遠い夜
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「ひまわり」
吉田拓郎のクォ・ヴァディス
拓郎マニアといわれるファンでも、この曲がすっぽりと記憶から抜けている人も多いのではないか。そもそも、この曲の所収であるアルバム「ひまわり」ごとすっぽ抜けている人も少なくないのではないか。
アルバム「ひまわり」といえば、コンピューター打込みが裏目に出ている、曲数が少ない、声が出ていない、などの特徴が指摘されるが、もうひとつの特徴として、拓郎が「神」を歌っている!!、オーマイガー!!という驚きがある。
詞も曲もおごそかで落ち着いた展開ながら、とらえどころなく進んでいくこの曲は、最後の最後になって「神は必ず旅を許される」という衝撃的なフレーズで締めくくられる。ずいぶんと面喰ったものだ。もちろん神・宗教と言う信条に異論があるわけではない。
拓郎の御母堂は、熱心なクリスチャンであり、拓郎も、小さいころから教会でも讃美歌に触れながら育ったことは有名だ。だからこそ、あのクリスマス・アルバムの名演「諸人こぞりて」が誕生したのだ。あの歌をあそこまで敬虔に、なおかつカッコよく歌いこなせる人間は他にいるまい。また教会で培われた情操が、例えば「たえなる時」のような数多くの深みのある名曲を生んでいるに違いない。
もうひとつこの曲に影響を与えたのは、ボブ・ディランだろうと思う。1980年前後の一時期、ボブ・ディランは、突然「神」を歌いだして、怪しいジャケットのアルバムを出したりしたことがあった。
「神様が神様を歌う」という衝撃は世界中を驚かせた。拓郎は、当時、このディランの変化について驚きながらも「神を歌うというのもひとつの方法論だ」と評していた。これが、間違いなく、この曲の背中を押しているに違いない。しかし、ディランが凄いのは、次のアルバムですぐ路線を戻して「神様は神様にすぐ飽きちゃった」ということで世界をもっと驚かせたとこだ。恐るべしボブ・ディラン。そういう話じゃなかったか。
「神は必ず旅を許される」とは拓郎の大切な精神的支柱ではあったとしても、こう真正面から歌われるとやはり戸惑う。とても僭越だが、この当時、拓郎が眼の下にクマを作って立ち尽くすような姿が思い浮かぶとともに、拓郎が抱えていた苦悩の大きさ、深さのようなものを勘ぐってしまうのだ。「クォ・ヴァディス」という古典があるが、まさにこのタイトルどおりファンとすれば「主よ、どこに行かれるのですか?」という作品だ。
2015.11/29