uramado-top

裏窓

1991年
作詞 石原信一 作曲 吉田拓郎
アルバム「detente」

おまえだけが歌心あるものよ

 場末で聴くシャンソン(そんなものあるのかわからないが)を思わせるようなイントロの手風琴に引きずり込まれ、あとは拓郎の硬質のボーカルの海をゆったりと漂うような至福の時間が続く。あぁ、なんてカッコイイんだぁとため息を洩らすしかない。
作詞の石原信一は「僕の考える拓郎像に一番近い」ことを意識してこの詞を書いたという。「裏窓」というタイトルの真意はわからないが、石原信一が、ヒッチコックの「裏窓」の主人公のように、中庭を挟んで「公式」ではない男の姿を覗き見たというドラマ設定なのかもしれない。もちろん実際の拓郎の性格も生活もこの詞とは全く違うだろうが、この詞をここまでの深い情感と説得力をもって歌い上げられる歌手は拓郎をおいて他にいるまい。ストイックなクールさや、反対に熱く男らしい筋肉パワーを売り物にしている歌手たちには、到底このやさぐれたテーマは歌えないだろう。かといって、実生活で荒くれてデカダンスの世界に浸ってしまっている歌手には、逆に、この歌から滲み出る「輝き」を表現できまい。まさに吉田拓郎の魅力の結晶ではないか。
 男と女の修羅場のような陰惨でどぎついフレーズもある詞だが、

      おまえだけが 形あるものよ もの みな壊れ 風吹く街で

      おまえだけが 記憶あるものよ 1秒前さえ 忘れる日々に

      おまえだけが 命あるものよ そいつを愛とは呼びはしないが
      
      哀しいくらいに まぼろしならば 傷つけあって 痛みを分ける

  例えば、これらのフレーズからは、陰惨な詞の中にも、救いのような「輝き」が覗くかのようだ。何度聴いても「輝き」は色褪せず、聴くたびに深く心に刻印を残してくれ、不思議な勇気が湧いてくる。
   「ラジオの戦争かすれてくのは・・まやかしなのはどちらだろう」・・・ベッドの上で戦争のニュースが聴こえてくる話は、松本隆作詞の「白い部屋」にも出てくる。どちらも無関心を装うが、自分の心にわだかまるある種のやましさの取扱いに戸惑っている・・これは団塊世代共通のシンパシーのようものなのだろうか。そして、このある種のやましさを「流せない血よ 戯れ騒げ」と封ずるあたりは、お見事!と感服するしかない。そして、拓郎のこのすべての言葉の真意を体解したようなぴったりとしたメロディーと歌いっぷりはたまらないのだ。変な話だが、歌い込むというよりは、仮歌のようにテキトーにラフに歌えば歌う程、魅力が増してくるような拓郎の独壇場だ。

 この作品はアルバム「detente」のラストを飾る・・・というのは正確ではない。クレジットにはよく見ると「bonus track on CD」と附してある。CDを買った人にだけオマケで聴かせてあげるということだ。CD以外に何があるといえば、既にアナログのLP盤は「ひまわり」が最後だったので、この時は、MT(ミュージック・カセット)のことだ。ちなみにミュージック・カセットは、この「detente」が最後だった。カセットを買った人というか買った自分には「裏窓」が入っていない。オマケが入っていないと言うレベルではなく、正品か不良品かという問題だ。おそらく収録可能時間の問題があったのだろうが、カセットとはいえこの名曲をカットしてアルバムを出す拓郎。よくよく考え悩みぬいたのか、あるいは何にも考えてなかったのか、だふんどちらかだ。当たり前か。91年のデタントツアーで演奏されて以来ご無沙汰だから拓郎の自己評価はあまり高くないのだろうか。というわけで個人的に勝手に宣揚させていただいた。

2015.5/4