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となりの町のお嬢さん

1975年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル「となりの町のお嬢さん」/アルバム「LIFE」

陽気なヰタ・セクスアリス

 1975年9月。フォーライフレコードからの第一弾シングル。世間を驚かせたあのフォーライフレコード設立時の興奮と分かちがたく結びついたモニュメントのような作品だ。
 拓郎は、フォーライフの旗揚げの一発目ゆえに渾身でヒットを狙ったと述懐するが、実際にヒットチャート上位を席巻した。当時、私は中学生だったが、学校でも世間でも、拓郎ファンではない一般の人々がフツーのヒット曲として愛聴・愛唱していた記憶がある。思えば貴重なヒット曲だった。ヒット曲という点では、このヒットを最後に、「全部抱きしめて」までの20年間以上、拓郎ファンは、ヒットという陽の当らない日陰の道を歩まなくてはならなかったのだ。みんなよく頑張ったよな。あのな。
 浅田美代子のことを歌ったものだと言う噂があったが、本人も厳に否定している。おそらく明石家さんまあたりが吹聴した誤報だと思われる。 実際には、拓郎が少年時代、東京でジャズピアニストをしていた兄が、当時の彼女を広島の家に一週間泊めたことがあり、その時の淡い想い出がモデルになっているそうだ。
 生まれて初めて会う「東京」の年上の女性。都会の香りと「おしろい」の香りに、陶然となる少年拓郎。廊下で平泳ぎしたという凄い逸話もあったりするがココでは割愛。とにかく「大人に目覚めた瞬間」だったと語る。これは、まさに吉田拓郎の「ヰタ・セクスアリス」だ。しかし、その「ヰタ・セクスアリス」の経験が、実に陽気でポップな逸品に仕上がっている。ドラマ仕立て詞の組み立ても達者だ。「海辺の町は夏の終わりと酸っぱい恋でみかん色に知らんふりして暮れてゆく」と言うフレーズは、特にドラマ的情感が溢れ、最後の「今年の夏の忘れもの」という締めくくりも見事だ。そして何より軽快にホップして上り下りするような自由なメロディー展開。フォーライフの第一弾だけに、「脳天気路線」か「意味深メッセージ路線」のどっちで行くか、社内会議がもたれたというが、「脳天気路線」が選択された。ちなみにB面は「流れる」いう「意味深路線」だった。よく考えると随分極端なAB面だわな。
 ライブ演奏は、発売前の75年つま恋のラスト・ステージで瀬尾一三オーケストラの演奏で歌われただけである。拓郎曰く、何度かライブで試みようとしたが、なかなかステージでこの明るいファンキーな質感が出せなかったため断念したと語っている。
 本人談の「ばかばかしいくらいの脳天気さと明るさ」を侮ってはならない。2008年に若手デュオの「ホフディラン」がこの作品をカバーした。こちらも思いっきり軽快で脳天気だが、質感が全然違う。比べると、原曲こめられた拓郎のボーカルののびやかな気迫とオーラ、そして松任谷正隆の手の込んだアレンジのもと、矢島賢、後藤次利、駒沢裕城らの卓抜な演奏のチカラが浮かび上がる。すまんな、ホフディランの若者らよ。
 この作品の脳天気さと明るさは、決して脱力や軽さではなく、音楽力をこめた全力投球の上に成り立っているものであることを思い知らせてくれる。

2015.9/26