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2021. 1. 1

 あけましておめでとうございます
 かつてインペリアル移籍第一弾のアルバムのテーマが「明るい日常」だと拓郎が宣言したとき、何て小せぇことを歌いやがるんだとトホホな気分になったことを思い出しました。しかしそれから私も歳をとり、紆余曲折と有為転変と天変地異を垣間見てさすがに少しは変わりました。今は「明るい日常は奇跡の連続のうえに辛うじてある脆くて凄いものなんだ」という友の言葉が心にしみます。
 大変な世の中になってしまい、そんななか頼みの吉田拓郎もライブを撤退されました。俺はどこへ行こう、君はどこへ行く…の世界です。生きていなけりゃ。拓郎はここにいる、俺はどこへも行かない…あ、これは昨夜の玉置浩二の歌か。昨年のライブ撤退の時の拓郎のメッセージ
「家族の健康にご留意されてこの苦難の時を乗り越えていただきたい心から願うものであります」
 これを胸にライブはなくとも吉田拓郎のいる日常はきっとあると信じてまいりましょう。そのために私たちのひとりひとりの健康と自由、特に少数派の自由が守られますように。今年もよろしくお願いします。
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2021. 1. 2

オールナイトニッポンゴールド  第10回 2021.1.1

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。週替わり金曜日、今週は吉田拓郎がお送りします。あけましておめでとうございますということだけど、現実には12月25日。まだ去年なんです。ハッピーニューイヤーよりメリークリスマスなんだ。
 去年は大変な困難な一年で今も不透明なままだ。クリスマスだ、新年だと言っていられない。とにかく淡々と一日一日を過ごしていこうか。人によっていろんな考えがあり、それぞれに一理ある。日本だけの問題だけでなく、自分の周辺だけではなく地球全体の大問題だ。命にかかわる地球環境の問題であることを忘れないようにしよう。自分一人の問題ではない。こんな時に、わがままはよそう。世界の情勢の中で地球に住む人間としてバランスを取りたい。もう一度今がどういう時なのか考えなきゃ。今でなくてもいいだろう、ということを考えよう。あえて言えば僕らは小さな生き物だけど地球環境とのバランスを大切にしたい。
 
 新年は来ましたが心はクリスマス。ゆうべ奥さんとステーキで赤ワインで、2019年のライブの時に書いたでしょで、たまには二人でパスタで白ワイン、二人で好きだよという感じをやってみた。

<福岡の高校生の時TAKUROTOUR1979というレコードでペニーレインでバーボン、の演奏で拓郎さんが叫ぶ、青山通るか、まっすくだ、まっすぐ裏だ、お店の紹介するなんて変わってるなと思った、数年後、青山徹だ、松任谷だとミュージシャンの紹介と知ったという投書>
 そりゃ変だよははは(笑)。 面白いな。青山徹、松任谷だと紹介したんだよ。本当におかしいな最高だなハハハ。ステージでこれから行く店の道順とかどうしてそういうこと言うかよ。
  
 “ペニーレインでバーボン”という曲。いつか、近いいつかこの曲についての気持ちを発言したい。この歌が今の僕に、どういう存在になっていて、どう思っているのか。いきつさもふまえて本音を話す日が近くなっている。ゆっくりと話したい。

<生ギターの音色にひかれている、ストローク遠くで鈴が鳴っているような弾き方はどうしてか、ギターのせいか、ピックのせいか、テクニックかどうしてもその音が出ないという投書>
 それは右手に鈴がつけあるから、嘘だ(笑)。僕ね、10代の頃からギターを弾いているけれど弾き方。広島のバンド時代、ギター教室で、ギター習いに来ていた生徒でマスターした人も数人いる。サラリというとピッキングの独特の方法なんだ。ダウンストロークとアップストロークのかけひきなんだ(実演)トンチャカトカチャカと聴こえるようになるまで弾き続けろといった,<”恋の歌”1番フルで歌ってみせる>トンチャカトカチャカまで1-2年はかかる、チカラ加減と駆け引きなんだ。

<SBSで昔、君とロッテとレッツゴーという番組で吉田拓郎さんがレギュラーだったという話が長野県で話題になっているという投書>
 あの頃、エレックの人の車で毎週か隔週か長野に向かっていた。長野の時と松本の時もあった。東京に出てきて初めてのラジオ番組の出演だった。東京でもラジオに出ていたけどレギュラーではなかったし、信越放送まで、まだマネージャーもいない頃でエレックの人の車で行って夜中の4時ころに帰ってきていた。  

 長野にはもっと早い時からつながりがあった。広島フォーク村のアルバムを出した仲間はみんな上智、元上智の学生たちだった。事務所にいた学生が、毎晩僕に学生運動やマルクス・レーニンの話をしてくれて僕はチンプンカンプンだったのだが、その彼が長野県出身で松本深志高校という名門校の出身だった。偶然にもそのあとに信越放送のラジオで長野と縁ができた。

 岩手放送にも僕のことをかわいがってくれた女性ディレクターがいて、当時23〜4歳で向こうは27〜8歳だったかな。♪雪でしたという”雪”というのは彼女のことをモデルに書いた。すっとメロディーも歌詞も書けたということは恋心があったのかもしれない。岩手放送で番組が終わって、岩手の夜のシンシンと雪の中を歩いたり、二人だけでお酒を飲んだり、あの人は僕の将来性を見抜いていたのだろうか。いまは夢のようだ。その後彼女からは一度も連絡がない。
 売れ始めてきたよしだたくろうに気を使ってくれたのか、なんか考えたのか、連絡はこれまで一切なかった。なんだか気分がジーンとしてくる。

■今夜も自由気ままにいきましょう吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド。

<年に一回小田和正とスイーツを食べていただいてありがとうございます、きっと 得るものも多いと思いますという投書>
 前回のkinkiのファンみたいだな。小田とは、つかず離れず、親友というのも変だし 同級生みたいな感覚かな。
 考えてみると今も付き合っているのは小田だけかな。フォーライフの人たちとは20年前にお別れしたし。ミュージシャンでは、エルトン永田と島村英二とはメールのやりとりしている。あとは今、一緒にやっているバンドの連中。篠原、kinkiの二人、瀬尾一三
あたりだけだな。
 だいたい小田とは人の悪口が多いかな、アイツが気に入らないんだとか、これからどうしようかなとか。
 そもそもスイーツを食べるのがテーマ。小田のマネージャーの木下という僕も結構長く知っているやつが気を使っていろいろ買いそろえてくれる。吟味しながら食べている。

 口止めされているから詳しく言わないが、気になっている若手女優の話とかしているな。

<30年前娘5歳くらいの時、「ママ、テレビに吉田拓郎が出ているよ」そこには、かまやつひろしさんがいた、その後拓郎さんも同じ番組に出たという投書>
 お昼のやつだな。ムッシュとは似ていないだろうな。俺はもっといいよ(笑)。俺の場合は、ジュリーとかさ、今のじゃない美しかった時期のだよ。ムッシュに似ているというのは心外だな。かまやつさんが亡くなる前にメールで「拓郎もいつかわかると思うけれど高齢者の講習は気が乗らない」と書いていたが、そのとおり僕もその講習を3年前に受けたけが説明しにくいけれど、通常の更新の講習とは違ってそういう人たちばかりが集められるのよ。当時のメモに三年後の講習はもうやめようと書いている。それが今年来ちゃったんだよね。予約を入れたけれど、もう車の運転は卒業するかなと言ったら、奥さんからもうやめていいんじゃないと言われて、予約を取り消した。もういいです。運転はもういい。誕生日が来たら車も手放す。車は好きだった。雨の日に羽田のあたりまでドライブするのが好きだった。ワイパーを見るのが好きだった。間歇ワイパーといいうのかな?
 かまやつさんから遺言とも取れる一言「拓郎miniに乗ったことある」と聞かれて「ないですよ」と答えたら「miniはいいぞ」と最後に言ってくれた。だから今、miniに乗っているんだけれど、ムッシュ、俺もminiを卒業するよ。  

(CM)

 さて天国の夢の島があるとして吉田拓郎がそこに持ってゆく7曲は何か。続々と投票が来ているけれどいまだに7曲全部あてた人はゼロだよ。


<80年代がないときいてI’m In LoveやWoo Babyが入ってないのか、ガンバラナイけどいいでしょうも入っていないということで考え直しです、せめて80年代以前は何曲90年代以降は何曲と前後の曲数を教えてくれないかという投書>
 ダメ。考えなさい。
<2019年のライブでナイト、7列目の神田共立講堂のステージは素晴らしかったです、君のスピードで、流星、私の足音、人生を語らず、いくつになってもハッピーバースデイ、運命のツイスト、人間のい、という投書>
 神田共立は本当によかったな。名古屋に匹敵するくらい良かった。音録っておきゃよかったな。会場が狭い分一体感あって、すてーど降りたら、うちの奥さんと鳥山の奥さんが泣いていた。

 まだまだなんだな、4曲、3曲当たっているのはいる。全然ないのもある。最終的には6曲だったらあげようか。ゼロだったら磯元にあげようかなといっていたけれど、6曲でもいいだろと言おうかな。だったら磯元は他のギターくださいといいそうだな。

 最近テレビで耳にする古い曲。僕も一回観た。内容は中華を食べるんだけど、かわいい娘がよく飲むわ、食べるわ、あの飲みっぷりと食い気見ているだけでおなか一杯になる。
 この歌は76年の六本木の情景が浮かんでくる。これもムッシュかまやつがモデルなんだ。シンシアを二人で歌って、我が良き友よ、水無し川と作って親しく毎晩のように六本木でどちらともなく会っていた。そのころは原宿ではなく六本木だった。安井かずみとか加賀まりことかと一緒だった。当時、シーズンという隠れ家的な店があって、二人で偶然発見して、ここいいねということで、毎晩夜の10時ころこの店に出入りした。
 サーファー系の女の子が親切でここでよく踊ったりしていた。 僕たちはいつも男同志でというタイプでもなかったし、女の子呼んだり、歌の通り午前0時の町に溶け込んでいたんだ。

M‐1  午前0時の街

(CM)

 1960年、岩国の米軍の基地の関係でFEN ファーイーストネットワークというものを聴き始めて素敵だなと思った。TOP40,100の曲たちを聴いていた。その中で最初に心ときめいて、カッコいいな僕もやりたいと思ったアメリカンポップスで、ダイヤモンズのリトルダーリンがヒットしていた。ビートルズとかロックバンドがヒットする前。当時のアメリカンポップスは、好きだよ、愛している、甘いティーンエイジャーの絵日記で、良きアメリカ的なハッピーな曲だった。こういうコーラスグループもたくさんいてヒットしていた。ダイアナロスもいたシュープリームスもそのあとすぐデビューすることになる。ロックバンドはまだなくてコーラスグループ、ディオンとベルモントの”悲しい恋”、トーケンズ”ライオンは寝ている”とかコーラスがヒットしていた。
 日本でコーラスグルーブはクラッシック系のお堅い人がやっつけで始めたようなダークダックスとかボニージャックスとかだった。その中でもデュークエイセスはポップだったな。伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズというグループがあって、このグループは笑わせてくれた。これがダイアモンズのリトルダーリンをやってくれたんだ。

 それから何十年経って、去年のツアーのリハーサルで、ツアーとかドラマの撮影でケータリングしてくれる移動式スナックがあって、うちの奥さんも現場で呼んだりしていた。その中で、満島ひかりという女優がいて、高見澤とやってたT×2ショーにアイドルグループのフォルダー5が出演したときそのグループにいたのが満島ひかりだった。奥さんが一緒だった「監獄のお姫さま」というドラマで満島さんが頼んだケータリングがよかったと教えてくれた。そこでツアーのリハーサルで頼んだケータリングが伊藤さんといって、その伊藤さんのお父さんがなんと伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズの伊藤素道さんだったということになって驚いたな。僕が一番最初にあこがれた音楽を演奏してくれたその息子さんが僕のスタジオのケータリングってそんなつながりある? 伊藤素道さん大好きだったんですよ。いろんな奇遇というのがあるな。

 そのリトルダーリンという曲をダウンタウンズで僕も歌っていた。本物と広島のダウンタウンズ時代の僕が歌うダーリンを流したい。そのダウンタウンズのリーダーMくんが先日天国に召されてしまった。寂しい悲しいというか何も言えない。去年4人で広島でお互いにもう会わないな、葬式には行かないようにしようなと約束しあった。何かが知らせたのかな、Mくんが召されてしまった。いろんなものがめぐりめぐっているな。わが青春のダウンタウンズのリーダーと伊藤素道さんに捧げます

M-2   リトルダーリン  ダイアモンズ
M-3   リトルダーリン  ダウンタウンズ

■23時

<拓郎さんの奥さんのコーナー、倦怠期の夫婦でもないし、新婚でもない、陽だまりの二人と呼びたい、時間をとって対談を聴きたいという投書>
そういうのは絶対やりたくないと言ってます。

👨長い間ドラマご苦労様でした、僕もツアーをやめたけれど、お疲れ様でした。

👩いろいろご協力ありがとうございました。

👨協力しました。ごく最近、お気に入りの男性枠でひとりふたりきえつつあるらしい

👩昨日はそういう感じだっけれど、今日はペンディング。自分がわからない。

👨二人消えつつあるんでしょ?

👩でも会ったことないし、自分がなんだか、固いんだか、柔らかいんだかわからない

👨わかんない

 時代が変化して新しいものが時代をつくりつつある。まさにボブ・ディランの時代は変わるだ。僕らのミュージックもそう。最近の若者の音楽のすべてがいいとは言わない。なかには新聞のキャッチみたいで、オリジナルといえず…NGというものもある。
 しかし、輝きのあるミュージシャンもいる。そういう人には脱帽もする。なるほどこういう表現や言葉もあるのかと思う。こういうのは自分では歌にできなかったというものがある。
 あいみょんの僕がリスナーにおすすめする一曲。あいみょん、もちろんいい曲も  ヒット曲もたくさんある。でも吉田拓郎ファンは知らないんじゃないか、聴いたら飛んじゃうようなのがある。
“愛を伝えたいだとか”という曲。名曲であいみょんファンは知っているだろう。
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 健康的な朝だな
 こんな時に君の“愛してる”が聞きたいや
 揺れるカーテン
 少し浮いた前髪も
 すべて心地いいさ

 それに割れてしまった目玉焼き
 ついてないなあ
 バランスをとっても溢れちゃうや
 少し辛くて 少し酸っぱくて
 甘ったるかったりしてさ

 とりあえず今日は
 バラの花に願い込めてさ
 馬鹿な夢で踊ろう
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「少し浮いた前髪」ここで笑顔になるんだ。  ふと心がとろけてしまう

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愛を伝えたいだとか
臭いことばっか考えて待ってても
だんだんソファに沈んでいくだけ
僕が明日良い男になるわけでもないからさ
焦らずにいるよ
今日は日が落ちる頃に会えるの?
>>>>>>>>>>>
 どうですかこの三行が光輝いている。僕が明日良い男になるわけでもないからさ。「ヤッタネあいみょん」と言いたくなる。「僕が明日良い男になるわけでもないからさ」ココだよ。僕にはこういうフレーズは浮かんでは来ない。近いニュアンスはあったとしてもこうはスパッと言えない。
 女の子から見た男の子の観察眼、感性のすばらしさが伝わってくる。おっしゃるとおりだな。明日急にいい男になんかなれない。僕たち男って生き物それでもチョットいい男になれるんならということを愚かにも考える、馬鹿者なの。微妙だけどわかれよ。 ここをあいみょんが軽く歌っている。言われちゃったよ、見事なピッチング。

>>>>>>>>>
 “完璧な男になんて惹かれない”と
 君が笑ってたから悔しいや
 腐るほどに話したいこと沢山あるのにな
 寂しいさ

 結局のところ君はさ
 どうしたいの?
 まじで僕に愛される気あんの?
 雫が落ちてる
 窓際の際お気に入りの花

 とりあえず今日は

 部屋の明かり早めに消してさ
 どうでもいい夢を見よう
 明日は2人で過ごしたいなんて
 考えていてもドアは開かないし
 だんだんおセンチになるだけだ僕は
 愛が何だとか言うわけでもないけど
 ただ切ないと言えばキリがないくらいなんだ
 もう嫌だ

 ろうそく炊いて
 バカでかいケーキがあっても
 君が食いつくわけでもないだろう
 情けないずるい事ばかりを
 考えてしまう今日は

 バラの花もないよ
 汚れてるシャツに履き慣れたジーパンで
 愛を伝えたいだとか
 臭いことばっか考えて待ってても
 だんだんソファに沈んでいくだけ
 僕が明日良い男になるわけでもないからさ
 焦らずにいるよ
 今日は日が落ちる頃に会えるの?
>>>>>>>>>>

 軽快にまったく軽やかに男の心を覗いている。このあいみょんが既にたくさんの恋の経験しているのか、それとも空想の世界なのか。面白いな。どうしてわかるんだろう。明日おれが良い男になれるわけではない・・・僕だったら「明日はきっと僕は違う僕を見せてあげるよ」とか書くだろう。いかにもアレだよ。ココで時代が違うのよ。俺のはツマンナイんだよ。このキレの良さ。若さと時代を実感させられるね。脱帽する。一度聴いてみてほしい。音楽は好き嫌いだけど中には何これというのがある。そういうものが米津玄師にもあいみょんにもある。

M-4 愛を伝えたいだとか あいみょん

(CM)

 アレンジャーという職業がある。僕の周りでは、瀬尾一三、石川鷹彦、木田高介、  松任谷正隆くらいかな。瀬尾一三を覗いて彼らはみんなミュージシャンで、そしてアレンジもするという感じだ。
 彼らは僕らの音楽の専用のアレンジという感じだったが、徐々に流行歌というジャンルに入ってゆくと、この曲って誰にアレンジを頼むか考えるようになった。例えば瀬尾  とか鷹彦とかで大丈夫かなと思うようになった。
 76年に木之内みどりの曲を作って石川鷹彦にアレンジを頼んだ。とてもかっこよくて洒落ていた。さすが石川鷹彦というアレンジだった。ただ、それは木之内みとりが歌うことが前提となっているかどうかはややハテナなんだ。
 その翌年にキャンディーズの作曲をしたときに僕の周りにいるアレンジャーではなく、君らの知っているそっちのアレンジャーに頼んで任せてみた。馬飼野康二にいつものようにデモテープを渡してその出来上がったオケを聴いて大正解だった。

M-5 やさしい悪魔 キャンディーズ

 馬飼野康二は、デモテープの雰囲気を生かしながら、そこにロック・ブルースのテイストでギターフレーズを入れてまさにキャンディーズというアレンジをしてきた。吉田拓郎が歌うのならこうはならない、でもキャンディーズとしてはぴったりのアレンジだった。ここがアレンジャーのポジションなんだ。

M-6 ルームライト  由紀さおり

 由紀さおりの”ルームライト”を木田高介に頼んだ。彼は、いつも自分のバンドでやっているブラス・ロック、BSPみたいなことが得意で、俺は、この曲はメロディアスな美しいメロディーと思っていたけど自信があったが、ブラスのアレンジにした。当時はそれで画期的でいいけど、僕は後ろはブラスではなくストリングスが鳴ってほしいと思っていた。ヘンリー・マンシーニ、パシーフェイスみたいな流麗なストリングス。だから僕にはチョッとだった。ニューミュージック系の世界は、わりと自分たちの気分だけで言ってみれば世間知らずだったのかもしれない。
 いろんな音楽いろんな歌う人に対応したアレンジが必要なんだということが僕にもわかってきた。アレンジャーの才能に触れるとともにアレンジャーの重要性もわかった。
 馬飼野康二と萩田光雄は好きだった。襟裳岬は馬飼野康二のお兄さんの馬飼野俊一がアレンジしていて最初ぶっ飛びましたが、今はこれ以外のアレンジはない歴史的アレンジだと思っている。
 筒美京平さんが全く新しい歌謡曲、流行歌、ポピュラーを作るのに接したし、詞なんかも岡本おさみのフォーキーな詩から、阿久悠や松本隆の詞にメロディーをつけるようになって違う世界観ができて、アレンジャー作詞家、作曲家と知り合うことで僕の音楽人生は豊かになっていった。お付き合いできたことを誇りに思っている。

 アレンジャーの馬飼野康二は作曲家としても活躍しているけれど、アレンジでは石川ひとみのハート通信、石野真子の私の首領、神田広美のドンファン、キャンディーズのやさしい悪魔、アン・ドゥ・トロワ、由紀さおり 両国橋から僕以外だと近藤真彦ギンギラギンにさりげなく、スニーカーブルース、西城秀樹の傷だらけローラなど多数。荻野目洋子のダンシングヒーロー、たくさんやっている。曲は歌う人によって、特にアイドルと呼ばれる人はうまくない人が多かったけれど、ドレミファソラシドの音階の中でメロディーを作らざるを得なかった場合でも、これが大事なのはアレンジが良いとおいしく聞こえる。だからアレンジャーは大事なの。おいしいアレンジャーは嬉しい。馬飼野康二、萩田光雄は天性のアレンジャーだと思う。日本のポピュラーを育てた二人だ。
 実はとある曲で、馬飼野のアレンジのおかげでいろんなミュージシャンにオケを聴かせたら、みんながこれカッコいいねヒットするよ、売れるよとみんな言ってくれた。青山徹がギターを馬飼野康二の譜面どおりに弾いている。泣かせる。ベースパターンも馬飼野さんのアイデア。歌が入んなきゃヒットしたのに、その人が歌入れを20時間やったけれどダメ。アレンジもギターも泣いているがこのアレンジも青山のギターも大好き。

M-7 風の中  井上順

 続いてアレンジャー萩田光雄。なんといっても梓みちよの”メランコリー”のアレンジがよかった。レコード大賞編曲賞を受賞した。他にも山口百恵の横須賀ストーリー、プレイバックPARTU、太田裕美木綿のハンカチーフ、桑江知子の私のハートはストップモーション、岩崎宏美の二重唱、久保田早紀の異邦人、郷ひろみのHow many いい顔、布施明のシクラメンのかおりもそうだ。中森明菜の少女Aとか彼は日本のポップスを育てて音楽をよく知っている。数少ないプロフェッショナル。筒美京平さんの作品も多数アレンジしてきている。
 僕が最後に頼んだのは、南沙織の黒い瞳だった。太田裕美の曲も何曲か頼んだかな。当時としては画期的だったメランコリーのアレンジだった。

