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若い人

1983年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「情熱」

too many な思いとtoo muchな歳月

 アルバム「情熱」はスキャンダラスな恋愛に耽溺している自堕落なけしからんアルバムだと若い頃の私はうらめしく思っていた。若さゆえの思い込みもあろうが、あながち間違いではなかったと思う。実際、拓郎はスキャンダルの渦中にいたし、"自堕落""飽きた"というフレーズを繰り返して、私のような狂信的ファンが求めていたオピニオンリーダーのような立場を意識的に忌避していた気がする。

 そのアルバムの中で唯一この曲だけは、若き日の吉田拓郎立志伝ともいうべき痛快なナンバーであり、当時の狂信的なファンを含めて誰もが感情を移入しやすい"救い"のような位置づけだったと思う。
 おそらくは自分の経験をベースにしつつ脚色・創作されているのだろう。タイトルは間違いなく石原裕次郎・浅丘ルリ子・吉永小百合主演の文芸映画「若い人」にちなんでいる。本人も石原裕次郎の日活文芸モノが特に好きだったと言っていた。この歌も独りの若者のドラマ仕立てのような長編で、勝手ながら便宜的に名づけると、若き日の(1)闘争篇(2)恋愛篇(3)友情・孤独篇(4)エピローグというように組み立てられている。

 一番の闘争篇は"心から熱くなる毎日"、"負け犬になんかなりたくなくて"、"振り返ることもなくただ前へと進んだ"~このあたりのフレーズによってイキナリ胸が火が付き、"それでも若さを唯一の武器にして 牙を剥き立ち向かう 傷つきながらも"のフレーズにシビレた。今にして思うとベタでやや生硬な詞だなと思うが、当時は聴き手の私自身がこういう戦闘的なフレーズに飢えていたことを思い出す。
 二番の恋愛篇は実話かどうかはわからないが、ミュージシャン志望の無名の若者ということであれば、こういう悲恋なシチュエーションが当然にあったのだろう。"世代を恨んだよ 引き裂かれた夜 むなしくて 立ちつくすと聞こえるボブ・ディラン"がまたドラマチックでいいわぁ。
 三番の友情・孤独篇は、おそらくは全共闘の上智の友がモデルだろう。"人と人は何もかも手をつなぎ生きてはゆけない"というフレーズに代表されているように「徒党を組む」ということへの強い拒絶が当時の吉田拓郎だった。つながりを絶って独りゆく孤独な道ゆきに観る吉田拓郎のイメージもまた憧れのひとつだった。

 しかしこの作品では、これらの若き日の闘争も恋愛も友情の物語も既に過去のものとして追憶されている。語り手は、今や生きる技を知り尽くし、恋愛ゲームに溺れ、多くの友も放擲したあげく、傷つき汚れた中年男である。それは言い過ぎか。少なくとも今や汚れちまった自分の若い日を遠い目で見つめる視線で描かれている。  若くしてこの歌を聴いた自分も、やがて加齢とともに、この闘争、恋愛、友情のドラマの刺激的なフレーズより、それを回顧している主人公のスタンスの方に次第に共感をおぼえ同化してゆく気がする。
 そうなるとこの歌の一番最後の部分。
 "大切なものをどこかに置き忘れ 気が付くと僕は今 何をしているんだろう"
    このフレーズが胸に刺さって痛くて仕方ない。そして
"夜空を見上げると多くの夢が星になり風になり踊って見える"
このしめくくりが心に染み入るったらありゃしない。まるで"流星"のようである。

 このかなり長編の物語を飽きずに聴かせるのは詞のチカラだけではないと思う。何よりメロディ―が清々しい。特に、たたみかけるように進むAメロに対して爽快な感じで懐広く展開するBメロという関係が、若き日の物語の部分とそれを振り返る今の心境の部分に自然に対応している構成に妙味がある。そして、王様バンドの技が静かに光る。盤石なドラムがテンポよく心地よく心身を運んでくれて、青山のギターが語りかけるようにうねる。ここでもこのバンドのボーカルに寄り添う熟練の技を魅せてくれている。
 なおレコードでは一気に歌いきっているが、ステージでは二番と三番の間に間奏が入る。そのサイズの方が大作感がある気もする。
 82年秋のツアーのMCで、貧しかったころ新宿の双子の女の子に助けてもらった話、そして札幌でお店をしている二人に再会して懐かしくて涙した話をしていた。このアルバムのプロモーションで武田鉄矢のラジオにゲスト出演した時もその話をした。

 拓「あの頃は貧しくてね、女の子にたかってましたよね。」
 鉄「そうなんですか」
 拓「君、いるじゃないですか、デラ&チャコが。」
 鉄「(慌てて)えっ僕は知りませんよ」  拓「聞いたぞ、おまえもあの店に行ったんだって? この野郎」
 鉄「僕は知りませんよ(汗) 昔の話ですが、その吉田拓郎"若い人"を聴いてください」

 何があったかは意味不明。しかし新宿の双子の女の子との懐かしい再会が、拓郎の思いを若き日に走らせてこの歌を作らせたのではないかと思えてくるが、それはただの憶測だ。

 カッコイイ佳作であり今演奏してもライブ映えすると思うが、私を含めて若くない人がtoo manyの会場では、なんか全員がそれぞれ"遠い目"モードにトリップしそうな気もする。ひっそりと個人で聴くのがよいのかもしれない。

2020.1.4