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a day

2020. 7. 11

"時よとまれ,愛する者がいる,誰もが口閉ざせ愛する者のために"今のボーカルだときっともっといいぜ。うの=浅野温子だったな。映画"RONIN"の数年後ドラマ"101回目のプロポーズ"で武田鉄矢が浅野温子と顔合わせの時「浅野です,初めまして」と言われてショックだったって話…ちょっと笑った。

映画"刑事物語"でデビューした数年後に人気女優となった沢口靖子が、小室哲哉の曲でドラマのテーマ曲を歌った時「女優沢口靖子が歌手デビュー!!」と宣伝され「潮騒の詩(詞 武田鉄矢,曲 吉田拓郎)」が思い切り無かったことになっていて私がショックだった話は、笑っていらんねぇ。

 だから私泣きながらでも泣きながらでも前を見るの。…沢口靖子の困った歌唱に唇をかみしめて。

2020. 7. 12

それでもCMを観ながら♪そして僕は風をあつめて〜とつい口ずさんでしまう。映像と楽曲の自然な溶け合いがいい。ローラの”ガンバラナイけどいいでしょう”も良かったな。才能ある方、拓郎の曲発掘しイイ感じのCMを作ってくれ。インドカレーのCM”君の欲しいものはナンですか?”みたいな>最低だろ

2020. 7. 13

月一のペースに馴染んできた。前は一週間、今は一か月間が終わりに近づくにつれ人生がツマラなく辛くなってくる。ライブでもありゃ別だが。そこで次のラジオで持ち直しまた生きてゆく。マラソンの給水所か。じゃあレギュラーがない時はツマラなくて辛いだけの人生だったのか。はい,そうです。

2020. 7. 14

映像は散々観たので放置していたつま恋'75のCDを聴く。リハ以外はステレオ音源。音で聴くとまた違う。"襟裳岬"のおだやかで心にしみいるボーカル。そしてそれをやわらかく包み込むようなキーボードとスライドギターの織り成す見事なサウンドに思わず”松任谷、ああ松任谷、松任谷”と一句読む。
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2020. 7. 15

つま恋75はビデオだと映像に気をとられる上に声は酷使されボロボロな印象だがCDで聴くとやはりいい声,いいシャウトだと再認識。"たどり着いたらいつも雨降り"とかFM東京で流した他の曲も是非お願い。今お昼の時点でオールナイトニッポンのブログは6月放送の告知のままだが大丈夫なのか、もろもろ。

2020. 7. 16

ラジオの公式blogが5月のままだと情弱な私は心配になる。拓郎は調子悪いのかな?とかどうせラジオ局は四千頭身の方が大事なんだろ,とかロクなこと考えない。まぁ普段からロクなもんじゃない私だが。嘘でもいいから"波乱の展開,次号を待て!!"みたいに盛上げ,永すぎるの1か月の心の隙間を埋めとくれ。

2020. 7. 17

東京発着除外なんて言われなくとも今は旅行に行かないよ。昔"23区コンサート東京旅行"なんてツアーがあったが小室氏はこんな日を予想してたのか(爆)。その東京内旅行すら危い。今はいつか拓郎が歌うために出立する旅を静かに待とう。とにかく皆様ご自愛他愛専一に,その日まで元気でいましょうぜ。

2020. 7. 18

 今日はラジオの感想文を書く日だったがまだ半分くらいしか聴いていない。
 正直に言うと聴くことは聴いたのだが、あのラストライブの話の後ではサザンの話も巨根男の映画の話も頭に入ってこなくなった。気が付くとエイミーが歌っていた。

 イヤ、もっと正直に言うと、ラストライブの話のあとでは、サザンが客観的にいかに素晴らしかろうと、すまんが、そんなことは私にはゼロだ、どうでもいい。あの話のあとにサザンの話を楽しんで聴けるほど私は人間ができていない。
 ”人を惹きつける”、”たよりになる天性のタフガイ”、”バラードの天才”、”後にも先にも彼しかいない”、桑田がそうだとしても、そのすべての真骨頂は吉田拓郎に決まっているじゃないか。なぜ誰も言わん。拓郎さんのバラードはホントに世界一ですよね、唯一無二です…って言えるプロフェッションはこの世に田家秀樹と重松清以外にいないのか…と例によって哀しみが理不尽な怒りに転化して頭に入らなくなったのだ。

 私信だけど、老舗サイトの貴君が書かれていた卓見のとおり去年から続く今年こそが適時だったんだね。
 でも、今はひたすらに来年の初夏のことを全集中で祈りたい。もしそれが不幸にしてダメになったとしても、そこから先はその時考えてほしい。今からダメだった場合の再来年以降のことを決めないで。ほら「一歩ずつ」と言ってたのは拓郎自身じゃないか。難しいことは一度にひとつまででお願いしたい。

 ということで今日ラジコで聴き直して明日あたり書くことにしよう。
 がんばれ、かんばってくれワクチン!

2020. 7. 19

オールナイトニッポンゴールド  第4回 2020年7月17日

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 こんばんは吉田拓郎です。毎週金曜日週替わりで今日は吉田拓郎です。自由気ままにお付き合いください。

 前回、最初の30分話し続けたようだが、もともと始めると止まらなくなってしまう若者だった、だから朝までやるよというライブまでやってしまうんだ。

<拓郎さんのベランダをまねて植えた"るりまつり”と”ランタナ”満開という投書>
 あの花は"るりまつり”と”ランタナ”という名前をもう忘れていた。実はうちのベランダも咲き始めていて、これなんて名前だっけ?って奥さんに尋ねても彼女もわからない(笑)こういう花から吉田拓郎の“季節の花”を聴こうと思うのがいいファンだ(笑)。

<一曲目「たくろうちゃん」はどうだろうと気づいた、まさに宇宙人のような拓郎さん、ラストライブなのにレギュラーが始まったり、ブログを停止したり、まさに宇宙人の技という投書>
 これ全然予想しなかったし・・・歌うよ、遠藤賢司とやったんだよな。

 ♪僕は遠い星の国から一人で
 チョイト 地球へ遊びにやってきた
 ムロン魔法のツエに乗ってサ
 ほんのチョイト遊びに来ただけ
   かっこいいだろう
   どこかのボンボンみたいな
   たくろうチャン

 いつか僕の国から
 迎えがやってきて
 早くお帰りください王子様 なんてネ
 魔法のツエをひとふりしましょう
 地球に何かおみやげを残しましょう
   かっこいいだろう
   どこかのボンボンみたいな
   たくろうチャン♪

 どうだ、ロックンロールだ。最初バンドを板付で入れておいて、最初にドラムそしてギターのブルースコードで始める。俺は、どうやって登場しようか、堂本幸一みたいに上から降りてくるかな。ナイスアイデアだ。

<佳代さんと一緒にゆっくり歩いて行ってください、コーヒーは苦手と言っていたけれど今はどうですかいう投書>
 コーヒーはダメだな。コーヒーが飲めると奥深い世界観があるじゃない。青汁は飲んでるけど。コーヒー味のスイーツは好きなんだけど、コーヒーそのものはダメだ。
最近朝食でヨーグルトを試しているうちに甘味に飽きて、カミさんの食べているプレーンを食べてみたら、本当に(笑)。で、ブルーベリーとかマーマレードを入れたらこれがアンタうまい。ということで毎日続けて、健康的だ。
 
今回もみんな悩んでいるコロナの問題。マイナスもあるが、二人で結果的にプラスに変えている。買い物も量が増えている、買占めではないかというくらい多い。結果的に体重が増えてきた。

<Kinkiのファン、先日もジャニーズのオンラインライブで「全部抱きしめて」を歌った幸一くんが拓郎さんとメールしている話に今も続いている関係に感動しました、ありがとうございますという投書>
 あなたからお礼をいわれても(笑)。二人とは時々「元気かい」というやりとりをしている。幸一は”エンドレスショック”の舞台が延期になってしまった。この舞台の頃にはいつも―ルをしていた。先々週、剛とも元気かいというやりとりをした。
…二人とも40歳過ぎだよ。早いな。こっちが歳とるわけだ
あの二人結婚しませんね。噂の一個くらいあってもいいんじゃないと友人として思う
なんだろうな。ガードが固いのか、真面目なのかな。結婚の「け」の字もない。LOVE2でハワイにも一緒に行った長瀬君なんかはいろいろ噂があったけど、Kinkiはないね。

<拓郎さんの映画紹介が好き、“マダムフローレンス”も早速観た、拓郎さんのご指摘のとおりピアニストの表情が最高でした、一番好きな映画は何ですか、映画評論家になってほしい、どうやって映画をチョイスするのですかという投書>
 映画評論家になれってか。一番好きな映画というのは…。僕は子供の頃から映画は大好きだった。当時は洋画はあまり観てなくて、東映日活チャンバラやアクション映画が多かった。
 高校3年のころから学校サボってダチと映画館の何本立とかで観るようになった。そして大学とかでバンドやるころから、ナンパするようになって(笑)、僕の場合はバンドはナンパするもの。「ねーねー映画行かない」とか、そんな標準語ではなくて広島だから「なーなー こういう映画やっとるんじゃが、行かんかの」(笑)。そして映画館で女の子の手を握れるものなら握って。終わってスナックバーで酔わせて…そういうストーリーが多かった。映画を利用していたな。だから本当はラブストーリーは好きじゃないけどよく観た。まさかギャング映画のあとで口説くわけにはいかないから。
 「映画は我が青春のオープンカー」ハハハいいな。「我が青春のオープンカー」曲のタイトルにしようかな

 映画はスカパーとかで観てマークしている。だいたいが早送りで観て消すのが多いけれど中にはいいモノがある。すると奥さんにも観てもらって、女性目線で訊いてみて、二人の意見があったら番組で紹介するというわけだ。これも”リモート・テレワーク”のおかげかな。


■ 今夜も自由気ままに 吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド。

<わが社の新人に「拓郎」、母がファンだったということで、つい敬語で話かけてしまいそう、拓郎さんの音楽とともにお母さんの愛情に育まれたのでしょうという投書> 
 拓郎って呼びたいっていうのはある。俺なんか子供の頃・・・あれ?僕って言ったり俺って言ったり。瀬尾ちゃんから”拓ちゃん”って言われている。だから拓ちゃんと呼んであげれば。
 最初、広島から出てきたとき吉田拓郎って嫌だったな。同期の西城秀樹、野口五郎、郷ひろみとかジャンルは違ったけれど意識してしまう。「吉田拓郎」というとどっから来たと言う感じで恥ずかしかった。そうなると入江剣とかが良かった。
「よしだたくろう」って最初ひらがなだったな。なんでだろ。いろいろ若い頃のことについては今思うとわからないことばかりだ。何を考えていたんだろう。

 この季節ティーエイジ―だったころを思い出す。みんなもそうだったはずだ。歌詞が出てきちゃった。 2003年だね。

M-1  サマータイムブルースが聴こえる   吉田拓郎

(CM)
とにかく僕たちミュージシャンスタッフ音楽関係者は笑顔のない日常を送っている。これがいつまでも続くのか。先が読めない毎日でみんな各々模索を始めて、ネット配信 、パブリックビューイングとかいろいろ試みている。
 僕たちの仕事で最も恐れるのは密な状態を作り出してはならない。最悪の状況を作りだしてしまう、感染の恐怖を作り出すような愚かな行為はしてはならない。

 もともと70年代で初めてコンサートツアーというものを始めた。挑戦だった。それまでは、みんなテレビで知名度を広げて売っていた。テレビに出て宣伝等で名を広げる、そこにはお金のチカラも必要だった。
ところが僕らは「テレビ出ない」というのをシンボリックにして、コンサートツアーで音楽を広めてゆく方法をとった。全国ツアーも一般化して、それもだんだんと普通になってきた。
 それが今になってこの新たなる試練の中で、ネット配信とか時代に即したライブの在り方を模索しているところだ。
僕は古いタイプのアーティストだから、僕にはコンサートツアーの感動・興奮・満足
がある。客席の拍手こちらも応じながら瞬間、瞬間の反応のテンションで歌うという感じ。それが僕の好きなライブでありコンサートツアーだ。
 実は僕は来年の今頃初夏に大阪、名古屋を含めたコンサートを  企画してミュージシャンスタッフを確保している。 今のこの状況が解決されてるのかどうか。黒に近い灰色という感じだ。

 このライブですべてのツアー、コンサート・ステージから降りよう、去る、終了するつもりでいる。もうステージには立たないという決心をしている。

 アルバムはどうするのかといえばこれも大問題。レコーディングですらどうなるかさっぱり見えない。いくら新曲が出来て、ミュージシャンを呼んでレコーディングというわけにはいかない。レコーディングスタジオは、最大の密を作り足す場所ですからレコーディングは出来ない。これまでどおりスタジオにバンドが集まってはでくない。リモート、コンピューターとかやらなくてはならない。僕のやりたいレコーディングはしばらくはできない

 来年断念せざるを得ないとなった場合、じゃ再来年ならどうなんだというのは僕にはあり得ないです。年齢からしても考えられない。どんなアーティストだって一年半以上前からミュージシャンや会場やスタッフを確保しなくてはならない。再来年の僕は76歳。再来年のステージを予約するなんてとても想像もつかない。来年中止と決まった段階で僕のコンサート活動は終わるんだなと思います。予想もしなかったエンディング。これも時代なんだと覚悟をした

 もちろん来年までにこの問題が解決して予防も対策も万全ということであれば、吉田拓郎のアウトロエンディングツアーは是非やりたいし、念願だった大阪でもお別れしたい。会場もミュージシャンも押さえてある。どうするかは秋頃に結論を出さなくてはならない。

 今は、毎日家でセットリストやステージング、ステージ衣装とか最後だからおどかしてやろうとか考えている。

(CM)

サザンオールスターズこの一曲
<地元茅ヶ崎のライブの一曲目「希望の轍」、サザンファンの主人につきあって行くが、私がファンの拓郎のライブにはひとりの女子としていきたいので夫の同行をやんわり断っているという投書>
 湘南のイメージは強いね。夫婦でいい組み合わせですね。ご夫婦でコンサート
に行くのはいいね。

 サザンとはそれなりの縁は感じている。原坊からは昔に手紙をいただいたり、関口君はウクレレの第一人者でハワイでも演奏している。僕も最初の楽器はウクレレでハワイも好きだし、ドラムの松田君は、LOVELOVEで一緒だったし、アルバム「みんな大好き」も手伝ってもらっている。桑田君とのつながりはいろいろ語ってきたとおりだ。

 先日のネット配信も観たけれど、あれはサザンだからできたのだと思う。サザンという。サザンというバンドと桑田佳祐は唯一無二のものだ。ロックとかJ-POPとかそういう次元ではない。
 音楽は好き嫌いだし、サザン嫌いもいるし、それを言うなら吉田拓郎大大大っ嫌いという人もいる。かつて福岡のライブの後で、中洲のバーに入ったらマスターに「すみません、拓郎さんのこと嫌いなんですがいいですか」といわれた。暗に出ていってくれということか。

 そういう好き嫌いをひっくるめて今やサザンは、唯一、ハイ、サザンです、ハイ、桑田ですって正面玄関から受付を通さずに入ってゆく、受付の子もそれを笑顔で見つめているという感じ。わかるかな。 

<”勝手にシンドバッド”中一のころに衝撃という投書>
 僕は彼らをはじめて観たとき、新しいアーティストというのがいろいろ出てきていた、次の世代のポップスの連中がいたけれど、みんな誰もが70年代の誰かとちょっと似ていたけど、サザンだけはおまえらどっから来たんだよという感じだった。吉田拓郎だって、どっかボブディランみたいだった。
 でもサザンは急に振ってきた雨のようだった。嬉しくて気持ちよかった。こういうのは今までなかったなとびっくりして嬉しかった。それにしても当時はここまで王道になるとは思わなかった。サザンの前にも後ろにも誰もいない。孤高のザ・ジャパンだ。

<デビュー記念日のライブ配信で最後に歌った”みんなのうた”が好きという投書>
 桑田佳祐はタフガイだね。石原裕次郎みたいな。もちろん風貌は似ていないけれど同じようなイメージを感じる。裕ちゃんも人をひきつける先天的魅力、どこかたよりになる、彼ならやってくれそうと思わせてくれる。 歌わせるとバラードなんて痺れる。痺れるって、古いな。

<拓郎さんは79年大晦日に1979円というライブがあった、翌年、田園コロシアムでサザンのライブを観た”恋はお熱く”、桑田さんのバラードが大好きですという投書>
 先月、矢沢永吉の特集で永ちゃんのバラードうまいな天下一品だな、といったが、桑田君のバラードもうまい。双璧だな、二人肩を並べる。

”いとしのエリー”。 軽くさらっとバラードを歌えるところ、これが桑田の・・・呼び捨て。

<匂艶ザナイトクラブのB面に”走れ!!トーキョータウン” 日産パルサーのCMソングで自分も乗っていた、という投書>

「匂艶」ってなんだよ、桑田の造語だな。そこにまた「ナイトクラブ」なんて疼くーかせるんだな。

<"夕方Hold On Me”で日産スタジオで雨の中歌われた、サザンは雨が多い、拓郎さんは必ず晴れで太陽のイメージという投書>

 サザンは、雨男がいるのか。雨女だと一人だしね。ドラムの松田じゃないかという気がする。僕は晴れ男です。嵐が来ていても必ず晴れる。

■11時

愛子さんのひとこと
♦私はお掃除が好きではないのですが、気になることが多くて一日中家をきれいにしています。お料理もなぜだか頑張っています。でも私は本当にこんな女だったでしょうか。♦

<チャコの海岸物語、カラオケで付き合っていた男に下手だといわれて別れたという投書>
 そういうヘナチョコとは別れてしまいなさい。この”チャコ”というのが、どっから拾ってくるか。ビクターの飯田久彦という歌手を悲しき街角とかルイジアナママとかよく見ていた。この人がチャコ。この人という説もある。この人がインペリアルの社長になるというときに、僕はちょうどフォーライフを辞めた時で、どこに行こうかと思っているとき「ああ飯田さんが社長になるんだ」とニュースで知り、直観で思った、元歌手が社長になるというのが自分とダブった。いいじゃない、軽くて。そこでインペリアルに入る。でも飯田さんは今度はエイベックスに移籍する。俺は残されるのは寂しいということで、後半はチャコとともに生きると決めた。だからサザンとは遠い縁がある。


<いとしのエリー、岡山のコンサートの終了後にザ・ベストテンの収録があったという投書>

 ザ・ベストテンか懐かしいね。黒柳さん。久米さんとかな。僕は、テレビで歌うのは拒否反応だったからね。それこそシンボリックだったし。でも吉田拓郎としては、スペシャルで扱われるのならオッケーだった。30分だったらいい。イメージの詩ちょん切られたら嫌じゃないか。その後、夜のヒットスタジオとか出たけれど、どうしてもテレビはテレる。 サザンはガンガンテレビで歌うイメージがあったし、テレビを楽しんでいた。こっちはテレビ拒否がセオリーだったからな。

<いとしのエリーをカラオケで他の女の名前で歌うと失敗するという投書>
 あったりまえだ。ただ一人のエリーのため。だからいいんだから。

“いとしのエリー”歌う。・・・ダメだ。あの人は軽いロックバラードがうまいな。

<ハスキーなバラード”いとしのエリー” とらえどころのない人がちよっとだけ心を開いてくれたような感じという投書>
 うまいな。鋭いな。いい音楽評だな。その他にも”マツダの子守歌”とかマニアックな曲のリクエストも多い。

M-2 いとしのエリー    サザンオールスターズ


 さて来月は「演歌」を考えてみたい。若いころ、花鳥風月、日本酒とか演歌の世界は苦手だった。森進一に「襟裳岬」を書いたときトランペットにびっくりしたけど、あのイントロ演歌としては無二なんだな、あれしかないなと思うようになった。

 演歌というのはディランから始まった僕には相対する場外な感じだったな。でも年齢とキャリアは人を変える。心を開いて 演歌この曲を教えてください。僕は一曲だけど、「骨まで愛して」ではない。心にひっかかる演歌一曲。


 さて吉田拓郎が選んだサザンオールスターズこの一曲。お世辞抜きに桑田節受け止めやすい。最後に三曲残った。

 “東京VICTORY”
 “波乗りジョニー”
 “愛はスローにちょっとずつ”

 “波乗りジョニー”は、ブルース・スプリングスティーンを彷彿とさせる。捨てがたいけれど、そうはいいつつもこれこそ桑田ワールドなんだ、桑田節なんだということで。こういうの曲作りも歌もうまいな。ボーカルが円熟だな。吉田拓郎が選ぶのは…


M-3 愛はスローにちょっとずつ  サザンオールスターズ


(CM)
 さて映画です。
 ポール・トーマス・アンダーソン監督、「マグノリア」「ファントムスレッド」など個性的な作品を監督した。淀川長治か小森のおばちゃまか。
  77年のロス郊外を舞台とした「プギーナイツ」という映画。
 主演のマーク・ウォールバーグは、「猿の惑星」とか「ディパーテッド」「テッド1,2」とかで有名になるがまだこのころは若い17歳の高校生を演じている。17歳の皿洗いの若者。エディは自分のモノがとてもでかいのに自信があり、人に見せたりして金をもらっていた。ここからが面白い。誰でもひとつはとりえがある、天の恵みということで、ポルノ映画監督のジャック(バートレイノルズ)から「君のジーンズの股間には宝が眠っている」と誘われて映画監督の家に移り住み、男優となる。
 監督の家はいろんな有名人が出入りしてドラックありの危険な雰囲気で。ジャックがエディに対して、「ダークディグラー」という芸名を与える。

 本番初出演の時、監督の奥さんでもある相手役女優、これがジュリアン・ムーア 「アリスのままで」とかで有名だけど僕はあんまり好きじゃないけど(笑)その絡みのシーンで、「サイズを見せて」というとむエディがファスナーを下ろして、映画撮影スタッフ全員がエディのそこを観た時の表情がもうたまらない。
 フィリップ・シーモア・ホフマン「リプリー」とかで怪演している俳優、ジョン・C・ライリーは「マグノリア」とか「パーフェクトストーム」とかで名演、それからドン・チードルとか後にハリウッド代表する俳優が脇役にいる。彼らの顔のアップの演技が見事だ。笑わずにいられない。
 撮影が終わると「もう一回やろうか」と余裕を見せる。そんなエディは成功してジャックも含めてポルノ映画界の賞を総なめにする。「そそりたつ活火山」と評される、欲が出てきた監督らは、007のような世界を股にかけた映画を目指す。そこで図に乗ってしまう。
 時代はやがてビデオの時代になるが、ジャックもエディも映画にこだわる。80年代になるとポルノ映画が苦境に立たされる・パーティでエディに新人が紹介される。エディはもう古株になってしまっている。やがてドラックに浸り、ジャックともいろいろもめてクビを宣言される。音楽でもやってみようかという。「音楽を舐めるな」と思ったよ。そのとおりうまくいかず、通恋人相手にみだらな行為でお金をもらうという最初のころに戻ってしまっている。
 やがてエディは監督に謝り、監督夫婦はそんなエディを暖かく迎える。さぁ三人はどうあなってゆくのか。

 エディの役は、最初レオナルド・ディカプリオが予定されていたが、タイタニックの撮影があったので登板できなかった。それでマーク・ウォールバーグに決まった。しかし、彼は実はこの作品はいい作品だけれど、子供が四人いる彼には、ポルノ男優の役はまずかったかと後悔している。
 反対にディカプリオは、この映画に出られなかったことを人生の失敗だと後悔しているらしい。人生はわかんないもんだな。
 バート・レイノルズは、この映画が終わってからマネージャーら全員をクビにしたとのことだ。いろいろ監督と喧嘩したようだ。

 “ダークディグラー”は実在の人物。ジョンCホームズ。俺も知ってる。70年代初期に有名だった。巨大なそれが売り物だった。僕もポルノ映画は現地のロスの映画館で観た。映画館の中は、穏やかで普通だった。女性も少ないけれどいた。

 有名なポルノ映画としては次の三作がある。

 「ビハインド・ザ・グリーンドア」
 「ディープスロート」 
 「ミスジョーンズの背徳」

 名作の誉れ高かったのでLAの映画館で観たな。70年代に税関すり抜けて輸入して、コピーが出回っていた。

 さて、ブルース・スプリングスティーンは、かつてアメリカを鼓舞していたが、年月が経って心優しき穏やかなロックンロールおやじとなった。歌詞が「僕は晴れる日を待っている」「雲を追い払って待とうよ」疾走する男から心穏やかにと変わってゆく。

M-4  Waiting on Sunny day ブルース・スプリングスティーン

 男は一般的に頑固ものなので変えようとしない。変えたほうが素敵なものは変える余裕が必要。例えば下着。日本男子は古くはふんどしだった。鹿児島のころ、父と銭湯行くとふんどしは子供心もマイった。素敵なファッションだと思うけど、父を好きになれなかったのは銭湯のふんどし姿だった。横からごそっと見えるのがつらかった。子供ながらに目のやり場に困った。キリっとしまったふんどしならいいが。パンツや下着にこだわっているかどうか。たかが下着と構わない人はダメ。大切な場所を大きかろうが小さがろうが守ってくれるのをないがしろにしてはいけない。下着をこだわる人の多くは経営者役員に多いらしい。
 僕なんかでも歳はとっても下着にこだわりはある。気をつかっていきたい。

 次回放送は8月14日。演歌、わたしのこの一曲を募集します。


M-5 ビトゥイーン・ザ・チーツ    エイミー・ワインハウス

 お相手はここまで吉田拓郎でした。

■エンディング


☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆公式ブログが5月のままで更新されていなかったので多少不安があった。SNSをやっていれば情報は流通しているのかもしれないが、情弱の自分は、なんか見捨てられた番組みたいで寂しい。だからちゃんと更新しといておくれよ。

☆”たくろうちゃん” カッコええなぁ。何よりボーカルがしっかりとしていた。テレワークでひそかに歌ってるんだなと思った。

☆さて、今日の放送の核心は、来年のラストライブについての明言に尽きる。もちろんこれまでの歴史から吉田拓郎の「最後」は伝統芸能みたいなものであって、本当に最後なのか訝しむ気持ちもある。本当の最後は神のみぞ知るところだが、吉田拓郎の「最後」には、2種類ある。ひとつは切実な魂が言わせる最後ともうひとつはその場の勢いと気分でテキトーに言ってみせる最後である。今回のは明らかに前者。過酷な状況と迫りくるか加齢とのせめぎあい中で切実さが言わせた最後である。だからこそ重い。だから何度目かの「最後」の船に乗るしかない。

☆とにかくとにかく来年のライブを全力で祈念しよう。多分大丈夫だ。それがダメになった場合は、その時にその状況にいる吉田拓郎が考えてほしい。今から再来年以降のことまで烙印押すように決めてしまうことではないと思う。いつだって考えられないことをやってきたのが吉田拓郎だ。いやだからって無理にやってくれとは思わない。拓郎も言う通り一歩ずつ。一歩先に進んだその時の吉田拓郎に決めてもらいたい。

☆というショッキングな話の後でヘタレの私は、サザンも巨根の話も吹っ飛んで頭に入らなかった。♪おちんちんもますますしぼんでゆく…という感じだ(爆)。
 もともとサザンは好きではないが、でも拓郎のいうとおりもはや音楽会の巨星であり、世代のシンボルであることは俺なんかが言うまでもない。そりゃあ不世出のミュージシャンでしょう。褒賞もいただいたし。
 しかしそれよりもなによりも誰よりも吉田拓郎なんだと魂の底から確信しているから拓郎ファンをやっているのである。

☆とはいえもう一度ゼロの気分でradikoでサザンを絶賛する拓郎を聴きなおしてみた。しみじみと思う。サザンそのものよりも、吉田拓郎のサザンと桑田佳祐に対する愛し方、敬意の表し方が実に素敵だと思った。吉田拓郎という人が音楽と音楽家に対し、どれだけ鋭い直観と深い音楽愛を持っているかが浮き彫りになっていた。

☆79年サザンがデビュー間もないころから吉田拓郎はラジオや至る所で桑田佳祐を絶賛していた。あの頃の拓郎って、他の音楽に対しては基本的に攻撃的で毒舌塩対応がデフォルトだった。そんな拓郎が、手放しで自分に縁もゆかりもフォーライフの新人でもない若手の新人歌手をかくも大絶賛するのは異常なことで結構驚いたものだ。
 自分たちとは全く違う予想外のところから突然現れた才能、あふれるスピード感、バラードの絶妙なうまさ、テレビ拒否ではなくテレビに出て行ってテレビを壊してしまう凄さ。当初から拓郎は今と変わらず的確にサザンを評していた。全然評価がブレていない。そのまま深化している。
 そこには天下の吉田拓郎という自分のプライドとか沽券とかそんなものは全く関係なく、真摯にその音楽の本質を評価し無条件で愛している。自分をゼロにしてその音楽を評価している。私のような俗物にはとてもできることではない。

☆それに吉田拓郎は、番組でのセレクトにあたって、サザンと桑田の最新の曲たちを聴いて、桑田の今の歌を感じようとしていた。いとしのエリーや昔のかつての名作ではない。”今日までそして明日から””イメージの詩”だけで吉田拓郎を語ったりしないのと同じだ。今の彼の歌をキチン聴くという姿勢を徹底して見せた。そこに深い敬愛がある。

☆こうしてファンの私が歯がゆく悔しくなるほど拓郎は自分を捨てて桑田を絶賛する。俺だって、俺の音楽は、という対抗心がまったくない。
 西田幾多郎先生の言う「自我を捨てて相手とひとつなろうとするとき、他人をそのまま感ずるとき、このとき人は他人を愛しつつあるのである。」という言葉を思い出した。
 吉田拓郎は生粋の音楽家なんだな、本当に音楽を愛しているんだなとつくづく思ったのである。

☆でも俺の場合は話が戻る。そんな拓郎を的確に評価してくれよ。拓郎が桑田を愛し評するように誰か拓郎のことを愛し評してほしい。フォークの神様とかそういう薄っぺらなレスペクトは聞き飽きた。
 吉田拓郎のバラードとブルースがどんなに心にしみるか、魂に満ちているか、拓郎のロックがどれほど扇情的か、俺みたいなイカレタ一般Pがいくら書いたところでほぼ意味もない。音楽を知り、音楽を愛するプロフェッションがしっかり語ってほしいのだ。”人を惹きつける”、”裕ちゃんのようにたよりになる天性のタフガイ”、”後にも先にも彼しかいない”、それこそが吉田拓郎であると。

 そんなものはいらないと奥ゆかしい拓郎は言うだろうが、拓郎もこっちも早晩消えてしまうはかないものだ。旅を終えんと切実な決心を結ぶこの男がいかに不世出の唯一無二であるかしっかりと残しておくれ。人類の歴史と文化はそうやってつながってきたのである。

☆今日の森下愛子さんチャーミングでしたね。素敵でした。

☆拓郎は俺は晴れ男だと言ったが、83年の後楽園球場サントリーサウンドマーケットはどうなんだ。…いやあれは南こうせつが雨男なんだろう。

☆ファンクラブでオサレな公式t.y下着とかを売っとくれよ。必ず着るよ。

☆サマータイムの間奏のエルトン永田のピアノは何度聴いてもいいな。

☆☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆☆
 サザンと桑田を語る吉田拓郎の姿を通じて、老いてもなおそそりたつ活火山のような吉田拓郎の魅力をあらためて心に刻む。

2020. 7. 20

そうはいいつつも“東京VICTORY”,“波乗りジョニー”,“愛はスローにちょっとずつ”等を聴いてみた。珠玉だね。拓郎のバラードこそが至高と思ってるが、ここは矢沢、桑田、吉田でバラード御三家ということでひとまず手を打つ。増えたら四天王、五大明王、六人衆、七人の侍…バラード48まで対応可能。

 御意、できることなら私も喜んで吉田拓郎の花道の石ころのひとつにならせてもらうよ。

三浦春馬は拓郎と同じ4月5日が誕生日だったんだね。何故なんだと詮無く思う。映画「永遠の0」で祖父の足跡を旅する主人公が良かったな。作者は嫌いだけど。あ、これも主題歌は桑田佳祐だったか。

2020. 7. 21

桑田・長渕"すべての歌に懺悔しな"事件の時、拓郎は「桑田君は何を歌ってもいいんだよ」とインタビューで答えたのを思い出す。「お、長渕ではなく桑田の味方するんだ」と一瞬思ったが、加勢する感じとは違い,もうちょっと静かな深い心根が覗いていた。だから吉田拓郎さん…いい人だと思います。

2020. 7. 22

 黒に近い灰色という来年の初夏の話はやっぱりこたえるな。気分をアゲようと頑張るが鬱々の沼にハマる。私は恥ずかしい人間だから、拓郎を必要としないなんて言えないし、自立したファンにもなれない。自分こそ迷惑なファン=罪人のひとりさぁぁ。例えば"すぅいーとるーむばらっど"を聴きながら「なーにが矢沢と桑田の双璧だ、世界一の愛と哀しみのバラードがココにあるじゃねぇか」…と周囲の顰蹙を買いながら独りで飲んだくれたい。それすらも難しい今の世の中だ。
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                (著者近影)

"あてなどない旅路を照らすは月灯り”(吉田拓郎の唄2003)、ううむ、いいフレーズじゃねぇか。

2020. 7. 23

 静かにステイホーム。なので、ロクなことを考えない。

 なぜ前回のラジオでこんなにも気持ちが落ちてしまったのだろうか。かつてNHKで坂崎幸之助が拓郎に「(拓郎さんの「最後だ」発言)そのたびにファンも信じて大変でした」というと拓郎は憮然として「それはその人の問題です」と答えた。まさに私の心の中にこそ問題があることに間違いない。昨日、知り合いの拓郎ファンにカウンセリングしてもらってよくわかった。
 とにかくこういうときは忖度や虚飾なく自分の心を正直に見つめたほうがいいと諭された。

■バラードの天才
 「桑田と矢沢は日本のバラードの天才、双璧だ」と拓郎は絶賛した。「バラードの天才は吉田拓郎だ」と固く信ずる私は当然面白くはない。面白くないけど、そんなことで落ち込んだりはしない。ショックだったのはそのあと生歌で歌ってみせた「いとしのエリー」が本当に下手くそだったことだ。職場の上司のカラオケ聴かされてるみたいだった。その直前の”たくろうちゃん”がなかなか良かっただけに切なかった。「いとしのエリー」みたいな曲って、なんとなく拓郎って自分流にあっさりカッコよく歌えちゃうんじゃないかと思ってたのよ。ラジオ聴いている桑田ファン、どうだ恐れ入ったか、とマウントする心の準備をしていたのだが…ダメじゃん。被害妄想の私には「しょせんフォーク歌手にエリーのようなバラードは歌えないよな」という世間の心無い声なき声が渦巻いた(爆)。
 おい、他人のバラードを褒めてる場合かと私の心はかきむしられた。もちろん単なる即興の歌唱にすぎない。拓郎の言う通り真実はステージにある。御意。しかし、それを証するステージ自身が、限りなく黒に近い灰色にかすんでしまっているんだよ。切ないじゃないか。

■さよならコンサート
 そのライブに向けて命がけ不退転の決意を結んだ拓郎は凄い。大阪でお別れしたいというその気持ちにも涙ぐむ。その花道を同志たちとともに私も全力で支持する。
 しかし、しかし、である。「ラストコンサート」、「さよならコンサート」…その実はそうであったとしても、それは私たちの心の中で深く了解していればいいので、そんなタイトルは銘打たないでほしい。それは超絶個人的だが、私の少年時代の勝手な刷り込みにある。
 フォーライフマガジン1977年7月号の拓郎のインタビューだ。この時は拓郎はフォーライフの社長に就任し経営に専念するのでステージから去ると言っていた。そう昔からあったのね。
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 私は断じて昔のインタビューをつきつけて、こう言っただろうと言質をとって責めているわけではない。このインタビューの精度もわからない。しかし、この時の「醜悪」という拓郎の言葉が少年だった私の心に深く刷り込まれてしまっている。例え本当に最後であっても、だったらなおさら美しくカッコよくいてほしいと魂の底から思う。どうしても「さよならコンサート」という表現には「あなたがそれやるんですか?」という抵抗感があるのだ。

 それに昨今、同志の方が言うとおり「最後」「さよなら」という言葉は甘美なバイアスをかけて何かを覆い隠す魔力がある。観る前から「感動をありがとう」と決まっるイベントみたいで、万が一あのラジオで歌ったいとしのエリーくらいのものが出てきても、最後じゃないか、お疲れ様と賞賛してしまいそうになる。それはライブでなく慰労会か謝恩会である。

 やはりそれが切実なる最期であっても、私は2021年の至高の全力ライブを観たい。最高のバラード、シャウト、ブルースが観たい、聴きたい。もはやそれらは過去か私の妄想にあったものなのか、それとも2021年にも経年変化しながらも厳然と生きているものなのか。そこをあいまいにしちゃイケない。「最後」「さよなら」というタイトルはあらゆる意味で美しくなく最後の最後にダサいとしか思えないのだ。
 
 それに「最後」と銘打つと、きっと昨年と同じ「そーか最後なら昔好きだったし見とくか」という方々が諸人こぞりて状態となる。イヤ、そういう人は見に来るなという意味ではない。しかしチケット争奪戦が熾烈を極めることは確かだ。今はいろいろ元気なファンクラブだけど昨年は自分も含めて全落ちだったなとの会員が結構いたなと、あらためて怒りと悲しみをこめて振り返るのだ。そう、血か涙かチケットを見るまで終わらない闘いの始まりでもある。

 …今日はこのくらいにしとこう。ということで連休のステイホームで"小人閑居して不善をなす"シリーズの続き、「ファンクラブという名の隘路」〜"T’s slectionって選ぶのはそっちじゃねぇよ"にたぶんつづく。

2020. 7. 24

 ファンクラブについては昨日書いたことに尽きるかな。ライブはもう最後だからとあまり考えなかったけれど、昨年のコンサートチケットはファンクラブ、一般発売、プロモーター会員発売、関係者チケット等、配券の割合はどうだったんだろうな。例年と違って、自分はファンクラブは全落ちだったし、私が知る限りのファンクラブの会員の方々もボロボロの大苦戦で憂き目を見ており、僅かに当選した方も2階席という感じだった。
 「最後だったら観ておくか派」の大激増だったのか。あるいはアイ・ヘイト・ユーな俺のようなファンも巣食っているファンクラブの配券割合そのものを低下させたのだろうか。

 しかしイヤモニと音響のせいになっているけれど、昨年のフォーラムで観客のノリが悪いと拓郎が怒って、もう東京ではやらないとまで言ったことを考えるとやはり配席バランスが悪かったんだろうな。長年のファンクラブ会員だったあいつもこいつもどいつもフォーラムの一階席にいたらもっと雰囲気は違っていたはずだ…と思うよ。もちろん”最後だったら観ておくか派”は来るなよというわけではない。ファンクラブだけで独占してしまうという覇権主義も空気が澱んでしまう。
 とにかくそんなに観たい人が大激増したのだったら、もう単純にキャパを増やしてくれよ。特に最後だったらなおさらいいじゃん…と思う。もうソーシャルディスタンスたっぷり確保して東京ドームで決行だ。…雑か。
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 ともかくファンクラブとチケットの隘路、来年ライブがありそしてファンクラブが続く以上は是非とも考えとくれよ。

 そのうえで、最近まで運転免許更新の時にどさくさで加入してしまう意味不明の"交通安全運転協会"と変わらないなと思っていたTYISだが、拓郎の強力なテコ入れによって昨今の会報の刷新、オリジナルグッズの深化、そしてもしかするとさらなる発展があれば超絶嬉しくありがたい。
…たださ、今までいくつかの公式ファンクラブで拓郎のテコ入れが何度かあったけれど、どれもあんまり長続きしなかったのが心配だ。ファンクラブを作っては解散する…をくり返してきたイメージがある。そりゃこちらファンにも問題あっただろうし運営も大変だろうけれど。

“そこに入れば彼は来る”いつも静かにそこに於いてあるフィールド・オブ・ドリームスのようなファンクラブでいて欲しいと思うよ。意味わかんないけど。

2020. 7. 25

 コンサートは1年半前からすべてを押さえるのか。うーむ大変なんだな。それでもシロウトだから平気で言ってしまうけれど「おい俺は来月あたりライブで歌いたくなったぞ」…ということで歌えてしまうような方法論とかはないものだろうか。ないか。「来月ですね、ハイ喜んで!!」で使えるスタジオと会場、拓郎が好きでたまらないので馳せ参ずるミュージシャンたち。簡単じゃないだろうけどすべてゼロではないような気もする。

 "ラジオでナイト"でミュージシャン付のスタジオであるモータウンの話をしていて「島村、エルトンどうしておまえたちは観音崎スタジオに住まないんだ」と言ってたのを思い出す。住んでくれないかな。オレいつでも仕事辞めて管理人します。

 現役最後のライブといわれた85年つま恋の翌年"サマルカンドブルー"のbooklet"TAKURO"より。
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こういう坂崎が好き。弱っているときに読み返すとそれだけでちょっと涙出そう。そう、みんな押さえといて押さえといて。レスペクトは態度で示してちょーだい。

2020. 7. 26

有名な東京ドームホテルの最上階の歴代後楽園・ドーム公演アーティストのパネル。
時系列に並んでいるのだがその組み合わせがあまりにシュールだ。
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アルフィー、ミック・ジャガー、ハウンド・ドック、ボウイ、美空ひばり…ってすげえ。寿司、ラーメン、カレー、パスタ、そば、ハンバーグ…メニューなんでもありのドライブインのお好み食堂もかなうまい。
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オフコース、われらが吉田拓郎、アルフィーと続くとなんか壮大な親戚の法事みたいだな。

ただ眺めているだけで時間を忘れてワクワクしていられる僕の大好きな場所だ。

2020. 7. 27

インスタやりたいのか?いえ違います。”♪馬鹿ね,馬鹿ね,よせばいいのに〜いつまでたってもダメな私ね〜”敏いとうとH&Bの"よせばいいのに"が脳内に。そうだ,コレを次の演歌特集に送るか。イヤ,コレは演歌でなくムード歌謡かもしれん。不毛な悩み,吹く風に追われながらああそれだって,よせばいい。

2020. 7. 28

 ちょっと前に居酒屋でいただいた昔のタブロイド紙バックナンバー。2006年のつま恋前の頃の吉田拓郎のインタビューが載っていた。あ、森雪之丞もいる。

「ミュージシャンをやっている限り第二の人生はない。病気を患ったり声が出なくなったりして人前で歌えなくなったりしたらそれこそそこで引退でしょ。だから第二の人生はなく引退だけがある(略)つまり第二の人生をどうする?なんて言ってる余裕はミュージシャンにはないんです。」

 今読むと今なりに切ないな。ファンの俺にも第二の人生なんてないよ。

   ♪次に誰か好きになっても、あんなピュアに愛せないわ
    一番キレイな風に吹かれて歩いてたから
                  (松田聖子「蒼いフォトグラフ」)

  なんか俺が言うとキモイだけだけど、そう、まさにそうなのよ松本隆。
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2020. 7. 29

西田幾多郎「花を見る時に,花弁は何枚あるか,といふやうなことをいくら正確に数へても,それでは真実の花の生命に触れているのではない。我々は花とmitleben<共に生きる>ことによつて花の真相に触れるのである。」…自戒。ところで西田先生。今は吉田翁の「季節の花」といふ良ひ歌があります。

2020. 7. 30

 ♪また雨がふり また風が吹き またウソをつき また夢を見る、また迷っても また探す道、またほほえんで また口ずさむ
…ああもし俺に才能というものがあったら、この歌を使って超絶心に響くCM映像を作るのに。そしてこの歌をもっとあまねくに聴いてもらうのにと切に思う。
 前回のラジオで「(ルリマツリの)話を聞いて"季節の花"を聴こうと思うのがいいファンだ」と口走ったが、何回もこの歌をリクエストしているのにライブで歌わない歌手はいい歌手なのかと問いたい(爆)
 この歌発表当時の某所での自分の日記で「この『季節の花』があれば、大好きだった『わたしの足音』はもういらない」と書いてあった。そのくらい感動していた。でも「わたしの足音」もやっぱり、いります。その「わたしの足音」をいきなりオープニングで歌っちゃう歌手はいい歌手だと思います、ホント。

2020. 7. 31

 “アナタ方は本当に拓郎をわかっていない!のです”
 まったくだ。わかんねぇよ。わかったようなことを書いているこんなサイトだが「吉田拓郎とはわかったようでわからない永遠の謎だ」と最初にabout this siteでお断りしている。よくわからないのが吉田拓郎である。でもさ、吉田拓郎さんも「吉田拓郎」のことかなりわかっていないところがあるよね。そこがまた歯痒かったり、ムカついたり、そしてまた魅力だったりするから、ああややこしい。

