アクトシティ浜松

 魔物が蠢いていたというフォーラム、そして”旅の終わり”という切ないつぶやき。ツアーが終わる、インターネットもやめる、何度も聞いた気もするが、その都度拓郎は真剣に云っている。そのまま受け入れるのがファンの矜持だと思う。もし後になってまたコンサートが実現したらその時に「ったく、また嘘だったぜ」と悲喜こもごも騒げばいい。
 そして「浜松楽しもうぜ」と来た。いままで「もったいないけれど歌ってあげます」と言ってた人なのに(爆)。ということで西に向うものは西に進む@えのきどいちろう。

 超個人的なことだが青春の一時期を過ごし久々に訪れたHELLO浜松CITY。既に最後に"アローンツアー"を観た浜松市民会館は老朽化で取壊され"うなぎ"の名店の大国屋も閉店していた。寂しいが30年近くも忘れていたくせに突然やってきて懐かしいとか寂しいとか言う資格もあるまい。駅南は変わらずに町全体にうなぎのにおいがしている。昼からやってる居酒屋「濱松たんと」で「やらまいかぁぁぁ」とお店の元気なおばさんと乾杯し、そこはやっぱ生しらすと浜名湖のりの冷奴で前飲みに走り出した。

 とにかく会場であるアクトシティ浜松がすんばらしい。オペラ劇場の仕様とのことで4階までせり出しの客席ある荘厳な雰囲気だ。開館から20年以上経つというがまだまだ美しい。キャパも2300人とあり、かつての浜松市民会館の1400人と比べると、鉄人28号とマジンガーZくらい違う。わかんねぇよ。てか例えが古いし。

 しつこいが、ビリーボーンが流れるこの気品あるオペラ会場の椅子に違法チケットの貼り紙があってみろ。美しくないだろう。例えばこの会場を訪れた素敵なご夫婦が保険証だけではダメだ、出自を証明するまで入場させないと言われたとしたら、それは文化とも芸術とも無縁のただの取締である。いかに転売禁止の大義があろうと美しいホールの美しい吉田拓郎のコンサートに美しくないことをしてはならない。

 定刻。客電が消える。オペラ調ゆえだろうか佇まいも少し違って見える。たおやかな感じがする。2階席だったが拓郎の立ち姿が劇場のようによく見えた。

 定刻に一人でギターを抱えてステージに現れる。黒のシャツに縞のパンツ。

こんばんわ浜松。歌う前に何ですが、ここに19年前に鳥山たちと来ていました。"夏と君と冷やしたぬき"のとき。きれいなホールですが、覚えていません。今宵は楽しもう。 ♪私には私の生き方がある~  今回もリトマス試験紙は鮮やかに紫。いい声だ。
今宵…今宵は今夜という意味だよ(笑)、素敵なメンバーを紹介します メンバー紹介で呼び入れ
村石、松原、村田、渡辺、加藤、吉岡、今井、土井、鳥山、武部の順
 そして一曲目。スタンディングオベーションで総立ちである。絶好のスタート。

♪1.私の足音  ママ、びっくりしないで。一曲目で総立ちよ。"私の足音”が44年ぶりに静岡に戻って来たのよ。だって最後の演奏は1975年つま恋だったのよ。ママ、それがどうしたって呆れないで。星紀行のおじさまは何が何でもこの一曲目にとことん感動したいらしいの。 ・・・・ああ、そうだよ。あの時の「私の足音」は松任谷バンド、そして今回は武部だ。一子相伝、師資相承のようである。
 青春の風に触れて 遥か想えば この道はそれぞれに 忘れじの物語 明日への足音が 聴こえてくるんだ 一歩ずつ確かめて まだ見ぬ旅へという現在の歌詞がほぼ聴き取れた。明日へ、一歩ずつ、アウトロ、エンディングという拓郎の言葉が交錯し胸にしみる。


