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時は蠍のように

1986年
作詞 安井かずみ 作曲 加藤和彦
アルバム「サマルカンドブルー」

道端の青春と異国の香り

 2005年のビッグバンドツアーで拓郎は「『青春』がテーマの曲を二曲歌う」と前置きして「虹の魚」と「時は蠍のように」を歌った。「虹の魚」が青春の歌というのはよくわかるが、「時は蠍のように」も青春の歌だったのだとハタと気付かされた。「道端の青春」と詞にはあるが、この妙に成熟した香りの作品と青春とはすぐには結び付かなかった。
 安井かずみの詞も難解だ。「時はサソリのように音も立てずにそっと近づき過ぎていく」って、何がしたいんだよサソリ。サソリという暗喩がむずい。「自由を飲み干して」「光を散りばめた地図を片手に」未来を待つのが青春ならば、それは蠍のようにたちまち過ぎて行く、そんな虚しく残酷な空気が、聴く者の共感をシャットアウトするような独特の雰囲気を醸し出している。
 拓郎のボーカルに惚れ込んだ加藤和彦・安井かずみが、拓郎のボーカルをメイン食材に料理の腕をふるったフルコースがアルバム「サマルカンドブルー」。特に、この「サソリ」は、まさに安井の詞、加藤の曲なので、拓郎にはとことんアウェーな一作だ。欧風のムード歌謡というか、大きな幻影の海の中を漂う感じのこの作品は、拓郎これまでの作品群からはかなり異色だ。そういう異色の世界であっても拓郎は、難なく歌いこなして見せる。それが加藤和彦たちの狙いだったのだと思う。
 レコーディングの際の二人のやりとりに
 加藤「段々感じが出てきた」拓郎「近づいた?」
という言葉がかわされる。「最後のライオンだから」「セクシーで男で人生で」という加藤・安井のイメージする完成系に向かって進んでいく様子がわかる。
 しかし、結果として、拓郎本人のこのアルバムに対する感想は厳しいものだった。「音楽のセンスも詩のセンスも僕に求めてくるリクエストは一昔前のものでした」「このアルバムからはステージでは殆ど歌っていません」とまで語る(「安井かずみのいた時代」より)。本人評価の低いアルバムのようだがこの「サソリ」は、「パラレル」「ロンリーストリートキャフェ」に次いでライブ演奏頻度が高いということは、このアルバムからサバイブしたといえる。たぶんこの異色な世界の異色なメロディーは、拓郎自身に歌っていて快感があるに違いない。
 とはいえたぶんライブで再現するには難曲のようで、88年SATETOツアーでは、どことなく貧相な出来上がりでライブ不適かと思っていたが、先の2005年のビッグバンドの演奏では見事面目躍如となった。幻想の海を漂う原曲の感じが溢れていた。しかも「サマルカンド」の原曲の少しクセのある歌い方の臭みが、いい感じで抜けていているところが魅力だ。2007年のCountryツアーで歌いこまれていったとしたらどういう相なっていったのか。

2016.5/7