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やっと気づいて

1971年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「人間なんて」

音楽の国へのエクソダス

 この作品は、アルバム「人間なんて」の中で「川の流れの如く」「笑え悟りし人よ」らとともに木田高介&ア・リトル・モア・ヘックとのジョイント演奏によるナンバーだ。R&Bとロック色に満ちたサウンドが拓郎のボーカルを存分に泳がせる。
 「両手でこぼれない程の小さな自由らしきもの」「ふりかえると自由が笑っている」・・・この繊細な詞をありったけのソウルをこめて御大はワイルドに歌い上げる。ブルージーなシャウトが光る。若く蒼いシャウトが瑞々しく、まるで若竹がしなるようだ。
 ご存知のとおり、御大のシャウトは、この後もレコードにライブにと百戦練磨を通じて熟成され完成され無形文化財の域にまで達する。この10年後の1981年。たとえば雰囲気が類似しているブルースである「パーフェクトブルー」と比べるとよくわかる。御大のシャウトの見事な熟練・熟成ぶりが窺える。しかし、熟成の反面でピュアさを失い、どこか汚れちまった退廃感をもまとっている。そこがまたたまらないのだが。逆に「やっと気づいて」のシャウトは、生硬だけれど汚れ無き美しさに輝いている。どちらもともに素晴らしい。
 名演奏とアレンジをした木田高介は、伝説のバンド「ジャックス」を経て稀代の編曲家として活躍した。80年に不慮の事故で夭折しなければ、今も瀬尾一三、松任谷正隆などと並んで君臨していたに違いない。このアルバムでもR&Bの御大の資質を十分に引き出している。また当時のライブもバックバンドとして支えていた。
 そう考えるとアルバム「人間なんて」は、加藤和彦と木田高介の二人の稀代の音楽家が御大を支えている。広島から一人出てきた無名の若者。本人曰くインチキなアングラレコード会社に掴まり、安月給で印税すらなく不本意なフォーク歌手としてデビューする。そのまま消えてしまってもおかしくない環境にくすぶっていた御大。そんな若者の御大の才能を見出した加藤和彦と木田高介が両脇から抱えてメジャーな音楽界に連れ出すアルバムというように考えると面白い。吉田拓郎の「大脱走」「救出大作戦」のストーリーの舞台である。
 そんな木田高介が亡くなったとき追悼ライブが日比谷野音で開催された。自分レコーディングに向かう時の事故だったのでイルカの傷心にスポットが当たっていたが、御大も辛そうだったのは当時のラジオでもよくわかった。
 追悼ライブは、ナターシャセブン、オフコース、かぐや姫、五つの赤い風船、イルカ、リリィ、五輪真弓、Char、金子マリ、遠藤賢司、宇崎竜童、上條恒彦、加川良、倍賞千恵子、瀬尾一三などなど、司会が喜多條忠で、岡本おさみさんも歌ったりと錚々たる面々が集まった。
 奥ゆかしい御大は、こういう多人数のライブでは、極力歌わない方向で引っ込むことが多いが、この時は時間を押しながらも長時間かけて「アジアの片隅で」をフルバンドで歌った。小雨そぼ降る野音で、まだ公式発表されていない「アジア」を絶唱したのであった。
 勘繰りだが、あの日、R&Bな演奏で自分の脱走を手助けしてくれた恩人木田に対して、聴いてくれよ、これが今のオレの燃えたぎるソウルだぜっ!ここまで来たんだぜ!!という心からの叫びを届けたかったのではないか。

2016.3/12