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友と呼べれば

1983年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「マラソン」/ビデオ「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋PARTⅡ」

最強の友に最強の音楽

 1983年の年頭に拓郎は「今年はアルバム2枚、シングルは3枚でも4枚でも出すぞ」と宣言し、そのとおり、5月にアルバム「マラソン」、11月にはアルバム「情熱」をリリース。まさに上半期、下半期の会社の決算期にあわせたような見事さ。よっ、社長!!
 「友と呼べれば」。これは男同志の友達のことではなく、女性わけても森下愛子のことを意識して作られたのだろうと思われる。気になる異性を「友達」として位置づけようという苦悩がうかがえる。苦悩する上半期の拓郎に対して、下半期のアルバム「情熱」では正面から「恋人」と認めてラブ・ラブ・ファイヤーで突っ走る。・・・と言ってしまうとミもフタもないか。
 しかし、「変にベタベタせずに」「お互いに勝手な人生」を生きながら「気にしあう」ボクとキミとのあるべき距離感を歌う繊細な歌詞は、恋愛関係を超えたおよそ人と人とのあるべき関係の歌として昇華され、生き続けている。
とにかく拓郎の艶のあるボーカルとともに演奏が凄い。このあたりの王様バンドの演奏の盤石さ、凄さは言葉にできない。砲弾のようなビートに扇情的なリフ。奔放でありながら、ガッツリとした「塊」になっている演奏は、無敵だ。バンドはボーカルに追従するのではなく、ボーカルもバンドによりかかるわけではない、お互いにガチでわたりあうように音楽に対して挑んでいる。なんなんだこれは。
 この演奏はどんなに腕利きだろうと他のミュージシャンでは再現できまい。素材とレシピが明らかになってもどうしても再現できない味の料理みたいなものか。
 てか、いる?これよりすごいグルーヴのバンドって。よく「長嶋は凄かった」「大鵬は強かった」と人は言うが、それは「想い出」という甘美なスパイスが効いていて、客観的にどんだけ凄かったかはまた別の問題だったりする。しかし、こうしてレコード音源に残っているものを聴くと、今聴いても客観的に凄さがわかる。
 次作の「情熱」になると演奏にある種の「まるみ」が出てくる気がするが、この「マラソン」の楽曲はどれも鋭利な刃物のようにタイトだ。

2015.11/29