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アゲイン(提供曲)

1978年
作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎  編曲 松任谷正隆
アグネス・チャン・シングル「アゲイン/グッド・ナイト・ミス・ロンリー」/シングル「グッド・ナイト・ミス・ロンリー」

B面でアゲイン、ポケットいっぱいの憂鬱

 1970年代初め一世を年代前半風靡したアイドルのアグネス・チャンは、76年にカナダの大学に進学のため2年間の休業に入り、卒業後の78年8月にこの作品で芸能界に復帰した。「おかえりアグネス」ということでナベプロ渾身のプロモーション攻勢が連日怒涛のように押し寄せ、アグネスをテレビで観ない日はなかった。その旗印となる復帰第一作に、松本隆と御大のコンビが抜擢されたのだった。
 奇しくも当時二人はアルバム「ローリング30」の製作中だ。松本隆は「ポケットいっぱいの秘密」で作詞家デビューを果たした因縁があったし、御大は前年にキャンディーズを大成功させ、ナベプロの信頼が厚かったことが伺える。しかし、あまりの激烈なプロモーション攻勢に、御大はラジオで「ちょっと大袈裟じゃないか、こんな大事なら、曲も僕らじゃないほうが良かったんじゃないか」と辟易したような発言もしていた。なお、B面は、同じ松本隆の作詞にして松任谷正隆の作曲”グッド・ナイト・ミス・ロンリー”だった。
 復帰したアグネスの心情とスタンスをそのまま描いたようなドラマチックな詞に、御大の美しいメロディーがシンクロする。「ローリング30」のために吉田=松本に降りてきているミューズ(芸術の女神)のおこぼれを頂戴したような佳作である。松本隆の詞の冴えが素晴らしい。”革張りの旅行鞄は青春のスーベニールよ”…こんなしゃれた詞がいままでにあっただろうか。”点になる蒸気機関車、霧晴れてあなたが見えた”…なんという情景描写の巧みさ。映画みたいだ。
 もちろん、陰影を含んだ御大のドラマチックなメロディー構成も巧みだ。そして”アゲ~ン アゲ~ン もう一度ぉぉ”と心に焼きつくような見事なサビ。再会への不安と希望に満ちた思いを見事に音符で表現しているところにもしびれる。
 とはいえ妖精のようなイメージで売っていたアグネスだ。いかに大人のイメチェンが必要だったとはいえ、曲のイメージと折り合っていない様子が気になった。また、たどたどしい日本語なので、よく詞が聞き取れず、この繊細な詞と曲を歌いこなせていない感もやや残る。んまぁ、そんなこんなで、結果的には大ヒットとはならず、むしろ残念に近い結果となった。

 しかしここからが前代未聞。8月25日の発売から2ヵ月後、そのままの音源で、B面の"グッド・ナイト・ミス・ロンリー"をA面に、アゲインをB面に入れ替えた、新装ジャケットのシングル盤が発売されたのだ。しかも、最初のジャケットは「アゲイン/グッド・ナイト・ミス・ロンリー」と同じフォントの大きさだったのが、入れ替え再発売後は「グッド・ナイト・ミス・ロンリー」と大書され、ジャケットの隅っこにカップ焼きそばの賞味期限くらいの大きさで「B面 アゲイン」と記されていたのだった。音楽業界ではよくあることだし、有名な曲も元はB面だった実例がたくさんある、大人の事情だよ、と言われるかもしれない。しかし、私はこの文章で、歌謡界の常識や大人の分別が書きたいのではなく、あくまで御大への徹底した賛美と胸ただるるほどの愛を書いているのだ。どんな事情や理由があろうと御大の子どもがB面に入れ替えられるのは我慢がならない。その視点からすればショッキングな事このうえない。また松任谷正隆の"グッド・ナイト・ミス・ロンリー"これがまたポップな名曲なのだよ。
 結局、アグネスの次回作のシングルは、松本=松任谷の慶応義塾コンビにスライドし、御大はその年の年末のアグネスのアルバム「ヨーイドン」に一曲だけ提供してアグネス関係からは離れてしまう。というか御大は、翌年のデスマッチツアーと篠島という御大自身のアーティスト復帰のイベントに向うのだった。またアグネスのアルバムの片隅に残されたその一曲こそが「ハート通信」なのであった。それはまた別の話だ。

 詞・曲とも秀逸な傑作「アゲイン」をどなたかにカバーしていただきたい。あまりにアグネス・オーダーメイドの作品なので歌いにくいかもしれないが、徳永英明あたりなら何とかしてくれるのではないかと睨んでいる。もちろん御大、本人歌唱でもOK松任谷。

2017.6/14