゃんだった時代で、ダディ、パピイ、マミーなんて言ったことはない。
母は朝子さんというが、あの人に「ママ」とは恥ずかしくて言えない。
 でも奥さんは12歳違うけど「ママ」と言っていた。10年違うとパパママになるのかな。オトナになって東京に出てきても、父さん、母さんというのもなかった。
 5月第二日曜が、母の日。そして、目立たないけど6月第三日曜が父の日。父の日はないがしろにしてほしくないね。

 もともと亡き母をしのぶということで、100年前アメリカで女性の呼びかけで始まったのが、Mother’s day母の日。ちなみに父の日の由来は1972年に同じくアメリカで始まった。72年て、僕にはつい最近だ。

 子供はこれらの日をどうしているか。

・小学生男子
 母の日はお手伝い、父の日は肩を揉んであげる
>大きくなるとなんでおやじの肩を揉むとかいいだすんだよ
・女子
 似顔絵と手紙
>これが18になると色気づいて、洗濯物ものは別にして、とかいいだす
・20代女子
 母にはカーネーション、父の日はわからない
>父はなんなのよ。父よ、あなたは強かった。
・30代女性
 母の日は料理とかしてあげて、父の日は忘れてしまうことが多い
>僕も女系家族で、育ったから・・・・・・・あ、姉も「ねえちゃん」だった。
 吉田家は「ちゃん」だ(笑)。兄貴も兄ちゃんだった。恥ずかしくて兄さんていえない。

父ちゃん、母ちゃんと言ってたので父の日、母の日といわれても困ってしまう吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル
 洋楽リクエストがたくさん来ている、また手のひらを返すけれど。ビリージョエルを聴きたいというリクエストが来ている。ビリージョエル好きだね。エルトン・ジョン、ビリー・ジョエルともにピアノを弾きながら歌うけれど、そういうピアノの弾き特有の体形というものがある。エルトン永田、あの人も最初から太ってたな(笑)。ビリー・ジョエルは最初は痩せていたんだけど。
<拓郎さんとビリージョエルが好きだった、ストレンジャーが大ヒットしたが、同じアルバムに入っていたが、「素顔のままで」をリクエストするという投書>
<テナーサックスからフィル・ウッズのアルトサックスに変えてフィーチャーした「素顔のままで」が素晴らしいという投書の続き>
 でもね、僕はこっちの方が好きなんだよな(笑)。でもヒントはありがとう。よく覚えていてくれたね。俺は忘れてたよ、ビリージョエルのことを。ありがとう。こうやってマイフェイバリットもいろいろ気付かせてくれる。リスナー頼りなんだから。僕はこっちの方が好きということで。

M−1  ストレンジャー  ビリージョエル
■CM明け
 釜めしの話に反応した人が多い。
<荻野屋のあの容器は栃木で製造していてそこで旦那が働いているという投書>
 「いかめし」を送ってくれた。生ものは送ってこないでね。いかめしを食べたことないというので送ってくれたんだろう。

 寝室の話も反応が多い。みなさん、どういう夜になっているか(笑)
<51歳ですが、部屋がないのでイノシシのような夫の鼾に堪えているという投書>
 僕は、鼾は普段かかない。でも、妻から鼾凄かったと言われたことがある。どういう鼾なのか、ICレコーダーを回してみたことがある。
 2時間で、軽いくぅぅぅぅと音がするが、5分くらいで終わる。
 そのあと1時間くらいで、ぐぅぅぅになる。それも5〜10分程度。
 そして、朝方5時6時ぐぅぅぅと始まる。
 結局、夜中に三回鼾タイムがあることがわかった。それで、奥さんに迷惑をかけたくないということで愛に溢れた決断で別々の寝室にした。

 新幹線で鼾かいている人いるよね。やっぱ太った人が多い。例えば、これから大阪でコンサートがあって、せっかく音楽のことを考えようとしているのに鼾かかれるとつらい。ま、本人も知らないのだから罪はないけれど。「いびき車両」って、つくれないかね。

<新婚ダブルベッド、マンションでセミダブル、子どもができて和室に布団で川の字、そして今夫婦は別寝室。最初は寂しいが、慣れてくると快適で、これが夫婦円満の秘訣という投書>
 一概にはそうは言えない。鼾の旦那さんと一緒に寝るのは、お互いの空気、吐息を察しながら寝ているということなので大事なことだと思う。寝息が聞こえないのは、何かが足らないのではないか。お互いの寝息で安心するとうのもある。

<カリフォルニアサンタバーバラで聞いている、グランドワイレアで厨房にいたという という投書>
 ケアラニ、フォーシーズンズ、そしてこのグランドワイレアがある。ラスカンケルがよく家族で行っていた。ここの食事がよくて、ケアラニに宿泊中にもよく出かけて行った。こういう話をしているとハワイに行きたくなるな、そういえば「ハワイアン」のリクエストが来ない。
<旅先のドミニカ共和国のサカトドミンゴから書いているが、仕事場に金子さんが多い 販売一課を「イチネコ」、販売二課を「ニネコ」と愛称で呼んでいるという投書>
 似たような話があった。先日、ゴルフの女子メジャーで韓国のゴルファー「イ・ジョンウン6」というのがいた。最初意味がわからなかった、ジョージ3世とかそういうものかと思ったら、イ・ジョンウンが6人いるらしい。稀勢の里が6人いるみたいなものだ。驚いた。優勝争いほしていたのが、イ・ジョンウン6さんだった。「ホット6」という愛称もあるらしいが。同性同名が6人いるみたいなもので驚いたね。

■今週のベストテイク  
「僕の道」僕はマンション暮らしで、マンションの前が長い坂道になっている。その周辺  木々が多くて樹齢も高いそうな樹木もある。東京にしては、静かな場所でとても気に入っている。東京に来て気付いたのは、坂が多い。たくさんの坂がある。800くらいあるらしい。

 江戸時代武家屋敷が、今の文京区、港区、千代田区の山の手に作られた。低い方に下町が作られた。それを整備したために坂道がやや区鳴ったのではないか。

 神楽坂、昔、東京に来たばかりのとき、ここでよく飲んだ。ちょっとした粋なおねえさんがいる。エレックに入る前、上智のやつらとこの神楽坂によく行ったもんだ。

 仙台坂  ♪仙台坂を降りて〜ハイ誰の歌? 俺の歌だよ、タイトルがエーと出てこない、  僕たちのラプソディーだよ(笑)麻布十番にある。

 道玄坂 ジャンジャンがあったところだね。

 乃木坂。これは知ってるでしょ、♪緑のインクで・・・・歌が出てこない
 (あらためてメランコリー歌う) ♪それでも乃木坂あたりでは
 コードも歌詞も間違えた。ああメランコリーを聴きたくなったな。

 ということで坂が多い。ツアーとかコンサートの始まる一ヶ月くらい前から この坂道を通ってウォーキングをする。この坂が好きで、歩きながら歌詞が浮かんできた。
 この道が好きだな、愛する我が家に向う道だな。そして、この道に吹いてる風をかんじながら、みんなにもそれぞれの「僕の道」がそれぞれにあるんだろうな。それは、家路だけでなく仕事に向かう道、あるいは人生の道とか、ひとりひとりの道があるんだなと思ってこの歌を作った。最近の好きな曲のベスト3に入ってる。近々この曲をリミックスしようと思っている。演奏も歌もそのままで音のバランスを作り変えたい。なんでそういうことするか想像するとわかるでしょう。

M―2 -僕の道   吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング
 今日は去年のヒット曲だ。吉田拓郎は凄いな・・・・・・って知らなかった。最近になってカッコイイ曲だと思ったら、既に去年大ヒットしていた。とにかく最近のヒットに疎い。一度聴いてハマってしまった。何にも知らなかった疎さ。
 プエリトリコ出身のルイス・フォンシュというミュージシャンの作品で、48億回再生されたらしい。ジャスティン・ビーバーの加わったリミックスがビルボードの記録的ヒットとなった。でも君たちも知らなかったと思うよ。
 君たちに言いたい。教えてくれよ、こういう曲こそ教えてくれよ。仲間じゃないか(笑)。  君たちと僕の中でさ。
 日本人は、ラテンが好きだ。マンボ、ルンバ、サンバ、タンゴ、チャチャチャ。こういうフレイバーが好きだ。ペレスプラード楽団のマンボNo5、パトリシアなんていうのもいい。
 あとはサンタナだな。ラテン色のノリに弱い。こういうのを君たち教えてくれよ。

M−3 デスパシート  ルイス・フォンシュ

■エンディング
家族対抗リクエスト合戦
夫婦の寝室
吉田拓郎の素朴な疑問

吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆私も「素顔のままで」の方が好きだな。リクエスト主さんにご同情申し上げる。知ってるラーメン屋で、”塩ラーメン”を頼むと「ウチはミソだ。ミソが自慢だ。」と強引に味噌ラーメンを出してくる店主がいるが、それと同じだ。しかし御大から「仲間じゃないか」「君らが頼りだ」とか言われてしまうと、ほだされてしまうわな。

☆昔、セイヤングで、拓郎が当時大ヒットしていたビリー・ジョエルについて、「このレベルのメロディーは、日本でもたくさんいる」みたいな話をしたら、それがうまく伝わらなくて、怒ったビリージョーのファンが、アンタごときが何を言う、取り消せと憤怒のハガキをよこして、御大が「取り消すつもりはありません」と応酬していたことがあったな。平和な時代だった。平和じゃねぇだろ。

☆そうか。神楽坂に通っておられたことがあったのですね。あの料理長がいる間に、あの店で御大に美味しい日本酒を飲ませて差し上げたかった。「なんで、一般Pのオマエと飲むんだ」といわれそうだが、「仲間じゃないか」(笑)。

☆鼾を自分でチェックするって凄くない? どれだけ奥さんのことを深く思いやっているのだろうか。

☆「僕の道」をリミックスするのだな。・・・・って、番組で流れたものって.既にリミックスされてないか。イントロにしても間奏にしても、こんなに雫がこぼれるような美しいギターだっただろうか。クリアなキーボードだったろうか。この歌は、溢れくるような演奏がたまらない。すべての人々の道を思って書いたという、今日の話は心に沁みた。あらためてこの作品を味わいたいと思った。デモテープに心奪われがちだったが、そんな風にリミックスしてくれるのであれば、とても楽しみなT’s selectionである。

☆デスパシート。そのおり、知らなかった。我ながらあんまりその良さもわからないのが切ない。ラテンだったらやっぱり御大の”悲しいのは”でしょう。私には究極のラテンの律動なのだ。


☆ 星紀行 今日の学び

 お互いの寝息を感じ合うことで生まれる愛情、
    寝息を慮って互いを分かつのもまた愛情
       寝息は人を変えるが、人は寝息を変えられない

          …意味わかんねぇよ。

2018. 5. 15

 第56回のラジオで、御大の歌った"メランコリー"に痺れた、と今やドイツ在住の人になった雨畑代表からおたよりを貰った。御意。放送でもカリフォルニアにドミニカ共和国にとリスナーの方々もグローバルになっていることが窺えた。外国にいると余計に御大のことが愛おしくなるのかもしれない。でもいい歌いっぷりだった。

 御大は"メランコリー"は、詞の勝利だと昔から言っていた。確かに喜多條さんの詞は素晴らしいし、作詞の裏に潜んだドラマも忘れられない。http://tylife.jp/uramado/melancholy.html、自分で書いといて自分で読み返して涙が出てくる・・・って馬鹿じゃねぇの>自分。そんなことはイイ。メランコリーは、詞も素晴らしいけれど、まさにメロディーが超絶素晴らしい作品なのだとしみじみ再認識する。あんな気まぐれな弾き語りですら、何かがさあっと胸に広がるようだった。というわけで今の"メランコリー"も大いにアリだとわかった。こっちこそ聴きたくなってしまうよ。

2018. 5. 16

 そういうわけで吉田拓郎、梓みちよそれぞれの”メランコリー”を聴く。いいね。やっぱり御大あなたは天才だよ。”メランコリー”はヒットしたよね。当時の歌謡ベスト10に、梓みちよの”メランコリー”と吉田拓郎”たえこMY LOVE”が揃ってランクインしていたのが忘れられない。そのうちに入れ替わりにキャンディーズの”やさしい悪魔”がチャートインして大ヒット、もう破竹の勢いの吉田さんであった。
 ファンとしても我が世の春で、星紀行くんも中学校の廊下を肩で風切って歩いていた。やがて学園全体が"アリス""松山千春"ら国賊ニューミュージック一色に染めあげられる苦難の日々が待っていることをまだ知る由もなかった(つづく)>つづかねぇよっ!

2018. 5. 17

 で、結局話はつづくのだが(爆)

 高校に入学してすぐに"吉田拓郎ファンだ"と宣言したのが”アウト”だった。私は、”古くてダサい人”と同級生から烙印を押され土俵の外に追いやられた。私ら世代では、アリス、さだまさし、松山千春、矢沢永吉が大人気だった。学校にアルバムを持ってきてはみんなでワイワイ楽しそうに貸し借りをしていた。私が一度だけ、発売直後の中島みゆきの「愛していると云ってくれ」を持って行ったとき、さらに激しい顰蹙を買い、私は、”古くてダサくて暗い人”になってしまった。
 みんなアリスXとかYとかをうやうやしく聴いて、ラジオの天才秀才バカを毎週楽しみにしていた。なんとも生きづらい日々だった。
 当の吉田拓郎本人は、フォーライフの社長就任のためセミリタイア状態だった。「裏方こそが表なのだ」という御大の意味不明の発言に大いにムカついていた私だったが、実は御大が、傾いたフォーライフ再建のために必死で骨身を削っていたことを知ったのはずっと後になってからだ。
 とにかく15,16,17と私の人生暗かった。そんな中に開店休業のような御大から突然届いた、あの2枚組の大作「ローリング30」。この名盤が当時どれだけ私を元気づけてくれたことか。今も色褪せぬ珠玉の名曲たち、御大の瑞々しくもタイトなボーカル、「やがて極悪バンド」と「ほぼティンパンアレイ」という二大系譜のミュージシャンたちの名演奏。もう、それは、それは救いの聖典のようだった。おい今年で発売40周年だぞ。
 そして翌年、決起した吉田拓郎は”デスマッチコンサートツアー”と”篠島オールナイト単独イベント”で見事に偉大なる復活を遂げた。「吉田拓郎って凄いんだな」という空気が学校の中にも少しずつ広がって行った。私も、”古くてダサくて暗い人”から、実は”意外とセンスの良かったかもしれない暗い人”という扱いに昇格したのだった。もう卒業だったけどさ。かくして吉田拓郎を待ちわびる日々(第一期)は終わった。73年も75年も経験してないない私にとってリアルに忘れ難い日々である。

 なんでこんなことをダラダラ書いたかというと…「モンテクリスト伯」だ。今、ディーン・フジオカでドラマになってるやつ。視聴率も内容もイマイチかもしれないが、そんなことはいいのだ。世界の名作「巌窟王」だ。それこそ高校の時、クソ長い小説を読んだものだ。

 苦難のドン底から立ち上がるダンテスの名セリフを思い出した。

「この世には、幸福もあり不幸もあり‥きわめて大きな不幸を経験したもののみ、きわめて大きな幸福を感じることができるのです。」
「待て、しかして希望せよ」

 どんなに辛くとも常に希望を持って待てという名言だ。
 御大を待ちわびるあの日、吉田拓郎を古いと笑い、中島みゆきを暗いとあざけって、アリスや松山千春を聴いていた同級生たちよ、今もそれらの歌を同じように熱く胸に抱いているのだろうか、ハンド・イン・ハンドの精神で生きておられるだろうか・・・。大きなお世話だが。私は、吉田拓郎を聴いてきて幸せだったと今も胸を張って言える。巌窟王ならぬ偏屈王の私はつくづくそう思うのであった。(おわり)

2018. 5. 18

 自分にしてからがこんなにショックなのだから、西城秀樹のお身内はもちろんファンの方々の悲しみはいかばかりか。新御三家の中で、公式に吉田拓郎の歌を歌ってくれたのは彼だけだ。「聖少女」「夕陽よ俺を照らせ」「女神が微笑む時」。自分は「夕陽よ俺を照らせ」が大好きだったな。また、とある歌謡番組で「好きになったよ女の娘」を歌っているのを聴かせて貰ったことがあった。吉田拓郎の歌という説明もなくフツーに唄っていた。ああ、広島の対バン(ベガーズって言ったっけ)だったという彼には、スタンダードだったのだな。

 10年以上前、神宮の花火大会のゲストで、初めて生歌で「YMCA」を聴いた。「Cが裏返しにならないように」というヒデキのキメ細やかな指導のもとに、1万人で一丸になって、YMCAをガンガン踊った。超絶気持ち良かったぁ。これぞ同時代の共感だと思った。今となってはもう宝物か。

 テレビで放映された病後のトレーニングは観ていて辛くなるほど凄絶だった。お子さんはまだ小さいし心残りはおありでしょうが、本当にお疲れさまでした、ありがとうございました。

 カラオケコートダジュールには「夕陽よ俺を照らせ」があった。顔も知らぬ同志よ、歌おうではないか。

2018. 5. 19

  かつて中学の登校途中に上映中の映画の掲示板があった。ある日、浅田美代子主演の映画「しあわせの一番星」のポスターが貼ってあり、それを眺めていると不意に後ろから話したこともないクラスの女子が耳元で囁いた。
 「それって世界で一番くだらない映画よ」
 「え」
 「なんでヒデキがこんな映画にまで出なきゃならないのよ」
 彼女は西城秀樹の熱烈なファンだった。「映画にまで」というのは、たぶんドラマ「寺内貫太郎一家」で浅田美代子と共演しているうえに、映画までヒデキと一緒ということだ。確か、二人が付き合っているし、結婚するかもしれないなんて噂もあって彼女は我慢がならなかったようだ。もちろんその心配は現実にはならず、むしろ、浅田美代子問題は、私の方の陣営に飛び火することになるのだが、その時はまだ知る由もなかった。

 あの彼女はいまどんな気持ちでいるのだろうか、とふと思った。

 すべては生きていればこそである。

 吉田拓郎がファイルを共有することを幸せだと云ってくれて、幻のデモテープを特別付録につけてくれる、こんな日がくるとは思わなかった。「生きてることに感謝よ」というあの少しうさん臭いコマーシャルのおばあちゃんにも共感せざるをえない。みんな生きていなけりゃ、生きていかなけりゃ。

2018. 5. 20

 王様達のピクニックの管理人さんから教えていただいた西川栄二さんという放送作家の方のブログで,「GRIP13」のインドシャツの話を読み心が震えた。1979年当時、私はこのシャツが死ぬほど欲しかった。79年春夏のデスマッチツアーでの御大のステージ衣装だ。このシャツに白いパンツで赤い腰紐を巻いて、吉田拓郎は絶唱し偉大なる復活を遂げたのだ。
 しかもコンサートツアーのステージ衣装なのだが、ツアーが終わって20日後、篠島に向うときは今度はそれが私服になっているのだ。神々しいステージ衣装を今度はナチュラルに私服にしてイベントに臨む。この凄さのツボがうまく言えない。でも例えば小林幸子がステージ衣装で電車とか乗ってたら驚くでしょ? それと同じ…じゃないか。

 で、篠島に行ったら、何人ものファンがGRIP13のシャツの色違いとかを来てるわけ。ああ、情報って凄いな、ああ俺は文化果つるところのただのガキなんだなと唇を噛んだものだった。
 そうか「Do!family」っていうんですか。私には1979年、Do!っていえば”Do it敦煌”しかなかったもんね。これも長生きはするもんだシリーズの一環だ。ああ、なんか意味もなく元気がでる。情報…というと無機質すぎるな、貴重なエピソードをありがとうございました。

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2018. 5. 21

 わたしもストーンズのライブを観ると御大のライブにものすげー行きたくなるよ。いつも映画"Let's spend night〜"のオープニングの幕が下りて客席が一望されるところを観るとつま恋75のオープニングがシンクロして血が沸き上がるってもんだ。

 是枝監督、おめでとうございます。おお、ケイト・ブランシェットから授賞か。そして松岡茉優さんにレッドカーペットを歩かせてくれてありがとう。
 映画も好きだが、是枝監督が唯一、連ドラに挑戦して視聴率がガタガタだった「ゴーイングマイホーム」がめちやくちゃ好きだった。映画が楽しみだ。
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2018. 5. 22

ラジオでナイト 第57回 2018.5.20
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 東京のタクシーが変わる。最近は自分で運転はあまりしない。免許証が高齢者免許に代った。高齢者講習を受けなければならず、その免状を貰いに行って、また更新手続に行ってと二回も行かなくてはならない。免許も三年になってくるし厳しい審査にもなってくる。次の更新では返還しようかとも思う。今の車は気に入ってる車で、ムッシュの遺言で…

 一番最初乗った車は(♪僕らの旅を歌う) スバル・レックス、これはいただいた。
次が、ホンダ・シビックだった。
 ジャガーXJ6。たまたま通りかかった店で「これ、ちょうだい」って言って買った水色のジャガー。当時、印税も入って来てたし。
 フォード・ムスタング→アウディ50
そしてBMW320iは2台乗った。ひとつはオープンカーで、四国まで事務所の社長のU君と一緒に行った。
 次に、真っ白なベンツ450SLに乗った。
 ポルシェ924。911でなくて かわいいデザインにいたく気に入っていて、逗子に住んでいたころで、東京の仕事「LOVE2あいしてる」にこれで通っていた。横横を走っているとダンプが追い越してゆく。「トラック抜かないでよ、ポルシェなんだから」。ハワイアンを聴きながらゆっくり走らせてトラックに追い抜かれていた。
 Kinikiの光一にすすめられたジムニー。可愛いやつだった。「どうでっか?」と言われたが狭い。この頃つま恋までよく行ってたけれど狭すぎるので半年くらい乗って売ってしまった。
 ジープ・ラングラー。色をブルーに塗り替えたらハイライトと同じ色になってしまった
 ベンツのゲレンデバーゲンは乗り心地が良かった。
 アウディA1、女子サッカー優勝時に贈られたものと同一だったけれど、半年で売った
 そこでBMW 116i。
 そして、かまやつさんに最後に「拓郎が乗ってない車がある、いいから乗ってみな、そういう世界がある」と薦められた車が今駐車場に飾ってある。

 何の話をしていたんだっけか。タクシーの話だった、はははは(笑)

