パシフィコ横浜国立大ホール

 最後になってしまった。既に私を蝕んでいるロス状態を持て余しながら中華街での昼食&前飲みがタタリ、拓郎の楽屋入りを見逃す。入り待ちは盛況で拓郎は元気だったと聞いて安心した。
 恒例の”楽屋のお手振り一般参賀”も鈴なりの活況だが、シェイドが降りていて遠くからだと手だけしか見えない。それでも聖なる場所横浜だ。パシフィコのみなとみらい空間は気持ちを上げてくれる。

 ギリギリまで楽屋の窓の下にいたので慌てモードで客席に入る。アルフィーの坂崎、高見沢が入ってきてそぞめきたつ客席。あれやこれやのうわの空で客入れ音楽を味わえず。
 定刻。客電が消える。
 一人でギターを抱えてステージに現れる。黒のシャツに縞のパンツ。
 こんばんは横浜。 ♪ ロックンロールの響きがいい
 あの娘しびれてくれるはず
 突っ張れ意地張れ張りとおせ
 かまうじゃないぞ風の音
 これも最後か。“大いなる”
♪私には私の生き方がある・・・  大丈夫。今日もいい声だ。
 こんばんは横浜。今夜は特別の夜だと思っているので(拍手)、一緒に楽しんでくれる仲間を紹介します。
 メンバー紹介で呼び入れ
村石、松原、村田、渡辺、加藤、吉岡、今井、土井、鳥山、武部の順
♪1.私の足音  何回体験してもこのオープニングには感極まる。なにがとうしてどうなってこの曲をオープニングに持ってきたのだろうか。”一曲目は絶対に当たらないだろう”と拓郎は不敵に豪語したが、まさにカスリもしなかった。単に予測不能というだけなら”奇をてらった”だけの話だが、そうじゃない。拓郎の歩み来た道、私らの来し方、そしてこのコンサート全体を象徴するような名曲にして、崖っぷちで埋もれ、ラジオのかすれた音源だけが頼りの幻の曲を最後のライブに大抜擢した。しかも一歩ずつ確かめて まだ見ぬ旅へという新しい歌詞でRefitされている。もうこの撰曲センスのすんばらしさに唸るしかない。吉田拓郎いまだ老いずである。

 ママ、びっくりしないで。”旅の重さ”を観てみたら三国連太郎と佐藤浩市がウリ二つなの。でもママ泣かないで。これでお別れよ。”私の足音”はもうこの映画の幻の主題歌なんかじゃなわ。Live73yearsの伝説のオープニングとしてまだ見ぬ旅にでるのよ。ママ、さようなら。

 この原曲が三国連太郎なら、refitされた今回のライブは佐藤浩市みたいなものである。意味わかんねぇよ。そういう話は居酒屋でしろ。ともかく埋もれていた幻の名曲が新しいロードを歩きだしたんだよ。こんなオープニング思ってもみなかったよ。

♪2.人間のい  やっぱり"残り少ない 生きてたい”が、今と重なり“残り少ない 観ていたい”に聴こえる。ああこれぞ"永遠のい"。

 (カッコイイの声援に)僕は昔からカッコいいんです。最近カッコイイ若者たちに注目してい卓球の張本君とか将棋の藤井君とかみんなパンチがある。フィギュアスケートの紀平梨花さん、これが美しい滑り。心がウンとなる。今夜はスペシャルなので話すことが多くなる(拍手)
 最近小田和正と昼に会って甘いものを食べた。チーズケーキ、ショートケーキとかたくさん用意してくれて、ダメなんだよ。♪君を抱いていいのぉぉっていい曲だけれど、今頃ホメてどうするんだ。二人に共通する話で、若い人が活躍する中で僕たちはどうすればいいのか、話し合ったけれど結論はでなかった。このままでいいじゃないかということだった。
 で武部がアイスショーの音楽をしているのでこれは利用しない手はないと紀平梨花のサインを貰った。ザギトワもキレイだけれど、この人は辺見マリさんに似ている♪ヤメテ(笑)。紀平さんの「吉田拓郎様」というサインに疼くじゃないか。武部に「本人は吉田拓郎って知ってたか?」と聞いたら「知りませんでした」と(笑)

