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別離

1983年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「情熱」

道の向こうで手をふる君よ

 男と女の悲しい別れを歌った拓郎の作品は数多い。その中で、「最も悲しい作品グランプリ」は何だろうか。多くの方は、あのスタンダード「外は白い雪の夜」あたりに投票するだろうが、私は、自信をもってアルバム「情熱」に収録された、この「別離」に投票する。この作品の残酷なまでの悲しさと言ったらない。王様バンドの熟練した抒情的な演奏がさらに悲しみを倍加させている。
 雨の中、彼女を待つ男の独白で物語は進んでいく。これから待ち合わせてなじみの店に行く。シチュエーションは「外白」と似ている。「今夜で君と最後の場所になる。別れの時が来た。」「お願いだから泣いて僕を責めないで」「同じところにこんなに居られない自分」・・・男は彼女を待ちながら、やがて自分が彼女に切り出す「別れ」を反芻している。「さよならMY LOVE さよならin the rain」こちらは「雪」ではなく「雨」の中での「バイバイLOVE」だ。
 そして何より歌詞の最後がショッキングだ。「道の向こう側から君は手を振りながらいつもと同じように駆け出してくる」この情景をラストシーンにして救いも余韻もなくこの歌はプッツリと終わるのだ。おそらく彼女は、今日の別れを知らない。無邪気に手を振りながら駆け出してくる姿が聴き手としては痛々しい。
 それまでの歌詞の内容からすると、これまで彼女に何か大きな失態や問題・・例えばデートにいつもペットの類人猿オリバーくんを連れてくるとか、金星人の親戚がいることをいつも自慢していとるか、そんな様子はまったく窺えない。どういう彼女だよ。何年もつきあって消耗した感じの「外白」と違い、付き合って半年。もっとも楽しい時期のはずだが、僕の方が一方的に萎えてしまったようだ。
 このあと別れを唐突に切り出される彼女は、唐突であるがゆえに、最後に覚悟のシャワーを浴びて心の準備をしたり、男に向けてテーブルでサヨナラと煙草並べたりする反撃(爆)に出ることもできないだろう。しかも、「雪」ならば絵にもなるが、こっちは「雨」だ。失意のうちに雨の中を帰らなくてはならない彼女・・・。
 「酷いじゃないか拓郎」と言いたくなる向きもあろう。すると、ふと思い出すのは実際にこの作品の翌年の離婚会見の時。週刊誌の記者どもから離婚にあたって「やさしさ」はあったのかと難詰されてこう答える。
 「優しさというのは、別れの時にあるものではなく、それまでの暮らしの中にあるべきものだ」と銘言をカマすのだ。・・・きっと彼は、彼女にも、オリバーくんや金星人にも精一杯やさしかったはずなのだ。それに「離婚のたびに全財産を投げ出す男」(後藤由多加・談)がこの国に何人いるだろうか。そういう話じゃないか。
 ともかく、この作品もあって、アルバム「情熱」は、リアルタイムで聴いた時は、スキャンダラスで、自堕落で、悲しく残酷で・・・そんな負のオーラに包まれていたことを思い出す。 今は、それこそが作品のチカラになっていることがわかるが。

2016.6/11