 東京のタクシーが変わるんです。先日乗った東京のタクシーの屋根が高い。ハイ屋根車とでもいうのか。
 BSで「 地球タクシー」という番組がある。密室の中で時を過ごす仕事で多種多様な職業の方との出会いがある。そうだ、最近は自分では車に乗らないという話だった。だから、よくタクシーに乗る。すると最近は、みかけないタクシーが増えてきた。濃紺で屋根がうーんと高い。窓も大きい。東京オリンピック対策らしい。オリンピックまでに100%がこの車種になってしまうらしい。タクシーに乗るとよく運転手と話する。なんで話かけられるのかな。そういう顔かな。カミさんに最近、オレ大谷に似ていないかと言っている(笑)
 ドアも乗り降りがスライド式で、車体が寄りやすい。ちょっとドアがあくまでに時間かかるけど、座席も広い。エンジンもFFで真ん中の突起がない。しかもシートにヒーターが入る。「運転手さん」って、俺が運転手さんに話しかけてるのか。「運転手さん、こういう車は、評判がいいでしょ?」「99%いいけれど、中には暑いと言う人もいる。」やがてタクシーはこの車種一種になるらしい。なんという車種かと聞いたら「ジャパンタクシー」という車種らしい。
 僕は気に入りました。「運転手さん、これもしかしてロンドンのタクシー、あれを意識していない」「メーカーはそうかもしれない」とのことだった。
 東京のタクシーは、ほぼこれになってしまうらしい。タクシー拾おうとするとその車に乗りたい。エアコンも、前からではなく客席のうえから風がくる。
 ジャパンタクシーに代りつつあるということで聴いてみましょう。

M−1 真夜中のタクシー  吉田拓郎

 最近新聞のラテ欄に「吉田拓郎秘話を語る」というのが多い、毎回「秘話」「秘話」。橋内くん、僕はそんなに秘話ないよ。そんなに秘話のない吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル
 秘話はないんだよ。リクエストです。

<50年前、女性観が変わった歌謡映画、イタリア映画に誘われて観た画面の眩しさ  「カトリーヌ・スパーク」の衝撃を受けて以来、高田美和、本間千代子に別れを告げてオトナになった「太陽の下の18歳」という映画の挿入歌「ゴーカートツイスト」という投書>
 日本ではヒットしたけど、世界ではあまりヒットしなかった。イタリアでは、クラディア・カルディナーレ、例えば「誘惑されて捨てられて」。CCと呼ばれていた。 フランスはブリジッド・バルドーで BB、アメリカではマリリン・モンローでMMという時代だった。スクリーンとか映画の友とかよく読んでいたからな。

 曲は決して素敵ではないが、カトリーヌ・スパークは素敵だった。

M−2 ゴーカートツイスト  ジャン・ニモランディ

■CM明け
 よく考えるとディレクターって、ラテ欄考えるのは大変だよね。   

 「あだな」です。
<キャンディーズの端の太った子に似ていたのでスーちゃんと呼ばれていたが、スーちゃんが痩せて綺麗になってからは呼ばれなくなったという投書>
 キャンディーズは蘭ちゃんが真ん中になったあたりから、綺麗になった。アイドルって変わるよね。

<拓郎さんはよく「勉強部屋」っていうけど、この間「勉強部屋」というラブホテルがありしましたという投書>
 そらぁあんた、いろいろ勉強しなさい。昔、平和公園の勉強部屋で、ホテルのおばさんによく来るねと言われて、どうか内緒にって(笑)。

<VHS断捨離中に「刑事物語4」で拓郎さんが出ていた、植木等、武田鉄矢と共演してたけれど、音楽は別にして役者のクレジットには名前がなかったという投書>
 ひでぇーな。 高知県まで呼ばれて、深夜に喫茶店で待たされて。植木等さんが女装でいた。 夜中の喫茶店で「植木さん、吉田拓郎です」「ああ拓郎さん、大変だね」と言われたけれど内心で、あなたの方が大変ですよ、女装してローカルの喫茶店で深夜、恥ずかしいよね、笑ったな。

 寝室の話
<62歳53歳の夫婦。ベッド生活、ダブルベッドからシングルになったが、ベッドの間隔で  間にデスク等を置きたい自分と並べて寝たい妻、自分は寝相が悪くて落ちるのが嫌だかららしいという投書>
 くっつけてやればいいじゃん。ヒシと抱きしめてヨシヨシと言ってやりなよ。
<部屋は一緒で、主人は10:30ころ寝室で読書、私は12時までひとり起きてるが、寝室に入って主人がまだ起きているとムッとしますが、横になって顔を隠して寝るという投書>
 絵が浮かぶ。いい時間を見計らって寝室に行くと「まだ寝てないの」。どっちがムッとするんだ。で横向いて顔隠すの?
 最近自分が心優しい、いい親父になってる。顔なんて隠さないで、どんな不細工でも見つめ合って、元気で良かったね、おやすみ、寝ようね。なんて、したいなーウチも(笑)

■今週のベストテイク  
 僕が歌っている「水無し川」。かまやつひろしさんに提供して、松本隆が詞を書いて。「我が良き友よの第二段」。あまりヒットしなかったけれど。
 僕の方の水無し川。これは、ものすごいほんのりとした雰囲気になっている。
かまやつさんの方は、瀬尾のアレンジで、石川鷹彦のドブロのソロが美しくてカッコイイ。僕のバージョンは、アレンジャーはいなくて、譜面なしのヘッドアレンジで、せーのでやった感じ。松任谷正隆のチェンバロと駒沢裕城のスチールギター。こういう感じは今はなかなか出せない。トライしたいけど。

 松本くんの詞の主人公は、たぶん生まれ故郷を出て都会で勝負しようという感じだ。僕やら陽水やらは覚えがあるが、そうやって東京に出てきても都会っちゅうところはそんなに甘くはない。故郷の恋人のことを考えてみたらどうなんだ。戻ったらどうなんだ。
 僕は故郷に恋人いなかったし、「マークU」で歌ったように、東京に行く前に「最後だから今夜どうじゃ」「なにいうとるん、バカタレ」と彼女はマークUで去っていった(泣)。
 一勝負なんてやめて故郷のことを考えてみなさい、もう故郷に帰りなさいというアレンジだった気がする。♪君の汽車賃送る代わりに最後の酒に酔うかも知れぬ、のところにこの音が入っている(ホホッホー)現場でコーラの瓶を吹く音を入れてみようと松任谷に言った。この手作り感。そういうのはなくなったな。シンセサイザーの影響かな。そういう音がもうシンセにあるもんね。

 のほほーんとした感じを醸し出している。

M−2 水無し川   吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング

 音楽の好きな幅は、自画自賛だが、幅が広いな。「シャルメーニュ」一度は聴いたことがあると思う。喫茶店、レストラン、映画ドラマか。
 僕の中では、なんかの気分で精神的に不安定でうつな気分な時、このシャルメーニュを聴くと不思議と落ち着く。身体のチカラやもやっとしたものが薄まってゆく。
 例えば、イケーという時はロックだね。しみじみとしたいときはバラード。ストーンズのライブのビデオを観ていると、いてもたってもいられなくなる。コンサートかしたくなるんだよ。ビートルズを観ていてもそうはならないけれど、ストーンズのライブ映像を観ているとライブをやりたくなる。エレキのサウンドに触発されるのか。
 マウント・バーニーの音を聴いていると気持ちが和らぐ、やさしい音楽だ。

M−3 シャルメーニュ  マウント・バーニーオーケストラ


■エンディング

・寝室拝見  
・家族対抗リクエスト

吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆歴代の自動車の話が始った時は、再放送かと思った。おお、ちょうど、去年の5月24日の回だった。「おじいちゃん、その話聞いたよ」と一瞬思ったが、こうしてあらためて遍歴を聴き直し、そこにかまやつさんの遺言がかかわってくると、ただの遍歴ではなく、一篇の叙事詩のような気もしてくる。”今度は一体何代目の車になるんだろう”なんて素敵かもしれない。で、今の車種はなんなのだろう。かまやつさんだから、フェラーリだろうか。でも可愛いフェラーリってあるのかな。

☆寝室拝見企画は、結局のところひとつになれないお互いの寝室をどうにかしたいという御大の静かな心の叫びなのではないのか。

☆水無し川は、かまやつさんのアレンジの方が圧倒的に好きだった。しかし、最近になって、あの沈痛なアレンジも気になりだしている。御大のいうとおり、同じ曲ながらコントラストのあるアレンジだよね。でも、のほほんとは思えないんだよね。ちょうどあの75年から76年の大変な時の御大の姿とも重なって、uramadoは、勝手な思い入れを書いているけれど。ただ、そんなこんなも関係なく、すべては「コーラの瓶」である。もちろん気づかなかったよ。やっぱすげーなぁと心の底から思った。ああやってコーラの瓶を吹いて、それを音楽として使うという発想はもう想像がつかない。パフェのサクランボだけ食べてパフェを語っているバカ野郎はこの自分だ。音楽とは深いものだ。

☆昨日の日記で書いたけど、「ストーンズを観ていると、いてもたってもいられなくなる」という言葉が嬉しい。おいらも、ストーンズを観ると御大が観たくてたまらなくなるよ。

☆星紀行の今日の学び
“いてもたってもいられなくなる人”を見て”いてもたってもいられなくなる”。
   “いてもたってもいられなくなるもの”を持っていることが人生の幸福である。

2018. 5. 23

 “ジャパンタクシー”を観た。黒くてずんぐりしていて、なるほど御大が言うとおりロンドンのタクシーだ。ロンドンといえば、ネットで、ロンドンのローリングストーンズのライブに乗り込んでゆく実況つぶやきを読んだ。全く知らない方だが、写真に、文章に、覚悟と愛が漲っていた。凄い。
 個人的には、ウォータールーの夕景の写真を載せてくれていて胸が熱くなった。私も以前、ロンドンで暮らしていたことがあった。このウォータールーの景色の中を仕事場に通っていた。言葉の壁で失語症になって4週間で帰国したのだが(爆)。そんな私のことはいい。きっとこの方もストーンズを思い、ロンドンを思い、おそらく”いてもたってもいられなくなった”に違いない。
 そんな一方でローマに転戦している雨畑代表からもメールが来る。ビールとでっかいプロシュートを喰らう写真、娘さんとパスタを食べる写真、バチカンの写真、これからあのシスティナ礼拝堂に会いに行くようだ。いいなぁ。心の底からうらやましい。私はぎっくり腰が再発し、これから整骨院に行くというのに(笑)
 ああ御大、俺達もハワイに行こうぜ>友達かよ

いや撤回。その方のストーンズのライブ観戦の続報を読んでいたら、こりゃハワイではない、やっぱりライブだ、"いてもたってもいられないライブ"をいたしましょう。>だから何様なんだよ

2018. 5. 24

 うかうかしていると私の喜怒哀楽は、マスコミとメディアがどの問題にどれだけ時間と分量を割くかによって、いいようにコントロールされている。どんなに隠されようと、観るべきものを見つめ、聴くべきものを聴き、読むべきものを読む。むつかしいことだ。耳を澄ませ、ラララ目を見張れ、そうだアトム油断をするな。
 今、"ひらひら"を聴くと、岡本おさみが一番憂慮していた事態になっているのかなとも思う。ちょいとマッチを擦れば、あちこちで燃える燃える。そのうち君も狙われる…って、本当にそんなおっかない世の中になっちまっている。

2018. 5. 26

<これまでのあらすじ>
 1979年のツアーで憧れのGRIP.13のシャツが”Do! Family”製だと知った。今さらどうしようもないが、市販していたのに買えなかったことにあらためて悶絶する。そしてかのツアー終了の20日後、そのステージ衣装を普段着に着こなして「篠島」に向う吉田拓郎に思いを馳せるのであった……

《本編》
 篠島に向かう時のGRIP.13のシャツの胸元が異常に深く開いている。これは、既製の胸元よりも自分で破って開けているのではないかという疑念が生ずる。盛夏で暑かったので胸元をビリッと開いたのだろうか。現物がないので何とも言えない。ともかくこのラフに胸元の開いてる感じがまたイイのだ。

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 で、話はつづく。篠島のステージ衣装は、このGRIP.13のインド風シャツと同種タイプで、ピンク、青、白の色違いである。これも同じ会社製なのだろうか。胸に”TAKUOH’80”とあしらってある。一部”TAKURHO”になってたりもする。これはこれで大きな問題なのだが、他にもこの衣装にずっと不可解なことがあった。それは「袖口のほつれ」だ。ビデオでも確認できるくらい袖口がほつれている。その疑問は、数年後の深夜放送で氷解した。御大は「この篠島の衣装の袖が長くてギターを弾くのに邪魔だったので、本番直前に、袖をハサミでジョキジョキと切り落とした」とご説明くださった。ああ、そうだったのか、だから、袖口の糸がほつれているのだ。ギターを弾くという決意が、この"ほつれ"に現われている…のではないか。

 それがどうした、バカじゃねぇの、ヒマだなという声が聞こえてくるようだが、そういう正しくまっとうな人々とは最早わかりあえまい(爆)。“いてもったってもいられなくなり"、自分でシャツの胸元を破り、袖をハサミで切ってみたくなる人。そういう奇特な人々とお互いの胸元や袖口のほつれを確かめ合いながら、しみじみと生きてゆきたい。神は細部に宿るのだ……と信じてまいりましょう。
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2018. 5. 27

「From T」
 最高じゃないっすかぁ。ライナーノーツまで書いてくれたなんて、もう嬉しくてたまらない。吉田拓郎という人は、作品を作るとプロモーションも解説もあまりせずに放っておくイメージがある。しかし昨今ラジオのベストテイクも含めて、本人が語り始めると、一曲一曲に実に深い宇宙があることを知らされる。
 普段は寡黙な料理長が厨房から現われて、一品一品料理の説明をしてくれるような贅沢な気分である。
 料理にひっかければ、デモテープは、料理長が現場スタッフに向けて作る「まかない料理」のようなものだと、かねがね思っている。一流シェフのまかない料理なんて身悶えするほど食べてみたいけれど、一般Pの私らが食べられる筋合いものではない。御大が、ミュージシャンらのために作ったデモテープに感じる思いと魅力は、そんな「まかない料理」のような禁断と幻の味がするのだ。それを味わえるとは、くぅぅぅぅ楽しみだ。

 ♪夏が見えれば  あなたをこの腕で 今一度抱きしめて

 ピッタリだ。

2018. 5. 28

ラジオでナイト 第58回 2018.5.27
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。かねてから話していた「拓郎セレクション」というか「T’s セレクション2018」については、各社OKが出て曲目も揃った。各社から5,6曲、会社によっては7,8曲。エイベックスも頑張ってくれた。どんな曲が入っているかは、いずれ紹介する。ああ、この曲かという予測どおりのもあるけど、えぇ、これが入っている?のという曲もあると思う。なぜなら、僕のi-podはそういう曲を選んでいるから。結婚しようよ、今日までそして明日から、旅の宿、落陽とかは入っていない。でも、ステージで歌ってるじゃないかというのはあるけれど(笑)。
 そして、付録として皆さんから愛されたデモテープ。イイって言ってくれて嬉しかった。前代未聞でしょ、18曲くらい選んだ。これからマスタリングして、付録にしよう。

 発売日は知っているけど言えない、夏には出る。吉田拓郎の歴史のなかで、最初で最後。「もってけこのやろう」という感じの素敵なアルバム。一曲一曲ライナーノーツを書いている。
凄いでしょ。偉いでしょ。デモも一曲一曲メッセージをつけている。これは、10万円でもいい(笑)。このことについては近々お伝えします。

 えー、この番組再び(聴取率)1位でした。特に20代、50代のメールが増えている。素晴らしいこと。LOVE2の頃、コンサートにキンキのファンが来るようになって華やいだね。それまで、カサカサの拍手で乾いた乾燥肌のようだったのが、ウエットな拍手になって若い子がいると違うんだな。でも番組終わったら皆いなくなった(笑)。おぉぉいキンキファン、俺のライブに来いよ。

 映画の話、みなさんのベスト映画はなんだろう。

10代女性、「アナと雪の女王」 レット・イット・ゴーの主題歌を皆で歌ったのを覚えている。

30代女性 「木更津キャッツアイ」  ドラマが好きだった、森下愛子さんを知ったのもこのドラマだった。

 俺は、ちゃんと観ていない(笑)。怒られそう。クドカンの演出が、最近は慣れたけど最初は慣れなかった。テンポとか時空をさまようのに慣れなかったし、このころはわかんなかった。映画の中では早送り巻き戻しのシーンがあるけれど、自分でビデオのボタン押してしまってんのかなと思うくらいわかんなかった。

60代女 「太陽がいっぱい」
 25歳の美しいアランドロン。眼・鼻・髪・声・体形どれも完璧。こんな完璧な男はいない。吉田拓郎くらいか。私も何十回も観ました。全くあの映画は素晴らしかった。マリー・ラッフォレも素敵だった。

40代男 「南極物語」  犬が好きだったので、映画館で泣いた。

70代男  「用心棒」男の中の男、二つの組織を手玉にとる三船敏郎。

 映画館に誰と行くか、吉田拓郎はガールフレンドといって、映画はどうでもよくて、そのあとの欲望のカタマリと化している吉田拓郎がいた。
 映画館に行くのは、一人42%、配偶者34%、こども12%、友達11%、恋人5%
もはや映画はデートの定番とはいえないのか、吉田拓郎は古いのか。そういうものかね。

 何回も観たが「アルゴ」という映画を紹介したい。ベン・アフレックが監督主演。実際に起きたアメリカ大使館の人質事件でのCIAの奇想天外の救出劇を描いた実話。
 アカデミー作品賞を受賞した。ハリウッド映画のスタッフにみせかけてイランの大使館員を無事に脱出させるという全編ヒヤヒヤで、助かるのか心配で、そんな演出がうまい。
 「アルゴ」という架空のSF映画を設定してそのスタッフという話をでっちあげ、ロケハンのスタッフということで潜入救出する。スリル満点で、まさにヒヤヒヤ、ドキドキ。是非観てください。よくCIAはこんな話をでっちあげたものだ。

 ということで、家では妻と、これ面白い、あれつまんねーと映画三昧している吉田拓郎のラジオでナイト。
 
■タイトル
 たくさんリクエストきますね。デスパシートとか全然知らなかった曲も教えてくれる。すばらしい。以前に亀渕昭信さん、亀さんからメールを貰って、リスナーからいろいろなものを教えて貰うのもいいよということだったけれど、とはいえ一筋縄ではいかない拓郎くんは、リクエストを変更しちゃう(笑)。 今週はリクエストいただいて、これはかけくたないというのをやってみたい。

<1966年の「孤独の太陽」 ウォーカーブラザーズ、スコットウォーカーの透明感のある低音ボーカルがいいという投書>
 僕ね、ウォーカーブラザーズって昔から好きじゃない(笑)。自分で聴いてください。ハガキ読んどいてかけないって。
<プログレが好きでイエス、ELPとか、リックウェイクマンとか…クィダムの「妖精」をリクエストという投書>
 プログレがダメなんです(笑)よくわかんないんです。ELPとかライブを観ててはすげーとは思うけどわかんない

 音楽は好き嫌いだよ。吉田拓郎を嫌いな人もいる。ヘだと思っている人もいる。僕は、プログレをへだとは思ってませんが。ということで、かけません(笑)

<アメリカでは、デスパシートのようにラテンブーム、カミラカベロのリクエストという投書>
 なるほど。これは聴いてみたけどいいや。ウォーカー・ブラザーズとかはまたね。  

M−1  ハバナ   カミラカベロ 


■CM明け
 寝室事情。すごいたくさん来てる。歌にならないかな、コミカルな歌になるのではないかと思っている。

<シングル2つで寝ているが、朝までWベッドで寝られるのが羨ましいという投書>
 ハイクアウトのMさん、ベッド2つで寝ておられるそうだが、奥様はセミダブル、旦那はシングル。奥さんが大きい(笑) どう解釈するか。理由があるのかな。用事があるときは奥さんのベッドに行くとか(笑)

 <若い頃は一緒に寝るのが嬉しい、中年になるといろんなことが気になってくる、老年になるとお互い生きているのを確認するという投書>
 夫婦の人生。いろいろ読むと、君たち夫婦は仲良くない人が多い。うまくいってないね。
歯ぎしり、鼾、一緒に寝てても知ったこっちゃないという人が多い。おい、うまくいってんのかよ。
<寝るときはWベッドで背中合わせ生存確認のため一緒に寝ているという投書>
もっと優しい気持ちで。心の底から、みなさん仲良くね。夫は妻を愛し妻は夫を愛して。

<拓郎さんはお休みまでの時間はどう過ごすという投書>
 夕食7時ころもそれから9時ころまでスポーツとかを観て過ごす。奥さんが食器の片付けほ始め、僕はお風呂タイム。僕が先に入って、奥さんがあと。11:30ころにお互いの部屋に。僕はときどき奥さんの部屋を訪ねて、部屋に昔のベッドがあるので、そこでピロートーク。何を話すかは言えない(笑)
 そして、10分位して、自分の部屋に寝に行く。僕は、部屋に戻ってi-podを聴く。

 奥さんは寝る。みなさんのお宅事情わかりましたが、仲良くしてください。汝妻を愛せよ  汝夫を愛せよ、お願いします。
■今週のベストテイク  

 2016年のライブ。時間が経ってしまったけど、体調の事もあって、いろいろ治療しなくてはいけないこともあって時間もずいぶん経ってしまった。それも終わりそうなんで、いよいよライブも現実になってくる。

 2016年は満足だった。メンバーもベスト、ボーカルも、エナジーとしての気持ちも入っていていいライブだった。

 「アゲイン」という歌。アルバム「AGAIN」をレコーディングしていた時、その最中に♪若かったころのことをきかせて…ふと浮かんで、武部、鳥山に即興で演奏してもらって「イイ感じですね」と言われて、このまま録音しちゃおうかということで未完のままで入れた

 2016年のステージでは完成形を演奏した。当時、古館伊知郎から、この曲で涙が止まりませんでしたと言われた。
 2016年のライブでは「流星」で、君たちが求めていたものは見つかりましたか、という思いがつのり過ぎてしまった。それで、「なんですかぁ」が声にならなくなってしまった。歌っている最中に君らが欲しかったものは見つかったかという思いが募ってしった。
「アゲイン」が次のライブでの危ない曲になりそうなきがする。歌詞がまずい。「僕等は今も自由のままか」のところ。70年代みんな男も女も自由を求めていた。そうして心の旅をしていた。いろんな体験をしたけれど、今だって自由のままだよねとという思いを共有したい。きとまたつのってしまう。

M-2 アゲイン   吉田拓郎 (2016)

