アルバムの岸辺
From T

DISC 01

note 01 春を待つ手紙
 この曲が一曲目とは驚いたし、思わずヤられたと唸った。クリアな音質でベース音がずんと響く。最高のオープニングだ。ハラショ。
陣山さんのリアルストーリーと思いきや、フィクションのドラマだったのか。え、でも当時ラジオで「これは本当にあった話のようです」って言ってたじゃないかよ。やられたよ。
 病気がちで家で雑誌や本を読む日々に育まれた空想癖が作らせた物語のひとつということだ。別のエッセイでお父様が雑誌の発売日の前日に本屋で一足早く買ってきてくれるのが嬉しかったという話が、涙ぐむくらい大好きだ。拓郎は、インドアつまりは家が好きな"おうちっこ"の総帥であると思う。
 このドラマは長らく封印されていて、2011年の4月に本格的にベールを脱いだ。悲痛事を経て、冬を越えんとする祈りの歌になっていた。静かに沈み込む祈りではなく、心が湧き立ちズンズンと進むような軽やかな祈りだ。
 波しぶきをたて、両手を突き上げて篠島に向かうあの船のシーンを思い出す。あのシーンのバック音楽だが、逆にあの映像は、この曲のプロモーション映像だと思って観るとまた面白い。
 吉見佑子さんは、この歌をどう聴いているのだろうかとふと思った。
note 02 僕の道
 そして2曲目で幾星霜をひとっ飛び。おうちっこ、つながりではないかと邪推してみるが違うな。それにしても、音楽道でも茶道でも、ましてや人生道でもない家路。"家が好きな、おうちっこ"の本領発揮ではないのか。なにかというとこの国は、勇ましかったり、哲学的だったりする意味をこめて「~道」といってカッコつける傾向がある。しかし、何のてらいもなく家路、家につながる道、誰にでもある道を、大好きだからと心を込めて歌う。そこが吉田拓郎の魅力の周辺だ。小倉さんのアイデアとされるスライドギターなのか。このとろけてしまいそうな、泣いているような、しかし温かいイントロ、これはすんばらしいっす。コーラスが随分、前に出ている気がする。
note 03 流星
 その時、原宿ですれ違った女子高生たちは、時期的に間違いなく自分と同時代の高校生たちである。自分だけではない、一日に何十回も流星を聴くと豪語していた彼とか若くして亡くなって熱いTファンの彼らとか、みんな同年だ。自分達の年代が、この詞のキャストだったとは思ってもみなかった。
 そして、2016年のあの絶句は、「果たして僕たちは欲しかったものを見つけることができたか」という万感の思いの問いかけゆえということだった。まさに、おじさんおばさんになってしまった、かつての高校生だった私たちへの問いかけだったのか。もっと先に教えてくれよ。流星もそろそろ飽きたぜとか悪態ついてしまったじゃないか。もし知っていたら、心の底から泣いたのに。
 鈴木茂の達意のギター、御意。不滅。茂さんのキャリアには、はっぴいえんどの前にこの曲を記すべきだと思う…って怒られるか。
 それにしても「なんですかぁぁぁぁぁぁぁ」。星屑が消え入るようなこの見事な魂の歌唱。無形文化財指定。超絶歌上手い。何度聴いてもすんばらしい。
note 04 いくつになってもhappybirthday
 なるほど新進のミュージシャンたちだったのか。当時、思ってもみなかった清々しい感じで天衣無縫な曲がスコーンとやってきて驚いたものだ。そうなんだよ、記録や成績や成果や性格や人柄も関係ない、「生きてきたこと」「生きていること」ただそれだけをやさしく讃えてくれる御大のこの歌詞が何より嬉しかった。
 全国いや世界中の学校の朝の町会で、毎回、誕生日の子たちを朝礼台にあげて、先生、生徒、全員でこの歌を歌って踊ろう。そうすれば戦争は無くなるに違いない。私は真面目だ。
 プロモーションビデオも良かった。最後に赤じゅうたんを横切るかわいらしい幼児。もう20才近くになっていると思うと愕然としたりする。

 しみじみと、そしてあっちへ、こっちへと御大Tの思うがままに、心身ともに運ばれてしまう。そういう至福がつづく。
                            たぶん、つづく。

2018.9/2

note 05 恋の歌
よかった。作詞・作曲所ジョージとクレジットされていなくて。
よかった。アルバム「ぷらいべえと」からもセレクトされていて。
よかった。あの間奏のメロディーまで御大が作曲していて。
よかった。深夜スタジオで、社長仕様短髪の拓郎とアフロの若きエルトンさんの姿が目に浮かぶ。
よかった。あのオルガンとエレピを御大がベストテイクと思っていて。
よかった。クリアな音でオイルズの陣山さんの声が聴きとれて。
よかった。「恋の歌」がこうしてクリアになって未来に向かって残されて。
note 06 金曜日の朝
 この歌に漂うヨーロッパの暮らしのような香りに、当時、蒲田在住の中学生は、胸を焦がして憧れた。レンガの街並みをワインと薔薇を抱えて背中丸めて歩くのだ。もちろんこの歳になっても、そんな暮らしに1ミリも近づいてはいない。そんなことはイイ。

 報知新聞のインタビューをあわせ読むと、極論すれば、安井かずみさんの話をどこかにキチンと残す、ただそのためだけに、今回のライナーノーツを作ったような気さえしてくる。
「フォークなんて大嫌い」と面罵されながらも深い寵愛を受けるという、私なんかにはわかりようがない深い天才どうしの関係。何度もこういう安井かずみとの話は聞いたが、何度も話すにはワケがあるのではないか。
 加藤和彦を尊敬し、また友人であり恩人でもあるだろう御大は、もしかするとハッキリと言いにくいのかもしれない。ならば私が思い切り行間を邪推してくれる。
 もし、安井かずみが加藤和彦と結婚して専業主婦ならぬ加藤和彦の専業作詞家にならなければ、きっと安井かずみ・吉田拓郎コンビのドラマチックな作品のもっともっと大いなる展開があったはずだという悔恨のようなものではないか。
 「彼女的なエッセンスいっぱいの詞に僕はポップなメロディをつける自信があった」というライナーノーツの御大のキッパリとした言葉を私はそう読む。アルバム「サマルカンドブルー」は超絶大好きな名盤だが、どこか老境の香りも感じる。その前に、もっと自由奔放で旬な二人による大人のポップスたちがありえたはずだ。「金曜日の朝」「戻って来た恋人」から展開してゆく珠玉の作品群をものにすることができたはずだ。そういう後悔のような思いではないか。さすればこの音楽界すらも変わったかもしれない。
 後悔とはかつてそこに愛があった証なのである(是枝裕和「ゴーイングマイホーム」より)。
note 07 Oldies
 あの耳に残る♪共鳴レックス~のコーラスは、無断で後からつけられたのか。それは悔しかろう、だから、お詫びにスバルレックスをくれたのだろうか。 この小さなロードソングこそは吉田拓郎のエッセンスだと思う。コンソメの素のように溶かせば、果てしなくいろんな歌に広がってゆく。
 バイタリス・フォークビレッジの番組本体は直接聴いていない。だけど木田高介さんのこのテーマ曲は何度も聴いていた。木田さんとのコラボは、この曲と「川の流れの如く」が、メチャメチャ、カッコよかった。「フォークビレッジのテーマ」と言いながら、全然フォークじゃないじゃん、という気がしたものだ。

 確かに、この「僕らの旅」と「フォークビレッジのテーマ」の2曲のジョイントは見事だった。ツギハギのメドレー感を感じさせずに、曲としてのなめらかな一体感がある。そうか鳥山雄司のアレンジの技なのか。ただそれだけではないと思う。それは2つの詞の親和性だ。
"果てしなくつづく旅の歌"と"ひとりぼっちの夜"の二つの作品が見事に連動しあって、"旅路のせつない孤独の美しさ"を描き出している。
 Uramadoで、今まで聴けなかったフォークビレッジのテーマの三番の歌詞が聴けて感動したと書いたが、この三番は、oldiesのジョイントの時に付加されたとライナーノーツは教えてくれた(二番は確かオールナイトニッポンの弾き語りで聴いた気がする)。そうか。
「ここに一人でいる僕を 夜空のどこかに記しておきたい 愛する人に届けと」というなんともプリティなフレーズ。なるほど、このフレーズは、2曲をジョイントする大切なフレーズに思えてくる。奥ゆかしい御大は、鳥山さんの技のみを賞揚するけれど、御大のこの詞こそが結びつけているのではないか。
 とにもかくにもステージで聴ける日が楽しみだ。
note 08 シンシア
 ぐわー、ここでシンシアだ。この曲を知ったのは、フォークビレッジ、といってもかまやつさんがパーソナリティの時だった。「今度、拓郎とレコードを出すよ」と何度も番組内で流してくれた。自分の番組だもんね。そこには、これまでの歌謡曲とも違う、大人の歌で、こういう曲を聴けばきっと大人になれてモテるのではないかと中学生は思った。ライナーノーツは「大人のラブソング」というオーダーがあったということだが、ドンピシャじゃないか。いや全然違うか。
 また当時の歌謡番組で南沙織に福留アナが「最近、シンシアなんて歌までできたのって知ってる?」「ええ」なんて会話があった。なぜ買わない、なぜ大人にならないと世界から責められている気がした。
 初めて買った吉田拓郎のレコードを、ひと夏、死ぬほど聴いた。初めて買ったレコードが「今でも目がしらが熱くなる青春の一曲だ」そうライナーノーツで言ってくれる拓郎に目がしらが熱くなる。「早春の港」の故郷持たないあの人のいい故郷になりたいの…って、それは自分にはこの曲こそが故郷のようなものだ。あれから45年。今も色褪せない。
 あと最近のライブで、なぜ客席は♪シンシア―のあとに"フッフ"をやらないのだ。一人でやってるとかなり恥ずかしい。