 で拓郎は「吉田拓郎はフォークではない」「吉田拓郎は演歌ではない」とよく口にする。確かに吉田拓郎はフォークでもないし演歌でもないと思う。でも、そのフォークや演歌と拓郎の音楽との国境線、これもよくわからない。境界の界標もどっかいってしまってそのうえを樹木がうっそうと茂っている感じだ。
 “夜行列車”も”生きていなけりゃ”も”渚にて”も大好きな曲だが演歌の魂の震撼を感じてしまう。自分だけがわかっていないのかもしれないが。というわけで演歌特集=拓郎の大好きな演歌のカミングアウトというのは、密かに国境あたりの禁断のブレアの森に行ってみるみたいなゾワゾワ感があるのである。

2020. 8. 1

 いよいよ抜き差しならない状況になる。あらゆる人々があらゆる苦境に陥っているが、例えば居酒屋はまた二回目の自粛要請なのか。私なんぞは新参者だが、それでも「本の雑誌」や椎名誠の「私広告」とかで、ずっと憧れてきた新宿の居酒屋さんたちの極北状況を目の当たりにするとどうしたってショックだ。”誰も叫ばぬ夜の街”とはこのことか。何もできやしないがこの世のすべての居酒屋のご健勝を心から祈りたい。

  あなたの望む自由まで奪わない
    あなたの選ぶ人生を拒まない
        でも誰かが泣いている 
          明日を待てない人がいる
         〜今こそその手に小さな勇気をもて
             愛の歌よ風にのり遥かに届け

…うう〜いい歌だな。仰げば尊しわが師の才、詩を書き、曲つけ、やよはげめや。おい。
 

2020. 8. 2

 昔から腕時計がなんとなく苦手で今まで殆ど身に着けてこなかったので昨日は人生で一番腕時計について考えた。当然、こだわりも好みもないし、そもそもアタシにゃセンスというものがない。唯一、憧れたのは子供の頃、草間大作少年のジャイアント・ロボを操縦できる腕時計だけだ。そんな私にもこの時計はなんかイイ感じかなと思える。…還暦だしそろそろ腕時計をしてみようかと思う。遅せぇよ。

 ところで…ショルダーバッグ。“拓郎さんのように「バッグをななめ掛けして」軽やかな足取りでお出かけください”とあるが…本当なのか。
 ワークキャップは昔YMOの細野さんがあんなの被っていなかったか。Tシャツはどうなんだ。昔ユニクロのCMで拓郎が着ていたシャツを俺が着たら肌着みたいなになってしまったのを思い出す。
 イヤ、別にそれでも全然構わないのだ。吉田拓郎と繋がっているという高揚感こそが何より大事なのだ。グッズとは客観的なデザイン・形状もさることながら、一方ですぐれて主観的な心意気でなければならない。その主観と客観がひとつになった純粋経験にこそグッズの真価がある。いみふ。

 だからForeverの腕時計をして、ワークキャップをかぶってTシャツ着てバックをななめ掛けして軽やかに歩く吉田拓郎の写真&動画をアップしてほしい。ああ、やっぱ拓郎はいいな、美しいなって嘆息するような絵である。なるほどワークキャップはあんなヨーダ爺さんより拓郎が被ると格段にカッコいいし、一見シンプルすぎるシャツもだからこそおしゃれだし、ななめがけなんて昔の乗り合いバスの車掌さんみたいだと思っていたけど実は素敵なんだなと思わせてほしい。あ、でも例えばコーラスの人たちやバンドメンバーをモデルにするとかじゃないぜ。そういうの抵抗あるからね。あくまでも吉田拓郎本人の全人格的着こなしじゃなくちゃ。そうしてくれれば俺みたいな拓バカはもうイチコロなんだよ。ともかくブランドを立ち上げたんだ、がんばっとくれ。

2020. 8. 3

 1979年7月7日の吉田拓郎のセイヤングではつい5日前に開催されたばかりだった武道館ライブの音源を放送するということで色めき立っていた。会場の"ローリング30"の音をバックに拓郎がハガキを読む。

 "フォーライフの社員たちからハガキが来てるんだけどウチの会社どうなっているんだろう(笑)。…そのバカな社員の中でも「拝啓 ボクは大の拓郎ファンです」…こういうヤツがいることがホントに甚だしい(笑)「名古屋のコンサートも行きました、武道館も行きました、篠島に行くつもりです。どこへでも行くつもりです。だってボクはフォーライフの社員だもん。」ってバカかぁっ!!宇田川っ!!。「ナンパな社長に従う軟弱の極地」って(笑)…それでは武道館です。"

 ああ、さすがフォーライフには拓バカの極地のような社員がおられるのだなと感動したのが宇田川さんの名前を知った初めてだった。

 それから数年語、拓郎は宇田川オフィスの所属となり、たぶん宇田川オフィスで初めてのコンサートツアーだったSATETO。初日の本番直前に拓郎以上に緊張して顔が強張っている宇田川さんが拓郎に水を持ってくる様子がTBS「すばらしき仲間U」で映った。

 またそれから20年以上経って、恵比寿で宇田川さんの打った"湯だめうどん"を食べていた。失礼な一般Pのファンの俺にも宇田川さんは温かかった。拓郎のライブの思い出を熱く語る迷惑な私に頷きながら優しく相手をしてくださった。冒頭のハガキの話も「よく覚えてるなぁ」と笑ってくださって憧れの大先輩と心が通じたみたいでトテモ嬉しかった。うどんはコシがあるのにホワっしていてとても美味しかった。焼酎の梅割りで閉店時間まで粘って、私には忘れられない夜となった。

 その後うどん屋さんは駅前の再開発でビルごと無くなってしまって至極残念だったけれど、数年前、MXテレビの「小室等の音楽夜話」のエンドロールでお名前を拝見し、いつかまたきっと拓郎と何か…とシロウトなりに期待していたところだった。

 いちげんの私ごときでこんなに寂しいのだから、ご家族や苦楽を共にされた拓郎はじめご関係者の悲しみはいかばかりか。

 私たちが満喫したライブや活動のすみずみに宇田川さんの見えないご尽力とたくさんのおかげがあったことは間違いない。ありがとうございました。

 心の底からご冥福をお祈りします。

                  

2020. 8. 4

 宇田川さんでもうひとつ思い出すのは1991年の拓郎45歳45本の通称エイジツアーのことだ。

<7月に拓郎はツアーの途中でハワイに飛んだ。所属する宇田川オフィスの宇田川幸信社長の結婚式だった。拓郎夫妻が挙式の際の立会人になったのだ。…拓郎がハワイに行ったらもうツアーを続ける気がなくなるかもしれないと言って宇田川社長をおどした。45本という拓郎にとって前代未聞の長期ツアーが、自分の結婚式のため、早々に緊張の糸が切れる可能性が多分にあると宇田川社長も不安がった。しかしハワイから拓郎は元気で帰ってきた。>(石原信一「続挽歌を撃て(第10回 TIME)」より)

 昔からこのくだりが好きだった。宇田川さんはこのツアーの真只中にご結婚されたんだね。公演間隔がこの時だけ11日間も開いていることから、たぶん最初からツアー日程に組み込まれていたものと思われる。
 ココからは俺の全くの想像だけれど、宇田川さんが不安がっている様子から、この時期におこなったのは宇田川さんご本人というより、なんだ?結婚か?オレが立会人というならハワイでやろう、ハワイはイイぞ、コンサートツアーなんかへーき、へーき、もしハワイに行けないんならオレはもう歌わんぞとか檄を飛ばした人が、誰か知らないけどいたに違いない(笑)…だからすべて憶測だってば。

 このエイジツアーの代表曲は人それぞれだろうが、自分はやはりフィナーレの「たえなる時に」だと思う。♪今きみはあの人を心から好きですか〜のリフレインの中の大団円は良かったな。
 一般には、ツアー中だからそれが終わってから…とか、できるだけ迷惑おかけしないようにひっそり…みたいなある種の忖度もあるかもしれない。しかし、あえてこの時にやることが素敵なのだと切に思う。前代未聞のコンサートツアーも結婚も挙式もハワイもすべてが等価で人生のロードの中にある。愛でないものはあるはずがない。なんかそういうものを感じるのだ。感じないかい。なんかとても素敵じゃないかと思うのだ。

 ところでこのくだりにはまた切ない続きがあるのだが、それはまた別のお話だ。

2020. 8. 5

 ドラマ「半沢直樹」の市川猿之助の怪演を観ながら、もしかしていつか吉田拓郎の伝記ドラマを作ることになった時、布施明役のキャスティング候補に決めた。なるほどこれなら拓郎さんが50年間怒り続けるはずだという凄ぇ演技が期待できそうである。※実在の人物、人物の実在とは関係ありません。

2020. 8. 6

 “いつも見ていたヒロシマ”の日。吉田拓郎が74歳なのだから今年で75年ということだ。唐突でいみふだけれど、それは、さだまさしの「広島の空」っていう歌だと思う。以前にNinjinの雨畑が涙ぐみながら教えてくれた。長崎出身であり身内を長崎の原爆で亡くしたさだまさしが、故郷長崎の地から広島の原爆投下の日に広島の空に向かって歌う歌。この町が燃え尽きた日とあの町が燃え尽きた日が静かに結ばれる。もちろんアーティストにそんな意識はないんだろうけれど私には"いつも見ていたヒロシマ”との深いエール交換のように聞こえてしまう。

 あの日をご経験された方々も日々少なくなる。そして風化がすすむ。だからこそ世界の為政者に向けて被爆者のサーロー節子さんは、決して忘れさせてはならないと渾身で手紙を書く。忘れないということは思い出すことではなく、ともに生きつづけることなんだと教えられた。

 しょせん私らはジジババだ。やがて遠くない将来、拓郎も俺もファンの多くの方々もたぶんいなくなり、”いつも見ていたヒロシマ”という名作も誰にも知られずに消えてしまう。しょうがないじゃないか、たかが歌じゃないかと言われようとそこはあきらめられない。何ができるわけではないんだが。そんな意気地なしの男が追いかけるあてどない夢。それでも生きてる限りはどこまでも繰り返し繰り返しこの歌とその魂を忘れないように記憶のありかを確かめる、そこに天使はいるんじゃないかと思う。

2020. 8. 7

 「忘れないこと」と私は無責任に言うけれど「思い出さない」「語らない」ことでかろうじて生きてこられたという方々もいる。昨夜テレビを観ながらあらためて思い知った。この世は悲しみでできているのか。
 "黙りとおした歳月を拾い集めて暖めあおう"…なぁ今さらだけど、なんと深くてやさしい愛の歌なんだろうか。たまらん。胸にしみる空の輝き。

2020. 8. 8

 そんな僕にも”T NOTE”が届く。タブロイドからの格段の充実。大丈夫か、頑張りすぎて3号で休刊とかにならないか。
 エッセイ玩味。あなたはお嫌かもしれないが、私にとってこれが人生最大の「運命」なのよ。

 ああ、実にシンプルで美しく暮らしておられるのだなあ。折しもネットで教えていただいたTOTO「光のキッチン」@人間なんての美しいキッチンともつながる。
 ウチもこんな風にキレイに暮らしたかった。でもどうしたってウチは構造上こうは片付かない。キレイに暮らしてゆけるところはどこか他のところのような気もするよ(爆)。

 TOTOといえばトイレだ。トイレというと1980年4月のヤンタンTOKYOサタデーナイトカーニバルの第一回で拓郎が即興で作った「便器の歌」を思い出す。記憶だけなんで正確ではない。

  OUR  BENKIの歌

  扉をいきなり開けないで
  あっと思わず腰が浮く
  その時、僕は気が付いた
  ああ、これが便器
  ああ、これこそ便器
  便器に座ると 世界が見える
  ああ ああ世界が見える
  便器 われらが便器
  便器 われらが便器
  便器ホーローなれどわれらが便器

 …正確さなんてどうでもいい歌だな。いい歌をたくさん作っているが、こういうくだらない歌も作っている拓郎さん。それを覚えている方もどうかしている。そこは運命なので(爆)。

2020. 8. 9

 いつも見ていたナガサキの日。長崎はいつも広島に比べてどうしてもマスコミ的にマイナーな取り扱いだが、今日も平和祈念式典がしっかりと地上波で生中継されていたので安堵した。

 広島の式典のときもそうだったが、魂をこめて語りかける市長の宣言が素晴らしかった。単に長崎の被害だけでなく、すべてが世界の連なりの中にあるという言葉を聞きながら、"生きるものすべてが愛でつながれる"という誰かの名作の一節を思い出した。そしてコロナ下の医療関係者を讃えるように、被爆体験を伝え続ける被爆者の方々に拍手を、御意。テレビの前で一緒に拍手させていただいた。

 拍手しながら、子供の頃から長崎で親戚が集まると酔ってジジババがよくケンカしていたのを思い出した。今になって知ると原因のひとつは「原爆手帳」のことだった。8月9日の爆心地を基準に時間的・地域的に線が厳格に引かれる。あの日好きな人を追いかけて市内にいなかったはずのアイツが貰えて、8月末に日本に引き揚げてきて長崎の焼野原でボランティアして身体を壊したコイツがなして貰われんと?、などなど鬱屈した思いをぶつけあっていたらしい。
 決して褒められないウチの親戚たちだが、みんなあの凄絶な昭和20年の夏に長崎で途方にくれていたこと、みんなそこからそれぞれに極北の中を生きてきたことは間違いない。もう殆どが亡くなってしまったその親戚たちにも拍手しながら心の中で生前は悪態ついてすみませんでしたと詫びた。
 
 くだんの原爆手帳の基準も最近の黒い雨訴訟の範囲も、結局、被爆地に線引く馬鹿がいる…と思ってしまう。どこかで線引きすることは大人として必要なのかもしれない。でも往々にして線引きは、最近のコロナの事業者給付金のように非常な選別と容赦ない証明要求と背中合わせであることが多い。
 どこで線を引くのかという大問題、のみならずどの程度の疎明でOKとするか、どちらか判断がつかないときには認否どちらを原則とするのか、そして裁量と運用というブラックボックスをどう使うか…で結果は大いに違ってくる。愛をこめてやってくれとはいわない。でも例えば政府が電通に対しておこなうぐらいのやさしい心配りでやっていただければかなり違うのではないかと思う。
 昨日、便器の歌を嬉々として書いていて、昨日の今日で説得力はゼロかもしれないが、そんなふうに僕は思う。

2020. 8. 10

"T NOTE"を読むと,どうしたってAKIRAが聴きたくなる。

 特にあの最後のたたみかけは何度聴いてもたまらない。今回よりいっそう胸にしみる。

 尊敬するAKIRAとも お別れだ
 自信は無いけど 一人でやってみよう
 夕陽に向かって走って行く
 アイツの姿を 忘れない

 生きて行く事に とまどう時
 夢に破れ さすらう時
 明日を照らす 灯りが欲しい時
 信じる事を また始める時

  AKIRAがついているさ
  AKIRAはそこにいるさ

 シュロの木は今も 風にゆれている

 ココを聴いているとこれが吉田拓郎の最高傑作ではないかと思えてくる。そんなことはないかもしれないが(爆)、聴いているときはそう思わないと失礼に当たる気がするくらい名曲ばい。


 カッコいい映画といえば、wowowで久々に観た「アンタッチャブル」。駅での銃撃戦で階段を落ちてゆく乳母車の息詰まるシーン。ケビン・コスナー=エリオット・ネスがテンパっちゃってオロオロしてる中、助けに走りこんできて@ネスに銃を投げ渡しながらA滑り込んで乳母車を足で止めながらB自分も銃を敵の照準にピタリとあわせるアンディ・ガルシア。うおぉぉぉ何度観ても超絶カッチョエエ。そういえば最近見ないなと思ったら”パッセンジャー”のラストに出ておられた。あ、"運び屋"も"マンマミーア"も…あらら結構ご出演されておる。すまん。

 今月の御大の映画は何だろうか。

 今日は「蜜蜂と遠雷」を観る。待っててくれ松岡茉優。

2020. 8. 11

 映画「蜜蜂と遠雷」を観た。ピアノはもとより音楽について疎すぎる私には、もはや理解を超えた別世界だがそれでも胸が熱くなった。いい映画だった。観ながら吉田拓郎の音楽のこと、特に最近T NOTEで読んだ磯元洋一くんのインタビューも頭の中でシンクロして、音楽に疎い自分だけれどずっと音楽を好きでいようと思った。
 やったねぇ松岡茉優。おじさんは主演女優賞あげたかったよ。満島ひかり、安藤サクラ、松岡茉優、そして清原果耶、このあたりで私の個人的に超絶支持する演技派若手女優の布陣が固まった。この演技派四姉妹に母親役は大竹しのぶのままで凄絶な姉妹の恩讐を描く”海街ダイアリー・ダークサイド”を作ってくれないか、是枝監督。作らねぇよ。勝手にふるえてろ。

2020. 8. 12

 一昨日の月曜日のCDTVの長渕剛の"ろくなもんじゃねぇ"のバックに島村英二。すまんが長渕よ、うしろのライトを明るくして、もうちょっと画面中央からズレてピーピーピーを歌ってくれまいか。昨年の村石もよかったが、やっぱり島ちゃん胸熱だぜ。

 同じ日には”ムー一族”。もうすぐ最終回だ。「世迷い言」の出演者合唱で泣いてる桂木文。最後の収録だったのだろうな。
 あらためてメチャクチャなドラマだった。寺貫と違って向田邦子がいないので詩情がないし、今にしてみるとギャグも古いし暴力も気になる。それでも楽しかったけど。エジプトロケまでやってたのはすごい、そこで樹木希林が郷ひろみに「拓郎さんカイロ大学に行ったらいいじゃないですか」というのがタイムリー過ぎて(笑)。なんにしても毎回「拓郎さん」を連呼してくれる点ではありがたい番組だった。

 やっぱり本家”吉田拓郎”の名前が出た第11回の生放送(当時)が白眉だった。オープニングでテーマ曲の”暗闇のレオ”をThe Creationが生演奏する。後に吉田拓郎のビッグバンドのサックスを担当する包国充(かねくにみつる)さんがいる。
 ファンキーな演奏に、伊東四朗、郷ひろみ、渡辺美佐子ら出演者全員が躍る。その中でも、ダンサブルな樹木希林に伴淳三郎、由利徹、左とん平、そして細川俊之、たこ八郎らみんな踊る踊る。ノリがすげー楽しくてウキウキする。それにしても、ああ全員死んじまってるじゃないの。友よ、人生とはかくも短い、短すぎる宴なのだな。楽しもうではないか。

2020. 8. 13

 いやそりゃあ俺だって”ムー一族”よりも”あこがれ共同隊”の方が格段に観たいですぜ。
 初回こそ山口百恵まで登場して話題沸騰だったがドラマは展開も人気も尻すぼみだった印象がある。毎回放送の翌日の中学のクラスでは桜田淳子の演技が鼻につくとか、西城秀樹が嫌気がさして降板したとかいう悪評で盛り上がっており、淳子派の俺は辛かったな。
 でもこの番組で原宿・表参道・青山という聖地の荘厳さが中学坊主の心にも八代亜紀の化粧のように厚く塗り固められていったものだ。比喩が古いか。
 眩しい輝きに憧れた。そう、タイトルロールで映る原宿の街並みと一緒に流れる山田パンダの”風の街”やっぱりこれですばい。

 原宿・表参道・青山というと思い出すのが”マキシーのために”

  マキシー夢を見たことがあったろう
  二人で金を儲けて
  青山にでっかいビルを建てて
  おかしな連中集めて
  自由な自由なお城を作ろうと

 世代や状況は違うが胸がしめつけられる自由な聖地への思い。この歌はまるで一篇の映画のように泣ける。

  マキシー どうして自殺なんかしたのさ
  睡眠薬を100錠も呑んでさ
  渋谷まで独りで歩いて行って
  ネオンの坂道で倒れたって

 つま恋2006では拓郎のステージとかぐや姫のステージでオンとオフのような失礼で不遜な態度をとっていた自分だけれど、この歌の時は周囲の拓バカどもに気づかれないようにちょっと泣いた。拓郎、出てきてエレキ弾けよと思った。

  悲しみを抱えたままで
  夜空に輝くおまえの
  星を探すまで さようならマキシー

 これと

  おまえ今頃どの空の下で
  俺とおんなじあの星見つめて何を思う


 ああ、なんて美しく見事なパス回しなのかしら。

2020. 8. 14

 今日8月14日はラジオの日。前回の7月のラジオの時もこの日記に書いたが番組公式ブログが6月の放送告知のままだ。つまりは5月以来更新なし。メールにも書いたはずだ。もちろんこんなサイトやメールなど読んでもいないだろう。いないだろうけど言う。魂が入っとらん(in 篠島)。例えば広島と長崎の平和記念式典のあいさつ文がほぼ同文だったのと同じくらい魂が入っとらん。昨年のローマ教皇は広島と長崎でそれぞれの言葉をもって語りかけていたではないか。そういう話ではないか。いや、つまるところそういう話だ。ともかく歳はとれども「ソウルだけは負けねぇ」(also in 篠島)というお方のラジオである。頼むぜ。

2020. 8. 15

オールナイトニッポンゴールド  第5回 2020.8.14

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

(街頭インタビュー)
・緊急事態宣言のさなかに誕生日だったが、家で家族とともに過ごした子供のころを思い出した
・在宅勤務なので起きてそのまま仕事できて楽、実家が広島の大竹市だけれどお盆に帰りづらい
・緊急事態で結局実家暮らしで親と暮らす時間が増えてよかった
・非常事態宣言で家にいても独身で寂しいし故郷に帰れないのは寂しい
・彼女と住んでるが、外出についての価値観見識が違って喧嘩になったりした

 こんばんは吉田拓郎です。週替わり今日金曜日は吉田拓郎です。

 街中で仕事している若い人立ちの声を聴いてもらってみた。閉塞的状況での日常の気持ちを聞いてみたが、僕は感心したし驚いた。若い人の心の中に家族とか実家とか言葉が出てくる。そういう存在が大きい大切なんだな。ちょっと驚いた。この年頃当時の僕たちは親からは距離を置きたかった。独立した人間としていたいという気持ちが強かった。

 このインタビューでは、コロナの中で自分と自分を取り囲む仕事先、家族、友人といった人との関係を考えてみようということが芽生えている。マイナスな空気の中にプラスを見つけたようだ。若いのはシンプルでいいな。こういう純粋な感覚を僕は失ってしまった。正直言って悔しいな。若いということはそれだけで大切なものを持っているんだな。それが当時の自分じゃ気が付かないんだけど。

 今月も自宅からお送りしている。収録の風景がコンサート主催のHPや会報でUPされている、ウチの奥さんが写真を撮ってくれたりした。

<毎月楽しく聴いています、四月から環境が変わって、今までの東京と実家を行き来する生活から 実家にずっといることが多くなった、早く街に戻りたい気持ちと、田舎がいいなという気持ちと揺れ動いた、なんでそもそも東京にいるんだということも考えた、ドラムレッスンも休講だし、東京でももとの日々ではない、拓郎さんのエッセイを読んで、そうだ風に吹かれてきたんだなと思うと落ち着いたという投書>
 地球規模で起こっているこの事態、去年の今頃はこんなことになっているとは考えもしなかった。僕なんかは、コンサートツアーが終わっていたあたりだな。もう季節の変化を感じる余裕もない。心の持ち方あり方が不安定のまんまで、将来も見えない。
 どうやって生きてゆくかという不安の中で 静かに普通に生きてゆこうと奥さんと言っている。しかし、静かに、普通に、が難しい。
 今までがどんな日常だったかも考えなおすキッカケにもなった。私たちはどんな毎日を生きてきたかを考えさせられる。大切なことは、これからすべてが収束したときに僕たちは元どおりの日常に戻るということでいいのか、この機会に変化を求められているのではないか。

<村上春樹”一人称単数”のウィズ・ザ・ビートルズの章の中に、”夏の日の恋”のことが語られているので奥様に朗読していただければどうですか、うらやましいなという投書>
 いや、もう我が家でこの本は既にある。夏の日の恋の話も聞いている。あなたのメールのことを言って、久々に奥さんに読んでくれと頼んだ。朗読ってほどではないけれど僕は活字嫌いだから。自分でエッセイは書くくせに…エッセイが限界かな。  

 3年いやもっと前か、村上春樹の「1984」の時には、3巻あって2巻まで奥さんに読んでもらった、寝ながら聞いて小説のことは覚えていない。

 で今回も読んでいただきました。「夏の日の恋」、僕自身も高校のころビートルズがアルバムデビューしたころなので同時代だ、パーシーフェイスの「夏の日の恋」には思い出がある。そこまで読んでもらって止めてもらった。寝ちゃいそう、寝ると怒られるから(笑)。
 僕のコンサートでは客出しの音楽として使っている。映画「避暑地の出来事」、サンドラ・ディーとトロイドナヒューの主演のテーマ曲だった。
 バンドのころにガールフレンドを二階の勉強部屋に連れて、ビートルズやらストーンズが多かったかな。曲を聴きながら、彼女に手を回したり。ペッティング、わかる?ネッキングとかわかる。ペッティングしようとしたその瞬間、玄関がガラリと開いて「ただいま拓ちゃんスイカを買ってきたよ」、かあちゃん頼むよ。結局、かあちゃんと三人でスイカを食べたという。かあちゃんは「あーらあなた、どこの女子大」と聞いて、母はお茶を習わせようとする魂胆がある。「広島女学院、あら素敵ね、 拓郎のどこがいいのかね」とか話してて、かあちゃんのおかげでペッティングが台無し。「夏の日の恋」、そういうものを思い出す。

<将棋の藤井棋聖は一手の前に必ずお茶を飲むそうだが、拓郎さんは必ずすることはありますか、私は新しい靴を履くとき裏を舐めるという投書>
 夫は引くよ、靴底はやめなさいよ、いい癖じゃないよ。藤井棋聖は恐ろしい少年だね。この放送の時は、もう一冠獲っているかもしれないね。羽生善治さんも凄い一手さすなと感心したものだ。羽生の一手は常識にはない手で、そんな手を指す人だった。藤井少年も驚きの一手が多い。藤井君の場合はAIの影響ではないか。昔、コンピューター将棋はかつてはからっきし弱かった。

(ピンポーン)「誰か来た」

 ドアホーンがなって今受け取ってきました。

 AI将棋がとても強くなっている。どこまで強くなっていくのか。それが藤井くんにも影響していると思う。ルーティーンとして確かによくお茶を飲むね。竜王戦で丸山との対戦の時に、ひっきりなしで口に含んでいる。茶色いから日本茶ではなく、ウーロン茶かな。とにかく水分とりすぎじゃないかってくらい。

 僕はステージの直前に、楽屋を出るときにリポビタンDを飲む。必ず飲む。いつからか、ロスのバンドとのツアーの時からだったかな。ドラムのラスカンケルに薦めて、これは燃えるぞといったような記憶がある。でもラスは口にしてダメだったみたい。あの辺からかな。リポDをグイッと飲む。燃えるかどうかわからんけど。去年のツアーでもアイスボックスにちゃんと入っていた。

 そしてバンドと円陣を組んで「ワンツーロックンロール」の声出しでステージ横で合図を待つ。宮下くんがコップに氷水を持ってきてくれる。それを一口含んで、
楽器担当の磯元くんがギターをかけてくれる。そして、E、A、F♯m(たどりついたらいつも雨降り)そしてFを一回鳴らして、そこで歩き出す。

 こういうルーティーンをやることはもうないのかな。

 今夜も自由気ままにやっていきましょう

■ 吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド。

<前回の決意にグっと来た、拓郎さんが決めたことだから、でもできるのであれば会場の半分しか入れなくともチケット高くなってもいいからライブをやってほしい という投書>

 僕はタイプでいうと古いタイプのミュージシャン。時代にマッチしにくい、頑固で自分勝手流で50年以上もツアーをしてきた。そのコンサート自体が常に時代とマッチしていたわけでもないと思っている。2020年の僕は今もう74歳。二度の癌を経験していて正直苦しい時間だったし、奥さんとともに体験した恐怖もあった。
 昨年の夏の初夏には体調が万全だった。2012年、2014年は、喉のガンを抱えたままであったし、万全だったとはいえない。それが不安のない中で歌うことができた。もうやり残したことはない。
 ネット配信とかパブリックビューイングというこれまでと違ったアプローチでのテンションはキープできない。74歳ですよ。それに僕のステージは、すげー疲れるんです。それくらい打ち込んでいる。今の年齢で去年のテンションをキープしながらネットやパブリックビューイングはできない。「吉田拓郎」はもういいんじゃないか。それが真実だ。
 で僕は残された人生の時間をどう生きるか。限られた時間の中で、若い人たちが作ってくれる新しい音楽を含めて観ていたいな。それでいいじゃないの、というかそれがいいよと強く思っている。


<"たくろうちゃん”最高でした、一曲目にいいぜひ、最後のツアー、無観客にして押さえてある大阪から配信してほしい、そこで僕らはみんな拓郎にありがとうといいたいという投書>
昨年のツアーで会場の皆さんに、そして名古屋のDVDで、全国の応援してくれた皆さんに最後の頭を下げながら、何度も声にしていたのは、今日までほんとにありがとう、素晴らしい音楽人生だったし、やり切った気がしている、みんなのおかげで楽しかった、みんなの健康を祈りますよという気持ちをこめていた。
 去年が最後になるかもしれないということは言っていた。あの名古屋のDVDはいいものを作っておいて、残せてよかったと思っている。
 どんなステージよりいいです。こういうバンドの入り混じったサウンドが大好き。クリアな音は好きではない、名古屋でやったDVDサウンドで入り混じったライブ感あるか好きで好きでたまらない。名古屋がライブが映像ができて良かった。今でも観るのが好き。歌っている吉田拓郎が好きなんです。デビューした時の感じなんだな。僕の歌こういう曲なんです、聴いてくださいというか感じで歌っている。等身大というか今の自分をさらけ出している。胸を張って歌っている感じ。あの拓郎は”イメージの詩”のころの気分ではないかと思う。いいものが作れてよかった

<ライブ、新曲できるだけ長くあなたの声を聴いて魅力的な声という投書>
 僕はグズグズしているのが得意じゃない。スパっと生きたい。状況は厳しい。押さえてはあるけれど状況は非常に厳しいとクビをひねりたくなる。覚悟しておくしかない。

 ラジオはどうだ。ラジオも70年代からずっといままで大切な青春のおもちゃ箱だった。いくつになってもおもちゃは欲しい。そこかな。
 曲ですが、このころからそう言ってるんだな。僕っていい加減な男だからほっといてくれ。今でも大好きなアルバム「一瞬の夏」から。

M‐1  唇をかみしめて    吉田拓郎

(CM)この道はいつか来た道〜

<先週の放送はショック、中学校の時”どうしてこんなに悲しいんだろう”を聴いて以来、福岡のツアーや篠島にも行った、西鉄グランドホテルで握手してもらったこともある、拓郎ファンの夫と結婚したが、最近拓郎さんは福岡にも来てくれないし、次のツアーがどうかできますようにという投書>
 西鉄グランドホテル懐かしいな。さっきから話しているように現在という現実を受け止めるしかない。僕は、客席に育てられて、ときに共感し、ときに反発して作り上げてきた。でも、僕にとって時代はもう過去のこと。会報、エッセイ、グッズもそういう時がきている。ささやかではあるが思い出作りという意味である。  
 ここが大事なところだが、新しい時代というのは幕を開けるものだ。あの時僕たちがそうだったように、アンタら古いんだよもう、と新しい時代を開いたように。繰り返しなんだよ。時というのはどうしようもなく流れているわけだから、変化しているわけでよ。「始まれば終る」 堀北真希が朝ドラ「梅ちゃん先生」が終わって、次の「純と愛」の引継ぎの時に、次の女優に「始まれば終るのよ」と言ってて凄いなと思った。終わるのを認めなきゃいけない。

 ボブ・ディランが「時代は変わる」と歌ったときに、受け入れることができなかった人がいっぱいいた。僕に対しても、田舎者のバカ騒ぎすぐ終わると言われている中で、毎日歌っていた。僕らを認めたくなかったんだ。あの時の頑固爺になりたくない。永遠に何かが生まれ、何かが変わる、変化している。それを受け止めていたい。僕の音楽人生、素直になりたい。

 この曲を聴いて時代は変わってゆくことを確信した。新しい時代に向かってゆくと心が高揚していた。時代は変わる、ボブ・ディラン79歳、そして吉田拓郎74歳の夏。

M-2  時代は変わる  ボブ・ディラン

 23時時報

 拓)だいたいもともと掃除とか料理とか家事は好きだったの?
 妻)全然、キライ
 拓)最近はやるきまんまんだね
 妻)まーね
 拓)これからもこれを続けてゆくの?
 妻)やだー・・・。

 今日は演歌この一曲。それでええんか(笑)

 来月の予告をしておくけれど、見方を変えて筒美京平さん。この曲が好きというのを送ってください、大ヒット曲がいっぱいあるからね。僕も南沙織シリーズが心の中にある。あと「よろしく哀愁」をカバーしたですからね。詞は安井かずみだったよ。

 今月は演歌。予想とおりです。メールの数が、ユーミン、永ちゃん、桑田これまでで一番多い。

 最初に音楽講座を開いておく。音楽にはメジャーとマイナーがある。
 ここで違う  メジャー明るい  ♪これこそはと信じれるものが
        マイナーでやると ♪これこそはと信じれるものが

 大雑把にいうとメジャーは明るい、広がった世界観。スーツのボタンをはずして風を受けながら前に歩く感じ、女性だとシュシュをはずして、おでこで風を受けながら進む感じ、うまいなぁ。

 マイナー ♪さよならがいえないでどこまでも歩いたね
 哀愁、ムード、小さいストーリーで寂しい。メジャーは、全身、マイナーは心の中。素晴らしいでしょうこの表現のうまさ。
 マイナーは、めっちゃ暗い雰囲気で演歌に多い。名曲でもこの暗いところがあり、実は日本人には売れる要素だ。本質的に暗い。♪あなたはもう忘れたかしら
暗い曲が大ヒットするのが、僕にはたまらなかったし、否定的だった。せっかくディランから時代を変わると教えてもらったから暗いところに戻るのはやめようよというのがあった。なので演歌はあまり受け入れたくない。歌詞も暗い。

(CM)

<森進一「港町ブルース」いろんな港を歌っているが、港の水揚げ量の多いのに銚子がない、北海道でも根室、稚内がないという投書>
全国の港町が出てくる。歌詞聴きなおすとなんでこの港なのかと確かに思う。歌うときの語呂合わせ、メロディーが乗せやすい、あわせやすくする。
 よくある七五調というもの。岡本おさみという人は、七五調も無視、字数もめちゃくちゃ。韻も踏んでいないし字数も揃わない。あの人は作詞家ではなく詩人だから。森進一も大変だったろうな。でも俺のデモテープがあったから歌えたと思う。
いわゆるシンガーソングライターが出てくる前は一番二番ばっちり合うようになっている。一番どおりに二番が歌えるようになっていた。

<殿様キングス「涙の操」、子供のころ流れていて、薄汚れた大人の世界だと思っていたが、今では情念の世界がたまらない という投書>
 殿キン、びんから兄弟 好きなんだな日本は。ここは変えられなかったな。まさに演歌だった。昔、横浜に住んでいた時、ぴんから御殿というのがあった。

 さすがに吉田拓郎は不滅な演歌は苦手。独特の節回しとビブラート。でも、北島三郎のビブラートは明るいな。スカーンと抜ける。でも技としてのビブラートは好きじゃない。

<石川さゆり「津軽海峡冬景色」 なぜか演歌は日本海が似合うという投書>
 若い女子が歌う新鮮さ。リクエストは「天城越え」が多かった。僕はダメなんだな。歌いこみすぎる。もっとあっさりと。彼女にはいい曲作ってあげたんだけどな。阿久悠さんからオファーがあって、グルーブな感じの「月の盃」って曲で、好きだっんだけど時期も悪かった。

<氷川きよし「箱根八里の半次郎」、観客が”きよし”って合いの手入れるところが好きという投書>
 ということは氷川のライブにもいくんだな。演歌のライブでもロックでも総立ちとか叫ぶんだよね。
 70年代最初、誰もツアーなんて考えてもいなかった。アルバムで勝負なんて思ってもみなかった。とにかく、シングル盤でヒットを出す、テレビに出ることが大事だった。
 ツアーとアルバムで売るというのは今は一般的だよね。誰だって、演歌もロックも J-POPもとにかくアルバム作って全国ツアーありきになった。イベントにみんなで参加している気分なんだろうな。時代は変わったとまさにディランさんが言ったようになっている。

<細川たかし「心のこり」  ニール・セダカのダイアリーと似ている という投書>
 ニール・セダカが演歌な訳はないでしょ。日本にはもともとなかったんだよ。それがニール・セダカとかのあたらしいメロディーに食いつくようになった。演歌とは違う。
 細川たかしの声はメジャーが合いそうなんだけれど、それが暗い曲を歌うところがいいのかな。リクエストが多かったのは細川たかし「心のこり」

M-3 心のこり   細川たかし

 僕は演歌の向こう岸にいるつもりだったが、森進一でレコード大賞とは思ってもみなかった。そして演歌の方々にも曲を提供しているから、人生は思惑どおりいかないもんだなと思う。
 演歌でも何人かは、ボーカルがいいなという人はいる。でも、曲とか歌詞がピンと来なかったらダメだな。最近テレビで昔の歌番組の映像が流れた。もう亡くなった。でも悪くないな。それをネットでチェックしたらいろんな曲をカバーしたりして、港町ブルースも襟裳岬もカバーしていた。森進一よりいいかも。ボーカルがいいんだよな。持ち歌もポップスと演歌の二種類あるようだ。品のいいバラード。テレサ・テンの”時の流れに身をまかせ”

M-4 時の流れに身をまかせ   テレサ・テン

(CM)

 今月の映画は「ラブ・アゲイン」。これは邦題で原題は”Crazy, Stupid, Love”

 奥さんから浮気しているんだと告げられた男がモテモテ男に変えられるコメディーだけど出演者豪華だし実に愉快な映画。奥さんが、ジュリアン・ムーア。またしても、あんまし好きじゃない。でも好きな映画には必ず出ている。
 理想的な家族で夫のキャルはスティーブ・カレル。いかにもという感じでコメディーうまい。そんな主人公は気が付いてみたらさえない中年おやじになっていた。これは僕らにもあること。

 主人公は落ち込んでバーで飲んでいるとプレイボーイのジェイコブと知り合うが、これがライアン・ゴズリング。ニヤけたモテ男から、俺があんたの人生を変えてやるよといわれてキャルはやけくそでまかせる。
 ショッピングモールでジェイコブから、この靴はなんだ?流行っている?キャルが履いている靴をジェイコブが放り投げる。おまえは学生か、あるいはスティーブ・ジョブスにでもなったつもりか、今のアンタはスニーカーを履く男じゃないと言われる。ファッションを歳相応に変えるということ。観ながら俺もGAPやバナナリパブリックでいいのか
 プラダのジーンズも履かなきゃと思った。年齢とキャリアにふさわしいスタイルがある。女性との会話もまるでダメで、キャルはジェイコブからいろいろと教えてもらう。口説き落としを学んで、毎晩ナンパするようになる。
 彼の子供は14才。ベビーシッターの女性ジェシカに夢中になってしまう。ジェシカはキャルに淡い恋心を抱いている。息子はなんなんだ。ベビーシッターは自撮りヌード写真をキャルに送ろうかと考えている。

 ジェイコブもハンナというエマ・ストーン演ずる女性にアタックするが振り向かない。これが・・・ああややこしい。
 キャルが自分も浮気をする。それがマリサ・トメイ。“いとこのビニー”でジョー・ペシと共演していたのが好きだった。それが息子の担任で息子のことで呼び出されたら、教室に浮気の相手が・・・その時のしらじらしい演技。ぜひ観てほしい。ジェイコブが好きなエマ・ストーンがキャルの娘なんだ(笑)。もうクレイジーなんだ。すっげぇ面白いから観てほしい。

 今月は、通販でヤマト、佐川が配達にくる。我が家は15世帯くらい。各部屋の出入り口が離れている。インターホンでは、たいてい僕が出る。アマゾンですと言われるとすぐ次なる行動に出る。ハンコとか持って玄関を出てエレベータ前で待ち伏せする。ドアが開いて、向こうは「あ」と驚く、「ご苦労様」と受け取って、時節柄、部屋に入って手洗いとうがい。一日何回手洗いとうがいしているんだ。
 これが吉田家。外で僕が受け取ってるときに、テレビ見てる人が彼女も手洗いうがいあなたはいままで別のところにいて配達の人は接触していない。あなたにうがいと手洗いは必要か。お気持ちは理解できなくもないが、関係ないんじゃとはいいにくい。
 このようにパーフェクトなコロナ対策をしている。

 お別れの曲は、ライオネル・リッチーとダイアナ・ロスのエンドレス・ラブ

 お相手はここまで吉田拓郎でした。

 M-5 エンドレス・ラブ  ライオネル・リッチーとダイアナ・ロス

■エンディング


☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆先月に引き続き最後のライブをめぐる断章である。残念ながら事態は切ない方向に少しずつ歩をすすめているかのようだ。

「今の年齢で去年のテンションをキープしながらネット配信やパブリックビューイングはできない。「吉田拓郎」はもういいんじゃないか。それが真実だ。」

 なんとしても来年の最後のライブを実現してほしい、ぜひ大阪に来てくれ、ファンに最後の感謝を言わせてくれ、新曲・ラジオ、とにかくあなたの声を末永く聴いていたい、そのための無観客配信、パブリックビューイングという便法はどうなんだ・・・ただれるような思いのファンのさまざまな呼びかけ、そして何よりおそらく本人自身の無念さ、それらをすべて当然にわかったうえでのこの吉田拓郎の言葉である。

☆老舗のファンサイトも最近書いていた。癌を二度も経験した74歳の人に見えている地平はどんなものなのか、私には想像もつかない。例えば「もう走れません」という本人に、そんな私が、そうはいっても、もうひとっ走りお願い、何がなんでも歌っとくれ、ホラ、こうしたらどうかなどと思い付きと思い込みの言葉のツブテを投げつけるのもどうなんだろう。
 確かに去年のライブは何度でも書くがすんばらしかった。ツアーそれ自体もあれが最後のお別れだったといわれればそうなのかと思わざるを得ない。こちらも総力戦でツアーに絡めてつま恋と篠島まで突撃して力ずくで走馬灯を回したではないか。
 拓郎があきらめるのであれば、こちらもあきらめるしかない。もう詮無いことは言うまい、おねだりはすまい。

☆しかしあきらめたとて、ライブを観たい歌を聴きたいこの気持ちは死ぬまで捨てられるはずがない。ということで、どうしたもんだか、たぶんその答えが「時の流れに身をまかせ」なのかもしれない。それしかない。

  もしも あなたと逢えずにいたら
  わたしは何をしてたでしょうか

 お答えしましょう。吉田拓郎ではないツマラナイ歌手のファンになりツマラナイ音楽を聴いてツマラナイ人生を送っていたことでしょう。

  時の流れに 身をまかせ
  あなたの色に 染められ
  一度の人生それさえ
  捨てることもかまわない

 なので一生拓郎ファンというか拓バカ人生であることに一片の悔いもない。のちに人畜無害な人、いや有害無益な人だったけれど、吉田拓郎のことだけはなんかすごく好きだったわね、それだけの人だったわねと追憶されるのは望むところだ。

  だから お願い そばに置いてね
  いまは あなたしか 愛せない

  約束なんか いらないけれど
  想い出だけじゃ 生きてゆけない
  時の流れに 身をまかせ
  あなたの胸に より添い

 ああ、ひとつひとつたまらん。昨年でもう最後のお別れは済んだものとして、ファン心の灯を消さないまま、時の流れに身を任せよう。意味は少し違うかもしれないが、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉もある。西田幾多郎先生の一節にも「未来とは絶対に予測できない不意打ちである」とあった。
 もし天使からの不意打ちがあったら、いつでも万難を排し万障繰り合わせて全力で臨む気持ちと体力は末永く静かに保持していたい。・・・あきらめてないじゃん。

☆それにしてもテレサ・テンて演歌なのか。なんかもうすべてを超越した奥深い魂=ソウルだな。
☆♪もしも あなたに嫌われたなら
 ♪明日という日 失してしまうわ
 あららら、嫌われているか嫌われる自信は100%あるよ。でもいい。もう仕方ない。
 “人に好かれていい子になっても
     墜ちてゆく時は ひとりじゃないか
  そうだおいらの墓場はおいらが探す
     そうだその気でいこうじゃないか”
 畠山みどりのこの演歌をリクエストしたんだが、読まれなかったな。

☆今日の学び☆☆☆
 メジャーとマイナーの例えと説明がよくわかった。あなたはメジャーが好きかもしれないが、あなたの魅力はたぶんマイナーの中に身もだえするように宿っている…のではないか。