♪2.人間のい  ダブルキーボードの炸裂がたまらない。この曲に限らず全編にわたっての事である。もちろんこれは武部が設計し彼のイントラクションのもとに村田が弾いているのだろうが、観客からみると、村田が弾きに弾きまくって、煽られた武部が「あーもうわかった、わかった」と言う感じでつられて熱弾しているようにみえる。それを楽しそうに笑顔でみやる拓郎。こうなるとバンドは無敵のカタマリになってうねりだす。

 (スタンディングしている観客に)まぁお座りなさい。19年は長いな。20歳のころは相手にされなかったけれど、時間が経つのはあっという間だ。若い人にも素晴らしい人が出ている。すだれのような髪型で顔を隠して、そんなに量があっていいな。どこまで顔を隠すんだ。スポーツでは、卓球の張本くんに、スケートの紀平梨花。武部がアイススケートの音楽の仕事をしていて紀平梨花がいると聞いた。僕はザギトワより紀平梨花が好きなんでサインを貰った。「吉田拓郎様」へと書いてある。僕はいろんな人がからサインをもらった。ジャニーズでは東山くんのサインもなぜかある。けれど紀平さんのサイン。こんなに嬉しいことはない。吉田拓郎のことを知ってたかと武部に尋ねたらぜんぜん知りませんでしたと(笑)

♪3. 早送りのビデオ  いいね。しっとりと歌いかけているようでありながら、この日はボーカルがドライブしている感じがして、イキイキと動的な印象だった。いや、初日からそうで私が気づかなかっただけかもしれない。
♪4.やせっぽちのブルース  ああ私を一階に座らせてくれと思った。私は一階に座らせると伸びるタイプなのだ。って知らねぇよ。
  (カッコイイの声に)僕は昔からカッコイイんです。70年代初期から吉田拓郎だけがカッコ良かったんです。はっきり言うけれど、周囲にカッコイイヤツなんて僕以外いなかった。やだなこいつのあとに歌うのというのばかりだった。例えばマイクをヨダレだらけにするヤツとかいたりして。しばらくたって個人のコンサートができるようになって「ああ幸せだな」と思うようになった。
 若い頃はコンサートが終わるとシャワーも浴びずに打ち上げ直行だった。深夜3時ころまで飲んでいた。そのまま翌日も二日酔いで歌っていた。今はビール一本くらいで真っ赤になって"紀平ちゃん"とか言ってる(笑)。そのかわりに甘いものが好きになった。シュークリームとか、あんこなんて嫌いだったけど、最近はあんこを観るとウホホホホとなる。
 来週日曜、小田和正と昼間に会う。あいつオレのこと「拓郎っていいやがんの」。歳はひとつ下だけど態度はデカい。僕の方は「小田君」って言ってるのに。スイーツを食べながら何を話すか。♪僕はすこし変わったでしょう。知ってるかな? 大部変わったと思うよ。

♪5.ともだち  なめらかなストリームのようなボーカルにいっそう磨きがかかっている。"みんな大好き"が基本のアレンジだが、ライブの方はもっとブルージーな躍動感がある。村田のしゃくりあげるようなアコーディオン。そして間奏以後後半に参入してくる渡辺格のペダルスチールがぐいぐい牽引してゆく。

♪6.あなたを送る日  一部歌詞がとんだ(笑)。ドンマイ。僕はあの日に心をとらわれ過ぎたようだ…という今回のツアーで新しく追加された詞。そんなに拓郎は過去にしがみついていたのだろうか。むしろ過去を一生懸命そぎ落とそうと格闘していたようにしか見えないのに。

