■ 2018. 7. 28
…大丈夫なのか、そんなにハードルを上げて。御大、辛くはないですか。身体に良くないっすよ。
どうせならラジオで大々的に「発売直前企画From T収録曲大予想」と銘打ってメール・ハガキを募集してはどうか。きっと御大、読みながら身悶え、悶絶すること必至だ。おい。
映画「この世界の片隅に」の拡張版が完成したようだ。30分追加することで主題も変わる。新しいタイトルは「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」。イカレタ私の脳みそでは、「アジアの片隅で」と「いくつもの朝がまた」が勝手に鳴りだす。12月が待たれる。
それにしても台風は、なんという不可思議な進路をとるのだ。まるで星一徹の魔送球のようだ。どうか呉はじめ西日本を直撃しませんよう。
■ 2018. 7. 29
時節柄、つま恋か篠島を観ようかと思ったが、最新のLIVE2016にする。これを観ていると、このまま明日、歌ってくれそうな勢いがある。二巡目は、バックスステージとぼくのあたらしい歌のメイキングを繰り返した。
いい。いろいろ文句は言ったが、それはSorry,It’s my natureだ。スタジオに、あるいはゲネのステージにミュージシャンと一緒にいて、歌い、インストラクションを出し、談笑する吉田拓郎はやっぱり素敵だ。現場が海なら私は魚という感じだ。レゲエのリフを楽しそうに弾く御大を観ながら、ああ、こういう音楽の現場に早く帰ってきてくれよと切に思った。
なんか詞はかなり気恥ずかしいけれど「ぼくのあたらしい歌」の天衣無縫な気持ちいいメロディーをあらためてかみしめる。この歌と「この街」が70歳を超えて出てきたことで、吉田拓郎の無敵を確信する。ふつー70歳といえば「古稀記念論文集」みたいな、いかめしいものだが、古稀にしてこの自由さ、のびやかさは誰にマネできまい。
FromT→一発レコーディング→コンサートツアー。順不同、順不定期は、覚悟の上だが、どうかそれぞれがつながってゆきますように。
■ 2018. 7. 30
吉田拓郎です。20年以上前、ハワイのハレクラニホテルで50歳のバースデイパーティをした。たくさんのファンのカップル、50人くらいかな、一緒に楽しい時間を過ごした感激のパーティだった。
あの夜の料理は、ホノルルのホテルとファックスでやりとりしてメニューからワインの銘柄、シャンパンに至るまで僕が決めた。あれから22年、あの時の カップルの人たちはどういう人生を送っていのだろうかと思う。
彼ら彼女らは、お互い連絡とりあって、ウクレレが日本中を回っているという話を聞いた。そんなことをふと思い出した。僕たち夫婦は元気だ。妻のお母さんは亡くなってしまった。あの時は楽しく参加していたが。でも僕たちは元気だ。本当はあちこち痛い重いで大変だ(笑)。助け合って一歩一歩だなと思っている。みなさん毎日どうしているんだろうな。
さて、みなさんが一緒に呑んでみたい歌手、ミュージシャン、俳優さんを聞いてみた。
20代男 プールのバーで水着の広瀬すずとカクテルを飲みたい
>不潔だわ(笑)
20代女 菅田将暉くんとオッケーな店で
>人気があるね。吉田拓郎も26歳の頃そういう対象に一瞬なっていた時期があったと思う。夢か。
30代男 深キョンとバーベキュー
>バーベキューって今でもやってんの? 深田さんはそういうイメージなのかな。
30代女 左に剛くん、右に光一くんでキンキの真ん中
>キンキの二人は、話は弾まないよ。番組の後で、毎回焼肉によく行ったけれどゼンゼン話は弾まない(笑)
40代男 ローソクの灯りでテントの中で綾瀬はるかと小声で話しながら缶ビールを飲みたい。
>缶ビールとはセコイな。なんで小声なんだ。
40代女 安室さんと本音で話しをしたい
>キツイこと言われそうだぞ。
60代男 五月みどりさんと飲みたい 話きいてくれる
60代女 井上順
>紳士で楽しい人。でもなんで順さんなんだ。
吉田拓郎は、誰とも飲みたくない。飲みたい人はひとりもいない。酒飲んで楽しい歌手何ていないし、なんの興味もない。
業界の人と飲みたくなんかない吉田拓郎のラジオでナイト。
■タイトル
歌謡曲は、良いリクエストが増えていて楽しみだ。
<西郷輝彦の「初恋によろしく」をリクエスト、星のフラメンコよりもこっちがいいという投書>
今日はかけないよ。ははは。
(♪いつでもいつでも君だけ〜ワンコーラス歌う)
M-1 いつでも君だけを 西郷輝彦
■CM明
おっちょこちょい。
<いかつい肩だと思ったらハンガー入れたままだったり、ゴルフ場で子どものパンツだったのでノーパンで帰ったり、「おじさんはくたくただマリちゃんに逢いたいよ」というメールをマリちゃんじゃない私にメールを書いてきたりする、おっちょこちょいおじさんという投書>
<拓郎さんと同じで泳げないけれど、ビーチリゾートでの出会いを求めているが、どうやって泳げもしないのにビーチでオーラだすか教えて欲しいという投書>
僕は、泳げないわけではない、25メートルくらいならノーブレスで泳げる。そういえば、最近の若者は、海に行きたがらないらしいね。
そういうのは任せて。ハワイのプールで、さも泳ぎは飽きたみたいな顔をする。火照った身体を冷やしているかのように歩き回る。海では、波打ち際に立って 遥か沖を眺めて口笛を吹く(ビリーボーンオーケストラ「星をもとめて」)。そして軽やかにスキップしながら立ち去ってゆく。こういう吉田拓郎は参考になったかい。
さて、映画ね。
<「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」が気に入っているという投書>
もちろん観ましたよ。
「ラ・ラ・ランド」はいい映画だった。ミュージカルが苦手だという人もいるかもしれない。「シェルブールの雨傘」なんてずっと歌だもんね。
「ラ・ラ・ランド」はセリフと歌という感じだが、もう文句なしに素晴らしい。 演奏と歌とダンス。ジャズピアニストのライアン・ゴズリング、女優を目指すエマ・ストーン。やがて彼本来の志向とは違うバンドから誘われて多忙な日々を送るライアン・ゴズリング。エマ・ストーンは売れずに田舎に帰ってしまい、疎遠になって別れる。しかし、その後、ひょんなことからエマ・ストーンの女優の仕事が大成功し、やがて結婚して子どももできる。その後、エマストーンがたまたま立ち寄った場末のジャズバーで、ライアンがいて、初めて出会ったときの曲を弾いてくれる。彼は、かねてからのジャズ音楽に戻って店を開いていた。お互いのかつての日々のフラッシュバック。しかし、彼女は、無言のまま家路へ急ぐ。
なんて素敵なんだ。映画ってなんてステキなんでしょう。クリントイーストウッド、きっと黒澤明もツボがある。映画っていいもんだな。
■ベストテイク
「ウィンブルドンの夢」。ワールドカップは燃えたね。終わってからもイニエスタ、トーレス、ヤットさんとサッカーに夢中だ。
素晴らしいテクニックだったのは、優勝したフランスの19歳のエムバベ。彼には釘付けだった。6歳の頃から100年に一度の天才と言われていたらしい。ジャパンも面白い試合で、考えるところがある試合だった。
テニスもウィンブルドン。ドイツのケルバーが優勝したね。シモナ・ハレブとかが早々に敗れてしまった。
そしてジョコビッチの復活。ナダルとの準決勝は、歴史に残る。ジョコビッチには勝てないな。
僕の夢、君の夢って、橋幸夫みたいだな。夢はオトナになってかなえられたのだろうか。あるいはまだ夢の途中の人、そして夢をあきらめた人いろいろいると思う。
広島の頃は、ビートルズのようにバンドで世界に出て行けるのではないかと自信はあった。ビートルズになるんだと夢があった。その夢は、東京にナベプロに売り込みに行って消えた。その日、当日のうちに消えた(笑)
この曲の音がリミックスされている。音が、古いバージョンと比べてみるといい。ということはわかるでしょ。
M2 ウィンブルドンの夢
■マイフェイバリット
男性のみなさんは、女性を好きになる時、どういうポイントがあるか。
例えば、女優でいえばオードリー・ヘップバーン。痩せて、キュートでコケティッシュな感じ。それと、マリリン・モンローは、バーン、バーン、バーンという感じ。お尻を振りながら・・・・・・
みなさんは、どちらでしょうか。オードリー・ヘップバーンかマリリン・モンローか。吉田拓郎はマリリン・モンローです(笑)
ジャクリーン・ビセットが好きでした。「ディープ」とか、あと「スティーブ・マクイーン」とも共演したし、ジャクリーンケネディ・オナシスの役を演じたこともあった。
そういう僕を許してください
今日の曲は、「ムーンリバー」いい曲だね。「ティファニーで朝食を」。ヘンリー・マンシーニの素晴らしくムーディな演奏。ピンクパンサーとかグレートレースなどの映画音楽もそう。
昔は、映画音楽がヒットしていた。「S盤アワー」とかもあったよね。
1953年の映画「シェーン」の「遥かなる山の呼び声」。高倉健の映画だけれど、こっちがオリジナル。
M3 遥かなる山の呼び声 ビクターヤングオーケストラ
映画音楽は心に残る。
「黒澤を励ます100人の会」というのがあって、フォーライフの社長の頃に出たことがあった。淀川さんもいたりして。その時、黒澤さんに「なんで日本の映画音楽はチャートに出ないんだろう、音楽にお金をかけてほしい」と若気の至りで言ったことがあった。
次は、戦場にかける橋。こういう映画音楽もヒットした。
M4 クワイ河マーチ
皆さん身体にしみこむようにご存知でしょう。
次は僕が主演している映画、アランドロン(笑)が素敵だった。スニーカーに素足でコットンパンツ、シャツを出して、なんてカッコイイんだと憧れた。「太陽がいっぱい」謎な女優マリー・ラフォレ。この映画以外では観ない。この曲を聴くとどうしても吉田拓郎の顔が浮かんでくる(笑)。どっかで勘違いしているな。
M5 太陽がいっぱい
ということで、「ムーンリバー」。先週の「大利根無情」その前は「We are the world」そして「ムーンリバー」ということで(笑)。なんといったらいいのか、無節操(笑)
M6 ムーンリバー
■エンディング
マイフェイバリットの予想がつかなくなった。幅が広がりすぎている。
ベストテイクは、底をついている(笑)。アルバムの話になってしまうし。
むつかしい立場にたっている。
恥ずかしいファッション、髪型。高校受験で一度だけ丸坊主にしたことがあったが、似合わなかった。
一緒に呑めるんだったらどんな芸能人がいいか。
吉田拓郎でした。
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆
☆今日は個人的なことだ。もともといつも個人的だけれど。特に他人様には超絶どうでもいい個人的なことだ。
ちょうど母校の高校野球の地方予選の決勝戦があった。いわゆる野球強豪校ではない地味なフツーの公立高校だったので、降って湧いたような大騒ぎであった。ホントに僅かの時間だったが、私のように、普段は母校のことなんか顧みもしない薄情な卒業生たちも、準決勝あたりから、みな興奮し色めきたった。
自分には、昔も今も、まったくの無縁だと思っていた「甲子園」が、急に目の前に迫ってきたのだった。新聞もテレビもネットも無名な母校の名前を連呼しておる。あらぁぁ人生ってこんなこともあるのね。
決勝戦の試合は惜敗であった。うーむ、ここまで甲子園に近づきながら。みなが悶絶した。
でも、選手たちは、逆転されても、チャンスに凡打でも、みんな笑顔だった。最初、笑ってんじゃねーよと思ったが、失策した選手を迎えるベンチもまた全員さわやかな笑顔だった。これは彼らの夢の宴なのかもしれない。真夏で、地獄の炎天下だけれど、そこだけ”春の風が吹いていたら”みたいな感じだった。
そんな夜のベストテイクは偶然にも「ウィンブルドンの夢」だった。ワールドカップもウィンブルドンも、ああ、そして甲子園にも出たかったよね。ぴったしじゃないか。
御大は言った。キミの夢、僕の夢、夢をあきらめた人、途中の人。そして夢なんか見ようともしなかったおじさんにも、真剣に夢を見る人の夢は、おこぼれのように降り注ぎ、音叉のように波及してくるものかもしれない。
ちょうど、ハレクラニの御大50歳のパーティの素晴らしさはその現場にいらした方々でなくてはわからないものだろうけれど、その果実は、その場にいけなかった私たちにもいろんなかたちで届いてくるのと同じようなものだ。
リミックスは、たぶんエルトン永田さんのピアノがクリアになり、御大のボーカルがくっきりと出て、ストリングスが、スタンドバイミーのように美しくフィーチャーされていたような気がする。違ったらごめんな。
そんな「ウィンブルドンの夢」を聴きながら、今日残念な思いをした、すべての卒業生たちに、この曲を聞かせてやりたいと心の底から思った。そして選手たち・・・彼らが、おじさんになった時、この曲を聴いて欲しいと切に願った。
☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆
夢を見ている人を大切にしよう。少なくとも邪魔はしないようにしよう。
■ 2018. 7. 31
後にRyu's barに拓郎が出たとき、村上龍が「黒澤明を励ます会」で初めて拓郎と会った話をしていた。その二次会のお店で、拓郎がお店のギター弾きのギターを奪って延々と歌い始めてびっくりしたという話を披瀝していた。「いつもああやって歌うんですか?」との村上龍の質問に拓郎は苦笑していた。吉田拓郎とは、そういう場面では、頑なに歌わない人であることは、広辞苑にも書いてある。
それでは、なぜ歌ったのか? 疑問を解くカギは、田家さんの文章にある。この場に同席していた田家さんは、その店のギター弾きの伴奏で「落陽」を歌おうとするが、そのギター弾きの人が曲を知らなくて、田家さんはアカペラで歌い出すが、うまく歌えなかったそうだ。
すると拓郎がいきなり立ち上がってステージに上ってきて、ギターを奪い、もうたまらない様子で「俺が歌う」と自分で落陽を歌い始めたそうだ。その時の拓郎の顔が忘れられないと田家さんは書いている。どんな顔だったのかは書かれていない。書いてくれ。私にとってはかなり大事なことだ。”明日はミスチルです おやすみなさい”とか書いてる時間があったら、そのことを書いてくれ。それとも書くのが憚られるような切ないものだったのだろうか。
この映画プロジェクトはどうなったのか、わかんないけど、数年後フォーライフ・東宝の提携で、市川昆監督、水谷豊(当時フォーライフ)主演、音楽ロブバード(当時フォーライフ)の「幸福」という映画になった。当時映画館で観たが、たいして面白くなかった記憶がある。主題歌の歌詞が松本隆で「9月になれば、9月になれば」というサビだけが強く頭に残っている。
それにしても黒澤明に映画音楽の大切さを進言したことは初めて知った。若気の至りと本人は言うが、カッチヨエエぞ。ハラショ、吉田拓郎。
■ 2018. 8. 1
調べてみると「ゴンドラの唄」は、1915年(大正4年)の作品。この映画の舞台は1952年(昭和27年)だ。とすれば当時にして37年前の古い唄ということになる。今から37年前は1981年だ。ちょうどシングルで言えば「サマータイムブルースが聴こえる/Y」の頃だ。この曲を誰かが「ああ、昭和時代のラブソングね」と小バカにしやがったら‥‥‥そういう話ではない。
昨日書いた「黒澤明の会」の二次会で、店のギター弾きが「落陽」を知らずに、田家さんがアカペラで歌ったという話。その映画のキャバレーのシーンに近い空気があったのではないかと思い切り邪推する。「なに?この歌、フォーク? しらねー。」みたいな薄い空気。しかも自分自身も社長業に忙殺され、ステージや歌の第一線から離れてしまっていた吉田拓郎にとっては、たぶん本当にたまらなかったのではないか。あくまで憶測ね。そんなたまらない気持ちから、自らギターを取って歌ってしまうという、普段なら絶対ありえない異例の行動に出たのではないかと思う。
その時の空気と御大の気持ちがわかりすぎるほどわかったから、田家さんは、「その時の顔を忘れない」とだけ書いて、すべての言葉を呑み込んだのだ。さすが田家さんだ。って、昨日はメチャクチャ失礼な事を書いてたろぉ、星紀行っ。
映画のシーンを思い返しながら、今に残る名曲だからといって、ずーっと神曲として全国民から絶賛されてきたわけではなく、そこそこ冷たい扱いをも受けてきたのだなと知った。実際に、大正時代、リアルタイムでヒットはしたものの、それほど評価は高くなかったと記録にもある。
吉田拓郎の名曲だってリアルタイムでは売れなかったり評価されなかったりした、あるいは今もって評価されない作品がやたら多い。
しかし「ゴンドラの唄」は、文字通り人の命はとても短いが、風雪に耐えて残る曲は、100年経っても余裕で残るということを言外に教えてくれている。
私たちは年齢差こそあれ、みんな老境一直線で、60年後は殆ど誰もいないだろう。だが、御大が歌い、私たちが愛した唄は、ずっと残り続けるかもしれない。私たちがとうに死に絶えた後で誰かが「ウィンブルドンの夢」で元気づけられているかもしれないし「Life」や「マラソン」を聴きながら人生に立ち向かっているかもしれない。そのために、私たちは、いや私は何をしたらよいのか。「コペル君、自分の頭と心でよく考えてみたまえ」と問いかける声が聞こえてくるかのようだ。空耳か。
■ 2018. 8. 2
「拓郎に惚れた太陽が燃えてくれた」と岡本おさみが言ったから
8月2日はつま恋記念日。
我ながら素晴らしい短歌だ。って、思い切りパクリだろぉ。私は行けなかったが、つま恋75を経験した人の話を聞くたびに感動がある。ひとりとして同じような話が無い。本当に行った人の数だけの切実なつま恋があるのだということを教えてくれる。すべての人の話を聞きたいと思う。
さて、黒澤明の会と落陽の話が依然として引っかかっているので、私の妄言・妄想は続く。
「落陽」は、いわずと知れたライブ73で初披露されて以来の大人気曲だが、ある意味それが狂信的なまでに加速したのは78〜79年あたりからではないかというのが私見だ。
フォーライフの再建のために社長業に専念しステージから離れた苦悩の2年間。それは拓郎の苦悩だったろうし、ファンの苦悩でもあった。拓郎が社長業に専心したとたんに、若手ミュージシャン世代が大挙して君臨し、音楽シーンが塗り替えられて、たちまち吉田拓郎は過去の遺物となった。何度か書いたけど「吉田拓郎ファン」とか言ったら学校ではダサイと笑いものだった。
そんな真っ只中の時期の例の黒澤明の会だった。例えば今、ギターを弾く人で「落陽」を知らなかったらそれはその人が問題だと思うが、あの頃は、シングルヒット曲でもないし、知らないのが当たり前だった。拓郎ファン以外、周囲で誰も「落陽」なんて知らなかった。昔のフォーク歌手の知らない歌に過ぎなかった。
音楽の一線を退いて社長として業界人のあつまりの片隅に座っていた拓郎は、きっとこのまま世の中から風化してゆく「吉田拓郎」というものを直に感じ取っていたのかもしれない。
おそらく吉田拓郎もそして吉田拓郎のファンも、こういう氷河期のような苦悩の状況で、いつの日かやってくるだろうライブを遠く見つめて生きながらえていたのだ。
「落陽」はそんな時の”灯”だった。その空白の2年間の間、ライブを待つファンは、ライブを思ってライブ73をひたすら繰り返し聴くしかなかった。何度聴いても「落陽」を始めライブ73は痺れた。
そして、御大も来るべきライブで、どれだけ魂をこめて「落陽」を歌うか何度も想を練っていたはずだ。78年ロッドスチュワートの来日コンサートを見た拓郎は、「ロッドがセイリングを歌う時の恍惚感、やがて俺がステージで『落陽』を歌う時は、それ以上のものが出せる」と意気込みを示した。ものすげー「落陽」を歌ってやるぞという気迫が満ちはじめていた。
そして明けて79年に訪れたハレの日の日本武道館。2年間の空白を背負った拓郎は落陽のイントロを静かに弾きながら「知ってる? 歌いなよ」とおそるおそるといった感じで客席に声を掛けた。同じ2年間、鬱屈していた私らファンは、それはもう「知ってるに決まってんだろう」と歌い始める。そのうちなんか堰を切ったようにあれこれと思いが溢れ出てきて、やがて会場を揺るがすような大合唱になった。辛かった2年間が終わろうとしていた。「幸せだな、俺は」と拓郎つぶやいた。私もおそらくすべての観客が幸せだった。ああ書いていて泣きそうだ。そして「吉田拓郎はずっと歌うという決心が今ハッキリついた」と宣言した。
こうして79年は、長い氷河期の中で風化しつつあった吉田拓郎が「落陽」を御旗に掲げて果敢に巻き返していった逆襲の一年でもあった。そういう歴史的意味合いが加わり、「落陽」は燃えに燃える曲となったのだ。
・・・・ああ、こう書いていると、まるで「落陽」が好きな人みたいだ。このサイトでは「落陽」に否定的なことばかり書いてしまっている。否定しているわけではなく超絶名曲であり大切な曲だけれど、今はそんなに毎回歌わなくても平気、他にもっと愛でて欲しい曲がたくさんあるという一個人の勝手な思いに過ぎない。
ああ、まだ書き足りねぇ(爆)。
で、話は戻って、田家さんは、あの夜、ギター弾きが曲を知らないというのに、なぜ無理矢理に「落陽」を歌ったのだろうか。ギター弾きの人は、たぶん落陽は知らなくても、「旅の宿」や「襟裳岬」なら知っていただろう。なのになぜ、しかも拓郎本人の前で、アカペラで歌うというある意味リスキーなことをしたのだろうか。田家秀樹は富澤一誠ではない。拓郎への畏愛と細やかな心遣いに満ちた人だ。知らないけれど文章を読めばそのくらいわかる。ついでに富澤一誠も文章を読めばわかる。
あの時、世間は忘却しつつあるが、「フォーライフの社長として今ここにいる吉田拓郎とは本当はこうなんだ、こんなに凄いんだ」ということを宣揚するために「落陽」を歌いたい、歌わずにいられなかったのだと思う。きっと田家さんは、評論家であると同時に、苦悩の空白の期間に悶絶するファンのひとりでもあり代表でもあった。そして御大は、そんな田家さんの苦悩の叫びにたまらなくなって立ち上がったのだ。
「黒澤明を励ます100人の会」の二次会だが、田家さんにとっては「吉田拓郎を励ますたった一人の会」だったに違いない。なんと深い愛と気骨の人なのか。三日前はひどいことを言ってすまなかった。
星紀行今日の学び 番外編
今日、吉田拓郎があるのは、黒澤明と黒澤久雄のおかげである。
いみふ?いいんだ、いみふで。誰もわかってくれなくていい(爆)
■ 2018. 8. 3
唐突だが、「夏二人で」(六文銭)と「二人の夏」(愛奴)、タイトルを英語にすると同じになってしまう。この微妙な違いを表現できる日本語の繊細さに乾杯。
■ 2018. 8. 4
夏をゆくツアーというとCountryもそうなのか。でもお盆過ぎてから始まったしな。
昨日カラオケで「ウィンブルドンの夢」を歌った。あらためて名曲だ。 結局、countryツアーは、潰えてしまったけれど、また歌うよ、また会えるよ、その日はきっと来るよと一歩も引かず、ひとつもあきらめていない拓郎が、私たちに語りかけているような気がした。そう思いながら歌うと、最後の「大きく息を吸って両手で風を抱いて思いを空に届けよう」の部分で泣きそうになる。
満身創痍であっても、いつでもどこでも清々しい明日はあるんだという御大の声が聞こえる。感動のあまり2回歌った。だから私は嫌われる。でも聴衆はいい歌だと言ってくれた。
調子にのって西城秀樹への提供曲「女神が微笑む時」も歌ったのだが、「つまんねー歌だな」と不評だった。そこがいいんじゃないか。うなぎ屋さんで、うな重の松、竹、梅でなく「うな丼」を食べるようなそういう味わいがわからないかな((爆))。私が一番失礼だ。
■ 2018. 8. 5
広島といえば、明日6日は、その日で「夕凪の街 桜の国」がNHKでドラマ化されて放映されるらしい。「この世界の片隅に」も実写化放映中だが、これに限らず、あらゆる実写化というのは鬼門である。何か文句を言いたくなる、偉そうに評論したくなってしまう。
ちょうど吉田拓郎の原曲をどんなに上手い歌手がカバーしようと、ファンとして一言垂れたくなるのと同じかもしれない。
http://tylife.jp/sideways.html#KONO
このサイトでも何度か書いた。ドラマの番宣で「皆実ちゃん」と耳にするたびにドキっとする。霞ねぇさんも、翠ちゃんも出るのだろうか。
実写化だからどうのこうのでなく、ここは是非、片渕直監督によって映画化してほしいと切に思う。
■ 2018. 8. 6
吉田拓郎です。今週はスペシャルウィーク。ラテ欄は既に書かれている。すごい話をしようとしているが、この収録の様子を聴いてラテ欄を書き替えたら許さない(笑)。
先週、50歳のハワイの話をしたらたくさんメール、写真、が送られてきた。みんな元気そうで良かった。ハレクラニのディナーのメニューのコピーまである。フィレミニヨンのビーフ、ロブスター、ピノノワールのワイン。
ウクレレをもってベストを着ている写真。ダイヤモンド・ヘッドの見えるハレクラニのラナイでの合同写真。みんなも若いけど僕も若い(笑)。50歳だったんだから、あー懐かしい若かった。観ていると泣けてくる。
<新婚旅行だった二人には、一生の宝物という。長女にカハラとなづけたが来年大学卒業で、あの時のファンともいまだに仲良く、毎年4月にバースディを祝うという仲良し、ウクレレはどうなっているか投書>
カハラモールを歩いていたら、当時はひざたけのショートパンツが流行していたのに、やけに短いボルグみたいな短パンを穿いたカップルがいたので、カハラモールで短すぎると注意したら、これからすぐ買いますと言っていたのを覚えている。
1000組の中から20組かな最初に昼食会をカハラヒルトンホテルでやって、その後4月5日のハレクラニで貸し切りパーティをした。カハラちゃんいい名前だ。
そのみんなで回したウクレレがどうなっているかこっちが知りたい。
<ビーチとプール、黄昏時に始まる素敵な企画、ワイン、フラダンス、鯨との遭遇、拓郎さんのガイド、ゆったりした時間、そしてウクレレは行方不明とだという投書>
ははは(笑) 行方不明か。誰かとっちゃったかな。
<夫婦での忘れられない思い出、義母様と同じ年で亡くなった、同居の母がランチバイキングで(奥様の)義母様とお話したことを忘れません、会社も大変だが頑張っている、中学の時からの人生の師の拓郎さん、いい仲間と知り合えたことにも感謝、という投書>
義母はよく話す、気さくな人だったからね。
<まだ気にしてもらったんですね、孫ふたり、仲間と今も交流していますという投書>
気にしていたよ。僕のことを言うと、50歳である決心のもとに行ったハワイだった。後にフォーライフやめたりすることにつながる。東京から行った人間も、僕が敢えてチョイスした地方のイベンターがメイン。
新しい始まりがハワイだった。それまでの友人たちとの関係を断ち切ってしまおう、生まれ変わろう、考えをシンプルにしようと考えた。なので想い出深い。それ以来22年間会っていない友人もたくさんいる。
フォーライフという夢のチームとも訣別すねことになる。いろんなお付き合いお断りしすることになる。だから
交流している最近の写真送ってくれたけど、まだみんな写真観ると若いね。当時いくつだったんだろう。その時妊娠していたという娘さんも映っている。今度のコンサートに娘さんだけは来るように、君たち夫婦は来なくていいから(笑)
ハワイといえば、今日、ニッポン放送の偉い人と打ち合わせ。爆弾発言をするといったが、「好調なので、いまひとつ上のステップで、番組としての企画。リスナーを呼んでコンサートとか座談会…座談会してどうするんだ、相撲大会とか、一人10万円でイマジンスタジオに呼んで金儲けしようかとか(笑)、今度のコンサートは、東京一本だけなのでここに呼ぼうかとか。言ってはいかんのかな。
<もっと寡黙な人だったと思うが、そんなキャラでしたっけという投書>
がっくり。寡黙と思っていたのか。ライブの会場ではオーディエンスいると音楽に集中してしまう。バンドと一体化してしまうので寡黙かもしれない
ラジオでは黙っているのもなんだなということで喋ってしまう。サッカーの解説の木村さんみたいにんんんん…といってるだけなのもどうか思うので、マイクの前に座るとあることないこと喋ってしまう吉田拓郎のラジオでナイト。
■タイトル
この番組のキー局は8局だ。北海道、仙台、長野、山梨。富山、福井、愛媛、各地の自慢を聴いてみた。
北海道STB放送 50代 ジンギスカン 国産
>平凡だな コンサートツアーでよく食べた おいしいね 魚もうまい
すすきの男たちが繰り出すのは昔から。本州の男は北海道の女性に夢中になる。
仙台東北放送 主婦。都会なのに緑多い。厚い牛タン。
>よく行ったが、綺麗な街だ。焼肉とか冷麺とかが有名で不思議。
長野信越放送。避暑地たくさんある。
>軽井沢よく合宿したね。原田真二、手塚さとみ、杉田二郎。たいがい松本隆と一緒で、コテージのあるホテルで。ある日、蕎麦でも食いに行こうといわれても信州そばの店に行って、鴨南蛮うどんを頼んで松本隆が驚いた。信州蕎麦って知らなかったし、うどんの方が好きだったんだもん。
山梨放送 勝沼ワイナリーとか冷やしほうとう。
>いいね。国産ワインもおいしい。カベルネソービニオン、ソービニオンブランとかもできるのかな。
富山北日本放送 白エビとほたるイカと岩ガキ
>苦手なんだよね、牡蠣は。フライが限界 生はダメ あのムニュって感じがダメ
黒部峡谷トロッコ列車が有名と書いてある。
福井放送 幸福度一位になっている。恐竜博物館。
>恐竜には関心がない。
京都放送 自慢は舞子さんの「どすえ」世界遺産 海外旅行者も多い
>中西康晴の奥さんが、京都の舞妓さんの関係でいらっしゃったので、祇園になんどか足を運んだ。舞妓さんの背中の首筋が真っ白。その白いとこをペロって舐めた。何しに行ってるんだ、バカだった(笑)
盆地で夏暑い。京都会館が懐かしい。エレックの頃だったかな。幕が上がったところで、モニターが一緒に引っかかって持ち上がってしまったことがあった。ああ危ないって(笑)
愛媛南海放送 やはり温泉 。サメの切り身を酢味噌で食べる ふかの湯ざらし 鯛そうめん…とか。
>コンサートでよく行った。四国一周するのに便が良くなくて、バスで移動した。峠の釜めしがあって、そこにいるサンショウウオに挨拶していた。なじみになっていたんだ。
歌謡曲のリクエスト。よく聴いたな。これは、かけざるを得ない
<暑いですね。歌謡リクエスト小さなスナックという投書>
M1 小さなスナック パープルシャドウズ
■CM明け
<「わが青春のアイドル」という特集で、ビートルズ、かぐや姫をおさえたという投書>
20位だったらしい。
1位 西城秀樹 2位 沢田研二 3位郷ひろみ4位 田原俊彦 5位SMAP6位チェッカーズ7位近藤真彦… 17位にKinkikids 19位に森田健作で 20位に吉田拓郎。森田健作には勝てなかった。残念、森田健作に勝てなかったか。県知事だもんね。でもキンキとそうかわらないな(笑)「なんで拓郎はんと一緒なんですか」と怒るだろうな。30位がオフコース。そう考えると吉田拓郎という存在が何だったのかがわかるでしょ。
アランドロンと言ってのもわかるでしょ。それは勘違い違い。たけど言い過ぎた。ジェームスディーンにする。
<よもやま話大好きですという投書>
サッカーは、イニエスタやトーレスに観入ってしまう。ガンバの宮本監督。このウェア黒のポロシャツにグレーのパンツ。すぐにネットを探した。
<楽しみ 春だったね、マスターの独り言、 一曲目は何でしょうという投書>
「マスターの独り言」は入らない。「春だったね」は入っている。一曲目をばらそう。ラテ欄に書いたら怒るよ。
ファンファーレ。
「春を待つ手紙」(歌う)これが一曲目だ、この野郎。
それでどうなんだ2曲目は…。
<コンサート企画 名古屋までゆくのなら大阪や神戸はどうかという投書>
ディッセル神戸、ガンバ大阪というとイニエスタ対遠藤。関西に観に行かざるを得ない
ウチのヤツと話している。コンサートで行けないのに、サッカーで言ったらプロモーターの上田が怒るよ。いつも東京で僕の車に相乗りして帰るヤツ。大阪フェスティバルホールも綺麗になったのでと頼まれている。
NHKとにかくサッカー放送やってくれよ。神戸とサガン鳥栖とガンバ大阪の宮本のファッションを意識している(笑)
<せんこう花火、作詞者はどんな方ですかという投書>
作詞者は僕もよく知らない。
せんこう花火(全曲歌唱)
いやあいいね。
■ベストテイク
夏が来ると思い出すのは75年のつま恋。日本初の夜通し歌うイベントだった。
ちょうどこの時期でしたね。とにかくオーディエンス主催も異常事態だった。ちょっと前にウッドストックがあったが、あれに影響を受けて、前代未聞何十万人も集まった。
とにかく翌日の朝まで歌うなんて前代未聞だし、とにかく、どうなるのか、行ってみなきゃわからん。
僕もかぐや姫も、たくさんのミュージシャンもとにかく本音は怖がっていた
怖かった。何が起こるか、5、6万人の観客を観たこともなったし、歌ったこともなかった。みんな震えていた。
当日のステージに向かう時、宿舎を出たときの地響きというか、歓声が背中に凍りついた。
こんだけの人が攻めてきたらどうしよう、ステージ裏で、出番を待つ30分間。トランザムの連中と怖いよねと言っていた。チトやんが一杯飲もうか?もう何かのチカラを借りたい
そんな感じだった。チトやんがバーボンをくれて小さいカップで貰ったが、とても呑み込めないで、すぐに吐いた。それくらい緊張の極致。足はすくむ 手は震える。
ステージで、ない勇気をふりしぼって「朝までやるよ 朝まで歌うよ」
なんかセンスないね、自分を奮い立たせるための雄たけびだった。
後で映像を観て、出演者の南こうせつの顔がひきつっていて、笑ってないのにつくり笑顔をしていて、それがわかって大笑いした。
山本コータローのやつがシャツの脇の下が破れている。これもまた凄いつくり笑顔。
とにかく大パニック。落ち着いたのは最後のステージになってからかな。それまでは全然覚えていない。
M2 ああ青春 (一瞬の夏) 吉田拓郎
■エンディング
喋り過ぎて マイフェイバリットなし。
吉田拓郎でした。
☆☆☆ 思いつきと感想☆☆☆☆
☆ 活気付くRe:第一回のバースデイ・ハワイ。当時は、一緒に行ってくれるパートナーもいなかったし、そもそもおよそ自分には超絶無縁なことと応募すらしなかった。
御大にとって年齢の節目だけではない、とても大きな転換点だったのだな。そう思うとつくづく、ああ行きたかったし、行かれた皆さんが羨ましい。
参加者のメールで「気にかけていただいてたんですね」というのがあって笑ったが、こんなふうにファンにやわらかな気持ちを運ぶ吉田拓郎というのは、なかなか観られないかもしれない。「みんな元気でよかった」と繰り返す言葉に旧友の消息を尋ねるような温かさがあった。羨ましいという気持ちを超えて、なんか妙に嬉しい気持ちにもなる。
☆ 御大にとってあのハワイは一大決心の一端であったことが伺えたし、参加者の方もその思い出を大切にしながら、時を刻んでいることがわかった。仲間同士でいまも誕生日を過ごしているって、なんかとても素敵な時間の重ね方に心が洗われる。
そうか、あの時にお子さんが生まれたりすると、もう22,3歳だったりするわけなんだね。普通に驚く。LOVE2が始まった年でしょ。こちとら、つい昨日のことのような気がする。着実に時を刻むものさしが身近にあるのとないのでは違うのかな。ともかく行かなかったこちとらにも妙な感慨が湧いてくる。
☆「From T」。すまんが、ベストアルバムの選曲と曲順で何ヶ月も番組を引っ張りおって、という黒い気持ちが湧いてきたところだった。
そこになんと
「春を待つ手紙」が一曲目。えっ一曲目なの? すげぇ。
これだけでこのアルバムは名盤必至である。これだけで何もいらない。いやそれは嘘だが。でも「春を待つ手紙」が一曲目を飾るアルバムに出会えるとは思ってもみなかった。長生きはするものたと心底思った。 まぁ、選曲と曲順で、私なんかはイチコロだと身に沁みてわかった。
☆ベストテイクが底をついたのなら、毎回弾き語りでいいじゃないか。いい声だった。
■星紀行の今日の学び
つま恋もハワイも神は第一回目に宿る。
前例がない不安に果敢に突っ込んで行った人々に女神は微笑む。
■ 2018. 8. 7
天下の名優に申し訳ないが、今回も心の中で思い切り叫んだ。
「おまえはハリウッドの吉田拓郎かよっ!!」
■ 2018. 8. 8
この話も何度も何度も書いたが、やはり泉谷のことを思い出さずにいられない。
かつて「地球ZIGZAG」にゲスト出演したとき、ロックミュージシャンを目指す若者のドキュメントを観た泉谷が「ロックってこんなもんじゃねぇよ」と吐き捨てるように言った。たぶん高橋リナさんが「それではロックとは何ですか?」と尋ねた。
泉谷はキッパリと言った。
「拓郎がよ、つま恋に6万人だか集めちゃってよ、本人は大観衆を目の前に緊張してビビっちゃってよ、目はうつろ、声はうわずっちゃってボロボロなのよ。それでも、こうやってギター抱えて『歌うぞ』ってググッて前に出てゆく、俺に言わせれば、そういうところに本当ロックがあるんだよ」
この話を思い出すたびに泣きそうになる。
ちなみに85年の開演前の映像を観ると、御大は袖から客席を覗いて「男ばっか」と苦笑いをしている。余裕がある。男ばかりで 悪かったな(爆)。
■ 2018. 8. 9
その昔、暮らしの手帖が発刊した「戦争中の暮らしの記憶」という市井の方々の寄稿文集がある。その迫真の一文一文が重い。そして花森安治のまえがきは何度読んでも圧倒される。
「この戦争のあいだ、ただ黙々と歯をくいしばって生きてきた人達が、何を苦しみ、なにを食べ、なにを着て、どんなふうに暮してきたか、どんなふうに死んでいったか、その数少ない記録がここにある。これが戦争なのだ。」
「しかも、こうした思い出は、一片の灰のように、人たちの心の底ふかくに沈んでしまって、どこにも残らない。いつでも、戦争の記憶というものは、そうなのだ。」
こうして日々イカレた駄文を書いているだけの自分も、この花森安治の言葉を時々思い出しては背筋を正す。吉田拓郎を愛し、愛してきた人々の記憶もやがて一片の灰のように消えてしまうのだ。それはまた別の話か、いや一緒か、わからん。
そして先月、幾星霜を経て、続巻「戦中戦後の暮らしの記憶」が出版された。まさに消えなんとするものへの必至の抵抗だ。その序文もまた胸を打つ。
きのう、戦争があったのだ。昔むかしの物語ではない。
その大きな戦(いくさ)は、昭和という時代、二十世紀にあった。
君がきょう歩いているかもしれない美しい町は、
かつて亡きがらが転がり、いたるところが墓地となった焼け野原。
空から日夜恐怖が降ってくる、地獄の土地だった。
そんなところで、それでも人は……君の父や母の父や母、祖父や祖母は、
生き続けた。生き続けたから、君がいる。
君という美しい命は、未曽有の戦災をかろうじてくぐり抜けた人、
その人を守った誰かの先に偶然のように灯された一閃の光だ。
「吉田町の唄」や「いつも見ていたヒロシマ」を聴くようにこの前書きを読む。もちろん勝手な思い込みだ。吉田拓郎さんご本人のお考えと全く関係ないし、そういうことに拓郎を利用するなというむきもあろう。しかし、私は個人として同じスピリットを超絶感じるのだ。吉田拓郎の唄とはそういうものだと思う。
■ 2018. 8. 10
爆笑シーンも多々あった。
陣山さん「いかがですか、今回のレコーディングは」
石川鷹彦氏「非常にいいですね、イキフンが」
陣山さん「あ、あ、あのラジオ聴いているシロウトの方”イキフン”なんてわかりませんよ」
石川鷹彦氏「ああ、イキフンというのは雰囲気。アトモスフェアーです。」
陣山さん「次はベースの石山君です。どうだったですか今回のレコーディングは?」
石山恵三氏「うるせぇバカ!」
吉田拓郎氏「ねぇ、なんで石山怒ってんの? 聞いてみてよ」
陣山さん「なんで怒ってるんですか?」
石山恵三氏「なめんじゃねぇよ」
(一同大爆笑)
私と同じように、多感な時期にこの放送に出会ってカセットに録音して何度も聴き直した人がいたはずだと信じる。
おかげで今でも日常生活で「とてもいいイキフンだよね」とかつい口走ってしまうイタイ同志はいないだろうか。それに「アトモスフェア(atmosphere)」は、それなりに難しい英単語なので、試験の時におかげで助かったという人はいないだろうか。
はたまた、人生で辛いことや理不尽なことに出会うたびにあの石山節で「うるせぇバカ!」と心の中で小さな声で叫んでしまう人はいないだろうか。いつの間にか心の支えのように多用してきた自分に気付く。言わずもがなだが、石山さんの暴言はネタであり、とても心優しい方で、あの方が御大を思われて歌う「慕情」は、とにかくすんばらしいのである。
そんなこんなで夏=箱根=ロックウェルである。
♪箱根に行きたいと思っています。人間の夢はそんなもんでしょう♪ ああ、本当に東京の長く暑い夜はたまらん。
■ 2018. 8. 11
80年代初頭、私が若かった頃、吉田拓郎の言葉にシビレたからだ。
「オレは自堕落に生きる。私生活だけは"キース・リチャーズ"で行くぜ!」
しかし、わりと最近BOOK-OFFで買った松本隆のエッセイ集「成層圏紳士」をつらつらと読んでいると1982年の11月の日記として松本隆はこんなことを書いていたのを発見した。
「吉田拓郎に誘われて郊外の会員制ヘルス・クラブに入会した。彼の言によるとそこのトレーニング・マシンは、NASAと同じものらしい。(略) 吉田氏の名言『これからは才能より体力だ』というフレーズに全面賛成する。」
‥‥‥‥なんてヤツなんだ。いや、オレ自身もなんてヤツなんだ。
ということで、すべての医療関係者に心から懺悔して、適度な運動に生きることにする。とりあえず私もゴミ捨てのスクワットから。
■ 2018. 8. 12
最近では映画「光をくれた人」。灯台守の夫婦の切羽詰まった話がたまらなかった。わからないなりに涙を流し、あらためて最初から通して全体を観てさらに悶絶した。ああ、そういうご事情と歴史がおありでしたか、と打ちのめされた。誰かと語りあいたくなったが誰も観ていない。仕事関係の人と映画の話になって、「孤島の燈台守?あゝ『喜びも悲しみも幾年月』でしょ」といわれてあきらめた。
一部だけを観て反芻し、後に全貌を知ってあらためて感動するというこのパターンは、吉田拓郎の世界でも何度かあった。
先に話したセイヤングの中継で、レコーディング中の「そして誰もいなくなった(外は白い雪の夜)」の生演奏が披露された。当時箱根を超える電波の音は非常に聴こえづらく、しかもスタジオのミキサーのミステイクで3番の後の間奏で音が途絶えてしまい「こういう感じでなだれこんてゆく歌です」と御大が口頭で解説して終わった。その録音を何度も何度も聴いて、曲を夢想したものだった。
で、後に完成品の全曲を聴いたときは衝撃だった。3番までの切ない小曲と思っていたら、まさに最後になだれこんでゆくような展開の4番があったこと、そしてバイオリンかフィドルがロックウェルのあの演奏の豪華なラッピングみたいに美しく絡みついていて、曲全体が、なんか星空から降って来たかのような煌きを感じたものだ。
同じようなことは、ラジオのフォーエバーヤングで「俺が愛した馬鹿」を初披露したときもそうだった。番組ではあの長いシンセのドラムソロのところでフェイドアウトしてしまった。そういう曲なんだと思って、なんだかなぁと思っていた。
そして完成品を聴く。あのちょっと困ったドラムソロの果てに、もう一群のパートがあり、♪都会は今日も霧の中〜の最後の歌詞の展開に衝撃を受けた。あの最後の歌詞パートで、歌全体が別の生き物のように蘇生するかのように感じたものだった。
最近では、「アゲイン」だ。「未完成」。Uramadoにも書いた通り、未完成で世に出すのは、世界広しといえど、吉田拓郎とシューベルトだけだ。CDで聴き込んだあと、ライブで全貌が見えた。「僕等は今も自由のままだ」というあの最後のフレーズに向う全容を見せられた時の感動は、記憶に新しい。
見えないもの隠れたものが、形を現す、そうい感動というものがあるのだ。一部しか見えないときのそれゆえの楽しみと全貌が見えたときのまたあらたな楽しみ。これは名作だけにゆるされた至福ではないかと思うのだ。
■ 2018. 8. 13
■オープニング
こんばんは吉田拓郎です。コンサート企画中です。だいたいの本数が決まって東京近郊で泊りがけのところは行けない。
ところで広島フォーク村が何周年ということでメッセージを頼まれた。でも想い出は、そんなにだいそれたものは無く、当時は女の子の事しか考えていなかったというメッセージを送った((笑)) それが本音だ。僕のギター教室は、男子の弟子は少しいたけれど、あとは女子高生だったし、そういうことばっか考えていた。
吉田拓郎ギター教室、M(的場)ギター教室、I(伊藤)ギター教室と三派があって、それらが統合して広島フォーク村ができた。他の教室は、フォークの理論とかを教えていたが、僕は、はなからフォークなんてどうでもよくて、こうやって、ピッキングを手取り足取り、教えてあげて、絶好の機会だった(笑)こうして吉田拓郎の人間像に触れたい人が集まっていた((笑))
コンサートの広島公演を待ってますと言われたが、「泊りがけはいけません」とつれない返事をした。
昔、70年代初期、一日のうち都内をかけもちで出演していたことがあった。4、5本掛け持ちしていたこともある。たくさんの歌手が出るので出演時間は、10分くらいだったからそれもできた。吉田拓郎という客が集まるので重宝がられて、例えば神田共立講堂のあとは、目黒公会堂というようにかけもちをしていた。とある日「吉田拓郎の出ないコンサート」と銘打ったコンサートもあって、チケットがバカ売れしたらしい(笑)
あまりにたくさん吉田拓郎が出ていたんで、吉田拓郎を観ない日を作ろうという企画。吉田拓郎が嫌だった人もいたのだ。
ま、コンサートツアーは、7,8,9本のどれかだよ。北は、あのへん、南はあのへん、東京は一回。
企画として
<好きな歌謡曲はルームライト、大人のオンナという感じ、 タクシーに彼女の家を説明できるくらい親しいのに根性のない男という投書>
細かいね。ロマンチックだね。 ダメな男か。そこまで考えたことなかった。
これ難しい歌なんだよ(歌う)
先週は事情がありコーナが飛んだ。今週は歌わなきゃならない事情がある。ところで吉田拓郎が他人に作った提供曲の特集をしたい。売れなかったかどうか関係なくリクエスト募集。ルームライトも売れそうになったとたん捕まってしまった。なんという人生だ。
提供曲のベスト5をやってみたい。個人的に好きな曲は、小柳ルミ子の赤い燈台♪かもめ群がる防波堤の先には、あしながふとっちょの赤燈台、…今、歌ひどかったね。そういうヒットしなかった曲、例えば森進一のブームと思われた夜行列車とか。リクエスト募集する。
夏の甲子園が真っ盛りだが、あなたにとってのスポーツヒーロー。
10代女 羽生結弦
40代会社員 羽生結弦 不屈の精神が魅力。名言が多い。
「努力は嘘をつくでも無駄にはならない」
>なるほど
「壁の向こうにはまた壁がある」
>そうだね ヒーローだね
10代男 池井理香子 同じ高校生とは信じられない
>渡辺香生子が かわいかった
20代男 大谷翔平 笑顔
40代男 松井秀喜
>最初から大人のようだったね
サッカーは、ガンバの宮本監督 宮本の立居振舞が気になる
50代男 アン・シネ ゴルフ
>イボンミそんなにいいとは思わなかった
>塩谷育代とか、ウンと思った、樋口久子は思ったけど岡本綾子はなかった
60代女 ハルクホーガン
60代男 中山律子
>古いな
女子ゴルファーと言うと樋口久子を想い出してしまう吉田拓郎のラジオでナイト
■タイトル
コンサートツアー全盛の頃、80年代に極悪バンドでやっているころ。僕等は悪ガキバンドと言っていた。ギター青山徹、ドラム島村英二、キーボード 中西康晴、エルトン永田、ベース武部秀明。コンサートの打ち上げが凄いので有名だった。あそこだけはやめようというくらい九州のBEAの代表と一週間バーめぐりをした。コンサートで、博多、熊本、大分最後はボークラフトで。別れるとき「もっと遊びたかった」と言っていた。泣いていた。あんなイベンター初めて(笑)。
青山徹は、当時売れっ子で、いろんな曲のイントロを弾いてくれということでお呼びがかかった。その青山が打ち上げで必ず歌う歌があった。
<大利根無情がかかったが、花山大吉の主題歌 北島三郎の「浪人まかりとおる」をリクエストするという投書 >
かけません。同じ北島三郎の唄で、青山が歌っていた「ギター仁義」というのがある。
青山徹の人生にぴったり。島ちゃんやエルトンと聴きながらジーンとくる。抜群。
M1 ギター仁義 北島三郎
思い出すなぁ、青山徹。ipodに入れよう。
■CM明け
<若者と年寄りは、体臭が違う>
僕は昔、脇汗が良く出て、大学か高校かBAN for menを塗っていた。「おめー、くせーな」 からまれたことあった。
安井かずみと六本木で、あんたたちはフォークは汚くて嫌いでも、髪のにおいを褒められた。シャンプーはウエラを使っていた。「何のシャンプー使ってんの?」とZUZUが、ほめてくれた。安井かずみに教えたのはそのくらい。
<おっちょこちょい。ポイントカードとsuicaや免許証を間違えてしまうという投書>
先日ハイクアウトの社長からsuicaをプレゼントされた。使い方がわかんないでいたら、From Tのリミックスの時、清涼飲料水の飲み物を買いたい時、買い方を教えて貰った。そんなに簡単なの? 最近あちこち病院によくいくのでタクシーに乗るのだか、 suicaでお願いと言えない。「スイカでお願いします」言えないで現金で支払ってしまう。
<フロムT 楽しみという投書>
そういえば、先週のにっぽん放送の上の人とミーティングしたというその人が今来ている 「編集できないよ。先週言っちゃったからね」(笑)あなたといろいろ話したこと言っちゃったよ。
一曲目は♪僕を忘れたころに…「春だったね」じゃないよ♪追いかけましたあなたの姿だけ。似てるね。同じ春だし。
爆弾発言 最後の曲は、(ギター弾き語る)マークUのライブ73バージョン
岡沢章のベースと高中ギターの凄いかけあい。これが最後の曲。どうだ。 この話をするとき、自分でも楽しそうだね。速く届けたいな。発売日を速めて20日あたりでどうだ
■ベストテイク
2014年アルバム「AGAIN」の「僕の大好きな場所」。もともとは高木ブーさんの依頼で作った。篠原ともえの詞。いろいろ字数とか詞のサイズがあってなかったので、そこはアドバイスしてやり直した。
ハワイに番組(LOVE2)で初めてロケに行こうと僕が提案した。それまで、僕とkinkiや篠原との間に壁があった。まだ彼らは子供だったし、なんかもうひとつ打ち解けない中でのハワイロケだった。この初めてのハワイでスタッフ全員がひとつになれて、これでこの番組がうまくいくなと思った。
白い貴婦人といわれるモアナサーフライダーホテルのバニヤンバー。その前の砂浜の波打ち際で観ながら「幸せだよな」という気持ちを語り合った。剛も光一もシノハラもそういう気持ちで、そこで初めてキンキと篠原はひとつになったなと思えた。そこから僕等は家族のような関係、信頼しあい、愛し合い、敬いあい互いを尊重する関係になった。
その波打ち際でのわずか30分だけれど、そのときの思い出を篠原は詞にしたんだと思う。
M2 僕の大好きな場所 吉田拓郎
■マイフェイバリット
今週は渋いよ。 ハッピーな感じのグレンミラーオーケストラ。「イン・ザ・ムード」。
グレンミラー物語という映画もあったね。ジェームス・スチュアートがグレンミラーを好演した心温まる映画だった。グレンミラーはいわゆるジュークボックス全盛期によくチャートでNo.1を獲得した。ムーンライトセレナーデとか茶色の小瓶とか聴けばきっとわかると思う。
スイングジャズというジャンルに分類される。カウントベーシー・オーケストラ ベニー・グッドマン・オーケストラとかデュークエリントン・オーケストラとかいろいろあった。
映画は、慰問に演奏に行ったときに事故に遭う悲しい結末だったが、心のあたたまる映画だった。インザムードを聴くとウキウキしてくる。
僕は子供の頃から管楽器の音が好きだった。ペレスプラード楽団のマンボを観に行っていた。よくチケット取れたな、子供だったのに。ああいうサウンドが好きだったので、ライブ73での管楽器、そして、後の瀬尾とのビックバンドのサウンドで歌うと夢心地になる。
M3 イン・ザ・ムード グレンミラー・オーケストラ
■エンディング
吉田拓郎 提供曲
お故郷じまん
あなたのスポーツヒーロー&ヒロイン
お酒を呑みたい有名人。
吉田拓郎でした。
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆
☆ 「あしながふとっちょ」って、どういう燈台なんだよぉ。ラジオの前で発せられた叫び声があまた夜空にこだましたに違いない。こだまさせながら、さて提供曲をたった一曲だけ選ぶとすると、どうしたものだろうか。たくさんの人が頭を抱えたに違いない。
☆ 青山徹の歌う「ギター仁義」にジーンとして聴き入る拓郎、エルトン、島ちゃんたち。ああ、いいなぁバンドって、とあらためて思った。このエピソードはもちろん知らなかったが、でもそういうエッセンスは、あのバンドの音から溢れ出していた。だからいつまでも心をとらえて離さないのだ。
☆ モアナサーフライダーの波うちぎわの30分の話は、今日一番の胸にしみる空の輝き。
その情景が浮かぶかのようだ。
その当時、吉田拓郎は、とうに50歳を超えていたし、言うまでもなく功成り名を遂げた超絶スーパースターである。10代の子供らと、波打ち際で、しみじみと何かを思い、それを共有し、真摯に心を通わせる。そんなにたやすいことではない。そしてそのことを70歳を超えた今も大切に心に灯し続けている。世間で言う「ピュアな心」とか「少年の心」とかそんな薄っぺらな表現では言いあらわせないくらいの御大の魅力の一端がそこにある。
50歳をとうにすぎ功も名も無い自分でも、いや、だからこそ、身に沁みて御大の柔らかな凄さみたいなものがわかる気がする。
☆ ついに最初の曲と最後の曲を公開してしまう。映画でいえば、出だしとラストをバラしてしまうようなものではないか(爆)。ラ・ラ・ランドの話もストーリー全開だったし、吉田拓郎に「ネタバレ」の文字はない。あったとしても限りなく透明に近い。
☆ コンサートツアー、7か所か8か所か9か所。こういう時は、8か所ではないかと思う。
☆ 昔のことに行きつ戻りつしスピリットのありかを確認しながら着実に前に進んでいる。いろんなことが先に進んでいる気がする。そんないい感じの放送だった。
☆星紀行の今日の学び
グレンミラーのイン・ザ・ムードは、確かにウキウキする。まるでビッグバンドの「虹の魚」みたいだ。逆か。いや、それでいいのだ。
■ 2018. 8. 15
ともかく、彼我すべての戦争犠牲者の方々の御冥福をお祈りします。
名曲「RONIN」を初めて聴いたとき「もう争わないで、もう闘わないで」というフレーズを聴いて若造だった自分は、ちょっと萎えた。当時、吉田拓郎は闘う男の象徴だった。「闘えるだけでいい、すべてを燃やせ」(証明)とあんなにかっこよくシャウトしていた御本人が「もう闘わないで」とは何事か。
もちろんも今はわかる。薄っぺらな自分の心だがその奥底からわかる。いかに大切なことを歌った詞であるか、また珠玉のようなメロディーであり、歌唱であるか。
安らぎのない旅を終えた見知らぬ若者よ
愛に飢えた獣のように牙をむかないで
今日からおまえの心はおまえ自身のものだ
今日からおまえの心はおまえの身体に戻るさ
もう争わないで、もう戦わないで
そう自由の風に酔え そうすべてを解き放て
もう聖歌といっていい。私には聖歌選定権限はないが >あったりめぇだろ
以前のラジオで歌うかも知れないと口走ったが、ホントに是非、歌ってほしいよ、次のライブで。涙ぐみながらお願いしたい。
■ 2018. 8. 16
「組み上げられたつま恋のステージの大きさを観て驚いた。吉田さん怖くないんでしょうか。これだけの巨大なステージが、たったひとり自分が歌うためだけに設置されているんですよ。自分が歌うことで、ひとりでこの巨大なステージを引っ張らなきゃいけないんですよ。」
引っ張るといえば、昔大好きだった医療ドラマ「ER」の中で、医療現場がパニックになった時、ERの部長が、チーフ・レジデントの若い医師グリーン先生に「君がこの現場を、仲間たちを引っ張ってゆけ」と激励するシーンがあった。英語でなんて言うのかと思ったら「You set the tone.」だった。「トーン(tone)を君が設定しなさい」と言うのだな。音楽みたいだ。set the tone…いい言葉だと思った。
で、武田鉄矢の話に戻るが、「もし自分だったらこんな巨大なステージを自分ひとりの歌で引っ張るなんて怖くできません。ゲーム形式でお客さんをステージに上げたり遊び場みたいにして、とにかく責任を分散させようとするでしょう((笑))」
なので国立競技場でラジオ体操をやってしまったのだろうか。それはそれで見事なset the toneだと思うし、それに引っ張ることにかけては武田鉄矢も大天才だと思うけれど。
ラジオ体操といえばあの武田氏のラジオ体操のピアノ弾いていた(弾かされた、かもしれないけれど)のはあのエルトン永田だ。で、エルトンさんの英語表記を観ると「L-tone Nagata」になっている。"tone"だ。ちなみに武部聡志の音楽事務所は、Half Tone Musicといって、ここも"tone"だ。なんか今日はイカレた連想が程よく飛んでイイ感じだ。でもこれ以上書くと何か余計なこと書いてしまいそうだ。
とにかく合言葉は"tone"だ。
御大が「set the tone」するステージが近いことを信じてまいりましょう。
■ 2018. 8. 17
「半分、青い」の中村雅俊演ずるセンキチじいさんが亡くなった。じいさんにしては無敵すぎるぜ、とツッコミを入れながら観ていたが、亡くなってしまうとまるで中村さん本人が亡くなってしまったかのようでメチャ悲しくなった。そもそも演技とはいえ、老衰で亡くなる中村雅俊を観るほど私たちも歳をとったのである。もうドラマと現実がミンチになり、追悼に近い気分になって、仕事の行き帰りのipodで中村雅俊を聴きながら、この人が好きだったんだと気が付いた。
センキチじいさんには、最後に「いつか街で会ったなら」か「さすらい時代」を弾き語って欲しかったな。サザンじゃなくてさ。
それにしても中村さんへの提供曲はどれも名曲ばい。「愛の言葉」は、文句なしにかっけー。「青春試考」も昔は汗臭くてダセーなと思っていたが、今は心に沁みる。「注文の多い恋人よ」は、なんか身に詰まされるような詞だが、小川のせせらぎのように流れてゆくテンポのメロディーと歌唱が心地よい。
これだけでも、提供曲を一曲選ぶというのは実に難しい注文だ。
■ 2018. 8. 18
そんな中で御大はラジオでボソっとつぶやいた。「僕は曲を作った人間だけれど、大袈裟じゃないか。アグネスチャンの曲ということで松本くんと面白そうだねと言って作ったけど、こんなに大事になるのなら僕らじゃなかった方が良かったんじゃないか。」
こういう発言を聴くと、当時の松本隆は、普通の作詞家だったんだな。もちろん,はっぴいえんどを経て太田裕美、原田真二などで作詞家としては十分名をなしていたけれど、今みたいな、なにかの殿堂入りでもしたかのような状態ではなかったんだね。「ローリング30」もちょうど制作中でまだ発表されていなかったし、自分も松本隆にそんなにしっかりとした認識はなかった。
しかしこの詞は高校生にはかなり衝撃だった。
「革張りの旅行鞄は青春のスーベニールよ」
なんと美しい。美しいけれど、スーベニールって何だ(爆)。「赤尾の豆単」にも「出る単」にも載っていない。この時点で松本隆は受験界を完全に制圧したのだ。いや、別に闘っていなかったんだろうけどさ。
「点になる蒸気機関車、霧晴れてあなたが見えた」
誰の脳裏にも映画のような情景が像を結ぶに違いない。僅かの言葉だけで、なんと見事な表現をするのだろうか。もう松尾芭蕉と肩を並べている(個人の感想です)。
「時の河に愛の舟を浮かべて」
今となっては松本隆の十八番だが、こういう表現にもびっくらこいたものだ。
そういう40年前の夏の新鮮な驚きを思い出した。その驚きのまま秋に「ローリング30」がやって来た。そして80年代になると、松本隆の言葉は「赤尾の豆単」や「出る単」どころか、世の中全体を制圧してしまうのだった。
一方この名曲「アゲイン」が辿った切ない運命は、Uramadoに書いた通りだ。
http://tylife.jp/uramado/againteikyou.html
「アゲイン」に「アゲイン」を捧げたくなる。おかえり、ただいま。僕らは今も自由のままだ。
■ 2018. 8. 19
名作漫画「巨人の星」には「新巨人の星」という地味な続編がある。
左腕を壊して退団し、5年間失踪していた星飛雄馬が、長嶋巨人のピンチを救うために右腕投手として復帰するという話だ。ダメな続編の代表のように言われるが、私にとっては思い出深い名作だ。
ボロボロの長嶋巨人に、やさぐれた星飛雄馬。どちらも必死に蘇生しようとする苦闘のドラマが胸に響く。ちょうど時期的に、フォーライフの会社再建のために苦闘する御大が、音楽の第一線を去り世間から消えかかっているなかで、再びミュージシャンとして立ち上がろうとする姿と重なった。
宮崎キャンプにテスト生として参加した飛雄馬は、巨人軍の宿舎である「青島グランドホテル」にも泊まらせてらえず、球拾いと焚火の当番としてコキ使われる。長嶋監督らは冷酷な態度を取り続ける。かつてのエースの落ちぶれた姿をマスコミは面白がって書き立て世間の笑いものになる。苛酷な日々が続く。
そして紅白戦での働きを認められて、なんとか入団許可をもらって、ようやく「青島グランドホテル」に部屋を用意してもらう。
その部屋にゆくと「背番号3」の巨人のユニフォームがそっと置いてある。「願わくば、永久欠番3を譲った私を世間から阿呆呼ばわりさせないでほしい 長嶋茂雄」と言う書置きが添えてあった。
どれだけ長嶋監督は、自分のことを大切に思っていたかを知り、絶句して泣き崩れる星飛雄馬。いいシーンである。いつ読んでも胸が熱くなる。
何度も書いたが、79年に社長室から出て、アーティストとして華々しく復帰した御大の姿とも重なるのである。
なので「青島グランドホテル」よ永遠なれと片隅から祈りたいのだ。
■ 2018. 8. 20
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
吉田拓郎です。ローマにトレビの泉という観光名所があって、後ろ向きになって噴水に硬貨を入れると願いが叶うといわれている。
硬貨一枚だと、再びここに来られる、二枚だと大切な人と永遠に一緒にいられる、そして
三枚だと、…ここが面白いイタリア特有だ…恋人と別れたり、離婚できる(笑)。三枚投げた人が結構いたんじゃないか。
そして投げ込まれた硬貨は年間一億円だそうだ。日本でもお賽銭をいれるところがあるけれど、一億円とは凄いな。
<リクエスト 荒木一郎の愛しのマックスという投書>
ひねくれているので、荒木一郎は「空に星があるように」だろうと思う。ニッポン放送のMさんに、昔、大野真澄さんが「空に星があるように」を歌ったでしょうと言われた。そうだ、ガロを解散したボーカルこと大野真澄さんに、荒木一郎さんのこの曲のカバーを薦めたことがあった。アレンジもリンゴ・スターのカバーした「オンリー・ユー」みたいにするからとプロデュースをした。
これが記憶としては、いいアレンジだったのに何で売れなかったのかと思っていた。今、聴いてみたら、これが良くなかった(笑)。「売れないわ、コレ」。だから「愛しのマックス」もかけないし、大野真澄の「空に星があるように」もかけない。
<アルバム予約しました、デモ音源が気になるという投書>
「Tからの贈り物」という三枚目のディスクがデモテープ集だ。今日、サンプル盤が来ている。ジャケットもいい。1曲目はあれで、15曲目はこうで…とある中で、今日は、8曲目に入っている曲をちょっとだけ聴かせてやるかな。コチョコチョくすぐる感じで(笑)
M-1 永遠の嘘をついてくれ 吉田拓郎 デモ
はい、ここまで!! こんな番組最高(笑)。わがまま言いたい放題、わがままというか気分がいい。
ジャケットもいい。ライナーノーツも全曲書いたし、メッセージも書いた。楽しんでほしい。春を待つ手紙からマークU’73まで、
このディスク3は、いい。デモテープがまたよくできてるんだ。90年代だけでコレだよ。 コンピュータを使うという技術、ソフトの充実、逗子にいたころだったんだけどピークにあったとカミさんとも話した。打ち込みで曲をつくるコツを掴んで上達していた。それまでは、打ち込みが拙かったけれど、このあたりは、もう聴いていても打ち込みとは思えない。
今週のテーマは、ヤキモチ。嫉妬。井上陽水に「ジェラシー」って歌があって好きだったけど。
16歳高校生 サッカー部が羨ましい。野球部には女子マネがいない。サッカー部にはかわいいマネージャーがいるので嫉妬した。
>そうだね。人気は運動部だね。写真部なんてダメだし、郵便友の会もダメ。演劇部にも顔を出したりしていたんだけれど、これもダメ。バスケットボールが人気だったね。一級上のバスケの先輩がもてて、同級生のKさんをものにしてしまった。Kさんは、ビブラホンを習っていて、一度友達二人のギターとセッションしようと彼女の家に行ったら、奥の部屋からバスケのその先輩が顔を出した。なんでKさんの家の奥の部屋から出てくるのか当時はわからなかった。今思うと、これは男と女の関係だった。
先週から火がついているね、オレ。勢いがあるね。少し落ち着こう。
31歳会社員女性 10代20代の女性が羨ましい。最近は、コンパの反応も鈍いし誘いも減った。結局、男は若い女性が好き。
40歳主婦 夫婦仲いい人に嫉妬する。
>夫婦は仲良く。いいことあるから、笑顔でよく話すこと。
54歳主婦 昔演劇の舞台に立っていた。いまだに現役の同世代の女優には嫉妬してしまう。
>うちの奥さんも家の中でキラキラしています。
65歳男 カミさんに嫉妬する。定年以来ヒマだが、妻は近所に知り合いが多くて忙しい。
吉田拓郎は何にジェラシーを感じるか。
若い頃、知り合いの仲立ちで井上陽水に初めて逢った。原宿ペニーレインだった。陽水VS拓郎といわれて仲良くないイメージがあった。お酒飲めない陽水に対して、僕は、お酒を呑むとすぐ喧嘩したり、虐めたくなったりする癖があった(笑)。陽水に、どっちが演歌を大きな声で歌えるか競うことを挑んだ。陽水は「アンコツ爆は恋の花」を大きな声で歌ったけれど、その陽水の声がデカイのなんの。顔も体も頭も大きい、特に髪型はカーリーで松ぼっくりのようデカイ頭だった。それがもの凄い大きな声で歌うので、私は負けたと思った。競う僕も僕なら歌う陽水も陽水だ。そんな陽水にヤキモチを焼いたことがあった。
オフコース。小田と鈴木と二人で演っているとき、三人の時もあったけれど、人気がなかった。そんなとき、僕のパックでよくオフコースをかけていた。そういえば大野真澄のいたガロの学生街の喫茶店もパックで日がついたような気がしている。
で、オフコースがバンド解散して、小田、鈴木、松尾、清水、大間のロックバンドの編成を替えてから大ヒットした。武道館10日間公演の時だったか、観に行ったら女子でいっぱい。うわぁー女だらけだ。当時の吉田拓郎は7:3か6:4で男が多かった。入れ替えたい。 2000人くらいファンをくれないかと思った。嫉妬していたね。
小田和正と井上陽水にヤキモチを焼いていた吉田拓郎のラジオでナイト。
■タイトル
リクエストたくさん来ている。聴きたい曲もあれば、なんでこんなの好きなのというのもある。
<公開放送やってください、グッドナイトベイビーをリクエストという投書>
この曲は、高音のボーカルで、R&B ソウルの世界。この番組の主題歌であるフォートップスとかとも通じる。
M−1 グッドナイトベイビー ザ・キングトーンズ
■CM
人々は、ステージの僕たちを観てイメージを作り上げてゆく。いろんなイメージが
僕に対してもあるのを知っている。しかし、明らかに作られたもので。本当の自分とは違うものだ。いわゆる吉田拓郎というイメージにはウンザリで、いつまでも吉田拓郎をやっていりゃいいのか、吉田拓郎を辞めたいと思っていた。しかし、最近年齢とともに、もうどうでもいいやと思うようになった(笑)。
<小田和正さんとホテルの最上階のレストランで夜景を見ながらワインにフランス料理 淡々と知的な会話を楽しみたいという投書>
そういうイメージかな。小田は良く知っているけど男くさいヤツだよ。今だったら俺もあまりお酒飲まないのでつきあえるけど、あいつはビール一杯で顔が真っ赤になるし、10分間話しているとウンザリ、おもしろくもなんともない(笑)
でも小田のイメージはそうなんだよね。では、吉田拓郎とお酒を飲むとしたら何がいいでしょうか。
<From T自分なりのリストを作って頼みにしているという投書>
絶対あたりません。この選曲は思いつかない。びっくりするような曲。思い出深い曲、愛している曲。今、手元にあるんですよーだ(笑)
<ラジオは、いつも楽しそう、いつまでも続けてほしいです、という投書>
好調です。どうやら東京一か所になりそうなので、イマジンスタジオで公開放送とかのプランを考えたりしていたけれど、今日ニッポン放送から「吉田拓郎で公開イベントライブのお願い」という依頼状が来た。老若男女に人気のこのラジオの公開収録をお願いします。
スペシャルイベントということで吉田拓郎ほか出演者、場所は・・・言えないな。僕もこうしたらいいんじゃないかとリクエストや提案をしているところ。東京がどうやら一本だから、大変なことだね。何が言いたいかわからない。
<8.16日の誕生日にアホな主人からもう誕生日のプレゼントはいらないだろ言われたという投書>
女心がわからないご主人だね。さっきも言ったように夫婦は仲良く。こないだも奥さんから日傘を買いたいけれどどう思うと聞かれて、いいねと言った。日傘雨傘兼用ということで、値段を見たら2000円か。と思ったら実際には2万円。え、2万? プレゼントしないのをけしからんとか言っているけれど、え?とか言ってる、そういう男もどうか。大変なんだよ。よく夫婦で会話して。そうしないと2万円の日傘を買ってこられてしまうから。
■今週のベストテイク
先日メールをくれたんだけど、今メールをするのって、小田和正、中村雅俊、井上陽水、奥田民生かな、あとは武部とかミュージシャン。
中村雅俊は、昔、「俺たちの勲章」のときに、レコーディングで会ったのが初めてだった。初々しくて、ぶっきらぼうな若者だった。一時期、吉田拓郎は六本木を下駄を履いて歩いているという噂がたったけれども、下駄なんか履いていないよ。雅俊はゲタをはいている感じだった。
そのレコーディングの時、今の奥様と恋に落ちていた。後日、テレビの旅番組で、四国や 広島を回った。懐かしいねというと、僕には宝物でしたと言っていた。拓郎さんは、僕たち夫婦の愛のキューピットですとも言っていた。
実は俺とカミさんのキューピットも中村雅俊なんだよ。音響スタジオで仕事していたところ、雅俊から電話があって、森下愛子さんとかと飲んでいるから来ませんかと。僕は、作業を放ったらかして、飲みに行った。朝まで飲んだと思う。
そこにやはり出演している女優さんもいて、とてもセクシーな宮下順子さんという女優さんで、かなり酔っぱらっていて「どうしてココには吉田拓郎しかいないの?アタシは井上陽水に逢いたいのよ」と、しつこく迫ってくる。「すみませんね、吉田拓郎で」ということで(笑)。
ともかく雅俊が恋のキューピット。その時、責められ続けたときの吉田拓郎の気持ち。井上陽水に対するジェラシーのようなものがあった。
M−2 いつか街で会ったなら 中村雅俊
■今週のマイ・フェイバリットソング
ジミ・ヘンドリックス。彼の不世出のギターの登場によってロックギターの世界かわった。みんなが打ちのめされた。短い人生だったけれど凄いギタリストだった。イーのシャープナイン(E7#9th) 5フレで・・・(実演)
この不協和音にディストーションを効かせるとすごい気持ちいい。ジャスの世界ではあったらしいが。
彼はボーカリストとしても素晴らしい。ディランの名曲のカバーを聴いてみたい。
M−2 見張り塔からずっと ボブ・ディラン
M−3 見張り塔からずっと ジミ・ヘンドリックス
これもチャートインしたりして認められたスーパーボーカリストでもあった。亡くなる前の晩に、ロンドンのクラブに飛び入りして、そこのバンドで一緒に即興で演奏して、その後、ガールフレンドと部屋に帰って、寝付かれないということで睡眠薬を服用し、翌朝もう意識がなかった。27歳。
