名古屋センチュリーホール

 いよいよ今期ツアーの最南端の地であり、新幹線とホテルを伴う"日帰り"という分水嶺を超える。たかがファンの私が心配することではないし、何もできないこともわかっているが、だからこそ身悶えしながら待つしかないのである。とにかく西に向って踏み出すことを決めたのだ、結果がどうであっても全力で讃えたい。
 それにしてもなんという高層近代化した名古屋駅前。まるで未来都市のようだ。新造された大名古屋ビルヂング。これじゃガメラもギャオスもちっとやそっとでは壊せまい。そのビルヂングで備長のひつまぶし。

 センチュリーホールは開場前から既に長蛇の列。ああ、ダウンタウンズの小松さんがいる。ご一緒は広島の仲間たちなのだろうか。一番広島に近い場所といえば場所だ。客入れの音楽は、いつもの“星を求めて”も流れたが、今回は“テネシーワルツ”がとても印象的だった。撮影が入るのでt.y lifeの勝負シャツで臨む。
 定刻。客電が消える。
 いつものように独りでギターを抱えてステージに現れる。黒のシャツに縞のパンツ。
こんばんわ名古屋。 ♪ロックンロールの響きがいい
 あの娘しびれてくれるはず
 突っ張れ意地張れ張りとおせ
 かまうじゃないぞ風の音
 おおーいきなりガツンと“大いなる”だ。そうきたか。すぐに“大いなる”シフトにチェンジし備える。"いずれの道もぉぉぉ"の盛り上がりのためにハンカチを用意したが、残念ながらココマデ
♪私には私の生き方がある・・・ あらら戻っちゃったよ。それにしてもこの2曲の違和感ないつながり。凄いのか凄くないのかわからない。たぶんどっちかだ。
 夕べから興奮して地震もあったりして眠れなかった。ボワーっとした状態のままここに来ている。久しぶりの名古屋。いろんな思い出がある。とても気持ちのいいところだと思う。今夜は素晴らしい夜にしてあげるからね。素晴らしいメンバーを紹介します。 メンバー紹介で呼び入れ
村石、松原、村田、渡辺、加藤、吉岡、今井、土井、鳥山、武部の順
♪1.私の足音  ママ、びっくりしないで。一曲目で総立ちよ。ママ、泣かないでね。間奏になるときにギターもった拓郎さんがさっと身体を切り返すの、カッコイイったらありゃしないわ。ママ、怒らないでね、あんなカッコイイ身のこなしは小田和正だって福山雅治だって三上寛だってできやしないわ。
 青春の旅に出て遥か想えば この道はそれぞれに忘れじの物語 明日への足音が 聴こえてくるんだ 一歩ずつ確かめて まだ見ぬ旅へRefitされたエンディングの心に迫ることよ。この曲をトップに大抜擢した気骨は何度称賛してもしたりない。

♪2.人間のい  コーラスが縦に横にブイブイと踊る。間奏で拓郎が振り返ってコーラスをみて微笑む。このバンドの空気感がたまらない。こうなるとバンドは無敵のカタマリになってうねりだす。

 若い人は前髪をたらして、女の人も卑弥呼みたいだ。みんな毛が多いから羨ましい。音楽だけでなく囲碁将棋の若者も素晴らしい。なんたってAIで練習しているからな。それはえーわい(笑)フィギュアは、名古屋は浅田真央の出身地だけれど現役では紀平梨花に心を奪われている。ザギトワってキレイだけれど良く観ると顔が辺見マリに似てるんだな。“♪ヤメテ”(笑)
 武部君がアイススケートの音楽をやっているということで紀平さんにも会っているらしい。武部よ、オレというものがありながら(笑)紀平さんのサインを書いて貰った。吉田拓郎様と書いてある。世界にはばたく16歳だよ。武部にオレのこと知ってたかなと尋ねるとゼンゼン知らなかったと(笑)

