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ウィンブルドンの夢

2009年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「歩道橋の上で」/アルバム「午前中に・・・」/DVD「LIVE2012」

矢が尽き荒れ果てたフィールドに咲いた花のように

 2007年は切ない年だった。2006年のつま恋の至福を味わった翌年に、かくも厳しい試練が、拓郎とそのファン達を待ち受けていようとは。瀬尾一三率いるビッグバンド・シリーズにピリオドを打ち、精鋭バンドによる小会場を中心としたコンサート・ツアー"Country"に、4年ぶりとなる新アルバムの制作という新たなる航海となるはずだった。しかし、いずれも拓郎曰く「矢が尽きた」ように中途で倒れるという憂き目を見た。パルテノン多摩の突然の中止の時、ひと月を経ての熊本での気力の復活の夜、しかし瀬戸を最後に確定的に中止が発表された日、それぞれの時にすべての拓郎ファンがそれぞれの涙にくれたに違いない。
 もちろん吉田拓郎といえば過去1981年の秋には、一部ではチケットまで発券されていた全国ツアーを「気分が乗らない」という理由で、全部キャンセルしたとんでもない過去もある。しかし、今回は、なんとかステージに立ちたい、立たなくてはならないという悲壮なまでの本人の意思がはっきりと窺えたからこそ、ファンのショックは深かった。そのツアーの様子のDVDと未完成の成果物であるCDが、メディア・ミックス「歩道橋の上で」として発売されたのは、2007年の暮れの事だった。
 DVDの最後の2007年を総括するツアーやレコーディングの様子のエンドロールに、この作品は映画の主題歌のように流れる。こんな悲痛な時なのに、「あきらめなんてずっと先でいい。あぁ君の愛を大切にして、君の中で大切にして」と拓郎のボーカルは、伸びやかで、ピュアだ。「あぁ君の愛を大切にして」の少しかすれるような「あぁ」もたまらない。その歌声を真綿でくるむような、石川鷹彦、徳武弘文、エルトン永田、島村英二、ほぼロックウェル78バンド(1978年「ローリング30」箱根ロックウェルスタジオに集ったミュージシャンのことを勝手に略称)の音は行間にぬくもりがこもっており聴く者を安心させてくれる。特に3番では「・・・ウィンブルドンにも出たかったよね」の後に小さなブレイクがあり「・・ああ」と続く。この「・・ああ」からはインテンポだからと、その前のブレイクからのつながりに苦心する拓郎とミュージシャンの様子が映像に残っている。ここに、音楽家たちが苦心つくりあげる至高の「行間」と「余白」がある。
 昨日と明日、過去と未来を行きつ戻りつするような詞の中での、「あの日も同じような雨でした また一緒に歩いてみないか」との一節。その頃の公式ブログで拓郎が「あの娘(準ちゃん)を学校帰りに送って外に出たら雨が降っていて二人で歩いた出汐町」とつぶやいていた。この時のピュアで切ない思い出のことだろうか。「雨の中のあの娘」という処女作とともに思い出す。こういうひとことひとことに素朴だが深い含蓄がありそうな詞たち。
 このようにエンドロールは、いろいろなことを語りかけてくる。2007年はいろんなことが不本意な形に終わったけれど、確かに「吉田拓郎」はそこにいて、新しい曲があり、渾身のステージがあったのだ。いろんな夢はついえてしまったけれど、それでもまだ清々しい明日はあるんだ。そんなことを思わせてくれる作品だ。切なくただれるような2007年の最後に、まさにワールドカップサッカー後半戦ロスタイムに放ったシュートのような、ウィンブルドンでの起死回生のスマッシュのような清々しい明日を予兆させてくれる一曲だ。
 後に「午前中に・・・」にも正式収録され、ライブではビッグバンドで演奏された。そこでの演奏も大作感があり申し分ない。その後もステージでのスタンダード・ナンバーと化したが、やはりこの「ほっこり」とした温かなエンドロールのバージョンこそが何より胸に響く。

2015.4/26