2018.9/3

note 09 ウィンブルドンの夢
 この歌がどれだけ素晴らしいかは、uramadoで書いたとおりだ。「歩道橋の上で」の映像のほぼロックウェルバンドによる「ぁぁぁ君の夢を」バージョンも秀逸だ。

 ライナーノーツに記された「あまり夢を見すぎるな」とおっしゃった学校の先生、そして外交官になれなかった吉田拓郎くん。
 それで思い出すのは、1980年ころラジオ関東で放送していた「吉田拓郎の世界」という超絶地味な番組だ。志賀ナントカさんがパーソナリティをやっていた番組。そこに拓郎の中学時代の先生がインタビューで出てきた。「吉田君は外交官(外国に行きたいだっけか?)という夢を持っていたが、それにしちゃ英語の成績はそんなによくなかった」とミもフタもない証言をされていた。
 もし、その先生が「あまり夢を見すぎるな」とおっしゃったのだとすると、それは決して否定的な意味ではなく「だったらもっと英語勉強しろよ」ということだったのではないかと拝察する。
 でも外交官なんかにならなくて良かった。そしたらミュージシャン吉田拓郎は誕生しない。私はきっと吉田拓郎ではない他のツマラナイ歌手を応援するツマラナイファンになって、ツマラナイ人生を送っていたに違いない。

 ウィンブルドンよりもワールドカップよりも感動する魂のライブをいつも夢見ている。この夢ひとつだけで、私の薄っぺらな人生はツマラナイものでなく、めくるめくものになるのだ。
note 10 水無し川
水無し川のメロディーをライナーノーツで御大はこう評する。
   のびのびとしている
   柔らかである
   そして力強い
   おおらかである
   そして繊細でもある
 まったくそのとおりの名曲だ。異議などない。特に、かまやつひろしwith瀬尾一三の「水無し川」を聴く時、確信をもってそう思う。でも、この吉田拓郎with松任谷正隆バージョンは、それだけじゃない。これらに「すみずみまでやるせない悲しみに満ちている」を加えたい。だってそう感じるんだもん。たぶんこの歌の出自の頃の状況などがイメージに影響しているのかもしれない
 駒沢裕城のスティールギターの音色は、美しすぎてあまりに悲しい。「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。」という小林秀雄のコトバを思い出す。この水無し川のボーカルとスチールギターのかなしさは、疾走する。涙はおいつけない。
   「吹雪のあとに 春の陽ざしが 花に酔ったらその時泣こう」
このあたりでようやく涙が追い付いてくるのだ。

2018.9/4

note 11 清流(父へ)
 ゆったりと、たゆとうような「名前のない川ver」が好きだが、あらためて聴く「午後の天気ver」のちょっとタイトでアップテンポな感じもいいな。いずれにしても、やっぱり名曲だぜ。

 ライナーノーツの
 僕が父を慕っていたのは事実だ~月日が流れ僕の心変化が生まれる~「僕の知らない父の本当の姿」があるのではないか
 
 という言葉を読みながら本曲を聴き、本曲を聴きながらその言葉を思う。

 御大とご尊父様の心のつながりに、私ごときが立ち入ることはもちろん、推察すらできようもない。しかし、御大の「心の声」は、どうしたって聴くものに音叉のように響いてくる。

 力が永遠のものならば 僕は後悔をしないまま
              若くて選んだ激流を今でも泳いでいただろう

  この部分を、かつては軽く聴き流していた。もともと自分に力はないが、こうして老いて、いろんなことが衰えてゆくにつれ、それが父であれ、誰であれ、大切なことを何にも聞いていなかったことに気付く。もっと話しておけば、聞いておけば良かったと悔やむ。「力が永遠のものならば」とはなんと詩情あふれる表現だろう、さすが御大は詩人だ。

  関係ないが俳優の田村正和がインタビューで「子どもの頃や若い頃は父(阪東妻三郎)がいないことを淋しいとも何とも思わなかった。でも、この歳になるとね、迷うたびに『ああ、おやじがいてくれたらなぁ』と思うね」
 
 人により程度の差こそあれ、誰もがこれも近いものががあるのかもしれない。もしかすると、おやじはすべてなのかもしれない。なーんて思ったりする。

 あなたの家族でいたことを誇りに思える今だから。

 御大は嫌かもしれないが、ファンの多くは思うだろう、NHKのファミリーヒストリー吉田拓郎編が心の底から観たい。
note 12 花の店
 「花の店は坂の途中」というフレーズを聴くたびに心の底から「それがどうした」と叫びたくなる俺を許してくれ。しかし、岡本おさみさんこそは、不世出の作詞家であると私は確信している。
 岡本おさみさんとの関係が綴られているこの曲のライナーノーツ。
 「自由過ぎて」メロディーに乗せにくい言葉たち。「自分は歌いこなしてみせたが、他の歌手に提供した我々コンビの作品は、それはそれは歌手の方が苦労したはずだ。」 なるほど。歌いこなした方は、由紀さおり、森進一、小柳ルミ子、森山良子・・・いずれも超絶歌唱力の持ち主ばかりだ。なるほど御大は相当大変だったのだなとその苦闘が偲ばれる(笑)。
最後近くにこんな言葉がある。

 まさに不揃いの言葉を紡ぎ続けた彼だが、僕はその言葉たちを愛して曲にしてきた。

この淡々とした言葉の奥深くにこめられたものを思うと泣けて泣けて仕方ない。せっかくの個人サイトだ。明言する。 松本隆☆筒美恭平など作詞・作曲の名コンビは数々ある。しかし、岡本おさみ☆吉田拓郎コンビこそが至高でありその頂上にいる。あとは、みんな坂の途中だ。
note 13 戻ってきた恋人
 六本木でZUZUやコシノジュンコや加賀まりこと夜な夜な遊ぶ華麗な青年。もう、その時点で、この人はフォークソングなんかではないと、なぜ世間は気付いてあげなかったのだろうか。
 たぶん、歌手であり作曲家でありアイドルでもあり、ついでにかくも傍若無人である前代未聞のこんな人間は過去に類例がなかったから、みんなどう取り扱えばいいのかわからなかったのだろうと思う。類例がない煌きがあったから、ZUZU初め、センスある人々にはそれが見えて、注目したのだろう。しかし、大多数の人はそういう煌きをキャッチするセンスがないから、取扱い困難なままフォーク歌手ということにしておいといて、やがて、わかりやすい別のものに飛びついてゆく。吉田拓郎の孤高はそういうところに原因があるのではないかと思う。
 つまり安井かずみさんやこのアルバムを買った私たちファンは、みんな類例のないこの煌きをキャッチしえたセンスある種族なのである。んーなんか盛り上がってきたばい。

 御大のヘッドアレンジで松任谷正隆が、かくもポップに仕上げてくれる、2つ音楽の才能同志の蜜月がまた眩しい。
note 14 アゲイン(吉田拓郎LIVE2016)
 Uramadoにも書いたが、未完成の楽曲を発表するのは、シューベルトと吉田拓郎だけである。シューベルトは途中で投げ出し放棄したので曲が未完成らしいが、吉田拓郎は、未完成で出したCDを、ライブでキチンと完結させたので、この時点で吉田拓郎はシューベルトを超えたというべきだ。どんだけ凄いんだ吉田拓郎。なぜ教科書に載らない。なぜ小学校の音楽室に写真が飾られない。

 ライブで聴いた「アゲイン」は実に不思議だった。セットリストの中の1曲でありながら、一段高いところから他のセットリストのすべての曲を照らすような。そしてすべてのセットリストの曲がアゲインに向って収斂されてゆくような。そのコアにある「僕らは今も自由のままだ」。私には謎でよくわからない。
 そして、「次のコンサートからは少し違う意味を持った曲になる」という。なんだ。なんなのだそれは。謎を孕みつつ、アゲインは未完→完成→さらなる変化に向って進むのか。ともかく次のライブが楽しみである。


 DISC01が終わった。この曲順の意図はまだ私にはわからないが、とても考え抜かれていて、おおおと唸ってしまう曲順であることは確かだ。それは何なのか、いろいろな意味で深いアルバムだ。