M-8 メランコリー  梓みちよ

 梓みちよだから普通に考えれば、オーケストラアレンジの歌謡曲になるのかと思っていたら、フォーリズムで、僕らがよくやるように、ドラム、ギター、ベース、キーボードの四人くらいの編成で、それだけでほぼできあがっていたし、ストリングスが少人数でシンプルにおいしいところで入ってくる。これこそアレンジの妙、一瞬聴こえるストリングス。  

 1993年だったか南沙織がアルバムを作るということで僕も一曲作った。康珍化の詞だと思う。アルバムの中で埋もれた一曲になっているが、とってもいい曲を作った。南沙織といえばシンシア以来、僕の青春の一ページなので、いい曲を作ろうと吉田拓郎らしくないメロディーを作り、萩田光雄にアレンジを頼み素晴らしくいい出来になった。

M-9 黒い瞳    南沙織

■エンディング

 僕の奥さんの吉田佳代さんのおかあさんは天国に召されてしまったけれど、お子さんと一緒にユニークな人だった。ケセラセラ〜なるようになれというドリスディの歌があったけれどそういう人だった。ある時、母子のマンションに泊めてもらったことがあった。  独身男だったので問題あるかなと思ったが、無事お母さんのお許しが出て泊めていただいた。朝、佳代さんが熱っぽい。僕はお母さんに佳代は風邪っぽいので何か薬はないのかと尋ねたら「薬?正露丸があったと思いますよ」「正露丸」ですか。この家には常備薬はないのか。正露丸だけなんだ。風邪なのに正露丸なのでしょうか(笑)
 僕はこの楽しい母子の暮らしぶりを見て、それまでの僕の生き方の反省点を感じた。こういうシンプルに、ないものはないとシンプルに生きていこうと思った。

次回は2月12日

Dreams come true ドリカムのこの一曲。
最後の曲は、

M-10   I love how you love me パリス・シスターズ

 お相手はここまで吉田拓郎でした。

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆ダウンタウンズのリーダーMさんが天国に召された話に驚く。もちろん拓郎の話してくれる逸話の中だけでしか存じ上げないので、私ごときがどうこう語る立場ではない。ただ例えば.2019年のツアーパンフのエッセイは、初の東京上京で失望した拓郎青年が広島のM君に「広島で4人組でロックバンドを作ろう」と手紙を書くシーンから始まる。いかに吉田拓郎にとって大切な友であったかがいろんなエピソードから波状で伝わってくる。ということは私らにとってもかけがえのない恩人であることは間違いない。心の底からご冥福を祈らせていただきます。

☆「午前0時の街」。風に吹き上げられたの埃の中にあった曲が、棚から降ろされて再びいきいきと命脈を打ち出したみたいで嬉しいね。吉田拓郎がこの曲を温かく迎えてくれるとまた格別の感がある。かまやつさんがモデルだなんて話をどうして聞けようか。町中華に感謝しかない。一回観たといってるけど、拓郎は毎回観ているに5000点。

☆あいみょん。わかる。俺ごときでもわかる。すんばらしい感性だなと思うよ。ただ45年前に、同じように研ぎ澄まされた感性の言葉で飛び込んできたのが、俺にとっての”ペニーレインでバーボン”だったのだよ。それまでの歌の世界では聞いたことのなかった感性のツブテがビシビシ飛んできた、あれが1974年10月に初めてテレビで観た衝撃なのだ。自分で書いて自分で読みかえして泣いた。http://tylife.jp/uramado/pennylane.html 老化がすすんでいるぜ。
 拓郎が今、この作品をどう考えているのか。私にとっては悲しい話をするに違いないと覚悟している。それはそれでいたしかたない。
 ただ言いたい。確かに時代は変わる。でも時代に切り捨てられて変わるものと時代から魂ごと抱きこまれ変わってゆく二つのものがある。俺ごときが偉そうに言えることではないが、間違いなくある。吉田拓郎は後者である。負け惜しみとかいうのではなく、あの日の私たちがキャッチした感性の先にあいみょんの感性がある。時代は変われど命脈はつながってると信じてまいりましょう。ま、僕が明日音楽ツウになるわけでもないからさ焦らずにあいみょんを聴くよ。

☆馬飼野康二と萩田光雄の話、うれしかったな。私らが日々味わってきたシンガーである吉田拓郎の世界とは別にまた提供曲というひとつの宇宙があることが覗けた。違うジャンルのプロフェッショナルたちとともに作り上げられ、磨きあげられたひろがりをもった吉田拓郎の提供曲の世界というものが確実にある。もちろんすべてをより合わせて吉田拓郎の音楽世界があるのだが。

☆「風の中」は大好きな曲だよ。確かにアレンジはすんばらしいと思う。井上順さんの歌唱もさることながら、これは、なんか岡本おさみのちょっとベタな詞と拓郎の凡庸なメロディーのせいではなかったか。いや文句ではなく涙ながらに言っているのだ。

☆メロディアスで美しいストリングスによってリアレンジされたルームライトを聴かせてほしいな。


☆☆☆今日の学び☆☆☆
「天国の狭き門にいたる道は試練と悶絶によって舗装されしかも階段はすべりやすい」

      ・・・ダメだったか。手強いぜ。

2021. 1. 3

☆☆☆何かが変わる タメ息が残る☆☆☆

 時代は変わるといえば、紅白で篠原ともえとフワちゃんが出会うところは結構衝撃的だった。いうまでもなく今や篠原はデザイナーとして名をなしておりシックな大人の女性になっていた。黒い地味な服でおしとやかに頭を下げて…って、どうしたシノハラっ、キミはこのフワちゃんだったじゃないか。まるで篠原の霊体が抜けてフワちゃんに乗り移ったような見事なコントラストだった。今の篠原にあのキャラを求めることは、今の吉田拓郎に人間なんてを歌えというのと同じなのだろうか。そうか時代は変わるのか。


 馬飼野康二の話を思いながら、アン・ドゥ・トロワの公式バージョンとpartUを聴きなおしてみる。PartUというがこちらが最初のテイクで、これが地味すぎるということでアレンジを変えて公式バージョンとなったものだ。個人的には、どうしたってデモに忠実で、ギターを弾いている拓郎の姿が浮かんでくるようなpartU押しだ。しかし今日はどっちが好きかではなく、拓郎のデモに軸足を置くか、キャンディーズの煌めきに軸足を置くかで、匙加減を微妙に変える馬飼野康二のワザを味わう。
 そうそう最後の♪もう戻れない〜のリフレインが公式では2回なのに、デモ忠実のpartUでは3回になっている。3回繰り返すのが拓郎の意思だったと思われる。2回と比べると…くどい。
 昔、ヤンタンのゲストに長渕剛が来た時、"順子"の最後の♪ノックしないで〜のリフレインを2回繰り返すところを、拓郎はココは3回繰り返すべきだったと力説していたこともあった。やはりくどい。
 このくどさが吉田拓郎ではないか。これでもかと繰り返し隙間を埋め尽くしてゆくようなくどさ。そこに愛がこもるのだ…そういう仮説を立ててみる。

2021. 1. 4

☆☆☆胸で不思議な鈴がなる☆☆☆
 元旦のラジオ放送はMさんの訃報とかペニーレインとかあいみょんとかいろいろなことに気を取られていたが、今になってボディブロウのように効いてきているのが、ギターで鈴がなっているところだ。音楽音痴な俺からすれば、拓郎のギターに鈴の音を聴き分けたリスナーは凄いなと思う。ああ、そう思って聴くと確かに鈴が鳴っているよ。そしてその答えを奥深いテクニックとしてきちんと説明する拓郎もまた凄いと思った。”恋の歌”のギターに聴きほれる。いいなぁ。ここ数日そこを繰り返し聴いていた。

 今、Ninijin designの方々と共にハマっているEテレで放送している浦沢直樹の「漫勉neo」。音楽だけでなく漫画も絵も美術全般にも音痴な俺だ。毎回ほぼ知らない漫画家が出てきてその職人作業を見つめるだけだが、それがたまらなく楽しい。小さな町工場がたくさんある町で育ったので子供のころ友達のお父さんが働く工場で部品作りする作業とかを眺めて過ごすことが多かった。それはそれで楽しかった。なぜ楽しいのかよくわかんないがちょっとワクワクするのだ。それこそ胸で不思議な鈴がなるようだ。

 鈴を鳴らすギターのダウンとアップの駆け引きという深い意味合いは、この漫勉や町工場での技術の魅力と同じなのかもしれないと思った。

2021. 1. 5

☆☆☆何が天国だ、どこだい教えてよ☆☆☆
“天国の7曲”。昨年12月に第1陣を送ったのだが、前回の番組では4曲を超えて正解した人はいないということだった。つまり3曲以上は間違ってたということだ。いや全部かもしれないぜオーマイガー!。渾身の選曲だったのに、あれは夢だったのか天国の入り口か。もはやギターや賞品の問題ではない。吉田拓郎が腕組みして、どうだかかって来いとリングの上に立っているのだ。ここで挑まずにいられようか。何度土俵の外に投げられても、何度でもゴールを狙うのだ。なんの競技だ。難局である。ああでもない、こうでもないと頭の中で熾烈なバトルが繰り広げられひとり荒野行動である。ますますわかんねぇよ。

2021. 1. 6

☆☆☆最後の酒に酔う間もなく☆☆☆

 緊急事態宣言を前に、行きつけの居酒屋は年明けから一日も開店せずにしばらく休業に入るとの報。年末に詰めていただいたおせち料理が美味で俺は人生で初めてお節を完食した、そのお礼が言いたかった。何度目かの逆風。その怒り、その悲しみ何処へ向けるだろう。そのたびに心の中で何度でも歌う。
 
  今はこらえよ 愛しい君よ
  ああ人生は 廻り舞台だ
  吹雪のあとに 春の陽射しが
  花に酔ったら その時泣こう
  花に酔ったら その時泣こう

 松本隆の作詞だが、拓郎、この曲も天国の島に持っていったらどうだ。すまん、大きなお世話か。でも俺は絶対持ってゆくよ。拓郎の本人歌唱とムッシュの両方とも大切に持ってゆく。武田鉄矢のは置いていくが。

2021. 1. 7

☆☆☆恩師よ☆☆☆
 なんか急激に寒くなってきた。窓を開け換気するとペギラが来たのかと思う寒さだ。いろんな意味で厳しい冬だ。
 昔、高校の時、古文の師に習った言葉を思い出したがウロ覚えだったのでネットで調べ直した。
 「順境春の如く、逆境冬の如し。春もとより愛すべく、冬また悪しからずや。」
 これだ、これだ。調子のいい時は春のようだが、逆境は冬のようだ。でも、春が愛しいように、冬もまた悪くないじゃないかという趣旨だった。逆境の忌まわしいこの冬に少しほっこりとする。そうなると古文ではなく私の人生の師のこんな唄を思い出した。

  今年の冬は何色だろう
  せめて君だけ赤く染まれ
  都会の冬も結構いいよ
  僕は一人でも寒くはないさ

 スピリットが一緒じゃないか。さすが吉田拓郎の感性だ。やはりすべての道は拓郎に通じるのだ。この歌は80年代だけどこれも天国の島に持っていかなくていいのか?

 あらためて聴きなおす。大久保一久さんに心の底からお詫びするが、春を呼べTを聴いてから春を呼べUを聴くと、拓郎の明るくウキウキしてくるメロディーの素晴らしさ、聴く者の心をチアアップさせるボーカルの魅力がより際立つ。すまん。
 コンサートツアー撤退はわかった。レコーディングもそう簡単じゃないだろう。あれやれこれやれ言うまい。そうだ同じように古文で「遠きに行くには必ず邇(ちか)きよりす」というのも習ったな。遠大なことは望むまい、まずは近くの小さな一歩。歳とともに様相は変われどそのボーカルは今もこの世にある。あなたに逢いたい あなたの声が聴きたい。それだ。

2021. 1. 8

☆☆☆僕らは今も自由のままだ☆☆☆
 いよいよ大変な世の中だ。怒りもフツフツと湧いてくる。アメリカも酷いことになっている。「みんな議会へ行こう」と煽動する大統領。「みんなメインステージへ行こう」と叫んだ中津川の小室等かっ!と思ったがあまりに不謹慎で失礼な譬えだ。小室さんすみません。しかし何だかんだ言っても自由を欲するDNAが根強いかの国はやがてバランスを回復するだろう。でもこっちの国はどうなんだ。わけわかめのお上でも「和」という美徳の名のもとに自由をへーきでお上に差し出してしまいそうな怖さがある。もちろん俺の中にもだ。
 文脈は違うので怒られるかもしれないけれど「吉田拓郎は、あんたたちの思い通りになんかならない、そういう自由人だったじゃないか。…死ぬまで僕流の自由でいく」(ANNG第9回)という言葉をかみしめる。
 そして元旦放送の拓郎の静かな訴え、「自分一人の問題ではない。こんな時に、わがままはよそう。あえて言えば僕らは小さな生き物だけど地球環境とのバランスを大切にしたい。」…こちらの言葉の方が棒読みの言葉よりもはるかに心に響く。
 あんたがたに言われてあんたがた好きな経済を回すためにやるんじゃない、こちらの自由意思で、自由でいるためにやるのである…と小さな声で叫んだよ。

2021. 1. 9

☆☆☆待ちわびた末が部屋の中☆☆☆
 待ち焦がれるものがなくなった新年。こんな歌も思い出す。

  人は誰でも 失った何かが
  何気ない毎日に戻ってこないかと
  扉を開けたまま 夢を待ちわびる
  人生はそこから出るときに動き出す

 身にしみるじゃないか。この歌はビールの泡に浮かびはじけるウタカタの夢になってしまったみたいですっかり忘れていたが。

 そういえば拓郎が85年に世間の表面から消えて久しい88年の2月ころだった。何気なく聴いていた深夜のラジオで吉田拓郎さんの久しぶりの新曲をいちはやくおかけけしますと上柳昌彦アナが紹介して突然この曲が流れたのだったな。それまで新曲は発売日を遠くに見据えて待ちわびるものだと思っていたが、まさに突然降ってきたのであった。

 サッポロ★ドライは二度と飲めないが。この歌はこっちが聴く気になればいつでもそこに静かに生きてある。

 待ちわびることから外に出てみろ。といま御大に言われているような気がするんだな。

2021. 1. 10

☆☆☆そこに於いてあるボーカル☆☆☆
 すなおになれば〜I love you more than I can say〜ということで”星影のバラード”を聴く。この辺りは拓郎のラジオによる教化のおかげだ。
 ♪Oh-woah-yay-yay I love you more than I can say〜これは拓郎が歌ったらカッコいいんじゃないか。
 洋楽といえば昔NHKの愉快にオンステージでTHE ALFEEとの”ホテルカリフォルニア”。拓郎もちょこっとだけ歌うのだが、その歌いっぷりが本気でフル歌唱したらどうなるんだろうと胸かきむしらずにいられない。いや、だからといって求めまい、待ちわびるまい。

 さてTBS報道特集を観ていたらコロナ下で奮闘する台湾のIT担当相のオードリータン氏の単独インタビューで最後に何かメッセージをと言われて「長寿と繁栄を(live long and prosper)」…キャスターら全員いみふでスルーした(T_T)。「OK松任谷」と並んで私の大切な二大挨拶なのだが。
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 なんか山下達郎に似てる気もする。

2021. 1. 11

☆☆☆二十歳の頃ならそいつもいいだろう☆☆☆

 ♪あの二十歳の頃の快い 無邪気な自分はもういない

 …安井かずみさんには申し訳ないが、それは今ある経年した自分から都合よく振り返った二十歳だと思う。少なくとも俺はそうだった。鬱々悶々としてどうしようもなかった。やっぱり”二十才のワルツ”の方に共感するな。

 二十才のワルツは、80年に弾き語り曲として初めて聴いてたちまち恋に落ちた名曲だ。しかし、何回でもいうとおり、81年の体育館ツアーでフルバンド=鈴木茂、島村英二、松任谷正隆、中西康晴らの重厚な演奏に包まれ、特に砲撃のような島村英二のドラムに撃たれながら拓郎が思い切りシャウトして歌ったのが俺にとっての幻のベストだ。ああ、もう一度聴きてぇ。幻で思うのがいいのかもしんないけど。そんときゃ俺は二十歳だったんだよな。今年は、それから40年だ。

 当時は大人から夢多き成人おめでとうなんて言われても一ミリも心に入らなかった。なので今更なんも言えねぇ。そもそも今の俺が若者にエールや説教を垂れるなんてとんでもねぇぜ。せめて少しは若者に恥ずかしいところを減らそうと思うだけだ。

 ただ二十才の頃、大好きだった歌手が、こっちがジジババになるまで歌ってくれることのありがたさ、そして自分も紆余曲折を経ながらも、ずっと好きでいつづけること。これはなかなかいいものです。今好きなものをずっと好きでいると面白いかもよ。

2021. 1. 12

☆☆☆何が天国だ、どこだい教えてよU☆☆☆
 ということで相変わらずわからん。曲のタイトルを駒やカードみたいにあれこれ並べ替えて考えていたが、やっぱり一曲一曲、実際にちゃんと聴きながら考えようと思い、あらためて聴き直している。居酒屋に行かないので時間はある。
 しかしなんだな80年代が1曲もないというのは、まさに多感なわが青春時代の曲たちがすっぽりと抜けてしまうことになる。80年代をまるっと無視してあれこれ聴き直していると何だろう、この気持ちは。肉を食べないベジタリアンになったような気分が少しする。特に2000年あたりはさらにアルコールも飲まない感じ。いみふだな。ただそれは決して作品の良し悪しということではない。悪くない、悪くない、こういう時間も悪くない。

2021. 1. 14

☆☆☆Knockin' on Heaven's Door☆☆☆
 オールナイトニッポンのご本人のメッセージ。「名曲」「涙を流した」…と天国の7曲のヒントなのだろうが、かえって範囲が思い切り広がってしまうじゃないか。そもそもファンとは、どれもが「名曲」、すべてに「泣ける」…そういうイカレタ人たちのことを言うのだ。というわけでイカレている私も一本の道だったはずなのにさっぱりわからなく迷う。しかしイイのだ。この迷路は楽しい。

 さて80年代はスルーし、髪をバッサリと切って始まった90年。これを勝手にデビューと考えてみる。それまでの7〜80年代は、とりあえずアマチュア&インディーズ時代として置いておく(爆)。
 フェイドアウトしそうな等身大の90年代前半から、バハマでの蘇生とLOVELOVEでのブレイクと転生、しかし、よくあるテレビタレントになんかならず、やがて音楽に回帰してビックバンドツアーを実現する。病魔と闘いながらもオトナの祭りとしてつま恋を大成功させる。その後、一旦は苦悩のなかで閉じたコンサートツアーを首都圏、→日帰り→一部お泊りと間口を広げながら取り戻してくれた。
そういう激動の歴史を思いながら90年代の作品たちを聴く。かつての血沸き肉躍るものとは違い、どの歌も清々しい風が吹いていて、澱みも絶望の影もない。これが豊かさというものなのか。いろいろ誤差はあったとしても、あえて言ってしまいたい「90年以降に駄作無し」。…また天国の7曲改訂だ。
 世間は、何かというとあの方を70年代の偉業と栄光で追憶するが、あらためて90年代以降も山あり谷ありハワイありで深くてドラマチックな旅が続いてきた。いいもん見せてもらったよな。世間はそんなこと知らなくとも私たちは知っている。世の中の大勢からはちょっとアブレているのかもしれないが、星の数ほどいる歌手の中からあの人を選んだ私たちは間違いなく超絶センスが良かったのだ。むははは。

 ということで、何の約束もないけれど拓郎の歌声が必ずや待っていることを信じて、不自由で危うい日々、泣きたい気持ちで冬を超えてまいりましょう。

2021. 1. 15

 日課となった「寺内貫太郎一家2」の鑑賞。向田邦子のセリフとそれを体現する樹木希林の絶妙の呼応。脚本の見事さとそれを咀嚼する演技力ということなんだろうけれど、そういうテクニカルな話以前に二つが完全にひとつの魂になっている。例えば、樹木希林のばあちゃんがなぜピアノが欲しいのかと切々と語るシーン。YouTubeで「小作娘の悔し涙」でアップされていたので近しい人たちに送り付けてしまった。すまん。樹木希林はたぶん何かが憑依したように本当に泣きながら話している。もうたまらんのだ。セリフも演者も渾然一体となってひとつに溶けあっている。まるで岡本おさみ×吉田拓郎、松本隆×筒美京平あるいはJaggar-Richardsみたいなものだ。拓郎も以前に語ってたよな、なんであんな歌詞が書けたのかわからない、天から降ってくるとしか言えないんだ…と。本当に天から何か降ってきている一瞬が随所にある。これが純粋経験か。

2021. 1. 16

☆☆☆ファンとしての尽きせぬ冥利☆☆☆
 役柄では、ばあちゃん(樹木希林)→貫太郎(小林亜星)→貫太郎妻(加藤治子)という歳の順なのに、実際の役者は真逆で加藤治子1922年生→小林亜星1932年生→樹木希林1943年生であり樹木希林は当時まだ32歳だったという事実には何度でも驚く。

 昨日のピアノ買ってちょうだいのシーンで、向田邦子さんは、ムダで高価な物を欲しがる事をいさめるときに「物の冥利」と言うセリフを書いた。そういう言い方があるのか。冥利=仏神から与えられる恩恵・幸せ。
 冥利という言葉を初めて知ったのは1979年で高校生の頃だった。篠島のイベントが大成功したとき拓郎は「歌手冥利に尽きる」と語った。「〜冥利に尽きる」という言葉は今でこそよく耳にするけれど、俺はよくわからなくて辞書で調べた。要は仏様や神様からありったけ尽きるほどのたくさんの恩恵をいただいたという意味であるとのことだった。
 拓郎がどうしてその言葉を使ったかは知らない。その当時フォーライフの再建に忙殺され音楽の第一線から離れていた拓郎は既に過去の人になっていた。世はニューミュージックの時代になり、拓郎の篠島なんて失敗するに決まってるというのが冷ややかな下馬評だった。拓郎自身も「歌手生命の賭けだ」とまで言っていた。そのライブの大成功を得たからこそ「歌手冥利に尽きる」という言葉があった…と当時、勝手に納得した覚えがある。
 どうだい受験生諸君、このイカレたサイトも少しは役に立つだろう。こんなコロナ禍の新共通テストは超絶大変なことだろうが身体に気をつけて頑張ってくれ、祈っているぞ。って受験生がこんなところ読んでるわけねぇだろ。

