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サマーピープル

1981年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
シングル「サマーピープル」、アルバム「ONLY YOU」/アルバム「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋」/DVD「85 ONE LAST NIGHT in つま恋」

ヒットの気持ち始末記

 この作品は1981年4月発売の「ガチの勝負シングル」だった。1981年当時の吉田拓郎の状況はどうだったか。79年篠島で復活して以来、30代の大人のロックの帝王としての不動の地位を確立していた。ただその拓郎に唯一足りないもの・・・それは“ヒット曲”だったのだ。
 当時はベストテン全盛時代、ヒットしなければ人にあらずの時代だ。拓郎ファンも何かと世間様に肩身が狭かった。何より拓郎本人もヒット曲が欲しいと公言していたから大変だ。
 そこについにやってきた!81年資生堂サマーキャンペーン“ひかりとパラソル”テーマ曲に採用決定! この頃テレビCMに使われると必ずヒットするという黄金律が生きていたことはご記憶だろうか。実はすげぇ、ねーちゃんだったことがまだ世間にバレていない頃の清純な人気者マリアンが主演。まさに今で言うキターーーーーな気分で、曲の仕上がりを待ちこがれたものだった。もちろん私は、TBSのザ・ベストテンとか歌番組の出演は、拓郎はどうすんだろ、また出演拒否すんのかなぁぁ、TBSの出待ち入り待ちは、どうすればいいのか、あれこれと心配したりもしていた。
 そわそわしているウチについに作品発表。拓郎ファンの友人と一緒にワクワクしながら期待のカタマリになってラジオの前で初めてこの作品を聴いたのだった。・・・・そして作品を聴いた時の友人の一言が忘れられない「・・・・なんだこりゃ。」これが一ファンの感想だったら良かったのだが・・・。結局テレビ出演の心配も一切不要となった。それでもリクエストハガキとか電リクとか地獄のように書いたよなぁ。実は、TBSのザ・ベストテンで、11位以下圏外の動きというところで、一瞬「ONLY YOU」の歌詞カードのご近影が映って、黒柳徹子さん「お待ちしてます」とか言われたことが一度だけあった。嬉しいのか悲しいのかわかんないが。
 なぜヒットしなかったか。例えば詞。資生堂のサマーキャンペーンに、襟裳岬、竜飛崎、隠岐の島の無頼の旅人岡本おさみはどうだったんだろうか。「焼け付く夏だぜイェイイェイ」って、ホントなら松本隆でしょ、ココは。松任谷正隆のアレンジも明るくしようと頑張ったと思うのだが。すべてが負のスパイラルに入っている気がしてならない。
 最後には拓郎本人も「なんかこの詞は歌っいてイマイチ気持ちが悪い。・・それに短い曲だよなぁ」・・お前が言うなぁ状態であった。結局、CM曲は必ずしも全部ヒットするわけではないという不滅の黄金律を作ることとなった(爆)。
 ご記憶だろうか。同じ81年夏の資生堂のライバル、マックスファクターのキャンペーンCMは、沢田研二の「渚のラブレター」だった(しかもジュリー本人作曲)。こっちは大ヒットしてベストテン入りした。まさくし宿命の二人。苦い夏だったぜ。そして悲しむ暇もなく9月発売の「サマータイムブルースが聴こえる」によるリベンジを狙うのだった。続く。
 以上はあくまでも“ヒット狙い”という観点からの評価である。そういうあざとい戦略を離れ沈静化してみると明るい夏の小品として心に残る佳曲だ。85年のつま恋の第一ステージで、まるで憑き物が落ちたように、陽気にノリノリで歌われていたのが忘れられない。間奏に入る前の「エルトン!」もたまらない。観客も実に楽しそうだった。ヒットの呪縛から遠く離れて、ああ、あの81年の夏にこの曲を皆で応援したよねぇという、懐かしい友達に会ったようなあたたかな気分だったことを覚えている。

2015.10/10