♪3.早送りのビデオ  声がやや枯れている気がする。不眠の体調が影響しているのだろうか。ただ今回のボーカルは土台が磐石で、気骨も十分なので、影響はない。
♪4.やせっぽちのブルース  会場もそこここでスタンディングしている。私も立ちあがった。主観的にはR&Bに魂が感応していスウィングしているつもりなのだが、そうは見えなかっただろうことは周囲の皆さん冷ややかな空気でわかった。すまん。しかし踊ったもの勝ちだと思うよ。
  (カッコイイの声に)俺は昔からカッコイイんだよ。70年代は不細工なヤツばっかだった。ただ吉田拓郎は口が滑るの。テキトーなことを言ってしまう。真に受けないように、今日言ったことと違うことを明日平気で言うから。そうやって長く生きていると出会いと別れが繰り返される。気持ちよく僕から別れた人もいれば向こうから去っていった人もいる。次の1曲目は古い歌だけれどそういう歌だし2曲目はきっと知らないでしょう。
♪5.ともだち  前半の村田のアコーデオンの溢るるような情感が後半の渡辺格のぺタールスチールに引き継がれその連携が聴けば聴くほどすばらしい。そぞめきたつ客席。
♪6.あなたを送る日  このサウンドの心地よさに心と身体がゆれる。鳥山雄司のギターのバトンを引き受けて武部が弾くこの掛け合い感もいい。これぞバンド。申し訳ないが、今までは達者なミュージシャンのソロプレイの寄せ集めのようだったが、これぞ隙間なき結合の一体感という気がする。音がカタマリになっている。そして静かに静かに丁寧にリズムを刻んでいる村石のドラム。"全力の村田におさえの村石"。この二人に魅せられる。ああたまらん。
 よく聴き取れないが“あの頃うわの空だった夢が今は心にツライ 今は心に痛い”と歌っているのだろうか。"うわの空"なんとも身につまされて切ない。
♪7.I'm In Love  このコンサートの白眉のひとつであるが、この日はフィジカルな体調のせいか、あるいは奥様が東京でイタリアンという長距離の遠隔のため神通力が不安定なのか、やや歌いづらそうにも感じた。気のせいか。エンディングのピアノのメロディーが聴くたびに一層心の深奥に入り込んでくるかのようだ、なんという叙情的なメロディーなんだ。すんばらしい。
♪8.流星  これはすんばらしい。磐石のボーカル。間奏のハーモニカもキまる。どうだ、いい映像が撮れただろうか。ハーモニカを捨てるところもちゃんと撮ってくれただろうか。拓郎が歌いきったあとに、感動に背中を押されてスタンディングして拍手する観客。ハラショ、ブラボ!!これが本当のスタンディングオベーションだ。
(ありがとう!という観客の声に)お礼を言われても(笑)今までのコンサートでは耳慣れない曲をやっていますが。ラジオ番組をやっていた。最初2,3か月で辞めようと思っていたがメールが楽しくて続けてきた。その番組の中でいろんなことを教えられた。次の1曲は、若造から来た“なんでこういう曲を歌わないのか”というメールに刺激された。多くの方はきっと聴いたこともないでしょう。それはアルバムを持っていないということ。よくないね。それじゃ僕達は仲良くやっていけないじゃないか。・・・カメラで緊張している。
 2曲目はいい曲なんだ。ステージ歌ったこと無いんだ。凄いイイ曲で心がズッキンズッキン“アハハン”っていう感じの曲。なんでバンドが笑うんだ(笑)イイ曲だけどあまり上手く歌えないんだ。