2021. 1. 17

☆☆☆それは天国という名の謎だから☆☆☆
 この7曲に違いないと確信をもって決めるのだが、だいたい夜中に目覚めたり、通勤電車に揺られたりする中で、ふとアレはどうなんだよ?と気になりiPodで確かめると大抵感無量になって「コレだよ、コレが入らないのはおかしいでしょ」とオーダーを組み替える。まったく収拾がつかない。あらためて名曲の多さに「吉田拓郎」というどこまでも広く美しい海を思っていたが、最近こりゃ沼じゃないかと思うようになっている。

2021. 1. 18

☆☆☆思い出はモノクローム、色をつけてくれぇ☆☆☆
 フィル・スペクターがコロナで亡くなったというニュース。こんな俺が知ったかぶりにせよフィル・スペクターなんて言えるのは、拓郎のラジオでナイトでのレッスンのおかげだ。ウォール・オブ・サウンドというものを教わり、大瀧詠一の”君は天然色”と吉田拓郎の”サマーピープル”の遠くて近い関係もわかった。ご冥福をお祈りします。
 受刑中の獄死ということだ、なぜそんなことになったのかというつぶさな経緯がアメリカではアル・パチーノの主演でドラマになっているのだが、相変わらず日本では観られない。アンドレ・ザ・ジャイアントや80年代の吉田拓郎もびっくりするほどのすんごいアフロヘアのパチーノの写真が公開されているだけだ。観たい。

2021. 1. 19

 ベーシスト石山恵三さんの訃報にショックを受ける。猫もさることながら私にとっては吉田拓郎のライブで見た初めてのベーシストだったし、あの名盤「ローリング30」”箱根ロックウェルの奇跡”チームのお一人として仰ぎ見るお方だった。
 後年いろいろなライブでお見かけするようになり、有り難くも気さくに話をしてくださるようになった。いつだって酔ってるのか、怒っているのか、ふざけているのかわからない、でもいつも優しかった。
 悲しい。だからご家族や盟友たるミュージシャンの方々、そして私なんかよりも石山さんの近くにいらしたファンの方々の悲しみもいかばかりか想像もつかない。どうかお力落としになりませんように。遠巻きにいた私にも忘れられない話や貴重な思い出をいただいた。特に最後の目黒での演奏は一生の宝物だ。心の底からありがとうございました。
 「慕情」は私の中ではもう石山さんの歌だ。http://tylife.jp/uramado/bojyou.html 
 今日は「慕情」と「各駅停車」を繰り返して聴く。

 ロックウェルからのラジオ放送で石山さんが陣山さんにフェイクで言い放った「うるせバカ」「なめんじゃねぇよ」は忘れようとて忘れられない。その後の俺の人生で辛いときに心の中で唱える座右の銘だった。
 くそぉ陣山さんも石山さんもいなくなっちまったじゃないか。

2021. 1. 20

☆☆☆君去りし後☆☆☆
 昨日、あれこれ聴いていて石山さんのベースであらためていいなと思ったのは、篠島のラストステージの"イメージの詩"だ(TAKURO TOUR1979所収)。あのドゥドゥドゥ、ドゥドゥドゥとつきあげてくるようなベース。後のカップスターなベース。そのベースに導かれてバンドもそして観客も身体がうねりだす。"イメージの詩"で踊るなんて当時は思ってもみなかったな。

 悲しいけれど石山さんが話してくださった言葉を思い出すとつい笑い出してまうものばかりだ。とあるファンの方の言葉「やさしくてやさしくて しゃいなひと」が胸にしむ。
 拓郎のフォーラムのライブのあとに石山さんが楽屋に拓郎を訪ねた。とても久しぶりで凄い緊張していたら、拓郎さんはすぐに見つけてくれて「おお石山ぁ、元気かあ、どうしてる」と満面の笑みで迎えてハグしてくれた。石山さんが、すかさず再結成した「猫」の当時の最新CDを出して「こういうのやってます、拓郎さん聴いてください」といったら拓郎さんは満面の笑みのまま「いらないから持って帰れ」と言ってさぁ…という話。この話もこの話を独特の怒り節で話す石山さんも好きだった。面白くてなんともほんわかとするのだ。俺ですらそうなのだから、もっと近い人にはきっといろんな素敵な逸話がたくさんあるんだろうな。いつか聴いてみたい。悲しむな笑顔とともに思い出せ。そんな言葉があったな。

 そうそう石山さんはいつも拓郎さんのコンサートグッズやシャツを必ず身に着けているんだよ。最近はt.yのコーデュロイの茶色いキャップ。お揃いで写真撮ってもらったこともあった。

2021. 1. 21

☆☆☆荷物をまとめようとしなくてもその中の一曲だけ☆☆☆
 さすがにあの曲この曲と考えすぎているうちにこっちの頭が爆発して、今俺の頭の中では原田知世の「天国に一番近い島」がずっとエンドレスで流れている。わかんねぇよ、もう。あの島はニューカレドニアだったっけかな。拓郎のいう天国に一番近い島はどこなんだろうな。やっぱりマウイ島か。もしかしてコロナ禍が明けたらラジオとタイアップして”天国の島で天国の7曲を聴くマウイツアー”とかを企画してたりして。…はっ。”アイランド”を忘れてたよ。おー79年だからギリ80年代の前だ。そもそもあの曲、島に持って行かなくてどこに持ってくんだよ。…本当かよ。
 ごめんなさい、ヒドイことしか書いてない。でも好きよ。http://tylife.jp/uramado/airando.html

2021. 1. 22

☆☆☆勝手と言われていいんだ☆☆☆
 “アイランド”を聴き直してみたが、いい曲だな。幻のままでいいとかそんな悪態をつくもんじゃない。おい。確かにビッグイベントのテーマ曲だからというこちらの過剰な思い込みとやっぱり何度読んで気恥ずかしい凡打な詞とが私の目と耳を曇らせていたが、あらためてメロディーがいい、演奏がいい、そして声がいい。陣山さんのシュビドゥバもいとおしい。陽気でウキウキしてくるのびやかなポップじゃないか。孤独な叫びとかハードなメッセージとかはないものの、やわらかい愛がある。孤高の吉田拓郎にしては無防備かつ無警戒に、俺たちに心を開いて両手を広げてくれている愛を感じる。昨日は本気じゃなかったが、天国の島で聴くといいんじゃないか。でもたぶん違うだろうから、俺が持ってゆくか。これが余生の転調というやつかもしれないと考えることしきり。

2021. 1. 23

☆☆☆元気を出してと答えよう☆☆☆
 竹内まりやのコンサートツアーが中止となった。横浜のチケットをゲットして舞い上がっていた家人のショックの深さは闇の奥まで続き、晩の食事も灯の消えたよう。「こんなことは何度もあった」「次があるだけ幸せじゃないか」などという言葉を言ったところで慰めにもなるまい。悲しいだろうみんな同じさ、同じ夜を迎えている。
 “いつかきっとお会いしましょう!”という竹内まりやからのメッセージが出たようだが、本当にこちらもお方も、ツアーでなくてもいい、なんかの形でいつかきっとお会いできますよう。

2021. 1. 24

☆☆☆東京氷河期☆☆☆
寒さが骨まで突き刺す。雪にはならず。♪冬の雨に濡れながら俺はどこへ帰ろうか〜 孤高でカッコいい歌だよな。ギターがたまらん。かすれたボーカルもいい。これか?いや思い切り80年代だし、天国の島にゃあ持って行かんわな。

2021. 1. 25

☆☆☆何歳だってアイドル☆☆☆
 「冬の雨」のカッコよさは、やはり吉田拓郎が沢田研二の向こうを張る元祖ビジュアル系シンガーであることに関係していると思う。このビート、演奏、メロディー、詩の情景そして歌いっぷりがすべて拓郎のスタイリッシュな魅力に糾合されている。都会的に洗練されているとでも言うのか。吉田拓郎だからこそ映えるカッコよさ、南こうせつや小椋佳には歌えまい。いわんや武田鉄矢をや。よしなさい。すまん。しかしビジュアル的にカッコイイ拓郎というのは不可欠の要素である。
 スタイリッシュ系の作品は「冬の雨」の他に「ベイサイドバー」、先日知り合いの拓郎ファンの方から思い出させていただいた「星の鈴」…このあたりを勝手に考えているのだが、他にもあろうか。あ、「この風」もカッコイイな。聴いている自分も洗練されているような妄想で気分がちょいとアガるのよ。
 …んでもって、どれも天国の資格要件をパスしていないのよね。わからん。なんなのだ、おまえはなんの基準でなにを7曲選んだのだ。

2021. 1. 26

☆☆☆永遠のロックウェル☆☆☆
 昨夜、78年8月のセイヤングの箱根ロックウェルスタジオ"ローリング30"レコーディング現場からの中継放送のテープを久々に聴き直した。何十回、何百回聞いても石山さんの「うるせバカ」は笑う。笑顔のなかにも悲しみが。こころはよせては返す波のようだ。よせては返しながら少しずつ近づいてゆく。
 数年前ライブハウスで揃ったロックウェルのチーム。石川鷹彦さんがいないのでほぼロックウェル。是非是非と狂喜しながら撮らせていただいた。ロックウェルよ永遠なれ。
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2021. 1. 27

☆☆☆作り作られたものではないかと☆☆☆
 ロックウェルのレコーディング中継で聴かせてくれたのは「ハートブレイクマンション(“日照り”マチガイ、石川鷹彦さんギターなしバージョン)」、「外は白い雪の夜(そして3番でいなくなった生バージョン)」、「虹の魚」、「旅立てジャック(生)」、「君が欲しいよ」だった。この曲たちだけを聴いた当時はあんまりピンと来ないというか、むしろ大丈夫なのかな?このアルバムと心配になったものだ。
 その後、レコーディングの進捗にあわせて毎週のラジオで経過報告のように出来立ての新曲を少しずつかけてくれた。新曲「ローリング30」に震え、「言葉」、「冷たい雨が降っている」などなどを聴くにつれ最初の不安は薄紙をはぐように消えてゆき、こりゃぁこのアルバムはすげぇんじゃないかと思い始めた。きっと拓郎も作りながら嬉しかったのだろう、曲とともに毎回拓郎のハイテンションが共振するように伝わってきた。そしてついに完成盤を聴いた時の感動といったらなかった。嗤われるだろうが俺も一緒にアルバムを作ってきたみたいな気がしたね。

 当たり前だがアルバムは出来上がったものを聴くのが普通だ。しかし出来上がりつつあるアルバムを聴かせてくれるミュージシャンているのだろうか?これはものすげー貴重な体験だったんじゃないか。アルバムが完成する途中だからこそ味わえる感興、見える景色がある。次第にカタチをなしていってチラチラと垣間見えるアルバムの威容に身もだえする日々。それゆえ完成盤を迎え入れるときの無上の喜び。一緒に山を登って一緒に山頂から景色をみたらまた格別じゃないか。それを味わせてくれた吉田拓郎は凄いなと昔も今も心の底から思う。デモテープの惜しみなき公開もおんなじだよね。

 ライブはなくなってしまったが、またいつかアルバムを作ってくれるのだろうか。アルバム製作中という拓郎からのたよりに身を焦がすことはあるのだろうか。待つ身の幸せがわかるから急ぎすぎなくていい。

2021. 1. 28

☆☆☆いまだ4曲超えるものなし☆☆☆
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父「うーむ、これでもまだダメなのか、アイツはいったい何を選びよったのか…」
娘「…お父さん、お願い、そんなことばかり考えてないで少しは仕事して」

(ナレーション:木下恵介アワーのナレーション矢島正明さんの声で)
…わからない。あれだけ聴いたのに、あれだけ考えたのに、自分は何か大きな考え違いをしているのかもしれない。あらためて吉田拓郎の奥深さにうちひしがれる一徹であった。つづく。

2021. 1. 29

☆☆☆星の降る夜なのに☆☆☆
 天国の7曲。とある方からもっと拓郎さんの人生と活動に身を寄せてみてはどうかという趣旨のアドバイスをいただいた。うん。ありがとうございます。
 Ninjinの雨畑はさすがに身内だけに厳しく、俺のリストは選考の理屈はいろいろあるにしても結局”面白くない”という趣旨のことを宣った。吉田拓郎が面白くないものを選ぶはずがない。例えとして言われたのは2019年ツアーの1曲目に「私の足音」が来た時の衝撃をよもや忘れはすまい…ということだった。そうか、そうだな。あんときゃまさに晴天の霹靂。予想もしないところから突然降って来たみたいだった。後から考えれてみれば、「ラジオでナイト」の中で小さなフラグが立てられて、uramadoでもそれを拾っていたんだけれど、まさか一曲目とは考えもしなかった。そういう俺のような凡俗の理屈を飛び越えたところから隕石のように降ってくるのが吉田拓郎なのだ。だから面白いのだ。
 こうだからこうなるだろうという結果が面白いわけがない。胸まである草分けてぐんぐん進む背中を見失わないように追いかけてまいりましょう。

2021. 1. 30

☆☆☆地球はもうすぐ…☆☆☆

"そんなに人間が好きになったのか"

 〜ある種の嗜好の方々にはたまらないフレーズだ。

"人が好きやけネ 人が好きやけネ"

〜また別のある種の嗜好の方々にはたまらない歌詞である。

"地球の平和は人間の手でつかみとることに価値がある"

 …ということで、いみふかもしれませんがこの地球の危機に頑張ってまいりましょう。

2021. 1. 31

☆☆☆僕等は胸にしみている☆☆☆
 フジテレビ系だと歌番組にはエントリーされていなくとも後ろでギターを弾いている御姿を拝観できるというパターンが多い。あらためて観るとギターを弾いている姿が楽しそうだし幸せそうだ。いいな。時代は変わったそうだから君の後ろに僕はいる。はっ。

2021. 2. 1

☆☆☆Long time no see☆☆☆
 通いなれたる居酒屋ともずいぶん長いことご無沙汰だ。いまごろどうしておいでだろうかと思っていたらマスターのこんな言葉が届いた。"とにもかくにもウイルスに感染しないことが第一。(略)お客様の顔がみられないことも辛い日々ですが、必ず再開の日は来ますし、それまでは腕を磨いておきます。"…因果の流れで当然にこんな唄が俺の頭に流れる。
 ♪いつかまた会える場所がある その日はきっとやって来る
  大きく息を吸って両手で風を抱いて 思いを空に届けよう
 もぉ、イイ歌書くじゃん。はっ。

2021. 2. 2

☆☆☆ファミリー☆☆☆
 「朝鮮総督府官吏 吉田正廣とその時代」の単行本を読み始めた。ネットではなんとなく読みづらかったが、こうして活字と手触りのある単行本になると親切な加筆のおかげもあって読みやすい。まさに誰もが思うように吉田拓郎のファミリーヒストリーであり、「拓務省勤務」なんていうフレーズに思わずニンマリしてしまう。そういう拓郎ファン的な下心はどうしたって否定できないが、それだけでなく激動の昭和の歴史を生きた人物、いや逆だ、生きた人間が作った歴史の記録として、キチンと読みこみたい。
 この私とその一族は、吉田家と比べれば実になんでもない一般P族だが、この吉田家のファミリーヒストリーの舞台とほんの少しだけかすっている。もちろん面識や繋がりはないだろうが。私の祖父や母から何度も伝え聞かされた大陸の話といろんなところが重なる。たぶん同じ景色と同じような空気の中にいたと思われる。
 大陸の話は、いつだって夢のような甘美な思い出とともに植民地支配であることから来る不幸な矛盾、そして敗戦ですべてを失い命からがら焼け野原の日本に戻る絶望がひと連なりのセットになっている。人生の大事な部分を異国に置いてきてしまっている哀しみ、それをあまり大っぴらにできない複雑さがある。それでもやさしい人はやさしく生きてゆく。その尊さが淡々とした詳細な記録を通じて描かれている。余計なお世話だと拓郎に怒られるかもしれないが、この評伝の感想は自分のためにもどっかの片隅にちゃんと記しておこうと思う。
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2021. 2. 3

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☆☆☆勝手に書評を気取る☆☆☆
 吉田氏は全国の農地をそれこそくまなく訪ね歩いて地主と小作人の人たちの生活と意見を調べ尽くす。厳しく対立する地主vs小作人のそれぞれの切実な状況を丁寧に聴きとる。並な作業じゃない。
 そうして得られた資料をもとに自らも「朝鮮農地令」の制定に関わる。一官吏出身者が異例のことだったようだ。普通は法務省のキャリア官僚の仕事だもんね。おかげでそれまで不安定で脆弱だった小作人の保護がそこに結実する。自分の足で歩き、一人一人に聴いて集めた詳細な立法事実をもとに法律を作る。いったい今の日本でこんなにていねいに法案を作成するものがどれだけいるのだろうか。
 そして法令解説書の執筆までおこなう。これも異例のことだ。吉田氏はこう記す。小作人の辛さを譬えた俗語を指して「私は一日も早く小作人の村々からこの言葉が消え失せて、村の農民の先祖達が美しい心で仕立て上げたその田畑を囲んで 地主と小作人とが そこに所謂理想の大家族が、模範部落が、桃源郷が相互の理解と同情と努力で築き上げられんことを只管切望する」
 後にも先にも公の法令解説書にこんな愛に満ちた言葉があっただろうか。わからん。わからんけどたまらん。

 どうしたって全国を自分の足で歌いまわってやがて確固たる音楽を作り上げた彼の人の姿と重なってこないかい。

2021. 2. 4

☆☆☆愛でないものはあるはずがない☆☆☆
 とても難しいのは、同じ時代に同じ場所にいた祖父や母からは美しかった景色や夢のような日々の話とともに同胞の日本人たちの横暴な話や対等とは程遠い関係の話もたくさん聞かされたことだ。当然にその国では辛い地獄のような経験をした方々がたくさんおられる。だからか祖父たちもあの時代の話は外では声高には語らなかった。それでも俺は若気の至りで「そもそも侵略したんじゃないか」と祖父らに悪態をついたこともあった。
 しかし国策は誤っていようと、そこには人が人として息づいている。やさしい人たちは精一杯やさしく生きた。この本はそんなことも教えてくれる。今は亡き祖父たちに読ませて、やわらかな気持ちで腹蔵なく、あの頃のいろいろな話や思いを聞いておきたかったと悔いる。もちろんそういう歌ではないのですまんが、勝手に「清流」が胸にしむ。あらためて思うのは何よりも平和が大切でありました、ということに尽きる。もちろんいぜん難問はそのまま難問としてあるが。

2021. 2. 5

☆☆☆金曜日の朝☆☆☆
 随分昔から店の前を通りながら気になりつつ、とうとう入ることができなかった”café 金曜日の朝”。いつのまにやら閉じたまま。朽ち始めている看板が切ない。
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 朽ちない"金曜日の朝"は音楽の中にしかない。iPodで歩きながら聴き直す。高中のギターに導かれた歌詞、メロディー、ボーカルの三位一体。そこから醸し出されるオトナの世界の情景。これに憧れたものなのだ。いいなぁ。
 この曲を聴くと当時のサントリーのCMソング♪金曜日は花買って パン買って ワインを買ぁぁって帰りますぅ〜をセットで思い出す。この歌ってかまやつさんだと思っていたけれどクニ河内さんだったんだな。
 パリ―に似ているオサレな街に住んで金曜日に花買ってワインを買って、もちろんカーテンはチェックだ、重くない光を通すヤツだ、歌が違うか。ともかくこの情景のすべてが憧れだった。今やガサツな下町に住んで居酒屋にこだわるジジイになってしまった。思えば遠くへ来たもんだ。そのことを今僕は後悔していない。いや、ちょっとはしてるかな。

2021. 2. 6

☆☆☆ないなら土曜日☆☆☆
  「運動靴」なんだよ。旅で見つけた運動靴、履きなれたあの白い靴、カカトつぶした運動靴、夏を歩いたあの白い靴、小雨に濡れた運動靴、赤いドアに脱ぎ捨てた、いつの間にやら消えたまま。「スニーカー」じゃないんだね。当時はスニーカーって言葉がまだ定着していなかったのか?と思ったけれど、確か” 金曜日の朝”発売時のラジオCMで拓郎が「スニーカーが大好きです」とナレーションしていた記憶があるし、そもそもあの安井かずみが知らないはずはない。あえて「白い運動靴」だったのだ。

 それから数年後、財津和夫は「虹とスニーカーの頃」を発表した。♪白いスニーカー汚さないように〜僕らは歩いた、♪あのスニーカーはもう捨てたかい〜という歌が世の中を席捲した。名作でありケチをつけるつもりは毛頭ない。しかし”吉田拓郎以外みんな敵”という陰謀論に生きる俺は、思わず「キビシィーっ!!」と叫ばずにいられなかった。あそこで安井かずみさんが運動靴でなくスニーカーと書いていたら、どうだったんだ、この財津氏の歌はあったんだろうかと思ったりしませんでしたか?…そうですか、思いませんか。サビシィ〜っ!!