2020. 8. 16

 というわけでテレサ・テン。14日のラジオ放送でその封印を解いたというテレサ指南者が身近にいたおかげでテレサ・テンDAYSに突入している。すんばらしいね。歌姫の名にふさわしい。"襟裳岬"も聴いた。74年にデビューしたテレサ・テンは森進一の前座をつとめていたので襟裳岬を相当に聴きこんでいたという。なるほどという名歌唱だ。

 ここのところラジオのたびに切ない、切なすぎるぜ。村上春樹ではない村上龍「すべての男は消耗品である」の一節。

「もっている時間のすべて、モチベーションのすべて、技術と知識のすべてを投入しないと、市場で評価されるような製品を開発したりつくり上げることは不可能だ。
 そして、持っている時間のすべて、モチベーションのすべて、技術と知識のすべてを何かに投入するために不可欠なのは、趣味的な「好き」ではなく、ある種の偏愛だとわたしは思う。どうしてこれほど惹かれるのか自分でも分からないし、恐いくらいだけど、それでも好きだというようなものに対してわたしたちは最大のモチベーションを持つことができる。そのくらい好きなものに代替物があるわけがない。」

 これは間近いなく「偏愛」だな。市場で評価される商品など何も作っていないが。趣味的な「好き」ならば他の事とバランスをとったり節制したり気を紛らわしたりもできる。しかし「偏愛」は無理だ。制御不能だ。代替物もない。喜びがあれば天まで上り、悲しみの時はひたすらに打ちひしがれ、否応なしにup&downに引き回されてしまう。
 さて少し覚悟はしたものの、いよいよそのデッドラインといわれる秋が近づいている。渋谷の交差点とかで物干しのような高いスピーカーを背負ってパンフを配っている若者のように言えば「禍なるかな偏愛の人々よ、あなたがたの世界の終わり、試練の時がいよいよ近づいております」という感じか。うー、とある神様をずっと熱心に信じてきたのにな(爆)、むしろそのせいか(爆×爆)。僕らは何を信じるのか、僕らは何処へゆくのだろうか。

2020. 8. 17

 映画"ラブ・アゲイン"を観た。観たけどこの人たち皆イカレてる(爆)。こういう全員発情系映画ってアメリカによくあるよね。嫌いじゃない。拓郎の言うとおり、確かにライアン・ゴズリングに怒られる中年キャルが切ない。15年くらい前だろうか、拓郎が赤のTシャツに白いシャツをはおっている姿を間近で観て「GAP」「BANANA REPUBLIC」とワケわからないままメモして、後にそれぞれのお店に突撃した。オレが着ると悲しいくらいイケてなかったのを思い出して少し悲しくなる。

2020. 8. 18

 クラウドファンディングか。映画"この世界の片隅に"のエンドロールのように、終演後の"夏の日の恋"に乗せて参加者の名前がアップされたら…いいな。そうなったら参加します。

 私が妄想してきたのは"中止でも払戻無し"のチケット。One way ticketとでも言うか。もしギリギリまで粘ってどうしてもダメだった場合は、マイケルジャクソンの”This is it!”みたいに、ゲネ、リハ、プリプロ、そこまでの進捗を映像&音源のドキュメントDVDにして配布する、あるいは未発表ライブとかの映像&音源をつけてもいいぞ。美学には反するとは思うが、最後であるならばここまでやったというのはアリと思うのだがぁぁあぁ。

 えーいダメか。妄想ついでだ。「始まったら終わる」と拓郎が口癖のように言ってたのは、堀北真希の言葉だったのか。そうか。だったら堀北真希に復帰していただいて「終わればまた始まる」と聞こえよがしに言っていただこう。

 それでもダメなら、そうだっ、布施明さんにまた拓郎を怒らせていただこう。拓郎さんがもう歌わないなら私が歌いますと言って「布施明ディナーショー”布施明、吉田拓郎の世界を歌う”」とかを開催していただき、あの腹式呼吸の歌唱で拓郎の曲を歌いあげていただく。もちろん全曲、ワンハーフだ(爆)。そのうえで富澤一誠に「吉田拓郎の生きザマは布施明の唄声の中に見事に復活した」とか音楽評を書いてもらったら、そしたら拓郎さん怒って怒って、もう歌わずに死ねるか状態になるのではないか。
…それが一番ダメだろう。すまん。

 こういう話は居酒屋とかで話すべきものだが、居酒屋も行けないんでさ。

2020. 8. 19

 子どもや学生たちはまさに"一瞬の夏休み"。かわいそうだな。そうか拓郎は「一瞬の夏」が好きか。オレも大好きだが、いかんせんこのミニアルバムというサイズ感だけが唯一残念だ。せめてあと5,6は曲入れとくれよ。会議で出された弁当が高級そうだけど量が異常に少ない時、ホラごはんがピンポン玉くらいしかない上品そうなヤツ、あれ出された時の気分と似ている。>知らねぇよ。
 何度聴いてもこの”ああ青春”は素晴らしいな。つま恋・トランザムにご挨拶し、篠島に敬意を払いつつ、ビッグバンドと熟達のボーカルが鉄壁の荘厳さをみせてくれる。胸が熱く燃えながら身体は自然と気をつけしてしまう。ああ青春だけでなく、人生そのものが燃える陽炎なのね。

2020. 8. 20

広辞苑で、昨日何気なく書いた「一瞬の夏休み」を調べたら
 【意味】夏休みがとても短いさま【反対語】夏休みがいっぱい
と書いてあった。正・反両方を含む吉田拓郎のフトコロの深さを感じずにいられない。

 CR「夏休みがいっぱい」か。懐かしいな。もう15年になるなんて。でも確か始まったのは夏休みが終わって9月になってからだったと思う。暑中見舞いが帰って来たのは秋だった〜の世界だ。

 パチンコほぼ未経験の私はツアー先の京都のパチンコ屋でトライした記憶がある。結果はボロ負けでかなり散財してしまった。同じく未経験だった亡K君も同じく京都でトライしたが彼は大当たりだったとのことだった。「拓郎さんのおかげです」というK君に対して「拓郎のせいですってんてんだぜ」とつぶやくオレ。純愛のK君と邪な愛の星紀行とこういうところで差がつくのだな。短かろうと長かろうと今年の夏は今年だけ。それにしても暑い。どうかご自愛ください。

2020. 8. 21

 T selectionの時計を買った。
 あの時計についての先輩ファンの方の厳しいご卓見を読んで、その見識の深さに本当に感心し、ぐうの音も出なかった。でも、僕は買います。
 “頑張った自分へのご褒美”と考えてみたが、どんなに頭を絞ってもご褒美もらうようなことなんかなんもしてないし、むしろバチがあたりそうなことばかり浮かんでくる。でも、僕は買います。
 TYISのグッズのサイトを改めて読んで「送料無料」「送料半額」で恩着せがましく攻めてくるのがすげーセコイなと思った。でも、僕は買います。
 ……だって欲しいんだもん。

       時計が届いたら↓こんな感じでよろしくね。
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2020. 8. 22

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 ただいま筒美京平ひとりシンポジウムを開催中。すぐに浮かぶ魂の名曲だけでも何十曲もあるので、ひとつなんてトテモ選べねぇ。こんなにたくさんの多彩な名曲が溢れていて、昔は筒美京平ってそもそも実在の人物なのかというところから疑っていた。例えば作家集団の架空のペンネームではないか。ホラ葉村彰子とか藤子不二雄とか小岩井乳業とか。小岩井は違うか。あるいは今で言えばAIかなんではないかとか。

 筒美京平作品集CDに寄せている筒美京平先生の文章ではご自分の曲を一瞬で消えてゆく流れ星になぞらえてペリー・コモの歌からCatch a Falling Star…and Never Let It Fade Away(流れ星をつかもう)というフレーズでしめくくっていた。ああロマンチストなのだなと〜失礼ながら思った。ということで君の欲しい流れ星はなんですか。 

 …と、ここで日記を終えるつもりだった。もうこのサイトでもさんざん書いたし、居酒屋とかいろんなところでも三万回くらい言ったのでもう書くまいと思ったが、ああ、それでもすげー書きてぇ。何万回でも言いてぇ。筒美京平先生とその作品たちが素晴らしければ素晴らしいほど、ああ我慢できねぇよ。ずがーん。
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 ありがとうございました。私も筒美先生を知ったときこりゃ大変だと思いました。っておまえが言ってどうする。

2020. 8. 23

 筒美京平ひとり鑑賞会はつづく。あの曲もこの曲もどの曲も、その幅広さと多様性に目を見張る。大作曲家に対して誠に失礼だが、その年代年代によってメロディーの成長と進化を感じる。水中蛇行から陸に上がって四つ足、立ち上がって二足歩行でどんどん無敵になる不気味な進化形態のようなものだ。いみふ。
 一人の人間で"ブルーライト・ヨコハマ"から"ヨコハマ・チーク"まで行くものだろうか?凄くね?"しあわせの一番星"、"ひとり歩き(映画「スプーン一杯の幸せ」のテーマ)"、"しあわせ未満"…もう勝手ながら我が青春の”しあわせ三部作”から、一転し、身体が自然にスウィングしてしまう平山みきの「真夏の出来事」「冗談じゃない朝」といったやさぐれた大人のブルースまでのふり幅。そして小泉今日子というフィールドにおけるにおける刮目すべき展開。もう音楽の大波、小波に心地よく揺られながら聴いているだけでだけで幸せだ。筒美京平が海ならば私は魚だ。いや魚もおこがましいプランクトンだ、いやミジンコとゾウリムシでいい。

 これだけの広大で豊かな作品世界は、世界広しといえども筒美京平と吉田拓郎にしかない(当サイト比)。筒美京平は音楽で語るということはどいうことかを教えてくれる。これも前に書いたが、松本隆が「京平さんは音楽の塊だ。拓郎もそう。」と看破したとおりだ。さすが松本隆、薪を焚べてやりたい。いみふ。

 音楽と聴いている自分との区別も何もないひたすらな純粋経験。陶然と音楽に包まれるしかない至福。
 ただ、そう思うと最近、吉田拓郎を聴くときの俺は純粋ではなく濁っている気がする。なんでだろう。こんな邪なサイトやっているからか。もともとの気質か。でも吉田拓郎本人も、最後だ、アウトロだとかなんとか音楽の前の講釈が少し過剰になっていないか。いいよ、時計も買ったし、エッセイも読んだ、ラジオも聴いている。拓郎、俺も転調するから、それがどんなカタチにせよ、あらためて音楽の海で会いたいぜ、音楽で語るあなたの音楽の海のミジンコでいさせておくれ。と、ひとり想えば夢になる。

 荻野目洋子の"軽井沢コネクション"、ああこれも筒美先生だったのかと聴きながら
 ♪軽井沢コネクション ああ夏のまま生きられたらいいのにね〜wowow〜このフレーズが頭から離れないのだ。ほんとにそうできたらいいよな。

2020. 8. 24

 昔FM東京で「拓郎等のフォーエバーヤング」というラジオ番組があった。もしかして読んでくださっているかもしれないお若い方(いねーよ)のために言うと「拓郎など」「拓郎ら」ではない「たくろう・ひとし」と読み=「吉田拓郎&小室等」のことである。殆ど他人が書いた台本を読んでいるだけのあんまり面白くない番組だった。

 その番組で、たまたま当時人気だったCCBの”空想Kiss”という曲がかかった。普段は番組中の曲には無反応だった拓郎なのにこの時はすごい反応したのを憶えている。
♪そんなことないやい 
 失恋じゃないやいやい 
 あきらめてないやいやい
 この”やいやいやい”のメロディーと歌いまわしにいたく感動した拓郎はこりゃ凄いやとしつこく感激していた。とにかく拓郎の魂の琴線に触れたのがアリアリと分かった。

 調べると松本隆作詞で、作曲は筒美京平だったのだ。筒美京平がこんなやんちゃでポップな節回しを作るのかと意外に思った。で無知蒙昧な妄想であることを承知で思ったのだ。これは吉田拓郎のセンスを取り入れた筒美京平の技なんじゃないのか。

 拓郎にはちょっと思いつくだけでも、
 ♪そいでムチムチ夢中〜(あの娘といい気分)
 ♪二人の影はやがてひとつのwoh,who,woh(やさしい悪魔)
 ♪スコールの黒雲が海を渡って近づいてくるyeah,yeah(無人島で)
 こういう節回しは枚挙にいとまがない。

 以前、ドキュンメンタリー番組で、筒美京平が大量の他人のレコードを針を飛ばしながら早聴きして気になるフレーズをチェックしてゆく姿を見たことがある。音楽を味わうというより、それはベテラン漁師のフィッシングみたいで鬼気迫るものだった。拓郎を怖いと思った筒美京平はその怖い相手のフレーズを貪欲に吸収していったとしても不思議はない…というより自然だ。
 それはパクリとかそういう低い次元のことではなく、異質な細胞を同化融合して取り込み新たな自分自身になるという成長とパワーアップのプロセスみたいなものだ。音楽を愛する天才同士がなしえる崇高な技ではないのか。ということで”やいやいやいや”はそういう成果物のひとつだったのではないのかと思う。

 吉田拓郎の持つセンスと好みを巧みに吸収しそれを筒美京平の才とブレンドしてみせたのだから拓郎が感動しないはずがない。
 ということで…この妄想はまだつづく。

2020. 8. 25

 Uramadoで石野真子の”狼なんかこわくない””私の首領”に反撃するように筒美京平がフォー・トップスの前奏付きで”日曜日はストレンジャー””プリティ・プリティ”で挑んできたという妄想を書いた。この妄想の確信は小泉今日子の一連の筒美京平作品群でさらに強まる。私は小泉今日子の特にファンというわけではなく、あまり詳しくないので他に適曲があるかもしれないが目立ったシングルだけ追いかける。

“真っ赤な女の娘”
 この冒頭のコーラスとリズムの弾み方はいきなり懐かしい。
 特に
 ♪脱げばドキリ赤いビキニyeh !yeh!
 ♪熱い太陽San!San!
 こんな弾け方はいかに筒美京平といえども自家薬籠の中にあったとは思えない。Yeh! Woh! San!は、どう考えても吉田拓郎のエッセンスである。

 次の“半分少女”になると
 ♪ああ わたしのこころは かなしくしく泣いてるわ
 もう冒頭から、すみずみまでそのまんま拓郎のエッセンスの炸裂としか聴こえない。拓郎作曲といわれても疑わない。

 そして筒美京平が凄いのは摂取したエッセンスに全面依存せずに自分の音楽と自然に合体させているところだ。

“魔女”
 ♪コインロッカーに制服隠して
 の譜割というかメロディーの乗せ方は間違いなく拓郎のものだ
 ♪魔女になりたいの ん ぜったい
 ここのタメ方、
 ♪素顔の私にもどるのー もどぉ―るのー
 の最後の念の押し方としめくくり。随所に拓郎のエッセンスが覗くが、全体のメロディーの完成度の中に自然に埋没している。

 でその最高傑作というか最終作が
“夜明けのMEW”
である。
 もはや拓郎節はだし汁のように使われてあまり目立たなくなっているが、この切ないメロディーは、吉田拓郎のおだしじゃないと出ないんだよ(爆)
 真骨頂の♪きみがすべて知っていると思っていた〜
 ココは吉田拓郎が歌ったら間違いなくうまいはずだ。誰よりもうまく歌えそうな気がする。

 ということで昨日も書いたが、もともと妄想だしどっちがどっちをパクったとかそういう話ではない。

 この時代に生まれたおかげで、吉田拓郎がいて筒美京平がいて音楽がある。しあわせだ。おれはしあわせだ。ということを切に言いたのである。

 ああ眠れない夏。

2020. 8. 26

 居酒屋に立ち寄る。終始自分が唯一のお客様だったのでマスターとも常時3メートル離れているというイマドキ良好な環境だった。しかしコレじゃお店はたまったものではない。それでも私的自粛警察のような連中が抜き打ちでチェックに来るらしい。
 そんな状況なのでココでも筒美京平音楽祭を続けさせてもらった。すまんな。小泉今日子をかけて昨日の日記をマスターに解説したが、さすがに賛同は得られなかった(涙)。しょせん妄想だよな。しかし何度聴いてもその作品群に打ちのめされる。ひとつひとつの作品が実に素晴らしい。
 帰ると夜はちょうど松本隆と石橋貴明の"薪を焚べる"。筒美京平の話も出てきて面白かった。同年だからか貴明とのツボは結構一緒でまるでクラスの同級生のような勝手な親近感が湧く。でも貴明カンペをマジマジと見すぎだ。松本隆も気になって見てたので二人して宙に目線を泳がせているじいちゃみたいになっていた。

 いろいろあったが、とにもかくにも吉田拓郎のいない時間軸に慣れよう、なじもうと自分に言い聞かせる。

2020. 8. 27

一昨日居酒屋で、おおコレも筒美京平か〜と庄野真代の”飛んでイスタンブール”と聴きながらふと思い出した。ラジオで拓郎が「庄野真代はユイ音楽工房初の紅白歌合戦出演歌手で社長(後藤由多加)がすごい喜んでた」と呟いてたな。テレビ出演拒否を旗印にしつつもひそかに紅白出演に喜ぶ…なんか、いい、この話好きだ。

 吉田拓郎のいない時間軸に親しむことにしたので、昨夜のFNSで満島ひかりの”ファイト!”を観ても"こういう時こそ一緒にデュエットしてみせろよ”と思いかけたがすぐ止めた。

2020. 8. 28

 8月の終わりになると箱根ロックウェルスタジオからのレコーディング中継を思い出す。
 音楽作品はできあがった作品を聴くのが当たり前だが、"できあがりつつある"作品を味わう機会というのはかえすがえすも貴重で幸せな経験だったと思う。"外は白い雪の夜”…申し訳ないがそんなに好きで作品はないが、その出自に立ちあえた愛しさみたいなものがある。あの原曲アレンジで今聴いてみたいなと思う。

 映画”ボヘミアン・ラプソディ”で、イギリスのcountry sideのスタジオに合宿してまさに” ボヘミアン・ラプソディ”を作り上げる印象的なシーン。あれを観ながらロックウェルを思い出していた。あれは”ロック・フィールドスタジオ”っていうのか、名前も近いな。
 こっちも映画にしてくれまいか。吉田拓郎、松本隆、石川鷹彦、島村英二、エルトン永田、徳武弘文、石山”うるせバカ”恵三そして陣山俊一、いいドラマにならないかね。

 拓郎のいない時間軸に親しむ…とカッコつけてみたけれどほぼ3日で終了。

2020. 8. 29

 あいみょん@A-studio、心の底から良かった。聴きほれた。ツボるメロディー、つのるボーカル。そして演奏。Drumsに来たぞわれらの島村英二。吉田拓郎のいない時間軸としっかり結びつけてくれる。ストリングスの指揮に斎藤ネコさん、最近ネコカルご無沙汰しています。ああでも顔が映ってないし。

 今週観た松本隆と石橋貴明の”薪焚対談”のなかで、70年代の自作で何が好きか?と問われた松本は、"九月の雨"(太田裕美/筒美京平)と"ああ青春"を答えた。松本は「すごく大きなコンサートの一曲目で歌ってくれてさ、篠島だったけ?、どこだっけ?」、石橋貴明は「そのころ部活が忙しかったんで吉田拓郎は知らない」とあっさりと答えた。
 これが普通の時間の流れ=タイムライン=時間軸というものなのだと理解した。遅すぎるか。吉田拓郎のいない、たゆとうような大きな時間の流れ。文句言うのもなんか惨めな気がした。
 何より拓郎自身もそれでもういいと思っているのかもしれない。ラジオでも、ゆっくり今の音楽を観ていたいと言っていたではないか。つま恋もああ青春も知らない人たちが今日も町を行きかう。歴史の教科書に岡林信康ともにフォーク歌手として一行に記される。そんなことはどうでもいいのかもしれない。この大河のような時間の流れに従うのが、おだやかで豊かな人生なのではないかとも思えたのだった。
 こちらも吉田拓郎のいない時間軸に身を任せ、閉じられた少数のジジババ(すんません)のわかる人たちとの中だけでわかりあっていればいいのかもしれない。それこそがアウトロか。

 しかし昨今のニュースを観ていて思ったのだ。そういう大きな時間軸に任せてしまう精神だったからこそ7年8か月が過ぎてしまったのだと。もちろん政治的意見は各人自由にいろいろあるべきものだ。でも、圧倒的な多数決のもとで反対派や少数派による満足にテストも試練も受けずに、ゆるーく実現してしまったことは、多数派意見自身にとっても不幸なことであるはずだ。
 健康については本当にお大事にというほかない。特に実弟が全く同じ病気で闘病しているので切実にわかるが、それとは別だ。すべて過ぎてしまえばみな美しいというベールに包んで流すこの時間の流れに身を任すからこそ、だからこそ何度も戦争は繰り返すし個人としての自由はいつまでも脅かされる。ここにいてはだめだ、このままではだめだ…と思えた。

 例によって今、意味もわからず読んでいる西田幾多郎関係の本の一節が妙に心に響いた。西田を吉田に、哲学を音楽に変えれば同じだと思った。たぶん西田幾多郎にも筆者にもすげえ怒られるだろうけど(小林敏明「西田哲学を開く」(岩波書店)199頁)。

"吉田ワールドの中に安住していられる人たちは、それでよいかもしれない。だが吉田という日本が生み出した稀有の音楽家の音楽を少しでも「外部」に向けて開放しようと思うなら、それを別の表現、別のコンテクストの中でパラフレーズするという努力が惜しまれてはならない。たとえ吉田本人がそういう姿勢をあえて避けていたとしても、いったん「説明」が問題となったときは、われわれはただ本人の言葉をくりかえしているわけにはいかない。そうでなければ沈黙という巨大な闇に包まれるのを待つしかない。"

 屁にもならない自分だが"少数派よ、美しくあれ"という吉田拓郎の言葉、拓郎はもう考えていないかもしれないけれど、それを胸にがんばってみようと思った次第である。

 なので、あの”薪焚”は大好きないい番組だけれど、あらためて言いたい。松本隆、音楽業界に生きるなら「つま恋」を忘れるな、貴明、吉田拓郎を知らないなら俺もゲストに呼んどくれ(爆)。
 そして、日本語のロック革命の始祖とはいうが、しょせんロックかどうかなんて後思案で自分で言ったもん勝ちだ。実質的な日本語のロックの革命の実践は吉田拓郎に於いてあったんだとあらためて思った。それじゃいろいろ困るから、吉田拓郎は自分たちとはジャンルが違うフォークソングだという分節化とラベリングが必要だったんだろう、どうだ細野晴臣…と、俺もいつもの性質の悪いおっさんに戻って、裸の心を震わせて思うのだ。
 あいみょん、がんばってくれ。アウトロの周辺で遭難しかけているおっさんの私をどこかに連れてっとくれ。

2020. 8. 30

 あいみょんといえば知り合いから何か月か前「貴方解剖純愛歌〜死ね」を聴かせてもらって驚いたものだった。相当遅いのかもしれないが。このミザリーみたいな凄絶な詞を、例えばその種の世界に耽溺した方々がその種の芸術表現として歌うのは不思議ではないが、多部未華子の横でハルノヒやマリーゴールドを爽やかに歌いながら蒼天の高原列車をゆくあの娘が歌う。しかもナチュラルに、清々しい生命力あるメロディーとビートで歌う。他の曲もいくつか聴いたよ。なつかしいしカッコいい。拓郎、浜省っぽいとは思うがそれではとても覆いつくせるものではない。なつかしいけどそれでもわかんねぇ。わかんねぇけど魂が攻めてくるかのようだ。
 ということで今更ながらウロタエたおじさんは「いかなる経験も欲望も予測も成り立たぬ。ただすべての手段が破れるところにのみ出会いがおこるのである」という西田先生の言葉を思い出してかろうじて自分を支えるのだった。
 いつになるかわからないが、ジジイすっこんでろと言われようとこれはぜひ観に行こうと無謀な誓いを立ててみた。

2020. 8. 31

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 6月以来の羽田空港国際線のお見送り。ひっそり閑とした状況は変わらない。厳しいな。欠航ラッシュ。もともとハワイに行く予定も状況にもなかったが、"ワイキキのにぎわいは遥か遠く"…本当に心の底から遠くになってしまった。これじゃ航空会社も旅行会社も銀行の債権放棄が必要なのではないかと思わされる。いや不謹慎な軽口をたたいている場合ではない。
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あいみょん虎の穴・入門編が本日よりスタート。なんだそりゃ。

2020. 9. 1

 数日前加山雄三さん緊急搬送のニュースに驚くも命に別状ないとのことで安堵した。ファンといえるような私ではないが、80歳を超えてなお歌い、コンサートツアーまで敢行する偉人に対してどうしたってご無事を祈らずにいられない、ましてや応援などせずにいられましょか。
 そうしたら高橋幸宏さんも手術とな。こちらも手術ご成功ということでよかった。やはり「わたしの足音」である。「ユキヒロのドラムが走ってるんだよ」という拓郎の言葉が妙に嬉しかった(ラジオでナイト第23回)。もちろん今日の車中は"わたしの足音"〜"わたしの足音75つま恋"〜"わたしの足音2019"の円環聴きで強引に走馬灯を回す。みなさんとにかくご自愛ください。

2020. 9. 2

 9月だ。先週の”石橋、薪を焚べる”で松本隆が「いまだに9月の雨の日にタクシーに乗ると必ず”九月の雨”がかかるんだよ」と言っていた。ホントかよ?と一瞬思ったが、ホントかウソかというそういう野暮なことではなく、そういう松本の表現それ自体がもう詩なんだろうな。くー。だったら拓郎よ「俺が夜にタクシーに乗ると必ず”真夜中のタクシー”がかかるんだよ」と言っちゃってくれないか。

 松本隆と9月といえば、”9月の海に雨が降る”という抜き手の歌はもはや別格なので置いといて、フォーライフレコードにいたロブ・バードの「幸福ロンリーハート」を思い出す。東映=フォーライフ合作、市川崑監督 水谷豊主演の映画「幸福」のテーマ曲。ということで観に行ったな学生時代。”手すりひとつもない人生”、”夏の三叉路”という詞とともに最後のしつこいくらいのリフレインが耳に残る。
  九月になれば
  九月になれば
  九月になれば
  …きっと幸福
 九月には何があるというのだ松本隆。

2020. 9. 3

 ユーミン"死んだ方がいい"事件は本当に嫌な事件だ。何が嫌かって「ユーミンのこと好きでした、優れた天才で尊敬していました、だから今度はとてもがっかりしました、裏切られました」という「便法」を使うところだ。
 他にもこの件でユーミンの大ファンだったけどがっかりしてCDを捨て音源は全部削除したという類の発言を読んだが、こういう「便法」がもっともらしく使われるところが嫌だ。坂口安吾の言葉を借りれば、嘘をつけ、嘘をつけ、嘘をつけ…だ。

 ファンが尊敬した人にがっかりする瞬間というのはそりゃあ,ある。このサイトにもがっかりしたことがたくさん書いてあるぜ(爆)。好きというのはそういうどうしようもない思いと不可分のものだ。ってオレだけだったら、すまん。

 でも本当に好きで尊敬していたら、どっかの高見から「死んだ方がいい」なんて絶対に言わないし言えない。好きな人、尊敬していた人にもし失望したなら、天を仰いで地に伏して泣き暮らす…とまではいかなくとも失意のドン底に落ち込むはずだ。「死」なんて言葉はその悶絶の果ての果てに、自分ももう生きちゃいけない、死んでくださいよとあいつにいわれて理由もなく涙が落ちた泣けた〜くらいの凄絶な状況に追い詰められて初めて出てくるものじゃないのか(もちろんそれでもいけません)。
 好きだったファンだったCDや曲を捨てるのは、相当な悲しみや怒りに悶絶した後じゃないとできないはずだ。「死んだ方がいい」や「CD捨てた」発言は、そういう我が身が削れるような悲しみが全く伝わって来ない。
 ただ相手を効果的に貶めて攻撃するためのポーズとテクニックで「好きだったのにがっかり」というフレーズを使っているところが奸悪なのだ。

 自分は元首相いや,まだ現首相の施策に断固反対だし大嫌いだ。それに「ロマンの在り方が同じ」とまでいわれるとそれって八紘一宇とか教育勅語のことかよと勝手に勘ぐってしまいぞわぞわとした気分にもなる。しかしロマンの在り方ってもっと広く根本的なものかもしれないし、わからない。ともかく、ファンとはいえない私ごときではあるが、自分が思うユーミンの音楽や偉大さには今のところつゆほども影響しない。

 とにかく、その人を好きだ、尊敬するという人間のやわらかでかけがえのない気持ち。そしてそれがゆえに時として、がっかりしたり悩ましくもなる気持ち。それは本当にその人を愛する人たちのものだ。それをテクニックとして利用することの奸悪さが気に入らないのである。すべての音楽に懺悔しな…あ、これは桑田の歌だったか。

2020. 9. 4

 オールナイトニッポンゴールドの公式ブログが更新されていて次回9月11日(金)の放送がちゃんと告知されていた。よかった。…9.11かぁ。それはそれ。とにかく楽しみだ。
 しかしその前に我々人類は今週末の未曾有の台風直撃と対峙しなければならない。自分勝手で恥ずかしいのだが去年の台風の経験以来もうハンパなく怖くて怖くて仕方がない。
 何か唄を探そう。"タイフーン来たり"…ちゃう。"嵐の中でも焚火を燃やせ、自分の命を愛しているのなら"…大好きだが今はちょっと違うか。"嵐の中にも懐かしい歌が聞こえてくる"…いいフレーズだがこれも違う。"みんな拳を握りしめ じっと雨をやり過ごせ 今は嵐の季節"…おお、これだっ!!>それ甲斐バンドだろ。なんでもいい。ともかく地・水・火・風・空の五大いずれも安からんことを。九州の拓友ねーさんはじめ友人・親戚含めてすべての人類の皆さんくれぐれもくれぐれもご無事で。

2020. 9. 5

 五島列島の方が既に酷いことになってしまったが、沖縄の方は大丈夫だろうか。最大風速85メートルという数字がもう凄すぎて想像がつかない。空の大怪獣ラドンが飛ぶ時に起こる突風が風速75メートルというからどれだけ大変なことかがわかる。>わかんねーよ。ラドンより凄いのが攻めてくるというのに私たち人類はなすすべがないのだ。"地球にやさしく"とか上から目線でいたのでいよいよ地球からの復讐が始まったのか、すまなかった瑠璃色の地球。

    悪魔の斧に震えて眠る
    あやうく生きる俺たちがいて
    この国はJAPAN 瞳の中のJAPAN

 たまたま聴いていた。とにかく祈るしかない。みなさまご無事で。

2020. 9. 6

 朝の時点で少し勢力は弱まったというが油断ならんことは変わりない。昨日は、そんなこんなで書きそびれてしまったたが、1986年の昨日つまり9月5日はアルバム「サマルカンド・ブルー」の発売日だった。
 当時住んでた横浜の近所のレコード店に買いに行ったら、店内がまるで誕生日パーティの飾り付けみたいになっていて、前日に発売された浜田省吾の2枚組アルバム「J.BOY」の大小のパネルが飾ってありの、平積みの特設コーナーありの、アルバムの曲が大音量でガンガン流れているという活況に、びっくらこいた。実際に「J.BOY」は浜省初のチャート1位に輝いたし、おそらく後世に残る名盤だと今でも思う。発売当初から宣伝のせいだけでなく、なんかもう煌めいていたのよレコード店の空気が。藤井聡太棋士が勝った時の千駄ヶ谷の将棋会館みたいな爽やかに燃え立った空気があった。いや将棋会館に行ったことないけどさ。とにかく発売を祝福されているみたいな雰囲気だったんだよ。

 で、俺は背中丸めて足早にアルバムの「よ」のコーナーから、一枚のアルバムを探し出してレジに持って行った。顔見知りの店長が袋に入れながらボソッとつぶやいたの「今回は拓郎書いてないんだって?」。

 いつもの自分だと悔しいとか寂しいとか恨めしいとか負の感情の佃煮みたいになるんだけど、その時はどうしてなんだろう、何か…身体でわかったんだよな。もちろん前年のつま恋で拓郎はもう世間の表面からは消えているわけだけど。あらためて「時は完了せり」「世代は変われり」みたいな。試合終了のゴングが頭のうしろで鳴ったような。

 その後少しして友達がチャート1位独走中の「J.BOY」をカセットに録音してくれた。タイトル曲"J.BOY"はもちろん"もうひとつの土曜日"とか"アメリカ"とか"八月の歌"とか昔の曲らしいけど"遠くへ"とか名曲の宝庫なんだけどさ、中でもこの曲が響いたね。今でも深夜の帰り道に酔えば歌っていることがある。

 Sweet Little Darling'
 誰ひとり 子供のまま 生きては行けない
 悲しみひとつ背負うたびに
 輝いてくれ昨日よりも

 お前が大切にしてきた幻想(ゆめ)が脆く
 流されてく 波打ち際 砂の城のように

 でも Sweet Little Darling'
 今は ただ陽差しの中 輝いている
 すべての 美しいもの達を見つめて
 その心 翳りを おとさないで
 Oh Sweet little darling'

 愛だけが最後の 答とわかるまでは
 おれもひとり さまよってる悪い夢の中を

 Sweet Little Darling' いつの日か 愛する人見つけるまで
 その凍えそうな寂しい気持ちを
 大切に ずっと守ってくれ
 Sweet little darling' もう泣かないで

 たまんねぇな。メロディもいいんだ。バラードのサビも泣けるくらいすんばらしくて、なんかカタルシスがあるのだ。確かにゴングは鳴った、時は完了してしまった。でも、拓郎のこと好きでいろよ、旅をつづけろよ、と浜省が歌ってくれているような気がした。君のいない空を僕は一人旅をつづけよう。で、俺の中ではこの曲"Sweet little darling"とアルバム"サマルカンドブルー"の最後の曲"人生キャラバン"が互いに呼応するのよ。

 アウトロだ、最後だという空気がたちこめる昨今、あらためてこの曲たちが響くのだ。
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2020. 9. 7

 昨日の日記でレコード屋のおじさんが、アルバム"サマルカンドブルー"について「今回は拓郎書いてないんだって」と言ったのは誤解である。全10曲中、加藤和彦が作曲したのは3曲だけだ。70%は吉田のメロディーで出来ている。立派な吉田拓郎のオリジナルアルバムである。いつか注意してやろうと思ってるうちに"Hawaiian Rhapsody"みたいなアルバムが出ちまって言いにくくなってそのままだ。

 そうそう1988年に武田鉄矢のラジオに出た吉田拓郎は浜田省吾の「J.BOY」がチャート1位になるような日本はいい国だと言っておられたことも忘れてはならない。

2020. 9. 8

 今頃と怒られるかもしれないが、LIVE2016のCDをきちんとipodに入れて聴いてみた。遅いか。"流星"のボーカルがまるで耳元で歌ってくれているかのようで電車の中でちょっと泣きそうになった。うまいな。TOUR79のボーカルと比べると格段の円熟・熟達を感じる。 そういえば"流星"が主題歌だったドラマ"男なら"は北大路 欣也主演だった。あの歌唱出演は燃えたな。つまりは中野渡頭取のテーマソングだったのである。どうだ、番組の制作が遅れているなら、劇中で債権放棄に苦しんでおられる頭取の前でまた吉田拓郎が"流星"を魂こめて歌って差し上げたら。"流星"がダメなら"例えば犬の気持ちで"でもいいんじゃないか。あ、上戸彩もいることだし。>よくねぇよ。

2020. 9. 9

 松本隆先生作詞家生活50周年とかいうフレーズを昨今テレビで何度か観た。市井の人々は、ああ50年なのかと認識したはずだ。
 吉田拓郎のレコードデビューからも50年であることは、市井の人々は知る由もない。レコード会社も事務所も音楽界も静かにスルーする。50周年なんてことを意識しているのは市井や正しい世の中から良い意味でも悪い意味でもこぼれ落ちた私たちだけである。この貴重なひとときを僕たちはどうすればいいんだろうかね。

<t.y life  FAQ よくある質問コーナー>より
Q )吉田拓郎さんは昔から〇周年記念とかいうのは嫌いだと言っていました。たとえ50周年だろうとご本人は祝ってなんかくれるなよというお気持ちなのではないですか。

A )確かに過去そういう発言を何度かしています。しかしご本人は「天邪鬼」であることも自認されています。50周年を祝ってもらうのは嫌いかもしれませんが、祝ってもらわないことは、もっと嫌いかもしれません。かつて50歳の誕生日パーティをハワイのハレクラニでメニューまで自らチェックして祝ったことが、どれだけかけがえのないものだったか、そこに行っていない私たちにも伝説として伝わっています。
 大切なのは記念とか節目とかセレモニーの有無や賛否ではなく、50年間という半世紀もの長い歳月、歌い続けてくれた吉田拓郎なんだということを、それぞれがそれぞれなりに心に刻むことではないでしょうか。先日亡くなられた映画監督の森崎東氏のドキュメンタリー番組のタイトルに「記憶は愛だ」という言葉がありましたが、まさにそのとおりだと思います。何かをしなくとも、50年の旅路の偉業を私は忘れちゃいませんぜと記憶していることこそファンの愛の出発点であり終着点なのではないかと思います。



んーなるほど。>なるほどじゃねーよ。

2020. 9. 10

 一昨日の日記で身内から、どうして”例えば犬の気持ちで”かがわからないと言われたが、ソフトバンクCMのお父さん犬の声が北大路”男なら”欣也だからだ。なんか言ってしまうと不粋だな。“半世紀生きた犬の気持ちで”…ここでも半世紀=50年だ。そうそうこんなのもあった。

<t.y life  FAQ よくある質問コーナー>より
Q ) “半世紀生きた犬の気持ちで”と拓郎さんは歌いますが犬は半世紀も生きるものですか。
A ) 作詞の鈴木慶一さんにお問い合わせするのが一番だと思います。しかし生命の不思議は奥深く、いろいろな謎が拓郎さんの歌でも歌われています。草笛を吹き鳴らす野ウサギ、水族館でブツブツ言ってるマンボウ、飛べないけれど幸せだと考えているニワトリ…やがて生物学的解明がなされた時吉田拓郎の歌の深さがあらためて世に知れることでしょう。
 但し、空飛ぶ鯨が発見されたときは大瀧詠一、ちゃんちゃこ等の間で誰が最初か論争が熾烈を極めるものと予想されます。もちろん私たちはスーさん押しで行きたいものです。

2020. 9. 11

 今日はラジオだ。しかし今夜は工務店さんの工事現場に立会をしなくてはならないので生放送にまにあわないかもしれない。もし、ものすげー大事な事を言うんだったら、イントロではなく、なるべくアウトロでお願いしたい>何様だよ。筒美京平の作品はここのところたくさん聴いたけれど、あまりに名曲があり過ぎて結局ハガキ・メールは書けなかった。どんな曲がエントリーするのだろうか。

 ※追記
 さだ工務店に立ち会い。生音がすんばらしい。ライブはいいなあ。キーボード倉田信雄さんは アルバムひまわり。そして島ちゃんは古希セブンティおめでとう。早く地球にライブが戻りますように。とにかく音が助けてくれる夜。
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 早く帰って聞かねば。

2020. 9. 12

オールナイトニッポンゴールド  第6回 2020.9.11

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。週替わり今日金曜日は吉田拓郎です。

 「愛は人間が発明したものじゃないんだ」という映画のセリフがあった。なるほど。世の中で人間は発明の恩恵にあずかっているけど、愛というのは発明品じゃないんで人間の思い通りにはいかないものなんだ。面倒で複雑なものだ。時代が進化すると便利なマシーンに慣れてしまって、人間同士の面倒なコミュニケーションをつい避けて通ってしまう。友人、恋人、家族との関係をもう一度見つめなおす。あなたの話しているのは人間だ。映画を観ているんだけどいい映画がなかなかない中で、いいセリフだった。

<来年のライブ今年の秋には決定するということですが、何とか実現してほしい、人数が制限されるならチケット代三倍でもいいので何とか実現してほしいという投書>
そういうチケット代どうこうというレベル以前の問題。僕なんかがいうべきではないが
 おのおのミュージシャンは違う環境でやってるんで規模とか立場によって違う。ツアーの実情、例えばスタッフが何人いて、その宿泊交通どうするとかそれらとは別に、僕は個人の気分, 年齢体調から、去年がラストと思っていて、いろいろあったけどもういいんじゃないかという気分だ。

 これまで失敗やら挫折やらあったし、もともと身体が弱かった僕が、東京に出てきて、当時は空気が汚くて光化学スモッグ警報が出ていて、母も心配していたが、かえって空気の汚いところで元気でオールナイトイベントをやったりして活躍できた。
ありふれているが、よく生きたし、よく作ったし、よく歌ったし、楽しかった。思い残すことはないんだ。「これでよし」というのが心の中にある

<先週の放送を聴いて”昨日の雲じゃない”を思い出した、ファンにとっては悲しいが流れに逆らえない、受け入れないといけない、来年は最後まで夢を見せていただいて、あとのことはその年を過ぎて考えればいい、ミュージシャン拓郎さんではなくなっても、パーソナリティ拓郎さんに期待する、私個人は今の夫との家族の壁は乗り越えられるのか心配だという投書>
 ありがとうね。そう言って下さることが今の僕には最大の幸せです。パーソナリティ拓郎…どうかね。自宅で半年いるといろいろ新発見がある。ご夫婦の壁ね。親子兄弟と違って夫婦は赤の他人。あまり意識しなくていいんじゃないか。
 夫婦でも共有できないことはあってもかまわない。それぞれの個性あって当然で、それを乗り越えようとしなくていい。ウチにも目に見えない壁がある。吉田家、竹田家と生い立ちが違うから仕方がない。年月とともに認め合っている。暗黙の了解。それより大事なのは話す時間。古くからの友人に問題を抱えている人がいて、話すんだけど、おーやっぱり会話だな。人間は話せる動物なんだから、話さなきゃ、ウチはよく話すよ、ウチは黙っていられない
から。

<早くSTAGの腕時計が届いて欲しい、forever、 fromTの刻印とても楽しみという投書>
<腕時計購入しました、拓郎さんのお揃いという投書>
 これは刻印してあるので一般のものとは違う。だから少し時間もかかるけど、僕と同じ時計でいいじゃないの、楽しかった思い出だよ。

<家族三人共通でサッカー観戦が趣味、奥様はヤットさんをまだ愛していますか、外は白い雪の夜が好きな内田篤人のラストマッチには泣きましたという投書>
 観ましたよ。ウッチーのラストマッチ。やっぱりウッチーはかっこいいな。あの人ぁハンサムだし、プレーに華がある。試合終了後のファンへの感謝の一周にかわいい子供をつれてニクイなぁ、ノックアウトされた。彼はスターだな。

 今でも遠藤の話になるとテレビに釘付けになる。出場回数は減っているがガンバ大阪にとって彼の頭脳とサッカー歴は大事だ。奥さんはヤットさんからサッカーを観るようになった。彼のDVD、本と大変だった。いつの間にかサッカー全体に詳しくなって、野球以外興味なかったし、サッカーなんて90分で1点とかいうのが苦手で興味なかった僕までが巻き込まれた。変えられた。キッカケは遠藤選手なんだな。

 ウチの人は、いろいろなスポーツ選手を好きになる癖がある。みんながキャーキャー言う人、例えばウッチーのような選手にはいかない。ちょっと渋いところをつく。彼女の男を観るときのポイント。西野監督とか、渋いでしょ。あとガンバの宮本選手。相撲の照ノ富士も勝ち進んできたところで、いいわと言い始めた。調子悪いときは忘れてたたみたいだけど(笑)
 あと桃田選手。バドミントンの高松コンビあたりから観始めて、桃田っていいよと言い出した。あと音楽では米津玄師。どう多彩な人選というか滅茶苦茶(笑)
最近、野球に興味なかったのが、自粛生活の中で、突然、広島の森下選手が気に入っているようだ。偶然にも森下。テレビでアップになると「おー、いいじゃない」「投げ方とか好きな感じ」というが野球の投げ方とかわかっているのか(笑)。

 で「吉田拓郎はという存在」はどういう位置づけなのかと聞いてみたら、「ジャンルに属さない別枠の1位」と言っていた。納得できない。そこの2位3位に誰がいるんだと言いたい(笑)

<前回の放送に胸を打たれた、私にとっての拓郎さんはキンキとLOVE2のまま、変わることを恐れていた、まさに生きるということを教えられた、つまらない生き方をせずに、喜びながら生きていきたいという投書>
 うれしいですね。ありがとう。生きるということは、人生がこれからも続いてゆくものだと考えましょうよ。残された時間は続いてゆく。こうして生を受けているので尊い楽しいものにしたい。みんながんばろう。