♪3. 早送りのビデオ  切なく美しいメロディーとひたひたと歩くような拓郎のボーカルの説得力にあらためて感じ入る。そして哀愁の中をさまよう原曲とは異なり後半になって静かに勇躍し始める感じがこのライブバージョンの素晴らしさだと思う。早送りのビデオはまだまだ再生中なのだよね。
♪4.やせっぽちのブルース  オレンジの照明。間奏の時に身体を一瞬よじってカットする姿がカッコイイ。武部のブルージーなビアノがさく裂し村田のオルガンにバトンが渡される。この連携。ああ、なんかかつてのエルトン→中西みたいだ。すばらしいバンドである。そしてダブルキーボードから渡辺格にバトンが渡され、さらにまた武部、村田が引き受ける。なんという見事な連携。華麗なパス回しの中にいるみたいだ。
 それに2016年のこの曲の時とはボーカルの自在さが違うよな。スタンディングする人もチラホラ。ここはスタンディングしかないと。自分もスタンディングしR&Bに耽溺している人になってみようとしたが、どうにもひどいことになったようだ。すまんな。
 長い人生にはたくさんの出会いと別れがある。ひとつひとつを考えはじめるとキリがない。あまり昔のことを考えず半歩でも先に進もうと思う(拍手)。次にやる曲は一曲目は懐かしい曲、二曲目はご存じないでしょう。
♪5.ともだち  ボーカルが熟成し尽くした"ともだち"の最高完成形を私たちは観ている。やっぱり村田のしゃくりあげるようなアコーディオンと渡辺格のペダルスチールがあざなえる縄のような後半の演奏の美しさといったらない。

♪6.あなたを送る日  サウンドの心地よさに心と身体がゆれる。鳥山雄司のギターのバトンを引き受けて武部が弾くこの掛け合い感もいい。これぞバンド。そして静かに静かに丁寧にリズムを刻んでいる村石のドラム。"全力の村田におさえの村石"。原曲の哀愁の彷徨のような感じを踏襲しながら、最後は、決然と進み始める感じがいい。あなたを送っても、あなたはまだまだ元気で旅するのだ。あの頃、拓郎に関して「うわの空だったこと」で今になって胸が痛いこと、胸にしみることは、私にもたくさんある。このツアーで楽になったことも多いよな。
♪7.I'm In Love   病の時
  悲しみの時
  そして
  言えない時
  そこに居る事でよいのではないだろうか。
 拓郎のツアーパンフの言葉が音楽の行間に満ちているかのようだ。どうしても拓郎が絶賛した映画「きみに読む物語」を思わずにいられない。もちろんストーリーもプロットも全く違う。しかし歳月が深める愛情が深く深く通底していると思うのだ。

 特に映画での老いた二人の夫婦の会話が思い出される。
  "なぜかとても淋しいの"
  "わかるよ でも心配することはない。
  「永遠なものは何もない。鈍く老いて冷たくなった体。こんな昔の炎の燃え殻であっても再び燃え上がる」"
  "あなたが書いたの?"
  "ホイットマンさ"
  "知ってる気がする"
  "ああ、そのはずだよ"
 このシーンがなぜか浮かぶのだ。ホイットマンを吉田拓郎に替えて勝手にしみじみとする。

 とにかく最後のピアノがいい。泣けるくらいいい。すばらしいアレンジだ。
 この美しいボーカルをラッピングするような村石のドラム。ドラムセットにひれ伏すようにていねいにていねいに叩く村石の姿に泣けた。あなたのドラムがこんなに素晴らしいことを不肖この私今回のツアーで初めて気づいたのだ。すまん。この作品を基礎から静かに支えてくれている。

♪8.流星  今年で「流星」は生誕40周年である。原曲は言うまでもなく永遠の神歌唱・神演奏である。だが、それをトレースしないところが凄いのだ。
原曲の天から降ってくるようなピアノではなく、骨太のビートで押してくる。
間奏は鈴木茂の神フレーズに頼らずに、ハーモニカで吹き超えんとする。
そしてエコーのかかった,たゆとうようなボーカルではなく、素のたくましいボーカルで熱唱する。
 40周年ではあるが、40年前のバージョンからさらに進もうという気骨の流星だ。

