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夕立ち

1973年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「伽草子」

恋するすべての若者の味方でありたい

 1974年頃、「夕立」といえば井上陽水だった。単に雨が降ってきただけのことをココまで扇情的に歌い上げる作品のインパクトは強烈で、世の少年少女の耳目を集めていた。そういう人々は「あ、拓郎にも『夕立』って歌があるんだ」という実に冷ややかなものだった。こっちの方が先なのに。とはいえこま作品に陽水の「夕立」の華やかさはなくどちらかといえば地味な作品だ。
 真夏の喫茶店。ファンの私たちにはわかる。カフェなどではなくバネのきしむ古びた喫茶店に違いない。そんな真夏の冴えない喫茶店を舞台に、彼女に一緒に暮らすことを切り出そうとする僕の逡巡と緊張の一瞬を描く。
 思い募る僕とあどけなくクリームソーダを呑むあっけらかんとした君。岡本さんの実体験なのだろうか。その若者の風景はどこか懐かしく胸が熱くなる。
 ボソボソと始まるAメロ。どうしようか、どうしようかと逡巡する僕の胸の高鳴りと緊張を実にリアルに表現している。日照りの街の喫茶店でアップするメロディーは、僕の爆発しそうな感情のテンションの高さを描いており見事なコントラストを魅せてくる。まるでその場に立ち会って緊張をともにしているようだ。
 そしてラストのラスト「夕立がくれば 夕立過ぎカラリと晴れれば 君は隣で眠ってくるよね」。真夏のアパートで一緒に眠っている二人の姿がハッピーエンドのように浮かんでくる。
 この作品は、ステージでも結構歌われた。75年のつま恋では灼熱の中、トランザムの荒削りな演奏と御大のシャウトが生きていた。翌年のツアーでは松任谷正隆のスタイリッシュなアレンジで歌われたりもした。どんなアプローチでも真夏の初々しい二人は美しかった。

 こういう聴き方は禁じ手かもしれないが、御大は岡本さんの逝去にこう寄せた。「愛妻家だったから今は天国で仲良く二人で又大好きな旅を続けておられる事だろう」。 この真夏の喫茶店でドキドキしながら向かい合う若者。私達が応援した二人の若者。この二人のモデルが岡本さんご夫妻だとすれば、あの初々しい二人はもうこの世にいないことになる。人生とはかくも短いものなのか、かくも儚いものなのか。まさに「一瞬の夏」か。亡くなってしまった岡本さんから出発する聴き方にハマると、なにもかにもが追悼気分になってしまいそうだ。そんな作品の聴き方は岡本さんもきっと望むまい。
 いずれにしても、あっちの陽水のひきつった顔で洗濯物をとりこむ歌よりも、こっちの歌を選んだ私たちの方がより豊かな心でいられたに違いないと思う。大きなお世話か。

2016.3/12