ときめく時は
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「月夜のカヌー」
捨てられる歌、拾われる歌、静かに生きる歌
比較的地味なアルバムとされる「月夜のカヌー」の中のさらに地味な一曲としてあるこの曲。どのくらい地味かというと京浜急行で言えば「八丁畷駅(はっちょうなわてえき)」くらい地味だ。どこだよ、わかんねぇよ。
「八丁畷駅」は、地味ながらも南武線と京浜急行を結びつける結構重要な駅であり、そういうところも似ている。って、もっとわかんねぇよ。
このアルバムあたりから、岡本おさみの詞は、加齢の中にあっての「恋心」はどうあるべきかを模索するテーマが増えてくる。加齢とはミもフタもない言い方か。若者ゆえの一途な恋は終わり、その次にある大人の恋心、大人としての異性との距離感をめぐってあれこれ逡巡する詞が増える。拓郎もたぶんその心情に共感し、派手さはないものの、しみじみとしたメロディーをあてがい、実に優しく歌い上げている。
この曲が忘れられない一曲となったのは、2003年の癌手術の直後のことだ。今は、人手に渡ってしまったかつてのフォーライフレコードの銀河スタジオで、拓郎は、復帰に向けてボイストレーニングを始めた。それは、トレーニングというよりは、いろんな曲を歌ってみて、肺を切除した後に 「歌える歌」「歌えない歌」を選別するという前代未聞の作業だった。歌えない歌の楽譜は文字通り床に捨てられていく。
映像の中では「ときめく時は」を歌えない歌として「捨てる」作業が映った。観ていても身を切られるようなシーンだった。「人間なんて」が歌えないというのとはワケが違う。こういうしみじみとした作品ですら歌えなくなるという現実が心底悲しかった。
「捨てた曲はもう一生歌えないでしょう」と断言していたが、ファンがこれだけ辛いのだから、本人の辛さはどんなものだったろう。
その後、ステージに復帰した拓郎は、紆余曲折ありながらも、ビッグバンドに支えられツアーを続けた。2006年つま恋までの3年間の怒涛の道のりは記憶に新しい。その間に、かつて同じように捨てられたと思われた「春だったね」も復活した。
そして、2006年のつま恋のリハーサルのシーンで、拓郎が、少しおどけてこの「ときめく時は」を歌って見せるシーンがあった。ステージでこそ歌われなかったが、この歌も再び「拾われた」ことが窺える。まさに特典映像だ。
「捨てられた歌」そして「再び拾われた歌」。そこを結びつける3年間のビッグバンドツアー。ツアーでは一度も歌われなかったこの曲が、意外にもその「かけがえのなさ」を象徴しているような気がする。そして「そんなこともあったねと 言える日が 必ず必ず来るよ」というこの作品の歌詞ともシンクロする。
2015.5/6