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都万の秋

1973年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「よしだたくろう LIVE'73」

旅する男、しない男

 「隠岐の島」や「都万」の御関係の皆様には大変失礼だが、この歌で「都万」という地名を知った拓郎ファンが殆どだと思う。それでいて殆どの拓郎ファンは「キミさぁ、都万のあたりではイカ漁が有名で、大きなイカが手ですくえるんだぜ」とウンチクをカマした経験があるだろう。ねぇよ。
 いわずと知れた岡本おさみの「股旅シリーズ」。放送作家の仕事を辞めた岡本おさみは、執拗に旅と放浪を繰り返す。加えて雀士でギャンブラーだったというから、すげー無頼派だ。
 そんな岡本おさみの旅の詞が心をつかむのは、

 「明日の朝は去ってしまおう。だって僕は怠け者の渡り鳥だから」

 という詞に凝縮されている心情だと思う。世間一般の旅行番組のように 「まー、きれいな景色ですね、美味しい料理ですね、皆様の人情がシミますね」という妙な上から目線ではなく、こうして旅を続け放浪する自分に深く負い目を感じ、その心底には心の傷を抱えている。その視線で、旅先の人々や光景を見つめているのが、岡本さんの旅の詞だ。どうしようもなく切なく、また些細なところに宿る人々の美しさを見逃さない。  1977年の拓郎との酒席の対談での拓郎が面白い。

 拓郎「旅って何なの。たかが日本でしょ。」
 岡本「でも一箇所にいるより動いている方がいいよ」
 拓郎「・・・そんなことしてないであなたは詞を書くべき だよ」

 拓郎が放蕩息子を叱る母親のようになっている。この対談に「旅する男、しない男」と小見出しがついていたが、拓郎は旅嫌いで有名だ。しかし、旅嫌いの拓郎にもかかわらず、旅の詞につけるメロディーは、その風景や情感・感情の機微にいたるまでを実に豊かに描き出す。「旅する男」の言葉が「旅をしない男」のメロディーによって命を吹きこまれる・・というのは面白い。
 たぶん旅嫌いの男は、旅をつづける男の負い目とか心の傷を抱いた心情を直感的に理解しているのだと思う。というか、拓郎は、広島より出でて、こうして波乱の中を生きていること自体が、岡本おさみと同じ意味での旅なのかもしれない。つまりは「放浪する魂の共感」なのではないか。
 演奏がまたいい。どっしりとしたリズムに、キーボードが抱擁するように、包み込む、実に心地よいサウンド。これは、このライブ73だけではなく、その後の拓郎の演奏の基本形ともいうべきものではないか。ずっとこのサウンドに身を委ねていたい、そんな気にさせてくれる。

2015.11/3