■今日も自宅の勉強部屋から手作りでお送りします
                吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド。

<最近やることが遅くなった、身体と頭がついてゆかない、そんな中で、手料理の新作が増えてゆく奥様はすばらしいという投書>
 人間は歳をとると手際も悪くなる。タクシー降りて道路と歩道のフェンスを昔だったらひとまたぎだったのたが、今はヨイショと越えている。これは受け止めるしかない。だからといってジムで鍛えたりしなくていい。あんまり効果なかったし、ジムが良くなかったのか。僕は「老い」というものと付き合おうと思っている。
 ウチの人の料理のレパートリーが増えたというのは 自分が食べたいという自分本位なんですよ。自分がかわいい、私本位、自分がより気分よく生活したいそういうことで生きていたい、自分が気持いいというその延長にある。実に正直に生きている。よく言うような夫のためにとか愛する旦那のためにというキレイ事じゃないのよ。自分の心地よさが大切。聞こえはよくないけれどこれは悪いものではなくて自分に素直になる。それがまた周辺の人を素直にさせる。

 今日は普通だったらハンバーグになる日だけど、違うもの食べたいなと思うウチの人がいる。僕も今日はハンバーグの日だよなと思って席につくと「ゴーヤチャンプルーだよ」となる。夏だしいいじゃないか。こういうハプニングがある。自分の気持ちに素直になることが一番。僕のことを愛していないわけじゃないけれど、それがすべてではない、ははははは。

<ユーミン・矢沢・サザンの話を拓郎さんから聞くのはとても新鮮だ、"こはまもとこ"と言って福岡で番組を持っている、2006年のつま恋がきっかけ、77年生まれの私だが、父の影響でフォークソングにはまる、それでつま恋に行き、その感動からフォークソングの番組立ち上げた、いつかインタビューさせていただきたいという投書>
 現役のパーソナリティーなんだ、面白いな。福岡ですか、福岡も思い出深い土地で、中洲もなつかしいな。コンサートのあとシャワーも浴びずに直行したもんだな。
福岡は飛行機が嫌いなので新幹線だった。新幹線も新大阪から先山陽新幹線になるとトンネルも多いし疲れる。広島あたりでつらくなって、福岡に着く頃は疲れ果てている。でも車窓から景色を観るのが好き。誰も言ってはくれないが、ロマンチストなんだ。景色を観ながら詞が浮かぶ…嘘だよ、詞がうかんだことは一回もない。景色を観ながら車中で詞を書くという人が信じられない。そもそも乗り物で寝れない。乗り物でイビキとかかいて寝られる人が信じられない。

 だから海外旅行は苦手。景色はないし寝れない。映画を観るだけ。ハワイなら5時間くらいでまだいいが、アメリカとかはもうダメ。
 あなたの番組”リフォーク”っていうのか、そばに僕がいたらタイトル変更する。やめようよフォークなんて。インタビューですが、フォークのことを聞かれるはお断りです(笑)。

<娘が学校の先生、自分の時よりも、朝から夜まで頑張っている、大変な仕事で、問題のある生徒や家庭に悩んでいるけれども毎日頑張っている、娘も誰かの姉さん先生なのだろうか、あんな小さかった娘が…という投書> 
 誰かのねえさん先生…いいな。いい話だな。娘さんがいつのまにか成長していて、それこそが時代は変わるだ。これは受けとめたいな。娘さんが、若い人を育てて新しい時代を作る。時の流れが作っている、娘さん先生も父親のあなたも頑張って歩いている。

 さっきLOVE2の話が出て懐かしくなった。20年以上経ったけれど、とてもすばらしい時だった。あそこで知り合った二人、光一と剛。年齢に関係なく、生涯を通じての親友だと思う。番組で行ったハワイでいい思い出ができた。砂浜で海に足を浸しながら、あっちが日本なんだとか話しながら、Kinkikiや篠原やスタッフとのロケは楽しかったな。あそこから親密になった。あんな番組は二度とない。

 全部抱きしめてだけれど、心通じあったハワイロケを思い出してトロピカルバージョン

M−1 全部抱きしめて  トロピカル  吉田拓郎

(CM)

 音楽人生は、紆余曲折あって挫折を含めて、素晴らしい音楽人生だったと胸を張りたい。スッキリと整理することを決心すると実にすがすがしい毎日が始まっている。自分のこれからが見えてきた。いい決断の時だった。人間は世の中とか時の流れに逆らう仙人みたいな人生もあるが向かないな。音楽から沢山教わった。それらを大事にしたいし、守りたい裏切りたくない。
 愛、家族、友達,裏切りと信頼、正義と悪、それから心。音楽とともに生きたんだな。素晴らしいことだった。

 時代は1969年6月20日。広島青少年センターで“よしだたくろうフォーク独演会”というのがあった。
 大学生で、ロックバンドのダウンタウンズとかけもちでカレッジ・フォークが流行していた。どちらというとボブ・ディランとかサイモン&ガーファンクルとかフォークロックに気持があったず、世間ではPPM 、ブラザースフォー、キングストントリオとかが主流でカレッジ・フォークが人気があった。
でも僕はそういうのは興味がなくてディランも弾き語りは影響受けたけどあとはザ・バンドと演奏しているのが好きだったフォークロックの方に興味があった。

 河合楽器でギター教室をやっていたことがあった。独学だったので、スリーフィンーガー ツーフィンガーとか誰にも習ったことなくて(“くよくよするなよ”実演)。  
 僕はピックストロークが好きだった。教えるのもストロークしつつ、ピック持ちながら指弾きベースランする吉田拓郎流で教えていた。これが女子高生に人気あって結構儲かっていた。それでよく遊んでいたな。
当時フォークソングブームで広島フォーク村というのも参加してその経緯とかは忘れてしまったが、あるのは女の子との思い出だな。それが青春<音楽を使っていた(笑)
で、吉田拓郎は目立っていたので当時から単独で有料コンサートをやっていてその貴重な音源が見つかった。
 昔から音楽はパーソナルなものだと思っていたし、そのレベルも日記のようなものがよくて、プロテストとか反体制とか社会風刺とかがよくわかんなかった。
“イメージの詩”も反体制とかいわれたけれどあれはラブソングだよ。当時、女子大生に失恋した時につくった、あれも日記なんだ。やれ風刺とかうるさいので、ロックバンドの方が楽しかったし、R&Bが好きだったので、フォークスタイルの時も、エレキギター、エレキベースを入れて、後のミニバンドのスタイルでやっていた。
当時からオリジナルを作っていたが、やっぱ絵日記なんだ、今でもそうだ。大げさな歌ではない。
 初公開だけれど、広島フォーク村時代から変わっていないということが伝わると思う。ただギターテクニックがうまい。「あ、俺うまいや」と思った。当時こんなアコギ弾けるやつはいなかった。東京に来て驚いたのは、フォークといっているやつらがギターを下手なのでびっくりした。バカテクの曲なんだけど。好きな女の娘が後ろ姿であの娘かと思ったら違う娘だった。そこにちょっとしたひねりが入っている。60年代広島フォーク村時代の独演会から。

M―2 なんとかならないか女の娘

(CM)

 リスナーが選んだこの一曲。来月は「中島みゆき」のこの一曲。これは譲れないという曲が僕もある。
今月は筒美京平。これがいっぱいあるんだ。数々のヒット曲のうえにアルバムとかもあるので 絞るのは難しい。でもこれまでも一曲に絞ってきたのでなんとか一曲選びたい。
今週は…どうして今週はって言ってしまうんだろ、今月は筒美京平特集です。

□23時
 佳代はさ、朝が苦手で夜もすぐ寝るよね。
 でも夜遊ぶのは大丈夫
 毎日の日課は好きじゃないよね
 日課って
 ごはんとか掃除とか洗濯とか奥さんがやるようなこと
 奥さんがやることはきらい


<南沙織“17才”、テレて一緒に歌う拓郎さんが印象的だった、当時天地真理派と激論したという投書>
 小柳ルミ子はいなかったのかな、当時は三人娘とか言われてたから。まぁどうして当時この人を好きになったんだろうと思うようなことがのちのちあるだろう。今月は南沙織のリクエストが多かったな。時代的なものかもしれない。

<南沙織“色づく街”という投書>
(歌う)俺も好きだ。南沙織、筒美京平、有馬三恵子のトリオはいいねぇ

<商店街でよく流れていた南沙織の“夏の感情”、サビの波状攻撃が凄くてもう素晴らしいメロディーを詰め込みすぎで凄いという投書>
 確かジャケットが夕暮れで小麦色のワンピースって感じだよね、覚えているよ。好きだったからシンシアという歌を作るから作るくらい。やっぱり天地真理とかより一番好きだな。

<南沙織“ひとかけらの純情”ロングヘアー、サビを少し寂しげに歌うのがいいという投書>
 ファンが多いな。昔70年代に呼び出すとよくペニーレインに来てくれた。妹のロージーさんもつれてきてくれた。でこっちは酔ってるし、かなり失礼なこと言ってたんだろうな(笑)。

<いしだあゆみ“ブルーライトヨコハマ”当時いしだあゆみのまねしてリボンで結んだ髪型にしてデートの時に喫茶店でよく流れていたという投書>
<いしだあゆみ“ブルーライトヨコハマ” 華奢な美しさという投書>
<庄野真代“飛んでイスタンブール”詞と曲調べがぴったりという投書>
歌えちゃうんだな。

<拓郎さんが選ぶ曲にはいつも教えられる、中一のころ庄野真代“飛んでイスタンブール”が忘れられないという投書>
<Kinkikidsの”やめないでピュア”、カラオケの十八番でひとりで歌っている、光一君の大ファンという投書>
ひとりでカラオケに行くのか、みんなに聞かせたいからカラオケに行くんじゃないんだな。わからんな。
<Kinkikidsの”やめないでピュア”、1999年のころなで拓郎さんならよくご存じでしょうという投書>
いえ知りませんでした
<太田裕美の”木綿のハンカチーフ”松本隆と筒美京平がピッタリという投書>
 松本隆もこの辺から女性のアイドルが多くなっている。俺とも組んでデビューするアイドルとかやったけどヒットしていない。僕のメロディーが悪かったといえばそれまでだけど。

<太田裕美の”木綿のハンカチーフ”小学校のころ聴いたという投書>
<かなりじっくりと選んだのだがやはり太田裕美の”木綿のハンカチーフ”という投書>
詩を書いた松本隆も、これはボブ・ディランの詞に影響を受けたと言っている。

 リクエストはかなり偏っていたね。筒美京平は男性にもかなり提供している

M-4 木綿のハンカチーフ   太田裕美

 僕が選ぶ曲だけどメチャクチャ悩んだよ。

・ジュディオングの”魅せられて”
・近藤真彦の”スニーカーぶるーす”
・尾崎紀世彦の”また逢う日まで”
・岩崎宏美の”ロマンス”
・近藤真彦の”ギンギラギンにさりげなく”
・郷ひろみの”男の子女の子”
・僕も歌ったことのある”よろしく哀愁”
・麻丘めぐみ”私の彼は左きき”
・中原理恵”東京ララバイ”
・いしだあゆみ“あなたならどうする”
グループサウンズにも曲を書いていた。ビレッジシンガーズの前座をやったことがある。
・”バラ色の雲”、これが頭にくる人達だった(笑)
古いけれど
・朝丘雪路の”雨がやんだら”
70年代付き合いのあった
・桑名正博”セクシャルバイオレットNO.1”
これも付き合いのあった稲垣。こいつが酒癖がわるくて、歌っているときと全然違う
・”夏のクラクション”
いい曲だな。泉谷しげるとスーパーバンドの時に演奏した、いいメロディだった。
・小泉今日子”なんてたってアイドル”
歌えるのが凄い。

 さっきも吉田拓郎が選ぶと「ああそうか」と思うというのがあったが、この曲はマイナーがかっている。阿久悠の詞。筒美京平の巧みな技によってマイナーのメロディーを日本的に処理したりしていない。今までの日本ではマイナーなものは暗くなってしまって好きじゃなかったが、これを上質なポップスにしている。マイナーなメロディーは多くの場合暗いものになってしまっていた。だから筒美京平のメロディーを若者たちは支持したのだった。
 フォークの中には暗い曲が結構あった、以前の歌謡曲と変わらないようなものがヒットしていた。これはブームで売れているだけだ、音楽的には新しくない。和製フォークなんてすぐ終わると思っていた。それよりも、実は体制的にみえたアイドルの楽曲が新しい風とか波が起きていて、筒美京平はその最先端にいた。旧態依然のどっぷりとしたマイナーメロディーがマジックで切り取られ、だから太田裕美とか南沙織とか若者たちが支持した。実はすごく新しいことがいっぱいおこなわれていた。日本のポピュラーで行われていた。新しいといわれていたフォークがどんどん古くなっている。アイドルがどんどん新しい実験を経てポピュラーシーンを変えて永遠に残ってゆく。

M-4 たそがれマイラブ  大橋純子

□CM
 音楽には、イントロ・アウトロ・エンディングがあり、僕は最後の〆をまっている。音楽では、前奏がとても大事でその印象で八割が決まる。イントロがつまんないと曲の印象もつまらなくなる。Woo Babyのイントロ(実演)こういうのをやりながら、ふと自分で自分のイントロベストを考えてみたくなった。いろいろ曲を観て浮かぶものを選んでみた。

 ベスト7を選んでみた。その前に番外は、高中の”落陽”。このギターは永久不滅で僕が作った。73年にデモテープにこのギターのイントロを入れてアレンジャー瀬尾一三に指示したのが高中のあのメロディー、これが8位。


7 位 ビートルズが教えてくれた   
矢島賢のダブリング二重奏。ギターでハーモニーをつけるという新しい技。どうだいと言われて良いねぇと反応した。

6位 元気です 
スタジオで徳武弘文が即興で弾いた。彼の得意なカントリー風で作ってくれた。

5 位 春を待つ手紙 
松任谷に口で指示したメロディーをシンセで弾いてくれた。素朴な感触にこだわった。

4位 おきざりにした悲しみは 
二十歳そこそこの高中が僕のコードから現場でこのメロディーを作った。びっくりしたな。背筋がゾクゾクして高中は天才だと思った。金髪で真っ赤なシャツ着て派手だったけど天才だと思ったね。

3 位 慕情 
 武部にボーカルとギターでカセットを渡して、イメージとしてはドラマチックにと頼んだら、ギターでなくてピアノでやってみましょうと作ってくれた。いやあ好きだなこの戸イントロ。スケールが雄大でメロディーにストーリー性もある

2位 人生を語らず
 音のパートナー松任谷正隆。当時は、僕がディランと松任谷がひとりでザ・バンドを意識していた。ザ・バンドの”Weight”にインスピレーションを受けて作った。イントロのキーボードがまだシンセがない時代、エレビで  生のストリングスはまだロックにはなじんでいなくてノリが悪い。そこに松任谷が新しい楽器でソリーナがあるということでスタジオに持ってきて弾いたら「これだ、これだ」ということで、日本で初めてではないか。永久不滅だ。

1 位 I’m In Love
 絶対にこれだ。昨年のライブで鳥山雄司にこのギターのまんまじゃないと歌わない。このまんまコピーしてくれと頼んだら鳥山はプライドを投げうってそのとおりに弾いてくれた。 かつてレコーディングの時に青山徹に切ない感じ、いとおしい感じそれでいてビューティフルな感じを忘れないでと頼んだ。おまえのーせつのーいとおしーのーうつくしーやれよ、拓郎はん、これ、ええ曲じゃのー 今アドリブでもやっても、今夜一晩時間くれんさいや
 翌日、スタジオでこの珠玉のギターを弾いた青山を抱きしめたね。こんなにロマンティックなメロディーもっと普段もロマンチックにせいや…普段はナンパばかりしていのに(笑)。とにかく歴史上一番のイントロだ。

M-5  I’m In Love 吉田拓郎

■エンディング

次回10月9日。中島みゆきの一曲。
中島みゆきとは2006年のつま恋で最初で最後の歴史的ステージができた。この前のみゆきのラストツアーは僕がどこで出るはずだった。中島みゆきにも知らせず、企画していた 残念でしたね。一曲だけギター弾いてコーラスを歌って中島みゆきに握手を求めにいく…夢と消えてしまった。素敵なステージができたらよかったのに。


 マイウェイという名曲がある

 私はエンディングに向かっている
 私が確信をもって言えることは友よ

 私は生涯とおし存に分生きてきた
 すべての道すべての小さな道をも旅してきた
 何より誇りに思うのは自分らしく生きたこと
 後悔もあるがやるべきことをやったと思っている

 自分が行くべき道を自分で決めて歩いてきた

 みんな知ってるんじゃないのかな
 時には私のチカラが及ばなかったこともあったことを

 だけど迷ったときもそれを受け止めて

 愛し笑い泣いたこともあった
 喜びも挫折も十分に味わった
 涙がひいていくなかで心から

 過ぎ去ったすべてを楽しかったと心から思える
 自分らしく生きたといいたい
 人間とは何だろう
 何か得ることができたか
 自分らしく進んできた


 心の感じるままに語る
 世間が求める言葉でない
 きっと気づいてくれることを信じている
 私が私らしく生きたこと

M-6 マイウェイ エルビス・プレスリー

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆ここのところ悲しみをともなって毎回続く「ラストコンサートは去年で終わっている」シリーズの流れ。今回で底を打ったような気がする。最後にマイウェイを聴かせられて、とにかく一度きちんとあきらめた方がいいのかもしれない。俺も頑なに握りしめていたものを一度緩めた方がいいような気がする。

☆底を打てばあとは登ってゆくだけだ。かえって「清々しい気分でこれからが見えてきた」という吉田拓郎に沿うてゆくしかない。「残された時間は続いてゆく。こうして生を受けているので尊い楽しいものにしたい。」「音楽から沢山教わった。それらを大事にしたいし、守りたい裏切りたくない。」。俺も吉田拓郎から教わったことを大事にしたいし守りたい。もうファンとしては道を踏み外しているような気もするが。ミュージシャン吉田拓郎が消えるわけではない。
 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。未来はすべて不意打ちだ。予測しないところからロストフの45秒みたいな天使の一撃のようなことが起きるのを期待せずに待つしかない。

☆娘さんが誰かの姉さん先生になっているかもしれないというお話は泣けたな。とても感じ入ってしまった。そんなふうに変化を身体で感じる人もいるのだな。

☆”何とかならないか(い)女の娘”デビュー前からやっぱり非凡だな。かっちょええ。「俺はフォークじゃない」というのはこの一篇からもわかる。福岡のパーソナリティさんの心意気は素晴らしいが、そういう人に対して「フォーク」の旗をたてて向かっちゃダメだよ(笑)。でも若いファンの方々が感じてくださることは心の底からありがたいことだ。

☆木綿のハンカチーフは確かにディランの”スペイン皮のブーツ”に似ているけれど、最後の贈り物で涙拭く木綿のハンカチーフくださいのところで松本隆のオリジナリティが大逆転のような輝きを放つと思う。・・・って松本隆のことはいい。

☆筒美京平によってアイドル達の世界が、新しい音楽の大いなる実験・開発の場となっていたというのはそのとおりだと納得した。でも、それはたぶん「吉田拓郎を怖いと思った」という筒美京平の話と裏表なのだと思う。筒美京平は、フォークを怖いと思ったのではなく新しい吉田拓郎さんの音楽を怖いと思ったということと符合するのではないか。前にadayで書いた通り、明らかに拓郎節を学び摂取し同化したようなフレーズがたぶん小泉今日子あたりから出てくる。筒美京平は偉大な溶鉱炉みたいにすべてを吸収してまた新たなメロディーを作り続ける。よく考えると不気味ですらあるな。

☆イントロベスト7は面白かったな。情報としては知っていたことでも、こうしてアーティストのドラマとして聞くとどれもその情報を超えて深く、また曲を何度も聴きなおしてみたくなる。今度は、間奏とエンディングもお願いしたい。俺はサマータイムブルースの間奏に一票。

☆中島みゆきのゲスト出演予定に悶絶する。あらためて何度でも悶絶する。今年、幸運にもラストツアーに行った雨畑がセットリストに「悪女」と「永遠」が入っていて、しかも会場に某拓郎関係者の姿を見て秘かに確信していた。なんとしても行きたい、でもとても無理だ、おーまいがーと苦悶しているところにこの事態になってしまったのだ。私が行ける行けない以前に、私たちが、今年あるはずだった歴史的な名シーンを失ってしまったことが心の底から悲しいだろう、みんな同じさ。

☆マイウェイといわれたら思い出す。荒木一郎作詞作曲でドラマ「ちょっとマイウェイ」のテーマソング「夜明けのマイウェイ」。殆ど知られてないだろうが大好きな曲だ。マイウェイに気持ちを託す拓郎に対して、それを受けたこちらもの気分にもびったりだ。こっちも元気で行こうじゃないの。

     夜明けのマイウェイ

 悲しみをいくつか乗り越えてみました
 振り返る私の背中にまだ雨が光ってます
 走っている途中で 時折つらくなって
 振り返りあなたの姿を追いかけてみもしました

 でも夜はもうじき明けてゆきます 今までと違う朝が
 ガラスのようなまぶしい朝が芽生え始めています

 悲しみをいくつか乗り越えてきました
 振り返る私の背中にホラ虹が揺れてるでしょう
 だからもう私は大丈夫です 今までと違う夢が
 次第次第に心の中に溢れ始めています

 もう昨日は昨日、明日は明日今までの事は忘れて
 花びら色のさわやかな日を迎え始めています

 悲しみをいくつか乗り越えてみました
 振り返る私の向こうに 青空が見えるでしょう


☆☆☆今日の学び☆☆☆

「男はつらいよ」の志村喬の「人間の運命に逆らっちゃいけない」というセリフをまた思い出した。
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2020. 9. 13

 久しぶりに生音で音楽を聴いたらそれだけで涙が出た。このご時世で幾重にも制限されたうえにインストゥルメンタルを中心とした短いライブだったが、音楽に包まれるってこんな感じだったか。編成も素晴らしかったな。ちなみに工務店店主さだまさしはいない(爆)。

 ピアノの倉田信雄さんの選曲。先日亡くなったエンリオ・モリコーネ特集で”夕陽のガンマン”〜”ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト”〜”ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ”。
 “ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト”はチャールズ・ブロンソンとヘンリー・フォンダが共演した西部劇で、昨年居酒屋で一緒になった太田トクヤさんからこれを観たら映画通と認めてやると言われた映画だ。…まだ観れてない。

 島ちゃんは、メイソン・ウィリアムスの"クラシカルガス"。身体ゆれるぜ。昔FENで必ず流れていたねと倉田さんと盛り上がっていた。英語の意味を徳武さんにメールで問いあわせておられた。 そう、島村さん誕生日おめでとうございます。ぬわんと70歳。若い。「島村さんを古希(コキ)使う」に笑って拍手。

 拓郎はもちろん、早くこの世にライブというものが戻ってきますようにと祈らずにいられない。今度戻ってきたらすべてのライブを大事に大事にしますから。
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2020. 9. 14

 “人生を語らず”のイントロのソリーナの話は、昔、南こうせつが話していたのを聞いて私は知ったんだった。http://tylife.jp/uramado/jinseiwokatarazu.htmlあのイントロは当時松任谷正隆しか持っていなかったソリーナという楽器を使っていると。
 でもよく考えると南こうせつが知っているということは、当時の音楽界にとっても衝撃的なイントロだったことが窺えやしないかい。あの荘厳な感じがもうビートたけしならずとも、たまらなかったね。神様が作らせて神様が歌わせたとしか思えない。それでエンディングのソリーナの残響もよくね?この作品をスルーして日本語のロックの講釈とか語ってんじゃねぇーよ。※特定の個人を指しているわけではありません、たぶん。

2020. 9. 15

 拓郎が選んだ"マイウェイ"はフランク・シナトラではなくエルビス・プレスリーのカバーだった。どうせなら布施明のカバーを流したらよかったのに。>よくねぇよっ!"マイウェイ"といえば日本じゃ布施明の腹式呼吸歌唱しかない。

 ラジオが来年3月まで決まった。この6か月は大きいよね。たぶんコロナを含めた世の中も拓郎の活動もいろいろなことが波打ちながら激しく動いたり固まったりしてゆく期間だ。そのときによすがとなる拓郎のラジオがあって良かった。
 どうなってゆくんだろうね。禍福は糾える縄のごとし。幸福だけで拠ってある縄はない…という向田邦子理論。この理論は裏を返すと不幸だけで拠ってある縄もないのだ。さんざんな日々だが、友よ、兄弟よ、顔も知らぬが熱き同志たちよ、吉田拓郎から教えられたもの同士頑張ってまいりましょう。

2020. 9. 16

 こんな世の中と自分を捨ててみながら歩いていると東京ドームが見えた。ドームか。何もかも懐かしい。しみじみ思っただよ。東京ドーム公演のオープニングは“チェックインブルース“だったんだよな。あの大舞台をあの曲て始めるなんざぁ、もうたまらん。超絶かっちょええ。ああ観たい。もう一度、魂の底から観てぇ!今度は心入れ替えて良い観客になるからさ。
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2020. 9. 17

 去年キャンディーズの蘭ちゃんのソロライブを観たのも後楽園のホールだった。もう観客は自分も含めてジジイとオッサンが殆どだった。凄かったのはたくさんのジジイとオッサンたちが当時の親衛隊のコールと踊りをキチンとやるんだよ。このライブのために組織化されてやるんじゃなくて、あきらかに個人個人がかつて身についていたコールと踊りを見事に技として再現している。これはもう立派な芸だ。すげえなと感動した。
 あれから40年間。キャンディーズの再結成は残念ながらもうない。もし今回、突然に降って来たようなこの蘭ちゃんのソロライブがなかったら、この素晴らしい親衛隊の芸と技は発表の場もなくそれぞれのお墓に持っていかれて消えてしまったのだよ。そう思うとこのジジイとオッサンたちがたまらなく愛おしい。人間国宝だ。私たちは危うく世界文化遺産を失ってしまうところだったのだ。

 で、僭越ながら思う。

 ステージの上にだけ芸術があるわけではない、客席もまた芸術なのだ。


 ここ十年、吉田拓郎のライブで凄く気になっていたのだが、♪シンシア〜の後に”フッ!フッ!”の合いの手を唱和する客がものすごく少なく年々減っていることに強い危機感をじている。客席の芸が廃れている一例である。それこそ各人の自由だし迷惑とは知りつつ、俺は一緒にライブ行った人がこれをやらないと厳しく注意・指導することにしている。おかげですっかり嫌われて孤独な身の上である。キャンディーズ解散から40年間、ライブがなくても静かに生き続けた客席芸があれば、本人歌唱のライブが続きながら忘れられてゆく客席芸もあるのだ。それではいかん。

 そう考えると「人間なんて」の客席というのもひとつの壮大な芸であることに疑いはない。拓郎本人の歌唱も当然に凄いが、客席の雄叫び唱和と魂のグルーヴというまさに芸と技があってこその「人間なんて」だと思う。例えばロックフェスに集まった元気な若者たちにちょっとやってみろと言ったところで、そう簡単にあの客席の魂の技は再現できまい。
 拓郎本人はきっともうこんなの歌いたくないとかもうアウトロだから無理とか消極的かもしれないが、そんなことは関係ない。客席の芸を風化から守り保存するためにも、そろそろ一度、こんなもんだったよなという技の確認が必要ではないか。どうだい拓郎、そのためだけに「人間なんて」を一度歌ってみてはくれまいか。

2020. 9. 18

 昨日は思いつきでテキトーに「人間なんて」のことを書いたが、そういえば久しく「人間なんて」とご無沙汰していたことに気づく。なので、i-podに入っているCD音源から”中津川”と”つま恋75”と”篠島”の「人間なんて」を聴いてみた。やっぱりこれは野性の呼び声だな。すげえもんだ。
 拓郎、あなたは本当のライオンよ。そしてあなたの雄叫びがライオンならば私は松島トモ子、強く噛んで離さないで。(※それは松島トモ子さんに失礼だし不謹慎だと思われた方は、松島トモ子の公式ブログを検索してみていただきたい)。
 3バージョンそれぞれにすんばらしいけどさ、”つま恋75”のこのイントロは何度聞いても出色だ。なんてカッチョええんだ。地の底をふるわせて立ち上がってくるようなイントロ&演奏はたまらんな。CD化された音源の音はまた格別ですぞ。篠島の”人間なんて”も魂が揺さぶられるがイントロに限っては本体のメロディーそのものなのでややもするとちょっとダサい。それにしても”人間なんて”…これはいったいなんだったんだろうね。取り扱い困難な曲であることは間違いない。
 さぁ、ここまで来たら89−90”人間なんてツアー”の熱さはないけれど味わい深いまるでミネラル麦茶のような”人間なんて”も聴いてみよう。

2020. 9. 19

 ライオンはネコ科だ。この世にはネコ派とイヌ派という歴史的二大派閥がある。イヌとネコのどっちが好きかと聞かれたことがどなたもあおりだろう。吉田拓郎はイヌ派かネコ派かという質問がこのサイトにも多数寄せらる。…嘘だ。来ねーよ、質問なんて。てか本人に聞きなよ…という問題なのですが、一応このサイトでもFAQが用意されています。

<t.y life  FAQ よくある質問コーナー>より
Q )吉田拓郎さんはイヌ派ですかネコ派ですか。

A )ズバリ「犬派」です。というより猫が大の苦手という方が正確です。かつて「猫」というバンドと共演していたことは有名ですし、♪君もネコのように寝息たててる(サマータイムブルースが聴える)、♪ベッドの中で猫のマネいじいじしてる(ありふれた街に雪が降る)など歌にもしばしばネコが登場します。しかしバンドの命名に拓郎さんは関係していませんし(人気バンドは、ビートル、スパイダー、タイガーと生き物が使われているので、それにあやかって命名しようという意図だったらしいです)、この2曲も拓郎さんではない松本隆、石原信一の手になる詞です。

 山本コータローの奥様というかパートナーである映画評論家の吉田真由美の「Oh!mycat」というペットの猫にまつわるエッセイ集(1979年)に、深夜コータロー宅を訪れた拓郎さんが玄関口まで迎えに出た二匹の猫にオドロキ、叫び声をあげて逃げ回りスネをしたたか打ち付ける拓郎さんの受難のご様子が記されています。しかも著書冒頭には「吉田拓郎氏はじめすべての猫嫌い人間」という献辞まであります。そういえばLOVELOVEの小泉今日子の回だったか、ガレージの前に近所の猫が座っていて車が出せないと話していました。フツーならシッ!シッ!と追っ払えばいいのにと思うところです。それにはそういうご事情があったのでしょう。
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 他方、犬についてはラジオで幼少期に犬を飼っていた話もしていましたし、ウォーキング中に顔見知りなったご近所さんの散歩中の犬になつかれる話もしていました。ということで犬派ではないかというのが当サイトの見立てです。但し、甘いケーキは食えないよと歌っときながら後年甘いものが大好きになったように、現在では猫愛に目覚めている可能性もあることをご注意ください。
 というわけで“野良犬のブルース”、”例えば犬の気持ちで”、”狼のブルース”はイヌ科三部作といってよいでしょう。
 時に昨今拓郎さんは”野良犬のブルース”を歌いたがっているご様子ですが、これはR&Bへの敬愛の裏に犬派のモチベーションが働いているのではないかと思われます。


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2020. 9. 21

 昨夜は地元小中時代の仲間とほぼ一年ぶりで会う。Tくん、そしてUくんと9月生まれの誕生会。三人で観たLIVE2016からも早4年。コロナ厳しき世なれどウカウカしているとこっちも還暦を超えてしまう。この貴重なひと時を僕たちは何かをせずにはいられない。なのでいろいろ注意しつつもこぢんまりと挙行した。確かにあの時間じゃ話足りないぜ。拓郎が広島のバンド時代の仲間といたがる気持ちが少しわかる気がした。
 ともかく切実に願うのは、お互いの健康と息災だけだ。うむ、爺臭いがそれしかない。平和も願いたいが、地球の平和は人間が掴み取るところに価値があるのだったな。ともかく元気で頑張りましょう。

2020. 9. 22

 半沢直樹のマックス・ハイテンションが止まらない。すげえ。なんじゃこりゃぁと鼻白む人々の多くをも巻き込んでどこまでも半沢・大和田のテンションは昇り続ける。こんなレベルのテンションの人って「人間なんて」か「アジアの片隅で」を歌うときの吉田拓郎くらいしか見たことがない。

 人間なんて、アジア…ああ、ライブはいいよな。

 そういえば昨年”LIVE73years”のDVDが発売されたときライブの音源CDがついてないことに端を発して、エイベックスにこれが最後のライブなんだから、うやうやしく豪華ライブアルバムを出しくれと要望メールを送ったのを思い出した。エイベックスからすぐに2行くらいの定型文の返事が来て「貴重なご意見検討させていただきます」とあったけどそれっきりだ。私も仕事でやる気ゼロの時、しょっちゅうそういう言い方をするのでよくわかる。>最低だな

 一昨日Tくんが飲みながらアナログのアルバムはジャケットそれだけで価値があるので全部取ってあると言っていたのを聞いて、ああそうだよなと思い、それと同じ延長線で、最後のライブなら最後のライブアルバムが欲しいよなとあらためて心の底からつくづく思った。

 思えば、吉田拓郎のライブの名盤の数々は忘れようとて忘れられない。中学の帰り道にあった”テクトロン”でおねーさんから買った(>知らねーよ、どこだよ)”オンステージともだち”に始まって、永久不滅の神盤”ライブ73”、そして豪華箱版に驚いた”TAKURO TOUR1979”、魂の極悪バンド”王様達のハイキング”、亡き畏友K君が病床で聴きながら天に召されたビッグバンド”豊かなる一日”…もう俺ごときがいちいち言うまでもなかろう名盤の数々。

 最後のライブにはそれにふさわしい最後のライブアルバムが欲しい。できればTくんのいうようにアナログ盤も同時に発売してほしい。ずっしり重くて、部屋に飾っておきたくなるジャケット。飾りながらも時々手にしてニマニマしながら見返したくなる田村仁の豪華写真多数付きブックレット。アイ・ライク・ユーとかああいうくだらないことじゃなく(>まだ怒ってんのかよ、俺)、心に刻みたくなるような拓郎本人のライナーノーツも欲しい。

 後世の人々が「あ、これって吉田拓郎の最後のライブのアルバムだよな。これはこれで名盤だよな。」と何気に言葉を交わすようなライブアルバム。

 ということで勝手を承知で言いたい。いろいろな障害と事情はあろうが、最後のライブアルバムを作るため、そのためにライブをやるというのはどうだろうか。「黙れぇこわっぱっ!!」と怒られるか。

2020. 9. 23

 つま恋2006記念日。あれから14年も経っていると思うと時間は本当に万人に等しく流れているものなのか疑いたくもなる。私にだけ時々スキップしたりしていないか。

 あの時も台風接近の予報だったのが、見事に進路を外れてあの蒼天だった。前々回あたりのラジオで拓郎は「俺は絶対『晴れ男』だ」と豪語したが、あの2006年の空ひとつとってみても仰せのとおりで平伏するほかない。
 ただ83年の後楽園球場のサウンドマーケットだけは雨天中止となった。その事実や過去の九州のイベントの事例などから考えて大変申し訳ないが、南こうせつさん、あなたが「雨男」なのではないかと拝察する。すまん。そう考えるとつま恋2006も雨男・南こうせつが呼んだ台風を晴れ男・吉田拓郎が吹き飛ばしたというのが気象学的な結論となろう。

 では、先の後楽園はどうだったんだという疑問がわくが、大阪球場に続いてきっとホテルで泥酔し、ああもう歌うのが面倒くせーな状態になっていて、晴男の神通力を封印していたに違いない。そういう人だよ、あの人は(爆)。

 昨年行ったきりのつま恋。今頃どうしておいでだろうか。今夜は煙草が目にしみる。えーと曲ですね。南こうせつで「あの日の空よ」。これしかないな。
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2020. 9. 24

 元アイドルの酒気帯び事故の報道が強烈すぎる。なんだこりゃ。ただ最初のニュースで警察署から出てきたところでファンの女の人が「たっちゃん!」って声をかけたところ。目頭が熱くなったんだけれど、人前で今さら涙もない。引退して2年も経つのに事件が広まる前からああして警察署の前に佇むファン。正義のツブテを一斉に投げつける世間様を敵に回してもファンは毅然と君の名を呼ぶ。ファンの愛と気骨かくあるべしとあらためて教えられた。

2020. 9. 25

 松本隆をテレビでよく観る。そこでは「デビュー当時の松田聖子を家のテレビで観ていて『この人の声に僕の詞は合うのにな。でも機会はないだろうな。』と思っていたら、突然作詞の依頼があって…」という話をよくしている。いい話だと思う。
 かつて”お喋り道楽”での拓郎と松本隆との対談でもその話が出た。拓郎が”ウソだーい”みたいな感じで「それって、裏から手を回したんでしょ」とツッコむと松本隆が「そんなこと拓郎じゃないからしないよ(笑)」「えー俺だってしないよ(笑)」というやりとりがあった。私はやり取りが教室の同級生っぽくてすごく好きだった。

 今や松本隆先生にそういうツッコミをするインタビュアーはいない。石橋貴明でも無理だった。松本のご託宣に対して「ははーっ、それはまた素晴らしい運命的なお話で」…とみんな平伏して有り難くいただいていた。なんか神話メイキングのプロセスを見せられているようでなんだかな。
 素敵な話ではあるが、拓郎と松本の応酬みたいな空気も一緒に残ってほしいなと思う…が余計なお世話だな。いかん、忘れちゃいけない。このサイトは吉田拓郎の縦割りサイトだ。他の人のことや他の音楽のことは極論どうでもいい。幅広い音楽をなんて無理だ。縦割り110番違反ということで、河野太郎に怒られようとも、縦割りの底を深く深く掘るしかないのである。

2020. 9. 26

 昨夜はNinjin Design Officeの近くの町中華で飲ろう会だった。Ninjin Designも集まり散じて人が変わるらしい。特に鉄板と肉塊を背負って山頂で焼肉を食べるためだけに登山するのが趣味で、自分の体重を出荷体重として管理しているという女性新人の話が強烈だった。とにかく行く人もとどまる人も引き続きこのサイトの管理をよろしくお願いします。

 で、還暦目前の者達で切々と語り合う。
 「拓郎さんは60歳でつま恋をやったけれど、来年自分もあれくらいの規模の大仕事をやれといわれたらできると思うか。」という問いかけには…そもそも、そんな大仕事は来やしないだろうが、来年の自分にそんな気力・体力・能力、もともとないし無理なことだという答えしかない。つくづくあのつま恋は超絶凄いことだったんだなとあらためて仰ぎ見る。
 しかも60歳になる前、既に自分たちの今の年齢のころには、拓郎さんは翌年のつま恋開催を宣言して、待ったなしのカウントダウンが始まっていた。私らファンはただ待ってるだけだが、拓郎さんは巨大な成果物の完成のための戦いがもう始まっていたわけだ。しかもその3年前に身体にメスを入れた御身である。これから体調を崩す自由すらもない超絶プレッシャーの日々。我が身に置き換えてみるととても耐えられない。いざ自分が実際にその年齢近くになってみて、ようやくその凄さの片鱗らしきものが想像できるようになった。

 しかしそのつま恋2006が発表された当時、俺は何を思ったかというと、”なんだよオールナイトじゃないのかよ”、”なんだよ、ソロ公演じゃないのか、かぐや姫も呼ぶのかよ”。勝手なものである。今のヘタレな我が身に照らせば、夜通しなんてとんでもねぇ、一人じゃ怖い誰か助けくれよと思うだろう。もちろん拓郎がそういう思いで日帰りにしたり、かぐや姫を呼んだりしたわけではないだろう。言いたいのは、何もわからずにそういう文句をタレていた我が身の浅薄さだ。

 そう思い始めると自分たちが生きのびて73歳になった時、Live73yearsがどれだけ凄いことだったかをあらためて知ることになるに違いない。さらに自分が74歳になったとき、世界が混乱する中で、翌年以降の大仕事の決断をしろと言われたことを想像してみんさいや。そして75歳で大仕事をするとなったとしたら、そこに向かう74歳にはどんな過酷な日々が待っているのか…もはや想像を絶する。

 歌うことで初めて這い上がれる泥沼に拓郎が身を投じてくれなければ私たちはただ一篇のライブも見ることはできなかったのである。う、意味不明、……なんか気の利いた事を言おうとして失敗したな(爆)
 とてもわかりやすいシンプルなハナシだ。だからやっぱり吉田拓郎はすごい、だからこっちも頑張ろうな、…頑張ろうって言葉は嫌いだけど、とりあえずそれしか見つからないのだ。

 町中華をいただきながら、2年前の生涯最高の中華の想い出をかみしめるそういうことだ。もっと意味がわかんねーよ。

2020. 9. 28

 岡本おさみの昔の著書「旅に唄あり」に岡本おさみと松本隆の対談が載っている。高校生の時、この二人の話が難しくてサッパリわからなかった。昨日、気合を入れ直して読んてみたがやっぱりよくわからない。ただひとつわかるのはおそらくこの二人はお互いが嫌いなんだろうなということだけだ(爆)。
 だいたいリスナーも同じである。卒業証書抱いた胸キュンクラスメイトの「制服」が好きな人間と哀しみが胸に刺さる集団就職の「制服」に涙する人間とが簡単にわかりあえるはずがない。私個人は吉田拓郎のフィールドでは圧倒的に岡本おさみ派であるが、いったんフィールドの外に出ると松本隆の席捲ぶりには目を見はる。
 もう超絶失礼だけどさ、岡本おさみの詞はどれも我が魂に打たれたすんばらしい楔だが、作品としては拓郎と組んではじめて…みたいなところがないかい。巨人の星でいえば星飛雄馬の球しか受けられない伴宙太、侍ジャイアンツでいえば番場蛮の球しか受けられない八幡先輩みたいな切なさ。すまん、失礼だな。でもだからこそ余計に愛おしいんだよ。

 

2020. 9. 29

 昨日の”旅に唄あり”の岡本おさみと松本隆の対談の前に短いプロローグが書いてあって、それを読むとああこれが30年後に「花の店」になるんだなとわかる。松本隆も好きだという窓際のウォッチング。
 拓郎の一番好きな岡本おさみはコレじゃないのかなって気がするけれど、俺は好きではない。確かに合わないです(爆)。たぶん拓郎は窓から眺めているその景色が好きなんではないか。拓郎本人も窓からのヒューマンウオッチングが好きだと昔言っていたし、新幹線の車窓から景色を観るのが好きだと先日のラジオでも言っていた。俺も新幹線に乗ると窓の外を観るが、それはもしかしたらエイトマンが走ってないか気になるからだ>もういいよ、そのネタは。こんなところでなんですが先日亡くなられた桑田二郎先生に合掌。

 窓の外を眺めるというと”窓から見える景色は…”で始まる”熱き想いをこめて”だ。テケテケギターでなんか変な曲に仕上がってしまったが、この作品は名作ばい。ボブ・ディランの”ハリケーン”みたいなかっちょええサウンドでリアレンジしたらいいんじゃないか。
 "花の店"の景色はなんとなく淡泊でツッコミ不足な気がするが、同じ窓際からの景色でもこの"熱き想いをこめて"くらいに激しく濃厚だと嬉しい。もっと窓の景色をみながらここまで饒舌にたたみかけていると古館伊知郎かという気がする。
 岡本おさみの真骨頂は、ただ眺めているだけはなく、外側のよそ者でありながら、よそ者のままその景色の中に身を投じてしまう、そこじゃないかと思うのだが。

 景色といえば、松本隆とユーミンが二人で窓際に座って海を眺めていて、その景色が詞にしたいくらい美しいと思った時に、松本隆がユーミンに「この景色は君にあげるよ」と言ったというエピソードがある。すまん、決して悪気はないのだが、つい「けっ。」と思ってしまう俺を許してくれ、俺を許してくれ。

 ということで岡本おさみの話を明日もさせてくれよ。

2020. 9. 30

 ショーン・コネリーのどアップが表紙の雑誌”GOETHE”のつま恋2006を終えての吉田拓郎のインタビューは結構充実していて、当時の興奮まだ醒めやらぬ私にはたまらなかった。その最後の方で拓郎はこう語っていた。

「…岡本さん新曲作ろうよと言ったんだ。僕にも彼にも新曲が必要だっていう話をしたの。60歳の今、自分たちが持っている言葉で作る新曲がね。」

 翌2007年は、拓郎にとってもファンにとってもさんざんな年になってしまったが、それでも新曲はしっかりと届けてくれた。映像、音源、文章という不可思議なカタチだったが、もう全8曲のアルバムとしてi-podに入れて聴いている。「60歳の自分たちが持っている言葉で作る新曲」たちだ。そしてこれがまさか最後の共作になってまおうとは知る由もなかった。