2021. 2. 7

☆☆☆君の名を呼ぶオリンピックと☆☆☆
 71年中津川、75年つま恋、79年篠島とイベントは4年周期だったので「次は83年だ!!」ということで拓郎のイベントを「オリンピック」と期待をこめてみんなで呼んでいたことがあった。”みんな”って新譜ジャーナル界隈のことね。
 拓郎サイドも結構その気になっていて、王様達のハイキングのツアーの勢いそのままにイベントに突入するぞ!ってな拓郎の決意表明もあったりした。噂では佐渡ヶ島説が有力だった気がする。しかし結果的に83年は不開催だったのでいつしかその呼び名は消えていった。85年つま恋はもちろん凄いイベントだったが、そこここに別れの悲しみが詰まっていてオリンピックという晴れ舞台とは違った印象が個人的にはしている。それがどうしたというワケではないが、思い出した時に書いとく。

 さてそれよりも本家オリンピックがいろいろ大変だ。この国を見限ってやるのは俺の方だとテレビを観ながら腹を立てたり怒ったり。断固として剔抉すべき問題だと思う。とはいえ戦争と並んで人類が長年克服しえなかった根強い差別であり蔑視だ。弾劾と引責だけじゃ変わらない。
 昔「誰の中にもAKIRAはいる」という素敵なキャッチフレーズがあったが、それを引き合いに出して誠に申し訳ないが、多かれ少なかれ誰の中にもmoriはいる。もちろんあんな発言は許せないと思っている自分の中にもいる。外に向かってだけでなく、僕の内なるmori心は大丈夫なのか、耳をすませラララ目を見張れそうだアトム油断をするな。

 オリンピックといえば俺は「虹とスニーカー」ちゃう「虹と雪のバラード」だ。めっちゃ好きな美しい曲だ。天国の島に持ってゆきたい拓郎以外の作品群のひとつだ。

2021. 2. 9

☆☆☆君が先に背中を☆☆☆
 権益に汲々としたり右顧左眄したりしている長老関係の方々を観ていると、比べるのも失礼だが、吉田拓郎の昨年の決断は見事だったなと俺も思うよ。この人を追いかけてきてよかった、この背中を見失うまい、小さな声で叫んだよ。

 天国の7曲のおかげで、嫌いな曲、ピンと来なかった曲たちをゼロの気分でガッツリ聴いている日々。だからとて正解に近づいている気もしない、むしろサッパリわからなくなっている。前に書いた時は冗談だったが、今は本気で"アイランド"でいいじゃないかとも思っている。一曲、一曲ああ、そうだったのかと自分の浅略をあらためて思うことも多い。Uramadoを書き直さなきゃとも思ったものもあったが、一時の気の迷いかもしれないのでもう少し様子を見る。

2021. 2. 10

☆☆☆時代はなげく☆☆☆
 そうかっ!テレビ版「幕末青春グラフティ坂本龍馬」ついに放映されるのか。時代劇専門チャンネルかぁ、加入に政府の同意が得られるだろうか。えっ?「てなもんや三度笠」も観られるんですか。拓界二大先達から相次いでいただいた情報に心は揺れる。しかも"てなもんや"は折しも財津一郎がレギュラーのシーズンだ。吉田拓郎に財津一郎、これ以上私に何が必要だというのだろう。

2021. 2. 11

☆☆☆龍馬かく語りき☆☆☆
 テレビ版「幕末青春グラフティ坂本龍馬」の放映直後に武田鉄矢のラジオ番組にゲスト出演した時の拓郎はこんなことを言っていた。
 これだけたくさんの有名ミュージシャンたちに出演してもらいながら武田鉄矢の龍馬ひとりだけがひたすら目立ちすぎだ。そのうえまさかラストシーンはおさえるだろうと思っていたら最後まで武田鉄矢のピンのどアップの絶叫で終わった。しかもセリフが「話がある、高杉を呼べぇ!!」って、ふざけんなよ。
 …笑いながらだが、たいそう怒ってらっしゃいました。

 「高杉晋作は吉田拓郎しかいない!」と武田鉄矢が熱望して頼み込んで出演してもらったというわりには、映画版でも武田龍馬は高杉拓郎に結構ひどいことを言い、ひどい扱いをする。拓郎ファンの方は観ていて気になりませんでしたか? 俺はもう観るまいと何度か思ったものだ。 でも映画やドラマの中で動く拓郎には結局勝てないのだ。

(騎兵は長州のものでお前には関係ない)と一喝する高杉拓郎に武田龍馬は
「その騎兵が一人も死なんように思案するのがアンタの役目だろうがっ!」と怒鳴りつける。そして最後にこう凄んで啖呵を切る。
「高杉、おまん哀れな男よのぉ。おのれの手を汚して何かを手に入れたことがあるか。兵が欲しければ長州が用意する、船が欲しければ長州が用意する、女が欲しければ長州が用意する。でもワシはフリーじゃけん、なんでも自分で手にいれにゃならん」

 名セリフに名場面なのかもしれないが、その仇役が吉田拓郎というのが我慢なりませぬ。拓郎こそこのセリフを言うにふさわしいと信ずるものである。
 武田がそのラジオ番組で語ったのは、自分がミュージシャンを志して東京に上京してきたときに自分を龍馬になぞらえると、ユイ音楽工房、フォーライフレコードが長州藩に見えたということだった。もう自分が龍馬になることで頭がいっぱいだったのだろう。しかしもう少し高杉拓郎に配慮したセリフがあってしかるべきであると怒りを禁じえない。もっと愛のある描き方があったろうに。

 そんなふうに武田鉄矢に頭にきたときいつもこれを呪文のように繰り返して自分を落ち着かせるのだ。
 「武田がいなきゃ”唇をかみしめて”はなかった、武田がいなきゃ”RONIN”もなかった」

2021. 2. 13

オールナイトニッポンゴールド第10回 2021年2月12日

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。毎週金曜日は週替わりで今週は吉田拓郎です。2月の第一週ですが今日も自宅から。朝から気分かすぐれなくてやる気がない。明日にしようかと思っていた。カミさんと昔のドラマ「流星の絆」二宮くん、錦戸くんが出ているが観ているうちにハマってしまって兄弟愛に涙した。東野圭吾の原作でクドカンが脚本を書いているのでサスペンスあり笑いありと盛りだくさん。これを観ているうちに 俺もなんかやりたい、じっとしてらんないということで急に収録を始めた。いつも午後1時ころから開始するのに、今日は2時半からだ。

<紀平梨花ちゃん4回転凄かったですね、オリンピックが楽しみですねという投書>
 久しぶりでしたね。紀平梨花さん、お奇麗になって。やっぱりスペシャルな人ですね  ライブで話したけれど、紀平梨花の話で武部が音楽の仕事をしているというのでサイン貰ってきてくれた。どうだった俺のこと知ってたか?と聞いたら「全然知らないって」(笑)  凄い演技でしたね。4回転より片手で逆立ちして一回転するところ、観たことない。
ストレスのたまるこの時期にスポーツにウキウキするドラマ「流星の絆」もそう。でもつまらないテレビも多い。テレビもどこでも同じテーマで同じことやっていて腹も立つ。スポーツもどうなんだろうな。しばらくは無観客でやるしかないと俺は思うけどね。

<あいみょんの”愛を伝えたいだとか”をかけてくださって嬉しかった、昨年のライブでステージができることに感謝していたのが印象的、拓郎さんのライブも2014年2016年、2019 年と埼玉公演に行けたが拓郎さんの最後の深いお辞儀が印象的だったが、今度のあいみょんも深々お辞儀をしていたので拓郎さんの姿と重なったという投書>

 CBSソニーのアルバムのジャケット写真を田村仁が撮っている。最初のアルバム「元気です」の時、写真を並べてジャケットをどれにするかというスタッフミーティングがあった。あの横顔のふてくされた写真を亡くなったディレクターの前田仁がプッシュした。実は僕は、あのふてくされ写真は気に入らない。郷、西城のアイドルっぽい写真を主張した。だってライバルはそういう人たち、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎とかだと思っていたから(笑)。
 あの横顔のふてくされで白黒の写真見ながら。その時、よく見てよ、俺誰かに似てないか?、フランスのアラン・ドロンと似てないか?ははははは。似てないか?と本気で言ったのに、みんな一斉に黙り込む。前田仁が「いくらなんでもアラン・ドロンはないだろ。せめて西郷輝彦なら許せるけどアラン・ドロンは違う。タレ目で暑苦しい。」と言われて自信喪失。どうせタレ目ですよ、ということであのジャケット写真になった。

 昔、長野県の飯田高校の学園祭のときの写真を送ってくれた。1973年(ママ)だからミニバンドなんだよ。じーっと観ていたら誰かに似ているなと思った。確かに似ている  自分としては・・・アラン・ドロンではないことは認める。ただ誰かに似ている。
このころの吉田拓郎はあいみょんに似ていないか。髪ストレートでおかっぱであいみょんさんに似ている。まだ生まれていなかったろうけど。貴重な写真。あいみょん気を悪くしないでね。コロナ収束したらどこかで会いましょう。あいみょんも米津玄師もお酒強いらしいね。困ったな、スイーツ大好きじいさんだからね。ホテルのスイートルームでスイーツ食べながらにしましょう。俺はあいみょんに似ていたということだが、あいみょんファンは似てないよとか言うだろうな。

■今夜も自由気ままにやっていきます吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド

<小田和正さんがメッセージボードに”クリスマスの約束”を中止にしたのは賛成だったと拓郎が言ってくれた、ありがとうございます、また出演してくださいという投書>
 お礼をいわれた(笑)。いろいろリタイアして事務所もクローズしたけれど、クリ約は声かけてくれ、ギャラ高いぞ(笑)。 
 最近小田がメルアドを変えたと連絡があった。あいつのアドレスは@の前に記号が入っていたので送るときいつも注意のサインが出ていた。今回の通知はメルアド変えたのでとしか書いていなかったので誰からのものかも書いていない。古いアドレス登録なので誰からのメールかもわからない。そのあとまた「さっきのメールは僕です、小田です」とメールが来た。大丈夫か。俺たちジジイだな。

<にわかファン、カバーの流星で拓郎さんを知ったという投書>
 流星といえば2019年だな。流星からI’m In Loveに行く感じかなる。あのバンド感は一生に一度かな。♪僕の欲しかったものはなんですかぁというところが歌えるか心配で、そこがガーンといけた瞬間にバンドが解放されて最高潮になる。特にドラムの村石。ハーモニカを投げるシーンがうちの人は好きだという。そこだけ見たいという。妙なところに好き嫌いがある。広島カープの森下の投げ終わったあとの形がグッとくるらしい。ハーモニカをなげるのと同じように好きらしい。
 ともかくあの一体感は涙するな。目と目とをあわせてみんなが笑う。みんな素敵だよ、2019年のライブを観てみなさい。

<沖縄のハレクラニに行ったという投書>

 沖縄のイベンターと話していて、ハレクラニが出来たことを知った。オアフでは俺は カハラかハレクラニだ。今は日本人は皆無だよね。
 テレビで今のワイキキの映像を観たけれど、こんなに海が青かったか、こんなに空はきれいだったかと思う。いつもは人混みなのに。
先週はハワイの月影を流した。なかなか行けないけれど時間かかるだろうけれどせめて音楽で。サーフィンできないし泳げないけど。

M-1 サーフィンUSA ビーチボーイズ

 CM

 ギターの話をする。僕のギターは我流で、基本は広島のR&Bのバンドでリードギターを弾くことが多かった。ボーカルも半分くらいやったけど。バンドのMくんがR&Bが大好きで毎週のように新曲を練習させられてこのギターを弾けと指示された。リフをコピーしてカッティングやセブンスを一日中練習していたな。フォークソングブームで周りはスリーフィンガーと弾いているのとは違った。違ってる毛色だった。だからその弾き方が僕の曲づくりも影響していた。そこんところを勘違いしていた人が今でもいる。YouTubeとかで70年代のコピーしている人を観ながら、またやってらぁ、ほとんどの人が大きな勘違い

それは遺言として聴いてくれ。  

 まず大事なことは僕はR&Bが好きだったからフォークギターのスリーフィンガーが得意じゃない。コードこういうのが得意(実演)。曲づくりの時に伝統的の歌謡曲のコード進行の定番そこへはまり込むのは避けよう、工夫しようと考えていた。R&B ソウルそういう感じだ。このあとドリカムの特集でもやるけれど、ドリカムが愛しているのがファンク、ソウル。吉田美和を日本のアレサ・フランクリンと呼んでいる。僕がアマチュアの頃から大事にしていたものだ。
 YouTubeの間違い。”高円寺”
 こんな弾き語りのフォークシンガーはいなかった(実演)。ほとんどの人が間違っている。セブンスというブルース進行で弾くソウル、ファンク。Ēmで弾くと(実演)
僕がEmでなくE7を使うと半音違う。E7とA7との繰り返し、これこそブルース。半音違うと全然暗いじゃん。EmでなくE7。

 “リンゴ”は途中でマイナーを使うフォークギター好きがいる。 Em G A7 AmじゃなくてA7 B。 

 こういうのはフォークギターで多い、そもそも”旅の宿”がマイナーだしね。僕はメジャーが好き。マイナーを使うと歌謡曲になってありがちになってしまう。途中でメジャーにする、ついセブンスにしてしまうココを気をつけて。

 CM

 今月の一曲、DREAMS COME TRUEです。

 あとで特別のメールを読むので駆け足しで紹介。

<「何度でも」という投書>
<「大阪LOVER」という投書>

<当時はバンドもアイドル路線だったけれど、ドリカム以降バンドの流れが変わった気がする「あの夏の花火」という投書>

<「時間旅行」という投書>
<主人を看取ったあとエナジーが切れて、本を読んだりしていたが、美和さんの「ビューティエンドハーモニー」に力をいただいたという投書>
<「やさしいキスをして」という投書>
<「決戦は金曜日」 妻がファンで人生を語らずのようにまっすぐという投書>
 「決戦は金曜日」は俺も聴いていた
<吉田美和さんは拓郎さんの妹と言われていた、という投書>
 昔弾き語りのライブで、その場しのぎの曲を作って、昔は吉田といえば拓郎さんだけだったのに、最近は栄作に美和・・・という歌を歌った。LOVE2でドリカムがゲストの時、妹なんですよといった記憶がある。
<「晴れたらいいね」という投書>
<「LOVELOVELOVE」という投書>
<7月7日晴れ、映画も彼女と観に行ったという投書>
<ハッピーハッピーバースディはいくハピとともに名曲という投書>
<未来予想図Uという投書>
 未来予想図多いね。
<素敵な声にいやされているという投書>
 俺のことか?吉田美和のことか(笑)。未来予想図Uがものすごいリクエストだ。

M 2 未来予想図U

■愛子さんのコーナー

・佳代さんは料理とか家事全般とかやりたくない
・そう 嫌い
・コロナで一年  外食もテイクアウトせず毎日三食作っている
・ドアの除菌とかもしている そういうの好きじゃないでしょ
・好きじゃない
・コロナ終わったら、あれをするぞというのはある
・ない 別にない
・コロナ収束してもドアの取っ手やリモコンの除菌はつづくかな
・つづくかもね

<ドリカムのマネージャーも兼ねている私はエゴサ−チしていたらDREAMS COME TRUEのこの一曲という特集の募集を発見し、図々しいかもしれないけれど中村は胸いっぱい 彼女も喜んでいましたという投書>
 ということでドリカムの中村くんから手紙いただいた。中村くんにいろいろ質問してみた。  

 ■少し前、芝浦のスタジオで武部聡志を通じてご挨拶して「覚えていますか」といったところ「あたりまえじゃないか」とぎゅっと抱きしめてくださって60過ぎて感情が動かなくなっていたけれどあんな感激したことはありませんでした。
 お手紙でマル秘吉田拓郎物語拝見しました。(こういう男なんだよ、R&Bとかが好きだという手紙を出した) 
 1970年小学校6年の時に聴いたマークU以来熱狂拓郎押しです。俺が世界一の拓郎ファンという私でも驚きの物語でした。また何かが確信にも変わった。”わっちゃいせい”レイチャールズを知って以来R&Bソウル、ファンクの深堀が始まりました。 どんな曲も ワンコードワンリフで押しまくる、発展してゆく手法、歌詞を音と表現するシャウト、R&B 、ソウル  ファンク 聴くほど拓郎さんの提案する音楽は何もかもそれだったのです。なにかも俺こそ最大理解者と勘違いした輩の一人として究極の拓郎ミュージックと大満足した究極のファンクと思ったのが「からっ風のブルース」。■ 
 >長い間リスナー、ミュージシャン からっ風のブルースがいいと言ってくれたのは中村くんがはじめてだ。からっ風のブルースはコード進行とシャウトはR&B、ファンクをパクっている。 リスナーの心に届いていないんだな。もっと早く聴かせてほしかったな。嬉しかったな。あの頃から吉田拓郎は広島時代のR&Bの志向が抑えられなくなって、だからライブ73というアルバムを作った。もう気分は「結婚しようよ」や「旅の宿」ではなかった。

■ 究極のアルバムがライブ73です。拓郎さんのソウルフルなパフォーマンスにからみまくるアレンジ。ファンクテイスト全開のリズム隊とブラスセクション。これらはアレンジャーとしての私のDNAになっている。拓郎さんおっしゃるとおりR&Bのポップソングのお手本となっている。
 言いたいことの10分の1も言えていないけれど僭越ながらご質問にこたえます■

質問1最初に好きになった洋楽
 An Old Fashioned Love Song スリードッグナイト
 >僕はスリードッグナイトあまり好きじゃなかったけど。こういうところから入っているのか。

質問2 最初の楽器

拓郎さんファンなのでアコースティックギターです。最初に弾いたのは「人間なんて」でした
  >それはスリーコード抑えやすい楽勝だね

質問3 なんでベーシストになったのか
市川フォーク村に所属していたが、アコギが上達しないうちに、リーダーから得体のしれない小ぶりの4弦の楽器を渡されてそれ以来ベースに移行した。

>なんだろうね、4弦って、テナーウクレレか、ソドミラでベースも4弦だし。

質問4 好きな女性のタイプ

映画「エリザベスタウン」のキルスティン・ダンスト
>拍手
映画「ノッティングヒルの恋人」のジュリアロバーツ
>小拍手
ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」のエミリア・クラーク
知らない

>気が合うね。キルスティン・ダンストいいな、スチュワーデスの役でオーランド・ブルームと飛行機の中で出会ってという話だよな。僕もよくスチュワーデスに話しかけて仲良くなった。ペニーレインの電話を渡したりすると来てくれるんだよ。僕は映画「スパイダーマン」の方の彼女が好きだった。
 ジュリア・ロバーツは僕が好きなヒューグラントと演じたやつだよね。プリティ・ウーマンの方かな。映画「エリン・ブロコビッチ」のジュリア・ロバーツ」
シングルマザー裁判で逆転する話で印象的だった。
 キルティンダンストは、胸が大きい(笑)。そういう話は吉田美和は嫌いらしい

質問5 中村正人から見た吉田美和はどうか

 小問@ 相性は
 性格的には相性が合わないと思います。印象は都会のチャラい男でもっとも苦手とするタイプだったようです。>それが長くやっているのか(笑) 男はみんなチャラいな。若いころ会ってたら美和ちゃんに殴られていたな。

 小問A 吉田美和さんは家庭的かそうでないか
 家事・炊事・洗濯も上手にできる凄い人です。

>びっくりだね。えーそういうのは苦手だと思っていた。

 お料理も必ず自分で出汁からとる。

>そういうのはウチの奥さんくらいだと思っていた。結婚して出汁を作っていたのに驚いた。そういうのはあきらめていたので驚いたものだ。そういう出汁をる人がウチにいるのでもう世の中にいないと思ってた。今時そういうことは普通はインスタントでテキトーにやりたがるけれど感激だ。

 魚屋の娘なので鮭の三枚おろしなどお手の物です。

>鼻水が出てきた(拭きに行く)、涙が出てきた・どんどんイメージが崩れていくけど
どんどん好きになっていた。みなさん一緒に拍手しましょう。


 小問B スタジオで言い合いになることはないのか
 以前はよく喧嘩したものです。私のエキセントリックな言い方や極悪な態度が原因でした。

>女性のわがままとかが原因かなと思ったんだけど違うんだねー。笑顔で受け止める人だと思っていたけれど。態度は極悪か。

小問C 吉田美和の嫌いな人たち

 拓郎さんがエッチなことをいうのに拓郎さんのことは好きみたいですね。不思議ですね。私がそんなこといったら彼女の眼が死にます。彼女が好き嫌いをいった記憶がありのません。
>僕なんか毎日アイツ蹴り入れるとか南極か北極いっちまえというし、妻も好き嫌いがすっごくある。

小問D ツアー中にミスがあって冷や汗かいたことないか。
 僕なんかしょっちゅうですが、吉田美和はミスはないです。人見知りで緊張屋なので一曲目歌うまでドキドキする。だからテレビはもう出ないと約束させられました。
>美和ちゃんは大きなミスをするタイプではないというのはわかるな。

質問6 今後はどういう方向へ
 リアルなドリカム。こっちの血沸き肉踊るライブを絶やすことはできない。3Dのアバターを使ってDOSCOプライム。バーチャルなあっちのドリコムを作ってみました。

質問7 生まれ変わったら

 なんのとりえもない僕がここまで来られたのだから、神様もういいですと生まれ変わらない。生まれ変われればまたドリカム。今度は西川をうまく導いてやりたい。

 音楽は好き嫌い、それでいいんだという拓郎さんの言葉を大切にします。 
 拓郎さんご自愛のほどを  中村正人


>ありがとうございました


 ドリカムのレギュラー番組があってよく見ていたな。すげー好きな曲。

<うれしはずかし朝帰りをリクエスト、朝帰りという言葉を明るくしてくれたという投書>
 朝帰りって好きだな。昔あこがれの娘とラブホにいったら満室。それで平和公園のベンチでみんな恋人同士がエッチしたりしていた。肩寄せ合っていろいろと過ごして夜が明けた。彼女を送っていったら、彼女の父親から一時間こっぴどく説教それたことがあった。朝帰りを歌にしようとは思わないな。タイトルでやられた。

M-3 うれしはずかし朝帰り

 CM

 2016年で弾いたシンラインをプレゼントする天国の島に持ってゆく7曲というクイズ。
ここまで4曲当選者。
一年の区切り3月に発表したい。応募の締め切り2月19日まで。今日話すことのあらゆる部分にヒントがある。

応募者
@ やせっぽちのブルース
A 人生を語らず
B 流星
C 僕の道
D 慕情
E 朝陽がサン
F 君のスピードで

 いいせんいってるけれど4曲正解。

@ 人生を語らず
A ペニーレインでバーボン
B 明日に向って走れ
C 流星
D 慕情
E 君のスピードで
F 僕達はそうやって生きてきた

 これも4曲正解

@ 君のスピードで
A 流星
B 人生を語らず
C いくつになってもhappybirthday
D もう寝ます
E 吉田町の唄
F 家へ帰ろう

 これも4曲正解


@ やせっぽちのブルース
A 人生を語らず
B 流星
C 海を泳ぐ男
D 君のスピードで
E いくつになってもhappy birthday
F 僕達はそうやって生きてきた

 これも4曲。残りの3曲もうわかってきたでしょ。

 王様達のハイキング、唇をかみしめて、ガンバラナイけどいいでしょう、昨日の雲じゃないは入らないと以前に言った。
 1993年の「アキラ」は大好きだけれどこれは入らない。2009年「早送りのビデオ」これは僕の人生の大好きな曲だけども無念。「僕の道」も最近では一番大好きな曲だけれどこれも考えたけれど入らなかった。「人生を語らず」これも天国に持ってゆきたい曲ではない。来週で締め切りです。正解者なしの場合は、全員から抽選で一名。5曲当たった人からとかそういうのはない。

 60年代・生まれてくるのが遅すぎたという歌。

M 4 Born too late  ポニー・テイルス

■エンディング
 富山によると天国の7曲の応募の8割以上が「人生を語らず」を選んでいた。ここはわからないでもない。納得かな。そうだよね。しかし選ばない。メッセージカラーが強いか愛にあふれたラブカラーか。愛にあふれた方選んだ。最後のヒント。
 3月12日は天国の夢の島の発表その他好きな曲も入れて拓郎特集。