■今週のマイ・フェイバリットソング

 イギリスのロイヤルウェディング。かわいいウェインディングだった。素晴らしいカップルの誕生にふさわしくほほえましかった。途中で、ゴスペル・グループが出た。「スタンドバイミー」R&Bの名曲だよ。驚いたな。開かれた王室ということで粋な演出だった。今週はこれでゆこうと思った。
 歌詞は、夜が来て大地が暗くなて月灯りだけになっても、寂しくない君がいるから、ダーリン君のそばにいてほしい、そばにいておくれというシンプルな歌詞。この間奏のストリングスが凄い。(口ずさむ)なに、これ凄い綺麗なメロディー。アレンジャーに拍手。

M-3 スタンドバイミー   ベン・E・キング

■エンディング

募集テーマ
・マイベスト映画
・寝るとき

お相手は吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆夏に届くという御託宣というか”御拓宣”の”From T”。デモテープ18曲とはまた凄い。普通は、他のアーティストがデモバージョンを入れてもボーナストラックとしてせいぜい2,3曲のところだろうに、18曲とかすげえよ。ホントにそんなに収録してくれるのだろうか。それこそ発売まで、ベン・アフレック以上にヒヤヒヤものである。頼むぞ。
☆もうひとつの”御拓宣”としていよいよライブの現実化である。いろいろと大変だったご様子が垣間見えるが、ともかく乗り越えられたという事で、良かった感謝したい。歌ってくれ。思いのままに。涙で詰まってもいいから。
☆二つの御拓宣(って、しつこいな)を聴いたうえでの、「アゲイン」が心の底からしみたよ。
“自由””僕は今も自由のままだよね”
 それがいかに大切なワードであるか、昔作った一覧を眺めてみる。フレーズを集めただけで、ひとつの叙事詩になってしまう。すんばらしい吉田拓郎の世界だ。http://tylife.jp/sideways.html#JIYUU
 ☆映画ね。いろいろメール送ったが、たぶん御大と好き嫌いが合わないのだ。好き嫌いが合わないといえば、ウォーカーブラザーズにプログレッシブのリクエストの方、ドンマイ。試練と書いてファンと読む。みんな同じさ、がんばろう、
☆星紀行 今日の学び
  夜が来て大地が暗くなって 時にダーリンあなたに冷たくされ、ムカつこうとも
        ダーリン ダーリンそばにいて ああダーリンそばいておくれ 

2018. 5. 29

 「吉田拓郎のライブ映像」はDVD化も含めて再発売されるたびに、MCやバックステージの様子が、どんどん削られてゆくのは何故だろうか。これらを邪魔だと感じるファンは皆無だと思う。
 「Stand by me」で御大が力説したストリングスは本当に美しい。たまらん。そしてそこから思い馳せるのはNHK101の"AKIRA"の間奏のストリングス。コレも涙ぐむほど美しい。

 リハーサル中の映像で、ストリングスの女性が拓郎に間奏についてのお伺いを立てに来る。提案を聞いた拓郎は「そう、じゃ演ってみせて。聴かせて。そういう積極的な人好きよ。でもダメなら却下するからね。」と答え、彼女の奏でるあの美しいストリングスに真剣に聴き入る拓郎の表情が実にイイ。そして「OK!」。胸わしづかみで素晴らしい(Uramado"AKIRA"より)。

 こんな大事なシーンをカットしちまって。これだけではない、幻になった貴重なシーンは枚挙に暇がないってなもんだ。

2018. 5. 30

☆☆☆レールが鳴ると僕等は読書がしたくなる☆☆☆


■「ミックジャガーは60歳で何を歌ったか」中山康樹 幻冬舎新書■

 何度読んでもこの前書きに共感する。この本に「吉田拓郎」は全く出てこない。
でも、心に浮かぶのは、あの人のことしかない。


「 一時代を築き、しかしノスタルジーの対象となることを固く拒否し、挑戦意欲を持ち続けているミュージシャンたち。彼らはいうまでもなく全盛時代を超えることができないことを承知している。
〜新しい曲を書いたところで、大半のファンは過去のヒット曲を聴きたがるということもわかっている。その新しく書く曲もまた過去の水準を超えることがなかなかに困難であることも、とっくの昔に達観している。だからといって妥協しているわけでも名声に依存しているわけでもない。
 彼らは過去の自分と闘い、勝ち目がないことを知りながら、それでも闘うことを放棄しようとはしない。ライブやツアーでは、過去のヒット曲も披露するが、新しい曲を書きつづけ、アルバムに収録し、発表する。
〜ある意味で満身創痍の状態でありながら、それでもなお新しい曲を書き、何かを創造しようとする”年老いたロッカー”に共感を覚える。しはしば勇気づけられもする。
〜時には、年齢を感じさせず、時には年齢だからこそ表現可能な境地を示し、それこそが「現在のロック」であると強く実感させる。
〜彼らは、ロックやポップスが、時代や年齢とともに成長する音楽でもあることを証明しているようにも思う。すなわち古いヒット曲を演奏したとしても、それはもはや「あの時代の歌」ではなく、「現代の歌」として甦り、ストリートに響く。」

2018. 6. 1

 6月10日になるとシングル「舞姫/隠恋慕」の発売から実に40周年である。高校生だった時にリアルタイムで買ったので多少バイアスがかかっているのかもしれないが、両面とも美しい佳曲で、忘れられないシングル盤だ。

 私は、TBSのザ・ベストテンに出てほしくて、親戚の名前まで借りて、せっせとリクエストハガキを書いたものだ。結果は、国会周辺のデモくらい、はかないものだったが、この美しきシングル盤に対する処し方として今も間違ってはいなかったと思う。

 「隠恋慕」は、ドラマ主題歌の時とボーカルが微妙に違う。レコードの方が、より繊細な歌い方で魅力的だ。
 なにせ当時、宇津井健の「たんぽぽ」と池内淳子の「つくし誰の子」は人気シリーズだったから主題歌だった「隠恋慕」をA面にした方が押し出しが良かったのではないかと思ったりもしたが、そこは御大のチョイスにこそ意味があるのだと納得した。

 しかし、どうにも納得がいかないのがジャケットである。1978年のツアーの名古屋公演と思われる。例のカーリー試作(いわゆる三日パーマ事件)のヘアで、どうみても「落陽」か「人間なんて」で吠えている真っ最中だ。しっとりとした深みのあるこのシングルには不似合いではないのか。同じライブでももっと適切な写真があったのではないか。さすがに40年も経つと、こういうものだと刷り込みができたが、よくよく考えるとやっぱり違うよな。

 マイクスタンドに紙テープがひっかかっている。そういえば、人はいつからコンサートで紙テープを投げなくなったのだろうか。キャンディーズの解散コンサートで、後楽園球場がラーメン丼ぶりみたいに紙テープでいっぱいになったのを覚えている。あれも1978年か。確かアイドルに当ってケガして危険すぎるという事件があった。さすがに今フォーラムでやったら怒られるんだろうな(爆)。もちろんやりません。それよりも、愛と感動を表現する手段としてテープを投げていたということに深い感慨を覚える。(つづく)
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2018. 6. 2

 その後、御大のラジオでデモテープと完成版を聴き比べる企画があって「舞姫」は、デモとほぼ同じだった。御大は「松任谷くんゼンゼン仕事してませんね。ちゃんと仕事してほしいですね。」と悪態を吐いていた(笑)。
 松任谷氏は、そのコトバに反省したのか、あるいはムカついたのか、たぶん大いに発奮して、TOUR1979のものすげーアレンジが登場した。
 原曲と違ってもうキーボードを弾きまくり、いつもより多めに弾いております・・・なんてなもんじゃなく、武道館全体がキーボードの音色で満潮の海のように満たされた。すんばらしかった。またそこにジェイク・コンセプションの絶妙のサックスが漂ってくるのだ。ああ、なんて素敵なアンサンブルなの。あなたが海なら私は魚、それもたたみイワシの一匹。いみふ。

 それからはライブVer.ばかり聴いて暮らしていた。ところが、ずいぶん経って、アルバム「LIFE」で、remixした「舞姫」に再び会う。"霧煙る"…ではなく"霧晴れてあなたが見えた"という感じだった。こんなふうに磨きだしができるのか、音楽ってすごいなと感動した。

 やはり原曲とライブは双璧である。って、二つしかないけどさ。

 というわけで「舞姫」40年。決して昔日を懐かしんでいるだけではなく、こうして今に生きつづけ現代の「ストリートに響く」曲として愛でたい。あと後奏の口笛も忘れずに。

2018. 6. 3

 リクエストといえば「ザ・ベストテン」にもハガキを書いたが、日曜日お昼のラジオ、小川哲也の「決定全日本歌謡選抜」という電リク番組にもよく電話をかけていた。小川哲也。あの独特の美声と、歌手に「ヒデキはどうなの」「ジュンコ元気だねぇ」とか馴れ馴れしくタメ口で話しかけるキャラで有名だ。毎週コンピューター集計のヒットチャートの順位発表していたが、あれは絶対手作業だったに違いないと思わせるチープさがあった。
 1977年の12月、差し迫った期末テストの勉強しながら聴いていると「なんと今日は吉田拓郎さんがいらしてくださいました」と紹介されて御大登場。びっくらいこいた。アルバム「大いなる人」の陣頭プロモーションということでいろんな番組に出てていたもののまさかこんな番組まで出演とは思わなんだ。さすがにタメ口ではなかったと思う。
 いろいろ近況を話したあと「さて拓郎さんへのリクエストですけど…」小川哲也さんは申し訳なさそうに言った。「一枚だけ来てます。○○くん、15歳『カンパリソーダとフライドポテト』」。気まずい間と苦笑があって「一枚ですか、帰って壁に貼っときます」と御大は、哀愁漂う「カンパリソーダ」に送られてスタジオから退出したのであった。

 すまん。15歳の少年がリクエストしているのに、このオレはなんなのだ…と16歳の自分を責めた。

 なので私は、次回作シングル「舞姫」から日曜の電リクを始めたのだった。草の根運動みたいなもので心意気はあってもなかなか成果は出ない。草の根の方々申し訳ない。オペレーターに繋がってリクエストをするとおねーさんから「何かメッセージをお願いします」といわれて最初はドキマギしたが、そのうち「すべての拓郎ファンの皆さん、どうかリクエストを」というドブ板選挙みたいなことを言っていた。もちろん、一度も番組では紹介されなかった(笑)。
 それでもその番組で。「舞姫」は、30位台まで行ったよ。そして、次のシングル「流星」は40位くらい、「春を待つ手紙」も30位台はいったはずだ。「あの娘といい気分」あたりで番組を聴かなくなったので途絶えてしまったが。

 あの時、せっせとリクエストしていた顔も知らぬ同志がいたんだろうな。お元気だろうか。日曜になるとそんなことを思い出す。

2018. 6. 4

ラジオでナイト 第59回 2018.6.3
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。サッカーワールドカップは、 ホジッチ監督解任で大騒ぎになったけれど、西野監督、とりあえずジャパン、コロンビアに勝ってくれ。
 サッカーの国際試合では、両国の国歌が斉唱される。この国歌が長い国がある。11番まであるウルグアイ、全部で50分かかる。
 フランスの国歌、ラマルセーズは8分32分。スイスは7分24秒、メキシコは4分40秒で、日本の君が代は1分。思ったより短い。ウルグアイの長さは、「イメージの詩」みたいだね。

 みなさんが怖がっているもの。

10代女 電車のおっさん
>寝たふりにして、もたれかかってきたりいろいろ大変だよね
20代女 別れた彼氏、今もいろいろ連絡してくる
>それは危ないね
30代女  友達の結婚
40代女  ママ友などの人間関係
50代女 肌の劣化が怖い
>かねがね言ってるように、目チカラからのなさ、マッチ棒のような目ね
60代女段差が怖い

10代男 蜂とか生き物が怖い
20代男 女が怖い
30代男 会社の出世レースが怖い
>最近ある方が偉くなった。小池君は、他人を蹴落としても出世したくないよね、偉いな。
40代男 人間ドック、いい結果が出るわけがない
50代男 コインパーキング  料金システムが違う
>俺もどうしていいかわからずに、たたずんでいる
60代男 フィットネスでものすごいスピードで追いかけてくるおばさん


 吉田拓郎はカミナリが怖い、苦手。以前に声帯に白板症という病気で手術するために入院した。病室に寝ていたら、天気が急変して雷になった。ゴロゴロという音より、光、ピカッという光が怖い。
 カーテンを全部閉めてベッドで小さくなっていた。そこへ若い看護師が入って来て「雨凄いですねー、雷。大好きなんですよ、わーキレイと見てしまう」そういいながらカーテンを開けてしまう
「わー見てください、光ってますぅ、キレイですね」って、おれは退院したかった。

 カミナリが今も心の底から怖いという吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル

 いつもここでリクエストにお答えしています、って、先週はリクエスト読んでおきながら好きじゃないからかけなかったけど(爆)それが拓郎さんらしいとメールも貰ったけど。

<拓郎さんを忖度してという投書>ははは、そっちも対策して、いろいろ腹の探り合いだね。 君のリクエストは却下しないよ。僕も好きなんでいい曲だ。
(歌う)フィルスペクター、ウォールサウンドで説明したよね。
<フィルスペクターが最初に音楽シーン知らしめた「to know him is to love him」ビートルズ、ナンシーシナトラ、ピーターゴードン、最近ではエイミー・ワインハウスがカバーしているという投書>
 ジョン・レノンがカバーしてるんだ。ナンシー・シナトラ、昔、ナンシー・シナトラの写真観て、いけないことしていたら、おばあさんがそーっとはいってきた。「なんしょる」と言われた(爆)
 Emmylou Harris,Dolly Parton, Linda Ronstadt,三人が歌っているバージョンがいい。知らなかったです。ありがとう。
 忖度したリクエストは無事通過しました(笑)。

M−1  to know him is to love him Emmylou Harris,Dolly Parton, Linda Ronstadt

■CM明け
<秘話、秘話言い過ぎると言いますが、拓郎さんのお話をきくといろいろな伝説や裏話は違っているんだな、東京近郊でフォークソングの原点の民謡を学ぶために民謡ために千葉に行ったという記事を読んだのですが、実際は河合楽器の知り合いの方だったり、実際は違うんですねという投書>
 するわけないじゃん。フォークソングなんて興味なくて、ロックバンドやってたわけだし、フォークを見直すために放浪の旅なんかしたりしない、小林一茶じゃないよ。
 確かに、若かったころから僕はいろいろな場面でテキトーなことをその場しのぎで行ってきたということはある。理由はあって、それは不信感。周りの人々を信用していない。書いてくれる人のことを信用していない。心の底から割って話すことなんかなくて、常にその場しのぎで話していた。但し、このラジオは最終章と思っているので、正直に話したい。この番組終わるまで嘘はつかない。って、今までの放送は嘘だったのかといわれるかもしれないが(笑)それでいい。この番組では、本当の話をしていることをご理解いただきたい。

<拓郎さんは、かあちゃんと呼んでいたといいますが私もです、という投書>
 かあちゃん、とうちゃん、にいちゃん、ねぇちゃん、だったね。おかあちゃん、おとうちゃん、おにいちゃんとは言っていなかった。「お」はなかったね。「お」がつくだけでちょっと品がいい?

<拓郎さんに質問、奥さんに家にいるとき化粧してほしいですか、旦那は化粧していても気にもしないという投書>
 家ではすっぴんでいてほしい、で奥さんは家ではすっぴんです。一緒に出掛けるときはうすぅぅぅい化粧をする。化粧が濃いのは僕はキライ。僕もすっぴんで行きます。って当たり前だろう(笑)。いや、でも、ステージで凄い濃い化粧したことあるよ、楽屋とかで会う人みんなに顰蹙を買った。歌とあっていないと。
<アルバムが実現でわくわくという投書>
 実現しましたよ。あとはマスタリングにライナーノーツも書いて。とにかく、気持ちも天気も熱い間に届けたい。
 デモテープが一杯入っているけど、どういう扱いにするかエイベックスの人と話したけれど、「付録」だと言った。「付録だったら」というそういう気持ちだから、心配いらないそんなに何十万円もしないから安心してくれ(笑)。納得の値段で出すから。一生かけて夢のアルバム。毎晩寝ているときのi−podの曲をみんなと共有するんだよ。僕は嬉しいんだよ。ブログ読んだでしょ。嬉しいわけ!!

■今週のベストテイク  
 「恋の歌」。ベストテイクというか、思い出深い、青春だなぁという感じが ふぁーっとくる作品。今度のアルバムにいれたいなと思うような曲。
 広島の頃、バンドやってたりした頃、河合楽器でギター教室をしていた。これがイイお金になったんだ。女子高生から儲けては、カウンターバーで女の子をひっかけて呑んでたな。
 いっぱい生徒が来ていたんだよ。ギター教室は、女子高生、女子大生と女の子いっぱいで。人気があったのかな。ギター教室、バンドでは人気あったけど、大学とかではモテないんだよね。コンパで打ち解けてもガールフレンドとかできないし、付き合ってくださいとも言われたこともなかった。唄ったりギターを弾いていると相手にされる。吉田拓郎は、歌っていないと相手にされないということがわかった。

 広島でも有名な美少女がいた。目抜通り歩いているとみんなが見とれるような美少女。清水美恵子さん(笑)。ぼーっとみとれてしまう。ああ、あの娘の彼氏だったらなぁ…その妄想から生まれてきた詞。♪熱い暑い涙が、君のほほを濡らして僕の唇にひとしずく落ちてきた…かわいい詞じゃないか。かぁーちゃーん、かわいいよぉぉぉ(笑)。こういう世界が好きなんだ。詩だけ書いてあって、東京でメロディーをつけて、まず当時、事務所にいたザ・ラニアルズに提供した。一緒にツアーしたこともあった。

 ギター小松君は、徳武のように指引きがうまかった。見崎くんはペニーレインの店長をしている。山本コータローとウィークエンドともやっていたけどペニーレインの店長にもなっているはず。
 木村四郎くんは今ステージのPAをしている。 小田和正のツアーとかもそう。まさか彼がステージのPAをやるとは思ってもみなかった。運命だよね。寺邑君というキーボードのかわいい女の子もいた。サイドギターは、高橋君で、五人組だった。
 ラニアルズのこの曲は、ちょっと売れた。瀬尾のアレンジだよね。このアレンジはi-podに入っている。

M−2 恋の歌  ザ・ラニアルズ

 いいねぇ、なつかしくて、サウンドも古いけど、いいな。いかにも瀬尾ちゃんって感じで、好きだな。

 僕が歌ったのは、アルバム「ぷらいべえと」に入れた。 エルトン永田の愛らしくて、うまいハモンドオルガン。ああいうのはエルトンはうまいんだな。間奏でエレピになって、僕がエルトンに口で、こういう感じ(ハミング)と歌って見せたら「いただき」といって弾いくれている。
 バックコーラスは、僕も入っているけれど「oils」。リーダーで同じ事務所の仲間で、今は亡くなってしまったスタッフの陣山君が、すき焼きのオイルが好きだった。お肉とかではなくてオイル。あの四角いアブらの塊が好き。変わっている。肉でも野菜でもなく、「あぶら」が好きだという変な人。普段から「あぶらちゃん」とかいわれていたので「オイルズoils」。陣山くんと、猫の常富くんとかがコーラスをつけている。オイルズのコーラスは、いろいろ参加しているが、すき焼きの臭いがする(笑)。

M−3  恋の歌  吉田拓郎

■CM明け
 以前に海外レコーディングは三回と言ったけれど、四回だね。LAでもう一回やっている。1996年にアルバム「感度良好波高し」を録音しているので四回やっていることになる。前年のバハマでデビットリンドレイの代わりに今度は、ワディワ・クテルを入れて、ツアーもやった。「感度良好」をレコーディングしている、石原信一が「心もよう」を歌ってスタッフ顰蹙を買ったのはこの時。バハマ満点とすると、その次に楽しくやれたって感じ。
 「マンボウ」は岡本おさみが書いた唐突な作品。しかし詞を読んでいるとあるんだよ。来るべきアルバムには、この「マンボウ」のデモテープがついている、これは本編よりイイから。「永遠の嘘をついてくれ」も、中島みゆきのデモではなく、アルバムを上回る僕のデモテープがついている。え、これ自宅の勉強部屋でやったの?と思うようなもの。
 あとは、もう一曲聞かせてあげよう。橋内くんが、なんとかあと一曲、どうしても一位を取りたいのでといってきたので(笑)、何でも話しちゃう、嘘はつかない放送だから。

 リクエストがあって、<嫁が好きな中島みゆきさん、ライブで拓郎さんは動物扱いされていましたよ、素晴らしい動物写真家=タムジンの話で、「誕生」をリクエストするという投書>
 みゆき、ユーミン、西野カナ、AKBなんでも聴いてみよう。今日は、「永遠の嘘」もあることだし、初めて聴くけど「誕生」を聴いてみよう。

M−4 誕生   中島みゆき

■エンディング

 ベスト映画と怖いものを募集。

 スペシャルウィークで一位を取りたいので、お宝をと頼まれて、もうない、秘蔵、秘話、それもない。じゃあアルバムにいれる予定で未発表のデモテープを持ってきてやる。「ありがとうございます」未公開はたくさんあるのでどれを持ってくるかまだ決めていない。

 それから吉田拓郎のi-podは、なんなんだ。その中身を教えてあげよう。例えば、歌謡曲フォルダがあって、♪上野発の夜行列車降りたときから、こういうマイナーな曲は避ける。でもこの曲は、唯一マイナーな曲で入っている。
♪三日遅れの便りが届き、こういうメジャーなのが好き。内山田洋とクールファイブとか。歌謡曲のフォルダはこんなだよ。とかベストテイクに入るようなフォルダ。僕のi-pod。こんな番組あるかな(笑)。

吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆オープニングで、ご本人がサラリと話したので、私もサラリと流さなくちゃならないとは思うのだが、声帯の白板症で手術って、場所も場所だし、震撼とさせられる話なのではないかい。これまでも病と思われるエピが、いろいろ垣間見えたものだが、私なんかが知らないところでカミナリよりも怖くて大変なことが起きていたのかもしれない。えーい、憶測はすまい。
 とにかく、盛夏のアルバムを待ち、一斉レコーディングを待ち、ライブを待つ、そんな日々があることにあらためて心の底から感謝するしかない。日々に感謝という言葉を昔はウサンクサイと思っていたが、最近実感としてしみじみとわかる気がする。

☆常に警戒心をもって話をしていたという御大。純朴な青年をそれだけ頑なにさせるような出来事が幾度も襲ったのだろう。確かに、昔のインタビューは、どこか殺気のようなものを孕んでいた気がする。それがまたカッコイイのだが、いまこうしてファンと音楽を共有することを喜んでくれ、偽りのない語りを毎週続けてくれることは、心の底から嬉しい。ただ「最終章」といわれるとそこはかとない寂しさも感じる。
☆そんな話の後だからだろうか、“to know him is to love him”とは、まさに絶妙のタイトルだ。曲そのものも実に沁みた。これは名曲ばい。忖度リスナーさん、なんという名チョイスなのだろうか。ありがとう。

