友あり
作詞 康珍化 作曲 吉田拓郎
シングル「友あり」/アルバム「detente」
心地よい佳曲に漂う残念感
作詞家康珍化は言うまでもない名作詞家だが、個人的な感想として、どうも拓郎との共作はピンとこない。もちろんあの「全部抱きしめて」の作詞者なのだから、ファンにとっては最敬礼すべき恩人だ。
しかし「友あり」は、男同志の友情への熱い思いを綴っているのだが、どうしても薄っぺらな青春ドラマのようなテイストを感じる。自分だけの感覚なので許していただきたいが、特に「空の神様よ聴こえるか」「俺の大事な友達を」のあたりの詞は、もう聴いていて恥ずかしい。
康珍化の詞と岡本おさみ、松本隆、石原信一らの詞とはどこかが違う。ずっと考えて来たが最近ファンの方のブログで「阿久悠のかかえる虚無感」という趣旨の言葉に出会って、やっと合点がいった。岡本・松本・石原の三人の作詞家は、タイプは違えどもみなある種の虚無感を抱えている。人生のどこかで、いっぺん地獄を見たり、深い挫折を経験した「心の闇」のようなものを抱えている。拓郎自身の詞も同じだ。どんな明るいラブソングを書いても、その虚無感が目に見えないスパイスのように効いている。しかし康珍化には、その虚無感というスパイスが効いていないから、妙にあっさりとした味付けに感じてしまうのだ。
しかし、拓郎本人は、彼の詞を気にいっているようだ。拓郎は、作品としては実に心地よい一曲に仕上げている。何度か書いたがコンピューターサウンドからバンドサウンドに転換したアルバム「デタント」のもつ「爽快さ」。サウンド的には、それが一番顕著に表れている。心地よいテンポ、爽やかな演奏、おだやかなメロディー展開、いつまでもこのサウンドに浸っていたいと思わせる気持ちよさ。それだけに、詞がもう少し深いと良かったのではないかと勝手に残念がっている。
残念といえば、この作品は「たけしのTVタックル」のEDテーマとして使われた。この手の番組のテーマに拓郎の歌が使われることは多かったが、成功例は殆どない。成功とは、例えばかつての「筑紫哲哉のニュース23」のEDの井上陽水「最後のニュース」のような映像も歌も相乗効果で生きてくる使い方のことだ。
たぶん制作側が「ココんとこで、拓郎の曲流しとけばいいや」という感じでテキトーに使っている感じがありありとわかる。作品の歌声やサウンドに突っ込んで、これを生かそうと言う気概が全く感じられない。だいたいNHKの「解決ご近所の底力」とかいう町内会問題番組にあの名曲「流星」を使うとは噴飯ものだ。というわけでご近所町内会のオヤジのように怒っている自分だったりする。
2015.9/26