 ドリカム。彼らの音楽にはソウルとR&Bがある。このボーカルにあこがれてバンド時代何度も挑戦してトライしたけれどできなかった。

M5 チェイン・オブ・フールズ   アレサ・フランクリン

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆拓郎さんお風邪ですか。「流星の絆」で復活したとはいえご自愛ください。
☆ドリカムのことはよくわからずあまりご縁のない方々だった。特に中村氏はダチョウ倶楽部のリーダーに似ていることくらいしか知らなかった。すまん。
 しかし中村氏の手紙の特に前文はすんばらしかった。かくも深く吉田拓郎を聴きこみ愛していらしたのだな。100年の知己と理解者を得たような吉田拓郎の晴れ晴れとした喜びがビシビシと伝わってきた。
☆からっ風のブルースは、R&Bだファンクだというより、エロ過ぎて家でかけるのが恥ずかしい曲というのが第一印象だった。あとその後の「伽草子」の静かな美しさを引き立てるための曲だと思っていた。俺は幼すぎたのか。
☆拓郎も言っていたように中村氏はそこまで深く通底しているのであれば、もっと早くその思いと知識を世界に向って投げてほしかったよ。吉田拓郎=ファンクの大漁旗をブンブン振ってくれればよかったのに。
☆私も”俺こそは吉田拓郎の最大の理解者と勘違いしている一人”だが、吉田拓郎がファンに求めていたものがこういうふうに明確にカタチになると感慨深い。拓郎は孤独だったんだなとあらためて思うし、十分にわかってあげられなかったファンとして俺を許してくれという思いもある。
 しかし、たかがファンだ。まだまだ吉田拓郎の海は深く空も高い。高円寺もリンゴもあらためて聴き直してみようという気になるじゃあないの。楽しむ余白がたくさんある。というか余白だらけである。そう思うと元気も出てくる。
☆ドリカムのことはわからないが、それでも生まれ変わった未来の中で西川氏のことを語った時、ちょっと泣きそうになった。そんなふうにメンバーのこと忘れずに思い、そんなふうに口にできることはできそうでできないことだ。中村正人、愛と気骨のある人だなと思った。

☆さて、天国の島の7曲。楽しませてもらったぜ、サンキュー。今日で終了の気分だ。自分も最大4曲のところで堂々巡りをしていたことがわかった。結局超えられなかったな。しかし、負け惜しみではなく、吉田拓郎の作品を再発見する充実した機会だった。メッセージよりも愛。御意。自分の7曲の変遷と苦闘の歴史はどっかで密かに書こう。

☆☆☆星紀行今日の学び☆☆☆

 本日の新しい単語。ファンク。フォーク、ロック、ボサノバ、R&B、レゲエそしてファンクを歌いまくる。

2021. 2. 14

☆☆LOVE COLOR☆☆
 昨夜の地震は驚いた。東京も相当長く揺れた。自分が住んでいる場所中心でしか考えが及ばず申し訳ないが、震源近くは相当の被害と窺っている。御見舞申し上げます。誰もが思い出さずにいられない10年前。丁度、先達のHPで東北のお話を読ませていただいたところじゃないか。
 また先日10年パスポートの更新時期が来たと雨畑が言っていたが、10年前って、ああそうか、そうだったじゃん、だからパスポートを取ったのか。ワイキキの賑わいはホントに遠くになってしまった。
 いろんなことがいろんなものを呼ぶ。忘れ去るには、いまだすべてがアンダーコントロールとは程遠いじゃないかと「へ」のような自分を戒める。
 "メッセージカラーよりラブカラーを"。関係ないか。いやある。それしかない。

2021. 2. 15

☆☆あなたはどうしてそんなに☆☆
 "メッセージカラーよりもラブカラーを選んだ"…こりゃまたグッとくる名言ばい。例によって拙い英訳だけど、なんかイイな。また画伯らにデザイン頼みこんで私製Tシャツ作っちゃおうかな。
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2021. 2. 16

☆☆☆それはファンクと言う名の謎だから☆☆☆
 で前回ラジオで主観的には突如登場した"ファンク"という言葉の意味がよくわからない。もちろん耳にしたことくらいはあるが正体不明だ。ウィキペディアで調べたら、日本のファンク・アーティストの一覧の中に「堂本剛」が列挙されていた。おお剛くん。同じラーメン屋の同じ席を愛用している俺たちだ。少しわかったようなわからぬような。とにもかくにも御拓宣である。意味はわからないが俺も今日からファンキーに生きようと誓った。で、フォークよりもファンク、フォーキーでなくファンキーという私製Tシャツを作ってみようと思うのだが…って勝手に作ってろよ!
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2021. 2. 17

☆☆From TY03☆☆
 先日のラジオで拓郎は「俺も事務所を閉じて…」と口走った。閉じるのかどうかはわからないがHIKEOUTが転出するとのことだ。ただの一般Pだから足繫く通ったりしたわけではないが、それでも中目黒にはHIKEOUTがあるということは俺の心のよりどころの一つみたいなものだった。
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「中目黒駅 TY03」の駅看板を観るだけで俺はいつもfunkyな気分なったぜ。使い方が違うか。それにしたって切ない。行ってしまうのか。

   ♪行こう、行きましょう、駒沢通りから
              あなたはこの街にもういない

 この曲は前奏と間奏のややしつこめのギターだけで十分に泣ける。 これは持って行かなくていいのか?


 (追)資料くれぐれも大切にご保管お願いします。なんならウチがお預かりしまょうか?誰に預けてもお前にだけは預けない…でしょうね。
 とにもかくにもお世話になりました。ありがとうございました。

2021. 2. 18

☆☆☆その名も故郷も静かに生きる☆☆☆
 拓友ねーさんが「朝鮮総督府官吏と吉田正廣の時代」をちょうど読んでおられ、引用文献にもあった御母堂への毒蝮三太夫さんのインタビュー記事を教えていただいた。涙なしでは読めない。少しだけ垣間見えた深くて壮大なファミリーストーリーに圧倒されるが、私ごときが安易に踏み荒らすように書き散らかすまい。インタビュアー毒蝮さんの見事なスパイダーショット(いみふ)はもちろん、尊い文化財を保存してくださったmachikado様ありがとうございます。
 ということであの時代のあの場所にまた思いはトリップする。それでこの「朝鮮総督府官吏と吉田正廣の時代」を同じ引揚経験者の老母に送ったのだが、読んでくれるだろうか。もし話し出したら今度はちゃんと聞こうと思うのだが。

2021. 2. 19

☆☆☆気がついたら春は☆☆☆
 4月からもラジオが続くとの報を知る。よかった、よかった。ここのところ怒涛のエンディングモードだったからな。安堵した。天国の島の応募は今日までだね。明日あたりからの連載企画「ドキュメント天国の7曲〜なぜ私は4曲の壁を超えられなかったのか」(仮題)と題して、海を斜めに泳いでしまって天国の島にたどり着けなかった愛と哀しみの実録をお送りします。>読みたくねぇよっ、そんなもん!!

2021. 2. 20

☆☆☆なにが天国だ、どこだい教えてよ@☆☆☆

 「海を斜めに泳ぐ男は天国の島にたどり着かない」という北欧フィンランドの古い諺がある。たぶんある。なぜ私は4曲の壁を越えられなかったのか。どこでナナメに流されたのか振り返っておきたい。流されながら男が観た景色とは。超絶どうでもいいシリーズ。


■吉田拓郎のヒント@■
・吉田拓郎作詞・作曲
・1980年代はゼロ。(するってぇとI'm In Love、今夜も君をこの胸に、元気です、王様達のハイキング、マラソン、この指とまれ、Life、ファミリー、二十歳のワルツ、大阪行きは何番ホーム、RONIN、みーんな外れるってことかオーマイガーっ)
・王様達のハイキングは惜敗。しかし、こういう感じが好き。
・ガンバラナイけどいいでしょう、唇をかみしめて、昨日の雲じゃないは惜しくも入らない
・50年間の音楽活動の原点が広島でのロックバンド時代にあって、そこを避けて通れない。ロックバンドが心の支えだった。それが心の中で秘かに愛し続けている曲につながっている
・フォーライフ退社以降に作品に自信がある。
・ライブを観ているとわかる
・森下愛子さんが全問正解


<1> 12月18日第1回送付 テーマ「まずはおのれの直感で」
1 僕達はそうやって生きてきた
  ☆R&B・ロックバンドのノリといえばこの曲ではないか ライブでもしつこく演奏している。拓郎はこの曲が大好きなのに、客席のノリがあまりに悪いと苦言を呈されたこともあった。直感でこれと思う。
2 君のスピードで
   ☆これは不滅の名曲であることに異存なし。ことあるごとの勝負曲。「最高のラブソング」とfrom Tのライナーノーツでも本人が自賛。御意。これは持ってゆくだろう。
3 純
   ☆王様達のハイキングと2019年のライブで繋がっていたので王様系。しかも数度のトライのあと2019年のライブで実現した。LIVE2019のライナーノーツでも絶賛。俺も好きだ。
4 やせっぽちのブルース
  ☆R&Bのバンド感が横溢、2016年と2019年と連続している。
5 朝陽がサン
  ☆俺はそうでもないが、御大はきっと大好きだ。
6 ウィンブルドンの夢
  ☆FromTでリミックスしていた。それだけお気に入りということではないか。
7 いくつになってもhappy birthday
  ☆これはあらゆる意味で吉田拓郎の集大成のようなクオリティだ。「まだまだこれからもやるんだぞという元気とここまでよくやってきたという感謝の気持ちが現われている。」「今聴いても気持ちいい」(ラジオでナイト第50回ベストテイク) 名曲ばい。持っていきんさいや。

<2> 12月21日第2回送付「僕の道を忘れてたぜ」
 第一回を送って思った。あ、「午後の天気」からの曲がない。僕の道を忘れていた。俺も大好きな曲だったじゃないか。あらためて聴き直す。いい。なんという名曲。しかもご本人の御拓宣もすばらしい。
「この道が好きだな、愛する我が家に向う道だな。そして、この道に吹いてる風をかんじながら、みんなにもそれぞれの「僕の道」がそれぞれにあるんだろうな。それは、家路だけでなく仕事に向かう道、あるいは人生の道とか、ひとりひとりの道があるんだなと思ってこの歌を作った。最近の好きな曲のベスト3に入ってる。近々この曲をリミックスしようと思っている。演奏も歌もそのままで音のバランスを作り変えたい。なんでそういうことするか想像するとわかるでしょう。」(ラジオでナイト第54回・ベストテイクより)

…ベスト3だってよ。そらぁ持ってゆくよな。

1 いくつになってもHappybirthday
2 朝陽がサン
3 僕達はそうやって生きてきた
4 純
5 僕の道
6 やせっぽちのブルース
7 ウィンブルドンの夢


 なぜ「君のスピードで」と入れ替えたか。ロックバンドを力説していたことが印象に残っており、リズム優先だとこういう静かな曲は入らないのか.なと思ったからだ。また「流星」「人生を語らず」「君のスピード」はポピュラー過ぎて、天邪鬼の吉田さんは意外にエントリーしてこないのではないかという深読みというか浅読みもあった。

■吉田拓郎のヒントA■
・12/25時点で4曲以上当たった人はいない。

 がーん。あらら、つまり俺の<1><2>は三曲以上は外れている。全部かもしれない。年も押し迫って大きな立て直しを迫られるのだった。
                             まだまだ序の口つづく

2021. 2. 21

☆☆☆なにが天国だ、どこだい教えてよA☆☆☆
 何かが足りないオイラ、それがなんだかはわからない。考えるしかない。大晦日、家人が嵐のファンクラブのラストライブ配信に熱狂している間にひとり考えつづけた。

1 ラブソングを忘れまじ
 2016年のNHK「SONGS」で桑子アナに「いくつになってもラブソングを歌い続けたい」「趣味はウチの人」と語った拓郎を思い出す。そうだ。第2案では、ラブソングが足りないんじゃないか。あの「I’m In Love」がエントリーしていないということはそれを凌ぐラブソングがあるということだ。やはり「君のスピードで」は必要だ。
 もう一曲思いつくのは「歩こうね」だ。FromTのライナーノーツは胸にしみるったらありゃしない。短いライナーノーツなのにそれだけで一篇の詩になっている。達意の文章だ。病魔や苦難をともに超えてともに歩く静かな覚悟。ラジオでナイト第99回の告白を思い出させる。かつてラジオでも語っていた。「少ししずつでいいから歩こうねという、そういう人生を続けてゆこうというラブソングだ。いい詞が出来たと思っている」
 詞だけではない。「この曲だけは、自分のストロークのギター(実演)を聴きながら、おまえらこれに合わせて演奏してくれと頼み、ドンカマ排除で演奏した。自分のギターに合わせてみんなが演奏した。そのためテンポが均一ではないが、それが雰囲気といい味を出している。」(ラジオでナイト第38回ベストテイクより)。いいじゃないか。正直、どうもピンとこなかったこの曲をあらためて見直したゆえんである。

2 それは ロックバンドという名の謎だから
 2019年の73yearsのライナーノーツでは3コードのブルース進行で「やせっぽちのブルース」と「僕達はそうやって生きてきた」のどちらか歌うかを悩んだとある。おお、この曲はかぶるのか。これは両曲エントリーはないな、どっちかだな。フォーライフ脱退後の作品に自信があるというヒントから、悩んだ時には新しい方である。
 同じくライナーノーツには、また「人間のい」の選曲にあたって、「アマチュア時代からロックバンドで培ってきた吉田拓郎の集大成」とまた魅惑的なことが明記してある。たしかに2019年はバンドのソロ回しも含めてグイグイとライブを引っ張っていったのは記憶に新しい。関心なかった曲だけどあの時はすんばらしかったな。ラジオでナイトでも「かつてステージで歌ったとき、君たちはハテナという様子だったけど、好きなんだ。」と語っていた。んーこれに違いない。

3  目頭が熱くなる青春
 From T のライナーに「今でも目頭が熱くなる青春の一曲である」とある「シンシア」。いいじゃないか、これじゃないか。私も中学生の時、初め買ったレコードだ。これだったら嬉しいな。かまやつさんや南沙織を思い浮かべる天国の島というのもいいものかもしれない。ぜひ持って行っておくんなまし。

 こういう面倒くさいことを足りない頭でたくさんたくさん考えて決めた。
<3>1月4日第3回送付テーマ「書証からの認定」
1 僕達はそうやって生きてきた
2 君のスピードで
3 純
4 いくつになってもhappy birthday
5 シンシア
6 歩こうね
7 人間の「い」

 
 どうだっ!!・・・しかし、依然として4曲を超えて当選者はいないという拓郎の非情な宣告がくだるのである。
                     そんなことに負けずにさらにつづく

2021. 2. 22

☆☆☆なにが天国だ、どこだい教えてよB☆☆☆

1  ロックバンドという謎だからU
 いただいた年賀状(メール)にマークU’73、こうき心’73があやしいと書いてあった。さすが拓郎狂。年賀状だろうと気は抜かない。俺たちイカレた拓郎ファンに盆も暮れも正月もない。確かにFromTのラストは「マークU’73」だったし、不可欠の必需品のような気がしてくる。とにかく知ったかぶりの理屈や文献で対処できるものではない。音楽は音楽で考え音楽で語らなければならない。
 お正月に近所の広い河原の土手の上を歩きながら、風に吹かれつつiPodでリストを実際に繰り返した聴いてみた。正直言えばこれまでの自分の好みではない曲ばかりだが、何かいい。え、どうしてなんだろう清々しいな。ちょっとウキウキもしてくる。

2  他人の「好き」を考えてみること
 映画「アラバマ物語」でグレゴリーペック演ずる父アティカスが幼い娘に諭す。
 “the best way to understand a person is "to stand in his shoes."
 (一番良いのは、相手の立場に立って考えてみることだ)
 こうやってたとえ的外れだろうと他人の好みを考えていると自分の好みで聴いていた時とは確かに違う景色が見えてくる。

☆「僕達はそうやって生きてきた」はなんでこればっか歌うんだよと不満に思っていた。Uramadoで好々爺のロックとか悪態をついた。ピンとこなかったこの曲をLIVE2016のCD音源で大音量で聴いてみたが、あまりにもガッツリと凄いサウンドに驚いた。タイトで堅牢なサウンドで圧がもの凄い。歩きながら思わず身体が揺れ出すようだった。おかげさまで2016年の「僕生き」は今も聴いている。あの時文句を垂れた俺は損をしていたのかもしれないすら思う。

☆広島のロックバンドというと、その時代から歌っていたレパートリーが一曲浮かぶ。言わずと知れた「好きになったよ女の娘=たどり着いたらいつも雨降り」。アマチュアのロックバンド時代から…てなるとこれじゃんか。カントリーっぽい「元気です」はどうも、「みんな大好き」はちょっとお利口さんすぎる。俺にとってのベストテイクは「つま恋75の瀬尾一三オーケストラのバージョン」だ。これを繰り返し聞いていたら、あらためてすんばらしいな。これじゃないかと確信が湧いてきた。

☆それと同時に聴き直した「僕の道」があまりすんばらしく川原を歩きながら泣けてきた。これを外してよかったのかと心配になる。「シンシア」も名曲だが、7曲中、2曲も70年代の歌がエントリーするってあり得ないのではないか。姑息だろうが「僕の道」を「シンシア」と差し替えたバージョンを投稿した。

<4>1月7日第4回送付テーマ「風に吹かれて考えた」
@僕達はそうやって生きてきた
A君のスピードで
Bたどり着いたらいつも雨降り
Cいくつになってもhappy birthday
D純
E僕の道
F歩こうね


それでも4曲超えはないらしいとの拓郎のアナウンスが入った。
■吉田拓郎のヒント
・僕がロックバンドだったこと、しかも見つけにくい曲だけど。
・あの名曲を忘れている…涙した人も多かったはずだ

 「涙する名曲」。あまりに雑なヒントだ。清流、吉田町の唄、ともだちが浮かんだのだが、信頼する拓友ねーさんからは「AKIRA」ではないかというメールをいただいた。確かに。AKIRAの最後、♪尊敬するAKIRAともお別れだ〜からはもう涙ぐむ名作だ。悩む。
 ふと思うのは、拓郎が最近のラジオでもワルツ=三拍子にこだわっていたではないか。ワルツは一曲入るだろう。自信はないけどここから決めてみよう。となると「吉田町の唄」か「ともだち」だ。あと「シンシア」か。しかし「シンシア」は名曲だし俺は超絶個人的思いがあるが、一般に涙するような曲かどうかは疑問だ。また俺は「吉田町の唄」がものすげー好きだが。2019年のラストライブに選ばれたことで「ともだち」が有力ではないかとふんだ。それに2019年の宇都宮で俺の前の席で「ともだち」で号泣していたおやじが目に浮かんだ。最初笑って見てたのだが、その泣きっぷりに最後は俺も涙ぐんでしまった。なので「涙する名曲」は吉田町でなくこっちでゆこう。

<5>1月12日第5回送付テーマ「泣ける三拍子」
@純
Aともだち  
B君のスピードで
Cたどり着いたらいつも雨降り
Dいくつになってもhappy birthday
E僕の道
F僕達はそうやって生きてきた


 いろいろ考えるが、これは当たらない…という確信めいたものが湧いてきた。思い切った発想の転換をせねばと思い悩むのであった。

                        つづくったらつづくんだよ

2021. 2. 23

☆☆☆なにが天国だ、どこだい教えてよC☆☆☆

1 さらば石山恵三さん
 猫の石山恵三さんが亡くなった。石山さんは「慕情」をカバーされていた。原宿のラドンナで初めて聴いた時「すごいラブソングだな」と石山さんはつぶやいた。拓郎へのファンの愛を束ねて歌ってくれているのだと勝手に思ったものだ。だから「慕情」を入れさせていただいた。「慕情」は石山さんへの提供曲で拓郎が歌うのはセルフカバーだと勝手に思うことにする。

2 LIVE2016の天国
 当時は、さんざん悪口も言ったのに今さらだが2016年のライブにハマってしまった俺は、音源CDを愛聴し、特に「いくつになってもhapppybirthday」〜「海を泳ぐ男」〜「僕達はそうやって生きてきた」〜「流星」とつづくこのheavenな流れにまいっていた。カギはこの2016年のライブにあるのではないか。

3 数値化の試み(笑)
 どの曲も聴くたびにコレに違いないと思ってしまう自分。それが”アイランド”にまで及んだ。わけがわからん。ここらで客観的に数値化してみようようと思った。

 ※選択基準は次のとおり。
 @2012年、2014年、2016年、2019年の中から歌った曲
 A吉田拓郎がiPodに入れている歌(ラジオでナイト第63回)
 BFromTの選曲
 Cラジオてナイトのベストテイクで取り上げられた曲

 @は歌った回数を数字で
 Aは☆で
 Bは☆で
 Cは★で
<星紀行の星取表>
 慕情3☆☆★
 流星3☆★
 アゲイン3☆★
 人生を語らず3★
 僕達はそうやって生きてきた3

 朝陽がサン2☆☆★
 僕の道2☆★
 こうき心2
 やせっぽちのブルース2

 いくつになってもHappybirthday1☆☆★
 歩こうね1☆☆★
 シンシア1☆☆★
 恋の歌1☆☆★
 純 1☆★
 君のスピードで☆★
 ウィンブルドンの夢1☆★
 海を泳ぐ男1☆
 淋しき街1☆
 ガンバラナイけどいいでしょう1☆★
 消えていくもの1☆
 マークU’73 1☆★
 夏休み 1☆★


 ということで、「慕情」は数値的にも高いことがわかった。今までまるっと無視していたが、高数値の「人生を語らず」「アゲイン」をどうするかという新しい問題が生じた。数こそ3だが☆のない「僕達はそうやって生きてきた」と数は1だが☆☆★の「いくハピ」はどっちがどうなんだ。かえって悩ましい。
 そんなこんなでいろいろ考えて次の曲を投稿した。

<6>1月24日第6回送付テーマ「さらば石山さん」
1 僕達はそうやって生きてきた
2 君のスピードで
3 純
4 流星
5 僕の道
6 慕情
7 いくつになってもhappy birthday


