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「うの」ひと夏by高杉

1988年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「MUCH BETTER」

男のロマンをどこかで詫びる思い

 タイトルのとおり高杉晋作が恋人「うの」に捧げたという設定の作品。それにしても、なんじゃこのタイトルは。少なくとも「By高杉」は要らないだろ。詩情も何もなくなってしまう気がする。いうまでもなくこの曲の発表の3年前の映画「幕末青春グラフティRONIN」で高杉晋作を演じたこととシンクロしている。この歌の背景である焼け付くような暑い夏は、まぎれもなく映画が撮影された1985年の夏のことだ。武田鉄矢の困った長ゼリフのために、ひまわり畑で拓郎らが一日中炎天にさらされた夏。そして、我らがつま恋85の夏でもあったことから、余計に肌身に焼き付く実感がある。
 映画の出演後、高杉晋作に興味と深い思い入れを持った拓郎は「新撰組始末記」など関連書籍を読み漁っていた。小室等の「そういうことは役を演じる前にやっとくべきだったのではないか」との指摘も、もっともである。その遅すぎた役作りの結果、この作品が生まれた。85年のつま恋以来、長い休暇にあった拓郎は、この作品が出来た時、アルバムを作れるという自信が湧いたということである。つまりはアルバム「MuchBetter」完成への原動力となったことになる。

 しかしアルバムのプロモーションのインタビューで拓郎は意外にも高杉晋作ではなく、「この曲は北原三枝さん(故石原裕次郎さんの妻)に捧げる歌」だと説明した。折しも当時はその前年の87年に石原裕次郎が亡くなったばかりだった。石原裕次郎というスターに尽くした女性に向けたねぎらいの歌だという。高杉晋作にしろ石原裕次郎にしろ時代のヒーローを張る男たちは「男のロマン」を錦の御旗に振り回し勝手の限りを尽くすものだ。傍の女性は、はっきり言うと迷惑のかけられっ放しだ。そういう女性のために捧げる歌という主題だそうだ。
 ことに「幕末」といえば「男のロマン」「男らしさ」と結びつけられることが多い中でこの作品のスタンスはユニークだ。「男には男の生き様と心にもないセリフが照れくさい」「お前がいて俺が泣くそれでいい」と言う歌詞からは、どこかで男らしさの欺瞞、身勝手さ、ひいては情けなさを前提にしているかのようだ。それだからだからこそ、女性に向けられた「苦しみを拾うじゃないぞ」「女だからと強がり言うな」「それを時代のせいにしてしまえ」という言葉ひとつひとつのリアルな愛情の深さが生きてくる。
 関係ないが、昔拓郎との対談で、泉谷しげるがこの作品を聴いて「それを時代のせいにしてしまえ」の部分がいたく気に入ったようでほめそやしていた。そしたら泉谷はその後「すべて時代のせい」という作品を発表しやがった。おいっ!泉谷っ!・・・・どうか御大と仲良くしてください。
 男と女の合戦のようなやりとりの中で、「いさかいの中で 夏が消えて行く」「この日からお前が消える つかの間のたぎる想いも」という切なくもドラマチックなフレーズが胸に刺さる。そして逝ってしまった強者とそれを支えた女性たちを思いやる。素晴らしい詞であり作品ではないかと思う。映画はつまらなかったが、主題歌「ジャスト・ア・RONIN/RONIN」とこの作品が生まれたことが一番の成果物だったと思う。申し訳ないが。

 音楽作品としての出来上がりは、長いブランク明けということと、例のコンピューター打ち込みに凝っていた時代なので、歌や演奏にいまひとつ力がないような気がするのが残念だ。こういう作品こそライブで練りに練られると魅力倍増ではないかと思う。実際にも88年のSATETOツアーでは、前奏にキーボードで「RONIN」のメロディー(ジャスト・ア・RONINじゃない方だ)がアタッチされていたし、歌声にも少し荒れた感じの生の迫力があった。もっともっと歌いこんで欲しかったが、それ以後ステージで演奏されないのが残念。

2015.10/25