 何度でもいうがこの果敢な選曲を讃えずにいられない。もちろん、あの曲もこの曲も演奏してくれよと言う曲は多々あるが、この選曲を最後に敢行したことはすばらしい。「それじゃ僕たちは仲良くやっていけないじゃないか」という言葉が耳に残る。 ♪9.そうしなさい  もはや荘厳なまでの演奏。ズンズンと進みだしてゆかんとする気迫を感じる。後半にかけて村石のドラムがマーチのようにタッタカタッタカと静かにビートを刻んでいる。それが原曲にはない躍動感のゆえんではないか。
♪10.恋の歌  レゲエのリズムでゴキゲンなので今回もスタンディングしようかと思った。しかし“ステージで歌ったこと無い”って、2005年の名古屋だってインストだけれど演奏したし、75年のつま恋でも歌っているし、1981年の体育館ツアーで常冨さんのハーモニー付で大喝采の中で歌っているじゃないか。テキトーなこと言うんじゃないよ…とちょっと鼻白んでスタンディングのタイミングを逸する。
 広島出身とばかりいわれるけれど僕は鹿児島生まれで鹿児島がいつも心の中にある。広島だと思われていることに不満がある。母が周囲の反対の中大変な思いをして産んでくれたという話を母親本人から何度も聞かされた。そういう自分の強い決意をどうしてこのオレに言うのだろうと不思議に思う。身体は弱くて学校にも殆ど行けなかった。それが東京に行ってから強くなった。篠島・・・あっ名古屋って篠島に近いよね(拍手)とかつま恋とかで朝までやった男があの虚弱だった吉田拓郎だと信じてくれない。母からも“アレはアンタじゃないんじゃないの?”と言われたし“アンタ変わったよね”と言われたりもした。お母さんありがとう。ここのところ人生もエンディングということで、最近は“日帰りならやる”と言っていたが、名古屋まで来てしまったよ(拍手)
♪11.アゲイン  2014年、2016年とセットリストの結晶体のような特別な役割があったような気がするアゲイン。今回は、その重責を降ろして、ひとつの楽曲として身軽に歌われる。スタンダードとして歌われるとそれはそれでまた違った趣があるような気がする。
♪12.新曲  永遠のツイスト。燃え立つ。会場も一転ノリノリ大会になる。今回は拓郎の間奏のツイスト踊りは出なかった。踊ってくれよ。頼む。なんならギターを持たずに歌ってくれてもいい。エンディングのところでバンドと顔をあわせて笑いあう拓郎。
 この曲の最後は決まっていなくて武部次第なんだ。今のは長かったな(笑)。北は、大宮、南は、横浜だったのが、北は宇都宮、南は名古屋だった。行動範囲の広いこと。新幹線での旅は10年以上ぶりだった。座席で固くなっていた。どうも旅が合わない。これはやりすぎだったか。九州とかは無理かも。こないだ小田和正と昼間に会った。二人きりで甘いものをたべまくった・ショートケーキ、チーズケーキ、モンブラン、いろんなものを用意してきた。こんなに食べたらオレ糖尿病になってしまうよというくらい。4時間、他人の悪口を言って“オレもあいつ嫌い、おまえもか”と盛り上がってスッキリした(笑)
 ステージも小田は自転車にのっているらしいけれど“そんなの危ないから止せ”といってやった。元気にみえるけれど実はか弱い人間。こうして元気そうな自分は嘘なのよ(笑)。ツイストを踊ってみたけどアレも嘘。あんな映像使わせないよ(笑)とりあえず半歩でも進む、そのことだけけを考えている。そして音楽はやめません(拍手)

♪13.純  スタンディング率高し。いいぞ、いいぞ、よしよし、荒川良々。この躍動感あるライブバージョンを聴けたことを心から感謝したい。願わくばもっともっとラフにワイルドにガナってほしい。どこまでもついてゆくぞ。"より強くしたたかにタフな生き方をしましょう"のところの歌詞の並びが原曲と違っており、一緒に歌っててついてゆけずにとっちらかる。 
 アウトロから続いて、メンバー紹介。
  村石雅行
  松原秀樹
  渡辺格
  村田昭
  鳥山雄司
  武部聡志
  加藤いづみ
  吉岡悠歩
  今井マサキ
  土井康宏

 紹介が終わったら王様たちのハイキング。歌いだしの前の演奏でもうニタニタしている。武部にもっと前奏を伸ばせと合図している。ただの悪ガキである。♪遊びに行きませんか僕らと一緒に~のみを歌う。やはり瞬時に燃えて立つ観客。そしてこれまた瞬時のブラックアウト