 なぁ、これは結構いい線行ってないか。これでも4曲なのだろうか。
 しかしこの星取表と渾身のリクエストを見せたら、Ninjinの雨畑はこう言い放った。
 「面白くない。ただ当てにゆくための理屈があるだけ。魂がない。」 「吉田拓郎が面白くないものを選ぶはずがない。2019年ツアーの1曲目に「私の足音」が来た時の衝撃、ああいうのがない…」ということだった。
 そうか、そうだな。ああ天国の何と高い壁。吉田拓郎という巨人だけが超えられるウォールマリアの壁にしがみつくだけだった。
              ということで星はいつか走れなくなるまで旅をつづける

2021. 2. 24

☆☆☆なにが天国だ、どこだい教えてよD最終回☆☆☆
 それにしてもなんで天国の島なんだろうか。なんか「あの世」みたいなイメージもあって複雑だな。なのでとにかくマウイ島あたりを想像することにする。この世の憂さの果てにマウイ島に行けたらさぞや心地良いだろう。その中に聴く歌たちだ。.心地良さということであれば、日常生活の中では夜寝るときの心情が一番近いのではないか。そうか、それだ!
 ラジオでナイト第61回で明かしてくれた吉田拓郎が寝る前にiPodで聴くというファイル大公開。そこにこそすべての答えがあるのではないか。
 たまたまネットで検索していたら、あの放送を書き起こしていたサイトがあった。助かった。ありがとうt.y lifeさん(爆)。
 そのリストの中から今回の条件である80年代の作品と他人の詞や曲を除くと次のようになった。名付けて
<寝入りばな恍惚のセットリスト」>
 いくつになってもhapptbirthday
 今度はいったい何回目の引っ越しになるんだろう
 シンシア
 慕情
 朝陽がサン
 ロンサムトラベリンマン
 車を降りたときから
 夜が来た
 歩こうね
 春を待つ手紙
 OLDIES
 ウィンブルドンの夢
 私の足音
 恋の歌
 海を泳ぐ男demo
 淋しき街demo
 生きていなけりゃdemo


 これから眠るときの曲なのでロックバンド時代を彷彿とさせるハードな曲がないのではないかという気もするが、…あった。「今度はいったい何回目の引っ越しだろう」。これなんかは見つけにくいし、面白いのではないか。
 それに今さらハマったLIVE2016を聴きながら「海を泳ぐ男」は実に陽気で爽快なロックを感じる。いただいた年賀状にこの曲があやしいと彼も書いてあったのを思い出した。こればい。
 「ウィンブルドンの夢」は、fromTの収録の際にわざわざリミックスしているし、ライナーノーツには、「アマチュアのロックバンド時代に描いた世界制覇の夢」なんて記述があってこれしかないと思って復活させた。
 さて「いくつになってもHappybirthday」と「朝陽がサン」の選択だ。俺はいくハピの方が好きなのだが、1☆☆★と2☆☆★という数値比較と誕生日は年一回だが朝は年365回くるということで「朝陽がサン」を選んでみた。
 「ともだち」を入れようと思ったが、iPodには「ともだち」はエントリーしていないので三拍子次点の「シンシア」にした。
<7>2月10日第7回送付テーマ「友よそのこたえは」
@歩こうね
A朝陽がサン
B慕情
Cシンシア
D今度はいったい何回目の引っ越しなんだろう
E純
F海を泳ぐ男


■吉田拓郎最後のヒントとトライの終了■
 そして2月13日のラジオで、なんつうかそこまで言っちまうのかよという最終ヒントが出た。いちおうそれに基づいて最終メールを送ったがもちろん正解かどうかは不明である。しかしとにかく五里霧中の苦闘という意味での私のトライはその日で終わったなという感じだった。最後のメールに何を送って、どうなったかは、またいずれ。いや、もういいや。結局壁は超えられなかったのである。

☆天国の島始末記☆
 今読んでおられる賢明な方はお気づきだと思う。この世の中には考えれば考えるほど良くなって正解に近づいてゆく人と逆に考えるほどにどんどん悪くなって正解から遠ざかってゆく人がいる。オラァしっかり後者だぜ。まさに天国の島に向って海をナナメに泳いでしまったのでたどり着かなかったのである。

 それでも他人になりきって聴き直すというのは負け惜しみでなく、それなりに新しい発見があるものだし、何よりいいもんだと思った。

 それにわかったのだ。曲の好き嫌いは当然にある。しかし、私の場合、その好き嫌いは常にライブのセットリストとともにあった。この歌を歌ってくれよと身を焦がすのが好きな歌であり、もうその曲は十分だ、いいよ、というのが嫌いな曲だったとわかった。
 しかしライブが自体が無くなってしまうともうそんなこと考えなくていい。すべてはノーサイドだ。曲によって好きかどうかの温度差はあるにしても、吉田拓郎が作詞し作曲し歌う。みんなみんな愛しい吉田の子どもたちである。愛しておやり、愛しておやり、愛しても愛しても愛しすぎることはない。

 学生時代の尊敬する古文の師匠の言葉も浮かぶ。「自分が成長すれば、同じものの見え方が変わる。ものの善悪や好き嫌いを論じるときは成長が止まっている。いろんな経験を積んで自分を成長させてみよ。」
 成長してるかどうかは別だが、まだまだ旅はつづくのだよ。

2021. 2. 25

☆☆☆あなたの一手、私の一手☆☆☆
 天国の島の7曲をひとり考えながら何度か思った。俺の場合は数が少ないが拓バカ仲間たちと居酒屋からカラオケをハシゴして、ああでもない、こうでもないと侃々諤々やりあってみたかった。まぁ無理だったよな。なんつってもコロナ禍だし、いやコロナがなくても、きっともめにもめて血か涙をみるまで終わらないブレーンストーミングになったかもしれない(爆)。それもまた楽しからずや。
 ただ私らはみんな歳をとったし、ライブという行き場もなくなってしまった漂流者たちである。しみじみと互いの選曲について「ああその手があったか」「それは見事な一手でしたな」という将棋とかの感想戦みたいな雰囲気になったらそれもまた素敵じゃないかと妄想するのだ。

2021. 2. 27

☆☆生まれ変わる札幌の地に☆☆
 最近になって1991年の札幌大倉山のライブ映像を観て感激したという雨畑から、なんでこのライブに行かなかったのかと難詰された。さあ、なんでだろうね。当時の俺の極北な状況など理由はいろいろある。でも確かにたくさんの出演者の出る野外フェスではなく、ソロのコンサートまるまる一篇を野外で観られるってそりゃ凄いことだわね。結構客席スカスカだしさ。今だったら幟かついで乗り込んだよね。札幌の笠谷幸生のジャンプを思い出して涙ぐんだな。そうそうライブは初披露の「吉田町の唄」、放映されなかったけれど「裏窓」も歌ったんだよな、そしてドラマチックな「たえなる時に」のエンディング。なんで行かなかったんだよ、俺。
 そうだそうだ。言われて気が付いたが天国の7曲「たえなる時に」が落ちてたよ。正解かどうかかは別にして不覚。名曲多すぎだぜ、吉田さん。
 この札幌ライブは、昔ビデオ発売されると音楽雑誌で告知されていたが、諸事情で発売に至らなかった。なんだよ諸事情って。諸事情といえば東北新社。拓郎は囲碁将棋チャンネルがお好きだと言っていた気がする。私もここには「サンダバード」と「スタートレック」という二大重要コンテンツを人質にとられているので、なんとも悩ましい。「ファンが怒っておいででしたよ」と伝えてくれよ。

2021. 2. 28

☆☆☆トシちゃん感激☆☆☆
 NHK-BSで田原俊彦還暦直前ライブをお相伴視聴した。家人はかつてトシちゃんの追っかけだったから熱かった。確かに凄いな。変わらぬ体型、変わらぬキレのあるダンス、そして変わらない歌唱力。いや、バカにしているのではない。上手にならないが下手にもなっていない歌唱が凄いのだ。また歳をとると誰もが教訓や説教臭くなるところが、昔と変わらず深みのない話を清々しくできるところも凄い。
 家人はこうしてNHKでクオリティの高い特番を作ってもらえ、往年のヒット曲が堂々と歌えるようになったことに涙していた。そうか。そんな極北を超えても彼は明るく爽やかだ。マイケル・ジャクソンに心酔し歌と踊りが好きでたまらないという言葉に偽りの影もないことが伝わってくる。

 しかし家人の個人的意見として、人気絶頂の時代からシングル曲のクオリティが不満だったそうだ。同じたのきんの近藤真彦は、松本隆・筒美京平などの超一流の作家陣と作品があてがわれていたのに、トシちゃんのは変な曲が多かった。筒美先生も少し書いていたがあまり本気を感じない…らしい。「恋はDO!」とかニンジンの着ぐるみで歌う「NINJIN娘」とかひたすら悲しかったそうだ。「だから『フキの唄』とか『朝陽がサン』とかで頭を抱えるのはよくわかる」…って一緒にすんなよ。確かに拓郎のシングルチョイスには多々不満があったが。

 大好きな歌手と一緒に歳をとる、大好きな歌手が歳月を経て元気でいる。そのことの大きさを思わずにいられない。

2021. 3. 1

☆☆☆そして太郎がそこにいた☆☆☆
 1980年に田原俊彦がデビューして初めて「夜のヒットスタジオ」に出演したのは、吉田拓郎が”あの娘といい気分””いつか夜の雨が”を歌ったのと同じ日だった。
 番組の途中で、出演者が固まって待機している場所にゴキブリが出て、出演者たちがざわつくハプニングがあった。拓郎が座ったまま足を上げてよけるポーズが華麗だった。テレビに滅多に出ない拓郎のゴキブリ遭遇時のリアクションなんて貴重すぎる。拓バカにはたまらないサービスショットだ。俺も練習したもんだ(爆)。井上順が「あ、これ番組で飼ってるんです。『太郎』って言うんです。」とフォローしたのだった。井上順、好きだ。
 それから7年後拓郎が”アジアの片隅で”で出演した時、すっかり押しも押されもせぬスターになった田原俊彦が出演していた。そんときゃ司会はもう古館伊知郎だったし、太郎も出なかった。順さんお元気だろうか。太郎は…。ああ、ああ風の中。

2021. 3. 2

☆☆☆funky,not folky☆☆☆
 1980年、夜ヒットの”あの娘といい気分”,”いつか夜の雨が”を観た小田和正は「期待していたものが見られなかった」(NHK-FM「拓郎105分」)と言いやがっ…いえ、おっしゃった。小田和正の期待するものって何だったのか。ずっとわからなかったが、その後の小田和正の発言で、例えば70年代初頭、神奈川県立音楽堂で粗末な照明の中で”今日までそして明日から”を弾き語る吉田拓郎の姿だったことがわかってきた。そんな小田和正に感銘する気持ちの一方でなんと厚いフォークの壁なのかとも思う。フォークとは何か。フォークとは王子様にかけられた呪いみたいなものか。そのまま王様になってしまって困っているのか。わからん。

2021. 3. 3

☆☆☆はじめての夜、永遠の夜☆☆☆
 小田和正といえば拓郎105分でもクリスマスの約束でも語られた神奈川県立音楽堂の楽屋でギターの弦をもらう二人の初対面の何気ないエピソードが好きだ。弦をくれる拓郎もそれを忘れない小田和正も。

2021. 3. 4

☆☆☆HIKEOUTの引っ越し☆☆☆
 どこに移転されたのかはわからないがご移転お疲れ様です。ふと浮かぶ歌は

  終わりの旅にまた始まりにしたくて
  湘南あたりまで 俺は旅に出る

 おお、なんかいい感じだな。ささやかでいい、何かが静かに始まってくれるといいな。

 ラジオで話してくれた湘南から東京に戻る話がまた思い出すと泣けてくる。時にどんなにムカついてもずっとファンでいようと思う。

2021. 3. 5

☆☆☆さてコーヒーの話だが☆☆☆
 仕事でスタバやドトールみたいなところで打ち合わせや面会をする機会が最近多い。コーヒーは普通に好きだが、あの手の店の雰囲気がとても苦手だ。何から何まで落ち着かない。俺にとってはシティポップくらい居心地が悪い。
 やっぱり打合せはルノアールか談話室滝沢だ。手形割引や地上げの話をしているちょっと怖そうな人も多いが、やっぱり喫茶店は落ち着く。ムード歌謡くらい居心地が良い。もちろんバネが軋んでいたりしたらいうことなし。それにしても喫茶店でつつきあっている見出し人間って観たことある?俺はない。どんな感じでつつきあってるのか教えてほしい。
 コーヒーといえば、気がついたらもう春だ。コーヒーのうまい店で待っていてくれないか。と歌われて、えっ、御大はコーヒーを克服したのかと驚いたがそうでもなかったらしい。後に坂崎くんとのラジオで毎週23時の時報とともに不味い不味いと言いながらコーヒーを飲むコーナーがあった。ニンジン嫌いな小さい子がニンジンを克服しようと頑張ってるみたいだった。あれはいったいなんだったんだろう。

 「さて、コーヒーの話だが」…小室さんのエッセイ集のタイトル。拓郎のあとがきが結構名文で好きだったことを思い出す。小室さんの話も今はコーヒーのようにちょっと苦くなってしまったのだろうか。

2021. 3. 6

☆☆☆いくつであってもhappybirthday☆☆☆
 今日気づいたのであるが、あいみょん、重松清、高橋真梨子は、同じ3月6日が誕生日なんだ。うーむ実に感慨深い。このお三方は少し遠近深浅の差はあれど、とあるひとつの大きな星との引力関係をもっておられる。星とか星のめぐりあわせとかはあまり信じてなかったが、そういうものもあるかもしれないと思う。みなさんお誕生日おめでとうございます。いつもありがとうございます。そして今後ともあの御方をよろしくお願いします。
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2021. 3. 8

☆☆☆私と汝☆☆☆
 自分の好き嫌いを横に置いて「吉田拓郎」という絶対的な他人の好き嫌いを考える。わかるはずのないものをとことん聴いてとことん考えてみた…そんな経験は今までついぞなかった。そして締め切りになって終了。もちろん結果はケセラセラだ。
 そこで、今度は自分の好き嫌いに戻って自分のための天国の7曲を選んでみた。自分の大好きな曲の選りすぐりだ。…でも出来上がってみて思うのだ。ダサい。古い。なんか違う。大好きな曲だったのに自分のための7曲の選択・配列が我ながらツマラナク思えて仕方がない。そんなことってあるだろう君たちだって。ないか。ないよな。知らず知らずのうちに、拓郎の「好き」を考えるこの企画によって啓蒙というか洗脳されてしまったようだ。自分という存在の耐えられない軽さを思う。昔、拓郎のラジオで流行した「無節操」というやつかもしれん。これが拓郎の作戦だったら凄いな。
 ということで今日も2016年の"僕達はそうやって生きてきた"を聴きながら四谷あたりを闊歩してきたとこだった。くそー、ドラムすんばらしいな。さんざん好々爺のロックとか言ってごめんな。

2021. 3. 9

☆☆☆人生を語らずリフトオフ!☆☆☆
 なるさんの書き込みから教えていただいた。ありがとう。しかし映画"シン・エヴァンゲリオン"。…うーむ手強い。あわてて解説読んでもわけわかんねーぞ。映画"クレヨンしんちゃん"のようには行かないな。鉄人28号やくろがねの城より強いのか。そこらあたりがおじさんの限界だ。表題は知ったかぶりで書いてみたが正しいファンからは怒られるんだろうな。

2021. 3. 10

☆☆☆STAMP+☆☆☆
 大阪公演のために長らく加入していたサウンドクリエーターだが、そろそろ退会するかな。今日、松山千春コンサートツアー会員先行予約ご案内のメールが来てそう思った(爆)。俺を誰だと思ってるんだっ!!拓郎の関西公演ではさんざんお世話になったサウンドクリエーター。特に上田社長は拓郎のハワイにも参加されてて最高なお方だった。今までありがとうございました。そうか、もうライブはないんだなとあらためて思う。少し泣きたくなる、ちょっと淋しくなる。

2021. 3. 11

☆☆☆ 僕等はどこに居たんだろう あの日は何を見たんだろう☆☆☆
 友人が健康診断に行った町医者の老先生は最近まで福島の病院で働いていたらしい。もともとは福岡で普通の開業医だった先生は、東日本大震災で突然発心して医院を閉じて縁もゆかりもない福島に出立したという。老先生はつぶやいたそうだ。「普段は患者が溢れる病院が3月11日だけはパタリと患者さんが来なくなる。みんな誰かの命日なんだね。」
 ごく普通の日常の中にもいろんな魂が隠れている。あたりまえの日常は奇跡と悲しみのうえに出来上がっているんだよなと最近ことあるごとに確認しあう。だから今はわかるよ。当時は吉田拓郎ともあろうものがそんなチマチマしたことを歌うなと文句を言ったけれど「明るい日常」ってすごいことだよね。 というわけで、はしくれからご冥福お祈りします。

2021. 3. 12

☆☆☆語らずに行く人☆☆☆
 もうテレビ・新聞・ネット、あの日のことを語ってくださるひとつひとつに打ちのめされる。映像も同じだ。こんな傍観者みたいなこと言ってること自体本当にすまないが。

 10年以前に俺が仕事で足を運んだ石巻の会社が最近自社の小さなサイトを作っていた。しかし震災で工場が全壊し何年もかけて再興した話がどこにも書いていなかった。粛々と本業のことだけしか書いていない。別の業界紙でその社長の小さな記事を見つけたら、震災は大変だったけれど被災したのはみんな同じだし、それに再建できた我が社は楽な方だし語るほどものではない、と答えていた。
 2003年に拓郎が大病で手術後のインタビュー(文芸ポスト2003年夏号)で「今回の経験は歌なんかにしてもしょうがない」と語り、闘病記の依頼にも「闘病なんかしてないもん。病と闘うんでしょ、そんなの実際ない」とあっとり答えていたのを思い出した。 
 声を上げて語ってくれる人もいれば、自分のことと黙り込む人もいる。どちらにも魂がある。「形なきものの形を見、声なきものの声を聞け」と西田幾多郎先生は言う。それが「愛」だということだ。

 あまりおおっぴらに言うことではないけれど、あの日、目前に迫ったハワイツアーを速攻で中止した拓郎の英断を俺は密かに誇りに思う。あなたの悲しみよ雲を貫いて銀河の彼方へ突き刺され。

2021. 3. 13

オールナイトニッポンゴールド  第12回 2021.3.12

☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆

 吉田拓郎です。週替わり金曜日、今週は吉田拓郎がお送りします。

<最近は夫と二人で散歩する、もともとは夫は散歩、私はランニングだった、富士山、ベーコンエッグの匂いの話をしながら歩く、以前、達成感は日常の何気ないとこにあると言っていたのを思い出し、リクエストは「歩こうね」という投書>
 こういうなんでもない日常大切だとこの一年で思い知らされた。若いころは何かないかと刺激を求めていた。家にいるのがもったいなかった。
 今は他人からなんと思われようとかまわない。誰にも逢いたくないときは出かけない。家にいて自分の人生のパートナーと話しているのが幸せ。
 僕達は生まれてきたからには、いつかは消えてゆく。それはどうしようもない現実。
この頃は、いつか一緒にこの世から消えていけたらいいねと心から思う。どちらかが一人きりになってしまうというのはいや。二人で一緒に消えてしまいたい。
 もちろんどちらか一方だけ病気ということもありうる、そういうシチュエーションもありうる。そんな時どうしようかと話す。最善の方法、チョイス・選択にするにはどうするか考えておくべきだね。最善の策、その時どうするかを話す。

<高校からファン、「つま恋」で結婚式、式場の人にここでの式の理由を尋ねられて拓郎ファンですと答えたら担当もびっくりしていた、曲も入場は「結婚しようよ」 退場は「ありがとう」、「聖なる場所に祝福を」を考えているが、お薦めはありますかという投書>
 つま恋のスタッフにも知っている人はもういないだろうな。入場は「結婚しようよ」はやめとけ、いいことはない。絶対使うな。入場は「全部抱きしめてtoropical」。富山君のおかげて4月以降もこの番組がつづくことになった。起立礼。
 その富山君の結婚式の入場が「全部抱きしめてtoropical」だった。小栗旬とかも来ていたな。これが絶対いい。
 退場は「ありがとう」はいいと思うね。勧めたい。全部 Kinkikids関係だね。今も吉田拓郎とずっとつながる二人なんだからいい。決めなさい。

<R&B・ソウルを聴くと元気が出る、志村けんさんもお好きだったらしい、オーティスレディング大好きという投書>
 オーティスレディングは好きだ。ドックオブザベイとか。志村さんとは、LOVE2の頃、収録後にスタッフで麻布のオンザなんちゃらによく行った。そこによく志村さんもいた。僕も横に座って一緒に飲んだ。時々・・・いつも・・・だいたい、志村さんはガールフレンド呼び出して三人で飲む。一時間そこそこで僕達失礼しますと消えてゆくのだが「けんちゃん僕も一緒に行くよ」というと一瞬「え」という顔する。でもじゃご一緒にということになる。そこで三人で近場の個室の店で飲んでいると僕だけ一人浮いている。志村さんが「拓郎さん飲みすぎですよ、車呼んであげるよ」と僕を返そうとする。邪魔なんだな(笑)わかってるから帰りたくない。あの人も酒は強かった。懐かしい。今もドリフ大爆笑は全部録画していてよく観る。加藤茶さんとのからみが面白い。

■ということで今夜も自由気ままに天国の7曲の当選者発表と吉田拓郎のエンディング大企画の発表もある吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド。

 考えると昨年の2月10日に佳代と大好きなイタリアンレストランで夕食をとったのを最後に、ずーっと二人で自宅での食事を続けている。佳代はあれ以来毎日食事を作り続けている。週二回の買い出しには悩んでいるようで僕はピリピリとした雰囲気で話しかけられない。異様な緊張感がある。
 しかし、彼女としても生まれて初めての経験。うちの奥さんが料理を作るのが大好きかというとそういう女性ではないと思っている。はっきりいえば、やりたくない派。どっちかという面倒くさがり屋でスボラ(笑)怒られるかな。
 だからこそ、そういう人が多少は愚痴っても一年以上頑張っているのは、もう「ありがとう」を歌ってあげるしかない・・・今、踊ってるけど、ご苦労さんと言いたい気持ちでいっぱい。おかげ様で健康も良好で生活を続けていられる。
 僕が料理はできないしお手伝いもできない、役立たず系の男。だからとにかくやれることだれはやろう。だいたいゴミ関係だ、ははは。毎朝、毎晩のゴミ、あとお風呂の髪の毛清掃、洗濯機の清掃とか。毎日つづけている僕もこういうことが好きなわけじゃない。でもボーッとしていられない。
 おかげさまでコロナが収束してもこの生き方は変えないだろう。手洗い、うがい、マスクが日常的に普通になっているんじゃないか