2018.9/5

DISC 02

note 01 風の街
 風の街が一曲目というのもオツな選曲だ。ラジオのベストテイクの一曲目もそうだったし。とにかくクリアな音であのハーモニカの前奏が始まるとウキウキしてくる。

「毎晩のように僕達はこの街に集まっては共に若さを発散させ自由を謳歌していた」

 聖地というより、遠い異国の地でおきているドラマのようだった。自分がそこ行ってみるなんて思いもしなかった。
 「あこがれ共同隊」とはよく言ったものだ。ドラマで幻の地原宿ペニーレイン周辺の様子を覗くしかなかった。ホントに棲んでるかのような山田パンダと最近亡くなられた常田富士男のホームレス父子も忘れ難い。

 流星も原宿が舞台の端緒だったとライナーノーツで知った。
ペニーレインでバーボン(74)→風の街(75)→流星(79)→街へ(80)→ペニーレインは行かない(84)
 原宿と吉田拓郎の関係が、まるでマイルストーンみたいに残されている。この歌のライナーノーツでは「そこではない場所を求め始めていた」とある。既に別れの予感がしているのか。しかし、松任谷や島ちゃんとのせーの、の一発録りのサウンドがメチャいい。原宿という舞台の活気とエネルギーとあこがれがまさに佃煮のようになって漲っている。

 街が人を育て、人が街を作る、そして人はまた新しい街を探して放浪する。・・・なんか不動産会社のCMみたいだ。
note 02 ガンバラナイけどいいでしょう
 ライナーに書かれた「ガンバレ」をめぐる御大の苦闘の話には申し訳ないが、吉田拓郎を支えに頑張ろうと思いつづけてきた私には「ガンバラナイけどいいでしょう」というタイトルは、残念を通り越してショックだった。「頭が重い」「胸がスッキリしない」「動きたくない」という患者の主訴のような出だしに頭を抱えた。

 でも曲が進むと次第に変化してくる。「もっともっとステキに いられるはずさ」、「きっとこの頃何かを皆 気にしてるんだね 誰かの顔の色も気にかかるんだね」、「そこよりもっともっと それよりももっと心が痛くならない つらくない所」 ああこの歌は撤退や隠居の歌ではなく、「頑張る」という人間にとっての最大のしがらみから自由になっていくための歌だ。中島みゆきの「ファイト!」流にいえば「頑張るという名の鎖を身をよじってほどいていく」歌だ。曲がつつむにつれて不思議に身が軽く元気になってくる。いつの間にかライブでノリノリになっていたのも忘れられない。
 ライナーノーツのとおり、詞だけでなく、そういう詞に寄り添った演奏の展開がまたすんばらしい。さすが音楽家たちのワザのデパート。今回は、ライナーでご指摘の古川望さんのギターのアドリブが奔放に跳ねる最後に聴き入った。メチャカッコイイ。軽やかに先に先にと誘って連れて行ってくれる、そんな歌だ。
 ちょっと前にCMで、ローラが歌った、のどかな感じ。あれがとても正鵠を得ている気がする。

2018.9/6

note 03 おきざりにした悲しみは
 もちろん稀代の名曲だとは中学生の時から思っていた。しかし、この曲がより一層、胸に刺さってくるのは年齢を重ねてからだ。何十年かオトナをやって、人を裏切り、罪人の1人になって、政ごとみたいなものにも疲弊し、ボロボロのおっさんになった今になってようやくこの作品の真価がわかったみたいなところがある。
 心の底から驚くのは、当時、この詞を書いた岡本おさみは29歳、吉田拓郎は26歳、そして魂のギターを弾いた高中正義は19歳の未成年である。今は19歳は成年か。えぇ!!?、こんな若造たちが、なんでこんな深遠で老成した音楽が作れるんだよ。
 しかも、ライナーノーツには、コード譜だけを頼りにスタジオでアドリブで作り上げたとある。今もってこの隙のない彫琢された磐石な演奏。中学生の時からステレオの左スピーカーのみボリュームをアップして聴き惚れたギターソロ。これらを、アドリブで作ってしまうんかい。
 若造たちの神業は驚きや感動を通り越す。文字通り音楽の神様が降りていたに違いない。1972年に何十年か後に向って、神様が蒔かれたもう種のようなものだ。
note 04 君のスピードで
 今やスタンダードとなったこの作品は、吉田拓郎にとって80年代後期から90年前期のさまよえる氷河期からの突破口となった。って、なんでおまえが言う。いや、ファンだって同じ氷河の中に閉じ込められていたのだ。
 いつも海外録音の時、文句ばっかり言っていた吉田拓郎が、このレコーディングでは違っていた。言葉を超えて相手を唸らせる精巧なデモテープと和食料理人を連れて、バハマのコンパスポイントスタジオに臨み、外国人ミュージシャンと合宿してアルバムを作り上げる。もう、カリブ海の箱根ロックウェルスタジオみたいなものか・・・ココが私の想像力の限界である。死ぬまでに一度は行ってみたい、聖地バハマとコンパスポイントである。
 ミュージシャンからの「音楽は永遠である」という言葉が自分ごときの胸にもしみる。ここから冬の氷河をカチわって、何度目かの吉田拓郎の快進撃が始まる記念すべき、まさにコンパスポイントだ。
 この作品は、人と人との距離感を歌い続けてきた吉田拓郎の集大成だと思う。クラブ25で、初めて聴いた時、深夜の静寂の中カから、零れ落ちてきたような歌と演奏に感動したものだ。静けさの中に棲む至上のラブソングだ。同じくクラブ25で、夫婦で空をみあげながら、思いを共有する、いいLuckを引いた…という話とともにセットになっていて忘れられない。

2018.9/7

note 05 消えていくもの
 見慣れていたのに消えてしまって、ちょっと寂しくなるもの。拓郎さん、そりゃあ、あります。たくさんありますよ。
 例えば、コンサート会場前に必ず出ていたグッズ屋台。微妙に会場敷地の外にありました。Tシャツ、タオル、写真から、団扇、定期入れ、本人のサインまで売ってました。ホンモノですか?」と尋ねるには、ちょっと怖いお兄さんが売ってらっしゃいました。最近とんと観ません。
 あとコンサートの紙テープ。人はいつからステージに紙テープを投げなくなったのでしょうか。ま、危ないですもんね。「舞姫」のジャケットで確認できますので1978年あたりが最後と思われます。
 そして、ライブ中に「朝までやれ!!」という人もいなくなりました。私たちファンも朝までやられたらこっちも困るという歳になってしまったのだと思います。

 切なく懐かしいけれど、この曲の陽気さ、かつて拓郎さんのおっしゃっていた小室等の「ぼくのおねぇちゃん」みたいな明るいノリがいいです。これは鈴木茂さんのチカラだったのですね。

 それにしても、つま恋2006の前日のゲネを丘の上で聴いた時、ちょっとおどけて歌っていたバージョンかステキでした。つま恋の風に吹かれたあの日の景色ってやつです。
note 06 春だったね
 この歌が、吉田拓郎と常にともにあるということは、ファンとも常にともにあるということだ。ライブの定番曲に飽きたと悪態を付きまくる私だが、「春だったね」だけは別だ。身体に刷り込まれた「さぁ始まった感」。これはSF映画で言えば、知らない間に私たちの人体に埋め込まれたスターティング・スイッチに違いない。
 ライナーにあるように田口叔子さんがラジオ番組に書いてきたハガキを採用したものだったという。また天地真理の提供曲「さよならだけ残して」の詞も田口さんだが、御大の「ラジオでナイト」によれば、月刊明星の詞の募集に応募して採用されたとのことだ。
 投稿マニアなのか、ハガキ職人なのか、あるいは流しの作詞家なのか。思い切り謎が謎呼ぶ田口淑子さんである。今頃どうしておいでだろうか。「春だったね御殿」とかに住んでおられるのだろうか。
 今回は「元気です」バージョンだ。松任谷正隆のオルガンがポップに跳ねる。甲乙つけがたい「元気です」と「ライブ73」バージョンだ。私が中学の時に買った二枚組みベストCBSソニーの「よしだたくろう71~75」は、「吉田拓郎自身の選曲による」と謳っていた。その春だったね はライブ73のものだった。今回こっちを選んだのはなぜだろう。

 御大は「言葉が飛び跳ねている」とおっしゃる。まさしく。言葉もメロディーも飛び跳ねている。 反面で、この歌は「字余りソング」の典型のようにいわれる。口惜しい思いを何度もした。
 なので、私は私なりに渾身でUramadoに泣きながら書いた。「歌詞の言葉がホップするようなときめき感あるメロディー。フライパンの上のポップコーンが弾けていっぱいになり、フライパンの外にぴょんぴょん飛び出していくような躍動感。音符♪から溢れ出た言葉も、本体のメロディーとともに跳ね回る。ただ溢れ落ちたのではなく、溢れた言葉たちにも音楽の魂がみずみずしく宿っているのである。」
 このイカれた文を書きながら「春だったね」を字余りソングと揶揄するヤツとはぜったい遊ぶもんかと胸に刻んだ。小学生かよ。んまぁ、こんなイカれた私とは誰も遊んじゃくれまいが。