 そういうバイアスや思い入れを離れるのは難しいが、詞も曲も演奏も名曲だと思う。

 都会の歩道橋に佇む岡本さんが星降る蔦温泉・奥入瀬を旅する彼女と携帯で結ばれる。結ばれるのは人や場所だけでなく、かくし味のように旅の宿からの何十年という時間も結ばれる。それはそれぞれ私ら聴き手も一緒だ。なんという見事な作品だろうか。後付けだから思うのかもしれないけれど今の歌でありながら過去の時間の総括にもなっている。なんというかafter60の在り方を教えてくれている気もする。こっちの方が俺は格段に好きだな。

2020. 10. 1

 2007年で思い出した。昨日9月30日はCountryツアーの熊本公演だった。パルテノン多摩公演以来約二か月間延期していたツアーがいよいよ再開する。それが奇しくも仲間と行く熊本公演になった。期待と不安、いーや正直、心配と不安のカタマリだった。
 緞帳が上がると越谷とは違ってバンドもなく拓郎が一人で立っていた。バンドツアーといいながらバンドメンバーもおらずたった一人だ。ロンリー・ストリートキャフェの弾き語り独唱する。一人で超えんとする拓郎。そこまで攻めてくるか拓郎。感激とともに、もうこれで十分だ、おお神よ彼を守りたまえぁああああライラライ…という敵国の唄が頭に流れてきた。
 公演無事成功のあと拓バカ仲間と熊本の拓友ねーさんが歓待してくださる居酒屋で、その日の拓郎の話をしてはみんなで意味不明に泣いたものだった。あの時いただいた米焼酎「鳥飼」が美味かった。以後あの焼酎を見るたびに条件反射でしばらく涙ぐんでいた。拓バカというかただのバカである。

 翌朝、ホテルの朝食会場に入ろうとしたらすれ違いで出てきたのが、ショットガン・チャーリーことかまやつひろしさんだった。思わず「かまやつさん!」と叫んだ。立ち止まるかまやつさんに基本ヘタレの俺は凍りついてしまって「お、お目にかかれて光栄です」と間抜けなことを言ってしまった。でもかまやつさんは笑って片手をあげて颯爽と去っていった。

 中学の頃、拓郎を知るキッカケとなったライオンフォークビレッジを毎晩聴いていた。当時、あのかまやつさんと会えるとは思ってもみなかった。そして、かまやつさんがいなくなった人生を生きることも考えてもみなかった。

 ああ心の底からみんな生きていてほしい。たとえば僅か一日でもいい、俺より先に死んではいけない。また敵国の唄か。
 で岡本おさみに戻ると、2007年の"歩道橋の上で"とともに忘れがたい名作"錨をあげる"。歌詞カードも音源としての収録もない謎の取り扱いに困惑したが、たまらない名曲である。「歩道橋の上で」とともにどこかに飾っておきたいくらいだ。さんざんな2007年ではあったが、それでも吉田拓郎の気骨のライブは確かにあったし、忘れられない新曲たちも確かにあったのである。

2020. 10. 2

 「戦争はなぜ起こる?」というのは小室等の名言で吉田拓郎の歌にも出てくる(“君に会ってからというもの僕は”)。ってかそもそも拓郎が大々的に普及させたようなものだ。
 その問いに答えるような「それでも日本人は『戦争』を選んだ」という歴史学者加藤陽子さんの名著がある。中高生に日本の近現代史を説きながら、なぜ戦争が起きたのかを考えてゆく。平和とか反戦とかそういうスローガンを大上段に振りかざすのではなく、歴史に関わったそれぞれの人々の切実な気持ちと立場に寄り添いながら、それでもなぜ戦争が起きてしまったのかを模索する。歴史というのは”内気なもの”だから、大袈裟でセンセーショナルに取り扱うものではないという言葉が印象的な素敵な本だった。
 その加藤陽子先生は、この度、めでたく新政権にお嫌われになられて前代未聞、学術会議の委員に任命されなかった。ただでさえひどい話だと思うが、この加藤先生だけにショックが一層大きい。なんじゃこりゃ。一晩たてば政治家の首がすげ変わり、子分どもはさらに暴走しはじめるだろう、闇で動いた金を新聞もほっかむりするだろう… ああ、岡本さんなぜ死んじまったのか。そのうち「アジアの片隅で」のような歌も放送自粛になったりして。それも絵空事ではないようなそんなこの世の流れだ。
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2020. 10. 3

 もちろん、いろいろな考えがあっていいし、あるべきだ。だから厄介な世の中、いろんな知恵を拠出して、いろんな光をあててみながら、♪夢までの道を最後まで一緒にさまよってゆきましょう。しかし…そういう営み自体の息の根を止め、その根元を牛耳ってしまえば簡単だよな…という発想と姿勢が怖い。携帯料金も安くしてくれたし、まぁとりあえず自分は自分で変わらないし…と自由を譲り渡すことにだんだん慣れてしまうことがとてつもなく怖い。

 ということで、昨日はやさぐれてしまって、こんな世の中と自分を捨ててみそうになったので、ムーミンコミックス展に出かけて心を洗う。なんだそりゃ。

 筆致のひとつひとつがいい。魅入る。単体の挿絵と違って、コミックならではの自由闊達な躍動感とデザインがまたいい。
 で、鉛筆のラフなスケッチとか下書きも展示されていて、もうそれまでもがすんばらしい。鉛筆の下書きなんだしさ、お願いだから一枚ください、大事にしますからと懇願したかった(爆)。下書きが醸し出すこの魅力は、吉田拓郎のデモテープを聴くときの喜びと同じだなと思う。天才の魂というのはそういうところから宿るものなんだと教えられる。

 それにしても広大なグッズ売り場のラインナップがまた超絶凄かった。日常生活で考え付く限りのあらゆる種類の衣類と生活雑貨グッズの豊饒の海。その海に思いっきりダイブするファンは観ていて気持ちがいい。TYISがここまでやってくれたら俺も覚悟をきめてダイブするのだが。
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2020. 10. 4

 ということでラジオも近づいてきた。次回、吉田拓郎の選ぶ岡本おさみと松本隆のこの一曲。せっかくなので予測すると、岡本おさみは「花の店」か「歩道橋の上で」…あと♪一緒になれないからといって〜で始まる「こっちを向いてくれ」がダークホースか。
 松本隆は「サマータイムブルースが聴こえる」一択でゆきたい。ああ忘れじの2003年大阪昼公演。
 当たればもちろん嬉しいが、大概ハズレるんだよコレが。そこが、わかったようでわからない、しかも天邪鬼の吉田拓郎の真骨頂だ。見事に”うっちゃり”をカマされ、「おお、それかよ、その詞なのかよぉ」と悶絶するのもまた楽しみでもある。
 ムーミンコミックス展の告知ポスター。もし展示作品の下書きのスケッチが貰えないなら>あったりめぇだろ(爆)、せめてこのポスターが欲しい。俺的には岡本おさみ作詞/吉田拓郎作曲のスピリットを感じるんだよ。
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2020. 10. 5

 気分が落ちていたので久しぶり篠島の「ああ青春」を観て気持ちをUPさせた。歌い終わった直後の「篠島へようこそ〜朝までやるぜ」のMCのあたりで一瞬、空に稲光が!!。当時こりゃ落雷か雨天になるのかとヒヤッとした瞬間だったと後に拓郎も語っていた。しかし松任谷正隆だけは、「いやーなかなか凄い照明だったねぇ」と感心して舞台演出だと信じて疑わなかったとのことだった(爆)。…松任谷、天然なのか。
 しかし85年のつま恋の後のシンプジャーナル(1985年10月号)の特集で出演者に対するショート・インタビューの記事があった。そこで松任谷正隆は拓郎のプロデュースをもう一度とことんやりたいと語り、最後にこう結んでいた。
「今、まわりのスタッフがディフェンスにまわっちゃっているようで(拓郎が)かわいそうな気がする」
 ああ、松任谷は、ちゃんと見ているんだな。天然とか思ったてたが、すまん、吉田拓郎の苦悩や不幸みたいなものをちゃんとわかっていたんだな…と思った。
 そうなるとこの35年前のシンプジャーナルを持って松任谷にかけあいたい。ここに書いてある通り、もう一度拓郎を頼む、プロデュースとライブをとことんやってほしい。OKだろ松任谷。

 おお、そういえば今日は41年前、豪華箱入盤ライブアルバム「TAKURO TOUR 1979」の発売日だったではないか。感動できなきゃ人間ヤメだ。
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2020. 10. 6

 そういえば自分にとって「心から好きで好きで」という松本隆の作品は何だろうと考えてみる。考え出すと超絶悩ましいが…「英雄」かな。高校生の時、初めて聴いた時の衝撃は今も生きている。特にココだ。
 “君のこと ただの男とムチを打つ人々もいた
            許してよ 人の心はそれほどに弱いものだよ”
 エルビス・プレスリーに捧げられたらしいが、まぁ蒲田あたりの高校生'78にプレスリーなんかわかんねぇよ。
 当時フォーライフの社長になって音楽界の第一線を離れた吉田拓郎は少なくとも俺の高校生活の回りでは余裕で過去の人だった。ロック、ニューミュージック全盛の時代にフォークの”吉田拓郎”は古くてダサイもののアイコンだった。バカにされたねぇ…拓郎ファンでいることが極北みたいだった。拓郎なんてタダの古い男とみんながムチを打ちまくっていたのだ。
 そんな中でその威容を現したアルバム「ローリング30」なかでもこの「英雄」という歌の渾身のパワーは、キタ―――という感じで血沸き肉踊ったものだ。役員室午後3時にこもっていた吉田拓郎はこのアルバムでアーティストとして決起して、翌79年の篠島での「英雄」としての復活に向かうのである。もちろん俺もその背中を追いかける。高3とか受験とか関係ない。
  "天に舞う男を追いかけて僕たちは青い空に駆けてゆく"
 このフレーズについてゆこうと思った。

 そして翌79年、篠島を成功させてそれが豪華箱入盤「TAKURO TOUR 1979」に結実してアルバムランキングにチャートインした時、高校の連中の見る目は明らかに変わった。どうだ。これのどこがフォークなんだ。ロックだろうがニューミュージックだろうが、どっからでもかかってきやがれ。あの時の誇らしさ。豪華箱入盤は、さえない俺の高校生活に贈られたトロフィーみたいな特別の思い入れがあるんだよ。
 で、やっぱり
 "天に舞う男を追いかけて僕たちは青い空に駆けてゆく"…このフレーズには今でも魂が躍動する。もはや高校時代は遥か遠くすっかり爺さんに向かいつつある俺だが、ああ、拓郎よ、惑う心に鉄の拳を。
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2020. 10. 7

 拓郎にとってじゃなく自分にとっての「心から好きで好きで」の岡本おさみは松本隆以上に超絶悩ましいな。う〜”子供に”かな。

 “夢はいつでも ぬけがらなので
       夕焼けの美しい時はいつも寂しいだろう
          子供よ 君は失った夢のあとに ふと生まれた夢のように”

 このフレーズは大好きだ。でもふと思うとメロディーと吉田拓郎の歌いっぷりの見事さも手伝っているのかもしれない。夕焼けの寂しさ。この「子供に」と「落陽」と「歌ってよ夕陽の歌を」…岡本おさみの夕焼け三部作と呼んでよいだろう>よくねぇよ、勝手にまとめんなよ。
 そういえば岡本さんは"夕暮れはラブソング"って詞を桜田淳子に書いていた。売れなかったけどいい歌だったな。えーい、これも加えて夕焼け四天王でどうだっ!!

 先日こういう歌のことを考えながら、なんか無性に夕焼けが観たくなってi-Pod片手に久々に近くの夕暮れの川原に行ってみた。そしたら、コウモリが大量に飛び回っていて、転がるように逃げ帰って来た。なんなんだあの大量発生は。なぁ昔からあんなにいたか?
 コウモリ。見たことある? 怖いよ。羽の生えたネズミがキーキー鳴きながら自分に向ってたくさん飛んでくることを考えてみて。って岡本おさみの話とコウモリってなんの関係があるんだ?…コウモリだけが知っている。

2020. 10. 8

夕焼けといえば、松本隆も負けていない。

“ついさっき沈む夕陽が 僕の肩を貫いたから”(無題)

あと西城秀樹への提供曲も名作だ。

“夕陽よ 俺を照らせ 移りゆく季節を照らせ
    夕陽よ 俺の中の暮れなずむ痛みを照らせ”(夕陽よ俺を照らせ)

…と来たもんだ。

 しかし、そうなると石原信一先生の

      “時はためらいもなく夕映えに燃えて 
          今日の残り火はまた星に砕けても”(夕映え)

 を忘れては失礼にあたる。名作かどうかは別だが

  “水平線に傾きかけた夕陽に向い進む少年”(夕陽と少年)

 あるわ、あるわ。ああ、しまった"黄昏に乾杯"を忘れてたよ、岡本さん。えーと、そうすると四天王では足りなくて、うー"五大老""五人組"でどうだ。昔、習った記憶があるが内容はよく知らん。
 ともかく夕陽は逃げ足が速い、だから、夕焼けの空をどこまでも追いかけてまいりしょう。

2020. 10. 9

 今日はラジオだ。そしていよいよその秋だよ。明日はどっちだ2021。
 いや決して拓郎に対して、どうすんだよ、早く決めろよと詰問しているのではない。僕らはみんな来年どうなるんだろうか…という総合的かつ俯瞰的な問いである。

    月夜のカヌーで夢の続きへ漕ぎ出そう
       月夜のカヌーで息をひそめ漕ぎ出よう

 ああ、これもまたいい曲だよ。もやい綱を解いて、息をひそめ漕ぎ出ようよ。

2020. 10. 10

 ヤクルトvs広島ナイター中継終了次第お送りしますって、おお、なんか昭和っぽいぞ、懐かしいなと思っていたら、約24分遅れて始まるとなんと途中からだわい。番組開始が遅れるのではなく、遅れた分、上書きされている事態に天を仰ぐ。
 プロ野球ファンの方々には申し訳ないが拓郎ファンとしては立派な放送事故である。せめてRadikoでは流しとくれよ。特に今日の放送は特別だろうに。
 おかげ様でご協力をいただいて地方局の放送を聴かせていただいた。ありがとうございました。

オールナイトニッポンゴールド  第7回 2020.10.9
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 吉田拓郎ですが、もうどのくらいニッポン放送のスタジオに行っていないだろう。ご無沙汰しているな。いつもスタジオに車で行くとスタッフが迎えてくれて、おはようございますと挨拶される。そして広いイマジンスタジオで収録するのがパターンだけど、ずっといっていない。今は家で録音するのに慣れたから、着替えもしない、今も髭剃って、そのあとで放送するって(笑)。日常生活が変わったな。いろんなことが変わってきつつあるな。

 いきなりですけど古い言い伝えがあります。

  私の前を歩くな  私が従うとは限らない
  私の後ろを歩くな 私が導くとは限らない
  私とともに歩け私たちはひとつなのだから

 古代インディアンの言い伝えで伝承されているらしい。なんか深く感じ入ってしまう。
私はあなたの思い通りにならない。逆に私のあとをついてきたって、あなたを良い方向に導くとは限らない。私たちは、ひとつなんだから。お互いにともに歩調をあわせて心で歩くべきだ。
 納得がいく。僕も会社のTOPの時かなり逸脱していたかもしれない。いけないことしていたな。古い言い伝えが今に生きている。
 こんばんは吉田拓郎です。週替わり金曜日今週は吉田拓郎が担当します。

<拓郎さんの番組のエンディングの選曲がいい、ジェイムス・ブラウンのトライ・ミーをおおと思った、エルビス・プレスリーのマイウェイに鳥肌が立った、拓郎さんは柔らかく身近な存在になったことに切なくまた感激という投書>
 ジェイムス・ブラウンで驚いていたるようじゃまだまだファンじゃない。オーティス・レディングとかじゃなきゃ。旅の宿とかしか知らないファンはやりにくいったらありゃしない。73年にR&Bとか既にブラスを入れてストリングスつけているんだからさ。

 毎月お別れの一曲は大体、僕がi-Podから寝る前の曲から選んでいる。寝るときには、iPodを聴いている。片耳に入れてモノラルに編集して聴く。上向きで寝ると悪い夢を見てしまうので。大体3、4曲で寝てしまう。6〜7曲でフォルダにしている。大体、50−60年代のオールディーズやR&Bが多いけど、テイラー・スイフト、アリアナ・グランデ、アリシア・キーズ、ビリー・アイリッシュとかもいれて勉強している。  

<訳詞を朗読してからの「マイウェイ」に 涙した、ファンとしては悲しいし信じたくない、イントロ特集、落陽が圏外で驚いたが、粋な曲ばかりだったという投書>
 今度は間奏やってくれという投書もあったが、そうはイカのあし。安易だね。僕の間奏は僕が譜面に書いているのが9割だ。
 「サマータイムブルースが聴こえる」の間奏も松任谷正隆に譜面を書いたもの、「恋の歌」のエルトン永田のかわいいエレピも譜面は俺が書いた。昨年のI’m In Loveの最後のピアノも 俺がメロディーを指示した。間奏は歌と歌がつながるところで雰囲気が必要なので僕の気分が大事だということで自分で書くことが多い。だから間奏のベストセブンは僕の自画自賛になってしまう。

<貴重な音源ありがとうございました、他にもあったら聞かせてください、イメージの詩がラブソングとは知りませんでしたという投書>
 またやりましょう。まだ一時間くらいあるから。
 イメージの詩は失恋ソングなんだ。ディスコで演奏しているときに好きな女の子がいた。ストーンズ好きだというのでの「テルミー」を演奏してみせた。そして口説きに行こうと「どうだった?」と話しかけたら「よくない」と言われた。ストーンズは最後にシャウトしたりあおったりしない、オックスみたいだと言われた。オックスがテルミーで失神する、観客も失神するというのがあって、テレビで見て俺もあれをやっちゃおうと思った。彼女はがっかりして帰っていった。ショックで、そういう音楽についての浅はかさが気恥ずかしい気持ちで、当時「これこそはと」と書いていたのがイメージの詩だった。年下の子にいわれたのもショックで、ボブ・ディランのデソレイション・ロウ(廃墟の街)を聴きながら書いていたらグイグイすすんで長い詞になった。

 決断の時…という歌がありましたけれど。

 いつまでも判断をずるずる中途半端でスタッフ、ミュージシャン、イベンターをまたせなることはできない。彼らにも生活という現実がある。いつまでも彼らを縛り付け置けない。決断しなければならない。間際になってツアー直前で中止できない。

 吉田拓郎は十分に満足なツアーをやりきることができたと思っている。気が付かれたように最後の曲でお辞儀をするけど特に長いお辞儀をしていたつもりだ。心の中では「長い間本当にありがとう」を繰り返していた。先月の放送でも「それでいい」じゃなくて「それがいい」という気持ちがいっぱいだ。
 自分の決断として、コンサートツアー撤退。「それがいい」と納得している。これこそが自分への合言葉。これまでも人生を旅する時に「それがいい」と言い聞かせてきた。今も自分に話しかけたい「拓郎よ、それがいい」。

■吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

僕が書いたツアースタッフへのメッセージがある。

 吉田拓郎です。諸事情をふまえて苦慮の結果、残念ではありますが、僕の来年初夏に予定のラストツアーは中止を決断しました。僕の心情をお話しておきます。
 東京での集中的なリハーサル、地方への多人数での移動、コンサート終了後の食事、楽屋でのありかたなどすべてが危険と隣り合わせだという判断に至りました。
 同時に僕個人のステージへのこだわり。それは吉田拓郎のライブは客席と一体化してこそ完成されるというルーツであったものがこの環境下では望めないという現実、それらをすべてを考慮した結果このツアーは中止せざるをえないと決断しました。
 大変申し訳ない気持ちでいっぱいですが、拓郎の心中お察しくださいますよう、このような形でありますがお願いいたします。
 どうぞ、みなさんの、そしてご家族の健康にご留意されてこの苦難の時を乗り越えていただきたい心から願うものであります

                     2020年9月
                        吉田拓郎



 ミュージシャンにもひとりひとりメールした。拓郎さんの決断を支持しますと言ってくれた。彼らとはまだやることがある。こんな心境だし、社会環境がこうだからいわないが、ツアーを完了した僕の今の心にある灯台の明かりが見えているような。ま、いいじゃないか。いつのことやら何をするやらもう何もいわないでおこう。楽しい人生をつづけようということだ。

 ゆうべ突然思い出した。楽しいレコーディングだったんでメンバーの顔を思い出しレコーディングの様子をニヤニヤしながら思い出した。
 ベース美久月千晴、ギター徳武弘文、ドラム島村英二、キーボード中西康晴。

M--1  ホームランブギ    吉田拓郎

 吉田拓郎が、長い音楽生活50年あまり。心とかマインドがいろいろ存在するんだな。
僕の思いと他人の思いが食い違うこともあった。でも僕は頑固を通そうとしてきた。   間違っていると感じながらも頑固を通してきた。自分の信じる道が間違っていても自分が決めた道を進もう。それ以外は考えられなかった。頑固を突き通したことで人々から見放され突き放されたことも多かった。
 僕の音楽が愛されていないと感じたこともあったし、そういう体験をしている、愛されていないということが心にも響いた。
 僕のやりたい音楽と時代もとめるものが一致しない。どっちが正しいということではなく、必ずしも一致しないことがあった。
 同時に吉田拓郎ファンというか、ことに70年代フォークファンというか、和製フォークにハマってしまっている人々がいる。既に73年にR&Bをやってみせたのに、時代が時代でフォークの中にいたし、ギター弾き語りもいろいろな事情があってやっていたんだ。フォークシンガーとして売り出されたんでそういわれることは甘んじて受ける。
 しかし、実際にフォークじゃない音楽をやっていた。純粋のフォークファンからは帰れと言われた。そのとおりなんだ。和製フォークにハマって逃れられない人とは一緒には音楽は楽しめない。そういう訣別の時代があった。70年代のフォークソングファンには寄り添えない 。
 打ち込みとかいろいろなことに挑戦するのが好きだったから、その結果、不信感と溝を体験してきた。今という時代になって、エンディングを演奏してきた 去年歌い終えてから、ひとついえることは、音楽は大好きなのね。これだけは誰にも負けない。本当に音楽が好き。朝から晩まで音楽が好き。音楽は正直で絶対に裏切らない。
 50年前に広島を離れてトライしてみよう、自分の音楽がどう受け止められるか挑戦のはじまりだった。それが50年前。いろいろ困難なことがあったけれど、結果的に楽しかった。
 心から楽しませてもらった。頑固だったけど間違ってはいなかった。やっぱり楽しませてもらった。頑固だけど間違ってはいなかった。
 今言えることは「サンキュー」。楽しませもらったぜ、サンキューといいたい。

 さあ、ここでこの一曲。幕末に沖田総司という人がいた 新選組の土方歳三はじめ花柳界みんな恋焦がれていたという小説を読んだことがある。その人に会いたい  沖田総司に思いを馳せながら書いた歌がある。これを聴くとサンキューという気持ちがわかる

M−2 慕情    吉田拓郎

(CM)

さて今月もこのコーナー。来月は気分を柔らかくして松田聖子。ヒット曲は多いし、シングル曲一位獲得数とか記録がある。もとはアイドルだったけど、歌った曲たちが、松本隆、ユーミン、大瀧詠一、財津和夫という時代のミュージシャン、名曲が多いな。本当に思う。こういうことだけでも他のアイドルとは違う存在。♪ちゅるりら〜♪あ〜私の恋は
口をついて出てくる。心を開いたリクエストをお待ちしています。

 さて、さすが中島みゆきは一筋縄ではいかない。リクエストがみんな、ぐちゃぐちゃでバラバラ。ダブっていない。みんな一曲ずつ違う。でも、言ってることはおんなじで、テーマは「しみる」。
 毎回、すべての曲を知っているわけではないから、チェックしないといけない。桑田圭祐、矢沢永吉、筒美京平、いろんな人をやってきて、知らない曲は調べるわけですよ。 拓郎さん偉いよ。拍手。

今月は疲れたよ。

<「帰省」長崎出身  長崎の帰省の心境、まるですべてが敵というように肩をはり肘をはりというところに感じ入るという投書>
 こういう歌詞、まるですべてが敵というように肩をはり肘をはり〜というところを聴いてどこかで聞いたなと思うと、岡本おさみのにおいがある。こういうのは時代が書かせるものだ。
<1月に博多ライブに行った、夫のキャリアアップでお金が出た、「悪女」では拓郎さんが出てこないかなと思った、好きな曲は「誕生」という投書>
 夫婦で一緒に過ごすことが大切。会場のアンケートを読むコーナーがあるらしくて、「悪女で拓郎さんにギターを弾いてほしい」というのを読んで「ギャラが高そうだ」といったらしい(笑)。

<「わかれうた」道に倒れてそんな人はいないと知りながら感じるという投書>
 このコーナーはいろいろ聴かなきゃならなくて大変だ。内面的要素、聴く側の心理状態が入ってくる。音楽というのはふとした瞬間に入り込んで悪さをする。そういう詞がある
ロックンロールだと、曲のノリとか歌詞で言葉の持つ力、パワーでハートが疼く、ハートを掴む感じだが、それに対して中島みゆきは心にしみるんだよ。この違いだよ。ハートをつかむか、しみるか。凄いな吉田拓郎さん。しみるというのはいかにも中島みゆき。ウエットな湿り気のある日本人の独特な感情。こういうのもいいね。美しいね。こういうとこに中島みゆきはゆさぶりをかける。

<コンサートずっと行っている、「彼女の生き方」では、おかみさんたちよ、あんたらアコギなまねをしているという歌詞、自分もそういう年齢だけどそんなにアコギなことはしていないけれどという投書>
 こういう歌の歌詞とかを内容をすべてライターの体験談とは思わないだろうけど、 松本隆が松田聖子の詞のような、ちゅるりらな生活おくっているわけではない。水着持ってない〜なわけではない。降りてくるのよ。すべてのライターは天から降りてくる。自分でも、どうしてこんな言葉が浮かんだろうと驚く言葉が降ってくることがある。そういう星の下に生まれている。みんなソングライターが妄想・空想して作っているのが事実。全部歌詞どおりだったら身体がもちません(笑)。

<阿久悠作詞の「世迷い言」なぜか風邪をひくという歌で「世の中バカなのよ」が回文になっているという投書>
 「よのなかばかなのよ」。中島みゆきには女優というジャンルがある。夜会とか観ていても、自分で脚本書いたりして、言葉がうまい、ひねりがある。

<「永遠の嘘をついてくれ」 拓郎さんにとってみゆきさんはどういう存在なのかという投書>
 そういう彼女とは数多く会っているわけではない。デビューする前にバイタリスフォークビレッジの札幌公開放送で白いミニスカートに花束で来て、最初アルバイトの子かと思った。おい飲みに行こうぜとか誘わなくてよかった。あとで「うらみます」とか言われそうで(笑)。

 音楽的なことでいえば、個人的な考えだけれど、メロディーはそんなに感じ入る、美味しいところはない。これは僕の好き嫌い。アメリカのポップスとかR&Bが好きだけれど、そういうにおいはない。おお、これいいなというメロディーはない。純然たる日本の形式美で、そこに中島流をミックスさせている。
 むしろ言葉だな。文学のジャンルでも薫り高く評価されるところがある。物書き、作家のようなニュアンス。あの歌詞は中島みゆきの文学でもある。ミュージシャンであり作家でありスーパーウーマン。

(CM)
■■■
(ご夫婦のコーナー)
我が家では月に一回、銀行振込の日だけは、朝6:30に起きるしきたりがあるけれど、それはどうしてなの?

銀行だけではなくスーパーにもいく。銀行は窓口もAMもいっぱい消毒はするし、なるたけとどこおりなくそのために朝起きて心の準備していろいろ大変なの。
                                   ■■■

<「彼女の生き方」が好き、世の中に思い通りに動かないわよという歌が心の支えという投書>
 そう心の支えであり代弁者だな。音楽が人の心に入り込んで悪さをする。
 「毒をんな」
 「ファイト」
 「時代」
 「ひとり上手」
 …みんなみんなこうして「しみている」わけだよ。寂しい女だったり、失恋したり、誰かに思い馳せたり自分の状況にだぶらせてしみている。なかには「たくろうちゃん」みたいに明るい曲ないのか、「みゆきちゃん」みたいな歌。元気だせよ、ぐずぐずいうなよというような明るい曲。

<「友情」をリクエスト、 つま恋で女性とハグするシーンは誰ですか、みゆきさんですかという投書>
 そうだよ。歌い終わってステージ降りたらいたらそこに彼女がニコニコ笑って立っていてハグした。どういう気分かは覚えていないが。それをたまたま写真にとらえられていた。

<「糸」をリクエスト 詞がいいですねという投書>
 この番組をやる前からナンバーワンのリクエストだったらしい。菅田将暉と小松奈々で映画にもなっている。「縦の糸はあなた  横の糸は私  逢うべき人に会えることを人は幸せといいます」…なに憎いこといっちゃって…吉田拓郎に言わせるとせっかくの中島みゆきが…ファンがブリブリ言ってるかな。

 とにかくみんなの心に響いている曲、不揃いのリンゴたち、どうすりゃいいかな。古い曲が多くて大変だった。

M-3 糸    中島みゆき

(CM)

 選ぶのは予測として「永遠の嘘をついてくれ」「ファイト」かな。ファイトは、泉谷しげるのチャリティーコンサートで一曲だけ弾き語りといわれて、二回くらいうたっただけで出たとこで歌った。さすがに弾き語りうまいので絶品だった。70年代にやりそうな弾き語りソングなんでスッとやれた。

 2006年の「永遠の嘘をついてくれ」は、もちろん想い出に残ったし歴史的シーンだと思っている。東京で二度リハーサルした。スタジオでは、最初どこにいるかよくわからなかった(笑)。 ノーメイクだったしね、それ以来、本番まで会っていない。
 当日は、バレないようにして、つま恋に来ていることも隠しホテルにずっといてもらって突然登場するという企画だった。そして本番にジーンズに白シャツで出てきたとき「やられた」と思った。
 弾き語りで最初俺が歌って、瀬尾のイントロでステージに出てきたときに「あっ、やられた」と思った。あいつは役者なんだよな。「もってかれたな」と思ったんだよ。夜会とかで鍛えられている。あのファッションは間違いなくスタイリストと入念に検討しているし、たぶん3、4パターンあったはずだ。第五部の吉田拓郎のファッションにあわせる。そしてそれを食っちゃう。吉田拓郎はベストを着てこういう衣装だったというのを聞いて、白いシャツとジーンズを選んだに違いない。あの子はそういう演出が好きだ。夜会とかでみられたような。とにかく一言「やられた」。 

 「悪女」という歌。この歌は、最初のマリコの部屋で〜のところしか知らなかった。マリコに電話して、さも私は彼と一緒にいると演技しながら嘘をつく。土曜じゃないから映画も時間を潰せない、ホテルにもいられない。彼がいるけれど電話は話中、彼が受話器を外しているかもしれない。ということは彼が女の子といるらしい。私だけが、泣きをみるのはシャクだから私だって男の子と遊んでたのよといいたいがために、男もののコロンをつけて、捨て台詞、遊んできたわよってな感じで、彼のほうが愛想つかしてくれ、そしたら悪女を演じなくていい。彼がそうなるまで悪女が演じつつける。
 かつてマリコの部屋で〇〇、アルフィーの高見沢が歌ったのが頭に残っている(爆)。中島みゆきはマイナーが多かったけれどこれはメジャーだった。そーっと弾きたかったな。東京じゃないほうがよかったな。吉田拓郎が選んだ曲は…

M-4 悪女  中島みゆき

(CM)

 二人の作詞家、もちろんもっともたくさんの作詞家と合作しているが、岡本おさみと松本隆が多い。例えば喜多條とも合作しているが、他の歌手への曲が多い。自分のアルバム・シングル全体を手掛けたのはこの二人が多い。吉田拓郎がなんともいえずメロディーと詞がバッチしという一曲。歌っていて気分が高揚してのけぞってしまうような曲は、何曲もない。詞とメロディーがバッチシという曲。当然ファンは違う曲を想定しているだろうけどいろいろ70年代好きな人は度外視して僕が選んだ曲。
 自宅でタイトル観ながらレコーディングの光景とかも思い出したりしながら、文句なしにこの一曲というのを選んだ。意見はみなさんと合わないし、もともと合わない関係なんだから。

 岡本おさみの詞は音楽を理解していない。書きなぐりの短文詩、なのでとてもメロディアスなスイートなものをつけられない。思い通りに進まない。ワンコーラスとツーコーラスで詞の長さが違うし、韻もふんでいない。そうこうしているうちに、気が付いた。バンド時代のR&Bのように自分のシャウトによってアドリブで曲にしちゃう。もうみんなで歌えなくていい。俺だけ歌えればいい。アドリブみたいにしたら、どんな詞が届いても、どこからでも攻めてこいということになった。初期のころシャウト交えながらステージでも歌った。こういうイントロ(実演)を高中に弾いてもらった。ノリノリ、いろんな作品、この曲は詞とメロディーのかみ合わせ、アレンジ、R&Bの感じ、コーラスのかけあい、この曲が一番。

M-5 君去りし後  吉田拓郎  (豊かなる一日)

(CM)

 松本とは70年代中盤、セブンイレブンの歌、ハート通信、そして記憶に残るのは木ノ内みどり雑誌GORO の篠山紀信の表紙が衝撃で文句なしに圧倒的支持があった。彼女に「東京メルヘン」という曲を松本隆と書いた。アレンジは石川鷹彦。スタジオで歌入れの時にあったけれど輝いていたね。歌はあんまりうまくなかったけどね。
 松本くんとはそれからもアイドルの曲はいろいろやったけど売れなかったね。楽曲的にはお互いにいい曲できたと納得していたけど。

 78年に32歳10日くらいで2枚組アルバムを作っちゃおうということで誘った。二人でホテルにこもってしかも、ミュージシャンをひきつれていって、曲ができたら、すぐにバンドに譜面を書いて演奏させる。素晴らしい企画というか流れ作業。一週間で80%作った。「ローリング30」素晴らしい大好きなアルバム。粗削りで一発録り、完成度は高くないけどリアリティがある。こんなアルバムは二度と作れない。
 みなさんの好きそうな「外は白い雪の夜」ではなく、この詞がロマンチックな美しいきれいな言葉なんだ。どうしてこんなの書けるの、どういう体験があるの? そんなに夢見るような純でウブでもないのに。そんなこと言ったら俺だって、夜な夜な飲みまわって女性体験がいっぱいあって、そんな男を描かれているんだろうけど。俺だってうぶで世間知らずもともとモテないんだよな。

 すばらしい想像の世界。歌っていると描いた絵が浮かんできて涙が出そう。上を向いて歌いたくなる。初々しいレコーディングで初々しいボーカル。

M-6 言葉 吉田拓郎

■エンディング
 ラストツアーがなくなりました。セットリストの候補曲40曲を眺めてるとやったことない曲も多いな。

・たどり着いたらいつも雨降り
・昨日の雲じゃない
・車を降りた瞬間から  歌いたかったな
・RONIN1985
・野良犬のブルース  ♪暗い街角でいつもの時間に〜  やりたかったな  
・王様達のハイキングのフルコーラス
・川の流れの如く
・あの娘に逢えたら 鈴木茂のアレンバカかっいいのでそのまま
・元気です
・親切 ひっぱりだしてみようかな
・おろかなるひとりごと
・最近テレビで流れている  午前0時の街
ちょっといい曲だな

 やれなかったけど十分に楽しんだ。よかった、よかった OK、OK。あとは何をするか…もう何もいいませんこれからは言わないでおきたい

 次回は11月13日金曜日。実は僕もついつい出てくる松田聖子の曲がある。
お別れの曲は、大好きなロッド・スチュアートのセイリング

M-7 セイリング   ロッド・スチュアート

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆吉田拓郎が決断した。「それがいい」。そりゃあ、こちとらも悶絶至極の思いがある。でも、ご本人が、俺などには覗けもしない心の奥底深くから「拓郎 それがいい」と決めたのだ。それしかない。もう乗るも乗らぬも船はひとつなのだHoHoHo。とある拓郎ファンの方から昔教わった言葉「起きてしまったことはみな良いことなのです」を思い出す。

☆コンサートスタッフへのメッセージ。
 「吉田拓郎のライブは客席と一体化してこそ完成されるというルーツ」。思えばファンだからって偉そうな面するな、変わらない客席に飽きた、タクローって叫ぶヤツは嫌い、立つな座って聴け、座ってるな興奮したら立て、枯れた拍手はするな、などなど…元祖観客塩対応の吉田拓郎から最後に客席と一体化してこそという言葉が出る。インディアンの言い伝え「私たちはひとつなのだから、ともに歩いたのだから」と言われたかのようだ。ああ、もう勝手に思い込んで泣くぞ。

 もうひとつのツボは「みなさまの、そしてご家族の健康」ということで「ご家族」が入っているところ、この人のこういうところが俺はたまらないのだ。

☆そして吉田拓郎の謎の言葉「灯台の明かりが見えていて、楽しい人生を続けていこうじゃないか」は、真意は不明だがこの言葉こそが私にとってのかすかな灯台の明かりである。だから、最後の"セイリング"がより切なくたたみかけてくる。
 どんなかたちであれ音楽と結縁した吉田拓郎が末永く私たちとともにありますように。ガラにもなく祈りたい。

☆ささやかに嬉しかったこと。“サマータイムブルースが聴こえる”のあの間奏のメロディーが吉田拓郎自身の作曲であることをあらためて明言してくれたこと。去年、何度か泣きそうになったI’m In Love2019の最後のピアノの美しいメロディーが吉田拓郎自身の作曲だとわかったこと。さすが吉田拓郎。よかったと心の底から思う。

☆それにしても松本隆と岡本おさみのこの一曲、こんだけ毎日日記であれこれ書いたのに、一曲も当たらないしカスリもしねぇ(爆)。老舗サイト2020。「言葉」的中、恐れ入りました。

☆同じように私の中島みゆきの渾身の一曲も読まれもしなかったぜ。

☆あんなに言い続けて「悪女」の歌詞をよく知らなかったのか。

☆さて正解は「交尾」。なんのクイズの答えだ。

☆☆☆星紀行、今日の学び☆☆☆
 吉田拓郎が「心にしみた」のは、中島みゆきよりもユーミンの「守ってあげたい」だったということになるのか。興味深いな。
 中島みゆき・岡本おさみvs 松任谷由実・松本隆。拓郎にとっておなじ香りがするグループ分けではないか。

2020. 10. 11

 瀬尾ビッグバンドのキーボード小林信吾さんの訃報に驚く。中島みゆきのライブにもいらしたし、知る人ぞ知るカズ南沢のレイニーズバンドにもいらした。Coolな雰囲気だった。"18時開演"の"風の街"、大好きでよく聴くんだけど、これからは切なくなっちゃうな。でも聴くよ。お世話になりました。ご冥福をお祈りします。

 ラジオを聴いていると、拓郎の話って、〇年前、〇〇年頃、〇〇年間っていう時間軸に関する話は時々いい加減だけど、一緒に演奏したミュージシャンのことは絶対間違えないし、よく憶えているよね。膨大なセッションやレコーディングを経験したんだろうけれど、ミュージシャンたちと、どんなやりとりをして、どんなプレイをしたか、一挙手一等足まで具体的に記憶している。だから映画の場面みたいに拓郎の話はワクワクする。この人は、どれだけ音楽が好きで、どれだけ音楽を大切にしているかという一端がうかがえる。

 だから吉田拓郎ご本人はもちろん拓郎を囲むミュージシャン音楽関係の方々どうかくれぐれもお元気でいらしてください。話はすべてそれからだ。なんの話かわからないけれど。

2020. 10. 12

♪道に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか…ある。今だよ。
            拓郎、拓郎っ!!、拓郎ぉぉぉぉ   
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           (本音告白まんが「あなたは"それがいい"と言うけれど」(終))

2020. 10. 13

 夏の日記で筒美京平のこの一曲をあれこれと考えながら「作品集CDに寄せている筒美京平先生の文章ではご自分の曲を一瞬で消えてゆく流れ星になぞらえてペリー・コモの歌からCatch a Falling Star…and Never Let It Fade Away(流れ星をつかもう、そして消えないようにしよう)というフレーズでしめくくっていた。」と書いた。そしたら本当に卒然と流れ星のように逝ってしまわれた。俺ごときの心にもいくつも刻まれた決して消えない素晴らしい音楽をいただいた。心の底からありがとうございました。
 つい先月のラジオだったよね。吉田拓郎はそういう星の下なんだな。その拓郎のおかげで俺も「亡くなってから」でも「亡くなったから」でもなく、筒美京平さんが生きておられるうちに、「ああ、あの歌もこの歌も、筒美京平はすんばらしいぜ!」と感動と感謝の気持ちをあらためて持てたことがせめてもの…だ。自分でも意味不明だが最後に「や、チップス先生さようなら」と言えた気分だ。

 とにかくすべては生きているうちに…”悲しみも喜びも遅れないうちに確かめろ”だと思う。

 それにしても、なんで悲しみがこんなに重なるのか。

 良席が来ない、当たらない、会報がショボイ…ああすまん、こちらは文句しか言わなかった。でも、TYIS、愛していたんだぜ。

 本当に、どうしてこんなに悲しいんだろうね。

2020. 10. 14

 なんなんだろうね次から次へと。難解過ぎて最後まで読んだことのない批評家の小林秀雄先生の「…悲しみは疾走する。涙は追いつけない。」という言葉が今まさにわかる気がする。志賀直哉を尊敬していた小林秀雄先生はきっと志賀直哉から「もう私は小説家のエンディングだから本なんか出さないよ、ファンクラブも解散だぁ」とショックなことを言われ、その他の有名な作家が次々倒れてゆくような悲しみの体験からこの言葉を吐いたに違いない。>ぜってー違うよ。

 言葉といえば「言葉」。上を向いて歌ったという話がボディブロウのように効いてくる。吉田拓郎のそういうところがたまらない。やはり涙は追いつけないのだ。
 

2020. 10. 15

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星>せっかくの"T-note"も廃刊か、"フォーライフマガジン"より短かったのぉ。
森野>ぐっ。またオマエかっ!
                    <やさぐれ会報まんが(終)>

 作っては解散するファンクラブと運命をともにする「会報」の歴史。きっといつかまた構想も新たにやってくると信じている。
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 ただ言いたい。なんでもウェルカムじゃないぜ。今までのようにファンクラブの会報であることに甘えたパンフレットかタブレットに毛の生えたものはもういい。もちろんそれらは過去においてありがたく拝読したが、本当にエンディングの覚悟があるなら、魂をこめて渾身のもの作ってくれ。ウチ向きの会員だけでなく全世界に向けて頒布するのだ。

 拓郎の「今」の言葉があり、貴重な歴史的資料と記録があり、ぷりてぃな写真満載、生き証人たちの貴重な証言があり、ともに歩いたファンの声があり、なんなら重松清の連載小説や浦沢直樹の連載漫画もあったらなお結構。貴重な音源CDの付録も必須だ。もう毎号読み応えのあるめくるめく雑誌。毎号集めれば、吉田拓郎百科事典になるような、終わらないディアゴスティーニみたいなやつを頼むよ。あ、毎号パーツを組み立てると、つま恋75のステージのジオラマが完成するのなんかもいいな(爆)。1/50の精巧なモデルであなたの部屋に熱狂のステージが蘇る。創刊号は二台のクレーンと吉田拓郎と松任谷正隆のフィギュアがついて490円。いみふ。
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 勝手言ってすまんが、でも勝手を標榜するアーティストのファンがなぜ勝手じゃいけないのだろうか。

2020. 10. 16

 わかったよ、あきらめるよ。かねがね私はドヤ顔で言っていた。

   俺の人生には二種類の日しかない。
      それは「拓郎のライブの日」と「拓郎のライブを待つ日」の二つだ。

 そのライブの日が無くなる。それから俺は一体どうすればいいんだ。ただライブを待つ日だけが残る。これから来ないライブを待ち続けるのだ。もう渋谷の忠犬ハチ公みたいなものである。ハチ公を見習おう。待って、待って、待ち続け、いよいよ老いて最後の時は、夜の渋谷公会堂の前で倒れよう。そこで倒れながらつぶやくのだ。
 「ハチ、僕はね、ここで観たんだよ、本物の吉田拓郎のライブをね。素晴らしかったな。ああ、なんだかもう疲れて眠いんだ…」>それってフランダースの犬だろ。