 コンサートを長くやっていて、広島から出てきてずっと歌っている。ウソみたいな時の流れ。これから歌う歌は聴いたことないかもしれない。それはアルバムを持っていないということ。一曲目は、ラジオをやっていた時に深夜放送みたいで楽しかったがそのメールでこの歌をご存知ですかという?知ってるよ(笑)。何故歌わないのですか?という若い人からのメールでいいかなと思った。
 2曲目は好きな曲で、やりたくて、やりたくて。予定調和ではなく、いつか歌いたいと思っていた。自分で歌うとうまく歌えないけれど。もう紀平梨花状態(笑)

♪9.そうしなさい  切々とした村田のアコーディオンが静かなる前半を飾り、後半からタカタカと静かにリズムを刻み始める村石のドラム。このふたりが出会うと、原曲はチカラ強い歩みを始める。まさに元気が出る。そうしなさい。この曲もこれをもって至高バージョンと勝手に認定したい。アローンツアーの時の弾き語りイメージを大きく払拭した。バンドとともにチカラ強い説得力を得た気がする。しかし決してボーカルを邪魔しない、ボーカルにどこまでも寄り添う演奏がすんばらしい。

♪10.恋の歌 すばらしいじゃないか。天才だね。  このツアーの七不思議のひとつとして、なぜこの曲でスタンディングしないのか。“好きで好きで仕方ない””すばらしいじゃないか”と本人にここまで言わすか?。ということでスタンディングしたもののこの孤独感。スタンディングするのがそんなにエライのかと文句を言う方もいるだろうが、私にはそれしかこの拓郎の音楽による問いかけに答える愛の表現が思いつかない。愛の表現が思いつかない。

 僕は身体が弱くて学校も半分くらいしか行ってなかった。母が高齢出産で時代的にも十分な栄養がえられなかった。音楽で東京に行くと言ったときも彼女的にはやめた方がいいと思ったのだろうが、気持よく「行ってみなさい」と言ってくれ、ダメなら帰っておいでと言ってくれた。内心ダメだろうと思っていたに違いない。
 そうだったら広島で母は裏千家だったので吉田宗拓としてお茶の先生になり女の子集めてカルタとりとかしていたかもしれない。もうひとつは楽器屋、カワイ楽器に就職が決まっていたので支店長とかになっていたかもしれない。
 それが東京に行ってイメージの詩とかを♪これこそはと~ 音楽もヘッタクレもないデパートの屋上で歌っていて、それがいつの頃からか朝までコンサートで歌うようになった。そういうのをもう1,2回やった。75年のつま恋の時は、広島で友達に"あれはおまえじゃないだろ"と言われた。東京の汚い空気、光化学スモッグとかが僕の身体に良かったのかもしれない(笑)そういう僕も今は"日帰りなら歌う"というようになった。

 高齢出産の話、そして身体が弱く心配だろうに温かく東京に送り出してくれた御母堂の話は、例によって”恩着せがましい”とか茶化していたが深い敬愛が静かに伝わってきて心にしみる。

♪11.アゲイン  今回は通過駅のひとつのように歌われるが、今日の迫真のボーカルで聞いたらメチャクチャ良かったわ。すんばらしい。どこまでも寄り添うバンドに磨きあげられたボーカルが煌めく。
♪12.新曲  永遠のツイスト。燃え立つ。間奏のツイストはやや控えめか。ブイブイ踊ってくれるとそれだけでトクした気分になる。村石が自由に叩く、しかし拓郎のボーカルが入るとサッと静かに身を引いてボーカルの脇役に徹する。すばらしい。すばらしいバンドじゃないか。
 この新曲は、2004年のリハのセットリスト表にあった「想い出のツイスト」ではないかという説もあるが、昨年ラジオで本人が言っていた今の気分でアップテンポのロックな新曲を歌いたい、特にストーンズの”Brown Sugarみたいな曲”を作りたいと言っていた事の、ひとつの成果物なのではないか。だとしたらヒューっ!とか言いながらもっと客席もジャンプしなけりゃならなかったのか。

   全国津々浦々回ってきたがもう勘弁してくれという感じだ。北は大宮から南は横浜まで回ってきたが、今年は北は宇都宮まで行った。遥かな旅で遠かった。いいところだったし、コンサートも良かった。そしてよせばいいのに名古屋まで行ってしまった。新幹線に乗るのは10年ぶりだよ。そんな人いないよ。名古屋は二泊までしてしまった。楽しかった。このまま鹿児島まで行っちゃおうかなと思った(拍手)
 でもやめた。ここで頭に乗るのはよくない。下駄をはいてるんじゃないかと堂安コーチが言っていたように調子にのるんじゃないと思った。高下駄は履いちゃダメだ。