2018.9/8

note 07 元気です
「澄みきった青空のような青山徹のギターのイントロ」…とuramadoに書いたら、なんとアレンジは青山徹だが、ギターは徳武弘文だとライナーでご解説くださっている。そうだったのか。もっとも音楽音痴の私だ。拓郎が「実はギターはキダ・タローでした」といわれても気づかずに感動しただろう。
謹んで訂正するが、ずっと間違えていたことも大切な財産なので、元の記載は、そのまんまにしておく。

 宮崎美子主演「元気です」の主題歌だが、ドラマのストーリーとか約束事からは一切自由に、自分なりに、主人公が生きていく道のりを自由に作り上げたとある。でも、このドラマの健気な宮崎美子と十分に親和性のあるテーマ曲だと思う。
 また、自由に作ると物語が長くなりすぎてアレンジャー泣かせだったと書いてある。しかし泣いたのはアレンジャーばかりではないようだ。拓郎が武田鉄矢と出た86年の「すばらしき仲間」で、武田が「知り合いのディレクターが、『まいったよ、拓郎に主題歌頼んだら途中で投げてやんの』と嘆いてましたよ」とチクると「ああ、そう、スタジオに女優が挨拶に来るとか言うんで作ってたら、来ないっていうんでオレもうやらないよって言ってやった」「それがあの名曲『元気です』ですもんね」。
 ドラマの台本や設定からは自由に作らせてくれといって、主演女優が来ないといって投げ出す。おい、なんてぇやつだ。

 ということで出自は、大変だったようだが、かくして出来上がった名曲は不滅だ。武田鉄矢も流星に次ぐイチ押し曲だった。お父様の訃報を知らされた直後のライブで、この歌を歌い「かすかに聴こえた優しさの唄声は、友や家族の手招きほどなつかしく」で胸がこみあげて「父ちゃんゴメン」と叫んだと述懐していた。私も、この部分が一番好きだ。って、いつの間にかなぜ武田鉄矢を語っているんだ。っていうか、この名曲にしてライブバージョンが武田鉄矢のものしかなくていいのか。ライブで聴きたいよ。無理を承知で頼みたい。
note 08 歩道橋の上で
 つま恋に燃えた2006年から一転、2007年はかなりツライ年だった。何度も言うまい。しかし2007年にはこの曲があった。この曲を筆頭にした美しい新曲たちがあった。

 ライナーで、御大は、旅の宿等の大ヒット後は、「原稿用紙に彼流の社会観を走り書いた何遍かの詞が届く」、フォークソングに嫌気がさして、「距離を置くことにした」とある。
 他方、岡本おさみは、かつて新譜ジャーナルで、「アジアの片隅で」のあとに書いたたくさんの詞がボツになり「さらば吉田拓郎」と訣別の文章を書いていた。長い空白期の始まりである。それが仕方なかったことなのか、あるいは残念なことだったのか、私ごときにはわからない。いずれにしても作品本位でしか出会えない二人なのだろうか。

 旅の宿・落陽・襟裳岬に代表される70年代黄金期のあと、80年シャングリラ・アジア期、ずっと経って、96年感度良好期そして、2003年の月夜のカヌー期を経て「歩道橋」に至る。70年代、80年代、90年代そして2000年代と各年代で思い出したようにコンビが組まれている。これは私の研究によると天才バカボン、ゲゲゲの鬼太郎のリメイクのペースと似ている。それがどうした。

 「歩道橋の上で」は、やはり「旅の宿」との時空感がハンパない。雑にいうと俳句と携帯と石川鷹彦で、蔦温泉と東京、過去である70年代と現代2007年を結んでいる。結ばれた真ん中に私らそれぞれのかけがえのない人生も詰まっている。楽曲の美しさとともに、その間に詰まった時間を思わざるを得ない。ファンとして歳をとった時間を悪くないなと思ったりもする。そんな作品のチカラがあると思う。

 石川鷹彦、島村英二、エルトン永田、徳武弘文、松原秀樹、スタジオの映像もいいよね。ご本人こそいないが岡本おさみを囲んでの最後の宴という感じがする。あらためて「花の店」のライナーの「不揃いな言葉たちを愛して曲をつけた」という言葉が胸にしみる。

 このサイトで「この歌にあう歩道橋はどこだ選手権」を企画していたのだが、なかなか実現しない。私は、飯田橋五又路か環八砧の歩道橋に一票入れたい。

2018.9/9

ひとりよがりの読書感想文もそろそろ大詰めだ。
曲順にこめられた意味はわからないが、少しずつこの順番に馴染んできた気がする。

note 09 歩こうね
歩くといえば意気軒高な「歩け歩け/私の足音」が浮かぶが、それとは真逆の「歩けるかい、歩こうね、歩こうよ」…不謹慎ながら、この介護士のささやきのような歌に最初は驚いた。しかし、この一言一言に魂を落とし込むようにステージで歌う拓郎を何度も観てきた。

 ライナーで綴られた病室での思い。御大のポンは衝撃だったが、その他にもご夫婦とも幾多の闘病があった様子が、ラジオでの言葉の端々に覗く。吉田家の危機と言っていただろうか。
 セットリストや活動予定については、トテモ口の軽い御大だが、こういうプライバシーのことについては、当たり前だが、決して口を開かない。どんなことがあったのか、どれだけ大変だったのかは、想像すらできない。
 但し、このライナーだけでなく、ラジオでも、毎日の一歩一歩の大切さ、夫婦が話し合い、気にしあうことの大切さを語る機会が増えてきた気がする。
 明日と同じ一歩があるか、もう私たちだってわからない。御大のギターにあわせて、寄り添うコーラスとピアノがとてもいい。ピッチがずれようともそれこそが魅力だと思いたい。
note 10 朝陽がサン
 正直、この曲を始めて聴いた時は、なんじゃこりゃあと頭を抱えた。ピンポンパンか何かか。今も基本は変わらないが。
 このFrom Tで「歩こうね」の後に、この曲か始まると、とたんに迷妄晴れたりみたいに爽快な気分になる。身体が揺れるようにウキウキしてくる。まぁいいじゃないか、元気で行こうじゃないのという気になる。この曲順の妙味か。ともかくこんなふうに晴れ晴れと歩きたいものだと想う。「歩こうね」と「朝陽がサン」のふり幅こそ御大の魅力の幅の広さだ。

 サンサンおはようサンに頭を抱える私でも、思わず身体がスウィングするような卓抜したメロディー、久々の鈴木茂のギターに奮い立つサウンド、実にカッコイイ器だ。

  「歩け歩け/私の足音」が「正」なら「歩こうね」が「反」、そしてこの曲が「合」になるのではないか。と無理矢理、弁証法にしてどうする。

 このアルバムを聞き直し、ライナーノーツを読んで少し改心したが、別に無理して今度のステージでやらなくていいぞ。それはこの作品を愛していないこととは別の話だ。
note 11 夏休み
 そして、新たな一歩を歩みながら、思いは「夏休み」に飛ぶ。 経済問題から、ミニバンド形式での出自をみたという「夏休み」。もう心の襞にしっかりと刻み込まれている。
 そして名手石川鷹彦のギターが超絶すんばらしい「元気です」バージョン。甲乙つけがたい。というかクオリティとしては圧倒的に甲乙ついているのだが、どちらのバージョンも互角に泣けてくる。双璧とはこのことか。そうかこの両者を結ぶのが井口さんと田辺さんのコーラスなのか。
 もう、こんな夏は消えつつあることに暗然とする。この歌とともにこの夏の叙景を壊れ物のように大切大切にしておくれ、この国。

2018.9/10

note 12 慕情
 かつて同性愛がテーマだと吉田拓郎御本人のご拓宣があって驚いたことがあったが、このライナーの記載のとおり、あらゆる「あこがれ」を形にした作品なのだと解題している。御意。吉田拓郎ファンがこの作品を聴くとき、この一言一句すべてに吉田拓郎そのものを感じとるに違いない。
 吉田拓郎は誰を思ってこの詞を書いたのだろうかとあらためて思う。例によって空想が入っているにせよ、ここまで繊細な思いはなかなか描けまい。
参照するほどでもないが、uramadoに石山恵三氏がライブで歌われた「慕情」がすんばらしかった話を書いた。あれとても吉田拓郎への深い深い慕情だ。最近では、曲こそ違うが、中島みゆきの「慕情」まで発表され、御大周辺は、慕情が行きかっている。
 ライナーには、武部聡志にアレンジを頼んだら「スケール感のある大きなノリにします」と返事があってこの完成形になったとある。 私は武部シンパではないが、この曲にはこのアレンジしかない。名アレンジだ。この作品は、私たちファンの拓郎への思い載せて運ぶ船のようなものである。それは、ボートや小型船舶ではなく、あくまでゴージャスで豪華な巨大客船であってほしい。それに比肩するようなこの壮大なアレンジがまさしくふさわしいと思うのだ。

