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笑え悟りし人ョ

1971年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「人間なんて」

本当の日本語のロックの夜明けに

 アルバム「人間なんて」の後半に加藤和彦から木田高介にバトンが渡される。「笑え悟りし人ョ」「やっと気づいて」「川の流れの如く」と、木田高介&ア・リトル・モア・ヘックによるR&Bの世界になだれこみ、ホーン・セクションのバックに乗って拓郎は思い切りシャウトする。ここからアルバムが走り出す。
 今にして思えば吉田拓郎の魂の出自のR&Bである。水を得た魚のようにぴちぴちと跳ねながらフォークソングという吊の鎖を身をよじって解いてゆくかのようである。まさに青春とは激しい川の流れだ。とはいえ当時、フォーク全盛期「結婚しようよ」のインパクト絶大の頃だから、拓郎=ロック、拓郎=R&Bという本質はあまねくには伝わらなかった。しかし吉田拓郎の魂のありかをしっかりと確かめられる一曲として残っている。
 R&Bのメロディーやリズムやサウンドだけではなく、そこに思い切り尖がった戦闘的な日本語の詞が結びついている。この融合合体にこそ吉田拓郎の真骨頂があると思う。その後、席捲する吉田拓郎のメッセージ・ロックともいうべき世界の誕生である。日本語のロックの革命は、同じ月に発売されたあっちではなく、こっちじゃなかったのかとつくづく思う。
 とにかく詞が若々しく熱い。躍動しながら、まっすぐに伸びて強くしなる若竹のようなチカラがみなぎる。

  思いのままに ならないまでも 好きにやりたい
  勝手にさせてよ 気ままに生きたい俺の人生

 いきなり吉田拓郎をずっと貫くコアなスピリットがむき出しになって突きつけられる。いいねぇ、この出だしに特に若い頃は大いに共感し胸が震えたものだった。
  今さら云うのは よそうなんて 俺は思わない
  あきらめ気分でいたとこで 傷つくばかり
  何が天国だ どこだい教えてよ
 真剣でバッサバッサと邪魔者をなぎ倒して行くかのようなインパクトがある。
  もつれあった糸をたぐりよせ 今一度
  ほどこうか この手で ンアアアア 生きてやる
 このあたりのメロディーとリズムとボーカルの三位一体感が痛快=快感でたまらない。特に、R&Bのサウンドでありながら、個人のメッセージソングともいうべき先鋭で煽情的な言葉との強い結びつきが光る。
 ちょっと印象深いのは次の部分だ。
  何が暮らしだ2LDK それも幸せか
  女房は一人か 子供は二人かそれも幸せか
 "二人で買った緑のシャツを僕のおうちのベランダに並べて干そう"という「結婚しようよ」とこの歌が同じアルバムに入っているって凄いよな。どっちも本人の詞だぜ。極端な矛盾的自己同一なアルバムだ。曲相も対極だ。これはもう拓郎という人と音楽のふり幅の広さというしかない。その広さゆえに、結婚しようよの世界に共感してファンになった人と笑え悟りし人ヨに共感する人と。まるで背反するようなファンをあわせ抱き込むことになった吉田拓郎のその後の大変さを暗示している。ファンもそれなりに大変だったが。
 ともかくこの作品は、やがて"ペニーレインでバーボン"や"知識"を擁する吊盤"今はまだ人生を語らず"の爆発までまっすぐに進んでゆく。そして最後は"勝手にさせてよ気ままに生きたい俺の人生"という抜身の刀のようなスピリットに集約されてゆく。疾風怒涛とはこのことだ。
 そうはいっても50年経つとサウンドにはやや古色なところがある。思い切ってアレンジも新しくrefitされた演奏を思い切りシャウトするのをステージで聴いてみたい。若すぎる歌詞の生硬さゆえに気恥ずかしいところがあるのかもしれない。しかし、ここまでくれば世代を超越した原点の蘇生のようなR&Bとシャウトもアリなのではないか。

2020.4.18