世界にとっての大きな損失だった。世界を変えたイーのシャープナインス(E7#9th)
M−4 パープル・ヘイズ ジミ・ヘンドリックス
■エンディング
提供曲。いろいろ来ている。僕は 神田広美「ドンファン」とマッチに提供した「ああグッと」が好き。アルバムの中の曲で、KinkiKidsに提供した「危険な間系」も忘れないで欲しい。南沙織「黒い瞳」とか、忘れ去られている。「いつか街で会ったなら」も結構来ていた。
吉田拓郎と飲むんだったら募集。
居酒屋でもつ鍋とかダメだよ。もつ系は苦手だ。イタリア料理がいいな。
お相手は吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆確かに、語り口に火がついている。勢いがある。行間に絶好調が詰まっている感じだ。おそらくはアルバム発売が迫り、コンサートツアーに、公開イベントにと企画が具体化しつつあるその昂揚感みたいなものが溢れているのではないか。こっちも期待が膨らんでしまう。
☆でも東京は本当に一本だけなのか。そのために公開放送ということだが、東京公演に行けなくて、公開放送のライブで救われる人の人数というのは超絶少ないと見て間違いない。やっぱり渋谷公会堂でも武道館でもいい、とにかく東京公演の増設を願いたい。
☆荒木一郎。「愛しのマックス」を飛ばすのは、気の毒だが、御大のキャラに免じてやむを得ないとしよう。で、大野真澄さんの「空に星があるように」をかけないのは・・・かなり、どうかと思うが仕方ないとしても、荒木一郎さんの本人歌唱まで飛ばしでしまうのはどうなんだ(笑)。荒木一郎さんの「空に星があるように」は御大おっしゃるとおり名曲だ。それに荒木一郎さんは、73年の例の事件の時、世間とマスコミが御大総叩きの中で、御大支持の論陣を張ってくださった偉人だ。いいのか。
荒木一郎といえば岸本加世子の「北風よ」、桃井かおりのドラマ「ちょっとマイウェイ」の主題歌「夜明けのマイウェイ」、このあたりの荒木さんの本人歌唱もシビれる。
☆御大の提供曲つながりでいえば、大野真澄「ダンディー」もいい曲だ。でもこれは崖メロ探検隊(正式名称「崖っぷちのメロディーの探索と保存のための探検隊」)の隊長候補だったあの人が投票してくれるに違いない。ちなみに現在、構成員は、副隊長兼書記の私一人で、隊長と隊員を募集している(爆)。
☆というわけでタイムリーにセンキチじいさん=中村雅俊登場だ。お互いのキューピットか。宮下順子さんの話には笑った、笑った。宮下順子さん、少年時代、団地には宮下順子さんと白川和子さんが住んでいるものと信じていた。懐かしい。どう懐かしいかは(略)
☆グッドナイトベイビーは子どもの頃家にシングル盤があった。あの不可思議な高音のボーカルと曲の展開が面白くて、わけがわからんままに子どもながらによく聴いたものだ。だから超絶懐かしかった。あれが、R&Bにつながっていたというのは、なんか嬉しい。甲斐よしひろもカバーしてたよね。
☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆
次のライブでは ステージに背を向けてコインを投げよう
コインは絶対2枚まで(厳守)
■ 2018. 8. 21
「冬のリビエラ」久々に聴いたが、超絶名曲である。出演者もみんな聴き惚れていた。しかし、この曲が名曲であればあるほどある種の感情が湧き上がってくるのを押さえきれない。そうではないか?どこかにいる同志よ。
「松本隆×大瀧詠一=リビエラ」という御旗が掲げられると、どうしたって「岡本おさみ×吉田拓郎=襟裳岬」という旗を振りたくなる。燃え立つ闘争心と対抗心。「別に襟裳岬ってオマエが作ったわけでもなんでもじゃないじゃん」というごもっともな忠告も聴こえやしない。どっかにも書いたが、リビエラは、襟裳に差し向けられた刺客なのである。なんの負けてたまるか。リビエラが名曲であればあるほど好敵手として燃えるのだ。上杉謙信と武田信玄、矢吹丈と力石徹、星飛雄馬と花形満、桂歌丸と小円遊みたいなものだ。当陣営の圧勝を確信しつつもこのライバル心は消えることはない。
では同じ森進一のリングにある「夜行列車」はどうか。好きな楽曲ではあるが、「喜多條忠×吉田拓郎=夜行列車」の旗を掲げて「リビエラ」と合戦するのはためらう(爆)。襟裳岬は演歌じゃないと中学生の頃から信じ、宣言してきた私も、「夜行列車は演歌ではない」と断言するのはためらわれる。すまん。「喜多條もっといい詞を書けよ」と言った御大だが、自分はどうなんだ?と涙ながらに問いたい。「ごめんなさい、これは演歌じゃありませんでした」と思わず謝罪したくなるようなセルフカバーを是非聴かせておくれ。
さて、「たいむとんねる」で面白かったのが、新幹線で偶然に石橋貴明の前の席が松本隆で、その前の席がホリエモンだったとのことだ。ホリエモンが前のシート倒すのを断るかどうかでツイッターで暴言かましたのは、その時らしい。きっと後ろの席が松本隆だったのでびびってしまったのが背景にあるのではないかと思いたい、違うだろうけど。
■ 2018. 8. 22
楽曲は、曲そのものとともに、自分がどういう状況で聴き、そこで何を感じたかという個人的事情と不即不離なものだ。
1977年、不肖私高校一年の夏だった。吉田拓郎は社長業に忙しくなり姿が見えなくなった。置手紙のような「もうすぐ帰るよ/Voice」のシングルと森進一の「夜行列車」とBUZZの「あなたを愛して」。拓郎不在の長い夏をこの三曲のヘビーローテーションで生きなくてはならなかった。確か雨の多い、冷夏だった。
ヒマな夏休み。例によって日曜の文化放送「小川哲哉の電リク決定全日本歌謡選抜」にもせっせとリクエストもしたはずだ。「もうすぐ帰るよ」は、15位、「夜行列車」は18位くらいだったかな。あの夏の成果物である。「夏ミカン」を観ると「夜行列車」を思い出すようになった。
というわけで切ないひと夏をともに過ごした「夜行列車」だった。文句を言って申し訳なかったな。だいだい楽曲同志が競い合うということに私はついてゆけない>自分が言ったんだろぉぉぉ(爆)
とにかく夜行列車もゆけ、風を切ってすすめ。
■ 2018. 8. 23
待ち焦がれて、どうしようもなくなって、一週間も前にレコード店に行ってしまったりしたことはなかっただろうか。当然、まだ入荷していない店内で立ち尽くして、もうすぐ吉田拓郎のレコードがうず高く積まれる様子を妄想してニマニマしたりしなかっただろうか。それ危ねぇ人だよ。
いや、でも一度だけあった。忘れもしないシングル「流星」の発売の時だ。79年5月5日発売だったのだが、4月29日にレコード屋に偵察に行ったら。もう既に売ってたのだ。”凄いなぁぁぁ吉田拓郎って”と感嘆したものだ。今思えば、連休の配送の関係だろうと思うが。
今回も早く届けたいという御大の御託宣、ちゃう御拓宣があったし、待ち焦がれ度が高い。
いい歳してという説もあるが、この歳になって、こうして待ち焦がれるものがあることはとても幸せなことだ。クラス会にゆくと、周りはみんな年金と退職金しか待ち焦がれているものがなかった。私には、もっと崇高なる"待つもの"があるのだと心の中で叫んだ。ま、年金と退職金の方でも私を待ってくれていないが(爆)。
“From T”に”Tからの贈り物”とあるが、こうして待ち焦がれる日々の幸せこそが、本当のTからの贈り物ではないかと思うのだ。をを、今日はキレイ決まった。>決まってねぇよ。
大きなお世話ですが、皆様、どうか良い待ち焦がれの日々を。
■ 2018. 8. 25
余命いくばくもない志村喬が、大雨で水が溢れかえっている陳情対象の現場に、ずぶ濡れで入ってゆくと、泣きそうな顔で追っかけてきて傘をかざす。またある時、志村喬が現場で倒れると、周りでボーっと立っている市役所員たちを思い切り突き飛ばして駆け寄る。そして葬儀ではやはり無言でひたすら涙を流す。おそらく役名すらなかったと思うが、その思いが身体から溢れて観客にしっかりと伝わって来た。御大をめぐるあの日のことがふと思い起こされもした。先生、お元気だろうか。菅井さんやK先生のことを考えると、ちょっと元気が出る。
名優菅井きんさんの御冥福をお祈りします。
■ 2018. 8. 26
「失くしたものは全て君の弾く音の中にある」
例によってイカれた自分には
「失くしたもの、得られなかったものは、すべて吉田拓郎の音の中にある」
と聞こえる。
しょせんベストアルバムじゃねぇか、デモテープなら「マラソン」とかを聴かせてくれよ、アイドルなんだからジャケットはイラストじゃなくて本人の御真影じゃなきゃツマランとか、いろいろ思う。しかし、それでも私は「From T」を待ち焦がれる。
「春を待つ手紙」で始まる選曲と曲順で何を語ろうとしているのか、何を感じるのか。また、曲が蘇生するかのようなリミックスのワザは名盤「LIFE」で体験した。今度はどうなるんだろうか。
そして夢には見たが実現するなど思ってもみなかったデモテープ集。LOVELOVEブレイクまでの90年代、私は静かに拓郎は消えてゆくのだと涙ぐみながら思っていた。パッとしない活動、世間からの忘却。提供のない深夜のラジオ番組で語られた、宇田川オフィスも辞めてしまい自宅のファックスで仕事依頼を受けているという、逗子での静かな暮らし。このままフェイドアウトしてゆくのだなと思っていた。
同じ思いだった方もいらして、後日になって「ああ、こうやってやがて拓郎は小さなライブハウスで歌うようになって…でもね、でも私はそこには必ずいるの」と語っていたのを思い出す。そうならなくて良かったが。
しかし、最近垣間見せてくれた90年代のデモテープのクオリティの高さには驚いた。消えかかっているように見えた90年代の吉田拓郎は、こんなにも真摯なすげぇ音楽制作をしていたのか。そこには、どんな音楽世界があったのか。不明だった私は、この失われた90年代の行間を心底知りたい。
というわけで、他人様のことはよくわからないが、とにかく孤高に待ち焦がれるのである。「失くしたもの、得られなかったものがそこにある。」という映画のセリフが私には妙に心に疼くのである。
■ 2018. 8. 31
たった今、やっと手にした「From T」。ありがとう。大切に、というかこっちも渾身で聴きますばい。
それにしても、なんだ、この選曲・曲順は。震えるね。ライブのセットリストみたいにワクワクする。実際に、こんなライブだったらどうなんだろうね。至福だね。
選曲と曲順というものの持つ力をあらためて思う。これはどうしたって一曲目から通しで聴かざるをえまい。まずは髭を剃って、斎戒沐浴して心身を整えねば。
新聞は「遺言」の文字がバカに大きくて一瞬ギョッとしたけれど。一般に「遺言書」を書いた人の多くが、そこから再び元気になって長生きするというデータがある。だから、遺言書はその先何回も書き換えられることが多い。それでいろいろ困ったことになるのが世の常だが、吉田拓郎の遺言は別だ。これから先、何度でも、何通でも新しい遺言を書いてほしい。遺言というと暗いが、英語で言えば"Living will"。なんか前向きだ。御大の意思を未来に投げかけながら、進んで行ってほしい。…何様だ自分は(汗)。
■ 2018. 9. 1
吉田拓郎です。“From T””Tからの贈り物”は、8月29日発売だけれど、ニッポン放送は、来週だけど、キー局でこの放送をお聞きの方は、もうすでに発売になっているというお知らせでした。
NHKのニュースで、多くの人が学校の「理科」は好きだけど役に立たないと考えているとうのがあった。僕も実験とかあって理科は面白かったけれど、その後の人生や実社会で役に立っているかといわれると、そうでもないかな、と僕も感じることはある。国語、社会、数学とかは、総合的に役に立つものだとは思うけれど。
とはいえ理科はないと淋しい。実験、動植物の観察とか楽しかった。しかし、多くの人が実社会で役に立っていないと感じているらしい
<スイカは、悪いことではないので堂々と使えますかといったほうがいいという投書>
悪いとは思っていないけど、タクシーで使うという勇気がないんだよ。
<かつて拓郎さんの発言「Kinkiと僕との意見が分かれたらKinkiの方が正しい、だって僕らが十代だったころ、50代のジジイたちのいうことは全部間違いだった」をカッコイイと思ったが、最近放送を聴いていて、そのようにいったことを本人は絶対に覚えていないだろうという投書>
(笑)がっくりくるね。
「私の出会った外国人」ということでいろいろな意見を聴いた。
13歳 サッカーコーチがイタリア人。
>最近僕もサッカー熱が再燃している。なんといってもイニエスタとトーレス、それにルックスのいい宮本監督。今日も、でかけるときにジーンズの裾を折って、どうだとカミさんに言ったら「あなたは折らない方がいい」って言われた。
そのコーチがトマト缶とニンニクのパスタを作ってくれた。そうだよ、ホールトマトの缶を使うんだよ、これでソービニオンブラン。たまらんマルチェロマストロヤンニ。いろいろな俳優が出てくるね、ジェームスディーン、アランドロン、そしてマルチェロマストロヤンニ。
14歳 ジャマイカ人の足の速い転校生。ボルト君と呼ばれていたがすぐ転校してしまった。
25歳 韓国人と草野球 9人中、6人がキムサン
>沖縄には「比嘉さん」とか特有の多い苗字があるよね。
44歳、夫婦で イタリア人が、中田、中田といってミサンガを売りつけられた。
> 中田もそうだが、多くのジャパンのA代表は海外経験組である。遠藤だけが、海外経験のない唯一のビックスター。僕は、遠藤を尊敬しているけど、外国行くのが嫌だったのかな、ヤットちゃんと言われて愛されているしね。
それはそれで素敵な生き方だと思う。
55歳 フランス人に英語で話しかけて無視された
>そうだね、フランス人はプライドが高いからね。むこうのデパートでも、並んでいるところで、ちょっと割り込んで「これください」とか言えない。順番を待たないと、何も言えない感じがフランス人にはある。
僕が出会った外国人で印象的なのは、ザ・バンドのガースハドソン。初の海外レコーディングの時に、ブッカー・Tから、ガースハドソンを呼んでいいかと尋ねられてそれはもう大好きなザ・バンドのキーボードなので、喜んでOKした。 アコーディオンを弾いてもらうことになった。
ガースハドソンが演奏にあたって、詞の意味を訪ねるのだが、作詞の岡本おさみさんは英語がまったくできない。通訳を通じて岡本さんがガースに説明した。
その間、んんんんー、ずっと、んんんんと言っている。そして説明聴いてOKということでスタジオに入る。そして、出てきてまた質問。二番はどういう歌詞かということでまた岡本さんが説明して、んんんんんん。OK。そして、また演奏して出てきて、今度三番は?
その様子をずーっと観ていて、この男は何にも理解していないと確信をもった()笑)
凄い体験だったな。
もの凄いレコーディングを体験した吉田拓郎のラジオでナイト。
■CM明け
歌謡曲のリクエスト
<ゴールデンハーフの黄色い草ランボ、エバちゃんが好きだったが、子供にはイケない歌詞だったという投書>
♪黄色いさくらんぼ んんんんんんん(笑)、ちがう、うっふんか。
でも、ゴールデンハーフの曲はかけない。オリジナルのスリーキャッツ。このおねえさんたちがいいなと思っていた。
Mー1 黄色いさくらんぼ/スリーキャッツ
■CM明け
映画「ラ・ラ・ランド」の話をしたが、これには反響が多かった。今日はもう一本、比較的最近の映画で、「ドリーム」というのを是非見てほしい。これは、実話。アメリカとソ連の宇宙開発競争で、ソ連に先を越されて焦っているころのアメリカのNASAが舞台。類まれなる頭脳の黒人女性たちが、トイレも別、コーヒーカップも別という差別の中で、それを乗り越えて素晴らしいチカラを発揮してゆく物語だ。
とあるワンシーンで僕は、胸が痛いというか、ヤンヤで喝采したくなった。
黒人女性が、白人至上主義の学校の担当官に「あなたは歴史上の一人になりたいとは思わないのか。この400年 白人中心の中では、あなたは一生歴史に名を残さないだろうが、黒人を入れることで歴史に永遠に刻むことはできるんですよ。よく考えてください。」と言う。すると担当官はうーんと悩む、バカだね。夜学ならと許す。
そのシーンが素晴らしかった。胸のすく思いがした。
さて吉田拓郎の提供曲のベスト・ファイブを決めてみようというコーナー。いろいろなのが来ている。襟裳岬、中之森バンドの風になりたい、神田ひろみのドンファンとか。「風になりたい」が多かった。
曲はよく覚えていないけど小出正則の「新しい空」。「あさひが丘の大統領」の主題歌。思い出せない。「小出なんとか」とか書いている、あなたもいい加減だけど、曲を忘れてる 私も相当いい加減だ。新しい空が2位につけている。
DUO「放課後」。これは作ったね。田辺エージェンシーとかわいい二人組を売り出そうということだったけどダメでした。
キャンディーズ「アンドゥトロワ」がいい、「やさしい悪魔」好きという投書も。
ランク外で注目なのは、沢口靖子「潮騒の詩」。武田鉄矢の映画でデビューして詞も武田。武田鉄矢の詞って、どうなのよと思った。
M-2 潮騒の詩
ヘタだな。歌うまくねーな、沢口靖子さん(笑)
カーニバルの「さよならロッキー」。これは覚えている。「両国橋」松平純子は、結構うまかった。ブラス・ロックで、のちに由紀さおりが歌った。
「銀河系まで飛んでゆけ」はキャンディーズ、梓みちよ、中原理恵とカバーしたけれど梓みちよはうまいな。
アンドゥトロワも2テイクあって、別テイクはアルバムに入っていて、僕のデモテープに近い。ランちゃんのボーカルものびのびしている。
M-3 さよならだけ残して 天地真理
アレンジは瀬尾一三だ。確か月刊明星で歌詞募集して作ったのではなかったか。
「あ、真理か、おまえ」ってセリフつい出てしまう((笑))
暫定的なランキングを発表
5位 アグネスチャン「アゲイン」、中村雅俊「いつか街で会ったなら」
>「いつか街で会ったなら」はそんなものかなぁ。
4位 「ルームライト」
3位 「アンドゥトロワ」 DUOの「放課後」
>「放課後」って奇をてらっているんじゃないのか。そんなにいい曲か。
2位 「新しい空」「襟裳岬」
1位 「風になりたい」
「ドンファン」、「ああグッと」は好きなんだけどないな。弾き語る ♪風がバタバタ吹いている♪ああグッと マッチもパンチ効かせて歌ってくれたけど。
「我が良き友よ」ないな。いい歌なんだけどな。アルバムだと「赤い燈台」とかKinkiの「危険な関係」もいいけど…ないね。
思いが全く違うね。
◆ベストテイク
思い出したけれど、モップスの「たどり着いたらいつも雨降り」とか好きじゃないかね。 (生歌)。
今日は「この指とまれ」。よく話す「悪ガキバンド」の頃。島村、武部、青山、中西、エルトン。みんな暴れん坊で酒のみで、演奏もエネルギッシュだった。
また、個性強くてリハーサルでは、メンバー同志よくぶつかりあった。あのバンドの核になっていたのは中西康晴だったと思う。天才的なキーボーディストだった。
ただ残念なのは、このバンドは、レコーディングするとステージほどエネルギッシュな持ち味が出ない。特に、ベースが弱かった。あれこれ注文だしていたが、うまくいかないので、違うベーシストを呼んだりしていた。ライブではエネルギッシュな持ち味が出なかったのが残念だ。
コンサートツアーが終わっても帰らずに一緒にいたい、昼間に時間つぶして、夜になると六本木の「北の誉」という寿司屋で、ツアー中、ずっといた不良バンドだった。
詞は、自分のいた世界とかそういうものに別れを告げたくなっている。さよなら70年代ということで、訣別する用意ができてきた時の詞だ。
この曲が、やがてその後のハワイの50歳誕生日に、ぐすぐすした友人関係やフォーライフのしがらみとの訣別を予感させている
35歳にして、さよならという感じ。ぐすぐずした70年代やフォーライフも重すぎる。そういう人たちと話をするのが面倒くさくなっている。そういう将来を見据えた歌だった。
M-3 この指とまれ 吉田拓郎
■マイフェイバリット
今日はエルビス・プレスリー。
「恋の大穴」が一番好きだった。ハウンド・ドックとか、ロックンロールをアマ中時代に よくやっていた。しかしその反面でこういうのも…‥‥
M-4 ラブ・ミー・テンダー エルビス・プレスリー
耳元で歌うバラードがたまらない
M-5 好きにならずにいられない エルビス・プレスリー
映画の「ブルーハワイ」で有名、その後のエルビスのステージのラストの定番だった。
M-6 ブルー・ハワイ エルビス・プレスリー
兵役にとられたこともあった。退役後、ベガスでステージに立つ時代、など三つの時代を生きた。のちに映画「ブルーハワイ」の共演者に「兵役中に自分を超えてゆくスターが登場するんじゃないかが不安だった」と語ったそうだ。人間エルピスは、神経質で心優しい人だった。
こういうバラードと同時に、シャウトする素晴らしさ
「恋の大穴」が一番好きだ。
すべてのはじまりはプレスリーだった。
M-7 恋の大穴 エルビス・プレスリー
■エンディング
M-8新しい空
これが「新しい空」
そんな大した曲でない。いかにも吉田拓郎がつくりそうな。この辺はいかにも鼻歌って感じで、小林君にもすまないけれど手抜きかな。
・提供曲
・映画
など募集。
吉田拓郎でした。
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆
☆理科離れか。自分は、理科オンチだったので何も言えないが、映画「ドリーム」のNASA研究所の彼女たちのことを考えれば、やはりできるだけ裾野を広く、理科教育をしてゆくことがいかに大切かがわかる気がする。
☆提供曲投票は面白いね。
DUOの「放課後」が2位とな。私も信念をもって「放課後」に投票した。そして同じ79年の小出正則の「新しい空」が3位とは、これまたすんばらしい。奇をてらったりしたワケじゃないですよ、御大。
襟裳岬、我が良き友よ、やさしい悪魔とかは不動のスタンダードじゃないですか。そこまでいかなくとも、胸に疼く名曲がある。しかも、それらは世間からは消えかかっていて、リスナーの自分たちが忘れたら、本当に消えてしまう。いわゆる「崖っぷちのメロディー」なわけですよ。消えてしまうにはあまりに惜しい曲たち。こうして光があたる機会があるのであれば、その曲を是非、光の下へと思う心情からなのですよ。「放課後」も「新しい空」も心の底から真剣に投票したんだと思いますよ。
それにしても、79年前後にドンピシャで青春時代を送った私と同世代のコアなファンの方がたくさんいるものと推察される。心強い。原田真二、小林倫博、小出正則は、フォーライフ新人の御三家と言われたものだ。「オホーツク」という名曲があった。お元気だろうか。ドラマは観ていなかったけれど、小出正則×吉田拓郎というのは、それなりに耳目を集めたよね。聴くと気分が高揚する。
☆そうなんだよ。アンドゥトロワの御大デモテープ忠実バージョンは、地味すぎるということで、後のアルバムに「アン・ドゥ・トロワpartU」として収録されたんだけれど、こっちの方が圧倒的にいいね。確かに蘭ちゃんのボーカルがしっとりといい味を出しているんだよ。地味→却下→partUというのは悲しすぎる。いつも言うが、part2の方が最初に出来たのだ。メカ沢くんの弟βが先に出来たのと、アトムの兄さんのコバルトがアトムの後に出来たのと同じだ・・・ってわかんねーよ。
☆この「潮騒の詩」が、沢口靖子のデビュー曲なのだが、このあと朝ドラで人気が出て、再びレコードを出したとき、ワイドショーが「沢口靖子が歌手デビュー」と騒いでいて、私は大いに面白くなかった。いいメロディーなのに。問題は歌詞か歌唱にあるというのが持論だ。
☆風がバタバタ「吹いている」ではなくて「鳴っている」である。これで思い出すのは、東京ドーム。ステージがガーっと開いて、雰囲気が一変して、タテノリへとなだれ込んで行った転換点になったことだ。
☆「さよならだけ残して」の作詞の応募者が「春だったね」の作詞の田口叔子さんですよね。この人も謎の人だ。
☆中西康晴がショルダーキーボードで青山とバトルのカッコ良かったな。当たり前のように観ていたけれど、中西とエルトンがステージの両側にダブルキーボードで鎮座しているって、すげー贅沢なことだったんだよね。
☆私はエルビス世代ではないけれど、意識しない自分にも彼の影響は及んできていることを知る。今日の一連を聴いて、あらためて「英雄」を聴くと本当に切なくも力強い名作だといいたくなる。
☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆
「いかにも吉田拓郎が作りそうなメロディー、鼻歌、手抜き」と拓郎は言うが、そこにこそ宿る愛がある。
■ 2018. 9. 2
3枚のdiskに添えられた一綴のnote。歴史と仲間たちへの愛とねぎらいが静かに綴られている。あ、これは、吉田拓郎の” The Notebook(君に読む物語)”なのかもしれない。
聴き込むまで書くまいとも思ったが、ただの端くれファンの自分が、そんなへのつっぱりみたいなこと言っても仕方ない。だって、本人のライナーノーツだぜ。
note 01 春を待つ手紙
この曲が一曲目とは驚いたし、思わずヤられたと唸った。クリアな音質でベース音がずんと響く。最高のオープニングだ。ハラショ。
陣山さんのリアルストーリーと思いきや、フィクションのドラマだったのか。え、でも当時ラジオで「これは本当にあった話のようです」って言ってたじゃないかよ。やられたよ。
病気がちで家で雑誌や本を読む日々に育まれた空想癖が作らせた物語のひとつということだ。別のエッセイでお父様が雑誌の発売日の前日に本屋で一足早く買ってきてくれるのが嬉しかったという話が、涙ぐむくらい大好きだ。拓郎は、インドアつまりは家が好きな”おうちっこ”の総帥であると思う。
このドラマは長らく封印されていて、2011年の4月に本格的にベールを脱いだ。悲痛事を経て、冬を越えんとする祈りの歌になっていた。静かに沈み込む祈りではなく、心が湧き立ちズンズンと進むような軽やかな祈りだ。
波しぶきをたて、両手を突き上げて篠島に向かうあの船のシーンを思い出す。あのシーンのバック音楽だが、逆にあの映像は、この曲のプロモーション映像だと思って観るとまた面白い。
吉見佑子さんは、この歌をどう聴いているのだろうかとふと思った。
note 02 僕の道
そして2曲目で幾星霜をひとっ飛び。おうちっこ、つながりではないかと邪推してみるが違うな。それにしても、音楽道でも茶道でも、ましてや人生道でもない家路。”家が好きな、おうちっこ”の本領発揮ではないのか。なにかというとこの国は、勇ましかったり、哲学的だったりする意味をこめて「〜道」といってカッコつける傾向がある。しかし、何のてらいもなく家路、家につながる道、誰にでもある道を、大好きだからと心を込めて歌う。そこが吉田拓郎の魅力の周辺だ。小倉さんのアイデアとされるスライドギターなのか。このとろけてしまいそうな、泣いているような、しかし温かいイントロ、これはすんばらしいっす。コーラスが随分、前に出ている気がする。
note 03 流星
その時、原宿ですれ違った女子高生たちは、時期的に間違いなく自分と同時代の高校生たちである。自分だけではない、一日に何十回も流星を聴くと豪語していた彼とか若くして亡くなって熱いTファンの彼らとか、みんな同年だ。自分達の年代が、この詞のキャストだったとは思ってもみなかった。
そして、2016年のあの絶句は、「果たして僕たちは欲しかったものを見つけることができたか」という万感の思いの問いかけゆえということだった。まさに、おじさんおばさんになってしまった、かつての高校生だった私たちへの問いかけだったのか。もっと先に教えてくれよ。流星もそろそろ飽きたぜとか悪態ついてしまったじゃないか。もし知っていたら、心の底から泣いたのに。
鈴木茂の達意のギター、御意。不滅。茂さんのキャリアには、はっぴいえんどの前にこの曲を記すべきだと思う…って怒られるか。
それにしても「なんですかぁぁぁぁぁぁぁ」。星屑が消え入るようなこの見事な魂の歌唱。無形文化財指定。超絶歌上手い。何度聴いてもすんばらしい。
note4 いくつになってもhappybirthday
なるほど新進のミュージシャンたちだったのか。当時、思ってもみなかった清々しい感じで天衣無縫な曲がスコーンとやってきて驚いたものだ。そうなんだよ、記録や成績や成果や性格や人柄も関係ない、「生きてきたこと」「生きていること」ただそれだけをやさしく讃えてくれる御大のこの歌詞が何より嬉しかった。
全国いや世界中の学校の朝の町会で、毎回、誕生日の子たちを朝礼台にあげて、先生、生徒、全員でこの歌を歌って踊ろう。そうすれば戦争は無くなるに違いない。私は真面目だ。
プロモーションビデオも良かった。最後に赤じゅうたんを横切るかわいらしい幼児。もう20才近くになっていると思うと愕然としたりする。
しみじみと、そしてあっちへ、こっちへと御大Tの思うがままに、心身ともに運ばれてしまう。そういう至福がつづく。
たぶん、つづく。
■ 2018. 9. 3
note 05 恋の歌
よかった。作詞・作曲所ジョージとクレジットされていなくて。
よかった。アルバム「ぷらいべえと」からもセレクトされていて。
よかった。あの間奏のメロディーまで御大が作曲していて。
よかった。深夜スタジオで、社長仕様短髪の拓郎とアフロの若きエルトンさんの姿が目に浮かぶ。
よかった。あのオルガンとエレピを御大がベストテイクと思っていて。
よかった。クリアな音でオイルズの陣山さんの声が聴きとれて。
よかった。「恋の歌」がこうしてクリアになって未来に向かって残されて。
note 06 金曜日の朝
この歌に漂うヨーロッパの暮らしのような香りに、当時、蒲田在住の中学生は、胸を焦がして憧れた。レンガの街並みをワインと薔薇を抱えて背中丸めて歩くのだ。もちろんこの歳になっても、そんな暮らしに1ミリも近づいてはいない。そんなことはイイ。
報知新聞のインタビューをあわせ読むと、極論すれば、安井かずみさんの話をどこかにキチンと残す、ただそのためだけに、今回のライナーノーツを作ったような気さえしてくる。
「フォークなんて大嫌い」と面罵されながらも深い寵愛を受けるという、私なんかにはわかりようがない深い天才どうしの関係。何度もこういう安井かずみとの話は聞いたが、何度も話すにはワケがあるのではないか。
加藤和彦を尊敬し、また友人であり恩人でもあるだろう御大は、もしかするとハッキリと言いにくいのかもしれない。ならば私が思い切り行間を邪推してくれる。
もし、安井かずみが加藤和彦と結婚して専業主婦ならぬ加藤和彦の専業作詞家にならなければ、きっと安井かずみ・吉田拓郎コンビのドラマチックな作品のもっともっと大いなる展開があったはずだという悔恨のようなものではないか。
「彼女的なエッセンスいっぱいの詞に僕はポップなメロディをつける自信があった」というライナーノーツの御大のキッパリとした言葉を私はそう読む。アルバム「サマルカンドブルー」は超絶大好きな名盤だが、どこか老境の香りも感じる。その前に、もっと自由奔放で旬な二人による大人のポップスたちがありえたはずだ。「金曜日の朝」「戻って来た恋人」から展開してゆく珠玉の作品群をものにすることができたはずだ。そういう後悔のような思いではないか。さすればこの音楽界すらも変わったかもしれない。
後悔とはかつてそこに愛があった証なのである(是枝裕和「ゴーイングマイホーム」より)。
note 07 oldies
あの耳に残る♪共鳴レックス〜のコーラスは、無断で後からつけられたのか。それは悔しかろう、だから、お詫びにスバルレックスをくれたのだろうか。 この小さなロードソングこそは吉田拓郎のエッセンスだと思う。コンソメの素のように溶かせば、果てしなくいろんな歌に広がってゆく。
バイタリス・フォークビレッジの番組本体は直接聴いていない。だけど木田高介さんのこのテーマ曲は何度も聴いていた。木田さんとのコラボは、この曲と「川の流れの如く」が、メチャメチャ、カッコよかった。「フォークビレッジのテーマ」と言いながら、全然フォークじゃないじゃん、という気がしたものだ。
確かに、この「僕らの旅」と「フォークビレッジのテーマ」の2曲のジョイントは見事だった。ツギハギのメドレー感を感じさせずに、曲としてのなめらかな一体感がある。そうか鳥山雄司のアレンジの技なのか。ただそれだけではないと思う。それは2つの詞の親和性だ。
“果てしなくつづく旅の歌”と”ひとりぼっちの夜”の二つの作品が見事に連動しあって、”旅路のせつない孤独の美しさ”を描き出している。
Uramadoで、今まで聴けなかったフォークビレッジのテーマの三番の歌詞が聴けて感動したと書いたが、この三番は、oldiesのジョイントの時に付加されたとライナーノーツは教えてくれた(二番は確かオールナイトニッポンの弾き語りで聴いた気がする)。そうか。
「ここに一人でいる僕を 夜空のどこかに記しておきたい 愛する人に届けと」というなんともプリティなフレーズ。なるほど、このフレーズは、2曲をジョイントする大切なフレーズに思えてくる。奥ゆかしい御大は、鳥山さんの技のみを賞揚するけれど、御大のこの詞こそが結びつけているのではないか。
とにもかくにもステージで聴ける日が楽しみだ。
note 08 シンシア
ぐわー、ここでシンシアだ。この曲を知ったのは、フォークビレッジ、といってもかまやつさんがパーソナリティの時だった。「今度、拓郎とレコードを出すよ」と何度も番組内で流してくれた。自分の番組だもんね。そこには、これまでの歌謡曲とも違う、大人の歌で、こういう曲を聴けばきっと大人になれてモテるのではないかと中学生は思った。ライナーノーツは「大人のラブソング」というオーダーがあったということだが、ドンピシャじゃないか。いや全然違うか。
また当時の歌謡番組で南沙織に福留アナが「最近、シンシアなんて歌までできたのって知ってる?」「ええ」なんて会話があった。なぜ買わない、なぜ大人にならないと世界から責められている気がした。
初めて買った吉田拓郎のレコードを、ひと夏、死ぬほど聴いた。初めて買ったレコードが「今でも目がしらが熱くなる青春の一曲だ」そうライナーノーツで言ってくれる拓郎に目がしらが熱くなる。「早春の港」の故郷持たないあの人のいい故郷になりたいの…って、それは自分にはこの曲こそが故郷のようなものだ。あれから45年。今も色褪せない。
あと最近のライブで、なぜ客席は♪シンシア―のあとに”フッフ”をやらないのだ。一人でやってるとかなり恥ずかしい。
■ 2018. 9. 4
この歌がどれだけ素晴らしいかは、uramadoで書いたとおりだ。「歩道橋の上で」の映像のほぼロックウェルバンドによる「ぁぁぁ君の夢を」バージョンも秀逸だ。
ライナーノーツに記された「あまり夢を見すぎるな」とおっしゃった学校の先生、そして外交官になれなかった吉田拓郎くん。
それで思い出すのは、1980年ころラジオ関東で放送していた「吉田拓郎の世界」という超絶地味な番組だ。志賀ナントカさんがパーソナリティをやっていた番組。そこに拓郎の中学時代の先生がインタビューで出てきた。「吉田君は外交官(外国に行きたいだっけか?)という夢を持っていたが、それにしちゃ英語の成績はそんなによくなかった」とミもフタもない証言をされていた。
もし、その先生が「あまり夢を見すぎるな」とおっしゃったのだとすると、それは決して否定的な意味ではなく「だったらもっと英語勉強しろよ」ということだったのではないかと拝察する。
でも外交官なんかにならなくて良かった。そしたらミュージシャン吉田拓郎は誕生しない。私はきっと吉田拓郎ではない他のツマラナイ歌手を応援するツマラナイファンになって、ツマラナイ人生を送っていたに違いない。
ウィンブルドンよりもワールドカップよりも感動する魂のライブをいつも夢見ている。この夢ひとつだけで、私の薄っぺらな人生はツマラナイものでなく、めくるめくものになるのだ。
note 10 水無し川
水無し川のメロディーをライナーノーツで御大はこう評する。
のびのびとしている
柔らかである
そして力強い
おおらかである
そして繊細でもある
まったくそのとおりの名曲だ。異議などない。特に、かまやつひろしwith瀬尾一三の「水無し川」を聴く時、確信をもってそう思う。でも、この吉田拓郎with松任谷正隆バージョンは、それだけじゃない。これらに「すみずみまでやるせない悲しみに満ちている」を加えたい。だってそう感じるんだもん。たぶんこの歌の出自の頃の状況などがイメージに影響しているのかもしれない
駒沢裕城のスティールギターの音色は、美しすぎてあまりに悲しい。「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。」という小林秀雄のコトバを思い出す。この水無し川のボーカルとスチールギターのかなしさは、疾走する。涙はおいつけない。
「吹雪のあとに 春の陽ざしが 花に酔ったらその時泣こう」
このあたりでようやく涙が追い付いてくるのだ。
ラジオでナイト 第70回 2018.9.2
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
吉田拓郎です。
とりあえず(♪ファンファーレ)。4回続けてチャンピオン。メールもハガキもたくさんいただいて、皆さんがいかに愛してくれているか。ニッポン放送にも表彰していただいて、もっと美味しいこともしてほしい(笑)
さてアルバムが出たでしょう。たくさんのメールをいただいて、皆さんが喜んでいることを確認できた。みんなと共有できているなという気がして良かった。
今日は一大イベント
<SUICA/PASMOは楽です、デビューを待っていますという投書>
ついに使ったぞ。起立っ。いゃあ、SUICAをタクシーに乗って言い出せなくて現金払いでSUICAっていいじゃん。運転手もこっちも実にスピーディ これは明らかに使わない手はない。くれた森野君に感謝したい。でもチャージは君に任せるから。吉田拓郎が駅でチャージする姿は見せたくない。
こうしてキャッシュレスの時代に入っている。「アップルウォッチって時計で何から何まで、支払いまで済ませることが出来て楽ですよ。」といわれて驚いた。僕の時計は、時刻しか表示しないぞ。
吉田拓郎は、コンピューターでデモテープ作りまくって同年代では先端を行っているつもりだったのが、ここ数年で変わった。キャッシュレスの時代が進んだ。
割り勘もスマホで一発とか、えーっと思っていた。
最初タクシーで「SUICAでいいですか」と聞いたとき、乗りながら、SUICAをどこに指すんだろうと思って、穴を探していた。お金を払うところのあそこがガラっと開くとはは思わなかった。
このことに反論もるあが、それはいずれ。思うこともある。なんでもかんでも共有もするな、一人にしといてくれという気持ちもある。
やっとSUICAを仕えた吉田拓郎のラジオでナイト
■タイトル
便利の反面消えてゆくものもある。今度のアルバムにも入っていたでしょ、君らはあんまりかもしれないけれど、僕は好きなんだ。
たくさんのメールありがとうごさいました
<前日購入、ライブの初日のように期待したという投書>
ニッポン放送と話して、東京公演が一か所しかないので東京でラジオでナイトの公開放送ができないかと、あんまり言っちゃいけないのか。
場所は言えないけれど僕と縁の有る場所、サンプラザじゃないよ。二度目のサンプラザで倒れた。あそこじゃない。想い出深い場所で公開放送をかねてと言う話がある。
ん、じゃひとり50万円くらいで(笑)。冗談だけど。
ニッポン放送でどうか
<最初にディスク3を聴いた天性のボーカルの素晴らしさと曲順のストーリー性があって素敵なアルバムをありがとうという投書>
耳元でささやくような感じだろ。
アルバム買った人からありがとうといわれたのは初めてだ。
<開封して涙、ライナーノーツを読んだ、拓郎さんが話かけてくれているようだという投書>
アルバム買ってもらってお礼を言われているのってある?
<拓郎さんが番組に飽きてしまわないか心配ですという投書>
確かに、一年半くらいで飽きるけど4回続けて一位だからね、もっと10回とか続けたい気もしている。
歌謡曲のリクエストで多かったのが、女性でちあきなおみ、男性ではジュリーだった。
沢田研二さんとは、時々メールをする仲だ。昔、月刊明星の対談以来、遠い人ではない。
ご存知のとおり僕はバンドでナベプロに売り込みにいった。タイガースを意識していて、タイガースよりはウデは良かったと思っていた。ルックスはゼンゼン駄目だけど。でもナベプロは入れてくれなかった。
ということで、沢田研二は意識していた。
今年の初夏のころ「おでん屋で旅の宿を歌ってます」というメール貰ったこともあった。「時の過ぎ行くままに」をリクエストくれた人もいるけど、今回は「勝手にしやがれ」。
M−1 勝手にしやがれ 沢田研二
■CM
吉田拓郎が他のアーティストに提供した楽曲投票。この結果は、10月のスペシャルウィークで発表します。って、今考えていることがあるわけよ、5回、10回と記録を伸ばすため、提供曲ベスト5に応募いただいた方のうちからひとりに2016年で遣った黄色いテレキャスターをプレゼントしようかなと思っている。
今、次のコンサートのために欲しい楽器があって、それをあたっている。なので黄色いのギターは使わないので。どう?これが届くというのはどう?
橋内が手を叩いて「それだ!!」と言っているが(笑)
というわけで黄色いテレキャスターをプレゼントしようと思う。吉田拓郎って本当に気前がいいなと思わない。
さて、今週はリクエストが増えた。予想とは違うけど。
5位 Kinkiの「危険な関係」
>言うがままだな
4位 テレサ野田「ソファーのくぼみ」
三連だ、これはマイナーだよ
3位 風の街
山田パンダの提供曲だって忘れていた(笑)。自分の歌だと思っていた。あげなくても良かったな(笑)
2位 モップスの「たどり着いたらいつも雨降り」
1位 川村ゆうこの「風になりたい」
他には、
メランコリー、いつか街で会ったなら、やさしい悪魔、ドンファン、ルームライト
あなたのイエスタディ・・・キャンディーズのミキちゃんが歌っているのかな、 思い出せないのが「恋のバイオリズム」。松本伊代ちゃん、この人は唄が・・・だったね。
僕の方で個人的に好きなのは、マッチの「ああグッと」来ないね。一通もないね。結構好きなのに。猫の「地下鉄にのって」もない。売れなかったけれど加藤紀子の「ふゆがきた」も好きだ、♪お豆腐いいね、はんぺんいいね、可愛くて好きなんだけどな。
太田裕美のアルバムの「鍵」これが鈴木茂がいいアレンジしているんだけど。
なんだかホント・・・・という感じ
■CM つま恋のコマーシャル 彩の里
■今週のベストテイク
今週はアルバム「AGAIN」のアキラ。
みなさんの心にも、それぞれアキラがいるのではないか
♪棕櫚の木の下で陽炎がゆれている
このメロディが好きなんだ
鹿児島だったので、通学路に棕櫚の木があった。小学校にはアキラはいなかった。小学校の時、宮崎先生を慕っていた。アキラにあたるのは、中学、高校の頃に藤井君という親友がいた。彼は水泳部だった。
僕が、音楽の楽しさFENの岩国放送とかを教えてあげて彼が音楽が好きになって、彼の自宅のピアノでセッションしたり、女の子を呼んでヘイポーラを歌ったりもした。
彼は、後にダウンタウンズにゲストで出演してレイチャールズを歌ったりしていた。
高校の頃、いわゆるワルにカラまれて危なくなっているといつも藤井君が助けてくれた。お互い勉強は中の上だけど、喧嘩が強かった。ワルが一目置いているそういうヤツ。強い奴に寄らば大樹の陰で一緒にいた(笑)。まさにアキラだった。
「AGAIN」をチェックしていたら気分が昂揚してしまった。特に最後のアドリブのところ。今日はみんなでアキラを聴いて泣きましょう。
M−2 アキラ 吉田拓郎
■今週のマイ・フェイバリットソング
亡くなって悲しい。バンド時代から尊敬していたアレサ・フランクリン。ソウル、ゴスペルの女王で素晴らしいワン・エンド・オンリーのシンガーだった。グラミー賞も20回くらい獲ったのかな。女性としては初めてロックンロールの殿堂入りを果たした。
今日、選んだ曲は、あまり知られていない曲で、アルバムの1曲なんだけれど、僕が好きな曲。
まずはこういう曲を聴いてみよう。
M−2 チェンイン・オブ・ザ・フール アレサ・フランクリン
これは ♪チェチェチェン、ワンコードでアドリブで歌う。シャウトだよな。こういうシャウトができるのは、ジョン・レノンとアレサ・フランクリンだけだな。
大学2年の頃、チェイン・オブ・ザ・フールは、難しくてバンドでは無理だった。沢田研二でも無理だったかも(笑)。
小さな願いというバートバカラックのカバー。
M−3 小さな願い アレサ・フランクリン
どの曲をカバーしても凄い、やはり不世出のシンガーだ。
ゴスペルが原点でブルース、R&Bへと繋がっている。
映画「ブルースブラサーズ」で、バーのママで歌うシーンが素晴らしかった。
ベン・E・キング が歌っていたドント・プレイ・ザット・ソング
これで御冥福を祈りたい
M−4 ドント・プレイ・ザット・ソング アレサ・フランクリン
■エンディング
イニエスタ、トーレスと活躍が目覚ましい。
毎週ポロっと喋ってる。
東京でもう一本
黄色いギターをプレゼント
ありゃりゃりゃ
歌謡曲
提供曲
お相手は吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆おめでうございます。
・聴取率連続4回首位
・SUICA初使用
・ニューアルバム発売
・ラジオでナイト放送70回
なんとめでたい放送なのか。
☆もしかすると勝手にかましていた渋谷公会堂がライブ&公開放送が実現するということだろうか。期待するしかない。
☆てか、"つま恋"が提供になってて、びっくらこいた。ニッポン放送とつま恋の協賛で、つま恋で公開放送をやってくれよ。わかってる。駄目だよな(涙)
☆From T 大好評何よりだ。
☆ガラリと変わった提供曲のランキング、忖度の嵐が吹いている。おい、信念をもって投票せよ。
それにしてもギターあげちゃうの。すげー。昔から、思い切ったプレゼントするよね、御大は。もちろん当選したことないけれど。何に投票すれば当たりやすいんだろうか(爆)。
☆「あなたのイエスタデイ」。ミキちゃんうまかったよねぇ。
☆ アキラは、あの最後のアドリブの部分から一気になだれこんでいって泣けるのだ。
☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆
アキラは藤井さん 藤井さんは歯医者
冷たいものが沁みる時 奥歯が疼いて困った時 アキラがついているさ
■ 2018. 9. 5
読書感想文はつづく。
note11 清流(父へ)
ゆったりと、たゆとうような「名前のない川ver」が好きだが、あらためて聴く「午後の天気ver」のちょっとタイトでアップテンポな感じもいいな。いずれにしても、やっぱり名曲だぜ。
ライナーノーツの
僕が父を慕っていたのは事実だ〜月日が流れ僕の心変化が生まれる〜「僕の知らない父の本当の姿」があるのではないか
という言葉を読みながら本曲を聴き、本曲を聴きながらその言葉を思う。
御大とご尊父様の心のつながりに、私ごときが立ち入ることはもちろん、推察すらできようもない。しかし、御大の「心の声」は、どうしたって聴くものに音叉のように響いてくる。
力が永遠のものならば 僕は後悔をしないまま
若くて選んだ激流を今でも泳いでいただろう
この部分を、かつては軽く聴き流していた。もともと自分に力はないが、こうして老いて、いろんなことが衰えてゆくにつれ、それが父であれ、誰であれ、大切なことを何にも聞いていなかったことに気付く。もっと話しておけば、聞いておけば良かったと悔やむ。「力が永遠のものならば」とはなんと詩情あふれる表現だろう、さすが御大は詩人だ。
関係ないが俳優の田村正和がインタビューで「子どもの頃や若い頃は父(阪東妻三郎)がいないことを淋しいとも何とも思わなかった。でも、この歳になるとね、迷うたびに『ああ、おやじがいてくれたらなぁ』と思うね」
人により程度の差こそあれ、誰もがこれも近いものががあるのかもしれない。もしかすると、おやじはすべてなのかもしれない。なーんて思ったりする。
あなたの家族でいたことを誇りに思える今だから。
御大は嫌かもしれないが、ファンの多くは思うだろう、NHKのファミリーヒストリー吉田拓郎編が心の底から観たい。
Note 12 花の店
「花の店は坂の途中」というフレーズを聴くたびに心の底から「それがどうした」と叫びたくなる俺を許してくれ。しかし、岡本おさみさんこそは、不世出の作詞家であると私は確信している。
岡本おさみさんとの関係が綴られているこの曲のライナーノーツ。
「自由過ぎて」メロディーに乗せにくい言葉たち。「自分は歌いこなしてみせたが、他の歌手に提供した我々コンビの作品は、それはそれは歌手の方が苦労したはずだ。」 なるほど。歌いこなした方は、由紀さおり、森進一、小柳ルミ子、森山良子・・・いずれも超絶歌唱力の持ち主ばかりだ。なるほど御大は相当大変だったのだなとその苦闘が偲ばれる(笑)。
最後近くにこんな言葉がある。
まさに不揃いの言葉を紡ぎ続けた彼だが、僕はその言葉たちを愛して曲にしてきた。
この淡々とした言葉の奥深くにこめられたものを思うと泣けて泣けて仕方ない。
せっかくの個人サイトだ。明言する。
松本隆☆筒美恭平など作詞・作曲の名コンビは数々ある。
しかし、岡本おさみ☆吉田拓郎コンビこそが至高でありその頂上にいる。あとは、みんな坂の途中だ。
note 13 戻ってきた恋人
六本木でZUZUやコシノジュンコや加賀まりこと夜な夜な遊ぶ華麗な青年。もう、その時点で、この人はフォークソングなんかではないと、なぜ世間は気付いてあげなかったのだろうか。
たぶん、歌手であり作曲家でありアイドルでもあり、ついでにかくも傍若無人である前代未聞のこんな人間は過去に類例がなかったから、みんなどう取り扱えばいいのかわからなかったのだろうと思う。類例がない煌きがあったから、ZUZU初め、センスある人々にはそれが見えて、注目したのだろう。しかし、大多数の人はそういう煌きをキャッチするセンスがないから、取扱い困難なままフォーク歌手ということにしておいといて、やがて、わかりやすい別のものに飛びついてゆく。吉田拓郎の孤高はそういうところに原因があるのではないかと思う。
つまり安井かずみさんやこのアルバムを買った私たちファンは、みんな類例のないこの煌きをキャッチしえたセンスある種族なのである。んーなんか盛り上がってきたばい。
御大のヘッドアレンジで松任谷正隆が、かくもポップに仕上げてくれる、2つ音楽の才能同志の蜜月がまた眩しい。
note 14 アゲイン
Uramadoにも書いたが、未完成の楽曲を発表するのは、シューベルトと吉田拓郎だけである。シューベルトは途中で投げ出し放棄したので曲が未完成らしいが、吉田拓郎は、未完成で出したCDを、ライブでキチンと完結させたので、この時点で吉田拓郎はシューベルトを超えたというべきだ。どんだけ凄いんだ吉田拓郎。なぜ教科書に載らない。なぜ小学校の音楽室に写真が飾られない。
ライブで聴いた「アゲイン」は実に不思議だった。セットリストの中の1曲でありながら、一段高いところから他のセットリストのすべての曲を照らすような。そしてすべてのセットリストの曲がアゲインに向って収斂されてゆくような。そのコアにある「僕らは今も自由のままだ」。私には謎でよくわからない。
そして、「次のコンサートからは少し違う意味を持った曲になる」という。なんだ。なんなのだそれは。謎を孕みつつ、アゲインは未完→完成→さらなる変化に向って進むのか。ともかく次のライブが楽しみである。
DISK1が終わった。この曲順の意図はまだ私にはわからないが、とても考え抜かれていて、おおおと唸ってしまう曲順であることは確かだ。それは何なのか、いろいろな意味で深いアルバムだ。
■ 2018. 9. 6
なのに、今日もイカレタ日記が続く。
昨夜、御大ご推奨の映画「ドリーム」を観た。黒人入学の前例がないという試験官との対決のシーンは本当に痛快だった。きっと吉田拓郎は、こんなふうに前例がないからと拒否られる屈辱的な思いを何度も経験したのに違いないと思った。
ライナーノーツのDisk2の感想文
note 01 風の街
風の街が一曲目というのもオツな選曲だ。ラジオのベストテイクの一曲目もそうだったし。とにかくクリアな音であのハーモニカの前奏が始まるとウキウキしてくる。
「毎晩のように僕達はこの街に集まっては共に若さを発散させ自由を謳歌していた」
聖地というより、遠い異国の地でおきているドラマのようだった。自分がそこ行ってみるなんて思いもしなかった。
「あこがれ共同隊」とはよく言ったものだ。ドラマで幻の地原宿ペニーレイン周辺の様子を覗くしかなかった。ホントに棲んでるかのような山田パンダと最近亡くなられた常田富士男のホームレス父子も忘れ難い。
流星も原宿が舞台の端緒だったとライナーノーツで知った。
ペニーレインでバーボン(74)→風の街(75)→流星(79)→街へ(80)→ペニーレインは行かない(84)
原宿と吉田拓郎の関係が、まるでマイルストーンみたいに残されている。この歌のライナーノーツでは「そこではない場所を求め始めていた」とある。既に別れの予感がしているのか。しかし、松任谷や島ちゃんとのせーの、の一発録りのサウンドがメチャいい。原宿という舞台の活気とエネルギーとあこがれがまさに佃煮のようになって漲っている。
街が人を育て、人が街を作る、そして人はまた新しい街を探して放浪する。・・・なんか不動産会社のCMみたいだ。
note 02 ガンバラナイけどいいでしょう
ライナーに書かれた「ガンバレ」をめぐる御大の苦闘の話には申し訳ないが、吉田拓郎を支えに頑張ろうと思いつづけてきた私には「ガンバラナイけどいいでしょう」というタイトルは、残念を通り越してショックだった。「頭が重い」「胸がスッキリしない」「動きたくない」という患者の主訴のような出だしに頭を抱えた。
でも曲が進むと次第に変化してくる。「もっともっとステキに いられるはずさ」、「きっとこの頃何かを皆 気にしてるんだね 誰かの顔の色も気にかかるんだね」、「そこよりもっともっと それよりももっと心が痛くならない つらくない所」 ああこの歌は撤退や隠居の歌ではなく、「頑張る」という人間にとっての最大のしがらみから自由になっていくための歌だ。中島みゆきの「ファイト!」流にいえば「頑張るという名の鎖を身をよじってほどいていく」歌だ。曲がつつむにつれて不思議に身が軽く元気になってくる。いつの間にかライブでノリノリになっていたのも忘れられない。
ライナーノーツのとおり、詞だけでなく、そういう詞に寄り添った演奏の展開がまたすんばらしい。さすが音楽家たちのワザのデパート。今回は、ライナーでご指摘の古川望さんのギターのアドリブが奔放に跳ねる最後に聴き入った。メチャカッコイイ。軽やかに先に先にと誘って連れて行ってくれる、そんな歌だ。
ちょっと前にCMで、ローラが歌った、のどかな感じ。あれがとても正鵠を得ている気がする。
■ 2018. 9. 7
もちろん稀代の名曲だとは中学生の時から思っていた。しかし、この曲がより一層、胸に刺さってくるのは年齢を重ねてからだ。何十年かオトナをやって、人を裏切り、罪人の1人になって、政ごとみたいなものにも疲弊し、ボロボロのおっさんになった今になってようやくこの作品の真価がわかったみたいなところがある。
心の底から驚くのは、当時、この詞を書いた岡本おさみは29歳、吉田拓郎は26歳、そして魂のギターを弾いた高中正義は19歳の未成年である。今は19歳は成年か。えぇ!!?、こんな若造たちが、なんでこんな深遠で老成した音楽が作れるんだよ。
しかも、ライナーノーツには、コード譜だけを頼りにスタジオでアドリブで作り上げたとある。今もってこの隙のない彫琢された磐石な演奏。中学生の時からステレオの左スピーカーのみボリュームをアップして聴き惚れたギターソロ。これらを、アドリブで作ってしまうんかい。
若造たちの神業は驚きや感動を通り越す。文字通り音楽の神様が降りていたに違いない。1972年に何十年か後に向って、神様が蒔かれたもう種のようなものだ。
note 4 君のスピードで
今やスタンダードとなったこの作品は、吉田拓郎にとって80年代後期から90年前期のさまよえる氷河期からの突破口となった。って、なんでおまえが言う。いや、ファンだって同じ氷河の中に閉じ込められていたのだ。
いつも海外録音の時、文句ばっかり言っていた吉田拓郎が、このレコーディングでは違っていた。言葉を超えて相手を唸らせる精巧なデモテープと和食料理人を連れて、バハマのコンパスポイントスタジオに臨み、外国人ミュージシャンと合宿してアルバムを作り上げる。もう、カリブ海の箱根ロックウェルスタジオみたいなものか・・・ココが私の想像力の限界である。死ぬまでに一度は行ってみたい、聖地バハマとコンパスポイントである。
ミュージシャンからの「音楽は永遠である」という言葉が自分ごときの胸にもしみる。ここから冬の氷河をカチわって、何度目かの吉田拓郎の快進撃が始まる記念すべき、まさにコンパスポイントだ。
この作品は、人と人との距離感を歌い続けてきた吉田拓郎の集大成だと思う。クラブ25で、初めて聴いた時、深夜の静寂の中カから、零れ落ちてきたような歌と演奏に感動したものだ。静けさの中に棲む至上のラブソングだ。同じくクラブ25で、夫婦で空をみあげながら、思いを共有する、いいLuckを引いた…という話とともにセットになっていて忘れられない。
■ 2018. 9. 8
見慣れていたのに消えてしまって、ちょっと寂しくなるもの。拓郎さん、そりゃあ、あります。たくさんありますよ。
例えば、コンサート会場前に必ず出ていたグッズ屋台。微妙に会場敷地の外にありました。Tシャツ、タオル、写真から、団扇、定期入れ、本人のサインまで売ってました。ホンモノですか?」と尋ねるには、ちょっと怖いお兄さんが売ってらっしゃいました。最近とんと観ません。
あとコンサートの紙テープ。人はいつからステージに紙テープを投げなくなったのでしょうか。ま、危ないですもんね。「舞姫」のジャケットで確認できますので1978年あたりが最後と思われます。
そして、ライブ中に「朝までやれ!!」という人もいなくなりました。私たちファンも朝までやられたらこっちも困るという歳になってしまったのだと思います。
切なく懐かしいけれど、この曲の陽気さ、かつて拓郎さんのおっしゃっていた小室等の「ぼくのおねぇちゃん」みたいな明るいノリがいいです。これは鈴木茂さんのチカラだったのですね。
それにしても、つま恋2006の前日のゲネを丘の上で聴いた時、ちょっとおどけて歌っていたバージョンかステキでした。つま恋の風に吹かれたあの日の景色ってやつです。
note06 春だったね
この歌が、吉田拓郎と常にともにあるということは、ファンとも常にともにあるということだ。ライブの定番曲に飽きたと悪態を付きまくる私だが、「春だったね」だけは別だ。身体に刷り込まれた「さぁ始まった感」。これはSF映画で言えば、知らない間に私たちの人体に埋め込まれたスターティング・スイッチに違いない。
ライナーにあるように田口叔子さんがラジオ番組に書いてきたハガキを採用したものだったという。また天地真理の提供曲「さよならだけ残して」の詞も田口さんだが、御大の「ラジオでナイト」によれば、月刊明星の詞の募集に応募して採用されたとのことだ。
投稿マニアなのか、ハガキ職人なのか、あるいは流しの作詞家なのか。思い切り謎が謎呼ぶ田口淑子さんである。今頃どうしておいでだろうか。「春だったね御殿」とかに住んでおられるのだろうか。
今回は「元気です」バージョンだ。松任谷正隆のオルガンがポップに跳ねる。甲乙つけがたい「元気です」と「ライブ73」バージョンだ。私が中学の時に買った二枚組みベストCBSソニーの「よしだたくろう71〜75」は、「吉田拓郎自身の選曲による」と謳っていた。その春だったね はライブ73のものだった。今回こっちを選んだのはなぜだろう。
御大は「言葉が飛び跳ねている」とおっしゃる。まさしく。言葉もメロディーも飛び跳ねている。 反面で、この歌は「字余りソング」の典型のようにいわれる。口惜しい思いを何度もした。
なので、私は私なりに渾身でUramadoに泣きながら書いた。「歌詞の言葉がホップするようなときめき感あるメロディー。フライパンの上のポップコーンが弾けていっぱいになり、フライパンの外にぴょんぴょん飛び出していくような躍動感。音符♪から溢れ出た言葉も、本体のメロディーとともに跳ね回る。ただ溢れ落ちたのではなく、溢れた言葉たちにも音楽の魂がみずみずしく宿っているのである。」
このイカれた文を書きながら「春だったね」を字余りソングと揶揄するヤツとはぜったい遊ぶもんかと胸に刻んだ。小学生かよ。んまぁ、こんなイカれた私とは誰も遊んじゃくれまいが。
■ 2018. 9. 9
「澄みきった青空のような青山徹のギターのイントロ」…とuramadoに書いたら、なんとアレンジは青山徹だが、ギターは徳武弘文だとライナーでご解説くださっている。そうだったのか。もっとも音楽音痴の私だ。拓郎が「実はギターはキダ・タローでした」といわれても気づかずに感動しただろう。
謹んで訂正するが、ずっと間違えていたことも大切な財産なので、元の記載は、そのまんまにしておく。
宮崎美子主演「元気です」の主題歌だが、ドラマのストーリーとか約束事からは一切自由に、自分なりに、主人公が生きていく道のりを自由に作り上げたとある。でも、このドラマの健気な宮崎美子と十分に親和性のあるテーマ曲だと思う。
また、自由に作ると物語が長くなりすぎてアレンジャー泣かせだったと書いてある。しかし泣いたのはアレンジャーばかりではないようだ。拓郎が武田鉄矢と出た86年の「すばらしき仲間」で、武田が「知り合いのディレクターが、『まいったよ、拓郎に主題歌頼んだら途中で投げてやんの』と嘆いてましたよ」とチクると「ああ、そう、スタジオに女優が挨拶に来るとか言うんで作ってたら、来ないっていうんでオレもうやらないよって言ってやった」「それがあの名曲『元気です』ですもんね」。
ドラマの台本や設定からは自由に作らせてくれといって、主演女優が来ないといって投げ出す。おい、なんてぇやつだ。
ということで出自は、大変だったようだが、かくして出来上がった名曲は不滅だ。武田鉄矢も流星に次ぐイチ押し曲だった。お父様の訃報を知らされた直後のライブで、この歌を歌い「かすかに聴こえた優しさの唄声は、友や家族の手招きほどなつかしく」で胸がこみあげて「父ちゃんゴメン」と叫んだと述懐していた。私も、この部分が一番好きだ。って、いつの間にかなぜ武田鉄矢を語っているんだ。っていうか、この名曲にしてライブバージョンが武田鉄矢のものしかなくていいのか。ライブで聴きたいよ。無理を承知で頼みたい。
note8 歩道橋の上で
つま恋に燃えた2006年から一転、2007年はかなりツライ年だった。何度も言うまい。しかし2007年にはこの曲があった。この曲を筆頭にした美しい新曲たちがあった。
ライナーで、御大は、旅の宿等の大ヒット後は、「原稿用紙に彼流の社会観を走り書いた何遍かの詞が届く」、フォークソングに嫌気がさして、「距離を置くことにした」とある。
他方、岡本おさみは、かつて新譜ジャーナルで、「アジアの片隅で」のあとに書いたたくさんの詞がボツになり「さらば吉田拓郎」と訣別の文章を書いていた。長い空白期の始まりである。それが仕方なかったことなのか、あるいは残念なことだったのか、私ごときにはわからない。いずれにしても作品本位でしか出会えない二人なのだろうか。
旅の宿・落陽・襟裳岬に代表される70年代黄金期のあと、80年シャングリラ・アジア期、ずっと経って、96年感度良好期そして、2003年の月夜のカヌー期を経て「歩道橋」に至る。70年代、80年代、90年代そして2000年代と各年代で思い出したようにコンビが組まれている。これは私の研究によると天才バカボン、ゲゲゲの鬼太郎のリメイクのペースと似ている。それがどうした。
「歩道橋の上で」は、やはり「旅の宿」との時空感がハンパない。雑にいうと俳句と携帯と石川鷹彦で、蔦温泉と東京、過去である70年代と現代2007年を結んでいる。結ばれた真ん中に私らそれぞれのかけがえのない人生も詰まっている。楽曲の美しさとともに、その間に詰まった時間を思わざるを得ない。ファンとして歳をとった時間を悪くないなと思ったりもする。そんな作品のチカラがあると思う。
石川鷹彦、島村英二、エルトン永田、徳武弘文、松原秀樹、スタジオの映像もいいよね。ご本人こそいないが岡本おさみを囲んでの最後の宴という感じがする。あらためて「花の店」のライナーの「不揃いな言葉たちを愛して曲をつけた」という言葉が胸にしみる。
このサイトで「この歌にあう歩道橋はどこだ選手権」を企画していたのだが、なかなか実現しない。私は、飯田橋五又路か環八砧の歩道橋に一票入れたい。
■ 2018. 9. 10
曲順にこめられた意味はわからないが、少しずつこの順番に馴染んできた気がする。
note 09 歩こうね
歩くといえば意気軒高な「歩け歩け/私の足音」が浮かぶが、それとは真逆の「歩けるかい、歩こうね、歩こうよ」…不謹慎ながら、この介護士のささやきのような歌に最初は驚いた。しかし、この一言一言に魂を落とし込むようにステージで歌う拓郎を何度も観てきた。
ライナーで綴られた病室での思い。御大のポンは衝撃だったが、その他にもご夫婦とも幾多の闘病があった様子が、ラジオでの言葉の端々に覗く。吉田家の危機と言っていただろうか。
セットリストや活動予定については、トテモ口の軽い御大だが、こういうプライバシーのことについては、当たり前だが、決して口を開かない。どんなことがあったのか、どれだけ大変だったのかは、想像すらできない。
但し、このライナーだけでなく、ラジオでも、毎日の一歩一歩の大切さ、夫婦が話し合い、気にしあうことの大切さを語る機会が増えてきた気がする。
明日と同じ一歩があるか、もう私たちだってわからない。御大のギターにあわせて、寄り添うコーラスとピアノがとてもいい。ピッチがずれようともそれこそが魅力だと思いたい。
note 10 朝陽がサン
正直、この曲を始めて聴いた時は、なんじゃこりゃあと頭を抱えた。ピンポンパンか何かか。今も基本は変わらないが。
このFrom Tで「歩こうね」の後に、この曲か始まると、とたんに迷妄晴れたりみたいに爽快な気分になる。身体が揺れるようにウキウキしてくる。まぁいいじゃないか、元気で行こうじゃないのという気になる。この曲順の妙味か。ともかくこんなふうに晴れ晴れと歩きたいものだと想う。「歩こうね」と「朝陽がサン」のふり幅こそ御大の魅力の幅の広さだ。
サンサンおはようサンに頭を抱える私でも、思わず身体がスウィングするような卓抜したメロディー、久々の鈴木茂のギターに奮い立つサウンド、実にカッコイイ器だ。
「歩け歩け/私の足音」が「正」なら「歩こうね」が「反」、そしてこの曲が「合」になるのではないか。と無理矢理、弁証法にしてどうする。
このアルバムを聞き直し、ライナーノーツを読んで少し改心したが、別に無理して今度のステージでやらなくていいぞ。それはこの作品を愛していないこととは別の話だ。
note 11 夏休み
そして、新たな一歩を歩みながら、思いは「夏休み」に飛ぶ。 経済問題から、ミニバンド形式での出自をみたという「夏休み」。もう心の襞にしっかりと刻み込まれている。
そして名手石川鷹彦のギターが超絶すんばらしい「元気です」バージョン。甲乙つけがたい。というかクオリティとしては圧倒的に甲乙ついているのだが、どちらのバージョンも互角に泣けてくる。双璧とはこのことか。そうかこの両者を結ぶのが井口さんと田辺さんのコーラスなのか。
もう、こんな夏は消えつつあることに暗然とする。この歌とともにこの夏の叙景を壊れ物のように大切大切にしておくれ、この国。
■ 2018. 9. 11
かつて同性愛がテーマだと吉田拓郎御本人のご拓宣があって驚いたことがあったが、このライナーの記載のとおり、あらゆる「あこがれ」を形にした作品なのだと解題している。御意。吉田拓郎ファンがこの作品を聴くとき、この一言一句すべてに吉田拓郎そのものを感じとるに違いない。
吉田拓郎は誰を思ってこの詞を書いたのだろうかとあらためて思う。例によって空想が入っているにせよ、ここまで繊細な思いはなかなか描けまい。
参照するほどでもないが、uramadoに石山恵三氏がライブで歌われた「慕情」がすんばらしかった話を書いた。あれとても吉田拓郎への深い深い慕情だ。最近では、曲こそ違うが、中島みゆきの「慕情」まで発表され、御大周辺は、慕情が行きかっている。
ライナーには、武部聡志にアレンジを頼んだら「スケール感のある大きなノリにします」と返事があってこの完成形になったとある。 私は武部シンパではないが、この曲にはこのアレンジしかない。名アレンジだ。この作品は、私たちファンの拓郎への思い載せて運ぶ船のようなものである。それは、ボートや小型船舶ではなく、あくまでゴージャスで豪華な巨大客船であってほしい。それに比肩するようなこの壮大なアレンジがまさしくふさわしいと思うのだ。
あなたを見失えば世界の終わり
あなたがそこにいる ただそれだけでいい
なんという切ないまでの充足感。それだけでいいわけないのだが、この曲を聴くときには本当にそれだけでいいと心の底から思える。
このFrom Tのさまざまな名曲の間を行きかった末のDiskUの終盤という場所での落ち着きがいい。「午後の天気」よりも壮大な存在感を感じる。
note13 マークU’73
1曲前の「慕情」について、From TのDiskUの終盤という場所を得てより一層の集大成感を感じると書いた。さまざまな名曲を旅したあとに、ファンの思いを集大成したようなフィナーレとして、私だったら「慕情」をDiskUの最後に配置しようと考えたかもしれない。しかし、そこが私ごときの薄っぺらなセンス、浅知恵の限界である。
吉田拓郎は、この大団円のようなフィナーレで終わりにはせずに、そこに、なんと「マークU73」を持ってきおった。
ちょっとウルウルするような「慕情」の充足の余韻を突き破るかのように、突然あの先鋭で攻撃的なビッグバンドの演奏がズガンと始まるのだ。おおお。
そして容赦なくタイトなハリのあるボーカルで吉田拓郎が叫び、ビッグバンドが炸裂する。ライナーにあるとおりやがて、日本の音楽を担う天才たちのバンドである。フォークからはあまり遠い極北。吉田拓郎にとっての原点にして頂点。
何度でも書くが、彼らはみんなまだ若造である。年齢にして御大27歳、瀬尾26歳、松任谷正隆22歳、高中正義20歳、田中清司25歳、岡沢章22歳、石川鷹彦30歳、後藤由多加24歳、恐るべき若造たち。
この若造たちの有無を言わせぬ一撃で、私たちジジイ、ババアたちの宴は、余韻など残させずに、ガツンと終わる。ああ、カッチョエエな。さすが吉田拓郎。予想できるところからはやって来ない。
この後に、「夏の日の恋」か「メロディー拓郎の今日までそして明日から」が欲しい気さえする。
それにしてもこのFromTを聴きながら眠れる人、寝てしまう人は本当にいるのだろうか。切なる疑問が胸に残る名盤となった。
まだまだ聴きこんだとはいえない。たぶん選曲と曲順にこめられた意図、曲順の描くものがあるに違いない。そこに思いを馳せながら何度でも聴くよ。
さあて、Tからの贈り物 行くよぉぉ。
ラジオでナイト 第71回 2018.9.9
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
吉田拓郎です。
♪君を抱いていいの? 好きになってもいいの〜
♪あぁ、時は〜 国立で歌わされた 間奏エレキでミストーンしてしまった。
<小田さんによると「君がいいと言ったからそうなった」言い逃れの歌らしいという投書>
好きな人がいるの?答えたくないなら 言わなくていい。でも抱いていいかな?君がいいのならいいよ、という言い逃れ。どうすりゃいいのよ(笑)
オフコースの清水仁と松尾をメンバーにしてツアーをしていたことがあった。北海道あたりに行ったとき、カラオケでYes.Noやオフコースのメドレーをあいつらが歌うと女たちはみんなヤンヤ。俺なんかほったらかし。とんでもないやつをメンバーにしてしまったと思った。小田からは、やはり年齢層あがるというメールも来ていた。
家庭の事だが、奥さんにたまには僕が栄養のないものを食べてみたいと思う。昔、不良バンドの時代、ベースのチー坊が、毎日晩御飯を作ってくれる奥さんがありがたい、幸せだけど夫婦して酒が好きで、毎晩おかずが酒のつまみ系になる。たまには普通の晩御飯が食べてみたいと泣いていた。
先日、奥さんが今夜の献立どうしよう、もー毎日だからわかんないよ拓郎
我が家はちゃんと栄養のあるモノ食べているよね?