 あなたを見失えば世界の終わり
 あなたがそこにいる ただそれだけでいい

 なんという切ないまでの充足感。それだけでいいわけないのだが、この曲を聴くときには本当にそれだけでいいと心の底から思える。
 このFrom Tのさまざまな名曲の間を行きかった末のDISC02の終盤という場所での落ち着きがいい。「午後の天気」よりも壮大な存在感を感じる。
note 13 マークⅡ'73
 1曲前の「慕情」について、From TのDISC02の終盤という場所を得てより一層の集大成感を感じると書いた。さまざまな名曲を旅したあとに、ファンの思いを集大成したようなフィナーレとして、私だったら「慕情」をDISC02の最後に配置しようと考えたかもしれない。しかし、そこが私ごときの薄っぺらなセンス、浅知恵の限界である。
 吉田拓郎は、この大団円のようなフィナーレで終わりにはせずに、そこに、なんと「マークⅡ'73」を持ってきおった。
 ちょっとウルウルするような「慕情」の充足の余韻を突き破るかのように、突然あの先鋭で攻撃的なビッグバンドの演奏がズガンと始まるのだ。おおお。
 そして容赦なくタイトなハリのあるボーカルで吉田拓郎が叫び、ビッグバンドが炸裂する。ライナーにあるとおりやがて、日本の音楽を担う天才たちのバンドである。フォークからはあまり遠い極北。吉田拓郎にとっての原点にして頂点。
 何度でも書くが、彼らはみんなまだ若造である。年齢にして御大27歳、瀬尾26歳、松任谷正隆22歳、高中正義20歳、田中清司25歳、岡沢章22歳、石川鷹彦30歳、後藤由多加24歳、恐るべき若造たち。
 この若造たちの有無を言わせぬ一撃で、私たちジジイ、ババアたちの宴は、余韻など残させずに、ガツンと終わる。ああ、カッチョエエな。さすが吉田拓郎。予想できるところからはやって来ない。

 この後に、「夏の日の恋」か「メロディー拓郎の今日までそして明日から」が欲しい気さえする。

 それにしてもこのFrom Tを聴きながら眠れる人、寝てしまう人は本当にいるのだろうか。切なる疑問が胸に残る名盤となった。
まだまだ聴きこんだとはいえない。たぶん選曲と曲順にこめられた意図、曲順の描くものがあるに違いない。そこに思いを馳せながら何度でも聴くよ。

2018.9/11

DISC 03「Tからの贈り物」

ライナーノーツには2ページにわたって、デモテープの歴史が綴られている。この感想文も書かずにいられない。長いしつこい知ったことか。

 70~80年代の深夜放送、といっても私は後発世代だから、オールナイトニッポンⅠ期Ⅱ期とセイヤングがメインだが、拓郎が時々聴かせてくれた「デモテープ」が楽しみだった。FromTのライナーによれば、4チャンネルで、目黒たぶん碑文谷のご自宅で作っているころのヤツだ。主に提供曲、キャンディーズ、石野真子、神田ひろみ、太田裕美とかの曲だった。くぐもった音で、御大はささやくように歌っていたが、温かい音色とオマエだけに聴かせるんだぜという秘密の打ち明け感があってワクワクもしたもんだ。まるでシェフに特別につくってもらった"まかない飯"のようだった。
 シャングリラに行く前には、録音予定の「いつか夜の雨が」「街へ」「帰らざる日々」のデモテープを聴かせてくれた。なんか聴かせ過ぎだわな。

 でもって、80年代から始まったコンピューター打ち込み録音。これが大嫌いだった。アルバム「俺が愛した馬鹿」のタイトル曲や「風になりたい」、その作為的な音にムカついていた。バンドサウンドを叩き込まれた自分には厳しかったのだ。
 「マッチベター」あたりのピコピコ、ピュンピュンというゲームマニアの小学生が電車で隣に座ったみたいなサウンドにも不満だった。

 そんなこんなで時間は過ぎて、80年代後半から90年代の中盤までの吉田拓郎は長い氷河期に入る。氷河と言っても作品のクオリティに遜色があったわけではない。逆に、「90年代に駄作なし」というのが、かねてからの私の持論だ。あくまでも外から見える活動の頻閑、音楽界や世間における拓郎の輝きが見えなくなっていったことである。
 スターとしての吉田拓郎が静かにフェイドアウトとしゆくような、そこはかとない寂しい時期だった。提供のつかない深夜のFMラジオ(CLUB25)で、ご隠居様のような日常を語りながら、宇田川オフィスも辞めて、仕事は自宅のファックスで直受けしているという話は結構辛かった。この隠居臭に満ちた日々の寂しさ、みなさんはどう過ごしていましたか。後に知り合った拓郎ファンのねーさんもこの頃のことを語ってくれた。「こうやって拓郎は世間の表面から消えてゆき、時々どっかのライブハウスみたいなところでひっそり歌うの。でもその時がアタシの出番なの(泣笑)。」

 しかし、吉田拓郎はほどなくバハマに旅立ち、音楽の新境地を開き、次いでLOVE2に出演し見事世間返り咲く。拓郎はテレビの人気モノになっても、よくあるタレントやテレビの奴隷にはならずに、音楽家としてビッグバンドツアーにつま恋にとまい進したことは私なんぞが言うまでもない。

 寂しかった90年の外見的な隠居時代、今回のデモテープは、そのときのものが殆どだ。枯れてしまっていたように見えた吉田拓郎は、実はこんなにも精巧なデモテープを作っていた。打ち込みが嫌いだという私の声を無視して(聞こえてねーし)、コンピュータ打ち込みに打ち込んで、熟練し、ギターの腕とも相俟って、かつて大好きだったあの「デモテープ」をこんなにも表情豊かな、こんなにも超絶なものに進化させてくれていたのだ。
 そして、それは、バハマでのミュージシャンとのコミュニケーションを橋渡しとなり、の新たな音楽世界の構築の橋渡しにもなった。すげえ。

 失われた・・・と勝手に思っていた90年代、吉田拓郎は、隠居でも枯れ木でもなく、真摯に音楽家としての孤高に取り組みを続けていたのだ。御大、あんたはやっぱり最高ばい。

 20年を経ていま出会う、まさにTからの贈り物だ。
01 淋しき街
 ぶっちゃけ、この曲や「生きていなけりゃ」といった90年代のデモテープを聴いた時には、心底びっくらこいた。かつてのデモテープとは全く違う。居酒屋で飲んだくれながら「拓郎ぉ、超絶ギターうめーなぁぁぁ」「こりゃあ完成品だよな」「え、こんなの誰も作れないでしょ」と涙ながらに盛り上がった。
 「こんなに精巧なデモテープを作るアーティストを知らない」という音楽プロデューサーの発言やデビット・リンドレイの「こんなにギターが上手いんだから、もっと自分で弾けばいいのに」というプロの評価も嬉しいが、私らのようなシロウトをココまで奮えさせた事こそが尊い。吉田拓郎はスターだから、ルックス、キャラ、パフォーマンスがどうしても目立つが、すげぇ音楽家でもあったのだ。あたり前か。

 それにしてもこの「淋しき街」は切ない。歌うようなリリカルなギター、傍でつぶやくような歌唱とあいまって哀惜がひとしおだ。
 「キミが求めているのは僕じゃない」「僕についてもう話さないで」・・・御大をさんざん苦しめたであろう、私のようなイカれたファンのことか。ごめんよ。
 そんな御大の孤独のうめきに、もし、安井かずみが生きいてくれたら・・・というただれるような思いを感じてしまう。

 「理由もなく東京」。この意味深きフレーズ。「普通の詞じゃないよね、わけもなく東京とか・・・ZUZUのフレーズが独特よね」とコシノジュンコもしみじみと語ったフレーズ(「お喋り道楽」より)。私なんぞにはわからない拓郎と安井かずみの二人だけの紐帯のようなものなのか。

 Uramadoで書いたが、幻となった名曲「理由もなく東京」を聴いてみたいとずーっと思っていたが、このライナーを読むと「もうそれは追うな」と言われているような気がした。すべてが、この淋しき街の中に、託されてひっそりと息づいているような気がする。

2018.9/13

02 ロンサムトラベリンマン
 仰せのとおりコーラスやサックスまでバッチリ入っており、私なんぞには完成品との違いがわからない。本番では、思い切りやさぐれた感じでブルースとして歌っていて、それがたまらなくセクスィーだ。しかし、デモテープでは、正調でキチンとメロディーに沿って歌われている。
 どちらがいいというより2つとも聴けるのがメチャ嬉しい。

♪この心が老いない限り押し寄せる波風も友として…

 ええなあ、ブルージィな本番も、なめらかなデモも、それぞれに味がある。ただ「星降る街」。こっちの方がタイトルとしては好きだ。
 それにしても、コーラスマシーンて凄いんだなあ。これなら自宅でひとりで「人間なんて」のデモテープも出来るじゃないですか。んなもの、作ってどうする、と怒られるだけか。