 先日オリンピックのことで男性の女性への考えの発言が大変な問題となった。僕なんかも昭和の生まれで古い躾が心の奥底にはカゲを落としている。気をつけていないといけない。そうじゃなくてナチュラルに一人の人間として生きていけるようじゃなくてはならない。ダメな男がまだ生き残っている。
 僕は、奥さんありがとうということで彼女と一緒に歩いてゆきたいな。一緒に消える日が理想としている。最初からこんな話と思うかもしれないけれど、この世に生を受けた以上いつか消却される。それを一緒にしたいねとこの一年で特に思うようになった。

 僕の作品では作詞は岡本おさみ、松本隆が多いけどそれ以外にも気に入ってる詞がある。そういう曲をかけていきたい。まずは「全部抱きしめて」を書いた康珍化。

M.1   気持ちだよ  吉田拓郎

 CM

 一年以上自宅で番組録音してきた。最初、録音をニッポン放送のイマジンスタジオで済ませて、社長さんも来てその中にある大好きな店で乾杯してのが最後だった。いたら、富山君から機材をお貸ししますので自宅での録音というのもありですよといわれた。僕は音楽も昔から自宅録音だし やってみた。ずっと一人でやって、一人で笑って、一人で手をたたいてきた。
 愛用のマックブックプロ、録音用のソフトでアマデウス…MP3の編集用のソフト、逗子のスタジオで使っていたシュアのコンデンサーマイク、ベリンガーのインターフェイスとかを使って録音している。
 ラジオというのはどういうポジションなんだろうと考えた。あくまで放送と聞く側の秘密の距離感があって、そこを超えない方がいい。
 聴いている側からは見えないし、心の中は見えないので想像するしかない。リモートで対談というのも考えた、あいみょん、奈緒さんと米津玄師ともやってみたいと思っていたけれどそれならラジオじゃなくてテレビやネットでいいじゃないと思った。
 ラジオには超えないでいい一線があるしそれが魅力。インターネットで人間のコミュニケーションはもうグチャグチャになってしまった。必要以上に相手を知りたくなってしまう、なんでも共有しないと気が済まない。
その点ラジオというのは限界がある。それが ラジオの最大の魅力じゃないか。一方通行で好き勝手に話すこが、そのリアクションがすぐに届かない。なので自由気ままに過ごす。素敵な時間、 最後の嘘も含めた楽しさを演出できる空間だ。人間にとって思考をこらすことができる。
 前回のドリカムの中村君とも面白かった。あれはリモートの対談の話もあったけれど手紙にしてもらった。
 毎日テレビでしたり顔で同じことばかり話すのを観ているのはウンザリだ。今さらラジオというかもしれないけれど、今こそラジオだと思う。ベールに包まれた部分が大事。その時にどんな顔でどんな気分でつてわかんないでしょ。そこが見えないところが面白い。中村君の手紙から、吉田美和の日常とかいろいろ想像したでしょう
これはいいな、ラジオっていいな。

 "Long Time No see "というアルバムでバハマに行くとき阿木燿子が書いてくれた。当時文字どおりご無沙汰していたところに「放っておいてくれてありがとう」というアルバムを作った。まさにLong Time No seeという歌を書いてくれた。

M.2 とんとご無沙汰

 CM

 さぁいよいよ。吉田拓郎が天国の夢の島に持っていくとしたら・・・そんな島はあるのか、その7曲の当選者。2016年のライブで使ったシンラインテレキャスターが当たる。応募総数は2万通を超える。大変なことになっとった(笑)プロデューサーもびっくりという予想外の展開だった。僕は家でゴロゴロしているだけだが、富山君たちは整理集計・大変だった。
 ここで残念だった、あと一曲という残念賞になんかあげたいな、人間の心として(笑)。ということでマンションの一階の倉庫をあけてみたら、最後のギターコレクション、ギターのJ-45があって、アコースティックギターはこの一本でいい。何百本もギターコレクションしたりするのには興味がない。2019年のテレキャスターのスペシャルバージョンが2本。名古屋のDVD観てない人は早く買いなさい。 大事なことになるんだから。今夜も君をこの胸に弾いた白いスラトキャスター。寝室にあるウェクターのエレアコ1本。ということでギターは5本くらいしか持っていない。その6本目を差し上げようということなんだ。非常食の倉庫の横に箱いいもの見つけたギター用のストラップ 、ストリップじゃないよ、肩掛け。これを一本6問正解者にあげる。だから残念賞もある。

<昨夜のヒントでがぜんやる気、味噌汁を出汁からとっている場合ではない(拓郎・笑)消去法を駆使して考えた、つま恋2006 ペニーレインでバーボンがカッコいいドラム、ギター。天国にもってゆく、流星、慕情、君のスピードで、やせっぽちのブルース、家へ帰ろう、いくつになってもHappybirthday、ペニーレインでバーボン、いつか生きているうちにペニーレインでバーボンをドラムでたたけるようになりたい、という投書>
 あなた奥様は出汁をとりながらドラムもやるんですか、僕も広島のバチェラーズでドラムだった、プレスリーのハウンドドック、リトル・リチャードとかリンゴスター気取りだった。惜しかった「家帰ろう」が入らない。涙が出るくらい大好きな曲なんだけれど。

<初めて買った「午後の天気」、高校2年初めてのライブが2016年、WooBabyのギターが最高でした、最前列で観た という22歳の方の投書>
 おい、なんていいヤツなんだ。えこひいき(笑)。お前の選曲は間違っているけど、6曲だけど、君はイイなから思う。吉田拓郎は、リハーサルが多いのが有名。一瞬の喜びを表現したい、お客さんにもそれが通じないかと一生懸命何度も繰り返している。もちろん予定調和も悪くない。落陽もいい。それだけけでなく、曲のアレンジ、そこ僕がどう絡んでいるか、いざステージではさりげなく、風のようにそうっと弾いているけど分かってもらえない。おまえにストラップをやる。すげーえこひいき。あのライブは、WooBabyでイントロを一人で弾いて、演奏がついてくるというアレンジ。ひとりになる俺に照明をあてて、みんな来たら歌い出す。(実演)。ここが唯一の見せ場なんだよ。しかも好きな曲が「君のスピードで」っていいな。嬉しくて仕方ない。

■23時

夫) 僕達30年以上暮らしているけれど、君は朝はイヤ、朝なんか来なきゃいいのに  起きたくないというのはいつ頃から

妻) 三歳かな、 60年くらいずっと朝起きたくない

 いよいよ当選発表。正解は400人以上が正解。多いか少ないか、よく当てたな。有楽町の富山さんに回して抽選会。

■富山さんが正解者を抽選
     文京区〇〇さん  44歳

(当選者の方のメール)
 神田に行きました、愛のカラーを選びました。
・やせっぽちのブルース
 ディランや当時聴いていた歌手への愛と思いました
・吉田町の唄
 これは家族の愛と思いました
・君のスピードで
 奥様への愛を感じます
・流星
 同年代への愛だと思います
・ペニーレインでバーボン
 今度ペニーレインでバーボンについて話すということでそう思いました。
・慕情
・いくつになってもHappybirthday

 はい正解です。

・まず「ペニーレインでバーボン」
 若く血気盛んだった吉田拓郎が当時テレビで国会中継に腹を立てていた、公約も守らず誰のためにおまえはそこにいるんだ。夜にペニーレインでマネージャーの渋谷とベロベロになるで語り合っていた。渋谷君とはよく語り合った。実直な人物で意見があった。その一週間後にできた。この曲は、とても数奇な運命にあるけど、この曲は吉田拓郎の会心の一作であることに間違いがない。自信がある。

・次にやせっぽちのブルース
 R&Bのブルースコード、A→D→E。野良犬のブルース、また会おう、狼のブルース、おまえが欲しいだけ、ロックンロールのスリーコード、最近は、僕達はそうやって生きてきたもそう。エレキを持つと手がつい弾いてしまう。E、A7、B7 三つだけで歌をつくる。これが日本ではあまりに受け入れられない。

・流星
 これはいうまでもない
・君のスピードで
 これもいうまでもない
・いくつになってもHappybirthday
 軽快なエイトビート。シンプルないい歌詞。生きてゆく応援ソングだ。
・慕情
 これも説明不要。新選組沖田総司という美青年。

・吉田町の唄
 眠る時に聴きたい。出来上がった時僕は泣きました。いろんなことを考えて。吉田家はそれほどにはすばらしい家族関係ではなかった。父は、思うところがあったんでしょう。広島でみんなで住むときに、父は思うことあって、鹿児島に残ることになって、僕が広島で暮らそうと何度もアプローチしたけれど最後まで鹿児島を離れようとしなかった。
兄は東京の立教にいた。風のような風来坊で家に帰ったり、家を省みたりする人ではなかった。父親に何度も絶縁されていた。姉は真面目で運命のように学校の先生に嫁いだ。  
僕は母の半生、広島で兄姉僕を育ててくれた吉田朝子の苦労だけが心に強く刻まれていて、広島で過ごした最後の二年間が特に印象に強い
 広島を離れる時、姉は嫁いでしまったから僕しかいない。母親と話した。どうするんだ、東京に行ったら一人になってしまうというと、拓ちゃんいきなさい、思う存分やってみんさい。でも、もし音楽がわかってもらえなかったら絶対にグズグズいわずに帰りなさい、ありかなしかの判断しかない。中途半端にグズグズ悩むのはあんたの性格にはあわない。すぐ決断しなさい。
 東京に来て数か月経って無理かなと思っておふくろに今年中に決着つけると手紙を書いたこともあった。広島に帰っておふくろと二人で暮らそう。おふくろを看取ろう  お茶の教室を継ごうと考えもした。
 僕にとって吉田家とは吉田朝子の人生。実はおばあちゃんもいたけれどこれはまた問題ある人だった。問題のある家族を振り返りながら作った吉田町の唄は美化している演出している。精一杯作った吉田家はこうでありたかったという願い。

 べストチョイスは吉田町の唄。2009年の最後の全国ツアーのライブ。無念の中牛になった。初めて途中のMCノーカットのアルバム「18時開演」

 M.3  吉田町の唄(MCから)

CM

 ちなみに僕の奥さんはどんな曲が好きか。縛りのない三曲を尋ねた。

・WooBaby
・君のスピードで
・I’m In Love

わかりやすい、正直な人(笑)
 他にもあるよ。
・シンシア
 意外だ。名曲だけど。
・僕の道
・やせっぽちのブルース
 ダンサブルな16ビートが好きなようだ

・今夜も君をこの胸に
 これはタイトルが違うと。今夜も君のこの胸にじゃないのと言われた。

・いくつになってもHappybirthday
 これが受け入れられないようじゃ日本の音楽はダメよ。
そしてユニークなのは
・風邪
そういえばマークUがなかったな。意外だな。
それにしても「風邪」はなかったな、変わってるね。お義母さんも一筋縄ではいかない人だった。
 今、広島の森下選手好きがどこまでいくか、いろんな人が消えていくなかでいいつまでもつかに関心がある。

 ということで奥様の頑張りに拍手を送りましょう

M.4 Woo Baby

 ツアー人生からリタイアしたあとのひとつの夢。これがかなったらすべてから解放されるラスト・ドリーム。何を最後にやろうとしているのか。ラストアルバムを作る。全部新曲で十数曲。
 ジャケットはつま恋でタムジンファミリー。タムジンはあまり調子が良くないが、息子、娘もカメラマンなのでサポートできるだろう

 今回は、アレンジに凝ってみたい。当然、武部と鳥山、ここ20年間僕を支え続けてくれた彼らなので中心に。僕もデモテープでアレンジでかかわる。

 あと他人に曲を作ってそれをアレンジしてくれた人、すばらしいアーティストだと思っている。
 まず馬飼野康二さん、キャンディーズのやさしい悪魔とん石野真子の私の首領とかやってくれた。この人のアレンジで歌う。演奏は2019年のバンドでやりたい。
 次に萩田光雄さん、この人はメランコリーとか太田裕美のアレンジをしてくれた。二人に他人が歌う曲ではなく自分の歌う曲をアレンジしてもらいたい。アレンジの幅が広がりそう。

 いろいろ関係者とリモート・ミーティングをしているところだ。そしてアレンジの延長線上に堂本剛…彼はもともとファンクとかR&Bが好きで、剛とラストアルバムにおまえのレコーディングメンバーを借りられないかと言ったら、そのメンバーでやりましょうと言ってくれた。堂本剛とのコラボ・・・諸問題はあるだろうが、ひいてはKinkikidsとのコラボは友情の証として残したい。武部・鳥山もぶっとんで喜び大賛成。

 そしてレコーディング風景を映像化する。できるなら2,3曲だけでも公開スタジオライブ録音でライブレコーディングもしてみたい。昔、NHK101でトラベリンマンをやったけれど。東京じゃないところがいいんではないか、どこでやるか、みんな名古屋!!おいしいイタリアンがあるからかな。場所はまだ決まっていないが50人、100人の前でレコーディングできないか。
 ミュージシャンもいろんな人を予定している。松任谷正隆、高中正義、島村英二、エルトン永田、鈴木茂、岡沢章、徳武弘文、中西康晴 それぞれフィーチャーしたい。ソロだけでもいい。

 映像も撮るのでドキュメント番組をつくる。最後に映像をもとにした映画を作りたい。飯田プロデューサーと竹林ディレクターから映画化をすすめられている。これが今後の僕の最後の音楽制作の情報です。
 
 ■エンディング
 2019年の名古屋のツアー最後のDVD 、アルバム、映像この三本立てが50年の音楽人生のエンディングになる。

 かあちゃん行ってくるよ のエンディング。2019年のライブを入れないとつながらない。この三本立て、みなさんの手元に置いていただきたい

M.5 I Wanna Dance With Somebody  ホイットニーヒューストン 

☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆

☆お二人一緒に消えたいという話から始まりちょっと驚いたが、確かに不吉な話ともショッキングな話とも違う。拓郎の言うとおり普通に来るべき現実の選択の話なのだな。映画「きみに読む物語」のラストシーンが浮かぶ。それぞれがそれぞれのnotebookのことを考えなきゃならないのか。

☆オンザなんちゃらは何回か通ったが、吉田拓郎に会ったことは一度もないものの志村けんさんには三回くらいお会いした。やはり美しいガールフレンドさんか上島竜兵さんがいつもおられました。もう一年なんだね。まだ亡くなった実感がない。

☆そしてやってきました審判の日。当選者の方、そして400人の正解者、そうストラップを貰った若者の方、おめでとうございます。それから老舗のHPの先輩のあなたもさすがです。おめでとうございます。

☆不肖の私は「ペニーレインでバーボン」で正解を逸してしまった。「僕達はそうやって生きてきた」の方を選んだ。ペニーレインは私が中学1年の時にテレビで観てカミナリの一撃を食らって今に繋がる大事な記念の曲だというのに。痛恨。拓郎はきっとフォーライフ脱退後の「僕生き」を選ぶだろうという計らいがあった。自分の魂の初心を忘れてあざとい忖度をした結果である。・・・焼きが回ったわい。もともと大したもんじゃなかったけれどさ。

☆とはいえ"ペニーレインでバーボン"は吉田拓郎の会心の一作であるという言葉を2021年の今に聴くことができて心強い。そういう曲てあり続けているのだな。嬉しい。

☆そして「吉田町の唄」。「吉田家は吉田朝子の人生」というこの言葉が頭から離れない。そして「あんたは行きんさい」が頭の中でリフレインしている。ここのところの総督府吉田正廣さんがマイブームになっていたが、まったく別の方向からまた違う光があてられる。他人様のご家族のことながらなぜか胸にしみまくる。「吉田町の唄」が最高峰の唄となることに異存などありようがない。俺も天国に持ってゆこう。

☆ もうひとつ。"いくつになってもHappybirthday"〜「これが受け入れられないようじゃ日本の音楽はダメよ。」…ああもう佳代さんハラショ! 凄いぜ。激同。

☆さてラストアルバム。エンディング3本柱。なるほど吉田拓郎はエンディングであってもフェイドアウトしたりはしないと2019年のツアーで豪語していたのを思い出す。
 でも俺はライブはなくなっても新曲やアルバムはゆっくりなペースで、ずーっと末永く終生届くのかと思っていた。すべての最後なのか。
 ニューアルバムの企画には血沸き肉躍る。ジャケット撮影につま恋に拓郎が行くというだけで胸が震える。しかもタムジンファミリーと。馬飼野康二、萩田光雄、ああアルバムのクレジットに「作曲・吉田拓郎 編曲・松任谷正隆」のクレジットがまたみられるかもしれない。いろどるゲストミュージシャンのそうそうたる名前。Kinkikidsありがとう、Youたち頼むぞ。たまらん。あれこれ胸は震えるが、それが本当のラストでもあるという哀しさ。どう気持ちを抱きわせて整理すりゃいいのか戸惑う。
 しかし、どうにもこうにもしようがない。すべてはもう最後を見据えた吉田拓郎が綴る「きみに読む物語」という壮大なnotebookの中にある。こうなったら最後までゆこうじゃないか。呼ばれようと呼ばれまいと名古屋だろうとアラスカだろうとトコトン行こうじゃないか。

☆気持ちだよ、とんとご無沙汰…久々に聴いて、いい歌だな。Remixiかなんかしたか。してねーよ。心にしみたよ。

☆☆☆今日の学び☆☆☆
 吉田拓郎をわかった気になっている時が、実は一番遠くにいる時である(哀)

2021. 3. 14

☆☆☆なにが天国だ、どこだい教えてよ(最終回)☆☆☆

1 今度はいったい何度目の応募なんだろう
 2月12日の放送で最後の特大ヒントがあり、これはもう算数の消去算を使えば明らかじゃないか、正解を言ってるのと同じじゃんということで半ばがっかりしながら本当に最後となる応募を送った。もう今思うと私の思い上がりが恥ずかしいというより情けない。

<7>2月14日最終送付 テーマ「さらば天国の7曲」
 1 僕達はそうやって生きてきた
 2 君のスピードで
 3 朝陽がサン
 4 流星
 5 吉田町の唄
 6 慕情
 7 いくつになってもhappy birthday


2 正解発表!!
 そして3月12日の正解発表に至る。思ったとおり正解者は400名を数えた。しかしその中に私はいなかった。私を待っていたのは衝撃の正解であった。

 1 ペニーレインでバーボン
 2 やせっぽちのブルース
 3 流星
 4 君のスピードで
 5いくつになってもHappybirthday
 6 慕情
 7 吉田町の唄


 検討対象にすらいれなかった「ペニーレインでバーボン」、R&B系だけれど古すぎるということで逡巡のあげく割愛した「やせっぽちのブルース」のエントリーということで完全に憂き目を観たのだった。

3 失敗の本質
(1)いまだ4曲超えるものなし
 今になってよく考えると私の7曲にも欠点があった。もし最後の私のエントリーが正解だとすると、私の1月24日の時点の応募
<6>1月24日第6回送付
 1 僕達はそうやって生きてきた
 2 君のスピードで
 3 純
 4 流星
 5 僕の道
 6 慕情
 7 いくつになってもhappy birthday

 このエントリーは5曲正解していたということになる。しかしこの時点の公式発表では、4曲を超えた正解者はいなかった。とすれば2月12日の最終大ヒントと合わせて考察すれば「僕達はそうやって生きてきた」は違うということがわかったはずである。

(2) ペニーレインは入れない
 そして私の個人的痛恨は「ペニーレインでバーボン」である。これはわからなかった。俺はこの曲に導かれて拓郎ファンになったのだ。1974年のテレビ「歌謡最前線」で松任谷正隆、平野兄弟のバックでペニーレインをたたきつけるように歌う吉田拓郎を観て雷に打たれたのだ。中学の友Tくんがこの時のカセットを録音していて、暮らし〜ペニーレインでバーボン〜襟裳岬と何度も何度も聴かせてもらって、これが吉田拓郎なんだと胸に刻んだ。ああ、その出自曲で躓くなんざぁ、万死に値するぜ。ザマァミロ!!というこの番組の時のムッシュの言葉が俺に投げかけられているかのようだぜ。

(3)ぼくのあたらしい歌
 「やせっぽちのブルース」も候補曲にはあげたが「僕達はそうやって生きてきた」と「朝陽がサン」を選んだ。どちらも苦手曲だったが、CDで聴き直した2016年ライブのこの2曲のグルーヴがすんばらしかったことを再発見した。今も聴いている。特にカースケのドラムが今さらながら超絶うめーな。
 それに「フォーライフ脱退後の作品に自信がある」というヒントもあったし、私的には、この2曲のエントリーは納得の必然だった。2000年にインペリアルからデビューした歌手と措定して、それ以前は長すぎるインディーズとアマチュアバンド時代いう前提で、迷ったらより新しい曲と思っていた。
 もう少しいわせてもらえば拓郎は普段から「君らの好みはフォーライフまでで止まってる」「今の歌を聴いていない」とさんざん苦言カマしているのに、拓郎の7曲には結局フォーライフ脱退後の曲は2曲しか入っていない。ペニーレインを別とすれば私の最終エントリーの方が潔く新しく美しいのではないかという自信がある。ってご本人に文句言ってどうする。ともかく私は外したのである。こんなサイトを偉そうにやっていながらもう総務省から許認可取り消しだな。

4 そして新しい天国へ
 それでも2月13日の天国の7曲で嬉しかったのは次の3つの名言に集約される。この言葉たちが聴けただけでもやはりこの企画は有意義だったと思う。

  この曲は吉田拓郎の会心の一作であることに間違いない(ペニーレインでバーボン)

  吉田家とは吉田朝子の人生である(吉田町の唄)

  これが受け入れられないようじゃ日本の音楽はダメよ (いくつになってもHappybirthday)
           ※最後の言葉は吉田佳代さんであります。
 ずっと愛してきた吉田拓郎の作品たちをいっそう好きになる新しい地平を見せてくれる気がする。大切なのはこれからなんだよ。ということで天国にはたどり着けずに(終)

2021. 3. 15

☆☆☆今は最後の今は最後のひとつまえ☆☆☆
 明石家さんまがゲストの「お喋り道楽」。拓郎は対談の途中で、暑くなって上着を脱ぎ後ろのソファに置くため一瞬席を離れた。その時さんまは拓郎が上着から外したピン・マイクをすかさず拾ってこう注意したのだ。「拓郎さん、テレビ出るなら一瞬でもマイク離したらあきまへんで。今、ソファに行くまでの間に、ごっつ面白いことが浮かんだらどないしますねん」。
 同じことが言いたい。「拓郎さん、”ラストアルバム”と銘打ってアルバム出して、その後で、ごっつええ曲ができてしまったらどないしますねん。」
 もちろんあの豪華なアルバムも映画も是非実現してほしいけど、せめて「ワンラストアルバム」くらいにしておいたらどうですか。いや、フザケてネタで言っているんじゃない、私は今涙ながらに訴えているのです。
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2021. 3. 16