♪7.I'm In Love  “自堕落な歌””退廃的な歌”と忌み嫌っていたこの曲が自分の中で大転換を起こしたのは「感度良好ナイト」のビデオからだ。この歌の背景に映し出されたお二人のショットを観た時だった。二人が寄り添う姿が、まるで天使が光を当てたかのように美しく自然と涙が溢れた。それからさらに20年以上の月日が流れている。他人の私にもそれから歩んだであろうお二人の歳月の大きさが垣間見える。今年3月の第99回のラジオの衝撃はまだ記憶に新しい。歳月と二人の旅路が、この歌をより美しいものに輝かせてゆく。こんなにも成長してゆく歌を他に聴いたことがあるだろうか。
 やはりこれは吉田拓郎の"きみに読む物語”なのだと思った。最後のピアノソロの終演がまた情緒的でいい。武部の素晴らしいフレーズだ。そしていつも嫌味のようで申し訳ない。このピアノはエルトン永田で聴きたい。ピロリンという抒情的で余韻と行間にに充ちたピアノでも聴いてみたい。
♪8.流星  一階席でスタンディングしている方々もいた。えらい。これぞスタンディングオベーションだ。間奏の決然としたハーモニカにそぞめきたつ客席。バラショ、ブラボ!!
(感激した客から「拓郎やばい」の声)やばい?(笑)(落陽、春だったねを歌唱)こういうのを歌うとみんな喜ぶ。ラジオをやっていて楽しい番組だった。いいアイデアも貰った。そのうちに予定調和なしで一発勝負をしたいと考えた。自分の書いた詞だけで歌ってみたいと思った。これに戸惑う人はCDを買っていない人。本当にCDを買えよ。次の2曲は、1曲目はラジオのメールがきっかけになって、これいいなと思った曲。次の曲は、若い頃のイメージと違っていて勘違いが恥ずかしいし、うまく歌う自信がありません。ステージで初めて歌います。
♪9.そうしなさい  今回もこのボーカルが遜色なくすばらしい。よく聴くと後半にかけて村石のドラムがマーチのようにタッタカタッタカと静かにビートを刻んでいる。それがこの歌のライブでの力強さを支えている。原曲にはない躍動感がある。
♪10.恋の歌  レゲエのリズムでゴキゲンなのになぜか客席は固まっているように見える。なぜだ。うまく歌えないって謙遜だろ。もちろん各人の自由で大きなお世話このうえないのだが。
 かつて日本は貧しかった。今も心は貧しいが。高齢出産の反対を押し切って生んでくれた母。そのせいか僕も病弱でいろんなことに乗り遅れていた少年時代だったが、ロックに目覚め、夢中になっていった。そして世界に行くんだ、ビートルズになるしかないと思っていた(拍手)。東京に来てから丈夫になった。自分が「朝までやるよ」をやったことを少年時代を知る人は誰も信じてくれない。母までもが「アレはあんたかね?」といっていた。身体も丈夫になって喧嘩もし暴れん坊になってしまった。今は情けない昔にもどって「日帰りならやる」というようになってしまった。
♪11.アゲイン  2014年のアゲイン(完)は、アンコールでスタンディングして聴いた。すべての曲がそこに集約されてゆくようだった。2016年は、怒涛のオープニングメドレーのあとだったが、すべての曲を照らすかのような煌きだった。どちらもコンサートの中ではニューヨークのセントラルステーションみたい…行ったことないよ(爆)。つまり巨大なターミナル駅のような位置づけだった。今回は、サラリと通過駅のひとつのように歌われている。ギターサウンドなんだな。それがいいのかどうなのかわからない。
♪12.新曲  永遠のツイスト。燃え立つ。拓郎がブイブイ踊るその間奏が今回一番長かった。一階の観客がスタンディングで踊る。ノってる。
 北は大宮、南は横浜だったのが、今回は、北は宇都宮、南は名古屋になった(拍手)。いいぞ、というけれど僕にとっては問題なんだよ。日帰りができない。僕はホテルが嫌いなんだ。かといってイベンターの家に泊まることもできない。なんで名古屋を選んだんだろう。テキトーだからな。昔は車で大阪とか行ったんだけれど、車だと何時間? 6時間? それじゃハワイに行けるじゃないか。90歳くらいになって、北は仙台、南は大阪くらいやってみようかな。よぼよぼだろうな。君らもそうだろう。ここだって、一生懸命来てるんだから。今日だって大変な思いで来てるんだから。  客席に尋ねたり会話のキャッチボールをする拓郎。明るく話しているけれど「移動の大変さ」が言外に滲んでいる。