2018.9/14

03 黒い瞳
 「そりゃもうシンシアのためならと頑張ったね」。御意。私も、そりゃもうシンシアのためなんだからと楽しみにして、シンシアのバージョンをリアルタイムで聴いた。"心に空を持ちなさい"ということで聴いて思わず空を仰いでつぶやいた「…残念…」(個人の感想です)。 いや、ディスっているのではない。涙ながらの自分の心の叫びなのだ。

…というわけでしばらく忘れていた「黒い瞳」。しかしこの拓郎のデモテープはまた印象が全く違う。いいぞ。シンシアのバージョンは、メロディーがどこかツギハギなぎこちない感じで、どこに向って行くのかのわからず、最後に妙に沈んだ印象しか残らない。
 でも、このデモテープでは、心地よいテンポで、メロディーが起伏に上下しながらもすんなりとつながって自然に流れてゆく。流しそうめんのようだく。もちろん南沙織のせいではないと思う。シンシアの歌唱は素敵なのに、なんであんなに冴えないことになるんだろう。いずれにしても、空を仰いで「デモテープがベストテイクだ」と小さな声で叫んだよ。

2018.9/15

04 憂鬱な夜の殺し方
 このデモは、万全の制作環境であった逗子に転居する以前のもので、逗子の音とは微妙に違うらしい。そう言われれば、ドラムがプレハブ住宅みたいな質感がするが、まあ、私にはよくはわからん。
 聴きなれていたあのイントロも、物憂いエフェクトも、遅れるコーラスも、全部デモテープに仕組まれていたのだな。特にギターのフレーズがメチャ心地いい。んー上手ばい、吉田拓郎。

 それにしても、詞が違う。もう殆ど違う。
 今まで聴いてきた本曲は、もの憂くて、けだるくて、それでいてエロティックな印象だった。
デモテープでは、突然に
  遠い町が炎に焼ける
  ニュース・ショーの光浴びて
 なんてフレーズが出てきてドキっとした。リアル過ぎる詞だ。かつて「君が欲しいよ」で松本隆が"真っ赤な消防自動車が炎の夜空を駆け抜けた"と巧みに描いてみせたが、こっちの詞は、露骨でショッキングだ。マズイという判断があって差し替えたのだろうか。
 しかも、このデモテープの歌詞では、「憂鬱な夜」というフレーズが全く出てこない。代わりに
  自分を壊す勇気と革命
という言葉が繰り返されている。
 もしかするとデモテープの時は、そのタイトルも「憂鬱な夜の殺し方」ではなくて、
「革命の夜」とか「少女革命」という感じだったのではないか。♪おおインターナショナルって違うだろ。
 さーすが、森雪之丞、まったく雪之丞七変化だ。

 ともかく完成品とは全く違った、おもしろい曲だ。なんか双子の別曲に出会ったような気分である。これもデモテープの妙味だぜ。
 ああ、幸せだ。誰がなんと言おうと。よくぞ出してくれた。28年間、私らと会うためにひっそりと待っていてくれたんだぜ。

  ☆憂鬱な夜の殺し方(デモ音源)☆
となりになぜ 君がいて  微笑むのか思い出せずに
理由などなく怒らせたい白く華奢な肩
君の素敵、映し出すのは
メイク褒める鏡じゃなく
自分をひとつ壊せる勇気さ

隠した胸 大人びても
脱がせた夢 妙に無邪気で
抱き合うより 君を尖らせ 夜を殺したい
遠い町が 炎に焼ける
ニュース・ショーの光浴びて
君にも始まってる 今夜が革命だから

君の素敵、映し出すのは
メイク褒める鏡じゃなく
自分を壊す勇気さ
今夜が革命だから

となりになぜ君がいて 泣いてるのか 思い出せずに
ジンに浮かぶ痩せた月が夢に落ちてゆく 

  ☆憂鬱な夜の殺し方 (正式完成版)☆
愛されたと なぜわかる?
ベッドの舟 揺れたせいかい
この身体は 君と同じで
ちょっと 嘘つきさ

なぜか君を 泣かせてみたい
ニュース・ショーが はねた後の
光が 肌を突き刺す夜だね

隠した胸 大人びて
脱がせた夢 妙に無邪気で
抱きあうより 君を尖らせて
夜を 殺したい

その涙を 飲ませておくれ
ジョークじゃない 君がいなきゃ
自分の影を踏んでつまずく
・・・憂鬱な夜さ

なぜか君を 泣かせてみたい
ニュース・ショーがはねた後は
小さな悲劇マネて愉しむ
・・・憂鬱な夜さ

嫌われたと なぜわかる?
傷つくのは 信じたいから
欠けて見える 月と同じで
ちょっと嘘つきさ

2018.9/16

05 生きていなけりゃ
 ご本人もこのデモテープがベストテイクだと宣っていたが、確かにこのデモを聴いたときはブッ飛んだ。吉田拓郎の"ギターソロ"って、話には聴いていたけれど、本物をちゃんと聴いたことがなかった。これか。これなのか。語りかけてくるような、ちょっと泣くような繊細な音色だ。シロウトにも良さがわかる。繰り返し聴いてしまう。特にラストのギター、いつまでも浸っていたい気分になる。
 でさ、このボーカルがまたいいんだ。デモだから本気全開歌唱でもなく、なんの装飾もないけれど、だからこそ声質の美しさが際立つ。ちょっと語尾をふるわすような機微までが伝わってきて、ああもうたまらんばい。
 
 私は、こんな演歌みたいな曲、と長い間敬遠してきたが、このテープを聴いてそんな気持ちがいともたやすく上書きされた。
 90年代中盤、隠居生活に入ってまったのか、ああ、なんか最近パッとしないなとヤキモキしている時に、拓郎は、かくも丁寧な作り込みをし、こんなにも高いクオリティの逸品を作っていたのか。根っからの「音楽家」という言葉しか思いつかない。
 それに今のラジオでご本人が語ってくれる90年代の話を垣間見ると「生きていなけりゃ 生きて行かなけりゃ」というフレーズには、外からはわからない、もっと切実な意味があるのかもしれない。
 しかし、曲自体、提供先からは断られ、私のようなファンにも不評を買う。私だけかもしれないが。
 そしてデモテープゆえに、こんな見事なギターもボーカルも世間には存在すら知られずに眠っていたのだ。

 ああ、吉田拓郎、どんだけ孤独だったのだろうか。

 スタジオで一緒になるギタリストを通じてさまざまなテクニックを勉強したとライナーノーツにある。また、ギターの師匠が高中正義だったとも語っていた。バックメンバーを自分の師匠として学んでいたというのも吉田拓郎ならではの素敵さである。

2018.9/18

06 いつでも
 そうか。これが御大のルーツ、R&Bなのか。私ごときには、そう具体的に教えていただくとよくわかる。
 このデモテープも、すげーな。ただ、この曲は、やはりライブこそが完成版だと思う。オブリガートっていうんですか、あれが何回も刻まれて、ズンズンズンと高まっていって、♪胸に沁みる空の青さのリフレインが畳み掛けてくる。あのどうしようもなく、気持ちが高まってゆく感じこそ究極だ。
 このデモテープが、あの本番のソウルの高まりをしっかりと牽引している気がする。骨太の設計図という感じだ。「生きていなけりゃ」のデモテープのようにそれ自身、自己完結した濃密な完成品とはまた違って、凄いけれど、ソウルのための余白がある。ここも妙味だぜ。

2018.9/19

07 マンボウ
 御大のお気に入りのナンバーとして「マンボウ」がFrom Tに収録された。「虹マス」はライブでも重用されたいわば"出世魚"だが、「マンボウ」はうち捨てられた、という趣旨のことをUramadoに書いたが、そうではなかった。先日のラジオで、御大はネットは嘘ばかりなので信用するなと言っていたが、まさにウチのことだ。
 ともかく長く沈潜していた秘曲「マンボウ」は、モンテクリスト伯の復讐のように、突如、2018年に再浮上しおった。つまり御大は、自宅の水槽で、このマンボウをずっと大切に愛でていたのだ。

 デモテープのコンピュータ・データをそのまま本番に使っているというが、デモテープの演奏の音の方が、輪郭が甘く、ほんわりとしている感じがする。原曲よりさらに心地よく、抱擁されているかのようだ。イントロ、間奏のメロディーものどかで愛おしい。
 なーんて、今頃言っても、さんざん"変な曲"と悪態をついてきた自分が、どのツラさげて…だ。