☆「恋の歌」。いいよねぇ。ラニアルズもいいが、エルトンさんのエレピが美しい。「愛らしい」と御大は宣ったが本当だ。
 以前に、とある場所でエルトンさんにサインをいただいたときに「『ぷらいべえと』のキーボードがどの曲も絶妙で、大好きなんです」と話しかけたら「あのアルバムのアレンジのメロディーは全部、細部にいたるまで拓郎さんが書いています」とボソっと言われた。アルバムに記された「Arranged By Takuro Yoshida」の言葉の意味をあらためて噛みしめた。なんとなく「やっつけ仕事」のようなイメージで観られる不幸な「ぷらいべえと」だが、すみずみまで愛おしくなってくる。

☆ そして陣山さんとオイルズ。陣山さんのコーラスが入ると、そのアルバムは売れるという縁起物だと昔から言われていた。それにしても、すきやきのアブラって食べ物なのか。身体に悪そぉだなぁ。だから脂ぎった陣山さんなのか。

☆孤高のサイトなので自分で自分に言うしかないが「恋の歌」http://tylife.jp/uramado/koinouta.htmlも、そして陣山さんのオイルの話も
http://tylife.jp/uramado/anatawookuruhi.html大事な話をちゃんと拾えていて偉かったな星紀行(爆)だから元気出せよ。

☆星紀行の今日の学び

Remember 生まれたこと
Remember 出逢ったこと
Remember 一緒に生きてきたこと
私いつでもあなたにいう 生まれてくれて Welcome


中島みゆきは天才だ。

2018. 6. 5

 第59回の放送で流れた"to know him is to love him"が、あまりに素晴らしかったので、フィル・スペクターのことをいろいろ調べていたら、彼の伝記ドラマをアル・パチーノが主演していたのを知った。アメリカだけのテレビドラマなので日本では観られないのだが、写真で見る限り、パチーノファンとしてはかなりショックだ(爆)。マイケル・コルレオーネもセルピコ刑事も、アーサー・カークランド弁護士も吹っ飛ぶ。さすがスタニスラフスキーシステムの役作り。なりきり方がハンパない。王様達のハイキングかと思った。
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2018. 6. 6

 草の根リクエスト運動も、1980年春のシングル「あの娘といい気分」あたりでメゲて、続く8月のシングル「いつか夜の雨が」で途絶えた。「いつか〜」は「なんで今さらシングルにしたんだろう」と当の御大自身も言ってて、結構ムカついて気分も萎えたものだ。

 しかし、その次作シングル「元気です/証明」では再び頑張った。理由は明確で、渋谷公会堂のライブに行ったら座席に学生ビラみたいなチラシが置いてあって、そこにはこう書いてあったからだ。「吉田拓郎ニューシングル『元気です』。どんどんリクエストしてTBS『ザ・ベストテン』の1位にしよう!!」
 今思うとやる気があるのかないのかわからないチラシだったけど、一応頑張ってハガキを書いた。
 それに「元気です/証明」は、AB面揃って最強シングルだと思えたからだ。テレビドラマの主題歌でもある。これでヒットの条件は揃った感に満ちていたのだ。その結果は(略)。涙を浮かべて(略)。

 最後にリクエスト・ハガキを書いたのは、翌年の「サマーピープル」だった。TBS「ザ・ベストテン」では、11位から20位の曲を紹介する「もうすぐベストテン」というコーナーがあったが、とある放送のとき、特別に、21位から30位のチャート状況を告知したことがあった。‥‥‥いた!!。正確な順位は忘れたが、20位代に吉田拓郎「サマーピープル」が3秒くらい流れて写真が写った。ONLY YOUの歌詞カードの写真だった。黒柳さんが「お待ちしております」と素っ気ないコメントをした。これが最初で最後の「ザ・ベストテン」の出演というか映り込みだったのではないだろうか。「唇をかみしめて」でも出たかな?

 私は吉田拓郎のシングルの不発をディスっているのではないし、またせっせとリクエストしていた自分を自慢したいわけでもない。あ、でもちょっと自慢はあるかもな(笑)。
 ヒット曲というのはいかに大変なものか、その空よりも高い壁というものを実感したのだ。ヒットというのはその曲を求める夥しい数の人間と熱意や執念と権謀術数が絡み合い結集して出来上がる得体のしれない怪物のようなものなのだと思った。

 今思うと笑うかバカにされるだけかもしれないが、あの頃、ヒット曲が出ない吉田拓郎というものに、ファンのはしくれとしてかなり真剣に胸をいためていたのだ。 


                              つづく
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2018. 6. 7

 ヒットなんかどうでもいいじゃないかというかもしれないが、ベストテン全盛時代の当時はヒットせずば人にあらずという風潮だったし、80年に小田和正はラジオで拓郎にたびたび「最近これといってヒット曲がないけれど、今こそヒット曲を出すべきだ」と発破をかけていた。81年のミュージックマガジンでは「ヒットが出ないことに本人もかなり悩んだらしい」という旨の亀渕昭信さんの文章もあった。リアルタイムに生きているときはそれなりに大変なことだったのよ。

 しかし、こうして幾星霜過ぎるうちに、ごく少数の歌手・ミュージシャンを除いて、そんな凄いヒットをものにした多くの人々は次々と大舞台から見えなくなった。あれだけのたくさんの人と熱意に支持されながら、歩留まりもなくチャートから消えてしまう。いったいヒットとはなんなのだと思う。
 そんな中で、吉田拓郎は、紆余曲折を経つつも今もずっと第一線で歌い続けてくれている。ラジオで毎週語り続けてもくれている。
 いうまでもなく吉田拓郎という人の才能や音楽活動や時に勇敢なる苦闘が、こうしてサバイブさせてきたのだ。ハラショ!
 精巧なデモテープに唸り、ベストテイクで、素晴らしいミュージシャン達との考え抜かれた、まるで宴のようなレコーディングの話に感動するたびに、すべての曲があらためて愛おしくなる。どれだけこの人は音楽を愛し、真剣に取り組んできたのかが今さらながらわかる。
 これで良かったのだと心の底から思う。

 で、長々と書いてきたが、言いたいことはただひとつだ。吉田拓郎はひとえに素晴らしいが、ベストテンや大ヒットというわかりやすい世間的フラグがないにもかかわらず、吉田拓郎のもとに集まり、添い続けてきた、私たち拓郎ファン。
私たちは、なんてセンスが良いんだろう、良すぎ。

ということで「而して今を生きる」で乾杯。

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2018. 6. 12

ラジオでナイト 第60回 2018.6.10
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。 
 以前にKinkiのファンに吉田拓郎のライブに来いと言ったけれど、kinkiのファンからたくさんメールをいただいた。
<既にKinkiファンも拍手は潤ってはいなくて保湿クリームが必要という投書>
<Kinkiファンとしては、期待にそえそうにない。年月は平等、客席は既に秋だという投書>
 はははは。客席が秋だ(笑)  
<本気で黄色い声援が欲しいのなら、菅田将暉のファンがいいのではないかという投書>
 はははは。どっかで時間が止まっているんだよな。僕の中ではLOVELOVEのkinkiだし、向こうも 50歳の吉田拓郎で止まっている。年月平等というメールはジーンと来ている。

<今やKinkiのファンも年齢で、去年のLOVELOVEの観客席もそうだったという投書>
 そういわれると今だからいうけど、去年LOVE2のステージに出て行って、客席を観たら 一抹の不安と寂しさ、あれ?という感じだった。確かに秋だった気がする。月日は流れている、しょうがないっていえばしょうがない。でも、Kinkiもいいファンをもっているな。自分たちをそう言い切るところがいいファンだ。そうはいっても吉田拓郎のファンよりは若いから、ライブにおいで。今度のライブは菅田君とこにも行ってみようかな(笑)

<今度のアルバムは、寝る時に聴くということですが、聴いていて夢の中にいく曲ですかという投書>
 直前になってこの曲はやめたのというも1曲ある。僕は、i-podの各フォルダーに入れているけれど、だいたい2、3曲で寝てしまう。寝落ちしたい、夢に落ちてゆくような選曲になっている。眠れないと違うフォルダーに行ったり、曲順を変更したりする

<ライナノーツが楽しみ、是非大きな字でお願いしますという投書>
 最近のCD字がちっちゃいよな。デモテープはまだ決まっていない。絞りに絞っている。
<日本初の付録の付録ずばり”ルーペ”という投書のつづき>
ははは(笑)
<リクエストしておきながら、かけない、曲は自分で聴け、この人は昔からこういう人だったのですかという投書>
 はははは(笑)。昔からこういう人ですかって。

<藤圭子のリクエストという投書>
 ひらめいた。「私の大好きな歌謡曲」というコーナーはどうだろう。I-podにも歌謡曲のフォルダがある。ネオアメリカンポップスとかR&Bとかロックとか言っても、どこかに 歌謡曲も脈脈と流れている。私の大好きなリスエスト。東海林太郎とか三波春夫。笑えないな、三波春夫は、実は入っている。タイトルは言わないけれど。

 また一等賞のために、秘話とか秘蔵とか言われているがそんなにあるものではない。
来週に向けての秘蔵音源、未公開だぞ。秘話は少ないんだよな。秘話ってそもそもラジオでするものではないし、秘話が残り少ない吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル
  梅雨入りですが、休暇はいかがお過ごしか。アウトドア派かインドア派か。
僕も妻も圧倒的にインドア派。ハワイでもホテル中心にプールサイドに出るくらいであとはラナイ。こないだ事務所の社長のベッドルームの話、奥さんセミダブルでダンナさんはシングルというこの方たちご夫婦はアウトドア派。キャンピングカー買ってどうのこうのと言っている。僕には考えられない。


20代  友達とバーベキュー
>遠足とか嫌いだった。なんで小川のせせらぎでコメを研がなきゃならんのだ、飯盒とか、冗談じゃない。

30代  ひとりで電車で居酒屋に行く
>アウトドアじゃないだろ

30代女  山に登る  出逢いを期待して
>アウトドアは、こういう山や川だよね。でも星空とテントとか蚊にさされまくる

40代男 ゴルフの打ちっぱなし
>インドアだよ

50代  車の中でストレス解消  歌う
>これもインドア


インドア派は、
20代   家でラインとか
>真っ暗だな
インドア派にはインドア派の生きざまがある。

20代 家で悲しい恋の映画を観て泣く

30代  疲れがたまっているのでどこにも行かないので寝る

>たまってるのか

40代  小説を読む

50代  おつまみを作って夫と日本酒を飲む
>こういうのはいいね
60代  マッサージ

 ま、インドア派にはとくにポリシーはないということで

 来週に向けての秘蔵音源。1993年片山誠史という人に曲を書いた「俺とおまえとあいつ」という曲。これが、アレンジが、渡辺格だったんだね。その後、それがわかって、彼もまさかその後、こうして仕事するとは思ってもみなかったと言っていたし、おれも、おまえだったのか、おれのデモテープとアレンジが違うぞと思った。
 本邦初公開。秘話として、この曲はデモテープ集には入らないという決断をした。最初で最後の聴き納め 渡辺格のアレンジとは違う。

M−1 俺とおまえとあいつ  吉田拓郎


<怖いもの、地に足がつかないこと、飛行機、ジェットコースター、高層ビルが怖いという投書>
 同感。東京タワーの展望台が怖かった。二度と来るものかと思った。タワーマンションとかも景色はいくらよくてもダメだな。ホテルでも10階以上だと外は観ない。高いところはだめだ。不安定な生活というのも苦手だな(笑)

<昨今中高年世代でディスコブームという投書>
 ムゲンとかビブロスとか再ブーム。ディスコとはナンパをする場所ではない、ある意味では若者の文化の象徴だと思う。あそこからいろいろな流行が発祥した。ナンパではなくて若者たちの自己流の素晴らしい文化を共有するプレイスだった。ディスコが大好きでした

■今週のベストテイク
 72年のアルバム「元気です」の「また会おう」。この詞もらったときは、これはなにいってんだろ、えーい、もうコレは3コードのブルースコード(実演)で、やっちゃえ!!という気になった。アマチュアの時から得意だった。だからみなさん3コードの進行をよしとしなさい。チャック・ベリーとかこういうのがよしとされる日本なって欲しかったな。
 最初のころはそういう音楽状況になってほしいなというのはあったけど、フォークソング 和風、四畳半フォークになっちゃって。

 今さらだが、ギターは、アマチュアの田辺和博・・・だっけか、名前も思い出せない(笑)。日本獣医大に言っていた。ベースは、井口喜典は慶応大学に行っていた。田辺は、このギターができたことを「拓ちゃん。わしゃあこれが一生の思い出じゃけん」と感激している。
 田辺がいいソロを弾いている。素人ですよ。アマチュアがいいギターソロ弾いているわけ。特に間奏とアウトロ。キーボードは松任谷正隆。これはね、ピアノを回転数を半分に 落として弾いて、あとで元の回転数に戻すと、すさまじい人間ではできない速弾きになる。   松任谷というより機械のワザだ。あの時代の音楽状況ではいろんなアイデアが常に浮かんでいた。ドラムが林立夫、ベースが小原礼。ボーカルがもう何をいってるかわからない、詞もヘッタクレもない。とにかくシャウトだ。まーあの若い頃、田中角栄か。

M-2 また会おう   吉田拓郎


■今週のマイ・フェイバリットソング
 この人を語らずしてソウルミュージックは語れない。26歳で飛行機事故で亡くなった。オーティス・レディング。忌野清志郎も大好きだった。R&B好きでこの人を嫌いな人はいない。
 全身全霊で歌う姿やステップもマイケル・ジャクソンのように器用でもないし、不器用そうだけど、地団太踏んでいるような、ステージを踏みしめるような心を揺さぶられる凄いステージング。

 レコーディングはまたシブイ。亡くなる何日か前レコーディングされ、ビルボード一位になった。

M−3 ドック・オブ・ザ・ベイ  オーティス・レディング 

 このバックでスティーヴ・クロッパーのギター(実演) これが ディストーションない綺麗なギター・テレキャスターが忘れられない。バンドの一体感は世界一だった。

 Try a Little Tenderness。いろんな人カバーしているがオーティスの凄さはライブの後半で、もう世界に入りこんでいる、観客もそれを観て世界に入り込んでゆく。

 日本人で三原綱木(ブルーコメッツ)が歌うのを広島で観て、すげーなと思ったのが初めてだった。三原綱木が偉いかっこよかった。カッコよくなれる歌なんだ、とにかくこのオーティスの後半のカッコよさ。

M−4 Try a Little Tenderness



■エンディング

 デモテープ、アウトロのサックスからアコースティック・ギターにゆくところ、凄くない?
「また会おう」「オーティス・レディング」と今週はスペシャルウィークだ。

 来週は、スペシャルウィーク。Ipodは、nanoの第七世代。中味を教えるって、全部は何百曲になるのでいえないが。
 門外不出のデモテープ。不出って出してるじゃん。2曲もってくる。しかもこの2曲はアルバムにいれないよ。

・寝室の話、映画の話、ブルーベイカーの話ができなかったな。



☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆まさにスペシャルウィークの前夜祭のな盛り上がり。今回で記念すべき60回ですぜ。人間なら還暦。おめでとうございます。しり上がりに元気になってゆく放送をありがとう。

そのうえで、あえて失礼を承知で涙をながらに叫びたい


“絞りに絞ってどうすんだよ!!18曲用意したら18曲全部出せよ!!”


 18曲というのは付録にしても過大サイズだったり不体裁なのかもしれない。しかし、そんな既製の商品概念なんぞはどうでもいい。魂のデモテープ全部聴きたい。それに、量は質に転化するのだ。つま恋も篠島も朝まで歌ったからこそ、1曲1曲がさらに格段に輝くんではないかい。

☆俺とおまえとあいつ。泣ける。ぜんぜん、こっちの詞と演奏のほうが良い。もちろんボーカルは比べるべくもない。詞は、当時、ユーミンが絶賛していた新進作詞家の田口俊の詞だった。これはまさにチャラい青春映画のような詞だったけれど、デモも同じなのだろうか。デモの詞の情景はとても切ない。これって拓郎の詞ではないかと勝手に推測しちょる。

☆永遠に刻まれる田辺さん。名前を忘れるって、まるで「田辺ナントカ」のようで笑った。それにしても松任谷正隆の速度調整技術には心の底から驚いた。レコーディングスタジオで「ミュージシャンというのは尊敬に値する」と言っておられた岡本おさみさんに同感だ。御大が語るレコーディングの風景は、まさにミュージシャンの自由な宴とでもいうべきすんばらしいものだ。ああ幸せ。

☆ インドア、アウトドア、結構面白かった。外にいるからといってアウトドアではないという御拓宣がいい。そういわれると同じ野外でも、つま恋はインドアだが、篠島はアウトドアだった気がする。過酷なアウトドア(爆)。中津川はどうだったのだろう。

☆Try a Little Tenderness。すばらしい。まるで吉田拓郎のライブのようだと思った。歌手もミュージシャンもそして観客のグルーヴも。世界にはいってゆく歌手、その歌手をみて世界にはいってゆく観客。
 オーティス・レディングのことを語るときの御大の語り口がいつもと違った。静かで深い敬意が染み出ていた。ていねいに、ていねいに心をこめて絶賛しているのがわかった。「地団太を踏んでいた」とは、なんと魂な言葉だろうか、そして「ステージを踏みしめる」とはなんと素敵な言葉だろう。まさに師に対する「私淑」に満ちていた。

☆星紀行  今日の学び
 オーティス・レディングから吉田拓郎のへの師資相承。私はあの観客のグルーヴを相承しよう。世界に入っている吉田拓郎を観て、私も思い切り世界に入ろう。

2018. 6. 13

 森田童子が亡くなった。語れるほど詳しくはなかったが大好きな曲は何曲もあった。

 1980年のラジオのヤンタンで、吉田拓郎率いる”明るい唄チーム”と小室等の”暗い唄チーム”のリクエスト合戦という企画があった。森田童子の曲は当然小室さんチームの代表格だった。しかし途中で拓郎が「明るい歌、暗い歌とか関係ないじゃないか、歌は歌じゃん」と言い出して急遽大団円を迎えた。だったら最初からやるなよとも思ったが。

 「高校教師」といえば「真田広之・桜井幸子」と「ぼくたちの失敗」だ。本当は加山雄三を思い出すのだが>知らねぇよ。「暗い」などと言う言葉ではくくれない魂の名曲だ。その「高校教師」の続編で「藤木直人・上戸彩」バージョンがあった。一度だけ主題歌「ぼくたちの失敗」に代わって「淋しい雲」という歌が流れて、私はこの曲に落ちた。胸わしづかみになった。

 夏休みが終わったら
 もう会えなくなるね

 夏の街の夕暮れ時は泣きたいほど淋しくて
 僕一人ではとてもやってゆけそうにないよ

この部分と”明るい唄”の代表のような「となりの町のお嬢さん」

 海辺の町は夏の終わりとすっぱい恋で
 みかん色に 知らんふりして 暮れてゆく

 対照的な2曲が描く夏の終わりの淋しさがたまらない。夏の終わりの悲しみが漲っていて何度聴いても泣きそうになる。

 i-podの「夏の終わり」というフォルダーには、この2曲が入っている。嘘だが。

 森田童子も吉田拓郎もわかっているのだと思う。これから夏が来る前になんだが、夏の終わりもやってくるのだ。

 というわけで今でも「淋しい雲」を大切に聴いております。御冥福をお祈りします。

2018. 6. 14

「歳月は平等」「私たちも潤いのない秋です」「菅田将暉さんのファンの方がお薦め」というメールには笑った。御大がしみじみと言ったように、ああ本当にKinikikidsのファンて素敵だなと思ったよ。
自虐の中に、ずっとkinkiを愛してきたことへの豊かなる充足感と静かなる誇りのようなものを感じる。この方たちは本当にkinkiのことが大好きで、Kinkiもそんなファンを信頼している。美しい蜜月をきちんと積み重ねてきた余裕の幸福感。それがこっちにも伝わってくる。だから素敵なのだ。毎日、イカレタくだらねー駄文を書きなぐってる私のような鬼畜ファンとは心根が違う。もちろん謙遜だ。

 松本隆が、かつて自身のHP「風街茶房」で「kinkiの二人はアイドルというよりアーティストとしての感性を持っている。拓郎とつきあったことが大きいのではないか」という趣旨のことを語っていた。珍しく松本隆がイイ事を言った…って、そういうところが私はイケないのか。
 拓郎のおかげだ…と言いたいのではない。逆だ。Kinkikidsに救われたのは、こちら陣営だ。私もkinkiには心から感謝すべきと以前に書いたことがあるが、ファンの方たちの先日の声を聴きながら、本当にそのとおりだとあらためて確信した。

2018. 6. 15

 1992年頃のビックコミック連載のエッセイ「自分の事は棚に上げて」の欄外に”かまやつさんに頼まれて片山誠史さんという新人の曲を作りました”という趣旨の御大のつぶやきが載った。ネットのない時代、この欄外のつぶやきは貴重な情報源でいつも目を皿のようにして読んだものだ。
  「提供曲」は久しぶりだったので期待して、片山誠史のアルバム「Back from Music city」を購入した。「俺とおまえとあいつ」。弱冠17歳のカントリーを目指すシンガーということで、ジョッキーの武豊みたいなルックスで、ボーカルは良く言えばほんわかした、悪く言うと迫力に欠ける。ともかく屈託のないのどかな青年の歌唱という感じだった。そうか、だからカントリーなのか。

 作詞は田口俊。当時、ユーミンがイチ押していた新進気鋭の作詞家だった。少年2人と少女1人の三角的関係のようなドラマがベースになっている。今でいえば山崎賢人、野村周平、土屋太凰あたりの青春映画を観ているような気分になる。おじさんには面映いが、それでも「幾度目の夏に背中を押されて歩き出す」「手のひらをかざして観ていた太陽の明日」のくだりなどは結構、沁みる。