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2020. 10. 17

 居酒屋も変わったな。一人からせいぜい二人の客がひっそりとやってきて、みな短い時間で引き上げてゆく。都の時短要請が終わってからも23時には閉店するらしい。深夜の客も長尻の客もいなくなったということだ。
 気が付くとお客さんもマスターも言葉が少ない静かな雰囲気だ。”おい、こないだの拓郎のANNGOLDは、ライブ中止に心奪われたけど、よく聴くと中島みゆき特集で、拓郎は妙に素っ気なくなかったか、みゆきに冷たくなかったか、なんでだ”…とうるさく盛り上がって話していたのは私らだけだった。いや、これはこれで深イイ話だったけど。
 これでは居酒屋の経営は大変だろうな。いろんなことが変わりゆくときなのかもしれない。で、昨夜は他にもいろいろあって、帰り道に「白夜」が格別にしみた。

   人のいない路地を風が渡り歩く
   自由だった街の祭り騒ぎ失せて
   …星はめぐり今夜白い闇の夜だ
   みんな みんな 終わっちまった

 昔ラジオで言ってたよな、この曲はスタジオに松任谷正隆と二人だけでこもって録音したって。二人で作り上げるそういう映像も撮ってあったら良かったな。観たい。見せるものではないんだろうけれど観たい。最近になって、浦沢直樹のNHKの「漫勉」が好きなので特にそう思う。魂が宿ってゆく作業の瞬間みたいなものに憧れる。

2020. 10. 18

 CMを観ながら釣られて♪お〜もいで〜はモーノークローム〜い〜ろをつけてくれぇえぇ〜と思わず一緒に口ずさんで、「ちっ、しまった」と悔やんだりしませんか>しねぇよ

 あの頃、特に夏はどこに行っても、誰の車に乗っても、圧倒的にこの曲か松田聖子が流れていたものだった。そんな中にこっちの武器は燃えるパラソルのサマーピープルだぜ。形勢不利(爆)。青春とはキビシイものなのだ。

2020. 10. 19

 いや、俺は”サマーピープル”が良くないとか、大瀧詠一がムカつくとか言いたいわけではナイヤガラ。ま、どちらも少しはあるけど。
 ただ、あの夏は、拓郎は”サマーピープル”でとうとうザ・ベストテンに出るのだなと本気で信じていた(写真は番組で一瞬だけ映ったことがあるけれど
http://tylife.jp/uramado/summerpeople.html )。なのでちょっと苦い夏として思い出す。
 そしてその4年後、85年のつま恋で吉田拓郎は、この”サマーピープル”を久々に歌った。映像にもレコードにもなっている。まるで憑き物が取れたような、生き生きとのびやかで、ノリノリで、こっちも身体がブイブイゆれだすようだった。ああ、こんな自由な曲だったのか。ヒットするかしないか気に病んでいたのは遥か昔、こっちもあらためてこの曲楽しんだ。音楽は自由であるべきだという拓郎の言葉を思い出す。だから、この85がベストテイクであると俺は思う。今週はサマーピープルで元気だすぞ。もう寒いけど。

 ライブがなくなるとこういう新しい蘇生の瞬間はもうなくなってしまうのか、あるいは吉田拓郎が生きている限り、カタチを変えてもそういう場は、あり続けるのか、たぶんどっちかだ。明日はどっちだ。

2020. 10. 20

 そうそう 大瀧詠一の”君は天然色”と”サマーピープル”は発表時期が一緒だけでなく、両方ともフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを意識しているという共通点があると拓郎が教えてくれた。”ラジオでナイト”第42回 2018.2.4だった。

“吉田拓郎も一度だけ(サマーピープルで)トライしたことがある。松任谷正隆がアレンジで、ウォール・サウンドをやってみた。ドラムの島村に2回叩いてもらって、ストリングスもギターも4回くらい重ねている。しかし、当時のレコーディングの技術もあって、うまくいかなかった。でも大瀧詠一は近くまで行っていた。”

 そしてウォール・サウンドの失敗例として”サマーピープル”、成功例として”君は天然色”を紹介したのだった。自分のトライの失敗を認め、大瀧詠一をキチンと評価するところが根っからの音楽家なんだなと感心したものだ。拓郎のこういうところが素敵だよな。

 しかし根っから音楽家とは無縁の俺は悔しくて仕方がない。

“御大よ、まだ負けてはいないぜ。「サマーピーブル」のトラックにさらに島村英二さんにドラムをあと4,5回叩いてもらって、伊集加代子さんにコーラスをかぶせて貰って、「サマーピープルRemixi Ver」を作り、ウォール・サウンドを完成させよう。んでもって「紫外線とパラソル」というキャッチでドモホルンリンクルとかのCMに使ってもらおう。”

 我ながら根っからのただのバカである。情けねぇ。

 それにしてもこのことひとつ振り返ってみても”ラジオでナイト”はいい番組だったなと思う。音楽がわからないセンスゼロの俺にもわかるようにいろんな角度から音楽を教えてくれていた。
 とにかく人に生まれてきたんだ。愛してるぜ、御大。

2020. 10. 21

 ウォール・オブ・サウンドは奏功しなかったかもしれないけれど、またザ・ベストテンには出なかったけど、拓郎はつま恋ライブでは思い切り自由でウキウキする”サマービープル”を魅せてくれた。いいじゃないか。

 くだんの“想い出はモノクローム、色をつけてくれ〜”は、チャライ唄かと思っていたが、当時、松本隆が身体の弱かった妹さんを亡くされた時(拓郎の”お喋り道楽”でもその話は出たよね)、ものすべてが色を失ったような心の叫びから生まれた…という後日譚を知ってしまうと、妙に切なく愛しく思えてくる。

 どっちがどうだという優勝劣敗などにこだわらずに、”サマーピープル”と”君は天然色”というふたつの佳曲に恵まれたわが青春の81年夏に感謝したい。>そもそも悔しいとか言ってたのは自分だろっ
 その81年夏には、もうひとつ松本隆とタッグを組んだ”サマータイムブルースが聴こえる”がやって来る。岡本→松本、かなりやばい線になってくる。いみふ。
 80年代から帰ってこれなくなりそうなので、この辺でやめとく。

2020. 10. 22

 本日からBS12で「寺内貫太郎一家2」が始まる。80年代どころか70年代に話が戻ってどうする。ここは吉田拓郎のファンサイトだが、向田邦子がかつおのダシのようにしみこんでいるつもりなので熱く拝見する予定だ。「ムー」に続いて毎週居酒屋のマスターと視聴反省会をすることになるのか。
 秀樹の「きたねーな婆ちゃん」、樹木希林(まだ悠木千帆)の「ジュリー」に、ミヨちゃんに…と見どころは多々あるが、特に、何回から出演かはわからないが、白鳥哲の「ひとりだち」(松本隆作詞・吉田拓郎作曲)が流れるぞ。これ大事。http://tylife.jp/uramado/hitoridachi.html

2020. 10. 23

 「ムー一族」を観た後だと「寺内貫太郎一家2」はいろんな意味でかなり重苦しい。昔は良かった,昭和は良かったと人一倍思う私が観ても隔世の感がある。あんなふうに日常の生活に理不尽な暴力が当たり前のようにあったり、貞淑さが戒律の如く重くのしかかっていたり、昔といっても良いことばかりじゃない。ただし、そこに沈みこまないところに向田邦子の妙味がある。樹木希林のトンデモばぁちゃんにも結構、鋭い辛辣な言葉を吐かせる。

 さて白鳥哲くんは出てきたけれど、記憶ほど美少年じゃないかな。かわいいけど。まだ歌わない。歌うのは風吹ジュンだ。お約束のように屋根の上で安井かずみを歌う。歌はヘタだけど、今の名女優に向う演技力がうかがえてなんか嬉しい。向田邦子に見出されて、育てられたというのは本当なのだな。

 演技力といえば、その容貌と圧倒的な存在感でもっている小林亜星。でも、どうなんだ。会話も理屈も通じずひたすら暴力と舌足らずの怒声で暴れる。わかる。そういう理不尽なところが目立つ役柄設定なのだろう。でも、モデルといわれる向田さんのお父様の話を読んでみても、もう少しだけ哀楽の感情の機微がにじんでもいいのではないか。そこが平板にすぎる。
 ちょっとツラいな〜と思って観ていたら、そういえばなんか既視感があるなーと思ったら、あれだ。幕末青春グラフティRONINの吉田拓郎が演ずる高杉晋作だ(爆)。あれもなんか、ただ呑んだくれて怒っているだけで、キャラクターの深みがあまり滲んでいなかった。ま、拓バカの俺には、動く吉田拓郎が観られてしかも稀代の名曲「RONIN」が誕生したので文句は言わない。というより感謝している。

 ともかく申し訳ないが、小林亜星も吉田拓郎も天性の存在感があり、もちろん音楽家としては超一流だが、演技力においては残念なので、なんかそこからいろいろまた残念なことが出てくる。もっとも小林亜星はこの後も役者として活躍され、その過程で演技力がどうなるかはわからないので、あくまでのこの当時の時点での話だ。

 ちょうどこのころTBSでは「あこがれ共同隊」を放映していたんだよな。

2020. 10. 26

 拓郎のライブ中止・撤退を知り、近しい人達が拓バカの私に対して「大丈夫ですか?」と心配してくださる。ありがとうございます。しかし大丈夫なワケがありません。
 週末は気分を変えてちょっと一泊で外出などしてみたが、いかに観光地だろうが、世界遺産だろうが、日本三景だろうが、んなものは私にとっては一遍観たら十分で、とても拓郎のライブにかなうものではない。
 というわけで、ものすべて灰色の街をウツロな気分で歩いていたら、ああ虹だ。3時だけど虹だ。こんな私にも虹がかかるのだ。小さな声で歌ってみる。
  ♪ああ〜あ 燃えている 七色の虹〜
          ポッケの中は〜虹の海〜〜
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 いい歌じゃないか、拓郎少年。ああ、ちょっとだけ元気が出たよ。


2020. 10. 27

 ということは昨年の神田共立講堂が私の最後のライブだったということなのか。何もかもが、私の心の宝石箱に仕舞っておきたい思い出(柴門ふみ@お喋り道楽)だが、そのひとつ、隣の席のおやじのことも忘れられない。
 神田古書店の関係者らしき一団の中で、若いおねーさんを連れたチョイチャラおやじが隣に座って、女の子にいろいろとウンチクを語っていらした。よくありがちな光景だ。ただし、おやじは拓郎に関しては、富澤一誠の評論を50倍くらいに希釈した絶妙の薄さで、最近のリアルファンではないことがわかった。だからどうだというのではない。
 コンサートが始まり、静かに見入っていたそのおやじだが、「流星」の最後に、拓郎が背中を向けて、ギターを振り上げて、そらぁもう鮮やかにエンディングをガバっと決めた。その瞬間、おやじは、思わず声が漏れてしまったように唸ったのだ。「ぅあぁカッコイイなぁぁぁ」
 そこには、あのたまらなく美しい吉田拓郎の立ち姿があった。オレが拓バカだからではなく、普通のおやじが観てもカッコイイものなのだとわかるとたまらなく嬉しかった。そうでしょ、そうでしょと言いながらおじさんにチューしてあげようかと思った。

2020. 10. 28

 深夜にLive73yearsの”I’m In Love”を観直す。おっと”I’M IN LOVE”か。いい。あれ、こんなに唄がうまかったかと思ったりもするが、とにかくいい。何度も書いてきたが80年代前半、軟弱な駄作と若気の至りで捨て置いたこの曲に、何十年かけて説得され改悛してきたのが自分の人生かもしれない。拓郎が教えてくれた青山徹のイントロのエピがまた好き心を深めてくれる。そして昨年から感動しているLive73yearsで加えられた最後のピアノの後奏のメロディーの美しさ。拓郎の作曲だったと先日のラジオで知ってまた嬉しい。前奏のみならず後奏も盤石。前から後ろから、もう畑中葉子である。すまん。ラブソングは堕落と責めた若き日々だったが、最後はラブソングしかないじゃないか。そのとおり。

2020. 10. 29

 「鬼滅の刃」の席捲ぶりは凄いな。映画”無限列車編”を”夜行列車編”と読み間違えて森進一が主題歌を歌うのかと思ったぜ>つまんねぇんだよ!!
 原作は全編読んだし力作だとは思うけれど、刀で斬りまくって、次々と首が飛んでも血も出まいの世界を幼児までがこぞって観るのってどうなんだろうか。…と憂いていたら、じゃあ、昔の八つ裂き光輪とアイスラッガーはどうなんだよと切り返されて、審議事項に入った。週末よく考えてみよう。
 それにしても家族愛が描かれているが、家族愛はまず”吉田町の唄”とかで学べよ子供。
 
 それはそうと気に入らないからと好き勝手に刀を振るっておいて、あとで斬られた方に問題がある、斬られた方のけしからんところを皆で議論して探そうと、わけわかめの解釈に持ち込んで、値下げとかクーポンとかで気を引きつつ、ほとぼりを冷ます。この国は実にタチの悪いやり方に味をしめてしまったのではないか。こうなると少数派の自由なんて吹けば飛ぶようなものになってしまう。そのうち君も僕も狙われる。

 やっぱり吉田拓郎が愛の歌を歌わないと、世の中はどんどん荒んでゆく…というのが雑だけど私の意見。

2020. 10. 30

 こういう憤懣やるかたない気分の時は"純"だな。よくぞ昨年歌ってくれたものだ。ライブだとスカのリズムというかビートが、まるでシャドーボクシングするボクサーみたいに揺れる煽情的な感じがたまらない。そして”どけ、どけ、どけぇ”…ああシャウトだよ人生は。有象無象の街に明かりが灯り生きるものすべてが愛でつながれますように。

2020. 10. 31

 ♪灯りをともせ〜といえば、マスターがギックリ腰のため休業していた居酒屋の前を通ったら灯りがついていた。おお、復活の日か。ライフ・イズ・ワンダフル。自分も腰痛持ちなのでご苦労はよくわかる。拓郎が腰痛で座って歌ったツアーの翌年に俺もギックリ腰を初発症したのだ。さすが身体を張ったファンだと自分で自分をほめてあげたい。ともかくお大事になさってください。
 日本酒一合とジャガイモのスープだけですぐに失礼したが、江口寿史の画集の吉田拓郎の寄稿文を見せていただいた。そうか2019年秋に書いたのか。「遊びに行きませんか」って昨年の王様達ハイキングの記憶も新しいころ。いい文章だ。それに江口寿史の拓郎への思いを書いたあとがきも素敵だった。ただの一般Pの俺が僭越だが、こんな風に粋に拓郎愛を表現したかった。ともかく遅ればせながらこの画集を購入することにした。

 遅ればせといえば、ブルーレイの「つま恋1975+篠島1979」。DVDを買ったので買わないで放置していたがブルーレイは特典映像が充実している。「6月1日〜」。これは75年の渋谷西武デパートのフォーライフ・フェア”THIS IS FORLIFE”で観た30分のドキュメントフィルムの一部だ。燃えて行ったよなぁ中学時代>誰に言ってんだよ。
 4人それぞれにスポットをあて、拓郎がギター教室のヒドイ先生を演じ(いや素かもしれん)、泉谷なんかは池上駅の周辺を自転車で走り回り、最後に野外で4人がそろって食事をしながら拓郎がシャンパンをぶちまける俯瞰で終わるやつ。これは10年くらい前に、フォーライフの特集番組で再放映されたのだが、なぜか拓郎のスポット部分だけがカットされていた。あらら、と思っていたら、このブルーレイにはその拓郎部分だけがしっかりと収録されていて、今観るとパワハラ・セクハラ炸裂なのだが、実に45年ぶりだ。今は黄昏また逢えてよかった、今日も黄昏また逢えてよかった。
 これを知ったのはおねえさんのおかげです。ありがとう。あなたに松任谷のあふるる恵みあらんことを祈ってます。

2020. 11. 1

 昨夜Tくんと確認したが、俺が行ったフォーライフフェアは、第二回目の池袋西武の方だった。おお、そうかまだポスターを持ってるのか。フェアのポスター1枚に、4人のポスターをあわせた5枚のポスターセットが売っていて、貧しい中学生ゆえ、みんなで買って分けたものだ。するってぇと全体のポスターはTくんに、俺は吉田拓郎のポスターをもらって、たぶんFくんは井上陽水…で泉谷と小室さんのポスターは誰がもらったのだろう。なんか今さらすまなかったな。
 そこで映画の上映が終わって灯りがつくとおそらく一緒に映画を観ていたであろう泉谷しげるが壁にもたれて立っていた。そうだった。生泉谷だった。
 そしてフェア会場を歩いていた小室等社長に握手をしてサインをもらったのだ。俺が生まれて初めて握手した芸能人は小室等だ。凄いのか凄くないのかわかんなかったが、今は胸を張って凄いといえる。あれから小室哲哉、小室圭さん、いろいろ小室が登場したが、やはり最強の小室は小室等だ。文句あるかっ!…あるんですか。すみません。

 あの頃はとにかく「フォーライフ」という言葉だけでたまらなく胸が熱くなったものだ。

 そういう中学生も、こうして歳をとって今に至る。滅多に拓郎を褒めないTくんがしみじみと「自分もこうして歳をとって、ああ拓郎は、病気もしたのに、よく歌ったなぁと思うよ」というつぶやきが心にしみまくった。本当だな。♪日本はどこへゆくんだろう、子どもは何を観るんだろう、とにかく生きていこうぜ。

2020. 11. 2

 そのフォーライフフェアに飾られていたデカイ直筆パネルに吉田拓郎は
    今は黙って静けさだけを愛せばいい
と書きなぐるように記していた。http://tylife.jp/uramado/nagareru.html
 この話を何度も書いたし、酔うと何度も話している気がする。ごめんね、ほーら、おじいちゃんの話は、いつも同じでしつこいものなのよ。
 "ラジオでナイト"では拓郎本人も忘れてしまったと言っていた”流れる”。いずれは元の闇の中へ答えもなく消え去るのみ。いやいや生きてる限りはどこまでも。

2020. 11. 3

 今日は”嵐”のラストライブのファンクラブ配信があるらしく家の中が朝から浮足立っている。もちろん俺には関係ない。俺にとってのラストライブはもう終わったし俺の入ってるファンクラブはとっとと解散するんだよ,なぁみんな(涙)。だが「他人のライブをクサしない」という家訓があるのでもろもろ家で協力をしているところだ。
 思えばデビュー直後に”LOVELOVEあいしてる”に彼らが出演したとき、生意気なクソガ…いや、自由闊達なお子様達だなと思ったのが今は昔。数年前に東京ドームでライブを観たとき、そのショーとしての完成度の高さと観客席まで一体となってこんなクソジジイまでウキウキさせてしまうパフォーマンスにとにかく驚いたものだった。彼らだけでなく日本のライブというものの進化を思い知った。
 「僕らの祭りは終わったのか」…あの大嫌いなヤツの大嫌いな本のタイトルが浮かんできてしかたなかった。大切なのは「終わった」というのではなく、確かに「あった」ということ。確かに僕たちにはものすごい祭りがいくつもあったことに感謝して生きなくてはならない。
 ともかく今日は、いつのまにかおっさんになった少年たちの今日のライブの成功とファンの方々の幸せをお祈りします。

2020. 11. 4

 それは誰もが承知のことだと怒られるかもしれないが、無観客配信はやはりどうしたって寂しい。嵐もさまざまな工夫と熱量でがんばっていたが、歓声もリアクションもない国立競技場は壁のように立ちはだかっている気がしてならない。

 「吉田拓郎のライブは客席と一体化してこそ完成される 」(2020年10月9日 オールナイトニッポンゴールド)

 という言葉をあらためてかみしめる。図々しいかもしれないが、ライブでは私たちひとりひとりも大切な楽器だったことを教えてくれる。

 最後に、更新手続を停止していた嵐のファンクラブが、今後も継続するというニュースがあった。そりゃファンは喜んでいた。だからといって拓郎もそうしろよとは言うまい。もう僕たちは眠った方がいい、穏やかな愛に抱きしめられて。

 …と黄昏ていたら

 中国新聞社主催第77回「中国文化賞」受賞おめでとうございます。

 すまん。どういう賞かも知らなかったし、そもそも拓郎ファンは「受賞」というものに慣れていない。この50年間、「レコード大賞作曲賞」と「ベストジーニスト特別賞」以外に何かあったろうか。なので、どう喜び、どう寿いでいいのかよくわからない。
 それになんで全国紙じゃないんだ、ニューヨークタイムスや人民日報から授賞したとしても驚かないのに…という思いも一瞬頭をかすめた。しかし中国新聞は全世界にさきがけて正しいことを実行してみせたのだ。ことに全国紙が大本営忖度機関紙になりつつある危うい昨今、ありがとう中国新聞社。もちろん「吉田拓郎氏受賞記念新聞セット」をサイトから今注文させていだいた。ということで祝賀な一日をすごさん。

2020. 11. 5

 なんで全国紙じゃないんだ、もっと言えば、とある同志の方がおっしゃるとおり、なぜ褒賞や叙勲をよこさないんだと私も悪態をつきたい。勲章なんてどうでもいいと悟っている方々もおられるが、どうでもいいものだからこそ、よこさないことに余計に腹が立つのだ(爆)。怒りを胸に明日からもこうして生きてまいりましょう。

 でもね、でもね。中国新聞の拓郎の寄稿文を読むと、どんな気持ちで拓郎がこの賞を受けたのかがしみじみと伝わってくる。拓郎の思いが胸にしみる空のかがやき。たぶん贈った方にも贈られた方にも通底するあたたかな暗黙を感じる。「広島という季節」…もうタイトルがいいじゃないか。読みながら、この新聞のこの賞で良かったんだと思えてくる。
 「どうだい、自由っていいだろう」。それは権利章典にある大仰な自由ではないし、”自由は責任を伴う”とか悪意を持って揶揄される自由でもない、ささやかだけどとてもとても豊穣な自由だ。一時代の一地方の取り立てて目立たない一少年が味わった小さな自由。でも、私たちはその自由に時空を超えて連なってこうして生きている。いい。自由ってたぶんいい、小さな自由を忘れない拓郎ってとってもいい。

2020. 11. 6

 “どうだい、自由っていいだろう--”…そうか”僕らは今も自由のままだ”という”アゲイン”の歌詞はそういう意味だったのかと思って聴きなおす。いいなぁ。ステージの立ち姿までが浮かんでくる。もう一度観たいぜ。アゲイン、アゲイン、もう一度。

 自由といえば、かの国の大統領選が大変だ。接戦・混戦・長期戦…もうワケがわからない。昔の映画「キングコング対ゴジラ」を思い出す。二匹が、さんざん戦って勝負がつかず、最後は取っ組みあったまま海深く落ちてゆき海面だけが映って、何がどうなっているのかわからなくなる。やがて遠洋にポツンと南の島に帰ってゆくコングの後ろ姿が浮かんで「終」。「”終”じゃねぇよ!」と子供心にツッコンだ、あのわけわかめのラストを思い出してしまう。彼我、国政での自由はのっぴきならないことになっている。

2020. 11. 7

 元SMAPの森且行くんがオートレースで優勝というニュースを観た。森くんのことはよく知らないけれどオートレースといえばなんつっても御大である。土曜の朝のテレ東でよく「オートレースへ行こう」のスポットが放映されたものだ。嬉しくて少しだけ微妙に寂しかったCM起用を懐かしく思い出す。しかし"まだ見ぬ朝"は、いい曲だ。2014年の「AGAIN」でカバーされたが、やはり原曲のアレンジの方が軽やかで好きだな。当時の時代はそこそこ逆風だったけれど、でもこの歌は爽やかな風に吹かれているような清々しい気分になれる。SMAPの6人もあの場所でもう一度会えばいいのに…と思うが余計なそれはお世話だよな。

2020. 11. 8

 昨夜のミュージックフェアの大竹しのぶの”ファイト!”も凄かった。以前の”化粧”のカバーと並ぶ迫力だった。もう最初から涙目で泣きながら鬼気迫る歌唱。途中の間奏で例の”武部聡志といつもの仲間たちバンド”を振り返るんだけど、誰も目をあわせない。怖いもんね。出ていかないなら、おまえの家の前でアタシが毎日コレ歌って住めんようにしちゃる…って言われているような凄みだった(爆)

 さて名古屋のフィルムコンサート。どれもDVDを持っているし特にこの時期に名古屋は遠い。なので行けないのだが「フィルムコンサート」という言葉には胸が高鳴る。昔は、You tubeやネットはもちろん、DVDもビデオもない、そしてテレビにも出ない、そんな吉田拓郎の歌う映像を観られるのは、いつ催されるかわからない「フィルム・コンサート」しかなかったんだよ。
 拓郎もご推奨の映画「グリーン・ブック」で主人公が、子どもの頃に父親から「メシを食う時はこれが最後の食事だと思って一生懸命食え」と教えられた話をするが、それだよ。これを逃したらいつ観られるかわからない、もう観られないかもしれないということで、それはそれは必死で食い入るように観たものだ。まばたきするのも惜しい。まばたきしている間にごっつ素晴らしいシーンがあったらどうすんだよ。
 それが今は家でゴロ寝して早送りで観るなんざぁ、堕落したもんだ。あーなんか爺ちゃんの昔話みたいだよ。俺は行けないけど、いいフィルムコンサートになりますように祈っております。

2020. 11. 9

 “ゆうべの夢”という歌があったが、一昨日の夜、結構鮮明な夢を観た。あくまで夢ね。

 テレビのニュースでアナウンサーが淡々と伝えるんだけど。「吉田拓郎さんの幻のコンサートの映像見つかる」というテロップ。要するにライブ73の映像が見つかったというニュースだった。どひゃー。アナウンサーは「吉田さんの当時の所属レコード会社であるCBSソニーが資料映像として撮影し保管していたものがこのほどレコード会社の保管庫から発見され…」「2日間ほぼ全編が録画されており保存状態もよく、修復のうえ来年ファンに公開されることを検討中」みたいな感じで。
 わが夢ながら凄いのは「音楽評論家の田家秀樹さん」の「これは凄いことだ。JPOP史上に残るコンサートの映像があったなんて驚きです」ってコメントまでついていたことだ。富澤一誠じゃなくてよかったぜ。
 夢の中でも、俺はこりゃすげぇ大変だぁ、えー、2日ともあるのかよぉぉぉと大興奮していたのだった。

 …さて朝目が覚めた時のガックシ感を想像してくれよ。ああ、昨日の夢は冗談だったんだよ。お、キレイにハマったがガックシ感が強くてちっとも嬉しくない。きっとフィルムコンサートのこと考えてて夢見たんだな。

 これが本当だったら名古屋だろうとバハマだろうとアラスカだろうと、私は月でも行くだろう。

2020. 11. 10

 ウチにも中国新聞が届いた。おっと「中國新聞」だ。「広島という季節」はネットでは読ませていただいたが、こうして新聞紙を広げインクと紙の香りのなかで活字を読むとまた格別な味わいがある。これぞ「純粋経験」か。拓郎がどんな思いでこの賞を受けたかが伝わってくると前の日記で書いたが、授与する側の思いも伝わる「等身大の先駆者」という受賞理由の文章もいい。よくありがちな「フォークの神様だからエライ、エライ」みたいな薄っぺらなヤツじゃなくて真摯な思いがある。
 9月11日のオールナイトニッポンゴールド第6回の「素晴らしい音楽人生だったと胸を張りたい」と拓郎が語ったくだりをちゃんとおさえている。「愛、家族、友達,裏切りと信頼、正義と悪、それから心。音楽とともに生きたんだな。素晴らしいことだった。」というあの拓郎の万感の言葉を引用して結んでいる。日記ではテキトーに言ってみたのだが、贈る方、贈られる方に深く通底するものがある。素敵な受賞ではないか。
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2020. 11. 11

 13日(金)はラジオだ。この1か月間の疾風怒涛と哀しみを思うとなんかとても長かったなという気がする。こんな時に"松田聖子"という気分ではないな…と思ってたが、イヤもしかしたらこんな鬱屈した気分の時だからこそ"松田聖子"がいいのかなと思ったりもする。癒されるかもしれない。でも拓郎のラジオを聴いて松本隆×大瀧詠一×細野晴臣あたりに癒される自分というのは大いに面白くねぇよ(爆)。あ,財津和夫もいたな、サビシィ〜っ!!>もういいよ。…幸福なんて欲しくないわ。

2020. 11. 12

 松田聖子はほぼ同年だけれど、いや同年だからかアイドルとしてはもう聴かなかった。エイジアウトというヤツである。私のアイドルは桜田淳子に始まり、伊藤咲子、キャンディーズ、そして石野真子で終わった。悪くない悪くないみんな素敵なアイドルだったから。ああ、桜田淳子以外、拓郎が曲を提供している。拓郎は桜田淳子が好きで提供曲を作っているという噂があったがあれはただの噂だったのか。

 80年に桜田淳子主演の"玉ねぎむいたら"というドラマにデビューしたての松田聖子が妹役で出ていた。サンミュージックの大物と新人というセットだ。ユイでいえば篠島での吉田拓郎とゲストの長渕剛みたいなものだ。長渕剛と言えば石野真子(長くなるので略)。美しい桜田淳子に比べて松田聖子はなんとも貧相な女の子だなと思ったものである。あの頃はこっちもバイアスがかかっていのだろうと思って、つい数年前に再放送を観てみたら、やっぱり桜田淳子のなんと美しいことか(爆)。

 そういえばその年だったかラジオ番組のヤンタンTokyoに松田聖子がゲストに出演した時、拓郎が初対面の松田聖子に「ボクはゆうべあなたの夢を見て、あなたから電話番号を教えてもらいました」とかいきなり話し出して、さすが元祖アイドル好きの教祖はギアの入れ方が違うなと感心したものだった。

2020. 11. 13

 松田聖子で一曲だけ大好きなのがあった。ドラマ「青が散る」の主題歌「蒼いフォトグラフ」(松本隆作詞・ユーミン作曲)だ。このドラマで佐藤浩市や利重剛らほぼ同年代の出演者を観ながら(あ、川上麻衣子さんコロナ感染らしい、どうぞお大事に)、ああ俺の学生生活、青春も終わりだなとしみじみ思ったものだ。オレの青春なんてヘのような思い切りショボイものだったけど。そんな自分にもこの歌が切なく響く。
 この詞は、松本隆の学生時代に横浜とかに遊びに行った時の風景を描いていると言っていた。また自ら「蒼いフォトグラフ」の中学生版という歌を鳥山雄司の作曲で松本の母校の同窓会に後年書いている。まぁ卒業の悲恋を描かせれば独壇場だし、太田裕美の「振り向けばイエスタディ」には「もうすぐ期末のテストなんだよ」なんてフレーズもあった。あ、フォーライフの「ハイスクールララバイ」も松本隆だったか。きっともっとたくさんあるのだろうな。で極めつけは吉田拓郎の歌う「恩師よ」だ。ここに松本隆の学校関係シリーズの体系が完成したといってよい。なんだそりゃ。

 みんな重い見えない荷物 肩の上に抱えていたわ
 それでもなぜか明るい顔して歩いてたっけ
                    (蒼いフォトグラフ)
 髪に霜降る爺はここのあたりで泣きそうになるのだ。

2020. 11. 14

オールナイトニッポンゴールド  第8回 2020年11月13日

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
 こんばんは吉田拓郎です。毎週金曜日は週替わりで今日は吉田拓郎です。我が家では別枠でのランキングが1位に燦然と輝く吉田拓郎がお送りします。別枠って本枠は誰だ(笑)。別枠で1位だけれど2位は誰なんだ。別枠はアナタしかいないということなのか。まぁ、若いっていいわな。

<長い間の感動と裏切り(>裏切りって、それはそっちの取り方だ。自由に生きるというのはそういうことだよ)ありがとうございました、もう一度ギターを弾いてみようとエレアコを買った、息子のギブソンのエレキに触発、妻は怒る、娘の結婚式で「糸」を歌ってやるといったら来るなと言われたという投書>
 奥さんからしたら怒るよな。式に欠席してくれという奥さんや娘の気持ちがわかっていない。それに「糸」は重い。どうせなら西野カナだよ(笑)。音楽はいいものだけど奥さんに叱られるというパターンは多いだろうな。おっさんのワガママはよくない。
 家族とか夫婦がテーマのメールや葉書が多いな。家にいる時間が増えたからかな。こういう新しい生活に戸惑いも感じるのだろう。男も女も息子、娘、親子にとっての未体験のゾーン。こういうコロナの危機を次のステップのグッドチャンスとして、家族の新しい風景を作り出す、知恵を出し合うことが必要だと思う。
 人生は一度きり。俺はもう高齢者運転免許の通知が来たし、後期高齢者ということで、誰が後期なんだよと思ったが、黙っていてもそうなってしまう。だから知恵を出し合って、元気と明るさで楽しい人生でいこうじゃないか。

<紅白の”外は白い雪の夜”の映像を観て、メンバーが凄い、日野皓正、石川鷹彦、大西順子、渡辺香津美、最後に演奏が終わって飛び跳ねたのはどういう気分だったのかという投書>
<ブルーノートで大西順子と渡辺香津美の共演を観た、初めての出会いは紅白の拓郎のバックだった、どんな歌か憶えていないが雪の唄だった、日野さんが、間奏を4ビートのジャズに変えちゃった、拓郎さんがテレビに出ていないので守衛さんが拓郎さんをなかなか通してくれなかった、そういうことしか覚えていないと言っていたという投書>
 憶えていないのか。みんなジャズの人だからな。いつもNHKからはオファーあったが断ってきた。その時も無理難題を言って断るつもりだった。日野皓正、大西順子と渡辺香津美とかだったらやってもいいけれど無理だろうなといったら、後日オッケーになりましたと言われて驚いた(笑)。
 リハーサルがみんなジャズの人だから譜面は渡したけれどフリーでアドリブがメインなのでやる度に違う。リハで日野さんは自由奔放でこっちはわからない。これでいいんだろうなと思った。
 当日は別のスタジオや場所で中継というのはいやだから、ステージだろうがなんだろうがそこに出る、誰の前後だろうが順序も構わない、最後だからキッチリとそこで歌うと言った。でも当日は大勢の歌手の人が一箇所に集められて、好きでもない歌手とニコニコしていなければならない。そんな中、僕と松田聖子は個室の楽屋。隣は演歌の大御所人。緊張が走ってもうずっと楽屋に閉じこもっていた。トイレに行くのもはばかられる。
 最後にジャンプしたのは、あーこれで終わった,終わったという気分だったから。トランペットは正直ぶっ飛んだ。なんだ、これ、すげーなジャズはと思うしかない。後ろを向いたら演歌の人が♪バーイ、バーイ、ラーブとコーラスをつけているこれはリハーサルではなかった。なんという演出をしてくれるんだ、終わったらもう帰るぞという感じだった。
 いろんな体験があった。考えてみると日野皓正、大西順子、渡辺香津美と凄いメンツだったな。ジャズといえば渡辺貞夫ともやった。新宿の広場で。あのあと飲みにいって、楽しかったな。全部がとても楽しい思い出だ。

<夫は率先して家事をやり、料理には私はいつも美味しいねというが夫は私の食事を一度も美味しいといわない、私は褒められて伸びるタイプなのにという投書>

 僕はもう美味しいなぁて、とってつけたみたいな(笑)向こうで怒っている、佳代さんが。
 小さいけど大事なことだ。夫婦だって、もとは知らない環境で育ったのだから目に見えない壁がある。それはそれとしてつきあい続けるというその運命を背負い込んだ夫婦の絆がある。若いころは勢いがあったので一晩で乗り越えることができたかもしれないが、キャリアを重ねると簡単には解決しなくなる。だから男と女は”話す”という行為を方法として使わなきゃいけない。黙っててもわかるとか理屈は通用しない。そういう前提条件というものはない。もう古いよ。会話に踏み切る勇気がいる。会話が苦手な人がいるかもしれないけれど、でもこれからが大事なんだから、重要な時間だから、言葉に出そう。時にお世辞も必要だよ(笑)。

 日本人は昔、腰に刀を差した男が威張っていたけれど、明治維新で新しい時代になるかと思いきや戦争というバカなチョイスをしてしまう。そこで惨めな敗北をして、男は幻想を捨てきれない。完璧に割り切れない。俺が犠牲になってとか、そもそも犠牲という言葉はやめるべきだ。どっちかが犠牲になるなんて悲しい話はいらない。男と女、時に上になったり下になったり自由でいいじゃないか。人間同士というところに行かなくてはならない。なかなかそこには行けないが、今はそこにいく途上なのだと思う。

<ガンバ大阪の近くに住んでいる(>ガンバと聞いて、おおということも昔はあった)、遠藤選手のジュビロ磐田の移籍はどう思うかという投書>
 ヤットさんの移籍はガンバで全うしてコーチ監督を考えていたから、期限付きにせよジュビロ磐田はびっくりだな。今J2だしさ。確かにガンバでは出番が減っていた。しかしボランチとしての影響力は大きかったと思う。
 僕たちは遠藤を応援する気持ちは変わっていない。ヤット選手が僕らにサッカーをし教えてくれた。彼がいなかったらたぶんサッカーファンじゃなかった。もともとサッカーは得点が1,2点しか入んないしツマンナイと言ってたのが、ウチの人が好きになってから、深いな、ボランチはそうなんだといろんなことがわかりだして、今は野球よりサッカーが好きになったりしたのはヤットさんのおかげ。ガンバ熱は…ガンバはどうなんだよ。・・・ない(笑)  宮本がカッコいいのはあるけれど。
 そこへ出てきたのが広島カープの森下投手(笑)。これが本枠。画面に出てくると、ウチの人は、おおっ、いーねーとなる。今どこに泊まっているんだろうと宿舎に飛んでいきそうな感じの森下熱。

<拓郎さんの決断が嬉しかったです、「それでいい」ではなく「それがいい」、僕は昨日のランチにも納得できていないけど、新曲は「それがいい」にしてほしいという投書>
昨日のランチ(笑)が大テーマか。ラーメンよりもカレーが良かったな、無理矢理それでいいと思うってセコイな(笑)

■今夜も自由気ままにやっていきます吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

<今年63歳と62歳だが、大学で知り合ってから43年間、恋愛感情はなかったけれし、彼女は結婚離婚、僕は恋愛を繰り返していたが、コロナ自粛の時間で二人の気持ちを確かめ合う、今は二人で旅をしたりする仲になって、”君のスピード”で涙した、最高のラブソングですという投書>
 ねー、そういう長い時間を別々に生きてその歳になって知り合って、うまくいくようになって…そういう人生があるんだな。生きてみなきゃ

♪生きてーいなけりゃ  生きていかなけりゃ
 生きてーいなけりゃ  そう生きていかなけりゃー

 こういう感じだな。生きていれば可能性としてある。女性は離婚したというけど、君はずっと独り身なのはなんかあったのか。

<10月24日のキンキのブンブブーンで奈緒さんという女優がお母さんの影響で拓郎ファンで毎日”今日までそして明日から”を聴いていて、「生きてきました」でなく「生きてみました」がいいということ、LOVE2が復活したお母さんと呼んでやる、拓郎さんと普通にメールしてるぜとドヤ顔で自慢してる光一、拓郎に合わせてやるよという飲み屋のおっさんのようだった剛という投書>
 なー、LOVE2の再結成のあと、プロデューサーは次の年も言ってきたけれどヤダと断った。でもまたあれだなコロナが解決したらいいな。その番組の収録が終わったあと、光一くんからメールあったしも剛くんからも電話でこの話になった。おまえたち、ずいぶんブイブイいわせたらしいな(笑)。
 剛には周りにいるという若いミュージシャンを紹介しろよと言った。キンキより奈緒ちゃんに逢いたいな(笑)。LOVE2再結集したら奈緒ちゃん母娘を呼びたい。前は菅田将暉とお父さんだったからな。

<吉田拓郎さんのエッセイを図書館で読んだ、きっと拓郎さん話が好きなんだと思います、「言葉」が好きです、テンポが同じで”流星””唇をかみしめて””言葉”を私は勝手に独白ソングと名付けているという投書>
 吉田拓郎の音楽とか顔はどうでしょうか、別枠で一位のところもあるんで(笑)。こういう三曲のテンポというとバラード、いやバラッドと言った方がカッコいいかな、君はバラッドが好きなんだな。アップテンポなロックよりもバラッドが好き。R&Bにも素敵なバラッドがある。みんなも今から億はないので、アメリカン・オールディーズ特に黒人のR&Bには素晴らしい曲があるので聴いてほしいな。

 98年”ハワイアン・ラプソディー”というアルバムを作った。これは自由にやった、自由過ぎて嫌だったかもしれない。これは吉田拓郎は曲を殆ど書いていない。曲は作りたくないという企画だった。シンガー・ソング・ライターとしては失格でもこういうことやってみたい、シンガーとして歌ってみたい。企画としては楽しかった  レコーディーングも楽しかった。歌うだけだからさ。ムーンライダーズの鈴木慶一は、変拍子で難しかった、ウルフルズのトータス松本は歌いやすかったし、織田哲郎の曲もあった、忌野清志郎の”心のボーナス”も面白い歌だったな。 
 その中で僕が詞を書いて曲を頼んだのが一曲ある。僕が作るときは最初に誰かの詞があって曲を作ることが殆どだった。人から頼まれても詞は作らないで曲だけ、詞は誰かに頼んで、ということを続けてきた。
 しかし、これは僕が詞を書いて、他人に曲を作ってもらったという珍しいもの。曲は織田哲郎に作ってもらった。そういう珍しい作品。この詞はちょっと悲しい、僕は君よりも長く生きられないんだ、でも遅くはないんだからという歌。

M-1  Not too late  吉田拓郎

(CM)※過払金がうるさい


■リスナーが選ぶこの一曲、そして吉田拓郎が選ぶこの一曲
 ユーミン、矢沢永吉、桑田佳祐、演歌、筒美京平そして中島みゆきと続けてきたけれど今月は松田聖子。
 ちなみに来月は僕の音楽人生で大変エポックな刺激をあたえてくれたKinkiKidsの特集。KinkiKidsは40曲くらいシングルを出しているけれど、ずっと初登場一位を続けている。42作くらいなの?ずっと初登場一位。もちろんファンクラブも動員しているんだろうけど凄いことだ。ギネス記録だね。アルバム曲もあるしね。今回の松田聖子もアルバム曲のリクエストがありコアで勉強させられた。シングル・アルバムも含めて KinkiKidの曲では、僕は文句なし、一も二もないこの曲というものがある。
 みんなKinkiKidsの曲をどれだけ知っているか、来月はキンキのファンからの投票が増えるだけかな。

 松田聖子のヒット曲。この人はシンガー・ソングライターではないが、この人の曲は本当にメロディーが、歌詞と一緒に浮かんでくる。筒美京平の作品と同じ。♪渚のバルコニーで待ってて、とか♪ああ私の恋は〜とか。
 ウチの奥さんは小麦色のマーメイドが好きだと言っていた。マーマレードと言ってたけれど(笑)。俺はマーメイドってなんだ?と聞いたら、そんなことも知らないのと言われた。

 もう彼女は、ひとつの世代の女性のシンボルだ。

<顔やスタイルというより声かなハイトーンな声が好きです、”一千一秒物語”という投書>
<ドンピシャ世代でよく聴いた、歌の主人公のような気分だけれどよく考えるとおじさんが作っているんですね、”一千一秒物語”という投書>
 松本が書いているんだよね。大瀧詠一のウォール・サウンドだね。松田聖子にとっても挑戦だったのかな。しっくりきていた。いかにポップス向きのボーカルか。ボーカリストとしてポップス向きなんだ。

<聖子ちゃんカット、”夏の扉”の黄色のミニスカートと細い脚に気をとられていたという投書>

<”瞳はダイヤモンド”映画のような歌詞とユーミンの美しいメロディーという投書>
<一時期は男性に媚ていたと揶揄もされていたが、時代の風景を見事に描いている、  松本隆と細野晴臣の”ガラスの林檎”、大村雅朗のアレンジもいいという投書>
 細野晴臣の作曲、  大村は素晴らしい若かったのに残んだ。”元気です”のストリングスはアレンジは彼に頼んだ。
 ガラスの林檎はシンプルだからこそ難しい。歌が下手だとヘナチョコになってしまう。これが松田聖子だとナイスフィーリングでまさに天性の表現力といえる。

■愛子さんのコーナー

👨今日は朝から機嫌いいとはお見受けできないけど
👩えー機嫌悪そうだった? なんか今日はそういうのはない?
👨ない。母ちゃんからどうしていつもそんなに明るいのといわれていた
👩私は母からどうしてそんなに機嫌悪いのといわれていた


<”渚のバルコニー”が好き、水着持ってないという拓郎さんと坂崎さんの即興をどうしても思い出してしまうという投書>
 あの坂崎とよくやったな。確かにあのラジオ聴いていないとわかんないよな。坂崎幸之助という大馬鹿と吉田拓郎という大ボケの傑作だな。