 なので、すべてのマンボウに懺悔するつもりでマンボウ研究者の澤井悦郎さんの著書「マンボウのひみつ」を読みはじめた。著者の澤井先生は、1985年、まさにワンラストナイト・イン・つま恋の年に生まれて、広島大学初のマンボウ研究者となったというご経歴だ。しかも先生ご自身が出演したラジオ番組で吉田拓郎の「マンボウ」をかけたこともあるらしい。深い拓縁を感じずにいられない。先生は多分ご迷惑だろうが。
 この本は、マンボウに魅せられた先生のわかりやすい学術的解説とマンボウへの愛情とさらに研究者としての苦闘が三位一体になっている。もうちょっと言うと、好きでたまらないことを仕事にする幸せと哀しみと覚悟に満ちていて感動する。
 各テーマごとに川柳で総括してあるのもいい。「マンボウとペンギン同じ泳ぎ方」「マンボウの遊泳時速約2キロ」。脆弱と思われるマンボウだが「マンボウは傷を負っても生き残る」おおお、虹マスと同じやん。ともかく愛と謎に満ちたマンボウの深い世界だ。

 マンボウなんて…と侮っていた私は、「吉田拓郎?あのゲタ履いたフォーク歌手だろ」と吐き捨てる人と変わらなかったことをあらためて恥じる。
 そしてこの澤井先生のグループは最近「カクレマンボウ」という新種を発見してニュースになった。カクレマンボウ。まさに、このデモテープみたいなものじゃないか。
マンボウ

2018.9/20

08 永遠の嘘をついてくれ
 間違いなくこのCDの"肝"のひとつだ。まさか、このデモテープが聴けるとは思わなかった。とにかく、よくぞこんな歌を作り、こんなサウンドを組み立て、こんなふうに歌い、そして公式音源にしてくれたものだ。もう感謝しかない、御大もさることながら音楽の神様に対してだ。Nakedな声がいい。ビブラートする間奏のギターもいい。理由などなく涙が出てくるデモテープだ。
 このライナーのさりげない結び「このテープは中島みゆきさんにも贈呈したよ」。これが試験だとしたら、こんな問題を出された感じがした。

[問題]筆者は、中島みゆきさんに、なぜ完成品とは別にデモテープを贈呈したのでしょうか。筆者の気持ちを説明しなさい。

 どうだ、たとえ駿台予備校だろうと四谷大塚だろうと正解は出せまい。もちろん私もわからん(爆)。
 そんな中、昨夜の居酒屋で、とあるファンから出されたひとつの解答例。
「魂のデモテープには魂のデモテープで返さなくてはならないと考えたから」
 をを、いい答えだ。きっとファンそれぞれいろんな答えがあるはずだし、もちろん正解はわからない。
 しかし、正解を出すことにとらわれるのではなく、この問いの中に生きつづけようではないか。>大きなお世話だよ。

2018.9/21

09 女たちときたら
 昔、マハロで聴かせてもらった記憶があるが、いずれにしてもベストアルバムにあって、唯一の新曲のポジションに鎮座まします。「女たちときたら」…この危ういタイトル。「男どもときたら」と返りうちに斬られそうである。
 これが拓郎の弾くギターなんだなぁと感慨のバイアスがかかっているにしても、とても印象的なイントロに心がくすぐられる。満員電車の中で聴いているとつい身体が揺れてしまう。イラクの侵攻、地球の終わりとショッキングな出来事までもが、どこか朝の倦怠につつまれている。部屋に差し込む朝日すら感じさせてくれる曲と演奏だ。
 ライナーに「歌詞もメロディーも弱いかな」とある。強い弱いを言うのなら、どうしたって名曲「東京の長く熱い夜」を思ってしまう。違うといえば違う曲ではあるが、詞の主要部がほとんど同じである。わかりやすく言うと、花山大吉と月影兵庫、ドクターペッパーとミスターピブくらい同じで違う。>全然わかんねぇよ。
 しかし、その強さと迫力において「東京」は超絶素晴らしい。こちらもライブだけの消えもの曲となっている。弾き語りだからではなく、きっとバンドでやったらもっと凄いぞと思える客観的な力作だと私は思う。いつか世に出る事を待っていた。
 今回「女たち」が公式音源に昇格したことで、同工異曲のこの「東京」は無かったことになってしまうのか、不安である。あぁ、「女たちときたら」は「東京の長く熱い夜に」消えちまえというのでしょうか。

 詞はかぶっているが、「女たち」は、物憂く眩しい朝の空気の歌であり、「東京」は、やさぐれた夜の雄叫びである。同じプロットを音楽のチカラでここまで対極なかたちで描き得た吉田拓郎はやっぱりすごいなと思うのである。

 私は両作とも、世に生き残り続けてほしいと切に思う。「泣いてたまるか」に渥美清の回と青島幸男の回があったように、「特別機動捜査隊」に立石班と藤島班があったように>だからわかんねぇよ。…ああそうだ、そして「灰色の世界」にⅠとⅡがあるように…>最初にその例えだろ。
 朝と夜、両論併記で頼む。

2018.9/22

10 心のままに
ラジオでナイト"の中で拓郎は「幸せになりたくて」という曲名を口走っていて、なんだそりゃと思っていたら、この「心のままに」だったんだな。「幸せになりたくて」が原題なのか。同じくラジオで「石原信一の詞には一か所くらい"違うぞ"と思うところがある」と語っていたが、この曲はタイトルからして違っていたのか。あいかわらず松本隆と異なり、喜多條忠、石原信一には容赦がない御大だ。

 ちょっと気恥ずかしい気もするが、「この世には君がいる そしてすべてが始まる」というエンディングがとても素敵で、てらいのないのびやかな詞だ。それにあてがわれた御大の刻むリズムとメロディーも、清々しい気分で闊歩するようでウキウキとしてくる。晴れた青空を仰ぐような御大のギターのフレーズがまたカッチョエエ。通勤電車で聴きながら、となりでずっとスマホゲームをしている見知らぬおっさんに、"いいっすよ、このギター"と教えてあけたくなった。おい。
 Uramadoにも書いたが、最後にかけてのメロディーが変わるところが特に好きだった。ライナーノーツによると、そここそがこの曲のツボだったようで、なんか御大の作り手としてのキモチをキャッチできたみたいで嬉しい。音楽家である御大の表現によると「ベースのパターンが気持ちよく動く」ということだ。御意。この最後の「アドリブっぽい」部分になると、ウキウキとした曲が、最後には、音符の縛りからも自由になって心のままに跳ね回る感じがする。だから心のままになのかと勝手に得心する。

 このベースパターンへのこだわりは「アマチュアバンドバンド時代の財産」とある。へぇそうなんだ。「アマチュア時代」と「プロフェッショナルを極めた今」が自然につながっているところに妙に感動してしまう。前の日記で書いたが、ドラマ「ER」であった「医者になる前のキモチを持ち続ける医者と切り捨ててしまう医者の2つがある」というセリフと通底している。ああ、音楽って自由なんだなぁと思う。プロ・アマという境目はさほど意味がなく、音楽に目覚めたころから音楽活動はずっとつながっているのだろうな。プロだろうとアマだろうとすべては音楽の"part of it"なのかもしれない。
 だから、デビュー何周年とかそういう区切りに興味がないのかもなと思ったりもする。また余計な事だけどさ。

2018.9/23

11 オーボーイ
ライナーノーツには、バハマでは完成せずに、ロスで「ディーン・バークスが僕の作ったエレキのアルペジオをコピーして入れてくれた」とある。確かにリードギターの無いデモを聴くと、あのギターの情感の大切さがよくわかる。
 「Long time no see」のレコーディングが語られる時、バハマのミュージシャンとの素晴らしいスタジオワークとその絆がほのぼのと語られる反面、バハマで終結せずにロス、東京と苦闘が続き、その様子を常富さんが「ボロボロなりながら蘇生しようとしている」と評したのも忘れられない。「永遠の嘘」の苦闘が語られてきたが、この作品も苦闘サイドだったのだろうか。
 「音楽の永遠の素晴らしさ」と「ボロボロになっての蘇生」。対極的ではあるが、これは矛盾するものではないのだろう。バハマでの日々があればこそ、妥協しない音楽を作るために徹底した音作りにこだわったのだろうし、そういう御大だからこそバハマで異国のミュージシャンたちの胸を打ったに違いない。幸福と苦闘の二本の糸がよりあって、あざなえるひとつの縄となる、これはこのサイトお得意の「向田邦子フォーミュラ」だ。

 個人的には「おまえで歴史がかわりはしない」が一番インプレッシブなフレーズだ。他の人が歌えば"そりゃそうだ"というフレーズだが、歴史を変えた吉田拓郎が歌うのはショッキングなことでもある。しかし、あきらめでも後退でも隠居でもない、永遠なる蘇生、それを素晴らしいサウンドで決然と歌う。そこだ。んまぁ自分でも何がそこかわからないけれど、そこなのだ。たぶん、

 ※向田邦子フォーミュラとは
若き日の黒柳徹子が向田邦子の脚本にあった「禍福はあざなえる縄の如し」について「幸せだけでよってある縄はないの?」と尋ねると向田邦子は一瞬の間の後にキッパリ「ないの」と答える。すべて美しいものは幸せと切ないものがよりあってできている。これを向田邦子理論ないしは向田邦子フォーミュラという。>なに勝手に言ってんだよ