 アレンジが2012年からのLIVEに参加のギタリスト渡辺格だったのは気づかなかった。拓郎も随分後になって、あの時のアレンジはとキミだったのかと知ったようだ。拓さんと格さんの縁というものだろうか。そのせいかギターのイントロのフレーズが切なくカッコイイ。
 とはいえラジオ(2018.6.10 第60回)では、完成曲が、御大のデモテープとは違っていることへの不満がチラリと覗いた。確かにデモテープは、まるで別曲のように違う。
 なんといっても、まず詞が違う。「俺」も「おまえ」も「あいつ」も出てこない。深夜、「キミ」の家の前で壊れた車を乗り捨てた「僕」が、ひたすら海沿いの道をトボトボと歩いて帰る歌だ。青春映画のような完成版とうってかわって、さしたるドラマ展開のない対照的な詞だ。しかし、こんな経験はないだろうか。ひとりぼっちの深夜の切ない帰り道。ボロボロでヨロヨロになって、明け方の空を見上げる。「僕の一歩はどこ向うんだろう」という天を仰ぐような孤独感。
 このデモテープの詞は、もしかすると吉田拓郎ご本人の手になるものなのではないかと思ったりもする。思い込みなので違うかもしんないけれど。
 この海は、たぶん逗子・鎌倉あるいは故郷広島か。「自由と孤独が胸に迫るよ」というフレーズは、まさに御大の十八番だと思うのだ。というわけで、こっちの詞の方が、地味ながら胸に迫ってくる。深夜の道をこの歌を口ずさみながら独り歩く、過去なのか未来なのか、そんな日がデジャブのように浮かんでくる。妄想だが、これからデビューする新人には詞の内容が内向的すぎるということで、青春ドラマ調の詞に差し替えられたのではないかと勘繰ってみる。ま、そこも素人の思い込みに過ぎない。

 ともかく完成品とデモバージョンの二つが、何かを見事に描き分けている稀有な作品だと思う。

 ともかくこのゆったりと胸にしみいるようなデモテープは、本人が言うところのサックスとアコギのアンサンブルの技も冴えわたる絶品である。なんにしても、すばらしいデモテープが一瞬とはいえ世にでたことに感謝したい。
 そして何より大切なのは、後日の片山誠史さんの述懐によれば、このデモテープのカセットに、吉田拓郎の直筆で「ガンバッテネ!」と付箋がつけられていたということである。吉田拓郎、ステキすぎる!!そしてデモテープよ永遠なれ。

2018. 6. 16

 吉田拓郎のi-podの中味の公開が迫って来た。楽しみだ。さすがに全曲公開ではないのは当たり前か。ある意味究極のプライベートだ。「ipodの中味を見せ合えば、その男女は一線を超えたも同じである」という昔の諺がある。ねぇーよ。

 付録のデモテープは、最初18曲で色めき立ったが、断捨離の一途のようで心配だ。頼む。惜しみなく出してくれ。何曲あっても多すぎることはないぞ。一曲でも多いデモを求めてデモしたい。う、つまらん。

 ともかくラジオもアルバムも「待て、しかして希望せよ」である。

 しかし、天国の文豪デュマも「最後に愛は勝つ」にはびっくらこいたのではないだろうか。

2018. 6. 17

 映画「そして父になる」を観ると、女児の取り違えのドラマ「家庭の秘密」を思い出す。1975年の夏ころのドラマだった。池上季実子と秋吉久美子がかつて取り違えられた二人で、誘拐して育てる父親が中山仁だったのは覚えている。中山仁といえば、泣くな青春。って知らねぇよ。最終回を観忘れたので二人がどうなったのかいまだに結末がわからない。
 とにかく鮮烈に覚えているのはタイトルバック。暗い夜の砂浜か海の底のような砂地が延々と映る不気味な映像に、主題歌「あの日に帰りたい」が流れる。それが実にピッタリで怖いくらいの雰囲気を醸し出していた。世間一般にユーミンの名を知らしめたのはこの曲ではなかったか。
 一学期は吉田拓郎が好きだと言っていた背が高くてスレンダーなNさんが、夏休み明けてこのドラマを観てから「これからは荒井由実よ」とオトナ風を吹かせて教えてくれた。彼女の滑舌が悪くて"荒井海"だとしばらく思っていた。「だいじょうぶよ、二人とも同じプロデューサーがついているから」…そこで松任谷正隆の名前を知った。結構恩人だ、Nさん。何が、だいじょうぶなのかわからなかったが。確かに、今になってみれは、OK松任谷。二人ともとてもだいじょうぶだ。だいじょうぶマイフレンド。Nさんはお元気だろうか。

2018. 6. 20

ラジオでナイト 第61回 2018.6.17
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。先日、宅急便が来た時・・・ネット通販を多用しているので、よく使う。商品が届いたときに端数のある金額だったので、細かいのを揃えて出したら、配達員の人がいたく感動して「ありがとうございます 助かります」といってくれた。こっちも舞い上がって「どうも御馳走様でした(笑)」。自分が信頼できない。テキトーな男だとは知っていたけど、とっさの言葉に意味がない。緊張したのか「どうも御馳走様」って、ウチの人が大笑いしていた。よくあるんだよ。口から出まかせ。宅急便の人も、パジャマ着て変な人だと思っていたに違いない。

おじいちゃんおばあちゃん

10代女  おばあちゃんスマホがあるので  スイーツのやりとりをしている
 >おばあちゃん苦手だった  いろいろ弱みを握られていたから(笑)
10代男  将棋おしえてくれた
20代男    おじいちゃはアロハを着てナンパしていた
 >イカしてますね  

20代女   礼儀正しいおばあちゃんはミッキーマウスにお世話になっていますと挨拶していた。

30代女  おばあちゃんはテニス達人、70歳なのに一緒にやって負けた

  >クリスエバートもおばあちゃんだとしたら強いだろうな。シャラポアとかもおばあちゃんになったらそうだろう、想像がつかないけれど。

40代男  犬に村田英雄に王将を歌っていたおじいちゃん。
 >歌う 吹けば飛ぶよな  ポチ、ポチって古い

60代男  おじいちゃんは風呂が熱いので苦手
 >僕もお風呂はぬるいのがいい

 広島にいるとき、おばあちゃんとテレビで相撲を観ていると解説者が悪口を言うと怒り始めた。「もう少し小さな声で話さんか」「聴こえてるがな」「相撲とりが機嫌悪うする」と怒っていた。違う部屋で話ていて聴こえないと説明してもわからない。あとビデオテープをセロテープといっていた。

ばあちゃんが苦手だったな、おばあちゃんが苦手な吉田拓郎のラジオでナイト。



■タイトル
 のっけから凄いよ。紫のアイポッドnano第7世代。枕元にちょうどいい。
 94年のNHK 大江戸風雲録のテーマ。「決断の時」作るときに、先週の片山誠史君のときもそうだったけれど、ビブラフォンをサンプラーで使う。これだと無限にアレンジができる。
 何か時代劇で和楽器を使いたいとサンプラーを探していた。これは何なんだ、三味線ではないし、でもこれだ!!ということで、イントロと間奏を作って聴いてみたら、これは使える。

 レコーディングもほぼ同じ音源。現場ではギタリストがいて、ベースは生、そのくらいしか違わない。これは夏のアルバムには入らないよ。
 曲も絞っている。ぐずぐずと増やしたくない。三枚組くらいでスッキリと出したい。こんだけ選びに選んで、セレクトしたものとして出したい。今度のデモテープ集には入らないから。なんで入れないのといわれるかもしれないが。 これが最初で最後かもしれない。

M−1 決断の時    吉田拓郎デモテープ


■CM明け
  「ここからは、i-pod ゾーン」ですって、長いこといろんな番組やってきたけど初めてだよ。

  i-podを実際に機動して、ミュージックのプレイリストに進む。

プレイリスト@ダウンタウンズ・河合楽器時代
   練習風景とかの音が残っている。

 You really got hold on me The miracles
 Come on    チャック・ベリー
 Let me in    The Sensations
 What kind of girl Au Paris
 Lady Jane The Rolling stones
 いとしのルネ         The Four Tops
   >この番組の主題歌だよ
  マイガール        The Temptations
 青い影          プロコロハルム
 ブラック・イズ・ブラック ロス・ブラボーズ

プレイリストAダウンタウンズ拓郎ボーカル集
   ダウンタウンズには睦月君というボーカルがいた中で、僕がボーカルをとったものだけ集めてみた。

 As long as I live   ニール・セダカ
  > (歌う)、よく憶えているな、そりゃ毎晩聴いているし(笑)
 ペイン・イン・マイハート The Rolling stones
 リトルダーリン      The Diamonds
>♪ア〜イヤイヤイア〜
 渚のボードウォーク    ドリフターズ

プレイリスト デモテープ@〜H

@
 永遠の嘘をついてくれ
 淋しき街
 夕陽と少年
 ロンサムトラベリンマン
 生きていなけりゃ
 いつでも
A
 この国Japan
 夢を語るには
 ベイサイドバー
 海を泳ぐ男
 オー・ボーイ
 月へ
B 
 南沙織  黒い瞳
 夢見る時を過ぎ
 幸せになりたくて
 マンボウ
 ホロホロと(島倉千代子 紅葉)

プレイリスト オールディーズ
    1950−60年代のアメリカンポップ

 ヤングワールド   リッキー・ネルソン
 ティーンエイジ・アイドル  リッキー・ネルソン
 二人のシーズン   ゾンビーズ
 子供じゃないの   ヘレン・シャピロ
 悲しき街角     デル・シャノン
 カレンダーガール  ニール・セダカ
 ワン・ボーイ    ジョニー・ソマーズ
 プリティ・ウーマン  ロイ・オービンソン
 リトルダーリン   The Diamonds
A
 アンチェインド・マイハート  レイ・チャールズ
 カナダの夕日  アンディ・ウィリアムス
 To know him is to love him  オーティス・レディング
 ドリーム・ラバー  ボビー・ダーリン
 レッツゴー物語  クレイグ・ダグラス
 浮気なスー    Dion
 ヘイポーラ    ポールとポーラ
 大人になりたい コニー・フランシス
 涙のムーディリバー  パット・ブーン

ビルボード@からB
 アラスカ魂   ジョニーホートン
 Good Golly Miss Morry リトル・リチャード
 ジョニー・エンジェル  シェリー・フェブレー
 テルスター ザ・トルナドース
 Hello Mary-Lu リッキー・ネルソン
 Be my baby ロネッツ
 ボーイハント コニー・フランシス
 恋はボサノバ イーディ・ゴーメ

ラジオ@からE
 >インターネット・ラジオからダウンロードした

 マイガール  テンプ・テーションズ
 マサチューセッツ  ビージーズ
 チェイン・オブ・フールズ アレサ・フランクリン
 I will    ビートルズ
 シャルメーヌ   マントバーニ
 コダクローム   ポール・サイモン
 タルサタイム シェリル・クロウ エリック・クラプトン
 You're only Lonely  J.D サウザー
 ノックオンウッド   エディ・フロイド
 イエスタディ・ワンスモア   カーペンターズ
 プリーズ・ミスターポストマン   カーペンターズ
 ビリービーン  マイケル・ジャクソン
 春がいっぱい  シャドウズ


歌謡曲
@
 大利根慕情  三波春夫
  >「止めてくれるな妙心殿・・・」のセリフですーっと寝れる
 東京ドドンパ娘   渡辺マリ
 アンコ椿は恋の花
  >♪三日遅れの〜  都はるみのボーカルが好き
 君恋し  フランク永井
  >♪宵闇迫るぅ
 津軽海峡冬景色     石川さゆり
  >この中で唯一のマイナー
 長崎は今日も雨だった  内山田洋とクールファイブ
 中ノ島ブルース     内山田洋とクールファイブ

A
 いつでも夢を  橋幸夫  吉永小百合
 会わず愛して  内山田洋とクールファイブ
 思案橋ブルース 中井昭・高橋勝とコロラティーノ
 矢切の渡し   細川たかし
 ラブユー東京  黒澤明とロスプリモス
 銀座の恋の物語 石原裕次郎 牧村旬子
 潮来笠     橋幸夫
  (笑)
B
 上を向いて歩こう    坂本九
 北国の春        千昌夫
  >好きなんだよ(笑)
 有楽町で逢いましょう  フランク永井
 骨まで愛して      城卓矢
  >今でも打上げで歌っている

C
  思い出の渚  ワイルドワンズ
  >これが好きなんだ
 男はつらいよ   渥美清
 王将    村田英雄
> 出ました
 宗右衛門町ブルース 平和勝次とダークホース

作品集
@
 メランコリー   梓みちよ
 やさしい悪魔   キャンディーズ
 六本木レイン   研ナオコ
 水無し川     かまやつひろし
 風の中で     中尾ミエ
 ルームライト   由紀さおり
 春になれば    小坂一也
 ああグッと    近藤真彦
A
 赤い燈台     小柳ルミ子
 両国橋      松平純子
 黒い瞳      南沙織
 我が良き友よ   かまやつひろし
 東京メルヘン   木之内みどり
 雪  猫
 狼なんか怖くない 石野真子
B
 アン・ドゥ・トロワ   キャンディーズ
 いつか街で会ったなら  中村雅俊
 銀河系まで飛んでゆけ  梓みちよ
 夜行列車  森進一
 花吹雪 大田裕美
 白い回転木馬 小原初美
    >これ眠くなるよ  

M-2 白い回転木馬  小原初美

   >瀬尾一三だったんだ 歌うまいね うっとりとする


C
 ハート通信  石川ひとみ
 ああ青春   トランザム
 ドンファン  神田広美
 両国橋    松平純子  あるいは 由紀さおり か
 アゲイン  アグネス・チャン
 風になりたい  川村ゆうこ
 いたずら   石野真子
 鍵    太田裕美
  >アルバム「背中あわせのランデブー」で片面を作曲した。その時確か太田裕美は喉痛めていた。そんなにときに俺に頼むなよと言った記憶がある。「鍵」をあえて選んだ。鈴木茂のアレンジがまたいいんだ 俺を眠らせてくれる。

M-3 鍵    太田裕美

D
 セブンイレブンの歌  友達になろう  伊藤咲子
 君住む街     杉田二郎
 恋の歌      ラニアルズ
 たどり着いたらいつも雨降り  モップス
 ふゆがきた    加藤紀子
 私の首領     石野真子
 風の中      井上順
 月の盃      石川さゆり
 ひとりぼっちの夜空に  中村雅俊


拓郎集
@
 聖なる場所に祝福を
  (「杯を」って言ったよ)
 Pillow
>武部が作った結構好き
 歩道橋の上で
 夜霧よ今夜も有難う
 いくつになってもhappt birthday
 今度は一体何回目の引っ越しになるんだろう
 シンシア

A
 春を待つ手紙
 慕情
 朝陽がサン
 ロンサムトラベリンマン
 OLDIES
 水無し川
    >このあたりは次のアルバムのヒントだね。
B
 車を降りたときから
 花の店
 Woo Baby
 I’m In Love
 純
 夜が来た
  
  >俺の好き嫌いがわかるのでは
C
 沈丁花の香る道で
 白いレースの日傘
 歩こうね
 ペニーレインへは行かない
 ウィンブルドンの夢
 ホームランブギ
    >なつかしいなニッポン放送の野球のテーマだったな
 無人島で

D
 私の足音
 ガンバラナイけどいいでしょう
 金曜日の朝
 風の街
 恋の歌
 戻ってきた恋人
 水無し川

  みたいなホルダーです。次のアルバムの様子がわかるのではないか。でも、この中になかったものも今週来週で入れている。とにかくこういうのを聴いて寝ている。外国行く時ハワイでもどこでも同じで聴きながらに寝る。こういうのを共有してみようと思って、それができて嬉しい。もうすぐ届く。


  デモテープをもう一曲。これも秀逸。こっちの方が、レコードよりもいいと思うくらいだ。 1996年「感度良好波高し」。 自宅でやってアレンジもやった。ユーチューブにのっけるなよ、そういうの大嫌いだからな。


M-5  夢を語るには   吉田拓郎  デモテープ


■ベストテイク

 以前に 「君が好き」を流したけれど、ライブ73から「マークU」。これはいろいろなアレンジでやってきて今でも歌うが、もともと広島フォーク村の「ユニオンジャックス」 というSGばりの男の二人組が歌っていた。広島フォーク村の自主制作に入れた。僕は、後ろでエレキギターを弾いている。
  (歌う)
 ああ、涙が出そうになるくらいいいな。

 73年のライブでこのアレンジで演奏した時は、サンプラザの客席がみな唖然としていた。というより、わけがわからず、ポケッとしていた。まさかマークUだとは思ってもみなかったようだ。いきなり高中のエレキのリフから入ってまさかマークUとは思わない。♪さよなら  が・・・で「あ、マークUだ」と初めてわかったと全員が思った。

 ライブ73の岡沢章のベースが良かった。超絶のベーステクニック。それに田中清司のドラムと超一級のミュージシャンだった。とにかく知らない曲ばかりで客席も唖然としたものだったろう。新曲を、いろいろ音を重ねてゆくのではなく、こんな風に一発で、今年の秋には某スタジオで是非やりたい。せーのでやりたい。

 73年のミュージシャンは、その後、日本の音楽の発展に影響を与えた人ばかり田中清司、 石川鷹彦、高中正義、栗林稔、松任谷正隆、村岡健。

M -6 マークU'73


■エンディング
(ワールドカップ日本VSセネガル戦のため来週の放送はおやすみ。)
すげー一日、疲れちゃった

・寝室事情
・映画
・大好きな歌謡曲

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆ついに大公開されたi-podの中味。すんばらしい。ハラショ。吉田拓郎さんの勇気と英断に感謝したい。「吉田拓郎はこんな風に出来ている」という極秘レシピのようなものか。レシピで測れるものではないけどさ。

☆調べながら筆記していたらこっちも疲れたわい。聞き違いや勝手に調べた歌手の間違いはあろうが、これからゆっくりと是正しよう。

☆ 「おれはフォークじゃない、R&B、ROCK、POPSなんだ」との御拓宣だが、実は演歌とムード歌謡の人なのではないか。いいっす。なんであっても、その結晶である吉田拓郎の作品の素晴らしさはゆるぎない。

☆ それにしても御大自選の自作に提供曲。御大、もっともっと超絶いい曲がたくさんありますぜ、是非お教えしたいです‥‥‥って本人だろ。

☆ とにかく知らない曲もたくさんのこの不磨の大典のようなリスト。一曲一曲を大切に愛でる音楽の旅に出てみようではないかと思うと楽しみだ。珠玉のレシピ、魂のリストをありがとう。

☆星紀行の今日の学び

 吉田拓郎のレシピは、R&Bであり、POPSであり、ROCKであるが、
   その究極の隠し味は、演歌とムード歌謡である。

2018. 6. 22

 ニール・セダカもアメリカンポップスも殆ど無知な私であるが、6月17日の放送以来、ずっと”as long as I live”が頭の中で回っている。回っているどころかエレベーターの中で一人になるとついつい歌ってしまう。
 御大がipodの中味を開陳しながら歌ってくれて思い出した。その昔、オールナイトニッポンでダウンタウンズ時代の拓郎が、”as long as I live”を熱唱しているテープを聴かせてくれた。これがすんばらしかったんである。ああ、やっぱり御大は歌がうまいなあ。ということで吉田拓郎ボーカルバージョンを何回も聴き直したものだ。オールディーズなどわからない私の心をも震えさせてくれた。

 For as long as I live
 I will love only you
 When I'm in your arms
 dreams come true
 Ev'ry beat of my heart
 an the love I can give
 will always be yours for as long as I live

 この部分は、歌うも、聴くもエクスタシー。漂う切ない色香。
 特にEv'ry beat of my heartの前に”Oh”が入って声が少し裏返るところがツボである。御大もそうだった。こりゃあエレベーターの中で歌いたくなるってもんだ。

 このエクスタシーは、もちろんメロディーも曲想も違うが、御大でいえば「未来」に近いと言えば近いかな。

♪このひとぉぉぉときいを静けぇぇさに預ぅぅけ
      たましいぃぃぃぃぃぃもまぁた時にぃ預けようぉぉぉぉ

 文字にするとミモフタもないな。だけど、ここのエクスタシーと似ている 
さすがに私の歌唱力では無理だ。御大によるあの歌唱を是非また聴きたい。

”as long as I live”、おお、邦訳すると♪生きてる限りはどこまでも・・・だ。

2018. 6. 23

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仕事場にあった古い週刊誌の広告で見つけた。あったな。なんと穏やかな笑顔、ナチュラルな身のこなしの御大なのだ。懐かしく、やがて腹立たしくもなる。サントリーよ、この私に、もう一度プレミアムモルツを飲んでほしいのなら、この原点の広告に還れりやがれ。矢沢永吉を替えろとは言わん。両巨頭の共演でどうだ。辰巳柳太郎と島田正吾みたいでいいと思うぞ。古いか。拓郎と矢沢がお中元とお歳暮を贈りあうCM。うーん、豪華なのかダサイのか、よくわからない(爆)。

2018. 6. 24

矢沢永吉といえば1979年7月7日のセイヤング

矢沢永吉「いやぁ、拓郎先生には負けますよ」
吉田拓郎「いやいや、ビッグだねぇ」
矢沢永吉「お互い言いあってりゃ(笑)」

あの感じ結構好き。

2018. 6. 25

 御大、どうか存分におやりください。今までも、これからもいつでも楽しみに待っております。長寿と繁栄を。

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2018. 6. 26

 ♪夜明けに目覚めて…たまたま放映していた映画「ビリーザキッド」を観てしまう。ボブ・ディランが、意味不明に出演しているので有名な映画だ。しかし、一か所だけ、乱闘シーンでディランがあざやかにナイフを投げるシーンがあって、これがカッチョエエのだ。武田鉄矢よ、こういう見せ場を、ファンがシビレてしまうような高杉晋作がワン・シーンでもあの「幕末青春グラフィティ」に欲しかったよ。
 老シェリフが倒れるところで、今やスタンダードとなったディランの「天国の扉」が流れる。この映画のこのシーンのためにオーダーメイドで作られたんだな。でもさ、音楽に関しては、♪あの人の柔肌に〜の「RONIN」も負けていない。というかこっちの方が格段にイイと思うのだ。聴きてぇ。ライブで聴きてぇよ。

2018. 6. 28

 知り合いのバレリーナのゲネ・リハーサルの映像で、リハが終わると彼女がその場でへたりこむところがある。その姿を観ると、どうしてもある一節が浮かぶ。つま恋85のドキュメント本「吉田拓郎ONE LAST NIGHT INつま恋 1985」。
「最後のリハーサルは午前1時30分まで行われた。終わりと同時に拓郎が膝から崩れたのが印象的だった。」
 その現場や映像を観たわけではないが、この一節の映像がリアルに頭に浮かぶ。消尽したように、へたりこむ姿、その美しさ。いやそんな薄っぺらなものではない、もっと本質的な何かがそこにある。バレエも音楽も無縁のただのおじさんである私ですら、おこぼれのように励まされる何かがあるのだ。

