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流れる

1975年
作詞 吉田拓郎  作曲 吉田拓郎
シングル「となりの町のお嬢さん」

静けさを愛し、黙り込むことの強さと美しさを彫琢した名曲

 1975年フォーライフ・レコード第一弾シングル「となりの町のお嬢さん」のB面。「この曲が好きな人は、"拓郎ツウ"です」と拓郎本人も絶賛するこの曲は、「B面名曲伝説」のトップに君臨するといっていい。
 A面は、フォーライフ・レコードでの第一弾シングルにして、つま恋コンサートのライブフィルムのテーマ曲という75年の輝かしい「光」の象徴だ。その反面で、このB面は、栄光の裏側の「陰」を象徴している気がしてならない。衝撃的な75年9月のオールナイトニッポン最終回の離婚宣言。その最後の曲だった。それゆえに、離婚やつま恋でのバーンアウト(燃え尽き)を象徴している気がしてならない。
 75年夏、つま恋を終え、さらに離婚を発表した拓郎は、「年内は休業する」と宣言し、世間の表面には殆ど姿を見せていなかった。
 その頃、渋谷の西武デパートで開催された「フォーライフ・フェア THIS IS FORLIFE展」では、各アーティストの巨大な自筆パネルが飾られていた。新レコード会社での今後の抱負を書き連ねている小室さん、陽水、泉谷に対して、拓郎だけは違った。そのパネルには、大きな字で「今は黙って静けさだけを愛せばいい 吉田拓郎」と殴り書きのように記してあった。拓郎の心の荒野を覗いてしまったような気がしたものだ。その心象とこの作品は結び付いてしまう。
 「水面に浮かび流れる」というフレーズは、既に71年のロックナンバー「川の流れの如く」にもある。若鮎がピチピチ撥ねるような「川の流れの如く」と、この「流れる」を比べると、同じフレーズながら、この間の4年間が拓郎にとっていかに大きな激動の時間であったか・・・地獄の淵を観た人間の凄みが滲んでいる気がしてならない

 拓郎といえば日常の口語的な歌詞を書く代表とされているが、ここでは、慎重に言葉を選び文語調の隙のない世界を彫琢している。
 自分をとりまくあらゆるものから攻撃を受けボロボロにされながらも、静けさを愛し、自分の心だけをよりどころに決然と一人行かんとする覚悟。そんな拓郎ならではのエッセンスを感じる。
 特に生きる術を説教してくる「上から目線」の古老連中に「いずれは元の闇の中に消え去るのみ」「・・・恥ずかしさをこらえられるか」と切り返すところは見事で胸がすくようだ。
 このエッセンスはやがて、「流星」、「マラソン」、「LIFE」「RONIN」等などのあらゆる作品に繋がっていく。
 その意味では、まさに濃縮還元の「濃縮原料」ような作品だ。薄めずにそのまま飲むとキツイ。だから、ひっそりと「B面」という人里離れた場所で門外不出のまま鎮座しているのか。ちょうど、めったに御開帳しないお寺の御本尊みたいなもので、そっと参拝して「ありがたい」と拝んでいく、そういう作品かもしれない。・・自分でも、たとえの意味がわからん。
 それにしても、この作品での駒沢裕城のペダル・スティールと松任谷正隆のピアノのアシストは秀逸だ。特に駒沢裕城の泣いているような音色が、この作品の寂寥感を深める不可欠な一部となっている。

 私も、悲しみに落ち込んだとき、この歌が頭の中に流れる。「今は黙って静けさだけを愛せばよい」というあの日の拓郎の殴り書きのパネルが頭に浮かぶ。ちょうど拓郎があれをプラカードのように抱えて自分を激励してくれているようなそんな気がする。

2015.4/5