 音楽は素敵なものだ。すばらしい。チカラがある。幸せになれる。どん底でも立ち上がれる。だから音楽はやめません。
 そうは言うが拓郎あなただけは、花魁(おいらん)のような,どんだけ高いんだというくらいの高下駄を履いて闊歩してほしいと私は思う。

♪13.純  これも七不思議。拓郎がつぶやきでも自賛していたこの曲なのになぜかノリが悪い。大好きな歌なので、よくぞ歌ってくれたと悶絶しまたもや孤独なスタンド。僕が泣いているのはとても悔しいからです。それでもまっすぐ歩きましょう。風は向かい風。私は「純」がライブで聴けたことを、この痩せた畑にひとり立ち尽くすようにしてあなたの歌を聴いたことを忘れますまい。
     Let’s walk straight.
     The wind is against us.

 アウトロから続いて、メンバー紹介。
  村石雅行
  松原秀樹
  渡辺格
  村田昭
  鳥山雄司
  武部聡志
  加藤いづみ
  吉岡悠歩
  今井マサキ
  土井康宏

 紹介が終わったら王様たちのハイキング。歌いだしの前の演奏でもうニタニタしている。マイクの周辺をリズムをとりながらステップを踏む。

 ここで思い出した。この時の一歩一歩踏みしめるようなステップをどこかで見たんだよな。…ずっと考えていた。ああ81年武道館のオープニングだ。当時の新曲"この指とまれ"のイントロにあわせて、こんなステップで登場しセンターマイクまでやってきた吉田拓郎の姿だ。それがどうした…んまぁ、それだけだ。それだけで私はたっぷり一晩酒が飲めるのだ。
 ♪遊びに行きませんか僕らと一緒に~のみを歌う。やはり瞬時に燃えて立つ観客。そしてこれまた瞬時のブラックアウト。やはりただの悪ガキである。

♪14.ガンバラないけどいいでしょう  静かなイントロから、それこそ"鎖を身をよじってほどいてゆくような"この曲の最後になると、もういてもたってもいられなくなるような高揚感がある。思わず最後にスタンディングしてしまう。
 今回ラジオをやりながらふと思って、自分の書いた詞だけで歌ってみようと思った。世界がこう広い作詞家もいるけれど、そういうのをやめて、自分の狭い世界だけれど広い大きい世界は他人にまかせて、ぜい肉を落として自分の詞だけを歌ってみよう。そうしたらデビューしたきの気持ちになっているんだよ。   ♪15.この指とまれ  アゲアゲ。"オイラとにかく大っ嫌いだねぇ"の極上のシャウトがああたまらん。演奏でひとりひとりのプレイにスポットがあたってソウルなプレイのバトンが渡されてゆく。
 私の思い込みかと思って確認したが、2012~2014~2016年のライブでは、拓郎は殆どバンドを振り向かないし、バンドも誠実にプレイするけれど固定席のように動かない。なので踊っているコーラス隊が妙に浮いている。しかし今回はミュージシャンそれぞれの勇躍するような美しいパス回しが随所に観られる。そのパスの中心にいる司令塔の拓郎はとても自由で、もうロストフの14秒である。いみふ。
 私が一番感動したのは、何度も書いてきた全力の村田昭と静かにボーカルに寄り添う村石雅行が一番であるが、武部聡志と鳥山雄司という超スタープレーヤーがチームプレーに徹しているその姿にも大いに心揺さぶられた。すべては吉田拓郎がその人徳と音楽力で育て上げたからに違いないと確信する。まさに自由で強固な音楽のカタマリがそこにあった。何も言うことはない。もともと何も言えないのだが、ステージのすべてにハラショ!と叫びたかった。

♪16.俺を許してくれ  "心が痛い 心が辛い"を"アジア"や"ファミリー"の気分で唱和した。客席をみつめる拓郎。感極まりそうになりながら、2階席までを見上げている。その姿にグっとくる。涙ぐんでいるのだろうか。たぶん泣いていた。ああ最後だよ。