♪13.純  立たんな。拓郎も気に入っていると書いたので気を強くして言うが「拝啓 テレビの前の視聴者の皆さんこの歌で立たないヤツは不良です。なので決してマネしないでください。」  この歌は、あの2003年のポンの直後に発表された第一作だった。思い込みかもしれないが、そんな情動が歌の言葉の隅々にしみこんでいる、どこか捨て身の怒りといら立ちが何かを突き動かし、レゲエのリズムと相まって相乗効果をもたらす。この歌の魅力だ。”僕の命この余に捧げてしまっていいさ”こんなフレーズをあの時のそして今の吉田拓郎以外誰が真実味をもって歌えよう。"生きるものすべてが愛で繋がれる"・・・この大団円の感動。誰がなんと言おうと名作のひとつである。私の足音と純。これでRONINを歌ったら私はもう廃人同様になっていたはずだ。
 アウトロから続いて、メンバー紹介。
村石雅行
松原秀樹
渡辺格
村田昭
鳥山雄司
武部聡志
加藤いづみ
吉岡悠歩
今井マサキ
土井康宏

 間違えて村田の前に渡辺格を紹介しようとして後に「今度こそギター渡辺格」と紹介する。紹介が終わったら王様たちのハイキング~♪遊びに行きませんか僕らと一緒に~の みを歌う。歌う前からニヤニヤしてステップを踏むようにマイクに近づく。やはり瞬時に燃えて立つ観客。そしてこれまた瞬時のブラックアウト

♪14.ガンバラないけどいいでしょう  聴くたびに磨かれてゆく感じだ。サビの部分はまるで"アジアの片隅で"のように渾身で唱和したくなる。拓郎ももちろん熱唱していた。中島みゆきで言えば"あきらめという鎖を身をよじってほどいてゆく"ような歌だ。そう誰かが書いていた。ああオレだ。放吟しながら、本当に燃え立ち自由になってゆくような気がする。この歌ののびやかなチカラ強さ。
 (頑張っての声)頑張ってるよ、これ以上は無理だよ。かなりいい感じだと思うけどね。遠出した甲斐があったよ(拍手)。人生のイントロではなくエンディングを弾いている。そういう人生のエンディングはどこまで続くのか闇の中だ。音楽はいつまでも続けるつもりだ。このツアーが終わったら、すぐにメンバーたちとレコーディングしたいと思う。エンディングとはいえ、フェイドアウトしたりはしない。みなさんも自分のエンディングをいいエンディングにしてほしい。
 「しっかりしてるよ、何言ってんだよ」というライブ73を彷彿とさせるかけあい。この日のもっとも印象的なMCだった。すぐにレコーディングしたいんだってよ。うれしいじゃないか。フェイドアウトなんかしないってよ。ああ、たまらん。

♪15.この指とまれ  先週wowowでアリスの武道館中継を観たばかりだったのでメチャクチャ感慨深かった。すまん。今年ラジオで拓郎は怒った。「この歌は、谷村さんのハンド・イン・ハンドやシアターフレンズを歌ったというのは違う、ネットの嘘だ。」…この本のこのインタビューのココに書いてあるなんて無粋なことは言わない(爆)。御意。拓郎が違うといえば違うのだ。
 「谷村さんがどうとか、オレがそんな小さなことを歌にするワケがない」・・・御意。それにしちゃ布施明のこと何十年怒ってた?とも思うが(爆)、拓郎がそうだといえばそうなのだ。
 なので私のひとりよがりな思い込みだ。ともかくアリスの武道館中継を観たばかりのわが身でこの歌を聴く。あああチョー―――キモチイイ~~。たまんねぇ。ひとりよがり結構。
 もちろんアリスのライブは曲によって胸に沁みもしたし素敵な人達だとも思う。吉田拓郎が当時睨んでいたのはアリスそのもというよりも、その現象を通じてあの当時蠢いていた闇。少数者を押しつぶすような時代の闇そのものだったのだと思う。だからこそ今もカタチを変えて蠢く時代の闇に対峙すべくこの歌は生き残ったのだ。そう考えると拓郎の言う通り「この指とまれ」はスケールの大きい作品なのだなとあらためて思う。なので、この曲とアリスのことを書くのはこれが最後にしたい。なんかムカついたらまた書くけど(爆)。それよりもこの歌が出自を離れてどこへ行かんとするか、何と対峙するのか、そこにこそ耳をすまし目を見張らんとしよう。