2018.9/24

12 紅葉
Tからの贈り物」は、どれも正面にひざまづき、あぁよくぞお出でくださいましたと迎えたいものばかりだ。しかし、中でも個人的にこの曲だけは、しっかりと抱きしめて頬ずりしてやりたい。キモイぞ。
 崖っぷちから落ちなんとしていたこの作品の拓郎本人歌唱が聴けるとは。何回も書いたが、この話は何度でもする。この曲を教えてくれた拓郎ファンのJさんとMさん。Jさんは広島のライブ後のファンの打ち上げで、この曲を弾き語りで披露して、うまく歌えなくて失敗した。恥ずかしそうに笑いながら、「これ聴けばいい曲だってわかるよ」と島倉さんのCDをくれた。いい曲だった。どんだけイイ曲かも、何度でも書きたいが、さすがにuramadoに。年中行事として毎年、紅葉の時期に、日比谷公園あたりを横切りながら聴く。

 「デモテープは男っぽい紅葉」と御大はいつかラジオで言っていたが、男性コーラスが薄くつけれているからなのだな。シンプルだけど繊細なギターにささえられて、拓郎がていねいに、ていねいに"ホロホロと"歌う。島倉さんから投げられた詞に、「いいですか島倉さんこんな感じですよ」とやさしく投げ返す大人の男と女のキャッチボールのようだ。そんなキャッチボール観たことないけどさ。

 JさんとMさんも生きていれば、これが聴けたのに。「そうそう、オレ、こんなふうに拓郎みたいに歌えばよかったんだよな」「それが一番無理なことでしょう」という会話がどこかの居酒屋であったはずだ。生きていなけりゃ。今年からは御大の紅葉でいくぜ。

2018.9/25

13 夢見る時を過ぎ
歌ってみよう。♪ ゆめみーるとぉきぃをぉすぎぃ めぐりぃあえたぁから~コトバとメロディーが絶妙に絡みあっている。メロディーが一語一語を弾ませて、メロディーの海の中でコトバが泳ぐ。かぁぁぁ、ウマく言えないが、なんとも心地よい。ご飯と具が見事なバランスで炒められた日高屋のチャーハンみたいだ。御大はやっぱり不世出のメロディーメーカーだ。
 Uramadoで名曲なのだが「ワッチュワレワレ」のコーラスが頭から離れないと、ちょっと申し訳ない気持ちで書いた。でも、今回ライナーノーツを読んだら「ワッチュワレワレ」のことしか書いていないぞ。うむ、コレが肝だったのか。
 そして詞が違う。完成版の「白い鳥」は、原詩では「水鳥」、「疲れた体」は「疲れた旅人」だったことがわかる。
 結構大きいのは、「わがままにうつろう愛は育てない」が原詩では「砂の城みたいな愛は育てない」となっていた。へぇー。どっちがどうというわけでもないが「砂の城」か。「砂の城」は「崩れかけた砂の家」(カンパリソーダとフライドポテト)とかぶると思って削ったのだろうか。それはないか、松本隆だって、何度もボートでオールを失くしているし。おい。
 岡本おさみワールドでも松本隆ワールドでもない石原ワールドというものが確実にある。それは夢見る頃を過ぎて歳をとってこそ効き目が出てくる世界だ。夢見る時を過ぎ、ワッチュワレワレを買っておうちに帰ろう。なぜかタイトルを聞くと林真理子が浮かんでくる。

2018.9/26

14 いつもチンチンに冷えたコーラがそこにあった
この作品は独特の世界がある。真夏の陽射し、海辺の叙景、もの憂くて、エロティックな空気、それらが淡くセピア色でコーティングされた別世界というイメージがある。まさに映画の中の世界のようだ。拓郎のエコーがかかった、やるせない歌いっぷりがまた夢うつつの雰囲気を醸し出している。
 ミュージシャン達とレコーディング技術の成果物かと思っていたが、このデモテープを聴いたら、全部を御大がひとりで描いていたのだな。監督・脚本・撮影・音楽・出演の全部が吉田拓郎制作の映画みたいなものだ。
特にデモテープは、独特の世界感が思い切り色濃い。デモの歌唱のほうが、全力歌唱でない分、けだるくアンニュイな感じが際立つ。
 哀愁あるイントロはこの独特の世界にトリップするための合図みたいなものだ。ライナーノーツで書かれた、サンプリングで発見したというトランペットの間奏。この世界を一気に凝縮したような美しいメロディーだね。何度聴いても聴き惚れる。これもみんな御大が作っていたのだな。あらためて感心する。

 ライブでも演奏されたけれどビッグバンドの演奏はソリッドなのがかえって災いして迫力と元気がみなぎってしまい、原曲のアンニュイな世界からは遠くなってしまった気がする。やはりこのデモテープと吉田町の完成品の間を行きつ戻りつ、この独特の世界にトリップしながら味わいたい。

 拓郎はMCで「この歌は猥褻な歌です。こんな歌を歌っていいのかと思います。」と語った。そうなの?でも作った本人がそういうのだから、そうなのだろう。こんだけコカ・コーラを連呼しながら、本家コカ・コーラが感謝している様子が伝わってこないのとはそういうことなのか。

 遇えてよかったデモテープのひとつであることに間違いない。

2018.9/27

15 夕陽と少年
「Long time no see」と同じ「夕陽と少年」でしめくくられる"Tからの贈り物"。
どちらも、とおーくバハマの海を見つめるながら終わる。

 結局、Long time no seeは①バハマで録音した作品②バハマの勢いのままロスで完成した作品③バハマを胸に帰国した東京で完成した作品の3種類があるのだな。この曲は、③のようだ。

 完成品では、ドラム・ベースのリズムの自己主張がズシズシと強く、ボーカルも演奏もいまひとつしっくりなじんでいない感じがしていた。デモテープだとボーカルを含むすべての音がお互いになじんだひとつのやわらかいカタマリになって聴こえる気がする。デモテープの方がこの曲の姿がよくわかる。

 間奏のギターがここでも胸に響く。いいねぇ。本当にステージでももっとギターを弾いてくれよ。この作品に限らず、本編とは別のイントロ・間奏・アウトロのメロディーや演奏が頭から離れないことが多い。それは、松任谷正隆、瀬尾一三、高中正義らのアレンジャー&ミュージシャンの仕事なのかと思ってきた。実際そういう仕事も多いだろう。
 でも、こうしてデモテープを聴くと、御大自身が作曲し自ら演奏して描いて見せたものもたくさんあること知る。あれもこれもそう。ますますもって吉田拓郎のファンとしての歓びと誇らしさが深まる。

 行ったことのない遠いバハマの海を妄想していると、ふっと作品が終わり、このTからの贈り物も閉じられてしまう。ああ終わりなのかよ。18曲だったら、まだあと3曲も味わえるのにと詮無いことを思う。いつまでも浸っていたい。

 これも何度も言うが、私は当時コンピューターの打ち込みが大嫌いだった。こんな素晴らしいバンドがいるのに何だよと怒りをもて眺めていた。
 しかしライナーノーツでは、コンピューターがあることで、思いもよらなかったトランペットのソロを思いついたり、自由な発想とアプローチが得られたと語っている。そして、実際に御大の見事なデモテープ設計能力と表現能力に驚く。さらに異国のミュージシャンたちをも唸らせた。コンピューターで見事な設計図を引いていたのだ。
 吉田拓郎は機械音楽を目指したわけではなく、もちろんコンピュータのドレイになんかにもならず、その先にビッグバンドを始めとした素晴らしい生音の音楽の世界を見せてくれた。
 
  大学時代の退屈な先生の退屈な講義の一節を思い出した。
 「ローマ法によりてローマ法の上へ」というのが先生の口癖だった。法は守るべし、されど法のドレイになってはならない、法を使って法を超えた理想を目指そうという諺である……と思うよ、たぶん。ちゃんと聴いてなかったんで自信ない。
 「コンピューターによりてコンピューターの上へ」とあてはめてみると今になってよくわかった。コンピューターを敬遠せず、かといって服従もせず、これを自由な駆使して、よりクオリティの高い音楽を作り続けた吉田拓郎。ハラショ。おいらは何にもわかっちゃいなかったよ。ごめんね、御大と名前忘れちゃったけど大学のローマ法の先生。
 すべての道はローマへ通ず。かくして、すべての道は吉田拓郎へ通じるのである。なんか話が大きくなりすぎた。ここは居酒屋じゃないんだから。それにしても この道をゆくことを選んだ、すべての人々と乾杯したい気分だ。料理長にもとなりの知らないおっさんにも聴かせてやりたい。

 なんでご本人のライナーノーツを前に、素人のおまえがエラそーに解説してんだ、しかも長くてしつこくて超うぜーという空耳がたくさん聴こえる。すまん。しかし"From T"の感激と感慨を私はこういうイカレた形でしか表現できないのだ。

 あいかわらずまったく吉田拓郎とはわかったようでわからない謎だ。その背中を見失わないように、しっかりとついてゆこうではないかとひとり想えば時はゆく。

2018.9/28