「間違いなく栄養たっぷり、いいんです。たまには身体に悪そうなものを食べてみたい
」
時には栄養のないものを食べてみたい吉田拓郎のラジオでナイト。
■ タイトル
スタジオで、レコーディングとかしているとジャンク・フードが出てくることが多いが、こんときとばかりがっつく。栄養たっぷりの料理に、奥さんに感謝感激なんだけれど、たまに栄養のないものを身体にわるそうなものたべてみたい。
<ジミ・ヘンドリックス、よく知らなかったけれどカッコよかった、おかげで音楽の視野が広がったという投書>
やっと甲斐が出てきた。みんないろんな音楽を聴いた方がいい。
<みゆきのバックのギターの話はまだ生きていますかという投書>
瀬尾とメールでやりとりほしていて、年に一回、中島みゆきのアルバム作りの話が出た。暑中お見舞いを兼ねながら、この件については忘れていないよねと確認しあった。お互い年齢を重ねてきたので、そろそろやっとかなきゃいかんなと思っている。
(♪悪女)
中路のみゆきのバックでギターを弾く日が近づいているような気がした
<カープの試合を観ながらマツダスタジアムで拓郎さんと語り合いたいという投書>
奥田民生くんがカープひとすじ。年頭メールで「昨年はスワローズを応援していたけども 今年はベイスターズを応援して打倒カープ」と書いたら、「あらあら」と返事が来た。毎年応援チームが変わる人なのねということか。でも最近、広島の4番鈴木誠也にしびれるね。大物、スターだ。でも、こうあちこち変わっている自分としては、そのことを奥田くんにルメールしにくい。
<鹿児島の旅にラサール石井と牧瀬里穂と来た時で、谷山小学校の隣の市子さんと再会下駄屋の娘と投げ飛ばされてという話があったが、ご実家が取り壊され焼鳥屋ですという投書 >
よく知ってるね。僕の実家は、焼鳥屋か。変わってゆくんだね。
おっちょこちょい
<授業参観で娘のとなりのクラスで話し込んでいたら、気が付くと先生も違うし娘もいなかったという投書>
滅茶苦茶な。
さて吉田拓郎と酒を呑むとしたら…吉田拓郎は、最近はビールワイン一杯くらいで殆ど飲まない
<寿司屋のカウンターで偶然に同じネタで通じ合い、最後は「大将あの人にヤリイカ」といわれ、こっちは拓郎さん気づくが気づかないふりして、二人でチャンチキおけさを話し合う、気が付くと支払いが終わっていたという投書>
そんな都合のいい妄想あるか。面白いな。三波春夫さんのチャンチキおけさを話し合う(笑)。
リクエスト。今日は、聴きたいのでかける。結局、俺に忖度が必要だ。
<14歳年下ですが、拓郎さんではなく郷ひろみのよろしく哀愁をリクエスト>
14歳くらいなんだよ。俺もハッキリ言うけど、君もハッキリ言うね。拓郎さんではない(笑)
M-1 よろしく哀愁 郷ひろみ
■CM明け
どんな動物が好きかというアンケート。僕は子供の頃、ロビーという名前の犬を飼っていた。秋田犬の雑種だったけれど、2年で死んでしまって、すごく悲しくて、それ以降は犬とか飼えなくなっている。
・56歳 馬が好き
> 確かに馬はセクシーな感じ。馬はセクシーだと思っていた。馬っていう人は人って(笑)。 お尻とか、昔よく西部劇で観ていたけれど、セックスアピールを感じる。ついお尻に目が行ってしまう。
・グーグー ライオンが最強と思ってたがカバが最強。カバが好き。
>知らんけど(笑) カバが好きって、どうすんのよ。
・のまのま 象か好き。眺めているだけでいい。芸とか仕込まれていない象が特にいい。
(笑)昔、上野動物園にラジオの収録で行ったが、動物っていうのは、ぼーっと観ていると、いやされる。キリンが好きだったな。鹿児島に「かもいけ動物園」ってあった。長い首見ながらキリンの背中に乗ってみたいって思わなかった。俺だけか。ハイヨー!シルバー!とやってみたい
・まさし 文鳥を飼っていて言葉を話す
> 広島で小学六年のとき、アパートに住んでいた頃、文鳥を飼っていた。「たくろうちゃん」「おかえり」と喋らせた。嬉しかったな。手乗り文鳥。1年くらいで死んでしまった。
生き物は、別れガあるから切ない。
今週も提供曲が来ている。だいぶ順位が変わった。
2016年の黄色いテレキャスターが届くんだよ。みんなもっと欲しいって言えよ。
「ああグッと」をもっと応援してくれよ。
<ダントツ1位が「我が良き友よ」と思っていたけれどそうでもないんですねという投書>
かまやつひろしであれば、僕は、「水無し川」かよくできていると思う。今度のアルバムにも入れた。松本隆の詞が呼び出したメロディーだと思う。
<皆さんベタな選曲はしたくないのではないかという投書>
5位 あなたのイエスディ
ミキちゃんが
4位 我が良き友よ
3位 ドンファン
松本隆が原宿での吉田拓郎イメージで書いたというが、夜な夜な女を自由に渡り歩く、 拓郎さんはそんな人じゃなかった。男同志で飲むのが好きだったな。基本的には、おノボリさんだったんだから、そんな夜な夜なレミーマルタンを飲んで、そんなカッコイイ人ではなく、広島のサータレだった。かまやつさんとかZUZUと出会って、都会での在り方を教わった。松本隆にどう見えていたかはわからないが、ドンファンは僕ではない。
2位 やさしい悪魔
これは自信作だね。
1位 梓みちよ メランコリー
このあたりは妥当だね。ただし、「あなたのイエスタデイ」は、どうかな。あとやっぱり「あゝグッと」かな(笑)。
■ベストテイク
「大いなる」。フォーライフの社長をしていたときのことだ。まだ31歳くらいなので大変なことだった。自分に言い聞かせて、たぶん僕はひとりぼっちになるけど、決して尻込みせず、胸を張って、シロウトだけど負けませんという自分を勇気づけるために作った。
社長業は僕にとってはイヤだな。何回も落ち込んで、いろんなことあるとヤケ酒を飲んでいた。ただ、もともとネアカなので一人で苦しむよりも、業界の社長諸先輩に相談しにいった。先輩たちは、いろいろ教えてくれたものだ。
社長になったとき時、50人の社員がいた。彼らを支えて、その社員たちにも家族がいる。それを背負って生きるプレッシャーは大変だった。
最初にやったのは 社長以下の幹部の給料を下げることだった。嫌だった幹部もいただろう。例えば年末のボーナスの査定とかもキツかった。ある時はもこの社員は仲間として
認められないということで退社させなくてはならなかつたり。そんなときは、六本木の行きつけのバーにいって「マスター独り言」のモデルのマスターのところでヤケ酒を飲んだ。
会社ゴッコは楽しいかと、ナベシンさんに言われたが、もうとにかくレコードを出して売るしかない。夢は十分だ、現実的になろうとした。ミュージシャンとしては、夢のない毎日だった。それでも、31歳の若造が社長なんだから、野望、野心に満ちていた。否定はできない。結果論としては、若気の至りかな。井上陽水と話した時に「魔が差したんだよ」と言われた。マトを得ている。
M2 大いなる 吉田拓郎
■マイフェイバリット
ブルース・スプリングスティーン。通称ボス。魅力的で何の飾りもないロック。
彼は若い頃、ボブ・ディランのような詞を書こうと思っていた
M3 ライク・ア・ローリングストーン ボブ・ディラン
そしてサウンドは、フィルスペクターのようなサウンドを目指していた
M4 ビー・マイ・ベイビー ロネッツ
ギターはデュアン・エデイのように弾きたいと言っていた
M5 Twistin' & Twangin' デュアン・エディ
そして、ロイ・オビソンのように歌おうと言っていた。
M6 プリティウーマン ロイ・オビソン
この人の「明日なき暴走(Born to run)」には、狙っていたものがはっきりと現れている。
70年代前半ころ、60年代のロックが飽きられて、プログレ、ヘビメタとか楽器の長いソロを聴かせる曲が流行って来た。いわゆるアメリカの伝統的ロックが受けなくなっていた。そこに彼が出てきた。
80年の「ダンシング・イン・ザ・ダーク」。このプロモで、ブルースが観客の一人の女性をステージに上げて踊る。似つかわしくなく、ステージでボス、踊らないでよと思ってしまう。これは、映画監督ブライアン・でパルマの演出だったらしいが、今見ると恥ずかしい。
吉田拓郎の厚化粧みたいなもの。コーラスの女の子からメイクが濃すぎますよ。愛されるロックンローラーだったんだな。この曲が一番好きだ。
M7 ハングリーハート ブルース・スプリングスティーン
■エンディング
歌謡曲
提供曲
ディナー
From Tの感想
吉田拓郎への素朴な疑問
*吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆ご健康を気遣われての日々の奥様のご配慮はそのとおりだと思います。
つま恋2006のリハーサルの時、拓郎さんが「ぺヤングソース焼きソバ」を売店で買っていたという目撃情報がごく一部のファンの間を駆け巡りました。んなもの拓郎が食べるわけないだろ、と議論になりましたが、なんとなく合点がいきました。
☆みゆきさんのギター。ええーマジですかい。気が抜けません。
☆「たくろうさん」と喋る文鳥は私も飼いたい。
☆「たぶん僕はひとりぼっちになるけど、決して尻込みせず、胸を張って、シロウトだけど負けません」という自分を勇気づけるために作った。ああ、泣けるぜ。
☆人員整理、給与引き下げ、会社再建。身を削りすべてを背負っていた吉田拓郎に敬意を表したい。少なくとも「社長ゴッコ」などとは言うまい。それがファンの矜持だと思う。
☆「いろんな音楽を聴こう」と御大は語りかける。私は、拓郎は自分の曲とボブディランしか聴かないんじゃないかと長いこと思っていた。音楽の幅の広さと深さについて思い知ったのが、このラジオだ。御意。
☆というかFromTが出てから毎日拓郎漬けである。
☆☆☆星紀行の今日の学び☆☆☆
やぁ、みんな。拓郎ばかり聴いていると、ばかになるぞ。広い視野で音楽を聴こう。
「おまえに言われたくねぇよ」という声ガ聴こえたが空耳か。
■ 2018. 9. 12
70〜80年代の深夜放送、といっても私は後発世代だから、オールナイトニッポンT期U期とセイヤングがメインだが、拓郎が時々聴かせてくれた「デモテープ」が楽しみだった。FromTのライナーによれば、4チャンネルで、目黒たぶん碑文谷のご自宅で作っているころのヤツだ。主に提供曲、キャンディーズ、石野真子、神田ひろみ、太田裕美とかの曲だった。くぐもった音で、御大はささやくように歌っていたが、温かい音色とオマエだけに聴かせるんだぜという秘密の打ち明け感があってワクワクもしたもんだ。まるでシェフに特別につくってもらった"まかない飯"のようだった。
シャングリラに行く前には、録音予定の「いつか夜の雨が」「街へ」「帰らざる日々」のデモテープを聴かせてくれた。なんか聴かせ過ぎだわな。
でもって、80年代から始まったコンピューター打ち込み録音。これが大嫌いだった。アルバム「俺が愛した馬鹿」のタイトル曲や「風になりたい」、その作為的な音にムカついていた。バンドサウンドを叩き込まれた自分には厳しかったのだ。
「マッチベター」あたりのピコピコ、ピュンピュンというゲームマニアの小学生が電車で隣に座ったみたいなサウンドにも不満だった。
そんなこんなで時間は過ぎて、80年代後半から90年代の中盤までの吉田拓郎は長い氷河期に入る。氷河と言っても作品のクオリティに遜色があったわけではない。逆に、「90年代に駄作なし」というのが、かねてからの私の持論だ。あくまでも外から見える活動の頻閑、音楽界や世間における拓郎の輝きが見えなくなっていったことである。
スターとしての吉田拓郎が静かにフェイドアウトとしゆくような、そこはかとない寂しい時期だった。提供のつかない深夜のFMラジオ(CLUB25)で、ご隠居様のような日常を語りながら、宇田川オフィスも辞めて、仕事は自宅のファックスで直受けしているという話は結構辛かった。この隠居臭に満ちた日々の寂しさ、みなさんはどう過ごしていましたか。後に知り合った拓郎ファンのねーさんもこの頃のことを語ってくれた。「こうやって拓郎は世間の表面から消えてゆき、時々どっかのライブハウスみたいなところでひっそり歌うの。でもその時がアタシの出番なの(泣笑)。」
しかし、吉田拓郎はほどなくバハマに旅立ち、音楽の新境地を開き、次いでLOVE2に出演し見事世間返り咲く。拓郎はテレビの人気モノになっても、よくあるタレントやテレビの奴隷にはならずに、音楽家としてビッグバンドツアーにつま恋にとまい進したことは私なんぞが言うまでもない。
寂しかった90年の外見的な隠居時代、今回のデモテープは、そのときのものが殆どだ。枯れてしまっていたように見えた吉田拓郎は、実はこんなにも精巧なデモテープを作っていた。打ち込みが嫌いだという私の声を無視して(聞こえてねーし)、コンピュータ打ち込みに打ち込んで、熟練し、ギターの腕とも相俟って、かつて大好きだったあの「デモテープ」をこんなにも表情豊かな、こんなにも超絶なものに進化させてくれていたのだ。
そして、それは、バハマでのミュージシャンとのコミュニケーションを橋渡しとなり、の新たな音楽世界の構築の橋渡しにもなった。すげえ。
失われた・・・と勝手に思っていた90年代、吉田拓郎は、隠居でも枯れ木でもなく、真摯に音楽家としての孤高に取り組みを続けていたのだ。御大、あんたはやっぱり最高ばい。
20年を経ていま出会う、まさにTからの贈り物だ。
■ 2018. 9. 13
ぶっちゃけ、この曲や「生きていなけりゃ」といった90年代のデモテープを聴いた時には、心底びっくらこいた。かつてのデモテープとは全く違う。居酒屋で飲んだくれながら「拓郎ぉ、超絶ギターうめーなぁぁぁ」「こりゃあ完成品だよな」「え、こんなの誰も作れないでしょ」と涙ながらに盛り上がった。
「こんなに精巧なデモテープを作るアーティストを知らない」という音楽プロデューサーの発言やデビット・リンドレイの「こんなにギターが上手いんだから、もっと自分で弾けばいいのに」というプロの評価も嬉しいが、私らのようなシロウトをココまで奮えさせた事こそが尊い。吉田拓郎はスターだから、ルックス、キャラ、パフォーマンスがどうしても目立つが、すげぇ音楽家でもあったのだ。あたり前か。
それにしてもこの「淋しき街」は切ない。歌うようなリリカルなギター、傍でつぶやくような歌唱とあいまって哀惜がひとしおだ。
「キミが求めているのは僕じゃない」「僕についてもう話さないで」・・・御大をさんざん苦しめたであろう、私のようなイカれたファンのことか。ごめんよ。
そんな御大の孤独のうめきに、もし、安井かずみが生きいてくれたら・・・というただれるような思いを感じてしまう。
「理由もなく東京」。この意味深きフレーズ。「普通の詞じゃないよね、わけもなく東京とか・・・ZUZUのフレーズが独特よね」とコシノジュンコもしみじみと語ったフレーズ(「お喋り道楽」より)。私なんぞにはわかない拓郎と安井かずみの二人だけの紐帯のようなものなのか。
Uramadoで書いたが、幻となった名曲「理由もなく東京」を聴いてみたいとずーっと思っていたが、このライナーを読むと「もうそれは追うな」と言われているような気がした。すべてが、この淋しき街の中に、託されてひっそりと息づいているような気がする。
■ 2018. 9. 14
仰せのとおりコーラスやサックスまでバッチリ入っており、私なんぞには完成品との違いがわからない。本番では、思い切りやさぐれた感じでブルースとして歌っていて、それがたまらなくセクスィーだ。しかし、デモテープでは、正調でキチンとメロディーに沿って歌われている。
どちらがいいというより2つとも聴けるのがメチャ嬉しい。
♪この心が老いない限り押し寄せる波風も友として…
ええなあ、ブルージィな本番も、なめらかなデモも、それぞれに味がある。ただ「星降る街」。こっちの方がタイトルとしては好きだ。
それにしても、コーラスマシーンて凄いんだなあ。これなら自宅でひとりで「人間なんて」のデモテープも出来るじゃないですか。んなもの、作ってどうする、と怒られるだけか。
■ 2018. 9. 15
それにしても東京は本当にたった一日公演なのだろうか。そんなに会場が混んでるのか。誰か「拓郎さんの歌う姿が観たいのでこの日のフォーラムをお譲りします」という心あるミュージシャンはいないのか、それこそが本当のレスペクトだと思うぞ(爆) あのな。
■Tからの贈り物 03 黒い瞳
「そりゃもうシンシアのためならと頑張ったね」。御意。私も、そりゃもうシンシアのためなんだからと楽しみにして、シンシアのバージョンをリアルタイムで聴いた。”心に空を持ちなさい”ということで聴いて思わず空を仰いでつぶやいた「…残念…」(個人の感想です)。 いや、ディスっているのではない。涙ながらの自分の心の叫びなのだ。
…というわけでしばらく忘れていた「黒い瞳」。しかしこの拓郎のデモテープはまた印象が全く違う。いいぞ。シンシアのバージョンは、メロディーがどこかツギハギなぎこちない感じで、どこに向って行くのかのわからず、最後に妙に沈んだ印象しか残らない。
でも、このデモテープでは、心地よいテンポで、メロディーが起伏に上下しながらもすんなりとつながって自然に流れてゆく。流しそうめんのようだく。もちろん南沙織のせいではないと思う。シンシアの歌唱は素敵なのに、なんであんなに冴えないことになるんだろう。いずれにしても、空を仰いで「デモテープがベストテイクだ」と小さな声で叫んだよ。
■ 2018. 9. 16
このデモは、万全の制作環境であった逗子に転居する以前のもので、逗子の音とは微妙に違うらしい。そう言われれば、ドラムがプレハブ住宅みたいな質感がするが、まあ、私にはよくはわからん。
聴きなれていたあのイントロも、物憂いエフェクトも、遅れるコーラスも、全部デモテープに仕組まれていたのだな。特にギターのフレーズがメチャ心地いい。んー上手ばい、吉田拓郎。
それにしても、詞が違う。もう殆ど違う。
今まで聴いてきた本曲は、もの憂くて、けだるくて、それでいてエロティックな印象だった。
デモテープでは、突然に
遠い町が炎に焼ける
ニュース・ショーの光浴びて
なんてフレーズが出てきてドキっとした。リアル過ぎる詞だ。かつて「君が欲しいよ」で松本隆が"真っ赤な消防自動車が炎の夜空を駆け抜けた"と巧みに描いてみせたが、こっちの詞は、露骨でショッキングだ。マズイという判断があって差し替えたのだろうか。
しかも、このデモテープの歌詞では、「憂鬱な夜」というフレーズが全く出てこない。
代わりに
自分を壊す勇気と革命
という言葉が繰り返されている。
もしかするとデモテープの時は、そのタイトルも「憂鬱な夜の殺し方」ではなくて、
「革命の夜」とか「少女革命」という感じだったのではないか。♪おおインターナショナルって違うだろ。
さーすが、森雪之丞、まったく雪之丞七変化だ。
ともかく完成品とは全く違った、おもしろい曲だ。なんか双子の別曲に出会ったような気分である。これもデモテープの妙味だぜ。
ああ、幸せだ。誰がなんと言おうと。よくぞ出してくれた。28年間、私らと会うためにひっそりと待っていてくれたんだぜ。
☆憂鬱な夜の殺し方(デモ音源)☆
となりになぜ 君がいて 微笑むのか思い出せずに
理由などなく怒らせたい白く華奢な肩
君の素敵、映し出すのは
メイク褒める鏡じゃなく
自分をひとつ壊せる勇気さ
隠した胸 大人びても
脱がせた夢 妙に無邪気で
抱き合うより 君を尖らせ 夜を殺したい
遠い町が 炎に焼ける
ニュース・ショーの光浴びて
君にも始まってる 今夜が革命だから
君の素敵、映し出すのは
メイク褒める鏡じゃなく
自分を壊す勇気さ
今夜が革命だから
となりになぜ君がいて 泣いてるのか 思い出せずに
ジンに浮かぶ痩せた月が夢に落ちてゆく
☆憂鬱な夜の殺し方 (正式完成版)☆
愛されたと なぜわかる?
ベッドの舟 揺れたせいかい
この身体は 君と同じで
ちょっと 嘘つきさ
なぜか君を 泣かせてみたい
ニュース・ショーが はねた後の
光が 肌を突き刺す夜だね
隠した胸 大人びて
脱がせた夢 妙に無邪気で
抱きあうより 君を尖らせて
夜を 殺したい
その涙を 飲ませておくれ
ジョークじゃない 君がいなきゃ
自分の影を踏んでつまずく
・・・憂鬱な夜さ
なぜか君を 泣かせてみたい
ニュース・ショーがはねた後は
小さな悲劇マネて愉しむ
・・・憂鬱な夜さ
嫌われたと なぜわかる?
傷つくのは 信じたいから
欠けて見える 月と同じで
ちょっと嘘つきさ
■ 2018. 9. 17
ラジオでナイト 第72回 2018.9.16
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
吉田拓郎です。大変な数のメールとハガキが来て読みきれない。黄色いテレキャスターをプレゼントするということから大変だ。普段参加しないような人まで応募してくる。この中から、ひとりにプレゼントが決まる。こうなったら腹をくくる。先週までは、やっぱやめておこうかなと思ってもいた(笑)。もう後に引けない。
「From T」の反応もたくさんいただいて、僕の思いが届いて心からから嬉しい。幸せだな。加山雄三さんか。
<すばらしい企画、レコード会社関係者各位に感謝という投書>
Iさん、Sさん、Tさんに感謝です。選曲も、なんとなく伝わったかな。
<最初にTからの贈り物を聴いたという投書>
あれはね、よく考えるとひとりきりでやっている。孤独な作業。スタジオでマッキントッシュが主流になっていたが、NECPC98がメインで、当時のステップ入力という方法でおこなっている。鳥山から、あれどうやっているんですか?と尋ねられたので、「PC98のステップ入力」だよと言ったら、「懐かしいです僕も使っていました」。ステップ入力の凄いところまで極めた。
<父が他界し、清流に涙した、ガンバラナイけどいいでしょうに勇気づけられたという投書>
こういうのは嬉しい。
<いい声だと思っていたけれど初めて拓郎さんのCDを買った、ガンバラナイけどいいでしょう、君のスピードで、マンボウが良かったという投書>
最初は、食いつきよくなかったけど「マンボウ」は好きな曲だ。
<となりのお兄ちゃんが作っていると思いたいという投書>
<嬉しかった「生きていなけりゃ」をつま恋で初めて聴いて以来、心にしみるという投書>
ライナーには書かなかったけれど、ある俳優に頼まれて作ったんだけど気に入ってくれなくて、「僕にはまだ歌えません」ということだったので、自分で歌った。これはデモテープが一番いい。
さて、テレビで、テニス、野球、いろいろと話題になっている。まだ出てきそうだ。人間は、ずーっと一か所で輪をつくって組織だっていると”よどみ”が出てくる。時代は変わっている。自然災害をみても、例えば麦わら帽子の夏はやってこない。おそるおそるむかえる夏がある。
人間は長いこと、よどんでいると、気づかないし、変化を受け止めたくない。大坂なおみさん、1946年生まれの僕には、彼女のようなピュアな心は僕にはありません 。すばらしい。大谷翔平選手、右ひじ痛めながら、MVPを掴んだ。インタビューを聴いていると、優等生だけれど時代は変わっている。
ちゃんと認めろといいたい。50歳で、17歳とつきあってホントに嫌だったんだから。でもだんだんと俺、間違っているなというのがわかってきた。
サッカーでもドーアンいいね。ウチの人も目をつけている。この人たちがワールドカップに向うのは素直に楽しみに思う。変化を素直に受け止めて、全部は無理だけど。若者の爪の垢でも煎じて飲みなさい。それにしても、ずーっと喋っている吉田拓郎のラジオでナイト。
■タイトル
時の流れに身をまかせ(歌う)、名曲だ。”あなたの色に染められ”大谷翔平、大坂なおみ、 ドーアンに染められている。
テレキャスターで絶対に欲しいものがあって、次のライブで使いたい、これでギターソロもやりたいということで、二台買っちゃった。清水の舞台から飛び降りるつもりで(笑)。だから黄色はあげる。ギターは嬉しい、抱いて寝たい、眺めていたい、ガキだなぁ。
この話は、次のリクエストため。
<団伊久磨さんは、歌謡曲はキライだったが、襟裳岬やユーミンは激賞していた、1969年の「真夜中のギター」という投書>
M−1 真夜中のギター 千賀かおる
■CM
ベストテイクもFromTが出来たので今度は、 少し違う企画を考えた。拓郎、小谷、橋口、南条が考えた新企画「勝手に選ぶ日本の歌50選」。五十音順で決めてゆく。
「あ」 赤いハンカチ、アカシヤの雨、アンドゥトロワ、ああグッと(笑)
かけさせろよ 「い」 潮来笠、あ、アンコ椿は恋の花があった。イムジン河、
「う」ウナセラデ東京(笑)
「か」「喝采」
お題にあわせて、募集する。今週はテレキャスターの「テ」
天狗、とんとんとんまの天狗さん、大村崑
「て」と「れ」でお願いします。
今週の提供曲。
5位 襟裳岬
4位 我が良き友よ
3位 たどり着いたらいつも雨降り
2位 ああグッと はははは、忖度 「よしだそんたくろう」にしようかな
1位 風になりたい
「メランコリー」あたりが、好きなんだけど…って言っとくよ。
■つま恋のコマーシャル 彩の里
■今週のベストテイク
今週は1974年「今はまだ人生を語らず」。時代と当時の若い情熱、勢いがすべてが爆発している。このボーカル。今でも、リハーサルとかで、原曲を聴くとボーカルがすっげぇ若いなとみんなが言う。当り前だ。エネルギッシュなロックだな。
こういう歌い方は、正直いうと 最終章なんで 本当のことを言っている。ネットとか巷のエピソードとは違って、このラジオは真実を語っている。
最近は、明らかにこういう歌い方をする歌を作っていない。次のアルバムの一発撮りでは、こういうロック色入れたい。最近は、シャウトが減っている。年齢とともに歌い込むという感じが多くなっている。そういうシャウトする曲も欲しい。是非期待していただきたい。
このレコーディングは、松任谷正隆と彼が連れてきたドラムとベースは平野兄弟がプレイしている。島村英二とはまだ付き合いない。ギターは矢島賢、キーボードは松任谷正隆。これは一発録りだったと思う。そういう荒々しさがある。これと「ペニーレインでバーボン」。事情があって削除されるけれど、自分にとっての不滅のロック。この二曲はすごい。
瀬尾一三のアレンジで演奏した時、♪目覚める時だから旅をするのところG、F♯マイナーAB。悪くない。
これで長い間演奏してきたが、武部達もこま譜面とコードでやってきた。2012年のリハの時だったか、まってくれ、GDAD。こうじゃないかなと気づいた。今ごろ遅いと言われて。原曲聴いてみよう。GDADだ。
瀬尾ちゃんがアレンジしたのを、鵜呑みにしていた武部おまえはどうなんだ、原曲作っていながら気づかなかった俺も(笑)。今は オリジナルで演奏している。
わー、すげーなという
M2 人生を語らず 吉田拓郎
■今週のマイ・フェイバリットソング
不滅のバラードというものがある
プレスリー ♪(CAN'T HELP FALLING IN LOVE歌う)
オーティスレディング(ドックオブザベイ 歌う)
今夜はアンチェインドメロディー。1965年最初はB面だったけれど、こっちの方が素晴らしいということで有名になった。そういうのはよくあって、ガロの「学生街の喫茶店」もそうだった。
1990年映画「ゴースト」、デミー・ムーア主演で使われて再び大ヒットした。暴漢に殺された恋人が、幽霊になって、彼女を助けるという映画の中で、素敵なラブソングとして使われた。こういう映画は、得意じゃないけど 好きだったな。これでヒットした。
実は広島のバンドの頃、リードボーカルの睦月くんは、声が高かった。このアンチェインドメロディが抜群だった。僕は後ろでギターを弾きながら「いい声で歌うな、このバンドは世界にゆくべきだと思っていた」。一気に世界ね。
特に後半は感情がゆさぶられ涙がでる。
M3 アンチェインドメロディ ライチャス・ブラザース
■エンディング
・というわけで、リクエストは、テレキャスターの「て」と「れ」
・提供曲
・ディナーはどこにするか、ウオッカ・マティーニにオリーブを浮かべてとか。そういうのが欲しいな。先週の「やりイカ」差し上げては、最高だったな。
・兄弟について、ひとりっこについて
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆今日の放送で何が一番感動したって、それは「シャウト」だ。シャウトする新曲をレコーディングするという宣言に震えた。期待していてくださいとまで言ってたぞ。72歳のシャウトだ。期待するなと言っても期待する。「シャウト」する気概こそがまず何より尊い。
☆人生を語らずのコードの違いに気が付いたのは、確か2016年だよね。
☆「ペニ―レインでバーボン」と「人生を語らず」。やっぱり不滅のロックと自分でも思っていることが、当たり前だが嬉しかった。このオープニング2曲を超えるアルバムは、世界にない。と思う。
☆平野兄弟の述懐は、あまりに素晴らしかったので「ペニーレインでバーボン」のuramadoで長々引用させていただいた。
「僕の音楽物語1972~2011」平野肇より
「予想を超えるパワフルな歌声が耳に飛び込んできた。字余りぎみの歌詞を投げつけるようにリズムに乗せていく。乗せていくというより、その歌詞にドラムとベースが引っぱられていく。」
「いろいろなタイプのボーカリストともやってきたけれど、段違いのパワーを感じた。しかも日本語がこれほど突き刺さってくるという驚き。」
「完璧にロックであり、ロックースピリッツに満ちた歌だった。」
「歌詞のコピーは非常に効果的だったと思う。そこにちりばめられた言葉と、それを吐きだすボーカルにシンクロしながらドラムを叩くことができた。」
「洋楽ばかり聴いていて、日本のアーティストを知らない自分を反省する機会でもあった。」
時々、この平野さんの言葉を思い出して涙を流す。
☆ギターをプレゼントしてしまうというのも嬉しいが、新しいギターを抱いて寝たくなる、眺めているで幸せ、ギターソロが弾きたくなるという話が、心の底から嬉しい。
☆新しいギターで、シャウトする新曲、そしてギターソロ。をを、漲るさあ始まった感。生きててよかったと涙する日も近い。
☆私も仕事で若い人々や学生と接することが多くなった。そのたびに、50歳の拓郎が17歳の少年たちから真摯に学んだことを思い出す。…しかし、私の結論は、それでも若い奴らが間違っているということに至ることが多い(笑)。吉田拓郎と私の器の違いである。
☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆
吉田拓郎の歴史は、常に”よどみ”を断ち切り続けた歴史である。
だから拓郎は孤高で、だから拓郎は美しいのだ。
■ 2018. 9. 18
ご本人もこのデモテープがベストテイクだと宣っていたが、確かにこのデモを聴いたときはブッ飛んだ。吉田拓郎の"ギターソロ"って、話には聴いていたけれど、本物をちゃんと聴いたことがなかった。これか。これなのか。語りかけてくるような、ちょっと泣くような繊細な音色だ。シロウトにも良さがわかる。繰り返し聴いてしまう。特にラストのギター、いつまでも浸っていたい気分になる。
でさ、このボーカルがまたいいんだ。デモだから本気全開歌唱でもなく、なんの装飾もないけれど、だからこそ声質の美しさが際立つ。ちょっと語尾をふるわすような機微までが伝わってきて、ああもうたまらんばい。
私は、こんな演歌みたいな曲、と長い間敬遠してきたが、このテープを聴いてそんな気持ちがいともたやすく上書きされた。
90年代中盤、隠居生活に入ってまったのか、ああ、なんか最近パッとしないなとヤキモキしている時に、拓郎は、かくも丁寧な作り込みをし、こんなにも高いクオリティの逸品を作っていたのか。根っからの「音楽家」という言葉しか思いつかない。
それに今のラジオでご本人が語ってくれる90年代の話を垣間見ると「生きていなけりゃ 生きて行かなけりゃ」というフレーズには、外からはわからない、もっと切実な意味があるのかもしれない。
しかし、曲自体、提供先からは断られ、私のようなファンにも不評を買う。私だけかもしれないが。
そしてデモテープゆえに、こんな見事なギターもボーカルも世間には存在すら知られずに眠っていたのだ。
ああ、吉田拓郎、どんだけ孤独だったのだろうか。
スタジオで一緒になるギタリストを通じてさまざまなテクニックを勉強したとライナーノーツにある。また、ギターの師匠が高中正義だったとも語っていた。バックメンバーを自分の師匠として学んでいたというのも吉田拓郎ならではの素敵さである。
■ 2018. 9. 19
そうか。これが御大のルーツ、R&Bなのか。私ごときには、そう具体的に教えていただくとよくわかる。
このデモテープも、すげーな。ただ、この曲は、やはりライブこそが完成版だと思う。オブリガートっていうんですか、あれが何回も刻まれて、ズンズンズンと高まっていって、♪胸に沁みる空の青さのリフレインが畳み掛けてくる。あのどうしようもなく、気持ちが高まってゆく感じこそ究極だ。
このデモテープが、あの本番のソウルの高まりをしっかりと牽引している気がする。骨太の設計図という感じだ。「生きていなけりゃ」のデモテープのようにそれ自身、自己完結した濃密な完成品とはまた違って、凄いけれど、ソウルのための余白がある。ここも妙味だぜ。
■ 2018. 9. 20
御大のお気に入りのナンバーとして「マンボウ」がFrom Tに収録された。「虹マス」はライブでも重用されたいわば”出世魚”だが、「マンボウ」はうち捨てられた、という趣旨のことをUramadoに書いたが、そうではなかった。先日のラジオで、御大はネットは嘘ばかりなので信用するなと言っていたが、まさにウチのことだ。
ともかく長く沈潜していた秘曲「マンボウ」は、モンテクリスト伯の復讐のように、突如、2018年に再浮上しおった。つまり御大は、自宅の水槽で、このマンボウをずっと大切に愛でていたのだ。
デモテープのコンピュータ・データをそのまま本番に使っているというが、デモテープの演奏の音の方が、輪郭が甘く、ほんわりとしている感じがする。原曲よりさらに心地よく、抱擁されているかのようだ。イントロ、間奏のメロディーものどかで愛おしい。
なーんて、今頃言っても、さんざん”変な曲”と悪態をついてきた自分が、どのツラさげて…だ。
なので、すべてのマンボウに懺悔するつもりでマンボウ研究者の澤井悦郎さんの著書「マンボウのひみつ」を読みはじめた。著者の澤井先生は、1985年、まさにワンラストナイト・イン・つま恋の年に生まれて、広島大学初のマンボウ研究者となったというご経歴だ。しかも先生ご自身が出演したラジオ番組で吉田拓郎の「マンボウ」をかけたこともあるらしい。深い拓縁を感じずにいられない。先生は多分ご迷惑だろうが。
この本は、マンボウに魅せられた先生のわかりやすい学術的解説とマンボウへの愛情とさらに研究者としての苦闘が三位一体になっている。もうちょっと言うと、好きでたまらないことを仕事にする幸せと哀しみと覚悟に満ちていて感動する。
各テーマごとに川柳で総括してあるのもいい。「マンボウとペンギン同じ泳ぎ方」「マンボウの遊泳時速約2キロ」。脆弱と思われるマンボウだが「マンボウは傷を負っても生き残る」おおお、虹マスと同じやん。ともかく愛と謎に満ちたマンボウの深い世界だ。
マンボウなんて…と侮っていた私は、「吉田拓郎?あのゲタ履いたフォーク歌手だろ」と吐き捨てる人と変わらなかったことをあらためて恥じる。
そしてこの澤井先生のグループは最近「カクレマンボウ」という新種を発見してニュースになった。カクレマンボウ。まさに、このデモテープみたいなものじゃないか。
■ 2018. 9. 21
間違いなくこのCDの”肝”のひとつだ。まさか、このデモテープが聴けるとは思わなかった。とにかく、よくぞこんな歌を作り、こんなサウンドを組み立て、こんなふうに歌い、そして公式音源にしてくれたものだ。もう感謝しかない、御大もさることながら音楽の神様に対してだ。Nakedな声がいい。ビブラートする間奏のギターもいい。理由などなく涙が出てくるデモテープだ。
このライナーのさりげない結び「このテープは中島みゆきさんにも贈呈したよ」。これが試験だとしたら、こんな問題を出された感じがした。
[問題]筆者は、中島みゆきさんに、なぜ完成品とは別にデモテープを贈呈したのでしょうか。筆者の気持ちを説明しなさい。
どうだ、たとえ駿台予備校だろうと四谷大塚だろうと正解は出せまい。もちろん私もわからん(爆)。
そんな中、昨夜の居酒屋で、とあるファンから出されたひとつの解答例。
「魂のデモテープには魂のデモテープで返さなくてはならないと考えたから」
をを、いい答えだ。きっとファンそれぞれいろんな答えがあるはずだし、もちろん正解はわからない。
しかし、正解を出すことにとらわれるのではなく、この問いの中に生きつづけようではないか。>大きなお世話だよ。
■ 2018. 9. 22
昔、マハロで聴かせてもらった記憶があるが、いずれにしてもベストアルバムにあって、唯一の新曲のポジションに鎮座まします。「女たちときたら」…この危ういタイトル。「男どもときたら」と返りうちに斬られそうである。
これが拓郎の弾くギターなんだなぁと感慨のバイアスがかかっているにしても、とても印象的なイントロに心がくすぐられる。満員電車の中で聴いているとつい身体が揺れてしまう。イラクの侵攻、地球の終わりとショッキングな出来事までもが、どこか朝の倦怠につつまれている。部屋に差し込む朝日すら感じさせてくれる曲と演奏だ。
ライナーに「歌詞もメロディーも弱いかな」とある。強い弱いを言うのなら、どうしたって名曲「東京の長く熱い夜」を思ってしまう。違うといえば違う曲ではあるが、詞の主要部がほとんど同じである。わかりやすく言うと、花山大吉と月影兵庫、ドクターペッパーとミスターピブくらい同じで違う。>全然わかんねぇよ。
しかし、その強さと迫力において「東京」は超絶素晴らしい。こちらもライブだけの消えもの曲となっている。弾き語りだからではなく、きっとバンドでやったらもっと凄いぞと思える客観的な力作だと私は思う。いつか世に出る事を待っていた。
今回「女たち」が公式音源に昇格したことで、同工異曲のこの「東京」は無かったことになってしまうのか、不安である。あぁ、「女たちときたら」は「東京の長く熱い夜に」消えちまえというのでしょうか。
詞はかぶっているが、「女たち」は、物憂く眩しい朝の空気の歌であり、「東京」は、やさぐれた夜の雄叫びである。同じプロットを音楽のチカラでここまで対極なかたちで描き得た吉田拓郎はやっぱりすごいなと思うのである。
私は両作とも、世に生き残り続けてほしいと切に思う。「泣いてたまるか」に渥美清の回と青島幸男の回があったように、「特別機動捜査隊」に立石班と藤島班があったように>だからわかんねぇよ。…ああそうだ、そして「灰色の世界」にTとUがあるように…>最初にその例えだろ。
朝と夜、両論併記で頼む。
■ 2018. 9. 23
“ラジオでナイト”の中で拓郎は「幸せになりたくて」という曲名を口走っていて、なんだそりゃと思っていたら、この「心のままに」だったんだな。「幸せになりたくて」が原題なのか。同じくラジオで「石原信一の詞には一か所くらい”違うぞ”と思うところがある」と語っていたが、この曲はタイトルからして違っていたのか。あいかわらず松本隆と異なり、喜多條忠、石原信一には容赦がない御大だ。
ちょっと気恥ずかしい気もするが、「この世には君がいる そしてすべてが始まる」というエンディングがとても素敵で、てらいのないのびやかな詞だ。それにあてがわれた御大の刻むリズムとメロディーも、清々しい気分で闊歩するようでウキウキとしてくる。晴れた青空を仰ぐような御大のギターのフレーズがまたカッチョエエ。通勤電車で聴きながら、となりでずっとスマホゲームをしている見知らぬおっさんに、”いいっすよ、このギター”と教えてあけたくなった。おい。
Uramadoにも書いたが、最後にかけてのメロディーが変わるところが特に好きだった。ライナーノーツによると、そここそがこの曲のツボだったようで、なんか御大の作り手としてのキモチをキャッチできたみたいで嬉しい。音楽家である御大の表現によると「ベースのパターンが気持ちよく動く」ということだ。御意。この最後の「アドリブっぽい」部分になると、ウキウキとした曲が、最後には、音符の縛りからも自由になって心のままに跳ね回る感じがする。だから心のままになのかと勝手に得心する。
このベースパターンへのこだわりは「アマチュアバンドバンド時代の財産」とある。へぇそうなんだ。「アマチュア時代」と「プロフェッショナルを極めた今」が自然につながっているところに妙に感動してしまう。前の日記で書いたが、ドラマ「ER」であった「医者になる前のキモチを持ち続ける医者と切り捨ててしまう医者の2つがある」というセリフと通底している。ああ、音楽って自由なんだなぁと思う。プロ・アマという境目はさほど意味がなく、音楽に目覚めたころから音楽活動はずっとつながっているのだろうな。プロだろうとアマだろうとすべては音楽の"part of it"なのかもしれない。
だから、デビュー何周年とかそういう区切りに興味がないのかもなと思ったりもする。また余計な事だけどさ。
■ 2018. 9. 24
ライナーノーツには、バハマでは完成せずに、ロスで「ディーン・バークスが僕の作ったエレキのアルペジオをコピーして入れてくれた」とある。確かにリードギターの無いデモを聴くと、あのギターの情感の大切さがよくわかる。
「Long time no see」のレコーディングが語られる時、バハマのミュージシャンとの素晴らしいスタジオワークとその絆がほのぼのと語られる反面、バハマで終結せずにロス、東京と苦闘が続き、その様子を常富さんが「ボロボロなりながら蘇生しようとしている」と評したのも忘れられない。「永遠の嘘」の苦闘が語られてきたが、この作品も苦闘サイドだったのだろうか。
「音楽の永遠の素晴らしさ」と「ボロボロになっての蘇生」。対極的ではあるが、これは矛盾するものではないのだろう。バハマでの日々があればこそ、妥協しない音楽を作るために徹底した音作りにこだわったのだろうし、そういう御大だからこそバハマで異国のミュージシャンたちの胸を打ったに違いない。幸福と苦闘の二本の糸がよりあって、あざなえるひとつの縄となる、これはこのサイトお得意の「向田邦子フォーミュラ」だ。
個人的には「おまえで歴史がかわりはしない」が一番インプレッシブなフレーズだ。他の人が歌えば”そりゃそうだ”というフレーズだが、歴史を変えた吉田拓郎が歌うのはショッキングなことでもある。しかし、あきらめでも後退でも隠居でもない、永遠なる蘇生、それを素晴らしいサウンドで決然と歌う。そこだ。んまぁ自分でも何がそこかわからないけれど、そこなのだ。たぶん、
※向田邦子フォーミュラとは
若き日の黒柳徹子が向田邦子の脚本にあった「禍福はあざなえる縄の如し」について「幸せだけでよってある縄はないの?」と尋ねると向田邦子は一瞬の間の後にキッパリ「ないの」と答える。すべて美しいものは幸せと切ないものがよりあってできている。これを向田邦子理論ないしは向田邦子フォーミュラという。>なに勝手に言ってんだよ
ラジオでナイト 第73回 2018.9.23
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
吉田拓郎です。メールが凄い。ギターが欲しいというので、手の平返しで凄い量、全部読むので疲れちゃったよ。
<FromTは、曲を聴いていた当時を思い出すという投書>
<素晴らしいアルバムありがとうございます、特に奥様にありがとうございます、これからも拓郎さんをよろしくと言いたいという投書>
買ってもらって、ありがとうと言われるのは嬉しい。こちらもありがとうを返したい。よく言っているとおり、これはラジオの最終章。毎週、話ていることは今の本当のことを話している。今後のアルバムもステージもそういう姿勢でいきたい。
若い頃、レコード会社作った話をしたが、若気の至りで、いきがって、天狗になっていて自分らしくない言動をしていた。それは若かったから許されることではないにしても、昔のアルバム、ステージを観るになれない。そこにいる吉田拓郎が無理をして気取っているのがありありとわかる。それは自分だからわかる。そういうことを体験し勉強してここに至っている。
今は正直に話している。やっぱり、曲を作り続けたい。新曲を出したいし、秋から冬にかけてレコーディングしたい。それも前から言っているとおり一発撮りでやりたい。先週も言ったが、もっとシャウトするロック色強い曲を作ってトライしてみたい。
そういう気持ちにさせてくれていることとか、ステージに立つレコーディングするその気にさせている人がいることは間違いない。ライナーノーツにも少し書いたけど肺がんの手術とそれ以外にも二つ大きな大病している。こういう話はあまりしたくないけど。そんなときに、笑顔で支えてくれたことに対し、人間として感謝している。
今の元気とパワーの源になっている。もう一歩前に進むことの確かな力になってくれている。このFromTを作るにあたっても、また次のアルバムやステージとかもその気にさせてくれる。言ってみれば働く気にさせてくれている(笑)。お礼をいいたいのは僕の方だ。
<音がいい、アドレナリンが出る曲でなくお休み前の曲という選曲がいい、ところで拓郎さんは コーヒーが苦手なのにコーヒーの出ている曲が結構あるという投書>
そうなんだよ、岡本おさみの詞にはコーヒーが多いね。気にしないで歌っていたが、コーヒー、コーヒーカップ、やたら喫茶店が出てくる。僕は、喫茶店には全然入らないし、コーヒーはだめだし。でも歌のおかげて、コーヒー好きでよく喫茶店に行っているかのように思われている。アイスコーヒーは飲めるけど、ブラックとか飲んでいるのを見るだけで倒れそう。
<「永遠の嘘をついてくれ」を聴いて主人と目を見合わせた二回つづけて聴いた、傍らで歌っているみたいという投書>
あのテープにいきつくまでの苦労は、ホントにみんなに見せてあげたい。エルトンのピアノ一本で歌っている中島みゆきのデモテープ、これをバハマでミュージシャンに聴かせて、アレンジしてやろうとしたけど、これが全然うまく行かないのよ。日本人の情緒みたいものが伝わらないの。
それでバハマではできずに、ロスに持って行った、ハーモニカホルダー下げて、ギター一本で弾き語りでやってみたら、クサくなっちゃってさ、フォークの弾き語りという一番嫌な世界になっちゃった。
それで日本で自宅でデモテープを、こういうベースパターンがあうぞ、ギターリフがいいと作り上げた。これが完璧だ自負している。
<ライナーノーツに感動 安井さん、岡本さん、木田さんの息遣いが伝わる、 国語力が高いという投書>
文章力といってほしい。昔からエッセイは得意。
黄色いテレキャスターが欲しくてメールがたくさんきている。
<ガチャピンが歌う「たべちゃうぞ」があったという投書>
あったな。みんな忘れてるぞ。
<いいんですか、黄色いテレキャスターあげて。夫婦で聴いている、ギター小僧の旦那が、いろめきたつ、これ以上増えたらどうするの?大丈夫だともう当選したかのように話しているが、私は、テレキャスターより二万円の日傘がいいという投書>
ははははは、あったね。二千円と思ったら二万円てあったよね。
<春だったね 黄色いギターがあっていた 次も楽しみだったのにという投書>
次のライブの衣装を考えた。今回は、スーツで行こうかと、最近はジーンズばかりだったので。ガンバ大阪の宮本監督のファッションが刻まれている。スタイリストに言っている。
30年来の美容院を卒業して変えた。違うアプローチ、七三は変かな。ギターも二本買ったし、衣装とかいろいろ考えると楽しいね。
<エイベックスの社食が豪華という投書>
移籍の時、最初に社長と会いに行って、若い女子社員が素晴らしかった、どなたが安室さんでどなたが社員なのか区別化つかない。その中ではたらく、むさい佐藤、たけばやしは幸せだ。
<食事できるならイタリアのトスカーナに行きたい という投書>
「トスカーナの休日」 。 ダイアンレイン好きだな。エミリー・ブラントという女優がいい「プラダを来た悪魔」。アンハサウェイと誰だっけ ハリウッド有名なアカデミー女優・・・メリルストリープ でハリウッドに進出した。「ボーダーライン」とかにも出ている。いいな。
<東京追加公演という投書>
追加公演ではない。ラジオでナイトスペシャルステージという感じでできないか。
サンプラザではないし…壊すらしいね。新宿厚生年金はないし、渋谷公会堂、神田共立講堂かな、神田共立講堂 ははは どうなんだろうね。なんともいえないし、なんともいえない吉田拓郎のラジオでナイト。
■テーマ曲
リクエスト高橋真梨子さんの桃色吐息。高橋真梨子とは時々メール、旦那さんともしている。2016年のライブにもご夫妻来ていた、そこのMCで「目がマッチ棒」と嘆いたら、真梨子さん、「拓郎さんはマッチ棒ではないですよ」と慰めのメールをくれた。「年下の私がいうのもなんですけど、かわいいんです」と言ってくれた。
高橋真梨子さんもコンサートたくさんやっているね。ちょっと瘠せたりして心配でメールしたりするけれど、声はバンとしているね。
M1 桃色吐息 高橋真梨子
■CM明け
<兄弟の話。自分はひとりっこ。メリットは親から大切にされる、欲しいゲームも全部買ってもらった、デメリットは人付き合い恋愛苦手という投書>
僕も子どもの頃、足で踏む自動車が欲しくて、父親に言ったら、今度デパートごと買ってやると言っていた(笑)。スケーターというのもあったな。
<かわいい妹にお兄ちゃんと呼ばれてみたいという投書のつづき>
しかし、おまえ甘ったれんじゃないぞ。欲しいゲーム買ってもらって、おにいちゃんと呼ばれたいって。
高校の頃一度、妹がほしいと思ったこともあった。ウチには、小さい頃に亡くなってしまった長女、恭子という名前の姉がいた。だからホントは4人兄弟の末っ子だった。長男から姉から自分と七つずつ離れている。だから、長男とは14歳離れている。だからもう、僕にとってはおやじで、頭がツルン、ツルンだったし(笑)。ウチは歳が離れすぎていて、兄弟という実感が薄い。
<10歳離れていた姉は、子供のように可愛がってくれたが、三歳上の姉は子分のように扱われたという投書>
僕も、広島では、おばあちゃん、母、姉と女系家族だったが、大学に入るくらいから、このまんま女系家族にいてはダメになるのではないか。もっと世間に出ていなければと思った。
<中学生の頃、兄の影響で、ウォーカーブラザーズ”ダンス天国” オーティス・レディング” ドックオブザベイ”平山みき”真夏の出来事”、番組テーマのフォートップスも懐かしい、音楽を教えてくれたのが兄貴という投書>
兄は、有名なラサール高校から立教大学に行って、そこで初めてピアノを始めた。当時ジャズがはやっていたので、中村八大さんとかジャズピアニストが出ていた。でも大学からじゃ無理だろと思う。で、兄貴のピアノはうまくなかった、下手だった。一枚だけアルバムを出したけれど、うまくねーよ、という感じだった。
結局、音楽はあきらめて会社を起こして生きてゆくんだけれど。その兄貴が広島に帰ってくるたびに、キレイなおねーさんを連れてくる。それが刺激的だった。音楽ってこういう感じなのかな、そこがきっかけで、音楽に目覚めていった。
それから提供曲。
様子がガラッと変わった。そろそろ中間発表が欲しいかな。
今週は、
5位 明日の前に (唄う)
カントリーの3拍子だな
4位 歌ってよ夕陽の歌を
岡本さんだな
3位 地下鉄にのって
>きたね
2位 危険な関係
>とってつけたような(笑)
1位 たどり着いたらいつも雨降り
■ベストテイク
たくさんメールを読んだので今週はおやすみ
■マイフェイバリット
スタジオの話。アメリカには、いくつかあるバハマのコンパスポイントスタジオ、ここは ボブ・マーリィーが使った。
ニューヨークの「パワーステーション」。ここで「サマルカンドブルー」をレコーディングしたがここはドラムの音がいい。エンジニアにいい。
「シャングリラ」は、ここでザ・バンドが「ラストワルツ」を録音して、ディランにつながるような気がした。
日本には、こういう場所が、なかなかない。いわゆるそのスタジオのサウンドというものはない。どこで録音しても、結局は、エンジニアの力量ということになる。
そういう中で「観音崎マリンスタジオ」というのがあって、高中正義がよく使っている。「マリン」ということで夏を思わせるので、高中にもあっている。
この隣のホテル、京急ホテルだったか、このスタジオからホテルのプールが見える。夏とかは、若い女の子の水着姿で溢れていて、みんなレコーディングどころじゃなくて、「おおお」とか言って、スタジオの窓にすずなりになって点数つけたりしている(笑)。サウンドよりそういう想い出がある。なので夏場は目の保養になる。「吉田町の唄」「デタント」はここでレコーディングした。
アメリカのテネシーには、「マッスルショールズサウンドスタジオ」というスタジオがあって、このスタジオのサウンドが有名だ。1962年のスタジオ開設以来、名盤を産んでいる。スタジオ専属ミュージシャンの音が独特でマッスルショールズサウンドといわれている。
M4 男が女を愛する時 パーシー・スレッジ
(地震)
モータウンスタジオも、専属アーティストがいてサウンドが固定化している。そのサウンドを希望するミュージシャンがそこに行く。こういうのは日本にはないな。例えば島村英二、エルトン永田、中西が観音崎スタジオに住んでいたりとか。そこのスタジオでは、どんなミュージシャンでも、彼らが迎えてくれるという。そうなると観音崎マリンスタジオの音というのが歴史残っただろう。どうして居座らなかったんだよ、自分じゃないから言うけれど(笑)、島村、エルトン、おまえら観音崎に住めよ。