♪16.俺を許してくれ  チカラが入ってたね。ぐいぐい来た。CDでは無機質な硬質感があったが、ライブでは躍動感に満ちている。拓郎もこの日はリズムにのっている。左手でギターのネックを握って、右手は拳を握って身体をスイングさせている。ああカッチョエエ姿。2階左側に手をふる。誰かいるのか。ともかく今日の絶品じゃね?
 個人名を出すのは問題があるので伏せるが"王様達のピクニック"の主催者の某さんと、昔、カラオケをご一緒した時「俺を許してくれ」を歌った彼は「人生につまづいた夜 人生につまづいた夜」のあとに自分で”シュッ”と効果音を入れていて私は衝撃を受けたものだ。拓バカの凄さを思い知った。♪シンシア~フッフッの掛け声は定番であるが、この”シュ”もこれからの合いの手として必要なのではないか。活用されたい。

♪アンコール 17.人生を語らず  全力歌唱。観客も4階までオペラ座総立ちで拳を振り上げる。投げキッスをしてくれた。 ♪18.今夜も君をこの胸に  この作品もきっと"きみに読む物語"なんだよな。会場が波のように心地よく揺れる。トリプルギターは絵になる。しかしやはり孤影悄然と拓郎一人で弾いている姿こそ最も神々しかった。
 いつものように長い長いお辞儀のあと、客席に向かって最後に両手を口にそえて何かを叫んだ。なんだ、なんだ。サンキューと言ったように見えた。

 後で知ったが会場に"春だったね"の作詞者田口淑子さんの花があったらしい。不覚。気づかなかった。謎に満ちた作詞家田口淑子。静岡にお住まいなのだろうか。"春だったね"御殿は浜松にあるのか。謎は謎のまま。でもひとつ「叔子」ではなく「淑子」なのだと確認できたことは大きい。

 それから「慕情」がカットされた。少し苦しそうだったからか。石山さんに歌ってもらうしかない。

 今回ツアー参加だったので、コンサートが終わってアクトシティ浜松から高速バスでつま恋まで移動した。わーお、コンサートツアーの移動みたいじゃん。狂喜する私。トラベリンバス。夜の国道をつっ走る。だから浜省だろそれ。これが夜走りってやつか。夜走り仔撃ち@田家秀樹。もう遠足の小学生の200倍は感激したね。でもこれが毎日続いたら確かに大変だろうね。
 「移動」ということをこともなげに私は考えてきた。しかし人によってはそこには凄絶な苦難があるのだろう。吉田拓郎のこの10年間はそれとの闘いだったのかもしれない。そんな中で、とにかく今回、つま恋の関を越えて浜松まで来てくれたこと。その大いなる一歩。海より深く感謝し空より高く讃えたい。それはこれなら名古屋にも行けそうだから、これからにもつながるとかそういう現世利益のことではなく、浜松に来たことそれだけをただひたすら讃えたい。ありがとう。

 懐かしのつま恋に着く。ホテルの人がいちいち「吉田拓郎さんのコンサートツアーの方ですね」とか言ってくれるのが嬉しくてついつい「島村英二です」とか答えたくなってしまう。…なんて事をしている時間はない。荷物を抱えたまま部屋にも行かずにそのままあの店に転がり込んだ。"あと5分でラストオーダーですので"とやんわりと断られたが、"俺を誰だと思ってんだ"と啖呵を切ると、誰でもないただのショボイおっさんの私を憐れんで入れてくれた。あのパネルと再会した。あった。あったよ。変わらずに誇らしくそこにあった。御真影を拝し、涙ぐみながら、今日のライブを反芻した。
 今日の忘れられないひとこと。「決してフェイドアウトしないエンディングを」拓郎は言葉と音楽で語りかけてくれた。こちらこそ遠出した甲斐があったというものだ。