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夢を語るには

1996年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「感度良好波高し」

夢と女房すったもんだ節

 岡本おさみが「夢」についての詞を綴る。「夢は何かと聞かれても『さあね』としか答えようがない『ごめんね急いでいるんだ』」って、だったら詞にするなよと思ってしまう(笑)。
 かつて岡本おさみは「夢はいつでも抜け殻なので 夕焼けの美しい時はいつも淋しいだろう」(「子供に」)と看破するようなフレーズを残した。そういう「夢なんて」という否定的な思いを持ちつつも、夢そのものを切り捨ててしまうことができない自分もいる。虚しいと知りつつも、かといって逃れることもできずに結局「夢」という池の周りをまわりつづけなくてはならない。その気恥ずかしさ、寂しさが遠まわしに綴られている。
 秀逸なのは、そんな詞の本質をしっかりつかんだような御大のメロディーだ。実にやわらかく暖かな優しいメロディーではないか。気恥ずかしくも夢をめぐって逡巡するおじさんの心情をやさしくやさしくつつみこむ、まさに夢心地のようなメロディー。そして微かにスパイスされる「寂しさ」も効いている。さすがに天性のコンビネーションである。
 そしてそういうデリケートなメロディーを具現化している外人バンドの演奏にも目をみはるものがある。言葉ではなく、音楽というツールでこのニュアンスがきちんと通じあっていることがわかる。なんとも心地よい演奏が実現しているのだ。
 そして夢の話の中にそっと入れ込まれた「妻」の話。79年のセイヤングのラジオ公録で御大は、「最近久々に会った岡本さんが『最近も相変わらず女房ともすったもんだしていて、そういう詞を書こうかな』と言われたので近々『女房すったもんだ節』と言う作品ができます。」と語っていたことがあった。ふくれっつらの妻と不機嫌な夫。どこにでもあり、だからこそどうしようもない夫婦の小さな諍い。それを岡本おさみは「愛する形がひとつ増えただけ」と見事な括り方を見せてくれた。そうか、数十年を経てここにあの『女房すったもんだ節』が完成したのかと思うと感慨深かったりする。そして、思い出すまいと思いつつも、御大の「今頃、ご夫婦で旅を続けているに違いない」という追慕の言葉を思い出してしまう。

2016.4/10