<”スイートメモリーズ”彼女の唄には季節感があるという投書>
<”スイートメモリーズ”…実家には今でも松田聖子さんポスターとギターが置いてあるという投書>
<”赤いスイートピー”  半年も手を握らないというところがいいという投書>
 松本の詞。よくそんな詞を書けるよな。
<”赤いスイトービー”輝いているという投書>
 松本隆の書く、じれったい男女関係がさえる。太田裕美だとまた違う。二人の詞を比べると同じ人とは思えない。区別しているのかな。彼も生身の人間だから大変だろうな。全く違う世界を作っている。
 ユーミンは昔から、サビつまりBメロが天下逸品だ。

<”瑠璃色の地球”という投書>
<”風は秋色”という投書>
<”花一色”これは松本隆作詞 財津和夫作曲という投書>
<”花一色”編曲は瀬尾一三という投書>
<”時間の国のアリス” 今は亡き松原正明のギターという投書>
<鼻歌の第一位”抱いて”アイロンがけの時に歌ってるという投書>
 有名なデビット・フォスターが作ったらしい。
<”小麦色のマーメイド”という投書>
 よかったね(爆)
<”制服”この歌詞で自分が疑似体験しているような気分になったという投書>
<”制服”亡くなった妻が一番好きだった曲という投書>
 赤いスイートピーのB面だからヒットはしているわけだよな。しかしも意外にリクエストがダントツで多かった。

M-2 制服   松田聖子
(途中東武東上線の事故情報)


 まずこの曲を聴いてほしい。コニー・フランシスの唄。

M-3  ボーイハント   コニー・フランシス

 松田聖子が登場したとき、このコニー・フランシスの泣き節を思った。明るい歌もどこか寂しげな感じになる憂いを帯びた声の質。V・A・C・A・T・I・O・Nと明るく歌ってもどこか寂しげな感じかある。松田聖子の♪あー私の恋は〜を聴いたとき、ああこれは泣き節だと思った。

 もう一曲聴いてほしい・

M-4 大人になりたい Too many Rules  コニー・フランシス

 憂いがあってただ明るいだけではない。例えば、ただ明るいだけというと天地真理、ただ暗いだけの藤圭子・・・僕の主観だよ。そういう歌手が多かった。70年代かわいいけどボーカルがイマイチだと思う歌手が多かったと思う。声質。いろんな女性歌手に提供したけれど声質を感じたのは一人か二人だったな。松田聖子登場した時、明るく屈託のないボーカルで、あのコニー・フランシスと同じだと思った。
 あれはオールナイトニッポンだったかな、ゲストで、とにかく描いていたとおりのかわいい少女漫画のようなそれでいてクールなどだった。ドリフターズの大爆笑で志村けんとのコントがおかしくて大好きだった。
 髪型、服装、いろんな影響でアンチまで出てくる。そして本当に素晴らしい作家に恵まれて、時代をみんな引っ張っている作詞家、メロディメーカー、ミュージシャンが書いている。こういう人はいないし、もう出ないだろう。
 僕が選ぶと♪ああ私の恋はとか♪水着持ってないとか、今月はギブアップ。山の神のご意見に従う。それが平和じゃないか。向こうで笑っている。小麦色のマーマレードと言っていたけど。

M-5 小麦色のマーメイド   松田聖子

(CM)

 ちょっとユニークなクイズというか企画を考えた。僕が作った曲たちは何曲あるんだろう。他人に書いた曲は置いておいて。シングル・アルバム・CM全部で何曲あるかわからない。このうちの7曲。ラッキーセブンの7曲を僕がもって、もし天国の島に行けるとしたらそれはどの7曲かということを考えたりした。
 そこで思いついた一大企画。この一位から七位を順位を当てるのは至難の業。順位はいいから、吉田拓郎が7曲を天国の島にもっていくとしたら、それはどの曲か。この7曲をあてた人には、さあ、2016年のツアーで使っていたテレキャスターのシンモデル。空洞で木目模様のこのギターをプレゼントしようかな。どう?どう?どう?って馬か。

 全曲作詞作曲吉田拓郎の生涯の7曲。これ年度末の来年3月に発表する。早速募集する。僕が生涯通じ愛した天国の島に持ってゆきたい7曲。
 落陽とか外は白い雪の夜とかサマータイムブルースが聴こえるとか他人の作詞ではない。言ったように僕の視界は狭いが、原点はそこにある。
あててごらんよ。いっぺんに10曲選んでそのうち7曲というのはダメ。7曲だけを選ぶ
。当たっていたらギターへの道が開けたことになる。
 どうやって決めるか。それは吉田拓郎を信用しなさい。書いたものを富山に渡しておこう。将棋で言う「封じ手」だ。それを来年の3月にあけてみよう。太っ腹だな。
うちの奥さんは7曲 あてたかな。途中曲名間違えとかあっけど最後には当てたよな。

 最近はワルツの曲が少ない。すっかり消えてしまったのか、チャートにはない。ワルツとか三拍子かったるいのかな、若い人は。バンドとかラップ系にはいないし、ついぞない。新しい三拍子があってもいい。僕には多い。ともだち、外は白い雪の夜、吉田町の唄。

M-6 明日の前に   吉田拓郎 (18時開演)

(CM)

 吉田拓郎は周辺には理解されにくい半生を送ってきた。柔軟過ぎてというか柔らかすぎて、君たちはテキトーとか嘘つきだといってるけど、その時は一生懸命だった。これが頭の固い人にはわからない。そういう意味での距離はあった。

 例えば王様達のハイキングの時かつてレゲエをやった。ボブ・マーリィが流行らせたそれは飛びつきたくなるようなリズムだったから取り入れた。例えば”アジアの片隅で”なんて客席は歌詞にはのってくるけどリズムとかには乗ってこない。日本ではレゲエはわかんないっすねと青山も言っていた。

 その距離感はなかなか…

 アーティストはワン・エンド・オンリー。孤独な生き物であることを感じ取ってほしい。僕も本当にひとりぼっちです。70何年ぼくらはひとりぼっち。
 僕等の仕事、生きざまはひとりぼっち、孤独で厳しい環境で音楽を作っている。孤高のメロディーメーカー。あの人もこの人もこうやっているんだからとそれが一番野暮で失礼なことだ。そういう言い方、あの人のようにというのは通用しないんだ。その人の世界観なんだから。その人の世界観を愛しているなら。みんなが左に行きました、でも私はこっちに行きたいということがある。それを、あの人はこうなのにどうなの?と非難するのは大きな間違い。ひとりひとりが孤高のアーティストなんだ。他の人との比較ではなく見つめてあげてほしい。映画とかのエンターテイナーに対してもそう。そういうのは失礼なことだ。

<BSの筒美京平さんの番組で日音の恒川さんの話があって、筒美京平さんが拓郎さんに新しさを感じたという話をしていたという投書>

 (筒美京平さんの訃報は)本当に寂しいニュースだった。僕は二度ほど会っている。その日音の恒川さんの紹介で、丁度、かまやつひろしさんの”我がよき友よ”をやっているときに、ある日筒美京平さんが書いている南沙織さんのメロディーとか大好きなんですよ、と言ったら恒川さんが一度会ってみるかといわれて会った。筒美京平さんは無口な人で、僕はあの当時はグイグイ飲んでいた。そして50年代60年代のポップスが好きなんでしょう、南沙織の曲からそれを感じるんですと失礼に言った記憶がある。筒美京平、寂しいな。

次回は12月11日  KinkiKidsのこの一曲。 

■エンディング

 憶えてる? ザ・バングルス。ガールズロックバンド。なかでもスザンナ・ホフスという子がチャーミングで解散後もソロで活動していた。

M−7  エターナルフレイム 胸いっぱいの愛  ザ・バングルス 

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆前回はライブ撤退宣言に野球放送事故まで加わって衝撃と波乱の放送だった。それから1か月。撤退のショックはまだ消えないが、この現実を受け止めて新しい日常を探し始めようという静かな空気に満ちていた。
 遥か遠くのライブを待つのではなく、身近な日常や人々とどう生きてゆくか、そんな問いかけのようだった。「新しい風景を作り出す」・・・いい言葉じゃないか。

☆もしかするとリスナーからは、番組で紹介されたような拓郎の撤退の決断を肯定的に共感する声の半面で、まだまだできる、他のミュージシャンだって無観客とかいろんな方法を模索しているじゃないかという叱咤の声が届いていたのかもしれない。

 今回の拓郎は自分の心を見つめながら語るような内省的で印象的なフレーズが多かった。

 「アーティストはみんな孤独な生き物。ひとりぼっちだ。ひとりひとりが孤高のアーティストなんだ。他の人との比較ではなく見つめてあげてほしい。」

 「裏切りって、それはそっちのとりかただ。自由に生きるというのはそういうことだから」

 「君たちはテキトーとか嘘つきだといってるけど、その時は一生懸命だった。」

 「ファンとの距離は遠かった」

 コニー・フランシスの泣き節ではないが、言葉の端々に憂いがにじむ。御意。勝手で鬼畜なことばかり書いていた私も殊勝な気持ちになる。
 ただ私は他のアーティストと比べて、あの人がこうだからこうしろなどと拓郎に言ったことはない。たぶん。それはささやかな矜持だ。私が言ってるのは吉田拓郎と比べて他のアーティストはみんな大嫌いだということだけだ。って、それがダメだろ(爆)。
 そのアーティストの世界を深く愛してしまったファンはファンで孤独で孤高な生き物なものなのよ。俺を許してくれ。

☆LOVE2か。いいな。ぜひ観たい。ああいう自由な音楽番組があってほしいよ。

☆それに名作”Not too late”を取り上げてくれたのも嬉しかった。あまりに嬉しかったので”僕達のラプソディ”も詞だけだろ”抱きたい””男の交差点”はどうなんだという屁理屈は忘れる。

☆おいらも松田聖子は実は「制服」送りました。岡本おさみさん申し訳ありません。

☆紅白。正直言えば紅白は後ろの優れた一流ジャズ・ミュージシャンよりも、森進一、五木ひろし、前川清のコーラスの方に胸が熱くなりました。森進一なんかきっと恩返しの心を込めていたように思うんだが。だから私は音楽に疎いといわれるのでしょう。

☆7曲はとても面白いが、「天国」って、なんか、なんかじゃん。で番組も3月で終わったりしないか不安もある。当たらないだろうけど数か月、いろいろ呻吟してみることにしよう。

☆☆☆星紀行今日の学び☆☆☆☆☆
 コニー・フランシスの”大人になりたい(Too many rules)”を聴いて、ああ”若い人”の♪too many too many 肩に重いよ〜はココから来ているのかもしれないと思うた。

2020. 11. 15

 前回のラジオで歳月を経て思いを確かめあわれたお二人に”生きていなけりゃ”歌うところは素敵でありました。

 ♪生きてーいなけりゃ  生きていかなけりゃ
  生きてーいなけりゃ  そう生きていかなけりゃ〜

 リフレインで「そう」が入ってるところがいいねぇ。サラリとしかし念をこめるように歌う。やっぱこの歌声はいいな。もう人間国宝か、無形文化財に指定しちゃいなよ、そうして終生歌わざるを得ないようにしちゃいなよ>誰に言ってんだよ

 さて吉田拓郎が天国の島に持ってゆく7曲企画。これを当てるのは至難だな。吉田拓郎と自分のそれこそ遠すぎる”距離”を見つめなくちゃならない。俺の場合は当たる気がしない。それでも"吉田拓郎は7曲何を持ってゆくのだろうか"至極楽しみである。

 でさ、どうせこんなサイトだから「失礼」と怒られることを覚悟で勝手に言わしてもらえばさ、当選者に2016年のテレキャスターというのは凄い太っ腹のプレゼントだけれどさ、副賞として「当選者のあなたが天国に持っていきたい吉田拓郎の7曲をラジオで全部歌ってあげます」というのはどうだ。どう?どう?どう?
 7曲全部当てるほどのファンはきっとそれなりの凄いファンに違いない。そのファンの人の生涯の7曲も俺はぜひ知りたい。そしてあのボーカルで拓郎が番組で歌ってくれる。テレキャスはたった一人のものだけど副賞はみんなでお相伴し音楽を分かち合えるっていいじゃないか。
 対峙する吉田拓郎の生涯の7曲とファンの生涯の7曲。ファンとの距離が遠かったという拓郎。お互いの距離をみつめてお互いにあたらしい景色を作り出してゆく幸先の一歩ではないかい。

2020. 11. 16

 "いろんな女性歌手に提供したけれど声質を感じたのは一人か二人だったな。"…拓郎にとってそれが誰だったかはわからないけど、私は小柳ルミ子は上手かったなぁ、素晴らしい声質だなぁと今でも思う。"蛍の河"c/w"赤い燈台"はもう俺の脳内で勝手なゴールデンディスクだ。別にとりたてて彼女のファンというわけではないが。でも小学生の頃観ていたNHKの朝ドラ「虹」のセーラー服のお姉さんには憧れた。南田洋子の娘役。南野陽子じゃないぜ。う、違う世界に行ってしまいそうだ。

2020. 11. 17

日比谷公園の"もみじ"。もう少しだな。コロナで世界が不安に満ちていても、ライブが中止になって私が失意の底にあっても、紅葉はちゃんと紅葉する。そして島倉千代子の歌声と吉田拓郎の歌声が紅葉を包みこむ。ホロホロとホロホロと秋に萌え。見ず知らずでも吉田拓郎を愛したお方というだけで十分すぎです。こんな端くれからですがご冥福を心よりお祈りさせていただきます。
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2020. 11. 20

 1971年の11月20日はアルバム「人間なんて」とアルバム「風街ろまん」の発売日だ。なんという宿命。どちらも名盤だが、例によって、吉田拓郎は完無視で、"はっぴいえんど"の方は日本語のロック革命の始祖による記念碑的アルバムとして宣揚されているのが面白くない。ということで、救けを求めるように、この”はっぴいえんど史観”に異議を唱える方々の文章の数々を読んでみた。しかしその反対派の文章でも吉田拓郎はまるっと無視されておる(爆)。もういい、おまえら皆んな大嫌いだ。

 あらためて吉田拓郎ファンは孤独なのだ。ファンだってひとりぼっちなのだよ。来年はどちらも発売50周年ということで、まぁあちらはトリビュートだなんだでいろいろ賑やかにおやりになるのでしょう。しかしその人の世界観を愛したのなら、誰かと比べたりせずに孤高の道をゆけと拓郎は言った。御意。来年はこのアルバム”人間なんて”を徹底して愛でよう。こんな歌を思い出す。

  愛した時から 苦しみがはじまる
  愛された時から 別離(わかれ)が待っている
  ああ それでもなお 生命(いのち)かけて
  誰よりも誰よりも 君を愛す

  あなたがなければ 生きてはゆけない
  あなたがあるから 明日(あした)も生きられる
  ああ いく歳月(としつき) 変わることなく
  誰よりも誰よりも 君を愛す

 …いい歌だなぁ。もうまるで"I’m In慕情"のような名曲。さすが”骨まで愛して”の川内康範先生。今さら後へはひけないぞ、だからゆくのだっ。いみふ。

 なんか世の中またまた大変なことになってきた。皆様どうかご自愛ください。
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2020. 11. 21

 でもって今日はアルバム「ローリング30」記念日だ。毎日が記念日か。毎年思うのだが「3〜4曲除いて後は捨て曲だと思ってた」と言いやがる…違う、おっしゃられる松本隆先生(MUSIC MAGAZINE 2015年7月号)。また当時の音楽雑誌のレコード評でも「明らかにツマラナイ曲もあり、取捨選択して一枚にしてほしかった」と書かれていて、ああそんなもんかもなと思っていた。
 しかし歳を重ねる程にどれが捨て曲なのかわからなくなる。どの曲も捨てられないじゃないか。どれを捨てろというのだ。昔、観た悲惨な映画「聖職の碑」で、遭難して教え子たちを抱えた鶴田浩二が「この子たちはみんな私の命だぁ」と天を仰いで叫ぶのを思い出す。不謹慎な例えかもしれん。
 この映画の監督だった森谷司郎は庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」を映画化して、その主人公の薫くんが後の東映社長で先日亡くなられた岡田裕介だった。原作には及ぶべくもない映画だったが、本当に日比谷高校生だった岡田裕介=薫クンというイメージがずっと刷り込まれてきた。ご冥福をお祈りします。なんか訃報ばかりだ。
 映画「赤頭巾ちゃん気をつけて」の主題歌を歌ったのが佐良直美で、当時バイタリスフォークビレッジのパーソナリティをしていて、当時彼女から吉田拓郎にパーソナリティの引継ぎをすることになる。餃子食べてきて臭かったという拓郎の述懐。
 どうだかなり無理して繋げてみたぞ。そう「ローリング30」の「爪」。息を吐き続けながら歌うのが凄い…というとある拓郎ファンのわかったようでわからない感想をかみしめながら聴いてみる。

2020. 11. 22

 アルバム「ローリング30」について松本隆先生はMUSIC MAGAZINE (2015年7月号)でこんなことも語っておられる。

「ありえないでしょ?<外は白い雪の夜>はシングルに切れと言ったんだ。そしたら日本人にはワルツは売れないから切れない、って変な理由なんだよ。それが<紅白歌合戦>でも歌ったりしている。彼の代表作なんだけどシングルじゃない。ただのアルバムの一曲。ありえないよね。」

 ワルツが大好きだと前回のラジオでも言ってたのに、いや大好き過ぎるからかワルツに臆する吉田拓郎。なぜだ。明日の前に、ともだち、外は白い雪の夜、吉田町の唄、二十歳のワルツ、こっちを向いてくれ…拓郎のワルツに駄作なしと俺は思う。

 ワルツは別にしても全21曲収録のアルバムでシングルカットがゼロというのは確かに松本隆ならずともありえないでしょ?の世界だ。これも謎だ。アルバムに封入されていたハガキには、どれをシングルカットしてほしいかというアンケートまでついていたのに。ちなみに俺は「英雄」って書いた。ザ・ベストテンで、ほぼティンパン・アレイをバックにシャウトする拓郎を真剣に夢に描いていた。若かったあの頃。

 ということで「吉田拓郎のシングル盤戦略ってどうなのよ?」と思ったことはないだろうか。俺はある。大ありだ。そのことで昔から苦しんできたのだ。なぜ俺が苦しむのかわかんないけどさ。拓郎のシングル戦略は、貴重なチャンスをバッタ、バッタと逃してきた悲しみの歴史のような気がしてならない。決して、こうすりゃ良かったのにと批判したり、揶揄したり、下種の後思案で文句を言ったりするのでもない。もうなんというか涙ながらに悶絶しながら、ああ無念なりと思うばかりなのである。

2020. 11. 23

 吉田拓郎のワルツのことを考えながら「星降る夜の旅人は」…これはワルツだろうなと思って楽譜をみたら8分の6拍子だ。違うのか。4分の3拍子とはどう違うのか。約分したら同じじゃん。そもそもワルツってなんなのだ。音楽知識もセンスもゼロの私のことだ。今更いろいろと音楽のサイトを調べて、♪ほ〜しふ〜るよぉ〜るのぉ〜と自分で拍を確認しなが何回か聴きなおしてみた。わかったような、わからないような。
 でも拍はともかく、この歌はこんなにいい曲だったろうかと驚いた。詞も曲も演奏も拓郎の唄声もすべてが、たゆとうようにやさしい。確か当時はこんな野宿の古臭い唄なんてと思っていた。でも今はいい。この旅の世界に自分も溶け込んでしまいたいと思う。聴きながら、もしかしたらこれが吉田拓郎と岡本おさみの最高傑作かもしれないとまで思えてきた。確かに落ち着くとそこまでではないなと思うが、いい作品だ。
 Uramadoを書いたときはまだ岡本さんは生きていらした。まさか亡くなるとは思いもしなかった。それが亡くなられて、それから拓郎の周りもいろんなことがあって、何より自分も歳とった今、まるでこの歌に抱きしめられているかのような気分になる。歌が変貌している…というかこっちが、遅まきながら、やっと気づいて、ということか。死したあと初めて気がつくことや芽生える思いは多い。しかし当たり前に生きているからこそ感じられる気持ちもある。生きていなけりゃ。だから、悲しみも喜びも遅れないうちに確かめろ。承知。
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2020. 11. 24

 シングルのヒットに命をかけてきた松本隆にとっては、シングル盤に無頓着にみえる拓郎のことが不思議だったんだろうな。ファンとしての身もだえするような歯がゆさも同じことだ。

 松本隆先生の作品集「新風街図鑑」にはつま恋75の「ああ青春」が収録されていて、ライナーノーツに自らこう綴ってある

「ああ青春」は、拓郎が「つま恋(コンサート’75)」のオープニングで歌ったということで特別の唄になっちゃった。拓郎はよくそういうことするのね、後付けで持ち歌をスペシャルに再生する。歌い手によって、根こそぎ存在感が変わっちゃうというか。それもいいよね。僕が書いた意図より、4倍も5倍も膨らませてしまう。そういうライブの在り方もあるんだ。

 前にも書いたけどこの「新風街図鑑」が初めてつま恋75の拓郎の音源をCD化したんだよ。そのちょっとあとに、つま恋のライブフィルムの音源だけをCD化したアルバムがソニー/フォーライフから出た。ソニー/フォーライフのCDは音楽だけでMCはゼロなんだけど、松本先生のCDは「ああ青春」のあとに「どうも。元気ですかぁ みんな元気ですかー 朝までやります 朝までやるよ 朝まで歌うよー」というあの魂のMCがちゃんと入ってるんだよ。
 くそーっ、松本やるなぁ。一本とられた感が半端ない。

2020. 11. 26

 昨日その人は、さだまさしの楽曲,ステージの数々,何十年にも及ぶエピソードを延々と熱く語りながら最後に「そのいろいろ素晴らしいさだの数々が,たとえば85年のつま恋で"Life"を歌う拓郎を観るとすべて一瞬で吹っ飛ぶ。もう別格。」…久々に胸のすく話を聞いたぜ。やはり我々にはすべては吉田拓郎なのである。

2020. 11. 27

 でもって85年つま恋の””Life”の映像を観てしまうとたまらんのだな。もう明け方も近く、声はガラガラ、汗だくでボロボロに消耗している拓郎。それでも身をよじって身体から絞り出すようにシャウトする。声がガラガラであればあるほど、ボロボロであればあるほど強烈に立ち上るオーラ。いやオーラなんて安いものではないな。ああ、すんばらしい。何度見ても胸が高鳴る。昔の映像観て懐かしんでるオヤジと言わば言え。この映像が僕の荒野です。このひと時が僕の旅です。

 君に今でも荒野はあるか、命かけているか(岡本おさみ作詞「君よ荒野へ」)。

2020. 11. 28

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泡盛を飲み過ぎてダウン。書けない。「泡盛はいくら飲んでも残らないって嘘ばっか」..,御大、本当っすね。

2020. 11. 29

 名古屋のテレピアホールではフィルムコンサートが行われたようだ。情けない俺は泡盛で潰れていて、祈り運ばせていただくのを忘れていた。楽しまれただろうか、盛り上がっただろうか。大変な時なのでさぞや大変だったでしょう。しかし、まさに灯をつないでゆくような拓活お疲れ様でした。
 音楽だけでなく演劇とバレエと”ライブ人”の方々の苦闘を身近に垣間見る。たとえばマスクをして呼吸困難になりながらゲネを踊る海の向こうのバレリーナたち。本当にみなさん生き延びてほしい。無力な一般Pはそれしか言えない。
 たとえば岡林。

  そうさ僕は僕、君になれやしない
  一人戦うのをただ見つめているだけ
  ………
  何も出来はしない そんなもどかしさと
  逃れずに歩むさ それがせめての証

  今書きとめたい歌 君に捧げるラブソング

 岡林信康はこれ一曲でいい。失礼な。すまん、そういうサイトなので許してくれ。でもこの曲は神曲。ライブが戻ってきますように。友よ、この闇の向こうには輝く明日がある、きっと夜明けは近い。

2020. 11. 30

 もう5年なのか。岡本おさみさん命日。ここのところは"星降るの旅人は"のつながりでアルバム「月夜のカヌー」を聴いている。わけても"月夜のカヌー"はあらためていいな、これこそが岡本・吉田の最高傑作ではないかと例によって思えてきてしまう。どうしたって岡本おさみは私には永遠なのだ。

   月夜のカヌーで夢の続きへ漕ぎ出そう
         月夜のカヌーで息を潜め漕ぎでよう

 懐にお守りのように入れておきたいフレーズだ。

  ここで一句。都都逸とまいりましょう。

    月夜にカヌーで漕ぎ出して
        うっかりオールをなくしたら
                そこから先は松本隆

   我ながらいい歌だ >意味わかんねぇよ。てか失礼だろ、すまん。
 

2020. 12. 1

もう師走。10年以上前、拓郎のライブの後の飲み会で、彼が買ったばかりのグッズの拓郎スノードームをいそいそとテーブルに置いて「すげー、雪まで降ってるよ」、隣の彼が「だからスノードームなんだろ」と冷ややかに。あのなんでもない光景を時々思い出すんだよ。

2020. 12. 3

 ここのところ本当に立て続けに近しい方々が亡くなって、さすがに日記を書く力が湧かない。>力と関係ないだろこんな日記。
 亡くなられたのは殆どが友人のお母さんやお父さんで、身近というには微妙な距離の方たちだ。別に特別に何か深い関係だったわけでもないし、ずっと密に交流し続けてきたわけでもないが、でも亡くなったと聞かされてあふれてくる不届きな何かたち。
 家族とは違うし、親戚とも違う、かといって知人というのもまた違う。「友達のお父さん&お母さん」という確固とした特別類型みたいなものがあるのだ。子供の頃から、道で会うと声をかけてくれて、家に行くと三ツ矢サイダーとプラッシーどっちにすると聞いてくれて、でかいプールに連れてってもらったり、川べりをみんなで自転車の遠乗りをしたり、魚屋だからと超デカイ蛸の入ったタコ焼き焼いてもらったり…やっぱ世話になってたんだな。
 青森出身の友達のお父さんは、「何にもないし、寒いけど本当にいいのか」と何度も確認しながら、俺を車で竜飛崎まで連れてってくれた。そのとおり凍えてしまった中でごちそうしてくださった絶品「しじみラーメン」。超絶、美味しゅうございました。

 ひるがえって俺はあのお母さんやお父さんのように、そういう子供や若者たちに何かをしてやっただろうか。なんもしてねぇよ。足りない。足りないなと思って泣けたね。心の底からありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

2020. 12. 4

 “寺内貫太郎一家2”を観ているが、白鳥哲の"ひとりだち"はまだか。オープニングのロールに「吉田拓郎」の文字が観たい。風吹ジュンの"23才”も素敵だな。"愛が始まる時"でのトホホな歌唱の記憶しかなかったが、おかげでなんか嬉しく記憶が上書された。
 それにしても西城秀樹は随分と長くお休みしていたんだな。1975年の初夏、同時進行のドラマ”あこがれ共同隊”の出演のためだろうか。確か"あこがれ共同隊"では西城秀樹は途中で亡くなるんじゃなかったか。そんで寺貫に戻って来るのかも。大スターだったもんね。
 ドラマ"俺たちの勲章"も同じ時に放映されていたし、6月にはフォーライフレコード設立、8月にはつま恋が待っていた。ああ”我がよき友よ”も絶賛大ヒット中だ。このころの拓郎ファンは我が世の春、肩で風切って歩いていたんだな。

 “寺内貫太郎一家2”、小林亜星のセリフは聴きずらいし、暴力もひどいが、やっぱり向田邦子の技が毎回光る。特に樹木希林のばーちゃんに何かを託す。例えば思い悩む嫁に、ばーちゃんは言う。
「晴れた日は、ああ富士山が見えると富士山を観て、新茶の季節になれば、少し無理してもお新茶をいただいて、ああお新茶だ…そんなふうに大きく構えなきゃだめよ」

 毎日、拓郎を聴き、拓郎のことを思い、ああこんな唄もある、あああんな唄もあった、ああいいなぁ、そんな人生を送りなさいということだろう。違うか。違わねぇよ。

2020. 12. 5

 居酒屋に吹く何度目かの厳しい向かい風。断捨離中のマスターから「コレいる?」とシングルCD2枚。
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 いります。持ってようといまいといただきます。ウチの”男達の詩”は、フォーライフのロゴが切り取られているし。
 これらのシングルの頃は自分個人も一番つらい時期だったし、拓郎もさまよえる冬の時代にあった。勝手に冬と決めるな!と怒られるかもしれないが、このあたりから"決断の時""マスターの独り言"くらいまではシンシンと冷えた冬の時代だったと俺は思う。作品のクオリティのことでは断じてない。名作は多々あった。ただ世間における吉田拓郎というブランドの居場所という意味では冬だった。ねぇこのあたりにファンでいたとき風は冷たくなかった? だから、このシングルたちをみるとつい切なくなって、よーし、おじさんの家に一緒に帰るかという気分になってしまったんだよ。

 “男達の詩”は短髪になっての初シングルだ。今見ると普通だが、当時は衝撃だった。髪の毛を切っても何一つ変わらないよ…と歌った人ではあるが、こりゃあ大違いでしょ。
 また“男達の詩”はデビュー20周年記念シングルだった。デビュー20周年から30周年の今年。孤高などとウソぶく私だが、時に泣きたい気持ちで冬を超えてきた拓郎ファンたちに"同志よ!"と勝手に共感したくなったりもする。そうさコロナが明けたら花でもかざして踊ろうじゃないか。

2020. 12. 6

☆やっぱり拓郎が好き☆
 シングル”落陽”のカップリングの”祭りのあと”には”まにあうかもしれない”がインサートされている。久々に聴いた。そういえばこの”まにあうかしれない”の部分がCMに使われたんだった。
 "やっぱり猫が好き"の恩田三姉妹が冬の雪空を見上げるフジテレビのコマーシャル。いいねぇ。ちょっと胸が熱くなる。

  まにあうかもしれない 今なら 
  今の自分を捨てるのは 今なんだ

   「ゆく変化、くる変化」

 89-90って、当時の人間なんてツアーのタイトルと一緒だ。「やっぱり猫が好き フジテレビコマーシャル1」で検索するとYouTubeにある。2より1がだんぜん好きだな。これこのまま今年また流してもいいんじゃないか。
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2020. 12. 7

☆☆祭りのあとのまえとあと☆☆
 当時テレビドラマの主題歌になると知り超絶期待していたシングル"落陽"だったが、聴いた途端に「なんてことをしやがったぁ」と天を仰いで叫んだものだ。拓郎は大のお気に入りバージョンだと最近のラジオでも言っていたが、だったらつま恋とかの大舞台で全世界に向けてこのバージョンでやってみやがれ。このサイトでは若かりし自分の不明・未熟さを反省することが多いが、これはそういう気持ちにならない。少なくとも今はなってないよ。
 反面、カップリングの「祭りのあと」は好きだ。特にイントロが美しい。昨日のCMと相俟って蒼い夜の雪景色が浮かんでくるようだ。このイントロをストリングスの生音で聴いてみたいなと思う。
 弾き語りの定番「祭りのあと」だが、このバージョンのイントロは絶品だと思う。絶品といえば、アルバム「王様達のハイキング」のバンド・バージョンの「祭りのあと」を忘れちゃなるまい。このアウトロの青山のギターは何十回聴いても泣ける。極上の名曲だからこそ魂を入れれば入れるほど輝くのだろう。
 居酒屋で貰った古いCDシングルで、なにかと幸せだった週末。ありがとう。

2020. 12. 8

☆☆それでも家を出てくる魅力に☆☆
 ここのところテレビでユーミンと松任谷正隆を実によく観る。面白い。偏狭な私の場合、面白いはやがて悔しさにつながってくる。寺岡呼人や武部聡志やとにかく皆で寄ってたかって、こんなふうに吉田拓郎のメロディーやアレンジやイントロやミュージシャンの神プレイとかを熱く深く語ってくれまいかと思う。
 それにしてもテレビを観ているうちに松任谷家にお邪魔しているような気になってくる。松任谷正隆の作った"ミラノ風カツレツ"が頭から離れん。なんなんだ。拓郎のラジオも吉田家にお邪魔している感が回を重ねるごとに色濃くなってくる。コロナだからかだろうか、どこもかしこも"家系"である。そんな空気の中にいると"家を捨てたんじゃなかったのか"というフレーズの凄さにあらためて感じ入るのであった。

2020. 12. 9

☆☆そんな君の閉会通知が着く☆☆

@ グリーティングカードと閉会のお知らせを見たときの俺
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A その10分後の俺
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星「もう275円の小為替などいらん。どうせショボイだろうサンキューグッズなんかより、拓郎さん渾身の最後会報のT-noteを作らんか」
M野「ぐっ、最後までお前かっ。」

※この漫画はフィクションです
※こんなことで電話をかけては絶対にいけません。ま、この日記自体が根本的にいけませんが。
※サンキューグッズの内容はまだわかりません。たぶんショボイだろうという個人の予測です。もしそうでなかったらお詫びいたします。

 あらためて私たちは来年、コンサートツアーもファンクラブも失うものである。それでも清々しい明日を信じられるような吉田拓郎の何かを探して一緒にさまよっていきましょう。

2020. 12. 10

☆☆僕の一番好きなkinkiの唄は☆☆
 おっと明日はもうラジオだ。”Kinkiのこの1曲”は送りそびれたが、私は一択いや一拓。"フラワー"だ。たぶん人気曲だろう。
 ♪僕らは愛の花咲かそうよ〜 苦しいことばかりじゃないから〜
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 一徹しつこいな。もうやめます。それにしてもフラワーは名曲ですばい。ああ、いいわぁ。当時、俺も既におじさんだったけど、魂が自然に躍り出すような律動。いろいろなところで救われたな。今も初夏の頃になると♪太陽がまぶしいもうすぐ夏がやってくるぅぅと口ずさんでいる。
 でさ、99年の20世紀打ち上げツアーの拓郎のカバーがまた忘れられないわけよ。すんばらしいカバーだった。kinkiと魂が通底しているみたいだった。ああ、もう一度聴きたい。観たい。
 2005年に発売されたDVDの特典映像集に20世紀打ち上げツアー@NHKホールの”イメージの詩”のクリアな映像があった…ということは全編あるんだよな。出せ。出してくれ。どこのお蔵にしまってあるかは知らないか、出しとくれ。

 何度でも言う。お蔵にしまっといて誰かが幸せになるのか、出せば誰かが不幸になるのか。そのエビデンスはあるのか。出せば拓郎ファン全員とはいわないが多数の人類が幸せになることは確実だ。
 いいだろう、もう。アウトロだというのであれば、秘蔵映像とか小さいこと言ってないで、映像があるなら音源があるなら作品たちのすべてを全世界に向かって解放しようぜ。どれもすんばらしかったじゃないか。今がその時ためらわないで。
 昔ラジオで拓郎本人が「俺が死んだらエイベックスからいろいろと出るだろう」と言ってたことがあったが冗談じゃねぇぞ。そんなに簡単に死なれちゃ困るし、こっちだって明日知れぬジジババだし、そもそも追悼盤じゃ意味が全く違うんだよ。
 今でも覚えているが、私のオヤジが死んだときの坊さんの言葉に「死んで花実が咲くものか。生きてるうちにこそ極楽浄土」というのがあった。これだ。座右の銘だ。…いかん死んだオヤジの話ではなかった、kinkikidsの話してたんだな。すまん。

2020. 12. 11

☆☆今年もまたシュトーレインで☆☆
今年はいろいろ大変な一年だった。拓郎が来年のライブを中止したり、拓郎がコンサートはやらないといったり、拓郎の来年のツアーがキャンセルされたり・・・・。辛い年だったが、クリスマスに素敵な手作りシュトーレンをいただいた。本格的だぜ。おじさん救われました。kさん心の底からありがとう。十分熟成させてからいただきますね。
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2020. 12. 12

オールナイトニッポンゴールド  第9回 2020年12月11日

☆☆☆これまでのあらすじ☆☆☆☆☆☆

吉田拓郎です。毎週金曜日は週替わりで今日は吉田拓郎です。

コロナが終息しない。それどころか恐怖感が増してくる。イライラさせられるどこかからの主導のものとか。みんなが自分で自分と家族を守るのが優先。行きたい、食べたい、飲みたい、観たい、話したい、それは今じゃないといけないのか。そこんとこよろしく(笑)

<渡辺貞夫といえば新宿西口でニューヨーク姉妹都市TONY、篠島、日本青年館 立て続けにいったあれから40年、定年退職近い拓郎さんも元気でという投書>
東京とニューヨーク姉妹都市記念イベント。何もわかってない。よくハイハイと引き受けたなと思うけど記憶はない。歌やバンドも記憶がない。中西、エルトン、青山かな。終わってから世界のナベサダさんと話せたのが嬉しかった、気持ちのポップなオープンなおじさんだった。素晴らしい思い出だ。 

<今年の初夏に拓郎さんを知った、知らない曲がおおかったけれど、坂崎さんが流星を歌っているとのを聴いた(・・・やめてくれよ、坂崎はボーカルに味がない、アルフィーは三人がハモるところがいいんだし、唯一、桜井のボーカルは聞く気になるけれど、坂崎の流星なんて聴きたくないといいたい放題だけど)、お父さんがこの曲もいいぞと教えてくれて、”唇をかみしめて”をお父さんは高校生の時に聴いていたそうで、そのうち聴いていないことまで話始めたり、しつこいという投書>
わかるな(笑)。おやじは一瞬だけ必要なの。要点一箇所だけなんだけど、そのあとが長い。
例のギターのクイズは、来年の3月発表なのでそこまでは続く。

<中国文化賞おめでとうございます、エッセイ読みました、私たちのときには何もなかったので、なんにでも興味をもった自分を思いました、今はモノがあふれているのにそれがまたいいと思う、若いってすばらしいという投書>
中国の賞ではなくて、中国地方の賞で、とても光栄です。僕達が若かったころのおじさんというのがあったが、僕達が歳をとってあの頃のおじさんのままでいいのか。頭が固くなってしまっている自分がいる。若い人と触れ合う機会は少ないかもしれないけれど、手っ取り早く若い人の音楽を聴いてみるといい。全部がイイとは思わない。絆とか君の心によりそいとか、いつまでも何いってんだということはある、同窓会で歌うみたいな平和ボケしているような歌がたくさんあるとウンザリする。誰も若いからいいとは思わない。でもさすがに若者たちに支持を得ている曲とかミュージシャンは光るものがある。そこは、僕もおじさんおばさんもそれは逃さないようにして。若者だって毎日、彼らも悩みながら前に進んでいる。それも昔と同じ。それでも半歩ずつ進んでいる。自分たちの若いころと同じだ。その頃のおじさんおばさんになっていいのかということだ。

<ブログの閉鎖 ツアー中止、TYIS終了 寂しいですが、拓郎さんがどこかで元気でいてくれればいいです、私が生まれたときにはもうブライアン・ジョーンズもポール・コゾフもジョン・レノンもいなかったのです、拓郎さんと同じ世代を生きているだけで幸せだと思っている、天気のいい日に仕事中にふと空を見上げて、拓郎さんもこの空みているかなと思う、それだけでいいんですという投書>
 いいですね。それでいい、というよりそれがいい。積極的にそれがいいよという気持ちだ。

 いっぱいメールがきていたけど、こういうのはどうか、他のアーティストをあげてこうしたらどうか、いろんなアイデアを送ってきている。それはその人なりの生き方だよ。あの人がこうだからというのはよそうよ。通用しない。  

 こういうアルバムの企画はどうかというメールもたくさんくる。ツアーのリタイアを決めたから言うけれど、例えばB面特集とか昔ステージで弾き語りで歌ったけれどレコードになっていない曲を集めてアルバムにしてはどうかといってくるが、それらはずっと昔からレコード会社のスタッフからアイデアとして出している。飽きるほど聴かされているし、それらの企画はすべて却下している。
 僕にとってツマラナイんです。ステージでしか歌わなかったというのはそれなりの理由がある。ステージの雰囲気の中ではそれなりの感動はあったけど、レコーディングするとツマラナイ曲になることは間違いない。作った僕が言うから間違いない。レコーディングしたくない曲なの。雰囲気の中での幻想にすぎなくてアルバムにする気なんかさらさらない。

 今の心境は、ステージはもういい、やり切ったという気持ち。2時間半シャウトを入れたステージは来年75歳になる僕には無理です。ベストコンデションを維持するそれは無理です。だからステージから降りる。それがいい。

 皆さんがいんな企画を言ってきますが通用しません。知ってるじゃないですか吉田拓郎は、あんたたちの思い通りになんかならない、そういう自由人だったじゃないか。今考えているのは・・・言わない。
 セコイ、チッコいアイデアなんかまっぴらだな。あとは・・・言わない。死ぬまで僕流の自由でいく。

 ♪ ええかげんなやつじゃけ  ほっといてくれんさい   あんたと一緒に泣きとうはありません

■今夜も自由気ままにやっていきます吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

<ハワイ組の方、ハワイ行きましょう、バウリニューアルが楽しみだったのに残念、ウチも結婚33周年という投書>
 いいねぇ。僕等も12月で34周年だよね。バウ・リニユーアルをスケジュールに組んでいたんだ。カハラとかハレクラニで。そうしたところが、語りたくもない恐怖を味わうことになって、あれで躓いたな。あれ以来ハワイには行ってない。
それまでは奥さんのお母さんも一緒に年に何度もハワイに行ったし、瀬尾一三も一緒によく行った。瀬尾ちゃんは生涯独身だから身軽なのかな。とにかくよく行った。コロナが終息したら行きたいね。  
 僕等夫婦は今身辺整理をしているという感じがある。奥さんも女優からリタイアすると決めたし、僕もツアーからリタイアすると決めた。いろいろなことを整理したくなってきている。
 今、つきあっている人々は数えるほどしかいない。笑っちゃうけど本気で面倒なんだ。年賀状、今度から出さないというお知らせを出した。シンプルに自分らしくいく。
今は三組のご夫婦と仲良くしている、一組目は、武部聡志夫妻。武部は生涯の友。
あと鳥山雄司夫妻。ウチの奥さんもいれて三組であうと”六バカ”といわれている>
これで夕食会をしたりしている。奥さんだけで会うときは三バカといっている。
そしてテレビ局の重役のご夫婦。奥さんはクドカンのプロデューサーだけど、ハワイで初めて意気投合したご夫妻。
 人間はウマがあうとかあわないというのがある。都内に行きつけの三か所のレストランがある。イタリアン、フレンチ、ドイツとそこに行く。奥さんもコロナが明けたらあの人たち早くレストランに行きたいといっている。僕もおんなじだ。
他には一切ない。ああスッキリしている。疲れないお付き合いができる人がいる。昔は友達は多かったが、疲れるヤツが多かった。気を使わないでいい人々がいる。 ハワイもこの連中と行きたいな。マウイ島が好きなんで、ケアラニのプールサイドで録ったビデオだと奥さんは必ずプールに飛び込んで平泳ぎをしている。こんなに泳ぐの好きだったっけ?というくにい泳いでいる。
 ハワイのワイキキのモアナ・サーフライダーの前の浜辺でkinkiとしのはらと話したのが想い出深い。懐かしい

 M-1 月影の渚  アンソニー・パーキンス

CM

 最近、奥さんがアクシデントで目の様子がよくないので眼科に行った。大きな病気ではないけど年齢からくるもので安心した。ラインでご安心くださいと来た。
帰ってきたから、良かったね、二人でいろんなことを一歩一歩、歩こうね、歩けるかい 、歩こうね・・・だよねと言ったら。
 彼女「私は歩くの好きじゃないから、ハイヤー呼んでくれないかな」はははははははははは(大笑)、私は無言ですよ。ダメだこりゃ。
 そしたら佳代さんが「歩くとして  どこまで歩けばいいの?」(笑)そういう意味じゃなくて、渋谷とか代官山までとかいうことではない。一緒に人生を手をとりあってという歌なのに。ハイヤー呼んじゃったら、歌にならんよね”歩こうね”はどういう歌なのよ。

 M-2 歩こうね     吉田拓郎

<kinkiの特集有難うございます、"全部抱きしめて"が好きです、二人が初めてギターを弾いていた姿を思い出す・・・という投書>
<"全部抱きしめて"、生バンド好きなお父さんとLOVELOVEを楽しんだ、再結成の時観ながら死んだ父を思い寂しかったという投書>
<やっぱり"全部抱きしめて"、好きな曲だったがこの曲の奥深さは40歳になったわかる。とてつもない愛、しみるなという投書>
 僕が二人を見守っているというが、逆にあの二人が僕を見守ってくれている。おじいちゃんを見守る二人の孫。全部抱きしめては多かった。すべてのメールに目を通している。今でもこの歌は愛されていると再確認した。幸せで心から嬉しかった。

<kinkiの偉大な恩師の拓郎さん、最初は無口でしたが、生き生きと相思相愛になった、ありがとうございましたという投書>
 みんなkinkiファンはありがとうというんだな。親戚みたいだな。僕もいろんな人たちと縁を切った。武部と鳥山くらい。あと小田和正とは年に一度スイーツを食べている。でも、小田和正のファンからありがとうといわれたことは一回もない(笑)。Kinkiのファンはあたたかいな。