♪14.ガンバラないけどいいでしょう  スタンディングこそなかったが、観客は身体を左右に揺らし、会場全体がユラユラ漂う海藻みたいになる。宇都宮の熱唱・唱和は痛快で感極まったったが、こういうノリもいいもんだと思う。この歌の最後にかけての煽られるような、いてもたってもいられなくなるような高まりは実に素晴らしい。やっぱり最後にスタンディングしたくなる。
 今まではこういう歌を(落陽を弾くが間違う)(笑)あるいは、♪春だったね、こういうのを演奏してきたが、そういう曲のないコンサートをやりたくなった。予定調和はウンザリだ。僕の詞は、僕だけの狭い視野なのだけれど、そういう狭い視野だけを歌ってライブを終わらせたい。皆さんにはすごい伝えにくいことかもしれない。だけれど嬉しいんだよ。広島から東京に出てきた20歳といくつの頃、デパートの屋上やみかん箱のうえで“これこそはと信じられるものが”と歌った日々を思い出す。なんかデビューしたてのような気分なのよ。
♪15.この指とまれ  痛快だぜ。演奏中にピンスポでミュージシャンに光があたる。ここでも村田の全力感がいい。ダブルキーボードの威力が全体に漲っている。気持いいナンバーなのだが、もうアリスのことはいいけれどそのかわり言いたいのは「甘いケーキは食えないよ」の違和感が日に日に強くなることだ。「甘いケーキが食いたいよ」に変えてくれないか。ラジオやってたらメールするのに。
♪16.俺を許してくれ  一挙手一投足、身のこなしが実にカッコイイ。レコードではコンピューターっぽいサウンドだし、89-90のライブでは歌詞を読み込むように集中していたので平板な感じだったが、今回は詞も曲も心身になじんで見事にホップしている。ちゃんと映像を撮ってくれただろうか。
♪アンコール17.人生を語らず  全力歌唱。盛り上がる観客席。なれど同時に客席サービスにも走る吉田さん。間奏で2階席を眺めたり、手を振ったりしている。Vサインまでしていた。あらあら投げキッス。熱唱は熱唱だが、なんかゆるゆるしている吉田拓郎。こういう"人生を語らず"もありか。 ♪18.今夜も君をこの胸に  この心地よさ。若かったころにはわからなかった。この美しいメロディーに揺れながら終わる最後。"あの頃、上の空だった"この曲が今は胸にしみる。拓郎のギターに送り出されるようにライブは終わった。
 新幹線の移動や宿泊が大変だったことは、MCから窺えた。嘆息してその一歩を見守るしかない。よくぞここまで。今夜も素晴らしい夜をいただいた。


 名古屋のMCで篠島が出た時にJRのCMが閃いた。"そうだ篠島に行こう"…ちょうど40周年じゃないか。今さらなつかしの篠島でもないだろうという気もするし調子に乗り過ぎではないかという気もする。しかし最後のツアーじゃないか。この時にこそ身と心を運んで感謝を伝えようと決めて弾丸日帰りで乗り込んだ。
 水平線を観ると意気があがる。あの「水中翼船×春を待つ手紙」のコラボが浮かんだ。「ようこそ篠島へ」の看板。拓郎のライブの第一声は「篠島へようこそ」だったよな。
 午前5時にならんだ突堤から覗く、立ち入り禁止で多目的密林状態になっているコンサート会場跡地。切ない。拓郎一行の宿泊した憧れの篠島グランドホテル。今や閉館し中は廃墟の街=デソレイション・ロウズである。歳月の残酷さ。しかし、あの日、ユイの野宿禁止令のために強制収容された素泊まり旅館は、しっかりと営業中だった。「素泊まりモンは風呂場を使うな」と怒っていた旅館の"湯ばあば"はさすがにご存命じゃないだろうな。でもご存命だったら本当の"湯ばあば"だ。ああ何もかもが懐かしい。

 おまえが偉そうに言うなという感じだけれど、それでも島は美しく穏やかにしっかりと生きている。しらす加工場の直営の喫茶店で食べた"生しらす"と"釜揚げしらす"。これが超絶素晴らしい。この地球いや宇宙のどこで、朝の10時から喫茶店で"生しらす"を出してくれてビールを飲めるだろうか。午後に漁師食堂でいただいたおろしたての鯛や貝の刺身もコリコリとして極上に素晴らしかった。とても有名な店らしい。この瑞々しい魚介類のためにたくさんの人が全国からやってくるという。コンサート会場跡地はすたれてしまったかもしれないが、島はきちんと今のチカラで世界とつながって生きている。これはまさに吉田拓郎ではないか。新しい曲たちを知らない、CDを買っていない客たちに苦言呈す拓郎。今の歌、これからの歌で世界とつながる。それと同じことなのではないか。
今日の忘れられないひとこと、最近のCDを買わない観客に対しての"それじゃ僕達は仲良くやってゆけないじゃないか"というMCをあらためて思う。聖地は遠くにありて思うものではなく常に今を一緒に生きるものなのかもしれない。絶対にまた来よう。

 ツアーに便乗して、先週はつま恋、今週は篠島、なんという最後の旅なのだろうか。これはもしかして拓郎の配剤、深慮遠謀なのか。40年前"魂=ソウルだけは負けない"と拓郎は言った。あれから40年経って自分はまだ拓郎の魂=ソウルに震えている。あの時、こんな40年後が想像できただろうか。間違いだらけの人生だったが、吉田拓郎を選んだことだけは間違いのない選択だったとつくづく思う。あなたは半歩というが、たとえ半歩でもそれがどれだけ私の人生を救ってくれたことか。…ちょっとしみじみしすぎか。まだまだツアーは続く。どうかどうかTake Care!!