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あなたを送る日

2009年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「午前中に・・・」

俊一さんの春を待つ旅路

 この詞はまるで「弔辞」そのものだ。盟友だった陣山俊一氏に心を込めて手向けられた弔辞。ユイ音楽工房のプロデューサーという裏方スタッフであっただけでなく、拓郎のコーラスをこなし、ラジオ「セイヤング」でも毎週レギューラーコーナーを持ち、拓郎ファンにも親しみをもって愛されていた。
 愛すべきイジられキャラだったことは、TBS「セブンスターショー」の「三軒目の店ごと」で皆が仕組んだドッキリの様子でもわかる。ピエロのような扮装で踊らされる陣山氏に歌いながら笑いを堪える拓郎の様子が心に残っている。
 陣山氏は、早稲田大学のサークル「日本語の歌を歌う会」の会長として自身も歌手を目指していた。拓郎が当時パーソナリティをしていた「バイタリス・フォークビレッジ」にゲストとして出演したのが初対面だったという。サークルの女子大生を何人か連れてきて音楽活動の話をしようとした陣山氏に、拓郎は音楽の話なんかせずに「君、あの子たちとヤってるの?」と真剣に尋ね、陣山氏が落胆して帰ったというエピソードもあった。  そういえばセイヤングの公開放送で「憧れのハワイ航路」を朗々と美声で歌い上げてくれたこともあった。また「オイルズ」(すき焼きのオイルが好きだかららしい)というコーラス・グループを率いて拓郎のレコーディングにも参加し「陣山がコーラスするとそのレコードは売れる」というジンクスを拓郎自身も嬉しそうに語っていたことがあった。
 陣山氏は、ユイを辞したあとは自分の考える音楽を目指して会社を設立し取り組んでいたそうだ。亡くなるなる何年か前には、拓郎ファンの集う店「鉄平」にも姿を見せたり、つま恋2006には病が重くなり車椅子で観覧していたらしい。
 この詞では、愛すべきイジられキャラとして皆に笑われていたが、真摯だった陣山氏の生き方を拓郎が思う。拓郎いわく「ああいう生き方が正解だった」と。彼の生き方の素晴らしさを失って初めて気づく。「あの頃わからなかったことが今は胸にしみる」と彼を思い「あの頃の君が示したようには生きられないが求めすぎる僕ももういない」と内省的に、今までの自分を悔やむかのような拓郎の言葉が切ない。
 ただメロディーはつとめて明るく、悲しさを引きずらない。そして「小さな春を見過ごしている 馬鹿な自分に気が付いたとき 胸にあふれるこの喜びを 今こそ素直に伝えたい」との結びには、悲しみの中の小さな陽だまりのように救われる。陣山氏を悼みながら、彼の死と自分の変化をも受け入れ、今なおポジティブな自分であろうとする拓郎の姿がたまらなく魅力的だ。心からご冥福を祈りたい。

2015.11/1