2018. 6. 29

 野球マンガの金字塔「ドカベン」が連載開始から46年を経て最終回ということで、何十年ぶりかで「週刊少年チャンピオン」を買った。もう「ブラックジャック」も「恐怖新聞」も「マカロニほうれん荘」も魔太郎も黒井ミサも載っていない。高校野球編まではかなり真剣に読んだが、プロ野球編はほとんど読まずに忘れ去っていた。なので中西球道と微笑三太郎がバッテリーを組んでてびっくらこいた。
 ちょうどあれみたいだ、70年代前半には熱狂的ファンだったが、その後はアルバムもコンサートもさっぱりご無沙汰してしまっている御大ファン。それはそれぞれの人生なので余計なお世話なのだが、そういう人が今、滔々と吉田拓郎こそ我が人生とか語ったりしている記事とかを読むと大いに面白くなかった。しかしドカベン関係者から観ると、それはまんま私のことだ。心の底からすまん。人によっては高校野球編に比べてプロ編はイマイチとか「まだやってたの?」という冷たい空気も漂う中で、彼らはプロ野球を熱く闘い続け、水島新司先生は、その活躍を真摯に描きつづけてきたのだ。水島新司にしても吉田拓郎にしても、ひたすら描きつづけ、歌い続けるその姿こそが何よりも尊い。戦い続ける人の心を誰もがわかってるなら、戦い続ける人の心はあんなには燃えないだろう…とはこのことなのか。
 そう考えると水島先生お疲れ様でしたというのも気が引けるが、それでも本当にお疲れさまでした。                               
                                   で、つづく

2018. 6. 30

 その「ドカベン」の最終回は「ああ、そう来たかぁ」という感じで感慨深かった。そうなのだ、当初は「学園コミックス」だったのだ。私のような、とんとご無沙汰失礼派にも両手を広げてくれている感じがしたものだ。

 ところでドカベン(大甲子園)の高3の時に、里中にそっくりの荒木というピッチャーが出てきて、ドカベン山田が「水島新司と小室等くらい似ている」とつぶやくシーンがあった(爆)。

 そして、同じ水島新司の「あぶさん」第23巻第5話"文化の日"。小室等のコンサートに行った景浦夫妻。ゲスト予定の吉田拓郎がドタキャンで(理由も説明される)、なぜか代わりに、あぶさんがステージに登らされてしまうという話だった。なぜ景浦夫妻がライブに行ったかという由縁もちょっとムリクリだが、いい話だ。
 姿こそ見せねど拓郎の存在感が窺える回でもある。あぶさんと御大はともに1946年生まれだから、ガチで共演してくれまいかと思っていたが、たぶんこの回が精一杯の接近だったはずだ。

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 引退してしまった哲哉さん、外国に行ってしまう圭さん、やはり小室界の小室は私たちの小室等さんが最強ばい。素晴らしいじいさんたちに心の底から敬意を表します。

2018. 7. 3

ラジオでナイト 第62回 2018.7.1
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。寝室の話です。
<60歳で来月結婚、つきあって20年、同居して6年で頃合いになったので結婚の運びとなったという投書>
 ほよぉぉ(笑)。おめでとう、いいタイミングだね。
<寝室は同じ部屋です、シングル二つでしたが、不都合なこともあるのでくっつけて寝ているという投書のつづき>
 新婚だから、行き来しないといけないから(笑)大事な問題だよ…勝手にしろよ、このぉぉ(笑)行ったり来たり(笑)

<50年の専業主婦、怖いものは物忘れ、体力、身体の不調、気力の衰え、ついでに減ってゆく貯金という投書>
 (笑)ライブの映像に出てくるスクワットしながらのゴミ捨て。回数を増やしているがキツイ。歳をとるっていいことないね。

 さて、カラオケ、どうなんだろ。僕はカラオケ行きませんが、歌える曲はたったひとつです。 
10代女  荻野目洋子のダンシングヒーロー 
20代女  西野カナ  会いたくて会いたくて
30代男  B’zのウルトラソウル
30代女ラジオ業界  天城越え 上司が喜ぶから  
40代男 全部抱きしめて   老若男女みんなで歌える
 >みんなで舌を噛んじゃうよ
40代女 安室奈美恵 ヒーロー
60代男  ラブミ―テンダー   エルビス・プレスリー
60代女  かもめはかもめ  研ナオコ  作詞・作曲中島みゆき
70代女  人生いろいろ  島倉千代子

 僕はカラオケだめだけど歌うとなると、
 ♪生きてる限りはどこまでも探しつづける恋ねぐら(一番フルで歌う)
 吉田拓郎は、城卓矢「骨まで愛して」これ一曲。歌詞を観ないで歌えるのはこれだけ。   
 骨まで愛してから逃れられていない吉田拓郎のラジオでナイト。


■タイトル
 音楽出版社から印税の通知がくる。カラオケとかでどんな曲が歌われているかがわかる。襟裳岬は、演歌として今も歌われている。悲しいのもある。マイナーな音楽出版社で、こんな曲作ったっけというのが。1円単位である(笑)。

さて今週も、皆さんのリクエストに対していろいろ(笑)

<アネット・ファニセロの「パイナップルプリンセス」、映画「リロ&スティッチ」のテーマですが、昔、田代みどりという方がカバーしていたらしいという投書>
 キミ一七歳でどうして田代みどりを知っているんだ。本当に一七歳か。
パイナップルプリセンスといえば田代みどりなんだよ。田代みどりを措いといてパイナップルプリンスはないの。広島の翠町中学の時、電気屋でアルバイトをして、レコードプレイヤーを買った。その時一緒に買った最初のレコードが、忘れもしないテイチクの田代みどりのパイナップルプリンセスだった。ということで、今日かけるのはアネット・ファニセロではなく田代みどりのパイナップルプリンセンス。

M−1  パイナップルプリンセンス   田代みどり

■CM
 さぁ、音楽でいうと(ファンファーレ)本日お話ししたいことがあります
アルバム「FromT」 発売日、いいたくないな、決定したですよ。そんな日本語使ってしまっただよ。

 これが安いんだ。エイベックスは泣いたな。この値段間違ってないか、曲数からしたら考えられないぞ。

 8月29日だ。驚いたか。
 形態はCD3枚組で、この時代にアナタ4500円  安いなぁ。
 ここにメモがあるが、
 吉田拓郎自らが厳選した究極のプレイリストがCDとなって発売決定!
本作はレーベルの枠を越え、ソニーミュージック、フォーライフミュージックエンタテイメント、 インペリアルレコード、エイベックスの各社協力のもと、4社音源が同一収録された 初のセレクト・アルバムで、(ここが恥ずかしい)吉田拓郎が日常、就寝前に聴いているという(笑 公表しちゃうの?)リアルな自らのプレイリスト27曲からなる「思い入れのある作品」「もう一度聴いて欲しい歌」など、 吉田拓郎が愛した曲ばかりを収録。
更には必読の吉田拓郎が今作の為に書き下ろした全曲の楽曲解説(ライナーノーツ)も掲載!

 また今回、特別付録「Tからの贈り物」として収録された未発表のデモテープ音源は、1990年代、逗子で楽曲制作の為に使用していた一室  一室  秘密の部屋っぽいスタジオでなく一室(笑)で録音された、貴重な既発作品14曲+未発売作品1曲(全15曲)となっており、こちらのデモ楽曲にも吉田拓郎本人が全曲ライナーノーツを書き下ろしている。

 吉田拓郎は今、何を聴いているのか...どんな作品を好んでいるのか...。吉田拓郎と同じ気持ちになる事が出来る(そう、同じ気持ちになりたいと願いを込めている)
『拓郎本人の企画作品』 ! !

 ソニー7曲
 フォーライフ7曲
 インペリアル6曲
 エイベックス7曲

 選ばれた曲は皆さんが思っているのとは違う。ベストテイクの曲とかがメインだけど他にもある。必ずしもヒット曲とかシングル曲とかというベスト盤とは違う。要は、i-podで就寝前に楽しんでいる、好きでたまらない曲。

 選曲が、難しかったんだよ。50曲以上あって、そこからソニー7、フォーライフ7、インペリアル6、エイベックス7に絞ることが大変だった。自分を虐めながら、ここで気を許しちゃいけないんだと涙を呑んでカットした。何であの曲がないんだと皆さん思われるかもしれないけれど、ライナーノーツを読めばその根拠がわかる。

 そして特別付録のデモテープ逗子の頃のもので、出来上がりとして、個人的に気に入っていて、思い出深い曲であること、これらも僕が、今再びもう一度聴きながらいい気分に浸れる音源を集めた。

 曲順も会社別ではなく、バラバラにして新旧混ぜて僕の自由に並べている。続け聴くと僕のi-pod状態になる。
 とにかく曲によって音が違う。音量というか聴感。ソニーの古いのと一番新しいエイベックスとは音圧聴感が全然違う。これをスタジオで同じに聴けるようにエンジニアと調整をした。聴感、音量が違和感なく聴けるように。
 そのままだと凄い音のレベルが違う。古いCDとか家でかけるとわかると思うけれど。それが マスタリングで聴きやすくなっている。デモテープも音量を揃えた。
 曲順はびっくりするよ。というかワクワクするよ。ここにメモっている。言えないけれど。一枚目の一曲目がね。二枚目がこれで始まる、そして最後にこれを持ってきたか。あああ、もう、いーわないっと。

■今週のベストテイク  
 2006年つま恋のコンサート。その時のラストナンバーを何にするか、つま恋の合宿所で直前まで悩んでいた。普通はスタンダードで、客席も一緒に唄える「落陽」とか、あるいはデビュー曲「イメージの詩」とかいろいろ考えた。
 特に意表をついて、ロックバンドをやっていたころオフコースの松尾と清水バックに  かぐや姫の「神田川」をロックアレンジでやっていた。それをやろうかなとも考えた。意外に受けるかもしれないと一瞬考えた。しかし、よく考えたら「神田川」演奏したら、南高節が、間違いなくステージが飛び込んでくる。
 あいつの性格からして絶対飛び込んでくる。せっかくの最後のステージが水の泡になってしまう。やめといてよかった。

 そこで「聖なる場所に祝福を」というタイトルが気になった。なんだ「この聖なる場所」は。自分にとっても、1975年のつま恋は忘れられない場所だし、みんなもそうだろう。これいいな、これにしようか…これで行ってみたらどうだろうとなった。「なんで」と思った人もいたかもしれない。でもこのタイトルが良かった。
 しかしながら、この「聖なる場所」は、岡本おさみさんが書いた詞。岡本さんによると 岡本さんの書いた舞台劇の最終日に、すべてが終わった後、会場で打ち上げパーティがあった。そこの風景を見ながら、ここは聖なる場所だと思ったそうだ。これ聴いたらどう思う?「なーんだ、つま恋のことじゃないのか」と思わない? つま恋でもなんでもない自分の舞台の打ち上げパーティのことなんだよ。曲とか音楽とかはそういう不思議なもんでしょ。言われないとつま恋の歌と思うでしょ。説明されると違うもの。でも心の中でもイメージをふくらませてしまうことがよくあるでしょ。僕の歌でも勝手に思ってるけれど違うんだってば(笑)。そういうことが、よくあるんだよ。

M-2 聖なる場所に祝福を  吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング
 梅雨なので雨にまつわる曲。僕にもたどり着いたら雨降りという曲がある。
僕の時代も雨の歌が多かった。すぐに浮かぶ4、5曲を聴いてみたい   
 雨といったら映画だね。最近の映画ラ・ラ・ランド。こんど話そうと思ったけれどいい映画だね。アカデミー授賞式で作品賞で間違えられちゃったよね。でも、エマ・ストーンも主演女優賞とったし、ライアンゴズリングも良かった。この映画でも歌われていた。
ジーン・ケリーの雨の中を歩く名場面が浮かんでくる。

M−3 雨に唄えば  ジーン・ケリー

 映画のシーンが浮かぶね。名作中の名作。ラ・ラ・ランドもよかったけど。映画音楽でこういうのは最近はないね。  

 次は、口笛が良くてね。(歌う)ジャスト・ウォーキング・レインもっと、高い声に。
いいんだ、フィーリングが 1956年にジョニー・レイがカバーしてアメリカで二位、イギリスで一位になったという。

M−4  雨に歩けば  ジョニー・レイ
 いいフィーリングで歌ってんな。

 リクエストも来ているけれど、カスケーズ悲しき雨音、ついついギター出してしまう(歌う)大好きだったな。中学時代FENで聴いて、いい曲だと思ったらヒットしたな 。好きじゃないけど雷の音のSEがあったりした。雷嫌いな話したよね。

M−5 悲しき雨音  カスケーズ

 いやあ、いいな。好きだな。1979年の映画さらば青春の光のサントラにも使われた。
この映画「明日に向って撃て」この曲を使うかどうか現場ではもめたらしい。バート・バカラックこの選曲に議論があったらしい。キャサリンロスとポールニューマンとの自転車の場面にあうのかどうか。それに西部劇なのにどうなのかと問題になった。いい曲だ。歌ったのは、たまたまB・J トーマスが暇だったかららしい。

M−6 雨に濡れても   B・J トーマス

 やっぱ雨の曲には名曲多い。CCRクリーデンスクリアウォーターリバイバル。これもまた名曲。1971年シングルが発売され、ビルボードで8位になった。ギターのストロークがどの曲にも(実演)エイトビートのストロークが聴こえる。ジョン・フォガッティだっけ。

M−7 雨をみたかい  CCR クリーデンスクリアウォーターリバイバル

■エンディング
歌謡曲
寝室
映画

お相手は吉田拓郎でした

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆「骨まで愛して」はここまで来たら、御大の音楽的天分の粋を集めて、最強のアレンジに、最強のミュージシャンを集めて、究極の完成カバー音源を残すべきではないか。プロアマ問わず、もしかすると城卓矢さんご本人も含めて、世界で誰よりもこの歌に愛とソウルをこめているのは吉田拓郎なのではないかと思う。

☆いよいよ「From T」の概要が公表される。デモテープも15曲。よかったそんなに減らないで。
 何がイイって、吉田拓郎自身が、どんな曲をどんなふうに編成したか、もう言いたくて、言いたくて、教えたくて、教えたくて、うずうずして身悶えしている感じが、ビンビンに伝わってくるところだ。昔からそうだった。新曲、アルバム、ライブを届ける前に、嬉しくなった御大が、中味を話したくて、うずうずしている瞬間があった。実は根本的にサービスの人である御大は、吉報をすぐに届けたくなってしまうに違いない。昔は、それに耐えきれずに、新曲レコーディング前からデモテープを流しちゃったり、スタジオから直で録音したての曲をラジオで放送しちゃったり、ライブでも嬉しくて、へーきでセットリストをバラしてしまっていた(爆)。
 しかし、歳月を経て、少し老獪なじいさんになった拓郎は、昨日はぎりぎりのところでかろうじてネタバレを止めおったな。
 これから8月29日までは、言いたくて仕方ない御大にとっても、聞きたくて仕方ない私らにとってもある意味至福の蜜月がつづくのだ。

☆確かに、つま恋のラストの「聖なる場所に祝福を」の選曲には驚いたが、反面で妙な納得感ととても充足感もあった。神田川じゃなくて良かった。南さんという前に、あのロックロールの”ウェー神田川”はホントに評判がよかったのだろうか。全然イイと思わんぞ。
 岡本おさみさんの詞の「聖なる場所」の意味が初めてわかった。でもだからってガッカリしないよ。ますます素敵な詞だと思うぞ。あらためて聴く「聖なる場所に祝福を」が一層胸にしみた。そりゃあ一般Pだから詞の真意や背景などはわからない。わかりようがない。それでも、いろんな言葉を手掛かりに、それが誤読であろうと、自分仕様の思い入れをカスタマイズできるところに御大の音楽の素晴らしさがある。

☆「雨に歩けば」。ああ、これは浜田省吾の曲で大好きな「Walking in the rain」だ。パクリとかそういうことではない。魂の相承だと思う。この曲のスピリットが、「雨に歩けば」を深く愛した浜省と感応同交したものだと思う。いみふ。ともかく「雨に歩けば」と「Walking in the rain」を結ぶ紐帯みたいなものが見えたのが嬉しい。

☆「悲しき雨音」の冒頭の雷の音のSEのことを言っていたが、87年海の中道ライブの「冷たい雨が降っている」の時、雷のSEが入らなかったか。現場には行けずにラジオで聴いただけだからわからないが。

☆先週の木曜日の夜、神楽坂を歩いていて、すれちがいざまに「クリーデンスクリアウォーターリバイバル」という言葉が耳に飛び込んできた。御大のかつてのマイフェイバリットを思い出して、思わず振り返ると、かなりご高齢で仕事帰りの酔っぱのおっさん二人が、ごきげんで話しながら歩いていた。いいなぁと思った。ぐでんぐでんに近いけど「クリーデンスクリアウォーターリバイバル」ってちゃんとていねいに言ってるの、嬉しそうに。いいよね。
 そしたら、今回、御大がラジオでかけてくれたのでまた嬉しくなった。それにしても、御大にしてもCCRと略称せずに「クリーデンスクリアウォーターリバイバル」と言っているのが印象的だ。演劇青年が「スタニスラフスキーシステム」と言ったりするのとたぶん同じだ。略しない愛情というものがあるに違いない。私たちも「古い船を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう」「今度は一体何回目の引っ越しになるんだろう」、略せずに誇りをもって言いたいものだ。なんだそりゃ。


☆星紀行 今日の学び
  ディランに”地下室”があったように、吉田拓郎には”一室”があった。
        あのどこか切なかった90年代前半を輝かせておくれ。

☆おばあちゃんと孫のCM変わったな。

2018. 7. 4

 拓郎は、つま恋2006のラストナンバーをどうするか悩む中で「聖地」というコトバに惹かれてこの作品を選択したと語った(ラジオでナイト第62回ベストテイク)。岡本おさみさんは、この聖地はつま恋ではなく、自分が関わった演劇の楽日の打上げを聖なる場所として描いたということだった。

 それは岡本さんが関わった新潟市の市民ミュージカル「シャンポーの森で眠る」のために制作された曲だった。小学生を含むアマチュアの市民たちが本格的なミュージカルを苦闘のすえ作り上げる。そのプロジェクトに音楽家の宮川彬良さんとともに岡本さんはかかわった。公演は成功を収め高い評価を受けその後何度も再演された。すべてをなしおえた会場での最終日の打上げの場所を「聖なる場所」と歌ったのだった。

 原作は、フランスの作家ジョルジュ・サンド「愛の妖精 小さなファデット」。これはむかーし読んだか、あるいは映画で観たのかもしれない。岡本さんは、その舞台こんな詞を書く。

 明日の朝、神様がいらっしゃるよ
    (作詞:岡本おさみ 作曲:宮川彬良)

 明日の朝 神様がいらっしゃるよ
 森の木立をぬけて注ぐ
 光の道を通って
 明日の朝 神様がいらっしゃるよ
 遠い約束 果たすために
 光の中へ もうすぐ
 苦しみはもうない
 悲しみはもうない
 ロバを連れて、迎えに行こう
 風が走る 草原に
 風が走る 草原に
 明日の朝 神様がいらっしゃるよ
 愛を汚した 罪人たちに
 剣の裁き下しに

 明日の朝 神様がいらっしゃるよ
 野いちご齧(かじ)る 唇で
 歓びの歌 歌おう
 明日の朝 神様がいらっしゃるよ
 欅のような足で踏みしめ
 あの丘の上に登ろう
 嵐はもう来ない
 吹雪ももう来ない
 ロバを連れて、迎えに行こう
 風が走る 草原に
 風が走る 草原に
 明日の朝 神様がいらっしゃるよ
 涙の跡を癒すために
 血が流れた草原に
 血が流れた草原に

 ロバを連れて、迎えに行こう
 風が走る 草原に

 そしてその10年後の2008年、岡本さんは、おなじ市民劇団の「大いなる遺産」という新しい舞台のために再び協力して詞を書いた。

「星の数ほどの天使たちが」

 星の数ほどの天使たちが
 こんな静かな夜には
 星の数ほどの天使たちが
 天空をとびかい
 人のありさまをつぶさに見ては
 救い主に告げ知らせている

 あゝ気づきながら犯した罪と
 気づかないまま犯した罪が
 どうか 許されますように
 どうか 許されますように

 岡本さんは、地下水脈のようにどこかでつながった「魂の囚人たち」の詞だと語っていた。晩年に向う岡本おさみさんの境涯が覗けるかのようだ。「聖なる場所」は、まさに地下水脈のようにいろいろなものとつながっている。

 拓郎は「聖なる場所に祝福を」はつま恋のことを書いたんじゃないんだよ、と、いかにも、がっかりだろ、と言う感じで、のたまったが、とんでもない。私ら詞の真実なんてわかりっこない。誤読や勘違いの思い込みを投げかけていくしかない。それらをも受け止めてくれる器が名曲というものではないか。そんな中で覗いた真実。岡本さんの地下水脈とつま恋と吉田拓郎とそして自分が繋がれている。それはそれは心の底から誇らしい。それくらいに嬉しいものだぜ。

2018. 7. 5

 朝ドラ「半分、青い。」は、トヨエツの秋風羽織先生が素晴らしいが、中村雅俊演ずる岐阜の仙吉爺さんからも目が話せない。小さな食堂を引退し、連れ合いにも先立たれた80歳くらいの年老いた爺ちゃん役なのだが、どうみても家族やご近所で一番背が高くてスタイルも良く、しかもアコギを手放さず重要な場面では弾き語るという超絶な無敵感が漂う。歌う曲もサザンだぜ。先日は、茶の間で何気にギターの弦を張り替えて「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌った。カッコイイぞ仙吉さん。
 それにしてもサザン、加藤和彦。顔も知らない同志よ。なんか近づいている感がしないか。期待してしまう。待ってるぞ仙吉爺さん。

 もし歌うとしたら曲はなんだ。「半分、青い。」に対して「完全、青い。」=「パーフェクト・ブルー」はどうだ。>どうだ、じゃねーよ。

2018. 7. 6

 デモテープ「女たちときたら」が公式音源となるのは嬉しいのだが、そうすると「東京の長く暑い夜」は無かったことになってしまうのだろうか。えー、あれはあれで超絶名曲ばい。♪「東京の長く暑い夜」は・・・消えちまえと言うのでしょう・・・かっ!

