とんとご無沙汰
作詞 阿木耀子 作曲 吉田拓郎
シングル「君のスピードで」/アルバム「Long time no see」/アルバム「18時開演」/DVD「吉田拓郎 101st Live 」
放っておいたのにありがとう
翻訳ソフトに「Long time no see」と入れると「とんとご無沙汰、どうしてました?」という日本語訳が出て驚いた。嘘だ。出ねぇよ。とはいえアルバムのタイトル曲であることは間違いない。アルバムのキャッチコピーは「放っておいくれて ありがとう」と記されていた。
さんざん言ってきたけれど、まさに80年代終盤から続いた、拓郎のさまよいの時代、この間に去っていったファンは多く(当社調べ)、拓郎の存在自体がフェイドアウトしかねない、まさに放っておかれた時間だった。自宅にこもっていた拓郎は、精巧完璧なデモテープを作ってバハマに臨み、同世代の一流ミュージシャンたちを感動させ、音楽的な絆を結び、常富喜雄いわく「蘇生」したのだった。ここから氷を解かすように、拓郎の行く手に少しずつ陽が射してくることになる。その記念すべきマイルストーンのような作品だ。
このアルバムでの蘇生を支えた二人の女性がいる。一人は言わずと知れた「永遠の嘘をついてくれ」を提供した中島みゆき、そしてもう一人がこの「とんとご無沙汰」を作詞した阿木耀子。阿木と拓郎は、長い親交があったようだが、本人歌唱の作詞をするとは意外で結構驚いたものだ。
中島みゆきの扇情的・攻撃的アプローチとは対照的に、阿木耀子は、やわらかな抱擁的・愛情型アプローチで拓郎を支える。「阿木耀子はすべてお見通し」と拓郎が語っていたことがあった。長く家にこもっていた繊細で面倒くさがり屋の拓ちゃん、もう春ですよとやさしく呼びかける。
阿木耀子はかつて「拓郎さんは、わずか数年で何十年もの時間を生きたのよ」という名言をかましたことがある。拓郎のさまよえるこれまでの長い疲労感をもわかったうえで、まさに母か姉のように呼びかけている。まさに「お見通し」なのだ。そして短い言葉の中に、花鳥風月の美しさが彩られている。この優しい詞に呼応するメロディーの美しいこと。まさに逸品だ。この作品を聴くたびに、心に何かやさしく温かいものが灯るような気がする。静かながら力をもった作品だ。
さて、このように原曲は、このアルバムを象徴する名曲であり、バハマの成果物ともいうべき名演である。そこに何らケチをつけるつもりはないが、私個人としては、ベストの演奏は、ビッグバンドの船出の一曲目、2002年のNHK101を挙げたい。LOVE2が終わり、公民館ツアーが挫折し、何度目かの浪人状態だった拓郎は、この日、あの瀬尾一三のビッグバンドとともにステージに現れたのだった。
ピアノとストリングスで始まる前奏曲からして、素晴らしい。これだけで泣きそうだ。また、たっぷり、ゆったりと奏でられる間奏が、この曲のもつ優しさと切なさを存分に引き出している。原曲も素晴らしいが、やはりこの壮大で繊細な演奏は、忘れてはならないものだ。というわけで日米決戦は、僅差ではあるが、日本の勝利となったと思いたい。
2015.10/17