夕陽と少年
作詞 石原信一 作曲 吉田拓郎
アルバム「Long time no see」
バハマの夕陽よ俺を照らせ
吉田拓郎が、国内外を問わずレコーディング合宿に行くときは必ず作詞家が同行する。「ローリング30」の箱根ロックウェルには松本隆、「Shangri-la」のロスには岡本おさみが、「サマルカンドブルー」のニューヨークには安井かずみ、そして「Long time no see」のバハマのコンパスポイントスタジオには石原信一が随行した。
レコーディング中の詩の手直しや詩作のために必要だから当たり前といえば当たり前だ。しかし、勝手ながら、昔の皇帝が巡行するときに宮廷詩人を連れて行った歴史を連想させる。もちろん、そんなこと言ったら作詞家の先生たちは怒るだろうが(笑)。しかし、どの作詞家も作詞だけではなく、レコーディングでの御大のドラマを綴ったり語ったりしてくれている。まさに歴史を後世に残した宮廷詩人たちと変わらないではないか。
石原信一によるバハマでの御大の様子は、95年のツアーパンフに綴られている。これまで渋々と臨んだロスやニューヨークのレコーディングと違い、バハマは、御大が自ら音楽の海に自ら飛び込み、ミュージシャンたちとの絆を得て、泳ぎ回る様子が伝わってくる。音楽的に格闘する御大への愛が溢れた達意の文章だ。
石原信一は、そんな現場で、御大のおもり役であり、イジられ役でもあったようだ。かいがいしくミュージシャンに夜食のインスタントラーメンを作ったりと大変な様子も窺える。
そんな中で、石原信一は、バハマの海を観ながら、夕陽の海と少年の姿を描いた詞を綴った。バハマのレコーディングは大成功だったものの、2曲を未完で残してしまう。難航したのはご存知「永遠の嘘をついてくれ」だった。もう一曲は、そのあおりで、置き去りにされてしまった石原信一のそのバハマの海の詞だった。そのまま石原信一は、ロスに連れて行かれる。しかしロスでも「永遠の嘘」に苦闘した御大は、納得せずに、帰国してさらに観音崎スタジオにこもる。石原信一は、そんな御大の「執着」を愛情と敬意をもって見つめる。そして、御大は、この観音崎で、「永遠の嘘」を完成させ、さらに石原の詞にメロディーをつけ「夕陽と少年」を仕上げたという。
「永遠の嘘」とともに、御大としては、大切な土地である「バハマを描いた詩」をどうしてもしめくくりの作品として入れたかったのではないかと思う。夕陽といえば、石原信一には大作「夕映え」があるが、この詞のテイストは異なる。若い少年を眺めながら、ああオレはあの打ち上げられた流木みたいなものだ、と年取った自分をも優しく海辺に解き放つ。「やさしくなれたらいい」と繰りかえされるこのおだやかなフレーズが、バハマの景色とこのアルバムの新境地を表しているのだと思う。
もちろん私は行ったことも観たこともないが、バハマの景色が、御大たちに共有されているのだろう。皇帝が味わったバハマでの貴重な音楽体験と中島みゆきの作品との苦闘。この作品は、その記念碑なのではないかと思う。というわけでこの作品は「永遠の嘘」とともに地球を半周した皇帝に仕えた宮廷詩人の結晶である。
2016.3/12