<あえて山下達郎の"いのちの最後のひとしずく"これは究極のラブソングという投書>
<「硝子の少年」デビューの想い出が強い、少年の歌声と今の大人の歌声どちらも魅力的という投書>

 山下達郎が「硝子の少年」を書いて、番組で歌うため、いちはやくスタジオで演奏した。僕はスタジオでのリハーサルの時、演奏しながら達郎は何を考えているんだ、若い二人には古臭いメロディーではないか、どうなんだろうと思った。ところがビックリ大ヒットになった。すさまじかった。僕の読みは甘い、当時はもう50過ぎていたし、ああ時代は違ってしまったな、この番組は俺には不向きかなと思っていた。ポケットの中にKP宛に辞表をいつもしたためていた。
 たぶんKPも察していたので 砧のTMCスタジオで収録していたんだけど 僕が降りちゃって来なくなるんじゃないかと心配でいつも玄関の外で僕の車を待っていた。本当にかわいそうだな。スタジオでは僕が撮影のスタッフと大喧嘩してしまったたことも何度かあった。プライドを捨ててもやる気はなかった。光一と剛はそれを現場で観ていた。たぶん知らない吉田拓郎というオヤジのアーティストがこんなふうにするんだ、  こうすると怒るんだなとか日常とか態度を観ていたと思う。だから、彼らがよくあるアイドルにはならなかったと胸をはっていえる。あの二人が学んだことも多かったと思う。僕から吸収したこともあったんだな。そこに信頼関係が生まれた。
 年齢とキャリアに関係なく、真実trueで接することの大切さを知った。僕にとっても心の恩師だった。僕も様変わりした。

<"アニバーサリー"、剛君が来れなくて、光ちゃんがひとりで歌ったのを観て。これから二人を愛していこう、私が守っていこうと誓ったという投書>
ずっと守っていこうと思うんだね。守ってくれるんだ。いいなぁ。
<"アバーサーリー" 何気ない日が記念日というとこが好き、またLOVELOEで共演が観たいという投書>
<"99%LIVERTY" 高校生の時、まだ友達ができなかったときに前の先の子に話しかけられて、kinkiのこの曲のファンということで仲良くなったという投書>
 若いということはキレイだったな。俺は心がキレイじゃないか。中二の時に、特に友達もいなかった僕に、小野君が「とんぼ取りに行こうよ」と誘ってくれて二人で遊びに行った。田舎の野っぱらでしょ。当時は野ツボ、肥溜めがあった。僕と小野君が足取られて落っこちた。臭いのなんの(笑)。二人で帰りながら吉田君この人とずっと仲良くしたいなと思った。小野君とは、その後もロックバンドを組んで彼はベース、僕はエレキで今でも友達だ。純粋だったな。友達と友達を近づけてくれる。君はKinkiで僕は肥溜め(笑)。一緒にしちゃダメだな。

<拓郎さんが元気だとKinkiファンも幸せ"Family"という投書>
<"Family" ハワイの結婚式での想い出の曲という投書>

 彼らとのハワイは貴重な思い出だ。彼らもそうだろうと思う。それまで僕等の間のしっくりこないものが、一気に距離がなくなった。ホテルのビーチで星を見ながらいろいろ話た。みんなで番組を作るんだなという意識がひとつになった。たぶんありえないくらい素敵な一体感をKinki、シノハラ、スタッフが感じた一瞬だった
■愛子さんのコーナー

👨ガンバのヤットさんブームで一気にサッカーファンになったけれど、どういうところが好きだったのか。
👩まず派手なパフォーマンスをしないとこ、サッカーと真摯に向き合っているところ
👩あと、子どもがたくさんいて妻に頭があがらなそうなところ


<"KANZAIBOYA"ジャニーさんとの絆を感じるという投書>
<"Thanks2YOU" 剛さんのギターで聴いてほしいという投書>
<銀行員ですが課長が拓郎さんの大ファンで、LOVELOEの話で盛り上がった、支店が変わった今でも連絡しています、"危険な関係"という投書>
 あれは危うい関係書いたのに、通じなかったみたいだな。

<"陽炎" 剛の作詞作曲、二人の声がどこで切り替わっているのか、二人のからみあいがすばらしいという投書>
<"陽炎" N albumを聴いていて首の後ろから総毛立つ、終わってゆくものに対する濃密なエロス、堂本剛には独特のエロスがあるという投書>
 総毛立つ、濃密エロスとキミは若くないな(笑)。彼らも41歳だ。LOVELOVEが再結成
されたとき客席を観ていて「ああみんな年取った」なと思ったね。昔は、みんな高校生、中学生だったわけで、一回目の収録でもうやめようと思ったものだ。今や30代40代だもんね。時の流れだね。


“慕情”でエロティックな男性目線の男性を書いたけれど、同じように”危険な関係”を書いたんだけれどKinkiには通じなかった。
 たくさんリクエストが来ているのが”陽炎”。

M-3 陽炎   KinkiKids

<母はLOVELOVEを毎週大笑いしながら観ていた、私も3歳の頃一緒に見ていて、サングラスをかけたおじさんは楽しくないのになんでそこにいるんだろうと思ってた、後に”人生を語らず”に感銘を受けて「教えられるものに別れを告げて届かないものを身近に感じて」に涙が出ました、そしてLOVEのことを知り、私の三歳の記憶のおじさんと拓郎さんが同一人物だと知ってびっくりしたという投書>

 嘘のような話だね。吉田拓郎の曲を聴いてイイと思ったら、小さいころKinkiの横に変なおじさんが吉田拓郎だったとは思わなかった、あのサングラスのおっさんなんだと知って驚いたという。僕にとっても心あたたまる、ほっこりする話だった。

<"僕の背中には羽根がある"  松本隆の詞か素晴らしい、コンドルは飛んで行くのような曲調"も好きという投書>
<"僕の背中には羽根がある"  フォクローレのアレンジも織田哲郎のメロディーも好きという投書>

 光一くんからメールがあった。以前に僕から彼らに、こういう番組やるけれどKinkiの曲の中で、この一曲を無人島にもってゆくとしたらどの曲か、もし考えられたら送ってくれと書いてからずいぶん月日が流れた。これを収録するというところになって、そこへメールが届いた。


 お返事遅れてしまいごめんなさい  (いつさもおまえは遅いんだよ(笑))
 もう遅いですかね(遅いよ)
 自分たちの曲を一曲だけ選ぶのはメチャクチャむつかしい
 僕は”僕の背中には羽根がある”ですかね
 ジャニーさんが亡くなってこの歌詞がとても意味のあるものになった気がします 
 この楽曲の中にあるケーナという楽器の音色がもしこの曲を天国の島に持っていくとし たらという天国のイメージにあうかな
 いまさらでしたらごめんなさい (ホントだよ ギリギリだよ タイミングずれている)
 それからまたLOVELOVEまたやりたいですね。
 拓郎さんにお会いできる日を楽しみにしています


 織田哲郎が曲を書いていてフォルクローレ調だ。僕にも”心の破片”という曲がある。  “花まつり”という曲みたいなアレンジにしてくれと武部君に頼んだ。

 一曲無人島持っていくとしたら、剛はどうなんだ。返事が来なかったんだよ(笑)。あいつ本当にらしいんだな。剛はメールをしないんだな。いつもショートメールと電話。だいたい留守電なんだな。こないだ久しぶりに話したんだけど、返事は来なかった。
そういう二人なんだな。光一は、直前になってきた。 ありがとう。剛はイイです。君ののことはわかっている。いずれこの状況が終息したらやりたいことがあるけれど、そのために剛の若い音楽仲間を紹介しろよと言っている。

 20年以上前の出会いだけど運命的だった。コロナが終息したらLOVELOVEをしようかという話をKPとした。元気でいよう。今度のLOVELOVEやったら奈緒さんを呼ぼう。菅田将暉みたいに今度はお母さんと(笑)。そういう番組じゃないか。
 吉田拓郎の一曲は“フラワー”だ、ライブでも歌ったし誰がなんといってもこの曲と思っていたけれど、そこへ光一から”僕の背中には羽根がある”だと言われたら”フラワー”にできないじゃない。光一が選んだ

 M-4 僕の背中には羽根がある  KinkiKids

 CM

<天国の7曲ヒントとして前期、中期、後期くらい教えてくれないかという投書>
 その曲が何年代・・・いずれ言ってもいいかな。今日のヒントは80年代の曲は入っていない。これは大きなヒントだな。
 7曲を選ぶ時、どっちにするか悩んだ末、8曲目以降になった曲たちがある。
 “唇をかみしめて” これは悩んで8位とか9位。
  そして予想だにしていなかった”王様達のハイキング”これも8位とか9位
 “ガンバラナイけどいいでしょう” 入れたいなぁと思ったけれど、この7つの中にいれるのはキツイ。ギュウギュウ。
 “昨日の雲じゃない”これもいい雰囲気だ、いいなぁ、これも無念の涙。
  どうだ、シンラインが近づいただろう。

<7曲ということで手にとるようにわかるといいたいけれどわからないという投書>
 気をつけないといけないのは、僕が広島フォーク村出身だというところから考えない、
 先日の中國文化賞のエッセイにも書いたけれど、50年の音楽活動の原点が広島でのロックバンド時代にあってそこを避けて通れない。ロックバンドが心の支えだった。これが心の中で秘かに愛し続けている曲につながっている…それかヒントだ。

<広大な砂漠からひとつぶのダイアを見つけ出すみたいですが、@今夜も君をこの胸にA君のスピードでBカハラCI’m In LoveDどうしてこんなに悲しいんだろうE流星Fアゲインという投書>
 ははは。かすってるなという曲とかすってないな全然というのがある。惜しいというところに王様達のハイキングがある。これは大ヒント。こういうのが大好きなんだよということを忘れるなよ。今の段階では出てこないかなと思わざるを得ない。広島の時代をよくわかってないとわかんないかな。

<@今日までそして明日からA人生を語らずB夏休みC春を待つ手紙DライフEI’m In LoveF清流 という投書>
 古い曲に偏りすぎている。古いファンにはその時代しか残っていない。フォーライフ退社したあとの作品、そこからの作品には僕は結構自信がある。若い連中とのつきあいが始まっているから好きな曲が多い。ヒントになるかな。

<@夏休みA結婚しようよBマークUCこうき心D明日に向かって走れE明日の前にF今日までそして明日から>
 古すぎる(笑)。俺がわざわざ持ってゆくわけがない。そんなのつまんないじゃん。

 M-5 純  吉田拓郎

■エンディング

 天国の7曲、今のところただのひとつも正解はいない。そう簡単にはいかない。黙って愛していたんだなぁこの曲を、ライブを見たらわかるな。過去にあったライブにはかなりヒントはある。先月、僕の7曲は富山に渡してありますので封じ手で今からは変えられない。
 もし、正解者でなかったら長年ツアーでギターを運んでくれた礒元くんに差し上げたい。来月のこの一曲はお休み。次はドリカムをやりたい。次回放送は2021年元旦ですよ。
 最後の曲はなつかしいスタンダード

M-6 Too Young ナットキングコール

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆というわけで"それがいい"と決意した吉田拓郎はいろんなものを整理して静かに動き始めた感がある。ただ去ってゆくだけではなく未発表曲や未収録音源を希求する私を含めたマニアなファンの長年の魂の悲願をしっかりと撃破し・粉砕していくことも忘れない。そうだ、もともとそういうお方だった。僕達はそうして生きてきた。
 ゆく手には、たぶんまだ言わないという何か音楽活動があることも、うすうすとわかった。もうすぐだな。ならば孤影悄然とゆく背中についてゆくしかあるまい。

☆今回は吉田拓郎の言葉よりもリスナーの言葉に涙した。
「天気のいい日に仕事中にふと空を見上げて、拓郎さんもこの空みているかなと思うとそれだけでいいんです」
 すっかり汚れてしまった私のファン心にしみとおるように清々しい。向田邦子が書いたセリフみたいだ。私はたぶん失くしてしまったが、いつの世もこういうピュアなファンの愛はすべての希望なのだ。

☆「Kinkiを私が守ってゆく」という言葉にも泣きそうだった。「守ってくれちゃうの?」と拓郎が言っていたが、大丈夫だ、おまえなんかいらないと言われるだろうが、俺も吉田拓郎を守ってゆくぞ。

☆ホントにKinkiとそのファンの方々は勝手ながら親戚みたいなものだ。感謝と敬意を忘れないように生きていこうとあらためて心の底から誓った。

☆「KinkiKidsはアイドルではなくアーティストの感性だよね。拓郎とつきあったことが大きかったと思う」(松本隆・風街茶房インタビューより)。松本よく言った。

☆森下愛子、女優辞めるってよ・・・ってさりげなく言ってたけどそうなのか。大変なことじゃないの。

☆ケーナといえばカンパリソーダとフライドポテト・・・これも古いのか。

☆TONYは、青山徹、島村英二、武部秀明、中西康晴、ジェイク・コンセプション。
ジェイクのフルートで”いつも見ていたヒロシマ”。忘れじの青春。そうか投稿者の方とおんなじ歳だ。定年なのか。歳月を感じる。80年代の曲が一曲もないというのは、たぶん私世代にはちょっと寂しいかな。

☆小野くんの話、良かったな。あの時の気持ちと風景を大切に覚えていることだけで吉田拓郎という人間を信頼できる。なんかエラソウですまんが。

☆7曲、難しすぎる。礒元君にあげるのもいいじゃないかという気もしてきた。

☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆
 ライブとかで「ええ〜この曲やるのかよぉ」と不満に思う嫌いな曲を正直に7曲書いたら、すんなり当たってしまいそうな嫌な予感がしたのだが。

2020. 12. 13

☆☆拓郎の矜持はわかる☆☆
 されど未収録曲の数々はどうしたって美しい。それは譲れない。“なぜか売れなかったが愛しい歌”という阿久悠の著作があるが、さしづめ"なぜか売られなかったが愛しい歌たち"である。ライブの雰囲気の中での幻想というがその雰囲気を作り上げたのも吉田拓郎アナタじゃないか。
 それらの曲をどうこうするのはもう吉田拓郎としての仕事ではないのかもしれないが、売られた歌も売られなかった歌も、みんな等しく吉田の子どもたちだ。そんな彼らを諸人こぞりてむかえまつれ。それがファンとしての矜持。
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2020. 12. 14

☆☆腕時計STACが届いた☆☆
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届いてからの俺
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2020. 12. 15

 「寺内貫太郎一家2」第14回からついに白鳥哲”ひとりだち”(松本隆作詞/作曲吉田拓郎)が劇中歌として登場する。劇中のアコースティックバージョンだと歌の下手さがあまり気にならない…というか積極的にイイ感じである。ようやく”あこがれ共同隊”を除隊になって帰ってきた西城秀樹が隣で一緒に口ずさむ…今となっては胸が熱くなる映像だ。

 この第14回はなぜか往年の映画スター阪東妻三郎が全面的にフィーチャーされていた。向田邦子は阪妻のことが好きだったんだなとわかる嬉しい回だった。「破れ太鼓」「無法松の一生」は父親→寺内貫太郎のイメージとも符合したのか。これもなぜか京都に行くと阪妻さんの墓参りに行く私だ。今は田村高廣さんも一緒に入っておられて切ない。

 阪妻といえば田村正和。一昨年「眠狂四郎 the final」で自身の演技を観て「僕はもう十分やったよ、やり切ったよ」という言葉を残して表舞台に現れなくなった。「それがいい」とステージから降りたあの人と私の中では繋がるのだ。「孤影悄然」とした美しいうしろすがた。これはこの二人のためにある言葉だと思う。

2020. 12. 17

☆☆重箱の隅をつつきつづけて☆☆
 拓郎はいつも元旦からトーストだと言っており我が家もそれに近いものがあった。しかし今年はこんな世の中と自分を捨ててみたくなる世相なので気分アゲるために行きつけの居酒屋のマスターからお節のお重を作ってもらう。ありがたい。楽しみだ。元旦からオールナイトニッポンを聴きながらお節と日本酒で飲んだくれる予定だ。しかし重箱がないので買わなくてはならない。重箱なんて買ったことはない。せっかくだ。思い切りt.yな重箱を見つけたい。どんな重箱かわかんないけどさ。

2020. 12. 18

☆☆白鳥哲そんなに悪くなかった☆☆
 ということで寺内貫太郎一家2のテロップにお目見えした”ひとりだち”
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 先日も書いたが劇中でのアコースティックバージョンはなかなかいいじゃないか。Uramadoではさんざんヘタクソな歌唱だと悪態をついてしまって申し訳ない。とはいえ訂正するほど上手いわけでもない。ただ全体にそれはそれでイイ感じなのでそのことは付け加えておかねば。ま、当然、彼以上に俺も歌がヘタなんだけど、当時中学2年の頃これなら友達のT君の方が格段に上手いのにと思って観ていたので刷り込みが強かったのかもしれない。

 
 いずれにしても向田邦子と吉田拓郎を結ぶ殆ど唯一の接点だ。でもそういえば拓郎が天地真理の兄役で若尾文子と共演したドラマ”おはよう”も向田邦子の脚本ではなかったか。…と思って調べたら、拓郎登場回の脚本は向田邦子ではなくて倉本聰だった。それはそれですげーなと別な感慨が。倉本聰と知ったとたん今もず〜っと脳内で歌い続けるさだまさし。

2020. 12. 19

☆☆天国の転調☆☆
 コロナ禍は鎮静しない。ドイツもシアターが閉じて恒例のクリスマス・年末公演が中止になりプロのバレリーナは異例の年末年始帰国らしい。超絶厳しい状況だけれどメルケル首相の演説には泣けた。「私は啓蒙のチカラを信じている。それが文明の基礎だ。」…「啓蒙」とは堅苦しい言葉だけど、それは単に学問のためでなく、命と日常を救うためにあるという信念が伝わってくる。魂の言葉だ。外国人ではあるが、ドイツ在住の日本人の方々の多くはこんな首相のいる国に暮らすことが誇らしかったという。日本と比べても詮無いが、この緊急時に万難を排してみのもんたに会いにステーキ屋に行くこっちの首相が悲しすぎる。

 さてとりあえず天国の7曲を送ってみた。自分の好きな7曲ではなくあのお方が天国の島に持ってきたい7曲だからね。必然的にいろいろと聴きなおすし考え直すことになる。
 「フォークソングじゃない拓郎」「R&Bバンドという出自を支えに生きてきた拓郎」「フォーライフ脱退後現在に至る音楽に自信を持つ拓郎」…をこっちの好き嫌いに関係なく見つめ直さなきゃならない。
 これは吉田拓郎によるリスナーへの「啓蒙」だね。拓郎がそこまで意図しているかはわかんないけれど、例えば自分の好き嫌いで凝り固まってしまった私の脳内に、自然なカタチで風穴を開けて転調させ、変化させる…ううむ見事な啓蒙の技ばい。結構粋なことをしやがる。面白い。そうやってこちらも素直に転調と変化を楽しむ時期なのかもしれない。確かにライブは終わってもまだまだ楽しむことはある。それを信じてまいりましょう。

2020. 12. 20

☆☆ひとり想えば陰謀論☆☆

 そうしてあれこれと音楽を聴き直しながら思う。「俺はフォークじゃない」という拓郎の叫びはなぜかくも浸透しないのか。どうでもいいが中学生の頃、”ライブ73”と”今はまだ人生を語らず”という当時の最新にして最強のアルバムを前にTくんと二人で「これって、なんかもうフォークじゃないよな」「だよな」という話を何回かしたのを覚えている。音楽の知識もない、たかが中学生の坊主でもそう思ったのだ。もちろんフォークのプリンスとして全世界に喧伝され、本人自身も俺はフォークだとファンを煽っていたこともあったので仕方ないのだろうが。

 でもさ、吉田拓郎=フォークにしておかかないと困るという時代の要請もあったのではないかと思うのよ。

 このサイトでは一万回くらい書いたが、筒美京平は吉田拓郎の音楽を聴いて「こりゃ大変だと思った」と語った。あの天才筒美京平ですら大変だと思ったのだ。きっと他の音楽関係者は心底怖かったかもしれない。

 音楽に限らず、凄い才能が新しく出てきた時の同業者の反応はわりと単純だ。@賞賛する➁否定するBジャンルが違うとして敬遠する、概ねこの三種だ。
 どんな業界でも@の賞賛ができる人は人物でありフォークだなんだという表面的なレッテルに縛られない人が多いだろう。まさしく上記の筒美京平先生が代表だ。
 Aの否定派もたくさんいたみたいたが、好き嫌いは別にして正面切ってこれを否定するには吉田拓郎はあまりに凄すぎる才能だったわけじゃないですか。
 ということでBの違うジャンルの人として自分の居場所からシャットアウトするのが処世術としては一番穏当だ。特にこれをロックと認め自分のジャンルに入ってきて競うこととなったらそれこそ大変だ。彼はフォークだからジャンルが違う、違わなきゃ困る。ボクシングで言えば重量のクラスが違うボクサーだから戦わないし比較にならないみたいなものだ。
 フォークというジャンルに入れちまって、まとめてそもそもフォークなんかダサイといってしまう、A+Bという保身型が一番多いのではないか。細野・大瀧がそうだったかどうかエビデンスはあまりないが、せっかくのファンサイトなのできっとそうに違いないと個人の意見として断言してしまう。いやディスっているのではない。筒美京平と同じで天才たちは天才のことを一番よく知っているだろうから。ということでこいつはフォークだ、フォークでいてほしいという微妙な圧力が時代とともに根強く今も生きているのだと思う。

 つまり吉田拓郎は邪魔だったんだろうな。音楽関係者も、フォークであれば、日本のロック史を語るときにもには、あれはフォークだから関係ないとして完全無視して、安心して”はっぴいえんど”を礼賛できる。風街帝国は今日も安泰である。
 拓郎が気の毒だったのは、他方でフォーク界の人々も、こんなやつがフォーク界に入ってきたら大変だ、おまえなんかフォークではない、帰れ!とジャンルアウトしてもらいたい圧がかかっていた。これじゃ拓郎は居場所というものがない。

 ということだが、私は陰謀論vs歴史修正主義者みたいなことを書きたいのではなく、吉田拓郎はさぞや孤独だったろうなということだ。

 こういうときのためのファンなのだが、ファンはファンで昔から、もうあんたはフォークじゃない、堕落した、帰れ帰れと悪罵し、また俺のような人生預託型のファンからは、もっとハードに、もっと人生のメッセージを、もっとイベントを、…なのにラブソングばっかり歌いやがって、とああでもない、こうでもないと執拗に文句をぶつけてきたのだ。かわいそうじゃないか。確かに失礼もあったかもしれない。おまえが言うなというところだが。すまんな。

 なので「僕はひとりぼっちなんです」という拓郎の前々回の他ラジオでの言葉が耳から離れない。だからこそ、拓郎はこれまでのキャリアで、もう歌わない、もうステージには立たないと何度も何度もリセットしようとしていたのではないかと邪推もしたくなる。

 ということでファンとして自分の好き嫌いは一端全部捨て去って、この人が本当に好きな7曲は何か、この人の好きなものは何ですか、この人の本当にやりたかった音楽は何ですか、ということをこの人の身になって(なれないけれどさ)ゼロから考え直してみるというのは大切かなと俺は思い始めている。そこには凝り固まったファンとしての転調と新しい変化というものもあるのかもしれない。

 この2〜3年、ラジオでナイトやFromTやライブを見直そう。おっ、ラジオでナイト第61回の吉田拓郎がiPodに入れている自分の曲なんてのもあるぞ、これなんかどうなんだ。とにかく繰り返し繰り返し旅に出てみようではないか。

2020. 12. 21

☆☆☆吉田拓郎のクリスマス☆☆☆
 仕事で銀行の待合に座っていたらオルゴールのインストで浜田省吾の「ひとりぼっちのクリスマス」が流れていた。周囲に人がいないことを確認してから小さな声で歌った。歌わずにいられない。隠れたクリスマスの名曲ばい。
 吉田拓郎とクリスマスといえば、いわずと知れたフォーライフの「クリスマス」アルバムだ。これってもともとの企画は吉田拓郎ソロのクリスマスアルバムだったんだよな。それが4人での共作になったということだ。神父じゃない新譜ジャーナルに書いてある。4人のそれはそれでいいのだが、今思うと吉田拓郎のソロアルバムだったらどうなったんだろうな。それはそれで逸品だったんではないか。そう思うとなんか無性に聴きてぇな。まだ遅くないのではないかと思ったりもするが。
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2020. 12. 22

☆☆☆Joy to the world, the Lord is come!☆☆☆
 今さら言うまでもないが吉田拓郎の"諸人こぞりて"は何万回聴いても素晴らしいな。ボーカルの質、歌いまわしのカッコよさ、そして中西、島村たちの演奏。世界で一番の"諸人こぞりて"がココにある。試しにマライヤ・キャリーのカバーがたまたまあったので聴いてみたが、あーもう全然こっちの方が上だぜ(個人の感想です)。この世に吉田拓郎の"諸人こぞりて"がある限り、山下達郎・竹内まりや夫妻がどんなにクリスマスに君臨しようが、浜田省吾の"ひとりぼっちのクリスマス"がいかに名曲だろうが(>おまえ昨日銀行で感動して歌ってだろぉ)、余裕をもって生きていられる。

  諸人こぞりて 迎えまつれ
  久しく待ちにし
  主は来ませり 主は来ませり
  主は 主は 来ませり

  悪魔の人牢を 打ち砕きて
  とりこをはなつと
  主は来ませり 主は来ませり
  主は 主は 主は来ませり

  この世の闇路(やみじ)を 照らしたもう
  たえなる光の
  主は来ませり 主は来ませり
  主は 主は 来ませり

  しぼめる心の 花を咲かせ
  恵みのつゆおく
  主は来ませり 主は来ませり
  主は 主は 来ませり

  平和の君(きみ)なる 御子(みこ)をむかえ
  救いの主(ぬし)とぞ
  ほめたたえよ ほめたたえよ
  ほめ ほめたたえよ

 こうして歌詞をみながら聴いていると,いつの日か吉田拓郎が降臨して再び歌う日を待ちこがれ、賛美する歌に聴こえてくる。というかそういう歌にしか聴こえない。バカだなぁと思う方々はどうぞお幸せに。ああ、ホントにそうだよなぁと思われる希少な方々がいらしたら心の底からメリークリスマス。

2020. 12. 23

☆☆☆外は白いクリスマス☆☆☆
 思い出した時に書いておく。高校1年の夏にTくんとSと一緒に電通で音楽の有料モニターみたいなものをやったことがあった。何のことはない会社の一室に集められて音楽を聴かされて感想を話たり、アンケートに答えたりするだけのバイトだ。
 今度ビング・クロスビーという大物歌手が来日するのでその宣伝のための調査ということだった。もちろん俺たちはそこで初めてビング・クロスビーを知り、初めてその人と意識して彼の歌声を聴いた。まず蒲田あたりにはビング・クロスビーをたしなむような人間はいない…たぶん。でも一曲だけ「ホワイトクリスマス」は、前年のフォーライフのクリスマスアルバムで井上陽水が歌っていたのでわかった。陽水もうまいが、クロスビーおじさんの歌声は、大きな海をゆったりとゆられているような心地よい気分だった。俺たちはただの拓バカ坊主だったが、こうしてビング・クロスビーを聴いて、いろいろな逸話も教えてもらって、なんかちょっと音楽ツウの大人になったような気分になった。

 しかし、驚いたことにその2か月後ビング・クロスビーは卒然と亡くなった。もちろん来日は果たせなかった。

 以来、なんか「ホワイトクリスマス」が妙に感慨深い。まるで去りゆくビング・クロスビーが最後にアジアの片隅で生きる少年、俺とTくんに何かを託したかのような気がまことに勝手ながらしていた。

 随分経って大人になって、タクシーの中で、ラジオから流れる「ホワイトクリスマス」に、しみじみと「ああビング・クロスビー、いいな、しみるんだよな」とカマしたらアナウンサーが「お送りしたのは”ホワイトクリスマス”、フランク・シナトラでした」と言いやがって大恥かいたことがあった。だめだこりゃ。ビング・クロスビーは俺には何も託していないことがわかった。

 吉田拓郎のソロ・クリスマスアルバムがあったら間違いなくこの曲をカバーしたことだろう。ラジオでナイトでもクリスマスにかけていた。陽水と違って拓郎が歌ったらどうなるのだろうか。May your days be merry and bright(楽しくてきらめくような日々があなたに訪れますように)、ああ歌っとくれよ。

2020. 12. 24

☆☆☆甘いケーキは食えないよ☆☆☆
 中学2年のクリスマスの時だ。同級生で商店街のパン屋の息子のFくんがクリスマスの売残りで廃棄するしかないホールのケーキをT君と俺に好きなだけ食べさせてくれたことがあった。ふるえたな。お腹一杯ケーキを食べてみたい、それは俺とT君ならずとも昭和の子供の夢だったはずだ。しかしいざ食べ始めてみるとオバQじゃないんだから、そんなに食べられるものではないことを身体で知った。てか食べきれずに廃棄されてゆく食品を目の当たりにして、飽食と食品ロスという大問題を突き付けられた気がした。それは嘘だ。そんなことは当時考えも及ばず胸やけがしてT君と二人で♪甘いケーキは食えないよ〜と歌うしかなかった。それも嘘だ。その曲の発表はそれから6年後だ。

 ケーキをひたすら食べながら、T君が録音したその3か月前の”吉田拓郎のオールナイトニッポン最終回・あんたら地獄へ行くよ編”を聴いていた。どういう状況で聴いてんだよ。既に俺もこの衝撃の放送を何回も聴かせてもらっていたし、T君はもう拓郎の口調を諳んじられるくらい繰り返して身体にしみついていた。それでも俺達はまだまだ聴きたかったのだ。拓郎の紡ぐ一言、一言がまだ子供の中学生だった俺たちの心にも刺さってきた。まぎれもなく魂の言葉の破片たちだった。子供だけど、いや子供だったからこその拓郎の言葉から俺たちは養分を吸い上げる植物のようにいろんなことを学んだのだと今にして思う。
 そして語りだけでなく、語りの合間にかかった拓郎の曲も絶妙だった。”いつか街で会ったなら(デモテープ)”に始まり、聴きなれたはずの”伽草子”、”人生を語らず”などの歌がいちいち胸にしみこんできた。そして最後にエンディングにかかった当時の新曲”流れる”。ああ、俺はこの曲今でもやっぱり大好きだよ。語りと曲が寄り合って一体となった素晴らしい放送だった。
 当然のことながら今、拓郎さんご本人は、そんなの聴きたくもないし、聴かせたくもないだろう。そもそもプライバシー的にも失礼といえば大変失礼なことだろうけれど、ただあのラジオは丸ごと一篇の魂の作品だったのだと思うのだよ。そう立派なドキュメント作品だったのだ。

 そのラジオの衝撃の最終回以降、吉田拓郎は世間の表舞台から消えていた。週刊誌たちの中吊りの見出しだけが毎週、吉田拓郎のことを手を変え品を変え叩き続けていた。ケーキを食いながらT君が「ああ、拓郎どうしてんのかなぁ」とつぶやいた。「どうしてんのかなぁ」と俺もつぶやいた。その光景を妙に憶えている。ま、そんなクリスマスもあったな。すまんクリスマス・イブにする話じゃないな。それでも、つづく。メリークリスマス。

2020. 12. 25

☆☆☆今はこらえろ愛しい君よ☆☆☆
 俺達がケーキを食いすぎながら「拓郎どうしているのかなぁ」と思いを馳せているころ、世間の表舞台から消えていた拓郎は、75年12月24日のユイ音楽工房主催の「来年もよろしくコンート」で渋谷公会堂にその姿を現した。俺はそれを朝日新聞の小さな記事で知った。「離婚して以来、仕事を休んでいた吉田だけに大喝采で迎えられた」とあり「水無し川が重苦しく歌われた」とだけ書いてあった。元気ではないけれど元気でないわけでもない、そんな風に記事を読んだ。
 情弱の中学生は吉田拓郎の近況を探ったりユイのコンサートに行ってみたりするなんて知恵も力もお金もなかった。「拓郎どうしているかなぁ」と思いを馳せ、新聞の記事で拓郎が歌ったことを知る。「重苦しく歌われた”水無し川”」という活字を何度も読み返して、ああ、どんなだったんだろうと思った。当時はアルバム「明日に向かって走れ」の本人歌唱の発売前である。ムッシュではなく拓郎が歌うとどんな曲になるんだろうか、ああ聴きてぇと妄想したものだ。俺には”水無し川”と”流れる”は、しっかりとつながっているのだ。Uramadoで書いたとおり満身創痍でも明日を見つめる人間の美しさとカッコよさ。
 あの時、現場で水無し川を聴いた人、どうだったですか。拓郎が言う通りステージに真実はある。真実を知りたい。しかし行けずに妄想し、思いを馳せるしかない、そこにもささやかな真実がある。吉田拓郎をめぐる小さな真実の破片を拾い集めて温めあおう。

 なかにし礼さんの訃報に驚く。ご冥福をお祈りします。とりあえずiPodに入っていた”パリの絵はがき”を朝の電車で聴く。御大との共作は、これだけだろうか。

2020. 12. 26

☆☆☆今日も黄昏☆☆☆
 前にも書いたが、なかにし礼さんの著書「黄昏に歌え」に登場する吉田拓郎は素敵だった。苦境にあったなかにしさんに手を差し伸べ、やがて"時には娼婦のように”誕生の手助けをしてくれるフォーライフの青年社長として現れる。拓郎の社長時代の話はいつも切なさと背中合わせのことが多いが、ここでは爽やかな青年社長の姿が実にかっこよく描かれている。なかにしさんの拓郎に対する敬愛が行間に滲んでいて嬉しい。単行本では割愛されているが週刊朝日の連載の時は、拓郎の横顔のこれまたちょっと素敵なイラストが添えられていた。探してみたけれど失くしちゃったな、もう。

 そうそう森下愛子出演の「監獄のお姫さま」の前川清の慰問のシーンで知った島倉千代子の”愛のさざなみ”。これもなかにし礼さんの作詞だった。ヘタクソながら私の数少ないカラオケの愛唱歌となった。♪くり返すぅぅぅ、くり返すぅぅぅ、さざ波のよぉにぃぃ。たまらん。心の底からご冥福を祈らせていただきます。


 それにしても作詞なかにし礼・作曲吉田拓郎なのにB面収録たぁ、浅田美代子はそんなに偉かったのか、当時の歌謡界帝国の権勢の強さをあらためて感じる。
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2020. 12. 27

☆☆☆one last night☆☆☆
 断捨離中の居酒屋のマスターから「捨てちゃうけどいる?」と聞かれたので速攻でいただいたつま恋1985のチケット。自分のものと比べるとスタンプの色が違う。俺はずっとスタンプはレッドだと思って生きてきたけれど、たぶんマスターはずっとスタンプはグリーンだと信じて生きてきたに違いない。そして今になって俺たちは違う色があったことを知るのだ。レッドもいいけどグリーンもいいなと思う。もしかすると他の色もあったかもしれない。いい。なんかいい。それだけのことだが、それも自分の何かだ。言えない何かだ。Oh確かめてみるがいい。
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2020. 12. 28

☆☆☆2020年吉田拓郎紅白歌合戦☆☆☆

 大晦日、NHK紅白は食傷気味だし、ダウンタウンも格闘技も興味がない、かといって「コント55号の裏番組」をぶっ飛ばせももうやっていないので、今年も吉田紅白歌合戦を観ようと思う。

 総合司会 垣花正&坂崎幸之助&奈緒

(白組出場歌手と予定曲 順不同)

KinkiKids 全部抱きしめて
     放課後
菅田将暉 マークU 
     ひとりだち
奥田民生 唇をかみしめて
米津玄師 君のスピードで
森進一Taka (ONE OK ROCK)  夜行列車〜襟裳岬
ダイヤモンド☆ユカイ 外は白い雪の夜
所ジョージ 恋の歌
布施明   おきざりにした悲しみは(ワンハーフ)
武田鉄矢  RONIN (歌詞付足し謝罪バージョン)
氷室京介  たどり着いたらいつも雨降り
中村雅俊  いつか街で会ったなら
Mrs.GreenApple 流星
石山恵三   慕情
Toshi(X-JAPAN)  落陽
浜田省吾  わしらのフォーク村〜イメージの詩
堺正章&井上順  明日の前に〜風の中〜我が良き友よ(メドレー)
サザンオールスターズ  HAVE A NICEDAY 〜吉田拓郎の唄
小林旭  ハーモニカの詩
     アキラのああ、グッと
小田和正 今日までそして明日から
     人生を語らず


※出場者の背景※
 今年は米津玄師、菅田将暉という大物若手アーティストの出場が目を引く。米津が吉田のハートフルソングである"君のスピードで"をどのように歌い上げるか、歌唱力にも定評がある菅田が曲も歌手も共に幻のために殆ど知られていない"ひとりだち"をどう歌うかが期待される。ベテランも負けていない。特に諸事情で出演を辞退した近藤真彦の「ああ、グッと」を小林旭が自らのアレンジで聴かせるという、はからずも、あっという選曲も目が離せない。また森進一&TAKAの親子共演も注目だ。安定のKinkidsが"全部抱きしめて"以外に、これもまた幻もいいところのDUOの"放課後"のカバーも一部のマニアなファンを驚かせた。
 また吉田の名作"RONIN"の詞に勝手に歌詞を付け足して不興をかった武田鉄矢がいかに説明責任を果たし謝罪するかも関心の的だ。謝罪といえば布施明も今回の出場で50年続いた呪いを解くためにワンハーフを間違えないように熱唱するという意気込みをみせている。
 なお今回は音楽的クオリティが重視されているので明石家さんま(夏休み)、笑福亭鶴瓶 (春を待つ手紙)、中居正広(ともだち)などが惜しくも落選の涙を呑んだ。そんな中、初出場した元猫の石山恵三の慕情に期待が集まる。またサザンオールスターズの「吉田拓郎の唄」は、物議をかもしたオリジナルの辛口バージョンか2003年のライブで改訂された忖度バージョンどちらで歌うかも見もの。

 さらにいつもなら真っ先にギターを抱えて頼まれもしないのに吉田の歌を歌う坂崎幸之助であるが、先ごろのラジオでソロボーカリストとしてはあまり評価しない、聴きたくないという吉田の辛辣な評価を受けたためか、今回は司会に専念する。しかし、2006年つま恋の中継の名司会ぶりからその進行役ぶりに期待する声も強い。

 白組応援団長に抜擢された吉田の盟友小田和正はインタビューに対して「クリスマスの約束がなかったのて参加した。紅白に分かれて音楽が競うことも、勝ってなんの意味があるかもわからない。拓郎本人が来ないんだし粛々と済ませて早く終えたい」と熱い意気込みを語った。


※紅組はつづく

2020. 12. 29

☆☆☆2020年 吉田拓郎紅白歌合戦☆☆☆

(紅組出場歌手と予定曲 順不同)

アグネスチャン  アゲイン
伊藤蘭  やさしい悪魔〜銀河系まで飛んでゆけ
Kitri   アン・ドゥ・トロワ
伊藤咲子 私は小鳥〜友達になろう
石野真子 狼なんか怖くない〜私の首領
小柳ルミ子 赤い燈台
研ナオコ  六本木レイン
由紀さおり&安田祥子 赤とんぼ〜ルームライト〜両国橋から
川村ゆうこ 大晦日〜風になりたい
AI島倉千代子 紅葉
篠原ともえ  地下鉄にのって
神田広美 ドンファン
     東京メルヘン
竹内まりや どうしてこんなに悲しいんだろう
あいみょん 僕の唄はサヨナラだけ
森山良子&中尾ミエ  歌ってよ夕陽の歌を〜風の中で
太田裕美  失恋魔術師
石川ひとみ ハート通信
宮崎美子  嫌いですか
増田惠子  ソファーのくぼみ〜ラブカンバセーション
一青窈   メランコリー〜素敵なのは夜

※出場者決定の背景
 復帰した伊藤蘭のキャンディーズメドレーがオールドファンの血を湧かせ、対する若手世代は、拓郎ファンを公言するあいみょんの出場に熱い視線を投げかけている。”僕の唄はサヨナラだけ”あの難曲のブルースにどう挑むのか。また吉田本人が絶賛した初出場kitriの”アン・ドゥ・トロワ”も楽しみだ。AI美空ひばりに続いてAI島倉千代子の”紅葉”、AIへの賛否はあるが”紅葉”を歌うお千代さんを観たい熱望が押し切ったかたちだ。
 今や世界を活動舞台とする神田広美はアイドル時代は封印と思われる中、持ち歌であるドンファンに加えて木之内みどりの"東京メルヘン"のカバーまで予定されているが当日まで実現は不明である。今年あのミノルタショックから40年、再び世間をあっと言わせた宮崎美子も注目だ。
 中島みゆきの出場も有力視されていたが、順序的にまず拓郎がギターを弾く番だということで今回は見送られた。とはいえ竹内まりやの出場ということで豪華な顔ぶれは盤石である。
 毎年噂される「じゃあまたね」は今年も実現せず。ドバイの富豪に嫁いだ倉沢敦美が歌う”六月の花嫁(玉の輿バージョン)”もこの国際状況のため辞退となった。また科警研が忙しい沢口靖子も出場辞退。さらにチェリーズによる”わたしのサタン”も一部マニアから熱望されたが、殆ど知らないグルーブを再結成して殆ど知らない曲を歌われてもどうなんだという一部の心ない意見とともに、何より”やさしい悪魔”とかぶることもあり、惜しくも落選となった。松田聖子もNHKとバッティングしなければ”幸福なんて欲しくないわ”での出場が打診されていた。このように残念組も多かったが、それでも見事な吉田提供曲ワールドが揃った。

 なお紅組応援団長は、森山良子に内定している。もちろん吉田と泉谷の乱闘を制圧した力量を買われてのことだ。
  
 なお票数をカウントするにあたって、NHKの紅白で有名な「日本野鳥の会」の代わりに星を数える愛好家の集まり「星を数える男の会」が決まった。そんな男が100人も集まってる会ってなんかキモイという率直な声もあがっており、今回が試金石になろう。

 毎年審査員長の座をめぐっては激しい対立が繰り広げられてきた。松本隆vs喜多條忠、瀬尾一三vs松任谷正隆、特に昨年の田家秀樹vs富澤一誠の抗争は、富澤を嫌う一部の偏執的ファンを巻き込んで熾烈なものになったことは記憶に新しい。今年はその反省から審査員長を設けない全員が副審査員長という方法が採用された。どんな方式だ。

 こうして今年も吉田拓郎の提供曲ワールドの素晴らしさをあまねくに誇る吉田拓郎紅白歌合戦。白が勝っても紅が勝っても優勝は吉田拓郎以外にないという至高の歌合戦が今年も開幕である。

2020. 12. 30

 というわけで提供曲の世界も広がりをもったひとつの宇宙なのだ。星は1等星から5等星までちりばめられているが、だからこそ宇宙である。宇宙それは最後の開拓地。アウトロだろうとエンディングだろうと冒険はまだ始まったばかりである。皆さん長寿と繁栄を。

2020. 12. 31

 NHKBSでユーミンの苗場を観た。もう少し若かりし頃、何回か通ったのであの独特の景色と空気感が肌に蘇ってくる。どれもすばらしいライブだった。が、無礼者の俺は、いつも行くたびに3秒に1回くらいこれが拓郎だったらと思わずにいられなかった。「あの人のように」というのが失礼なのは百も承知だが、この雪深いゲレンデのまんなかで「外は白い雪の夜」の絶唱や「襟裳岬」の歌声を聴けたらどんなにか素晴らしいだろう。ああゲストでもいいぞ。ライブが終わって舞い上がった気分で会場の外に出ると、おい友よ、一面の銀世界、まるで雪灯りの海だぜ。生きててよかったな、さぁ飲むか。そんな瞬間があったら俺にとっての天国だわね。

 中川さん、拓郎ファンにとっても思い出深いギタリストだった。しかしその悲しみを忘れず今こうして追慕するユーミンが素晴らしい。そういえば拓郎もムッシュとユーミンの苗場に行ったんだよな。ずいぶんたくさん天国にいってしまわれたんだな。あらためて思う。

 今年は大変なこと悲しいこと切ないことがてんこもりの一年だったが、こうしてくだらない日記を書きながらとりあえず年末を迎えられる。平凡な日常は奇跡の連続の上に成り立っているというソウルメイトの言葉をかみしめる。
 孤高のサイトとうそぶくいろんな意味で失礼なサイトですが、今年一年応援してくださった方、読んでくださった方、心の底からありがとうございました。よいお年をお迎えください。
 って、元旦ラジオだよ、気が抜けねぇ。