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私は狂っている

1971年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「よしだたくろうオンステージ ともだち」

答えは風に舞っている

 吉田拓郎の歴史はインタビューの歴史でもある。ファンにとってはレコード、ライブ、ラジオと並んで新聞・雑誌のインタビューが強力な媒体として存在し続けてきた。ファンとしてはいつも"吉田拓郎独占インタビュー"に胸を躍らせながら目を皿のようにして活字を拾い、その発言を胸に刻んだものだ。拓郎のインタビューはファンである読者にはいつだって鮮烈で胸を打つ言葉が散りばめられていたものだった。
 しかし拓郎ご本人にとってはインタビューはそんな安逸なものではなかったようだ。むしろ吉田拓郎のインタビューの歴史はマスコミとの戦いの歴史でもあったようだ。うるさく質問を浴びせられ、答えを都合よく切り取られ、時に捏造までされるインタビューは吉田拓郎を傷つけ、消耗させるものでもあった。拓郎は最近になってこんな風に語る。
 "雑誌とかのインタビューも、音楽のことについての熱弁が一行で済まされて、余談のプライベートばかりが大きく取り上げられるのに嫌気がさして、マスコミにも拒否反応が生まれた。そういう中で吉田拓郎はマスコミ嫌いのレッテルを貼られることになった。当時としては深夜放送以外では、もう戦うしかない。テレビやマスコミ取材とは敵対関係のポジションになったところ、後に一斉に叩かれた(ラジオでナイト第92回 2019.2.3)"。 "若気の至りで、いきがって、天狗になっていて自分らしくない言動をしていた。それは若かったから許されることではないにしても、そこにいる吉田拓郎が無理をして気取っているのがありありとわかる。それは自分だからわかる(ラジオでナイト第73回 2018.9.23)。極論すると結局自分のインタビューの類は信用でぎず、すべて嘘だとまで拓郎は言い切る。
 この歌はインタビューとの戦いの歌である。1971年というデビュー直後にもかかわらず、既にその戦いの萌芽が見えているところがなんとも驚きだ。若き日の拓郎が、どれだけマスコミの攻勢にウンザリしまた翻弄され傷ついていたかが窺える。…何のために歌うのか、フォーク村って何なんだ、岡林信康をどう思う、ファンをどう思う、これからどうする、マスコミをどう思う、あの歌はなんなんだ…。そこに誠意ある「問い」は殆どない。後に言う"そいつの気分は気取ったインタビュー"である。
 脳波の薬の話につなげて"私は狂っている"と自虐的に歌っているが、マスコミや巨大な文化に対して、おまえらに決して心を許すまい、おまえらに真実を語ったりすまいという宣戦布告のマニフェストである。この若々しい意気軒高な美しさが眩しい。怒りの結晶のようなものが煌めく。ステージでどのくらい歌われたかは上明だが、最後に歌われたのは1979年の篠島だった。岡林をどう思う、フォーク村っていったいなんだよというフレーズが「今の歌をどう思う」に変わっていたくらいで詞に大きな変化はなかった。71年から79年、上変の戦いが続いていたということか。続けて80年代の「SCANDAL」「男と女の関係は」あたりのやさぐれた戦争に繋がってゆく。かくして吉田拓郎とインタビューの戦争は応仁の乱のように長く混沌として続いたのであった。
 今、戦いすんて日が暮れて、拓郎はステージにこそ真実があり、ラジオでだけは本当のことを話すと心を静かに限定解除しているようだ。もうインタビューの言葉を盲信するなというメッセージなのかもしれない。御意。とはいえお金をとって公刊されていたインタビューだ。それを信じたファンをウソつきよばわりするのだけはやめていただきたい。狂っていると歌うミュージシャンを彼を信じてきたイカレたファンの矜持というものがこちらにもある。それよりも戦いは終わったとはいえ、あいかわらず世に溢れている誠意のない"問い"にはこの作品のスピリットをもって毅然と対決しようではないか。

2020.4.18