2018. 7. 7

 私もはしくれからお見舞い申し上げます。今起きている災害と、23年前に始まった悲痛事とがコンタミになって、一体何なんだこりゃ。"大人のクセに自分の事で精一杯"で情けない。

2018. 7. 8

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オーケー松任谷。こういうテロップだけで私はかなり元気になれる。一週間はもちそうだ。…それにしても、もし貴明のこの番組で「吉田拓郎特集」をやるとして森永卓郎をゲストに呼ぶのなら、ぜひ代わりに私を呼んでほしい。ただの一般Pだが。あいつだったら俺が、私が、と切歯扼腕しているファンは多いはずだ。

2018. 7. 10

ラジオでナイト 第63回 2018.7.8
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。世の中は、というか地球は、サッカーで盛り上がっている。ジャパンは惜しくもベスト16にとどまったけれど。それでも直前に監督交替があって新監督西野さんは時間のない中で頑張った。噂によると前監督との間では選手の不満が相当にあったという噂がある。そういう状況でのワールドカップは、いろんなことありました。例のポーランド戦の残り10分。ジャパンもポーランドもどちらも責めない、客はブーブー。この決断というのはなんでしょうね。いろいろ激論で騒いだけれど、決勝に進んだのでいいというということでしょうか。
 良い試合だった。乾、原口のゴールが素晴らしかった。今回のワールドカップは、とてもスリリングで楽しかった。前回のブラジル戦は、まったく面白くなかった。あの時のジャパンは前哨戦がすごく強かった。これはベスト8かと思ったけどがっかり。今回は、もしかしてもしかしてと思わせてくれた。選手たちは頑張ってくれた。
 試合には出られなかった東口、中村、遠藤 、大島。東口ゴールキーパーが気に入っている。個人的には彼が先発と思っていたが、出場できなくとも陰に日向にチームを応援しながら、黙々と練習していたという話を聞いて、涙が出そうになりました。 

 4年に一度だけど、4年後は、すげー歳とっちゃう。2年に一度にしてくれないか。待てないよ。

 さて、心に願っていたアルバム、夢のようなアルバムが実現して、マスタリングもジャケットも完成した。ジャケットは、かわいいイラストで、自宅でデモの雰囲気が出ている。
 自宅でのデモテープは、スタジオみたいなサウンドではないけれど、逆にそこがホットで、目を瞑るとそこでギター弾きながら、ピアノを弾きながら、そこで歌っている感じがある。エコーもかけてないし、目の前でライブで歌っている感じ。実にいいんですよ。自画自賛というよりホントにいいんだ。こんな企画が実現するとは思っても観なかった。これが手元に届くなんて。もともと70年代の通信販売の零細弱小レコード会社から始まった自分にとって、ひたすら音楽をやってきて、こういうアルバムができることがイベントだと思っている。実現できて夢のような気分でいる。
 ベスト盤ではない。僕の中でも、本意ではないベスト盤が出ているけど、自分で曲を選んだ覚えはない。ベスト盤ではないが、僕が常日頃愛してやまない曲たちだ。
 よく言っているように、みなさん、趣味趣向は違うから、この選曲には異論がある人がいると思う。でも音楽は好き嫌い。このアルバムでは僕の個人的な思いを通させてもらう。
 曲順・曲目は発売まで言わないことにした。しかし、エイベックスも、拓郎さんが喋ってしまうのはしかたないと言っている。俺の場合、黙ってられないんだよ(笑)

 「春だったね」は「ライブ73」ではなくて「元気です」のものがはいっている。もともと田口さんという人に書いた詞が、すっとんでいて面白いなと思って、これをディラン風にしてみたいなと思って、レコーディングの時に松任谷正隆に、口で♪トゥーントゥトゥトゥとフレーズで伝えて、弾いてもらった。そういう風景が心から消えない。だから(僕を忘れたころにぅぅぅ まどをたたいてぇ)。ディランを意識しているこの歌い方。この得たい方がここで確立された。自分でもそれでゆこうと思った
 毎週こうやっていると喋ってしまう。番組止めようかな。
   発売まで番組を中止しようと思っている吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル
 黙っていられないから、エイベックスの人から全然意味ないじゃんと言われそうだ。

 先日、石川鷹彦と話をした。2、3年前に倒れた。いま彼は病気で不自由な生活を送っている。電話して、会話は難しいので僕が喋った。鷹彦、フラマン(フラットマンドリン)弾けよ、俺のギター弾いてくれよ」と言ったら、「おーおー たくろう」と笑ってくれた気がする。嬉しかったです。みんな元気にやってほしい。

<From T予約した、ツアーが楽しみという投書>
 人の忙しさも、人の体調も知らないで(笑)。♪人の気もしらないでぇぇ。今作った歌。ツアーについて言えることは…言うんじゃないか(笑)
 日程等は、バンドのスケジュール。こいつらが忙しい。カースケとか。こいつらが一番の音楽の理解者だと思っている。リハも楽しいので彼らとやりたい。しかし、大変な人ばっかりでスケジュールがきつい。しかも会場が空いていない。オリンピック関係のイベントとかがあって、日程がむつかしい。何泊もホテルは好きじゃなない。ごめんよ、パッと行きたい。今回は9か所くらい予定している。ほぼ全国ツアーだよ、はははは。
 主要6代都市。いま日程をもう少しなんとかならないか。2、3か月済ませたい。誰かみたいに半年とか1年もずるずるとできないよ。ごめんよ(笑)。

<拓郎さんと違って口下手で、女性をほめられない、今日のメイクは自然  どうせ厚化粧という投書>
 確かに達者かもしれない、あなたは、裏目に出たね。言葉が不自然なんだよ。日常の中で普段からメイクのことを口にしていないからだ。改まって褒めたりすると不自然。
「ああねいいね」(笑)「あ」いいね。「それ好きだな」…僕もダメかな(笑) 
 軽く独り言のように言うのはどうなんだ。難しいね。とにかく、ほったらかしはダメ。よくかかわって相手の変化を気にすること。
<定年後ビアガーデンが楽しみ、ミュージシャンが良く演奏していたことがあったが、拓郎さんも経験あれのですかという投書>
 僕もビアガーデン好きでした。バーボンの時代、ブランデーの時代いろいろあっけど、ビールの時代もあった。アマチュアの頃、広島の朝日会館の屋上で、ザバチェラーズで演奏した。僕はドラム で、ビアガーデンで演奏していると、店長から音が大きすぎると言われて電源を切られた。ドラムだけで歌っている状態になった。電気を切られたロックバンドほど情けないものはない。そこの出演料が1000円か2000円。終わってビール飲んで、ギャラが飛んでしまって、とぼとぼと歩いて帰ったものだ。情けない。

<宅配で「ごちそうさま」といった拓郎さんですが、自分も事務所を出かけるとき「いただきます」と言ってしまったという投書>
 またあった。一昨日、花屋さんが七夕なので小さなガラスのケースに入った竹の贈り物を届けてくれた。「ありがとうございます」といって紙切れを受け取った。それは、花の事を書いた説明書だった。しかし、宅急便でハンコを押す習慣があって、ついハンコ押そうとしている自分がいた。「印鑑いりません」「そうですか」といいながら、それでもハンコ押した。当然、花屋さんは、その紙をもっていかない(笑)。どうしてこういうことに。こういうおっちょこちょいのメールあったらください。

■ベストテイク
 今週は 95年「Long time no see」の「マスターの独り言」。六本木のバーのマスターがモデル。ピアノが一大あって、千代の富士と何度かお会いしたことがある地下のバー。マスターがピアノを弾いてくれて、”ムーンリバー””夏の日の恋”をリクエストしていた。薄暗いバーで、客もいつも5、6人かな。千代の富士から相撲のチケット貰ったのかな。
 マスターは、50代で独身。人生経験観豊かな人で、愚痴を聴いてもらっていたこともあった。From Tのライナーノーツに書いたが、僕は詞を書く時に妄想を勝手にストーリーとして描く。子どものころから学校を休みがちだったけれど、・・・・ああダメだよ、拓郎さん喋っちゃ。
 このコーラス、♪悪くない、悪くない〜の追っかけコーラスについても今度のライナーノーツに書いてある。だからここでは話せません。ひとりでやっているコーラスの秘密が書いてある。

M−1  マスターの独り言   吉田拓郎

■今週のマイ・フェイバリットソング
 今週は、I-podにも入っている” We are the world”
 もともとは、イギリスでボブ・ゲルドフ、フィル・コリンズ、スティングがエチオピアの飢餓を救おうということで始めた。ハリー・ベラフォンテが、これをアメリカでもやろうということでたくさんのミュージシャンが集まった。
 前にも話したけれど、ボブ・ディランがスティービー・ワンダーに歌い方を教わったりしててる(笑)。個人的には、ブルース・スプリングスティーン、シンディ・ローパーとかが熱唱していて良かった。こういう凄い人が一堂に会して、本当にありえない、まさにエンターテイメントの底チカを感じる。レコーディングは、夜の10時から朝の8時まで続いたらしい。
 とあるカントリー・シンガーが、スティービー・ワンダーの発案で、スワヒリ語を歌うことになったところが、猛反対して帰っちゃったりしたこともあったらしい。最大のテーマは、プリンスとマイケル・ジャクソンと共演だった。この二人が、一緒に並ぶのか期待された。しかし、プリンスはドタキャンした。
 これは決してプリンスとマイケルの確執ではなかった。シーラ・Eは当時、プリンスの恋人だったが、このレコーディングに呼ばれていた。ソロとコーラスの順番を待っていた彼女に、プリンスに電話してくれと頼んでいたそう。電話に出たプリンスは「シーラ・Eは歌ったのか」「まだ」「おまえがもし歌わないなら行かない」とこいうことだった。
プロデューサーは、シーラ・Eをだましてプリンスの出しにしていた。彼女にソロを歌わせるつもりはなかったようだ。そのうちシーラ・Eも帰ってしまったので、結局プリンスは来なかった。そのパートは、ヒューイ・ルイスが歌っている。
 プリンスとマイケル・ジャクソンが揃ったら、大変だった。どうなってたんだろう。

 この曲を僕のi-pod入れている。音楽のチカラ、エナジー、願い、ミュージシャンの実直な姿を感じる。

M−3 We Are the World

■エンディング
来週はワールドカップ決勝戦でお休み

・歌謡曲
よろしいものよろしくないものいろいろ揃った
・映画
・おっちょこちょい

 お相手は吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆石川鷹彦さんの話には不覚にも涙が溢れた。ショックでもあった。しかし、盟友である御大の心情こそいかばかりか。それにもかかわらず、普通のトーンで、「嬉しかった」とその様子を私たちに話してくれたことを思うと、自分ごときが泣いちゃダメだと思い返した。話してくれて、伝えてくれてありがとう御大。

☆人の気も知らないでライブを待ってしまうのは自分とて同じだ。そうか。9本は見事な全国ツアーだ。ハラショ。あとは御随意にだ。北は北千住から、南は南千住まで、東は東浦和から西は西浦和までであっても、御大が全国ツアーといえばそれは全国ツアーなのだ。>意味わかんねーよ。

☆We Are the Worldは素晴らしい。それと一緒にしてはいけないのだろうが、We Are the World とくれば All Together Nowである。これも日本音楽界における夢のような祭典である。
 かの国が”We are the ones who make a brighter day, so let's start giving”とくれば迎え打つわが国は”今こそその手に小さな勇気を持て”である。遜色はない。あの素晴らしい伝説の国立競技場の一夜はきちんと文化の記録として残すべきではないか。

☆We Are the World同様にAll Together Nowのいろんな舞台裏の話が聴きたかったよ。あの歌の順番はどうやって決まったのか。なぜ”さだまさし”の次が”吉田拓郎”なのか。その他、今だから聴けるいろいろな逸話。例えば”中島みゆきが帰っちゃった””矢沢永吉が”来なかった” “加藤和彦を怒らせたので松山千春が呼ばれなかった”とか(全部、星紀行の妄想ですので信じないで下さい)

■星紀行今日の学び
   浮き足立ってはならぬ、次のワールドカップを待つように
                   腰をすえて次のライブをひたすら待つべし
  

2018. 7. 11

 本当に大惨事になってしまっている。自然災害があると、御大は昔からラジオで、お見舞いの言葉とともに、これは天災ではなく人災ではないのか、とよく言っていた。もちろん誰かのせいだと糾弾するためではなく、どうしたら防げたのか、防げるのかと煩悶していたのを今さらだが思い出す。

 We Are The Worldのメイキングの中で、ブルース・スプリングスティーンがボブ・ディランに握手を求めにゆくシーンがある。ほんの一瞬だけど。光栄ですってな感じでスプリングスティーンが強くシェイクハンドする。
 同じように、長崎のスーパーバンドの楽屋で、浜田省吾が吉田拓郎に握手を求めるシーンがあった。こっちも一瞬だ。浜省も嬉しそうにグイングイン手を握っていた。
 ディランも拓郎も、ちょっと視線をそらして、はにかみながら応じていて、それがまた素敵だった。
 ああ、俺も、いつか後輩や教え子から握手を求められたら、こんな風にシャイな感じで応じようと心に決めた。それから二十年以上経つが、誰も私に握手を求めてこない(爆)。

2018. 7. 12

 FromTの緘口令はどこまで守られるのだろうか。我々に極上サプライズの歓びを与えたいという愛情は嬉しいが、くれぐれもご無理なさらず(爆)。

 たまたま昨日i-podでセイヤングの篠島直前特集の録音を久々に聴いた。ハイテンションの吉田拓郎は、のっけからコンサートのオープニングは「ああ青春」ですとバラし、当日の演奏曲をどんどん流す。それでも足りないと楽譜をめくりながら「これも歌っちゃうぞ」と延々と曲名を読み上げてゆく。すげえ。ネタバレ禁止に命を捧げている人はきっと両手で耳を塞いで失神したことだろう。
 それで篠島がつまらなくなったということは微塵もなかった。シャンパンの栓を抜いたみたいに溢れる御大の情熱と喜びがビンビンと伝わり、むしろ喜びと気合が横溢したものだ。今聴いても気分が舞い上がってくる。いいじゃないか。

 それは御大がおしゃべりだからとか口が軽いというのとは断じて違う。吉田拓郎は、歓びを一刻も早く分かち合い共有したいと願う心の底から愛とサービスの人なのだ。だからこそ黙っておられないのだ。
 それが証拠に、悲しみについては、昔から一切抱え込んで漏らさない人だった。世間では、悲しみや哀れさを殊更にアピールするシーンが散見されるが、そういうものは売り物にしないという深い矜持が吉田拓郎にはあると思う。その奥ゆかしく、また歯がゆいほどの孤高感がまた吉田拓郎の魅力でもある。これは勝手な憶測だが、もしコンサートツアーの延期という事情がなければ、PONのことも秘めていたのではないかとすら思う。いや、そういう話ではなかった。

 FromTの緘口令が守られようが、守られなかろうが、どちらになっても”何もかも愛ゆえのこと”である。なので無理はしないで欲しい。

 それよりなによりともかく祭りはもう始まっているのだ。

2018. 7. 13

 毎日こんなイカレタ日記を書いているだけの私が言っても何の真実味もないが、水害の被災地はどこも想像を絶する。個人的には昨年お世話になったばかりの呉・広島がどうしたってショックだ。この日曜日から呉を舞台にした「この世界の片隅に」の実写版が始るというのも何とも複雑だ。義援金、救援物資を送らせていただいても、やはり呉でも人手こそが圧倒的に必要だそうだ。すまん。せめて広島・岡山に現地入りするボランティアの方々にも超絶僅かな支援をさせていただいた。結局、最後のたよりはフィジカルな人のチカラなのか。ともかく御身体に気をつけてと祈るしかない。

 異常気象に配慮して松山千春が日比谷野音のライブを中止するという。高校野球や、やがて来るオリンピックは大丈夫なのか。そう考えると、つま恋も篠島もこんな時期によくぞやったもの、できたものだとあらためて思う。たぶん、あの時のような夏それ自体が、日本にはもうなくなってしまったのだろうな。

2018. 7. 14

 昨夜は、吉田は吉田でも作家吉田篤弘さんの新作発表にちなんだトークショー&サイン会に行った。「おやすみ、東京」と「雲と鉛筆」との二冊の新作。Ninjinの雨畑代表と画伯と三人でひとつひとつの言葉の素晴らしさを噛みしめる。こっちの吉田さんも天才だ。
 「おやすみ、東京」は「真夜中のタクシー」だ。「雲と鉛筆」は、鉛筆工場で働く青年が、鉛筆でひたすら雲を描き続ける。その"あとがき"に胸わしづかみだった。

「僕にとっては毎日が雲による天体ショウの連続で「皆既日食」などと違って二度と同じ
ものは見られないのです。 単純に美しくも奇怪であり、空以上に巨大なスクリーンはないのですから、地球上で最もダイナミックなこの即興的ドラマを鑑賞しない手はありません。
 雲はわれわれの生活圏の塵芥が結集したものです。われわれが発した言葉や、頭から抜け落ちた記憶、歌、物語、考え、思い喜怒哀楽、すべてが蒸発して空に昇り、だからあのような奇妙かつ麗しいかたちになって流動しているのだとそう考えています。
 雲は哀しいです。われわれから抜け出た魂のようなものですから。しかし雲は頼もしいです。われわれが失くしてしまったものを「ほら、ここにある」と見せてくれるのですから。
 鉛筆は雲を描くために発明されたのかもしれない。」

 そんなこんなで画伯の懐かしい「サンスター・スパイメモ」を眺めて盛り上がり、三人で飲んだくれたあとの帰り道、確かに夜空にも雲はある。深夜の天体ショウである。

 ふと「流れる雲を追いかけながら本当のことを話してみたい…」が浮かぶ。ああ、あらためてなんて深く心にしみいるフレーズなんだろう。そしてまた「それは昨日の雲じゃない」が流れる。ああ、素晴らしい。すばらしいぜ御大。

 雲は天才である…これは石川啄木だった。ということで二人の吉田は天才である。

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2018. 7. 15

■ある意味熱血まんが「一徹の憂鬱な日曜日」■ 

レポーター「…それでは街の人にうかがってみましょう。ワールドカップはフランスとクロアチアどちらが勝つと思いますか?」

父「知らん!決勝戦か何か知らんが、拓郎さんのラジオを休ませるほどの事かっ!」
娘「お、おとうさんっ!」
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 ワールドカップであろうとウィンブルドンあろうとも心の隙間が埋まらないすべての方に捧げます。>いらねーよ

2018. 7. 16

 LIVE2014を観ると、御大の「襟裳岬デュエット」の提案に対して小田和正が「また今度にしよう」と速攻で却下する「どっちがどうなのよ」事件のところで何度でも笑ってしまう。
 「日本を救え」のドキュメントでも、泉谷しげるが「絶対笑いがとれるから坂崎とオレのコンビで『アルファー』というのをやりたい」と提案すると小田和正から「それはまた他でやれよ」と一言のもとに却下されて、泉谷がしょげるシーンがあった(爆)。

 このサイトt.y lifeでは、
「小田和正とは、いつもマラソンでぴったり後ろについてきて、ゴール間際で抜いてゆくミモフタもない人」
 として定義されている。だってそうじゃん。

 それでもただ思うことがひとつだけある。小田和正が無名の前座だったころギターの弦が切れてしまい、困ったあげく面識のない拓郎の楽屋に行って「弦ない?」と聞くと、拓郎が昔からの友達みたいに気さくに「おう」と言って弦をくれた話。この話を小田和正はいろいろな場所で繰り返し語ってくれる。

 この話を聞くと映画「スケアクロウ」を思い出す。ジーン・ハックマンとアル・パチーノが知り合いになって二人で旅を続ける切ないロードムービーだ。極度に人間嫌いのジーン・ハックマンは、最初陽気なパチーノのことが疎ましくて嫌っている。しかし、ジーン・ハックマンがタバコを吸おうするとマッチがない。そこにパチーノが自分のマッチの火を黙ってくれる。何気ないシーンなのだが、そこからジーン・ハックマンは心を開き始める。ジーン・ハックマンは後に言う「おまえは最後一本のマッチだったのにそれを俺にくれた」。ジーン・ハックマンはパチーノが何も言わず最後のマッチをこともなげにくれたことを見ていたのだ。

 神奈川県立音楽堂(あ、昔バレエのコンクール観に行ったな)の楽屋で、ギターの弦をさりげなくくれたところに、小田和正は吉田拓郎の何かを観て、その何かを大切に持ち続けていることがわかる。いろいろ悪態をつく私だが、結局のところ小田さんには敬意を抱かずにはいられない。そういうややこしい結論にたどり着く。

2018. 7. 17

 この数日、深夜に眠れずに、例の吉田篤弘「おやすみ、東京」を読み返し、友人に勧められた少し前の映画「めがね」を観て、つま恋2006を観なおした。どれも心の奥底に触れてくる。
 偶然にもこの三点に共通するものがひとつだけあった。「ハムエッグ」である。「おやすみ、東京」には深夜食堂の大切なアイテムとして「ハムエッグ定食」が登場する。「めがね」では小林聡美が、ホテルの朝食の美味しそうなハムエッグを横目で睨みながらチェックアウトするシーンがあった。そしてつま恋では、拓郎が目玉焼き=ハムエッグの名手であることをMCで語っていた(爆)。

 今はいない居酒屋の料理長に懇願してメニューには無いハムエッグを特別に作ってもらい(写真)、これをアテに日本酒をいただいた日々を思い出した。

 御大は目玉焼きを焼いていると、その目玉焼きは特別なのではないかと思えてくると語っていたが、なんかわかる。酷暑だが、毎朝、もたいまさこの「メルシー体操」をしてハムエッグを焼くことに習熟する。夏の目標。そうやって8月29日を待つのだ。
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2018. 7. 18

 この炎天下。どうしたって、あの真夏のつま恋や篠島のイベントを思い出す。ライブそのものもさることながら、あの炎天下の超絶長い待ち時間が思い出される。長かったよねぇ。
 どのイベントの時も早朝に開場されて、やっと席を確保してヤレヤレと安堵してから、開演まで、どう考えても10〜12時間はあった。
 屋根も空調もない炎天下の太陽にひたすらジリジリと照らされる。沼津の干物か。そもそも入場の時点で既に睡眠不足状態で消耗しているのが常だ。それに当時は、スマホも携帯もタブレットもiPodだってない。何もすることがない。とにかくひたすら、ひたすら疲弊しながら待つしかない。人は普通に倒れるぞ。
 しかし「吉田拓郎に逢える」というその執念だけで私たちはあの炎天下を生き抜いたと言っても過言ではない。もし、10時間待って、出てくるのが、松山千春だったり、マギー・ミネンコだったり、ヘドバ&ダビデだったりしたらとても生きてはいられなかったに違いない。あ、もちろん拓郎ファンとしてはね。

 ボロボロになって待ち続けて、やっと吉田拓郎がやっと出てきて、開口一番「朝までやるぞ」。よく考えるとすげーな。とにかくよく頑張ったぞall。

 それを思うと性格がねじれている私は、昨今「つま恋は『夏フェス』の元祖だ」とかいう論評やフレーズを読んだり聴いたりするたびに「一緒にすんじゃねぇよ!!」と小さな声で叫んでしまう。