♪アンコール 17.人生を語らず  全力歌唱。盛り上がる観客席。象徴的な"私の足音"にはじまり"早送りのビデオ""ともだち""あなたを送る日""アゲイン"などなど、そしてこの"人生を語らず"に至るまで全編が人生を旅するロードソングという暗喩で貫かれているように聴こえる。人と別れ、愛し合い、迷い、それでもチカラ強く進まんとする。そんな構成を感じる。まさに超えてゆけと叫ぶ声が行く手を照らす。

♪18.今夜も君をこの胸に  今回の超個人的なテーマはこの曲との和解だった。いや、和解なんて偉そうだ。私の心からお詫びである。“なんでこんなチャラいエンディングなんだよ”と不満のカタマリだった80年代の自分。何度でも謝罪する。すまなかった。しかし音楽は仕返しも拒絶もしない。そんな放蕩息子の自分をもやさしくやさしく包んでくれた。
 最後にギターソロの雄姿(ソロじゃないか)を目に焼き付ける。昔、コンサートの帰り道に見知らぬおじさんが言っていた「"今夜も君をこの胸に"が背中から追いかけてくるようだ。」というつぶやきを思い出した。まさにこのたゆとうようなメロディーに押し出されるようにコンサートは終わってゆく。お辞儀する拓郎が人の波で観にくい。下手、上手、そして中央と長い長いお辞儀をして客席に両手を広げる姿。たまらん。そして袖に消えて行く。ああ終わりだ。

 夏の日の恋を聴きながら私にしては珍しく心の底からバンドに拍手を送らせていただいた。これはバンドだった。素晴らしいバンドだった。

 立ち去りがたくずっと帰らずに会場にとどまってみた。森野社長が時折いろんな方にご挨拶しながら片付けをされていた。あっという間に会場は空っぽになった。警備員から「とりあえず外に出てください」と言われた。はいはい。
 パシフィコの退場は港側になる。なので出口を出ると…おい海だぜ。今夜はもう居酒屋はナシだ。そぼふる雨の中、木の下に入って持ってきたバドワイザーを飲んだ。

 ああ終わった。外にいたK女史が「拓郎とっとと帰っちゃったみたいね」と教えてくれた。家帰ろう。この道まっすぐ家へ帰ろう。

お別れだ、Live73years  2016年の時はひとりシンポジウムで残念なところを不満タラタラでサイトに挙げた。しかし今回は残念なところはひとつもない。あの曲が聴きたい、特にRONINと季節の花とかLifeとか春を待つ手紙とかマラソンとか流れるとか…あれこもこれもが聴きたいというのはあったが、それはいつものことだ。また跳梁する転売屋どもに、だからって善良の一般人が被害を受けるのはどうなのよという身分チェック等と不満はあるが、それもステージの外のことだ。

 結論。吉田拓郎は勇敢だったが、私も客席も臆病者だった。拓郎はエンディングなれど予定調和を拒否し残り火に身をよせたりしなかった、エンディングだからといってフェイドアウトしないと語り、これからも新曲を作りたい、すぐにスタジオに入ってレコーディングしたいと語った。

 最後のライブ。私なりに解釈すれば、新曲を聴かない、アルバム「午前中に…」すら聴かない人々の前で歌うのはこれで最後という意味ではないかと勝手に思う。パンフにある言葉がそう思わせる。だから最後の哀しさとはチグハグな妙な清々しさがあって、寂しいようで寂しくない。デビューの時の気持ちなんて言うんだぜ。不思議なもんだ。

 新しい曲を作るんだ
 その曲をスタジオに入って
 気心の知れた名うてのミュージシャン達とレコーディング
 そしたらその曲を歌いたくなって

 もし次があるとすれば、これからデビューの気分に立ち返って作る新曲たち、その新曲たちに導かれて立つステージなのかもしれない。
 吉田拓郎の素晴らしいボーカル、そして立ち姿。そして拓郎を支えんとカタマリになってチームプレイを見せてくれて聴かせてくれたバンドに心の底からありがとうございました。
 そして個人的にはこの私をこうしてライブに連れていってくださった方々に心から感謝申し上げます。

   かくして吉田拓郎最後のツアーが終わる。終わるけれど旅はまだまたつづく。

   「さぁ修行僧たちよお前たちに告げよう『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』」これが修行をつづけてきたものの最後の言葉であった。(「ブッダ最後の旅」中村元訳 岩波文庫より)