M5 ブラウンシュガー ローリング・ストーンズ
これは明らかに キースリチャーズのギターで、チャーリーワッツのドラムだな。たとえば、そのスタジオ付の固定ミュージシャンたちとレコーディングというのをやってみたかった。マッスルショールズ、そのスタジオにはまっているが、俺の曲なんかここにあっている。ブラウン・シュガーを聴きながら、「ようしオレもこういう曲つくるか」という気になる。ストーンズは偉大だ。
M6 僕のコダクローム ポールサイモン
独特のサウンドのELOのサウンド、トムペティ、覆面バンド(トラヴェリング・ウィルベリーズ)など、そういう独特のサウンドと一緒にやりたかったな夢だったな。惜しかったな。
M7 セイリング ロッドスチュアート
そのほかにも、ボズ・スキャッグス、ステイプル・シンガーズ、ソニー&シェールのシェールとか、いいアルバムをここで作っている
憧れていたプロデューサーに、ELOのジェフ・リンという人がいて、ついに会えなかった、彼の作った覆面バンド トラヴェリング・ウィルベリーズに憧れていた。ジョージハリスン、ボブディラン、トムペティと凄いメンバーだった。特にドラムの音が好きだった。
「吉田町の唄」の時、観音崎でエンジニアの人にどうやってんだろうな探っているうちに「夕映え」にいきついた。
■エンディング
・リクエストは、テレキャスターの「て」「れ」
・提供曲
・兄弟について、ひとりっこについて
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆ ギタープレゼントのおかけでメールが増えたような印象があるけれど、読むのに大変だったりとか、また番組でメールの内容を聴く限り、単なるギター欲しさではなく、それぞれにファンとしてリスナーとして拓郎に伝えたい思いがあるのだな。
☆ それにしても、例えは、キンキの「危険な関係」がイイのに、と不満を言っといて、リクエストが上位にくると「とってつけたような」と言うのはどうよ(爆)。きっとキンキのファンが、ああ拓郎さんが推奨してくれたと張りきってリクエストくれたんだと思うぞ。
☆ シャウトのロックを含んだアルバム、ライブも着実に進んでいる。「新曲を書きたい」これ以上に勇気づけられる言葉はあるだろうか。
☆ 上のおねえさんが恭子さんという話は、すばるの重松清氏のインタビューに載っている。このインタビューは、「吉田拓郎ファミリーヒストリー」として白眉の一編である、この道をゆくものにとっての必読文献である。なんだよ、この道って。
☆ 拓郎が「シャングリラ」を出したとき、名前は忘れたが、吉田拓郎は、シャングリラではなく「モータウンに行くべきだった」と辛口で書いていた評論家がいたが、その意味が今わかった。
☆「トラヴェリング・ウィルベリーズ」。拓郎にとって、大切なサウントだったのだな。しかもあのサウンドありて大好きな名曲「夕映え」があるのか。凄いメンツだけれど、全員ウイルベリーという名前の兄弟という設定で、なんか「おそ松くん」みたいだ、くらいの認識しかなかったので恥ずかしい。
☆島村英二さんとエルトン永田さんが、観音崎スタジオに住むのなら、私は迷うことなく今の職を辞して、スタジオの管理人になりたいと思う。
☆「トスカーナの休日」、♪二人で旅に出よう、トスカーナに行こう という歌もあったな。それは浜省だ。真面目な話、武蔵小山の駅前にパスタ専門店「トスカーナ総本店」というのがある(爆)。たぶん御大のご自宅からそんなに遠くないだろうから、いつでもご招待するぞ。
☆何日か前のaday。「なぜ拓郎はデモテープをみゆきさんに贈呈したか」という問題。本人の解答が出たみたい。
☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆
ローリングストーンズは偉大だ。しかし、ブラウン・シュガーを聴いて、よーし、こういう新曲つくるぞと小さな声で叫ぶ、拓郎、あなたも偉大だと思う。
■ 2018. 9. 25
娘「ねぇお父さん、お願い、寝るときくらい"From T"をかけるのやめて」
父「だまらっしゃい、拓郎さんは、毎晩これで寝ておられるのじゃ」
「父からの贈り物・・・アタシはいらねーよの巻(終)」
■ Tからの贈り物 12 紅葉
「Tからの贈り物」は、どれも正面にひざまづき、あぁよくぞお出でくださいましたと迎えたいものばかりだ。しかし、中でも個人的にこの曲だけは、しっかりと抱きしめて頬ずりしてやりたい。キモイぞ。
崖っぷちから落ちなんとしていたこの作品の拓郎本人歌唱が聴けるとは。何回も書いたが、この話は何度でもする。この曲を教えてくれた拓郎ファンのJさんとMさん。Jさんは広島のライブ後のファンの打ち上げで、この曲を弾き語りで披露して、うまく歌えなくて失敗した。恥ずかしそうに笑いながら、「これ聴けばいい曲だってわかるよ」と島倉さんのCDをくれた。いい曲だった。どんだけイイ曲かも、何度でも書きたいが、さすがにuramadoに。年中行事として毎年、紅葉の時期に、日比谷公園あたりを横切りながら聴く。
「デモテープは男っぽい紅葉」と御大はいつかラジオで言っていたが、男性コーラスが薄くつけれているからなのだな。シンプルだけど繊細なギターにささえられて、拓郎がていねいに、ていねいに”ホロホロと”歌う。島倉さんから投げられた詞に、「いいですか島倉さんこんな感じですよ」とやさしく投げ返す大人の男と女のキャッチボールのようだ。そんなキャッチボール観たことないけどさ。
JさんとMさんも生きていれば、これが聴けたのに。「そうそう、オレ、こんなふうに拓郎みたいに歌えばよかったんだよな」「それが一番無理なことでしょう」という会話がどこかの居酒屋であったはずだ。生きていなけりゃ。今年からは御大の紅葉でいくぜ。
■ 2018. 9. 26
歌ってみよう。♪ ゆめみーるとぉきぃをぉすぎぃ めぐりぃあえたぁから〜コトバとメロディーが絶妙に絡みあっている。メロディーが一語一語を弾ませて、メロディーの海の中でコトバが泳ぐ。かぁぁぁ、ウマく言えないが、なんとも心地よい。ご飯と具が見事なバランスで炒められた日高屋のチャーハンみたいだ。御大はやっぱり不世出のメロディーメーカーだ。
Uramadoで名曲なのだが「ワッチュワレワレ」のコーラスが頭から離れないと、ちょっと申し訳ない気持ちで書いた。でも、今回ライナーノーツを読んだら「ワッチュワレワレ」のことしか書いていないぞ。うむ、コレが肝だったのか。
そして詞が違う。完成版の「白い鳥」は、原詩では「水鳥」、「疲れた体」は「疲れた旅人」だったことがわかる。
結構大きいのは、「わがままにうつろう愛は育てない」が原詩では「砂の城みたいな愛は育てない」となっていた。へぇー。どっちがどうというわけでもないが「砂の城」か。「砂の城」は「崩れかけた砂の家」(カンパリソーダとフライドポテト)とかぶると思って削ったのだろうか。それはないか、松本隆だって、何度もボートでオールを失くしているし。おい。
岡本おさみワールドでも松本隆ワールドでもない石原ワールドというものが確実にある。それは夢見る頃を過ぎて歳をとってこそ効き目が出てくる世界だ。夢見る時を過ぎ、ワッチュワレワレを買っておうちに帰ろう。なぜかタイトルを聞くと林真理子が浮かんでくる。
■ 2018. 9. 27
この作品は独特の世界がある。真夏の陽射し、海辺の叙景、もの憂くて、エロティックな空気、それらが淡くセピア色でコーティングされた別世界というイメージがある。まさに映画の中の世界のようだ。拓郎のエコーがかかった、やるせない歌いっぷりがまた夢うつつの雰囲気を醸し出している。
ミュージシャン達とレコーディング技術の成果物かと思っていたが、このデモテープを聴いたら、全部を御大がひとりで描いていたのだな。監督・脚本・撮影・音楽・出演の全部が吉田拓郎制作の映画みたいなものだ。
特にデモテープは、独特の世界感が思い切り色濃い。デモの歌唱のほうが、全力歌唱でない分、けだるくアンニュイな感じが際立つ。
哀愁あるイントロはこの独特の世界にトリップするための合図みたいなものだ。ライナーノーツで書かれた、サンプリングで発見したというトランペットの間奏。この世界を一気に凝縮したような美しいメロディーだね。何度聴いても聴き惚れる。これもみんな御大が作っていたのだな。あらためて感心する。
ライブでも演奏されたけれどビッグバンドの演奏はソリッドなのがかえって災いして迫力と元気がみなぎってしまい、原曲のアンニュイな世界からは遠くなってしまった気がする。やはりこのデモテープと吉田町の完成品の間を行きつ戻りつ、この独特の世界にトリップしながら味わいたい。
拓郎はMCで「この歌は猥褻な歌です。こんな歌を歌っていいのかと思います。」と語った。そうなの?でも作った本人がそういうのだから、そうなのだろう。こんだけコカ・コーラを連呼しながら、本家コカ・コーラが感謝している様子が伝わってこないのとはそういうことなのか。
遇えてよかったデモテープのひとつであることに間違いない。
■ 2018. 9. 28
「Long time no see」と同じ「夕陽と少年」でしめくくられる"Tからの贈り物"。
どちらも、とおーくバハマの海を見つめるながら終わる。
結局、Long time no seeは@バハマで録音した作品Aバハマの勢いのままロスで完成した作品Bバハマを胸に帰国した東京で完成した作品の3種類があるのだな。この曲は、Bのようだ。
完成品では、ドラム・ベースのリズムの自己主張がズシズシと強く、ボーカルも演奏もいまひとつしっくりなじんでいない感じがしていた。デモテープだとボーカルを含むすべての音がお互いになじんだひとつのやわらかいカタマリになって聴こえる気がする。デモテープの方がこの曲の姿がよくわかる。
間奏のギターがここでも胸に響く。いいねぇ。本当にステージでももっとギターを弾いてくれよ。この作品に限らず、本編とは別のイントロ・間奏・アウトロのメロディーや演奏が頭から離れないことが多い。それは、松任谷正隆、瀬尾一三、高中正義らのアレンジャー&ミュージシャンの仕事なのかと思ってきた。実際そういう仕事も多いだろう。
でも、こうしてデモテープを聴くと、御大自身が作曲し自ら演奏して描いて見せたものもたくさんあること知る。あれもこれもそう。ますますもって吉田拓郎のファンとしての歓びと誇らしさが深まる。
行ったことのない遠いバハマの海を妄想していると、ふっと作品が終わり、このTからの贈り物も閉じられてしまう。ああ終わりなのかよ。18曲だったら、まだあと3曲も味わえるのにと詮無いことを思う。いつまでも浸っていたい。
これも何度も言うが、私は当時コンピューターの打ち込みが大嫌いだった。こんな素晴らしいバンドがいるのに何だよと怒りをもて眺めていた。
しかしライナーノーツでは、コンピューターがあることで、思いもよらなかったトランペットのソロを思いついたり、自由な発想とアプローチが得られたと語っている。そして、実際に御大の見事なデモテープ設計能力と表現能力に驚く。さらに異国のミュージシャンたちをも唸らせた。コンピューターで見事な設計図を引いていたのだ。
吉田拓郎は機械音楽を目指したわけではなく、もちろんコンピュータのドレイになんかにもならず、その先にビッグバンドを始めとした素晴らしい生音の音楽の世界を見せてくれた。
大学時代の退屈な先生の退屈な講義の一節を思い出した。
「ローマ法によりてローマ法の上へ」というのが先生の口癖だった。法は守るべし、されど法のドレイになってはならない、法を使って法を超えた理想を目指そうという諺である……と思うよ、たぶん。ちゃんと聴いてなかったんで自信ない。
「コンピューターによりてコンピューターの上へ」とあてはめてみると今になってよくわかった。コンピューターを敬遠せず、かといって服従もせず、これを自由な駆使して、よりクオリティの高い音楽を作り続けた吉田拓郎。ハラショ。おいらは何にもわかっちゃいなかったよ。ごめんね、御大と名前忘れちゃったけど大学のローマ法の先生。
すべての道はローマへ通ず。かくして、すべての道は吉田拓郎へ通じるのである。なんか話が大きくなりすぎた。ここは居酒屋じゃないんだから。それにしても この道をゆくことを選んだ、すべての人々と乾杯したい気分だ。料理長にもとなりの知らないおっさんにも聴かせてやりたい。
なんでご本人のライナーノーツを前に、素人のおまえがエラそーに解説してんだ、しかも長くてしつこくて超うぜーという空耳がたくさん聴こえる。すまん。しかし"From T"の感激と感慨を私はこういうイカレた形でしか表現できないのだ。
あいかわらずまったく吉田拓郎とはわかったようでわからない謎だ。その背中を見失わないように、しっかりとついてゆこうではないかとひとり想えば時はゆく。
■ 2018. 9. 29
テレビで「つま恋'75」を観て興味を持ちレンタルレコード屋さんで「元気です。」と「人間なんて」を借りてきました。「人間なんて」はフォーライフからの復刻版でした。何も知らないので、今いるフォーライフよりCBSソニーの方が古いよねって事で、カセットのA面に「元気です。」B面に「人間なんて」をダビングすることにしました。カセットはSONY。「王様たちのピクニック」http://blog.o-picnic.net/2018/09/post_1792.html
「あ、コレいいな」と思った感動を頼りに、自分で考え、間違えたり、初めて知って驚いたり、あれこれ手探りしながら吉田拓郎の世界に入ってゆく。ああ、そんな日々があったよね。拓郎はネットに真実はないというが、ひとりのファンのまぎれもない真実がそこにある。きっとそれはすべてのファンそれぞれにあるはずだ。
自分の頭の中にも、当然のように「人間なんて(1971)→元気です(1972)→人間なんて復刻版(フォーライフ1979)」という時系列しか残っていない。
しかし吉田拓郎という巨大な世界を前に、自分で順番を考えて、TDKではなくSONYのカセットA面とB面に分けて入れてみたという真実を前にして、正しい時系列や知識になんの意味があろうか。いや、あるだろうけど(笑)、正しい情報や音源などと並んで、その人の人生と拓郎とを結び付けるこういう事実だって大事じゃないか。そういう人生の事実とともに吉田拓郎の唄は生きるのだと思う。
この管理人さんは、いうまでもなく老舗サイトを主催し、バハマのコンパスポイントに行ってしまうくらいのスーパー超絶拓バカだ。コンパスポイントに行ったというより運命に導かれてそこに呼ばれたというのが正しいと思う。
しかし、それだけのスーパーファンになっても、初めてファンになったばかりの時のこんな些細な出来事や気持ちを今でも大切に持ち続けている。そのことこそが尊い。
ラジオを聴いていると吉田拓郎も子ども時代の話、アマチュア時代のささやかな想い出をちゃんと大切に今にとっておいていることがわかる。以前「ER」で書いたと思うが、すべては愛と哀しみの“part of it”なのだ。そういうひとりひとりに眠っている話を聞きたいと最近とみに思う。
そうこうしている間に、Ninjin design officeの雨畑からも「From T 聴きました」というメールが来た。発売一か月だぞ。遅い。山で芝刈りでもしていたのか。川で洗濯でもしていたのか。
「一曲目『春待つ』で号泣。『落陽』も『外白』も『人生を語らず』も『今日までそして明日から』も、定番曲が入っていない。それなのに、これだけ素晴らしい拓ぼんワールドを魅せてしまう。すごい。でかした」
「ラジオでナイトがなかったら、このデモテープはこんな風にCDにならなかったよね。こんなすげーデモテープ、アタシだったらすぐに世界に自慢しまくるけど、拓ぼんは、何十年間もしまっておいて、たぶんこんなことにならなかったら、ひっそりお墓までもってっちゃうつもりだったのね。そういうところ本当に拓ぼんってすごいよね。」
ホントだ。奥ゆかしいにもほどがある。それにしても「拓ぼん」てなんだ。
アルバムについての評価や考えはそれぞれにあろうが、さすが吉田拓郎のアルバムは必ず、それぞれの人生にいろんな波風を立ててくださる。波風。感度良好波高し。ああ喜びも悲しみも幾年月。
■ 2018. 9. 30
そんなこと言ってる場合ではないと言いつつ「森永チョコフレーク」が製造を終了するとのニュースに衝撃を受けた。
ここ何十年間食べていないものの、子供の頃、大好きなお菓子だった。美味しかったし、確かミニスカートのツイギーみたいなおねーさんが踊るCMがあって、微妙な欧米感、おしゃれ感があった。遠足に持ってゆくとリュックの中で背中の体温とお弁当の熱で、溶岩のような固まりになってしまったが、それもまた好きだった。
ただひとつだけ残念だったのは、パッケージの大きさ割に、中味が超絶ちょびっとしか入っていない少量感だ。美味しさとともに、食べ始めるとアレもう残っていないの?という残念感と常にセットだった気がする。
これとよく似た感じが後にあった。
1995年の外人バンドとの”Long time no see”コンサートツアーだ。緞帳があがると拓郎の周りを欧米人のミュージシャンがズラリと取り囲んでいて感動した。もはや戦後ではないと思ったものだ。>いくつだよ。その素晴らしいサウンドに言う事なかったのだが、いかんせん、アンコールも入れてコンサートが僅か90分間弱で終了してしまったのには驚いた。えっ、もうこれで終わりな?のというすげー短かいコンサートだった。夜の7時前にNHKホールを放り出された。
美味くてオシャレだけれどすぐに終わってしまう。チョコフレークとこのツアーは、私の中では、しっかりと通底していたのである。
翌96年の外人バンドとのツアー「感度良好ナイト」は、演奏時間も2時間と長くなり、一方、チョコフレークにも徳用袋入りができて、問題は解決したと思っていた。
なのに、そのチョコフレークがなくなってしまうなんて。上原ゆかりのマーブルチョコレートはまだあるのだろうか。そういえば春日井シトロンソーダはどうなんだ。あれで酎ハイ作ってみたかった。消えていくんだね。
私が言っても何の説得力もないが、ともかく台風一過までご用心ください。
■ 2018. 10. 1
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
吉田拓郎です。この番組のネット局が増える。第二の故郷で青春の広島の中国放送が復活。ベースボールのせいでしょう。今年は、やきもきさせられjました。どちらかというと2、3位争いが気になっていた。奥田民生には怒られるかもしれないが。メールで鈴木誠也と丸はイイ選手だと書いたら、そうなんですよと返事が来た。でもカープ好きなのは内緒な、と書いたら「ああ内緒ですか」(笑)と返事が来た。
もうひとつが岡山の山陽放送。はじめまして。広島、岡山・倉敷はよくコンサートで行った。倉敷は素敵な環境だった。なんとか美術館(大原美術館)も近くの非常にいい環境にある。ひとつ覚えているのは、夜8時40分ころにコンサートが終わって、どれだけ急いでも追いつかない客足の引きの速さ。お客さんが、余韻を楽しんだりしないのか、あっという間にいなくなる。はけてしまう。
広島、岡山、それから鹿児島。ここいらで放送が流れてないから自由な発言ができていたんだが、これからはここでも流れるとなると口ごもる場面も多くなるのではないか。東京単でもいい(笑)
最近の新聞のラテ欄にあれ?と思っている人がいるかもしれない。今までは番組の予告があったが、やめてくれと言った。週刊誌の見出しみたいなのはいらないと。週刊誌の見出しみたいに「黄色いテレキャスターが当る」とかいうのはやめよう。
そうしてラテ欄の記載が何も無くなってみて、本音を言うと寂しい(笑)。何もここまで消さなくても。一言くらい「今週もやります」とか。・・・イヤ、イイです。慣れましょうラテ欄に。ラテ欄に何も書かなくてもこの番組は毎週何かをやるんだから。
ライブのスケジューが出来上がって来た。内容について、来年の何月にどーんと発表しましょうと事務所のMくんが言うんだけれど、オレは毎週小出しに言うよと言った。
7か所。
ひとつだけいう。宇都宮。宇都宮市文化会館。最近行っていない、行くよ。いつ行くかは今度いうね。宇都宮に行くよ。
新聞読んでいて、この番組にたくさん応援してもらって、メール、ハガキ読むのが大変だけれど全部読むよ。みんなラジオの面白かった時代を理解している。こうやってやりとりしてキャッチボールするというのが、浸透している。僕も投げるので、投げ返してほしい。
ことわざで「秋ナスは嫁に食べさせるな」というのがある。嫁姑のことわざで、秋ナスはとてもおいしいので嫁なんかにたべせるなという姑の意地悪という説と
夏野菜のナスは身体を冷やす、それを秋になって出産を控えている嫁に食べさせるとよくない、冷えすぎないようにという説がある。どっちだと思いますか。
僕もウチの兄貴の結婚で、母は兄を溺愛していた。お嫁さんについては姑を発揮していた。まー悪口言うんだ、よくそんなこと言えるなというくらい。いびってました(笑)。息子には甘いんだよね。これはみんなと話してみたい。
幸い嫁姑を関係しないですんだ吉田拓郎のラジオてナイト。
■タイトル
青春時代のリクエスト。これは聴いたな(きみにはきみの夢がある〜若い二人のことだもの)。
北原謙二の鼻にかかった声が好きだった。この人がカバーしたカントリーのノースウィンド、これが好きだったんだな。よく聴いたものだ。
M-1 若い二人 北原謙二
※台風24号の報道 唄が聴こえない
■CM明け
<運動会で栗ご飯のおにぎりが思い出という投書>
貧乏な鹿児島ではもっぱらサツマイモで栗ご飯は贅沢。サツマイモばかりでサツマイモが怖くて当分イモは食いたくなくなった。
最近になってサツマイモの味噌汁を作ってもらったんだけれど、うまいなぁぁぁ(笑)甘味が出るんだな。日本も貧乏な時あったんだな、そういうことをいう年齢になってしまった。
<高校の母のお弁当、おかずとふりかけごはん半々という投書>
ウチなんか前の晩の残り物。絵的に貧しいんだよ。こんなの嫌だと残して帰ったら、母が怒ったね。母の愛情がわからんのかと母が泣いたが僕も泣いた。裕福な子は、弁当にウィンナー、目玉焼きと色がキレイだが、こっちは残り物の魚とか。
<運動会の時おにぎりという投書のつづき>
家にいるときは必ずおにぎりだね。梅干しだけのシンプルなものだけど、お米を茶碗で梅干しと食べるのとおにぎりにすると違う。なぜおにぎりは美味しいんだ。手から味がでるのか。
<「最後のラジオ」というのはやめてという投書>
僕はいいなりにならない。これが最終章ときめている 若い頃から嘘をついていたので今正直に話している。
音楽についても倒れるまでやる。アルバムとステージをつづける。ステージはいつまでやるんだ、結論がでない。とにかく一歩ずつだ。
<武部さんが来年ツアーだと公言していたという投書>
次のステージについて武部が喋ったらしいな。武部、俺がせっかく小出しにしているのに、言うなよ。
<山登り乗馬が好きという投書>
山登りは嫌い。広島時代にナンパしてデートに山に誘ったことがある。山だよ。そんなことしかないんだよ。一週間前にも自分で登って、このへんでチュー、このあたりで押し倒して、って犯罪だよ。駅で待っていたら当日来なかったという。
映画「幕末青春グラフィティ」で馬に乗るシーンがあった。馬って乗ってみると高いんだ。景色が変わる。そして怖いんだ。高杉晋作ですから、馬に乗って「すすめー」とデカイ声を出したら、馬がオドロイて立ち上がろうとする。怖くて、
落ちないように馬の首に抱き着いた。監督から「拓郎さん高杉晋作が馬を怖がってはダメですよ」といわれて、本番では、馬をおさえる人が二人いる。
<FromT にご尽力いただいた方々、もうひとふんばりして、今、拓郎さんが企画している提供曲の投票、あれをCD化してくれれば、 お宝になるし、またライナーノーツを書いてくださればお宝になるという投書>
みんなが、FromTを喜んでくれて、僕が聴いているi-podを聴いて、イイと思ってくれているというのが嬉しい。(提供曲のCD)飯田さん勘弁してくれという顔しているかな、今度は一曲一曲違うからね。あ、でもエイベックスの飯田さん、真剣に考えているね。
さて提供曲。黄色いテレキャスターをプレゼントすると今日の放送から聴いた岡山の人とか太っ腹な番組と思うだろうね。勢いで言っちゃったんだ。
ベスト5を選ぶには、好き嫌いはもちろん、アレンジがよくできているな、とか歌手がうまいなとか、詞と曲マッチしているな、特に乗って歌っているなというところを見抜いてほしい。
9月30日の一週間のベスト5から。
今週は、
5位 狼なんか怖くない 石野真子
>僕は「私の首領」の方が好き。
同率5位は 我が良き友よ
>詞と曲マッチしている、ボーカルがどうよ(笑)
3位 歌ってよ夕陽の歌を 森山良子
同率 ああグッと 近藤真彦
2位 風になりたい 川村ゆうこ
>しつこいね
1位 やさしい悪魔 キャンディーズ
>拓郎さん納得。 詞、曲、アレンジ、ハーモニーすべてがいい。
ここまでの累計
5位 メランコリー 梓みちよ
>いい曲だよ。「拓郎どう歌うのぉ?」って聞かれて、怖いんだよあの人。「緑のインクでぇぇぇぇぇとうまく歌わず、緑のインクでぇと軽くサラっと歌ったお願いした。かなりヘタクソに歌って凄くいい。
4位 ああグッと
>トータルで4位。言った甲斐があった。コレはアレンジもいい。
3位 たどり着いたらいつも雨降り モップス
>アレンジも演奏も鈴木ヒロミツのボーカルもいい
2位 やさしい悪魔
1位 風になりたい 川村ゆうこ
>うーん、そうかな。
吉田拓郎が自分なりに考えた結果
アレンジとかボーカルのノリとかで考えて
1位 メランコリー 梓みちよ
>アレンジ、ボーカル、詞と曲とマッチングが一番好きなのはこの曲でよくできているし梓みちよがうまい
2位 やさしい悪魔 キャンディーズ
3位 襟裳岬 森進一
>最初このイントロのトランペットにひっくり返ったが、それは僕の演歌に対する認識不足だった。後日、これしかない、これが襟裳岬だと思うようになった。この岡本おさみの歌詞をよく歌いこなした。キャロルキングみたいな原曲だったんだけど、見事に違った出来上がりになっている。
4 六本木レイン 研ナオコ
>♪六本木レイン、レイン、レインが頭から消えない。アレンジも詞もメロディもいい。
5 たどり着いたらいつも雨降り モップス
6 いつか街で会ったなら 中村雅俊
>好きな作品。喜多條の詞が、たぶん原宿だろうけれどもそこを書いたものが多い。
7 ドンファン 神田ひろみ
>松本隆が原宿で飲んでいる吉田拓郎をイメージしたというが、馬飼野康二のアレンジもいい。若い神田ひろみが、むつかしい歌を歌いこなしている。
8 ルームライト 由紀さおり
>木田高介のブラスアレンジがいい。岡本おさみのこの詞をよく歌いこなした。♪ルームライトにぃぃぃのところが好きだ。
9 我が良き友よ かまやつひろし
10 君住む街 杉田二郎
>アレンジがいい、三連だけど、二郎がうまいんだな。歌謡曲一歩手前でうまーく歌ってくれている。詞は僕が書いてなんでもない詞なんだけれど、メロディーとばちっとハマっていい。
■勝手にえらぶ日本の唄50選
黄色いテレキャスター
テレキャスターの「て」と「れ」
♪てれてジンジン 竹本孝之
>知らない ごめん
♪天使のウィンク 松田聖子
♪手紙 由紀さおり
♪手紙 拝啓15のキミへ アンジェラアキ
♪テネシーワルツ 江利チエミ
>古いな(歌う)
♪天使の誘惑 黛ジュン
>ああ、あったな、好きだったな。夕月とかも良かった。
♪てんとう虫のサンバ チェリッシュ
♪天までとどけ さだまさし
5位 天使ウインク
4位 天使の誘惑
4位 てんとう虫のサンバ
2位 てのひらを太陽に
>知らない 童謡?
1位 手紙
>一位は圧倒的多数
台風情報
M2 手紙 由紀さおり
来週は「れ」
その次は「き」と「や」
■エンディング
・提供曲
・おにぎりと手作りの弁当
・嫁としゅうとめ
・似ているといわれた芸能人
・れ き や
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆台風の中の大放送。おかげで「若い二人」と「手紙」は、緊急速報で殆ど聴けなかった。
☆嵐と突風で家が吹き飛ばされるかと思ったが、そんな時でも私の魂は身体を離脱して宇都宮を彷徨っていた。
☆そうか小出しにするのか。アカデミー賞かグラミー賞みたいに、毎週森野さんが持ってきた封筒を開封して一箇所一箇所会館を発表すればよい。
☆それにしても宇都宮か。頑張ったな御大。少しずつ陣地を拡大するように遠征が伸びてきている。一歩ずつ、そして結果として全国ツアーに近づかんことを。
☆提供曲のCD化はとてもいい提案だと思う。しかし、なんと言われてもいい、私は涙ぐみながら駄々っ子のように叫びたい。
提供曲は、一曲残らず集めて「提供曲大全」として全曲入りBOXとして出してくれ。頼む。
セレクトされたベスト提供曲CDを作ったところで森進一、梓みちよ、キャンディーズ、モップス、中村雅俊、研ナオコ、放っておいてもこれらの作品は後世に残るだろう。
しかし、まさに消えなんとし、崖っぷちから落ちようとしているマイナーな名曲たちの数々があるのだ。吉田拓郎の渾身の子供たち、全部出してくれ。デキのいい子、人気のある子だけを助けようなんてしないでくれ。投網をかけて全員を救おう。一人残らず助けよう。今が最後、これを逃したら本当に消えてゆくだけである。いいのか。
一曲ごとにあらゆる垣根を超えなくてはならず大変なのはわかる。しかし、それがなんだ。文化財の保護の尊さの前に知ったことか(爆)。いや、私が手伝ってもいい。
例えば、いにしえの人々が、ピラミッドや故宮博物院や正倉院に入れる財物を"全部入れるの面倒くさくて大変だから、大事なヤツだけみつくろって入れとこうぜ"といったら、今の歴史はなかったのである。それくらい大変なことである。
順位つけてセレクトしている場合ではない。マンボウだって3億のたまごを産むのである。‥‥‥これは関係ないか。
とりあえず全曲をBOX全集で拾って、あらためてそれらを聴き込んでから、本当のベスト5を作ろうではないか。
☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆
提供曲で「風になりたい」が一番好きだと本人が明言していた2006年
好きもベストも変わりゆくなら、とりあえず全部残そう 話はそれからだ
■ 2018. 10. 2
作り手さんの手間を考えろと!怒られたら謝るしかないけれど、無責任に言ってしまいたい。検印復活。それにCDにも検印導入でどうだ。
だって考えてみ、"From T"のライナノーツの最後に
吉田って検印が押してあったらどうよ。ものすげ嬉しいじゃない。レンタルで済ませたり、ダビングしちまえという気にはならないでしょ。本当にTからの贈り物になっちゃうじゃないか。
思いっきり思いつきだが、おかげで本もCDも売れ行きが増えたりしないかな。
追記
「のらくろ武勇談」の著者検印が可愛かった件
■ 2018. 10. 3
また2006年3月、吉田拓郎・九州四国シリーズの愛媛に、こっちはライブ観戦、向こうは道後温泉ということで、今は亡き義父を連れて行った。
松山の商店街で義父は「労研饅頭(ろうけんまんとう)」という看板の前で足を止めた。いわゆる「蒸しパン」みたいなものだ。これは、義父が幼少の頃、満州つまりは中国・朝鮮に家族で赴任していた頃に現地で食べていたものがルーツらしい。その懐かしい味に涙ぐんで食べていた。ということは、吉田家のみなさんも当時、これを食されていたのだろうな。
調べると、この中国・朝鮮の食べ物を日本の労働者の栄養補給にということで大原美術館の創設者大原孫三郎氏の主催する大原労働研究所が、日本に持ち込んで「労研饅頭」として普及させ、松山に根付いたらしい。
義父は亡くなるまで何度も「吉田拓郎さんの音楽会のおかげで松山で温泉に入って労研饅頭を食べられた」と喜んでくれた。来年は宇都宮で音楽会をするらしいですよ、お義父さん。
吉田拓郎の音楽会の素晴らしさがこういうところにもある。
倉敷、大原美術館、愛媛、朝鮮、労研饅頭。すべて吉田拓郎が結んでくれているではないか。かくしてすべての道は拓郎に通じる…といういつものイカレた結論に落ち着くのだが。
■ 2018. 10. 4
しかし、そんなこざかしい事はどうでもいいくらい、原田芳雄さんのボーカルがすんばらしかった。恥ずかしいが、こんなにも声がのびやかで歌が上手い人だとは知らなかった。聴き惚れた。御大と同じ天性の歌い人だ。ああ、詮無き事だが「制服」とか「おきざりにした悲しみは」とか「七つの夜と七つの酒」あたりを歌われたらどんなに凄かっただろうと妄想しながら聴いた。その他にもいろいろあって、小さな冒険が始まりそうな予感のする店だった。
■ 2018. 10. 5
ユーミン全曲配信のTVCMを観た。
これからはじめて
ユーミンを聴ける
幸せな人たちへ。
なんとすばらしいコピーなんだよ。あぁヤられたと思った。
置き換えるとふるえる。
これからはじめて
拓郎を聴ける
幸せな人たちへ。
配信がどうかはわからないが「全曲」というところがいい。
なので、本曲はもちろん提供曲も全曲公開でゆこうではないか。
未来に向けるとき、王道から崖っぷちまで広く散在する提供曲。
セレクトしたり制限するべきでなくすべてを投げ出すべきだ
彼らは未来に向かって蒔かれた種なのだ(「漂流教室」楳図かずお)
なぜユーミンで始まったのに、楳図かずおで終わる(爆)
■ 2018. 10. 6
吉田拓郎に遭遇したという人の話は例外なしに聴いているこっちも胸が熱くなってくるしドキドキする。どの人が体験した吉田拓郎も、素敵でカッコよくてタメ息が出る。そうか、振り返ってくれたのか、声をかけてくれたのか、分厚い手だったのか、御大のオーラが見えるようだ。今読んでいる村上龍の本には、すべてオーラなんてものは思い込みと錯覚だと書いてあったが、それはそのとおりだと思う。吉田拓郎以外はな(爆)
本当はその店で、運命のひとひねりのような今週の出来事をかみしめて静かに落ち着くつもりだったのが、さらに気分が燃え立ってしまった。いろんなことに感謝したい1週間だったが、この店に出会えたこともそのひとつだ。
そういう今週の日記で書き忘れていたのはラジオでナイトで拓郎が選んだ提供曲に「君住む街」が入っていたことだ。この曲を10位に入れてくれた。ホントだ3連だ。
81年ころだと思う。杉田二郎が自分のラジオで「吉田拓郎が作ってくれまして」と言って、ギターでコレを歌ってくれたのだった。軽井沢で拓郎と作った時の様子も話してくれて、初めて聴く歌に涙が出そうだった。御大、なんでもない詞だなんてオレは思わないよ。確かに杉田二郎の声と歌唱は素晴らしくて、行間まできちんと歌い込んでくれている感じだ。
かつて無謀にも自分の持ち歌にしようと歌ってみたら無残なことになった。Tシャツ短パンサンダル履きでマッターホルンに登ろうとしたようなものだった。重装備にしたから登れるもんでもないが。名曲は静かに聴き入るべし。
■ 2018. 10. 7
「日本人はカンが悪い。吉田拓郎はアメリカだったらもっともっと尊敬されている」
あっぱれ桑田佳祐、よくぞ拾った,えのきどいちろう。銘言に感謝。
これがアメリカだったら”From T”は、もっともっと愛され、グラミー賞の最優秀アルバム賞を余裕で受賞するに違いない。授賞式でマーティン・スコセッシとかがプレゼンターで、
「かつて砂漠だった町が世界のラスベガスになったように、彼は砂地にホースで水を撒きつづけ、やがてこの世界を豊かな音楽で満たしました。こうして彼を紹介できることを大変名誉に思います。グレイテスト、タクロウ・ヨシダァァァ」(翻訳・額田やえ子)
授賞式のステージにジェニファー・ローレンスにエスコートされて登壇した御大に、割れんばかりのスタンディングオベーション。
そして御大は声高らかに叫ぶのだ「T.Y,T.Y,T.Y ファースト!」…ってそれ思い切り違うだろぉ。申し訳ない。
もっともっとたくさんの人に聴いてほしいぜ。
今日も十分にイカレているぜ。
※お詫び
額田やえ子さんの訳というのは事実ではありません。>あったりめぇだろ
■ 2018. 10. 8
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
吉田拓郎です。今年のように苦しく怖い夏ならいらない。冬も嫌だが、コートを着て温かくすればいいが、夏は逃れようがない。
若い頃は、夏が好きで必ず日焼けしていたし、夕方はビアガーデン。そんな大好きな夏が、こんな命にかかわることになってしまうともう冬になってほしい。大雪は困るけれど、若いころはあんなに夏が好きだったのに、こんな猛暑、豪雨、台風となると。日本には四季、春夏秋冬の変化があるが、それはもう過去のことだ。
先日も小田和正と「地球が変だ」とメールでやりとりをした。みなさんは、どの季節が好きでしたか?僕は夏が好きだったという過去形でしか言えない。麦わら帽子もねえさん先生も今の夏ではない。想い出過去形の夏。
テレビでアラン・ドロンの特別インタビューを観た。80歳を過ぎでも、心はハンサムで二枚目でモテ男。自分で、世界の恋人という自負を言っていた。とても言えませんね。歳をとってから。モテてたよ言い切れる。さすがアラン・ドロン。フランスでも人気だが、日本での人気が凄かった。ジャンポール・ベルモンド、ジャン・ギャバン 、カトリーヌ・ドヌーブと、フランス映画の流行した時代があった。
ルネ・クレマンの「太陽がいっぱい」でのアラン・ドロンは、野心的で悪魔的で、それでいて孤独感があった。あの表情、あの着こなし、上下左右どこから観ても、女性はもちろん男である僕もいい男だな、こんなになりたいなと思った。こんな俳優は、他に見かけない。
今でもライアン・ゴズリング、ライアン・レイノルズとかハンサムな俳優はいるが、彼らとは違う。アラン・ドロンは、80歳になって、あごの下にはぜい肉タルタル、おなかも出ていた。それを観ながらアラン・ドロンの人生はどんな人生だったのかと思った。あの映画の中の魅力。そしてサントラのニーノ・ロータの曲がまたいい。
M-1 太陽がいっぱい
アラン・ドロンにはどこも似ていなかった吉田拓郎のラジオでナイト。
■オープニング
アラン・ドロンは俳優業を引退したらしいね。ロバートレッドフォードも。監獄の映画があって、今度それを話したい。
今日のリクエストは、僕も青春がうずく
<シャボン玉ホリデー、ザ・ピーナッツが歌うスターダストにのせて最後ハナ肇に肘鉄というシーンが忘れられず、ピーナッツをリクエストするという投書>
当時、僕は、どっちかわからないが妹が好きだった(笑)うずく感じ(笑)
リクエストに応えて。
M-2 恋のバカンス ザ・ピーナッツ
■CM明け
ひとりっこ・兄弟のテーマ。小さい頃、兄貴からよく、〜兄貴とは14歳違うんだけど〜、兄が名門鹿児島ラ・サールに行ってた頃だから、3、4歳だったのかな、「拓ちゃんは、声が高くてうるさいんだよ」とよく言われていた
広島に移住して、間借り暮らし、兄は東京で、母、祖母、姉と四人で、いわゆる大家さんと暮らしていた。大家さんから、おたくのお子さんは声が大きくてうるさいから出て行ってくれと言われたのを覚えている。
<淋しかったり、兄弟ほしかったりと思ったことがない、ひとりっこ、相手が必要なゲームが買えないくらいで、ひとりでいいんだ、共同生活がかえって苦痛だという投書>
孤独なやつだな。そうか、全部自分のものだしね。すき焼きでもゆっくり食える。そういう人はいるかも、お気楽でいいかもしれない。
<FromT で初めて拓郎さんのCDを買った、殆ど初めて聴く、歩こうね、朝陽がサンとか元気が出るし 温かい詞がいいという投書>
今回はじめてということは、他には一枚ももっていないのね。気が付くのが遅かったね。そんなことはないか、他のアルバムも買いましょう
<名古屋での実現してくれというという投書のつづき>
宇都宮に行くぞと一と先週言ったが、今週は、名古屋は行くぞ(拍手)、名古屋起立。
名古屋センチュリーホールがとれた(笑)。宇都宮と名古屋。主催者は泣いている。こんな小出しにして、どっと行きましょうって言ってたのに。でも小出しだよ。
名古屋なんてあなたどうする。日帰りじゃなきゃ行かないと言ってたが、自動車で往復 その日のうちに家に帰ってご飯たべて寝たい。でも一泊になるかな。夜遅く走るか。とにかく待っててね。
提供曲
今週は、とんでもない選曲
5位 僕のエピローグ
>詞も曲もなんにも浮かんでこない。「地下鉄にのって」じゃないのか。最終的には入らない。
4位 ああ青春 トランザム
>こういうのは毎週出てきていいのに、つま恋のオープニングだったし
このトランザムのビアので始まるバージョンが好きだ
3位 我が良き友よ かまやつひろし
2位 やさしい悪魔 キャンディーズ
1位 たどり着いたらいつも雨降り モップス
吉田拓郎の順位を繰返すと、僕は1位はメランコリー、2位 襟裳岬、3位やさしい悪魔そして4位に六本木レインいいか、六本木レインだぞ。5位たどり着いたらいつも雨降り6位いつか街で会ったなら7位は意外なところで”ドンファン”、8位がルームライト、9位が我が良き友よ、10位が「君住む街」意外や意外、今でも聴きながら寝ると気もよく寝れる。
今週までの累計。殆ど変わっていない。
5位我が良き友よ
4位ああグッと
3位たどり着いたらいつも雨降り
2位やさしい悪魔
1位風になりたい
そうかな、みんな。演奏の仕上がりとかアレンジが素晴らしいとかボーカルが歌にはまっているかとかそういうところで選んでほしい。これなんか、レコーディングも「せーの」だし、ボーカルも、もうちょっとだったんじゃないの。
■勝手に選ぶ日本の歌50選
「れ」
意外とあるけれど、みんな無理がある。
「怜子」中島みゆき
>僕は陽子が好き(笑)
「レイニー・ブルー」 徳永英明
>有名だよね
「れんげ草」 ビリー・バンバン
>弟の菅原進とよく六本木で柳田ヒロと飲んだことがあった
面白い人で、車運転してて信号で止まるとわざわざウィンドウを開けて、♪きみはおぼえているかしら〜と白いブランコを歌う。
「レッツゴー・ライダーキック」
>全然しらない。仮面ライダーって観たことがない。
「レールが鳴ると僕らは旅がしたくなる」吉田拓郎
>ほっといてくれ
5位 れんげ草 ビリーバンバン
4位 「レールが鳴ると僕らは旅がしたくなる」吉田拓郎
3位 怜子 中島みゆき
2位 レイニーブルー 徳永英明
1位 レノン症候群 吉田拓郎
Mー3 レイニー・ブルー 徳永英明
■マイフェイバリット
広島でロックバンドをやっていて、R&Bとかを中心にの四人編成で演奏していた。そこに突然(ボブディラン 風に吹かれて)。
心の中にポッとこの曲が入って来た。友人の神庭君が聴かせてくれて。ガッツンと来たというより、なんなんだこりゃと思った。
東京に行くきっかけもディランの風に吹かれてだった。とにかくギター一本で、フォーク何てどうでもよかったら、なんだこりゃ野暮ったい、ロックを演っていたところになんだろうと思ったものだが、結果的にズルズルとひきこまれていった。
そして、アルバムの訳詞を読むほどにそのオリジナリティにノックアウトされた。それまでのアメリカンポッスは、wohwoh yeahとノー天気な愛しているを繰り返すラブソング
ばかりだった。そういう歌詞と全然違う。答えは風の中にある。なんだこの新しさはと思った。
そのディランがエレキを手にしてステージに立って、「やったね」と思った。
風に吹かれてとか(「くよくよするなよ」歌う)こんなのとかでなくて、ライクアローリングストーンをエレキで歌った日には、万歳だった。イギリスでもどこでも、ザ・バンドを連れてツアーをして、「あれはフォークじゃない」とブーイングを浴びるわけ。それがカッコイイ。ブーイング浴びても平然と歌っているところに痺れた。これこそロックンローラーだと思った。
形からはいった一ファンだけれど、スタイルのみならずメロディーが素晴らしく、稀有の稀代のメロディメーカーだと思う。
M-4 風に吹かれ ボブディラン
これコピーしたよねハーモニカも。ディランの変化があって、「血の轍」か「ウォッチングタワー」とか宗教的で、神とか出てきてわかんなくなった。一途には追いかけられなくなった。
スリーフィンガー(パフ)ってあったけれど、広島のギター教室で僕はスリーフィンガーをうまく弾けなかった。ピックでこうやって弾いていた(実演)。でも生徒は誰も弾けなくて、上達しなかったけどいい稼ぎになった(笑)。おかげでパンチという隣のパブで飲んでナンパしていた。
M-5 風に吹かれて ピーター・ポール&マリー
こたえは風の中にある。MCでベイサイドバーにあるカウンターで三人組と会話してバーを出ていく吉田拓郎の話をしたけれど、出て行って風に吹かれてどうなったか、そのつづきを今度のライブで話したい
次はスティービーワンダーのカバー、これが一番好き。
M-6 風に吹かれて スティービー・ワンダー
■エンディング
・青春の歌謡曲
・提供曲
・兄弟ひとりっこ
・嫁姑
・似ているといわれて
・日本 「キ」「ヤ」
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆本当に地球はどうなってしまうんだろうと私なんかでも思う。そのどさくさにまぎれて日本もどうなってしまうんだろうとさらに切なく思う。80年のヤンタンで拓郎が口癖のように言っていた「日本がヤバい、世界がヤバい」は、今まさにこの時のことではないだろうか。
☆ニーノ・ロータのメロディーは、聴いているだけで胸がしめつけられて泣きたくなってくる。ゴッドファーザー然り。「ロミオとジュリエット」も耳から離れない。ああ美しかったオリビア・ハッセ―→布施明→バカヤローなにやってんだ→やっぱり許さん、とあふるる思いが止まらない。メロディーから離れてしまってどうする。
☆お兄さんの「拓ちゃん声が高くてうるさい」という話は微笑ましかったけれど、間借りで大家さんから声が大きいと言われた話は、ちょっと切なかったね。子どもながらに覚えているっていうことは、子どもも子どもなりに傷ついていたということだと思う。
☆そして名古屋。予測はされていたが、正式発表である。めでたい。そうか一泊の御宿泊の可能性もあるのだな。もし一泊がOKだったら、相当にエリアは広がるはずだ。ていうかほぼ全域行けるに違いない。とはいえ、はやる気持ちで先走りすまい。拓郎のいうとおり、宇都宮から名古屋までの一歩を大切に見守ろう。それに拓郎が開発した全国ツアーは2009年で終わったのだ。仮にライブが全国に広がろうともそれはかつての全国ツアーとは別の何かだ。なんだかわからないが、別の何かだ(爆)。コンサートツアーの先に御大が作り上げる何かだと思いたい。
☆提供曲の順位、御大は不満そうだ。だって「六本木レイン」だって、そう簡単には聴けないぞ。だからこそすべての提供曲をすぐに手に届くところでアクセスできるよう集大成盤にまとめておくことが大切だと思うのだ。って、しつこいが。
☆とりわけ「風になりたい」の首位が不満そうだ。先週も書いたが、2006年のインタビューで「提供曲の中で一番好きなのが『風になりたい』だ」と宣言していたではないか。
それにアレンジも、一発録りの演奏もいいじゃないか。間奏のメロディーもそれだけで心にしみる。ボーカルだってそうだ。確かに、素晴らしいシンガーが何人もこの曲をカバーしている。しかし、最近もライブで何度か聴いた経験から言うと、やっぱり川村ゆうこ本人の歌唱はピカイチだよ。川村ゆうこは、昔から”フテクサレたねーちゃん”というイメージがあるが、それでも思い切り魂が入っていて、聴くたびに涙が出そうになる。むしろ、打ち込みのいまいちな演奏、淡々としたボーカル、一番決まってないのが御大あなたのバージョンだ(爆)。断じてディスっているのではない、拙者、殿のために涙浮かべてご注進申し上げているのだ。どうかライブで吉田拓郎バージョンを歌い直してくだされ。
☆レッドフォードの映画は「ブルーベイカー」だろうか。さすれば私の青春だ。御大の映画紹介は、いつも結末までしっかり喋ってしまうが(爆)、それでも観たいなと思わせてくれる。楽しみだ。
☆「あいつはフォークじゃない」「帰れのブーイング」そんなところまでディランと御大は重なっている。ザ・バンドは、ブーイングで荒れる客のボディガードとしての意味があったとされる。拓郎でいえばさしづめ愛奴だ。
☆奥ゆかしい御大はおくびにも出さなかったが、「風に吹かれて」のベストテイクは、1982年の王様たちのハイキングツアーのアンコール、極悪バンドとの演奏ではないか。魂が蒸気したような会場で、御大は笑顔でゆとりかましながらロックの風に吹かれてを聴かせてくれた。素敵だったぜ。もう一度聴きたいよ。
☆46歳にしてはじめて吉田拓郎のCD=From Tを買ったというリスナーのメールが良かった。まさに「これからはじめて吉田拓郎を聴く幸せな人へ」という感じだ。そういう幸せな人が、このヤバい地球に少しでも増えますように。柄にもなく祈りたい。
☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆☆
吉田拓郎はスリーフィンガーが苦手なのか。
だからあんなに高田渡のスリーフィンガーを美しいと絶賛したのかもしれない。
■ 2018. 10. 9
同じニーノ・ロータの「ゴッドファーザーのテーマ」も歌詞をつけて尾崎紀世彦が歌っていたが、子供だったので気にしなかった。しかし、後年、映画「ゴッドファーザーV」の劇中でマイケルの息子がコルレーオネ家に伝わる歌ですといって、いきなり「ゴッドファーザーのテーマ」を歌い始めたシーンはちょっと引いてしまった。感動的なシーンに違いないのにすまん。しかし、私には例えばオバケのQ太郎の劇中でオバQが自分の主題歌を歌うみたいでとても微妙だったのだ。
最近では「渡る世間は鬼ばかり」のおなじみのインストテーマに詞がつけられ天童よしみが歌うのを観てショックを受けた。しかもギターは山本コータローだ(爆)。もしそのうえコータローが歌詞先導でもしたら私は確実に失神していたと思う。
不肖私はインストゥルメンタルの曲に詞がつくということがダメらしい。あくまで個人的な感想なので許して欲しい。
但し、例外はある。これも前回ラジオで話に出た「ああ青春」。リアルタイムでは最初は「俺たちの勲章のテーマ」としてインストで聴いていて、後に歌詞がついた「ああ青春」という歌だと知った。「なんじゃこの詞は」とはじめは思った。松本隆によればメロ先で、数え歌のような詞をつけてくれと後藤由多加に頼まれたとライナーに書いてあった。木綿のハンカチーフのヒットのちょっと前だし、松本隆もこの頃はまだ大変だったのだろうか。
しかし、つま恋、篠島というメモリアルな大舞台で歌われたことで、メロ先の違和感など見事に吹き飛んでいる。そのライナーで松本は続ける「拓郎はよくそういうことをするのね。なんでもない曲を凄い場面で歌って忘れられない曲にしてしまう。この歌(ああ青春)もそう」。
それをまさに「入魂」というのだと思う。魂こめた拓郎の歌唱が歌に命脈を与えたのだ。
なので、森昌子も天童よしみも歌うのなら入魂で歌い続けて欲しい。ゴッドファーザーのテーマも歌詞付きでCDにして、1番をアル・パチーノ、2番をロバート・デ・ニーロで、シンシア/竜飛崎のように歌い上げて欲しい。いかん、ひとつもそうして欲しいと思っていないのに流れで書いてしまった。
■ 2018. 10. 10
中島みゆきの「怜子」って、オープニングのポエムのあとのいきなりの絶唱が当時高校生には怖いくらい衝撃だった。しかし、聴くうちに、ああメロディーがすんげ―拓郎節だ、カッチヨエエと思ったものだ。
シンプジャーナル1985.9
■ 2018. 10. 11
それにしても昔のテレビドラマの音とかもラジオで流していたのだな。ドラマ「おはよう」といえば若尾文子と天地真理だが、研ナオコも出演していたのか。この出会いが、やがて名曲「六本木レイン」につながるのか。って、つながってねーよ、たぶん。しかし、研ナオコは、のちに「明日の前に」もカバーしていて、これもすんげー上手い。マチャアキと双璧だね。というわけで「六本木レインcw 明日の前に」でシングル発売して欲しい。
研ナオコといえば桃井かおりと出たドラマ「ちょっとマイウェイ」も好きだった。荒木一郎が作った主題歌「夜明けのマイウェイ」も超絶名曲ばい。あと、志村けんとの夫婦のコントも忘れちゃならない。なぜか研ナオコに飛ぶ気持ちが自分でもわからん。実は好きなのか。だからシャッターを押さない。いみふ。
■ 2018. 10. 12
打合せに遅れそうになって神田一橋界隈を急いでいると目の前に看板が。おお、魔の神田共立講堂だ。ああ、この矢印を曲がってみたい。わかっている。打ち合わせ先とは反対方向だし、時間もないし、曲がっても中に入れるわけもない。ああ、それでもどうしても曲がってみたい。いやファンとして曲がらなくてはいけない時がある。曲がった。…結局、遅れた(爆)。
この看板は看板でありながら、上手く言えないが拓バカ発見機として機能している。この街は油断がならない。>それはアンタ自身の問題だろ
それにしても来年の公開ラジオ。神田なのか、渋谷なのか。講堂なのか公会堂なのか。どっちだろうか。案外、しれっとNHKホールでやったりしそうだ。でもそれじゃ歌謡グランドショーだよ。
心の底からどうでもいいことに迷い悩む人と書いてファンと読む。なんだそりゃ。
追記
あ゛〜、それどころじゃない、今日は「スポーツ報知」の発売日だ!
