歌ってよ夕陽の歌を
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「ぷらいべえと」
歌ってよ、御大の歌を(独唱)
言わずと知れた1975年に森山良子に提供されたヒット曲で、アルバム「ぷらいべえと」に本人歌唱が収録された。拓郎のメロディメーカーとしての才能が遺憾なく発揮されている逸品。岡本おさみの詞はどちらかというとシンプルだ。しかし、哀愁が滲んで、よく練られたメロディー。特に「♪歌ってよ夕陽の歌を・・」の心に刻みつけるようなリフレイン。これらメロディーのチカラを得て、まるで一篇の映画のシーンを見せられたようにドラマチックな情感が漂う。また歌謡曲・ポップスであると同時にロックがスパイスされているかのような曲相と、まさに拓郎の独壇場だ。
森山良子の素晴らしき歌唱力に恵まれたことも大きい。個人的な体験だが、1980年に新宿の西口の広大な空き地(今の都庁))で吉田拓郎・渡辺貞夫・森山良子が共演する「TONY」という東京・ニューヨーク姉妹都市記念の国際親善の野外イベントがあった。そこで、森山良子は、この作品を歌い、出だしの「歌ってよぉぉぉ」のアカペラから全開の美声で会場を制圧したのだった。私の隣に座ってた見知らぬウルサイ黒人男性が、この作品のザワワな歌唱にハラハラと涙を流していたのが忘れられない。
もちろん拓郎の本人歌唱も遜色はない。深夜の突貫工事と鼻声という不本意な状況にあったため、拓郎はこのアルバム「ぷらいべえと」を敢えて持ち上げないが、それは拓郎流の「謙遜」に過ぎない。それでも拓郎は、このアルバムの中で「歌ってよ夕陽の歌を」と「赤い燈台」は「絶品」だと明言していた(ラジオ番組「フォーライフ・フォーユー」のゲスト出演の時だと思う)。拓郎の本人歌唱はこの曲のロックな側面も色濃く出ていて哀愁の中にカッコ良さが滲み出ている。
時は流れて2014年に川村ゆうこのライブで、バックが、島村英二、エルトン永田、徳武弘文、石山恵三ら「箱根ロックウェルチーム」という豪華布陣の中、この作品も演奏された。最初の川村ゆうこのアカペラの後にビシッと入ってくる島村氏のドラムのカッコイイこと、それに続く演奏がもう最高だった。川村ゆうこ、なぜあなたが歌うのか?と思ったが、そらぁ、あなたのライブだもんね。すまん。なぜ御大が、このバンドでこの歌を歌わないのかと問題を建替えるべきだ。ああ、御大よ歌っておくれ。
そういえば拓郎と森山の間には「今日拓郎があるのは黒沢久雄のおかげ」というネタがあった。拓郎がデビューしたとき、全く売れない拓郎を森山良子のラジオ番組だけがゲストに招き、曲を流してさかんに支援してくれたという。で、その森山良子は成城学園の学生時代に黒沢久雄に声をかけられてデビューしたということから、ひいては黒沢久雄のかげで拓郎の今日があるというオチだった。また、もうひとつには拓郎を東京に呼んでデビューのキッカケを作った上智大学全共闘の男Sは、森山良子とも知り合いだったということがあるらしい。さすが音楽界のメディチ家たる森山=かまやつファミリーのチカラを感じる。いみふ。
さて、ファミリーといえば、1975年大晦日の紅白歌合戦で、森山良子はこの「歌ってよ夕陽の歌を」を文字通り歌い上げた。ちなみにマチャアキは「明日の前に」だぜ。・・・で、息子森山直太朗は76年4月生まれだから、この時、直太朗は(呼び捨てかよ)、森山良子のおなかの中でこの歌を聴いていたことになる。あの胎教ありて、この息子あり。・・・・というわけで拓郎ファンの諸兄、直太朗はもう他人ではない。他人だろ。
2015.10/25