 ともかく8月29日の出来、そしてまたいつか吉田拓郎が歌う日をひたすら待ちながらこの炎天下を生き抜いてまいりましょう。

2018. 7. 19

 篠島の本番で消えたもの@

 御大の事前告知では、篠島で陣山俊一さん主催の盆踊りのコーナーがあるということだった。パンフの「催し物」という記載がたぶんそれである。実際には実施されなかったが、やってくれれば良かったのに。
 篠島は素晴らしいイベントだったが、観客が若く血気盛んだったためか、会場の空気がやや殺気立っていて、そこここで小さな諍いのようなものが散発していた。「旅の宿」での「さっきの連中も歌えるか」という御大のセリフもそれを反映している。だいだい、なんつっても、ステージの上でキレていた若手歌手もいたくらいだし。
 愛と善意に満ちた陣山さんが音頭をとった「盆踊り」でみんなが踊れば、会場ももっと平和に和んだのではないかと思うのだ。

 陣山さんの声って好きだったな。繊細な美声だった。下ネタを読んでいても、そこはかとない品があった。朗唱された「憧れのハワイ航路」が今も耳から離れない。御大によれば、陣山くんは歌がうまかったけど、声が小さかったので歌手になれなかったということだったが、あの優しい声は何にも替えがたい。

 かくして幻となった陣山さんの盆踊り大会を、ひとり想えば時はゆく。
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2018. 7. 20

篠島の本番で消えたものA

 79年7月21日のセイヤング、例の篠島直前、セットリスト事前大公開事件のときのことだ。事件じやねぇし。このとき「明日に向って走れ」が堂々とエントリーしていて、やっとライブで聴けるのかと胸躍らせたものだった。しかし悲しいことに本番ではカットされ演奏されなかった。番組で宣言していたのだから、間違いなくアレンジもされてリハーサルも積んでready goの状態だったのだろう。結局、この曲をライブで聴けるのは、6年後のつま恋85まで待たねばならない。
 85年の”明日に向って走れ”は、それはそれで印象的だったけれど、換骨奪胎した結果、別曲のように聴こえghる。79年のアレンジはどんな感じだったのだろうか。ともかく、あの原曲のかくも切なく美しいイントロ、♪流れる雲を追いかけながら本当の事を話してみたい〜の出しメロディの疼くような美しさ、満身創痍の悲しみに満ちた誰もまねできない歌い方、ああ、もう絶品ばい。OK松任谷も常駐していたことだし、あの原曲に軸足を置いたアレンジだったのだろうか、あれこれ考えると胸かきむしられるようだ。

2018. 7. 21

 小学生の頃に愛読した「くまのパディントン」。最近は映画にもなり、すっかり世界の人気キャラに仲間入りしている。ペルーから流れ着いた小熊がロンドンのパディントン駅でブラウン一家に拾われて、駅名から「パディントン」と名付けられて居候するところから物語は始まる。
 パディントンのぬいぐるみは世界中で売られているが、やはりこのロンドンのパディントン駅で買ってこそ本物である・・・という私の偏屈なこだわりに応じて、このサイトを作ってくださったNinjin designの技術者A谷さんが、ロンドンに行かれた際に、わざわざパディントン駅で購入してきてくださった。こんなにかさばるものを遠路お持ち帰りいただいて感謝の言葉もない。深謝。かくして我が家の居候になった。

 居候といえば、ブラウン家のパディントン、大原家のオバQ、検見川廣徳院の吉田拓郎、を世界の三大居候と認定させていただく。なんだそりゃ。

 パディントンは家を水浸しにするわ、ハロッズを大混乱させるわ、ものすげー迷惑なヤツなのだが、ホストファミリーのブラウン家の人々は一度も「出て行け」などと言わず家族として温かく見守る。
 オバケのQ太郎もそうだった。オバQもあれこれ迷惑をかける上にゴハンを50杯も食べる。大原家は普通のサラリーマンの家なのに「食い過ぎだよ」とか「食費くらい入れろよ」とか言わずに「まったくQちゃんの食欲はスゴイなぁ」とか、へーきで笑って暮らしているのだ。しかし、これがドラえもんになると、迷惑にならないどころか超絶有能で便利な存在なので、野比家にとっては大いなるメリットがあり、そこに有償的対価関係が見て取れる。やはり居候とは、メリットなんか無くてもいい、無欲で自然な無償性こそが素晴らしいことを逆に教えてくれる。

 吉田拓郎の検見川廣徳院の伝説が心をとらえてやまないのはそういうところもあると思う。名著「誰も知らなかったよしだ拓郎」には廣徳院のホストのご家族の方々の温かさが丁寧に描かれている、
 しかしパディントンでもオバQてもない、奥ゆかしい拓郎は、遠慮と気遣いで、とうとう栄養失調になって広島に帰ることになる。でも、それから数年後デビューシングル盤が出たとき、ある日、広徳院の玄関にシングル盤がそっと置いてあったそうだ。「テレ屋なんだから」とホストファミリーの方々が述懐する。いい話だ。

 居候する方も迎える方もに宿る愛。これは何気に凄いことなんだなと世界の三大居候のことを考えながらあらためて思う。
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2018. 7. 22

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どけどけどけ カーリーのお通りだ

2018. 7. 23

ラジオでナイト 第64回  2018.7.22

 吉田拓郎です。大変な雨とか、いろんなことが起こっている。僕もゆかりの地なので思いを馳せて胸が痛む。ゆかりのあるところ、ないところ関係なく心からお見舞い申し上げます。広島の知りあいは、皆、何度か電話で連絡して安全の確認ができた。
 まったく予想外のことだけれどこれからは心しなくてはならない。もう昔のような、のどかな♪麦わら帽子はもう消えた〜♪山は白銀、朝日を浴びて〜という感じで四季を愛でていたような季節感はもうない。そういう気持ちというか覚悟を強く持つべきなのだと思う。地球全体がそういう時代だ。雨風を恐怖として認識しなくてはならない。
 ウチの人と話していたが、昔はベランダは広いほどいい、食事したり、いろいろできるし、と思っていたけれど、この頃は大量の雨が降ったら逆流して大変なことになるかもしれないと考えると「ベランダはいらないよね」という気にもなる。
 実は我が家はバスルームに一枚張りのガラスを境にセットしている。しかし、地震が着たら真っ先に割れそうなので、二枚張りのつっかえ棒付きに替えてもらった。あり得ないことが起きる地球環境。

 さて「From T」の発売日が日一日と近づいている。喋りたい気持ちを抑えている。先週ベストテイクでかけた「マスターの独り言」は入っていません(笑)。どうなのよ、言っちゃって。悩んだんだよ。結構頭が痛かったんだ。フォーライフの年数が長いので枚数が多くて選ぶのが大変だった。みなさんがどう思うかはわからないが。デモテープがいいね。自分で言うけれど、いいね〜。楽しいアルバムになったな。曲順もひっくり返るように、えーここにこれが出てくるのか、といろいろ構成してある。

<新アルバムを遠足前の小学生のように嬉しそうに話す拓郎さん、ツアーね楽しみですという投書>
 今回は、名古屋に行きそうだな。90パーセントくらい確実。おいおい。しかしこれが黙っていられるか。それにしてもメンバーが忙しい。先日ハイクアウトとコンサートの打ち合わせをした。東京国際フォーラムは、今度はいつものように二回は取れない。一回だけだ、その代わり名古屋に行く。

 喋ってはいけないことを我慢できない。これから曲目、コンサートも相当前に白日の下に晒されるでしょう。

 夏の髪型、ファッション。長いスカートや僕の嫌いなガウチョが流行だけど、昔はサーファーみたいで「ヤッホー」というのがない。今考えると昔のファッションは恥ずかしい。

 30代男   パンクバンドに憧れて 鼻ピアス
 >いたね
 30代女  渋谷のカリスマ店員に憧れて ガングロ
 >いたわ  真っ黒なの
 40代男  ヤンキー漫画に刺激を請けて中学でパンチパーマ
 50代女  バブル時代で  ワンレン、ボディコン
 60代男  80年代  テクノカット

 僕は上京して 新宿厚生年金会館の小ホールで、広島フォーク村のコンサートをやった。その時、七部袖のグリーンのシャツにパンタロンだった。後輩のK君という、いつも僕のファッションに文句つけるサータレから「拓ちゃんどこで買うたとね 変じゃがね」と言われた。当時住んでいた新高円寺の5,6軒先の洋品店で吊るしてあったものだった。

 髪型、生まれて初めてカーリーをかけてみようと思った。思わなきゃ良かった。
行きつけの店で「パーマかけて、カーリーにして」とお願いした。くるくる巻かれて巻き終わった時の姿の無様なこと。自分でも笑ったね。石立鉄男さんをもっと短くしたみたいだった。カーリーにするには、相当髪の毛が長くないといけない、そうでなかったのでツルンと髪の毛が上がってしまった。コンサートがあって、帽子だか、ヘアバンドだかして歌った。まぁ、センスがなかったな、て、いつもつまづいている吉田拓郎のラジオでナイト。

■タイトル
 歌謡曲のメールがたくさん来ている。こんな曲知らないというのもあって、ここで聴かせてもらうとイイものが多い。みなさんが愛している歌手の中で、びっくりしたのは、ちあきなおみのファンが多い。普通はリクエストが重なることはないんだけれど、34人いる。だからといって、ちあきなおみをかけるわけではないなだ(笑)。そこがこの番組のひねくれているところなんだ。

<平浩二のバスストップという投書>
 この人はスナックで歌っているのかな。三連の曲だな。知っている。

M-1 バスストップ  平浩二

■CM明け
 今回のアルバセのデモテープは聴き応えがある。皆さん知らない曲が結構ある。人に作った曲で島倉千代子さんに作った「もみじ」が入っている。小田和正の関係で頼まれたと思う。これがいいんだ。島倉さんは可愛らしく歌っているけれど、僕のは男臭い。南沙織のも入っているし・・・詳しくはライナーノーツを読んでくれ。我慢できない。

<週末だけ寝室をともにするという投書>
 面白い。刺激的だね。ロマンチックかもしれない。
<30年ぶりの高校の同窓会、男はハゲとかいえるけど、女性にはうかつなことが言えないという投書>
 こういう事は拓郎さんに任せなさい。
「あ、キミ山田君」。何でセリフになるんだ。昔のドラマ「おはよう」で天地真理に「オトナになったおまえ」「あ、おにいちゃん」というシーンを何回も撮ったのが忘れられない。
「山田君、見違えたよ」というのはどうだい。

■ベストテイク
 ずっと好きだったリズム。レゲエというのがある。
 ♪ひと晩立てば 政治家の首がすげ変わり(アジアの片隅で)
 レゲエとかスカのリズム、これがもっと日本に広がるかと思ったのに。祭りのお囃子とかとも共通するのに。もっともレゲエバンドは今もあるし、東京スカパラダイスオーケストラとかもある。大好きだ。
 サンプルとして、

M-2 無人島で   吉田拓郎

 懐かしいね。ライブでやりたいな。高揚するね

 次はロスアンゼルスでレコーディングした時、ブッカー・Tのアレンジで、当時はレゲエと気付かなかったけれど

M-3 いつか夜の雨が   吉田拓郎

 懐かしいね。歌いたくなってくる。ipodの気分。入れればよかったかな(笑)


 この指・・・じゃないこの曲もスカっぽい。次のライブでは是非歌いたい。もうわかるよね。

M-4 この指とまれ  吉田拓郎

 こういうリズム感は日本てば定着しなかった。こういうノリで、ボブ・マーリィやスティービー・ワンダーやサードワールドでは総立ちになる。いいな。

 さて今日のメインは、意外と知らない人も多いか。ウチの奥さんもこの間聞いてたら「あら、知らなかった」と言っていた。これはテレビの主題歌にもなったんだ。レゲエ・スカで身体が自然に動いてくる。
 我ながら歌詞がいい。この詞はいいよ。
 ドラム島村英二、ベース松原秀樹、キーボード中西康晴、ギター徳武弘文

M-5 純     吉田拓郎

■マイフェイバリットソング
 We are the World。ボブ・マーリー、チャック・ベリー。ボブ・ディランと来て、今日はいきなり「大利根無情」だ。Ipodにも入っている。歌謡曲のフォルダの一曲目だ。1959年の年間第1位ということだが、当時は知らなかった。最近になってテレビの「日本の歌」みたいな番組で詞って好きになった。三波春夫のこのセリフ。セリフといえば加山雄三とかが有名だが、吉田拓郎にもハートブレイクマンションというのがあって、恥ずかしいねセリフは。

 この三波春夫のセリフが痺れるね。平手造酒って、漫画とかに出てきていて知っていたけれど架空の人だと思っていた。実際にいたんだね。

  お玉が池の北辰一刀流千葉周作道場の四天王といわれた剣客だけど、酒乱で破門され、胸を患って、博徒の笹川繫蔵の用心棒となる。大利根川原の決闘に馳せ参じようとするが、明心住職が「そんな  身体で無茶してはいかん」と引き止める。
それに対して、「止めて下さるな妙心殿   落ちぶれ果てても平手は武士じゃ、男の散りぎわだけは知って居り申す。行かねばならぬ。」

 これを聴かないと毎晩眠れなくなってしまった。

M-6 大利根無情  三波春夫

■エンディング
 皆さんのメールとハガキのおかげで今回も一位だった。再来週はまたスペシャルウィークだ。プレッシャーになるので普通にやろうと言った。でも、fromTの情報が漏れるのではないかと言っている。
 ラテ欄に「普通にやります」と書け。書かなかったら裏切りものだ(笑)。
吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆

☆久しぶりの放送だったが、その間に、私たちの生活の根元を揺るがすようなことがありすぎた。「東京の長く暑い夜」のとおり”地球はもうすぐ終わり”かもしれない。「心配して(知り合いに)何度も電話した」という御大。何度も電話する御大のまごころが救いのように感ずる。

☆髪型。カーリー。これは80年代というより78年のカーリー試作期の話と思われる。社長時代だったので髪が短く「つるん」と盛り上がっている。カーリーを戻して、十分長髪にしてから翌年79年春に「カーリー改良完成形(早口言葉みたいだ)」をお披露目することになる。

☆前回の放送でコンサートツアーが遠のいたのかと思ったら、かなり現実化しつつあるのね。良かった嬉しいよ。フォーラム2回がダメなら、武道館とかはダメなんだっけ。昼夜2回公演でもいいっすよ(爆)。それにしても名古屋か。いいぞ、いいぞ。「ふと気がつけば全国ツアー」を目指して欲しい。

☆今日の放送で一番嬉しかったのは「From T」 に「紅葉」の本人歌唱が入っているという情報だ。デモテープなれど快哉を叫びたい。どれだけあの曲が好きかはuramadoに書いたが、そんなのよりも本家本人のライナーノーツだ。

☆本人がライナーノーツを書く日が来るなんて思っても見なかった。uramado 「裏」にしといて良かった。本家の表と裏の対みたいじゃないか(爆)。おい。

☆レゲエ。いいよね。さらりと歌うだけで、「アジア」は血を沸騰させてくれる。なにげにバリバリなレゲエの「ハネムーンへ」をスルーした吉田拓郎。なんでだ。

☆「純」。だから前から名作だって、ずーっと言ってるでしょ御大。それに前回、ライブでやるとか言ってたんで、期待してたんだぜ。とにかく「純」は好きだぁぁぁぁ。お願いだから「どけぇ」は、語尾を上げて、シャウトして、蹴散らす感じでお願いします。

☆セリフは恥ずかしいとおっしゃるが「ハートブレイクマンション」。いいセリフだったじゃないか。「真夜中のタクシー」も名作である。とても恥ずかしかったのはライブでの『そんなことより運転手さん、前からキリンがぁぁぁぁ、今度はゾウがぁぁぁぁ』と絶叫していたときだけだ。


■星紀行今日の学び■

「止めて下さるな妙心殿。落ちぶれ果てても拙者はファンじゃ、
       行かねばならぬそこをどいて下され、行かねばならぬのだぁぁぁぁ」

 拓郎ファンとしての自分の人生を振り返ってみると、妙心殿がやたらたくさんいた気がする。みなさんはそうじゃないですか?

2018. 7. 24

 島倉千代子「紅葉」。なんと吉田拓郎の本人歌唱だよ、おっ母さん。
 この曲はリアルタイムでは知らなかった。初めて知ったのは、以前にも書いたが、何度だって書く・・・・・・2005年の広島公演に遠征したときの夜だった。拓郎ファンが集まって激しく打ち上がっているミュージック・バーで、あまり面識のなかったJさんからCDをいただいた。「拓郎さんが島倉千代子に書いた曲、いいんだよ、これが、聴いてみて」。CDにはその曲が一曲だけ入っていた。「これから歌うからさ」と、そのバーのステージでJさんは弾き語りで歌ってくれたのだが、恐らく緊張で固まってしまったのかヘロヘロでどんな曲かわからなかった。心配した仲良しのミニスカートの眩しいMさんがステージに上がって、まるで介助人のように一緒に歌っていたのが忘れられない。
 東京に帰って聴いてみると実に美しい名曲でたちまちフェイバリットになった。どんだけフェイバリットかは http://tylife.jp/uramado/momiji.html

 しばらくたってJさんとMさんにお目にかかったとき「いい曲だったです、ありがとうございます」とお礼を言うと「な、そうだろ、いい曲だろ」とJさんはちょっと得意気で、横のMさんも「ね。可愛い曲でしょ。」と笑っていた。
 たぶん二人とお話したのはそれが最後で、それから何年かして、二人とも相次いでご病気で亡くなったと知った。

 先日のラジオで御大が「島倉さんは可愛いらしく歌っている」と言ったとき、Mさんの「ね。可愛い曲でしょ。」という言葉がふと思い出された。「Jさんが教えてくれた紅葉、拓郎の男くさいデモテープが出るんですって」と二人に話しかけたくなった。「な、だから、昔から言ってたろ」とJさんは得意満面で答えてくれたに違いない。

 御大の歌声による紅葉が聴ける。生きていればこんな日も来るのだ。この「紅葉」のデモテープ一曲だけでも、From Tは十分だと思った。
 確か先月、18曲用意したら18曲全部出せよと怒っていた気がするが、申し訳ない、あの頃はまだ私も若かったのだ。

 ともかく超絶酷暑の折、みなさんどうかご自愛ください。

2018. 7. 25

 「人間の脳は10パーセントしか活動していなくて、残り90パーセントは眠ったままである」という話をよく耳にする。その話を聞くたびに私は怒りをこめて思っていた。「吉田拓郎も全作品の10パーセントの定番曲しかライブで歌わず、残りの作品は眠ったままである」。10パーセントは大袈裟か。いや、そんなもんだろう。

 しかし先日、医者の友人と飲んだとき、この脳の休眠の話は、医学界では俗説で根拠がないと教えてくれた。脳神経細胞が伝達活動をして働くのは10パーセント程度であるが、残った部分も静かにその役割を果たすべくフル稼動しているらしい。シロウトが酔っ払って聞いたので不正確だが。

・・・・そうなのか。

 吉田拓郎のライブで歌われない曲も、決して眠っているわけでなく、静かに稼動しているのか。すべてがひとカタマリになって吉田拓郎の世界は動いているのだ。「From T」はそのことを示すアルバムなのではないかと思った。

 感動のあまり、小学校からの友人だった気安さもあって、吉田拓郎ファンでもなんでもないその医者に、このことを熱く語ったら、「問題なのは、おまえの脳ミソだ」と言われた。失敬な。

2018. 7. 26


・・・ということで午前5時、桟橋前に整理番号順に集合です。以上っ。
                          渋谷高行氏


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2018. 7. 27

 1985年の本日早朝、つま恋ゲートに並んだんだよな。あの日もメチャクチャ暑かったよね。

 主催のユイ音楽工房から「ゲート前の徹夜の泊り込み厳禁」のお達しがあったため、名古屋駅のホームで仮眠して朝一番に掛川駅に着く在来線で到着。一路ゲートへ向かった。
 しかしゲート前には、禁止のはずの徹夜で並んでいた人々の長蛇の列。オーマイガー(涙)。ルールを守った早朝組は皆、大いに不満だった。早朝組の最前列の方々は、そのまま徹夜組の最後尾に並ぶことをよしとせず、結局、列が二列出来てしまった。
 徹夜組、早朝組のそれぞれの有志の代表者のような人たちが議論を始める。そのうち「ユイの人はルールを守ったほうを優先入場させると言っているらしい」という伝令も入る。勝利の凱歌をあげて早朝組の先頭は、徹夜組を追い越してそのままゲートへ行かんとする。思い切りブーイングをする徹夜組。しかし、実力行使はダメ、話し合いを続行しようということらしく、再びもとの位置まで列は戻った。ヘタレの私は暑いし落ち着かないし、正直もうどうでもいいと思っていたのだが、早朝組と徹夜組の有志の交渉は炎天下の中、二時間は続いた。
 最後に「主催者としては入場に関して一切関知しませんし、並んだ順番に入場していただき誰かが優先されることは一切ありません」という、そんなユイ公式回答が着く。このあたりが決定打だったようで事態は収束に向かい始めた。
 
 早朝組の誰かが、「けっ。結局、ユイもただの会社じゃねぇか」と捨てゼリフを呟いたのが忘れられない。確かに、ユイやフォーライフって、ただの会社ではなく、あこがれ共同隊みたいな甘い夢のような思いが私にもあった。しかし、ユイやフォーライフがヒドいということではなく、企業である以上至極あたり前のことだ。それをこの時に学んだ。
 そして、イケてる感じのおねーさんが、「こうやってさぁ、暑い中みんなゴタゴタしてるけど、拓郎はさぁ、きっと今ごろ冷房の効いた部屋でオンナといるんだよね(笑)」。こういうねーさん、好き。
 なんとなく雰囲気が和んで、結局、早朝組の先頭は徹夜組の最後尾についた。このあたりの経緯に詳しい方がいらしたら伺ってみたいものだ。

 なるほど世界史で聖地をめぐって幾多の戦争が起きてきたのはこういうことなのかと実感した。しかし今あらためて思うと、ある意味、一触即発の大喧嘩になってもおかしくないあの場面で、一生懸命、相手を説得しようと話し続けた徹夜組と早朝組の有志の方たちは心の底から素晴らしいではないか。炎天下にもかかわらず、長時間辛抱強く交渉をつづけていた、あそこにこそ真の民主政治があったと思うのだ。早朝組、徹夜組を問わず、あの方たちは、今の内閣の連中の誰よりも誠実なデモクラットとだったと確信する。
 ある意味、吉田拓郎の本質的エッセンスをしっかりと継承していた人たちだったのではないか。

というわけで、さすが聖地つま恋だ。入場する前から、いろいろなことを教えてくれるのだった。

 聖なる場所に何度でも祝福を。
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