■ 2018. 10. 13
新聞を床に思い切り広げて眺めるこの幸福感。欄外には著名な提供曲が取り囲んでいる。さすが報知だから原辰徳のあの曲もある。吉田拓郎の歴史的なエピと今の心境が散りばめられている。カーテンレールの10万円は青春映画のようだし、社長時代の”社長ごっこ”と揶揄されつつの苦悩の逸話は何度聞いても胸が痛くなり、だからこそファンはそんな吉田拓郎を心の底から誇りに思うのだ。
そして何よりチカラが漲る大見出し
「コンサートやる自信、体力、精神力持ってる」 俺もだ(爆)。
で、床に広げられた新聞をみてに妄想は飛ぶ。この紙幅と大きさ「すごろく=双六」みたいだ。
「LIVE73実現すごろく」をやれというメッセージに違いない(爆)。
「エレックの極貧生活」が「ふりだし」で、歴史的な数々のドラマを経て、来年の「LIVE73」を「あがり」とする大河双六だ。各自付箋を貼ったりしてアレンジしてみよう。前号とつなげるとさらに壮大だぞ。
例えば
・史上初コンサートツアー実現、怒涛のように3つすすむ
・襟裳岬のレコード大賞、ジーンズに履き替えて2つすすむ
・社長になって音楽から遠ざかり2回休む
・社長ゴッコといわれて凹んで2つもどるがメゲずにすすむ
・キャンディーズ「やさしい悪魔」大ヒットで2つすすむ
・原辰徳「季節の風の中で」提供、松〇千春みたいなタイトルに1つもどる
・森下愛子と夫婦手をとりあって4コマすすむ
などなど
もちろんサイコロは2つ使用するのが鉄則だ。普通の双六と違って、ふりだしに戻るたびに全員で狂喜するアブノーマルな双六である。これなら、お子様も遊びながら自然に吉田拓郎が身につき、また気まずい雰囲気の親戚の法事のひとときも笑顔で盛り上がることでありましょう>ありえねーだろ
そもそもご本人は「人の人生をゲームにしてんじゃねぇぞ」とものすげー怒るに違いないし、実際失礼なことでもある。しかし、この双六の道のりに、私らも多かれ少なかれ、自分の希望と人生を賭けたのだ。ファンとしては自分の人生とも重ね合わせ、これほど涙ぐみ胸に迫る双六はありますまい。
それに私らファンと拓郎の生きざま双六にあがりはない。果てしなく続き、倒れたところがあがりなのだ。>富澤一誠かっ。
■ 2018. 10. 14
「ザ芸能プロダクションの社長さんたちにも日参する生活を決断した」「渡辺晋さんや田邉昭知さんにはかわいがってもらい勉強もさせてもらいました。このお二方には足を向けて寝られません。」
これまでなんとなく自分は、そういう拓郎に不満で泉谷しげるは「言ってることとやってることが違うじゃねぇか」と啖呵を切ってフォーライフを脱退したのだと思っていた。
しかし、2017年の7月NHK「ごごナマ」に出演した泉谷しげるはこんなことを言った。
「(四人で設立したフォーライフについて)本当は吉田拓郎という天才の作ったものですね。彼のものですね。」
「彼のすごいところは先輩たちに対する尊敬の念があるという。割と無軌道に体制に逆らってとか歌謡界に逆らってやってるように見えるんだけどそれはあくまで表向きで、先輩やミュージシャンに対する尊敬が凄い。」
このことから次のようなことがわかる。
・吉田拓郎は芸能界の先達たちに心から尊敬と敬意を抱いていた
・泉谷しげるはそんな拓郎を「凄い」と評価していた
泉谷しげるは、芸能界と礼節をもって接する拓郎が不満だったのではなかった。
しかし、続けて泉谷はこんなことも言った。
「彼が社長になっちゃう。ミュージシャンが”会社ごっこ”…だったらいいんだけど本当の会社になるにはミュージシャンもやって会社をやるというのはいかがなもんかという感覚があった。社長になるんだったら辞めろと、歌手を。」
ここから思うのは、
・拓郎は「会社ごっこ」と言われるのが辛かったと報知のインタビューでも語っていたが、泉谷は吉田拓郎の社長業が「会社ごっこ」なんかではない必死なものだとわかっていた
・でもそんなことしたらミュージシャン吉田拓郎が終わってしまうと思っていた
ということではないか。
世間的には拓郎と泉谷の大喧嘩のように取り沙汰されたが、そこには泉谷の拓郎への愛がある。
また泉谷は別のインタビューで何度か述懐する。
「フォーライフを脱退する時、吉田拓郎一人だけが辞めるなと言ってくれた」
拓郎には拓郎の泉谷への愛があった。
もちろん、こんなのはシロウトの憶測で実相などは結局わからないが、この二人は、そういうお互いの愛を言葉ではなく、言葉の行間でしか語れないのかもしれない。
…などと例によってイカレタことを考えながら、1996年9月のスーパーバンドのオープニングを観た。小田和正・泉谷しげる・吉田拓郎、三人並んでのアカペラ「君に会えてよかった」。カメラが後ろに回ると拓郎は泉谷の腰に手を回しており、泉谷は拓郎の背中に手をそえる。何度見ても胸が熱くなる。
音楽で語るというのはこうことなのかもしれない。
■ 2018. 10. 15
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
吉田拓郎です。
<名古屋ライブありがとうございます、サンデーフォークにも感謝、ひつまぶしの差し入れのおかげかという投書>
天むすだよ(笑) 食い物で動く吉田拓郎か。サンデーフォークは関係ない。イベンターの忖度ではない。今回は名古屋に行ってみようと吉田拓郎が思ったからだ。
<名古屋当確、センチュリーは自転車で行けるという投書>
自転車で来るな。燃えるものがない。徒歩で来るとかもダメだな。何かを乗り越えて来てくれよ。
たとえば沖縄だと沖縄時間があって、時間にルーズ。6時30分開演だと6時40分くらいに集まってくる。15分前には、いや30分1時間前にワーッとなっていて欲しい。
<宇都宮は楽しみにしている、夫にそれなりに退職金が出てそれでゆくという投書>
是非来て。
<全公演について日程を教えてほしい。そこに向けて調整が必要という投書>
今は言えないが、そのうち言います。イベンターがドーンと発表したいのを差し置いて小出しなので。もうすぐ言うから。この番組を聴いていれば大丈夫。
さて三か所目、宇都宮、名古屋。どうだろう東名高速をつま恋方向に向って走る。
よくコンサートのリハとかつま恋に走ったものだ。そこからもうちょい東名高速走ったらどうなる?でも名古屋じゃないんだ。わからん男だな。わからんだろうか。浜松だよ諸君。「アクトシティ浜松」日時はまだ言えない。
今日はスタジオに黄色のテレキャスターが置いてある。小さなアンプも持ってきた。 こんな音がするんだ(実演)。♪"WAS There a House in New Orleans They Called The Rising Sun朝日のあたる家"を弾く。いいねぇ
来週当選発表のテレキャスター、これ一度しか使っていないから新品同様。ネックにTAKURO YOSHIDAと刻印してある。知らなかったよ、特注なのに。
テレキャスターとは何なんだという人のために。フェンダーとギブソンという二大ギターメーカー。どちらも今大変らしいけれど。フェンダー社のギターにテレキャスターというのがある。桑田圭祐とか小田和正とかが遣っているが、小田は弾いてんのかな?持ってるだけじゃないか(笑)。海外ではブルース・スプリングディーンが使っている。これに対しギブソンでは、ストラトキャスターというのがあり、こっちはエリック・クラプトン、ディランも使っている。
僕はもともとはギブソン系だったけれど、東京に来てエレックの人が、カントリー出身の人なのでテレキャスターをすすめられ、ライブ73とか、そこからテレキャスター党になってしまった。今は、白のストラトもあるけれど。しかし、見ていると惜しいなぁ、いやだな、あげたくないな(笑)。来週発表だ。
長いラジオ生活で、そこから曲が何曲か生まれた。春だったね(弾く)、せんこう花火(歌う)、詞を書いて送ってくれる女の子がたくさんいた。どうでしょう。詞を書いてみないか。僕が曲をつけて、次のライブやアルバムで歌ってみる、そんな詞を書いてみないか。おっさん、おばさんは鋭い発想が鈍っているかもしれないけれど。
先日、とある食事会があって、上海カニを食べた。某作詞家の話になって、もう一度その作詞家にも詞を書いてみないかといって今度作ってみようかと思う。
で、みなさんもどうですか、詞を書いて、そしたらいい曲つけてあげるからさ。
テレキャスターが大好きな吉田拓郎のラジオでナイト
■テーマ
ライブの話しているけど 宇都宮 浜松 名古屋と発表したけれど、コンサートの曲も何十曲か…40曲くらい候補があって、武部・鳥山と食事をするので話てみようと思う。
ステージでやっていない曲も何曲か考えている。
一番目の曲目は何かというのも面白い。僕は決めている。今度こそこれだという曲がある。この番組のベストテイクのなかでこれだなという曲がある。そして最後の曲は何がいいんだ。みなさんのリクエスト、一曲目とオーラスの曲を募集します。「落陽」「人生を語らず」でも。いつも演奏してるけれど、これはストーンズで言えば「サティスファクション」はどうしたって聴きたいのと同じ。それから「春だったね」もやりたい、というかこの曲から離れられない。
今週のリクエストは、後のコーナー「勝手に選ぶ日本の歌50選」の「き」の五位原田真二のキャンディー。こういう身近な歌を忘れていた。
原田真二をフォーライフに入れて、僕と陽水と原田真二がライムライトで原田真二を前に音楽談義をしていた。「どういう音楽を目指すんだ」とかプロデューサーとして先輩風を吹かせて。少し酔ってきて、たぶん陽水も、二人して「かわいいなぁ」と思った。男が男を好きになるかわいらしさ。そのとおりだった。
M-1 キャンディー 原田真二
■勝手に選ぶ50選
「き」
・北の宿から 都はるみ
・君いつまでも 加山雄三
・傷だらけのローラ 西城秀樹 (♪ローラ歌う)
・昨日今日明日 井上順
>阿久悠と都倉俊一の名曲
・霧にむせぶ夜 黒木憲
>子どものころよく聴いた
M-2 霧にむせぶ夜
>好きだっな
・京都の恋 渚ゆうこ
>あったね京都関係(笑)
・君こそわが命 水原弘
>ああ、あったね。「三人ひろし」、守谷浩、井上ひろし、かまやつひろしだったのが、
水原弘が出てきてとってかわられたと、かまやつさんがよく話していた(笑)
・君は天然色 大瀧詠一
・CAN YOU CELEBRATE? 安室奈美恵
>これはみんな知ってるよね
・きつね狩りの歌 中島みゆき
>申し訳ないが知らない。このタイトル((笑))
M-3 キツネ狩りの歌
>へぇ、ファンに申し訳ない。すげータイトルだけでまいった
5位 キャンディー 原田真二
4位 キラキラ 小田和正
3位 キミは天然色 大瀧詠一
2位 危険なふたり
1位 今日までそして明日から
これが嘘っぽい。せめて「金曜日の朝」だろ。そこんところのセンスが駄目だな(笑)もう怒ってるが。マイフェイバリットでさんざんいろんな曲きかせただろ。みんな、いい大人になれないぞって、もうオトナか。
今日は、「 禁じられた恋」森山良子。広島時代、楽器屋でレコードコンサートのDJをやっていた。その時に、この曲があった。他には、中山千夏 あなたの心に。♪水洗トイレなら ひとりで座っていたいないつまでも と替え歌を歌っていた。
森山良子、いい声してるな。東京ではカレッジフォークの女王といわれていたけれど、カレッジフォークが好きじゃなかった。なんだよと思っていた。
後に東京に出てラジオ関東の森山良子の番組にゲスト出て、あんときに恋をしなくてよかったと思った(笑)
それでは
M-4 禁じられた恋 森山良子
■提供曲
今週は、また、僕がこう思うよといったらもう忖度した。よしだそんたくろう。もう言うがままだな。
5位 六本木レイン 研ナオコ
4位 君住む街 杉田二郎
3位 いつか街で会ったなら 中村雅俊
2位 メランコリー 梓みちよ
1位 風になりたい 川村ゆうこ
しつこいね。
もう一度僕のキモチを言うぞ。 僕は1位はメランコリー、2位 襟裳岬、3位やさしい悪魔そして4位に六本木レイン5位たどり着いたらいつも雨降り6位いつか街で会ったなら7位は”ドンファン”、8位がルームライト、9位が我が良き友よ、10位が「君住む街」 選ぶ気持ちも考えろ。
■マイフェイバリット
フランスのアランドロンの話をした。かつてフレンチポップス、イタリアのカンツォーネが日本でヒットした時代があった。シャンソンとかがロックの影響で消えていった。
ジャンニ・モランティとかつい最近亡くなったシャルル・アズナブルとか。広島時代、放送局RCCのアナウンサーがいて、その人がシャルル・アズナブルに惹かれていたので、アルバムを買って届けたことがあった。イキなことしますね(笑)
M-5 夢みるシャンソン人間 フランス・ギャル
M-6 甘い暴力 ジョニー・アリディ
大学でフランス語選択したのにわからない。この映画は、エルケ・ソマーが色っぽかったんだ。
M-7 雪が降る アダモ
雪が降るは、訳詞はZUZUだったんだね。アダモを聴いて森進一だと思った。逆か。
M-8 アイドルを探せ シルビー・バルタン
彼女を観に映画館に通ったものだ。♪ドセ〜の意味がわからない(笑)。
かわいらしさがあった。
M-9 オー・シャンゼリゼ ジョー・ダッサン
どうしてこんなにフランスの曲がなくなってしまったのか。カトリーヌ・ドヌーブは時々見るけれどジャポール・ベルモンドとかは見ないね。
M-10 愛の休日 ミッシェル・ポルナレフ
好きな人は多かったが、僕はだめだった
■エンディング
・提供曲 来週発表
・日本の歌50選 「ヤ」「す」「た」
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆浜松か。ハラショ。いいぞ、いいぞ。浜松→名古屋のこの感じ。ロード感がみなぎる。浜名湖のウナギが、名古屋でキザまれて、ひつまぶしになるようなこの進捗感。なんだそりゃ。いよいよだ。みんなCARAVANの始まりだぜ。
☆個人的にも浜松は思い出の地。2年間を過ごした青春の故郷、エイジツアーとアローンツアーに行ったが、あの頃は、まだアクトシティ浜松はなくて、浜松市民会館であった。それこそバネの軋む椅子だった。
☆しかし、いいのか、沖縄時間のことをそんなに言って。自分はどうだったんだ@沖縄
☆しょせん当たらないし、オレには関係ないよと思っていた「黄色いテレキャスター」だが。実際に音をああやって聴かされて、TAKURO YOSHIDAの刻印ときたら、魂の底から欲しい、すげー欲しいって、今ごろかよ。
☆それにしても本当に順位が拓郎の言うがままになっている。これじゃ投票というより、拓郎が自分で決めているのと変わりない。はっ、もしや当選者は吉田拓郎さんですといってギターを持って帰るのかっ(爆)
☆詞か。詞にしても、一曲目とラストにしても、送ってもきっと御大にさんざんセンスないと罵倒されるのが目に見えているので(T_T)
☆森山良子「禁じられた恋」。小学校2年の時、遊びに行った川崎のプールで、歌番組の収録で彼女かこの歌を歌うのを聴いた。「今日吉田拓郎があるのは」と思うと感慨深い。しかし、その時森山良子は思い切り口パクだった(爆)。生まれて初めて、ちょっと大人の事情を覗いてしまった気がしてショックだった。だから私は小中学生のころ、森山良子のことをずーっと口パク女と心の中で呼んでいた。つづく。
☆シルビー・バルタン。この名前を聞いて、ある世代は歌手とはまったく違うものを思い浮かべる。「話ハ終ワッタ。我々ハ地球ヲモラウ」。いみふ。
☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆
「"今日までそして明日から"より"金曜日の朝"を選ぶセンスを持て」
御意。御大あなたのライブ選曲もな(爆)。頼むぞ(涙)。
■ 2018. 10. 16
ラジオでナイトの第76回の日本歌の50選で吉田拓郎が自ら選んだ「禁じられた恋」を聴いた私は突然過去の思い出にトリップする。まだ小学校2年の時、川崎のプールに遊びに行ったとき、そこで(たぶん)お昼のゴールデンショーの収録で「禁じられた恋」を歌う森山良子を目撃したことがあった。ボートに揺られながら♪きーんじられてもーと歌っていた。しかし、森山良子は明らかに口パクであり、私はオトナの世界を覗きみてしまったかのようなショックを覚えたのであった。
(本文)
昨日「口パク女」と書いたが間違いなのでお詫びして訂正する。当時しかも小2で「口パク」なんて言葉は知らない。正しくは「ウソ歌女」だったと思う。>その方がお詫びが必要だろ。
それから幾年。小2だった自分も大学生になった1980年10月4日、新宿西口のまだ都庁が建っていない広場にいた。ニューヨーク姉妹都市記念イベントの一環で吉田拓郎・渡辺貞夫・森山良子のジョイントライブを観にいったのだ。もちろん私のお目当ては世界のナベサダだ。ああ、もちろん嘘だ。
そこのファーストステージで、私はほぼ最前列の間近で「ウソ歌女」と再会したのだ。バンドは原信夫とシャープ&フラッツだった。
客席にはニューヨーク関係の人々も多かった。だからだろうか、彼女はMCの時に、曲名は思い出せないけれど、アドリブでアカペラのままゴスペルを歌ってみせたのだった。口パクのウソ歌ではない。生粋の生歌だ。まーそれはそれは、すんばらしいを超えて、そのふるえるような美しい歌声が、そのまま新宿の空に突き刺さるかと思った。横にいた見ず知らずの黒人青年が拍手しながらハラハラと涙を流していた。私も泣きそうだった。
そして、そのまんま突き通るような美声で「歌ってよ夕陽の歌を」をこれまた見事に歌い上げてくれたのだった。たまらん。落ちた。
もちろん私はずっと「ウソ歌女」と思ってきたことを心の底から恥じた。ごめんなさい。なのでそれ以来、森山良子さんには失礼のないように生きようと心掛けている。なーんの接点もないけどさ。最近とんねるずが森山良子さんのことを「ザワワ」とか言うたびに、おめーら失礼なんだよ!と怒りを禁じえない。もちろん「ウソ歌女」のほうが格段に失礼なのだが。自分の事は棚に上げて。
■ 2018. 10. 17
■ 2018. 10. 18
しかしだ。21世紀の今でも事務所を独立してモメてホされて…が日々繰り返されるこの国で、デビュー5年に満たない若者が、レコード会社を作っちゃうんだぜ。どんだけ凄いんだよ。
子どものころから大好きだったケストナーの「飛ぶ教室」のまえがきを思い出す。
「かしこさのともなわない勇気は、不法です。勇気のともなわないかしこさは、くだらんものです!世界史には、ばかな人々が勇ましかったり、かしこい人々が臆病だったりした時が、いくらもあります。それは正しいことではありませんでした。 勇気のある人々がかしこく、かしこい人々が勇気をもった時、はじめて人類の進歩は確かなものになりましょう。」
直接的結果はどうあれ、あのとき「私たちに音楽の流れを変えることができるでしょうか」という旗を掲げて決起した。吉田拓郎はかしこく、そして誰より勇敢だったと私は思う。
フォーライフは必ずや何かに繋がったし、またこれから繋がるに違いない。
「川の流れを変えて自分ものみこまれ」と桑田佳祐は歌ったが、「例えば嵐にのみこまれても歴史はそれを見逃さないだろう」と歌った人もいる。あれ、御大本人じゃん。もぉ〜天才なんだからぁ。
■ 2018. 10. 19
状況は違うが、かつてコンサートが突然中止になって不安と悲しみにさいなまれた時「祈るしかないです。コンサートの再開や成功とかではなく、あの方を祈ってください」といただいた言葉を思い出す。
なんの念力もなく、へにもならないが、遠くから御大の永遠の好敵手ジュリーとファンの方々を祈るしかない。
■ 2018. 10. 20
最初にチャンスを与えてくれた人だし、僕のひどいドラムに1年間付き合ってくれた人だし、文句は言われたけれど(笑)、傷つくようなことは言われなかったし、やっぱり絆みたいなものを感じてます。彼が感じてるかどうかはわかりませんが(笑)。(浜田省吾事典p.393)
俺は激しく感じているぜ>おめーは関係ねぇだろ
♪ドラム叩ける仕事見つけたんだ 二度とキャンパスに戻らないつもり
二人の男の人生が静かにシンクロするこの一瞬の煌き。ここがグっとくるのよ。
楽屋で一生懸命ギター練習している御大の横で、かったるそうに居眠りしているかのような浜省。先輩だからって直立不動で立ってなんかいない(爆)。二人ともなんか自由。そこがすごくいい。
■ 2018. 10. 21
御大のご拓宣のとおり、From Tであらためて「金曜日の朝」「戻ってきた恋人」という安井かずみの「エッセンスいっぱいの歌詞」の世界の味わいをかみしめる。そのエッセンスからしたたる雫のような”わけもなくここはTokyo”というフレーズ。そうくると私にはどうしても「人生キャラバン」しかない。安井かずみのエッセンスをさらに蒸留したスピリットがそこにある。どうせ次回のセットリストにも入っていまい。しかし、このまま放置されているのは、しのびないので、何度も指差し確認しておきたい。
人生キャラバン
安いホテルを出て
西に向かおう
人生キャラバン
風の時間を見つめて
目指す泉は涸れ
砂の嵐に
人生キャラバン
眠れぬ夜は 火を焚こう
炎にかざした
俺とお前の この手には
果てしない 旅が舞う
使いふるした夢
サラソ−の木を添えて
人生キャラバン
砂漠に埋めてやろう
日照りは容赦なく
紫 蜃気楼
人生キャラバン
未完の夢が たちのぼる
朝やけに 映える
俺とお前の あの空に
遊牧の 雲がゆく
人生キャラバンがゆく
道なき道を行く
人生キャラバンがゆく
安井かずみの愛したもう一人のスターであるジュリー。あの件に関して、プロの責任とか自覚とかなんとか正論を声高に論ずる声には、あまりに正論すぎて耳を塞ぎたくなる。
もちろん各自の自由だ。曲がりなりにも自らともにキャラバンをゆこうとするか、そのキャラバンの隊列を腕組みして見物し傍観しているか、そのスタンスの違いではないかと私は密かに思う。
■ 2018. 10. 22
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
吉田拓郎です。僕が過去に提供した曲のベスト10がいよいよ発表される。リクエストは1万通。この黄色いテレキャスター(“友とよべれば”のリフ)。このテレキャスターが、たったひとりに当選する吉田拓郎のラジオでナイト。
■テーマ
今週は宇都宮、名古屋、浜松に続いて4か所目。千葉県市川市文化会館。
今でも、From T の曲順の意味とかををあれこれ考えてたりして楽しんでくれているみたいだ。
その中にも入れた「風の街」は喜多條忠の作詞だ。喜多條とも原宿でよく呑んで、トランプゲームをしたりして楽しんだ。僕はこの作品が本当に好きで、他人に提供した曲の中で、特等賞をあげたい。山田パンダに書いてあげたんだけど、そこはちょっと(笑)。この詞、メロディー、そして全体からにじみでてくる良さ。今でも口ずさむ。20代の自分が浮かんでくる。原宿なくして今の僕はない。怖いもの知らずの自分が、いろんな人と出逢って、そしていずれ原宿で別れて、また出かけて行ったりと繰り返しているうちに全員が旅立った。自由を感じさせてくれる、心が自由な街だった。
作詞家の喜多條忠の詞をよく読んでいるとまさに原宿だなという詞が多い。自由奔放だった自分の姿が浮かんでくる。メランコリーにも「乃木坂あたり」という詞がある。乃木坂も当時よく遊びに行った。行きつけのフィリピンバーがあって、ママが梓みちよと友人で元宝塚だったのかな。梓みちよともよく行ったし、杉田二郎ともよく通った。今とは、風景も変わったが、ロマンのある街だった。喜多條の詞には、具体的な場所の名前が多くて、その街の姿が浮かんでくる。神田川、 妹、赤ちょうちんとか4畳半フォークといわれた歌たちは苦手だけれど、メランコリーやキャンディーズのやさしい悪魔、いつか街で会ったならとか。いつか街で会ったならも、いいなぁ。原宿とは歌っていないけれど、原宿っぽいなぁと思って聴いている。喜多條の詞は青春だ。先日、とある会で、あいつどうしているかなと話題になった。喜多條に逢いたいな、そして一曲書かないかと言いたい。やり残したこと、まだできる何か、あるいは原宿に残してきたものを書いてくれと言いたい。なので、会いたいなということで近々セッティングする予定だ。
若くて、無鉄砲で、ホロリとする青春。
あえて山田パンダで聴く
M―1 風の街 山田パンダ
■CM明け
さて11236通の応募を集計した。途中でいろいろ違うと言ったので随分変わってきたが、いよいよ発表。必ずしも納得しているわけではないが。
10位 ああ青春 トランザム
いいねぇ好きだよ。トランザムの演奏がいいよね。これはドラマ「俺たちの勲章」の音楽の劇伴として、松田優作のテーマ、中村雅俊のテーマ、メインのテーマということでインストで作って、松本隆があとから詞をつけた。あいつは、メロ先で詞をつける天才だけど、よくあんな数え歌みたいな詞をつけられたものだ。つま恋のオープニングが、ああ青春だ。ネットでは、誰それから頼まれたとあるが、それは嘘で僕が松本とやった。
9位 歌ってよ夕陽の歌を 森山良子
いかにも岡本おさみという詞。結構字数がきちんとしていた。良子ちゃんと呼んでいるが付き合いは古い。よくしてくれた先輩の一人で、たびたびゲストに呼んでくれた、冷たくされた人もいたけれど、この人にはお世話になった。
8位 ああグッと 近藤真彦
やったね。泣きそうになりながら何度も言ったでしょ(笑)好きなんだよ。
7位 襟裳岬 森進一
いいなぁ。いいよ、我ながら。詞、メロディー、歌。このプァーというトランペットは不朽だね、
<ずばり襟裳岬。ジーンズ姿で授賞式に出席し、作曲家吉田拓郎を知らしめた、拓郎さんのリーダーシップによって、詞・編曲・歌がここまでのものになったという投書>
当日何を着ていくか悩んだね。ファッション気に掛ける人じゃない。かつて上がジュンで下がバンと笑われた僕だから。
いろいろ悩んでメンズビギのスーツとジーンズを用意して、でもジーンズでいいやと行ってしまった。浮いたね(笑)。みんな黒のスーツタイの中で恥ずかしかった。またステージに上がるとまた浮いていること。懐かしい思い出だ。岡本おさみもよくぞ書いた。
6位 メランコリー 梓みちよ
いいなぁ。喜多條の詞も「腕から時計外すように」なんて、あんな顔してるのにね(笑) 朴訥とした男なのに。緑のインクなんてね。
<メランコリーはカラオケで歌っている、大好きな歌で、緑のインクを探したこともあるという投書>
5位 いつか街で会ったなら 中村雅俊
いい曲だな。喜多條だな。原宿を思う。今の原宿に行っても何も思い出せない。どこですか?という感じで何も感情が湧かない。渋谷とかも。新宿、四谷三丁目あたりはかつての居場所だったけれど、何も浮かばないし。街は、変わっちゃうんだな。
4位 我が良き友よ 吉田拓郎
いいなぁ。違う感じで我が良き友よを思う。これは広島の応援団にいた男をモデルにしている。こういう男だった。バンカラでおっさんくさい同級生。
ムッシュがハマったな。最初は抵抗あったみたいだ。なにせロックンローラーとしては。つま恋2006年で、歌ったのが思い出深い。
<我が良き友よ、今でも送別会などで歌う、歌っていると声が詰まりそうになる、特に 今の暮らしに飽きたら二人でのところ、AKIRAと同じものを感じるという投書>
かまやつさんと知り合って、安井かずみを紹介され、六本木で遊ぶようになって原宿を卒業した。
3位 たどり着いたらいつも雨降り モップス
これは、♪好きになったよ女の娘、だった。ヒロミツから電話を貰って頼まれて、よしと詞を書き換えた。あの時代でこの演奏が素晴らしい。ギターは星勝かな。凄いな。後に陽水と一緒にやるけれど。あの時代にこのサウンドが出来たというのが凄い。後に広尾のちゃんこ鍋屋で、よくヒロミツと会ったけれど、あの店なくなっちゃったな。この曲なんて、しばらくライブで演奏していないが今度どうだ。
2位 風になりたい 川村ゆうこ
<拓郎さんの「俺は風のように生きていたい」という言葉に感化されたが、最近NHKの特番で「風のように行きたいなんて言ってたこともあった」というタイトル、コロコロ変わってしまう人なのでショックではなかったが…という投書>
ははは(笑) オレは、カタチから入る人。「風のように生きたい」と言うべきということで当時言ってしまっている。
まだ売れていない頃、女の子たちと話していて「風のように生きて、歌って」と口癖のように言っていた。でも、風のようにって、どういう感じかわからない。このラジオは、嘘をつかないからいうけれど、風のようにって僕はわからない(笑)。
奥さんに恋愛中に、俺はキース・リチャーズのように生きたいと言っていた。風のように生きている風があった。しかし、一日に何度か血を入れ替えているらしい。生きているといろいろな影響を受ける。風ではなく、ずっと風邪ひいていた。風邪をひきやすい(笑)
1位 やさしい悪魔
奥さんに提供曲の話をしたら、彼女は「やさしい悪魔」をあげた。「いいセンスしてんじゃん」と言ったら頭をひっぱたかれた(笑)。僕も大好きです
<清楚なキャンディーズが大胆に変身したのも凄かった、ネットを読んでたらレコーディングでは、蘭ちゃんが、歌えませんとか、わざと歌唱指導したいがために難しい曲を書いたと書いてあったという投書 >
そんなことない。歌えないなんて言っていない。彼女らは素晴らしくて、そんなこというわけない。それにこの曲はむずかしくない。スタジオも楽しかった。
■CM明け
黄色いテレキャスター久留米市の方。石野真子「狼なんか怖くない」をリクエスト。おさるのジョージテーマ色のカラー、白いエレクトーンの横によく似合うと書いてある。
おめでとうございます。あとの11235人の方残念でした。
■エンディング
・久留米市ギター送るのか。
・一曲目にやって欲しい曲
・ニッポンの歌 や す た
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆祝、市川決定。前回の経験で、前飲みも後飲みも決まっている。既に準備万端だ。あとはチケットのみ。それが一番の問題だ。
☆11236通とは凄い。テレキャスターご当選の久留米の方、おめでとうございます。ちゃんと置き場所も含めて受け入れ態勢が整っている方のようで、それも良かった。きっと仲良しの黄色い帽子のおじさんも喜んでいることでしょう。
☆どの曲も何十回、何百回と聴きこんだ曲だけれど、こうしてズラリと聴くと、御大ならずともいいなぁと思う。この至福感。御大のメロディメーカーとしての力量をあらためて感じる。誇らしいぜ。
☆トランザムのああ青春。すんばらしい。テレビのインストと歌唱付は、イントロのビアノの最後の一音が違う。イントロ当て早押しクイズの大事なポイントだ。どこでやってるんだ。
御大は、ネットで松本隆のメロ先を誰かが頼んだとかあるのは嘘だとおっしゃったが、まさかこのサイトのことではないとは思うが……この話は深く静かににつづく。なんだそりゃ。
☆森山良子 あの時のウソ歌女の生歌も超絶良かったが、こうして原曲もあらためていい。今日吉田拓郎があるのは森山良子のおかげである。ということは私にとっても恩人である。
☆近藤真彦 ああグッと 何年か前のライブで、ラストナンバーに歌ったんだよね。大事にしてくれてるのだなと感激した。感激しといてなんだが、やっぱ御大の歌唱がいい。リメンバー東京ドーム。
☆森進一 襟裳岬 ジーンズ姿もさることながら、厳粛かつ感涙むせぶ授与の時、ヘラヘラ、クネクネしていた御大が忘れられない。それはそれでカッコイイと思った。
☆梓みちよ メランコリー 喜多條忠、もし伝記ドラマにしたら遠藤憲一がいいのではないかと思う。
☆中村雅俊 いつか街で会ったなら 御意。あの当時の壇ふみを思い出す。
☆かまやつひろし 我が良き友よ AKIRAと通底しているというメール投稿者さんいいね。確かに、フォークの世界から連れ出しくださった偉人のお1人だと思う。
☆川村ゆうこ 風になりたい 「風のように生きる」という投稿者さんの話がいちいち身にしみておかしくも切ない。まったくだ。どうすれば風になれるか、真剣に考えていたあの頃。
☆キャンディーズ やさしい悪魔 奥さんは御大の頭をはたくのか(爆)。いろいろ言ったのはたぶん小室等だ。アンドゥトロワとこの曲の作曲者ということで、高校の時は、周囲の理解を得ることが出来たものだ。誇らしき1位。
☆1万通も来たのなら是非圏外の「もうすぐベストテン」とか「かけるわきゃねぇだろう単独意見」とかの紹介も欲しかった。
☆ だから何度でも言う。提供曲全曲BOXをお願い。
☆☆☆☆星紀行今日の学び☆☆☆
どうやら今の風は、「風街」の松本隆から「風の街」の喜多条忠に吹き始めたらしい。「の」の有無でまた世界はガラリと変わりそうだ。
■ 2018. 10. 23
でも嘘を書いたつもりはなくコンピレーションアルバム「風街図鑑」のライナーノーツで松本隆はそう書いていたのだった。
歴史の事実とは難しいものだ。恩師のかつての言葉を思い返す。
「世の中の全ての事実は、時間の経過とともに消えて無くなります。でも、事実は消えても、一度存在した以上、必ず何らかの痕跡を残します。大きな痕跡を残すこともあれば微細な痕跡のこともあります。そんな痕跡のカケラをていねいに拾い集めて、あれこれ苦闘しながら過去の事実を再現しようとする営み。それが証明です。」
しょせんはワカラナイにしても、さまざまな痕跡の破片を眺めながら、松本隆、拓郎のどちらかの記憶違いなのか、いや拓郎の名代として後藤由多加が松本隆に依頼したのか、あるいは松本隆と吉田拓郎とともに後藤由多加も同席してアイデアを出したのか、かけがえのない名曲「ああ青春」の出自、誕生の瞬間にあれこれ思いをめぐらす。嬉しいじゃないか、ワクワクするじゃないか。その光景をあれこれと考えるだけで至福を感じる。
吉田拓郎の真実には永遠にたどり着けない。拓郎からみれば、その意味ではネットは嘘ばかりかもしれない。しかし、届かぬ吉田拓郎の真実を求めようとさまよう私たちの営み、そこにはホントか嘘かとはまた別の何かがあると思う。吉田拓郎のさまざまな痕跡の破片を拾いあつめて温めあおうではないか。
■ 2018. 10. 24
しかし例えば「赤いスイートピー」も、そして当然「イエローサブマリン音頭」もメロディー先行だと知る。すげえ。個人的には「赤いスイートピー」より伊藤咲子の「乙女のワルツ」の方が100倍泣けるのだが、あれだけ隙なく無駄なく繋がった詞をメロ先の制約のもとで描けるとは驚きでしかない。
「イエローサブマリン音頭」に至ると大瀧詠一は「松本の最高傑作。才能のある人はああいうところに真価がでる」と賞賛していた(きくち伸「楽屋でインタビュー」p.167)。 あれ?なぜ私は、大瀧詠一を引用して、しかも松本隆を絶賛しているんだ。気がつくと風街帝国に囚われている自分がいる。
ということで話は戻って、ああ青春をインスト→つま恋75→篠島→一瞬の夏と聴きなおす。
「数え歌」という全力でダサくなりそうなプロットを、よくぞここまでの名曲に仕上げたものだ。すごいぞ、マツモト・ヨシダ シェイビングアイス。
インストだとサビのアーアーアーと言ってるメロディーに「ああ青春は燃える陽炎か」という硬質の言葉をあてがう。するとホントに詞とメロディーがガチでぶつかってスパークするのが目に見えるようだ。かくして稀代の名フレーズができあがるのだ。よし、これが次の一曲目だな。だって6曲目とかに出てきても困るし。
そうそう、昨日の松本隆のライナーノーツの付いたCD「風街図鑑」所収の「ああ青春」の音源は、75年のつま恋なんだよ。たぶんCD音源化したのは、当時、これが初だと思う。しかも「朝までやるよ」のMCまで入ってるんだわ。やられた。完膚なきまでやられた気がする。今日はこのくらいにしといてやらあ。
■ 2018. 10. 25
Uramadoのメランコリーにも書いたが、喜多條忠がテレビで語ったメランコリー誕生秘話は何度思い出しても泣けてくる。
「松本隆が忙しいからおまえに頼もうと思ったが、やっぱりお前には無理だな、いいや帰れ」
何であろうといったいこの世にこんな「依頼」の仕方があるだろうか。あっていいのだろうか。私たちはとんでもない人のファンであることに気づく。
しかし完成後、わざわざ新幹線の中のまで電話で追いかけてきてメランコリーの詞を激賞する吉田拓郎。もう喜多條忠ご本人のみならずこっちももらい号泣してしまう。
ラジオでナイトでも拓郎は「喜多條、もう少しいい詞を書けよ」と放言をカマしていた。しかし、ここでも最近ネットで知った「Club Willbe」のサイトでの残間理恵子の喜多条へのインタビューに思わず涙してしまう。
「喜多条、おれはおまえのためになんでもしてやる」という御大の言葉に打ちのめされる。こんなことを他人に言える人間がこの世にどれだけいようか。
とんでもない失礼な依頼も放言も、すべては吉田拓郎の海よりもまだ深く、空よりも青い愛があってのことなのだとあらためてわかる。何もかも愛ゆえのことだったのだと。やはり、私たちはとんでもない人のファンなのである。
かくして作詞喜多条忠、作曲吉田拓郎という二人の共作がまた生まれるのだろうか。身もだえしながら待つしかない。しょせん一般Pの私だ、失礼を承知で言わせて貰う。
「喜多條、いい詞を書けよ」「御大、あんたもな」
エラソウに言ってるのではない。涙溢れながらの心の叫びである。
■ 2018. 10. 26
ドンファン→♪レミーマルタン薄めてはプレイガールたちの輪の中で踊る
ダンディー→♪ ジンの瓶逆さにひとしずく飲み干し〜酔いどれダンディー
レミーマルタンで既に勝負あったのだが、酒瓶の逆さ飲みが切ない。私もやる必ずやる(爆)
ドンファン→♪あなたが衿に飾るのは紙で作った花だったわね
ダンディー→♪貧しい俺でも 背広はホワイト〜パナマの帽子を
ああ、いつのファッションなんだ、思い切りダセぇーぞダンディー。しかも
ダンディー→♪僅かな金だけじゃ人生は買えない
って思い切りトドメを指すような松本隆(爆)あんまりだ。喜多條忠ならキャベツかじっておでんを食べてくれるのに。なんだ、歌う階級闘争か。
ということでダンディーは切ない男の詞であるが、そこに、あてがわれた哀愁を含みつつカッコつけようという男の悲しい心情が見事に表現された吉田拓郎のメロディーがすんばらしい。いい曲だぜ。もちろんやさぐれ感をにじませる大野真澄のボーカルも秀逸だ。
それにもかかわらず作品としても「ダンディー」は御大が推奨する「ドンファン」と違ってまさに崖っぷちに立っている。「フォーライフ・クラッシックス」というオムニバスCDに再収録されたが、それも5年くらい前のハナシだ。
崖っぷちに立つダンディー。この曲も今年で40周年だ。ラジオでナイトの提供曲ベスト10は良かったが、崖メロ探検隊としては、こういう陽のあたらない坂道を転げてゆく曲を放っておくまいという思いを新たにする。
■ 2018. 10. 27
あの時生まれた赤ちゃんが不惑の歳になっている。なんてこったい。
この貴重なひとときを僕達は何かをせずにはいられない。
「ローリング30」発売40周年記念
転石40年苔むさず
a rolling stone gathers no moss for 40years
SIDE0 「ローリング30」とは何だったのか
☆2LP+1
発売日前日の夕方、もう納品されているはずだと高校の帰り道に蒲田のレコード店に押しかけて、お店の人が段ボール箱から出しているところを奪い取るように買った。帰り道にアルバムはずっしりと重かった。あの重さが忘れられない。前代未聞の「2LP+1」帯には「先着10万名様にポスタープレゼント」。って、そのポスター六つ折に畳んで入れやがったことも忘れないぜ(爆)。くっきり六分割、パネルクイズみたいになっていて、児玉清かよ。
2枚組オリジナルアルバムというと、ビートルズの「ホワイトアルバム」、ボブ・ディランの「ブロンド・オン・ブロンド」、ローリングストーンズの「メインストリートのならずもの」、スティービーワンダーの「キー・オブ・ライフ」という数々の栄光の名盤たちの系譜に連なる。しかも、一枚シングル盤がついてるわけで、そうすると……あらら御大、アンタ世界一だよ。
☆砂かぶりで眺めたmaking
セイヤングでは製作過程が報告されていた。アルバムの完成プロセスを間近で眺めるという機会はあまりない。まぐろの解体ショーくらいか。なんという雑な喩。
1978年6月ころに松本隆と常冨喜雄とサイパンに珍道中。「松本隆と吉田拓郎がお互いの人間性を確かめ合うミーティング」だったらしい。たぶんこの時に、ジャケット撮影か。葵海の底はナマコでいっぱいだったらしい。砂浜に寝そべって「海岸○○運動」のちに「地中海遊び」に名称変更。
確か、まだこのころはオリジナルの2枚組アルバムになるとは決まっておらず、一枚はオリジナルもう一枚は秋のライブ(弾き語り)の2枚組みにするとか言っていた気がする。
8月に箱根ロックウェルスタジオからの生中継。ハイペースで曲を作ってはレコーディングするという怒涛の進行状況が盛り上がっていた。生歌やインタビューや石山恵三の「うるせぇバカ」が箱根の山を越えて届けられた。作品が揃いはじめ、これは2枚組はいけるぞという空気が番組にも漲っていた。
9月、東京メディアスタジオのレコーディングも快調な様子だった。結局LP二枚組にも入りきらずシングル盤をプラスするという驚きの発表。
From Tと同じだ、早くこのアルバムを届けたい、ローリング30を感じて欲しいと御大は毎週盛り上がる。
そしてついに11月21日発売となる。その日は「小室等23区東京旅行 目黒区民センター」の日で吉田拓郎がゲスト。私と後に知り合ったK氏は、そこで初めて弾き語りの「外は白い雪の夜」を感激の中で聴いたのだった。
☆どんな時代だったのか、それは寂しい時代だったのよ
そもそもなんでこのアルバムにこだわるのか。やはり時代背景とは切り離せない。フォーライフの経営危機のため、社長として再建業務に奔走し人員整理までさせられて忙殺される吉田拓郎。そのアーティストとしての不在はファンにも超絶淋しいものだった。その間に、若手世代ミュージシャンが台頭、たちまち吉田拓郎は過去の遺物扱いとなった。
フォーライフも、泉谷抜ける、陽水捕まる、拓郎中小企業のおやじになる、小室等は(略)…ということで、見渡すとニューミュージック、ロック、アリス、めぐる季節、ハンド・イン・ハンド、拓郎はもうダメになった@富澤一誠、などなど周りは敵ばかりになってしまった。吉田拓郎ファンは肩身の狭いツライ日々を生きていたのだった。
その中にズシリと登場したこのアルバムがどれほど私たち、いや、もういい私を感動させ勇気付けてくれたことか。心の底から誇らしかった。ため息をつきながら何度も聴いた。聴いても、聴いても新曲が続くアルバムというものを経験したことがあるだろうか。それは拓郎ファンだけに与えられた僥倖である。あ、「吉田拓郎の唄」の入った某アルバムを思い出しかけたが、思い出さないことにする。
そしてこのアルバムは、まさに吉田拓郎の現役復帰の礎となったことは間違いなかろう。
☆どうして凄いのか
このアルバムの凄さの所在は、人によってそれぞれ違うかもしれない。個人的には、私がひとりで喜んで使っている、異質なものが撚りあって一本の縄になるという「向田邦子理論」が、このアルバムでも発揮されているところだ。
「吉田拓郎」と「松本隆」という異質な才能がまさに撚りあって出来上がった作品群。そして「箱根ロックウェルチーム(石川鷹彦・島村英二・徳武弘文・エルトン永田・石山恵三)」と「東京ほぼティンパンアレイチーム(松任谷正隆・林立夫・鈴木茂・後藤次利)」らの競作のように拠られているサウンド。
そうして出来上がった強靭な縄は、40年経っても色あせていない。
松本隆は、「MUSIC MAGAGINE 2016.7」でこう述懐する。
「『ローリング30』は、3,4曲を除いて後は捨て曲だと思っていた、はっきり言って。そしたら彼は何十年も引きずってライブやるたびに必ず歌うわけ。作ったのを忘れたようなものまで、スポットライトをあてるから、全部生きちゃったわけよ。あんなアルバムないって。ボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』だってあんなにていねいにやっていないよ。あいつのしぶとさを僕は尊敬する。」
えっ、捨て曲ってか。言いおったな松本隆。しぶとくて悪かったな。吉田拓郎、そしてロックウェルとほぼティンパンのミュージシャン全員が音楽の一線で40年間転がり続け、そして時代の中を転がりながらひたすらこの曲たちを愛でてきた私たちファンによって、このアルバムのすべてに命脈が与えられたのだ。松本隆よ、ねぇ眼をそらさずに、この捨て曲たちを好きって言えるか@三木聖子。くそー、これも松本隆だ。
というわけで超個人的に、明日から毎日一曲ずつ、もう一度大切にこのアルバムを愛でてゆくことにしたい。
■ 2018. 10. 28
「充分な資料の咀嚼、おちついた思索、心おきない反芻」
時空を超えて届いた言葉。私ごときには恐れ多いが、仰ぎ見る気持ちで仕事場の机の前に貼った。
「ローリング30」発売40周年記念
転石40年苔むさず
a rolling stone gathers no moss for 40years
SIDEA-1 ローリング30
早い話がこの1曲目のタイトルチューンでこのアルバムはすべてがキマリだ。重たい砲撃のようなビートに荒くれた無骨なボーカルでシャウトする拓郎。
「動けない花になるな転がる石になれ」
当時のセイヤングで、このフレーズを聴いて進学をやめデザイナーの道に進む決意をしたというリスナーの投稿があった。その心意気に共感したものだ。自分はそこまで勇敢な決断はしなかったが、それでも大きく背中を押してくれた。翌年のライブのオープニング曲だったが、それだけでなく、それぞれの極北を行く私たちの人生の前哨曲だった。
発売当時FMの森永博志の特番があって「なんでこのタイトルにしたんですか」という質問に拓郎は「意味なんかないよ、これがアルバムのタイトルに勝ってるかなと思っただけ、ちゃらんぽらんだよ。」と例によってうそぶくのであった。 セイヤングでは当初アルバムタイトルは「渚にて」とか「自由人」とか候補を語っていたが、それを思うと「ローリング30」でホントに良かったと思わないかい。
当時、ニューサーティという世代論ブームとも結びついてそのテーマとして話題にもなった。
戸井十月がプレイボーイ誌に「ふざけるなニューサーティ」と題して「吉田拓郎の唄なんかに代表されたくない」と硬派なエッセイを書いたこともあった。戸井十月や彼が信奉する中上健次ラインに憧れてもいた私は、この人たちが拓郎が大嫌いということが辛かった。拓郎も「中上健次とか、よくわかんないよ」と言っていたことがあった。
先の特番で森永博志は最後に語った。
「港に繋がれている船は嵐がきても安全だけれど港を海と思っていなきゃならない。でも纜を切って海に出ていくと沈没の危険はあるけれど新しい世界をみることができる。吉田拓郎は海に出て行って、時に沈没しそうになりながら航海を続けてゆく」
をを、さすがハードでならす森永、もっと言ってぇと身悶えした。
40年経つと、三叉路は五叉路にも六叉路にもなって自分を迷わすし、石ころにつまづくと痛みがなかなか治らない、身体と心どっちが老けたかもわからないくらい両方老けた。それでも転石の旗のもとに集いたい。
何年か前に「置かれた場所で咲きなさい」という本がベストセラーになって他人から薦められたが、内容はよく存じませぬが申し訳ありません「動けない花になるな」というのが私の宗派の教えなのでと手を合わせたものだ。
■ 2018. 10. 29
最後にヤンキー少女が、坂道を振り返りながら二人に言うのだ。「元気でな 死ぬなよ」。イッセー尾形は飄々として「いや、それはわからん」。隣で角替和枝がなんとも優しい顔で笑うのだ。たぶんこの夏の撮影だろうから、ほぼ遺作なのだろうか。このドラマを何度も繰り返して観ていたので、心底驚いた。御冥福をお祈りするとともにあの名演に感謝したい。
「ローリング30」発売40周年記念
転石40年苔むさず
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SIDEA 2 爪
一曲目で拳を振り上げ闘志が漲ったところで、突然、静かな夜の帳に放り出される。まさに電気時計のように刻まれるたぶん石川鷹彦のアコギに、泣きこぼれるようなギターがかぶる。これが徳武さんとの初めての出会いだった。って、別になんのつながりもない、ただの聴衆のひとりだが。こういうギターは誰がアレンジしたのだろうか。例によってヘッドアレンジだけで、スタジオで作り上げられていたとしたら、私には想像を絶する世界だ。ロックウェルの魔術といってしまいたい。
そして一曲目とは別人のような穏やかで、よく伸びた,しなやかなボーカルが切々と響く。あぁ、これはこれでいい声だなと思う。なんと悲しくも美しい作品世界。一編のドラマを観ているようでもある。
ともかくこの作品はこれがベストテイクでしょう。雑に勝手な感想を言えば、79年のライブは論外、王様バンドのライブは力みすぎ、AGAINは凝りすぎ。やっぱりオリジナルばい。
「愛が滑って自業自得」「君はだんだんつまらなくなる」。毒の効いたフレーズが、別れを切り出す準備をしている。Uramadoにも書いたが、本当は怖い松本隆だ。これだけ毒に通暁しているからこそ、愛の歌が描けるのかもしれない。だから、「ローリング30」の殆どを捨て曲と言ってしまえるのかも‥‥‥いーや、それだけは許せん(笑)
■ 2018. 10. 30
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
こんばんは吉田拓郎です。
(ガラスの言葉) こういうのを一曲目にやるわけはない。
コンサートが近づいてくると、曲とかステージのファッションもあれこれ考える。ところで30年間お世話になった美容院を変えた。新たなる旅立ちで勇気が要ったな。オールバックにされたらどうしようとか、躊躇していた。メンズ専用の理髪店が増えて今風の個室もある。いわゆる昔のバーバー。あったよね。床屋で前屈みで洗髪するやつ。ああいうのではないけれど、とりあえずこの歳で女性と一緒にヘアサロンにいるのはどうだろうかと思った。
どうだろうと長年ヘアメイクを担当してくれたMくんに相談したら、いいかもしれませんねと言われて、行ってみた。素敵な環境で個室で原宿の街を見渡せた。二人担当が来て、若い女の人がヘアカラー、もう一人がスタイリスト、なんとなく生まれ変わった気がした。髪型は変わらない。変えようがない。でも人生が生まれ変わったようにリフレッシュした。
次のコンサートでも、髪をセットしてもらったり、薄くメイクしてもらったりということになるかもしれない。メイクは昔濃すぎて歌舞伎みたいと言われてしまった。これからは、新しいスタッフに頼むことになる。
さて次のコンサートの一曲目を募集。たくさん来たな。
いろいろあって、そんなの絶対歌わないというのもあって、そう一筋縄ではいかない吉田拓郎。だったらメールなんて募集するなよ。
参考になるのもある。これラストにどうかなというものもあった。
ツアー、今日は新たに発表する。リハーサルのスケジュールがびっしりあったんだけど、ミュージシャンがバッテンしはじめた。理由はユーミン。武部だよ。ダブっている。
さて会場は、想像どおり大宮ソニックシティホール。ここは好きだな。思い出もある。前乗りもした、さいたまなのに(笑)
会場もコンパクトで好きだ。結局、会場に好きだ好きじゃないというのがあった。例えば名古屋市公会堂は素敵なロイヤルアルバートホールみたいなんだけれど、歌いにくい。その点、大宮ソニックシティホールはやりやすい会場だ。
<サンデーフォーク様、名古屋の差し入れは天むす、矢場町ではなく、上前津の本店でテイクアウトをお願いという投書>
サンデーフォークの社長、伊神、天むすだけじゃダメだ、ひつまぶしもな。
その他のイベンターも夜の接待大変だな。しばらくやらなかったんで、ホッとしてただろうな。九州のBEA、中国四国のキャンディ、四国のデューク。関東は家帰るから良かったね。 北海道WESS小島、東北GIP。吉田拓郎さんがくると歓迎しなきゃならいノルマがあって大変だよね。
昔は、お店をハシゴしていたから、それを接待しなきゃならない。みんなこの数年はホッとしていただろうな。名古屋頼むぞ。伊神、一週間前くらいから行こうかな(笑)。
テレキャスター当たらなかった人々、残念だったね。また何かプレゼントするかな。こうなったら断捨離だ。吉田拓郎が着たダウンジャケットなんてどうだ
<テレキャスター当選を知り2016のビデオを観ています、夫も嬉しそう、とにかく他人に触らせないという投書>
ご主人にも抱かせてあげてください。
森安ジャパン。試合の内容がいいな、ウルグアイ戦すごかった。やっぱり南野だね。顔もいいね。昔、坂崎とのラジオの時から言ってたでしょ、セレッソの南野がいいなと。サッカーは素晴らしいね。堂安とか、若い人が活躍しているのが凄い。
サッカーだけではなく、オセロの十代の少年、将棋の藤井くん、卓球の張本くん若い人が活躍するのを実感している。
あとは、ガンバ大坂の宮本監督に個人的に吸い寄せられる(笑)宮本のファッションと着こなしが気になる。ラフな感じで、ニットの下から白い手シャツが見えている。すぐ俺もトレーナーの下からシャツを出して「どうだ宮本みたいだろ」と家で言っている(笑)。
サッカー選手は、胸の張った体型だな、スーツとかイイ感じで着こなすな。野球選手とは違う。そこへゆくとバスケは、高校の頃、一番モテたスポーツだけどプロのバスケはもてないよね。サッカーはモテモテだ。南野のような全部そろっている若者がいる。あんな若者でいたかったとつくづく思っている吉田拓郎のラジオでナイト
■オープニング
日本の歌50選 「や」
・柔 美空ひばり
・ヤングマン 西城秀樹
>流行ったね
・八木節
>ははは(笑)
・やさしさに包まれたなら 荒井由実
5位 約束 渡辺徹 (M-1)
>知らなかった。徹さんは志村けんさんの番組で、一緒に六本木で飲んだことがある。
4位 柔 美空ひばり
3位 やさしさに包まれたなら 荒井由実
2位 やさしい悪魔 キャンディーズ
1位 ヤングマン 西城秀樹
「やさしさに包まれたなら」は荒井由実時代だが、すぐ松任谷と結婚してしまって(笑)、 かまやつさんと結婚初夜に熱海の旅館に押しかけて朝まで寝かさないということをやった。長いつきあいで、縁は異なもの。かまやつさんとユーミンの苗場にいったこともあったし、かまやつさんの葬式の教会でユーミンととなりどうしで、二人で讃美歌を歌って泣いたこともあった。
場所、場所でユーミンと一緒にいるし、松任谷くんとの深い縁もある。距離感は近づかずなんとなくいるという空気のような感じ。
M-2 やさしさに包まれたなら 荒井由実
■CM明け
ライブの一曲目とラストを募集したらたくさん来ました。そのランキングをしてゆこうと思う。みなさんの意見と闘わせながら洗脳し、自分の方に引っ張ってゆこうと思う。もし、みなさんの応募のとおりとなったとしたら僕が着ていたダウンジャケットをプレゼントします。小出しにモノを送って(笑)魂胆が見え見え。
・明日の前に
>ありえない こんな三拍子とか考えられない。外は白い雪の夜とかも無理。
オープニングはそのコンサート全体を暗示するようなものだし、こんな三拍子じゃバンドも乗り切れない。
選曲で、そんななぞかけてしいない。だけどありえない。春を待つ手紙はあのサウンドでCDの一曲目としていいと選んだだけで、ライブの一曲目とは違う。
<いくつになってもhappybirthdayという投書>
ないな。
順位
5位 元気です
4位 この指とまれ ありえる
3位 春だったね あるな
2位 春を待つ手紙 あり得ない CDだから
1位 ああ青春 ありえるね。感動的な一曲、つま恋75の一曲目、僕の身体にもしみている。
最後に聴きたい曲はやめよう。なんもかんも中身がバレてしまう。また日をあらためて
<最後の感謝をこめて「ありがとう」はどうかという投書>
悪くない。2006年聖なる場所に祝福をの選曲で意外だったと聞いている
これもそう。候補に入ったのは
M-3 ありがとう 吉田拓郎
■マイフェイバリット
JBことジェイムス・ブラウン。広島のバンドで睦月くんJBが大好きだった。彼は声が高くうまいけど、僕たちの演奏が追い付かない。ベースが難しい。当事はピックで弾いていて指で引いたりできなかった。またギターのカッティングがセブンスのカッティングが凄くてリズム感が出せない。
彼のファンク、堂本剛も目指しているらしい。あと、ステージでのダンスパフォーマンス、ステップが素晴らしかった。また、彼のシャウトは、黒人もビートルズもソウルシンガーに影響を与えた。
特にバラードがいい。
M-4 トライミー ジェイムス・ブラウン
巡回コードだけど、泣かせるね。オーティス・レディングとともに素晴らしいその後の人もこの二人にはかなわない。
M-5 パパのニュー・バッグ ジェイムス・ブラウン
ホーンセクションがつくとまたいい、当時の演奏はアマチュアながらソウルだった。女子高生とかが応援してくれた録音した音がある。時々聴いてみるけれど、うまくないけど、やろうとしていることはわかる。
パフォーマンスでしびれるのはラストの曲で司会者が出てきてマントをかけて ステージを降りようと促す。最初は納得して降りようとするが、途中で脱ぎ捨てて、ステージ中央に戻って歌い始める。これを2,3回繰り返す。興奮のルツボ。俺もやろうかな。森野、鳥山にマントをかけろと言っておいて、かけられたらやかましいと歌い始めようかな(笑)
あのパフォーマンス。マントはだめだな、浴衣かな丹前かな。
M-6 マンズマンズワールド ジェイムス・ブラウン
■エンディング
つま恋無料招待のCM
・一曲目
・もう一度やってみたいなと思う事
高校時代に戻りたい。 つま恋75に参加したい、アイドルを追いかけたいなど。
・名曲は、ス タ ア
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆日帰りでなく、一泊、しかも夜の饗応にも堂々と参加する意気込み。いいぞ、いいぞ。
☆ライブが始まるということは、私の選曲に対する戦いも始まるということだ(爆)
・吉田拓郎が生きていてくれること、ただそれだけでいい
・拓郎が歌ってくれさえすれば何も望まない
私は魂の奥底から本当にそう思っている。
しかし、ライブが始まると選曲に文句がいいたくて身悶えしてしまう自分を禁じえない。そんな選曲はつまんねぇよ。イヤだ。と心の底から叫びたくなる。それが始った。私が行こうとしているのは吉田拓郎の魂のライブだ。LOVELOVEの公開収録ではないんだ。
古いアメリカの言い伝えを思い出した。
「川の向こう岸に渡りたい一匹のサソリが、そばにいたキツネに、自分を乗せて川を渡ってくれと頼みました。キツネは断りました、『お前を乗せて刺されでもしたら、溺れてしまう』と。サソリは言いました、『そんなことをしたら、私も溺れます。』 そうだな。キツネは、背中にサソリを乗せて、泳ぎ始めました。でも川の真ん中でサソリは、キツネを刺しました。毒が身体に回る中、キツネはサソリに尋ねました、『どうして刺した? 君も溺れてしまうのに。』 サソリは答えました、『どうしようもない。本能なんです(I couldn't help it,. It's my nature.")』」(STARTREK VOYAGER "scorpion"より)
☆「みなさんの意見と闘わせながら洗脳し、自分の方に引っ張ってゆこうと思う。」
提供曲の時のように忖度させようとしているな。
そうはさせるか。負けるもんかっ!!こちとらも伊達にファンやってんじゃねーぞ。
はっ。どうしようもない、本能なんです(I couldn't help it," It's my nature.")
☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆
私たちの運命は、いつも二人の歌姫のどっちかが握っている
■ 2018. 10. 31
たとえばハンドマイクで客席から歌いながら登場してはくれまいか。ダメか。ジュリーのLOVELOVEの時にあったっけ。それは冗談でも曲としてはいいんじゃないか。3拍子のオープニングは大変かもしれないが、そこは御大、あなたの腕の見せどころ。
「元気です」これは一曲目はもちろんどこでもいいから歌ってほしいな。
「ローリング30」発売40周年記念
転石40年苔むさず
a rolling stone gathers no moss for 40years
SIDEA-3 まるで大理石のように
この歌が好きになったのは、たぶん40歳を過ぎてからだ。蒲田あたりのたかが高校生に大理石なんて理解できるわけがない。せいぜい想像してもヘルスセンターとかの大理石風ローマ風呂ぐらいがやっとだ。
というわけで、40年前は、殆ど聴かずに飛ばしていた。もっというと「ローリング30」→「英雄」→「裏街のマリア」→ときどき「外は白い雪の夜」で一枚目は終了していた。そんな私に「ローリング30は捨て曲ばかりだった」という松本隆を非難する資格はあるのだろうか。それは置く。>置いとくのかよ
不惑も超えたあるとき「紫の空星座はめぐり夢は西へと船を漕ぎ出す」という詞をかみしめて唸った。なんという詞の世界だろうか。作品全体が、耽美的でありながらソフィスティケートされた世界であることに遅ればせながら気がついた。語り合うようなバイオリンと松任谷のキーボードの妙味。
そして「ローリング30」の荒くれたシャウトの声とも、「爪」の情感溢れる声とも違う、淡々と乾いていながら色香ただよう第三の声。まったくこのアルバムはのっけから異質な三種のボーカルが展開する。演奏も「爪」が和風建築なら、こちらはヨーロッパのレンガ造りのようだ。
一曲目でガツンときたあと、二曲目と三曲目で、これらの異質なボーカルが拠り合い、またロックウェルとほぼティンパンの異なる演奏が拠り合い、このアルバムの広さと深さを見せ付けている。
大理石のように美しく気品があり、そして冷たい女性かぁ。
■ 2018. 11. 1
転石40年苔むさず
a rolling stone gathers no moss for 40years
SIDEA-4 英雄
発売当時、私は圧倒的にこの曲が好きだった。ああ、もうたまんねぇぇぇという感じだった。アルバムに封入されていたフォーライフのアンケートハガキにも、この曲がとにかく素晴らしい、シングルカットしてくださいと書いた。
あの時はこういう曲を熱望していたのか‥‥‥と、今は遠い目で見る。鎮魂のピアノ、扇情的なギターに続く、あのタイトなロック、最高のアレンジだぜ松任谷。そこに、あのペニーレインのような畳みかけるボーカル。これぞ拓郎、こんな歌はもうないのだろうと、当時ですら、どこか諦めていた。だからこそ狂喜したのだった。
発売からしばらくして目蒲線の中で小学校からの友人で拓友のTくんと会って、この「英雄」を讃えあった。このアルバムを語り合えるのはお互いしかいなかったので盛り上がった。「今回は頑張ったよな」「なんで拓郎はこういう歌ばかり作らないんだろうな」。セイヤングの人気投票でもこの曲は3位だった。「意外だな」と御大は口走ったが「意外」と思うその心がけが間違っていると二人で悪態をついた。
今はなき目蒲線だが、その目蒲線の車中でもっとも「ローリング30」を熱く語った人間は私たちより他にいないに違いない。凄いのか凄くないのかわからねえよ。
あとこの曲は闘うサックスだよ。こんなに疾走するサックスというのを生まれて初めて聴いた。なにもかもが臨戦的な感じだった。まだこれがジェイク・コンセプションだとは知らなかった。
この時の拓郎のボーカルは、荒くれながらも、のびやかで重厚な質感、書いててわけわかんないけど、もうすんばらしい。Uramadoにも書いたが、以後のライブでまだこれ以上のボーカルは再現できていない。
最後の「僕達は青い空に駆けてゆく」がたまらない。空を見上げて背筋を正したくなる。
ところで「青い空『に』駆けてゆく」が原曲だ。しかし、ライブでは拓郎は、「青い空『へ』駆けてゆく」と歌うことが多い。国語的には、「に」は特定の場所。「へ」はそちらの方向にということらしい。深い意味がありそうななさそうな。どっちがどうなのよ。
■ 2018. 11. 2
転石40年苔むさず
a rolling stone gathers no moss for 40years
SIDEA -5 君が欲しいよ
目蒲線の中で話しこみながらT君は言った。「これって二枚組じゃなくて一枚にしたら最強のアルバムになるのにな」。そういえば音楽雑誌で「明らかにツマラナイ曲もあり取捨選択して一枚にして欲しかった」という失敬なレコード評を立ち読みしたばかりだった。
で、Tくんに「例えばどの曲を削るの?」と尋ねたら真っ先にこの「君が欲しいよ」を挙げたのだった。二枚組は譲れないが、この曲は認めざるを得なかった。
それから7年後、僕らは85年のつま恋にいた。ここのファーストステージで「君が欲しいよ」が初演で演奏された。
もっともっとワイルドでダンサブルなノリになっていて、コーラスの女性が踊りながら「ワンラストナイト!ワンモアナイト!」と連呼するのもたまらなかった。私もTも二人ともハイになって思い切り身体を揺らした。「こうして聴くといい歌だなぁ」とTくんも言った。ああ、吉田拓郎はこれがやりたかったのかと気が付いた。
出たっ。イマイチな曲をライブで強引に名曲だと説得してしまう御大の荒ワザ。
しかし、ここでふと気づく。私が怒りをこめて最初に引用した、「殆どが捨て曲」という松本隆の言葉をもう一度振り返ってみる。
「『ローリング30』は、3,4曲を除いて後は捨て曲だと思っていた〜そしたら彼は何十年も引きずってライブやるたびに必ず歌うわけ〜スポットライトをあてるから、 全部生きちゃったわけよ。」
あれ?松本隆の言ってることすげー正しいじゃん。
ピンチだ自分。うーん。
この作品は、つま恋で実証されたとおり、ポップでダンサブルなイケてるメロディーであることは間違いない。
ロックウェルチームの小気味よい演奏も素晴らしい。特に最初のイントロのピアノがいい。ウキウキした気分に一気に引きこんでくれる。
というわけで、詞だ。真っ赤な消防自動車、君の一生を僕のものにしたい、みるべきフレーズはあるけれど、この主人公のおじさんは、未成年の少女と一体何をしているのだ。
ラジオでナイトで、「夜行列車」で喜多條忠に言った御大の言葉を勝手に借りて、「松本、もう少しいい詞を書けよ」と言うが言葉が浮かぶ。これは捨て曲ではなく、捨て詞だっただけなのではないか。
言っちまったよ。
■ 2018. 11. 3
転石40年苔むさず
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SIDEB-1 ハートブレイクマンション
「ローリング30」の全21曲の中で一番最初に世界に向けて公開されたのがこの曲だ。レコーディング中のロックウェルスタジオからの放送で、出来立ての新曲として一曲目に流された。
しかも、これがいきなりアウトテイクだよ(爆)。「日照良好に『ひでり』と松本隆のフリガナがあってそのまま歌ってしまいました」「後奏で石川鷹彦さんがドジって、ギターが入ってないんですね」で「なので明日やり直します」。すごい。マンションでいえば内覧会でいきなり施工ミスがあったので次はちゃんと作りますと宣言するみたいだ。それを貴重なテイクだとありがたがる私らファン。ミスがあっても、誰一人として不幸にならない、ここはどこのユートピアなのだ。
しかし、こういう物件は、一旦ミソがつくといろいろなものが出てくる。「303の若い少女」って、少女はみんな若いだろ。いや、日野日出志先生のホラー漫画に「老婆少女」というのがあり、それと区別しているのだろう。んなワケねぇだろ。と一人であれこれツッコンで生きてきた。
つい今週のこと、「地方の親のスネをかじって」を「痴呆の親のスネ」と思って怒っていたというお話を伺った(爆)。おお、なんという素晴らしい脳内深宇宙なのか。私は、一人ぼっちではないんだと心の底から嬉しかった。確かに、それはとんでもねぇ少女ですばい。
そして「40の坂を上った妻は」ってまだ若いじゃないかっ!とも。御意。さすがに40年も経つと、私らは303にも505にもとうに超えて707に近づいている。でも「老婆の夢は身体を離れ」…ってそれもうダメでしょ。そうだよね、松本隆は10代20代は神の如き技で描くが、高齢になるとかなり雑だ。中高年はやはり岡本、石原、喜多條の三羽カラスの技が冴える。
すまん、この作品をディスっているのではない、このアルバムの愛着の一曲であることを言いたいのだ。
アウトテイクをやり直したとき、拓郎のセリフも、ボソボソだったものからいい感じのトーンに変わっている。聴き手がいつも手に汗握ってしまう拓郎のセリフ力。「深い青空、ギラついた太陽、僕は一息背伸びを」。これはとてもいい。
そしてうっかり入れ忘れていたという後奏の石川鷹彦のギターは、本当にうっかりすると落涙するくらい本当に美しい。またエルトン永田の間奏の一緒に口ずさみたくなるような心躍るキーボード。静かなる繊細さがいたるとこに宿っているこのロックウェルチームがたまらないのだ。
最後に言わせて欲しい。このマンションは賃貸なのか分譲なのか。今日で「空き部屋」というと賃貸物件のようだし、「豪華な部屋」で中年夫婦や高齢者がお住まいだと分譲のような気もする。よくわからないので、四階までが賃貸で、そこから上が分譲だということにしておきたい。それがどうした。ハートブレイクマンションよ永遠に。
■ 2018. 11. 4
転石40年苔むさず
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SIDEB-2 裏街のマリア
これでもかというくらいの後藤次利のアレンジがもの凄い。さすがに40年も経つと、何もそこまでとちょっと思ったりもするが、ほぼティンパンアレイもこの後藤次利の設計図をしっかりと血肉化した演奏を展開し、豪勢で血沸き肉躍るカッコ良さだ。当時の高校生は、これまでの拓郎サウンドとは少し違ったこの迫力あるカッコ良さに大いに痺れたものだ。後奏に至ってもギターとサックスがバトルするような展開があって、最後までしっかりとアレンジしてあり、まるで尻尾までアンコが入ったタイ焼きのようである。
「昔が良かった」というつもりはないし、2014年の「AGAIN」バージョンのアレンジと演奏も成熟したクオリティの高さを感じるが、この後藤次利の拓郎のボーカルに挑むような、思い切り体当たりしてくるようなスピリットは唯一無比のものだ。
当時、嫌がる同級生の迷惑も省みず、どうだ、拓郎は、おめーらの思ってるようなフォークじゃないんだ、どうだこの後藤次利のアレンジと演奏のナウさは、おめーらが大好きな、めぐる季節やハンドインハンドなんかとは格が違うんだよ、という情宣活動に精力を注いだ。しかし、運悪くちょうどこの時、後藤次利は大変なスキャンダルで、多くの高校生男子を敵に回していたので…そういう話ではなかったか。
このドラマチックな詞の主役の不良少女は、ネタではなく、私の中ではバッチリ森下愛子だった。サード、十八歳海へ、もっとしなやかに、もっとしたたかに…ああ、眩しくも輝けるイケないないおねーさんだった。当時、私は、このおねーさんは、やたら共演している永島敏行と結婚するんじゃないかと根拠もなく思っていたので、まさか吉田拓郎と結婚するとはびっくらこいた。
不良少女更生型ソング(爆)は世に結構多いが、拓郎ではこの「裏街のマリア」の他に、月夜のカヌーに収録された「少女よ、眠れ」がある。この二曲は、松本隆と岡本さみのコントラストが出ている。
♪今夜は朝まで僕の手でお泣き(松本)vs♪親はいるんだろぉ、家もぉ(岡本)。
どっちがどうなのよ。でも、たぶん実際に私なんかが言ったら、どっちにしても、スケベジジイか説教シジイと軽く撃退されるに違いない。そういう話でもなかった。
SIDEAに「英雄」あり、SIDEBに「裏街のマリア」あり、という感じで、ヘタレなりにも血気盛んだった当時の私には、誇らしき2曲であった。
■ 2018. 11. 5
転石40年苔むさず
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SIDEB-3 恋唄
2005年のライプの開演前のアナウンスで吉田拓郎は「今年の一曲目は絶対に当らないでしょう」と不敵に言い放った。
「恋唄」
カスリもしなかった。すげぇ。完敗する幸せ。拓郎は素敵だった。一曲目を募集して順位つけたりするなんてあざといことはしなかった(爆)。いや、大丈夫だ。あらゆるリクエストを集めておいて、結局ぜーんぶ、ひっくり返して、なんだ、こりゃあという一曲目を持ってくるはずだ。吉田拓郎は老いず。
40年前、私にとって、この曲はもちろん捨て曲だった。「裏街のマリア」と「外は白い雪の夜」の間の埋め草のように、海苔巻きといなりずしの間に入っている緑のギザギザくらいに思っていた。すまない。本当にすまない。
もちろん私とて変わっていった。そうしてあらためて原曲に耳を澄ます。なんという繊細な演奏。ギター、シンセ、締めくくりに鳴りだすドラム。そーっと、そーっと丹精こめてひとつひとつの音が鳴らされる。静けさ漂うこの演奏では、私なんかでも一音一音を確認することができる。そしてその中の繊細な楽器のひとつとして吉田拓郎の唄声がある。この演奏の素晴らしさをすっ飛ばしといて、ロックウェルチームの音が素晴らしいとか言っていた自分の薄っぺらさを思う。石川鷹彦、エルトン永田、島村英二、徳武弘文、石山恵三、ひとりひとりの名前をあらためて刻みたくなるほどのプレイがそこにある。神は細部に宿るとはこのことだ。
「裏街のマリア」のサウンドが力強ければ強いほど、終わった直後の静けさの闇は深い。その深い静けさを得てこそ、この演奏は際立つ。そしてこの恋唄が美しければ美しいほど、このあとの外は白い雪の夜が切ないのである。なんという組み立てなのか。助六寿司を描いていた私なんか銀河系まで飛んでゆけばいい、朽ち果てて野に倒れればいい。
吉田拓郎とロックウェルの仲間たちは、きっと、すべての恋する人たちの味方である。恋心をやさしくやさしくラッピングする術を身に着けた職人たちに違いない。
ラジオでナイト 第79回 2018.11.04
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
吉田拓郎です。みんなに詞を書いてみないかと募集した。かつて「春だったね」、「せんこう花火」とかラジオ番組でリスナーから届いた詞に曲をつけたもので、そういうのはどうかなと思った。やめてほしいくらいたくさん来た。読むのが大変。おじさん、おばさんたちよく詞を書くね。詞を書くおじさんおばさんがこんなにいたんだね(笑)
ただ、一言でいうとダメだな。それはあとで言うね。しかし、みんなよく書いたな。びっくりしたよ。ラジオ聴いている人の中に、詞を書く人がたくさんいるのか。詞をかくおっさんって不気味じゃない(笑)
詞を書くというのは、僕の場合は、出まかせで妄想して、恋とか、別れとか、映画を観たりして考えたりする。みんなも考えているんだね。大変な世の中だね。
男の人はちゃんと奥さん大事にね。女の人も詞に入り込むのはダメだよ。普通の生活 日常的な生活の中で生まれてくるものが大切なんだから。夢を見すぎたらダメだよ。
コンサートだけれど、残り少ないから全部言ってしまう。日程は今度ね。主催者発表より早く発表するから。
横浜パシフィコ。ここはやりやすい。楽屋が好き。居心地が良くて、外のいい景色が眺められる。コンサートに来た人があそこが楽屋だとわかると下から手をふる、こっちも愛想良いからすぐ振り返す。好きだな。
もう一箇所は、東京国際フォーラム。ここは楽屋からステージへの導線がいい。コンサートに来た有名人の方々が拍手するところを行くのも気持ちいい。
これで全部だ。なんだ、そんだけかと思うかな。それになんとかなく東京でもう一個、番組的なものがもう一本入り込んでくるかなと聞いている。7本ブラス1。
リハーサルの日程が凄い。吉田拓郎はよく練習するね。今回言っているのは、ゲネプロはなしでやる。コンサートツアーを始めたのも吉田拓郎なら、ゲネプロを廃止したのも吉田拓郎ということで。
こうしてコンサート会場も届き、詞も届き、思っていることは、男性が家事をどんな時にするかいう新聞記事があって、それを食い入るように読んだ。
35%の男性が、料理、洗濯、掃除、片付け、育児を好きだからといってやっている。
35%だよ、以前だったら考えられない。昔は、男ってそんなじゃなかったでしょ。
20%の男性が、妻に喜んでもらいたい。
20%の男性が、妻の自由な時間を増やしてあげたい。
19%の男性が、男の家事はあたりまえ
14%の男性が、家事をしないことに罪悪感がある
やさしい男が増えたなぁ、みんな耳かっぽじってよく聴けよ。
おれの親父の時代は、男は家で、ふんぞりかえって、メシ!フロ! 広島では女系家族で暮らしていたところに、父がときどき帰ってきて威張っていた。特に鹿児島だし男性上位だった。
僕も今どきのやさしい男性のように奥さんいないとき。仕方なくだけど洗濯とかゴミ捨てとかやっている。やってみると大変なことだと実感する。僕は料理とかは、できないんだけれどね。まぁ、僕の場合、ゴマすっているというニュアンスもあるんだけれど、まぁ喜んでくれているならいいかと思う。
それに家事には男がやった方がいい事もある。段ボールや新聞紙の始末とかのチカラ仕事。 小さなことから家事を手伝うといい。
僕も昔は家事はしていなかったです。逗子のころ7年間、義理のお母さんに甘えていた。自然に何にもしなかったな(笑)。でもお義母さんが天に召されて、二人暮らしになると、あれこれやっているうちにだんだん手伝う気になってくる。そいう風になってしまった。そうしつけられてしまった(笑)
いい夫になったとゴミを捨てる吉田拓郎のラジオでナイト
■タイトル
男女が仲良く過ごすのがいい。だんだんに、こうあるべきだとかいうより、みんなで力を合わせて生きる・・・・・・何を大きなことを言ってるんだ。
リクエスト
「す」
・鈴懸けの道 M-1 鈴木章治
65才のリクエスト、この年代だな、僕も大好き。鈴木章治のクラリネットがいいんだ
・昴 谷村新司
スケールの大きな歌だな、大きすぎると本人に言ったことがある
・スニーカーぶるーす 近藤真彦
・スーダラ節 植木等
スターダララッタてどういう意味か。リクエスト多いな。
植木等さん懐かしい
・スイートメモリーズ 松田聖子
いい曲があるよね。聖子エイジって松田聖子ならなんでも歌えるっているよね。吉田拓郎にはそういうのはいないよな。
・好きになった人 都はるみ M-2
声を聴くと若いな。十代かな。以前、「アンコ椿は恋の花」をかけたけれど、素晴らしい歌唱力だな。天才的。演歌は花鳥風月の世界とか、ついていけない。作れとい言われても作れない。スリーコードじゃね。でも何人かの曲をi-podに入れて聴いている、前川清、都はるみ、あとは三波春夫の平手神酒の歌。あと青山徹が好きな「ギター仁義」もあったな。
5位 スニーカーぶるーす 近藤真彦
4位 スイートメモリーズ 松田聖子
3位 スローバラード RCサクセション いいね
2位 昴 谷村新司
1位 スーダラ節 植木等
スーダラ節が一位となるというのは年齢層が高すぎる。若者たちよ、もっと聴いてくれ。植木等が一位では問題があるんだよ(笑)
来週は 「た」
M-3 スイートメモリーズ 松田聖子
■CM明け
みなさんから送られてきた詞
(歌う)
♪またあの夢をみた 眩しく輝いていたあのころ
もうすこし自信があったならどんな今になっていただろう
君に言えなかったひとこと事がそれぞれの今をつくっている
こうして聴くとなかなかいいじゃないかと思うでしょ。
でもね、詞をざっと観てみると
一番)
♪またあの夢をみた 眩しく輝いていたあのころ
もすこし自信があったならどんな今になっていただろう
君に言えなかったひとこと事がそれぞれの今をつくっている
僕はここにいるよ
ずっとここにいるよ
いまもここにいるよ
二番)
あの頃未来を描けなかった
君を苦しめた一言が
今を作っている
・・・・・
ところが三番)
今は幸せだよ 多分君も幸せだろう
やっと居場所を見つけたみたいだ
ココへいっちゃいけねぇぜ。
あの頃未来を描けなかった 眩しく輝いていたけど 自信がなかった
自信があったら違うかもしれなかった
「いまでもあのころとは何も変わっていないかもしれないな」
そういう世界の方がいいな
今が幸せに行ってしまったらつまらない
あのころと変わってないかもしれない
そういう世界の方が成り立つ
拓郎君はそう思う
最初Aメロはいいなと思ったんだけれど
ヒントとしてなんもかんも歌ってしまおう、一個に入れようとしないほうがいい
僕らはそんなことはしない。
一番であれ、二番であれと拡げてゆくとごった煮になってしまう
失恋だったら失恋というという小さな世界にこだわった方がいい
<素晴らしい企画ですね、ちなみに採用されたら印税はあるのかという投書>
それは君あるよ。ヒットしたらあるよ。
ちなみに、家でも、奥さんも詞を書くというが、浮かばないと言っていた。
タイトルだけでも考えたらと言ったら、「そうね〜私の彼は右きき」(笑)
「木綿100パーセントのハンカチーフ」(笑)確かに木綿100にウチはこだわっているけどさ、松本隆が怒るだろ。そしてら「秋だったね」。
ダメだな、才能がない。ついでに言うと、俺は、孤独感とか野心とかアランドロンのような感じで詞を書いていたんだというと「あらあなたは野心(のごころ)だったんじゃないの」
と言われた(笑)。
■CM明け
コンサートの一曲目を募集。
5位 僕の道
4位 マークU トゥワチャカって最初からやるのかね
3位 元気です みんな好きだね しかし長いな。
2位 春だったね 「秋だったね」といったら驚くよね(笑) アリなのかな。
1位 春を待手紙 ありえない。絶対あわない。From T のトップにしたのは俺だけしか知らない理由があるのよ
オープニングはガーンとゆくか、静かにゆくのか。「えっ、この曲という感じ」。これがヒント。
■マイフェイバリット
ダイア―・ストレイツのマーク・ノップラーの超絶ギターサウンド。このバカテク。指で弾くんだけれど、徳武くんもそう。徳武はテレキャスターだげど、マーク・ノップラーはストラトキャスターを弾く。
彼は、ボブ・ディランの影響を受けていると思う。ディランの曲作りと歌い方に影響を受けている。すげーです、このギター。プレイを聴いたり観たりすると驚く。
ニューヨークで加藤和彦とレコーディングしたときに、ギターにマーク・ノップラーを呼べないのかと言ったらそれは無理だよと言われてそれは無理なのかよと文句を言ったことがある。
ザ・バンドのギターとこのダイア―ストレイツのギターは素晴らしい。
M-4 悲しきサルタン ダイア―ストレイツ
ザ・バンドのロビーロバートソンもそうだけれど、ボーカルにからんでいるギター、これが好きなのよ。ボーカルにからみつくギター。ソロとかイントロ、間奏ではなくて、唄のうしろで気持ち良いギター。
1987年MTVが、オランダで最初に放映されたとき、ダイア―ストレイツの「Money for Nothing」だった。85年「Money for Nothing」はすでに大ヒットしていた。
MTV は81年に一番最初の放送があって、カッコイイと思った。イギリスなんだな、アメリカテイストだけれど。MTVには縁がなかった。「いくつになってもハッピーバースディ」でトライしたけれど、つまんなかった。映画的な素養がない。演じるのが恥ずかしい。そこかダメなんだな。
M-5「Money for Nothing」ダイア―ストレイツ
■エンディング
・リクエスト
・一曲目
・詞
・もう一度やりたいこと
・「た」「あ」
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆詞を書いてきたリスナーに、ちゃんとした家庭生活、日常生活を送るように諭す吉田拓郎。きっと周囲の作詞家に、そうでない方々がたくさんいるに違いない。
☆男の家事はとても大事な話であると思うが、このラジオのテーマとしてはどうなんだろう。なんかいいなと思ったのは、お義母さんの話のときに「天に召された」という表現が自然に出てきたところ。私はクリスチャンではないけれど、そういう言葉が自然に口をついて出てくるところに吉田拓郎の魅力を感ずる。
☆詞はむづかしいな。何か簡単そうな気はするのだけれど、絶対越えられない壁がある。番組で読まれた方の詩作はとても見事だったと思う。私なんぞはアレ以上のものって難しすぎでしょ。ここのところ毎日松本隆の悪口書いている自分がとても申し訳なくなってくる。
☆一番面白かったのは「のごころ」。言いますねぇ。「あがらい」とか「ひでり」とかもっと言われればいいのに(爆)
☆植木等でなにが悪い。
☆心の底から申し訳ないが、ダイアー・ストレイツを聴くとボブ・ディランのスターズオン23かと思ってしまう。影響というかもうなりきりだ。
☆いくハピのMTVは、大好きだった。お願い。detenteのケーシー高峰も公開して。
☆☆☆星紀行今日の学び☆☆☆
「えっ、この曲が一曲目」と個人的に驚いたオープニングベスト5
5位 冷たい雨が降っている (1988 )
4位 チェックインブルース(1989)
3位 ペニーレインでバーボン(2006)
2位 恋唄(2005)
1位 ファミリー(1980)
■ 2018. 11. 6
転石40年苔むさず
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SIDEB-4 外は白い雪の夜
このアルバムの代表曲にして、吉田拓郎の大人気スタンダード曲でもある。でも私の思いはメンドクサイ。相反する二つの思いが入り混じって佃煮のようになっている。
いい曲だと思うし、アルバム発売日に拓郎の弾き語り初絶唱を聴いた感動が忘れられないし、深い愛着を感ずる。その反面で、コレってそこまでの作品なのだろうか、それにライブではもう聴き飽きたし、というブラックな思い。白と黒二本の糸で拠られている、出ました向田邦子理論。
ロックウェルからの中継でのスタジオ演奏の時、「そして誰もいなくなった」と紹介されたこの歌は、三番の間奏の途中で機械のミスでプッツリと切れた。拓郎は、「このままなだれこんでゆく唄です」と解説をつけて終わった。なので、この唄の歌詞は三番までで、間奏のあとはBye-Bye Loveのリフでなだれこんで終わるものだと思った。そういうサイズの曲として一ヶ月間くらいこのときのテープを繰り返し聴きこんで身体にしみこませた。
だから10月になってセイヤングで、実は「外は白い雪の夜」というタイトルに変わりましたというアナウンスとともに完成版を聴いたときにはものすげぇ驚いた。
バイオリンなのかフィドルなのか(両説アリ)が、基幹の演奏に美しくからみつき、アコーディオンが静かにアシストする。その美しいアンサンブルに陶然となった。
そして、あの間奏で終わりと思いきや突然「♪あなたの瞳に私が映る」という4番が始まってびっくりした。例えるなら平屋だと思ってずーっと住んでた自分の家に突然二階があったことを知ったみたいな驚き。例えがわかんねーよ。
ラジオの「そして誰もいなくなった」を聴き込んでいたがゆえに、この完成版の威容に打ちのめされた。音楽家ってすごいな、いい基礎と躯体があれば素晴らしい建物ができるものだと、さすがに高校生の時には思わなかったが、似たような感動はあった。
しかし、それだけでは終わらない。なんとなく聴くたびに詞への違和感が拭えない。
「傷つけあって生きるより慰めあって別れよう」という言葉に潜むこの男の奸悪さ。自分もそうだからよくわかるのだ(爆)。それに「女はいつでも二通りさ」といきなり最後に分類してどうする。AパターンとBパターンがあって、君は折衷型のCパターンですって、何かのシンポジュームかよ。
また女性も女性である。目の前でタバコ並べながらあたしシャワー浴びてきたの…ってどうなんだ。いつもあなたの後ろから影踏んで歩くって・・・・・・特に男がゴルゴ13だったら危険じゃないか。
というわけで詞に乗り切れない。松本隆は、二時間でこの詞を書いて、拓郎は目の前で三分で曲をつけたと述懐している。松本は拓郎に「本当にそれでいいのかよ、もう少し考えろよ」と思ったというが、それはあなたのほうではないのか。また言っちまった。
しかし自分は吉田拓郎の作品となるとなぜここまで前のめりになって詩に偏執してしまうのだろうかと後悔もする。イカレテいる。すまん、It's my natureだ。
そういうことで白と黒の糸を寄り合いながら、あーだこーだと自分でも自分が面倒くさい。拓郎も言うとおりしょせん音楽は好き嫌いだ。しかし私にとっての大切なものは好きと嫌いの間に落っこちているような気がしてならないのだ。
こうして、このSIDEB-4に住む原曲を耳にすると、美しいメロディーとロックウェルチームの演奏には、胸を締め付けられるかのようだ。ライブは重厚なバラードとして歌い上げられていったが、もうとっくに完成を極めていて毎回聴かなくてもいいやというのが私の勝手な意見だ。だからSIDEB-4の原曲のアレンジままで、フィドルやアコーディオンも加えた編成によってライブで再現してほしい。このローリング30の純正品バージョンの再演。こぢんまりとした、雪の日の切ない叙景の音楽として味わってみたい。きっと泣く。そこで手打ちにしたい。なんだそりゃ。
■ 2018. 11. 7
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SIDE C-1 狼のブルース
アルバムの二枚目はご機嫌なロックンロールで始まるとどこかのレコード評にあった。
この時の吉田拓郎の合言葉は「歌は暴力だ!」だった。綺麗で美しい歌声の花園のようなニューミュージック界に吉田拓郎が再び打って出るときの御旗だった。またこのアルバムのインタビューでは、「スピードだよ。オレ今スピードにこっているんだよ。『明日なき暴走』ってやつ」とも語っていた。ということで、歌う暴力、スピードそしてロックということで、この狼のブルースが出来上がったのだと想像する。
暴力、スピード、ロックはいいが、この暴走族チックな舞台は、個人的には感情移入がしにくかった。出身経歴と詞の内容は無関係のものだと思うが、さすがに東京青山出身で生粋の慶応ボーイの松本隆が描く暴走族的世界には少し無理があるんでないかい。「欲望という名の車」って、いきなりダサくないか。「下町にあるバーガーイン」「娘を隠しておけよ」「寄るな触るな」いちいち微妙に古い。当時の私の地元のバリバリの同級生の連中あたりにリサーチしてくれれば、もっとリアルになったと思うが。
しかし、サウンドはさすがスゴ技のミュージシャンたちである。今聴いても、ブルース・ロックの演奏が、ソリッドだ。島村英二の確かなビート、村岡健とジェイク・コンセプションのサックスバトルのカッコ良さ、エルトン永田の魂のグリッサンド、それぞれが弾けながらもガッツリと塊になって見事に作り上げられている。
拓郎の荒くれたボーカル、イェェェェェのシャウトもサービスされているが、すまん、「歌は暴力だ」を意識し過ぎてやや作為的な感じもする。
というわけで、超個人的には、名演ながらも、ノれない主題に少し窮屈さも感じるというのが「ローリング30」を聴いた結論だ。んまぁ当時は飛ばし聴きだったかな。
しかし話はそこで終わらない。
これが翌年のライブになると打って変わって、すんごいんだよ。音源ならば「TAKURO TOUR 1979」、映像なら「吉田拓郎アイランドコンサート」。私は映像がお薦めだ。ピッチが原曲より俄然速くなって曲全体がまさにガンガン疾走を始めるのだ。パラララパラララのような効果音フレーズも燃える。
レコードではドシっとしたドラムを叩いていた島村英二がもう走る走る、競馬のジョッキーが、馬のお尻を叩きまくるかのように、演奏全体を全力疾走させるのだ。まさに奴のマシンに負けないスピード感がある。詞やテーマの些細な違和感など軽く吹き飛ばしてくれる。
そして我らが拓郎は、レコードのような荒くれボーカルではなく、ナチュラルな感じだが、それこそがとてもタイトで暴力的で最高なのだ。興奮して篠島で踊っていたら、なんかホント地球を抱きしめられるような気がしたものだ。
「ローリング30」の原曲は、車で言えば、ショールームに飾られた展示車である。それを外に出して全速力で暴走させてみましたというのがライブ。レコードとライブの理想的な関係がここにある。
そういえば、当時は知らなかったが、後に同じ地元出身のしかも同年の拓郎ファンの方を知った。彼は暴走族ではない真面目な人だが、拓郎のことが好きすぎて愛車ケンメリを爆走させて、東名で深夜放送帰り拓郎の車を追走しデッドヒートを展開したそうだ。究極の「追っかけ」。拓郎もそのときの息詰まるレースをラジオで話していた。あんたは蒲田の誇りだよ。もちろん、よいこはマネしちゃダメだぞ。この歌は彼のためにあるのではないかと今は思う。
■ 2018. 11. 8
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SIDE C-2 旅立てJACK
これもロックウェルの生演奏で聴かせてもらった。実際にアルバムに入るとこれもまた「狼のブルース」の喧騒のあとだけに、徳武弘文の静かに泣くようなギターがいっそう切ない。
Jackの悲しい青春が淡々と語られる。"虐げられた子供時代がアイツの心に鋼を入れた"、なんと見事な表現。しかし三番の最後で静かに沸点に達した語り手は、吐き捨てるような怒りを見せる。これは松本隆版「日本人になりたい」か。
83年の武道館のアンコール、87年海の中道と結構大舞台での思い切った抜擢が多い。小品なれどドラマの詰め込まれたブルースとして拓郎は評価しているのかもしれない。しかし個人的にはアルバムのこじんまり感がいちばん好きだ。
全く関係ないが、後に沢木耕太郎のドキュメントでボクサーのカシアス内藤を描いた「一瞬の夏」を読んだ時、なんとなくこのJackが浮かんだ。関係ないといいつつ「一瞬の夏」でつながっている。やはりすべての道は拓郎に通ずるのだ。
ちなみに「一瞬の夏」は熱くなって読んだが、沢木耕太郎自身は、かつて拓郎を熱く語る武田鉄矢のことをせせら笑っていたことがあり、私の「拓敵デスノート」に登録されている。なんだそりゃ。このノートに記載されたら最後、このサイトが続く限りネチネチとディスられることになる。>ひとつも怖くねぇだろ。
「一億人が見せかけだけの豊かさの中、沈みゆく島」という怒りに満ちたフレーズが印象的だ。でも、あれから40年、見せかけの豊かさすらも危うくなっているこの島。
Hey、Jack、心の道はどこにつながっているんだい(森山周一郎の声で)。
■ 2018. 11. 9
転石40年苔むさず
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SIDE C-3 白夜
40年前、子供ながらにも、この曲に終わりゆくものの淋しさが胸にしみて寂寥感を感じた。そして今聴くとまたさらに身に詰まされる。まるでこういう何十年か後のために布石を打っておいたみたいな静かなる名曲である。
「70年代の自分との決別の歌」だと松本隆は述懐する。そういえばこのアルバム発売時の森永博志のラジオのインタビューで松本隆はこんなことを言った。
「僕とか拓郎って橋のないところに橋を架けたと思うね。でも、最近の人たちは、それを橋だなんて思わないんだよね、軽いんだよね(笑)」寂しげだった。
御意。松本隆も吉田拓郎も橋を架けた。しかしそれは大きな偉業にもかかわらず、その報償は、「商業主義音楽に身を売った」という謗りで、拓郎は「帰れコール」を浴び、松本隆は「細野さんは口もきいてくれなくなっちゃった」くらい孤立したという。
橋を架ける人はいつも孤独なのかもしれない。
2010年にNHKで観たユーミンと松本隆の対談でユーミンは「松本さんたちが向こうの世界に行っててくれたから怖くなかった」と語った。ああ、ユーミンて優しくてクレバーな人なんだなと思った。ついでに松本さんたちではなく「松本さんや拓郎さん」と言ってくれればもっと良かったのに。
わかる人はわかっているのだ。終わってゆくものに背を向けて白夜の中の橋を渡ってゆく、そんな歌ではないかと夢想した。
サウンドは、松任谷正隆と拓郎とハーモニカの常富喜雄の三人だけで作られている。拓郎のギターにピッチをあわせて、せーので演奏しているスタジオの絵が浮かんでくるようだ。いいねぇ、松任谷正隆のゆるやかな、たゆとうようなキーボード。万感の想いがこめられたような拓郎のちよっと荒れた太い唄声。
私の超絶ポイントは、「世代なんか嘘さ 夢と笑えホロ苦い若さ」。この「若さぁ」のところでちょっとむせる様に掠れる。その語尾の歌いまわしが、とにかくメチャかっこいいんである。寂しさと疲労感みたいなものがミックスされた色香を感じる。
2009年のビッグバンドで演奏されたのも記憶に新たらしい。ラジオで松本隆が「白夜を演奏したって聞いて、そのためだけでもチケット貰っていけばよかった」と悔しそうに語っていた。しかし、これだけ自分の詞を大切に歌っている御大なんだから、毎回来ればいいんでないかい。
オリジナルの三人編成もビッグバンドもどちらも見事なアプローチで白夜の寂寥感を描きあげていた。とくに2009年の拓郎の歌声はとても繊細でさらに幾星霜を経た説得力に満ちていた。
ついでに音楽は好き嫌いということで勝手に言わせてもらえば、2012,2016年のサンプリングの白夜はダメだと思う。誰も弾いていないのに音が鳴ってるって私にはわからない。生音で聴かせてちょうだい。
「みんなどこへ消えた古い親しい友よ」。ミュージシャン、身近な人、友人、確かにたくさんの人がいなくなってしまった。これは結構キツイっすよね。しみじみしたり、文句を行ったりしながら、この橋を架けてくれた人のことを忘れずに、白夜の橋をわたろうではないか。
■ 2018. 11. 10
転石40年苔むさず
a rolling stone gathers no moss for 40years
SIDE C-4 わけわからず
松本隆ワールド大展開の中にあって貴重な吉田拓郎の詩作である。同年春のシングル「舞姫/隠恋慕」も松本隆だったし、77年後半から78年の社長空白期の拓郎の詞は殆ど残されていない。今の拓郎の詞を読みたい、その思いを聴きたいという私にとって、この作品は大切だった。
直近のアルバム77年の「大いなる人」の拓郎の詞は、本人曰く「テーマを刹那的なものから一日くらいの時間に伸ばしてみた」とあったように、刹那、刹那のトンガった言葉ではなく、ゆったりしたオトナの成熟を匂わせるもので、メッセージ性が薄かった。
しかも「ローリング30」発売時の平凡パンチでの宿敵・富澤一誠のインタビューで「オレの詞なんか必要とされていない」と弱気発言をしていたのも気になっていた。
しかし、この「わけわからず」はタイトルこそ投げやりだが、陽性のパワーと気迫が漲っている。刹那、刹那の気持ちの高まりを脈絡なくぶつけてゆく、扇情的で時に戦闘的な言葉たちが嬉しい。やっぱこうでなきゃあ。一個一個の詞が大学のタテ看板やアジビラの檄文のように私を追いかけてくるのである。
「旅に出ろ出ろ、若いんだ君らは操り人形じゃあるまいし」
「人が迷えばあとには道ができる そこには夢などかけるな追うじゃない」
「まぶしい程の朝陽の中に立てば心の病に気が付くさ」
「他人の言葉こそしがらみだらけ ましてや友など家族など」
「時代は変われど 流れ出る汗も無くして 夢は無い」
「嵐の中でも焚き火を燃やせ 自分の命を愛しているのなら」
今でも反芻すると心の底から力が湧く珠玉の言葉たちである。
特に「月日は流れたと口うるさいよ 流れてきたのはどこのどいつだい」
このフレーズを聴くと「ローリング30」の広告に載っていた拓郎自身の言葉を思い出す。
「世の中は変わったんだ そうだ、誰もが時の流れを気にしはじめた
自分の中の何かを変えろ! と叫ぶ奴に出会った
そして俺は、首を横に振った そんな自分が嬉しかったよ」
世の中にも時の流れにも俺は迎合しないし忖度もしないよ。そういう宣言であった。しびれる。松本隆に委ねた世界であるが、この拓郎のスピリットはこのアルバムの背骨として確かに生きていることを忘れてはならない。
40年前、この唄を聴きながら、オトナは、20代でバーボンを抱いたら次の30代はレミーマルタンを抱きしめるものなのかと漠然と思っていた。その後、バーボンとレミーマルタンの間にはもの凄く高い壁があることを知った。というわけで今も壁のこっち側でバーボンを引続き飲んでいる。子どもの頃もいまもまた壁にしがみつくだけだった。
■ 2018. 11. 11
転石40年苔むさず
a rolling stone gathers no moss for 40years
SIDE C-5 冷たい雨が降っている
81年ころ、武田鉄矢と伊藤蘭共演の「俺とあいつの物語」という映画があった。B級だったが、この蘭ちゃんはものすげー可愛かった。武田鉄矢によれば、撮影の時に蘭ちゃんがずーっと拓郎のテープを聴いていたそうだ。どの曲が好き?と尋ねると蘭ちゃんは「冷たい雨が降っている」と答えた。「大きくて怖そうな人なのに貝殻になりたいって安心するから」「でもあんな大きな貝ってないわよね、バカ貝ね」。私はずっとこの話が好きだった。
提供曲のトップグループに鎮座する「やさしい悪魔」を歌った蘭ちゃんが「冷たい雨が降っている」が好きだという。キャンディーズ解散後、どうやって蘭ちゃんはこの曲にたどり着いたのだろうか。想像するだけで勝手に涙ぐむ。現役時代はミキちゃん押しだった私もすっかり蘭ちゃんに宗旨替えしたことは言うまでもない。
美しいアコギの弾き語りで一番を切々と歌ってからズガーンとバンドが鳴るライブバージョンが印象に残る。これがコンサートの一曲目に来た時は驚いたねぇ。驚いたと同時にあらためてこの曲の素晴らしさを再認識した。こういう前代未聞の一曲目がたまらないね、頑張ってくれ御大。
ということで、割とライブ音源ばかり聴きなれたところで、このローリング30の原曲を聴く。あらためてすんばらしいことに気づく。
鈴木茂のイントロのギターはもう秀逸としか言いようがない。美しくも、どこか不穏な暗さを感じさせるギターの音色。多くの人が指摘するように、つげ義春の漫画「海辺の叙景」にインスパイアされたのではないかと言われている。薄暗い海を泳ぐ青年、「あなた素敵よ、いい感じよ」というラスト。確かに、あの漫画の暗い海辺の景色を見事に描いている気がする。
その光景に若い男女の悲恋を絡ませる。松本作品頻出の9月の海、9月の雨。終わってしまった夏の寂しさと鬱々とした肌寒さ。もう松本隆の独壇場である。
鈴木茂のギターとともに、間奏のジェイクのドラマチックなサックス。灰色の海が揺れながら、波と雨とが入れ替わる叙景を表現している。ああ、すんばらしい。
それと伊集加代子さんらのコーラス。寂寞とした空気を静かに表現している。気づかなかったが、この曲に大切な陰影を加えている。編み物をしながらよくこれだけ歌えるものだ。歌ってるときはしてねぇよ。たぶん。
そして末筆ながら、吉田拓郎のボーカル。特にツボは、「・・・・・・素敵よって声をかけてよ」の「かけてぇよ」の一瞬の歌いまわしのカッコ良さ。たまらん。
松任谷正隆のアレンジの凄さとともに丹念に作り上げられたほぼティンパンとジェイクの技に感嘆するしかない。つま恋2006で、原曲のアレンジに戻したのもわかる気がする。すべてはこの原曲から始まっているのだ。「ローリング30」の中の珠玉の一編であることに疑いはない。
「ハイネの詩集」が拓郎に似合わないということで「男の詩集」に変更されたと聞く。でも、「男の詩集」って何だよ、と心の底から思うが、「吉田拓郎詩集 BANKARA(角川文庫)」に脳内変換することにした。そういえば、あの詩集は「マラソン」で止まっている。追加増補してくれよ、あのあと吉田拓郎は、どんだけ素晴らしい詩をたくさん書いていると思ってるんだ。って、絶版かよ。
書店に吉田拓郎の詩集すらも置いていない、そういう国に私たちは住んでいるのだ。当然だがハイネの詩集は置いてある。けっ。あろうことかミスチルの詩集まであるのに。けっ。けっ。
そもそも出版くださった角川文庫には悪いが、いきなり文庫で出すというのも失礼な話ではある。吉田拓郎の詩だ。箱本で、あのメンドクサイ、パラフィン紙とかでカバーされた「吉田拓郎詩集」としてうやうやしく上梓すべきなのではないのか。 ああ、もう、我慢が出来ぬ、もう我慢が出来ぬ、冷たい雨を降らしてくれる。あ、ハマったよ。
■ 2018. 11. 12
転石40年苔むさず
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SIDE D-1 虹の魚
今はライブでもご機嫌でノリノリになるフェイバリットなこの曲だが、正直言うと私は、最初に聴いた時は「ニジマス」がすげー恥ずかしくて仕方なかった。級友は"チャンピオン"とか"めぐる季節"とか"時間よとまれ"を絶賛している時に「ウチはニジマスを歌ってます」とはトテモ言えなかった。「ローリング30」のアルバムをダビングして渡す時に、この曲ともう一曲を抜いたカセットを友達に渡した記憶がある。すまない。こうしてエラソーにファンサイトとかをやっていながら、私はヘタレの裏切り者だ。
この曲は、ライブでどんどんゴージャス化してゆく出世魚である。苦しくても息切れても泳ぐしかない。難局を明るく元気に雄々しく超えてゆくロックナンバーとして重用されてきた。79-81の鈴木茂をフィーチャーしたバージョンも凄かったが、2005年のビッグバンドあたりで頂点極まれりという感じかな。すんばらしい演奏だった。
そんな中で、この原曲に立ち戻ってみると、うってかわった小品としてのシンプルな美しさをしみじみと感ずる。温かなギターと快活なバンジョーの中を泳いでいるような、ぬくもりのある演奏だ。
それに、この原曲の方が情景がしみじみと伝わる気がする。
「枯葉ごしに山の道を辿ってゆけば 水の音が涼しそうと背伸びする」「底の石が透ける水に右手浸せば」「虹のように魚の影君が指さす」…‥なんという見事な情景描写だろうか。山道の香り、手を浸したくなるような冷たい透明な川底のきらめき、自分もそこにいるかのような感じがしてくる。そして、ライブが連想させる豪快な出世魚ではなく、小さなニジマスが健気に跳ねている様子が浮かぶ。ささやかな小さきものへと重ね合わせる自分の青春。原曲には原曲のいいサイズ感と手触りがある。これはこれで大切なバージョンだと再認識する。
それにしても何でニジマスが恥ずかしいものか。「鱒」は、シューベルトも作品にしているではないか。そうそう、そもそもシューベルトと拓郎とは「未完成」仲間じゃないか。
シューベルトの曲は聴いたことがあったが、ドイツ語の訳詞はこんなんらしい。
澄んだ小川で泳ぎゆぐ鱒(ます)
力強く矢のように過ぎていく
私は岸辺でくつろぎながら
元気な魚を眺めてた
釣竿かついだ漁師が一人
魚の動きをじっくり見てる
こんなに澄んでる川の中では
針に魚はかかるまい
罠にかかった哀れな鱒は
釣られて陸で跳ね回る
思わず「人はなんてひどい仕打ちするのだろうか」「魚たちはここで長い旅終えるのか」と歌いかけたくならないだろうか。シューベルトがもし生きていてこの作品を知ったら、きっと拓郎と松本隆と肩を組んで
♪打ちのめされ、傷ついても生きるしかない
と一緒に歌ってくれそうな気さえする。
"チャンピオン"や"めぐる季節"が好きだった級友どもには、恥ずかしがることなく「すまん、君らの好きな日本の大衆歌謡と拓郎は住む世界が違うから」と言ってやればよかったのだ。
ニジマス、マンボウ、中島みゆきの作った海の国境を越えてゆく魚、拓郎が関わるすべての魚類に懺悔しなければならない。空だし、哺乳類だけど、クジラのスーさんにもお詫びしよう。
[追記]
生き別れになった幻の弟が、電脳ハート通信で教えてくれた。メールともいう。
「兄貴、『野の仏』のフナはどうなるんだい」。そのとおりだ。フナにも祈り運ばせていただこう。ここに感謝申し上げる。
「都万の秋」のイカはどうなんだろうか。あれは魚類ではなく甲殻類ということで許していただこう。じゃ「一匹の蟹」はどうなんだ・・・って、それは小室等だ。
■ 2018. 11. 13
転石40年苔むさず
a rolling stone gathers no moss for 40years
SIDE D-2 言葉
「友だち」と「恋人」という罪作りな悩ましい境界線をめぐって人は苦しむ。「ローリング30」も終盤のSIDE-Dに差し掛かって、「言葉」と「無題」という、まさに友達と恋人の切ない境界をめぐる珠玉の名作が登場する。
「ビートルズのアルバム『アビーロード』のB面みたいな気分」という表現があるようだが、私はこの2曲が交錯する「ローリング30のD面のような気分」という言葉があっていいと思う。あと「『TAKURO TOUR 1979』の人間なんてのシングルをひっくり返す気分」というのもあっていい(※大事なところで非常にもどかしく興醒めする気持ちのこと)。その話はいい。
やっぱりローリング30が二枚組であることののスケールメリットというのは確実にあるのだとこのD面に思う。
「愛してる」が繰り返される、普通だったら気恥ずかしい歌のはずが、なぜこんなにも胸をわしづかみにするのか。それは友だちと恋人の境界を越えようとする青年の逡巡し胸張り裂けそうな気分が、音叉のように私たちの中の経験や思い出を揺らすからだと思う。 詞だけでなく、メロディー、歌、演奏がひとつになって私たちの琴線を揺さぶる。
♪電話の声は〜囁きまじり・・・・・・夜の静寂の中に単刀直入に切り込んでくる拓郎のボーカルに息をのむ。ああ、今さらだけどいい声だなぁ。
大学の時の退屈な講義の先生の口癖に予測の不可能な混沌の世界に入ってしまうことを「それは暗闇への跳躍です」というものがあった。まさに暗闇へ跳躍せんと、緊張し高鳴る心音のように、ヒタヒタと刻む美しいピアノ。この歌で拓郎のボーカルの代わりがないように、誰がなんと言おうとこのエルトン永田のピアノこそがベストである。コードを弾くだけでなく、ボーカルに静かに寄り添うピアノとはこのことではないか。
そして境界線に向って思い切って跳躍した青年を祝福し、また抱きかかえるかのように間奏の演奏が全力展開する。このドラマチックな演奏がまたすばらしい。ソリッドな演奏であるが、決して力まかせのものではなく、音のひとつひとつがやわらかで温かい。こうなるとロックウェルのミュージシャンたちの独壇場だ。
そして何度でも言う。最後の「そうさ君の部屋の硝子箱に入れてぇぇぇぇぇぇ」迷いなく空に向かって一気に突き抜けてゆく極上のシャウト。この世にこれ以上のシャウトはない。いや、あるかもしれないが、これを聴いている時には浮かばない。
お願いだ。ライブにおいて、ここの部分で、声を下げたり、余裕かまして変化をつけたり、シャウトを避けてウヨウヨ節回しをしたりせずに、この音符のとおりにまっすぐ唄い切ってほしい。空に向ってボーカルを放って欲しい。これは文句や注文ではなく、涙ながらに伏してお願いしたいのだ。
この青年は、この後、どうなったのだろうか。「預かっておきます」ってちゃんと預かり証は貰ったのだろうか。そういう話じゃねーだろ。作品は、幾多のライブで歌われて、2007年越谷でだけ一曲目を飾った。あの時の美しい立ち姿。この原曲とともに永遠だ。
ラジオでナイト 第80回2018.11.11
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
吉田拓郎です。「もう一度やってみたいこと」を募集した。
<2年越し横浜マラソンでパシフィコ横浜に行きたいという投書>
マラソンをやる人のキモチがわからない。例えば山に登る人の、そこに山があるからという気持ちがわからない。危険なことに挑戦する人がいるけれど、危ないじゃないかと思ってしまう。挑戦というものが吉田拓郎はわからない。
マラソンを観ていたら、もう休みなさいよ、歩いたら、いいじゃないと言いたくなってくる。競技としてのマラソンを観戦するのは好きだけれど、ゆっくり座って水を飲んでもいいじゃない、休憩所とかがあるとアイスクリームとかコーラでもどうぞと言いたい。行きつけ…じゃなくてかかりつけの医師が日本のあらゆるマラソンに参加する
大阪マラソンまで新幹線で行って、新幹線で帰ってくる。これが、よくわからない。だったら、大阪までマラソンで行けよと思う。わからないことがあるね。
<44年前の学生時代に戻ってフォークバンドの再結成をしたいという投書>
オレの一番嫌なことを(笑)。でも学生時代にバンドをやった人は、またやりたいと思うのかもしれないな。
僕も広島時代のR&Bのバンド仲間と演奏したい。みんな元気なのでもう一回やろうよといつも言っている。広島に自分のコンサートでは行かないけど、自分のバンドなら行く。
<年齢層高すぎる、スーダラ節が問題なら、フランク永井、三波春夫とかそういう曲をかけて若者を追い出したのは拓郎さん本人ですという投書>
ははは。確かにアンコ椿とか流したもんね。これからもやるけれど、少しは聴いてくれと言う事よ。
<19歳の大学生(拍手)いつもCD聴いていますという投書>
面白いと思うなよ。必ずあとでひっくりかえされるからな。FromT 買ったか。何なら送ろうか。
この番組の開始の時、5年はやってくださいよと言われた。 5年は長い、半年、1年くらいかな。もう1年半だし、どのへんまでと思っていたけれど、19歳というと刺激される。じゃあ、普通のおっさんおばさんではやる気ないのか(笑)。
ヘアスタイリストを変えた。僕の髪の毛を22,3歳の女の子をケアしてくれる。今までは 50歳のおじさんだったけれど(笑)、彼だって昔は20代だったんだよ。今の20代の女性にシャンプーとセットしてもらう、こんなウキウキすることある?男たち、そう思わないか。
<劇団四季ライオンキングが素晴らしかった、今度のライブはミュージカルでどうかという投書>
バカ野郎。歌って、踊って、タイツはいて、あり得ない。ミュージカルは苦手だ。見てられない。映画でもララランドは面白かったけれど。
途中で歌い始めるとダメ。ウエストサイドストリーもちゃんと観てられなかった。ああいうのはやらないよ。
<市川公演ありがとうございますという投書>
検見川に住んでいたころ、赤坂のコロンビアに、自作の曲をオープンリールで作っては聴いてもらっていた。まだだな、とか言われてがっくりして帰ってゆく。あの時代がなかったら自分もなかったのかもしれない。千葉の頃は今が想像だにできなかった吉田拓郎のラジオでナイト
■オープニング曲
<帽子とかシャツとかいろいろなプレゼントが欲しいという投書>
今後はいろんなものプレゼントしようかな。仕事部屋というか勉強部屋の机の引き出しにはガラクタばかり。時計とか出てくる。ハワイに行っていたの頃のダイバーズウオッチとかG-SHOCKとかあるんだけれど、プレゼントしちゃおうかな。気安い感じで、なんでもあげますという番組にしようかな。持っていてもしょうがないし、断捨離で捨てるのもなんだし。サングラス、帽子、欲しけりゃあげるよ。FromT以来、持ってけという気分。
詞を募集していたけどいい詞がない。ひとつのヒントとして「アンコール」という映画 の最後に出てくる老人の歌う歌の歌詞がいい。愛する妻先立たれて残された夫の愛の歌。
心の疑問はまたの日に
君の効きたかったことはわかってる
おやすみ、ぼくの天使
もう目を閉じる時間だよ
聞きたいことは別の日に取っておこう
何が聞きたいかは分かってる気がする
きみはぼくが何を言おうとしてるか分かってる気がする
きみをひとりにしないと約束したね
だから忘れないでいて
きみがどこへ行こうと
きみがどこに居ようと
ぼくはきみから離れやしないと
きみはいつだってぼくの一部分なんだ
(※ビリー・ジョエルの「ララバイ」)。
いい詞じゃない。こういうのを書きなよ。みんな自分とか僕とか私とか世界に入り込み過ぎだよ。どっぷり自分につかっている。ここまででいいんだよ。これ大事なヒント。
■CM明け 勝手に選ぶ日本の歌50選
「た」
・タイムマシンにお願い サディスティック・ミカバンド
・タトゥー 中森明菜 M-1
・黄昏のビギン 水原弘 M-2
>知らなかったな いくつくらいの人たちのリクエストなんだ、年齢層高い
・たそがれマイラブ 大橋純子
>大好き 筒美京平さんの曲だよね、イントロからしていい
5位 旅人よ 加山雄三 (歌う)
>いい曲。ちょっとフォーキーだな。
4位 太陽がくれた季節 青い三角定規
>全然接点ゼロ
3位 タッチ 岩崎良美
>昔、TBSのラジオでよく来てくれた
2位 タイムマシンにお願い サディスティック・ミカバンド
1位 たそがれマイラブ 大橋純子
それとは別に「達者でな」三橋美智也(笑) これ歌えるし好きなんだけど、若者を追い出すといわれてしまうのでかけない。好きなんだけどな。
今日はちょっと気になったので、
M-3 他人の関係 金井克子
■CM明け
次なるツアーでの一曲目についてのメール。
<クイズですが「君が好き」が聴きたいという投書>
これはクイズなのか(笑)。17歳かホントに。岡本おさみの詩は、とてもフォーキー、そのためにLIVE73では、ロックしたりシャウトしたりする。岡本おさみの詩でオープニングは考えていないな。
<やさしい悪魔という投書>
黒い網タイツで、あり得ない。そんなカッコで出てきたら全員総崩れ みんな帰ってしまうか(笑)
<馬>
恥ずかしい
<心の破片>
いいねぇ。意外だ。忘れてた
<純>
どけ、どけ、どけ…‥渋いね
<海を泳ぐ男>
いいね
<流星>
リベンジだな。歌えないくらい募ってしまったからな。
♪なんですか・・・一緒に唄うか
<ペニーレインでバーボン>
次期リストということで41曲くらいリストアップしてある。その中には、1,2の新曲とともに「ペニーレインでバーボン」、「ペニーレインは行かない」が入っている。どいうふうに歌うか、トライしたい。一曲目ではないけれど。
<男達の詩>
懐かしいね。紫色の〜 忘れちゃったな
<言葉>
これかぁ
5位 元気です >ありえない
4位 おろかなるひとり言 >ありえない
3位 男達の詩
2位 たどり着いたらいつも雨降り
>意外とノリにくい。ワッと乗るより、聴きたくなってしまう。
1位 ペニーレインでバーボン
集計すると
5位 男達の詩
4位 ペニーレインでバーボン
3位 春だったね
2位 ああ青春
1位 元気です
なんだ、このバトルは。「元気です」はあり得ないって言ってるのに、いじめだ
もうひとつメンバー紹介の歌を長いこと「全部抱きしめて」でやってきた。
LOVE2のころからずっと続いている。これを変えてみたい。なんの曲がいいか、募集したい。
ちょっと描いているのは「風の街」。ジーンと来そうな。コーラスに唄わせてさ。
■マイフェイバリット
世界の誰もが知っているジェームスボンドの特集。
まずはジョンバリー楽団のジェームスボンドのテーマ
M-4 ジェームスボンドのテーマ ジョンバリー楽団
もう、このシリーズは今も六代目
ショーン・コネリーの一作が1962年。映画館から出る人がみんな007になっていた。細身の雨傘が流行った。カッコよかった。2020年にダニエル・クレイグで続いている。
初代のショーン・コネリー。
2代目 女王陛下の007 はジョージ・レーゼンビ
3代目 ロジャー・ムーア
4代目 ティモシー・ダルトン 観ていない
5代目 ピアース・ブロスナン ダイ・アナザーデイが良かった。ボンドガールのハル・ベリーが好きなんだ。
ボンドガールは日本の女性でも浜美枝さんとか丹波哲郎さんとかも出ていた。
この歴代のシリーズに主題歌がたくさんある
M-5 ロシアより愛をこめて マット・モンロー
僕は年齢的にショーン・コネリーが印象的だった。
M-6 ゴールドフィンガー シャーリー・バッシー
歴代ボンドのどれが一番いいか。ダニエル・クレイグはカッコ良さが違う。彼の作品は全部観ている。
ロジャー・ムーアの時の美しき獲物たち。
M-7 美しき獲物たち デュランデュラン
1985年。聴いたことないな。僕が007を観ていないんだな。
ピアース・ブロスナンの時のワールド・イズ・ノット・イナフ。フランスのなんとかという人か出ていたな。
M-8ダイ・アナザーデイ マドンナ
時代とともに曲相が変わってくるな。映画もハル・ベリー好きで何度も観てるのに頭にないな。007といえば、ショーン・コネリーになってまう自分にがっかり。
次はダニエル・クレイグの時2012年のスカイフォール。
M-9スカイフォール アデル
■エンディング
・一曲目
・メンバー紹介
・詞
どっぷり自分の世界に浸らない、少し遠くから自分を観るように、スマホに映った自分をみるように第三者的にみること、そうすると楽しい歌も淋しい歌もクールに描ける。べったり自分だと勝手にやってろということになる。
・「あ」「か」
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆マラソンする人がわからないと言いつつ「マラソン」という名曲を書き、山に登る人のキモチがわからないといいつつ「友と汗を拭き山に登れば〜(吉田町の唄)」と歌い、危険なことは嫌だといいながら「時には危ない、危ない橋も渡ってみたい(王様達のハイキング)」と叫ぶ、あなたのこともよくわかりません。
☆拓郎が「黄昏のビギン」を知らないとはちょっと意外だ。
☆くれ、くれ、くれ、くれ、捨てるもんならくれ。
昔オールナイトニッポンで、家にあったヒューズとか植木鉢とかあげてたじゃないか。
何でもいいぞ。そうだ、篠島のステージ衣装まであげてて、悶絶したものだった。
☆岩崎良美ちゃん懐かしいな。ホント毎週のように来ていて「良美ちゃん良美ちゃん」と
拓郎もすげーかわいがっていた。だから、「Y」ってぜってー岩崎良美だと思っていたよ。
☆「言葉」が一曲目。そうだ、幻のCountry。しかも、初日の越谷だけだった。「歩道橋の上で」のDVDの映像。後姿の拓郎がインサイドから撮影されていて、幕が開いて越谷の一曲目「言葉」を歌いださんとする背中が映る。ああ、もう超絶カッコイイのだ。観ながら「ああカッコイイ」と思わず叫んだ。その映像の背中をキャプしてNinjin designのY画伯に無理矢理頼み込んで描いてもらったのが、だからこのサイトのTOPのイラストだ。感慨深い。
☆風の街のメンバー紹介は2009。あれも素晴らしかった。今も聴き返す。
☆007はそんなに観てない。どっちかといえば009の島村だ。でも世代的にロジャー・ムーアが一番思い出深いかな。ダニエル・クレイグって、あれなんとなくロシアのプーチンみたいな顔なんで苦手である。
☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆☆
自分にどっぷりと浸かった詩を書いてはいけない。写真に写った自分を描くみたいな少し突き放した感じがいい。御意。真理だと思う。でも、御大、あなただけは自分にどっぷり浸かれば浸かるほど、素晴らしい歌を書くような気がしてならない。天才には真理も通用しない。
■ 2018. 11. 14
転石40年苔むさず
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SIDE D-3 Baby
このアルバムの中では印象の薄い作品でそれほど渾身で作られた気もしない。すまん、失礼か。しかし、だからこそ二人の天賦の才能を感じる。なんともいえぬ心地よさがあり、気持ちよく身体を揺らしていたくなる。たぶん二人の天才から、意図せずとも自然にこぼれ落ちた才能の雫のようものが宿っているからではないか。
まるで映画を観ているような気分にさせてくれる。”君の心が石になる朝、僕は探せぬ場所に消えてる”‥‥‥鉄橋を渡りながら進む寝台列車の中で、回想シーンのように、きみとぼくのことが語られる。みかんの香りに君の洗った髪を思い、枕を抱いて泣く僕。”そして、僕たちはもう違う線路で、違う明日の駅を待ってる”という切なくもシャレたしめくくり。
メロディーによっては重くなってしまうかもしれない設定を拓郎は見事にポップな感じに生かす。たぶん拓郎の身体にしみこんでいるR&Bとかアメリカンポップスの音感が、こういうライトで弾むような、それでいて味わいあるメロディーが自然に押し出してくるのだろう。
こういう作品は、フォーラムやパシフィコの大ステージで演奏するというより、ほどよいサイズのライブスポットのような場所で、等身大の演奏で聴きたいよ。そんな場所でこそこの作品は輝きだすのではないかと思う。
「鉄橋」「別れ」「列車」というと「猫」の名曲「各駅停車」を思い出す。喜多條忠作詞で石山”慕情”恵三作曲。拓郎ファンの私が言ってはイケないのかもしれないが「猫」の作品中で圧倒的にこの曲がイイ。
勝手な思い込みだが「各駅停車」は北陸・東北の山間をゆく列車の景色が浮かぶが、「Baby」は「世界の車窓から」のようなヨーロッパの森と町を抜けてゆく列車が浮かぶ。勝手ついでに個人的な意見だが、映画でいえばBaby は、綾野剛主演、各駅停車は、遠藤憲一主演という気がする。どっちがどうということではない。それぞれに行間からただよう個性があるように思うのだ。
ということで「松本隆・喜多條忠の鉄道の旅対決」、明日は「死闘!! シベリア鉄道VS夜行列車」をお送りします。そんなものお送りすんじゃねーよ。
■ 2018. 11. 15
転石40年苔むさず
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SIDE D-4 無題
友だちと恋人の境界線をめぐるもうひとつの名曲。「言葉」がロックウェルチームの至高なら、この「無題」はほぼティンパンアレイチームの珠玉だ。どっちがどうなのかわからないが、ともかくこの二大名曲がアルバムのD面で対峙しているのが、このアルバムの凄さのひとつである。
両チームとも、サウンドやアプローチは大きく違うが、それぞれに素晴らしい音楽力を誇る。この異種の二つの糸がよりあって「ローリング30」という一本の強靭な糸となっている。
次作の一発録りアルバムは、是非、このロックウェルVSティンパンの対バンでやってはくれまいか。
境界を飛び越えた「言葉」に対して「無題」はその境界の周りで煩悶する。その意味で「恋唄」と背中合わせのランデブーである。
松任谷正隆と駒沢裕城による悲しみを湛えたイントロからもう絶品だ。私はこのイントロだけで泣いてしまう。もう、パトカーのサイレンとかで遠吠えで鳴く犬みたいなものだ。この哀愁の海を漂うようなメロディと歌詞に涙腺が刺激されまくる。
「ついさっき沈む夕日がぁ〜」、「男にも泣く時があるぅ〜」のあたりのメロディー展開と拓郎の哀しみに満ちた切ないボーカルのうまさ。なんと繊細で情感溢れる歌いっぷりなのだろうか。
先日あらゆる意味で超絶な拓郎ファンの方と話をしていて思い出させていただいた。1978〜79年頃、甲斐よしひろのNHKサウンドストリートで、よく拓郎の曲を流していた。当時の彼の著書「荒馬のように」では「ハッキリ言って俺が日本の音楽界で刺激を受けるのは吉田拓郎と矢沢永吉の二人だけだ」とある。ハラショ。その番組で「無題」がよくかかったので、甲斐のお気に入りだったに違いない。ここからは全くの憶測だ。1980年の甲斐バンドのアルバム「地下室のメロディー」に「街灯」という名曲がある。これは甲斐よしひろの「無題」なのではないかと思っている。もちろんパクリとかでは全くない。詞のプロットもメロディーも違う。ただ「ついさっき沈む夕陽が」(無題)と「今夜報われない」(街灯)、ここのメロディーの泣きたくなるような切なさのツボにおいて通底するものがあると思うのだ。だから個人の思い込みね。
何度でも言うが「オールをどこかさらわれちまった」は、松本隆の必殺技だ。「ああ時を渡る船にオールはない、流されてく(WOMAN)」「オールさえ無くしたまま二人(哀しみのボート)」ということで、これを松本隆のオールなき船の三大名曲と名付ける。オールを失くしたら、水に入って抜き手をきるしかない。なんだそりゃ。
この曲を2009年のサプライズで歌ったときはビックリしたな。予想だにしなかった。「やればできるじゃん」と思わず口走ったものだ。このライブで「白夜」を聴き逃した事をあれだけ悔しがっていた松本隆だ。この曲もさぞや聴きたかっただろう。もしも開場と同時にファンと一緒に全力で駆け込んできて会場整理の人ともみくちゃになる松本隆を観たら、それは感動なんてものじゃないだろう。
■ 2018. 11. 16
転石40年苔むさず
a rolling stone gathers no moss for 40years
SIDE D-5 海へ帰る
「虹の魚」の項で「ニジマス」が恥ずかしくて級友にダビングできなかったと書いたが、その時にもう1曲ダビングできなかった曲がこれだ。やはり恥ずかしかった。理由はただひとつ、最後のサビの「泳げないけどぉ」。拓郎が泳げないというのは有名だし愛すべきエピソードだと思う。しかし、このアルバムの最後のしかも一番最後にワザワザ歌い上げる意味があるのか。冷笑する級友の顔が浮かんだ。最後の最後にきてのブチ壊し感がハンパ無い。それさえなければ。
拓郎は最初「自殺の詩パートU」にするつもりだったと物騒なことを語っていた。だから「海に帰る」なのか。しかし「自然の中でこそ生きることに触れるよ」というフレーズからも、自然のフトコロに帰って生きるというポジティブな歌なのだと思い安堵した。
もともとジャケット写真のとおり、サイパンの海から始まったアルバムであるし、アルバムタイトル案も「海へ」「渚にて」等が候補だったというから、拓郎の中では「海」がひとつの大きな隠しテーマだったのかもしれない。
さらに40年経つと、またあらためての思いもある。例によって全くの勝手な思い込みだ。この当時はわからなかったが、フォーライフの社長として忙殺されていた苦悩の日々を御大が少しずつ語り始めていた。
会社ゴッコは面白いかと揶揄され、業界人やレコード店主らに頭を下げたり、イヤミを言われたりする日々。そうだよな、拓郎は反骨的若者の代表だったワケだし。それでも屈しなかった拓郎は、やがて諸先輩らから可愛がられ、業界にくらいついてゆく。
「人がイイとか話せるヤツだとか慰められる気分も悪くないものさ」・・・このフレーズを軽く聴き逃していたが、そんな業界オヤジたちとの接待のキビシイ日々が覗くような気がしてくる。まったくの想像だが「アンタ生意気だと思ってたら意外とイイヤツだね、話わかるね、ガハハハハ」と業界人から上から目線で言われている様子とか。今年の報知のインタビューでも、業界に取り込まれてゆく当時の敗北感のようなものを語っていた。そして、やっぱり音楽をやりたいと切に思ったという。
そうなると「僕はもともと1人きりのはずじゃないか。風の中に心を委ねたはずじゃないか」という歌詞が胸に迫ってくる。「俺はこんなところで何をやっているんだろう。歌いたい。歌うぞ。」という覚醒の叫びに聴こえる。黒澤明を応援する会での熱唱事件ともシンクロする。そういう、がんじがらめの業界から離れる、そのための象徴が大自然の青い海だったのではないか。「海へ帰る」というのは、まさに"しがらみ"という鎖を身をよじって解いてゆくことなのかもしれない。
それがこの唄に宿るとじみじみとした清清しさのゆえんか。村岡建のちょっとムード歌謡のようなサックスもいいし、このゆったりとして、しかしタイトな島村英二のドラムがたまらない。"歌ものの島ちゃん"と業界では言われているらしいが、拓郎の言葉をひとつひとつ頷かのくように受け止めてリズムを刻んでゆく。聴いている自分も、この40年はそんな島村英二のドラムに打たれながら生きてきたのだとあらためて思う。
40年経って、そんなふうにあらためてこの作品を聴きなおしてみると、あんなにイヤだった「泳げないけど」というフレーズが・・・…余計に要らないと思えてくる。
ワカラナイ。
文字にするとエラソウに文句つけているように読めてしまうかもしれないが、違う。羊飼いがイエスに「主よ、これにいかなる意味があるのでしょうか?」と尋ねるように、門前の小僧が釈迦に「世尊よ、ここにいかなる悟りがあるのでしょうか?」と教えを乞うように、真摯に問いかけているのだ。わかってくれ。
ともかく、ひとりきりになって海へ帰ろう。そこから、たかが歌手にもどって出発だ。そういう決意が潜んでいることに間違いなかろう。11月に観ると少し冷たそうなジャケットの海を心に浮かべ、吉田拓郎の新たなミュージシャンとしての胎動を感じさせながら、この2枚組の本編は終わるのだ。
そしてこの2枚組のLPを聴いても、まだこのアルバムは終わらない。それこそが私たちの至福なのだ。
■ 2018. 11. 17
転石40年苔むさず
a rolling stone gathers no moss for 40years
SIDE E 君の街に行くよ
SIDE-Eって何気に書いているけど、レコードのE面だよ。「ローリング30」をアナログで買ったすべての方々よ、この地球上に私たち以外にSIDE-Eなんてものを観たことがある人が何人くらいいるだろうか。間違いなく私たちは希少生物であり、それゆえに絶滅危惧種でもある。とにかく、みんなで助け合って、生きていなけりゃ、そう生きていかなけりゃ。
この作品の詞を冷静に読むと、本編で天才的技をふるった松本隆にしては、あまりに凡庸でヒネリがなさすぎる。テキトーな流し運転のように感じなくも無い。しかし、いいのだ。あの2枚組の大作を聴いたあとには、気持ちよく味わえる。ウイニングランのようなさわやかな気分で迎えられるというものだ。
しかし例えば、これが「ひまわり」みたいな8曲しか入ってないアルバムの1曲だったらそうは言ってられないかもしれないけれど。
詞は凡庸と書いたが、凡庸な言葉をある種の明るさとノー天気さをもって歌い上げられるのが、拓郎の才能である。「歳をとるのを待つ人がいる そんな群れには入りたくない」「君の街に行くよ 君の街に行くよ 芝生や緑横切りながら 君を抱きしめに行くよ」という無防備な言葉を、スカっ晴れの青空のように弾ませるメロディーと歌声と演奏。心に涼風が吹いてくる。歌詞にもある「恋をしている気分」をホップさせているような清々しい明るさ。いつの間にかウキウキとした気分で馴染んでしまうマジックだ。
役員室午後3時に閉じこもっていた吉田拓郎が、扉を開けて、君の街に唄いにゆくのだ。待ってたぞ。
「ローリング30」発売40周年記念
転石40年苔むさず
a rolling stone gathers no moss for 40years
SIDE-F 素敵なのは夜
SIDE-Fって何気なく書いているが、レコードのF面である。もうわかったよ。
この名盤のオーラスの曲としては少し意外だった。松本隆でもなく吉田拓郎でもなく、白石ありすでクローズするとは。前年に東京キッドブラザースに提供していたこの曲をもってくるとは。しかし、本編の作品と比べて決して遜色はない。「伽草子」の作詞家白石ありすの繊細な詞とこの詞に相応した独特の陰影あるムーディなメロディーは、メジャーなポップスとしても、前衛的なミュージカルの主題曲としてでも、どこに出しても恥ずかしくない逸品だ。こういう作品を聴くとあらためて拓郎のメロディメーカーとしての才脳を感ずる。
このアルバムを小さくまとめて閉じようとせず、あえて異質な世界を最後に持ってくることで、Never endingな余韻を残そうというのだろうか。わからん。わからんがカッコいい最後であることは間違いない。
東京キッドブラザースのリハーサル現場に乗り込んで行って、劇団員の金井美椎子たちにハリキッて歌唱+演技指導までしていた拓郎。この歌で「抱きしめてる」のところが大事なんだと拓郎は力説していた。その時に既にレコーディングされていたと思われる金井さんのレコードを聴くと「少し眺めていたいけどぉぉぉ抱きしめてる」と、つながっているのに対して、拓郎のバージョンだと「少し眺めていたいけどぉぉVV抱きしめてる」と継ぎ目を入れて「抱きしめてる」を引き立たせている。
ジェイクのクラリネットが醸し出す雰囲気は独特だ。ちょうど2018年11月11日の放送で、拓郎は次回のコンサートのメンバー紹介の曲を何にするか募集するといった。この「素敵なのは夜」は、1991年のdetenteツアーの時のメンバー紹介だったと思う。いい感じだった。ということでこれを聴きながら、最後に、この素晴らしいアルバムのメンバー紹介を思い浮かべてみよう。
ドラムス 島村英二
ベース 石山恵三
E.ギター 徳武弘文
A.ギター 石川鷹彦
キーボード エルトン永田
ドラムス 林立夫
Eギター 鈴木茂
キーボード 松任谷正隆
ベース 後藤次利
Aギター 吉川忠英
スチールギター 駒沢裕城
パーカッション 斉藤ノブ
サックス ジェイク・H・コンセプション
村岡建
砂原俊三
トロンボーン 新井英治
トランペット 数原晋
岸義和
バイオリン 日色純一
武川雅寛
ストリングス トマトグループ
ハーモニカ 常富善雄
コーラス 伊集加代子
尾形道子
鈴木宏子
ボーカル・ギター・作詞・作曲 吉田拓郎
作詞 松本隆 白石ありす
ボーカル・ギター 吉田拓郎
あと申し訳ありません、私が知らない、または思い至らなかった、このアルバムに関わられたすべての皆さん。盛大な拍手を贈らせていただきます。ありがとうございました。
「ローリング30」発売40周年記念
転石40年苔むさず
a rolling stone gathers no moss for 40years
翌日読んでもらいたいささやかなあとがき
ただのシロウトの日記になんであとがきがあるんだ。でもこれだけは書いておきたい。
2010年ころにあった松本隆の「風街茶房」という公式ページに松本隆のインタビューが載った。「ローリング30」とは関係ない、筒美京平についての話だった。
「京平さんのことを考えると、あれは音楽の魂だと思うんだ。(吉田)拓郎とかもそうだよね。年取ったなんて何も関係ない。確実なのは40年持ったものは100年持つってことだよね。」
40年持ったものは100年持つ
私はこの松本隆の言葉を灯に、この言葉に向って書いた。
シロウトのジャリ書きだが、書かずにいられなかった。
40年続いた、この道は100年先まで続くのだ。どこまで行けるかはわからないが、現世に忖度せず、100年先の人々に話しかけてみようと思った。
音楽の魂が敷いたこの導線につながるものを信じてまいりましょう。
■ 2018. 11. 18
帰って来た転石40年苔むさず
a rolling stone gathers no moss for 40years return
あとがきまで書いといて何だが、どうせ誰も気にしちゃおるまい。まだ書き足りない。
「ローリング30」が制作された1978年。ついつい「音楽から離れていた社長時代」と書いてしまうが、吉田拓郎は、私が思いつくだけで、これだけの曲をこの年に書いていた。どこが音楽から離れとるねん。
ここだけで23曲。クオリティも高い。量は質に転化するとはこのことだろうか。これらの怒涛の創作のうえに「ローリング30」という全21曲のアルバムを作ったという事実は忘れてはならない。凄くない? 私は思い返すたびに感動する。音楽の現場から離れていた渇望がこれだけのメロディーを作らせたのだろうか。えらかったね。4枚組とか平気でイケたね。そういうことではないか。
舞姫 本人
隠恋慕 同
狼なんか怖くない 石野真子
詩生活 同
いたずら 同
ジーパン三銃士 同
ひとり娘 同
ポロポロと 同
私の首領 同
ドンファン 神田広美
アゲイン アグネス・チャン
ダンディー 大野真澄
マリア 同
ラブカンバセーション テレサ野田
フワリフワフワ 同
さよならロッキー カーニバル
いいじゃなかいか 清水健太郎
青春試考 中村雅俊
注文の多い恋人よ 同
友達になろう 伊藤咲子
十九の夏に 竹下景子
セイヤングのテーマ 滝ともはる
君に会ってからというもの僕は 小室等と共作
■ 2018. 11. 19
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
吉田拓郎です。2050年までに世界で販売する日本車はすべて電動になるらしい。30年後ガソリン車は売られなくなる。
地球環境を考えれば理解できる。それはそれでいいことなんだろうけれど。
例えば、今、みんなスマホで写真を撮る。コンサートでもスポーツ会場でもどこでもみんなスマホで写真を撮影している。
先日、武部・鳥山ご夫婦とウチの夫婦6人、6バカで次のコンサートのことを話ながら食事をした。記念写真を撮ろうということで、みんなスマホなんだけど、僕はデジカメだ。スマホの写真機能があるけれど、いいとは思わない。僕はカメラで写真を撮りたい。そうでないと撮った気にならない。固いのか。本当はアナログがいいのかもしれない。
車もガソリンでないと気分が出ないという人がいるかもしれない。それが昔からの楽しみ方だ。マニュアル車に親しんだ人には、オートマ車は、ツマランという人もいるかもしれない。ということで、自動運転は楽しくないという人もいるかもしれない。
自動運転とかAIが世の中の中心になってくる。ドバイのおまわりさんの10人一人がAIポリスらしい。数十ヶ国語の語学を理解できるらしい。
そういえばネットで翻訳機を買っちゃったよ。あれ、すげーよ。よくできてるんだな。反応も早い凄いな。当分これにハマリそう。コマーシャルでやられたよ。
人工知能中心の社会になってゆく。人間はどういうことを日常すればいいんだろう。
正直淋しくなるなという気がした
便利だけど、掃除も便利だし、それに超したことはない。老人大国では、ロボットのサポート助かるけれどということを思いつつ、どういうジジイ、ババアになってしまうんだろう。ま、その頃はいないかも(笑) はははははは。そういう話は、切な過ぎてできない。やめとこう。
<当時の拓郎さんのラジオの洋楽特集 50年代のアメリカンポップスを知ったし、当時、ライブの模様を流してくれる放送も楽しみだったので、今度のライブも放送してねという投書>
今日も偉い人と打ち合わせ。コンサートツアーにもう一本、特別版という線が強くなってきた。特番でもあるので、番組用にもツアーとは違うプラスアルファもやってみたらどうかと話をした。コンサート20数曲で、歌わなかった曲をリハーサルしといてラジオ用にやったらどうかと話した。どんな曲ですか?と聞かれたので、オールドな歌謡曲でどうだ、 「大利根無情」で、♪とめてくれるな妙心殿〜とセリフ入りで(笑)。楽しい番組ができそう。演奏もやるけれど、ラジオ用の企画も煮詰まって来た。
<ゲネプロってなんですかという投書>
自分で調べろよ。Googleで一発。ドイツ語で、ゲネラル・プローベン。そういえば、武部、鳥山と行ったドイツ料理は意外に美味しかった。ソーセージしかないイメージがあるけれども魚、肉、サラダみんな美味しかったな。ワインも美味だった。
今度のコンサートで、カミさんたち三人でコーラスをしてみないか(笑)。三人で。総立ちになるか、帰ってしまうか。キャンディーズみたいにやってみたら。
総合的な稽古ということだな。初日の前に照明、衣装、セットなど本番とまつたく同じようにやること。通し稽古だ。これがもうさ、吉田拓郎は何十年キライでさ。リハーサルは、 他人の倍以上やっているんだから、頭でライトとかステージの様子とか描けよ、プロならいいだろ。全国縦断をはじめて行なったのに、ゲネプロはもういいだろうというワガママを言いはじめている吉田拓郎のラジオでナイト。
■CM明け
髪の毛のことだが、今までと違う美容室に行くことになった。2016年の映像を担当の子に観てねと渡した。髪型はもういじくりようがないけど。髪型って、60歳過ぎたら、永ちゃん、陽水、小田、髪型は変わってない。デビュー当時は、永ちゃんはリーゼントだったし、陽水は凄いカーリー だったりした。拓郎さんも ロングだったり、カーリーだったり。いまだに髪の毛伸ばしているのはアルフィーくらい。
髪形は、もうあまり変えようがない。こだわりは無いけど敢えて言うと、シャンプーのあと自然乾燥させたい。その時のスタイルが好きだ。その子は「なるほど」とカットしていたがわかったのか。ドライヤーが嫌いで、頭がおかしなカタチになる。数も少なくなって。 泣きそうになってしまうからこの話は。
リクエスト「あ」
・悪女 中島みゆき
・赤いスイトピー 松田聖子
>名曲
・雨の物語 イルカ
知らないけれど、大半がフォーク世代。それも和製フォーク。アメリカンフォークとかではなく。もうちょっとミセスグリーンアップルとか若手の西野カナとか聴かなきゃ。
・あの素晴らしい愛をもう一度
>フォーク集会とか必ず最後に歌うよね。いい曲だけど。
・あなた 小阪明子
・会わずに愛して クールファイブ
歌う♪ いついつまでも〜好きだな。人のこと言えないな。
・青い山脈 藤山一郎
>古いなぁ
歌う。歌えてしまうんだ。
・本田路津子。彼女は、当時ミュージカルステーションに所属していて、NHKオーデションで一緒になったことがあった。ミニスカートのきれいな足だった。彼女は合格。僕はイメージの詩で落選。その審査をしたのが藤山一郎さん。
M-1 秋でもないのに 本田路津子
なつかしい。♪秋でもないのに冬が来て、冬なのに春が来た、春になっても夏が来ない〜
ステージで歌ってたな。どうでもいい時代だね。音楽以前だね。
5位 ああ上野駅 井沢八郎
>許して。知ってるけど。
4位 アンコ椿は恋の花
>広島ACB ロックやってんのに隣に都はるみのポスター写真あった
3位 あの鐘を鳴らすのはあなた 和田アキ子
>リクエストした人は30年前というと今は59歳か。59歳というと若者のような気がするな(笑)
2位 雨上がりの夜空に RCサクセション
1位 愛のメモリー 松崎しげる
全体に古い。若い人の曲がたくさんあるのに。どうして古い曲ばかりなの。夢がなくなってくる。若い人の歌を聴きなよ。ブラジルのラテンとか、新しい曲を教えてくれと言ったけれど一通も来ないよ。
来週は 「か」「さ」「な」
気持ちを明るくさせてくれよ
M-2 雨上がりの夜空に RCサクセション
■CM明け
♪惚れた女の幸せを 願う男の一人酒(演歌超)
こんな詞を送るなよ。「終恋歌」
やめてよ(笑)
良く書くね。凄い量。読むのが大変だけど全部読んでるよ。疲れ切って帰る。
僕は濃い味が好き 君は薄味が好き
僕は待つのが嫌い 君は行列が好き
だけど僕にあわせて並ばずにいてくれたね
ここが要らない
君といると和むんだ ささくれだった心がゆるむ
ささくれだったままでいてほしいのよ。ずっとそういう君を見続ける、ずっと見ていたい
というのがいいと思う。
いい方にまとめてしまうのがつまらない。
せっかく、結構いいかもな、という出だしが続かないんだな。
コンサートの一曲目。 落陽、人生を語らず、春だったね、そういうのじゃないのでいこうと思う。やっぱりそれとは別に「落陽」がないとしたら「人生を語らず」はあってもいいかな。そういう曲のチカラがある アップテンポで終わればいというのではない。
ストーンズならば、どこでもサティスファクションを聴きたいというのがある。
この曲を聴きたいというのがあるかもしれないが、逆に僕はこの曲は歌いたくない曲というものが、絶対ある。そこは勘弁してくれ。
5位 ああ青春
4位 冷たい雨が降っている >(歌う)わかんなくなった。さっきのが強烈すぎて・
3位 パラレル >エイトビート
2位 落陽
1位 春を呼べ
・イメージの詩
>しばらく歌っていないな。長いんだよな。貧血になりそうだな、君たちもだよ、客席が心配だ。
・チェックインブルース
シブイ
・大阪行きは何番ホーム
>瀬尾ちゃんとのライブでこれが最後といったので、ないな。
・虹の魚 ロックンロールだね。メドレーはありか。言っちゃったよ。
聞いちゃいやん。
・冷たい雨が降っている
・おろかなるひとり言
これは広島の山。黄金山というのが近所にあった。そこに登って見下ろすと世界が小さく見えた。当り前だ。丘の上から観てるんだから、小さいはずだ。
5位 おろかなるひとり言
4位 ペニーレインでバーボン
3位 春を呼べ
2位 たどり着いたらいつも雨降り
>これはオープニングには難しいと言ったろ。
1位 ああ青春
■マイフェイバリット
おまちかね、この人。 ジャニス・リン・ジョプリン
女性のロックシンガーはみんな彼女が好きでしょう。
早くして亡くなってしまったけと。なぜ有能な天才がこんなに早くと考えると悔しい。
もとはクリス・クリストファーソンの歌をカバーした。ディランが出演した映画「ビリーザキッド」でビリーを演じたのがクリス・クリストファーソン。このときのディランは、ナイフ投げで、チンピラっぽい。吉田拓郎よりヘタだった。ディランは演技ダメだな。
この人のミー・アンド・ボビー・マギー をまず。
M-2 ミー・アンド・ボビー・マギー クリス・クリストファーソン
カントリーなんだな。これをジャニスが歌うと素晴らしくなる。
ブルースシンガーだな。一度はこのシャウトの姿を見たでしょう。
これに心動かない人は音楽のわからない人だと思う。生きざまが自由奔放でチャーミング。
27歳で亡くなるとは、あまりに早い。ドラッグだね。ジミヘンとかエイミーとかみんな先を急ぐように逝ってしまう。オーティスとかも。みんなであっちでロックフェスをやってるんでないか。ベッド・ミドラーの「ローズ」という映画、一度観てください。
M-4 ミー・アンド・ボビー・マギー ジャニス・リン・ジョプリン
■エンディング
・一曲目
「ありがとう」は参考になった。武部鳥山と話した。
メンバー紹介の曲募集。
・歌詞
・「か」からす何故鳴くの 「さ」 さーさーいらっしゃい
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆「全体に古い。若い人の曲がたくさんあるのに。どうして古い曲ばかりなの。夢がなくなってくる。」
ううむ、いろいろ反論もあるが、ここのところ毎日、40年前のアルバムのことばかり考えていたし、確かにそのとおりだ。しかし今さら「ヤバいTシャツ屋さん」とか「ジャスティン・ビーバー」とか聴けないし。
☆59歳が若いってなんか嬉しいな。
☆ゲネプロがお嫌いか。私は観たいな。公開してくれないか。そこから番組やっちゃえば(爆)。
☆ストーンズのサティスファクションは確かに聴きたい。「落陽」「人生を語らず」も御意。ただストーンズって定番曲もしっかりやるけれど、それ以外の曲で、いつも唸るようなレア曲を持ってきたり、ああこれはすんばらしいというサプライズなセットリストを日替わりでブレンドしてくれるところが、たまらない。
御大の場合、あれだけ提供曲含めて膨大な名曲がありながら、この10年ちょっとくらいのセットリスト中だけで、ぐるぐる回って埋められている気がするのだ。ステージで初めて聴いたり、超絶意外な曲で悶絶したりする、そんな新鮮な興奮が欲しい。
☆ ナイフ投げのボブディラン,カッコよかったけどなぁ。映画「ビリーザキッド」がディランの名曲「天国の扉」を生んだように、映画「幕末青春グラフティ」が「RONIN」を生んだのだ。ああ聴きてぇ。どうせやらないだろうけど、凄く聴きてぇ。
☆詞の難しさ、わかった。わかったから、御大、どうかあなたが素晴らしい詞を書いて私を打ちのめしてくれ。
☆ジャニス・ジョプリンすごいね。クリス・クリストファーソンのもさーっとした歌が、まさに蘇生しているかのような凄い歌いっぷりだった。
☆☆☆ 星紀行今日の学び ☆☆☆
印象に残ったメンバー紹介曲
5位 全部抱きしめて(2016etc)
4位 約束〜結婚しようよ(1989)
3位 素敵なのは夜(1991)
2位 我が良き友よ(1999)
1位 風の街(2009)
番外CORAZONメンバー紹介の歌(2000)
「風の街」のメンバ―紹介がもう作品としてすんばらしい。
今でも聴いて泣いてます。
■ 2018. 11. 20
拓郎ファンのマスターの無言の心意気に痺れる。
「言ひおほせて何かある」
こんな風に生きたいものだ。
…という傍から、車から黄色い譜面を投げる「T」は拓郎じゃなく武部聡志だってば。拓郎の名誉のために(爆)。
■ 2018. 11. 21
これで本当に最後にしますから転石40年苔むさず
a rolling stone gathers no moss for 40years ,so long indeed
SIDE END 追憶の目黒区民センターから観る明日
というわけで本日は「ローリング30」の発売日1978年11月21日から40周年記念日だ。おめでとう。誰に何がおめでとうなのか、よくわからないが、とにかくおめでとうございます。
発売前夜、店から奪うように買い込んだ重たいアルバムを深夜まで聴き込み感激し、その感激のまま翌日高校からの帰り道に学生服で目黒区民センターの「小室等の23区コンサート」に向った。
たまらずに40年後の今日、早起きして目黒区民センターに行ってみた。バカじゃねぇの、ヒマ人だな、とのお叱りはもう今朝から5人くらいにいただいたのでわかっている。
あった。入り口の前に独り佇んで、すっかり白髪のじいさんになった私は懐旧の思いに浸った。
この今は古びたドアから、ストレートの長髪(少しカールしていたか)をひるがえして、サングラスに焦げ茶のブルゾンに白シャツ、黒のパンツのポッケに手を入れて楽屋入りする吉田拓郎本人を間近で観てぶっ飛んだのだ。ああ、オーラの泉噴出で、スラリと背が高くて、とんでもなくカッコエエと失禁しそうになった。その晩”外は白い雪の夜”の絶唱と”君に会ってからというもの僕は”の爆笑に感動した。ああ幸せだった。
その時小室等は言ったのだ。
やっぱ拓郎はステージにいるときが一番カッコいい
そのとおりだ。短い時間だったが、歌って、ギターを弾く姿だけでなく、立ち姿、談笑している様子、さりげない一挙手一等足、水を飲む姿まで、なにもかもが美しくカッコよかった。
帰り道、万感の思いとともに目黒権之助坂を昇った。こんなに権之助坂に深い思いがあるのは、私とビートきよしくらいだろう。坂を登りながら「来年は絶対ライブに行くぞ、行くと言ったら行くぞ。」と呪文のように繰り返していた。
あれから40年。40年経っても吉田拓郎は、あの時のように毎週ラジオをやり、新曲を作り、ヘアサロンを変えながら依然としてカッコよくそこにいる。そして何より40年前と変わらずに私たちは来年のライブを待っているのだ。凄い。次が待っている幸せ。おめでとうは自分に言うべきか。
「やっぱ拓郎はステージにいるときが一番カッコいいなぁ」・・・・・・そういう悶絶するステージを魅せておくれ。そうだ、カッコよければ何でもいい。それがすべてだと私は思った。カッコよくないことをしなければ、拓郎は普通にカッコイイのだ。すべてがカッコよさ目がけて収斂していって欲しいと願った。
今さらだが風雪に耐え極北を超えて40年後もこうして歌ってくれてありがとう。ありがとうを歌ってくれと言う事では決してないが、私のちっぽけな魂の奥底からありがとうを言いたい。
たかが私に言われたくないかもしれないが、私たちは吉田拓郎という最高のラックを引いたのだ。そう思わないか同志よ、ソウルメイトよ、そして幻の兄弟よ。それぞれのかけがえのない40周年をお祝い申し上げます。
■ 2018. 11. 22
ジェイダの「夏休み」のアカペラで制圧された満場の武道館。いきなり聴いたことない煽情的な演奏が始まって、ステップしながら出てくる拓郎、観客は総立ち。「君の周りは変じゃないか」と切り込んでくる。知らない歌。知らないけれど拓郎は怒りをぶつけるように歌う。「おいらあいつを見捨てたよ」「愛など語るな、おいらとにかく大嫌いだね」。歌詞のストーリーはわからないけれど、攻撃的な言葉がバンバン飛んでくる。わからないけど、それに呼応して全力で盛り上がる観客。
「ああ、拓郎、挑んできやがったな」と思ったものだ。でも観客も負けちゃいなかった。いきなり真剣を振りかざす拓郎に、観客もちゃんと真剣白刃取りで受けていたと思う。歌手のエナジーと作品のクオリティと観客グルーヴが揃ってこそ成功するスリリングなオープニングだった。
うっかりすると、真剣じゃなく木刀を振られて、頭叩かれて、「あいたたたた」と座り込む「七人の侍」の三船敏郎みたくなるところだ。
とにかくカッチョエエ一曲目を楽しみにしているぞ。
■ 2018. 11. 23
昔、ロッド・スチュアートが来日した時、吉田拓郎、井上陽水、西岡たかしの三人で観に行き、拓郎と陽水が大感動している傍らで、ひとり西岡たかしだけが「拓郎、なんやアレは」と浮いていたそうだ。そうはなりたくなかったので、ライブエイドのクイーンを観ておくことにした。
そしたら素晴らしい、素晴らしいったらありゃしない。久々に身体が熱くなった。
フレディ・マーキュリーと聞くといつもマイティ・ハーキュリーを思い出す。これは凄い、カッコイイと唸った。オリーンピアーー!と叫びたい。
フレディとブライアンメイに揺れる満場のスタジアムを観るとそれだけで総毛立つ。ストーンズの映画でLet’s spend night〜の最初、アンダーマイサムで緞帳が降ろされて大観衆が眼前に広がる瞬間、75年のつま恋のああ青春のイントロで拓郎が6万人の前に登場するシーン、それに比肩する興奮がある。
これだ。こういうカッコいいステージを観たい。拓郎は、イヤ拓郎だからこそできるはずだ。
このフレディはやがて「人間なんて」を熱唱するのだ‥‥‥ってそれは「クロマティ高校」のハナシだろ。
うむ、気合が入ったよ。「なんやアレ」なんて言わないよ。
そして思いはやはりあの人のライブに飛ぶのだ。
■ 2018. 11. 25
明治政府が殖産興業のためにフランス人の技師を招聘し、技術指導を受け、優れた製糸機械を開発したのが「ニッサン」だというから、もう因縁めいている。
それにどうしても製糸場と聞くと「ああ野麦峠」が浮かんでしまう。拓郎、野麦峠には俺も泣いたよ、あの大竹しのぶはすんばらしかった。
しかし、女工哀史の舞台は長野県で場所も違うし、富岡では8時間労働が守られ、場内に病院もあったり、同一視してはいけないようだ。但し、民間に払い下げられてから戦時中までは、長時間労働、低賃金、一人一畳半の寮と苛酷な状態であったことも間違いないとのことだった。
美しいから、古いからだけの理由で遺産なのではない。日本の技術の素晴らしさと誇らしさ、働く人たちの勤勉さと精確さ、そしてそれらと往々にして背中合わせになってしまう残酷さと哀しさ、すべてがないまぜになっている。だからこそ先人の方々が命を張って未来に向かって残してくれた貴重な遺産なのだろうと思った。
命がけで糸を吐くモスラまでが愛おしく哀しく感じる。いや、冗談ではなく真面目に思うております。
■ 2018. 11. 26
ラジオでナイト 第82回 2018.11.25
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
吉田拓郎です。
<募集テーマが増えているという投書>
口からでまかせというシステムは深夜放送の極意。昔は、国の情勢とかがテーマになっていて、例えば沖縄について語ろうとか思いつきでみんなどう思う?と問いかけたりしていた。思い付いたことを呼びかける。そういう放送だった。
<ハワイ企画どこへという投書>
ははは。忘れてた?どうなってるんだろうね。コラ、考え直そう。どうすれば吉田拓郎がハワイに行く気になるか企画立ててくれ。もう来ないよな。
<コンサート最後から三番目「潮来笠」。瀬尾さんがかける合羽を振り切ってさらに歌うという投書>
三番目なんて頼んでないよ。潮来笠、橋幸夫、西郷輝彦、舟木一夫、青春御三家では橋だったけど。
瀬尾一三が…なんで瀬尾。ジェームス・ブラウンのガウンみたいに(笑) 。このあと何を歌うんだ。あまりのインパクトに浮かばない。
ちょい役だけと瀬尾にメール入れてみようかな。
エイベックスのスタッフと話をしていた。IT新規企業には多いらしいが、会社に席がないらしい。定席というものがない。
普通は、会社・学校に自分の席がある。決まった席がない。フリーアドレスというものをGoogle社が初めて実施したらしい。誰がどこに座ってもいい。そうすると自分の座りたい席が人に座られるとか、空いていないということもある。席が無いというのは頭でわかるけれど落ち着かない。
自分の席がないフリーアドレスは馴染みにくいだろうね。書類も無いペーパーレス。みんなPCで済ましてしまう。凄いな―。僕は古いのだろうけれどそんな会社、会社なの?
