uramado-top

恋の歌

1970年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「よしだたくろう オンステージ第2集」/アルバム「ぷらいべえと」/DVD「TAKURO & his BIG GROUP with SEO 2005 Live & His RARE Films」

超えられそうで絶対に超えられない陽性ポップの真骨頂

 正式デビュー前の朝日ソノラマのソノシート特集「よしだたくろう‘70真夏の青春」に収録されていることから相当に初期の作品であることがわかる。この「真夏の青春」では、文化祭で演奏する学生のような初々しさ(間奏なんて口笛だもんね)があったが、それでも既に拓郎の非凡な才能を十分に示している。実に陽気でシンプルなメロディーは、童謡にも通ずるような明るさがあり、キャンプファイアーや遠足のバスの中で身体揺らしてみんなで唱和したくなる。
 しかし、それはただの仲良しソングにはとどまらず、実によく練られたポップスのメロディーだ。2005年の瀬尾一三とビッグバンドツアーのオープニングにインストで演奏されたことは記憶に新しい。そのDVDでは、冒頭のバンドメンバー紹介の役割をも果たしていた。ビッグバンドな壮大な演奏によって、あらためてこの作品のメロディーの美しさとドラマチックなメロディー展開の素晴らしさを再認識することができた。シンプルでわかりやすいが、決してマネできない拓郎節の真骨頂がここにある。
 かつてシンプジャーナルの記事で「冬が~過ぎてぇ~僕たぁ~ちにもぉ~暖かい太陽が、この腕の中にあ~ったぁ~」この部分のメロディーは聴くだけでなく、自分で歌ってみるとものすごく気持ちがよくカタルシスがあると解説していたことがあったがそのとおり。特に辛いとき悲しいとき、試しに歌ってみると効果的だ。但し効能には個人差があるが。
 さて、時を戻して、その後1972年の「おんすてーじ第2集」にライブの様子が収められた他は、ユイ所属のグループ「ラニアルズ」によってカバーされた。今も拓郎のステージのスタッフである木村史郎さんがいたグループだ。
 そして75年のつま恋である。ラストステージのラストは言わずと知れた熱狂の「人間なんて」である。その直前の曲は「落陽」でも「外は白い雪の夜」でもない。外白はまだ生まれてもいなかったか。それは、フルバンドの本人歌唱で歌われたこの「恋の歌」だった。
 それから幾年、ようやく本人歌唱によるスタジオ録音バージョンが出たのは77年4月「ぷらいべえと」である。私の勝手な一存で、ココでは、この「ぷらいべえと」の歌・アレンジ・演奏すべてをもって決定版とさせていただきたい。「ぷらいべえと」には不満を持つ一部ファンがいるかもしれないが、「恋の歌」がかくも見事に公式作品化されたことに異議をのべるものはおるまい。その意味でも「ぷらいべえと」は大切なアルバムなのだ。 御大本人のアレンジになる本作は、まさに原曲のホップするようなのびやかなエッセンスが体現されており、間奏で跳ね回るようなエレピもたまらない。
 その後81年の体育館ツアーで、松任谷正隆が中心のバンドで常富さんのコーラスを添えて歌われたのが歌唱付ライブ演奏の最後だったと思う。これもファンキーで素敵な演奏だった。
 そしてまた時は流れ、「LOVE2あいしてる」で所ジョージが拓郎にこの歌を是非自分にくれ!と懇願し、拓郎も快諾し二人でジャスラックに行ったというエピソードがある。作者変更はできなかったようだが。それだけこの歌に惚れ込んだ所ジョージには熱い拍手を送りたいが、拓郎に対しては、こんな名曲、簡単に他人にやるなよ、もっと大切にしてくれよと言いたい。 なお所さんのカバーでは、所さんによって歌詞が足されているが、作者にキチンと筋を通していたので、「おふくろさん」にはならなかった。

2015.9/13