☆☆☆ この日からお前が消える つかのまのたぎる想いも☆☆☆
 私はヘタレで未練がましい人間だから「夢のラストアルバム」と聴いてもどうにも哀しみばかりが湧きあがってきて仕方がない。たとえどんな豪華なアルバムであっても心の底から楽しみだとはいえない。ゲスト陣は超豪華だったけれど重苦しくて鬱屈していた85年つま恋に似ている(一個人の感想だ)。晴天の端にスコールの黒雲がくすぶっているそんな空模様だ(一個人の観測だ)。多くのファンの皆様は、吉田拓郎の身と心を案じそういう哀しみを出さずに抑えておられるのだろうが、私はそんなに人間ができていない。ラストライブまでは我慢するが、いつまでも新曲を待ちながら果てたいのだ。
 ラストライブにラストアルバムそしてラストドキュメンタリー、さらば全てのエヴァ…ちゃう全て吉田拓郎。これに堪えられる根性はない。そうだ映画の監督は庵野秀明にやってもらおう。”人生を語らず”を使わせてあげたんだから監督くらいやってくれるだろう>やらねぇよ。アニメでもいいぞ>よくねぇよ。エヴァンゲリオンのファンが間違って観に来るだろうし興行も安泰ってやつだ。ああダメだ、そんなこと言っててもひとつも気が晴れねぇ。
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2021. 3. 17

☆☆☆ショック拓郎☆☆☆
 最近休みがちな仕事場のスタッフに病気かと思って心配して尋ねたら、実は毎回帝劇に堂本光一のエンドレス・ショックを観に行っていたことがわかった。そういう彼女の顔には「吉田拓郎で休みまくったアンタがワタシに何を言えて?」という不敵な笑いが浮かんでいた。一瞬カッと頭に血が上った俺は思わず大きな声で「会場に拓郎さんの花束があったら是非写真お願いします」と頭を下げていた。ふ、今日はこれくらいにしといてやらぁ。

2021. 3. 18

☆☆☆心の中にまでスパイクでハイ失礼ってね☆☆☆
 拓郎の終活宣言のうえに天国の7曲をハズして気分はありったけブルーだ。心配したNinjin Designから慰めの言葉をいただいた。とはいえ「あれだけ考え、星取表まで作り何回も応募して、あげくは最後の拓郎さんの大ヒントに”拓郎が正解を言ってしまったも同じだ、これじゃクイズにもならん”と怒っていたのに結果は大ハズシ。慰める前に可笑しくて仕方ありません、最高です(爆)」。おい、おい、おい。…昔、明石家さんまが「”心の中に土足で失礼”って歌があるけど、それ以上に心の中をスパイク履いて歩きまわるヤツがいてる」ということを言っていたが、それな。
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2021. 3. 19

☆☆☆真実一路☆☆☆
 映画「シン・エヴァンゲリオン」の挿入歌をチェックしてて水前寺清子の「真実一路のマーチ」にハマる。いいじゃないか。♪この世は長い坂道だけど〜 皆が上で手を振るさ…って、ちげーよ。なんか爽快に元気が出るぜ。

   しみじみ仰ぐ 青い空
   幸福なんて 言うやつは
   空から降っちゃこないのさ こないのさ

 青い空というと先日のラジオでも投稿されていた2006年つま恋の"ペニーレインでバーボン"を思い出す。あの渾身の一曲目よ。まさかという驚きとか衝撃とか感激とか一曲目からピーかよという不安とかを意識する前のあの瞬間の純粋経験の魂の一撃。あの時はつま恋の青い空と空気はまだしっかり覚えている。決して忘れるものか。

   鈴を鳴らそう 愛の鈴を
   元気で歩こう〜
   タンバリン タンバリン タンバリン

 いいなぁ、チータ。なんでタンバリンなんだと思っていたが、今聴くとしみじみと胸で不思議な鈴が鳴るってなもんだ。

2021. 3. 20

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新幹線聖地サイド。通過。吉田拓郎と田村仁親子のジャケ写撮影の成功を祈る。You、どうせならここにキンキも松任谷も高中も島ちゃんもエルトンも皆んな呼んでレコーディングしちゃいなよ。最後なら50人なんて言わず5万人でもウェルカム公録でさ。

2021. 3. 22

☆☆☆Promised Land☆☆☆
 週末に所用で名古屋に出張した。まだ拓郎のレコーディングが始まっている様子はなかった>あったりめぇだろ。しかしつま恋が「聖地」なら、今や名古屋は「約束の地」である。今回、名古屋城の天守閣の金の鯱が地上に降りていて驚いた。
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 表向きの理由や事情はあるのだろうが、これは吉田拓郎を迎える準備に他ならないと私はわかっている。
 名古屋は、1979年のニアサードインパクト、2019年のサードインパクトを経て、今、ガフの扉が開いてしまっている状態に違いない>よしなさいデタラメの知ったかぶりは。真のファンの方すみません。
 ということで、すっかりイタイおじさんだが、夜明けは必ずやってくるさ、新しい自分がそこにあるよ、ああ僕達は結ばれる。

2021. 3. 23

☆☆☆彼らの流儀☆☆☆
 前回の天国の7曲でストラップを貰った22歳の若者の話を思い出す。高校生の時にアルバム「午後の天気」から入ったところがツボだ。普通は入門するならベスト盤とか名盤から入るものだが、そういうコザカシさがない。しかもオールドファンでも持ってないし聴いていない方も多いかもしれない「午後の天気」から悠然と入る。かっけーじゃないかとおじさんは眩しく思う。
 吉田拓郎の世界の深奥はどこからでも開かれているのだなと感じた。それにしても若者はどんなふうにあのアルバムを聴いて、最近のライブを観てどう感じたのだろうか、具体的な話を聴いてみたいと切に思った。

 昨日のNHK「仕事の流儀」の庵野秀明、良かったわ。いろいろ思ったけれど稀代の天才なのにあそこまで掘り下げ、追い詰めながら創作する姿を観ていると、当然かの人に思いはスライドする。いつも勝手な期待と文句と絶賛をこれでもかと投げつけずにいられない俺は申し訳なかったなと一瞬殊勝な気持ちになる。あとエヴァを観ているファンの方々の表情の美しさに涙ぐんだ。終わらせる義務と庵野は言ったが、こっちもそうなのだろうか。

 庵野秀明のこのドキュメントと「午後の天気」から飛び込む22歳の若者のことを思うともうセコイ予習はやめていきなり映画を観に行ってみようと決めた。だからどうしたというとこではあろうが。

2021. 3. 24

☆☆☆エヴァンゲリオンの夢☆☆☆
 シン・エヴァンゲリオン、やるせないくらいの勇気を出して無知なおじさんが独りで観に行った。熱い客席の中で俺の席だけはATフィールドで結界されておらず空気がよどんでいた。場違いですまん。
 しかし人類と世界の殆どが滅亡しても「人生を語らず」は生き残っているんだよ。そしてエンドロールの「人生を語らず」作詞・吉田拓郎 作曲・吉田拓郎のテロップ。おかげで僕は元気です。
 その昔、拓郎と陽水と西岡たかしの三人がロッド・スチュアートの来日公演に行ったとき、陽水は涙ぐみ拓郎も感動していたが、西岡たかしだけが理解できずに観覧中に「拓郎、なんやあれ」とずっと言っていたという逸話を思い出す。映画館で間違いなく俺は西岡たかしで遠い世界に旅に出ていた。それでも俺も人類の端くれだから、素晴らしい映画であることはわかった。浅読みもいいとこだけど名作だと思う。
 昨夜の庵野秀明のドキュメントでも随所で語られたとおり、ファンは文句を言ったり、暑苦しく激賞したり、いつまでも待ってますと言ってみたり、そういうものをすべて終わらせるために作った映画らしい。拓郎のラストライブ、ラストアルバム、ラスト映画のエンディング三本柱もそういうものをしっかり終わらせて自由になるためのサインなのかもしれない。
 そうそう、映画ではもう一曲、拓郎関係の曲が流れたよね。

2021. 3. 25

☆☆☆憂鬱な最後の殺し方☆☆☆
 シン・エヴァンゲリオンのファンのネットの書き込みやつぶやきをあれこれ読んでいる。これがトテモ勉強になる。エヴァンゲリオンの勉強ではない、吉田拓郎のファンとして勉強になるのだ。どの書き込みも最終完結編ゆえに、映画の感想だけでなくそれぞれの四半世紀のファン人生の思いの総決算が投影されている。

 何かを自分の人生ごと抱え込んで、歳月をかけて愛し続ける奇特な人たち。その何かが最後を迎える時そういう人たちはどうなるのか。永いこと待たされ膨れ上がる期待、そして味わう喜びと感動とそれがゆえの不満、ツッコまずにいられないディテール、押し寄せてくる大きな寂寥感と喪失感…読んでて痛いほどわかる。それは言うまでもなく吉田拓郎を自分の人生にのっけてしまった俺自身の姿と重なる。
 こうして他人事として思い詰めたファンの姿と言動を見ていると心の底から思ってしまうのだ
     ああ、めんどくせぇヤツら!!
 すまん。でも客体を変えればそれがそのままこのオレでありこのサイトのことでもあるのだ。いやエヴァのファンは比較的若いからいいが、私なんかはただのめんどくさいジジイなだけに始末が悪い。

 そう思うと庵野も吉田も「最後」と宣したくなる気持ちがよくわかる。「いつまでも待ってます」…これはもう愛の言葉などではなく呪いをかけられているとしか思えないだろう。寅さんじゃないが「ここらで御開きに」という節目が必要なのだろうと思う。
 3週間前にはまさか自分がエヴァンゲリオンを観るなんて思ってもみなかった。短い時間だったが貴重な体験だった。さようなら全てのエヴァンゲリオン。シンプルだが素晴らしいフレーズだ。否が応でも、「さようなら全ての吉田拓郎」の処し方を考えざるをえない。
 

2021. 3. 26

☆☆☆されど午前0時の街は遥か遠く☆☆☆
 ようやく三か月振りに再開した居酒屋に行ってみた。冗談でなく新年のご挨拶となった。久々の日本酒と僕はタケノコも好きです。もちろん店も世の中もすべてが完全な再始動とはいかない。しかし午後8時までに酔っぱらってしまう身体が出来上がってしまったのであまり不自由は感じない。すまん。
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 御客はご年配のご婦人二人だけ。密どころか疎だ。もともと静かな店だしな。御二人でずっと猫の話をしておられるようだった。そのうち「猫をレンタルする小説があってね、あの作家の重松…ナントカの…」という話が耳に入った。私のツレが一言「清!」。ここで一発、清!みたいな声を出したので焦った。聞こえなかったみたいだったが。

 ほどなく客は私らだけになったので、マスターのご厚意で「午後の天気」を流してもらいながら気持ちよく揺れた。
 あ、敢えて余計と言えばこのアルバムの「男子の場合」は余計だと思うな。あとは「Hawaiian Rhapsody」の「イメージの詩」も余計でしょう。「176.5」の「落…」って、腹を割ってというけど、絶対、怒り出しそうな気がする。

2021. 3. 27

☆☆☆ハーモニカの詩☆☆☆
 昨夜は松田幸一のハーモニカライブに行った。久しぶりだぜライブ。ステージと客席の間、客席どうしの間、いたるところにアクリルカーテンがあって不粋なことこのうえないが、やむをえまい。ミュージシャンはもちろんこのハウスを維持し続けた経営者にも頭が下がる。泣きたい気持ちで冬を超えてきた人のお一人だろう。
 本格バンドとハーモニカという編成は初めて聴いた。“ラストショウ”つながりでドラムは島村英二なのも楽しみだ。やっぱり生音はたまらんな。
 ということで本格的に心身が揺れた楽しい時間だった。ハーモニカがいろんな音色を彩るのが凄いなと思いつつ超絶失礼なのだが、それでもハーモニカを捨てるのが絵になるのは世界であの方だけだと思う。

 島ちゃんのMCが面白かった。NHK-BSで4月24日放送予定の大瀧詠一トリビュート番組「わが心の大瀧詠一」に出演されるとのことだ。BS4Kでは放送済みらしい。リハで「熱き心に」のドラムを叩いたあとで島ちゃんがプロデューサー兼アレンジャーの井上艦に「おい、艦(アキラ)、テンポが速すぎないか」と声を掛けたら井上艦より先に小林旭がいきなり振り向いたのでビビったという話。笑った。

 はっ。そこで今日のタイトル”ハーモニカの詩”ってなんかすげー見事につながったよ。
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2021. 3. 28

☆☆☆なぜか聴きたくなった愛しい歌☆☆☆
 居酒屋だ、ライブだ、と動きだすにはまだ尚早かな。なんにしてもいろいろあっての年度末でくたびれた。
 昨日、ふと瓢箪から駒のように思い出した「ハーモニカの詩」をじっくりと聴き直す。すげーしみる。作った拓郎も記憶にないとかつて言っていたが、拓郎ファンには長年着古した拓郎グッズのパーカーのように身体に馴染んだ心地よいメロディーである。しかもこう言っちゃなんだが全力・渾身の作品ではなく、6割5分くらいの流し運転のような作風がまたいいのだ。すまん、あくまで誉めているのだ。小林旭の歌唱はもちろん、後にあさみちゆきという方のカバーもいい。そもそもB面曲にもかかわらずよくぞカバーしてくださった。
 「なぜか売れなかったが愛しい歌」では、阿久さんは拓郎関係ではこの「ハーモニカの詩」と「月の盃」がことのほかお好きだったと書いておられる。
 ということで石川さゆり「月の盃」も聴き直す。ヒップ・ホップへの挑戦と拓郎は言っていたが、そんな果敢な挑戦をも包み込んでしまうような石川さゆりの懐の深い歌唱がいい。これも気持ちいいメロディーだね。
 ここまで来ると林部智史「この街」を聴きたくなる。阿久悠トリビュートライブのMCで林部は「拓郎さんと武部さんに感謝してます」と言いやがっ…いや、おっしゃった。「おい、まずは作曲者吉田拓郎だろ」と当時俺を怒らせたものだが、確かにこのゴージャスなアレンジはこれしかないなと思える。「慕情」に匹敵する素晴らしい壮大なアレンジだ。
 かくして私的な「阿久悠×吉田拓郎 歌謡ゴールデンショー」でひとり盛り上がった。盛り上がったがなんせ作品が少ないのでたちまち終了。もっと作っといて欲しかったな。

2021. 3. 29

☆☆☆少年も老年も荒野を目指す☆☆☆
 いい歳をしてわけもわからずにエヴァを覗いたりしていたので、鑑賞が遅れてしまったNHK土曜ドラマ「きよしこ」。ようやく録画を観た。重松清の自伝的小説なのか。大事なことなのに知らないことがまだまだたくさんあるものだ。ていうか無明の俺には知らないことばかりだ。先日の居酒屋でのご婦人のつぶやきは天音だったのだなと思う。観られてよかった。
 観ながらあいつもこいつもどいつも観てほしいと胸が疼いた。どうしてかはまたちゃんと書きたい。たまらずに原作を買う。文庫本もあるがあのドラマを観るとどうしたって単行本が欲しくなる。20年近く前の出版だがちゃんと紀伊国屋書店にあったぜ。ありがとう田辺茂一さん、ついでに明日までに届けてくれると嬉しい。「そんなに甘いもんじゃねぇ」と怒られそうだ。
 エヴァとは極端に違う世界のようだが、それでも深奥はとても近いのではないかと思う。すまん浅読みだがな。でさ、既出かもしれないが、あの野球帽の少年の横顔が、どうしたって俺には… (たぶんつづく)。

2021. 3. 30

☆☆☆あまりにもおばかさん☆☆☆
 3月30日というと"♪3月30日の日曜日 パリの朝に燃えた命ひとつ フランシーヌーぅぅぅぅ"とつい歌いたくなりませんか。この歌をよく意味もわからない小学生の頃に聴いて以来ずっとそうだった。日曜日に当たった年なんぞは大変だ。朝から何回も歌うことになる。
 ♪ホントのことを言ったらオリコウになれない 
 ♪ホントのことを言ったらあまりにも悲しい
 ベトナム戦争のこととかはわからなかったけれどそれでも小学生ながらに、んーここはわかるな、ホントにそうだなとしみじみと思ったものだった。そのうちに"ホントの声を聞かせてよ、君のホントの声をぉぉぉ"と髪を振り乱して叫ぶすげーお兄さんに出会うわけだが。それはそれ。やっぱり3月30日はおばかさんの日。

2021. 3. 31

☆☆☆砂の嵐に☆☆☆
 朝から喉が少し痛かったので健康診断で行った病院で聞いてみたら「おそらく黄砂のせいでしょう」と言われた。そういわれると風邪の時とは少し違う。今年の黄砂は凄いらしい。確かに町が薄曇りのようにも見える。
 “外は毎日砂嵐で歩きにくい 口の中がザラザラで喉もカラカラ”という唄を思い出してこんなことまで歌にしてくれている拓郎の凄さに感動した。まぁ中島みゆきの”黄砂に吹かれて”という唄もあったがそれは置いといて。>置いとくなよ、そっちの方がピッタリだろ。

2021. 4. 1

☆☆☆吸いかけの薄紅いタバコ☆☆☆
 「嘘」というと”今はまだ人生を語らず”が発売された1974年のヒット曲、中城きよしの「うそ」だ。♪折れたタバコの吸い殻で〜あなたの嘘がわかるのよ〜 俺は中学生だったがこの深い情念の歌には心震えたものだ。すげーな、どんな折り方したんだとか思いませんでしたか。作詞の山口洋子さんによれば、ご自身の「姫」時代に耳にした御経験で、灰皿にあった口紅のついたタバコのことらしい。なんだ、そういうことか。
 これが松本隆になると♪あなたの車の灰皿で見た ルージュの染みてた誰のシガレット〜(ハート通信)とまたおしゃれになる。ルージュにシガレット…いいよな〜シティポップはいいよな〜(志村けんのいいよなおじさんの口調で)。
 口紅の染みたタバコは嘘の小道具として浸透しすぎて、さらに灰皿の吸殻がキレイになっているので嘘がバレてしまうというプロットもどっかであった。

 その点、御大はストレートだな。♪電話越しに音がする タバコは吸わないはずだぜ(あいつの部屋には男がいる)
 わかりやすい。現行犯である。いやしかし電話越しにタバコの音を聴き分けるってすごくないか。凄い聴力だぜ。
 さてタイトルは、吉田拓郎作詞の何の歌に出てくる歌詞でしょうか。

2021. 4. 2

☆☆☆授業時間は終わった☆☆☆
 そもそも7曲も当たらないのに他人様にクイズ出している場合か。すまん。誰も気にしていないと思うが昨日の正解は、DUOの「放課後」。
 ♪吸いかけの薄赤いタバコなど吹かしてみたよ〜
この歌はやっぱりあこがれだった。そういえば栗田ひろみの「放課後」なんてのもあった昔。「放課後」といえば「学校」。「学校」と言えば「教科書」。今年もAKBとか米津玄師が教科書に載ったとニュースが伝えていたけれど。

 昔からの持論で「いくつになってもhappy birthday」を教科書に、いや教育現場にと真剣に思う。これはそういう曲だ。
 日々、ひとりひとり誕生日の子を祝って校長先生がリードをとって学校全員で歌って踊るのだ。
 この歌が祝うのは 君が生まれてきたこと、ただそれだけだ。大会でメダルを獲ったからでも、成績優秀だからでも、コンクールで入賞したからでも、学校の人気者だからでも、特技があるからでも、品行方正だからでも、ボランティアをしたからでも、積極的に発言する子だからでも、ましてや無遅刻無欠勤だからでもない、学校来なくたっていい。そんなことに一切関係なく、ただ君が君でいること、人に隠れて泣いていたけど、それでも君がいること、そのことをただひたすらに全力で祝うのだ。

 この曲が受け入れられなきゃ日本の音楽界はダメよ、と森下愛子さんが言ったというが激同。音楽どころか日本がダメな気すらする。

2021. 4. 3

☆☆☆駅におりたら☆☆☆
 どうしたって夕暮れのあの突堤を思い出す。♪ええかげんなやつじゃけ ほっといてくれんさい〜…田中邦衛さん、ご冥福をお祈りします。

2021. 4. 4

☆☆☆15時33分ウエノ行☆☆☆
 明日はご生誕の日だ。調べると集団就職列車が1954年(昭和29年)4月5日15時33分青森発上野行き臨時夜行列車から運行開始された日だ。集団就職と4月5日。しかも最後の集団就職列車が終わるのが1975年とのことだ。おお見事な結節点ではないか。

 「制服」は拓郎にとってはもう過去の歌なのだろうか。集団就職という言葉自体が過去のものだし、描かれている情景も古い。しかしこの歌に宿る哀しみは人類永遠のものだ。はたらく人の悲しみは、何一つ解決しないまま、今もカタチだけを変えて深く潜行している。たぶんこんなソウルな歌は今後誰も作れないよ。

 これは弾き語りでなく絶対にバンドで聴きたい。これこそフォークソングではなく極上のブルースなんだと思う。音楽がわからない自分なりにそう思う。SATETOツアーのバージョンもよかったが、拓郎の真骨頂であるブルースの神髄がもっともっと息づくようなバンドで頼みたい。身をよじってシャウトする吉田拓郎が最後に見たかった。なんにしても不世出の名曲。俺は天国に持ってゆくよ。

2021. 4. 5

☆☆☆はじまりの日☆☆☆
吉田拓郎様
Happy birthday! お誕生日おめでとうございます


 73(years)という胸が熱くなる数字に続いて、今年は75とはまたエポックメイキングで刺激的な数字です。どうか来年あたりは79になってくださるとうれしいです。おい。

 はじまりの日があったればこそ、今のすべてがあります。生まれてくださったこと、そして歩き続けてくださったこと、本当にお疲れ様でした。そして何より心の底からありがとうございます。

 エンディングやラストを語り始めた拓郎さんは「はじまれば必ずおわる」とよく口にします。けれど「おわればまたはじまる」ことはないのでしょうか。まぁいいや紙が残り少なくなりました。
 Forever young、魂の底から長寿と繁栄をお祈りします。
                          
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