慣れればOKらしい。席が決まっていないと「へー」と思うけれど目新しいことではないごく自然という事だけど席がないと全然落ちつかない吉田拓郎のラジオでナイト
■ オープニング
勝手に選ぶ「か」
リクエスト
年齢が高いのでとってもリクエストが偏っている。古い。
マジマジと観て気が付いた
・学生街の喫茶店 ガロ
・神様お願い テンプターズ
・神田川 かぐや姫
・乾杯 長渕剛
古いし、フォーキーだし。
5位 神田川 かぐや姫
4位 神様おねがい テンプターズ
3位 学生街の喫茶店 ガロ
パックでかけてB面なのにこっちがいいと押した記憶がある
2位 勝手にしやがれ 沢田研二
1位 勝手にシンドバッド サザンオールスターズ
最近の「か」の曲をスタッフと話たら
2011 家族になろうよ 福山雅治
2012 風が吹いている いきものがかり
>こういうのが来ない
2018 ガラスを割れ 欅坂46
>この辺は僕もわからない
他にはないかと言ったら、橋内が「ありますわ」
M-1 帰ろうかな 北島三郎
こう来るとは。 二人でいい曲だなと喜んだけれど。 みなさんは、福山雅治、いきものがかりとかご存じないのですか。びっくりです。
かぐや姫、ガロ、沢田研二。、硝子坂じゃなくて欅坂とかは僕もわからないけれど。
今日は「か」
こういう曲も聴いてみなということで11月18日発売のこの曲
M2 帰り道は遠回りしたくなる 乃木坂45
■CM明け
一曲目特集は今週でおしまい。来週は「最後の曲」を募集。パーシーフェイス「夏の日の恋」はもう決めてあるので、それに繋がるような曲。
メンバー紹介でずっと「全部抱きしめて」を演奏してきたけれどそろそろ卒業して
他の曲を探したい
・武部に「ハイ」と言ってもらって 馬
>もしかしてみんな歌わせようかなと思った。ある雨の日の情景みたいに。
・アジアの片隅で
>はい不気味です
・いくつになってもHappyBirthday
>いいアイデア
・無人島で
・悲しいのは
>2016年にやったな。踊りたくなる
・いつか夜の雨が
<レゲエで興がのったらノーウーマンノークライ ボブマーリィを演奏してという投書>
>やらない
・ああ青春
>意外だ 一曲目でなくてね
5位 風の街
4位 アジアの片隅で 絶対ない
3位 サマータイムブルースが聴こえる しんみり
2位 我が良き友よ 楽しすぎ
1位 いくつになってもHapyyBirthday
「ああ青春」は良かったな
来週からはコンサート最後の曲を募集 人生を語らず 落陽 今日までそして明日から
そういうようにコンサート最後を飾る唄をリクエストしてくれ。
■マイフェイバリット
以前にフレンチポップスを特集したけれど今日はイタリアンポップス
50年代〜70年代イタリアンポップスが流行して日本語でカバーして結構ヒットした曲があった。最近はないよね。
イタリア映画も結構流行した。よく話に出るマルチェロ・マストロヤンニ、三枚目も二枚目も演じられる、えーとカトリーヌドヌーブと結婚したんだっけ。「ひまわり」で有名なソフィアローレン。クラウディア・カルディナの映画「誘惑されて捨てられて」良かったな。CCと言われていた。ブリジット・バルドがBB、マリリンモンローがMM。ということでCC,BB,MMと言われていた。
僕は60年代のカトリー・スパークは好きだったな(笑)
「太陽の下の18歳」ピチピチとしたのびやかな若さ溢れる。授業サボってよく観たな。
イタリアンポップスはみんな知っているはず。
M3 月影のナポリ ミーナ
森山加代子さんで覚えた。カタカナで覚えているのね。
サンレモ音楽祭は1951年から始まって日本でも話題になった。そこのグランプリ曲「ボラーレ」
M4 ボラーレ ドメニコ・モデーニュ
次はチンクエッティちゃんという名前でわすれられない
M5 夢見る思い ジリオラ・チンクエッティ
ノーノーレター、 もう乗れたと歌う。
あれだね、みんなこの人はイタリア人でホールトマトパスタを食べているんだな(笑)
イタリア大好きなんだけどな。「太陽の下の18歳」。これは、まぁ「へ」のような映画だけれど、カトリーヌ・スパークが出るので観ていた。
“エジレジーレバイ”を聴いて
M6 サンライズ・ツイスト ジャンニー・モランディ
ウィルマ・ゴイク 可愛い人だった
M7 花のささやき ウィルマ・ゴイク
イタリアの曲がとんと日本に入ってこなくなった。こんなにヒットしたのに。70年代の女の子のアイドルの可愛さがある。だからブームで終わってしまったのか、
M8 ほほにかかる涙 ボビー・ソロ
こうして聴くといろいろ想い出がある。
あこの曲があったというのがあった。この曲を日本語で歌った人が絶品と昔のラジオオールナイトニッポンゴールドで話題になった。
M9 24000回のキッス アドリノアチェレンタローノ
M10 24000回のキッス 藤木孝
■エンディング
・ライブの最後の曲
・メンバー紹介 ああ青春
・歌詞
・「さ」「な」「は」
少し新しめの曲
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆今日一番感動したのは、潮来笠のメールだ。すばらしい。
ハガキ職人という職人領域があるとすれば、まさに匠の技を感じさせる。
「最後から三番目」という導入の巧さ。「んなの募集してないよ」と御大の突っ込みを呼ぶ的確なボケ。そして「潮来笠」という御大のツボを突く見事な発想。そこから瀬尾さんが出てきて、ジェームスブラウンのガウンとアンコールにつながる卓抜した展開力。この番組を深く聴き込み、御大を深く愛するからこそできる技だ。ハラショ。
文意からはわからないが、ここで瀬尾さんを持ってくる理由が「いつも武部鳥山、武部鳥山、うるせーんだよ、瀬尾グループ忘れんなよ」という意図だとしたらもう、名匠の域である。
とにかく恐れ入った。
☆なぜ乃木坂新曲聴かねばならない。チンクエッタちゃんの方が、あらゆる意味でクオリティが高いじゃないか。40年もつものは100年持つと松本隆先生も言っておられる。
☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆☆
いつもライブの選曲に文句を言う自分、選曲を募集したらしたで「募集してんじゃねーよ」と文句を言う自分。勝手だなぁと他人事のように思う。すまん。
■ 2018. 11. 27
で、まだレンタルビデオすらも普及していなかったころ「つま恋」「篠島」の上映会は超絶貴重だった。どっかの団体や大学の文化祭などの上映会を「ぴあ」とかで探しては足を運んだものだ。
そらもう会場はライブと変わらない拍手と歓声の「応援上映」となる。最初に「愛知県篠島」とテロップ付きの島の俯瞰の映像が写っただけでもう大歓声と大拍手である。「ホントに馬鹿だねぇ」とおばあちゃんは言うに違いない。
一度だけ、渋谷のAtoZというところで「つま恋・篠島一挙上映会」という、これまた何としても行かねばならぬ上映会があった。しかし、そこでは上品なお客さんばかりで誰も歓声はおろか拍手もしないのである。勇気を出して、拍手をしてみたのだが、途端に冷たい空気が押し寄せてきて「あ、すみません、間違って叩いちゃいました」とヘタレの私を制圧するのに十分な雰囲気だった。親戚の法事でお坊さんの読経を聞いているのと雰囲気が変わらない。
大騒ぎするほうでもない私にもかなり苦痛だった。静粛にじっと熱狂の「人間なんて」を視聴するって、それはそれで「ホントに馬鹿じゃねぇの」の世界といえなくもない。これが生涯唯一の「非応援上映」である。今にして思えば、いい経験をした。
なのでチケット確保が大変でも「応援上映」と「非応援上映」があったら「応援上映」を選んだほうがよいのでないか。あー、メンドクサイ、生きることすべてが応援上映なんだよと言ってしまいたい。そうだよな、フレディ、メカ沢。
■ 2018. 11. 28
階段教室の電気が消えて、山田パンダの「落陽」が流れる中、スポットライトを浴びてパンダが登場。開口一番「オレは篠島に行けなかったんだけどさ、今日は拓郎とオレのつきあいの話をしたい」。おいっ(爆)。行ってねーのかよ。
山田パンダは明大出身だったのだな。明治大学工学部が生んだ二大スター、山田パンダとビートたけしと自分で宣言しておられた。そのつながりなのか。
パンダが篠島に行かなかったことでそれなりに大変なことになったことを、後日、パンダ自身の著書で知ったが、それはまた別の話につづく。
ともかく行ってないのだから篠島の解説などは一切なく、拓郎に「落陽」を歌う許可を必死になって得た逸話、あげくは、どこそこで二人でナンパした武勇伝など、それはそれでかなり面白い話が聴けた。「若い君らにはチャラチャラとナンパするヤツが多いけど、俺も拓郎も相手の目をキチッと観て真剣に向き合う。ナンパにも人間の本質が出る、そういうもんだ。」という凄いのか凄くないのか、有難いのか、有難くないのか、よくわからないお説教でしめくくられた。しかし、客席に奥様の”みょんみょん”のえっちゃんもいらしてて、よくそんな話するな、オトナってすげーなと感心もした。
そして、上映。昨日も話したけれど、この上映を逃したら今度はいつ観られるのか保証がない。必死だったね。後ろの知らない青年なんか、食い入るように観ながら、「たくろうぉー」「最高っ!!」と叫びまくり、曲は全部すげーデカイ声で一緒に歌ってて超絶迷惑だったが、この映画を骨の髄までとことん味わい尽くそうとしている気迫が伝わって来て憎めなかった。そして最後「人間なんて」のアカペラのコーラスをバックに突堤に拓郎が一人佇むという微妙なラストシーンはこの時もうカットされていたと思うが、エンドロールになると、この青年は、やおらスクリーンに向って「ありがとう、拓郎、ありがとうぉぉぉぉぉ」と叫びながら手を振り始めたのだった。…バカだ。これぞ拓バカだ。私も自信をもって自分を拓バカだと言えるが、この青年には、私と違って偽りのカケラもない、美しい拓バカだ。青年といっても、私が大学1年ころだから、ほぼ同年だろう。いまごろどうしておいでだろうか。毎週、俺と同じあのラジオ聴いて何を思う。
「応援上映」という言葉、いいじゃないか。この共感の空気がしみじみと胸に迫るよ。
「それ以上に大切なのは、それがほんものの星かどうかより、たったいま誰かが自分のとなりにいて、自分とおなじものを見て喜んでいると、こころから信じられることだ。そんな相手が、この世にいてくれるってことだよ」(いしいしんじ「プラネタリウムのふたご」より)
■ 2018. 11. 29
75年のつま恋の「落陽」に感激したパンダは、これを歌いたいと、つま恋にいる時から拓郎に頼みこんだそうだ。「拓郎、落陽を歌わせてくれよ」「やらん」、「くれよ」「やらん」「くれよ」「やらん」という応酬が一年くらい繰り返されてようやく口説き落としたということだった。んまぁ超絶大事な曲だもんね。
いよいよレコーディングということでスタジオでなかなか音程が決まらずに苦労しているところに、拓郎が駆けつけてくれ、パンダに「落ち着け、落ち着くんだ」と激励してくれたという。
拓郎とパンダの仲はもちろんご本人同志しかわからないが、外から見ていても"バディ"感みたいたものはずっとあった。パンダはいろんなラジオ番組を持っていたが、「ぷらいべえと」や「大いなる人」など新しいアルバムが発売されると必ず本人をゲストに呼んで、しっかりアシストしてくれた。特に「ぷらいべえと」がオリコン一位になった時は我が事のように喜んでいたのも忘れられない。そして拓郎が、セイヤングを初めてからは、拓郎欠席時の代打として、また準レギュラー「山田バンダ、アイドルへの道」コーナーで活躍していたものだ。
79年の篠島直前のデスマッチコンサートツアーが始ったばかりの6月9日の放送では、「ライブで拓郎の声が潰れた」ということで代打で、がんばれコンサートツアー、がんばれ篠島という応援放送もしていた
余談だが・・・ってこの日記は全部余談だよな。ふと思い出して、その時、声が潰れるほどのツアーってどんなものだったのかと思って調べてみた。当時のツアーは、休憩なしの2時間30分ぶっとおし、最後は「落陽」「人間なんて」を絶唱する、それこそデスマッチでハードな内容だった。それでもって日程が
6月4日 群馬
6月5日 新潟
6月7日 大阪
6月8日 和歌山
こりゃ凄い。毎日「人間なんて」を歌ってたんだな。声が潰れるより、よく身体がもったものだ。当時はこんな無茶なツアーしてたんだなぁと感慨深い。
というわけで常に拓郎の傍にいて、篠島のオールナイトイベントを含めて応援していたパンダだが、篠島あたりから篠島後にかけて、しばし存在が消える。昨日も書いたが、パンダは篠島には行っていないということだった。
ということで、別にそんなに凄い話でもないが、行きがかり上つづく。
■ 2018. 11. 30
「パンダフルハウス」といえば「風ぐらし」はいい歌だったよな。♪原宿の街で君の噂きかなくなって〜、原宿の街とくれば喜多條忠、メロディはユーミン。珍しいコンビだよね。
以下は山田パンダのエッセイに書いてあったことだ。行けなかった篠島以来、拓郎はパンダと目を合わせず、口もきいてくれなくなったそうだ。つまり拓郎は怒っておられた。実は、拓郎は篠島で山田パンダと「落陽」を一緒に唄うという計画を設定していたのに、この裏切り者め…というのが怒り真相だったらしい。パンダは著書で悔恨をこめて「だから篠島で拓郎は一人で「落陽」を三度も歌った。」と述懐していた。それはお互いに辛かろう、切なかろう。
3度というのは、ひとつは篠島2ndステージの瀬尾オーケストラで映像になっているもの、二つは、弾き語りステージ、三つめはラストステージの松任谷バンドでオーラス「人間なんて」の直前。
おそらくパンダとの企画は、2ndステージの瀬尾バンドであろう。拓郎はここで「落陽」と「山田パンダ」をともに宣揚しようと思っていたに違いない。もしかするとそのためだけに2ndステージの「落陽」をセットしたのかとすら思える。
映像を観ればわかるとおり、この「落陽」は超絶すんばらしい。後奏のどこまでも高まりゆくグルーヴ。拓郎も後年「篠島みたいな落陽」と表現する伝説バージョンである。ここには間違いなく音楽の神様ミューズが降臨している。しかも神様は、たぶんステージの騒ぎにビックリして青山徹に降りてしまっているみたいだ。ストラップが外れたギターを膝にのせ、ついにはシールドを引き抜いてしまう狂熱のギター弾きと化す。青山徹が私たち拓郎ファンにとって英雄となったのはこの瞬間だったと思う。
この「落陽」を観て、クイーンのライブエイドの映像を思い出すと、やっぱり「落陽」と「人生を語らず」は‥‥‥必要かもしれないな。かねがね飽きた、要らないと主張してきたが。すまない。
この2ndステージの「落陽」が山田パンダのために設定されたとすれば、ご本人は無念であろうが、あらためて謝したい。
とはいっても、すぐにバディは復活し、ロスのレコーディングの時の「帰りたい」と叫ぶご本人のセイヤングの代役や、「伽草子/まにあうかもしれない」のカバー(1981)、山本山田の「旧友再会フォーエバーヤング」(1982)と進むのだった。
そして飛んで2006年つま恋のオープニング。冒頭のこうせつの絶叫から退避するように舞台袖の花道に走った拓郎を追いかける山田パンダ(連れ戻しに行ったのか)。「山田さん、とにかく元気で何よりです」「吉田さん、マッターホルンがまだなのです」。呼びかけのところだけ原曲に戻して微笑みながら歌う二人。フォーエバーヤングのオープニングは不満だった私だが、このシーンには胸がちょっと熱くなる。
■ 2018. 12. 1
しかし忘れてはならない。つま恋の熱気も醒めやらぬ75年10月の山田パンダのアルバム「ラヴリィ・ハットショップ」に特典ソノシートとしてつま恋での「黄色い船」が収められていた。
残念なから買わなかったが、つま恋のステージの俯瞰写真のジャケットに黄色いソノシートだった。あれが史上初、そして長らく唯一のつま恋の公式音源であった。いやぁマニアなら是非お手元に置いておきたい一品といえましょう。それがどうした、という声が聞こえたが空耳に違いない。
これとても映像の音源化だしという声もあろうが、音としてつま恋聴くとまた全然違う。
先のつま恋のCDのライナーノーツで田家さんが書いている
DVDは他人の手によって切り取られた記憶と言ってよいのだと思う。CDはそうではない。この歌や演奏が喚起する情景や記憶はあなただけのものだ。
くぅぅぅぅ、やっぱ田家さん素晴らしい。生きザマのアイツとは文章の品格が違う。
「黄色い船」も大好きな歌だ。港湾荷役をあれほど夢溢れウキウキと歌った歌はない。港に爺さんがいるあたり「落陽」とも通底するって、無理矢理結びつけるんじゃない。今でも、私もカラオケで時々歌うし、2006年につま恋の青空の下で聴いたときはちょっと涙ぐみそうになったものだ。
というわけでいきがかり上、毎日、山田パンダのことを書いているが、明日は最終回「ひとりシンポジューム:山田パンダはなぜ年齢をサバ読んだのか」をお送りします。しねーよ。
■ 2018. 12. 2
拓郎から篠島のゲスト出演を頼まれ承諾したパンダは、うっかりダブルブッキングで出演できなくなってしまう。以来、拓郎は口もきいてくれなくなった。そらぁ怒るよな。青ざめたパンダは当日万障繰り合わせて篠島に駆けつけたが、拓郎からは「話すことはない、帰れ」と冷たく突き放された。
パンダは楽屋で一緒に唄うはずだった落陽を拓郎がひとりで三度歌うのを途方に暮れて聴く。その頃、たまたま「蒲田行進曲」の舞台を観て、銀ちゃんとヤスは拓郎とオレだと泣けてきたそうな。以上。
ヤスと銀ちゃんというのはどうかと思う。ヤスになるのなら名古屋から篠島まで泳いで篠島に渡らなきゃ。「パンダ来い、ここまで泳いで来い、ここまで来たら落陽を一緒に唄ってやるぞ」と拓郎が叫ぶ中、溺れそうになりながらたどり着いて「拓ちゃんカッコイイ」と言って果てて欲しい。そんな篠島は嫌だが。
そもそも銀ちゃんはヤスのためだけに「落陽」の大舞台を設定したりしないし、拓郎はもっと孤高で、他人に依存することを嫌い、もっともっと慈愛に満ちている。パンダはヤスかもしれないが、拓郎は銀ちゃんとは違う…と思う。
さて、2005年のツアーのMCで拓郎は「山田パンダから急に『拓ちゃんごめんね、オレ年上なんだ』とカミングアウトされて驚いた。あいつアイドルでもないのに何で歳をサバ読んでたんだ」と明かして大爆笑を誘った。真実は1945年5月13日生まれで、御大より約1歳年上である。
奇しくも、私はパンダがサバよむ瞬間をラジオで聴いていた。77年5月下旬、山田パンダとイルカがパーソナリティをつとめるラジオ「ハッピーフォークフェスティバル」に拓郎がゲスト出演した時だ。折しもフォーライフの社長電撃就任と新作「ぷらいべえと」発売、そして浅田美代子との結婚如何という問題が重なった。それでもパンダとイルカが相手だとユイの盟友ということで拓郎も楽しそうに盛り上がっていた。
拓郎は、この4月で31歳になったばかりであり、「31歳はやばいよ」と寄る年波の苦労を語っていた。切々と年齢のことを語りながら、拓郎は突然「パンダっていくつなの?」と尋ねた。パンダは「同じです」と答えた。「えーっ、31歳、意外だなぁ、同じ歳かぁ」と盛り上がったのだ。
しかし、この時パンダは実際には32歳だったことになる。
いまはアイドルだって31歳なんてなんでもないが、この時30代越えは前例が少なく結構ヘビーなことだったようだ。しかも拓郎はフォーライフの再建という重荷を抱えていた。パンダは切々と30代の辛さを語る拓郎に共感したに違いない。しかし、そこで実年齢を明かすと、上から目線の年長者のアドバイスになってしまう。「パンダ、おまえね」と兄貴肌で愛好崩している拓郎との関係が違ってしまうかもしれない。だから、パンダはそこで年上とは言えなかったのだと思う。
まあ、実際、普通に暮らしていると年齢なんて関係ないし、そのままきたけれど、人には「還暦」という厄介な節目がある。それを嘘ついて乗り越えるのはヘビーなのでパンダは敢えて真実を明かしたのではないか。
「拓ちゃんより年上でいたくなかった」というパンダの説明はまさしくそのとおりだと思う。ヤスが銀ちゃんより年上では困るのだろう。拓郎に向ってそわそわしてしまうその気持ちが伝わってくる。
というわけで山田パンダ、いいんじゃないかと思います。山田さんいつまでもお元気で。フォーエバーヤング。なんか雑なまとめだが。
■ 2018. 12. 3
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
吉田拓郎です。映画「ボヘミアンラプソディー」を観に行かないと終わってしまう。クラプトンの映画も観たい。最近は映画に裏切られることも多くて、「ボヘミアンラプソディー」と「クラプトン」の映画は、ミュージシャンとしても期待している。
<G‐shock お忘れでないかという投書>
今日はG‐shockの珍しいブルーのをしてきた。HPでアップする。
再来週、コンサートツアーの日程を発表する。
「歌詞」は、たくさん送って来て、泣いてるんだけど、募集しといてなんだが、
皆、なんでそんなに詞を書くの?長いのも有るし、それから一人10篇も送るなよ。
卒業論文みたいだ。
<11月12日は「いい夫婦の日」という投書>
新聞の記事読んだよ。生まれ変わってもまた夫婦になりたいかという問いに、ウチでは意見の一致をみた。 ありがとうございました。
夫婦の円満とまあまあ円満を75.3%いるのだが、
生まれ変わって必ずもしくはたぶん一緒になりたいというのが42.6%
下がっちゃうのはどういうことか(笑)26.7%が、夫が何らかの点で気が利かないと思っているという。
生まれ変わっても一緒にとはあんまり思っていない。意外でありながら納得もする。
ウチは手前味噌だが、生まれ変わって俺にして欲しいよね。もちろん僕は生まれ変わっても君がいいからと納得した。手打ちのようなもの(笑)
男と女は微妙なもの。30数年連れ添っているけれど、先日二人で昼食べながら僕が冗談を言ったら奥さんが手を叩いて笑った。それが、以前観たことない姿。君も60歳だなという感じ。むこうも70歳だなというのを確認し合っている空気がある。
諸君、人生は大変だと泣いている吉田拓郎のラジオでナイト
■オープニング
「さ」
みんな人が変わった?先週までとはリクエストが全然違う。
・サンタモニカの風 桜田淳子
>ホッっとする
・さらば涙といおう 森田健作
・さよなら オフコース
>散々聴かされたな
・365日の紙飛行機 AKB48
>コレが一番多かった。知りません。
・さよならエレジー 菅田将暉
・3月9日 レミオロメン
先週までのリクエストはどこいったんだ
5位 3月9日 レミオロメン
4位 酒と涙と男と女 河島英伍
3位 さよならエレジー 菅田将暉
2位 桜坂 福山雅治
1位 365日の紙飛行機 AKB48
急に変わったな、先週と違う。
M-1 さよならホームラン スガシカオ
知らなかったけど、いい曲だ。教えて貰う。リクエストが来ると一応聴いてみるところがこの番組のいいところ。
M-2 サンライズ・ジャーニー グリムスパンキ―
■CM明け
コンサートの日程再来週になったが、ここでメンバー紹介を変えよう
・真夜中のタクシー
・ああ、グッと
違うな。
最後の曲も募集しているが、RONINというのが来ていた。これは有りかな。 ヒントだな。♪RONIN RONIN in1985のここを変えればいいんだな 最後の曲としてはスケールも大きいし。
・今夜も君をこの胸に
おおー(歌う)。今夜も君をドゥラララララ ああなつかしい。「各ミュージシャンに拍手しながら聴きたい。」という投書。
・風の街
一度瀬尾グループとオープニングで使った。
・人間なんて
貧血おきそう。なんて曲だろうね。こんなのやった時代があったんだな。若さだな。
・兄ちゃんが赤くなった
(笑)笑った。フォーキーすぎる
・サマーピープル
考えてみなかった。季節的にいいな。って言っちゃったよ。歌う) 出てこなかった(笑)
時期的にも悪くない
・君が欲しいよ
歌う。いいねぇ。
メンバー紹介の曲を考えて、いろいろひっぱり出して聴いているけれど2曲ほど忘れられた曲がある。
・ホームランブギ 笠置シズ子
・That’it やったね
野球関係の唄は歌っているんだけど、シーズンが終わると忘れられている。今度オンエアする。ホームランブギなんてイイよ。徳武のギター、中西のキーボード…中西といえばメールが来て、来年どうだろうという話があった。ドラム島ちゃん、ベースは松原。
いい感じで、これどうだろうと思った。
■CM明け
今週のメンバー紹介曲
5位 ああグッと
これはない
4位 悲しいのは
これは前回で十分
3位 朝陽がサン
2位 いくつになってもHappybirthday
1位 真夜中のタクシー
5位 アジアの片隅で
4位 AKIRA
3位 我が良き友よ
2位 真夜中のタクシー
1位 いくつになってもHappybirthday
「詩」が凄い。もう正直閉口している。
ちょっといいけど、ここは違うというのを紹介する。
「めぐりわかれ」
冬晴れの駅のホームに 夕ぐれは足早に来た
君は手を小さく降って 僕はうなずいた
めぐりあわせがあるのなら めぐりわかれもある
>ここまではキレイだ
君は東へ 僕は西へ
>スケールが大きすぎる。小いさい駅のホーム、季節感あって映画のシーンのようなのにいきなり東西、大陸のような旅はないだろう。例えば「君も僕も元来た道へ」とかの方がいいだろう。谷村新司の世界だよ。
春風が頬をうつころ君の名を〜
君は空へ 僕は道へ
それぞれの〜闇に溶けていく
>世界観を統一しなさい。闇に溶けていくのはやめなさい。
悪くはないし、いいテーマだけど、違う道をゆくということを東西、空道となってしまうのが解せない。
■今週のマイフェイバリット
シニア50-79歳、1000人が選んだ今年心に響いた曲というのにびっくりした。
良く知らない曲もあった。50-79歳が、ホントにこんな曲を選ぶの?というのがあった。
正直言って驚いた。
5位 アイデア 星野源(M-3)
「半分蒼い」のテーマだが、朝ドラ観ないので知らない。シニアは好きなんだな。
彼は時の人ですので妥当。文句はない。シニアでいうとそうなの。
4位 糸 中島みゆき(M-4)
1992年かのロングラン。これはこの番組のリスナー層とだぶる。カラオケで幅広く
歌われている。
3位 Lemon 米津玄師(M-5)
この人を知らなかった。チェックして凄い人だとわかった。27歳、カッコイイ。youtube でチェックしたけれどカッコイイ。踊りは重要だな。70過ぎて踊るか(笑)。いいんだ、これが。僕達もリズム感にこのメロディがいいと思えてしまう。
これをシニアが選んだというのがピンとこない。時代から乗り遅れている。
いいよね、ノリもいいな。注目していきたいけれど、遅いね。
2位 USA DA PUMP(M-6)
ちょうど僕がテレビに出ていた頃はデビュー直後だった。第一期ブームだった。その後、しばらく聴かない時期があった。三軒茶屋にミュージシャンがよく集うソバ屋があって、近くのレコーディングスタジオの帰り夜な夜なそこで飲んでいた。そこでISSAとよく逢った。今年、カムバックというか大ブレイクしたね。踊りも独特だし。しかし、この曲を踊っているのを50-79歳が心に響いたということに驚く。へー、そうかという感じ。
選んだ人に拍手、私は負けた、お見事でした。
しかしホントに選んだの? シニアの耳に響いたのだろうか。
1位 HERO 安室奈美恵(M-7)
わかる。今年一年はこの人、文句言えない。
それにしてもこの番組、テレキャスターの「レ」でレモンなんて書いてきた人いないよな。レの曲はないな、なんて言ってたよな。そういうのを教えてくれよ。
■エンディング
・メンバー紹介 ラストの曲
・歌詞募集
・「な」
教えたい新しい唄
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆なんと切なさと哀しみに満ちた今日の放送であることよ。
☆米津玄師は素晴らしいし、それを的確にキャッチできなかった私の不明は確かにある。
しかしシニアの大型船から置き去りにされたようなこの気分。ポンコツ感。まぁ私はポンコツではあるが。
彼らを超えようとか制覇しようとする必要はないが、あなたは今も新曲を作る人、私はそれを待つリスナーである。名曲は名曲としてシニアはシニアとして認めつつ、どけ、どけ、どけぇと新曲を御旗に掲げて意気軒昂に進んで欲しいし、そのあとをついてゆきたい。なんか自分だけかもしれないけど、この放送は妙に切なかったよ。
☆「めぐりあいがあるならめぐり別れがある」というのは、美しいフレーズだよ。この方のオリジナルであるとすれば素敵なフレーズの発明ではないかと思う。著作権とか商標登録とかしといたほうがいいと思うぞ。
☆御大、「ボヘミアンラプソディー」、私たちと一緒に応援上映に行きますか?(爆)
☆☆☆星紀行教の学び☆☆☆☆
叫びをあげるときっと遠のいてしまう。ライブの最後でなくともいい。歌ってくれさえすればいい。それだけでいい。
■ 2018. 12. 4
毎日、山田パンダ(73)のことばかり考えていた星紀行は、米津玄師(27)を通じてシニアの船からどうやら乗り遅れているらしいことに気づく。またラジオで若干うろたえているような拓郎の様子も気になって、ひとり落ち込むのであった・・・
そんなときふと思い出した。遠い昔、初めて買ったシングルは「シンシア」だった。そして初めて買ったアルバムは2枚組ベストアルバム「よしだたくろう71〜75」だった。そこに「酔醒」という初回特典のブックレットがついていた。その巻頭に、まだ20代の吉田拓郎のこんな文章が載っていた
“何がロマンチックなんだ”
何で、そうなっちまったんだろう。もう、イヤ気さえ、さしてくる。皆々、優しくなっちまったものだ。本当のやさしさがどんな状況から生まれるものかも知らず。やたら、やさしい唄が町に流れて、皆、ロマンチックな気分にひたりたがる。安易ではないか。今の唄の詩といえば、手紙をビンセンと言い代える様な、言葉の使い方にしか目が行っていない。しかも、聴き手がそれを好む。手紙をビンセンというから、ロマンチストだなんて、バカバカしい。闘いや、争いの中に、ポツンと見いだされるロマンなど、形もカケラも無くなってしまった。
日本の古き良き物を語るなら、頭の古ぼけた大人達と同じような語り方はやめてもらいたい。若者には、彼等でなければ出せない、1つのロマンがあるんだ。文学から借用してきた様な言葉は借り物にしか過ぎない。自分の言葉で唄わなければ。怒りやさけびの中にもロマンがあることを忘れてしまった10代20代の若者が”はやり”と言う事だけで、今の若い連中の作る唄を、全部、許せるのであれば、吉田拓郎は、おはらい箱であろう。ギターを持って唄うから、弾き語りをやるから、それだけで、変な仲間意識など持たないでもらいたい。仲良くやって行く気など僕にはないのだから、今さら、フォークだなんてと言うかもしれない。しかし、これだけは言える。僕は、フォークシンガーなんて呼ばれたくない!と言い続けてきた。誰もが、そうやり始めた。それも安易だ。僕は、こう思っている”日本に、やっぱりフォークはある。日本のフォークはあるんだ”と。
さあ皆どうスル?
