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約束~永遠の地にて

1989年  作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「ひまわり」/DVD「89 TAKURO YOSHIDA in BIG EGG」

ノックしたいの天国のドア

 天国や神が出てくるアルバム。言ってみれば"神様"が神様を歌っているアルバム「ひまわり」には正直言って面食らったものだ。そのアルバムの中でもこの「約束~永遠の地にて」が最も神々しい。
 「遠い夜」でも書いたが、ボブ・ディランが、キリスト教に改宗した80年前後の霊歌のアルバム「セイヴッド」の影響と無関係ではない気がする。かつて拓郎は、多くの音楽関係者がぶっ飛んだ(と思われる)ディランが神を歌うことについて「神を歌うというのもひとつの方法論だ」というスタンスを示していた気がする。
 もちろん拓郎の信仰や信条にとやかく言っているのではない、敬虔なクリスチャンのご家庭に育ったからこそあの「諸人こぞりて」の素晴らしい名演があったわけだし、そのエッセンスが吉田拓郎の深い愛の歌たちの基になっているのだと思う。
 問題は、その詩にかなりシリアスな状況が覗くところだ。「永遠の地」は明らかに死後世界=天国のことを歌っている。「眠るのが怖くなる、明日が来ないような気がする」、「胸に両手をあてると苦しくて喘いでいた夜」、「呼吸が止まるかもしれないし」、「一人では淋しくて気が狂いそう」・・切々と歌われる不安と恐怖。聴いている方も心配になってくる。どうしたんだ、拓郎、何かあったのか?という気分になる。
 「夜明けは必ずやってくるさ」と歌われてもその漠然とした心配は拭えない。拓郎が「越えてゆけ」と歌えば「越えてゆこう」と思うし、「明日からもこうして生きてゆく」と歌えば「明日からも生きて行こう」と一も二もなく共感する私だが、「魂は永遠の流れにのって解き放たれた自由を感じ」「魂は救われて泉のほとりで静かな悦びを語り合い」と歌われても、どうすりゃいいのか戸惑うことしきりだ。例えば天国を歌うにしても「あの世でいい気分」みたいな唄であれば心配はない。・・・いや、別の意味で心配だ。
 そして最後の「ああ 結ばれる」のリフレイン。この「ああ」が、いつものシャウトの「ああ」ではなくて「んぁあああ 結ばれる」「んぁあああ より深く」というまこと不思議な歌唱にもそこはかとないミゾミゾしたものを感じてしまうのだ。

 繰り返すがその死生観や信条に文句があるわけではないし、作品の完成度が落ちるとかそういうハナシでもないが、こういう歌を歌っている拓郎自身のことが妙に心配になってしまう一作であった。あまり下種勘を働かせるの何だが、もしかすると何かの病に苦闘していたのか、あるいはこのころに亡くなられたお身内に対する追慕なのか、そのために、天国のやすらぎと永遠の絆の結びを繰り返し歌いあげているのではないかと邪推してみたりする。

 そんなの余計なお世話だといわんばかりに、拓郎は東京ドームの大舞台でもこの作品を「んぁあああ」と身体をよじらせながら堂々と披露した。CDだと詞のインパクトに引きづられてしまうが、ライブで聴くと、メロディ展開がドラマチックで表情豊かな曲であり、サウンドもカッコイイことに気が付いた。間奏に「結婚しようよ」のインストがインサートされメンバー紹介に利用されたが、包容力があってスケール感のある作品であることもわかった。

 というわけで個人的にはつかみどころがない作品だ。なんだ意味わかんねぇよ、変な曲だなぁと言いたくなる瞬間もあるが、いつかこの曲に救われる日もくるかもしれないと思ったりもするので、それまでは判断留保。

2020.1.8