吉田拓郎(サイン)
たぶん吉田拓郎ご本人は、こんな若気の絶頂の鼻持ちなら無い文章は思い出したくも無いだろう。
しかし、今読んでも、この文章にはエネルギーに充ちたとてつもない美しさがある。
これを読んでいた頃は、拓郎ももちろん私も若者だった。しかし、今は確実に「大人達」であることは間違いが無い。
この文章そしてこの筆者の音楽の薫陶というか洗礼というか影響を受けた一人として、どうしたら「頭の古ぼけた大人」にならずにすむか、またもし既になってしまっているとしたら、どうやってその導線から外れるか、問いかけられているような気がしてならない。
“さあ皆どうスル?”それは今夜居酒屋で考えよう。
■ 2018. 12. 5
店内で昨日の日記を読み返しながらしみじみ考えた。結論はこのままでいい(笑)。てか、どうでもいい(爆)。
すべての道は拓郎に通じ、すべてのことは吉田拓郎でまかなえるのだ。ということで、新曲とライブを待ちながら、この導線を信じてゆこうと思った。イケてるシニアが何を聴こうと、「仲良くやって行く気など僕にはないのだから」。くぅぅぅ、拓郎カッチョエエなぁ。
折りしも店内には、井上陽水の歌う「雨が空から降れば」が流れていた。戻ってきたマスターに無理を言ってライブ’73の「雨が空から降れば」をかけていただいた。コレだ。鉛色の雲間から一条の陽がさしてくるこの感じ。コレなのだ。米津玄師がいかに素晴らしかろうと、やはり、この世には、吉田拓郎とそれ以外の歌手の二種類しかいないのだとイカレたシニアは独り思うのであった。
■ 2018. 12. 6
しかし、少し思い直す。昔は(今もかな)京浜東北線を蒲田から東京に向かうと品川駅と田町駅の間で線路はグイーンと登り高架になって、また静かに降りて田町駅に着いた。親父が、いつも「ホラ電車が飛ぶぞ飛ぶぞ」と幼い自分に言っていたのを思い出した。子どもだから高架にワクワクしたものだ。
そして思い出すのは、鹿児島の旅のテレビだったか、拓郎が幼少の頃、鹿児島でボギー(市電)に父親と乗ると「よし拓郎、俺が押すぞ。うーん。」と父親が座席で力むと「ホントに電車が早く走り始める気がした」と拓郎が述懐していたことだ。
すべて父親というものは、子供にテキトーな事を言って反応を楽しむ習癖があるのかもしれない。
品川と田町間の高架は飛ぶとは思わなかったが「なんで高くなるのか」と親父に聞いたら「ここから本当の東京が始るからだ」とまたテキトーな事を言っていた。ま、確かに蒲田から観れば、まばゆい夢の都会だった。
それを思うと、東京の入り口、ゲートウェイだよ、ちょっといいかなとも思う。
中学の頃、Tくんが「今度の拓郎の新曲『たえこマイラブ』って言うんだってさ」「ええーなんだよ、その変なタイトル」「マイラブなんて歌謡曲かよ」「拓郎堕落したよな」と教室で小一時間、嘆いた記憶がある。後に稀代の名曲、タイトルもこれしかないと思うようになったのだが、それと同じかどうかはわかんないが、高輪ゲートウエイ、許してやってくださいという気分になってきた。
■ 2018. 12. 7
そのうちの何人かの方が、自分たちの学校の大先輩なんですと、先日亡くなられたばかりの作曲家大中恩さんを偲びたいとリクエストされた。追悼で「さっちゃん」と「いぬのおまわりさん」をプロのオペラ歌手らと私ら一般P全員で合唱した。こうして聴くと「さっちゃん」とは切ない唄だな。後輩のじいさんたちはみんな泣いていた。私もちょっと胸が熱くなったが、これでまた米津玄師からさらに遠のいている自分を思った。
じいさんたちは、みんな凄い元気で、タフで、音楽好きで、ついでにちょっと威張っているが、じゃ、この人たちが毎週ラジオで喋って、新曲作って、ギター弾いて、コンサートツアーをできるかと考えるとトテモではない。
やっばり吉田拓郎はとてつもなくすげーな、とつくづく思った。あんまり文句を言うまいと殊勝な気分に一瞬だけなった。
とはいえ泥酔したひとりのじいちゃんがシュトーレンを買ってくれた。ありがとうございます。去年は、ドイツ在住のプロのバレリーナさんから本場のシュトーレンをいただいたことを思い出した。♪今度帰国してまた一杯気分が乗ったら”ともだち”でも歌いましょうよね。
とにかく皆さんお元気で。急に寒くなったので、お風邪などひかれませんようご自愛ください。
■ 2018. 12. 8
門外漢の自分があれこれ言うのも憚られるが、すんばらしかった。おとなしめの応援上映だったが、たくさんの人が歌い、両手振り上げ、たぶん飲んでたドリンクよりも大量の涙を流していた。こんな伝記映画を作ってしまうのもまた凄い。
特に「ボヘミアン」を田舎で作り上げてレコーディングするシーンに胸が熱くなった。魂のギター、御意。ロックウェルを連想してしまった。
それにしても、私らジジババとともに若者も凄くたくさんいて熱く熱く盛り上がっていた。彼等には、ドームや野外フェスや大人数のライブは身近にあるだろうに、ただ人の集まるコンサートというのではない何かを感じたのだろうか。歌う方も聴く方も、ある種の地獄を見て、紆余曲折を乗り越え、待ち焦がれ悶絶しながらたどり着くライブというのは、そうはないのかもしれない。御大では普通のことだが(爆)
もう一度観たいと切に思った。
それとは別に、かの人の「応援上映」を観たいよ。何よりライブが至上だが、ステージを忖度せず、好き勝手な応援がおかまいなしにできる応援上映もいいものだ。
いつの日かこうして御大が後の世代にあらためて見直される日が来るかもしれない。
その日に備えて善き考え、善き言葉、善き行動を心がけようと思った。なんだそりゃ。
■ 2018. 12. 9
自ずと話は、これまでの思い出とこれからの話である。言ってみれば”僕達はそうやって生きてきた”と”君たちはどう生きるか”である。そこいらのアイドルなんか問題なくものすげー可愛かった時代の話や74年の深夜放送で「人生を語らず」を初めて聴き飛び起きて正座したぶっ飛びの感動、そして今、こうして毎週ラジオで喋り、来年はツアーが待っている幸せのことや、なんか最近は声も艶が出てきたなどと吉田拓郎への大絶賛で盛り上がった。
しかし愛というロープは、絶賛という糸だけで拠られているわけではない。出た、向田邦子理論。悲しみと苛立ちという糸もしっかり拠られていてこそ、初めて一本の強靭な愛のロープとなる(爆)。
ラジオでは、一曲目とラストとメンバー紹介を投票してランクをつけているので、逆に「来年のライブで絶対に唄ってほしくない曲のランキング投票」に話はすすんだ。何を歌ってほしいかとあわせて、何を歌って欲しくないかを考えることで、より対象か明確になりましょう。
1位 花の店
・坂の途中、だからどうした 意味がわからない
・岡本おさみならもっと名曲がある
2位 a day
・盛り上がりたいライブで、何でイモの花か
・この上司をパワハラで訴えるのが先ではないか
3位 歩こうね
・老人介護を思い出してしまう
・聴く時は家でひとりで聴きたい
「ヨールレイホーの世界観がわからない」という私の意見は賛同がなくランク外であった。他には「外は白い雪の夜」「朝陽がサン」「唇をかみしめて」などもう十分に聴きました勘弁してください系が多かった。
ストーンズでいえばサティスファクション、ジャンピングジャックフラッシュなどのソリッドなスタンダードに当たる落陽、人生を語らず等を除いては、埋もれた名曲をどしどし発掘して歌ってほしい傾向が色濃く現れていると申せましょう。
続いて、「歌ってほしいけど歌えるもんなら歌ってみやがれランキング」には、堂々1位に「晩餐」が選ばれた。時代は変われど、吉田拓郎に熱いシャウトを求めている消費者の強いニーズが感じられましょう。
当然これは来年のライブに向けての個人の好みの投票結果であって、曲の良し悪しを決めるものではないことにご留意ください。なにもかも愛ゆえのことだ。こんな礼賛と悪態をよりあいながら今年も暮れてゆく〜ああ青春は〜。
とにかく来年のライブという希望に向けて、それぞれの立場で、元気に年(歳)を超えてまいりましょうと誓い合ったのだった。
■ 2018. 12. 10
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
吉田拓郎です。この一週間は気分爽快だった。ひとえに若いミュージシャンたちに感謝している。その素晴らしさを肌で感じることができた。そういうことに幸せをつくづく感じた。
カミラ・カベロのハバナという曲がイイなぁ。若いミュージシャンのインパクト。先週の米津玄師の存在がインパクトがあった。
音楽への愛情に刺激をくれた。自分の将来〜将来はあると思っている〜そこに明るい光が見えてきた。いい歌の歌詞を書いて、いいメロディを作って、いいアレンジをして、素敵なレコーディング、素敵なステージをしたいと思った。若いミュージシャンのエナジーは刺激的だ。
20年くらい前に、僕は若い人達に刺激を受けて勉強した。それからまた20年経ってたくさん反省と勉強をした。ひとつ言える事は、年を重ねると、いろんな新しいことが心にストーンと入ってこなくなってくる。心に入ってきづらい。ついついスルーしてしまう。これも老化現象だな。
ときどき目が覚めることがある。どうしても難しい問題なんだよ。鈍くなっている。いろんな意味で、音楽はイイものなんです。すべての若い人の音楽がOKとはいかないが、これはいいねと言う感じるものを発見した時の喜び。つい自慢したくなる。それも歳なんだな(笑)。でもそれは快感なんだ。
みなさんも好き嫌いあるでしょうか。勝手に壁をつくっていないでオープンでいた方がいい。米津玄師、カミラカベロに吉田君にはやられた。ラッキーだったな、スルーせずに入って来たことは。老いと闘うのは大変だ。
<旭川農産物直売場で「ガンバラナイけどいいでしょう」が流れていたという投書>
このセンスを褒めてあげていいでしょう。ガンバラナイけどいいでしょう、これはどう聴いているのかな。消極的ではなく、頑張っている人の賛歌なんだよ、だから今日くらい休ませろという。ガンバラナイけどいいでしょう。ライブのオーラスもいいかな。
<奥様が手を叩いて笑ったので還暦を感じるというのはやはり乾いてたのでしょうかという投書>
よくステージでお客さんに歳をとって乾燥した拍手というんだ。
<私はハンドクリームで解消したという投書のつづき>
ハンドクリーム売りなよ、森野(笑)。ライブの前にお客さんはみんなそれを塗って。
グッズでどこかとタイアップしてさ。
歳を感じたのは、上の方で手を叩いたから笑ったから。ウチの人、怒るかな…おばさんよりおじさんになってるんだよ。はははははは(笑)。たくましいんだよ。納豆にご飯食べている横で、こっちは甘いパンとか食べているし、どっちがどっちなんだ。
言われたのは「あなたはおじいちゃんでなくておばあちゃんになっていない?」 はははははははは(笑)。確かにばあちゃんに近い。トイレの入り方とかも、ばあちゃんくさい。
<次のコンサート2部構成で休憩を入れると年齢的に助かるのではないかという投書 >
僕は休憩は入れない。休憩するなら帰る。そこにいたくない。一旦ステージに出たら 最後までずっとなり切っていないと。間が抜ける。こっちは命がけなんだから、あり得ない。
しかし、ステージというものはあと何十回なのかと感変えるようになった。広島のバンド時代、ボーカルで歌いに来てくれたアンチェイン・マイハートとかホワットアイセイとかを歌ってくれていた友人が最近天国に召された。そう考えるとあと何十本ステージができるだろうかと考えてしまうが、そういうことを考えることが淋しい。
またニッポン放送のお偉い人と打ち合わせした。東京でもう一本なんとかならないかということで話していて「公演概要書」というものを持ってきた。「吉田拓郎 ライブでナイト 2019イン どこそこ」危ない、言いそうになった。
「安易でしょうか」と言われたので「ああ安易でいいよ」と言って内容を説明した。
いろんなアイデアあるけれど、コンサートで歌う曲にプラスアルファを考えたい。 大利根無情とか(笑) それから映画「スリービルボード」を観たが、フランシス・マクドーマンドが熱演する、これは暗い映画で、暴行死した娘の犯人を捜す孤高の戦いで、キツイ映画なんだけれど、劇中のテーマとして「いとしのルネ」が流れたんだよ。ああ、これテーマ曲だと。今度のステージで「いとしのルネ」を歌おうかな。いいねぇ。昔バンドでやってたから、演奏があればすぐ歌える。
ということで、中味もりだくさんで盛り上がる。来週は、コンサートの日程とG-SHOCKのプレゼントがある。
師走で走る、走るという意味がわかる吉田拓郎のラジオでナイト
■オープニング
中高年で登山がブームらしい。しかも「回数登山」で同じ山を何回も登るらしい。ついてけない(笑)。どうして何度も登るの。吉田家では、テレビ観ながら文句ばかり言っている。
1000回2000回の登山はザラのようだ。マラソンもわからないけれど、とにかくわからないことが多い。同じ山だと季節の変化を敏感に感じるというが、そんな変化なんて2,3回でいいだろ。
同じ登山なのでタイムで体調を知ることができるというが、そんなの病院で採血しろ(笑)
同じ山で友達ができる…友達なんていらない(笑)
リクエスト
「な」
・夏をあきらめて 桑田佳祐
>米津玄師もいいけど三橋美智也もかけて欲しいという
・涙の操
>殿様キングスはヒットしたね
・泣いてもいいんだよ ももいろクローバーZ
>知らない いいタイトル
・中の島ブルース 内山田クールファイブ
>他にも歌ってたよね
・嘆きのボイン 月亭可朝
5位 涙くんさよなら 坂本九
>浜口庫之助さんだったかな
4位 夏色 ゆず
3位 なんでもないや RADWIMPS
2位 泣かないで 舘ひろし
1位 名もなき詩 ミスチル
>この番組でかけたことはない
M-1名もなき詩 ミスターチルドレン
■CM明け
コンサートのメンバー紹介で、「全部抱きしめて」を変えてみようということでとりあえず僕の曲のつもりだったんだけど、ここで
<24000回のキッスはどうかという投書>
ははは、♪好き好き好きのキッス。止まんないね、笑いが。
藤木孝さんのバージョンがいいな。楽しいっていえば楽しいな。
いままではいいなぁ(しみじみ)という感じを考えていたけれどそうではなく、この発想、武部、鳥山、目に浮かぶよ、嫌がっているのが。面白いな。
来週はコンサートの日程の発表とコンサートのオーラスの最終曲を募集する。
「ガンバラナイけどいいでしょう」はいいな。「ガンバラナイけどいいでしょう」のところを抜いて…「好き好きのキス」に替えちゃおうかな(笑)
5位 真夜中のタクシー
4位 朝陽がサン
3位 カハラ
2位 三軒目の店ごと
1位 やさしい悪魔
5位 朝陽がサン
4位 やさしい悪魔
3位 我が良き友よ
2位 いくつになってもHappyBirthday
>悪くない 検討に値する
1位 真夜中のタクシー
最近自分の唄が出てこない
■マイフェイバリット
野球のテーマ。今日はベストテイクでいく。
昔、野球は得意だった。ファーストを守らされた。右打ちだった、後に左打ちに変えたのかな。長打力はないが、ショートへの流し打ちがうまかった。後に巨人の篠塚と親しくなる。家が近所だったこともあり、後楽園にもよく観戦に行った。流し打ちというところでは篠塚と喜だ拓郎は共通していた。
奥田民生とメールして、丸が巨人に行くという話をした。たぶん淋しいんだろうが「しようがない、頑張って欲しい」と言っていた。丸が巨人という大変なニュースになっている。ああいう年末になると金額何十億というニュース多い。古くはイニエスタの30億、バルセロナやメジャーではよくありうる。今も違う事件で何十億というのあるよね。丸も凄い金額だろうね。
こういう時代に日本のスポーツもなってきたんだな。個人的には、サッカー選手の報酬を上げてよ。すごい頑張っているんだからさ。
最近は野球を面白いと思わなくなった。ま、大谷はよかったけれど。さっきの篠塚以来ヤクルト山田は好きだな。去年ヤクルト、今年ベイスターズを応援しているといったら奥田民生から「毎年変わるんですか」と言われた。なかなか広島に行かない。
鈴木誠也が好きだったんだけど、チームとしてはベイスターズ。
で、野球の出てくる歌ということで。
M-2 ロンサムトラベリンマン 吉田拓郎
あいつともう一回 野球ができればっていうロマン。野球じゃなくて、山でもいいよ。 旧友再会フォーエバーヤングでは、「マッターホルン」だった。テキトーなやつらだったな山田と名前を忘れた…山本。あんな名曲をあげて損した(笑)。
「ホームランブギ」の原曲は1947年に笠置シズ子が歌ったけど、現役の時はたぶん拝見しているんだろうけど覚えていない。
M‐3 ホームランブキ 笠置シズ子
これを渡されてカバーしてくれといわれてどうしようかと思ったが、ブギウギだから、ロックンロールでやればいいのかなと。
中西康晴、徳武弘文、島村英二、松原秀樹と演奏した。これは結構楽しいんだな。アマチュア時代の気分が抜けないのかな。ステージで評判よくなかったけど、また歌いたいな。
M-4 ホームランブギ 吉田拓郎
「かっとばせ」で声が枯れた、疲れたな。カッコイイな、こういうノリのもワッという感じのレコーディングしたい。
そして、ニッポン放送のショーアップナイターの2010、2011のテーマ。なんでこうして野球に駆り出されているのかな。
M-5 That’s it 吉田拓郎
■エンディング
来週ツアー日程発表
・最後の曲
・「は」「ま」
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆先週の拓郎は、米津玄師とそれを嗜好するシニアの存在に、どこか動揺した感じがあり、私も妙にアウト・オブ・シニアのような気分になってしまって落ち込んだものだ。
しかし、爽快な一週間だったとは、さすが吉田拓郎だ。進取の精神に充ちて自動修正してリカバリーしているところが凄い。
「自分の将来〜将来はあると思っている〜そこに明るい光が見えてきた。いい歌の歌詞を書いて、いいメロディを作って、いいアレンジをして、素敵なレコーディング、素敵なステージをしたいと思った。」「いろんな意味で、音楽はいいものなんです。」という言葉には泣きそうになった。いくつになっても新しいものを得て変わってゆく、成長してゆく、この素晴らしさ。私はやっぱり拓郎だけを聴いていれば大丈夫だと思った(爆)。違うか。
☆亡くなられたのは、テレビでも拝見した、ダウンタウンズのゲストボーカルにしてあのAKIRAのモデルと言われていたあのご友人の方でしょうか。なんとも。御冥福を祈らせていただきます。
☆いよいよ、日程発表開始。休憩なし。御意。命がけのステージ。御意。昔は休憩もゲストもたっぷりあった気もするけれど、やはりあれは客席も身体と心が冷えていけません。「ぶっ続けで行きまっせ」でまいりましょう。
☆流し打ち。確かに篠塚の流し打ちは、美しかったな。観ていて、ああウマイと思わず嘆息してしまったものだ。病弱だったそうだし、インドアでスポーツマンのイメージがないので、苦手なのかと思っていたけれど野球が上手なんだな。
確かに「男達の詩ツアー」の写真で、ステージで休憩時間にキャッチボールしている写真があったけれど、拓郎がボールを投げる腕がしなって美しかった記憶がある。
☆ガンバラナイけどいいでしょうは、uramadoにも書いたけれどファイト!なんだよ。オーラスでもオッケーだが、あの曲もどこかで歌ってね。
☆スリービルボード 録画して最初の方を観たのだが途中であまりに厳しくて中断している。観るしかないか。
☆「ホームランブームギ」確かにいい。あの時は、確かにライブでは、いらねーと思った。それは、2003年のあのツアーが特別なステージだったからだ。あの時は、吉田拓郎がステージに帰ってきた歓びに、一曲一曲まるで宝石を見つめるような気分で参加したから、音楽を音楽として楽しむ余裕がなかったのだと思う。すまんな。
☆サッカーは、あの運動量と選手生命を考えると確かにもっともっと貰っていいと思う。
☆That’s itは、インストバージョンもかっこよかった。
☆テキトーなマッターホルンの山田パンダ。個人的にはタイムリーでウケた。
☆奥田民生はホントは迷惑なんではないだろうか(笑)
☆☆☆星紀行今日の学び☆☆☆☆☆
流し打ちが得意。そうだったのか。だから構えたところにいつも球が飛んでこないのだ。抜かれてしまうのだな。「拓郎シフト」をよく考えて来年は臨みたいものだ。
■ 2018. 12. 11
78年「大いなる人コンサートツアー」までは、途中に「ゲストコーナー」と「休憩」があったはずだ。これがテンションがダダ下がりだったのよ。愛奴、大野真澄、小林倫博ほかゲスト諸氏の方々には申し訳ない。
79年のコンサートツアーが「デスマッチツアー」といわれたのは、ゲストなし休憩なしで、ぶっとおしで拓郎が歌うぞというところから来ている。もちろんその内容がハードなものだったこともある。
「・・・要するに魂こめて歌えばいいんだろうということで2時間30分、ぶっ続けで行きまっせ!!」
という79年の武道館のmcが耳から離れない。
今は当然だけれども、たぶん長時間+休憩なし+前座・ゲストなしでアーティスト出ずっぱりというコンサートスタイル、これも吉田拓郎が最初に始めた偉業ではないかと確信はないけれど思う。
■ 2018. 12. 12
TYISのSEASONGREETINGが届く。格別のご愛顧なんてしてねーよと憎まれ口を叩きながらも、やっぱりこのカードには毎年ほっこりする。1月上旬発行予定のマガジンDXが楽しみだ。頼むぞ。
あ、DXではないEXだった。でも、オイラには同じことよ。
■ 2018. 12. 13
突然ふと梶原一騎のことを思う。
矢吹丈は、真っ白な灰になって燃え尽きた
伊達直人は、交通事故で突然命を落とした
そして星飛雄馬は、極北を生き続ける
苦闘の末、左腕を壊して球界を去り、その後右投手として復帰するも、数年後自由契約となり、二軍のコーチになったという茨の道の途中までは消息を確認しているが、いまごろどうしておいでだろうか。三人の中である意味一番カッコ悪いのだが、だからこそ心に迫る。さすが梶原一騎、見事に三人のヒーローを描き分ける。存命であれば、彼の生き続けるドラマを書いたのだろうか。
さらにまたふと思う(爆)
学生時代、講義をサボってミニシアターで観た昔の映画「無防備都市」。だいだいあそこはこの映画と「戦艦ポチョムキン」と「僕の村は戦場だった」のヘビロテだった。大戦中のイタリアのレジスタンスの内戦が舞台。最後に、ナチス派によって公開処刑される直前の神父さんが、悲しむ子どもたちの前で言う
「立派に死ぬ事はたやすいが、正しく生きることは難しい」
映画の名セリフのひとつだと思う。「立派に生きる」と記しているものもあるけど「正しく」だと思うぞ。それはそれとして。
♪生きていなけりゃ、生きていかなけりゃ
これをロックンロールでもなく、美しいバラードでもなく
こういうヘビーな感じでしみじみと歌い上げたのは そういうことだったのかもしれない
そういうことって、なんだ
あれこれ思うが、吉田拓郎のファンでいることは音楽のみならず生き続けることの難しさと素晴らしさを砂かぶりで眺める事なのではないか。眺めて楽しんでいるほどこちとらにも余裕はないが。ごっつぁんです。
■ 2018. 12. 14
生き生きと働いておられる様子に安心した。土瓶蒸に、酒盗に、冷酒。好みを憶えてくれていてくれて幸せだった。なんといってもハムエッグだよ。なんで冷酒にハムエッグなんだ。厨房の人々も店内も大爆笑だったが、料理長は渾身で作ってくださり、私も魂でいただいた。「どうすればお客さんが喜んでいただけるか考えるのが料理人の仕事ですので」。
拓郎がデザインを志す篠原ともえに対して「デザインは自分を表現するものではなく、デザインというものは人に捧げるものなんだ」と諭した言葉を思い出して胸がいっぱいになった。ただの一般Pの客にここまでしてくれて言葉がない。気持ちよく酔っ払った。
意外に近いじゃないか、また来よう。絶対に来よう。
帰りに駅の階段を登っても、店の前でまだ手を振ってくれていたのを見て、ちょっと泣きそうになった。
帰りの長い電車でずっと脳内で鳴っていた。
♪バカだよねあいつ まだ手を振ってる
バカだよねあいつ 泣けてくるじゃないか
(中尾ミエ「風の中で」詞 喜多條忠 曲 あの人)
■ 2018. 12. 15
■同じ作曲者でタイトルを間違えやすい曲 難易度★★
@風の中で 唄 中尾ミエ 詞 喜多條忠 曲 吉田拓郎
A風の中 唄 井上順 詞 岡本おさみ 曲 吉田拓郎
B季節の風の中で 唄 原辰徳 詞 山川啓介 曲吉田拓郎
<ポイント>@とAは助詞「で」の有無で全く違う曲になります。またBは、うっかりすると北海道のアイツの歌と間違えてしまうので注意したいものです。
■タイトルの漢字が違うもの 難易度★★★
@男達の詩 唄・詞・曲 吉田拓郎
A男達の唄 唄・詞・曲 松山千春
<ポイント>これも間違いやすいですね。1990年という発表年まで同じの難問です。しかしこれは間違えると「オイ、タクロー、オメェよ」というダークサイドに落ちてしまうので是非注意したいものです。拓郎は「詩」、アイツは「唄」、「拓郎は詩人」と憶えておくと良いでしょう。
■タイトルが同じもの 難易度★★★★
@落陽 唄 藤井フミヤ 詞 藤井フミヤ 曲NAO
A祭りのあと 唄・詞・曲 桑田佳祐
B帰らざる日々 唄 アリス 詞・曲・谷村新司
<ポイント> 超難問です。タイトルも漢字も同じですから、内容で識別するしかありません。慌ててタイトルだけで決めつけないように注意したいものです。@Aは、桑田やフミヤが拓郎の名曲に敬意を表したという趣旨のインタビューを読んだことがありますが、どうでしょうか、ヒネクレ者の私には敵意しか感じられません。Bは吉田拓郎よりかなり先で知名度もあり難問です。ややもすると拓郎ファンの中にも、「え、それって拓郎じゃなくてアリスの歌でしょう」とか言う人もいます。知らずに敵陣に落ちてしまっていることもあるので要注意です。もうちょっと別のいいタイトルはなかったのかと吉田拓郎に問い返したいところです。ちなみにアリスの「帰らざる日々」が映画化されたとき、劇中で「旅の宿」が流れました。そんな知識も役立つかもしれません。…てか、これ全部どこが役立つんだよ。
私も甥っ子に受験生がいますのでこんな受験ネタは不謹慎ですが、受験生の皆さんくれぐれも身体だけは気をつけて、あと少し頑張ってください。だから受験生は読んでないよ。
■ 2018. 12. 16
どんな日程なのだろうか。
とりあえず「こんなツアー日程発表はイヤだ」を集計してみた。
5位「新緑の頃」「初夏」とか季節しか発表しない
4位 また毎週一か所ずつ日程を発表する
3位 日時だけ発表して、それがどこかは次回のスペシャルウィークで発表する
2位 本数が減っている
1位 「Wキャスト坂崎幸之助」で拓郎が歌わない公演がある>ミュージカルかよ
さてどうなりますか
■ 2018. 12. 17
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
(ああ青春のイントロ)
M-1 ああ青春 吉田拓郎 一瞬の夏ver
朝までやるよ〜コンサートをこれで始める…って一曲目にやんないよ。早速、約束のひとつであるコンサートの日定を発表。
間違いなくチケットなくなるから日程をしっかりメモして、たくさんいただいたハガキとメールの中からブルーのベルトのG-SHOCKをプレゼントする。
5月23日 開演6:30 市川市文化会館
5月28日 開演6:30 宇都宮市文化会館
>朝じゃないよ、一度やってみたいな「朝からやるよ」。一曲目は人間なんて(笑)
6月4日 開演 6:30 東京国際フォーラム
6月12日開演: 6:30 アクトシティ浜松
6月19日開演6:30 名古屋センチュリーホール
6月26日開演6:30 大宮ソニックシティ
7月3日 開演6:30 パシフィコ横浜
かねてから番組で言っていた、「ラジオでナイトのスペシャルバージョン」もそのあと東京で実施する。ツアー曲の4,5曲は間引いて違う曲、「いとしのルネ」とかにしようかな。ラジオの延長戦のようなライブをする。
G-SHOCKはエンディングで。
■吉田拓郎のラジオでナイト
<横浜公演に行ったが、拓郎さんの「横浜の皆さまこんばんは」と挨拶がありますが私は島根だし、石川の人もいました、全国から来ていることを御存知かという投書>
全国から来ているというお叱りを受けました(笑)
<山形カシオの下請で働いているが、そのG-SHOCK 私たちがつくったのかもしれないという投書>
G-SHOCKはデザインを変えない頑固ないい時計だ。自分の場合は、世の時計フリークとは違って例えば、手巻き、アンティーク、何百万円もするものというこだわりはない。1万円前後で十分、オメガとかあるけれど、狂わないし電波時計、クォーツの方がいい。
しょせん鹿児島生まれの広島育ちの田舎もの。昔よく安井かずみから「まったく広島の田舎もの」と言われていた。
<メンバー紹介「ひとり想えば」はどうかという投書>
ひとり想えば…忘れてしまった(笑)曲が多すぎて。「ひとり想えば」はいい曲だ。セットリストにいれようと思っていた。
■CM明け
日程紹介。心はウキウキ燃えている。セットリスト、曲順、アレンジをいろいろと考えている。一番最後の曲のアンケート。殆ど気に入らない(笑)
・永遠の嘘をついてくれ
>最後はないが、セットリストとして思い出したありがとう。2006年以降ひとりで唄っことはあまりない。
・明日の前に
>ダメ。三拍子 (歌う)
三拍子どんよりしてしまう。(外は白い雪の夜 歌う)三拍子が最後はありえない。
・落陽
><8インチシングル「あの夏に抱かれたい」テーマのままのアレンジでという投書> それ知らない。今回のツアーでは、「落陽」を勇気をもって外そうかと思っている。
・新しい朝
>あったことは覚えているが、どんな曲だったけ。古いな
・春だったね
<待たされて、待たされて最後に探し物が出てくるという投書>…悪くない
・ガンバラナイけどいいでしょう
<人生ダウンする日もあるという投書>
・夕映え
>みんな好きだな。拓郎さんは好きじゃない。そんなに歌ってないよ。候補に入れるかな、最後じゃないけど。
5位 ありがとう
>テレビが終わるときのみんなへの感謝
4位 祭りのあと
>これに限らず岡本おさみの曲のリクエストは今の気分ではない。古い曲は、古いイメージがある。ある意味時代を象徴していて今聴くと違うなという気がして、僕の心の在り方からするとノらない。70年代の次代には戻れないし戻りたくも無い。そういう曲がおおい 「祭りのあと」とか名曲はない。現代はそう思わない。君去りし後とか。「花の店」「歩道橋の上で」とかはぎりぎりセーフ。その他の曲はちょっとごめんという感じがしている。
3位 人生を語らず
<大阪行きは何番ホーム、7月26日未明とメドレーでという投書>
大阪行きは、もう歌わないと言ったはずだ。7月26日未明は、歌うわけがない
2位 明日に向って走れ
>あり得ない「絶頂期の拓郎の最後を感じさせる」・・・こんなメール送ってくるなよ。歌う気になるか。
1位 又逢おうぜ、あばよ
ノらないんだよ。違う自分でいたい。70年代の気分をひきずりたくはない。戻りたいとは全然思わない。
こんな放送ある? 募集しといて絶対歌わないとか、リスナーからはメールで昔は良かったとか送ってくる放送。
「人生を語らず」はやりたいな。今は、最後の曲カナと思っている。シャウトしたいな。
M-2 人生を語らず 吉田拓郎
■勝手に選ぶニッポンの歌50選
初めてのジングルに驚いた。
「は」
僕は古いので〜
・ハイティーンブギ
>松本隆だよな
・裸のビーナス
>拓郎と郷ひろみの45年のファン
・花とみつばち
>彼氏は郷と同じ歳ですが、すっかりおじいちゃん。
来年のライブもあれから2年、また歳を重ねて年齢層が高いんだろうな。今度のライブで観客が若者に入れ替わるとかないかな。高望み。
<芸能人はいつも若いのはストイックだからですかという投書>
いつもカメラに向けられているからね。先日、ヘアサロンで偶然、水谷豊に会った。フォーライフの社長をやっていた時以来だよ。
「水谷クン」と久しぶりハグした。テレビの「相棒」のイメージと思っていたら、凄く若々しくて40,50代のようだった。とてもチャーミングで俺も頑張ろうという気持ちになった。
奥さんはキャンディーズの蘭ちゃんだしね、いろいろ付き合いありましたけど。
まあ、バカバカしい人も多いね。
・ハチのムサシは死んだのさ 平田隆夫とセルスターズ
・花はおそかった 美樹克彦
幸拓やゴールドは忘れなよ。もう坂崎はいいんだから。昔のことは捨てなさい。
僕はユーミンの「春よ来い」が好きだった。
ユーミンと中島みゆき、この二人が登場したのは凄いことだ。メロディは異質。ユーミンは、分数系だけど、みゆきは、日本人得意の和のメロディ。でもこの「春よ来い」は和だね。
「走れコータロー」とかはなかったね。これが一位かと思った。「花の首飾り」タイガースもない。マッチよりも、トシちゃんの「ハッとしてgood」だよ。喜納昌吉「ハイサイおじさん」を思い出す。
5位 晴れたらいいね ドリカム
4位 春一番 キャンディーズ
3位 灰色と青 米津玄師と菅田将暉
>知りません。ちゃんと聴くから。
2位 ハナミズキ 一青
>武部のプロデュースだよな
1位 春の歌 スピッツ
M-3 ハイサイおじさん 喜納昌吉とチャンプルーズ
■マイフェイバリット
紀平さんて、すげーな。メチャ感動、あの可愛いザギトワを破った。逆立ちのまま歩いて行けるなんて凄い身体能力だ。
クリスマス特集だ。初めて聴くが、ブルース・スプリングスティーンのクリスマスカバー。
M-4 サンタが町にやってくる ブルース・スプリングスティーン
クリスマスもへったくれもない。カッコイイ。
M-5 ジングルベル フランクシナトラ
クリスマスというとやっぱりフランクシナトラ。しみじみす。
日本だと山下達郎とかビングクロスビー。
M-6 ママがサンタにキスをした ジャクソンファイブ
毎年この時期になると、やーな思い出だ。このアルバムのおかげで、わが社は左前になった。その後大変な人生になって、その会社をまかされることとなった。陽水の言うとおり魔が差した(笑)。時間が経って冷静になるとつくづく魔が差したというしかない。
そのアルバムの中で唯一光を放つ曲と自分で言うしかない
M-7 諸人こぞりて 吉田拓郎
■エンディング
あらためて日程
5月23日 開演6:30 市川市文化会館
5月28日 開演6:30 宇都宮市文化会館
6月4日 開演 6:30 東京国際フォーラム
6月12日 開演: 6:30 アクトシティ浜松
6月19日 開演6:30 名古屋センチュリーホール
6月26日 開演6:30 大宮ソニックシティ
7月3日 開演6:30 パシフィコ横浜
G-SHOCK 当選は、<千葉県松戸市の方>
・ラストの曲
・詞
・「ま」「ら」「わ」
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆いきなり「ああ青春」ラジオの前で、胸に手をあてて、迷い無く唱和する。深夜に家族の顰蹙を買うが、あなたと家族になるずっと前から私は吉田拓郎のファンなのだ。これから聖なる日程が発表されるのだ。
☆新緑の頃から夏へ。良い気候だ。水曜多くてどうでしょう。仕事の調整をしないと。調整といっても嘘と誇張を振り回して日程をずらすだけだ(爆) 。すまんな、社会人になるずっと前から私は吉田拓郎ファンなのだ。
☆本編ラストで「明日の前に」は1976年にあったでしょう。「ひとり想えば」これは、間奏の拍手は是非アレンジとして残して欲しい。開場全体で盛り上がりそうだ。
☆岡本おさみ。結構ショックである。あの曲たちが古いとは思わない。ましてや”又逢おうぜあばよ”より”花の店”の方がいいとも思わない。"諍いと和みのハザマに〜"というフレーズは聴くたびに泣けるが、"坂の途中"では泣けない。というか古い曲たちを現代にカスタマイズし永遠のものにするのが吉田拓郎ではないかと思う。
しかし、その反面で、時間は経ったものの、今、岡本さんは、まだ喪の感じがする。遺作・追悼という気持ちが抜けない。
これから軽やかにステージに躍り出んとする御大にとって、身体ごと後ろにひっぱられるような気がするのかもしれないと、全く勝手に憶測する。ま、下種の勘繰りだ。だから文句は言うまいと。言ってるが。
☆水谷豊とのハグ。表参道ナンパストリートの頃か。懐かしい。
☆「諸人こぞりて」これは絶品だ。すべては吉田拓郎の「諸人こぞりて」をこの世の闇路に残さんとするための神の与えた試練である。幸いなるかなファンよ、来年こそ主はきませり。
☆とにかくこれで今年を越えられる。みなさん、がんばっていきまっしょい。
☆☆☆☆ 星紀行教の学び ☆☆☆
「あの夏に抱かれたい」の「落陽」はなかったことに。
これこそ魔が差したのかもしれない。
すまんな野村宏伸。
■ 2018. 12. 18
■ 2018. 12. 19
この軽やかで小気味よい演奏が、やっぱりイイ。OK松任谷。とくに間奏の手拍子がカッコイイ。久々に聴きながら叩いてみたら、ゼンゼン追いつかなかったわい(爆)。こんなところで人は老いを実感するのか。
先日の応援上映の「ROCK YOU」のリズムも自分はかなり危うかった。まずい。老いというよりセンスなのかもしれない。来年、もしもの時に備えなくて練習しなくてはならない。
さて、その「ボヘミアン」に再度行くことになった。前回は、私以外は真剣なクイーンファンだったが、全員めちゃくちゃ泣いていた。私はなんちゃってファンなので問題外だが、これまでファンとして、ライブエイドの本番映像も死ぬほど観てきて、映画は全部作りもので、よく観ると俳優も熱演しているがさほど似てないのにもかかわらず、なんでこんなにも泣いてしまうのだろうか。・・・というのがファンらの疑問で、それを確かめにもう一度行くことになったのだ。
そういえば遠い昔、ライブ73のコピーバンドを観た時も、なんか胸が熱くなって涙したことを思い出した。人はホンモノだから泣き、ホンモノでないから泣かないというものではないようだ。これは追求に値する疑問点だ。
というわけで今度は応援上映ではなく、しみじみと観てみることに。
■ 2018. 12. 20
私が初めて聴いたのは、時期は定かではないが、たぶん75年の初頭、小室等と中沢厚子の三ツ矢フォークメイツだった。このシャウトには心底驚いた。怒鳴り声を聴いてはじめて美しいと思った。中沢厚子が「昔は可愛らしい声で歌う人だったのに」と言っておられたのを思い出す。
また、かつてビートたけしが「今はまだ人生を語らず」のLPを行きつけの飲み屋に預けておいて、飲んだくれて帰るときに、いつも下校の音楽みたいに店のおばさんにかけて貰っていたと語っていた。このイントロから素晴らしいんだと絶賛しており、私も嬉しかった。荘厳な神々しいまでのきらめきがある。
みなさんはどこで初めて出会っただろうか。呼びかけてどうする。ファンの数だけ衝撃の出会いがあるのだと思う。
「原点にして頂点」とはこのことか。いや、頂点はひとつではない。来年がある。富士山ではなくて八ヶ岳である。意味わかんねーよ。
昔、幸拓にリクエストしたことがあったが、城みちるの「人生を語らず」のカバーには別の意味でびっくりしたものだ。この拓郎の原曲を聴いて自分でカバーしようというその度胸に驚いたものだ。しかしもこの超絶シャウトを、叫ばずに全部ビブラートでカバーしている、あんたはバイブレーターか。イルカに乗って水平線まで行けるんだから怖いものはないのか。
魂のシャウト、来年聴けるんだな。頼むぞ。
■ 2018. 12. 21
でも拓郎はそんなシロウトみたいなことはしない。ま、シロウトはコンサートツアーなんてしないけど。そういう経済合理などは関係ない。
A谷さんの「帰ってくるんですね」という言葉は深い。そうだ、いくら近いからと言って、浜松のついでに名古屋、名古屋のついでに浜松に行ったりせず、どちらもちゃんと一回一回、家に戻って家からていねいに思いをこめて向うのだ。これはコンサートツアーの始祖が行きついた新たなコンサートスタイルである。どうだ、吉田拓郎って凄いだろう。…通じただろうか。
■ 2018. 12. 22
夜、二度目の応援上映に。前回のライブ会場のマスゲームのような応援ではなく、おそらくリピーターが大半なのか、それぞれの思いを噛みしめて深く味わう感じが良かった。それが最後に向けて、映画館内が少しずつ溶け合ってくるんだよ。いい空気だった。
いろいろ良かったけれど「ボヘミアン・ラプソディ」のシングルカットに強権を発動して猛反対するプロデューサーと一歩も引かないクイーンのシーンが印象的だ。プロデューサーは、ロジャーやブライアンの曲を推奨するのだが、製作中は自分の曲が一番イイと大喧嘩していた彼らも、自分の曲ではなくフレディの「ボヘミアン・ラプソディ」を頑として推す。そこにバンド生命をかける。いいなぁバンドって。家族でありカタマリなんだよな。
今回の観覧のテーマは、なぜ生粋のファンなのに、本物ではない「作り物」で泣いてしまうかの検証だった。主演は超絶名演だと思うが、よく観るとフレディに似ていない。なんか山本コータローにすら見えてくる。すまん。それでも圧倒的にフレディとして観客を制圧する。
ファンの答えは出なかったようだ。出ないまま、それでもごっつうみんな泣いていた。
なんちゃってファンの私は、フレディと拓郎は同じ歳なんだよなとあらためて思いつつ、ライブエイドのシーンを観ながら、同時期の1985年7月の吉田拓郎の超絶カッコイイつま恋を思い出したり、フレディが45歳で亡くなるが、あの時拓郎は、45歳のエイジツアーをしてたんだよなとか、その歳から今までの時間を思ったりもした。
とにかく生きていなけりゃ。最近、いつもこの曲にたどり着く。でも本当にそれしかない。
■ 2018. 12. 23
ともかく今年はこのアルバムの40周年だった。私の転石苔むさず40周年記念は昨夜こうして静かにしめくくられた。ありがとうございました。
転石苔むさずといえば、昨日も書いた「ボヘミアンラプソディー」のクイーンとプロデューサーの激突の場面で、ブライアン・メイが「クイーンは同じことをいつまでも繰り返さないんだ(We don’t follow formulas)」と啖呵を切る。”型”というか”お約束のパターン”のことを”formula”というんだな。プロデューサーは「レコードもコンサートも”formula”が大切だ」と切り返し、話は紛糾する。
We don’t follow formulas。これは誰もが思う、まさしく吉田拓郎のスピリットだ。お約束となれ合いの”formula”をひとつひとつ毀してゆく拓郎に、感動し、時に驚き、悲しみ、怒り、途方にくれたりもしながら、その素晴らしさを胸に刻んできた。
だからこそ、たぶん多くの拓郎ファンは、そんな吉田拓郎が時として”formula”に頼ろうとしている空気に敏感だ。コレを演れば客は喜ぶだろうみたいな。落陽、人生を語らずに飽きたと言ってきたが、それは、その曲が悪いのではなく、なんか”formula”に頼ろうとするようなニオイがして仕方なかったのだ。
そして、"don’t follow formulas"とは、常に変わったことをするとか、新しいことをしろということではなく、歌わずにいられない=「魂」をこめて歌うことなのだとあの映画は教えてくれた。
文句ばかり言っているが、吉田拓郎が自分の内的必然から、どうしても歌わずにいられないという曲を魂を込めて歌う時、それがどの曲であれ、打ちのめされる。それこそがdon’t follow formulasなのだと思う。
奇しくも、昨夜の会の最後は、「愛の賛歌」だった。この人の熱唱にはいつも涙ぐむ。越路吹雪の日本詞ではなく、もっと凄絶なフランスの原詩を訳して歌ってくれる。エディット・ピアフになりきって、まるで彼女の人生そのものものように全力で歌う。魂だ。
青空が崩れ落ち
そして大地が割れようとも
私は気にしない、あなたが愛してくれるなら
私は気にしない
私は大金も盗んでみせる
あなたが求めるなら
私は国を捨て
私は友を捨てる
すげぇ。「このまま世界の終わりが来てもかまわない、君と一緒に死んで行けるならすべてを許そう」である。
車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』の冒頭。
「吉田拓郎の愛の讃歌をうたったので、部活は中止です。」
ああ、なんか、つながったよ。ホントか。
「魂(ソウル)だけは負けない」と宣した吉田拓郎。クイーン。エディットピアフ。なんかいっしょくたになっているが、「魂込めて」がこのサイト内の最近の検索キーワード上位である。自分で検索してるだけだが。
■ 2018. 12. 24
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
とあるドキュメンタリー番組に妻と興奮した。「ロストフの14秒」というNHKのサッカーのドキュメンタリー。
サッカーには過去にも「ドーハの悲劇」「マイアミの奇跡」とか後々に語り継がれるドラマがある。これはサッカーに特有なのかな、野球とかには、あまり聞かないもんね。これはサッカーに興味なくても、心に響いたと思う。僕達の人生にも潜んでいるものだ。
ワールドカップロシア大会のロシアでの決勝リーグがロストフアリーナでおこなわれた。ジャパン対ベルギー。ベルギーは格段に上のランク。その世界のベルギーにジャパンが2対0でリードする。このままいくと日本がベルギーに勝つという「奇跡」になってしまうということで、世界中が注目して観ていた試合だった。
ミッドフィルダーの長谷部が蹴った、たぶん香川へのパスだと思ったが、はっきりせず、意図が見えなかった。パスにはすべて意図がある。ちょっと何げないパス、それが香川の胸か肩かに当った。イージーなパス。僕も観ていて、よくわかんなかった。
他のピッチにいたジャパンの選手が、殆ど「あら」とか「マズイ」と思ったらしい。とにかくそのパスに嫌なものを感じたらしい。そういう雰囲気ね、アトモスフェア。
案の定、またたくまにベルギーに2点を追いつかれる。サッカーファンも監督もみんなこれは延長と思った時にコーナーキックとなって、ジャパンにチャンスがきた。最後のチャンスだ。本田が蹴る。このボールがベルギーのキーパーに取られてしまう。キーパーは、すかさず味方にボールを転がす。一気に俊足ドリブルで運んで、ジャパンのゴール近くにパスする。ジャパンの選手も追いかけるが追いつかない。
ルカク選手にパスする。それは これでルカクにゴールしろという意図だと思った。そのままゴールにシュートしてくると思った。ところが、ルカクは、そのボールをスルーする。そしてルカクの後ろの選手がそれを拾う。その選手はノーマークでフリーになっていて、彼がシュートを決めた。みんなルカクをマークしていたから、唖然としている間にシュート。誰もがびっくりした。
こうして3対2で試合終了寸前で逆転負けを喫した。ジャパンのコーナーキックでキーパーが取ったボールを受けて走り出してからゴールが決まるまでが14秒だった。
選手もそして西野監督も リードしていた段階での気持ちの持ちようとかベルギーの反撃対応とかに何らかの迷いがあったんではないかと推測される。
なんとまぁサッカーのゲームの深さ、心理的難しさ、大変さ、凄い番組を作ったもんだな
。NHKすげーな。ていうか民放もリキいれてこういう番組を作れよ。バラエティもいいけれど、がんばれ民放といいたい吉田拓郎のラジオでナイト
■タイトル
サッカーは面白いね。野球にイマイチな気分になっている。子どもの頃、サッカーは、テキトーにやってるように観ていた、点数はいらないし、ツマンナイなと思っていた。しかし、わかってくるとこんな深いスポーツはない。
それにファッションもガンバの宮本監督のカッコよさ。今日は宮本を意識したウェアを着ている。
<来年コンサートで客席への投げキッスをして欲しい、最近してくれていないという投書>
してたね(笑)。今、長いお辞儀しているからね。寝てるんじゃないかと言われるけれど、 ありがとうなんだよ。よし、投げキッス& お辞儀で行こう。
<奥様がおじさん化、拓郎さんおばさん化という話に共感、自分は平気でゴキブリを叩くという投書>
我が家も奥さんはゴキブリを叩く。俺はそういう時まずシューという何本か買ってある殺虫剤を取りに行く。けれど、ウチの人は「まかせて」と叩くんだよ。
<乙女の頃は虫が怖くて泣いてたのに、今、夫はお裁縫が得意という投書のつづき>
ははは。縫物はオレもうまいよ。小学校の時、授業の家庭科で足踏みミシンを習って、オフクロにも教わって、ボタンかがりとかは俺の方が上手いかもしれない。
<我が家も逆転。主人がおばあさん化、階段の足音しないという投書>
そうだよね(笑)。足音しないよね。昔、二階の勉強部屋でコソコソしていたら、いつの間にか、後ろにおばあちゃんが立っていて、びっくりした。慌てて、本棚を整理しているフリた。パンツの位置がおかしかったかもしれない。
最近、IT会社では居酒屋を借り切って解放して飲み放題にするところもあるらしい。
会社で飲み会に行きたいか、行きたくないかというテーマがある。
参加したくない上司の意見として、アルコールが入るとパワハラが出てしまうのが怖いという。つい部下に命令したり、若い女性のお酌でお手て握ったりと。わかるよ。ネイルサロンで若い女性に手を握られて、このまんまでいてくれないかと思う(笑)
飲むとそういうことがついつい出てしまうので行きたくないそうだ。
そういう、行きたくない人の部下も、長い時間、上司のつまんない話を聞きたくないということらしい。また、飲み会でこの上司を判断や品定めするためにいく若者もいるらしい。
僕らは体験ないのでわかんないな。会社は組織だから上司から、飲み行くぞといわれたら遠慮できないんだろうな。
僕も河合楽器に就職してサラリーマンになる予定だった。若い奥さんにピアノを口八丁手八丁で売りまくって、売れたらいずれ支店長になろうと考えていたが、やっばり無理だったよね。
一匹オオカミでいられる世界で幸せだった。
<心豊かになる放送、コンサートラストの曲をリクエストしたいという投書>
僕もこの曲忘れていた。最後じゃなくてもいいな。
M-1 マスターの独り言 吉田拓郎
■CM明け
2016年の時、NHKでリハの様子が流れた。ネットで、「声が出ていない」「心配だな」という書き込みがあったと、スタッフやミュージシャンが教えてくれた。
ああいうリハーサルで声を出して全力投球しなきゃならないワケがない。真実はライブにしかない。リハ風景を楽しめばいいだけ。そのときの体調や計画があるから全力で歌うことはない。それはそれとして楽しめばいい。とにかく真実にライブにあるんだ。
サッカーの試合だと思えばわかる。試合にすべての真実がある。例えばそこでボーカルがアウトならだめだけど。
さぁその真実の来年の日程が決まりました。
日程
5月23日 開演6:30 市川市文化会館
5月28日 開演6:30 宇都宮市文化会館
6月4日 開演 6:30 東京国際フォーラム
6月12日開演: 6:30 アクトシティ浜松
6月19日開演6:30 名古屋センチュリーホール
6月26日開演6:30 大宮ソニックシティ
7月3日 開演6:30 パシフィコ横浜
さて、最後の曲。なかなかイイのがないね。みんなこういう感じでいいの?
5位 永遠の嘘をついてくれ
>中島みゆきを呼んだらとるけれど、それでファイト!とか歌われて中島のコンサートになってしまう。彼女のコンサートでギタリストとして参加するという計画はあって、瀬尾とミーティングをしている。だれにも知らせずに行って、帰ってこようと思っている。
4位 落陽
>ストーンズのサティスファクションと同じで、詞や曲は別にして楽しもうという気持ちはあるけれど、今回はないかもしれない。
3位 アキラ
>こういうストーリー性ある曲は向かないから
2位 流星
> 泣きそうになってしまって、リベンジするかな。どこかで歌う。
1位 又逢おうぜあばよ
だからもう時代がかってダメだと言ったでしょう。このころの時代背景と結びついているので。
累計
5位 イメージの詩
>長いよ
4位 流星
3位 ガンバラナイけどいいでしょう
>大いに向いている。アレンジで、コーラスに任せたり、独唱したりいろいろ盛り上げる
2位 落陽
>悩んでいる
1位 又逢おうぜあばよ
>ホントにわかってくれない人たちだね
■勝手に選ぶニッポンの歌50選
このジングルは響くな。いい仕事するな、橋内。オレからメールで文句を言われたもんな。「ない頭で考えろ」と言われて「ない頭で考えました」と返事が来て「さすがにない頭だな」(笑)
「ま」
僕は♪真っ赤に燃えた太陽だから〜美空ひばり。あと前にもかけた♪真夜中のギター フォークのような演歌 (歌う)
5位 また逢う日まで 尾崎紀世彦
>いい唄だね
4位 街の灯 堺正章
3位 負けないで ZARD
>ああ知ってるよ
2位 祭り 北島三郎
作詞は、なかにし礼さんなんだね。
<なかにし礼さんが、77年に拓郎さんからアルバム出さないかと誘われて「時には娼婦のように」が出たという記事を読んだという投書>
そうそうフォーライフからわが社で出しませんかといって出した。北島三郎の紅白は「祭り」
最近いろんな曲が入るようになったね。ZARDとか、今回の一位は驚いた。
1 位 マリーゴールド あいみょん
驚いた。2016年のライブに来ていたらしい。
この一位を聴く前に吉田拓郎は「真っ赤な太陽」が聴きたい。
M‐2 真っ赤な太陽 美空ひばり
これバンドは、ブルーコメッツだよね。なつかしい。ミニスカートで歌っていたよね。美空ひばりは天性のボーカリストだった。なんでも歌いこなせた。時代時代にエレキとか サウンドを新しくして。
M-3 マリーゴールド あいみょん
■エンディング
昔、吉田拓郎には四つの顔があると言ったが、最近五つの顔があることに気が付いた。
ラジオの顔 多弁でアドリブ
テレビの顔 大事なことはしゃべるけれどあとはシャイ
ステージの顔 他の事が見えなくなるくらい音楽に集中する
家庭での顔 やさしく腰低く聴き分けがいい
そこにもうひとつ
インタビューの顔 出まかせのことばかり言う(笑)
・ラストの曲
・詞
・「ら」「わ」
吉田拓郎でした
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆「吉田拓郎です」の御挨拶もなく、いきなり始まった「ロストフの14秒」の話に引き込まれる。うまいなぁ話し方が。これは絶対に観たいと思った。12月30日に完全版の再放送があるらしい。
すべてのパスに意図があるように、すべての選曲と演奏に意図があると思いたい。
☆「ホントにわかってくれない人たちだね」と拓郎に言われて「アンタもな」と思った人はいなかっただろうか。私は全力で思った。しかし、このコーナーはファンの好みをおねだりするものではなく、拓郎が魂の底から歌いたい歌を探すための共同探索作業なのだ…と自分に言い聞かせた。どこかにコレだという曲が眠っているかもしれない。考えて考えて考えてみよう。
☆「ステージにこそ真実がある」。そのとおりだ。でも「会場に行ったらステージに来なかったという真実もあった」と思った人はいなかっただろうか。すまん、私は思った。いや断じて文句ではない。だからこそ当時ネットに書き込んだ人は、拓郎がステージで歌ってくれるのか心配で心配でたまらなかったのだと思うのだ。サッカーの試合に真実があるのは確かだが、試合前の練習風景で、選手に元気が無かったりすると、大丈夫なのかなと心配し、ハラハラしながら見守るのと変わらない。何もかも愛ゆえのことだと思ってくれ。
しかし実際にはどんな不安があろうとも、ピッチャーは完調だからこそマウンドに登るのだ。ケガが完治したか不安の中マウンドに登ったピッチャー里中に、キャッチャー山田はそう声をかける。知らないよな、そんな話。
拓郎が、そこまで言われるのなら詮索はプロに対して失礼であると思うことにした。吉田拓郎は完調だからステージに向うのだ。もう吉田拓郎の魂のシングアウトを信じて迷うまい。
☆そうそう、バックステージやリハ風景は貴重な記録なので是非残して欲しい。
☆「ガンバラナイけどいいでしょう」は、後半のサビだけど、2009年のオーラスを飾ったことがあった。予想を超えた圧巻のラストだったと思う。私たちは客席で身体と心を揺らしながら、たくさんの人が泣いていた。
エルトン永田は、この曲をかねてから前代未聞の名曲だ、この演奏にかかわれたことを誇りに思うと言っていた。この作品には、もっともっと深い命脈があるに違いない。魂で歌ってくれよ。
☆なかにし礼さんは、77年の「時には娼婦のように」の誕生エピソードをインタビューや小説などいろいろなところで書いている。その話に出てくる吉田拓郎の姿はこれまた実に素敵なのである。私たちが観ているアーティストとしての吉田拓郎ではなく、レコード会社を率いる青年社長として登場する。そして青年実業家でありながら、音楽へのピュアな思いが覗く、魅力的な人物として描かれている。これが嬉しい。
☆前門の米津玄師に、後門のあいみょん。うーむ、もはやこれまで。どっからでもかかってこい。斬られてやるわい。いみふ。
☆ インタビューの顔 出まかせ(笑)
今日はクリスマスイブだが、まさに主の教えのように拓郎のインタビューを毎回、眼光紙背に徹してありがたくいただき、この命をつないできた哀れな子羊をどうしてくれる。
☆☆☆ 星紀行今日の学び☆☆☆☆
どんな歌を歌いどんなステージを作りあげるかはアーティストだけ特権だが、どこに感動し、またどんな悲喜こもごも思いを運ぶかはファンだけのものだ。ステージの真実とは、そうやってお互いに神聖不可侵の糸でよりあって成り立っている。
向田邦子‥‥言ってねーよ、そんなこと。
■ 2018. 12. 25
79年の吉田拓郎の武道館といえば、そこで歌われた「ひらひら」(TAKURO TOUR 79 所収)。あのエンディングのたぶん鈴木茂のギターは「ボヘミアン・ラプソディー」を意識しているのだと今さら気がついた。あのうねるような扇情的なギターは、ブライアン・メイのギターのフレーズとビシバシと通底している。
そして「ひらひら」といえば岡本おさみ。昨今ラジオで、岡本おさみの詞が古くなっているというご拓宣があった。
しかし、見出し人間たちの噂話が世に溢れて、”用心しろよ、そのうち君も狙われる”という詞は、まさに現代のことだ。プライバシーが危殆化するネットの炎上社会そのものだ。確かにチンドン屋も喫茶店も古いし、「見出し」なんていう言葉も死語に近いかもしれない。だが半世紀近く前に、ここまで現代につづく社会と人間の闇を鋭く見抜いていた詞はあるまい。そして、その歌をとてつもない説得力と迫力をもって歌いえたのは、まさに一度は地獄を見た吉田拓郎だからこそではないか。まさに未来に向って放たれた種だったのではないかと思う。
オープニングにもオーラスにもメンバー紹介にも向かないだろうが。是非、魂の歌唱を。最近こればっかりだが、これ以外にない。
■ 2018. 12. 26
なんでココで告知しているのかわからない。言うまでもなくココは情報提供サイトではなく、ただのイカレた思い込みサイトなので、正確な情報は別途ご確認ください。
番組タイトルと編成は若干変わるようだ。この「ロストフの14秒」ってタイトルが胸わしづかみに素晴らしいのにね。
その「ロストフの14秒」を観た。サッカーは門外漢である自分にもその凄さがわかった。彼らは全速力で走り回りながら数学の問題を解き続けているようなものだ。そしてベルギーの見事なまでに美しい解法。サッカー選手とはなんてタフでクレバーな人種なのか。
ささやかな気持ちの在り方がこんなにも大事に及ぶ。日本人のメンタリティとはなんなのだというところまで掘り下げて問われる。
拓郎がいみじくも語ってくれたとおりに、サッカーだけでなく僕らの人生にひとしく潜む問題だということがよくわかった気がする。完全版が楽しみになった。
Ninjin の関係で二人の美女と謎の青年のびる君と、4人で原宿の懐かしい店でしばし飲んだ。のびる君は日本酒は苦手だそうなので、3人だけでヒレ酒にマッチを擦ってクリスマスを祝う。
先週の放送にいろいろ文句は言ったものの「ステージに真実がある。真実はステージにしかない。」と言える吉田拓郎が超絶素晴らしいと得心した。拓郎ファンではないのびる君には心の底からどうでもいい話だろうが、それでも君も吉田拓郎って素晴らしいと思わないか。
■ 2018. 12. 27
拓郎は魂があるから来年ステージに立つ。来年歌うことそれ自体が魂をこめることだと厳しくツッコまれる。
73歳という年齢。本人は詳言しないがこれまで健康上の危機もあったようだ。そして、2009年の最後のコンサートツアー宣言から10年。10年経って、東京中心だったライブをさらに名古屋、浜松、宇都宮まで広げ行かんとする。10年前は想像できなかった。70歳を超えた拓郎が、また歌の旅に打って出るとは思いもしなかった。
そのなみなみならぬ決意は、今年の10月12日、スポーツ報知の見出しの「73歳、来年コンサートやる自信、体力、精神力持っている」に凝縮されている。来年歌うということがもう魂でしかない。
そんな極北を超えて歌わんとする人に向って、たかが外野の一ファンが「魂をこめて歌ってくれ」とはあまりに失礼だろうという、ごもっともな動議を受け入れて、昨夜は殊勝な気分になった。読んじゃいないだろうが拓郎に対して申し訳ない気持ちで一杯になったが、だからとて反省やお詫びに何の意味があろうか。許しを乞うところに魂の自立はないのだ。…これは誰の言葉だったか。まぁいい。
魂こめるのはこっちの方だ。最近もいろんな方が物故され、また病に倒れている。最近もお世話になった方の御病気の報に暗澹たる思いになったばかりだ。とにかく生きて来年のステージを観られるようこっちが魂をこめなきゃならないという気がしてきた。
ともかく来年のステージへの導線に、たちはだかるあらゆるものに負けずにまいりましょう。
■ 2018. 12. 28
アルバムといえば、エイベックス移籍第一弾のアルバム「午前中に・・・」がもう来年で10周年なのか。結構驚く。すると「ガンバラナイけどいいでしょう」も「季節の花」も「真夜中のタクシー」も10年選手だ。
今年の「ローリング30」の40周年は納得していたけれど、「午前中に・・・」の10年は早い。私には、まだまだつい最近発表された新譜というイメージがある。ダメか。田家さんの「午前中に 点 点 点」という言葉もまだ耳に残っている。
このアルバムは、スカっと目の前が晴れ渡るような瑞々しいアルバムだ。だから新しい印象が強いのかもしれないと思ってみるが、いずれにしても、月日がそんなに急ぎませんようにと祈りたい。
■ 2018. 12. 29
さて、例によってイカレた妄想シリーズ。
車谷長吉の名作「赤目四十八瀧心中未遂」は、こんな書き出しで始まる。
数年前、地下鉄神楽坂駅の伝言板に、白墨の字で「平川君は浅田君といっしょに、吉田拓郎の愛の賛歌をうたったので、部活は中止です。平川君は死んだ。」と書いてあった。
この書き出しが私を長いこと苦しめてきた。大袈裟か。とにかく解けない謎としてずっと心にひっかかっている。この凄絶な小説の最初の2行だけしか気にしないとは失礼にも程がある。申し訳ないと最初にお詫びしなくてはならない。
吉田拓郎が「愛の賛歌」を歌ったことがあるかどうか、あれこれ調べてもまったくわからない。ということは、これは「愛の賛歌」ではなくて、例えば「愛の絆を」「愛しておやり」「愛の言葉」等他の曲の間違いではないのか。堂々巡りである。
結論から言うと今も謎のままだ。小説だから全部嘘ということもありうるが、それは考えないことにする。
そんな状態で置きっ放しだったのだが、最近になって、坂の途中にあるライブハウスでの音楽の例会で主催者のY子さんがフランス語を交えた「愛の賛歌」を歌ってくれるのを何度か聴いた。
ものすごい熱唱だった。全身にチカラをこめ、まっすぐ真正面を見据えて、怒りに拳を振り下ろすように歌っていた。これぞ魂の歌唱といいたくなる。
越路吹雪で有名な日本の訳詩しか知らなかったので、なんでこんなにチカラをこめて歌うかがわからなかった。しかしY子さんが歌うエディット・ピアフが歌ったフランスの原詩を読んてびっくりした。日本のそれとは全然異質の歌詞なのだな。
愛の賛歌
青空が崩れ落ち
地が割れようとも
私は気にしない、あなたが愛してくれるなら
私は気にしない
私の朝が愛で溢れるかぎり
私の体があなたの腕の中で震えるかぎり
私は気にしない
あなたが私を愛してくれるなら
世界の果てまで行くわ
ブロンドの髪にしてみせる
あなたが求めるなら
月にだって行く
大金だって盗んでみせる
あなたが求めるなら
国も捨て
友だって捨てる
あなたがそれを望むなら
人にどう笑われようと
私は何でもする
あなたが望むなら
もしもある日、運命があなたと私を引き裂き
もしもあなたが死に、遠い存在となっても
構わないわ、あなたが愛してくれるなら
なぜなら、私も一緒に死ぬから
私たちは永遠に一緒
果てしない蒼空に
天国に憂いはない
あなた、お互いの愛を信じてる?
神よ、愛し合う2人を再び結ばせたまえ。
あなたへの愛のためなら、世界の滅亡も裏切りも犯罪も国賊になることも余裕で平気ですから!という凄絶な歌詞。私もまだ付け焼刃の知識なのでいろいろ違うかもしれないが、この詞の情念と重なるようなピアフの壮絶な人生が窺える。
貧困からその天才的歌唱力で世に出たピアフは、当時フランス中を湧かせていたボクシングの世界チャンピオンとの恋に燃え上がる。彼との逢瀬のために、彼女は自分のコンサートが予定されていたニューヨークに彼を招くが、彼の乗ったニューヨーク行きの飛行機は墜落し、命を落とす。なんと残酷な。しかし、その悲痛なる報を聞いたピアフは、周囲が静止するのも振り切り、予定されていたステージに立ち「愛の賛歌」を歌う。どんな思いで、どのようにこの歌を唄ったのだろうか。想像を絶する。
まさに「命絶つほどの狂気」の愛である。
最近の「ラジオでナイト」のCMにも入っていたが、大竹しのぶがエディット・ピアフを演ずる公演やライブが続いているらしい。
そのコピー。
あたしが歌うときは
あたしを全部出すんだ
全部まるごと。
なるほどこの狂気なまでの美しい愛を演ずることができるのは日本では大竹しのぶしかいない。Y子さんも、それを全身で表現しようと全力をこめて歌っていたのだとわかった。
そして、この原詞を読むと、もちろん曲も曲調も全く違うと怒られるだろうが、あの詞が思い出される。
君といると 穏やかな気分で
もう明日をどうして生きるか どうでもよくて
このまま世界の終わりが来てもかまわない
君と一緒に死んで行けるなら 全てを許そう
You never とめられない Nobody
You never Forever。
かくして無理矢理の妄想といわれようとも「I'm In Love =愛の賛歌」説が頭をもたげる。「吉田拓郎の愛の賛歌」とは「吉田拓郎版愛の賛歌」という意味ではないのか。
神楽坂駅の伝言板に、チョークで縦書きに「I'm In Love」とは書きにくいので「吉田拓郎の愛の賛歌」と書いたのではないか。
しかし、部活というからたぶん高校生だろう。そこまで機微がわかった少年がいるだろうか、という疑問は残る。それに、高校生がI'm In Loveを歌ってどうして部活が中止になるのだ。そうだよなぁ桐島。
というわけで謎は謎のままだ。
しかし、イカレた妄想の果てにエディット・ピアフの原詩と出会えたのは幸甚だった。
今年、個人的にはNO.1ドラマだったと確信する「透明なゆりかご」のアオイちゃんのナレーション流に言えば、
考え続けていれば、正解ではなくても何かが降りてくる、私はそう信じることにした・・・・
という感じだろうか。いみふ。
■ 2018. 12. 30
年末に来て、エディット・ピアフに憑りつかれる。たまらん。
水に流して
ええ、私は後悔なんてしない
永遠に忘れ去って
またゼロからやり直す
よかったこともわるかったことも
わたしにとっては同じこと
なぜなら、私の人生と喜びは
今日、あなたとともに始まるから
なんと業の深い、なんとカッコイイ、そしてなんと吉田拓郎と通低するスピリットなのだろうか。
今ごろ、とても遅いのかもしれないが、いつ知ったかは関係なく、今じゃなきゃ、きっと理解できなかったような気がする。そのことを僕はいま後悔していない。
■ 2018. 12. 31
☆☆☆あらすじ☆☆☆☆☆☆
こんばんは吉田拓郎です。コンサートのスケジュールを発表しましたが、皆さんいかがでしたでしょうか。いかがというよりツアーに向けて日程を調整してください。
僕も1か月前からリハーサルをするが、僕のリハーサルは濃いよ。バンドのメンバーの話で新しいメンバーが二人入ってくるがそれはまたあとで話す。
<コンサート行ったことない、ずっとスタンディングなのでしょうかという60才の方の投書>
難しい問題だね。立たずに座って聴きたい曲もあれば、立ちあがりたい曲もあるでしょうね。それは僕も、ディランでもストーンズでもイーグルスでもある。結論は、自由だけれど、座って聴きたいのに前の客が立ちっぱなしで座ってよということもあるだろう。また、近所で大きな声で歌う人もいて迷惑かもしれない。
そうだここで禁止令を出そう。「客席は歌うな」。立ってもいいから静かに立ってろ(笑)そうはいかないだろうね。
立つか座るか、座るか立つかは気分だ。みんな立ってよというコンサートは毛頭やるつもりないし、だからといって座って聴けよというのも嫌だ。自由で平和がいいよ。「アゲイン」でも、“今でも僕らは自由のまま”とあったとおりだ。立ち座りを疎ましく思わないで、許し合いたい。
<落陽は歌わないというが、2016年に落選した自分は歌ってほしい、生での「落陽」をまだ聴いたことないという投書>
そこだよね。イーグルスを聴きに行って「ホテルカリフォルニア」がないと不満だし、ディランでも「ライクアローリングストーン」は聴きたい。「風に吹かれて」はなくてもいいけどさ。それと同じように「今日までそして明日から」はなくても「落陽」は聴きたいというのがあるかもしれない。
これからミュージシャンと話し合うし、演奏の出来というものもある。確かに、みんないつも同じお客さんであるわけないし、浜松とかにも行くし、そういう意味では「落陽」は候補として浮かび上がってくる(笑)。コロコロ変わるので信用しないで。
<ツアーまでにコラーゲンとヒアルロンで若返りたい、拍手もせめて40代という感じの乾かないものにしたいという投書>
そういうCMに騙されないようにね。何歳の方なんでしょうか。80歳位だとコラーゲンとヒアルロンはあまり役に立たないよ(笑)
<衣装も楽しみという投書の続き>
衣装もスタイリストへのメモを渡している。白のタキシードシャツ、 黒か茶色のベストでノータイ、スキニーフィットのストレートのパンツでジーンズはなし。でもシューズはバスケット。バンドは、サスペンダーとスタジアムジャンパー組に分けて、下には、Vネックのシャツ。カラーデニムにバスケットシューズを考えている。
もう気持ちは盛り上がっている。
さて「無意識の偏見」というNHKニュースを観た。思い当たることが多い。私たちは誰もが無意識の偏見を持っているという話だ。
焼肉屋の看板で「お一人様歓迎」というのがある。店の御主人に聴くと女性ではひとりで焼き肉店に入りにくいと思うので、気にしないでどうぞというつもりらしい。悪気もないサービス精神だ。
しかし、女性は独りで焼き肉屋に入りにくいという感覚は偏見ではないかという考えもある。
また例えば、あの人はもう若くないから、スマホやPCは使えないと決めつけていることがある。年寄りでもバリバリとネット中心の生活をしている人もいるし、IT企業で働く高齢者だっている。
こうして人は無意識のうちに偏見を抱いていることはないか。焼肉に男女差別はない し、ネットもそう。しかし、私たちには、無意識の偏見がある。
僕もそういうのは多いかもしれない。例えば同業ミュージシャン好き嫌いも結構ある(笑)
でも偏見があるから詞を書くパワーもあるし、パワーの泉ではないか。平和と自由のためには偏見はない方がいいんだろうが…のっけから難しい話で落ち込んでしまいそうな吉田拓郎のラジオでナイト。
■オープニング
そういう偏見は君たちにもあるだろう、胸に手をあてて考えてみなさい。僕もあるので、「ダメだよ」と言ってほしい。治らないだろうけれど。
ライブ日程だけれど今回は、ゲネプロをしないのでそこまでに完パケに仕上げなくてはならない。4月末くらいから始まる。
(日程)
5月23日 開演6:30 市川市文化会館
5月28日 開演6:30 宇都宮市文化会館
6月4日 開演 6:30 東京国際フォーラム
6月12日 開演: 6:30 アクトシティ浜松
6月19日 開演6:30 名古屋センチュリーホール
6月26日 開演6:30 大宮ソニックシティ
7月3日 開演6:30 パシフィコ横浜
この日程の後にラジオでナイトの特番のコンサートをどこかでやる可能性が、7,8,9割くらいかな。言い直すと5,6,7,8割かな(笑)
中味もいろいろ考えている。セットリストのA案B案によって、放送ではオープニングを変えようか。一曲目はこれで、次にあれこれメドレー、3曲目で落としておいて、次に盛り上がるそういう古い曲をこうして・・・・
ああ曲目を言いたい(笑)。ダメだけど。
とにかく一人で盛り上がっている。こんなふうにコンサートには夢がある。だからリハーサルも楽しみだ。
■CM明け
コンサートツアーのメンバーが決まった。メンバーというのは、各時代に求めるものを反映する。誰をメンバーにするかは、どういう日程、どういう活動をしているか等によって条件が満たされる。
僕は、ソロのアーティストなので、バックミュージシャンが、時代が変わっても変わらないというのはあり得ない。そこはバンドとかグループの違い。ソリストの僕にはあり得ない。そこが根本的に違う。ミュージシャン変わる楽しみがある。時代、時代のサウンド、自分はこういう音をもとめているという変化がある。その都度、新しい気分でいたい。
バンドはチームワークと人間性が大切だ。そこは、ミュージシャン同志でも相性というものがある。上手いけれどミュージシャンどうしで気が合わないということもある。
だいたいミュージシャンについての僕の直観は当たる。例えばレコーディングであるギタリストにお願いして、彼が演奏してくれたが実に素晴らしくても、じゃあ、その人を参加させてコンサートツアーということを計画しても、は必ずしうまく行かないことがある。
その時代でどんな音と空気を求めているかによる。
武部、鳥山、渡辺このあたり。鳥山と渡辺のツインギターは今度は多い。時に、自分も絡んでトリプルもいいかなと思う。
ベースは松原秀樹。目立たないけど音楽の低いところを支えている。性格もいい、彼がジャニーズなんだよ、あの風貌で(笑)。
河村カースケが滅茶苦茶、忙しくて、いくつかスケジュールがダブってしまったので、今回は欠席で、代わりにこちらの頼みで、村石雅行を入れてもらった。LOVE2以来。「ガンバラナイけどいいでしょう」は、村石のドラムソロ。河村カースケと村石は最高のドラマーだと思っている。
これまで武部だけだったが、キーボードをもう一人入れてダブルキーボードにする。武部にピアノに専念してもらって、オルガンD3あたりを入れて、レゲエにもあうし、あっ、言っちゃったよ。
コーラスの若者にも入ってもらって、愛すべき仲間が揃っている。楽しみにしている
さて、そのライブの最後で何を歌うか。話が合わないったらありゃしない。まったく気が合わないね。
・いくつになってもHappyBirthday
>これはいい
・今夜も君をこの胸に
しっとりと終わると言う意見に、わかる。気が合うな。
・舞姫
こういう最後にメロディアスでロマンチックな曲は無理。気が合わないな、若い女なのに残念。
・慕情
よくぞ言ってくれた。これを最後にと何度も思ったよ。<「あなた」はそれぞれの大切な人を思い浮かべてという投書>浮かび上がって来たよ。メモした。イントロはツインギターのリードがいいな。
5位 僕の道
>地味だけど いい曲
4位 人生キャラバン
>このアルバムの曲はなかなか浮かばれない。ZUZUの曲を最後というのはいいかも。聴いてみよう
3位 明日に向って走れ
>あり得ない
2位 人間なんて
>無理。歌う時点で73歳だよ。”何かが欲しいオイラ”「何もいらねぇよ」”広島へ帰ろう” 帰りたくないよ、それより自宅に帰りたい。
1位 又逢おうぜ あばよ
<岡本おさみ、70年代の歌は好きじゃないと言いつつ、人生を語らずはイイというのがよくわからなくて混乱しているという投書>
70年を引きずると言うのは、その歌の背景とか時代背景がリアルにある歌が岡本おさみさんにはよくある。「祭りのあと」とかは、もう怨むまい〜今宵の酒に酔いしれて。そういう時代ではない。 「祭り」という言葉には、学生運動、闘争だったり、男と女といったその時代のものが描写されている。今はインターネットの時代、さっきの話の無意識の偏見のように今のネットの時代のすべてがいいとは思わないが、今の時代に「もう怨むまい」という感覚は消えている。「怨念」がある。当時の人々の心は打ったことは間違いない。その時代の空気感や怨念がある。「人生を語らず」にはそういう空気感がない。だから70年だからというのではなく、時代がリアルにでいる曲は気分ではないということ。「明日に向って走れ」なんか時代のものが出ているでしょう。よく読みなさい。
5位 イメージの詩
>あれこれ歌っているが、時代のカケラもない風景描写だ
4位 落陽
>この歌には時代背景とか怨念はない
3位 ガンバラナイけどいいでしょう
>全く時代背景や怨念はない
2位 明日に向って走れ
ない
1位 又逢おうぜ、あばよ
>これなんかは思いっ切り感じる
今週、いいリクエストがあった、というか思い出させてくれた。「誕生日」これは歌わないけれど、「人間のい」。「シャウトするパワーがあればですけれど」って持ち上げたり落としたり(笑)かつてステージで歌ったとき、君たちはハテナという様子だったけど、好きなんだ。
M-1 人間のい
■マイフェイバリット
びっくりするような実話。NHKの「地球タクシー」という番組が好きだ。その番組のテーマ曲の「I wonder」という作品があり、ロドリゲスという歌手が歌っている。1970年初期、フォークブームの頃デビューしたが、アメリカではさっぱり売れなかった。友だちが買ってくれて、5,6枚程度だろうと会社の関係者からもバカにされていた。実際にも売れずに、そのまま消えてしまった。
ある日、南アのラジオ局が番組で流したら大反響で80年代にかけて大ヒットした。シュガーマンという曲は、ドラッグ売りのことだ。もう一曲、「I wonder」「僕は不思議だ君は何回セックスしたという歌。これが当時の若者たちにウケた。どうやら反体制、政治的なことをいいたかったのではないか。売れに売れて100万枚の大ヒットとなった。ストーンズやビートルズと変わらないスターとなった。それでもアメリカでは誰も知らないまま。
南アのレコード店の店主が、アメリカではどうなっているか調べたけれど、彼は売れなくてステージで焼身自殺したとかそういう噂話しかない。
ある日店主に電話がかかってくる。ロドリゲスの娘で父は生きているという。それでは逢いにいくよということで赴く。デトロイトで逢った彼は、娘三人育てたおじいちゃんで、解体の仕事とかをしていて、貧乏暮らしだった。
南アでは彼のアルバムの海賊版のコピーで売られていたので印税がない。その店主が、南アに実際に連れて来てコンサートを開催したところ、観客は興奮して 狂喜乱舞。
しかし、コンサートが終わると、またデトロイトに帰って労働者として暮らしてしまう
「シュガーマン〜奇跡に愛された男」という映画になっている。何度か観た。こんなことが起きるんだというような映画。このロドリゲスさんがカッコイイ。まさにボブディラン。音楽性もディラン。すっげー、いいんだ。
何でこれがアメリカで5、6枚なのヨ。こんなことが地球にあっていいのか。
「地球タクシー」に流れるテーマ
M-2 I wonder シクスト・ロドリゲス
■エンディング
・ライブで最後の曲。「人間のい」僕は好きなんだ。こんなに気が合わないのにこんな番組やってていのか。そろそろ意図を組んでくれ。今のベスト5は気に入らない。
・詞については、ひとつ言うと風景だ。「春だったね」「せんこう花火」そうだった。君たちの詩には、心情より風景が足らない
・「ら」 山下達郎「ライドオンタイム」、 小田和正「ラブストーリーは突然に」が浮かんだ。
その次は「わ」を募集。「私の城下町」とか。
ニッポン放送の方は年内最後。すばらしい良いお年お迎えください
拓郎でした。
☆☆☆思いつきと感想☆☆☆☆☆☆
☆年内最後の放送だが、よくあるような今年を振り返った放送ではなく、その視線は身体ごと思いっ切り来年のライブに向いていた。ハラショ。設計と基礎工事が着実に始まっている。いいぞ。
☆御意。わかりました。客席では歌いません。立っても座っても、聴き入ります。
☆ツインギターというより、これまで鳥山雄司を背後で支えていた渡辺格のギターが前面に出てくるのが楽しみだ。またキーボード二人はさらなる楽しみだ。基本、ツインキーボードがデフォルトの世界で、私は育てられたのだし。これもまたどんなサウンドになるか。
☆レゲエ。わかった。
☆村石雅行のドラムなつかしい。ユーミンのライブで、叩く前に静かに気合をこめて腕ストレッチをしていて、それがすげーカッコ良かったの覚えている。
☆なるほど詞の中の「怨念」がダメなのだな。確かに、幾多の試練を乗り越えて、来年73歳のステージに軽やかに躍り出ようとしている拓郎にとって、うしろに引っ張るようなものは、少なくとも「来年」は違うのかもしれない。ちょっとわかった。
☆ただ、こうも思う。御大がこれだけダメだ、歌わないといってるのに「又逢おうぜあばよ」が不動の一位を続けている。これには、これで大きな意味があるのではないか。せめてこの曲を見つめ直して欲しいとは思う。なぜ、多くの人がこの曲を御大の意向を無視してまで支持するのか。
「古いから」ということだけ一蹴して、一位をまるっと無視して、「人間のい」とかをもってくるのも拓郎の自由だが、それこそアンケート無視して「高輪ゲートウェイ」を命名したJRとおんなじだ。敢えてみんなに募集してリサーチをして、それに順位までつけたのは、御大あなたなんだから。
☆もう落陽を歌うかどうかは、御大、あなたの魂で決めてくれ。それぞれのファンの意向や事情は関係ない。
☆無意識の偏見といえば「吉田拓郎はゲタを履いたフォーク歌手」という偏見に苦しめられたのは、御大ご本人はもちろんファンも同じだ。ファンもその偏見と闘ってきたのだ。
☆"シュガーマン"確かに凄い話だ。もちろん御大とは違うけれど、根っこは同じだと思う。結局、ヒットとか評価なんてものは、「無意識の偏見」に満ちたものなのではないか。例えば「流星」だって、当時はオリコン50位にも入らず捨て置かれ、後の世になってジワジワと評価があがって今や名曲となる。拓郎の歌はそんなのばかりだ。
どんなに楽曲が素晴らしかろうと、「フォークソングだし、フォークはダサイし」という世の中の「無意識の偏見」が、拓郎の名作を見えにくくしているのだと思う。逆に宣伝やイメージ商業戦略で「無意識の偏見」を味方につけたものたちが、現代の我が世の春を謳歌している気がしてならない。
でも大丈夫だ。いろいろ文句は言うが、拓郎、私たちがついているぞ。それが嫌かもしれないが。
☆☆☆星紀行 今日の学び☆☆☆
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